ひとりで5時40分、室温16.4度。昨日は夕刻から寒くなりました。部活から帰ってきたちいさいちびはさむいと叫んで帰ってきました。強い風が吹き、気温の変動の大きい日でした。今日は穏やかな晴れになるでしょうか。4月の終わり。ちいさいちびは昨日と同じ時間で部活。練習試合があるそうです。おおきいちびは午後部活。
[息子と]
すこし前から、息子がマインクラフトが欲しいといっていました。私はゲームの世界にはほんとうとく、息子がよく iPad でマインクラフトをやっていたのでどうして? と思っていたら、それはデモ版で、ちゃんとした製品版が別にあるようです。
日本語の購入案内はまだできていません。英語の画面で、アカウントを作成し、クレジットカードで決済をする必要があります。(ちなみに日本円では3千円です。)
私が私の名前で購入するしかありません。今どきですから、セキュリティのためのプラスアルファがかなりあり、手間がかかります。購入手続きがすみ、ダウンロードが完了するまでにはそれなりの時間がかかりました。
私はネットゲームかと思っていましたが、どうもネットゲームではないようです。たまにネットに繋げて、追加の○○を購入するというような感じです。息子はインターネットで調べたようで、追加するのは、Mac ではけっこう難しいと評判なんだそうです。
ともあれ、最初の設定の部分を手伝ってやると、自分でゲームを始めました。途中、説明画面を日本語に変えるオプションを見つけ、日本語に変えてからは、私に英語の意味を聞きに来ることがなくなりました。とてもおもしろんだそうです。好天ですが、ずっとゲームというのも問題なので、3時に外に連れ出しました。久しぶりに自転車ではらっぱ公園へ。やわらかいボールでドッジボールの練習をしました。風が強いので、風にむかってボールを投げるとものすごく落ちます。私が風上に代わって、なんとか練習らしきものができるようになりました。
小一時間。
いい運動になりました。昼下がり、次の本が届きました。
三浦 英之
『 五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』
集英社、2015
2015年第13回開高健ノンフィクション賞受賞作です。今、ここまでやる余裕はありませんが、満州の科学技術史はだれかがもうすこしきちんとやっておく必要があると思います。
ひとりで6時、室温18.3度。昨日の雨が嘘のような快晴。ちいさいちびだけ一日練です。9時から6時ということです。休日ですが、大学の授業はあります。私はもともと金曜日には授業はないので休みですが、昨日、M1懇親会で話を伺った先生方はみんな授業があると言っていました。
ちなみに、連休期間中、本来は休みなのに授業があるのは、本日4月29日(金曜日)と5月3日(火曜日)です。私は、金曜日も火曜日ももともと授業がない日なので、影響がほとんどありません。偶然ですが、そういうこともあります。私とは逆に、もろに影響を受ける方もいると思います。去年、カメラ・オブスクラ論文を書いたときから、ケプラーやフックが地形図や風景図を描いたことが気になっていました。何用があって描いたのか、どういう用途があったのか、どういう需要があったのか、気になったのですが、なかなか調べがつきませんでした。いろんな文献を捜しましたが、関心にかなうものは見つかりませんでした。
今朝、ダウンロードし、プリントアウトし、読んだ次の論文に有用な情報が含まれていました。論文の主題からはずれたところにありました。
瓜田澄夫「ピクチャレスク美学における山岳表象について」『神戸大学国際コミュニケーションセンター論集』3(2006): 93-105
まず、用語から。私は、風景図に対する英語として、prospect で調べていました。17世紀の用法です。しかし、現代の人は、この語を使いません。うーん。
p. 100 landscape 17世紀にオランダ語から英語に入った。もとの意味は、「風景画」であった。18世紀にはいって、「風景」の意味でも使われるようになった。
seascape もともと海洋図の意味であった。
scene, scenery もとの意味は、部隊の書き割り、舞台背景(図)であった。
旅行者に風景の見方を教えたのは、風景図であった。
「18世紀に多くの富裕なイギリス人たちが、イタリアを訪れ、ロランやローラやプーサンの絵を見るだけではなく購入し、イギリスに持ち帰った彼らの絵を通して自然を眺める眼差しの枠組みを獲得したにちがいない」
p.93 landscape や scenery が風景を表す語として定着するまで、使われたのは、prospect ラテン語では prospectus であった。
日本人は「風景」を幕末から明治にかけて日本にやってきた欧米人に教えてもらった。それまでは、自然の光景を風景としてみる習慣がなかった。
ヨーロッパで「風景画」が生まれたのは、比較的遅い。ルネサンスの時期のどこかで誕生した。→ほぼ、17世紀ということです。18世紀には、topographic print の流行があった、最初それは主に建物を描いた、そしてそれは部屋のなかで枠を付けられて壁に飾られることが多かった。
p. 97 フランシス・ベーコン「旅行について」『随筆集』(Essays, 1597, 1625 旅において見るべきもの、すなわち旅行書に描かれるべきもののリスト「大陸の王宮、裁判所、大聖堂、修道院、古代の記念物、都市の城壁、港湾、古代の遺跡や廃墟、図書館、大学、船舶、海軍、著名な旅館、証券取引所、倉庫、造兵廠、兵器庫、騎馬演習、フェンシング、軍事訓練等々」。お昼前に、新しいISISが届きました。ISIS, vol. 107, No. 1(2016)です。Focus は「アーカイブの歴史と科学史」。エッセイ・レビューは、視覚文化の研究法。
José Ramón Marcaida, "Picture and Conversation: How to Study the Visual Cultures of Science," ISIS, 107(2016): 134-139
Klaus Hentschel の著作のレビューですが、科学史技術史における視覚文化論の研究史のアウトラインをサーベイしてくれていて、有用です。あるいは、今、ちょうど欲しかった種類のレビューです。ISISは、97巻(2006)で「科学と視覚文化」の特集を行っています。
M. Norton Wise, "Making Visible," ISIS, 97(2006): 75-82
Pamela H. Smith, "Art, Science, and Visual Culture in Early Modern Europ" ISIS, 97(2006): 83-100
Iwan Rhys Morus, "Seeing and Believing Science," ISIS, 97(2006): 101-110
Jennifer Tucker, "The Historian, the Picture, and the Archive," ISIS, 97(2006): 111-120
Hannah Landecker, "Microcinematography and the History of Science and Film" ISIS, 97(2006): 121-132夕刻次の本が届きました。
中川理
『風景学 -風景と景観をめぐる歴史と現在-』 (造形ライブラリー 06)共立出版、2008
歴史的な感覚は弱いのですが、その分野における概観はわかりました。Wiki の"Landscape painting" の記述がなかなかよいことがわかりました。
17世紀において、代表となるのは、Claude Lorrain と Nicolas Poussin という二人のフランス人画家です。
実際の場所を描く、とくに建物を含む、絵は、"topographical view" と呼ばれた。
→ 16.4.30 なんと、私のもともとの関心にもっともよく答えてくれる記述は、あしもとにありました。すなわち、アルパースの第4章「オランダ絵画における地図制作の影響」にありました。
ひとりで5時、室温20.2度。雨が降っています。今日はずっと雨の模様。1限、4限5限、それに6限(M1懇親会)。
7時54分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニでお昼ご飯を買ってから研究室へ。すぐに教室に向かいました。もう数名が来ています。
必要事項を板書し、学生たちが来るのを待ちました。班毎に分かれてもらい、部屋割をしました。それから、それぞれの場所で、グループディスカッション。
2限3限は、休んだり、昼食をとったり、研究を進めたり。4限5限の連続。就活はピークに近づきつつあるようです。4限の授業のあと、一度研究室にもどりメールをチェックすると、4件、就活のため休みますという連絡が入っていました。
5限の小谷真理先生に挨拶をしてから、5限。15分早く終わったので、小谷先生の講義を15分聞きました。無事終わったことを確認してから、再度挨拶をし、コメントシートを全部渡して、また再来週もよろしくとドア口までお送りしました。研究室に戻り、部屋を片づけてから、円形食堂に。10名近くは集まっていました。
遅く来る人もいましたが、最終的には予定に数に達したようです。はじめてのM1懇親会ですが、先生方もかなりの数参加してくれて、よかったと思います。
8時28分多磨駅発の電車に乗り込みました。雨はほぼ上がっていました。本日、間の時間で、プリントアウトして読んだのは、次。
Martin Kemp, "Imitation, Optics and Photography: Some Gross Hypotheses," in Inside Camera Obscura, Max Plank, 2007, pp.243-264
冒頭、ケンプは、これは論文ではない、ホックニーの仕事に対する個人的な思考だと言っていますが、私には実に意味のある論考でした。いろんな点が明確になりました。
2つの柱となる仮説をたてています。
p.244 1.「1300年から1880年頃までの進歩的西欧芸術の中心的ゴールは、自然の模倣であった」
2.「1839年以降の西欧芸術の中心的ゴールは、写真、フィルム、テレビジョン、CG 、ある種の大衆/公衆芸術により、横取りされる度合いが強まった。」
p. 249 写真の発明の背景。タルボットは、科学と人文学の幅広い背景をもつが、有能な職人的技能はもたなかった。ハーシェルのその時代の一流の科学者であった。タルボットは、カメラ・ルシーダを使って上手に風景画を描くことはできなかったが、ハーシェルにはできた。タルボットの発明は、芸術分野における光学装置の技術史に属する。彼の画像作成(drawing)と写真分野の営為は、ピクチャレスクな風景画制作の伝統に深くはまっている。とくにその素人的絵画技法において、英国的な美学の色合いがとても強い。そして、カロタイプの画像(絵)としての特徴は、単なる機械的記録とかけ離れた「芸術的」質を示している。
ダゲールは、ほとんど対極的な方向から写真発明に参入した。有能な風景画家であり、どうじにディオラマの成功した事業家であった。彼は、ニエプスによって、模倣の科学的技術に導かれた。発明家にして、素人科学者であった。ディオラマは、劇場的な風景画(一八世紀フランスでは、Joseph Vernet が有名)の自然な後継者といえる。社会学的には、ディオラマは、パノラマとならび、模倣芸術が公衆のスペクタル(public spectacle)というよりひろい領域にはいったことを意味する。そして、勃興する中産階級のリソースを活用し、中産階級の需要に応じた。ダゲールの発明は、科学アカデミーにより発表され、ダゲールのよく理解していパブリックシーンの主役となった。ダゲレオタイプの肖像写真は、貴族的な肖像画のジャンルをより広い公衆に開くものだった。半面影像の肖像画の流行により前触れされていた。
ひとりで4時15分、室温21.5度。夜、暑く感じました。午後、会議が続きます。4つ連続です。最後の会議で一瞬司会をする必要がありますが、誰の意識にも残らないぐらいの瞬間です。
8時半、武蔵境発の西武線。昨日舞い込んだ事務からのメールを朝のうちになんとか全部対応することができました。やれやれ。
9時過ぎに飛び込んできた学生の相談に応じ、書類に判子を押しました。ありがちなミスです。本人はかなり不安だったようです。
11時50分から会議。同じ部屋で、12時40分から次の会議。その次の会議までは30分以上時間があいたので、一度研究室にもどり、片づけをしてカバンをもって教授会に臨みました。
時間がかかるのは、覚悟していました。おわって7時。7時16分多磨駅発の電車。同僚の先生3人といっしょになりました。西荻南口で会議だそうです。駅でお別れしました。
夜半起きていたせいで、ひとりおくれて7時25分、室温20.8度。こういう日もあります。10時15分から歯医者。午後に、4つ会議。終了予定は、5時半ですが、実際はもっと遅くなると思います。
→歯医者はやはり1時間近くかかりました。一度帰宅しました。予定では、昼食をとってからでかけるつもりだったのですが、麻酔をかけられました。大学に着いて、会議の直前にとることにしました。武蔵境駅に中央線がついたのが、ちょうど11時54分。駅の外にでて、昼食のパンを買ってから、12時6分武蔵境発の西武線に乗り込みました。
大学について、メールをチェックして、昼食を食べると、すぐに会議。2つ続きました。30分間があり、3時から4時の会議。次に4時からの会議。数分前に会議室に入ると誰もいません。15分遅れるということですが、会議室で待っていました。
ほぼ予想とおり、1時間延びて、6時半前まで。急いで駅に向かい、6時40分多磨駅発の電車に飛び乗りました。
中央線が三鷹駅で3分停車するというので、ホームにあがり、子どもたちのパンを買って同じ電車にまたもどりました。3分あれば、この行動が十分できます。事務からメールがいろいろあり、対応に追われた一日でした。
昨夜、今年度の「暮らしと健康」の日程が届きました。秋は、9月26日(月)、27日(火)、28日(水)、29日(木)、9月30日(金)の一週間です。9月の最後です。冬は、1月24日(火)、25日(水)、26日(木)、27日(金)の4日間です。やはり1月の終わりの週です。
ひとりで4時55分、室温18.7度。妻は6時、おおきいちびは6時半に起こします。
午後に授業3コマ、そして6限目に会議。夕刻の会議はいやですが、仕方ありません。
10時半武蔵境発の西武線。久しぶりに列車の先頭に乗りました。
お昼休みの時間帯にスキャン。
3限4限の授業。
5時40分から会議。6時半前に終わりました。6時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。もうすこし遅くなると思っていたので、上出来です。
ひとりで4時55分、室温20.8度。地面が濡れています。夜、雨が降ったようです。ちびどもはともに大会。おおきいちびは早朝から板橋。ちいさいちびはゆっくりめで石神井。自転車で行ける距離ですが、もちろん、部員が全員いっしょにバスで行くようです。
おおきいちびは6時15分に自分で起きていました。妻も同じ時刻に起こしました。おおきいちびが出かける頃は雨足が強くなっていました。事典項目の校正作業はひとやすみして、もとの作業に復帰。バッチェンを読みつつ、関連事項を調べました。途中、ちょうどよいかと思い、足元にあった、L.J.M.ダゲール『ダゲレオタイプ教本』(中崎昌雄解説・訳、朝日ソノラマ、1998)を取り出し、第1部中崎さんによる解説「「ダゲレオタイプ教本」解説」を読みました。何と、一度読んでいます。まったく記憶がありませんでした。今回は必要なので、全部、しっかりと読み通しました。中崎さんの写真史研究を読むのであれば、最初はこの解説がよいように思われます。中崎さんの研究が凝縮されています。重要なポイントで省略されている点がありますが、選択の問題なので、仕方ないかと思います。
ダゲール (Louis Jaxques Mandé Daguerre, 1787-1751)
ウェッジウッド (Thomas Wedgewood, 1771-1805)
デーヴィ (Humphry Davy, 1778-1829)
ニエプス (Nicéphore Niépce, 1765-1833)
デュマ (J.B. Dumas, 1800-84)
トールボット (W. H. F. Talbot, 1800-71)
ジョン・ハーシェル (John Herschel, 1792-1871)
バッチェンのあげる原写真家のリスト。(pp.77-8)
ヘンリー・ブルーム、エリザベス・フラム、トーマス・ウェッジウッド、アンソニー・カーライル、ハンフリー・デーヴィー、ニセフォール・ニエプスとクロード・ニエプス、サミュエル・モース、ルイ・ダゲール、ウジューヌ・ユベール、ジェームズ・ワトルズ、エルキュール・フローランス、リチャード・ハバーシャム、ヘンリー・トルボット、フィリップ・ホフマイスター、フリードリッヒ・ゲルベル、ジョン・ドレーパー、ヴァーノン・ヒース、イパリット・バヤール、ホセ・ラモス・ザペッティ
Robert BOYLE (1627-1691)
Johann Heinrich Schulze (1687-1744)
Henry Brougham (1778-1868)
Elizabeth Fulhame (fl. 1794)
Anthony Carlisle (1768-1840)
Eugène Hubert ()
Samuel Finley Breese Morse (1791-1872)
Hippolyte Bayard (1801-1887)
Antoine Hercule Romuald FLORENCE (1804 - 1879)
John William Draper (1811-1882)
Vernon Heath (1819-1895)
Hippolyte Bayard (1801-1887)
Phillipp Hoffmeister (1804-1874), 1834 José Ramos Zappetti, 1837写真史に関する、科学史では、ウッドかなと思うようになっています。ダウンロードはしています。これも少しずつ読み進めます。
R. Derek Wood, "The Daguerreotype and Development of the Latent Image: “Une Analogie Remarquable": Latent Developments from Gallic Acid, 1839, " Journal of Photographic Science, 28: 1 ( 1980), pp. 36−41
M. Nierenstein , "The Early History of the First Chemical Reagent," Isis 16(1931): 439-446.
Gallic Acid は、没食子(もっしょくし)酸です。Nierenstein(1931) は、プリニウスに報告されている、その没食子酸による鉄の検出法を最初の化学試薬と位置付け、その系譜を追いかけたものです。今、こういう論文の書き方をすると、掲載拒否されてしまうと思いますが、なにぶん、1931年のものです。タケニウスが没食子酸の反応を扱った部分(Tachenius, Hippocrates Chymicus (Brunsvigae, 1666), pp124-5 )をほぼ2頁にわたり引用しています。またボイルがやはり没食子酸の反応を扱った文章 (Robert Boyle, Short Memoirs for the Natural Experimental History of Mineral Waters, London, 1685)をほぼ3頁にわたり引用しています。そして、最後はトムソンの『化学史』(London, 1830)から半頁の引用を行っています。今の基準では論文となりませんが、こういうものとして実は有用です。
基本を記しておきましょう。
Gallnut 没食子:ブナ科植物の若枝にモッショクバチが寄生して生じた虫瘤で、主成分のタンニンを加水分解すると没食子酸がえられる。タンニンは、分子量 600〜2000の複雑な構造を有するポリオキシフェニルが基本構造となっていて、鉄(III)、鉛、マンガン、クロム、アルミニウム、ガリウム、チタン、ジルコニウム等々の重金属塩と沈殿を生じ、特に鉄塩とは暗緑、暗青ないし暗黒色となり沈殿を生ずる。プリニウスは1世紀後半に、硫酸銅の試料が硫酸鉄あるいはそれ以外のもので汚染されているかどうかを確認するための湿式反応として利用した。具体的には、カシ(Quercus infectoria)から得た没食子の水溶性の抽出物中にパピルス草の一片を浸し、そのパピルス草の一片を硫酸銅または緑青の水溶液に浸したとき、もしその溶液中に不純物として鉄イオンが含まれているならば、そのパピルスが黒色に発色する、というものであった。
こういう反応は、化学者にはよく知られていました。写真史でポイントになるのは、現像の際に没食子酸を利用したことです。見えないものを見えるようにするという点では、ボイルがあげる「見えないインク」が先例を与えています。
ひとりで4時、室温19.2度。→5時現在、曇り。
小学生は土曜日学校。おおきいちびは朝練。ちいさいちびは午後練習。昨日の作業を見直しました。何点か見落としがあり、調べて、赤を記しました。ネットがあってもかなり苦労する調査です。ない時代だと、膨大な時間を要したでしょう。
たぶん、事典の仕事は、1ラウンド終わったので、役職に伴う仕事ではなく、個人の事務的仕事を全部処理することにしました。肉筆の指定だったので、久しぶりに原稿用紙3〜4枚分の文字を書きました。手が痛くなりました。それから、事務に提出すべき書類を2点完成させました。1点はすぐにメールに添付し、もう1点はもうしばらくしてから提出します。本来の仕事にはなかなか戻れません。
ともかく、自分の仕事を確認しようと思い、ゲラと手元の資料を照合しました。今回は170項目を執筆しています。ほかに共著項目が2項目あります。(古代や中世を別の方が書き、近代を私が書くという分担です。)他の方と重複したため、そちらを優先したものが5項目あります。もちろん、この場合、私の書いたものはなかったことになります。
ちなみに、この事典ですが、2011年に編纂作業がスタートしています。大項目:1600字、中項目:800字、小項目:400字という目処で、項目分けをしています。項目選定に時間がかかり、私の執筆作業は、2013年から始まっています。時間のあるときに、集中的に作業し、2015年夏に予定していた執筆者が書いてくれなかった項目、残ってしまった項目のうち、私の方で引き受けたものを執筆しています。7月の終わりに、パリッシやラントシィタイナーの項目を書いたのが、最後となります。
出版社のゲラ出し作業は年末から始まり、今年の4月までかかっています。私が自分の書いたものを整理するだけでもかなり時間がかかりましたから、事典の編集は、労力のかたまりとなります。私は、私の分だけで、かなり肩が痛くなっています。
ひとりで4時45分、室温18.4度。室温が昨日とまったくおなじです。
おおきいちびが朝練。ゲラと格闘中。今回の校正作業は、ほぼ調査に費やされています。事典は、こういうところが手間取ります。→たいへんでしたが、ひととおりは通しました。次は、文章・言葉を見直します。
ひとりで5時35分、室温18.4度。1限4限5限。5限後、長く非常勤をやっていただいた都甲先生の慰労会。長い一日になります。
7時30分武蔵境発の西武線。わずかに準備をして、8時15分に教室に入りました。事務の方はもう見えていて、ほぼ準備完了でした。
教務課大学院係・学生課・留学生課の順に話をしてもらいました。
最後に来週の準備。2限3限の時間帯は休み。ゲラを読みました。今回のゲラはほぼ調べものとなります。できる範囲で調べものを進めました。
4限5限。5限終了後すぐに101教室へ。授業は終わっており、コメントシートに記入している学生がまだ残っていました。都甲先生の他に、和田先生、久野先生、TA の院生。
全員の提出を待って、大学前のピザ屋さん。30分ほどして沼野先生も合流。10時10分多磨駅発の電車で帰途。都甲さんと久野先生。都甲さん、12年間、ほんとうにありがとうございました。最後は学生たちの間から自然に拍手がわいたと聞きました。都甲さん、ご苦労様でした。
帰宅すると次の本が届いていました。
Roger Taylor and Larry Schaaf ,Impressed by Light: British Photographs from Paper Negatives, 1840-1860 (Metropolitan Museum of Art) , 2007
Richard Farber, Historic Photographic Processes: A Guide to Creating Handmade Photographic Image , London, 1998
ひとりで4時40分、室温18.1度。会議の日。午後。12時40分から研究院協議会。私が司会をします。14時20分から言語文化学部教授会。
昨日見始めたゲラですが、昨日と同じ綴りが3つあることが判明しました。事典項目なので、紐で綴じて、綴りとしてくれています。
9時18分武蔵境発の西武線。研究室で机の上の片づけと、ゲラとの格闘。事典項目なので、校正は普通の原稿とは違います。かなりの程度、調べなおしています。
12時40分からの会議はほぼ半分で終了。研究室で作業を続行し、帰り支度をして、大会議室へ。こちらもスムーズに終わり、4時4分多磨駅発の電車に乗ることができました。
ひとりで3時20分、室温20.2度。
この起床時刻は、歯医者さんショックと疲れではやく寝たせいです。歯医者さんの椅子に1時間近く座っているのは、いつも何らかのショックを受けます。まったく痛みがない治療の場合もそうです。昨日大学で受け取ったレターパック2つ分のゲラを見始めました。レターパック2袋分というのははんぱありません。見ても、見ても、減らない。急がず、一個一個進めるしかありません。
午前中に1つ、午後2つ会議。終了予定は、5時。ですが、5時には終わらないと思います。
8時54分武蔵境発の西武線。研究室に荷物をおいて、すぐに研究所。数枚の原稿をコピーしました。文字が小さくて読めないものを拡大して読むためです。
10時10分から学長室。11時まで。研究室にもどり、すぐにお弁当。しばらくゲラの続きを見ていました。区切れのよいところで、買い物。暖かいですし、まずまずの天気なので、すこし遠出。駅向こうのセブンイレブンまで。せっかくなので、まったく通ったことのない道を通ってみることにしました。適当にみつくろってすたすた。大学にきちんと帰り着くかどうか確信はなかったのですが、1メートル幅の踏切があり、ちょうど電車が通過したばかりに踏切を渡ると、その先は、道がわかりました。
2時40分から会議。3時に終わりました。次の会議は3時半から。長引くことは覚悟していました。6時過ぎまで。6時28分多磨駅発の電車に乗って帰ってきました。
帰宅すると次の本が届いていました。
Lisa Cartwright, Screening the Body: Tracing Medicine's Visual Culture, Minneapolis: University of Minnesota Press, 1995
佐竹 健治,中田 節也,熊木 洋太,伊藤 谷生,平川 新,田中 広明,林 春男,宮城 豊彦,平田 直,田村 圭子,保立 道久,加藤 尚之,西村 太志,森田 裕一,小池 伸彦,村田 泰輔,榎原 雅治,木村 茂光,大西 隆『地殻災害の軽減と学術・教育』 (学術会議叢書22) 、公益法人日本学術協力財団、2016
『地殻災害の軽減と学術・教育』は授業で使おうと思っています。
ひとりで5時15分、室温20.1度。
仕事のある妻は6時、朝練のあるちいさいちびは6時20分、同じく朝練のあるおおきいちびは6時30分に起きました。小学生は妻が起きると起きたようです。8時5分には私がひとりになりました。10時まではいくらか時間があります。この間の作業をすこしですが進めています。
午前中に歯医者、午後に授業(大学院)。
歯医者は10時から。すこし遅れてスタート。10時50分頃終了しました。家に一度帰り、すぐにでかけました。11時半武蔵境発の西武線。2限の終わった学生の群とは、逆流になりました。メールボックスに大量の郵便。ゲラです。ゴールデンウィークまでに片づけます。
昼食を食べて、要求された書類を作成し、送り返すと3限の時間帯。4限は、地震学を学んだ方だったので、最初に今回の熊本地震の解説。
→防災科学技術研究所 Hi-net このサイトで、日本の県単位で最近30日間(7日間、24時間)の地震発生状況が地図上にプロットされているのを見ることができます。書類を1点作成し、1点預かった帰ってきました、5時4分多磨駅発の電車。帰る前、メールボックスを見ると、『図書新聞』3252号(2016年4月23日発行)が届いていました。私の書いた書評、「金森修『科学思想史の哲学』岩波書店、2015:変質した現代科学への危機の書:著者の科学思想史三部作の最後を飾る書物」(『図書新聞』2016年4月23日)が5面に掲載されていました。帰りの電車で読みました。
駅につくと、すこし雨が降っています。傘をささず歩きました。ガード下のコンビニでパンとアイスを買って帰りました。
夜半に目覚めてすこし仕事。息子といっしょに6時15分、室温18.6度。暖かいと思っていたら、けっこう気温が上がっていました。ただし、風が強い。
おおきいちびはいつもの朝練と同じ時刻に出かけていきました。ちいさいちびは、駅に9時集合で試合を見学に行くそうです。
[科研費の研究]
私が研究分担者となっている科研費の研究ですが、情報をまとめておかないと、自分でも把握できなくなるおそれがあります。以下にまとめておきます。とくに私にとってわかりづらいのは、年度です。平成で表示されると、わからなくなります。公式書類は、平成ですが、西暦を後ろにつけておきました。
大学の同僚の山口科研は、今年が最終年度です。夏に国際シンポジウムを開くそうです。(確定情報は来週中に教えてもらえると思います。)東大の橋本さんが主催する橋本科研は、今年がスタートです。火曜日にあって打ち合わせを行い、最初の研究会合を5月半ば大安の日に開くことを決めました。橋本科研基本事項
平成28年度〜平成30年度 2016-2018
課題番号:16K01158
事業名:基盤研究(C)(一般)
研究課題名:科学技術医学における図像の制作と利用に関する歴史研究
研究代表者:橋本毅彦山口裕之科研基本事項
平成26年度〜平成28年度 2014-2016
課題番号:26284046
事業名:基盤研究(B)
研究課題名:西欧アヴァンギャル芸術における知覚のパラダイムと表象システムに関する総合的研究
研究代表者:山口裕之梶科研基本事項
平成24年度〜平成26年度 2012-2014
課題番号:24300295
事業名:基盤研究(B)
研究課題名:日本化学の転換点としての1930〜60年の比較科学史的研究
研究代表者:梶 雅範(東京工業大学社会理工学研究科経営工学専攻)
研究分担者だったのかどうかちゃんとした記憶がありませんが、2006年夏、イスラーム表象科研(同僚の青山亨氏が研究代表者)で、17世紀中葉のヨーロッパから見たイスラームについて発表した記憶があります。同僚の亀山さん、八木さん、水野さん、青山さん、上智大学の川島さんがいっしょでした。
[ジョン・ハーシェル 光化学者]
昨日、 ギュンター・ブットマン『星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』(中崎昌雄,角田玉青訳、日本ハーシェル協会、産業図書、2009)から第6章「写真術と光化学研究(1839年ー1844年)を読みました。ジョン・ハーシェルは光化学史において重要な仕事をしています。技術・産業という観点からではなく、科学史という観点から言えば、原写真術家のなかで、もっとも重要な仕事をしたと言ってよいようです。しかし、ジェントルマン科学者(あるいは自然哲学者)として特許取得に関心をもたなかったせいで、写真史において不当に評価されています。
日本語では、これと中崎さんの諸論考がジョン・ハーシェルのこの分野(初期写真術と光化学)に焦点を当てています。
中崎昌雄「だれが初めてハイポ (チオ硫酸ナトリウム) による写真「定着」を発見したのか? : J. B. Reade 対 John Herschel」『中京大学教養論叢』30(3)(1990): 663-725
中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263
中崎昌雄「1839-1842年における John Herschel 写真研究 : 青写真と「Herschel 効果」の発見」『中京大学教養論叢』31(1)(1990): 13-84
ポイントになるのは、John F.W. Herschel, "Note on the Art of Photograpy, or the Application of the Chemical Rays of Light tohe Purpose of Pictoral Representation," Abstracts of the Papers Printed in the Philosophical Transactions of the Royal Society of London, Vol. 4(1837-1843), pp.131-3
" A paper was als read, entitled, "Note on the Art of Photograpy, or the Application of the Chemical Rays of Light tohe Purpose of Pictoral Representation." By Sir John F.W. Herschel, Bart., K.H., V.P.R.S., &c.
これは、中崎さんが、中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263 のpp.90(1246) -99(1255) で邦訳を発表されています。ただし、これは、アブストラクトそのものではなく、おそらくラリー・シャーフが発見した「発表草稿の全体」だと思われます。まだラリー・シャーフは入手していないので、遠からず入手して確認します。Complete DSB の記述(2008)も読んでみました。書いているのは、Marvin Bolt。John Herschel (1792-1871) 時代における位置付けはよくわかるように書かれていますが、初期写真術と光化学の分野に関しては触れられてもいません。オリジナルのDSB で触れられているのかどうかは確かめる必要があります。
(授業のなかでも論文のなかでも)以前、「カメラ・オブスクラ→写真」という単線の発展史観に対して、批判を行いましたが、今回、写真史に関して、いろいろ読んでいて、批判は足りていないと感じています。写真を美術と位置づけたとき、「カメラ・オブスクラ→写真」という単線発展史観は非常に強く、歴史家が、評論家がどれだけ批判しても、何度でも復活してくる生命力を感じました。
以前は、箱:光学(カメラ・オブスクラ)を扱いましたが、紙:光化学(印画紙、印画材料)の方でも批判の作業が必要です。専門的な論文も必要だろうと思い、ネットで次をダウンロードして読みました。
P. Derek Wood, "Fourteenth March 1839, Herschel's key to photography, the way the moment is preserved for the future," Published in Jubilee- 30 Years ESHPh Congress of Photography in Vienna, Anna Auer and Uwe Schögl (eds.), Salzburg, 2008, pp. 18-31.
初期写真史にこれまでつきまとっていた混乱のひとつを見事に解決しています。
→まず、王立協会の雑誌。オルデンバーグがつくった『(王立協会)哲学紀要』の他に、王立協会は、1832年、1800年以降『(王立協会)哲学紀要』で発表された論考のアブストラクトを集めて発行することにした。まず、1800年から1814年を集めたものと、1815年から1830年のものが準備された。加えて、会合の記録とそこで読まれた論考を載せるProceedings of the Royal Societyが出版されるようになった。そして、その創刊号は、2つのAbstractsの続編ということで、第3巻と称された。ここには、『(王立協会)哲学紀要』にはまったく発表されなかった数多くのアブストラクトが掲載されるようになった。そして、さらに、第7巻(1854-5)から、アブストラクトではなく、論考本体がそのまま掲載されるようになった。
Abstracts, Vol. 1(1832), Vol. 2(1833) , Proceedings of the Royal Society, Vol. 3. その後もProceedings of the Royal Societyは、しばらく、Abstractsの表題のまま印刷された。
ハーシェルの王立協会の会合(1839年3月14日)で読んだ原稿は、Proceedings of the Royal Society, 1839, No. 37 に掲載された。
王立協会で読まれた原稿は、一定の場合、Proceedings of the Royal Societyにだけ出版された。そして、通常は、Proceedings of the Royal Societyの出版業者テイラーが独立に出しているPhilosophical Magazineにも掲載された。こちらは、月刊誌であり、より広く読まれていた。王立協会で読まれた原稿が価値が高いと判断された場合には、由緒あるPhilosophical Transactionsにフル・ペーパーが掲載された。
実際、ハーシェルの原稿の場合、アブストラクトがPhilosophical Magazine, Vo.14(1839), pp. 365-367 に再掲されたし、 フル・ペーパーの方は Philosophical Transactionsの1840年の巻で出版された。さらに、ウッドが見いだしたように、同じアブストラクトがTHE ATHENAEUM, 23 March 1839, p.223 にも掲載されている。
John F. W. Herschel, "On the Chemical Action of the Rays of Solar Spectrum on Preparations of Silver and Other Substances, Both Metallic and Non-Metallic, and on Some Photographic Processes," Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 130 (1840): 1-59
59頁の大論文として出版されています。
「1839年3月14日王立協会の会合で読み、その後、Proceedingsで発表したアブストラクトにおいて、私は、どういう状況下でこのテーマに関心をもつようになったのか、そしてその研究の科学的側面においてと同時に写真術への応用の点でもどのような進展をみることができたか述べました。その論文は(私側からの要求により)すぐに王立協会の出版物に出すことは見合わせ、また上に述べたアブストラクトはこの論考を読んで下さっている読者には入手しがたいものかも知れないので、アブストラクトの内容を短くかいつまんで要約することは、研究の繋がりを示す上で必要だと思われます。」(ほぼ直訳)
「アブストラクトの中心ポイントは、次です。」として、ハーシェルは3つのポイントを上げる。第1に写真に写ったものを定着させるためのハイポの使用、第2は銀塩の感光性を上げるための観察、第3は絵画や版画の複製と光学像の定着に写真術を応用すること。
初期写真史の混乱のひとつは、原文で "As that paper was (at my own request) withdrawn from the further immediate notice of the Society" という言葉の解釈にあります。写真史の重鎮達は、このことばをアブストラクトは出したが、フルペーパーの出版は見合わせたと解釈しました。そして、トルボットとの関係でその原因をいろいろ推測しています。
ウッドの論文は、その解釈にノーを言っています。
第1にそもそもずっと見合わせたわけではない。(実際、9月後、1840年1月に発行された『(王立協会)哲学紀要』にはフル・ペーパーを発表しています。)
第2にトルボットとの関係における解釈は、具体的な資料の裏付けをもたないゲスワークである。(私の言葉でまとめました。ウッドはこういう言い方をしていません。)
第3に(これは私の付加です)、ハーシャルは明らかに、光化学反応の科学的原理に強い関心をもつようになっている。それが『(王立協会)哲学紀要』のフル・ペーパーのタイトルに表現されている。「太陽のスペクトルの光線が金属と非金属とを問わず、銀塩やその他の物質の溶液に働きかける化学作用について、ならびにそれが写真術の技法についてもつ効果について」。言葉を変えれば、スペクトル上の多様な光線(異なる波長の光、異なる色の光)が、いろいろな化学物質に対して、異なる化学作用を引き起こすことを、つまりは光化学反応の体系的研究を目指しています。
これは、とても豊かな研究分野の出発点となっています。
ひとつは、ハーシェルは、写真術への応用だけに関心をもつ、技術者・企業家(起業家)ではなく、科学者でもあって、光化学反応の体系的研究に強く惹かれています。特許取得には関心をもたない、ジェントルマン科学者であったことが左右したと見ておいてよいと思われます。→ 16.4.18 写真史に関するとても有用なサイトです。
PHOTOGRAPHIC BIBLIOGRAPHY 1835 − 1869
Midley History of early Photography: R. Derek Wood’s articles on the History of early Photography, the Daguerreotype and Diorama→ 16.4.19 ハーシェル1839年3月14日発表原稿の正確な書誌をまとめておきます。
John F. W. Herschel, "Note on the Art of Photography, or the application of the Chemical Rays of Light to the purposes of Pictorial Representation, " Proceedings of the Royal Society Vol. 4: No. 37 (14 February 1839−21 March 1839), 131−3 ; The Athenaeum No.595 (23 March 1839), 223 ; Philosophical Magazine 3rd series, 14: 90 (May 1839), 365−7 ; Neue Notizen aus dem Gebiete der Natur- und Heilkunde 2nd series, 10: 17 (Nr. 215) (Juni 1839), 260−1
ひとりで4時55分、室温15.6度。けっこう気温の上下が大きい。雲は多いが、ひとまず晴れ。ちびどもには部活があると思いますが、何時に起きるのかは不明です。→二人とも午前中に医者に行きました。ちいさいちびは花粉症の薬をもらうために近所の小児科へ、おおきいちびはもしかしたら疲労骨折かもしれないといって整骨院へ。
午前中に、2号の残りの原稿をほぼ処理できたと思います。なかなか手間がかかります。
昼下がり、次の雑誌が届きました。
『書物學』7(2016)特集:医書の世界。出版は、勉誠出版。
この雑誌を手にとるのははじめてです。まず、二人の科学史家の文章を読みました。塚原東吾氏と鈴木晃仁氏。
ひとりで4時30分、室温18.4度。妻を6時に起こしました。おおきいちびは6時半。抜けるような快晴です。気温が高くなりそうです。
おおきいちび、ちいさいちび、妻、小学生の順に出かけていきました。午前中は私がひとりでお留守番。朝刊で東京面を見てみましたが、昨日の地震(東京を震源とする)は、掲載されていませんでした。熊本震度7地震の陰になったことになります。
必要があって、妻が帰ってきてから、大学へ。三鷹駅で特急を待ち合わせている間、ちびどものためにパンを買いました。電車を1本遅らせる必要があるかと思ったら、同じ電車に間に合いました。2時6分武蔵境発の西武線。4限の授業に出る学生たちの一部が走っていました。数名が同じ部屋目指して全力でとまではいきませんが走る姿は久しぶりに見た気がします。用事は簡単なものでした。3時4分多磨駅発の電車で帰途。
ピーター・バークの本から。
アイヴォン・ギャスケル「イメージの歴史」『ニュー・ヒストリーの現在:歴史叙述の新しい展望』(ピーター・バーク編、1996,人文書院)第8章、pp.199-228 を読み通しました。
歴史家、歴史学がイメージをどう扱うのかをまとめています。
p. 202 「同じく「芸術」とそれ「以外」のあいだにあって、建築の場合とはまったく異なったかたちではあるが、なぜか未解決の位置に置かれているのが写真である。この技術が生み出しうるイメージの幅がひじょうに大きいとは、あるいはいえないかもしれないが、情報を伝達する無色透明な手段として扱われる一方で、その対極では不透明な芸術的媒体としても扱われ、その文化的な意味のスペクトル的な重なりには無視しえないものがある。この百五十年間にわたって写真が、それそのものとしても、もしくはそこから発生した動く視覚イメージとしても、文化にあたえてきたインパクトははかりしれず、地球人口のかなりの割合にたいして、視覚的環境や情報交換の手段を根底から変えた。写真は、微妙に、根本的に、そして直接に、美術史の研究方法と、そしてさきほど定義した三角形に属するすべてのメンバーの行動とに変更をせまった。彼らの関心対象が制作されたのが、写真の発明以前であったか以後であったかは関係がない。ほとんど全員がイラストレーションとしてか、記憶の補助としてか、あるいは写真という方法で描かれた対象の代替物として、毎日のようにそれを利用している。それなのに、この職業についている人のほとんどが、自分たちの仕事に対して写真があたえる影響についてはっきりと考察をすることを避けてきた。」
p.223 「即座の情緒的な反応によって過去の出来事にもっとも容易に近づきやすいと考えられている視覚メディアが写真である。それは写真が、その主題と物理的で因果的な関係を有しているからだ。われわれの反応の一部は、できごとの本当の痕跡としての写真に対するものである。・・・『重大かつ複雑なできごとについてのわれわれの印象が、一枚の報道写真で永久に形づくられることもありうる。』・・・ p. 224 しかし、・・・それはつかまえられた瞬間は、時のなかで生じるできごとについて必ずしもすべてを語ってくれるわけではないし、何ひとつ語らないかもしれないということである。写真はさまざまな操作の対象となっている。(人物を切り取ったり、見る者の解釈に影響をあたえるべき刈り込み、トリミングし、トーンを変えることで。)そして簡単に読み取りうる意味というのは、しばしばキャプションといっしょになって発生したものである。同じ写真に違ったキャプションがつくと、まったく異なった、ときには矛盾する意味さえ生じることが少なくない。」ピーター・バーク編『ニュー・ヒストリーの現在:歴史叙述の新しい展望』谷川稔、谷口健治、川島昭夫、太田和子他訳、人文書院、1996、原著:New Perspectives on Historical Writing, 1991
英語のタイトルと邦訳タイトルは、ニュアンスが違います。英語タイトルと直訳すると「歴史叙述の新しい展望」です。すなわち、副題が英語タイトルの素直な訳です。
まったく普通のかたちで目次を示しておきましょう。
序章 ニュー・ヒストリー その過去と未来 …………………… ピーター・バーク
第2章 下からの歴史 …………………… ジム・シャープ
第3章 女性の歴史 …………………… ジョーン・スコット
第4章 海外の歴史 …………………… ヘング・ウ゛ェッセリング
第5章 ミクロストーリア …………………… ジョヴァンニ・レーヴィ
第6章 オーラル・ヒストリー …………………… グイン・プリンス
第7章 読むことの歴史 …………………… ロバート・ダーントン
第8章 イメージの歴史 …………………… アイヴァン・ギャスケル
第9章 政治思想史 …………………… リチャード・タック
第10章 身体の歴史 …………………… ロイ・ポーター
第11章 事件史と物語的歴史の復活 …………………… ピーター・バーク
日本で言えば、昭和の時代までの新しい歴史の展望です。これだけの執筆者を集めているのはさすがです。ちなみに、ピーター・バークには、このテーマを掲げる単行本があります。
ピーター・バーク『時代の目撃者―資料としての視覚イメージを利用した歴史研究』諸川春樹訳、中央公論美術出版、2007
歴史研究におけるイメージの利用を全般的に一般的に扱っています。歴史学における画像史料論とまとめてもよいでしょう。バークは、奇抜なこと、挑発的な主張は言いません。安心して読めると思います。ちなみに目次は、次です。
序章 視覚イメージの語るもの
第1章 写真と肖像画
第2章 図像学と図像解釈学
第3章 聖なるものと超自然的なるもの
第4章 権力と抗議
第5章 視覚イメージを通して見る物質文化
第6章 社会の姿
第7章 他者のステレオタイプ
第8章 眼で見る物語
第9章 目撃者から歴史家へ
第10章 図像学を超えて?
第11章 視覚イメージの文化史
ひとりで4時55分、室温17.6度。雨。夜半に降り始めた雨が降っています。しっかりとした雨足。傘をさしてでかけることになりそうです。1限、4限5限。2限3限があいています。その間に、おいついていなかった大学院授業の準備作業(テキストの準備)を進めたいと思っています。
8時6分武蔵境発の西武線。西荻では傘をさしませんでしたが、多磨駅について折り畳み傘をさしました。一度研究室に寄ってからと思ったのですが、時間をみて、教室に直行。まず、古い部屋(113,114)の黒板に教室変更の板書をしました。それから新しい部屋の227教室へ。TA と3名の院生しかまだ来ていませんでした。
研究科長による「研究倫理」の講義。古典学者らしい講義でした。
終了後、M1 懇親会についてしばらく打ち合わせをしました。それから研究室で、資料の整理。すぐに結果を報告。
11時に弁当。その後、授業テキストのスキャン。合間に、昨日借り出したピーター・バークを読み進めています。
4限5限。5限は4年生。就活の真っ最中です。就活が終わって授業に来る者、就活中の者、そして授業にしばらく滞在して就活に向かう者、様々です。帰宅すると、次の本が届いていました。
三井圭司/東京都写真美術館監修『とんぼの本 写真の歴史入門 第1部「誕生」新たな視覚のはじまり 』新潮社、2005夜の地震。
テレビでは、午後9時26分熊本で起きた震度7の地震のニュースでもちきりですが、実は、その少し前、8時58分、長女のスマホ情報によれば、西荻南を震源とする地震がありました。近所で何か重くて大きいものが落ちるとか、地面が陥没するとか、そういうときのような揺れが一瞬ありました。実際、地震ではなく、何かが落ちたのかとその瞬間私は思いました。ネットで調べると震源は、山中病院の南、天狗湯の北西といった感じの場所です。爆発音がしたと伝える人が多くいました。気象庁の発表では、震源の深さ50キロメートル、M 3.6 . 地名の表示では、西荻南2丁目。ネットでさらに調べると、2010年5月9日にも西荻窪を震源とする地震がありました。2010年5月9日13時33分、M.4.0 最大震度3,震源(北緯35.7度、東経139.6度)。地図上に場所をプロットしてくれているサイトがあり、見てみると、今回の地震とほぼ同じ場所でした。
去年(2015年1月10日午前4時9分にも西荻窪を震源とする地震がありました。M 3.6。震度2、震源の深さ50キロメートル。
2013年3月8日午前7時19分にもほぼ同じ場所で地震が起きています。
地震が1点で繰り返しおきるということはあまりないと思います。少なくとも10キロ程度の大きさの面で生じると思われます。GPS による地面の動きと、過去20〜30年の都区内を震源とする地震を地図上にプロットすれば、発生する可能性の高いところは可視化することができるように思われます。そうした地図は、捜せば、どこかにあるのではないでしょうか。
ひとりで5時、室温15.0度。会議の日。午後1番。
朝しばらく昨日届いたゲラと格闘しました。ひととおり通したところで、出勤。9時42分武蔵境発の西武線。2限に出席する学生が大勢乗っていました。
まず、研究所でスキャン。それから、読まないといけないなと思っていたピーター・バークを山の中から掘り起こし、部分的に読みました。ピーター・バーク『知識の社会史2:百科全書からウィキペディア』(新曜社、2015)。ウィキペディアのところを最初に読みました。
12時40分から会議。2時半近くに終了。急いで、事務棟4階に行き、書類を1点出してきました。それから図書館。やはりピーター・バークの本を2冊借りました。
歯の施術の影響がまだ残っています。本日は、以上で帰宅することにしました。3時16分多磨駅発の西武線。吉祥寺に本の買い出しにいく院生といっしょになりました。帰宅すると、次の雑誌が届いていました。
『photographers'gallery press 』no.7 (2008)
中身は日本語で、英語のタイトルの雑誌は、表記に困ります。photographers'gallery press としたいところですが、そうすると英語の雑誌だと思われます。日本で発行される日本語の雑誌(一部英語)ということをはっきりさせるため、ここでは『』を使っておきます。
雑誌の謳い文句をそのまま引用してみましょう。「写真の「起源」を問い、写真史の複数化を図る、いまもっともラディカルな写真史家ジェフリー・バッチェンの初邦訳論考2本に、ロング・インタビューを加えて掲載!」
具体的には「特集:写真史を書き換える──写真史家 ジェフリー・バッチェン」として、2本の論考の翻訳とインタビューが掲載されています。
「哲学的な窓」甲斐義明訳, pp.70-87
「スナップ写真──美術史と民族誌的転回」甲斐義明訳, pp. 88-104
「ジェフリー・バッチェンに聞く」甲斐義明(聞き手), pp. 105-127
そして、前川修さんの次の論文が内容的に深く関係しています。
前川修「写真の系譜学──バッチェンの写真論」pp. 130-140
この前川さんの論文は、バッチェンの『写真のアルケオロジー』の訳者後書きに利用されています。訳者あとがきはこの本を手にとってすぐに読んだので、ほぼ同じものを2度読んだことになります。現時点で前川さんのものが日本語で読める一番よい解説論文だと思われます。
→こうした分野ではバッチェンが基本で、歴史的研究ということではラリー・シャーフのものが基本だといえそうです。
ひとりで4時15分、室温13.1度。昨日の夜、一気に気温が下がりました。寒く感じます。午前中に歯医者。お昼に面談。午後に会議。
あいている時間で、スキャンをします。歯医者さんはほんとうに一瞬で終わりました。1分。一度家に帰ってから、大学へ。10時30分武蔵境発の電車。
学生はお昼休みに入ってすぐに来てくれました。助かります。面談が終わってから、研究所に行ってスキャン。月曜日4限のテキスト。
12時40分から会議。2時10分ぐらいまで。疲れたので、2時40分多磨駅発の電車で帰宅しました。息子とちいさいちびがいました。妻は小学校の保護者会。
ちいさいちびはすぐに部活に出かけていきました。私は届いていた学会のゲラの整理。4時頃妻が帰ってきました。
私は5時から橋本さんと吉祥寺で科研費の打ち合わせ。4時40分に再度でかけました。簡単な場所ということで、駅ビル内のスターバック。話をしていると、橋本さんの同僚の先生が通りかかりました。私もたぶん以前の同僚を見かけたように思います。
歯の調子が悪いときは、比較的よく、舌をかみます。あまりに痛くて、私にとても珍しいことですが、夕食をきちんと食べることができませんでした。寝るのが一番だと思い、早めに就寝しました。
ひとりで4時40分、室温18.4度。午前中に歯医者さん。そして11時に会議が入りました。歯医者さんはちょっとした工事(施術)です。会議に間に合う確率は私の見立てでは、50%です。
午後、月曜日最初の授業。大学院です。
歯医者さんは朝一番。銀行でお金を降ろしてから行きました。定刻通り、9時半に呼ばれました。今日は、左下3本を入れる大工事。11時ぐらいまで。受付で言われた金額が4万5千弱。そこまでは用意していません。また銀行に行って4万5千円を降ろしてきました。荷物を持たなかったので、一度家に帰りました。大学では会議が始まっている時間です。11時半ぐらいに家を出ました。武蔵境に着いたのが、11時54分。12分待って、12時6分武蔵境発の西武線。
大学につくと3限の直前でした。大工事のために、麻酔をしています。そのときはまだ麻酔が切れていません。昼食はあきらめて、薬だけ飲んでおきました。
3限は、2名。
4限は、3名。
順番決めが初日の主たる仕事です。あとは、雑談をしていました。
同僚の先生おふたりといっしょに4時40分多磨駅発の電車に乗りました。ここまでの工事は予想していませんでした。久しぶりに軽いショック状態です。
大学院の授業の準備は追いついていません。明日、明後日で追いつくつもりにしています。
ひとりで5時30分、室温18.9度。ちいさいちびはほぼいつもと同じ時刻にでかけました。おおきいちびは10時頃でかけるそうです。
お昼過ぎに次の本が届きました。
ボーモント・ニューホール『写真の夜明け』小泉定弘,小斯波泰共訳、朝日ソノラマ、1996
原著は、Beaumont Newhall, Latent Image, 1967
p. 26 「潜像の現像のこの発見と共に、近代写真術が生まれた。」
すぐに読み始めました。これは、短いながら、初期写真術に関する(技術をきちんと説明した)古典的書物です。(ただし、翻訳はいただけない。)
"Early Photography is not photography today." 初期写真術、あるいは生成期における写真術は、今の写真とはそうとうに異なるものであったし、また、予想外の豊かさ・多様性を孕んでいたということは、まず言えそうです。具体的には、それがどういうことかを押さえることから、初期写真術、あるいは起源における写真術の探究を開始しようと思います。
ものすごく当たり前ですが、写真術がほぼ確定してくる19世紀半ばから末までは、写真術という専門領域はなく、写真家という専門家もいなかった。テクニカルタームは、類似(とみなされたもの)から生成するしかなく、出来上がった現在からすれば、まったくすっきりしない、複雑で錯綜した筋道を辿ったと言えるでしょう。
→ 16.4.11 そうだ、写真史の新しい本は、バッチェンだと思い、本を棚から取り出しました。すぐ開いたページには、「私たちはここでもまた、写真史の奇妙なねじれを目にしている。いたるところで最初の写真として、写真史の礎石として、そのメディアの起源として伝えられているイメージは、実際のところ、素描に従って描かれた絵画だったのである! 盛んに喧伝されてきたこの最初の写真は表象の表象であり、写真史自らの規定に従えば、写真でさえないことが明らかなのである。」(P.195)
そう、バッチェンの本のタイトルは、『写真のアルケオロジー』。私の関心にぴったりです。写真史の基本文献
手元にある事典類で、写真史の基本文献として、何が挙げられているか確認することにしました。『科学大博物館』は、カメラに主眼があり、写真術は落ちています。『現代科学史大百科事典』の方は、「写真術」の項目があります。こちらはきちんと(カメラではなく)写真術の歴史を扱っています。執筆者は、Mike Ware
文献としては次があがっています。
Joseph M. Eder, History of Photography,trans. Edward Epstein, 1945
Helmut and Alison Gersheim, The History of Photography, 1969
T. H. James, ed., The Theory of Photographic Process, 1977
William Crawford, The Keepers of Light: A History and Working Guide to Early Photographic Process, 1979
Eugene Ostroff, ed., Pionees of Photography: Their Achievements in Science and Technology , 1987
Larry J. Schaaf, Out of the Shadows: Herschel, Talbot, & the Invention of Photography, 1992
Anne Thomas, ed., Beauty of Another Order: Photography in Science, 1997
Sidney F. Ray, Scientific Photography and Applied Imaging, 1999
私の関心から言って、ここにあるものは最低限集めておく必要があります。
ひとりで4時45分、室温17.6度。ちいさいちびは土曜日学校、おおきいちびは朝遅く練習開始。ともに、明日大会があります。
久しぶりに暖かく、好天です。外で動くと暑いぐらいかと思います。
月曜日の大学院の授業。
週明けから始まります。大学のシラバスへのリンクを掲げておきます。
月3「芸術と科学における表象の問題」
月4「ヨーロッパと日本における核=原子力開発の歴史」
ひとりで5時5分、室温16.6度。妻には6時に起こして欲しいと言われています。ちびどもは不明。
朝のうちにトラブルがあり、大変でしたが、とりあえず、私以外の全員、ほぼ通常通りそれぞれの学校、職場に出ていきました。このトラブルには、しばらくつきあってやるしかありません。親の仕事です。10時になってから、一昨日前輪の動かなくなったちいさいちびの自転車を自転車屋さんに持っていきました。前輪が動かないので、やはり前輪を抱えて行きました。前輪そのものが歪んでいて、取り替えるしかないということでした。買ったばかりですが、取り替えてもらうことにしました。
午後1時に取りに行きました。5千5百円。このぐらいなら、仕方ありません。5時前、吉祥寺に出かけました。まず、パルコ。3階の文房具売場で、息子のノートを買ってやりました。学校が指定した7冊。ついで、コピスのなかのジュンク堂へ。いろいろ見て回って、『中央公論』の最新号(2016年5月号:特集「ニッポンの実力」)だけ買いました。それから、エキナカのパン屋さんで、もちもちパンとミニクロワッサンを買いました。
帰宅すると、次の本が届いていました。
松尾 豊『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』 角川EPUB選書、2015
理由があって、すぐに読み始めました。わかりやすく書かれています。導入としては最適だと思われます。→16.4.9 翌朝、ちいさいちびが土曜日学校にでかけてすぐあとに読了しました。これは今に生きる誰もが読む価値のある本です。ここには時間がなくて書きませんでしたが、Google Ngramを試してみて(残念ながら、日本語バージョンがまだです)、その基本発想は、google book を利用して自分でも一部試みていました。私の発想と能力では、Google Ngramには辿り着きませんが、グーグルとその他の検索を利用しつつ、手作業で同じようなことをやろうとしていたとは言えます。たぶん、私がやっている時代だと、まだ手作業が意味を持ちます。つまり、ビッグデータがあまりビッグではありません。
しかし、松尾さんが説得的に述べているように、ビッグデータが意味をもつ現在の分野(とくに産業分野)では、AI は確実に産業に変化をもたらします。古いものに哀愁をもっていても仕方がないと思います。起きていることを把握(現状分析)し、この動きが向かう先(10年後、あるいは20年後、そして50年後ぐらいの先)において、現時点から対応策を考える必要があります。商売の世界では、明らかに対応によって、陶太が生じます。単純に生き延びるためだけにも、必要なことだと思います。
ちょっと前に、卒業生の一人と、日本では伝統的な高収入の職業や産業が消えつつあるという話をしていました。産業としては電器産業(東芝やシャープやソニー)を挙げれば誰でもわかるでしょう。週の前半、大学に出勤している間に、新しい思想史事典(スクリブナー思想大事典)の項目をいくつか読みました。エジャートンの「遠近法」は、自身の古代の線遠近法の再発見という論点には拘らず、一貫した、よい説明を与えています。さすがです。
それに対して「視覚文化論」の項目は、それ自体、視覚文化論のひとつの論考であるかのように、ちょっと難しいものでした。背景になる事柄を知っているので、ある程度までは理解できましたが、100%の理解は無理でした。何を言っているのか一読では不明な個所が残りました。ただし、文献紹介はとてもよく出来ていると思います。
Lisa Cartwright, Screening the Body: Tracing Medicine's Visual Culture, University of Minnesota Press, 1995.→ 16.4.9 中崎さんが使っている資料をまとめておきます。
エアロン・シャーフ『写真の歴史』小沢秀匡訳、パルコ出版、1979
Larry Schaaf, History of Photography, IV/1, 181(1980)
Helmut and Alison Gersheim, L. J. M. Daguerre, Dover, New York, 1969
Helmut Gersheim, The Origins of Photography , Thames & Hudson, London, 1982
G. Potonniée, The History of the Discovery of Photography, Arno Press, New York, 1973
Victor Fouque, The Truth Concerning the Invention of Photography, Arno Press, New York, 1973
T. P. Kravtes ed., Documents on the History of the Invention of Photography, Ayer, New York, 1979
Beaumont Newhall, Latent Image, University of New Mexico Press, Albuquerque, 1983 『写真の夜明け』小泉定弘・小斯波泰共訳、朝日ソノラマ、昭和56
Joseph Maria Eder, History of Photography, Dover, New York, 1978 Translated from Geschichte der Photographie, 4th ed., 1932→1980年代半ばまでの写真史の基本書は使われています。ただし、視覚文化論・視覚文化史の仕事と言えるものは、まったく視野の外に置かれています。DNBは使われていますが、DSBは使われていません。
時代的なものは仕方ありませんが、次の2点も使っていません。
ナオミ・ローゼンブラム『写真の歴史』飯沢耕太郎・日本語版監修、美術出版社、1988
『カラー版 世界写真史』飯沢耕太郎監修、美術出版社、2004
クエンティン バジャック『写真の歴史』創元社(「知の再発見」双書)、2003
ひとりで4時45分、室温17.1度。私にとっては、新学期の授業開始日です。1限4限5限という変則的な形です。大学自体は昨日から授業をはじめていますが、学生がどっと来るのは、今日からになると思われます。
7時42分武蔵境発の西武線。非常勤講師室でホワイトボードマーカーを入手してから研究室へ。すこし準備をして、10分前に教室へ。さすがに来ていたのは2人でした。すぐに TA の院生が来てくれて、マイクの準備。今日は隣の部屋と合同。たぶん、全員が出席したように思われます。
私が全体説明をしました。足りない点を土佐先生に補ってもらいました。その後、土佐先生のクラスは、お隣に戻りました。
次は、班分け。あらかじめこちらで案を作成してきていました。それを発表。班毎に集まってもらいました。6人×6班。
班のなかで話が盛り上がったようで、一安心。2限の時間は、1限にあつめたコメントシートの整理。ほぼ1時間かかりました。
お昼ご飯を食べてから、再度、情報の整理。最後までは行きませんでしたが、目処をつけることはできました。
留学帰りの学生と面談。一人の学生の書類に判子を押しました。年度始めは、こういう仕事が続きます。
4限のゼミ、5限の最初の説明、卒論ゼミと無事に進行しました。
和田先生といっしょに6時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
お風呂に入ったあと、夕食。その後、妻のバースデーケーキを買いに行きました。一番家の近くのケーキ屋さんがあいていました。助かりました。
ひとりで3時30分、室温15.4度。
朝練のあるおおきいちびを6時半に起こしに行くと、もう起きていました。お弁当をつくる妻も6時半。小学生もすぐにばたばたと起きてきました。ちいさいちびは7時。
子どもたちは全員が始業式。比較的すぐに帰ってきます。
3時半は、夜なのか早朝なのか、ともかく、この時刻に起きると仕事をする時間はあります。大学の事務的用件は、だいたい処理することが出来たと思います。明日の授業の初日(3コマ)が終われば、すこし余裕ができるかなと見ています。正午に打ち合わせ。1時に小会議。
9時6分武蔵境発の西武線。研究室の机の上においている、書類の片づけに着手。100%ではありませんが、ほぼ片づけることは出来ました。正午の打ち合わせは、TA の仕事の案内。お昼休みですが、101教室は使われていました。機材を実際に示すことはできませんでした。その後、2階の教室の確認。10部屋ぐらいを見て回りました。
1時からは、302で図書館の方3人、ならびに研究科長と同席して、授業の説明・打ち合わせ。
2時4分多磨駅発の電車に乗って、帰宅。特別研修明けの水野先生といっしょになりました。水野先生は、中央線で逆向きの電車に乗られました。ガード下を通って帰りました。ガード下で長年頑張ってきた本屋さんが撤収していました。本や雑誌はまったくなく、スチールの本棚だけわずかに残っていて、それももうすこしで搬出が終わるという状況でした。私自身も本はほとんどamazonで買っています。たまに本屋さんで買いますが、商売が厳しくなったのでしょう。(ブックセラーズ西荻窪店、4月3日をもちまして、営業を終了しました。長い間、ご愛顧いただき、ありがとうございした、と張り紙にありました。)
帰り着くと、妻がばたばたしています。ちいさいちびが友達と遊びに行って、自転車で併走しているうちに隣の子と接触し、自転車が動かなくなったという連絡があったそうです。中学校のすぐ近くの公園。上着を脱いで、私が様子を見に行くこととしました。公園に着くと、中3の女子がわらわらと集まっていました。自転車の様子を見ると、前輪が歪んでいて、回転しなくなっています。リムも何本か切れています。その他は異常なし。金属を無理に動かすとしばらく前輪を回転させることはできますが、すぐに元に戻ります。前輪をもって自転車屋さんに行くしかないと判断し、ハンドル部分を腰にあて、フレームの最先端をもって、購入したばかりの自転車屋さんへ。着いてみると、え、本日は休業でした。仕方ありません、自宅まで持って帰りました。明日は、一日仕事なので、金曜日に再度自転車屋さんに行くしかありません。昨日は、スマホを風呂ポチャしています。トラブル続きのちいさいちびでした。
結局、ちいさいちびは8時過ぎまで友達と遊んで帰ってきました。おおきいちびは、1年のときの同級生と夕食会だそうです。帰宅すると、次の本が届いていました。
中崎昌雄『福沢諭吉と写真屋の娘』大阪大学出版会、1996
次の3点の論文をふくらませて、単行本としたものです。
中崎昌雄「威臨丸の福沢諭吉と「写真屋の娘」―ダゲレオタイプとアンゲロタイプ」『適塾』第18巻(1985)
中崎昌雄「万延元年遣米使節の見た「南十字星」―使節一行の天文学的体験」『中京大学教養論叢』28(3)(1985)
中崎昌雄「威臨丸に乗っていたもう一人の適塾生―牧山修卿」『適塾』第19巻(1986)
あとがきには、有機化学者である中崎昌雄氏がどうして写真史に深入りすることになったのか、その由来が書かれています。化学の分野では、対掌体、一般には鏡像体と呼ばれる有機化合物に関心があり、ふとしたことで、初期写真史における左右の記述がおかしいと気づいたとあります。サムライなのに、脇差しを右にした写真は、明らかに鏡像(左右逆転した像)です。間違った説明が横行していることに気付いたのが、深入りされるきっかけだったということのようです。
ひとりで4時55分、室温16.4度。昨日より寒くなるそうです。会議の日。午前中に1つ、午後に1つ。お昼休みに面談が2件。
授業そのものは、明日スタートです。まったく新しい授業もあり、やはりかなりばたばたしてしまいます。
8時18分武蔵境発の西武線。研究室で作業。10時10分から、学長室懇談会。新しいやり方に変わっていました。11時40分まで。
研究室に戻り、お弁当。12時10分に学生が来て、面談。12時50分院生に書類を渡して、1時まで。1時から会議。3時半まで。しばらく打ち合わせ。研究室に戻り、またすこし作業。4時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
久しぶりに本格的に仕事をしています。疲れました。
ひとりで5時5分、室温17.8度。昨日と同じく、夜半に降り始めた雨がまだ降り続いています。昨日より、雨音が大きい。今年は本日から始動。10時から大学院のオリエンテーションがあります。たぶん、1時ぐらいまで。
雨の中、8時30分武蔵境発の西武線。事務の方が同じ車両に乗っていました。久しぶりの大学です。着いて2点、書類の処理。それから研究所でスキャン。研究室に一度戻ってから、オリエンテーションの部屋へ。書類を1点家からもってくるのを忘れました。仕方がありません。記憶していることで対応することとしました。
ほぼ12時頃には、全体説明会も、コース別説明会も終わりました。
研究室に戻り、お弁当を食べ、すこしだけ、新学期の準備。1時52分多磨駅発の電車に乗りました。武蔵境駅の外のパン屋さんで、おやつのパンを買ってから、帰途へ。もう雨はすっかり上がっており、晴れ間もすこし。
ちいさいちびは、お泊まり会で朝までしゃべっていたということで、帰ってきて就寝中でした。帰宅すると次の本が届いていました。
ギュンター・ブットマン
『星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』
中崎 昌雄,角田 玉青訳、日本ハーシェル協会、産業図書、2009
p.127 に次のようにあります。「いかにしてハーシェルは、友人からの知らせだけで他人の力を借りずに、わずか1週間で他人が数年も研究した発見をやってのけることができたのか? この質問に対する答は簡単である。彼は初期写真術開拓者の中で、唯一腕のよい化学者だったからである。そのためハーシェルは、純粋に理論的な知識に加えて実際的な知識も併せ持っており、この分野で問題になる化学薬品を正確に知っていたのである。」
これまで偉大な天文学者ウィリアム・ハーシェルの息子ジョン・ハーシェルのことは知らなかったのですが、ジョンは多才で重要な人物です。中心的な仕事は天文学の分野ですが、天文学を離れても、とくに初期写真史では、意味のある仕事をしています。
ひとりで5時15分、室温15.1度。夜半に降り始めた雨がまだ降り続いています。大学は入学式。花冷えで小雨の降る入学式となります。[中崎昌雄氏の写真史研究]
トルボット『自然の鉛筆』を読んでいて、ずっと避けていた写真史(起源における)をきちんと追いかけてみることにしました。研究史と思い、調べてみると、中崎昌雄氏が数多くの論文を発表されています。
中崎昌雄「Edgar Allan ポオ肖像写真の「左右問題」」『中京大学教養論叢』27(1)(1986): 1-26
中崎昌雄「現存する世界最古の写真 I Nièpceヘリオグラフとその左右問題:Niépceヘリオグラフとその「左右問題」」『日本写真学会誌』51(2)(1988): 135-146
中崎昌雄「現存する世界最古の写真 II Nièpceヘリオグラフとその左右問題:Niépceヘリオグラフとその「左右問題」」『日本写真学会誌』51(3)(1988): 231-242
中崎昌雄「世界最初の「写真」画集 Talbot「The Pencil of Nature」」『中京大学教養論叢』28(3)(1988): 673-715
中崎昌雄「世界最初の「写真家」Thomas Wedgwoodの生涯と業績」『中京大学教養論叢』28(4)(1988): 829-875
中崎昌雄「「Lichtschreibekunst (Photography) 」の発明 Johann Heinrich Schulze とその光化学的研究」『中京大学教養論叢』29(1)(1988): 1-48
中崎昌雄「写真発達史における1839年という年W. H. F. Talbot の場合」『中京大学教養論叢』29(2)(1988): 275-324
中崎昌雄「Talbot「カロタイプ」写真術発明をめぐって写真「潜像」とその「現像」の発見」『中京大学教養論叢』 29(3)(1988): 587-627
中崎昌雄「Talbot「写真特許」とその問題点 : 1841, 1843, 1849, 1851年特許」『中京大学教養論叢』29(4)(1989): 949-983
中崎昌雄「「直接陽画」ガラス, 紙写真発達小史」『中京大学教養論叢』29(4)(1989): 985-1018
中崎昌雄「 F. S. Archer 「コロジオン法」発表 (1851年) をめぐって : 新しいガラス写真時代の始まり」『中京大学教養論叢』30(1)(1989): 1-53
中崎昌雄「現存する「世界最古」の肖像写真 : J. W. Draper とその光化学的研究」『中京大学教養論叢』30(1)(1989): 55-92
中崎昌雄「だれが初めて没食子酸による「潜像」の「現像」を発見したのか? : J. B. Reade とその写真研究」『中京大学教養論叢』30(2)(1989): 327-417
中崎昌雄「だれが初めてハイポ (チオ硫酸ナトリウム) による写真「定着」を発見したのか? : J. B. Reade 対 John Herschel」『中京大学教養論叢』30(3)(1990): 663-725
中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263
中崎昌雄「1839-1842年における John Herschel 写真研究 : 青写真と「Herschel 効果」の発見」『中京大学教養論叢』31(1)(1990): 13-84
中崎昌雄「Talbot 写真裁判と化学者たち : A. W. Hofmann ロンドン時代」『中京大学教養論叢』31(2)(1990): 485-577
中崎昌雄「 Talbot「写真印刷」発明と晩年の研究 : 動力, アッシリア学, 植物学, 数学, 天文学」『中京大学教養論叢』31(4)(1991): 1527-1622
中崎昌雄「不当にもダゲレオタイプと名付けられた発明の歴史 : ダゲール剽窃弾劾パンフレット」『中京大学教養論叢』32(1)(1991): 1-80
中崎昌雄「「ダゲレオタイプとジオラマ」手法の歴史とその実際 : 「ダゲレオタイプ教本」解説と翻訳 (上)」『中京大学教養論叢』32(2)(1991): 439-546
中崎昌雄「「ダゲレオタイプとジオラマ」手法の歴史とその実際 : 「ダゲレオタイプ教本」解説と翻訳 (下)」『中京大学教養論叢』32(3)(1992): 783-867
中崎昌雄「写真発明に関する Nicephore Niepce の手紙 (1816-1826年)」『中京大学教養論叢』32(4)(1992): 1115-1204
中崎昌雄「コロジオン湿板からゼラチン乾板へ : 写真感光材の進化」『中京大学教養論叢』33(1)(1992): 39-98
中崎昌雄「カメラの原型「カメラ・オブスキュラ」 (暗箱写生器) 発達小史」『中京大学教養論叢』33(2)(1992): 293-343
中崎昌雄「Hermann W. Vogel と増感色素の発見 : パンクロ乾板への道」『中京大学教養論叢』33(3)(1993): 569-628
中崎昌雄「銀塩とその感光性研究史 : 歴史的展望と写真術への応用」『中京大学教養論叢』33(4)(1993): 863-923
中崎昌雄「咸臨丸の福沢諭吉と「写真屋の娘」」『化学と工業』46(6)(1993): 934-935
中崎昌雄「George Eastman とロールフイルム写真術 : イーストマン・コダック社創設」『中京大学教養論叢』34(1)(1993): 145-219
中崎昌雄「立体鏡の発明と写真術 : Wheatstone 対 Brewster 論争」『中京大学教養論叢』34(2)(1993): 463-530
中崎昌雄「活動写真への道 Muybridge, Marey, Edison」『中京大学教養論叢』34(3)(1994): 765-830
中崎昌雄「18世紀の「写真」ファンタジー : Giphantie 国物語 (1760年)」『中京大学教養論叢』34(4)(1994): 999-1026
中崎昌雄「初期スペクトル分析法を開拓した人びと」『中京大学教養論叢』35(1)(1994): 117-186
中崎昌雄「初期写真レンズの開拓者たち」『中京大学教養論叢』35(2)(1994): 479-537
中崎昌雄「有機化学者 Alexander William Williamson と幕末薩長イギリス留学生」『中京大学教養論叢』35(3)(1995): 655-726
中崎昌雄「初期カラー写真手法を開拓した人びと (上)」『中京大学教養論叢』35(4)(1995): 1041-1096
中崎昌雄「油脂化学者M.E.シュヴルールその新印象派画家たちとカラー写真発想におよぼした影響」『日本写真学会誌』58(2)(1995): 138-149
中崎昌雄「初期カラー写真手法を開拓した人びと (下)」『中京大学教養論叢』36(1)(1995): 85-158
中崎昌雄「重クロム酸ゼラチン法による写真印画と写真印刷」『中京大学教養論叢』36(2)(1995): 329-399
中崎昌雄「コロジオン湿板時代の2人の肖像写真家ルイス・キャロルとキャメロン夫人」『中京大学教養論叢』36(3)(1996): 697-768
中崎昌雄「フランスにおけるカロタイプ紙写真の進歩 : 写真家 Nadar と Emile Zola」『中京大学教養論叢』36(4)(1996): 1067-1136
中崎昌雄「放射能発見における写真の役割 (上) : レントゲン線とベクレル線」『中京大学教養論叢』37(1)(1996): 87-127
中崎昌雄「放射能発見における写真の役割 (下) : レントゲン線とベクレル線」『中京大学教養論叢』37(2)(1996): 205-290
中崎昌雄「ハーシェル「左右水晶の旋光能」研究とパストゥール「有機物における分子左右鏡像性」」『中京大学教養論叢』37(3)(1997): 453-517
中崎昌雄「「近代化学の父」John Dalton 覚書 (上) : Dalton と John Herschel の色盲研究 John Herschel は色盲だったのか?」『中京大学教養論叢』37(4)(1997): 717-794
中崎昌雄「「近代化学の父」John Dalton 覚書 (下) : 「化学的原子論」発想について」『中京大学教養論叢』38(1)(1997): 1-59
中崎昌雄「写真における「セレンディピティー」2事例 : ダゲール水銀現像とフォーゲル増感色素」『中京大学教養論叢』38(2)(1997): 217-252
中崎昌雄「写真の歴史 銀塩の感光性から現像写真術の発明まで」『日本写真学会誌』 66(6)(2003): 541-549中崎昌雄さんは、1920年生まれです。存命ならもうすぐ100歳。大阪大学の理学部化学科出身の有機立体化学者です。1993年に日本写真学会「東陽賞」、日本写真協会「功労賞」を受賞されています。この数の論文はすごい。ダウンロードするだけでも相当の手間暇がかかります。(とりあえず、20点はダウンロードしました。読んだのは4点。)→ダウンロードできるものは、4月4日までにすべてダウンロードすることができたと思います。中崎さんのものは、繰り返しが多いので、『中京大学教養論叢』ではなく、『日本写真学会誌』のものから読むのが見通しがつけやすいと思います。
私の足元に次の本はあります。
L.J.M.ダゲール、 『ダゲレオタイプ教本』中崎昌雄解説・訳、朝日ソノラマ、1998午後3時前、ちいさいちびはお友達のお家でお泊まり会に参加するため、自転車に乗っていきました。雨かもしれないので、私は歩いたら、と言ったのですが、自転車で行くと言って行きました。
おおきいちびと妻は、おおきいちびの練習試合の様子をチームで共有できるよう、ビデオをアップロードすることに挑戦しています。撮影時間10分のものをアップロードするのに2時間以上かかります。10分×4クォーターだと、8時間以上かかることになります。途中から慣れてきて、すこしスムーズにできるようになったようですが、それにしてもとんでもなく時間のかかる作業です。
ひとりで4時45分、室温15.4度。地面が濡れています。夜の間にすこし雨が降ったようです。天気予報を見ると、しばらく、太陽が出てこないようです。ずっと曇り。そして、ときどき雨マークがついています。おおきいちびは朝から練習。ちいさいちびは昨日より30分早く集合して練習試合。
ひとりで5時55分、室温16.6度。おお、もう、4月。昨日の時点で桜は満開。今日は花金なので、各地で花見の宴が盛大に行われることでしょう。おおきいちびはお昼前から自主練習。ちいさいちびは正午に集合して練習試合。小学生は、ママとの約束で、眼鏡屋さんへ。眼鏡の使い方の様子から、明らかにすこしですが、度が進んでいます。2時過ぎにでかけ、4時過ぎに帰ってきました。やはりすこし進んでいたそうです。そのままピアノに駆けていきました。
[トルボット『自然の鉛筆』]
朝のうちに次の本が届きました。
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット『自然の鉛筆』赤々舎、2016
出版社の謳い文句は、「世界最初の写真集、トルボット『自然の鉛筆』。待望の完全日本語版」です。
トルボット『自然の鉛筆』邦訳のほかに、次の論考が収められています。
畠山直哉「 自然と鉛筆----レイコックの日々」
マイケル・グレイ 「光の言葉----「自然の鉛筆」をめぐって」
青山勝 「トルボットの生涯と『自然の鉛筆』」
ヘンリー・F・トルボット 「『リテラリー・ガゼット』誌編集長宛の手紙3通」
金井直 「写真と彫刻 あるいは互恵性」
ジュゼッペ・ペノーネ「 <写真>をめぐる3つの断章」
畠山直哉「 団栗と写真」
→ともかく、中身を見てみました。左側からのページ(トルボット『自然の鉛筆』翻訳)と右側からのページがほぼ半々で混在しています。実物を見ないとわからないことがあります。p.40 は、図版11で「石版画のコピー」が収録されています。よく知られている「パリの風刺画を複写した」とあります。パンタグラフにより、図版の拡大縮小は可能だが、とてもまだるっこしものであり、しかも道具が正確な状態を保っていなければならない。しかし、写真術を使えば、いとも簡単に、「実物に対してずっと大きな複写でもずっと小さな複写でも、望みどおりに作ることができる」とトルボットは自慢げです。実は、カメラ・オブスクラにもこの機能があります。もっと正確に表現すれば、そういうふうに使うこともできます。
類似のものとしては、図版9「古い刊本の頁の写し」(p.37)
トルボット本人の説明によれば、「密着焼付の方法で、実物大で複写された。」
ちょっと意外なものとしては、図版20「レース」のネガ。
→解説文も順番に読んでいます。
インディペンデントスカラーとしてずっとトルボット研究を続けているグレイは、さすがです。p.23 「写真の起源についての私たちの評価と理解はいまなおどこか混乱しており、不明瞭なままにとどまっている。ニエプスもトルボットも、その当初の意図は、写真そのものを発明したり、発見したりすることではなかった。二人が必死に目指していた共通のゴールは、光の作用と媒介を通じて画像を―実景であれ、ドローイングであれ―複製する方法を考案することであった。」
ニエプスはアンボワーズ枢機卿の版画を原版として選び、一八二六年にこの「オリジナル」から最初の図版を作成した。青山さんの論考。トルボットの写真術は技術的には、3つほどのステージを分けて考える必要があるようです。(私のまとめ)。一番大きいのは、1840年の潜像の発見です。写真について我々は、潜像、現像、定着のプロセスを最初に習います。しかし、潜像はまさに見えない像であり、写真術発見以前には、何かの偶然により、何も見えないところにまさに像が潜んでいることが発見されなければなりません。
p. 43 トルボット『鉛筆考』60頁「一枚をカメラ・オブスクラから取り出し、ロウソクの光でじっくり調べてみました。その紙にはほとんど何も写っておらず、私は暗室のテーブルの上にそれを放り出したままにして暗室から出ていきました。しばらくしてまた暗室に戻り、その紙を手にとったとき、そこにくっきりとした画像が写っているのを見て私はとても驚きました。」トルボットは、像が自然発生的に出現した、と言っています。やっとですが、私の部屋の本格的片づけに着手しました。半日かけてもまだ途中ですが、アクセスできなかった場所にやっとアクセスできるようになりました。夕方片づけを開始した息子の分とあわせて、ゴミ袋1袋分の紙がゴミとなりました。
2015年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2014年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2013年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2012年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2011年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2010年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2009年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2008年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
春休み
3月
2月
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2006年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2004年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2001年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2000年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
6月
4月〜5月
1月〜4月
1999年
10月〜12月
6月〜9月
4月〜5月
1月〜3月
1998年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
春(1月から5月)
1997年
97年度
最初のページ=
HomePageに戻る。