ひとりで4時20分、室温17.6度。3月ももう終わりです。ちいさいちびは今日も朝練からの一日練。お弁当を作る妻を6時、ちいさいちび本人を6時20分に起こします。4月に入って3日間はオフがあります。
→さすがにちいさいちびは今日4時過ぎに帰ってきました。おおきいちびは友達の家に行っています。小学生はパジャマのママでした。
私は2回郵便局に行きました。(未着の1点を除き)これで化学史研究2号の原稿はすべて入稿したことになります。ちなみに今年の化学史学会年会は、葉山の湘南国際村にある総研大です。乗車時間2時間5分で現地に着きます。徒歩の時間を入れても2時15分で到着すると思います。わー、これは微妙な数字です。このぐらいの時間であれば、通勤通学している人はかなりいます。でもやはり遠い。今のところ、土曜日の懇親会が9時に終わり、逗子につけるのが9時半過ぎのようです。土曜日だけ横浜にでも宿を取るのがちょうどよいという気がしています。すこし無理をすれば東京に帰ってきて翌朝また行くこともできます。うーん。もうしばらく考えます。
ひとりで4時30分、室温16.1度。3月ももうすぐ終わりです。今日も朝から練習のあるちいさいちびは朝練のあるときの時刻、6時20分に起こします。今日はお弁当がないので、妻も同じ時刻でよいとのこと。
→起きてきた妻によれば、おおきいちびは昨夜大騒ぎをしたあと何とか自分でコンタクトレンズをはずすことができたということです。午前中に、おおきいちびの自転車での通学路を確認しました。自転車で実際にいっしょに往復してみて相談しました。一番わかりやすい道がよいだろうという結論になりました。すごい好天です。桜も諸所で満開でした。高校生は部活に勤しんでいました。
事典項目の修正作業。けっこうな数こなしました。
ひとりで4時45分、室温15.6度。気温の上昇は一気でした。ちいさいちびは今日も練習試合。自分の学校で一日練になります。朝練のあるときと同じ時刻に起こします。お弁当をつくる妻は6時。
部活に参加すると言っていたおおきいちびは部活を取りやめ、午前中にコンタクトレンズに再度チャレンジする気になったようです。10時前に妻といっしょに出かけていきました。結局2時間かかったやっと入れることができたということです。いろいろ買い物をして、3時過ぎに帰ってきました。よく見えると喜んでいました。
予想していたことですが、お風呂に入る前、コンタクトをはずそうとして大騒ぎ。本人の弁では、2時間かかって入れて、2時間かかってはずす、そうです。私はコンタクトの体験はないので、体験のある妻とちいさいちびに任せて先に息子といっしょに休みました。事典の重複項目の処理を終えることができました。
2号の編集作業は、到着しない原稿を除き、ほぼ完了しました。
ひとりで3時50分、室温14.6度。5時半、東の空がきれいな朝焼け。
ちいさいちびは今日は遠征です。全国制覇をしたこともある埼玉の高校に行きます。駅に7時15分集合とあります。妻といっしょに6時に起こしてほしいということでした。
→6時20分に起きて7時頃でかけていきました。→7時半過ぎに帰ってきました。
昨日久しぶりに部活に参加して疲れたおおきいちびは9時過ぎに起きてきました。そして、午後、バスケの友達が数名来ました。夕刻まで。それからみんなそろって夕食に。帰宅は9時を大きく過ぎていました。
ひとりで4時55分、室温12.3度。天気予報によれば、今日から春です。冬の気温にまで下がることはまずないようです。ちいさいちびは朝から部活。7時に起こすよう言われています。お弁当を作る妻は、6時半に起こすよう言われました。
妻を起こすと小学生もいっしょに起きてきました。家にばかりいるのもよくないので、小学生といっしょにつくし狩りにでかけることにしました。まず去年行った多摩川へ。是政からすぐです。早かったのか遅かったのかはわかりませんが、一本も見つかりません。野川も探してみるかと聞くと、探してみると言うので、多磨駅で降りて、いつもとは逆方向に歩きました。息子は服を脱いで暑い暑いと言います。いきなり気温が上がって日射しのなかを歩いているので相当暑く感じるのでしょう。野川の河辺にも一本も見つかりません。時期をはずしたようです。
野川公園の北門から、もとにもどって多磨駅に行くか、新しいルートと開拓するため新小金井駅の方に向かうか、迷ったのですが、知らない道でもまあなんとかなるだろうということで、新小金井の方に向かいました。道路の様子は考えていたのとは違いますが、とりあえず線路に平行して走っているのがあります。やはり1キロぐらいでしょうか。駅前に着きました。12時半を過ぎています。新小金井駅前の蕎麦屋に入ることにしました。冷やしたぬきそばを注文しました。
早く帰りたいというので、昼食を食べてそのまま帰宅しました。
あとで調べなおしてみると、ちょっと早かったと思われます。つくしが目的ならば、皇居のまわりの公園にもあるようです。青山学院。
娘の高校受験で妻がずいぶん調べものをしていました。つられて私もすこしですが、東京の高校進学の様子を調べてみました。
いわゆる青山大学、すなわち青山学院大学には(研究のため)何度か行っていますし、八耳さんの短大の方には何度も行っています。ちゃんと調べてみると、青山学院には幼稚園、小学校、中学校、高校、短大、大学と全部あります。そして、すべてがあの青山の地にあります。渋谷から行って西門から入ると右手の方に高等部、すこし行って短大の右隣に中等部、そして、高速3号線を挟んだ向こう側に初等部、短大の後ろ側に幼稚園があります。高等部正門、中等部門、初等部正門という門がそれぞれあります。
ひとりで6時15分、室温11.1度。昨日の夜、仕事をするでもなく起きていたせいです。おおきいちびも午後からのバスケ部の部活動に参加すると言っています。
私は3時から会議が入りました。
ちびどものバスケは12時集合です。家を11時半すぎに出ます。早めの昼食を食べ、ちいさいちびがでかけていきました。私はその後に家をでました。駅前の本屋さんで杉並区の地図を買いました。12時6分武蔵境発の電車で大学へ。メールボックスを見てから、図書館へ。ILL で届いている次の4点を受け取りました。
内田星美「技術史の原典-5-ビリングチオ「ピロテクニア」 」 『東京経大学会誌』179(1992): 113-157
内田星美「技術史の原典-6-ビリングチオ「ピロテクニア」-続- 」 『東京経大学会誌』180(1993): 99-151
内田星美「技術史の原典-10-「試金要術」・エルカー「試金術」 」 『東京経大学会誌』184(1993): 161-191
内田星美「技術史の原典-11-エルカー「試金術」-続- 」 『東京経大学会誌』185(1994): 157-192
こういうのはほんとうに貴重な仕事です。キンドル等、e-Bookにまとめるのがふさわしい仕事だと思われます。途中一度生協に行って、ノートを買いました。あとは、デスクワーク。
3時からの会議は4時半まで。その後、研究所によって、スキャン。5時45分頃帰宅しました。
ひとりで3時35分、室温11.6度。冬の気温に戻りつつあります。ちいさいちびは終了式。午後の練習がなくなったと言って喜んでいます。ともだちと遊ぶそうです。
おおきいちびは午後高校の招集日。学校生活について説明があるようです。
小学生はずっと待っていた春休み。バドミントンに燃えています。つくしがりに連れていく予定。→寒いので今日は行かないと自分から言ってくれました。北風が強く、外に出るとほんとうに寒い。ちなみに大学(外語)の卒業式は、明日の26日(木曜日)です。府中の森芸術劇場「ドリームホール」で午前11時〜午後1時半に開かれます。ちょうどお昼ご飯の時間帯に開かれます。
ゴミを出すため外にでると、おおー、さむ。冬の寒さが舞い戻っています。ポストにWiMAX 2+ のチラシが入っていたので、ウェブでサービスエリアの地図を出してみてみました。東京・埼玉の西だと、飯能や青梅まではカバーされていますが、その西はまだです。房総半島を見ると、面積にしてたぶん3分の1程度ではないかと思われます。
故郷の和歌山を見てみると、海沿いに有田まだはかろうじて、そして田辺の周辺がすこしと言ったところです。みなべはまだゼロです。ちいさいちびは終了式後、10時40分頃帰ってきました。着替えさせてから、皮膚科の医者に連れていきました。
昼食後しばらくして妻といっしょに吉祥寺に。パンケーキを食べてくるのが目的ですが、いっしょに買い物もするとのこと。
おおきいちびは、1時過ぎに出かけていきました。4時前に帰ってきて、宿題がいっぱい、とごちていました。
小学生は、6時から歯医者さん。お風呂に入ったあとだったので、冬の重装備ででかけました。こちらは妻が連れていきました。
ひとりで4時、室温12.7度。朝は冷え込むという天気予報でしたが、室温レベルでも下がっています。外は冬の寒さだそうです。昨日から、日曜日の編集委員会で持ち帰った宿題をこなしています。年会に関するもの以外は昨日の間に終わらせることができました。年会に関するものは、そもそも年会の講演要旨を提出してもらわないと完了できません。締切は3月21日でした。未着のものは現理事、元理事に関するものがほとんどです。こういうのはなんだかな。
小学生は終了式。いつもと同じ時刻にでかけ、10時40分頃帰ってきました。
夕刻、次の本が届きました。
田中耕司責任編集
『岩波講座 「帝国」日本の学知〈第7巻〉実学としての科学技術』
岩波書店、2006
目次は次です。
序章 「実学としての科学技術」田中耕司
第1章 「日本農学の源流・変容・再発見―心土不二の世界へ」徳永光俊
第2章 「農業技術を創った人たち―昭和の技術者群像」西尾敏彦
第3章 「植民地経営と農業技術―台湾・南方・満洲」田中耕司・今井良一
第4章 「宮入貝の物語―日本住血吸虫病と近代日本の植民地医学」飯島渉
第5章 「世界一の長寿社会を達成した近代日本の歩み」松林公蔵・奥宮清人
第6章 「「帝国の衛生」―衛生工学から環境学へ」小野芳朗
第7章 「音に見る日本の近代―「音楽」の受容と「騒音」の排除」平松幸三
第8章 「今西錦司とフィールド科学」斎藤清明
「付録 文献解題・研究資料紹介」
扉の言葉をそのまま引用すると次です。
「 農学を中心とした日本固有の技術の系譜を継承し、開国期前後の西欧科学の導入を経て、日本の「帝国」化の過程で構築されていった日本の科学技術の展開を、 農学、医学・医療、衛生工学、などの「実学」を事例に紹介する。近代日本の形成に果たした実学の役割と、戦後におけるその断絶・継承を明らかにして、応用 科学としての実学の今日的な課題に迫る。」
私の関心は、「医学・医療、衛生工学」にあります。
→寝る前に布団のなかで目についたところを読んでいました。「岩波講座 「帝国」日本の学知」のシリーズは、巻末付録「文献解題・研究資料紹介」がなかなかによくできています。この第7巻の I 文献解題は、A 農学関連文献解題 B 医学・医療関連文献解題 C 衛生工学関連文献解題 D 「今西学」関連文献解題 II 研究資料紹介は、A 満洲農業関連資料 B 植民地医学・日本住血病関連資料が収められています。
とくに飯島渉さんによる「B 植民地医学・日本住血病関連資料」pp.39-46 (住血病関連を除いています)は、研究のための土台となるまとまりと射程をもっています。
→シリーズの編者の方々も自覚があると思いますが、音と音楽の話、今西学の話は別のところに収録した方がよかったと思います。代わりに、電力と化学工業があれば、よかった。
ひとりで5時、室温15.5度。ちいさいちびは朝練に復帰。私は今月中公的な用事はもうありません。おおきいちびは完全フリー。小学生はあと2日、ちいさいちびはあと3日で春休み。
ちょうどよいので駒場図書館に行って、コピーをとり、利用カードを返却することにしました。春休みのおおきいちびがひまだひまだと叫んでいるので連れていくことにしました。
10時過ぎ、駒場着。おおきいちびは生協で文房具を探させるつもりだったのですが、生協がお休み。仕方がないので、ベンチで休んでもらうことにしました。私はさっと図書館に入り、次の報告のコピーを取りました。
有馬真喜子「学習院大学東洋文化研究所(研究室めぐり-28-)」『季刊人類学』 8(4),(1977): 89-98
→1977年当時の学習院大学東洋文化研究所の研究状況が記されています。有名な社会学者、加藤秀俊さんが所長だった時代です。中心が朝鮮史であることがよくわかりました。文房具を買ってやる約束です。駒場から渋谷まで歩きました。何年ぶりでしょうか。新しいビルが数多く建っていました。東急ハンズではノートやペン等基本的な文房具を買いました。お腹が空いたというので、ハンズの近くで食べ物屋さんを探しました。ちょうどよいお店があったのですが、開くのが11時半。15分ほど時間があります。近くのフランフランに入って、ブラウジング。体をあらうスポンジによいのがあるのをみつけて、子どもたち3人分を購入し、坂を上がって、お店に。1番に入れてくれました。おおきいちびはハンバーグ、私は牛載せご飯。おおきいちびはサラダが美味しいと言っていました。水準には達していました。デザートは、私の分も食べました。
そこからロフトへ。筆入れが欲しいようですが、ちょうど気に入ったものが見つからず、もういい、ということでJRで帰ってきました。テレビによくでる駅前の交差点を通りました。ここいらはいつもひとが多い。
1時過ぎに帰り着きました。中見立夫「日本的「東洋学」の形成と構図」『岩波講座 「帝国」日本の学知〈第3巻〉東洋学の磁場』(岸本美緒責任編集、岩波書店、2006)
まずは、『東洋学の磁場』からこの論文を読みました。日本的「東洋学」の出自はなかなかに複雑です。1文ではまとめることができないものですが、筋はわかりました。
→ 15.3.25 編者の岸本美緒さんによる序章 「東洋のなかの東洋学」にも目を通しました。よくわかるまとめになっています。
ひとりで4時35分、室温14.3度。午後に学会の編集委員会(午後2時から)と理事会(午後3時から)。いつものように梶さんの東工大でお世話になります。
→朝一番で大学に出かけて、郵便物をとってきました。
→梶さんのところには、1時前にでかけました。いつも通り、1時50分に大岡山に着きました。10メートル前を古川会長が歩かれています。いっしょになって会場まで歩きました。会長は風邪ということです。熱がすこしあるということです。理事会終了まではいるが、それでお暇するということでした。副会長は、やはり熱で欠席しますという連絡があったそうです。国際会議の疲れが年度末に重なってでたのではないでしょうか。
理事会が終わったのが6時半頃。それから国際会議についての最終会議を行い、8時半に帰ってくることができました。東工大にでかける前に次の本が届きました。
岸本美緒責任編集
『岩波講座 「帝国」日本の学知〈第3巻〉東洋学の磁場』
岩波書店、2006
目次は次の通りです。
序章 「東洋のなかの東洋学」岸本美緒
第1章 「日本的「東洋学」の形成と構図」中見立夫
第2章「 東洋史学の形成と中国―桑原隲蔵の場合」吉澤誠一郎
第3章 「植民地の帝国大学における人類学的研究―京城帝国大学と台北帝国大学の比較」全京秀(太田心平訳)
第4章 「東亜考古学と近代中国」吉開将人
第5章 「近代仏教学の展開とアジア認識―他者としての仏教」下田正弘
第6章 「戦前日本の「回教徒問題」研究―回教圏研究所を中心として」臼杵陽
第7章 「中国中間団体論の系譜」岸本美緒
第8章 「日中戦争前夜の中国分析―「再認識論」と「統一化論争」」西村成雄
「付録 文献解題・研究機関等紹介」安藤潤一郎編
ひとりで5時5分、室温15.4度。春分の日。小学生は損したと言っています。土曜日に春分の日が重なって休みが一日減ったという意味です。おおきいちびは8時駅集合で友達とどこかを回るようです。いつも通り7時20分に起こして欲しいという書き置きがありました。おおきいちびは自分で楽しいことがあると早く起きれると言っています。実際7時過ぎに自分で起きていました。
地下鉄の駅を回ってポスターをとってくると言っていました。はっきりとどういうことかは不明ですが、帰ってくるとわかるでしょう。9時過ぎに小学生といっしょに町を一周しました。小学生がローソンでやっているドラゴンクエストのくじを引きたいと言ったせいです。ガード下のローソン、駅前のローソンと回りましたが、影も形もありません。ついでに駅前のセブンイレブンも見てみましたが、こちらも、影も形もありません。ちょうどよいのでセイユウですこし買い物をしてから、サンクスも見てみましたが、やはりありません。
帰宅して調べてみると、年明けにはじまりもう終了していました。午後1度息子のバドミントンに付き合ってやりました。3時過ぎに、その付き合いを妻に任せて、吉祥寺の駅ビルにパンを買いに行きました。駅ビルのなかのパン屋さんでパンを買っただけですぐに帰途についたので、最速で帰ってきました。
これまで私は定期券を使ったことがないのですが、4月からは月、火、水、木と週に4日は大学に行く必要があります。定期券代を調べてみました。
月に18回使えば、ペイします。3月で言えば、ちょうど18回出ることになります。わおー、これは実に微妙なところです。
ひとりで3時50分、室温15.8度。おおきいちびの卒業式。おおきいちびはいつも通り、ちいさいちびは8時に起こすよう書き置きがありました。
ちなみに、小学生の終了式は、来週の火曜日3月24日、ちいさいちびの終了式は来週の水曜日3月25日です。ちいさいちびは部活があるので、授業があった方がむしろ楽ということもあります。さらに大学の卒業式は、木曜日3月26日です。私の卒論生は全員予定通り卒業してくれます。ほっとします。→9時10分ぐらいに家をでて中学校へ。すでに体育館にはすこしですが父兄が来ていました。すぐに在校生が入場してリハーサル。ピアノの子が練習不足でしょう、うまく弾けていませんでした。
卒業式は10時から12時前のほぼ2時間でした。
バスケ部の友達が泣き、つられて別の子が泣き、つられておおきいちびも歌のとき泣いていました。お隣に座ったお母さんは、お父さんへお母さんへという手紙を受付で渡された時点で涙が出てきたと言っていました。
ちいさいちびが帰ってくるので、運動場の見送りはパスして先に帰宅しました。ちいさいちびは12時40分過ぎ、妻とおおきいちびは1時をかなり過ぎてから帰ってきました。おおきいちびは3時集合で打ち上げに。9時ぐらいまでカラオケに行ったり、食事に行ったりしたようです。
ちいさいちびは疲れているようなので、部活を休ませました。
ひとりで4時5分、室温16.7度。いつも通り、朝練のあるちいさいちびを6時20分に起こしました。ちいさいちびは朝食を食べてから6時55分に出かけていきました。
小学生は8時7分、おおきいちびは8時10分過ぎ。おおきいちびは明日が卒業式ですから中学に行くのはあと2回。
夜、雨が降っていました。朝には上がっていますが、空は雲に覆われており、また雨が降ってきそうな空模様です。
2時前におおきいちびが帰ってきました。明日の卒業式の練習で4時に再登校ということです。わけわかないと言って怒っています。空は暗く、ごくわずかに雨が降っています。→4時半に帰ってきました。すぐにすんだようです。友達から借りたマンガに夢中になっています。
ひとりで5時10分、室温16度。来週になるとまた下がるようですが、朝の室温で16度まで来ました。朝のうちに昨日催促された宿題をなんとかこなしました。大学の事務上のものです。私にはなじみのない分野のもので苦労しましたが、形はつけたと思います。
会議の日。午後に2つ。午後1時から学生との面談。夕刻、定年退職の教員を送る会。
→9時6分、武蔵境発の電車で大学へ。まず、事務棟4階に寄りました。それからメールボックスで郵便物を受け取ってから研究室へ。デスクワーク。11時過ぎに図書館に行って雑誌をすこし読んでから、11時半生協で昼食。運動場の様子を見てから、研究室に戻りました。机の上の片づけだけはなんとかこなしました。1時から面談。ゼミ変更の相談です。
2時から会議。数分前に会議室に着き、並びました。学部教授会、研究院教授会。案件が多いので仕方なかったのですが、予定より2時間遅れて6時過ぎに終了。それからただちに退職教員を送る会。学生会館ホールに向かいました。
おやめになる先生方からははじめて聞く話が多く、そういうことだったのかと目から鱗。はじまりが遅かったので終了も予定時刻を大きく過ぎました。8時4分多磨駅発の電車で帰ることができました。
→ 定年退職を迎えられたのは、中国史の臼井佐和子先生、同じく中国史の佐藤公彦先生、スペイン語学の高垣敏博先生、タイ文学の宇戸清治先生、イラン史の八尾師誠先生でした。学年としては私よりも9つ上の先生方です。定年退職ではありませんが、ご都合による退職者は、中国語と朝鮮語の交流史を専攻されている伊藤英人先生。[イトーヨーカドー]
昨日の教授会で、外大の北側の空き地(旧関東村の北側の端)の用途が公式に決まったという連絡がありました。工事のお知らせはすでに金網に貼られていることですが、イトーヨーカドー系の複合施設ができるということです。完成年度がいつになるのかはわかりません。大きな駐車場のある(郊外型)スーパー+αだと思われます。名前を聞きましたが、忘れました。
これができれば、大学生活がすこしは便利になります。とくに近所に下宿している学生にはメリットが大きいのではないでしょうか。
→ 15.3.19 店舗計画情報のサイトに次の情報がありました。
「イトーヨーカ堂、東京都府中市朝日町に大型商業施設、市条例構想届出店面延べ7万3,200F、32年4月完成。」
昨日の送る会で同僚の先生となんとなく5年後に完成か、みたいな話をしていましたが、実際5年後に完成の予定です。
→ ここまでわかれば、あと調べるのは簡単です。事業主体ですが、ショッピングセンター「Ario アリオ」などを手がける系列企業の「株式会社モール・エスシー開発」です。取得した用地は、「都市整備用地」(朝日町3丁目・面積約 4 ha)と名づけられています。開業予定は、2020年、すなわち東京オリンピックの開催年です。
ひとりで4時24分、室温14.6度。春が来たようです。
天気予報を見てみました。最低気温11度、最高気温20度です。午後は暑く感じられるでしょう。
9時前に用事があってコンビニ、駅、郵便局と一周してきました。暖かい。今日はほんとうにもうあたたかい。給食を食べてからおおきいちびは帰宅し、高校に行って、教科書をもらったり、体育着の採寸をしたりという入学前手続きに行きます。お金を支払う必要があるので、妻がいっしょに行きます。3月25日にも同様の用件がありますが、そちらは一人で行きます。
なお、都立高校が全部先に教科書を渡すということはないそうです。それぞれの高校の方針によるそうです。40数冊にのぼり、かなりの重さになるようです。
ちなみに、中学校の教科書もとても重く、ちびどもがリュックに背負っている重さは半端ありません。大人の男性でも、うっ、となる重さです。
→おおきいちびの帰宅は、予想よりずいぶん遅くなりましたが、2時のバスに乗ることができたようです。3時過ぎ、バス停に着いたので、荷物をとりにきてほしいという電話がありました。3人乗りようの自転車でバス停に向かいました。おお、これは、すごい量です。大きなカバン3つに分けて持っています。子どもたちを前と後ろに乗せていたことを思えば、何とかなる重さですが、この重さを一人で高校から自宅までもって帰るのは、私が15歳だった頃であればまあなんとかがんばれる重さだと思いますが、相当の苦役です。女の子はよほど部活で鍛えていなければ無理ではないでしょうか。妻とおおきいちびの報告によれば、ほぼ(全員かどうかの確認はできてない)親といっしょに来ていたということです。
自転車から家のなかに移し、さらに2階に運ぶのはやってやりました。全部をいっしょにはたいへんですが、3つに分けていれば、それほど苦役ではありません。[やっと届いた OSIRIS]
お昼に、OSIRIS 29 がやっと届きました。Niku kun をはじめウェブにすでに紹介があります。
オサイリス第29巻特集「初期近代世界における化学知識」
Matthew Daniel Eddy, Symour H. Mauskopf, and William R. Newman (eds.), Chemical Knowledge in the Early Modern World, OSIRIS Vol. 29(2014)
Chemical Heritage Foundation が開いたフィラデルフィアワークショップの成果です。次のサイトに目次はありますが、重要なので、ここにも掲げておきます。
Table of Contents of OSIRIS Vol. 29
Matthew Daniel Eddy, Seymour H. Mauskopf, and William R. Newman, "An Introduction to Chemical Knowledge in the Early Modern World, " 1-15
Jennifer M. Rampling, "Transmuting Sericon: Alchemy as “Practical Exegesis” in Early Modern England" 19-34
John A. Norris, "Auss Quecksilber und Schwefel Rein: Johann Mathesius (1504−65) and Sulfur-Mercurius in the Silver Mines of Joachimstal" 35-48
Bruce T. Moran, "Eloquence in the Marketplace: Erudition and Pragmatic Humanism in the Restoration of Chymia" 49-62
William R. Newman, "Robert Boyle, Transmutation, and the History of Chemistry before Lavoisier: A Response to Kuhn" 63-77
Anna Marie Roos, "The Chymistry of “The Learned Dr Plot” (1640−96)" 81-95
Lawrence M. Principe, "The End of Alchemy?: The Repudiation and Persistence of Chrysopoeia at the Académie Royale des Sciences in the Eighteenth Century" 96-116
Bernard Joly, "Etienne-Francois Geoffroy (1672−1731), a Chemist on the Frontiers" 117-131
Ku-ming (Kevin) Chang, "Communications of Chemical Knowledge: Georg Ernst Stahl and the Chemists at the French Academy of Sciences in the First Half of the Eighteenth Century" 135-157
John C. Powers, "Measuring Fire: Herman Boerhaave and the Introduction of Thermometry into Chemistry" 158-177
Matthew Daniel Eddy, "How to See a Diagram: A Visual Anthropology of Chemical Affinity" 178-196
Marco Beretta, "Between the Workshop and the Laboratory: Lavoisier's Network of Instrument Makers" 197-214
Matthew James Crawford, "An Empire's Extract: Chemical Manipulations of Cinchona Bark in the Eighteenth-Century Spanish Atlantic World" 215-229
Hjalmar Fors, "Elements in the Melting Pot: Merging Chemistry, Assaying, and Natural History, Ca. 1730−60" 230-244
Christine Lehman, "Pierre-Joseph Macquer: Chemistry in the French Enlightenment" 245-261
Ursula Klein, "Chemical Expertise: Chemistry in the Royal Prussian Porcelain Manufactory" 262-282
Jonathan Simon, "Pharmacy and Chemistry in the Eighteenth Century: What Lessons for the History of Science?" 283-297
Bernadette Bensaude-Vincent, "Concluding Remarks: A View of the Past through the Lens of the Present" 298-309→私には全部が必読論文ですが、まず、ノリスの論文を読みました。「ヨハネス・マテジウスとヨアキムシュタールの銀鉱におけるスイギン-イオウ原質について」。原質としてのスイギンやイオウを指す場合、イタリックにする (Mercury, Sulphur)という慣習が定着しつつあるようです。日本語では、どうしようかと考えて、私は原質の場合は、カタカナで表記するようにしています。個人的には、合理的な表記法だと考えます。日本語の世界でも定着するといいな!
→ 15.3.20 ノリスの論文の新しさは、もともとは純粋に理論的な存在であったスイギン-イオウ説が、鉱山の現場においても採用されることがあり、鉱物生成の目に見える生資料としてグルが捉えられたこと、さらに、鉱山に多く生じる有毒なガスがスイギン原質の証拠とされたということを明示したことにあります。アグリコラはスイギン-イオウ説に賛同していなかったのですが、同じヨアキムシュタールに住む友人のマテジウスは、アグリコラとは違って、鉱山技師、鉱山職人たちのあいだのスイギン-イオウ説に共感を示していたことを教えてくれています。
→ 15.3.21 ノリスの別の論文をウェブで探しました。グーグルブックスの画面上で読むことができました。
John A. Norris, "The providence of mineral generation in the sermons of Johann Mathesius (1505-1565)," in Martina Kölbl-Ebert (ed.), Geology and Religion: A History of Harmony and Hostility (London: Geological Society of London, 2009): 37-40
「ヨハン・マテジウス(1504-1565) は、ボヘミアの北方の鉱山町ヨアキムシュタール(現在はチェコのヤーヒモフ)のプロテスタント牧師であった。彼の『ザレプタ:鉱山説教』(1562)は、金属、鉱物、鉱山業の様々な側面に関する説教の集成である。その鉱物生成の記述は、「グル理論」を強調するものであった。「グル理論」は、16世紀の鉱山文献で発生し、17世紀18世紀にかけて影響力が大きくなった。説教は、鉱山業と鉱物生成に関する多くの聖書への言及を含んでいる。その言及は、彼の生成説には直接関連しないものだった。そしてその目的は、訓辞的というより、連想的なものであった。こうして、そして金属的鉱物の美と有用性を神の摂理の例と示すことで、マテジウスは、抗夫からなる会衆に仕事の価値ある側面に注意を向けるように促したのである。マテジウスの理論は、鉱物理論、鉱物の同定、鉱物の用語法の考察として意味あるものであった。同時に、後の世紀の地質学理論を特徴づける摂理的解釈の初期の事例としても重要であった。」
アブストラクトをほぼ直訳しました。
ちなみに、この論考の著者住所は、ルクセンブルクになっています。
p.38 今日の観点からは、グルとは、金属の硫化物と硫酸塩の粘度の高いねばねばした液体であって、金属硫化物の酸化とそれを取り巻く岩石の風化作用から生じる。従って、金属成分を多く含み、酸性溶液であり、硫黄の悪臭がする。硫酸が生じてくる金属硫化物の酸化反応は、発熱反応であり、発酵の印だと捉えられた。こうして発生過程が生じていると理解されたのである。アグリコラもパラケルススも「グル」という語は使っていないが、その先駆となるような考え方はあった。最初に「グル」という用語を用いたのは、後の著作家(グラセウス、1661, p. 306)によれば、マテジウスであった。
夜半に目覚めてすこし仕事。今週は春らしい気温になるという予報。ひとりで5時50分、室温12.8度。空気が春らしくなりました。
今日はちいさいちびの部活は朝練だけです。小学生、ちいさいちび、おおきいちびとほぼ連続して帰ってきました。ちいさいちびはお友達をお家に呼びたいと言います。ママに聞いて大丈夫。おおきいちびはホワイトデーのお返しをするためのチョコを買いに行ってから、友達のお見舞いへ。バスケのお友達が比較的近所の病院に入院しています。バスケ部ではないお友達といっしょに自転車でお見舞いに行くのだそうです。小雨模様ですが、電車とバスを乗り継ぐとちょっと不便な場所にあります。小雨決行自転車が正解でしょう。→と思ったら、自転車を置いて傘をもって行きました。雨が結構降ってきたので、これはこれで正解でした。ちなみに、おおきいちびの友達にもコンタクトレンズが怖くて試しに入れることができず、結局購入できないまま帰ってきた子がいるそうです。仲間に恵まれていると言えばよいのかどうか・・・。
おおきいちびは高校入試の得点開示をもらってきていました。中学校の方から一括して高校に要望するとこの時期に入試の正確な得点を知ることができます。
得点は、妻とおおきいちびがふたりで予想したものとほぼ同じでした。
ちなみにネットには、推薦入試の得点分布は開示されています。一般入試はまだですが、塾や予備校の得点分布予想はあり、おおきくはずれてはいないと思われます。訳があって、次のダウンロードした論考を読みました。
中見立夫「学習院における「東洋学」の形成と資料収集・出版をめぐって」『東洋文化研究』16号(2014): 252-282
私は白鳥庫吉という明治の研究者をほとんど知りませんでした。この講演は、白鳥庫吉の活動に焦点をあて、学習院における「東洋学」の形成だけではなく、日本における「東洋学」あるいは「東洋史」の形成について非常に啓発的な内容を有しています。
松本武祝「コメント:<植民地近代>をめぐる近年の研究動向について」『東洋文化研究』10号(2008): 303-306
河かおる「録音資料の「活用」作業に従事して―学習院大学東洋文化研究所所蔵「友邦文庫」録音記録を中心に」『史資料ハブ:地域文化研究:東京外国語大学地域文化研究科21世紀COEプログラム「史資料ハブ地域文化研究拠点」』No.3(2004): 100-106
2004年には私は学習院東洋文化研究所も「友邦文庫」も知らなかったので、講演を聞きに行くことができていません。
中見さんは AA 研の先生、河さんは滋賀県立大学ですが外語のプロジェクトに参加されています。
小倉芳彦「二つの東洋文化研究所と私」『東洋文化研究』第1号(1993): 3-13
ひとりで3時40分、室温12.8度。
ちいさいちびは午前練。朝練と同じ時刻に起きて、同じ時刻に集合するそうです。→6時20分に起こしました。7時過ぎに出かけていきました。[コンタクトレンズがこわい]
おおきいちびが高校で部活をするために眼鏡ではなくコンタクトレンズがよいと言っています。朝のうちに妻と眼科医&コンタクトレンズ屋に行きました。途中で電話がかかってきて、すごく混んでいる、帰るのは3時をすぎるということでした。
私は昼食にご飯を食べましたが、小学生と2時過ぎに帰ってきたちいさいちびはマックがよいというので、11時半過ぎに1度、2時過ぎに1度、マックにチーズバーガーセット+αを買いに行きました。
3時半を過ぎてから、おおきいちびと妻が帰ってきました。何とコンタクトをどうしても入れられずに、今日は買わずに帰ってきたのだそうです。入れられない場合は売らないということのようです。すこし時間をおいてから再度チャレンジしてみるということです。さて、どうなるのでしょうか。おおきいちびの性格からして、半々かなと見ています。
ひとりで5時5分、室温12.4度。室温レベルではけっこう上がりました。小学校も中学校も土曜学校です。子どもたちは授業、妻は見学(学校開放)、と私を除く全員が朝から出動します。ちいさいちびはお弁当を持っていって、そのまま部活。おおきいちびと小学生はたぶん12時半から1時過ぎぐらいで帰ってきます。
ホワイトデー。
小学生のお返しは、昨日妻が買ってきました。息子が世話になった子です。そういう意味もあります。
昨夜のおおきいちびの発言。パパー、明日はホワイトデーだから、ケーキ、買って。女の子同士の友チョコにはさすがにお返しはありません。(といってもしかしたらお返しをする子が現れてしまう恐怖もあります。)自分が食べたいだけですが、子どもたちからすればよい口実ができたという受け止め方になるのでしょう。こういうふうに無意味化してしまうのもわるくはないのかもしれません。
→妻達がでかけたあと、小学生は、自分もつくると言ってホワイトデーのお返しを作りました。人にあげるものですから手伝います。普通のチョコとホワイトチョコを混ぜ合わせて湯煎でとかし、2種類のチョコ菓子をつくりました。どちらも極めて簡単なものです。冷蔵庫で1時間弱冷やしたあと、袋詰めし、早速配りに行きました。
今お世話になっている子と幼稚園のときお世話になっている子です。袋をもって歩いて行きました。どちらも子ども本人はいませんでした。最初のお家はお父さんに、次のお家はあばあちゃんに息子が渡しました。なんちゃって制服。
おおきいちびが高校の入学式のときなんちゃって制服を着ると言います。都立高校は制服のないところも多いのだそうです。友達にも入学式には「なんちゃって制服」を着る子が多いとか。昼食後、おおきいちびと妻が原宿に買い出しに行くことになりました。
私と小学生でお留守番。
5時前後におおきいちびがおおきな紙袋をぶら下げて帰ってきました。ちょうどよいものがあったようです。一式買ってきました。ジャケット、スカート、シャツ、それに靴。ちいさいちびようのシャツも買っていました。原宿のお店でお友達にあったそうです。「なんちゃって制服」組です。公的行事にはこの服を着ることになりそうです。自転車。
古い自転車がかなりぼろくなっているので、通学用の自転車は買ってやる約束になっています。この前買いに行ったときはお店が休みだったり、なかなかうまく時間が合わなかったのですが、服を買ってきてすぐに近所の自転車屋さんに行くことになりました。雨の日に見に来たとき2台まで候補を絞っています。今回はその2台を出してもらって、乗りごごちを確かめました。駕籠と荷台の大きい方を選びました。いわゆるママチャリです。通学にはママチャリで十分です。
本人は自転車に乗って、私は歩いて帰りました。
ひとりで5時15分、室温10.3度。3月なのにまだ寒い、そういうふうに感じる気温です。軽い頭痛があります。昨日からです。花粉症に睡眠不足がたたったようです。さて、昨日の後期日程入試と5連続の会議のあと、大学の公的仕事は、あと一つです。来週の水曜日の研究院教授会だけです。もちろん、入試委員の方や役職者の方はもうすこしあります。そして、26日(木曜日)が卒業式、学位授与式です。長女の卒業式は、ちょうど1週間後、20日の金曜日です。高校入学に向けての手続きは、いろいろあります。
高校でもらってきた書類を読み直し、必要なお金と手続きを確認しました。3月中には、妻と子どもが行くのが1度、子どもだけで行くのが1度です。そして、4月7日に入学式。私は会議の日となります。
ひとりで3時10分、室温10.5度。こんなに早いのは花粉症のせいです。私とちびどもはかなりひどい。妻と小学生はすこしですがきています。
ちびどもを6時20分に起こします。ちいさいちびは朝練、おおきいちびはバスで千葉の牧場に行きます。おおきいちびは牛はいやだこわいと言っています。同じような思いの中学生は一定割合でいると思われます。いっしょにぴーぴー、きゃーきゃー言ってくるのでしょう。お弁当は美味しいお弁当が用意されていて楽しみだそうです。午前中は後期日程入学試験。午後は、会議が続きます。5つ。終了判定、卒業判定、進級判定と続きます。学生諸君の来年度が決まります。
→ちびどもが7時前に出かけていきました。私もその後しばらくして出かけました。7時半武蔵境発の西武線。さすがに同僚の方の顔は見かけませんでした。
大学前のコンビニで昼食を買ってから、研究室へ。集合は9時15分。9時過ぎに研究室をでました。花粉症がきついなか、業務。12時40分頃無事終了。会議のスタートは、2時45分。前の会議が遅れて、終了予定の3時15分に最初の会議が始まりました。簡単に終了しましたが、その後の会議が長引いて、2時間遅れ。最後の言語文化学部教授会は、7時50分にやっと終わりました。急いで帰途につき、8時4分多磨駅発の電車に間に合いました。武蔵境のエスカレーターで同僚の先生に会いました。同じセクションの引退教員(退職される先生)の送別会が吉祥寺であるとのこと。そういう季節です。
花粉症のせいもあり、とても疲れた一日でした。ちなみに、今日はおばあちゃん(私の母)がやってくる予定の日でした。漏電があり、お風呂のぴりぴりがありで、家を離れる気持ちがなくなったようです。お友達といっしょに上京する予定でしたが、昨日の夜の時点で諦めたという連絡がありました。楽しみにしていた小学生はしばらく泣いていました。こういうので泣くのはこの子だけです。おばあちゃんもびっくりしていました。
ひとりで3時35分、室温9.9度。また冬の寒さが舞い戻っています。いつもよりずっとはやく目覚めたのは、花粉症のせいです。目は痒いというより痛い。鼻水もでてきます。息子が起きてきてから、プラスティックゴミ・缶・瓶のゴミを出すため外にでました。雲一つない快晴です。この晴れは、水、木、金と続くようです。
2月に入ってから集中して作業していた事典項目ですが、51点を点検してもらうためアップロードしました。
→事典の執筆ですが、2013年6月8日(土曜日)に最初の項目「ボレリ、ピエール」を執筆しています。夏休みを挟んで作業を継続し、9月7日にそのときの最終項目「飲用金」を執筆しています。
しばらく中断して、次のスタートは、2014年2月4日です。「ガス」を書いています。春休みの間作業を続け、3月末に「明礬」を書いて、その流れの終わりにしています。そのあとは、夏休みに入ってから作業を再開し、8月の間に一定数を執筆しています。
今回の作業をあわせて、総数で200を超えています。
ひとりで5時40分、室温13.4度。新聞をとるために玄関をあけると雨上がりのきれいな空が広がっていました。やっと晴れました。晴れたのはいいのですが、荒れ模様の天候です。風が強い。北日本は春先の嵐に見舞われているようです。
強風が花粉を大量に運んだのでしょう。今日の花粉症は、とても辛い。とくに目がひどく痒い。花粉症では初期症状の息子も目が痒いと言っています。
妻は PTA の仕事。総会だそうです。3時過ぎにでかけていきました。6時過ぎに帰ってきました。これで今期の PTA の仕事はほぼ終わりだそうです。総会のあと、専門家によるスマホやLine の講演会。よい話だったそうです。よい話なのに、出席者が20名程度でちょっと残念だったそうです。
ひとりで5時20分、室温13.3度。ちいさいちびは朝練。気温は上がりました。晴れとまではいきません。→変な天気なので、予報を見ました。午後から雨が降り、夜中まで降り続くようです。昨日妻が頑張って片づけたゴミ袋が10袋。燃えるゴミの日は今日です。早朝に全部出しました。燃えるゴミの収集は早く、8時過ぎに全部持っていってくれました。
ちいさいちびの放課後の部活はなく、3時半前には子どもたち全員が帰ってきました。おおきいちびがやることがないとうるさいので、雨のなか、通学用の自転車を見に、近所の自転車屋さんとヨドバシに連れていってやりました。ついでにロフトにより文房具をすこし、コピスの上の本屋さんにより本を1冊、お茶屋さんでドライフルーツを3袋、エキナカのパン屋さんでパンを一袋、買って帰りました。ロフトやコピスは暖房が効きすぎていて、暑く感じました。
本日は、3項目。
夜半に目覚めてすこし連絡事項。日曜日の朝は、久しぶりに誰も起こす必要がありません。ひとりで5時45分、室温11.7度。地面が濡れています。
息子は昨日は5時55分、今日は6時半に起きてきました。ちびどもも妻も今朝は8時を過ぎるのではないかと予想しています。
午前8時。予想通り、女性陣は誰も下に降りてきません。雨が降り始めました。天気予報によれば午前中は雨の模様。最高気温は昨日とほぼ同じ8度。真冬の寒さが戻ってきています。本日は、たったの1項目。
ひとりで3時55分、室温11.4度。雨が降っています。台所に、ちいさいちびを6時半、おおきいちびを7時に起こすよう、書き置きがありました。バスケ部の3年生を送る会が午前中にあります。
10時からは妻も参加するそうです。妻の帰宅は、1時過ぎ、ちびどもは4時過ぎということです。子どもたちには会食があるということです。
→妻は1時前後、おおきいちびは4時前後、そしてちいさいちびは6時45分頃帰ってきました。ちいさいちびたち現役世代は居残りでシュート練習があったそうです。明日は試合です。ちいさいちびは別の用件があり、試合には行きません。訳があって、再度、事典項目の執筆作業に入っています。本日は3項目執筆しました。
ひとりで4時10分、室温11.7度。昨日帰宅してからおおきいちびは花粉症がかなりつらい様子でした。私も家のなかにずっといるときはそうでもないのですが、一定時間外にでると症状がはっきりと出てきます。我が家で強く出ているのは、私とおおきいちびですが、残りのメンバーにもすこしですが症状がでています。
おおきいちびも私もそして花粉症ではなくジンマシン対策でちいさいちびも薬を飲んでいます。花粉症もジンマシンもアレルギー反応ですから同じ薬を飲んでいます。
→ちいさいちびは軽くすんでいると思ったら、朝起きてきて目が腫れています。昨夜から本格的な花粉症の症状が出てきたようです。鼻をかんだら、鼻血が出たと言います。鼻血はもちろん花粉症とは関係ありませんが、今年の花粉の飛散量は半端ないのでしょう。家族そろってなかなかつらい季節です。大学に用事ができたので、8時半武蔵境発の西武線に乗りました。9時過ぎに3階事務室によって郵便を受け取りました。研究室の片づけにも着手しようかと思ったのですが、やる気がしません。9時40分多磨駅発の電車で帰宅しました。
お昼すぎに次の本が届きました。
原子力技術史研究会
『福島事故に至る原子力開発史』中央大学出版部、2015夕刻、次の本が届きました。
田中純『イメージの自然史:天使から貝殻まで』羽島書店、2010おおきいちび、ちいさいちび、それに付添の妻は、バスケ部の焼き肉パーティ。7時半スタートということです。二十数名集まるそうです。私と息子が二人でお留守番です。
夕食後、高校の書類を確認しました。教科書、体育着等で、最初5万はかかります。私立に行ったらさらに制服等で10万はかかりそうです。
[『化学史研究』最新号, 第42巻第1号(2015)]
3時頃、『化学史研究』の最新号が届きました。第42巻第1号(2015)、通巻では150号です。[巻頭言]吉本秀之「150号刊行に際して」第42巻(2015): 1
[研究ノート]菊池好行「造幣寮硫酸技師フィンチの国際遍歴―系譜学的調査法による―」第42巻(2015): 2-8
[研究ノート]沖久也「グリフィスの福井日記中の"Misaki(三崎)"は誰か?」第42巻(2015): 9-20
[資料]東徹「早稲田大学図書館所蔵宇田川榕庵化学関係資料」第42巻(2015): 21-30
[紹介] 下野葉月「ヒロ・ヒライ&小澤実編著『知のミクロコスモス』中央公論社、2014」第42巻(2015): 31-34
[紹介]坂本邦暢・柴田和宏・中尾暁・住田朋久・中野弘喜「ISIS 特集「科学のグローバル・ヒストリー」 ISIS 101(2010)」第42巻(2015): 34-37
[紹介]中尾暁・脇本圭輔・坂本邦暢・霜川優「ISIS 特集「科学のナショナル・ヒストリーにおける国際的動向」 ISIS 104(2013)」第42巻(2015): 37-39
[紹介]園部利彦「ベルーベ『ナノ・ハイプ狂騒』上下、みすず書房、2009」第42巻(2015): 39-40
[紹介]吉本秀之「『現代科学史大百科事典』2014」第42巻(2015): 41-42
[紹介]山田理絵「平川秀幸『科学は誰のものか』NHK出版、2010」第42巻(2015): 42-44
[紹介]吉本秀之「『日独交流150年の軌跡』雄松堂書店、2013」第42巻(2015): 44-46
[紹介]内田正夫「遠藤正治・加藤僖重・幸田正孝・松田清(執筆)『杏雨書屋所蔵 宇田川榕菴植物学資料の研究』杏雨書屋、2014」第42巻(2015): 46-48
[追悼]古川安・亀山哲也・田島慶三「三浦勇一さんを悼む」第42巻(2015): 49-52
編集後記
年明け早々に悲しい報せがありました。2015年1月5日午前2時50分、食道がんのため2012年の年会で大変お世話になったトクヤマの三浦勇一さんが死去されたというニュースです。1週間ほどしてニュースサイトでも報道されていました。報せを受けて、理事会でメール稟議を行い、古川現会長、亀山前会長、それに古くからつきあいのある田島慶三氏に追悼文をお願いし、1号に掲載することができました。心より冥福をお祈りします。
雑誌冒頭の「150号出版に際して」には書く余裕がありませんでしたが、私がこの学会に入ってもっとも耳学問になったのは、化学工業界の現場で活躍されてきた経営者=ケミストの方々のお話でした。三浦さんの良識に富む発言と暖かい人柄は、脳裏に焼き付いています。生前の三浦さんの応援に応え、学会活動を活きたものにする必要があると感じています。 (吉本秀之)巻頭言:150号刊行に際して
当誌、化学史研究は、この号、すなわち2015年の第1号をもって通算第150号となりました。会長命により、150号記念の文章を書けというお達しがありましたので、編集長として、個人の研究者として考えていることを簡単に記しておきます。 当学会は、1973年冬、化学史研究会として発足しています。翌1974年に『化学史研究』第1号を発行しました。以来、1974年と1975年には2号、1976年と1977年には1号を出版しています。1978年には2号、1979年、1980年、1981年には3号を出しています。そして、1982年から現在と同じく季刊となり1年に4号を発行しています。通算100号は2002年に迎えており、古川安現会長の「100号刊行に際して」という巻頭言の他、アメリカと代表的化学史家サックリーならびに英国の代表的化学史家モリスからのメッセージも掲載しています。
季刊体制を守ることができれば、干支の一周で48号になりますから、12年プラス半年で50号が追加されます。
年会でも会誌でも何度もご案内したように、2013年が創立40周年にあたり、理事会を中心に創立40周年行事を企画し、実行しています。まず、2013年7月に東京電機大学の新キャンパスで創立40周年記念シンポジウムを開催しました。この号が会員のみなさまのお手元に届く頃には、事務局長を7年にわたり務められた東工大の梶雅範氏を中心とする化学史国際ワークショップ「1920年代から1960年代における化学の変容」が3月上旬に無事開催されたと学会サイト上で報告することができていると思われます。
創立40周年記念事業としてはもっとも時間がかかっている世界で最初の化学史事典の編纂ですが、最後の追い込み作業に入っています。年会に間に合うようにという掛け声のもと、最後の作業に入っています。遠からずご披露することができるのでないかと思っています。40周年記念事業のあとのことは、まだ理事会でも話題になっていませんが、日本社会全体と同じく人口減少(会員減少)と高齢化の進行の事実にも関わらず、もうしばらくは持ちこたえられるように思われます。
個人的に私自身は、修士論文として「ボイルの自然哲学」(1983年1月提出)を書いて博士課程に進学したあと、ボイルであればどういうテーマでもよいので会に入って論文を書かれませんかと誘われて入会したように記憶しています。たしか、故藤井清久氏にそのように言われたのではないかと思っています。そして、1986年の第3号に「ロバート・ボイルの質の理論 ―一次性質・二次性質の区別の分析― 」という論文を掲載してもらいました。その後、いつとははっきりと覚えていませんが、理事会に誘われ、議事録作成の仕事を仰せつかりました。今名誉会員の鎌谷親善氏に議事録作成の仕方等いろいろ叱咤激励(叱責)されたことをよく覚えています。私が会に参加したときには、私はボイル研究者ではあっても化学史研究者とは言えなかったと思いますが、この学会で活動を続ける間に、半分ぐらいは化学史研究者になったと言えるかと思います。
会の活動そのものに話を戻しましょう。会員数300人弱の学会で季刊を守っている学会を私はほかに知りません。この規模の学会だとほぼ1年に1号です。研究を計るとき、量的尺度も大切です。可能な限り、この季刊体制を守ることができればいいなと思っています。財政基盤等弱点はありますが、こうしたよい点を守り、ところによっては伸ばすことができれば、日本の知的世界に価値ある貢献がなすことができると考えています。
吉本秀之→15.3.8 編集委員会や理事会で提言し、了承してもらったことですが、まだ実現できていないことがあります。
ひとつは、設立(1973年)以前の古典的化学史の著作のレビューです。たとえば、私の分野に引きつけて言えば、マリー・オアズ・ホールの『ロバート・ボイルと17世紀の化学』は1958年の刊行です。当然、『化学史研究』にはレビューがありません。こうしたものをしっかりと着実にレビューしていきたいと思います。
ご賛同いただける方、是非、手を挙げて下さい。原稿を掲載していきたいと思います。
もうひとつは、設立(1973年)以前の日本の化学史研究の状況です。化学史学の一環ということになります。
別のテーマは、古代・中世・アラビア・初期近代の錬金術/化学史です。『化学史研究』の編集委員会にも化学史学会にも私以前の古い時代をやっている方がほぼいません。
「西洋の化学者」、「日本の化学者」というシリーズはあります。化学史伝もあってよいと思っています。私の近いところでは、パーゲルやディーバス。他にマルソーフやサックリー、等々。
日本のことを研究されている方は一定数いますが、中国、インド、イスラム圏となると途端にごく少数となります。参考までに、 『化学史研究』書評一覧 を作ってみました。
ひとりで5時50分、室温11.6度。ちいさいちびの朝練。6時20分に起こしました。姉が熟睡するなかすぐに起きて自分で準備して6時50分にでかけていきました。木曜日には朝練があり、放課後に普通の練習があります。午前中から、片づけに着手しました。台所、私の部屋、小学生の部屋。妻も私とは独自に片づけを始めました。ダイニング。片づけは疲れます。ゴミ袋には、それぞれ半分近くまで主として紙が入りました。そのあたりで昼食。ひとやすみ。
→片づけは、私は得意ではなく、妻の方がずっとうまい。私が一袋もできないうちに、妻が3袋完成していました。ちびどもが小学生のときのものは、相当片づけたようです。さて、私の仕事ですが、次は、3月12日後期日程入試(午前中)と教授会(午後ずっと)です。学部と大学院の会議が4つ続きます。
都立高校。
入学料は、5,650円。
授業料は、118,800円。
他に、学校毎に、修学旅行費積立金、生徒会費、PTA 会費、(定時制の給食費等)の学校徴収金がある、とあります。私立に比べると、段違いに安い。→15.3.13 娘の行く学校では、教科書代や服代は次の通知がありました。
教科書代 \32,200
体育着 \19,160
白衣 \1,300
小計 \52,660
(芸術系の教科書は、選択で分かれますが、千円前後です。)
夜半に目覚めてすこし片づけもの。雨が降っています。天気予報の通りです。明日の朝には上がるそうです。ひとりで6時、室温10.3度。本日の最高気温予報は19度です。春です。
朝のうちに次の本が届きました。
水野英子・丸山昭監修『トキワ荘パワー!』 (Feelコミックス ロマ×プリコレクション)
祥伝社、2010
巨匠たちが描いた幻の少女マンガ作品を一挙掲載!! と帯にあり、実際、手塚治虫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、つのだじろう、藤子・F・不二雄、水野英子、よこたとくお、いずみあすか、U.マイアの作品が収録されています。
この本を受け取るために、玄関を開けると、来ました。花粉です。いきなり目が痒くなりました。花粉に関しては、雨上がりの高温と飛散量が増える条件が整っています。できるだけ花粉の浴びないように行動します。教授会の日。
息子が帰宅するのを待って、すぐに飛び出します。→息子が予定通り2時5分に帰ってきてくれました。留守番を頼んで、すぐに飛び出し、2時30分武蔵境発の西武線に間に合いました。多磨駅には2時35分に着きます。まず、事務棟4階へ行ってチケット代金の支払い。下まで降りて、重要書類を受け取り、研究室へ。メインマシーンのメール受け取り機能が回復していないことだけ確認して、今度は研究講義棟3階の事務室へ書類を提出。そのまま教授会へ。3時から。案件が少なかったので、1時間かかりませんでした。急いで駅に向かいましたが、ちょうど電車が出たばかりです。ホームの端っこに立って大学の方を見ていると、タクシーのような、タクシーにしては車の上の円形のものが大きすぎる車が動いていました。グーグルストリートビューの撮影でした。たしかに多くの路地をなめるように走っていました。グーグルストリートビュー撮影カーを見るのは初めてです。車のなかははっきりとは見えませんでしたが、運転手ひとりだったように思われます。
4時4分多磨駅発の電車で帰途へ。三鷹駅でちょっとした買い物をしてから、帰宅。おおきいちびが片づけを開始していました。ただし、この片づけはおおきいちびだけでは終わりません。片づけ隊長の手伝いがいります。教授会のはじまる直前、研究院長より、簡単に仕事の説明を受けました。私は、研究科長は兼ねないそうです。したがって研究科協議会には出席しなくてよいそうです。ただし、大学院の企画運営室会議には出席してください。そして、留学生委員会、学生委員会、グローバルキャリアセンター運営委員会にも出席してください、ということでした。
→15.3.6 あとから、連携講座運営委員もお願いするというメールが来ました。一応意思を確認するとありましたが、断ることができる雰囲気ではありませんでした。
→仕事の量を見積もるために、今月の会議一覧表で、上記の会議日程を抜き書きしてみます。
3月3日(火曜日)4時より、留学生委員会
3月4日(水曜日)12時40分より、企画運営会議、14時30分より、研究院臨時評議会
3月5日(木曜日)13時より、人事委員会
3月10日(火曜日)16時半より、学生委員会
3月11日(水曜日)14時40分より、協議会・教授会事前打ち合わせ
3月12日(木曜日)14時より、研究科協議会、その後教授会
3月17日(火曜日)9時半より、大学執行部との懇談会、13時より、協議会・教授会事前打ち合わせ、15時より、人事委員会・大学院学部連絡会議
3月18日(水曜日)13時より協議会、その後教授会、その後退職教員送別会
以上、火曜日、水曜日は、ほぼ何か会議があるという感じです。
ひとりで5時20分、室温10.8度。[本格的花粉症、きたる]
昨夜はおおきいちびといっしょに花粉症に苦しんでいました。花粉の飛散量は正確にはわかりませんが、天気予報でもピークと言っていた外の空気に1時間半近く触れていました。夕食時になってひどくなりました。おおきいちびの合格祝いに駅前の飲み屋で外食しましたが、相当ひどい状態でした。あ、くるな、という感覚があったので、薬は昼1錠、夜に1錠飲んでいます。今日も外出します。3日間ある「国際化学史ワークショップ」にフルに参加できるのは今日だけです。薬をもって参加します。[IWHC2015 Tokyo]
ちなみに、「国際化学史ワークショップ」(2015、東工大)は、9時から6時までです。ほぼずっと会場にいるつもりです。
→7時半に家をでて、8時20分に東工大に着きました。大岡山駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、会場へ。ちょうど8時半に着きました。さすがにまだ見えている方は少ないが、スタッフの方の他に数名はいました。
想定内ですが、少しずつ、時間はずれました。ずれは、比較的大きくとっているコーヒーブレイクで吸収するという計画です。
本日に関して言えば、11名の発表者のうち、5人が日本人でした。(日系アメリカ人の方がいましたが、その方はカウントしていません。)英語も内容も十分な水準に達していたと思います。
一度、ワイヤレスの混線があり、他会場(または他の場所)の音声がスピーカーから流れたことがありました。それ以外は、トラブルもなく、順調に進みました。
花粉症対策もあり、基本会場のなかにいました。
5時45分頃終了し、レセプションには参加せず、そのまま帰宅しました。三輪さん、吉田さんが同じパターンで、大岡山の駅までいっしょに歩きました。
6時45分に帰り着きました。すぐにお風呂。お風呂を出ると、ちびどもが帰ってきていました。おおきいちびも受験が終わったので、部活に参加し、いっしょに帰ってきたものです。入部して11ヶ月の1年生と引退して7ヶ月の3年生だと、1年生の方が上回っているところがあるようです。なんかいろいろ言っていました。
ひとりで5時5分前、室温12.1度。朝練に行くちいさいちびを6時20分に起こします。朝のうちに、昨日届いた、荒俣宏編著『日本まんが 第壱巻: 「先駆者」たちの挑戦東海大学出版部、2015、の水野英子さんのところを読みました。私は、あまり知らない作家の方ですが、荒俣さんが水野さんに行ったインタービューがすばらしい。文化が生まれる場所が、ほんとうにたいへんなことになっています。
→留守番をしながら、『日本まんが 第壱巻』の最後、水木しげるさんのところを読みました。いうことなし。みずきのおっちゃんはいうことなしです。[都立高校一般入試合格発表日]
都立高校の発表日。受験日と同じく私がついていくことになりました。発表は9時。9時2分前に現場に着きました。花粉症の人間にとってはいちばん大変な日。雨上がりの晴れ、しかも風が強い。今年のピークかもしれません。
合格していました。やれやれ。
お友達は合格した子もダメだった子もいます。友達の女の子は、受かっても泣き、落ちても泣いていました。
帰宅してしばらくしてから、お金の支払いに行ってきました。2件。大きいお金はもうすこしあとになるようです。
合格したことを田舎の母(おおきいちびのおばあちゃん)に電話したところ、12日(木曜日)に近所のお友達といっしょに東京にやってくることが決まったと言っていました。私は後期入試&教授会の日です。
→妻が塾でもらった資料とネットに掲載されている分析をもとに、都立高校の合格判定について相当調べていました。話は聞いたので、おおよそのところがつかめました。それぞれの高校について大きな傾向は決まっています。もちろん具体的な人間が関与しますから、年度毎にすこしの上下はあります。
世の中には終わってからわかるということがあります。
長女の受験が終わってから、都立高校入試について、おおまかなところがわかりました。推薦入試についてもおおよそはわかりました。ここでは一言だけ。準備せずに推薦入試に応募するのは止めた方が賢明だと思います。[国際化学史ワークショップ、本日開催。5日(水)まで]
国際化学史ワークショップ(http://kagakushi.org/iwhc2015/)がいよいよ本日、東京工業大学で開催されます。テーマは、20世紀化学の変容です。
当日登録も受けつけています。午後からなので、これからでも間に合います。お時間のある方は是非足を運んで下さい。
ひとりで5時5分前、室温12.3度。とうとう3月です。
おおきいちびが友達と遊びに行くということで、6時半に起こして欲しいという書き置きがありました。→遊びに行くときは目覚めるのでしょう、自分で6時半前に起きていました。すぐあと、小学生がばたばたと起きてきました。おおきいちびはバスで上石神井まで行ってから西武線で入間まで行くそうです。[荒俣宏、日本まんがの創始者たちにインタービューする]
朝一番の便で次の3冊が届きました。
荒俣宏編著『日本まんが 第壱巻: 「先駆者」たちの挑戦』東海大学出版部、2015
荒俣宏編著『日本まんが 第弐巻: 男が燃えた ! 泣いた ! 笑った ! 』東海大学出版部、2015
荒俣宏編著『日本まんが 第参巻: きらめく少女の瞳』東海大学出版部、2015
荒俣宏が、清水勲・やなせたかし・ちばてつや・水野英子・水木しげる(第1巻)、さいとうたかを・松本零士・平田弘史・ばろん吉元・みなもと太郎(第2巻)、里中満智子・竹宮恵子・萩尾望都・高橋真琴・楳図かずお(第3巻)にインタービューしたものです。荒俣宏だからできる貴重な仕事です。
→てもとに3冊積み上げているので、まず、ちばてつやさんのところから読み始めました。あー、これは、おもしろい。ちばさんはいま大学で先生をして、まんがを教えているそうです。
→つぎに、やなせたかしさんのところを読みました。荒俣さんの準備も半端ありませんが、やなせさんは、ほんとう、いいな。
こういうのを解説するのは、やなせんさんの気持ちに反すると思います。できるだけ多くの人が自分の目で読んでくれると、いいな。
→就寝前に、清水勲さんのところと読みました。清水さんて誰と思っていましたが、漫画史研究家の方でした。
なお、出版社は、東海大学出版部です。これは、歴史に残るよい仕事です。[総合国際学研究院の副研究院長]
学内的には2月18日の研究院教授会で知らされたことですが、私は、来月から総合国際学研究院の副研究院長(兼言語文化部門長、副研究科長)になります。具体的にどの程度の仕事量になるのかわかりませんが、授業2コマ分(通年)は免除されます。ゼミだけ担当する形になります。
今一生懸命片づけをしているのは、もちろん、そもそも片づけが必要だということもあるのですが、自分の部屋のなかに新しい仕事の空間を作るためでもあります。
学期の間、頭のなかの一番大きな部分を占めるのは、講義で何をどう話すかということです。前向きな気持ちになれているときには、新しい話をできるだけするようにしています。教育においてもチャレンジが重要だと考えていることによります。
その講義は別の方に代替してもらいます。そのあいた部分に同じ大きさで新しい仕事が入ってくるのかどうかははじまってみないとなんとも言えませんが、仕事空間としてはそういう配置になります。前に作業した編集後記のアップロードですが、2007年から2014年までアップデートしました。最新のものに届いたわけです。
編集後記 1999-2014
ただし、一部ファイルが見つからず、欠けている箇所があります。ひとつは、私が編集実務を担当していなかったところ、もうひとつは(たまにやってしまうのですが)ファイル名を変えずに上書き保存して古いファイルが消えてしまったものです。
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