5時半起床。ネットでバスの時間を調べました。6時3分京大前というのがあります。5時50分頃ホテルをチェックアウトして、バス乗り場へ。一人かと思ったら、6時過ぎにもう一人バス停に来た方がいました。
朝2番目のバスですが、途中からけっこう混んできました。6時40分頃に京都駅に着きました。朝食をと思ったですが、7時前に開いている店を見つけることができませんでした。仕方がないので、みどりの窓口で7時5分京都発ののぞみのチケットをとり、新幹線ホームに入りました。お土産屋さんもそれほど開いていませんが、4点、お土産を購入し、朝ご飯のサンドウィッチも買って、プラットホームへ。昨日の東京から京都は満席でしたが、今日はそこまでではありませんでした。
中央線のホームには特快が待っていました。いずれ今日は乗り換える必要があります。特快に乗り、中野で乗り換え。午前10時すぎ、妻のはやいという声を聞きながら、家に帰り着きました。
今日はまた寒い。
京都大学へは、ドア to ドアで4時間。ちょっと疲れると思いますが、10時から6時まで滞在して、日帰りというのは可能です。
私の場合、早朝に起きて、現地10時、というパターンになっています。
ひとりで4時30分、室温12.6度。昨日はとても寒かった。最高気温が10度に達しなかったそうです。
[橋本科研最終研究会]
3年間続いた橋本科研の最終研究会。京都の田中さんのお世話になります。
6時43分東京駅発ののぞみ201号で京都へ。京都駅着8時58分。
これまではずっとバスを使っていました。しかし、今回は10時からの研究会で、私が1番バッターで発表します。はじめてタクシーを使うことにしました。
タクシーの運転手さんは、もと呉服商あるいは呉服工業会社につとめていたそうです。鴨川沿いを走りながら、京都の桜の事情や昔の仕事のことを教えてくれました。しだれ桜が8分咲きぐらいでしょうか。
9時半に正門につきました。待ち合わせ場所は、時計塔の下のホール。9時50分に落ちあうことになっています。時間があるので、展示を見ていました。
三高はもと大阪(舎密局のあと)にあったそうです。それが京都に移ってきたのだそうです。全く知りませんでした。
そうこうしているうちに橋本さんがみえ、それから田中さんがみえました。河野さんは、これからタクシーに乗るという電話が田中さんの携帯にありました。ソファーと椅子のある部屋で河野さんの到着を待ちました。京大の様子をお伺いしました。
河野さんが来たところで、別の建物へ。出来て2〜3年以内の新しい建物の地下1階にセミナー室があります。使われていない雰囲気がありあり。SONY製4K のプロジェクターだけが置いてあります。
私の発表は、完全に紙のみ。10時半から12時過ぎまで。12時15分過ぎにオムライスがおいしい喫茶店に昼食に。私一人、スパゲッティ。田中さん、橋本さん、河野さんはオムライス。体育会学生用の量があるということです。橋本さんは残しました。河野さんは頑張って完食。
それから、農学部のキャンパスへ。立派な木があります。湯川秀樹の銅像もありました。そのまえには、ピンクのきれいな桜が満開でした。
田中さんの研究室は引っ越したばかりということで、半分、段ボールのままでした。ダクトがじかに天井に見える、実験系の部屋を何人かでシェアするそうですが、田中さん以外の方はまだ入居されていませんでした。河野さんが朝方作成したレジメをプリント、コピーしてから、もとのセミナー室へ。ずっと、小雨。喫茶店までは傘をさしませんでしたが、喫茶店のあとはずっと傘をさしていました。しばらく降るいきおいでした。午後は、河野さん、橋本さん、田中さんの順に発表。
河野さんはプリーストリーの実験器具、橋本さんは趣向を変えてグッディングの認知哲学的研究、そして、田中さんは20世紀の二つの核について。もともと関心はあったのだそうです。中尾さんといっしょに研究会を開かれたせいでしょうか、物理の核の方も取り組まれるそうです。
7時頃切り上げて、懇親会会場へ。10時ぐらいまで。
10時過ぎにホテルに入り、本日は終了。
ひとりで4時10分、室温14.8度。中学生もちいさいちびも午前練。
ふたりともお昼には帰ってきました。ちいさいちびはしばらく滞在してから、お友達のお家にお泊まり。勉強道具を持っていきました。中学生は夕刻に塾。午前中にコピーをとるためにコンビニにでかけて、その後、セイユーで牛乳ほかの買い物をして戻りました。
おおきいちびは久しぶりのオフ(バイトと授業と部活がないことを言っています)なので、夜、花見に行くそうです。ともかくよく出歩く子です。
つめの作業になります。なんとか間に合いそうです。
ひとりで5時30分、室温16.6度。昨日の作業の続行。
ちいさいちびは午前練。中学生は夕刻に塾。
夕刻に、冬物一斉クリーニングをとりにいきました。7点。けっこう重くてかさばる。おおきいちびのコートから2枚、ハンカチがでてきていました。(笑)。おおきいちびらしい。
ひとりで4時10分、室温13.8度。橋本科研の最終発表の原稿の準備。このことに集中します。
4時頃、散歩を兼ねて、ガード下のスーパーへ。妻からの依頼は、バナナと卵。アイスやおやつ等、ほかにもいろいろ購入。息子は午前練。夕刻に塾。ちいさいちびは完全オフ。おおきいちびはバイトのサンレンチャンと言っています。
ひとりで4時45分、室温13.8度。卒業式。挨拶したいという学生がいたので、でかけます。
9時半武蔵境発の西武線。卒業式に出席する学生と父兄の姿がちらほら。
片づけをひとやすみして、作業の継続。マルコ・ベレッタさんの「化学実験室の図像表示―ルネサンスからラヴォワジェまで―」が掲載されている『化学史研究』Vol. 27,No.1(2000)を本棚から探し出しました。
私が訳した原稿ですが、粗が見えてきました。古い歴史記述に基づく、かなり単純化した図式で語っています。
11時20分頃、卒業式が終わったので、アゴラ・グローバルの前に来て欲しいという連絡がありました。終わったばかりなので、大勢、アゴラ・グローバルの前にいます。留学から帰ってきたばかりの現役生と先に出会いました。次に、卒業を延期した学生と出会いました。ふたりに探してもらいました。
呼ばれたのは写真撮影です。卒業を延期した学生がちゃんとした写真機を持っていたので、彼に撮影を依頼。さらに、卒業生自身のスマホでも。しばらく撮影&歓談して、それぞれの場所へ。撮った写真はあとで送ってくれるそうです。
私は一度研究室にもどり、片づけだけして、帰途。12時28分多磨駅発の西武線。朝のうちはずっと曇り空だったのですが、正午にかけて、晴れてきました。
武蔵境エキナカの蕎麦屋さんで昼食をとってから、帰りの中央線。
ガード下のコンビニでベレッタさんの論文のコピーをとりました。すこしおやつも買って帰りました。
ひとりで4時30分、室温11.0度。今日からまた春の気温にもどるようですが、朝のうちはまだ寒い。ちいさいちびと中学生は終了式。私は、副院長としてほんとうに最後の会議が午前中にあります。
いつもとは違うパン屋さんで昼食のパンを買ってから、8時54分武蔵境発の西武線。片づけを続行。10時から会議。大学院の入試委員会。40分はかからずに終了。溶解文書の期間はすぎていたのですが、事務の方が大丈夫ですというので、3箱、先週作った紙を持っていきました。大学で仕事を続ける気持ちにはならなかったので、すぐに帰宅することにしました。11時16分多磨駅発の電車。天気もよく、気温の上がり、すっかり春の空気です。
武蔵境駅で、まず、薬(アレグラ)。それから隣の蕎麦屋さんで昼食のわかめ蕎麦。そして、ヨーカードーで子どもたちのおやつを7袋買って帰宅。一休みしてから、フォーブズの『蒸留術小史』を捜すことにしました。新しく届いた掃除機を使いつつ、進めますが、なかなか見つかりません。掃除と片づけはほんとうに苦手になってしまいました。疲れたところで、先に入浴。明日、また、すこし進めます。
→片づけは続行しますが、見つけられるかどうか疑問になってきたので、新しく発注しました。月末の発表には間に合いませんが、今やっている研究には必要です。
目的のものはまだ見つかっていませんが、部屋の各所に埋もれていた関連文献を集めることはできました。
ひとりで2時30分、室温10.6度。室温も思い切り下がりました。
昨日の編集委員会の宿題をこなしてから、再度就寝。再び目覚めて6時45分、室温9.9度。よく晴れています。最高気温で15度まで上がる予報です。すこし暖かさが戻ってくるようです。
『ゲンロンβ35』(2019年3月)をダウンロードして読みました。今の私の関心にとくに沿った論考2点が含まれています。
東浩紀 「観光客の哲学の余白に 第13回 触指的平面の誕生・番外編」
大山顕 「スマホの写真論 第19回 ドローン兵器と「卑怯」なSNSの写真」
ひとりで4時15分、室温15.1度。ちいさいちびは神奈川へ遠征。まだかなり辛そうですが、行くというので、行かせました。どういう状態で帰ってくるのかはわかりません。中学生は午前練。ここいらでは有名なマジック(ミニバスチーム)が参加するということです。
午後に学会の編集委員会と理事会。
12時半過ぎにでかけ、1時過ぎに御茶ノ水に到着。北口で7〜8分歩いて、財務的用件を処理、それから本郷サテライトへ。5叉路の一角の7−11でお金を降ろし、ドーナッツとコーヒーを買ってから、サテライト5階へ。1時半すぎ。
おやつを食べていたら、菊池さん、田中さんの順に見えました。
2時から3時まで編集委員会、3時から5時過ぎまで理事会。
私と河野さんは帰途。残りのメンバーは、駅前で夕食会。帰宅してすぐに風呂。風呂からでてきて、中学生といっしょに夕食。食べ始めようとしたら、ちいさいちびが帰ってきました。会場は小雨が降っていたそうです。雨のせいで、寒かったけれど、花粉症はあまり来なかったそうです。昨日がほんとうにひどかったので、家族一同、ほっとしました。
ひとりで3時50分、室温19.2度。中学生は6時10分。朝練に行くと言っていました。ちいさいちびは8時。現地9時半集合です。ゆっくりでよいそうです。おおきいちびは最近は不明。
私は新学期に向けて懸案事項を処理していきたいと思います。
ふと机の後ろを振り向き、目の高さの棚を見ると、加藤邦興『[化学機器と装置の歴史』(産業技術センター、1978)が目に止まりました。横になって落ちそうになっていた箱入りの本を手にとり、箱から中を出すと、今やっていることに関わる内容の著作でした。ちょうどよいので、読んでおくことにしました。
どういう文献に依拠したのかが気になります。文献のところをしっかりと分析的に読みました。まず、「原著を参照できなかったものについては、重引の形式をとったほか、著者名の右上に*を付しておいた。」(文献273)とあります。
16世紀、17世紀の原典は、英訳があるもののほかは、2次資料によっています。(重引です。)1978年出版の邦語文献で、16世紀17世紀の1次資料を直接参照しているということはあまり考えられません。20世紀の英訳か2次資料に引用されているものを重引されています。
そうした場合、いくらか不正確な点が生じるのは仕方ないでしょう。
例示:p.110 に「図3.38 リバヴィウスの2重式蒸溜缶(1959年)」というキャプションがあります。(図そのものは、2つのスチルを1つに組み合わせた非常に興味深いものです。左かわには、燃料補給塔が描かれています。)これは、よくあるミスプリでしょう。(1595年) が正しいと思われます。2頁前の「図3.36 リバヴィウスの分溜塔(1595年)」や4頁前の「図3.33 リバヴィウスの分縮蒸溜装置(1595年)」と比較すると、ほぼ間違いなく、このように言えると思います。
それに注がリバヴィウスの1595年を挙げていますから、ますます間違いないでしょう。
しかし、図版は、初版1597年の『アルキミア』の第2版(1606年)で追加されたものです。このあたりの基本的書誌事項は、いくら原典に直接触れることができなかったとはいえ、しっかりしておいて欲しかったところです。
→ この部分は、Forbes, Short History of the Art of Distillation, 1948 に依っています。フォーブズのなんらかのエラーかもしれません。リバヴィウスの1595年の著作として挙げられているのは、Alchemia Andreae Libavii ... Opera^ e dispersis passim optimorum autorum, veterum & recentium exemplis potissimum : tum etiam praeceptis quibusdam operose collecta です。どんなに調べても、Francofurti, 1597 はありますが、1595 はありません。Francofurti, 1597 は簡単にダウンロードできますから、800頁を越え、900頁に近づく大著を全部見てみましたが、そもそも図版は掲載されていません。フォーブズはいったい何をみたのでしょうか?
(Forbes, Short History of the Art of Distillation, 1948 は2009年5月19日に入手しています。現時点では、どこにあるのか、見つけることができていません。嗚呼!)
図版を、 F.Ferchl, A.Sussenguth共著 ; 原野太郎訳『化學技術史』慶應書房, 1942 で確認しました。『化學技術史』がリバヴィウスの1606年に掲載されている炉をまとめて載せている図に、加藤さんが1595年のリバヴィウスの図としているものがすべてありました。直接確認すれば間違いないのですが、でも、この時点でも、図3.33、図3.36、図3.38は、リバヴィウス(1606)が正しいと言って問題ないでしょう。昼食後、妻にアテンドしてもらって、吉祥寺にスーツの上下を買いに行くことにしました。紺色のジャケットに、スラックス3本。(2本買うと3本目ただと言われて、替えのズボンは必要かなと思い、お店の方の勧めに従いました。)
それから駅ビルのなかにもどり、パン、魚を購入。買ったものをもって私は帰宅。妻は、もうすこし買い物をし、裾直しをしたスラックスをもらってから帰ってくるそうです。
4時頃、帰ってきました。すぐあとに、ちいさいちびも帰ってきました。今日はめがやばいと言っています。相当の強風です。花粉が舞っているのでしょう。私もかなり目が痒い。ちいさいちびには、相当きているのではないかと思われます。
家にはカバンだけを置いて、ママにアテンドしてもらって、病院に行きました。花粉症の薬をもらうためです。
夕食後、ちいさいちびの花粉症が爆発しました。目が痒い、痛い、鼻が完全につまった、耳もむず痒い、口呼吸になって喉がいがいがする、とくに目の下がひどく腫れてきました。本人は、いたい、かゆい、と泣いています。腫れを押さえるため、タオルで冷やしてやりました。1時間近く、泣き叫んでいましたが、ともかく寝てみることになりました。お昼ごろ、次の本が届きました。
Franc Greenaway, A Science Museum illustrated booklet: Chemistry 1: Chemical Laboratories and Apparatus to 1850, London, 1966
どういうものか正確にはわからないまま注文したものです。ほんとうにちいさなブックレットです。40頁強の、正方形、取り説状のブックレットです。役には立ちます。[化学史研究第46巻1号(2019)]
『化学史研究』第46巻1号(2019)が発行されました。目次は次の通りです。[特集]大野誠「特 集 日本化学史――史料の調査法: 特集をはじめるにあたって」第46巻(2019): 1-2
[特集]八耳俊文「江戸の化学と資料調査」第46巻(2019): 3-10
[特集]水沢光「公文書の探し方―主要文書館の資料概要およびデジタル化の現状―」第46巻(2019): 11-16
[特集]亀井修「化学工業史料についての博物館の調査方法―現代の史料を中心として―」第46巻(2019): 17-24
[特集]古川安「化学史研究におけるオーラル・ヒストリー」第46巻(2019): 25-29
[広場] 新井和孝・鈴木美保・高島加代子 「化学者高山義太郎の関係文書紹介 」第46巻(2019): 30-35
[紹介] 大野誠「エッセイレビュー:ニュートン研究の現状 2008-2017 」第46巻(2019): 36-40
[紹介] 工藤璃輝 「ペジック『近代科学の形成と音楽』 」第46巻(2019): 40-41
[紹介] 大野誠「高林陽展『精神医療、脱施設化の起源』 」第46巻(2019): 41-42
[紹介] 新井和孝「『幕末佐賀藩の科学技術』上下巻 」第46巻(2019): 42-45
[会告] 第44巻(2017): 46
ひとりで4時、室温17.1度。いきなり17度を超えました。午前6時、ゴミを出すため、外にでました。わずかに雨。雨量を記録するかどうかはわかりませんが、どんよりした空にすこしの雨。
午前8時、まだ誰も起きてきません。中学生は夕刻に塾、ちいさいちびはオフ、おおきいちびは不明。8時15分上で音がしますが、降りてきません。→上でがそごそしていたのは、おおきいちびでした。バスケのOB/OG戦があるそうです。帰ってきて、バイトに行くといってでかけました。
私は懸案の散髪。かなり伸びていました。朝一番(9時)にでかけ、セブンイレブンによって帰りました。
いつのまにか雲が消え、快晴の青空に強風が吹いています。花粉も大量に舞っているでしょう。3時半ごろ、セイユーへ。おつかい。ウドンと卵を頼まれました。Gジャンを羽織っていったのですが、暑く感じました。
ひとりで5時10分、室温14.4度。今日も長い日になります。午前に1つ会議、午後に1つ会議、夕刻に退職教員を送る会。この会では司会を担当します。
9時6分、武蔵境発の西武線。大学前のコンビニでお昼を買ってから研究室。
部屋の片づけに着手。
10時から会議。20分遅れてスタートし、15分以内で終わりました。持ってきていた本を2冊図書館に返却し、それから事務棟3階に上がり、土曜日の本郷サテライトの鍵を借り、紐を捜しに外へ。大学前のコンビニにはなし。ロータリーのところのコンビニまで足を運ぶと、そこにありました。
2時20分から会議。3時ぐらいには終了。金先生とともに、研究院副院長としての終わりの挨拶をしました。
片づけですが、紙を3箱、不要冊子を一括り、そしてなにより、床の拭き掃除。片づけをやっていると、紐が2つでてきました。まあ、そういうものです。5時半から退職教員を送る会。10時からの会議に続き、司会を担当。司会といってもただの進行担当です。
8時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
片づけを行ったせいでしょう、かなり疲れました。
ひとりで4時15分、室温13.4度。午後に会議。3つあります。
10時18分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで昼食を買ってから研究室へ。調べものを続行しつつ、不要な紙の処理にあたりました。とりあえず、一箱つくることができました。
午後1時に生協の方が科研費最後の物品をもってきてくれました。
木曜日3限の教室ですが、これまで使ったことのない部屋が割り当てられています。アゴラグローバルの3階です。確認にいってきました。鍵がかかっていて、入室はできなかったのですが、様子はわかりました。それから生協でわずかの買い物。
会議は1時40分から2時過ぎまで。
その次の会議は、3時半スタート予定でしたが、30分程度遅れました。結局その次の会議は1時間近く遅れてスタートしました。終了は6時頃。
6時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。帰宅すると次の本が届いていました。
Bettina Meitzner, Die Gerätschaft der Chymischen Kunst: Der Tractat "De Sceuastica Artis" des Andreas Libavius von 1606, Stuttgart: Franz Steiner, 1995ビリングッチョも見てみました。Dover の英訳は、最初にイラストをリストアップしてくれています。全部で84点。そして「このリストは原典にはない。原典の木版画にはこのリストで与えた数字もタイトルもない。」と注記されています。
No.13 An Assaying Laboratory, showing balances, muffle, furnace for cupeling, etc.
私にはこの13が一番興味深い。編訳者は、試金実験室のキャプションを与えています。試験実験室、分析実験室の訳語を宛てることも不可能ではありません。ファーガソンにこの分野の記述があることがわかりました。『技術者の心眼』です。
p. 155 ルネサンス期にあらわれた挿絵入りの技術書には2つの伝統があると言います。ひとつは「機械の劇場」の流れ。もうひとつは「鉱物書」。「第二の伝統は、ゲオルギウス・アグリコラによる1556年の鉱業や冶金の工程の古典的研究に見られるように、もっぱら確立されていた技術を普及させたけれども、急進的な変革を促進するものではなかった。」
p. 159 (原著p.121)「技術の知識を挿絵によって伝えるという第二の流れは、十六世紀の中ごろに、金属や他の鉱/p.166/物の採掘、精錬を扱ったビリングッチョとアグリコラの本によって確立された。いずれの著者も、内容の充実した技術に関する知識と、ッ実際に行われている最良のやり方をふんだんに載せており、どちらの本も、分析、採鉱、溶解、精錬、鋳造といった種々の工程について、広範で詳細な記述と多数の図を含んでいた。ビリングッチョの『火工術』(1540)には、簡単なものであるけれど約85点の有益な木版画が入っていたし、アグリコラの『デ・レ・メタリカ』/p.167/(1556)には250点以上の木版画が入っていて、その多くは極めて精巧なものであった。」
エルカーの『試金論考』は、41点の図版を掲載しています。
Wolfgang Lefèvre, "The Limits of Pictures: Cognitive Functions of Images in Practical Mechanics - 1400 to 1600," in The Power of Images in Early Modern Science, Basel, 2004, pp.69-88 に関連情報がすこしあります。Lawrence Principe, "Alchemical Laboratories," in Art And Alchemy, Munich, 2014, pp.60-81 歴史の論文ではありませんが、一般読者向けにまとまった解説をしてくれています。
ひとりで4時40分、室温12.1度。朝一番で会議。中学生とちいさいちびはもうすこしで学年の終わり。
8時18分武蔵境発の西武線。
会議は9時から10時。本日に関しては、自宅の方が仕事に向いています。すぐに帰途。10時28分多磨駅発の電車。
いつものお弁当屋さんでお弁当を3つ買って、帰宅。
一度帰ってきていたちいさいちび、おおきいちびの順にでかけていきました。中学生は3時前に帰ってきました。中学校は明日が卒業式。2時20分、近所のコンビニでA3 のコピーを5枚とりました。我が家のプリンターでA4 のコピー(スキャン)は可能ですが、A3 が一定数を超えるとコンビニにおいてあるような大きなコピー機の方が結局効率的です。
3月末の発表ですが、コーエンの『アルバム・オブ・サイエンス』を出発点にしようと思いつきました。
16章「化学革命」の図版15点中、6点が化学実験室です。
Fig. 182 ラヴォワジェ夫妻の絵(ca. 1788) これはとても有名な絵です。ラヴォワジェは机に向かって執筆しています。ラヴォワジェ夫人は夫の方に手をかけています。
Fig. 184 化学天秤 トーマス・ノートンの錬金術式目より この絵では普通天秤に注目が集まりますが、背景は明らかに錬金術師の工房=ラボラトリーです。
Fig. 186 ベッヒャーのポータブル・ラボラトリー Johann Joachim Becher, Tripus hermeticus fatidicus, pandens oracula chymica, seu I. Laboratorium portatile cum methodo vere spagyrice ... Accessit ...., Francofurti ad Moenum, 1689. 第1部の最後の図11です。有名な図版です。
Fig. 187 リンの発見 ダービーのジョセフ・ライトの絵(1771) これもかなり有名な絵です。リン光のところだけが明るく、あとは暗く描かれています。
Fig. 188 17世紀の化学実験室の様子 David Teniers息の絵 ダフィット・テニールス David Teniers the Younger (1610-90) (900点中)22点の「錬金術師」というタイトルを持つ絵を残している。錬金術師の化学実験室としては、もっともよく知られた絵と言ってよいだろう。
Fig. 189 パリの科学アカデミーの化学実験室(1676) Memoire で出版されたルクラークの絵 Chemical Laboratory of Paris Academy of Sciences (1676) by Sebastian Le Clerc published in Memoirs on the History of Plants = Denis Dodart, Meémoires pour servir à l'histoire des plantes , Paris, 1676 本文の冒頭部に置かれた図版です。キャプションとしては、Projet de l'Histoire des Plantes とあります。この書の後半は、植物図譜です。1頁で植物図があり、その次のページに解説文があります。
Fig. 190 18世紀中葉の実践的化学 Universal Magazine, 1747 →正しくは、Chemicus, "The art of chemistry now in practice", The Universal Magazine of Knowledge and Pleasure, vol. 1 (1747), pp. 331-333; vol.2 (1748), pp. 135-138, 170-172 on vol. 2(1748), facing page 136. なお、 化学実験室の図像としては、vol. 1 (1747), facing page 331 に掲載されている"The First View" の方が興味深い。
Fig. 191 18世紀フランスの化学実験室 French Laboratory in the eighteenth century Capuchin Monk in the Louvre ルーブルのカプチン会修道士
Fig. 193 プリーストリーの実験室
表題に実験室という言葉を含むのは6点ですが、広い意味で実験室の室内を描くものを含めると9点にまで増えます。典拠を付加していきます。
夜半に目覚めて、少し仕事。ひとりで7時5分、室温10.5度。誰も起こす必要のない日曜日。
午前10時頃、3月末の科研費出張のためのチケットを購入するために駅へ。ほぼ例年通りです。ついでに、セイユーでお買い物。妻に夕食の材料を頼まれました。
帰宅すると、ちいさいちびがおでかけの準備中。友達と遊びに行くそうです。おおきいちびは午後遅く帰ってきて、5分の滞在でまた外出しました。今度はバイトです。制服をとりに来ました。
副院長として残された仕事は、4日。来週は、月、火、水。再来週は月曜日。月曜日はともに朝一番で会議です。
新学期開始まで、あと半月ちかくとなりました。新しい手帖に、授業スケジュールは書き入れています。先週もらった会議の日程を書き入れました。第2/第3週に学部教授会。第3/第4週に研究科教授会と大学院教授会。これだけです。役職がなくなると、見事に会議の数が減ります。
今やっている作業ですが、今月末の発表までに一応形になるようまとめます。そもそもアグリコラは『デ・レ・メタリカ』にいくつの木版画を掲載しているのだろうと気になりました。
多数というのは、すぐにわかります。ウィキを読むと、『デ・レ・メタリカ』の出版がアグリコラの死後1年もかかったのは、多数の木版画のせいだとあります。
具体的にいくつ?
フーバーは、図版の索引は付けてくれていますが、総数いくつとは書いてくれていません。ネットで捜すと、フリッカーの書籍史のサイト:アグリコラ という、おそらく、De Re Metallica | 1561 の図版をすべてピックアップしてくれているサイトがありました。そこに 262 photos とあるので、そのぐらいの数でしょうか。フーバーの英訳は、600頁を越える大冊です。2〜3ページに1つぐらいの感じでしょうか。
私の研究には、こういうふうに図版だけをピックアップしてくれているサイトはものすごくたすかります。
フーバーの英訳は、ファーランドにあります。
エルカーの図版との重なり具合も調べてみる必要があります。Album of ScienceのFrom Leonald to Lavoisier 1450-1800 がとりあげる化学の図版を確認しておきたいと思います。
Chap 16 The Chemical Revolution
Fig. 182 ラヴォワジェ夫妻の絵(ca. 1788)
Fig. 183 15世紀後半の蒸留炉
Fig. 184 化学天秤 トーマス・ノートンの錬金術式目より
Fig. 185 アンチモンのか焼 ルフェーブルの化学教科書の英訳から
Fig. 186 ベッヒャーのポータブル・ラボラトリー
Fig. 187 リンの発見 ダービーのジョセフ・ライトの絵(1771)
Fig. 188 17世紀の化学実験室の様子 David Teniers息の絵 David Teniers the Younger
Fig. 189 パリの科学アカデミーの化学実験室(1676) Memoire で出版されたルクラークの絵 Chemical Laboratory of Paris Academy of Sciences (1676) by Sebastian Le Clerc published in Memoirs on the History of Plants
Fig. 190 18世紀中葉の実践的化学 Universal Magazine, 1747
Fig. 191 18世紀フランスの化学実験室 French Laboratory in the eighteenth century Capuchin Monk in the Louvre
Fig. 192 大気の空気組成を研究するためのプリーストリーの装置
Fig. 193 プリーストリーの実験室
Fig. 194 ラヴォワジェの元素表
Fig. 195 ラヴォワジェの使った装置
Fig. 196 パリの科学アカデミーの巨大レンズ(1782)
以上、全体としてみると、実験室が6点ともっとも多くをしめます。この時代の化学を表象する図像として、代表的なものと位置づけられると言えるでしょう。Universal Magazineは記憶があります。3月9日にフェイスブックにあげた図版が「1747年12月『ユニヴァーサル・マガジン』に掲載された実践的化学の最初の様子」です。同じ図が『科学大博物館』の蒸留の項目にも掲載されています。「蒸留装置のある18世紀の化学実験室」というキャプションがついています。plate 23, facing page 331 と雑誌のページ数を明示してくれているのはたすかります。
グーグルブックでUniversal Magazine,vol.1(1747) をダウンロードし、パラパラと最後まで見てみました。グーグルブックなので、図版は潰れていますが、たしかに、facing page 331 にあります。しかし、今度は、 Fig. 190 としてコーエンが挙げている絵が見つかりませんでした。グーグルブックですから、その絵のページがただ死んでいる可能性もありますが、コーエンが引用を間違えた可能性もあります。時間のあるときに、調べてみようと思います。
→ 有名な画像であれば、グーグル画像検索でかかるであろうと思い、調べてみました。コーエンがFig. 190 として取りあげる図は割とすぐに見つかりました。上のキャプションには、"A Second View of Practical Chymistry bugun in the Universal Magazine in December 1747" とあります。
3月9日に私がフェイスブックに挙げた図は、"A First View of Practical Chymistry bugun in the Universal Magazine in December 1747" ですから、コーエンのものはその次ということになります。グーグルブックが画像を飛ばしたと見てよいでしょう。
→ Second View だから、次の号かもと思い、別のサイトで、第2号(1748)を見てみました。Universal Magazine,vol.2(1748), facing page 136 にあります。chemicus を名乗る人からの書簡という形で続いています。もしかしたら、Third View もあるかもしれません。(Third Viewはどうもなさそうです。)
コーエンのキャプションの不備は、正確には、Universal Magazine, 1748 とすべきところを、1747 にしたことです。1747年に始まった連載の1748年の号に掲載されています。→ 19.3.18 The Universal Magazine of Knowledge and Pleasure, London, 1747−1814
次のことがらを扱うと自己宣伝しています。
"Letters, Debates, Essays, Tales, Poetry, History, Biography, Antiquities, Voyages, Travels, Astronomy, Geography, Mathematics, Mechanics, Architecture, Philosophy, Medicine, Chemistry, Husbandry, Gardening and other Arts and Sciences; which may render it Instructive and Entertaining. To which will be added An Impartial Account of Books in several Languages, And of the state of Learning in Europe; also Of the New Theatrical Entertainments."
百科事典と重なる出版事業です。"and other Arts and Sciences" という言葉からうかがえるように、技術と科学の最新事情、先端的な基本事項を伝えようとしています。タイトルに "Pleasure" が含まれることからは、エンターテイメント性を重視していることもわかります。
hathitrust によるUniversal Magazine ここで閲覧できます。もとに戻って。図版は図版単独で掲載されたわけではなく、ある計画された連載記事の一部として印刷されています。
A Chemicus, "The art of chemistry now in practice", The Universal Magazine of Knowledge and Pleasure, vol. 1 (1747), pp. 331-333; vol.2 (1748), pp. 135-138, 170-172
第2巻のp.172 には「続く」とありますが、まだ続きを見つけることはできていません。
"The First View"は、vol. 1 (1747), facing page 331 にあります。 "The Second View"は、 vol.2 (1748), facing page 136 にあります。
ひとりで4時10分、室温13.4度。雨が降りそうですが、まだ降っていません。中学生は土曜日学校。ちいさいちびは雨が降っていなければ部活。
6時半までに、懸案であった10件近くの連絡事項をメールで送信しました。昨日やる予定だったのですが、資料を捜すので、メンタルエネルギーが尽きてしまいました。年度末に向かい、もうすこし仕事が残っています。
中学生は、学校でダンスをして疲れて帰ってきました。しかし、午後は、塾です。火曜日と木曜日のものを土曜日に振替ってもらっているので、もう休めません。文句を言いながら出かけていきました。
ちいさいちびは1時半を過ぎてから帰ってきました。こちらも疲れています。マスクをしたまま練習をしています。高地練習のような練習です。
ゆっくりお昼後半を食べたあと、ソファーに横になって爆睡。夜も鼻水や鼻づまりのせいで眠れない時間があるようです。こどものようによくねています。おおきいちびは、お昼頃起きて、朝ご飯を食べ、2時すぎに友達のお家にお泊まりだといってでかけていきました。
ひとりで4時55分、室温10.5度。けっこう室温でも下がりました。午前中に我が家の財務的用件の処理。
その後、とある資料を捜して、机の上の片づけに着手。なかなか進みません。→捜していた資料は見つかりました。片づけは、途中です。
ひとりで4時50分、室温12.1度。今日はまたすこし寒くなるようです。午後に面談。午前中に研究室の片づけをしようと思います。
9時6分武蔵境発の西武是政線。3階で台車を借りてから、研究室へ。
まず、科研費の残額の処理。11日に事務の方からメールをもらっていましたが、さすがに12日13日の間に作業をするのは無理です。
昨日からアイディアはいろいろ考えていました。パンフレットを見ながら、3点を決定し、会計課にメール。
それから溶解文書の箱詰めにかかりました。2箱つくりました。片づけ作業を頑張りすぎるとばてます。2箱を3階にもっていきました。手元の辞書にきちんとした説明がない、「浸炭法(cementation)」について、調査を続けることにしました。
まず、OED.
浸炭法の意味は、II. b. としてあります。'The conversion of iron into steel by absorption of carbon…from a mass of ground charcoal in which it lies embedded while exposed to strong ignition’ (Watts Dict. Chem.) 「浸炭法」と訳してしまえば、このことを指します。
1. The action or process of cementing or producing cohesion; the state of cohesion thus produced.
2. a. ‘The process by which one solid is made to penetrate and combine with another at a high temperature so as to change the properties of one of them, without liquefaction taking place’ (Watts Dict. Chem.).
液化することなく(熔解することなく)ふたつの物体が高温で相互に浸透あるいは結合し、それらの性質が変わること。
一般的にはこれでよいのかもしれませんが、実際には、もうすこし特殊な意味で使われていると思います。金銀の分離法を特殊に指す用語として、冶金術で使われていると思われます。
いろいろ調べていると、アブル・ファズル著『アーイーニ・アクバリー』訳注という原稿がヒットしました。そのp.101 注52 に次のようにあります。「金は天然では銀と混じって産出するので、銀を除去するためにもう一つの精製処理―セメンテーション―を受ける。」金の薄板の間に、礬類、塩、粉砕した煉瓦の混合物(セメンテーション用混合物)挟みこむ。日本でも「塩焼法」と呼ばれた方法が用いられた。鉄盤上において石で押しつぶした金塊と食塩を混合して土器に盛り、炉に入れて炭火で一昼夜焼く、さらに食塩と混ぜて焼く工程を繰り返した後、湯で洗って塩分を溶かし去る方法とされる。
前者の方で使われる礬類は、塩化銀を作るための触媒として働く。
基本文献としては、筑摩書房『技術の歴史』第2巻、フーバーの翻訳するアグリコラ、があることがわかりました。両方、自宅にあります。
アブル・ファズルの訳注者は、日本の「塩焼法」の参考資料として、次のものを挙げています。
山名寧雄「我が国古代中世および近世初期の金、銀、銅の精錬法」『拓殖大学論集』73(1970): 27-35
外語の図書館のメリットは、大学紀要を比較的よく集めていることです。4時頃、図書館書庫2層で当該雑誌を捜し出し、コピーをとりました。
家に帰るまでに読み通しました。「塩焼法」は p.33 に述べられています。アブル・ファズルの訳注者の引用する通りです。
金銀分離のためのセメンテーションのひとつがこれです。食塩と強熱することです。銀が塩化銀となって洗い流され、金だけが残る、という方法です。4時40分多磨駅発の電車で帰宅して、いっぷく、夕食、風呂がすんで、落ち着いてから足元にあるフーバーのアグリコラを引き出しました。p. 453 (Book X.)の注18でフーバーは次のように記します。
この金と銀を分離する方法は、非常に古いもので、ほぼ確実に中世以前にしられていた唯一のそして最初に使われたやり方である。要諦はこうだ。ブリオン(金塊)をそれが熔ける温度より低い温度で、ペースト状のものといっしょに長時間にわたって熱する=セメンティングを行うことだ。そのセメント(compositio)は2種類。
ひとつは、硝石と礬類と明礬または珪石の媒質からなる。銀は、この固まりによって硝酸銀と化し、固まりに吸収される。
もうひとつは、食塩と前と同じ媒質からなる。この場合、銀は塩化銀に変えられる。
アグリコラは、この2種類を区別していない。そして、両者をひどい仕方で混ぜている。
食塩を使うものは、食塩セメンテーションとでも名づけると混乱を防ぐことができるのではないでしょうか。『技術の歴史』第2巻は、重い山の下から取り出すのが大変でした。第2巻は、冶金の出発点を扱っています。p. 477 [灰吹法とは]べつの方法としては、転化によって銀を硫化銀にうつした。金=銀合金を、輝安鉱のような硫化物と木炭といっしょに加熱する。・・・硫化物に変化した銀は、灰吹法によってふたたび回収された。
非常に短い記述で、しかもセメンテーションという言葉は使われていませんが、これが輝安鉱(stibnite)を使うセメンテーションです。アグリコラは本文で、我々は、輝安鉱(stibnite)ではないセメントを使うというふうに表現しています。つまり、輝安鉱(stibnite)を使うやり方があったということです。
ここまでで、とりあえず、cementation は、内容に応じて訳し分けるしかないと考えます。炭素分を鉄の表面に導き入れて鋼にする浸炭法は、鉄だけに限定して使うのがよいでしょう。あとは、セメンテーションというカタカナを使い、輝安鉱セメンテーションとか食塩セメンテーションとか礬類(あるいは硝石)セメンテーションとか表現するのが一番間違いがないように思われます。
→ 19.3.15 あるものに、"Cementation", i.e. the displacement of a metal from solution by a metal higher oxidation potential という定義がありました。浸炭法のあと、意味が拡張しているようです。
Wiki を見ると、浸炭法は、Cementation process, an obsolete technique for making steel by carburization of iron とあります。an obsolete technique となっています。 Cementation (metallurgy) は、 a process in which ions are reduced to zero valence at a solid metallic interface です。かなりの変容です。
生物学、地学、医学のテクニカルタームの意味も生じています。
グーグルがトップにあげる定義が次。 1. the binding together of particles or other things by cement.
2. Metallurgy a process of altering a metal by heating it in contact with a powdered solid.
短い定義としては、これがよいように思います。「冶金: 粉末状にされた固体といっしょに熱することで金属を変化させるプロセス。」→ 19.3.16 OED は、"1684 R. Boyle Exper. Porosity of Bodies vii. 108 [Copper] put into a Crucible or Cementing Pot." のようにボイルの用法を拾っています。ボイルに用法があるのであれば、きちんと調べないわけにはいきません。
当該箇所は、NewRBW, vol.10, p. 141 です。
This we have divers times effected by a Cementation of Copper Plates, With common [sulphur] (much a kin to a way prescribed by some Alchymists to make Vitriolum Veneris) which we warily performed much after this manner. We took good Copper laminated to the thickness of a Shilling or thereabouts, and having cut it into small pieces, that they might the more easily be put into a Crucible or Cementing Pot, we strewed at the bottom of the Vessel some beaten [sulphur], and then covered it pretty well with some of these Plates, which were laid on flat-wise. Upon these we strewed another Bed of powdered Brimstone, and cover'd that also with Plates, upon which we put more Sulphur, & so continu'd making one lair of Brimstone, & another of Metal, till we had employed all our Plates, or filled the Crucible, being careful that the uppermost Bed, as well as the lowest, should be of Sulphur. This done, we luted on an earthen Cover to the Vessel, to keep the [sulphur] from taking Fire, and afterwards having placed the Pot amongst Coals kindled at a good distance from it, that it might be heated by degrees, we kept it for some few hours (perhaps Two or Three) in such a degree of Fire as was sufficient to keep the Sulphur melted (which is easily enough done) without bringing the Metal to fusion; the Pot being cold, we took off the cover, and found the Plates quite altered in Colour and Texture, some of them having a dark and dirty Colour, whilst others looked of a fine Violet or Blew; they were generally so brittle, that 'twas very easy to break them with ones finger, and reduce them to Powder.
以上の通り、ボイルは、硫黄を使って、セメンテーションを行っています。グーグルトップの定義をすこし書き換えて、「冶金: 粉末状にされた固体といっしょに熱することで金属を熔解させることなく変化させるプロセス。」ということでよいようです。→ 19.3.16
Wiki に冶金術におけるセメンテーションの例として、次があがっています。
Cementation is a type of precipitation, a heterogeneous process in which ions are reduced to zero valence at a solid metallic interface. ... Cementation of copper is a common example. Copper ions in solution, often from an ore leaching process, are precipitated out of solution in the presence of solid iron.
3月11日に記した "Cementation" の3つ目の意味です。金属の溶液中のイオン化傾向の差による析出です。現代でもその最適な条件を探る研究がなされています。この"Cementation" は意味をとれば析出でしょうが、今の化学者たちがどう訳しているのかも調べておく必要があります。
これで内容的にはほぼ解決といってよいように思われます。
なお、もっともよく使われるセメントの意味でのセメンテーションは、膠結作用と訳すようです。
表面に他の金属元素又は非金属元素を拡散浸透させる熱処理の総称として、拡散被覆処理又はセメンテーション、あるいは、拡散浸透処理という用語が使われることがあるようです。
さらに、メタリックセメンテーションmetallic cementationということで、鉄鋼を他の金属の粉末中あるいは気体中で加熱し、その金属を鉄鋼中に拡散、浸透させ、表面に耐熱性、耐食性、あるいは耐摩耗性に優れた合金層を形成する方法を指す場合もあるようです。→ 19.3.21 新しいボイル全集ですが、やはり弱点はあります。ひとつには、chemical process が弱い。索引にあまり取りあげていませんし、グロッサリーにもあまり取りあげられていません。ざっと調べてみた結果です。
cement あり
cementation なし
cupel あり cupel and calcination 7.315-16 gains weight when heated 7.309-12
furnace improvements to 3.396-7 use mercury to regulate temperature 13.298
becher experimentum chumicum novum11.384
glauber many
farner 2.xxii ehrenrettung 2.211
ercker なし
biringuccio de la pirotechnia 11.272
ひとりで5時15分、室温14.0度。一日中仕事。
駅前のパン屋さんでおやつのパンを買ってから、9時6分武蔵境発の西武線。
10時〜4時過ぎの仕事。9時〜5時よりはいくらか短くすみました。
4時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。疲れました。
おおきいちびは千葉での3日間の合宿が終わり、帰ってきて、すこし昼寝し、高校時代の友達との食事会にでかけたそうです。忙しい子です。午後10時ぐらいに帰ってきました。
ちいさいちびは花粉症がひどく、目が痛い、痒い、そうです。ときに、叫んだり、ときに、泣いたり。
ひとりで4時35分、室温14.1度。午前に後期日程の入学試験があり、午後ずっと会議が続きます。そして、夜、研究所の定年退職教員を送る会。長い一日となります。
8時30分武蔵境発の西武線。
9時過ぎから12時半ぐらいまで拘束されました。
午後は1時半から会議。案件が多く、学部教授会終了時で、1時間近く予定より延びていました。
その後の大学院の会議も案件山積みで、最後私が司会を一部担う総合国際学研究院教授会は、6時半をすぎての開始。10分で終わったので、7時前には終了。それから総合文化研究所で定年退職される先生方を送る会。3人の先生が来てくれました。明日も仕事があるので、私は8時半ぐらいでお暇しました。
8時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。1年で一番長い日です。疲れました。
ひとりで5時40分、室温14.7度。昨夜からの雨が降り続いています。けっこう強く降っています。
今日の朝一番の仕事は、ちいさいちびが昨夜つくったメモに従い、アマゾンに文房具を発注することです。付箋が切れたようです。午後に会議。
中央線が武蔵境駅に着いて、9時54分。12分待ちます。どうしようかと思い、一度外にでました。お腹が空いていたこともあり、エキナカの蕎麦屋さんですごくはやい昼飯のざるそば。それから隣の薬屋さんで切れかけているアレグラを購入。時計を見るとあと1分で西武線が出発します。急いで、西武線に飛び乗りました。
11時半ぐらいに書類を提出するため教務課へ。え、そうだったの、ということがわかりました。それから外にでて、大学前のコンビニで、おにぎり1個、みそ汁1カップ、それに大福を1個購入。
会議は1時から。2時を10分ぐらい過ぎました。次の会議は、始まってしまえば、5分。その後、大学院執行部で打ち合わせ。3時16分頃多磨駅につくと、車両点検(だったでしょうか?)の影響で、電車が遅れているということです。西武線では珍しい。たぶん、3時28分頃電車が来て、帰途。
すっかり晴れました。気温も高くなりました。帽子もマフラーもはずし、コートも脱ぎました。
作業は継続中。辞書・事典類をよく引いています。
『化学史事典』に「灰吹き法」の項目がないことに気づきました。せめてWiki程度の説明はあった方がよかったと思います。(金銀を鉛に吸収させてから分離する。)
cupel 《金銀試金用の》灰吹き皿。灰吹き炉。
cupelation 灰吹法
なお、『化學技術史』はこれを灰皿と訳していました。今はちょっと使えないと思います。
「レトルト」もありません。
retort レトルト 《乾留用・蒸留用・減菌用》 vt レトルトで乾留する。
項目としては「(水銀)アマルガム法」もありません。
→ 19.3.14 浸炭法(cementation)もありません。なお、cement には、浸炭法で使う木炭粉・砂の意味もあります。とくに金の浸炭法についての記述がありません。→ cementation には、どうも3種類を区別しておく必要があるようです。1つは、製鉄業でつかわれる浸炭法。これがもっとも有名です。あとは、製鉄法があまりに有名なので、混乱を避けるため、セメンテーションとカタカナ表記するようです。ひとつは金銀の分離法。付け加える物質は一定しなようです。塩の場合も、アンチモン鉱の場合もあります。もうひとつは、イオン化傾向の差を利用した、酸溶液中における、置換析出反応。しっかりとした文献で、確実なことを確認したいと思います。『科学史・技術史事典』には、肱岡さんによる「化学器具」pp.168-9があります。肱岡さんは次のように記しています。「土や灰、金属製のるつぼは物質の高温加熱に用いられた。もともとは灰吹法による金属分析用であった。紀元2,3世紀に生まれた錬金術師の工房は現代の化学実験室のはしりといえよう。」中世には、「曲がった細口を持つ蒸留容器であるレトルトが現れた。」そして、リバヴィウス(1606)より、フラスコやレトルトの図を掲載しています。
ディーバスの『ケミカル・フィロゾフィー』より、グラウバー。邦訳でpp391ff. 「ほとんど独学であったが、化学器具の開発の点で彼は卓越していた。彼は新しく工夫した炉を用いて従来よりも高温に到達できるようになり、その結果、蒸留可能な物質の範囲を拡張することが可能になった。・・・グラウバーの著作は、容易に入手することができたほとんどすべての物質に蒸留ないし分解を試みたことを明らかにしている。」
「1648年にアムステルダムで大きな実験室を設立」することができた。
p. 392 「祖国では、キッシンゲンに新たな実験室を設立した。そこで多数の弟子を雇ったが、そのなかのファーナーという者が守秘の誓いを破り、グラウバーの秘密の処方を鐘で売って公にした。」「再びアムステルダムへと去り(1655年頃)、そこで第3の実験室を設立した。」
p.394 「彼の関心は主として、個人にとっても国家にとっても実践的意義を有している地中現象ならびに金属、塩、化学合成物にあったのである。」明日は後期日程の入学試験。まだちょっと言い切るには早いのですが、前期日程は冬、後期日程は春、といえるようです。
ひとりで5時15分、室温13.4度。暖かさが戻りました。
めずらしく誰も起こす必要がありません。妻にはいつも驚かれるのですが、私は朝目覚めたとき、お腹が空いています。最近起きる時間は安定しませんが、6時過ぎにはコーヒーを煎れて、パンを焼き、朝食をとります。今は花粉症の時期なので、その際、アレグラを1錠飲みます。
そのときに新聞を読んだり、新刊書に目を通したりします。30分程度から1時間の範囲です。今朝は、金曜日に受け取った『ルネサンス・バロックのブックガイド』を手にとり、前をちょっと読んで、後ろから読み始めました。面白い。入手しようとしてまだ入手出来ていない本、存在を知らなかった本もあります。もちろん、この本も取りあげて欲しかったかな、というのもあります。
このようにまとまって配置されている価値は大きい。手元におき、気が向いたときにぱらぱら、ぱらぱら、読むのに最適な書物だと思います。誰が読んでも意味があるでしょう。初心者にとっても、最上級者にとっても、意義深い読書体験となるでしょう。→時間があるときに、少しずつ読み進めています。今やっている作業ですが、内田星美さんに関係する原稿があったかもと思い出しました。私のHDのなかで検索をかけると、次の2点がヒットしました。
内田星美「技術史の原典-10-「試金要術」・エルカ-「試金術」 」 『東京経大学会誌』184(1993): 161-191
内田星美「技術史の原典-11-エルカ-「試金術」-続- 」 『東京経大学会誌』185(1994): 157-192
実物がどこにあるのかはわかりませんが、pdf はすぐに探し出すことができます。私が今回最初に苦労した Muffel = Muffle は、カタカナで「マッフル」と表記されています。私も最終的にはそう表記すると思います。
先人の研究に敬意を表して、原典-10-のp.185 のなかから「試金天秤(精密天秤)」についてエルカーが記したことを内田さんの翻訳で引用してみましょう。
「試金天秤を清潔にごみのたからないように保管し、使用の際風に妨げられないよう守るために、きれいにがっちりと作った木製の箱にいれておかねばならない。これは両側に透明な明るいガラスをはめて、光がよく入って内部の物がはっきり見えなくてはならない。燈火は目にちらちらするので、箱の中を緑色にぬって、この色が際立ち目を安めるようにすることが望ましい。」エルカーの図4のキャプションの訳。
耐火粘土のマッフルその他の耐火用具と、その型
A. 昔から試金師が使って来たマッフル
B. ニューレンベルグの試金炉に用いるマッフル
C. 2つの口のある試金炉のマッフル
D.小さな開閉板
E. 底板
F. 蓋
G. マッフルの木型
H. 焼溶皿の底型
I. 上型
K. 焼溶皿の形
L. 試金用坩堝の底型
M. 上型
N. 試金用坩堝
O. 火力調整用の陶片エルカーの図17のキャプションの訳。濃縮した金の混汞とアマルガムの蒸留による水銀の回収
A.ハインツと呼ばれる塔
B.側室
C. 受け器として用いる陶器
D.陶製の蒸留器の頭
E. 頂上に水を流し込む口のついた瓶
F. 混汞職人
G.水銀を革袋からしぼり出している人
H.鉄瓶の底部
K.その上部
L. しぼり出し用の革袋
M. ふいごの前で金を再溶融している人エルカーの図20のキャプションの訳。試金と分離に用いられるガラス器具と陶器
A 〜C. 蒸留器の頭をのせた、被覆したガラスのフラスコ
D. 蒸留器の頭
E. 洗浄用の腕
F. 蒸留分の受け器
G.普通の受け器
H. 陶製のレトルト
K. 硝酸蒸留用の陶製の瓶
L. 金の試金に用いる小瓶と洗浄用の腕
M. ガラスの漏斗図21 硝酸蒸留用の「なまけ者のハインツ」
A. ハインツの塔
B. 火格子の上にある孔
C. 下の口
D. 側室の火格子
E. 側室
F. 開閉扉
G. 側室の覆い
H. 通風の栓
I. ハインツを構築する煉瓦
K. ハインツの蓋図23 硫酸蒸留炉の4つの型
A. ハインツの塔
B. 原料の入った蓋を入れる側室
C. ガラス製の受け器
D. 陶製の受け瓶
E. レトルトに用いる炉
F.気体が出過ぎた場合に備えて、大型の受け器に連結した小型の受け瓶
G. 長方形の炉
H. 硝酸の気体を追出すための側室図25 硫黄を使って金銀を分離する装置
A. 通風炉の内部
B. 準備の出来た通風炉
C. 通風炉の前の溝
D. 粒を硫黄で処理する瓶
E. 坩堝
F. 坩堝を取りのける鉄の火箸
G. 坩堝をつかむ道具
H. 溶けた物を鋳込む鉄皿
エルカーのもとの書物に、図版は、全部で41点、収められています。内田星美さんは2つの抄訳で、図3、図4、図5、図7、図8、図9(以上、第1報中)、図14、図15、図16、図17、図20、図21、図23、図25、図30、図31、図32、図35、図36、図38、図40、図41、の22点をとっています。ほぼ半分を掲載したことになります。
タイトルを入れると次のようになります。
図3:各種の試金炉、
図4:耐火粘土のマッフルその他の耐火用具とその型、
図5:キューペル用の灰の洗浄と成形、
図7:柄杓の中での銀の溶解と造粒、
図8:試金針と試金石、
図9:陶皿上の銀の精製、
図14:砂金の水洗機、
図15:砂金水洗機の第2の型、
図16:金鉱を焙焼・水冷する炉、
図17:濃縮した金の混汞とアマルガムの蒸留による水銀の回収、
図20:試金と分離に用いられるガラス器具と陶器、
図21:硝酸蒸留用の「なまけ者のハインツ」、
図23:硫酸蒸留炉の4つの型、
図25:硫黄を使って金銀を分離する装置、
図30:銅鉱の溶解による試金、
図31:銅と鉛を溶解し絞り吹きした円盤を鋳込む炉、
図32:銅と鉛の円盤を絞り吹きする炉、
図35:真鍮製造・鋳込用の炉、
図36:ゴスラールの鉛精錬炉及び炉中の亜鉛華の回収、
図38:土を浸漬し生成した硝石を試験する道具、
図40:硝石を晶析するための鍋と桶、
図41:硝石製造所、床と煮詰場
内田さんは、技術史の原典(10)の注 (p.190)で次のように述べます。「試金術 assaying, probieren はルネサンス期の西欧で発達した、鉱石および地金の諸金属の存在量を調べる実験的技法の総称であって、当時発展していた鉱山業者が発見、取得した鉱脈の採掘の経済性を予測し、また金銀細工師が地金の適否を判断し、一般の商人が貨幣の品位を判定して取引に当たって欺されないようにするという、実際的な必要から生じた。」「試金ー分析の操作の本質は、諸種の鉱物の混合物の中から金・銀などの特定の純金属を分離することにあった。」「これは、18年前に出版されたアグリコラの「デ・レ・メタリカ」の舞台と同一である。」
「本書の構成は5部に分かれ、第1巻は銀、第2巻は金、第3巻は銅、第4巻は鉛その他の金属を目的とした分析法が詳しく述べられている。第5巻は硝石及び明礬にあてられているが、これは金銀分離要の硝酸の製法が第2巻で述べられていることから、硝酸原料の硝石に筆が及んだのであろう。内容は、第1巻においては小規模な分析実験の装置及び操作に限定されているが、第2巻以降では、たとえば砂金採取の新機械、硝酸及び硝石の製造、銅銀分離の絞り吹き法など最新の工業的製法に筆が及んでいる。」ちなみにエルカーのこの試金書には1683年、John Pettus に英訳があるということです。このあたりは昔調べたことがあるので、たぶん、pdf も私のHD に眠っているのではないかと思われます。
こうなるとグラウバーの哲学炉の図も確認した方がよい。グラウバーの『新しい哲学炉』は、何種類かダウンロードしてHD内に収めているのですが、図版に関してGoogleBookのは使いやすくない(場合によっては使えない)ので、別の形態を捜しました。はじめてですが、Kindle でダウンロードして、読んでみました。グラウバーは図版としてはそれほどよいものではありませんでした。エルカーの図版から見ると、退化に見えます。そもそも17世紀において、エルカーの図版を越えるものはほとんど出ていないように見えます。文字を付して部分がはっきりわかるようにしていること、内部の仕組みがわかるように描いていることがメリットでしょうか。
ひとりで5時35分、室温10.3度。またすこし寒くなりました。
テレビの天気予報では、東京の土日は雨。しかし、J-COMさんでは、晴れです。杉並は雨が降らないということでしょうか。中学生は土曜日学校。妻も用事があって、朝から中学校。ちいさいちびは土日オフ。おおきいちびは最近私が出かけるころはまだ寝ていて、私が就寝してから帰宅する日が続いています。妻は合宿やらなんやらで来週はまた忙しいようだと伝えてくれています。
お昼の間に Bruno Latour & Steve Woolgar, Laboratory Life: The Social Construction of Scientific Facts (SAGE Library of Social Research), Beverly Hills and London, 1979が届きました。おそらく今回の研究に直接関係はないと思われますが、もっておいた方がようだろうと思い、発注したものです。
ひとりで3時45分、室温12.1度。ちいさいちびの学校は卒業式。ちいさいちびは先輩のため、おおきいちびは先輩として学校に行きます。
午後に会議。2つ連続します。
10時半武蔵境発の西武線。
本が2冊届いていました。
ヒロ・ヒライ監修『ルネサンス・バロックのブックガイド:印刷革命から魔術・錬金術までの知のコスモス』工作舎、2019
Isabel Malaquias and Peter J. T. Morris (eds.), Perspectives on Chemical Biography in the 21st Century , Cambridge Scholars Publishing, 2019
坂本様、加藤様、きれいな仕上がりの出版物、ありがとうございます。
2冊目は出版社の方から問い合わせがあり、review copy を送ってくれたものです。
今やっている作業の継続。11時半に生協で昼食。その後、購買部で新しい『中央公論』(4月号)とおやつをすこし買いました。『中央公論』4月号は、特集:文系と理系がなくなる日、です。表紙では、隠岐さんがフィーチャーされています。2時半から会議。前の会議が長引いて、40分程度待機。別室で待っているとき、今朝、会議があったことを知らされました。手帖に月曜日の午前で記入しています。なにをどうぼけていたのかよくわかりませんが、完全なミスです。
案件が多く、2つ連続した会議が終わって、5時を大きく過ぎていました。5時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。今日は、花粉がかなりきています。レムリはいつから図版を掲載したのか?
私は「1675年に出版されたレムリの『化学教程』は、途中から図版を掲載するようになった」と書いています。途中からって、具体的にはいつから?
第2版、1677
第3版、1681
第4版、1681
第5版、1683:3枚のページナンバー付きのengraved plates が付される
第5版(1683)からでしょうか。(以上、copac で調べました。)リバヴィウスをながめていて、図版に関しては、エルカーとアグリコラが重要だとわかりました。わかってしまえば、当たり前です。
まず、ピーター・モリスの新著から。モリスは、エルカーの図版を重視・重用しています。
p. 25 の図版6が「エルカーのBeschreibung(1574) による試金実験室」の図です。(原野太郎さんだとこれは「分析実験室」と訳されるでしょう。)
p. 26 の図版7が「エルカーのBeschreibung(1574) による金のアマルガム化と水銀の回復」の図です。
p. 34 の図版13が「エルカー(1580) によるPiger Henricus (と呼ばれる炉)の組立図」です。シスコとスミスによるBeschreibung(1574)の英訳は手元(足元)にあります。モリスがどの図を引用しているのかをまず確認します。
モリスの図6は、エルカーの図1[Figure 1. - View Insiede the Assay Laboratory],p.9
モリスの図7は、エルカーの図17[Figure 17. - Amaggamation of Gold Concentrates and the Recovery of Mercury by Distillation of Amalgam], p.113
中心は、A という文字のふられているHeinz と呼ばれる[athanor]塔 。モリスは、Piger Henricus (のろまのヘンリー)をいう呼称の方を採用していますが、同じものです。
("athanor" はなぜかリーダーズ英和辞典にありませんが、錬金術ではよく使われる言葉です。錬金術でいう消化digestio のためにほぼ一定に保たれた熱を提供する錬金炉です。一度燃料をセットするとかなり長い時間燃え続けるようにできています。別名 Piger Henricus = Slow Henry. 構造としてはパン焼き窯に似ている。)
モリスの図7は、エルカーの図21[Figure 21. - The Lazy Heinz for Distillation of Parting Acid], p.144 です。モリスは、エルカーの1580年版を使っていますが、Beschreibung(1574)のものとまったく同じです。「ぶたちゃんハインツ=のろまのハインツ=怠けものヘンリー」とは、金属の分離に使われる酸(特に硝酸)の蒸留塔(炉)です。
シスコとスミスによる英訳のカバーもエルカーの図1(試金実験室)を使っています。
モリスは、p.37 で面白い図を使っています。「図15:Pharmaceutical laboratory, 1747. 日付は新しいが、17世紀の薬局実験室と似ている。」
もとの図版のキャプションには、 "First view of practical chymistry began in the Universal Magazine in Dec 1747" とあります。この図版は、ウェルカムのサイトで CC-BY で入手・使用できます。図版だけ見ていた『化學技術史』の方も、文章を読んでみました。役にたつところはあります。
p. 89 アグリコラの後継者は、エルカーであったが、「彼はその後150年の間重要な位置を占めた。冶金化学及び分析化学の綱要を1574年に発刊した。この書は本文を明瞭に図解する立派な図をもっているが、酸製造や硝石製造の優秀な実験室の図 p.90 を特に述べて置く。かれの記事によればその著者が多くの点でかれの先人たちよりも遥かに明瞭な状態にまで問題を推し進めたことがわかる。純化学的な見地からすれば、かれはビリングッギオやアグリコラよりも相当進んでいた。
リバヴィウスの著書『Alchymia(錬金術)』は、その付録書とともに最初の真の国際的な化学教科書を代表している。
完全な化学研究所に対するかれの企画。
この研究所には、主な実験室と、分析実験室と、管理者用の個人の実験室がある。これに加えて、化学倉庫、椅子と用具を備えた準備室、大樽のある結晶室、貯蔵室、地下室、葡萄酒貯蔵室、木材貯蔵庫、徒弟用の部屋があった。実験室には、鉄菅で送られる水と木炭のストーブがあったし、浴室や蒸風呂もあった。比較的大きな設備には、大きな炉、砂浴または灰浴を備えた炉、湯浴、冷却装置のある蒸留装置とない蒸留装置、下方蒸留 distillatio per descensum、昇華、反射炉、大鞴、布片による蒸留 distillatio per lacinias (即ちサイフォンとして働く人組みの織目の細片による浄化)、糞浴がある。
p. 96
第60図 受器 リバヴィウス1600年頃
1.鉄製または磁製の、大きな管状の細頸瓶
2.単球状の細頸瓶
3.閉じた受器
4.5.6.双子受器
7.二球の受器
8.「テイーヴの Thieve's 」受器
9.普通の受器
10.胡蘆状受器
第61図 分析実験室 エルカー、16世紀後半
A.試金炉
B.試験される試料が注ぎ込まれる鉄板
C.試金炉の中の火を観るための隙間のある木製器具(眼を保護する装置)
D.金から試料を分離するための三脚上のフラスコ
E.水中での金銀合金の秤量
ひとりで5時5分、室温13.9度。雨。弱い雨が降っています。昨夜薬をきちんと飲んだせいか、雨のせいか、今日のちいさいちびの花粉症はいくらかまし。今日が定期考査4日目、最終日。午後は、明日の卒業式の準備があると言っていました。3年生の教科書を購入して帰ってくるそうです。
結局、花粉症は全員が昨日よりましになっています。明日は午後、会議がありますが、今日は学校の仕事はなし。
午前中に2号の原稿をプリントアウトし、必要な編集上の赤ペンをいれました。すぐに郵便局に行き、送り出しました。傘はさしませんでしたが、帰宅したときには、傘が必要な雨が降ってきていました。
おおきいちびは遅く起きてきて、正午に歯医者さん、その後バイトだそうです。雨が降っているので、自転車はおいていきました。
妻は、おおきいちびがでてしばらくしてから、荻窪に買い物にでかけました。
お昼過ぎに、日本の古本屋に発注していた次の本が届きました。
F.Ferchl, A.Sussenguth共著 ; 原野太郎訳『化學技術史』慶應書房, 1942
図書館で借りだしていますが、手元にあった方がよいだろうと購入しました。1942年の出版なので、紙と印刷の品質は低い。私が昔訳出した次の論文を読み直しました。
[翻訳]マルコ・ベレッタ「化学実験室の図像表示―ルネサンスからラヴォワジェまで―」『化学史研究』Vol. 27,No.1(2000),pp.1-16
その時点ではとてもよい論文だと言えますが、今となっては、ちょっと違うかな、と思うようになってきています。違うかなの部分が今の作業で明確にすべき点です。
1.ラヴォワジェ革命を劇的に描きすぎている。
2.ラヴォワジェ革命以前の図像表示法に生じた変化を軽視しすぎている。
『コペルニクスからニュートンまでの科学革命の百科事典』を引っ張りだして、実験室の項を読みました。Pamela H. Smith が執筆しています。pp. 351-3. 研究史のまとめとしてはこれでよいかと思います。事典項目に多くを求めすぎるのは間違っていますが、ただし、Laboratory in making にはほぼ触れていません。
ひとりで4時40分、室温13.4度。朝食のパンが切れかけていたので、5時半頃買い物へ。傘はさしませんでしたが、小雨が降り始めています。今日はこれから雨のようです。
息子は朝練に行くつもりでしょうか、6時10分に起こすよう書き置きがありました。
ちいさいちびは定期考査3日目。昨夜花粉症の薬を飲み忘れたそうです。あまりの目の痒さにクレージーになっていました。叫びながら、コンタクトではなく、眼鏡ででかけていきました。午前中に面談。
昨日、2019年の主要会議の案をもらってきました。月の中頃に学部教授会、月の後半に研究科・大学院教授会、基本、この3つの教授会に出席すればよいかと思います。
駅前のパン屋さんでパンを2個買ってから9時6分武蔵境発の西武線。
Facebook での作業、ベッヒャーのポータブル・ラボラトリー64点のアップが終了しました。11時に来客。
1時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ベッヒャーが一段落ついたので、ハリスを調べました。
LABORANT, he that attend on and works under a Chymist, while he is about any Process or Experiment.
LABORATORY or Elaboratory, a Room fitted on purpose for Chymical Operations, and furnished with Variety of Furnaces and Instruments necessary for that Art.
この LABORANT の定義はちょっと意外でした。特殊、化学に関連づけて使われる言葉だとは思っていませんでした。「化学者の下使い」ぐらいでよいでしょうか。→19.3.7 ハリスの全部を見直して、化学関係の図版をピックアップします。
ハリスの『技術事典』にも化学に関わる図版は少数掲載されています。以下がその全部です。
ALUDELS:昇華用凝縮器、昇華受器
BOLONIAN Stone 中のFurnace:炉
CRUCIBLE:るつぼ
FURNACE:炉
MATRASS:マトラス(長頭卵形のフラスコ:化学処理で乾燥物を熱するのに用いる)
RETORT:レトルト
REVERBERATORY Furnace:反射炉ALUDELS, are Pots used by the Chymists in Sublimations: They are without Bottoms, and are fitted into one another as many as there is occasion : At the Bottom (in the Furnace) there is a Pot holding the Matter to be sublimed; and at the Top there is a Head to receive the Flowers that sublime up thither.
This is the Figure of them.BOLONIAN Stone の記述中。レムリの最新の版のp.707 より、この際に使われる反射炉の形態が示される。
CHARACTERS CHYMICAL の一部に装置の記号も含まれる。
CRUCIBLE , is a Chymical Vessel made of Earth, and so tempered and baked as to endure the greatest Fire. They are used to melt Metals, to flux Minerals, Oars, &c. and are of this Figure.
A French Crusible と A German Crusible.FURNACE, the Chymists have several sorts of Furnaces, as the Reverberatory; which see under the Word : A Wind Furnace, or Furnace for Fusions, which is so called, because the Wind comes forcibly to blow the Coals, in order to Melt or Fuse the Matter in the Crucible or Coppel. This Furnace for Fusious is in form just like the Reverberatory, only less, and there is no need of laying the two Cross-bars there mentioned. They frequently also use Moveable Furnaces, whose make is like that of the Reverberatory, and they are made of a Past consisting of 3 parts of Powders of broken Pots, and two Parts of Clay well tempered together with Water.
Lemery gives the following Figure of a small moveable Furnace for Fusions.
c The Chimney
d The Dome, consisting of two Pieces
r Three Registers, or Holes, to let in the Air to come to the Fire.MATRASS, or Bolt-head, is a long strait-necked Vessel of Glass, frequently used by the Chymists in Distillations ; and when they are fitted to the Nose of the Alembick, they are called Receivers, because the receive the Matter which Fire forces over the Helm or Head of the Still. They are of this Figure. And when one of these is by its Neck luted well into the Neck of another, they call it a Double Vessel, which is used for the Circulation of Spirits, and for the Opening or Subtilizaing of any Body by a long Digestion.
RETORT, is an Instrument of Vessel in Chymistry, commonly of this Figure, used for Distillations of Oils and Volatile Salts, and also of Acid Spirits. 'Tis sometimes made of Glass, sometimes of Earth, and sometimes of Iron, according to the Nature of the Matter tobe distilled, and the Degree of Fire necessary to perform the Operation.
Earthen Retorts are best for the drawing of Acid Spirits, because they will bear the utmost Heat, and not melt, as Glass ones sometimes do. Therefore when you are forced to use Glass Retort in so strong a Fire, it must be coated or covered over with Lute. See that Word.
There is also another kind of Earthen Retorts, which are flat at the Bottom, and whose Nose or Beak turns upwards which in great Furnace are used for the Distillation of Acid Spirits ; and they Earthen Receivers luted to them.REVERBERATORY Furnace : which is a strong fixt Furnace of two Bricks thickness, and must be large enough to hold aa Retort, or more than one, for the Distillation of Acid Spirits, and other things. The Mortar or Lute for such a Furnace is one Part Potters Earth, as much Horsedung, and two Parts of common Sand kneaded in Water. The Ash-hole must be about a Foot high, and the Door contrived, if possible, so as that the Air may come freely to it, to light the Fire the more easily, or to encrease the Flame. The Fire-place need not be quite so high : At the top of it are two Iron Bars placed crosswise, to set the Retort on ; and then the Furnace is raised aabout a Foot higher, to cover or close the Retort : Then is there fitted to this a Dome or Cover with its Chimney, which is set on the top of the Dome on a little Hole, which then the Chimney is not used, hath a Stopple to it. This Dome may be made of the same Past that Portable Furnaces are usually made of ; which see under Furnaces.
And one may make according to his Fancy, Room, or Convenience a Furnace of this kind ; and there is no need of keeping exactly to this Form, especially as to the Dome, which is a large Reverberatory may be made with Tiles or Bricks placed over the Retorts, and Plaistered over with a Lute made of Ashes, melted with comon Water.
Here follows the Figure of Mr. Lemery's Reverberatory, which will serve to give an Idea of the former Description.
a The Ash-hole
e The Fire-place
d The Dome of Cover
b The Chimney
c The Receiver
f The Retort
Such a Furnace as this, will also serve for many Uses, as well as Distilling per Reverberium; as to Distill with the Refrigeraatory, in Balneo. &c. for the Copper Body may be placed on the Bars, and the Vessel holding the Water, Sand, Ashes, &c. as a little Practice will teach the young Chymists.
(太字は吉本による。)以上、ハリスは、装置の図としては、最新のレムリを使っています。(私の昔の研究「ハリス『技術事典』の起源」『化学史研究』第41巻(2014): 20-36 によれば、レムリの最新の版とは、フランス語の第8版から訳出された1698年出版の英語版です。)
なお、vol. 2 で追加された装置の図はありません。
"portable laboratory" の用語はありませんが、"moveable Furnace"や "Portable Furnaces" の用語は使われています。"portable"という語で第一義的に指していたのは、炉であったことを示しています。
→ 19.3.10 "moveable Furnace"という語は、炉の説明文で使われています。化学者は、可動的炉を使うこともある、それは、反射炉に似ている、それは3つのパーツからなる、レムリは次のちいさな可動的熔融炉を挙げている、と言って、レムリから図版を借用しています。
"Portable Furnaces"の方は、反射炉の説明の部分で使われています。炉の項目にある"Portable Furnaces"の説明を参照しなさい、という文脈で使われています。
ということで、ハリスが"moveable Furnace"や pPortable Furnaces"というフレイズで指しているのは、3つのパーツからなる(反射炉に構造的に似ている)レムリが挙げる炉、ということになります。もちろん、この炉がレムリの発明によるというわけではありません。便利なので、図をレムリから借用したというだけです。
ひとりで6時5分、室温11.1度。雨は止んでいる模様。昨日のアルコールがまだすこし残っています。息子は6時40分に起こすとすぐに起きました。定期考査2日目のちいさいちびは、7時40分ということです。7時をすぎると、日射しが玄関に射し込んできました。天気が回復して、暖かい春の日射しです。
マンプクを見て、マスクにフードというちいさい銀行強盗さんか、という格好で出かけていきました。午後に会議。午前中に予定されていた部局長懇談会は、審議事項なしということで取り止めになっています。2月に続き、2ヶ月連続取り止め。私にはたすかります。
10時6分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで昼食を買ってから研究室へ。昨日からの作業の継続。Facebook上で情報の整理にあたっています。
1時半から会議。3時まで。3時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
今日は花粉がひどい。目がすごく痒い。
ひとりで4時50分、室温11.0度。雨。まだ雨が降っています。ちいさいちびは今日から定期考査。4日間。
昨日整えた確定申告書類を郵便局から送って、登校。9時30分武蔵境発の西武線。
図書館に直行して、次の本を借り出しました。地下にありました。
F.Ferchl, A.Sussenguth共著 ; 原野太郎訳『化學技術史』慶應書房, 1942.6
Fritz Ferchl and A. Süssenguth, A Pictorial history of chemistry,William Heinemann, 1939 の邦訳です。この本は、原著がドイツ語で、英語に訳されたものです。
研究室にもっていき、中身をチェックすると、私が昔科研費で購入して図書館に入れた本でした。すっかり忘れています。記述は古いのですが、集められた図版には価値があります。11時半、生協で昼食。
すこしおやつを買って帰りました。12時40分から2時10分まで、大学院企画運営会議。終わってすぐに大会議室へ。 2時20分から学部教授会。3時ぐらいには終了。
朝方借りた本で作業を進めました。かなり進めることができたと思います。7時半から大学院執行部の慰労会。金先生が武蔵境の和食屋さんを予約してくれています。薬屋さんによってからと思ったので、6時4分多磨駅発の電車に乗りました。一番便利なエキナカのマツモトキヨシにしました。歯ブラシ、歯磨き粉、それにきれたアレグラ。
地図は印刷してポケットにおさめています。スキップ通りから行って、パチンコ屋さんのところを左折。バス通りをまたいで、向こう側にありました。
お店で休んでいると、お店に金先生から電話。道を迷われたようです。お店の方に案内されて、おふたりでお見えになりました。
お二人の長は、おそくなるのではないかと予想していました。1時間遅れでお見えになりました。夕刻の会議が長引いたそうです。(私は朝の電車で、理事のおひとりに、もめているという情報をもらっていました。)そこから約2時間。
久しぶりに外でビールをのみました。11時頃帰宅。おおきいちびが食卓に座っていました。9時半頃、合宿から帰ってきたそうです。楽しかったと言っています。
妻が風呂からでてくるのを待って、入浴。すぐに就寝。大学で作業する時間がかなりありました。
Facebook にPortable Laboratory シリーズを掲載することにしました。
最初は、ベッヒャーの Portable Laboratory の有名な図。
画像科学技術医学史をテーマとした橋本科研は、3月末で無事3年間の研究期間を終えます。最後の発表は、当初、結晶学の系譜を追いかけるつもりだったのですが、ラボラトリー(図像と言葉)に変更することにしました。錬金術師のラボの様子は、比較的多く、絵に描かれています。実験室の室内の様子も面白いのですが、前から気になっていたベッヒャーのポータブル・ラボラトリーを一個一個確認してみようと思い立ちました。ここに掲げる図は、かなり有名なの図像なので、科学史に関心を持った方なら、どこかで一度は目にした絵ではないかと思います。Joh. Joachimi Becheri, Tripus hermeticus fatidicus (1689) という著作の最初、I. Laboratorium portatileという論考に収められています。(全部で3つの論考からなる、死後出版の著作です。)全部で64の装置・器具が描かれています。容器、はさみ、トング、天秤、レトルト、坩堝等はすぐにわかりますが、ぱっとみただけではなんだかわからないものが多くあります。まず、これを確定しようと思います。ベッヒャーは、それぞれにキャプションはつけています。
以下、予想外に大変だったのですが、これを一個一個追いかけたいと思います。2番目のアップは、図の1.
ベッヒャーが掲げる64の器具の最初のものです。
ベッヒャーのキャプションは、次。
1. Muffel sive Fornix probatoria
最初からえらく苦労しました。形状はすぐにわかりますが、言葉がわからない。辞書を引いても、おそらく、マフラーと同じ語源の言葉であろうということは、想像できますが、辞書にないものに関して確信をもつことは難しい。
(途中経過は省略していうと)リバヴィウスにほぼ同様の絵がありました。糞浴装置にかぶせるものだとわかりました。
私の考えた案が、「マッフル(覆い)」です。
(これも途中経過は省略しますが)1942年に翻訳出版された『化學技術史』に原野太郎さんによる訳があることがわかりました。その選択が「被覆(マッフル)」。私とほぼ同じでした。このあたりになるでしょうか。3番目のアップは、図の28.
実は、ベッヒャーの上の段は、どれも難しい。
ぱっと見て、一番不思議なものを次には取り上げましょう。
ベッヒャーのキャプションは、次。
28. Pes leporinus pro verrendis pulveribus.
原野太郎氏の訳は、「兎爪」。
私の案は、「埃払い用うさぎの足」。
うう、ここに、うさぎがでてくるとは。4番目のアップは、天秤3つ。図では、41,42,43。
天秤は、さすがにわかります。
以下、ベッヒャーのキャプション
原野太郎氏の訳語
私の案
とたてに並べました。 41は、精密天秤です。
41. Statera docimastica.
分析用天秤
試験天秤
42. Bilanx pro ponderando auro.
金天秤
金天秤
43. Bilanx civilis.
普通天秤
通常の秤
今回の研究の順序。まず、ベッヒャーのポータブルラボラトリーが収められている Becher, Tripus hermeticus fatidicus, 1689 をダウンロードしました。正確な書誌は次。
Johann Joachim Becher, Tripus hermeticus fatidicus, pandens oracula chymica, seu I. Laboratorium portatile cum methodo vere spagyrice ... Accessit ... II. Magnorum duorum productorum nitri & salis textura & anatomia ... adjunctum est III. Alphabetum minerale ... His accessit concordantia mercurii lunae ..., Francofurti ad Moenum, Sumptibus Johannis Georgii Schiele, 1689.
有名なポータブルラボラトリーは、図11として掲載されています。
その一覧表には、8×8=64点の器具の図がまとめられています。ベッヒャーは、それぞれの器具には、キャプションをつけていますが、そのラテン語がなかなか難しい。辞書で調べても、そもそもなかったりします。ネットで検索をしていると、次の論文がヒットしました。
Dr. Fritz Fershl, "Chemisch-pharmazeutische Geräte des 17. bis 19. Jahrhunderts," Südedeutsche Apother-Zeitung, No. 29(1950): 569-576
このなかに、ベッヒャーのキャプションの一部ドイツ語訳があります。正確には訳というよりも、ドイツ語でキャプションを付け直したものでしょう。ラテン語だけよりも、ラテン語とドイツ語の2言語ある方が調べが進みます。ラテン語とドイツ語の辞書を交互にひきます。それでわかるのもありますが、不明なのも多く残る。Fritz Fershlには、英訳された古い書物があることがわかりました。
Fritz Fershl and A. Süssenguth, A Pictorial History of Chemistry, London, 1939
この本にベッヒャーのキャプションに英訳があります。
図書館にあるかなと思って調べていると、なんと、邦語訳があることがわかりました。しかも、不思議なことに、外語図書館に収められています。
F.Ferchl, A.Sussenguth共著 ; 原野太郎訳『化學技術史』慶應書房, 1942
図書館の地下で借り出すと、これもなんと、私が入れた本でした。昔科研費(平成3年度)で購入して図書館に収めていました。記憶にはありません。
これで、ラテン語原文、ドイツ語キャプション、英語訳、日本語訳が揃ったことになります。
しかし、これでも100%解決といかないところが、この種の調査の難しいところです。「エフ・フェルフル氏はドイツ薬剤師連合会の会長」、「ア・ズュッセングート氏は1906年から35年にかけてミュンヘンのドイツ博物館化学部の創設者である且つ部長の職にあったひと」です。ドイツ語訳に関しては、ある程度信頼することができるでしょう。エフ・フェルフル氏とア・ズュッセングート氏の仕事を出発点に、調べていくしかありません。
調べ方としては、同一あるいは類似の図版を探し出して、そこにふされたキャプションと説明を読む、という方法を思いつきました。これはやってみるしかありません。ベッヒャーの64点のうち、最初が、1. Muffel sive Fornix probatoria. わおー。これが難しかった。英語で言えば、muffle や muffler の語源となっているフランス語と同系統の言葉であろうという推定はできます。muffleには、陶器焼き窯などの間接加熱室の意味もあります。「間接加熱室」がおそらく Muffel の1形態だろうことも想像がつきます。
図としては、他でも見た記憶があります。ネットで検索をかけていて、リバヴィウスに類似のものがあることがわかりました。その図の説明には、 Muffle 糞浴装置の覆いとあります。(糞浴装置の絵もあり、ムッフェルがそれに被せる蓋、覆いであることは間違いありません。)
途中、諦めかけていましたが、なんとか回答に辿り着きました。
→ 見た記憶があったのは、チェンバースの百科事典(Ephraim Chambers,Cyclopaedia, 2 vols., London, 1728) の巻末に収録された化学装置一覧の最初(左上)でした。
Mufflesとして、5つの図が並べられています。
A Muffle with a fixt Bottom, A Muffle with a Moveable Bottom, A Spheroidal Muffle , A Mould for Making the Spheroidal Muffle , A Mould for Common Muffles ,
数字の1は、最初の3つのマッフル(ムッフル)を指します。数字の2は、それを作るための型(モールド)を指します。
1にムッフルを置くのは、ベッヒャーを踏襲したのかもしれません。→ 19.3.6 こういうふうにわかってしまえば、調査は進みます。
OED には、muffle, n.5 として次の記述があります。
Origin: A borrowing from French. Etymon: French moufle. (French moufle (1579 in Middle French in this sense; compare Italian muffola ..)
a. Metallurgy and Chemistry. A cover which encloses an object that is to be heated in a furnace or kiln and shields it from the flames and the products of combustion. Later also: a chamber in a furnace or kiln that is heated on the outside, so likewise providing protection from the flames.
炉や釜において、火や火による生成物が直接当たらないようにするカバーの役目が中心です。
1644 K. Digby Two Treat.
1677 tr. C. Glaser Compl. Chem.
1742 Philos. Trans.
こうした用例から始まり、20世紀まであります。化学や冶金の分野では、テクニカルタームとして少ないながら使われていると言ってよいようです。カタカナの表記も OK ということになります。
→ちなみに google による翻訳では「冶金学および化学 炉や窯で加熱される対象物を囲み、それを炎や燃焼生成物から保護するカバー。 後にも:外側で加熱されている炉や窯の中の部屋、したがって同様に炎からの保護を提供します。」
個人的には十分だと思います。→ 19.3.7 分かってしまうと、あとは芋蔓です。ハリスにもありました。
MUFFLE, in Chymistry, is the Cover of a Test or Coppel which is put over it in the Fire.
ひとりで4時45分、室温12.9度。おおきいちびは千葉の方で2日間にわたる合宿だそうです。5時半に起こして欲しいということです。→ばたばたばたばた起きてきて、ばたばたばたばた出かけていきました。
中学生は7時20分頃起きてきました。しばらくすると雨の音。今日は雨のようです。そして、今週は雨の日が多い。春が近づいてきたしるしです。
中学生は友達とカラオケに行く約束になっているそうです。8時45分に来てくれるということですが、友達の到来がすこし遅れました。玄関、台所、自分の部屋をうろうろうろうろ。準備万端整えて、妻は、玄関に座らせました。10分遅れぐらいで、友達が到着して、無事、でかけていきました。誰も起きてこないうちに、確定申告の作業をしていました。納付金額がすごいことになって、びっくりし、一度中断しました。概算をしてくれる別のサイトで入力しなおしてみました。去年の数字と比較しても、最初でた数字は、あり得ない数字です。入力ミスがあったのではないかという結論に至りました。
すこし時間をあけてから、もう一度やり直してみます。→昼食前にやり直しました。やはり、入力ミスだったようです。(どれかの数字の0をひとつ少なく打ったようです。)新学期は4月4日にスタートします。つまり、ほぼあと1ヶ月。スケジュール表として使っているカレンダーと手帖に授業の進行を書き入れました。10連休もあるので、4月でその授業の雰囲気が決まるでしょう。
コンピューター上(中?)で来年度のカレンダーを捜しだし、正確な学事暦を確認しました。最近の注意事項は、休日であっても授業をやる日がけっこうあることです。私立でも国立でもその状況にあります。
2019年外語の場合、
祝日授業日は、5月6日(月曜日)、7月15日(月曜日)、10月14日(月曜日)、11月4日(月曜日)、12月23日(月曜日)
です。月曜日に5回あります。(正確には、12月23日は、祝日ではなくなるので、普通に授業日となります。)春学期に2回、秋学期に2回、月曜日の祝日はなくなる計算です。
あと、外語の特殊行事でボート大会があります。6月20日(木曜日)です。
ひとりで5時5分、室温12.3度。息子はお弁当をもってでかけます。午前中は部活、午後は小学生がやってきて、部活体験をします。そのホスト役です。
『(記号図説)錬金術事典』(同学社、1996)によって、装置・道具をまとめます。
p. 77 蒸留 distillation, Destillieren, Destillare, destillatio
蒸留容器 receiver, Recipient , Receptaculum
蒸留器 アレンビック、ランビキ alembic, Destillierblase, Vesica destillatoria
蒸留器の円蓋 capital , Destillierhelm, Alembicus
砂坩堝 sand cupel ,Sandecapelle , Capella
反射炉 reverberatory furnace, Reverberierofen , Reverberatorium, Reverberium
フラスコ bottle, Flasche, Ampulla
閉鎖コルベン、密封フラスコ cucurbit Blinder, geschlossener Kolben, cucurbita coeca
坩堝(熔融) melting pot, Schmelztiegel, crucibulum, catinus, Tigillum
レトルト retort , Retorte (Elephantenhals), Retorta, Cornutum, Matracium
濾過グラス filter, Filtrierglas (mit Zuberh&oul;r), Filtrum今の作業にちょうどよいので、次の本をダウンロードしました。
Fritz Fershl and A. Süssenguth, A Pictorial History of Chemistry, London, 1939
もとはドイツ語の書物です。古い書物ですが、古い時代の図版の収集は役に立つでしょう。
昨日ダウンロードして使っている論文と同じ著者です。
ひとりで4時10分、室温12.8度。午前中に池袋で出張校正。午後、大学にもどり大学院の面接2件。
9時に家をでて、9時55分に現地に着きました。1階でエレベーターを待っているとちょうど新井さんが見えました。2校が終わっているので、おおきな作業はありません。吉田さんも見えたので、とくに表まわりを新鮮な目でチェックしてもらいました。
終了後私は大学に直行。しかし、お腹が空いていたので、新宿駅内の立ち食い蕎麦屋さんで昼食の蕎麦。
武蔵境駅には11時半すぎに着きました。外にでて、リトル・マーメードでおやつのパンを買いました。11時42分武蔵境発の西武線。
いまやっている作業の継続。いろいろ調べているうちに、今の私にはとても役立つドイツ語の論文にでくわしました。
Dr. Fritz Fershl, "Chemisch-pharmazeutische Geräte des 17. bis 19. Jahrhunderts," Südedeutsche Apother-Zeitung, No. 29(1950): 569-5762時40分から最初の面接。
4時半から次の面接。遠隔講義室というはじめての部屋でローマ在住の方とスカイプ。
5時16分多磨駅発の電車で帰途。なんと松浦先生といっしょになったので、途中まで世間話。 新しい授業を5コマ準備し、400人を越えるレポートの採点をしたそうです。我々がときにおちいる煉獄の時間を共有してくれたことになります。
帰宅すると新しいIsisが届いていました。2018年の第4号と2018年のIsis Current Bibliographyの2点です。
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