ひとりで5時30分、室温9.9度。小学生は土曜学校。6時20分過ぎに起きてきました。ちいさいちびは午前中練習試合、午後自分の学校に帰って練習。7時半集合なので6時45分に起こして欲しいとのこと。おおきいちびだけ、わたしなにしよう。
起こしに行くと、おなかがいたいと泣きます。休ませることとしました。小学生の土曜学校は午前中です。すなわち、本日は昼食時から全員そろうことになります。
ちいさいちびが録画していた「風たちぬ」をみるというので、いっしょにみることにしました。おおきいちびとちいさいちびはテレビに前に並んで、私はちょっと後ろの方でみました。ちびどもはよろこんでいました。こういうはなしだったのですか、というのが私の感想。0戦の話はわずかしかでてきません。部屋の書類の片づけを続行中。山を3つ処理しました。あと、14個以上の山が残っています。春までに全部の山を片づけたいと思います。
ウェブ上の推薦により、次の辞書を購入しました。お昼過ぎに届きました。
Oxford Learner's Dictionary of Academic English: Helps Students Learn the Language They Need to Write Academic English, Whatever Their Chosen Subject
2014今月はこれでやっと100枚に達しています。普通の月よりおよそ1割少ないのは大きい。
ひとりで6時20分、室温10.6度。息子がすぐに起きてきました。定期試験最終日のちいさいちびは、定期試験中は6時45分に起こしています。本日も6時45分。今日から部活。おおきいちびも久しぶりに部活に顔を出すと言っています。本来は業務の日ですが、昨日のうちに終わったので、私は大学に行かなくてすみます。ちょうどよいので机の上の片づけに着手しました。2015年の新学期がはじまるまでに、机の上を新学期モードにしておく必要があります。2015年度はこれまでとはすこし仕事の状況が違ってきます。それにきちんと対応するためには、しばらく使わないものは片づけ、新しい仕事のためのスペースを確保しておく必要があります。
頑張りすぎると疲れるので、疲れない程度にすすめます。夕刻に医科歯科で MMA の運営委員会。7時スタートです。本屋さんに寄ってみようと思い立ち、5時半すぎにでかけました。駅前のラーメン屋さんで湯麺を食べてから、駅前の丸善へ。週刊誌1冊、月刊誌1冊を購入しました。5分前に指定の会議室に入りました。医科歯科の会議は、ほぼ定刻にはじまり、1時間で終わりました。こういう会議は助かります。8時40分過ぎに帰り着くことができました。
ちいさいちびのあとお風呂に入り、ほぼいつもと同じ時刻に小学生といっしょに就寝しました。[野球を知らない娘達]
おおきいちびの今日の試験には体育があるそうです。ソフトボールが出題されるということです。昨夜、ルールを聞いてきました。ボールてなに?アウトてなに?ストライクてなに?フライてなに?
野球もソフトも何も知らないことが判明しました。一度もやったことがないそうです。遊びでは1度だけ参加したけど、デッドボールを避けずに、あたるなよと言われて、その場からバイバイしたそうです。学校の体育の時間でやらないとこういうことはありえます。さすがに男の子たちはある程度知っていると思いますが、我が家の娘とおなじようにまったく知らない女子小学生・中学生はけっこういるように思われます。
ひとりで4時20分、室温12.6度。朝のうちに1項目。いちおうの終わりまで来ました。今日の仕事のはじまりは朝の10時。昨日よりゆっくりめです。ただし、ずっと大変です。夜の9時ぐらいまで頑張れば終わることができる量があります。
→武蔵境の駅前でおやつのパンを買って、9時6分発の西武線。10時スタートなので知っている顔は少ない。10時にスタート、昼食をはさみ、紙の山と格闘。我々のチームは全体のほぼ真ん中あたりで終了しました。6時16分多磨駅発の電車で帰ることができました。上出来です。責任者の方によれば、今日終わらなかったチームは、明日も続行するそうです。ごくろうさま。
すこしですが、休憩できます。さて、机の上にカレンダーがあります。私の予定は、普段は机の右上のカーテンのガイドレールにぶら下げているこのカレンダーに最終バージョンがあります。手帖にもすこし転記していますが、不完全です。もちろんめくっているのは3月のページ。本日の業務が終わって、今年度末の大学の仕事もほぼ終わりです。あとは、3月12日に後期日程入試があるので、その仕事が残っています。それに、教授会が3回残っています。卒業判定、進級判定があるので、大学教員の相当大きな責務ですが、個人的にしなければならないことはほとんどありません。事務が用意してくれた資料を確認して、会議の席上で決済するだけです。
研究上は、3月に入ってすぐに日本で最初で(おそらく)最後の比較的大きな国際化学史ワークショップがあります。ワークショップそのものは3月2日(月曜日)から3月4日(水曜日)まで、そして5日(木曜日)がエクスカーションです。東工大の梶さんが主催者です。梶さんは、数年前から、日本における研究者の年齢構成を考えたら、これが比較的大きな国際学会の最後の機会だと強調されていました。
テーマが20世紀なので私は参加はしますが、お客さんの観は拭えません。20世紀のことをやってらっしゃる方は、技術史のスピーカーもいますから、どんな分野の方でも参加されて意義あるのではないかと思っています。当日でも参加を受け付けるということですので、是非、東工大まで足をお運び下さい。
私は個人的にワークショップのあとのことを考えています。
ひとりで4時10分、室温12.6度。朝のうちの2項目。今日はこれ以上は無理でしょう。ちびどもは定期考査。おおきいちびには、都立校の受験日の次の日に定期試験という日程になります。え?と思いましたが、他校でもそういうところがあるそうです。
国立大学は前期日程の入試。学部の教員はほぼ全員出動です。
ちいさいちびがでかけたあとすぐに家をでて、8時30分武蔵境発の西武線。拘束されたのは、9時15分から3時40分ぐらいまで。4時4分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。年長者の方々ととしとるとつかれるよね、という話をしていました。本日の業務です。
なお、明日の業務は10時から。こちらも学部に関わる教員はほぼ全員が出動です。
ひとりで5時10分、室温13.9度。見事に気温が上がりました。この室温だと暖房の必要がありません。昨日も朝の途中、暖房を切りました。→天気予報によれば、最低気温9度、最高気温16度ということです。朝の9度はすごい。都立高校入学試験の日。おおきいちびもおおきいちびのお友達の多くも受験します。
CHEM-HIST ML でChicago Chemical Bulletin (Oct. 1914-June 1919)ならびにその後継誌Chemical Bulletin (July/Aug 1919 - )のデジタルライブラリーについて通知がありました。アクセスは、"far from ideal" 理想というにはほど遠い、とありますが、ともかくデジタルバージョンがネット上に存在します。そのことの価値はちいさくない。
本日もいろいろあって、2項目。
ひとりで3時30分、室温12.1度。雨が降っています。今日は、なんと、最高気温が19度まで上がるという予報でした。いきなり春です。→地元杉並の天気予報を確認しました。最高気温は13度です。昨日夕刻の天気予報はたしかに19度と言っていました。この差は何でしょう。→気象庁のサイトで東京(たぶん丸の内のあたりでしょう)の予報を見ました。東京の最高気温は17度だそうです。南の方から暖かい空気が来るけど、杉並までは本格的な暖かさは来ないという解釈でよいでしょうか。昼食後、大学に行って、ILL で届いている次の文献を受け取りました。
内田星美(訳・篇)「技術史の原典(28)19世紀中葉の製鉄:カルステン「製鉄法概論」・フェアバーン「鉄」抄訳 」『東京経大学会誌』214(1999): 111-164
価値ある訳業です。最初のは、Karl Johann Bernhard Karsten, Handbuch der Eisenhüttenkunde, Berlin, 1816.
ヨーロッパの19世紀前半を代表する、そしておそらく唯一の製鉄法の概説書であり、教科書であった、と紹介されています。訳出したのは、全体の約1割で、その後の鉄鋼業の技術進歩に直接繋がる部分に限定したそうです。2番目のは、William Fairbairn, Iron, its History, Propeties, and Process of Manufacture, Edinburgh, 1861
19世紀中葉の英国を代表する製鉄技術の概観書と紹介されています。フェアバーンは、カルステンのように鉄の専門家ではなく、19世紀前半の英国を代表する機会製造業者だったそうです。
この時代の英国の製鉄業の歴史としては、ハリス『イギリスの製鉄業』竹内達子訳、早稲田大学出版部、1998。詳しくは、C. K. Hyde, Technological Change and the British Iron Industry, 1700-1800, Princeton, 1977.
ベッセマー法のベッセマーの自叙伝も翻訳されています。中澤護人・田川哲哉訳『ベッセマー自叙伝』日鉄技術情報センター、1999.メールボックスには、27日夕刻にある仕事の書類が届いていました。CD- Rでした。
図書館のあと研究室に行きましたが、学生の書類はまだでした。
本日もいろいろありましたが、5項目。
ひとりで4時35分、室温10.5度。本日はいろいろあって、4項目でした。
[ジンマシン]
ちいさいちびが文房具が足りないと言います。おおきいちびが散歩したいと言います。ちょうどよいので、朝一番でおおきいちびを連れて、セイユウに買い出し。ルーズリーフ二袋、英語ノート1冊、ボールペン1本、ボールペンの芯4本、それに牛乳2本、その他おやつを買って帰りました。帰りの荷物はおおきいちびが運びました。
帰り道、首と手が変に痒い。これはジンマシンではないかと思い、帰宅してすぐ鏡を見てみました。ジンマシンでした。久しぶりです。首筋と右手の甲に出ました。ちいさいちびが普段飲んでいるアレルギーの薬をすぐに飲みました。
ジンマシンの出現はほんとうに久しぶりです。
最近はもう自分でどの程度か判断がつきます。
一番軽くすむだろうと思って、休むこともせず、おおきいちびの相手をしばらくしてやりました。
→このサイトで前回の発症日を確認しました。2014年6月4日でした。その日も軽くすんでいます。8ヶ月ぶりの発症になります。[大学アフターケア結果]
ニュースサイトに、平成26年度「設置計画履行状況等調査の結果等について」が触れられていました。報告書そのものをダウンロードして読んでみました。
なるほど。
入学定員が0.7を下回ると指導があるとか(「定員充足率が0.7倍未満となっている」)、専任教員の年齢層が(退職年齢と比して)高い層が多すぎると指導されるとか(「定年規程に定める退職年齢を超える専任教員数の割合が高い」)、よくわかります。入学定員より採りすぎているのも叱られています(「入学定員の超過の改善に努めること」)。取りあげられているのは、公立校がすこしと私立です。経営、たいへんなんだろうなというのが伺えます。
→せっかくなので、この報告書のほぼ全部(100%きっちりではありません)に目を通しました。大学と言っても私のまったく知らないいろんな大学があり、体制が相当ずさんなところが一定数存在することがわかってきました。メディアの取りあげ方は、存在する問題に対してポイントをついていないと思われます。大学とも言えない、教育組織とも言えない大学が存在するようです。
退職年齢を過ぎて、専任教員として働いている人がそうした大学には一定割合でいるようです。私には未知の世界です。なんとなく想像はつきますが、実態を調べることはジャーナリズムの仕事だと思われます。(もちろん、教育学専攻や社会学専攻の研究者が調査してもよいと思います。)ちなみに、私の本務校の外語も、27年度にアフターケアを受けます。新学部ができて、4年目。新学部が社会に対して行った約束を守り、きちんと教育研究できているかどうかのチェックを受けます。私は、書類ができた翌年から3年間実施計画を作成する仕事に関わりました。
ひとりで4時45分、室温9.5度。本日は、夕食前までに6項目。
ひとりで4時35分、室温10.1度。
おおきいちびを6時、ちいさいちびを7時に起こすよう言われています。9時頃、要町に出張校正に出発し、そのまま大学に向かって、たぶん、4時頃には帰ってくることができると思います。
予定通り、9時に家をでました。要町には15分前についたので、印刷所の近所のお店で封筒等の買い出し。買い物を持ったまま印刷所にお邪魔し、校正作業。思ったより時間がかかり11時10分頃印刷所を出ることになりました。
そのまま大学へ。武蔵境駅(外)で昼食のパンを買って、12時6分武蔵境発の西武線。1時に学生との約束があったのですが、現われず。もしかしたらメールがちゃんと届いていないのかもしれません。(昔、コンピュータからのメールを受け取れない携帯電話アドレスがありました。今でもあるのかどうかは知りません。)
書類の片づけをしました。2時前に事務棟5階に行きました。数分ですみました。研究室にとってかえしてすぐに帰宅。2時16分多磨駅発になんとか間に合いました。今日はでかける前の2項目のみ。
ひとりで4時35分、室温8.7度。今日は久しぶりに学校に行かなくてよい日。明日は午前中出張校正。午後、大学。また呼び出しです。午前中に明日の出張校正の準備をすませました。明日は、1号の出張校正をすませ、2号の原稿を入稿します。準備というのは、その2号の原稿を入稿するために整理し、必要な情報を赤字で入れることです。必要な情報とは、原稿受付日、著者所属機関、著者連絡先(ゲラ送付先)等です。書式がこちらの指定しているものに合致しているかもチェックします。とくに注の形式は、必ずチェックします。なんやかやで1時間から2時間かかります。
[花粉症の季節]
そろそろ花粉症の季節です。私個人に関しては、昨日、すこしですがきました。目が痒く、鼻がすこし変調です。薬を飲み始めました。本日は5項目。今の私にはこのあたりがマクシマムのようです。
ひとりで4時25分、室温9.4度。今日は、最高気温が3度〜4度だそうです。朝一番で書類を1点作成しました。A4で1枚です。
8時42分武蔵境発の電車で大学へ。
研究室について、昨日感じた疑問に向き合いました。研究室内のメインのマシーンでメールの受け取りができなくなっているのではないかというものです。ほぼ同じ設定にしている別のマシーンを立ち上げ、調べてみました。メインのマシーンではメールの送信は問題なくできます。しかし、受信ができません。大学の情報系のサイトにアクセスし、設定を見直してみましたが、原因が不明です。いろいろ試みましたが、状況は改善せず。昨日のある時点まではまったく問題なく動いていました。うーん、何でしょうか。
とりあえず、メインのマシーンで送信して、サブのマシーンで受信するというまぬけな対応をとっています。10時から打ち合わせ。1時から会議。終了が6時過ぎ。いくらか小走りで、6時16分多磨駅発の電車に間に合いました。5時間を超える会議はさすがに疲れました。確かに寒い一日でした。廊下がとくに寒く感じました。
そういうわけで今日は0項目。なにがあっても1日1項目はと思っていたのですが、気持ちがもちませんでした。
ひとりで4時35分、室温10.4度。
今日は昨日より早めの時間帯で面接があります。
→子どもたちがでかけたあと、家をでました。雪が舞っていました。積もらない雪です。8時42分、武蔵境発の西武線。多磨駅について駅前のコンビニで先に昼食を買ってから大学へ。事務棟1階に1点、研究講義棟3階に1点、書類を提出しました。
研究室ではデスクワーク。40分面接+10分休憩(間の時間)という組合せなので、昨日より50分早いスタート。1分前に部屋に伺うと、全員が揃っていました。意味のある質疑応答ができたと思います。
終わって、11時52分多磨駅発の電車で帰途へ。武蔵境で下車して、おやつのパンを買い込み、帰宅しました。雪は止んでいましたが、どんよりした空模様。帰宅してから小雨は降り始めました。予報によれば、明日も雨/雪だそうです。
帰宅して一休みしてから、書類を1点作成しました。明日までにもうすこし準備しておく必要があります。本日は2項目。作業ができたのは、朝でかける前だけなので、こんなものでしょう。
ひとりで4時45分、室温8.9度。ちいさいちびは朝練。私は午前中に面接。小学生の前後ででかけるつもりです。今週は、月、火と面接。水曜日は打ち合わせに会議。
→小学生とおおきいちびより先に家をでました。8時半武蔵境発の電車。多磨駅についてすぐに走る人は、1限に遅れたのでしょうか。まず、研究室内の片づけ。それから、デスクワーク。途中で一度教務課に書類を提出するため事務棟に赴き、ちょうどよいので大学前のコンビニで昼食を買って帰ってきました。調べものをしているうちに、面接の時刻。同僚の先生が二人先に見え、すぐに院生が見えました。
終了後、1時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。一休みしてから、書類を2点完成しました。ともに明日提出します。しばらく書類の処理が続きます。
帰途、暖かく感じました。今日だけ気温が上がるようです。13度らしい。また明日から冬に戻るという予報。
小学生、おおきいちび、ちいさいちびの順に帰ってきました。本日は3項目。
ひとりで4時30分、室温8.6度。妻を6時に起こします。お弁当作り。ちいさいちびは朝練と同じ時刻にでかけ、一日練。おおきいちびは塾。今日が最後だそうです。
昨日の夜から強い風が吹いています。気温がそれほど低いわけではありませんが、外を歩く人は相当寒く感じることと思います。夕刻になるとまるで小型の嵐のような激しい風の音が室内でも聞こえます。[化学史学会公式サイト&『化学史研究』サイト]
化学史学会公式サイトを運営する田中さんが、化学史文献、日本篇と世界篇で検索ができるようにしてくれました。データベースということですが、どういうふうに実装しているのかは知りません。
大野誠「日本における化学史文献:世界篇」第33巻(2006): 193-253
吉本秀之(編)「日本における化学史文献:日本篇」第34巻(2007): 205-330
以上の通り、世界篇が2006年、日本篇が2007年なので、ここ7〜8年の情報が欠けています。もちろん、こういう作業に完成はありません。ある時点での暫定版以上のものを作成することはできません。
私個人としても出版直後から、足りない部分に気がつくことが多くありました。一例だけを挙げると、技術史家内田星美さんのものは著作を2点しか拾うことができていません。化学技術史に関して内田さんは仕事をされています。今すぐには無理ですが、どこかで補う必要があります。ついでに、私の管理している 『化学史研究』サイトもすこしですが、アップデートしておきました。ずっと以前からやろうと思っていて、そのままにしていたことです。(全目次を現在までのものにすることでした。2011年ぐらいで止まっていました。)
いつかやろうと思っていることとしては、編集後記をアップすることがあります。編集後記に学会活動に関する基本データが掲載されていることがよくあります。
→思い立ったときが好機です。部分的ですが、作ってみました。
編集後記 1999-2006
私に変わる直前までです。すなわち、私が担当するようになったのは、2007年からです。上記の範囲では、古川さんがずっとやっていらして、最後の半年だけ梶さんです。[内田星美「技術史の原典シリーズ」東京経大学会誌]
こういう機会にやってしまった方がよいので、頑張って、リスト化しました。
「技術史の原典-1-「周礼考工記」プリニウス「自然誌」ヴィトルヴィウス「建築術」抄訳」 『東京経大学会誌』174(1992): 161-191
「技術史の原典-2-イスラムの機械技術書(バヌ・ムーサ,アル・ジャザリ)の抄訳と,風車に関する最古の記録 」 『東京経大学会誌』176(1992): 167-195
「技術史の原典-3-テオフィルス「さまざまな工芸」 」 『東京経大学会誌』177(1992): 106-136
「技術史の原典-4-王禎「農書」とヴィゲヴァーノ及びタッコラ「戦争術」の抄訳 」 『東京経大学会誌』178(1992): 77-98
「技術史の原典-5-ビリングチオ「ピロテクニア」 」 『東京経大学会誌』179(1992): 113-157
「技術史の原典-6-ビリングチオ「ピロテクニア」-続- 」 『東京経大学会誌』180(1993): 99-151
「技術史の原典-7-ルネサンス期の技術文献 」 『東京経大学会誌』181(1993): 221-257
「技術史の原典-8-15世紀ドイツの軍事技術書 」 『東京経大学会誌』182(1992): 123-149
「技術史の原典-9-ルネサンスの技術書-続-アルベルティ「建築術」フィラレーテ「建築の書」ラメリ「さまざまの巧みな機械」 」 『東京経大学会誌』183(1993): 93-124
「技術史の原典-10-「試金要術」・エルカー「試金術」 」 『東京経大学会誌』184(1993): 161-191
「技術史の原典-11-エルカー「試金術」-続- 」 『東京経大学会誌』185(1994): 157-192
「技術史の原典-12-中国近世の技術書--「農政全書」他 」 『東京経大学会誌』186(1994): 205-232
「技術史の原典-13-バロックの技術--フォンタナ「オベリスクの移動」ゾンカ「新機械の劇場」 」 『東京経大学会誌』189(1994): 251-292
「技術史の原典-14-バルバ「冶金術」 」 『東京経大学会誌』191(1995): 251-281
「技術史の原典-15-ホイヘンス「時計」モクソン「機械実技」 」 『東京経大学会誌』192(1995): 209-236
「技術史の原典(16)ロイポルト「機械図説総論」 」 『東京経大学会誌』193(1995): 145-193
「技術史の原典(17)産業革命期の鉄鋼技術--木炭製鉄・石炭高炉・パドル法・滲炭鋼・坩堝鋳鋼 」 『東京経大学会誌』194(1996): 77-113
「技術史の原典(18)初期の蒸気機関 」 『東京経大学会誌』195(1996): 99-148
「技術史の原典(19)--紡績の産業革命 」 『東京経大学会誌』196(1996): 203-253
「技術史の原典(20)ベリドール「水力工学」と(1)〜(20)総目次 」 『東京経大学会誌』198(1996): 143-183
「技術史の原典(21)ディドロ『百科全書』の技術--石けん・絹・ガラス 」 『東京経大学会誌』200(1996): 129-154
「技術史の原典(22)フランス科学アカデミー「技術叢書」 」 『東京経大学会誌』202(1997): 149-186
「技術史の原典(23)マーチン「機械的技術大観」(上)パン・ビール・煉瓦・土木工事・鋳物・銃 」 『東京経大学会誌』204(1997): 139-169
「技術史の原典(24)「機械的技術大観」(続)鉱山・釘・針・製紙・管・鉛工・印刷 」 『東京経大学会誌』206(1997): 209-243
「技術史の原典(25)英国における技術の発達--土木学会総会のレニー会長の講演(1846) 」 『東京経大学会誌』208(1998): 125-156
「技術史の原典(26)18世紀の鉱山書--カンクリン「鉱山誌」とカー「炭鉱監督と機関組立師の友」 」 『東京経大学会誌』210(1998): 135-165
「技術史の原典(27)初期の工作機械--プリュミエ「旋盤加工法」,ナミナス「送り台について」,「工作機械図解」 」 『東京経大学会誌』212(1999): 153-201
「技術史の原典(28)19世紀中葉の製鉄--カルステン「製鉄法概論」・フェアバーン「鉄」抄訳 」 『東京経大学会誌』214(1999): 111-164
「技術史の原典(29)ユーア「工場の哲学」 」 『東京経大学会誌』216(2000): 151-209
「技術史の原点(30)初期の万国博覧会に出展された新鋭機械--ロンドン(1851)パリ(1867)ウィーン(1873) 」 『東京経大学会誌』218(2000): 223-262
「技術史の原典(31)パーシー「冶金学」」 『東京経大学会誌』220(2000): 107-147
「技術史の原典(32)フェアバーン「工場と動力装置」」 『東京経大学会誌』222(2001): 127-177
「技術史の原典(33)造船関係 」 『東京経大学会誌』224(2001): 113-146
「技術史の原典(34)19世紀の化学技術--ソーダ・ゴム・合成染料・人絹・合成樹脂・アンモニア合成 」 『東京経大学会誌』226(2001): 123-168
「技術史の原典(35)19世紀の電気の諸発明--ヘンリー「モースの電信に関する証言」 ワトソン「電話の発明」 シーメンス「自叙伝」 ジェール「メンローパークの思い出」 」 『東京経大学会誌』228(2002): 75-124
「技術史の原典(36・完)欧米における工学高等教育の起源--エニール・ポリテクニク及ベルリン高等工業学校の沿革誌と米国の諸学校〔含 『技術史の原典』総目次〕 」 『東京経大学会誌』230(2002): 163-197
1992年から2002年、11年間、36回にわたるすばらしい労作です。本日は5項目。
ひとりで4時55分、室温7.8度。昨日の夕刻から、強い冷たい風が吹きました。家の中にいても風の音がはっきりと聞こえる強さです。また寒くなりました。バレンタインデー。昨夜はちいさいちびの友チョコ作りを手伝いました。といって湯煎をするための準備をしただけです。ほぼ50度のお湯とボールを用意してやるとあとは自分でやるといって自分でつくっていました。ちびどもは土曜日学校。給食もあるそうです。[ロック『19世紀の化学的原子論』]
CHEM-HIST ML でロックさんが、紙の媒体ではずっと品切れで入手できなかった19世紀化学的原子論に関する基本書をデジタルでオープンにするという通知が流れました。
Alan J. Rocke, Chemical Atomism in the Nineteenth Century, From Dalton to Cannizzaro, Ohio State University Press, 1984
http://digital.case.edu/concern/texts/ksl:x633gj985.
版権がずっと出版社にあったのが自分のものになったのをよい機会として、研究者の便のため、こうしようと考えたとあります。Good ! よいことです。ロックさんに感謝。そしてみんな、ロックさんに続こう。CHEM-HIST MLとは関係ありませんが、昨日、執筆の作業をしていて、1938年の博士論文があったのでダウンロードしておきました。
L. J. M. Coleby, Studies in the Chemical Works of Shahl, Ph.D. dissertation, University of London, 1938
タイプライターで打ったそのままです。ウェブをブラウジングしていると、Tokyo School of Medicine and Dentistry という英文表記が目に入りました。医科歯科? 調べてみると、東京医科歯科大学でした。大学院はこちらの名称で、学部は、Tokyo Medical and Dental University というようです。せっかくなので、トップページにリンクのあるファイルをすこしだけ見てみました。大学院博士課程進学のための試験の公示がありました。おお、自分のノートパソコン持参のうえパワポで10分間研究成果と研究計画をプレゼンするとありました。医学部が100%パワポになるわけです。
本日は4項目、昨日は3項目。
ひとりで4時10分、室温10.3度。久しぶりに誰も起こさなくてよい朝、と言いたいところですが、ちびどもが普通に起きてこなければ7時20分には起こします。小学生は7時過ぎることはまずありません。中学生二人は遅いときは遅い。
→小学生は6時50分に自分で起きてきました。中学生二人はやはり7時20分に起こしました。うーん、とうなっていました。今日から時間にすこし余裕ができました。私のもともとの担当分は終わったのですが、あとから降りてきた事典項目の執筆に取りかかりました。降りてきたというのは、本来やってくれるはずだった人が投げた項目のうち、編集主幹が私に降ろしたものです。去年の8月24日以来の仕事に戻ったことになります。
[国際化学史ワークショップ、開催間近]
主催者の梶さんからの連絡をそのまま貼りつけます。
国際化学史ワークショップ(http://kagakushi.org/iwhc2015/)がいよいよ3月2日から4日にかけて東京工業大学で開催されます。テーマは、20世紀化学の変容です。現在、内外からの登録参加者は50人に達しています。発表は24件、うち12件が海外からです。さらに、アメリカを代表する化学史家、Mary Jo NyeをはじめKaser's ChemistsのJefferey Johnson, オランダを代表する化学技術史家のErst Homburgが基調講演を行います。
事前のregistrationは明日の2月14日までです。
事前registrationしてもらうと、presentation papersのページにアクセスでき、すべての発表論文に事前にアクセスしてダウンロードできます。これはregistrationした人だけの特権です。登録をお待ちしています。
http://kagakushi.org/iwhc2015/registration
が登録のページです。
私も2月9日に登録し、2月12日に銀行を通して参加費1万円を振り込みました。テーマは20世紀の化学史ですが、20世紀の科学技術史に関心のある方は、参加されて損はしないと思います。少なくとも私と同じ程度には勉強になると思います。[クラインの「化学革命」批判]
Chem-Hist のML でクラインが雑誌『科学史科学哲学』(Studies in History and Philosophy of Scienceの最新号(2015年3月号)に「化学革命」に関する小特集が出版されることを通知しています。寄稿者は、Hasok Chang, Martin Kusch とウルズラ・クライン本人です。クラインのペーパーは、そのMLの記事にリンクが張っていて、すぐにダウンロードできるようになっています。すぐにプリントアウトしましたが、活字が小さくて私の目では読むのが難しい。画面上で拡大して読むのがよいようです。
Ursula Klein, "A Revolution that never happened", Studies in History and Philosophy of Science, 49(2015): 80-90
Hasok Chang, "The Chemical Revolution revisited", Studies in History and Philosophy of Science, 49(2015): 91-98.
Martin Kusch, "Scientific pluralism and the Chemical Revolution", Studies in History and Philosophy of Science, 49(2015): 69-79.
まず、アブストラクトだけ画面上で読みました。クラインは、 Hasok Chang, Martin Kusch の唱える伝統的な「化学革命」説を批判しています。ラヴォワジェの化学と1770年代以前に確立していた「フラット・オントロジー」との連続性を強調しています。個人的には必要な批判だと思います。
坂本君が最初に紹介したオサイリスの特集ほど大きな特集ではありませんが、こちらも同時に読まれてよい小特集だと思います。ちなみにアイシスは届きましたが、オサイリスはいつ届くのでしょうか。
ひとりで3時40分、室温10.2度。一昨日の寒さはそうとう緩みました。今日は季節の針が1ヶ月進むということです。朝練のあるちいさいちびを6時20分に起こします。バスケ選手になってほぼ1年。ちいさいちびは小学生の頃と比べるとほんとうによく食べるようになっています。夕食は普通に一人前を平らげたあと、パンを3つも食べることがあります。以前はほとんど食べなかった朝食もしっかり食べています。
→ちいさいちびを起こす直前に、昨日「はじめての書類」と記述した書類を私のできる範囲で完成させ、事務に送り出しました。ボールを事務に渡すことにしたわけです。大学のスケジュールを確認しました。授業は2月10日で終わっています。本日から来週の水曜日まで期末試験期間です。そして来週の木曜日(2月19日)が追試験日です。そして、成績提出の締切が2月19日。わおー。ものすごくタイトな日程です。私はもう終わっていますが、2月18日に試験をする先生は、超特急で採点し、成績を教務システム上で入力する必要があります。
その後ですが、2月25日に前期日程の入試があります。全員出動だそうです。学部長は、くれぐれも風邪を引いて休むことがないようにしてくださいと一昨日言っていました。翌日から採点。
後期日程の入学試験は3月12日。現実には相当割合の受験生が欠席するでしょうが、こちらも外語のキャパのぎりぎりの数の受験生がいるそうです。本日(この後)は、東大駒場のシラバスを入力しようと思っています。
→朝一番で、銀行と郵便局に行き、3件の用事を済ませました。
→午後一番で、駒場のシラバスを入力しました。ほぼ決まっていました。それほど時間がかからず完了できました。今年と同じく、学部の3年生4年生の授業、修士の授業、博士の授業が一体になっていました。年度末までに必要な書類を完済したわけではありませんが、今出来ることはほぼやったので、夕刻、散髪に行きました。ずっと前から行こう、行こうと思って先延ばしになっていたものです。今日は暖かく、髪を切るにはちょうどよい日です。帰りに、以前、九州屋のあった場所に新しくできたローソンに寄って、のど飴を買ってきました。テーブルが3つほどあり、小学生が一つのテーブルで食事をしていました。一般的なコンビニよりもすこし広いのがメリットでしょうか。ローソン100のコンセプトで基本的な野菜も置いています。2月の第1週に開店していて、何度も前を通っていたのですが、中に入ったのは今日がはじめてでした。
そう言えば、同じくJRガード下のフジガーデンも年が明けると閉店になっていました。フジガーデンは、魚屋、酒屋、肉屋、八百屋、スーパーがいっしょに入っていました。まず、スーパーが撤退しました。八百屋さんと肉屋さんは頑張っていたと思いますが、売れ行きがいまいちだったのかもしれません。地元の経済に詳しい方なら事情を知っているのかもしれませんが、私のまわりにはそういう方がいません。
ひとりで4時40分、室温7.8度。休日。建国記念日。
ちいさいちびは一日練。お弁当をつくる妻を6時に、本人を6時20分に起こします。さて、昨日の午前中で採点業務は完了したわけですが、まだまだ年度末に向けて作成しないといけない書類がたまっています。気持ちがばてないように、でも、少しずつ作業を続けていきます。
→午前中に2月22日締切の書類にチャレンジしていました。はじめての書類なので、様子がはっきりとはわかりません。とりあえず埋められるところからと思い、空白を埋めていきました。4分の3程度はできたと思います。残りは、どうしましょう。頑張ってともかく書類つくりに専念しています。ひとつは完成し、送り出しました。
ひとりで4時20分、室温7.1度。この冬最強の寒波が北極より直接日本列島に届いているのだそうです。外はマイナス2度まで下がっているそうです。なお、室温7.1度は、この冬の最低記録更新です。これまでの最低は、1月3日の7.3度でした。おおきいちびの私立の受験日。お友達といっしょに駅に集合して行くと言っています。6時に起こすことになっています。→6時50分前にでかけました。7時集合ということです。
本日は、午前中採点、午後会議。
→おおきいちびのあとでかけました。8時6分武蔵境発の電車。武蔵境到着が7時54分。駅の外にでて多めに昼食のパンを買いました。今日は ICU 高校も試験日のようです。武蔵境の駅前に高校の方がプラカードをもって受験生をバスに案内していました。ICU 出身の院生によれば、現役のICU 高校生は、多くが西武線で一駅乗ってから歩くそうです。ということで、西武線は、時間帯によっては、アメリカンスクールの学生とICU の高校生が大勢乗っています。アメリカンスクールの学生(高校生)はほんとうに不思議な感じです。2〜3分、英語で話していたと思ったら、突然日本語で会話しています。英語と日本語の切替のどういうスイッチが頭のなかにあるのでしょうか? ちょっと関心があります。
この時刻だと1限出席の学生がかなり多い。ともかく、採点に集中。午前中に、採点も転記も全部終わらせることができました。やれやれ。
12時に学生と面談。書類の2点に署名押印。春から留学。現地の気温はマイナス3度、アパートの片づけをなんとか朝のうちに終わらせることができたそうです。
会議は1時から。最初の2つは短く終わったので、いちいち研究室に戻りました。
その次の教授会の3れんちゃんはちょっと疲れました。机に伏してしばらくほんとうに寝てしまっていました。隣の先生にとんとんされて、目が悪いんだったら、ちゃんと眼科医に診てもらった方がよいよ、とアドバイスを受けました。その通りです。一度は受けようと思って、ずるずる先延ばしにしていました。
最後の3つめの会議もけっこう長引いて6時28分多磨駅発の電車に乗るのがやっとでした。
ひとりで5時、室温8.9度。
朝練のちいさいちびを6時20分に起こします。ちいさいちびが7時に家をでたあとすこしして私もでかけました。7時42分武蔵境発の電車。8時5分前に大学に着きます。1限に出席する学生たちが乗っていました。あとはアメリカンスクールの高校生に警察学校の人々でしょうか。
今日はともかく採点です。9時過ぎてから一度事務に土曜日の宿題を提出し、大学前のコンビニでおにぎりほかを買って研究室に戻りました。
採点を頑張りすぎるとばてます。1時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。6〜7割はこなせたと思います。残りは、明日。明日には、たぶん終わらせることができると思います。
ことしの期末レポートには、ふと、とても面白いもの、とてもよく頑張っているものが混じります。韓国社会における朝鮮族の表象を扱ったものは秀逸でした。今日は寒い。とても冷たい風が吹きます。帰宅するとこの冬一番の寒気と妻が言っていました。
ひとりで5時20分、室温9.7度。
おおきいちびは朝から塾。ちいさいちびは午後練。妻と小学生は昼食時におでかけして、おおきいちびの誕生日ケーキを買ってきます。おおきいちびは誕生日ですが、一日中塾にいます。2時から編集委員会、3時から梶科研費の打ち合わせ会合。
1時前にでかけて、7時過ぎに帰ってくることができました。
ひとりで4時35分、室温8.5度。さて、本日は、ちいさいちびが朝から一日練なので、お弁当をつくる妻を6時、ちいさいちびを6時20分に起こします。私も朝から仕事なので、ちいさいちびの前後で出かけようと思います。
土日に三鷹で乗り換えせずに行くには、7時13分青梅行きの電車に乗る必要があります。ちいさいちびより先に、7時ちょうどに家をでました。この電車にのると、7時30分武蔵境発の西武線に連絡します。仕事の開始は9時なので、さすがに同僚の顔は見ませんでした。研究室でわずかにデスクワーク。
2件の面接。
終わってすぐに取って返しました。11時過ぎに帰宅することができました。ISISの最新号(2014年第4号)が届いていました。[ゆう杉並]
すぐに昼食をとり、しばらく休憩してから今度は息子のダンスの発表会。
荻窪のゆう杉並という場所です。行ったことがありません。荻窪からバスで昔の荻窪団地行きに乗りなさいという指示です。12時に家をでました。荻窪駅の外(南口)にでると、バス停はすぐにわかりました。バスは12時25分に来ました。一度環8に出てから、左折し、松渓中学の前を通り、細いくねくねした道を通って終点に着きました。ゆう杉並はなかなか不思議な場所にありました。
開場して、係長という方の挨拶があって、はじめて、ゆう杉並がどういう場所なのかわかりました。中学生と高校生のための児童館だそうです。十数年前に日本で最初にそういうコンセプトでできた施設ということでした。今回の発表会は、杉並の5つの児童館の交流会ということです。第15回目とでていました。午前の部、午後の部と一日中やっていたようです。我々は午後の部のみ。最初の児童館はお囃子をやっていましたが、残りは全部ダンス。ゆう杉並は、ユースぎなみの駄洒落です。高校生が運営に当たっているそうです。高校生のおねえさんが司会をし、ブレイクダンスのパーフォーマンスとヨーヨーパフォーマンスを見せてくれました。上手です。会場は父兄も来たのでいっぱいでした。
終了してまっさきに飛び出し、一番のバスで帰ってきました。さて、帰ってから、ゆう杉並のまわりの光景が不思議だったので、調べてみました。荻窪団地とは、日本住宅公団が1958年に竣工した荻窪3丁目に立地する公団住宅。古くなったので、2007年に全面的な建て替えが公示(「荻窪3丁目地区計画」)されたそうです。今は、シャレール荻窪という名前に変わっています。
都心部に郊外?と思いましたが、杉並区は都心部ではなく、私が生まれた昭和33年にはまさに公団住宅がある郊外だったということでしょう。都会と郊外のせめぎあいという雰囲気がありました。
ひとりで5時55分、室温7.5度。6時半に息子を起こします。昨日、宿題が終わらなかったので、朝やると言っていました。→1時間ぐらいかけて宿題を終わらせました。
明日は、午前と午後にまったく別種の仕事があります。明後日は午後学会の仕事があります。今日は外出しないことにしました。
["animal economy" 「アニマル・エコノミー」]
先週以来、気になっていることがあります。"animal economy" です。チャールトンあたりに出発点があるという知識はあるのですが、正確にはどう定義すべきか不明なので、昔、そのタイトルの本を買ったような記憶があって、部屋の中を探しました。
すぐに見つかりました。次です。
Theodore Brown, The Mechanical Philosophy and the 'Animal Oeconomy', New York: Arno Press, 1981
1968年の博士論文The Mechanical Philosophy and the 'Animal Oeconomy': A Study in the Development of English Physiology in the Seventeenth and Early Eighteenth Century, Ph.D. dissertation, Princeton University, 1968 そのままでした。博士論文のファクシミリに、新しい文献ノート(Bibliographical Postscript)を付しただけのものでした。タイプが小さくて読みづらい。しかも、タイトルに"animal oeconomy" のフレイズがあるのに、目次にはまったくこの用語がありません。
ネットで別の文献を探すことにしました。すると、次の本が丸ごとありました。
Justin Smith, Divine Machines: Liebniz and the Science of Life, Princeton, 2011
ライブニッツの時点から"animal economy"を主題に据えた章がありました。
スミスは次のように記述します。「ライプニッツにとって、アニマル・エコノミーとは、器官と機能の連関のことであった。それゆえ、解剖学と生理学を含み、とくにこの二つの学問分野の要素が一個の生体においてどのように組み合わされているのかに焦点をあわせるものであった。」(p.62)
ライプニッツの前では、ボイルの見方(人体観)が重要です。ボイルは、晩年の著作『自然の観念の自由な探究』で次のように述べています。
"I look not on a human body, as on a watch or a hand-mill, i.e., as a machine made up only of solid, or at least consistent parts; but as an hydraulical, or rather hydraulico-pneumatical engine, that consists not only of solid and stable parts, but of fluids, and those in organical motion: and not only so, but I consider that these fluids, the liquors and spirits, are in a living man so constituted, that in certain circumstances the liquors are disposed to be put into a fermentation or commotion."
人体を「水力・空力装置」(hydraulico-pneumatical engine)とみる見方です。それだけではなく、という文章も加味すれば、「水力・空力・化学装置」とすることもできます。スミスは、hydraulico-pneumatico-pyrotechnical machine という用語を使っています。ちょうどよい表現だと思います。
p.100 の下の表で、スミスは、「アニマル・エコノミー」と「オーガニックス」の二つの研究領域の対比について、生命体は「アニマル・エコノミー」では「水力・空力・化学装置」として扱われ、「オーガニックス」では「有機体または自然的機械」として圧変わる。ただの機械と区別されるのは、「アニマル・エコノミー」ではそれぞれの種に特殊な半ば永遠的な運動をするもの、「オーガニックス」では最小部分までもが機械である点。差違は、「アニマル・エコノミー」では機能の点、「オーガニックス」では微小構造の点、とまとめています。→"animal economy" の日本語訳ですが、そうとう訳しづらい。私もそうですが、皆さん、けっこうそのままカタカナで「アニマル・エコノミー」とされています。こなれた訳をしてしまうと、もとの語が"animal economy"であることが伝わりません。こなれた訳語(animal economy)または「アニマル・エコノミー」のどちらかになると思われます。
→『百科全書』における「アニマル・エコノミー」の項に関しては、つぶやき上の眼鏡パンダさんによる邦訳がウェブに挙げられています。私の調べ得たところでは、(10)まで行っています。貴重な仕事です。
ひとりで5時30分、室温9.2度。今日は、一日中、2度から3度の気温ということです。昼間一度雨に変わるが、雪が降るということです。
6時40分までに家族全員起きました。ゴミを出しに外にでると、どんよりとした冬の曇り空。しかし、まだ雪も雨も降っていません。
子どもたちが出かける頃に、雨が降り始めました。予報よりいくらか気温が高かったようです。テレビの天気予報を見ると、これから気温が下がり、雪に変わっていくそうです。午前中から、レポートと格闘する予定です。
→9時42分武蔵境発の電車で大学へ。すぐに整理に着手しました。予想のほぼ倍かかりました。1時45分にやっと整理を完了。急いで昼食のための生協へ。生協の一階は2時までです。残り10分で滑り込み。これ以上やるとばてると思い、採点そのものは先延ばしにすることにしました。土日も仕事がありますし、どうせ来週もいろいろ仕事があります。来週でよいことにしました。(月曜日でよいかなと思っています。)
片づけだけして、2時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。3時頃帰り着きました。雪にはなっていますが、つもっていません。気温がそこまで下がらなかったのでしょう。おおきいちびが帰宅したのでドアを開けると、次の本が届いていました。
マーティン・J.S.ラドウィック『太古の光景:先史世界の初期絵画表現』菅谷暁訳、新評論、2009
来年度の授業で使うかもしれません。わけあって、ウェブにドラフトとしてあった次の論文を画面上で読みました。
Antonio Clericuzio, "'The Organical Motion of Body Fluids'. Mechanical and Iatrochemical Theories in 17th -century Phyisology,"
とてもよい論文とはまで言えませんが、私が考えてきたことを整理するのに役立ちました。とくにボイルからの引用は的確だと思います。個人的には血液そのものの位置付けにもうすこし紙面を割いてもらえるとうれしかったのですが、そういうのは残された仕事としておきましょう。
やはり昨夜はわけあって、Pagel, New Light on William Harvey(1976) を読み直していました。ほんとうにすぐれた資料に対する鼻をパーゲルはもっています。注目しただけで深く分析はしなかったテキスト、思想の配置、流れ、展開があります。パーゲル以降の研究は、パーゲルの跡を継いだものもありますが、パーゲルの示してくれた鉱脈を掘り尽くしてはいないように思われます。最近読んだ本で言えば、これは、ラドウィック流のエピソードです。(もちろん、ラドウィック自身が認めているように、エピソードという語の使用は誤解を招くものです。)
ひとりで5時10分、室温8.9度。9時6分武蔵境発の電車で大学へ。今日はともかく採点作業に専念します。
昼食で生協に行った以外は、研究室にこもりずっとレポートと格闘していました。午後の会議は、2時20分から。その前になんとか木曜日3限の方は完了することができました。
会議は短く終わりました。3時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。今日は三鷹駅で総武線に乗り換え、子どもたちのおやつを買って帰りました。
明日は、木曜日5限の方をやります。こちらは人数もずっと多いですし、そもそも整理も終わっていません。
夜半に目覚めてすこし仕事。節分です。ひとりで5時半、室温8,2度。昨日よりほぼ1度上がっています。すこし寒さが緩んだようです。
午後2時までに、表を完成しました。すぐにファイルを印刷所に送り、あとでプリントアウトを投函します。
学会の仕事が終わったので、昨日届いた『科学史研究』第54巻 No. 272, 2015 1月号を読み始めました。まず、書評から。編集委員会のなかにいる諸君のブログやツイッターに目次は出ています。
夕刻に呼び出しを受けています。5時半から45分までの15分間です。小学生とおおきいちびが帰宅してから出かけようと思います。本日は大学ではデスクワークの予定はありません。
→5時6分武蔵境発の電車で大学へ。さすがに電車のなかに知っている顔がいません。呼び出しは5時半なので、5時29分に301に着きました。7〜8分待たされました。これまではなかったやり方です。すぐに次の方が見え、雑談をしていました。教授会での発表の予行のようなことをさせられました。10分強で終わったので、研究室にもどり、すぐに帰宅しました。
最近、呼び出されることが多いぞ!節分の豆まきは、寝る直前、パパ、ママ、小学生の3人。おねえちゃんたちは、(姉)せん、(妹)いい、でした。小学生はおねえちゃんたちが参加してくれないのは残念に思いつつも、おおいに喜んでいました。
ひとりで6時、室温7.3度。室温レベルで順調に下がっています。お昼のパンを買って、11時6分武蔵境発の電車で大学へ。入試課へ一点書類を提出し、2点書類をもらいました。研究室へ行ってから、先にもう1点3階へ書類を提出し、作業にかかりました。
12時半に学生との面談。判子を押して、しばらく面談。10分程度でした。それからまた作業。疲れたので、いつもよりすこしだけ早めに帰ることにしました。いろいろありましたが、何とか頑張って、成績評価を進めました。残るは、外語の講義科目の2つ、木曜日3限と5限だけです。3限のレポートとシートの整理は今日済ませました。5限の方は、整理がまだ終わっていません。
今週中になんとか完了させたいと思います。
ひとりで5時半、室温7.6度。ちびどもは朝からでかけます。妻はお弁当つくり。6時に起こします。ちびどもを何時に起こすのかはまだ聞いていません。→ちいさいちびは朝練のあるときと同じ6時20分。7時半集合ということです。一日練だそうです。おおきいちびは8時に起きて、8時半にでかけていきました。こちらは塾。朝日新聞の日曜版にGlobe というのがあります。普通の新聞と比べて紙面を半分にして、16頁で別途編集発行、折込しています。この形がよいかどうかははっきりしませんが、内容的には面白い記事が見つけられます。
引用の仕方もはっきりしませんが、The Asahi Shinbun Globe, Feb.1 - 14, 2015, G-13に「国民から遊離する独メディア」というミュンヘン在住の翻訳家兼ライター美濃口担氏の記事があります。「一般市民は新聞の論調よりはるかに平和的だ」という前首相シュミット氏の言葉を支えるデータと背景となる事情を説明しています。たとえば、アフガン派兵の場合、主要メディアと政治家は駐留継続を指示したが、国民は70%以上が反対していた。メディアに力を有するジャーナリストを含む欧米エリートが「欧米エリート」のネットワークに所属している、そしてそのネットワークに所属することが地位と力の源泉になっている、それゆえ、そうしたエリートがアメリカ的なグローバリズムの見方と主張を内面化してしまっている、と分析しています。
日本は、エリートのネットワークという点でドイツと同じ状況ではありませんが、政治家(国会議員)では似たような状況が生じているように思われます。
本誌の方では、1面に、「憲法改正に賛成するのは、国会議員で84%、一般市民で33%」という朝日・東大共同調査の結果が掲げられています。
意図的かどうかは不明ですが、見事に対応する記事になっています。
ただし、日本の状況はドイツと同じではないので、日本は日本で別途きちんとした分析が必要だと思いますが、日本にもドイツと対応する部分があることは間違いないでしょう。昨日からの作業の続きで、1号の表作成にかかりました。私が私の責任で作成する部分は終わりました。あとは、菊池くんに投げた部分が帰ってくれば完成します。
ちょっと時間があいたので、ウェブで見かけた次のキンドル本をダウンロードし、読んでしまいました。
大山顕・東浩紀『ショッピングモールから考える: ユートピア・バックヤード・未来都市』(ゲンロン叢書001)ゲンロン、2015
これはとてもおもしろい対談です。以前からある程度は知っていましたが、やはりまとまって読むとちがいます。イギリスではけっこうショッピングモールに行っていましたが、日本ではまだほとんど行ったことがありません。イケアはありますが。
こういうふうに話がはずむと対談はほんとうに快感です。
違った点に関するコメントです。キンドル本を読んできてみて、キンドルは、もうすこし大きい方がよいのではないかと思います。すぐにどの大きさが最適かは言えませんが、iPad mini あたりがちょうどよいのではないでしょうか。
個人的にある種のものは、キンドルで十分だと思うようになってきています。キンドル本体がもうすこしバージョンアップしてくれるとよいなと思います。
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