ひとりで6時40分、室温15.4度。予報によれば金曜日に冬が来るそうです。前触れでしょうか。気温がうんと下がりました。
7時をすぎても誰も下に来ません。珍しい朝です。3限の時間帯に会議。私が司会をします。資料も用意して臨みました。大きな案件はなかったので、1時間以内で終了しました。
ひとりで4時40分、室温17.3度。4限に基礎演習の5回目。
その後打ち合わせ。
午前中は自宅で基礎演習の準備。そして、基礎演習が終わったあとは、pdf 化の作業を行い、その後打ち合わせで6時ぐらいまで。まったく余裕がなくなります。
ひとりで5時15分、室温17.6度。昨日降っていた雨は上がっています。
おおきいちびは朝練に行くということです。→おおきいちびが出かける頃には晴れてきました。すこしはやめに大学に行くことにしました。まず図書館で ILL で届いている次の2点を受け取りました。
Douglas McKie, "John Harris and his Lexicon Technicum," Endeavour, 4(1945), 53-57
Douglas McKie, "Macquer, the First Lexicographer of Chemistry," Endeavour, 16(1957), 133-136
Endeavourはオリジナルな科学史の論文を掲載する雑誌ではないようです。4頁程度で掲げられたテーマに関する基本的な事柄を紹介する記事です。古いものですし、表面的な記述であることは仕方がありませんが、辞書的な記述として古い時代にはこう位置づけられていたという資料として使うことができます。研究室ですこし片づけをしてから、今度は大学院係に行き、書類を2点受け取ってから、生協へ。昼休みになる前に昼食です。
その後図書館に行って次の論文のコピーを取りました。
鷲見洋一「『百科全書』 第一趣意書の重要性 : チェンバーズ問題解明のために」『(慶応大学)藝文研究』77 (1999), 334-318*,
334-318* という不思議な表示は、雑誌そのものは日本語組(右からめくっている)だが、一部左からめくっていくという構成になっています。その左組を示す記号です。一休みしてから授業。
ひとりで6時30分、室温17.6度。全員がのんびりできる珍しい朝です。10時前後から雨が降り始めました。小雨ですが、今日はこのままどんよりとした天気のようです。
お昼過ぎ、雨は一度止みましたが、日が暮れる頃にはまた降り始めました。夜に雨量があるようです。朝方に喪中葉書が届きました。郵便局のネット販売サイトで妻に発注を頼んでいたものです。まだ喪中葉書の第1号は受け取っていません。第1号を受け取ってから着手しようと思っています。
朝方に次の本が届きました。
フランコ・ヴェントゥーリ『百科全書の起源』大津真作訳、法政大学出版局、1979
所持している本のリストは作成していますが、完全ではありません。もしかしたら2冊目かもしれません。1冊あれば足りるので捜すことはしません。どこかで2冊目に出会うかもしれません。[王立協会『哲学紀要』縮約版]
訳あって、王立協会『哲学紀要』縮約版を調べています。
John Lowthorp (ed.), The Philosophical Transactions and Collections to the End of the Year MDCC, Abridg'd, and Disposed Under General Heads, 3 vols., London, 1705
これは別の人の手が加わって、このあとも続きます。私の研究には、1700年までの『哲学紀要』を整理し縮約してくれているこの3巻が有用です。「一般項目の下に配列された」というのは、簡単にはテーマごとにまとめたという意味です。
『哲学紀要』は雑誌なので、通読には向きません。一定の期間でテーマごとにまとめてもらえると、その時代の知識の状況を知るのにとても有用なものとなります。
ちなみに、第1巻は「数学」を集めています。ニュートンの言葉が最初から踊っています。第2巻は、自然学関係(もとのことばでは、"All the Physiological Papers")を集めています。第1章が自然学で「気象学」と「気学」。第2章が「水文学」。第3章が「鉱物学」です。内容的には地質学を多く含みます。第4章が「磁石」。
第3巻は、2部からなります。第1部は、解剖学、医学、化学。第2部は、古典文献学と雑多です。第1部第1章は「解剖学と内科学」です。第9章は「薬学と化学」です。第2部第3章が「航海記」。pp.533-634. 省略したリストを見る限り、「自然誌」はここに含まれています。第4章が雑多な論考。pp.634-688.
( p.689 からノンブルなしでインデックスが始まります。採録された論考の目次が一番ですが、索引は索引で役に立ちます。)それぞれの章末には、再録しなかったもののリストが挙げられています。これはこれで有用です。とくに本の紹介は縮約版には再録されていないので、省略された紹介リストによって、『哲学紀要』で取り上げられた本がわかります。(分類は、完璧ではないので、関連領域を見る必要はありますが。)
→ 12.10.29 (省略リストだけではなく)18世紀初頭の書物に期待しても仕方がないのですが、採録論文のリストも作っておいてもらえるとありがたかった。こういうのは自分で頑張るしかありません。
私に関係する部分から少しずつ着手しておきます。まずは、化学。第3巻第1部第9章。pp.312-371
I. Dr. Lister, "Three Queries relating to the Entalia, Dentalia, Blatta by Mr. Sam. Dale Answer'd by Fr. Lister," No.197, p.641
II. Mr. Wil. Clerk, "Stones in Several Animals," No.150, p.99
III. Dr. J. Beale, "Cold Distillations," No. 56, p.1140
IV. Dr. Joel Langelot, "The great use of Digestion, Fermentation, and Triture," No. 87, p. 5052
V. Dr. Dav. von der Becke, "The Volatilization of Salt of Tartar Elucidated," No. 92, p. 5185
VI. P. Fr. Lana, "An Odd Salt Extracted out of a Metallic Substance," No. 79, p. 3060
VII. Dr. Dan. Cox, "Volatile Salt and Spirit extracted all sorts of Plants," No. 100, p. 7002; No.101, p. 4.
VIII. Dr. Dan. Cox, "No Alcalizate Salt in any Subject before the Action of Fire upon it," No. 107, p.150.
IX. S. Fr. Redi, "Vegetable Salts Extracted," No. 243, p. 281.
X. M. Homberg, "To find the Exact Quantity of Volatile Acid Salts contain'd in Acid Spirit," No. 262, p. 532.
XI. Mr. Oldenburg, "Four sorts of Factitious Shining Substances," No. 135, p. 867.
XII. "The Bononian Phosphore lost," No. 21, p. 375; No. 134, p. 842.
XIII. Mr. Robert Boyle, "A Phosphorus," No. 196, p. 583.
XIV. Joh. Chr. Sturmius, "An Account of Dr. Kunkel's Phosphores," Ph.Col. No. 2, p. 2.
XV. Dr. Fred. Slare, "Experiments with the Liquid and Solid Phosphorus," Ph. Col. No. 3, P. 48; No.4, p. 84; No. 150, p. 189
XVI. Heer Mich. Behm, "Some Chymical and Medical Observations," No. 34, p. 650.
XVII. Dr. Fred. Slare, "Chymical Experiments", No. 150, p. 291.
XVIII. Dr. Fred. Slare, No. 213, p. 800; p.201; p.202; p.212; p.213
XIX. Mr. Edw. Coles, "A Clear Sulphureous Spirit, which being mixt with a Volatile Alkali gives a Red Colour," No. 228, p. 542.
XX. M. Geoffroy, "Two Clear Inflammable Liquors which being Mixt give a Carnation Colour," No. 249, p. 43.
XXI. Mr. Robert Boyle, "A strange Self-Moving Liquor," No. 176, p. 1183.
XXII. A Paper of less General Use Omitted.
XXIII. Accounts of Books, Omittes.第9章は、以上の23節からなります。フランスの化学アカデミーでも見られるような化学研究の専門化が進んでいることが伺われます。新発見の物質、“燐”に関して報告が続いていることもその点に関して興味深い。(ブラントが1674/5年頃、「暗闇で美しい光を放つ」白色ろう状物質を発見した。この冷光を友人から教えてもらったクンケルが自分の発見だと称した。クラフト、ライプニッツ、ボイルが燐を研究した。)
フランスの科学アカデミーの化学者、ホンベルク、ジョフロワの論考があること、ボイルの弟子筋のダニエル・コックスやフレデリック・スレアの名前も著者として目立ちます。
ひとりで4時15分、室温19.2度。今月はこの時点で100枚を超えました。
今日は午後ちいさいちびの大縄大会が高円寺であります。クラスから5人参加すると言っていました。妻がアテンドします。おおきいちびは疲労骨折を抱えたままバスケの部活。小学1年生と私が家に残ります。もしかしたらどこかに行きたがるかもしれません。
朝、おおきいちびはママといっしょに整骨医に行ってきました。練習を休んだ方がよいと言われました。本人はそれでも行きたがったのですが、説得して休ませました。三井のようになるぞ! 午後はそのかわりにひとりで美容院に行くことにしたようです。2007年10月17日に初期近代の百科全書、百科事典的著作に関するサイニーの検索結果を示しています。もう一度検索してみましたが、ほとんど状況は変わりません。日本語の研究(日本での研究)はほとんど存在しません。
ただし、『百科全書』に関する研究はかなりあります。
数が多いので、徐々に作業を進めます。清瀬卓「『鑑』 : 中世百科全書研究ノート」 『イタリア学会誌』31 (1982), 116-127
小関武史「『百科全書』地理項目の典拠を求めて:ディドロによる四つの事典の利用」『『百科全書』・啓蒙研究論集』1 (2012), 95-114,
小関武史「『百科全書』研究にとっての典拠調査の意義」『一橋論叢』 123(4)(2000), 704-718逸見龍生「『百科全書』 第一巻ディドロ寄稿項目における 『王立科学アカデミー概要および論文集』 典拠 」『人文科學研究』(新潟大学) 92(1996), left 49-70
逸見龍生「『百科全書』前史におけるジェームズ『医学総合事典』」『人文科学研究』 129(2011), T43-69
逸見龍生「書物としての『百科全書』 : 18世紀ヨーロッパ『百科全書』異本ネットワーク」『欧米の言語・社会・文化』12(2006), right 1-18
逸見龍生「ディドロ執筆項目「『霊魂』補遺」:『百科全書』本文校訂の試み」『藝文研究』91 (2006), 284-263
逸見龍生「『百科全書』を読む : 本文研究の概観と展望」『欧米の言語・社会・文化』 11(2005), 39-92これらは1点を除き pdf で簡単にゲットできます。ゲットできたものは目を通しました/通します。
逸見さんの 「『百科全書』を読む」をプリントしていたら、70頁すぎでプリンターが止まりました。トナー切れの表示。今年の6月10日に届いたばかりですが、4ヶ月ちょいでトナー交換となりました。いろいろプリントしているものが多いせいです。トナーはもう切れそうかと思い、1週間ほど前に購入していました。
研究の出発点としては、逸見さんの「『百科全書』を読む : 本文研究の概観と展望」がちょうどよいと思います。まだまだただの印象ですが、 Chambers' Cyclopaediaにしてもきちんとは読まれていない、分析されていないと思われます。
そもそもハリスが依拠したとされるトゥルヌフォール Joseph Pitton de Tournefort, 1656-1708 も調べてみようと思います。
ひとりで6時半、室温16.4度。昨日と比べて、1.1度下がっています。順調に気温が低下しています。小学校の学校公開日(昔の参観日)。妻がひとりで小学1年生の部屋とちいさいちびの部屋を見て回ってきました。小学1年生は張り切って勉強・運動していたそうです。
[ハリス『技術事典』再訪]
ここしばらくハリスの『技術事典』を調べなおしています。標準的な研究は読んでおこうと思い、次のものをずっと捜していました。
Frank A. Kafker (ed.)
Notable encyclopedias of the seventeenth and eighteenth centuries : nine predecessors of the Encyclopedie
Oxford : Voltaire Foundation, 1981
2007年に借りた記憶があります。コピーをとった記憶もあります。私の部屋を捜すのは、(涙目)となるので避けていたのですが、まあ仕方がないかと夕方になってから地面を捜索しました。割とすぐに見つかりました。
まず次を読みました。
L. E. Bradshaw, "John Harris's Lexicon Technicum, " Frank A. Kafker (ed.), Notable encyclopedias of the seventeenth and eighteenth centuries : nine predecessors of the Encyclopedie (Oxford : Voltaire Foundation, 1981): 107-121.
Very Good とは言えませんが、基本的な情報をまとめてくれています。私が調べてようと思っている点は触れていません。ですから、ちょうどよい。次には同じ著者によるチェンバース。
L. E. Bradshaw, "Ephraim Chambers' Cyclopaedia, " Frank A. Kafker (ed.), Notable encyclopedias of the seventeenth and eighteenth centuries : nine predecessors of the Encyclopedie (Oxford : Voltaire Foundation, 1981): 123-140.
基本的な特徴をまとめてくれています。最初に読むものとしてはこれでよいでしょう。次の論文も入手して読む必要があるようです。
Geoffrey Bowles, "John Harris and the Powers of Matter," Ambix, 22 (1975), 21-38.
Arthur Hughes, "Science in English Encyclopaedias, 1704-1875," Annals of Science77(1951), 340-370; 8(1952), 323-367; 9(1953), 233-264; 11(1955), 74-92.
アーサー・ヒューズの論文は本になっているようですが、日本の図書館では所在を確認できません。さっかくなのでチェンバースの『百科事典』も見てみました。今は、グーグルブックで簡単に実物を読むことができます。
整理ということでは、ハリスよりもずっときちんと整理されてきています。ハリスのような乱雑さはもうあまりありません。科学史の観点からは、チェンバースはとても面白い。学説史を古代からフォローしています。大陸の研究もハリスよりずっと広くリサーチして使っています。→ 12.10.27 チェンバースの『サイクロペディア』のフルタイトルを示しておきましょう
Cyclopaedia, or, an Universal Dictionary of Arts and Sciences: Containing the Definitions of the Terms, and Accounts of the Things Signify'd Thereby, in the Several Arts, both Liberal and Mechanical, and the Several Sciences, Human and Divine: the Figures, Kinds, Properties, Productions, Preparations, and Uses, of Things Natural and Artificial; the Rise, Progress, and State of Things Ecclesiastical, Civil, Military, and Commercial: with the Several Systems, Sects, Opinions, etc; among Philosophers, Divines, Mathematicians, Physicians, Antiquaries, Criticks, etc.: The Whole Intended as a Course of Ancient and Modern Learning.
『サイクロペディア、すなわち、技芸と学術に関する普遍辞書。自由学芸と機械的技術並びに人間的学術と神的学における用語の定義とその用語の意味する事物を説明を含む。自然的事物と人工的事物の形態、種類、性質、製法、用途の説明、教会組織、市民的事項、軍事的事柄、商業的事物の勃興、進歩、現状の説明を含む。哲学者における、神学者における、数学者における、医師における、古物学における、批評家における説明の体系、セクト、見解も説明する。全体として古代と近代の学問の教程となろう。』
こなれた訳ではないかもしれませんが、科学史的観点を含む、学説史をきちんと扱おうという意図は読めると思います。
ひとりで5時半、室温17.4度。昨日と比べて、0.7度下がっています。
朝練のあるおおきいちびと妻は起きていました。3限4限5限の授業。
ひとりで5時半、室温18.1度。昨日と比べて2度以上低い。すこし寒く感じます。めだかは死なないのかと思っていたら、数日前に1匹が水槽の底に沈んでいました。その後、数匹が続きました。水温の低下が原因ではないかと考えています。面倒くさくて放置していましたが、小学1年生が気にかけたので、小学1年生がでかける前に死んでいるのをホースで外に出してやりました。ついでに水を3分の1程入れ替えます。
会議の日。3限4限の時間帯にあります。
[ハリス『技術事典』第2巻]
ハリスの『技術事典』第2巻(1710) ですが、よく見るとなかなか不思議です。
序文を読んでみると、第1巻は出版(1704)を数年延ばすよりも不完全な形でも出した方がよいと判断して出版した。この分野の発展ははやく、その後付け加えられた知見、第1巻には盛り込むことができなかった知見を「重複は避けて」まとめたものが第2巻だということです。急いだせいでしょうか、第1巻よりもかなり乱雑で一貫性の点で弱いと言えます。(逆にそうした点が歴史資料としては興味深い。)最初に収録されているのは、ニュートンの「酸の本性について」のラテン語原文とその英訳です。これが第2巻を象徴しています。
その後は、項目がアルファベット順に a から z まで続きますが、そのまま再録した部分が目立ちます。
巻末には、まず本のカタログがあり(2頁)、次いで「対数表」(ノンブル付きで44頁)、「対数表の使い方についての説明」(ノンブルなしで10頁)、「三角関数の数表(サイン、タンジェント、セカント)」(新しいノンブルで120頁)、「イーブリンによる動脈と静脈の図と説明」(ノンブルなし)、「船の図と部分の名前」(ノンブルなし)、「ジョン・ローリーによる新しい6分儀の説明」(ノンブルなし)、そして最後に「両巻のアルファベット順索引」となっています。
本文中でも目立つのは、ニュートンからの再録です。
私に関連するところでは、英国のデ・レ・メタリカと呼べる箇所があります。塩、明礬、緑礬、ヴィトリオルやその他類似の鉱物の製造法を掲載しています。DSBでハリスをみてみました。John Harris, ca. 1666-1719. オクスフォードで1689年M.A.をとったあと、聖職者に。パトロンは、Sir William Cowper. 1969年、F.R.S .に選出される。1709年王立協会の第2秘書(the 2nd Secretary)となる。
1698年、ボイル講演者となり8つの講演を行う。1704年の『技術事典』は、最初の全般的な科学的百科全書である。物理学、天文学、数学ではニュートンによっている。植物学では、ジョン・レイと Joseph Tounefort によっている。その他の分野では、ハレー、ボイル、グルー、ウドワード、ウィルキンズ、デラム、コリンズによっている。ウィキのLexion Technicumは、数量的情報を提供してくれています。第1巻(1704)は、総ページ数1220頁、4枚の挿入図版からなる。序文でハリスは「ここに読者が読むページは大部分、他の辞典から引き写されたものではなく、私にできる最良のオリジナルな著作家によっている。」
第2巻(1710)は、1419頁、4枚の挿入図版からなる。大部分は数学と天文学の表からなっており「一種の数学的ライブラリー」の観を呈している。帰宅すると次の本が届いていました。
Peter Burke,
A Social History of Knowledge II: From the Encyclopaedia to Wikipedia
Cambridge: Polity, 2012
すでにペーパーバックです。Peter Burke の名前で一定数売れるのでしょう。『知識の社会史』の1には邦訳があります。ピーター・バーク『知識の社会史』(井山弘幸・城戸淳訳、新曜社、2004)。
私は、もっと読まれていいと思いますが、どうも注目度が低いように思われます。
ひとりで4時半、室温20.8度。すこし気温が上がりました。地面が濡れています。気づかない間に雨が降ったようです。上がったのかと思ったら、また降ってきました。今日はこういう天気のようです。午後、基礎演習の4回目があります。
教科書が行方不明です。昼食後あきらめてそのまま出ました。本来は昨日行うはずだった仕事をこなしました。スキャンとコピー。
中央線の事故(阿佐ヶ谷で人身事故があったと放送していました)で30分ほど武蔵境で足止めを食いました。帰宅して、朝は見つからなかった教科書(専修大学『改訂版 知のツールボックス』)を捜すと1分以内で見つかりました。V. A. EYLES, " John Woodward, F.R.S., F.R.C.P., M.D. (1665−1728): a bio-bibliographical account of his life and work," Journal of the Society for the Bibliography of Natural History, Vol. 5, No. 6(1971) : pp. 399-427
訳あってこの論文を読みました。オリジナリティは低いかもしれませんが、ウドワドはもっと注目されてもよいのではと思います。
家族のなかではうしろから2番目で7時10分、室温19度。朝練のあるおおきいちびはもう出かけていました。晴れ。月曜日の授業。3限4限は、今日でやっと体制が整いました。来週からは普通に発表してもらうことができました。
おおきいちびは足が痛いとずっと言っています。私が帰宅するとすぐに妻といっしょに整骨医に行きました。近所で人気のある整骨医ということです。6時半頃帰ってきて、疲労骨折をしていて、なおりかけている途中だ、ということです。お医者さんは痛いのによく我慢したと言ってくれたそうです。練習量を半減してください、ということでした。
妻に続いて、6時25分、室温18.9度。室温が1度上がった以外は、昨日とまったく同じ。おおきいちびは新人戦の2回戦。会場は方南町にある泉南中学校。妻が見に行きました。ちいさいちびと小学1年生の昼食はマック。私が買い出しに行きました。女子の試合は午前中で終了したそうです。妻は荻窪で買い物をして、1時前には帰ってきました。おおきいちびそのものは男子の試合を見てからの帰宅となったので、6時半を過ぎました。男子は買ったそうです。
妻は帰宅して一息ついてから、小学1年生の要望で、ヨーカードーに連れていきました。ちいさいちびは今日一日パジャマのままでした。布でパンプキンのマスコットを作っていました。7つか8つ作ったでしょうか。自分で考えて自分でつくります。なかなかかわいくできていました。
妻に続いて、6時25分、室温17.9度。おおきいちびは練習試合があり、朝が早い。私は午後、学会活動。編集委員会、事典編纂委員会、理事会と続きます。12時45分頃、家をでました。会場には開始10分前に着くことができました。
3つ続き会議はもうすこし長引きことも覚悟していましたが、6時前には終了しました。月・過・水・木・金・土と連続なので、夕食会は参加せず、すぐに帰途に着きました。
帰宅は7時を過ぎると思っていましたが、7時前に帰り着くことができました。ちいさいちびがお風呂に入っていました。私は夕食をすませ、小学1年生といっしょにお風呂に入りました。
ひとりで5時45分、室温17.9度。着実に気温が下がっています。
窓を開けると冷たい風が吹き込んできました。秋になってまだまがありませんが、もう冬の予感です。書類を提出するために大学に出る必要があります。今週は、普通の勤めびとのように月曜日から金曜日まですべて大学にでたことになります。
妻がPTA の会合にでかけたあと、家をでました。研究所により、書類をコピーし、教務に書類を提出し、生協でペンを買って帰りました。すなわち、研究講義棟には入ることなくピンポンリターンしたわけです。
ひとりで3時50分、室温19.2度。昨日からの雨ですが、止んだかとおもったら、また降っています。7時を過ぎても暗く、秋らしい天候となりました。
12時前後に大学につき、まず図書館に向かいました。ILL の到着物が2点あります。最初のものは論文のコピー、2番目は本です。
1.Ralph W. Sheets, Clifton C. Thompson, "Accidental contamination from uranium compounds through contact with ceramic dinnerware," Science of the total environment 175(1995): 81-84
酸化ウランをはじめ釉薬として使われたウラン化合物が手や食品にうつる可能性を実験的に確認しています。ウラン化合物には腎毒性があり、日常使いの食器としては、釉薬にウラン化合物が使われているものは避けるべきだと結論されています。(日本には欧米からのアンティークを除き、そもそもそうした食器はほとんど存在しませんが、欧米には、黄色やオレンジにきれいな色を出すために、ガラスや陶器にウラン化合物を使ったものがあります。ウランですからわずかであれ放射線も出しています。)2.プリンゲル&スピーゲルマン『核の栄光と挫折:巨大科学の支配者たち』浦田誠親監訳、時事通信社, 1982
もとのNuclear Barons は3.11のあと買って持っています。邦訳があるのを知らなかったのですが、最近買った本の参考文献リストで知って取り寄せたものです。英語圏のジャーナリズムのよさがでた本だと思います。広範囲の徹底的な調査の上で、一般読者が通読できるよう工夫して書かれた種類の書物です。木曜日の授業は第3週目。
6限に打ち合わせ。怒濤となりました。
ひとりおくれて7時30分、室温20.2度。ちいさいちびも同じ頃でした。
小学1年生は遠足、正確には生活科の見学会。神代植物園に行くようです。朝一番で次の本が届きました。
安斎育郎
『「がん当たりくじ」の話―国境なき放射能汚染』
有斐閣、1988
表紙に、「チェルノブイリ原発事故の結果、将来「万」を単位として数えなければならないような深刻ながん死亡予測が出されている。放射能による汚染食品も私たちの食卓に押しよせてきている。この事故によって、私たちは「がん当たりくじ」を強制的に買わされているのである。放射線障害では「これ以下では絶対に安全」という線が引けない。たとえわずかの被曝であっても、それなりの確率でがんに陥る危険や遺伝的影響の危険を負うことになる。」とあります。これは、まったくその通りです。[国立科学博物館 公募情報]
公式サイトへの掲載依頼がありました。ここは個人的サイトですが、情報を広く知らせることはよいことだと考えて、ここにも掲載します。
公募情報:国立科学博物館理工学研究部(研究員)
国立科学博物館が「科学技術史・産業技術史」を専門とする研究員(1名)を公募しています。
応募締切:2013年1月15日(必着)
詳しくは、国立科学博物館HP http://www.kahaku.go.jp/ の「お知らせ覧」をご覧ください。
会議は4限の時間帯と6限の時間帯にあります。4限の時間帯の会議はずっとはやく終わりました。次の会議までは別の簡単な打ち合わせ。6限の時間帯は言語文化学部教授会。雨が降り始めていました。外に出ると寒く感じます。
ひとりで5時5分、室温20.2度。昨夜はいつもより遅くまで起きていました。この時間に起きると睡眠不足です。小学1年生が起きてきて、おおきいちびとちいさいちびが目覚めているのを確認したあと、2度寝をしました。目覚めたときには、子どもたちは全員学校にでかけたあとでした。
昨日から歯の状態が思わしくありません。もしかしたら神経を抜かなければならないことになるかもしれません。授業の前にそうした手術は受けたくないので、今日の夕刻または明日の午前中で歯医者にかかろうと思っています。
お昼前に次の本が届きました。
小出裕章『隠される原子力の真実』創史社、2011基礎演習の3回目。1時前に家をでました。すこし資料の整理をしてから、部屋へ。前回は机が一脚壊れていました。今回は照明がひとつつかなくなっており、教師用の椅子が一脚壊れていました。故障の多い部屋です。
帰宅すると次の2冊が届いていました。
安斎育郎『原発と環境』かもがも出版、2012
帯に37年前の完全復刻版とあります。ジョン W・ゴフマン
『新装版 人間と放射線―医療用X線から原発まで―』
伊藤昭好・海老沢徹・小出裕章・小林圭二・瀬尾健・今中哲二・川野眞治・小出三千恵・佐伯和則・塚谷恒雄訳、明石書店、2011(もと、社会思想社、1991)
これは基本書です。777頁の大冊です。
予想通り、私のほしい情報がこの2冊のなかにありました。安斎育郎氏の『原発と環境』をざっと通読しました。とばし読みした箇所もあります。冒頭の「復興版出版にあたって」に次のようにあります。
「ここに完全復刻する『原爆と環境』(1975年、ダイヤモンド社刊)は、40年近く前、私が三三〜四歳のころに書いたものです。東京大学工学部原子力工学科の第一期生として放射線防護学の専門家への道を踏み出した私は、1960年代初頭には原子力開発にある種の夢と希望を抱いていました。」
「私の原発政策批判や放射線の影響に関する認識は、ほとんどこの本で尽くされています。約四〇年前に書かれた原著を改めて読み返してみて、私は率直に「今読んでも読み応えがある」と感じています。」
ひとりで4時15分、室温19.1度。
6時過ぎにゴミを出すために外にでました。きれいな秋の空の朝焼けです。空気が澄んできたことを感じます。急激に気温が下がったので、風邪・風邪気味の人が多くなっています。
小学1年生は6時半に起きてきました。ほぼリズムが固まっています。2週ぶりに月曜日の授業。
おおきいちびは、土曜日の学芸会の振替休日&部活のオフです。滅多にない好機です。ママといっしょに冬物の買い物にでかけるようです。ちいさいちびもうらましいのでしょう、今日も休みだったらよかったのにと言っています。
夕刻次の本が届きました。
土井淑平・小出裕章
『人形峠ウラン鉱害裁判―核のゴミのあと始末を求めて』
批評社、2001
予想通り、この本に私の必要な情報がありました。自然に存在する放射性物質では常温で気体となるラドンがもっとも危険であることがよくわかりました。呼吸によって肺に取り込まれると、肺ガンの原因をつくるとあります。
ひとりで4時45分、室温19.4度。おおきいちびはバスケの新人戦。いつもとほぼ同じ時刻にでかけます。ちいさいちびは昨日と同じく友達といっしょに原っぱ公園にでかけるということです。今日は自分でお弁当を作ると言っています。(昨日はママに作ってもらった。)小学1年生もやはり行きたいようです。
→小学1年生は今日はヨドバシに行きたいというので、朝のうちに自転車で連れていきました。お目当てのガチャポンの仮面ライダーリングは売り切れでした。ガンバライドゲームを8回行いました。
帰宅し、昼食を食べてから、やはり原っぱ公園(杉並区80周年行事)に行きたいというので、ママに連れていってもらいました。微妙な小雨が降っています。たぶん雨量としては1ミリにもならない雨ですが、気温が下がっていて、濡れると風邪を引きそうです。傘をさしてでかけました。
ひとりで6時、室温18.9度。[杉並区80周年まつり]
今日は、おおきいちびは学芸会。杉並公会堂で行います。外部の方にも公開するらしい。小学生2人は、原っぱ公園で開かれる「杉並区80周年まつり」に参加します。小学1年生は仮面ライダーが来るのを楽しみにしています。
→おおきいちびはいつもより少しだけ遅め、妻は9時半前、ちいさいちびは10時前に出かけました。小学1年生は、10時55分と言っていたのですが、みんながでかけたので10時半頃でかけることになりました。原っぱ公園までは自転車で行きました。予想外の人出。公演のまわりの歩道を自転車置き場にしていましたが、その置き場が尽きかけていました。辛うじて最後の方にすべりこんだようです。
ゆるキャラたちの集いと、仮面ライダーショーを見ました。仮面ライダーショーが大人気。その後マリオの風船のなかに設置されたトランポリンに並びました。30分ほどでしょうか。
トランポリンからでてきたあとは、ちっちゃなゲームをやっていました。もってきたお金が尽きたところ(1時過ぎ)に一度帰ることにしました。
帰宅してお金を稼ぎたいということで、掃除をしていました。掃除機掛けと雑巾掛けをやっていました。仮面ライダーショーは、3時半からもう一度あります。行きたいようです。3時頃に着くようにでかけました。
稼いだお金は、仮面ライダーのカードがあたるくじに使いました。何人かのお友達にあって話をしたあと、仮面ライダーショーに。そのまえのじゃんけん大会でやはり会場は一杯です。小学1年生は、一番前の横のかぶりつきに進みました。私はその後ろで地面に座っていました。2回目も昼以上の盛り上がりでした。テレビをどのぐらい見ているかはわかりませんが、すごい盛り上がりでした。終わって4時過ぎ。そのまま帰宅しました。
自転車での帰途、歩いて帰る荻中の女子学生たちとすれ違いました。杉並公会堂から歩いて帰ると40分近くかかるのではないでしょうか。
帰宅して休んでいると、妻もすぐに帰ってきました。[E-Learning]
基礎演習で、学生たちとのファイルのやりとりをどうしようかと考えましたが、李さんに聞くと、E-Learningが便利だということです。E-Learningが自分に関係するとは考えていなかったので、ほとんど知りません。教授会のときに情報センターの佐野先生に基本を聞いて、申込方法を教えてもらいました。金曜日の午後、申請通り、許可が降りました。
http://iccstudy.tufs.ac.jp/moodle/
からICC配布のユーザ名,パスワードでログインしてくださいとあります。
少し戸惑いましたが、何とか必要なことはできたと思います。私と学生以外はたぶん見ることができないのだと思います。そういうコンセプトです。「閉ざされた掲示板」のようなものでしょうか。
ひとりで4時50分、室温20.9度。好天です。気持ちのよい秋晴れとなりました。今日も妻は午前中でかけました。私は昨日に続き、コース長の仕事をしています。細部がなかなか面倒です。
テレビを見ていたら、登場人物が「ウラン(酸化ウラン)は、1950年に有害だとわかるまで塗料や顔料に使われていた」と発言していました。
具体的にいつどのようにわかったのか、どこでどのような決定があって使用が中止されたのかを知りたいと思います。とりあえず、まずは調べてみます。→もっと簡単にわかるかと思ったのですが、苦労しています。
日本に関しては、小出さんが「ラジウム温泉、ラドン温泉等を取り締まる法律がなかった」と発言されています。え?です。小出さんは意図的に嘘をつかれるような方ではないので、そうなのでしょう。(ともかくもうすこし調べてみますが、日本の状況は、フクシマ第1原発の事故以前から基本的に問題だったことになります。)
→夕刊にちょうど「規制値超えたセシウム販売」という記事がありました。放射線障害防止法違反で「放射線セシウム137の金属片18個」を販売した容疑で2名を逮捕したとあります。この記事を信じれば、外国では「セシウムの金属片」が販売されていることになります。え、そんな!
→朝日の記事では、「セシウム137の金属片」がよく分からなかったのですが、NHKの速報では、「放射性物質「セシウム137」を含む500円玉の大きさの金属を、1つ3万3000円でインターネットを通じて全国の17人の客に販売した」とあり、写真も掲載されています。金属の材料が何かは書かれていませんが、写真があれば実物がどういうものかよくわかります。放射線測定器の精度を調べるためだということです。業者は、荒川区の「放射線測定器販売会社」です。→ともあれ、規制する法律があるとすれば「放射線障害防止法」ということになります。これを調べてみます。
→正確には法律名は「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」で昭和32年6月10日法律第167号です。
基本は、「国際放射線防護委員会(ICRP)90年勧告」を取り入れている。
放射線同位元素の定義が問題になりますが、「放射性同位元素を含む物質で、平成十二年科学技術庁告示第五号(放射線を放出する同位元素の数量等を定める件)の別表1(以下、単に別表1とする)に定める量及び濃度を超えるもの。但し、ウラン等の核燃料及び原料、医薬品、医療機器に装備されたものは、それぞれ核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律、薬事法、医療法で規制されるので除外する。」としています。
別表1、薬事法、医療法も見なければならないことを意味します。
本としては、(社)日本アイソトープ協会『アイソトープ法令集(1)放射線障害防止法関係法令2001年版』丸善、2001;(社)日本アイソトープ協会『アイソトープ法令集(2)医療放射線防護関係法令集2001年版』丸善、2001;(社)日本アイソトープ協会『放射線障害の防止に関する法令 概説と要点』改訂第5版、丸善、1996 があるようです。
法律そのものは、放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律にあります。
定義の2で「この法律において「放射性同位元素」とは、りん三十二、コバルト六十等放射線を放出する同位元素及びその化合物並びにこれらの含有物(機器に装備されているこれらのものを含む。)で政令で定めるものをいう。」と非常に簡単に書かれています。りん三十二、コバルト六十が法律の意図する放射性物質の代表のようです。アメリカはどうなんでしょうか。
→英語で調べると、 http://www.goshen.edu/art/DeptPgs/Hazards.html に「酸化ウランは、第2次世界大戦前には、釉薬として普通に使われていました。ある時期には政府がその販売を規制したので、陶芸家が酸化ウランを購入することができませんでした。しかしながら、ある種のウランをある場所から入手することができるようになっています。」という言葉がありました。Fiest のディナーウェアが釉薬に酸化ウランを使っているもっとも身近な商品である。
今となっては、その危険性ゆえに陶芸家は酸化ウランを使うべきではありません、とそのサイトの著者は結論づけています。そして、Monona Rossol の論文を参照するよう注記しています。
Monona Rossol, "Uranium: Still Ticking in Some Potteries", 1996 May/Jun:19
掲載紙は、Clay Timesのようです。
Monona Rossolさんの関係するサイトでは、Ralph W. Sheets 氏が陶器やガラス容器に含まれるウランの引き起こすかもしれない危険性について記述しているとあります。
→調査は完了していませんが、現時点での見通しを書いておきます。
原爆投下は大きすぎる事件であって、そのことは身近にある放射線への関心を呼び起こさなかった。低線量被爆、晩発性障害、内部被爆に対する関心は、徐々に専門家を中心に発生し高まったが、大きくマスメディアの注意を呼ぶには至らなかった。
「核アレルギー」と呼ばれるものが存在したとして、それは大きすぎる兵器(巨大破壊兵器)としての原爆に向かい、原子力には向いていなかった。(原子力爆弾も原子力発電も技術的基盤は共通であり、軍事利用と平和=民事利用できれいに2分することはできないという意見は存在したが、日本社会においても軍事利用と平和利用は分けて考えるべきだという政治的主張の方が強かった。)
まして、そのことは、身近にある放射線被曝までは及ばなかった。したがって、医療専門家の間では、不要な医療被曝を軽減する・管理することは行われるようになったが、放射線の発見以前からあった酸化ウランの釉薬をしての利用や、キュリーのときから人気となったラジウムやラドンの商品利用の公的規制は遅れた。あるいは、国によって十分にはなされていない。日本では現在でも必要な規制が実施されていないようである。表現を変えましょう。「核アレルギー」はある時期に形成された。しかし、そのことは放射線被曝そのものへの関心とはならなかった。身近な放射線被曝は、反核運動、反原発運動、反原子力運動においてさえ、ほとんど注目の的にはならず、大部分、放置された。こういうふうに言ってよい気がします。
[『生物学史研究』放射線特集]
夕刻、新聞といっしょに次の雑誌が入っていました。
『生物学史研究』87号(2012年9月)
「放射線の生物学史」という特集を組んでいます。タイムリーだと思います。特集部分の目次は次です。放射線の生物学史(2011年度夏の学校報告)
瀬戸口明久「放射線の生物学史」
柿原 泰「福島「県民健康管理調査」の現在史へ向けて」
中尾麻伊香「放射線をめぐる医学調査:原爆調査からビキニ被災調査まで 」
樋口 敏広「「原子マグロ」の誕生−第五福竜丸事件後の環境放射能測定上の判定基準の変遷」
横田 陽子「日本における環境放射能モニタリング成立史」
標葉 隆馬「科学技術社会論からみた地震・津波・原発」
福井由理子「放射線と生物学」
奥村 大介「生体放射の歴史−グールヴィチとライヒ−」
篠田真理子「測定という行為をめぐって」
藤岡 毅「放射線リスク論の転換は起こるのか−ICRPの歴史とECRR勧告−」
ひとりで4時15分、室温20.1度。午後に3コマの授業。昨日と同じく、妻が9時前に出かけたので、午前中はひとり。コース長の仕事をしていました。
大学には12時過ぎに到着。学期の初めは、判子を押す用事がけっこうあります。それい打ち合わせ。それでも6時には大学を出ることができました。
帰宅すると、小学1年生がソファーで寝ています。久しぶりです。放課後のスポーツクラブで失敗があったようです。転んですこしケガをしたようです。しょんぼりして帰ってきて、ソファーの上で寝てしまったということです。
8時前に目覚め、宿題をし、食事をしてからお風呂に入り、しばらく布団の上でごろごろしてから寝入りました。ここのところ睡眠不足でした。運動会の緊張のせいでしょうか、1時間前後つい早く起きてしまっています。
ひとりで4時、室温19.7度。午後は、大学院関係の会議が続きます。7時ぐらいには終わるでしょうか。
妻も9時前にでかけたので、午前中は一人です。今学期全般を考えて授業の準備をしていました。連絡がつけばはやめに行って打ち合わせをしようと思っていたのですが、返答がないので、会議の始まる前にでかけようと思います。
会議は2時20分スタートです。1時頃出かけました。まず生協。雑誌と飲み物を買いました。2つ目と3つ目の会議の間は時間が空きました。研究室ですこしだけ事務的な仕事をこなしました。5時半からの会議は重なったので、役職指定の方に出ました。終わってもうひとつの方に行くと、そちらは終了していました。終了時刻が読めなかったのですが、7時過ぎには帰宅することが出来ました。
ひとりで5時25分、室温19.8度。気温が下がりました。小学生は運動会の振替休日。私とおおきいちびだけが通常通り学校があります。[基礎演習2回目]
今年から始まった授業の「基礎演習」の2回目が4限にありました。先週割り当てられていた部屋の机と椅子が5人分足りなかったので、終了後すぐに教室を変えてもらっています。総合文化研究所のすぐ近くです。これはこれで便利です。[山中さん、ノーベル賞受賞]
朝一番の仕事を終えて、郵便受けに入っている新聞を取り出すと、山中伸弥教授がノーベル賞(医学生理学賞)を受賞したというニュースが1面に大きく掲載されていました。何年か前から取ることは予測されていました。私も人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell=iPS細胞)の業績は大きく、遠からず受賞になるだろうと思っていました。
(スポーツ新聞は3度目の正直と表現していました。)
ES 細胞もクローン胚もそうですが、古い時代に生物学を学んだ者には、驚きの現象でした。生命がある意味機械であると言える結果です。
→6時半、下に降りてきた妻に話すと昨日の夜ニュースでやっていたそうです。私は疲れが出てきた小学1年生がぐずっていたので、2回でアテンドして、そのまま寝てしまいました。
→ okisayaka さんの tweet ですでにこの話題で盛り上がっていました。→学生たちに示そうと思い、山中さんが受賞に至った理由となる論文を探ってみました。中心的には次です。
Takahashi, K., Yamanaka, S. (2006). Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors. Cell 126:663-676.
文献表示を文化系のものに変換してみます。
Takahashi, K. and Yamanaka, S., "Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors," Cell 126(2006):663-676.
"The 2012 Nobel Prize in Physiology or Medicine - Press Release". Nobelprize.org 9 Oct 2012 に、Key Publication として山中さんの業績としてはこの1本だけが挙げられています。
ノーベル財団のサイトの詳細な説明を読むと、もう1点が挙げられています。次です。最初から文系方式に変えておきます。
Kazutoshi Takahashi1, Koji Tanabe, Mari Ohnuki, Megumi Narita, Tomoko Ichisaka, Kiichiro Tomoda and Shinya Yamanaka, "Induction of Pluripotent Stem Cells from Adult Human Fibroblasts by Defined Factors," Cell 131(2007): 861-872.
ともにウェブで簡単にダウンロードできます。
他にウェブには、サイエンス誌に載った「人工多能性幹細胞」という"Generation of Pluripotent Stem Cells from Adult Mouse Liver and Stomach Cells," Science Express 14 February 2008 の邦訳もあります。邦訳のタイトルは「成体マウス肝および胃細胞からの多機能性幹細胞樹立」となっています。
ひとりで6時30分、室温20.3度。気温が下がりました。体育の日の休日です。やはり朝一番で小学1年生を吉祥寺に連れていってやりました。今日はヨドバシ。自転車で行きました。1年生は、ガチャポンでリングを2つ購入し、ガンバライドのゲームを4回行いました。1ヶ月以上もはやく誕生日プレゼントとして買ってもらったIC カードを使っています。次は親分との戦いになるようです。
ひとりで5時40分、室温22.8度。夜降り始めた雨は止んでいます。外の空気は冷たい。小学1年生は6時10分に起きてきました。おおきいちびは今日も部活があり7時に出かけると言っていました。6時15分に起こしに行きました。
午前中は雨。朝一番で小学1年生を東急に連れていきました。ガンバライドを10回やると言っています。1時間近くかかりました。
ひとりで5時55分、室温24.6度。今日は小学校の運動会です。すぐに妻を起こしました。どんよりとした曇り。雨が心配ですが、現時点の予報では雨は夕刻からのようです。なんとか実施できるのではないかと見ています。
小学1年生は6時55分に起きてきました。ちょうどよい。学校のサイトに、今日は行いますという通知がありました。なお、おおきいちびはやはり部活。子どもたちが出かける頃には空が明るくなり、晴れ間が見えました。青空のもとで運動会です。
子どもたちはいつもと同じ時間、私は8時45分に間に合うようにでかけました。小学1年生が最初の挨拶をするひとりに当たっています。声の大きさがかわれたようです。
小学校の運動会がはじめての1年生はともかく張り切っていました。ちいさいちびも頑張っています。
帰宅して休んでいるとおおきいちびが帰ってきました。カラオケに行きたいと言います。夕食の時間、妻とふたりででかけました。その後、ちいさいちびのお友達が合流してもよいという連絡が来て、ちいさいちびも行くことになりました。それで、休みと言っていた小学1年生も行きたくなりました。
お友達には我が家に来てもらって、私が駅前のカラオケ屋さんに連れていきました。カラオケ屋さんの入り口で妻に引き渡しました。Jリーグ、ガンバ対仙台が前半を終えるころ、帰ってきました。ちょうど冷たい雨が降り始めたばかりです。ちいさいちびは走って、残りは1つの傘に入って帰ってきました。なんとか間に合った感じです。
小学1年生が起きて6時、室温23.3度。妻もすぐに起きてきました。ちいさいちびの11歳の誕生日。
[歯医者と理髪店]
右奥上の歯の状態が10日以上前から思わしくありません。虫歯の痛みとはちょっと違うのですが、食べ物を噛むと痛く、噛むときには左だけを使うようになっていました。
やっと今日歯医者に行くことができました。奥から2番目の歯に穴があいているということです。あまり痛いようなら、神経を抜くことも考えないといけないが、穴をつめておくので、しばらくは様子をみましょうということでした。
痛みは、歯茎の腫れのせいではないかということでした。昼食後、同じような椅子に座る用件をもうひとつこなしました。散髪です。
[William Harvey, EX Ovo Omnia]
朝一番で昨日受け取った次の論文を読みました。
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの発生論『すべては卵から』」『ルネサンス研究』6(1999): 59-74
好論文です。しっかりとよくわかるように記述されています。一言でまとめれば、ハーヴィが「卵」と呼んでいるものは、我々が「卵」で理解しているものとは異なる。ハーヴィもよれば、爬虫類、両生類、魚類、昆虫の受精卵、鳥類の未受精卵、哺乳類の胚胎、昆虫の幼虫や蛹、植物の種子も「卵」であった。この「卵」に関してハーヴィは後成説を唱えた。昆虫の場合、「卵」は幼虫や蛹なので、昆虫の自然発生と『すべては卵から』という原理は矛盾とは捉えられなかった。p.63 ハーヴィは、アリストテレスの分類による有血動物(哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類等)に関しては、後成説(epigenesis)を唱えたが、昆虫に関しては、変態説(metamorphosis)を唱えた。
pp.65-6 Ex ovo omnia. 第62章表題 = ovum esse primodium commune omnibus animalibus 卵はすべての動物に共通の原基である。
Harvey, Ex. 63, p.216(334)
「動物の発生においては次のことが常に見られる。つまり、卵の性質に似ていて、植物の種子と類似した生長の原基が先在し、そこから胚が生まれるということである。」
澤井氏のこの点に関するまとめは次。
1)動物の発生の始まりは、原基(あるいは成長の原基)である。
2)すべての動物は卵生動物か胎生動物に分けられる。卵生動物は、卵=原基から生まれる。
3)胎生動物も卵あるいは卵形の原基から生まれる。
p.68 ハーヴィは、可能態として他の個体を生むという共通点から、卵生動物と虫生動物を一つにまとめて<卵生動物>とし、可能態として生きている原基のことを<卵>と呼ぶ。→我々がこの問題を考える際の注意点は、ハーヴィのときにはまだ精子も卵子も知られていないということです。精子の顕微鏡による発見は、有名です。ハーヴィのあと、オランダ人レーウェンフックが発見したことになっています。
(最初に顕微鏡で精子を見た人物は別(ルードヴィヒ・ハム)ですが、普通科学史では、1677年(ハムが最初に見て)レーウェンフックが精子を発見したことになっています。)
卵子の発見は遅れます。哺乳類の卵子を最初に見つけたのは、ドイツのベーアです。1824年/1828年です。(ウェブでは両方の数字があります。両方挙げておきます。)
人間に卵子が確認されるのは、20世紀に入ってからです。
言葉の意味の確認も重要です。日本語で「卵」は、鶏の卵に代表される目に見える動物の卵を指す日常語です。卵子(ovum, egg cell)は生物学の専門用語と言ってよいでしょう。→12.10.15 アリストテレスの説。p.62 ニワトリの胚は卵白から身体を与えられ、卵黄からは栄養を与えられる。
「ハーヴィによれば、胚は発生の過程で卵の中の液質・卵黄・卵白を身体に取り込み、これらすべての液体を用いることで、分化し、成長する」。つまり、アリストテレスの区別は無意味であり、分化と成長は同時に生起する。
注の13)colliquamentum: 胚盤に現れる結晶性の液体をハーヴィはこう呼ぶ。
ハーヴィの考えを図示すると、液質→跳躍点→心臓→諸器官の順に形成される。さて、澤井さんは、『動物発生論』の版としては、英国で出版された初版(ロンドン、1651)と英訳としてホイトリッジのものを使われています。
William Harvey, Exercitationes de Generatione Animalium, London, 1651
Gweneth Whitteridge (trans.), Disputations touching the Generation of Animals, Oxford, 198118世紀の事典で“発生”を調べてみると、関連情報にあたることができます。
John M. Forrester は注75で、「コリカメントゥムとは、胚発生の初期段階の胚盤中の液体である。ハーヴィがこの意味でこの語を用いた最初である。彼にとってそれは、ひよこを養育し形成する「根元的、原初的湿である。」彼はその過程を『発生論』の17章で記述した。そこではアリストテレスの観察が議論されている。マルピーギは、De formatione pulli in ovo(1673)で同一の意味でこの語を使っている。Adelmann, note1 vol.2, p.953 を見よ。
John M. Forrester, "Texts and Documents: Malpighi's De Popypo Cordis: An Annotated Translation," Medical History 39(1995): 477-492 12.10.16
アデルマンの仕事は、Howard B. Adelmann, Marcello Marpighi and the evolution of embryology, 5 vols, Ithaca, NY, Cornell University Press, and London, Oxford University Press, 1966, vol. 1, The life and works of Mrcello Marpighi→12.10.16 George Garden, "A Discourse concerning the Modern Theory of Generation," Philosophical Transactions, 16(1686-92), pp.474-483
この記事を読みました。ガーデンは、ハーヴィ、マルピーギ、デグラーフ、レーウェンフック、スワンメルダムの研究に基づき、自分が正しいと思う発生理論を提示しています。一言では、精原説を唱えています。これで、ハーヴィ以降の発生説の展開がかなりよくわかりました。上に先行研究より人間の卵子の発見は遅れたと書きましたが、キルクリンクの有名な絵が王立協会哲学紀要に掲載されているのを思い出しました。"ovum", "ova" の言葉ですでに卵子の存在は想定されています。(顕微鏡できちんと見たかどうかは不明です。)このあたりも、もうすこし正確に調べてみる必要があります。
ガーデンは、すでに、ハーヴィの格言を拡張して「すべての動物は卵から発生する」と言っています。しかし、彼によれば、animacle が潜んでいるのは精子であって、卵子はそのための適合する畑、ふさわしい栄養を与えると考えています。その証拠としては、交接のない卵からはひよこは孵化せず、交接後のHEN から生まれた卵(つまり有精卵)だけから孵化が生じる事実を指摘しています。精子と卵子の受精ももちろん観察したわけではありませんが、あるメカニズムを想像しています。→面白い発見がありました。上に「18世紀の事典」と記したのは、手元にあるハリスの技術用語事典Lexicon Technicumです。その第2巻に"Generation" (no pagination) がありますが、これがまったくガーデンの記事と同じでした。100%のぱくりです。こういうのをきちんと調べるのも非常に興味深いことです。
→12.10.23 自分で調査できる範囲でハリスが使ったソースを明らかにしようと思います。とある論文(Chris Evans, "Crucible steel as an enlightened material," Paper presented at Steel in Britain in the Age of Enlightenment University of Glamorgan, 7/8 December 2007 ) を読んでいたら、ハリスの「鉄」の項目(第2巻"iron")は、Phil. Trans. No. 137のパクリだとありました。確認しました。
Henry Powle, Esq., "An Account of the Iron Works in the Forest of Dean," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. 10, No. 137 (1677), pp. 931-935
ハリスは、最初の4パラグラフはまとめていますが、あとはまったくのパクリです。ただし、記事の最後に、“Philos. Trans. No.137. ”という典拠の明示はあります。 記事の後半は "Ray's Collect. of English Words, at the end."からと表示しています。懐かしい言葉、"Cynder" が使われています。
(→→12.10.23 Ray's Collect. of English Wordsもこの文脈では謎なので調べてみました。今はグーグルブックですぐにダウンロードできるので、昔は気の遠くなるほど困難であったこの種の調査はすぐに終了します。これは次です。
John Ray, A Collection of English Words not Generally used, with their Significations and Original, in two Alphabetical Catalogues, The one of such as are proper to the Nothern, the other to the Southern Countries. With Catalogues of English Birds and Fishes: And an Accout of the preparing and resining such Metals and Minerals as are gotten in England. Londo. 1674.
この本の一番最後の「英国で掘り出すことのできる金属や鉱物を採掘し精錬する仕方について」です。銀の精錬・溶鉱からはじまり、錫の精錬、製鉄法、針金細工、鉛丹の製造法、明礬製造法、塩製造法まで紹介されています。
(レイの書物の)最後の塩製造法の部分は、第2巻の塩 "Salt" で使っています。pp.142-178 を丸々ハリスは使っています。
第2巻の鉛丹"Minium"もレイのp.138 をまるまるそのまま使っています。
第2巻の「錫」にハリスは多くのページを割いています。Phil. Trans. No. 69, No. 138 ならびにレイの言葉事典を挙げています。
"An Accompt of Some Mineral Observations Touching the Mine of Cornwall and Devon; Wherein is Described the Art of Traying a Load; The Art and Manner of Digging the Ore; And the Way of Dressing and of Blowing Tin: Communicated by an Inquisitive Person, That Was Much Conversant in Those Mines," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. 6, No. 69(1671), pp.2096-2113.
Christopher Merret, "A Relation of te Tinn-Mines, and working of Tinn in the Country of Cornwal," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. 10, No. 138(1678), pp.949-952.→ 12.10.23 2巻を頭から見ています。"ALLUM Work" は、"From Phil. Trans. N. 142." と記事の最後にあります。調べてみました。
Daniel Colwarll Esq., "An Account of the English Alum-Works," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. 10, No. 142(1678), pp.1052-1056.
最初をわずかにまとめていますが、これもまるまるパクリです。(一字一句同じ。ただし、段落分けは変えています。)この3例でほぼ見えてきました。化学に関しては、ほぼ網羅的に調べてみます。
→ 12.10.23 "Brass"
Thomas Pevey, "The Method, Manner and Order of the Transmutation of Copper into Brass, &c.," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. 17, No. 200(1693), pp.735-6.
ハリスは、記事末に、"Phil. Trans. N. 200 and 260." と表記していますが、記事そのものは、もとのPevey の第2段落から第6段落のパクリです。N. 260 に関連記事があるというだけのことだと思われます。→ 12.10.23 血管図 "Arteris and Veins" 第2巻のいくつかめの巻末補遺
"A Description of the Veins and Arteries of a Humane Body in the two Plates annexed, as presented to the Royal Society of London, by that Generous Promoter of all Useful Learning; John Evyly, late of Say's Court in Deptford, Esq; and Explained and Illustrated by that Accurate Anatomist and Surgeon, Mr. William Cowper."
John Evelyn, "An Account of divers Schemes of Arteries and Veins, Dissected from Adult Human Bodies, and given to the Repository of the Royal Society," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. 23, No. 280(1702), pp.1177-1201.→12.10.27 "Silver"
前半は、John Ray, A Collection of English Words の最初の部分を丸々写し取っています。ハリスはわずかに編集の手を加えていますが、一人称を固有名に変え、つなぎの1センテンスを挿入しただけです。
後半の最初は、Edward Brown, "Some Directions and Inquiries with their Answers, Concerning the Mines, Minerals, Baths, &c. of Hungary, Transylvania, Austria, and other Countries neighbouring to those," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. 5, No. 58(1670), pp.1189-1198.
後半の次は、"An Extract of a Narrative communicated from Sevill, Of Observations made in a late Voyage from Spain to Mexico, concerning the Minerals of Mexico, and particulaly the exact and perfect way of separating the Silver from its Ore by Mercury, together with divers other Curiosities, Natural and Chymical," Philosophical Transactions of Royal Society of London,Vol. , No. 41(1668), pp.817-823.
6時10分、室温22.2度。おおきいちびは朝練があります。妻はもう起きて朝食の準備をしていました。3限、4限、5限と授業、久しぶりです。午前中に打ち合わせがあり、9時過ぎに家をでました。やはり教務課で書類を渡し、図書館で文献複写を受け取りました。次です。
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの発生論『すべては卵から』」『ルネサンス研究』6(1999): 59-74印刷室で3限の授業の配布物をコピーしてから、研究室へ。10時から打ち合わせ、終了して生協に行き、お弁当を買いました。
授業は始まってしまえば、怒濤です。3限、4限、5限。
4限のゼミは、8人中5人が留学に行ったので、残り3人。3人中2人はボート部です。夏のインカレで男子は6位入賞、女子は8位入賞したクルーです。男子はもうすこし上に行けたと言っていました。女子は運がよかったそうです。今更やめることはありえず、あと1年間はともかく頑張ると言っていました。練習は聞きましたが、ほんとうにハードです。3人ですが、継続することが大切だと考え、ともあれ順番で進めていくことにしました。5限は、卒論ゼミ。お茶会となりました。4名の学生がケーキやクッキー等を自分で焼いて持参しました。なかなか上手に出来ていました。近況を話してもらったあと、6時ぐらいまで歓談。私は最後書類を一枚書いて今日の仕事の終了でした。
ひとりで5時50分、室温23.6度。さすがに涼しくなってきています。
どんよりとした曇り。雨はどうでしょう。降ってくるのか降ってこないのか、空模様だけでは何とも言えません。隠岐さんのtwitter より、次のサイトに東工大の『技術文化論叢』がpdf でアップロードされていることを知りました。
東工大、科学史技術史科学方法論、研究室の活動
ふとした折りにもらったものはありますが、『技術文化論叢』を体系的に収集することはできていませんでした。私の関心からいえば、日本の原子力の歴史に関する研究は是非入手して読んでおきたいところです。山崎正勝さん、深井佑造さん、福井崇時さんの論考が掲載されています。
ひとりで6時10分、室温24.6度。室温そのものは昨日と大差ありませんが、外の気温は下がった気がします。窓から入ってくる風が冷たい。今学期から基礎演習という授業が始まります。今日の4限にその初日があります。
→各自に配るプリントを2枚用意し、教室に入りました。学生たちが立っています。椅子と机が足りないと言っています。椅子と机のある人はまず座って下さいと指示をしました。5人分足りませんでした。椅子は学生たちが自分でどこかから調達してきました。机はさすがにそういうわけには行きません。共同研究室に行って、折り畳み式のものを1つだけ学生に手伝ってもらってもってきました。それに数名で使ってもらうことにしました。23名のはずが24名いることも学生の指摘でわかりました。Tくんという学生がひとり来るべき教室を間違えたようです。
気温は下がっていましたが、湿度が高く、かなり蒸し暑く感じました。
授業終了後、教務課に行って、教室変更をお願いしました。25人の部屋が空いていました。今回のことがあるので、実際に部屋のなかを確認してから、変更をお願いしました。
ひとりで5時25分、室温25度。台風一過の朝。54歳になりました。
2学期が始まります。子どもたちは都民の日でお休みです。
おおきいちびが部活にでかけてから、私の支度をしました。大学ではまず事務棟1階の教務課により、学生の身分に関わる重要な書類に署名・押印。それから4階に上がり、保険証を交換してもらいました。今回から紙の保険証ではなく、各自1枚のカードになりました。私は5枚。裏に住所を自分で書いて下さいと言われました。
次は、研究講義棟の3階で書き留め郵便を受け取りました。それから研究室へ。メールボックスには次の本が入っていました。
ヴィンチェンツォ カルターリ
『西欧古代神話図像大鑑―全訳 古人たちの神々の姿について』
大橋喜之訳、八坂書房、2012
ご高配いただいた八坂書房の八尾さん、訳者の大橋さん、ありがとうございます。16世紀の書物の全訳です。偉業です。
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