ひとりで5時10分、室温11.9度。とうとう1年の最終日です。起きて態勢が整うとすぐに年賀状作成にかかりました。簡単バージョンでいくことにしました。9時までに95%ぐらいはこなすことができました。残りはあとまわしにして、出来たものを先に投函しました。よく晴れています。
午後2時、息子が運動するというので、近所のハラッパ公園までジョギング。私は、走ってはいません。早足。息子はジョギングしました。ハラッパ公園では、500メートルトラックを息子は3周走りました。私は2周歩きました。
冬休みの間、1日おきに走るそうです。ちょうどよい運動になるのではないでしょうか。
ひとりで5時15分、室温10.0度。起きてすぐに、12月22日に受け取った訳稿のチェックをはじめました。27日に着手した作業の継続です。100%とは言えませんが、一応最後まで目を通しました。
おおきいちびが本日から年賀状作成に着手すると言っています。あわせて私の方も着手したいと思います。→印刷はいくらか手伝ってやりました。おおきいちびは面倒だと言いながらでも午前中には年賀状を終わらせました。
私は昨日の作業の継続の方に力を傾注することにしました。年賀状には着手できないまま、おおきいちびがルーズリーフを作る穴開けパンチが欲しいというので、ヨドバシまで連れていってやりました。靴屋さんを見たいというので2軒の靴屋さんをまわり、駅ビルのなかでパンとコーヒーを買って、それから西荻駅構内で年賀状を追加で20枚買ってから帰ってきました。
帰宅してから再度訳稿のチェックに戻り、完全というわけではありませんが、作業を終了させました。
年賀状は、夜から朝の仕事になります。この年末年始は、ほぼ仕事です。年末に届いて封を開けただけのゲラを確認しました。200頁強あります。1ヶ月の時間をもらっています。こちらはまったく問題なくこなせると思います。
ひとりで6時20分、室温9.6度。この冬はじめて10度を下回りました。高校バスケのウィンターカップは、男子の決勝戦と3位決定戦を残すのみとなりました。今朝の朝日新聞はかなりおおきく取りあげています。全国高等学校体育連名、日本バスケットボール協会とあわせて筆頭主催者に朝日新聞の名前があります。なんだ、甲子園といっしょなんだ。
朝一番で息子を連れて大学に行って来ました。メールボックスのなかみを確認するのが第1の目的でしたが、息子が掃除をしてもよいというので、研究室の掃除をやってもらいました。床の拭き掃除と掃除機がけ。かなり汚れていた床がきれいになりました。
ちょうど12時に帰宅しました。ウィンターカップ男子の決勝戦が始まったところでした。こちらは、前半調子のでなかった優勝候補が後半の途中から復活して、優勝候補の優勝となりました。我が家はみんな負けた土浦日大の方を応援していました。その後、なんとか持ち帰ったゲラの校正をほぼすませました。何度もよく見たつもりですが、まだ少なからずミスが残っていました。嗚呼!
出版社から、年明けには、『スクリブナー思想大事典』(丸善出版)を出せるという連絡があったので、アマゾンで見てみました。全10巻で29万1600円。アマゾンでははクリスマスに出版されたことになっています。通常9〜11日以内に発送しますとあります。この掲示は、ほぼできていると見てよいでしょう。
この値段ですから、個人で購入する方は限られてきます。図書館もちょっと悩むかもしれません。
ひとりで6時、室温10.9度。冬らしい寒さになってきました。おおきいちびは午前練があると言って、早く起きて、朝ご飯を食べて、出かけました。昨日のウィンターカップはとても面白かったと言っていました。
12時から女子の決勝戦。こういう展開もあるんだという展開になりました。指導者が 女子バスケにはまるのは、このおもしろさがあるからか、と勝手に納得してしまうような劇的な展開でした。桜花を最後の最後で逆転して、岐阜女が優勝しました。
バスケの練習から帰ってきたおおきいちびによれば、今年の桜花はこれまでのようには強くないんだそうです。昨日の編集委員会で持ち帰った仕事をなんとかこなしました。何点か残っていますが、ある委員のメールをもらわないと進められないので、これは待機です。
[年賀状]
ちいさいちびが起きてきて、年賀状に着手しました。我が家の第1号です。私は昨日カバンのなかに訳稿を入れて、チェックしていました。電車のなかでは全部は目を通すことはできていません。この作業が終わらないと年賀状に着手する気になれません。ほんとうの年末年始で慌ただしく年賀状に向かっていることになりそうです。
ちいさいちびは午前中に集中して、年賀状を書き上げました。印刷は一部手伝いました。プリント設定がいろいろあり、なかなか難しい。新しい生物学史研究が届きました。No. 93(2015年12月)です。特集を2つ組んでいます。特集の1は、「シンポジウム:放射線の健康影響問題を歴史学の観点から捉え直す」です。特集の2は、「国際シンポジウム:帝国を調査する―フィールドワークの科学史に向けて」です。
ひとりで6時10分、室温12.3度。おおきいちびは東京体育館にウィンターカップを観戦に行くと言っています。8時半現地集合だそうです。
→ちいさいちびが起きてくるまで、女子の準決勝をテレビで見ていました。ともにスリリングで面白い試合となりました。最後の3分になって、"神"シュートが続きました。午後に理事会・編集委員会・忘年会。お昼ご飯を食べてから出かけ、夜帰ってきます。
→1時前に家をでて、2時前に東工大に着きました。編集委員会は1時間。その次は理事会。予定より早く進行し、途中45分程度の待ち時間が出来ました。京都からお見えになった方が合流し、さらに30分程度協議し、忘年会会場へ。
お店の方は梶さんのことをよく知っておられるようです。かじさん、かじさん、と何度も呼ばれていました。10時ぐらいに終わり、11時頃帰宅しました。
私は歯磨きをし、お風呂に入ったあと、久しぶりに夜のテレビを見ていました。食卓の上に次の本が届いていました。
ウィリアム・バイナム『医学の歴史』鈴木晃仁・鈴木実佳訳、丸善(サイエンス・パレット)、2015
ひとりで5時、室温12.8度。おおきいちびは朝からバスケ。妻とおおきいちびを6時半に起こしました。すぐに起きたのは小学生。ちいさいちびは午後にバスケ。
今、高校バスケのウィンターカップが東京体育館で開催されています。おおきいちびは準決勝か決勝戦を見に行くと言っています。私と妻は、J-COM ですこし見ています。
ひとりで6時20分、室温15.1度。クリスマスの朝は暖かくなりました。ホワイトクリスマスとまではいかなくてももうすこし寒くてもよいような気がします。
6時半に妻とおおきいちびを起こしました。おおきいちびの部活(朝練)です。子どもたちは全員終業式。最初に帰ってきたのは小学生。ついでちいさいちび。4時から部活があるということで、3時40分に再登校しました。おおきいちびは午後の部活があるのでいつもと同じ時刻。→6時25分に帰ってきました。
私は午前中に歯医者さん。10時25分に歯医者さんに着きました。たぶん35分ぐらいから治療室に呼ばれて、終わって歯医者さんを出たら、12時5分前。上の左側の歯垢除去を麻酔をかけてしてくれました。ほんとうに丁寧にやさしくしてくれます。30代に世話になった歯医者さんとは大違いです。
クリスマスなので、 My Facebookに、ちょっとした遊びを施しました。
今月は、クリスマスに100枚を突破しました。
ひとりで4時50分、室温12.0度。今日は誰も起こす必要がありません。
去年は12月6日に室温が10度を下回っています。この冬はまだ室温が10度を下回ったことがありません。午後に年内最後の授業。
ウィンターカップをつい見てしまったので、10時半武蔵境発の西武線となりました。駅前の中華屋さんで焼きそばを食べてから、図書館へ。必要な本は貸し出し中でした。
今日は、学生から多くのメールが来ました。いろんな用件が偶然重なりました。ひとりは、1時に見えて、署名押印。事情があって休学する学生です。
卒論ゼミの学生たちといっしょに6時4分多磨駅発の電車。最後は100メートルほど早足で電車に飛び乗りました。昨日の3点の論文に続き、月曜日に大学図書館で借りだした、レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』(堀潤之訳、みすず書房、2013)から第6章「映画とは何か?」を読みました。これは素晴らしい記述です。今後映画とアニメを語るための基本的観点と用語と枠組みを提示してくれています。このタイトルの書物から、こういう内容を想像することはほぼ不可能です。
p.437 スティーヴン・ニールは、初期映画が、自然の動きを再現することによって、どのようにみずからの真正性を証明したかを記述している。「(写真に)欠けていたのは、風、すなわちまさに現実の自然な運動のインデックスだった。それゆえに、単に運動やスケールに対してだけではなく、波や海面のしぶき、煙や水煙に対する同時代的な異常なまでの魅惑が生じたのである。」
→写真の前身とされるカメラ・オブスクラの比較をここで試みると、カメラ・オブスクラの視覚においては、写真に欠けていたものが強調されていたと言える。しかし、「波や海面のしぶき、煙や水煙」に対する執着は、おそらく初期映画に特徴的なものだと言えるでしょう。
p.414 にある本文ゴチック(太字の部分)をまるまる引用しておきます。「デジタル映画とは、多くの要素のひとつとしてライヴ・アクションのフッテージを用いる、アニメーションの特殊なケースである。」「アニメーションから生まれた映画は、アニメーションを周辺に追いやったが、最終的にはアニメーションのある特殊なケースになったのである。」
p. 408 「映画は、テクノロジーとして安定するやいなや、その巧みな術策という起源にまったく触れなくなった。20世紀以前の動く絵を特徴づけていたすべての事柄―手作業による画像の構築、ループに基づくアクション、空間と時間の離散的性質―が、映画の偽りの親類、映画の補完物にして影、すなわちアニメーションへと委ねられた。20世紀のアニメーションは、映画が置き去りにした19世紀の動画像の技法が保管される場となったのである。」
p.409 「映画はみずからの制作過程の痕跡を何としてでも消し去ろうとする。」
p.406 「映画以前の技法には、いくつかの共通の特徴がある。まず、それらの技法はすべて、手で塗られたり、手で描かれた画像に頼っていた。幻燈のスライドは少なくとも1850年代までは描かれたものだったし、フェナキスティスコープ、ソーマトロープ、ゾートロープ、プラクシノスコープ、コリュートスコープ、そして19世紀の他の多くの前映画的装置で使われた画像に関しても同様だった。」
「画像は手作業で作られていただけではなく、手作業で動かされてもいた。」
「画像の自動的な生成と自動的な投影は、19世紀の最後の10年間になってようやく、最終的に結びついた。」
ひとりで3時45分、室温13.5度。
休日です。私の腰の状態を考えると、今日の休日はとてもたすかります。腰が痛いまま年を明けなくてもすみそうです。おおきいちびは朝から練習試合。妻といっしょに6時に起こします。ちいさいちびは午後部活です。
新聞に高校のウィンターカップの宣伝が一面を使ってありました。娘がバスケ部に入っていなければ知らなかった世界です。今日から東京体育館で試合があります。テレビで全試合放映ということです。2試合ほど見てみました。
おやつの時刻、すこし動いた方がよいかなと思い、簡単な買い物にでました。ちょうど雨が降ってきました。痛みがなくなったわけではありませんが、普通に動く分には腰は問題ないようです。たすかりました。次の論文をダウンロードして読みました。
中路武士「映画の痕跡学―初期映画、表象技術、記憶保存―」『(早稲田大学)演劇研究センター紀要』VIII(2007): 251-269
飯田隆「分析哲学としての哲学/哲学としての分析哲学」『現代思想』32巻8号(2004): 48-57
前川修「メディア(論)の憑依―ポスト・メディウム状況における写真―」『(神戸大学)美学芸術学論集』第7号(2011): 3-14
飯田隆さんの論考は、『映画理論と哲学』を材料にしています。
ひとりで5時30分、室温13.1度。すこしですが、寒さが緩んだようです。おおきいちびは朝練。私は午後に会議。
12時18分武蔵境発の西武線。研究室でデスクワーク。ふと思いついて、いつもとはずいぶん違う検索ワードで学術検索しました。次の論文がヒットしました。
増田展大「原形質のメディア考古学:エミール・コール『楽しい細菌』をめぐって」『(神戸大学)美学芸術学論集』10(2014): 24-38
これは、意外でした。このタイトルでこの内容は予想できませんでしたが、視覚文化論の論文です。展開はしてくれていませんが、関心の論点に触れており、重要な視点を提示してくれています。(視点ショット等)2時半からの会議は、15分もかからずに終了しました。その足で、図書館に向かい、次の本を借り出しました。
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、みすず書房、2013
増田展大さんの論文の注で知った著作です。
腰のこともありますし、今日の学校は以上で終わりにしました。3時4分多磨駅発の電車に乗って帰ってきました。
帰宅後のことです。増田展大さんの論文がハッキングの『表現と介入』の第11章を注に挙げています。そういえば、ハッキングもきちんと読んでおいた方がよいなと思い、足元の本棚から引っ張り出しました。第11章は「顕微鏡」。かなりちゃんと読んでいます。日付がないので、いつとははっきりとはわかりませんが、書き込みから判断するにしっかりと読んでいます。すっかり忘れていました。夜、次の本が届きました。
オリヴィエ・ブロック『唯物論』谷川多佳子・津崎良典訳、白水社 (文庫クセジュ) 、2015
印刷が12月10日、発行が12月30日です。つまりできたてほやほやで届いたことになります。学位論文でガッサンディを扱ったブロックが書いた唯物論史です。
→訳者後書きによれば、ブロックさんは、モーリス・パンゲさんのクラスメートで親しい友人だそうです。ここでパンゲさんの名前を見るとは思いませんでした。
ひとりで5時50分、室温11.6度。午前中に会議、午後に授業。大学は年内最後の週となります。ちいさいちびもおおきいちびも朝練があるということで、ちいさいちびは7時前、おおきいちびは7時過ぎに出かけていきました。ちょっと疲れ気味の小学生は、高校生が出かける直前に起きてきました。
9時半武蔵境発の西武線。先に図書館によって、次の論文を受け取りました。
大原 まゆみ「パノラマ,ディオラマ,動くパノラマ : 十九世紀の視覚情報娯楽産業群」『実践女子大学美學美術史學』11(1996): 43-67
これは、基本をしっかりとまとめた好論考です。
→パノラマは、18世紀末の新造語。「専用の円筒型建物(ロトンダ)の内壁に連続して巡らされた巨大な絵画により、水平方向360度の全方位から観客を包み込む」(p.44)。もっともよく描かれたのは、「有名都市や名高い景勝地の景観」(p.49)。実際に使われた新技術として、パノラマグラフやカメラ・ルシダのような、下絵をキャンバスに正確に拡大して写し取るための光学装置があった。
「ディオラマは、パノラマに三十五年遅れて登場した視覚メディウムを指し新造語で、・・・、透過による眺めを語源としている。・・・背後の光源が絵を透過してもたらす効果を巧みに用いて、同じ場所の眺めが時間や天候によって変化するさまを見せる絵画」(p.55)であった。この語も、本来の流行が衰えてからは意味するところが変わり、「科学、歴史、民俗博物館などで展示用に用いられる照明付き模型(ジオラマ)」を指すようになっている。(注15. 伊藤俊治氏の『ジオラマ論』は、本来のディオラマにはまったく関心を示していない。)
森さんは、ドイツ語の文献をつかっています。中心としては、Sehsucht: Das Panorama als Massenunterhaltung des 19.Jahrhunderts, Frankfurt am Main/ Basel, 1993.
「動くパノラマ」は、パノラマという語を使っているが、原理的にかなり異なる。「巻物形式の長い絵を二つのシリンダーの間に渡し、順次巻き取ることにより、静止している観客に空間と時間両方の変化、つまり運動(移動)のイリュージョンを与えるものであった。」(p.59)
「注10.ホットニュースを見世物にするには、小型のパノラマないし覗き絵が便利だった。19世紀末から20世紀初頭には「カタストロフ画家」がこの方面で活躍し、難破、火災、暴動、事故、災害、処刑など、に対応して数日後に展示できる態勢を整えていた。」(p.65)10時10分から会議。11時50分ぐらいまで。
昼食後、すぐに午後の授業。4限の授業では、新年会をすることになりました。日程は調整します。
ひとりおくれて7時25分、室温14.6度(暖房入りのため参考)。おおきいちびは部活&部活のクリスマスパーティにでかける直前でした。クリスマスパーティは持ち寄りということで、妻は大量の唐揚げを作っていました。私のあとに起きてくるのは、ちいさいちびのみという状況でした。妻とちいさいちびは高校駅伝のテレビ中継が終わってから買い物へ。今日は吉祥寺に行くそうです。昨日はララポートに行くつもりででかけましたが、ララポートが立川からモノレールに乗る必要があることがわかってパスしたそうです。あまり買い物もせず、9時半ぐらいに帰ってきました。
私は昨日からの腰痛が継続していてかなり辛い。
ひとりで5時5分、室温11.6度。
ちいさいちびは土曜日学校。小学生は、おねえちゃんの中学校でのイベント。おおきいちびはたぶん部活。
私の腰痛は、なおったとは言えませんが、改善しています。昨日は歩くのも辛いものがありました。痛みは感じていますが、昨日ほどではありません。会議の日程を見て、緊張がとけたせいかと自己解釈しています。→と思ったら、夕方になり、腰痛が復活してきました。歩くのも辛い。お昼過ぎにちょっとした買い物にでました。ものすごい好天で風が吹いています。太陽から降り注ぐ光はまるで春先のよう、しかし気温はしっかり低く、年末にふさわしい寒さです。
おおきいちびが帰宅してから、妻とおおきいちびとちいさいちびの3人で立川へ。イルミネーションを見て、買い物をして、帰ってくると言って出かけました。
息子と二人で留守番。夕ご飯は息子の好きなマック。ちなみに駅前のマックは数日前に改装工事をしていました。
ひとりで5時50分、室温12.1度。寒くなった感覚があります。
昨日の午後、大学にいる間に、腰が痛くなりました。ひどく痛いわけではないのですが、それでもちょっとした動作に影響するぐらいには痛い。朝目覚める時間も遅くなっていますが、学期の疲れが身体に来ているようです。お昼すぎに歯医者さん。→12時35分に家をでました。帰ってきたのが2時15分。歯科技師さんが懇切丁寧に歯ブラシの仕方と歯間ブラシの使い方を指導してくれました。その後、全面的な歯石除去。一箇所、触られると痛い歯があることが判明しました。治療のまえの掃除といったところです。掃除をすませてから、治療に入るそうです。
今日はとくに辛い治療があったわけではありませんが、帰ってくると、蛻の殻状態です。(たぶん、この言葉は間違えています。一種の心の虚脱状態を指しています。間違いですが、これもたぶん、通じるでしょう。)
夜半に目覚めてすこし仕事。お腹が空いていました。軽食をとりました。ひとりで6時50分、室温15.3度。妻と小学生をすぐに起こしました。暖かい日が続いています。
午後に授業。
10時半武蔵境発の西武線。事務棟3階に行って物品を受け取ってから、研究室へ。11時になってすぐに生協へ。久しぶりに生協での昼食。帰り、富盛先生にお会いしました。定年退職されてから5年経っているのではないでしょうか。
3限に5限の簡単な打ち合わせ。4限5限の授業。4限の最後には弁論大会2位の発表を本人からしてもらいました。1位の人は、2年前に性転換された方だったそうです。話題のインパクトにやられたと言っていました。そういうこともあります。
5限は、ゲスト。4限終了後、すぐに101教室に行きました。沼野先生も待機されていました。沼野先生の親しい方ということです。亀田先生がお見えになって挨拶し、コンピュータから無事画像と音声が出力されることを確認して、あとは、お願いしますと出てきました。5限の卒論演習は、風刺画。背景となる、顔相術、骨相学、の部分が聴衆の関心を引いていました。今年の学生は、出来たところまで全部提示するという方式になったので、進み具合がよくわかります。
終わってすぐに再度101教室へ。講義は終わられていて、学生たちがコメントを書いていました。亀田先生は、はじめてお見えになっているので、帰途をご案内しました。夜は本郷に戻られて、細川周平さんとの懇談会に出席されるということでした。
亀田先生、突然のリリーフ依頼にもかかわらず、外語にお見え頂き、ありがとうございました。帰宅すると、東浩記編『ゲンロン1』(ゲンロン、2015)が届いていました。娘に頼まれたマンガの『コウノドリ』も既刊分は全巻届いていました。次女がドラマにはまっています。
[年末スケジュール]
スケジュールを見てみました。来週は、月曜日にWG的な会議がひとつ、火曜日にほぼ座っているだけの会議がひとつあります。新しく飛び込んでくる可能性はありますが、今のところ以上の2つです。水曜日が休日ですし、そろそろ年内の仕事は終わりに近づいています。授業は、24日まで普通にあります。[2016年度学年暦]
未確定の部分を残すようですが、来年度の学事暦がほぼ固まったようです。昨日配られた資料によれば、次です。
4月6日(水曜日)春学期授業開始。
7月8日(金曜日)春学期授業終了。
4月29日(金曜日)祝日は、金曜日の授業を実施するそうです。
5月3日(火曜日)祝日は、火曜日の授業を実施するそうです。
7月11日(月曜日)夏学期授業開始。9月30日(金曜日)夏学期授業終了。
10月10日(月)祝日は、月曜日の授業を実施するそうです。
12月23日(金曜日)祝日は、金曜日の授業を実施するそうです。
10月3日(月曜日)秋学期授業開始。1月20日(金曜日)秋学期授業終了。
1月24日(火曜日)冬学期受賞開始。冬学期の授業終了日は、書かれていませんが、3月31日になるのでしょうか。レトロ・デジタル。
昨日の会議の途中、理事からデジタル××(言葉を忘れました)のための委員になっていただけないかと頼まれました。役職上、引き受けざるを得ない案件かと思い、その場で快諾しましたが、スマホもデジカメもすなわち一切のデジタル機器を身に付けていない自分の生活を振り返ってみて、私の生活は、レトロ・デジタル・ライフとでも呼ぶべき位相にあることに思い至りました。GPS も携帯の基地局もどの電波によっても私をキャッチすることはできない。ただ1点、記名スイカを持ち歩いているので、鉄道・電車への入退場は記録されています。アメリカの刑事ドラマなら、これも警察に筒抜けという設定になるのでしょう。
→ほんとうは、オープンアクセスと呼ぶようです。あとから打ち合わせの案内が事務の方から送られてきました。年明け早々に集まるということです。
ひとりで5時40分、室温14.9度。
午前中に歯医者さん、午後に会議。歯医者さんの前、今持ち歩いている『アンチ・スペクタクル』から、第4章、ジョナサン・クレイリー「解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」を読みました。さすが、クレイリー、素晴らしい論文です。マネの『温室にて』(1879)の解釈も素晴らしいですし、なによりも、「注意」概念の出現を切り出してみせる手つきがよい。視野を切り開いてくれる論文です。いろんなことを考えました。学問の世界における転(起承転結の転)の論文です。
10時15分に家をでて、郵便局で固定資産税を支払ってから歯医者さん。待機時間15分、治療法の説明約50分。2種類の治療法について、見積もりをくれました。ふーむ。
歯医者さんから学校に直行。武蔵境駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、11時54分武蔵境発の西武線。
午後の1番は、12時40分から。1時20分ぐらいに上がりました。
次の会議は、2時20分から。
最後の会議は、4時20分頃始まったでしょうか。ごく短く私が司会する時間帯がありました。2分程度。会議の後、打ち合わせがあり、5時52分多磨駅発の電車に乗ることができました。
帰宅すると次の本が届いてました。
Jason E. Hill and Vanessa A. Schwartz (eds.),
Getting the Picture: The Visual Culture of the News
Bloomsbury, 2015
多くの執筆者による1点数ページの記事が最初は年代順、その後はテーマ毎に編まれています。ちょっと想像したのとは違う体裁でした。→しかし、この書物は多くの分野の人にとってとても重要な書物になっていると思われます。第1部は「ビッグ・ピクチャー」と称し、年代順に並べられた26節からなります。第2部は、「報道写真史を再考する」と題され、イ)報道写真と出版ジャンル、ロ)報道写真メディア、ハ)報道写真時代、ニ)報道写真について語ること、ホ)報道写真の鑑識眼に分けられ、各パートに数点の記事が集められています。昨夜届いた『化学史研究』2015年第4号の目次です。
『化学史研究』第42巻第4号(2015)目次
[論文] 寺山のり子「ナチス体制下における化学と「ドイツ化学」」第42巻(2015): 175-190
[総説] 北原文雄「疎水コロイド安定性の化学史」第42巻(2015): 191-205
[広場]吉原賢二「ニッポニウムについて― Eric Scerri への反論―」第42巻(2015): 206-209
[広場]伊藤良一「旧制第六高等学校科学会とそのOB会の会誌『六稜科学』の百年」第42巻(2015): 210-222
[広場]ヨナ・シードラー「高田誠二先生の思い出」第42巻(2015): 223-224
[紹介]石橋悠人 「T. Ito, London Zoo and the Victorians 1828-1859 」第42巻(2015): 225-227
[紹介]菊地原洋平「山本義隆『世界の見方の転換』」第42巻(2015): 228-230
[会報]「2015年度総会報告」第42巻(2015): 231-234
先週の木曜日にゼミの学生の準優勝の件を書きましたが、大学のサイトにきちんとした情報が昨日アップされました。
吉津さん、ドイツ語弁論大会2位
→翌週、吉津さん本人にゼミで聞いたところ、京都外国語大学では毎週毎週、この弁論大会を開催しているのだそうです。いくつの言語で行っているのかは聞きそびれました。出場者全員に対して、交通費2万円の支給があり、入賞すれば順位に応じて、賞金や特典があるそうです。吉津さんは、2位についているドイツでの研修という特典を3位に子に譲ったそうです。→ちゃんと調べてみました。スペイン語弁論大会、フランス語弁論大会、ポルトガル語弁論大会、中国語弁論大会、ドイツ語弁論大会、イタリア語弁論大会がこの順に、11月8日から1週間おきに開催されています。今年の分は、すべて終了していました。
ひとりで6時半、室温15.1度。すぐに妻と朝練のあるおおきいちびを起こしました。疲れがたまっているのでしょうか、ここまで寝るとは思っていませんでした。外はどんよりした曇り空。午前中、妻につきあってもらって、ヨドバシに私の部屋の暖房機を見に行きました。デロンギは、いまいち高い感じがします。妻は、布団乾燥機の蛇腹が壊れたので、ちょうどよいのがあれば欲しいと言っています。いずれも、購入にまでは至らず。値段はわかったので、アマゾンでもよいか、となりました。
昼食後、私は電車に乗り込み、妻は買い物。午後に会議が2つ。
12時18分武蔵境発の西武線。
研究室で片づけをしているうちに、会議の時間。2時40分から。短くすんで1時間休憩。次の会議は、4時半から。終わったときには6時半を過ぎていました。7時4分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。[『心霊写真は語る』]
帰宅すると、次の本が届いていました。
一柳廣孝編著『心霊写真は語る』青弓社、2004
8人の著者による共著です。本屋さんは危ない本だと思ったのでしょう、完全にカバーをして送ってくれました。中身は、ちゃんとした写真論の研究書です。目次は次。
一柳廣孝「はじめに──「心霊写真」という問題系」
前川 修「写真論としての心霊写真論──心霊写真の正しい憑かせ方」
長谷正人「ヴァナキュラー・モダニズムとしての心霊写真」
小泉晋一「心霊写真を信じる心への心理学的アプローチ」
奥山文幸「心霊写真の発生」
吉田司雄「回帰する恐怖──『リング』あるいは心霊映像の増殖」
今泉寿明「精神医療と心霊写真──霊や精神疾患は写真に写るか?」
戸塚ひろみ「口承文化のなかの心霊写真」
小池壮彦「「眉唾写真」の魅力──霊と宇宙人」夜に、『化学史研究』2015年第4号が届きました。
ひとりで4時半、室温15.4度。
ちいさいちびと妻を6時20分、おおきいちびを6時半に起こします。ちびどもは朝練。→ちいさいちびと妻を起こしたあと、ゴミをだしました。空は全面雲に覆われています。しかし、雨は降っていません。今日から明日の午前中まではずっとこういう空模様のようです。金曜日の午前中に作業したファイルをこどもたちが寝静まっているうちに送り出しました。共同作業なので、私1人では動かせませんが、年内には何とかなりそうです。
9時6分武蔵境発の西武線。そのまま図書館へ。なんと図書館の入り口が変更になっていました。カードをスキャンする方式を止めていました。理由は不明です。
[『アンチ・スペクタル』]
次の本を借り出しました。
長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタル:沸騰する映像文化のアルケオロジー』東京大学出版会、2003
目次は次です。
長谷正人「序論 「想起」としての映像文化史」
ダイ・ヴォーン「第1章 光(リュミエール)あれ――リュミエール映画と自主性」
メアリー・アン・ドーン「第2章 フロイト,マレー,そして映画――時間性,保存,読解可能性」
トム・ガニング「第3章 個人の身体を追跡する――写真,探偵,そして初期映画」
ジョナサン・クレイリー「第4章 解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」
トム・ガニング「第5章 幽霊のイメージと近代的顕現現象――心霊写真,マジック劇場,トリック映画,そして写真における不気味なもの」
ヴァネッサ・シュワルツ「第6章 世紀末パリにおける大衆のリアリティ嗜好――モルグ,蝋人形館,パノラマ」
ベン・シンガー「第7章 モダニティ,ハイパー刺激,そして大衆的センセーショナリズムの誕生」
トム・ガニング「第8章 アトラクションの映画」
英語の本の翻訳かと思ったら、編者が選んだ論文を訳出していました。つまり、元の論文は英語ですが、この構成は日本語のオリジナルです。一番多いのは土曜日に紹介した、Leo Charney and Vanessa R. Schwartz (eds.), Cinema and the Invention of Modern Life, University of California Press, 1995 です。第3章、第4章、第6章、第7章がこの本から選ばれています。他はばらばらです。
最初、この本を手にとったとき、上の『映画と近代生活の発明』の翻訳かと思いました。翻訳にしては、タイトルがあまりに違う。序を読み通すと、第1章の始まる直前に、元論文のリストがありました。近森高明さんが<書評論文>で取りあげている論文がすべて採録されていますから、こういうふうに思っても当然です。視覚文化論/視覚文化史に関する基本論文を訳出したよい出版物だと思います。ただし、タイトルは、力みすぎだと思われます。視覚文化論/視覚文化史に関心があるものであれば、必ず読むべき本に仕上がっていますが、そのことがこのタイトルでは伝わりません。3限4限の授業。3限の院生は、数日前、A型インフルエンザから回復したということでした。受験生の妹からうつったと言っていました。逆だったらたいへんだった、とぽつりと。そのとおりです。
4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。帰りの電車で空腹を感じました。
ひとりで5時、室温15.0度。5時の時点でのこの気温はなかなかです。→雲には覆われていますが、まだ雨は降っていません。予報では、1ミリの雨の降る確率が80%でした。ある程度の降雨は覚悟しないといけません。ちいさいちびは駅伝大会。おおきいちびは練習試合。妻とおおきいちびを6時、ちいさいちびを6時40分に起こします。ちいさいちびがでかけてしばらくしてから、妻もちいさいちびの応援にでかけます。いつもと同じように、私と小学生二人で、お留守番です。
おおきいちびは、都立狛江高校、ちいさいちびと妻は、和田堀公園です。ちいさいちびのはじめての駅伝ですが、雨を心配していました。
妻は、4年連続、駅伝の応援に出かけています。4年連続は、娘達の中学では私だけだろうと言っています。おおきいちびが3年連続して出場しました。おおきいちびが高校生になって、ちいさいちびは中学2年生ではじめて出る気になりました。今回は初出場でアンカーを任されて緊張していたようですが、第1走者の子がほぼ中位で第2走者に繋いだようです。ほぼずっと中位だったようです。緊張感はすくなくてすんだようです。怒濤の1週間が過ぎたので、それまで手の出なかったところをすこしずつ補っています。 My Facebookもわずかずつですが、データをアップしていきます。
お昼前に次の雑誌が届きました。
『西洋美術研究』No. 18(2014) 特集:スペクタル
目次は次です。
秋山聰+木下直之+芳賀京子+古谷嘉章+京谷啓徳[座談会]「スペクタクルをめぐって」
フィリーネ・ヘラス+ゲアハルト・ヴォルフ(秋山聰監訳、太田泉フロランス訳) 「1462年ローマにおける聖母被昇天の祝祭行列:2つのイコンが出会う夜」
奈良澤由美「エウカリスティアの祭儀の典礼空間における聖性の強調と信徒の参加:フランスの事例を中心に」
京谷啓徳「新教皇のスペクタクル:ポッセッソの行列をめぐって」
森田優子「ヴェネツィアの祝祭と都市イメージ」
尾関幸「パノラマ:19世紀的多幸症の装置」
尾崎彰宏「レンブラントのスペクタクル:「受難」連作にみる「情念」の絵画化の射程」
小野尚子「《同胞のスラヴ》 総合芸術家としてのアルフォンス・ムハ」
石井祐子「シュルレアリスムとスペクタクル:シュルレアリスム国際展(ロンドン)の「幽霊」をめぐるノート」
石井祐子編「文献リストと解題」
冬の雨のなか、自分とちいさいちびのお昼ご飯を手に、妻は1時頃帰ってきました。
一休みしたあと、3時から5時、中学の PTA の仕事があると言ってまた出かけていきました。今度は、娘の通っている中学校です。→仕事がはやく終わったようで、4時半頃帰ってきました。おおきいちびはバスケボールをもって3時頃帰ってきました。家が一番近いということで、こういう場合はバスケボールの運搬役をやっています。お腹が空いたというので、ちいさいちびのために買ってきて余っていたお昼ご飯をちょうどよいといって食べました。ほんとうにちょうどよかった。
宿題の課題を調べるといって図書館に行きました。4時20分頃帰ってきました。ちいさいちびは、友達といっしょにお昼ご飯を食べてから帰ってくるという連絡がありました。お金は持たしていなかったので、友達に借りることになります。→4時前に帰ってきました。お菓子をいっぱいカバンにいれて帰ってきました。これで500円やばいと言いつつ、お菓子を食っています。→ソファーの上で眠そうにしていたと思ったら、毛布にくるまって寝てしまいました。緊張感もあり、疲れたのでしょう。
ひとりで6時10分、室温16.7度。昨日の暖かさがまだ残っています。ちなみに新聞報道によれば、昨日の都心では24,1度まで気温が上がったそうです。小学生は、土曜日学校。私は、朝一番で歯医者さん。ちびどもは部活。
9時20分にでかけました。9時半からの予約ですが、20分程度待ちました。最初は歯科技師さん、ついで院長先生による説明。私の歯の歯周病菌を4千倍の顕微鏡で見せてくれました。わおー。知識としては知っていましたが、実物を見せられるとまったく迫力が違います。歯の状態の全体的確認と説明。2ヶ月かけてまず細菌の治療に専念しましょうと言われました。終わって帰ると、11時5分前でした。
起きたときは、不吉な雲が空に広くかかっていましたが、歯医者からの帰り道は、快晴でした。天気のよい、普通の冬の日が戻っていました。ちいさいちびは、お昼まで練習試合です。片づけてから帰ってくるので、2時前。ちょうど次の本が届いていました。
小鷹信光『翻訳という仕事』The Japan Times, 1991
ハードボイルド小説の翻訳家として有名な小鷹さんですが、12月8日、死去されています。79歳だったそうです。学生時代、小鷹さんの小さなエッセイが好きでよく読んでいました。合掌。ふと、思うところがあって、かなりの数の論文をダウンロードし、次の2点をプリントアウトして読みました。
近森高明「<書評論文>モダニティと大衆化:世紀転換期のメディア・装置・施設」『京都社会学年報』5(1997): 231-237
Leo Charney and Vanessa R. Schwartz (eds.), Cinema and the Invention of Modern Life, University of California Press, 1995 の書評論考です。1章(トム・ガニングによる司法写真をめぐる論考)、5章(エリカ・ラパポートによるロンドンウェストサイドのデパートの研究)、11章(ヴァネッサ・シュワーツによる娯楽的な視覚装置の研究)に焦点をあわせて、まとまったストーリーを展開しています。よくわかる、好論考です。→ちなみに、ヴァネッサ・シュワーツさん(ドイツ語読みすれば、シュヴァルツさん)の行った授業について、8月27日に触れています。駒場の授業で一部採用しました。駒場の授業は今年から105分になっています。ずっと90分だったのを、4学期制採用にあわせて、15分延長したものです。13回、実際に105分授業を行ってみての感想ですが、私はとくに問題は感じませんでした。15分分をヴァネッサ・シュワーツさんから借用した学生各自の画像提示に当てたのが功を奏したと思います。視覚文化論の授業では、ヴァネッサさんの工夫は模倣の価値があると思います。佐近田展康「メディア技術の亡霊たち」『名古屋学芸大学メディア造形学部研究紀要』第2巻(2009): 33-42
これは、とてもよくできた論文です。今年私は視覚論関係の論文を多数読みましたが、邦語のなかではこれが最優秀賞に値します。ちょっとびっくりしました。著者の方はまったく知らない方ですが、力量のある方です。
→「現代社会において亡霊は現に機能している。」(p.33)
「我々の時代がテクノロジーに取り憑かれているという問題意識」(p.33)
「ある時期から、写真の登場以降に切り開かれたいわゆる「近代メディア技術」とともに、霊的なものの居所が変わったことに気づく。伝統的に宗教の分野に属していた霊、悪魔、幽霊、亡霊、怨霊などが、科学的合理主義の席巻のなかで、宗教的なものの衰退とともに住処を失い、近代メディア技術へと移住して来たかに見える。」(ibid.)
「写真や録音などのメディア技術について小史をたどり、現象学や精神分析の視点を含めた現代思想家のディスクールを、この技術と亡霊の観点から再検討するならば、「手に負えない《機械》の亡霊化作用」という問題が浮上してくる。」(p.34)
medium:霊媒
specter: 亡霊
spectrum: 幻像
spectacle: 見世物
phantom: 幽霊
「近代メディア技術登場の前夜に人びとの目を魅了していたのは、マジック・ランタン、ファンタスマゴリ、パノラマ館、ジオラマ館といった見世物(スペクタクル)だったし、そこでの格好の題材は他ならぬ「亡霊」だった。またソーマトロープ、フェナキスティコープ、ゾートロープといった視覚トリックを競う玩具は「ないはずのものが見える」「止まったものが動いて見える」といったある意味で亡霊的な目の快楽を与えながら、映画前史を形成していく。」(p.34)
佐近田展康氏の論文の核心となる論点のひとつは、「カクテル・パーティ効果」です。大人数のがやがやしたカクテル・パーティにおいても、人間の耳は、かなり離れた場所にいる人の会話を聞き取ることができる。しかし、それを録音して聞いても同じ効果は得られない。つまり、人間の耳は、無意識に「注意が向かう志向対象以外の音を」「ノイズとしてカット」しているということになります。
それに対して、写真では、アマチュアのスナップ写真であっても、フレームの「切り取り」がなされている。「カメラという機械のなかには、主体の選択的注意のベクトル、意識のフィルター機能、すなわち「意識の志向作用」の一部」(p.39)がはじめから組み込まれている。
しかし、そこには、必ず「偶然写り込んでしまう」ものがある。バルトは、これを、プンクトゥム punctum と呼び、写真を見るものを「突き刺す」と言った。
ベンヤミンはこれを「焦げ穴」と呼び、「人間によって意識を織り込まれた空間の代わりに、無意識が織り込まれた空間」がその穴から現出すると言った。
バルトのプンクトゥム、ベンヤミンの焦げ穴とは、「ラカン流に言えば、この《現実界》のかけらと遭遇する象徴秩序の小さな針穴であり、一枚の写真が突如として崇高な輝きを発したり、おぞましく不気味な霊気を発するトリガーなのである。」(p.36)
そして、もうひとつのポイントは、声の現前性と声の禁忌です。パロールのメディアである声は、「主体に対する絶対的な近さ、無媒介性、意識との一体性でもって、いまーここにある《現前 presence》を構成する。人間は「自分が語るのを聞く」存在であり、内言の声は意識と同義である。」(p.39)
「声の禁止は、他者の声、死者の声はもとより、「自己の声」において最も強く働くことがわかる。」(p.39) 「これは「手に負えない《機械》の亡霊化作用」が《現前》に及ぶことへの最高度の警戒であり、禁止なのだ。」(p.40)
→もう明白でしょう。亡霊とは、意識の志向作用からはみだした/除外されたものが点や焦げ穴から襲ってくるものです。無意識を認める以上、亡霊も認めなければならない。→佐近田展康さんはどういう方だろうと思い、ネットで調べてみました。神戸大学で社会学を学んだあと、コンピュータ音楽の実作者として活動されています。赤松正行とのユニット「ノイマンピアノ」や三輪眞弘とのユニット「フォルマント兄弟」でも活動している。研究論文としては他に「メディア論的視覚とメディア・アートの射程」がある。MAX(プログラミング音楽制作環境)の教科書も書かれています。
ひとりで5時50分、室温13.3度。夜半から雨。雨音がはっきりと聞こえます。
食卓の上には、つきあがったお餅がありました。妻が夜、餅つきをしたようです。私と息子は疲れていてはやく寝たので、まったく気づきませんでした。一仕事して、一休みして、部屋の窓を開けたら、晴れていました。しかも、吹き込んでくる空気がなま暖かい。雨が暖かさを連れてきたようです。昔の知識なので、間違っているかもしれませんが、温暖前線が通過したのでしょうか。→異様な暖かさと湿度です。隣家の窓が全部湿っていて水の流れる道ができています。我が家の室内も、廊下の壁紙に水が浮いています。この異常な湿度は長くは続かないでしょうが、記憶がないものです。→天気ニュースをみました。気温が20度を超えるかもしれないと言っています。本格低気圧の冬の嵐が通過しているようです。→昼食がすんでから、室温を見ると、19.9度。これは、午後のどこかで20度を突破するでしょう。季節が2ヶ月程度逆戻りしました。
午前中に、原文と対照しての訳文のチェックを行い、一部新しい訳文を考え、ファイルに反映する作業を終えることができました。もう一度見直してから、送り出します。
金曜日の駒場の授業は、今日が最終日。感覚としては、やはり不思議な感じが拭えません。長年の習慣の力は強い。
最終回は、全員に短く発表してもらいます。学年毎に名前を整理しました。2年生3人、3年生2人、4年生1人、院生3人、特任の方1人、合計10名でした。何となく10名かなと思っていましたが、はじめてきちんと数えました。
→2時半頃家をでて、3時半頃駒場に着き、判子、生協、本屋さん、図書館と回りました。図書館ではやはり新着雑誌を読んでいました。4時半頃、科哲教室へ。今日は会議があるということで、あかりのついていない部屋が多かった。
6時50分頃終了しました。これにて、今回の駒場の授業は完了です。
夜半に目覚めてすこし仕事。情報と資料の整理をわずかに進めることができました。明日は、ちいさいちびももおおきいちびにも朝練がなく、誰も起こす必要がありません。ひとりで5時35分、室温12.1度。室温の下降は順行中。
[ややこしや]
火曜日に2016年度のカレンダーが届いていました。やっと今朝封を切って、1月の予定の記入をはじめました。大学のスケジュールは、曜日の振替があって、やはりややこしい。いちいち学年暦を引っぱり出さないと、確定できません。1月7日(木曜日)は、木曜日ですが、月曜日の授業をやるとあります。ということで、1月の木曜日は、14日と21日となります。ちなみに、月曜日はその7日と18日です。
授業再開は1月5日(火曜日)。学期(秋学期といいます)の終了は、1月22日(金曜日)です。週末を明けてすぐに月曜日(1月25日)から冬学期が始まります。私は医科歯科の先生方に来ていただいている「医療制度について」の授業が火曜日(1月26日)から始まります。集中講義で、金曜日(1月29日)に終了します。
ちなみに、16日(土曜日)と17日(日曜日)はセンター試験ですから、会場準備のため15日の金曜日から大学は休講となります。本日は、たぶん飛び込みの学生の面談が1件、卒業生の訪問が1件、そして4限5限に授業です。
10時6分武蔵境発の西武線。学生との面談は、当初の予定の正午ではなく、5限終了後となりました。正午過ぎには、研究所で、来週の打ち合わせ。1時に卒業生の方が見えました。春から地元の役場で働くことになったということです。1週間ほど東京に滞在するそうです。
4限5限は、ゼミ。
4限の本ゼミが終了後、ドイツ留学帰りの学生から、ドイツ語弁論大会で準優勝したのですが、誰かに伝えた方がよいですか、という質問を受けました。先生方の助力を得ず、全部自分でやったそうです。私の方から広報担当の副学長に伝えておきますが、自分でドイツ語の先生に言っておいてくれるとよいかと思いますと返事しました。優秀な学生なのでこのぐらいは当たり前かなと思います。5限は卒論ゼミです。終了後、卒業アルバムのための写真撮影。自分たちで撮って生協に送ればよいそうです。アップルで働いている子がいて、iPhone をアップルウォッチでリモートコントロールして集団自撮をしてくれました。これができるのは、外語ではまだ彼女だけだと思われます。みんな、おお、と感動していました。普通のタイマー撮りも試みて、担当者が1点を選んで送りだしました。
5時40分から学生と面談。ゼミ選択のときに、インフルエンザに罹っていて、先生方との面談をきちんと行うことができなかったということです。まったく問題のない学生でした。
火曜日、水曜日は、会議の人でした。本日は、大学の先生でした。いつもより遅れて、6時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。新しいISISが届いていました。
ひとりで4時50分、室温12.8度。本日は朝9時から会議。一度休憩をはさみ、お昼休みの時間帯に会議が再開し、夕方まで連続します。わおー。
大学にいかないと出来ない仕事があります。おおきいちびが朝練で出かけたあと、すぐに出かけました。7時30分武蔵境発の西武線。この時間だと事務の方の顔をちらほら見かけます。
先になすべき作業を行いました。
朝の会議は9時から。11時前まで。
お弁当を食べる時間はあります。次の会議は12時40分から。休みなく続くかと思ったら、20分の休みが2度ありました。休みがあるのとないのでは、全然、違います。最後の会議は私が司会をしました。5時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。
帰宅すると、ちびどもはまだ帰ってきていませんでした。すぐに夕食、それからお風呂。まだ宿題はいくらか残っていますが、怒濤の会議二日間は、すぎました。
明日、明後日は、授業。すこしリラックスできます。
ひとりで4時50分、室温13.1度。また順調に朝の気温は下がってきています。
本日はおおきいちびが朝練。おおきいちびと妻を6時半に起こします。朝から会議の日。午前10時10分に始まり、午後6時まで予定されています。6時で終わってくれればよいのですが。
8時半武蔵境発の西武線。
メールボックするで次の本を受け取りました。
金森修『科学思想史の哲学』岩波書店、2015
1997年から2014年まで金森さんが様々なメディアに書かれた科学論の集成です。金森さん自身は、「私なりのスタイルでいままで関わってきた科学思想史関係の全作業に、一つの区切りを付けるもの」だと記されています。科学思想史関係の仕事の中心は、『科学的思考の考古学』(人文書院、2004)、『知識の政治学』(せりか書房、2015)、そして本書『科学思想史の哲学』(岩波書店、2015)の3冊だと宣言されています。
「私鏡という破片」『情況』1997年3月号、pp.6-15
「ジョフロワ・サン=ティレール論」『(ICUキリスト教と文化研究所)科学史フォーラム』No.1(1998), pp.6-7
"A discursive sphere of self-referenntial zone of Cultural Anthropology, Essay on P. Rabinow", ISLA 1, Philosophical Design for a Socio-Cultural Transformation, 1998, pp.578-592
科学思想史に関係する近年の編著としては、『エピステモロジーの現在』(慶應義塾出版会、2008)、『科学思想史』(勁草書房、2010)、『昭和前期の科学思想史』(勁草書房、2011)、『合理性の考古学』(東京大学出版会、2012)、『エピステモロジー』(慶應義塾出版会、2013)の5刷が挙げられています。そして、近著として、『昭和後期の科学思想史』(勁草書房)、『明治・大正期の科学思想史』(勁草書房)が出版されるということです。最初の会議は10時10分から学長室。事務棟の壁工事が行われています。まるで室内にいると巨大なネズミが屋上を走り回っているような感じを受けました。予定よりわずかにオーバーして終わりました。
正午、生協の方から、Acrobat を受け取りました
午後の会議は、12時40分から。3つ続きます。
最後の会議が予定通り(?)伸びて、7時20分過ぎ。同僚の先生とは、14時間後にまたお会いしましょうといって別れました。7時28分多磨駅発の電車に乗ることができました。
ひとりで4時10分、室温13.6度。
ちいさいちびは朝練。6時20分起床。午前中に面談、午後に授業。
8時半、武蔵境発の西武線。1限は8時半開始です。明らかに遅刻という学生は思ったほどはいませんでした。
いくらか部屋の片づけ。
10時から面談の方は、オーストラリアの大学院に行ったということでした。最初のセメスターが終わって、次のセメスターがはじめるまでの間、帰国しているということでした。我々にとっては有名な研究教育機関でした。正午ごろ、3限4限と発表の当たっている院生から、インフルエンザに罹りましたというメールがきました。インフルエンザは仕方ありません。小中であれば、登校してはいけない、直ってもしばらく待機という決まりになっています。大学に明確な決まりがあるかどうか知りませんが、ここは休んでもらうしかありません。
身体の芯が疲れており、眠さを感じます。ちょうどよいのではやめに切り上げて、帰宅することにしました。2時28分多磨駅発の電車で帰りました。
帰って一服してから昼寝。
いろいろ処理すべき案件がありますが、明日の朝に回そうと思います。
ひとりで4時50分、室温13.8度。昨日から居間に暖房を入れています。気温がいくらか上がったのか、それとも暖房の影響が残っているのか、わかりません。今日は、残り1章をなんとか終わらせたいと思います。→午前中になんとか一通り終わらせることができました。もういちどチェックをしてから送り出したいと思います。
さて、私の部屋には現在暖房がありません。外の気温は11度程度の模様です。週明けは、火曜日と水曜日が終日会議です。木金土のあたりで、実物を見てから、導入するものを決めたいと思います。
→妻が2階から電気毛布の膝掛けを出してきてくれました。部屋を暖めることはできませんが、足許を温めるだけでも差はあります。試験勉強に飽きてきたおおきいちびと塾の選抜試験を自宅ですませたちいさいちびが気分転換にカラオケに行きました。昔は私か妻がアテンドしていましたが、その必要がなくなりました。おおきいちびはカラオケのあとランニングをするといってジャージ姿にウィンドーブレーカーを着込んででかけました。荷物はちいさいちびに預けてそのまま走るそうです。
→5時半ぐらいに二人揃って帰ってきました。ちいさいちびもランニングに行くと言っています。すぐに着替えて、二人で、ハラッパ公園へ。ちいさいちびは来週の日曜日駅伝大会があります。その練習ということのようです。
ひとりで5時45分、室温12.4度。しばらく雨は降らないということです。小学生はいつも通り6時50分頃起きてきました。その次は、ちいさいちびの8時半でよいということです。
1号の原稿を1点、処理することができました。出来上がったものを3時に郵便局に出してきました。快晴でした。
1章分、すませることができました。
夕方、小学生を妻がクリスマスツリーを居間の端っこに設置しました。LED 電球に点灯して飾り付けは完了です。
ひとりで5時55分、室温13.6度。先週の検査結果を聞くため、朝一番で医院に向かいました。1番の必要はありません。9時過ぎにでかけました。予想とおり、1番ではなく、2番でした。今日は快晴です。9時半診療開始ですが、それまでに6組ぐらい患者さんが来ました。
ピロリ菌は、とりあえず退治できているそうです。よかった。
30秒もせずに診察室をあとにしました。普段ちいさいちびたちが通っている道から帰ってきました。荒先生の近所にでます。
疲れが抜けきっていないので、ごく軽く頭痛があります。眼の奥です。駒場の授業は、今日を含めて、あと2回。先週末、授業アンケート用紙が届きました。あらためてよく読むと、「学際科学科 授業アンケート」とあります。
え、学際科学科?
普通、こういう反応でしょう。橋本先生に、改組があるということは聞いていたので、私の出身した教養学科は、とうとうこういうぬえのような名前になってしまったのだ、と感じます。ほんとう、大学はいったいどこに向かっているでしょうか。おおきいちびが参考書と手帖を買いたいと言います。ちょうどよいので、駒場に行く途中、吉祥寺で買ってやることにしました。
2時半ごろ出かけました。吉祥寺の駅ビル、キラリナは、きれいにしています。参考書はすぐに見つかりました。本屋さんのところにも手帖はありますが、1階下の文房具屋さんの方がいいというので、下に降りて、探しました。私は腕時計を見ていました。
10分とか15分ぐらいで自分で探し出しました。おおきいちびは夜塾があります。ロフトによってから塾に行って自習すると言います。おにぎり代が欲しいというので、5百円玉を一個渡して、私は井の頭線へ。おおきいちびは吉祥寺の中心街の方へ分かれました。
電車のなかでは、本日の授業の予習をしました。駒場についてから、判子、生協の本屋さん、図書館と寄りました。新刊雑誌に掲載されていたパノラマに関する論文を半分ぐらいまで読んでから、科哲事務室へ。橋本さんとすこし話をしてから、授業へ。
今日の発表は院生二人。きちんとやってくれました。その後のディスカッションも意味のある内容となりました。
ほぼ、定刻とおりに帰ることができました。
ひとりで3時30分、室温14.0度。
疲れていると、こういうふうに早く起きることがあります。午後、授業。
朝電車が乱れているという情報がありました。高校の定期考査を繰り下げるそうです。だったら、あまり急いでも仕方がないと思い、すこし遅めにでました。9時54分武蔵境発の西武線。学生たちもダイヤの乱れの影響を受けたようです。
朝の間に、1号の準備を7割方すませることができました。昨日と同じく、電車に乗る前に郵便局によって出しました。大学では、まず、事務棟4階に行って、マイナンバーを届けました。
正午から学生と面談。朝飛び込んできました。
4限5限と授業。5限の発表はすばらしいものでした。非常に興味深いコメントを引き出すという副次的効果も大きいものでした。
卒論ゼミ4人の学生といっしょに、6時4分多磨駅発の電車。武蔵境で一人、三鷹で一人、吉祥寺で一人降りました。最後の学生は、飲み会で新宿に行くそうです。お酒の好きな九州人です。
私は疲れが抜けておらず、今日も息子といっしょに早く寝てしまいそうです。
夜半に目覚めて、すこし仕事。おいついていないところがあります。ひとりで6時20分、室温13.4度。
お昼のあとに会議があります。飽きては来ていますが、仕事ですから、おとなしく座っています。
→本日も郵便局によってから大学へ。昨日と同じく9時30分武蔵境発の西武線。
あまりにもひどいので、研究室の片づけに着手しました。ある程度進めましたが、机の上には本がかなりの数積み重なっています。1週間ぐらいで片づけられるとよいのですが。
これも昨日と同じく、12時40分から会議。終了は、予定より10分程度遅くなりました。この午後一番の会議ですが、欠席者が目立ちました。疲れがたまっているところに、大きな気温の上下。どうも風邪を引かれている方が少なくないようです。
昨日の疲れが残っています。そのまま帰ることとしました。2時52分多磨駅発の電車。久しぶりに砂金くんに会いました。相変わらずといえば相変わらずでした。帰ると、おおきいちびの自転車がありました。鍵は先生達のところに届いていたそうです。→ちなみに、先生達のところというのは、もちろん、職員室です。自分が子どもの頃は、そういうふうに呼ぶことに何も疑問はなかったのですが、ふと、何で「職員室」なんだろうという疑問が生じました。先生達は、もちろん、学校の職員ですが、「職員室」というフレイズ以外に、職員と呼ぶことは、学校の中ではなかったように思います。公立であれば、教官室もありえた呼称でしょうし、普通には「教員室」でよかったように思われます。何か由来があるのでしょうか?
さらにちなみに、おおきいちびは定期考査の初日でした。土日を挟み、水、木、金、月と4日間あるそうです。はじめて聞く日程です。東京都の高校はなかなか変わっています。
ひとりで5時55分、室温12.6度。
朝の間に、ちいさな封筒1通、おおきな封筒4通をつくることができました。日曜日の編集委員会で生じた宿題です。なんとかほぼこなすことができました。
9時過ぎに郵便局で全点を出して、駅前のセブンイレブンでマジックペンを買ってからJRの電車へ。9時半、武蔵境発の西武線。小銭入れを忘れたことに気づきました。
研究室でデスクワークをしていると、悲報が入りました。お昼休みに同僚の先生とそのことですこしお話し。
12時40分から会議。1時間ほど休憩があって、4時から会議。2時間半以上かかりました。6時52分多磨駅発の電車。
帰宅すると次の本が届いていました。
Justin Quinnell, Build Fun Paper Cameras: Take Eye-Catching Pinhole Camera, New York and London, 2009
息子は、最近、パパ、カメラいっぱいだねとこの本をみてコメント。カメラと言ってもラテン語の原義の箱です。ピンホールカメラやカメラ・オブスクラですから、ほんとうにただ箱があればできます。いろいろあって、今日はかなり疲れました。
おおきいちびは、学校で鍵をなくしてといって自転車を学校において帰ってきていました。あれあれ。
小学生は、学校で泣いたそうです。かなりましにはなってきていますが、まだ、たまにこういうことがあります。
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