ひとりで3時25分、室温28.1度。朝一番で選挙に行ってきました。メディアの調査によると、だいたい決まっているようですが、ともあれ投票はしてきます。
本日の息子といっしょにポケモン GO.
遠くに行くのは疲れたようです。新宿御苑に行くと昨日は言っていたのですが、近場の井の頭公園に行くことになりました。我が家の出発は9時半。
丸井のところから公園に入り、左側から大きく池のまわりをまわりました。水の湧き出し口のところにスポットがありました。人が集まっているので、ポケモンのスポットだとわかります。息子もそこでしばらく滞在しました。
11時前に公園をでて、駅前へ。お腹が空いた、肉が食いたいと言います。蕎麦屋にカツ丼を見つけ、それにしました。
吉祥寺駅前のパン屋さんですこしパンを買って帰りました。帰りみち、わずかに雨がぱらつきました。残りの時間、私は、昨日の編集委員会の宿題をこなしていました。宿題だけではなく、第3号の表作成に着手しました。明日にはほぼ完成できると思います。
ひとりで5時15分、室温27.1度。午前中は、息子とポケモン GO 。8時前に家をでて、代々木公園に向かいました。土曜日なので、中央線快速は西荻窪を通過します。総武線で、最初に来た電車に乗車することにしました。ホームにでると三鷹行きが発車直前。飛び乗って、吉祥寺から井の頭線の快速。渋谷には8時半前に着きました。
109のところを通過して、代々木公園に向かいました。渋谷ですから、ポケモンはいっぱいいます。
区役所は取り壊して、工事をしていました。
NHKを左に見つつ、直進しました。土日の台湾フェスティバルの準備の真っ最中でした。息子はまったく関心を示さず。歩道橋を渡りました。
公園内の道に沿って歩きましたが、諸所にポケモンがいます。正確にはどう呼ぶのかわかりませんが、いっぱい集まっている場所が散在しています。人が集まっているのでわかります。
息子は、上手そうなお兄さんのコンビをみつけて、しばらくついていっていました。
電池の使用料がはんぱない。10時前に公園をでることにしました。
ちょうどよいので、公園口にある東京オリンピックのときの宿舎を写真に収めました。もちろん、息子がスマホでとりました。ポケモンが写っている写真ができました。フェイスブックにあげておきます。
公園の入り口のところにもスポットがあります。
原宿駅から帰ってきました。電車のなかでもずっと見ていましたが、中野駅で残り3%になったところでさすがにシャットダウンをしました。
妻のスマホだと、フルにチャージして出かけても2時間から2時間半で電池がきれます。長く動き回りたい人には、追加の電源が一番必要です。午後は、明治大学和泉キャンパスで編集委員会。本日2度井の頭線に乗車することになります。→グーグルマップの乗換案内では、35分で着きます。はじめての場所なので、余裕をもって45分の計算ででかけました。つまり、3時15分に家をでました。
なんと、和泉キャンパスのどこという情報をもたずにでてしまいました。まあ、明大で誰か見つければなんとかなるだろうという判断でそのまま行きました。明大は、きれいなキャンパスでした。キャンパスに入ってすこし見回すと新井さんがいました。新井さんを追いかけると、内田さんも現れ、明大の吉田さんが見つかりました。入り口も建物もちょったわかりづらい場所にありました。編集委員会は1時間すこし。6時前には帰り着きました。
ひとりで5時25分、室温27.3度。昨日関東地方は梅雨明けしました。窓を開けると夏の明るい空が見えます。妻を6時、おおきいちびを6時15分に起こします。おおきいちびは今日から長野でバスケの合宿。7時15分に家をでて、自転車で荷物(スーツケース)を運んでやりました。おおきいちびの自転車運転能力では、この大きさの荷物を荷台に載せて走るのは困難だという判断によります。まだそれほど気温が上がっていなかったので、最初のうちは爽やかか風で気持ちよいと思っていましたが、戻ってくる頃には運動のせいで汗が流れてきました。
ちいさいちびは昨日から塾に行っています。9時前にでかけていきました。
私はひとやすみしてから、採点作業によって手を付けることができていなかったほかの仕事の穴を埋めることを先にします。
午前中に、歯医者。→10時45分に家をでました。11時過ぎに名前を呼ばれました。口を開けて、3秒でした。抜歯して、表面を消毒して終わり。短いのは助かります。これでしばらく待ちましょうということで次は8月末です。1ヶ月は、歯医者から解放されます。気持ちがずいぶん楽になりました。
息子が豚骨ラーメンを食べたいと言っています。歯医者から家にもどってすぐに出かけることにしました。ちょうど11時半にお店の前につきました。
食べ終わって二手に分かれました。私は大学に、小学生と妻は、近所で買い物をし、すこしポケモン GO をしてから家にもどります。
12時18分武蔵境発の西武線。夏ですが、気温はそれほど高くなっていません。最高気温で31度だそうです。日陰で風が吹くと気持ちがよい。
3階で物品を受け取り、残された仕事をしようとして、ログインができなかったので、メールへの返信だけして、帰宅することにしました。
1時52分多磨駅発の電車。採点が終わって、主要な仕事は終わったので、運動を兼ねて、息子のポケモン GO に付き合ってやることにします。3時頃からハラッパ公園に行きました。私は日陰で座っていました。息子は公園のなかを3週ぐらいしたでしょうか。
帰り着くと次の本が届いていました。
Maki Fukuoka, he Premise of Fidelity: Science, Visuality, and Representing the Real in Nineteenth-Century Japan. Stanford Univ Pr, 2012夕刻、次の本が届きました。
竹内久顕『平和教育を問い直す―次世代への批判的継承』 法律文化社、2011
ひとりで4時50分、室温26.4度。本日は会議の時間以外はひたすら採点です。
8時18分武蔵境発の西武線。3日連続同じ時刻の電車に乗りました。やはり駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから乗り込みました。
大学についたら、すぐに採点作業にかかりました。10時10分から会議です。10時で一応止めにしました。会議は、事務棟5階。11時過ぎには終わりました。研究室に戻り、採点を再開。途中で昼食をいれて、やはり、採点。正午に学生がひとり判子をもらいに来ました。その後も採点。
今日終わるかどうか自信はなかったのですが、なんとか終わらせることができました。手元資料とプリントアウトした資料とのチェック、そして、現物とプリントアウトした資料とのチェックもなんとかすませました。これをやっておかないと転記のミスが残る可能性があります。3時40分多磨駅発の電車で帰途。帰宅すると次の新刊雑誌が届いていました。
『現代思想』 2016年8月号 特集=〈広島〉の思想 -いくつもの戦後-
仙波希望くんの論考が掲載されています。
仙波希望「日々の喪失、平和の喧伝」pp.116-129
ともあれ、彼の論考だけまず読みました。「原爆スラム」と呼ばれた街(その言説)の誕生と死を扱っています。
ひとりで6時5分、室温25.5度。8時18分武蔵境発の西武線。大学に着いて、すぐに採点に着手しました。10時まで。10時から補講。11時半まで。それから外にでて昼食。12時に帰ってきて、また採点。
12時40分から次の会議。1時10分過ぎには終わりました。図書館に行って次の本を受け取りました。今年の5月にでていた本です。
太田浩司 勝盛典子 酒井シヅ 鈴木一義 監修『江戸の科学 大図鑑』河出書房新社、2016
研究室にもどり、短い時間ですが、再び採点。
2時20分から教授会が2つ続きます。
後半の教授会では、ほぼ一瞬司会の時間があります。5時5分に終了しました。すこし院執行部で話をしてから解散。
5時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。夕食を食べてから、息子をつれて駅の緑の窓口に帰省の切符を買いに行きました。私が緑の窓口で順番を待っている間、息子は駅のなかでポケモンをつかまえていました。
西荻教会によいポケモンがいるというので西荻教会すなわち子どもたちの通った幼稚園に行きました。すごくレアなポケモン(ゼニガメ)をゲットしたといって狂喜乱舞しています。待っていれば、別のものがでてくるそうです。ちょうどよいので、すこし戻ってコンビニでアイスを買ってきました。アイスなので、もう待つことはせず、そのまま帰宅しました。
ひとりで4時30分、室温26.4度。昨日の夜、息子と二人での帰省が決まりました。切符を購入すること、田舎にはないのでワイファイのレンタルをすること等、早めにした方がよいことが何点かあります。
朝新聞を取るために郵便受けを開けると、次の本が届いていました。夜の間に届いたのでしょう。
James King,
Beyond the Great Wave: The Japanese Landscape Print, 1727-1960 (Natur, Wissenschaft Und Die Kunste/ Nature, Science Et Les Arts/ Nature, Science and the arts),Bern: Peter Lang, 2010朝一番で私の発表。午前10時から東京外国語大学研究講義棟101教室です。日本におけるカメラ・オブスクラの使用の実態を解明したいと思います。30分なので、中心的論点だけを提示することになります。参加は自由ですから、お時間のある方は、ひやかしに来て下さい。
徳川ジャパンにおける、写真鏡、覗き眼鏡、眼鏡絵、そして日本の遠近法的景観図に関して、概要がつかめると思います。午後は会議。
駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、8時18分武蔵境発の西武線。大学に着いて、教室を見ると、1番の子がもう来ていました。アルバイトの中心人物です。
私は研究室で、すこしでもと思い、採点作業。9時半になったら、印刷センターがオープンし、昨日預けたレジメを受け取ることができます。9時半ぐらいにまず教室に行ってカバンを前に置き、それからレジメを受け取ってきました。人数がまったく読めなかったので、50部作りました。余りますが、これは仕方なし。
午前中に発表の院生、PD諸子がパワポの確認をしてます。101教室の機器そのものは私がたぶん一番慣れています。パワポの操作は、初心者。お一人、うまくいかないと行っていたPD氏がいましたが、3人集まってがやがやしているうちに解決しました。私がスタート。10時から30分。すこし遅れてスタートし、ほぼ30分話しました。12時過ぎまで話を聞きました。2番目の方は私と同じく日本語。3番目と4番目の方は、英語。なかなか立派なものでした。
興味深い発表が続いたので、聞いていたかったのですが、会議をさぼるわけにはいかない。午前の最後の方の発表を聞かずに、研究室に戻り、12時40分から会議。
2つ続きましたが、2つ目は予想通り短くすみました。次の会議は、2時45分から。やはりあいた時間ですこしだけ採点を進めました。
次の会議は、2時45分にスタートなんて無理だろうと思っていました。やはり無理でした。部屋の前で10分以上待たされましたが、始まると、すぐに終わりました。
3時40分多磨駅発の電車で帰途。三鷹駅で特急を3分待つというアナウンスがあったので、電車を降りて、(お腹が空いていたこともあり)パンを買ってから総武線に乗り換えました。
30分発表し、会議にでただけですが、疲れました。
何とか、期日に間に合って、採点をすませることができそうです。眠かったのですが、夜の間に、Wifi のレンタルの手続きをすませることができました。和歌山の田舎なので、そもそも電波が届いているかどうかを確認する必要がありました。ドコモとか、ソフトバンクとか、大手はなんとか大丈夫そうです。
ソフトバンクのものを10日間レンタルで借りることにしました。明日も明後日も午前中から大学に行きます。明日は午前補講、午後会議。明後日は午前会議。あいた時間は採点をしています。気温は再び30度まで上がるようです。そろそろ梅雨明けでしょうか。
ひとりで5時30分、室温25.8度。朝一番で歯医者。歯医者が終了次第、大学にかけつけ、シンポジウム「アヴァンギャルドの知覚」。2日間、東京外語で開かれます。私は明日の朝一番の発表です。もとは午後の予定でしたが、午後は完全に会議で埋まったので、午前の最初に変えてもらったものです。
→歯医者さんが終わってすぐに大学に向かいました。駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから10時54分武蔵境発の西武線。先に図書館に寄りました。コピーを1点、本を1冊受け取りました。
Claudia Swan , Suzanne Karr Schmidt , Katharine Park(eds.), Prints and the Pursuit of Knowledge in Early Modern Europe, Harvard Art Museums, 2011
Erin C. Blake. “Topographical Prints through the Zograscope,":Imago mundi : Jahrbuch der alten Kartographie, 54(2002): 120-124
でかい本をもったまま、101教室へ。ドイツ人の方の発表が終わったところでした。12時に学生と約束があります。次のイタリア人の方の発表を11時55分まで聞いてから、研究室へ。まだ麻酔が残っています。ゆっくりめでパンを食べました。
1時前後、印刷センターに行って、明日の配付資料の準備。出来あがったものは、そのまま印刷センターにおかせてもらって、研究室に帰りました。わずかですが、採点作業に着手。2時から午後のセッション。午前中は英語、こちらは日本語。パネリストは名のある方々です。どたなの発表も興味深いものでした。途中10分の休憩をはさみ、5時5分まで。私はそのまま帰ってきました。5時16分多磨駅発の電車。
帰宅すると、小学生とちいさいちびが夕食中。小学生はおかずだけ食べてご飯が炊きあがるのを待っていました。私は先にお風呂。お風呂からでてきて、小学生に話を聞くと、今日はママといっしょにハラッパ公園で、ポケモン GO をしてきたそうです。公園にもポケモンがいっぱいいたそうです。
そうこうするうちにおおきいちびも帰ってきました。ちょうどよいので、帰省の相談。ちいさいちびは受験生ですし、今年は、私と小学生だけで、和歌山に帰省することになりました。東京に戻ってくるときに、母もいっしょに東京に来るようにします。母は前から、妹二人(一人は東京、もう一人は埼玉に住んでいます)のところに行きたいと言っていました。お風呂が壊れたとか、足が痛いとかという理由で取りやめになっていました。
ひとりで5時50分、室温24.6度。晴れ。せめて、名寄せだけでも終わらせておかないと、期限内に成績評価を終わらせることが出来ない可能性があります。おおきいちびが朝練に出かけたあと、大学に向かいました。8時18分武蔵境発の電車。
わずかな休憩をはさみ、ずっと作業をしていました。途中、早めの昼食をとり、ゴミ捨てをし、メールに返信をしました。11時前に名寄せの作業は終わりました。火曜日の発表の準備の方もまだ残っています。11時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。今日は最高気温が28度ということです。このぐらいであれば、とても楽です。[息子とふたりでポケモンゴー]
息子と私で、日本でもできるようになったポケモン GO やりたいねと言っていました。昔は携帯電話を持っていた時期もありますが、最近は電波を受けたり、発信したりする機器は一切持ち歩いていません。GPS ではまったくキャッチできない人間となっています。ほぼ自宅と大学と近所の買い物しか動いていませんから、そもそもGPS でキャッチする必要もありません。しかし、ポケモン GO は、コンセプトとして面白そうです。
レンタルで借りようかな、一番安く買える方法調べておいてくれないと妻に話していたら、月々の容量が余っているから、息子と私に1日に2時間以内で貸してあげる、ということになりました。息子は、狂喜乱舞。妻のスマホにダウンロードして、二人で夏の町にでました。私はサンダルのままでした。
息子は、ピカチューを先にゲットするだと言って、最初の3体をスルー。どこまで歩くのかと思っていましたが、ガード下でピカチューが現れて、最初の目標はクリアー。そのあとは西荻の駅の周辺をいろいろに歩きました。けっこうお店が入れ替わっています。ちいさなパン屋さんが数店みつかりました。
公園も何かのスポットになっています。
昔ちびどもをよく連れていった公園から、吉祥寺方面に向かうことにしました。サンダルは長距離を歩くには向いていません。こすれて痛くなってきましたが、なんとか歩き方を工夫することで耐えられます。
電池の残量を息子に問うと、吉祥寺についたあたりで、30%台。これは早めに帰った方がよさそうです。久しぶりに切符を購入して、電車で1駅戻り、自宅に帰りました。約2時間の散歩となりました。息子は50体近くポケモンをゲットしたようです。
充電しつつ、保持できるポケモンの数に限りがあるということで、20体近くは、マスター?センター?にもどしたそうです。
妻はちょうどよい運動になるということで、夏休みの間、貸し出すようです。
ひとりで3時5分、室温24.2度。昨日の続きの作業をしました。途中、コンビニに行ってコピーをしてきました。もとの紙がA3 で我が家のコピー機ではスキャンできません。コンビニこコピー機で4分の1の縮小版と8分の1の縮小版を作成しました。夜が明ける前です。歩いているのは、犬を散歩させているおじさん、おばさんが大半でした。ある程度進んだところで再び居間のソファーで寝ました。息子が7時半ぐらいに起きて下に来たので、起きて準備。
体がすこし膨らんでいて、以前の服が入るかどうかわかりません。ズボンはお腹が膨れても調整できるタイプでした。ウェストをすこし大きくしてクリアー。
ワイシャツに合うものがありませんでした。首が太くなるというのはあまり考えていなかったのですが、出してみた長袖のワイシャツがすべて一番上のボタンがぎりぎりで留まりません。半袖のワイシャツだとなんとか留まったので、半袖にしました。直前まで、一番簡単なので、新幹線で行こうかと思っていました。特急券を入れて片道1620円。ままいいかと思ったのですが、グーグルマップのルート検索は、新宿から新宿3丁目まで歩いて、副都心線に乗り、元町・中華街行きのFライナー急行に乗ることを進めてきます。気温も上がっていないし、すこし歩くのもよいかと思って、新宿駅南口で降りて、右手にバスタを見学しつつ、新宿3丁目に行く地下通路に入りました。この通路はいつきても不思議な感じがします。新宿駅のすぐ近くなのに、しばらく誰ともすれ違わない。
菊名で乗り換えて、横浜線。溝口さん、橋本さんと駅のホームでいっしょになりました。新横浜でいっしょに降りて、会場へ。斎場は、駅をでるとすぐにわかりました。
今どき珍しい昔ながらの葬儀でした。私たちは早めに着いたので、一般席に座りましたが、梶さんがどういう会合でも面倒くさがらず、きちんと出席されていたせいかと思いますが、会場の外にも同じぐらいの数の参拝者が来ていました。当然ですが、知っている顔を多く見かけました。
偶然近くになることが出来た方とだけ短く挨拶を交わしました。梶さんは、6月末になんと、橋本さんといっしょにシンガポールに行かれています。三重大学での学会の1週間前です。三重の学会に見えていたのも驚きですが、シンガポールとは、さすがの梶さんです。
12時半前に出棺を見送ってから解散。なんと同僚の先生が近くだから車で送ってあがましょうと言ってくれたので、ありがたく乗せてもらうことにしました。
ナビが渋滞を避けて、東京都内の住宅街の道を選んだので、けっこう時間がかかりましたが、無事家の前まで送ってもらいました。とてもたすかりました。S先生、ほんとうにありがとうございました。
ひとりで4時55分、室温25.3度。どんよりとした曇り。雨は上がったかと思いましたが、すぐにまた降り始めました。天気予報を見ると、午前中雨が続くようです。おおきいちびは朝練。ちいさいちびは午後に塾。
朝一番で歯医者さん。昨日の手術の後の消毒です。→開始が遅くなったので、終了して10時。そのままカバンをもって大学に向かいました。10時半武蔵境発の西武線。研究室で着手していた作業の継続。11時半前に事務棟の3階に赴き、届いていた物品( USB メモリー)を受け取りました。それを紙袋に入れて、生協の食堂へ。昼食をとってから、また戻り、作業の継続。その作業そのものは最後まで行きました。
次の作業は、外から見えている方と外国語学部の学生の分だけ着手しました。様子を見るためです。そこで、一度止めて、研究所にコピー&スキャンに行ってきました。
今日はここまでです。3時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。夜、梶さんの通夜にでかけます。新幹線の新横浜駅間近の斎場です。→大学から帰ってきて疲れていたので、明日の葬儀に行くことにしました。今日は休みます。
夜半に起きて、まったく手をつけたいなかった来週の火曜日の国際シンポのスクリプト作りに着手しました。2時間ほど作業をしました。持ち時間が30分なので、話はしぼる必要があります。両極の説の比較という仕方で、論点を提示したいと考えています。成績をつけるのは、発表が終わってからになります。ひとりで6時40分、室温26.1度。夜半に降り始めた雨がまだ降っています。しっかりとした雨足です。しばらく降り続ける雰囲気です。
小学生は午前中に妻といっしょに映画に行くと言っています。おおきいちびはオフ。ちいさいちびは午後に塾。子どもたちは全員夏休みとなりました。
私は10時45分から歯医者。1時間半を覚悟してほしいと言われています。→すこしはやめに来ておいてほしいと言われているので、10時半前に家をでて、お金を降ろし、歯医者さんの待合室で待っていました。たぶん、10時40分ぐらいから12時20分ぐらいまで歯医者さんの診察台の上に横たわっていました。今日の処置は、麻酔をかけてから行っているので、痛みはなかったのですが、1時間40分も診察台の上で処置を受けているのはすくなくない負担があります。終わったあと、前と同じく、薬を処方してくれました。3日間、化膿止めを飲み、本日は風呂で暖まるのはさけてくださいと言われました。処方箋をもって駅前の薬局に行き、薬をもらって家に帰り着くと12時40分。ちびどもがいました。ちいさいちびは1時前に塾にでかけていきました。が、すぐに戻ってきて、スマホ忘れた。スマホをとってダッシュで駆けていきました。
小学生は2時過ぎ、買い物をした妻はその15分後ぐらいに帰ってきました。おおきいちびは夜友達数名と焼き肉だそうです。
時間のあるときは、発表原稿作成。→一応、30分喋る分はできました。あと、レジメを用意し、図版を用意し、30分では触れられない論点もしっかり文章化し、・・・の作業が残っています。
ひとりで6時、室温27.8度。午後に会議。昨日の仕事が残っています。朝から大学に行きます。
8時42分、武蔵境発の西武線。すぐに昨日の作業の続きを行いました。1時間強で終了。
昨日受け取った次の論文を読みました。
J.A. Chaldecott, "The zograscope or optical diagonal machine," Annals of Science, 9(1953): 315-322
"zograscope" という単語はあまり使われなかったようです。
次いで、昨日借りた次の本から、稲賀繁美さんの論文を読みました。
WillyVande Walle and Kazuhiko Kasaya (eds.), Dodonaeus in Japan: Translation and the Scientific Mind in the Tokugawa Period, Kyoto, 2001
Shigemi INAGA, "Reinterpretation of the Western Linear Perspective in Eighteenth- and Nithteenth-Century Japan: a Case of Cultural Translation," Dodonaeus in Japan (Kyoto, 2001), pp.123-148
装置の話はまったくでてきません。11時半に生協で食事。12時40分から会議。出席状況がおさむい感じでしたが、30分程度で終わりました。はやく終わるのは大歓迎です。研究室で次の作業に取りかかりました。1割も進めないうちに、次の会議の時間。2時20分から。4時前に終了しました。4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
オホーツク高気圧が明日から日本列島を覆うそうです。天気予報を見ると、木、金、土の最高気温は、24度、25度、26度です。
ひとりで4時30分、室温27.9度。小学生は夏休み。ちびどもはまだ学校があります。水曜日が終業式と言っていました。午前中に補講、午後会議、そして夜に3年生ゼミの壮行会(留学に行く学生をおくるコンパ。)久しぶりに12時間以上外にいます。
駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、8時42分武蔵境発の西武線。研究室では、積み残しの仕事に取りかかりました。1つはこなしました。もう一つは着手しましたが、半分も進めることができませんでした。
途中図書館に寄り、次のものを受け取りました。
J.A. Chaldecott, "The zograscope or optical diagonal machine," Annals of Science, 9(1953): 315-322
Carl Goldstein, Print Culture in Early Modern France: Abraham Bosse and the Purpose of Print, Cambridge, 2012
『科学の曲がり角』
次の本は借りました。
WillyVande Walle and Kazuhiko Kasaya (eds.), Dodonaeus in Japan: Translation and the Scientific Mind in the Tokugawa Period, Kyoto, 20012時40分から最初の会議。3時には終わりました。
次の会議は、3時30分から。学生たちとの約束があるので、5時55分でお暇しました。6時4分多磨駅発の電車。新宿には6時40分に着きました。待ち合わせ場所で少し苦労しましたが、無事学生諸君を発見することができて、7時にお店に。
出席予定だった二人は欠席だそうです。2時間。ちなみに、今回のコンパは留学する学生をおくる壮行会です。留学するのは6人。デンマーク、スイス、フランス、カナダ、韓国、マレーシアにそれぞれ一人ずつ行きます。最近は、こういうふうに半数近くの学生が多彩な留学に行っています。
そう言えば、学生の一人が必ずしも評判の芳しくないリオの通訳ヴォランティアに出かけると言っていました。リオのオリンピックは、正確にはいつだろうと思っていると、J-COMさんのパンフに「J-COMテレビで8月6日(土)〜22日(月)、合計85時間放送」とありました。85時間だからたいしたことはありません。始まったらあっというまに終わります。10時前に帰り着きました。
ひとりで5時15分、室温27.1度。曇りからすこし晴れ間がでてきました。→湿度が高いまま、晴れて気温が上がってきました。室温が28度を越えたあたりから、ほとんど何もしていなくても、汗が落ちるようになりました。おおきいちびは、学校からオープンキャンパスに行くように言われていることもあり、午前中にオープンキャンパスに行きます。妻がアテンドします。ちいさいちびは午後実力試験。受験生ですが、部活と重なり、これまであまりきちんと受けることが出来ないできました。
妻がいないので、小学生とちいさいちびのお昼ご飯は私が用意。といって、もっとも簡単に、ご飯を炊き、コンビニでふたりとも好きなハンバーグを買ってきて温めただけです。私はチキン。
[梶雅範さんの死を悼みます]
化学史学会会長の古川安さんからの連絡を引用します。
「梶さんの奥様から電話があり、誠に残念なお知らせをしなければなりません。
梶雅範さんが本日13時20分、入院先の横浜東部病院でご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
梶さんは三重大学での年会の後、火曜日に入院されていました。」
去年、本人から膵臓癌が発覚したと教えられました。化学史学会の会合(理事会、編集委員会、年会)には普通に参加されており、頭髪等癌治療の影響はありましたが、春ぐらいまでは、比較的順調に治療が進んでおられるように見受けました。春先に化学史学会の会合終了後、食事を一緒にしたときには、食事も普通にとれて比較的順調だが、ひどく落ち込むことがあると話をしてくれていました。
新宿の工学院大学で開かれた科学史学会の年会では、私の参加したセッションにも顔を出してくれていて、まだ元気そうでした。
三重大学で開かれた化学史学会の研究発表会では、相当につらそうでした。普通の人はあの状態では出席されないと思いますが、梶さん本人にはある思いがあったのだと思われます。無理して参加されていたように思います。
化学史学会の古川会長のメールにあるとおり、三重大学の年会のあと、火曜日に入院されたという連絡を受けました。
そして、本日のお昼過ぎにお亡くなりになったという連絡を受けました。
三重大学の年会のときに、短くかわした挨拶が最後の言葉となりました。
心より、ご冥福をお祈りします。合掌。→翌日、やはり会長の古川さんより、葬儀に関して、次の連絡がありました。
場所:新横浜総合斎場(横浜市港北区新横浜1丁目7−5、電話045-472-5550、新横浜駅より徒歩数分)
地図http://townpage.goo.ne.jp/scroll.php?matomeid=KN1400060700761146
日程:お通夜 7月22日(金)18時より
告別式 7月23日(土)11時より
ひとりで5時25分、室温25.1度。昨日、温湿度計を購入しました。9時現在で、温度25.9度、湿度87%です。気温が高くないので、あまり蒸し暑さを感じませんが、それにしても湿度は高い。おおきいちびは A 練(朝からの練習)。ちいさいちびはママといっしょに服を買いに行くと言っていました。小学生は夏休みになります。昨日はひとりで小学校の夏祭りに行って来ました。今日も行くそうです。→ちいさいちびは10時になっても起きてきません。疲れがでて、寝だめしているようです。ということで、買い物に行くかどうかは、起きてきたときの状況・状態によります。→10時頃起きて、11時頃出かけました。妻には、3時から PTA の仕事(夏祭りの準備)があります。それまでには帰ってきます。
ひとりで3時45分、室温24.7度。小学生は、今日が1学期の最終日。お昼過ぎに帰ってきます。学校では、夕刻、夏祭り。ちいさいちびも参加すると言っています。
おおきいちびは午前中に西馬込で練習試合だそうです。雲はかなりかかっていますが、空が明るくなりました。予報を見ると、21度〜26度です。昨日はエアコンが不要でした。今日も不要だと思われます。明日から再び30度を
6時半、J-COMの方が工事にみえました。電話回線の取り替えです。ip電話と同じ仕様に変更するそうです。同軸回線からモデルを介して、電話機に繋げてくれました。家の外にもともとついていた電話用のボックスも撤去されました。作業は1時間近くかかりました。 超えるようです。
本日は次の4点をダウンロードし、プリントアウトし、ペンをもって読みました。逆順(下のものが先)です。
稲賀繁美「西洋舶来の書籍情報と徳川日本の視覚文化の変貌」『日本研究:国際日本文化センター紀要』31(2015): 13-46
講演の原稿化です。研究史のレビューとなっていて、便利です。欧米の研究もよくフォローしてくれています。
Julian Jinn Lee, The Origin and Development of Japanese Landscape Prints: A Study in the Synthesis of Eastern and Western Art, Ph.D. dissertation, University of Washington, 1977
W. F. Vande Valle(ed.), Dodoneus in Japan, Leuven University Press, 2001
勝盛典子さんの研究『神戸市立博物館 研究紀要』→勝盛典子さんは基礎的な仕事をされ、それをまとめて京都大学から博士号を取得されています。そして、かなり大きな本を出版されています。勝盛典子『近世異国趣味美術の史的研究』臨川書店、2011。北山研二「写真または他者の映像」『(成城大学文芸学部)ヨーロッパ文化研究』28(2009): 31-76
p. 35 トルボット「写真技術の発見のひとつの利点とは、膨大な量の詳細な細部を写真で見せてくれることだ。それは再現=代理 representation の真実とリアリティーを付け加えるが、いかなる芸術家もありのままのコピーはやってこなかった。」
pp.66-7 注7 "One advantage of the discovery of the Photographic Art will be, that it will be enable us to introduce to our picture a multitude of minute details which add the truth and reality of the representation, but which no artist would take trouble to copy faithfully from nature.
Contenting himself with a general effect, he would probably deem it beneath his genius to copy every accident of light and shade; nor could he do so indeed, without a disproportionate expenditure of time and trouble, which might be otherwise much better employed.
Nevertheless, it is well to have the means at our disposal of introducing these minutiae without any additional trouble, for they will sometimes be found to give an air of variety beyond expectation to the scene represented."
Talbot, The Pencil of Nature,London, 1844, Plate X
ここの picture は、写真ではなく、絵画(絵)です。従って、訳は次のようになるでしょう。「写真術の発見の利点のひとつは、我々の絵に、非常に多くの詳細な細部を付け加えてくれることだ。それは、表象の真実性と現実性をもたらすが、これまでどの芸術家も自然から複写しようとはしなかったものなのだ。」
邦訳『自然の鉛筆』(青山勝訳),p.38「写真術の発見が今後もたらすであろう利点のひとつに、それによって画像に多くの微小なディテールを盛り込むことが可能になる、ということがある。そうしたディテールは、描写の真実性と現実性を強めてくれるが、どんな芸術家もそこまでの忠実さで自然を複写しようと骨を折ることはないであろう。 芸術家は、全体の効果を見て満足するもので、光と影が偶発的に生み出すものすべてを複写するなどといったことは、自らの天稟にふさわしからぬものと見下しているのかもしれないし、また実際そんなことをするのはよほど時間と労苦を費やさなければ不可能である。それはまったく割に合わない仕事で、そんなことにかまけるくらいなら同じ時間と労苦を他のことに注いだほうがよいのであろう。 しかしながら、これらの細部を、なんら労苦を増やすことなく盛り込む手だてが手に入るのは喜ばしいことである。というのも、それらの細部はときに、描写された光景に、予想を超えた豊かな多様性の感覚をもたらすことがあるからである。」
図版Xは「積み藁」です。
ウジェーヌ・ドラクロワ(1793-1863)「写生画ではほとんど場合無視されてしまういくつかの細部も、ダゲレオタイプでは非常に重視されることが特徴で、それを見た芸術家は、構成に関する完全な知識を得る」 バジャック『写真の歴史』(遠藤ゆかり訳、2003、創元社)p.156 より。
p. 43 「カメラ・オブスクラの視覚と写真の機械的な視覚とは同じだろうか。原理的には同じように見えるが、カメラ・オブスクラの視覚は精度が劣り目の延長だが、写真の(機械的な)視覚は印画紙に機械的な精度の高い映像を残しうる機械なのだ。前者では多くの場合暗箱の壁または半透明なガラスに映された外界の映像を目が選択的に見るからであり、後者では機械的な現像の現前から目を背けられないからである。・・・人間の視覚は映画のなかに形象化される意識的なものである。・・・写真は無意識的なものなのである。」
p. 50 「写真映像は断片的であるだけではなく、すでにタルボットが言及していたように予想外の細部も映しだす。それゆえ、写真が人間の目によって確認された映像と、人間の目では確認されずそれ以上に詳しく偶発的な映像とからなっていることになる。」小椋純一「応挙図の考察からみた江戸中期における京都近郊山地の植生景観」『造園雑誌』54(5)(1991):42-47
応挙が必ずしも写生したかどうかは確実ではありませんが、写生したものもあります。写生したとして、当時の京都近郊山地の植生景観を復元・考察したものです。今と比べると、当時はかなり禿げ山で、生えていたとして、低木だったことが導かれています。山の木の利用形態の問題でしょう。昔は、ずっと山の木を使った。結果、禿げ山が生まれたということのようです。岡泰正「覗き眼鏡と眼鏡絵について」『美學』35(3)(1984): 58
覗き眼鏡と眼鏡絵について、もっともまとまった安心して使える記述です。事典項目にぴったりと言えます。
ひとりで4時、室温26度。昨日の雨は上がっています。→新聞をとるため、玄関を開けると、雨がほんのすこしですが、降っていました。雨音は聞こえません。しばらく晴れることはないようです。
8時42分武蔵境発の西武線。研究室で書類の処理とメールの対応をしました。研究所でスキャンをして、10時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
あとになって、メールの対応で、添付ファイルを添付するのを忘れていたことが発覚しました。急を要するものではないので、来週の火曜日に対応するつもりです。(ファイルそのものが研究室のコンピュータにしか保存していないので、家に帰っているとどうしようもない。)学会にでかけるとき、1冊だけカバンに詰めていました。次です。6月末に入手したものです。
榊原悟『日本絵画の見方』 角川選書、2004
早めに出かけたので、東京駅で時間がありました。コーヒーショップに入り、第12章「粉本のこと」を読み切ることができました。残りはパラパラと繰っただけです。はっきりと歴史的には絵を描くことの違う習慣があった、と言い切った方がよかったと思います。半分までは現代の美術的価値観に拘束されています。ただし、この記述から、「粉本」とはどういうものであったかを十分に読み解くことはできます。
古い時代、書かれたお手本を模倣するのが絵を描く基本であった、こういうふうに見ておくべきでしょう。昨日、ふと文献の検索調査の流れが止まったとき、足元にある次の本を手にとり、全体を眺めることはできました。図版を全部確認しました。活字を読んだのは、わずかです。
Larry Schaaf, Out of the Shadows: Herschel, Talbot, and the Invention of Photography, New Haven and London: Yale University Press, 1992
成瀬不二男『司馬江漢 生涯と画業―本文篇』八坂書房、1995
成瀬不二男『司馬江漢 生涯と画業―作品篇』八坂書房、1995
ひとりで4時45分、室温27.4度。曇り。日射しは雲を通してあります。湿度が高いのでしょう、とてももやっとしています。午後に空が豹変し、雷鳴・雷光を伴う雨が降るでしょうと天気予報は言っていました。3時頃から雷の音が聞こえはじめ、ぽつぽつ雨が降り始めました。小学生が帰り着いた3時40分頃には、かなり強く降ってきました。
典型的な俄雨です。4時を回ると雨足が弱くなり、4時半ぐらいには上がっていました。雨が熱気を冷ましてくれたようです。それが一番ありがたいかも。やっと次のものを読むことができました。
岡泰正「眼鏡絵から広重の風景版画まで」神戸市立博物館『眼鏡絵と東海道五拾三次展』(神戸市立博物館、1984), pp.84-89
Ed.ド・ケーゼル(坂本満訳)「眼鏡絵―民衆版画の知られざる領域(抄)」神戸市立博物館『眼鏡絵と東海道五拾三次展』(神戸市立博物館、1984), pp.90-94
記述の通りかどうかはわかりませんが、この分野の基本文献であることには違いありません。
Ed.ド・ケーゼルの論文には、原語での表示がありません。訳者の方は次のように記しています。「ここに翻訳したEd.ド・ケーゼル氏の論文("La Vieux Papier" 1962 所収) は、彼自身冒頭で述べる通り、眼鏡絵という比較的知られた版画の領域が、意外なほど研究されていない、その欠を補うもので、他に求め難い貴重な研究の一つといえる。これまで数回、私はパリの国立国会図書館で眼鏡絵の研究書を探したが、片々たる素人愛好家のメモ程度のものしか見いだせなかったところに、この文献の存在を教えられた。」
古い時代、原語表示を見いだすのは相当大変でしたが、今はネットで少し工夫を凝らした検索をかければ、何とかなります。著者は、Édouard De Keyser でした。本はワールドキャットの表記によれば次となります。
Edouard de Keyser, Les vues d'optique; un domaine méconnu de l'imagerie: Paris, Augsbourg, Bassano, Londres, Paris, "Le Vieux Papier", 1962.
日本の図書館にはこの資料を所蔵するところはないようです。『眼鏡絵と東海道五拾三次展』巻末に文献表があります。それにより、次の論文があることがわかりました。
J.A. Chaldecott, "The zograscope or optical diagonal machine," Annals of Science, 9(1953): 315-322別途ネットで検索をかけていて次の論文がヒットしました。
Jan Koenderink, Maaten Wijntjes, Andrea van Doorn, "Zograscopic viewing ," i-Perception, 4(2013): 192-206
視覚理論の論文です。巻末の文献には、次のものもありました。
R. F. Johnson, "A Machine for Viewing Prints," Country Life, CXXV(1959): 252ネットに次の論文が見つかりました。
Erin C. Blake. “Zograscopes, Virtual Reality, and the Mapping of Polite Society in Eighteenth-Century England.” New Media, 1740−1915. Edited by Lisa Gitelman and Geoffrey Pingree. Cambridge: MIT Press, 2003, pp. 1−29.
ひとりで4時55分、室温27.6度。午前中と午後に会議。
朝はすこしのんびりしたので、9時42分武蔵境発の西武線。メールへの対応等、情報対応をしているうちに会議の時間。
10時半から12時まで。専門の弁護士さんによる、CC(クリエイティブ・コモンズ)の講演。話が上手で、とてもよくわかりました。
急いで研究室に戻り、お弁当。12時40分から会議。301室。2時10分まで。研究室に戻り、やはりメールへの返信。なんだかとても蒸し暑くて疲れたので、今日はこれで打ち切り、帰宅することにしました。3時52分多磨駅発の西武線。知っている顔はいませんでした。
学会から帰ってきて、今日まで会議しかでていなかった感覚です。採点にも着手できていませんし、7月26日(火曜日)の発表の準備にも手をつけることができていません。次の会議は来週の火曜日と水曜日なので、明日からはやっと着手できないでいたことに手をつけることができます。
ひとりで4時45分、室温27.6度。午前中と午後に会議。
ちいさいちびがでかけ、小学生がでかける前に家をでました。8時半、武蔵境発の西武線。メールボックスで大量の期末レポートを受け取ってから研究室へ。大量のメール。メールの処理をして、午後の会議のための準備をしているうちに時間。
10時10分から中会議室。約30分で終わりました。研究室の片づけを行い、昼食を食べて、すぐに次の会議。12時から。
こちらは、2時25分まで。3時過ぎに学生が来ます。留学する学生のため、判子を押します。今日はもう十分と言う気がしたので、簡単に部屋の片づけをして、帰途。駅で先ほどの学生と会いました。吉祥寺に住んでいるということで、吉祥寺まで話していました。9月に入ったらすぐにヨーロッパに飛ぶそうです。帰ると息子がひとりで留守番をしていました。蒸し暑い一日でした。居間(LDK)にはエアコンが効いています。ほっとします。
ひとりで4時37分、室温27度。真夏の日射し。午前中に歯医者、午後補講。
歯医者さんは10時半過ぎに始まり、11時半過ぎまで。根の治療ということでした。薬をつめるということでしたが、レントゲンをとって、影が薄い、と言って、もう一度作業をしました。もう一度レントゲンを撮って OK でしょうとなりました。
今日はカバンをもって歯医者に行っています。すぐに大学に向かいました。たまにはいいだろうと西荻駅のパン屋さんで昼食のパンを買ってから電車に乗り込みました。ここのパン屋さんは高い。12時6分武蔵境発の西武線に乗車。
メールはかなりたまっています。メールへの対応をしているうちに、3限の補講の院生から就活で面接が入ったと連絡がありました。致し方なし。1時になってから、図書館に向かい、つぎの3冊を受け取りました。
Larry Schaaf, Out of the Shadows: Herschel, Talbot, and the Invention of Photography, New Haven and London: Yale University Press, 1992
成瀬不二男『司馬江漢 生涯と画業―本文篇』八坂書房、1995
成瀬不二男『司馬江漢 生涯と画業―作品篇』八坂書房、1995
そのまま帰宅。1時16分多磨駅発の電車。シャーフの本を眺めながら電車に乗っていました。
中央線は三鷹駅で電車を2台待つというので、総武線に乗り換えました。自宅に帰り着くと、ちょうど妻がでかけるところでした。入れ替わりです。私が、ちいさいちび、小学生の帰ってくるのを迎えます。
学会出張中の分は、旅先でのメモを貼りつけています。時間のあるときに、手を加えます。5時56分。晴れ。ホテルの窓から日差しが入ってきています。
最終日。
昨日より1時間スタートが早くなります。8時半受付開始.9時スタート。
6時半過ぎに朝食を提供してくれるレストランに行きました。わおー。平均年齢70歳のおばちゃんの大群。席がないかと思いましたが、30歳ぐらいの若い男性の隣があいていたので、同席をお願いしました。とても礼儀正しい方でした。8時半頃チェックアウト。バス停にたどり着くと、古川さんに内田さん。誰もバス停に来ないことを心配されていました。私の解釈は、みなさん、朝が早くてもういっているというものでした。3人揃うとタクシーでも大きな差はないということで、タクシーで行きました。建物の前まで行ってくれました。
10数名の方はもう見えていました。今回は、門前の小僧よろしく、レジメはあまり読まず、ひたすら話を聞きました。その話を聞いてどうなるというのはよくわかりませんが、勉強にはなりました。
とくに京大人文研の武田さんの特別講演は、勉強になりました。煉丹術の長生術をテーマにされていましたが、最近中国で数多く発掘された資料のことも紹介してくれました。漢代が特別で、中国では基本は老子だそうです。なるほど。最後まで話を聞いてもぎりぎり新幹線には間に合うように思いましたが、事典の講演が終わったら、会場をあとにしました。バスは、3時15分頃来てくれました。その間、タクシーは1台も通らず。あとからバス停に来た方々が、選挙にタクシーが動員されているので、今日はタクシーはつかまらないだろうと言われたと教えてくれました。そんな意外な。
家族にはお土産と言われています。津駅で、30分の時間をとって、エキナカのお店でお土産を物色しました。地元の海鮮煎餅と漬け物を買いました。
買い物は10分程度ですみました。JRと近鉄が改札を共有しています。なかに入って、プラットホームで待つことにしました。マカロンをでかくしたようなおもしろいお菓子があったので、ちいさいちびむけに買いました。特急で指定の席に座ったあとは、ほぼ寝ていました。
名古屋の前に目が覚め、名古屋近郊の景色を眺めていました。名鉄と近鉄の駅ビルとでて、外からJRの駅へ。名古屋の方は派手かもしれません。東京駅とは歩いている、とくに女性のファッションが違います。完全におめかしした方の割合が高いように感じました。5時ごろ名古屋駅にはつきました。ちょうどよいので、夕食を先にすませることにしました。食堂が並んでいる場所をみつけ、蕎麦屋さんに入りました。一軒で判断するのは早すぎますが、名古屋の蕎麦はほかとは違うようです。
ひとがわんさかあふれているお土産物コーナーで、さらにお土産を三点買いました。家族の全員、なにかしら好きなものがあるように選びました。
元気であれば、駅ビルのなかを見て回ってもよかったのですが、疲れがあります。すぐに新幹線ホームに入り、スターバックスでアイスコーヒーを買って、ある程度の時間が来るまで待っていました。電光掲示板に私が乗る新幹線が表示されてから、新幹線をホームで待つことにしました。十五分程度待ったでしょうか。
乗り込んでほぼ寝ていました。外は、気が付くと、前より暗くなっていました。きれいな夕焼け空でした。スマホをかざしている方もいました。七時半過ぎに東京駅に到着。特別快速で中野、中野で緩行線(総武線)に乗り換えて、西荻窪。
午後8時15分、無事帰還しました。名古屋からだと東京は驚くほど近いことがわかりました。
お風呂に入り、一息入れてから、ちょうど出発の直前に来ていた郵便物をあけました。
ゲラと雑誌。
雑誌というより、展覧会の図譜です。神戸市立博物館『眼鏡絵と東海道五拾三次展』神戸市立博物館、1984
pp.84-89 に岡泰正「眼鏡絵から広重の風景版画まで」
pp.90-94 にEd.ド・ケーゼル(坂本満訳)「眼鏡絵―民衆版画の知られざる領域(抄)」
が収められています。
ゲラは雑誌の第3号。コクヨのカメラ・オブスクラ組立セット2箱も来ていました。
ホテルで5時5分。
夜中雨の音がしていましたが、目覚めたときには止んでいます。
昨日の評議員会のときには、豪雨という情報もありましたが、豪雨にはならないようです。台風がつれてきた雨雲がかかっている所では、豪雨となっている場所もあるようです。
予報を見ると、今日は強く降ったり、弱く降ったり、ともあれ、雨のようです。豪雨にはなってほしくありません。
9時過ぎにホテルを出ました。昨日確認したバス乗り場に行くと、田中さん、堤さん、学会のメンバーが並んでいました。バスはいつ来るのかわからなかったのですが、来て、乗車したら、すぐに三重大学に着きました。最後尾を歩いたので、前の方々についていくだけでした。
三重大学は、相当に広いキャンパスです。医学部も同じキャンパスにあります。9時15分頃会場となる建物に着きました。受付は9時半から。しばらく待っていてくださいと会場責任者の声。
6時過ぎから、懇親会。懇親会の食べ物は、懇親会にしてはかなり珍しくよい素材でおいしいものでした。松阪牛も使っているということでした。
8時15分ぐらいにバスが来ました。学会のメンバーの貸し切りのような形になりました。
ひとりで5時、室温25.5度。わずかですが、昨日のお酒が残っています。午前中はゆっくりして、午後に津に出かけます。東京は晴れ間が見えてきましたが、津は雨の模様です。
2時の新幹線。半分寝ていました。
3時40分に名古屋に着きました。わおー、近い。
乗り換えは、グーグルのものをプリントアウトしてもっていました。
名鉄名古屋駅の表示。JRの建物から外にでて、隣のビルにある名鉄名古屋駅に着き、路線図を睨むましたが、津はありません。しばらく路線図とにらめっこして、やはりみつからないので、駅員さんに聞くと、津なら地下の近鉄ですよ、と言われました。階段を降りると近鉄がありました。列車に関しては、グーグルのプリントアウトにも近鉄特急と書いてありました。窓口に並んで、特急券と乗車券を買いました。55分に購入。電車は4時発。6号車の指定です。車体には6号車の表示がなく、5号車に入ってみて、一度中をみて、また外に出ました。5号車の入り口からもうひとつ前の車両に行っている方がいます。私も行ってみることにしました。中に入ると6号車の表示がありました。先頭車両になります。窓が大きくとっていて、景色がよく見えるようになっています。パノラマビューが楽しめる車両です。
三重県は、私の出身県の和歌山県の隣ですが、来たことはありません。ずっと景色を見ていました。スポット的にしか調べてなかったので、どういう場所を通っているのか感覚はありませんでした。ずっと平面で、木曽川のような大きな川があり、水資源には恵まれているように思われました。
40分少しで津に着きました。
少しですが、雨が降っていました。折りたたみ傘をカバンから取り出し、ホテルを探しました。駅から見える場所にありました。歩いて、5分程度。フロントに行って名前を告げると、金額を言われました.先払い方式のようです。
ホテルの部屋に入って一休み。このノートパソコン(いつも使っている MacBook Air )を取り出し、電源とランコードを繋ぎました。すぐにネットに_がりました。学期末なので、学生諸君からメールが来ています。どれも、簡潔に返信しました。来週、何人かの学生には、研究室に来てもらって、判子を押す必要があります。ゼミのとき、2度ほど言ったのですが、自分のことだと認識していなかったようです。
妻にもメールで連絡しておきました。
5時40分頃、傘と書類だけをもって、駅の反対側の評議員会会場に向かいました。地図を見て、線路をわたる道があるかと思ったのですが、すぐにはありませんでした。地下通路を通って反対側にでるようです。反対側に出ると、そちらが、津駅の玄関口だとわかりました。明日のためにバスの案内図をみていました。4番乗り場に三重大学の名前があります。と大野さんの姿が見えました。声をかけて、二人で4番乗り場を探しました。評議員会が開かれるビルの前に、バス乗り場がありました。
そこから、雑誌編集の相談をしつつ、4階の会議室へ。菊池さんの姿が見えたので、その部屋が当該会議室だとわかりました。
エクスカーションに出かけたメンバーは、6時ぎりぎりに見えました。
吉田事務局長の司会は、これまでにないもので、7時半には終わりました。体調を考えて私はそのままホテルに帰ってきました。
9時頃には眠くなり、9時半までは頑張ってニュースを見ていましたが、10時前には寝てしまいました。今回の学会出張の基本情報です。
2016年三重大学 学会出張
新幹線 行き 2時東京発のぞみ231号 現地(津)着4時47分
ホテル ホテルザグランコート津西
Tel. 059-227-8333 Fax 059-227-8237
学会会場 三重大学
会場責任者 和田正法理事
帰り新幹線 名古屋17時54分発のぞみ38号 20時30分頃自宅着
ひとりで5時30分、室温26度。晴れ。日射しが窓から入ってきています。今日は暑くなりそうです。私にとっては、秋学期の最終日。1限4限5限、さらに卒論コンパ。明日から学会出張。津に5時前に着く予定です。午後6時から評議員会。土・日は、終日、学会。
家族全員家をでたあと、すこしゆっくりめに出て、9時6分武蔵境発の西武線。まず、図書館によって次のものを受け取りました。
The Dawn of Photography: French Daguerreotypes, 1839-1855 (Exhibition Catalogue on CD-ROM, Metropolitan Museum of Art, Yale University Press,
それから、教室へ。相棒の先生と2名のTA が集まって話をされていました。なんと、相棒の先生は、半時間程度、授業をされたそうです。予想していませんでした。
時間いっぱいいろんな話をしてから、提出物をもって、研究室へ。2限の時間は、大急ぎで宿題をこなしていました。11時半から特別食堂でTA の慰労会。研究科長にも来てもらいました。
3限の時間帯も宿題の続き。4限5限の授業。
5限は、6時半ぐらいまでやりました。いつもの倍の人数の学生に発表をしてもらいました。今日が春学期の最終日なので、やり残したものを全部まとめてやったという感じになります。
しばらく雑談してから、残ったものがそろって打ち上げ会場へ。7時4分多磨駅発の電車。吉祥寺のピザ屋さんには、7時半過ぎに着きました。そこから2時間。私はビールを飲んでいました。10時頃帰り着きました。ちいさいちびが風呂に入っていました。ちいさいちびが風呂を出るのを待って、風呂に入り、11時半ぐらいに就寝。
ちなみに、メールボックスに6月にうけた健康診断の結果が届いていました。2014年から3年分の結果が表になっています。これは、進歩です。現状値も大事ですが、変化を知ることも大切です。これが5年とか10年になるともっと素晴らしい。
ひとりで6時40分、室温24度。妻が先に起きていました。予報では晴れて、お昼にかけて暑くなるそうですが、朝のうちは、涼しくて気持ちがよい。本日は、水曜日なのに、珍しく会議のない日です。家にいて、自分の研究を進めることにしたいと思います。
午前中は日射しがなく、すずしいままでした。午後は、すこし日射しがでてきました。
C. J. カルデンバッハ「ヨーロッパにおける眼鏡絵(パースペクティブ・ヴューズ)について」 詳細検討の続き。イタリア語では、camera otticheと言うとあります。直訳すれば、光学チェンバー(光学箱)。覗き眼鏡を指すこともあるかもしれませんが、やはり、もうすこし広く使われた用語だと見ておく必要があると思います。カメラ・オブスクラと類似の構造をもつ、光学原理による箱には広く、この語を使うことができるようです。
フランス語。絵は、vue d'optique, vue perspective、装置は、optique, boite d'optique。こちらは、テクニカルタームとしてきちんと成立しているようです。眼鏡絵のサンプル、実際の装置を使った見え方に関する資料が数多く見つかります。
ひとりで6時10分、室温27度。窓を開けると涼しい風が入ってきます。室温が2度すぐに下がりました。夜の間に気温が下がったようです。予報では、今日は一日中曇りで、最低気温23度、最高気温26度。このぐらいなら、楽です。午前と午後に会議。
ちいさいちびと小学生が出かけたあとに出かけました。駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、8時30分武蔵境発の西武線。直接図書館に向かい、次の本を受け取りました。
ジョナサン・スラック『幹細胞: ES細胞・iPS細胞・再生医療』八代嘉美訳、岩波書店、2016研究室でわずかに片づけをしてから、会議のため、事務棟5階へ。珍しくすこしヒートアップした議論があり、11時40分までかかりました。ちょうど2限終了時刻。昼食に出る学生たちの間を逆流しました。
お昼ご飯を食べ、しばらく休憩してから、3階の会議室へ。1時から3時まで。その後雑談的な打ち合わせ。
研究室に戻り、急いで一つ書類を作成し、事務棟3階の事務に持っていきました。その足で図書館に向かい、今度は次の本を受け取りました。
金森修編著『昭和後期の科学思想史』勁草書房、2016
4時52分多磨駅発の電車。電車のなかで、金森さんの後書きだけを読みました。金森さんの絶筆です。金森さんは『明治大正期の科学思想史』も準備されているそうです。勁草書房『科学思想史』シリーズは、金森さんによる日本の科学思想史界への遺産のような、書物群です。あらためて、金森さんのご冥福をお祈りします。
なお、『昭和後期の科学思想史』ですが、金山浩司氏が「武谷三男論──科学主義の淵源」、斎藤光氏が「生物学者・柴谷篤弘の科学思想」、板橋勇仁氏が「下村寅太郎という謎──「精神史」としての科学思想史と「自己否定の自覚」」、岡本拓司氏が「科学論の展開──武谷三男から廣重徹へ」、瀬戸口明久氏が「生命としての科学/機械としての科学──科学の意味をめぐる問い」、美馬達哉氏が「不完全な死体──脳死と臓器移植の淵源」、金森修さん本人が「核文明と文学」を書かれています。最後のものは、原爆文学を取りあげています。
ひとりで5時30分、室温28度。妻を6時、おおきいちびを6時半に起こします。朝一番で歯医者さん。午後に授業。
歯医者さんは、根の治療をやはり1時間ぐらい。家にもどって、メールに返信してから大学へ。三鷹駅内でお弁当とパンを購入し、ヨーカードの1階の文房具屋(ロフト)で文房具2点を購入してから、11時30分武蔵境発の西武線。
この時間だとばたばたでした。お弁当を食べ、メールに返信をしているうちに、3限。3限4限5限と連続。5限の最中に激しい雷雨。終わった頃にちょうど上がっていました。
5時52分多磨駅発の電車で帰ることができました。次の見直しは、 岡泰正『めがね絵新考―浮世絵師たちがのぞいた西洋』(筑摩書房、1992)から、巻末の C. J. カルデンバッハ「ヨーロッパにおける眼鏡絵(パースペクティブ・ヴューズ)について」です。 原著は、C.J. Kaldenbach, "Perspective Views," Print Quarterly, Vol. 2. No. 2 (1985) : 87-105.
疑問点は、直視型覗き眼鏡は、英語でどう表現するのか、具体的にはどういうものが挙げられているのかでした。
ほぼ予想したことですが、直視型覗き眼鏡は、ほとんど取りあげられていませんでした。箱形にカルデンバッハが直接触れるのは、以前にも引用した一六七七年のJ.C.コールハンスによる「のぞき眼鏡として使われたカメラ・オブスクラ」の部分だけです。
ただし、ドイツの語名称Guckkasten(覗き箱)が以前から気になったので、此を調べてみました。ものすごく簡単に言えば、覗き箱は覗き箱でした。 "Optical Diagonal Machine " はなくはありませんでしたが、ほとんど箱でした。つまり、直視型覗き眼鏡でした。カルデンバッハは、英語では"Optical Diagonal Machine "、ドイツ語では"Guckkasten" と表現していますが、実は分けた方がよいかもしれません。すくなくとも分けることはできます。
むすこといっしょに6時30分、室温28.1度。晴れ。湿度も高い。昨夜は寝室にエアコンを入れました。朝一番で期日前投票に行ってきました。期日前投票は8時半から。8時半を2〜3分過ぎて、児童館地下1階の投票所に着きました。通常の選挙とほぼおなじぐらいの数の立会人の方がいました。投票日まで1日12時間ひとつの期日前投票所に6〜7名が張り付くようです。選挙にはお金がかかるわけです。
終わって、コンビニでコピー。コンビニのコピー機はゆっくりですが、きれいに印刷されます。
予報では、3時の前後、雨が降るようです。正午前は、まだ晴れています。天気予報を見ると、明日もほぼ同じ感じです。→雨は降らず、真夏がやってきました。東京でも35度に達したとニュースは言っています。外を歩いたときの感じでは、そうかもと思いました。
中川邦昭『カメラ・ギャラリー―写真鏡の伝来からオートフォーカスまでの350年 』美術出版社、1991
この本を丁寧に読み直しました。とくに、XV 「写真鏡と近世洋風絵画」の部分を子細に検討しました。中川さん本人が所蔵されている写真鏡の図版がpp.134-135 の見開きで印刷され、pp.135-136 には、解説文(中川邦昭「写真鏡(カメラ・オブスキュラ)の変遷」『民族藝術』13(1997): 112-119 に加筆修正したもの)を収めています。さらに pp.151-159 に年譜、p.159 に参考文献リストを掲載しています。
この巻末の解説文を吟味しました。
中川さんは、日本では、2台のカメラ・オブスクラの存在しか確認されていないと言います。2台とは、具体的にどれでしょう。
1台は、中川さん本人が所蔵されているものです。中川邦昭『カメラ・ギャラリー 』(美術出版社、1991)pp.134-135にその画像が掲載されています。
もう1台ですが、解説文の最後に次のようにあります。「最後に、写真鏡が現在日本に2つしか発見されていないのは残念である。第1章で紹介した写真鏡には、筆者が入手下折りには長崎系の古びた泥絵が5枚ついており、「活動眼鏡」と題されていた。次に携帯野外用写真鏡と紹介したものには、円山応挙筆「泰西都市眼鏡絵」と題して3枚に肉筆の眼鏡絵が付いていた。両者の写真鏡は、美術工芸的な価値を持っていたので、当時の覗き眼鏡と混同されて保存されてきたと思われる。(中川邦昭『カメラ・ギャラリー 』p.147)
これは、中川さんがp.140 で紹介されているものです。「これまで、前述した現存する写真鏡以外は日本で発見されていないが、神戸市立博物館の「眼鏡絵を東海道五十三次展」(1984)の出典の中で、神戸市立博物館所蔵の反射式覗き眼鏡と紹介されているものが、当時ヨーロッパで流行したカメラ・オブスキュラを日本でまねて作った携帯野外用写真鏡<XV-20>と思われる。」
中川さんは、「神戸市立博物館所蔵の反射式覗き眼鏡」を日本製の「携帯野外用写真鏡」と推測されています。そして、これを日本に残存する2つめのカメラ・オブスクラと言っています。この推測/断定には、無理があります。「神戸市立博物館所蔵の反射式覗き眼鏡」は、眼鏡絵が付いていることもそのひとつの印ですが、まさに、「反射式覗き眼鏡」です。中川さんの推測とは逆に、これをカメラ・オブスクラとして用いることはできるかもしれませんが、像は、眼鏡を置く場所、すなわち、台の下に写ります。台の下に写った画像を見ることはできますが、トレースすることはできません。
「複写する写真鏡」を発見されたのは、中川さんの貢献ですが、しかし、「反射式覗き眼鏡」を写真鏡と同定することで、写真鏡の使用をあまりに広く取りすぎています。
遠近法的な絵画(とくに風景画)があったとして、それは、必ずしも写真鏡の使用を意味しません。写真鏡を使用すると、簡単に、遠近法的に正確な風景画を描く(トレースする)ことはできますが、写真鏡なしに遠近法絵画を描くことはできます。
ここは、中川さんの勇み足を指摘しなければなりません。
ただし、司馬江漢は、明らかに写真鏡を使用しているので、どこでどのように使用したのかを探ることに意味はあります。p. 136 はじめの部分で次のように中川さんは述べます。「写真鏡が日本においてこれまで発見されなかったため、これに関しての研究は殆どなく、その存在すら認められてこなかった。
・・・
写真鏡は、それまで日本人にはなじみがなく、日本の絵画に現れなかった西洋画の線遠近法の導入を用意にした。近世洋風絵画はもちろん、それ以前の線遠近法を強調した浮絵や眼鏡絵にも写真鏡の影響が示唆される。・・・また、最も早く眼鏡絵を描いたといわれる円山応挙も、写真鏡を十分活用したことを示唆するように、映画手法をしてレンズや鏡を利用している。」ほぼ確実に写真鏡/カメラ・オブスクラの図と言えるもの。
p. 147 に大すみや源助(江戸浅草の唐物屋)の引札<XV-53>
これは大隅源助の引札、江戸末期のものにも、明治初期のものにも掲載されています。形態から言って、写真鏡/カメラ・オブスクラの図といって間違いないでしょう。万延元年(1860)の一川芳員作「外国写真鏡の図」<XV-54>
<XV-57>のキャプションには、「異人図絵には写真機が写真鏡と混同して紹介されている」とありますが、現実に19世紀後半写真機/photographic camera が日本に入ってくると、写真鏡という言葉は、写真機に用いられることがあった。
柳川春三訳述 『写真鏡図説』慶応3(1867)年は、カメラ・オブスクラではなく、今の写真術・写真機/photographic cameraの解説です。言葉がこういうふうに用いられることがあるのは、よくあることです。
ですから、ここは、混同ではなく、言葉の用法の変化です。
ひとりで5時30分、室温27.3度。ほんとうにめずらしく、朝、誰も起こす必要がありません。小学生はそれでも比較的早く起きてくるでしょう。
朝の間は、晴れ間のない曇り空。室温は朝起きたときからほとんど変化がありません。
→お昼頃から晴れてきました。晴れると同時に気温も上昇しています。2階は午前中に30度を超えました。1階は、29度ですが、かなり暑い。お昼ご飯のあと、妻が小学生と約束したポケモン映画の前売り券を私と息子二人で買いにでました。セブンイレブンに行きましたが、純粋の前売り券は発売していませんでした。息子によれば、ヨーカードで発売しているのだそうです。セブンイレブンは駅前です。そのまま電車に乗り、武蔵境のヨーカードに行きました。セブンイレブンの店員さんはまったくわかっていませんでしたが、ヨーカードの子ども売場のレジの方は、すぐに対応してくれました。息子は、前売りを買ったときについているシリアルでゲームのキャラをもらいたがっていました。
息子には慣れた世界です。帰宅してすぐに自分のゲーム機にゲット(ダウンロード)していました。今回(7月26日)の発表ですが、もう一度基本文献を見直すことにしました。
司馬江漢の銅版画覗眼鏡引札
ひとりおくれて7時20分、室温25.9度。曇り。昨日ほんとうにひさしぶりに肉体労働をしたのがきいたようです。ちいさいちびは今日で定期考査が終わります。給食があり、その後委員会があると言っていました。おおきいちびは来週の火曜日から金曜日まで定期考査。間に合わないと頭を抱えています。
時間が経つと晴れてきました。しかし湿度が高いまま。かなりむしむしします。早く帰ってきたおおきいちびが机に向かっているだけで汗が落ちるというので、この夏はじめてエアコンをかけてやりました。私も風呂上がりはそういう状況でした。何もしていないのに汗が落ちてきます。
本日、大学のホームページで、次の文書が公開されていました。学長選です。
「国立大学法人東京外国語大学学長選考方針」
期日前投票。
参議院選挙の投票日、7月10日は、学会で三重大学にいます。期日前投票をします。杉並区選挙管理委員会からのお知らせを確認しました。明日の7月2日までは、杉並区役所まで行く必要があります。しかし、7月3日(日曜日)からは、投票できる場所が多くなり、近所の区民センターで期日前投票ができます。児童館と同じ建物にはいる区民センターが1キロぐらいの場所にあります。日曜日にでも行って来ようかと思います。
2015年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2014年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2013年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2012年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2011年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2010年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2009年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2008年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
春休み
3月
2月
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2006年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2004年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2001年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2000年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
6月
4月〜5月
1月〜4月
1999年
10月〜12月
6月〜9月
4月〜5月
1月〜3月
1998年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
春(1月から5月)
1997年
97年度
最初のページ=
HomePageに戻る。