ひとりで6時20分、室温11.1度。息子がすぐに起きてきました。朝一番で昨日駒場で入手した次の論文を読みました。
寺田元一「『生理学要綱』の間テキスト的読解―ハラー『生理学初歩』との典拠関係を中心に―」『思想』2013年12月号, pp.187-212
ディドロ特集の1本です。ディドロの『生理学要綱』(1770年代後半から1780年代一に執筆)は、ディドロの晩年の生命観・人間観がもっとも十全に展開されている作品であるが、十分な研究がなされているとは言えない。
『生理学要綱』の草稿には、基本的に2種類が知られている。フランス国立図書館所蔵のV写本と、ロシア国立図書館センクトペテルブルグ分館所蔵のSP写本である。一般的には、SP写本が先に成立し、V写本が後から成立したとみなされている。
19世紀にディドロ全集(全20巻、1857-77)が編纂されたとき、SP写本から『生理学要綱』が第9巻に採録された。
V写本に関しては、1964年以降、3種類の校訂版が出版されている。
1. ジャン・メイェル(1964). Denis Diderot, Éléments de physiologie, éd. par Jean Mayer, Paris, 1964
2.ジャン・メイェル(1987). Denis Diderot, Éléments de physiologie, éd. par Jean Mayer, DPV, XVII, 1987, pp.261-574
3.クィンティリ(2004). Denis Diderot, Éléments de physiologie, texte basé sur la copie Vandeul, éd. par Paolo Quintili, Paris, 2004
メイェルは几帳面に典拠を探し、クィンティリはいくらか雑な方法で典拠を示したが、両者ともにその典拠探究は十分なものではない。
この判断に基づき、寺田さんは、ハラーの『生理学初歩』に焦点を絞って、より正確な典拠研究を提示しようとされています。
(ちなみに、ディドロがつかったことがはっきりしているハラーの生理学教科書には、1.『生理学初歩』(1769). Albrecht von Haller,Éléments de physiologie, Traduction nouvelle des Primae lineae physiologiae, 2 vols., du latin en francois par M. Bordenave, Paris, 1769;2.『人体生理学原論』(1757-66). Albrecht von Haller,Elementa physiologiae corporis humani, 2 vols., Lausanne, 1757-1766. があります。ハラーは大読書人であり、「ヨーロッパ中に張り巡らしたネットワークを通じて新知見をたえず吸収しており、新刊本についてはドイツ語やラテン語のみならず、英語、フランス語、スウェーデン語などで刊行されたものを、ほぼ毎日1冊に近いペースで長い書評に認め、その成果を著作に反映」させている。(p.189) 『人体生理学原論』には、『生理学初歩』出版以降、そうやって得た情報をハラーは詰め込んでいる。)→ Vのまえがき(20世紀のディドロ全集版, XVII, p.293)には、ディドロの死後、ハラーの著作の読書ノートが未刊で残され、その断片集を第三者が編纂したのがこの作品であると記されている。正確には何が起こったのかは不詳だが、ヴァンドゥルによると思われる再構成の痕をVは多数残している。「ディドロがどこまで完成させた原稿を残したのか、再構成はディドロの指示によるのかヴァンドゥルの恣意によるのかも曖昧なまま、V写本を元にこの半世紀に亘って校訂版が三つ作られてきた。」(p.188)
寺田さんの精密で労多き作業を再検証したわけではまったくありませんが、寺田さんが提示されている分析は、ほぼ正確なのではと思われます。
ひとりで3時5分、室温13.6度。午後のおわりに、駒場の授業。
帰宅すると次の本が届いていました。
アラン・カトラー『なぜ貝の化石が山頂に? 地球に歴史を与えた男ニコラウス・ステノ』鈴木豊雄訳、清流出版、2005駒場では、次の3点のコピーを取りました。
寺田元一「『生理学要綱』の間テキスト的読解―ハラー『生理学初歩』との典拠関係を中心に―」『思想』2013年12月号, pp.187-212
Isla Fay and Nicholas Jardine, "Introduction: New Light on Visual Forms in the Early-Modern Arts and Science," Early Science and Medicine, 18(2013): 1-8
Karin Ekholm, "Anatomy, Bloddletting and Emblems: Interpreting the Title-Page of Nathaniel Highmore's Disquisitio(1651)," Early Science and Medicine, 18(2013): 87-123.Early Science and Medicine, 18(2013)の1-2号 は、「初期近代の芸術と科学における視覚形態再考」特集となっています。これはもともとは、2011年6月23〜24日にケンブリッジの大学図書館で開かれたワークショップ「1450-1650における天文学の図表・図解と変容」に基づくとあります。このプロジェクトは継続しており、2009年に開かれたワークショップの成果は、"Forms and Functions of Early Modern Celestial Imagery, Part 1 and 2," ed. Renée Raphael and Nicholas Jardine, Journal for the History of Astronomy, 41(2010) and 42(2011) として出版され、2010年のワークショップの成果は、"The Production of Books and Images in Early-Modern Astronomy," ed. Isla Fay and Nicholas Jardine,Journal for the History of Astronomy, 43(2012)に発表された、とあります。
ひとりで6時20分、室温15.4度。
すぐにおおきいちび、小学2年生と下に降りてきました。おおきいちびは朝練です。ルソー編纂の論文集(『魂の言語』)がe-Book として全文ウェブに掲載されているのにはっとして、e-Book の現状を調べてみました。
前と同じ OU History of Science Collections が充実した e-book の特集ページを設けています。 ouhos.org/2010/11/11/e-books/
そして、そこで推薦されている次の論文に目を通しました。
Jana Bradley, Bruce Fulton, Marlene Helm, and Katherin A. Pittner, "Non-traditional book publishing," First Monday, Volume 16, Number 8, 1 August 2011
やはり午前中に大学にでて、作業の継続を行うことにしました。
次の論文をダウンロードしました。
Walter Pagel, "Review of Steno and Brain Research in the Seventeenth Century, ed. by Gustav Scherz (Analecta Medico-Historica, No. 3), Oxford, Pergamon Press, 1968", Medical History, 14(1970): 213-216. すぐに読みました。ステノは無尽であるという印象を免れないとパーゲルはコメントしています。
Sebastian Pranghofer, ""It could be Seen more Clearly in Unreasonable Animals than in Humans": The Representation of the Rete Mirabile in Early Modern Anatomy," Medical History, 53(2009): 561-586
Ian Herbert Porter, "Thomas Bartholin (1616-80) and Niels Steensen (1638-86): Master and Pupil, " Medical History, 7(1963) : 99-125.木曜日の怒濤。
3限4限5限と授業を行って帰宅すると次の本が届いていました。
ヘンリー・ハリス『細胞の誕生―生命の「基」発見と展開―』荒木文枝訳、ニュートンプレス、2000
ひとりで4時5分、室温14.9度。昨日天気予報は、ぐんと気温が下がると言っていましたが、室温は、そこまでではありません。外は寒くなっているのかもしれません。午後は会議。午前中は昨日と同じように、大学にでて、仕事を続けます。
帰宅すると次の本が届いていました。
クリフォード・ドーベル
『レーベンフックの手紙』
天児和暢訳、九州大学出版会、2004
訳者の方は、あまこ・かずのぶと読みます。細菌学を専門とするドクターです。マルピーギ。文献だけでも整理しておきます。2年前の時点では、次の全集(ロンドンで出版されています!)だけをピックアップしていました。
Malpighi, Marcello ,
Opera omnia,
London,1686
GALLICA[21173]情報の整理は出来ていませんでしたが、次のものもグーグルブックよりダウンロードしています。
Malpighi, Marcello ,
Dissertatio epistolica de bombyce
London, 1669Malpighi, Marcello ,
Opera posthuma
Amsterdam, 1700Malpighi, Marcello ,
Appendix repetitas auctasque de ovo incubato observationes continens
London, 1686Malpighi, Marcello ,
De externo tactus organo anatomica observatio
Napoli, 1665Malpighi, Marcello ,
De viscerum Structura...Exercitatio
Amsterdam, 1669Malpighi, Marcello ,
Anatome Plantarum
London, 1679Malpighi, Marcello ,
De Structura Glanduarum
Lugduni Batavorum, 1690Malpighi, Marcello ,
Consultationum medicarum
Patavii,1713グーグルブックスにはまだまだ多くのマルピーギがあります。
2次文献については、2013年1月12日、3月17日にメリさんのものを中心にまとめたものがあります。
ステノ(ステンセン)についても整理が必要だとわかりました。
まず、次の論文をダウンロードして読みました。
Raymond Hierons and Alfred Meyer, "Willis's Place in the History of Muscle Physiology," Proceedings of the Royal Society of Medicine, 57(1964): 687-692
筋肉運動論のポイントがよくまとめられています。
→ 13.11.28 フランクJr はルソー編纂の論文集(『魂の言語』)のp.130, note96 でこの論文は、文献表が完備しており、ウィリスの神経解剖学と神経生理学に関する古い研究文献への最良の入り口となると評価しています。
ちなみに、この著作は、University of California Pressの UC Press E-Books Collection, 1982-2004 に採録されています。publishing.cdlib.org/ucpressbooks/
Stensen, Nicolas
Observationes anatomicae
Lugduni Batavorum, 1662
BIUMStensen, Nicolas
De Musculis et glandulis observationum specimen
Hafniae, 1664
BIUMStensen, Nicolas
Elementorum Myologiae Specimen
Florentiae, 1667
BIUMStensen, Nicolas
Discours de M. Stenon sur l'anatomie du cerveau...
Paris, 1669
GalicaStensen, Nicolas
Solido intra solidum naturaliter contento dissertationis prodromus,
Florentiae, 1669
GoogleBookStensen, Nicolas
Prodromus of Nicolaus Steno's Dissertation concerning a solid body enclosed by process of nature within a solid,
New York, 1916
InternetArchiveStensen, Nicolas
Opera philosophica,Vol. 1.
Copenhagen, 1910
GalicaStensen, Nicolas
Opera philosophica,Vol. 2.
Copenhagen, 1910
Galica
ひとりで5時50分、室温16.1度。昨夜の小嵐が南の空気を運んできたのでしょうか。とても12月前だとは思えない気温になっています。初期の顕微鏡観察史については、次のサイトが参考になります。最初のものはイタリアのサイトで、ガリレオ博物館と称しています。2つめはドイツのサイト。
The Microscopic Anatomy
Das Mikroskop
ちょうどよいので、大学に出て、仕事をしてくることにしました。
まず図書館により、ILL で届いていた次の著作を受け取りました。
末永恵子講演(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会編)『書誌事項:戦時医学の実態 : 旧満洲医科大学の研究』樹花舎, 2005
京城帝国大学理工学部開部四十五周年記念誌編集委員会編『遙かなり佛岩山 : 京城帝国大学理工学部開部四十五周年記念誌』京城帝国大学理工学部開部四十五周年記念事業実行委員会, 1988
田川孝三『京城帝国大学法文学部と朝鮮文化』[京城帝国大学同窓会], [1974]
塚原東吾編著『東アジアにおける科学・技術と社会 : 2002年神戸東アジアSTS(科学・技術・社会論)ネットワーク国際シンポジウム : 報告書』神戸STS研究会, 2003
玉蟲文一『科学と教育の間に立つて』玉蟲文一先生還暦記念会, 1959
玉虫文一訳編『現代市民の育成と大学 : 一般教育はいかにあるべきか』丸善, 1954電車の行き帰りで次の論文を読みました。
百崎清美「18世紀フランス『百科全書』における「繊維」の項をめぐって:生命の学の近代化を促した一要因」『メタフュシカ』(大阪大学)36(2005): 15-28
ブールハーフェ=ハラーの「繊維」概念(ハラーによるブールハーフェInstituones medicaeへの注釈)、ドモンの「繊維」概念(『百科全書』第6巻(1756)所収の「繊維」の項、動物における有機的構成および医学における「繊維」について)、バルテズの「繊維」概念(同じく『百科全書』第6巻(1756)所収、解剖学的用語としての「繊維」について)の3者が比較されています。
共通点として「身体-器官-繊維-分子」という生命体の階層構造を切り出した上で、差違を探っています。次のものも読みました。
宮田眞治「「自然の内部に、被造物の精神は踏み込まない」―A.v. ハラーにおける境界/限界の諸相」『死生学研究』第14号:1-41 (160-120)
ひとりで6時20分、室温13.6度。午後1番で出張校正。
17世紀の顕微鏡史についての文章を読んでいたら、バクテリアの語がありました。違和感を感じ、調べてみました。「バクテリア bacteria」の語は、19世紀半ばに造語されたとありました。ちなみに「微生物 microbe」も19世紀後半フランス人外科医によって造語されたとあります。
レーフェンフックは、animacula と呼んでいました。19世紀の造語以前、一定した用語が存在したのでしょうか?
あるいはもうすこし言い換えて、17世紀に微生物や細菌を総称する広く認められた用語/概念はあったのでしょうか?→顕微鏡観察の歴史について、つらつら考えてみるに、その初期の不在について納得できる理由は提示されていないように思われます。
事実事項であれば、ダンネマンかと思い、繙いてみましたが、1660年以前のことには触れられていません。『科学革命の百科事典』の「マイクロスコピー」でキャサリン・ウイルソンは、次のように記述します。
ガリレオ・ガリレイは1610年にハエの観察を行った。フランチェスコ・ステルッティ(Francesco Stelluti)は、顕微鏡を用いたミツバチの解剖研究を1625年に行った。1644年パレルモのジョバンニ・オディエルナ(Giovanni Hodierna)はハエの複眼を描いた。その他初期の顕微鏡を用いた昆虫研究としては、ピエール・ボレルの『顕微鏡観察100選』(1655-56)がある。
そして、フックの『ミクログラフィア』が取り上げられます。
ひとりで6時10分、室温13.4度。お昼に次の本が届きました。
Edward G. Ruestow,
The Microscope in the Dutch republic: The Shaping of Discovery
Cambridge: Cambridge University Press, 1996
個人的な印象で書きます。顕微鏡による生理学研究(医学研究、生物研究)については、時代の文脈に即した大きな書物が必要なように思われます。よい研究はありますが、顕微鏡観察そのものに関する認識論史が時代の議論に即して必要なのではないかと思うようになっています。
これは印象論なので、数ヶ月後にもういちど考え直してみます。→基本となる作業を行います。ベイコンのとき(2009年5月)に少し調べていますが、今回は、こちらをフォーカスします。
フック以前の顕微鏡研究の1次資料をあつめます。
ボレリの顕微鏡観察は、望遠鏡の発明史の付録として出版されていました。Borel, Pierre (1620?-1671),
De vero telescopi inventore, cum brevi omnium conspiciliorum historia. Ubi de Eorum Confectione, ac Usu, seu de efectibus agitur, novaque quedam circa ea proponuntur. Accessit etiam Centuria Observationum Microcospicarum,
Hagae-Comitum, 1655
GoogleBook
本の中を見てみると、顕微鏡の方は、別のノンブルになっていて、出版年も別です。タイトルのAccessitは別に刷られて合本されたという意味です。Borel, Pierre (1620?-1671),
Centuria Observationum Microcospicarum,
Hagae-Comitum, 1656
本文45頁、索引3頁の小作品です。とてもかわいい昆虫の図だけが少数挿入されています。Cesi, Federico (1585-1630)
Apiarium
1625
OU History of Science Collections hos.ou.edu/galleries/17thCentury/このOpen University History of Science Collections がなかなか充実しています。ハーヴィの1653年の翻訳があります。『心臓と血液の運動』の英訳にロッテルダムのザカリヤ・ウッドが序文を付け、さらにロッテルダムのデ・バックの心臓論を付した版です。
William Harvey
The Anatomical Ecercises of Dr. William Harvey, Concerning the motion of the Hearts and Blood. With The Predace of Zachariar Wood. To Which is added Dr. James De Back his discourse of the Heart
London, 1653
Hodierna, Giovanni Batista (1597-1660)
L'Occhio della Mosca Discorso Fisico
Palermo, 1644
これはまだ見つけることができていません。
ひとりで5時20分、室温13.9度。今月はここで100枚を突破しました。
本日もまだまだ外語祭が続きます。オープンキャンパスの一環として「言語文化学部 カリキュラム相談 (個別相談会)」というのがあり、午後の遅い時間帯にその席に座っています。313番教室に4人の先生が並ぶという体制です。
正確には「14時20分〜16時の間、313教室」で座っています。ご用のある方は、どうぞ。今日部活が休みになったおおきいちびがイルミネーションを見たいと言ったので、夜、新宿西口で落ちあうことになりました。
武蔵境1時18分発の電車で大学へ。席がないぐらい混んでいます。天気もよいし、気温も低くないので大学祭にとっては最高の状況です。雰囲気から言っていつもより増えている乗客は全員外語祭に向かう方のように見えました。
大学のキャンパスに着くととても賑わっています。昨日の駒場祭と比べるとあきらかに華やかです。学生以外の方の割合も多いように感じました。
ともあれ、私は仕事。研究室に入ってほんのわずかに整理を行いました。ふと時計をみると、もう私の座る番です。指定された部屋に行きました。ちょうどよいぐらいの込み具合です。相談に来る学生(高校生です。そしてその親御さん)の流れが交代にあわせて一度途切れました。私はしばらくのんびりしたあと、3人の高校生(私のところに来た学生はみんな一人で来ていました)の相談に応じました。
相談員は4人〜5人が並びます。私がひまなときにお隣の様子が伝わってきましたが、一緒にきた親御さんの方が熱心で子どもはあくびをしていました。
話には聞いていましたが、いまどきはこのパターンが多いようです。
4時前にちょうど流れが途切れました。私は4時でお暇し、研究室に戻ってから、新宿に向かいました。4時16分多磨駅発の電車に乗ることができました。三鷹で特別快速に乗り換え、新宿には10分前に着きました。わおー、新宿も混んでいます。南口に出て、外からサザンテラスに。完成形態はわかりませんが、そのあたり、また大がかりな工事をしていました。5時にドーナツ屋さんの前でという約束になっています。その場所には、5分前に着きました。
そして、5時にイルミネーションが点灯されました。
5時5分すぎに公衆電話を探すため歩き始めると、向こうがこちらを見つけてくれました。子どもたちは、それぞれスマホで写真を撮っています。小学2年生はママに借りたスマホを使っています。お仲間がけっこういました。
おおきいちびは塾があるのであまり長くは滞在できません。と思っていたら、子どもたちがお腹が空いたと言ったので、高島屋の地下でパンだけ買って、西荻に戻ることにしました。妻と小学2年生は、マックに行くという約束をしていました。ハッピーセットについてくるマリオのおまけが欲しかったようです。
塾に行く長女は電車のなか、妻はマック、私と下の二人は家に直帰しました。今年の外語祭は好天に恵まれ、大成功だと言えそうです。予報では明日も晴れです。
だとすれば、5日連続しての好天です。
ひとりで5時、室温13.8度。小学2年生、おおきいちびの順で起きてきました。おおきいちびは定期試験の三日目。給食のあと、普通に部活があるそうです。
ネットで調べると、外語の図書館も駒場の図書館も(本日は大学祭で)閉まっています。駒場は駒場祭ですが、大学院の授業は普通にやってもらってけっこうですということだったので、やることにしています。ただし、図書館が閉まっていると早く行っても仕方がないので、いつもよりゆっくりめで行きました。なるほど、学園祭をやっています。
いつも通り、非常勤講師室に行くと閉まっています。ドアがロックされていて開きません。少しはこういう事態を予想していました。
A3 にコピーしたいものがあるので、生協に行きました。生協は普通に営業していました。コピー機の調子がおかしかったのですが、まあかまわないだろうということで、教室に行きました。
カバンのなかに小さなMacBookAir が入っています。プロジェクターにつないで、いくばくかの説明をする予定です。プロジェクターの設置は、藤本君と柴田君の世話になりました。投影された映像は、色が大きくずれましたが、これもかまわないだろうとういうことで進めました。
「資料補助学」をテーマに、学生諸君で2割、私の方で8割という感じで授業を行いました。帰宅すると、次の本が届いていました。
Marian Fournier, The Fabric of Life: Microscopy in the Seventeenth Century, Baltimore and London: Johns Hopkins University Press, 1996
ひとりで5時30分、室温13.3度。夕刻、次の雑誌が届きました。
『建築雑誌』2012年8月号:特集「広島[ヒロシマ]・長崎[ナガサキ]」
→月曜日に研究室で4限の授業どうしようかなと思って、作業しているときにウェブで見つけ、日本の古書店に発注したものです。やはりこういう雑誌の特集は入り口です。雑誌の特集を読んで関心をもったら、自分でその先を調べるということだと思います。
p.37 に「特集を読んで[2012年6月号|特集:エネルギーホーリック建築]というページがあります。そこにコメントを記されている岩船由美子さんは、応急仮説住宅の温熱環境の調査が一番印象に残ったと書かれています。「一定の気密が確保された狭い仮設住宅に、人々は被災前の暮らしを持ち込み、換気習慣がないまま石油ファンヒーターを使用し、調理することで、湿気容量をオーバーし、結露やカビの被害が発生しているという。」
これは我が家にも経験があります。去年床暖房が故障したとき、ずっと使っていなかったガスファンヒーターを持ち出して、LDK で使ったら、同じ目にあいました。やばいと思って、ガスファンヒーターの使用は止めています。「湿気容量」という発想がなかった。
ちなみに、『都市住宅』(鹿島出版)1973年6月号は「不法占拠 広島原爆スラム調査報告 責任編集=千葉桂司+矢野正和+岩田悦次」という特集を組んだそうです。
ひとりで4時5分前、室温13.2度。
おおきいちびの朝食がちょっと足りません。6時になる前に外出して、近所のコンビニでパンを3個買ってきました。強烈な寒さはありませんでした。6時前だと東の空が明るんでいます。よく晴れた冬の夜空に星もけっこうな数見えました。外語祭期間中ですが、会議の日です。午後いくらか遅めに始まります。
→午後2時20分、まず両学部(共開催)教授会。それから、それぞれの学部の教授会。そして最後に、臨時の研究科教授会。予想より長くなり、5時半を超えました。5時52分多磨駅発の電車に間に合いました。解剖学史の知識が足りないと感じたので、本棚から坂井氏の本を引っぱり出して読むことにしました。
坂井建雄『人体観の歴史』岩波書店、2008
読み通したわけではありませんが、今必要は部分には目を通すことができました。坂井氏はかなりの数の医学原典をご自身で所有されています。
巻末の参考文献と人名・著作リストは、研究者には有用なものです。
ひとりで4時25分、室温14.4度。予報では今日からまた寒くなるそうです。ただし、室温はまだ下がっていません。今着手した作業をもうすこし先まで進めて、終わりの目処をつけたい。今日も大学に出て、昨日からの継続を行うことにしました。
電車は、8時42分武蔵境発。大学には、9時前に着きます。図書館に直行すると、開館はしていましたが、本のある所には入れませんでした。外語祭期間中に入っています。9時にオープン。入り口のロビーのところでパンフレットを読んでいると、ちょうど時間となりました。書庫で一冊本を借りてから、ILL で届いている次の本を借り出しました。
Matthew Landers and Brian Munos (eds), Anatomy and the Organization of Knowledge, 1500-1850 , London: Pickering and Chatto, 2012
石塚さんの次の論文が目的です。
Hisao Ishizuka, "Visualizing the fibre-woven body: Nehemiah Grew's plant anatomy and the emergence of the fibre body," in Matthew Landers and Brian Munos (eds), Anatomy and the Organization of Knowledge, 1500-1850 (London: Pickering and Chatto, 2012), pp.113-128
石塚さんはよい研究をされています。これはポイントをほんとうにわかりやすく書いてくれています。線維人間だけではなく、周辺のテーマをうまく取り入れると、ほんとうにおもしろくて貴重な成書ができあがると思います。ちなみに、『解剖学と知識の編成, 1500-1850』という本そのものは、日本では慶応の鈴木晃仁氏たちがやっている「身体医文化論」に非常に近い感じです。石塚さんもそうですが、文学系(英文学)の人も一定割合で混じっています。
さらにちなみに、石塚さんの論文の推薦で、次の2点をダウンロードしました。
James Drake, The Appendix to Dr. Drake's Anthropogogia Nova; Or, New System of Anatomy. With Fifty-One Copper Plates, London, 1728
51点の解剖図(銅版画)が優れていると評価されていました。Daniel Clericus & J. Jacob Mangetus (eds.),
Bibliotheca Anatomica, Sive Recens in Anatomia Inventorum Thesaurus Locupletissimus
2nd Edition, Tomus Primus, Geneve, 1699
Daniel Clericus & J. Jacob Mangetus (eds.),
Bibliotheca Anatomica, Sive Recens in Anatomia Inventorum Thesaurus Locupletissimus
2nd Edition, Tomus Secundus, Geneve, 1699
以上の通り、グーグルブックスにあったものは、第2版(1699)でした。ちなみに、初版は、1685年です。17世紀のもっとも包括的は解剖学文献の収集です。
トーマス・バルトリン、デ・グラーフ、ハーヴィ、リチャード・ローワー、マルチェロ・マルピーギ、ヤン・スワンメルダム、Raymond Vieussens、トーマス・ウィリス等の解剖研究を含んでいます。
ひとりで5時55分、室温14.2度。大学は外語祭前たぶん最後の授業日です。遠くない方は、天気の良い日に大学に見えると、他とは違った学園祭を楽しむことができると思います。
やはりたまった事務的用件を処理するために、9時ぐらいには大学に着くように出かけます。
→武蔵境の駅に着いたとき、ちょうど西武線が出ていきました。ちょうどよいかと思い駅の外に出て、パン屋さんで昼食のサンドイッチを買いました。
大学ではまず図書館に寄って、ILL で届いていた3冊を借りました。
武蔵大学附属図書館編『玉蟲文庫目録』武蔵大学附属図書館, 1984
塚原東吾編著『東アジアの「科学と帝国主義」 : 2002神戸, 東アジアSTS(科学・技術・社会論)ネットワーク東アジア科学史国際シンポジウム報告書 : 科学と帝国主義の観点からの新しいヒストリオグラフィ : 朝鮮半島の新しい科学史そして日本帝国主義と科学・技術・医療』神戸STS研究会, 2003
塚原東吾編著『科学と帝国主義 : 日本植民地の帝国大学の科学史』皓星社, 2006.午前中は事務的用件を懸命にこなしていました。11時過ぎに生協の方が見えました。11時45分に面談の学生が見えました。
12時40分から授業。
今日が8歳の誕生日の息子に起こされて、6時40分、13.8度。晴れている模様。昨日の朝は、誕生日には神奈川県に行きたいと言っていた息子が、夜には、東京の知らない場所でよいと妥協してくれました。中華街に行くのも悪くはないと思ったのですが、小学2年生には遠すぎます。電車のなかがあきてきます。
→結局、10時前にまず誕生日ケーキを買うために、吉祥寺のタカノに行きました。私はタカノの場所を把握していません。アトレの1階で、井の頭公園より、ということだけ調べて出かけました。井の頭公園の方へ降りたために、ぐるっと回ることになりましたが、とくに問題なく見つかりました。息子は、5分ぐらい迷ってから、大きなフルーツケーキを選びました。
帰り、駅前のパン屋さんでパンを買って帰りました。
昼食はピザということです。11時半すぎに近所のピザ屋さんに行きました。本格イタリアンのピッツァを焼いてくれます。10分ぐらい待たされたので、ちょうど12時ぐらいに昼食。
すぐにケーキを食べたいというので、ご飯がすんだらすぐにケーキを冷蔵庫から取り出しました。今ケーキをよく食べるのはおおきいちびです。ちいさいちびも息子も好きなところだけ食べて、残しましたが、おおきいちびはもうひとつ食べる勢いです。昼食後は、しばらく休んでから、東京駅に行くことになりました。東京駅ぐらいなら、息子でももつでしょう。休日なので、荻窪で乗り換えました。
東京駅では、新装なった駅舎を見るために外にでました。息子がおすすめルートがイヤだというので、皇居前広場の方に行ってみました。天気もよく、気温も上がっていて、芝生の広い広場で遊ぶには絶好の日和です。スズメとたわむれたり、噴水で遊んだり、と皇居前広場を満喫しました。
おねえちゃんたちには、お土産を買って帰るという約束だったので、東京駅の方に戻り、八重洲口まで行きました。大丸の1階でお土産を探しました。いろいろ列をつくっているコーナーがあります。私には知識がありませんが、今人気のスイーツなのでしょう。せんべいがよいということで、揚げ餅を選びました。包装がきれいです。
4時前に帰宅。お土産物にちょうどよい揚げ餅でした。さっそくとりだして食べていました。
ひとりで3時20分、14.3度。寒さはいくらか緩んだようです。来週は駒場祭です。やっと一息つけそうです。(月曜日と金曜日は授業がありますが、木曜日に授業がないのが大きい。)
その間に、本格的には取り組むことができていなかった課題にかかる必要があります。
妻、小学2年生とほぼ揃って6時20分、13.1度。曇り空。
妻はちいさいちびの社会科見学のお弁当を作ります。ちいさいちびは永田町に行って、最高裁判所や国会を見てきます。駒場に行く頃には、雨が降っていました。傘をさして行きました。それまでは、シュミットの論文の収められた本を探すのに相当苦労しました。2冊までは何とか探し出して、残り1冊が見つからなかったのですが、ふとしたきっかけで本の山を崩してしまったら、崩れ残った1番上に見つかりました。なかなか不思議なものです。
駒場についてからはいつも通りに動きました。図書館のあとは、生協の本屋さん。新刊本のコーナーをよく見ました。
5時限の授業は、終わりが15分ぐらい伸びました。外に出ると雨が止んでいます。
ひとりで5時50分、12.1度。今日は午後の3コマの授業の前に、3つ用事が入りました。いつにもまして怒濤です。
9時に家をでました。大学ではたまっている事務的用件を一つずつ片づけていきました。11時から半まで打ち合わせ。しばらくして学生との面談。12時に生協の方が見えました。
3限の授業は2週間ぶり。外語祭前の雰囲気がありありです。
4限は、キューバの話。
5限は、東京オリンピック。1964年のオリンピック。
息子といっしょに5時43分、12.3度。
おおきいちびは今日も落ち葉掃きに行くと言って、7時前後に起きてきて、7時15分頃出かけていきました。[石塚久郎氏の神経人間論]
せっかくなので、石塚久郎氏の邦語論文も読んでみました。1.石塚久郎「アプルガースの神経神学―霊的感覚と来世の身体」『身体医文化論:感覚と欲望』(石塚久郎・鈴木晃仁編、慶應義塾大学出版会、2002): 117-143
2.石塚久郎「膜と襞の解剖 : ファイバー・ボディとバロキスム 」『人文科学年報(専修大学人文科学研究所)』42(2012): 1-34
これはあまりにもドゥルーズ的なタイトルですが、医学史の論文としても読むことが出来ますし、18世紀前半の神経人間=線維人間=膜人間の記述としても非常に興味深く、優れたものだと思います。
p.28 に採録されているピエール・リオネの芋虫の解剖図を見て下さい。
大げさに言えば、これでドゥルーズのバロックが理解できます。
石塚さんによれば、リオネは、この芋虫に総数4041本(頭部228、胴体2066、腸管2066)を見いだしたそうです。9月末に医科歯科のドクターから聞いた「腸は第2の脳である」という見方を例示するときにもこの虫は使えそうです。石塚さんの英語論文には他に次があります。
Hisao Ishizuka, "'Fibre Body': The Concept of Fibre in Eighteenth-century Medicine, c. 1700-40," Med. Hist., 56(2012): 562-584.
Hisao Ishizuka, "Enlightening the Fibre-Woven Body: William Blake and Eighteen-Century Fibre Medicine," Literature and Medicine, 25(2006): 72-92
Hisao Ishizuka, "Visualizing the fibre-woven body: Nehemiah Grew's plant anatomy and the emergence of the fibre body," in Matthew Landers and Brian Munos (eds), Anatomy and the Organization of Knowledge, 1500-1850 (London: Pickering and Chatto, 2012), chp.8.
ひとりで4時40分、13.3度。昨日の夕方は、とても強い風が吹いていました。テレビで木枯らし1号だと思われるが、気象庁のお役人が5時半で仕事を終わっているので、アナウンスされるのは今日かもしれないと言っていました。
冷蔵庫を開けてみると、牛乳がきれています。我が家に牛乳は必需品です。近所のコンビニに買い出しに行きました。たぶん気温は10度を下回っているのでしょうが、真冬の寒さというほどではありません。
予報によれば、今日は8度〜13度。部屋は寒いのですが、昨日ダウンロードした次の論文を読みました。
Peter Galison, "Descartes's Comparison: From the Invisible to the Visible," Isis, 75(1984), 311-326
よい論文です。私は、ピーターの議論に説得されました。これでよいのではないかと思います。駒場の授業に出席している院生諸子には言ったことですが、私が駒場の授業のために用意した「初期近代生理学史」には、何かが足りないとずっと感じていました。それが、カンギレム『反射概念の形成』を読むことではっきりしました。
欠けていたのは「筋肉運動論」の系譜です。
ハーヴィの医学・生物研究を分類すると、血液循環論、動物発生論のほかに、大きな柱として筋肉運動論があります。ホイッタリッジが草稿から訳出してくれています。
グリッソンの被刺激性の概念もウィリスの反射概念も、内臓の運動も、そして何と言っても心臓の自動運動(生体から切り離されても、たとえばウナギの心臓は相当長い時間、心臓だけが独自の生命をもつかのように動き続けます)、つまり伝統的には不随意運動(involuntary motion)と分類される運動がそうした系譜に連なります。
これについてよい論文がないかと思って探していると、次の論文にヒットしました。
Hisao Ishizuka, "The Elasticity of the Animal Fibre: Movement and Life in Enlightenment Medicine," Hist. Sci., xliv (2006): 1-34
Hist. Sci.に掲載されているということがある水準を保証してくれますが、これは好論文です。18世紀の医物理学派における生体線維の弾性概念の勃興と没落(すぐ後に続く生気論者の感受性概念にとって変わられる)を主題としているので、グリッソンの被刺激性の概念もウィリスの反射概念も多くは扱ってくれていませんが、大きな展望のもとで生じた事態をうまく把握することに成功していると思われます。
これは収穫でした。ちなみに、Hisao Ishizukaさんは、石塚久郎さんです。名前に聞き覚えがあると思い、調べてみると、鈴木晃仁氏にお世話になった慶応の「身体医文化論」でもしかしたら一度ごいっしょしたことがあるかもしれません。
石塚久郎・鈴木晃仁編『身体医文化論:感覚と欲望』慶應義塾大学出版会、2002
この本のなかに石塚さんの次の論文が収録されています。
石塚久郎「アプルガースの神経神学―霊的感覚と来世の身体」『身体医文化論:感覚と欲望』(石塚久郎・鈴木晃仁編、慶應義塾大学出版会、2002): 117-143
この著者紹介によれば、石塚氏は、上智大学を卒業後、イギリスのエセックス大学で博士号を取得されています。
Hisao Ishizuka, "William Blake and Eighteenth-Century Medicine," PhD dissertation, University of Essex, 1999
ひとりで4時40分、17.0度。昨日の夜から少し暖かいかなと思っていました。実際すこし気温が高くなっています。新聞をとろうとドアを開けると道が濡れています。夜雨が降ったようです。天気予報がはずれたのかと昨日は思いましたが、当たっていたことになります。大学に出たときに、次の論文をダウンロードしました。自宅からでもリモートアクセスを使えばダウンロードできるのですが、作業の流れで研究室から行いました。
A. Georges-Berthier, "Le mécanisme cartésien et la physiologie au 17ème siècle," Isis, 2(1914), 37-89 and 3(1920), 21-58.
1914年の論文が53頁、1920年の論文が38頁と長い論文です。
他に次のものもダウンロードしました。
Peter Galison, "Descartes's Comparison: From the Invisible to the Visible," Isis, 75(1984), 311-326
こちらは、16頁。いまどきの論文はこの程度の長さでしょう。
ひとりで6時5分、15.3度。昨日と同じく、おおきいちびは朝から練習試合があるそうです。お弁当をつくるため、妻は6時半に息子といっしょに起きてきました。
昨日ちいさいちびはお友達といっしょにはらっぱ公園で行われているすぎなみフェスタ2013に行っています。今日は、仮面ライダーショーがあるということで、小学2年生を私が連れていきます。午後雨の確率が50%という天気予報だったので、午前中に行って、昼食を食べて帰ってくることにしました。
雨にそなえて歩いていきました。ステージでは、ゆるきゃらのショーのあと、11時から仮面ライダーショー。子どもたちに人気があります。ちいさい子どもが大勢集まっていました。仮面ライダーショーになると息子はするすると一番前のつなのところまで行きました。私は後ろの方で見ていました。
ひとりで6時10分、15.0度。妻は起きておおきいちびのお弁当を作っていました。練習試合があるそうです。
寒く感じます。昨日駒場で借りてきた本をともあれ繙きました。邦訳の方は、読むのがちょっと苦しい。微妙なずれを頭のなかで変換しつつ読めばよいかと思っていたのですが、負担でした。
邦訳は後回しにして、ホールのデカルト『人間論』英訳と注釈の方を読みました。i-xlviii をすっと読みました。明晰な記述で安心します。内容的に現時点でこれで十分かどうかは別にして、必要な事項を正確に簡潔に記述してくれています/記述しようとしています。
xxxii にデカルトが明示的に引用している生理学関係の著作名が列挙されています。
リオラン息子、ボーアン、ハーヴィ、ファブリキウス、アセリ、バルトリン。
デカルトは名前を明示していないが明らかに読んで使ったものとして(Georges-Berthierの研究によって)、ファン・ヘルモント、シルヴィウス、ファロッピオ、コロンブス、フェルネルを挙げています。
( A. Georges-Berthier, "Le mécanisme cartésien et la physiologie au 17ème siècle," Isis, 2(1914), 37-89 and 3(1920), 21-58. ホールは、1914, 44 にデカルトの使った生理学関係の著作がリストアップされていると記しています。)
Caspar Bauhin, Theatrum anatomicum novis figuris aeneis illustratum..., Frankfurt, 1605 (first publ. Basel, 1590, as De corporis humani fabrica)
Hieronymus Fabricius ab Aquapendente, De visione, voce, auditu, Venice, 1600
Caspar Bartholin, Enchiridion physicum ex priscis & recentioribus philosophis..., Strasbourg, 1625 (first publ. Frankfurt, 1610)
Caspar Bartholin, Anatomicae institutiones corporis humani...., Strasbourg, 1626 (first publ. Wittenberg, 1611)
G. Aselli, De lactibus, sive lactus venis, 1627; Lugd. Bat., 1640 (デカルトは、『人体の構成』AT, 11, p.267 でアセリについて言及し、乳びの発見がごく最近のことだと書いているとGeorges-Berthierは注記しています。)Jean Riolan (the younger), Les oeuvres anatomiques de M. Jean Riolan... mis en francois par M. Pierre Constant, Paris, 1629
Jean Riolan (the younger), "De l'antholopographie" in Oeuvres, above
Realdo Colombo, De re anatomica libri XVI, Venice, 1559
Gabriello Falloppio, Opera omnia in unum congesta..., Frankfurt, 1600 (earlier edition, Venice and Frankfurt, 1584)
Jean Fernel, Les VII. livres de la physiologie...traduit en francois par Charles de Saint German, Paris, 1655 ( a translation of the physiological section of Fernel's Medicina, Paris, 1554, this section being a revision and simplification of De naturali parte medicinae libri septem, Paris, 1542)
Andreas Laurentius, Toutes les oeuvres de..., Rouen, 1621 (first publ. Paris, 1600)
Andreas Laurentius, Historia anatomica humani corporis... , Frankfurt, 1600
ひとりで5時55分、15.6度。快晴。
風邪の状態はぼちぼちです。駒場で授業をするぐらいは問題ないと思われます。
→ 妻には小学校の仕事(PTA)があります。12時過ぎから3時過ぎまで。その間に、子どもたちがぞろぞろと帰ってきます。まずおおきいちび。
小学校で ICT の実演をします。全校あげて行います。杉並区の先生や教育関係者が大勢、見学に来ます。妻の仕事は、その来賓の受付。中学の先生も見学に参加するので、おおきいちびが最初に帰ってきました。
ついで小学2年生、それからちいさいちびの順で帰ってきました。
妻は、ほぼ3時に帰ってきました。妻の帰宅を待って、駒場に出発。いつもと同じルート。非常勤講師室、図書館、それから生協、そして最後に教室。図書館では本を1冊返し、2冊借りました。
Sir Michael Foster『生理学の黎明―16・17・18世紀―』西丸和義監訳、小野紀美子訳、医歯薬出版、1978
この本の原著は、Lectues on the History of Physiology during the sixtennth, seventeenth and eighteen centuries, Cambridge, 1901 です。20世紀の最初の年に出版されています。
どこにもないようなので目次をとっておきます。人名表記はちょっとすごいが、わかると思います。
第1講 ベザリウス―その先覚者と後継者
第2講 ハーベイと血液循環―乳び管とリンパ菅
第3講 ボレリと新しい物理学の影響
第4講 マルピーギと腺および組織の生理学
第5講 バン・ヘルモントと化学的生理学の勃興
第6講 シルビウスとその弟子たち―17世紀における消化の生理
第7講 17世紀のイギリス学派―呼吸の生理
第8講 18世紀における消化の生理
第9講 呼吸に関する近代学説の勃興―ブラック、プリーストリーおよびラボワジェ
第10講 神経系統についての古い教理René Descartes, Treatise of Man
French Text with Translation and COmmentary by Thomas Steele Hall,
Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1972
大きく分けると、序文、英訳、初版フランス語版のファクシミリからなります。私には、序文(解説)が役に立ちます。
ひとりで3時50分、16.9度。昨日の疲れが残っていて、逆にはやく目覚めてしまいました。目の奥に軽い痛みがあります。
妻がおおきいちびの朝練のために6時に起きるのと交代の形で再度就寝しました。目覚めると8時半。子どもたちは全員でかけたあとでした。
これは、軽い風邪だと思います。
今日はゆっくり休むことにします。[AT, Vol. 11]
軽い風邪なのでずっと寝込んでいることもできません。目が覚めます。デカルトの生理学関係の著作を整理しておきます。
普通、AT と略記されるアダン&タンヌリ版のデカルト全集では、第11巻に集められています。その目次は、次です。
最初は『宇宙論』。次に『人体の記述』;『情念論』;『動物の発生』;『解剖学』;『いろいろ Varia』;『雑多な計画』;『付加』という構成です。
『宇宙論』は2部からなります。第1部は『光のついての論考』(いわゆる『宇宙論』です)第2部が『人間論』です。それがpp.119-202を占めます。
『人体の記述』が説明とクレルセリエの表を含めて、pp.219-292。『情念論』がpp.293-500。『動物の発生』がpp.501-544.です。
その次は、ちょっと驚きましたが、ライプニッツ草稿で「デカルトからの抜き書き」。ここにライプニッツの名前をみるとは予想していなかったので驚きました。"Excerpta Ex Cartesio. MS De Leibniz (Édit. Foucher de Careii.)"
ともあれ、デカルトの生理学の1次資料は、AT 第11巻に集められています。
ひとりで6時45分、15.3度。また気温が下がりました。通俗的表現を使えば、冬の近づく足音が聞こえます。会議の日です。2時20分スタートなので、昼食後、ゆっくりめで出かけました。武蔵境で出会った先生と話していて、同僚に5人湘南高校出身者がいることがわかりました。高校の時点で考えれば、大学の最大勢力だと思われます。G先生、M先生、S先生、K先生、S先生。
4時スタートの2つめの会議が長引いて、3つ目の会議の予定終了時刻までかかってしまいました。3つ目の会議はすなわち、7時前から始まりました。終了して、すぐに帰途につきました。8時16分多磨駅発の電車に間に合いました。
8時45分頃家につき、まず夕食、それからお風呂。9時半にはあがることができました。帰宅すると次の本が届いていました。
Stephen Gaukroger, John Shuster and John Sutton (eds.),
Descartes' Natural Philosophy,
London and New York: Routledge, 2000.
767頁の大著です。とりあえず、今回関係するのは生理学の部分です。第3部となっていて、4人の方が書いています。
Annie Bitbol-Hesperies, "Cartesian physiology"
Stephen Gaukroger, "The resources of a mechanist physiology and the problem of goal-directed processes"
Katherine Morris, "Betes-machines"
Peter Anstey, "Descartes' cardiology and its reception in English physiology "
せっかくですから、目次を全部とりましょう。
Introduction
PART1 Mechanics and Cosmology
1. "Descartes and the natural philosophy of the Coimbra commentaries," Dennis Des Chene
2. "Descartes' debt to Beeckman: inspiration, cooperation, conflict," Klaas Van Berkel
3." The foundational role of hydrostatics and statics in Descartes' natural philosophy," Stephen Gaukroger
4. "Force, determination and impact," Peter MaLaughlin
5. "A different Descartes: Descartes' programme for a mathematical physics in his correspondence," Daniel Garber
6. "Casual powers and occasionalism from Descartes to Malebranche," Desmond Clarje
7. "Modelling nature: Descartes versus Reigus," Theo Verbeek
8. "The influence of Cartesian cosmology in England," Peter Harrison
PART II Method, Optics, and the Role of Experiment
9. "NeoAristotle and method: between Zabarella and Descartes," Timothy Reiss
10. "Figuring things out: figurate problem-solving in the early Descartes," Dennis Sepper
11. "The theory of the rainbow ,"Jean-Robert Armogathe
12. "Descartes' opticien: the construction of the law of refraction and the manufacture of its physical rationales, 1618-1629," John A. Schuster
13. "A 'science for honneteshommes': La Recherche de la Verite and the deconstruction of experimental knowledge," Alberto Guillermo Ranea
14. "Descartes, experiments, and a first generation Cartesian, Jacques Rohault," Trevor McLaughlin
PART III Physiology
15. "Cartesian physiology," Annie Bitbol-Hesperies
16. "The resources of a mechanist physiology and the problem of goal-directed processes," Stephen Gaukroger
17. "Betes-machines," Katherine Morris
18." Descartes' cardiology and its reception in English physiology," Peter Anstey
PART IV Imagination and Representation
19. "Descartes' theory of imagination and perspectival art," Betsy Newell Decyk
20. "From sparks of truth to the glow of possibility," Peter Schouls
21. "Descartes' theory of visual spatial perception," Celia Wolf-Devine
22. "Symposium on Descartes on perceptual cognition. Introduction," John Sutton
22a. "Descartes and Formal Signs," David Behan
22b. "Descartes' startling doctrine of the reverse-sign relation ," Peter Slezak
22c. "The role of inner objects in perception," Celia Wolf-Devine
22d. "Descartes, Locke, and 'direct realism'," Yasuhiko Tomida
22e. "Replies to my fellow sumposiasts," John Yolton
PART V Mind and Body, thought and sensation
23. "Descartes' intellectual and corporeal memories," Véronique M. Fóti
24. "The sense as witnesses," Gordon Baker
25. "Descartes' naturalism about the mental," Gary Hatfield
26. "Descartes and corporeal mind: some implications of Regius affair," Catherin Wilson
27. "Perrault's criticism of the Cartesian theory of the soul," John P. Wright
28. "The body and the brain," John Sutton
29. "Life and health in Cartesian natural philosophy," Dennis Des Chene
30. "The texture of thought: why Descartes' Meditationes is meditational, and why it matters," Dennis L. Sepper
Bibliography
Index
以上の通り、30編の論考からなります。最後の文献表も有用です。「一般」という大きな区分のなかで「デカルトの著作」「書誌とコンコーダンス」「生涯と著作」「デカルト主義と自然哲学」、「物理理論」という大枠のもとで「機械学と宇宙論」「方法と実験の役割」「光学」、「生-医学的&心理学的理論」という枠のもとで「生理学と医学」「動物機械論」「心理学と魂-生理学」「心身問題、思考と感覚」という分類を行った上で、それぞれについて基本文献を挙げてくれています。
たとえば、「生理学と医学」のところで挙げられる最新のものは、Geoffrey Gorham, "Mind-body dualism and the Harvey-Descartes controversy," Journal of the History of Ideas, 55(1994): 211-34 です。
ちょっと変わったものとしては、Milena Di Marco, "Spiriti animali e meccanismo fisiologico in Descartes," Physis, 13(1971): 21-70. わざわざイタリア語のものをこの基本文献表にあげているのですから、優れた論文の可能性があります。[反射概念の形成 ii ]
すこし時間がかかりましたが、カンギレム『反射概念の形成―デカルト的生理学の淵源』を読み終えました。これは感動的です。
科学史の実践として、最高峰に位置する著作です。迂闊にもこれまで見逃していました。私はカンギレムをきちんと読むべきかと思い、まず、記録を見てみました。 邦訳は3冊持っています。
『正常と病理』滝沢武久訳、法制大学出版局、1988。
『反射概念の形成』金森修訳、法制大学出版局、1988。
『科学史・科学哲学研究』金森修監訳、法制大学出版局、1991。
次のものとしての邦訳を探しました。これにはいつも苦労します。懐中電灯を手にして部屋中を見て回りました。『科学史・科学哲学研究』は場所に記憶があるのですぐに見つかりました。『正常と病理』は苦労しました。15分ぐらいかかったでしょうか。私の手元にはないものに次があります。
『生命の認識』杉山吉弘訳、法制大学出版局、2002
『生命科学の歴史』杉山吉弘訳、法制大学出版局、2006→ (p.44) 「精気は脳から神経を通ってすべての筋肉へと至る。そのことによって精気は、神経が下界の刺激を受容する器官として役立つように待機状態にしておくのである。そして精気は、[それと同時に]筋肉をさまざまなやり方で膨らませながら、体のあらゆる部分を動かすこともするのである。」(『人体の描写』AT, 11, p.227)
待機状態とは?「動物精気は筋肉の方へ流れていくために神経の管を膨らませ、そのことでまず神経繊維が鞘の中で圧迫されるのを防ぎ、同時に繊維をぴんと張りつめた状態のままにしておく」(n56)
「動物精気は自らの運動指令伝達という機能以外に、それ自体は本来何の関係ももたない感覚刺激の伝播がより簡単に行われるような状態を作りだすという機能も担う」
「彼が神経繊維に帰属させた感受性の機能(つまり牽引によって脳に知らせるという機構)は論理的に言って当然にその繊維が真直ぐぴんと張った状態になければならないのに、神経を解剖してみるとそうなっていない、という可能な反論にあらかじめ答えておこうとしたのである。実際この反論はボレッリによって一六八〇〜八一年に書かれた『動物運動論』(De motu animalium)の中で展開されている。」
(pp.42-3) 「神経とは管の内にある線維の束である。それは脳髄がそのまま延長した細糸のような髄であり、動脈のような形状をした管の鞘にやんわりと包まれている。(n50)
「紐の束であるという点で神経は感覚器官であり(n51)、管だという点でそれは運動器官である(n52)」[金森さんの補足:つまり求心的には牽引、遠心的には精気の伝送を担う。]
感覚刺激は「神経という繊維が直接全体的に牽引されることで表わされる。動物が見、感じ、触り、聴き、味わうとき、その体表面は神経繊維によって脳に振動を与えるのだ。遠心的な運動反応は」・・・「一つの伝播、輸送である。精気は、感覚刺激によって神経繊維が牽引されたために脳に空いた穴に落ち込んで、繊維とそれを包む管との間隙を縫うように進んでいく。圧迫されれば圧迫し返し、押されれば押し返すのだ。こうして筋肉の膨張、つまり筋収縮が起こる。(n54)」
ドレフィス・ル・フォワイエの注釈。「神経は刺激に答えるとき、それに何か新しいものを付け加えるということはしない。神経は糸のように引っぱられるか、道路のように駆け抜けられていくかのどちらかだ。筋肉はどうかというと、それは自分を動かす器官[神経]が収縮しないのと同様、収縮することはない。神経と同じく筋肉もまた、受動的に伸びるだけである。(n55)」
(p.49) 現象と概念、描写と理論を区別しよう。
(p. 50) 「不随意運動を巡るデカルトの説明の中には、反射概念の等価物も、反射の一般理論も見出すことはできない。」
(p.52) 『情念論』の第36節には、<反射された精気>[esprits r%eacute;fl%eacute;chis] という言葉がある。(p. 72) テタニー性硬直、ヒステリー性拘縮、舞踏病による興奮状態、癇癪性痙攣
(p.73) 強直、痙縮、痙攣、間代急攣などの病的な筋収縮は、・・・正常とはまるで違った、非連続的、爆発的でなめらかさを欠いた様相を呈する
(p.81)ウィリス『筋肉運動論』(De motu musculari,1670)
「あらゆる運動の中で、次の三つの様相を考察する必要がある。第一番目は行為の起源、つまり成すべき運動の最初の指示である。それは常に大脳か小脳で起こる。第二番目は、興奮、つまり始まった運動を可動部にまで伝播することだ。それは神経に流れ込む精気の移動によって神経内で遂行される。そして第三番目は運動力自体、つまり可動部に蓄えられた精気が収縮力や拡張力として発現するということである。言うまでもなくこの三つの源のそれぞれの場合でその後の行程の具体的様態は異なっており、そこから様々な種類の異質な運動が生じてくる。運動の起源、あるいはその出発点について言えば、欲望やイニシアチブの意識を伴って大脳から出てくる運動は随意運動と言われる。一方、通常は小脳(そこには自然の法則が支配している)から興奮を受ける運動、それはいろいろあるのだが例えば脈拍や呼吸などを含む運動は、純粋に自然的な運動、あるいは不随意運動と言われる。・・・・
一方、先の二種の運動はともに反射され得る。つまり、原因か明白な契機として捉えられた先行の感覚に直接的に依存しながら、運動は自らの出発点へと瞬時に送り返されるのだ。例えば皮膚が軽いかゆみを覚えたときに思わず掻くような場合、あるいは、心*部の炎症のため脈拍や呼吸がより速くなるような場合である。」
ひとりで5時、16.8度。外の気温はわかりませんが、このぐらいがこの時期の気温として普通でしょうか。[Samuel Hartlib On Line]
ロンドンの Dr. Koji Yamamoto にハートリッブ・ペーパーズがオンライン化されていることを教えてもらいました。これはありがたい。
Hartlib Papers on Line
私のような研究者にはこれは朗報です。全文検索ができます。CD-ROM との差はまだ調べていません。[反射概念の形成 ii ]
せっかくなので、カンギレム『反射概念の形成―デカルト的生理学の淵源』を読み通すことにしました。
おお、これはすばらしい著作です。ウィリスの章で、びっくりしました。カンギレムはウィリスを発見したわけではないと書きますが、通常の歴史の用法では、これはカンギレムによるウィリスの発見です。ほんとうに見事な分析です。
ひとりで6時30分、18.1度。雨が降っています。幾分か気温が上がったようです。
おおきいちびは、今日は試合見学だけです。久しぶりの朝ものんびりできます。夕方にまた雨が降り始めました。その前に次の本が届きました。
児玉善仁『<病気>の誕生―近代医療の起源―』平凡社、1998夕方の雨は俄雨でした。すぐにやみました。やんだころ、息子が下に降りてきて、すこししょんぼりしています。何かと思ったら、足で攻略本を押さえつけながら、マリオストーリーをどんどん進めて、最後にクッパをやっとの思いでやっつけたら、The End が出て、画面で花火が打ち上がり、ゲームがセーブできなくなったと言っています。4日でマリオストーリーを攻略したことになります。
攻略してしょんぼりするというのも子どもらしい反応です。
私自身はこの種のゲームはほとんどやったことがなく、むろん攻略なんてあり得なかったのですが、気持ちはなんとなく推測できます。
しばらくしょんぼりしていましたが、ちいさいちびがラーメンを食べたいというので、久しぶりにクマモンのいるラーメン屋さんでラーメンを食べ(ちいさいちびも息子もよく食べました。とくに餃子がおいしいということで、よく食べました)、家に帰ってきて、しばらくごろごろしているうちに立ち直ったようです。[反射概念の形成]
今調べていることに、カンギレムの『反射概念の形成』が関係することに気づきました。すっかり忘れていました。
ジョルジュ・カンギレム
『反射概念の形成―デカルト的生理学の淵源』
金森 修訳、 叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局、1988
目次
第1章 デカルト以前の筋肉運動を巡る問題状況
第2章 不随意運動を巡るデカルトの理論
第3章 トマス・ウィリスによる反射運動概念の形成
第4章 炎と燃える魂
第5章 無頭の動物と有機体の交感
第6章 ウンツェルとプロハスカ
第7章 19・20世紀における反射概念の沿革の歴史
補違 ウィリスのテクスト抜粋
ウィリスは、これを使うという手も思いつきました。読まないことには何も言えないので、1955年原著(金森さんは1977年の版から訳されたと記されています)のこの著作の第1章と第2章をまず読みました。
ここはカンギレムといえども先行研究の整理です。とても明晰にまとめることができていると思います。哲学系の方には、これが最良のスタート地点かもしれません。カンギレムが第2章で力を入れて論証している点を紹介しておきましょう。
(p.50) 「不随意運動をめぐるデカルトの説明の中には、反射概念の等価物も、反射の一般理論も見いだすことはできない。」
(p.50-51) 「[反射の]概念は、有機体の末梢部から出発した振動がどんな性質のものであれ、体の中心で反射して再び末梢部に戻ってくる」という点を含んでいなければならない。したがって、デカルトの示した不随意運動は、厳密には反射運動ではない。
カンギレムは、こうした間違いの典型例をミンコフスキーに見いだします。「或る物体を素早く目に近づけると不随意的で止めようがない瞬きが起こる、という事実の観念に基づいて、デカルトは反射概念を確立した」というミンコフスキーの判断は、批判的に分離すべきものを不当に混同している、カンギレムはそう判断します。
実際、ウェブで調べてみると、ミンコフスキーの誤謬は普及しています。
ひとりで6時10分、17.6度。おおきいちびは7時40分頃起きてきて、ひとりで朝食をとり、8時10分頃、出かけていきました。午前中は井草中学で区大会の決勝トーナメントを見学するのだそうです。そして、昼食には帰ってきて、その後いつもの通り練習をするのだそうです。
夕刻次の本が届きました。
吾妻ひでお
『失踪日記2 アル中病棟』
イーストプレス、2013
前回の『失踪日記』もそうですが、今回の『アル中病棟』も吾妻ひでおはすごいな! 人生の底を見た自分をいつもと同じタッチで、そうまるでギャグマンガのように描いていきます。この味わいはマンガだけのものでしょう。ゆっくり読むことにします。[デカルト生理学の基本]
基本を押さえておこうと思います。デカルト生理学についての基本的先行研究はおそらくホールのものです。
Thomas S. Hall, "Descartes' Phyisological Method: Position, Principles, Examples," Journal of the History of Biology, 3(1970): 53-79
ちょっと手間取りましたが、ウェブで探して、ダウンロードし、すぐに読みました。とても明晰な分析です。今であればもうすこし詳細で正確な分析がなされていると思いますが、デカルト生理学の基本(方法論、立場、原理、説明事例)に関して、明確な記述がなされています。今でもデカルト生理学については、ここから出発するのがよいように思われます。これまであまり取り上げてきていませんが、ホールには翻訳があります。
T. S. ホール『生命と物質』長野敬訳、平凡社、1990
デカルトは、上巻の第2部第18章(pp.238-251)で扱われています。当然ながら記述内容は、上記の論文と重なるところが大きい。ホールがデカルトからまとまって引用する箇所を列挙します。
AT, 11: 126-7
AT, 11: 253
AT, 11: 253-4
AT, 11: 148-149
ちなみに、L'Hommeは、AT, 11: 119-202 ; La Description du corps humainは、AT, 11: 223-290です。デカルトの『人間論』には(前述の通り)邦訳があります。
デカルト(伊東俊太郎・塩川徹也共訳)『人間論』『デカルト著作集4』(白水社、1973): 223-296.
邦訳との対照を見つけようと思います。
AT, 11: 126-7 = 邦訳、p.229 = Hall(1970), p.66
AT, 11: 148-149 = 邦訳、p.245 = Hall(1970), p.772013.1.15 にも引用していますが、デカルト『人間論』の最後の段落(p.286)をここでも引用しておきます。
「次には、私がこの機械に付与した全機能を考えてみていただきたい。それは、たとえば、食物の消化、心臓や動脈の鼓動、肢体の栄養摂取と成長、呼吸、覚醒と睡眠、そして、光、音、匂い、味、熱その他の性質を外部感覚器官へ受容する機能、それらの観念を共通感覚と想像力の器官へと刻印する機能、同じ観念を記憶で保持する、すなわち痕跡を残す機能、欲望や情念の内部運動、最後に肢体すべての外部運動などである。この最後の運動は、感覚に現前する対象の作用によっても、情念や、記憶の中に見いだされる刻印によっても、非常に適切にひき起こされるので、それらは真の人間の運動に、可能なかぎりきわめて完全に類似している。そして、これらの機能がすべて、この機械においては、器官の配置だけから自然に結果するということを考えてみていただきたいのである。これは、時計やその他の自動機械の運動が、おもりや歯車の配置の結果であるのと全く同様である。したがって、これらの機能のために、機械の中に、その心臓で絶え間なく燃えている火―これは無生物体の中にある火と異なる性質のものではない―の熱によって運動させられている血液と精気以外には、植物精神も感覚精神も、またその他の運動と生命のいかなる原理も、想定してはならない。」(p.286)
訳語ですが、ここの「精神」は、アリストテレス『霊魂論』の「霊魂」です。訳語はそれにあわせた方がよかったように思います。
ホールが指摘するとおり、デカルトの生理学の説明は、新しい事実の説明ではなく、すでに流布していた生理学的説明の、1)生命=霊魂(プシケー)によらない、2)粒子論的再解釈です。
そしてデカルトの提示する仮説(デカルト自身仮説という用語を使っています)は、真理の記述(stating the truth)ではなく、モデル(メタフォア)の展開(developing a model)であった、こうホールは結論づけています。(p.79)せっかくですから、 T. S. ホール『生命と物質』(長野敬訳、平凡社、1990)上巻第2部第18章(pp.238-251) を読み直してみました。悪くはありません。しかし、これだとHall(1970)論文のインパクトはまったくなくなっているように感じます。個人的には翻訳の工夫で対処できるように思いますが、翻訳にそこまで求めるのは過剰要求かもしれません。
→ 13.11.5 山田弘明さんが名古屋大学文学部の紀要で、デカルトの「人体の記述」の序文を邦訳してくれています。貴重な貢献です。デカルトが基本を述べている部分を山田さんの訳で引用しましょう。
「私が記述しようとする全機械の一般的概念をまず得るために、ここで私は次のことを言っておく。心臓のなかにある熱こそが、あたかも大きなゼンマイ、すなわち機械のうちにある全運動の原理のごとくであること。静脈は身体の全部分の血液を心臓へと導く管であり、心臓において血液はそこにある熱を養っていること。また胃と腸はもっと太い管であり、そこにはたくさんの小さな孔がちりばめられていて、それらの孔から食物の汁が静脈のなかを流れて心臓へと一直線に運ばれること。動脈はまた別の管であり、心臓で熱せられ希薄になった血液は、そこを通って身体の他のすべての部分へと流れ、その部分を養う熱と物質とをそこへ運ぶこと。そして最後に、この血液の最もよく動き活発な部分は、心臓からくる動脈によって他にまさって一直線に脳に運ばれ、いわば空気つまり「動物精気」と呼ばれるきわめて微細な風を構成する。動物精気は脳を膨張させ、脳が外的対象および精神の印象を受け取るのに相応しいようにする、言い換えれば、 脳を「共通感覚」、「想像力」および「記憶」の器官つまり座とする。次いで、この同じ空気つまり精気は、神経を介して脳からすべての筋肉へと流れる。それによって精気はこれらの神経を外的感覚の器官に役立つようにし、筋肉をさまざまにふくらませて、すべての肢体に運動を与えるのである。」
( 山田弘明「デカルトと医学」『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』50(2004): 1-39 on p.32-3)
息子に起こされて6時、17.1度。
妻はすこしおくれて起きて、一日練のあるおおきいちびのためのお弁当をつくってやりました。一日練のあるおおきいちび以外は、のんびり休日を過ごします。
[医師デカルト]
駒場の授業では、「医師アリストテレス」という回を設けます。同じように、「医師デカルト」というのもありかな、と思っていたら、シェイピンがその名の論文を書いていました。
Steven Shapin, "Descartes the Doctor: Rationalism and Its Therapies," British Journal for the History of Science 33(2000): 131-154
このあたりの目の付け所がさすがシェイピンです。よりよい自然哲学の知識がよりよい医学実践に繋がるという信念は、古代以来多くのものに共有されたが、初期近代においてもそう唱えた思想家は少なくなかった。デカルトもその一人であり、デカルトは繰り返し自然哲学的営為の主要目的のひとつは、医学実践の改良であると唱えている。シェイピンはとくにデカルトが書簡の交換において、いろんな人に行った医学的アドバイスに注目し、デカルトの近代主義的理性の力に基づく健康を維持し長命に繋がる養生法(食事法、医師との付き合い方、医薬品の用い方)を分析した、短くまとめればこうなるでしょうか。
合理主義とセラピー(療法)というところに焦点を当てたのは、シェイピンの持ち分でしょう。しかし、「医師デカルト」という観点を立てたとき、もっと別の分析ももちろんありえます。そして、「医師デカルト」という特集を組むこともできます。
そういうものがあれば、是非、『人体の記述』の深い分析も欲しいところです。
おお、とうとう11月になりました。来週は、月曜日がお休み。木曜日が月曜日の振替授業になります。いちばん忙しい木曜日の授業がお休みとなるので、すこし余裕ができます。ちなみに第3週は外語祭なので、11月の木曜日の授業は2回となります。
夜半に目覚めてすこし仕事。
駒場の授業の最終回までの計画を確定しました。駒場の授業は先週はゲストもいて、6人となりましたが、今日はまた最初の3人に戻りました。12月になると5人までには増えます。演習なのでやはり数名はいてくれた方がよい。
[マリオストーリー]
ずっと前から、小学2年生がネットでみつけたマリオストーリーをやりたいと言っています。最初に見つけたのは、アマゾンで安売りしていたソフトです。(もと6千円ぐらいのを3千円ぐらいで売っていました。)
もともとは、64(ロクヨン)、すなわちNINTENDO 64 というゲーム機のためのソフトだったものです。私はこの種のゲームをほとんどやったことがなく、知識がありません。もちろん技能もありません。
ネットで調べると、Wii のVC (ヴァーチャルコンソール)というのにマリオストーリーは変換(?このことばでよいのでしょうか)されており、それであれば、1000ポイント(すなわち千円)でネットからダウンロードできることがわかりました。今選ぶのであればこれで決まりです。
息子と相談して、1000ポイントのカードをコンビニで購入しています。さらに、Wii でプレイするには、クラシックコントローラというのも必要だとわかり、それも注文し、今朝一番で届いています。バスケの練習から帰ってきたおおきいちびはいつも汗まみれです。お風呂に先に入ることが多い。今日も7時前に帰ってきて、お風呂場に直行しました。夕食はおおきいちびがお風呂から出てくるのをまってやろうということになりました。
待っている間、ちょうどよいので、まず、Wii をインターネットに接続して、マリオストーリーをWii のショッピングチャンネルからダウンロードすることやってみることにしました。
私は Wii はすこしはやったことがありますが、あまり慣れているとは言えません。息子といっしょにトライしました。
ネットでインターネットの接続方法は調べています。ワイファイ(無線ラン)が使えます。すこし手間取るかと予想していたのですが、Wii のチャンネルでインターネットに接続するを選ぶと、少し時間はかかりましたが、機械が勝手に電波を感知して接続してくれました。
ソフトの購入には、コンビニで購入したカードに記されている文字列を入力しないといけません。ちいさな文字は私には辛い。息子に読んでもらいながら、12文字(そのぐらいの長さでした)を入力しました。
それで1000ポイントが使えるようになりました。このポイントで早速マリオストーリーを購入=ソフトのダウンロードを行いました。これもいくらか時間がかかりましたが、スムーズに完了しました。
完了すると、Wii のチャンネルにマリオストーリーが出ています。
朝届いたクラシックコントローラをWii リモコンに装着して(私は本体に繋げるとばかり思っていましたが、箱をよく見ていた息子がヌンチャクと同じようにリモコンに繋げるんだと教えてくれました)、ゲームスタート。
この後は、むすこの世界。新しいコントローラにもすぐに慣れて、大喜びをして、ゲームを進めています。
実は息子は、自分のお小遣いで、あらかじめアマゾンで210円で売っていた攻略本を買って読んでいます。どこまできちんと読み込んだのかはわかりませんが、ともかくある程度は読んでいます。それだけではなく、プレイの実況をYouTube で見ています。
つまり、あらかじめかなりの知識を有しています。こういうことは、親の世代が子ども時代にはありえなかった展開です。親の世代であれば、1年2年かけて到達したレベルに、今の子どもたちは、1ヶ月2ヶ月で到達できるということになります。
こうした子ども名人が今の日本には相当数いると思われます。
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