ひとりで5時10分、室温15.9度。とうとう、2015年度の学年の最終日。
息子が5時50分に起きてきました。早すぎるので、ソファーの上で横にならせました。6時半ぐらいまでは寝てもらう必要があります。正午に次の本が届きました。
Frédérique Aït-Touati , Contes de la Lune: Essai sur la fiction et la science modernes, Gallimard, 2011夕食前に次の雑誌に買いにでました。セイユウの隣の本屋さん。買ったのは、『サイゾー』2016年4月号です。読みたかったのは、小原真史「写真時評:過去から見る現在、写真による時事批評〜モンタージュ過去×現在〜」です。トルボットの『自然の鉛筆』を取りあげています。1844年から46年にかけて分冊形式で出版された最初の写真集『自然の鉛筆』には、トルボット(昔は、タルボット)が発明した「カロタイプが直接のりで貼り付けられていた。」(p.103)
すなわち、ポジがそのままページに貼られていたということです。こういう事実が歴史的想像力を刺激します。[ヘッドリック4冊]
せっかくですので、ヘッドリクの訳書4冊を挙げておきます。
D. R. ヘッドリク『インヴィジブル・ウェポン : 電信と情報の世界史1851-1945』横井勝彦, 渡辺昭一訳, 日本経済評論社, 2013
D. R. ヘッドリク『情報時代の到来 : 「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー 』塚原東吾, 隠岐さや香訳, 法政大学出版局, 2011
D.R. ヘッドリク『進歩の触手 : 帝国主義時代の技術移転』 原田勝正ほか訳, 日本経済評論社, 2005
D.R. ヘッドリク『帝国の手先 : ヨーロッパ膨張と技術』 原田勝正, 多田博一, 老川慶喜訳, 日本経済評論社, 1989
ひとりで4時50分、室温15.1度。[つかのまの春休み]
昨夜久しぶりにすこしだけ飲み過ぎたので、声がしっかりとは出なくなり、体中のアルデヒドが分解しきれていません。小学生、妻、おおきいちびが起きてきて、朝食を食べている間に、もう一度布団にもぐることにしました。次に起きて9時。入学式が4月3日、オリエンテーションが4月4日です。つかのまの春休みです。休憩を取りながら、ヘッドリック『情報時代の到来:「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー』を読了しました。5章、4章、2章、1章、3章、6章、7章の順に読みました。7章は、記憶がありませんが、昔一度読んでいました。線が引いていて、書き込みがあります。ただし、読んだ日にちが入っていないので、いつ読んだのかは不明です。今回、もう一度読み直しました。
ひとりで4時30分、室温14.4度。今日は一日仕事。
午前10時に予定されていた学生との面談は、学生からインフルエンザに罹ったという連絡があり、延期。すこしゆっくりめで動き、9時54分武蔵境発の西武線。研究所でスキャンをしてから、研究科長室へ。オリエンテーションの打ち合わせ。研究院執行部3人で昼食。踏切前の中華屋さん。それから、すこし歩いて、花見。一分咲きから三分咲きぐらいでした。図書館後ろ、キャンパス内の桜が一本、ほぼ満開でした。
研究講義棟では、四階の大学院生スペースを見学しました。かなり規模の大きい工事をしています。ぐるっと一周見学しました。それから、研究室に戻り、資料の整理をすこし。飽きたあたりで、帰途。2時50分多磨駅発の電車に乗りました。[追いコン]
帰宅し、しばらく休みました。それからお風呂に入り、6時25分頃、家をでました。吉祥寺の南口で待ち合わせをし、追い出しコンパ。一人が本日病気、もう一人が用事が入ったということで、総計5人でした。卒業生の半分が集まった感じになります。
いつもそうですが、卒業できるかすこし心配だった学生がいました。しかし、全員、無事卒業できていました。社会に巣立つことができて、ほっとしています。
午後、7時から10時まで。コンパは久しぶりで、すこし飲み過ぎた気がします。
帰宅すると妻とおおきいちびが話をしていました。私は着替えてすぐに就寝。妻はお風呂に入りました。
ひとりで4時55分、室温14.2度。3月の最後の週がはじまります。このあと、新学期までは怒濤です。私は午前中に歯医者。小学生は幼稚園の同窓会。ちいさいちびは昨日に続き、塾。おおきいちびは普通に部活。
私の歯医者は、11時45分から。40分近くかかったでしょうか。30分は食事を控えて下さいと言われたので、ちいさいちびが塾から帰ってくるのを待って昼食。1時15分頃。
駒場の図書館に行くこととしました。2階の参考図書コーナーで、『スクリブナー思想史大事典』(丸善出版、2016)全10巻を見ました。私も1項目(「化学」)翻訳していますが、実物を見るのは初めてです。ページは通し番号でついていました。すなわち、巻には分かれていますが、全体でひとつのページ番号です。私の訳出した「化学」は第2巻で、pp.461-468でした。手元にあった方がよかろうと思い、数カ所コピーを取りました。終了して、図書館利用票を返却しました。非常勤をつとめていたのは、9月の途中からです。半年分は利用できるということのようです。
次に生協によって、新学期用の文房具をすこしだけ購入。
4時ちょうどの井の頭線に乗車。吉祥寺で、パンを買ってから帰宅。小学生が床につく時刻、雷。そうとうにひかり、非常に大きな音が鳴っています。しかも、雹。屋根をたたく音がはっきり聞こえます。ちびどもの就寝の頃には止んでいました。
ひとりで4時、室温13.3度。
息子はほぼふだんとおり、6時過ぎに起きてきました。おおきいちびは7時半ぐらい、妻は8時前。塾のあるちいさいちびをすぐに起こしました。ちいさいちびは午前中春期講習。9時前にでかけました。おおきいちびは10時半に友達と待ち合わせして遊ぶそうです。
私は10時ぐらいにゲラ(再校)を出版社に送り戻しました。駅前のセブンイレブン。そのままセイユウで昼食の買い物。正午前後に次の本が届きました。
志野好伸(編)+内山直樹+土屋昌明+寥肇亨『聖と狂:聖人・真人・狂者』法政大学出版局、2016
ご高配いただいた、内山直樹さん、ありがとうございます。
この本は、法政大学出版局が出しているシリーズ・[キーワードで読む中国古典]の3巻目という位置付けです。シリーズの第1巻が『コスモロギア:天・化・時』、第2巻が『人ならぬもの:鬼・禽獣・石』です。どちらも興味のひかれる巻です。
→せっかくなので、このシリーズを見てみました。第4巻は『あらわれのアルス:志・情・意』、第5巻は『治乱のヒストリア』が予定されています。一応、本年度の刊行を計画しているようです。[片づけ]
暖かくなったら着手しようと思っていた、私の部屋の片づけに手をつけました。学会の仕事で必要なものを探し出した時点で一度ストップ。片づけの途中で出現した、ヘッドリック『情報時代の到来:「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー』(塚原東吾・ 隠岐さや香訳、法政大学出版局、2011)を読んでおくことにしました。
ヘッドリックのまとめによると、本書は「情報を組織すること、変換すること、表示すること、保存すること、伝達することを各章のテーマとして、これらの機能を果たしているいくつかの事例研究」を示しています。情報の組織化(第2章)では「科学の言葉」としてリンネの分類法やラヴォワジェの化学革命(新しい化学言語)が扱われています。情報の変換(第3章)では「統計の起源」が扱われています。情報の表示(第4章)では「地図とグラフ」が扱われています。情報の保存(第5章)では「辞書と百科事典」が扱われています。そして、情報の伝達(第6章)では「郵便と電信のシステム」が扱われています。本のメーンタイトル『情報時代の到来』もサブタイトル「「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー」も内容をよく伝えるものにはなっていません。しかし、章毎にこういうふうにまとめると、重要な書物だということが見えてくると思います。この本がもし十分な注目を浴びていないのであるとすれば、タイトルの問題が大きいように思われます。
→p.10 知や思想についての歴史家たちは啓蒙運動を知識人たち[ヴォルテール、カント、ディドロ、モーツァルト、ルソー、ラヴォアジェなどの有名人]とその思想の歴史として書いてきたのである。{注10:カッシーラーやゲイなど、啓蒙の思想史の代表的著作を取りあげる}
しかし、そのほかの知的な変化にはほとんど注意が払われなかった。なぜならそういった変化は印象が薄く、論争の価値があまりなかったので、当然とみなされてしまったからだ。これはつまり、情報の需要と供給、そしてその組織化についてである。
p.10 新しい情報システムは1700〜1850年の間に現われた。
p.13 情報量が増加してゆくとこんどは、それを扱う方法、つまり情報システムにおける革新が起こった。{注の12}それゆえに、科学的分類法、地図製作法、辞書編纂法、統計学、そして郵便といったものが発達し、「理性と革命の時代」を特徴づけた。
p.14 ほかにも情報革命への貢献を認識されるに値する、長く忘れられた思想家たい、たとえばヴィンセンツォ・マルコ・コロネッリ(百科辞典編集者)、トビアス・マイヤー(数学者)、そしてグラフの記載法を発明したウィリアム・プレイフェアなどがいる。
ひとりで5時50分、室温12.4度。
小学生はいつも通り6時半頃に起きてきました。朝の間にセイユウに買い物。帰り道、みぞれのような、あめのようなものがすこしだけ舞っていました。
おおきいちびは8時過ぎに起きてきて、荻窪の整骨院に行くと言っています。
午前中に次の本が届きました。
アドリア・ペトリーナ『曝された生:チェルノブイリ後の生物学的市民』粥川準二監修、森本麻衣子・若松文貴訳、人文書院、2016夕方、おおきいちびのバッシュを買いに行きました。吉祥寺のスポーツ用品専門店。行き慣れたお店です。吉祥寺の駅ビルで、まず、課題図書を買いました。春休みの宿題で、レポートかなにかを書かないといけないそうです。スポーツ店は、今日混んでいました。売場のおねえさんは丁寧に対応してくれました。30分ぐらいかかったでしょうか。
駅ビルに戻り、立川方面寄りのパン屋さんでパンをけっこう多く買い、西荻のエキナカで大福を買って帰りました。吉祥寺は相当の人出でした。
ひとりで5時20分、室温12.0度。
小学生は本日から春休み。午後ママといっしょに映画に行きます。
ちいさいちびとおおきいちびは、本日が終了式。朝一番(9時)でゲラが届きました。すぐに、届いたゲラと格闘しています。
ゲラが届くまでの間で、学会(年会)の仕事を1点こなしました。郵便物を1点投函する必要があり、10時過ぎに、郵便局に行って来ました。気温は上がっていませんが、快晴です。日射しが暖かいので、冬の寒さではありませんが、風が吹くと、寒い。投函後、本屋さんによって、息子の欲しがっていたころころと雑誌を2冊買いました。
午前中にちいさいちびが帰ってきました。ひさしぶりにテレビの前に座り込んでいます。夜、バスケ部の焼き肉パーティ。
おおきいちびは帰宅部の帰宅する時刻に帰宅。妻は疲れているのに動いたせいでダウン。
9時45分ぐらいにちいさいちびはバスケ部の打ち上げから帰ってきました。あとはおおきいちびにまかせて、私と小学生は就寝。
ひとりで4時、室温14.2度。昨夜のおおきいちびによれば、寒の戻りがあるそうですが、室温ではまだわかりません。ちいさいちびは普通に学校。小学生は終了式。おおきいちびは朝一番で医院に行って花粉症の薬をもらってきました。それから現地集合で高校の文化活動。演劇を見るようです。その後、クラスの打ち上げだそうです。どこでなにをしてくるのやら。
朝のうちに、日曜日からずっと少しずつ作業をしていたものを送り出しました。昨日夜遅く帰り着いたら、必要なファイルが届いていました。早朝のうちに必要な手を加えて、印刷所に発送しました。
その後、ゲラと格闘しています。大学は、卒業式です。午前と午後の2部制となっています。
本日は、春まえのもっとも寒い日ということでした。日中の外の気温が数度だったようです。
ひとりで5時5分、室温14.1度。会議の日。急遽、午前中にも会議が入ったので、終日会議。会議終了後、退職教員を送る会。ですから、本日は、朝から夜まで、となります。
9時6分に中央線が武蔵境駅につきました。駅の外にでて、昼食のパンを買い(レシートの時間は9時11分)、西武線に乗り込みました。同僚の先生が二人、乗っておられました。大学前のコンビニでコーヒーを買って(スリーエフ、レシートの時刻は9時30分)から大学へ。
朝の会議は、10時から。議長がいなくなって11時で終了。午後の会議は、12時40分から。次の会議まで15分の休みが生じました。
本年度最後の教授会は、2時20分開始。もめるのは覚悟していました。5時20分ぐらいまでかかりました。その後、生協で送別会。5時スタートの予定でしたが、始まったのは6時でした。
2次会にも参加し、9時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。2次会はまだ宴会途中でしたが、お暇してきました。
ひとりで5時40分、室温12.7度。おおきいちびは朝練。午前中に歯医者、午後に会議。
歯医者さんは、朝一番、すなわち9時半から。今回も1時間以上、歯医者さんの椅子に座って口を開け、治療を受けていました。コアがきちんと入っているのをレントゲンで確かめて終了。帰宅すると、ダウン中の妻が起きて、活動していました。なんとか動けるようになったそうです。荷物を用意して、大学へ。11時30分武蔵境発の西武線。
会議は12時40分開始だったのですが、担当事務の方から電話があって1時からに変更になったそうです。朝の会議が12時半まで延びたそうです。もめる案件が発生したのだそうです。
その会議はそれほど時間がかからずすみました。
次の会議は2時半から。いつもはすぐにすむのですが、こちらは、案件が多く、3時5分ぐらいまでかかりました。4時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。久しぶりに学校に行った息子が疲れたと言っています。私も疲れました。
ひとりで6時5分、室温14.4度。昨夜、息子といっしょにテレビを見てしまったので朝が遅くなりました。曇り。[ちいさいちびの自転車]
ちいさいちびの自転車がかなりひどい状態です。以前からいつもで買い換えてやるとは言っています。今日の天気はいまいちですが、午後友達と自転車ででかけるので新しいのがよいと言います。お店が開く朝一番で古い自転車に乗ってでかけました。私は徒歩。
一通り見て、色で選びました。変速なしのママチャリ系です。近所でたまに乗るだけですから、これで十分でしょう。夕方、次の本を読み通しました。
矢守克也・宮本匠編 『現場で作る減災学 :共同実践の五つのフロンティア』(新曜社、2016)
良くできた本です。実践を報告し、実践を促す本です。
もとは、京都大学防災研究所が文部科学省の特別経費により、2012年度から15年 度まで4年間にわたって行った「減災社会プロジェクト」(正式名称:「巨大地震津波災害に備える次世代型防災・減災社会形成のための研究事業―先端的防災研究 と地域防災活動との相互参画型実践を通して―」、研究代表者:矢守克也)です。その成果がこういう形で出版されたわけです。
ひとりで5時、室温17.1度。おおきいちびを5時半に起こします。練習試合で八王子のさらに先に行くそうです。高校は現地集合です。遠い子は、5時前に起きなければなりません。部活もなかなかたいへんです。→4時過ぎに帰ってきました。杉花粉のまっただ中に行ってしまったということでした。二人、花粉症がひどい部員がいて、二人で大変な目にあったそうです。八王子は地獄だと言っていました。
夜は、1年生クラスの打ち上げに行くそうです。昨日届いた『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』から、まず、「はじめに」と最終章の中村和生「科学社会学における「社会」概念の変遷」を読みました。個人的には、全体として行おうとしていることはとてもよくわかります。私の問題関心にフィットします。「科学社会学における「社会」概念の変遷」はもう一歩の切れ味を期待したのですが、すこしながれているように感じました。「社会」概念の変遷にもう一段強い光を当ててほしかったというところです。
ちなみに、もっとも力を入れて分析されているのは、ラトゥールです。その部分は、とても勉強になりました。しかし、どうして松本三和夫さんの『科学社会学の理論』がどこにも取りあげられていないのか不思議でした。
ひとりで5時30分、室温17.4度。ちいさいちびは午後部活。おおきいちびは「さんそう」。え、なに、ですが、3年生を送る会、略して「3送」ということです。バスケ部の「3送」です。父兄も参加と言うことで、妻もあとから行きます。なお、おおきいちびの高校は昨日まで「クラマ」。クラスマッチです。高校生文化に接していなければ、これはなかなかわかりません。
私は午後編集委員会と理事会。東工大に行きます。
→1時に家をでて、2時ちょっとすぎに現地に着きました。編集委員会は、3時まで。3時過ぎから理事会。理事会終了後、ちょっとした懇談会があり、6時過ぎに終了。7時過ぎに帰ってくることができました。帰宅すると、次の本が届いていました。
酒井泰斗・浦野 茂・前田泰樹・中村和生 編『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版、2009
目次は、次の通りです。
浦野 茂「類型から集団へ ──人種をめぐる社会と科学──」
前田泰樹「遺伝学的知識と病いの語り ──知識と経験をめぐるメンバーシップ・カテゴリー化」
安藤太郎「医療者の〈専門性〉と患者の〈経験〉」
喜多加実代「触法精神障害者の「責任」と「裁判を受ける権利」 ──裁判と処罰を望むのはだれなのか──」
小宮友根「「被害」の経験と「自由」の概念のレリヴァンス」
上谷香陽「化粧と性別 ──〈素肌〉を見るやり方──」
石井幸夫「優生学の作動形式 ──永井潜の言説について──」
中村和生「科学社会学における「社会」概念の変遷」
最後の方が、科学社会学を扱っています。全体としては、SSKにかなり近い。
ひとりで5時30分、室温14.8度。妻を6時に起こします。
ちいさいちびは3年生の卒業式に出ます。遅くでて、すぐに帰ってくるそうです。おおきいちびはクラスマッチの最終日。駅伝に出ると言っています。駅伝といっても一人の距離は800メートル程度だそうです。普通にリレーです。ただし、学校を一周する外の道路を走るので、駅伝と呼んでいるそうです。連日張り切っていたので、足が痛い、足が痛いと言っています。ちいさいちびが帰ってくるのを待って、大学にでかけました。郵便物をとってくる必要があります。1時54分武蔵境発の西武線。メールボックスには4点の郵便物がありました。研究室に行って、しばらくパソコンの画面で事務処理。1時間弱で帰途。3時4分多磨駅発の電車に乗り、三鷹で特急待ちになったので、三鷹駅構内でパンを買って帰りました。
帰ってからは明日の編集委員会の準備。これがけっこういろいろあります。
ひとりで5時28分、室温13.1度。すぐに妻とおおきいちびを起こしました。小学生もおきました。雨戸を開けるとすばらしい日射しが見えます。晴れて暖かくなります。お昼ご飯に外にでて、ついでにこの前の火事のあとを見てきました。西荻南郵便局の隣の建物でした。2軒が焼けています。片方には、お花が飾っています。店主のおじいちゃんが焼け死んだ理髪店の方でしょう。
ひとりで4時25分、室温12.3度。水曜日ですが、本日も珍しく会議がありません。土曜日の後期日程入試後に全部すませた形になっています。ともかく、たすかります。薄曇りの晴れ。おおきいちびは今日も朝練にでかけました。ちいさいちびと小学生はいつもと同じですが、二人とも、鼻水と咳。風邪気味です。
午後、次の本が届きました。
Frédérique Aït-Touati et Stephen Gaukroger, Le Monde en image: Voir, représenter, savoir, de Descartes à Leibniz, Paris, 2015夕刻、次の本が届きました。
ぬで島 次郎『これからの死に方』 平凡社新書、2016[『化学史研究』2016年第1号]
本日、『化学史研究』第43巻第1号(2016年)が発行されました。目次は次の通りです。[論文] Mary Jo Nye 「先端研究のリーダーであり続けた研究経歴:ライナス・ポーリングと20世紀における化学の変容」第43巻(2016): 1-13
[論文] 井上尚之「高分子産業のオールジャパン体制を作った男−荒井溪吉」第43巻(2016): 14-35
[評伝]川島慶子「マリー・キュリー:ポロニウムの発見と失われた祖国」第43巻(2016): 36-45
[広場]江頭和宏 「分光法で最初に発見された元素セシウムとルビジウムの名称の由来」第43巻(2016): 46-49
[紹介]小俣めぐみ・片岡雅知・住田朋久・平井正人「ISIS特集「人文学史と科学史」」第43巻(2016): 50-51
[紹介]桃井陵太朗「西條敏美『虹の科学』 」第43巻(2016): 52-53
[紹介]大平哲生「橋本毅彦『近代発明家列伝』」第43巻(2016): 54-56
[紹介]新井和孝「堤憲太郎『スイスと日本の近代化学』」第43巻(2016): 56
[会報]「第13回化学史研修講演会のご案内」第43巻(2016): 58
訂正とお詫び
書評の最初のものですが、筆頭著者の名前を変換ミスしています。ただしくは、「古俣めぐみ」さんです。お詫びして、訂正します。
編集後記
・ほぼ1年前に東工大で開かれた国際化学史ワークショップから、基調講演のひとつを内田正夫理事の翻訳によりお届けすることができました。他の基調講演も順次準備が出来次第、翻訳して掲載していきます。
表紙の写真は、そのメアリー・ジョー・ナイさんの原稿にあわせて、ポーリングの肖像がよいだろうと私が提案し、内田理事に選択してもらい、ナイさんの仲介で写真を所有しているオレゴン州立大学の担当者を教えてもらい、ナイさん、内田さんの根回しがあって無料で掲載許可をもらうことに成功しました。
表紙のスペースが小さかったので、高解像度を活かすことができていませんが、容量12Mの画像を送ってもらっています。ポーリング文書のピーターセンさん、そしてお世話いただいた全員の方に感謝します。
この号が届いてしばらくしてから次の号のゲラが届きました。
ひとりで4時20分、室温11.4度。珍しく会議のない火曜日。おおきいちびは朝練に行くと言っています。→子どもたちが出かける頃には、日射しが回復しています。ただし、気温はすぐには上がっていません。妻は朝一番でコンタクトを更新しに行きました。私はコンタクトを使ったことがありませんが、妻によれば、コンタクトの場合、眼科医の診断が必要になるということです。眼鏡屋さんに飛び込んですぐに作ってもらうというわけにはいかない。眼科医とコンタクト業者が連携している場所が便利です。ということで、荻窪の駅ビルに行きました。10時半ぐらいにでかけて1時前後に帰ってきました。遠くが見えるようになったと言っています。そのかわり、手元が見づらくなったそうです。老眼は誰にでもやってきます。こればかりは仕方ありません。
朝のうちに次の2冊が届きました。
中川成美
『モダニティの想像力―文学と視覚性』新曜社、2009
神里達博
『食品リスク―BSEとモダニティ』弘文堂、2005
[松本三和夫『科学社会学の理論』]
昨日届いたばかりの、 松本三和夫『科学社会学の理論』 講談社学術文庫、2016(原著『科学技術社会学の理論』木鐸社、1998) を読み始めました。終わりを読み、はじめを読みました。全部読むことにしました。→集中的に読んで、読み通しました。
大学に着任するときのシラバスに、科学を歴史的アプローチ、社会学的アプローチ、哲学的アプローチの協同により、明らかにする、みたいなことを書きました。科学史、科学社会学、科学哲学を組み合わせて、科学を解明するという私の学生時代には普通に言われていたことを書いただけです。実際、初期の授業は、3つの組合せで行っていました。
今、科学哲学はもういいかなと思っていますが、私の科学史の勉強がマートンから始まっているので、科学知識の社会学を含め、科学社会学は今一度きちんと勉強しておきたいという気持ちがあります。
ちょうどよいので、松本三和夫さんの『科学社会学の理論』を入手と同時に読み通したものです。私にはとくに第4章「科学、技術、社会の相互作用」(STS相互作用論と略称されています)が有用でした。歴史研究にも使えるアイディアがありました。
松本さんは、ストロングプログラムからの展開を述べるなかで、次のように記述しています。
p.182 「科学知識、技術知識の内容は、自然によって一義的に決定困難という考え方である。いいかえると、科学技術知識の内容は、社会的に決定される面をもつ。
とりわけ、科学技術知識は事実ないし事実にもとづく論理的帰結というだけではなく、事実を特定の類比(analogy)や比喩(metaphor)と用いて特定の状況下で一定の関心方向へ選択的ふくらませた「人工物(artefact)」としての側面をもつ、という視点がそこから導かれる点が注目に値する。・・・
特定のSTS相互作用系の状態下で、どのような事実を、どのような関心から、類比や比喩を使ってどの方向に構成して特定の主張が成立しているかという、科学技術知識の内容に一歩突っこんで分節化した問題をたてることができよう。」
さらに、こうした状況を分析する科学社会学そのものも(科学史やその他の分野を含み)メタ言説として、対称性・反射性の原理により、人工物として扱う。p.176 バーンズの提起した重要な視点:科学、技術、社会を同格の開放形として分析する視点。「科学と技術は互いに同格である。科学者も技術者もそれぞれの文化を創造的に拡張し、発展させる。両者は互いの文化の一部をとりこみ、利用する。」
歴史の研究事例:熱機関に関するカードウェルの研究、強電系技術に関するヒューズの研究、水タービンに関するレイトンの研究等。p.153 見えない大学:所属集団を異にする科学者が、既存の所属集団から離れて問題に応じて自由かつ非公式にやりとりするネットワーク。「旧来の専門職業化した科学を補う方向を、専門要件を備えているが、職業要件に恵まれない現在の人材が担う可能性」
「こんにち人的なネットワークを電子ネットワークにおきかえ、さまざまな境界にまたがるそのような人材からなる複数の「見えない大学」に財政的な基盤を確保する制度を構築すること」
p. 180 ブルアの意味。社会的存在拘束性の原理を科学知識には適用しないという、K.マンハイム以来の知識社会学を久しく支配してきた前提に潜む首尾一貫系の欠如を指摘したことにある。「科学に対する不可解な態度は、科学は聖なるもの」と扱われていると考えると納得できる。
p.188 社会も一枚岩ではない。官セクター(議会・行政機関)、産セクター(メーカーを中心とする企業)、学セクター(大学と研究機関)、軍セクター、民セクター(市井の人々やNGO)
p.189 まとめ。「科学、技術、社会を同格の開放系と見、科学、技術、社会の間柄に関するすべての言説を反射的、対称的に分析することで、均衡と変化の相を含むSTS相互作用系のふるまいを記述、説明する視点。」
p.194 社会の特定のセクターが特定の型の技術を選択し、その技術があるセクターには利益をもたらすが、別のセクターには不利益をもたらすということが多い。
p. 365 「科学社会学の理論は、内部構造論、制度化論、相互作用論からなる。理論の眼目、とりわけその現代にかかわる部分は相互作用論の内容、すなわちSTS相互作用系をどう捉えるかにかかっている。・・・STS相互作用系は、意図せざる結果として問題が再生産されるサイクルをもつ。問題を解く鍵は、不確実性下での基礎研究と意志決定における第三者評価機構にある。」
p. 378 「現在の科学技術論の状況のなかでながめると、本書の結論は、大衆路線からもエリート路線からも見落とされている、社会問題の解明を介した自己言及・自己組織化路線を開拓するという位置を占める。・・・鍵は、不確実性下での研究と意思決定のあり方にある。」
1970年代以降の研究により、「リスクは技術にかかわる問題ではなく、技術と社会の境界にかかわる問題枠組みが定着したにもかかわらず」そのような認識を新しい研究に発展させることはあまりできていない。
p. 390 D. デュクロ 「社会学のすべての概念と同様、・・・リスクは事実であるより、言説行為である。」
p.396 19世紀以降、久しく社会と自然の二分法が通用しないことが多量の事実によって歴史的に示されてきたにもかかわらず、なぜ社会理論はそうした事実に対してかくも無頓着であり続けることができたか。
p.397 科学技術と社会の双方に対して相対的な傍観者となりうる研究者が科学技術のかかわる社会問題を焦点にして科学技術と社会の相互作用の道案内をする、p.400 (1)必要な情報が、行為者のあいだで不均等に分布する状況に便乗しない。(2)それまで有用だった問題解決手段が将来も有用であるはずだと考え、適用範囲をこえて外挿しない。(3)さしせまった研究や意思決定の必要性にこたえるのに急なあまり、長期にわたる視野のもとで取り組むべき基礎的な課題を見落とさない。(4)一定時点で支配的な価値を信奉するあまり、ひとつの価値にかなった研究スタイルのみを許容するという状態を回避する(5)研究成果の自己成就的予言の効果を考慮に入れる。(6)対象の不確実性ゆえに挫折した未知のリスクの解明に大胆に挑戦する研究の試みが忘れ去られ、ネガティヴ・データが蓄積されない状態を回避する。
p. 199 科学と同様、技術も一九世紀に専門職業化が進展し、専門資格を備えた人びとのみが営む職業活動としてアマチュアの営む活動から分化してゆく。そして、今度は、 科学活動、技術活動の内部に特定の 科学分野、技術分野が新たに生まれるという入れ子型の分化がさらに進展する。ところが一九世紀末になると、このように分化した 科学と技術がしだいに接近しはじめる。 科学技術の成立である。
きっかけは、研究・開発活動であったことが多い。例:船型試験水槽、タービンエンジンの開発、有機合成染料、コンデンサ。バイエル、ヘキスト、デュポン、ゼネラルエレクトリック等の企業がその担い手だった。以来、一〇〇年、 科学と技術は一体化しているように扱われることもすくなくない。
p.200 研究開発の立ち上がりには、さまざまな緊張、対立、軋轢が存在した。一九世紀後半に端を発するこのような 科学技術の成立過程そのものに、役割分化と役割融合という相反する方向性が同時に含まれている。
いったん分化した異質な役割が再度融合することが産業社会における 科学分野の革新に少なからぬ貢献をした。例:一九世紀後半の細菌学の発展 by ベン=デイヴィッド。J. Ben-David, "Roles and Innovation in Medicine", American Journal of Sociology, 65(, no.6(1960), 557-567)目次を引用しておきましょう。
序 学術文庫版によせるメッセージ
第一章 科学社会学とは何だろうか
1 本書の基本的な問い
2 科学社会学事始め
3 科学技術に関する言説は共約可能か
4 自己言及・自己組織型科学社会学の原則
5 本書の構成
第二章 科学者集団の内部構造
1 科学のイメージの両義性
2 科学社会学における内部構造論
3 規範から報酬系へ
4 交換モデルとシステムモデルの批判的吟味
5 科学者集団の自律性のゆくえ
第三章 科学と社会の制度化
1 決まり文句をこえて
2 科学社会学における制度化論
3 マートンモデルと廣重モデルの批判的吟味
4 制度化の規約
5 制度化の含意
第四章 科学、技術、社会の相互作用
1 批判でもなく、賞賛でもなく
2 科学社会学における相互作用論
3 STS相互作用モデルの提唱
4 STS相互作用モデルの展開
5 一般枠組をふまえた見本例の分析へ向けて
第五章 地球環境問題を考える──科学社会学からながめてみれば(1)
1 意図せざる結果を見本例に即して考える
2 日本における新エネルギー技術開発の背景
3 海洋エネルギー技術開発と成層圏オゾン層破壊問題
4 技術開発と地球環境問題の関係
5 不確実性と同時性の含意
第六章 原子力研究・開発を考える──科学社会学からながめてみれば(2)
1 見えにくいものを浮き彫りにする事故
2 科学社会学から原子力研究・開発のどこに注目するか
3 TMI事故に立ち返る
4 日本の原子力研究・開発史からとらえなおす
5 原子力研究・開発の異種交配の展望
第七章 自己言及・自己組織型科学社会学と不確実性
1 行く末をどう展望するか
2 文化研究と「科学戦争」
3 自己言及・自己組織型科学社会学と不確実性はどうかかわるか
4 リスク社会の問題と自己言及・自己組織型科学社会学
5 今後のSTS相互作用系の展望
学術文庫版あとがき
ひとりで4時35分、室温12.9度。天気予報では、最高気温が6度、冷たい冬の雨。妻を6時に起こしました。ちびどもは朝練があり、6時20分と6時半。
ちいさいちび、おおきいちび、妻、小学生の順番ででかけていきました。私は9時過ぎとなります。午前中に歯医者。同じく時間帯が重なって(歯医者を予約したずっと後に)会議が入ってきましたが、ごめんなさい、出席できませんと連絡したら、すぐに了解してくれました。→歯医者さんは9時半から。早めに着きましたが、準備が整わないのか、30分近く待ちました。帰ってきて10時半を過ぎていました。次は様子を見て、土台をたてるかも知れないと言われました。
夕刻、次の本が届きました。
松本 三和夫『科学社会学の理論』 講談社学術文庫、2016(原著『科学技術社会学の理論』木鐸社、1998)ゲラと格闘しています。
妻がダウン気味なので、冷たい雨のなか塾から帰ってくるちいさいちびを9時過ぎに迎えに行きました。ほぼ決まった電車に乗っているようです。聞いた通りの時刻で改札を出てきました。さむい、さむい、と言っています。日中はたぶんずっと6度でした。夜になっていくらか下がったとすれば、数度ではないでしょうか。この冬の最後の冬の寒さだ、明日からは暖かくなっていくと伝えました。木曜日には20度に到達するそうです。ちいさいちびによれば、急に暑くなるのもいやだということです。体育館で部活をする者にはそうでしょう。
冷たい雨が終日降り続く、寒い一日でした。
息子が起きて6時30分、室温10.7度。
ちびどももすぐに起きて、朝食。ちいさいちびはお腹が空きすぎて、5時半に目覚めたそうです。おおきいちびは練習試合。7時半には出るそうです。ちいさいちびは朝食を食べてから自分の部屋に戻り、布団のなかでのびのびしています。夜、友達有志による2年生打ち上げがあるそうです。イタリアンの食べ放題を幹事の友達が予約してくれたそうです。中学生だけでいいのかな、と言っていました。昨日のように、朝から夜遅くまで、事務的業務や会議だけに関わっていると、研究者としての頭が変調を来します。一種のリハビリとして『談 no.105 科学を科学する……領域を超えて 』 を読み通しました。神里達博さんと近藤和敬さんは、名前を知っていても、きちんと読んだことがない方です。ここのインタビューはほんの入り口でしょうが、どういう建物がおおよそ見当がつきました。感心したのは、近藤和敬さんのエピステモロジー(ここんところしばらくエピステモロジー/科学論関係の著作を読んでいたので)ですが、神里達博さんの著作も読んでみようという気になりました。仕事(大学での授業)に必要だろうという気がしてきました。
冒頭におかれた editor's note は、達者な文章でよく書けています。ただし、不正確なところが散見されるのが残念です。「ミスコンダクト」とすべきところをただ「コンダクト」と表現されています。こういうことは、編集者の文章であっても、たとえば隠岐さんに読んでもらっていれば避けられたものです。他者に読んでもらうことは誰の文章でも必要です。
ひとりで4時20分、室温11.6度。午前中は後期日程入試。午後は、ずっと会議。予定では6時半まで。6時半には終わらないと予想しています。
8時30分、武蔵境発の西武線。
業務は9時から正午過ぎまで。1時半から会議。6つ連続します。臨時に開かれた1番目の会議と最後の会議で一部司会をしました。議論にはなりましたが、紛糾はしませんでした。2番目の会議のときに、O先生から、「初期のカメラ・オブスクラの批判的歴史:暗室、玩具、人口眼、写生装置?」(『総合文化研究』第19号)面白かったよとコメントをもらいました。こういうふうにたまにきちんと読んでコメントをくれる方がいます。こういうのはありがたい。
最後の会議が終わって、8時半をゆうに過ぎていました。それから打ち合わせ。9時20分過ぎまで。9時28分多磨駅発の電車に乗ることができました。
今日は疲れました。12時間以上、仕事が連続したせいでもありますが、しかし、朝から疲れていました。そういう日もあります。帰宅すると次の雑誌が届いていました。
『談 no.105 科学を科学する……領域を超えて 』 Speak, Talk, and Think 20156 no. 105
『談』という雑誌はなんとなく知っている、正確に知っているわけではないが、一応知ってはいて、視野には入っているぐらいの雑誌でした。発行所は、公益財団法人たばこ総合研究センター、発売所は水曜社です。
no. 105 の特集は、 科学を科学する。神里達博さんによる「 科学と市民参加……「ネオミーズ= Neo Middle Ages」を生き抜くための良きパートナーとして」、 隠岐さや香さんによる「職業としての科学者……その歴史から見る現代」、近藤和敬さんによる「科学のシニシズムに抗して……エピステモロジーの挑戦」の3点からなります。インタビューの文字起こしです。
ひとりで4時10分、室温11.2度。
昨日の夜、送り出した書類は、もっと夜に返信を頂きました。事務の方が夜の10時ぐらいまで職場で机に向かわれていた証です。入学試験、卒業進級、新学期の準備、と大学は仕事のひとつのピークです。朝一番の便で、どっさりとゲラが届きました。開封は、帰宅したからにします。
本日も会議の日。
9時42分武蔵境発の西武線。研究室で読書。矢守克也・宮本匠編『現場で作る減災学 :共同実践の五つのフロンティア』(新曜社、2016)を読み通すことにしました。
会議は2時から。アゴラ・グローバルの3階の部屋。初めて入ります。終了予定は、4時でしたが、とても珍しいことに3時半に終わりました。その後しばらく打ち合わせがあって、4時4分多磨駅発の電車に乗ることができました。震災後5年ということで、メディアは特集を組んでいます。父の死去との関係が曖昧だったのですが、数字を確認すると、震災のほぼ1年後(春分の日)に他界していました。これで頭のなかにインプットできます。5年前の震災の日、ちいさいちびは風邪を引いて2階で寝ていました。私は後期日程入試の前日だったので、家にいました。妻は息子を迎えに幼稚園、おおきいちびは小学校に行っていました。翌年、3月20日、おおきいちびをまゆゆのミニライブに連れていきました。ヨミウリランド。そしてその翌日、夜の9時過ぎに父の死去の電話がありました。小学校の卒業式のあとの集まりを楽しみにしていたおおきいちびが泣いていたのをよく覚えています。私がひとりで先に帰省、残り4人はおおきいちびの卒業式(午前中)だけ出て、23日お昼過ぎの新幹線に乗り、通夜がはじまって30分あとにセレモニーの会場に着きました。
こうして時系列に調べなおしてみると、父の死の前日に、ヨミウリランドに行ったことなんてすっかり忘れていました。(おおきいちびをヨミウリランドに連れていったことはよく覚えています。)
私は2010年の冬に入ってから、日本の核開発の歴史をフォローし直そうと思って勉強を開始していました。やっと今頃になって明かされた情報によれば、地震の日に、福島第一原発のメルトダウンが始まったようです。その1年後、父の死の前後でも、核/原子力関係の書物を収集し、集中的に読んでいました。
授業では、このテーマをずっとフォローしています。書いたのは、次の1点に留まります。
[エッセイレビュー]
「中川保雄『放射線被曝の歴史』1991; 2011」『化学史研究』第39巻第4号(2012): 215-219
この[エッセイレビュー]を読んでいただければ、中川さんの必読書に関して、見通しがつくと思います。
ひとりで4時半、室温11.7度。寒さが舞い戻ってきたようです。会議の日。午前のおわりにあります。おおきいちびは4日間続いた定期考査の最終日。やっとバスケができると喜んでいます。そして身体が動くかどうか心配しています。
朝のうちに、追加の原稿を送り出しました。
10時18分武蔵境発の西武線。
11時から会議。12時終了予定でしたが、終わってから時計を見ると、1時。お弁当を食べて、1時40分多磨駅発の西武線に飛び乗りました。三鷹で中央線快速が特急の待ち合わせ。ちょうどよいので、久しぶりに三鷹駅構内のパン屋さんでパンを買ってから総武線(緩行)で帰ってきました。
帰り着いても、いろんな事務処理。
そうこうするうちに、次の本が届いていました。
吉見 俊哉
『「文系学部廃止」の衝撃』 集英社新書、2016
ひとりで4時55分、室温17.1度。まだ冬は舞い戻っていません。→プラスチックゴミをだすため外にでました。明らかに室温よりずっと低い。雲があつく空を覆っていますし、また冷たい雨が降ってきそうです。予報によれば、本日の最低気温が13度、最高気温が14度。明日の最高気温が12度、金曜日と土曜日の最高気温は9度です。週末には冬が舞い戻ってきます。木、金、土と会議が続きます。そのかわり、いつも会議の日の今日は、会議がありません。
お昼過ぎに次の本が届きました。
Michael Hunter,
Boyle Studies: Aspects of the Life and Thought of Robert Boyle (1627-91)
Burlington: Ashgate, 2015
ISIS Current Bibliography 2015 で、買うのを忘れていると気付き、その場で注文したものです。ハンターによる新しいボイル論文を収録しています。Chap 1 "Introduction" pp。1-25 だけ先に読みました。ほぼ予想できた点と、新しい展開の両方がありました。ボイルが亡くなる前後、ボイルに近くにいた助手、写字生、等に関して、新しい展開がありました。そして、これは前からですが、ボイルの姉、ラニラ婦人。
夜半に目覚めて、すこし仕事。気温が下がっていません。18度ぐらいあるでしょうか。ひとりで6時45分、室温16.2度。
会議(人事委員会)とシンポジウム「臨界のメディアとアヴァンギャルドの知覚」227教室午後2時〜5時の日。時間帯が重なってしまったので、会議の間はシンポジウム会場から離れています。
朝方すこし原稿の作業。10時6分武蔵境発の西武線。駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから乗り込みました。12時に学生がもってきた書類に判子。12時半には留学帰りの学生が来ました。就活真っ最中。卒論の相談をしました。
1時過ぎに研究所に行って、シンポジウムの手伝い。働き手が足りていない感じでした。もらったレジメだけ読んでもシンポジウムの内容はとても面白いと思われましたが、会議をさぼるわけにはいかない。3時1分前に教室をでて、会議室へ。6時までかかりました。もしかしたら、打ち上げには間に合うかもしれませんが、1時間だけ出席して、打ち上げに出るのも気が引けます。6時16分、多磨駅発の電車に飛び乗りました。
原稿はいくらか進めることができましたが、疲れました。帰り着いて、夕食を食べていると、おおきいちびが脱衣所のヘヤドライヤーがバチッといったといいます。怖いといってそのまま下に降りてきました。前からコードが切れかけていました。それで一瞬だけ火花がとんだということのようです。危険なので、すぐに、使用停止とし、買い換えることとしました。
ひとりで4時35分、室温17.2度。一気に室温が上がりました。夜は毛布が要りませんでした。5時、新聞をとるために玄関をあけると、地面が濡れています。夜、雨が降ったようです。そう言えば、布団のなかにいるとき、雨の音が聞こえたことを思い出しました。→5時15分、新聞が届いた音がしたので、もういちど玄関をあけました。雨が降っています。今のところ、強く降る気配はありません。→予報を見ました。今日は一日雨。気温は週末に下がり、後期日程の入試の日は、また冬に戻ります。雨のなか、朝練のあるちいさいちび、仕事のある妻、そして午後体育館で2分の1成人式のある小学生という順ででかけていきました。試験の高校生は最後です。
お昼前に歯医者さん。おおきいちびは定期考査が始まります。4日間。
お昼過ぎに次の本が届きました。
Olivier Darrigol,
A History of Optics from Greek Antiquity to the Nineteenth Century
Oxford: Oxford University Press, 2012
夕刻、次の本が届きました。
矢守克也・宮本匠編 『現場で作る減災学 :共同実践の五つのフロンティア』新曜社、2016
発売日を見ると、3月7日、すなわち、本日でした。→矢守さんの1章「減災学をつくる」だけまず読みました。地域の人、地元のひとといっしょに「減災学をつくる」ということを意味しています。本来の主役といっしょに減災学をつくる、減災学を考えるというスタンスが徹底しています。とてもわかりやすいことばで書かれていますが、実践活動の結晶と呼べることばです。科学論においても、学ぶ点がとても多い本になっています。午前中に書評原稿は送りだしました。だいたいこんなところでよいそうです。もうすこしはっきりしたらこちらでも告知します。
夕方、あとがき原稿を送り出しました。最後の作業について相談したこともあり、いくらか作業が戻ってきました。でも、それは、出来上がりには必要なものです。もうすこし時間をもらって、追加することにしました。
ひとりで5時5分、室温14.1度。予報では夜半に雨でしたが、新聞をとるため玄関を開けて外を見ても、地面は濡れていません。ただし、空はどんよりとした曇り空。子どもたちが全員起きてきた頃には、青空が見え、日射しも窓から入るようになりました。朝一度買い物のために外出しましたが、暖かい。コートはいらないように感じました。
11時前、ちいさいちびが部活に行きました。本日も練習試合があるということです。
夕食前に、とりあえず、締切が遅れている方の原稿も最後まで通しました。遅れているので明日にでも送り出します。
ひとりで6時、室温13.4度。朝目覚める前、昨日一応最後まで通した原稿の問題点を考えていました。こう修正した方がよいという案が思い浮かんだ時点で目が覚めました。すぐに私の部屋に降りて、その部分には赤を入れました。
中学は「さんそうかい」。みなさん、この言葉を聞いて、何だかわかりますか? 3年生を送る会、3年生の送別会をこういうふうに略しています。長女は普段、JK、JKと言っています。女子高校生の略です。大人の立場からすれば、むやみに省略するな! です。ちなみに、長女(OGとして)も、次女(2年生として3年生をおくります)の「さんそうかい」に出るそうです。コートに立つということでした。K先生はそれで自分がコートに立たなくてすむので喜んでくれるということでした。妻も父兄として参加するので、9時を過ぎると、息子と私の二人になりました。土曜日にはよくあることです。息子がマックのポテトのファンなので、こういう日の昼食は、マックにすることが多くなります。
Facebook で、Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見るというサイトを知りました。これはおもしろい試みです。もちろん、すべての場所に古い航空写真があるわけではありませんが、ある場所の時間的変化を知るとてもよいツールです。
夕刻、ISISが届きました。ISIS, Vol. 106, No. 4(2015 Dec)と、Current Bibliography 2015 です。Current Bibliography の裏表紙は、前に紹介した Explore β版 isiscb.org/explore の紹介に使われています。
Current Bibliography の人名(著者名)索引に私は一箇所だけ出現します。1580: YOSHIMOTO, Hideyuki. "Origin of Harris' Lexicon Technicum," Kagakushi Ken. (Chem.) 41, no. 1(2014): 20-36. Focus is on alchemical, chemical, and medical terminology.
吉本秀之「ハリス『技術事典』の起源」『化学史研究』第41巻(2014): 20-36 をISIS Current Bibliography 方式で記載すると上のようになります。私はこの記載法で問題ないと思います。
テーマ索引(subject index)で、ボイルは、1171, 1176, 1183, 1189, 1250, 1267, 1303, 1323, 1326, 1384, 1574 の11点。ベイコンは、4点、ベイコン主義は1点。最近授業のテーマとしている、図像・画像・視覚イメージの問題は、visual representation; visual communication として索引化されています。これは索引項目を作るのがとても難しい分野です。フォントネルは、なし。予定では、締切を過ぎているもう一つの原稿を執筆するつもりでしたが、昨日一応最後まで通した原稿の推敲、必要な書物、論文の読み直しで終わってしまいました。まあ、そういうものでしょう。
ひとりで4時、室温13.6度。昨日の暖かさが部屋のなかにも残っています。今後冬の寒さが戻ってくることはあまりないようです。→予報を見ると、今後1週間比較的気温が低いのは、来週の木曜日です。最高気温が11度となっています。役職上の仕事を全部こなせたわけではないのですが、そうはいっても自分の仕事もあります。締切が大幅に過ぎた原稿が1点、締切間際の原稿が1点、あります。本日は一歩も外に出ず、原稿執筆、下書き執筆に専念しました。ある程度は進めることができました。明日は一歩もでないというわけにはいきませんが、使える時間は執筆に使うつもりです。
おおきいちびは高校の卒業式に出てきました。全校生が出るわけではないそうです。在校生は選択的に出席するのだと思います。そう言えば、国立大学は(推薦入試を除き)前期日程の合格発表もまだだったように思います。外語で調べてみると、週明けの月曜日に前期日程の入試の合格者発表があります。つまり、多くの学生の進路が決まっていない状況で卒業式を行ったということになります。→他大学の発表日もすこしだけ見てみました。9日の火曜日、10日の水曜日のところもあります。前期日程というのは国立大学共通なので、同じ日に入試を行うが、合格発表はそれぞれということのようです。
→ちなみに、大昔、私は高校の卒業式に出ていません。卒業式の日は上京していました。入試関係の何かがありました。何というのは正確には覚えていません。発表? 手続き?
ひとりで5時30分、室温10.0度。
博士後期課程面接指導の日。3件あります。
授業が終わってからの方が忙しくなった気がします。自分の仕事になかなかきちんと時間を取ることができません。8時42分武蔵境発の西武線。研究室でまずは書類作りにとりかかりましたが、どうもうまくいきません。またにしました。
最初の面談は、10時40分から。最初の部屋は暖房がきいておらず、寒く感じました。お昼ご飯を挟んで、午後は1時から2件。普段あまり話さない仕方で討論しました。書類は、苦労しましたが、どうしてもうまくいかないので、ともかく出来る部分だけ作成して、事務に提出しました。五月雨方式は迷惑ですが、締切もあり、やむを得ないと判断しました。4時16分多磨駅発の電車で帰途。
帰ってきてからもずっとメールの対応に追われています。
ひとりで4時40分、室温9.3度。今日もお昼から会議。終了はやはり7時ぐらいでしょうか。
9時42分武蔵境発の西武線。読書の続行。あやうく12時からの会議を忘れるところでした。12時40分のものは覚えていました。
ともあれ、正午から12時35分まで。12時40分から2時20分まで。会議が2つ続きました。その次は、2時20分から。こちらはスムーズに進み、3時過ぎには終了。そのあと、その場でコース長の選出。こちらも短くすみました。30分休憩の時間を取ることができました。メールボックスに立ち寄ると、新しい『総合文化研究』が届いていました。第19号(2015)です。特集は、「となり合う<遠き>アジア」。276頁の大冊になっています。見た目もよく、素晴らしい雑誌となったと思います。私の寄稿は、次です。
吉本秀之「初期のカメラ・オブスクラの批判的歴史:暗室、玩具、人口眼、写生装置?」『総合文化研究』第19号(2015)(2016.3):189-209
→全体を通して読み直してみました。後ろの方に1箇所、校正ミスが残っていました。次の会議は4時から。昨日とほぼ同じぐらいの時刻に終わりました。昨日とまったく同じ、7時4分多磨駅発の電車に乗ることができました。
疲れました。
ひとりで5時45分、室温10.5度。室温はこの程度ですが、廊下の空気からはもっとずっと下がった感じがします。そして、3月。
ちいさいちびが花粉症でたいへんなことになっています。朝起きて目が真っ赤。ほとんど泣きそうになっていました。会議の日。午前10時10分に始まり、たぶん7時ぐらいまで。
→8時42分武蔵境発の西武線。研究室の机の上を片づけました。10時10分から学長室。学長に、午前中に処理すべき案件が他にあるということで、11時に終了。3階で書類を1点提出にしてから研究室へ。
午後の会議は12時40分から。明日の時刻帯の会議の準備ですが、案件が多く、時間内に終わるかどうか疑問となるほどでした。
研究室で久しぶりに読書。忙しくなると、この時間の確保がなかなか難しくなります。5時から公聴会。7時前に終了しました。7時4分多磨駅発の電車に乗り込むことができました。今日もへろへろです。
[国際化学史ワークショップ2015 「20世紀化学の変容」]
IWHC2015 proceedingsが公開になっています。編集作業にほぼ1年かかったことになります。
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