夜半に目覚めてすこし仕事。本日2回目の起床は、8時半。子どもたちはみんなでかけたあとでした。
3限の授業で、期末レポートを提出してもらいました。これから年度末の教員の仕事、すなわち、採点、成績記入、卒論読み、来年度シラバス作成に入ります。
今月はここまでで205枚。初期近代生理学史研究に着手する出発点は作れたでしょうか。
ひとりで6時10分、室温9.4度。まだまだ寒く感じます。会議の日。12時40分からと4時半から。4時半からの会議は長引き、7時前までかかりました。
最初の会議と2番目の会議の間に時間があったので、単純作業をこなしました。すなわち、半分残っていたレスポンスシートの整理(学籍番号順に並べ替え、学生毎に集約する)を行うことができました。この間ダウンロードしたものをやはり順不同にピックアップします。
William Harvey, Prelectiones Anatomiae Universalis, edited with an Autotype Reproduction of the Original by a Committe of The Royal College of Physicians of London. London, 1886
John Redman Coxe, Inquiry: Claims of Doctor William Harvey, Discovery of the Circulation of Blood; A More Equtable Retrospect of that Event, To Which is added An Intductory Lecture, Delivered on the Third of November, 1829. Philadelphia, 1834
The Correspondence between Descartes and Henricus REgius, by Jan Jacobus Frederick Maria Bos, 2002
Robert Willis, William Harvey: The Discovery of the Circulation of the Blood, London, 1978
William Poole, "Early Science in New College I: Robert Plot on New College (1677)"
Domenico Bertoloni Meli, "The Color of Blood: Between Sensory Experience and Epistemic Significance,"
Erin Moran, "Richard Lower and the "Life Force" of the Body,"
John B. West, "Robert Boyle's Landmark Book of 1660 with the First Experiments on Rarified Air," J. Apll. Physiol. 98(2005): 31-39
細見博志(翻訳)「マックス・ノイブルガー著 自然治癒力学説史 1926、序章, 第1章」『金沢大学つるま保健学会誌』25(2001): 7-22
細見博志「ヒポクラテスの「自然治癒力」をめぐって」『金沢医保紀要』22(1998): 45-54
久保田静香「動物は言葉をもたない―デカルト「動物=機械論」概説―」『』 :25-41
神野耕太郎『生理学序説―『生理』をどう捉えるか― [1]』『日生誌』68(2006): 429-442
Dwayne Raymond, "On Descartes's Conjecture That Yeast May Lay the Folds of the Heart: The Role of Ancient Intuitions in Descartes's Rejoinder," Language and the Scientific Imagination (The 11th International COnference of ISSEI, Language Centre, University of Helsinki(Finland), 28 July-2 August 2008)
山本通「アングリカン広教主義における科学と社会―ジェイコブ・テーゼをめぐって―」『神奈川大学 商経論叢』45(2012): 161-184
and so on. ////[ハーヴィ英訳]
原典を直接読んだ方がはやい、英訳を調べました。ハーヴィに関してはホイットリッジの英訳が出版されています。次の書評をダウンロードして読みました。
Andrew Cunningham, "William Harvey, Disputations touching the generation of animals, translated, with introduction and notes, by Gweneth Whitteridge, Oxford, Blackwell Scientific Publications, 1981," Medical History, 27(1983): 88-89
Gweneth Whitteridgeは、1653年に出版されていた英訳をアップデートして1981年に出したということです。スムーズに読める英語にはなっているが、17世紀の英語と20世紀の英語の奇妙な混雑物だそうです。そもそも、ExercitationesはDisputationsではなく、タイトルからしてミスリーディングだし、ハーヴィは医学論考として専門用語を数多く使っているがそれをきちんとテクニカルタームとして訳していないということです。そうであれば、古い訳を使った方が間違いありません。グーグルブックに19世紀に出版されたハーヴィ全集というものがあったので、これを読んでみることにしました。
The Works of William Harvey, MD, Physician to the King, Professor of Anatomy and Surgery to the College of Physicians, Translated from the Latin with A Life of the Author by Robert Willis, MD. London, 1847
Exercise the Seventy-First. Of the innate heat and Exercise the Seventy-Second. Of the primigenial moisture, pp.501-518
これをざっと読みました。月沢さんの論文の分析で受けていた印象とずいぶん違います。ハーヴィの主張は明晰、明確です。(表現はちょっともたもたしていますが、主張は明確です。)血液こそが、生命の中心だ、ということです。心臓優位説から血液優位説どころではありません。血液中心説です。血液が命の液体である。
ハーヴィにとって、発生の順序が観察事実として目の前にあります。すなわち、心臓が形成される前に、血液があり、そこからすべての臓器が形成される。
血液の他に、直接観察できない「内在熱」「精気」「根源湿(根元的湿気)」を想定する必要はない。そうした存在に帰される働き、機能はすべて血液の含まれていて、血液の働き、機能とみればよい、という主張です。
アリストテレス主義者としては異例かもしれませんが、この点は間違いようがありません。解剖学者、発生学者としてのハーヴィの新しい主張です。論の後半、ハーヴィは勢いで「元素」概念さえも否定します。元素は、血液をつくるもとではない、元素は、血液が分解されてできるものだ、と主張します。当時流通していた元素の定義の前半を否定し、後半だけ受け入れています。
慎重な性格だったかもしれませんが、新しい独自の主張を提示してます。しかもそれは、当時の解剖学、発生学にインパクトがあった。(実際、ハーヴィの「弟子達」が多くの研究を行った。)
妻、小学1年生と同時に6時55分、室温8.4度。まだまだ寒い。基礎演習第14回が4限にあります。
[アリストテレス『動物発生論』]
研究室のなかの本棚を見回しています。アリストテレスの『動物発生論』が見つかりました。『アリストテレス全集9 動物運動論 動物進行論 動物発生論』(島崎三郎訳、岩波書店、1969)です。
また、今井正浩氏による「<翻訳・注解>アリストテレス『動物の発生について』第1巻:日本語訳と注解」『弘前大学 人文社会論叢.人文科学篇』22(2009):91-154もあることがネットで調べていてわかりました。貴重な仕事です。
ひとりで4時50分、室温9.9度。おおきいちびが下に降りてきた6時半頃、雪が降り始めました。うっすらとつもっています。午後、月曜日の授業。そろそろ終わりです。
長女の靴下を買うためにイトーヨーカドーによってから大学へ。サンプルを持っていきましたが、やはり慣れていない買い物は、迷います。ともかく買っておけばすこしぴったりでなくても使えるでしょう。4足購入。
大学ではまず会計課によりました。届いたというモバイルスキャナーを受け取りました。それから研究室に行き、木曜日の片づけ。学生達がほとんどすませてくれていました。あとは正しい場所に配置するだけでした。
研究室のどこかにある『科学史研究』を捜すのが面倒で放置していましたが、ちょうどよい時期なので、通路をつくりつつ、捜しました。
苦労しましたが、月沢さんの『科学史研究』に掲載された2点は発見しました。
月沢美代子「W. ハーヴィの精気と「問題」(I) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-I. フェルネルの超越的精気に対して」『科学史研究』36(204)(1997): 229-238
月沢美代子「ハーヴィの精気と「問題」(II) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-II. ガレノスの空気由来精気に対して」『科学史研究』37(205)(1998): 39-48
とくに、(II) は非常によく書けていると思います。日本のハーヴィ研究は、これを出発点にすべきでしょう。(紙幅の制限のある論文ということで仕方のない点も理解できますが、個人的には、もう少し読者に親切に書いてもらうともっとずっとよかったと思います。もうすこしひらいた説明があったらよかったように思います。)
よく書けているということを前提にさらに言えば、(I)は論敵(先行研究の批判)に対してすこし厳しすぎるように思われます。自分の先入主によるイデオロギー的裁断を批判されていますが、月沢さん自身に同じ批判が当てはまるように感じられます。
哲学者のよく使う言い回しを借りれば、パーゲルやフランクの仕事とはもうすこし粘り強く格闘してもらえればもっとよかったように思います。ばっさり切りすぎているように感じます。
そうすれば月沢さんの研究のメリットをよりよく一般的科学史家に提示できたように思います。→余裕があれば、私自身がその試みを行いたいと思います。月沢さんの研究成果を科学史の一般的記述に開く試みに着手したいと考えます。
(II)の序で月沢さんは次のように導入されます。「W. ハーヴィによる血液の体循環論の提唱とは、ただ単に「血液が心臓から出て身体の隅々にゆきわたった後、再びそこに戻る」という生理学上の一つの事実の発見ではなく、「体内生理を、栄養系、熱分配および通気系、神経系という3つの系に分かち、臓器、脈菅をそれぞれの系に整序させる」ガレノス体系を否定し、「栄養系としての静脈、熱分配および通気系としての動脈という区分を撤廃し、血液循環系としてひとまとめにくくりだした」新しい体系の提出として位置づけることができる。」(p.39)
「ガレノス体系においては、栄養系、熱分配および通気系、神経系のそれぞれの[ハタラキ]をつかさどる精気が想定され、体系全体の中で重要な位置付けを与えられていた。」
「ハーヴィは、血液の体循環という「問い」を提出する以前から、ガレノスの精気説に疑問を呈していたばかりではく、呼吸を介して体内にとりこまれる空気が動脈血生成に必須であることにも否定的という、きわめてユニークな立場をとっていた。すなわち、動脈血と静脈血の本質的な区別の否定という、ハーヴィの体循環論の本質をなす主張は、体循環論に先行していたのである。」以下、ゴチック(ほんとうはボールド)は私吉本によります。
つまりハーヴィの場合血液循環論よりも先に動脈血と静脈血の本質的区別の否定があった。肝臓:「血液が内臓の作り手であり、内臓が作り手ではない。」なぜなら、胎発生の順序においては血液が肝臓より先にあるからである。また「霊魂は血液にある。」(p.40)
心臓:ガレノス説の否定。心臓での精気の生成説の否定。同時に、アリストテレス説も否定。血液の源泉は心臓ではない。血液が内臓に先行する。
肺:ハーヴィの結論。「肺が肉質で血液に満ちている動物では、血液を調理する。精気と血液でひとつのもの (Sanguis et spiritus una res)だから」肝臓と同じ論拠によって。むしろ、「冷却することによって、肺は脂肪と油性の蒸発を妨げる。」(p.42)
肺の機能に関してはアリストテレス派であった。肺の運動は、内臓の運動を助ける。吸気は冷却による熱の維持、呼気は煤火の換気に役立つ。空気から精気をつくる場所ではない。(そういうことはない。)内在熱と精気の起源:何のために血液や循環するのか? ハーヴィの回答は、「身体末端で熱と精気を失った血液が生命の源泉である心臓に戻ることによって、熱と精気を回復させるため」(p.43)である。
では、心臓が生命の源泉であるとはどういうことか? 心臓が熱や精気を生み出すというのではなく、熱のレザバー(大貯蔵庫)である。ハーヴィはこのことを熱の盥、「熱の本部所在地、守護神、炉、泉、基礎」だと表現した。以上、ハーヴィの説は全体としてみると、時代の文脈においてかなり独特のものであり、「血液循環の発見者」という言葉で現代人がイメージするものとはかけ離れた思想に満ちている。解剖学的研究を行う医師として、アリストテレス哲学から原理を引き出しつつ、ガレノス生理学に反旗を翻した、こうまとめてよいように思われます。(私のまとめです。月沢さん、これは、まとめすぎでしょうか?)
(I)では、『動物の発生について』第71論における概念批判が重要です。「精気」概念、「内在熱」概念、「根源湿」概念をとりあげ批判しています。(pp.232-3)
おおきくまとめると、ハーヴィはこうしたものを不要だとしています。(一般的意味での言葉の使用を止めてはいませんが、そこにこめられた特別な機能は否定しています。)せっかくですので、アムステルダム版で71論の前後をみておきましょう。
第71論は、De calido innato. 内在熱について pp.463-482
"Quoniam saepe Calidi innati mentio indit, libet hic (epidorpidis loco) de eodem, & humido primigenio, paucis agere : idque eo libertinus, quod multos videam nominibus istis plurimum deliciari ; cum rem ipsam tamen (meo quidem judicio) minus intelligant. Non est opus profecto sipritum aliquem a sanguine distinctum quaerere, aut calorem aliunde introducere, Deosve in scenam advocare, philosophiamque fictis opinionibus onerare: domisci. nascitur, quod vulgo ab astris petimus. Solus nempe sanguis est calidum innatum, seu primo natus calor animalis. : uti ex observationibus nostris circa generationem animalium ( praesertim pulli in ovo) luculenter constat: ut entia multiplicare, sit supervacaneum. Nihil sane in corpore animalium, sanguine prius aut praestantius reperitur; neque spiritus spsemet, sine spiritu aut calore, no sanguis, sed cruor appellandus est." 次いでアリストテレスからの引用が11行続きます。
個人的には、ここにcruorが出てきたのにびっくりしました。ボイルの引用間違いをリストアップしていたときに、ファン・ヘルモントのやはりCruor から始まる章句をボイルは使っていました。やっとCruorの使われる本来の文脈がわかりました。なるほど。
ざっと見たところ、引用しているのは、アリストテレスの『動物発生論』とフェルネルの『生理学』です。
第72論は、De Humido primigenio. 根源湿について pp.483-490.
"Sanguinem jam calidi innati titulo ornavimus : aequumque pariter censemus, ut colliquamentum crystallinum a nobis dictum (ex quo foetus, ejusque partes primae immediate oriuntur )humidi radicalis & primigenii nomine insigniatur. Neque enim res alia aliqua in animalium generatione occurrit, cui poiore jure id nimonis conveniat."ばかみたいな感想ですが、ハーヴィは意外なほどおもしろい。興味深い思想に富んでいます。
1月に入ってから行っていた初期近代の生理学史・医学史・生物学史関係のファイルをまとめました。
Robert G. Frank, Harvey and the Oxford Physiologists. Berkeley: University of California Press, 1980.
Table of Contents:
Chapter 1. The Challenge: Harvey's Circulation and Its Unsolved Problem
Chapter 2. Harvey's Later Work and English Diciples
Chapter 3. The Scientific Community in Commonwealth and Restoration Oxford
Chapter 4. Oxonians and New Approaches to Physiology
Chapter 5. Robert Boyle on Niter and Physical Property of the Air
Chapter 6. New Experiments on Respiration, 1659-1665
Chapter 7. Oxonians on Animal Heat and the Nature of the Blood, 1656-1666
Chapter 8. A Discussion among Friends: Respiration Work at London, 1667-1669, and Richerd Lower's Tractatus de Corde
Chapter 9. Niter, Niter everywhere
Chapter 10. Fire and Life: John Mayow's Tractatud Quinque(1674) and A General Physiology of Active Particles
Chapter 11. The Decline of the Oxford Tradition
以上、ネットで捜しましたが、目次が見つからなかったので作成しました。
ひとりで5時20分、室温7.5度。室温では昨日より低い。編集委員会の日。
1時前に家をでました。東工大にて2時間科研費の会合があったあと、編集委員会。40分以内で終了しました。今日は梶さんが締切間際の仕事があるということで、全員、そのまま帰宅しました。
帰宅すると、留守。みんなでカラオケに行ったようです。駅前の重宝なカラオケ屋が1月一杯で閉店になります。昨日検索をかけていて次の翻訳に出会いました。
逸見龍生訳「ジャック・ロジェ「17世紀前半における医学と科学の精神(一)」『新潟大学言語文化研究』 6(2000): right 13-25
早速ダウンロードして読みました。ジャック・ロジェの名著『18世紀フランス思想における生命科学』の第1章の邦訳です。本文中には明示されていませんが、実物と照合して確認しました。せっかくだから全部訳してくれると助かります。大家の文章です。ヴォルフガング・ミヒェル「16~18世紀のヨーロッパに伝わった日本の鍼灸」『全日本鍼灸学会雑誌』61(2011): 150-163
これはよい論文です。とても勉強になります。多くの方に読んでもらいたいと思います。Penelope J. Corfield, "From Poison Peddlers to Civic Worthies: The Reputation of the Apothecaries in Geogian England," Social History of Medicine 22(2009): 1-21
この論文は医学史家鈴木晃仁氏のサイトで知りました。良いタイミングで良い論文を教えてもらいました。鈴木氏は、「実力者の書く論文のお手本」だと評価されています。
Penelope J. Corfield氏の歴史論文サイトで9つの論文が pdf でダウンロードできるようになっています。野々村淑子「17世紀イングランドにおける女教師/治療者の世界:アン・ボーデンハムの魔女裁判関係資料(1653)から」『九州大学 大学院教育学研究紀要』10(2008): 79-96.
私が紹介された資料を読む限り、主人公の女教師/治療者アンは、はめられただけという気がします。ちなみに、Bodenham の名前は、ボウデナムと発音します。(固有名詞発音辞典によります。)普通の日本語表記では、ボーデナム、またはボデナムでしょうか。
ひとりで6時50分、室温7.8度。昨日の予報では、最低気温が氷点下1度ということです。最高気温が6度か7度。また寒気が降りてきました。
今日は全員ゆっくり寝ると言っていました。8時現在、まだ誰も下に降りてきません。→8時10分に妻と小学1年生が降りてきました。手元にあった次の論文を読みました。
Marius Van Lieburg, "The Early Reception of Harvey's Theory of Bloodcirculation in the Netherlands," : 102-5
意味のある情報があります。ベークマンのハーヴィ受容が簡潔にまとめられています。 ベークマンは実際にはじめてそれが行われる前 (1634年5月6月)のノートで静脈への点滴のアイディアを述べているそうです。(p.104)
ドルドレヒトのサークル(ベークマン、Van Beverwijck 等)にはゼンネルトに対する深い関心があった。ハーヴィは、Van Beverwijck宛の手紙で、「あなたのゼンネルト」という表現をとっている。
ジョージ・エント (George Ent, 1604-1689)の役目の重要性。エントは、1620年から24年にかけてベークマンが教えるロッテルダムのラテン学校に通っており、1627年末にオランダを訪問したときにはベークマンを訪ねている。エントのApologiaとベークマンの『日誌』を比較すると、エントがオランダと英国の重要なチャンネルであったことが伺われる。リーブルク(発音はこれでよいのでしょうか)のハーヴィ研究には他に次があります。
Marius Van Lieburg, "Zacharias Sylvius (1608-1664) author of the Praefatio to the first Rotterdam edition (1648) of Harvey's De Motu Cordis, "Janus 65(1978): 241-257
Marius Van Lieburg, "De Dichter-Medicus Daniël Jonctys (1611-1654), Zijn Strijd Tegen Het Bijgeloof en Zijn Relatie tot Johan Van Beverwijck, William Harvey en Daniël Sennert," Tsch. Gesch. Gnk. Natuurw. Wisk. Techn. 2(1974): 137-167
Marius Van Lieburg, "Isaac Beeckman and his Diary-Notes on William Harvey's Theory on Blood Circulation (1633-1634)," "Janus69(1982): 161-183
本もあるようです。内容的に非常に近い論文に次があります。
G.A. Lindeboom, "The Reception in Holland of William Harvey's Theory of the Circulation of the Blood," Janus 46(1957): 183-200
ひとりで6時半。妻は起きていました。おおきいちびは朝練があるのだそうです。疲れがたまっているのか眠いのでしょう、まだ起きてきません。
小学1年生はいつも通り7時すこし前。[日本におけるアリストテレス文献]
昨日大学でマックに向かっていたら、次のサイトhttp://polylogos.org/chronique/homatsu3-12.htmlに「日本におけるアリストテレス文献」が「1960年から今年(2002年)まで」「1995年のアリストテレス論」・・・「2000年に発表されたアリストテレス論」「今年と昨年のアリストテレス論」という形でリストアップされていました。
日本にこれだけの数のアリストテレス研究者がいるんだと感慨深いものがあります。[ボイルとハーヴィ]
せっかくですから、もうすこしボイルとハーヴィについて調べておきましょう。ビルビルに次の論文があります。
J.J. Bylebyl, "Boyle and Harvey on the Valves in the Veins," Bulletin of the History of Medicine, 56 (1982): 351-67.ハンター編の新ボイル著作集で検索をかけると、"Harvey"で94ヒット、"Harvey's "で11ヒット、"Harvy"で1ヒット、"Harvei"で1ヒットです。
(このなかでかなりの割合は、編者注におけるフランクとフレンチの本への言及です。)
索引は次のようになっています。
Harvey, William 1.46, 85, 290; 3.226, 334, 336, 416, 434; 8.88; 10.37, 74, 391, 399; 11.xxi; 12.452; 14.270
De generatione animalium 2.70; 3.xix, 236; 5.382; 6.511; 7.240; 8.32; 10.122; 12.40, 447, 518; 14.85
De motu cordis 1.280, 289; 3.14, 222, 236, 302, 428; 7.240; 11.129; 13.285
Operationes chirurgicae 3.419
編者注での言及を除くと、37回となります。リチャードとイダの「25回、22のパッセージ」よりおおよそ5割増しです。書簡集では、"Harvey"で38ヒット、"Harvey's "で1ヒットです。(ここも大部分は、編者注におけるフランクとフレンチの本への言及です。)
索引は次のようになっています。
Harvey, William 1.220; 2.346n.; 3.103
名前を明示的に挙げているのは、2箇所ということになります。[解剖学者デカルト]
前に記した通り、デカルトの関与(ハーヴィ説への対応とデカルト説の提示、またそれへの対応)も重要です。手元の資料をさっと見てみましたが、明晰&簡潔な説明は見つけられませんでした。
まず簡単にわかる基本だけ押さえます。
デカルトは『方法叙説』(1637)でハーヴィの血液循環説に賛同しています。(心臓や血液の生理学においてハーヴィと同じというわけではありませんが、ともかく血液循環説には賛同しています。)
デカルトの人間論は、宇宙論と一続きで構想され、1633年の7月頃にはほぼ完成していた。よく知られている事情により、『人間論』と『宇宙論』は出版は遅れた。『人間論』は、1662年ラテン語訳がまず出版された。「ついで1664年にクレルスリエが彼の所有していたデカルト自筆の原本に基づく仏語版が『胎児形成論』とともに、パリで出版され、それにはルイ・ド・ラ・フォルジェの注解がついていた。さらに1677年にクレルスリエはこの『人間論』、『胎児形成論』およびルイ・ド・ラ・フォルジェの注解を再刊し、これに『宇宙論』をつけ加えた。」(伊東俊太郎「解説『人間論』」『デカルト著作集4』(白水社、1973)p.463)伊東俊太郎・塩川徹也氏の共訳によってもっとも深く関連する部分を引用します。
「心臓の肉はたいへんあつく熱しているので、血液はこの二つの心室のどちらかにはいると、急速にふくらんで膨張する。・・・そして、私がいま叙述している機械の心臓にある火は、空静脈[大静脈]の管を通って心臓の右側の心室に一滴ずつ絶え間なく落ちてくる血液を膨張させ、熱し、微細にすることだけに役立つ。なお心臓にはいった血液は、そこから蒸発して肺臓にはいり、それから解剖学者が《静脈性動脈》と名づけた肺の静脈[肺静脈]を通って心臓のもう一つの心室[左心室]にはいり、そこからからだ全体に配分される。」
「肺の肉は非常にめずらしく柔らかいもので、その上、常に吸気によって大いに冷やされるので、心臓の右心室を出て、解剖学者が《動脈性静脈》と名づけた動脈[肺動脈]を通って肺の中にはいる血液の蒸気は、そこで凝縮し、もう一度血液に変化する。そして血液は、そこから一滴ずつ心臓の左心室へ落下するのだが、もしこのように再び凝縮することなしに心臓にはいるのならば、そこにある火を養うのに十分役立たないだろう。」
「こうして、おわかりのように、この機械では、呼吸は単にこれらの血液の蒸気を凝縮させる働きをするだけであるが、それはこの火の維持に必要なのであり、われわれ人間の呼吸がわれわれの生命の維持に対して必要なのと同様である。」(p.227)
そしてデカルトは『人間論』の最後で次のように述べます。
「したがって、これらの機能のために、機械の中に、その心臓で絶え間なく燃えている火―これは無生物体の中にある火と異なる性質のものではない―の熱によって運動させられている血液と精気以外には、植物精神も感覚精神も、またその他の運動と生命のいかなる原理も、想定してはならない。」(p.286)デカルト先生、なんともすごいです。
さて、こうなったらやはり『方法叙説』の方もみましょう。白水社版『デカルト著作集』では第1巻(1973)に収録されています。訳者は、三宅徳嘉・小池健男です。該当個所は、pp.52-56.
すこし表現は違いますが、『人間論』と同じ内容です。ネットで検索をして、次の論文をダウンロードし、読みました。
山田弘明「デカルトと医学」『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』50(2004): 1-39
科学史・思想史研究者の私とは関心がいくらか違いますが、「デカルト医学の概観」として有用です。
伊東俊太郎先生の解説で、1664年に『胎児形成論』が出版されたとあります。これを入手して読む必要があるかなと思っていたら、この山田さんの論文のなかに部分訳がありました。全訳をしてくれると科学史・医学史だけではなく、哲学史においてももっとも有用だったと思われます。山田さんの解説をまとめておきます。
『人体の記述』La description du corps humain (1648) は、医学研究の集大成と位置づけることができる。1664年クレルスリエが『人間論』の第2部として出版し、その際「胎児の形成について」De la formation du Foetusという題をつけたが、胎生学だけのないようでない。
第1部 序文
第2部 心臓と血液の運動
第3部 栄養
第4部 精液のなかで形成される部分
第5部 固体的部分の形成
デカルトがどう意図したかはわかりませんが、ハーヴィの仕事に完全に重なります。全体をきちんと分析する価値があります。
ともあれ、まずはファイルです。ネットに AT と略記されることの多い Adam & Tannery の全集があります。紙の全集版はもっていますが、ともあれダウンロードしておきました。
英訳は部分訳ですが、The Philosophical Writings of Descartes Vol.1, (Cambridge: Cambridge University Press, 1987 に採録されています。本棚から捜し出してみると、書き込みがあります。つまり、読んでいます。しかし、記憶がありません。→ちなみに山田弘明さんは、ちくま学芸文庫でデカルトを多く訳されています。(『方法序説』『省察』『哲学原理』。講談社学術文庫で『デカルト=エリザベト往復書簡』。ほか。) 私の手元にあるのは、上の白水社版の著作集(全4巻)と岩波文庫です。最近デカルトから離れていたので、山田弘明さんの名前の入った本は本棚にありません。
→この部分の表題「解剖学者デカルト」は、山田さんの論文の「解剖学と形而上学」の節からとりました。山田さんは24頁で1643年の有名なエピソードを紹介されています。
「エフモントにデカルトを訪ねた紳士が、「あなたが最も評価しかつ愛読している自然学の書はなんですか」と質問した。デカルトは「お見せしますのでこちらへどうぞ」といって家の裏庭へ案内して子ウシを見せ、「これをあす解剖することになっています」と言った。」
(『様々な珍しい主題についてのソルビエール氏の書簡と談話』)
こうしたエピソードから山田さんは「解剖や医学の研究は、形而上学以上に時間と労力をかけて、ほとんど恒常的に行われていたのでないか」と見ておられます。日常的に解剖にいそしみ、自宅ではわずかの本を読んで、むしろ形而上学的思弁にふける(つまり、自分の頭で考えるということです)デカルト。つまり、人間論(医学、生理学、生物学)の構想においては、つねに経験とともにあったと言ってよいように思われます。
経験主義を唱えたベイコン(ほんとうはそういうふうにはなかなか言えないと思いますが)が物質理論においては、独自の思弁的体系を構想したのと好対になっています。山田さんの研究結果をまとめておきます。
解剖学の開始。1629年アムステルダムに引っ越してから、形而上学の研究を一度中断し、自然学の研究に向かった。冬、解剖学への興味が明確に表明される。(p.6)
「私が一冬アムステルダムにいたとき、ほとんど毎日のように肉屋に行って動物を処理するのを見、もっと時間をかけて解剖したいと思う臓腑の一部を私の宿にもってこさせたものです。私がいたあらゆる場所で、同じことを何回となく行いましたが、。。。」(メルセンヌ宛 1639.11.13)
医師プレンピウスの証言。「だれにも知られることなく、デカルトは子ウシという名の通り(Kalverstraat)に面した毛織物商の館に隠れ住んでいました。私はその館でたいへん頻繁に彼に会いました。彼のいつもの印象は、書物を読みも所蔵もせず、独りで瞑想にふけってそれを紙に書きつけ、ときどき動物の解剖をする、といった人でした。」
1628年、ハーヴィの『心臓の運動』がフランクフルトで出版されるが、デカルトがそれを読むのはメルセンヌに教えられたあと、1632年頃であった。
解剖学書としては、ヴェサリウス、ボーアン、ファブリキウスを読んだ。(p.9)
「私はいま化学と解剖学とを同時に勉強しています。そして毎日、書物のなかでは学べないような何かを学んでいます。」(メルセンヌ宛 1630.4.15)(p.17) 1637年、「すでに医学を本気で勉強しはじめ」(1637.8.30)、レイデンの人体解剖実験で松果腺を見ようとしたが、すぐに腐敗するのでみることができなかった。(メルセンヌ宛 1640.4.1)
(p.17) 生命は古くから魂の働きと考えられてきた。しかし、デカルトは、生命の原理は、心臓における火(あるいは心臓に宿る熱)であるとした。生命にかかわる精神的なもの(霊魂)の働きをデカルトは全否定した。
(p.13) 「私は以前にあなたが話しておられた『心臓の運動について』という書を読みました。それは私がこの主題[食物の消化、脈の鼓動、栄養の配分などのような生命機能と五感]について書き終えた後のことにほかなりませんでしたが、私はその意見とは少し異なることが分かりました。」(メルセンヌ宛 1632.11)
異なるとは具体的には、血液循環そのものは認めるが、その原因に関して意見を異にしたということです。「ハーヴィはその原因を心筋の膨張・収縮に求めたが、「心臓がハーヴェーの描いたような仕方で動いているとするなら、その運動を引き起こすある能力を想定する必要があるが、その能力の本質を理解することは・・きわめて困難である。」(『人体の記述』243)
その原因とは、「心臓内部に宿る熱」「光なき火」であって、この熱(火)の力で心臓に入ってきた血液が稀薄化・膨張し、この膨張によって心臓がふくらみ、全身に血液を送り出すのである。(pp.13-4)私自身のいくらかのコメント:ハーヴィとデカルトに関しては、英語圏の論文でもよく、論争 (controversy, debate)といった言葉が用いられるが、比喩であることは明示すべきだと思います。デカルトはハーヴィの本を読み、ハーヴィに味方するプレンピウスと論争したが、ハーヴィと直接手紙によっても会話によっても接していない。またハーヴィの側も、デカルトの反応は知っていて、「デカルトが自分の名前を引用してくれたことを謝すると同時に、その心臓論に関して解剖学的に納得できない旨の反論を、ジャン・リオランに宛てた書簡のなかで行っている。」(p.14)
「むろん医学的にはハーヴェーの心臓ポンプ節が正しく、デカルトのボイラー説は誤りであり、心臓に熱があるとする古い説に立っている。」私自身のいくらかのコメント:これも後知恵で言えば、被刺激性の現象、生体組織(グリッソンのように物質全般の性質と見る見方も存在した)の自律的運動をデカルトがしっかりと見ていれば、デカルトの解釈がすこし変わった可能性があるように思われます。(歴史の禁則ですが。)デカルトの側にたって考えてみると、グリッソンの考えは認めず、潜在熱で解釈するように思われます。(多量の微細な精気が潜み、それが生体から切り離されたあともしばらく活動をする、より多く精気を含む器官がより自動的に動くと見るのではないでしょうか。)
もちろん、ここが物質理論の別れ道でしょう。
夜半に目覚めてすこし仕事。天気予報は、夜から朝にかけて雪または雨と言っていましたが、まだその様子はありません。→音がしなかっただけで雨は降ったようです。地面が濡れています。道路の隅に固まっていた雪もこの雨で相当割合がなくなりました。2回目の起床は7時20分。おおきいちびはすでに出かけていました。眠いとごちていたそうです。
木曜日の授業。3限はまとめの話をしました。3年生の就活が始まっています。就活で欠席しました、欠席しますという連絡が一定数ありました。
5限は、卒論終了のコンパ。学生達に任せました。
6限は柴田元幸氏の講演会。101教室で5限の授業の終了時からアテンドしました。主宰はGCコース長の鶴田先生。ハートレィ先生が柴田先生の知りあいで、彼が声をかけて呼んでくれたということです。本来は私の仕事です。鶴田先生ほか、GCコースの先生方には謝辞を呈しました。
学生(と教師)からの熱心な質問・コメントがありました。
終了後は、カンピレで慰労会。柴田先生をいれて10人となりました。総合文化コースから5人、GCコースから4人。[ボイルとハーヴィ]
書類の山は4つできていました。そのひとつの一番下に次がありました。昔読んだような、読んでいないような曖昧な記憶です。曖昧なので読みました。
Richard A. Hunter and Ida Macalpine, "William Harvey and Robert Boyle," Notes and Records of the Royal Society of London 13(1958): 115-127
今ならばこれで論文にはならないと思いますが、とても懐かしい感じがしました。詳しくはあとでまた。
→ボイルは1688年出版の『目的因』で次のように書きます。「私が有名なハーヴィと会話した唯一の機会(彼の亡くなる直前でした)に、血液循環を考えさせたものは何ですか、と尋ねたところ・・・。」
このボイル自身の証言をもとに、ボイルとハーヴィはたった一度だけ会ったことがあるという伝説が信じられてきた。しかし、ボイル著作集を繙くと、ボイルとハーヴィーの接触はもっと密である。
リチャードとイダは、ふたりして、ボイルがハーヴィを挙げる箇所を調べた。まず、古い全集版の「完全な索引」の「完全な」は、全巻をカバーしているという意味であって、検索項目を完全にピックアップしているということではない。「完全な索引」の取り上げる「ハーヴィ」はたった3箇所である。
しかし、1744年の最初の全集版(全5巻)を1頁1頁しらみつぶしに調べたところ、ハーヴィの名前は「25回、22のパッセージ」で言及されていることがわかった。この論文は、それをすべてリストアップし、簡単な解説を付しています。
私が今なら論文にならないと記したのはこの点です。私も似た作業をしたことがあるのでよくわかるのですが、ハンターの新しい全集が出る前は、こうした作業に意義がありました。しかし、ハンターの新しい全集には、CD-ROM 版があり、ボイルがハーヴィを言及している箇所の調査は一瞬ですみます。
しかも、著作集だけではなく、書簡集の検索もでき、さらに王立協会ボイル草稿についても全部はカバーしていないにせよ検索ができます。
こういう状況下で論文とするには、きちんとした分析が必要です。(その論文はまだないのではないかと思います。)
内容としては、ハーヴィが死者の手によって、腫瘍をなおしたというような不思議な治療事例が出てきます。また肺に穴があり、外から心臓の見える男性の話とか。当時の医学的症例には、こうした事例は普通です。
またボイルは弱視に関して、ハーヴィに相談しています。ハーヴィの助言は、心配性のボイルを安心させたとあります。[金森修編著『エピステモロジー』]
アマゾンによれば、明日発売予定だそうです。
金森修編著『エピステモロジー―20世紀のフランス科学思想史』慶應義塾大学出版会、2013
目次は次のようになっています。
金森修「序論 〈客観性の政治学〉」
第1部 〈沈潜〉の諸相
近藤和敬「第1章 グランジェの科学認識論――「操作‐対象の双対性」、「形式的内容」、「記号的宇宙」 」
原田雅樹「第2章 ヴュイユマンにおける〈代数学の哲学〉――ガロア理論から操作・作用の存在論、構造分析の方法論へ」
中村大介「第3章 数学のエピステモロジーと現象学――カヴァイエス以降の一系譜」
第2部 〈拡散〉の諸相
米虫正巳「第4章 交錯するエピステモロジー ――ドゥルーズという一つの事例から」
藤田尚志「第5章 生命哲学の岐路――ベルクソンとドゥルーズにおける形而上学・科学・政治」
林田愛「第6章 ゾラと科学 ――倫理的神秘主義の視座から」
金森修「解題」
進化しつづける科学哲学の未来、とあります。私の知らない世界です。
本棚に、1.『エピステモロジーの現在』(慶應義塾大学出版会、2008)、2.『科学思想史』(勁草書房、2010)、3.『昭和前期の科学思想史』(勁草書房、2011)、4.『合理性の考古学:フランスの科学思想史』(東京大学出版会、2012)、5.『エピステモロジー―20世紀のフランス科学思想史』(慶應義塾大学出版会、2013)の5冊を並べておくと壮観だと思われます。
金森さんの仕事ぶりはほんとうにすごいと思います。
6時25分。妻は起きていました。おおきいちびは朝練に行くようです。会議の日。大学院の会議が4つ程続きます。短いのもあります。長いのもあります。
妻が仕事にでたので午前中はひとりきりです。机の上があまりにひどいことになっているので、全部ではありませんが一部片づけました。今週中に残りも片づけたいと思います。
今回の調査で、The Royal College of Physiciansのサイトが基本情報をきちんとまとめてくれていて有用であることがわかりました。ハーヴィに関しては次。
Willam Harvey on the Site of The Royal College of Physicians
[文献整理]
以下は、整理です。この間、ダウンロードした論文を順不同にリストアップしていきます。
Frederick G. Kilgour, "William Harvey and His Contributions," Circulation 23(1961): 286-296
I.K.L. Donaldson, "William Harvey's other books: Exercitationes de generatione animalium In memoriam Gweneth Whitteridge, great scholar of William Harvey," J. R. Coll. Physicians Edinb. 39(2009): 187-8
Charles Webster, "The Helmontian George Thomson and William Harvey: The Rivival and Application of Splenectomy to Physiological Research," Medical History 15(1971) :154-167
Koen Vermeir and Michael Funk Deckard, Philosophical Enquiries into the Science of Sensibility: An Introductory Essay, (2011) :19-61
John P. Wright, "The Embodied Soul in Seventeenth-Century French Thought," CBMH/BCHM 8(1991): 21-42
Emerson Thomas McMullen, "Anatomy of a physiological discovery: William Harvey and the circulation of the blood," J. R. Soc. Med. 88(1995): 491-498
John F. Fulton, "A Note on the Origin of the Term 'Physiology'," Yale Journal of Biology and Medicine, : 59-62
Allen G. Debus, "Chemists, Physicians, and Changing Perspectives on the Scientific Revolution," ISIS 89(1998): 66-81
Richard A. Hunter and Ida Macalpine, "William Harvey and Robert Boyle," Notes and Records of the Royal Society of London 13(1958): 115-127河野豊「日本におけるサー・トマス・ブラウン書誌」Memoirs of Beppu University 39(1978): 11-31
林真理「細胞概念の展開―科学史研究における比較の事例として―」出口顕・三尾稔編『人類学的比較再考』国立民族学博物館調査報告 90(2010): 57-75
宮田眞治「「自然の内部に、被造物の精神は踏み込まない」―A.v. ハラーのおける境界/限界の諸相」『死生学研究』14号(): 1-41
フナイイン・イブン・イスハーク(矢口直英訳・注)「『医学の質問集』」『イスラーム世界研究』第3巻(2010): 416-477
これはガレノス教説の簡潔なまとめの翻訳です。非常に有用です。これはほんとうに貴重な貢献です。
金子善彦「アリストテレスにおける起動因としての魂―『動物運動論』にみる形相原因論の展開―」『西洋古典学研究』 (日本古典学会)55(2007): 88-110
中村公博「アリストテレス生物学における動物と植物の連続性について」『慶應義塾大学日吉紀要 人文科学』20(2005) : 1-16
注24(p.15)竹田純郎・横山輝雄・森秀樹編『生命論への視座』大明堂、1998 という本が出版されていることを知りました。 (「生命論への視座―ディオニュソス神話を手引きにして」「「生の形」としての魂―「『霊魂論』崩壊」以前の思考風景」「 生きるものの原理は「気」であるか―古代中国における「生命」への視線」「 プネウマの魂」「 生命にとって死は不可避か」「生命と優生思想」「進化論と近代日本仏教―明治期と現代」等)
またロイドの邦訳があることも知りました。G.E.R. ロイド「アリストテレースと動物分類学」(安西真訳)『思想』687(1981): 20-30.もあることを知りました。
和泉田健治「魂の諸相」『人間学紀要』(上智大学)39(2009): 71-89帰宅すると次の本が届いていました。
Richard Baxter, Of the Immortality of Man's Soul, And the Nature of it and Other Spirits Two Discourses, , London, 1682
ぱっとひらいたページ(A3)にグリッソンが出てきました。"Nor do I consent to Campanella de sensu rerum, and Dr. Glisson that would make all things alive by essentiating form in the very Elements,"
夜半に目覚めてすこし仕事。2回目の起床は、6時50分。朝練のあるおおきいちびは起きてほぼ朝食を終えていました。小学1年生はすぐに起きてきました。すこし雨が降ったようです。→窓を開けてみると、雨は降っています。音がしないので止んでいると思っていました。(一度止んでまた降り出したのかもしれません。)→どうも低い気温のまま、降ったり止んだりということのようです。
[Ongoing Studies on Harvey]
ハーヴィに関する最新、あるいは若手も研究もみておきましょう。
ピッツバーグ大学のPeter M. Distelzweig氏が2013年夏授与予定の博士論文のドラフトをネットで公開されています。
Peter M. Distelzweig, Descartes' Teleo-mechanics in Medical Context: Approaches to Integrating Mechanics and Teleology in Hieronymus Fabricius ab Aquapendente, William Harvey, and René Descartes, 2013(forthcoming)
要約を読んでみました。ボイルから始まります。伝統的デカルト解釈における機械論と目的論の関係に異議を唱えています。論文は、今年中に何点か出版されるようです。要約を読む限り成り立つ議論です。もちろん、当否は本文をきちんと読んでみないとわかりません。
第1部では、ファブリキウスとハーヴィは、動物の機械論化にあたりまさにアリストテレス主義・ガレノス主義の思想を展開することで、創造的、目的論的、非還元論的アプローチをとったこと、第2部では、第1部の結果に基づき、デカルトにおける機械論と目的論の関係について新しい解釈を示した、とあります。同じくピッツバーグ大学のゴールドバーグさん (Benjamin Isaac Goldberg)がハーヴィに関する博士論文を公開されています。
Benjamin Isaac Goldberg, William Harvey, Soul Searcher: Telelogy and Philosophical Anatomy, University of Pittsburgh, 2012ブラッドリー・ホールのランディさん(Randy Ryan Kidd)も Yale で博士号をとったそうです。内容は、ハーヴィとオクスフォードグループに焦点をあわせるものとあります。そうであれば、まさにフランクの研究を継ぐものです。ハーヴィとチャールトンの心臓と血液に関する信念を対象とする著作を用意しているそうです。
Randy Ryan Kidd, "New wine in old wineskins: traditional beliefs about the heart and blood among the Oxford Group, 1650-1680," Ph.D., Yale University, 2001次の書評があります。
Randy Ryan Kidd, "Thomas Fuchs, Mechanization of the Heart: Harvey and Descartes, trans. by Marjorie Grene, Rochester, New York, University of Rochester Press, 2001 (review)," Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 57(2002): 496-7.
フックスの著作は、長く無視されてきたハーヴィの『動物の位置運動について』De Motu Locali Animalium(1628) を分析しているということです。そこでハーヴィは、筋肉の自立性・重要性を訴えているそうです。まさに「被刺激性」に繋がる議論です。「心臓もまた筋肉である。心臓は拍動力を失い、その運動は他の多くの筋肉と同じく刺激に対する反応である」(p.74)とフックスは結論づけているそうです。
出発点(p.2)において「ハーヴィの発見は、ハーヴィ自身と同じように、大部分彼自身ではなく、主としてデカルトによって決定された視角 perspective から見られたし、今も見られている。」とフックスは主張しているということです。どこまで真実かはただちにはわかりませんが、デカルトのレスポンスがハーヴィ説のその後の運命を大きく左右したこと自体は事実だと思われます。ハーヴィ説の形成を追うだけではなく、ハーヴィ説のその後を知るには、デカルトのハーヴィ説への対応とデカルト自身の考え(心臓の役目について、血液循環の機能について、肺の役目について等々)も視野に入れなければならないということだと思われます。
フックスはルドヴィヒ・フレックの科学哲学の用語を採用しているそうです。それは微妙です。しかし、いずれにせよ、De Motu Locali Animalium(1628) の分析は価値があります。
→De Motu Locali Animaliumそのものに関する書誌が必要です。草稿から活字化したのは、Gweneth Whitteridge です。編集し、出版し、注をつけ、翻訳もしています。Cambridge, 1959.
→フックスのもとのドイツ語版は、1992年出版です。
Thomas Fuchs,Die Mechanisierung des Herzens: Harvey und Descartes, der vitale und der mechanische Aspect des Kreislaufs, Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1992.
→ 13.1.24 ベーコン、ハーヴィ、デカルトの関係を考えてみます。
ハーヴィの研究・発見にベーコンの影響を指摘した研究はないように思います。実際、ハーヴィの解剖学的研究は、医学/解剖学の内部で進展したことで、ベーコン主義の影響は考える必要がないように思われます。
それとは逆に、デカルトのハーヴィ説への対応は、その後の医学/解剖学を越えた自然哲学(哲学や形而上学まで関与する)の展開にとって決定的であったと言えるかもしれません。以上、作業仮説としておいておきます。
→ フランクのいうオクスフォードの生理学者たちの間でも、ベーコン主義はほとんど話題になっていなかったと思われます。フランクの本自体もベーコンの名前は5箇所で言及していますが、ベーコン主義は索引になく、全体としてオクスフォードの生理学者たちの研究も、ベーコン主義の標語では遂行されていなかったとみてよいように思われます。
ベーコン主義の標語としての採用には、王立協会の創設が大きかったと思われます。王立協会のプログラムのイデオローグとして大法官(ベーコン)を引っ張りだしてきた、ベーコンのビジョンがまったく影響しなかったというわけではないが、分野によっては、ベーコン主義がなくても/ないまま進展したように思われます。
→ このあたりは、思弁です。実証的研究からは一応離れて(他人の仕事に基づいて得られた知見をメタレベルで)考察し直そうとするものです。
デカルトの仕事が決定的であったのは、医学/解剖学という(一応自律した)分野を大きく越えていく運動を生みだしたからだと言えそうです。それは宇宙観、生命観、物質観にまで及んだ。グリッソンが筋肉組織の自律的運動をみつめて、物質はすべて生きていると考えたとすれば、「物質はすべて」という表現においてすでに医学/生理学の範囲を越えています。
グリッソンの仕事から道は基本ふたつに分かれると考えることができます。(そう考えた方が歴史の進展の見通しがつけやすいというだけで、本当はもっと錯綜しているかもしれませんが、まずは図式を提示することの意味もあると思います。)
ひとつはあくまで医学/生理学/生物学のなかで物事を考えようとする見方です。この見方によれば、被刺激性やそれに類似の現象は、生体の組織、生体物質、生体分子の現象として研究され、展開していくでしょう。
もうひとつは、まさにグリッソンが考えたように、物質そのものの基本的性質だと見なす見方です。自然哲学、形而上学、神学に関係してきます。ジョン・ヘンリーの研究は、その部分を問題にしたと言えます。バクスター、ヘンリー・モア、カドワースの対応はこちら側です。時代の文脈において、魂の不死性や、霊魂の存在証明に結びつけて論じられることになります。
ふたつの文脈を架橋するものとして、ライプニッツ的思考があったと言ってみたい誘惑にかられますが、さて、どうでしょう。ライプニッツは後者であったように思われます。
以上、あくまで思弁です。[生物学史先行研究: Robert Hooke, 1635-1703]
難しいかもしれませんが、ロバート・フックの医学、生物学、生理学に関する先行研究を捜してみます。
W.S. Middleton, "The Medical Aspect of Robert Hooke," Annals of Medical History, 9 (1927), 227-43.
Kimberly Fekany Lee, Cell Scientists: from Leeuwenhoek to Fuchs. Compass Point Books, Minneapolis, Minensota, 2009
帰宅すると次の本が届いていました。
Domenico Bertoloni Meli,
Mechanism, Experiment, Disease: Marcello Malpighi and Seventeenth-Century Anatomy,
Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2011
ひとりで5時20分、室温9.5度。月曜日の授業は、実は、今日が年明け最初となります。
[2012年度卒論タイトルリスト]
2012年度の卒論タイトルリストを作成しました。人間とロボットにみる「自己」のありかた:『甲殻機動隊』をめぐって
「うつ病」をめぐる問題―うつ病患者急増の経緯とこれから
製造業をめぐる環境の日瑞比較
ヴォルフガング・パウリと物理学の発展
ヴェネツィアの劇場的・テーマパーク的都市空間
メイド・イン・ジャパンの失墜:再起をかける日の丸家電
冷戦期における米ソ宇宙競争を起源とする両国の宇宙開発の歴史とその考察― 宇宙開発のもつ価値の種類の変遷について―
代理母出産をどう受け止めるか
新たな生命倫理に向けて―優性主義の復活
映像作品から見られる原水爆・原子力イメージ
コンドームの歴史
イスラム文化圏の幾何学模様を描く
現代社会における身体・食・他者―日本の食育推進政策を事例として―
対抗文化の20世紀
中沢新一試論 「チベットのモーツアルト クリステヴァ論」を中心に
インフォームド・コンセント
例年多様ですが、今年も見事に多様でした。
大学に着いてすぐに次の論文を受け取りました。ILL で届いたものです。
Jeffrey Boss, "Helmont, Glisson, and the Doctrine of the Common Reservoir in the Seventeenth-Century Revolution in Physiology," The British Journal for the History of Science 16(1983): 261-272[Harvey's Echo]
E. Weil, "The Echo of Harvey's De Motu Cordis(1628) 1628 to 1657," Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 12(1957): 167-174
これは、フラッドの『普遍医学』(1629) から Inscription on Harvey's tombstone on the West wall of the North transept of the church at Hemstead, Essex(1657) までリストアップされています。これはこういうものとして有用です。Christopher Hill, "William Harvey and the Idea of Monarchy," Past and Present 27(1964): 54-72
K. D. Keele, "Wiliam Harvey: The Man and the College of Physicians," Med. Hist. 1957: 265-278
Walter Pagel and Pyarali Rattansi, "Harvey Meets 'Hippocrates of Prague' (Johannes Marcus Marci of Kronland)," Med. Hist. 8(1964): 78-84
夜半に目覚めてすこし仕事。2度目の起床は、7時40分。室温8.9度。ちいさいちびが起きていました。昨日から床暖房の調子が悪い。ちいさいちびは床暖房のスイッチをつけていましたが、暖かくなっている感じがありません。外に行って、装置を見ました。点灯はしていますが、燃焼はしていません。ふーふーすると燃焼しました。どこか調子が悪いのは悪いようです。
[生物学史先行研究: Nathaniel Highmore, 1613-1685]
ハイモアに関して、日本語の論文はないようです。『科学革命の百科事典』にも立項されていません。
フランク(p.97) は、1651年出版の2著によって、ハイモアの思想を説明しています。
Nathaniel Highmore, Corporis Humani disquisitio anatomica, Hagae-Comitis, 1651
Nathaniel Highmore, The History of Generation, London, 1651もう2点、出版物があります。
Nathaniel Highmore, Exercitationes duae, quarum prior de passione hysterica: altera de affectione hypochondriaca, Oxford, 1660
Nathaniel Highmore, Nathanaelis Highmori de hysterica & hypochondriaca passione, London, 1670最初のもののフルタイトルは次です。
Corporis humani disquisitio anatomica : in qua sanguinis circulationem in quavis corporis particula plurimis typis novis, ac aenygmatum medicorum succincta^ dilucidatione ornatam prosequutus est
血液循環説にあうように再解釈しようとする試みです。2番目のもののフルタイトルは次です。
The history of generation: Examining the several opinions of divers authors, especially that of Sir Kenelm Digby, in his discourse of bodies ... To which is joyned A discourse of the cure of wounds by sympathy
とくにディグビーの発生説を中心に何人かの発生説を検討しています。これはこれで学説史として有用かもしれません。2次文献は現時点ではよくわかりません。Joseph Needham, A history of embryology, 2. ed. rev, Cambridge : Cambridge University Press, 1959 でもあげておきましょう。
[生物学史先行研究: バサースト Ralph Bathurst, 1620-1704]
バサーストに関しても邦語文献はないようです。『科学革命の百科事典』にも立項されていません。
古い伝記に次があります。
T. Wartoh, THe Life and Literary Remains of Ralph Bathurst, 1761
比較的新しい論文としては次でしょうか。
Jean M Guy, "Leading a double life in 17th-century Oxford: Ralph Bathurst (1620-1704), physician-physiologist and cleric," J Med Biogr February 2006 14:17―22
バサーストに関する詳しい調査はあとまわしにします。[生物学史先行研究: スカーバラ Charles Scarburgh, 1616-1694]
スカーバラに関しても、同じです。邦語文献はなく、『科学革命の百科事典』に項目はありません。
ネットに基本となる論文があります。
C. Newman, "Sir Charles Scarbourgh," British Medical Journal 16(1975): 429-430
J.J. Keevil, " Sir Charles Scarbourgh," Annals of Science 8(1952): 113-122
C. Webster, "Harvey's De Generatione: Its Origins and Relevance to the Theory of Circulation," The British Journal for the History of Science 3(1967): 262-274[生物学史先行研究:グリーヴス John Greaves, 1602-1652]
グリーブズは、ないと思っていましたが、ありません。伝記を読むと、数学者です。ピラミッド研究が一番の仕事だとありました。我々の関心にとっては大きな関与はないようです。[生物学史先行研究:メレット Christopher Merrett, 1615-1695]
たぶん邦語論文は次の1点です。
池田まゆみ「ドルバック仏訳本『ネリ・メレット・クンケルのガラス製造術』について」『日本ガラス工芸学会誌』52(2008): 13-21A. J. Koinm, "Christopher Merret's Use of Experiment," Notes Rec. R. Soc. Lond. 54 (1): 23-32
The Art of Glass, wherein are shown the wayes to make and colour Glass, Pastes, Enamels, Lakes, and other Curiosities. Written in Italian by Antonio Neri, and translated into English, with some observations on the author. London, 1662.
Pinax Rerum Naturalium Britannicarum, continens Vegetabilia, Animalia, et Fossilia, London, 1666[生物学史先行研究:ニーダム Walter Needham, c.1631-1691]
やはり日本語の研究はないようです。発生の歴史では、必ず名前が出てきます。
Disquisitio anatomica de formato Foetu, London, 1667
献辞はボイル宛て。アムステルダムで1668年リプリントされ、ClericusとMangetusによる『解剖学文庫』(Bibliotheca Anatomica)(Geneva, 1699) に採録される。[生物学史先行研究:エント George Ent 1604-1689]
エントの仕事として重要なのは、ハーヴィ説の最初期の擁護でしょう。(邦語文献はないようです。)
Apologia pro circulatione sanguinis, London, 1641(血液循環の擁護)
直接的には、ハーヴィ説に対するEmilius Parisianusの批判に答えるもの。
Animadversiones in Malachias Thrustoni, London, 1672
Malachi Thrustonの呼吸説の批判的検討。
Opera Omnia Medico-Physica, Leiden, 1687
Lectures on Anatomy 1665 年に行われる
ハーヴィの『動物の発生について』を出版したのは、エントです。1670-75の期間、Royal College of Physicians の会長を務めています
距離感を確認しておきましょう。
Francis Bacon, 1561-1626
William Harvey, 1578-1657
René Descartes, 1596-1650
ハーヴィはベイコンの17歳年下、デカルトはハーヴィの16歳年下です。William Harvey, 1578-1657
John Greaves, 1602-1652
George Ent, 1604-1689
グリーヴスとエントは、ハーヴィの最初の弟子です。フランクは偶然出会ったと記述しています。グリーヴスとさえも、24歳差あります。
Nathaniel Highmore, 1613-1685
Christopher Merrett, 1615-1695
Charles Scarburgh, 1616-1694
Walter Charleton, 1620-1707
Ralph Bathurst, 1620-1704
Thomas Willis, 1621-1675
Robert Boyle, 1627-91
Richard Lower, 1631-1691
Walter Needham, c.1631-1691
Christopher Wren, 1632-1723
Robert Hooke, 1635-1703
John Mayow, 1641-1679
ボイルはハーヴィの49歳年下です。21歳のとき70歳のおじいさん。功なり名を遂げた高名な老人にあったという感覚になる差です。
→1620年前後生まれのチャールトン、バサースト、ウィリスにとってはハーヴィは40歳年上。大師匠の位置です。
→ハーヴィがオクスフォードにいたのは、1642年から1646年までです。ロンドンに帰ってきたとき、ハーヴィは68歳。普通の人であれば引退している年齢です。オクスフォードにいたのは、64歳から68歳まで。つまり、オクスフォードの弟子達は、子どもの世代、孫の世代にあたります。
ひとりで6時、室温7.8度。外は零下でしょうか。
全国共通の季節的業務の日。寒いですが、雪が降らなかっただけましでしょう。
→季節的業務はとりあえずは、無事終わりました。ほっとしました。そして、7時15分頃無事帰宅できました。
待っている時間に同僚の先生方と話しましたが、ほとんどの方が同じように感じていることがわかりました。さて、おおきいちびは夕方幕張メッセであるまゆゆのコンサートに行きます。妻は最初ついていくと言っていましたが、ちいさい方の子ども二人を自宅に残すのも心配です。話をして、行きはひとりで行かせる、帰りは海浜幕張の駅まで迎えに行くことにしました。
私が帰宅できる時間は、トラブル等で変化します。
上記の時間に帰宅すると、ちいさいちびは下で、小学1年生は2階でテレビを見ていました。ママは6時頃出たと言います。親の安心という点ではまずまずうまく進行しました。
おおきいちびは10時頃満足はしたようですが疲れ果てて帰ってきました。ちびどもはテレビドラマを見ながら待っていました。
夜半に目覚めてすこし仕事。まだまだ空気が冷たい。2回目の起床は7時10分。予報によれば、最低気温0度、最高気温5度。
今日は寒い。暖房をつけていても寒く感じます。暦上は明後日が大寒です。しばらくがまんするしかないのかもしれません。[中村禎里『血液循環の発見』1977]
夜起きている間に、ともかく新書の置いてある場所を探してみました。積み上げているものが一箇所で崩壊しましたが、3つめの場所で、中村禎里『血液循環の発見』(1977)を発見することができました。本はきれいです。すなわち、読んだ形跡はありません。
→ということで読みはじめました。William Harvey, 1578-1657
ケンブリッジ大学入学、パドヴァ大学留学1599-1602、医学博士号1602
出版物。ウェストフォール(ガリレオプロジェクト)によれば、実質次の3点ということです。
Exercitatio anatomica de motu cordis et sanguinis, Frankfurt, 1628
Exercitatio anatomica de circulatione sanguinis, Cambridge, 1649.
This work is Harvey's responce to Riolan's Encheiridion anatomicum et pathologicum, Paris, 1648
De generatione animalium, 1651
他の出版物の計画はあったようですが、草稿に関する不幸が重なり、多くは残っていないということです。
『心臓と血液の運動についての解剖学的論考』ならびに『動物の発生について』はよくしられています。まんなかの『血液循環について(の解剖学的論考)』は、リオランの批判に対する応答です。フランクは、De motu cordis、De circulatione、De generationeという省略タイトルを用いています。『心臓運動』『循環』『発生』です。省略するのであれば、それでよいでしょう。昼食後、次の本が届きました。
Jerome Bylebyl eds., William Harvey and his Age: The Professional and Social Context of the Discovery of Circulation. Baltimore: Johns Hopkins, 1979.
Introduction by Saul Jarcho
"William Harvey and the Crisis of Medicine in Jacobean England," by Charles Webster
"The Medical Side of Harvey's Discovery: The Normal and the Abnormal," by Jerome J. Bylebyl
"The Image of Harvey in Commonwealth and Restoration England," by Robert G. Frank, Jr.
ひとりで3時20分、室温9,6度。→起きている間に室温は8.3度ぐらいまで下がりました。道路の雪がとけるまでしばらくかかりそうです。
2回目の起床は7時15分。朝練のあるおおきいちびはもうでかけたあとでした。今月はここで100枚を突破しました。ハーヴィのところが膨らんでいます。
[年明け木曜日最初の授業]
木曜日は、今日が年明け最初の授業です。はじまった途端に終わりが見えます。
午前中に季節的業務がありました。25年間働いていますが、はじめての種類の仕事でした。もうお一人の方もそう発言されていました。ちいさな大学ですが、でもその程度の大きさはあるということだと思います。[中村禎里『血液循環の発見』1977]
帰宅すると次の本が届いていました。
中村禎里『血液循環の発見 : ウィリアム・ハーヴィの生涯』岩波新書、1977
封をあけてみると記憶があります。買った記録がないので、古書で購入しましたが、本棚を探し回ればどこかにあるのでしょう。
仮に買って持っていたとしても、中身は読んでいませんでした。もっとも私の関心に近い部分だけ読んでみましたが、まったく記憶がありません。読んでいればなんらかの記憶が甦るものです。それがありませんでした。
ひとりで5時50分、室温9,3度。やはりひんやりとしています。水曜日は会議の日。3限の時間帯から4限の時間帯まで。
[ILL]
ILL で届いた次の論文を受け取りました。
Harry Bloch, "Francis Glisson, MD (1597-1677): The Glissonian Irritability Phenomenon and Its Roots, Links, and Confirmation, " Southern Medical Journal, 81(1988): 1433-1436
James J. Bono, “Medical Spirits and the Medieval Language of Life," Traditio, 40(1984): 91-130[生物学史先行研究: John Mayow, 1641-1679]
サイニーとグーグルスカラーで調べることができた範囲では、邦語の論文はないようです。
パーゲルが書くとおり、時代の文脈において、メーヨー(メイヨー)は重要な仕事をしたと思われます。(硝空気の概念によって、火の現象、呼吸、空気の弾性、空気の良性、血液の醗酵と身体の熱の現象を体系づけた。)しかし、フックとオルデンバーグには軽視されました。そのせいでしょうか、『科学革命の百科全書』(アンドルー・ウィアが執筆しています)のメーヨーの項も、フランクの本、パーティントンの古典的な化学史、そして、パーティントンの論文(J. R. Partington, "The Life and Work of John Mayow (1641-1679)," ISIS, 47(1956): 217-230, 405-417 の3点のみを挙げています。これは相当に寂しい状況です。[生物学史先行研究: Richard Lower, 1631-1691]
ローワーについても調べてみました。予想していたことですが、サイニーとグーグルスカラーの範囲では、邦語論文はありません。
→ 13.1.21 サイニーとグーグルスカラーではヒットしませんが、下記の通り、中村禎里さんの論文がありました。自分で記していながら、忘れていました。
中村禎里「Willis とLower の生理学説:とくに心臓運動論について」『科学史研究』第2期第14巻(1975): 55-66
Teiri NAKAMURA, "T. Willis' and Lower's Physiology with special reference to Theory of Heart Movement," Jap.Stud.Hist.Sci.,, 16(1977): 23-41『科学革命の百科全書』でエルザ・ゴンザレスが挙げるのは、1次資料1点(Richard Lower, Tractatus de Corde, in Early Science in Oxford vol.9. Oxford, 1932)の他に2次資料3点です。フランクの本と次の論文。
Ebbe. C. Hoff and Phebe M. Hoff, "The Life and Times of Richard Lower, Physiologist and Physician," Bull. Hist. Med. 4(1936): 517-535
Leonard G. Wilson, "The Transformation of Ancient Concepts of Respiration in the Seventeeht Century," ISIS, 51(1960): 161-172
ひとりで6時10分。室温8.4度。昨日降り積もった雪はそのまま残っています。空気がひんやりしています。集中講義もあり、会議もあったので、意外な感じがしますが、授業そのものは今日からスタートです。(冬休みは木曜日まででした。金曜日から学校は再開しています。)
雪かき当番のおおきいちびは、すべるといいながら、7時20分頃でかけて行きました。
[パーゲルの書評]
昨日からの作業の続きで、パーゲルの書評を読みました。問題点が非常に明晰に提示され、ポイントが見事にまとめられています。これが力量でしょう。具体的には次。
Walter Pagel,(review), "Robert G. Frank jr., Harvey and the Oxford physiologists. A study of scientific ideas, Los Angeles and London: University of California Press, 1980," Med. Hist., 25(4)(1981): 426-431
ハーヴィ(1578-1657)の弟子筋には、ハイモア (Nathaniel Highmore, 1613-1685) 、チャールトン (Walter Charleton, 1620-1707)、ウィルス (Thomas Willis, 1621-1675) 、バサースト (Ralph Bathurst, 1620-1704)、スカーバラ(Charles Scarburgh, 1616-1694)、グリーヴス (John Greaves, 1602-1652)、メレット (Christopher Merrett, 1615-1695);フック (Robert Hooke, 1635-1703)、ロワー (Richard Lower, 1631-1691)、メイヨー (John Mayow, 1641-1679) 、レン (Christopher Wren, 1632-1723)。ロバート・ボイル(Robert Boyle, 1627-91)、ニーダム (Walter Needham, c.1631-1691) etc.
ハーヴィを一生悩ませた問題、すなわち、血液循環の目的は何? それは今からすれば呼吸をめぐる問題群であった。
ハーヴィはたしかに血液循環を主張し、ハーヴィの共同研究者・弟子筋・仲間達は血液循環説を受け入れたが、時代の生理学の全体像に照らしてみると、多くの問題が未解決のまま残された。あるいは、アリストテレス流やガレノス派の生理学説と齟齬を来す新しい数多くの探究課題を生みだした。肺の役目は? 血液は何をしている? 動脈血と静脈血の差は何?
呼吸をめぐる生理学がここから立ち上がってくるが、それはハーヴィ以降の多くの論争の結果である。
図式的に言えば、ハーヴィはアリストテレス主義的&生気論的&後成説であった。後継者達は、多く機械論的原子論&前成説に向かった。「実際、ハーヴィによって未解決のまま残された呼吸の問題を解明するうえで決定的役目を果たしたのは、粒子―「硝空気」とくくることができる粒子―であった。」(p.427)
フックの影響を受け、バサーストが心臓で生命精気が作られるのではなく、空気交換としての呼吸という概念を導く「硝空気」(空気中に含まれ、血液に<栄養>を与える)の概念を提唱した。さらにバサーストは、これを揮発性の塩とみなした。そして偶然のきっかけで、空気が冷やす機能を持っているという観念を不要とした。
フックは、この硝空気の粒子は空気中に漂っている(現在的表現をすれば蒸気とおなじ仕方で含まれる)とし、硝石のうちに固定されると考えた。
そして、こうした見方はすべてボイルの硝石の研究に依拠していた。
硝石(ナイター、ニトルム)=硝酸塩(硝酸カリと硝酸カルシウム)は酸素に富み、強力な酸化剤である。そして、火薬と肥料の欠かせない成分である。ベイコンによれば、「硝石は植物の生命である。」
この問題は、呼吸の機械論説によって曖昧にされた。
ウォルター・ニーダムは、1667年、呼吸に空気は関係ないと主張した。
フックとローワーは巧妙な実験(肺への通気法)によって、動物の命をたもつのは継続的な空気の供給であるとした。残る問題は、新鮮な空気は、血液に何かを付け加えるのか、取り去るのか? フックとキングは、前者に傾いた。消費された空気には、力がない(もう命を支えることをしない。)
ローワーの『心臓について』(1669)がひとつのピーク。ローワーは、ハーヴィが軽視した動脈血と静脈血の差を重視した。
→ここで、中村禎里さんの『生物学を創った人びと』(日本放送出版協会、1974)より、ローワーの行った実験だけ抜き書きします。(100頁)
1.体外に取り出した心臓がしばらく心拍を続けること(ハーヴィの行ったこと)
2.動物の身体から血液を抜き、その代わりにビールや葡萄酒を注入しても、動物は生存を続け、拍動も続くこと。(>輸血の実験に繋がる)
3.動物の気管を結紮したのち頸動脈を切ると、流れ出る血液は暗い。
4.絞め殺した動物の肺臓に空気を吹き込み、肺動脈に血液を流し入れると、肺静脈から出てくる血液は、鮮紅色である。
5.肺静脈を容器にとると、その表面は空気にふれて鮮やかな色になる。容器にいれた静脈血を攪拌すると、それは全体として鮮紅色となる。
→もとにもどります。パーゲルの記述です。肺の役目。
動物の体熱を生むのは、心臓ではなく、肺で吸収された空気の動脈血化である。
こうしてローワーの仕事は、ハーヴィ的精神でのガレノス体系分解の最終章となった。ローワーは、筋肉によるポンプとしての心臓観を強化した。ローワーは、ハーヴィとともに、デカルト的沸騰説を否定した。そして再びハーヴィとともに血液を熱の生まれる場所とした。血液の動脈化に関しては、ハーヴィに反し、血液に吸収される空気によるとした。
さて、ここで、空気中にふくまれるその実体はなにか? ここにメーヨーの仕事が復活する。空気中に豊富に含まれる微細な硝石粒子が血液のイオウと結合して、「醗酵」を生じるのであった。ウィリスの見解では、この同じ結合が動物の炎のような魂の燃料元となっている。メーヨーにとって炎は、運動させられた硝空気精に他ならず、これが同時に光の圧力の伝搬のような気象学的現象の動因でもあった。メーヨーが実際に成し遂げたのは、硝石空気粒子を物理-化学的存在から生理学への導きいれたことである。
ボイルは空気の弾性(のみ)に関心があり、呼吸を燃焼と同一視するには至らなかった。(フックも)
ボイルはそうでなかったがフックは、メーヨーの硝石空気粒子―火、運動、醗酵、温泉、石灰の消和、血液中の揮発性塩を説明する―に影響された。
ローワーとメーヨーの差は次である。ローワーは、ただ動脈血の色変化は、肺で生じ、空気を必要とすることを示した。メーヨーは、血液を真空中におくと、動脈血だけが膨張し、上昇し、目に見える蒸発物を出すことまで示した。そしてメーヨーの粒子は、ハーヴィの未解決の問題、おなかのなかの胎児がどのように呼吸をするのか、に回答を与えた。
かくて、これは、1640年代からオクスフォードの科学者共同体の仕事において紡がれ追求された数多くの思考の糸の、メーヨー自身による総合であった。(フランク、p.272) そこでは、呼吸と燃焼は、共通のタイトル<醗酵>のもとに括られた。
1680年代に入ると硝石空気への関心は薄れた。(主唱者が死んだ。)
しかし、ハーヴィ以後の着実な進歩があった。ガレノスの内在熱は、空気の呼吸と結びついて生み出される燃焼エネルギーとなった。空気は、冷やすのではなく、血液の色を変え、動脈血化するのであった。
およそ40年間にわたるチームワークの仕事であった。
パーゲルは、フランクの仕事を高くかいます。そして、ファン・ヘルモントの思想との比較がもっとあればたぶんもっとよかったと評しています。[年明け最初の授業]
年明け最初の授業は、基礎演習。はじめてなので、いつも午前中に今日話す内容を考えます。これから3回は学生達に発表してもらいますが、15分程度は前説があった方がよいかと考え、ワン・ポイントの話を用意しました。
持ち時間一人10分で用意した来た7人がちょうど発表できました。予定調和。大学に着いてすぐに卒論を受け取りました。16人。3人は提出を見送ったようです。
次いで図書館に行って ILL で届いていた次の論文を受け取りました。
Temkin, O., "On Galen's pneumatology," Gesnerus, 8(1951): 180-189
6時10分。室温11度。雨。夜半から雨が降っています。
たぶん10時前後に雨は雪に変わりました。外の気温は3度ぐらいあるようです。べたべたした雪ですが、道路にはつもっています。小学1年生は着替えて外に飛び出しました。ひとりでおおはしゃぎ。ゆきかきをしたいというので、雪かき用のスコップを出してやりました。おおきいちびのたっての要望で、夕刻また6合、黒砂糖餅をつきました。昼間、雪の中、2回セイユウに買い出しに行っています。リュックを背負っていきました。駅前ではバスを待つ長蛇の列。明らかに車の通行量がぐんと減っています。交差点の手前でおばあちゃんが転ぶ場面に遭遇しました。単純に都会は雪対応ができていません。
[生物学史先行研究: Thomas Willis, 1621-1675]
門田永治「Thomas Willis の Cerebri Anatome について : 脳神経系を中心に」『日本医史学雑誌』49(1)(2003): 116-117
門田永治「Thomas Willis の Cerebri Anatome に見る中枢神経・機能発現の機序」『日本医史学雑誌』50(1)(2004): 42-43
大愛崇晴「トマス・ウィリスの「音楽的な耳」と音楽の快の知覚 : 科学革命期の英国における神経生理学と聴覚的感性」『美學』 63(1)(2012): 133-144これだけでは寂しいので、やはり『科学革命の百科事典』の参考文献を見てみます。著者は、José M. López-Pinero です。イズラーの『トマス・ウィリス 1621-1675 医師にして科学者』(1968)、著者本人のHistorical Origins of the Concept of Neurosis, Cambridge University Press, 1983、A Meyre and R. Hierons, "On Thomas Willis' Concepts of Neurophysiology," Medical History 9(1965): 1-15, 142-155. こうした文献を挙げています。
これでも寂しいですね。
George S. Rousseau, Nervous Acts: Essays on Literature, Culture and Sensibility. Palgrave, 2004
ウィキのルソー(George S. Rousseau)に関する記述は、Neil Vickers, "Literary History and the History of Neurology," History of Psychiatry 22 (2011): 498 の言葉を引用しています。「ジョージ・ルソーによる、神経学的観念の18世紀の文学的文化への移植の研究は、医学的思想の文化的同化の全体像を描くすべての試みの基準点となっている。1970年代にルソーは、新しいテーゼを提示した。18世紀の小説の出現にとって決定的に重要であった感受性のカルトは、17世紀後半オクスフォードの医師トーマス・ウィリスが行った一連の神経学の実験に予見されていた。」(これは「神経、精気、繊維――感受性の起源を求めて」(1975)を指すようです。)
ルソーはすこしだけ読んだことがあります。今回はきちんと視野に入れておく必要があるでしょう。ともあれ、ウィリスに関してはぼちぼち作業を進めます。→イズリーの『ウィリス』は、昔先輩から借りて、コピーをとったものがあります。誰かの書き込みがあります。(中村ていりさんとかそういう年輩の方だったように記憶しています。)『知の革命史4 生命思想の系譜』は、この巻だけ行方不明でした。(購入した記録はあるので、使ってどこかに置いたままにしているのでしょう。)Kenneth Dewhurst, Thomas Willis as a Physician, William Clark Memorial Library Lecture, (Los Angeles, 1964) も持っています。これはたぶん研究室においています。
→書棚のカードコーナーを見てみました。ウィリスでカードバインダーをひとつ作っています。昔勉強した記憶はあるのですが、1次資料、2次資料まで整理していたことはすっかり忘れていました。あとでまとめますが、ここでは、カードバインダーから情報をピックアップしていきます。
中村禎里「Willis とLower の生理学説:とくに心臓運動論について」『科学史研究』第2期第14巻(1975): 55-66
1985年5月23日に読んで簡単なノートを取っています。
Teiri NAKAMURA, "T. Willis' and Lower's Physiology with special reference to Theory of Heart Movement," Jap.Stud.Hist.Sci.,, 16(1977): 23-41
William F. Bynum, "The Anatomical Method, Natural Theology, and the Functions of the Brain, " ISIS, 64(1973): 445-468
1985年6月15日に読んで簡単なノートを取っています。「ウィリス中心の論文。比較解剖学と自然神学の前提=機能-構造連関説=を17世紀生理学において突き崩したのは、1)脳、2)サルの発声器官の発見(無機能の器官の存在)→この矛盾はずっと後(19世紀)まで持ち越された。」
Richard U. Meier, ""Sympathy" in the Neurophysiology of Thomas Willis," Clio Medica, 17(1982): 95-111
Donald G. Bates, "Thomas Willis and the Epidemic Fever of 1661: A Commentary," Bull. Hist. Med., 39(1965): 393-414
Ellen B. Wells, "Willis' Cerebri Anatomia: An Original Drawing," J. Hist. Med., 22(1967): 182-4場所の整理はあとからします。カードからの採録を続けます。
Walter Pagel, "Harvey and Glisson on Irritability with a note on Van Helmont," Bull. Hist. Med., 41(1967): 497-514
パーゲルの「被刺激性」に関する論文です。上記の通り、ハーヴィ、グリッソン、ファン・ヘルモントを扱っています。「生物学的一元論:物質は、死んだ不活性なものではない。内に生命を含む。生物体の組織はそれ自体生きている。刺激反応性を持つ。知性を持ち、判断する。そしてその判断(有毒か無毒か)に従って反応する。自然的知覚を持っている。」1981年9月22日に読んでカードをつけています。コメントとして「ここに書かれていることはまったく意外だった。物理学的伝統を見ていただけではおもいもよらない思想に満ち満ちている。」このカードからすれば、生気論や物活論の思想に触れたのは、パーゲルを通してだったかもしれません。ともあれ、この論文の印象は強かったようです。→カードでは一次資料の整理もしています。あった方が便利かと考え、ここにもまとめておきます。
1659 Diatribae Duae Medico-Philosophicae,London, 1659
1664 Cerebri Anatome cue Accessit Nervorum Descriptio et Usus, London, 1664
1667 Pathologiae Cerebri et Nervosi Generis Specimen, Oxford, 1667
1670 Affectionum Quae Dicuntur Hystericae et Hypochondriacae, London, 1670
1672 De Anima Brutorum Quae Hominis Vitalis ac Sensitiva Est, Oxford, 1672
1674-5 Phamaceuticae Rationalis , Oxford, 1674,75
1676 Opera Omnia, Geneva, 1676
1684 Practice of Physick, trans. by Samuel Pordage, Lodon, 1684
6時半。今日試合のあるおおきいちびと妻は起きていました。公式戦だそうです。午前中に2試合。妻は8時半試合を見に行きました。自転車で行ける場所です。朝のうちに次の本が届きました。
二宮陸雄『ガレノス 自然力』平川出版社、1998
[生物学史先行研究: Francesco Redi, 1626-1697]
Francesco Rediに関する邦語文献は、サイニーとグーグルスカラーによればどうも次のものだけのようです。
小林 満「フランチェスコ・レーデイの科学的散文の特徴 : 「バロック」との関係から」『イタリア学会誌』39(1989): 80-98, 249-250
これだけでは寂しいので、『科学革命の百科全書』を引いてみます。フィンドレンが執筆しています。これによれば基本は次です。
Ugo Viviani, Vita ed opere inedite de Francesco Redi, Arezzo, 1924
Bruno Basile, L'invenzione del vero: La letteratura scienfifica da Galileo ad Algarotti, Rome; Salerno, 1987
Paula Findlen はあとは論文を並べています。
Martha Baldwin, "The Snakestone Experiments: An Early Modern Medical Debate," ISIS 86(1995): 394-418
Paula Findlen, "Controlling the experiment: rhetoric, court patronage and the experimental method of Francesco Redi(1626-97)," History of Science, 31(1993) : 35-64
Jay Tribby, "Cooking (with) Clio and Cleo: Eloquence and Experiment in Seventeeth-Century Florence," Journal of the History of Ideas, 52(1991): 417-439[生物学史先行研究: William Harvey, 1578-1657]
ハーヴィーに関しては、古くは、中村禎里さん、月澤さんの研究があることは知っています。そして比較的若い人では、澤井直氏。中村禎里「William Harveyとその生理学説--血液循環論の成立」『科学史研究』68(1963): 145-149
中村禎里「William Harveyとその生理学説-2-」『科学史研究』69(1964): 18-25
月澤美代子「ハーヴィとデカルト―17世紀オランダにおける血液循環論の受容とカルテジアニズム」村上陽一郎編『知の革命史4 生命思想の系譜』(朝倉書店,1980):
月沢美代子「心臓優位説から血液優位説への「転換説」の再検討 -W. ハーヴィの観察, 論理とexercitatioの構成-」『科学史研究』34(194)(1995): 118-128
月沢美代子「W・ハーヴィのアナトミアと方法」『日本医史学雑誌』47(1)(2001): 33-81
月沢美代子「W. ハーヴィの精気と「問題」(I) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-I. フェルネルの超越的精気に対して」『科学史研究』36(204)(1997): 229-238
月沢美代子「ハーヴィの精気と「問題」(II) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-II. ガレノスの空気由来精気に対して」『科学史研究』37(205)(1998): 39-48
月沢美代子「ウィリアム・ハーヴィ「普遍解剖学講義」における心臓の運動の提示」『日本医史学雑誌』45(2)(1999): 180-181
月澤美代子「「17世紀生物学史」の課題と「科学革命論」」『科学史-その課題と方法-』青木書店(1987): 98-112
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの発生論『すべては卵から』」『ルネサンス研究』6(1999): 59-74
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの方法論 類推の正当化をめぐって」『日本医史学雑誌』46(3)(2000): 348-349
澤井直「ルネサンスの新しい身体観とアナトミア:西欧初期近代解剖学史の研究動向」『ミクロコスモス』 1 (2010): 348-365邦語の書物は、おそらく次です。
ハーヴェイ『動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究』暉峻 義等翻訳、岩波文庫、1961
中村禎里『血液循環の発見 : ウィリアム・ハーヴィの生涯』岩波書店、岩波新書、1977
ジョール・シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ : 血液はからだを循環する』梨本治男訳、大月書店 、2008
森優『血液循環の発見』森優、1971欧文で検索をかけると多すぎます。『科学革命の百科全書』で William Harvey をひいてみます。執筆は、ジェローム・ビルビル。文献は、ビルビルの2著、ロバート・フランクの『ハーヴィとオックスフォードの生理学者』、フレンチの『ハーヴィの自然哲学』、ケインズの『ハーヴィ伝』、パーゲルの『ハーヴィの生物学思想』、ホィトリッジの『ハーヴィと血液循環』を挙げています。
Jerome Bylebyl, William Harvey and his Age: The Professional and Social Context of the Discovery of Circulation. Baltimore: Johns Hopkins, 1979.
Robert G. Frank, Harvey and the Oxford Physiologists. Berkeley: University of California Press, 1980.
Roger French, William Harvey's Natural Philosophy, Cambridge, 1994
Geoffrey Keynes, The Life of William Harvey , Oxford, 1966
Walter Pagel, New Light on William Harvey. Basel, New York: Karger, 1975.
G. Whitteridge, William Harvey and the circulation of the blood. London: Macdonald, 1971
→ 13.1.17 ほかに。
Jerome Bylebyl, "The growth of Harvey's De motu cordis," Bulletin of the History of Medicine 47(1973): 427-470
Jerome Bylebyl, "Nutrition, Quantification and Circulation," Bulletin of the History of Medicine 51(1977): 369-85.
Jerome Bylebyl, "The School of Padua: Humanistic Medicine in the Sixteenth Century," in Health, Wealth and Mortality in the Sixteenth Century. Cambridge: Cambridge University Press, 1979.
P.W. Graham, "Harvey's De Motu Cordis: the rhetoric of science and the science of rhetoric," Journal of the History of Medicine 33 (1978): 469-76.
Charles B. Schmitt, "William Harvey and Renaissance Aristotelianism: A Consideration of the Praefatio to De Generatione Animalium (1651)," in Humanismus und Medizin, eds. Rudolf Schmitz, Gundolf Keil. Weinheim: Acta Humaniora, 1984, pp.117-138
L.Wilson, "William Harvey's Prelectiones: the performace of the body in the Renaissance theatre of anatomy," Representations 17 (1987): 62-95
ひとりで5時45分。室温9.3度。[生物学史先行研究]
一番基礎的な作業からはじめるのがよいでしょう。先行研究のリストアップを試みます。[マルピーギ]
フランソワ・デゥシュノー(Francois Duchesneau)「マルピーギ、デカルトと医機械論における認識論上の問題」(横山輝雄訳)『科学革命における理性と神秘主義』(M.L.R. ボネリ、W.R. シエイ編、村上陽一郎他訳、新曜社、1985): 68-93
永澤 六郎「マルピーギ傳追補 : 第二十八巻口繪第十二附」『動物学雑誌』28(338)(1916), 前39-前40
市川博保「Marcello Marpighi の歯に関する記述について」『松本歯学』10(1984): 56-65
伊藤 和行「マルチェッロ・マルピーギの医学論」『日本医史学雑誌』41(2)(1995): 306-307
F. Cryns, "Translation of Western Embryological Thought in the Edo Period: Tsuboi Shindo and Malpighi's Observations of Fertilized Eggs," Nichibunken Japan Review 17(2005): 55-89
サイニーとグーグルスカラーによれば、日本ではこの程度です。古典的研究は次です。
Howard Adelmann, Marcello Malpighi and the Origins of Embryology, 5 vols., Ithaca: Cornell University Press, 1966
Howard Adelmann, The Correspondence of Marcello Malpighi, 5 vols., Ithaca: Cornell University Press, 1975
Luigi Belloni, Opere scelte di Marcello Malpighi, Turin: UTET, 1967.比較的新しい論集は、次。
Domenico Bertoloni Meli, Marcello Marpighi, Anatomist and Physician, Florence, 1977
Domenico Bertoloni Meli, Mechanism, Experiment, Disease: Marcello Malpighi and Seventeenth-Century Anatomy, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2011
→最近、もっともよくマルピーギについて発表している方は、メリさんのようです。(メリさんは、ケンブリッジで学位(1988)を取っています。最初の出版物は、ライプニッツ。物理学史(力の概念)もカバーしています。現在は、インディアナの科学史科学哲学教授です。)→ Domenico Bertoloni Meli, "Early Modern Experimentation on Live Animals," Journal of the History of Biology, June 2012
Domenico Bertoloni Meli,“The Representation of Insects in the Seventeenth Century: A Comparative Approach,” Annals of Science, 67 (2010): 405-29.
Domenico Bertoloni Meli,“A Lofty Mountain, Putrefying Flesh, Styptic Water, and Germinating Seeds. Reflections on Experimental Procedures from Peérier to Redi and Beyond”, in M. Beretta, A. Clericuzio, and L.M. Principe, eds, The Accademia del Cimento and its European Context (Science History Publications, 2009), 121-34.
Domenico Bertoloni Meli,“The Collaboration between Anatomists and Mathematicians in the mid-17th Century. With a Study of Images as Experiments and Galileo’s Role in Steno’s Myology,”Early Science and Medicine, 13 (2008), 665-709.
Domenico Bertoloni Meli, “Mechanistic Pathology and Therapy in the Medical Assayer of Marcelle Malpighi,” Medical History, 51(2007): 165-180.
Domenico Bertoloni Meli,“Blood, Monsters, and Necessity in Malpighi's De polypo cordis,”Medical History, 45 (2001), 511-22.
Domenico Bertoloni Meli, “Authorship and Teamwork Around the Cimento Academy,” Early Science and Medicine, 6 (2001), 65-95.
Domenico Bertoloni Meli, “Francesco Redi e Marcello Malpighi: ricerca anatomica e pratica medica,” in W. Bernardi and L. Guerrini, eds, Francesco Redi (Firenze, Olschki, 1999), 73-86.
Domenico Bertoloni Meli, “The Archive and Consulti of Marcello Malpighi,”,Archives of the Scientific Revolution, ed. by M. Hunter (Woodbridge: The Boydell Press, 1998), 109-20.
Domenico Bertoloni Meli, “Shadows and Deceptions: from Borelli's Theoricae to the Saggi of the Cimento,”The British Journal for the History of Science, 31 (1998), 383-402.
以上、論集にはすでにもっているものもあります。→ Matthew Cob, "Malpighi, Swammerdam and the Colourful Silkworm: Replication and Visual Representation in Early Modern Science," Annals of Science 59(2002): 111-147
→Pomata, Gianna, "Malpighi and the holy body: medical experts and miraculous evidence in seventeenth-century Italy," Renaissance Studies, , 21(2007): 568-586
ひとりで6時。室温8.6度。昨日の予報では、零下まで気温が下がっているそうです。そろそろ2013年度のシラバスを用意しなければなりません。
わかる方にはわかると思いますが、2013年の大学院の授業は、初期近代における生理学・医学・生物学史を取り上げます。
人名で言えば、フランシス・ベイコン、ウィリアム・ハーヴィー、トマス・ウィリス、フランシス・グリッソン、ルネ・デカルトとデカルト派、バルトリン、ステンセン、等々といった感じになるでしょうか。場合によっては、もうすこし広くとります。
テーマとしては、ひとつはハーヴィーの発生論、リンパ菅、腺、被刺激性、醗酵論、代謝、消化、等々でしょうか。
ともあれ、古典的研究から最先端の研究までをサーベイする意欲的な目標を立てます。現実的には発表する院生諸子との兼ね合いになります。→個人的には、ハラーとビシャがとても面白いと思いました。(当然と言われれば、当然なのですが。)
ひとりで5時50分。室温10.4度。おおきいちびは膝が痛いと言いながら、朝練へ。
[グリッソン]
基本的な書物を繙くことにしました。医学史では、川喜田愛郎さんの『近代医学の史的基盤(上)』。313頁にグリッソンが取り上げられています。
「生体の重要な要素としての線維が、刺激に応じて―かならずしも神経作用を介しないでも―収縮する能力をもっていることを説き、それに「被刺激性」(irritability) の名を与えた。その被刺激性は彼によれば血液その他液性部分にも存して、生命現象の基本となるものと解された。」そのすぐ後に、ウィリスの『動物の魂について』(De anima brutorum, 1672) がほぼ2頁にわたり取り上げられています。316-7頁。
まず、ウィリスは、不死の理性的魂 (rational soul) を認める。ついで彼は、理性的魂に従属する「身体の魂または動物の魂」 (corporeal soul or soul of brutes, anima brutorum) を立てる。そして、これは人にも動物にも共通するとする。
身体の魂/動物魂は、3つに分かれる。1つめは血液の座をもつ「生命的魂」、2つめは感覚的魂、3つめは親から子に伝わり、新しい個体の形成にあずかる「生成 genital の魂」である。
(アリストテレスのアニマ論や、精気との関係等、疑問が生じる点は多いが)、実はこの書が「臨床的精神病学ともみるべき内容をもっていることは示唆にとんでいる。」
また彼は、こころのはたらきにも一種の階層が存在し、少なくともある局面においては心理学と生理学が重なりあう領域に関係すること、さらに「その種のこころのはたらきは、デカルトの考えに反して、動物にも明らかに認められることを承認せざるをえなかった。」(317頁)さらに、生理学史に関して邦語基本文献は、たぶんホールの『生命と物質』でしょう。上巻の372頁にハラーの前史としてグリッソンの被刺激性の概念が触れられています。翻訳の問題でしょうか、この部分はすぐには理解できません。
→ Walter Pagel, "Harvey, Foetal Irritability -- and Albertus Magnus," Medical History 1966, pp.409-411
ごく短いものですが、面白いポイントをついています。神経系に依存しない組織の被刺激性は、グリッソン以前にハーヴィが『動物の発生について』(1651) で明確に指摘していた。胚の原基(原始細胞)は、脳の場所には脂質の液体しかなく、血液のもののようなものしか見えない初期段階でも、針の先で突っつくと、まるで芋虫のように、曖昧な運動、収縮、ねじれを示す。
アルベルトゥス・マグヌスに先行事例があるということです。40日目の流産した胚を針の先で突くと拡張と収斂の運動を示すことを『動物について』で記述しているということです。→胚が脳や神経系の形成なく、被刺激性を示すことは、(どういう広がりがあったのかは不明ですが)すでに中世から知られていたことになります。
そうすると、明らかに脳や神経系の見えない下等動物についてどういう知見が共有されたいのかが気になります。
そもそも、どの程度の下等動物まで知られていたのか?
顕微鏡研究がはじまっていたグリッソンの時代、顕微鏡下に発見された新しい動物(レーウェンフックのいう animacula )がこうした知見にどう貢献したのか?
こういう疑問が生じます。
→ 13.1.11 とりあえずネットで調べてみました。神経系をもたない動物は、海綿動物、平板動物で、それ以外は何らかの神経系を持つそうです。
あとは雑学です。ニューロン説が証明されたのは、1955年だそうです。わおー。また、神経の電気信号の実体が細胞膜内外のナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度勾配の変化であることがわかったのが1952年ということです。ダブルヘリックス(1953年発見)と同じ頃です。夕刻次の本が届きました。
坂井建雄『人体観の歴史』岩波書店、2008
手元に基本書をおくべきだと考え、購入しました。
あとがきから一番基本となる点を抜き書きします。「古代のガレノスの解剖学は、医学史の中でしばしば語られるような未熟なものではなく、サルの解剖を自ら行い、精確に観察して書かれたものであった。一三〇〇年以上の時を越えて印刷術の時代まで伝存したのは、優れた内容を有していたからである。近代医学の祖とされるヴェサリウスの解剖学は、傑出した解剖図が注目されるのとは裏腹に、記述されている内容はガレノス解剖学の集大成というべきものであった。」(405頁。)
私は解剖学史には詳しくありませんが、これはその通りではないかと思われます。→ 13.1.11 ジャック・ロジェの『18世紀のフランス思想における生命科学』を見てみました。グリッソンも被刺激性も多くは扱われていません。
リン・ソーンダイクも見てみました。こちらもグリッソンと被刺激性はごくわずかにしか扱われていません。
ダンネマンは、どうもグリッソンを取り上げていないようです。(少なくとも索引にはなし。ハラーの「被刺激性」を扱う箇所でも、グリッソンの名前は出てこない。)
関連する箇所としては、マルピーギはきちんと押さえておかないといけないようです。
夜半に目覚めてすこし仕事。2回目の起床は7時半。意外なことにちびどもも起きていませんでした。
今日は会議の日。午前中(10時)からあります。そして午後教授会が3つ続きます。
[グリッソン]
M. Guido Giglioni, "Francis Glisson's notion of confoederatio naturae in the context of hylozoistic corpuscularianisim", Revue d'histoire des sciences, 2002, Tome 55, no.2, pp.239-262
これを読んでいたら、物活論 " hylozoisim" という言葉そのものは、カドワースが造ったとあります。初出は、『宇宙の真の叡智的体系』(1678)ということです。手元の辞書をみても、初出は1678と記されています。
カドワースによれば、「物活論的物体論者は、すべての物体がそれ自体でそのものの内に生命をもつと前提するので、お互いに調和し独立した無限の生命(すべての原子がそれ自身の生命をもつことになるので)を想定しなければならなくなり、結果、数多くの独立した第一原理があって、世界を統治するひとつの生命/知性が必要ではなくなる。」(London, 1845), I, p.147)(p.242)
ギドによれば、グリッソンの考えは、すべての物質が無意識の知覚をもつ物活論的粒子論と位置づけられます。(p.241)
また17世紀の物活論は、ルネサンスの汎感覚論(? "pansensism" 辞書にはない用語です)の後継者であり、医学的伝統から導き出された要素によっている。具体的には、カンパネッラとファン・ヘルモントの自然哲学におおきく依拠している。ギドは、この論文では、「被刺激性」の概念を扱っていませんが、次の論文でテーマとして取り上げています。サマリーを読む限り(本体はまだ入手していません)、金森さんの線に沿った論考だと思われます。
Guido Giglioni, "What Ever Happened to Francis Glisson? Albrecht Haller and the Fate of Eighteenth-Century Irritability," Science in Context 21 (2008): 465-493
→入手しました。ProQuest でダウンロードできました。大学にいる間に、フランシス・グリッソン関係のものをいくつかダウンロードしました。サイニーで検索をかけても邦語でグリッソンをテーマとするものは(簡単な伝記を除き)まだないようです。
他にもダウンロードしました。次です。
Charles Coulston Gillispie, "Physick and Philosophy: A Study of the influence of the College of Physicians of London upon the Foundation of The Royal Society," Transactions of the American Philosophical Society 96(2006): 3-26
Dominique Boury, "Irritability and Sensibility: Key Concepts in Assessing the Medeical Doctrines of Haller and Bordeu," Science in Context 21(2008): 521-535
Brian Garrett, "Vitalism and teleology in the natural philosophy of Nehemiah Grew (1641-1712)," BJHS, 36(2003): 63-81
Don Bates, (review), "English Manuscripts of Francis Glisson (1): From Anatomia hepatis (The Anatomy of the Liver), 1654 by Andrew Cunnigham," ISIS, 87(1996): 357-358
Guido Giglioni, (review), "Giuseppe Ongaro, Maurizio Rippa Bonati, and Gaetano Thiene, eds. Harvey e Padova: Atti del convegno celebratiovo del quarto centenario della laurea de William Harvey (Paduva, 21-22 novembre 2002). Padova, 2006," Bull. Hist. Med. 83(2009): 397-8.
ギドは、このイタリアのパドヴァで開かれた記念論集のキーノートとなっている古い史観、古い伝説への回帰に対して、辛辣な批判を行っています。俗語ではけちょんけちょんです。都合がよいので、ここ数日の間にダウンロードしたファイルをリストアップしておきます。
John Sutton, "Soul and Body in Seventeenth-Century British Philosophy," in Peter Anstey, ed., The Oxford Handbook of British Philosophy in the Seventeenth Century
Mi Gyung Kim, "The Analytic Ideal of Chemical Elements: Robert Boyle and the French Didactic Tradition of Chemistry," Science in Context 14(2001): 361-395
夜半に目覚めてすこし仕事。夜起きていたせいで、起床は遅れて、7時15分。朝練のあるおおきいちびはもう出かけていました。小学1年生は朝食の最中。ちいさいちびはまだ起きてきていませんでした。
子どもたちは本日からスタートです。
夕刻、次の本が届きました。
根占献一+伊藤博明+伊藤和行+加藤守通『イタリアルネサンスの霊魂論』三元社、1995
フィチーノ、ピコ、ポンポナッツィ、ブルーノの原点テキスト部分訳[本邦初訳]付き、とあります。[被刺激性=刺激感応性]
10日からの作業の続きで次の論文を読みました。
金森修「刺激感応性― ある生理学的概念の運命― 」『科学的思考の考古学』人文書院、2004 年、209-229 頁。
グリッソン(Francis Glisson, 1596-1677) の被刺激性=刺激感応性 irritabilityの概念について、その誕生から、成長、衰退の生命史をサーベイしています。結論の一部だけを引用します。「刺激感応性概念は、実は唯物論的生理学の推進にとり格好の口実となるという、逆説的運命を辿ることになる。生誕の時点では物活論的だったはずの、或るひとつの概念。それは歴史のなかで紆余曲折を経て、いまや感受性をも一種の分子的反応に還元する唯物論へと、その姿を変えるのである。」
実は、ジョン・ヘンリーも、唯心論が物活論へ、物活論が唯物論への相互転換する思想の局面を扱っています。霊魂や精気の概念史をたどると、こうした局面にいくつかの場所で出会うことになります。→13.1.10 もうすこし具体的な部分を引用しましょう。
211頁。グリッソンは『力動的実体の性質に関する論考』(1672)で、すべての物体に生命つまり運動を付与した。<自然的生命>と呼びうるすべての実体、すなわち自存するすべての実体は、ある種の生命特性をもつ。具体的には、知覚的、食欲的、運動的という3つの第一能力を有する。
ひとりで4時45分、室温10.0度。今日と明日が卒論&修論の提出日です。学生諸君はわすれずに提出してください。
私は今日から大学で人と会う仕事を始めます。(授業開始は、1月11日からです。)
→医科歯科の先生方がリレー形式の集中講義に来てくれます。外語側の世話役は西谷先生ですが、西谷先生が定年されたあとは私が引き継ぐ約束になっています。医科歯科の責任者の方おふたりにご挨拶しておこうということで、10時頃家をでました。
空いた時間は研究室の片づけを行います。
11時半に西谷先生の部屋を尋ねました。話をしているうちに2限担当の河原先生が見えました。西谷先生の提案によりそのまま駅前の蕎麦屋さんへ。駅で河原先生を見送ってから、102教室の前で高瀬先生を待ちました。簡単に挨拶をして、高瀬先生は2コマ連続の講義。我々は一度自分の部屋に戻りました。2コマ終了後すこし話をしておこうという西谷先生の提案により、4時40分頃西谷先生の部屋を尋ね、102教室に高瀬先生を迎えに行きました。高瀬先生は、とても元気な方です。教室の外まで講義の声が聞こえます。(外大の今のキャンパスは、防音に気を配っていて、音はほとんど漏れません。)
講義が終わってから大学院共同研究室へ。思わぬ話の展開になり、ほぼ6時前まで。私たちが普段接することのない世界の話を伺いました。非常に興味深い内容でした。
ひとりで6時40分、室温7.9度。おおきいちびは午前中に部活。ちいさいちびはおともだちと原宿へ。妻が連れていきます。私と小学一年生がお留守番。
ちいさいちびは西荻に帰ってきてからカラオケの予定でしたが、お腹が痛くなって離脱。代わりに小学1年生がママとカラオケに。午前中に次の2冊の本が届きました。
[動物の霊魂]
金森修『ゴーレムの生命論』平凡社新書、2010イブン・シーナー『魂について:治癒の書 自然学第六篇』木下雄介訳、知泉書館、2012。
短いものですが、冒頭に山内志朗さんの解説「イブン・シーナー『魂について』をめぐる思想史的地図」が置かれています。pp.vii-xvvii
「『デ・アニマ』は、霊魂論または心理学に属する本であるように思われる。アニマを霊魂・心と捉えれば、心理学に相当するものを期待するし、アニマを生命原理と考えれば、生命論が生物学を期待するであろう。しかし、『デ・アニマ』の内容は、認識論という整理が無難であろう。感覚認識と知性認識が扱われているからである。さらに限定すれば、認識能力論である、後代の言い方では能力心理学と言ってもよい。」(p.xii)
であるとすれば、いくらか短絡的に言えば、現在の哲学の正統な系譜は、17世紀までは『デ・アニマ』に遡ると言えます。昨日寝る前から今朝にかけて次の金森さんの論文を読みました。
金森修「<動物霊魂論>の境位―或る言説空間の衰退と消滅」『合理性の考古学』(金森修編、東京大学出版会、2012), pp.93-176
結論から引用します。「以上、主に一八世紀に<動物霊魂論>の緩慢な衰退の様相を具体的に辿ってきた。動物の文化的表象の歴史や、動物観の歴史的変遷、<動物機械論>の受容史などについては、・・・などの古典が既に存在する。本章で行ったのは、これらの古典に本当の意味で新たな知見を加えるというよりは、それらをベースにして、高名な<動物機械論>の陰でそれと表裏一体のような形で存在していた<動物霊魂論>に焦点をあててみるというささやかな作業にすぎなかった。」(p.155)牛乳とポカリを買いに出たついでに、次の本を買ってきました。
金森修『動物に魂はあるのか:生命を見つめる哲学』中公新書、2012
読み始めました。金森さんは、アリストテレスの『霊魂論』について、それは「生物学・生理学・心理学を混ぜ合わせたような関心領域を、抽象的に統合し、概観した一種の基礎論である」(p.20)と規定されます。そして、アリストテレスでは『霊魂論』をまず読んでみて欲しいと書かれています。→先に私の関心を明示しておきます。アリストテレスの魂の3階層説、植物魂、動物魂、理性魂のうち、生物の霊魂(植物魂、動物魂)の働き・機能を生物において追求した研究にはどういうものがあり、どういう内容であったか、というものです。生物学、生理学、医学の歴史が関係します。
この問題関心からすれば、金森さんの論文と著作は、中心を射抜くものではありますが、生物の霊魂の働き・機能の(いわば)科学的研究には触れていません。
もちろん、19世紀に「生物学」が成立したあとは、上の問題設定から単純に「霊魂」は主流においてはなくなったと考えてよいでしょう。(具体的にどうなったかは調べていないのでわかりません。)医学的領域が関わると、もちろん、アリストテレスの系譜だけではなく、ガレノスとその系譜も見る必要があります。
本棚に眠っていた二宮陸雄『ガレノス 霊魂の解剖学』(平川出版社、1993)を取り出してみました。私にこの著作を正確に評価する力はありませんが、とても貴重な仕事だと思われます。関連する箇所を抜き書きしてみましょう。
472頁。植物的魂。「感覚と随意運動は動物に特有なもので、一方成長と栄養(代謝の意)は植物にも共通している。したがって、前者を霊魂(プシケ)の表われ、後者を自然力(ピシス)の表われとみることができる。われわれが言おうとしているのは、動物が霊魂と自然力の両者の支配を受けており、植物は自然力だけの支配を受け、したがって成長と栄養は自然力の表われであって霊魂のそれではないということである。」
472-3頁。「人によっては植物にも霊魂を認める者もあり、これを植物性の魂と呼んで感覚性の魂と対比させているが、言っていることは同じで、用語がふつうと少し変わっているだけである」
明白な評価です。アリストテレスが植物魂の働きとしたものは、ガレノスにおいては自然の働きと位置づけられた、ということです。253頁。植物的魂から動物的魂へ。アリストテレス『動物発生論』第2巻第4章終わり。「成体の動物や植物では、栄養的霊魂は熱と冷とを道具にして、栄養を用いて成長を行なう。それと同じように、最初の産物(胚子)を形成する。成長のための質料と、最初に生物が形成される時に用いる質料は同じである。したがって、栄養的霊魂は生殖的霊魂でもある。霊魂のこの部分は、個体の本性であり、動物にも植物にもすべて内在する。」「しかし、霊魂のその他の部分(すなわち感覚的霊魂と思考的霊魂)はあるものには存在するが、あるものには存在しない。」
→簡単にわかるように、ガレノスの栄養的霊魂がアリストテレスの植物的霊魂です。どうように、感覚的霊魂が動物的霊魂、思考的霊魂が人間的霊魂となります。
→434頁。プラトンの霊魂3分説にも言及されます。「アリストテレスの運動概念とプラトンの霊魂3分説に基づき、運動を3つに分け、動物の随意運動(と知覚)、動物の不随意運動、そして動物と植物に共通の栄養運動を区別しているのです。そしてこれを統御する霊魂部分として、随意運動には理性的部分を、不随部分には欲望的部分を、栄養運動には「自然力」を当てたのです。」
→551頁。精気システムについて。「ガレノスは、ヒポクラテス学派と違って、数段進んだ解剖学の知識と生理学概念を持っていたので、その知識を総合して体系化するために、空気自体よりも、知性を賦与された霊気とか精気を考えたのです。そしてそれが肺から入って脳に行く途中の段階で、空気が精気に変わる転換過程を考え出します。その際、ヒポクラテスも抱いていた血液の熱い性質が空気で冷却されるという考えから一段と発展して、心臓左心室にある内在熱と肺静脈から来る空気の力で、心室中隔の細孔からしみ出してくる血液の中の自然精気が生命精気に変質され、これが脳に行って霊的精気になって全身に送られる、という一大精気システムを構築したのです。」
そして、二宮さんは、精気(プネウマ、霊気)概念がいつ誰によって導入されたのか、ギリシャ古代哲学を振り返っても、よくわからないと書かれます。430頁。精気は、霊魂の第1の道具である。「霊魂の実体が何であれ、霊魂は脳の実体の中に棲んでおり、動物の全感覚と随意運動のための霊魂の主要な道具(第一手段)はこのプネウマであると想定した方がよい。」
431頁。「動脈内のプネウマは生命精気(プネウマ・ゾーチコン)と呼ばれ、脳内のプネウマは精神精気(プネウマ・プシコン)と呼ばれる。それは実体であるという意味ではなく、その実体が何であろうと、脳内に棲む霊魂の主要な道具(第一手段)であるという意味からである。生命精気は、吸気と体液の気化からその生成材料を得て、動脈と心臓の中で生じ、その生命精気の一層の精錬により精神精気は変成されるのである」→13.1.8 以上に関連して、私の脳裏にあるのは、ジョン・ヘンリーの研究です。今はほとんど使われない用語ですが、17世紀の"Pneumatology"(「霊魂論」と訳しておけばよいかと思います)で同様の問題が扱われています。
具体的には次の研究です。
Henry, J. (1987) ‘Medicine and Pneumatology: Henry More, Richard Baxter, and Francis Glisson's Treatise on the Energetic Nature of Substance’. Medical History 31: 15-40.
一番関連する部分をまず引用しましょう。p.21 グリッソンの立場は、動物における実体としての霊魂の存在を否定することに繋がった。ただし、そのことは同時代においてまったくの例外というわけではない。デカルト主義が「動物の霊魂」の存在を否定したことは有名であるし、ウォルター・チャールトンやトーマス・ウィリスのようなガッサンディ主義者は「動物の霊魂」を微細な物質的原理と見なした。次にもっとも関連するであろうジョン・ヘンリーの論文は次です。
Henry, J. (1989) ‘The Matter of Souls: Medical Theory and Theology in Seventeenth-Century England’, in R.K. French and A. Wear (eds), The Medical Revolution of the Seventeenth Century. Cambridge: Cambridge University Press, 87-113.いくらか関連する内容を含むであろうジョン・ヘンリーの論文は次です。
Henry, J. (1982) ‘Atomism and Eschatology: Catholicism and Natural Philosophy in the Interregnum’. British Journal for the History of Science 15: 211-239.
Henry, J. (1986) ‘Occult Qualities and the Experimental Philosophy: Active Principles in pre- Newtonian Matter Theory’. History of Science 24: 335-381.
Henry, J. (1986) ‘A Cambridge Platonist's Materialism: Henry More and the Concept of Soul’. Journal of the Warburg and Courtauld Institutes 49: 172-195.
Henry, J. (2009) ‘Sir Kenelm Digby, Recusant Philosopher’, in G.A.J. Rogers et al (eds), Insiders and Outsiders in 17th-Century Philosophy. London: Routledge, 43-75.
ひとりで7時5分、室温7.5度。昨日は寒かった。今日はもっと寒いということです。8時半現在まだだれも降りてきません。起きた気配はあります。気温が下がると人間にも冬眠に近い現象が生じるのでしょうか。
おおきいちびは昨日と同じく、午後部活。
ちいさいちびはマカロンに再挑戦。マカロンは時間がかかります。午前中につくって、数時間乾かしてからオーブンに。できあがりは夕方になっていました。これまでで一番よくできたということです。
おおきいちびのたっての希望で、私はまた黒砂糖餅つき。朝しかけて、やはり夕刻に餅つき器にかけました。
ひとりで6時20分、室温8.6度。夜のうちに寒くなったように感じます。
ちいさいちびを除き、8時前後で降りてきました。おおきいちびは部活の練習開始日。12時からはじめるということで、早めに昼食をとり、11時半過ぎに出ていきました。
年を越した仕事に着手しました。いくらか進めましたが、難しい問題にぶつかってそこで一度止まりました。ずっと止めることもできないので、他の方々にも相談し、期日までに形をつけたいと思います。
ひとりで4時40分、室温12.3度。[科学史学会]
昨日帰り着くと、日本科学史学会の封筒が届いていました。シンクの洗い物をすませてから開封すると次のものが入っていました。
1.年会費の郵便振替票
2.東京大学出版会 新刊のご案内
橋本毅彦『飛行機の誕生と空気力学の形成:国家的研究開発の起源をもとめて』(東京大学出版会、2012年9月)ならびに冨田信之『ロシア宇宙開発史』(東京大学出版会、2012年8月)
3.科学史通信、2012年 No.412(2012.12.28)
選挙結果が掲載されています。会長には立候補がなく、再選挙となったとあります。開票が5月21日とあります。その開票結果を、5月25日(土)、日大商学部(世田谷区砧)で開かれる日本科学史学会総会・第60回年会の席上で公表するということです。つまり、しばらく会長不在が続くことになります。→いったいどうなっているのだろうと思い、日本科学史学会の選挙細則をウェブで捜し出し読んでみました。役員の任期は、選挙施行後の最初の総会から、次次回の総会までとする、とありました。そうであれば、会長不在とはなりません。道家さんの任期が5月の総会まで続くことになります。
個人的には、会計年度や暦年度にあわせた方が便利だと思いますが、こういう総会から総会までという任期の切り方もあることにはじめて気づきました。普段、役員人事のことなどほとんど気にしていないことがばれてしまいます。
4.『科学史研究』第51巻(2012年冬)、 No.264
ひとりで5時20分、室温10.1度。
7時40分現在、まだ誰も下に降りてきていません。[家族総出のアイススケート]
今日はアイススケートに連れていくことになっています。赤坂サカスになると思います。→昨日は行かないと言っていた小学1年生も行くと言いました。というわけで家族揃って赤坂サカスのスケートリンクにでかけることになりました。
ルートは、原宿で降りて、少し歩き地下鉄に乗り換えるのが一番便利ですが、今日はまだ初詣の人々で大混雑しているでしょう。最初から地下鉄を使うことにしました。東西線で大手町、それから千代田線で赤坂まで。
ついたら11時半ぐらい。おおきいちびがお腹が空いた、ラーメンが食べたいと言います。仕方がないので、隣のビルで中華料理屋さんを捜しました。ラーメン2杯、餃子2皿、杏仁豆腐1皿。ちびどもは各自ラーメンを完食。
ちびどもは何度も来てもう慣れています。小学1年生は自分で係の人にエッジが2本の靴をお願いしますと言いました。
私と妻は座席で見学。日射しがなくなった頃から風が吹いて、相当に寒い。寒風に耐えながら、3時間弱。最初の頃はもたもたしていた小学1年生ですが、途中から慣れて、氷の上を走っていました。1時を過ぎてからは、お客さんもどんどん集まり、にぎやかなスケート場となりました。
3時半で切り上げることにしました。大手町のひとつ前は竹橋。実は、おおきいちびの中学の宿題に美術館に行って作文を書くというのがあります。3つ指定されていて、その一つが竹橋の東京国立近代美術館の「美術にぶるっ!」展です。もう一度来るよりも便利ということでおおきいちびに聞くと、行くと言います。ということで帰りは2グループに分かれました。
私とおおきいちびはもと来たルートを戻って竹橋へ。残りは、すぐに丸の内線に乗り換えて帰途。東京国立近代美術館は駅を出るとすぐにわかりました。たぶん着いて4時。ちいさいちびに学生証はと聞くと持っていないと言います。窓口の方にそういうとわかりましたということで対応してくれました。私は国立大学の職員証で団体割引になります。900円。(キャンパスメンバーズ一般という枠です。)1月2日なのにけっこう人が来ています。おおきいちびは具象画しか見ようとしません。具象画のなかでも人物は関心がないようです。風景画とものの描かれたものだけを見ています。
美術の教科書に載っているような有名な絵もけっこう多く展示されています。なかなかおもしろい展覧会だと私は思いましたが、おおきいちびは数カ所でメモをとってあとは図録を見てやると言います。図録を買ってやることになりました。2300円。
もういいというので、そのままでました。部活でランニングをしておきなさいと言われたのが気になっているようです。皇居のまわりをランニングしている人たちに触発されて、私もここでランニングしたいと言います。とりあえず、橋のところまで歩いてみました。皇居そのものは閉まっていました。
お腹も空いてきたので、今日はこれにて帰宅。帰り着くと、ちいさいちびと小学1年生は床暖房の上でごろごろしていました。とくに小学1年生ははしゃぎすぎたのでしょう。疲れていました。
ひとりで6時55分、室温10.6度。好天。2013年のお正月です。小学1年生は12時前、ちびどもは12時過ぎまで起きていたので、8時前に下に降りてくることはないでしょう。おおきいちびは9時15分前、小学1年生は9時過ぎ、そしてちいさいちびはまだ起きてきません。→ちいさいちびは9時45分に起きてきました。
昼食後、ちびどもはママに連れてもらって、カラオケに。小学1年生は、ついていかず、昨日からまたはまってしまったゲームをやっています。
しらばくしてから、昨日買ってきた材料でお菓子つくり。その後私は白餅を5合つきました。
ちびどもは3時間歌ってから帰ってきました。おおきいちびと妻はそのまま初詣に。
2012年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2011年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2010年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2009年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2008年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
春休み
3月
2月
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2006年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2004年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
7月~8月
5月~6月
3月~4月
1月~2月
2001年
11月~12月
9月~10月
7月~8月
5月~6月
3月~4月
1月~2月
2000年
11月~12月
9月~10月
7月~8月
6月
4月~5月
1月~4月
1999年
10月~12月
6月~9月
4月~5月
1月~3月
1998年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
春(1月から5月)
1997年
97年度
最初のページ=
HomePageに戻る。