ひとりで4時55分、室温13.9度。11月の最終日。午前、2件の面談。午後、授業。
→午前中の2件の面談ですが、1名から風邪を引いて延期したいというメールがありました。そういう季節です。昨日の編集委員会で持ち帰った宿題をこなしています。明日中には全部を処理したいと思います。
8時半武蔵境発の西武線。先頭に座りました。
9時から面談。いろいろ話を聞きました。10時過ぎに図書館に行って、次の2冊を借り出しました。
ジョルジュ・サドゥール『諸器械の発明1832-1895 : プラトーからリュミエールへ』村山匡一郎, 出口丈人訳、国書刊行会, 1992
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』木下誠訳、平凡社, 1993昼食後、3限4限の授業。
3限のあと、図書館に行って、次の4冊を受け取りました。
『アリストテレス全集12 小論考集』岩波書店、2015
『アリストテレス全集6 気象論 ; 宇宙について』岩波書店、2015
アンドルー・ペティグリー『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』、白水社2015
アンソニー・グラフトン『テクストの擁護者たち 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』、勁草書房、2015
帰宅すると次の本が届いていました。
伊藤俊治
『ジオラマ論:「博物館」から「南島」へ』
リブロポート、1986
ひとりで6時45分、室温12.4度。午後、東工大で編集委員会。昨日の夜、半分までは準備が終わっています。
編集委員会は、午後2時から約時間。5時過ぎに帰ってくることができました。学会事務局に届いていた次の本を持ち帰りました。書評してくれる方にはお送りします。
武田科学振興財団杏雨書屋 編『 曲直瀬道三と近世日本医療社会』武田科学振興財団、2015
898頁、箱入りの大冊です。まなせ・どうさんと読みます。私は詳しくはありませんが、16世紀に活躍した医聖とあります。
ひとりで6時55分、室温11.2度。昨日につづき、好天。小学生もおおきいちびも7時過ぎに起きてきました。おおきいちびは走りにでました。
朝のうちに、編集委員会の仕事を1件終えて、すぐに郵便にまとめ投函しました。月曜か火曜日には京都に着くでしょう。
10時半から、息子のダンスの講習会があります。児童館まで送っていきました。先週はじめてしたマフラーは、研究室に置き忘れてきています。妻のおおきいマフラーを借りました。1時間で迎えに行きます。
暗くなる前に次の本が届きました。
Arnaud Maillet, The Claude Glass: Use and Meaning of the Black Mirror in Western Art, transleted by Jeff Fort, New York: Zone Books, 2009
クロードグラスというのは、なかなか不思議なものです。黒い凸面鏡です。ピクチャレス絵画が人気を博していた時代に一部でよく使われていました。
ひとりで4時50分、室温13.9度。
5時半、新聞を取るために、玄関のドアを開けました。わおー、霧がかかっています。東京で霧は珍しい。霧は大好きです。昨日の和田先生の話に引きつけて言えば、霧のなかから汽笛が聞こえてくるなんてすると、最高です。オフになっていた記憶の回路がオンになって、忘れていた感情が甦ります。そして、朝霧はすぐに消える。この潔さもまたよし。11時に出張校正。要町。→10時過ぎに家をでて、11時5分前に現地に着きました。印刷所の担当者は新しい方。前の方は、11月の上旬に退職されています。ほぼいつもとおり1時間で終了。
お腹が空いていたので、建物をでてすぐ近くにあった「台湾ラーメン」のお店に入りました。「台湾ラーメン」て何? と思ったのですが、沖縄そばに近いものでした。日本人の感覚では、ラーメンというより、うどんです。ちょうどよいので、要町→永田町→半蔵門とたどって、半蔵門駅のすぐ近くにある「日本カメラ博物館」に行ってみることにしました。
入場料は300円。ちょうどイギリスカメラの特別展を開催中でした。私が見たかったのは、カメラ・オブスクラからカメラに変わっているときのもの。カメラから言えば、最初期のものを自分の目で確認しておきたかった。展示は、十分満足できるものでした。
奥の方に、覗き系もありました。自分の目で見ると、意外にも、本当に立体的にリアルに見えます。現在はすっかり忘れ去られた装置ですが、そして授業で示すのは難しい装置類ですが、これは、これで十分魅力的でした。
せっかくなので、ジルー・ダゲレオタイプ・カメラのミニチャーがあったので、『日本の歴史的カメラ[増補改訂版]』日本カメラ博物館、2004、といっしょに購入しました。あわせると結構重い。半蔵門からは渋谷はすぐです。駒場には、2時過ぎに着きました。判子を押し、図書館で本を返してから、すこし雑誌を読んでいました。
それからちょっと思い立って、矢内原門を通って、踏切を渡り、駒場下の商店街を歩いてみました。昔あったお店で残っているものは少数です。喫茶店もほぼなくなっています。
駒場小学校の近くまで歩くと、昔なつかしい喫茶店が残っていました。入ると誰も先客はいませんでした。今度はコーヒーを飲みながら、カバンのなかの本を読んでいました。読んだのは、『観察者の系譜』の注の部分です。全部読むと、得られるものがありました。本日5限の授業では、第4章を発表してもらいます。4時過ぎに科哲研究室へ。中澤氏とすこし話をしていました。
4時50分から308で授業。先週とは違い、一人を除き、全員来ていました。19世紀のほんとうに多様な視覚装置について発表してもらいましたが、いろんな工夫の凝らされたよい発表でした。
教室を出ると、柴田君。どうも留学する友達の送別会のようです。下北沢までいっしょしました。家に帰り着くと、マイナンバーが届いていました。我が家の5人分。マイナンバーは不評ですが、そして不評の理由はわかりますが、税務署をなめてはいけない。
ひとりで6時、室温12.6度。2日続けて冬の雨。室温もずいぶん下がりました。起きて居間に行くと、お餅の用意がしていました。みんなが目覚めた頃、出来上がるように、餅つき器をセットしました。
午前中に医院。午後授業。授業終了後、研究会。私が発表します。
→今日の最初の医院は、かかりつけの内科医さん。9時半診療開始ですが、9時過ぎに医院について待っていました。雨だし寒いし、人は少ないだろうという予想で今日にしました。やはり1番。検査物を渡して、1分ほどお医者さんと話して、本日は終了。検査結果は1週間後にわかるそうです。来週は金曜日の午前中に来ようかと思います。
本日の2番目は歯医者さん。11時半から1時間かけてトータルな検査をするそうです。
→1時間10分ほどかけて検査しました。全部の歯のレントゲン、全部の歯の歯周ポケットチェックが行われました。トータルな説明は次の機会になるそうです。受付で、4回分の予約を行いました。一度自宅に帰って、カバンを用意してから、大学へ。1時30分武蔵境発の西武線。
すぐに4限の授業。今回は全員がパワポを使っています。大学で借りているプロジェクターのコネクターの部分がすこし弱っています。ケーブルを逆転して、なんとか最後まで使いました。乱暴に使った人がいるのでしょう。大勢が使うものは、こうしたトラブルにあいやすい。すぐに5限の授業に。一人は風邪、一人はタイでお休み。少し早めに終わって、次の準備をしました。総合文化研究所にカメラ・オブスクラ、ミラージュ、クロード・グラスを運びました。一度もどって、カバンとレジメを持っていきました。
5時45分〜8時までの研究会。論者は2人。私が最初に話しました。「カメラ・オブスクラの歴史」。意図的に素っ気ないタイトルとしました。
5分休憩してから、和田先生の「鉄道、映画、そして郊外:ビランデッロに見る近代化と感覚変容」。さすが和田先生。きちんと構成された発表でした。終わって8時10分ぐらい。片づけてから、9人で大学前のピザ屋さんへ行きました。四方山話に花を咲かせました
10時40分台の電車で帰宅。帰り着いて、11時過ぎ。妻が起きていました。私はお風呂に入り、コーヒーを煎れてしばらくしてから就寝。もちろん、こんな遅くなるのは久しぶりです。
ひとりで4時10分、室温15.5度。外の気温は10度程度で、冷たい雨が降ってきて、ほぼ気温が上がらないそうです。→天気予報を確認しました。最低気温11度、最高気温11度、お昼頃から雨です。
おおきいちびはやはり朝練。午後に会議。
朝方すこし作業をしてから出発。10時42分武蔵境発の西武線。
図書館に直行し、ILL で届いている次の文献を受け取りました。 小林 典子「ヤン・ファン・エイクと<光と空気>の描出をめぐる言説(ディスクール)--後期スコラ・パリにおける光学理論についての一考察」『大谷女子短期大學紀要』44(2000): 326-237
それから研究室。明日の発表の準備をしていました。いまさらですが、ハリス以前の調査。"Chambre close" は、ハリス以前に百科事典的著作に項目としてあることがわかりました。→その最初はどうも、このサイトで去年の10月21日に紹介した次の本のようです。すなわち、数学リクリエーションの最初のバージョンです。
[Leurechon], Recreation mathematicqve, composee de plusieurs problemes plaisants et facetievx, En faict d'Arithmeticque, Geometrie, Mechanicque, Opticque, et autres parties de ces belles sciences, Pont-à-Mousson: Jean Appier Hanzelet, 1624
これを出発点として、Récréations Mathématiques 、その英訳、 Mathematicall Recreationsに引き継がれ、17世紀後半の百科事典的著作に引き継がれたということのようです。(この件、調査中)。
Albrecht Heefferによれば、真の著者は、この本の出版者であるJean Appier Hanzelet ということです。午後の会議は、総合国際学研究院教授会。2時20分開始。私は1分程度報告すべきことがあります。ほぼ予定通り進んで、4時40分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。朝降っていた雨は一応上がっています。
→止んだと思ったらまた降り始めました。明日も冷たい雨だそうです。
ひとりで4時40分、室温16.9度。
天気予報を確認しました。本日は晴れて最高気温が22度。明日は雨で最高気温が11度。わおー。この落差はすごい。水曜日に一気に冬が来ます。その後は、15度前後で推移します。おおきいちびには朝練があります。
朝方5章分を送りだしました。それから、学校へ。9時42分武蔵境発の西武線。今日は学園祭の片づけで、授業はまだお休み。私は、事務棟3階へ行って、MacBook Air 用のSDカード(JetDrive)を受け取り、研究所によって、本の後半をスキャンしてから研究室へ。
事務に2回書類を提出するため赴きました。1度は、研究講義棟3階へ、2度目は事務棟1階へ。事務棟1階に行ったあとは、大学前のコンビニに寄って、コーヒーやホワイト等を仕入れました。すこし時間に余裕があったので、木曜日5限の秋学期第1回アクティブ・ラーニングの課題を全部読み、採点しました。なかなか面白いのもありました。世界のいろんな地域を専攻する学生がいる強みです。
ジョナサン・スターンの『聞こえくる過去[The Audible Past]』の訳者解説を読み通しました。Visual Culture Studies, Visual Studies に対して、Sound Culture Studies, Sound Studies という分野がありえます。この分野では、スターンのこの仕事が、里程標となっているようです。STS や Science Studies の領域でも、この分野の仕事があります。ピンチがレビューを書いています。一息つけたら、そちらも見てみます。
Jonathan Sterne(ジョナサン・スターン)『聞こえくる過去─音響再生産の文化的起源』中川克志、金子智太郎、谷口文和 訳、インスクリプト、2015、の目次を掲げておきます。
ハロー!
音の自然を再考すること─森、倒れた木、現象学について
音響再生産とは何か 本書の計画
第一章 人の代わりに聞く機械
委託、共感覚、音の外見
耳科学、生理学、社会存在論
ダイアフラム、発声器官、音の機械
もう一度耳から機械へ:音響再生産の可能性の核心
第二章 聴取の技法
間接聴診と医学の聴覚文化
間接聴診─技法の社会的基礎と哲学的基礎
聴こえるものが知りうるものになる─変わる医学知識の体制
記号としての音
第三章 聴覚型の技法とメディア
電信術─「古代と近代」
広められた聴覚型の技法─もしくはヘッドセット文化小史
第四章 可塑的聴覚性─技術をメディアに
男性による出産と赤ん坊の機械
音が産業的問題となる─研究と技術革新の場
音響再生産の市場形成─実験的メディア・システム
中産階級の社交における差別化、利便性、様態変化
可塑性、家庭空間、宣伝活動
官僚制、介在、国民性
結論─まずはメディア、その後に技術
第五章 音響忠実性の社会的誕生
音響再生産のダイアグラムとしてのスタジオとネットワーク
真正性をもたらすための人工的な工夫
機能の美学と再生産という事実
忠実性と純粋聴力の拡張
電話テストからトーン・テストへ─信頼すべき機械たち
可変的な真実性
遂に真なる忠実性へ
信頼の断絶
第六章 鳴り響く墓
化学の力で素敵な聴取
彼のマスタリングされた声
未来に向けたメッセージ
「死にゆく文化の声」─音響民族誌と保存の精神
プロジェクトとしての永続性
結論 聞こえくる未来
2時半から3時15分ぐらいまで中会議室で会議。
4時半から301で会議。こちらはスムーズに終わりました。
5時42分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。同僚の O 先生と西荻まで一緒になりました。 O 先生は、中央線でもうすこし先まで行くということでした。
帰り着くと、朝送り出したものの次が来ていました。週末から本格的な作業に入ろうと思います。
また、ちびどもの要望で注文していたTANITA の体重計が届いていました。5人まで個人設定ができます。1から3は、こどもたちに振りました。
ひとりで5時55分、室温15.9度。昨日から寒くなったと感じていました。朝の気温もぐんと下がってきています。曇り。どんよりとした曇り。雨は降ってきても不思議ではないが、いつ降り始めるのかよくわからないといった空模様です。
おおきいちびは10時半に練習試合だといってでかけていきました。ちいさいちびも同じく練習試合のようですが、お昼ご飯を食べてからでかけるようです。午前中に第5章のチェックを終えることができました。昨日行きの電車のなかでも作業をしていました。
午後は、木曜日の夜の発表の準備にかかります。→完成はしていませんが、ある程度までは準備ができました。明日と明後日は、会議が2時半(火曜日)、2時20分(水曜日)開始なので、朝のうちは余裕があります。明日と明後日で完成まで持っていきます。午後3時から4時、雨が微妙に降っています。雨量としてはまだ0だと思いますが、地面は濡れていて、空は真っ暗です。予報を見ると、雨量は1ミリですから、本格的な雨降りにはならないようです。そして、明日はまた気温が上がり、晴れるようです。外語祭の片づけ部隊には福音でしょう。
ちびどもはふたりとも疲れて帰ってきました。バスケの試合は疲れるでしょう。
ひとりで5時10分、室温17.6度。
みんなゆっくり寝るそうです。ただし、小学生だけは、7時に起きると言っています。本日はお昼に浅草にて学生の結婚式。披露宴で乾杯の挨拶を頼まれています。浅草なんて久しぶりです。
グーグルで調べると、自宅から会場まで、中央線-銀座線を使って、1時間2分です。11時半開場とありますから、10時半ぐらいにでかけることになります。
お二人は、2009年度の卒論生です。2009年の後半は私が特別研修で大学を半年休んでいた年です。たまに休むことがこういう効果をもたらすのでしょうか。
→10時半にでかけました。総武線に乗りました。神田で銀座線に乗り換えるつもりだったのですが、総武線は、神田を通っていません。急遽、浅草橋で浅草線に乗り換えました。地下鉄からは予定とは違った出口。地図の文字は小さく私の目では読める読めないのぎりぎりです。11時半に開場に着くつもりだったのですが、途中で方向を見失いました。コンビニの店員さんに聞いて動くと、たぶん行きすぎて雷門へ。すごい人です。やはりどっちに行けばよいのかわからなくなり、今度はレコード屋さんで聞きました。近所には来ていたのですが、路地の見方が正確に把握できていませんでした。
指定された路地に入ると、お店の前の人の様子で、会場はわかりました。ゼミ生の男の子が二人受付をしていました。お一人は、来年結婚するそうです。そういう年代です。
12時にスタートして、3時に終了。
新郎はブラ研(ブラジル音楽研究会=サンバ研究会)ということで、最後は、音楽の演奏となりました。新郎は人前では初めて歌うといって歌ってくれました。私が帰宅すると、今日は、ちいさいちびがお買い物。妻がアテンドします。出ようとしたところにちょうどおおきいちびが帰ってきました。友達と洋画を見に行っていました。私も行く、ということで、我が家の女属3人で出かけていきました。息子と二人でお留守番。最近はこのパターンが多い。
ひとりで4時50分、室温17.1度。
小学生は学芸会の2日目。昨日は、小学生がお互いに見る日。今日は、親が見に行きます。私は仕事なので、妻がヴィデオをもって参観。
おおきいちびはB時間での練習。ちいさいちびは午後練習試合。
好天。連休中もっともよい天気の日ということです。朝一番で次のカタログが届きました。
サントリー美術館『のぞいてびっくり江戸絵画 −科学の眼、視覚のふしぎ−』サントリー美術館、2014
去年の春にこの名前で開かれたサントリー美術館の展覧会の図録です。文章を書いているのは、田中優子とタイモン・スクリーチ。
田中優子「江戸人たちの驚きの世界」
タイモン・スクリーチ「江戸の視覚革命再考:井上政重と海禁以降の視覚文化交流」正午から4時まで大学院進学説明会。あるブースにずっと座っていることになると思います。
→三鷹駅構内で昼食を買ってから、10時半、武蔵境発の西武線。研究室ですこしデスクワーク。ああ、そうだと思い出して、スクリーチの『大江戸視覚革命』(田中優子・高山宏訳、作品社、1998)を本棚から探し出しました。今私の調べていることにフィットする本です。
→5分前に会場に入りました。予想していた通り、お客さんはあまり来ず、途中からは同僚の先生方とチャット(おしゃべり)していました。宿題もあるし、明日もあるので、4時16分多磨駅発の電車ですぐに帰ってきました帰宅するとおおきいちびが誕生日プレゼント(2ヶ月以上先ですが)の服を買いに行きたいと言っています。妻がアテンドして、吉祥寺にでかけました。
東急にあるということだったのですが、電話があって、東急デパートにはサイズがない、問い合わせてもらって伊勢丹にはあるとわかったので、急遽、新宿の伊勢丹に行って来るということです。
歩く時間を入れて、1時間ぐらいでしょうか。
8時半前に、買ったジャケットを着て、うれしそうな顔をしたおおきいちびと妻が帰ってきました。ちいさいちびと小学生には、それぞれ、駅前のマックでお土産を買ってきていました。
ちなみにちいさいちびは10月の誕生日には誕生日プレゼントが決まらず、まだ持ち越しています。しばらく持ち越すことになりそうです。
ひとりで4時55分、室温17.8度。おおきいちびは朝練、ちいさいちびは今日からいつもより早く起きると言っています。本人の弁ではすこしずつ朝方にしていくのだそうです。
天気予報より、天気が悪くなっています。予報に雨マークはついていませんが、どんよりとした曇り空となっています。すぐにでも雨が降ってきそうな曇り空ですが、予報に従えば、このままもつということのようです。
昼食後、翻訳の見直しを1章分行うことができました。約束は、24日までにあと1章です。この1章が最長です。
夕方、駒場の授業。駒場祭の準備期間ですが、教務課と橋本さんの許可を得て、決行します。2年生の諸君には、欠席しても不利な扱いはしないと言っています。
→2時半頃家をでました。駒場祭の準備の真っ最中でした。本屋さんにより、図書館へ。雑誌を読んでいました。それから科哲事務室へ。久しぶりに廣野氏とゆっくり話しました。
授業に学部学生は参加せず、結局、私を含めて3人。でも、有意義な研究発表を聞くことができました。8時頃帰宅。
ひとりで5時10分、室温18.9度。外語祭初日です。外語祭は、今日から来週の月曜日まで5日間続きます。
朝の間に、ハル・フォスター『視覚論』(平凡社、2000)を読み終わりました。見事です。ここに掲載された論考は、1988年4月30日ニューヨークのダウンタウンで開かれたシンポジウム「現代文化をめぐる議論」に由来します。
日本でも、こういう議論がなされる必要があります。妻が昔世話になった従兄弟にお歳暮を贈ると言います。お昼前に吉祥寺で探すことにしました。お腹が空いていたので、まず昼食。駅ビル地下の韓国料理屋さん。けっこう流行っていました。昼食後、見た目のよい、和風のものを探しました。12月に入ってから、配送してくれるそうです。それは助かります。
この冬2度目の黒いお餅つき。妻が朝用意をしていました。我が家の冬の風物詩になっています。ちょうど前後して、妻がちいさいちびを歯医者に、私が小学生をダンス教室のある児童館に送り迎えしました。
夕刻次の本が届きました。
限界研(飯田一史,海老原豊,佐々木友輔,竹本竜都,蔓葉信博,冨塚亮平,藤井義允,藤田直哉,宮本道人,渡邉大輔)
『ビジュアル・コミュニケーション:動画時代の文化批評』南雲堂、2015
まず、次の論考を読みました。
渡邉大輔「スタジオジブリから「満洲」へ――日本アニメーションの歴史的想像力」
日本アニメの満洲人脈は描かれていますが、「満洲」の思想にはほとんど触れられていません。着眼点はとてもよいと思いますが、思想の分析がないと、コネクションの存在の指摘にとどまると思われます。そうではあっても、正しい方向を向いていると思います。
ひとりで4時15分、室温20.2度。朝の室温が高止まりしています。
新聞をとるため、玄関のドアを開けました。雨上がりの空に星がまたたいていました。空気は冬です。本日も会議の日。10時から打ち合わせ。12時に学生と面談。1時40分から301で評議会。3時20分から大会議室で学部教授会。本日もめる案件はないように思います。
ちなみに、外語祭は明日の木曜日から勤労感謝の日の月曜日まで。今日は準備日です。残念ながら午後雨のようですが、木曜日から日曜日までは、雨マークがありません。勤労感謝の日は、今の予報では、曇りのち雨です。
早めに出て、8時6分武蔵境発の電車。久しぶりに西武線の先頭にすわりました。高校生らしい男子のいかつい集団が乗っています。次の駅でいっせいにに降りたところを見ると、ICU 高校の学生たちです。
朝のうちは、研究費の最終段階の処理をしていました。もうすこしで今年度分は方をつけることができるところまで来ました。9時に図書館に本を取りに行きました。次の2冊。
ピーター・バーク『知識の社会史2: 百科全書からウィキペディアまで』井山弘幸訳、新曜社, 2015.7
ジョナサン・スターン『聞こえくる過去: 音響再生産の文化的起源』中川克志, 金子智太郎, 谷口文和訳、インスクリプト, 2015.10
予想通り、『聞こえくる過去』は、音の文化史におけるクレーリーに匹敵する書物でした。クレーリーより、きちんと資料を追っています。10時からの打ち合わせは、11時前まで。
正午の面談は、10分程度で終わりました。
1時40分からの会議は2時前に終わりました。次の会議は、2時20分から。こちらも比較的スムーズに進んで、4時52分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。雨が本格化していました。
研究室の棚から、次の本を探し出して、持って帰ってきました。
ウィリアム・アイヴィンス『ヴィジュアルコミュニケーションの歴史』白石和也訳、1984
視覚文化史にとって重要な書物ですが、タイトルのせいで、それがすぐにはわかりませんでした。「ヴィジュアルコミュニケーション」という言葉が間違っているわけではありませんが、日本語としてこなれていないので、内容が伝わらなかったように思われます。書物のなかの図版や挿絵の通史です。私が取りあげたかったことの核心ですが、今になるまで気づきませんでした。手帖がカバンのなかにありません。探してみると机の上にありました。本日10時半から別の会議がありました。人事委員会の打ち合わせに出席したので、別の会議には出ることができなかったのですが、手帖もなく、すっかり忘れていました。
ひとりで3時10分、室温19.6度。季節が1ヶ月もどったようです。そのぐらい暖かい。5時までに昨日発覚した宿題、すなわち4号の表を作成する仕事を完了することができました。朝早いメリットはこういうことです。
子どもたちが朝食をたべている間、吉岡君がもっと視覚論をと言っていたことを思い出し、足許にあるハル・フォスターの『視覚論』を引っぱり出しました。ぱっとひらいたページにあったロザリンド・クラウスを読み始めました。さすがに力のある美術史家/評論家です。とてもおもしろい。ピカソのエロティックなパラパラマンガなんて、ほんとうの傑作です。
ロザリンド・クラウス「見る衝動/見させるパルス」『視覚論』pp.075-107.
視覚空間の安定性を破壊し、その特権を奪う、リズム、ビート、パルス(オン/オフ、オン/オフ、オン/オフというリズム)を問題としています。午後は会議。
10時6分武蔵境発の西武線。大学について、すぐに10月23日締切の課題に取り組みました。わー、たいへん。正午になっても終わる気配がありません。昼食を間に挟んで休みをいれずに作業しました。2時にやっと終わりました。
試験形式です。はじめクイズと書いているので気楽に回答を選んでいたら、5問中0回答となってしまいました。その後はもうすこし真面目に対応して、高い正答率を得ましたが、最初の0点が効いて、79点。合格は80点。ぎゃ。どうも合格点に達するまでやりなさいということのようですが、4時間もかかるもの、そうそうできません。2時40分から2つの会議。最初はすぐに終わりました。2つ目は難しい案件を扱います。6時15分過ぎまでかかりました。6時28分多磨駅発の電車にやっと乗ることができました。疲れました。
夜になって、『視覚論』を再び手にしました。クレーリーの「近代化する視覚」を読みました。『観察者の系譜』のレジメのような論考です。私は、『観察者の系譜』は授業のネタとして使っています。取りあげる箇所はほぼ同じでした。よかった。もちろんまとめかたは違っています。なんといっても私は学生にわかるように話すことを重視しています。「近代化する視覚」のような話し方をしたら、一般学生はついてこれません。授業では、クレーリーの議論を開き、丸めています。
息子の10回目の誕生日。最近は半分の成人式と呼びます。小学校でそういう行事があります。ちなみに息子のクラスでは、昨日、9人が病欠したそうです。もう少しで学級閉鎖ですが、みな、息子が休んでいたときと同様の症状だそうです。つまり、インフルエンザではない。
誕生日のケーキは、8時半から。妻はフルーツケーキを買ってきていました。10本のローソクを立て、ハッピーバスデーを唱和しました。私は一口だけ食べました。
ケーキをいちばんよく食べるのは、おおきいちびです。余ったら全部平らげてくれます。
その後すぐに息子と私は寝室へ。
ひとりで5時20分、室温18.1度。朝から出かけて業務上の宿題をこなします。量を見ていないので、締切に間に合うかどうかはわかりません。
午後には授業。
8時半武蔵境発の西武線。この時刻に電車に乗っている学生のかなりの割合は遅刻です。何人か多磨駅からダッシュしていました。
私は研究室で明日締切の宿題をやろうと思ったら、分担箇所を書きとめるのを忘れていました。問い合わせのメールを出して、学生たちの提出した課題を見ていました。なかなか面白いのもあります。手抜きのもあります。
返信はすぐに来ました。ただちに、宿題に取りかかりました。私にできるところはやりました。終わって送信。そして昼食。
図書館に次の本を取りに行きました。
Jutta Schickore, The microscope and the eye : a history of reflections, 1740-1870
Chicago: University of Chicago Press, 2007
橋本さんの推薦によるものです。ざっと中身を見ました。確かに、私の関心にも沿っていますし、これは読むべき本でした。3限4限は大学院の授業。
4時16分多磨駅発の電車で帰ることができました。
夜半に目覚めてすこし仕事。今日は日が昇ってから気温が上がるようです。予報で20度。ひとりで6時15分、室温17.5度。雨は上がっています。
朝練のあるおおきいちびは、7時起床。6時40分に起こしに行くと、あと20分寝ると言っていました。7時には息子も起きてきました。
私はしばらく仕事漬けです。火曜日締切の役職上の仕事がありますが、手をつけていません。月曜日と火曜日で片を付けるつもりです。(つまり、ぎりぎりで間に合うようにします。)
家にいる間は、訳文のチェックに集中します。しんどいところはありますが、こういうのは頑張るしかありません。→本日中には100枚。たぶん全体で300枚です。あと3分の2残っていることになります。夜に次の本が届きました。
田中聡『電気は誰のものか』晶文社、2015
ひとりで5時5分、室温16.9度。
ちいさいちびは土曜学校があるそうです。週明けから定期考査。試験前なのに土曜学校なんて、とちいさいちびは文句を言っています。ちびどもが起きてくる前に、昨日コピーをとった次の論文を読みました。
額賀淑郎「科学論における視覚表象論の役割:視覚知・視覚化の学説研究」『年報科学・技術・社会 』11(2002), 91-115
これは、力作論文です。1970年代以降の科学論の新しい動向における視覚知並びに視覚化に関する多くの研究成果を力業で整理してくれています。貴重なレビューだと言えます。雨のなかですが、大学の研究室に用事ができて、妻が買い物から帰ってくるのを待ってでかけました。4時6分武蔵境発の西武線。
建物のなかには、語劇の練習をする学生がすこしいました。この部屋にあったカメラ・オブスクラを研究室に戻し、訳のもと本をカバンにいれ、研究所に向かいました。論考を提出したあと、スキャン。
5時4分多磨駅発の電車に乗りました。土曜日なので三鷹で乗換です。頼まれていたチョコを三鷹駅構内のクイーンズ伊勢丹で買ってカバンに入れてから総武線。
訳稿のチェックは、第2ラウンドに入りました。自分のなかでは基準ができました。
ひとりで5時15分、室温15.5度。季節が順調に進んでいます。ここまで気温が下がると寒く感じます。セーターを取り出して着ました。
昨日生じた歯の欠損ですが、朝一番で電話して、2時半に診てもらえることになりました。3時半までには終わるということで、そこから直接駒場に行くことになりそうです。珍しい事態だと思われます。直接、院長先生が電話で話してくれましたが、説明に苦労しました。
→銀行によってから、小学校の近くの歯医者さんへ。2時25分に入りました。混んでいます。院長先生以外に歯科医の方がおり、歯科技師の方が複数いるようです。まず、歯科技師の方が応対してくれました。それから、院長先生ではない歯科医の方が応急処置をしてくれました。
私の前歯は、顔から地面の落ちたときのショックで神経が死んでいるということでした。一切痛みを感じなかったのはそのせいです、と言われて納得。
歯のトータルなメンテナンスをしてくれるそうです。そのため、次回は、1時間以上の時間をかけて、トータルな検査をするそうです。
なお、私が以前お世話になっていた歯医者さんは亡くなられたそうです。病気で医院を廃業されたということまでは知っていました。重病だということでした。亡くなられたというのは初めて知りました。我が家は世話になっています。合掌。
本当に3時半に終わりました。支払いをすませて、そのまま駒場に直行しました。医院の待ち時間と電車のなかでは赤ペンをもって訳稿を見ていました。駒場に着いて30分の時間の余裕があります。図書館の地下に降りて、次の論文のコピーをとりました。
額賀淑郎「科学論における視覚表象論の役割:視覚知・視覚化の学説研究」『年報科学・技術・社会 』11(2002), 91-115
橋本さんによれば、橋本さん以前、日本語の先行研究はこれだけだそうです。コピーをとり、雑誌をもとの場所に戻して、すぐに教室に向かいました。私には暑いぐらいに暖房を入れていました。セーターを脱いでシャツ姿になりました。
時間通りに終わって、帰途。やっと1週間の仕事が終わりました。帰宅すると次の本が届いていました。
Chris Keeney, Pinhole Cameras: A DIY Guide, New York, 2011
マニュアル本ですが、まさにマニュアルのつくりでした。日本ではあまりみかけない形式です。なお、私は修論をこの形式で提出しました。もしかしたら、特異的事例だったかもしれません。
ひとりで5時、室温17.0度。朝の室温がまた順調に下がっています。身体が慣れたせいか、それほど寒くは感じません[歯の欠損]
朝起きて、しばらくしてコーヒーを入れ、朝食のパンを口にしました。口のなかに違和感があります。歯に異常があったときの違和感です。急いでパンを口の外に出し、調べてみました。前歯が一部欠けています。ぎゃー。
ちいさな違和感はすこし前からずっとありました。パンは水に溶かして調べましたが、欠けた歯は見つからず。飲み込んでしまったのでしょうか。
歩いていて失神して顔から地面に落ちたときの影響が今になって出てきたものだと解釈しました。隣の歯は1年後に半分に割れました。こちらはひびがはいっていたものが、今になってとれたのだと思います。
ずっと世話になっていた歯医者さんは、ご病気でもうやっていません。ネットで調べてみて、評判のよい歯医者さんのなかから、一軒を選びました。しかし、木曜日はお休みです。11時に学生と面談を約束しています。
心中のショックは隠して、ともかく今日はいつもと同じように動くことにしました。やっと会議のない日。午前中に面談、午後授業。
9時42分武蔵境発の西武線。昨日とまったく同じになりました。
予定通り、まず4階に書類を提出し、3階で台車を借りて届いていた用紙一箱を運搬し、11時に面談。12時に台車を返却し、ほぼ完成していた論文の最終版の仕上げを行いました。図版を用意し、もう一度見直しました。まだタイプミスが残っています。修正して再度印刷し、印刷用の赤字を入れました。週明けに提出することにします。4限5限に授業。どちらも「アクティブ・ラーニング」の指示文を渡しました。
帰宅すると次の本が届いていました。
小倉磐夫 『国産カメラ開発物語:カメラ大国を築いた技術者たち』 朝日選書、2001
NHK の「プロジェクトX 」のような内容の本でした。私の欲しかったものとは違いますが、それはそれで、仕方ありません。 「プロジェクトX 」タイプのカメラ開発史が必要になったときに、きちんと読めばよいことです。
ひとりで6時5分、室温18.9度。
小学生の風邪は熱が下がりよくなってはいますが、本人はお腹が痛いと言っています。ノロウィルスのような激烈な症状ではありません。私もお腹の調子はいまいちです。お腹に来る風邪と分類しておけばよいでしょう。本日も会議の日。
9時42分武蔵境発の西武線。
お昼休みの会議は、もめたわけではありませんが、予定の20分では終わらず、12時30半まで。次の会議は、12時40分から。これは、ほぼ予定通り、2時10分に終わりました。
2時20分からの教授会ですが、紛糾を予想していました。ただし、紛糾のもとのメンバーがお二人欠席されたので、全くスムーズに進行しました。
終了後、すぐに部屋を変えて、打ち合わせ。担当の先生方にはよろしくお願いしますと言うしかありません。4時40分多磨駅発の電車に乗ってかえることができました。
ひとりで5時55分、室温20.3度。昨日の昼の暖かさがまだ残っています。会議の一日。10時過ぎからたぶん7時ぐらいまで。終了時刻ははっきりしません。
9時6分武蔵境発の西武線。
10時10分からの会議はスムーズに終わりました。
正午に学生と面談。
12時40分から2時20分ぐらいまで会議。
8時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。最後から2番目の会議が予想以上に長引きました。案件がそもそも難しいので、時間がかかるのは覚悟していたのですが、8時近くまでなるとは思っていませんでした。さて、明日はどうなるでしょうか?
研究室で作業しているとき、ふと机の上を見ると、『日本産業技術史事典』がありました。日本のことは、これで調べてみる価値があります。目次を見ると、1点だけ関係する部分がありました。「カメラ」の項目です。 pp. 381-2
最初の段落には、次のようにありました。
日本で最初のカメラ、1903年、小西本店(現コニカミノルタ)から発売された「チェリー式手提暗函」であった。フィルムではなく、乾板を利用。レンズやシャッターは輸入であった。
日本製のカメラの第1号は「手提暗函」でした。portable camara obscura の由緒正しき子孫です。今であれば、子ども用のおもちゃという位置付けになると思います。手の平サイズのちいちゃなカメラでした。
チェリー1号は、幅7.2センチ、奥行き12.1センチ、高さ12.5センチです。
ちなみに、チェリー1号、チェリー2号は名刺判、チェリー3号は手札判です。
英語では、"The Midget" (ユスリカ、こびと;転じて超小型のもの)と呼ばれるようです。説明には、"miniature box camera" とあります。日本では、これをそのままカタカナにして、「ミゼット」と言ったようです。1937年に「ミゼット」の名前で豆カメラが発売されています。
(日本語では、ミゼットという言葉は、あの車に結びついて記憶されていると思います。「ミゼット」でカメラを思い出す方は、相当のカメラファンだと言えるのではないでしょうか。)
文献としては、次があがっています。
日本写真機工業会 『日本カメラ工業史:日本写真工業会30年の歩み』1987
日本写真機工業会 『戦後日本カメラ発展史』東興社、1971
小倉磐夫 『国産カメラ開発物語』朝日新聞社、2001
ひとりで6時5分、室温18.7度。とりあえず、雨は止んでいます。助かります。予報を見ると、24度まで気温が上がります。立冬の翌日なのに。朝練のあるおおきいちびを6時半に起こします。お弁当を作る妻も同じ時刻です。
御茶ノ水で、9時〜5時の仕事。
ちょうど集合時刻の8時半に集合場所に到着しました。妻によれば、医科歯科の事務から電話があったそうです。このあたりの対応は、同じ大学の事務とはいっても、場所によってかなり違います。
さっさとすすんで、予定よりいくらか早く終わりました。医科歯科の会議はてきぱきしていて、助かります
帰宅すると、息子が熱を出して早退していました。そして、次の本が届いていました。
横地清 『遠近法で見る浮世絵:政信・応挙から江漢・広重まで』三省堂、1995
横地清さんは、数学教育家、数学文化史家です。日本の初期の遠近法絵画は、中国の年画に学んでいます。中国の遠近法絵画に触れたことが、横地さんにこの分野の研究に進ませたようです。
ひとりで5時30分、室温19.4度。朝の室温がまた上がっています。友達といっしょに箱根に行って来るというおおきいちびを6時に起こしました。昨日二人でライン上で打ち合わせをして、結局、小田原で待ち合わせをするということにしたようです。雨ですが、決行するということです。6時45分前に走って家をでていきました。
小学生がカードにはまっています。自分のお小遣いでもうすこし買いたいというので、昨日より30分程度早めの時間帯にヨドバシに連れていってやりました。今日は1950円分買いました。家まで待てないようです。店内のベンチに座り、全部、開けて中のカードを確認しました。今日は、なかなかよいカードがあったそうです。
駅ビルのなかで、バターを買ってから帰りました。バターがまた品薄になっているようです。ひとり1点に制限させていただきますという張り紙がありました。ちいさいちびは、友達といっしょに映画を見る約束があるそうです。3時新宿だそうです。昨日、妻が、ネットで予約をとりました。駅で1時50分に待ち合わせをして、二人(3人?)で行くそうです。
授業で学生諸君と話していると、意外な質問を受け、こちらが当たり前だと思っていたことを考え直すきっかけとなります。
そのひとつ。デカルトの自然学ですが、それまでになく、テキストにイラスト(画像)が多いことに改めて関心をもつようになりました。ガッサンディにはあういう図像はありません。ボイルにもありません。ホッブズにもロックにもありません。ハーヴィにもありません。ガリレオの『星界の報告』は、もちろんその趣旨上必要だということもありますが、イラストが本質的な意味を持ちます。
イラストが本質的な位置付けをされている著作には、自然誌のものの他に、アグリコラの『デレメタリカ』があります。装置を図解する『機械の劇場』にも必須です。解剖系にはもちろん必要です。
技術系のマニュアルの一部にも必須でしょう。
ここは思いつきでどんどん書いてみます。
ボイルの場合、図像は、装置の図解の場合が中心を占めるように思われます。
『王立協会哲学紀要』には、数多くの図版が掲載されています。フランスの科学アカデミーのものはどうでしょうか?はっきりとした記憶がありません。
百科事典的著作では、どうでしょうか? 学術雑誌はどうでしょうか?先に進む前に、英語での写真関係の言葉を OED で確認しておきます
"photography": 初出は、フランス語の "photographie"(1834) (ドイツ語では"Fotographie"(1843) )から、1839年の用法を1番にあげています。エジンバラの雑誌では「ダゲールの写真術についてのノート」というタイトルがあらわれています。
ついでハーシェルが『哲学紀要』(1302, 1840)に「写真術を絵や版画の複写に用いること、また光学像の定着に使うこと」という記事を書いています。
これをみると、1839年以降、"photography" はすぐに英語として定着したと言えるでしょう。写真(写された像の意味)という意味での "photo" は、ドイツ語の"Foto" (or "Photo")が早く、1859年。英語としては、1860年、1861年の用法をあげています。こちらも比較的早く使われるようになったようです。
そして、問題は、カメラ。
1.a. 教皇庁会計院:この用法では、1566年、1599年から用法を拾っています。
1.b. 判事の部屋:1658年、1689年、1712年、1778年の用法をあげています。
2. 丸天井の部屋。一般的に部屋。1633, 1708, 1775, 1832, //の用法をあげています。
3. 装置の小部屋 a chamber of cavity in a mechanism, 1664, 1683, 1721, 1796//の用法をあげています。
4. a. camera obscura の省略形。1734, 1760, 1816, 1878 の用例をあげています。
4. b. 写真機の意味での camera. 1840, 1859, 1889, ・・・。広がりはわかりませんが、写真術、写真機があらわれると、すぐに、写真を撮る装置をカメラと呼ぶ習慣が生じたと言えるようです。
4. a. と 4.b. は写真術の発明のあとは、見分けるのが難しいケースがあると思われます。しかし、社会的広がりという点では、日本語でいう「カメラ」の方が圧倒的だったので、すぐに、4. b. がドミナントになったであろうことは、容易に推測されます。
ひとりで5時45分、室温17.1度。若干天気は落ちた気はしますが、今日もまだ秋晴れ。息子がすこし前からカードゲームのカード集めに夢中になっています。友達にカードゲームを教えてもらってからです。ヨドバシに行きたいというので、10時半に連れていきました。久しぶりです。自分の小遣いで4パック(150円×4)を買いました。それから新作ゲームを試すことが出来るコーナーでしばらく遊んでから、帰途。エキナカのパン屋さんでちいさいちびようのパンを買って帰りました。
昼下がり、高校から電話があり、部活中におおきいちびが気分が悪い、お腹が痛いと言っているということです。とりあえず、妻が高校まで様子を見に行くことになりました。しばらくして雨がふりはじめたので洗濯もんをしまってほしいということです。
実は私も息子を連れて外出した途端、お腹が痛くなり、ガード下のトイレに入りました。
おおきいちびは行きと同じ自転車で帰ってきて、トイレにかけこみました。下痢だということです。お昼の卵が悪かったに違いないと言っています。原因はわかりませんが、下ったものは出してしまえば大丈夫です。オープンしたまま開店休業状態にしていたフェイスブックですが、はじめて内容を入れてみました。画像論・画像史みたいな感じで続けていこうと思います。
JCOMのこのホームページは、古い仕様なので、画像をアップするとすぐに容量が足りなくなります。画像はフェイスブックで、というような発想です。
→イタリアにいる方が最初に反応をくれました。以前大学院の授業に出てくれていた方です。ネットの初期の感覚が甦りました。昔はホームページの内容に、メールでコメントをくれる方がいました。今はもうそういう方はほとんどいません。
レスポンスは、ツィッターやフェイスブックで、あるいは若い子であればラインでなされるのでしょう。全面的な参加ではありませんが、フェイスブックはすこしずつ更新していきます。
ひとりで5時40分、室温17.5度。玄関のドアを開けてみました。今日も、雲一つない快晴です
夕刻に駒場で授業。
2時半に家をでて、3時半に駒場に着きました。判子を押したあと、図書館へ。地下に行って次の論文のコピーを取りました。
小林 典子「ヤン・ファン・エイクとフェルメール:光の描出の系譜/"光学的(オプティカル)精微の大全(スンマ)"をどのように記述できるのか?」『ユリイカ (特集 フェルメール) 』40( 2008-08 ), 206-222
それから3階に上がり、写真史のコーナーの近くでとったばかりのコピーを読み、写真史の大きな本を読んでいました。
4時半頃科哲研究室へ。デンマークから見えた研究者の送別会を行っているということで、多くはそちらに出払っているということでした。院生も動員されたようです。
授業はいつもの半分という感じでした。帰宅すると、次の本が届いていました。
中川邦昭『カメラ・ギャラリー―写真鏡の伝来からオートフォーカスまでの350年 』美術出版社、1991
中川さんの個人コレクションを本にしたものです。このコレクションは素晴らしい。よくぞここまで集めたものです。
写真術発明前後のカメラを数多く収集されています。収集するつもりはありませんが、私が欲しいと思うものを中川さんは集められています。
→全部ではありませんが、文章が中心の部分は読み通しました。中川さんは重要な仕事をされています。もうすこし顕彰されてもよいのではと思います。
p. 146 司馬江漢『和蘭通舶』(1805)「画法は支那日本の方と異にして、容易に作ることあたわず、故知ごとくその真を模し、筆法筆勢にかかわらず、濃淡をもって凸凹遠近をなしものなり。絵を作るの器あり、名を写真鏡という.和蘭これをドンケルカーモルと呼ぶ」
司馬江漢『春波楼筆記』(1811頃)「画の妙とする処は、見ざるものを直に見る事にて、画はそのものを真に写さざれば,画の妙用とする処なし。富士山は他国になき山なり。これを見んとするに画にあらざれば、見る事能わず。然りといへども、ただ筆意筆法のみにて冨士に似ざれば、画の妙とする事なし。之を写真するの法は蘭画なり。蘭画というは、吾日本唐画の如く、筆法、筆意、筆勢という事なし。ただそのものを真に写し、山水はその地を踏むが如くする法にて、写真眼鏡という器有り、之をもって万物を写す、故にかって不見物を描く法なし。」・・また、江漢は、写真鏡を制作している。(註.4)
6 複写する写真鏡
「『ヨンストンス動物図譜』は平賀源内が西洋画の手本にし、また小野田直武もライオンズを手本に左右逆の虚像の「ライオン図」を残している。司馬江漢も同じ様に、張交画中『ヨンストンス動物図譜』からとった象の図を描いている。これも写真鏡の複写機能をうまく利用している。」
p. 147 むすび
「写真鏡が日本の近世洋風絵画に与えた影響は非常に大きい。」ヨーロッパにおいては「写真鏡が生み出す視覚、すなわち「写真視覚」は」「日常的な視覚の一部としてとらえられてきた。絵画にもその影響は見られるが、ヨーロッパ人にとっては、突然絵画に取り入れられたものでは」なかった。
「一方、日本においては桃山時代に発達した初期洋風画は」消滅し、発達しなかった。「18世紀に入ると享保5年(1720)の洋書輸入の解禁以降蘭書を通じて一部の知識人が徐々に外国への関心を深め、18世紀中頃に流行したと考えられる写真鏡の器械的な技法の導入によって、日本の絵画の中に、突然に線遠近法だけが現れ、左右逆の虚像や、空の占める割合が多い独特の画風を形成していった。また、平賀源内が初めて使用したように、写真鏡は西洋の絵を複写する道具としても発展していったのである」
「最後に、写真鏡が現在日本に2つしか発見されていないのは残念である。」
p.148 「使命を終えた写真鏡は、当時の人々には流行している写真のカメラと比べても、レンズと鏡だけの見劣りする粗末なものとして映ったであろうし、大変壊れ易い性質のものであった。」
「日本近世洋風絵画の起源であり、日本のリアリズムの原点をなした写真鏡は、渡来後約200年の間にその役割を果たして、いつの日か日本の歴史から消滅していった。」
これがこの著作の結びの文章です。2014年10月15日に読んだ、次の論文を電車のなかで読み直しました。
Koen Vermier, "The magic of the magic lantern (1660-1700): on analogical demonstration and the visualization of the invisible," BJHS, 38(2005): 127-159
間に合っていませんが、マジック・ランタンについてもきちんと情報を整理しておく必要があります。
→基本事典を引いてみます。『科学大博物館』p.228
「幻灯機」(Magic Lantern)
なんか、アメリカのことばかり書いています。ありといえば、ありですが、なんだかな。
夜半に目覚めてすこし仕事。ひとりで5時25分、室温16.1度。順調に寒くなっています。ゴミを出すため、外にでました。昨日に続き、空の高い日。快晴。
午後に授業。
10時6分武蔵境発の電車。ゼミの学生が2限の授業がありますと言って私の横を駆け抜けていきました。
問い合わせの仕事。スムーズには行かない点があります。
1時に2名の面談。いっしょにやってもらいました。
4限5限の授業。
5限がいくらかはやく終わったので、5時28分多磨駅発の電車に乗り込むことができました。
ひとりで4時30分、室温17.8度。会議の日。合間の時間もありません。お昼ご飯の時間は、なんとか30分予定してもらっています。
8時42分武蔵境発の西武線。まず図書館。まだ開いていなかったので、ロビーでしばらく読書。それから開架部分で1冊の本を借り出して、研究室へ。
10時から11時半まで会議。
昼食を半分ぐらい食べて、11時50分から12時10分過ぎまで会議。
部屋に行って戻ってくるのが億劫だったので、そのまま中会議室で待機。次の会議は12時40分から。比較的早く終わりました。研究室に戻り、残りの昼食を食べ、2時20分からの会議に臨みました。カバンを持ちました。
空いた時間は図書館で読書をしていました。4時からの会議は、長引きましたが、まあ想定内でした。7時4分多磨駅発の電車で帰ることができました。
読んでいたのは、小林典子『ヤン・ファン・エイク:光と空気の絵画』(大阪大学出版会、2003)の第三章です。「光と空気の言説誕生―「見ることの研究」とヤン様式の成立―(パリ学派中世後期スコラ学における新しい光学理論)」。感動です。これは素晴らしい研究です。
若きヤン・ファン・エイクが修業見習いをしていた時期、「1420年前後、パリの光学研究は、中世スコラ学の枠組みのなかで実は、古代ギリシャそしてアラビア思想の豊かな総合と実りの時期を迎えていた。」(p.214)
1410年代のパリにおいて、「ヤン・ファン・エイクと、ベイコンからオレームへを展開する光学の出会いがあったと思われる。」
この仮定を、小林典子さんは、ヤン・ファン・エイクの作品と中世光学の内容の詳細な比較から提示されます。ヤン・ファン・エイク側の文献資料はゼロです。しかし、この大胆な推測を見事に描ききっていて、圧巻です。
「古代中世光学を切り落とすことから始まった十五世紀近代絵画史の入り口を検証してみることはけっして無意味なことではないだろう。」(p.217)
ヤンは、「おそらく現存する作品から知られるかぎり画家としてはじめて、眼の瞳のうえに映じる反映、虹彩の輝きを描いた理由もここにあるのだろう。」(p.241)
「わたくしたちの知る限りにおいて、空気・水・ガラスの三媒質を通過する光というものの描写にヤン・ファン・エイクの絵画ではじめて出会う。」(p.257)
ヤンの描く「じゅず玉は、輪郭線を一切もたない素早い色の筆致からなる俊速的筆さばきの集積であった。」(p.268)
ひとりで5時45分、室温17.6度。おおきいちびは練習試合。6時に起こすことになっています。妻も同時に起こします。
新聞をとるために、郵便受けを開けると、次の本が届いていました。
神立 尚紀 『図解・カメラの歴史:ダゲールからデジカメの誕生まで』 講談社 (ブルーバックス)、2012日本のことは分けようと思い、 視覚文化史J(しかく文化史J組) を独立させました。
おおきいちびの練習試合は上野でありました。妻も見学/応援に行っています。上野なので帰りにアメ横で、カニ(ワタリガニと毛ガニ)、イサキ、マグロを買ってきました。そういうわけでお昼にカニを食っていました。
ちいさいちびが肉を食いたいというので、夜は、焼き肉屋さん。ちいさいちびは風邪気味なので、5時半にお店に入りました。おおきいちびのお友達が来ていました。
明日は、朝の10時からお昼休みを含めてずっと会議です。終了予定が6時半ですから、7時には終わるのではと予想(期待)しています。
家族いっせいに6時20分、室温16.9度。ちびどもは朝練があります。妻はお弁当つくり。小学生だけ寝ています。今日だけ冬の気温だそうです。→天気予報を確認しました。今日の予想最高気温は13度。明日からは20度です。一日の冬が来たことになります。起きたときは、小雨でした。子どもたちが出かける頃には、家のなかにいても雨音が聞こえる雨となりました。冬の雨です。
午前中、ずっと先延ばしにしていた医院に行ってみることにしました。混んでいたらそのまま大学に向かいます。
午後は、会議と授業。
医院は9時半スタートです。9時過ぎに着けば、それほど待たされないだろうと考え、9時前に家をでて、9時5分に着きました。私が1番でした。
今回は打ち合わせだけです。1分ですみました。便をとる容器をもらいました。11月末にでも持ってきて下さいということでした。
武蔵境10時6分発の西武線。大学に着いて、まず事務棟4階に上がり、1点書類を提出しました。判子を押してもらってから、あとで受け取ります。
1階まで下り、図書館へ。ILL で届いている次のコピーを受け取りました。
中川 邦昭「写真鏡(カメラ・オブスキュラ)の変遷」『民族藝術』13(1997): 112-119
中川さんの大きな功績は、これまで博物館等において「反射式覗き眼鏡」として分類されていた機器の一部がもともと「写真鏡」であったことを発見したことです。現実にもと「写真鏡」が「反射式覗き眼鏡」として転用されていた事例も見いだされています。
つまり装置として日本では見失われていた「写真鏡」を「写真鏡」として再発見した功績は、誰よりも、中川さんに帰されるべきものです。その意義はとても大きい。それから研究室へ行って、デスクワーク。メーンマシーンをちゃんと仕えるように、GraphicConverter と Jedit をインストールしました。GraphicConverter はパッケージで買って木曜日に届いていました。Jedit はその場でライセンスを購入しました。
12時40分から会議。2つ。予定より早く終わりました。
3限は残り10分ありました。15分だけ院生に発表してもらいました。4限は、まったく普通に行うことができました。
書類を受け取ってから帰途。4時4分多磨駅発の電車に間に合いました。
開いている時間は本を読んだり、ドラフトを読んだりしていました。ちょっと忙しかった感覚があります。
息子がおきて6時45分、室温16.8度。11月に入り、室温がぐんと下がりました。夏休みに申し込んでいたパスポートをおおきいちびがやっと取りに行くそうです。9時すぎに出かけました。
→お昼下がりに帰ってきたので、古いパスポートと新しいパスポートを確認しました。古いパスポートの写真を見て、私が笑ったら、おおきいちびが人の写真をみて笑わないでとコメント。自分で見てご覧と返したら、納得していました。あかちゃんの顔とまでは言いませんが、ぷっくらしたおこちゃまの顔で写っています。これは自分でも笑うと思います。
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