ひとりで5時、室温28.4度。おお、8月も終わり。ちいさいちびは午前練。昨日の夜、夏休みが終わる、やだー、と言っていました。
おおきいちびは友達と昼食と言って、10時半頃でかけました。その後バイトに行くので帰るのは、11時前になるそうです。
妻と中学生は、期限切れの迫っている中学生のパスポートの更新のため、12時過ぎに出かけました。駅前のいつものラーメン屋でお昼ご飯を食べてから、立川に行くということです。申請そのものは、すぐなので、2時頃には帰ってくるでしょう。
妻と中学生は2時過ぎに帰ってきました。私は、おおきいちびの自転車で、近所のコンビニにより、お金を降ろしてから、ガード下のスーパーへ。キャベツ、タマネギ、カルピス、アイスクリームを買ってすぐに帰りました。ちょうど西の空で雷鳴と雷光。帰り着く頃、大粒の雨。地面がすこし濡れる程度の、短い雨でした。
ちょうどよいので、昨日入手したばかりの、ローレンス・M. プリンシーペ『錬金術の秘密』ヒロ・ヒライ訳、勁草書房、2018 を読むことにしました。午後は家にひとりになったので、台所のテーブルで読みました。3時48分、読了。
錬金術の歴史に関しては、これまで、よい入門書に欠けていました。これは、ここ何十年かの研究成果を消化・吸収し、集中すれば半日程度でよめる長さにまとめあげた最良の入門書です。
錬金術に関心を持つ方は、この書を最初に手にとるべきです。
錬金術にはとくに関心がないという方も、科学史に関心があるのであれば、あるいは近代の歴史に関心があるのであれば、通読して、けっして後悔しない種類の本です。
多くの読者に迎えられんことを!
ひとりで3時50分、室温28.3度。予報を見ると、今日明日に猛暑マーク。今日の最高気温が35度、明日が37度。え、37度!!
まあ、しかし、今日と明日を我慢して、9月に入れば、涼しくなるようです。土日には雨マーク。今日と明日は予定がありません。土曜日から怒濤の1週間が始まります。土曜日は、大学の季節的業務。以前と比べると驚くほど回数が増えました。日曜日は、編集委員会&理事会。月曜日から水曜日は、昼間に会議、夕刻に集中講義、そして、木曜日は集中講義の最終日です。
朝のうちにMMA の集中講義の準備にとりかかりました。配付資料を確認し、アップデートします。授業は授業なので、成績評価も必要です。でたらめにつけるわけにいきませんから、材料となる形式がいります。(ここのところは、ずっと、毎回のコメントシートと最終レポートという形を採用しています。昔は、試験をやっていた時期もあります。採点の労力という点では、試験の方がずっと楽です。)
今のところ、登録者数は23名。(もと、25名だったのが、2名履修を取り消しています。)1時18分武蔵境発の西武線。図書館に直行して、次の本を受け取りました。
ローレンス・M. プリンシーペ『錬金術の秘密:再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」』ヒロ・ヒライ訳、勁草書房、2018
その足で、メールボックス。編集委員会宛に献本されていました。ヒロ・ヒロイさん、ご高配、ありがとうございます。
研究室でわずかに仕事。訳者あとがきだけ、読みました。2時40分多摩駅発の電車で帰ってきました。35度ということで、覚悟していたほどの暑さではありませんでした。すこし曇っていて、風が吹いています。以前の35度よりいくらかましでした。
ひとりで3時40分、室温27.4度。昨日とおなじぐらいの曇り空。ちいさいちびは午前練。私は午前中に3号の出張校正。
9時頃家をでました。隠岐さんの『文系と理系はなぜ分かれたのか』を読もうと思い、総武線で行きました。10時5分前ぐらいに印刷所に到着。
2校が終わっています。最終校正は、10分強で終わりました。それから、取って返して、大学へ。11時半武蔵境発の西武線。西武線に乗車中に隠岐さんの本を読み終わりました。
事務棟3階で日曜日の会議のため、サテライトの鍵を借り出しました。それから図書館へ。事務の入り口から入り、次の本を受け取りました。
大槻真一郎『西欧中世宝石誌の世界』澤元亙編、八坂書房、2018
大槻さんは死去されています。澤元さんによる編集本です。それから生協で昼食。昼食後、購買部でおやつをすこし買ってから、研究室へ。ほんのわずかに連絡の仕事をして、帰途。12時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
静かな環境で、昨日届いたゲラを集中して読みました。作文は残っているのですが、だいたいの目処をつけることはできました。
明白な宿題は、300字のリード文(第2章)とより鮮明な画像(シュタール)です。
ひとりで3時50分、室温28.4度。昨日の雨がわずかに空気を冷ましてくれたようです。予報を見ると、本日はずっと曇りで、最低気温24度、最高気温30度。ちいさいちびと中学生は練習。それぞれ、8時前に起こします。
午前中にゲラ原稿が届きました。9月13日が締切とあります。短いものですが、作文も求められています。
中学生は12時過ぎ、ちいさいちびは2時をまわってから帰ってきました。ちいさいちびは疲れているようです。昼食後、ソファーベッドの上でスマホを見ているかと思ったら、寝ていました。6時50分まで。
形の扱いにおけるプラトン主義。
ボイル全集では、索引によれば2箇所。
『有用性II』(1671)、NewRBW, 6, p.446 「数学の自然哲学に対する有用性」の節のなか。
聖書、「ソロモンの智恵」II, 20 God made all things in Number, Weight, and Measure
『有用性II』(1671)、NewRBW, 6, p.463 「機械学的諸学mechanical disciplinesの自然哲学に対する有用性」の節のなか.
"For as Plato said, God does always Geometrize."
Editor's note b) The reference cannot be located, but in Plato, Gorgias, 508a, the divine nature of geometric proportion is discussed.
→というふうに新しいボイル全集の編者注は述べますが、よく見る言葉なので、ネットで検索をかけてみると、プルタルコスがプラトンに関して言った言葉だそうです。今回私の探求の出発点となったケプラーも、プラトンの言葉としてこの言葉を引用していますから、初期近代にはよく知られていた言葉だと思われます。坂本君が Methusen, Kepler's Tubingen (Routledge, 1998), p.82 からメランヒトンの Deum semper geometrein[Greek] を引用しています。メランヒトンにもおなじみだったわけです。上の聖書、「ソロモンの智恵」ですが、これも坂本君のブログに記事がありました。旧約聖書続編「知恵の書」第11章第20節。「しかしあなたは、長さや、数や、重さにおいてすべてに均衡が取られるよう計らわれた。」(新共同訳)。
古い用語では、聖書外典「ソロモンの知恵」「神は万物を数と重さと尺度とにしたがって創造された。」
ボイルの引用にあるように、初期近代では、こちらの解釈が一般的だったように思われます。エマートンの読み直しを続行中。序文によれば、「この著作は、鉱物学研究をしていて、アユイとロメドリール(Jean-Baptiste-Louis Romé de l'Isle, 1736-90:ステノの面角一定の法則を確認し、さらにその角度が物質に固有のものであることを発見した人物)の仕事に関心をもったことに始まり、アユイとロメドリールの思想の源泉を探求しようとした結果である。」ということです。エマートンの背景にある、もともとの関心は結晶学の起源のアイディアということになります。
今のテーマだと、Frank Dawson Adams, The Birth and Development of the Geological Sciences, 1938; Dawson, 1954 もみておくのがよいだろうと思い、本棚から引っ張りだしました。図版に注目します。
p. 128 Fig.25. Columns of Basalt. (From Gesner, De Rerum Fossilium...figuris)
pp. 180-1 は2頁丸々を図版にあてています。From Gesner, De Rerum Fossilium, Lapidium, et Gemmarum maximè, figuris et similitudinibus liver, Tiguri, 1565 から、fig. 31- fig. 42 を抜きだしています。
Fig. 31. Class 1. 幾何学的図形 パイライト
ということで、Conrad Gesner, De Rerum Fossilium, Lapidium, et Gemmarum maximè, figuris et similitudinibus liver, Tiguri, 1565 をダウンロードし、どういう図版が収められているのか確認しました。タイトルから予想される通り、この時代のこの種の書物としては、ずいぶん図版を載せています。ただし、多くは、化石です。地中から掘り出されて、形態の珍しいものとして、載せられていると思われます。
ひとりで5時30分、室温29.5度。昨日に続き、最高気温が37度の予報。おお、ハンパナイ!夜は雨マーク。ちいさいちびは、ともだちとプールに行くと言っています。→7時に起こしに行きました。7時半に起きて、8時半前にでかけました。
午前中にアマゾンに予約注文していた隠岐さんの本が届きました。
隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海新書、2018
→でかけるとき、この本をカバンに入れ、電車のなかで読んでいました。2時18分武蔵境発の西武線。入試課に直行。書類を受け取りました。それから教務課。担当者は不在でしたが、同じ席の方が当該書類を探し出してくれました。署名と押印。
研究室でほんのすこしだけ作業。3時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。電車を待っているあいだに、にわか雨。その後も降ったり止んだりのにわか雨。私は傘をさしませんでしたが、おおきいちびと妻が歯医者さんにでかけるときには、割と強い雨足の雨。午後8時を過ぎてから、雷光と雷鳴と非常に強い雨。積乱雲が住んでいる場所の上に来たようです。30分以上、続きました。外にいたらかなり怖かったでしょう。世田谷区では110ミリを超える雨が降り、東京の各所で停電があったようです。ちいさいちびは早めに帰ってきてよかったと言っていました。
雨の前後で、もらってきた書類のチェック。
来週から、MMA の授業。月曜日、火曜日、水曜日、木曜日と4日連続します。午後6時から9時10分まで。夕刻に2コマ。医科歯科の教務の方が、きちんと連絡をくれました。
ひとりで5時30分、室温29.3度。最高気温が37度の予報。おお、ハンパナイ!中学生は研修大会。短い試合を何回か繰り返す形式のようです。7時半に出かけていきました。妻は応援に9過ぎででかけました。
ちいさいちびは試合見学。決勝戦だそうです。こちらは9時半前に出かけました。
ひとりで4時40分、室温28.3度。今日も最高気温35度の予報。よく晴れています。中学生は女子の大会の応援。6時半に起きて、おにぎりをママにつくってもらい、7時15分にでかけました。おおきいちびはOB OG 戦(?)。→9時半現在、ちびどもはどちらも起きてきません。→ちいさいちびは10時過ぎにばたばたと下に降りてきて、10時半前ぐらいに急いで自転車ででかけました。
今の研究に関係するとふとひらめき、『形相と質の起源』(朝日出版社、1989)の赤平清蔵氏の解説を読み直しています。赤平さんは、序を「一七世紀粒子論の特性―概念の視覚化」として、ウィリーの『十七世紀の思想風土』(創文社、1972)の次の言葉を引用するところからはじめます。
「・・・スコラ哲学は、世界を《知性的に不可視》のままにしておいたとグランヴィルは言う。だが、これまで見てきたように、グランヴィル時代の努力は、まさしく機械的模型の方式により《自然》の秘められた過程を視覚化することであった。・・・ スコラ学派が秘められ或いは《目に見えぬ》まま止めて満足していたことを《見える》ようにする知的な図解を準備しなければならない。《デモクリトスとエピクロスの一層すぐれた仮説》の復活とガリレオの仕事は、極めて多くの現象を原子の機械論的相関係の結果として図式化することを可能にしている。」(ウィリーp.223)
そして、赤平さんは次のように断言されます。
粒子哲学の最大の長所は、現象の過程に機械論モデルを提供し、その内的機構について、粒子の言語で語らしめるところにある。換言すれば、現象の推移を粒子構造の図式(シェーマ)をもちいて目に見えるように描き出す点にあると言える。」(p.xiv)
次のページでも次のように述べています。
「粒子論の最大の特長の一つは、不可視のものを可視化するシェーマを提示したことである、と言えよう。これこそ粒子論が単純で理解しやすいと、当時広く受け入れられた最大の理由ではなかろうか。」(p.xx)
さらに先のページで次のように表現する。
ルクレティウスが原子の運動を空中を乱舞する微塵に比擬したように、ボイルも粒子の存在の根拠をすべて感覚的事実に基づくアナロジーに依拠している。もともと粒子論自体が視覚性の強い仮説なのである。ガストン・バシュラールの『原子と直観』で「原子論は何よりまず視覚的インスピレーションの学説である」といっているのは、真実の一面を穿っている。」(p.lvi)
また、顕微鏡の影響にも触れる。
OU科学史から次の言葉を引用している。 「顕微鏡の最初の流行の時期(1600-85)は、機械論哲学の勝利の時期と重なっている。」我々の今回の関心は、こうしたモデル=メンタル・イメージよりも、むしろ、現実の図像表示、挿画に向けられている。現実の画像利用、図像表示ということでは、デカルトが最大だと言えよう。
ガッサンディもボイルも、そうした図像・画像はほとんど用いていない。Nehemiah Grew, The Anatomy of Plants, 2d edition, London, 1682
図の点では、グルーの『植物の解剖』(第二版、ロンドン、1682)の巻末にまとめられている図がすばらしい。植物の解剖図もそうですが、鉱物の結晶型が掲載されています。夕刻、次の雑誌が届きました。
『日経サイエンス2018年10月号』
特集が2つ。「巨大ブラックホール爆誕」。もうひとつが「科学の原点『プリンキピア』徹底解説」。
2番目の特集は、目次では、「科学書に見る知の源流」とされ、山口敦史「「プリンキピア」を読み解く」p.42. 「科学はいかに生まれたか」語り:坂本邦暢/山本貴光/D.ドイチェ, p.51 となっています。
ひとりで7時、室温28.4度。台風は日本海側に抜けたようです。東京は曇りで小雨が降っています。微妙な天気です。ちいさいちびは部活。ミーティングと言っています。 →小雨が降っていましたが、自転車ででかけました。帰りは、たぶん、雨の心配はないでしょう。ネットをブラウジングしていたら、なんと、「東京工業大学の多久和理実先生」がNHK の番組「チコちゃんに叱られる」に出演されていました。虹はどうして7色か、という疑問に答える回です。自然現象(虹の7色)と音楽(レミファソラシドレ)の調和という説明です。「チコちゃんに叱られる」はたまに見ます。よくできていて、おもしろい番組です。
図書館から本が届いたという連絡があったので、とってくることにしました。
4時半、武蔵境発の西武線。図書館に直行。次の2冊を受け取りました。
Ad Stijman, Engraving and Etching, 1400-2000, Archetype Books, 2012
アン・ブレア『情報爆発:初期近代ヨーロッパの情報管理術』住本規子・廣田篤彦・正岡和恵訳、中央公論新社、2018
最初のものは、楠川さんに教えてもらったこの分野の基本書です。
2番目のものは、帰りの電車で訳者あとがき(住本規子)だけ読み通しました。図書館の次にメールボックスに行くと、隠岐さんが新著を送ってくれていました。隠岐さん、ありがとうございます。
隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海新書、2018研究室でほんのわずかに仕事。5時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。風が吹くので、すこしだけ暑さが和らいでいる気がします。
ひとりで6時5分、室温28.3度。息子は部活。午前中です。ちいさいちびはさすがにオフということです。昨夜からよく寝ています。→よほど疲れたのでしょう、中学生もおおきいちびもでかけたのに、9時半現在まだよく寝ています。→10時をずっと過ぎてから起きてきて、まず、風呂。そしてお昼になってゆっくりご飯。いつもの量を食べることはできませんでした。
2時半、カラオケに行くといってママといっしょにカラオケに行きました。3時間歌うそうです。したがって、夕ご飯のカレーをつくるのは、私の役目となりました。
そして、6時前に帰ってきました。シェキウスの形成論を知るため、次の論文を読みました。
ヒロ・ヒライ「霊魂はどこからくるのか? 西欧ルネサンス期における医学論争」『知のミクロコスモス』(ヒロ・ヒライ、小澤実編、中央公論新社、2014): 280-304
シェキウス『種子の形成力について』 Jacob Schegk, De plastica seminis facultate, 1580
ゼンネルトやコメニウスに知られる。また、ハーヴィが胎児形成における「形成力 vis plastica」という考えを展開する際に利用。キルヒャーは、この理論を鉱物や化石の形成にまで応用。また、モアやカドワースは、「形成力」のアイディアを「形成的自然」の理論へと発展させる。
すべての自然物にそなわる驚嘆すべき諸力のなかで形成力がいちばん注目に値する。形成力は、種子のなかのかたちのない materia から、規則的な形状や大きさ、配置をもつ生物の身体の各部分をつくりあげる。形成力は、causa instrumentalis であり、理性的ではあるが、知性的ではない原理である。
この考えに対するゼンネルトの対応。Hypomnemata physica, 1636
ゼンネルトによれば、種子的な形成力とは種子に宿る霊魂そのものであった。
「形成する原理は霊魂そのものであり、それによって種子は生命を与えられているし、一定の種に属する。」
種子の狭い意味では、それは「非常に精妙な実体、つまり精気であり、そのなかに霊魂と形成力が直接的に宿っており、自分が分離してきたところのイデアを内包している。」
ひとりで5時5分、室温28.0度。ちいさいちびは公式戦。新しいチームでは最初の公式戦です。妻は補給係だそうです。
ちいさいちびは7時10分にでかけました。妻は1時間すこしあと。
おおきいちびは友達4人と会うと言って、10時半頃出かけていきました。その後バイトに行くので、帰りは、午後10時と11時のあいだだそうです。
中学生は残りの宿題。2日間睡眠不足が続き、ねむい、ねむい、と言っています。今日は外出しないそうです。妻は4時を過ぎてから帰ってきました。頑張っていたそうですが、敗退。ちいさいちびは男子の試合を応援してから帰ってくるので、6時を過ぎるということでした。→友達と話をしていたのでしょうか、実際に帰ってきたのは午後8時を過ぎていました。早速お腹が空いたといって夕食を食べていましたが、途中でおなかが痛いとトイレにかけこみ、でてきたら気分が悪いといってソファーに横になりました。熱をはかると36.9度という微妙な数字。体温に近い(もしかしたら超えていたかもしれません)グラウンドで丸井一日いたことになるので、軽い熱中症ではないかと判断しました。冷えピタで身体の何カ所かを冷やしつつ、そのまま寝させることにしました。
出張校正の日程が決まりました。来週の水曜日の午前10時。
ひとりで4時55分、室温27.1度。かなり蒸し暑さが舞い戻ってきました。→お昼にむかうにつれ、晴れてきて、気温も上がってきました。35度とかにはならないでしょうが、秋の涼しさは去った感じがします。中学生とちいさいちびは8時。部活があります。中学生は、睡眠時間を短くして頑張ったのに、昨日までに宿題が終わらなかったので、半分、泣きべそをかきながらでかけました。こういう正確は、小さい頃のおねえちゃんにそっくりです。おねえちゃんは、中学校、高校と部活でいろいろあって、そういう部分は乗り越えた気がします。
夕刻に会議(ヒアリング)。
3時半武蔵境発の西武線。
図書館。次の3冊を受け取りました。
山田弘明『デカルトと哲学書簡』知泉書房、2018
相馬伸一『コメニウスの旅 <生ける印刷術>の四世紀』九州大学出版会、2018
Christopher Hammond, The Basics of Crystallography and Diffraction, Fourth Edition, Oxford, 2015
4時半からのヒアリングは、順調に進行。5時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
夜、次の雑誌が届きました。
『すぐわかる!ビジュアル化学―イラストで見る,原子・分子・結晶・高分子』(ニュートンムック Newton別冊) ムック - 2012/12/27
ひとりで5時25分、室温25.0度。まだ涼しい。曇り。→6時半頃雨。すぐに止みましたが、今日は、こういう天気になりそうです。月、火、水と大学にでます。火、と、水、は会議。
9時半武蔵境発の西武線。まず、事務棟3階。土曜日の鍵を返却しました。それから研究室。メールは56通。対応すべきは1通のみでした。
1時間ほど、片づけと調べものをしてから、生協へ。届いていた品物を受け取りに行きました。再び、研究室に戻り、捜し物を調べもの。11時半過ぎにカバンをもって生協食堂へ。多くはありませんが、一定数の方が昼食に来ています。昼食後、生協購買部で、『中央公論』の最新号とおやつを買ってから帰途。
12時4分多磨駅発の西武線に乗りました。気温は上がっていませんが、湿度が上がっています。爽やかな秋の空気というわけではなくなりました。土曜日に行った編集委員会の宿題をほぼこなすことができました。あとは、私の方から出したメールに返事が来れば、宿題は完了となります。時期が時期ですから、なかなか返信をくれない方もいます。
こどもたちは全員宿題に取り組んでいます。中学生によれば、先生に20日までに終わらせるように言われたのだそうです。ちいさいちびは学校生活でいろいろあり、滞っていましたが、すこしはこなさないとという気持ちになったようです。おおきいちびは、おばあちゃんちに帰る前からの課題です。
夜半に目覚め、すこし仕事。金曜日に日本列島にやってきた涼しい空気ですが、本日もまだいてくれるようです。ひとりで6時45分、室温24.0度。晴れ。
昨日ダウンロードした『ゲンロンβ28』から、ずっと読んでいる大山顕さんの「スマホの写真論 第16回 家族写真のゆくえ」と小松理虔さんの【刊行記念特別先行掲載】『新復興論』「はじめに」全文公開 を読みました。
中学生は、昨日の午後から宿題に集中しています。誰かに8月20日までに終わらせるよう指示されたそうです。ちいさいちびは、仲のよい友達と遊ぶそうです。いつでかけるのかは不明。おおきいちびはママといっしょに服を買いに行くそうです。こちらは午前中にでかけると言っています。→ちいさいちびは10時半ごろでかけました。鎌倉に行くそうです。おおきいちびは、ララポートに行くそうですが、おおさわか千葉かで迷っています。駅に着くまでに決めればよいとちいさいちびの10分後ぐらいに送り出しました。
ちいさいちびは、7時15分頃、おおきいちびと妻は、その10分後、帰ってきました。ちいさいちびは、レトルトのカレー、飲み物、サンドウィッチを買ってきていました。カレーとカルピスを用意してやりました。テレビを見ながら、夕食。鎌倉の海で泥団子をつくったそうです。そうこうしているうちに、おおきいちびと妻がディング・ドング。
夜半に目覚め、すこし仕事。具体的には、本日午後遅く開かれる臨時の編集委員会の準備を進めました。
午後、本郷サテライトで、化学史研修講演会という会合があり、それが終了後、行います。ひとりで6時半、室温23.6度。すがすがしい朝です。最高気温も28度予想です。猛暑に耐えていた身体にひとやすみ。
化学史研修講演会にははじめての方が大勢見えます。12時半には会場をあけておくと伝えましたが、念のため、40分前に会場に着きました。なんと、3人の方が入り口でお待ちです。最初の講演者の方、研修講演会担当者、それに山口さん。
鍵をもっているのは私のみです。すぐに入室の手配をしました。
山口さんに本郷サテライトのビルはいつできたのか尋ねられました。知りません。考えたことがなかった質問です。知りません、としか答えられませんでした。
本郷サテライトの3階ははじめて使います。まったく教室です。前にAV卓があります。機器は、平成13年設置で、それ以降更新されていません。つまり、ちょっと古い。新しいウィンドーズをお持ちになった最初の講演者の方のノートパソコンには接続できる端子がありませんでした。しばらくしてからお見えになった田中事務局長のマックを借りて、プロジェクターから投影しました。ちょっと光が弱いのですが、機器が古いので仕方ありません。教室を暗くすることで対応しました。
教室のキャパに対して、ちょうどよいぐらいの人数が来てくれました。20人前後でしょうか。講演者はおふたり。なかなか有意義で面白いものでした。
すこしずつのびて、全体では予定より15分遅れて、終了。5時から臨時の編集委員会。名古屋地区(名古屋と三重)ともスカイプ接続ができ、講演会の片づけが完了するのを待って、開始。5分前にはじめることができました。30分程度で終了。6時過ぎに帰宅することができました。
[帰京]
ひとりで5時20分。ずっと寝たり起きたりしていた母が帰りのお弁当作りを作ってくれています。昨夜かなり強く降った雨は上がっています。薄曇りの腫れ。また台風が接近しているということで、雨は降ったり止んだり。ずっとこういう天気でした。電車は次:南部8時39分発 くろしお12号 新大阪着10時50分
新大阪発11時10分発 のぞみ330号 東京13時43分着本日なによりたすかるのは、涼しいことです。南部駅でくろしお号を待っているとき、おおきいちびは、秋の運動会のときの天気だと言っていました。まさに、そういう感じです。
くろしおは数分遅れました。大阪市内にはいって、環状線の遅れにより、遅れたそうです。乗り換えに20分をとっていました。新幹線ホームにはいったあと、ちょっとしたお土産とおおきいちび&中学生のおやつを買う時間がありました。
新幹線に乗り込んで、すぐに昼食。おばあちゃんがおにぎりをつくってくれています。それにこどもたちは、さっき買ったおやつも食べていました。2時35分頃帰宅。
荷物の片づけをしたあと、私は、rimnet のメールアドレスに来ていた70通近いメールへの対応に追われました。持ち帰ったマックブックエアーは、たぶん私がきちんと設定できていないせいで、rimnet のメールの受け取りに困難があります。東京にいるときにはそれでも半分ぐらいの確率で受け取ることができていたのですが、今回の wifi 環境ではまったく受信できていませんでした。ほぼいいかなと思ったところで、切れていたアイスクリームとおつまみの買い出し。ちいさいちびは、おつまみが好きです。甘いものより、おつまみがよいということです。妻も同意。
充電していた wifi の機器の充電がすんでいるのを確認してから、パッケージにいれて、ポストに返却。買い出しのときは歩きましたが、今回は、ちいさいちびの自転車を借りました。
9時前、いいようのない疲れと眠気がおそってきて、9時過ぎに就寝。おおきいちびがバイトからかえってきたときは、ぼんやりと覚えています。
[帰省4日目:鮎釣り]
ひとりで6日25分。母が風邪なので代理でお寺の施餓鬼供養。家族で参加したことはありますが、ひとりははじめてです。母にだいたいの様子を聞いて、母にもたされたお布施と数珠を手に、お寺に。お布施を事務の方に渡し、字(宮・荒堀)の人々が並んでいるところに行って、端っこに座っていました。念仏を唱え、焼香をするのが参拝者の仕事でした。最後に卒塔婆を渡されます。それを墓石のところに刺して、役割は終わり。同級生のじゅんちゃんが字の世話役のようなことをしていました。簡単に久しぶりに挨拶。田舎のひとはきほん車です。歩いて帰っていたのは、わずかでした。
鮎釣り雨天強行。正確には、雨雲レーダーを見て、到着するころには雨は上がっているという予想に基づき、現地に行きます。山のなかなので、実際は行ってみないとわかりません。
人がほぼいないだろうという予測に反して、朝方雨が降っていたにもかかわらず、それなりの人出。鮎釣り場の竿が余っていないかと思ったら、ちょうどひとり終わった人がいて、中学生はその人から竿を譲り受けて、鮎釣り開始。鮎が見えないと、最初のうちはずっと不調。2匹を釣った(かけた)時点で、おおきいちびに交代。おおきいちびはしばらく様子がわからなかったようですが、ふと、2匹を連続して釣り上げて、再び中学生に交代。一度、ざっと、にわか雨が降ってきました。けっこう大粒の雨でしたが、すぐに止みました。ラグビー部かアメフト部のお兄さんたちが数名でやってきて、わーわーいって、鮎を動かしてくれたおかげでしょうか、中学生は復調して、その後5匹を釣り上げました。しめて9匹。焼いてくれるおじさんのところにもっていって、おおきいちびに頼んでいたソーメンのテーブルへ。ソーメンはすぐに持ってきてくれました。鮎9匹は、ソーメンを食べ終わって、しばらくしてから、持ってきてくれました。中学生が3匹、残りは2匹ずつ。中学生は、頭以外は骨も全部食いました。きれいに食うようになりました。もうそろそろ帰ろうかという頃になって、おおきいちびが最初に頼んでいた天ぷら盛り合わせ2人前を持ってきてくれました。量としては、これでちょうどよいぐらいです。 たこおじさんが熊野古道の山登りの入り口の神社に連れて行ってくれました。小さな博物館がありました。見学に行くと、外人さん(西洋人)のグループが見えていました。たこおじさんによれば、熊野古道は、外人に人気があるのだそうです。日本人はあまりだそうです。
神社に参拝し、ほんの10メートルほど古道を歩いてみました。雨の日、この古道を歩いて上がるのは、ちょっとしんどいかな。中学生が、磯を気に入っています。磯、磯、というので、たこおじさんは次には、天神崎に連れて行ってくれました。昨日と同じぐ、ちょうど引き潮の時間帯。私は、波が砕けちる先端まで歩いて行きましたが、中学生は、磯にいる小動物を追いかけています。カニを捕まえることができるようになっています。石の下や隙間に潜むカニを捕まえていました。私が、嫁の皿、食用貝3匹、ヤドカリ2匹を渡すと、ヤドカリの殻を石で叩き潰し、なかのカニを引き出しました。うまく貝が砕けてくれたおかげで、なかのヤドカリが無傷で手に入れることができました。どうも、息子は、そのヤドカリがまた貝を見つけて、もぐりこむところを見たかったようです。短い時間では、さすがに無理だったようです。たぶん、気温は32~33度で、薄曇りでしたが、海にながくいると暑さがこたえます。おおきいちびははやめに車に退避。やはり、2時20分ごろ、磯をあがることにしました。息子は捕まえたカニを食べるつもりだったようですが、かわいそうだから逃がしてやろうよというと、わかったといって、7~8匹捕まえていたカニを逃がしてやっていました。
防波堤を上がって、車に。飲み物がずっと前に尽きていた息子に、途中のコンビニでカルピスを買ってやりました。まっすぐ帰り着いて、息子はすぐにシャワー。私も、息子の次にシャワー。
その間、たこおじさんに付き合って、おおきいちびが夕食の材料の買い出しに行ってくれました。こういうところはもうさすがに役立ちます。1日遅れの精霊流し。
夕刻、息子とふたりで、一日遅れ(多分)の送り火をし、母に言われて、河原に精霊流しに行きました。たこおじさんの車で、いつもの河原につくと、だーれもいない。やっている雰囲気はゼロです。仕方がないので、息子が線香だけそなえて、燃やす予定のものは持ち帰りました。帰宅後、母にその話をすると、母はさっそく仲のよい友人に電話。昨日だったそうです。
[2018年度帰省3日目]
息子といっしょに6時40分。息子は鼻血が出ていました。息子はよく鼻血が出ます。私も子供時代、とくに高校生のとき、よく鼻血が出ていました。
雨。夜半から雨。ときに強く降っています。台風が南から湿って空気を連れてきたようです。
鮎釣りを計画していましたが、ちょっと無理なようです。おおきいちびは雨を見て、再度就寝。睡眠を補うつもりの模様。
雨のすきまを見て、息子と墓参り。母がホオズキをそなえてきてほしいと言っています。7本持ってでかけました。埋葬している場所は、山の中腹。けっこう坂がきつい。息子は足が滑ると大騒ぎしながら、昇り降りしました。私も降りはすこしすべりそうな感じになりました。鮎釣りが中止になったので、午後、たこおじさんがどこかへ連れて行ってやると言っています。おおきいちびは温泉に行きたい、中学生は釣り以外はとくに行きたいところはない、でも、お土産は帰って帰りたい(誰にどういうお土産を買うかのリストは東京にいるときに作成し、持ってきています)、ということで、とりあえず、ロイヤルホテルに行くことにしました。
1時過ぎに出発して、小目津の海岸。潮は引いていました。「孤島」にわたり、磯遊び。中学生が喜んでいます。水たまりに残った小さな魚やヤドカリや貝を探して(おいかけては)喜んでいます。おおきいちびに調べさせると、干潮は、2時半ということです。たこおじさんをまたしていることですし、2時15分ごろ、まだまだ遊び足りなさそうにしている中学生を、そろそろ潮が満ちてくるから戻ろうと言って、駐車場まで戻りました。
車で坂を上がって、ホテル。先にお土産物を買うことにしました。妻に頼まれた分と中学生が友達に買って帰るといっている分を買うことができました。
おおきいちびだけ入浴券を買って、浴場へ。2時45分。浴場はなんと3時オープンでした。浴場前の小さなゲームセンターも3時オープン。1階に戻り、椅子を探して、15分待つことにしました。私は、そこの場においていた旅行パンフの類を読んでいました。地元に人間は、その種の情報をよくは知りません。けっこういろいろ勉強になりました。
3時におおきいちびは浴場へ。中学生には、ゲームをやらせてやりました。数センチのちいさなぬいぐるみをとるUFO キャッチャーで中学生は、7体をゲット。もうすこしと思ったところで、そのマシーンがエラーを発しました。中学生が声をかけ、しばらく待っていると、係りの方が来てくれましたが、単純に100円を戻してくれて、そのマシーンを故障中にしてしまいました。息子の期待は、なおしてくれて、小さいパンダをとることでした。その方々にその技術はなく、致し方なし。
しばらくするとたこおじさんも見えて、ただただ待機。おおきいちびが出てくるのを待って、帰宅。
[2018年度帰省2日目]
ひとりで6時半。息子は6時40分に起きてきました。
今日はたこおじさんに釣りに連れて行ってもらいます。7時半に来てくれるそうです。
釣り堀のシステムが変わったそうです。実際は行ってみないとわかりません。
� 7時半すぎに出発し、途中のコンビニでお金を降ろしてから、8時過ぎに到着。もうすでにけっこうお客さんがいます。窓口にも数名以上待っていました。
アジとイサキの1時間限定釣り放題が2千円、大きい魚の買取り方式が竿代6百円あとは釣り上げた魚全部の買取。大きい魚のの方は待っているということで、アジ1時間限定釣り放題をまずは選択。中学生は、最初すぐに2匹釣り上げました。おねえちゃんに代わると、おねえちゃんもすぐに2匹釣り上げました。竿を中学生に戻すと、絶不調。1匹も釣り上げることができなくなりました。そのまま1時間経過。
大きな魚の釣り堀があいていてので、大きな魚の釣り堀にチャレンジ。お店の人は、入れ食い状態と言っていましたが、ほんとうにそうでした。すぐに鯛2匹、そして、その次にはシマアジ。買取方式の場合、これ以上釣ると、予算を大幅にオーバーします。3匹で4800円。竿代とあわせて5400円。アジの方は、竿代と餌代で2500円。しめて7900円です。
入れ食いの方で、9匹釣り上げたグループがいたそうです。万札が2枚必要になります。
血抜きをしてもらった釣果をクーラーボックスに入れて、帰途。10時20分ぐらいに帰り着きました。おおきいちびは暑い、腰が痛いと言っています。
写真撮影したあと、たくやどんがいつもの魚屋さんにつくり(お刺身)にさばいてもらいに行きました。田舎の魚屋さんにはこういう仕事もあります。
ということで、昼食は刺身。鯛2匹、縞鰺1匹を5人で完食しました。とくに縞鰺は強い弾力があって、甘みがあります。
おおきいちびの要望で、温泉。午後4時に鶴の湯にでかけました。おばあちゃんはまだ外出せず。熱は下がり、ある程度動けるようになりましたが、咳が残っています。テレビで言っていたこの夏流行っている咳に似ています。
息子は暑いお湯が苦手です。足湯でさえも熱がっていました。私は全身お風呂に浸かりますが、それでも数分。先に外にでて、待合室で待っていました。たこおじさん、おおきいちびの順に出てきました。5時前には帰宅。
ひとりで5時5分、室温28.3度。曇り。朝の新幹線で帰省します。私とおおきいちびと中学生の3人。田舎の母が風邪をひいているようです。行って、様子をみるしかありません。
[2018年度帰省]
電車は次:東京10時30分発 のぞみ25号 新大阪着13時3分
新大阪13時15分発 くろしお13号 南部着15時22分
9時に家をでて、10時前に東京駅に着きました。
地下に降りて、お土産を探しました。5点、購入。
ホームに着くと、目の前に蕎麦屋。息子がお腹が空いたというので、さっとそばを食べました。息子はたぬき蕎麦。私はきつね蕎麦。長女は列に並んでいてもらいました。
新大阪の乗り換えですが、のぞみから外にでると、むっとした暑さ。大阪はまるで熱帯のようです。
くろしお号まで乗り換えは、10分強。ささっと動きました。
南部について、大阪と同じように暑いかと思ったら、すこしましでした。
母(こどもたちのおばあちゃん)は、今日から少し動けるようになったそうです。風邪薬の影響で、耳がずいぶん聞こえなくなったそうです。しゃべるのは普通にしゃべっていますが、聞きとりが相当にできていません。
夕食は魚屋さんに刺身を頼んでいるそうです。たくやどんにとりにいってもらうときに、長女と私も車の後ろに乗って、オークワによってもらい、朝食とおやつと長女のお土産を買ってきました。
ひとりで4時50分、室温28.1度。曇り。予報によれば、今日は一日中曇り。夜になって俄雨が降るということです。8時半現在、まだ誰も起きてきません。朝起きる用事がだれにもない休日です。
中学生、おおきいちび、ちいさいちびの順に起きてきました。ちいさいちびで11時半頃。
ひとりで7時10分、室温29.4度。晴れ。おおきいちびは、友達の誕生会を開くと言って、朝のうちにでかけました。朝は安いのでカラオケ、お昼にランチ(どこかのお店を予約したそうです)、そして4時からバイトだということです。
中学生は午後吉祥寺に行って、自主練だそうです。みんな自転車で行くそうです。
ちいさいちびは、たぶん、お昼まで寝ているでしょう。→起きてきたとき、1時を大きく過ぎていました。
お昼過ぎ、おおきいちび、中学生といっしょに帰省するときのおとも、wifi レンタルの機器が届きました。
天気予報の通り、2時半ぐらいから雷鳴があり、雨が降り始めました。4時過ぎには上がりました。
ひとりで5時15分、室温28.0度。薄曇りの晴れ。鍵を借りるため、大学にでます。
9時42分武蔵境発の西武線。事務棟の玄関からシンドラー製のエレベーターで3階に上がり、鍵を借りました。
研究室に入り、もしかしたら、ケプラーの雪があったかもしれないと思い、探しました。『知の考古学』という今ではありえない雑誌の第11巻(1977)です。何となく場所を覚えていました。本棚の上部に横にして載せていて、取り出すのは一苦労でしたが、ありました。
ヨハネス・ケプラー「新年の贈り物あるいは六角形の雪について」(榎本恵美子訳)『知の考古学』11(1977), pp. 276-296
もとは、Johannes Kepler, Strenaaseu De Nive Sexangula, 1611
いきなり「エピクロスのアトム」に言及し、ついで、「諸元素から、つまりすべてのなかでもっとも小さいものからはじめることにいたしましょう。」
最初は、地。アルキメデスが芥子粒1個のなかかに1万個の塵をもっていたいうエピソードを引用します。
次に火。プラトンの角錐形に言及しています。
それから気(風と煙)、そして水。
ケプラーは、外的原因、内的原因をいろいろ探ったあと、結局、土がもつ形成能力に至ります。
「大地の形成能力はひとつの図形を偏愛するのではなく、幾何学全体に精通しており、それを巧みに使いこなします。」
最後に「金属学者[My:おそらく鉱物学者がもとの語だと想像される]および化学者らにより考察されるべきこと」として次のように述べる。「このように、この形成能力は異なった液体に応じて異なったものになるということもありうることです。硫酸塩においては菱形十二面体の形が多く、硝石にもそれ自身の形が存在します。従って化学者たちが、雪には塩のような何かが存在するかどうか、どんな種類の塩なのか、さもなくばどんな形をとるのか、を語ってくれるでしょう。」
簡単にまとめれば、土のなかの形成能力がまわりの液体に応じて、特有の幾何学形態を形成するという考えです。必要があって、Hooke, Micrographia のジョンソンリプリント版を持って帰ってきました。
古い見解を確かめてみようと思います。ウェブに、富阪武士「ルネサンス期から17世紀末までの鉱物科学の成立過程」『鉱物学雑誌』第19巻第4号(1990): 227-232 というのがありました。
p. 231 ステノ(N. Steno, 1638-1687)面角一定の法則、E. Bartholin(1625-1698)複屈折の現象を発見。同じ年(1669)。ここに結晶形態学と結晶物理学への門戸が開かれた。
D. Guglielmini (1665-1710) は結晶形態を粒子構造で説明しようとした最初の人であるが、彼は種々の結晶について、
岩塩は立方体、
硝石は六方柱と三方柱、
明礬は八面体、
緑礬は斜方六面体など、四種の目に見えない小片の堆積からなると考えた。
1665年フックは明礬の結晶が球状分子の積み重ねによってい形成されていると説明している。
依拠文献は、『ダンネマン』。→ 18.8.12 ボイルでは、figure of snowflakes 6.511; 12:530
figure of saltpeter 4.380 我々の目が見分けることができる海塩の最小の粒子は、(正確にというわけではないが)立方体(cubical figure)の形をしていて、この形は、(ガッサンディが正当にも賞賛する)いにしえのデモクリトスが冷の原子に与えたものであった。
4.381 そしてガッサンディによれば、硝石の粒子は、我々の感覚が知覚できる限りでは、冷を生み出すのにもっとも適した形をしているわけではない、なぜなら、冷原子は四面体またはピラミッド形でなければならないのに、良質の硝石が結晶するshoot 結晶体あるいは粒は、大きくても小さくても、底辺が6角形の角柱(斜方晶系)であることが多いから、なのです。
fgures of salt 5.362-8; 7.29-32
plastic power
generation of animals 10.172
generation of animals and plants 5.363
generation of birds 5.383-4
generation of metals 2.351
must act physically 5.383-4
and stubborn matter 10.500
tells nothing about how a phenomena is produces 8.108
whether present in deceased matter 8.302-3
plastic prinsiple
see also seminal principle
produces rock crystals 2.192-3
figure of snowflakes 6.511; 12.530
figure of snowflakes 6.511 ボイルの視野には、ケプラーの雪の論考(1611)も、オラウス・マグヌスの著作(1555)も入っていた。「ケプラーは、とても学識ある著者によって雪についての論考において、雪の6角形Sexangular figureの世界を認めた最初の人物だとされている。」
12.530 the star-like figure of many flakes of snow
→ 18.8.12 再度2次資料。Brian Ford, "The Hidden Secrets of Snowflakes," The Microscope, 62.4(2014): 171-181
Ford(), p.174 標準的な説明ではフックが雪の結晶をはじめて顕微鏡で成功裏に観察したとある。しかし、フックの有名な図は、オリジナルではなかった。フックは、バルトリンの著作から非道にも模写 copy したのだ。
観察13「小さなダイヤモンド」ケプラーやバルトリンのように、その構造を球の充填と捉えた。フックは図7を 緊密に充填された球(bullets or globulesとフックは呼んだ)として描き、結晶形態に関連づけた。
「先駆的科学者ロバート・フックは他人(とくにアイザック・ニュートン)が自分の著作を剽窃したと主張した。しかし、1665年に出版された彼の雪の結晶研究は、明らかにバルトリンの版画を剽窃している。フックはさらに、ケプラーの推測とバルトリンのアイディアをもちいて結晶構造を論じているが、どちらの名前も挙げていない。」(p.173)
バルトリンの著作は次。Thomas Bartholin, De Nivis Usu Medico Observationes variae. Accessit D. Erasmi Bartholini De Figura Nivis Dissertatio; cum Operum Authoris Catalogo, Hagniae: Petrus Haubold, 1661
この書物は、中心的には、トーマス・バルトリンのDe Nivis Usu Medico Observationes variae本文232頁と弟エラスムス・バルトリンのDe Figura Nivis Dissertatio本文42頁からなります。
エラスムス・バルトリン(1625-1698)は、De Figura Nivis Dissertatio, p.4 で先行研究を列挙しています。オラウス・マグヌス(1555)、ケプラー(1611)、デカルトの気象学第5論考を挙げています。1時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。また猛暑が舞い戻っています。中学生は練習から戻ってきていました。今は、中学の体育館が改修工事中なので、ずっとお世話になった小学校の体育館を借りています。
ちいさいちびは予定通り、9時過ぎに帰ってきました。楽しかったと言っています。
おおきいちびは、バイトにでかけたので、11時頃帰ってきました。
ひとりで4時半、室温25.8度。雨は止んでいます。風はすこし吹いています。台風の風です。空はびっしり雲に覆われています。→気象庁のナウキャストで雨雲の動きを見てみました。たしかに、とてもおそい。強い雨が降っているのは、台風の中心から離れた東北地方です。関東にはあまり強い雨雲はかかっていません。→正午をまわると晴れてきて、気温が33度まで上がる予報。曇ったまま、涼しいままがいい。東京杉並区では、台風はおおきな影響を与えず、遠ざかっているようです。現在は、房総半島の沖合にあって、北に進んでいるそうです。
おおきいちびの病院実習の最終日。昨日は帰ってきてずっとレポートを書いていました。→7時に起こすと、台風の影響で開始が午後1時になったのでもういちど寝ると言って再び布団の上で横になりました。→朝ご飯を食べに来て、気づくと、ソファーの上でまた寝ています。
中学生はオフ。
6時過ぎにおおきいちびが帰ってきました。実習は無事終わったそうです。集合写真を見せてくれました。みんなまじめに取り組んでいたと感心していました。
ひとりで4時、室温24.9度。室温が25度を下回っているのを見るのは久しぶりです。台風接近中。今日の夜遅くから明日の早朝にかけてもっとも接近するようです。最新の予報では、東京直撃はなくなったようです。→9日午前3時頃、再接近の模様。グーグルニュースを見ていると、吉祥寺経済新聞というのに、パルコブックセンター(吉祥寺パルコ地下2階)が7月29日に閉店したというニュースがありました。私も最近はほぼリアル店舗には行っていませんから、仕方ないと思いますが、寂しいのは寂しい。
おおきいちびは5時半、中学生は6時半に起こします。おおきいちびは病院実習のピーク。中学生は新宿区の学校で練習試合。
本が届いたという報せがあったので、取りに行くことにしました。
9時42分武蔵境発の西武線。まっすぐに図書館に寄って、次の3冊を受け取りました。
菱刈晃夫『メランヒトンの人間学と教育思想―研究と翻訳―』成文堂、2018
この後半、翻訳部(第2部翻訳編)は次を含みます。
1 聖書学士提題(1519年) 147
2 現世の義とキリストによる義の違い(1522年) 151
3 福音と哲学の違いについて(1527年) 157
4 学習の規則について(1531年) 162
5 倫理学概要(1532年) 171
6 占星学の価値(1535年) 231
7 哲学について(1536年) 241
8 自然学について(1542年) 252
9 ニコマコス倫理学・第1巻について(1546年) 262
10 心臓(こころ)の部分と運動について(1550年) 300
11 魂についての書(1553年) 313
12 教会で用いられている数多くの語句の定義(1552/53年) 404
13 解剖学について(1553年) 453
14 医学という学問について(1555年) 464
Wolgang Lefèvre, Jürgen Renn and Urs Shoepflin (eds.), The power of images in early modern science, Basel: Birkhäuser, 2003
Antony Griffiths, The Print before Photography: An Introduction to European Printmaking, 1550-1820, London: British Museum, 2016
英語の2点は、楠川さんに教えてもらった文献です。
帰宅してしばらく休んでから、Christoph Lüthy, "The Invention of Atomist Iconography," in Wolgang Lefèvre, Jürgen Renn and Urs Shoepflin (eds.), The power of images in early modern science, Basel: Birkhäuser, 2003, pp.117-138
これは我々には必要な論文でした。なお、エマートンの著作を第一に挙げています。こういう関連があるとは、予想していませんでした。→エマートンは留学中に非常に丁寧に読んでいます。本棚から本を探し出しました。第5章が「原子と結晶:形態への幾何学的アプローチ」pp.126-153 です。ここが当該箇所です。
→ 18.8.9 せっかくなので、エマートンの5章だけ、読み直しました。以前は見落としていた重要なポイントが指摘されていました。17世紀の粒子理論ならびに化学理論にとっての、結晶形成の重要性がよく理解できました。11時28分多磨駅発の電車で帰途。ガード下のお弁当屋でお弁当を3つ買ってから帰宅。私はすぐに食べましたが、妻は息子の帰宅を待ってから食べていました。
ひとりで4時35分、室温27.4度。
昨夜、たぶん10時過ぎから雨。雨が空気を冷やしてくれました。窓を開けて入ってくる空気がずいぶん涼しく感じられます。→10時半現在、室温25.3度。ちいさいちびは、友達といっしょに大阪大学のオープンキャンパスに行きます。5時10分に起こします。→雨のなか荷物が重そうだったので、駅まで荷物をもってやることにしました。重いお土産にカート。駅前の信号のところで、ここでよい、私が自分で行くというので、信号前でとってかえしました。東京は雨で涼しくなっていますが、到着地の大阪は猛暑。
涼しいので、3時半過ぎに散歩を兼ねて、セイユーまで買い物。妻には、豆腐、いかげそ、中学生には、ちいさいチョコを頼まれました。プラスしてすこしおやつ類を買ってきました。
ひとりで6時15分、室温29.2度。午前中に会議。
8時42分武蔵境発の西武線。ロータリー前のコンビニで簡単な買い物をしてから、まず事務棟3階へ。届いたという報せのあった物品を受け取りました。研究室に入ると暑い。エアコンを入れましたが、そうすぐには効いてくれません。
9時半前に学部長室。30分程度の会議。
その後短い打ち合わせ。11時に院生。今後の打ち合わせ。
2時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。もう限界というぐらいに暑かった。
ひとりで6時、室温29.4度。暑いのですが、すこし運動しないと!朝の10時にセイユーまで買い物に行ってきました。あまり重くならない程度に買い物をしてきました。
ちいさいちびはよほど睡眠不足だったのでしょう、正午過ぎまで寝て、お昼を食べて、また寝ました。6時前にやっと目覚めましたが、もしかしたら夜もまたよく寝るかもしれません。
おおきいちびは、3時過ぎにぐらいに居間に降りてきて、レポートの仕上げをしていました。独特の形式を要求しています。最後は、その形式に合わせる作業。一応終わったところで、買い物にでました。明日から、病院実習がはじまります。朝がはやい。
中学生は、友達に呼び出されて、阿佐ヶ谷のお祭りに行っています。1時に駅集合。本人は7時ぐらいには帰ってくるつもりだと言っていますが、お友達と言ってるのでどうでしょうか。おおきいちびは昔行ったことがあり、楽しいそうです。
ひとりで5時10分、室温29.1度。息子は研修試合。三鷹に5校が集まります。一日中練習試合です。5校ですから、休みはあります。
昨日の夕立のせいでしょうか、いつもよりすこし涼しい。妻が居間のエアコンを切って、換気。そして掃除機。
レポートは出来ていないけど、約束だからと、おおきいちびは花火に行きました。英語のレポートが進まないのだそうです。
ちいさいちびが合宿から帰ってきます。さて、どういう感じで帰ってくるでしょうか。→5時前にコロコロを押しながら帰ってきました。それほど暑くなく、楽しかったそうです。ただし、あまり寝ていないので、眠いと言っています。→しばらくスマホを見ていたと思ったら、ソファーの上で眠っていました。→1時間強寝てから、簡単に夕ご飯を食べ、テレビを見ていました。9時頃風呂に入るかと思ったら、疲れたから風呂に入らずに寝ると言います。いつも1時間以上風呂に入る子です。よほど睡眠不足なのでしょう。よる、ともだちとしゃべっていたにちがいありません。
ちいさいちびの20分後ぐらいに、中学生が帰ってきました。はじめての丸一日練習試合。疲れていました。5人の予定がもうひとり増えて6人だったそうです。5人だったら、ずっとフル出場ですが、6人なら、すこしは交代できます。
ひとりで5時45分、室温29.1度。
週間天気予報を見ました。本日から火曜日まで猛暑マーク。とくに本日は最高気温37度の予報。なんたる暑さ!この暑さですから、外出は気乗りしませんが、一日中家のなかにいるのもなんだしと思い、夕刻、近所のスーパーに簡単な買い物にでました。帰ってきてしばらくすると夕立。珍しい。ほんと、東京は、夕立が少ない。
夕立のなか、おおきいちびはアルバイトにでかけました。試験が終わったあとに残っているレポートがやだ、レポートができないと騒いでいましたが、仕事にはでかけました。ずっと何の冷房機もなしにすませてきた私の部屋ですが、さすがに耐えきれず、扇風機を入れました。扇風機の風をずっとあてていても、1時間が限度です。
ひとりで6時25分、室温29.4度。中学生は午前練。
私は、月曜日にもうひとつ仕事が入りました。お盆まえは、それと鍵を借りてくれば終わりです。
帰省するときには、wifi レンタルをします。去年、一昨年と同じものを探しましたが、ありません。ネットで検索をして、新しい業者に、新しい機種をオーダーしました。8月11日から17日までに1週間、304HWを借りることにしました。
ひとりで5時40分、室温28.1度。おお、もう、8月。朝一番で、散髪屋さん。ずっと行こうと思っていたのですが、うまく時間がとれないでいました。やっと今日、うまく時間をみつけることができました。
夕刻、院生との飲み会。
2時42分武蔵境発の西武線。すぐに図書館に向かい、次の2冊を受け取りました。
Lesley Robertson, Jantien Backer, Claud Biemans, Joop van Doorn, Klaas Krab, Wilhem Reijnders, Henk Smit and Peter Willemsen, Antoni van Leeuwenhoek, Leiden: Brill, 2014
Elizabethanne Boran & Mordechai Feingold (eds.), Reading Newton in Early Modern Europe, Leiden: Brill, 2017
『初期近代ヨーロッパでニュートンを読む』から、ニューマンの論文だけ読みました。
William Newman, "Newton's Reputation as an Alchemist and the Tradition of Chymiatria, " in Elizabethanne Boran & Mordechai Feingold (eds.), Reading Newton in Early Modern Europe, Leiden: Brill, 2017, pp.313-327
ニュートンの錬金術へのコミットメントは、金属変成のものとして記述されてきたが、医化学、薬用化学としての錬金術に関心を持たなかったわけではない。ニュートンのChymiatria への関心を、草稿資料を使って、論じています。他の人があまり使っていない資料をニューマンは取りあげています。→ 18.8.4 具体的には、Mynsicht, Schröder, そしてCUL Add. 3975 の未知の著者。→Mynsicht はまったく知りませんでした。 Schröder は、昔、すこしだけ調べたことがあります。Johannes Schröder, Pharmacopoeia medico-chymica (Ulm: Johannes Gerlinus, 1641) をニューマンは使っています。→ 18.8.9 ボイルでも見覚えがあります。新全集の索引を見てみると、Johannes Schröder, Pharmacopoeia medico-chymica を 3.374, 383; 13.248 の3箇所で言及しています。第3巻のp.374, 383 は、『有用性』です。p.374 では、Apud Schröderum in Pharmacop: lib. 3. cap. 18. [Samuel Closseus is cited.] p.383 では、本文「of which the Princes experienced Physician thus writes to the Industrious Shroder, Mille... 」 ラテン語で4行引用しています。注に、"Schroder Pharmacop. lib. 3. c.23. " 編者注には、この経験豊かな医師とは、Joel Langelot だとあります。ラテン語の英訳は、p.543 にあります。第13巻は、未出版の草稿。「毒について」というエッセイで、ボイルはシュレーダーの名前を出しています。
ニュートンが使ったシュレーダーは、ボイルも手元に置いて使っていたことがわかります。
ニューマンのニュートン研究をもうすこし見てみようとネットで検索をかけていると、I. Bernard Cohen and George E. Smith (eds.), The Cambridge Companion to Newton, Cambridge, 2004 があったのでダウンロードし、フィガラとニューマンの記事をプリントアウトしました。ニューマンは、ある種ポジショントークでしょうが、フィガラを高く評価しています。
William Newman, "The Background to Newton's chymistry," in I. Bernard Cohen and George E. Smith (eds.), The Cambridge Companion to Newton, Cambridge, 2004, pp.358-369
Karin Figala, "Newton's alchemy," in I. Bernard Cohen and George E. Smith (eds.), The Cambridge Companion to Newton, Cambridge, 2004, pp.370-386
フィガーラの文章は、Karin Figala, "Die exacte Alchemie von Isaac Newton," Verhandlungen der Naturforschenden Gesellschaft Basel, 94(1984): 155-228 の英訳縮約版だそうです。ニュートンの厳密な錬金術に関する私の発見に関しては、Karin Figala, "Newton as Alchemist, " History of Science, 15(1977): 102-37 and Karin Figala, "Newton's Alchemical Studies and His Idea of the Atomic Structure of Matter," Appendix A (pp. 381-6) of A. Rupert Hall's Isaac Newton: Adventurer in Thought (Oxford: Blackwell, 1992).
→ 18.8.4 ニューマンの注1は次です。「我々がニュートンの他の錬金術師との個人的接触について知るほとんどは、カリン・フィガーラによって光を当てられたものである。次を見よ。Karin Figala, "Zwei Londoner Alchemisten um 1700: Sir Isaac Newton und Cleidophorus Mystagogus," Physis, 18(1976): 245-273 & Karin Figala and Ulrich Petzoldt, "Alchemy in the Newtonian Circle: personal aquaintance and the problem of the late phase of Isaac Newton's alchemy," in J. V. Field and Frank A. J. L. James (eds.), Renaissance and Rvolution: Humanists, Scholars, Craftmen and Natural Philosophers in Early Modern Europe (Cambridge: Cambridge University Press, 1997): 173-91. 「酸の本性について」の流通に繋がったArchibald Pitcairne とのニュートンの交流については、Anita Guerrini, "Archibald Pitcairne and Newtonian Medicine," Medicinal History, 31(1987): 70-83.ほかに次のものもダウンロードしました。
Staff of the Rosicrucian Research Libray, "Sir Isaac Newton - Mystic and Alchemist," pp.50-53
Niccolè Guicciardini, "Essay Review: Digitizing Isaac Newton: Robert Iliffe The Newton Project; William R. Newman The Chymistry of Isaac Newton; Stephen Snobelen The Newton Project Canada," ISIS,105(2014): 403-409
William Newman, "Corpuscular Alchemy: The Transmutational Theory of Eirenaeus Philalethes," Bull. Hist. Med. 13-14(1992-92): 19-274時45分メールが来て、本が届いたという知らせ。すぐに、プリントアウトして図書館へ。
Mihnea Dobre and Tammy Nyden (eds.), Cartesian Empiricisms, Dordrecht: Springer, 2013打上げは、大学前のピザ屋さんで、午後7時から。ちょうど7時にお店に入りました。すでに2人来ていました。すぐにもう一人。あと二人は、遅れるということで、先に始めました。総計6人。9時半過ぎまで。10時前の電車で帰ってきました。珍しく中央線まで2名の学生といっしょでした。
帰宅して、風呂に入り、しばらく今で涼しんでいると、おおきいちびが帰ってきました。試験は終わったが、レポートがまだたくさんあると愚痴ていました。それにまた膝が痛いそうです。膝が痛いのは辛い。
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