ひとりで5時40分、室温29度。いつまで続く高温でしょうか。窓から見る空には秋の気配もあります。朝から明日の編集委員会の準備。必要に迫られて、明日、先週に続き編集委員会を開催します。その後、事典編纂委員会があります。
[朝鮮資料と友邦協会]
一昨日以来調べていることで、そもそも朝鮮資料とは何かが気になりました。ネットで調べることが出来た範囲では、昭和31年から33年にかけて、中央日韓協会・友邦協会が4号を出版しています。朝鮮資料第一号 『朝鮮財政・金融発達史参考資料―中央日韓協会の蔵書と朝鮮関係の史料について』中央日韓協会・友邦協会 昭和31年
朝鮮資料第二号 朝鮮総督府極秘資料(大正6年刊)『朝鮮の保護及び併合』改編復刊 中央日韓協会・友邦協会 昭和31年
朝鮮資料第三号 旧朝鮮総督府官房総務課長山名酒喜男手記 『朝鮮総督府終政の記録(一)』中央日韓協会・友邦協会 昭和31年
朝鮮資料第四号 朝鮮電気事業関係重要文献集成 『朝鮮電気事業発達史:揺籃時代』中央日韓協会・友邦協会 昭和33年
友邦協会も気になるので調べてみました。これは100%孫引きします。
財団法人友邦協会編『渡辺豊日子口述 朝鮮總督府回顧談』友邦シリーズ第27号、1984年(昭和59年)より。
「当協会は昭和25年秋、元朝鮮総督府殖産局長故穂積真六郎氏(前理事長)の提唱により、わが国朝鮮統治の史実保存のため、その関係文献資料の調査・収集を目的として設立(昭和27年認可)、同時に、それに附随する「史料研究会」・「朝鮮語講習会」及び「資料編集」等の事業を行なっている。 この種の文献資料は、戦争と引揚げのため散逸、諸般朝鮮問題の研究上、極めて不備の状態にあり、当協会はそれを充足するため、旧朝鮮関係の諸氏に、その経験または解説を講述していただき、そのうち重要なものを、本シリーズにまとめて、必要な向きに提供している。」友邦協会そのものが現在どういう活動をされているのかまではわかりませんでしたが、文庫は下にあるように、学習院大学に保存されています。雑誌『東洋文化研究』から判断する限り、学習院大学では重要な研究活動が行われています。
ひとりおくれて7時30分、室温29.6度。朝練のあるおおきいちびはもう出かけていました。ちいさいちびと小学1年生は、8時前後なので、テレビを見たり、朝食を食べたり。スーパーが開くと同時に妻が買い物に行きました。帰宅して、自転車ががたがたすると言います。空気入れを出して、空気を入れようとすると、押しピンが後輪に刺さっているのが見えました。典型的なパンクです。空気を入れて、自転車屋さんへ。
1時間以上かかると言われました。面談があり、午後大学にでました。
ついでに図書館で次の2冊を借りました。
下谷政弘『日本化学工業史論』御茶の水書房、1982
旧朝鮮電気協会編
『朝鮮電気事業発達史 : 揺籃時代』
東京 : 友邦協会, 1958
表紙は、右肩に「朝鮮資料第4号」とあり、まんなかに「朝鮮電気事業関係重要文献集成 第1巻 (旧朝鮮電気協会編集・朝鮮電気事業発達史 =揺籃時代) 付篇・財団法人 友邦協会保管 朝鮮電気事業関係資料総目録、とあります。そして左下に、財団法人 友邦協会 社団法人 中央日韓協会 の名前があります。
そして表表紙の裏には、次の言葉があります。
「日本統治時代の朝鮮に関する諸資料は、戦災や引き揚げによる遺棄のため、その大部分が、焼失又は散逸して、政治、経済、社会、文化等、何れの部門についても、総体的乃至は系統的に纏まっている文献は、殆ど見当らない。
終戦後、朝鮮に関する諸般の調査、研究が、遅々として進まないのは、主としてこのためであって、関係各方面、特に学界の、朝鮮関係資料の収集、整備を要望する向きは非常に多い。
本協会は、その要望にこたえて、創立以来関係資料の収集に努め、特に、保存又は普及の必要を認めるものは、これを刊行して、全国の主要大学、図書館等に、寄贈又は、実費で配布している。
資料、文献等の収集は、各方面の協力を得て、順調に進んでいるが、その刊行は資金の関係上、極度に制約され、各刊行部数も、三百部に限定し、特に必要と認める向きにのみ配布している。
しかし、収集した資料は、すべて、一般に開放する立て前をとり、朝鮮問題の調査、研究の向上の資に供している。
この上とも、関係各位のご協力と、ご利用を切望する次第である。
昭和33年9月
財団法人 友邦協会理事長 穂積真六郎」さて上に指摘されている資料が気になりました。ネットで検索してみると、学習院大学東洋文化研究所に「友邦文庫」として収められているようです。
学習院のサイトにある宮田節子氏による解説をそのまま引用します。
「「友邦文庫」は略称で、正式には「友邦協会・中央日韓協会」文庫である。
この「友邦文庫」は、長い歴史をもっている。まず初代政務総監であった山縣伊三郎文庫(1238冊)土師文庫(247冊)を初 めとする主に朝鮮総督府関係者の蔵書・資料を集めたものである。その後も、戦前に日本に帰ってきた総督府関係者―たとえば農村復興運動の時、農林局長 (1932年7月〜35年2月)であった渡辺忍の文書(936冊)、「予算の水田」と呼ばれ昭和に入ってから、朝鮮総督府の予算の凡てを扱った水田直昌の 「帝国議会説明資料」(146冊)などかけがえのない資料がはいっている。
戦後は、総督府の殖産局長(32〜41)であった穂積真六郎が積極的に資料を集め、朝鮮総督府の関係者が自分の蔵書を友邦協会 に寄贈するようになり、更に穂積の提案で、友邦協会から穂積を中心に近藤釼一・渋谷礼治・岸謙の4人と学生側の姜徳相・権寧旭・梶村秀樹・宮田節子の8人 が中心メンバーとなり、58年5月7日に資料の収集に重点を置くと言う意味を込めて「朝鮮近代史料研究会」を結成。以後500回に及ぶ、研究会をもち、約 130人の総督府関係者の録音記録418巻のテープを録音している。2000年からはその録音を文章化し、『東洋文化研究』に掲載している。現在のように 「朝鮮総督府関係の資料なら学習院」と言われるようになったには、これ等先人の努力の賜物である。」大学からの帰途、自転車屋さんによって修理済みの自転車をとってきました。普通のパンク修理で済みました。840円。(済まなかった場合はタイヤの交換になるので数千円と言っていました。)
ひとりで5時30分、室温28.4度。子どもたちは今日が始業式。私は午後1番で出張校正。
[書評3点]
昨日までで次の3点の書評を読みました。鈴木 恒夫「大塩武著, 『日窒コンツェルンの研究』, 日本経済評論社, 1989年, viii+370頁」『土地制度史学』32(3)(1990): 72-74
下谷 政弘「大塩 武著, 『日窒コンツェルンの研究』, 日本経済評論社、一九八九年五月、三七〇頁、四六三五円」『社會經濟史學』56(3)(1990): 416-419
宇田川 勝「大塩 武著『日窒コンツェルンの研究』」『史學雜誌』100(3)(1991): 382-389
同一の著作に関する3点の書評を読めばさすがに、この著作(大塩武『日窒コンツェルンの研究』1989)について一定のことがわかります。とくに宇田川 勝氏のものは8頁にのぼります。丁寧に紹介・批評しています。
息子に起こされて6時20分、室温28.4度。子どもたちは明日から学校です。宿題が残っているおおきいちびだけが宿題漬けになります。残りで、床の大掃除をしました。いっしょにやると普段手の届かないところまでやってくれます。この暑さですから、1時間程度で終了。まずまずです。
序文 土光敏光
「大正末期から約20年間に朝鮮半島の産業は大いに発展した。この間、電力の生産と消費に関係のある日本の主要企業のほとんどが朝鮮半島にかかわりを持ち、その遺産は今日もなお人脈の中、あるいは社風の中で生き続けていると思われる。
私が長い間経営した石川島とか東芝等はとりわけ密接な関係をもった企業であった。
この意味でも今回「朝鮮電気事業史」が出版されることになり、経団連名誉会長の故をもって序文を呈することは、私にとり大きな喜びである。
朝鮮半島の電気事業を一口で申すならば、地形・気象・資源を巧みに活用して開発した大規模水力と産炭地火力とによって豊富・低廉・良質の電力を確保する一方、配電事業の早期統制を実行して設備の重複を未然に防止した。
これによって電気料金は大口需要家から一般電灯電力に至るまで低位に安定し、インフレの進行した戦時においてさえ料金の値下げはあっても値上げはなかった。
また、鴨緑江水豊発電所を頂点とする発送電機器並びに電力需要設備は、わずかな例外を除けば国産で終始し、容量・仕様の点でその都度、日本記録を更新して行ったが、これこそ日本の電気機器製作の技術水準を世界レベルまで押し上げた原動力であった。
朝鮮半島で造り上げられた電気事業体制は極めて優れたものとして、戦前すでに内外で喧伝されていたが、これこそが官民が一致協力した成果であって、その陰には幾多先輩の苦労が秘められていたことは当然である。
しかし、これらの史実は、戦前は秘扱いを受けて詳細を明らかに出来ず、戦後は朝鮮半島を南北に分断する悲劇によって埋没されようとしていた。戦前長く半島の電気事業に携わっておられた人々の間から、期せずして自分らの生のあるうちに正しい史実を後世に残したいとの願望が生まれ、一昨々春以来3年近い日子を費やして編集したのが本書であると聞いている。
私はこれらの人々の努力に深く敬意を表すると共に、本書がこれからの日本にとって至上命題である発展途上国に対する援助協力の面で参考になるものと信じる。」朝鮮電気事業史編集委員会編『朝鮮電気事業史』(中央日韓協会、1981), pp.III, IV.以上、今年の5月に一部引用した序の全文です。私が強調にした部分がまだ課題として残されているとまとめることができると思います。
ひとりで3時50分、室温28.8度。
起床時刻としてははやすぎます。やはり眠くなってソファーの上で寝込んでしまいました。再度の起床は7時半。ちいさいちびが起きてきたので目が覚めました。小学1年生は、8時10分に起きてきました。
昨日に続き、バスケがオフのおおきいちびは宿題に取り組んでいます。オフのおわる明日やっと完成する進行具合です。
気分転換を兼ねて小学1年生は、ヨドバシに連れていきました。自分でポケモンゲームを三回やらせます。昨日は風呂場のLED電球を買いました。ちいさいちびがお風呂が暗いというので買い換えです。今日は、単一の電池を4個。いざというときの備えです。[CMなし]
むすめたちがあっちゃんのさよなら公演の実況中継を見たいと言います。昨日まで東京ドームでAKB48 のコンサートがあり、今日は、秋葉原のAKB劇場に戻って前田敦子卒業公演ということです。Hey Hey Hey の2時間枠をとっていました。前半1時間は編集もの。8時前からは劇場からライブでやっていました。ライブのところは布団に横たわって見ていました。おお、フジテレビの扱いは、オリンピックやワールドカップ並みです。すなわち、45分近く、CMをまったく挟みませんでした。
フジテレビ内でどの程度議論して、どう決断したのかを知りたいところです。
ひとりで6時、室温28.5度。ほんとうになかなか気温が下がってくれません。杉並区の小中は、8月29日に2学期の始業式です。子どもたちは宿題の追い込みです。お友達もだいたい似たような感じになっているようです。
[あたりまえ体操]
夕食前、ちいさいちびが24時間テレビを見ているとき、小学1年生がいきなり cowcow の「あたりまえ体操」を口ずさみはじめました。そして、覚えている部分を実演。テレビの前でやられると迷惑なので、YouTube で見せてやりました。2学期の教室でやる子が続出だと思われます。「フィニアスとファーブ」でもやっていましたから、ブレイク中なのかもしれません。
6時5分、室温28.3度。妻は5時半に起きていました。おおきいちびはたぶん6時。バスケの研修大会というのがあります。5校が集まり、一日に4試合行うようです。朝一番で次の本が届きました。
小林 よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論』
小学館、2012私は午前中に編集委員会。午後は、化学史研修会。
化学史研修会は、田中委員の尽力により次のサイトでUstream配信の実験が行われます。
http://www.ustream.tv/channel/kagakushi-kenshukai第9回化学史研修会
日時 2012年8月25日(土) 13:15 〜 16:30
場所 東京工業大学大岡山西9号館2階「コラボレーション・ルーム」
http://www.titech.ac.jp/about/campus/o_map.html?id=03 (28番の建物)
〒152-8550 東京都目黒区大岡山2丁目12−1
最寄駅: 東急目黒線・大井町線 大岡山駅(徒歩1分)
主催 化学史学会
資料代 1000円
プログラム
13:00 受付開始
13:15〜14:45 川島慶子(名古屋工業大学大学院准教授):マリー・キュリーと放射能―ジェンダーと科学をめぐる問題
15:00〜16:30 山崎正勝(東京工業大学名誉教授):日本の原子力問題と米国からの軽水炉導入:1945-1968
編集委員会は、11時から12時まで1時間限定で行いました。その後各自お弁当等で昼食ととってから午後の第9回化学史研修会に備えました。
12時半ぐらいに教室に入ると、すでに講演者の川島さんが見えていました。田中さんはUstream配信の準備、内田さんがマリー・キュリー伝の英語版初版をもって見えていました。
川島さんの講演も山崎さんの講演も非常に興味深いものでした。後1〜2時間延長してもよかったと思われます。それだけ充実した内容がありました。
Ustream配信も田中さんによれば、リアルには10人ぐらい、録画では70人ぐらいが視聴されたということです。帰宅すると次の本が届いていました。日本の古本屋さんからです。
大塩武
『日窒コンツェルンの研究』
日本経済評論社、1989
目次は次の通りです。
序章 課題と方法
第1部 アンモニアの生産と日本窒素の収益構造
石灰窒素からのアンモニア製出
アンモニアの合成と多角化の開始
多角化とコンツェルンの形成
アンモニアの生産と日本窒素の収益構造
第2部 コンツェルンの金融構造
コンツェルンの統轄管理
関係会社の収支構造とコンツェルンの金融脈管
日本窒素の収支構造とコンツェルンの金融構造
結び
ひとりで4時55分。室温29.1度。見た目には秋が近い。しかし、朝方の室温がまだ29度を超えています。
7時半前後、妻、ちいさいちびと続けて起きてきました。
朝からエアコンをつけて、なんとか小さな原稿を2本仕上げました。明日の会議に間に合いました。
ひとりで6時10分。室温28.5度。夕刻、バスケのインナーを買うために、青梅街道沿いのアルペンまで自転車を飛ばしました。自転車で20分の距離でした。夕方西向きに走ったので、前からの日射しがまぶしくてたいへんでした。ものの存在はあらかじめ妻が電話で問い合わせています。すぐにゲットしてただちに折り返しました。帰りは前からの日射しがない分、ずいぶん楽でした。
午前中に妻が吉祥寺にでかけて2点ゲットしています。以上で友達の分を含めて3点ゲットしたことになります。在庫がお店に1点ずつでした。妻はお友達のお母さんとくじ引きで分けていました。日が暮れるまえに次の本が届きました。
藤井 清久
『歴史における近代科学とキリスト教』
教文館、2008
ひとりで5時40分。室温28.8度。7時まえまだ誰も起きてきません。→妻は7時、小学1年生は7時35分に起きてきました。ちびどもは8時前後。
朝の間に、姜在彦編『朝鮮における日窒コンツェルン』(不二出版、1985)の序説、文献解題、あとがきの3点のみ読みました。とくに文献解題は初学者には有用です。
金早雪(キム・チョソル)「以上、鳥瞰したところ、水俣病=チッソ糾弾は、朝鮮人(労働者や地元住民)にとっての日窒という視点に気づかせたが、一方朝鮮経済における意味についてはいまだ十分には掘り下げられていない状況にあるといわざるをえない。いずれにせよ、朝鮮にとっての日窒コンツェルンを問わずして、新興コンツェルンとしての日窒の意義もまた完結されないということのみ再度確認しておこう。」(pp.355-6) つまり、この時点では、朝鮮経済における日窒コンツェルンの位置付けが研究史において不十分だと判断されています。そうではないかと思われます。
同時に、日窒コンツェルンが戦後の日本経済にもって意味についても(たぶん指摘はされていても)十分認知はされていないのではないでしょうか。日が暮れるまえに次の本が届きました。
有馬 哲夫
『原発と原爆: 「日・米・英」核武装の暗闘』
文春新書、2012
ひとりで5時30分。室温28.4度。7時現在まだ誰も起きてきません。→妻が7時50分に起きてきました。書類の決裁が1件あります。子どもたちの顔をみないまま、大学に出ることにしました。8時30分武蔵境発の電車に乗ることができました。
書類は署名して判子を押すだけです。すぐにすみます。その後わずかに仕事をしてから、図書館へ。次の本を借り出しました。
姜在彦編
『朝鮮における日窒コンツエルン』
東京:不二出版、1985
古い本ですが、まだこの分野の基本書ではないかと思われます。目次は次の通りです。
第1章「朝鮮工業と日本資本」
第2章「日窒コンツェルンにおける朝鮮窒素」
第3章「朝窒における電源開発」
第4章「朝鮮における化学肥料工業」
第5章「「産業コンツェルン」としての朝鮮窒素」
第6章「朝鮮民衆との摩擦・抵抗」
文献解題
参考文献および伝記、社史
日本窒素=朝鮮窒素関係年表
担当は次です。姜在彦(カン・ジュオン、序説)、河合和男(第1章、第4章)、ユン・ミュンホン(第3章、第5章)、金早雪(キム・チョソル、第2章、文献解題・年表)、堀内稔(第6章)朝一番で、鈴木恒夫氏による次の本の書評を読んでいます。(『社會經濟史學 』57(6), 843-846, 1992-03-25 )
Barbara Molony, Technology And Investment : The Prewar Japanese Chemical Industry, Harvard University Press. Cambridge, 1990
門外漢のせいかいもしれませんが、よくまとめられていると思います。鈴木氏によれば、このバルバラの本は、下谷政弘『日本化学工業史論』の電気化学工業の箇所をベースにし、日窒の朝鮮進出に関しては大塩武『日窒コンツエルン』に依拠しているということです。残念なこととしては、上記の姜在彦編『朝鮮における日窒コンツエルン』を見落としていることが上げられています。
ひとりで4時10分。室温28.2度。おおきいちびは6時前に起きてきて、7時過ぎにバスケに向かいました。
いろいろあって、パパもママももう手伝わない、自分で準備していきなさいと言っています。自分で準備して(やはりまだ気乗りはしないようでしたが)自分ででかけました。一歩前進です。息子にもいくらか手伝ってもらって、床の拭き掃除を朝一番で行いました。日曜日に帰京すると、台所の床の上にありが何匹か徘徊していました。群ではありません。ともかく目に見えるありはぜんぶ処理しようと思いました。床の上に残っているお米の粒とか食べ物の粉とかを捜しているようでした。1時間強で木の床はすべて拭き掃除を行うことができました。結果、夏の素足に床が気持ちがよい。午前中ぐらいはこの状態をたもつことができればと思います。
土曜日に田舎から発送した荷物は、11時半頃届きました。子どもたちの宿題も入れていました。荷物が届かないことには、宿題もできない状態だったのですが、お昼前に解決しました。
お昼過ぎに、次の本が届きました。
Barbara Molony,
Technology and Investment: The Prewar Japanese Chemical Industry
Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1990
すこし古い本ですが、塚原氏の紹介により購入しました。中心的には、野口遵の日本窒素を扱っています。夜、次の本が届きました。
吉見 俊哉
『夢の原子力: Atoms for Dream』
ちくま新書 971、2012[和歌山のたぬき]
実家でみた動物がたぬきなのかどうかずっと気になっていました。ネットで気軽に検索できる環境があればすぐにわかるのですが、実家ではアナログ回線のダイヤルアップです。10年まえの接続環境です。メールのチェックしか使っていません。
朝方思い出して、 東京タヌキ探検隊!で調べてみました。
田舎のたぬきは全身黒かったので、あなぐまかあらいぐまかと思ったのですが、たぬきでした。全身が黒い個体もいるとありました。特徴的なのは、足の黒い毛。両足ともに黒毛でした。
午後3時前に無事帰り着きました。帰宅して、妻がダウンしてしまいました。おそらく疲れのせいでしょう。
夜に次の本が届きました。留守中、宅急便屋さんで留めおきになっていたものです。
John C. Powers,
Inventing Chemistry: Herman Boerhaave and the Reform of Chemical Arts
Chicago and London: University of Chicago Press, 2012
帰省。電車は次の通りです。
8月10日(金曜日) 新幹線のぞみ39号(東京発14時10分、新大阪着16時43分)
紀勢本線くろしお21号(新大阪17時3分、南部着19時10分)
8月19日(日曜日) 紀勢本線くろしお8号(南部発8時45分、新大阪着10時50分)
新幹線のぞみ120号(新大阪発11時17分、東京着13時53分)
8月10日
妻は午前中に仕事。8時半前にでかけました。新幹線は2時10分東京発の切符をもっています。妻が仕事から帰ってきてから出発してもぎりぎり間に合いますが、子連れの場合、動きが厳しくなります。東京駅で落ち合うことにしました。
家は11時にでました。1年生は朝からおなかがいたいと言っています。様子から判断するに、おなかに違和感があるということのようです。ふつうに元気ですが、おなかにもぞもぞ感があるのだと思われます。座ることを優先して、総武線に乗りました。お茶の水で中央線に乗り換えて、予定通り、12時前に東京駅につきました。
東京駅中のレストランでご飯を食べるつもりでした。本屋さんからユニクロまでお店は数多くできていますが、以前割とあったレストランがすくない。ぐるぐるまわって、京葉線に近い場所に地図があり、よく見ると、レストランは3か所です。遠くに行くのも大変なので、その京葉線に近い場所のレストランに入りました。子どもたちは、ラーメン。私はカレー。肉類を一切使用しないというコンセプトのお店でした。ちいさいちびはよくたべましが、味はいまいちです。おおきいちびと1年生はかなり残しました。妻の仕事は11時半までです。11時45分ごろ、おおきいちびの携帯で連絡がつきました。連絡係りはおおきいちびにまかせています。私が食べ終わってしばらくしたころ、妻が我々のいるレストランを見つけました。新しいメニューは注文せず、1年生の食べていない分を食べていました。レストランを出てから、新幹線のなかで食べる軽食のパンと、持ち帰るお土産さがし。昨夜母に電話すると、4軒でよいようです。4軒分のお土産と、1年生がおばあちゃんにおみやげというのでもうひとつお土産を購入しました。さすがお盆前です。東京駅中はすごい人混みです。早めに改札をくぐってから座る場所を探した方がよいと判断しました。改札をはいったすぐの場所にあるスターバックスでうまい具合にちょうど席を立つ人がいました。2つ椅子があります。もうひとつ離れた場所にも違った椅子があきました。3つの椅子に5人でかけて、休憩。1時50分ごろ席を立ち、プラットホームに向かいました。電車はすぐに入ってきましたが、車内清掃に時間がかかり、乗り込むことができたのは2時5分過ぎ。
1年生とちいさいちびはDSをしてます。おおきいちびは音楽を聞いています。1年生は体調がいまいちです。3時を過ぎてから寝入りました。ほんとうに久しぶりの昼寝です。新大阪の乗り換えがあるので、4時半には起こしました。おなかがすこしいたいが動けると言います。乗り換え時間は20分。子どもたちはたこ焼きをほしがりましたが、たこ焼きを待つと次が心配です。改札をでてすぐの場所にあるお店で、餃子、肉まん、ちまきを妻が買いました。ちいさいちびはママの手伝い。おおきいちびはお手洗い。
1年生は私と一緒に待っていました。5時3分発のくろしおです。5時少し前に集合することができました。くろしお号は9号車。最後列です。どうも本来の6両に、別の3両の列車をくっつけたようです。お茶をもとめて列車を歩きましたが、7号から6号には通り抜けできませんでした。
なおが御坊を過ぎたあたりで、もどしました。おねえちゃんたちはもう戻さなくなっていますが、紀勢本線の御坊〜南部間は我が家の子供たちが一度は通過する関門のようになっています。全員が一度はもどしたことになります。8月11日
夜の間、激しい雷光と雷鳴。2度停電。4時に停電がなおりました。停電から復帰する時、電話機が鳴ります。その音で目覚めました。すぐにサッカーの3位決定戦。日本対韓国。日本の守備の弱点をつかれました。2対0で敗戦。地元の新聞によれば、紀南地方1万4千世帯で停電があり、田辺市街地で200ミリの激しい雨が降ったということです。非常に激しく降った時間帯はありますが、ずっと降っていたわけではなかったようです。車庫のまえに出しっぱなしにしていたバケツには、水が数センチたまっていました。つまり、総雨量は、数十ミリということです。総雨量の点ではたいしたことがありません。(こういう雨は局地的なので、量の降った場所もあるのでしょう。)
1年生がカエルを見たいというので、家の前の溝に連れて行きました。1匹はねました。つぎに山に行きたいというので、ママに靴を出してもらってから雨上がりの坂道を登りました。金毘羅さんに昇るきつい山道の途中にクモがいて、引き返しました。
1年生といっしょに家の周りの草むしり。父が亡くなると、こういうことは行う人がいなくなります。しばらくいっしょにやっていましたが、蚊に刺されて、1年生は逃げ帰りました。
さて、買い出しが必要です。妻が久しぶりに運転しました。みなべのオークワと千里屋を回りました。
夕食後、鶴の湯の温泉へ。子どもたちは温泉が好きです。慣れない山道に妻は緊張していましたが、現地に到着するまでに対向車は数台。道が道路にせりだしている草や木で狭くなっているように感じられて、それも運転の緊張を高めたようです。
1年生は、春には足の先しか入りませんでした。今回は、自分ですこしずつ温度になれていき、最後は全身温泉につかっていました。もう幼稚園児ではないというのが本人の主張です。頭も洗い、体も洗いました。頭は洗ってやりました。体は自分でやっています。8月12日
ひとりで5時40分。室温28度。窓を開けて外から流れ込む空気は涼しく感じます。今日は、おばあちゃんの買い出し。10時前にでかけました。私とおおきいちびとちいさいちびがお留守番。ちいさいちびは宿題をやっています。おおきいちびは宿題をすこししてからだらだら。気持ちがまだ持ち直さないようです。
おばあちゃんの留守中に2組の来客。
午前中にたこおじさんが来てくれました。昼食後、子供たちをロイヤルホテルのプールに連れて行ってくれました。妻がアテンドしました。私は母といっしょに留守番。聞いておきたかったことを聞きました。母自身の手続きは無事完了していました。
8月13日
お盆が始まります。ひとりで4時起床。室温29度。深夜、空が真っ暗になり、時間雨量100ミリに達するのではないかという非常に激しい雨が降りました。激しい雨はたぶん10分程度でしょうか。その後も断続的に雨。
起きてテレビをつけると、男子マラソン。ウガンダの選手が先頭を走っていました。そのままゴールイン。2位、3位が、ケニアの選手。日本人では中山が6位。
朝たこおじさんが来てくれました。1年生が田辺のオオクワに連れて行ってもらう約束をしています。ちびどももいっしょにすぐにでかけました。
ちびどもは二人で本屋さん、1年生はポケモンゲーム。私は足りなくなってきたA4 用紙を購入しました。ポケモンゲームはひとりでやっているかと思ったら、地元の子供たち数人としゃべっています。3回という約束なのですぐに終わりました。おねえちゃんたちとの待ち合わせ場所は、ドーナッツ屋の前。すでに来て、買ったマンガを読んでいました。お土産のドーナッツを買ってから、1年生が自分も本がほしいというので、本屋さんへ。ずいぶん迷ってポケモンの本を選びました。おおきいちびは新発売のAKBを購入。
そのままたこおじさんの待っている駐車場へ。帰りは高速を使いました。しかし、南部の出口で、ETCゲートが故障しています。帰宅してすぐに昼食。ちいさいちびがとくにおなかがすいたといいます。酔うといけないので車のなかでドーナッツを1個食べさせました。昼食はカレー。1年生はカレーは嫌いになったと言っていましたが、お肉だけよく食べていました。
夕刻妻と家の周りの掃除。山の道にたまっている落ち葉をほぼかたづけました。小一時間。そうこうしているうちに母が迎え火のたいまつをもってきました。もうつけるといいます。こういうのはすべてなくなった父がひとりでやっていました。やり方がわからず、もたもたしているとお隣の方(本家になります)が竹を貸してくれました。それに針金を使ってくくりつけ、新聞を燃やして火をつけました。たいまつの木は、脂分を多く含む種類からなっています。一度萌えるとよく燃えていました。
暇になったおおきいちびが外に出てきました。自転車に乗るかと聞くと乗るといいます。私がアマゾンで買って送ってもらった折り畳み式の自転車です。座らせてみると、サドルの高さはちょうどです。しばらく近くを行ったり来たりしていました。まずまずです。そうこうしているうちにおおきいちびはケーキ屋さんに行きたいといいます。町のコンビニに行けばケーキは置いているはずです。行くかと聞くと行くというので、おばあちゃんの自転車を借りていくことにしました。県道を選びました。広い歩道があり、安心して自転車を走らせることができます。高速の下り口のコンビニについてなかをみましたが、ほしいものはないそうです。エーコープに行くかと聞くと行くというので、エーコープまで。冷房が強く効いていて寒い。結局おおきいちびはワッフルを3枚買いました。ついでに明日の朝食用のパンもいくらか購入。今度は、八丁田圃のまんなかの道を通って帰宅。家のまえに妻とちいさいちびが待っていました。ちいさいちびも自転車に乗りたいというのでサドルを一番下まで下げてやりました。これまで乗っていたものと乗りごこちが違うのですこし戸惑ったようですが、すぐに慣れてすこしだけ動いていました。
私がお風呂からでると、母の兄家族が来てくれました。2番目の息子が運転手。おばさんは杖をついていますが、なんとか動けています。小学1年生はべったりやすしおじさんにくっついています。ほんとうにくっつきむしの息子です。
お坊さんと助手の息子は8時頃来てくれました。あすだと思った母はお風呂に入っていました。私と小学生で応対しました。今年はとくにまわる家が多いのだそうです。久地だけで二桁にのぼるといっていました。
これにて本日の行事は終了。8月14日
何時かは不明ですが、村内放送で「大雨注意報」が発令されたという放送が繰り返されました。起床は6時。室温28度。起きて空を見ると、黒い。強い雨が降る瞬間があります。テレビをつけると、近畿地方は大雨警報と大雨注意報で、赤と黄色に尽くされていました。ほんとうに強く激しく降っている場所もあるのでしょう。「記録的短時間大雨情報」というのを出していました。
子どもたちはだれも動こうとしないので、スーパーの開店時刻にあわせて妻と買い物。エーコープは9時開店でした。駐車場がほぼ満杯。昼食用にはカンパチのあら。隣のジップという名のドラッグストア、ほんまもんと歩いて回りました。妻はトマトを買いたかったようですが、店頭になし。この時期はないようです。
昼食後、小学校のそばの梅振興館まで散歩。弱い雨が降っていたので、傘をもちました。おおきいちびは本を読みかけているということでおばあちゃんとお留守番。梅振興館があいているかどうかすこし心配だったのですが、近づくとなかに明かりがあり、ひとの姿もみえます。小学1年生は、梅振興館の展示が気に入っているようです。1階の展示を一通り見てから、2階のお土産物屋さんへ。東京へのお土産を物色しました。妻とちいさいちびはちょうどよいものを見つけたようです。自分たちようには梅ジュースを買いました。
買い物が終わったあと、1年生がひとりで再度1階の展示に入ったので、妻とちいさいちびが先に帰途につきました。私は外で座って待っていました。しばらくして元気に飛び出してきました。途中ママたちがみえると、駈け出して、ママたちに追いつきました。私にはもちろん走る元気はなし。
帰ってしばらくすると、たこおじさんが来てくれました。もっとはやく来るつもりだったが、寝てしまったと言っていました。今度は、おばあちゃん、おおきいちび、妻とたこおじさんで買い物にでました。私と小さいちび、1年生でお留守番。
4時過ぎにケーキを買って帰ってきました。
8月15日
ひとりで5時。室温27度。窓の外は白いカーテンに覆われています。すなわち、夜半から降り始めた雨が降り続いています。この雨は、「非常に激しい雨」ではありませんが、もっとも雨量のある雨だと思います。午前9時から送り念仏。隣保班の方十数人が3軒を順番に回るそうです。1軒が約1時間ということです。お坊さんはきません。自分たちだけでやるようです。
妹たちが帰ってくるころ、やっと空に晴れ間が見えました。長い雨空でした。ちなみに妹たちの南部駅到着は、2時10分の予定でしたが、大雨の影響で電車がいくらか遅れて、2時半ごろになったようです。弟が迎えに行きました。小学1年生もついていきました。
母が明日の施餓鬼会で坊さんに渡す封筒がないというので、封筒を買ってから頼んである料理をもらってくることになりました。妻が運転し、私がナビゲーター。母が後ろに座りました。オオクワまでは問題ありません。
いくらか妻が心配していたのは、料理屋さん。国民宿舎と同じ方向にあります。国道に入ってから、道のない場所での右折が必要になります。ちょうど対向車線に車のないときに現地に着きました。お店は閉店していますが、こういう料理だけ作っているようです。五〇〇〇円の皿を二皿受け取りました。帰途も車のタイミングはよく、妻も苦労せず帰ってくることができました。
その後魚屋さんがお刺身の皿をやはり2皿持ってきてくれました。10人で食事。刺身はよいものでしたが、最初にとってきた料理にはブーイング。女性たちは声をそろえて、これで五〇〇〇円は高すぎる、せいぜい2〜3千円といったところだ、と言っていました。
8月16日
午前中に施餓鬼。お寺に行きます。起床6時20分。室温不明。子どもたちも7時半には起こしました。妹たちは、8時前に喪服に着替えてやってきました。母の話で、8時10分にでかけました。お寺までは大人の足で3分。どうもいくらか遅刻ということです。状況がわからないままに本堂にあがり、座布団に座り、2回焼香をしました。母によれば遅れたのが功を奏して、思ったよりずっとはやく終わりました。新仏なので卒塔婆を2本受け取り、墓場へ。石塔の前に2本を立て、南無阿弥陀仏。それから急な坂道を登り、骨を埋めている場所でも南無阿弥陀仏。
夏に喪服はさすがに汗をかきます。ばたばたばたばたした施餓鬼会でした。
帰ってきて着替えて休んでいると、10時半にお弁当が届きました。え、もう? しかし母はもう食べると言っています。2段重ねのお重。昨日の夕食よりずっとよい出来です。各自食べられるものだけ食べるということで、全員席について食べ始めました。私はがんばって半分といったところです。
妹二人は、一休みしてから家のなかの掃除を始めました。母がひとりでは行きとどかない場所が多くあります。とくに台所から丁寧に掃除をしていました。
夕食を食べ、お風呂が終わってからやっと1年生待望の花火。庭が煙だらけになりました。ふと夜空を見上げた妻が星がきれいだといいます。ちびどもと妻は道路に降りました。雨上がりの抜けるような青空になっています。天の川もちゃんと見える満天の星空になっています。はじめてみる、きれい、きれいとひとしきり空を見上げていました。
8月17日
ひとりで5時40分。室温27度。金融機関があく時間にあわせて、母のアテンド。妻が運転し、私がナビをして、農協、郵便局とまわりました。その後、同乗した小学1年生の要望によりコンビニに。ほしいポケモンカードはおいていませんでした。エーコープで花火と飲み物を買い、千里屋へ。車で母を待っている間に、ポケモンカードは諦めてくれました。
昼食はすき焼き。車を上の妹に渡した弟はカブできました。妹は朝いちばんで葬儀屋によって名簿をもらったあと、住所未記載ゆえに返礼をおくることのできていない何軒かへの返礼の準備をしていました。住所は下の妹に問い合わせていました。ちいさいちびと小学1年生はお肉が大好きです。おなかがすいていないと言っていましたがよく食べました。
上の妹は昨日下の妹が帰ったのと同じ時刻のくろしお号で帰京します。3時過ぎです。2時40分ごろ、弟が送っていきました。
おおきいちびは昨日から学校の宿題と格闘中。
4時を過ぎてから母がお墓参りに行くといいます。全員で行くことにしました。遠くで雷が聞こえます。空模様からいってどこかでにわか雨が降っていると思われます。すっかり小坊主の1年生は、南無阿弥陀仏をよく唱えてくれます。二つあるお墓の花を入れ替え、線香をあげて、南無阿弥陀仏。お寺のおばさん(引退した住職の奥さん)が子供たちにチョコボールをくれました。3箱。自分の孫たちも東京で暮らしていて、同じような言葉を話すということでした。懐かしくなったのでしょうか。お寺の境内には盆踊りの準備がなされています。帰り道、ふと見ると、ずっと世話になっている住職(上の妹の同級生です)が水風船を作っています。おじいちゃんの葬儀のときに住職の弟子のようになった小学1年生は挨拶に行きました。それで作っている水風船をひとつもらいました。
子どもたちがどこかへ行きたいと朝からいっているので夕食後、鶴の湯へ。田舎の道に慣れない妻は慎重運転です。鶴の湯に着くまでにすれ違った車は3台。前のときよりずっと空いていました。鶴の湯には宿泊施設があります。そこの食堂で母は明日の夕食を予約しました。
8月18日
ひとりで5時40分。室温28度。明日帰京です。その準備があります。朝いちばんでお土産物を買い出しに行くことになると思います。
小学1年生はおばあちゃんといっしょにお留守番。近所のコメリ、オークワ、梅振興館とまわりました。オークワにあった土産物コーナーは撤去されています。お盆用だったということです。梅振興館でおもなものは仕入れました。
2時過ぎ、地元の運送屋にスーツケース1箱、段ボール箱2箱、計3つの荷物を持っていきました。合わせて56キロ。クロネコのおよそ半額といったところです。
5時過ぎに鶴の湯に向かいました。途中猿を2匹目撃しました。猿は裏山にもよく来るということです。食事を昨日予約しています。食堂がいっぱいだったようで、宴会場を用意してくれていました。子どもたちはそれだけでうれしかったようです。小学1年生は、昨日あたりからよく鼻血をだします。昼間なんか体が温かいので、体温を計ってみると、36.9分。熱があるとまでは言えませんが、大事をとってお風呂には入れませんでした。
夜の8時から花火。3人ではしゃぎまわっています。星空も見えました。その星空に断続的に雷光が光っていました。遠くで豪雨の模様。
8月19日
ひとりで5時50分。室温26度。涼しく感じます。きれいな青空が広がっています。久しぶりです。雲は秋の雲でしょうか。本日帰京します。
おー、残念。なでしこジャパンは、ロンドンオリンピック決勝戦でアメリカに敗退しました。2対1。
その5時半の時点で、室温27度。2度目の起床は、7時半。室温はやはり27度。ほんのり涼しく感じます。
しばらく帰省で留守にします。ご用件のある方は、rimnet のアドレスに連絡下さい。1日に1度はメールのチェックをします。
ひとりで5時半。室温25.9度。涼しい。お盆のための荷造り。
日本対メキシコ戦。3対1でメキシコの勝ち。残念ですが、この試合に関しては、メキシコの方が単純に強かったと思います。日本の選手の何人かに疲れが見えました。判断力も動きも鈍くなっていました。その何人かは、日本を4強に押し上げた貢献者です。日本チームの力の限界として受け入れるしかないでしょう。朝の起床は、7時50分。室温27度。ずいぶん涼しく感じます。
おおきいちびは泣きながら約束だからと出ていったようです。
ちいさいちびは、友達に誘われて、上井草のプールに行きました。自転車でも行けますが、友達のママにアテンドしてもらってバスで行きました。昼食後、息子を連れて、大学へ。成績を提出しました。それから、研究室へ行って、書類の処理。しばらくしてから、イトーヨーカドーへ。ポケモンゲームを3回。昨日はすごく強いポケモンをゲットできて喜んでいましたが、イトーヨーカドーには新しいポケモンはいませんでした。
ほんとうは、吉祥寺で昨日の礼服を受け取って帰宅する予定でしたが、受け取り票を持ち出すのを忘れました。なくてももらえるかもしれませんが、まずは帰宅することにしました。息子は、ガード下から走って帰りました。もちろん私はとうていついていくことができません。
帰宅して4時。その足でそのまま吉祥寺にでかけました。礼服を受け取り、西荻に戻りおはぎを捜しました。涼しい一日でたすかりました。
ひとりで8時。室温28.4度。夕方、小学1年生を連れて、吉祥寺へ。私は、夏用の礼服をアオキで調達しました。その後、ヨドバシへ。ポケモンゲームのカード(トレッタレポート)がほしいというので購入し、それから3回ゲーム。確かに前よりずいぶん進化しています。
帰宅して夕食。おおきいちびは7時20分頃帰ってきました。疲れたと言っています。久しぶりですから無理もありません。
ひとりで7時10分。室温29.1度。8時現在、まだ誰も下に降りてきません。午前中から、久しぶりの本格的な雨。この雨で気温が下がってくれるとうれしいのですが、どうも大きく下がることはないようです。
著者の塚原東吾氏より次の2点の論文を頂きました。
1. Togo Tsuhakara, "Techno-Science and the State in the Japanese Empire," Technology and Culture April 2012,
これは、非常に興味深い2冊、Yang Daqing, Technology of Empire: Telecommunications and Japanese Expansion in Asia, 1883-1945 (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2011) & Janis Miura, Plannig for Empire: Reform Bureaucrats and the Japanese Wartime State (Ithaca, N.Y.: Cornell University Press, 2011) のレビューです。
2. Togo Tsuhakara (Translated by Matt Fargo and Jordan Sand), "科学/Kagaku / 究理 /Kyuri: Science,"深夜。
なでしこジャパンの日本対フランス。最後はフランスの猛攻を受けましたが、2対1でなでしこの勝ち。
なでしこが理想とするサッカーではないと思いますが、力を考えたときに、最良の戦い方だったと思います。宮間選手がいうとおり、男子も続け!
ひとりで7時35分。室温28.8度。おおきいちびの宿題でたぶん美術館に行くことになりそうです。
→六本木の新国立美術館に行くことにしました。私とおおきいちび二人で行く用意をしていましたが、急遽、全員で行くことになりました。ちいさいちびと1年生はたぶん六本木のミッドタウンで遊ばせることになります。
10時半出発。総武線の代々木で乗換え、大江戸線。そこから六本木まではすぐでした。ミッドタウンははじめて。入り口の風景は予想していたものとは違いましたが、それでもなんとなくわかりました。
1年生他が朝飯をちゃんとは食べていないというので、まず、昼食。おおきいちびがショウロンポウというので、地下の中華屋さんへ。コックさんも中国人、給仕さんも中国人という本格中華屋さんでした。妻によれば、上海系ということです。
子どもたちはよく食べました。
昼食後二手に分かれました。やはり、おおきいちびは私が連れていき、ちいさいちびと1年生はミッドタウンのなかで妻が遊ばせることとなりました。ミッドタウンから新国立美術館まではすぐ(5分程度?)でした。いくつか開催されている企画展示室のなかで、おおきいちびは「具体」がよいというので、その部屋 (1E )に入りました。中学生は無料。私はキャンパス○○で割り引き(団体料金が適用になります)。最初はいったルームに絵がなく、おおきいちびは困惑していましたが、進むに連れ、普通の絵画が多くなり、安心したようです。同じように宿題のために来ていた中学生の男の子の集団がいました。いくつかの作品の前でメモをとっていました。
日本の具体は、アンフォルメルという概念を提示したフランス人批評家により、世界に知られることになったようです。そして、万博の大きな展示で運動は終わったようです。展示室を出て、中学生は無料だから、もうすこし見るかと聞くと、もういい、疲れたといいます。ミッドタウンのグループに合流することにしました。
おおきいちびが電話をすると、アトリウムにいるということです。入り口の案内で地図をもらい、場所を聞いて行きました。配置は複雑だと感じましたが、アトリウム(ガレリア)はすぐにわかりました。小さい組は、そこの「Tokyo Midtown Kids Program」で耕作に取り組んでいました。おおきいちびも参加。風鈴の絵付けにトライ。最後の風鈴だったということです。楽しそうにやっていました。私は、まわりを見て回りました。ほかでもあまりみない街を作っていました。
小学1年生は、係のおにいさん、おねえさんをつかまえて、解説をしながら、ずっと絶好調でした。
作品つくりは、3時頃に完了。ちょうどよいので、おやつということで、戻りました。入り口に近いところのケーキ屋さんがあいていました。子どもたちはそこでケーキ。
おおきいちびは友達の誕生日プレゼントを買うために、原宿に行きたいといいます。やはり私がアテンドすることになりました。ミッドタウンから原宿へは、千代田線。乃木坂から明治神宮前に行きます。2駅目。すぐでした。日曜日でした。竹下通りは、灼熱にも関わらずすごい人混みでした。海外からの旅行者の姿も目立ちました。混雑する店内に入る気もしないので、私はいつも通り、とおりの端で立っていましたが、暑い。竹下通りは、あまり風の吹かない場所のようです。竹下通り入り口にあるAKBショップも今は予約券なしで入れます。私が心引かれたのは、UFO キャッチャーだけでしたが、チャレンジせず。千円つかえば1個はとれる感じでした。
こういうふうに動くとき、連絡は、妻とおおきいちびが携帯のメールで行います。結局ミッドタウンで別れたあと、1年生の要望でポケモンスタンプラリーに参加し、我々より遅くなるということでした。駅前のセイユーで手間をかけずに食べられるものを買って帰りました。家に帰り着くと、ほんの少し前に小さい組が帰り着いていました。電車では10分の差だったのでしょう。
ひとりで7時40分。室温29.4度。妻とおおきいちびは起きていて、話し合っていました。今日も結局動くことができなかったようです。
午後は、科研費の打ち合わせで東工大へ。2時から6時過ぎ。
急いで帰って日本対エジプト。永井の先制ゴールからはじまり、3対0で完勝しました。これで、オリンピックサッカーは男女ともベスト4に進出です。
ひとりで6時。室温28.8度。妻は起きてテレビを見ていました。おおきいちびの体調は回復していません。今日も部活の練習試合は休ませました。
おお、なでしこは、ブラジルに2対0で勝ちました。すばらしい。久しぶりににピッチに立った澤もいつもの通り、守備に奔走していました。そして、相手の守備陣の油断を見つけて決定的なパス。
日本対ホンジュラス戦。ホンジュラスもなかなかよい。前半は0対0。後半どう動くのでしょうか。
結局、両チームともに引き分けにメリットがあり、スコアレスドロー。まずまずよかったのではないでしょうか。2回目の起床は、7時半。室温29.5度。妻は起きていました。子どもたちはまだ寝ています。今日は午前中におおきいちびの3者面談。
おおきいちびは面談から帰ってきて、そのままソファの上に倒れ込みました。軽い熱中症でしょうか。午後からのバスケットの練習試合は休ませました。夕刻、次の2冊が届きました。
Roger French
William Harvey's Natural Philosophy
Cambridge: Cambridge University Press, 1994Jack Meadows
『生命科学のあけぼの―ウィリアム・ハーヴィーとその時代』
鶴見書店、1992
この本は邦訳かと思ったら、そうではありませんでした。William Harvey: His Life, Works and Times という英文のテキストに日本語ですこし注をつけたものでした。はじめてみる形式です。大学で使う教科書として出版したのでしょうか。
編者(虎岩正純・虎岩直子)による「はしがき」には次のようにあります。「Jack Meadows編のThe History of Scientific Discoveryは、アリストテレスからフロイトに至る12人の科学者たちの仕事の意味を、宗教的、政治的、文化的背景の中で生き生きと描き出して見せた。・・・この書物からイギリスの医学者ウィリアム・ハーヴィーの章の全体を収め、註を附けた。」
ひとりで6時、室温28.6度。
とうとう8月です。今日も大学へ。成績を出すことも考えましたが、量が多いので、もういちど確認の機会を作ることにしました。
やはり1時過ぎに大学を出ました。
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