ひとりで5時50分、室温9.9度。いよいよ、大晦日。本日中に年賀状をある程度進めておきたいと思います。
このサイトもあと1ヶ月の命です。次についてはまだ決めていません。
お昼過ぎに年賀状の作業に着手しました。
デザインを決め、印刷をしていると、シアンが切れました。予め用意していたインクと交換すると認識してくれません。ブラックの再現です。しばらく試みましたが、認識してくれる様子がありません。諦めて、ヨドバシに走りました。
必要な型番はすぐに見つかりました。ポイントで買えたので、現金の支払いはなしですみました。急いで帰宅して、セットすると何の問題もなく認識してくれました。
なんか疲れました。実際に仕上げるのは明日になります。仕事ばかりしています。仕事ばかりだと気持ちが前向きにならないので、手元にある『ゲンロン 4』から次の論考を読みました。
黒瀬陽平「他の平面論 第3回 怨霊たちの風景」『ゲンロン 4』(2016): 250-263
「他の平面論」というタイトルがすでに何かを語っています。問題意識は重要なポイントをついており、12世紀〜14世紀の「垂迹曼陀羅」という宗教絵画の分析も秀逸です。ただし、出発点としての柄谷行人の風景論の受け止め方は、違っていると思います。『日本近代文学の起源』における柄谷行人の風景論は、問題提起としては意味はあると思いますが、今となってはもう使えないテーゼになっていると思います。
風景画は風景画として、花鳥図とも肖像画とも異なるものとして、自我とは一度切り離して分析すべきものだと思われます。
そうでないと、風景画があるところに、風景画を発見した場所に、(近代的)自我を、内面を発見してしまうことになると思います。
ひとりで5時40分、室温10.2度。室温が10度をこえるとすこし寒さが緩んだように感じます。おお、もう30日!息子がガストでステーキを食いたいと言います。途中サイゼリアの前を通って、ここにもステーキがあるよと言いましたが、やはりガストがよいということで、吉祥寺まで行きました。正午ぐらいだったのですが、思ったほど混んではおらず、すぐに席に座ることができました。トップに掲載されているステーキにしました。
来てみると、写真で想像したものよりずっと小さかったのですが、息子はおいしいと言って野菜以外は完食。普段からトマトは好きではないのですが、ホットトマトは無理だったようです。駅ビルのなかでパンを買って帰りました。
おおきいちびの年賀状作成を手伝ってやりました。私はまだ着手できていません。12月31日と1月1日で対応することになりそうです。
日が暮れる前に、博士号請求論文を読み終わりました。
ひとりで5時20分、室温9.5度。昨日と比べて朝の室温が3度下がりました。いよいよ年末です。息子が前に食べたカツ丼を食べに行きたいと言います。正午前に家をでて、吉祥寺へ。駅前の蕎麦屋さんのカツ丼が気に入ったようです。息子はカツ丼、私はミニ丼セット(親子丼と蕎麦)。おねえちゃんの塾のすぐそばでした。
それから、駅ビル内の魚屋さんで、マグロ(目バチの中トロ、カジキ)を買いました。同じく、息子がケーキを食べたいと言っていたので、もっともかわいいショートケーキを3つ買いました。それで帰宅。
西荻の駅を出たところで、おおきいちびと出会いました。ちょうど塾を終わって帰るところでした。1月5日に向けて、博士号請求論文を読み続けています。
ひとりで5時、室温12.5度。ときおり、風の音が聞こえます。7時を過ぎてから、ゴミをだすために外にでました。風が冷たい。また寒くなっています。息子を連れだして、研究室の掃除をしてくることにしました。
10時42分武蔵境発の西武線。寒くてよく晴れているので、富士山がとてもきれいに見えます。
まずは、研究室の床掃除。お湯をわかして、そのお湯につけて絞ったタオルで床を拭きました。机の下の掃除に、子どもは便利です。私はすこしだけ書類の捜し物。1月末の医科歯科の先生のリレー講義のための書類。TA 採用書類が行方不明になっていたのを探し出しました。
30分ほどでお腹が空いてきたので、切り上げることにしました。もとの状態がひどかったので、ずいぶんましになりました。
武蔵境で降りて、いつもは行かない北口の方にでました。駅前に豚骨ラーメンの武蔵屋というのがあります。ちょうどよいと思い、そこにしました。
息子には、掃除を手伝ってもらって報酬の意味もあります。豚骨の油系の味がよかったようです。私は、お腹が空いていたので、無料でつくご飯もすこし食べました。息子には量が多く、すこし残しました。
今日は、山手線の新宿と代々木間で人身事故があったということで、電車が全般的に遅れています。三鷹駅で長く止まりそうだったので、三鷹駅構内でパンを買って帰ることにしました。三鷹駅からは総武線。
私は頼まれた用事もあったので、西荻の駅についてから、本屋さん、銀行、コンビニ、郵便局とまわりました。息子は駅から直帰。大学からは年末・年始の宿題の博士論文を持って帰ってきました。1月5日の朝、最終審査があり、私が主査をつとめます。2017年のスタートと同時に大きな仕事があることになります。ほかにも年明け早々の仕事がありますが、それは、公表できない種類のものです。
ひとりで4時50分、室温12.6度。今日はまたすこし暖かくなるようです。それが室温にも反映されています。今日は、朝から用事がつまっています。
中央線が武蔵境に滑り込んだとき9時5分数十秒。駅の外にでて、昼食のパンを買ってから9時18分武蔵境発の西武線。
10時から同僚の先生と会談。
11時から学生と面談。迂闊な学生ですが、事情を聞いて、受け入れることにしました。
12時過ぎに菊池さん。本を確認するために来られました。しばらく歓談。
1時から修論指導。最終段階です。
1時40分から科長との懇談。方針の打ち合わせです。
2時にお暇し、研究所へ。所長の和田先生がいらしたので、すこし雑談。
3時から会議。4時過ぎまで。
4時18分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで4時50分、室温10.3度。冬の寒さが戻って来つつあります。おおきいちびを8時前、ちいさいちびを8時半に無事送り出しました。ちいさいちびは朝方身体が冷えてすこしつらそうでした。
午後に歯医者。
1時15分からなので、1時8分ぐらいに家をでました。
待合室にしばらくいて、呼ばれて真ん中の部屋に入りました。歯医者さんが欠けている前歯の補修をしてくれました。気持ちの準備がないまま、麻酔を打たれました。痛みはとくにはなかったのですが、前歯の治療はとりわけこわい。
丁寧にやってくれたので時間がかかりました。
つぎに歯科衛生士さん(だと思います)に代わりました。歯の手入れの再チェックと全般的な清掃作業。こちらは、たまにちくちくします。全部の歯のレントゲンと写真も撮りました。
全てが終わり、支払いをすませて、歯科医院を出るとき、もう4時10分前。今回は最長でした。帰宅して、息子と約束していたポケモンゴーにいくはずが、妻がもうスマホのパケット残量がないというので、ポケモンゴーはまた(来月)にして、自転車で散歩にでました。荻窪中学の前まで行ってから、大きく左に曲がり、西荻を半周ぐらして帰ってきました。私にはけっこうよい運動になりました。
ひとりで5時、室温12.5度。今日と明日は普通の冬の気温です。6時50分に妻とおおきいちびを起こします。ちびどもは二人ともお弁当をもってでかけるそうです。おおきいちびは昨日と同じくウィンターカップ。ちいさいちびは塾。
午後に編集委員会・理事会・忘年会。昨夜の「村上陽一郎先生 傘寿のお祝いの会」でお会いした何人かの方とは今日もお会いします。
昨日受け取った『村上陽一郎の科学論:批判と応答』ですが、村上陽一郎「学問的自伝」だけ、まず読み通しました。人生を閉じる前に、正直に語っておこうという気持ちが表れているように思われます。中山茂さんのことも、中沢事件のことも、原子力安全・保安院保安部会委員のことも、簡潔に事実と意見を記されています。
ちなみに、目次は次の通りです。
編者「序論」
村上陽一郎「学問的自伝」
編者「主要著作紹介」
村上陽一郎「村上科学論への誘い」
野家啓一「「正面向き」の科学史は可能か? 」
橋本毅彦「科学論のゆくえ」
成定 薫「村上陽一郎における総合科学と安全学」
村上科学論の批判
高橋憲一「聖俗革命論に「正面向き」に対する」
小川眞里子「聖俗革命は革命だったのか──村上「聖俗革命」をイギリス側から見る」
川田 勝(構成・注 加藤茂生)聖俗革命論批判──「科学と宗教」論の可能性
坂野 徹「村上陽一郎の科学史方法論──その「実験」の軌跡」
塚原東吾「村上陽一郎の日本科学史──出発点と転回、そして限界」
加藤茂生「科学批判としての村上科学論──科学史・科学哲学と「新しい神学」」
瀬戸一夫「支配装置としての科学──哲学・知識構造論」
横山輝雄「社会構成主義と科学技術社会論」
柿原 泰「村上科学論の社会論的転回をめぐって」
小松美彦「村上医療論・生命論の奥義 」
村上陽一郎「批判に応えて」
ちいさいちびが出かける頃までに、午後の編集委員会の準備をすませました。自転車操業ですが、なんとかなっています。
午後の会場は明大(和泉校舎)。私のところからは、グーグルのマップ検索で、35分。途中用事があるので、すこしはやめに1時10分過ぎにでかけました。
1時40分すぎに明大前駅に着きました。キャンパス内で前を歩いている内田さんに追いつきました。
いつもの場所で、会場校の責任者の方が見えるのを待っていました。6人ほど建物の前で待機していましたが、現れません。開始時刻を過ぎたころ、会長のスマホに、家族が病気(インフル)で病院に行っており、1時間40分以上遅れるという電話がありました。会場校の方がいなければ、建物のなかに入ることができません。図書館の入り口に、コーヒーラウンジがあり、そこが使えるのではというアイディアがあり、みんなで揃ってそちらへ。会長が図書館に受付の方と交渉してくれました。OK ということでした。図書館内部とは切り離されていて、図書館利用者の迷惑になる場所ではありません。
片隅に陣取って、編集委員会。1時間。
3時からは、時間がもったいないので、事務局長不在のまま、理事会。3時40分頃、事務局長がキャンパスに到着されたので、みんなで本来の会議室に移動しました。
建物のなかのトイレを探して、トイレに入ったあと、その前にあった自販機でコーヒーを買いました。小銭は80円しかもっていなかったのですが、60円のカップコーヒーがありました。
細かい調整の必要な案件はありましたが、もめる案件はなく、5時40分ぐらいに終了。そこから全員で、忘年会会場のある下北沢に移動しました。会場は、下北沢の駅から2分の場所。会長が場所がわかるということで、ほぼぴったり6時に着きました。
部屋を小さい部屋から大きい部屋に動くということはありましたが、8時半ぐらいに無事忘年会は終わり、井の頭線の急行で帰ってきました。
昨日と同じく、9時頃には帰宅することができました。パーティも忘年会もお酒が入りますが、9時頃に帰れたら、健全です。
ひとりで4時35分、室温13.9度。本日は、午後2時から「村上陽一郎先生 傘寿のお祝いの会」。昨日と同じく、駒場に行きます。パーティは渋谷のホテルに場所を移し、8時半終了予定。なお、傘寿は、サンジュと読むようです。昨日、ネットで調べました。
おおきいちびは、昨日からは予定が変わって、8時前にウィンターカップに行くと言って出かけていきました。お昼に吉祥寺にもどって友達とランチ、それから塾、塾が終わったら帰宅し、夜ちいさいちびを連れてイルミネーションを見に行くそうです。相変わらず、忙しい子です。
「村上陽一郎先生 傘寿のお祝いの会」ですが、実行委員会の方からは、次のプログラムをもらっています。
1時に家をでました。1時40分ぐらいに現地に着きました。昨日帰り道に通った途中にあります。冨田さん、林君、そして ICU (関係者、卒業生)の方が受付をされていました。受付で次の本を受け取りました。
柿原泰・加藤茂生・川田勝編『村上陽一郎の科学論:批判と応答』新曜社、2016
新曜社の方によれば、ぎりぎりで出来上がったそうです。1.日 時:2016年12月24日(土)14:00(13:30開場)−20:30
2.場 所:東京大学駒場Iキャンパス、渋谷エクセルホテル東急
(1) 記念シンポジウム
◇会場 東京大学駒場Iキャンパス ファカルティハウス セミナー室
◇プログラム
13:30 開場・受付
14:00 開会のご挨拶(廣野喜幸)
14:10-15:45 講演
(1) 中島秀人「HPSからSTSへ ―村上先生の長い回り道―」
(2) 平川秀幸「村上安全学の射程をいかに引き継ぎ展開するか」
(3) 藤垣裕子「背中をみて学んだこと ―学問論と教養論の実践―」
(4) 萩原優騎「道徳的寛容から機能的寛容へ ―寛容論の展開とその射程―」
15:45-16:00 休憩
16:00-16:20 村上陽一郎先生からのコメント
16:20-17:10 討論(モデレーター 小林傳司)
17:10 シンポジウム終了のご挨拶(小松美彦)
17:15 パーティー会場へ移動
(2) 記念パーティー
◇会場 渋谷エクセルホテル東急 6F フォレストルーム
◇プログラム
18:00 受付
18:30 開始の挨拶(橋本毅彦)
18:35 乾杯
18:35-19:45 食事・歓談等
18:35-18:55 食事・歓談
18:55-19:05 スピーチ 2名
19:05-19:45 食事・歓談
19:45-20:05 村上先生のチェロ演奏
20:05-20:10 記念品贈呈(松原洋子)
20:10-20:25 村上先生からのご挨拶
20:25 締めの挨拶(吉本秀之)
20:30 終了
シンポジウムの発表者が発表時間を守られ、会場間の移動もスムーズだったので、パーティの方は、15分予定よりもはやく進行しました。
スピーチは4名の方。村上先生のチェロ演奏は、たしか5曲。橋本さんは、開始の挨拶をされたあと、そのまま司会をされていました。
村上先生の挨拶が8時15分ごろ終わりました。そして、橋本さんから締めの挨拶に呼ばれました。え、もう。村上先生の挨拶から、私の担当までに、いろいろ食べ損ねたものを食べるつもりにしていたのですが、呼ばれたからには仕方ありません。午前中に、文案は作っています。サンジュの会とか読めませんし、幹事の方とか初めての方もいるので(お名前が頭のなかにインプットされない)、そのまま読み上げても挨拶になるように作っておきました。紙は取り出して手元にもちましたが、ちらっと見ただけで、あとは流れに任せて話しました。案の定、はじめてお目にかかる実行委員の方の名前は出てきませんでしたが、会場から助けがありました。8時半には渋谷駅のホームにいて、9時過ぎには帰宅できました。
帰宅すると、ゲラと次の本(雑誌)が届いていました。
『知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学』 (別冊日経サイエンス 174、2010)お風呂に入り、お腹が空いていたので簡単に食事。渋谷のイルミネーションに行ったちびどもの帰宅を待つことなく、息子と一緒に就寝しました。
ひとりで5時45分、室温17.1度。日付が変わる頃の室温が19度を超えていました。冬とは思えない、南の暖かい空気が日本列島に流れ込んでいます。→予報では、本日の最低気温12度、最高気温19度。最低は朝でしょうか、夜でしょうか。祝日ですが、夕刻に駒場。
いつもより1時間以上はやく家をでました。駒場の図書館で調べものをするためです。駒場では判子を押したあと、生協が営業していたので、一瞬通過して、図書館に行きました。4階で1冊、3回で1冊借りて、地下2階へ。そこで、4冊借りて、端っこの席に陣取り、借り出した全ての本をチェックしていました。それから、1冊に関しては2章分を読みました。だいたい様子がわかったでしょうか。
借り出すには重い全集本を1冊返却して、残りは借り出しました。カバンが重い。それから科哲事務室へ。閉まっています。ああ、そうでした、今日は祝日なので、その可能性を考えるべきでした。発表の当たっている学生たちも、急いで生協の方にコピーに走りました。片づけにすこしだけ時間がかかって、永福町で7時4分の急行に乗り換えることになりました。吉祥寺の駅ビルで、パンを買いました。クリスマスの買い物客でごった返していました。
帰宅すると、ちいさいちびは入浴中、おおきちびは私の1分後ぐらいに帰ってきて、友達と食事会に行くと言っていました。
ひとりで5時30分、室温13.3度。1限2限、昼休み、4限5限(終わるまで)。
7時54分武蔵境発の西武線。いつもの木曜日と同じ。
ベルをもって8時15分頃教室に入りました。まず、黒板に指示を書きました。今日から院生諸子の発表。5つの班から一人ずつ、すなわち5人に発表してもらいます。一人10分、質疑応答5分、時間厳守と言っています。
5人中4人が留学生の方が発表しました。全員、日本語も内容も文句なしの発表でした。よいお年をという挨拶で終了。2限は、修士論文指導。一応全体の形が見えました。最後、もうすこし、作業をしてもらいます。
昼食後、12時15分から301で打ち合わせ。最後、3限の半分ぐらいまで、科長と打ち合わせをしていました。
4限は、専門演習。
4限終了後、急いで、101教室へ。亀田先生に挨拶に向かいました。沼野先生と久野先生も挨拶に見えていました。数分、来年度のことについて、3人で協議。ほぼ話が固まりました。急いで、5階に戻り、卒論演習。あらかじめファイルを送ってきていた学生のレジメは、14人分を印刷していました。ぴったり、14人でした。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで5時25分、室温13.2度。午後に会議。
風呂が壊れたままでは困ります。朝一番(9時)に東京ガスに電話しました。どういう状況なのかを伝えると、今日の午前中に伺うこともできますとの返事。お願いしますと即答しました。10時前に来てくれました。たぶん、原因の目処がついていたのでしょう、お風呂場に上がり、風呂のなかから給湯器に水を送る栓(金網付きの栓、ちゃんとした名前があるのかもしれませんが、すぐにはわかりません)を外して、これが原因ですと示してくれました。おいだきがきかなかったのは、風呂から水が給湯器に送られず、給湯器は風呂に水がないと判断したせいだということです。
示されれば、なるほどです。あまりにびっしりとゴミがついているので、掃除の仕方を聞きました。お湯に漬けて、歯ブラシ等でごしごしすればとれます、とのこと。
早速お湯をわかして、洗面器に栓を入れ、ごしごし。強者でしたが、15分ぐらい作業すると、99%ぐらいはとれました。
解決すると、ほっとします。そのまま、仕事にでました。10時30分、武蔵境発の西武線。
12時40分から会議。2時10分前まで。
次の会議は、2時20分から。もめる案件があります。でも、もめても、決をとる種類のものではありません。ひとしきり意見が出て、終了。その後、人事の打ち合わせがあって、本日の会議はすべて終了。5時28分多磨駅発の電車。同僚の先生二人と多磨駅でいっしょになりました。お一人は吉祥寺で下車されました。コンパか飲み会でしょうか。
ひとりで5時、室温13.3度。午後に会議。
最初の会議は12時40分から。次の会議は2時10分から。3時過ぎまで。最後の会議は、5時半から7時前前まで。大学執行部から6日、こちらは大学院執行部5人。大学執行部の半分は風邪または風邪気味でした。
9時42分武蔵境発の西武線。
7時4分多磨駅発の電車。
お風呂の給湯器の調子が悪い。困った。
ひとりで4時15分、室温12.1度。体感でも寒さがすこし緩んだように感じられます。午後に授業。
→9時半、武蔵境発の西武線。すぐに図書館に向かい、3冊の本を借り出しました。
借りた3冊に関して、前と後ろを読んでいました。本文までは届きませんでした。3限と4限。
4時16分多磨駅発の電車に乗ることができました。
帰り際、メールボックスに入っていた書類を持ち帰りました。ゲラと事務通知。ゲラの方は、夜、全部目を通しました。とくに大きな問題はありませんでした。事務通知の方は、明日、対応します。授業の終了処理。9月に行った医科歯科のMMA 講義は、成績を提出したので、終了処理が完了しています。外語の授業に関しては、そろそろ終了処理を考える必要があります。月曜日の授業は、年内は19日と26日、年明けは1月16日を残すのみとなりました。年明けはセンター試験後の1回だけです。その1回をどうするのか考える必要があります。(成績評価は大学院なので簡単です。)
木曜日の方は、年内に1回、年明けに3回、のこり4回あります。4回目に最終レポートを執筆/提出させます。成績評価はそのあととなります。
金曜日5限の駒場ですが、23日(祝日)に年内の最後、年明けに2回あります。試験を行うわけではないので、成績評価の心配をする必要はありません。終了処理と同時に、来年度の授業の準備も始めています。シラバス入力の締切は、1月末だという連絡を受けています。1度だけやって、非常勤の方にお願いしていた概論科目ですが、画像科学技術史/映像文化史にしようと思っています。その準備も兼ねて、日高優編『映像と文化』(藝術学舎、2016)を読み進めています。日高さんの論文は読んだことがあったのですが、他の方はありませんでした。これが実際読むと啓発的で面白い。実際の授業とするためには、もう一工夫必要ですが、下敷きとして使うことができます。
ひとりで5時40分、室温10.7度。
ちいさいちびを6時、小学生を6時半に起こします。→ちいさいちびは6時に起こし、6時15分ぐらいに起きてきました。小学生は起こすこともなく、6時20分に自分で起きてきました。→おおきいちびは自分で起きてきて、朝食をとり、できあがったばかりのパンを20に切って、7時半ぐらいに部活に行きました。パンを切るのは途中から私がやってやりました。台所仕事の体験が薄く、やわらかいパンを力で切ろうとしているのを見ていて、私が代わったものです。体験値が低いとそうなりやすい。週明けからの1週間は、また忙しい週になります。月火水は いつも通りです。木曜日は5限卒論演習を終わるまでやります。学生たち次第ですが、いつ終わることになるのか予想がつきません。金曜日は祝日ですが、駒場の授業があります。土曜日は、村上先生の傘寿の祝賀パーティー です。午後2時にスタートし、8時半終了予定です。日曜日は、学会の理事会・編集委員会・忘年会です。
12月4日に届いた、 日高優編『映像と文化』藝術学舎、2016、 をやっと読み始めました。ちゃんと15回に分けられています。大学の授業用です。1回1回に、十分な論の展開をするだけの紙幅があるわけではないのですが、むしろ授業用にはこういうものの方が使いやすいかもしれません。
まず、章のはじめに概要がつけられています。そして、最後に数点ですが、参考文献が挙げられています。
概要の1例を第8章からとります。
「映画は、一種の「見世物」として出発しました。第4章で見たように、入場料を払った一般大衆に向けて上演されたこごた、映画の始まりだとされています。これは、写真が発明された時の状況とは非常に異なっています。写真は発明後間もなく、国家によって承認され、アカデミーの画家たちの下絵や、公式の記録や資料の保存などに用いられたりしたからです。この両者の出自の著しい相違は、極めて示唆に富んでいます。つまり映画は、人が金銭を払って見に行くことではじめて成立します。この点で映画は、「大衆的な」娯楽として発展してゆくよう、なかば運命づけられていたと言えるのです。ではこの「大衆」のための娯楽は、一体なぜ、またどのようにして「政治」の問題、「プロパガンダ」と結びついていくことを、もうひとつの必然とすることになったのでしょうか。」(p. 107)
参考文献は、4点挙げられています。
ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ―ドイツ映画 1918〜1933における集団心理の構造分析』みすず書房、1995
ポール・ヴィリリオ『戦争と映画―知覚の兵站術』平凡社、1999
アンドレ・バザン『映画とは何か』上下、岩波文庫、2015
アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』キネマ旬報社、1988第10章概要
「映像の多様化は、表現においても、技術においても、そして受容の仕方においても進行しています。また、写真/彫刻、写真/映画、芸術/ビジネスなどといったジャンルの境界と考えられてきたものを越える表現も噴出させて、複雑な様相を呈してきています。本章では、現代の映像を巡る多様性のありようを確認したのち、映像の多様化が一気に進行し始めた1960年代から70年代アメリカの映像表現を事例に、そのありようを考察してきます。映像の重要な要素であるフレームの多数化、映像の反復という問題系に沿って、具体的に映像を分析しながら考えていきましょう。」(p. 135)
参考文献は2点。
日高優「映像大量消費の時代における脱社会的社会批判: アンディ・ウォーホルのポップアートを巡って」『立教アメリカン・スタディーズ』 34(2012), 45-66
日高優「無限退却のリズムパターン―レイ・K・メッカーの写真=世界 」『Ecce : 映像と批評』1(2009): 120-136第11章概要
「現在の映像文化を支えているカメラやプロジェクターといった機器は、近代になって全く新たに出現したものではなく、古くから知られていた光学現象を用いた道具が段階的に発展していった結果です。映像機器に囲まれ、一本指で撮影できる現代に生きる私たちは、映像が撮影・上映される仕組みを知らなくても、映像をまるで「魔法」のように扱うことができてしまいます。そのような「魔法」を、映像を見る人間の視覚の仕組みも含めて解き明かしていくことで、映像が表現している内容も、より明確に把握することができるはずです。」
参考文献は4点。
岩本憲児『幻灯の世紀:映画前夜の視覚文化史』森話社、2002
大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
V.S.ラマチャンドラン, D.ロジャース=ラマチャンドラン『知覚は幻 : ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学』日経サイエンス , 日本経済新聞出版社 (発売), 2010
ひとりで6時10分、室温8.7度。→予報によれば、本日は、最低気温−2度、最高気温12度。ちいさいちびは土曜日学校。7時に起こして欲しいという伝言がありました。おおきいちびは午前中に塾。午後整形外科医に行くそうです。→おおきいちびの動きは反対でした。朝一番で医院に行きました。塾は休み。午後部活に出ました。
ちなみに、昨日は帰宅して、ジャンプして降りてきた人に足を踏まれた、ものすごく痛い、これはきっと折れたか罅が入ったかだ泣いていたのですが、診断は捻挫。痛いのは痛いようですが、骨への影響はなかったわけです。日曜日に練習試合があり、楽しみにしていたそれに出ることができないというのが泣いた理由でした。
バスケという競技は、日常的にこうしたことがおこりえるスポーツです。妻がダウン気味なので、朝一番で吉祥寺に買い物にでました。三浦屋で漬け物を買い、駅ビル内の三鷹よりの端っこのパン屋さんでパンを買い、その近くの肉屋さんで豚肉を買い、駅ビルの反対側の端っこのクオカで小麦粉を買いました。明日の昼、焼いたパンを部活にもっていくのだそうです。
西荻の駅にもどって、バターを買い忘れていることに気付き、セイユウでバターと昼食用のうどんを買いました。けっこうな重さになりました。昼食は昨日の夜の鍋にうどん。子どもたちは細いうどんがお気に入りです。
おおきいちびは昼食後部活へ、ちいさいちびは昼食後塾に出かけていきました。お昼過ぎに次の本が届きました。
山岸 健『社会学的人間学―絵画/風景/旅/トポス/道/人間/生活/生存/人生/世界』慶應義塾大学出版会、2005
著者のことはまったく知りません。取りあげているトピックスは私の関心にあっています。さて、どういう本なのでしょうか?
ひとりで5時20分、室温9.3度。昨日と比べると大きく下がりました。→予報では、本日は1度から9度です。家にいる間は、13日に届いた、 『アステイオン』85(2016) 【特集】科学論の挑戦 を読んでいました。
周東美材 「いつも見ていた「ジャニーズ」―戦後日本のメディアと家族」がとくに面白く、そのまま授業に使おうかなと思いました。夕刻に駒場。→午前中に、5人の出席学生のうち、2人から欠席通知がありました。おや、3人となります。長女のまわりでも風邪がかなり流行っているそうです。この気候では、風邪ひきさんは多くなります。
→いつもよりゆっくりめで出かけました。駒場に着いて4時20分。判子を押して、そのまま科哲研究室に向かいました。河野さんと橋本さんが話をされていました。そのまま話しに加わり、55分になって教室へ。3人の学生。
いつもよりすこしはやめに動くことができて、6時53分永福町発の急行に乗り換えることができました。最高気温が9度。しかも風がよくふく寒い一日でした。
ひとりで5時5分、室温13.5度(暖房つけっぱなしにより参考)。1限2限4限5限。忙しい一日となります。
7時54分武蔵境発の西武線。いつもと同じです。
10分前に教室に入りました。研究科長が本日のゲストスピーカー伏屋先生をお連れしてくれました。プレゼンについて、パーフェクトな授業をしてくれました。ありがたい。2限は修論指導。
3限だけ休み。本を図書館に返して、生協でちょっとだけ買い物をしてきました。
4限のゼミでは、アンケートを実施。4年生の学生に返却を依頼しました。
5限は、1回限り、115教室での授業。無事、3回のリレー講義が終わりました。
6時52分多磨駅発の電車に乗り込みました。
ひとりで4時15分、室温13.8度。夜半から降り始めた雨がまだ降り続いています。午後に会議、3つ続きます。
8時18分武蔵境発の西武線。1限に出席する学生が大勢乗っていました。
昨日連絡があった成績評価作業を集中的にこなしました。10時ぐらいまでにはほぼ終えることができました。なんといっても15人。普段100人とか200人でやっているので、その感覚からすれば、あっというまに終了しました。
研究所によってコピー。
ケプラーの『夢』を読んでいます。線を引いているので、若いときにも読んだことがあるようですが、記憶がほとんどありません。これは、とても面白いテキストです。ケプラーもなんだかな。12時40分から説明会。約1時間。
2時20分から会議。私が司会をする会議です。3時過ぎには終わりました。
4時から学部教授会。緊張がとけて、けっこうな時間寝ていました。
もめる案件があり、時間がかかりました。やっと7時4分多磨駅発の電車に乗ることができました。
帰宅すると、『化学史研究』第43巻4号(2016)が届いていました。目次は次です。
[技術史シリーズ] 永安直人「日本の近代化と戦後復興における繊維産業の足跡―生糸、綿紡績そしてレーヨンから合繊線維へ」第43巻(2016): 189-213
[紹介]大野誠「Y. Kikuchi, Anglo-American Connections in Japanese Chemistry」第43巻(2016): 214-216
[紹介]菊池好行「Kaji et al ed., Early Responces to the Periodic System」第43巻(2016): 216-217
[紹介] 安西なつめ「William Bynum『医学の歴史』」第43巻(2016): 217-219
[紹介]大野誠「S. ガース『薬局:17世紀末ロンドン医師薬剤師大戦争』」第43巻(2016): 219
[紹介]大野誠「 園部利彦『日本の鉱山を巡る――人と近代化遺産――』」第43巻(2016): 219-220
[紹介]新井和孝「中尾麻伊香『核の誘惑』 」第43巻(2016): 220-222
[会報]「2016年総会報告」第43巻(2016): 223-227
[追悼]古川安「梶雅範さんの思い出」第43巻(2016): 228-229
[追悼]和田正法「梶雅範先生への感謝を込めて」第43巻(2016): 229-231
[追悼]吉原賢二「梶雅範東京工業大学教授の逝去」第43巻(2016): 231-232
[追悼]Nathan Brooks「Obituary about Professor Masanori Kaji 」第43巻(2016): 232-234
[追悼]Yona Siderer「In Memory of Prof. Kaji 」第43巻(2016): 234-236
ひとりで5時5分、室温12.2度。午後遅くに会議。
9時過ぎに郵便局に行き、会費の支払いを3件。前の方が長引いて、かなり待ちました。それから、銀行の用事をすませたら、10時を過ぎていました。駅前の文房具屋さんをみましたが、あいていません。セイユーの文房具売場にまわりました。
ちいさいちびの英語練習帳(ペンマンシップ)を探しています。すぐに見つかりました。
すこしおやつも買ってカバンにつめ、電車に。10時30分武蔵境発の西武線。
メールへの対応、書類の処理をしているうちにお腹が空いてきました。11時半頃お弁当を食べました。自分のなかでは、処理すべき書類の処理はできたと思います。
修論のドラフトの赤入れをしました。一度生協に行って、雑誌を2冊(中央公論とアエラ)とフルーツゼリーを3個買ってきました。
会議は4時半から。最初のものはすぐおわり、大学院執行部で打ち合わせをしていました。
次の会議は5時15分から。今日は案件が少なく、約1時間で終了。6時40分多磨駅発の電車に乗りました。
帰宅すると次の雑誌が届いていました。
『アステイオン』85(2016) 【特集】科学論の挑戦
【特集】科学論の挑戦 の部分の目次は次です。
中島秀人「巻頭言」
埴岡健一 「「科学」はどこにあるのか?―科学技術政策の「忘れ物」
宮野公樹 「科学論の工学的分析」
中島秀人「科学技術と自然の未来―オードヒューム『永久運動の夢』を出発点に」
野澤 聡「科学とともに未来を拓く―文化としての科学」
平川秀幸「3.11後の科学と民主主義 ―「子ども・被災者支援法」をめぐる混乱から考える」
ひとりで4時55分、室温10.4度。→週間予報を見ました。最高気温で9度。この1週間雨マークはありませんが、気温の低い日が続くようです。妻を6時に起こします。ちいさいちびは6時20分。あとは適当に起きてきます。
2限に会議、3限4限に大学院の授業。
8時42分武蔵境発の西武線。10時10分から11時半まで研究アド巳ニストレーションオフィス会議。オープンアクセスについて。
研究室に戻り、すぐにお弁当を食べました。書類を処理しているうちに3限の時刻。
3限4限は、トイレ休憩をはさみ連続します。同じ教室で半分は同じメンバー。4限が終わってすぐに帰り支度。4時16分発多磨駅発の電車に乗ることができました。
ひとりで6時30分、室温11.1度。気温は低いが、快晴。今日は木曜日の授業の準備をする以外は、のんびりしようと思います。
ひとりで5時45分、室温13.1度。
息子を6時に起こしました。昨日、疲れた、宿題は朝やるといってはやく寝ています。6時5分から宿題に着手し、20分ほどで完成しました。
息子は、土曜日授業です。虹色フェスティバルだと言っています。ちいさいちびはママといっしょに高校にいって、試験問題の解説を聞きます。
おおきいちびは、オフだそうです。
[和田忠彦教授退任記念シンポジウム]
私は、午後1時から「和田忠彦教授退任記念シンポジウム」。午後8時から10時、吉祥寺のお店で、「和田忠彦先生退任記念パーティー」。実行委員の方々にはあまりに長いので、中途参加または途中で一度休みますと伝えています。
→11時50分頃に帰ってきた小学生に昼ご飯を食べさせ、妻の帰りを待ちました。2時前に帰ってきました。妻と入れ替わりででかけました。2時18分武蔵境発の西武線。
101教室に入るとちょうど山口先生の発表が始まったところでした。第1セッションの最後の方に間に合ったことになります。
その後は、1度、研究室に行ったのを除き、ずっと教室にいて、話を聞いていました。
世界文学/翻訳の世界では第1線の方々が集まっていられます。きちんと準備された方も、(きちんと準備されたとしても)雑談的に話された方も、さすがのお話でした。
声や翻訳が共通する話題になりました。7時の直前にシンポジウムのすべてが終了。私は、すぐに多磨駅に向かいました。7時4分多磨駅発の電車に乗ることができました。シンポジウムの参加者でこの電車に乗られた方はいなかったように思われます。
最短経路を辿り、懇親会の会場へ。吉祥寺のガード下です。開場は7時半という連絡があったのですが、7時28分ぐらいに開場につきました。先に着いている方は、スタッフが3名とお客が1人でした。会場の真ん中の席で人々が来るのを待っていました。たぶんシンポジウムには参加していない方がちらほらとお見えになります。シンポジウムに参加した方は、私の12分後と24分後になります。
予定通り、ほぼ8時に始まりました。スタッフの院生からは80名の参加者と聞いています。満員状態。知っている方には挨拶をしました。
途中から、会場の片隅の席にすわっている野平君をみつけて、彼の前に席をとり、食べ物を皿に載せてきて、話をすることにしました。私たちが話していると、久野先生、野平さんの知り合いの博士後期の留学生、そして小谷さんがお見えになり、お話をしていました。小谷先生の話はいつもおもしろく、野平さんと二人で、腐女子とその先のことを聞いていました。
話しに夢中になっているうちに、10時前。そろそろ終わりですの声。受付で本を2冊もらって、帰途。歩くことにしました。2冊は次。
和田忠彦『タブッキをめぐる九つの断章』共和国、2016
和田忠彦先生退任記念論文集編集委員会編『声をさがしつづけて:和田忠彦先生退任記念論文集』和田忠彦先生退任記念論文集編集委員会、2016
→ちなみに、私は存在を知りませんでしたが、『和田忠彦先生還暦記念論文集』(2012)というのも出版されているようです。→ウェブに公開されていました。還暦の方は和田先生の男性の弟子達、退任の方は女性の弟子達が編集しているようです。10時20分には西荻の駅についていました。
帰宅し、居間に入ると、おおきいちびがひとりでコナンを見て、笑っていました。私は風呂に入り、一休みしていました。ちいさいちびが寝室に向かうのを確認してから就寝。11時半過ぎでした。この時間まで起きているのはとても久しぶりでした。
ひとりで4時40分、室温12.8度。
新聞をとるために、玄関を開けると、次の本(雑誌)が入っていました。夜に届いたものかもしれません。
東浩紀編『ゲンロン4 特集: 現代日本の批評III』 ゲンロン、2016
東浩紀さんの序文は、柄谷行人を主題化しています。午前中に歯医者。
10時15分に予約があります。10時前に家をでて、お金を降ろし、歯医者さんの待合い室で待っていました。呼ばれるまで長かったということもありますが、丁寧に仕事をしてくれたこともあり、再び待合い室に戻ってきて、12時を過ぎていました。歯医者さんに通いはじめてから1年以上経っています。歯間ブラシをしっかり使って下さい、一度よくなった状態がまたある程度悪化しています、と言われました。夕刻に駒場。
さすがにほぼリズムが決まりました。4時頃駒場に到着し、判子、生協とまわり、それから科哲事務室。今日は私がはじめてお会いする院生諸君がいました。D3 で精神医学史を専攻する方、ベルリンに9年間留学していた方とはじめてお会いしました。9年はすごいですね、と私が感想を言ったら、ご本人はすごくないという返答でした。
時間通りに終わり、永福町で6時59分の急行に乗り換えました。
ひとりで5時、室温11.2度。室温がどんどん下がっています。1限3限4限5限。3限は、会議。5限はリレー講義の2回目。忙しい一日です。
いつもよりすこしだけ早く出ましたが、電車が遅れていつもと同じ7時54分武蔵境発の西武線。
メールボックスで荷物を受け取ってから、直接教室に向かいました。さすがに誰もいませんでした。荷物を置くために研究室に行って、メールをチェックしてから、また教室に戻りました。
ちょっとずつ、学生たちが来る時間が遅くなっています。
教員の間でいろんな打ち合わせ。
終わって、研究室で、打ち合わせの続きの作業。
11時過ぎにお弁当を食べ、片づけをしてから、会議。1時から2時20分まで。会議は終了していませんでしたが、授業があるのでお暇しました。
4限の授業は、時間通り。
研究室に戻り、必要なファイルをもって、2階へ。大部の印刷物をもって教室へ。今日のテーマは遠近法的ドローイング。
荷物をもって研究室にもどり、5時52分多磨駅発の電車。帰宅すると、ネットが回復したと小学生が喜んでいました。→食事をし、お風呂に入り、一休みしてから確認しました。たしかに、回復していました。メールの送信ができるようになっていました。フェッチ(ファイルのアップロード)ができるようになっていました。そのおかげで、私のサイトも数日ぶりに復活しました。(フェッチによるアップロードが途中で中断するので、このサイトの index.html が私のサイトから失われていました。)普通にインターネットのサイトを見ることができるようになりました。
2回目のリレー講義を終わり、来年度に向けて、「見えないものを見る」というようなテーマで授業が構成できないか考えています。
望遠鏡:月より上の世界が地上世界と似ていること、木星に月があること、見えていなかった恒星があること、等々、天上界について、新しい観察結果をもたらした。
顕微鏡:レーフェンフックに至って、マイクローブ(微生物)の世界を切り開いた。
写真術前史:見えなかった(キャッチできなかった)紫外線、赤外線等の(光の)化学線をキャッチできるようになった。可視光線以外の光線による観察に道を開く。
写真術:絵はみたもの・意識したものを描く。写真術は、撮影のとき見ていなかったもの、見えていなかったもの、意識していなかったものを写し取る。&非可視光線による写真術の可能性。
新世界:旧世界では知られていなかった新しい動植物そのたのものが新世界からもたらされる。見たことがなかったもの。
探検旅行記もそうした新世界便りと位置づけることができる。
X線:人体内部の透過。
コッホ等による病原菌の可視化。顕微鏡による○○菌の観測・同定と○○菌が○○病の原因であることの同定作業の平行作業。
20世紀に入り、いろんな分野でいろんな可視化の営みが進行する。データのグラフ化も見えなかった事実を見えるように示すものと考えることができる。
ひとりで6時、室温12.4度。昨日の夕刻から冷たい冬の風がびゅんびゅん吹いていました。気温もぐんと下がりました。正午前から、夜まで、ずっと会議の日。
9時6分武蔵境発の西武線。
11時50分から会議。同じ部屋で12時20分から会議。2時前まで。次の会議は、3時から。
3時からの会議が始まると怒濤。
最後の会議は選挙。6時16分多磨駅発の電車で帰宅。
ひとりで5時10分、室温15.1度。朝の気温が高めで推移しています。午前中と午後に会議。
9時6分多磨駅発の西武線。10時10分から学長室。11時20分ぐらいまで。
そのまま生協に向かい、ラーメンを食べてから、研究室。2時40分まで時間があります。その間に、木曜日5限の配付資料の準備を最後まで行うことができました。結局、A4 で1枚、A3 で3枚の配布用図版ができました。
2時40分開始の会議は、4時20分過ぎまで。研究室に戻り、部屋を片づけてから4時40分多磨駅発の電車に乗りました。
ひとりで4時10分、室温15.3度。
インターネット接続は復活しません。わおー、しごとができなくなります。もちろん、全部というわけではないのですが、連絡がまったく取れません。午後に授業。
家族全員が朝早くでかけました。私一人ゆっくりめ。10時6分武蔵境発の西武線。
木曜日5限の授業のために、画像の準備。手間がかかります。
11時過ぎに生協でうどんを食べてから、また作業。12時40分から3限の授業。10分休んで、2時20分から4限の授業。ほぼ時間通りに終わり、4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
インターネットの不調は、モデムかルーターか、ともかく機器の不調ではないかと思うようになりました。モデムなら、J-COM さんに来てもらう必要があります。ルーターなら、買い換えになるのでしょうか。
ひとりで4時40分、室温13.8度。ちいさいちびは塾。おおきいちびは試験勉強。
3時過ぎに次の本が届いていました。
日高優編『映像と文化』藝術学舎、2016
藝術学舎とは、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎です。発行は幻冬舎。3人の共著です。編者の日高優さん(1,2,3,6,10章)、荒川徹さん(11〜15章)、築地正明さん(4,5,7,8,9章)。
第1章 映像文化とは何か 日高優
第2章 写真の誕生―映像時代の幕開け 日高優
第3章 映像の知覚経験の拡大、映像の冒険 日高優
第4章 映画の誕生 築地正明
第5章 映像と社会 築地正明
第6章 映像と記憶―“広がり”と“深さ”からの考察 日高優
第7章 映像技術の産業化 築地正明
第8章 政治と文化の統合、あるいは映像の政治 築地正明
第9章 自然へのまなざし 築地正明
第10章 多様化する映像と映像経験―多数化するフレームの観点から 日高優
第11章 映像のテクノロジーと人間の知覚 荒川徹
第12章 20世紀のアートと映像 荒川徹
第13章 テレビというシステム 荒川徹
第14章 音+映像の同期と感覚する脳 荒川徹
第15章 インターネットと圧縮されたデータとしての映像 荒川徹
授業で使うのにちょうどよいかなと感じていました。きちんと15回で構成されています。ふとしたきっかけで、我が家のネットが繋がらなくなりました。まず、ワイファイがダメになって、ワイファイを直そうとしていると、インターネット接続そのものがダメになってしまいました。
ひとりで5時55分、室温12.9度。妻は10時から小学校のPTA 業務のパトロール。帰宅して、すぐに、高校のママランチ会&保護者会。ちいさいちびは朝から塾の実力試験。おおきいちびは月曜日から定期試験で試験勉強。
妻がパトロールから帰ってきてから、セイユウに買い物にでかけ、私と息子の昼食を買ってきました。息子はマグロ大王なので、大トロ入りマグロ切り落としほか刺身を買いました。息子のノートと若干のおやつもいっしょに買いました。帰宅して11時過ぎ。出かける前にスイッチを入れたご飯はできています。息子はお腹が空いたというので、そのまま昼食。マグロがうまいと言って喜んでいます。便利なので私もいっしょに食べました。
おおきいちびとちいさいちびはちいさいちびの試験が終わって帰ってきてから、木曜日にオープンしたばかりのサイゼリアで落ちあって、ランチという打ち合わせになっています。たぶん落ちあうのが1時半ぐらい。それまでもたないというので、前の晩の夕食の豚汁にお餅を入れたものを食べさせました。これは妻によればお肉がよかったせいで、とてもおいしくできています。刺身だけでは足りないので、私もいっしょに食べました。
ちいさいちびとおおきいちびは昼食後、カラオケに行くと言っています。いつものように、私と息子でお留守番。
私は、木曜日5限のリレー講義のスクリプトを朝から作成していました。8割ぐらいまではできたと思います。まったく新しい話しの部分で、気持ちが尽きて、残り2割は明日に回すことにしました。
妻は5時前に帰ってきました。ちびどもは6時半過ぎに帰ってきました。たくさん歌って満足だったようです。
ひとりで6時、室温14.3度。夕刻、久しぶりの駒場の授業。
いつもより少しはやめに家をでました。吉祥寺でキラリナにはいって、駅ビル上の方の本屋さんに行きました。ちいさいちびの願書を購入するためです。探すのは大変そうだったので、作業をしているお店の方を見つけて、場所を聞きました。あそこの茶色の棚のなかにあるだけです、というのが回答。茶色の棚に行くと、すぐに見つかりました。千円。
井の頭線に乗って駒場へ。4時ぐらいに着きました。判子を押し、生協の本屋さんに行って、本を見ていました。2点、購入すべき本を見つけました。その場では買いませんでした。追ってアマゾン、または来週に購入します。
5限の発表担当の学生は、風邪ということで、ちょっと心配だったのですが、大丈夫、発表できますということで来てくれていました。たすかります。鼻がつまって苦しかったが、吸引してもらったので大丈夫です、とのことでした。
今日の発表は、ジェンキンズ。ちなみにということで、学生諸君に銀塩カメラを使ったことがあるかどうか聞いてみました。全員なし。写真に関しては、教員と学生の間に、断層があります。
いつもとおり、永福町で6時59分の急行に乗り換えました。このサイトはあと2ヶ月の命ですが、命が尽きるまでは、これまでと同じように更新して行こうと思っています。
ひとりで4時50分、室温13.0度。雨。おお、もう12月です。→天気予報を見ました。予報では、午前中に雨は上がり、午後は晴れるようです。1限4限5限の授業。5限は、3回続きのリレー講義の初回となります。印刷物もけっこうあります。
今日は全員が朝早く出動します。
7時54分武蔵境発の西武線。1限の教室には8時15分過ぎに入りました。さすがにTA の方だけでした。大学院執行部の3人でいろんな打ち合わせをすませることができました。
2限3限は、5限の授業の準備をすこしだけ追加で行いました。それからいろんな連絡。懸案事項を相当数片づけることができました。4限の授業は、フランスに留学していた学生が外国人労働者問題を扱ってくれました。日本はたぶん日本だけのやり方で、受入を増やしています。
5限は、外語では久しぶりの講義の授業。配付資料を3枚用意し、本を4冊、ダゲレオタイプの写真のプリントアウト等、荷物が多くなりました。画像ファイル、pdf ファイルも用意したのですが、ほぼ書画カメラを使いました。
写真術の出現のアウトラインは、わかってもらえたのではないかと思っています。片づけに時間がかかって、7時4分多磨駅発の電車になりました。雨は上がっていました。90分話をしたせいもありますが、けっこう暖かく、コートを脱いで帰ってきました。
梶さんの写真
帰宅すると、ML [CHEM-HIST]に、 Oxford University Press 近刊の書物Mendeleev to Oganesson: A multidisciplinary Perspective on the Periodic Tableの編者の一人が、梶さんの写真を掲載したい、ついては故梶雅範氏の最近のよい肖像写真があればシェアしてくれないか、というお願い文が出ました。梶さんは、大学の校務・役職ではなく、純粋に個人で海外の学会・研究会に参加した頻度において、日本人人文系の学者では一番ではないかと勝手に思っています。そして、あの不思議な人なつこさと写真撮影魔。あっというまにいろんな写真が ML [CHEM-HIST] 上でまわりました。
これも梶さんの不思議な人徳の一面です。
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