ひとりで4時15分、室温9.5度。昼食後、スーパーペーパーマリオを自分のお小遣いで買いたいという息子をヨドバシに連れていってやりました。室内が暖かい。気温が上がっている証拠です。
息子は、ヨドバシにソフトがあるのかどうか相当心配していましたが、Wiiのソフトのコーナーに行くとすぐに自分で見つけました。
その後、ミシンオイルとケーブルをヨドバシで購入し、すぐに帰宅。駅前のコンビニで明日のための食パンと若干のお菓子を買って家に戻りました。大晦日の夕食はカニ。ネットで注文したものが今朝冷凍で届いています。朝から自然解凍していました。殻のまわりについている氷は、アイスピックの要領で落とせることに気付き、おやつの時間に全部落としてやりました。
食事の1時間前から、殻むき。全員分を私がむきます。添付の説明書を見ながらやりました。去年は手がぼろぼろになった記憶がありますが、今年は説明書をよく読んだおかげで手の傷はわずかで済みました。夕食後、ちびどもは紅白歌合戦。息子は買ってきたスーパーペーパーマリオ。お姉ちゃんたちは紅白終了まで見ていたようです。
ひとりで6時10分、室温7.9度。昨日疲れて風呂に入らずに寝てしまったおおきいちびがほぼ同時に起きてきて、がさごそしています。新聞を取りだして、学校の宿題をやっていました。大掃除というほど体系的ではありませんが、子どもたちと午前中から掃除と片づけを行いました。まず、オーブントースターをちいさいちびに任せました。炊飯器は、小学2年生。おおきいちびは自分の部屋の片づけ。私はシンクまわり。これはオーブントースターを完了したちいさいちびが途中から加わりました。炊飯器を終わった小学2年生は床の拭き掃除。次にお風呂場。お風呂場は、すこし手伝ってやりました。昼食前で終了しました。
午後は、おおきいちびとちいさいちびが自分たちの部屋の片づけを続行しました。中心は荷物の整理です。こちらは夕刻に終了。早めに夕食とし、その後はおおきいちびのみ宿題をやっていました。宿題がいっぱいあり、間に合わない、間に合わない、と言っています。
ひとりで5時40分、室温8.3度。室温がこの冬はじめて10度を下回りました。外は1度前後でしょうか。好天が続きますが、冬の寒さが日本列島を覆っています。おおきいちびは午前中八王子にバスケの見学に。帰ってきたら、子どもたち全員で映画(ルパン対コナン)に行くことになっています。
2時から3時の間に帰ってくるだろうという予想を裏切って、帰ってきたのは、3時をかなり過ぎていました。おおきいちびはそれでもやはり映画に行きたいというので、妻が急いでネット上で予約し、4時半前に子ども3人と妻が新宿に走りました。
私がひとりで留守番。荷物が届く予定になっています。ひとつは届きました。もうひとつは明日になるようです。
映画部隊は映画のあと夕食をとり、9時半に帰ってきました。年末の出版物。
実物は未見ですが、菊池博士の博士論文もやっと出版されました。
Yoshiyuki Kikuchi ,Anglo-American Connections in Japanese Chemistry: The Lab As Contact Zone (Studies in the History of Science and Technology), Palgrave Macmillan, 2013
菊池君、おめでとうございます。
ひとりで6時50分、室温10.6度。妻とおおきいちびは起きていました。息子は私のあとすぐに起きてきました。年末の贈り物。
桑木野博士より、次の新著をお送り頂きました。
桑木野幸司『叡知の建築家:記憶のロクスとしての16-17世紀の庭園、劇場、都市』中央公論美術出版、2013
542頁の大冊となっています。桑木野博士のここ10年の研究の集大成と言えるでしょう。
桑木野博士、おめでとうございます。&ありがとうございます。
ひとりで5時30分、室温11.4度。本日の集中講義は、3限と4限。その後、東工大にて理事会&事典編纂委員会&忘年会があります。理事会には間に合わない確率の方が高い。
朝方、ちびどもの年賀状作成を手伝ってやりました。プリンターを使うとき、プリンターそのものの選択ならびに用紙の選択(インクジェット向け葉書)を行う必要があります。
11時前に家をでて、多磨駅そばの中華屋で昼飯をとってから、教室へ。ちょうど最初の学生が2人来ているところでした。
今日の講師の方は、2002年に中山先生のところで卒論を書いて卒業し、その後医科歯科の大学院に進学して、博士号を取得されたということでした。すばらしい。公衆衛生の話を中心に講義をしてくれました。
私は3時前に挨拶して、大学を後にしました。東工大には4時半頃着きました。理事会の終わりの頃でした。
5時過ぎに事典編纂委員会にスイッチし、6時過ぎに忘年会に向かいました。
9時過ぎに会食は終了し、帰宅。帰り着くと、妻とおおきいちびが男子高校バスケの準々決勝戦を見ていました。北区にある東京代表は強いチームでした。
私は歯磨きしてからすぐにお風呂。お風呂を出てから、バスケを最後まで見ました。
ひとりで4時15分、室温10.9度。おおきいちびは練習試合があり、遠くにでかけます。ちいさいちびと小学2年生は今日から冬休みです。
私は、本日から集中講義が始まります。今日は2限と3限。
ひとりおくれて7時、室温10.8度。小学2年生が一番に起きて、クリスマスプレゼントのピクミンをゲットしました。次いでちびども。ちいさいちびは、抹茶マカロン、スマホカバー、色鉛筆、スケッチブック、雑貨等々、そして、おおきいちびは商品券。
ウェブに、 Frank N. Egerton氏による"A History of the Ecological Sciences"という連載を見つけました。古代ギリシャからはじめて、現在「動物生態学」の49部まであります。
こどもたちがでかけたあとすぐに、私も大学に出ることにしました。明日から始まる冬の集中講義の準備と、その他もろもろの事務処理です。気温は低いままですが、非常によい天気です。10時4分多磨発の電車で帰ってきました。
日本の環境問題への対応に、歴史的には無視できない問題があると気付き、ウェブで検索をかけていたら、次の論文がヒットしました。
内山弘美「環境冠学科の設置メカニズム―国立大学工学系学部を事例として―」『高等教育ジャーナル―高等教育と生涯学習―』8(2000): 1-15
冒頭から次のようにあります。「日本において、環境科学というディシプリンの提唱は、公害に端を発している。この概念は、環境科学のディシプリンの体系化に先立って、1970年代に公害・環境関連の研究あるいは教育を目的とした国立の諸組織の創設をめぐって制度的につくられたものであった。」
日本における環境科学のステージを内山さんは4つに分けています。
環境科学前史 ** 1957〜1967 衛生工学科
第1次環境ブーム ** 1968〜1978 環境冠学科
第1次停滞期 ** 1979〜1986
第2次環境ブーム ** 1987〜 環境科学会
第2次停滞期 **1967年 公害対策基本法制定
1971年 環境庁設置
1972年 国連人間環境会議
by 1974 4大公害裁判において原告勝利
1987年 環境科学会の創設
1992年 リオサミット
内山さんの論文に関しては、スコープが明示されているので、ないものねだりかもしれませんが、「エコロジー」や「生態学」の語が一度も言及されていないのは、どうかなと感じます。
ひとりで6時10分、室温10.1度。子どもたちは学校があります。イブです。
朝一番で次の本が届きました。
D・オースター『ネイチャーズ・エコノミー−−エコロジー思想史』中山茂・吉田忠・成定薫訳、リブロポート、1989
この本の中山さんと成定さんの後書きを読んで、私の分野(科学史・科学哲学)の人間であれば、かなりの確率で一度は、生態学=エコロジーに関心を持つのでは、と思うようになりました。もちろん他の分野の方でも関心を持たれる方は少なくないでしょうが、私の分野は確率的に高いように思われます。先人の仕事も探してみようと思います。→ 中山茂「環境史の可能性」『歴史と社会』第1号(リブロポート、1982);『市民のための科学論』(社会評論社、1984)所収
→ アメリカ環境史学会 The American Society for Environmental History は、1977年に創設されています。雑誌は、Environmental Historyです。オクスフォード大学出版会より季刊で出されています。
妻と同時で5時50分、室温10.0度。昨日の夕方からまた寒くなりました。室温はぎりぎり10度を保っていますが、外は3度ということです。
妻は朝から練習試合のあるおおきいちびのためにお弁当つくり。昨日は午前中で終わりましたが(といって帰ってくるのは2時過ぎ)、今日は全日だそうです。[生態学 思想史]
21日に生態学の思想史が今でも必要ではないかと書いたので、もうすこし幅を広げて調べてみました。
ウェブ(http://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/Ecology.html)に前広島大学教授の成定さんがD・オースター『ネイチャーズ・エコノミー−−エコロジー思想史』(リブロポート、1989)の翻訳出版に際して執筆された訳者あとがきがありました。
そこに書かれている日本における、環境問題への関心の盛衰が重要です。1970年代に公害問題に端を発して盛んになった公害・環境問題への関心(広島大学では「環境科学 コース」があったそうです)が1980年代には下火になり(広島大学では「環境科学 コース」が発展的に解消されたそうです)先行きが危ぶまれていたところ、1980年代後半に「突然、「環境」への関心が復活した。」1988年から「地球温暖化、酸性雨、フロンガスによるオゾン層の破壊、熱帯雨林の破壊、砂漠化といった環境問題が日夜報道され」るようになっていた。
成定さんによれば、オースター『ネイチャーズ・エコノミー』は、マッキントッシュ『生態学の歴史』と相補的な関係にあるそうです。
そもそも東大駒場では、廣野氏が「進化生態学」の専門家です。[年賀状]
年賀状の宛名書きを開始しようと思います。父の死去による欠礼があったので、探し出す年賀状のファイルの最新年を確認する必要があります。
父の死去は、2012年3月21日でした。したがって、2013年の年賀状を欠礼しています。つまり、2012年の年賀状を入れたファイルを探し出す必要があるということです。
年賀状のファイルはさすがに同じ場所に集めています。これはすぐに見つかりました。
午後、宛名書きに専念しました。ほぼ完了したと思います。
おおきいちびとちいさいちびのためにあと50枚程度年賀状を買ってくる必要があります。
ひとりで4時45分、室温10.9度。昨日の朝はこの冬一番の冷え込みだったそうです。体感的にも、今朝は昨日よりすこし冷え込みが緩んだ感覚があります。おおきいちびがバスケがはやくあがるので、フルーツパーラーに行きたいと昨日の夜言ったそうです。息子はぼくはいい、と言ったので、女性3人で3時半に新宿に向かいました。
息子は餃子がよいそうです。今話題の「餃子の王将」が荻窪(徒歩5分でしょう)にあるのは確認しましたが、遠くにでかけるのもおっくうなので、いつもの駅前のくまもんのあるお店にしました。こちらは6時前にでかけ、7時前に帰ってきました。もう一枚服を着た方がよかったと思ったぐらい冷たい風が吹いて寒く感じました。午前中に、年賀状作成をたぶん3分の1から半分まですませました。
ひとりで5時5分、室温10.0度。外は3度ぐらいでしょうか。とりあえず、室温はふたけたを保っています。お弁当つくりがあるので、6時に起こして欲しいと妻には言われています。おおきいちびは、この3連休の間、ずっと練習試合があります。
[マッキントッシュ『生態学 概念と理論の歴史』]
夕刻に次の本が届きました。
ロバート・P.マッキントッシュ『生態学 概念と理論の歴史』大串隆之、井上弘、曽田貞滋訳、思索社、1989
目次は次です。
1 生態学の履歴
2 生態学の結晶化
3 動的生態学
4 定量的群集生態学
5 個体群生態学
6 生態系生態学、システム生態学、大規模生物学
7 生態学への理論的アプローチ
8 生態学と環境
今月の18日に紹介した、Robert P. McIntosh, The Background fo Ecology: Concept and Theory (Cambridge: Cambridge University Press, 1985)の邦訳です。こういう基本書から読むのがよいでしょう。
p.74 にある邦訳されている参考文献のリストも有用です。
C. エルトン『動物の生態学』渋谷寿夫訳、科学新興社、1955
C. エルトン『侵略の生態学』思索社、1971
C. エルトン『動物の生態』思索社、1978
C. エルトン『動物群集の様式』思索社、1990
E. P. オダム『生態学の基礎』京都大学生態学研究グループ訳、朝倉書店、1956
E. P. オダム『生態学』水野寿彦訳、築地書店、1967
E. P. オダム『生態系の構造と機能』築地書店、1973
E. P. オダム『生態学の基礎』上下巻、三島次郎訳、培風館、1974-75
E. P. オダム『基礎生態学』三島次郎訳、培風館、1991
G. C. クラーク『生態学原論』市村俊英ほか訳、岩崎書店、1965
K. E. F. ワット『生態学と資源管理』上下巻、伊藤嘉昭監訳、築地書館、1972
K. E. F. ワット『環境科学:理論と実際』沼田真監訳、東海大学出版会、1975
他にクーンの『科学革命の構造』、ベルタランフィーの『一般システム理論』、ホワイトの『セルボーンの博物誌』、ダーウィンの『種の起源』、カーソンの『沈黙の春』、ガウゼの『生存競争』、ジェファーズの『生態学のためのシステム分析入門』、マッカーサー『地理生態学』、マーガレフ『将来の生態学説』、ムーリー『マッキンレー山のオオカミ』(2分冊、思索社)、ピール『数理生態学』(産業図書)、リチャーズ『熱帯多雨林―生態学的考察』(共立出版)、ウヴァロフ『昆虫と気候』(養賢堂)等々です。
昔、金森修さんは、20世紀に「科学思想史」を書くのは難しいと書かれました。一般的にはその通りですが、たぶん生態学はその例外になるように思われます。生態学と環境思想の思想史は可能でもあり、また求められているように思います。[菊地原洋平『パラケルススと魔術的ルネサンス』]
同じ便で菊地原博士の新著が届きました。
菊地原洋平『パラケルススと魔術的ルネサンス』勁草書房、2013
菊地原くん、著作の刊行、おめでとうございます。&献本、ありがとうございます。
『パラケルススと魔術的ルネサンス』の目次は次の通りです。
第一章 パラケルススの生涯──遍歴と著作
第二章 本草学的な伝統と錬金術──ルネサンス博物学の一面
第三章 物質のメタモルフォーゼ──化学哲学の源流
第四章 グアヤック批判と梅毒論からみる医学思想
第五章 予言書の位置づけ──占星術文化とキリスト教倫理から
第六章 ルネサンスの類似の概念と魔術的な空間
補遺 「徴」の理論
vii に初出一覧があります。第1章、第4章、第5章が『化学史研究』、第2章が『生物学史研究』、第3章が『科学史研究』、第6章が『モルフォロギア』、補遺が『ミクロコスモス』です。机の上がひどいことになっています。片づけを開始しました。ファイル類を半分までは整理することができましたが、半分まででした。年末にかけ少しずつ進めます。
ちいさいほうから年賀状の作成に入りました。連休中に一定の目処をつけたいと思います。
ひとりで4時15分、室温12.8度。まだ雨が降っています。朝1時間ほどかけて、冬の集中講義(12月26日、27日、年明けの1月6日、7日、8日)の準備をしました。次の見るとおり、かなり不規則です。
12月26日(木曜日)2限と3限
12月27日(金曜日)3限と4限
1月6日(月曜日)3限と4限
1月7日(火曜日)1限、2限、3限、4限、5限
1月8日(水曜日)3限と4限
あらかじめしっかりと準備を考えておく必要があります。気温が低くなっています。雨は、一瞬あられに変わりました。テレビでは渋谷の街頭に降る大粒のあられを映していました。一瞬ですが、東京に初雪が降ったそうです。
冬の雨です。今日は、寄り道せずに教室に直行することにしました。事務室に挨拶に伺うと、橋本さんがおられ、そして、石原あえかさんがお見えになりました。石原さんには一度挨拶しなければと思っていました。ごく短い時間ですが、初対面の挨拶を済ませることはできました。石原さんは、最近は医学史方面のこともやっておられるということでした。今学期は、何とフォン・ブラウンを読んでおられるのだそうです。物理学史の話もされました。科学史の世界におおきく貢献してくれそうです。
授業の発表はとても興味深いものでした。
天候が天候なので、雨はもう上がっていましたが、延長なしにすっと帰宅しました。
夜半に目覚めてすこし仕事。お腹が空いていました。ちいさなおもちを3つ焼いて食べました。ひとりで6時15分、室温11.4度。昨日からの雨は、雪に変わらずにそのまま降り続いています。空気がひんやりしています。朝練に行くというおおきいちびをすぐに起こしました。
トラブルに近いできごとがあり、朝の間、そのことにかかりきりになっていました。その間、ちいさいちびの顔を見ることなく、学校に行っていました。
最近のパターンに従って、午前中は、図書館&研究所。午後は、3コマの授業が連続しました。
冬の集中講義(12月26日、27日、年明けの1月6日、7日、8日)があるので、私の方はまだ授業が終わったという感覚はありませんが、通常の木曜日の授業は今日が年内最後です。廊下ですれ違った同僚の先生にそう指摘され、思い出しました。
息子といっしょに7時、室温12.9度。落ち葉掃きに行くおおきいちびも少し前に起きていました。がしがしと朝ご飯を食べて、7時半に家をでました。もしかしたら本当に雪が降るかもしれないというどんよりとした空模様。会議の日。午後3つ連続します。
図書館。ILLで届いている次の3冊を受け取りました。
後藤五郎編『日本放射線医学史考(明治大正編)』日本医学放射線学会, 1969
後藤五郎編『日本放射線医学史考』第12回国際放射線医学会議, 1970
舘野之男『放射線医学史』岩波書店, 1973雨のなか帰宅すると次の本が届いていました。
Robert P. McIntosh, The Background fo Ecology: Concept and Theory, Cambridge: Cambridge University Press, 1985
目次は次です。目次だけですが、よくできた本のようです。
1. Antecedents of ecology
A transformed natural history
What is ecology
Sources of ecology seen by biologists
Sources of ecology seen by historians
Who found ecology
Self-conscious ecology
2. The crystallization of ecology
3. Dynamic ecology
4. Quantitative community ecology
5. Population ecology
6. Ecosystem ecology, systems ecology, and big biology
7. Theoretical approaches to ecology
8. Ecology and environment
References; Name index; Subject index.
ひとりで4時35分、室温13.1度。[日本の生態学の組織]
ウェブで調べがつく範囲で、簡単に日本の生態学の組織を調べてみました。
学部
単独で「生態学部」と称する学部は存在しないようです。
「環境科学部」は、あります。(滋賀県立大学)
学科
やはり、単独の「生態学科」は存在しないようです。ただし、「環境生態学科」「環境・生態学科」は複数あります。(滋賀県立大学、明星大学、沖縄のサイテクカレッジという名の専門学校、ほか?)
「環境生態学コース」もあります。(東邦大学理学部)
「生態」と「環境」の順序を逆にした「生態環境科学科」もあります。(島根大学生物資源科学部)名称はなかなかやっかいですが、「生態」という言葉よりも「環境」の方が人気があるようです。
この調査ですが、生態学会の会員名簿があれば、そこの所属欄を集積し、分析するのが一番手頃で確実であることに気づきました。ほんとうのところ、図書館に集めておいて欲しいのがこの種の資料です。
名簿は、個人情報保護の観点から、ウェブにあることは基本ないと思います。しかし、所属だけがわかればよいので、学会発表者の所属(肩書き)を集めることでかなり代用できるように思われます。
現実にこの作業をするかどうかはわかりません。学会としては1954年創立の日本生態学会の他に、微生物生態学会、熱帯生態学会、個体群生態学会、景観生態学会、応用生態学会等があります。
ひとりで3時50分、室温11.8度。
わずかの差ですが、昨日よりいくらか寒さがましになったように感じられます。午前中は研究所でスキャン。午後は、大学院のゼミ。
ILL で届いていた次の本を受け取りました。
フルートン『生化学史 : 分子と生命』水上茂樹訳、共立出版, 1978
ジョゼフ・ニーダム編『生化学の歴史』木原弘二訳、みすず書房, 1978
東京帝國大學醫學部藥學科生藥學教室編纂『朝比奈泰彦及協力者報文集』東京帝國大學醫學部藥學科生藥學教室, 1934-1956
朝比奈泰彦『私のたどった道』南江堂, 1949[生態学史]
キンドルで次の本を発注し、ダウンロードしました。
W. Coleman, Nature's Economy: A History of Ecological Ideas, Cambridge: Cambridge University Press, 1994
書誌は、紙のものです。生態学の歴史そのものではなく、生態学的(エコロジーの)思想の歴史です。
ひとりで5時15分、室温10.7度。
年末に近づいています。気温も順調に(?)下がってきています。
今月は、今日の時点で100枚を超えました。[中国、月面着陸]
ゲゲ!(今年は、ジェジェジェというべきでしょうか?) ドアを開け、新聞を取ると、一面に「中国:探査機が月面着陸、世界で3カ国目で、1976年以来」とありました。中国初の無人月探査機「嫦娥(じょうが)3号」が昨日の夜10時(日本時間)過ぎに月面着陸に成功したそうです。
宇宙開発は授業でよく話すので、中国が世界のトップに躍り出ようという意欲をもっていることも、月面着陸を計画していることも知っていましたが、あらためて、成功というニュースに接すると驚きます。いつの時代の帝国主義! アメリカと旧ソ連の宇宙技術者がどういう気持ちでこの事態を見ているのかを知りたいと思います。[生態学史]
日本語では、生態学史は、まだ書かれるべき課題として残っているようです。
吉井 義次「生態学という術語」『植物生態学会報』1(2)(1951): 109-110
吉井 義次「植物群落学における生活形概念の変化と批判」『日本生態学会誌』4(1)(1954): 30-34
吉井 義次氏のこの2点をネットで見つけて読みました。生態学の出現に関して、重要なポイントを示されています。
まず、術語から。「生態学」の語は、三好学博士が明治の中頃ドイツのPflanzenbiologie に深い関心をもって帰国され、明治28年の文章に、Biologie の訳語として設けられたとあります。
つまり、日本語としては、明治の「生態学」は、現在の「生態学」と大きな差があると言えます。
Öcologie という語そのものは、Häckelが1866年造語した。
生物学そのものは、個体を対象とする個体生物学(Idiobiologie)と集団を対象とする生物社会学(群落生物学, Biosoziologie)の2種類に分けられる。従って生物と環境の関係を探究する生態学も個体生態学と群落生態学に分けられる。欧州の学者は、個体生態学を植物生態学(Pflanzenökologie)、群落生態学を植物群落学(Phytosoziologie、Vegetationkunde)と呼び、両者を含める場合には地植物学(Geobotanik)または植物地理学(Pflanzengeography)を呼んでいる。
ただし、英米の学者は、ecology の語に、環境学だけではなく狭義の群落学も含めて理解している。我が国でも「生態学」はこの意味に理解されている。
さて、では、どうしてこういうことが生じたのか? 理由は非常に簡単に説明されている。生態学者の古典的名著 Warming のPflanzengeograpie が英訳されたとき、ecology とされたせいであると言われる。(De Rietz, Rübel, Tansley)
具体的に、Warming の書は、1895年まずオランダでPlantesamfune: Gründträk af den ökologiske paltegeografi(植物群落)として出版され、(原題の副題を活かす形で)翌1896年ドイツ語訳がLehrb. der ökologischen Pflanzengeographie(生態植物地理学)として出版された。
英訳は、1909年ケンブリッジからEcology of Plants: An Introduction to the Study of Plants Communitiesとして出版された。
学的背景としては、19世紀初めにフンボルトによって起こった植群(Vegetation)を対象とする植物地理学があり、19世紀末にはDe Candolle やGrisebach によって群落の生態学的考察が課題とされた。
Warming の書は、まさに群落の生態学的考察を論究した。つまり、Ecology=生態学の成立の柱の一つは、植物群落の生態学的考察であった、とまとめてよいでしょう。
吉井さんの2番目の論文は、生活形(Life Form)の概念の変化に植物生態学の基本的観点の変化を探っています。
"History of Ecology" ではWiki の記述がよくまとまっているように思われます。(何か別のソースからの編纂ではあるようですが、手始めには使えます。)
古代のアリストテレスと弟子テオフラストスには、生態学的関心があったと言える。
アレキサンダー・フォン・フンボルトと植物地理学
アルフレッド・ラッセル・ウォレスとカール・メビウス:群集の概念
ヴァルミング (Johann Eugenius Bülow Warming, 1841-1924、デンマーク)と学問としてのエコロジー=生態学の創出
進化論と形態学の関係
生物圏:エドワード・ジュース(Edward Suess, 1831-1914、オーストリア)、コールズ(Henry Chandler Cowles, 1869-1939、アメリカ)、ベルナドスキー(Vladimir Vernadsky、ロシア→フランス)
ラヴォワジェとソシュールによる新化学と窒素サイクルの発見(??);1875年ジュースが「生物圏」という術語を創出;ベルナドスキーが『生物圏』(1926)を発表。
タンスリー(Arthur George Tansley, 1871-1955、英国、1914生態学会設立)と生態系の概念
1935年、タンスリーが生態系という語をつくった。
コールズと生態学的遷移の概念
人類生態学、1920年代に始まる
ジェームズ・ラブロックとガイア仮説
1971年、ユネスコが「人間と生物圏」というプログラムを開始する
1972年、国連がストックホルムで環境に関するカンフェランスを開催
1992年、リオで「アース・サミット」
1997年、「京都議定書」[震災・核災害の時代と歴史学]
おやつの時刻に次の本が届きました。
歴史学研究会『震災・核災害の時代と歴史学』青木書店、2012
目次は次の通りです。第2部を授業で使おうかなと考えています。
第1部 東日本大震災と歴史学−災害と環境
平川新「東日本大震災と歴史の見方」
保立道久「地震・原発と歴史環境学―九世紀史研究の立場から」
矢田俊文「東日本大震災と前近代史研究」
北原糸子「災害にみる救援の歴史―災害社会史の可能性」
小松裕「足尾銅山鉱毒事件の歴史的意義―足尾・水俣・福島をつないで考える」
第2部 原発と歴史学−「原子力」開発の近現代史
平田光司「マンハッタン計画の現在」
有馬哲夫「日本最初の原子力発電所の導入過程―イギリスエネルギー省文書「日本への原子力発電所の輸出」を中心に」
加藤哲郎「占領下日本の「原子力」イメージ―原爆と原発にあこがれた両義的心性」
中嶋久人「原発と地域社会―福島第一原発事故の歴史的前提」
石山徳子「原子力発電と差別の再生産―ミネソタ州プレイリー・アイランド原子力発電所と先住民」
第3部 地域社会とメディア−震災「復興」における歴史学の役割
奥村弘「東日本大震災と歴史学―歴史研究者として何ができるのか」
岡田知弘「東日本大震災からの復興をめぐる二つの道―「惨事便乗型復興」か、「人間の復興か」」
三宅明正「記録を創り、残すということ」
安村直己「言論の自由がメルトダウンするとき―原発事故をめぐる言説の政治経済学」
藤野裕子「関東大震災の朝鮮人虐殺と向きあう―災害時の公権力と共同性をめぐって」
第4部 史資料ネットワークによる取り組み
佐藤大介「被災地の歴史資料を守る―東日本大震災・宮城資料ネットの活動」
阿部浩一「福島県における歴史資料保存活動の現況と課題」
白井哲哉「茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク準備会(茨城史料ネット)の資料救出活動」
白水智「長野県栄村における文化財保全活動と保全の理念」
第5部 資料編
石井正敏「貞観十一年の震災と外寇」
棚井仁「自治体史のなかの原発」
第6部 災害と歴史学 ブックガイド
ひとりで4時、室温13.5度。おおきいちびは自校で練習試合。7時前にでかけます。妻はお弁当つくりで6時に起床しました。
妻はおともだちのおかさんといっしょに9時過ぎに応援にでかけました。
おおきいちびは3時過ぎに帰宅しました。
ひとりで5時10分、室温11.2度。夕刻に駒場。
夜次の本が届きました。教科書があった方がよいかと思い、朝発注しました。上級高校生から大学初年級を読者対象としてます。
日本生態学会編『生態学入門(第2版)』 東京 化学同人、2012(初版、2004)
今生態学がどういう範囲のテーマをどの程度扱っているのかを見たいと思い、購入しました。
教科書なので最初に定義を掲げています。「生態学とは、生物の生活の法則をその環境との関係で解き明かす科学である」(p.1)
起源としては、18世紀から19世紀にかけての博物学や生物地理学に求めています。フンボルトとダーウィンの名前があります。
言葉の起源としては、ヘッケルだけを挙げています。
そして、現代の生態学としては、エルトン(C.S. Elton)、オダム(E. P. Odum) の2人の名前を挙げています。歴史を圧縮すると、こうなるのでしょうか。→まず、エルトンから調べてみることにしました。
エルトンその人を研究対象として取り上げた研究は、CiNii とグーグルスカラーによれば、とても少なく、ヒットするのは次の1点です。
江上生子「ダーウィンからエルトンへ」『一橋論叢』87(2)(1982): 200-207
この論文は、生態学の歴史に関して次の先行研究を挙げています。
川那部浩哉「生態学の歴史と展望」『現代の生物学9 生態と進化』(岩波書店、1966)
川那部浩哉「エルトンとダーウィニズムの復活」『侵略の生態学』(思索社)あとがき
渋谷寿夫「生態学の歴史」『動物生態学』(宮地他編、朝倉書店、1981)
沼田真「生態学の発展とその展望」『生態学方法論』(古今書院、1979)
沼田真「植物生態学のあゆみ」『新しい生物学史』(地人書館、1973)
大竹昭郎「動物生態学の一系譜」『動物生態学』(共立出版、1970)
木村*「生態系概念の発生と発展」『現代生物学の構図』(佐藤七郎編、大月書店、1976)
江上さんは、エルトンの主要な業績を、1)生態学を科学的自然誌(博物学)と定義したこと、2)生態学的ニッチェの概念を定義しなおしたこと、3)群衆の解析の第一の原理に食物連鎖・食物環をおき、数のピラミッドなど量の問題への注目を促したこと、4)生態学と進化論を結びつけて論じたことを挙げています。(pp.200-1)論文とは言えませんが、CiNiiでヒットする紹介原稿には次があります。
もり・いずみ「人物科学史:食物連鎖の概念を提唱し、動物生態学の基礎を築いたチャールズ・エルトン」『ニュートン』21(2)(2001): 126-131オダム(E. P. Odum) を研究対象とした論文は見つかりませんでした。
せっかくですから、弘文堂の事典を見てみました。沼田真さんが生態学の項目を執筆されています。ヘッケルのあとは、ヴァーミング(J. E. B. Warming, 1841-1924)の『植物の生態』オリジナルはデンマーク語で1895;英語では1909)、次いでエルトンの『動物生態学』(1927)をあげています。「その後生態学は、動物や植物をそれぞれ対象にするだけでなく、生物(人間をふくむ)とその生活にかかわる環境を包括した主体的な系としての生態系(ecosystem) がタンスリ(A. G. Tansley, 1871-1955)によって提案され、主に物質やエネルギーの流れから生態系生態学を構築しようとしている。」(p.547)
参考文献としては、ご自身の『生態学方法論』(古今書院、1979)とヘッケルの仕事を復刻したヘーベラー(G. Heberer)の解説を挙げています。タンスリ(A. G. Tansley)については、次の1点のみがヒットしました。
寺崎渡「「タンズレー及チップ兩氏編纂の植生研究の狙ひ處と方法」を紹介す, Aims and Methods in the Study of Vegetation. Edited by A. G. Tansley, M. A., F. R. S. and T. F. Chipp, M. C., Ph. D. British Empire Vegetation Commitee and Crown Agents for the Colonies : London, 1926., 紙數三百八十三頁, 圖版六二, 價格一二シル六」『林學會雑誌』 9(2)(1927): 23-29
せっかくなので読みました。結論:「要するに本書は、植物生態学特に植生研究調査には、外国語で書かれた本で、自分が読んだどの本よりも要領よく書かれたもので、初学者にも、一通り知識のある人にも便利なものであり、且つ所謂西洋以外の国での研究の仕方や、研究の要領があって、それで文章が平易であるから、実に良書という可きであると、自分で確信したから、茲に紹介の労をとり序に所感を述べた」(p.29)のである、とあります。私が調べ得た範囲では、ヴァーミング(J. E. B. Warming)を研究対象とする論文はヒットしませんでした。
「生態学史」で検索して、次の2論文をダウンロードし、読みました。
1. 渋谷寿夫「生態学史研究についての諸問題」『日本生態学会誌』7(4)(1957): 171-175
渋谷さんは、吉井義次さんの論文を引用されています。吉井義次さんの論文では次の2点がダウンロードできます。早速ダウンロードして読みました。ともに私の目的には有用な論考でした。
吉井 義次「生態学という術語」『植物生態学会報』1(2)(1951): 109-110
吉井 義次「植物群落学における生活形概念の変化と批判」『日本生態学会誌』4(1)(1954): 30-342. 岩井優多「<研究動向>日本における環境史の方法:研究史の整理と今後の展望」『紀尾井論叢』1(2013): 19-25
前に紹介した国際日本文化研究センター主催の「地球環境の変動と文明の盛衰」が取り上げられています。「その環境決定論的論理に対して、その後歴史学や考古学の側から批判がなされていった」ということだそうです。さもありなん。
日本の環境史を通史的に扱ったシリーズとしては、2点あるそうです。1)『シリーズ 日本列島の三万五千年―人と自然の環境史』全6巻、文一総合出版、2)『環境の日本史』全5巻、吉川弘文館、2012-13。
増尾伸一郎・工藤健一・北條勝貴編『環境と心性の文化史』上下巻、勉誠出版、2003
数多く紹介されている文献のなかで個人的に関心をもったのは、保立道久「地震・原発と歴史環境学」歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』青木書店、2012
ひとりで5時10分、室温12.9度。午後に3コマの授業が続きます。
[『化学史研究』2013年第4号]
帰宅すると、『化学史研究』2013年第4号が届いていました。
[総説]亀山哲也「化学史学会―創設から40年―」第40巻(2013): 171-188
[論文]東 徹「杏雨書屋所蔵資料を通して見た宇田川榕菴の化学受容(I)
―イペイの化学書を原典とする資料 ―」第40巻(2013): 189-209[広場] 北原文雄「二人のトラウベ―「トラウベの規則」の発見者は?― 」第40巻(2013): 210-212
[広場] 川島慶子「マリー・キュリーの庭―キュリー博物館訪問記―」第40巻(2013): 213-215
[紹介] 園部利彦「 ヘイガー『サルファ剤、忘れられた奇跡』」第40巻(2013): 216-217
[紹介]内田正夫「丸浜江里子『原水禁署名運動の誕生』」第40巻(2013): 217-218
[紹介]藤本大士,坂本邦暢,柴田和宏,北村紗衣,有賀暢迪「特集「リストマニア」Isis 103(2012)」第40巻(2013): 218-220
[紹介]坂本邦暢,伊藤憲二,吉田善哉,藤本大士「特集「科学,歴史,そして近代インド」Isis 104(2013) 」第40巻(2013): 220-222
[会報]「2013年度総会報告」第40巻(2013): 223-225
[会報]「化学史国際ワークショップ発表者募集」第40巻(2013): 226-227
[会報]「Call for Papers IWHC Tokyo 2015」第40巻(2013): 228-229
ひとりで3時40分、室温13.9度。会議の日。
朝2番ぐらいで大学に出ました。ちょうど2限が始まるあたりです。図書館によって、ILL で届いている文献複写1点と書物を2冊受け取りました。
寺田元一「18世紀生気論の成立と生命の科学化」『精神医学史研究』8(2004): 25-32
これは、第7回精神医学史学会のシンポジウム「生命の科学史、精神の医学史:精神医学の科学性をめぐって」の発表原稿です。
寺田さんが取り上げる生気論は「18世紀半ばにラ・カーズやボルドゥによって創始され、19世紀初めのビシャやマジャンディあたりまで続くとされる、いわゆるモンペリエ学派の生気論」です。とくに『百科全書』に生理学関係の項目を多数執筆したボルドゥとメニュレ・ド・シャンボーを中心とする、とあります。
寺田さんが重視されるのは、生動的秩序(animal economy)と有機構成(organization)です。寺田さんの主張を一言でまとめれば、生物学には全体論的生命(生物)像が必要であり、生気論はそれを生動的秩序と有機構成の概念によって与えた、と言い表すことができるでしょう。阿知波五郎『近代医史学論考(阿知波五郎論文集)』思文閣出版, 1986
阿知波五郎『医史学点描(阿知波五郎論文集)』思文閣出版, 1986研究室にもどり、いつも通りの作業を継続しました。その間に寺田さんの論文と届いた本の一部を読みました。
会議は1時40分から。2つありましたが、明るいうちに終わりました。
帰宅すると次の2冊が届いていました。
泉孝英『外地の医学校』メディカルレビュー、2009
重要な著作だと思われます。まず序から引用します。
「第2次世界大戦終了前まで、我が国では「内地」の対義語として「外地」という語が頻用されていた。・・・いわゆる植民地を指す用語であるが、広義には日本の支配地という意味でも用いられた。・・・こららの外地においては内地よりはるかに劣悪な健・衛生・医療環境の向上を目指し,医療設備の整備が行われるとともに現地医師の養成のため,数多くの医学校を設立された。
第2次世界大戦後、我が国の植民地支配への反省の思いと保存資料の少なさから、旧外地の医学校の詳細はほとんど知られていない。資料の少なさの理由としては、・・・[多く]文部省の所管ではなかったこと、第2次世界大戦直後、少なくない記録が焼却されたことを含め、多くの記録が整理・保管されることなく散逸してしまっていることなどが挙げられる。
本書は、・・・現在、我が国内で入手し得た資料についての集約的記載を試みたものである。・・」
目次は次の通りです。
序
外地の医学校(表)、外地の医学校の所在地(図)
第1章 台湾の医学校
沒本の台湾支配
台湾の衛生医療事情
。台湾の医学校
第2章 朝鮮の医学校
沒本の朝鮮支配
朝鮮の衛生医療事情
。朝鮮の医学校
第3章 樺太の医学校
沒本の樺太支配
樺太の衛生医療事情
。樺太の医学校
第4章 満州・関東州の医学校
沒本の満州・関東州支配
満州・関東州の衛生医療事情
。満州・関東州の医学校
第5章 中国占領地域の医学校
沒本の中国支配
中国における同仁会活動
。中国の医学校
第6章 南方領域地域の医学校
沒本の南方支配
南方地域の医学校
第7章 戦後処理
汪O地の医師免許所持者への対応
外地の医学校在学者の内地の医学校への転入学
資料1 外地の医学校で医学教育に携わった人々
資料2 外地の医学校の卒業生
参考文献
資料1は、「外地の医学校で、教授、助教授、講師として医学教育に関与した人々について、調査することができた人々の記録を収載した」(p.173)とあります。pp.174-284頁にわたる労作です。なお、表2の方は、pp.286-301をしめます。
私はこの分野に詳しくはありません。お一人の方のみ、抄録してみましょう。
小坂隆雄(こさか・たかお、1900-1979)大正16年6月南満医学堂卒。関東庁衛生課長。その時代に「満洲開拓の基礎」と題した800頁に近い大冊を編集している。新潟大教授(初代公衆衛生学)時代には、アイソトープ利用の重要性を予測し、全国医学部に先駆けてアイソトープ研究室を設置、新潟水銀中毒症の疫学的研究に従事した。
表2だけ全部目を通しました。ひとまず戦後日本の公衆衛生に関して重要な仕事に携わった方が目立ちます。ステーヴン・ジェイ・グールド『マラケシュの贋化石:進化論の回廊をさまよう科学者たち(上)』渡辺正隆訳、早川書房、2005
話の名手グールドによるラヴォワジェもキルヒャーもあります。
ひとりで4時、室温13.4度。
ここしばらくは気温が安定しています。ほぼ同じ水準で推移しています。土曜日にとどいた、アンナ・ブラムウェル『エコロジー―起源とその展開』(金子務監訳、森脇靖子・大槻有紀子訳、河出書房新社、1992)の巻末の解説、すなわち金子務「監訳者あとがき:エコロジズム歴史批判」pp.388-400 を読みました。
見通しをつけるためには有用ですが、個別の論点に関しては、もうすこし調べてみようと思います。
このあとがきで、1991年から3年間にわたり、「地球環境の変動と文明の盛衰―新たな文明のパラダイムを求めて」という文部省重点領域研究が行われたことを知りました。なんと、研究総括者は、伊東俊太郎先生です。200人以上の研究者が参加したとあります。
研究成果としては、雑誌を発行していたようです。『文明と環境』0-12(1991-1994)。
科研費ですから、科研費のサイトに、まとめの文章があります。6つのポイントのうち、1つだけを引用します。
「1、[文明の画期]地球環境の変動と文明の盛衰にはいくつかの画期がみられる。12000年前、7500年前、5000年前、3000年前、紀元後3世紀、14世紀、17世紀にみられる文明盛衰の画期は地球環境の変動をともなっていたことが明らかとなった。」
おおきな文明盛衰の画期をみることができるとき、どの程度の割合で地球規模の環境変動がともなっていのかを知りたくなります。
直感的には、環境変動に起因する文明の盛衰もあるでしょうが、環境変動にはあまり関係のない文明の盛衰もあるでしょう。その辺のことも(いくらメリットを書く文章ではあっても)記しておいてくれてもよかったように思います。本としては、朝倉書店が『講座 文明と環境』の15巻本を出版しています(1995-1996;2008年)。その15のタイトルとみると、歴史学や理系の研究成果を一般読者向けに整理しまとめたものは有用ではないかと予想されます。
ともあれ、図書館に全巻そろっているので時間のあるときに見てみようと思います。次の論文を読みました。
小林 睦「ハイデガーと生物学--機械論・生気論・進化論」『アルテスリベラレス(岩手大学人文社会科学部)』82 (2008): 1-16,
グーグルスカラーでもサイニーでも邦語文献で「ドリーシュ」と「ユクスキュル」の両語を入力してヒットするのは、この論文だけです。ハイデガーだから関係ないかなと思ったのですが、意外にハイデガーの主張はよくわかります。
ハイデガーの機械論批判も生気論批判も進化論批判もたぶん正しい。
では、生物学はどうすればよい。
たぶん、生物学には機械論も生気論も進化論も不要だということになるような気がします。
私は生物学者ではないので、気楽に言いますが、もしかしたらそうなのかもしれません。おやつの時刻に次の2冊が別々に届きました。
Troels Kardel, M.D. Steno on Muscles: Introduction, Texts, Translations, published in Transactions of the American Philosophical Society, 84(1994)
長いタイトルをとると次のようです。 Steno on Muscles containing Stensen's Myology in Historical Perspective by Troels Kardel, M.D. Niels Stensen's New Structure of the Muscle and Heart[1663] and Specimen of Elements of Myology[1667] Translated by Sister M. Emmanuel Collins, Paul Maquet and Troels Kardel with Facsimile of First Editions annotated by Harriet Hansen and Aug. Ziggelaar
つまり、このアメリカ哲学会の雑誌の特集は、ステノの筋肉論の基本的な一次資料(ラテン語と英訳)ならびに注記と解説論文からなる、ステノ筋肉論の基本文献ということになります。Harry Whitaker, C.U.M. Smith and Stanley Finger (eds.), Brain, Mind and Medicine: Essays in Eighteenth Century Neuroscience, Springer, 2007
かなりおおきな本です。目次は次の通りです。
Section A: Introduction
Introduction by Harry Whitaker, C.U.M. Smith and Stanley Finger.
hronology by C.U.M. Smith.
Section B: Background:
Introduction by The Editors.
Brain and Mind in the ‘Long’ 18th Century by C.U.M. Smith .
Enlightening Neuroscience: Microscopes and Microscopy n the Eighteen Century by Brian J. Ford.
Corpus Curricula: Medical Education and the Voluntary Hospital Movement by Jonathan Reinarz.
Some Thoughts on the Medical Milieu in the Last Quarter of the Eighteenth Century as Reflected in the Life and Activities of James Parkinson (1755-1824) by Christopher Gardner-Thorpe.
Section C: The Nervous System
Introduction by The Editors.
John Hunter’s Contributions to Neuroscience by James L. Stone, James T. Goodrich, and George R. Cybulski.
Cullen and Whytt on the Nervous System by Julius Rocca.
1710: The Introduction of Experimental Nervous System Physiology and Anatomy by Francois Pourfour du Petit by Lawrence Kruger and Larry W. Swanson.
Irritable Glue: The Haller-Whytt Controversy on the Mechanism of Muscle Contraction by Eugenio Frixione.
The Taming of the Electric Ray: From a Wonderful and Dreadful ‘Art’ to ‘Animal Electricity’ and Electric Battery by Marco Piccolino.
Luigi Galvani, Physician, Surgeon, Physicist: From Animal Electricity to Electrophysiology by Miriam Focaccia and Raffaella SImili.
Section D: Brain and Behavior
Introduction by The Editors.
The Vision of William Porterfield by Nicholas J. Wada
David Hartley’s Neural Vibrations and Psychological Associations by Robert B. Glassman and Hugh W. Buckingham.
Charles Bonnet’s Neurophilosophy by Harry A. Whitaker and Yves Turgeon.
Swedenborg and Localization Theory by Ulf Norsell.
Section E: Medical Theories and Applications
Introduction by The Editors.
Neuroscience in the Work of Boerhaave and Haller by Peter J. Koehler.
Apoplexy-Changing Concepts in the Eighteenth Century Catherine E. Storey.
Benjamin Franklin and the Electrical Cure for Disorders of the Nervous System by Stanley Finger.
Gentleman’s Magazine, the Advent of Medical Electricity, and Disorders of the Nervous System by Hannah Sypher Locke and Stanley Finger.
Therapeutic Attractions: Early Applications of Electricity to the Art of Healing by Paolo Bertucci.
John Wesley on the Estimation and Cure of Nervous Disorders by James G. Donat.
Franz Anton Mesmer and the Rise and Fall of Animal Magnetism: Dramatic Cures, Controversy, and Ultimately a Triumph for the Scientific Method by Douglas J. Lanska and Joseph T. Lanska.
Hysteria in the Eighteenth Century by Diana Faber.
Section E: Cultural Consequences:
Introduction by The Editors.
Technological Metaphors and the Anatomy of Representations in Eighteenth Century French Materialism and Dualist Mechanism by Timo Kaitaro.
Explorations of the Brain, Mind and Medicine in the Writings of Jonathan Swift by Majorie Perlman Lorch.
Temperament and the Long Shadow of Nerves in the Eigthteenth Century by George Rousseau.
Index
ひとりで3時45分、室温13.0度。ちいさいちびはやはりお腹が痛いと言っています。たぶん今日まで休ませれば大丈夫なのではないでしょうか。
朝仕事をこなすために、子どもたちが学校に行ってしばらくしてから家をでました。武蔵境についてちょうど8時54分。つまり西武線の電車が出た時間です。いつもとおり、駅の外にでて、お昼のサンドイッチを買ってから、大学へ。
教務課へ書類を1枚提出し、3階で物品を受け取り、図書館で行ってILLで届いている本とコピーを受け取りました。
届いた本は次です。
根本曽代子『日本の薬学 : 東京大学薬学部前史』南山堂, 1981
届いた文献複写は次です。
根本曾代子「明治維新期の日本薬界展望」『藥局』9巻1号(1958)別刷pp.102-106
「柴田雄次先生のおもいで」『化学と工業』33(4)(1980): 270-272
山崎 一雄「柴田雄次先生 (柴田雄次先生と日本の化学<特集>) 」『化學の領域』34(8)(1980): 591-594
斉藤 喜彦 , 山崎 一雄「金属錯体の研究 (柴田雄次先生と日本の化学<特集>)」『化學の領域』34(8)(1980): 594-598
松尾禎士「地球化学ことはじめ (柴田雄次先生と日本の化学<特集>)」『化學の領域』34(8)(1980): 598-600
柴田南雄「父を語る (柴田雄次先生と日本の化学<特集>)」『化學の領域』34(8)(1980): 602
以上、多めの荷物をもって研究室へ。午後は、大学院の授業。3限4限。修士論文を執筆中の2名はさすがに休んでいました。提出まで残りほぼ1ヶ月。できることを頑張ってもらうしかありません。
本日のキンドル。キンドルの2冊目は、『得する Dropbox活用術 Lite版』Kndle版。寝床に持ち込み、ざっと読みましたが、これが本になっている必要はないように思われます。ネットにきちんとしたマニュアルがあれば、それで足りる種類の書物だと思われます。
ひとりで5時50分、室温12.6度。
妻がすぐに起きてきました。おおきいちびが区の駅伝大会に出場します。そのお弁当つくりです。
おおきいちびは7時過ぎにでかけていきました。妻は8時過ぎに応援に行きました。ちいさいちびは、木・金と学校を休んだので、回復したかと思っていたら、朝はお腹が痛いと言っていました。夜もすこし下痢気味でした。風邪というより体調不良だと思われます。
妻は2時半頃帰ってきました。去年の11位から4位。大躍進です。おおきいちびは駅伝大会の後、直接部活に行っています。ほぼいつもと同じ時間に部活から帰ってきて、足が痛くなかったら、もうひとつ順位を上げることができていたのに、と言っていました。隙間の時間に読んでいたキンドルのグーグル本ですが、就寝前に読み通しました。
ステーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』Kindle版、2013
私は、グーグルが検索の王者となって以降のIT 企業としてのグーグルのことをほとんど知らないことがわかりました。とてもよくできた、非常に面白い本です。とくに、グーグルがぶつかった様々な問題、グーグルが失敗した事業が多くの意味で勉強になりました。もう無理ですが、もし若いときにグーグルで働く機会があったら、最高にスリリングで面白い仕事ができただろう、という感覚は強くありました。
さて、これからどうする?
実際、そういう局面にアメリカの巨大企業としてのグーグルは直面しています。
たとえば、グーグルブックの初期の目標はよかった、とてもよかったと思います。しかし、妥協後に関しては、諸手をあげて賛成というわけには行きません。
いずれにせよ、グーグルは利益追求を基本目的とする営利企業としては、営利企業としての形態を取り続ける限り(稼いでいる巨大営利企業だから可能だったことが多くあります)、根本的矛盾を抱えていると言えるでしょう。もうしばらく、隙間の時間にキンドルでの読書を続けようと思います。
ひとりで6時5分、室温13.8度。夕刻に編集委員会。へこへこしながらまたでかけることになります。
朝一番で次の本が届きました。
アンナ・ブラムウェル『エコロジー―起源とその展開』金子務監訳、森脇靖子・大槻有紀子訳、河出書房新社、1992
目次は次です。
第1部 エコロジーの政治理論
序論
マニ教的なエコロジスト
第2部 エコロジーの歴史
生物学と全体論
エネルギー経済学
コミューンとコミュナード
北ヨーロッパへの回帰
エコロジズムの文学
総称的ファシズム・エコロジズムは存在したのか?
第3部 エコロジーはドイツ病か?
森の冷気
シュタイナーとの関わり
第4部 ニュー・エイジ
緑と赤と反核教徒
エコロジズムの政治経済学
来年度の授業にむけて、教科書的な書物を探しています。その1環として入手しました。個人的には生物学の動向との関係に一番関心をもっています。朝のうちに次の論文を読みました。ものはためし、MacBookAir 上で読み通しました。個人的には腺をひっぱったり、書き込みができた方が安心しますが、読み通すこと自体はコンピュータの画面上でも十分できます。
Guido Giglioni, "What Ever Happened to Francis Glisson?: Albert Haller and the Fate of the Eighteenth Century Irritability," Science in Context, 21(4)(2008): 465-493
なお、この論文は、発表者の希望により来週の駒場の授業のテキストとなります。非常によく書けていると思います。
少なくとも、18世紀になってすぐにグリッソンの名前が忘れられた理由(1.ブールハーヴェが18世紀生理学徒に大きな影響を与えた生理学教科書においてグリッソンをほぼ無視したこと;2.カドワースがスピノザを批判した文章がグリッソン批判だと誤解され、一般的にグリッソン哲学がスピノザ哲学と同じだと理解されたこと)に関しては、説得的な説明を与えることに成功していると思います。
ひとりで6時5分、室温13.2度。我が家に冷シップはないので、左足くるぶしには冷えピタをはって寝ました。起きてすぐに様子を見ると、からからに乾燥しています。患部が熱をもっている徴でしょう。
朝方、図書館より、ILL で発注した次の論文が立命館大学のリポジトリページで全文公開されているという事実を教えてもらいました。すぐにダウンロードして読みました。
秋澤 雅男「ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの環境世界論再考」『立命館經濟學 』43(5)(1994): :82-99
私は最近こういう文章を書くことはもちろん読むことも少なくなっていましたが、今「自然哲学」といったとき理解される内容での「自然哲学」の可能性を感じさせる、非常に面白い論文でした。
これが生物学史の論文かと聞かれると、微妙ですが、生物学史・生物哲学というジャンルがあるとすれば、生物学史・生物哲学の論文ではあります。
結論部分で秋澤さんが引用する次のベルタランフィの言葉なんか、ほんとうにかっこうよい。「第1に、私たちの経験と思考の諸カテゴリーは文化的要因とともに生物的要因によっても決定されているように思われる。第2に、この人間的束縛は、私たちの世界像が漸進的に脱擬人化されるにつれてとり払われてゆく。第3に、たとえ脱擬人化されたとしても一定の側面あるいは相を映し出すものにすぎない。けれども第4に、再びクサ[ニコラウス・クサーヌス]の表現を用いれば、「全体はすべての部分により輝く」、つまり、それぞれの側面は、相対的なものにすぎないけれども、真なるものをもっている。」(p.96)
ミクロコスモスたる環境世界は、閉鎖的ではなく、言わば「無窓であるどころかモナドそのものが全面的に窓である」状態にあり、表現し表出する本質的な連関において調和している。(p.96)[生物学史]
すこし前から、私が数年前に行った作業、吉本秀之(編)「日本における化学史文献:日本篇」『化学史研究』第34巻(2007): 205-330 の生物学史編が必要なのではないかと思うようになっています。
まずは、これまでどれだけのことが行われてきたのか確認することにしました。
CiNii (論文検索)で「生物学史」と入力すると601件がヒットします。そのなかで先行リストは次です。
「生物学史・農学史・医学史文献目録 1964」『生物学史研究ノート』11 (1965): 79-95
「生物学史・農学史・医学史文献目録 1965年-1」『生物学史研究ノート』12 (1967): 40-46
中村 禎里 [他]「生物学史・農学史・医学史文献目録 1966年-1-」『生物学史研究ノート』 14(1968): 51-57
「生物学史・農学史・医学史雑誌文献目録 1966年-2-」『生物学史研究ノート』17(1969): 50-51
江上生子 , 月沢美代子「生物学史研究総目録(14号〜26号,1968〜1974)」『生物学史研究』27(1975): 38-40
「「生物学史研究ノ-ト」No.1〜No.13の目録」『生物学史研究』 31(1977): 37-40
「生物学史研究 総目次 附例会活動記録No.1〜No.49(1955.4〜1987.9) (生物学史の過去・現在・未来--〔生物学史研究〕50号発刊にあたって<特集>)」『生物学史研究』 50(1988): 48-70
(他にあったらごめんなさい。)これを見る限り、生物学史分野の文献目録を作る作業は、1964年から1966年までは存在したが、その後はなくなったようです。
もちろん考え方として、『科学史研究』が(石山洋さんの個人的努力によって)1965年度から出版している「年次文献目録」に含まれるので、それに任せるという方針もあります。
欧米の例を挙げれば、ISIS Critical Bibliography, ISIS Current Bibliographyがあれば、科学史の個別分野は要らないという発想だと言えます。
もちろんものすごく単純にそれだけの労力がなかった、あるいは労力を惜しんだというだけのことかもしれません。
そのあたりの事情がどうであれ、これまでのものを網羅する(網羅しようとする)文献目録は作成の価値があると思われます。実は、今日の駒場の授業のあと(6限や7限の時間帯に)駒場科学史研究会が主催する「Isis, Focus 読書会#11 "Ordering the Discipline" 」という会合があります。ちょうどよい機会なので、はじめて出席します。(趣旨には大賛成だったのですが、うまく出席する機会が得られませんでした。)
この会合については、現在の世話役の藤本氏のサイトから開催案内を引用しておきます。
・日時:2013年12月6日(金)
18時15分〜18時45分:レジュメ担当者を中心に文献の内容のチェックを行います。もちろん、希望があれば担当者以外の方もどうぞ。
19時〜21時:ディスカッション(基本的にはこちらからご参加いただいて構いません。)
・場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階310A(学生室)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_13_j.html
※ google+を通じたビデオチャットでの参加も可能です*1。当日の17時45分頃に参加案内を本ページでおこないます。
Facebook イベントページ:https://www.facebook.com/events/202656406583998/扱う文献ですが、簡単に訳して、ウェルデン「ISIS Bibliography における知識の編成法」;アナ・シルヴィア・マルシア「本棚からサイバースペースへ」;アンダーソン「アメリカにおける科学のアーカイブ」;アレンとInPhOグループ「デジタル人文学における分類の問題」です。おおきくまとめると、図書館の分類の問題、アーカイブの方法、文献目録の分類法、そして文献目録と科学史の親密な関係、というふうな問題群です。
ちょうど私の問題意識に重なるテーマです。
上の会合は、案内にあるとおり、 google+を通じた参加も自由ということなので、是非、今からでも多くの方に参加してもらえるとよいと思います。
ひとりで6時10分、室温13.0度。ちいさいちびが8時前に部屋の前にでてきて、パパ、気分がわるい。しばらく前から風邪気味でした。とうとう風邪の症状が本格化したようです。今日は休ませることにしました。
足の状態は大きく変わらず。ゆっくり歩けば歩くことはできるので、今日はぼちぼちといつもとおりの木曜日の授業を行います。
できるだけ移動距離をちいさくしようと考えました。授業は普通に行いますが、それ以外の場所には、移動途中にある場所にしか、寄らないということにしました。
キンドルの話をしようと思って忘れたこと以外は、普通にできました。帰宅して、確認のためにシップをはずすとくるぶしのところが相当腫れていました。こういうふうになるのでしょう。左足に負担をかけない歩き方は、他の場所に負担をかけます。すこしですが普段感じない筋肉の疲れを感じる場所がありました。
ひとりで4時50分、室温14.1度。会議の日。
[佐藤恵子氏のヘッケル研究]
生物学史ですが、もうすこし広く見ておこうという気持ちになりました。金森修さんの『科学思想史』にルーについて良論文を書かれている佐藤恵子氏がヘッケルも研究されていることを思い出し、次の論文をダウンロードして読みました。
佐藤恵子「エコロジーの誕生: 背景としての E・ヘッケルの学融合的な思想」『東海大学文明研究所紀要』21(2001): 57-71
佐藤恵子「ヘッケルの優生思想」『東海大学紀要. 開発工学部』10(2000): 1-12
佐藤恵子「「ビオトープ」 はヘッケルの造語ではない!: ヘッケルとダールの原典に基づく 「ビオトープ」 という言葉の由来についての検討」『東海大学総合教育センター紀要』28(2008): 33-43
他に(つまりすぐにはダウンロードできないものに)次があります。
佐藤恵子「ヘッケルとフィルヒョウの進化論論争: 科学の自由をめぐる対立」『津田塾大学紀要』1995
佐藤恵子「ヘッケルとピテカントロプス: 自然人類学の揺籃期」『東海大学総合教育センター紀要』2005
佐藤恵子「ヘッケルの根本形態学と形態の美」『モルフォロギア』2000そして次のものもダウンロードして読みました。
佐藤恵子「ユクスキュルの環世界説と進化論」『東海大学総合教育センター紀要』27(2007): 1-15
ヘッケルにしても、ユクスキュルにしても、まとまった本が欲しいと思います。図書館で次の本を受け取ってから生協食堂へ。
坂井建雄編『日本医学教育史』東北大学出版会、2012
目次は次です。
第1章 江戸時代の医学教育
第2章 明治期におけるドイツ医学の受容と普及―東京大学医学部外史・補遺
第3章 明治初期の公立医学校
第4章 明治期における私立医学校の教育
第5章 大学令と大正昭和期の医師養成
第6章 戦時下における外地の医学校
第7章 戦後における医学教育制度改革
第8章 衛生思想と医学教育
第9章 明治期における医学書の動向
第10章 医学教育における医学用語―用語の浸透と統一を中心に
第11章 戦前期における「医学博士」の社会学的分析
私が読みたかったのは、泉 孝英氏により第6章ですが、医学史に関心をもつものが通読しておいてよい本に仕上がっているように思われます。会議は、2時20分から4時まで。
[足の負傷]
帰り道、道路の穴に左足がはまって捻挫。瞬間大きな痛みがありました。いつもの2〜3倍の時間をかけるとなんとか歩けます。ゆっくり歩いて、帰ってきました。
妻の助言で帰宅してすぐに整骨医に。冷やしてシップだけしてくれました。腫れがひどくなったら包帯をはずして下さいと言われました。
ひとりで5時半、室温13.1度。しばらく前にキンドルを購入しています。実際に使ってみようと思い、次の本をダウンロードして読んでみました。
ステーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』Kindle版、2013
読むことに関してはまったく問題なく読めます。読み物にはむいているかもしれません。ノートを取りながら読むべきものにむいているかどうかはまだわかりません。[ブールハーヴェ Boerhaave, Hermann, 1668-1738とハラー Haller, Albrecht von, 1708-1777]
このサイトに十分反映することができていませんが、ブールハーヴェとハラーに関して本当の基本から見直す作業に取り組んでいます。
弘文堂の事典では、ブールハーヴェに関して阿知波五郎さんが記事を書かれています。阿知波さんには面識はありませんが、『ヘルマン・ブールハーヴェ:その生涯、思想そして蘭医学への影響』(緒方書店、1969)という本を出版されていることは知っています。阿知波さんは事典の記事の文献では、自著の他に、Burton, An account of the life and writings of Boerhaave, London, 1743 だけをあげています。つまり、ブールハーヴェの死後すぐにイギリスで出版された英語の著作を重要な参考文献とされています。ハラーに関しては、河本英夫さんが項目を執筆されています。文献を含めて26行。文献は、川喜田愛郎氏の『近代医学の史的基盤』(岩波書店、1977)とShirlay A. Roe, Matter, Life and Generation, Cambridge, 1981 の2点を挙げています。
仕方がないと言えば仕方がないのですが、もの足りないのはもの足りません。
次には、ホールの『生命と物質』を繙きました。邦訳では、上巻に収められている第4部第26章が「ミクロ機械論モデル[ブールハーウェ]」第4部第27章が「ミクロ機械論モデル、続き[ハラー]」です。ちなみに、第4部の最初の章(第25章)は「生命と生命医学的霊魂[シュタール]」です。
Web で入手できる Complete DSB のブールハーヴェは ブールハーヴェの専門家Lindeboom によります。事典での記述のお手本となるような文章です。基本的事項が正確によくわかりように整理されています。
文献の記述も望ましいものです。
ということで、ブールハーヴェに関して今でももっとも基本的な2次文献は、G. A. Lindeboom, Herman Boerhaave. The Man and His Work, London, 1968 だと思われます。
リンデボーム(オランダ語の発音はこれでよいのでしょうか?)は、植物学と化学似関しては、ギブズの論文をあげています。
F. W. Gibbs, "Boerhaave and the Botanists," Annals of Science, 13(1957): 47-61; F. W. Gibbs, "Boerhaave's Chemical Writings," Ambix, 6(1958): 47-61
生化学に関しては、ジェボンズの論文をあげています。
F. R. Jevons, "Boerhaave's Biochemistry," Medical History, 6(1962): 343-362
医学史全般に関しては、レスター・キングを挙げています。
Lester S. King, The Medical World of the Eighteenth Century, (Chicago, 1958), chapters 3 and 4. ; Lester S. King, The Growth of Medical Thought, (Chicago, 1963), pp.177-185.
夜半に目覚めてすこし仕事。6時50分起床、室温13度。下に降りると、ちょうど妻が朝練に行くおおきいちびを見送っていたところでした。
小学2年生もすぐに起きてきました。今日は一日仕事があります。
8時54分に武蔵境に着きました。ちょうど電車が出たばかりです。そういう場合は、駅の外に出て、パン屋さんで昼食のパンを買うことにしています。買うのは決まったサンドイッチです。
9時6分の電車に乗って、大学へ。電車では今日の夕刻打ち合わせをする同僚の先生といっしょになり世間話をしていました。
大学に到着してからは、事務棟3階、図書館受付、印刷室、研究所へと回りました。図書館では ILL で届いている次の本を受け取りました。
『柳絮地に舞ふ : 滿洲醫科大學史』輔仁会滿洲醫科大學史編集委員会, 1978
これは驚異の書物です。1600頁を超える浩瀚さ! 百科事典を超える大きさです。
同じく、ILL で届いていた次のコピーも受け取りました。
Pighetti, C., “G.B. Odierna e il suo discorso su “L'Occhio della Mosca"", Physis : rivista di storia della scienza, 3(1961): 309-335研究室では、事務的用件。12時から学生との面談。12時40分から大学院のゼミ。3限4限と連続します。休み時間に書類をひとつ、3階奥の事務室に提出し、図書館へ行って本を一冊返却しました。
4限終了後ただちに、事務棟の入り口へ。JAXAの方との打ち合わせ。こちらはスムーズに進行し、30分でちょうどよい合意に達しました。
帰宅すると、久しぶりに(部活)オフのおおきいちびが吉祥寺のパンケーキ屋さんに行きたいと言っているということです。話をして、小学2年生と私が家に残り、我が家の女性3人組ででかけることになりました。
小学2年生の夕食のリクエストは、野菜とお肉の入ったケチャップ味のオムライス。久しぶりにつくりました。久しぶりだったので量を多くつくりすぎました。でもまあ、息子もしっかり食べて、順番にお風呂に入り、しばらく休んでから息子は宿題に取りかかりました。予想とおり、息子が宿題をやっている最中に女性3人組は帰ってきました。こちらも順番にお風呂と宿題。
ひとりで5時50分、室温12.2度。
おお、もう12月です。[ハラー Haller, Albrecht von, 1708-1777]
しばらく前からハラーについて調べています。文献調査からと思い、検索していますが、ハラーの生理学を扱った論文は、とても少ないことがわかりました。
まず、基本に返ってと考え、DSB 正確には、ウェブにあるComplete Dictionary of Scientific Biography の記事を読んでみました。Copyrihgt は、2008です。執筆者はErich Hintzsche。
2次文献を見ると、ほとんどがドイツ語文献です。英語文献であげられているのは、第1にフォスターの古い『生理学史』(1924)(邦訳があります)、第2にニーダムの『発生学の歴史』(1959)の2点のみです。
(フランス語文献はもうすこしあるでしょうか。)
いまどきこれほどドイツ語だらけの2次文献表は珍しい。とりあえず、DSB執筆者のエーリッヒの論文は次。
Erich Hintzsche, “Albrecht Hallers anatomische Arbeit in Basel und Bern 1728−1736,” Zeitschrift fü Anatomie und Entwicklungsgeschichte, 111 (1941), 452−460
Erich Hintzsche, “Einige kritische Bemerkungen zur Bio- und Ergographie Albrecht von Hallers,” Gesnerus, 16 (1959), 1−15
Erich Hintzsche, “Neue Funde zum Thema: ‘L'homme machine’ und Albrecht Haller,” Gesnerus, 25 (1968), 135−166
Erich Hintzsche, “Boerhaaviana aus der Burgerbibliothek in Bern,” in G, A. Lindeboom. ed., Boerhaave and His Time (Leiden, 1970), pp. 144−164
Enrich Hintzsehe and Jörn Henning Wolf, “Albrecht von Hallers Abhandlung über die Wirkung des Opiums auf den menschlichen Körper,” Berner Beiträge zur Geschichte der Medizin und der Naturwissenschaften, no. 19 (1962)エーリッヒの挙げる最新文献は、1970年です。1970年までの状況は、こういうことだったのでしょう。
本文では、最後に記されている書誌的関心から取り上げましょう。
「ハラーはその科学的キャリアの全体を通して、関心のあるテーマに関して出版されたすべてを完全に研究した。それゆえ、彼の体系化本能を文献学に向けたとして不思議な点は何もない。」
その最初が、ブールハーヴェの『医学綱要』(Institutiones medicae, 1739) への注釈であった。これは一種の生理学教科書としても用いられたが、すぐに内容が古くなったので、自分で『生理学初歩』(Primae lineae physiologiae, 1747)を著した。ブールハーヴェのMethodos studii medici(1751)の編纂本は、純粋に文献学的増補、100頁にわたる物理学文献のリスト、15頁の化学文献、95頁の植物学・薬学文献、そして300頁を超える解剖学・生理学文献を含んでいる。
そしてベルンに帰ってから、8巻にのぼる生理学教科書『人体生理学原理』Elementa physiologiae corporis humani (1757) を著した。気になるので、グーグルブックでMethodos studii medici(1751)をダウンロードして様子を見てみました。予想していた本とは相当違っていました。部構成だけでも書き写してみましょう。
第1部:自然学一般
第2部:幾何学
第3部:(運動と機械学)
第4部:特別自然学
第5部:化学
第6部:植物学
第7部:解剖学
第8部:部分の用途、あるいは理論医学
第9部:病理学
第10部:症状学
第11部:治療法
第12部:養生法
第13部:外科学
第14部:実践
第15部:医学史
文献リストがほんとうに充実しています。完備した文献リストをもつドクソグラフィカルな著作と位置づけることができるでしょう。そしてそういうものとして今でも有用性をもっていると言えるでしょう。ソーンダイクのような、科学史家の基本装備とすべき種類の本かもしれません。私のよくわかる 第5部:化学 についてもうすこし詳細に見てみましょう。
Caput I. De Chemia in genere. 133
Caput II. Experimentorum chemicorum auctores. 137
Caput III. Specialium inquisitonum scriptores. 140
Caput IV. Pharmaceutica. Consilia Pharmaceutica. 147
Addenda ad hanc Partem. 1030
つまり、第5部:化学は、本文 pp.133-155 に対して、補遺が pp.1030-1034 です。とくに第3章の個別事項が現在の観点からは有用かと思われます。
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