4番目で7時30分、室温14.6度。ちいさいちびだけまだ寝ています。おおきいちびはバスケにでかけたあとでした。もうすぐ小学2年生が外に出られずに暇そうだったので、児童館に連れていってやることにしました。西荻の児童館は、日曜日はもしかしたら一般参加ができないという妻のアドバイスで、荻窪北児童館に行くことにしました。荻窪アンサンブルという建物の2階が児童館となっています。
歩くかと聞くと、歩くと答えるので、歩いていきました。20分程度。さすがにこの距離だともうまったく問題はありません。
体育館のなかで友達に「いれて」をして、サッカー、野球、にまぜてもらっていました。最初は柔らかいボールを借りて、バスケ。12時まで2時間たっぷり遊びました。今日は最高気温が10度ということですが、すっかり汗まみれです。よい運動になりました。帰りも歩き。途中フジガーデンで、夕食の材料を買いました。もうすぐ小学2年生がカレーうどんというので、うどん、お肉、タマネギ、カレーのルーを購入。
ひとりで5時50分、室温15.1度。おおきいちびは7時頃バスケにでかけました。今日も昨日とほぼ同じスケジュール。11時にスタートし、夕刻には終わると思います。
→5時20分頃に終了し、寒空のなか、6時20分に家に帰り着きました。その途端、妻が飛び出しました。やばい、打上げをすっかり忘れていたと言い残して、駆け出しました。ほんとうにすっかり忘れていたようです。帰宅すると次の本が届いていました。
Lorraine Daston & Elizabeth Lunbeck, eds.,
Histories of Scientific Observation
Chicago and London: University of Chicago Press, 2011
Table of Contens:
"Observation in the margins, 500-1500" by Katharine Park
"Observation rising : birth of an epistemic genre, 1500-1650" by Gianna Pomata
"The empire of observation, 1600-1800" by Lorraine Daston
"The color of blood : between sensory experience and epistemic significance" by Domenico Bertoloni Meli
"Seeing is believing : Professor Vagner's wonderful world " by Michael D. Gordin
"A visual history of Jean Perrin's Brownian motion curves " by Charlotte Bigg
"Frogs on the mantelpiece : the practice of observation in daily life" by Mary Terrall
"Sorting things out : The economist as an armchair observer" by Harro Maas
""A number of scenes in a badly cut film" : observation in the age of strobe" by Jimena Canales
"Empathy as a psychoanalytic mode of observation : between sentiment and science " by Elizabeth Lunbeck
"Reforming vision : the engineer Le Play learns to observe society sagely" by Theodore M. Porter
"Seeking parts, looking for wholes" by Mary S. Morgan
"Seeing the blush : feeling emotions " byOtniel E. Dror
"Visualizing radiation : the photographs of Henri Becquerel" byKelley Wilder
"The geography of observation : distance and visibility in eighteenth-century botanical travel" by Daniela Bleichmar
"The world on a page : making a general observation in the eighteenth century" by J. Andrew Mendelsohn
"Coming to attention : a commonwealth of observers during the Napoleonic Wars" by Anne Secord.
夜半に目覚めてすこし仕事。2回目の起床は7時、室温16.7度。
今日の科研費の会合は、11時に始まり、5時半終了予定です。それから懇親会があって、たぶん8時まで続くのではないでしょうか。
→会議の終了は、6時半過ぎ。それから大岡山の商店街のはずれにある中華料理屋まで移動。1キロ近くあるように感じました。
ゆっくり食事をし、10時前にごちそうさま。帰宅は、11時前になりました。
ひとりで5時50分、室温12.6度。昨日は寒くて暖房をつけています。外の気温がどうかはすぐにはわかりません。→ネットで見ると、今日は7度〜20度、明日は11度〜20度、土曜日は5度〜14度となっています。
7時半現在、まだ誰も下に降りてきません。明日は科研費の研究会、明後日は学会の会議(編集委員会、理事会、事典編纂委員会)があります。明日の発表の準備は今日行います。つまり、木、金、土とやるべきことがつまっています。
まずは、編集委員会の仕事。9時前に大学に着きました。メールボックに入っている郵便物を回収し、ならびに事務に届いている書留を受け取りました。それだけで踵を返しました。ということで、帰途は9時過ぎの中央線。混んでいます。三鷹で総武線に乗り換えました。車中から満開の桜がいろんなところに見えます。都会の方が桜が多い。
帰宅し、受け取った郵便の整理をしたあと、明日の発表資料の作成にかかりました。3時頃にはワードで4枚のものが一応できました。
その後、気分転換を兼ねて、息子の友達の家3軒に田舎のお土産を配って回りました。最初のお家はいくらか遠かったので、息子を自転車の後ろに乗せました。2軒目、3軒目は息子が歩いていきたいといったので、歩いて回りました。息子と妻は朝から息子の部屋の本格的片づけに取り組んでいます。幼稚園でくれる絵本等は処理することにしたようです。明日資源ゴミとして出す紙のゴミが玄関に積み重なりました。
午後3時40分、無事我が家に帰り着きました。なんだか疲れています。雨上がりの寒い東京に帰り着くと、次の本が届いていました。
Howard B. Adelmann,
The "De Ovorum Gallinacaceorum Generationis Primo Exodio Progressuque, Et Pulli Gallinacei Creationis Ordine" of Volcher Coiter
New York, 1933.
注文したときに予想していた通り、これは、いわば別刷りをバインドした冊子です。表紙には次のようにあります。
Printed from New Series, Vol. 5, No. 4, pages 327-341, and Vol. 5, No. 5, pages 444-457
Annals of Medical Hisotory
父の一周忌
3月22日
なおは、10時25分、おおきいちびは11時前後、そしてちいさいちびは1時過ぎに帰ってきました。ちいさいちびは(本人は出席しませんが)卒業式の練習があります。遅くなることは覚悟していましたが、1時を過ぎるとまでは予想していませんでした。電車は、家を2時前に出れば間に合うよう座席を取っています。まあ、それでも、のんびりする余裕はありません。急いで昼食をとらせ、最後の準備。
なおは1時にリュックを背負っていました。ちょうどよいので、1時半ごろ出発することにしました。駅前の新しいコンビニでおやつを買ってから電車に乗り込みました。
東京駅では時間に余裕があったので、地下に降りてデザートを購入。おおきいちびはトトロのお店に行きたいと言いましたが、探す余裕はありません。そのまま新幹線のプラットホームへ。車両はすでにホームに入っていました。15分ほど待ってから乗車。
新大阪の乗り換え時間は、20分です。移動に10分、買い物に10分という計算です。ゆっくりと選んでいる余裕はありません。新幹線ノゾミ号を出て、目の前にあったお弁当屋さんに入りました。オムスビ3つと各自の弁当を選びました。私だけが柿の葉寿司。残りは、焼き鳥弁当。
急いだので、黒潮号のプラットホームでは十分な余裕がありました。電車は、折り返しではなく京都の方から来ました。乗車し、席について子どもたちはすぐにお弁当を食べ始めました。窓の外を見ると、夜の大阪。夜の電車は初めてかもしれません。電車は特急ですが、大阪府内ではゆっくり走っています。夜の明かりがすくなくなった和歌山県内に入ってから速度を上げたようです。はしゃいで疲れたのでしょう、なおは寝てしまいました。2時間近くぐっすりです。到着の10分前に起こしました。すぐに目覚め、リュックを背負いました。仕方がないので、一緒にデッキに立っていました。
和歌山はすこし雨です。電車を降りて雨に濡れながらホームをすこし歩くとたこおじさんの姿が見えました。なおは思いきり手を振っています。
おばあちゃんちについて急いで順番にお風呂に入り、たぶん10時には就寝できたと思います。2013年3月23日
ひとりで5時50分。花粉症がひどい。長女は昨日おばあちゃんちに着いてから、しぬ、しぬ、と言っていました。目が真っ赤です。
昨日和歌山では雨が降っていましたが、今朝は快晴です。おばあちゃんちの庭の桃の花もちょうどさきかけです。
午後法事ですが、段取りはまだはっきりしていないようです。なおは、グローブとボール、おおきいちびはバスケットボールを持ってきています。午前中はそれを持ち出し、家の前で遊んでいました。
埼玉に住む妹とその息子は、神戸から(昨夜神戸で何か仕事があったそうです)11時44分南部着の電車で来ます。すこしもたもたしても12時にはここに着くでしょう。
昼食はお弁当。10人がそろいました。
12時50分、全員、着替えてお寺に。本堂に入り座って待っていました。数分でお坊さんが出てきました。父の1周忌だけではなく、祖母の33周忌でもあるのだそうです。ちゃんと紙に書き出していました。
お焼香は合計4回。
最後、息子はおじいちゃんのお墓の草むしりをしたいと言います。私が付き合いました。残りはそのまま帰りました。息子はみんながどこかで待っていてくれると思っていたようです。帰ってしまったことに気づくと僕も帰ると言って走って帰って行きました。 おばあちゃんは、お坊さんに家には(片付いていないので)来てくれなくてよいと言ったので、1周忌の法事は以上にて終了。
真理おばさんは鶴の湯に宿泊します。私と息子もついていって、温泉に入ってくることになりました。4時前。おばあちゃんから預かったお金で宿泊の支払いをしたあと、たこおじさんと3人で露天風呂へ。春休みとはいえ、この時刻で温泉という人はあまりいないようです。露天風呂には誰もいませんでした。3月24日(日曜日)
ひとりで5時55分。花曇り。昨日に続き、花粉症がひどい。東京にいるときよりも喉と鼻に来ています。鼻が詰まって夜中に目が覚めます。ああ、苦しい。 息子は6時45分。埼玉に住む妹とその大学生の息子は鶴の湯に泊まりました。チェックアウトが10時ということで、たこおじさんがその時間に迎えに行きます。妹によれば、国民宿舎もロイヤルホテルもネット上では満員、空室なしだったそうです。
母に車庫のなかの片づけを頼まれたので、おもに下の妹が送ってきたおもちゃ類を片付けました。母がドラム缶で紙類を燃やしていたので、燃やせるものはどんどん燃やしました。妻となおが手伝ってくれました。ごみの分別は地域によって異なり、なかなか面倒です。大変だ、大変だと言いながら、10箱ぐらいは片付けたでしょうか。汚れた段ボール箱そのものももう燃やしてやりました。かなりの量を片付けましたが、車庫のなかの見た目はまだまだ雑然としたままです。
車庫の隣で片づけをしていました。近所の方が車で通りかかり、挨拶をするといつまでいるのと聞きます。水曜日までと答えると、今朝掘ってきたばかりのタケノコを3本くれました。今が旬だそうです。出始めで出荷すると一番高く売れる時期だそうです。早速、おばあちゃんにやり方を教わって、子供たちが3人そろって筍の皮むき。
おばあちゃんは朝からお昼のカレーを作っていました。筍もむけると早速煮ていました。11時半に9人で昼食。撮れたばかりの筍は新鮮でおいしく、子供たちもよく食べていました。
昼食後、外で休んでいると、ちいさいちびが梅振興館に行きたいと言います。5人で歩いていくことになりました。もうすぐ小学2年生はだいたい道を覚えたようです。途中から走り始めました。ちいさいちびがそれに付き合ってくれました。二人でずっとはやく梅振興館に着いていました。
妻とおおきいちびはそのままお土産物売り場へ。ちいさいちびともうすぐ小学2年生は、展示をざっと1周してからやはり階をひとつ上がってお土産物売り場へ。子どもたちはそれぞれアイスクリームを食べています。妻は近所の方へのお土産を探しています。他にはないものがあるので、お土産にはちょうどよい。10点ほどお土産を買って、帰途へ。今度はもうすぐ小学2年生はひとりで走り始めました。とりあえず私が追いましたが、走るのは無理です。途中からバスケ部のおおきいちびがもうすぐ小学2年生に追いつき、一緒に走って帰ってくれました。妻とちいさいちびはゆっくり歩いて後ろをついてきています。
山の中にぽちぽちと桜があります。たぶんちょうど満開です。妻は山がそこだけ禿げているようだと言っていました。そういう見立てもあります。埼玉に住む妹とその息子は3時過ぎの電車が帰ります。もうすぐ小学2年生は、東京にいるときからたこおじさんに田辺に連れて行ってもらうと言っています。その車に同乗して駅まで妹たちを送り、そこから田辺に行ってもらうことにしました。走り回ってさすがに疲れたのでしょう、車のなかではほとんど寝ていましたが、ついたと教えると、すっと起きて、私とふたりでおもちゃ売り場へ。弟は屋上の駐車場でそのまま待機。やはりガンバライドのゲームを行います。ゲームが終わったあとはウィザードリングを探しましたが、ガチャポンのものは売り切れでした。田辺でも人気があるようです。リング用にママから千円をもらってきています。おもちゃ売り場で、バンダイの類似の製品を安売りしているコーナーがありました。どれにしようかしきりと悩んだあと、もともと4200円の剣が1000円になっているものに決めました。変形し、音が鳴ります。
次は建物をもどって食品売り場へ。妻に頼まれたものを買いました。ちいさいちびがさきいかと言っていたのでさきいかも買いました。それから屋上に行ってたこおじさんのクルマに合流。
帰宅すると、鶴の湯で食事を予約していると言います。もうすぐ小学2年生がおもちゃを開けるひまもなく、鶴の湯に向かいました。妻がお留守番。食堂で先に食べるものを各自予約してから温泉へ。昨日からもうすぐ小学2年生は温泉につかることができるようになっています。
5時から食堂で食事。おおきいちびとちいさいちびはハンバーグ定食、もうすぐ小学2年生は海老フライ定食をほぼ完食しました。3月25日(月曜日)
ひとりで4時。夜何度も鼻が詰まって目覚めました。東京にいる時よりもひどいぐらいです。
5時になってから朝食。
昼食後、一休みしてから、レモンの収穫に向かうことになりました。おばあちゃんによれば、新畑(しんばた)にレモンの木を植えているということです。たこおじさんに留守番を頼んで、おばあちゃんを含めて6人で出かけることとなりました。
裏山をひたすら登ります。おじいちゃんが植えた木というのがいろんな所にあります。桃はきれいに咲いています。庭に植えている2本と同じものだそうです。桜は、順調に育っているものとそうでもないものが分かれています。
一番近い畑には、食べられる桃と甘夏を植えていました。猿が来て食べるそうで、実はひとつもありませんでした。
新畑(しんばた)というのは、一番遠くの畑でした。モノラックを伝いながら降りました。子どもたちは山の斜面にピーピー言っています。おばあちゃんは慣れたものです。
おお、確かにレモンの木があり、ざっとみて2〜3百個は実をつけているようです。レモンの木には棘があります。棘に気をつけるように言って、好きに収穫させました。はさみは2つあります。順番に使いました。もうすぐ小学2年生は途中から野生に目覚めたようです。急な山の斜面を上手に登り降りして、棘をものともせず、レモンをもぎ取っています。もともとは梅畑です。梅畑のなかに一本レモンを植えています。もうすぐ小学2年生はまるでおさるさんのようにレモンの木に接している梅の木を揺さぶり、その振動で落ちたレモンを拾います。もちろんそうやって拾ったレモンは使い物にはならず、捨てることになりますが、自分の思ったように収穫できることが楽しいようです。おばあちゃんはこういうときに使う収穫用の箱(丸いざる)を2つ用意してくれていました。その二つにいっぱいになるまで取りました。百個を超えているぐらいでしょうか。
子どもたちは楽しい、明日も来たいと言っています。天気がよければ明日も来ることになりそうです。
昨日からの片づけを続行しています。亡くなった父は車庫のなかに、いろんなものを残しています。父が生きていればあってもよかったのでしょうが、今となっては今後誰も使うことのないものが数多くあります。まずは燃やしてよいゴミ類(不要な段ボール、紙類、朽ちた木の類)を選び出して、ドラム管で燃やしています。
母も片づけたいものがあったようです。途中から参加しました。そうすると子どもたちも入ってきました。おばあちゃんに指示を仰いで、危なくないように手伝いなさいと言いました。どの家でもそういうところがあるのでしょうが、不思議なものが残っています。すっきりとまではいきませんが、徐々に進めていけば、すっきりに近づくでしょう。3月26日(火曜日)
ひとりで4時40分。昨夜も鼻が詰まり、本当に苦しかった。
晴れ。ただし、気温が下がっています。 テレビの天気予報でも、寒さに注意と言っていました。車庫の整理を続行。ついでに、家の中で荷物が2重になっていてアクセスできない部分があるのを解消しました。不要な段ボール等は焼却処分としました。
お昼にバーベキュー。焼却処分と同時に、庭でバーベキューの準備。10時半過ぎから炭火おこしをたこおじさんが担当しました。
昼食後は、おばあちゃんが昼寝から起きるのを待って、お墓参り。草抜き道具と線香とお花を持っていきました。
そのあとは、もうすぐ小学2年生が田辺に行きたい田辺に行きたいというので、急ぎで連れて行ってもらうことになりました。今回の帰省ではじめて高速を使いました。高速を使うと、ほぼ10分でつきます。ゲームを3回行って満足しました。3時前に家をでて、4時15分前にかえることができました。
ちいさいちびのたっての希望で、ロイヤルホテルの温泉へ。妻がお留守番。
3月27日(水曜日)
ひとりで5時35分。曇り。天気予報によれば、東京の今日の最高気温は9度ということです。
ひとりで5時50分、室温13.2度。すこし寒く感じます。昨日より室温で3度下がっています。
子どもたちは終業式。帰ってきて、お昼ご飯を食べてから、出かけます。昨日書いた通り、父の一周忌の法事でしばらく帰省しています。急ぎの用事がある方は、リムネットのアドレスに連絡を下さい。このアドレスのみ応答ができるようにしておきます。
ひとりで6時5分、室温16.2度。早朝からすごく強い風が吹いています。へたな台風よりも音が大きい。本日の最高気温の予報は13度。現在の室温より低いことになります。午前中はひとり留守番。明日から父の1周忌でしばらく帰省します。妻は昨日のうちに荷造りをすませました。午後、宅急便屋さんが取りに来てくれます。私の荷物は少しです。片づけと平行して、荷造りをしました。小1時間で完了。
ひとりで6時、室温18.9度。室温は昨日とまったく同じです。曇り。
おおきいちびは午前中に練習試合があるということで、7時過ぎに出ていきました。シンポジウムの要旨を今日一日かけてなんとか最後まで書き上げました。雑誌で刷り上がり2頁、約4000千字の原稿です。古い基準では、400字詰め原稿用紙10枚分ということになります。
シンポジウムのテーマは、「事典の世界」。私の発表は、「ハリス『技術事典』の起源」です。
ひとりで6時20分、室温18.9度。いきなり気温が上がっています。一日中、会議です。9時からスタート。4時半終了予定となっていますが、実際には5時でしょうか。
会議は正確には、9時から10時、11時から12時、2時から院の教授会と学部の教授会が連続して、4時半終了予定で、5時半過ぎ終了でした。間に時間があったので、私が応対すべき教務上の仕事をこなし、研究室内の資料を探し出しました。[アリストテレス『分析論後書』第2巻第19章]
探し出したもののうち、ひとつは、『分析論後書』の最終章、すなわちハーヴィが引用する箇所です。ウェブにテキストがあがっていないので、打ちました。
「すでに述べたように、 感覚からは記憶が生じ、同じものについて繰り返して得られた記憶から経験が生じる。すなわち、数において多くの記憶が一つの経験であるからである。経験から、あるいは、別の言い方をすれば、[経験に含まれる]すべての事例から、[これらの]全体についてあること[普遍]が魂の中で静止するに至る時、すなわち、それらすべての事例のうちに同じ一つのものが含まれている時、それが魂の内において多から離れ、一として静止するときに、[人間における]技術と知識の端緒がある。すなわち、生成するものについては技術の端緒が、存在するものに関しては知識の端緒がある。したがって、これらの[技術や知識の]能力が一定の限定されたものとして、われわれの内にもともと具わっているのでもなければ、また、その他の[既に具わった]能力であって、[これらの能力よりも]知る力の優れている他の能力からそれらがわれわれに生じてくるのでもない。それらは感覚からわれわれに生じてくるのである。それは、あたかも、戦のさなかにおいて、戦列に総退却が起こった折、一人が踏み止まると、もう一人が踏み止まり、つづいて、もう一人が踏み止まるというようにして、この踏み止まりが遂に最初に退却し始めたものにまで及ぶというようなものである。魂は本来このような変化を蒙りうる素質を具えたものである。――いま述べられたこと、しかし、はっきりとは述べられなかったことを、あらためて述べて見よう。[互いに形相における]差別をもたないもの[個別]の内の一つが止まる時、魂の内に最初の「全体的なもの」が生じる(何となれば、ひとが感覚するもの[感覚対象]は個々のものであるが、感覚[内容]は全体的なものについてだからである。すなわち、感覚[内容]は人間についてであって、人間である[個々の]カルリアスについてではないからである。)これらの[最初の全体的な]ものの内に[いっそう全体的なものの]停止が起こり、遂に、無部分なもの、すなわち、[最も]全体的なものが止まるに至る。たとえば、これこれの種類の動物が[一つの全体的なものとして]止まって、動物の停止に至り、また、これについても同じことが起こるというように。このようにして、第一のもの[原理]を知るために、われわれが帰納によらざるをえないことは明白である。実際、感覚が「全体的なもの」を魂の内に作り出す際にも、それはこのような仕方によるからである。」 (加藤信朗訳、岩波書店、1971), p.770)(ボールドは私。)
この文章は、アリストテレス主義者やスコラ学者でなくても、多様な解釈を誘います。優れた文学的表現だと思いますが、個別から普遍へ至る帰納の過程として、この記述で満足する哲学者・認識論者はいないように思われます。
感覚から帰納によって魂のうちに全体的なもの[普遍]が生じる、と言っていることはわかりますが、それがほんとうのところどのようにしてか、この記述だけで理解できる者はいないと言い切ってもよいでしょう。
正反対の解釈を誘ったとしてもまったく不思議ではありません。そういう文章だと思います。
ハーヴィに戻れば、これを、感覚からわれらの知識が始まる、感覚こそが重要であると彼が解釈したとして、それはパドヴァ流経験主義的アリストテレス学派のなかのひとつの解釈の仕方と位置づけてよいでしょう。
ハーヴィは、アリストテレスのなかから経験主義的な主張を抜き出してきている、基本はそういうことだと言ってよいでしょう。すこし部屋のなかを嗅ぎ回って捜し出したのは、『日本科学史学会第40回年会研究発表講演要旨集』です。このなかに次が収められています。
月澤美代子「W. ハーヴィの『動物の発生』「序文」における proprius oculus と ratio―」『日本科学史学会第40回年会研究発表講演要旨集』(1993), p.38.
1頁の講演要旨なので、論証はありません。主張だけがまとめられています。
「本報告は、この「序文」を、アリストテレスの方法論の単なる再説としてではなく、ハーヴィ自身の「新しい、より確かな科学方法論」の表明として、ハーヴィ自身の用語のなかから Proprius Oculus と Ratio の2つの語に注目しつつ、その内容を正確に捕捉しようという試みである。」
「ハーヴィは、原因を言い当てる Ratio を重視したアリストテレスとは異なる自分自身の認識論を、アリストテレスからの引用を巧妙につなぎあわせながら「序文」のなかで表明した。」
ちなみに、1993年の日本科学史学会年会は、東海大学湘南校舎で開催されています。私は行った記憶があります。ユークリッドのシンポジウムのレジメは要旨集に挟み込んでいます。私自身は発表していません。講演内容の記憶はだれのものでもまったくありません。[HISTORIA]
検索をかけていて、次の論文が今の探究テーマに関係することがわかりました。
Gianna Pomata, "Praxis Historia: The Uses of Historia in Early Modern Medicine," in Gianna Pomata and Nancy G. Siraisi, eds., Historia: Empiricism and Erudition in Early Modern Europe (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005): 105-146
HISTORIAは手元にある筈です。部屋のなかを捜しました。約半時間。なんとか探し出しました。手元ではなく足許にありました。嗚呼!。
これは、以前取り上げた、Gianna Pomata, "Framing the History of Observation, Part II: Observation Rising: Birth of an Epistemic Genre, ca. 1500-1650" の前半と言ってよい論文です。私には重要で必要なポイントを示してくれています。ボイルの引用論文や自然誌論文を書くときに参照できていればよかったな、という種類の論文です。
鼻がつまってひとりで3時35分、室温15.1度。[菊池博士の著作]
隠岐さんのつぶやきで、菊池好行氏の博士論文からの著作がやっと刊行されることを知りました。
Yoshiyuki Kikuchi, Anglo-American Connections in Japanese Chemistry: The Lab As Contact Zone
本年中には手にすることができるでしょうか。[『化学史研究』第40巻第1号(2013)目次]
本日、『化学史研究』第40巻第1号(2013)が届きました。目次は次の通りです。[論文]川島慶子「科学アカデミーに挑んだ女:エミリー・デュ・シャトレと『火の論文』出版の意味」第40巻(2013): 1-19
[総説]川島慶子「ジェンダーの視点から見た、「科学者」マリー・キュリーの「成功」」第40巻(2013): 20-33
[総説]大野誠「プロソポグラフィ考」第40巻(2013): 34-41
[広場]古谷圭一「分析機器・科学機器遺産認定制度の発足」第40巻(2013): 42-45
[紹介] 柴田和宏・工藤璃輝・ 坂本邦暢「 Isis特集:科学における教科書」第40巻(2013): 46-47
[紹介]大野誠「The Correspondence of Joseph Black 」第40巻(2013): 47-48
[紹介]古谷圭一「ハミルトン『電気事始め マイケル・ファラデーの生涯』」第40巻(2013): 48-49
[ニュース]内田正夫「イギリス王立化学会歴史グループ(RSCHG)ニュースレターの電子化」第40巻(2013): 49
["Intimate Converse with Nature"]
昨日とりあげた、次の論集のなかのハーヴィですが、ウェブに内容の重なるドラフトがありました。
Charles T. Wolfe, Ofer Gal, eds.,The Body as Object and Instrument of Knowledge: Embodied Empiricism in Early Modern Science (2010)
ドラフトは、次です。
Alan Salter, "Intimate Converse with Nature: Touch and Experience in William Harvey's System of Inquiry", Paper presented to an HPS workshop on Empiricism and the life sciences, at Sydney University, August 3rd 2007, published in Self Estranged in English Texts, 1550−1660, Ashgate, Farnham, August 2010.
これはほんとうのドラフトです。注のページ数は半分もきちんと入っていません。なかなか面白い議論です。ただし、納得はできません。
そもそも、ハーヴィの認識論がどうもかなり特異です。極端な経験主義、直接経験主義です。ハーヴィが引用するアリストテレスにおいてもそうでしたが、個物と普遍の関係をどう捉えているのかすぐには理解できません。「全体的事物」という概念が鍵のようですが、それでもすぐには理解できません。
探究の道を照らすのは、"Intimate Converse with Nature " である、というハーヴィの言葉からこのタイトルを取っています。
ソルターは、次の論文を使っています。Hunter, R.A., and Macalpine, Ida, 'William Harvey. Two medical anecdotes, the one related by Sir Kenelm Digby, the other by the Honourable Robert Boyle', St Bartholomew's Hospital Journal 60 (1956): 200-6.
The Body as Object and Instrument of Knowledgeの方の目次は次です。
1. Charles T. Wolfe and Ofer Gal, "Embodied Empiricism"
2. Hal Cook, "Victories for Empiricism, Failures for Theory: Medicine and Science in the Seventeenth Century"
3. Cynthia Klestinec, "Practical Experience In Anatomy"
4. Alan Salter, "Early Modern Empiricism and the Discourse of the Senses"
5. Victor Boantza, "Alkahest and Fire: Debating Matter, Chymistry, and Natural History at the Early Parisian Academy of Sciences"
6. Peter Anstey," John Locke and Helmontian Medicine"
7. Ofer Gal & Raz Chen-Morris, "Empiricism Without The Senses: How the Instrument Replaced the Eye"
8. Guido Giglioni, "Mastering the Appetites of Matter. Francis Bacon's Sylva Sylvarum"
9. Justin E.H. Smith, "‘A Corporall Philosophy’: Language And ‘Body-Making’ In The Work Of John Bulwer (1606-1656)"
10. Richard Yeo, "Memory and Empirical Information: Samuel Hartlib, John Beale and Robert Boyle"
11. Snait Gissis, "Lamarck on Feelings: From Worms to Humans"
ひとりで4時20分、室温13.2度。[アデルマン Howard B. Adelman 1898-1988]
アデルマン(英語の固有名詞として正しい発音は、アディルマンですが、日本語ではたぶんアデルマンと表記されるでしょう)は、コーネルが生んだもっとも偉大な学者の一人。彼はコーネルに72年間いたが、そのうち67年は教師としてであった。1944年から1959年にかけては動物学教室の学科長をつとめた。実験発生学者としては、サンショウウオや鳥類の単眼症等の研究を行った。研究のごく初期から、発生の歴史に関する稀書の収集を始め、5千冊を越えることとなったが、そのコレクションは今コーネル大学に所蔵されている。1924年から1960年まで彼は獣医学部の学生に発生学を教えた。
発生学の歴史としては、コイテル(Volcher Coiter, 1933)から始め、1942年にファブリキウスの発生学論考(The embryological treatises of Hieronymus Fabricius of Aquapendente : the formation of the egg and of the chick (De formatione ovi et pulli), the formed fetus (De formato foetu), Cornell University Press, 1942)を出版し、1966年科学史の世界を驚嘆せしめた『マルチェロ・マルピーギと発生学の展開』(Marcello Malpighi and the evolution of embryology, Cornell University Press, 1966. 全5巻、総ページ数2475頁)を出した。さらに、その9年後(1975)、『マルチェロ・マルピーギ書簡集』(The correspondence of Marcello Malpighi, Cornell University Press, 1975. やはり全5巻、総ページ数2227頁)の大冊を編集出版した。
(以上、Howard E. Evans, "Anatomical History at Cornell," delivered in 1994 およびいくつかの書評より。)[マルピーギ Marcello Malpighi, 1628-1694]
(ボイル Robert Boyle, 1627-1691 ですから、ボイルとマルピーギは、ほぼ同じ時代を生きています。マルピーギはボイルより1歳下で、ボイルの3年後に没しています。)
マルピーギにも着手しようと思い、まず、1月12日に届いたメリさんの本を繙きました。
Domenico Bertoloni Meli, Mechanism, Experiment, Disease: Marcello Malpighi and Seventeenth-Century Anatomy, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2011
今の問題に直接関係する第8章「発生と鶏卵の中の雛の形成」だけ目を通しました。ハーヴィ以後の発生研究がよくまとめられていると思います。アウトラインが描かれています。
・p.388 note 6. ハーヴィの所蔵し使っていた(書き込みがある)ファブリキウスは、インディアナ大学のリリー図書館に保管されているということです。ふむ。
・p.225 ハーヴィの『動物発生論』(1651)のあと、ドルドレヒトの Wilhelm Lagly がウサギの発生と雛の孵化について研究した。その研究は彼の死後、1674年に、Justus Schrader がObservationes de generatione animalium として出版した。この『動物発生についての観察』の序文でSchraderは発生研究の展開について有用な展望を与えている。
・p.210 図版の使用と言葉の選択に対するハーヴィの態度の特異性.
『動物発生論』でハーヴィは図版をまったく使っていない。『心臓の運動』では静脈弁に関する有名な4連のもののみ。p.212 図版は直接の観察の代用にはならない。「絵や図版でのみ外国の村と町や人体の内部を見るものは、・・・真実を間違って表象してしまう。」(Willis, p.158 ただしウィリスの訳はこれとはすこし違う)言葉についても同様のことが言える。(Charles T. Wolfe, Ofer Gal, eds.,The Body as Object and Instrument of Knowledge: Embodied Empiricism in Early Modern Science (Springer, 2010), p.73 も同じフレイズを引用している。)メリさんが使っている『解剖学文庫』をグーグルブックでダウンロードしました。
Daniel Le Clerk and Jean-Jacques Manget, eds., Bibliotheca Anatomica, 2 vols., Geneva, 1685
私の分野では、『化学文庫』を編んだJean-Jacques Manget は、『解剖学文庫』の他にも、『実践医学文庫』( Bibliotheca medico-practica, 4 vols., Geneva, 1695-97)や『解剖学劇場』( Theatrum anatomicum, 3 vols., Geneva, 1717)も編纂しています。後世には貴重な編纂の仕事です。Marcelo Malpighi's major works are:
De pulmonibus observationes anatomicae, Bologna, 1661
De pulmonibus epistola altera, Bologna, 1661
Epistolae anatomicae de cerebro, ac lingua … Quibus Anonymi accessit exercitatio de omento, pinguedine, et adiposis ductibus, Bologna, 1665
De externo tactus organo anatomica observatio, Naples, 1665
De viscerum structura exercitatio anatomica … Accedit dissertatio eiusdem de polypo cordis, Bologna, 1666
Dissertatio epistolica de bombyce, London, 1669
Dissertatio epistolica de formatione pulli in ovo, London, 1673
Anatomes plantarum pars prima. Cui subjungitur appendix iteratas et auctas de ovo incubato observationes continens,London, 1675, (prefaced by Anatomes plantarum idea, dated November 1671)
Anatomes plantarum pars altera, London, 1679
“Dissertatio epistolica varii argumenti” [addressed to Jacob Spon], in Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 14 (1684), 601−608, 630−646
Opera omnia, London, 1686; repr. Leiden, 1687
De structura glandularum conglobatarum consimiliumque partium epistola, London, 1689
Opera posthuma, London, 1697; repr Amsterdam, 1698
Consultationum medicinalium centuria prima, Padua, 1713
Malpighi with J. M. Lancisi.Consultationm medicarum nonnullarumque dissertationum collectio, Venice, 1747
ひとりで6時5分、室温12.5度。昨日は室内が寒かった。今日はその寒さをあまり感じません。東京の桜の開花は土曜日という予想です。やっとこの冬の寒さから解放されるようです。(→やはり、桜は今日開花したそうです。)もうすぐ小学2年生を朝一番で東急に連れていきました。天気もいいし、気温も上がったので自転車です。開店3分前にドアに立ちました。さすがに一番でゲーム機につき、誰も並ぶ子がいなかったので、3回続けて、仮面ライダーガンバライド。
その後、おもちゃで遊び始めました。途中から別の子が参加して、仲良く遊んでいます。11時半にそろそろ帰ろうと言って、おもちゃ売場から離れました。地下でパンを買い、帰途。新しいコンビニが見たいというので、駅前に昨日オープンしたサンクスに立ち寄りました。頼まれたものがなかったので、もっと駅に近いローソンに。メロンとブドウを買ってから帰宅。[A. W. Meyer, Essays on the History of Embryology]
ウェブでマイヤー(もしくはメイヤー)の発生学の歴史のエッセイがダウンロードできます。展望を得るため、ダウンロードして少しずつ読み進めています。
1. A. W. Meyer, "ESSAYS ON THE HISTORY OF EMBRYOLOGY: OLD IDEAS REGARDING SEX, FERTILIZATION, AND PROCREATION." Cal West Med. 1931 Dec;35(6):447-51.
2. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part II." Cal West Med.1932 Jan;36(1):40-4
3. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: The Foundations of Morphologic Embryology: Part III." Cal West Med.1932 Feb;36(2):105-9.
4. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part IV." Cal West Med.1932 Mar;36(3):176-80.
5. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part V." Cal West Med.1932 Apr;36(4):241-4.
6. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part VI." Cal West Med.1932 May;36(5):341-3.
7. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part VII." Cal West Med.1932 Jun;36(6):394-7.
8. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: The Rise of Experimental Embryology: Part VIII." Cal West Med.1932 Jul;37(1):41-4.
9. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part IX." Cal West Med.1932 Aug;37(2):111-5.
10. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part X." Cal West Med.1932 Sep;37(3):184-7.夕刻、次の本が届きました。
Justin E. H. Smith ed.,
The Problem of Animal Generation in Early Modern Philosophy
Cambridge: Cambridge University Press, 2006
Table of Contents :
Introduction by Justin E. H. Smith
1. The comparative study of animal development: from Aristotle to William Harvey by J. G. Lennox
2. Monsters, nature, and generation from the Renaissance to the Early Modern period: the emergence of medical thought by Annie Bitbol-Hespériès
3. Descartes' experiments and the generation of animals by Vincent Aucante
4. Imagination and the problem of heredity in Cartesian embryology by Justin E. H. Smith
5. The soul as vehicle for genetic information: Pierre Gassendi's account of inheritance by Saul Fisher
6. Atoms and minds in Walter Charleton's theory of animal generation by Andreas Blank
7. Animal generation and substance in Sennert and Leibniz by Richard T. W. Arthur
8. Malebranche on animal generation: pre-existence and the microscope by Andrew J. Pyle
9. Spontaneous and sexual generation in Ann Conway's Principles by Deborah Boyle
10 'Animal' as category: Pierre Bayle's 'Rorarius'by Dennis Des Chene
11. Method and cause: the Cartesian context of the Haller-Wolff debate by Karen Detlefsen
12. Soul power: G. E. Stahl and the debate on animal generation by Francesco Paolo di Ceglia
13. Charles Bonnet's neo-Leibnizian theory of organic bodies by Francois Duchesneau
14. Kant's early views on epigenesis: the role of Maupertuis by John Zammito
15. Blumenbach and Kant on the formative drive: mechanism and teleology in nature by Brandon Look
16. Kant and the speculative sciences of origins by Catherine Wilson
17. Kant and evolution by Michael Ruse
ひとりで5時50分、室温11.4度。昨夜のアルコールがすこし残っています。そういう日は体力の回復を待ちつつ、すこしずつ課題をこなします。
最初(3時頃)に帰ってきた小学1年生は、グローブと野球ボールとサッカーボールをもって公園にでかけました。
次(4時前)に帰ってきたおおきいちびはすぐに着替えて、吉祥寺に行きました。6時半に帰るとのこと。
その次(4時過ぎ)に帰ってきたちいさいちびはすこししてから友達の家へ。
妻は PTA の総会で、小学1年生に続いて出ていきました。ということで、私がひとりで留守番。[ハーヴィのアルドロヴァンディ]
ハーヴィの使ったアルドロヴァンディ『鳥類学』は、第3巻であることがわかりました。
Ulysse Aldrovandi, Ornithologiae tomus tertius ac postremus, Bologna, 1603
(もちろん、版は、これと同一のページ付をもつものであればよいので、どの版と特定できるわけではありません。)
アルドロヴァンディの『鳥類学』は見ているだけでも楽しい種類の本です。息抜きにテレビを見ていたら、極楽鳥を取り上げていました。おそらく途中「パラダイスの鳥」というラテン語のテキストが挟まれましたが、アルドロヴァンディではなかったでしょうか。
花粉症で鼻がつまって、3時20分。窓の外ではときおり強い風が吹き、本格的な雨降りになっています。予報では朝には止んでいるということです。
昨夜妻がしかけておいたお餅を早朝のうちにつきました。もう何度もやっているので、慣れたものです。ちいさいちびはほとんど食べません。おおきいちびと小学一年生がよく食べます。とくに、バスケの練習をしているときおおきいちびは朝食で3つ食べます。(大きさは普通お店で売っているのとほぼ同じ大きさに切っています。)
おわって一休みしていたら、地震。たぶん、震度2.6時半現在、室温15.3度。朝練に行くと言っているおおきいちびを起こしに行ったら起きていました。まだ強い風が吹いています。今日は午後会議が続きます。その後、定年退職される方の送別会。持ち寄りでということになりました。
会議は、すこし延びましたが想定内です。研究室に荷物をおいてからすぐに総合文化研究所へ。すでに何人かの方が見えて、準備中。私も様子をみて、必要だと思った作業を行いました。3人の方が今年限りで去られます。本当に定年退職なのはおひとり。もうひとりはすこしはやめ、さらにもうおひとりの方はもっとはやめに退職されます。
退職後のことはあまり考えていないということでした。
話は盛り上がりましたが、9時50分で終了。電車を待っていると、国際社会学部の学部長も現れました。長はやはり忙しい。[ファブリキウス]
ハーヴィ自身が一番にはアリストテレス、二番にファブリキウスと言っています。ハーヴィが使っているファブリキウスもダウンロードしました。次です。
Hyeronimus Fabricius ab Aquapendente,
De Formatione ovi, et puli
Patavia[Padoa], 1621
ファブリキウスのものはほんとうに図版が豊富です。それに対してハーヴィは図版をほとんど使いません。
ハーヴィは『動物の発生について』で、アリストテレス(主として『動物誌』『動物発生論』)、ファブリキウス(この『卵と雛の形成について』)、ならびにアルドロヴァンディ(『鳥類学』とでも訳すのでしょうか)を使っています。アルドロヴァンディについてもう一度調べなおしておこうと思い、『科学史技術史事典』をくってみました。立項されていません。嗚呼!
つぎに『科学革命の百科事典』を引いてみました。フィンドレンが記事を書いています。フィンドレンの評価によれば、アルドロヴァンディの第一の意義は、自然誌を正統な研究分野として制度化しようとした点、ならびに自然を理解する前提として注意深い経験的観察を行おうとした点にあるとしています。
数多くの論考をあらわしたが、生存中(1522-1605)にはほとんど出版されず、自然誌のものとしては、Ornithologia (1599-1603)の3巻と、無血動物、四足獣、魚、金属、怪物、木に関する10巻本(1606-1668)だけを出版した。
フィンドレンは文献は3点、第1は自著(『自然の占有』)、第2はリンドの翻訳(アルドロバンディの雛論)、第3はオルミのアルドロヴァンディ(イタリア語、1976)を挙げています。つまり、日本語としてはフィンドレンの邦訳『自然の占有』(ありな書房、2005)が一番手頃ということになります。ISIS Current Bibliography 2012 で "Havrey" は2点です。
Wolfe, Charles and Alan Salter, "Empiricism contra Experiment: Harvey, Locke and the Rivisionalist View of Experimental Philosophy," Bull. SHESVE 16(2009): 113-140.
この聞き慣れない雑誌は、Bulletin d'histoire et d'èpistémologie des sciences de la vieですが、ISIS の略語表には ? がついています。
Crignon, Claire, "La découverte de la circulation sanguine: r&eaucte;volution ou refonte ?"Gesnerus 68(2011): 5-25.ちなみに、ボイルは9点、ベイコンは20点、ベイコン主義は2点です。ベイコンに関してはEarly Science and Medicineの特集が効いています。ファブリキウスは0点、アルドロヴァンディは1点です。アリストレテス主義17点、目的論10点、血液循環2点、引用分析2点、百科全書(歴史)7点、百科全書と事典9点、経験主義16点、ニュートン28点、ニュートン主義3点、ビシャ1点、ハラー1点、王立協会9点、デカルト13点、ガッサンディ0点、フック6点、・・・。
夜半に目覚めてすこし仕事。目が痒い!!!2回目の起床は、5時15分、室温13.0度。やはり目が痒い。我が家で一番花粉症のひどいおおきいちびは目のまわりがくしゃくしゃになっています。たぶん、わたくしもそうなりつつあるのだと思われます。
[ホワイトデー]
一日はやいのですが、息子がホワイトデーのために、朝からクッキーを作ると張り切っています。おねえちゃんたちがバレンタインデーのためにチョコをつくっているのをみて、自分もやりたくて仕方がなかったようです。クッキーやキャンデーを買ってきてあげるから詰め合わせにしないか、ときくと断られました。
一番簡単なクッキーのレシピをウェブで調べ、昼食後、セイユウに材料の買い出し。パンケーキの粉とマーガリンを混ぜるだけのものが一番簡単です。(水も卵も使わない。)
2時半前、むすこは半袖姿で走って帰ってきました。粉もマーガリンもはかった量をポリマーの袋にいれて捏ねるので、手を汚すこともありません。
生地を5ミリに延ばすところはやってやりました。型抜きで丸くするのは息子の仕事。15枚程度できました。
チョコをコーティングすると言っています。ホワイトチョコを2枚とブラックを1枚、細かく砕きました。クッキーをオーブンで焼いている間に、チョコの湯煎。温度計で湯の温度をはかりながら、ゆっくり溶かします。ほぼ50度でキープ。
クッキーはまずまずの焼き上がり。そのまま、ホワイトチョコのコーティングを6個、ブラウンチョコのコーティングを6個作りました。クッキングシートを敷いた皿に載せ、そのまま冷蔵庫へ。冷えてからとった方がよいようです。
息子はそのままピアノの練習に行きました。
帰ってきて、冷蔵庫から出すと、ちょうどよく固まっています。袋につめて、早速配ります。2人。一人の方は、家を知りません。地図をもらい、息子を自転車の後ろに載せて捜しました。捜すのにすこし手間取りましたが、無事、その子のおばあちゃんに渡すことができました。
もう一人は、幼稚園のときからのお友達です。私は門のところで待ってあとは本人に行かせました。
以上にて、ホワイトデーの仕事は完了。お菓子つくりは神経を使うので疲れます。[ハーヴィ翻訳]
さて、ハーヴィの邦訳ですが、これまで見てきませんでした。ちょうどよいので、本棚から探し出しました。表紙裏に「呈 黒川君 義等 昭和二四年陽春」と手書きの文字があります。訳者が黒川さんに謹呈したものでした。なんと昭和二四年のもの。すこし触ると表紙が取れました。
なお邦訳の書誌は次の通りです。
ハァヴェイ『血液循環の原理』暉峻義等訳、岩波文庫、昭和11年;昭和23年(第7刷)
部屋を捜せば、もうすこしあとの版もあると思います。母が生まれた年に初版が発行されています。すごいな。
ひとりで4時35分前、室温11.2度。今日は2回目の季節的業務。子どもたちと同じ時刻にでかけます。花粉症の対策をしっかりしていく必要があります。
[シュミットのハーヴィ研究 ii ]
自分でシュミットの続きを行うためには、ハーヴィが利用したかもしれないアリストテレスが必要です。版は別のものですが、何とかJulius Pacius (Giulio Pace, 1550-1635) の対訳本は見つけました。
Aristotelis, Organon, ed. J. Pacius, Frankfurt, 1592
Aristotelis, Naturalis auscultationis libri VIII, ed. and tr. by . J. Pacius, Frankfurt, 1596
しかし、 Duval (Guillaume Du Val) 編纂のアリストテレス全集は、なかなかダウンロードできる pdf が見つかりません。意外なことに、早稲田がシュミットのあげるパリ1619年版を所蔵していることがわかりました。本格的に研究するのであれば、現時点では早稲田に通うのが早いことになります。
もし、どなたか、どこかにダウンロードできる pdf があるのをご存じの方がいれば、是非お教え下さい。よろしくお願いします。→ 考え方を変えて、Duval編全集版に採録されたものではなく、ベサリオン訳『形而上学』、ガザ訳『動物発生論』を捜すことにしました。
苦労しています。
ガザ訳『動物発生論』は、BIUM でやっと見つけました。次です。
Aristote, Habentur hoc volumine haec Theodoro Gaza intreprete: Arisitotelis de natura animalium liv. IX, Lyon, 1505
章立てが1つずれますが、この書のp.613 にハーヴィの引用するアリストテレスの文章がありました。これはママの引用でした。
ベサリオン訳の方はまだ見つけることができません。
それにしても、シュミットは、さすがです。関連するテーマに関して次の論文を読みました。プリントアウトせずに、画面上で読みました。
田中祐理子「目と言葉―「レーフェンフック」を考えるために―」『(京都大学)人文學報』93(2006): 85-105
見ること、見たことを言葉で伝えることの意味に関する、非常に興味深い論文です。「レーフェンフック」が自分でつくった単式顕微鏡(シングルレンズの顕微鏡)で見たものは、パリの学者たちには見えず、ロンドンの学者たちには一部しか見えなかった。視覚と言語、観察の言語に関して、おおくを考えさせてくれる好論文です。
注9)には、ビシャが顕微鏡解剖を否定したとあります。なんとおもしろい態度!
ひとりで5時5分前、室温10.3度。昨日の朝と比べると5度下がりました。ゴミを出すために外にでると、強い風が吹いていて寒い。おおきいちびは朝練に行きました。午後練には行っていませんが、朝練には行くことにしたようです。
昨日からの作業の続きで、ガリカ、ハブ、グーグルブックス等、代表的な古い本のダウンロードサイトを見て回りました。ガリカは、いわゆるグローバル仕様、すなわち英語のトップに変わっています。
ひとりで6時45分、室温15.3度。本日も晴れ。天気予報によれば、今日は夏日になって(つまり最高気温が25度に達し)、それから気温がぐんぐん下がるそうです。体調管理に気をつけなければ。[煙霧]
午後1時半頃、息子といっしょに吉祥寺にでかけた妻から電話がありました。空が黄色い、黄砂がやってきた、洗濯物をとりこんで。ちょうどその前に、おおきいちびがパパやばい、それがまっきき、と騒いでいました。たしかに、強風が吹き、空が黄色い。
東京まで黄砂が来るとは思っていませんでした。
暫くしてネットで調べると、黄砂ではなく、強風が地上のちりや土埃を空に舞い挙げた「煙霧」だとあります。はじめて見る言葉です。
黄砂が東京には全く来ないということではないでしょうが、これは気象庁の発表の通りなのでしょう。妻は帰ってきて、まるで世紀末のようであったと言っていました。息子は黄砂を避けるための眼鏡をかけていました。[シュミットのハーヴィ研究]
私の関心にぴったりの研究があることがわかりました。ルネサンスアリストテレス主義の碩学チャールズ・シュミットの『ルネサンス思想再考』です。
部屋の中を探し回って、本を見つけました。
Charles B. Schmitt, Reappraisals in Renaissance Thought, Edited by Charles Webster, Variorum Reprint: London, 1989
これは、次の論文を収録しています。
Charles B. Schmitt,"William Harvey and Renaissance Aristotelianism: A Consideration of the Praefatio to De generatione animalium (1651)," Humanismus und Medizin (Weinheim, 1984): 117-138ハーヴィが使った翻訳を特定してくれています。版まではシュミットをしても無理だったようです。
『分析論後書』と『自然学』はユリウス・パキウス (Julius Pacius)、『形而上学』はベサリオン(Cardinal Basilios Bessarion)、『動物発生論』はガザ(Theodor Gaza)の翻訳を使っている。
Aristotelis, Organon, ed. J. Pacius, Geneva, 1605
Aristotelis, Naturalis auscultationis libri VIII, ed. and tr. by J. Pacius, Hanau, 1608
Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619
Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619
以上、版は、シュミットの使ったものです。たとえば、 Duval編の全集は、1619年に出版されたあと、1629年、1639年、1654年にリプリントされています。前後の証拠から、ハーヴィは Duval編のアリストテレス全集を使ったと見ておいてよいだろうとシュミットは判断しています。
ということで、Duval編アリストテレス全集が重要です。フルタイトルを引用します。
Aristotelis Opera omnia quae extant Graecè & Latinè / Veterum ac recentiorum interpretum, vt Adriani Turnebi, Isaaci Casauboni, Julij Pacil studio emendatissima. Cum Kyriaci Strozae Patritii Florentini libris duobus Graecolatinis de Republicâ in supplementum politicorum Aristotelis. Sed nouissimae huic editioni omnium quae hactenus prodierunt, ornatissimae accessit breuis ac perpetuus in omnes Aristotelis libros commentarius, siue Synopsis Analytica Doctrinae Peripateticae, non antehac visa; in quâ vt in expeditiore tabellâ , Aristotelis philosophia omnis, provt ea suo ordine descripta est, perspicu&egave; breuitérque indicatur, & pro rerum dignitate exponitur. ; Authore Guillelmo Du-Val Pontesiano, Philosophiae Graecae & Latinae in Parisiensi Academiâ Regio Professore, & Doctore Medico: qui & praeter operosam illam Synopsin, adiecit Anthologiam Anatomicam ex scitis Hippocratis & Galeni; ad libros Aristotelis de histori?A, generatione & partibus animalium; & praeterea libros quatuordecim diuinioris Philosophiae seu Metaphysicorum, notis & argumentis auxit ac illustrauit, quatu´rque eorum postremos hactenus malè collocatos, in legitimum ordinum restituit. Indices tres operum molem claudunt ac veluti obsignant. Primus, quasi catalogus, nomina recenset authorum etiam iuniorum, qui philosophiam Aristotelis suis scriptis illustrâ runt. Secundus, curas & commentarios singulorum distinguit. Tertius est thesurus rerum uberrimus.
Lutetiae Parisiorum [Paris] : Typis Regiis, 1619.シュミットの結果を正確に表記しましょう。
『分析論後書』の最後(第2巻最終章 99b15-100a13)からの引用は、 Aristotelis, Organon, ed. J. Pacius, Geneva, 1605, 544-45から。
『自然学』の冒頭(第1巻第1章 184a16-25)からの引用は、Aristotelis, Naturalis auscultationis libri VIII, ed. and tr. by . J. Pacius, Hanau, 1608, 1-2 から。
『形而上学』の冒頭(第1巻第1章 980a1-981a5)からの引用は、Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619, II, 838-39 から。
『動物発生論』第3巻第10章 (760b25-33)からの引用は、Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619, II, 1110から。3月7日のエントリーで私がもっとも苦労した "Post. 2." とハーヴィが表記する部分ですが、シュミットは次のように結論しています。「[引用文中で表明されている]説は、アリストテレスの『分析論後書』の立場に忠実なものであるが、[引用文そのものは]ハーヴィ自身の解釈が混じる多くのテキストからの合成であるように見える。」
半分は、『分析論後書』第2巻第23章 (68b35-37)、残りの半分は、『分析論後書』第2巻第13章 (97b27-29) から引き出したものだと思われる、とシュミットは注記しています。ハーヴィの引用するラテン語は、シュミットの知るどのラテン語訳にも当てはまらない、したがって、ハーヴィがギリシャ語から自分で訳した可能性、あるいは既存の訳をパラフレイズした可能性、未知の翻訳を使った可能性が考えられるとしています。→この問題を解決するためには、ハーヴィの引用方式の研究が必要です。
→ハーヴィの出版物は3点ですから、ボイルなんかと比べるとこの作業はそれほど骨の折れるものではないでしょう。時間があれば、私自身で試みてみようかなと思っています。
→ハーヴィの引用方式、引用の仕方の特徴については、シュミット自身がいくらか注記しています。
『分析論後書』第2巻最終章 (99b15-100a13) パキウス自身が "extra quam cum sentiunt " at 99b39 としているのをハーヴィは"extra το sentire" としている。
『形而上学』第1巻第1章 (980a1-981a5) ハーヴィはパキウスの訳をわずかに省略し、変更している。
『動物発生論』第3巻第10章 (760b25-33) ハーヴィはやはりパキウスの訳をわずかに変えている。
→材料は少ないのですが、シュミット自身の確認したことから、次の推測をすることができます。ハーヴィは、ギリシャ語ラテン語対訳版から引用する際には、ラテン語に修正を加えることがある、他者のラテン語訳を素直に引用するのではなく修正やパラフレーズすることがある、したがってシュミットの知らない翻訳を使った可能性を端から消去してかかることはできませんが、ほぼ一致する翻訳が見つかった場合、小さな差違はハーヴィの手によることがあると見ておいてよい、こういう見通しをもつことができるでしょう。
せっかくなので、次の論文も読みました。
Charles B. Schmitt in collaboration with Charles Webster ,"Harvey and M .A. Severino, A neglected Medical Relationship," Bulletin fo the History of Medicine, 45(1971): 49-75.
重要性に比してほとんど研究されていない Marco Aurelio Severino (1580-1656) とWilliam Harvey (1578-1657) の比較解剖学ならびに生理学の思想を比べています。セヴィリノは、ハーヴィの2歳下で、1年先に死んでいます。ほぼ同じ時間を生きています。セヴィリノはナポリの医学界の中心人物になります。ハーヴィとは良好な関係を築いています。
セヴィリノは、結局ハーヴィの血液循環論を受容し、生理学では水中にすむ魚の呼吸を問題にしたということです。これは古くから問題とされていた事柄です。
息子といっしょに6時20分、室温15.1度。妻とおおきいちびもすぐに起きてきました。おおきいちびは花粉症がひどくてほとんど泣きべそ。昨日は私も花粉症の大症状が襲ってきました。おおきいちびは効くといっている強めの薬をもらいました。薬が効いたかどうかは不明です。それまでなかった症状、鼻水が出るようになりました。これはほんとうにきつい。
医学部合格のうれしい報せが届けられました。
ひとりで6時、室温14.2度。昨日は家のなかに居てもマスクが必要なぐらい花粉が舞っていました。(といってもちろん花粉が目に見えるわけではないのですが、症状がひどかった。)それに肩凝り。片づけが一向に完成しません。
[ベイコンの読書]
本日、ケンブリッジの柴田氏が「フランシス・ベイコンの読書と執筆」という非常に興味深いブログ記事を発表されています。オクスフォードベイコン全集の第1巻(2012)に採録されたベイコンの読書ノートの分析を紹介されています。
個人的に言えば、さもありなん、です。ベイコンはアリストテレスでは『修辞学』を手元において使っていたとあります。分析者は、版の特定を試みたようですが、複数の版を使ったようだという結論を得たようです。
個人的には、どの版をどのように使ったのか、明らかにしてもらえるとすばらしいと思います。(難しいかもしれませんが、可能かもしれません。)
実は、下のハーヴィでは、ハーヴィの使ったアリストテレスの版を知りたいと思っています。最初の演習がファブリキウスの名前を挙げることから始めています。順序としては、ファイブリキウスのテキストとの比較、ボーアンのテキストとの比較、そして留学先で使われていたであろう版との比較ということになろうかと思います。ちなみに、マイケル、ヨルダンといっしょにボイルが手元においたソースを特定する作業を行ったとき、アリストテレスについては不明でした。(当初は、数点のアリストテレス自然学の注釈書ですませていたが、途中から原典に当たるようになっています。その原典を突き止めたかったが、材料となる情報が少なすぎました。)
ガレノスに関しては、たぶんヨルダンが、1)De simplicium medicamentorum facultatibus(Lyon, 1574) or the identically paginated edition of 1561、と2)Casp. Hofmannni Commentarii in Galeni de usu partium corporis humani libri. XVII(Frankfurt, 1625) であることを突き止めています。ボイルはこの書からヒポクラテスを孫引きしています。
ハーヴィは気になるので、時間ができてから(たぶん新学期になってから)自分でも作業をしてみたいと思っています。→ウェブで調べていると次の論文がありました。
Gianna Pomata, "Framing the History of Observation, Part II: Observation Rising: Birth of an Epistemic Genre, ca. 1500-1650"
これは、Lorraine Daston and Elizabeth Lumbeck (eds.), Histories of the Scientific Observation (Chicago: University of Chicago Press, 2011) で出版したものの more fully referenced version だとあります。要するにつけたい注を全部つけたということだと思います。
実は、この論文の内容は、前からずっと関心があり、知りたいと思っていたことです。知りたかったことの大筋が見つかったと言えます。なお、もとの論文の丁寧な紹介が、坂本博士のブログ(2012年3月27日)にあります。
さて、月澤さんは、「autopsia によって提示され感覚によって「観察された事実」は、 ratio によって論証された知に較べ、「高貴さ」では劣るが、「いっそう確か」であるとする態度は、Wear によると、デュ・ローラン (A. du Laurent) にような16世紀アナトミストによって、すでに主張されていた。」と記述されます。(月澤(2001),p.63)
続けて、「Wear は、ハーヴィの主張とは、観察主体により「観察された事実」自体を scientia (学知=エピステーメ)の領域に属すものと見なすべきということであったとしている。すなわち、ハーヴィは、ここで scientia (学知)に至る新しい方法を示したのではなく、「何を、scientia (学知)としてみなすか」について新しい態度を支える認識論を展開したというわけである。」
さらに続けて、「論者が問題としたいのは、次の点である。アリストテレスにおいて、「エピステーメ」とは、「ひとに教えることのできるもの」であり、「教えることは、帰納(エパゴーゲー)、または推論(シュロギスモス)をもってする」とされていた。」
そして、「ハーヴィは、これ[身体の部位のハタラキ]を他者に教える新しい方法を示した。すなわち、学ぶ者が直接に追体験できるような形に「問い」を設定し、動物の生体解剖を用いて「くりかえし」「明白に」提示してみせる。」(p.64)
結論として、「ハーヴィは、アリストテレスの言明を巧みにつなぎ合わせて、scientia(学知)に対する解釈を「ずらせ」、アリストテレス的な帰納にも推論にも拠らず、目に見える形で直接提示することにより「教えることのできる」scientia(学知)の領域の存在を示していった。」(p.67)うーん。どうでしょうか。
ここで月澤さんは、難解な主張をされています。一個一個丁寧に切り分けて(解剖して)検証していくしかありません。1.autopsia に対してつけられた注(106)では、「切開と、自ら観察するという両方の意味が重ね合わされている」とされています。Gianna Pomataの論文によれば、これは単純に、実地観察、実見、でよいように思われます。語源的には、ギリシャ語の自分の目で見る、です。1651年にラテン語の用法から英語ができます。英和辞典には、1.死体解剖、検死、2.事後における分析、解剖(critical analysis)、3.実地観察、実見、と出ています。
Gianna Pomataは、注120において、ハーヴィの用例を3つ挙げています。
1. De motu cordis(Frankfurt, 1628), p.6 : "per autopsiam confirmassem"
2. Preface to Excercitationes de generatione animalium(London, 1651), p.16: "per autopsiam ..., eaque ratione consentanea, ipsemet (Lector!) propriis oculis certior factus"
3. Preface to Excercitationes de generatione animalium(London, 1651), p.25: "relictis argutiis, et verisimilibus conjecturis, ipsamque autopsiam ampletendo"月澤さん(会話)によれば、ハーヴィの原典に関して言えば、ロンドン版は誤植が多くてひどい、アムステルダム版の方がずっとよいということです。1651年アムステルダム版は、グーグルでゲットできます。こちらで検索をかけると、さらに3つ用例が見つかりました。
4. Preface to Excercitationes de generatione animalium(Amsterdam, 1651), p.32: "rationibus potinus nititur probabilibus, quam autopsia"
ウィリスの英訳(p.164)によって前後をまとめてみましょう。
ファブリキウスは、ニワトリの発生を自分で観察して頭、目、脊椎を自分の目で見た。しかし、骨が筋肉や心臓や肝臓より先に形成されると主張するとき、実地観察よりも先行観念による蓋然性に従っている。そして解剖に依拠する感覚の証言を捨てて、機械的原理に基づく推論に避難しているのである。
ウィリスは、autopsiaをinspection と訳しています。ハーヴィの主張は明確です。ハーヴィの師ファブリキウスは、自分の目で観察したとき正しく、自分の目で観察することなく、先行理論(概念)に従ったとき、間違えたということです。
5. Excercitationes de generatione animalium(Amsterdam, 1651), p.113: "Veriora multo, & autopsiae magis consona Volcherus Coiter"
やはりウィリスの英訳(p.227)によって訳しておきます。フォルケウス・コイテルは、はるかに正しく、実地観察ととてもよく一致する。
6. Excercitationes de generatione animalium(Amsterdam, 1651), p.203: "eos quidem falsi autopsia redarguit"
ウィリスはここでは観察observation と訳しています。(p.298)
→"autopsia" に関して、Gianna Pomataの論文は、月澤さんの論点を補強するものとなります。問題になるのは、主張の核心部分です。
「アリストテレスにおいて、学知とは、「ひとに教えることのできるもの」であり、「教えることは、帰納、または推論をもってする」とされていた。」
月澤さんがアリストテレスの方法をどう考えたのか、この文章からははっきりとしませんが、この論点(探究の方法は実は教授の方法であった)は科学史ではよく出会うものです。私のなかでもっとも印象深いのは、橋本さんの師匠のハナウェイの「化学の教育的起源」です。最近の科学史/化学史ではハナウェイは人気がありませんし、ほとんど言及されることもないのですが、私は非常に面白い見通しだと思いました。(ただし、今、そのまま使う気にならないのも事実です。)他にコーシーの厳密革命に関して、数学史家が同じようなことを言っていたように記憶しています。
アリストテレスに関しては、アリストテレス研究者の声を聞いてみましょう。
ハーヴィが引用する『分析論後書』最終章だけをとりあげた論文が見つかりました。
松尾大「アリストテレース『分析論後書』最終章にある敗走の比喩は何を意味するのか」(31)-(47)
最終章、第2巻第19章の有名な箇所です。『分析論後書』の邦訳は大学に置いたままのなので、加藤さんの翻訳はあとで引用します。今は趣旨をとっておきます。
感覚から記憶が生じ、記憶が繰り返されると経験が生じる。アリストテレス自身からすこし離れますが、ウィリスの英訳によって当該箇所を訳せば、「経験から、あるいは、こころに静かに蓄えられる全体&普遍から技術と科学の原理が生じる。生産に関わっていれば技術の原理が、存在の知識が関わっていれば科学の原理が生じる。」
ハーヴィは、技術や科学の獲得する順序または方法をアリストテレスはここで述べているとします。「感覚によって知覚された事物が止まる。知覚された事物の永続から記憶が生じる。多数化された記憶から経験が生じる。経験から、普遍的理、定義、格率あるいは共通公理、すなわちもっとも確かな知識の原理が生じる。」
松尾大さんは、次のテーゼに立脚して論を進めるとあります。
「アリストテレースの『分析論後書』は、全体に於いて、探求ではなく伝達のための方法を扱っている。即ち、そこでは、知的探求者が単独で行なう内的過程としての未知の探求ではなく、既知の事柄を、教師が生徒に伝える際に、顕在的に遂行される外的過程が問題になっている。」
そして、松尾さんは、ヴィーラント、エバンズ、フリッツという学説史を短くまとめた上で、「一層詳しくバーンズは、かつては内的探求の論理とみえたアリストテレースの論証が、実は広い意味での説得の手だてであることを証明している。」と述べます。
そして、松尾さんのテーゼとしては、『分析論後書』の大部分があてられている論証だけではなく、原理を把握する過程も同じ枠組みで理解されるべきだということです。形だけを言えば、月澤さんの主張は、バーンズの主張をハーヴィの解剖学的実践にあてはめたものになります。
論としてはありえる論ではあります。でも、すぐに同意できるかといわれると微妙です。アリストテレスに関しては、やはりアリストテレス学者の意見を聞いてみたい。
アリストテレスは、生徒に教える教師ですから、教授の場面の用語が探究の場面の説明に入っているくることは理解できます。しかし、『分析論後書』が全体として説得のための手だてにあたられているとすると、アリストテレスの科学方法論はどこに求めればよいのでしょうか?すこし話を戻します。月澤さんは、次のように述べます。「ハーヴィは、この “ De Generatione”の「序文」において、アリストテレスの『分析論後書』における「感覚」された「個物」から「普遍」の形成を論ずる文を、恣意的にまとめた要約の形で巧みに引用しつつ、「感覚されたもの自体が、普遍」、あるいは、「我々が感覚で発見するものは、我々にとって、心で発見されるものよりも、いっそう明確であり、いっそう判明」という、アリストテレスとはむしろ対立する認識論を展開している。」(ボールドは私による)
ここに注105をつけています。それは学会発表です。月澤美代子「学知(science)の獲得に至る、新しい、より確かな道―W. ハーヴィの『動物の発生』序文における proprius oculus と ratio―」『日本科学史学会第40回年会研究発表講演要旨集』(1993),p.38.
うーん、これもどうでしょうか。
ひとりで3時22分、室温13.4度。おおきいちびは今朝はバスケの朝練に行くと言っています。妻は6時に、おおきいちびは6時20分に起こしました。[ハーヴィ科学方法論]
先行研究によれば、ハーヴィがもっともきちんと科学方法論を論じたのは、『動物発生論』の序文です。ウィリスの英訳で151-167とごく短いものです。全体的で詳細な分析が可能です。
といって今の今は時間がないので、ハーヴィの引用箇所だけ、リストアップします。
『自然学』第1巻第2章第3章;『分析論後書』第2巻;セネカ、書簡、58;『分析論後書』第1巻第1章;『分析論後書』第2巻最終章(=19章);『形而上学』第1巻第1章;プラトン『ゴルギアス』;『動物発生論』第3章第10章;
序文の最後ハーヴィは次のように言います。「古代人では私は誰よりもアリストテレスに従い、現代人の間ではアクアペンデンテのファブリキウスに従う。アリストテレスは私の師であり、ファブリキウスは道を教えるものである。」
ともあれ、まずは、ウイリスの英訳で読んでみました。かなり一般的な知識論です。アリストテレスから当然導き出される科学方法論です。ハーヴィの場合、解剖学においてそれを実践したという新しさはありますが、考え方そのものに新しさはとくにないように思われます。位置付けは異なるでしょうが、アリストテレスの注釈家が必ず触れる論点だと言い切ってよいように思われます。→ 13.3.10 『自然学』第1巻第2章第3章、としたのは、実は『自然学』第1巻第1章でした。2つの可能性が考えられます。ひとつは、ハーヴィのミスということです。この種のミスは誰にでもありえます。もうひとつは、欄外の文字がちょっと違うということです。欄外は、"L.1.c.2.3."と読みました。ウィリスもそう読んでいます。ただし、もとのものでは、この"c" がなかなか難しい形をしています。一般的な引用の形式からすれば、"c" ですが、別のものかもしれません。
ハーヴィの引用する箇所は、岩波の全集(第3巻,pp.3-4)では次です。
「ところで、そのための道は、われわれにとってより多く可知的でありより多く明晰であるものごとから出発して、自然においてより多く明晰でありより多く可知的であるものごとへと進むのが自然的である。けだし、同じものごとがわ れわれにとっても端的にもひとしく可知的であるというわけではないからであ る。だからそれゆえ、われわれは、この仕方に従って、自然においてはより多 く不明晰であるがわれわれにとってはより多く明晰なものごとから出発して、 自然においてより多く明晰でありより多く可知的なものごとへと進まねばなら ない。ところで、われわれにとって最初に明白であり明晰であるのは、実はむしろ混然たる集団である。そしてこの混然たる集団からそれの構成要素やそれの原理が可知的なものになるのは、この集団が分析されてから後のことである。 それゆえにわれわれは,この普遍的なものどもから特殊的なものどもへと進む べきである、というのは、全体の方がわれわれの感覚に対してはより多く可知的であり、しかも普遍的なものは或る全体的なものだからである。けだし, 遍的なものは多くのものを、いわばその諸部分として、包摂しているもの〔ゆえに全体的なもの〕であるからである。」
仕方がないのですが、ここの言葉遣いはわかりやすいとは言えません。→セネカの書簡は、ルキアヌス宛のものです。58書簡。
"Idea est eorum, quae natura fiunt, exemplar aeternum. Adiciam definitioni interpretationem, quo tibi res apertior fiat : volo imaginem tuam facere. Exemplar picturae te habeo, ex quo capit aliquem habitum mens nostra, quem operi suo inponat. Ita illa, quae me docet et instruit facies, a qua petitur imitatio, idea est."
Paucisque interpositis ait:
"Paulo ante pictoris imagine utebar. Ille cum reddere Vergilium coloribus vellet, ipsum intuebatur. Idea erat Vergilii facies, futuri operis exemplar. Ex hac quod artifex trahit ! et operi suo inposuit, idos est. Quid intersit, quaeris ? Alterum exemplar est, alterum forma ab exemplari sumpta et operi inposita. Alteram artifex imitatur, alteram facit. Habet aliquam faciem statua ; haec est idos. habet aliquam faciem exemplar ipsum, quod intuens opifex statuam figuravit ; haec idea est. Etiamnum aliam desideras distinctionem ? Idos in opere est, idea extra opus : nec tantum extra opus est, sed ante opus. "→『形而上学』から引用するのは、『形而上学』の冒頭です。岩波文庫の出隆訳から引用しておきましょう。
「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげら れる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえにさえ愛好されるものだからである、しかし、ことにそのうちでも最も愛好されるのは、眼によるそれ〔すなわち視覚〕である。けだし我々は、ただたんに行為しようとしてだけでなく全くなにごとを行為しようともしていない場 合にも、見ることを、言わば他のすべての感覚にまさって選び好むものである。その理由は、この見ることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認 知させ、その種々の差別相を明らかにしてくれるからである。
ところで、動物は、(1)自然的に感覚を有するものとして生まれついている。(2)この感覚から記憶力が、或る種の動物には生じないが、或る他の種の動 物には生じてくる。そしてこのゆえに、これらの動物の方が、あの記憶する能のない動物よりもいっそう多く利口でありいっそう多く教わり学ぶに適している。 ただし、これらのうちでも、音を聴く能のない動物は、利口ではあるが教わり学ぶことはできない、―たとえば蜂のごときが、またはその他なにかそのような類の動物があればそれが、そうである、―しかし、記憶力のほかにさらにこの聴の感覚をもあわせ有する動物は、教わり学ぶこともできる。
さて、このように、他の諸動物は、表象(ファンタシア)や記憶で生きているが、経験(エンペイリア)を具有するものはきわめてまれである。しかるに、人 間という類の動物は、さらに技術や推理力で生きている。ところで、(3)経験が人間に生じるのは記憶からである。というのは、同じ事柄についての多くの記 憶がやがて1つの経験たるの力をもたらすからである。ところで、経験は、学問(エピステーメー)や技術(テクネー)とほとんど同様のものであるかのようにも思われているが、しかし実は、(4)学問や技術は経験を介して人間にもたらされるのである。けだし、「経験は技術を作ったが、無経験は偶運を」とポロスの言っている通りである。さて、技術の生じるのは、経験の与える多くの心象から幾つかの同様の事柄について1つの普遍的な判断が作られたときにである。」
(「というのは、カリアスがこれこれの病気にかかった場合にはしかじかの処方がきいたし、ソクラテスの場合にもその他の多くの個々の場合にもそれぞれその通りで あった、というような判断をすることは、経験のすることである、しかるに、同じ1つの型の体質を有する人々がこれこれの病気にかかった場合には−たとえば 粘液質のまたは胆汁質の人々が熱病にかかった場合には−そうした体質の患者のすべてに対して常にしかじかの処方がきく、というような普遍的な判断をするこ とは、技術のすることである。」)『動物発生論』の第3巻第10章というのは、岩波の全集版では、第9巻の233頁です。「理論的に考えると、ミツバチの発生に関する点は以上の通りと思われるが、ミツバチ[の行動]について事実と思われることから見ても、そういえるでのある。しかし、事実は十分に理解されてはいないので、いつか理解されるとすれば、その時は理論よりも感覚[による観察]を信ずべきであり、理論を信ずるのは、それが実際の現象に一致することを確証した場合でなければならない。」760 b30
『分析論後書』の科学方法論に関して、ウェブに次の博士論文がありました。
國越道貴(クニコシ・ミチタカ)『自然の探究におけるアリストテレスの学問方法論に関する研究』(九州大学博士論文、1999)
よくまとめられているよい博士論文だと思います。
ひとりで5時40分、室温10.9度。さすがに春らしい気温となってきています。もともと会議の日ですが、何と昨日突然、朝9時からの会議の通知がありました。あれあれ。
→仕方がないので、息子といっしょに家をでました。ゴミをゴミ置き場においてから息子は小学校へ、私は駅へ。
最初の会議は、9時から10時まで。
その後一度研究室にもどってから、合格者発表の列をかきわけて、コンビニにお昼のご飯を買いにでました。
次の会議は1時から2時半まで。
最後の会議は、4時から6時前まで。
会議の間、けっこう時間があったので、懸案だった研究室の片づけをいくらか進めることができました。書類は、ゴミ箱2箱分処理することができました。
また、アリストテレスの『分析論後書』の翻訳を取り出して確認すること、ラメリを探し出すことができました。生物学史関係の著作もできるだけ同じ場所に集め始めました。
さらに2時半から4時の間、大学を一周してみました。国際交流会館3号館(地上8階建て、230室、各室15平米、家賃月4万6千円)はほぼ完成していました。工事の掲示には、3月31日完成とあります。土砂を積んだトラックがかなりの頻度で出入りしています。これは民間委託方式で運営するということです。去年の冬、日本人の学生も50名募集していました。
この春の新入生のためにも50名の枠をとって募集しています。[立花太郎「森鴎外のキュリー夫人への関心」]
立花太郎氏より、次の別刷りを頂きました。
立花太郎「森鴎外のキュリー夫人への関心」『現代化学』2013年2月号、pp.36-39
鴎外の「椋鳥通信」中のキュリー夫人への言及をまとめたものです。「椋鳥通信」は鴎外が読んでいたドイツの新聞・雑誌のなかから気になったニュースを抜き書きし、文芸同人誌『スバル』に連載したものです。鴎外は、ノーベル賞に早くから注目しており、ノーベル賞を受賞した科学者のなかでは、キュリー夫人が20回、ついでオストヴァルトが17回言及されているということです。
ひとりで4時35分、室温10.6度。新聞をとるためにドアを開けると、地面が濡れています。夜雨が降ったようです。[イブン・スィ−ナー著『治癒』研究会]
昨日の論集の母体について、すこし調べてみました。
小林春夫「イブン・スィーナー著『治癒』文献解題」『イスラーム地域研究ジャーナル』 2(2010): 57-63
この論考の最後(p.63)に「イブン・スィーナー著『治癒』研究会について」があります。それによれば、イブン・スィーナー著『治癒』研究会は、2006年5月13日(土)に第1回会合をもち、それから多いときで隔週、少なくとも月1度のペースで集まったそうです。当初のメンバーは、小林春夫、堀江聡(慶応大学)、高橋英海(東京大学)、仁子寿晴(京都大学)の4名に、東京大学イスラム学科の院生数名だったそうです。2008年の冬、研究会の拠点を早稲田大学イスラーム地域研究機構に移して以降、あらたに、野元晋(慶応大学)、徳原靖浩(東京外大)、橋爪烈(学振)の3氏が加わったということです。他の大学の院生も何人か加入したそうです。
そして、この研究会の成果は、『イスラーム地域研究ジャーナル』 に発表していくことにした、とあります。このグループの方々の仕事をざっと調べてみました。pdf でダウンロードできたものだけ挙げておきます。
小林春夫「イブン・スィーナーにおける「自覚」論」『オリエント』 32(1)(1989): 20-32
小林春夫「ANAIYAH:スフラワルディーにおける「自我」の概念」『オリエント』 33(1)(1990): 15-29
小林春夫「原典研究 イブン・スィーナー著『治癒』形而上学訳註(第一巻第一章および第二章)」『イスラーム地域研究ジャーナル』 3(2011): 73-117
ひとりで5時25分、室温10.8度。おおきいちびはまたしばらくバスケットボールに行くと言っています。今日は朝練。会議の日。定例は水曜日ですが、入試があったので、今日は特別に教授会。午後3つ続きました。
[『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』]
ちょうどよいので、残っている仕事を順番に片づけるために、9時半頃家をでました。まず、入試課。次いで、会計課。届いていた物品を台車に載せて研究室に運びました。一休みしてから、会計課に台車を返し、図書館へ。『技術の歴史』と小林春夫、阿久津正幸、仁子寿晴、野本晋編著『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』(早稲田大学イスラーム地域研究機構, 2011)を借り出しました。
図書館で、次の2点を読みました。
俵章浩「イブン・スィ−ナー『植物論』における生命・霊魂・意思―植物は生きているか」小林春夫、阿久津正幸、仁子寿晴、野元晋編著『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』(早稲田大学イスラーム地域研究機構, 2011):45-58
矢口直英「イブン・スィ−ナーの薬物学における気質理論」小林春夫、阿久津正幸、仁子寿晴、野本晋編著『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』(早稲田大学イスラーム地域研究機構, 2011):59-74そもそも、この論集は、早稲田大学イスラーム地域研究機構が2008年の秋からはじめた公募研究「イスラームにおける知の構造と変容―思想史的視点からの解明」(代表:小林春夫、分担者:大川玲子、菊池達也、野本晋、吉田京子)によるということです。科学史の重要性に鑑み、2009年冬に「科学的知の伝承―ギリシャ/アラブ/ラテン」と題するワークショップを開いたそうです。参加者は、ロンドン大学のチャールズ・バーネット、東大駒場の高橋英海氏、京都産業大学の山本啓二氏、神戸大学の三浦伸夫氏です。英語では、Transmission of Sciences: Greek, Syriac, Arabic and Latin, ed. H. Kobayashi & M. Kato, Joint Usage/ Research Center for Islamic Area Studies, Organization for Islamic Area Studies, Waseda University (WIAS), 2010として出版されているそうです。
俵章浩氏と矢口直英氏の論文は、それに関連する論考として、あとから追加されたということです。それが I.
II が「イブン・スィ−ナー『治癒の書』をめぐる比較思想の試み」と題して、小林春男、仁子寿晴、高橋英海、小林剛の4氏が論文を寄せています。
小林春夫「イブン・スィ−ナー『治癒の書』をめぐって」
仁子寿晴「イブン・スィ−ナー『治癒の書』形而上学の構造―最高概念の把握と学問構造」
高橋英海「シリア語における『治癒の書』の受容―バルヘブラエウス『叡智の精華』形而上学の概要」
小林剛「『治癒の書』からアルベルトゥス・マグヌスへ―触覚をめぐって」
[エーコ『小説の森散策』]
メールボックスで次の本を受け取りました。いつもご高配いただき、ありがとうございます。
ウンベルト・エーコ
『小説の森散策』
和田忠彦訳、岩波文庫、2013お昼休みに学生と面談。
それから会議へ。教授会終了後、打ち合わせ。
ひとりで5時30分、室温9.9度。また室温が10度を下回りました。[Free Access to Ambix]
ML [CHEM-HIST] にマイネルさんが AMBIXの最近の3年間が3月に限り自由にアクセルできるようになった旨のメールを流しています。(正確には3月15日までに限りフリーアクセスできます。)
Maney Publishing
下の方(世界戦争後の化学)に菊池好行博士の写真が出ています。
→2012年第2号は、沈黙の春50年(Silent Spring at 50)特集です。
2011年第3号は、 AMBIXを出している学会(SHAC)の75周年記念号です。
菊池博士の登場する2011年第2号では、世界大戦後の化学の特集を組んでいます。
2010年の1号では、「化学コースと化学の構成、1750-1830」という特集を組んでいます。[精気の思想史]
読むべきものは読んでいるので片づけはなかなか進行しません。また別の山から『科学史研究』2012年秋号が出てきました。これには次の論文が掲載されています。
矢口直英「イブン・シーナーの自然精気」『科学史研究』51(2012): 129-137
明確な提示の好論文です。結びの直前を引用します。「以上、動物的能力と心臓・動脈系、精神的能力と脳・神経系をイブン・シーナーがどう扱っているか確認した。これらの記述にはそれぞれ、対応する精気が登場していた。先に見たように、自然精気そのものの言及も、自然的能力および肝臓・静脈系の関する記述で精気が登場するのも極めて稀であり、その実態が不明瞭であったのとは対照的である。イブン・シーナーの医学書を見る限り、自然精気という精気があると明言されても、その実態や、自然的能力や肝臓・静脈系との関係が詳細に語られることはない。心臓で血液から生成されるという動物精気やそれを素材に脳で生成される精神精気とは異なり、自然精気はその由来すら不明である。」(p.134)
注の3)に精気の概念・用語を混乱させているひとつのおおもとが明確に指摘されています。次の趣旨です。アラビア語の動物精気は、ギリシャ語の生命精気の(誤解的)翻訳である。従って、ラテン語の spiritus animalis とは別物である。
これは注意していないとほんとうに混同しやすい。
ひとりで5時50分、室温13.1度。おお、朝の室温がここまで高いのはいつ以来でしょうか。昨日から吹いている風がまだ吹いています。昨日は南風でしたが、今日は北風になるということです。最高気温では昨日より6度下がるそうです。夕刻、次の本がとどきました。
シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ:血液はからだを循環する』梨本治男訳、大月書店、2008
Lawrence I. Conrad, Michael Neve, Vivian Nutton, Roy Porter, Andrew Wear,
The Western Medical Tradition, 800 BC to AD 1800
Cambridge: Cambridge University Press, 1995
シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ』は、「オックスフォード 科学の肖像 Oxford Portraits in Science」シリーズの一冊です。もとは短い新書程度の大きさです。中高生から読める伝記入門書です。
『西洋の医学伝統:紀元前800年から1800年まで』は英国の代表的な医学史家のつくった教科書でしょう。古代と中世はヴィヴィアン・ナットンさん、アラブ・イスラームはコンラードさん、ルネサンスから初期近代はウェアさん、18世紀をロイ・ポーターさんが書いています。
おお、もう、3月。夜半に目覚めてすこし仕事。2回目の起床は、7時15分。妻と小学1年生は起きていました。やっと春らしい空気になっています。湿っていて暖かい。雨模様です。
→春一番が吹き荒れました。それと同時に花粉が舞ったようです。1週間強前の土日にやはり強い風が吹いて、私の花粉症がやってきました。今日はそれがぐんと来ました。相当程度目が痒い。それにいくらか体調不良です。
おおきいちびの症状がいちばん悪く、帰宅してぐったりしています。妻はなにかあったのかと心配したほどです。花粉症がひどくて、元気をなくしていたというのが実際でした。片づけをしていると、『科学史研究』2012年夏号が山の下から出現しました。この号の冒頭の論文は次です。
俵章浩「イブン・スィ−ナー著『心臓の薬』におけるプネウマ理論」『科学史研究』第51巻(2012): 65-73
明晰な整理だと思います。ギリシャ語でプネウマ、アラビア語でルーフ、ラテン語でスピリトゥス、邦語では精気と訳される概念について定点となる分析だと言えるでしょう。この号には他に、「『科学史研究』創刊70周年小特集」として次の2点が掲載されています。
石山洋「『科学史研究』の歩みとともに―編集に携わって四十余年―」『科学史研究』第51巻(2012): 95-101
松原洋子「『科学史研究』の初期の編集・発行状況―創刊から休刊まで(1941-1944)」『科学史研究』第51巻(2012): 102-105
さらに、日本科学史学会創設70周年企画として、61号から120号の総目次が掲載されています。
「『科学史研究』第II期総目次(61〜120号)」
『科学史研究』は、巻号数表記がややこしい。61号というのは通号の表示です。1962年から1976年までの15年間分の総目次が掲載されています。私が大学で科学史を勉強し始める直前までです。
2012年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2011年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2010年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2009年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2008年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
春休み
3月
2月
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2006年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2004年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2001年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2000年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
6月
4月〜5月
1月〜4月
1999年
10月〜12月
6月〜9月
4月〜5月
1月〜3月
1998年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
春(1月から5月)
1997年
97年度
最初のページ=
HomePageに戻る。