ひとりで5時55分、室温14.9度。おおきいちびはやはり塾。模試だそうです。お弁当をつくる妻を6時半に起こしました。いっしょに小学生も起きました。おおきいちびは7時でよいそうです。
小学生はなおったとは言い切れませんが、元気です。ちいさいちびは疲労の蓄積のせいでしょうか、お腹が痛いと言っています。体調不良による軽い食あたりでしょうか。ともかく休ませています。金曜日にダウンロードしプリントアウトしていた次の論文を読みました。
安西信一「復楽園としてのイギリス:ハートリブ・サークルの庭園論における活動・改良・拡大(1640年-60年)」『広島大学 欧米文化研究』第5号(1998): 1-20
ビールがおそらくイーブリンに宛てた手紙(1659.9.30)で述べる「ヘレフォードシャに現存する自然の山全体を、一大庭園と化す構想」の紹介(p.9)がこの論文の最大のメリットだと思われます。「私はこの全体を庭園とする。」(p.10)
従来「イギリス式庭園」ないし「風景式庭園」は、18世紀初頭、壁に閉ざされていた庭園を外部の自然に開くことで誕生した、と言われてきた。そのアイディアは、すでにハートリブ・サークルの庭園論で提唱されていた。
ひとりで6時20分、室温14.9度。小学生は7時過ぎ。咳は収まっていませんが、元気です。妻は7時20分、おおきいちびのお弁当を作ります。ちいさいちびは午後練。足が限界に近づいているようです。ともかく痛いそうです。
おおきいちびは9時前に塾にでかけました。ちいさいちびはお腹が痛いと言っています。今日午後の練習は休ませることにしました。ほんとうに病気なのでしょう、下に降りてくることなく自分の部屋で布団にもぐっています。朝のうちに雨が降り始めました。予報よりはやい降りだしです。雨が降るとどうしてもひんやりとした空気になります。
午後、雨は上がりました。それまでに木曜日5限のリレー講義の最終回の準備を済ませました。例年は、1回からあるいはその半分程度は DVD で映像を見せていますが、今年は、3回全部話をすることにしました。90分で3回分全部話すとそれなりの量があります。準備はしっかりとしておく必要があります。
ひとりで4時50分、室温14.0度。9時頃、小学校から電話がありました。息子が咳き込んでもどしそうだといって保健室にいるそうです。昨夜から今朝にかけてけっこう咳をしていました。小学校に迎えに行って、そのまま小学校の近くの医院へ。咳止めの薬を処方してくれました。近所の薬局で4種類の薬をもらってきました。
帰宅してすぐに3種類を飲ませました。咳はよくしますが、元気は元気です。仕事にでかけた妻が10時過ぎに仕事がなくなったといって電話がありました。図書館の方から連絡があり、ILL で頼んだ次の論文は、ウェブに pdf がありますよ、と教えてもらいました。早速ダウンロードし、プリントアウトしました。
S. Dupre, "The historiography of perspective and reflexy-const in netherlandish art," Nederlands Kunsthistorisch Jaarboek, 61(2011): 35-60
私の関心に直接関与する内容ではありませんでしたが、必要な論点を提示していると思います。妻は午後小学校で面談があります。妻が帰ってきたらでかけます。
→妻と入れ替わりに家をでて、4時前に駒場に着きました。わずかに雨模様。傘をさすほどではありません。いつも通り、1号館で判子を押したあと、生協へ。ちびどもに頼まれていた A4のノートを3冊購入しました。それから図書館ではなく書籍部へ。新刊を手にとって見ていました。午後の最後(4時半から)、久しぶりの駒場の授業。
フーコーの『臨床医学の誕生』を読んでもらいましたが、学部学生諸君にはすこし難しい、何いってんのという感じだったようです。アッカークネヒトの『パリ病院』(舘野之男訳、思索社、1978)といっしょに読んでもらうと、理解がおおきく進んだと思います。その後、キャンパス内のレストランで打ち合わせ。編者の方に次の浩瀚な書物を頂きました。池上俊一さん、ご高配、ありがとうございます。
池上俊一編『原典 イタリア・ルネサンス人文主義』名古屋大学出版会、2009
この大きな本が2刷りになったそうです。(フランチェスコ・ペトラルカ「イタリア誹謗者論駁」;コルッチョ・サルターティ「僭主論」;レオナルド・ブルーニ「ピエトロ・パオロ・イストリアーノに献じられた対話篇」&「ナンニ・デッリ・ストロッツィに捧げた追悼演説」;ピエル・パオロ・ヴェルジェーリオ「パウルス」 ;ポッジョ・ブラッチョリーニ「貪欲論」;フラーヴィオ・ビオンド「イタリア案内」;ジャンノッツォ・マネッティ「フランチェスコ・ペトラルカの生涯」&「ジョヴァンニ・ボッカッチョの生涯」;レオン・バッティスタ・アルベルティ「文学研究の利益と損失」;ロレンツォ・ヴァッラ 「快楽論」;ピウス二世「覚え書」;マッテオ・パルミエーリ「市民生活論」;イゾッタ・ノガローラ「アダムとエヴァの罪の同等性あるいは非同等性について」;クリストーフォロ・ディ・バルトロメーオ・ランディーノ「カマルドリ論議」;ジョヴァンニ・ジョヴィアーノ・ポンターノ「アエギディウス」;バッティスタ・グアリーノ「教授と学習の順序」; ロレンツォ・デ・メディチ「アンブラ」&「謝肉祭の歌」;アンジェロ・ポリツィアーノ「ジュリアーノ・デ・メディチ殿の馬上槍試合に捧げるスタンツェ」;ヤーコポ・サンナザーロ「アルカディア」;ピエトロ・ベンボ「アゾラーニ」;ジョヴァンニ・デッラ・カーサ「ガラテーオ」)8時過ぎには帰ってくることができました。上出来です。
ひとりで5時55分、室温13.5度。ずっと降り続いていた雨はやっと上がっています。気温もお昼にかけて上がっていくようです。
9時42分武蔵境発の電車で大学へ。まず図書館によって次の本を受け取りました。一ノ瀬 正樹 , 伊東 乾 , 影浦 峡 , 児玉 龍彦 , 島薗 進 ,中川恵一『低線量被曝のモラル』(河出書房新社 2012)。それから印刷センターで3限の講義のための印刷、90部。それから研究室で事務的用件の処理。11時ちょうどで生協に行って昼食。
お昼休みに入ると同時に学生が見えて面談。ゼミ所属の相談です。
12時40分から授業。3限4限5限の授業。いつも通り怒濤です。3限と5限が90分丸々しゃべる講義なのでけっこうな疲れが残ります。
電車の接続がスムーズにいって、西荻の駅についたときまだ6時になっていませんでした。帰宅すると、次の本が届いていました。
George Rosen ローゼン『公衆衛生の歴史』(小栗史朗訳)第一出版、1974
これが公衆衛生史の基本書でしょう。
ひとりで4時25分、室温14.1度。昨日降っていた雨がまだ降り続いています。午前10時から要町で出張校正。9時過ぎに家をでて、池袋方面へ。電車がすこし遅れていました。いつもと違う車両に乗ったので、ずいぶん歩くことになりました。そのせいで、ほぼちょうどで印刷所に到着しました。
今回の校正は量的にはわずかです。30分程度で終わりました。今後のことを印刷所の方と打ち合わせして帰途へ。
ちびどもにノートを頼まれています。時間的にちょうどよいので、新宿で降りて、紀伊国屋のアドホック店に行くことにしました。リアルな大書店は久しぶりです。紀伊国屋ビルのなかも変わらないお店と変わったお店と。昔よく食べていた地下のカレー屋さんでカレーを食べてから、アドホック店へ。文房具のお店は2003年になくったという掲示があります。なくなってからもう10年以上経っています。去る者日々に疎し。今度は1階の通路を通って駅の方へ。途中にほんとうにちいさな文房具屋さんがあったので、そこでA4 のノートを2冊購入。
西荻の駅で降りてから、駅前の文房具屋さんでさらにA4 のノートを1冊購入しました。頼まれたブランドとは違いますが、当分はこれで間に合うでしょう。
雨のなか重いカバンをかかえての移動は疲れます。
小学生は2時半ぐらい、ちびどもは3時前後に帰ってきました。ちびどもは再登校です。ちいさいちびは7時に歯医者さんを予約しているので、いつもより早く帰ってきてもらいます。
ひとりで5時30分、室温14.6度。午前10時まで集中的に作業をして、木曜日5限リレー講義の2回目の授業スクリプトをつくりました。「占領の問題再訪」といった感じです。
そのなかでちょっとした小咄に気づきました。GI です。我々の世代より上は、GI は知っています。私の世代では、正確な知識はたぶんなく、アメリカ軍兵士?みたいな感覚だと思います。本当は何かはしりませんが、「GI ジョー」とかは耳に残っています。
さて語源を調べてみると、次のようにありました。陸軍補給部がゴミ箱など galvanized iron (亜鉛引き鉄板)の略語として非公式に使っていたが、転じて、兵隊靴 G.I. shoes などの官給品 government issue の略語とされるようになり、官給品 government issue を着ている兵士、すなわちアメリカ軍下級兵士=(アメリカ軍の)兵隊さんを指す言葉となった。(私がまとめています。)
官給品 government issue が起源とは思いませんでした。
ひとりで5時45分。室温15.3度。室温がすこし上がりました。どうせまた下がるでしょうが、このぐらいの温度だと寒さをほとんど感じません。
夜明け前、空の大部分に雲がかかっていましたが、夜が明けるとともに晴れてきました。お昼は晴れ。ちいさいちびは8時頃練習にでかけました。おおきいちびと妻はお昼に(昼食を食べないまま)立川のイケヤにでかけました。
ひとりで5時35分。室温14.1度。おおきいちびは午前中に模試があります。お弁当をつくる妻を6時半に起こすことになっています。足が痛いと言っているちいさいちびは昨日と同じく午後練。小学生は、火曜日が振替休日になるので、3連休。
おおきいちびは7時50分に家をでました。ちいさいちびは11時35分。ちいさいちびの帰宅は、7時前。おおきいちびの帰宅は8時半過ぎ。朝一番で模試があり、その後は塾でした。受験生らしい一日となりました。
19日の水曜日に届いた次の本を摘み食い的に読んでいます。
Art and Alchemy: The Mystery of Transformation, Museum Kunstpalast, Hirmer, 2014
展覧会のカタログですが、とてもよくできていると思います。展覧会が開催された会場は、デュセンドルフのクンストパラスト美術館です。期間は、2014年の4月5日から10月10日まで約半年間。構想は、クンストパラスト美術館とマックスプランク科学史研究所の「前近代ヨーロッパにおけるアートと知識」研究グループ、それにフィラデルフィアの化学遺産財団の専門家グループが協力しています。
ドイツではじめて全時代にわたりあらゆるジャンルをカバーする芸術(技術)と錬金術の関係を紹介する展覧会として、250の作品が展示された。テキストとしてはまずプリンシーペのものを読み、ついでデュプレのものを読みました。この分野でデュプレの論考を読むのは初めてです。なかなか興味深いテーマを扱っていました。
ひとりで3時25分。室温15.4度。天気予報の通り、週末に向けて、すこし暖かくなっています。昨日就寝前から次の本を読み始めました。
飯島渉『感染症の中国史:公衆衛生と東アジア』中公新書、2009
朝のうちに読み終わりました。これは東アジアの公衆衛生史の基本書だと思われます。全体像を把握するためにまずこの書物を読むのがよいように思われます。2回目の起床は8時過ぎ。小学生はもう学校に行っていました。8時50分、小学生の音楽会を聞きに行きます。小学校は日当たりがよく暖かい。校庭で待っている間にずいぶん暖まりました。人数が多いので学年毎の入れ替え制です。3年生の曲は2曲でした。ベートーベンの喜びの歌と手を繋ごう。はじまってしまうと10分もしないうちに終了です。小学生達に続いて体育館の外にでて、帰ってきました。よく寝ていたちびどもが起きて、ふたりなかよく、昨夜の千と千尋の神隠しを見ています。ちいさいちびは午後練。おおきいちびは午後塾です。
小学生はお昼には帰ってくるそうです。99人の合唱はなかなか迫力がありました。アッカークネヒトの『世界医療史』を通読することにしました。昨日第12章「19世紀前半の臨床医学派」から読み始めました。第20章「20世紀前半」までは読み通しました。次は、最初から11章まで読みます。
アッカークネヒトの Short History の歴史記述は、要約です。アッカークネヒトは医学史のポイントを正確に要約しようとしています。貴重な仕事です。
ひとりで6時5分。室温12.9度。昨日の午後降り始めた雨はきれいに上がっています。小学生は音楽会。今日は生徒だけの音楽会。明日は、父兄を会場に入れての音楽会。ずっと前からおおいに張り切っています。
7時前に小学生を起こし、すぐに資源ゴミを外に出しました。雨上がりの、すっきりとした青空になっています。外語祭の諸君は、今日はましな気持ちで迎えることができるでしょう。昨日入手した『記録映画アーカイブ2』のDVDのうち、最初の2作品、『はえのいない町』(1950年,12分)と『町と下水』(1953年,21分)を見てみました。教育的価値は大きいと思いますが、何の準備もなく今の学生に見せるにはちょっと躊躇があります。今の学生たちには、この映画が撮られたころの日本は、あまりに「きもい」かと思われます。
必要性を感じて、研究室で救出したアッカークネヒトの『世界医療史』を読み始めました。原題は、Erwin Ackerkneht, A Short History of Medicine (1955) です。Short History として短くまとめすぎているところがあります。これだけは致し方ないでしょう。整理が簡潔でわかりやすいと思います。古い本なので、信頼できる医学史家の手になる改訂版がほしいところです。
第18章公衆衛生の歴史に関しては、George Rosen を挙げています。調べるとこれは、ローゼン『公衆衛生の歴史』(小栗史朗訳、第一出版、1974)として邦訳されています。公衆衛生つながりで次の論文をダウンロードしプリントアウトし読みました。
金子光美「水の安全性と病原微生物―その歴史と現状、そして未来」『モダンメディア』52巻第3号(2006): 20-27
p. 21 にわが国における水系経口感染症発生状況の年次推移という表があります。これは便利な表です。水系経口感染症と上水道普及率と下水道普及率の明治以来の推移がひとつのグラフにまとめられています。下水道の普及率ですが、平成元年の時点でも50%に達していません。限界集落にこれから下水道を設置することは考えられませんから、日本における下水道普及率は、上限に達しつつあると見てよいでしょうか。上水道は、平成元年の時点でほぼ100%でしょうか。
ひとりで5時30分。室温12.8度。とうとう室温が13度を下回りました。台所に、ちいさいちびは朝練なので6時20分に起こして下さいという書き置きがありました。図書館に本が届いたという連絡が昨夜ありました。中身を見たいので朝一番でとってくることにしました。9時30分武蔵境発の電車で大学に向かい、図書館にだけよって帰ってきました。外語祭は肌寒いスタートとなりました。薄曇りで気温が低い。帰途は、10時4分多磨駅発。受け取ったのは、次の2冊です。
丹羽美之・吉見俊哉編『戦後復興から高度成長へ: 民主教育・東京オリンピック・原子力発電』東京大学出版会、2014
記録映画アーカイブの2で、DVD 付きです。
→まず、藤本陽一「核物理学者として生きた原子力時代――記録映画と共に振り返る」と吉見俊哉「被爆の悪夢からの転換――原子力広報言説の戦後史」の2点を読みました。
全体の目次は次です。
藤瀬季彦「『はえのいない町』をつくった頃」
村山英世「二人の教育者と「常総コレクション」」
中村秀之「見えるものから見えないものへ――『社会科教材映画大系』と『はえのいない町』(1950年)の映像論」
吉原順平「テレビ番組『日本発見』シリーズの誕生と挫折」
筒井武文「『日本発見』シリーズの『東京都』と『群馬県』――公開版と未公開版の比較」
若林幹夫「岩波写真文庫から地理テレビへ――そして、それを超えるものへ」
西村健治「度経済成長と記録映画――撮影の現場から」
伊藤 滋「オリンピック前夜の東京改造」
鳥羽耕史「東京タワーとは何か――「戦後日本」、および都市の象徴として」
羽田澄子「『いま原子力発電は…』ができるまで」
藤本陽一「核物理学者として生きた原子力時代――記録映画と共に振り返る」
吉見俊哉「被爆の悪夢からの転換――原子力広報言説の戦後史」
以上のように原子力発電の広報史の資料として入手しましたが、 DVD に収録されている、『はえのいない町』(1950年,12分)や『町と下水』(1953年,21分)が日本の衛生史として使える(授業等で使える)のではないかと思うようになりました。衛生の歴史をきちんとサーベイしたものがほしいなと思っていたところです。もちろんこの2点の作品はサーベイではありませんが、ある時点での状況を知るにはちょうどよいかもしれません。紅野謙介ほか編著『検閲の帝国:文化の統制と再生産』新曜社、2014
日韓両国の研究者による共同研究の成果です。帰宅すると新しい『生物学史研究』が届いていました。No. 21(2014)。 特集の1は「生物学の人文・社会科学研究を模索する」。特集の2は「科学史・医学史とアーカイブズ」です。
ひとりで4時45分。室温13.6度。台所にちいさいちびを6時半に起こすように書き置きがありました。小学生は7時前。おおきいちびはゆっくりめで7時20分ぐらいでしょうか。ちびどもは定期考査の3日目、最終日。ちいさいちびはそのまま午後部活があります。おおきいちびは何か委員会があってそれが終わってから帰ってくるようです。
昨日の夜読み始めた中島義道史の『東大助手物語』(新潮社、2014)を読み終わりました。ああ、こういう話だったんだというのが感想です。
読み終わる直前に次の本が届きました。
Art and Alchemy: The Mystery of Transformation, Museum Kunstpalast, Hirmer, 2014
テキスト(文章)はプリンシーペやニューマンが書いています。現実に開催された展覧会のカタログのようです。専門の錬金術史家が加わっていて、カラー図版満載で、¥ 5,667です。お得かもしれません。
→目次は次です。
Dedo von Kerssenbrock-Krosigk, Beat Wismer, Sven Dupré, and Anita Hachmann, "Art and Alchemy: An Introduction"
Lawrence M. Principe, "A Practical Science: The History of Alchemy"
Jennifer Rampling, "A Secret Language: The Ripley Scrolls"
Lawrence M. Principe, "Spaces of Wonder and Ruin: Alchemical Laboratories in Early Modern Painting"
Sven Dupré, "Making Materials: The Arts of Fire"
William R. Newman, "God's Crafts: Imitating and Recreating Nature"
Christine Göttler, "Allegories of Fire and of the Arts"
Tine L. Meganck, " The “Reddener”: Peter Paul Rubens and Alchemy"
M. E. Warlick, "Surrealism and Alchemy"
Ulli Seegers, "Metabolic Processes: On Great Works and Invisible Values in Contemporary Art"
Glossary
List of Works Exhibited
Catalogue References
Further Reading
Max Planck 科学史研究所 アートのラボラトリー研究グループに関連する情報があります。マックスプランクのグループはとてもよく仕事をしていると思います。会議の日。午後に2つの会議が連続してあります。
最近の通例より1本遅い電車、すなわち10時6分武蔵境発の電車で大学へ。研究室で事務処理。それからいろんな文書を読んでいました。11時に生協へ。外語祭の準備作業が佳境を迎えていました。研究室に帰って、図書館に本が入ったという報せが届いたのですぐに受け取りに行きました。次の本です。
Aaron Scharf, Art and Photography, Penguin Books,
その後本棚のなかからアッカークネヒトを1冊探し出しました。そうこうしているうちに午後2時が近づいてきました。会議の時間です。
→会議は長引きました。6時過ぎにやっと終了。電車の運転手さんが少し待ってくれたので、6時16分多磨駅発の電車に駆け込むことができました。井尻先生と話しながら帰ってきました。帰宅すると次の本が届いていました。
玉木研二『ドキュメント 占領の秋 1945』藤原書店、2005
ひとりで4時30分。室温13.9度。わずかですが室温が回復しています。ちびどもは定期考査の2日目。
外語祭ウィークに入ります。水曜日に会議はありますが、授業は1週間休みとなります。これは我々にはありがたい。駒場も駒場祭があるので、金曜日(11月21日)はやはり休み。
午後仕事のある妻は11時すぎにでかけました。ちびどもは12時過ぎに帰ってきました。すぐに昼食。すこし休んでから自分たちの部屋に行きました。
来週の出張校正の準備を始めました。午前中かかりました。実は完了していません。たぶん著者よりファイルが1点届いていません。入稿したあとのやりとりで大丈夫なので、現時点では声をかけていません。今年度の授業ですが、合計で4コマ分、まだ何をやるのか確定させていません。この1週間の休みの間に確定しようと思います。もちろん案そのものはいくつか頭のなかにはあります。よく考えて私にも学生諸君にも新鮮なものを選びたいと思います。
夜、次の本が届きました。
中島 義道『東大助手物語』新潮社、2014
読み始めたところで就寝。
ひとりで6時45分。室温13.2度。
9歳の誕生日の息子はすぐに起きてきました。ちいさいちびもすぐに起こしましたが、うーん。おおきいちびは7時前に起こしました。ちびどもは定期考査の初日。私は午後の授業。3限4限。9時43分に中央線で武蔵境に着きました。こういう場合は、駅の外にでて昼食のパンを買います。9時54分武蔵境発の電車で大学へ。ちょうど2限開始に間に合う時間帯です。大勢の学生たちといっしょになります。
まず、事務棟3階に上がって、荷物を受け取りました。でかい。あらかじめ台車に乗せいておいてくれました。大きな台車なので、ゆっくりと動いて研究室へ。大きな段ボール箱2箱を研究室においてから、台車を戻すために、再度事務棟へ。戻って10時半。
そこから事務処理を始めました。ある程度は進めることができました。
お昼休みに学生との面談。
3限4限は、連続。息子の誕生日なので、4限終了後すぐに帰ってきました。
妻が息子の好物の餃子をつくっている最中でした。6時ぐらいになって、家族揃って餃子を食べ(中国風に餃子の場合は餃子が主食になります)、その後誕生日ケーキ。かわいいのを2つ買ってきていました。
ひとりで6時40分。室温13.2度。小学生は7時過ぎに起きてきました。残りは、昨日と同じく、8時前後でしょうか。
昨日と比べると天気は下り坂。気温もわずかに下がるようです。妻は8時過ぎに起きてきました。ちびどもの動きは不明です。→明日のこともあるので、8時半で起こしました。
小学3年生は明日が誕生日。ママとの約束で、お昼ご飯は、小学生の大好物のマグロの寿司。吉祥寺に二人で行って、候補の店を2店舗回るようです。その後、冬支度の買い物をして帰ってくるということです。
ちびどもの試験勉強のために小学生を連れ出す意図もあります。
3時前に荷物を抱えて帰ってきました。私はそれまでちびどもの数学の先生をしていました。わかるように説明するためには、どのぐらいまで理解しているのかを把握する必要があります。それがとても大変。
息子が寒いと言って、5時半。室温13.0度。息子には毛布をかけてやりました。それでまたすやすや寝ています。気温がどんどん下がっています。しかし、昨日ほど寒くは感じません。体がすこしずつ寒さに慣れてきているようです。
息子は、6時半過ぎ、我が家の女性陣は8時前後で起きてきました。久しぶりに全員ゆっくりめの朝。冬の好天です。昼食前、ちいさいちびがふれあい(という名前の整骨院・マッサージ屋さん)に行くと言います。足が痛い、疲労骨折かもと本人は言っています。歩いて出かけました。途中駅前の文房具屋さんによりましたが、まだ閉まっていました。あとまわしにして、バス通りを女子大の方へ。ニノのように外に出たがらないちいさいちびは、地理をほとんど把握していません。私は方向音痴だものと言っています。途中、別の文房具屋さんがあいていたので、そこに入りました。ルーズリーフのノートが欲しかったようです。小さい頃は一瞬でほしいものを選んでいた子ですが、今回はやたら迷っています。その間に、お金が足りないことに気づき、私は一度駅の方に戻って必要なお金を降ろしました。帰ってくるとさすがに決まっていました。迷っていたのは間仕切りをどうするかです。
支払いをし、現物を受け取ってから、ふれあいへ。駅からはちょっと遠い。私ははじめてなかに入って様子を確認しました。ありがたいことにそれほど混んではいません。買い物を先に持って帰ろうかと言ったのですが、自分でもっておくと返事をするので、そのまま私は帰途に着きました。バス通りは混んでいて歩きづらい。別の道を辿りました。
そうこうするうえに妻が昼食を買って帰ってきました。食べ終わったあと、妻が遅いと心配するので、自転車で迎えに行くことにしました。ちょうど終わった頃だと思われます。自転車でさっきと同じ道を行っていると、ふれあいを出てたぶん1ブロックも進んでいないちいさいちびに出会いました。携帯でママが返事を欲しがっているとまず伝えて、返事をさせました。それから自転車を与え、いつもの通学路の方に向かいました。通学路まで達するとさすがにあとはひとりで帰れます。気を付けるように言って先に返しました。気温は低くなっていますが、日射しがあるところは暖かい。私にはよい運動になりました。最近こういう送り方や出迎え方が多くなっています。この子は次女の性格だと痛感しています。
ちなみにちいさいちびの足は疲労骨折ではなく、ただの筋肉痛でした。バスケをはじめてもう半年は経つので、慣れては来ています。が、運動そのものはきついので、痛みがけっこう何日も残るようです。おおきいちびの場合は、何度も疲労骨折になっています。そのときとは様子が違うと思っていましたが、診療しテーピングをしてもらうと安心したようです。もちろんすぐに痛みがひくわけではありません。
夜半に目覚めてすこし仕事。昨日の木曜日に2コマ、すなわち180分話をしています。たぶん、その疲れと神経の興奮が残っていて、目が覚めたのだと思います。息子に起こされて6時45分、室温13.6度。ここまで下がるとかなり寒く感じます。もうすこしで暖房が必要になります。今日は落ち葉掃きのちいさいちびを7時に起こすよう言われています。
8時15分頃妻が出かけたあとは一人で留守番。妻が帰ってきてから、駒場に出かけます。金曜日5限の授業。今日で6回目です。
午後2時半、家をでて、駒場に向かいました。1号館で判子を押したあと、デューラーの重い本を返却するため図書館に。あれ、利用証(図書館カード)がありません。忘れてきたのでしょう、受付で、利用証を忘れましたが、本を返却したいと言うと、返却することはできました。あんな重い本を再度持ち帰ってまた持ってくるのはばかげています。頼めば図書館のなかにも入れてくれたと思いますが、ちょうどよいので生協の本屋さんをみることにしました。やはり、たまには現実の本屋さんを見ることも重要です。お金をほとんど持っていなかったので何も購入はしませんでしたが、もし無尽蔵にお金があれば、手元に置きたい本は数多くありました。
次に生協購買部を見て、科哲事務室へ。30分ほど、そこで働いている中澤氏と四方山話をしていました。教室に行く直前に橋本先生も現れたので、橋本先生ともすこし会話。教室には十分な暖房が入っていました。
ほぼ予定通り、7時に帰宅することができました。
帰ってしばらくしてから、図書カードを探しました。まず、ズボンのポケット。どれにもありませんでした。それから、机の上。机の上を片づけるとすぐに出てきました。投げ出したまま忘れていたということになります。午後、次の本が届きました。
Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura: Die Dunkelkammer in ihren historischen Entwicklung, Stuttgart: Franz Steiner Verlag, 2013
この書物によって、やっと、10月8日の疑問が解けました。Crary, Techniques of the Observer (1990; October Books, 1992) の図4です。出典は1ヶ月以上探し出せないままでした。
「4.p.49 Comparison of eye and camera obscura. Early eighteenth century. 図版の上に、Tom. VI. Lec. XVII (?).5. p.290」
これは、ノレ神父のものでした。この書物のp.196 に同じ図版が引用されています。
Jean Antoine Nollet, Leçons de physique expérimentale, Tome 5. Paris, 1771, Pl. 5.
フランス語ですから、ノレ神父のものかもという可能性は考えましたが、本を探し出してページを繰ることはしていませんでした。
些細なことですが、疑問が解消するとうれしい。
→最近はグーグルブックがあることですし、実物をダウンロードして確認することにしました。グーグルブックでは、第3版第5巻(Paris, 1765)が簡単に入手できます。この図版は、第3版第5巻(Paris, 1765)ではp.480 の対にあります。このグーグルブックの絵は、残念ながら折れています。この折れている絵のキャプションは、「[Tome]V. XVII. LEÇON. P.5.」です。
グーグルブックには第6版(1783)もあります。こちらもダウンロードしてみました。これは図版が折れていません。キャプションはまちがいなく「TOM. V. XVII. LEÇON. P.5.」です。
著者がわかるとネットで画像を探し出すのも格段に容易になります。
科学史博物館ノレ神父光学の項
せっかくですので日本語の先行研究を探してみました。とても寂しい状況です。ノレ神父を主題とするものは見つかりませんでした。18世紀においてはとてもおおきな存在です。すくなくとも基本をまとめる論文ひとつでもあった方がよいと思います。→14.11.16 Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura ですが、2部に分かれていると見てよいでしょう。前半はp.113までで、Vorwort, Historie und Apparat, Bildwelten der Camera obscura, Nachbauten, Reflexionen zur visuellen Wahrnehmung からなります。後半は、ミュラーによるカタログ部分、すなわち、編年体でカメラ・オブスクラに触れている著作を短く紹介しています。最後は、文献リストと文献省略記号表。
→もとにもどって、このドイツ語のカメラ・オブスクラ研究書ですが、情報を網羅しようとしてくれている点が助かります。カメラ・オブスクラの異なる名称をリストアップしてくれています。pp.16-7
1292 Of Saint-Cloud: Domo clausa
1553 Cardano: Loco obscuro.
1604 Kepler: Camera clausa, Camera obscura.
1615 Risner: Locum lucis expertem.
1646 Kircher: Loco obscuro.
1651 Harsdörffer: Finstere Kammer, Camara[sic] obscura, finster Kasten.
1658 Schott: Loco obscurum, obscuro cubiculo, cubi parastatici, obscuro loco.
1660 Greiff: Dunckele Kammer, Camera obscura.
1662 Leurechon: Chambre close.
1663 Kohlhans: Cista visoris, finsterer Kasten, finstern Kammer.
1665 Grimaldi: Loco obscure, Cubiculus bene obscurati.
1666 Niceron: Camera occlusa.
1666 Mersenne: Frange noire.
1670 Heiden: Camera obscura, Oculus artificialis, Cistula optica
1677 Kohlhans: Finsteres Kästlein, Optico Libello, Panscopium Rostarum.
1687 Zahn: Locus obscurus, Cistula parastatica, Cistulae catoprico-parastaticae.
1704 Newton: Darkened Chamber
1705 Hooke: Perspective Box
1708 Sturm: Darken'd camera
1711 Gravesande: Chambre obscure
1722 Leupold: Camera catoptrica
1742 Molyneux: Dark Chamber
1762 Ledermüller: Dioptrische Machine
1764 Grandenigo: Camera ottica
1771 Nollet (dt. Übersetzung): Finstere Kammer
1784 Krünitz: Camera obscura, Camera optica, Finsterzimmer, verfinstertes Zimmer, Chambre obscure, Chamber noire
1791 Gehler: Verfinstertes Zimmer, dunkle Kammer, chambre obscure, chambre noire
1797 Gale: Dark Chamber
1855 Ersch und Gruber: Dunkel Kammer
1869 Guilemin: Chambre obscure, Chambre noire
1889 Meyers Konversations-Lexikon: Optische Kammer
1925 Meyers Konversations-Lexikon: Camera clara閉じた家、暗い場所、暗い箱、暗い部屋、夜の部屋、暗くされた部屋、光学の箱、光学的部屋、人工の眼、遠近法的箱、等々。
以上、18世紀の間も用語が固定せず、19世紀になっても固定していないことがわかります。20世紀のものは1点だけなので、正確には語れませんが、状況が変化したようには見えません。また、網羅的に見えて、ホイヘンスもボイルも取りあげていません。要するにこれはもっともっと膨らませることができるということです。
→ 14.11.17 せっかくですから、ガリカで検索をかけて、きれいな画像を探しました。上と同じ版に収録されている、きれいな画像はすぐに見つかりました。グーグルブックスはテキストにはよい(少々ゆがんでいてもテキストは読める)のですが、画像にはむきません。折れているのは使えません。
ひとりで6時、室温15.5度。室温もかなり下がりました。冬が着実に近づいています。お昼休みにゼミの面談。それから3限4限5限。
昨日と同じ、9時54分武蔵境発の電車で大学へ。事務仕事は、大学教員の我々にもそれなりの量であります。すこしこなしてから、生協の食堂があくと同時に昼食をとり、研究室で待機。お昼休みに2年生の学生と面談。ゼミ所属を決めるための相談です。今年は、この学生さんが第1号。月曜日にもうひとり見えます。
3限の授業が始まったあとは、いつにもましての怒濤。5限が3回担当のリレー講義の1回目。プロジェクターを使ったとき、手元が暗くなるのが、ちょっと辛いところです。目が悪くなっていると、必要なものを探し出すまでに若干時間がかかります。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。
ひとりで5時25分、室温16.7度。久しぶりに会議のない水曜日。いろいろ考えて、研究室の片づけを午前中に行うことにしました。中央線が武蔵境の駅に滑り込むと同時に西武線が出発していました。こういう場合は駅の外。パン屋さんで昼食のパンを買ってから、9時54分武蔵境発の電車に乗り込みました。
まず、図書館。金曜日のテキストの『臨床医学の誕生』を借り出しました。この部屋か研究室のどこかにあるはずですが、今、探す余裕がありません。借りることにしました。
次いで図書館に届いている3冊を受け取りました。
島薗進『つくられた放射線「安全」論』河出書房新社、2013
Laurent Mannoni, The Great Art of Light and Shodow: Archeology of the Cinema, translated and edited by Richard Crangle, Exeter, 2000
Lawrence Gowing, Vermeer, University of California Press, 1997それから印刷センターで明日の準備。3限の資料を印刷しました。荷物を抱えて、研究室へ。机の上の片づけに取りかかりました。なんとか、面接ができるまでは机の上を片づけました。
Album of Scienceの翻訳を見たいので、再度、図書館に。邦語タイトルは、「マクミラン」世界科学史百科図鑑。いいのでしょうか。もとの英語のニュアンスを伝えるものではありません。ともあれ、最初の2冊を借りて、先ほど印刷を忘れていた5限の印刷をしてから、研究室へ。
今日はここまで。2限終了のチャイムを聞いてしばらくしてから帰途へ。
帰宅してからは親の仕事が続きました。1時半には帰ってくるはずの小学生が帰ってきません。どうしたのだろうと思っていたら、妻の携帯に学校から連絡がありました。道の途中でもどして座り込んでいるということです。私が迎えに行くことになりました。行くと、校門を出てすぐのところで座り込んでいます。若い男の先生が一人と女の先生が一人、付き添ってくれています。もどしたものは学校の先生方で掃除したようです。すこし話を聞いてからゆっくりと連れ帰りました。帰ってしばらくママとお話しをしていました。
5時にちいさいちびの歯医者。遅れると診てもらえなくなるので、15分前に家をでました。10分前に歯医者に着きました。こちらはすぐに終わりました。ただし、終わったあとの書類の処理に手間取ったようで、帰りは5時40分ぐらいになりました。もう一度行く必要があるということです。再来週の水曜日、部活帰りに走ってくることになりました。
就寝前、おおきいちびは月食と日蝕の説明に疑問をもったようです。私の頭は宇宙とか言っています。視点の置き方があやふやです。最後に引力って何? どうして月が地球の海を引っ張るの? 中学生の知識のなかに回答はありません。
ひとりで5時、室温17.9度。予報では、今日は12月上旬並みの寒さということです。室内では、ほんとうに寒くなっているのかわかりません。
午後、雨は少し降ってすぐに止みました。雨量にして1ミリ程度ではないでしょうか。
妻もお昼前にでかけたので、午後は一人で留守番。
ひとりで5時35分、室温17.2度。今日からちびどもは試験週間。試験は来週ですが、試験の準備ということで部活がなくなります。すなわち、朝練もなく、朝誰も起こす必要のない10日間がはじまります。
子どもたちがでかけたあと、妻がピアノを置いている部屋の薫蒸を始めました。ピアノのまわりの片づけとピアノの蓋外しを手伝い、いつもは取り外している引き戸を戻しました。薫蒸がきちんとスタートしたことを確認してから、水道工事のたぶん最後(舗装のし直し)がはじまった道を通って大学に向かいました。
午後の授業。
9時30分武蔵境発の電車で大学へ。昼食前にキャンパスをおおきく半周してから生協へ。落葉樹は8割方落葉したようです。サンバハウスは、8割方完成していました。外語祭が近づいています。
要求のあったことに回答していたら、けっこう時間が経ちました。
3限と4限。3限は3人で確定、4限は二人増えました。帰途、家の前の私道に入るところで、妻とちいさいちびが医院に向かうところに出会いました。家では小学3年生がひとりでお留守番。おおきいちびは気分転換でしょうか、ランニングに出たそうです。
ひとりで5時20分、室温17.1度。午前中に練習試合なので、ちいさいちびと妻は6時20分に起こすことになっています。やはりどんよりとした曇り空。明日は、久しぶりの月曜日の授業。今週は、木曜日にリレー講義があります。準備が必要です。
5限のリレー講義の準備は、午前中にすませました。3限の準備は前日で大丈夫です。[チャタテムシ again]
昨日のチャタテムシですが、確認したいと思い、顕微鏡の LED 電球用の電池を買ってきました。ボタン状のものです。ちいさいこどもが口に入れるとよくないので、ちいさい子どもの手の届く場所には置かないようにとよく言っているボタン状電池です。
ピアノの蓋の上にまだけっこういます。
息子に手伝ってもらって顕微鏡で見ると、姿ははっきりと見えます。見た目を覚えておいて、ネットで検索をかけると、チャタテムシではなく、コナダニです。ケナガコナダニだと思われます。体長、0.3 - 0.5 ミリ程度。
妻がピアノの上に置いていたいろんなものを片づけたので、蓋をあけて、なかを見ました。大発生というほどではありませんが、なかの板にもうごめくケナガコナダニの姿が見えます。カビを食べるという話が載っていたので、手の届くところはアルコール消毒しました。ピアノの乾燥剤を買い換え、様子を見ることにしました。
ひとりで5時25分、室温17.3度。どんよりとした曇り空。ちびどもは、土曜日学校。ちいさいちびは朝練。私は12時集合ですから、11時ぐらいに家をでます。
午前中に、第4号の編集の仕事を完成させました。最後の入稿原稿を作成し、表をつくり、編集後記を書いて終わり。
3時半頃帰ってくることができました。たいした労働量ではないのですが、疲れました。
朝方、次の本が郵便受けに入っていました。けんさん、いつもご高配、ありがとうございます。
斎藤憲『アルキメデス『方法』の謎を解く』岩波書店、2014
以前『よみがえる転載アルキメデス』として出版された書物の全面改訂版とあります。[チャタテムシ]
息子が昨日ピアノの鍵盤の上に、ちっちゃく白い虫を発見していました。埃かと思ったら動くので虫だとわかりました。見えるものは全部拭き取ったのですが、今日も夕刻、今度はピアノの蓋に発見しました。妻がネットで検索して、たぶんチャタテムシではないかということになりました。湿度が高いとよく発生するようです。
その後、息子は、見えるチャタテムシは全部退治しました。根絶には大掃除が必要なようです。
ひとりで5時35分、室温18.6度。8時20分集合でたぶん3時半まで。それから駒場へ。5限の授業。
8時20分から3時20分まで医科歯科にいました。業務は無事終了しました。それから急いで駒場へ。4時過ぎに到着しました。事務室にお邪魔したあと、教室へ。今日は6時1分に切り上げました。さて、明日も同じ種類の仕事。今度は本務校です。
ひとりで5時5分、室温17.9度。居間には、ちびどもを6時20分に起こすよう書き置きがありました。ちいさいちびは朝練ですが、おおきいちびには何があるのでしょうか。午後は怒濤。明日はもっと怒濤なので、午前中はゆっくりめにします。
10時6分武蔵境発の電車。3限の講義の資料を印刷してから研究室へ。ちょこまかと処理をしているうちに昼食の時間。キャンパスを半分ぐるっと回って落ち葉の様子を確認しました。東側からのアライバルに紅葉(黄葉)する木が並んでいます。
生協がオープンすると同時ぐらいに昼食をとってから部屋に戻りました。
ふと思い立って、研究室の本棚にあるバルトルシャイテスの本を取り出しました。内容的に関連する部分がありました。次の3冊です。
J.バルトルシャイテス『鏡』谷川あつし訳、国書刊行会、1994
J.バルトルシャイテス『アナモルフォーズ』高山宏訳、国書刊行会、1992
J.バルトルシャイテス『アベラシオン』種村季弘・巖谷國士訳、国書刊行会、1991授業がはじまると怒濤。3限4限5限。今日の5限は比較的はやく終わり、ほぼ定刻で帰宅することができました。発表の学生が風邪を引いていました。
ひとりで5時5分、室温16.6度。会議の日。駅の外のパン屋さんで昼食のパンを買って、8時54分武蔵境発の電車で大学へ。事務棟1階で書類を1点もらい、1点提出してから研究室へ。書類の処理を行いました。その間、調べもの。
会議は4限の時間帯と5限の時間帯。今日は早く終わるのではないかと期待していました。難しい案件がなかったせいです。5時4分、多磨駅発の電車に乗ることができました。帰宅すると、月曜日に送ってくれると電話のあった LED 4点が届いていました。早速交換。また居間に明るさが戻りました。7月1日にヨドバシで買った日立の LED ですが、3ヶ月で全滅でした。ロットの全体に何かの欠陥があったと思われます。
夜、次の雑誌が届きました。『日経サイエンス』2014年2月号。大特集として「人類進化:今も続くドラマ」があります。表紙の骸骨写真が目を引くのか、こどもたちも関心を示します。私が買った理由は、News Scan 国内ウォッチ「STAP細胞 見えてきた実態」です。調査を行った遠藤さんは「論文と矛盾がなくSTAP細胞のデータかもしれないと思うものはあったか?」という質問に対して「データに関して、論文の文章の記述、図、図の説明、作成した方法すべてがきっちりあっているものは1つもなかった」と回答されています。大学で次の2点をダウンロードすることができたので、これも吉本秀之 academia.eduへアップロードしておきました。
吉本秀之「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆―ボイルのマージナリアの分析―」『東京外国語大学論集』第68号(2004、7月),pp.129-151.吉本秀之「ボイル思想の自然誌的背景」『東京外国語大学論集』第67号(2004), pp.85-105.
調査のおり、次の論文をダウンロードしプリントアウトし読みました。
沢崎壮宏「宇宙の不安定と命の形相―ディドロの新しい形相理論―」『京都大学文学部哲学研究室紀要 Prospectus』No.6 (2003): 69-86
なかなか面白い論文でした。
さらに次の上智大学博士論文審査概要をダウンロードしプリントアウトし読みました。
白須貴志「視覚と詩(オプトポエジー)―近現代散文詩生成過程のためのフランス十八世紀視覚表象研究」上智大学文学博士、2001
何だろうと思って読み始めましたが、桑木野博士の問題意識に通底する内容を扱っていました。ut pictura poesis とエクフラシスを十八世紀において扱っています。
息子と一緒に6時5分、室温16.6度。昨夜の天気予報の言っていた通り、気温がぐんと下がりました。[academia.edu]>
今回の更新作業の最後に、吉本秀之 academia.edu へのアップロードを行いました。既にネットに上がっていた次のものをアップロードしました。手元にファイルがあるものに関しては、おいおいアップロードしていきます。
[論文]
「ハリス『技術事典』の起源」『化学史研究』第41巻(2014): 20-36[エッセイレビュー]
「『放射線被曝の歴史』」『化学史研究』第39巻第4号(2012): 215-219[論文]
「初期近代における読書と思想:ロバート・ボイルの化学的原子論の場合」『人文科学研究:キリスト教と文化』(国際基督教大学学報 IV-B)43(2012): 27-49[論文]
「ロバート・ボイルにおけるベイコン主義」『科学史研究』第50巻(2011)(通号257号)pp.37-42[ヘッドライン]「錬金術から化学へ:器具と実験室の図像表示」
『化学と教育』Vol.57, No.11, 2009, pp.498-501[論文(シリーズ:18世紀の化学の諸相)]
吉本秀之「18世紀ドイツの化学:歴史記述の問題」
『化学史研究』第36巻(2009): 225-235[ヘッドライン]「ロバート・ボイルの化学研究の現場」
『化学と教育』Vol.55(2007), No.6, pp.266-269.
Yoshimoto, Hideyuki, "A Job Site of Robert Boyle's Chemical Researches", Chemistry and Education, 55(2007), No.6, pp.266-269.[シンポジウム]
「ロバート・ボイルと人文主義の方法」
『科学史研究』第45巻、通号第240号(2006), pp.258-261.
Yoshimoto, Hideyuki, "Robert Boyle and his Method of Writing", KAGAKUSHI KENKYU: Journal of History of Science, JAPAN, 45 (2006), pp.258-261.[エッセイ]
「弱視の貴族科学者ロバート・ボイル」
『サイエンスネット(数研出版)』第24号(2005年9月), pp.6-9[論文]
「ロバート・ボイルにおける科学と宗教の関係(I)」
『科学史研究』1984年冬 第2期第23巻(No. 152)
193−200頁[論文]
「ロバート・ボイルにおける科学と宗教の関係(II) 」
『科学史研究』1985年春 第2期第24巻(No. 153)
10−17頁こうやって見ると、ものすごく単純に、論文集として出版した本のものが一番見えない存在になります。なお、次の2点は、大学のレポジトリーで見る/読むことができます。
「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆―ボイルのマージナリアの分析―」『東京外国語大学論集』第68号(2004、7月),pp.129-151.
「ボイル思想の自然誌的背景」『東京外国語大学論集』第67号(2004), pp.85-105.
以上、本日は、14点の論考をアップロードし、肖像写真を載せました。写真は古いものを使い回したので、10年ぐらい前のものになります。
関連する作業として、研究の部屋のなかの吉本秀之出版物リストに関してもできるだけリンクを張るようにしました。吉本秀之(編)「日本における化学史文献:日本篇」『化学史研究』第34巻(2007): 205-330 のように誰にとっても有用なものにもアクセスしやすいようにしました。もちろん、タイトルをきちんと知っていれば、グーグルの検索ですぐに見つかります。
ついでに、私のホームページ(ブログでももちろんツィッターでもなくホームページ)のリンクを一部確認しました。切れているところが諸所にあります。こちらは急ぐ必要はないので、折りに触れ、修正していきます。→日記の部屋に関しては、1997年以来のものを全部もとにもどすことができたと思います。
外大の広報誌Glove Voice No. 3 (2011)pp.22-3 に業者の方がつくってくれた私の紹介があります。個人的には、ああ、こうなるのか、と感じました。
夜半に目覚めてすこし仕事。3日間業務を続けて帰ってくると魂を忘れてきたような気持ちになりました。必要な業務ですが、明らかに必要悪です。精神衛生上もよくありません。ひとりで6時、室温20.1度。昨日から暖かくなっています。外は朝焼け。きれいな空です。本日は文化の日で休日。土日仕事があったので、この休日は助かります。子どもたちも全員休み。全員休みは、久しぶりです。
ちびどもは、朝からふれあいへ。ちいさいちびの突き指と膝痛を見てもらうためです。私と小学3年生は、小学3年生の誕生日プレゼント(誕生日は2週間以上先ですが)を買うため、朝一番でヨドバシへ。開店してすぐのヨドバシに着き、息子は、しばらく迷ったあと、予定のソフトを買いました。それから、電球を売っているコーナーへ。7月1日に5個まとめて買った日立の LED 電球が10月までで4つダメになっています。1つはそういうこともあるかと思い、すぐにゴミに出してしまいましたが、残りは不審に思い、残しています。それをもってレジのお兄さんへ。とりあえず、交換してくれるそうです。ただし、同じ品番が製造中止になっているので、日立に問い合わせてみると言います。しばらく待っていると、連絡がつかない、あとで日立の担当者から電話が行くようにしますということなので、そのまま帰宅しました。帰途につく間際、息子が気分が悪いと言います。ちいさいちびも風邪でもどしています。ともかく家に帰り着くまで頑張るように言い聞かせて帰りました。なんとかもちました。妻はまだ家にいましたが、まもなく、おおきいちびからふれあいが終わったというメールがあり、3人で揃って買い物に行きます。滅多にない部活の休みを利用して、足りない冬物を揃えてくるそうです。
10時45分、日立のサービスセンターの方から連絡があり、2〜3日中に壊れた分を送ってくれるということです。
正午ぐらいまでには、息子の気分の悪さも解消したということです。ほっとします。午前中に新しい ISIS が届きました。Vol. 105, No.3 (Sep. 2014)です。ざっと見ました。書評に今の作業にぴったりのものがありました。Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura: Die Dunkelkammer in ihren historischen Entwicklung, Stuttgart: Franz Steiner Verlag, 2013, reviewed by Klaus Hentschel. クラウスによれば、器具の技術的記述と背景となる光学理論の記述にいくらか弱さが見られるが、カメラ・オブスクラを指す39もの用語を網羅している等、価値があるということです。理論的には、ルフェーブルが編集した『カメラ・オブスクラの内部に』の方を勧めるとあります。さもありなん。
他に私の関心にフィットする書評としては、つぎがありました。Mirian Nicoli, Les savants et les livres: Autour d'Albrecht von Haller (1708-1777) et Samuel-Auguste Tissot (1728-1797). (Travaux sur la Suisse des Lumières, 16), Paris: Honoré Champion, 2013, reviewed by Hubert Steinke.私のサイトの更新状況を自己点検しました。たぶん更新の必要もないものもありますが、科学史分野国内博士号 科学史分野海外博士号 は、きちんと更新していきたいと考えています。ただし、私の情報収集力では、きちんとした更新は難しい。『科学史研究』に継続的にきちんと情報が掲載されるのが一番望ましいように思われます。
原子力と検閲も現在までをカバーする更新作業を行いました。
ひとりで4時40分、室温18.8度。やっと頭痛が去りました。今日はお昼前に業務。金曜日から続いた業務は、今回は、これにて終了となります。来週は、金・土の2日連続です。今回よりも拘束時間が長くずっと大変です。
午前6時過ぎに雨上がりの道路を歩いて、買い物へ。朝ご飯に足りなくなっていたものの買い足しです。
9時42分武蔵境発の電車で大学へ。業務は11時過ぎ。順調に終わったので、すぐに帰ってきました。次の論文をダウンロードし、プリントアウトし、読みました。
福田 眞人「肺病・コッホ・鴎外 : 結核の比較文化史」『言語文化論集』12(1)(1990): 55-77
福田 眞人さんにはこのテーマに関する著作と論考が数多くあります。日本人の学生相手に授業で取りあげるのにちょうどよいように思われます。例えば、肺結核にかかっているのに、それを最後まで隠し通して、宴会や公的な会議に出席し続けた鴎外をどう考えますか? という問いを立てて、議論してみるのも面白いと思われます。
いずれにせよ、軍医鴎外の医療に関するテーマは、ネタとして貴重だと思われます。生理学史の更新作業ですが、2014年6月まで行うことができました。2014年の1学期にはまったく新しい授業があったため、それに時間を取られています。継続していた作業が弱くなっていました。→せっかくですので、もうすこし頑張って、先月分まで更新作業を行いました。
→ずっと2014バージョンへの更新をさぼっていた大学の授業も更新しました。教務システムのウェブ化に伴い、時間割以外の情報は不要になったかもしれません。→更新せず、放置していた箇所への手入れを行っています。→原子力と検閲に関しても、1年前まで何とか更新作業を進めることができました。2013年10月までです。
またこの時期(2014年前半)には、入手しただけの資料がけっこうありました。本はツンドクにも意味があります。余裕ができたときに、手に取り、中身を検討したいと思います。
ひとりで5時55分、室温19.0度。雨。すぐに妻を起こしました。小学生も一緒に起きてきました。ちいさいちびは朝練。私は、午前中に業務。
ちいさいちびがでかけたあと、でかけました。武蔵境7時42分発の電車。土曜日のこの時間帯なのに、けっこう学生が大勢乗っています。何かあるのでしょうか。
多磨駅を出て、学校に入るかどうかというところで学生に声をかけられました。これからバスに乗って合宿に行くのだそうです。大きなバスが体育館の前に入っていくのが見えました。30人とか40人規模のたぶん部活合宿です。業務は淡々とこなしました。頭と目の奥が痛いので、終了と同時に帰途につきました。11時過ぎに帰宅。
生理学史の更新作業ですが、2014年3月までは完了しました。学年度としての2013年まで終わったことになります。
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