ひとりで6時5分、室温22.6度。昨日の雨は上がって、快晴。
テレビで世界の天気予報を見ました。台湾より南のアジアは、もう真夏の気温になっています。[Roger Bacon英訳]
このサイトでは、2005年1月にロジャー・ベイコン、長寿法、フランシス・ベイコンの話をしています。そのときはローマの大橋さんに多くを教えてもらっています。さて、1590年オクスフォードで出版されたロジャー・ベイコンの長寿法の書物は、1683年に英訳が出版されます。The Cure of Olde Age and Preservation of Youth. By Roger Bacon, A Franciscan Frier. Translated out of Latin; with Annotions, and an Account of his Life and Writings. By Richard Browne, M.L.Coll. Med. Lond.
Also Physical Account of The Tree of Life by Edw. Madeira Arrais. Translated likewise out of Latin by the same Hand.
London, 1683
『老齢の治癒と若さの保持』がタイトルに選ばれています。次のページに別の英語があります。
The Cure of Old Age and Preservation of Youth. Shewing How to cure and keep off the Accidents of Old Age; and how to preserve the Youth, Strength and Beauty of Body, and the Senses and all the Faculties of both Body and Mind. By that great Mathmatitisan and Physician ROGER BACON, A Franciscan Frier.
こちらはラテン語のタイトルをほぼ直訳しています。
さっかくなので、リチャード・ブラウンによる前書き(読者へ)だけまず読んでみました。伝記と出版リストを付しています。伝記は、時代によって理解されなかった悲劇の人、ロジャー・ベイコンを描き出しています。
著作リストは、Johannes Balaeus, De Scriptoribus Angliaeによって80点の著作を数えています。現実に出版されることはなくても、ジョン・ベイルの時代までに多くの草稿の存在は知られていたことがここからわかります。普通に表記すると、ベイルの書誌は次です。
John Bale, Illustrium majoris Britanniae scriptorum, hoc est, Angliae, Cambriae, ac Scotiae Summarium..., Ipswich and Wesel, 1548 and 1549
この書誌は、一部は次のものに基づくということです。
John Leland, De uiris illustribus, written ca. 1535-6 and 1543-6
これは完成せず、1709にアンソニー・ホールの手でCommentarii de scriptoribus Britannicisとして出版されています。
ブラウンは、リーランドから、「ロジャー・ベイコンは多くの本を著した。しかし、彼の著作の題名だけでも集めるのは、シビュレーの予言書を捜すよりも難しい」という言葉を引用しています。ブラウンは、リーランドのMSを見ることができたのでしょう。Complete DSB に従い、英訳を確認しておきます。
最初の書簡の英訳は、『錬金術の鑑』といっしょに出版されています。
The mirror of alchimy
composed by the thrice-famous and learned fryer, Roger Bachon, sometimes fellow of Martin Colledge: and afterwards of Brasen-nose Colledge in Oxenforde. Also a most excellent and learned discourse of the admirable force and efficacie of art and nature, written by the same author. With certaine other treatises of the like argument..
London, 1597
自分のサイトを見てみると、これはダウンロードしています。相当苦労しましたが、EEBO から降ろしたファイルをやっとのことで見つけることができました。
pp.1-16 "The Myrrour of Alchimy" by Roger Bacon
pp. 16-17 "The Smaragdine Table of Hermes, Trismegistus of Alchimy"
pp. 17-27 "A Brief Commentarie upon the Smaragdine Table of Hermes of Alchimy" by Hortulanus
pp. 28-53 "The Booke of the Secrets of Alchimie" by Galid
pp. 54-84 "An excellent discourse of the admirable force and efficacie of Art and Nature" by Roger Bacon
私はすこし誤解していました。『錬金術の鑑』は以上のように短い論考です。錬金術の要点、要約と言ってよい種類の書物です。『業と自然のはたらきの秘密についての書簡』(英訳は、『業と自然の驚異すべき力と効力』とでも訳すべきでしょうか)はそれよりは長いが、それにしても論考 Treatise と呼ぶべきものです。なお、『業と自然のはたらきの秘密についての書簡』はラテン語原文から大橋さんがウェブで邦訳を公開されています。ほんとうに貴重で大切な仕事です。
→プリントアウトして、読み直しました。第7章は「老化の付帯因の遅延と人の寿命の延長について」です。たしかに同じ話をすこし違った表現でロジャー・ベイコンは繰り返しています。全体としての主張は、我々にも納得できる内容です。魔法に帰されることがらは、ほとんどは、日本語でいうマジック(手品)か、純粋に自然と技術のハタラキである、ということです。ベーコンの集めた古今東西の古典を使い、迫力のある論文となっています。
ひとりで6時、室温22.8度。梅雨入りはほんとうのようです。小雨の降ったり止んだりの薄曇り。おおきいちびは木曜日は朝練です。妻もおおきいちび自身も6時20分頃に起きてきました。
→まだ5月だというのに、見事に梅雨らしい天候となっています。
木曜日は、午後いつもの授業。
しかし、いつもよりはやめに帰宅できました。[Roger Bacon]
ロジャー・ベイコンに関して基本を押さえておく必要を感じました。Complete DSB (A. C. Crombie and J. D. North)の記事をまずみました。
文献の最初で次のように記されます。「ベイコン問題の多くは、完全な批判的全集が出版されるまでは未解決のままである。」
ついで出版史です。
最初は、これ。
Epistola de secretis operibus artis et naturae (De mirabili protestate artis et naturae) , Paris, 1542; Basel, 1593
これは、ジョン・ディー編の著作集(Hamburg, 1618)、フランス語版(Lyons, 1557; Paris, 1612, 1629)、英語版 (London, 1597,1659)、ドイツ語版(Eisleben, 1608)でも出版される。
2番目は、これ。
De retardandis senectutis accidentibus et de sensibuis conservandis Oxford, 1590; in English London, 1683
3番目として、J. Combach編。
Specula mathematica and in qua De specierum multiplicatione earumdemque in inferioribus virtute agitur and Perspectiva, Frankfurt, 1614
『錬金術の鑑』は "doubtful"だが、次。
Speculum alchemiae , Nuremburg 1541; in French 1557; English 1597 German 1608
そして錬金術集成として、次。
De arte chymiae scripta, Frankfurt, 1603, 1620
重要なポイントは、『大著作』『小著作』『第3著作』も出版は18世紀、19世紀のことだということです。
17世紀初頭に立ってみると、ロジャー・ベイコンは第1義的には錬金術師です。copac で1600以前を見てみます。
Speculum alchemiae=Alchemiae Gebri Arabis philosophi solertissimi, libri, cum reliquis, ut uersa pagella indicabit, Bernae, 1545
De arte chymiae scripta=D. Rogeri Baconis ... De arte chymiae scripta cui accesserunt opuscula alia eiusdem authoris., Frankfurt, 1603
De mirabili protestate artis et naturae in De his qu[a]e mundo mirabiliter eueniunt : vbi de sensuum erroribus, & potentijs anim[a]e, ac de influentijs caelorum, F. Claudij Caelestini opusculum. De mirabili potestate artis et naturae, vbi de philosphorum lapide, F. Rogerij Bachonis Anglici libellus, Paris, 1542
=
Epistola, de secretis operibus artis et naturae, et de nullitate magiae. Opera Iohannis Dee Londinensis e pluribus exemplaribus castigata olim, et ad sensum integrum restituta ..., Hamburg, 1618
In hoc volumine de alchemia, continentur haec / Gebri ... De investigatione perfectionis metallorum, liber I. Summae perfectionis metallorum, sive perfecti magisterii, libri II. De inventionis veritatis, seu perfectionis metallorum, liber I. De fornacibus construendis, liber I. Item: Speculum alchemiae ... Rogerii Bachonis. Correctorium alchemiae ... Richardi Anglici. Liber secretorum alchemiae Calidis filii Iazichi Judaei. Tabula smaragdina de alchemia. Hermetis Trismegisti. Hortulani ... super Tabulam smaragdinam, Norimbergae, 1541
Libellus de retardandis senectutis accidentibus, & de sensibus conservandis : item, Libellus Ursonis medici, De primarum qualitatum arcanis & effectibus ... / in lucem prodiit, opera Johannis Williams Oxoniensis. cujus sequitur tractatus philosophicus, De humorum numero ... in humano corpore, Oxford, 1590
Medulla alchimiae [ed.] I. Tanckium. Eissleben, Leip, 1608.
Perspectiva / nunc primum in lucem edita opera & studio Iohannis Combachii. , Frankfurt, 1614
Specula mathematica, Frankfurt, 1614大学の研究室にいる間に、昨日の A. G. Little (ed.), Roger Bacon Essays , (Oxford at the Clarendon Press, 1914), pp.376-425 をプリントアウトしました。 "Roger Bacon's Works With References to the MSS. and Printed Editions" です。そこで編者のリトルは、ベイコンの書誌を編むことの困難についてまず語っています。その原因は、ベイコンの側では、彼が原稿を完成させるまでに何度も何度も(4回も5回も)書き直し、同じ材料を何度も何度も別の文脈で利用する習慣にあった。従って、同じ内容が異なる題名のもとに出現し、異なる内容が同じ題名のもとに現れるということになっている。とりわけ、ベイコンに帰される錬金術書のカオスには誰かが秩序をもたらしてくれることを期待しているとあります。
ひとりで4時20分、室温22.8度。新聞をとるためにドアを開けると、地面がすこし濡れています。夜半わずかに雨が降ったようです。今は止んでいます。
気象庁は、午前11時、関東地方も梅雨入りしたそうだと発表したそうです。水曜日は会議の日ですが、大学のボート大会に日で、全学休講日。会議は入っていません。
ちょうどよいので、大学にでて、いくらか資料の整理をすることにしました。
まず、研究所によってスキャン。それから研究室にもどり、再度資料をもって研究所にむかい、もう一度スキャン。やっと紙をある程度整理できる目処がつきました。ほんとうにやっとです。
研究室にもどり、ほんのすこしだけ紙の資料を片づけました。それからもう一度ロジャー・ベイコンを調べてみることにしました。ウェブで次の本が見つかりました。
A. G. Little (ed.)
Roger Bacon Essays Contributed by Various Writers on the Occasion of the Commemoration of the Seventh Centenary of His Birth,
Oxford at the Clarendon Press, 1914
Essay XIII が次です。
E. Withington, "Roger Bacon and Medicine," pp.337-358
今となっては古いところがあるのかもしれませんが、私に有用なまとめでした。
ロジャー・ベイコンは、ギリシャ語の原典(ヒッポクラテスやガレノス)をあまり使っていない。アラビア語の資料はよく使っている。
サレルノ学派はラテン語をきちんと読んでいないとして軽蔑していた。(民間療法の集成であって、学術的な文献を使っていない。)
ベイコンの医学文献は、本人はオリジナリティを主張しているが、ベイコンの慣れ親しんでいた文献(とくに『秘中の秘』)の集大成であった。そのことは、ベイコンの引用からわかる。ベイコンは通常とても正直に引用している。
ベイコンが明らかにしたという「秘密」の薬品は、金、真珠、龍涎香、毒蛇の身、牡鹿の心臓の骨(?)、ローズマリー、蘆薈(ろかい)汁(aloes)であって、それまでに十分知られているものであった。
唯一の例外は、minera nobilis animalis or fumus juventutis であり、これは(できればカールした黄色い髪をもつ)健康な大人を病人に接触させることによる健康の伝達である。
個人的にもう1点興味深かったのは、『分析論後書』からの引用です。ハーヴィが引用しているのと同じ箇所を引用しています(in Principio Metaphysice。感覚→記憶→経験、とする箇所です。アリストテレスにおける経験学の根拠はここにあると言ってよいでしょう。
→13.5.30 さらにフランシス・ベイコンも取り上げられています。pp.354ff.
フランシスが『生と死の自然誌・実験誌』において「ロジャーの『書簡』(オクスフォードで1590に印刷される)を見ていたことはきわめて確からしい」とウィシントンは書きます。
さて、この『書簡』がわからない。Oxford, 1590と内容から言ってほんとうは次でしょう。
Libellus Rogerii Baconi Angli, doctissimi mathematici & medici, De retardandis senectutis accidentibus, & de sensibus conseruandis., Oxford, 1590
これは、Roger BaconのDe retardatione accidentium senectutisだけではなく、ほかにサレルノのDe primarum qualitatum arcanis et effectibus、ジョン・ウィアムのTractatus philosophicusを含みます。この時代にはよくある体裁です。他にも次のエッセイをダウンロードしました。
Essay Xi, M. M. Pattison Muir, "Roger Bacon: His Relations to Alchemy and Chemistry," pp. 285-320.『秘中の秘』そのものは、成り立ちから言えば、帝王学の書です。
山中由里子「「アリストテレスのアレクサンドロスへの書簡」―アラブ世界への移入―」『オリエント』41-2(1998): 229-244 on p.239によれば、「アリストテレスがアレクサンドロスに宛てたとされる王権についての忠告の書状が、ウマイヤ朝カリフのための「君主の鑑」としてアラビア語に訳された」が、「後の著作家たちはこの書簡集の一部をアリストテレスの金言として格言集や賢人伝などに引用した。また、書簡集第8篇は、増補された末、有名な百科全書的訓戒の書」『秘中の秘』となり、後世に大きな影響を与えた。せっかくなので、ロジャー・ベイコン『大著作』高橋憲一訳、朝日出版社、科学の名著3、1980における高橋憲一さんと伊東俊太郎さんの解説を読み直しました。日本ではじめてのロジャー・ベイコンのきちんとした翻訳です。1980年にこれが出版されたのは大いに意義があったと思います。
しかし、個人的には、もう33年も経ちます。すくなくとももう1冊、きちんとした研究書または翻訳があってもよいように思われます。帰宅すると次の本が届いていました。
林博史『米軍基地の歴史:世界ネットワークの形成と展開』吉川弘文館、2012
ひとりで6時10分、室温22.9度。梅雨の足音が聞こえます。今日はまだ晴れ間がありますが、週の後半は雨が続くようです。西日本は梅雨入りしましたし、関東の梅雨入りも時間の問題だと思われます。
午前中に歯医者さん。今日は型どりということです。楽かと思っていたら、けっこうたいへんでした。
日曜日の朝届いた『lntelligence インテリジェンス』の核・原子力関係の記事は全部目を通しました。個人的に特に面白かったのは、第8号に掲載された李香蘭のインタビューです。
インタビュアー:谷川建司・川崎賢子「〔特別企画〕語る李香蘭山ロ淑子インタビュー」 『lntelligence インテリジェンス』第8号(2007): 74-93お昼過ぎに次の本が届きました。
鈴木基之・柏木孝夫
『エネルギーと社会』
放送大学教材、2011
基本がよくまとめられていると思い、購入しました。テレビで放映されています。[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
昨日図書館のサイトでILLを使い次の論文を頼んだところ、図書館の方がウェブで pdf を見つけてくれました。
Robert Steele, "A Medieval Panacea, " Proceedings of the Royal Society of Medicine, 10(1917), 93-106
「中世ヨーロッパのパナセア」について基本が押さえられています。
"Panacea" という語はギリシャ語に由来するが、ギリシャ医学、ローマ医学、アラビア医学、ビザンチン医学のなかにこの考え方はない。
パナケア(万能薬)の考え方は、錬金術から医学に入った。
8世紀から9世紀のどこかで、エジプト起源のギリシャ錬金術が生命のエリクシルをもとめる中国錬金術の思想とであった。
金属は、ひとつの完全体が様々に病んだ仲間であるという思想、それに、すべての人間が特別な医薬品により完全な健康体とされうるという思想、こういう思想からパナケア(万能薬)の考え方が11世紀前後に誕生した。
ロジャー・ベイコンによれば、パナケア(万能薬)とは、あらゆる不完全性を除去し、悪いクラシスを良好にし、あらゆる病気をなおすことで、生命を最大限に延長するものであった。
もっとも重要なテキストは、(アリストテレスに帰されることの多かった)『秘中の秘』である。
『秘中の秘』は、民衆医学の世界では、サレルノ養生訓と並ぶ重要なテキストであった。それは、パナケア(万能薬)の記述のせいではなく、食事法(食療法)と健康保持に関する短い論考のせいであった。これは12世紀にJohn of Seville によってラテン語に訳され、ついで当時のヨーロッパのあらやる俗語に訳され、18世紀に至るまでチャップブックで人気を博した。
pp.98-101に第1から第9の医薬に関するラテン語のテキストを採録しています。 pp.102-104にアラビア語のテキストの英訳が採録されています。最後にラテン語とアラビア語の処方箋の対照表が掲載されています。
なお、ロジャー・ベイコンによる『秘中の秘』の解説(注解)については、大橋さんのサイトに丁寧な紹介があります。第1から第9の医薬に関する部分は、そこで大橋さんが訳出してくれています。→大橋さんは、Robert Steele(1860-1944)が編纂したロジャー・ベイコンを使っておられます。我々に関係するのは、第5分冊です。
Opera hactenus inedita Rogeri Baconi, edited by Robert Steele, Oxford, 1904-1941.
16分冊からなります。次の通りです。
fasc. 1. Metaphysica
fasc. 2-4. Communium naturalium
fasc. 5. Secretum secretorum. Versio Anglicana ex Arabico. Versio vetusta Anglo-normanica
fasc. 6. Compotus. Compotus Roberti Grossecapitis. Massa compoti Alexandri de Villa Dei
fasc. 7. Questiones supra undecimum prime philosophie Aristotelis (Metaphysica XII)
fasc. 8. Questiones supra libros quatuor physicorum Aristotelis
fasc. 9. De retardatione accidentium senectutis, cum aliis opusculis de rebus medicinalibus
fasc. 10. Questiones supra libros prime philosophie Aristotelis (Metaphysica I, II, V-X)
fasc. 11. Questiones altere supra libros prime philosophie Aristotelis (Metaphysica I-IV). Questiones supra de plantis. Metaphysica vetus Aristotelis
fasc. 12. Questiones supra librum de causus. Liber de causis
fasc. 13. Questiones supra libros octo physicorum Aristotelis
fasc. 14. Liber de sensu et sensato. Summa de sophismatibus et distinctionibus
fasc. 15. Summagramatica. Sumule dialectices
fasc. 16 Communia mathematica
『秘中の秘』をふくむ第5分冊は、archive.org でダウンロードできます。<医師アリストテレス>というようなタイトルのシンポジウムを開催できれば非常に面白いのではないかと思われます。
アリストテレスの父は、医師。アリストテレス自身に直接医学に関わる著作はない。しかし、擬アリストテレスの『秘中の秘』や私が18世紀のアリストテレスで記した側面に注目すると、ロジャー・ベイコンから18世紀ぐらいまでをカバーする面白い会合を開くことができると思います。
ひとりで4時40分、室温22.6度。おおきいちびは運動会の振替休日。6時に集合して、友達とディズニーに行くと言っています。調べてみると、ディズニーランドの開園は8時半、ディズニーシーは8時です。並んでファーストチケットをとるのだそうです。
おお、おおきいちびは5時にちゃんと自分で起きて、朝ご飯を食べ、5時45分に家をでました。今月はここで100枚突破。
月曜日なので2限3限4限と授業です。
3限は、発表を担当した学生が病気欠席のため当初はでることのできないはずだった会議に出席しました。一言も発せず話を聞いていました。ふーん。帰宅すると次の本が届いていました。
沢田昭二ほか著『共同研究 広島・長崎原爆被害の実相』新日本出版社、1999
目次は次です。
1 核開発から原爆投下まで、 水田忍、沢田昭二、安斎育郎
2 原爆被害の物理的側面、安野愈、沢田昭二、永田忍
3 原爆放射線の線量評価、沢田昭二、永田忍、安野愈、安斎育郎
4 原爆後の“黒い雨”と降下物、増田善信、角田道生
5 原爆被爆者の障害、斎藤紀
6 放射線の人間に対する影響、野口邦和、安斎育郎
7 原爆被爆者の実態調査、田中*巳、高橋健
8 被爆者行政と原爆症認定制度、伊藤直子、田中*巳、沢田昭二日曜日の朝届いた『lntelligence インテリジェンス』のバックナンバーからまずは、核・原子力関係の部分を読んでいます。順番に読んで全部読みます。
ひとりで5時5分、室温22.1度。
昨日の疲れはそれほどでもありません。たすかりました。7時半現在まだだれも下に降りてきません。それぞれ、昨日は疲れたのでしょう。
朝一番で、『lntelligence インテリジェンス』のバックナンバー10冊が届きました。仕事のはやい古本屋さんです。
2002年より年刊で出ています。第10号は2008年。(2003年、2005年、2007年に2冊出ています。)創刊号の特集は、1がプランゲ文庫、2がアメリカ国立公文書館です。ちいさいちびは今日もハロー西荻(スタンプラリー)を友達3人といっしょに3周すると言っています。おおきいちびは午後練。
小学2年生と相談して、今日は、まず大学に行き、部屋のお掃除。それから野川公園。最後にイトーヨーカドーでゲームということになりました。
10時30分武蔵境発の電車に間に合いました。
大学ではドイツ文学会を開催していました。入り口にたっていた同僚の先生3人に挨拶をして、研究室へ。三鷹駅で買ったお寿司で昼食としたあと、息子は掃除、私は片づけ。
本棚で、『別冊日経サイエンス 核と戦争の20世紀』(1997)を見つけ、カバンに入れました。
それからすこし検索をかけて、次の論文をダウンロードしました。
Marcus Milwright, ‘The Balsam of Matariyya: An Exploration of a Medieval Panacea,’ Bulletin of the School of Oriental and African Studies 66, no.2 (2003), 193-209.
医薬としての"パナケア"(万能薬の比喩ではなく)をタイトルに含む数少ない論文ですが、"Panacea" の語はほとんど出てきません。バルサム、香膏についての歴史的研究です。"Matariyya" はエジプトのヘリオポリスで聖家族が休らったという伝承のある場所です。
古代末期から中世、ルネサンス、18世紀ぐらいまでのマタリアのバルサムの記述は、ほぼすべてディオスコリデスによるとあります。まあ、そうでしょう。疲れたようすなので、野川公園はまたにしようかと聞くと、やはり行くと言います。12時半頃大学をでました。歩くというので、歩きました。アメリカンスクールの脇をと おって行きました。アメリカンスクールから2〜3分で野川公園です。
野川に行きたいということです。公園内の地図を捜し、東八道路をわたる橋を見つけて、野川の方にでました。親子連れが大勢います。遠足で一度来たことがあります。早速靴を脱いで川に入りました。アメンボをつかまようとしますが、ちょっと無理。本人は蛇をみたいと言っています。
土手の部分にいました。呼んだときには草むらに隠れてしまい、ぎりぎり間に合わず。
アスレチックで遊びたいというので、橋をもどって、自由広場の方へ。子どもたちが大勢遊んでいました。ロープスライダー(というのでしょうか)の列に並んでよく遊んでいます。
2時過ぎに次はヨーカドーに行くというので、もと来たみちをもどりました。同じ道はつまらないというので、アメリカンスクールを過ぎてから線路脇の道を行くことにしました。いつも電車のなかから見ている道ですが、歩くのは初めてです。2時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。
ヨーカドーでは息子がゲームをする間、ミルライトの論文を読み終わることができました。
ひとりで4時55分、室温21.3度。おおきいちびの運動会。最高気温が22度でいくらか曇りの予報。運動会にはちょうどよい。ちいさいちびと小学2年生は、ハロー西荻に参加します。→外は全面くもり。昨日の予報ではなく今朝の予報を見てみました。一日中全面曇りです。最高気温も21度。いずれにせよ、運動会にも10キロ以上を歩くハロー西荻にもちょうどよい。
妻は6時、おおきいちびは6時20分に起きてきました。妻はおおきいちびのお弁当作り、おおきいちびは運動会の準備があるので、7時20分に家をでると言っています。
息子のハロー西荻(スタンプラリー)につきあいました。10時過ぎに家をでて、途中蕎麦屋で昼飯を食べ、12時40分頃帰宅しました。
くじは、一番下と下から2番目でした。すっかりお金のつかみ取りをするつもりだった息子は、相当しょんぼりしていました。
帰宅すると次の本が届いていました。
吉岡斉
『脱原子力国家への道』(叢書 震災と社会)
岩波書店、2012家で1時間以上休んでから、ガンバライドをやりたいというので、ヨドバシに連れていきました。休みの日のヨドバシカメラは盛況です。息子が仮面ライダーガンバライドゲームをやっている間、まわりを見て回っていました。5階にたぶん春にあらたにできたマンガコーナーは、多摩地区一番の品揃えだと思われます。
帰宅すると、妻は中学校の運動会から帰っていました。
早速撮ったばかりのビデオをテレビにつないでみました。すこし苦労しました。
その後、DVDに焼きました。こちらは、マニュアルのプリントアウトからはじめ相当苦労しました。たまにしか使わない機器は、使い方を忘れてしまいます。しかも、ユーザーインタフェイスが親切ではない。
ちいさいちびは、お友達といっしょにハロー西荻(スタンプラリー)を3周したそうです。体力がついてきました。いいものが当たらなかったとけっこう不満でした。思索の森で嶋崎さんが山田弘明さんの「デカルトと医学」(2004)を取り上げておられます。おおー、これも、タイムリー。月曜日3限の授業でKくんにこれを読んでもらいます。明後日。ベーコンもデカルトもニュートンもライプニッツも医者ではありません。しかし、時代背景を考えれば一定当然ですが、医者の仕事を読んでいます。ベーコンは長寿論(養生論)と半パラケルスス的物質理論、デカルトは解剖学をよく学んでいます。ボイルも医師ではありませんが、オクスフォードから名誉医学博士号をもらっていますし、成長後の身体の弱さもあって医学には一生続く深い関心を持ち続けています。
[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
プリースナーの挙げる文献です。
C. Neuman, Chymiae medicae dogmatico-experimentalis oder der gründlichen und mit Experimenten erwiesenen Medicinischen Chymie, Bd.1, 2, Züllichau, 1749, p.251, Bd. I, 3, p.195
A.-J. Pernery, Dictionnaire Mytho-Hermétique Paris, 1787, (Reprint, 1972), p.269
Wiitstein, Bd. II, p.231
Kopp, Geschichte, Bd. II, pp.176-82
Kopp, Alchemie, Tl.I, pp.95-103
J. Moeller (ed.), Real-Encyclopädie d. gesamten Pharmazie, BD.I, Wien und Leipzig, 1886, p.571, Bd. VII, 1889, p.626, Bd. VIII, 1890, p.448.
夜半に目覚めてすこし仕事。6時15分、室温21.5度。快晴。まぶしいほどの快晴となっています。
本日は午後出張校正。
→1時に家をでて、3時半過ぎに帰ってきました。帰ると、文生だより (文生書院メールマガジン)で次の情報がありました。
20世紀メディア情報データベース 『占領期の雑誌・新聞情報 1945-1949』
NPO法人インテリジェンス研究所
プランゲ文庫、2013年6月1日 公開・運用開始、とあります。おお、タイムリーです。橋本さんより次の本を頂きました。
橋本毅彦
『近代発明家列伝―世界をつないた九つの技術』
岩波新書、2013
橋本さん、ありがとうございます。ハリソン、ワット、ブルネル、エジソン、ベル、デフォレスト、ベンツ、ライト兄弟、フォン・ブラウンの9章からなっています。読みやすい本に仕上がっています。[Records of the U.S. Strategic Bombing Survey]
有名な"Records of the U.S. Strategic Bombing Survey"(米軍戦略爆撃調査団文書)が国立国会図書館でデジタル化されているのに出会いました。
Records of the U.S. Strategic Bombing Survey
USB-1〜USB-12、USB-14〜USB-16を2013年3月にデジタル化しインターネットで提供したとあります。こういうのはよい仕事です。どんどん続けて欲しい。
日本占領関係資料
ひとりで5時10分、室温23.4度。依然として室温が高いままです。快晴。
6時過ぎに妻が、そしてその数分後に小学2年生が起きてきました。おおきいちびの朝練があります。ちいさいちびも7時半だと間違えたと言って7時前に起きてきました。7時前に全員集合したことになります。私はいくらか体力が回復してきたようです。いつもよりはやくでて、必要な作業を行うことにしました。まず、研究所に行って、スキャン。それからコピーセンターで3限の授業の資料をコピー。
研究室にもどって、次の論文を収録している『科学史研究』1998年冬号を捜しました。捜すのは面倒だったので、ILL で頼もうかと思ったぐらいですが、片づけも必要だと考え直し、捜しました。案外すぐにみつかりました。
土屋睦廣「ガレノスのクラーシス論 Galen's Theory of krasis」『科学史研究』第II期 37(208) (1998) : 223-228
月曜日の大学院の授業で本間博士の博士論文を読んだとき、「調和状態」がすこし問題になりました。"temperamentum" の訳語として本間博士が選んだものです。p.70, note14) で中世では、"complexio"と訳され、ルネサンス以降は "temperamentum"と訳されたが、もとはギリシャ語の"krasis"だと注記されています。
議論をしている最中にガレノスのクラーシス論文があったことを思い出しました。以前はきちんと読もうと思っただけで、実際に手に取るのを忘れています。
生協食堂に持ち出して、食事の合間に読みました。基本がきちんとまとめられていると思います。
「体内における諸要素の混合の比率・バランス」という概念を、術語としても用いられるギリシャ語krasis[もちろんギリシャ文字で表示されていますが、ここはラティナイズしておきます]と呼び、これによって身体の状態が決定されるという観念を「クラーシス説」と呼ぶ。
アリストテレスおよび初期ペリパトス派の著作では、「4性質の混合のバランス」もしくはそれによって形成される「体質」を意味する術語として使われている。
ガレノス『クラーシスについて』の冒頭。「温と冷と乾と湿から生物の身体は混合されていること、そしてすべてのものがクラーシスにおいて等しい配分を持っているわけではないことは、昔の人たちによって、しかも哲学者と医師たちにうちで最も優れた人たちによって論証されてきた。」
「ガレノスのクラーシス論は一貫して4性質に基づいている。」
土屋睦廣氏の研究ノートはこれはこれでよいのではないかと思います。個人的には、中世の"complexio"説のレビュー、ルネサンスの"temperamentum" 説のレビューがほしい。
てもとに高橋憲一訳のロジャー・ベイコン大著作があります(朝日出版社、1989)。p.404 に次の語があります。「さて「もし何であれ或る混合物において、諸元素の一方が他方によって悪影響を受けず、純粋な単一性へと変えられるようにそれらが調合され純化されるならば、そのときには最良の薬をもつことになろう」と最も知恵ある人々は考えた。」
原文は次です。
"Si vero elementa praeparentur & purificatur in aliquo mixto quocunque, ita quod nulla infectio effet unius per aliud, sed reducerentur ad puram simplicitatem, tunc aestimaverunt sapientissimi quod summam medicinam haberent. Nam sic effent elementa aequalia." pp.470-1.
バークの英訳では次です。
"If the elements should be prepared and purified in some mixture, so that there would be no action of one element on another, but so that they would be reduced to pure simplicity, the wisest have judged that they would have the most perfect medicine. For this way the elements would be equal." p.624.[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
クラウス・プリースナーがコップを引用しています。コップを取り出してみました。 「化学と医学の関係」のところで、「この時代には薬品は化学的に作用する物質とはみなされなかった。」「薬品の効果は、ガレノスの原理によるとそれに内在する元素の性質に帰される。」とあります。
基本中の基本ですが、忘れがちのポイントです。
ひとりで3時50分、室温23.2度。わオー、室温が高い。今日は朝一番で歯医者、午後は会議。
歯医者さんが終わったあと、ちょうどよいので散髪屋さんにいき、髪の毛を切ってもらいました。暑くなってきたので、さっぱりと短くしました。
昼食後、大学にでかけました。体力が回復してから、研究所でスキャンをし、それから『死生学研究』第9号(2008)を借り出しました。
会議が始まるまでで、次の論文を読み切りました。
藤崎衛「ラテン中世の「寿命の延長」(prolongatio vitae)について―ロジャー・ベイコン、錬金術、教皇宮廷―」『死生学研究』第9号(2008): 246(101)-224(123)
13世紀に焦点をあわせて、「教皇たちの身近で実際に試みられた、老化を遅らせるための理論と実践について」探究しています。教皇たちが飲用金を服用していたことが語られます。
中心となるテキストは、ロジャー・ベイコンです。
『老年の症状の遅延について』(De retardatione accidentium senectutis, to Innocentius IV):著者はベイコンとそうではないとする両説があるそうです。藤崎さんはベイコンではないという立場です。
『大著作』第6部から寿命の延長をもたらす薬の事例を検討しています。
『六科学の書』(Liber sex scientiarum, written 1280's-1290's)会議は順調に進行し、4時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。5時過ぎに帰宅すると、小学2年生だけがいます。どうも熱あたりのようです。体温をはかると36度9分。あつすぎたのでしょう。
[田中幹人氏と早稲田のサイエンス・メディア・センター・オブ・ジャパン]
月曜日の授業で ICU 出身の院生に、田中幹人氏の仕事を教えてもらいました。ウェブで調べてみると、田中幹人氏は、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリストコースに所属しされています。何点かウェブで論文をダウンロードできます。
ざっと読んでみての感想は、ICU 出身者で STS をやっておられる方の雰囲気があります。ICU になにかそういう雰囲気を育てる基盤があるのでしょうか。
それはともあれ、意味のある仕事をされています。学生諸君には平川さんの本と同時に 読んでもらおうかなと思っています。
ひとりで5時45分、室温21.2度。晴れて鳥が鳴いています。今日もまずは歯医者。
[International Longevity Center]
International Longevity Centerのサイトを尋ねました。利益を出すのが目的ではないということで、多くの出版物は無料でダウンロードできるようになっています。
スプリンガーが出している次の2点も(スプリンガーのサイトから)ダウンロードできます。
Ilya Ilyich Metchnikoff, The Prolongation of Life: Optimistic Studies, New York: Springer, 2004, Originally published New York: Putman, 1908
Louis Cornaro, The Art of Living Long, 1903 English Translation by William F. Butler, New York: Springer, 2005
老齢学を含め、今の日本で一番必要とされる分野の研究です。
ひとりで5時45分、室温21.1度。わずかですが、雨がまだ降っています。午前中には止む雨だと思われます。
風邪は全快とはいきませんが、なおったことにして、通常の仕事に戻ります。動いているうちにもとにもどるでしょう。2限3限4限と授業が続きます。
ほぼ予想とおりの怒濤。帰ってきてダウン。体力は回復していませんでした。帰宅すると次の2冊が届いていました。
Gerald J. Gruman, A History of Ideas About the Prolongation of Life , New York: Springer, 2003
Arthur William Meyer, An Analysis of The De Generatione Animalium of Willam Harvey ,California: Stanford University Press, 1936.
最初のグラマン博士の書物は、もとアメリカ最古の学術雑誌 Transactions of the American Philosophical Societyの1966年12月号に掲載されたものです。それを出版社のスプリンガーが国際長命センターの協力を得て、本としたものです。これはシリーズで計画されています。シリーズ名は、"Classics in Longevity and Aging Series"
2003のグラマンを皮切りに、メチニコフさんの「寿命を延ばすこと:楽観的研究」、Ignatz Leo Nascher博士の「老年学」、Luigi Cornaro 氏の「長命術」、Jean-Martin Charcot 氏の「老年学の教訓」が計画されています。[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
Alchimiaの Indice del lessico alchemicoでは4箇所です。
Panacea: 595, 639, 1082, 1268
このおおきな錬金術集成でたった4箇所しか使われていないと言えます。錬金術でも使われることもあるが、基本語ではない、と位置づけてよいでしょう。ドイツ語の錬金術事典Alchemie: Lexicon einer hermetischen Wissenschaftは、項目として"Panacea(panacee)" を取り上げています。pp.263-4。執筆者は、Claus Priesner. 学術的事典における記述は貴重だと思われます。
テリアカ
辞書には、(ラテン語)theriaca:数種の薬を蜂蜜で練り合わせた赤色の膏薬。解毒剤として使われた、とあります。別の辞書には、中世、アラビアの霊薬として蛇毒などの毒消しとして使用された。日本・中国にも伝えられ底野迦と書いた、とあります。
ロジャー・ベイコンにも次のようにあります。
「さてティリア人の食料である這うものとはティリアカが作られるもととなる「ティリアの蛇」である。その肉塊はしかるべく調理され、香料用の諸事物とともに食される。そして、『老人の治療法についての書』で教えられているように、もし誰であれその人の体質と状態とに適した諸事物とともにそれが摂取されるならば、これは老年の諸状態に対し特効的なものである。」(p.403)
訳注は、次のように言います。「Tyriacaは著名な万能秘薬にひとつ。小アジアのポントス国王ミトリダーテス6世の抗毒剤に由来し、皇帝ネロの典医アンドロマコスによって完成されたといわれる。マムシの肉、阿片、カステレウム、サフラン、大黄、竜胆(リンドウ)、生姜など75種の成分からなる。」
例2の最後でベイコンは、典拠となる著作を列挙しています。
擬アリストテレスの『秘中の秘』
アルテフィウスの哲学
『老年の諸状態についての書』
『老人達と長老達の養生法』
プリニウスちなみにティリアカのスペルですが、しっかりとした辞書に次のようにありました。
Theriac, Theriaca, n. [Late ME and e.m.E. tiriake, tyriake, tariake (all c1440), theriaca (1562), OE tyriaca, MF thériaque, med. L. theriacum, late L. theriaca.]
アヴェロエスに帰されるDe tyriacaという著作があります。アヴェロエスには他に次があります。
Averroes , latine edidit Baptista de Avolio,
De venenis, de tyriaca, de concordia inter Aristotelem et Galienum de generatione sanguinis: et etiam Secreta Ypocratis
[Bologna : Benedictus Hectoris Faelli], [c. 1497-1500]Du Cange et al. Glossarium mediae et infimae latinitatis, Niort: L. Favre, 1883-1887 には次のようにあります。
TYRIACA, Tyriacum Antidotum, pro Theriacum, quod vulgo Theriaque dicimus. Stephanus Episc. Tornacensis Epist. 129 :
Mitto vobis ampullam, Tyriaca probatissima plenam.
Ita etiam AElfricus pag. 57. Fulcherius Carnotensis lib. 3. Hist. Hierosol. cap. 59 : Antidotum Tyriacum de corpore serpentis confici dicitur.
ひとりで4時30分、室温20.8度。
風邪はかなりよくなってきた気がします。[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
グーグルブックに、次があります。
Dr. Everard, & c.
Panacea or Universal Medicine, Being A Discovery of the Wonderfull Vertues of Tabacco Taken in a Pipe, With Its Operation and Use in Physick and Chyrurgery
London, 1659.
同じ流れで次の本をダウンロードしました。
Sir John Sinclair,
The code of health and longevity; or a concise view, of the principles calculated fo the preservation of health, and the attainment of long life
4 vols., Edinburgh, 1807
ひとりで6時30分、室温20.6度。おおきいちびと妻は起きていました。朝食中。小学2年生もすぐに起きてきました。ちいさいちびは、移動教室の疲れでたぶんひとりよく寝るでしょう。昨日と同じように、寝たり起きたりしている最中に次の本が届きました。
William Harvey,
The Anatomical Exercises: De Motu Cordis and De Circulatione Sanguinis in English Translation,
Edited by Geoffrey Keynes, New York: Dover Publications, 1995,
First published as The Anatomical Exercises of Dr. William Harvey, De Motu Cordis1628: De Circulatione Sanguinis 1649: The first English texts of 1653 now newly edited byGeoffrey Keynes , London: The Nonesuch Book, 1953
こういうリプリントは貴重です。[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
"Panacea or Universal Medicine"に関して、そのロキをぶらぶら散歩しながら捜索してみます。ジョン・ハリスの『技術事典』第1巻(1704)には次のようにあります。
"PANACEA, was ancinetly a Name given by Galen to some Medicines which he had a great Opinion of: After, by the Chymists, it was the Term for their Boasted Universal Medicine , which they presented would Cure All Diseases in all Circumstances, Ages, and Constitutions. There are several Panaceas whose Preparation you will find in Books of Chymistry and Pharmacy: as that of Mercury, of Antimony, & c. which perhaps may be good Medicines in many Cases, but do all fall short of the Character being Universal Medicine, and indeed it seems impossible there can be any such things. The Word Panacea comes from the Greek, :: and ::::, omnia sano. There is als a Plant of this Name."
ハリスは、すべての病気に効く普遍薬(万能薬)はありえないと書いています。医化学の時代には、水銀由来の万能薬、アンチモン由来の万能薬があった、喧伝されたこともわかります。
ハリスは典拠は示していません。一般的観念なので必要ないと考えたのでしょう。こういうテーマであればまずはソーンダイクでしょう。インデクスを見てみました。
"Panacea or universal medicine, VII, 160-2, 170, 177, 180-1, 193, 198-9, 216, 238, 252, 313, 357, 361, 610, VIII, 76, 138, 145, 194, 328, 612; coral not, VIII, 162-3; diaphoretic solar, VIII, 113; mercurial, VIII, 152; opposition to, VII, 197, 451, VIII, 16, 135, 433, 509; preparation of, VII, 161."
このなかで、"Panacea"という語がでてくるものだけを抽出します。最初は、VII, p.198 です。グラウバーの新しい哲学炉を扱っている箇所で、グラウバーは万能薬を信じていた、と記述されます。
VII, p.216 はゼンネルトです。ゼンネルトは単一の万能薬については懐疑的に議論しているとあります。『一致と不一致』第18章。全集で第3巻、pp.817-21.
"Anwald's Panacea" トーマス・ベーカーの『学問の考察』(2版、London, 1700)から次の言葉を引用しています。「リバヴィウスが論じるアンバルドのパナケアや、ヘルモントが賞賛してやまないバトラーの石は、その時代においておおいに話題になったが、著者の死とともに埋葬され死んでいる。」Anwaldというのは、Georg am または an Wald ということです。
1669年ドイツ語で出版され、1677年にラテン語に翻訳されたD. Pauli Ammanni Medicina critica sive decisoria,...の内容を紹介している箇所で、「シナモンとアンチモンのパウダーはパナケアではない、パラケルススとヘルモントのアルカヘストは溶液であってパウダーではない。」という言葉を引用している。
Frencesco Lana Terzi, Prodromo,...(1670) には、パナケアに関する章がある。
・ここまで。"Panacea"は、飲用金、エリクシル、とともに語られることが多い。
・ガレノス以来ということで、プリニウス、アヴィセンナ、ラーゼス、ロジャー・ベーコン等でも言及されている。このテーマで探究するとき、私には、ボイルが期待されるでしょう。ボイルを読んでいて、パナシーア(英語的に発音すれば)に出会った記憶はありません。
著作集の索引には、"panacea duplix" で1箇所、書簡集の索引にはまったく取り上げられていません。
しかし、ボイルの好みのテーマではなかったとしても、この時代に医化学に関わったボイルがまったくパナシーアに言及していないとは考えられません。
順番に調べてみました。
1.作業日誌。
Work-diary, XV, fol. 97v (1657.5.15日またはそれ以降、1657.5.19以前)でボイルはおそらくグラウバーの「アンチモン・パナケア」(5硫化アンチモン)に触れている。
2.著作集。
ボンティウスのべゾアールの話に続けて、あるエンピリクの説として、飲用金とパナケアに触れています。(III, p.384. )(結石、糞尿等が有用な薬に変えられるという文脈において取り上げられています。)
3.書簡集。
ゴットフリード・フォン・ゾーネンベルクからボイル宛てのラテン語の手紙。1684.8.3/7.24 この手紙が2回 "Panacea" という単語を使っています。(VI, p.40)
D. Mollondinからボイル宛のフランス語の手紙。 1685.10.11 "un elixir d'antimoine qui doibt estre une panacee"(万能薬とみなされるアンチモンのエリクシル) という表現を使っている。VI, p.130
Read から Dr. William 宛の手紙、1666か?。Aloes Mirrhe についてもっとも香のよい万能薬と表現しています。そして編者注として、ファン・ヘルモントの "elixir proprietatis については、『医学の曙』の「パラケルススのアルカナ」p.788 を見よとあります。
以上ですべてです。ボイルは、自分の言葉としては使っていないが、同時代の人間の"panacea" の用法はよく知っていたというふうになるでしょう。
ひとりで7時、室温20.3度。途中何度か目覚めましたが、ほぼ12時間睡眠。朝一番で歯医者さんに行って、そのあともまた休みます。ネルかどうかは不明です。
歯医者さんは9時半から。9時15分に行って待ちました。ほんとうに一番。すぐにすみました。その後は、やはり寝たり起きたりの生活です。無理すれば動けますが、軽い風邪です。今日は、そういう生活を続けます。
ひとりで5時20分、室温21.9度。気温の上下についていけず、軽く風邪気味です。鼻がつまり、咳が続きます。寝込むほどではないので、今日の授業は行います。
ということですが、風邪のまま授業を行うだけの日になります。
授業中咳がどうしても続く時間帯がありましたが、なんとか行うことはできました。5限だけ、いつもよりずっとはやめに切り上げて帰ってきました。夕食、お風呂のあと、すぐに布団にもぐりました。
ひとりで4時5分、室温23.1度。外はもうすこし涼しく感じますが、いきなり夏になった気温です。
ちいさいちびは今日から移動教室(昔の修学旅行にあたります)。5時半に起こすことになっています。
実際には5時45分に起こしました。6時15分にお友達が、ディンドン! え、はや。すぐにいっしょにでかけていきました。私は会議の日。1時からちいさな打ち合わせ、さらに4時から学部教授会。
10時前に家をでて、授業の準備。必要な資料のスキャンを行いました。そして、ゼミで使うことにした次の本を読み通しました。
平川秀幸『科学は誰のものか―社会の側から問い直す』NHK出版(生活人新書)、2010帰宅すると次の本が届いていました。
高橋昇・天笠啓祐・西尾漠編著
『『技術と人間』論文選: 問いつづけた原子力 1972-2005』
大月書店、2012
目次は次です。
はじめに(高橋 昇)
日本、そして世界の原子力開発小史(西尾 漠)1
ナショナル・プロジェクトとは何か?(高橋 昇)
「むつ」乗船日記(雨宮正彦)
いま、原発内労働はどうなっているか(森江 信)
2
原子力長期計画はまちがっている(星野芳郎)
原子力のエネルギーコスト(室田 武)
原子力技術を考える(高木仁三郎)
原子力におけるエネルギーの諸問題(水戸 巌)
巨大技術とフェイルセイフ(武谷三男)3
葬られるスリーマイル島事故の真相(荻野晃也)
ECCSは有効に作動したか?(海老沢 徹)
「もんじゅ」のナトリウム火災(小林圭二)
チェルノブイリ原発事故によるその後の事故影響(今中哲二)
JCO臨界事故とは住民にとって何であったか(相沢一正)
原子力発電所事故の被害額を試算する(朴 勝俊)
原発重大事故の総括(正脇謙次)4
微量放射線の生物学的・医学的危険性(市川定夫)
低線量被曝の危険性(ロザリー・バーテル)
ICRP新勧告のねらい(中川保雄)
低線量放射線被曝の異常に高い危険性(山本定明)5
原子力平和利用は故意の犯罪(槌田 敦)
核廃棄物の海洋投棄は人間の危機(水口憲哉)
高レベル放射性廃棄物の地下投棄(生越 忠)
地球を一周する日本の使用済核燃料(藤田祐幸)
放射性廃物の問題点(小出裕章)
放射性廃棄物のスソ切り処分の悪法案(末田一秀)6
原子力発電所による海洋生物汚染の実態(京都大学漁業災害研究グループ)
柏崎原発の地盤は劣悪である(武本和幸)
伊方原発行政訴訟の意義と判決批判(久米三四郎)
「原子力帝国」の治安管理システム(西尾 漠)
魚の大量斃死と学者たち(斉間 満)
放射能汚染食品をめぐるフィリピン、タイそして日本での動き(小椋純一)
電力資本の需要拡大戦略(宮嶋信夫)
巻原発問題の経緯とゆくえ(桑原正史)7
チェルノブイリの雲の下で(田代ヤネス和温)
チェルノブイリの一九年と私たちの救援活動をふり返って(河田昌東)
脱原発社会への構想力(松岡信夫)
解題 福島第一原発事故と『技術と人間』(天笠啓祐)
ひとりで6時40分、室温20.8度。
古い仕事を整理していました。
ひとりで4時30分、室温20.9度。
6時前にゴミを出すため外に出ると、地面が濡れています。葉っぱに残る雨の感じから言えば、早朝に小雨が降ったようです。
天気予報に雨のマークはありませんが、おおきいちびが朝練にでかけるときもわずかに雨が降っていました。走り梅雨のような雰囲気です。傘は差しませんでしたが、私がでかけるときもほんとうにわずかに雨が降っていました。2限3限4限の授業。帰ってから、歯医者に行かねば。
なんとか5時前に帰宅することができました。妻によれば、いつも行っていた歯医者さんは別の場所に移ったということです。あれあれ。おじいちゃんの歯医者さんは残ってますが、あらっぽいそうです。
左下奥から2番目の歯がなくても、なんとか授業はできました。集中して話すと、それほど気にはなりません。しかし、こういうのは緊張が解けると、違和感が増します。
ほっておくわけにもいかない。しばらくうーんと考えて、子どもたち全員が世話になっている歯医者さんにお願いしてみることにしました。6時から大丈夫ということです。
抜けた瞬間、ちいさいちびと小学2年生は、入れ歯、入れ歯、と騒いでいます。もちろん、入れ歯の実態は知らないまま、言っています。いずれはそうなるかもしれませんが、今入れ歯は怖い。入れ歯まではいかなくても、差し歯は覚悟しなければなりません。
レントゲンをとってきちんとみましょうということで、レントゲンをとったものを見せてくれました。絶対大丈夫と言える状況ではないが、なんとか歯の根を残してやってみましょうということでした。やれるだけやってみましょうの意味でしょう。
命拾い。
冠をかぶせるので、1週間に1〜2度通って下さいとの結論。というわけでしばらく歯医者通いの日々です。
ひとりで4時50分、室温20.2度。今日は晴れました。快晴。
この週末はいまいち調子がよくありません。昼食を食べていると、口のなかに違和感が。奥歯が8割ほど欠けていました。しばらく歯医者の世話にならずにすんでいましたが、これでまたしばらくやっかいにならなければなりません。
私だけではなく、ちいさいちびも小学2年生のショックだったようで、そこで昼食が終わってしまいました。
こういう欠け方は、正常な方にはまずないと思われます。私の解釈は、失神したときにひびが入っていて、それがここに来て全面的な分裂に至ったというものです。
ひとりで4時50分、室温22.3度。一日中雨。息子といっしょにDVDを返却し、新しいものを借りて、さらに夕食の材料を買い出しに行く以外はずっと家の中。
ひとりで5時15分、室温20.0度。昨日の酒がすこし残っています。午前中に次の本が届きました。
渡辺淳一『白い宴』角川文庫、1976。届いたのには、第26版とあります。第26刷の意味だと思います。
ちょうどよいので、読みました。心臓移植手術を受けたレシピエントが亡くなった時点で終わっています。個人的には、その後の和田寿郎教授のことを知りたい。
1.北海道は、地名の読み方が難しい。基本的な土地関係について説明があり、読み方がわかるのはありがたい。
2.医師たちの間にどういう反対があったのかがわかる。独断的な和田寿郎教授のやり方には、医学者の間にも決してすくなくない反対、懐疑があったことがわかる。
3.ほんとうにレシピエントの命のことを考えて、行った移植ではないことがよくわかる。移植に成功しても、それほど長く(初例では49日が記録)生きるわけではないことは意識の中心にあった。
ひとりで5時40分、室温17.1度。息子は今日遠足です。興奮したのでしょうか、6時過ぎに起きてきました。早すぎるので、ソファの上でおとなしくしているよう指示しました。
3限4限5限の授業。
5限終了後、101教室に向かいました。都甲先生の慰労会。いつもの食事会です。新装なったカンピレへ。経営者が変わったのでしょうか、沖縄料理は半分ぐらいに減っていました。
ここには書くことのできない面白い話をいろいろ伺いました。
帰宅して11時過ぎ。
ひとりで3時40分、室温15.9度。たしかに気温が下がりました。昼食後、大学に出ました。まず、図書館。次の文献を受け取りました。
Anthony Grafton, "The World of the Polyhistors: Humanism and Encyclopedism", Central European History, 18(1985): 31-47
研究室に持っていってすぐに読みました。なるほど。[スクラップブック例示:和田移植]
月曜日2限の授業で学生達にスクラップブックの作成をすすめています。ひとつのテーマに関して、情報を集め、整理し、分析する練習としてとてもよいのではないかと思います。
例示をしましょう。
和田移植。
朝日新聞の4月27日土曜日の夕刊「昭和史再訪」の欄に、日本初の心臓移植(昭和43年8月8日)がありました。
蘭島海水浴場の地図、風景写真、次の日の朝(8月9日)の新聞の一面があります。こういうものは、新聞の強みです。
注記の部分には、心臓移植は1968年に約100件が行われたが、拒絶反応ですぐに死去する例が多く、1969年には激減した。1980年頃よい免疫抑制剤が登場して、再び活発になった、とあります。2010年までに世界で心臓移植を受けたのは10万人なのに、日本は約160人と最後にまとめています。
証言には、『失楽園』の小説家、渡辺淳一氏が執筆しています。渡辺淳一氏は、北海道生まれ、1958年札幌医科大卒、1964年札幌医科大助手、1966年札幌医科大講師です。和田移植のあった1968年には、札幌医科大の整形外科講師だったが、麻酔科、脳外科、心臓内科の医師の批判の声をもとに『小説 心臓移植』(のちに『白い宴』と改題)を発表した。この小説が内部告発と受け取られ、大学に居づらくなり、東京に出て作家になる決心をしたとあります。
和田移植に関しては、ノンフィクション作家の後藤正治氏のインタビューも取っています。そのインタビューで後藤さんは意外な発言をされています。趣旨としては、次です。日本で(脳死からの)移植医療が根付かない原因は、死を自分で決めず、先生から告げられるものとみなす日本人の人生観・死生観にある。うーん、どうでしょうか。
ひとりで5時、室温19.3度。今日は1限。7時半にはでかけます。
→7時15分に家をでました。1限の授業「総合文化研究入門B」で福嶋伸洋氏(ふくしま・のぶひろ 共立女子大学専任講師)をゲスト講師にお呼びします。講演タイトルは「愛する人を待ちつづける花嫁ーーポルトガルとブラジルの歌と詩から」。主題は、郷愁(サウダージ)。もともとはラテン語の solitudo に由来するが、saudade というポルトガル語になったとき、特有のニュアンスを持つようになった、とあります。
福嶋伸洋氏は、外大で博士号を取得された方です。私はお会いするのははじめてです。10分前に教室に入ると、もう見えていました。簡単に挨拶。
TA の方がコピーに手間取って予定より遅くなりました。問題になるほどではありません。そこから機材の準備。
開始は、学生達の動きが落ち着くまで待ちました。数分以上かかりました。
私はまんなかあたりに移動椅子を置き、話を伺いました。最初に写された映像がフェルメール。え、なんで、いきなり17世紀オランダのフェルメールからと思いましたが、説明を聞き、納得できました。
途中から前の席に座った子が出入りを繰り返します。様子がおかしいなと思い、数回目のときに顔色をみると悪い。貧血でしょうか、正確な症状は不明ですが、保健センターに連れていくことにしました。途中何度か座りこみましたが、なんとか保健センターまで歩いてもらうことができました。あとは、保健センターのナースさんに世話を頼みました。一時的な体調不良の模様。教室にとってかえして、カバンをおなじナースさんに預けました。25年間つとめて、こういう体験ははじめてです。そうこうするうちに授業は終了していました。終了後は、総合文化研究所で書類の処理をお願いしました。
その後は、昨日着手した本棚の片づけを続行するつもりでしたが、やる気がせず、そのまま帰宅しました。疲れが残っていました。帰宅すると次の2冊が届いていました。
Scott Kirsch, Proving Grounds: Project Plowshare and the Unrealized Dream of Nuclear Earthmoving, New Brunswick: Rutgers University Press, 2005
The Anatomical Lectures of William Harvey: Prelectiones Anatomie Universalis De Musclis, Edited with an introduction, translation and motes by Gweneth Whitteridge, Edinburgh and London: The Royal College of Physicians, London, 1964
最近よく見る図書館の除籍本です。もともとは、ジョンス・ホプキンズの William H. Welch Medical Library, Johns Hopkins University School of Medicine の所蔵です。橋本さんが留学中にハーヴィに関心をもっていたら、手にしたかもしらない本です。
文献表には、ハーヴィが使ったという記述があります。次のものです。
Realdus Columbus, De re anatomica libri XV, Venice, 1559
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Gabriel Fallopius, Opera quae adhuc extant omnia, Frankfurt, 1584
ハーヴィの所持していた全集は、王立医師会の図書館にあるそうです。ただし、ハーヴィ自身のページレフェレンスはこの版ではないということです。
Laelius a Fonte, Consultationes medicae, Frankfurt, 1609
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Andreas Laurentius, Historia anatomica humani corporis et singularum eius partium, Frankfurt, 1600
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Archangelo Piccolomini, Anatomicae praelectiones, Rome, 1586
ハーヴィが使ったと言っているのは、この版だが私は見ることができていないとあります。
Jean Riolan (the younger), Anthropographia et Osteologia, Paris, 1626
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Andreas Vesalius, De corporis humani fabrica, Basle, 1543
ハーヴィが使ったのは、この版だと思われるとあります。
もちろん、ハーヴィが解剖学講義の種本とした教科書は、ボーアンの『解剖学劇場』です。初版を使っています。
Caspar Bauhin, Theatrum Anatomicum, Frankfurt, 1605
後の書き加えでは、2版も使っています。
Caspar Bauhin, Theatrum Anatomicum, 2nd edition, Frankfurt, 1621
ハーヴィが使ったかどうかの記述はありませんが、ホイットリッジは、アリストテレスに関しては次を使っています。
Aristotle, Libri omnes ad animalium cognitationem attinentes cum Averrois Cordubensis variis in eosdem commentariis, Venice, 1550, 1552, 8 vols.,
→これは一体何かと思い調べてみました。Volume 6 of Aristotelis opera cum Averrois commentariis: Venetiis, Apud Junctas, 1562-1574, reprinted by Minerva, Frankfurt, 1962, 12 vols.
ホイットリッジのこの表記法はわかりづらいと思います。
ホイットリッジのものは今学期中に集めておこうと思っています。→13.5.8 まずは、ホイットリッジの序文だけ読んでみました。lxiv まで。これは読んでおく価値がある文章だと思います。
当時ラテン語にはきちんとした正書法があったが英語にはなかったので、英語で書かれている部分の方が読解に困ることが多いとありました。英語は大きく声に出してみてはじめてわかるとあります。これは英国人でもそうなんだと思いました。
この時代の英語のスペルは各自が勝手に聞いた音を文字化しています。声に出すことが理解には必須です。
ハーヴィの講義は、ラテン語で行われたのか、英語で行われたのかはっきりしないとありました。受講生に外科医が多いときには英語、受講生に内科医が多いときにはラテン語だったと推定することもできようとあります。
2号の編集作業を昨日・今日でほぼ完了しました。あとは、適当な表紙の写真を捜すだけです。
ひとりで2時20分、室温19.4度。2回目の起床は、7時20分。全員起きていました。
息子が大学に行きたいというので10時半頃に連れていきました。11時過ぎに到着。私は懸案だった本棚の整理に着手しました。息子は、慣れたものです。コロコロ、掃除機、拭き掃除と順番にやってくれます。
終わったあと、やっとお腹が空いたようです。線路脇の中華料理屋さんに1時過ぎに入りました。運動しているせいもあるのでしょうが、食がしっかりしてきました。
リュックにはグローブが入っています。食後、ゆっくりと武蔵野の森公園に移動しました。今日は大勢の親子連れ。しばらくキャッチボールにつきあってやると満足したようです。帰途へ。
ひとりで4時、室温17.6度。子どもの日。妻はかなりよくなったもののまだ半分ダウン中。買い物に行ったあと、小学2年生を本人の希望する原っぱ公園に連れていきました。おおきいちびが友達とランニングをしていました。数周。小学2年生はしばらくサッカーをすると満足しました。近くのクイーンズ伊勢丹で果物を買って帰りました。子どもの日なので、子どもの好きなメロンとスイカを買ってくるように伝言されています。
帰宅すると昼食の準備が整っていました。
午後は約束により、荻窪のアンサンブル。12時から1時はお昼休みです。1時前に出かけることになりました。体育室にはいると誰もいません。小学2年生は自由に遊んでいます。
途中からおちびちゃん軍団が来ました。年長さんぐらいが中心です。息子はひとりで遊んだり、半分軍団の一部と仲間になったりして遊んでいました。
4時半、頃合いかと思い、次の場所に行こうかと言うと行くと言います。自転車でタンポポ公園へ。子どもの日のこういう小さな公園は無人であることが多い。5時まで遊んで帰りました。お友達から声がかかり、カラオケにいっていたちいさいちびも帰っていました。
息子には、自転車を乗り回すこともできたし、友達とのトラブルもなく、満足できる一日となったようです。おおきいちびは最後に部活から帰ってきました。
ひとりで5時半、室温16.7度。中学生のおおきいちびは朝から練習試合。そのあと練習だそうです。一日バスケ。
妻はまだダウン中。草むしりを手伝わせたあと、息子を吉祥寺に連れていきました。歩き。荻窪よりはいくらか遠く、たぶん30分程度です。目的地はヨドバシ。リング(仮面ライダーウィザードリング)をひとつ買ってやります。それからゲームを2回。
お腹が空いたというので、隣のガストで昼食。ハンバーグセットをほぼ完食。私は簡単にスパゲッティ。
帰りは電車。留守番をしているちいさいちびに電話をすると、北京ダックの皮をつくっているといいます。駅前で、鳥のもも焼きを2本買って帰りました。
3時になると息子が自転車で公園に行きたいと言います。まず、荻窪のアンサンブルへ。地下の自転車置き場に自転車を置いて1階にあがると、今日は児童館はお休みだと言います。せっかくなので、屋上庭園を見てから、次の場所へ。やはり公園がよいというので、南荻窪の公園に行くことにしました。通ったことのない道を通ってみます。
木が見える方ということで捜しました。最初見つかったのは、大善講演。はじめての場所です。たぶん宮前中学校の裏側。それから、宮前公園に。宮前中学校の隣でした。宮前中学校の別の隣には、大きな体育館がありました。そこからさらに大宮前公園へ。ここには遊具が揃っています。けっこう遊びました。5時で打ちきって帰途へ。小学2年生は自転車にもかなり慣れてきました。こわい、できないと思ったら、止まること、という指示を与えています。行動範囲が広がったことがうれしいのでしょう、すこしですが気持ちに落ち着きがでてきた気がします。
ひとりで4時、室温15度。憲法記念日。ゴールデンウィークの後半が始まります。7時現在、まだ誰も起きてきません。
妻が風邪でダウン。
朝一番で息子を東急に連れていってやりました。久しぶりに仮面ライダーガンバライドのゲーム。ママと4月中はやらないと約束していました。5月になって解禁。
地下の食品売場で昼食の材料を買って帰宅。自転車の後ろの息子を降ろして、そのまま近所のスーパーにお肉を買い出しに。昼食は生春巻き。
午後やはり息子が自転車で公園に行きたいというので、息子も自分の自転車で原っぱ公園へ。しばらくサッカーをしてから、ドングリ公園に行きたいというので、やはり自転車2台でドングリ公園へ。ちょうど荻中と井荻小の間の道に行き着きました。そこからすこしもどってドングリ公園へ。ドングリ公園に向かう坂の最初のところにある段差で息子が自転車から転げ落ちました。胸を打って、足に擦り傷をおっていますが、なんとか泣き出さずにこらえました。そこからは自転車を押して10メートル先のドングリ公園へ。
公園に着くと、ひとりで元気に走り回っています。途中からちいさいお友達を見つけ、いっしょに遊んでいました。寒くなる4時前にもう帰ろうと言って連れ帰りました。午前中に次のマンガが届きました。
こうの史代『夕凪の街 桜の国』 アクションコミックス、2004
映画化もされたようです。
ひとりで4時30分、室温16.5度。
ゴミを出すために外に出ると小雨。昨日のような本格的な雨降りにはならない感じです。さて、今日は月曜日の授業があります。小学生たちとほぼ同時に家をでます。中学生は朝練があるので、7時前に出ました。
8時18分武蔵境発の電車に間に合いました。1限は8時半からです。1限に出る学生達と事務の方が乗っていました。私の授業は2限からです。朝の間にいくつかの事務的用件を処理することができました。時間がなくてつい放置していたことがらがありました。処理できてほっとしました。
2限の授業で、オバマケアについて簡単に紹介しました。
法案は、The Patient Protection and Affordable Care Act, Pub. L. 111-148, 124 Stat. 119. 2010年3月に成立しています。
段階的に実施されます。
米国国民への医療保障制度加入義務づけは、2014年から施行とあります。加入しないと罰金が科されるということです。
完全施行は2008年。
共和党の考え方によれば、こういう政策は、社会主義ということになります。半数以上の州で違憲訴訟を起こし、一応最高裁で合憲の判断が下されたが、票数はぎりぎりであり、今後とも予断を許さない、とまとめてよいでしょう。
ひとりで2時20分、室温19.5度。2回目の起床は7時、室温18.3度。地面がわずかに濡れています。天気予報のいうとおり、すこしだけ雨が降ったようです。
今日は会議の日ですが、学部執行部が気を利かしてくれました。会議がありません。明日は、月曜日の授業が待っています。
お昼過ぎの次の本が届きました。
原爆体験を伝える会・編『原爆から原発まで:核セミナーの記録』上、アグネ、 1975年9月
原爆報道に関する初期の2つの論考が掲載されています。
袖井林二郎「原爆はいかに報道されたか」pp.266-276
岩垂弘「報道に見る原爆と原発」pp.277-291
この2点は、[5]「教育と報道に見る核」に収められています。もう1点が、田川時彦「教育の現場からみた原爆」、そして討論が収められています。
討論には、1954年3月1日のアメリカの水爆実験で被曝したマーシャル群島、ビキニ環礁、ロンゲラップ島の村長ネルソン・アンジャインさんが参加しています。ネルソンさんは、日本語を話しています。もう30年使っていないからあやしいけどと言って日本語を話しています。この事実にはっとしました。
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