ひとりで4時50分、室温24.8度。午後に、編集委員会、理事会、等々があります。
朝の6時までに、午後の編集委員会のための仕事(配付資料の準備)をほぼ終えることができました。余裕があれば、もうすこし別の種類の書類を用意するかもしれません。
ひとりで4時35分、室温23.2度。子どもたちが起きてくるまでに、昨日の夜届いた、ブラザーインクジェット複合機 PRIVIO DCP-J952N をコピー機として使えるまでの設定をしました。
といってやったことは、箱から出して、電源コードを繋ぎ、インクトナーを4個入れ、用紙をセットしただけです。
ついで、子どもたちがでかけたあと、プリンターとして使うための設定を行いました。Wifi でも有線LAN でも使えるプリンターですが、まずは、USB で妻のノートパソコンに繋げました。私はとくべつなことがなければ、モノクロで十分です。同じくブラザーのモノクロレーザープリンターを使っています。
→夕刻、妻が中学校の PTA の仕事で早速新しいプリンターを使っていました。もちろんまったく問題ありません。インクのランニングコストは現時点では不明です。暑くなりました。午後5時半現在、室温27.8度。体がまだこういう暑さに慣れていません。わー、あつ。閉め切った体育館のなかでバスケの練習をするちびどもは汗まみれになって帰ってきます。灼熱地獄と言っています。
夜半に目覚めてすこし仕事。
昨日夕刻の天気予報は、今日は暑かったとしきりに言っていました。深夜になってもその熱が残っています。1時半現在24.1度。ひとりで5時半、室温23.0度。快晴です。梅雨入り前の雰囲気は強いので、一日中快晴かどうかはわかりません。
ちびどもは朝練。ちいさいちびは6時、おおきいちびは6時20分というリズムが定着したようです。
3限4限5限。朝学校で事務仕事をしようと最近の定例に従い、小学生が家をでたすぐあとに出かけました。8時42分武蔵境発の電車。
コピーをとって3限の授業の準備をし、その後は、学会出張の書類を提出し、さらにさぼっていたもろもろの事務的書類を作成しました。
生協食堂があく11時ちょうどに昼食をとり、しばらく休んでから、午後の授業の連続。これもいつもの怒濤です。帰宅すると次の本が届いていました。
Jonathan Crary, Suspensions of Perception: Attention, Spectacles, and Modern Culture, The MIT Press, 2001
市川浩『科学技術大国ソ連の興亡―環境破壊・経済停滞と技術展開』勁草書房、1996夕刻、新しいプリンターが届きました。年賀状印刷のために買ったCanonのカラーがかなり劣化しています。カラープリンターは必要なので、アマゾンで購入したものです。
新しいプリンターは、【Web限定モデル】BROTHER A4インクジェット複合機 PRIVIO 白モデル DCP-J952N-ECO-W です。¥ 8,800なのでお買い得だと思われます。
ひとりで6時30分、室温23.3度。学生たちはボート大会の日。午後会議がひとつあります。
午前中に昨日の出張校正の宿題(不完全だった箇所の補い)をこなしました。
昨日と同じぐらいの時間帯で動く予定です。
→昼食をとってから、12時前にでかけました。まず、大学では保健センターによって、健康診断キットを受け取りました。健康診断は来週の水木にあります。いつもながら健康診断はけっこうたいへんです。
1時から科研費の打ち合わせ。1時間半ぐらい。
実は図書館で借りた本をそろそろ返却しないといけないと思い、朝の仕事が終わったあと、私の部屋で探していました。一冊は手元においていましたが、もう一冊が見当たりません。しばらく探して、本格的な整理をしないといけないかとくらいきもちになったのですが、一度あいだを入れることにしました。
大学からの帰途、次女の夏のスカートを受け取りに我が家とは逆方向に10分ほど行った洋服屋さんにより、歩いて帰っている途中、床においているファイルバインダーの間にもぐったのではないかという予想が生じました。妻に次女の制服を渡してから、私の部屋に入り確認するとまさにその通りでした。明日大学に持っていきます。
大きな本なので、必要な箇所をスキャンしてから図書館に返却しようと思っています。
ひとりで3時30分、室温22.7度。昨日の夕刻に降り始めた雨がまだ降っています。しっかりとした雨足です。ちいさいちびと小学3年生は7時に目覚めました。おおきいちびはその少しあと。子どもたちが出かける頃には雨は上がっていました。
[要町]
9時ぐらいまでで今日の出張校正の準備作業をすませることができました。準備は次号(または次次号)の入稿原稿の用意です。ただもって行けばよいというわけではない。編集委員会としてなすべき作業があります。
→ 印刷所は要町にあります。池袋から一駅です。いつもはこの情報によって、新宿まで中央線で行って、新宿で山手線に乗換え、池袋で有楽町線に乗り換えています。一度、ちゃんと調べてみようと思い、乗換案内で検索をかけてみました。地下鉄を使う他のルートがずいぶん出てきました。荻窪で丸の内線に乗り換える、中野で東西線に乗り換える、市ヶ谷で乗り換える、飯田橋で乗り換える等々です。
そのなかでひとつまったく念頭になかったものがあります。新宿で降りて、新宿3丁目まで歩くというものです。ということで、本日は、この路線を通ってみることにしました。地下には、IDC の前から入りました。初めて通る地下通路です。人の出入りがとても少ない。新宿のような場所でも、そう、このように人の利用が極めて少ない通路が存在します。たぶん、都市とはそのようなものなのだと思います。
見慣れない通路を通り、見慣れない電車に乗って、要町で下車しました。ホームの感じも見慣れなかったのですが、いつも使っているホームよりも1階下にあったことがわかりました。こういうふうにいつもと違うルートを使うということを繰り返さないと、一生使わない通路やプラットホームはたくさんあるのだと思います。
校正作業は、1時間20分程度で完了しました。
帰途はいつも通り、歩いて池袋に戻り、山の手線、総武線で帰ってきました。
ひとりで3時30分、室温23.8度。ちびどもは朝練。
私は、2限3限4限。いつもと同じように、息子より先に家をでました。武蔵境に着いたとき、ちょうど8時18分の電車はでたばかりでした。ちょうどよいので、これもいつものように駅の外にでて、昼食のパンを買い、8時30分武蔵境発の電車で大学に向かいました。この時間帯だと事務の方が割と同じ電車に乗っています。授業が連続している場合、始まってしまったら怒濤です。
[ロシアの核・原子力史]
旧ソビエト連邦、現ロシアの核・原子力史を科学史家として取り組まれているのは、今度学会でお世話になる広島大学の市川浩さんです。この分野の市川さんの仕事をまとめておこうと思います。市川浩『科学技術大国ソ連の興亡―環境破壊・経済停滞と技術展開』 勁草書房、1996
市川浩『冷戦と科学技術―旧ソ連邦1945~1955年』ミネルヴァ書房、2007
市川浩・山崎正勝編著『“戦争と科学”の諸相―原爆と科学者をめぐる2つのシンポジウムの記録』 丸善、2006В.П.ヴィズギン(市川浩訳)「ソ連原爆開発計画史における核物理学者の道徳的選択と責任」『技術史 』1(2000 ): 53-68
市川浩「旧ソ連邦における原子力発電技術の形成と展開 On the Making and the Development of Nuclear Power Reactors in the Former Soviet Union」『国際協力研究誌』1(1)(1995): 117-133
市川浩「旧ソ連初の原子爆弾計画の全体像:ロシア連邦原子力省他編『ソ連初の原子爆弾の製造』(エベルゴアトムイズダ-ト1995,露文)を中心に 」『社会文化研究』23(1997): 121-183
市川浩「旧ソ連邦における舶用原子力機関開発の最初期とその問題」『広島大学総合科学部紀要. II, 社会文化研究』28(2002): 1-33
市川浩「戦後の旧ソ連邦における燃料問題と電力技術の展開--火力発電を中心に」『社会文化研究』20 (1994): 15-45
市川浩「旧ソ連邦初の原子爆弾開発計画の全体像(補遺)--最近の出版物から」『社会文化研究』30(2004): 119-148
市川浩「「ソ連版「平和のための原子」の展開と「東側」諸国、そして中国 」」『原子力と冷戦―日本とアジアの原発導入』加藤哲郎・井川充雄編著(花伝社、2013)第6章ちなみに、『“科学の参謀本部”―ロシア/ソ連邦/ロシア科学アカデミーの総合的研究』(科研費中間報告書)論集 Vol. 1 〜Vol. 3 (2011)はウェブで入手できます。原子力、核に関する論考も含まれます。
また、「15年戦争と日本の医学医療研究会」という研究会が2000年6月17日に設立されていました。研究誌は、最新号以外は、ウェブで入手できるようです。(全部に関してはまだ確認していません。)貴重な仕事だと思われます。
15年戦争と日本の医学医療研究会サイト
『15年戦争と日本の医学医療』全巻目次
→ 14.5.29 ダウンロードできるものは、どうも半分ぐらいです。どうしてそうなっているのかはわかりません。たとえば、731部隊や日本陸軍の毒ガス兵器に関しては、とても重要な研究成果が発表されていると言えそうです。
ひとりで5時30分、室温22.3度。午前中練習試合のあるちびどもは、6時過ぎに起こして欲しいという書き置きが台所にありました。おおきいちびが6時15分、ちいさいちびが6時半。
[意味あるコメント]
先週(5月22日)木曜日3限の概論科目で学生諸君に書いてもらったレスポンスシートに意味のあるコメントが多くありました。今後の授業の展開のために有用です。
・17世紀にはアカデミー・学会と大学は別でした。現代のような研究機関としての大学がいつごろ成立したのかということが疑問になりました。
・中世の大学は、組合だと学びましたが、それはいわゆるゼミのような形式(学会)ではなかったのでしょうか。
・学問にもヒエラルキーはあったのでしょうか。あったとしたら、そのランクはどういうものだったのでしょうか。
息子に起こされて6時10分、室温19.6度。息子は、土曜日学校。ちいさいちびは休み。おおきいちびは午後練習試合で落合へ。
月曜日の授業の準備(アップデート)はできました。木曜日3限の授業は着手のみ。およそ話す内容は決まりましたが、スクリプトの作成は明日になると思います。
期末レポートの下案は私が関わるすべての講義科目に関して出来上がりました。もうすこし考えてから公表します。
前からずっと行っている授業に関しては、マイナーアップデート、木曜日3限の新しい授業「思想文化概論」についてはもちろん0から作りました。レポートのテーマとしては、知識/学問のシステム/制度に焦点をあわせたものになります。
ひとりで4時10分、室温19.8度。小学生は6時10分に起きてきました。おおきいちびは、朝練もないのに、6時半に起きてきました。聞くと、早朝ランニングに行くと言います。部活のキャプテンと部長に誘われたので、一度ぐらいはつきあいで行く、私は走らない、と言っていました。
7時半ぐらいに帰ってきて、しばらく勉強をしていました。8時過ぎ学校に出かけるとき、もうお昼みたい、と言っていました。朝から運動と勉強(それぞれ半時間程度ですが)をすると、そういう気分になるようです。大学の教務システムで確認しました。5月8日〜9日が履修登録修正期間、そして5月15日〜16日が履修登録中止期間です。つまり、履修登録は、先週末で確定したことになります。あとで確定名簿をダウンロードします。
[3日間の父子生活]
妻の飛行機は、21時55分羽田着予定です。小学3年生はママにあえるのを楽しみにしていましたが、もちろん、無理。9時にいっしょに一度寝てから、9時半頃就寝を確認し、10時頃、下におりました。ちびどもはそれぞれのことをしています。
グールグで、便名と到着で検索をかけると、トップで約20分 delay という情報を出してくれました。それなら、荷物を受け取る時刻等を考えると、早くて11時半、まあ12時という予想ができました。
ちびどもは11時頃に寝るように言いました。
帰り着いたのは、12時40分頃でした。混んでいたそうです。新宿からは終電になったということです。
ひいばあちゃんの容態を聞きました。ICU に入っているということは聞いていましたが、それだけでは具体性が弱い。昏睡状態ではないようですが、昏睡状態の手前という感じのようでした。
ともあれ、こういうわけで、私の3日間の父子生活は終了しました。
ひとりで2時40分、室温20.4度。さすがに朝目が覚めたということではないと思います。もういちど寝ることになると思います。2回目の起床は、5時20分、室温19.6度。昨日下がった気温がゆっくりと室温にも反映されています。気温は今日また上がるということです。
3限4.5限。
子どもたちの面倒もみています。余裕がありません。
[親の仕事]
昨日の夕刻、小学3年生が宿題を始めました。算数(計算ドリル)と国語(漢字練習と音読)はほぼ毎日あります。
計算ドリルが終わってから、漢字練習に取りかかりました。パパ、ノートがもうない! 話を聞くと、今使っているノートは残り3行しかなく、宿題をやるには足りないということです。私は風呂に入ってのんびりしていたところでしたが、仕方ありません。パジャマから普通の服に着替えて、駅前の文房具店に「84字漢字練習帳」というのを買い出しに行きました。途中まで自転車。自転車置き場に自転車を置いてからは歩き。私のような状況で買い物に来る人はすくなくないのでしょう。この種のノートは店頭においています。1冊だけを買ってすぐに帰ってきました。今朝、9時過ぎに次女から電話がありました。学校の電話を借りているということです。昨夜、布の袋に入れて、玄関に用意していたものがありました。確かに置いたままにしています。さらの英語の教科書も忘れたと言います。学校に持ってきて、と言います。持っていくのはいいのですが、手渡す方法がわかりません。先生にちゃんと聞きなさいと返事をすると、職員室に持ってきてくれればよい、という回答でした。
次女の机のひきだしから英語関係のものを抜き出し、先ほどの布の袋といっしょに中学に向かいました。もちろん自転車。入学式のときに体育館に入ったことはありますが、校舎はありません。正門のところにつくと、警備の人が、職員室への行き方を教えてくれました。2階の職員室に入って挨拶すると、男性教員が荷物を受け取ってくれました。
普段の木曜日であれば、8時前に家をでています。対応が無理だったことになります。
さて、忘れた荷物は、「口腔保健指導」につかう歯ブラシやコップ等でした。虫歯予防のための歯ブラシの使い方を教わるようです。これは他人のものを借りるわけにはいかない。
ともあれ、そう、こういうのが親の仕事です。
ひとりで3時50分、室温23.1度。妻はすこし前に起きていました。危篤になっている祖母のお見舞い/最後の言葉のために、2泊3日の日程で帰台します。
朝一番(7時10分羽田発)の飛行機なので、朝一番の電車ででかけます。総武線/中央線の朝一番は、4時36分。(高尾行きはほんのすこしだけ早い)。
雨が降っています。傘をさしてスーツケースは大変なので、駅までおくっていきました。羽田空港には6時前に着きます。息子は6時10分に起きてきました。ちびどもは7時半頃起きてきました。雨は朝より強くなっています。気温も4時の時点よりわずかですが下がってきています。天気予報によれば、最高気温で昨日より7度下がって18度ということです。
息子とちいさいちびは、7時55分にでかけました。おおきいちびは朝はのんびりしています。おおきいちびは、8時13分にでかけました。
時間があるときに、佐藤俊樹『社会学の方法:その歴史と構造』を読んでいます。面白い。私は卒業論文の時点では、ウェーバーとマートンを扱っています。科学社会学とまでは言えませんが、歴史と社会学がであう領域には今でも深い関心を抱いています。根本的には、クーンニアンと言っていいかと思います。
ひとりで4時25分、室温22.8度。午前中に次の論文をダウンロードして読みました。
H. ダレル・ラトキン「(公開講演会)ヨーロッパ史のなかの占星術:中世・ルネサンスから近代へ」(菊地重仁訳)『史苑』第74巻(2014): 176-203
よい見通しを与えてくれています。大学のゼミ等で使うのに最適です。
ただし、翻訳はもう一歩手を入れてもらった方がよかったと思います。単純なタイプミスの他に、違和感のある訳語の選択が散見されます。また、ボイルの部分はラトキンの解釈が違うと思います。ボイルは錬金術には深くコミットしていますが、占星術にはほとんど関心を示していません。これまで占星術で語られている事象・現象(そうしたものがあるとして)を粒子論的に理解すればこうなるということをボイルは言っています。
おなじ「18世紀、そしてその先に」の節ですが、チェンバーズの『サイクロパエディア』(1728) の序文における占星術への言及を取り上げています。チェンバーズを取り上げるのであれば、チェンバーズがもっとも意識した先行事典、ハリスの『技術事典』(1704)も取り上げてもらえるとよかった。ハリスは「占星術」の項目で、「天体の運動とそのお互いに対するアスペクトから未来の事柄を予言すると言い張る術。・・・そうしたものが存在することを証明すると認めうる根拠はまったくないにもかかわらず、である。・・・」そうしたばかげた話は天文学に関係する以外は取り上げない、と記しています。これは、ラトキンが引用する『ブリタニカ』(1768)の記述にほぼ等しい。
ひとりで4時35分、室温21.6度。ちびどもは朝練があります。いつも通り、ちいさいちびは6時、おおきいちびは6時20分に起こすことになっています。
2限3限4限。
帰宅すると次の本が届いていました。
竹沢尚一郎『人類学的思考の歴史』世界思想社、2007
目次は次です。
第1章 進化論人類学―近代人類学の出発点
第2章 機能主義人類学の成立―フィールドワークと理論化
第3章 機能主義人類学の展開―妖術信仰の理論と実践
第4章 構造主義人類学の先駆―フランス社会学派の貢献
第5章 構造主義とその超克―レヴィ=ストロースとブルデュー
第6章 象徴人類学の成果―社会と宗教を貫く論理
第7章 文化人類学の誕生―「文化」概念と文化人類学の成型
第8章 文化相対主義と解釈人類学―ギアツから実験民族誌へ
第9章 文化批判と人類学―オリエンタリズム批判以降の人類学
第10章 世界システム論と人類学―ふたたび民族誌へ
p.4 に次の表があります。
1871 モーガン『人類の血縁と婚族の諸体系』:タイラー『原始文化』
1922 マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』;ラドクリフ=ブラウン『アンダマン諸島民』
1958 レヴィ=ストロース『構造人類学』
1973 ギアツ『文化の解釈』
1986 クリフォードとマーカス(編)『文化を書く』
ともあれ、文化人類学は19世紀後半の成立だと言えます。竹沢さんは、人類学150年の歴史という表現をされています。
ひとりで5時25分、室温20.8度。昨日に続き、ほんとうによい天気です。日射しは強いが、気温は20度前後だと、爽やかな感じがして気持ちがよい。
息子は6時半に起きてきました。妻は8時5分に起きてきました。ちびどもはもうすぐでしょう。夕刻、次の本が届きました。
佐藤俊樹『社会学の方法:その歴史と構造』 (叢書・現代社会学)ミネルヴァ書房、2011
はじめとおわりだけまず目を通しました。今私が行っている作業(概論の準備)について参考になるアイディアがありました。
→ デュルケーム、ジンメル、ウェーバー、パーソンズ、マートン、ルーマンの6人の社会学者を取り上げています。
佐藤さんは、社会学の基本を「常識をうまく手放す」と「社会が社会をつくる」という2点にまとめています。悪くない整理だと思います。→ 14.5.25
sociologie 1838 by Auguste Comte(1798-1857) コント
sociology: 1843 (英語)
オーギュスト・コント physique social 社会物理学 として社会学を創始。
コント『実証哲学講義』(1830-1842);『実証主義の一般的視点』(1865)
知識発展の3段階説:神学的→形而上学的→実証的
スペンサー (Herbert Spencer, 1820-1903) 『発達仮説』(1852-54) ;『進歩について:その法則と原因』(1857) ダーウィンに先立ち進化論を唱えた。社会有機体説に基づく生物と社会の進化論の構想。
エミール・デュルケーム (Émile Durkheim, 1858-1917) 『社会分業論』(1893);『社会学的方法の基準』(1895);『自殺論』(1895)
ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel, 1858-1918) 『社会学』(1908)
マックス・ウェーバー(Max Weber, 1864-1920) 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904-05);『理解社会学のカテゴリー』(1913);『社会学の根本概念』(1921)タルコット・パーソンズ (Talcott Parsons, 1902-79) 『社会的行為の構造』(1937);『社会大系論』(1951)
ロバート・マートン (Robert K. Merton, 1910-) 『社会理論と社会構造』(3rd ed., 1968)
ニコラス・ルーマン (Niklas Luhmann, ) 「社会システム理論としての社会学」(1967);『目的概念とシステム合理性』(1973)
ひとりで4時35分、室温20.3度。ちびどものバスケは、12時からということです。午前中はのんびりできます。
家のなかにいるのがもったいないぐらいの好天です。光がまぶしい。
おやつの時間帯に散髪屋さんに行ってきました。息子を連れて行くつもりでしたが、息子は明日にするということでした。
ひとりで4時5分、室温20.5度。
6時半現在、まだだれも起きてきません。朝練のない朝は、このぐらいの感じです。小学3年生は、7時前に起きることに拘りがあり、実際6時から7時の間に起床します。最近は7時前のことが多い。午後、次の本が届きました。
佐藤彰一『禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源』中公新書、2014
諸所で話題の書物です。第1章は「古代ギリシャとローマの養生法」、第2章は「女性と子供の身体をめぐる支配連関」です。われわれにも関係するテーマです。ここから話が始まるとは予想していませんでした。
→ 14.5.17 あとがきを読んでみると、この書物の核となる内容は、1991年と1992年の2年間にわたり名古屋大学文学部の「特殊講義」で話したことだとあります。また、依拠した文献としては、アリーヌ・ルーセル『ポルネイア―身体の統御から感覚の剥奪へ、2世紀―4世紀』(1983)とその続編『信じることと治癒すること―古代後期ガリアにおける信仰』(1990)の2冊を最大のものとして挙げています。
さらに、ピーター・ブラウン『初期キリスト教時代における肉体と社会―男と女と性の放棄』(1988)を論述のシナリオとして参考にした、とあります。
→ ともかく、2章までを読んでみました。びっくり。私がこの時代のことに無知なだけかもしれませんが、あまりにあまりな世界が描かれています。
仮にこの時代に生まれてくる子どもが自分がどういう世界に生まれるのか知っているということがあったとすれば、ほとんどは拒否しただろうと思われる世界です。
ひとりで4時30分、室温22.6度。雨。夜半から雨が降り始めたようです。
昨日から継続の仕事(学会の編集の仕事)を朝のうちに終わらせました。後は、印刷所にゆだねます。そして、最後に出張校正。(→ 2014.5.27 に決まりました。)朝練のあるちいさいちびを6時、おおきいちびを6時20分に起こしました。
小学生がでかける少し前にでました。雨はでかける頃には止んでいました。
8時半武蔵境発の電車。8時半は1限が始まる時刻です。多磨駅につくとやはりダッシュする学生が数名いました。
2限の時間帯にお客さん。夫婦でお見えになりました。3限4限5限の授業。
帰宅すると次の本が届いていました。この部屋のどこかにあるはずの本ですが、ずっと探していて見つかりません。重なるのを承知でアマゾンのマーケットプレイスに注文したものです。
市場泰男『夢か科学か妄説か―古代中世の自然観』 平凡社 自然叢書、1987
この書物は、日本の科学史の世界ではあまり知られていないと思いますが、大学の授業等、けっこう重宝します。第7章「現象を救う」は、本人があとがきで書かれている通り、デュエムの『現象を救う』の内容の邦語でのもっとも手頃な紹介になっています。(デュエムの書物は、どうしてあまり邦訳されないのでしょうか? せめて『現象を救う』ぐらいは邦訳されていてほしいように思います。)
目次は次。
第1章「科学以前の地球像―金属や鉱石はどうしてできたか」
第2章「泉や川の水はどこからくるのか」
第3章「山はどうしてできたか」
第4章「地震はなぜおこるか」
第5章「物はなぜ見えるのか―古代中世の視覚論争」
第6章「自然は真空を嫌う」
第7章「現象を救う」
第8章「衛星か、突起か、斑紋か、雲か―土星の環をめぐる論争」
同じく、著者本人のあとがきによれば、
第4章は、F. D. Adams, The Birth and Development of the Geological Science, 1938 の紹介です。
第6章は、Edward Grant, Much Ado about Nothing, Cambridge, 1981 の紹介です。
→ 2014.5.17 せっかくなので、第1章だけ読み直しました。平井さんとの論文で扱った問題を扱っています。金属と鉱物の起源です。今読むと、え? の箇所がすくなくありませんが、1987年出版の本を買って読んだときにはそういうことに気づく知識はなかったと思われます。(いつ読んだかの記録は、もとの本を探し出さないとありません。半日探せば見つかるでしょうが、半日はさすがにつらすぎる。)
この市場さんの本のよい所は、正直に書かれている点です。あとがきに、第1章から第4章は、Frank Dawson Adams, The Birth and Development of the Geological Sciences, 1938 によるとあります。「正直にいって、ほとんど丸移しに近いものです。」と告白されています。実はこの書物も2冊手元にあります。これはすぐわかる場所にあるので、1章のもとの記述が pp.280-90 前後にあることはすぐに見出しました。
比べてみると、たしかに市場さんの文章は、アダムスをまとめられているだけです。→ 14.5.21 あとがきに次のようにあります。「このような古代・中世の、しかも現代科学とほとんどかかわりのない科学以前の理論や思索を調べるとなりますと、これはもう先人の研究に全面的にたよるほかありません。日本科学史は別ですが、西洋科学史の関係では日本国内にいるかぎり直接一次資料に接して独自の発見や解釈をすることはできない相談ですから。・・・
ですから積極的にさがす道はなく、いわば偶然まかせ、向こうから手の中に落ちてくるのを待つほかありませんでした。この本を書くのに基本的な資料として利用した本のうち、なんとグラントの真空の本1冊を除いて、すべて私が古書店で偶然にみつけたものなのです。」(p.217)
市場泰男さんは、1924年生まれ。この本の出版は1987年です。おおきな時代区分で語れば、昭和の時代は、こうだったと言ってよいでしょう。
ひとりで4時35分、室温21度。会議の日。
朝、編集の仕事をひとつすませてから、大学に向かいました。電車がでたばかりだったので、いつものように駅の外にでて、昼食のパンを買い、10時6分武蔵境発の電車。2限は10時10分です。多磨駅に着くと、2限の開始に間に合わないと思った学生たちがダッシュしていました。
部屋で捜し物。見つかりませんでした。どこに置いたのかまったく記憶がありません。仕方がないので、懸案の片づけに着手。
12時から12時40分過ぎまで会議。
1時から4時まで空いた時間で、過去のレスポンスシートを読み、採点しました。そしてまたわずかに片づけ(書類の整理)。
4時から会議。6時まで。急いで帰宅。旅行から帰ってきたちいさいちびが疲れた顔で座っていました。
ひとりで5時5分、室温21度。昨日の夕刻から降り始めた雨がまだ降っています。ただし、すぐにやみそうです。小学生は尿採取。7時前に起きて、尿採取を行いました。
ちいさいちびは新潟。さて天気はどうでしょうか。
おおきいちびは、朝練がないので、ゆっくり起きてきて、ゆっくりでかけました。大学当局より、シラバスの英語化を求められています。簡単化と思っていたら、結構時間がかかります。単純に数が多いせいです。
休憩をとりつつですが、シラバスの英語化をなんとか終えたのは、午後8時でした。わー、しんど。現時点でシラバスを英語化したところで学生の履修行動には影響しません。基本コンセプトが伝わればよいと考えて、英語化しました。ともかく、英語になおしたというレベルです。
ひとりで4時5分、室温21.3度。ちいさいちびと妻を6時に起こすことになっています。ちいさいちびはクラスが仲良くなるために、ということで2泊3日で新潟に行きます。田植えを体験するそうです。虫がイヤだと言っています。おおきいちびは、自分たちのときが日帰りだったので、いいな、いいな、としきりにうらやましがっています。
ちいさいちびは、自分で5時半に起きました。前の夜6時に起きる6時に起きると念じていたら、5時半に目がさめたと言っています。
おおきな荷物をかかえて7時前にでかけていきました。
おおきいちびは朝練があるので、やはり、7時前にでかけました。私は、2限3限4限。今日は8時過ぎにでかけました。印刷センターで印刷をし、研究室に行き、しばらくして降りてきて101の授業です。
ひとりで4時55分、室温19.8度。母の日。6時20分におおきいちびを起こすことになっています。午前中に練習試合があります。ちいさいちびの部活は昨日今日と休み。
午前中に、息子を原っぱ公園に連れていきました。柔らかいボールとソフトボールのふたつをもっていきました。息子は自転車、私は歩き。はらっぱの真ん中でキャッチボールをしました。
小一時間で帰宅。午後は、夕食の買い物。4時過ぎのセイユーはとても混んでいました。
ひとりで4時35分、室温18.6度。ちびどもは土曜日学校。午前中で終わりますが、授業があります。妻は、土曜授業の公開があり、PTA の仕事として窓口に座るそうです。そういうわけで、息子と私がお留守番。
人口問題。
日本創成会議 のサイトに有用な基本データと提言があります。個人的には、この問題が日本社会が腰を据えて取り組むべき最大の問題だと思われます。基本データがpdf と エクセルファイルでダウンロードできるようになっています。
私の出生地の数字を見てみます。平成の市町村大合併でいまはみなべ町になっていますが、私の気持ちではまだ村です。それはともかく、2010年の人口が13,470人。2040年は 社人研推計で9,417人。36.4%減です。人口移動が収束しない場合は、2040年8,573人です。53%減。
紀南でもっともましなのが日高町で(社人研推計だけを使えば)21.3%減。ひどいのは、由良町の58.6%減、すさみ町の59.6%減、太地町の58.8%減です。
紀北にはもっとひどい数字があります。紀美野町で68.2%減。高野町で71.7%減。午前中に近所の本屋さんに行って、最新号の『中央公論』を買ってきました。2014年6月号。冒頭の記事がまさにこの問題を扱っています。<緊急特集>増田寛也+日本創成会議・人口減少問題検討分科会「消滅する市町村523全リスト」です。資料は上のサイトのものと同じものによっています。
2番目の特集は、佐倉統・片瀬久美子・八代嘉美「STAP 細胞事件の真相:不正はなぜ防げなかったのか」
ひとりで5時40分、室温19.9度。ISIS が届きました。Vol. 105, No. 1, March 2014 . Focus は「神経科学」"Neurohistory and history of science" です。
私に関係すると思われる書評を読みました。"Essay Reviews" で(応答を除き)4本を掲載しています。日本語でももっともっと多くの Essay Review が書かれるべきだと思います。昼さがり、雨が降って一気に気温が下がりました。 東京はそれほどでもありませんでしたが、テレビによれば10度近く下がった場所もあるそうです。
息子がピアノから帰ってきてからすぐに耳鼻科に連れていきました。学校の健診で耳垢をとってもらうよう指示があります。耳垢をとるだけなのですぐに終わって帰ってくることができました。プールに入るためには、耳鼻科のお医者さんの書類が必要です。
ひとりで3時50分、室温18.8度。朝起きてすぐに小学生はギョウ虫検査、ちびどもは尿検査。
木曜日ですが、大学は月曜日の授業を行います。たぶん小学生と同じ頃出かけることになります。
研究室の片づけが全然できていません。ちびどもは朝練にでました。小学生はまだ着替えてもいませんが、大学に行くことにしました。急げば7時54分武蔵境発の電車に間に合ったのですが、12分の余裕をとって、駅の外にでました。駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、高架の下のショッピング施設を見てくることにしました。新しい飲食店が数店できていました。便利な場所ですが、人は集まるのでしょうか。見当がつきかねます。
8時6分発の電車に乗りました。時間に余裕があるので、多磨駅からは人見街道の方に向かい遠回りして大学に向かいました。大学に着いたときにはちょうど印刷センターがオープンしています。拡大コピーを取り、それから学生配布用資料をリソグラフで印刷しました。
片づけは不要な書類を捨てることから始めました。多くはできません。
昼食後は、これまで受け取っているレスポンスシートを学籍番号順に並べ替える作業を行いました。100%かどうかは確認していませんが、目に付いたものは全部並べ替えました。木曜日3限のものは全部目を通しました。
あまりがんばりすぎると疲れ果てます。適当なところで切り上げ、帰途へ。帰宅すると次の雑誌が届いていました。
『nature (ネイチャー) ダイジェスト』 2013年 11月号
まず、「医学生物学系論文の多くは再現できない!」を読みました。本文のヘッドタイトルは「医学生物学論文の70%以上が、再現できない!」とあります。もとの記事は次です。
Meredith Wadman, "NIH mulls rules for validating key results," Nature, Vol. 500(August 2013), pp.14-16
他に次のような記事があります。
「繊維芽細胞から卵を作り出した科学者たち」
「2011 年に出版された論文の半数が無料で読める」夕刻次の雑誌が届きました。
『学術の動向』 2014年 03月号
特集1が「科学・公益・社会―情報発信のあり方を考える―」
特集2が「原子力発電の社会的普及プロセスの歴史的検討」
両方ともにほぼ(全部ではありません)読みました。間違っているとは思いませんが、言い方が偉そうなのが気になります。届くべき人に届かないことになります。「原子力発電の社会的普及プロセスの歴史的検討」特集の目次は次。
兵藤友博「特集の趣旨 」
佐野正博「原子力に関する社会的イメージの歴史的形成」
横田陽子「戦後日本における環境放射能調査の経緯とその実像 ─原子力の導入・利用政策との関連で」
田中三彦「日本の商用原子力発電システムの導入当初の設計技術レベルについて」
木本忠昭「原子力をめぐる科学者の二重性 ―科学・技術の社会的存在形態 」「科学・公益・社会―情報発信のあり方を考える―」特集の目次は次。
矢川元基 ・ 大塚孝治 ・ 高橋桂子 ・ 今田正俊「特集の趣旨」
今田正俊「科学者から社会への情報発信のあり方について: 日本学術会議小委員会の議論を踏まえた問題提起」
田中知「エネルギー・原子力分野からの情報発信」
岩崎俊樹「不確実性に配慮した放射性物質の拡散予測情報の活用」
高橋桂子「大気海洋拡散シミュレーションと情報発信問題 ―現場科学者からの問題提起」
松本三和夫「構造災と制度設計の責任 ─科学社会学からみる制度化された不作為」
大西隆「日本学術会議と情報発信 ─歴史的な展開と緊急時におけるあり方」
小出重幸「コミュニケーションの喪失と社会的混乱 ─日本と英国の福島事故へのアプローチ」
今田正俊 ・ 萩原一郎「まとめと今後」
ひとりで5時5分、室温17.2度。前の日より3度以上下がっています。いくらか寒く感じます。快晴。子どもたちは学校の再開。
そう言えば、ワールドカップブラジル大会の日程を確認していないやと気付き、確認しました。
日本時間で、初戦 コートジボワール戦 6月14日22時〜
第2戦 ギリシャ戦 6月19日19時〜
第3戦 コロンビア戦 6月24日16時〜
何とか見ることができそうです。午後、次の本が届きました。
田中幹人[編著]『iPS細胞:ヒトはどこまで再生できるか?』日本実業出版社、2008
巻末の「再生医療に向けた幹細胞研究の動き」(pp.248-9)図は有用です。もともとは、東京電力が出していた科学広報誌『イリューム』38号(2007), p.66 に掲載されていた図です。それを改編したとあります。[月曜日2限「科学技術と社会」4回目]
朝のうちに、明日の授業の準備をほぼすませることができました。
ビデオ Stem Cell Revolutionを見て、幹細胞の歴史をサーベイします。ES細胞、iPS細胞にも触れます。「STAP細胞」には触れるだけに止めます。幹細胞の国際学会は、2002年に創立されています。International Society for Stem Cell Research (ISSCR)。イリノイ州に本拠をおくとあります。Official Journal は、Cell Stem Cell です。2007年創刊で、日本国内では11館が所蔵しています。
タイトルに Stem Cell をもつ雑誌で一番古いのは、Kargerから出ていた Stem Cells です。Vol.1, No.1(1981) - Vol. 2, No.62(1982) の62号で終わったようです。
AlphaMed Press発行の Stem cells は、1993年創刊で、今も続いています。
Journal of hematotherapy & stem cell research は、1992年創刊ですが、International Society for Hematotherapy and Graft Engineering が発行で、発刊時の名称がJournal of hematotherapy です。幹細胞の語はあとから入っています。
1999年発刊のCloningは、第3巻(2001)からCloning and stem cells に名称変更しています。
Stem cell reviewsは、2005年発刊でたぶん現在も続いています。
Journal of stem cells は、2006年発刊です。
Current stem cell research & therapy も、2006年発刊です。
Stem cell research journal は、2007年発刊。
Current protocol in stem cell biology も、2007年発刊。
Stem cells translational medicineは。2012年発刊です。
日本語では、タイトルに『幹細胞』をうたう雑誌はまだないようです。また、幹細胞をタイトルにもつ学会もまだ存在しないようです。日本で目立つのは、日本再生医療学会と日本造血細胞移植学会の活動です。
ひとりで4時30分、室温20.4度。ちびどもは午前練。妻には5時半に起こすように言われています。
おおきいちびは6時50分、ちいさいちびは7時半頃家をでていきました。
ちいさいちびは1時40分帰ってきました。友達と映画に行く約束があります。駅での待ち合わせが2時。超特急で昼食をかきこみ、走って出ていきました。おおきいちびは、ちいさいちびの10分後ぐらいに帰ってきました。おやつの時刻が過ぎてから、小学3年生のキャッチボールに付き合ってやりました。子供用の軽くて柔らかいボールがあります。そのボールを使って素手でキャッチボール。去年より強いボールを投げることができました。クラスでは小さい方ですが、進歩はしています。あるいは成長でしょうか。
昨日は、地震ではやく目覚めた小学3年生が昼寝をしました。今日は、部活で疲れたおおきいちびが昼寝をしました。明日からまた学校です。必要な休憩だったのでしょう。
連休中なので、趣味の話をすこしだけ。
駅で大学の同僚に西武多摩川線は昔川砂利を運ぶため敷設された路線だという話を聞いたことを思い出しました。自分の目で確認したいと思い、ウェブを検索してみました。次のサイトが見つかりました。
西武多摩川砂利採取線
地図と古い電車の写真があります。これが見たかった図&写真です。
ウェブの情報をまとめれば、1910年、武蔵境〜北多摩間で多摩鉄道が開通した。1922年、是政まで延伸。1950年、全線電化。1964年、砂利の採取禁止。1967年貨物廃止。名前は、何度も変わっているということです。→ 14.5.8 まさに電車に砂利を積み込むシーンが見たいと思い、もうすこし検索をかけてみて、次のサイトに出会いました。
地方私鉄1960年代の回想
「 高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間」という言葉から始まるサイトです。「空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ」とあります。今となってはとても貴重な写真です。
是政線の1962年(昭和37年)の砂利積込場です。私は4歳です。4歳の私がそもそもこういう場所に来る可能性はほぼ0だったわけですが、何か懐かしい感じがします。
私の故郷にもっと近い御坊臨港鉄道(紀州鉄道)(1964年7月)の写真も撮られていました。わおー、ほぼ全国を回られている感じです。鉄道にはまるひとはすごいなと思います。御坊はおじさん(母の兄)が住んでいます。たまに行ったことがあり、紀州鉄道に乗ったこともあります。学生時代だったと思います。
ひとりで4時45分、室温19.7度。5時20分頃、比較的大きな地震がありました。震度は3か4です。息子が起きて、パパ、だいじょうぶ?と言ってきました。大丈夫と答えると再び寝床に戻りました。
子どもの日。おねえちゃんたちが行った「アナと雪の女王」に小学3年生に行きたいと言うので、昨晩妻が予約を試みたところ全席埋まっていました。子どもの日ですし、人気に火がついた状態では仕方がありません。別の機会をさぐります。
ちなみに、この映画の主題歌も子どもたちに大人気です。映画を見ていない小学3年生も歌えるようになっています。おおきいちびがプレッツェルが欲しいというので、新しくオープンした吉祥寺東急駅ビルのアンティ・アンズまで朝一番で買い出しに行くことになりました。9時53分西荻発の電車に間に合いました。新しいビルには入ったことがありませんが、アンティ・アンズは改札を出るとすぐにわかりました。開店は10時。おおきいちびと二人、5分間ガラス戸の前で開店を待ちました。アンティ・アンズはビルの一番入り口。すぐに並びました。3人目か4人目だったと思います。5つセットで1250円というのにしました。1個250円という高さですが、子どもたちには人気です。
駅前のパン屋さんで明日の朝食のパンを買い、コンビニでミルクを買って帰りました。10時25分。電車に乗っての買い物ではほぼ最速でした。ちびどもは午後練。
小学3年生は、妻が吉祥寺に連れ出しました。東急に行くと言っています。久しぶりにゲームをするつもりの模様。昨日届いた『幹細胞の謎を解く』を読み始めました。今は簡単に「幹細胞」という表現をとりますが、1970年代においても、「幹細胞」という言葉はそれほど広まっていたわけではないようです。
「幹細胞」研究史として、(まだ途中までしか読んでいませんが)この本はよく出来ていると思います。
→ 14.5.7 読み終わりました。よく出来ています。ただし、もっと別の観点からの整理も必要だと考えました。科学史・科学哲学的なアプローチがもっともむく領域だと思います。どなたか挑戦してみませんか。→ 14.5.6 細胞そのものの歴史も必要です。(『幹細胞の謎を解く』pp.40-1)
細胞が生体を形作る基本ブロックであるという認識は、19世紀です。1838年から39年に出発点を取ることができるでしょう。(シュライデンとシュワン)
1855 ウィルヒョーが「すべての細胞はひとつの細胞から生まれる」ことを発見
幹細胞の表現、19世紀のドイツ語にはあったが広まらず。
1970年代においても、「胚細胞」や「胎児細胞」の方が一般的であった。
ひとりで5時、室温20.3度。昨日と比べるとわずかに肌寒く感じます。朝一番で次の本が届きました。
アン・B.パーソン『幹細胞の謎を解く』渡会圭子訳、谷口英樹監修、みすず書房、2005
原著は2004年です。その時点までの幹細胞の歴史です。幹細胞研究史として日本語ではこれが一番基本かもしれません。夕刻、次の2冊が届きました。
『nature (ネイチャー) ダイジェスト』 2014年 03月号
『nature (ネイチャー) ダイジェスト』 2014年 04月号
3月号は「初期化の新しい原理発見!」として STAP細胞 を冒頭にもってきています。同時に、「イタリア警察を動かしたゲル画像不正検出技術」という記事もあります。これは、イタリア北部でメタ分析サービスを提供するバイオ・デジタル・バレー社の社長が生物医学のデータベースを構築する際に、汚染された文献を排除しようとして、不自然な電気泳動ゲル画像をチェックしたところ、全体の4分の1に不正が見つかったこと、さらに8本の不正が見つかった人物がイタリアの著名なガン研究者であったことを報告しています。
STAP細胞の報告のすぐ後ろにこの記事です。画像の編集に関しては、それぞれの学会できちんと検討して、ガイドラインを作る必要があると思います。
個人的には、見やすくするための編集作業が捏造とか偽造にあたるとは思いませんが、編集の内容について検証の仕組みが必要だと思います。
4月号は「ゲノム編集が未来を開く」を冒頭に掲げています。次に「結晶構造学の100年の歩み」という記事があります。[月曜日2限「STS」4回目準備]
試作段階です。コメント歓迎します。(作成中)
1903 ハーバート・ウェーバー、"Clone" という語をつくる
1952 アメリカのロバート・ブリッグスとトーマス・キング、胚細胞の核移植によりカエルのクローン作成に成功
1954 ステイーブンス、マウスのテラトーマに多能性細胞を見出す
1962 カエルのクローン作成に成功
1963 アーネスト・マコラックとジェイムズ・ティル、マウスの骨髄に幹細胞が存在する実験結果を発表(『再生医療への道』ではマッカローの表記ですが、固有名詞発音辞典によれば、その発音はテキサスのもののようです)
1978 イギリスで「試験管ベービー」ルイーズさん誕生
1981 マウスの胚性幹細胞発見( By Martin John Evans and M. Kauffman;By Gail Martin)
1984 マーティン・エヴァンス、マウスの初期胚から胚性幹細胞を樹立
1987 オリバー・スミシーズとマリオ・カペッキ、ノックアウトマウスの作成技術確立
1992 ベルギーで卵細胞室内精子注入法が開発される
1997 ロスリン研究所で、クローン羊ドリー誕生(2003、安楽死)
1998 日米でクローン牛誕生;ヒト胚性幹細胞樹立( by J. Thomson);若山照彦らがマウスの体細胞クローンの作成に成功
2001 テキサスM&A でクローン猫誕生
2002 キャサリン・ヴァーフェイルたち、マウスの骨髄から多能性幹細胞樹立報告
2003 日本で初めてヒトES細胞樹立(京大中辻憲夫)
2004 韓国で、犬のクローン誕生(by ファン・ウソク)
2006 山中伸弥たち、マウスでのiPS細胞の樹立報告
2007 山中伸弥たち&トムソンたち、ヒトiPS細胞の樹立報告
2014 小保方ら、STAP 細胞(?)報告幹細胞だけに注目すれば、幹細胞が存在しなければならないという証明(1963)から、これが幹細胞ですと示す(1981)まで20年近く(18年)かかっています。20世紀後半のこの分野で18年は長い。幹細胞だけを他の細胞から区別して取り出し培養するのが相当困難だったということを意味しています。
この分野は、最近の発展です。National Geographics のニュースには「幹細胞注射でマウスの“若返り”に成功」とか「若い血液との交換で若返りが可能?」といったものがあります。
ひとりで4時30分、室温21.4度。今日はおおきいちびだけ用事があります。おおきいちびのチームが3回戦で敗退した大会の決勝戦を午後見に行きます。中学女子バスケの状況は、おおきいちびがバスケ部に入ってからの2年間あまりでかなりわかるようになりました。区立の中学であっても、強いチーム(杉並区では西高の隣にある西宮が圧倒的に強い)には、ミニバスをやっていてある水準に達している子達が集まります。そのために親は相当無理をしていると思われます。ともあれそうやって一部の学校では、強豪校の伝統が継続します。
ちなみに、会場は、王子駅近くの飛鳥高校ということです。練馬区、杉並区、中野区の3区の大会の決勝戦ですが、北区にある都立校の体育館を借りるようです。
→8時10分過ぎ、おおきいちびが起きてきたので、正確な情報を聞きました。上は間違いです。3区大会の決勝戦は、杉並区和田にある私立佼成学園中学校が会場です。飛鳥高校は高校の試合です。バスケ部員が二手に分かれてビデオを撮り、あとでお互いに行かなかった方のビデオを見て、研究するのだそうです。おおきいちびは高校に行くということです。中学の決勝戦は、予定通り、西宮対石神井西だそうです。
ちなみに新入生は、休みということです。
→ ウェブに決勝戦を除く東京都中学校バスケットボール第3ブロック大会の組合せと結果がありました。西宮は、初戦は150対3、次の試合は150対11、その次は112対26、ベスト4を決める試合では102対43で買っています。そして準決勝は、おおきいちびたちに勝った中野に91対41で買っています。
石神井西と比べた場合、数字だけを見ると、西宮の方が強いようです。しかし、おおきいちびが試合を見に行った友達から得た情報によれば、西宮のエースのPG の子が途中でケガをして、交代となった後、逆転されておよそ10点差で負けたということです。
→ 14.5.4 翌日、おおきいちびが借りてきた試合のブルーレイを見て、上と状況が違うことがわかりました。西宮は最初から不調でした。150点を取ったチームとはとても思えません。完全にペースを石神井西がとっていました。ハーフで同点。その後、ほぼ20点差まで引き離されています。7番の子は、無理につっこんでいって失敗するというのを繰り返していました。もちろん力がある子なので、たまにはゴールしますが、明らかに不調です。ゲームの終わりが近づいたころ、自分で切り込んでいって膝から落ちました。相手のファールではありません。
→14.5.5 気になるのでビデオで何度か確認しました。たぶん、靱帯損傷→膝が折れる→膝から倒れる、という順序でした。
西宮にとっては歴史的敗北になるのではないでしょうか。目と体の健康のため、午後息子を外に連れ出しました。遠くに行ってもよかったのですが、息子が近所がよいというので、近所の公園にボールをもってでかけました。息子は自転車。荷台にサッカーボール。私は徒歩で柔らかいボールをひとつ手に持ちました。
しばらくサッカーにつきあってやりました。そうこうしているうちにひとりで遊び始め、そして、新しい友達を見つけました。幼稚園のときの1つ上級生の子がお友達と来ていました。仲良く遊んでいます。
3時間。
4時になったら帰宅することにしました。私はその間、肩の運動を行っていました。肩凝りでがちがちです。ともかく自分でいろんな方向に延ばすストレッチを行いました。
ひとりで4時15分、室温21.3度。小学生は遠足。高尾山に行きます。
ちびどもはバスケの練習試合(中学校は創立記念日で休みの模様)。ともに朝が早い。妻には、5時半に起こすように言われています。
→ちびどもは7時前に出かけていきました。小学生は、7時40分頃でかけました。快晴で遠足には絶好の日和です。もしかしたらすこし暑いかもしれません。3人ともお弁当をもってでかけました。妻が早く起きたのはそのせい(お弁当つくり)です。新装なった『科学史研究』最新号、すなわち通巻269号、2014年4月号をほぼ読み通しました。
個人的な評価を記します。
研究や学問が新しいことに挑戦することは基本よいことです。基本的には、よいほうに向かっていると言えるでしょう。
とくに、1号あたりのページ数を大幅に増やした点は、よいと思います。今回の号で124頁です。前号、すなわち古いシリーズ(第II期の最後)のNo.268で80頁です。手元にある古い号で適当にみてみると、No.240で64頁です。これまでは基本64頁でやってきたと思います。
ちなみに、ISISの2013, No4 は223頁です。個人的にはこういう厚さが望ましいと思います。そう、私は、以前からずっと『科学史研究』にはISISを目指して欲しいと思っています。
もう1点、これまでの投稿規程に非常に不自由な点がありました。論文で400字詰め原稿用紙40枚という上限を決め、かなり厳格にその上限を守っていた点です。この点は最近はいくらかゆるめられていました。No.240(2006)の時点で400字詰め原稿用紙50枚、No.268の時点で25,000字(400字詰め原稿用紙換算62.5枚)です。数学や医学の論文ではないのですから、以前の400字詰め原稿用紙40枚という上限はあまりにも不自由でした。
組み版:以前は2段組でした。活字も小さく(印刷所の方に聞けばすぐにわかると思いますが、私にはぱっとみてポイント数がわかるほどの知識はありません)、老眼が進んでいる身にはすこし読みづらいものでした。新しいシリーズは、1段組で活字はいくらか大きくなっています。ぱっと見た感触は、『生物学史研究』に似てきています。読んだのは、次です。
【特集】科学史技術史の現在・過去・未来(1)
伊勢田哲治「科学哲学から見た科学史、技術史」
伊藤憲二「日本における科学史の社会的基盤と社会的インパクト」
岡本拓司「科学とは何か: 教室での経験から」
菊池好行「科学史というディシプリン?」
鈴木晃仁「医学史の過去・現在・未来」
橋本毅彦「技術と標準: 航空機をめぐる技術システムと基準・規約の体系」
見上公一「「分野」という社会的構築: 分野共生への期待」
【研究ノート】
諫早庸一「科学史とグローバル・ヒストリー --時空間と科学を再考するための問題提起として」
【シンポジウム】
兵頭友博、佐野正博、横田陽子、田中三彦、木本忠昭「公開シンポジウム報告「原子力発電の社会的普及プロセスの歴史的検討」」
それに4点の書評です。
特集に関しては、著者のひとりでもある鈴木晃仁氏の批判が当たっているでしょう。ウェブで検索をかければすぐにヒットしますが、敬意を表するために引用しておきます。つぶやき(@akihito_suzuki)からです。「特集 を組む時には、編集とそれぞれの執筆者の間に、どのようなタイプの原稿が求められているのか、合意をつくるべきでした。」ともあれ、前向きにはなっていると思います。長期的ビジョンは難しいでしょうが、数年の中期的ビジョンのなかでよいものを実現していってもらえれば、と願っています。
ひとりで3時55分、室温20.4度。雨は上がっているのでしょうか。→起床の時点でこぶりになっていただけでした。すぐに雨音が聞こえるようになりました。おお、もう、5月。
3コマ連続の授業を行って帰宅すると次の本が届いていました。
サリー・モーガン『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ (人がつなげる科学の歴史) 』 徳永優子訳、文渓堂、2010
裏表紙には「図書館用堅牢製本図書」とあります。本文にはルビがふっています。即ち、子ども用の図書です。基本を理解するため、通読するのにちょうどよい本です。
「 人がつなげる科学の歴史」シリーズは、全5巻です。
第1巻『ワクチンと薬の発見―牛痘から抗生物質へ』
第2巻『宇宙の発見―天動説からダークマターへ』
第3巻『光の発見―ニュートンの虹からレーザーへ』
第4巻『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ 』
第5巻『新エネルギー源の発見』
文系の学生諸君も、一般読者の方も、最初に通読する本としてこのシリーズはよいように思われます。
→ 14.5.2 夜に読み始め、9時前に読み終わりました。教育の場面で、この種の本はとても有用です。学校の図書館や理科室(理科室に本を置くのがダメなら理科室の隣にこういう本を置いている資料室があると便利だと思います)に常置されるべき本だと思います。
この『再生医療への道 』は、本文60頁弱です。大人ならば1時間以内、子どもでも2時間はかからず読み通すことができると思います。副読本として、数多く作成され、すべての小中高学校の図書館に常備されるべきだと考えます。
もちろん、作るときには丁寧に作る必要があります。→14.5.3 気になるので、もとの英語版を調べてみました。シリーズは "The Chain Reactions Series"です。「21世紀の主要な科学的進歩の歴史と展開を説明するものであり、それぞれの巻は、あるひとつの発見や発明がどのように我々の生活を変える一連のブレイクスルーをもたらしたかを示す。」とあります。
From Microscopes to Stem Cell Research
From DNA to GM Wheat
From Laughing Gas to Face Transplants
From Cowpox to Antibiotics
From Greek Atoms to Quarks
From Newton's Rainbow to Frozen Light
From Steam Engines to Nuclear Fusion
From Gunpowder to Laser Chemistry
From Ptolemy's Spheres to Dark Energy
From Windmills to Hydrogen Fuel Cells
上にあるとおり、この10点中、日本語に訳されているのは5点です。→邦訳があるものは、原著と邦訳を並べてみましょう。
From Microscopes to Stem Cell Research 『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ 』
From Ptolemy's Spheres to Dark Energy 『宇宙の発見―天動説からダークマターへ』
From Cowpox to Antibiotics 『ワクチンと薬の発見―牛痘から抗生物質へ』
From Windmills to Hydrogen Fuel Cells 『新エネルギー源の発見―風車から水素燃料電池へ』
From Newton's Rainbow to Frozen Light 『光の発見―ニュートンの虹からレーザーへ』こう並べてみると、未訳のものの邦訳もほしいと思います。
2013年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2012年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2011年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2010年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2009年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2008年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
春休み
3月
2月
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2006年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2004年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2001年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2000年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
6月
4月〜5月
1月〜4月
1999年
10月〜12月
6月〜9月
4月〜5月
1月〜3月
1998年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
春(1月から5月)
1997年
97年度
最初のページ=
HomePageに戻る。