ひとりで5時30分、室温27.8度。午前中に判子、11時からヒアリング。
ちいさいちびは今日から合宿。土曜日に帰ってくるそうです。
8時42分、武蔵境発の西武線。研究室ですこし調べもの。
10時半に学生が見えて、判子。11時からヒアリング。30分程度。そのあと打ち合わせ。
やはり、正午に学生が見えて、判子。
12時半過ぎに、生協で昼食。何があるのか学生たちはかなりの数いました。
1時から再びヒアリング。やはり30分ほど。
1時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。猛暑が帰ってきています。
ひとりで5時55分、室温28.2度。おおきいちびは2限から学校があるそうです。ちしさいちびは9時に起きて、なにかの打ち合わせがあるそうです。→中学生の学校見学への対応だそうです。
『科学史研究』の最新号(2018年7月号)が届きました。論文と研究ノートは知らない方々。私の知らない若手でしょうか。
ひとりで5時45分、室温27.4度。台風は無事通過。おおきいちびは、フットサルのはじめての試合。遠征するそうです。ちいさいちびは、友達といっしょにオープン・キャンパス。ともに、7時半過ぎにでかけていきました。
夕刻に、墓参り&飲み会。この時期の恒例行事です。今年は、幹事さんが家族の都合で台風前にアメリカに戻られました。
墓参りは、4時集合。去年はすこし遅れたので、10分前に着く予定で、2時40分頃家をでました。新浦安集合。ルートはいろいろあるのですが、一番簡単な東京駅での乗り換えとしました。中央線から京葉線までほぼ1キロ歩きます。
予定通り、4時10分前に到着。AさんとTさんがいました。電車に乗る前に投函しようと思っていた郵便がカバンに入ったままでした。待ち合わせの場所からちょっとお暇して、駅の外のポストを探しました。2〜3分で見つかりました。
今年は6人。6人目のSさんは、30分も前について、建物のどこかで休んでいたそうです。タクシー2台に分乗して、浦安市墓地公園まで。
2度目なので、場所はなんとなく覚えていました。Tさんが、微炭酸のワインをお墓に持ってきていました。コップも持参されていました。故人が酒が好きだったから、ということです。乾杯をして、各自礼拝(というのでしょうか?)をして、事務所に戻りました。タクシー会社に電話をかけるも、繋がらない、繋がってもいつ来られるかわからないという返事。事務所の方が様子をみていて、すこし歩いたところにバス停がある、バスで駅まで行かれるのがよいのでは、と教えてくれました。ベイサイドホテルの前に、確かにバス停がありました。お墓では風がないように感じたのですが、防風林の切れていたその場所では、ちゃんとした海風がずっと吹いていました。
新浦安駅について、5時。去年と同じ飲み屋さんに入ることにしました。
9時半まで飲んでいました。TさんとSさんは、途中からおやすみ。起こして、みんなで電車に乗り込みました。
帰りは、15分も歩く気になりません。新木場で有楽町線に乗り換え、市ヶ谷で総武線に乗り換えるルートにしました。市ヶ谷でトイレにいったので、一本あとの電車となり、西荻の駅について、11時。だいたい考えていた時刻に帰り着いたことになります。
風呂に入り、妻とちいさいちびの見ていたドラマをいっしょに見て、就寝。最近量を飲むことはほとんどありません。それほど大量に飲んだわけではありませんが、4時間半飲んでいたので、飲み疲れしています。12時頃、就寝しました。
ひとりで5時15分、室温25.3度。台風接近中。夜半から雨が降っています。予報によれば、3時過ぎぐらいに台風の強い雨が降るそうです。朝のうちに、昨日着手したゲラの片づけがすみました。表も作成しました。表紙に載せる写真だけ、今後の課題として残しました。台風が通過したら、投函します。
昨日、採点・評価を完了したので、夏休み前に残っている大学の仕事は、7月31日(火曜日)午前中のヒアリングだけとなりました。フェイスブックを見ていると、大学の先生方は、みなさん、私と同じように、採点では苦労しているようです。私の場合、いっときすこし改善していた肩凝りがけっこうきています。椅子に座ったままの採点作業は、頭、肩、腰に来ます。
採点が完了して、ゆるやかな夏眠状態。寝たり、起きたり。
朝一番でワイズマートに買い物。ワイズマートは朝の10時開店、開店すぐにお買い物。
ちいさいちびは友達と宿題をやるといって、お昼下がり、でかけていきました。
おおきいちびは、美容院に予約しているといって、日暮れが近づき、雨が強くなったころ、でかけていきました。
ひとりで4時35分、室温27.3度。午前中に事務棟5階。
採点の最終作業=照合作業を行います。
8時半、武蔵境発の西武線。
大学前のコンビニで朝食を買ってから、研究室へ。最後の照合作業、すなわち、答案(レポート)そのものと採点表の得点を比較しました。エラーはありませんでした。これにて、完了。
11時からの会合のための準備。英語でどう表現するのかを調べていました。
お客さんが見えるので、5分前に、会合場所に着きました。こちら側が2名、お客さん側が2名、そして、1名の通訳となりました。結局、韓国語と日本語での交渉。D2の院生が通訳、という形でした。そして、たまに英語。12時前に終了。
研究室に戻り、片づけをして、カバンをもってから生協へ。お昼ご飯を食べました。今日はなにかあるようです。相当数の学生がいました。帰って一度休んでから、3号のゲラの検討。方針は決まりました。表もある程度進めることができました。
ひとりで3時45分、室温28.3度。まだまだとても高いが、朝の室温がすこしですが、下がりました。週末に台風が関東にやってくるようです。台風の雨がすこし列島を冷ましてほしい。梅雨であまり雨が降らなかったので、雨も必要です。朝から大学にでて、採点作業の継続。成績記入の締切が明日です。今日と明日で完了する必要があります。
中央線が武蔵境にすべりこんだのが、8時17分。無理をせず、外のパン屋さんで、昼食のパンを買ってから、8時30分武蔵境発の西武線。
大学に着いて、すぐに作業の継続。
3時28分多磨駅発の電車で帰途。駅前のコンビニでお金を降ろしてから、帰省の電車のチケットを購入しました。
帰宅すると次の本が届いていました。
Giuliano Briganti, The View Painters of Europe, London: Phaidon, 1970
View Painting and its critical history
The Term veduta
View Painting and Perspective Painting
The Origins of View Painting
The Method of the View Painters
Patron and the Grand Tour
The View Paiterts
Notes to the Introduction
このあとは、ローマ、ナポリ、ヴェニス、イタリアの旅行、マドリッド、ウィーン、ミュンヘン、ドレスデンとピルナ、ハーレムとアムステルダム、ワルシャワ、ロシアの旅、ロンドン、パリ・ヴェルサイユ・フランスの港、と続きます。本日の最高気温は30度。キャンパスからの帰り道、昔の夏は、こういう感じが多かったことを思い出しました。夏休みになると、川に泳ぎに行っていました。そのときの空気感は、このぐらいでした。39度を体験していると、30度だと涼しく感じます。
ひとりで5時30分、室温29.2度。夜半に雨の音。朝は曇り。すさまじい暑さをすくしは冷ましてくれるのでしょうか。午後に会議。午前中から、採点作業の継続。お昼休みに判子。
朝方に2件、用事をすませました。そのせいで、昨日より電車が1本遅れて、8時42分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで昼食の買い物をしてから、研究室。すぐに採点作業に取りかかりました。書類の整理は、約1時間で終了。
その後は、食事をとりつつ、一部ほんとうの採点作業。暑さに根気が続きません。楠川さんに教えてもらった本の発注手続きを行いました。12時40分に判子。
1時10分から会議。30分強で終了。
次の会議は、2時20分から。開始が15分遅れました。その次の会議は、1分だけ司会の時間があります。5時10分に終了。20分はやい。
その後、あらたに発生した会議。5時半から6時まで。6時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
お寺から手紙が届いていました。いったい何かと思ったら、高校の同窓会の案内でした。還暦を期して、同窓会をやろうと決まったそうです。気持ちは理解できますが、田舎に帰ることができるかどうかは不明です。
ひとりで5時15分、室温29.6度。午前中から会議。合間に昨日の作業の継続。
8時半、武蔵境発の西武線。すぐに昨日の作業の続き。ちょうど10時前に終えることができました。10時10分から会議。11時半まで。
学長室から、大学前のコンビニに向かい、昼食を買って帰りました。楠川さんに教えてもらった本が重要だと思ったので、発注の手続きをとりました。
1時から会議。2つ続きました。2時40分ぐらいまで。
次の会議は3時から。4時前まで。
小さい紙の整理は午前中に終わりました。大きい紙の整理に取りかかることにしました。ちょうど半分あたりで、今日は、終了。また明日の朝、行います。
5時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
『ゲンロンβ27』ダウンロードして、読みました。
ひとりで6時、室温29.6度。午後に立川で健診。さすがに採点作業に入ります。
8時半、武蔵境発の西武線。すぐにいつもの教室で、コメントシートの整理に着手。実は、学籍番号順に並んでいないのが2つありました。これは準備作業として必須です。まず、それをこなしました。それから、順番に名寄せ作業。1回だけ出席して、取りやめた学生の残したコメントシートが名寄せ作業には最大の敵です。今回は、完全に、日にち順にならべたので、そのシートの出現する場所が、限定できました。これまでより、そのエラー訂正はいくらかスムーズにできるようになりました。
健診は1時からですが、もらった紙には、10分前には受付をしてもらえ、という指示がありました。乗り換え案内によれば、12時4分の電車で間に合いますが、ちょうどよいので、借りていた本をすべて図書館に返却してから、立川に向かうことにしました。荷物を持たないことも考えたのですが、この暑さなので、飲み物は必要です。ペットボトルの水を1本、紙袋に入れて、もっていくことにしました。
立川の屋外は、39度ではないかという暑さでした。こういう場合、待ち時間が長くなってもおとなしく待っているのがよい。さっさと指定されたビルの6階に行きました。知っている方はひとりだけ。いろんなところから健診に集まっているのでしょう。1時半の予約と言われましたが、1時20分ぐらいには呼び出され、10数名のナースさん達がてきぱきと患者(もちろん患者ではなく、被健診者です)を受け渡しをして、仕事を進めてくれました。40分〜50分で全部終了。
駅に近づいて、中華屋さんで、湯麺を食べました。
それから大学に戻りました。整理作業をもうすこし進めるつもりだったのですが、飛び込みの面談が入り、学生と話をしていました。予想していたより、事態は深刻ではなく、すこし安心しました。4時40分多磨駅発の電車で帰途。駅前の2箇所で、財務的用件をすませました。
ちいさいちびと妻は、5時55分に家をでると言います。歯列矯正の本格的施療の最初。必要な金額を妻に渡しました。嗚呼!
ひとりで5時5分、室温29.9度。駒場で橋本科研の研究発表会。10時〜6時の予定。楠川さん、多久和さんに参加してもらいます。
9時15分頃、駒場に着きました。駒場下のセブン-イレブンで、サンドウィッチとアイスコーヒーを買って、14号館の方へ。橋本さんがまだのようだったので、階段のところで、セブン-イレブンで買ったものを食べました。橋本さんは、9時40分頃見えました。
教室に入れてもらって待機。
多久和さんが午前中しか出席できないということで、私と河野さんが午前中の発表に変わりました。多久和さんと楠川さんが意味のあるコメントをしてくれました。
多久和さん、参加いただき、ありがとうございました。キャンパス内のレストランで昼食をとってから、午後。教室を変更しました。ダブルブッキングだったようです。
田中さん、橋本さん、楠川さんの順。楠川さんのコメントがさすがでした。その情報は、私の友人の○○さんの××の本にあるので、探してみて下さい。
橋本さんの発表は、図版の描いた人と彫った人の話。楠川さんは、今、王立協会でとりくまれている画像アーカイブプロジェクトの話。個人的に、王立協会における画像のこれまで知られていない基本事項が非常によくわかる研究でした。フックの重要性が浮き彫りになりました。
楠川さん、ありがとうございました。楠川さんのコメントで、いろんな案件が解決しました。&研究の方向性がはっきりしたと思います。7時過ぎまで。私は、河野さんといっしょに吉祥寺の方から帰ってきました。
河野さんには、ガラスビーズをレンズとして用いる、レーウェンフック型顕微鏡の作り方を教えてもらいました。河野さんは、本日の発表で、レプリカと実際に手作りしたもののの2点をもってきてくれていました。レプリカには、タマネギの細胞が見えるようにしてありました。
次のサイトで必要なビーズを売っています。ケニス ガラスビーズ GB-2
これに、CC Lemon のキャップがあれば、誰でも、レーウェンフック型顕微鏡を手作りできるということです。
ひとりで4時50分、室温29.1度。ちいさいちびは、神奈川まで遠征試合。5時55分に起こします。
午前中に昼食の材料の買い物。ガード下のコンビニと肉屋に行ってきました。
おおきいちびは、友達と花火大会。2時過ぎに浴衣を妻に着付けてもらいました。
なんとか明日の発表資料の準備を終了することができました。
ひとりで2時55分、室温29.3度。朝一番で整骨院。日が暮れてから、3年生のコンパ。留学に行く学生の歓送会です。吉祥寺7時。→整骨院は、9時から10時。帰り道、ドラッグストアーで次女の使っているUV カット商品を購入し、その近所のコンビニでお金を降ろして帰りました。
→本日のコンパは消滅したという連絡が幹事の学生からありました。完全に学生に任せました。調整がうまくいかなかったようです。おおきいちび、ちいさいちび、中学生の順に帰ってきました。ちいさいちびは、友達が部活をやめたと言って、帰ってしばらく泣いていました。おおきいちびが先輩がやめたといって泣きながら帰ってきたことを思い出しました。
日曜日の橋本科研の研究会の準備。発表用のレジメを作成。
ひとりで5時35分、室温29.5度。夕刻に博士論文審査会。
おおきいちび、中学生、ちいさいちび、妻の順に送り出しました。
10時前に買い物にでました。私とおおきいちびの昼食ならびにいろんな食材。午前中に次の本が届きました。
種村季弘・高柳篤『新版・遊びの百科全書〈2〉だまし絵』 河出文庫、1987
種村季弘「遠近法函という覗きからくり」pp.54-59 アナモルフォーズとして位置づけています。炯眼だと思われます。正午過ぎにおおきいちびが帰ってきました。昼食は冷やし中華をつくってやりました。食べるとすぐに寝ました。疲れがたまっているようです。
妻は2時前に帰ってきました。妻が昼食を食べ終わる頃、でかけることにしました。出かけるとき、郵便受けに次の本が入っていました。カバンに入れて、出かけました。
種村季弘編著『遊びの百科全書〈2〉アイ・トリック』 日本ブリタニカ、1979年
上の種村季弘・高柳篤『新版・遊びの百科全書〈2〉だまし絵』( 河出文庫、1987)のもととなった本です。
種村季弘「視覚のトリック」
赤瀬川原平「寸借の視線」
海野弘「ルネッサンス映画館」
油谷勝海「Eye Trick by Photograph」
黒田正巳「透視画の歴史」
若桑みどり「あざむきの美術史」
大山正「錯視の心理学」
以上の通り、懐かしい名前が並んでいます。2時42分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで、アイスコーヒーとおやつを買ってから、研究室へ。採点作業の前提としての、コメントシート、アクティブ・ラーニングの課題、期末レポートの整理を行いました。採点にはまだ着手することができていません。
4時半に学生が見えて、書類に判子。
4時40分から打ち合わせ。5時から博士論文公開審査会。二人お客さんが来ていました。約1時間半。その後、教員が集まって審査。私は日曜日の準備が終わっていないので、お暇しましたが、残りのメンバーは、アリストテレスの饗宴に向かわれました。
帰宅するとちいさいちびが入浴中。待つしかありません。夕食を食べて、テレビを巳ながら、待っていました。ちいさいちびの次は、中学生。中学生の次に入浴しました。夏場は長く入る気がしません。汗を洗い流し、さっと湯船につかっておわり。
やはめに就寝。バイトにでかけたおおきいちびは、11時前後で帰宅した模様。
ひとりで4時45分、室温29.6度。昨日と同じ最高気温の予報。杉並区では37度。体温越えです。午前中から会議。9時〜10時。お昼休みに判子。その後、13時10分〜14時10分研究院協議会。14時20分〜15時50分言語文化学部教授会。
中央線が武蔵境駅に着いたのが、8時7分。昨日と同じく、外にでて、昼食のパンを購入してから、8時18分武蔵境発の西武線に乗り込みました。知っている顔は、まったくいませんでした。
9時から10時まで会議。
1時10分から会議。私が司会を担当します。30分程度で終わりました。
2時20分から学部教授会。予定通りに進行して、4時4分多磨駅発の電車に間に合いました。
帰宅すると次の本が届いていました。
種村季弘『箱抜けからくり綺譚 』河出書房新社、1991
さっそく「覗きからくりのトポス :江戸浮絵から谷崎潤一郎の暗箱まで」pp.42-56 を読みました。もとは、『現代思想』1986年9月臨時増刊号に掲載されたエッセイです。秀逸です。
蘭説弁惑(1799)下 「問うていはく、箱のうちに硝子の鏡を仕かけ、山水人物をうつし画ける器。此方にて写真鏡と呼べるものあり。元蛮製のよし、何といふものや。
答へて曰、これは『どんくる、かあむる』という器なり。此方好事家も往々擬製するものあり。甚だ工夫したる器なり。実に写真鏡の名、所を得たりといういふうべし。黄履く莊が臨画鏡は此なるべし。」
実際の問答の筆録は、天明8年(1788)。
「しかし覗きからくりの本邦輸入そのものは、これよりざっと百二、三十年以前にさかのぼる。『長崎オランダ商館日記』には寛文三年(1663)にオランダ船を通じて「透視箱」が幕府に献上された旨の記載があり、それから半世紀後の享保年間(1718)にははやくも京都四条河原などで見世物興行がおこなわれた。」
p. 44 「ここである反転が起こった。浮絵の手法が東漸したとき、上方では概して西洋・中国直輸入の野外風景が主題であったのにひきかえ、江戸では妓楼や芝居小屋内部の屋内風景へと内外表裏が反転したことである。」 「野外祝祭劇(バロック)―劇場サロン(ロココ)―閨房(後期ロココ)」
p. 45 「外と内との反転とともに、表裏の反転が起こった。」
ひとりで3時30分、室温29.0度。午後に会議。朝から出かけます。明日は、朝一番から会議があります。春学期は終わりましたが、へんに忙しい。
おおきいちびを見送ってから、戸締まりを確認し、外出。中央線で9時42分武蔵境着。外にでて、昼食のパンを買いました。9時54分武蔵境発の西武線。ロータリーのコンビニでアイスコーヒーと牛乳を買って、大学へ。
研究室を涼しくしてから、図書館。『エウクレイデス全集 第4巻 デドメナ/オプティカ/カトプトリカ』(岩波書店、2010)を返却し、2冊の本を受け取りました。
『ライプニッツ著作集 第II期[3]技術・医学・社会システム』工作舎、2018
柿田秀樹+若森栄樹編著『〈見える〉を問い直す』彩流社、2017『エウクレイデス全集 第4巻 デドメナ/オプティカ/カトプトリカ』(岩波書店、2010)における高橋憲一氏の解説。
高橋憲一「『オプティカ』『カトプトリカ』解説」『エウクレイデス全集 第4巻』pp. 193-307 のなかの第4章「『オプティカ』『カトプトリカ』の伝承過程と理論的展開」pp.253-306 より。
p.295 デューラーからの引用句「Perspectiva という言葉はラテン語であり、<透かして視る>という意味である。」
p.296 このデューラーの理解は、歴史的には正当なものではない。
第1に、ラテン語のPerspectivaは、ギリシャ語のoptica の訳語であった。 (高橋さんは、これを視学と訳す)
中世ラテン語の辞書が perspectio を careful examination, thorough scrutiny と説明しているように この場合の per は、「〜を透かして」とか「〜を通して」という意味ではなく、「徹底して」「注意深く」「よく」の意味である。 「事態をよく見てとること」や「はっきり理解すること」を意味している。
ルネサンスには、perspeciva communis と perspectiva artificialis という対比があり、よく、「一般的光学」(あるいは遠近法)とか「人為的光学」(あるいは遠近法)とか訳されているが、本来は、「一般的視学」(あるいは視学通論)、「制作的視学」(=遠近法、透視図法)とすべきであろう。
p.297 エウクレイデスにはなく、アルベルティにあった問題関心は、 3次元空間に配置されている対象を2次元の画布にどう移し描くか、ということである。
画布が「対象を覗き見る窓となること」、あるいは「視線ピラミッドの裁断面になること」ととらえ、それを数学的に分析して画面上に再現する技法を提示したこと柿田秀樹+若森栄樹編著『〈見える〉を問い直す』彩流社、2017、からは、2点を読みました。
柿田秀樹「遠近法箱の視覚レトリック」柿田秀樹+若森栄樹編著『〈見える〉を問い直す』(彩流社、2017), pp.227-250
青山愛香「十五世紀ドイツの「風景画」の誕生とメディア革命」柿田秀樹+若森栄樹編著『〈見える〉を問い直す』(彩流社、2017), pp.163-182『ライプニッツ著作集 第II期[3]技術・医学・社会システム』工作舎、2018 からは医学の部分の解説だけ読みました。
Harold J. Cook, "Commerce, Trade and the Emergence of the New World", in Mapping Spaces, pp.220-239
p. 221 冒頭
One feature of the new science of Early Modern Europe was so-called mechanical Philosophy, which was in turn closely related to the ability to picture material things.
→18.7.26 いろいろありますが、アリストテレス哲学の基本概念は、ability to picture とは無縁です。2時20分から会議。20分で終了。
3時から会議。案件が多く、5時前まで。5時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。気温はまだ体温を超えてはいないと思いますが、なにかそれに近い感じの空気感でした。
ひとりで5時55分、室温29.5度。朝一番で整骨院。9時から10時。帰り道、コンビニによって、頼まれた牛乳とアイスを買って帰りました。
12時過ぎに息子(中学で練習試合)、1時過ぎに妻とおおきいちび(浴衣を買うと言っていました)、2時頃ちいさいちび(友達と遊ぶそうです)が出かけていきました。今日は私がひとりでお留守番。
中学生、おおきいちび、妻、ちいさいちびの順に帰ってきました。息子は、突き指をして帰ってきました。試合を見学に来ていたバスケ部の誰かのお母さんが手当をしてくれたそうです。しっかり包帯を巻いていました。
最後に帰ってきたちいさいちびは、9時頃。ご飯はよい、お風呂に入ると言って、お風呂に入りました。ちょこまかといろいろ食べたので、夕ご飯をたべるおなかではないということでした。スクリーチ『大江戸視覚革命』(田中優子・高山宏訳、作品社、1998)
第4章に「からくり箱を覗く」という節があります。pp.253-276
訳者の高山宏は、おおくカタカナ表記をしています。「オプティーク」「ヴュ・ドプティーク」。これも一つの見識です。日本語で定着した用法、「のぞき」や「からくり」を使うと、どうしてもその言葉にひかれた理解となります。もとがヨーロッパ起源の光学装置であることを意識しておくためには、こういう訳し方も一つの方策です。
スクリーチは、のぞく体験の重要なポイントを見えなかったものを見ること、「異」(異国、異人、異世界の異)の言葉に求めています。覗きは、覗き穴を覗いて見るまでは、何も見えない。異国情緒を醸し出すに最適の装置と言えます。
スクリーチ自身の言葉では次。p.262 「「異 foreignness」の気を醸すのは風景画の画題ばかりでは(むろんそれも確かにあるわけだが)ないし、遠近法的な描法ですらない。それは凝視それ自体―「紅毛の十里見」―に内在しているのである。箱の中を覗き込む人間は、遠くにあるものにしろ故意に隠されているものにしろ、不可視のものを見られるエキゾティックな能力を、視野圏外のものをさぐろうとして獲得した。絵が風景画のようには複雑なものでないときにさえ、このことは言えたのである。」
ひとりで4時40分、室温29.2度。
ちいさいちびは練習試合。埼玉まで行きます。6時25分に起こすことになっています。午後に大学院進学説明会。夕刻、大学院執行部で納涼会。
乗り換え駅の三鷹駅構内で昼食を買ってから、中央線。武蔵境9時42分発の西武線。ちょうどオープンキャンパスに来る高校生と父兄の大群といっしょになりました。先生方もちらほら。
ちょうどよいので研究室の片づけに着手しました。わずかに進めることができました。
"camera ottica" と"camera optica"に関する調査。おおよそ状況がわかりました。
17世紀になると"camera optica"は割とよく使われます。まったく"camera obscura" の意味です。デカルトの『光学』、とくに人間の視覚を"camera optica"に見立てる文脈で使われています。"camera ottica"はそのイタリア語訳です。従って、イタリア語の"camera ottica"は、まさに"camera obscura" の意味で使われています。大きなイタリア語辞書でも、そういうふうに説明されています。マルピーギの全集に2回、この語が現れます。大学院進学説明会は、1時開始。12時45分過ぎに現場に着くと、相当数の人がもう集まっていました。結局、仕舞っていた椅子を全部出しても足りませんでした。立ち見の方が大勢になりました。青山研究科長の全体説明、村尾コース長の国際日本専攻の説明にアテンドし、個別相談会がきちんと動いているのを確認してから、研究室に戻りました。調査の続行。
4時半過ぎに図書館に行って、辞書の記述を確認しました。
調べたのは、『小学館 日本国語大辞典』第2版。「光学箱」なし、「遠近法箱」なし。
「覗絡繰・覗機関」(のぞきからくり) 大道芸の一つ。大きな箱の中に物語に応じた絵を数枚納めて置き、箱の両側に立った二人が、物語に節をつけてうたいながら綱を引き、絵を順次転換させる装置。これを前方の眼鏡から覗かせて料金をとった。からくり、のぞきめがね、のぞき。
→日本に入ってきたこの種の光学装置の最終進化形態がこれ、というふうに言ってよいと思います。
「覗(のぞき)」覗絡繰 (のぞきからくり)のこと。またそれを扱う人。「京阪にては下略してのぞきと云、江戸にては上略してからくりと云う。」
つまり、京都大阪では「のぞき」、江戸では「からくり」と呼ぶようになったということです。装置に対する意識がそういうふうに固まったと理解してよいでしょう。
「眼鏡絵」 凸レンズの眼鏡を通して見る絵。透視画法を用いて描いたもので、箱の一方にはめた絵を他方に置かれたレンズで拡大して見るだけの「のぞき絵」と覗絡繰(のぞきからくり)に用いる「からくり絵」がある。一八世紀前半に中国経由で日本に伝来し、円山応挙や司馬江漢らも制作した。・・「丁度眼鏡絵のように鮮やかに浮上がって」
「透視図法」 地図投影法の一つ。 視点を地球外の無限遠においたものを正射図法、地球の球面上においたものを平射図法、地球の中心においたものを心射図法という。 第二の意味では、透視法(遠近法)に同じ。オープンキャンパスは10時開始で4時終了。あれだけ人で溢れていた研究講義棟一階通路には、帰りの遅くなった先生方以外には、ほぼ誰もいなくなりました。当たり前ですが、こういう行事の場合、人は波のように押し寄せて、波のように引いていきます。その様子に夏の感慨を覚えながら、西武線の駅に向かいました。5時52分多磨駅発の電車で武蔵境に。納涼会は、沖縄料理店。なんとなく記憶にあります。青山先生、金先生、藤森先生は、1本前の電車でいらしたそうです。早津先生だけ15分程度おくれました。日曜日のせいでしょう、お店は混んでいました。注文したものが売り切れでありませんということが何度もありました。
9時半まで。家に帰り着いて、10時前後。入浴し、しばらく休んでから、決勝戦のテレビ観戦。4対2でフランスがクロアチアを破って、優勝。クロアチアの選手には、疲れたあったように見受けられました。途中からちょっとしたずれが生じていました。
ひとりで5時5分、室温28.7度。猛暑です。最高気温が34度から35度と予想されています。中学生は土曜日学校、ちいさいちびは午前練。
ISIS, Vol. 109, No. 2, June 2018 が届きました。
Marieke M. A. Hendriksen, "Criticizing Chrysopoeia? Alchemy, Chemistry, Academics, and Satire in the Northern Netherlands, 1650-1750," ISIS, 109(2018): 235-253
Alan J. Rocke, "Theory versus Practice in German Chemistry: Erlenmeyer beyond the Flask," ISIS, 109(2018): 254-275
以上のように、化学史の論文が2点冒頭を飾っています。19日に開かれる博論審査会の博論を読み通しました。
3位決定戦は、2対0で、ベルギーがイングランドに勝利。体調を考慮し、ライブでは見ていません。
ひとりで5時5分、室温27.8度。午前中に歯医者、午後に整骨院。
歯医者さんは9時半から。実際には9時45分から始まり、10時10分ぐらいまででした。帰宅するとおおきいちびが課題に取りかかっていました。4時20分から整骨院。おおきいちびが直前に帰ってきました。おおきいちびは、夕刻、インターカレッジのバスケサークルに参加すると言っています。時間を聞くと、7時と言います。自転車を借りても問題ありません。4時5分に家をでて、予約の5分前に整骨院に着きました。いつもより短め。5時過ぎに終わりました。セブンイレブンによって帰ろうと思い、いつもとは1本異なる道を通りました。中学生がたむろしているセブンイレブンがありました。お金だけ降ろして、帰途。車と道幅からすれば、いつものルートの方が走りやすい。短い時間の外出でしたが、かなり汗がでました。
お昼に次の本が届きました。
Giuliana Bruno, Atlas of Emotion: Journeys in Art, Architecture, and Film, Verso Books, 2007
ジュリアーナ・ブルーノという著者の方も、タイトルもまったく知らなかったのですが、昨日、ネットでリサーチジャーニーをしていて、ヒットし、私の関心に非常に近いので、急遽、購入したものです。
たとえば、第5章「インテリアの建築」には、「モンド・ヌオヴォ:旅する好奇心の新世界」と言う項目があります。pp.156-160
用語に関しては、p.438, note 59 に説明があります。「ヴィーイング・ボックスには実に数多くのヴァリエーションがある。しかし、その違いにもかかわらず、その歴史は、カメラ・オブスクラとマジック・ランタンに関係している。ただし、ヴィーイング・ボックスでは投影は含まれていないのであるが。興味深いことに、それは、様々な言語で様々な名前で知られている。英語の "perspective box" とフランス語の「オプティック」はともに光学的要素を強調したものである。英語の「ピープショウ」とドイツ語の「覗き箱」は覗く行為を強調している。私は、むしろ、イタリア語の"mondo nuovo"「新世界」を使いたいと思う。なぜなら、この言葉は、他の言葉では隠されているヴィーイング・ボックスの観光効果を前景化しているからである。"mondo niovo" あるいは"mondo novo"と呼ばれることもあった。」
感情のアトラス:日本語での紹介
ひとりで4時25分、室温28.6度。
準決勝第2戦目、イングランド対クロアチアの後半の後半に間に合いました。1対1で延長線に突入し、延長線後半、クロアチアが勝ち越して、そのまま終了。2対1でクロアチアの勝利。おおきいちび、中学生、ちいさいちび、妻の順にでかけました。
おおきいちびが一番で帰宅。夕刻また出かけます。バイトです。次に妻。それから、中学生、ちいさいちびの順に帰ってきました。
お昼に次の本が届きました。
名古屋市教育委員会編『名古屋叢書 第13巻 科学編』名古屋市教育委員会、1963
11点が収録されています。11番目が柳川春三訳著『写真鏡図説』です。土曜日の八耳さんのシンポジウム講演で存在を知り、早速、アマゾンのマーケットプレイスで購入したものです。
「復刻にあたって」に次のようにあります。「『名古屋叢書』は戦前に編集され、長い歳月を費やして刊行された尾張資料の基本図書で、学術的に貴重な叢書であります。しかし、当時の出版部数は極めて少部数であったため、研究者はたいん不便を感じていました。そこで今回の再版となったわけです。」
収録されているのは、次です。
理学入式遠西観象図説(吉雄常三)
本草正譌(松平君山)
本草正々譌(山岡恭安)
本草正々譌刊誤(杉山維敬)
木曽採薬記(水谷豊文)
日用薬品考(柴田正簡)
算体 附鶏肋算法(山本格安編)
算法発隠(北川孟虎)
粉砲考(吉雄常三)
万宝叢書硝石篇(伊藤圭介訳著)
写真鏡図説(柳河春三訳著)
『描写の芸術』第4章「オランダ絵画における地図制作の影響」を読み直しました。
p.213 「16世紀における地理学的な視覚表現の活性化は、実に多くの分野にまたがる人々の活動に起因していた。軍事行動、情報収集、商取引、治水工事などさまざまな要請により地図に対する爆発的な関心が生まれたのである。一般に、地図は知識そのものの視覚化として信頼の対象となり、また地図から得られる特別な種類の知識にたいする関心ゆえにもてはやされた。」
「コルネリウス・ドレッベルは若いときに故郷アルクマールの地図を制作しているし、コメニウスはボヘミアを離れることを余儀なくされる直前にその土地の最初の地図をつくったことで知られている。」
p. 214 「1676年8月5日の早朝、コンスタンティン・ハイヘンス(子)は、前日の戦闘で死んだ偉大なる甥の遺体を探しに出かける直前にペンとインクでムーズ川の向こうに広がる包囲されたマーストリヒトの景観を描写している。」
「驚くべき数の北方の画家たちが地図制作法に何らかの関わりをもった」
「ピーテル・プルビュス(1510-84)は、画家であると同時に本格的に地図制作にもとりくみ、測量技師たちと協力し、また自身も最新の測量技術を使って地誌的に正確な地図を制作した。17世紀のオランダにおいても、世紀初頭のピーテル・サーンレダムから世紀末のガスパル・ファン・ウィッテルにいたるまで、芸術家たちはさまざまな種類の地図や図面を制作した。」
p.228 「アルベルティ的遠近法においては、置換された世界を枠どられた窓を通じて眺める一定の距離をもって立つ観察者の存在が仮定されるのにたいし、プトレマイオスと距離点遠近法は、絵画を枠どられていない平面、その上に世界が刻みこまれる平面とみなす。そして、この二つの相違は、そのまま絵画概念に関わってくるのである。
プトレマイオス的方法によって獲得されるイメージはある点で測量に似ており、観察者の視点は測られるべき土地それ自体に含まれてしまうのである。・・・プトレマイオスにおいて重要なのは、測量ではなく、むしろいかにして球体の一部を平面上の投影するか、あるいは変形するかという問題であった。・・・プトレマイオスが提案し、のちにメルカトールが強制的に使いだす方眼網は、ルネサンス的遠近法の方眼網と数学的統一性においては共通するところがないわけではない。しかし、それらは特定の場所に位置する観察者、窓枠、そこを通じて外を眺める窓としての絵画という定義においては異なっている。プトレマイオスの方眼網、さらにより一般的には地理学的方眼網が、遠近法的方眼網を混同されるべきでないのはこうした理由からである。このような投影は、いわば特定の場所から見られたものではなく、またこの投影を通して何かを見るという性格のものでもない。それは単にひとつの平面上における作業でしかないのである。こうした図にもっとも近いのは、数学が関与する以前においては、パノラマ景観―例えばパティニールのいわゆる世界風景―であろう。そこでも特定の位置にいる観察者が想定されることはない。」
p. 229 「こうした地図的イメージは、アルベルティ的絵画によってはもたらされることのない世界についてのさまざまな種類の情報や知識を包含しうる柔軟性をもっているのである。」
「地図制作と分かちがたく結びついていると思われる2種類のイメージ」「パノラマ的眺望―地図的風景と呼びたい―と、都市景観あるいは地誌的都市景観」
ひとりで5時5分、室温28.4度。昨日と同じ時間帯に会議。
午前3時からのフランス対ベルギーを見ることは、真剣に検討しましたが、体調管理を優先しました。つまり、ライブで見ない、録画で見ることにしました。結果はすぐに分かります。1対0でフランスの勝ち。
9時42分武蔵境発の西武線。
まず、昨日届いた TLL の本から、一部コピー。
Svetlana Alpers, "The Mapping Inpulse in Dutch Art," in David Woodward (ed.), Art and Cartography: Six Historical Essays, Chicago: University of Chicago Press, 1987, pp.51-96
アルパースの書物の地図の章です。11時に生協に行って、昼食。レーメン。中央公論の最新号も購入しました。
12時40分から2時ぐらいまで会議。
2時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで3時50分、室温28.3度。朝一番で整骨院。午後に会議。再始動。
整骨院は、9時から9時半過ぎまで。コンビニで買い物をして帰ってきました。先に簡単におひる。
中央線が武蔵境に到着したのが、10時42分。一度外にでて、パンを購入。10時54分武蔵境発の西武線。
メールボックスにあった最終レポートをカバンに詰めて、図書館へ。ILL と TLL で届いていた本を受け取りました。ILL で届いた本は館内閲覧です。
次の2点のコピーをとりました。
Barbara Maria Stafford, "Artificial Intensity: Images, Instruments, and the Technology of Amplification," In Helmar Schramm, Ludger Schwarte and Jan Lazardzih (eds.), Collection - Laboratory - Theater: Scenes of Knowledge in the Seventeenth Century, Berlin: Walter de Gruyter, 2005, pp.338-354
Hartmut Böhme, "The Metaphysics of Phenomena: Telescope and Microscope in the Works of Goethe, Leewenhoek and Hooke," In Helmar Schramm, Ludger Schwarte and Jan Lazardzih (eds.), Collection - Laboratory - Theater: Scenes of Knowledge in the Seventeenth Century, Berlin: Walter de Gruyter, 2005, pp.355-393
もう1点の作業は明日にすることにしました。
→ 18.7.11 TLL で届いたのは次。
David Woodward (ed.), Art and Cartography: Six Historical Essays, Chicago: University of Chicago Press, 198712時頃研究室に行き、カレーパンだけ食べました。
12時50分から2時過ぎまで会議。
2時半に判子。
3時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。今日は暑くなりました。そうとう蒸し暑く感じます。
ひとりで4時30分、室温27.6度。朝起きた時点では、本日の予定はなし。大学は、先週で授業(春学期)は終わり、今週は試験期間です。私は試験には関係ありませんから、普通の大学では夏休み(夏学期)に入っています。会議は、7月いっぱいは普通にあります。もちろん、成績評価もあります。
土日、ずっと学会だったので、今日は、自宅でのんびりします。
ちいさいちびは、10時から試験ということで9時頃、自転車ででかけました。家をでて数分後、かなり大粒の俄雨が数分続きました。5分から10分程度だったと思います。ちょうど9時過ぎに杉並区を雨雲が通るというのは、雨雲レーダーで見ていたのですが、直前に晴れたので、娘に伝えるのを忘れました。
おおきいちびはその雨を見て、学校休もうかなと言っていたのですが、すぐに止んだので、出かけていきました。土日もまったく休まず、あっちこっちでかけているので、疲れがたまったいるようです。あと、課題もたまっているということです。朝、東の方に仕事にでかけた妻は、買い物袋を抱えて、2時頃に帰ってきました。
ひとりで6時15分、室温26.3度。化学史学会の年会、2日目。午後、最後のセッションで司会をします。
8時半頃家をでました。結局、後楽園駅への乗り換えの仕方は数多くあることがわかりました。西荻駅で電車を待っていると、東西線が来たので、東西線に乗り、飯田橋で南北線に乗り換えることにしました。10分程度余裕があるつもりだったのですが、9時31分頃、教室に入ることになりました。
11時過ぎに一度教室を出て、トイレ休憩。ちょうどよいので、大学の外にでて、昼食(博多ラーメン)を食べてきました。昼休み、教室に誰か、いたほうがよいだろうと考えたせいです。
昼休みは、教室でお弁当を食べた和田さん、内田さんと話をしていました。午後の特別講演は、長尾伸一さん。はじめまして、の挨拶をしました。お会いして、話を聞くと、なるほど、と納得できる方でした。
2時10分からの最後のセッションの司会。結局、おひとり、熱心に話す方の講演がのびて、10分遅れとなりました。10分なら許容範囲でしょう。最後は、多久和さん。科学史学会のシンポジウムのときに有益なコメントをくれた方です。ニュートンのプリズムの話をされました。私が最後、副会長として、終わりの挨拶をすることになっています。司会からそのまま終わりの挨拶にうつりました。今年の会場校担当者の石橋さんへの謝辞、来年の会場校を引き受けてくれる大野会長へのよろしく、そして、最後は編集長として、是非、発表内容の原稿化をお願いしますという挨拶となりました。
講演に関係して、次の本を頂きました。
『科学実業界 高峰譲吉博士物語―科学伝記マンガ』MPO法人高峰譲吉博士研究会、2015
原案:石田三雄『ホルモンハンター アドレナリンに発見』京都大学学術出版会、マンガ作画:濱田麻衣子教室の片づけを手伝い、しばらく四方山話(3役での話し合いを含む)をして、5時半前に会場をでました。6時半前に家に帰り着きました。
ひとりで5時50分、室温20.7度。雨は止んでいます。この土日、化学史学会の年会。中央大学の後楽園キャンパスです。グーグルマップで調べると、東西線から飯田橋で南北線に乗り換えて、後楽園駅で降りるルートを推奨されました。45分。
→8時45分頃家をでました。市ヶ谷で南北線に乗り換えました。乗り換えにけっこう時間がかかりました。後楽園駅に降りるのは、はじめて。9時20分の1分前ぐらいに会場となる教室に着きました。大野会長の挨拶からスタート。
懇親会を最後まで付き合って、終わりの宣言があったら、すぐに会場をあとにしました。今度は丸の内線、御茶の水乗り換えにしました。9時過ぎに西荻窪の駅に着きました。ガード下のコンビニで買い物をしてから帰宅。
ひとりで6時、室温26.7度。雨。朝一番で整骨院。
8時25分に家をでて、徒歩、30分。9時5分前に現地に着きました。施療は1時間。同じ道を帰り、途中でコンビニに寄って、10時35分に帰宅。おおきいちびは課題をやっていました。
昨日アルコールを摂取しています。途中で購入したカップ麺の豚骨ラーメンを昼食に食べました。
おおきいちびは11時半頃でかけていきました。
久しぶりに、エアコンのいらない一日。ずっと雨なので、気温が上がっていません。午後4時現在、室温24.6度。真夏の格好のままだと肌寒く感じるほどです。→午後8時、窓辺でしばらく気温を測定。22.0度。明日の予報は、最低24度、最高30度です。今が最低で、これからすこし気温が上がるということのようです。午後11時からのフランス対ウルグアイは、見ます。その次を見ると、明日に支障がでるので、今日はこの2時間だけ。→2対0でフランスの勝ち。2ゴールは、すこしラッキーなところがありました。→もうひとつの試合、ベルギー対ブラジルは、2対1でベルギーが勝ったそうです。
ひとりで5時35分、室温27.9度。夜半に雨。ゴミを出すために外にでると地面は濡れています。空はどんよりとした曇り。どうも、降ったり、止んだり、ということのようです。ずっと吹いていた強い南風は止んでいます。気温も湿度もあまり下がっていません。こういう感じが週末まで続く模様。
おおきいちび、中学生、ちいさいちび、妻の順にでていきました。雨はこまかく降ったり止んだりしています。台風接近のときのような降り方です。お昼休みに判子、午後に授業。そして、その後打ち上げコンパ。
11時18分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで、サンドウィッチ、牛乳、コンパのためのドリンク類を買ってから研究室へ。
荷物を置いたらすぐに図書館。次の本を受け取りました。
Paper Peepshows: The Jacqueline and Jonathan Gestetner Collection
ILL で本が届いているという連絡もあったのですが、ILL の本は館内閲覧のみです。時間のあるときにもう一度来ることにしました。『ユリイカ』に17世紀半ばのオランダの「覗き遠近法箱」に関する記述があると分かったので、また、図書館に探しに行きました。次でした。
北澤洋子「フェルメールの作品の前で」『ユリイカ』2008年8月号,pp223-227
そして、その記述は、次。
p.227 「1650年代半ばから1670年代にかけてオランダで作られた「覗きからくり」は、室内、ないし教会堂内の天井、床、四方の壁面を、遠近法の異なる消失点の方向で描き分けた版画面を箱状に組み合わせて、側面に空けた穴から片目で覗き込むものである。室内それ自体と化した遠近法箱を調くと、指ほどの大きさの描かれた人物像が等身大に感じられるという。視覚効果に訴える巧みな仕掛けである。サミュエル・ファン・ホーホストラーテンが残した一六五○年代後半の調きからくりの優品がよく知られている(ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵)。彼はカレル・ファブリティウスとともにレンブラントのもとで修行時代を過ごしている。
・・・・・・・・・・ 覗きからくりにおいて箱の内側の複数画面の組み合わせによって表現している視覚効果を、画家フェルメールは、ただ1枚のカンヴァスに、静謐な画面に取り込み、昇華させているかのようである。」『ユリイカ』2008年8月号は、フェルメール特集です。もう1点次の論文もコピーて読みました。
小林典子「ヤン・ファン・エイクとフェルメール:光の描出の系譜/“光学的精微の大全”をどのように記述できるのか?」『ユリイカ』2008年8月号, pp.206-222
私には重要な論点を提示してくれています。
ヤンとフェルメールに共通する手法として、3点が挙げられています。1) 金属表面への反映、2) 色斑(光の粒)、3) 視線のオペレーション(“全体の入念なスキャン[走査]”と“細部の上での視線の凝視[休息]”というオペレーション)。
第3点をもっとも強調したいと小林さんは書かれていますが、まさに、この点が、重要です。
指摘したのは、J. マロウです。James H. Marrow, History, Historiography, and Pictorial Invention in the Turin-Milan Hours, Turnhout, 1998, pp.1-14
pp.212-5 に「視線のオペレーション―「主題認知の新しいやり方」“全体のスキャン[走査]”と“細部での凝視(休息)”の質」という項を立てています。 p. 213「ヤンの画像はわたくしたちに(J.マロウが言うように)それを「機敏にスキャン(走査)」するよう駆り立て、「さまざまな行為者や彼らの四囲環境の細部の上でのちょっとした間[視線を]休息する」ことを要求し、ついで「ミニアチュールの[なかに進行している人物の]行動やプロットを観者の経験へと拡張する」。
p.215 「私たちはヤンの絵画において、マロウのいった、全体の走査から細部へと視線の移動を強いられ、ついで視線をその上に休息させる。」ネットで検索をして、次の論文にヒットしました。
Matthew C. Hunter, ""Mr. Hooke's Reflecting Box": Modeling the Projected Image in the Early Royal Society," Huntington Library Quarterly, Vol. 78(2015): 301-3284限5限と学部の授業。
5限のあとは、そのままコンパ。持ち寄り方式。最後は、私を含めて、6人。10時前に大学をお暇しました。西武線に乗ったのは、3人。中央線に乗ったのは、2人。10時4分の西武線を逃して、10時20分多磨駅発の電車となりました。11時前後に帰り着きました。ちょうどおおきいちびがバイトから帰ってきたばかりでした。私が先にお風呂。
今日のコンパは、打ち上げコンパ。2018年春学期の授業はこれにて終了。あとは、成績評価。101教室の授業の成績評価は、ひとしごとです。来週か再来週か、適当に時間をみつけてこなします。帰宅すると、次の本が届いていました。
田中英道監修『西洋美術への招待』東北大学出版会、2002
p.234 に図9-14 として「ホーホストラーテン《遠近法の箱》」が取りあげられています。pp.232-3 に次の解説が付されています。尾崎彰宏「第9章 バロックII」の一部です。
「観るものに目の悦びを与えるということでは、もう一つ作例をあげておこう。レンブラントの弟子であり美術理論家でもあったサミュエル・ファン・ホーホストラーテン(1627〜1678)の『遠近法の箱』が興味深い。ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されており、鑑賞者がじっさいに穴からなかをのぞくことができる。ナショナル・ギャラリーを訪れたら、ぜひ試してもらいたい。穴からなかをのぞくと、17世紀 後半におけるオランダのブルジョア家庭のようすが見える。これはたんに現実そっくりの仮象の世界がつくられているというだけではない。ヴァーチャル・リアリティとは、いかにも現実らしく見えるということを指すのではない。そうではなくて、われわれがそうあってほしいという架空の現実が出現し、それに没入していく仮象の世界をヴァーチャル・リアリティというのだ。この意味で、いかにもありそうな絵画空間は、観る者の欲望をあらわす視線に支配されている。言いかえると、それは、市民が求めた『幸福な生活』を現出させ、その願いに形を与えたのである。
この『遠近法の箱』の三方にはそれぞれ寓意画が描かれている。それぞれに『名声を得ようとして』『金を得ようとして』『芸術への愛ゆ えに』というラテン語の銘文が書きこまれている。古代ローマの哲学者セネカから引用されたもので、なぜ絵を描くのかという問いに答えるかたちになっている。したがってここに表明されているのは、絵画が宗教に捧げられる時代は遠く過去のものとなり、いまや絵画は名声、芸術への愛、金という満足を充たすためであり、そのためにはブルジョアの欲望にかたちを与える商品となるのである。」
この記述は、どうなんでしょうか?12時頃就寝。
ひとりで3時59分、室温27.8度。朝は曇り。時間が経つと、晴れ間も現れました。ベストエイトの最後の枠は、PK戦でイングランド。コロンビアを下しました。
高校2年生の次女に聞くと、男の子は、遅刻したり、来なかったりしているそうです。サッカー部は全滅ということでした。日本が決勝トーナメントで戦っているのを見ることができるのは、12年に1度ぐらいです。それを考えれば、そういうこともあるでしょう。久しぶりに会議のない水曜日。
10時に一度買い物。100円ショップとガード下のスーパーに行って来ました。
お昼ご飯の弁当を買うために、もう一度買い物。中村光一「フェルメールのカメラ・オブスクーラ利用説をめぐっての一考察」『東京工芸大学芸術学部紀要』6(2000): 29-42 をダウンロードし、プリントアウトし、読みました。
アルパースをもう一度きちんと読み直すべきだと気づきました。
ホーホストラーテンについては、79, 87-88, 106, 116-18, 120-21, 124, 129, 140-44, 153, 168, 233-34
ちなみに、人名索引以外にも、事項索引もつけてほしかった。p.229 「最初の「写実的」なオランダ風景画と言われているものは、一般には、偉大なオランダの素描家であるヘンドリク・ホルツィウスが1603年ごろに制作したハールレム近郊を描くいく点かの素描であると考えられている[図81]。知性、あるいは想像力に依存するのではなく、芸術家はむしろ自然の中へととびだし、平坦なオランダの土地の広がりとその上に散在する農家や町、教会の塔などをとらえようとした。このような表現がまず絵画ではなく、」
p.232 「素描で制作されたことは、ペンと紙とに本来具わる「自然に即した」性格によるものであろう。それは、筆や絵具やカンヴァスとは異なり、17世紀においてもアトリエの外へ持ち運びが可能な画材であった。それゆえに、ホルツィウスは外に出て、実際に見たものを描いた最初の画家であったとまで言わているのである。・・・・ それ以前から測量士、地図制作者、芸術家などは、風景を訪れ、風景を描きだすために風景を眺めていたのである。 ・・・ホルツィウスの風景描写は、写実主義の誕生を意味するわけではなく(どのみちこれは曖昧な概念でしかない)、むしろ地図制作的表現方法から風景表現への変化を意味しているではないだろうか。ここには土地にたいする新しい態度が見られる。風景を記録しようとするホルツィウスの意志とそれを平面上に置こうとする表現方法は、ともにこのような観点から説明することができるだろう。この時代の風景画というジャンルのすべて―多くのファン・ホイヘン、いくつかのロイスダール、ほとんどすべてのコーニンクの風景画―は、共通してパノラマ眺望として知られ、しばしばオランダの画家たちのもっとも重要な貢献とみなされているが、それはもともとは地図制作の習慣から発したものであった。(23)」
「ここで重要なことは、この場合の慣習的表現が同時代の地図に似ているということである。」
pp.232-3 「またこうした作品においては、風景表現にしばしば見られるわれわれの位置を確定し、われわれを風景の中に引きこむのに役立つ枠どりの方法が欠如していることに留意しよう。こうした風景は、通常鳥瞰図(この名称はいささか誤解を招きやすいものではある)と呼ばれている。それは観察者や芸術家の真の位置を示すのではなく、大地の表層が二次元的平面に変形される方式を述べたものである。こうした風景は特定の場所に位置する観察者を前提としていない。」p. 233 「「優れた地図はなんとすばらしいものか」と、サミュエル・ホーホストラーテンは、その芸術論に書き記している。「そこでは、素描芸術のおかげで、もうひとつの別の世界のようにこの世界を見ることができる。(24)」ホーホストラーテンの感嘆は、私が地図的風景と呼んだパノラマ風景に影響を受けた地図だけではなく、こうした風景表現にも適用できるものだろう。・・・ホーホストラーテンのこの言葉は地図とオランダ美術の関連を問題にするときには必ず引用されるが、彼がなぜ素描の項目において地図を論じているかということについてはこれまで誰も着目することがなかった。」
p. 234 「景観描写と地図制作は、17世紀オランダでは素描されるものという考えにおいて結びつけられていた。イタリア優位主義を標榜する16世紀末期の美術理論において、素描は芸術の構想、ひいては想像することと同義にまで高められた。これにたいしてホーホストラーテンは、素描を言語記述を構成する文字と不可分のものとみなし、軍事作戦、医学、天文学、博物誌、地理学などと関連づけた。」
p. 234 「多くの地図的風景画においては、小さな区域を扱う地図がそうであるように、建物、教会の塔のある町並、風車、群をなす樹木などが、個々の事物を喚起させるというよりは、むしろ文字どおり広がる大地の目印として、まるで旅行者を案内するかのようにたちあらわれている。このようなものの源泉は、結局、地図とか船舶航行のための案内書に挿絵として描かれた沿岸の表現[図84]、あるいはほかの種類の地図に見られる表記法に求められるのではないだろうか。コーニンクは、その景観における対象描写を簡略化する傾向が強く、とりわけこうした表現に近づいている[図85]」
pp.234-5 「地図表現ということを念頭におきさえすれば、ある風景画における場所を記録するさいの描写の仕方や関心の持ち方についてもより正しく述べることができるだろう。地方画家(おそらくヤン・ファン・ホイエンの師匠にあたる画家であろう)によるエンクハイゼンを描いた17世紀初頭の絵画は、極端に高い水平線、干拓地によって確立される一種の方眼網、目印となるものの表現などの特徴により、きわめて直接的に地図との関連を示している。」
p. 235 「ブリューゲルの「月暦画」に見られるような「地理学的」野心に満ちた風景から、同じ画家のリーパ・グランデを描いた素描やナポリ湾を絵画のような特定の場所に関わる「地誌学的」風景を区別するために、地図的用語を使うことができるのではないだろうか。ブリューゲルと地図制作との関わりを確認することにより、われわれは、ブリューゲル自身の作品の中にさえ性格の異なる風景表現が混じりあっていることを知るばかりか、それをよりよく理解することができるようになるのである。」
注22) Robert Harbison, Eccentric Spaces New York, 1977
注23) モンドリアンによる反転(風景から地図へ)
注24) Hoogstraten, Inleyding Rotterdam, 1678, p. 7.
注25) ケプラーの解説 Egon Klemp, Commentary on the Atlas fo the Great Elector, Stuttgart-Berlin-Zurich, 1971, pp.19
注26) Ernst Gombrich, "The Renaissance Theory of Art and the Rise of Landscape," In Norm and Form, London, 1966, pp.107-21 .
注27) Edward Norgate, Miniatura or the Art of Limning, Oxford, pp.45-6
ひとりで2時59分、室温28.4度。今日は35度の予報。明日は曇り、明後日は雨の予報です。週間天気によれば、木、金、土、日と雨マークがついています。
チャンネルと探し当てたとき、日本対ベルギー戦は、開始15秒でした。よい戦いをしたと思いますが、ロスタイムに1点を入れられて、3対2の逆転負け。もう一歩ですが、この1歩が大きい。午前中から会議。午後にも会議。
8時52分武蔵境発の西武線。
大学前のコンビニで、木曜日のコンパのための飲み物を8本購入。無理なく運べる量です。図書館に行って、オランダ絵画に関する次の2点を借りました。
越宏一『風景画の出現』岩波書店、2004
エディ・デ・ヨング『オランダ絵画のイコノロジー』小林頼子監訳、日本放送出版協会、2005
研究室に戻り、中身をざっと確認しました。私の関心に直接応えてくれる本ではありませんでした。
10時10分から11時まで学長室での会議。拡大部局長会議。
終わってからは研究室に戻り、お弁当。次の論文をウェブで見つけてダウンロードし、印刷して読み通しました。
Susan Koslow, "De wonderlijke Perspectyfkas: An Aspect of Seventeenth Century Dutch Painting," Our Holland - Quaterly for Dutch Art History , Vo.82 (1967), pp.35-56
これが、17世紀の特定の時期(およそ25年間に特定される)にオランダの小グループによってつくられた "Perspectyfkas" = Perspective Box に関する基本文献です。残っているのは、6点だそうです。その全てについての調査研究をまとめ上げたものです。
箱は、4角形のものと3角形のものがある、当初、絵は1面だったが、2面、3面へと増えていった、穴は覗き穴と照明穴(光を取り入れる穴)の2つがあった。覗き穴は、角ではなく、正面のパネル。照明穴は上面。箱の外にも絵が描かれた。
十分な光が射し込む状況で、覗き穴から見ると、まるでそのシーンにいるかのような感覚になるということです。中のパネルに描かれたのは、室内がほとんどであった。午後1時から4時過ぎまで会議。
4時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
夕方、母から電話があり、何事かと思ったら、近所のおじちゃん、おばちゃんが梅干しのことでテレビに出演する、たぶん7時過ぎ、ということなので、録画しつつ、見ました。CM多すぎ、展開遅すぎ、です。父と親しかったおじさんはでてきていました。テレビにはよくでています。あとの方は、私は知らないおばちゃんたちでした。母の友達がいるのかもしれません。
ひとりで4時30分、室温27.9度。朝一番で整骨院。午後に授業。月曜日の授業は最終日。夕刻、おおきいちびの歯医者。
ワールドカップ決勝トーナメントは、2日目。2試合ともに PK 戦。ロシア対スペインは、ロシアの勝ち。クロアチア対デンマークは、クロアチアの勝ち。
9時から整骨院。9時55分まで。家に戻り、着替えて、大学へ。11時6分武蔵境発の西武線。
春学期のあいだ、非常勤をやってもらった山口さんにご挨拶。3限4限の授業。
4時16分多磨駅発西武線、4時26分武蔵境発の中央線。黄金ライン。
駅前のコンビニと銀行で、おおきいちびの矯正治療費をおろして、帰宅。妻に渡しました。妻は、6時に現地の歯医者さんでおおきいちびと待ち合わせしています。
ひとりで6時45分、室温28.9度。快晴。昨夜、ちょっとした事件があったため、全員、遅くなっています。息子だけ、6時50分に起きてきました。
おお、もう、7月。
息子がUFO キャッチャーに行きたいと言うので、昼食後連れていってやりました。前と同じく荻窪。タウンセブンの屋上にもゲームセンターがあったことを思い出し、まず、そこに行ってみました。跡形もなく、なくなっていました。ということで、前と同じ、ナムコ。今日は不調でした。息子は自分の持っているお小遣いの範囲では、何もゲットできませんでした。私は、前と同じく、アルミ缶のお菓子ボックスにチャレンジ。3千円以上かかかりましたが、何とかゲットできました。息子には、あと数百円出資してやりました。ポケモンのぬいぐるみを1体ゲット。ちょっとしょんぼりとしていましたが、そういうのも勉強です。
おおきいちびは、夕刻、映画を見に行くそうです。課題がなかなか進まないと愚痴を言っています。
昨日から、Barbara Maria Stafford and Frances Terpak, Devices of Wonder: From the World in the Box to Images on the Screen, Los Angeles, 2001 (『驚異の装置:箱のなかの世界からスクリーンの映像まで』 を今一度きちんと読み直しています。まず、目次。
第1部は、Barbara Maria Staffordが執筆しています。題して、"Revealing Technologies / Magical Domains" 「技術を明らかにする/魔術的次元」
その下に、次の下位項目。
The Demon of Analogy
CabinetInstrument
Crystalline Machines
Domestic Reflections
Cog-in-a-Box
Techniques of Epiphany
Shadow Cave
Phantomware
Bright Oramas
Home Appliances
Cosmos in a Palm
第2部は、Frances Terpak の執筆。題して「対象と文脈」
その下に次の下位項目。
The Eye Natural and Artificial
Wunderkammern and Wunderkabinette
Display Cabinet with Assemblage
Selling Natural History
Lodestones and Magnets
Hoefnagel
Faceted Lenses
Experiments in the Home
Imaging the Moon
Microscopes
Solar Microscope
Zoosemiotics
Changing Images
Anamorphosis
Anthropomorphic Landscapes
Blow Book
Mirrors
Automata (Batteries Not Included)
The Pantograph and the Writing Automaton
The Boxes of Joseph Cornell
The Shadows of Kara Walker
Magic Lantern
Théatre de I'univers
Panoramas
Diorama
Carmontelle
Perspective Theaters
Vues d'optique
Images in Motion
Stereo
Light and Virtual Substance
Perspective boxes 透視箱/遠近法箱/覗き箱
Barbara Maria Stafford, "Artificial Intensity: Images, Insruments, and the Technology of Amplification, " in Helmar Schramm, Ludger Schwarte, Jan Lazardzig (eds.), Collection, Laboratory, Theater: Scenes of Knowledge in the 17th Century, Gruyter, 2005, pp.338-353?
Claus Jensen, "The Geometry of the 17th century Dutch Perspective Boxes" in B. Sriraman, C. Michelsen, A. Beckmann & V. Frieman (eds.), Proceedings of the Second International Symposium on Mathematics and its Connections to the Arts and Sciences, University of Southern Denmark Press, pp.89-106
Agnes Verweij, "Perspective in a box," Nexus Network Journal, 12(2010), 47-62ここで言われている"Perspective boxes "は、一種の固有名詞です。箱の内面に絵が描かれていて、それを覗き穴から見ます。もっとも有名なのは、ロンドンのナショナルギャラリーがもっているサミュエル・ファン・ホーホストラーテン(1627〜1678)のものです。Claus Jensenの論文は、これを扱っています。もう1点、ホーホストラーテンのものが、Devices of Wonder, p.238 にあります。図76「オランダ室内の遠近法箱 Perspctive Box of a Dutch Interior」(Samuel van Hoogstraten, 1627-78), 1662/63 ,oil on walnut panel and glass mirror, Detroit Institute of Arts,
→18.7.3
深谷訓子「サミュエル・ファン・ホーホストラーテン『絵画芸術の高き学び舎への手引き』(ロッテルダム、1678年)」『尾道大学芸術文化学部紀要』11(2011), pp.29-39
獨協大学の柿田秀樹氏も、サミュエル・ファン・ホーホストラーテンの周辺を研究されています。
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