ひとりで3時50分、室温18.2度。
こどもたちの咳が止まりません。とくに、ちいさいちびと小学3年生がひどい。小学3年生は昨日ママに連れられて医者に行ったようですが、ちいさいちびは部活があり、まだ病院に行くことができていません。午後1番で医科歯科。それから5限に駒場。金、土、日と、入試業務の怒濤です。
医科歯科は1時からということになっています。12時前に家をでました。やはり御茶ノ水には30分で着きます。時間があるので、医科歯科のまわりを一周してみることにしました。正門の方は一度も行ったことがありません。順天堂大学との間の道路まで行って戻りました。医科歯科のとしては、意外にいろんな建物があることがわかりました。正門から事務棟に入り、係の方を探しました。10分ほど早かったのですが、対応してくれました。倉庫のような部屋で作業。
終了してすぐに駒場へ。駒場へは45分程度かかることがわかりました。2回乗り換えるので、乗換にすこし時間がかかります。
すぐに図書館へ行って作業。集中して本を読んだので、すこし頭が疲れました。
それから5限の授業。
ひとりで4時45分、室温16.0度。
朝練のあるちいさいちびを6時20分に起こすよう、メモが台所にありました。起こしに行くと、うーん。午後の怒濤。3限4限5限。10時前に大学に到着。印刷センターで3限の講義の配付資料を印刷したあと、研究室。本日は読書。
生理学史の更新作業ですが、2013年度までは完了しました。
ひとりで4時、室温16.0度。寒くなるという予報通り、室温でさえも相当下がっています。
早朝のうちに、編集委員会の宿題のうち難しいものをこなし、さらにいつもこの時期に来る面倒な書類を処理してから、6時過ぎにゴミを出すために外に出ました。寒い。相当寒い。冬が間近まで迫っています。ただし、好天。高い青空が広がっています。おおきいちびがでかけたあと、私も出かけることにしました。武蔵境に電車がついたのは、8時30分過ぎ。西武線が止まっているのは初めてかもしれません。車両点検中ということでホームに人があふれています。駅の外にでて、パンを買い、ホームに向かいました。ほぼ満杯状態です。大学に到着したのは、9時過ぎ。事務棟の4階に行って、書類を渡し、1度1階に降りてから、再度2階に上がり、図書館へ。まず、次の本を受け取りました。
David Hockney, Secret Knowledge: Rediscovering the Lost Techniques of the Old Masters, New and Expanded Edition, 2006,
次に ILL で届いている次の論文を受け取りました。
W. A. Wagenaar, "The true inventor of the magic lantern: Kircher, Walgenstein, or Huygens ?," Janus : archives internationales pour l'histoire de la medecine et pour la geographie medicale, 66(1979): 193-207
Sven Dupré "Introduction. The Hockney-Falco Thesis: Constraints and Opportunities, " Early science and medicine, 10(2)(2005): 125-136
Christoph Lüthy "Hockney's Secret Knowledge, Vanvitelli's Camera Obscura," Early science and medicine, 10(2)(2005): 315-339
Philip Steadman,"Allegory, Realism, and Vermeer's Use of the Camera Obscura, " Early science and medicine, 10(2)(2005): 287-313
Antoni Malet, "Early Conceptualizations of the Telescope as an Optical Instrument," Early science and medicine, 10(2)(2005): 237-262
研究室にもどって、Wagenaar(1979) と Sven Dupré(2005)を読みました。なるほど。
その後、研究所でスキャン。生協で昼食。レスポンスシートの整理。その後、帰途。郵便局によって、振替を行い、帰宅しました。今日は隣家の水道工事をしていました。午後、新装なった『科学史研究』の3つめ、すなわち通巻271号、2014年10月号が届きました。書評委員が頑張っているようです。22本の書評が掲載されています。よい方向に向かっていると思います。私の知らない方も書評されています。次は、そういう方々に原著論文を是非書き上げ投稿されるようプッシュされるとよいのではないかと考えます。
生理学史のファイルで検索をかけても、石塚さんも "fibre" もヒットしません。おかしいなと思い、ファイルそのものを見直してみると、去年、駒場で授業をはじまる前で更新が止まっています。とりあえず、2013年10月分と11月分のアップデートを行いました。そのときやろうと思って積み残していることがかなりあります。
夕刻、医科歯科で会議。6時開始なので、5時頃出かけました。御茶ノ水には5時半に着きました。かばんにいれていた『科学史研究』を読むため、医科歯科のなかにあるスターバックスに入りました。ほぼ満員。病院があるのでいろんな人が出入りしています。10分前に会議室に入りました。長引く会議ではありません。ちょうど1時間で終了しました。帰宅して、7時半。
ひとりで5時50分、室温18.2度。外はずっと気温が下がっているようです。午前7時、体温36.1度。午後1時、体温26.1度。このあたりが私の平熱のようです。
しばらく前から続いている私道の水道工事ですが、今日は、我が家の水道管の付け替えをしてくれるそうです。午後、1時間ほど、水道が止まりますと言う連絡が工事の方よりありました。水道工事は、振動が常にあり、いつも通り仕事をするにはちょっと困難があります。
工事は予定の時間で終わりました。暗くなってから水道計を開けて、確かに工事がなされていることを確認しました。わけあって、次の論文をダウンロードし、印刷して読みました。
杉本舞「ウィーナーの「サイバネティクス構想」の変遷―1942年から1945年の状況」『科学哲学科学史研究(京都大学)』第2号(2008), pp.17-28
面白い論文でした。このあたりのことは最近まったくご無沙汰しています。社会科学の歴史という点でも重要です。この間の調査をひとつのファイルにまとめました。視覚文化史
ひとりで5時10分、室温20.4度。今日は暖かくて、明日はまた気温が下がるそうです。
ちびどもは、振替休日。おおきいちびはお昼に打ち上げ。ちいさいちびは友達とT園。別の友達集団はD園に行くとのこと。小学校は振替休日にはならないので、私と小学生がいつもと変わらない月曜日となります。ちいさいちびが出かけたあと、私もでかけました。ちいさいちびは友達との待ち合わせがあると言って走りました。私はゆっくりと歩きました。8時54分、武蔵境発の電車に乗って、大学へ。まずマールボックスに入っている郵便物を受け取り、事務によって、書類をもらいました。それから図書館へ行って、ILL で届いている本 ( John R. Millburn, The Adams of Fleet Street : instrument makers to King George III with the kind support of the Scientific Instrument Society London. Ashgate, 2000) を受け取り、研究所へ。この本の付録2は、"George Adams Junior's Last Catalogue 1795" です。pp.367-382 を占めます。解説によれば、"George Adams Junior, Astronomical and Geographical Essays, 3rd edition, 1795 のpp.564-79 からファクシミリ(写真製版)の形で採録したそうです。なかなかに興味深いカタログです。
研究所では金曜日5限の資料をスキャンをしました。
研究室へ行って、いろんな処理。もらった書類にペンをもって目を通しました。11時10分、生協へ。昼食をとってから研究室へ戻りました。午後の授業。3限4限。
3限の授業でこの夏どのくらい蚊にさされたかを聞いてみました。ひとりの学生から一度も蚊に刺されていないという返事がありました。びっくり。都内にそうした場所があるようです。夜、体温計とリモコンが届きました。体温計はあるのですが、性能に不足を感じていました。ネットで人気の高いものを選びました。ためしに息子ではかってみると、37度。もともと体温が高いタイプです。私もはかってみました。35.7度。一時期話題になった低体温です。私はもともと低血圧です。それに低体温が発覚したわけです。妻は、3低男と言おうと言っていました。
ちなみに我が家ではちいさいちびが小さい頃から低体温。昨日はその低体温の私が37度あったと言っています。
ひとりで6時10分、室温19.2度。妻とおおきいちびは学校見学で9時前にでかけます。ちいさいちびは午後練。ちいさいちびは午後練でしたが、10時頃、気分が悪いといってもどしました。しばらく様子を見ましたが、戻らないので、今日は休ませることにしました。テレビの前でごろごろしていましたが、夕方眠ってしまいました。まあ、疲労ではないか、というのが結論です。
午前中に、昨日の委員会の宿題をこなしました。一番難しいものを除き、なんとかこなしました。難しいのは、2〜3日、時間をもらおうと思います。
ひとりで5時35分、室温17.2度。好天。本日は土曜日ですが、全員出動です。
ちびどもと妻は、中学校の学芸会。私は、午前中、小学生の学校公開(参観日)、午後、学会の編集委員会、理事会、梶科研費会合。
朝はかなりばたばたと出ていきました。息子の授業は、2限に行ってみます。
2限の算数の授業を参観したあと、ちょうどよいので懸案の散発に行きました。やっとすっきりしました。息子は12時前に帰ってきました。いっしょに昼食。私は1時前に家をでました。会議は2時から始まり、3つの会議あわせて、8時過ぎまでかかりました。
8時6分大岡駅発の電車でなんとか帰ることができました。帰宅して9時過ぎ。
ひとりで2時35分、室温17.4度。2回目の起床は、息子に起こされて、6時50分。室温16.4度。→晴れてきました。土日は、暖かい晴れということです。明日は中学校が学芸会、小学校が参観日(学校公開日)。私は、午後、編集委員会、理事会、科研費の会合が続きます。家族全員なにかしら忙しい。
5限に駒場の3回目の授業。
3時前後に駒場に到着。1号館の2階に寄ったあと、図書館へ。デューラーの『「人体均衡論四書」注解』と『「測定法教則」注解』を探しました。置いている場所を探し出すのに苦労しましたが、『「人体均衡論四書」注解』の方は地下1階の周密書架で見つけ、取り出して、一通り見ました。読んだのはわずかですが、全ページを見ました。これはこれでよいでしょう。次に、3階に上がって、『「測定法教則」注解』を探しました。なかなか見つかりません。カウフマンやプラーツ等、もしかしたら、関係するかもしれない本を書架から取りだして、立ち読みしました。カウフマンには関係する章がありました。(トマス・D・ カウフマン『綺想の帝国―ルドルフ二世をめぐる美術と科学』斉藤 栄一訳、工作舎、1995。第1章 自然の聖別―一五、一六世紀ネーデルラント写本装飾におけるだまし絵の起源;第2章 影の遠近法―投影理論の歴史;第3章 自然の模倣―デューラーからホフナーゲルへ;第4章 自然の変容―アルチンボルドの宮廷的寓意;第5章 ルドルフ二世の凱旋門―一五七七年のルドルフ二世ウィーン訪問時の天文学、技術、人文主義、美術―ファブリティウスの役割;第6章 プラハにおける「古代と近代」―アルチンボルドの素描と絹織物業;第7章 世界の掌握から自然の掌握へ―芸術室・政治・科学)
『「測定法教則」注解』の方はやっと探し出して、机でざっと見ました。読んでおく価値があります。三浦さんの解説にさっと目を通してから、借りることにしました。(この本の構成は、第1部『測定法教則』全訳、第2部解説(下村 耕史)、第2編数学史におけるデューラー(三浦伸夫)です。)
それから本屋さんと生協をブラウジングしてから、教室へ。たぶん授業開始10分前ぐらいに教室に入りました。今日の発表はデカルト研究者によるデカルト。安心して聞いていることができました。
ちなみに、デカルトの人体機械モデルについて質問がありました。そのときはコメントできませんでしたが、橋本さんの『描かれた技術 科学の形』の第3章「機械仕掛けの自然」のなかの「精気の噴水」pp.102-109は、デカルトの人体機械モデルについての簡潔で的を射た紹介です。デカルトの人間は、管と紐からなる水力と空気力装置です。力の伝達は圧力によります。7時15分頃、帰宅することができました。ちいさいちびは突き指をしてすこし痛いようです。次の本が届いていました。
『十五年戦争極秘資料集第1集〜第10集 解説』不二出版、1988.
解説だけです。本体は、どこかの図書館で必要な箇所を借りるのがふさわしい種類の資料集です。
ひとりで4時30分、室温17.6度。雨がまだ降り続いています。気温が一気に下がりました。寒く感じます。→天気予報で気温を見ました。最低気温14度、最高気温15度。→24節気の霜降だそうです。季節の進行通りということになるでしょうか。
6時半前後にちびどもを起こすことになっています。ともに朝練。→ちびどもが起きる前に小学生が起き、すぐに妻も起きてきたので、6時40分には我が家は全員揃ったことになります。3限4限5限の怒濤。9時42分武蔵境発の電車で大学に向かいました。スキャンをして、昼食をとり、図書館でホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓 : ライプニッツの「自然と人工の劇場」』(原研二訳、産業図書、2010)を見て借り出し、それからしばらく研究室で休憩してから3限の講義へ。合間に、Sven Dupré, "Kepler's optics without hypotheses," Synthese, 185(2012): 501-525 をダウンロードしました。読む時間はありませんでした。
ホルスト・ブレーデカンプはドイツの美術史家ですが、相当科学史に関係する研究をしています。大学図書館には次の5点の翻訳がありました。今回の私の調査に大きく重なっています。
ホルスト・ブレーデカンプ『芸術家ガリレオ・ガリレイ : 月・太陽・手』原研二訳、産業図書、2012
ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰 : コレクションの宇宙』藤代幸一, 津山拓也訳、法政大学出版局、1996
ホルスト・ブレーデカンプ『ダーウィンの珊瑚 : 進化論のダイアグラムと博物学』濱中春訳、法政大学出版局、2010
ホルスト・ブレーデカンプ『フィレンツェのサッカー : カルチョの図像学』原研二訳、法政大学出版局、2003
ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓 : ライプニッツの「自然と人工の劇場」』原研二訳、産業図書、2010
(図書館にはまだ入っていませんが、次の本も今年出版されています。)ホルスト・ブレーデカンプ『ライプニッツと造園革命:ヘレンハウゼン、ヴェルサイユと葉っぱの哲学』原研二訳、産業図書、2014講義がはじまると、いつもの怒濤。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。西荻駅をでて2分ほどのところでおおきいちびとすれ違いました。塾に行くところです。
ひとりで4時50分、室温20.1度。昨日から暖かくなりました。朝の時点でもまだ20度を超えています。昨日は途中から雨は上がりましたが、今日はずっと雨模様だそうです。そして気温は日中にかけて下がって行くそうです。服の管理に気を付ける必要があります。おおきいちびと小学3年生が6時半前に起きてきました。おおきいちびは今日もダンスの朝練があると言って7時前に家を飛び出していきました。
今朝から家の前の私道の水道管を交換する工事がはじまりました。地震並みの振動と騒音があります。これは仕事に影響します。図書館から ILL で発注した次の論文がウェブで入手できるという連絡が来ました。
9時54分武蔵境発の電車で大学に到着してからすぐにダウンロードし、読みました。
Stephen Straker, "Kepler, Tycho, and 'The Optical Part of Astronomy': The Genesis of Kepler's Theory of Pinhole Images," Archive for History of Exact Sciences, 24(1981): 267-293
これはエクセラントな論文です。多くの人が引用しているのもよくわかります。お昼休みに総合文化研究所でコース会議。半時間程度で終わりました。
3限の時間帯に大学院の専攻会議。1時間程度で終わりました。
図書館から3時にILLで頼んだ次の論文が届いたというメールが来たので、すぐに取りに行きました。Wes Wallace "The vibrating nerve impulse in Newton, Willis and Gassendi: First steps in a mechanical theory of communication", Brain and cognition, 51(1)(2003): 66-94 ウェブにありますが、引用するときのことを考えて、正式バージョンを依頼しました。
次の論文をダウンロードしました。Ofer Gal and Raz Chen-Morris, "Baroque Optics and the Disappearance of the Observer: From Kepler's Optics to Descartes' Doubt," J.H.I., 71(2010): 191-217.
図書館にホルスト・ブレーデカンプの邦訳が揃っていることに気づきました。4時半からの会議の前、図書館に行って、まず次のものだけ借りました。ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰 : コレクションの宇宙』藤代幸一, 津山拓也訳、法政大学出版局、1996。残りは、実物を見てから、考えます。
会議が長引いて、やっと7時4分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。暗い雨のなか壊れかけの傘をさして帰ってきました。
(昨日からの続き)アルブレヒトの論文は、手品の書(conjuring Books)の伝統も取りあげています。pp.30ff .
驚き、驚異、不思議のパフォーマンスです。
英語で出版された最初の手品書のひとつは、トーマス・ヒルのNaturall and Artificiall Conclusions (London, 1581)です。この書物は、17世紀に入っても何度もリプリントされますが、『数学レクリエーション』と重なる内容を持ちます。ともに起源はイタリアにあります。例:「光または蝋燭を消えることなく燃え続けさせること」。「水中で蝋燭を灯すこと」等。自然魔術のレシピ本は、18世紀になるまで出版去れ続けるが、新しい展開には、数学レクリエーションのジャンルの方がフィットした。
次には「大衆科学 popular science」の伝統と取りあげます。pp.31ff. 自然の力に関する大衆の知識の普及は、自然魔術のレシピから手品の書(conjuring and parlour tricks)へと展開し、次の世紀も進展を続けた。そして、17世紀前半において、数学レクリエーションのジャンルが新しい大衆科学の書物のプロトタイプとなった。
ひとりで5時45分、室温19.0度。長女を6時半に起こしました。ダンスの朝練があるということです。すぐに小学3年生も起きてきました。朝練のないちいさいちびが一番ゆっくりめで7時をかなり過ぎてから下に降りてきました。
お昼頃、次の本が届きました。
Robert L. Martensen, THE BRAIN TAKES SHAPE: An Early History, Oxford: Oxford University Press, 2004今回の調査ですが、数学的レクリエーションの系譜を確認する作業が残っています。日本語ではあの高山宏氏の世界です。高山さんが訳されたスタフォードの『アートフル・サイエンス』を今一度繙いてみました。
祖型的著作は、ヘンリー・ファン・エッテンだとあります。(p.41)ファン・エッテンの『数学レクリエーション』(ロンドン、1633)は、1624年ロレーヌで出版された本の翻訳だとあります。1628年のルーアン本は、版画を大胆に省略したものだそうです。
ファン・エッテン『数学レクリエーション』(ロンドン、1633)は、次。
Henry van Etten, Mathematicall Recreations, London, 1633
Recreation mathematicqve, composee de plusieurs problemes plaisants et facetievx, En faict d'Arithmeticque, Geometrie, Mechanicque, Opticque, et autres parties de ces belles sciences, Pont-à-Mousson: Jean Appier Hanzelet, 1624
研究によれば、この初版のあと、1629年から1680年までに、25のフランス語版が続いた。1694年、ジャック・オザナムの新版が現われ、さらにJean-Étienne Montuclaによる新しい版が現れて、 1790年までに20版を重ねた。1769年、Guyot が4巻本の百科事典的著作、『自然学と数学の新しい楽しみ』に変貌させた。
研究というのは、Albrecht Heeffer, Récréations Mathématiques (1624) A Study on its Authorship, Soureces and Influence, revised 7 Oct 2004 です。
アルブレヒトは、初版の著者は、エッテンでも、エッテンを偽名として使ったとされるLeurechonでもなく、初版に出版業者として名前を出すJean Appier Hanzeletその人だとしています。私は、十分納得できる論証がなされていると思います。ただし、BLのカタログ等、ほとんどの書誌がLeurechonを著者として挙げているという現状に鑑み、[Leurechon], Recreation Mathematique ( Pont-à-Mousson: Jean Appier Hanzelet, 1624) という表記を採用すると言います。過去の書誌との連続性を確保するためには、ありえる工夫です。
→ともあれ、このアルブレヒトの論文によって、かなり手間がかかると予想された数学リクリエーションの系譜を調べる作業に見通しがつきました。彼の研究は、起源(ソース)と影響(後代の受容)を扱っていますから、まさに系譜です。
アブストラクトでアルブレヒトは、『数学的リクリエーション』は科学と数学の歴史のひとつの転換点をしるすと言っています。それは16世紀に存在した二つの伝統、商業算術と自然魔術の伝統をひとつにし、そのあとに、ふたつの新しいジャンル、リクリエーション数学と大衆科学を生みだしたと主張しています。
ただし、「魔術」という語が指し示すものが当時と今では大きく変わっているので、その点の注意が必要である。たとえば、ウィルキンズの『数学魔術』は、天秤、テコ、くさび、滑車、車輪、カタパルト(投石機)、自動機械(オートマータ)、永久運動機関を扱っている。ウィルキンズは、機械がなす驚くべき仕事・動作を「数学魔術」と呼ぶ理由を次のように表現している。「この論述の全体を私が数学魔術と呼ぶのは、つぎの理由です。すなわち、ここに引用するような機械的工夫は、かつてそのように呼ばれていたこと、ならびに一般の見解ではこうした不思議な働きは魔術の力によるとされているという2つの理由によります。」
自然魔術のレシピ本として、 Hanzelet がもっともよく使ったのが、数年前に出版された Salomon de Caus, Les raisons des forces mouvantes, avec divers machines tant utiles que puissantes, auxquelles sont adjoints plusieurs de grotes & fontaines, Francfort, 1615) だということです。この書のタイトルが多くを語っています。この書の英訳が、de Caus, New and rare inventions of water-works shewing the easiest waies to raise water higher then the spring by which invention the perpetual motion is proposed, trans. by John Leak (London, 1659)
さて、 Salomon de Causは、庭師として有名なサロモン・ドゥ・コー(1576-1626)です。弟も同じ庭師のイサーク・ドゥ・コー(1590-1648)です。フランス人ですが、イタリアにもイギリスにもでかけて庭をつくっています。
→ドゥ・コーの本をダウンロードして見ていたら、見覚えがあります。このサイトでは、2013年3月22日(金)にベイトの『自然と技術のミステリー』(1634)からとった図とともに、ドゥ・コーの本からとったルネサンスの消防ポンプの絵も掲げています。図版はごくたまにしか載せないので、覚えていました。→ 14.10.22 自然魔術の伝統の代表格は、デラ・ポルタの『自然魔術』。空気装置、水力装置については、アレキサンドリアのヘロンのPneumaticaとMechanica。これについても、2010年5月8日と14日、そして、2013年2月2日に取りあげています。 「よく読まれたラテン語訳は、コマンディーノ訳のSpiritalium Liber,1575; Paris, 1583 です。Pneumatica と言う語は、ポルタが使っています。(出版は1601年。)」フランシス・ベーコンもヘロンのPneumaticaを使っています。デカルトも目にした噴水等の水力装置は、もうすこし注目すべきもののように思われます。
→ 14.10.22 アルブレヒトは、デューラーの『幾何学』にも触れています。デューラーは、職人層に属しますが、本を出版しています。ドイツ語で出版したものがラテン語訳されていますから、当時の知識人社会に認知されていたことになります。
まずは日本語からと思い、調べてみると、デューラーの本が邦訳されています。邦語訳の世界もなかなかすごい。
アルブレヒト・デューラー『「人体均衡論四書」注解』 中央公論美術出版、1995、¥31,320
アルブレヒト・デューラー『「測定法教則」注解』中央公論美術出版、2008、¥28,080
2次文献はたくさんあります。こんなものよく訳したな、すごいな。
ひとりで4時50分、室温18.6度。やっと今日、月曜日の授業が始まります。中央線に乗って、武蔵境の駅に電車が滑り込んでいるとき、向かい側で西武線の電車が発車しました。9時42分。駅の外にでて、昼食のパンと明日のパンを買い、大学に向かいました。ちょうど2限のはじまる前。
事務棟3階に行って、荷物を受け取り、台車に重いコピー紙の箱を載せて、研究室へ。荷物を研究室で降ろしたあと、台車を返すために再び事務棟3階へ。戻ってきて、図書館のサイトにアクセスし、ILL で文献依頼。終わってから、朝買ったパンを食べました。それからホックニーの『秘密の知識』からノートを取っていました。
いろいろ興味深いのですが、18世紀ロンドンの有名な器具メーカー、ジョージ・アダムスの商品カタログ(1765年頃)が欲しいと思いました。サイオプリトリック球、箱形カメラ・オブスーラ、アダムス式改良型カメラ・オブスーラ、プリズム、ゾクロスコープまたは立体版画を覗く装置、凸レンズ、凹レンズ、等々が掲載されているということです。調べてみると、ジョージ・アダムスは、一般聴衆相手の一種の入門書も数多く著しています。科学の普及とか、一般的な視覚文化といった場合、そういう書物が重要になります。3限の演習は、3名。4限の演習は、4名。4限の方はもしかしたら、もう1〜2名増えるかもしれません。
打ち合わせをして帰ってきました。4時過ぎ。4時45分、息子を近所の小児科に連れていきました。おじいちゃんのお医者さん。遊んでいました。
家族のなかでひとり風邪をひかず頑張ってきましたが、風邪の2歩手前です。いつもと違う疲れがあります。ここはあと2歩をこらえて、そのまま行こうと思います。
3限と4限の授業のために、それぞれ別々のDropboxをつくりました。資料の配付がこれが便利です。 ただし、私の方も学生の方も対応に慣れていない点があるかもしれません。
ひとりで3時25分、室温18.9度。ちいさいちびは朝から新人戦。おおきいちびはいつものごとく塾。妻には6時に起こすように言われています。ちいさいちびは6時半ということです。
小学生は午後別の小学校のイベントに出席します。ちょっと遠いので私が連れていきます。
わけあって、山田俊弘「地球論におけるデカルト対ガッサンディ:特にステノとの関係を考慮して」 『哲学・科学史論叢』第6号 (2004年) : 131-167 をダウンロードし直し、読み直しました。地球論において、ステノは、デカルトよりもガッサンディに多くを負っているという主張です。そうだと思います。
調べものをしていると、次の本に当たりました。『脳と心と医学』。何だか見覚えがあります。部屋のなかを見回すとありました。
Harry Whitaker, C. U. M. Smith and Stanley Finger (eds.), Brain, Mind and Medecine: Essays in Eighteenth Century Neurosciece, Springer, 2007
手始めにスミスの論文を読みました。C. U. M. Smith, "Brain and Mind in the 'Long' Eighteenth Century," pp. 15-28. 18世紀について見通しをつけてくれます。
すでにヴェサリウスが神経は中空の管ではないことをはっきりと言っているのに、神経が動物精気という液体/気体が作用(?)を運ぶ中空の管と言う見方は、長く生き残った。ひとつには動物精気に置き代わる説得的な新しい理論(的構築物)が提示されなかったせいである。動物電気が発見されたときも、動物精気に似た電気流体が考えられている。
ひとりで5時35分、室温17.8度。気温が順調に下がっています。けっこう寒く感じます。小学3年生はいつも通り、6時に起きてきました。今日はほんとうに誰も起こさなくてもよいようです。ウェブに、Bram Stoffele, "Christian Huygens - A family affair: Fashining a family in early-modern court-culture," Utrecht University, Master's Thesis, August, 2006
ホイヘンスファミリーを扱っています。器具製造の部分だけ読みました。これはとてもよい修士論文だと思います。このまま邦訳してもとてもおもしろいと思います。わけあって、次の2論文を読みました。
Alfred Meyer and Raymond Hierons, "On Thomas Willis's Concepts of Neurophyiology [Part I]," Medical History, 9(1965): 1-15
Alfred Meyer and Raymond Hierons, "On Thomas Willis's Concepts of Neurophyiology [Part II]," Medical History, 9(1965): 142-155
第2部の方はウィリス評価を扱っています。第1部はプリントアウトして、第2部は画面上で読みました。
ウェブで次の論文(ウェブバージョン)を見つけ、読みました。
Wes Wallace,"The Vibrating Nerve Impulse in Newton, Wiilis and Gassendi," Brain and Cognition, 51 (2003): 66-94.
これで100%すっきりするかというとそういうわけにはまいりませんが、よいポイントをついていると思います。ニュートン、ウイリス、ガッサンディと年代を遡る順に書かれています。
これにもっとも関連する部分として、ガッサンディの『哲学のシンタグマ』の感覚魂に関する部分を見ていました。神経生理学に関わるのは、考えれば当然ですが、この部分です。
ひとりで6時、室温18.6度。ちいさいちびを6時20分に起こすことになっています。息子は6時25分に起き下に降りてきました。夜の間に、次の本が届いていました。
桑嶋幹『「レンズ」のキホン (イチバンやさしい理工系) 』 SB Creative、2010
初等的でありつつ、詳しいレンズと眼球の説明がほしいと思い、買ったものです。駒場の2回目の授業。3時過ぎに家をでました。4時前に駒場に着き、1号館2階非常勤事務室、図書館、生協とまわってから、14号館308教室へ。図書館ではコピーを取ろうと思ったのですが、目的の2点ともなし。
308室はなじみの部屋です。こちらが落ち着きます。
7時過ぎに帰宅できました。帰ってくると、おおきいちびも小学生の風邪気味ということでお医者さんに行ってきたそうです。小学生は37.1度の微熱、おおきいちびはぼけていて喉が痛いということです。小学生はもともと平熱が高いので、この程度では微熱とも言えないかもしれません。おおきいちびは目隈がすごく、風邪っぽい顔をしています。ちいさいちびの風邪をもらったかもしれません。[「2014年駒場の授業」再掲]
確定したので再掲します。
「相関基礎科学特殊講義IV(大学院)」/「科学技術史特論IV(学部)」
時間割と教室:金曜日5限(4時半〜6時)、14号館308教室
本日の発表は、齊藤君による「ハーヴィー」橋本さんと中澤聡さんから 橋本さんのUP の連載、「学問と図像の形」シリーズを頂きました。橋本さん、中澤さん、ありがとうございます。
1.柱を越えて
2.東洋人の見た「機械の劇場」
3.デカルトの松果体
4.雷を見せる
5.ダーウィンのフィンチ
7.時計仕掛けの「小動物」
8.雲の形態学
9.ロージーのX線写真
10.レーダーの笛
12.長い今
13.愛宕の亀円
14.天の城
15.ブランのゲージ
16.古市の一日
17.養蚕の秘訣
18.ロッジの工場
19.シャボンの屋根
20.棒の海図
22.科学の寓意
23.和洋の合戦
24.冬の華
ひとりで4時10分、室温18.1度。とうとう室温が20度をおおきく下回りました。台所に、6時に起こして欲しいとおおきいちびの書き置き。学芸会の練習をクラスで行うようです。ちいさいちびが日曜日から風邪気味です。部活で汗をかいて、寒いなかきちんと汗をふかなったので体が冷えたものです。私も息子と公園でサッカーをして似た状況になりました。気温が下がるときは、こういうことで風邪をひきやすい。火曜日、学校から帰ってきてすぐ、医者に行って薬をもらってきているので、なんとか熱がでて寝込む事態には至っていません。
食卓の上に、お餅がありました。我が家の冬の風物詩です。黒いお餅。黒砂糖を入れた砂糖餅です。夜の間に妻がついたようです。昨日研究室で見つからなかった『自立する科学史学』ですが、足許をすこし探してみると数分で見つかりました。本の大きさと見かけを覚えています。箱から出してみると、田中一郎「ガリレオの望遠鏡と近代光学をめぐって」は比較的最近読んでいます。書き込みの文字からわかります。(学生時代の文字と今書く文字はたぶん誰が見ても違いがわかると思います。)これは、よい論文だと思います。
書き込みをよく見ました。1990年9月23日に読んでいます。「これは立派。実によく書けている。いろんな意味で useful である。」と記しています。9時42分武蔵境発の電車で大学へ。武蔵境に着いたのが30分過ぎだったので、久しぶりに外に出て、昼食のパンを買いました。
図書館で、ホックニーの『秘密の知識:巨匠も用いた知られざる技術の解明』( 青幻舎、2001、見開きで A3よりすこし大きい大型本)を借り出しました。持ち帰ってすこしだけ読みました。おお、これは、おもしろい書物です。
お昼休み、図書館に行って本を1冊返し、1冊借りました。次。
ジャン・ピエロ・ブルネッタ『ヨーロッパ視覚文化史』川本英明訳、東洋書林、20103限4限5限の怒濤。
怒濤が終わって、6時4分多磨駅発の電車で帰ることができました。
ひとりで4時40分、室温20.5度。今日はこれからも気温が下がり続けるということです。午後の気温が14度〜15度という予報。今日は誰も起こさなくてもよいと思っていたら、台所におおきいちびを6時半に起こすよう伝言がありました。来週の土曜日に迫っている学芸会の踊りの練習があるということです。
オランダの坂本氏からIntellectual History Reviewの最新号(2014)の特集「ロバート・ボイル」の存在を教えてもらいました。2011年、ボイルの『懐疑的化学者』(1661)出版350年を記念してダブリンのエドワード・ワース・ライブラリーで開かれたセミナーに由来するとあります。ゲストエディターは、ハンターさんと図書館のボランさん。Clericuzio の「体液の有機的運動:ボイルによる人体生理学研究」だけが出版に間に合わなかったとあります。
会議の日。
まだまだいろんな準備が残っています。ちびどもがでかけてしばらくしてから私もでかけました。武蔵境駅8時42分の電車に間に合いました。外語の学生が大勢乗っていました。この電車だと明らかに1限には遅刻です。遅刻したのかはやく来たのかは不明。
事務棟3階で物品を受け取り、研究講義棟3階で2点郵便を受け取ってから研究室へ。まず捜し物。『講座 科学史1』はすぐに見つかりました。『自立する科学史学』は見つかりません。どこかに移動したのかもしれません。大きな本なのでそのうちの出てくるでしょう。
『講座 科学史1』所収の田中一郎「ケプラー光学の展開と近代視覚理論の成立」を読みました。ケプラー以前の光学の基本とケプラー光学の出発点はきちんと押さえられていると思いますが、「近代視覚理論の成立」は触れられていません。有用な論文ですが、ひとつ大きな疑問が生じました。田中さんは、レンズなしのカメラ・オブスクーラ、ピンホール・カメラでも像の逆転が生じることをご存じないかのような書き方をされています。像の逆転は、レンズ(凸レンズ)によって生じるかのように書かれています。
→ 14.10.16 http://optica.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post.html このサイトで「ピンホール現象とカメラオブスクラ写真の仕組み」が解説されています。カメラも写真も目も、ピンホール現象から説明しないと誤解を招くと思います。そこで明快に説かれている通り、ピンホールの場合、穴を小さくすると像ははっきりとするが暗くなります。逆に穴を大きくすると像は明るくなるがぼやけます。凸レンズはこの問題を解決します。穴をある程度大きくしてもはっきりとした像が得られます。像の逆転は、ピンホールによるものです。次いで図書館に行って、小林典子『ヤン・ファン・エイク:光と空気の絵画』大阪大学出版会、2003を借りました。図書館のなかでしばらく読みました。ある論文に、この書の3章が、リンドバークによって、中世の光学史を簡潔で明快に整理・解説しているとありました。ちょっと意外ですが、その通りでした。アリストテレス、アルハーゼン、ロジャー・ベーコン、ウィテロ、ペッカム等がしっかりとまとめられています。とくにスコラ哲学の扱いは貴重だと思われます。
時間になったので生協に行って昼食。それから研究室に戻ってまた捜し物。学部学生時代にコピーして紙のファイル(名前を忘れました)に綴じていた論文が見つかりました。Lindberg, "The 《Perspectiva Communis》of John Pecham: Its Influence, sources, and content," Arch. Intern. Hist. Sci. 1965, pp. 39-53; David Lindberg and Nicholas Steneck, "The Sense of Vision and the Origins of Modern Science," in Science, Medicine and Society in the Renaissance, edited by Allen G. Debus, 1972, pp.29-45 : Vasco Ronchi, "Complexities, Advances, and Misconceptions in the Development of the Science of Vision : What is being Discovered ? " Scientific Change, edited by A.C. Crombie, London, 1963, pp.542-561
Ronchi の論文を読み直しました。学生時代に読んだことは、書き込みでわかりますが、もちろん内容はまったく覚えていません。古い歴史記述ですが、こういう書き方の方がわかりやすいというメリットがあります。また、次の論文をネットで見つけることができました。
Koen Vermier, "The magic of the magic lantern (1660-1700): on analogical demonstration and the visualization of the invisible," BJHS, 38(2005): 127-159
やはり、マジックランタン(幻灯機)に関しても相当な混乱があるようです。
→ 14.10.16 p. 128 note 1 and p.129 note 7. マジックランタンの発明は、1659年、ホイヘンスである。今日の観点からは、ハイブリッド、カメラオブスクラ、ランタン、マジックランタン、太陽顕微鏡、投射顕微鏡、投射鏡、投射時計の組合せがつくられた、そして、そしてそれらを区別するのは簡単ではない。W. A. Wagenaar, "The true inventor of the magic lantern: Kircher, Walgenstein, or Huygens ?," Janus, 66(1979), 193-207 ; Laurent Mannoni, The Great Art of Light and Shadow: Archeology of the Cinema , ed. and trans. by R. Grangle, Exeter, 2000. 当時の人間は、カメラ・オブスクラ・ショーとランタン・ショーを混同して記述することが多い。1630年代のパリにはすでに恒常的な「カメラ・オブスクラ・ショー」があった。
この時代の光学装置を見るときに、必要な注意です。会議はスムーズに進んで、3時40分多磨駅発の電車に乗ることが出来ました。帰宅すると、息子が先に帰っていました。
次の本が届いていました。
Johannes Kepler,
Optics: Paralipomena to Witelo & Optical Part of Astronomy
translated by William H. Donahue, Santa Fe: Green Lyon, 2000
もとのラテン語版の形を活かしたほぼ直訳に近い英訳です。私にはこの形が助かります。(ラテン語のものと同じ索引が使えます。)(もうすこし注釈があってもよいように思いますが、それは要求が高すぎるでしょう。)
ともあれ、この英訳は、ケプラー研究だけではなく、光学史、天文学史に対する大きな貢献です。
ちなみに、William H. Donahue氏は、ケプラーの新天文学 Astronomia Nova(1609)も訳されています。Johannes Kepler, New Astronomy, 1993.
さらにちなみに、ケプラーの新天文学 は、1年前、邦訳が出版されています。ケプラー 『新天文学』(岸本良彦訳、工作舎、2013年11月)。『宇宙の調和』も訳されています。ケプラー『宇宙の調和』(岸本良彦訳、工作舎、2009年)。貴重な仕事です。
[台風一過]
ひとりで4時20分、室温21.9度。いつとははっきり言えませんが、台風は過ぎ去った雰囲気です。夜中、ずっとなっていた風と雨の音が止みました。学校は休まなくてよいかと思われます。→4時49分、また雨が降り始めました。テレビを見ていると、都内の小学校の対応は、区によって分かれました。通常通りのところと、始業を繰り下げるところと、休校のところです。
6時20分、息子が起きてきました。さきほどはどんよりとして雲が空を覆い尽くしていましたが、どんよりとした雲は消え、青空と白い雲が復活しています。明るい日射しが玄関に入ってきました。東京から台風は去りました。→時間が経つと、雲もすくなくなり、ほんとうに台風一過の青空となりました。すこし強い、でも気持ちのよい風が吹きます、[ケプラー光学]
ちびどもが起きる前に、次の論文を読みました。
Isabelle Pantin, "Simulachrum, species, forma, imago: What Was Transported by Light into the Camera Obscura?: Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeeth Century," Early Science and Medicine, 13(2008): 245-269
論点がわかりやすく、正確に提示されている好論文です。サマリーをほぼ直訳してみます。
「ルネサンスの終わり、カメラ・オブクスクーラの実験を十全に理解するためには、光とイメージの関係の問題を扱うことが必要となった。ケプラーによれば、この実験は、光の幾何学と物理学は同一であって、形象(スペキエス)を運ぶ光線といったものは必要ないことを明らかにした。イエズス会士、フランシスクス・アギノリウスとクリストフ・シャイナーは、ケプラーのカメラ・オブスクーラの分析の優越性を認めつつ、古い形象の理論を保持した。シャイナーの態度はとくに重要である。彼はケプラーの証明法をほぼ完全に吸収したのに、伝統的な現実概念を保持し続けた。形象の媒介が、見られたものが実在の対象であることを保証するために欠くことができないと彼は信じ続けた。」
分析されている著作は、ケプラーでは、Kepler, Ad Vitellionem paralipomea, quibus Astronominae pars optica traduir , 1604. (Marginal Notes on Witelo, in which the Optical Part of Astronomy Is Treated)、アギノリウスでは、Franciscus Aguinolius, Opticae Libri VI (Antwerp, 1613)、シャイナーでは、Christoph Scheiner, Oculus, hoc est fundamentum opticum (Innsbruck, 1619)です。ちびどもがでかけてから、次の論文を読みました。
Alan Shapiro, "Images: Real and Virtual, Projected and Perceived, from Kepler to Descartes," Early Science and Medicine, 13(2008): 270-312
これはさすがシャピロ、という論文でした。ケプラーからはじまる光学革命について、基本的な見通しを与えてくれます。流れを把握するには最適の論文です。
やはりサマリーをほぼ直訳してみます。「『ウィテロ注解』(1604)で新しい視覚理論を提示するにあたり、ケプラーは、新しい光学概念、pictura すなわち、カメラ・オブスクーラのスクリーンに投射された像を導入した。ケプラーは、pictura を中世光学が想像力のなかにだけ存在するとした imagoとは別物だとした。1670年代までに、新しい光学像の理論が発展し、ケプラーのpictura と imago は、統一された像の2つの側面、実在像と仮想像、となった。新しい像の概念は、pictura の幾何学的位置は屈折した光線束の極限あるいは焦点にあるとし、imago の知覚された位置は単眼視の場合の3角形の頂点にあるとしたケプラーの考えから展開した。実在像と仮想像の区別は、おもに、ロベルヴァル、 Eschinardi、Dechalesによって進められた。」
論文の後半でシャピロは、ケプラー後の光学理論の統合について語っています。およそ1650年から1670年にかけて生じたとしています。ケプラーの後、光学を研究した流れ(学派)をおおよそ2つに分類しています。一つは、イエズス会で自然哲学に関心がありました。Christoph Scheiner, Francesco Eschinardi, Claude Francois Milliet Dechales, Francois d'Aguilon, Nicola Zucchi, Caspar Schott, Honoré Fabri, Andre Tacquetです。もう一つは、世俗の数学者たちで、カヴァリエリ、ロベルヴァル、ホイヘンス、ジェームズ・グレゴリー、イザック・バロー、ニュートン等からなります。
Kepler, Ad Vitellionem paralipomea , 1604
Scheiner, Rosa ursina (Bracciano, 1626-30)
Bonaventura Cavalieri, Exercitationes geometricae sec (Bologna, 1647)
Marin Mersenne, L'optique, et la cataptrique (Paris, 1651)
James Gregory, Optica promota (London, 1663)
Francesco Eschinardi, Centuria problematum opticum, 2vols. (Rome, 1666-68)
Fabri, Synopsis optica, 1667
Isaac Barrow, Optical Lectures, 1669
Dechales, Cursus seu mundus mathematicus, 3 vols. (1674)
William Molyneux, Dioptirica Nova, 1692
Christian Huygens, Dioptrica, 1703( started 1653)
Newton, Opticks, 1704 (ケプラーからちょうど100年です)ケプラーの光学について、日本語の先行研究がないかどうか探してみました。ちょっと苦労しましたが、田中一郎さんにそのものがありました。
田中一郎「ケプラー光学の展開と近代視覚理論の成立」『講座 科学史1』(伊東俊太郎・村上陽一郎編、培風館、1989):212-233
田中一郎「ガリレオの望遠鏡と近代光学をめぐって」『自立する科学史学』(高橋憲一他編著、北樹出版、1990)
ともに、研究室においています。明日大学に出たときに、見ます。
いまのグーグルでこうした論文集における共著論文を探すのは、まったく不可能というわけではありませんが、ちょっと苦労します。[科学の実践における表象]
夕刻、次の本が届きました。
Michael Lynch and Steve Woolgar (eds.), Representation in Scientific Practice, Cambridge, Mass.: MIT Press, 1990
目次は次です。
M. Lynch and S. Woolgar , "Introduction : sociological orientations to representational practice in science"
B. Latour,"Drawing things together"
P. Tibbetts,"Representation and the realist-constructivist controversy"
K. Amann and K. Knorr Cetina,"The fixation of (visual) evidence"
S. Woolgar,"Time and documents in researcher interaction : some ways of making out what is happening in experimental science"
M. Lynch,"The externalized retina : selection and mathematization in the visual documentation of objects in the life sciences"
F. Bastide,"The iconography of scientific texts : principles of analysis"
G. Myers,"Every picture tells a story : illustrations in E.O. Wilson's Sociobiology"
J. Law and M. Lynch,"Lists, field guides, and the descriptive organization of seeing : birdwatching as an exemplary observational activity"
L.A. Suchman,"Representing practice in cognitive science"
R. Amerine and J. Bilmes,"Following instructions"
S. Yearley.,"The dictates of method and policy : interpretational structures in the representation of scientific work"
リンチとウルガーの序にあるとおり、社会学的な方向性をもっています。STSの立場に近いと表現すればよいでしょうか。
ひとりで5時、室温20.6度。かなり寒くなりました。外は真っ暗。台風が連れてきた雲のせいでしょうか。朝一番でニュースを見ると、昨日の予報よりも台風の速度が遅い。明日の学校はどうなるのでしょうか。学校からの通知には、あまり休みにしたくないという気持ちが伝わってきます。2週も続けて臨時休校があると、授業日数の確保が難しくなります。
6時50分のニュースを見ました。本日の最高気温は18度ということです。寒く感じるわけです。今日は誰も起こす必要がありません。→と言っていたら、おおきいちびは10時に新宿に行く用事があるのに、すやすや寝ています。9時前に起こしました。十分間に合う時刻にでましたが、途中東西線に乗ってしまったという電話が妻のスマホにありました。やれやれ。中野まで戻って、総武線または中央線で新宿に行くことにしたようです。
妻は10時半に三鷹。1時に帰ってくると言ってでかけました。
九州、四国と上陸した台風19号ですが、前の18号よりもいくらかはやい時間帯に東京を通過するようです。学校は悩ましいところだと思います。杉並区の小学校は、10時登校の連絡が来たそうです。[持田辰郎氏の2論文]
持田辰郎「アルハゼンとケプラーにおける視覚像―ケプラーの残した問題とデカルト・1」『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』第45巻第2号(2009): 9-22
持田辰郎「アルハゼンとウィテロにおける視覚像の神経伝達―ケプラーの残した問題とデカルト・2」『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』第46巻号第1号(2009): 1-26
ダウンロードしプリントアウトし読みました。視覚理論の歴史のなかで「ケプラーによる網膜像の発見は一時代を画す大きな出来事であった。」(論考1、p.9)我々は、網膜像の知識を前提としてしまいがちですが、これは、持田さんの言うとおりです。
アルハゼンは、水晶体前面(後面ではなく)に垂直に入射する光線がつくる正立像を目が対象から受け取る像だとしていた。
ケプラーは、そうではなく、水晶体の背面、即ち網膜にあらゆる角度から入っている光線がつくる像、左右も上下も逆転して映る像、あるいはpictura を人間が受け取る視覚像として正しく認識した。しかし、その倒立が「長い間、私を苦しめた。」(p.11)
ケプラーは、正立像を得ようと長期にわたり必死で努力したが、結局、問題解決を諦めた。
これは、忘れていた問題です。我々は倒立像をあたりまえだとしてその後のことは脳の働きに起因させますが、アルハゼンの光学(視覚論 perspectiva)の基本的考えをとれば、これは解決不能の大問題となります。次いで、次の論文を読みました。
Sven Dupré, "Inside the Camera Obscura: Kepler's Experiment and Theory of Optical Imagery," Early Science and Medicine, 13(2008): 219-244
これは、ああ、そういうことだったのかとちょっと意外でした。カメラ・オブスクーラの生み出す像といっても、(壁や紙にうつる)投射された像ではなく、鏡やレンズを用いてつくられる「空中のイメージ」もあります。デラ・ポルタは、『自然魔術』においてこの2つを混同しているということです。当時の言葉では、こちらは、マジックランタン(幻灯機)の系譜です。当時は、きちんと区別されることなく、投射された像と鏡やレンズのつくる虚像が自然魔術や知覚遊戯として愛好されていました。
デュプレの主張のポイントは、ケプラーが『パラリポメナ』(1604)で報告する、ドレスデンのクンストカマーにおけるカメラ・オブスクラ体験は、ルネサンスに流行したludus や lusus として位置づけなければならないという点にありますが、鏡による虚像というのは、ああ、そうだったか、と納得しました。
カメラ・オブスクーラを巡る先行研究でも、(カメラ・ルシダとの混同はほとんど回避されていますが、)この混同はまだかなり残っています。
ひとりで3時35分、室温21.7度。おおきいちびは塾、ちいさいちびはたぶん練習試合。妻には6時に起こすように言われています。曇り。台風の影響かどうかはわかりません。晴れ間の見えない曇り空です。そう言えば、明日は月曜日ですが、体育の日で休日。なんと、2学期の月曜日は、10月20日に開幕します。台風のせいではあるのですが、これはさすがに遅いと思います。台風19号の接近で14日の火曜日がまた休校の可能性があります。
ほっておくとゲームばかりしている息子を、昼食後、外に連れ出しました。ハラッパ公園に自転車で行きました。サッカーボールを持参し、しばらくサッカーをしていました。水を飲んで休憩したあと、息子は走ると言って走り始めました。帰ってこないと思って100度の方向を見ると、誰かちいさい子と遊んでいます。ボールで遊んであげています。半時間ほど遊んであげていたでしょうか。戻ってきて、帰るというのでそのまま帰宅しました。ほんのちょっと動いただけで私は疲れました。
[光学史の基本書の出版を]
このテーマだと光学史の基本も読み直しておいた方がよいだろうと思い、本を探してみました。アルハーゼンからきちんと書いたものが見当たりません。(近代以降のものはそれなりにあります。)短くても読んでおいた方がよいので、『科学の名著6 ニュートン』(朝日出版、1981)における田中一郎さんの解説論文「ニュートン光学の成立」を読みました。田中さんは私の先輩の科学史家です。光学前史、ルネサンスの光学、近代光学の展開、という形で、アルハーゼンに由来するラテンヨーロッパの光学の流れを記述してくれています。カメラ・オブスクーラは、「ピンホール・カメラ」として言及されています。個人的にはもうすこし長いものを期待しますが、これはこれでしっかりとしたものだと思います。それから『科学の名著3 ロジャー・ベイコン』における高橋憲一さんの解説も読みました。しっかりとした解説です。
光学史の基本的書物が出版されていてもよいように思います。(リンドバーグを翻訳するとかよいと思うのですが・・・)。[フックのPictue-Boxからケプラーの小さい黒テントへ]
フックの携帯型カメラ・オブスクーラ、あるいは「ピクチャ・ボックス」。
Robert Hooke, "An Instrument of Use to take the Draught, or Picture of any Thing. Communicated by Dr. Hook to the Royal Society Dec. 19., 1694," in William Derham, Philosophical Experiments and Observations of the late eminent Dr. Hooke (London, 1726), pp.292-296. Hooke's Picture-Box の図は、p.295 に掲載されている。
フックは、今の言葉では旅行案内のような用途を考えています。知らない土地の正確な描写のためには、言葉では足りず、プロポーションの正しい(正確な比率の)絵図が必要だ、そのための道具を考案したというのがフックの基本的主張です。(フックは手元にあるいくつかの旅行書の図が不正確だと悪口を言っています。)
別のバージョンは、次で出版されています。Robert Hooke, "A Continuation of the former Subject of Light. Being the Lectures read in June, 1681." The Posthumous Works of Robert Hooke, published by Richard Waller (London, 1705), pp.119-128. この6節で言及されています。"6. An artificial Eye very useful for the thorough Understanding of Visions. The Descriptions and use of a Perspective Box, instead of a dark Room, which will explicate all the Phenomena of Visions as they are represented in the bottom of the Eye. An Explication of Shadows or the defect of Light." 「人工の眼」が扱われるのは、pp.127-8 です。
図版は、p.126 に挿入せよ、とあります。ここでは、フックの表現(用語法)が重要です。フックは、「人工の眼」と呼んでいます。また、「暗い部屋 dark Room」ではなく、「透視画法的ボックス Perspective Box」という用語を使っています。本文では、"a darkned Room, or Perspective Box" と言い表しています。"dark Room" or "darkned Room" のラテン語が "camera obscura" ですが、ここでのフックの術語使用のあり方は、フックにおいては、"camera obscura"がテクニカル・タームとして認知されていないことを示します。その点はフックを雇ったボイルでも同じです。ケプラーのテント型カメラ・オブスクーラ。これは、1620年リンツにいるケプラーを訪れ、ケプラー本人から直接話を聞いたヘンリ・ウォットンの証言です。(ケプラーがそういう表現をしているわけではない。)ウォットンはフランシス・ベイコン宛の手紙でケプラーの用いた「小さな黒テント」に触れています。用途からいってこれはフックのものの同類です。
Henry Wotton, Reliquiae Wottonianae (London, 1651), pp.413ff.ケプラーについては、ステッドマン『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』(2010)から引用して、9月15日に記しています。ステッドマン、p.278、注2を引用しました。
1. Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604, Index & 2. Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
これを自分の目で確かめました。
1. Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604
Index には、"Camera obscura res foris representans 51, 5" 数字はp.51 の l.5 という意味です。p.51 を見ると、次のようにあります。
PROPOSITIO VII. Problema.
In camera clausa, & in propositio pariete representare quicquid extra cameram e regione vel est, vel geritur, quod quidem in oculos incurrit
本文ではすぐにI. Bapsista Porta の自然魔術が言及されています。それに続く本文に"camera obscura" という用法はありません。最初に挙げた「閉じた部屋 camera clausa」を索引で「暗い部屋camera obscura」と言い換えたものです。ケプラーが"camera obscura"をはじめて使ったという言い方はできますが、これだけではケプラーが"camera obscura"というテクニカル・タームを造語したとは言えません。
2. Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
p.16 の下側に次の言葉があります。
XLIII. PROBLEMA.
Super albo pariete pingere visibilia convexa.
In camera obscura lens convexa obsideat unitam fenestellam. Papyrus ad punctum concursus applicatur. Nam punctum rei visibilis super papyro, omnibus radijs, quibus in lentem raiat, rursum in unicum fere punctum colligitur. Constant vero visibilia punctus infinitis. Infinita igitur talia puncta pingentur super papyro, ide est tota rei visibilis superficies.
ここでケプラーははっきりと"camera obscura"という表現を使っています。ただし、前後を一生懸命追いましたが、この一箇所だけでした。テクニカルタームということで言えば、きっかけ・端緒・芽はあるが、発芽しただけで成長はしていないと判断する必要があります。
ウォットンによるケプラーの「小さい黒テント」に関する証言は、ステッドマン『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』(2010), pp.20-1 に十分な紹介があります。ウォットンの記述だけでは、ケプラーの「小さい黒テント」の正確な形態は決めがたいのですが、上に記述したフック型または上部に鏡をおいた潜望鏡型(ステッドマンはこれを想像しています)のどちらかだと思われます。ケプラーは、凹レンズをはずした望遠鏡を使っていますが、それは筒にはいった凸レンズを使ったということですから、望遠鏡という言葉に拘る必要はありません。普通の開口部に凸レンズを填めたカメラ・オブスクーラと記述して何ら問題ありません。意外なものにもカメラ・オブスクーラに関するきちんとした記述がありました。Adrian Johns, The Nature of the Book, Chicago, 1998 です。第6章が「読むことの生理学」です。この章のなかに、p.388 に 二つの図版が印刷されています。Fig.6.1 としてカメラ・オブスクーラとしての目。ひとつは、Beverwyke, Werken (BL, 773.k.6)。もうひとつがシャイナーのRosa Ursina.
p.390 に3点の図版。デカルトの『屈折光学』全集第6巻より。デカルト『人間論』全集11巻より。
p.391 にニュートンの目の図。CうLMS。あっD。3975,p.15 より。[科学大博物館]
『科学大博物館』にも「カメラ」や「カメラ・オブスクラ」の項目がありました。Ward が執筆しています。参考文献には、Rees 編の『シクロペディア』(London, 1819)、Gernsheims の『写真史』(London, 1969) とハモンドが挙げられています。「カメラ・ルシダ」の項もウォードが書いています。1807年、ウォーラストンがこの語を用いたとあります。「カメラ・ルシダ」の記述としてはこれでよいのではないかと思います。
息子に起こされて6時10分、室温22.6度。中学校の学校公開の日。妻、おおきいちび、ちいさいちびは7時に起こすように言われています。
起こす役目は息子に任せました。ちびどもは8時前に家をでました。妻は8時過ぎ。9時頃一度帰ってくると伝言して自転車に乗りました。妻は受付の仕事があるそうです。
妻は結局3回中学校と家を往復しました。午前中に次の書物が届きました。これは発注から到着まですこし時間がかかりました。
Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Transformations: Studies in the History of Science and Technology) , Cambridge, Mass.; MIT Press, 2004
目次は次です。
Introduction by Wolfgang Lefèvre p. 1
Part I Why Pictures of Machines?
Introduction to Part I p. 13
1 Why Draw Pictures of Machines? The Social Contexts of Early Modern Machine Drawings by Marcus Popplow p. 17
Part II Pictorial Languages and Social Characters
Introduction to Part II p. 51
2 The Origins of Early Modern Machine Design by David McGee p. 53
3 Social Character, Pictorial Style, and the Grammar of Technical Illustrations in Craftsmen's Manuscripts in the Late Middle Ages by Rainer Leng p. 85
Part III Seeing and Knowing
Introduction to Part III p. 115
4 Picturing the Machine: Francesco di Giorgio and Leonardo da Vinci in the 1490s by Pamela O. Long p. 117
5 Measures of Success: Military Engineering and the Architectonic Understanding of Design by Mary Henninger-Voss p. 143
Part IV Producing Shapes
Introduction to Part IV p. 173
6 Renaissance Descriptive Geometry: The Codification of Drawing Methods by Filippo Camerota p. 175
7 The Emergence of Combined Orthographic Projections by Wolfgang Lefevre p. 209
8 Projections Embodied in Technical Drawings: Dürer and His Followers by Jeanne Peiffer p. 245
Part V Practice Meets Theory
Introduction to Part V p. 279
9 Drawing Mechanics by Michael S. Mahoney p. 281
ひとりで5時、室温21.6度。妻には6時に起こすように言われています。ちいさいちびと小学生がおでかけです。妻を6時に起こすと、小学生も起きてきました。小学生ははやく寝ていますから、この時間でも平気でしょう。
好天。おでかけには最適です。
午前中に午後の駒場の授業の準備をしています。たくさんの資料を持参したい誘惑にかられますが、初回はごくわずかにします。
→1時過ぎに家をでました。駒場ではまず1号館の非常勤室へ。金曜日は今日が初回です。非常勤室には大勢の方がいました。もちろんまったくはじめての方も少なくないようです。受付が混雑していました。すでにメールで連絡があったことについて長く質問している方がいました。教務課と直接電話で話すように言われていました。適切な対応です。書類を提出し、判子を押してから、図書館へ。利用票を作ってもらいました。所属を書くように言われましたが、ややこしすぎてわかりません、と答えると、けっこうですということで図書館の受付の方で調べてくれました。有効になるのは明日からということです。
そのまま中に入って、地下2階に行きました。図書館ですべき作業はけっこうあるのですが、本日は1つに止めました。すなわち、次のコピーを取ることです。
Early Science and Medicine, 13(2008), No.3, Special Issue for "Kepler, Optical Imagery, and the Camera Obscura"
この特集は、シャピロの序に加えて、次の3本の論文からなります。
Sven Dupré, "Inside the Camera Obscura: Kepler's Experiment and Theory of Optical Imagery," Early Science and Medicine, 13(2008): 219-244
Isabelle Pantin, "Simulachrum, species, forma, imago: What Was Transported by Light into the Camera Obscura?: Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeeth Century," Early Science and Medicine, 13(2008): 245-269
Alan Shapiro, "Images: Real and Virtual, Projected and Perceived, from Kepler to Descartes," Early Science and Medicine, 13(2008): 270-312
2001年、ホックニーは『隠れた知識』を出版して、15世紀以来画家はカメラ・オブスクーラを絵を描くときに使っていたことを主張し、ステッドマンは『フェルメールのカメラ』を出版してフェルメールが絵を描くときカメラ・オブスクーラを使っていた強い証拠を提示した。2005年7月、ルフェーブル、デュプレ、Carsten Wirth は「カメラ・オブスクーラの内部:投射されたイメージのもとでの光学と芸術(1600-1675)」と称するワークショップをマックスプランク科学史研究所で開催した。そのなかからケプラーに焦点をあわせる3点の論文を選んで、この号の特集号とした。
投射されたイメージという概念は、perspectivist(中世以来のperspective の伝統に所属する者の意味だと思いますが、確定できないので、このままにします) の光学にはなじみのないものだった。16世紀、とくにデラ・ポルタの『自然魔術』(1589)において、カメラ・オブスクーラは、様々な用途でイメージを投射する手段として自然魔術の伝統のなかに組み込まれた。カメラ・オブスクーラとそこに投射されるイメージは、ケプラーの新しい視覚理論のモデルとして用いられた。そのモデルでは、目とは網膜にイメージが投射されるカメラ・オブスクーラのようなものだと捉えられた。ケプラーは同時に、彼自身は「画像 pictura」と名づけた投射イメージは、伝統的な perspectivist光学におけるimago とは異なる存在だと理解し、新しい視覚イメージの理論をたてた。
こういうふうに序でシャピロは案内しています。インサイド・カメラ・オブスクーラは、9月13日に紹介した、Wolfgang Lefèvre (ed.), Inside the Camera Obsucura: Optics and Art under the Spell of the Projected Image, 2007 というpdf にまとめられています。Early Science and Medicineの特集論文とは基本同じものですが、表現等すこし違いがあり、異なるバージョンを用意したということのようです。その後、8号館113教室を確認してから科哲事務室へ。途中で廣野さんとすれ違いました。ちょうど4限の授業に行かれるところだったと思います。すっかり白髪の好紳士となられていました。
科哲事務室では橋本さんとSくんが話をされていました。挨拶をしてソファの上で一休み。その後橋本さんと四方山話。UPの連載で本にならなかった部分はくれることになりました。助かります。橋本さんが委員会ということで出かけられたあと、冨田さんとすこし四方山話。話している途中、元気そうな岡本さんが現れて片手で重い荷物をひょいと持ち上げて行かれました。さすが、岡本君。5限の授業は4時半開始です。ほぼぴったりで教室に入りました。20名の出席者がいました。勝手な予想では、3〜4名から7〜8名まで、多くて10名だと思っていましたから、おおはずれです。配布文書も12枚しか持ってきていません。斎藤君にコピーカードを渡して、生協に走ってもらいました。
ともあれ、来週からは、14号館308教室に変更になること、順番に発表してもらうことは伝えました。
ひとりで4時10分、室温21.8度。ゴミを出すため外にでると、地面が濡れています。気づきませんでしたが、夜の間に雨が降ったようです。午後に連続して授業。3限4限5限。
→ 昼食を食べてから大学へ。11時42分武蔵境発の電車に乗りました。3限4限5限は、怒濤になります。3限の講義の人数はほぼ落ち着く感じがします。4限5限はともに留学報告をしてもらいました。タイ、ニュージーランド、オーストラリア、イタリア、スロヴェニア。スロヴェニアという国名を聞いてすぐに場所がわかる日本人は少ないでしょう。四国程度の面積に200万人程度の人が住んでいるということです。こういうところに留学してくる学生がいるのは、外語ならでしょう。ちなみにその学生はチェコですが、チェコには行かなかったそうです。[2014年駒場の授業]
明日から開始です。基本情報を再確認しておきます。
科目名「相関基礎科学特殊講義IV」
学部合併とあります。学部の授業も兼ねるようです。たぶん科目名は「科学技術史特論IV」です。
時間割と教室:金曜日5限、8号館113教室
ひとりで4時20分、室温21.4度。外の気温はかなり下がっているようです。午後に会議。
9時42分武蔵境発の電車で大学に向かい、5時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。2学期の履修登録は、昨日が締切です。これで人数は確定したでしょう。重要なところを確認しました。
木曜日3限:89名
木曜日5限:135名帰宅すると次の本が届いていました。
Samuel Y. Edgerton, Jr., The Renaissance Rediscovery of Linear Perspective, New York, 1975夕食後、小学生、近所の子どもたちといっしょに皆既月食の観察をしました。ときどき雲がかかりましたが、でも、皆既月食がしっかりと見られました。デジカメで写真を撮りましたが、私のもっているものではあまりうまく撮れません。息子は iPad で撮影。こちらは画面の大きさが功を奏したのでしょう、けっこうよく撮れました。
アメリカの議会図書館の「稀書・特別コレクション読書室」サイトに、Science and Magic Materialsというのがあります。ここには、けっこうよいものが pdf 化されています。
ついでに大橋さんの紹介するサイト。Virtual Library: Digitized Books『科学革命の百科事典』にも「カメラ・オブスクーラ」の項目があります。p.119左。
執筆者は、Stephen Straker。参考文献としては、ハモンドとマーティン・ケンプ(『芸術の科学:ブルネルスキからスーラまでの西洋芸術における光学のテーマ』)、そして彼自身の論文、Stephen Straker, "Kepler, Tycho, and 'The Optical Part of Astronomy': The Genesis of Kepler's Theory of Pinhole Images," Archive for History of Exact Sciences, 24(1981): 267-293.ニュートン『光学』。第1篇第1章公理7
初版(1704), p.10
"And this is the Reason of that vulgar Experiment of casting the Species of Objects from abroad upon a Wall or Sheet of white Paper in a dark Room."
邦訳(朝日出版), p.14下
「これが戸外から物体の形象を暗室中の壁面あるいは白紙上に投ずる通俗実験の根拠である。」カバンのなかに、Crary, Techniques of the Observer (1990)とクレーリー『観察者の系譜』(1997, 2005) を入れてでかけました。
うまく時間を見つけて、2章「カメラ・オブスキュラとその主体」"The Camera Obscura and Its Subject " を読み直しました。昔読んだときの感動はありません。当たり前かもしれません。今からすれば、いわゆるポストモダン系の引用が多すぎるかなという気がします。しかし、もちろん、基本的な見方の枠組みを提示したのはクレーリーなので価値ある著作であることには変わりませんが、今では別の見方が可能だと思われます。
図版の出典を示していないのも、今となっては不満です。
→私の研究に出典は必要ですから、なんとか探し出そうと思います。何度も繰り返しますが、今なら探せると思います。Crary, Techniques of the Observer (1990; October Books, 1992)を用います。
1. p.28 Portable camera obscura Mid-eighteenth century。 文字は読みづらいのですが、”chambre obscure. Pl. 1 ”とありますからフランス語の著作からです。
2.p.31 Camera obscuras. Mid-Eighteen century。 画像のなかに文字はありません。野外テント型と野外箱形。
3.p.39 Camera obscura. 1646. これはキルヒャーのものです。図版のなかに、Fig. 3 Fol. 812 がかろうじて読めます。
4.p.49 Comparison of eye and camera obscura. Early eighteenth century. 図版の上に、Tom. VI. Lec. XVII (?).5. p.290
クレーリーが掲載するカメラ・オブスクーラの図版はこの4点です。
一番図版が豊なのは、ハモンド『カメラ・オブスクラ年代記』(2000)です。本棚から抜き出して、まず、これと比較してみます。
3.のキルヒャーのものは、p.43 上に掲載されています。『光と影の大いなる術』(1646)という出典が挙げられています。
1.と同じ(ただし、fig の数字が違う)ものがp.129にありました。p.128の説明文では「汎用椅子駕籠型カメラ・オブスクラの図。グライブサンドの『透視図法論』(1711)にあらわれたもの。1803年ハットン博士はこの機器の製造と使用について解説した。」
→ 14.10.10 これは見つけました。次です。William James 's Gravesande, An Essay on Perspective, Written by French by William James 's Gravesande, Doctor of Laws and Philosophy ; Professor of Mathmaticks and Astronomy at Leyden,and Fellow of the Royal Society at London, And Now Translated into English, London, 1724, p.120
グライブサンドという表記に違和感があり、でも知っている名前だと思っていたら、 's Gravesandeでした。ライデン大学数学教授がフランス語で書いた本の英訳です。もとのフランス語を見つけると、解決します。→すぐに見つかりました。G.J. Gravesande, Essai de Perspective, A La Haye, 1711 でした。本としては、Essai de Perspectiveに別の冊子、Usage de la Chambre Obscure pour Le Desseinが同綴されている形になります。図版は、p.30 と p.31 の間です。オランダ人の発音は難しいのですが、グラーフェサンデあたりでしょうか。's から発音すれば、スフラーフェサンデと表記されています。有賀さんは、ス・グラフェサンデと表記されています。オランダのニュートン主義者として知られます。
→ 14.10.10 キルヒャーのものは、Athanasius Kircher, Ars magna lucis et umbrae : in decem libros digesta ; quibus admirandae lucis et umbrae in mundo ... , panduntur, 1646, p.806 & p.807 の間にあります。マックス・プランク所蔵の初版の図版がウェブに挙げられて、そこで見ることができます。グーグルの画像検索で調べてみると、2.はおそらくディドロ&ダランベールの『百科全書』からであろうという注記が見つかりました。→ 14.10.10 『百科全書』ということで間違いないようです。
→ 14.10.10 ということで、現時点で不明なのは、4.だけです。これは苦労します。典拠を記した画像を見つけることができていません。デカルト派のような気がしますが、・・・。→14.10.12 これだけまだ典拠を見つけることができません。ウェブにある画像は、クレーリーから孫引きしています。クレーリーの使った資料を丁寧に見ていくしかないようです。(授業で毎年使っている図版です)私は見慣れているのですぐに見つかると思っていましたが、強敵でした。
ひとりで4時40分、室温22.2度。用件ができたので、大学へ。8時42分武蔵境発の電車に乗りました。すぐに昨日付けた採点結果を表に転記し、さらに、サイトから得点を直接入力しました。
午前10時、学生の書類に判子を押し、仕事をすませてから帰宅。
昼食を食べて、妻は、12時前に出かけていきました。4時頃帰るということです。小学生も同じ頃帰ってくるそうです。
ずいぶん涼しくなった気がします。台風が季節をひとこま進ませたようです。[核・原子力の展覧会2点]
内田さんより東工大百年記念館で開かれる展示会を教えてもらいました。そのまま引用します。◎特別企画展示2014『核時代を生きた科学者 西脇安』
会期:2014年10月11日(土)〜2014年10月31日(金)
10:30〜16:30 土日祝休館(ただし10月11日・12日は開館)
会場:東京工業大学博物館・百年記念館1階展示スペース
料金:無料
日本の放射線生物物理学の草分けの一人である西脇安(にしわき・やすし 1917年〜2011年、東工大名誉教授)。 その生涯を通じて彼は、放射線被ばくと原子力の問題に向き合ってきました。 核時代の黎明期に日本陸軍の原爆開発に参加し、ビキニ核実験時には「汚い水 爆」の解明につながった「死の灰」の調査とその海外への発信、さらに国内外の 原子力政策に関与し、福島原発事故の報道の中で他界しました。 本企画展では西脇の足跡を辿り、核時代を生きた一科学者が、どのように信念を 貫き、社会と関わったかを考えていきます。次は、本日、大学に行ったときエレベーターのわきで見かけた掲示です。
東京大学駒場博物館 2014年10月18日(土)〜12月7日(日)
「ロベルト・ユンクと原爆の記憶:越境するヒロシマ」 関連して、10月25日、11月1日、11月8日、11月15日とギャラリートークが開かれます。
ひとりで6時、室温20.4度。雨は強くは降っていません。夜の間は強い雨音が聞こえていたときもありました。
台風の状況が気になるのですぐにテレビをつけました。6時現在、愛知県の南の海上にあります。
杉並区のサイトを見てみました。ゴミの収集は行うが時間帯が乱れる可能性があるとあります。学校ですが、区内の全小学校、中学校は臨時休業とするとあります。
大学のサイトも見てみました。東京外国語大学の本日の授業は午前中休講とあります。午後の授業に関しては、10時に再度知らせるそうです。
台風接近ですから当然ですが、8時前に雨が強くなってきました。昨日休みを知らされた子どもたちはまだ誰も下に降りてきません。たまにはゆっくり休むのもよいでしょう。
午前8時、テレビを確認しました。台風の雨雲がちょうど東京にかかってきています。これから2〜3時間がピークのようです。ちいさいちびが8時に起きました。
10時になったので大学のサイトを見てみました。午後の授業も全部休講にするということです。正午前に風が弱くなり、雨が上がり、青空が見えるようになりました。吹き返しはあるかもしれませんが、台風は去ったと見てよいでしょう。
昼食を食べてから、12時30分の武蔵境発の電車で大学に向かいました。事務棟の3階によって物品を受け取り、研究講義棟3階の荷物ボックスで段ボール箱1つを引き出して、研究室へ。しばらく片づけをしてから、図書館に向かい、本を3冊受け取ってきました。ちょうどよいので、集中講義の採点にかかりました。ちょうど3限4限の時間分で得点付けは終わることが出来ました。転記は水曜日にでも行うつもりです。
帰宅すると、ちいさいちびとおおきいちびは二人で買い物に出かけていました。珍しいことです。ちいさいちびが服を買うのにおおきいちびがつきあう形だそうです。
ちいさいちびは夜は外で食べたいと言っているそうです。いろいろ相談して、席で待っていることができる居酒屋になりました。駅前のビルの地下。妻と小学生が席をとります。私が改札でちびどもをキャッチして合流することになりました。
約束通り、改札に7時前に現れた二人をつれて、居酒屋へ。子連れで居酒屋というパターンは流行のようです。小さい子どもを連れた家族が何組かいました。この間の調査で次のサイトに出会いました。
Semiotics for Beginners-初心者のための記号論-Daniel Chandler
ウェールズ大学の記号論学者チャンドラーのテキストを田沼正也さんという方が訳されたものです。田沼さん自身が注記されているように、100%スムーズな訳出というわけではありませんが、とてもわかりやすい体系的記述です。この記号論はおもしろい。2006年Routledgeが4巻本のCritical concepts in media and cultural studies . Visual cultureを出しています。編者は、Marquard Smith と Joanne Morra。
Vol.1 : What is visual culture studies?
Vol.2: Histories, archaeologies and genealogies of visual culture
Vol.3: Spaces of visual culture
Vol.4: Experiences in visual culture
アマゾンでは現在品切れ中でものすごい値段がついています。ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第10章
the understanding is not much unlike a Closet wholly shut from light, with only some little opening left, to let in external Visible Resembrances, or ideas of things without; would the Pictures coming into such a dark Room but stay there, and lie so orderly as to be found upon occasion, it would very much resemble the Understanting of a Man, in reference to all Objects of sight, and of the ideas of them.大学の研究室で、アルパース『描写の芸術―一七世紀のオランダ絵画』(1993) を探し出し、持って帰りました。書き込みがあるので、読んでいます。ただし、ほとんど覚えていません。
→第1章を読み直し、第2章を読みました。アルパースの『描写の芸術』の存在は、留学帰りの橋本さんに教えてもらいました。アメリカの大学院ではとても人気だったということです。今回読み直してみて、科学史の研究もずいぶん取り入れていることに気づきました。科学史を専攻している院生諸子にはこれは面白かったでしょう。
第1章は、ホイヘンスについて。
第2章は、ケプラーについて。
ひとりで4時30分、室温23.5度。起きた頃、ちょうど雨が降り始めたようです。台風が連れてきた雨でしょうか。窓から雨音といっしょに入ってくる空気が冷たいなと思い、天気予報をみると、本日の気温はずっと20度です。最低気温と最高気温が同じ。明日は、最低気温19度、最高気温27度です。ちいさいちびの誕生日ですが、午後練習があります。おおきいちびは午前中から塾。妻には7時に起こすようにいわれています。
正午過ぎ、杉並区の小中学校は明日台風接近により休校という連絡があったそうです。
午前中に一度、セイユウに買い物にでかけました。牛乳や豚肉等、基本的な食材です。
午後、吉祥寺の駅ビルにちいさいちびのバースデーケーキを買いに行きました。ついでにソーセージパンを買ってくるように言われました。ちいさいちびはフルーツケーキがよいというので、タカノのフルーツケーキ。雨の降り方に台風の接近は感じられますが、吉祥寺にはいつもと変わらない人出がありました。傘をもって買い物は大変なので、すぐにとってかえしました。[オザナムとアートフルサイエンス]
ハリスはその『技術事典』で数学の典拠としてオザナムの数学事典を挙げています。オザナムのことは気になっていたのですが、「ハリス『技術事典』の起源」では焦点を化学にあわせたので、深くは調べませんでした。
カメラ・オブスクーラを調べていると再びオザナムに出会いました。邦語文献ではバーバラの『アートフル・サイエンス』がオザナムのことをもっともよく取り上げていることがわかり、『アートフル・サイエンス』を本棚から取り出しました。読んだ記憶はなかったのですが、付箋を付しています。たぶん部分的に利用したのでしょう。
スタフォード『アートフル・サイエンス』が注目するオザナムは『数学リクリエーション』(1692)の著者としてです。
17世紀18世紀の文脈では、カメラ・オブスクーラは「数学リクリエーション」のひとつとしても存在していました。「数学リクリエーション」はオザナムの専売特許というわけではありませんが、17世紀末から18世紀半ばにかけて、フランスとイギリスで非常に人気が出ています。
版を確認しておくと、次のようになります。(DSBに依拠しています。)
Jacques Ozanam, Récréations mathématiques et physique..., 4 vols., Paris, 1694, 1696, 1698, 1720, 1725, 1735, 1778, 1790; Amsterdam, 1698
Recreations in Mathematics and Natural philosophy..., First Compose by M. Ozanam.... Lately Recomposed by M. Montucla, and Now Translated into English ... by Charles Hutton, London, 1803, 1814; This English translation was revised by Edward Riddle, London, 1840, 1844; and Recreations for Gentlemen and Ladies, or Ingenious Amusement, Dublin, 1756
相当人気があったことがわかります。
オザナムの数学啓蒙書は、3点です。『数学事典』(Amsterdam-Paris, 1691)(縮約英語訳、London, 1702)、『数学教程』5巻本(Paris, 1693;Amsterdam, 1697)(英訳5巻本、London, 1712)橋本さんは『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』の「はじめに」、この書物が『UP』の連載(2001年から2年間)を基本にすること、連載終了後、「それまで見ていなかった多くの図像や研究文献を目にすることができた。調査を進めていくにつれ、当初思っていた以上に、多くの科学史や技術史の研究者が歴史に現れる図像に関心をもち、研究論文、研究書を出版していることに気づいた。」と述べています。これは正直に書かれていると思います。
科学史・技術史では、橋本さんの仕事の次が必要だと思います。橋本さんが焦点を当てていない歴史記述の問題に焦点をあわせる研究が是非必要だと思います。1983年パリで「視覚化と認知」と題するワークショップが開かれた。美術史家、科学史家、技術史家、認知科学者、等が出席したこの会議が科学・技術の分野における地図、版画、写真、顕微鏡図、その他の画像表現の生産・使用・普及に関する関心を高めるターニングポイントになった。会議の開催される以前、Martin Rudwick, Samuel Edgerton, Martin Kemp, Svetlana Alpers が画像表現を単にテキストの補助物というだけではない存在として研究していた。彼らの研究は、視覚表現が発見にとって本質的であり、自然現象を確立するのに欠かせない役目を果たしていると示した。実験室の実践のエスノグラファー、ブルーノ・ラトゥールは、このパリ会議を組織し、基調講演を行った。ラトゥールによれば、科学的想像力とは「目と手で考える」問題であった。ラトゥールをはじめとしてワークショップの参加者は、「知覚」や「観察」よりも「視覚化」という用語を用いた。
数年後、Human Studiesの特集号としてワークショップの成果を出版しないかと誘われた。相談の上、「科学的における表象」をタイトルに選び、出版することにした。それが1988に出た。(Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in scientific practice. Special Issue of Human Studies 11(2/3). )
それが単行本として1990年に出された。 Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in Scientific Practice. Cambridge, MA.: MIT Press.
以上、Representation in Scientific Practice Revisited の序文をほぼ直訳調でまとめてみました。
この序文が他にとくに挙げている参考文献は、次です。
Bruno Latour and Jocelyn de Noblet, eds., Les "vues" de l'esprit. Special Issue of Culture Technique, no. 14(June).
これは、ワークショップの発表と類似の論考をフランス語で出版したものだとあります。→Martin Rudwick, Samuel Edgerton, Martin Kemp, Svetlana Alpersの仕事も押さえておいた方がよいでしょう。有名な地質学史家ラドウィックと美術史家アルパースは知っています。ケンプは聞いたことがあるような気がします。ということで、ともかく邦訳だけを調べてみました。
→マーティン・J・S・ラドウィック『化石の意味― 古生物学史挿話』菅谷 暁 , 風間 敏 訳、みすず書房、2013
→マーティン・J・S・ラドウィック『太古の光景―先史世界の初期絵画表現』菅谷 暁訳、新評論、2009
→マーティン・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ―芸術と科学を越境する旅人』藤原 えりみ訳、大月書店、2006
→マーティン・ケンプ& パスカル・コット『美しき姫君 発見されたダ・ヴィンチの真作』楡井浩一訳、 草思社、2010
→ スヴェトラーナ・アルパース『描写の芸術―一七世紀のオランダ絵画』 幸福 輝訳、ありな書房、1993
Samuel Edgertonだけ邦訳が見つかりませんでしたが、『線遠近法のルネサンスにおける再発見』は邦訳の価値はあるのではないかと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチを中心的テーマとする有名な美術史家ケンプは、諸事本リストにはないのですが、学生時代読んだような記憶があります。ちゃんと記録を取るようになる以前のことだと思います。高階先生の美術史の授業をとっていて、読んだことがあるような。
ともあれ、一度、きちんと授業で取り上げないと!
ひとりで4時45分、室温25度。台風が送り込んだ暑さでしょうか。木曜日から気温が高くなっています。夜の間に次の本が届いていました。
E. S. ファーガソン『技術屋の心眼』藤原良樹・砂田久吉訳、平凡社、2009(初版、1995)
この本の出版は知っていました。しかし、「心眼」ならいらないかなと思って買っていませんでした。橋本さんが指摘される通り、原著の Mind's Eye の訳語として「心眼」という選択肢もありえますが、日本語の「心眼」は「知性の目」という原語の意味を伝えません。誤訳に近い選択です。私と同じように理解して、手に取るのを躊躇した人が少なくないのではないでしょうか。
ファーガソンが "Mind's Eye" で伝えようとしてるのは、人間の知性の働きのうち、非言語的なもの、一般にはイメージと呼ばれるものの重要性です。最近の表現では、「頭のなかの視覚的表象」といわれるのではないかと思われます。言語をもたない動物も、視覚的表象による理解・思考をしていると考えることができます。橋本毅彦さんの書物『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』を読みながら、『技術屋の心眼』をパラパラとめくりつつ、調査を続行中。
百科全書におけるカメラ・オブスクラ。フランス語では、“Chambre obscure, ou Chamber close” と表記されています。第3巻62頁〜63頁です。
「人工の眼」に対するクロスレフェレンスがあったり、発明をポルタに帰したりとイギリスの事典を踏襲しています。
理論としては、ヴォルフの光学によるとあります。これはすこし苦労しましたが、ハレ大学数学&哲学教授クリスチャン・ヴォルフ (Christian Wolff) の数学教程をフランス語に訳したものでした。
M. Chretien Wolf, Cours de mathematique, qui contient, toutes les parties de cette science, mises a la portee des commencans., Vol. 2, 1747
第2巻(1747)の最初が、光学基礎 Elemens D'Optique として26頁+1図版を収めています。
百科全書の記述は、これを利用しています。
もちろん、ドイツ語ではすこしスペルが違います。原著は次です。
Christian Wolff, Anfangsgründe aller mathematischen Wissenschaften, 1710
ラテン語訳は、Elementa Matheseos universae, 1713-1715
ヴォルフの著作は、現物を見ればすぐにわかりますが、教科書的なものであり、もともと百科事典的な色合いがとても強い。数学・自然哲学全般に関しても、明晰な記述で、総合的な教科書を書けるのは、オリジナリティは別にして、すばらしい能力です。
百科全書の項目が、ヴォルフの光学を利用していたのは、正直びっくりしました。ヴォルフの位置を考え直してみれば、理解できる話ではあるのですが。
ひとりで5時50分、室温23.3度。晴れ。秋の雲が空にかかる晴れとなっています。
まるで秋のはじめにもどったかのような晴れ間となりました。気温もかなり上がっています。妻は熱が下がったということで、体力が回復しないまま、仕事にでかけました。午前中で終わる仕事ですが、帰りはよれよれになっていると思われます。
→1時半過ぎ、やはりよれよれになって妻は帰ってきました。昼食を食べ、すぐダウン。3時に起こして欲しいといわれました。午後、次の本が届きました。
Catelijne Coopmas, James Vertesi, Michael Lynch, and Steve Woolgar eds., Representation in Scientific Practice Revisited, Cambridge, Mass.; MIT Press, 2014.
こちらは、再訪です。もとのものはあとになります。6時10分過ぎ、おおきいちびが修学旅行から帰ってきました。楽しかったということです。
7時前、ちいさいちびが部活から帰ってきました。汗まみれでした。
ひとりで6時、室温22.5度。曇り。ちいさいちびを6時15分に起こしました。実際に起きたのは、25分です。私は、2学期の授業の開始日です。3限4限5限。
昼食を食べ、11時18分武蔵境発の電車で大学へ。すぐに印刷センター。さすがに混んでいました。レスポンスシートを印刷しました。3限と5限の授業に関しては、受講者数が読めません。多かった場合と少なかった場合の2種類用意しました。
受講者数が読めないのは、1学期に履修登録している学生もいますが、多くは2学期になって(10月1日から1週間以内で)履修登録するせいです。5限の授業は、1学期からの継続なので1学期の登録者数をもとにおおよその目処をつけることができますが、3限の講義は、1学期のもの(概論)とは別物です。「思想文化研究B」という新しい授業です。学生の側にも様子を見てからという判断が働くでしょう。
実際に教室に来ていた学生数ですが、3限が80人から90人といったところでしょうか。5限に関しては、1学期よりすこし(1割から数%)減った感じでした。2回目から参加する学生もいますし、初回だけ参加する学生もいるので、2週目を待たないと正確なところはわかりませんが、おおよそはこういう感じです。久しぶりの3コマの授業は疲れました。暑かったせいもあります。
帰宅すると次の本が届いていました。
Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity, Cambridge, Mass.; Zone Book, 2007
501頁、カラー図版も45点収録してます。売れているのでしょう。すぐに届きました。
ひとりで5時半、室温24.6度。夜、息子は寝言で「あつい」と言っていました。私の誕生日、おおきいちびの修学旅行の日、都民の日(区立都立の小学校、中学校、高校は、お休み)、大学の2学期のスタート、国慶節です。
6時半、おおきいちびは駅に向かいました。同じ時刻、ちいさいちびを起こしました。ちいさいちびは7時25分に小雨のなかでかけました。
科学技術における表象・図表示の問題ですが、橋本さんの著作を探さなくてはとずっと思っていたのですが、今朝、LED 懐中電灯を手に私の部屋を捜索しました。15分ほどで見つけることができました。
橋本毅彦『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』東京大学出版会、2008
日本語ではこれがこの領域の唯一の成書ではないでしょうか。
後ろから読みました。すなわち、文献解題、おわりに―科学技術の活動における図像の機能、の2部分。この「おわりに」がおそらく日本語でのもっとも有用なレビューだと思われます。
橋本さんが挙げる文献は次です。
ファーガソン『技術屋の心眼』平凡社、1995
Wolfgang Lefèvre ed., Picturing Machines, 1400-1700, MIT Press, 2004
橋本毅彦「絵・数・言葉・身ぶり―技術はいかに表現され、伝達されるか」『思想』No.925(2001), 175-189
Lorraine Daston and Peter Galison, "The Image of Objectivity," Representations, 40(1992), 81-123; Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity,, Zone Book, 2007さて、私は本日中に明日の準備ならびに月曜日の準備そして(来週はじまる)金曜日の準備をしなくっちゃです。
10時30分武蔵境発の電車で大学へ。まずは集中講義のレスポンスシートと最終レポートの整理です。個人別にまとめる必要があります。共同研究室に持ち込んで作業しました。90分程度かかったでしょうか。
採点には着手せず、調べもの。1時前に部屋をでて、事務によりました。2箇所で書類を提出。それから生協に行き、簡単に昼食をとって帰ってきました。ずっと降っていた小雨は、帰途、ほぼ止んでいました。帰宅すると妻が元気がありません。すこし前からです。夕食後ダウンしました。8時過ぎに熱をはかると38度。風邪の模様。
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