ひとりで5時25分、室温28.9度。成績の転記をはじめました。まず、自宅においてあるものから。それから大学へ。
昼食を挟んでやはり1時ぐらいまで。転記だけで数時間費やしたことになります。帰宅してから、最後の成績計算。リレー講義のものです。最後の方が成績を提出してくれました。ある方式をつくり、合算します。
ひとりで7時5分、室温29.6度。外の気温ではありませんが、朝の気温が30度に届きそうです。ちいさいちびがプールに行ったあとすぐに私も大学にでました。残されているレポートの山をすこしでも小さくするためです。
生協食堂でレーメンをたべたあとも仕事を続行して、1時過ぎに今日は終了としました。作業量としては4時間余りといったところでしょうか。
帰宅すると誰もいません。妻がどこかに連れていくかもと言っていたので、みんなでどこかに言ったのでしょう。採点で目が疲れ、人の顔にも焦点があわなくなっていました。ちょうどよいので、ひとやすみしました。
ひとりで7時40分、室温29.1度。私以外はまだ寝ています。昨日の疲れがあるのでしょうか。浦安駅2時集合。10分前に着きました。4人は歩こうということで、K氏宅まで歩きました。20分でしょうか。
後発部隊はタクシーでたぶん1分遅れで来ました。8人がそろいました。
日が暮れてからテレビでオリンピックをすこし見ました。柔道の判定がわからないというのが共通の声でした。9時過ぎにおいとましました。普段この時間帯に起きていることはほとんどないのですが、やはり気になっていたのでしょう、2時半に目覚めて、日本対モロッコ戦の後半を見ることができました。すばらしい。永井がスピードを活かして、ゴールを決め、1対0で日本の勝ち。
ほんとうにすばらしい結果です。
ひとりで7時15分、室温29.1度。1年生は9時に起きました。よく寝ました。
大学のオープンキャンパスの日。1時から40分、体験授業を行う必要があります。おおきいちびがオフなので、そこの動き方で私の動き方も変わります。ともあれ、妻がおおきいちびひとりの相手をすることはなくなったので、早めに大学に行きました。大勢の高校生と父兄が来ています。私はともかく答案の山に取り組まなければなりません。
101教室に100人程度入っていたと思います。「放射線被曝の歴史」を話しました。外語でどうしてこの話題と思った子もいたと思いますが、熱心に聞いてくれていた子も少なくありませんでした。終わったあと、やはり答案の山に取組み、4時頃帰宅しました。家はもぬけのから。みんなでお台場に行くという紙がありました。海にいったようです。
ひとりで夕食を食べ、なでしこのスウェーデン戦をみていると、1年生より電話がありました。疲れたので迎えにきてほしい。
なでしこはスコアレスドロー(引き分け)。上に行くためにはよい結果ですが、3対0の勝利もありえました。
ひとりで5時25分、室温28.8度。引き分けてくれればよいかなと思っていた日本対スペイン戦ですが、1対0で日本が勝っていました。(昨日は疲れていたので、試合を見ずに寝ました。)
テレビの編集なので、全体の流れはわかりませんが、スペインは守備に弱点があるのではと感じました。ともかく、なでしこにつづき、前進です。妻は午前中は仕事。午後は、部活に入って久しぶりのオフ(練習休日)をもらったおおきいちびを買い物に連れていきます。おおきいちびは、ララポートに行きたい、原宿に行きたい、吉祥寺に行きたい、・・・と言っています。
その間、私が留守番役です。家にずっといると小学1年生は飽きてくるので、1年生だけどこかに連れていくかもしれません。ちいさいちびは、学校のプールに通っています。→1年生は、午前中に東急に連れていきました。新しいポケモンゲームを4回。後ろに並んだおにいさんとなかよく話していました。
妻とおおきいちびは結局船橋のララポートに行くことになりました。5年生はプール。と思ったら、5年生はお友達3人とすぐに帰ってきました。光化学スモッグ注意報のせいで、プールが中止となったそうです。しばらく相談していましたが、お友達のお家で遊ぶことになったようです。
5年生は6時過ぎに帰宅。妻とおおきいちびのチームは、遅くなるという連絡がありました。1年生も5年生も帰ってくるまで待つと言っていましたが、布団の上で待たせることにしました。1年生は案の定寝付きました。ちょうど寝付いたころ妻とおおきいちびのチームが帰ってきました。9時半。いいものはあったようです。
ひとりで5時30分、室温28.2度。昨夜のアルコールがわずかに残っています。起きてすぐ、テレビをつけ日本が2対1でカナダに勝ったことを確認しました(女子サッカー)。すこしずつでも答案(期末レポート)の山を崩していかないと、夏休みに入ることができません。おおきいちびが部活にでたあと、私も大学にでました。
進めないといけませんが、がんばりすぎると身体を壊します。4時前に帰宅することにしました。期末レポートとレスポンスシートの整理だけはできました。採点そのものはまだまだです。
ひとりで5時10分、室温27.6度。今日は午後、会議。2時20分から2つあります。
おおきいちびは、今日も氷係だそうです。妻は、日本の部活っていったいなに? と不思議・疑問に思うことが多いようです。日本人の私も知らない世界です。
おおきいちびが出かけたあと、私の期末レポートの山をすこしでも減らすために、大学に。会議は2時20分からです。2時ぐらいまでに、4分の1程度は処理できたでしょうか。
会議は驚いたことに、4時5分に終了。こういうこともあるのかという速さです。ちょうどよいので一度帰宅。シャワーを浴びてから、橋本さんに連絡。6時半渋谷ということです。
1時間だと思って5時半に家をでたら、6時5分に着いてしまいました。マークシティ4階のお店ですが、階段を登るとすぐにわかりました。ちょっとだけマークシティの見学をして(なんといってもたぶん10年ぶりぐらい)、ベンチをみつけ、カバンに入れた山岸凉子『ケサラン・パサラン1』(メディアファクトリー、2012)を読んでいました。ちょうど6時半にお店に。橋本さんと楠川さんはもう見えていました。
いろいろ面白い話を伺いました。10時に解散。
ひとりで5時25分、室温25.8度。4時過ぎにたぬきのこどもたちが泣いて一度目覚めました。妻は午前中にまたおおきいちびのバスケットバールを見に行きました。おおきいちびはねむいといいながら、重い氷をかかえてでかけました。氷係なんだだそうです。
ひとりで5時50分、室温23.9度。夜の間に雨が降ったようです。地面がしっかり濡れています。子どもたちが起きてくるころには、すっかり夏の日射しが帰ってきていました。久しぶりに気温が高くなるようです。
大学に着くとメールボックスに次の本がありました。柳原先生、いつもご高配、ありがとうございます。
セサル・アイラ
『わたしの物語』
柳原孝敦訳、松籟社、20122限に「科学技術と社会」の期末レポート。プロメテウスホールです。
→プロメテウスホールを使うのははじめてです。(入ったことはあります。)ちょっと心配だったので、はやめに担当事務に伺い、どうすればよいのか聞きました。先にひとり教室にいって機器の準備をしてくれているということでした。期末レポートを執筆・提出させるだけですから、マイクが使えて、ホワイトボードが1枚あれば足ります。
ステージに立ってみて、授業には向かないと感じました。ただし、今日のような用途であればまったく問題ありません。トラブルもほぼなし。レポートは積み上げると段ボール箱1箱分あります。やってられないと思い、そのまま帰宅。妻は、3日間の疲れでダウンしていました。たぶん、3時間ほど。
ちいさいちびが「インシテミル」を見たいというので、DVDを借りてきました。途中からいっしょに見ました。ちいさいちびは本を違うと言います。本を読んでいたようです。え、そういう展開? という結末でした。夕刻に3年生ゼミの打ち上げ。新宿です。集合時刻にほぼ全員が集まっていました。こういうこともはじめてのような気がします。
→紀伊国屋の隣のビルで、6時から9時まで。
ひとりで5時50分、室温22.7度。まだ寒い。一昨日17,昨日6,出したメールの数です。これは仕事の量をあらわしています。
おおきいちびは朝に部活。小学校の夏祭りの2日目。妻は昨日に追加して1時間ほど仕事があります。はじめはほぼ同じ、終了が片づけがあるので、1時間ほど遅くなるということです。小学1年生が参加するかどうかはわかりません。
さて、今日一日、どうなりますことやら。妻は、午前中にあるおおきいちびの練習試合を見に行きました。
昼食後、小学1年生をヨドバシに連れていきました。ポケモンゲームが新しくなりました。やってみたいということです。300円で3回。
結局夏祭りには全員が参加しました。小学1年生は直前までゲームをしていたのですが、やっぱり行くと言って、昨日と同じく夏祭り用の甚平に着替え、5時過ぎに出かけました。
ごくわずかに雨が降りかけ、遠くで雷がなったので、最後の花火を見ずに帰ってきました。花火に対するこだわりはないようです。その後は、ちいさいちび、おおきいちびと順番に帰ってきました。妻の帰宅は9時半。小学1年生はもう寝ていました。
ひとりで6時10分、室温22.9度。かなり肌寒い。1階に降りて上に服を一枚着ました。昨日はけっこう一生懸命仕事をこなしましたが、終わっていません。朝方にできるものはこなしておこうと思っています。
ちいさいちびは6時に起きたと言って、朝から昨日録画したサマーウオーズを見ています。
小学1年生とちいさいちびは、今日が終業式。給食を食べて、片づけをしてから帰ってきます。おおきいちびは午後部活。
朝の間に吉祥寺に行ってCDの予約をしたいと言います。アトレと言ったのをコピスと聞き間違えて、コピスの前に行ってからアトレの西側に。
本人がほしいというので、オレンジ、サンドイッチ(部活の合間に軽食として食べます)、そして、駅前のセブンイレブンでおむすびを2個買って帰りました。
私は肩凝りがひどく、今日は難しい仕事には手をつけないことにしました。急を要する簡単な連絡だけしました。微妙な天気となりました。正午に雨。その後、降ったり止んだり。夏祭りをどうするかはかなり判断の難しいことがらとなります。天気予報を信じれば、断行ですが、雨が降っている最中に止むと信じて実施を宣言する必要があります。責任者の方にはつらいところでしょう。
ちいさいちびは2時半集合ということで、帰ってきて30分ほどで出ていきました。小学1年生は、ちいさいちびの30分ほど前に帰ってきて、ずっとポケモンゲーム。3時で一度休憩させました。
小学校の夏祭りは5時〜7時。小学1年生は5時半に行くと言います。ゲームを一通りまわりました。スーパーボールが気に入って3回。最後に焼きそば。食べ終わって最後の花火。見ないと言います。校門を出て、帰り道から花火が見えました。本人の言葉では特等席。火の粉が落ちてくるのがすこし怖いようです。
しばらくして、ちいさいちび、おおきいちび、妻の順で帰ってきました。部活の帰りに夏祭りに参加しお友達としゃべってきたというおおきいちびには妻の分も含めて、食べたいものを買ってきなさいということでお金を渡しました。サンドイッチ、おむすび、パン、冷やし中華を買ってきました。
ひとりで4時50分、室温25.9度。予報通り、気温が下がりました。昨日と同じノースリーブだと肌寒く感じます。最高気温の予想が27度。このぐらいだと夏でも快適です。朝の天気予報をみました。最高気温の予想がさらに下がり24度ということです。5月並みということです。
休み中に仕事をしないと夏休みが来ません。子どもたちが学校にでてからすぐに私もリュックを背負って大学に行きました。昨日期末レポートを提出してもらった「科学思想史」の関係書類をリュックにつめて帰ってきました。全部で5袋。
帰宅してすこしずつ整理。まずは、受講者のひとりひとりに関して、4枚のレスポンスシートと期末レポートを集め、ホッチキスで綴じます。期末レポートは出しているのにほとんど出席していなかったり、レスポンスシートはちゃんと提出しているのに期末レポートがなかったり、学生の行動はさまざまです。ここのチェックをしっかりしないと学生に思わぬ不利益を与える可能性があります。
赤字で書き込みながら、綴じていきます。これが結構疲れる。肩ががちがちになってきました。12時前に妻が明日からの小学校の夏祭りの準備ででかけました。4時ぐらいまでかかるということです。
今日が終業式のおおきいちびは、給食もないのに帰りが1時半になりました。3時からまた部活ということです。2時半過ぎに出かけていきました。
小学1年生は3時頃、5年生は4時頃帰ってきました。
雨は降ったり止んだりの天候です。
ひとりで4時55分、室温29.1度。まだ晴れ。昨夜雷は遠くで鳴っていましたが、雨は降らず。今日も朝練ということでおおきいちびは、7時過ぎに出ていきました。7時半から練習があるということです。もっとはやく来て、シュート練習をしている部員もいるそうです。
子どもたちは、もうすぐ夏休み。私は、今日2つの授業で試験(期末レポートの作成提出)。週明けの月曜日にもうひとつあり、それらを全部処理してやっと夏休みとなります。これがめまいがするほどの量です。
妻に続いて6時、室温28.9度。快晴。今朝の空を見る限り、梅雨明けはほんとうのようです。午後に会議。4限の時間帯から3つ続きました。
4限の時間帯は、コース内カリキュラム部会。
5限の時間帯は、学部教授会。
その後、基礎演習説明会。6時4分多磨駅発の電車に乗ることができました。7時を越えるかと覚悟していましたが、はやく終わってくれてたすかりました。学会に2冊の献本がありました。
ミヒャエル・エッケルト(金子昌嗣 訳)
『原子理論の社会史 ゾンマーフェルトとその学派を巡って』
海鳴社 2012.06 ¥3990 978-4-87525-290-0デイヴィッド・ダンマー+ ティム・スラッキン(鳥山和久 訳)
『液晶の歴史』
朝日選書 2011.08 ¥2415 9784022599827夕方から夜にかけて、お隣さんが引越しをすまされました。
息子といっしょに7時10分、室温29.3度。快晴。妻は起きていました。ちびどもはまだ寝ている模様。ちょうどよいので、子どもたちが学校に行ってからしばらくして私も学校にでることにしました。まず、総務に行って、今回の学会出張の手続き。飛行機の場合、半券を提出のこととなっています。
それから、成績評価に向けての下準備作業。大量にあるレスポンスシートを学籍番号順に並べ替える作業が待っています。12時までという限定で作業を行いました。駅前の中華料理屋で五目焼きそばを食べ、武蔵境のヨーカドーで墨汁と油性サインペンを購入してから帰宅。暑い。真夏の暑さです。
気象庁は、梅雨明けらしいと発表したようです。しかし、週間天気予報を見ると、週の広範雨の日が続いています。
ひとりで4時30分、室温28.2度。室温がここまで高いとは思いませんでした。目が覚めて起きようかどうしようか迷っているときに地震がありました。震度は2程度だと思われます。揺れからいって震源は遠いように思われました。午前9時20分、室温が30度に達しました。ちょうど温度計をみていたら、29.9度から30度に変わるところに遭遇しました。
朝の天気予報では、猛暑マークがついています。つまり、35度を超えるという予想です。現実には、33度から34度ぐらいのようですが、アスファルトの上が相当暑くなることにかわりはないでしょう。午後、妻とちいさいちびはちいさいちびのお友達を連れて、原宿へ。昨日は小学1年生をポケモンの映画に連れていってやった、今日はちいさいちびの順番ということです。
おおきいちびは相変わらず部活。疲れています。ご飯をあまりしっかり食べません。ですから、午後は、私と小学1年生がお留守番です。周南市への学会出張の前に残していた仕事を3点はこなしました。今日はこのぐらいでしょう。
午後7時50分、無事帰り着きました。東京は、山口よりも明らかに暑い。
7月13日(金曜日)
飛行機は、10時55分羽田空港発、12時30分山口宇部空港着のJAL を予約してます。乗り換え案内で調べると、9時23分西荻窪で間に合うという結果がでましたが、とりあえあず、余裕をいくらかみて、9時には家をでました。今は学期末の忙しい時期です。8時半まで仕事をしていました。(もうひとつ処理してからとも考えましたが、さすがに止めました。)
昨日の疲れ(とくにコンパでお酒を飲んだ影響)が残っています。ダウンするほどではありませんが、体にいつもの力が戻っていないことも事実です。移動でも無理をしないようにしました。
西荻窪〜神田〜浜松町〜羽田空港第1ビルと交通機関は順調でした。e-チケットははじめてです。以前のように搭乗券が必要かと思っていましたが、どうもe-チケットだけでよいようです。パソコンをカバンから出して、ゲートをくぐると目の前が宇部山口空港行きの搭乗口でした。10時10分。
軽く朝食をとることにしました。きつねうどん。
現地の集合時刻は12時30分。飛行機が着くのも12時30分。昼食をどうしようかと思ったのですが、うどんを食べた後、おにぎりセットを購入しました。ロビーにもうすこし同じ目的の方がいると思いましたが、私が見つけることができたのは川井さんだけでした。
案内の方は、現地は積乱雲の影響で、福岡空港に向かうこともあるいは花田空港に戻ってくる可能性もあるとアナウンスしていました。念のための免責のアナウンスだと解釈しました。乗客の方はほぼ全員何事もないかのように時間が来ると搭乗していました。
18H。通路側でした。1時間半のフライトの大半は寝ていました。兵庫をすぎたあたりでわずかに揺れることはありましたが、よく晴れている日でもこの程度の揺れはあります。曇ってはいましたが、ほぼスムーズな飛行で定刻に山口宇部空港につきました。 預け入れ荷物はないので、そのままゲートを出ました。株式会社トクヤマの方が数名待っていてくれました。弘前から東京で乗り換えられた東さんが出てくるのを待って、貸し切りバスへ。驚いたことに大型バスがほぼ満員です。エクスカーションに参加する人が30名近いことを意味しています。
現地はあいにくの雨ですが、梅雨の時期ですから、仕方ありません。エクスカーションでどう回るかは頭のなかには入っていません。ただただ連れて行かれる場所をみていました。エクスカーションの人数が多くなったのも当然です。個人ではなかなか見て回ることが難しいまだ現役で動いている工場のなかに残されている貴重な産業遺産を工場長や元工場長の案内で見学することができました。幹事役の方は企業の方です。このあたりの世話の仕方は、さすがです。
記憶によれば、日産化学の塩酸吸収塔、徳利窯、山口県庁/議場、瑠璃寺五重塔を見学しました。
評議員・理事会の会場(同時に明日からの学会の会場でもあります)に着いたのは、予定よりたぶん15分程度遅れたでしょうか。評議員・理事会の開始も、予定より30分遅れで始まりました。6時半から9時まで。お弁当を食べながら、けっこう活発な議論がかわされました
。 私はそのまま部屋にもどり、風呂に入り、すこしニュースを見て、ベッドにもぐりました。
リズムが安定していないので、3時過ぎに目覚め、こうやってすこしですが、日記を記しています。窓の外では雷光に雷鳴。
7月14日(土曜日)
2回目の起床は、7時5分前。着替えてそのまま朝食に。すでに10人近くの方が降りてきていました。いつもとほぼ同じパン食。
食べ終わって外を見てみると、強い雨。今日はずっとホテルのなかですむのでよいのですが、今日やってくる方はたいへんだと思われます。
→強い雨は比較的はやく止みました。あとは、降ったり止んだりでしょうか。ホテルの外に一歩もでていないのでわかりません。
主会場、副会場(食事のため)、トイレを行ったり来たり、というのが移動のすべてでした。疲れを感じたので、8時半に自室に帰ってきました。
7月15日(日曜日)
6時10分起床。雨は上がっています。深くはありませんが、霧におおわれています。霧の港町というのは関東ではもう体験できない光景かもしれません。
天気予報をみると、今日ははれるようです。
7時ちょうどに朝食。おや、もう部屋の半分は満席でした。合宿でしょうか、中学生か高校生ぐらいの子どもたちが10人以上のかたまりでいました。
大野さん、田中さんと同席。チェックアウトして荷物を預けてから、エクスカーションに行くようです。
→そのようになりました。初日と同じくバスに乗って(株)トクヤマの工場の見学に向かいました。ちょうど定期修理期間ということで、多くの部分は休んでいましたが、初日のエクスカーションのときと同様、我々の大半は生産現場とは無縁の生活を送っています。
とても勉強になり、興味深いものでした。
現場を見たのは、イオン交換膜を用いた食塩の電解です。
最後は、今のトクヤマの収益のひとつの柱となっている多結晶シリコンを製造プロセスを説明してもらました。金属珪素を生まれてはじめてみました。
輸入した金属珪素を材料に、99.99999999% (9が11続く)の純度の多結晶シリコンを作っているということでした。これを半導体メーカーや太陽パネルメーカーが買い取って単結晶シリコンとし、コンピュータの基盤やパネルに利用するということでした。聞いている者の多くが同じ感想を持ったようで、多くの質問がなされていました。ここでこういう工程を経て、こういうものが作られているのか、という意外感がありました。手がけたのはいいが、10年間は収益がでなかったということです。ホテルにはほぼ定刻に帰り着いて、やはりお弁当。1時から特別講演。
私は学会に行く前は忙しさのせいもあり、現地のことをほとんど調べないまま、準備をしました。その最たるものが飛行機のチケットです。なんとなく会場となったホテルと飛行場は近いに違いない(勝手に30分程度だと思いこんでいました)と思い、4時40分宇部山口空港初の ANA 便を予約していました。現実には、1時間半程度移動にかかります。2時半になる前に終了をみずに、ホテルを飛び出しました。
JR山陽本線で、徳山から新山口まで。新山口で乗り換えて、JR宇部線で草江駅まで。JR宇部線というのが、2両編成の単線で、知らない地方に旅行に来たんだという気分が味わえるローカル色満載の路線でした。水田、使われなくなった水田、人間の住まい、山々と木々をみていました。
30分強で降車駅の草江につきました。ルートはグーグルのトランジットで調べたものです。草江駅から空港までは徒歩7分とあります。JR宇部線は、無人駅ばかりです。(運賃は、まるでバスよろしく降車の際に運転手が受け取ります。)道が不明になったらタクシーというのもききません。駅に着く2〜3分前に立って、窓の外の様子に注意していました。空港は海岸に作られています。海のある左側を見ていました。管制塔があるので、空港のある位置はすぐにわかりました。いかにも空港にむかうアクセスの道路も見えました。たぶん間違いないでしょう。
地元の方も観光客も草江駅から歩いて飛行場へというルートはあまり選ばないようです。降りて飛行場に向かったのは私ひとりでした。逆に飛行機を降りて、駅に来た方はひとりいました(スーツケースでわかります。)
地元の看板では、飛行場まで徒歩8分。
e-チケットは昔のようにチェックインが必要ないようです。ですから、搭乗券もない。そのまま荷物チェックのゲートに向かいました。羽田とは違い、カバンにパソコンやペットボトルを入れたままでも OK. 私はゲートでは鳴りやすいタイプです。やはり一度鳴ってしまいましたが、ベルトをはずして OK.
待合い室で、お土産を3点買って、すぐに搭乗でした。JAL よりずっと大きな飛行機を ANA は使っています。
きれいな青空が見えました。ちょうど機体の左側から西日を受けて、日没の光が射し込んできました。フライトはきわめて順調でした。着陸してからかなり長距離を移動し、ゲートへ。
ひとりで6時45分、室温27.3度。子どもたちがでたあと、学会出張(化学史学会)で羽田に向かいます。山口宇部空港へ。
帰ってくるまで、更新が止まります。緊急の連絡がある場合には、gmail のアドレスにお願いします。
ひとりで5時45分、室温27.5度。まだ雨は降っていませんが、嵐の前のような天気になっています。不吉な強い風が吹いています。
雨は降り出しそうで降らないという空模様が続いています。いくらかぱらついた時間帯はあります。天気予報ではお昼から雨です。学会出張でいく周南市のことを調べてみました。山口宇部空港が近所だと思っていました。調べてみると、相当遠い。普通に交通機関を使うと1時間半近くかかることになりそうです。仕方がありません。最終日予定より早めに切り上げるしかありません。
3限4限5限。
5限終了後、渋谷へ。ヒカリエ7階のお店で、4年ゼミの打ち上げコンパ。ヒカリエははじめてです。学生時代よく行っていた東急文化会館の後にできたばかりということです。帰宅すると、次の本が届いていました。
坂口 恭平
『TOKYO 0円ハウス 0円生活』
河出文庫、2011 (初版、大和書房、2008)
ひとりで5時20分、室温27度。まだ雨は降っていません。というか、夏の日射しが続いています。予報では今日の夜から曇り、明日から再び梅雨らしい天候が戻ってくるようです。会議の日。午後に2つあります。
ILL で届いた次の3点を図書館で受け取りました
中川保雄「ICRP(国際放射線防護委員会)新勧告のねらい--新手のごまかし-上-」『技術と人間』19(12), p61-69, 1990-12
中川保雄「ICRP(国際放射線防護委員会)新勧告のねらい--新手のごまかし-下-」『技術と人間』20(1), p98-108, 1991-01
中川保雄「美浜事故・汚染そして被曝問題 (石油・原子力文明を問い直す<特集>)」『技術と人間』20(6), p8-16, 1991-06
大学にいる間に3点とも読みました。
「美浜事故・汚染そして被曝問題」の最終頁に編集部からとして次の文章が掲載されています。「この論文は、七月末に当社から刊行予定の中川保雄氏の『放射線被曝の歴史』(一月号と二月号に「ICRPの新勧告のねらい」の項を掲載して予告した)の一部である。氏は、去る五月十日、著書の完成をみることなく病没された。この部分は、癌の告知をうけて病と闘いながら美浜原発二号炉の事故の報をうけた二月、朦朧となる意識をふり切りながらその自己評価を口述したものである。著者では「日本における被爆問題の特徴」と題した章におさめられている。中川氏の不屈の精神を読みとっていただければ幸いである。」
つまり、「美浜事故・汚染そして被曝問題」は中川保雄氏の末筆(末述?)ということです。会計課に届いていた物品(タワーファンと LED デスクライト)を受け取り、手で抱えて研究室まで運びました。
なんだかほかにもいっぱいあって、忙しい一日でした。
夜半(1時40分)に目覚めてすこし仕事。2回目の起床は、7時10分。妻とちいさいちびは起きていました。ほぼ同時に起きた小学1年生をおんぶして階下へ。室温26.4度。快晴。今日で終了する快晴ということです。
外は、真夏の日射しです。室温は、正午現在で、29.1度。30度を超えていません。でも、まあ、時間の問題のような気がします。
小学1年生が帰宅した時刻、すなわち2時50分に30度を突破しました。外は相当暑くなっていると思われます。金曜日から学会出張で、山口県の周南市に行きます。あらかじめ用意しておくことがあります。それに当たっています。
ひとりで5時55分、室温24.4度。まだ晴れています。月曜日の怒濤がまた始まります。
昨日いっとき理由は不明ですが、このサイトへの接続ができませんでした。 a 403 Forbidden Error というのが表示されました。ウイルス?乗っ取り? ネットはファーストサーバーの深刻な事例に見られるように、根本的な脆弱性をかかえたままです。
日が変わるまえには回復していました。なんだったのでしょうか。夕刻次の本が届きました。
ヤマザキマリ
『テルマエ・ロマエ』I & II
角川、2009
あ、やっぱり読んでおこうと思って昨日発注したものです。6月6日にうけた健康診断の結果が返ってきていました。
身長174.4センチ、体重69.1キログラム、腹囲86.8センチ、肥満度+3% ということです。
ひとりで5時45分、室温24度。雨は上がっています。空気がひんやりしています。ゴミの片づけ(出すのは明日です)をし、朝食を食べていたら、雨音が。今日もこういう天気のようです。
2番目に下に降りてきたのは、妻です。8時20分。今日はみんなのんびりすることになりそうです。
[ワインレッドの炊飯器]
9時半頃、新しい炊飯器が届きました。古いものは、釜の塗装が一部はげ、蓋の留め金の部分がばかになりかけています。機械的パーツの経年劣化です。型番は、TOSHIBA RC-10JG.
調べてみると、2002年の購入です。寿命かもしれません。
金曜日の日にアマゾンに発注しました。型番は、TOSHIBA 10VRE(R) です。アマゾンでは最後の在庫でした。来るのが遅いと思って、アカウントサービスを見てみると、佐賀県の鳥栖から来ていました。なるほど時間がかかるわけです。
性能的には、古いものより真空装置がついている分だけすこし上かと思われます。色がワインレッドなので目立ちます。[ヤマザキマリ氏と坂口恭平氏]
日が変わる前の時間帯、ふとテレビをつけました。普段は見ることはない時間帯です。TBSでまず『テルマエ・ロマエ』で日本漫画大賞を受賞したヤマザキマリ氏に密着取材したドキュメンタリーを放映していました。おもしろい。最後まで見てしまいました。
ついで、最近諸所で話題の坂口恭平氏と作家の対話番組。これもおもしろいものでした。建築家・運動家の坂口恭平氏のもつ魅力がよくわかりました。作家(有名な方ですが、名前を失念しました)の方は、最後のコメントに、彼が勝つ確率はとても低いだろうと話を括っていました。国全体の経済といったものを考えたとき、作家のなした批判は基本的に正しいものだと思われます。
しかし、すでに現時点で、「国全体の経済」といった枠組みからは現実にこぼれているものが多いと思われます。そうしたものに視点を合わせると、勝ち負けではなく、「補完」を考えるべきだと思います。日本の社会の補完の試みとして、坂口恭平氏は非常におもしろい・必要な行動をとっているのではないでしょうか。
坂口恭平氏が指摘するように、日本にあいているスペース(空き家、人の住まない土地、人の手を離れた土地)がいっぱいあります。ともあれ、こういう番組はテレビのよさだと思われます。番組に占める割合をもっと増やしてもらってよいのではないでしょうか。
ひとりで5時25分、室温26度。午前10時から立教大学のシンポジウム。家は9時にでました。池袋から歩いていると柴田君に会いました。彼とはいろんな会合で会います。動き方のパターンが同じなのかもしれません。
会場には10分前には到着。ちょうどよいぐらいです。一番前の席に桑木野博士がいました。久しぶりなのでご挨拶。お疲れもようでした。午前中は、坂本君と Dr . Hiro Hirai の発表。
梶さんが見えていたので、平岡君、梶さんと3人で梶さんの行きつけの寿司屋で昼食。立教には数年非常勤で通っていたということです。梶さんはそのまま東工大へ。打ち合わせがあるということでした。
同僚の大川さんも見えていました。短く挨拶。トイレで本間さんに会いました。ほんまにひさしぶりです。やはり短く挨拶。
お昼休みの残りの時間は、見えている出版社の方に挨拶しました。勁草書房から見えていた方は、私が金森論集と呼んでいる『科学思想史』の担当者の方でした。『科学思想史』の担当者は、2回交代されています。お見えになっていたのは、出版時の方です。お会いしたことはありませんが、お名前に記憶がありました。
八坂書房の編集者の方とは、ちょうどみえた桑木野博士といっしょに話をしていました。プリニウスの翻訳は、是非、完成してほしいと桑木野博士といっしょに要望しておきました。白水社のブース、工作舎のブースもありましたが、担当者はお見えではありませんでした。午後は、平岡君、桑木野博士の発表を聞きました。桑木野博士の発表が終了すると同時に会場を飛び出しました。
大岡山には、いつもと同じ時間に着くことができました。
編集委員会は、1時間半。最後は、梶さんが宮城県の最北端にある被災地を旅行してきたときのスライドを見ました。梶さんの足の強さにはほんとうに感心します。
疲労が蓄積しています。そのまま帰ってきました。
ひとりで6時25分、室温27.1度。朝方雨が降ったようです。ちいさいちびは雨音で目覚めたと言っています。地面がしっかり濡れています。今は、もう上がっています。
正午すぎに、次の粗大ゴミを回収してもらいました。
組立式書棚2つ(B券3枚)、ベビーチェア2点(B券2枚)、すのこ(木の床敷き)3点(B券3枚)、故障した電子ピアノ1点(B券1枚)。
B券が全部で12枚分をもっていってもらいました。
これで100%というわけではありませんが、子育ての最中にたまった粗大ゴミをかなりの割合で片づけることができました。ほっとします。ほっとしたので、いつもと違うことをしてみることにしました。立教のシンポの前に、東京都美術館に行って、マウリッツハイス美術館展を見ることです。実際の目的は、そのなかで販売されている「フェルメールのカメラ箱」(実際は、組立式カメラ・オブスクーラです)を購入することです。
上野には、2時前に着きました。入り口のミュジアム・ショップも見てみましたが、ありません。確認のために店員さんに聞きました。やはり特別展のなかのショップということです。チケットを買って、並ぶことにしました。待ち時間30分。シンポにはいくらか遅れますが、仕方ありません。
30分待って、10分ですべてを回って、必要な買い物をすませ、出てきました。外は雨。立教の会場には、3時25分ぐらいに着くことができたと思います。最初の講演者赤江さんの発表はたぶん半分ぐらいまで進んでいたと思います。
3人の発表を聞いて6時5分。レセプションにも出ました。ビールを飲み始めてしばらくすると身体に痒みが。ジンマシンです。レセプションは8時までだったので、矢島先生といっしょに外にでました。まだ雨。久しぶりのジンマシンですが、気持ちのうえでもう慣れました。相当痒いのは痒いのですが、2時間程度で収まるだろうという予測ができました。
帰宅して、9時過ぎ。子どもたちは寝る直前でした。ジンマシンは途中がすごいことになります。小学1年生は、その手を見て、パパきもちわるいと言っていました。正直な感想でしょう。
夜半(1時35分)に目覚めて、すこし仕事。室温27.4度。昨日の間に、気温が上昇しました。2度目の起床は、6時20分。妻はもう起きて朝ご飯の準備をしていました。室温26.7度。
木曜日の怒濤。5限も講義ですから、終了時にはへろへろだと思われます。
今日は、大学の建物のなかに入ると蒸し暑さを感じました。今週は授業評価の週です。1学期で完了する学部の授業すべてに関して、実施するということです。月曜日にすでに2コマ行っています。今日は、3限4限5限の3コマ。3限は、ゼミの学生に回収役を頼みました。5限は T.A. の院生に頼みました。
夜半(3時10分)に目覚めて、すこし仕事。雨の音が続いています。2回目の起床は、5時50分。室温24.3度。雨はあがっている模様。
→ゴミをだすために外にでました。快晴です。梅雨のあいまの青空が拡がっています。午後3つ連続で会議。今日は司会する必要があります。
→3つ連続、会議の司会は疲れました。疲れはしましたが、いくつかの懸案事項は解決できたと思います。
ひとりで6時10分、室温24.9度。昨日降った雨は上がっています。2時半頃、雨がまた降り始めました。梅雨の空気です。
雨が降り始めるころまでに、来週の月曜日の授業の準備をほぼとおすことができました。90分の授業を1つ用意するのにはそれなりの手間と時間がかかります。学生に原発事故のことを取り上げますか、と質問されて取り上げます、と回答しているのですが、今回は、放射線被曝の歴史に特化して話そうと思います。
ちなみに、外大の放射線量ですが、大学が業者に依頼して測定した数字があります。測定は、2012年1月13日。公表は4月。それによれば、留学生日本語教育センター前庭で0.08μSv/h、グラウンドで0.05μSv/hです。グラウンドの方が低いのは、雨で流れたと見てよいでしょう。報告書には、府中市の小学校の数字も引用されています。0.05μSv/hから0.07μSv/hあたりです。平均では0.063μSv/hとあります。
すこし問題なのは次の記述でしょうか。「前記の年間追加被ばく量の上限値である 1mSv から推定される1時間あたりの上限値である0.23μSv/hを下回っています。」
年間1mSvを時間あたりに直すと、0.114μSv/hです。この報告書では自然放射線量を0.116μSv/h と見積もっているのでしょうか?
「前記の」とありますが、報告書のなかに「前記の」にあたる部分はありません。この「1mSv」は、ICRPの勧告、そして、日本政府が採用している「平時年1mSv」を指すと理解するのが自然でしょう。すると、「0.23μSv/h」という数字が謎です。
→言葉使いがいかにもお役所文書です。ネットで検索してみました。「平成23年10月10日災害廃棄物安全評価検討会・環境回復検討会 第1回合同検討会 資料(別添2)」に「追加被ばく線量1ミリシーベルトの考え方」というのがあります。そこに「毎時0.23マイクロシーベルト」があります。
そこでは、大地からの放射線量を0.04μSv/h、宇宙からの放射線を0.03μSv/hとしている。
0.23=0.19+0.04
0.04は大地からの放射線量です。0.19はすこし姑息な計算をしています。8時間は室外にいて、16時間は室内(遮蔽効果0.4倍)にいたとして計算しています。そうすると0.114μSv/hの被爆の一日は、8+0.4*16=14.4 時間の計算になります。1mSvを14.4*365 で割って、0.19 という数字が出てきます。
うーん、このモデルは疑問です。せめて10人程度の人の1日の積算被爆量を実測したものといくつかの場所の空間線量を比較して決めた方がずっとよいでしょう。4時前にちいさいちびが帰ってきて、しばらくするとおおきいちびも帰ってきました。微熱があって、部活を休んで帰るように言われたのだそうです。ちょうどよいと思います。明らかにリズムをすこし崩していました。体を休ませる好機です。
ひとりで6時、室温23.7度。妻はもう起きていました。部屋の片づけで6袋にのぼったゴミ袋をだしおわったら、ちいさいちびが起きてきました。最近、ちいさいちびは起きるのがはやい。おおきいちびは朝練で7時にはでます。いちばんゆっくり寝ているのは初学1年生です。さて、月曜日の怒濤がはじまります。
雨が降り始めて、蒸し暑くなりました。
2限3限4限と続けると疲れます。
夜半に目覚めてすこし仕事。もう7月です。ひとりで6時、室温23.6度。朝の室温はここのところほぼ一定です。晴れ。雨はまだです。
9時前後、おおきいちびはバスケの試合があるということででかけました。小学1年生は小学校のサッカークラブ。週に2日放課後にやっていますが、今日の日曜日は午前中に練習するそうです。9時から10時半まで。
終わりころに雨が降り始めました。傘をもって迎えにいくと、全部で数十人が元気にボールをキックしていました。
雨が降り始めてから、気温はほとんど変化していません。正午の室温が25.1度。3時の時点で25.3度。窓から入ってくる空気は肌寒く感じます。
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