ひとり5時、室温15.6度。真冬に転落する予報ですが、室温は昨日の暖かさを保っています。どんよりとした曇り空。妻を6時に起こしました。小学生はいつも通り7時頃起きてきました。おおきいちびは7時過ぎ。
2限の時間帯から面談。4名。
4限5限と学部の授業。
9時54分武蔵境発の西武線。
研究室でメール対応。11時から学生との面談。11時、11時40分、12時、1時、そして追加で1時半。もうひとり連絡のあった学生は、月曜日となりました。4限のゼミは、いつもよりすこし早めに終わりました。学生諸君と雑多な相談。
5限の講義は大量の配布資料があります。教室使用状況を見ると、意外なことに、本日は、3限4限があいています。はやめに教室にはいり、資料を設置しました。学生が落ち着くのを待っていると、5分程度開始が遅れました。遠近法的ドローイングと遠近法的視覚について話しました。
コメントシートの整理は、TA に任せて、帰宅の途に。5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。ガード下のコンビニでちいさいちびにたのまれたアイスを買って帰りました。天気予報で言っていたほど、急激に寒くなった感覚はありませんでした。
普段講義をする授業をしていないせいだと思いますが、今日はいつもより疲れました。
ひとり5時55分、室温15.3度。予報では、本日の最高気温は19度、明日の最高気温は12度。今日の夜から明日にかけて、いきなり真冬が到来します。体調管理に気をつけないと。午後に会議。昨日の最後の会議で宿題が発生しました。午前中はそれをこなしています。
9時54分武蔵境発の西武線。中央線は、9時41分に武蔵境に着きました。思いきっり走れば、まにあったかもしれませんが、もうそんなとしではありません。ゆっくり歩いて次の電車にしました。
研究室について、すぐに昨日の宿題にとりかかりました。簡単なようでけっこう時間がかかります。1時間半以上かかりました。11時20分頃昼食休憩。
12時40分から会議。ちょっと集まりが悪い。2時10分過ぎに終了。研究室に戻り、あすの配付資料を確認し、一部作成してから、印刷センターへ。画像をテーマとしています。700枚となりました。相当の重さです。できたものは、印刷センターに預かってもらって研究室に帰りました。
昨日届いた、 江口久美『パリの歴史的建造物保全』中央公論美術出版, 2015 の最初の方(第2章 19世紀の歴史的建造物の出現と都市風景へのまなざし)をすこし読みました。記録メディアとしての写真に関心はないようですが、それ自体とても面白いテーマを扱っています。
3時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰り着くと次の本が届いていました。
Minor White (intro.), André Jmmes and Robert Sobieszek (comenntaries), French Primitive Photography, an Aperture Book, New York, 1970
展覧会の図録です。この写真はとても面白い。
ひとり5時45分、室温15.0度。おおきいちびの入試の2日目。午前中から会議。午後にも会議。
8時54分武蔵境発の西武線。すぐに図書館。ILL で届いていた次の本を受け取りました。
江口久美『パリの歴史的建造物保全』中央公論美術出版, 2015, 18,360円
概要は次。1897年設立のパリ市の諮問機関「古きパリ委員会(CVP)」が、いかに歴史的記念物保全に都市史的視点を導入して、その後のフランスの豊かな都市景観の大きく貢献している歴史的環境保全制度の展開への基点となりえたかを明示する。東大都市工学専攻の博士論文(工学)です。写真のことはあまり触れられていませんが、有用な情報があります。目次は次。
第1章 本書の枠組み
第2章 19世紀の歴史的建造物の出現と都市風景へのまなざし
第3章 19世紀のパリにおける歴史的建造物保全と風景観
第4章 古きパリ委員会(CVP)の設立と都市的視点の萌芽
第5章 考古学的・芸術的目録(CAA)の作成と歴史的環境保全への展開
第6章 1920年代以降の国の保全制度への反映と展開
結論
資料編
研究室に戻りメールへの応答。
10時10分から学長室で会議。30分程度で終わりました。
事務処理。
早めにお弁当を食べました。
12時40分から会議。2時20分頃まで。
メールボックスを見に行くと次の本が届いていました。
古川安『化学者たちの京都学派:喜多源逸と日本の化学』京都大学学術出版会、2017
編集委員会宛の献本です。『化学史研究』に掲載された論文が基礎となっています。目次は次です。
プロローグ 喜多源逸の姿を求めて――本書ができるまで――
化学の京都学派を創った男
本書ができるまで
第1章 京都学派の形成――工業化学者・喜多源逸の挑戦――
はじめに
1 奈良から、三高、東京帝国大学へ
2 教育観の齟齬
3 京都帝国大学と澤柳事件
4 欧米留学
5 理研精神――大河内正敏と喜多源逸――
6 喜多イズムの浸透
7 国策科学と学派の拡大
8 巨星墜つ第2章 実験室から工場へ――戦時下の人造石油開発――
はじめに
1 小松茂と海軍の直接液化法
2 喜多源逸と京都帝国大学のフィッシャー法
――実験室からパイロットプラントへ――
3 京都から北海道へ
4 人造石油の遺産
第3章 繊維化学から高分子化学へ――桜田一郎のたどった道――
はじめに
1 教育――セルロース化学の世界へ――
2 喜多研究室とセルロース化学
3 若きセルロース化学者のドイツ――低分子派の下に――
4 帰国後の研究活動とシュタウディンガーとの論争
5 高分子説の受容と「高分子」という言葉
6 ドイツ仕込みの気鋭化学者
7 合成繊維ナイロンの出現とその意味
8 合成一号と李升基
9 繊維化学科、日本合成繊維研究協会、「大阪・中之島の陣」
10 悩める二人の「発明者」
11 高分子化学の重鎮
第4章 燃料化学から量子化学へ――福井謙一が拓いた世界――
はじめに
1 化学への道
2 量子の扉を開く
3 燃料化学科とハイドロカーボン
4 児玉信次郎のドイツ留学とポラニー
5 戦争のあとさき
6 フロンティア軌道理論をつくる
7 反発から受容へ
8 工学部の理論化学者たち
9 創造の源泉
エピローグ 有機合成化学の系譜――ラウエルから野依良治まで――
はじめに
1 合成化学科への道――小田良平と古川淳二――
2 有機化学者・野依良治の誕生
謝 辞――あとがきに代えて――
文献一覧
インタビュー一覧
喜多源逸 関連年表
人名索引
事項索引
すこし休みをいれて、3時からまた会議。やはり30分あまりで終了。
4時から会議。5時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
おおきいちびの面接は予想とかなり違ったそうです。準備したことがほとんど聞かれなかったそうです。
ひとりで4時50分、室温14.9度。おおきいちびのはじめての大学受験。ちいさいちびは8時には学校についていたいと言います。妻は仕事。息子は振替休日。私も外語祭の片づけ日で大学は休み。
妻が9時過ぎにでかけて、いつものように息子と2人でお留守番。おおきいちびも妻も午前中だけなので、午後には帰ってきます。
→中野駅で人身事故があったということで、予定より遅く帰ってきました。まったく予想していなかった種類の問題が出題されたそうです。妻はおおきいちびより30分以上遅れて帰ってきました。妻の方が電車の混乱の影響を大きく受けたようです。
ひとりで6時、室温13.4度。おおきいちびは今日の模試をパスして、あすの試験に備えます。といって一日中部屋にこもることはできないタイプなので、2時過ぎに散歩につきあってやりました。我が家から井の頭公園まで歩き、すこし必要な買い物をして電車で帰ってきます。
外は暖かく快晴です。井の頭公園の紅葉はたぶん最高の見頃を迎えていました。人出も多い。イベントも数多く開催されています。石の半円舞台では、バレーの公演の最中でした。レベルの高い方たちでした。
すこし前から、鉛筆削り機がほしいと行っています。駅ビル(キラリナ)のなかで探すことにしました。たぶん6階の文房具売場にありました。ユザワヤにはおいていませんでした。長くつかえるしっかりとしたものを選びました。我が家では、鉛筆削り機は2台購入しましたが、1機はとうの昔に壊れています。1機が残存していて、息子が使っています。
それに、おおきいちびは歩いている最中にみつけたクリスマスのちいさな飾り物も購入。最後の朝食のパンを買って帰宅。
1時間以上歩いていました。よい運動にはなりました。
ひとりで5時5分、室温13.9度。土曜日ですが、小学生は音楽会。我が家の小学校最後のイベントです。来年からは長男も中坊です。
ちいさいちびは午前練。9時からだそうです。7時40分に起こして欲しいと言っていました。午前中に次の本が届きました。
深川雅文『光のプロジェクト―写真、モダニズムを超えて』青弓社 (写真叢書)、2007
全部ではありませんが、風景写真の部分を中心にある程度読みました。なるほどと思うところがありました。掲載されている写真が少ないのが不満な点です。写真を論じる以上、数倍の写真を掲載してほしかった。
ひとりで6時5分、室温13.3度。外語祭3日目。駒場祭準備日。駒場も今日は休講です。快晴。21日(火曜日)にメインマシーンのモニターはお陀仏になりました。23日の2時過ぎに新しいものに交換しました。その間、こちらのマシーンでは作業が出来ていません。昨日から今日にかけ、遅れを取り戻す仕事がありました。なんとかアップデートできたと思います。
子どもたちは普通に学校。
午前中に2校の処理を終えました。週のはじめに届いていたのですが、対応する余裕がありませんでした。
お昼過ぎに次の本が届きました。
ジョン・アーリ/ヨーナス・ラースン『観光のまなざし [増補改訂版]』加太宏邦訳、法政大学出版局、2014
この書物は基本です。学生たちに渡した「視覚文化論・画像文化論」の文献リストに第一に追加すべきは、この書物です。第7章は授業でテキストとして使います。第6章も使いたいな。妻が買い物から帰ってきてから、朝すませた2校を送り出すために郵便局へ。妻に、母へのお見舞いボックスの発送も頼まれました。駅前のセブンーイレブンで荷物を出し、お金を降ろして、郵便局へ。それから、散髪屋さんへ。髪はずいぶん伸びていたのですが、ちょうど散髪屋に行く機会をつかむことができませんでした。ちょうどよい日です。さっぱりして帰ってきました。
ひとりで2時50分、室温13.6度。昨日日が暮れた頃に降り始めた雨がまだ降り続いています。勤労感謝の日。外語祭には残念ですが、5日間のうち、一日ぐらいは雨でもまあ仕方ないでしょう。
母の白内障の手術は無事すんだそうです。母は病室で同じ手術を受けた人とおしゃべりに興じているそうです。
小学生は7時過ぎ、ちいさいちびは8時過ぎ、おおきいちびはそのあと、妻は9時過ぎに起きてきました。ちいさいちびは、正午過ぎに家をでて、ハンドボールの決勝戦を観戦に行くそうです。比較的近い場所だそうです。
おおきいちびは、我が家にお手伝いさんが来たのは、いつ?と聞いてきました。普段使っているパソコンがいきていればすぐ調べられるのですが、モニターが真っ暗のまま。でも、こちらのマシーン(MacBook Air)でもなんとかなることに気づきました。
2008年6月8日に、妻の妹がお手伝いさんをつれて総勢4人で来ています。2週間ほど滞在しました。おおきいちびはもう小学校だったので、覚えていてもよさそうですが、ほとんど記憶がないそうです。私が留守番をして、総勢8人でディズニーランドに行っています。10時すぎ、雨のなか、昼食のうどんを買うため、セイユーへ。うどん、カップスープ、バナナ、グレープフルーツ。
正午前に雨はあがりました。正午には日差しも見えます。予報のとおり、午前雨、午後晴れとなるようです。
午後、昨日大学から発注したモニターが届きました。今ならずっといいものがありますが、PowerMac7600 につけているものです。大きさもほぼ同じで、アナログ入力が基本のものを選びました。I-O DATA モニターディスプレイ20.7インチ EX-LD2071TB 10,980円 です。
2時過ぎに古いものをはずし、まわりをすこしだけ掃除機をかけてから、あらかじめ台所で組み立てておいたモニターを設置しました。モニターケーブルを接続し、電源ケーブルを繋ぎ、スイッチを押すともとの画面が現れました。ほぼもとのままです。きれいになった気が一瞬しましたが、前のモニターが白内障で死にかけていたせいです。まあ、こんなものです。
ここまできたら、ほんとうにお陀仏になるまで、このマシーンを使い続けます。20年をゆうに超えています。どこまで行くでしょうか。
ひとりで6時10分、室温10.5度。お昼休みに打ち合わせ、午後に会議。外語祭が始まります。
9時54分武蔵境発の西武線。昨日,一昨日よりもはやい。まず、図書館に向かい、次の本を受け取りました。
Michael Marian and John Bender, The Culture of the Diagram, Stanford University Press, 2010研究室で片付け。&ちょっとした調査。
12時から打ち合わせ。12時25分まで。
図書館から本が届いたという連絡があったので、受け取りに行きました。
Francois Dagognet, Etienne-Jules Marey: A Passion for the Trace, Zone Books, 19922時20分から会議。2時10分に会議室に入りました。1番かと思ったら、5番目でした。はやいかたははやい。研究室を出る直前、図書館から次の本が届いたという知らせを受けています。
Patrice Petro (ed.), Fugitive Images: From Photography to Video, Bloomington: Indiana University Press, 1995
論集です。目次は次。
Introduction by Patrice Petro
Anatomies of the Visible Corporealized Observers: Visual Pornographies and the Carnal Density of Vision by Linda Williams
Phantom Images and Modern Manifestations: Spirit Photography, Magic Theater, Trick Films, and Photography's Uncanny by Tom Gunning
Death and the Photographic Body by Lynne Kirby
Hitories of Looking
Inventing Monument Valley: Nineteenth-Century Landscape Photography and the Western Film by Edward Buscombe
Derelict Histories: A Politics of Scale Revised by Aine O'Brien
Still and Moving Images
How to See (Photographically) by Regis Durand
Photography Mise-en-Film: Autobiographical (Hi)stories and Psychic Apparatuses by Philippe Dubois, translated by Lynne Kirby
An Empirical Anant-Garde: Laleen Jayamanne and Tracey Moffatt by Patricia Mellencamp
Just in Time: Let Us Now Praise Famous Men and the Recovery of the Historical Subject by Charles Wolfe
Negativity and History
Words of Light: These on the Photography of History by Eduardo Cadava
Flat-Out Vision by Herbert Blau
After Shock/Between Boredom and History by Patrice Petro
The Pencil of History by John Tagg
会議は順調に進行しました。私も合計5分ぐらい司会する時間がありました。予定とおりに終了。図書館で上の本を受け取ってから、帰宅しました。3時52分多磨駅発の電車です。
今日は外語祭の初日でした。天気がよかったので、比較的はやめからお客さんが来ていたようです。ただし、私が西荻の駅から出たあたりで、小雨が降り始めました。私は傘をささないで帰ってきましたが、その後、ふつうに雨降りとなっています。
帰宅すると,次の本が届いていました。
石井洋二郎『時代を「写した」男ナダール (1820−1910)』藤原書店、2017
ナダールは、面白いので、こういうふうに評伝が出るのは、うなずけます。
→ナダールについては、けっこう本もでています。
小倉孝誠『写真家ナダール : 空から地下まで十九世紀パリを活写した鬼才』中央公論新社、 2016
F・ナダール『ナダール : 私は写真家である』 大野多加志, 橋本克己編訳、筑摩書房 、1990
Félix et Paul Nadar『パリの肖像 : ナダール写真集』立風書房、 1985
Paul Nadar『ベル・エポック : ナダール写真集』立風書房、 1985
『世紀末パリ : ナダール写真館展』セゾン美術館、 1992
論文も一定数でています。ちびどもは、9時半ごろ帰ってきました。高校がなにかの行事です。その一環として東京駅の近くの会場で開かれる講演会をふたりで聞いてきました。まわりはおじさんばかりで、びっくりしたそうです。夕食代は渡しました。ちいさいちびは、こうしした場合、オムライスは親子丼か、決まった好きなものを食べます。おおきいちびは、比較的いろいろ食べてみるようです。
ひとりで5時10分、室温11.0度。朝の室温がまた下がりました。メインで使っているマシーンのモニターがまったくつかなくなりました。取り替えるしかないのかもしれません。お昼休みに面談、午後に会議。
10時18分武蔵境発の西武線。まず図書館によって、ILL で届いていた次の本を受け取りました。
マクシム・デュ・カン [撮影] ; 浅倉祐一朗編集『マクシム・デュ・カン--150年目の旅--展 』マクシム・デュ・カン展実行委員会, 2001
冒頭に置かれた解説文、小倉孝誠「オリエントの誘惑―マクシム・デュ・カンの東方紀行」『マクシム・デュ・カン--150年目の旅--展 』pp.7-13 をまず読み通しました。マクシム・デュ・カンは蓮実の本で知られるフランス文学者ですが、なかなか面白い人です。この撮影旅行によって『エジプト・ヌビア・パレスチナ・シリア』(1852-54)という写真集を出版し、名誉を得ますが、「デュ・カンがオリエントで最後に撮った写真は、1850年9月15日にシリアのバールベックで撮られたものである。その後ベイルートで、なんと機材一式を売りはらってしまう。数多くの記録写真を撮影してみずからの任務が終わったと思ったのか、あるいは、重くてかさばる機材の運搬と管理がわずらわしくなったのか。」つまり、デュ・カンが記録写真家であったのは、たったの10ヶ月間にすぎなかった。私以外誰も座ることができないようになっていた机の周辺の片付け。もうひとりだけは座れるようにしました。11時過ぎにお弁当。
正午から学生と面談。
その後、研究室でスキャン。USB メモリーに直接、本の一定ページ数を保存することができました。私に一番必要な機能です。
1時半から会議。2時前に終わりました。学生たちは明日からはじめる外語祭に準備に勤しんでいます。サッカー部の連中が黒ずくめのジャージ姿で歩いているのに出くわしました。ゼミに今年サッカー部員が3人います。そのうち2人は2月に留学するそうです。ひとりはスペインに、ひとりはブラジルに行きます。9月にモンゴルに留学した学生がひとりいるので、今年のゼミでは、3人が留学に出ることになります。2時28分多磨駅発の電車で帰途。途中珍しく吉祥寺で降りて、パン屋さんでパンを買い、本屋さんへ。一度見てからと思ったのですが、見たかった本は置いていませんでした。
私が一番に帰宅しました。
ひとりで4時、室温12.8度。朝の室温がどんどん下がってきています。全員出動。私はお昼休みから仕事。お昼休みに2名の学生と面談。それから、3限4限5限と大学院の授業。
10時18分武蔵境発の西武線。
図書館へ行って、ILL & TLL で届いていた2冊の本を受け取りました。11時50分頃から2名の学生との面談。こちらはスムーズに終わりました。
3限4限5限と連続ですが、3限と4限のあいだに、急遽入った打ち合わせに行ってきました。10分程度で完了としました。
5限は、5時40分くらまでかかりました。TA の2人に忘れ物をしないように告げて、教室を出ると、センセーの声。私が手帖と水筒を含め、持参したものをすべて忘れていました。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅すると、母の白内障手術後の写真が弟より送られてきていました。
ひとりで6時30分、室温13.1度。昨日寒かったので暖房を入れました。デロンギです。午前8時。まだ誰も起きてきません。冬の休日の朝です。好天。→よくねた、といって息子が8時10分に下に降りてきました。8時15分おおきいちびが起きた音がしました。
19世紀後半の写真史を追いかけています。
Friedrich Lenger「近代のメトロポリスを定義する:19世紀中葉〜20世紀中葉の万国博覧会を手がかりに」(一橋大学)CCES Discussion Paper Series, No. 63(2016), 1-24
万国博覧会を通して、19世紀後半におけるメトロポリスを概観しています。非常によくわかるサーヴェイとなっています。印刷せずに読み通しました。菊池哲彦「写真アーカイブの歴史社会学―近代フランスの歴史保存のおける写真のメディア文化史―」(社会意識(2)新聞と市場)
1837年創立の歴史的記念物委員会と1851年に結成された写真記録使節団を取りあげています。1頁のレジメです。1851年の写真記録使節団は仕事は出版されませんでした。(フランス各地の歴史的建造物を5人の写真家を派遣して撮影させたが、公開しなかった。)詳細は、1960年代になってやっと知られるようになった。伊藤俊治「中心の神秘へ―写真のオリエンタリズム―」『オリエンタリズムの絵画と写真』pp.103-5
ルグレイ(Le Grey)に写真術を学んだマクシム・デュ・カン(Maxime Du Camp, 1822-1894)を中心に取りあげています。とくに『写真スケッチ』(1852)。エジプト、ヌビア、パレスチナ、シリア。John Hannavy (ed.), Encyclopedia of Nineteeth-Century Photography, Oxford: Routledge, 2008
理由は不明ですが、ウェブにpdf があります。
ひとりで5時20分、室温14.1度。ちいさいちびは午前に練習試合。ボールを持って帰ってきています。じゃんけんで負けたのか、順番です。今日は室内だそうです。
私の日常使っているパソコンのモニターの白内障が悪化しています。とうとう右下にも現れました。そろそろ替えどきかもしれません。外語は来週外語祭で1週間休講となります。駒場も駒場祭で休講です。ちょうどよい時期かもしれません。
夕刻、おおきいちびが帰ってきてから、妻、おおきいちび、ちいさいちびの3人で、西荻窪にできた台湾スイーツのお店に出かけました。おおきいちびは台北で食べたことをよく覚えているそうです。ちいさいちびには記憶なし。私にも記憶なし。妻によれば、私も食べたそうです。私と息子でお留守番。1時間強で帰ってきました。お土産に、ゼンツー(どういう漢字を当てるのかはわかりません。日本ではタピオカミルクティーになっています)。私と息子で分けましたが、あとからちびどもが自分も分けて欲しかったとのコメント。
ひとりで5時10分、室温13.9度。だいぶ気温が下がってきました。しばらく冬の気温が続く予報です。→週間予報では、今日の最高気温が14度、明日の土曜日が10度、明後日の日曜日が12度、月曜日が10度です。確かに冬の気温です。火曜日と水曜日は13度。息子の12歳の誕生日。すこし身長も伸びてきました。かなりひょろひょろしてきました。昨日の測定では147センチ。ずっとクラスでは前から3番目ぐらいでした。
夕刻に駒場。
3時半前に家をでました。駒場には、4時20分頃着きました。案内を手にもって、アドミニストレーション棟へ。始めていきます。入り口の右側にある建物です。1階2番窓口の脇のドアからお入りくださいとあります。もちろん、よくわかりませんが、ともあれ、中へ。入ってびっくり。数十人の人が働いていますが、ほぼ女性。6人とか8人のチームが全員女性というセクションもありました。
私に案内をくれた方は席をはずしていましたが、別の方が案内してくれて、出勤簿に押印。入ってすぐの場所に、すぐに押せるように準備してくれていました。
それから、生協へ。新刊の本を見ていました。お金をもっていれば、すぐに購入したであろう本が何冊も見つかりました。40分頃教室に向かいました。その前に、科哲事務室で挨拶。廣野氏、奥村氏、ほかの方が歓談中でした。歓談の輪に入って、いろいろ話を伺いました。
すぐに教室へ。学部4年生、修士1年生、博士1年生の方に発表してもらう予定でしたが、修士1年生の院生が指導教員にシンポの準備に借り出されたので、2人の発表となりました。15分という発表時間をきっちりと守り、コンパクトにまっすぐにシンプルに発表してほしいとお願いしていました。学部4年生の方は15分、博士1年生の方は16分で発表してくれました。主張の根拠に関して、十分な材料を提示する余裕はなかったが、十分こちらの意図に沿った発表をしてくれました。議論も活発で、結局終わったのは、6時40分。息子の誕生日ケーキが待っているので、急いで部屋をでました。7時5分に永福町で急行に乗り換えました。
7時半頃家に辿り着きました。直前におおきいちびが自転車で帰り着くのを後ろから目撃しました。
夕食は、小学生の大好きなお寿司。宅配してもらったものですが、ましなものでした。ちいさいちびは風呂に入っていました。ちいさいちびが風呂から出てきて、私がすぐに入浴。
私がでてくると、ケーキを前に、全員揃って、ハッピーバースデー。ゼルダの伝説の主人公の絵が描かれています。名前を言われて、わかるのは息子一人。しばらく写真撮影してから、蝋燭を灯し、照明を消して、合唱。息子は喜んでいました。(→主人公の名前は、「リンク」だそうです。すごく有名なのに、どうして誰も知らないのか不思議だと息子は言っていました。)
私とおおきいちびは分けられたピースを完食。ちいさいちびと小学生は残しました。それから、小学生、おおきいちび、妻の順に入浴。私と息子はいつも通り、10時に就寝。
残りのメンバーはたぶんこうのどりを見てから勉強なりなんなりをして、就寝。(→録画はしたけど、見なかったそうです。)駒場の授業で博士の学生の発表に関して、コメントした点。
彼が Koji YAMAMOTO 氏と親しいということで、実は、Koji YAMAMOTO 氏の新著の書評を頼もうと思っていました。アマゾンで見てみると、来年の5月15日発行予定で、1万193円の値段がついています。なんとも傑作だったのは、Koji YAMAMOTOは、イギリスで12年間の幸せな日々を送ったという記述でした。本の説明では見たことがありません。
Koji YAMAMOTO, Taming Capitalism before its Triumph: Public Service, Distrust, and 'Projecting' in Early Modern England, 2018,
ひとりで4時40分、室温15.7度。午後に授業。3回のリレー講義の1回目。
11時30分武蔵境発の西武線。
4限5限と授業。
6時18分多磨駅発の電車で帰ってきました。
5限に配布した資料のひとつです。A4 用紙1枚に収めています。「表象文化に触れる」という授業題目で、私は、去年から「視覚文化論/視覚文化史、画像文化論/映像文化論」の授業を行っています。
初回は、写真術の出現。視覚文化論/視覚文化史、画像文化論/映像文化論 基本文献表 2017
長谷正人編著『映像文化の社会学』有斐閣、2016
日高優編著『映像と文化』藝術学舎、2016
橋本毅彦『図説 科学史入門』ちくま新書、2016
橋本毅彦『描かれた技術科学のかたち : サイエンス・イコノロジーの世界』東京大学出版会、2008
ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』(どの版でも)
ベンヤミン『図説 写真小史』ちくま学芸文庫、1998
多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波現代文庫、2000
荒俣宏『図像学入門―目玉の思想と美学』 集英社文庫、1998
荒俣宏『図像観光:西洋近代版画を読む』朝日新聞社、1986
荒俣宏氏の画像関係の著作すべて
L.J.M.ダゲール『ダゲレオタイプ教本』中崎昌雄解説・訳、朝日ソノラマ、1998
ニューホール『写真の夜明け』朝日ソノラマ、1996
田中祐理子『科学と表象』名古屋大学出版会、2013
ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜 : 視覚空間の変容とモダニティ』以文社、2005
長谷正人・中村秀之編著『アンチスペクタクル:沸騰する映像文化の考古学』東京大学出版会、2003 バッチェン『写真のアルケオロジー』青弓社、2010
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、みすず書房、2013
トーマス・ラマール『アニメ・マシーン : グローバル・メディアとしての日本アニメーション』名古屋大学出版会、2013
デイヴィッド・ホックニー 『秘密の知識 : 巨匠も用いた知られざる技術の解明』青幻舎、2010
フィリップ・ステッドマン『フェルメールのカメラ : 光と空間の謎を解く』新曜社、2010
ジェンキンズ『フィルムとカメラの世界史:技術革新と企業』平凡社、 1998
北田暁大『広告都市・東京:その誕生と死』筑摩書房、2011
四方田犬彦『「かわいい」論』筑摩書房、2006
マクルーハン『メディア論』みすず書房、1987
東浩紀『動物化するポストモダン:オタクから見た日本社会』講談社、2001
スクリーチ『大江戸視覚革命』作品社、1998
パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』哲学書房、1993
次の紙も配布しました。
2017 表象文化の世界に触れる 101教室アクティブ・ラーニング:選択肢の追加
どういうものでもよい、画像を1点取り上げ、それについて解説することでもよい。A4 用紙1枚に次の4点を収めること。
1.画像そのもの
2.キャプション(何の画像かを記す)
3.ソース(典拠:その画像がどの本の何頁からとったものか、ウェブであれば、url ならびにどういうサイトからとったものか)を明示
4.コメント(選んだ理由、惹かれた理由、等)
期末レポート
上のアクティブ・ラーニングの選択肢の追加にあわせて、期末レポートに関しても選択肢を追加する。すなわち、画像文化史/画像文化論・映像文化論/映像文化史のテーマを選んでもよい。上のアクティブ・ラーニングを発展させた形でもよい。
アクティブラーニングの選択肢は、学生たちには新しい種類の課題です。例示を1点渡しました。「最初の統計グラフ」です。キャプションは次。
統計グラフの最初:スコットランド生まれの技師兼統計学者プレイフェア(William Playfair, 1759-1823) が日本語では「棒グラフ、折れ線グラフ、円グラフ等」(英語では、line graph, bar chart, circle graph, pie chart etc.) と呼ばれる統計グラフを発明したと言われる。
上のグラフは,The Commercial and Political Atlas (1786), plate 5 より。 横軸に1700年から1800年までの時間軸を取り、縦軸に英国と北アメリカ植民地とのあいだの輸出額と輸入額を取り、今の言葉を使えば1770年代後半における貿易収支の劇的な逆転を見事に示している。
ちなみに、プレイフェアは、この「グラフ」を「チャート」と呼んでいて、「グラフ」とは呼んでいない。
こうしたプレイフェアのグラフ(チャート)は、数値的関係の図表示(graphical display)の革命であったが、同時代にはその重要性が認知されず、彼は1823年貧困のなか亡くなった。19世紀後半になって、グラフの重要性は、統計学だけではなく、自然科学的分野の全般にわたり認識され、数値的認識、科学的認識の必要不可欠の道具として広く使われるようになった。なお、「グラフ」(graph)という用語を最初に使ったのは、数学者のジェームズ・ジョセフ・シルベスター(James Joseph Sylvester, 1814-1897) であり、1878年のことであった。シルベスターは、最初、複合体をつくる化学元素の関係を示すため「グラフィック・フォーミュラ」を用い、ついでその形式を数学に応用した。その際に「グラフ」という言葉を使ったのである。
ひとりで4時10分、室温15.3度。午後に会議。始まる時刻は昨日と同じですが、ずっとつまっています。そして、たぶん、おわりはもっと遅くなると予想されます。
9時54分武蔵境発の西武線。昨日と同じく、1時40分から会議。この会議は30分で終わりました。
次の会議は、3時10分から。こちらも30分以内に終了しました。
その次の会議は4時から。5時半過ぎに終わりましたが、急遽別の会議が入り、5時50分前まで。6時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで5時10分、室温15.5度。午後に会議。
10時半武蔵境発の西武線。1時40分から会議。これは短くすみました。2時前には終わったと思います。
次の会議は予定を30分繰り上げ、4時から。紛糾して、6時45分ぐらいまで。7時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。わずかに雨が降っていましたが、傘はさしませんでした。
ひとりで4時、室温14.7度。午後に授業。3限4限5限と大学院。
9時18分武蔵境発の西武線。
まず図書館。本を返してから、新しい『思想』の論文を2点読みました。
加藤聡「科学事典の誕生と編纂―― ジョン・ハリス『レクシコン・テクニクム』(1704年)と王立協会をめぐって」『思想』2017年11月号(No. 1123): 78-95
もう一つは、アメリカのショッピングモール・ショッピングセンターの衰退に関するものです。こちらは非常に面白いものでした。矢作 弘「ショッピングセンター葬送の鐘が鳴る ―― 郊外の「変容」に,アメリカ例外主義の衰亡を読む」『思想』2017年11月号(No. 1123): 55-77それから生協ですこし買い物。
3限から授業。大学院のゼミが2コマ。
5限は227教室。5時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰り着いてしばらくしてから雨。突然の雨。予報では雨ではなかったと思いますが、けっこうしっかりとした雨が降ってきました。
ひとりで6時、室温15.4度。ちいさいちびが早めの昼食のあと、友達といっしょに吉祥寺に買い物にでかけました。冬物一式(セーター、マフラー、手袋、あたたかい靴下)とローファーを買うと言っています。自転車で行きました。
夕方の7時と8時のあいだに帰ってきました。ローファーはまたにするそうです。それに今度は、リュックも欲しくなったそうです。リュックは、クリスマスプレゼントにしようかなと言っていました。
ひとりで5時55分、室温16.3度。またすこし室温が上がりました。土日は、木曜日の講義の準備をしていようと思います。妻は、ずっと高校のPTA の仕事。ちいさいちびは雨が降らなければ午前練。
ひとりで5時45分、室温14.8度。昨日からかなり下がりました。土曜日の編集委員会の宿題をすこしずつこなしています。100%には達していませんが、ある程度進めることができました。雑誌の編集に関しては、4号のゲラを返却し、表を印刷所に送りました。
午後に駒場。
3時から橋本科研の打ち合わせがあります。2時45分ぐらいに駒場に着きました。判子を押してから、図書館へ。写真史関係の書物を確認していました。
数分遅れて橋本研究室へ。内モンゴル出身の数学史家の博士論文の出版物を棚から取り出してみていました。橋本さんが序文を書いたそうです。内モンゴルの大学に中国数学史の拠点があるそうです。まったく知りませんでした。
しばらくして河野さんがお見えになったので、打ち合わせ。私は4時50分から授業。トム・ガニングの仕事を発表してもらいました。7時5分永福町で急行に乗り換え。このリズムが定着しました。
ひとりで4時30分、室温17.1度。もうすぐ冬なのに、暖かい日が続きます。明日はすこし気温が下がるようです。午後に授業。
家である程度仕事をしていました。早めのお昼ご飯を食べてから出かけました。10時54分武蔵境発の西武線。ちょうど11時に多磨駅。
事務棟4階に上がり、書類を提出。それから研究室へ。
しばらくして、研究所へ行ってスキャン。月曜日に USB メモリーに直接保存する仕方を教わっています。持参した USB メモリーに授業資料を保存しました。これは便利です。4限5限と学部の授業。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅すると次の2点が届いていました。
アントワーヌ・メイエ『ヨーロッパの言語』西山 教行訳、 岩波文庫、2017
Hermut Gernsheim, The Rise of Photography 1850-1880: The Age of Collodion, Thames and Hudson, 1988
やっと届きました。これは、Gernsheimの写真史の第2部です。
Helmut と Alison のGernsheim夫妻の写真史は、最初、オクスフォード大学出版会から1955年に出版され、1969年拡大新版としてテムズ&ハドソンから再出版された。『写真術の勃興1850-1880 :コロジオンの時代』は、その写真史の改訂第3版の第2部である、ということです。
なお、名前ですが、ドイツ語では、ふつうにゲルンスハイムでしょう。主に英語圏で活躍したので、英語読みが問題になります。ガーンズハイム、ゲルンシャイムというカタカナ表記が見つかります。
目次は次です。
The introduction of photography on glass
Photography become fashionable
Portrait photography - a new industry
Art photography
Stereoscopic photography
Instantaneous photography
News photography
The carte-de-visite period
Some famous portrait photographers
Mammoth and miniature photographs
The evelution of dry plates
Permanent photographs
夜半に目覚めてすこし仕事。ひとりで5時30分、室温17.3度。
久しぶりに会議のない水曜日。土日も仕事をしていたので、今日はのんびりします。
郵便局に2回行きました。それ以外は、スローライフ。
ひとりで4時20分、室温15.8度。→週間天気をみました。しばらく好天が続きます。明日は曇りですが、13日の月曜日まで雨マークはなく、ずっと晩秋の晴れが続くようです。会議の日。午前中に2つ、午後にひとつ。
今日の会議が終わったら、来週からはじまるリレー講義の内容をきちんと考え始めます。画像文化史で話すことは決まっていますが、もうすこし新しい内容を話すことができればいいかな、と思っています。8時6分武蔵境発の西武線。
メールボックスに次の本が届いていました。
大野誠『ワットとスティーヴンソン:産業革命の技術者』山川出版(世界史リブレット)、2018
大野さん、ご高配、ありがとうございます。研究所によってコピー、研究室にもどってスキャン。
9時から会議。9時55分過ぎまで。図書館に行って、次の本を受け取りました。
Thomas Elsaesser and Adam Barker (eds.), Early Cinema: Space, Frame, Narrative, British Film Inst, 1990
それから、3階に上がり、日曜日の鍵を返却。
そこから5階に上がり、学長室での会議。数分待ってから、中に入りました。11時半ぐらいまで。研究室に戻り、お弁当を食べて、一休み。
2時10分から会議。3時40分過ぎに終わりました。図書館に行って、次の本を受け取りました。
Janet Bergstrom (ed.), Endless night : cinema and psychoanalysis, parallel histories, Berkeley: University of California Press, 1999
Karen Beckman and Jean Ma (eds.), Still Moving: Between Cinema and Photography, Durham :Duke University Press, 20084時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。暑い。へんに気温が上がっています。コートもベストも脱いで帰ってきました。
ひとりで4時50分、室温15.4度。東京医科歯科大学で、一日中仕事。8時半集合、9時開始、5時半終了予定。もしかしたら、終了はもうすこし遅くなるかもしれません。
→はやめに家をでました。8時前に御茶ノ水駅に着きました。東京医科歯科大学構内のセブンイレブンでおにぎりを買ってから、会場へ。集合は8時半なので、まず、おにぎりを食べていました。
比較的長めのお昼休みがあります。お弁当を食べた後、本郷キャンパスまででかけました。本郷キャンパスの係の方に、昨日の会合で古川さんが忘れた、iPhone の充電器を尋ねました。午前中に古川さんから電話があり、きちんと封筒に入れて、保管してくれていました。古川さんは、小田急線沿線にお住いですし、勤め先は藤沢です。私が預かって、郵送することにしました。
天気もよかったし、時間もあったので、それからしばらく散歩をすることにしました。まず、本郷3丁目まで行ってみました。ちょうどお昼ご飯の時間です。けっこう食べもの屋さんがいっぱいありました。それからとってかえし、通りの向こう側に行ってみました。サッカーミュージアムがありましたが、月曜日で休館。
ぐるっと歩いて、医科歯科にすぐ接している喫茶店で一休み。昨日届いた、美馬 達哉『「病」のスペクタクル―生権力の政治学』(人文書院、2007)から、第6章「病者の光学―視覚化される脳」だけ読みました。よくまとまっていると思います。1冊の本となってもよいなと思いました。読み終わって、会場へ。全部終了して、6時前。医科歯科の教務の方が、傘を返してくれると前から言ってくれています。ずっと前(1年以上前)に会議のときに忘れたものです。迷路のような医科歯科のキャンパスを移動して、事務棟に行き、傘を受け取りました。今日は忘れ物を2点持ち帰ることになりました。
ちなみに、この傘は、2016.2.29(月)の医科歯科の運営委員会で忘れてきたものです。ホームページに記録しているので、こういうこともわかります。1年と半年ぶりに戻ってきたことになります。なかなかないことだと思います。朝でるとき、妻には、7時かなと言っていました。6時半には帰り着くことができました。
メールが数多く来ており、ともかく出来る範囲で返信しました。
ひとりで5時、室温16.6度。まだ冬の寒さではありません。モニターの白内障は、最初スリープから回復したときはなおっていたのですが、再起動したら復活しました。そういう状態が続きます。ちいさいちびは、昨日勝ったので、今日も公式戦。昨日より朝がはやい。妻はやはり応援に行くそうです。
おおきいちびは後輩たちの公式戦初戦。応援に行くと言っています。
午前10時、息子はひとりで散髪に向かいました。自分で行けるというので、お金だけ渡しました。およそ30分後、きれいに短くなって帰ってきました。しばらく前に、ママに前髪だけ切ってもらっています。キノコヘア(おかっぱ)になっていました。
午前中に次の2点が届きました。
美馬 達哉『「病」のスペクタクル―生権力の政治学』人文書院、2007
DVD 『極北の怪異(極北のナヌーク)』ロバート・J・フラハティ、1922年アメリカ。午後、本郷3丁目で編集委員会に理事会。
はやめに家をでて、御茶ノ水駅には、1時25分に着きました。7分程度で、本郷サテライトへ。教室をあけて、準備。手慣れてきました。いつも通り、田中さんが次に見えました。スカイプの準備。東京と名古屋地区の2箇所を繋ぎます。
編集委員会は、30分で終わり、20分休憩。3時から理事会。5時15分ぐらいまでかかりました。教室内を現状復帰して帰途。6時半頃帰り着きました。
ちいさいちびのチームは相手が強豪校で負けたそうです。ちいさいちびは疲れて睡眠中でした。おおきいちびの後輩達はやっと一勝したそうです。
ひとりで3時30分、室温18.6度。室温は季節に対して逆行しています。ほぼ半日後に、季節的業務。数は当たっていませんが、行く必要があります。
ちいさいちびは試合。午後の試合ですが、割とはやくに集合するようです。妻も午後応援に行くと言っています。
息子は散髪屋さんに行く約束になっています。→明日に変更になりました。
1時半、武蔵境発の西武線。研究所によって、コピー&スキャン。
仕事(季節的業務)は30分のみ。3時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで6時10分、室温17.4度。ちいさいちびは部活があります。お弁当をもってでかけます。私は、土、日、月と仕事が連続するので、今日はのんびり休みます。
ちいさいちびは8時10分に20分のバスに乗ると言って飛び出しました。朝学校で練習をしてから、午後、男子部の応援&次戦の偵察に行くそうです。帰りの便を考えて、自転車ではなく、バスで登校しました。おおきいちびは、学校で勉強すると言って、同じ時刻に自転車で飛び出しました。昼食後、散歩を兼ねて、買い出し。吉祥寺に行きました。まずヨドバシに行って、プリンターのトナー、B5 の紙、クリアーファイル、息子の漢字ノートを買いました。それから駅ビルにもどり、パンを買って、総武線。西荻のセイユーで妻に頼まれた食材を買って帰りました。なかなかの重さになっていました。
息子は2時40分、お友達のうちにゲームをしに行きました。
ひとりで4時55分、室温15.9度。午後に授業。
ワールドシリーズ最終戦、ダルビッシュがまた打たれて、ドジャーズが敗戦。
1時半武蔵境発の西武線。
まず、事務棟3階に上がり、施設管理係で日曜日の鍵を借りました。次に図書館に向かい、次の本を受け取りました。Marta Braun, Picturing Time: The Work of Etienne-Jules Marey (1830-1904), Chicago and London: University of Chicago Press, 19924限5限と学部の授業。
5時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。日本シリーズは、ヨコハマが接戦を制して、2勝を返しました。野球ファンは、4対0を望んでいないと思います。総合的戦力では、ソフトバンク優位にかわりはないので、福岡で決着がつくと思われます。
ひとりで5時10分、室温15.2度。すこし気温がもどしました。おお、もう、11月。
おお、小谷さん! 最近新聞はまんなかから読んでいます。いつもそんなにしっかり読むわけではありません。しかし、今日は、左下に小谷さんの姿が。コスプレの先駆者としてインタビューを受けられていました。
午後、会議が3つ連続します。
9時半武蔵境発の西武線。
まず、図書館、次の本を受け取りました。Dai Vaughan, For Documentary: Twelve Essays, U California Pr., 199912時40分から会議。
最後の会議は5時半過ぎに終わりました。5時40分多磨駅発の電車に乗って帰ってきました。
新しい『科学史研究』が届いていました。チェルノブイリと福島に関するシンポジウムの特集化は、授業で使おうと思っています。
【小特集 原発事故後の放射線健康影響問題--チェルノブイリと福島】
・序論……柿原 泰
・チェルノブイリ事故と福島事故--事故の経過と放射能汚染の比較……今中哲二
・原発事故後の長期放射線防護対策とIAEA……吉田由布子
・放射能汚染地域への帰還政策はいかに決定されたか --低線量被曝健康影響の科学と政治をめぐって……藤岡 毅
・東京電力福島第一原発事故による小児甲状腺がんの多発……山内知也
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