ひとりで6時15分、室温23.7度。昨日に続き、五月晴れの気持ちのよい朝です。子どもたちはよく寝ています。7時の時点で起きてきているのは、ちいさいちびだけです。
昨日から、居間のテレビを置いている所の片づけをはじめています。本棚2つ、テレビ台1つという構成だったのですが、本棚はひとつだけ残し、テレビ台ともうひとつの本棚を解体し、その場所に現在の倍に近いテレビを設置します。
作業をはじめてしまったのでちょうどよいかと考え、昨日よりすこし早めの時間帯に小学一年生を自転車の後ろに乗せて、ヨドバシカメラに向かいました。買うものが決まっているので用件はすぐに済みます。テレビはソニーの40型で52800円。ネットでは5万円を切った価格がありますが、ポイントバックを考えると、ヨドバシの価格も悪くはありません。(配送は本日の午後6時から10時の間に来てくれるそうです。テレビ台の組立があるので、実際に配置するのは明日の朝になります。)
たまったポイントで、ボール型のLED 電球を1つ購入しました。階段のところの電球を交換します。以上で、この夏の買い物ならびにLED化は完了です。使用電力量を2割程度削減できればいいかなと思っています。
→エアコンの取り替え工事は、1時から3時の間と連絡を受けていました。1時半前には来てくれました。小一時間かかったでしょうか。小学1年生が興味津々で見ていました。おじさんたちの仕事の邪魔をしないようにと言うと、邪魔はしませんでした。しかし、けっこういろいろ話しかけています。そういう子です。鉢で植えているブルーベリーの実をつんで、あげていました。
外で工事を見ていると、1軒離れたお隣さんもエアコンの付け替え工事をこの週末に行うと教えてくれました。私道が狭いので、工事の車が2台ぶつかるとちょっとつらいものがあったと思いますが、ちょうどうまく時間帯がずれてくれました。
新しいエアコンは、真っ白です。前のものはカビがかなりついていたので、部屋がきれいになった感じがします。テレビの方は、6時から10時の間と連絡を受けていました。子どもたちは、いまかいまかと待っていました。7時半前に来てくれました。こちらは簡単です。テレビ台はただ箱にはいったものを置いていき、テレビそのものは、足をつける作業だけやってくれました。我が家の居間に40インチはでかい。古いブラウン管テレビを1台リサイクルで持って帰ってもらいました。2、835円。おじさんたちは法律ですからすみませんね、と言っていました。
おおきなテレビをまず見ることができるようにしてから、テレビ台の組立を行いました。組立にはすこし苦労しました。知らない用語が混じっていたせいです。夕食の時間を挟んでそれでも半時間もかからずにできたと思います。
雰囲気はこれまでのものとまったく違います。なるほど量は質です。ちなみに、エアコンとテレビの間の時間は、テレビを載せていた本棚の解体をやっていました。十字のネジをはずすのが作業の中心ですが、これがなかなかに手間のかかる作業となりました。10年前に組み立てたとき、相当かたく締め付けたせいです。
パパの頑張っている姿を久しぶりに見たと妻には言われました。そうかもしれません。
ひとりで5時45分、室温23.7度。まだ雨は降っていません。予報では、夜のうちに降り始めるということでした。
どうも、夜に向かって晴れていき、明日の土曜日は晴れということのようです。日曜日にいくらか雨が降る感じでしょうか。梅雨の晴れ間を五月晴れというのであれば、見事な五月晴れの午後となりました。気温も室内では27度程度までしか上がっていません。空の光の粒子が室内にも流れ込んでいるような気分です。
[子ども部屋のエアコン]
10時頃、妻といっしょに吉祥寺のヨドバシにでかけ、ちびどもの部屋のエアコンを見ました。場所の問題なのか一番劣化してます。家全体を節電仕様にするため、この夏は、その一台を買い換えることにしました。容積がちいさい部屋です。もっとも小さいものから選びました。エアコンは本体そのものは安くても、設置工事、既存のエアコンの取り外し工事、取り外したもののリサイクル費用とプラスアルファがけっこうかかります。ヨドバシでは6万5百円を払いました。明日工事の方にたぶん1万前後払うことになります。(工事費とリサイクルの費用は、工事にくる業者に直接支払う方式を採用しているようです。)その後テレビを見て回りました。今居間にあるのは、2008年11月に6万7千円で買った22インチの東芝レグザです。子どもたちは、友達の家に遊びに行くと、テレビが大きくてよいと言います。ネットで調べると、32インチでも4万前後で売っています。ヨドバシの店舗を見て回ると、40インチが5万円台であります。
現在テレビを設置している棚は、22インチが限度です。それより大きいものを置くためには、テレビ台から変える必要があります。テレビ台も見て回りました。個人的には、ヤマハのスピーカー内蔵のものに惹かれますが、テレビよりも高い。もっともシンプルでまわりの棚とあったものを選ぶのがよいであろうという結論に達しました。
最終決定は、エアコン設置後に行います。[あかちゃん5匹]
昨日ちいさいちびが家の裏手に来たたぬきの写真を撮っていました。窓ガラス越しなので、かすみがかかっている部分がありますが、顔がはっきり写っているので、アップしておきます。![]()
妻によれば、夕食の用意をしているとたぬきが出現するのだそうです。たしかに、今日も夕食時に現われました。今回生まれた子どもは5匹であることが確認できました。関西のことばを使えば、明らかにどんくさい子どもがいます。群とは逆さまの方向に向かい、塀から落ちて、もとにもどるのにばたばた必死でもがいているあかちゃんたぬきです。見ているとかわいいのですが、将来は不安です。
(→写真は撮ったのですが、窓ガラス越しだったので、ちゃんと撮れているものが一枚もありませんでした。窓ガラスの位置に焦点があってしまったようです。急いでいるときはどうしてもそういうところが弱くなります。)
ひとりで4時30分、室温22.5度。空に雲はかかっていますが、まだ晴れ。3限4限5限。
これから2週間ほど1学期では一番忙しい時期になります。今日から忙しさがスタートです。[朝日町3丁目8番及び10番]
外語の北側の土地について、今回調べてみてやっとわかりました。
地番は、府中市朝日町3丁目8番及び10番。(外大は3丁目11番の1)。面積は約4.7ヘクタール。東京都が公的住宅を整備する予定であったが、財政の都合により断念。
国に東京23区内の国家公務員宿舎を23区外に出す計画があり、平成21年9月に、その事業の入札公告がなされている。
事業名:公務員宿舎府中朝日町住宅(仮称)整備事業
事業場所:朝日町3丁目8番2外
事業内容: PFI 方式による公務員宿舎の設計、建設及び維持管理事業
事業期間:契約締結日から経性31年3月末まで
ということで、国家公務員の宿舎ができます。どこが応札したのか、どういう工事日程になっているのかはまだ調査中です。
もし具体的日程をご存じの方がいたら、是非、お教え下さい。
→もうすこし自分で調べてみました。平成22年1月、入札が取り消されたとあります。可能な理由はふたつです。1つは、国家公務員宿舎をめぐる政治状況。もう一つは地元の反対です。
個人的には、公務員宿舎の計画がつぶれるのはまったくかまいませんが、もうすこし使いやすい街になってくれたらいいなと思います。使えるお店があまりに少ない。→府中市のサイト「基地跡地利用計画について」 に、最新情報がありました。2012年4月21日付です。府中市のことばをそのまま引用すれば、次です。「平成23年12月に財務省が公表した「国家公務員宿舎の削減計画」の中で、市内における国家公務員宿舎の建設が中止となったことを受け、内容を一部変更しました。」
つまり、今具体的な計画は進んでいないということです。「調布基地跡地府中地区都市整備用地 利用計画」のpdf があります。府中市がこういうふうに出来たらいいな、と考えているだけです。4限のゼミは8名です。今日、念のためにと思って、留学のことを聞いてみたら、何と5名が夏の終わりから9月にかけて留学します。正確には8月末から9月末に出発します。なんと、残るのは3人です。その3人でちょっと淋しくなるよね、と言っていました。(二人までは最初から把握していました。)
5限の授業では次のものを配りました。
2012年度 世界教養科目=総合科目II「表象文化とグローバリゼーション」
期末レポート提出日 2012年7月19日 5限
論述会場 101教室
持ち込み 可
(きちんとしたレポートの形式を取るのであれば、あらかじめ完成した
期末レポートを持参するのも可。
ただし、右肩に学籍番号・名前をよくわかるように記すこと。)
課題
次の課題のうちから、1つを選び、論述せよ。
1)今学期の間、あなたが見た/聞いた/体験した/触れた作品のなかから、もっと
も印象深かったものをひとつ取り上げ、論評しなさい。
(作品は、<表象文化>の枠組みに入るものであれば、映像作品でも音楽作品でも
あるいは文学作品でも芸術作品でも何でもよい。)
ただし、作品そのものについては、それを見たことがない・聞いたことがない人に
も概要がつかめる紹介を付すこと。2)1学期の授業のなかで特に印象に残っているものがあれば、その授業内容を明示
した上で、論評しなさい。3)「表象文化」について、自由にテーマを設定し、調べたこと or 思ったこと or 考
えたことを論述しなさい。いわゆる調べて書くレポートではなく、批評文を書いてもらおうという趣旨です。この授業はそれでよいでしょう。
ひとりで4時45分、室温20.8度。晴れ。会議の日。午後は、3限4限5限の時間帯に連続して、3つの会議があります。
→会議で疲れて帰宅すると次の本が届いていました。
Greg Mitchell,
Atomic Cover-up: Two U.S. Soldiers, Hiroshima & Nagasaki and The Greatest Movie Never Made
New York, 2012
妻と子どもたちは、今日もたぬきを目撃したと言います。妻は裏隣の方と話す機会があり、お隣さんの庭で日向ぼっこをしていたという話を聞いたそうです。親子で移動するとどうしても多くの方に目撃されることになります。
ひとりで2時30分、室温21.8度。2回目の起床は、6時55分。小学1年生以外は起きていました。室温21.8度。快晴。抜けるような快晴となっています。
おおきいちびは今日から期末テスト。はじめての期末テストです。今日、明日、明後日。部活がないのは楽と言っています。
[たぬきの家族]
午後3時過ぎ、たぬきを撮影することに成功しました。カメラは用意していたのですが、設定を確認していませんでした。動画にしていたようです。そのせいで、満足できるショットとはなりませんでしたが、ともかく、あかちゃん数匹とおやたぬき1匹を撮ることができました。
余裕があれば、アップします。
→アップしました。
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ひとりで5時25分、室温22.9度。半袖半ズボンだと、いくらか肌寒く感じます。朝、妻が台所の窓から2匹のたぬきを目撃。(私は見ていません。カメラを用意し、目撃したらすぐに撮ろうと思ってから、私の目前には現れてくれません。)
月曜日の怒濤。
ひとりで3時45分、室温24.3度。夏至から3日後とはいえ、さすがにまだ夜明け前です。おおきいちびはバスケの試合があり、やはり7時頃でかけるということです。
今月はここで100枚。
10時前に、小学1年生を自転車の後ろに乗せて、吉祥寺に向かいました。まず、以前も来たトキワスポーツによりました。サッカーシューズを買うためです。
自分で選ばせると、一番新しい人気のモデルを選びました。しかし、残念ながら、足の大きさにあうものが在庫にありません。そもそも今は21センチの靴を履いていますが、どうも実際にはもっと足は小さい。実測してくれました。18センチ強ということです。青いのがよいようです。お店の人が足の大きさにあう青いシューズを探し出してくれました。実際に履いてみると、すこし大きめですが、ちょうどよい感じがします。そのままサッカーシューズを履いてお店を出ました。次はヨドバシカメラ。 LED 電球を買います。以前買ったのと同じ2つ組とそれよりいくらかルーメンが高いものを1つ買いました。居間の電球は5つです。これで4つまでは全く同一で、一つだけすこしだけ明るいという組合せになりました。
それから階を1つ上がって、ポケモンカードを捜します。大いに迷って、結局、バトリオのゲームにすると言い始めました。行ってみると、なんとそのゲーム機そのものが終了です。泣きそうになっていたので、東急に行ってやることにしました。
その前に、1階の入り口でやっていた J-COM さんのくじ引きキャンペーンに参加しました。ただで人数分くじを引かせてくれます。グッズをもらうのはうれしいようです。
半分は予想していましたが、東急でもゲーム機は終了していました。代わりに別のカードを1枚だけ買いました。階下でおかきを4袋お土産に買ってから帰途へ。12時過ぎに帰り着きました。
いくらかはやい気もしますが、1学期の終了処理に入っています。期末レポートの要領をそろえ、それに至るまでの道筋をつけます。なんとかこの週末に目処をつけることができたと思います。
ひとりで4時20分、室温23.2度。ちいさいちびが目覚めていましたが、朝が早いのでもう一度寝るように言いました。ちいさいちびはやっと夕刻になって、回復してきたようです。それまではあまりご飯も食べず、ごろごろしていました。
昼食後、妻、おおきいちび、小学1年生が買い物にでかけました。武蔵境のイトーヨーカドーです。夏の準備ということです。
お昼過ぎに次の雑誌が来ました。
『三田文学』2008年夏季号
次の論考を読もうと思ってアマゾンに発注しました。
巽孝之「シャーロック・ホームズの街で:小泉信三、南方熊楠、巽孝之丞」『三田文学』2008年夏季号, pp.62-94
木曜日の食事会で小谷さんに巽孝之さんのおじいさん巽孝之丞(たつみ・たかのじょう)がロンドンで南方熊楠の世話をしたという話を聞きました。興味をひかれてネットで検索すると、2008年5月12日、小泉記念講演で巽孝之さんがこの講演をしていることがわかりました。さらに検索結果を見ていくと、その講演が活字化されていることもわかりました。
それがこれです。
文中に「妻の小谷真理」さんが出てきます。付記に「講演末尾を飾ったドキュメンタリー短編映画「ストレータム冒険諢」を監督・製作して下さった小谷真理氏」が出てきます。え? 小谷さん、映画を作っていたの?
ひとりで4時半、室温24.4度。朝の4時ぐらいから雨が降り始めました。台風5号と合体した低気圧による雨ということで、強く降ることもあります。玄関のひさしの部分で雨漏りがしていました。雨が東から斜めに降り込むとこういう現象が生じるようです。粗大ゴミを3つ出しました。シーリングライト2つ、旧いスキャナー1台。
ちいさいちびはまだ回復していないようです。登校する時間までに起きてきませんでした。たぶんおねえちゃんが休んでいることに影響されたのでしょう、小学1年生も気分が悪いといいます。見た感じ、すごく悪いというふうではありませんが、本人が悪いというので諦めてこの子も休ませることとしました。
妻は PTA の仕事で午前中小学校です。私と3人妻が帰ってくるまでだらだらとしていました。妻は1時頃帰宅。午後、ひとりでヨドバシに行って来ました。リビングの照明がひとつ切れているので、補充です。ついでに、エアコン、液晶テレビの値段を見てきました。リビングの照明は5つの電球からなります。2個セットの LED 電球を購入しました。一般電球30W型相当、消費電力5.4W、325ルーメンのものです。前のものは12Wです。消費電力ではほぼ半分といったところです。全部をこの LED に変えると27Wとなります。白熱電球のときの150Wと比較すると、5分の1です。
長い目でみると LED に変えてしまった方がよいようです。変えてしまおうと思います。
ちなみに値段は2個で3480円。40W型のものでは1個約2千円していました。夕食時、親たぬき1匹とあかちゃんたぬき1匹を家族そろって目撃しました。おおきいちびがどこどこと騒いだので、すぐに廃屋の草むらのなかに消えていきました。
ひとりで6時、室温25.3度。すこし頭痛があります。疲れが残っているしるしです。ちいさいちびは一応寝ています。今日学校にいけるかどうかはわかりませんが、眠ることができれば回復に繋がっているはずです。→お腹の痛みはないが、力がないと言っています。今日は休ませることとしました。本人はふとんのうえでごろごろしています。
→妻は朝から PTA の仕事、お昼頃に帰宅します。2階が静かだなと思い、見に行くと、寝ていました。こういう病気には寝るのが一番です。木曜日の怒濤。3限4限5限ならびに慰労会。
→妻が予定より早く帰ってきました。11時過ぎに家をでて、11時40分頃大学に着きました。
部屋のなかで次のものを探し出しました。
中川保雄「広島・長崎の原爆放射線影響研究――急性死・急性障害の過小評価 ――」『科学史研究』1986年春(通巻157号): 20-33
結論(5.おわりに)を引用します。
「アメリカ軍合同調査委員会・ABCC およびアメリカ国防省・原子力委員会は、広島・長崎の調査に基づき、原爆放射線による死亡ゼロの“しきい線量100レム”、急性放射線障害がゼロになる“しきい線量25レム”、急性放射線障害が脱毛・紫斑であることを見い出したと主張した。しかしそれらはいずれも、放射線による急性死亡・急性障害を切り捨てたり、過小に評価することにより、人為的に導き出されたものであった。それらは、原爆による人的被害、とりわけ放射線による影響を極力小さく見せようとするアメリカ国防省・原子力委員会の考えから生み出されたものであり、広島・長崎への原爆投下の責任追及をのがれ、新たな原爆使用に備えた当時のアメリカの核戦争準備策に源を置くものであった。」
「都築正男をはじめとする“日米合同調査”に協力した科学者は、広島・長崎の調査データがアメリカの関係者により独占されたことに対して、また GHQ/USAFPAC によるプレスコードの指令により原爆災害研究の公表が実質上禁止されたことに対して批判はしたが、しかしアメリカによる放射性急性死・急性症の隠蔽と過小評価に対して本質的批判を行いはしなかった。それは、原爆投下を招いた日本帝国主義の侵略戦争への責任追及や、それに加担した科学者への責任追及が、被爆者やその実相を知った者から拡がることを妨げようとする勢力の利害に沿ったものであった。
原爆放射線による急性死・急性症の隠蔽と過小評価はまた、アメリカによる新たな原爆戦争準備策のために必要とされた。アメリカの原爆独占体制がソ連の原爆開発により崩れ、朝鮮戦争期にアメリカの原爆使用が政治的日程に上げられた時期に、放射線影響に関する諸評価がまとめ上げられた。それらのデータは、原爆攻撃を想定した各種の戦術的検討や、ソ連・社会主義体制に対する核先制第1撃への報復にも生き残れるとする民間防衛計画にも利用された。100レム以下の放射線被爆なら、核戦争に生き残れるとか、25レム以下の被爆なら人体に何の影響もないと言った神話は、この時期に形成された。」 (pp.29-30)過小評価については本文中に次のまとめがあります。「第1に、アメリカ軍合同調査委員会による急性死の調査は、マンハッタン計画指導者たちによる放射線過小評価の主張を前提として行われた。それはもっぱら、爆心地に近く、被爆線量が高く、短期間のうちに死亡した人々に重点を置いた調査であった。1945年9月初めに“原爆症で死ぬべきものは死んだ”と考えて調査した死亡率は、12月まで約4ヶ月間続いた急性死の残りの3ヶ月分が入れられていない。
第2に、放射線による急性死と急性障害を爆心地近くの被爆者に限定するために、遠距離、具体的には2km以遠の被爆者が示した放射線障害の諸症状をことごとく放射線障害から除外した。・・・
第3に、放射線急性症を、爆心地から2kmで発生率の急減する脱毛・紫斑に限定することにより、全障害率(爆風・熱線・放射線の複合的および単独の障害率)に占める放射線障害率の割合が距離の増加と共に急減する結果を引き出し、それを利用して、放射線急性障害による死亡率をきわめて低く推定した。・・・
第4に、原爆からの放射線被曝線量を、爆心地から1km余り離れた地点で100レム、2km近くで25レムと推定することにより、きわめて高線量に設定された“死亡率ゼロのしきい線量100レム”を確定した。また25レム以下、2km以遠では原爆放射線被爆による影響はないという結論を導き出した。」(pp.27-29)5限終了後、毎年お世話になっている小谷真理さんとの食事会(慰労会)。5人。いつものことですが、普段なかなかおうかがいすることのできない、いろんな面白い話を聞きました。人間は意外なところで意外に結びついていることがよくわかります。
9時には終了して解散。
ひとりで5時45分、室温25.4度。台風一過の青空が広がっています。風は相当に強かったようで地面には風で吹きちぎれた葉っぱが散乱しています。
台風4号は去りましたが、また週末に台風5号が日本上陸を狙っているようです。昼前に次の本が届きました。
Kusukawa, Sachiko
Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany
Chicago and London: The University of Chicago Press, 2012
きれいなカラー図版の数多く掲載された立派な本です。これが38ドルというのはお買い得です。会議は4時から。大学には3時に着きました。
まず図書館によって ILL で届いているという報せのあった次の本を受け取りました。
ラルフ・サンダーズ『核爆発の平和利用 : プラウシェア計画』 (関野英夫訳、 時事通信社, 1964)
あとがきによれば、プラウシェア計画の名前の由来は、旧約聖書のイザヤ書にある「人びとはもはや戦わざることを悟るならば、剣をすきべらとし槍を留め鈎となし」ということばだそうです。兵器の平和利用を指すために考案された名称だということです。(p.238)それから生協によって、月曜日に口頭でお願いした飛行機のチケット(e-ticket)を受け取りました。書類の処理は、生協でやっておいてくれるそうです。このサービスはほんとうにたすかります。
4時からの学部教授会は思ったよりも長引いて、その後にあった説明会をあわせて3時間を超えました。それでも私は8時前には帰宅することができましたが、遠くの方々は10時とかになったのではないでしょうか。
帰宅すると、ちいさいちびがダウンしていました。お絵描き教室から帰ってきたら、おなかが痛いといい、下痢と腹痛に襲われたということです。私が見ている最中にも2度おおきく戻しました。食べ物があたった覚えはないそうです。
なお、本日もたぬきを目撃しました。お昼の時間に1匹だけで動いていました。
ひとりで6時、室温24.8度。台風が接近しているということです。影響は今日の午後からのようです。
朝一番(9時前に)でもうひとつのLED シーリングライトが届きました。最後は、2階の真ん中の部屋です。ロフトがある部屋です。そのせいで私が背伸びをすれば届く場所にシーリングライトがあります。これまでのものより1まわり小さめのものを発注していました。取り付けは2回目です。2回目はすぐです。5分から10分程度で完了しました。消費電力は約半分で明るさは感じとしては1.5倍程度でしょうか。
[たぬきの親子]
小学1年生がそろそろ帰ってくる頃かなと思って、耳をすませていました。すると、犬が罠にでもはまったような泣き声が聞こえてきます。どこかの犬が病気で苦しい思いをしているのかなと考えましたが、ふと裏の廃屋を見ると、たぬきの赤ちゃんがいました。すぐに母たぬきと父たぬきも出現し、3匹そろって、廃屋の別の場所に消えていきました。出産していたわけです。前に見たものとは明らかに大きさが違います。(前のたぬきは、大げさにいえば、今日見たものの倍近くあった気がします。)
赤ちゃんがいるということは生息地が近いということです。[Yasuo NAKAGAWA, "Underestimations of Radiation Effects by the Atomic Bombs Casualty Commission, " Journal of History of Science, JAPAN, Series II, Vol.26 (Winter, 1987): 207-213]
昨日研究室でみつけた『科学史研究』1987年冬号(通巻164)に掲載されている次の論文を読みました。
中川保雄「放射線による晩発的影響の過小評価(II)」『科学史研究』1987年冬号(通巻164): 207-213
英語圏に人々にも読んでもらいたいので、英文サマリーをまるまる引用します。Yasuo NAKAGAWA, "Underestimations of Radiation Effects by the Atomic Bombs Casualty Commission, " KAGAKUSHI kENKYU: Journal of History of Science, JAPAN, Series II, Vol.26 (Winter, 1987): 207-213
Summary
It has been asserted that the Investigations on late radiation effects by the Atomic Bombs Casualty Commission (ABCC) and the Radiation Effects Research Foundation (RERF) is the one and the only exaustive study for more than thirty years among the one hundred thoudand atomic bomb survivors.
However, their studies had some principal problems which lead enevitably serious underestimations of radiation effects on human body. On the starting point of the research, ABCC made an exception of the pieiod from December 1945 till September 1950, concealing tha fact that the death rate especially among the high level survivors was extremely high at the period. ABCC also excluded such survivors from the research as those who resided out of the cities of Hiroshima and Nagasaki in October, 1950 because of the time lag of the reconstructions of their houses aroud groud zero. Morever, ABCC cut out the most of young survivors who migrated out of the cities before 1950. Their late cancer deaths should surely have raised its rate among the survivors, if ABCC invetigated them.
The cancer risk of radiation exposure was estimated among these biased atomic bomb survivors by ABCC, and was substantially underestimated.
Its risk factor should be thoroughly reevaluated from the reestimation not only of the atomic bomb radiation doses, but of the fundamental dake obtained by ABCC and RERF.中川保雄さんの仕事をまとめておく必要があります。まず出版リストから。
『科学史研究』では次。
中川保雄「広島・長崎の原爆放射線影響研究--急性死・急性障害の過小評価 」『科学史研究』1986年(通巻157): 20-33
中川保雄「放射線による晩発的影響の過小評価(I)」『科学史研究』1987年秋号(通巻163): 129-139
中川保雄「放射線による晩発的影響の過小評価(II)」『科学史研究』1987年冬号(通巻164): 207-213
『技術と人間』では次。
バーテル・ロザリー(中川保雄訳)「低線量被曝の危険性--骨に蓄積する放射性核種と単球(単核白血球)の減少」『技術と人間』18(12), p56-69, 1989-12
中川保雄「ICRP(国際放射線防護委員会)新勧告のねらい--新手のごまかし-上-」『技術と人間』19(12), p61-69, 1990-12
中川保雄「ICRP(国際放射線防護委員会)新勧告のねらい--新手のごまかし-下-」『技術と人間』20(1), p98-108, 1991-01
中川保雄「美浜事故・汚染そして被曝問題 (石油・原子力文明を問い直す<特集>)」『技術と人間』20(6), p8-16, 1991-06前に挙げた『神戸大学教養部紀要』の2点。
中川保雄「国際放射線被曝防護基準の変遷と原子力開発」『神戸大学教養部紀要』33(1984): 1-27
中川保雄「マンハッタン計画の放射線被曝管理と放射線影響研究」『神戸大学教養部紀要』36(1985): 49-67
その他。
中川保雄「過小評価されていた放射線障害--広島・長崎41年目の真実」『科学朝日』 46(8), p117-122, 1986-08
ひとりで4時55分、室温24.3度。今日はいろいろあります。9時前に大学につきました。コンビニで東京新聞を購入してから、図書館で次の本を借り出しました。
「窮理為楽」編纂委員会編
『究理為楽 : 藤岡由夫追憶 』
「窮理為楽」出版委員会, 1980.3
週末にILLで届いていると連絡のあったものです。
→冒頭におかれている尾中龍猛氏による「小伝」だけまず読み通しました。原子力への関与は、巻き込まれた形であることがわかりました。
1903年(明治36年)本郷に生まれる。父作太郎は1910年に没。1925年東京帝国大学理学部物理学科卒。理化学研究所研究生として高峰俊夫博士に研究所に入る。
1926年4月研究生より助手に昇格(23歳!)。
1929年から2年間、在外研究。神戸よりヨーロッパに向かう船にはハイゼンベルグが同船していた。まずは、オランダのグローニンゲン大学で分光学の研究に従事。その後ライプチヒに移る。
1932年帰国。東京文理科大学非常勤となり、統計力学を教える。
1933年「ヘリウムの分子スペクトル」の研究により博士号取得。
1934年東京文理科大学助教授に。
1948年新制大学設立委員会委員に任命される。
1949年東京教育大学ならびに光学研究所発足。10月、学術会議総会で仁科副会長より原子力の国際管理を要請することを決める。「原子力の話」『科学画報』;「原子力について」『科学画報』;『原子科学の人々』弘文堂;「日本の原子科学者」『読売評論』;「原子爆弾と科学教育」『教育新聞』;「原子力」『中学3年生』;「原子力とは何か」『教育』;「原子力の利用まで」『原子力文明』(読売新聞科学部編、高山書店);
1950年光学研究所兼任。ロスマン著『原子力の平和的利用』(芳賀氏と共訳、住吉書房);「原子時代問答」『原子時代』;「水素爆弾とは何か」『サンデー毎日』;「水素爆弾とは」『山陽新聞』;「水素爆弾」『日本トピックス』;「原子問答II」『原子時代』;「原爆・水爆」『小学5年生』;「原子時代来る」『中学3年生』;「原爆研究の裏」『毎日新聞』9月4日;『百万人の原子力』日本トピック;
日本学術会議が内閣に作られたとき、藤岡由夫は、第4部(関東地区)から推薦されて会員となり、昭和29年第3期からは第4部部長として、茅誠司会長に協力。「原子力問題を検討する第39委員会委員長となられたことにより、非常な苦労を経験されるはめになり、同時に後に原子力委員や原子力国際機関の重要な役職につかれるきっかけともなった。」(pp.27-8)
「この問題で原子力問題委員会の委員長として、先生が如何に苦慮されたか想像に余りあるものがある。「政府と学者の正面衝突を避けたい」という先生の立場は、原子力推進派にも、反対派にも理解されず、両方から攻撃目標とされた。」(p.29)
「内閣に原子力平和利用準備調査会が出来、緒方副総理以下5名の大臣と、茅学術会議会長、藤岡原子力問題委員長、更に財界代表として石川一郎氏がこれに加わった。そして、第1回の海外調査団が派遣されることになり、藤岡先生を団長に、伏見康治博士等は、12月羽田を発って、米国、英国、フランス、イタリアを視察して、翌昭和30年3月帰国した。」(ibid.)
「唱和32年ウィーンに国際原子力機関ができ、主要なポスト要員を加盟各国から出すことになった。先生は、日本代表として、アイソトープ部長に就任されることとなり、翌昭和33年2月着任された。」任期は、7年1ヶ月半となった。
帰国してからは、埼玉大学学長、山梨大学学長をつとめた。
1976年3月13日死去。ついで、事務棟4階の総務課に行きました。学会出張の手続きです。化学史学会年会の紙を渡すと、あとはやっておきます、というお言葉。さらに、山口宇部なら飛行機も OK、しかも、生協に行けば、生協との間で手続きをすませてくれるということです。つまり、私は、お金に一切触ることなく、切符を入手できるそうです。それはたすかる。
2限の授業の配付資料が今日は千枚を越えていました。どっしりとした重さがあります。最近は、印刷センターにそのまま預かってもらっています。
授業の前に受け取って、ちょうど1階下ると教室です。2限終了後、研究室で昼食。3限の時間になるのを待ってから、生協に行きました。カウンターの方に声をかけると、すぐに手続きを進めてくれました。航空券の発注はあっという間にすんで、水曜日以降、受け取ることができるそうです。こんなに簡単だとは思いませんでした。
帰宅すると LED シーリングライトがひとつ届いていました。寝室を変えます。夕食の前後でトライ。もともとついているシーリングライトの取り付け方式が最初に取り替えたふたつと違います。旧いシーリングライトの取り扱い説明書を取り出し、読みました。うーん。ともかくえいやと力を入れて、左に回しました。かたかっただけのようです。回すとはずれました。取り付けは簡単です。
たぶん、明日もうひとつ届くはずです。シーリングライトそのものを交換するのはそれで最後にしようと思っています。あとは、ランプの交換を考慮中です。
ひとりで5時50分、室温23.0度。
なんとちいさいちびが6時前に起きてきました。はやく目覚めたといいます。試合があるといっておおきいちびは7時半に家をでました。ちいさいちびは友達の家に遊びにいくらしく、8時45分に家をでます。妻は、ママ友達といっしょに自転車でおおきいちびの試合会場に見学に行きます。やはり8時45分と言っています。
小学1年生は熱は下がりましたが、まだ頭がすこし痛いと言います。今日一日はゆっくり休ませます。妻は10時半頃、おおきいちびは12時過ぎに帰宅しました。おおきいちびがまた吉祥寺に行きたいというので、2時過ぎに連れていきました。家をでたところで、ちいさいちびがお友達と遊び場所を変えるところに遭遇しました。駅前のセブンイレブンでお金を降ろして外にでると、私の最初の卒業生に出くわしました。子どもは大学2年生になったそうです。そこにちょうど妻と小学1年生が帰っていくのにぶつかりました。全員が挨拶。
結局、おおきいちびはジュンク堂では選ぶことができませんでした。私は『世界』の6月号と7月号の2冊を購入。
おおきいちびがロフトの文房具フロアーで捜し物をしている間に、ギュンター・グラス「いわねばならぬ」(訳・解説三島憲一)『世界』2012年6月号、39-45 を読みました。正直、微妙です。[中川保雄『放射線被曝の歴史』1991. 2011]
妻とちいさいちびがでかける前に、中川保雄『増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』(技術と人間、1991;増補版、明石書店、2011)を読み通しました。全員に読んでもらいたい種類の本です。日本からの発信ということであれば、これを英訳して出版すべきでしょう。第11章「被爆の被害の歴史から学ぶべき教訓はなにか」をまとめます。
1.被爆の第一の範疇。(最初期の被爆)
1895年レントゲンはX線を発見した。X線によって手の指を写された「レントゲンの助手の手は、そのようなX線撮影に長年従事したために原型をとどめぬほど変形した。」すなわち、レントゲンの助手が放射線障害の最初の犠牲者のひとりであった。
1898年キュリー夫妻がラジウムを発見した。キュリー夫妻は、長年による放射線被爆により白血病を発し、亡くなった。
「第1次世界大戦後から第2次世界大戦までは、X線装置や放射線同位元素の利用が急速に拡大したが、その過程で放射線作業従事者の間で放射線により犠牲者が多く生み出された。同時に、X線装置や放射線装置を使った診断や治療を受けた人たちの間からも、多くの放射線被害者が生まれた。」(p.218)これらが放射線被害の初期の犠牲者の例である。2.放射線被曝の第2の範疇。(第2の種類の放射線被爆)
第2次世界大戦の開始とともに始まった「核兵器開発に従事した労働者たちの被爆被害」。
アメリカの原子力委員会は、「重大な事故は一度も起こらなかったし、犠牲者も出なかったと主張し続けた」が、1970年代に発表されたマンキュウーソの調査が核開発従事労働者の被害を明らかにした。3.原爆の被害者。広島と長崎に投下された原爆による被害。
広島で14万人、長崎で7万人、朝鮮人4万人、合計25万人以上の死者。
さらに、マーシャル諸島の核実験の被害者、アメリカのネバダ核実験被害者。4.ウラン採鉱、ウラン精錬過程にともなう放射線被曝の被害。
アメリカのニューメキシコなどウラン採掘地域に住むアメリカインディアン、カナダのウラン採掘地帯に住むカナダインディアン、オーストラリアのアボリジニー、南アフリカの黒人たち。5.原子力発電所の労働者。
1989年当時の日本の原発労働者の数、5万5千人。彼らの放射線被曝総量は、1万人・レム(1000人・シーベルト)のレベル。その結果、およそ毎年10人が癌・白血病で亡くなると計算できる。ただし、原発労働者の総被爆線量の95%以上は、下請け労働者に集中している。
アメリカだけでカウントしてみても、原発労働者の被爆者数は100万人を越える規模に達している。
ひとりで4時45分、室温22.9度。おおきいちびは朝練があり、その次に学校公開。ママ、あまり来ないで、と言っています。このあたりは子どもの性格が現われます。ちいさいちびも小学1年生も気にしません。
小学1年生は微熱がでました。疲れが出たのでしょうか。風邪という感じでもありません。
[中川保雄氏の仕事]
6月6日に大学図書館でコピーをとった次の2論文をやっと読みました。中川保雄「国際放射線被曝防護基準の変遷と原子力開発」『神戸大学教養部紀要』33(1984): 1-27
中川保雄「マンハッタン計画の放射線被曝管理と放射線影響研究」『神戸大学教養部紀要』36(1985): 49-67
本当に重要な指摘があります。
「マンハッタン計画の放射線被曝管理と放射線影響研究」の結論を引用します。「今日の放射線被曝管理の基本的内容と方法は、その基礎において、マンハッタン計画とその後のの放射線被曝管理と放射線研究に示された、労働者・公衆への放射線被曝の犠牲の共生と放射線影響の過小評価、そしてまたアメリカをはじめとする帝国主義的核兵器開発・原発・核燃料サイクル推進策と密接に結びついている。」(p.64)
「国際放射線被曝防護基準の変遷と原子力開発」の方も結論を引用します。「1928年のIXRPC勧告から1977年のICRP 勧告までの放射線防護の線量体系に関する国際勧告を、放射線利用技術と産業の発達、放射線作業者の歴史的変化とその間での放射線障害の顕在化、放射線被曝の危険性の認識、および平和運動・反原発運動との関連において分析し、評価した。それらの勧告の基本的特徴は、次のように時代区分することができる。
(1)第1次世界大戦中に急激に広がった、医療用放射線の商業的利用、ラジウムの工業的材料としての利用により、放射線医師、放射線技術等医療の専門的従事者、時計の文字盤塗付女子労働者等にあらわれた放射線障害が社会的問題となり、それらを職業病とみなし、その防護が世界的に問題となって、「耐容線量」を線量基準として設定した時期(1928年勧告、1934年勧告)
(2)第2次世界大戦中にアメリカにより広島・長崎に原爆が投下され、その後の核兵器開発・核実験が続行され、原子力の軍事的利用から派生した原子力の商業的利用のための研究開発が開始され、放射線被曝人口が広範な人民に拡大され、核兵器禁止・核実験禁止を求める平和運動が世界的に高揚し、致命的放射線障害の発生と遺伝的影響を認める「許容線量」体系を制定しその線量引き下げがなされた時期(1950年勧告、1958年勧告)
(3)資本主義世界のエネルギー危機が深化する中で、原子力発電と核燃料サイクルが、アメリカをはじめ日本、フランス、西ドイツ、イギリス等で推進され、それらによる放射能の汚染が原子力労働者、周辺住民、少数民族・被抑圧民族等に転嫁されている実態や被爆の脅威が世界的に発展した反原発運動により明らかにされ、その運動におされて「許容線量」概念が放棄され、原発等の経済性を追求する線量基準緩和が打ち出された時期(1965年勧告、1977年勧告)。」(pp.21-2)「ICRP 1977年勧告は、以上みてきたように、放射線作業従事者とりわけ原発下請労働者のみならず、次には原発周辺地住民をはじめ一般公衆に放射線被曝を今よりも一層強要し、放射線汚染の犠牲を労働者・人民に一層転嫁するものである。」(p.23)
さて、やはり 中川保雄『増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』(技術と人間、1991;増補版、明石書店、2011)を読んでおかなければなりません。
→ということで、読み始めました。まだ読了していませんが、感動しました。とてもよく書けています。長年にわたる中川保雄氏の仕事の結晶と言える著作に仕上がっています。
ウェブに東大の宗教学の島薗進氏による論点整理があります。私は島薗さんの態度を支持します。「序にかえて」から。「原子力の問題に関心を抱く多くの人びとにとって現在最も必要なことの一つは、原子力が人類の未来を約束するものかどうかを、ありとあらゆる原子力開発に共通し、その基礎に横たわる放射線被爆の問題から考えることであると私は思う。 (p.10)
「われわれは放射線被曝の影響についてどれほど知っているのであろうか。いや、その危険性や被害について、核兵器や原発の開発を進めてきた人びととどれほど違った観点から考えてきたであろうか。」(p.11) 「被害をどうみるかが問題とされる事柄を、加害した側が一方的に評価するようなことが、しかもそれが科学的とされるようなことが、まかり通ってよいものであろうか。」(p.11)
「加害した側のアメリカ軍によって調査された事柄を、被害者の側に立つべき日本の研究者たちも大筋において受け入れているという事情はなんとしても説明しがたいことではないか。」(p.13)
「なぜそのようなことがまかり通ってきたのか。それを明らかにするのもこの書の目的の一つである。広島・長崎の原爆被害を調査した日本人の主だった研究者たちが、日本の侵略戦争に協力したということが、そのことを説明してくれる。あるいは、戦争中に日本の原爆開発に従事していたり、戦後に日本の原子力開発に関係していたことが絡んでいる。」(p.14)「今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむをえないもので、我慢して受認すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政手段なのである。」(p.225)
「これを「科学の進歩」と呼ぶ人びとがいる。そのような人びとは、何よりも被爆の犠牲に目をつむる人たちである。また、ICRP 勧告が核軍拡および原子力推進策と結びついてきた事実を、そして放射線被曝の危険性を過小評価してきたことを、隠そうとする人たちである。歴史が示しているように、核と原子力の時代に築かれた放射線被曝の社会的体制は、ヒバクを押しつけ、ヒバクの犠牲を隠し、ヒバクの危険性を過小に評価しておきながら、それらのいわば犯罪的行為を「科学」の名の下に正当化するヒバクの支配体制である。それは、原発推進の支配体制の重要な構成部分を成しているのだる。」(p.226)
[立教公開シンポジウム:人知の営みを歴史に記す 中世・初期近代インテレクチュアル・ヒストリーの挑戦]
こちらも日程を確認しました。場所:立教大学池袋キャンパス太刀川記念館多目的ホール
日時:7月6日(金曜日)と7月7日(土曜日)
7月6日(金) 午後3時〜8時
7月7日(土) 午前10時〜午後5時こちらもやはり全部は出ることができませんが、できるだけ多くをカバーしたいと思います。
ひとりで5時25分、室温20.3度。晴れ。五月晴れです。朝一番で、粗大ゴミを6つ家の前に出しました。ビデオデッキ3台、BS/CSチューナー1台、電子レンジ1台、プリンター1台です。壊れたプリンターを家のなかにおいておいても仕方がないので、ついでに家のなかにあった使わない/使えないものを粗大ゴミで処理することにしたものです。
[駒場における楠川幸子さんの授業]
今年の夏、駒場で楠川幸子さんの授業が集中講義の形であることは、去年、楠川さんを呼んだ橋本さんから聞いていました。
日程を確かめたところ、つぎのように出ていました。院集中講義 楠川幸子
「ルネサンスにおける自然と知識: Gregor Reisch から Francis Bacon まで」
7月23日(月)3限と4限
7月24日(火)2限3限4限
7月25日(水)2限3限4限5限
7月26日(木)2限3限4限
7月27日(金)2限3限4限
わー、たいへん。今の私にはとうてい無理な日程となっています。橋本さんから話を聞いたときから「出る」とは言っていますが、学期末とぶつかるので全部出るのは最初から無理でした。ただし、頑張れば半分程度は出ることはできます。
そのときの体力と体調を勘案しつつ、ちょうどよい割合を捜して出たいと思います。内容は次のようにあります。「16世紀ヨーロッパにおける3つの自然へのアプローチ、自然哲学・自然史・自然魔術の歴史発展を検討する。人間の霊魂、人間の知識の限界と変革などの問題 を、Gregor Reisch, Philip Melanchthon, Conrad Gessner, Giambattista della Portaなどの著作を取り上げて分析する予定である。」
参考文献としては次の2冊が挙げられています。
1.Blair, Ann. Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age. New Haven: Yale University Press, 2010.
2.Vickers, B., ed. Francis Bacon: Major Works. Oxford: Oxford University Press, 2008.夕刻次の本が届きました。
神崎 繁・熊野純彦・鈴木泉責任編集
『西洋哲学史 3 「ポスト・モダン」のまえに』
講談社選書メチエ、2012
これでこのシリーズは全4巻完結です。目次は次の通りです。熊野純彦「序論 アウグスティヌス主義の射程・素描」
大西克智「ヘレニズム復興」
楠川幸子(宮崎文典訳)「近世スコラと宗教改革――ルター主義者とアリストテレス哲学 」
村上勝三「デカルトと近代形而上学」
上野修「ホッブズとスピノザ――われわれは自分の外にいる」
神崎繁「アリストテレスの子供たち――ヘーゲル・マルクス・ハイデガー」
附録 人名・書名総索引楠川さんの日本語で読める論考は、これが最初かもしれません。(よく調べれば、別に何かあるかも知れません。)
ひとりで5時40分、室温19.1度。いくらかひんやりしています。木曜日の怒濤。本日は怒濤のはじまる前から軽い頭痛がありました。こういうときにはできるだけ淡々と仕事を進めるのがよいのですが、話しているうちについ力が入ってしまうこともあります。帰宅してお風呂・夕食、そしてダウン。
朝一番で『化学史研究』2012年第2号が届きました。目次は次の通りです。
[論文]和田正法「工部大学校における化学科の位置付け―実地教育の分析から」第39巻(2012): 55-78
[講演]吉原賢二「核分裂の夜明けから:木村健二郎・シラードの核の時代」第39巻(2012): 79-87
[広場]渡邉慶昭「リービッヒ肉エキス製造会社とリービッヒの絵札シリーズ」第39巻(2012): 88-90
[紹介]坂本邦暢「隠岐さや香『科学アカデミーと「有用な科学」』」第39巻(2012): 91-94
[紹介]野村恒彦「コリアー『チャールズ・バベッジ コンピュータ時代の開拓者』」第39巻(2012): 94-95
[紹介]小川眞里子「横田陽子『技術からみた日本衛生行政史』」第39巻(2012): 95-96
[年会特集]「詳細プログラム」 第39巻(2012): 97
[年会特集]兼重宗和(徳山大学)「徳山海軍燃料廠について」 第39巻(2012): 98-99
[年会特集]台信富寿(元太平洋セメント)「小野田セメント徳利窯が語るもの」 第39巻(2012): 100-101
[年会特集]鈴木謙二(日産化学)「日産化学工業株式会社小野田工場の歴史」 第39巻(2012): 102-104
[年会特集]三浦勇一(トクヤマ)「(株)トクヤマの歴史に見る環境と経営」 第39巻(2012): 105-106
[年会特集]大田康博(徳山大学)「周南コンビナート構成企業の生産合理化と事業展開」 第39巻(2012): 107
[年会特集]大野誠(愛知県立大学)「ニュートンの化学実験ノートの研究(1):ボイルの寄与」 第39巻(2012): 108
[年会特集]西村三千男(京大アイソマーズ)「ドイツ化学史の旅(3) -19世紀、ドイツの化学と化学工業立国」 第39巻(2012): 109
[年会特集]内田正夫(和光大学)「三崎嘯講述『新式近世化学』(1873)とGeorge F. Barker, A Text-book of Elementary Chemistry(1870) について」第39巻(2012): 110
[年会特集]伊藤良一(六稜科学同友会関西支部長)「山岡望の著作レビューの試み」 第39巻(2012): 111
[年会特集]北原文雄(東京理科大学 名誉教授)「亡命ロシア人 化学者ワイマルン再訪」 第39巻(2012): 112
[年会特集]石田純郎(岡山大学・広島大学)「日本窒素肥料の朝鮮進出(1924〜1945)」 第39巻(2012): 113
[年会特集]柴田耕一「非ホスゲンプロセスの奇跡 -イソシアネートからポリカーボネートへ」第39巻(2012): 114
[年会特集]黒田光太郎(名城大学)「日本における電子顕微鏡の無機物研究への導入期」 第39巻(2012): 115
[年会特集]原 宏(東京農工大学)「外国人が見た日本の酸性雨の科学(1) “湿性大気汚染”」 第39巻(2012): 116
[表紙解説]金城徳幸「ウァント・ホッフ」 第39巻(2012): 117
ひとりで6時半、妻は起きて、おおきいちびの朝練のために朝食の用意をしていました。室温19.6度。曇り。雨は上がっています。朝はひんやりしていますが、午後は気温が上がるそうです。ちいさいちびは4時から5時の間に、移動教室(富士山のふもとに行っています)から帰ってきます。会議の日。午後2時20分(4限の時間帯)にひとつ会議が入っています。
→すこし片づけを行おうと思ったのですが、ほぼ会議に行って帰ってくるだけになりました。帰宅すると誰もいません。妻と小学校1年生でちいさいちびを迎えに行ったのでしょう。15分ぐらいしてから、つかれたーといって帰ってきました。部活のおおきいちびは7時5分。いつもの時刻に帰ってきました。
ひとりで6時、室温20.1度。
昨夜は疲れていて、7時に就寝してしまいました。それでこの起床時間。正午あたりから梅雨らしい雨が降り始めました。一度降り始めるといつまでも降っていそうな雰囲気の雨です。
夕刻、次の本が届きました。
エステル・ゴンスターラ
『インフォグラフィクス 原発:放射性廃棄物と隠れた原子爆弾』
今泉みね子訳、岩波書店、2011
絵本のような本でした。活字の量がすくない。15分程度で全部読んでしまいました。本当に重要な事柄のヘッドラインだけを集めたようなつくりです。そういうものとして有用ではあります。地図は趣味の問題でしょうが、もうすこし正確なものの方がうれしかったと思います。デザインが勝ちすぎていると思います。(たぶんコンセプトがそういうものなので、いたしかたはないのですが。)
→内容的には、重要事項、基本事項を紹介してくれており、便利です。
1.たとえばアメリカの発電量。正確には発電エネルギー源の割合が72頁にあります。それによれば、石炭51%、原子力19%、天然ガス17%、再生可能エネルギー9%、石油2%です。
石炭が中心という知識はあったのですが、石油の割合がここまで低くなっているとは思いませんでした。ネットで確認してみました。
『エネルギー白書2011』をネットで読むことができます。それによれば、2008年において、アメリカの総発電電力量43,348憶kWhのうち、石炭49%、原子力19%、天然ガス21%、水力6%です。表223-1-5にはもう石油の割合は書き込まれていません。とりあえず、わずかだということは間違いありません。
ちなみに、同じ年、日本では、石炭27%、原子力24%、天然ガス26%、水力7%、石油13%です。石炭、天然ガス、原子力がそれぞれ4分の1強、4分の1強、4分の1弱という構成になっています。石油はその約半分。
世界全体では、発電設備では石油が9.3%、発電電力においては5.5%です。日本が石油に依存する割合は、世界の平均よりも高い、しかしそれでも13%まで減少してきていると言えるでしょう。
私たちの世代が子どもだったころには、発電といえば石油というイメージがありました。ずいぶん様変わりしています。『エネルギー白書2011』によれば火力発電においては、石油に代えて天然ガスを利用するようになったということでよいようです。2.76頁に次のようにあります。「1962年7月6日 ネヴァダ核実験場で、広島型原爆の7倍の威力をもつ爆弾「セダン」の地上実験を実施。放射性物質を含む雨がユタ州の南部を汚染し、700ラドの吸収線量が測定される。600ラドの被爆は致命的だといわれる。「セダン」を皮切りに、将来の原子力平和利用のため、すなわち原爆を山の掘削、流路の変更、運河の建設などに利用するプロウシェアー計画が始まる。」
おお! アメリカでは、「原爆を山の掘削、流路の変更、運河の建設などに利用する」プロジェクトが本気で検討されたようです。このページでは、こうしたネヴァダ核実験場での核実験で兵士が見学に参加した事実が記されています。見学した兵士たちはどの程度被爆したのでしょうか?→「プロウシェアー計画」というのは私の知らないものでした。英語では、plowshare すなわち、鍬の刃、すきの先を指すことばです。
→「プロウシェアー計画」で検索をかけても、ウィキの「セダン核実験」しかヒットしません。発音表記がたぶん違うのだろうと推測し、「プラウシェアー計画」で検索をかけると数多くのサイトがヒットしました。日本では「プラウシェアー計画」と表記されていたようです。
興味深い内容です。これに関して次の論文がウェブで入手できます。
Peter Kuzunick, "Japan's Nuclear history in perspective: Eisenhower and atoms for war and peace," Bulletin of the Atomic Scientists 13 April 2011
邦訳も入手できます。ピーター・カズニック「日本原子力史とアイゼンハワー」ウェブから引用します。
短くは、プラウシェア計画で「1961年から1973年まで衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模な核実験が行われました。」
ウィキのセダン核実験の結論は次のように述べます。
「プロウシェアー作戦では、セダン核実験によって核爆発による迅速・経済的で大規模な土砂掘削の可能性を証明した。核爆発の利用対象としては、港湾・ 運河の建設、露天掘り鉱山での採鉱、山岳地帯での鉄道・道路用地の開口、及びダム建設が提案された。しかし核爆発により発生する放射性降下物は、広い範囲 に拡散することも判明した。結局、一般人の健康への影響、及び議会の反対によりこの提案は破棄された [10]。 米国ではこの様な核爆発による掘削は行われていないが[11]、 ソ連は核爆発の商用利用を続けていた。」具体的に、ソ連がいつまでどういうふうに「核爆発の商用利用」を続けていたのかを調べる必要があります。(簡単に調べがつくかどうかは現時点では不明です。)
ひとりで4時10分、室温22.9度。ちいさいちびは移動教室、おおきいちびは朝練で7時に家をでます。朝から2合のご飯をしかけます。
→ちいさいちびは時間通り、おおきいちびはいくらか遅れて無事でかけました。
小学1年生は、起きるのが遅れて、7時40分。月曜日の怒濤。2限3限4限と続きます。
大学につくと、メールボックスに次の本がありました。柳原孝敦さま、いつもご高配、ありがとうございます。
エルネスト・チェ・ゲバラ
『チェ・ゲバラ革命日記』
柳原孝敦訳、原書房、2012
帰宅してすぐにマック(マックブックエアー)からブラザーHL-5350DN をネットワーク上で使えるようにしました。ケーブルなしで印刷できるのはなるほど便利です。
6時20分、妻はもう起きていました。おおきいちびが試合のため7時前に家をでると言ったせいです。室温22.1度。とりあえず、雨は上がっています。おおきいちびは睡眠不足のようです。なんとか6時40分には起きてきましたが、お腹が痛いといってトイレに籠城してしまいました。本人は行きたかったようですが、仕方ありません。妻が欠席通知を出しました。そのころには夏のきれいな青空がのぞくようになりました。予報では午後また雨が降るようですが、今はきれいな青空が見えます。そして窓からは気持ちのよい初夏の風が入ってきます。
昨日の編集委員会の宿題ですが、昨日のうちに3点処理しました。朝から2点処理しました。あと1点、いちばんめんどうなものが残っています。体調と気分と相談しながら、火曜日ぐらいまでには処理します。
予想とおり、朝のうちに昨日たのんだ新しいプリンターが届きました。以前のもののたぶん後継機です。ブラザーのHL-5350DN です。実は今使っている1996製のマシーンからはドライバーが用意されておらずプリントできません。しかし、場所は便利なので、もとの場所、つまりPowerMac7600 の下に置きます。テストプリントまではまったく問題なし。まず、ウィンドーズからと思い、レッツノートにプリンタードライバーをインストールしようと試みましたが、ネットワーク上にプリンターが見つかりません。
原因は不明ですが、ネットワーク上では見つからなくても、最悪、USB や パラレルの接続は可能です。その作業は明日にまわすことにしました。→子どもたちがテレビを見ている間に、ケーブルを確認しました。あちゃ!ランケーブルと電話線を間違えていました。ISDN の時代に、長いフォーンケーブルを使ったことがあり、それが残っていました。先端(端子)をよく見ず、フォーンケーブルをラン端子につないでいました。見えないわけです。
長さのあるランケーブルを探し出すのにすこし苦労しましたが、正しいランケーブルにするとまったく問題なくレッツノートからネットワーク上でプリンターをつかまえることができ、印刷もすぐにできるようになりました。ばかみたいなミスですが、ありえるエラーではあります。マックは明日にします。腹痛から復活したおおきいちびが本屋さんに行きたいと言います。ちょうどよいので昼食後、吉祥寺のジュンク堂に連れていくことにしました。おおきいちびは漢研を受けたいのだそうです。私は、岩波書店の雑誌『科学』5月号(特集:放射能汚染下の信頼)が目的です。
『科学』2012年5月号(特集:放射能汚染下の信頼)目次
影浦峡「信頼をめぐる状況と語りの配置」
[座談会]大島堅一・河野太郎・吉井英勝「原発の安全なたたみ方:資金・賠償・人材」
[座談会]漢人明子・丸森あや・渡辺美紀子「市民が測る意味」
井上達「放射線の「確率的影響」の意味」
高岡滋「環境汚染による健康影響評価の検討──水俣病の拡大相似形としての原発事故」
大瀧雅之「貨幣と国債の経済学」
小田垣「科学者の責任──新しい科学パラダイムのために」
[巻頭エッセイ]吉岡知哉「考えることの復権のために」
[科学時評]「飯田勝泰原発労働者の被ばくと補償」
その後、おおきいちびはせっかくだからと大中、パルコの雑貨屋さんといろいろ回りました。買い物はすっかり女性パターンです。3時間以上かかりました。帰りにお土産のケーキを買いました。買ったのは結局本とケーキだけ。そういうものでしょうか。
ひとりで6時10分、室温23度。雨。まだ関東は梅雨入りが宣言されていませんが、梅雨入りを思わせる雨が降っています。午後は、東工大で、科研費打ち合わせ会議、事典委員会、編集委員会、理事会と連続します。
12時からスタートして、終了が6時15分。こういう方面には体力のあると思われる大野さんでもさすがに疲れたと言っていました。
夜半に目覚めてすこし仕事。この時刻(1時40分)に目覚めるのは久しぶりです。すこしですが、体調がもどってきたしるしだと思われます。2度目の起床は6時35分、室温22.8度。妻はもう起きていました。快晴の模様。
小学1年生はふつうの時間に起きてきましたが、まだお腹が痛いそうです。熱はありません。妻は軽い熱中症かなと言っています。今日は休ませます。2005年4月9日に購入したブラザーのモノクロレーザープリンター( HL-5040 )がお陀仏かもしれません。水曜日から起動時にすごい音がするようになり、 今日になって紙送りがまったくできなくなりました。購入時の価格は、\20,900。そろそろ寿命かもしれません。もうすこし様子をみて、ダメなら買い換えるしかありません。
→(翌日)電源をいれるとそれだけですごい音が10秒ほど続きます。寿命でダウンだと判断し、同等のものを発注することにしました。
ひとりで4時40分、室温20.1度。木曜日の怒濤。
3限4限5限。5限の卒業論文演習の際に、学生たちが渋谷駅の再開発の話をしていました。「ひかりえ」というのがオープンしたようです。ネットで調べてみました。東急文化会館の跡地にこの春オープンしたようです。上の階の劇場は、夏のオープンとのこと。
渋谷駅は、これからかなり大がかりな再開発を行うようです。
東急文化会館のあたりは学生の頃よく行っていました。裏にあった本屋さんに、旧い岩波文庫がよくおいてあり、重宝していました。一度は見に行かないと。帰宅すると、小学1年生がダウンしていました。お腹が痛いのだそうです。私が2階に行くと、毛布のなかで寝ていました。軽い風邪でしょうか、あるいは疲れがここにきて出たのでしょうか。熱は上がっていません。
ひとりで4時40分、室温22.2度。午前中に健康診断、午後は会議(図書委員会)。
→健康診断のある日は、水以外は飲食禁止です。ご飯を食べることができないと、仕事に精はでません。はやめに大学に行って、できれば一番で健康診断を済ませることとしました。大学には、8時に着きました。エレベーターに乗り込もうとすると、同僚の先生が健康診断に向かわれるところでした。え? もう?
影響されて、私も、15分前(健康診断は8時半スタートです)に保健センターに。すでに列ができています。私は9番目の整理番号をもらいました。整理番号1番は、局長。2番は、組合委員長。今年度の組合委員長は人なつこい方です。来る方全員に挨拶をされていました。私はまだ知らない方もほぼご存じのようです。
今年は、胃検診(バリウム)は苦しいのでパスしました。スタートして30分程度で終わりました。
研究室にもどって、コンビニで買ったサンドイッチを食べました。それからしばらく休み、片づけに着手しました。これまで手を付けることができなかったところまで片づけの手を広げました。
それから、研究所によってスキャン、事務で書類をもらい、図書館に向かいました。本を返したあと、次のコピーをとりました。
中川保雄「国際放射線被曝防護基準の変遷と原子力開発」『神戸大学教養部紀要』33(1984): 1-27
中川保雄「マンハッタン計画の放射線被曝管理と放射線影響研究」『神戸大学教養部紀要』36(1985): 49-67
午後1時から図書委員会。約1時間半。終了後急いで帰宅。約束により、小学1年生を連れて吉祥寺へ。自転車がよいというので、後ろに乗せて自転車で行きました。サッカーのソックスとすねあて、ならびに子供用ボール(4号球)を買うためです。
場所はわかっているはずでしたが、見当たらず。お店の人に聞きましたが、それでもまだけっこう苦労しました。行き過ぎていました。
1年生はすべて自分で選びました。ソックスの色は、青と決まっています。ボールは銀色を選びました。とくにボールがうれしかったようです。家のなかでずっと持ち歩いて喜んでいました。
ちびどもは総選挙で大騒ぎ。とくに騒いだのは、おおきいちび。まゆゆがさしはらに負けたらどうしようと思ったようです。おおきいちびにとってまゆゆはほとんど分身(ロール・モデル)とでもいうべき位置付けにあるようです。
夕食後は1年生と二人、寝室に退去していました。ちいさいちびの応援する大島優子が1位、おおきいちびの応援するまゆゆが2位。ふたりにはちょうどよい結果です。
(実は、AKB新聞というのをコンビニで見かけたときには買ってやっています。そこに掲載されていた記者達の予想は、1位優子、2位まゆゆでした。専門記者の予想は、ある程度信頼してもよいものです。結果は記者達の予報通りということになります。)
ひとりで5時、室温22.7度。疲れがでました。なにかをする気にはならず、休んだり、ちいさな片づけものをしたりしていました。
ひとりで4時30分、室温22.3度。5時、6袋の燃えるゴミを出しました。昨夜妻がロフトにたまっているぬいぐるみを片づけたものです。先週の木曜日にはたぶん7袋出しました。梅雨入りを前に少しずつ片づけを進めています。
小学生ふたりは、今日は土曜日の振替休日。私と中学生だけがでかけます。
帰宅すると次の本が届いていました。
『学術の動向』2012年5月号、特集1:原発災害をめぐる科学者の社会的責任―科学と科学を越えるもの
特集は次の通りです。
野家啓「一特集の趣旨」
唐木英明「「安全の科学」の必要性」
小林傳司「トランス・サイエンスの時代の学問の社会的責任」
押川正毅「「科学的評価」は「正しい」か?」
島薗 進「多様な立場の専門家の討議、そして市民との対話
―権威による結論の提示か、情報公開と対話か―」
金井淑子「プロメテウスの火をもてあそんだ人類の「再生」への困難な道のり
―哲学・人文知と科学の知との「協働・共創」の真価が今問われている」
野家啓一「「実りある不一致」のために」
丸井 浩「科学者と一般市民のはざまで ―参加者からの質問とメッセージ」
夕刻、次の雑誌が届きました。
『サイゾー』2012年6月号
ひとりで4時35分、室温22.6度。おおきいちびは今日も朝からでかけます。朝はバスケットボールの試合があり、その後もしかしたら練習があるかもと言っています。
妻が小学1年生にポケモンセンターに連れていってあげると約束していました。しかし。小学1年生の足の調子がいまいちです。(寝ているときに床にでもぶつけて少し遺体のでしょう。本人はケガと信じています。)代わりにヨドバシでよいというので、自転車で連れていくことにしました。ヨドバシの裏側に自転車置き場があります。400円とありますが、ヨドバシで買い物をすれば、免除されるそうです。
ヨドバシに目当てのもの(ポケモンのパックのコレクション)はありませんでした。店員さんに聞くと、たまに入っていることもあるが、しばらくは入荷していないということでした。パックゲームを数回して、地下で文房具を買ってやりました。とりあえず、それで満足しました。
夕刻、『DAYS JAPAN』2012年6月等(通巻100号記念号)が届きました。
ひとりで5時55分、室温22.3度。小学校は学校開放日(昔の授業参観日)。
足が痛いといって小学1年生が足を引きずってでかけたあと、妻は1限に間に合うよう学校公開に出かけていきました。私は、1限のちょうど中間ぐらいに覗きに行きました。
まず、5年生のクラスから。全員がおとなしく算数の課題に取り組んでいました。それから1年生のクラスへ。ママたちがいっぱい来ています。我が家の小学1年生も普通の表情で言われた課題に取り組んでいます。1年生のクラスはまだ落ち着きがなく、教室を飛び出してくる子もいました。ママとおばあちゃんが説得に当たっていました。
5年生も1年生も私には気付きませんでした。あまりながく中学生をひとりにするのも心配なので、10分程度で帰宅しました。中学生は、11時過ぎにお昼ご飯をたべて、11時20分集合だといって部活に出かけていきました。
妻は給食の時間が終わってから帰ってきました。疲れた、お腹が空いた、と言っています。
小学生二人は、3時過ぎに帰ってきました。たぶん1年生が足を引きずっていたので、おねえちゃんが途中から連れ帰ってくれたのでしょう。
ひとりで4時40分、室温22.0度。とうとう6月。
午後次の会合に参加します。
駒場科学史会
Isis 読書会(定例第4回)
日時:2012年 6月1日(金)14時から
場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階307教室
Isis, vol. 103 no. 1 (2012) Focus: Textbooks in the Sciences
Marga Vicedo, "Introduction: The Secret Lives of Textbooks," Isis, 103(1), pp. 83-87.
Michael D. Gordin, "Translating Textbooks: Russian, German, and the Language of Chemistry," Isis, 103(1), pp. 88-98.
Adam R. Shapiro, "Between Training and Popularization: Regulating Science Textbooks in Secondary Education,"Isis, 103(1), pp. 99-110.
Marga Vicedo, "Playing the Game: Psychology Textbooks Speak Out about Love," Isis, 103(1), pp. 111-125.
David Kaiser, "A Tale of Two Textbooks: Experiments in Genre,"Isis, 103(1), pp. 126-138.
全部出るつもりだったのですが、子どもたちの動きとの兼ね合いで、1時間だけでお暇しなければなりませんでした。ただし、要約発表そのものは全部聞くことはできました。必要な特集(焦点)だと思います。
ゴードン、シャピロ、マルガ、カイザーの4論考がそろったあとに、もういちど議論を整理しなおす必要があったのではないかと思われます。(フォーカスの編者のマルガの仕事です。)すなわち、教科書と言っても、国家や州政府の規制のある中等教育の教科書(シャピロの扱う事例)、大学レベルでだけ使われる教科書(マルガの扱う心理学の教科書)、古くからの伝統のある化学教科書(ゴードンの扱う、マニュアルに由来する、おそらく有機化学者の共同体で共有される化学教科書)、そして、教科書と分類されているが一般科学読み物に近い啓蒙書・一般書(カイザーの扱う、厳密な意味では教科書ではなく、科学啓蒙書に分類されるべきもの)は、区別して扱うべきだと思われます。
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