ひとりで6時30分、室温10.3度。起きてからずっと昨日の編集委員会で生じた宿題をこなしています。今日中には終わらせたいと思っています。
午前中、次女のアンダーウェアを探して、阿佐ヶ谷と荻窪のセイユーに行きました。ほしいものはちょうど品切れ中でした。荻窪のセイユーに入っているパン屋さんで、ちびどもの好きなもっちり系のパンを買ってから帰ってきました。
その後、宿題を継続し、なんとか午前中に宿題はこなすことができました。
ひとりで4時20分、室温10.8度。予報ほど気温が下がっていません。昨日の朝降り始めた雨が雪にも変わっていません。午後、学会の編集委員会。
息子に留守番をたのんで、3時前に家をでました。3時45分に大岡山につきました。編集委員会は5時半まで。その後、打ち合わせをしてから、駅前のイタリアンで夕食。梶さん、古川さん、菊池さんといっしょでした。
9時15分、西荻窪の駅に帰り着きました。ちょうど妻が、塾から帰ってくるちいさいちびを待っていました。私は先に帰ってお風呂。事務局に届いた(献本された)次の本を持ち帰りました。
宮下三郎『本草・薬物の研究』
武田科学振興財団杏雨書屋、2016、非売品
これは、宮下三郎さんの仕事の集大成です。
ひとりで4時25分、室温10.4度。おおきいちびは朝練があります。集中講義の4日目。すなわち、最終日。
9時18分武蔵境発の西武線。事務棟1階で大きな荷物を受け取ってから、研究室へ。すこし片づけをしてから、101教室の様子を確認しました。その後は、研究室でデスクワーク。朝受け取った荷物のチェックもすませました。
3限4限は、いつもお世話になっている高瀬先生。5限は、吉田先生。高瀬先生の終わりに吉田先生がお見えになりました。もちろんお二人は同僚なので、すこし話をされていました。
最後の最後まで粘る学生は、おらず、7時4分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。2015年度の冬の集中講義は、こうして無事に終わりました。
ひとりで4時25分、室温10.4度。朝の室温が10度を上回りました。今日も暖かいそうですが、週末は雨で気温が下がるという予報。
だれも朝練がないので、はやく起こす必要はありません。ちいさいちびは、もうすぐ、スキー合宿。けっこう長く滞在します。修学旅行より長い。去年末は雪の心配をしていましたが、もう雪がないことを心配する必要はなくなりました。あとは、体調管理。集中講義の3日目。
9時30分武蔵境発の西武線。教室を見てみると、何かイベントを行っていました。締切間際のデスクワーク。火曜日と水曜日のコメントシートを整理しました。
正午に博士課程の院生が見えて、打ち合わせ。半年間の留学が無事に決まったそうです。よかった。
12時半、101教室に入りました。わずかに遅れてスタート。学生たちの出足もいまいちでしたが、遅れて集まるのでしょう。
5時52分多磨駅発の電車に乗ることができました。
[締切遂行状況]
1月28日現在の締切の遂行状況です。自分に対する備忘録です。
本務校。成績締切:1月29日(金曜日)→完了しました。もう一度確認作業はします。
本務校。シラバス締切:1月31日(日曜日)→ほぼ完了しました。もう少し手直しが必要な箇所が残っています。
医科歯科MMA シラバス締切:1月29日(金曜日)→忘れていました。が、最悪、今年のものと変更なしでもかまわないと考えています。現実に話す内容は、夏休みに固めます。
東大駒場シラバス締切:2月29日(月)→1ヶ月余裕があるのは、たすかります。2月初旬の怒濤がすんでから、着手します。
ひとりで5時10分、室温9.0度。集中講義2日目。
8時半武蔵境発の西武線。今日は、なにより、成績の転記です。いつもとは順序を変えて、まず、ウェブで入力し、その結果をプリントアウトしてから、現物と照合しました。エラーなし。
別の書類を処理してから、昼食。
今日の集中講義は、3限4限です。東京医科歯科大学の先生としては、珍しく、授業開始時には見えていませんでした。5分過ぎ、探しに行こうかなと思ったらお見えになりました。お願いしていたプリントはありますか、という質問。なかったので、私が教務課に走り、ちょうどいた方に聞きました。電話で2箇所に問い合わせてくれて、所在が判明しました。事務間にはよくある、連絡の不徹底です。私が教室に帰るまでに、その部署の方が持ってきてくれていました。パワポも問題ないようなので、私はそのまま研究室に帰り、TA の書類の作成。これがけっこう手間取ります。
2時20分から入試委員会。3時には終わりました。しばらく打ち合わせをしてから、研究室に戻りました。
10分前に教室に入ると、先生は、もうお帰りでした。学生たちが、コメントシートを書いています。最後の学生は、20分程度延長して書いていました。4時52分多磨駅発の電車で帰途。三鷹で乗り換えて、ちいさいちびのお気に入りのクロワッサンを購入。
昨日ほどではありませんが、疲れました。
同僚の久野先生から次の本を頂きました。
フアン・ガブリエル・バスケス、久野 量一 (訳)『コスタグアナ秘史 (フィクションのエル・ドラード)』水声社、2016年1月。
私のほとんど知らない世界です。久野先生の解説を読んでみました。おお、これは面白そうです。おおきいちびは、推薦入試の実施でこの2日間高校がお休み。昨日はソラマチ、今日は吉祥寺でスイーツ三昧、の模様。
ひとりで5時45分、室温7.8度。本日から4日間連続で、冬学期の集中講義がはじまります。東京医科歯科大学の先生方によるリレー講義「暮らしと健康B」です。冬学期は、医学の制度を主題とします。
締切が迫っている仕事が複数あります。子どもたちより先にでかけることにしました。8時6分武蔵境発の電車に乗りました。
まず、今日正午に手渡す約束になっている、学生の推薦書を仕上げました。そんなすごい作文ではないのですが、1時間程度はかかりました。
集中講義のために朝一番(2限)に見える河原先生に挨拶に伺いました。パワポがきちんと動くことを確認し、授業の最初に3分ほど時間をもらって成績評価方法に関して私の方から連絡しました。
次に別件の成績評価。去年の9月に医科歯科で行った「医療思想史」に関し、医科歯科の事務から成績を送るように朝連絡がありました。これはずっと前に準備できています。向こうが指定する様式に記入し、送り出しました。
その後、先週の木曜日に集めた期末レポートの採点作業。これは、時間がかかります。最初に旧学部の学生のものを仕上げ、チェックした上で、教務システムに入力しました。
河原先生が授業を終わられるころ、教室に入り、最後の10分ぐらいの話を聞いたあと、挨拶をし(木曜日にまたお世話になります)、生協にちょっとした買い出しに行きました。
朝準備した推薦書を、正午に研究室に見えた学生に渡しました。
3限4限5限を担当してくれる先生は、外語出身の方です。やはり、授業がはじまる前に、簡単に挨拶をしました。無事スタートしたのを確認してから、研究室に戻り、採点作業の継続。
2時半から、会議。こちらは短くすみました。3時過ぎには研究室に戻り、また採点作業。本日中に終わるかどうかまったく自信はなかったのですが、なんとか5限の間に特典を付けることそのものは終わりました。転記作業は明日に回し、部屋を片づけてから、101教室へ。清野先生は、グループワークをされていました。コメントシートを回収し、カバンにつめてから、帰途へ。
普段、こういうふうに仕事をすることはあまりありません。疲れました。
帰り着くと、おおきいちびは部活ではないバスケに、ちいさいちびは塾に行くところでした。
ひとりで5時40分、室温7.9度。ちびどもは朝練。ちいさいちびは6時20分、おおきいちびは6時半に起こします。
8時18分武蔵境発の西武線。中央線が武蔵境に到着したのが8時6分。ひさしぶりに駅の外のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、西武線に乗り込みました。どうも ICU の入試のようです。人が大勢並んでいました。
大学について、ひたすら、先週の木曜日集めた期末レポートならびにレスポンスシート、そしてアクティブラーニングの課題の整理を行いました。名寄せに近い作業です。1人の学生に関して、紙(情報)を集約します。途中一度事務棟3階に物品を受け取りに行きました。ほぼ2限終了の頃に私の作業も終了しました。
お昼ご飯を食べ、メールをチェックしてから、帰途。12時4分多磨駅発の電車。秋学期は先週の金曜日で終わっていますが、学生たちは比較的よく来ていました。冬学期ははじまっていますが、冬学期の授業(集中講義)をとる学生はそれほどいないと思われますが、ほかに何か用事があるのでしょうか。帰宅して、ひとやすみしてから、歯医者。今日から治療に入ります。休んでいると、残りのゲラと、スクリブナー思想史大事典(全10巻)の案内が版元の丸善から届いていました。アマゾンによれば、発行日は、本日。大きな本屋さんにはもしかしたら並んでいるのかもしれません。
歯の治療ですが、今日からまた担当者の方が変わりました。左下から着手するということになりました。神経がない歯の処置なので痛みはないのですが、こわいことにかわりはありません。最後、手鏡を見てから、写真を見せてくれました。左下奥から2番目の歯の上部がなくなっていました。かんたんなかぶせものをしてくれていますが、歯のある場所に歯はありません。歯の治療はいつでもすこしショックです。
ひとりで5時55分、室温9.7度。西日本に襲来している大寒波は東京には届かなかったようです。寒いは寒いのですが、雪は降っていませんし、雨量も1ミリに達しなかったと思います。昨日のおやつすぎに、雑誌のゲラが届きました。一応なすべき処理はなすことができたと思います。
息子がおきて6時40分、室温9.1度。小学生の息子は土曜日学校。ちびどもはお昼頃からでかけます。おおきいちびは近隣の高校にバスケの練習試合。ちいさいちびは普通に練習。帰ってきてからすぐに塾です。
天気予報のとおり、夕刻にわずかに雨が降りました。雪にはならなかったようです。
ずっとゲラと格闘していました。通すことはできませんでしたが、かなりのところまで進めることができました。私の部屋には膝掛け電気毛布以外の暖房器具がないので、台所で仕事をしていました。シラバスの英語の部分を2科目分と成績評価を1科目もノートパソコンを台所に移してすませることができました。
ひとりで4時25分、室温9.8度。子どもたちは、普通通りにでかけました。
ひとりで5時50分、室温8.9度。秋学期、木曜日の最終日。101教室の5限は期末レポートを提出してもらいます。
9時18分武蔵境発の西武線。研究室でデスクワーク。一部成績をつけ、1科目シラバスを作成し、机の上を片づけました。
4限は、秋学期最後の3年生ゼミ。なんとか1周しました。
5限は、提出物の整理をこれもなんとか終わらせることができました。残るは採点のみ。→採点作業は残っていますが、これで、2015年秋学期、私の担当している授業は終了です。
5時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。まさに定時で帰ってくることができました。
ひとりで5時45分、室温7.6度。会議の日。昨日よりずっと多くの会議がつまっています。具体的には、11時40分から5つの会議が連続しています。終了予定は17時半ですが、もちろん、どこかでもめるとそのぶん伸びます。
9時半、武蔵境発の西武線。
11時40分から入試委員会。早く終わったので、次の会議まで30分の休憩時間がありました。12時40分から研究院協議会、すぐに続けて研究科協議会。やはり次の会議までに40分の休憩時間ができました。一度研究室にもどり、一休みし、研究室を片づけてから、14時20分開始の教授会に臨みました。研究科教授会、研究院教授会と続きました。予定より1時間遅れで終了。6時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。同僚の先生3人といっしょになりました。四方山話。
2日間の会議でかなり疲れました。
ひとりで5時30分、室温9.1度。会議の日。
9時18分、武蔵境発の西武線。まず、研究所でスキャン。それから図書館へ行って借りていた本を返しました。
12時40分から会議。3つの会議が連続しています。3つ目のまえに30分休憩時間ができました。3つ目が終わってから、科長室で打ち合わせ。一応目処だけはできたと思います。7時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。帰宅すると次の本が届いていました。
Marie-Louise von Plessen, Ulrich Giersch eds., Sehsucht : das Panorama als Massenunterhaltung des 19. Jahrhunderts, Katalogredaktion, Stroemfeld/Roter Stern, 1993
ILL で一度借りたことがありますが、買うことができたので、買ったものです。この分野の基本書です。おおきいちびから新しく行った医院の報告。しばらく足のリハビリに通うということです。
ひとりで5時5分、室温10.8度。天気予報の通り、外は銀世界。数センチの雪が積もっています。ちびどもは朝練。女性陣は6時20分に起こしました。
雪は途中から雨に変わりました。地面がびちゃびちゃでしかも滑るというとても歩きづらい状況になっています。ちいさいちびは7時前後にでかけました。バッシュを忘れていきました。さすがに走って戻っては来ませんでした。おおきいちびは、朝練が自主練に変わったということで、朝一番のバス(7時40分)で行かせました。腰が痛いときにこの足元は大きな負担です。
小学生はいつも通り。9時42分武蔵境発の西武線。雪が溶けずに積もったところに、雨で、道路には水たまりが数多くできています。足元がびしょびしょになりながら、出勤。中央線がここまで混んでいるとは思いませんでした。高尾行きがほぼ満員。しかも、ドアの近くなのに一度降りないで踏ん張る人がいて、乗り降りだけでも大変でした。
武蔵境の駅は、入場制限をしていました。駅の外に長い列。西武線はまったく普通に動いていたので、後半の旅程はいつも通りでした。多磨駅から大学までの道もそうとうにぬかるんでいました。
朝の間に授業をやるのかどうかの問い合わせメールが2件ありました。やるので来るように返信しました。
結局、2名の学生は、来ることが出来ませんでした。それでもともかく、3限4限の大学院授業。本日が秋学期の月曜日最後。
4時28分多磨駅発の電車で帰宅。よく晴れて燦々と太陽の光が溶け残った道路の雪に降り注ぐなか歩きました。一日のあいだのこの変化は、なかなか見られるものではありません。明日の朝は気温が下がり、道路が凍結するおそれがあります、明日の朝、もっとも注意してくださいと天気予報は言っています。
ひとりで6時5分、室温11.9度。業務の日。ちいさいちびは遠征。高校の合同練習に参加します。おおきいちびはお昼まえから。7時過ぎにちいさいちびがでかけたあと、すぐに出かけました。駅には、バスケボールをもったバスケ部1年生のグループ、ちいさいちびを含む2年生のグループ、そしてバレー部女子が集まっていました。他にも部活の集団らしきものが駅中や駅周辺にいました。
日曜日ですから、三鷹駅で乗り換えて、7時42分武蔵境発の西武線。受験生に建物をオープンにするのは午前8時の模様。一度研究室に行って、荷物をおいてから、8時15分に本部に集合しました。
土曜日と比べると、業務は半分程度です。
教室に入り、女子校になっていることに気づきました。近隣の女子校を中心に女子高校生を集めています。このキャンパスになってからははじめてですが、西ヶ原キャンパス時代一度近所の女子校に我々がでむいて、監督をしたことがあります。それ以来でしょうか。
時限でいえば、2限3限5限の仕事。
無事終わりましたの声を聞いて、すこし急ぎ足でわずかに降り始めた雨のなか歩き、6時16分多磨駅発の電車に乗ることができました。同僚の先生お二人といっしょになりました。私はやはり三鷹駅でお暇しました。
ちいさいちびはまだ帰っていません。試合中に転んで太股を強打したそうです。半時間後、痛い痛いといいながら、でもしっかり歩いて帰ってきていました。打撲ですんだ様子です。明日も朝練があるとのこと。夜が更けて、本格的な雨降りになりました。家のなかにいても、雨音がはっきりと聞こえます。気温が下がると、雪になる雨だと思われますが、さて、明日の朝はどうなっているでしょうか。
ひとりで5時25分、室温10.6度。シラバスの入力作業に着手しました。専門演習や卒業論文演習、大学院の修論指導等、毎年ほぼ決まったものは、去年度のコピーですみます。手を加えても、添削するぐらいの変更です。
大学院の授業は、すこし変えようと思い、下案を考えてきました。月曜日3限春学期のものからはじめ、秋学期のものまでなんとか新しいプランを考えました。おおきいちびはオフ。朝一番でふれあいにいきました。準ぎっくり腰と言われてショックを受けて帰ってきました。ちいさいちびは午後に塾。妻はお昼前後でその塾の説明会。
夕刻、次の本が届きました。
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、みすず書房、2013、ISBN-13: 978-4622077312、¥5400+税
金時鐘『朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ』 岩波新書、2015
ひとりで7時、室温9.4度。息子がすぐに起きてきました。午後に歯医者。ちびどもには朝練がなく、全員8時前後にでかけました。ちいさいちびが1番で8時前、小学生が2番目で8時過ぎ、おおきいちびが最後で8時10分前後に家をでました。
明日明後日はセンター試験です。私の明後日。今日はすこしのんびりすることにしました。午後の歯医者は2時半に予約していましたが、歯科医院の方から15分程度遅れますという電話がありました。こういう連絡を受けたのは、はじめてです。
2時45分ちょうどに歯医者さんに着きました。触ると痛い歯が一本だけあります。今日は、そこ(右下)の掃除。びびっていましたが、痛みはほぼありませんでした。一回だけひっくとした瞬間がありましたが、大きな痛みではありませんでした。
次回から本格的な治療に入ります。朝から手元にあるゲラをすべてテーブルの上に並べて観察していました。まだ手は付けていません。どこかでえいやと作業にかかります。
[サンタさんがわかった]
夜、妻、小学生と並んでテレビを見ながら話していました。とうとう、小学4年生はサンタさんがパパだとわかったと教えてくれました。1週間ほど前、私のパソコンでカードをアマゾンへ発注しました。そのときに、発注履歴が見えて、パパが買ったとわかったそうです。仲の良いお友達のSくんは、ままがさんたさんと言ったと言っていました。クリスマス前には割とそういう話題が友達の間で持ち上がっていたそうです。
ちょうどよいぐらいのタイミングです。これでプレゼントを見えないように隠しておき、夜中にツリーの下に置くというちょっと面倒な作業から解放されます。
おねえちゃんたちには、わかったからもういい、と聞いたら、やはり欲しいという返事をもらっています。おおきいちびの対応には苦労して、商品券らしきものを自作して渡したこともありました。
ひとりで6時20分、室温8.6度。冬の寒さがやってきて、3日目。室温が10度を大きく下回りました。午後に授業。そして、夜に、卒論演習の打ち上げコンパ。
9時54分武蔵境発の西武線。たまっている仕事を処理するためのデスクワーク。片づけを含め、よく働きました。3限の時間帯に停電。奥の電灯だけがすぐに復活するというおかしな状況になりました。ちょうどよい(なにがちょうどよいのか説明には困りますが)ので、来年度の授業案の作成にかかりました。ノートパソコンには電池があるので、停電でも問題ありません。4限5限連続。学生のもってきた書類に判子を押す必要があり、あっちこっち走り回っていました。授業はいつものことながら、始まってしまうと怒濤です。打ち上げコンパは、6時4分多磨駅発の電車に乗るということです。5時50分に教室をでました。
吉祥寺のお店。細長い建物の7階。2時間半3千円というコースを幹事の学生は予約してくれていました。2時間半は6時半から9時。私はそこでお暇しました。学生たちは、2次会に行きました。帰宅すると、ちいさいちびが宿題で頭を抱えていました。しばらく話し相手をつとめました。解決はしませんでしたが、一応、暫定案を得て、本日はここまでとしました。ちいさいちびも眠そうでしたが、私の相当眠かった。
ひとりで5時45分、室温11.1度。昨日につづき、会議の日。朝9時からスタートします。2限の時間帯に休みがあって、午後は連続します。昨日よりは早く終わると思います。たぶん。
早朝の間に、駒場の成績完了。9人ですから、もちろん、着手すればすぐです。
8時6分武蔵境発の西武線。先頭に乗りました。この時刻だと ICU 高校の学生が乗ってきています。スマップの解散の話を熱心にしていました。
9時開始の会議は10時10分には終わりました。
午後の会議は12時40分から。私が司会をします。この会議はもめることがほとんどなく、1時間程度で終了しました。
次の会議は2時20分から。半分以上、やはり私が司会をしました。不規則発言が2件ありましたが、議論には発展せず、ほぼ予定通り、4時に終了しました。
次の会議は4時過ぎから。6時頃終わりました。6時16分多磨駅発の電車に乗ることができました。昨日に比べると、3時間もましです。帰宅すると次の本が届いていました。
若尾 祐司・本田 宏編『反核から脱原発へ―ドイツとヨーロッパ諸国の選択』昭和堂、2012
目次は次です。
若尾祐司「反核の論理と運動―ロベルト・ユンクの歩み―ドイツの原子力政策の展開と隘路」
高橋博子「米原子力委員会」
本田宏「ドイツの原子力政策の展開と隘路」
白川欽哉「東ドイツ原子力政策史」
西田慎「反原発運動から緑の党へ―ハンブルクを例に」
竹本真希子「一九八〇年代初頭の反核平和運動―「ユーロシマ」の危機に抗して」
北村陽子「フランクフルト・アム・マインにおける反原発運動」
佐藤温子「チェルノブイリ原発事故後のドイツ社会」
小野一「「政策過程」としての脱原発問題―シュレーダー赤緑連立政権からメルケル中道保守政権まで」
秋本健治「イギリスの原子力政策史」
真下俊樹「フランス原子力政策史―核武装と原発の双璧」
「ヨーロッパ小国の原子力政策史」
ちょうどよいので、来年度の大学院授業で読もうかと思います。
ひとりで5時45分、室温12.2度。おおきいちびは朝練。6時半始動。→新聞をとるために玄関をあけると、地面が濡れています。気づきませんでしたが、夜、雨が降ったようです。その後は、小雨が降ったり止んだり。どんよりとした空に冬の寒さがやってきました。やっと来たというべきでしょう。気象庁によれば、初雪を観測したそうです。
9時18分、武蔵境発の西武線。たまっている仕事をこなすためのデスクワーク。
午後、卒論が受け取れます、という連絡が来たので、8人分を受け取ってきました。
K「なぜ日本でアイドルが流行るのか。」
F「ビクトル・ハラの歌と国民意識ーチリにおける「新しい歌」運動の政治的利用」
A「日本におけるストリートダンス」
T「フランス風刺画と表現の自由」
A「マイケル・ジャクソンとFreak のイメージー名声と嫌悪感の根源ー」
K「私たちの生活とインターネット」
S「日本のエネルギー政策ー福島を最後の原子力被災地にするためにー」
S「高齢社会とがんー「天寿がん」という視点からの一考察ー」
途中からテーマが変わった方、すなわち、Sさんの「高齢社会とがんー「天寿がん」という視点からの一考察ー」だけまず読みました。4時半から会議。長引くことは覚悟していました。しかし、9時までかかるとは思っていませんでした。9時16分多磨駅発の電車になんとか間に合って帰ってきました。おお。
2015年度外大秋学期(3学期)の授業は残すところ2週となりました。成績評価ということでは、木曜日5限の世界教養科目/総合科目II「表象文化とグローバリゼーション」が残っています。参考までに、授業の最初に学生に渡した文書を掲げておきます。
2015年度秋学期 世界教養科目/総合科目II「表象文化とグローバリゼーション」期末レポート&アクティブ・ラーニング
期末レポート:2016年1月21日 授業中に作成・提出
(あらかじめ準備してきたものを1月21日木曜日5限の時間帯に提出するのも可)
テーマ:[表象文化]に関することであれば何でもよいが、参考までに次のような課題 設定を例示しておく。
例1)視覚文化についての本・論考を読み、書評を書くこと。
(書評は、感想文ではない。著者の主張・論点をまとめたうえで、それに関して私はこういう疑問をもつ、こういう点が不十分だ、別の観点から違ったとらえ方ができる、等々、自分なりの考察を加えること。あるいは、私は、このテーマに関して本当に優れた著作・論文に出会った、その内容はこうであるという書評も歓迎する。)
例2)博物館、美術館、Performing Artsのイベント、その他何らかの展覧会等にでかけて、見たもの、聞いたもの、感じたもの、体験したことに関してレビューを書くこと。
(取りあげる展覧会・イベント・活動に関しては、それに触れたことがな人にも概要がつかめるよう簡潔な紹介を付すこと。)
例3)(文学作品と映像作品に関し)「○○の作品における××の表象」という観点から特定の作品を分析してみること。
アクティブ・ラーニング:2回提出のこと
1。図像・画像(絵画/写真/挿絵/グラフ/)を1点選び、その図像・画像について、いったいそれが何なのか、どうして選んだのか、その図像・画像が意味するものはなにかを記述しなさい。
締切は、11月5日(授業時のコメントシートといっしょに提出すること)
2。ドキュメンタリー作品を1点鑑賞し、そのドキュメンタリーについて批評せよ。なお鑑賞した作品に関してはそれに触れたことがない人にも概要がつかめるよう簡潔な紹介を付すこと。(DVDでもテレビの放映でも可)。
締切は、12月17日(授業時のコメントシートといっしょに提出すること)
注記:他人と同じものは0点とする。またウェブにある文章の剽窃(コピペ)も0点とする。
3学期が終了したら、すぐに4学期=冬学期が始まります。
火曜日から「くらしと健康 制度としての医療 (J)」の集中講義が始まります。授業の目標
我々の生は、医学・医療との普段の関わりによってなりたっています。 制度としての医療の基本を学びます。 授業の概要
医学・医療の専門家の方々をおよびして、医学制度の基本をお話していただきます。 リレー講義となります。1月26日(火曜日)
2時限 河原和夫教授(政策科学)「日本の医療の制度的枠組み」
3時限 清野薫子講師(国際保健医療協力学)「社会と健康」
4時限 清野薫子講師(国際保健医療協力学)「保健予防政策」
5時限 清野薫子講師(国際保健医療協力学)「感染症及び特殊疾病対策」
1月27日(水曜日)
3時限 伏見清秀教授(医療政策情報学)「医療提供体制(医療機関)と医療需要」
4時限 伏見清秀教授(医療政策情報学)「医療提供体制(医療従事者)と医療需要」
5時限 (レポート準備)
1月28日(木曜日)
3時限 河原和夫教授(政策科学)「医療費の流れと財政」
4時限 河原和夫教授(政策科学)「医療を取り巻く産業」
5時限 中村桂子准教授(国際保健医療協力学)「医療の産業化および国際化」
1月29日(金曜日)
2時限 (レポート準備)
3時限 高瀬浩造教授(研究開発学)「医療安全とリスク管理(医療訴訟)」
4時限 高瀬浩造教授(研究開発学)「医療のこれから」
5時限 吉田雅幸教授(先進倫理医科学)「先端医療」
6時限 最終レポート作成&提出
ひとりで6時、室温12.3度。ちいさいちびは、試合。勝っても負けても2試合目があるそうです。妻とおおきいちびも応援に行きます。→ちいさいちびは、ボールをもって、8時前にでかけました。妻とおおきいちびは、9時半頃でかけました。
おおきいちびはお昼過ぎ、妻は3時前後で帰ってきました。早速ビデオをDVDにうつす作業。うつすのには、撮影したのと同じ時間がかかります。その間は、男子バスケの決勝戦を見ていました。栃木はここまでよく頑張ったが、決勝戦で力尽きたといったところでしょうか。試合が終わったころに、DVDが出来上がりました。すぐに視聴。
第1クオーターはこてんぱんでしたが、第2クオーターからもりかえし、負けたとは言え、まずまずの内容でした。第2試合目を見ていると、本人が帰ってきました。私、成長したわ、とちいさいちびは言っていました。おおきいちびの見立ても、ちいさいちびはうまくなったそうです。
友達にあげるため、DVDはもう1枚作りました。
ひとりで6時40分。室温11.8度。すぐにおおきいちびを起こしに行ったら、起きつつありました。今日は、ちいさいちびがオフ、おおきいちびが午前練。昨日とは逆になります。ちいさいちびは友達と映画を見に行くと言っています。ちいさいちびはお昼ご飯を食べてからでかけました。
午後2時、息子のランニングにつきあいました。いつものようにハラッパ公園。今日は私も息子もあまり体調がよくありません。息子は脇腹が痛くなったようです。(本人は腸が痛いと言っています。)2キロで打ち切りにして、しばらくベンチで休んでから帰ってきました。私は急ぎ足のときの歩幅を知るために、1周500メートルで何歩かかるか数えていました。80センチぐらいでした。走ると1メートルを超えるのでしょうか。
ひとりで6時30分。室温12.1度。ちいさいちびだけ学校があります。土曜日学校。お昼に帰ってきて、しばらく休んでから、再登校です。
おおきいちびがランニングシューズがほしいというので、吉祥寺の専門店に行くことにしました。普通のお店には、自分の足にあうメーカーの靴があまり置いていないということで、専門店に行くことにしました。10時頃でかけました。
お店からすると朝一番のお客さんになったと思われます。お店のおねえさんが丁寧に対応してくれて、ちょうどよい靴を見つけることができました。今履いているものよりわずかに大きな靴です。ソールも勧められましたが、かなり悩んで必要ないという結論。
支払いをすませてから、本屋さんに行くというので、ジュンク堂。おおきいちびの探していた本は見当たらず、私が雑誌を2冊買いました。
『情況』第4期2015・2016 12月・1月新年合併号、特集:文明史の転換と科学批判・シリア
『ワイアード』第20巻、未来都市のつくりかた、人工知能の2点を特集しています。おおきいちびがリュックもほしいというので、そこからパルコの方へ。リュックの置いてある店をブラウジングしながら、結局、パルコ1階の外のお店で、ちょうどよいものが見つかりました。
西荻に戻り、セイユウで夕食の材料のうどんと焼きそばを合計8人前買ってから、お餅屋へ。相変わらずの人気です。店頭にはなにもありませんでしたが、注文すると、その分をその場でつくって渡してくれました。5人分買いましたが、食べるのは3人かもしれません。
帰り着いてちょうど昼食。ちいさいちびが食べている最中でした。
午後は、バスケの試合をテレビで1試合みました。トヨタ対アイシン。同点で延長戦となりました。バスケでは、こういうふうにとてもスリリングな展開になることの多いことがわかってきました。
ひとりで5時35分。室温11.4度。こどもたちは全員始業式。小学生は6時25分、おおきいちびと妻は6時半、そして、ちいさいちびは7時20分に起こします。
私は午後歯医者さん。→2時20分にでかけ、3時40分頃帰ってきました。帰途、ちいさいちびとすれ違いました。おくれる、といって、部活着で走っていました。帰り着いて妻に聞くと、ドラマを見ていて、残り10分というところで走り出したのだそうです。私も歯医者さんに行く前、すこしだけですが、いっしょに見ていました。夕刻に次の本が届きました。
日本SF作家クラブ『あしたは戦争: 巨匠たちの想像力[戦時体制] 』ちくま文庫、2016夜、次の本が届きました。
ヨアヒム・ラートカウ『ドイツ反原発運動小史――原子力産業・核エネルギー・公共性』海老根 剛,森田 直子訳、みすず書房、2012
「あれから一年、フクシマを考える」(2012年3月)、「ドイツ反原発運動小史」(2011年)、『ドイツ原子力産業の興隆と危機 1945-1975』の「結論」、「核エネルギーの歴史への問い 時代の趨勢における視点の変化 (1975-1986)」(1993年)の4点からなります。
ひとりで4時45分。室温13.6度。本日も午後に会議。木曜日は通常会議はない日ですが、特別に設定されました。
朝、お尻が爆発。一日中、痛みを抱えていました。
久しぶりの駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、10時18分武蔵境発の西武線。デスクワーク。処理すべきことはそれなりにあります。3度目催促をうけた、研究倫理のテストを1時間で行いました。なんとかクリアー。
昼食後は、レスポンスシートの採点をしました。全体としては好水準。
4時から会議。主催者が出張から帰ってこず、1時間以上、事務の方が説明されていました。オープンアクセスを推進することを役員室で決定したそうです。問題は別の所にありますが、AA 研の所長が的確に指摘されたので、私は、いつものようにただ1時間半座っていました。
6時52分多磨駅発の電車で帰ることができました。
[諸所の締切]
自分のために、締切情報をまとめておきます。
本務校。成績締切:1月29日(金曜日)
本務校。シラバス締切:1月31日(日曜日)
残りは調べてから。
医科歯科MMA シラバス締切:1月29日(金曜日)
2016年の授業ですが、原則すべて2015年度の継続とするつもりです。
本務校。学部専門演習と卒業論文演習:集まった学生にチューニングすることを除けばこれまで通り。
本務校。大学院 月曜日3限「ヨーロッパ歴史文化論」:視覚文化論・視覚文化史の基本文献を読もうと思っています。
本務校。大学院 月曜日4限「思想文化論」:核と原子力の問題を継続します。さて、テキストはどうしましょうか?ドイツの核と原子力への対応からはじめましょうか。
本務校。学部世界教養科目。これまで1学期2学期ともに「表象文化とグローバリゼーション」として開講してきましたが、2016年度から春学期は「世界文学」、秋学期は「表象文化の世界」として、衣替えします。都甲先生と和田先生の最後の授業となります。
東大駒場:(曜日時間割教室はおそらく本年度と同じ)今年度の継続とします。19世紀末に焦点のひとつをあわせたいと思っています。
東京医科歯科大学 MMA:こちらも今年度の継続とします。1回または2回、内容を差し替えるかもしれません。(実施は9月なので、夏休みに最終決定すれば、まにあいます。)[『毎日かあさん』]
息子が居間の本棚にある『毎日かあさん』を取り出して、おもしろいといって、はまっています。居間の本棚には、2巻欠で、5巻までおいていました。2巻は探せば我が家のどこかにはあると思いますが、まだ探し出すことができていません。
『毎日かあさん』は、もちろん、おもしろいのですが、息子が小4ではまるとは思いませんでした。その先も読みたいというので、6巻から順番にアマゾンに注文しました。昨日は、6巻と8巻が届きました。最新刊は、12巻のようです。それには、毎日新聞連載14年目とあります。新聞連載1年分で1巻といった感じで、巻を重ねているようです。
ひとりで6時5分。室温13.3度。今日も会議の日。今週は、火、水、木と会議の日です。いつもは、火曜日と水曜日が会議の日。
朝すこしのんびりして、10時18分武蔵境発の西武線。いくらかデスクワーク。少数の案件を処理しました。
12時40分から大学院企画運営室会議。2時20分ぐらいまで。そのあと、すこし話し合いがありました。
『総合文化研究』に書いた論文の校正を行いました。そのほかにもすこしだけ案件を処理して、3時52分多磨駅発の電車に乗りました。
帰宅すると、ちいさいちびが塾に向かう直前でした。塾でのはじめての実力試験があるということで、緊張気味でした。
ひとりで4時50分。室温12.9度。私は今日から本格始動。午前と午後に会議。
8時半、武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで昼食を買ってから、研究室へ。まず、メール。仕事も来ていました。すぐには処理できないので、後回し。
10時10分から、11時40分まで、学長室で会議。昼食を挟んで、12時40分から2時過ぎまで科長室会議。
その後、図書館に2度行って、ILL で届いている本を一冊借り受け、コピーを1点受け取りました。
Marie-Louise von Plessen, Ulrich Giersch eds., Sehsucht : das Panorama als Massenunterhaltung des 19. Jahrhunderts, Katalogredaktion, Stroemfeld/Roter Stern, 1993
三輪健太朗「トム・ガニング「インデックスから離れて : 映画と現実感」」『映画学 / 早稲田大学大学院文学研究科映画研究室』26(2012): 74-81
この論考は、短いものなので、すぐに読みました。<論文紹介>とあります。ガニングの論文を紹介し、批評したものです。ガニングの問題関心は、レフと共有しています。たたし、レフとは違い「インデックスから運動へ」というふうに問題をとらえているということです。「映画の始まりに今一度目を向け直す。そして、19世紀末に現れた映画とは、電話や蓄音機、X線などの新しい発明がごった返していた状況下に登場したものであり、はじめからメディウムとしての特異性を示していたわけではなく、むしろメディウムの混交状態をこそ提示していたのだと指摘する。」(p.77 上段)4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。会議は一日で十分疲れました。
ひとりで5時45分。室温12.0度。昨日の暖かさがまだいくらか残っています。我が家は本日から始動。おおきいちびは午前練があります。7時40分には家をでると言ってます。私は歯医者の再開。ちいさいちびは塾の再開。そして、年末年始にたまっていた燃えるゴミをやっと今日出すことができます。2袋。
[たぬき再出現]
下に降りてきた妻が、洗濯物を干しているとベランダからタヌキが見えたといいます。そう、たしかに昨日から猫にしてはおおきながさごその音が裏の家からします。急いで外を見てみると、以前にもタヌキがいた場所に、立派な大人のタヌキがいました。写真を撮ろうとしたのですが、カメラが間に合わず。しばらく裏の家に滞在するのであれば、写真を撮れる機会があるかもしれません。
情報を調べてみました。裏の家にはじめてタヌキが出現したのが、ほぼ4年前です。4年前の冬、正確には、2011年12月17日(土)に妻が目撃したのが最初です。
そして、その翌年の6月、今度は親子連れが出現しています。赤ちゃん連れの場合、生息地が近いということで、何度も目撃しています。6月26日(tanuki3)と6月29日(tanu5)には写真を撮ることができています。2012年6月26日
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2012年6月29日
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ひとりで5時45分。室温10.8度。今日と明日は、晴れて暖かくなるようです。予報によれば、今日の最高気温が15度、明日の最高気温が16度です。
妻は、昨夜息子と私が寝たあと、年賀状を完成していました。息子は、印刷を手伝ってやって、なんとか午前中に仕上げました。マインクラフトのゲームの映像を使っていました。昼食後、おおきいちびのとあわせて、私が投函してきました。抜けるような青空に、暖かい空気。セーターが暑く感じられます。天気予報では、4月の陽気と言っていました。
小学生が起きて、6時50分。室温9.6度。寒いのは寒いのですが、すこし身体が慣れてきたようです。以前のように、おおー、さむという感じではありません。午前中、ウォルト・ディズニーの生涯を追ったBSのドキュメンタリーを見ました。50分×4回ものでした。もう一歩、ウォルトのダークサイドに踏み込んでいるともっと面白い番組になったと思いますが、それでも、十分しっかりとしたドキュメンタリーに仕上がっていました。ウォルトは、新しい世界を切り開いています。とくに初期のギャグアリメからストリーアニメ(白雪姫)までの、アニメの開拓者としてのウォルトの歩みは面白い。
10時前後、ちびどもは今日もおでかけ。ママといっしょにララポートに行きました。小学生はお年玉で注文したカードが届いてから、また公園にマラソンに行くと言っています。
一昨日と同じく、2時にでかけました。小学生は今日は2キロランニングしました。昔より体力はついてきました。その後、夕食のこともあるので、セブンーイレブンに寄りました。ちょうど荻窪郵便局の前で年賀状を売っています。歩道橋を渡って、30枚を買い足しました。小学生は、セブンーイレブンで飲み物(タピオカミルクティー)を買いました。いつもとは違う道で帰りました。私は4キロぐらい歩いたでしょうか。息子は2キロ走り、3キロ歩いたことになると思います。
夕食はローソンでおかずを買ってきて息子と二人で食べました。我が家の女性陣は買い物が長くなったので、食べてから帰ると連絡がありました。→7時半ぐらいに帰ってきました。予想よりかなり早い。食べ物は持っていました。帰り着いて各自買ったものを食べていました。
おおきいちびが友達と日の出を見に行くと言って、6時10分、室温12.1度。おおきいちびは、6時20分、自転車で飛び出しました。東京の日の出は6時50分。地平線は見えないので、それよりいくらか遅くなります。もうすこしゆっくりでよいと思いますが、友達との約束ということで近所の公園に走りました。
7時、息子が起きてきました。
7時15分、窓から外を見ると、屋根に日が当たっているが見えます。東京でも無事日の出を見ることができたと思います。
7時40分、友達と遊んで楽しかったと言っておおきいちびが帰ってきました。ハラッパ公園にもそれなりの数の初日の出組が来ていたそうです。
昼食後、ちびどもは、妻といっしょにスケートにでかけました。私と小学生でお留守番。→ちびどもは5時半頃帰ってきました。
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