ひとりで5時10分、室温20.4度。雨は降っています。しかし、まだ、台風の雨ではないようです。還暦、一日前。
息子はぶつぶついいながら、塾の試験に向かいました。自分から塾に行きたいと言ったのはいいが、先生がこわいとか、試験がストレスだとか、いろいろ言っています。
台風24号は、当初の予報より、速度が遅くなったようです。我が家では、今日の夜、還暦パーティを企画しており、外にでかけます。当初の予報では、台風が直撃する時間帯にあたり、無理なのではないかと思っていたのですが、今日の午後6時でまだ関西です。(また、母の住む、私の実家のあたりをまさに直撃する可能性があります。正午前に母から電話があり、公民館にもう避難しているそうです。はやめの避難が安心です。)→午後8時過ぎ、ほんとうに母のところを直撃しました。正確には田辺に上陸したということで、弟の住む場所です。母の住むところは、10キロ北ですが、ほぼ直撃といって問題ないでしょう。
首都圏のJRは、午後8時以降運転を取りやめるというニュースが流れました。5時半〜7時半の企画なので、大丈夫です、決行します。→5時25分、現地(吉祥寺の東急 REI ホテル)集合。ディナーバイキング。
ちびどもはよく食べました。中学生はすこし気後れしています。30分以上前に、私といっしょに先に帰宅することにしました。雨も風もまだです。我が家の女性3人組は、8時過ぎに帰ってきました。ちょうど台風が田辺に上陸した時刻でした。
ひとりで5時55分、室温21.4度。さて、週末にかけて、台風24号が日本列島を縦断するようです。動きが気になるところです。→東京は、日曜日の深夜から月曜日の早朝にかけて、通過していくようです。
妻は、ちいさいちびの学校の保護者会にでかけました。10時〜11時半とあります。9時半前にでかけました。12時と1時の間に帰ってくるそうです。
おおきいちびは部活があり、11時20分頃出かけていきました。
ちいさいちびは友達と映画に行くといって、(ママにLINEで教えてもらって)自分でパソコンから予約していました。1時半前後に出かけました。
本日は一歩も家の外にでず、 池上俊一編『原典 ルネサンス自然学』(名古屋大学出版会、2017) に採録されている30点の内、図版のあるものを選び出して、図版をFacebookに取りあげる作業をしていました。図版が圧倒的なのは、技術の書、機械の書です。ひとつの作品に関して、ひとつの図版しかアップしなかったのですが、ルネサンス自然学の図版がどういうものか、その14点をみてもらえば、アウトラインはつかめると思います。
(30作品のうち、図版のあるのは、約半分の14作品でした。)
ひとりで3時30分、室温19.9度。集中講義最終日。2限から6限です。もっとも長い日になります。
9時6分武蔵境発の西武線。
ともあれ、まず、101教室に行き、照明をつけます。今日は誰かがすでにあかりをつけてくれていました。
一度研究室に戻り、9時40分頃再度101教室へ。今日はTAの院生が一番でした。学生はまだ誰も来ていません。初日から3日目までは、何人かすごく早い学生がいました。
医学部の先生方は、基本、はやい。15分ぐらい前には教室にいらっしゃいます。TA の方に準備をしてもらい、挨拶をして、私は研究室に戻りました。10月1日に始まる大学院必修授業「異分野交流ゼミ」の準備があります。昨日、こちらのTAとは直接打ち合わせすることができなかったので、初日の資料は本日午後7時過ぎまで大学にいる私が準備しておくことにしました。
1時前ぐらいに資料をそろえて、印刷センターへ。10月1日がすぎると、TA や院生諸子に印刷センターに来てもらいます。印刷センターの事務の方に、その件に関して、挨拶をしておきました。今年で3年目なので、もう事情を理解してくれていました。資料は、そのまま印刷センターに預けました。新学期の始まりを前に、準備しておくことはけっこうあります。準備完了とはいきませんでしたが、進めることはできました。
3時40分頃、書類をもって、事務と101教室をまわりました。5限6限と連続で講義を担当される先生には、6限終了後の挨拶でよいだろうと判断し、4時前に教室をあとにしました。
6限は、はやめに教室に入りました。最後の15分程度、医科歯科の先生のお話を聞いていました。病院の見分け方を教えてくれていました。こういうのは、自分では、なかなかキャッチできない情報です。
はやめに授業を切り上げてくれたので、学生たちもはやめに帰宅でき、我々もはやめに本日のコメントシートと最終レポートの整理をすることができました。
あまった資料を含めて、教室にある紙を研究室にもって帰ってから帰り支度。7時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。さすがに疲れました。
おおきいちびは、アルバイトですこし稼ぐようになったので、ちいさいちびに夕食を奢ってあげるそうです。それが今日の夕刻。結局、焼き肉にしたそうです。焼き肉食べ放題だと高くなるので、ママからいくらか援助してもらったと言っていました。
ひとりで5時40分、室温20.3度。午後になってやっと雨が上がる予報。晴れマークは日付が変わってから出現します。集中講義3日目。ほかに研修会が1つ、打ち合わせが1つ。
8時54分武蔵境発の西武線。
11時15分から研修会、1時間。研究室にもどり、すぐに弁当。
2時5分から月曜日の授業のための打ち合わせ。TA は来ず、結局教員二人で行いました。
3時半に教室に行きました。すでに4限の先生の講義は終わっていました。4限の時間内にコメントシートの回収整理ができました。
研究室に戻り、やり残した作業を終わらせてました。4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。雨はすっかり上がり、気持ちのよい秋の空となっていました。
ひとりで4時、室温23.4度。予報によれば、今日は最高気温が19度ということです。集中講義2日目。2限3限4限。午後に会議が3つ。
8時42分武蔵境発の西武線。昨日とおなじように動きました。まず、101教室の点灯。9時40分頃、印刷センターに預けたいた配付資料を箱ごと受け取って、再度101教室へ。TA が見えてから、AV 卓の設定をお願いしました。
2限の先生に挨拶だけして、研究室へ戻りました。9月28日締切の仕事に着手。終了まではいきませんでしたが、明日、もうすこしで完了させることができます。
11時過ぎにお弁当。101教室に行って、3限の先生に挨拶してから、会議室へ。12時40分から2時前まで。
次の会議は2時10分から。10分程度で終わりました。
大会議室に移動。2時30分から教授会。5分ぐらい司会を担当しました。終わって打ち合わせ。
その足で101教室。4限の先生の授業のおわり。心臓の動きについて話されていました。学生たちがコメントシートを提出するのを待って、整理。3限か4限の先生が、布のポーチに入ったマウスと電源コードを忘れられました。TA の方に走ってもらいましたが、間に合わず。やはり、TA の方に教務課に預けてもらいました。
4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで5時25分、室温25.5度。曇り。今日は一日雨の予報。→雨の降り始めは午後になるようです。朝はすごくどんよりしていますが、雨はまだ降らないということのようです。大学生と高校生は、2学期の始まり。中学生は、連休明け。私は集中講義の始まり。今日、明日は同時に会議があります。
おおきいちび、中学生、ちいさいちびの順に登校。そのあと家をでて、8時42分武蔵境発の西武線。
まず、101教室に入って、照明をつけ、黒板に基本的指示を書きました。それから研究室にもどり、9時半ごろ配付資料をもって、教室へ。TA の院生が10メートル先に教室に入っていました。9時半には最初の先生がお見えになっていたようです。
医科歯科の先生方は全員パワポを使われます。その設定をTA の院生にやってもらいました。
授業開始のときに、3分時間をもらって、履修方法と評価方法の説明。5分かかってしまいました。あとはお任せして、研究室へ。11時頃お弁当。12時過ぎに生協ですこし買い物をしてから、教室へ。3限の先生に挨拶をしてから、研究室に。
12時40分から会議、1時50分まで。
2時から会議、10分で終了。
2時半から会議、2時55分まで。
3時から会議、30分程度だったでしょうか。それから図書館に行って、次の本を借り出しました。
日本化学会編『化学の原典10 有機化学構造論』学会出版センター、19765時前に教室に入りました。アレルギー(免疫疾患)の話をされていました。最後まで講義を聞き、学生たちが本日のコメントシートを提出するのを待ちました。TA の院生といっしょに提出物を整理して、部屋に置き、5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
[『原典 ルネサンス自然学』(名古屋大学出版会)日本翻訳出版文化賞受賞]
帰宅し、お風呂、夕食とすませてから、一休み。目覚めて、rimnet のアカウントのメールを受信するとうれしい報せが来ていました。
池上俊一編『原典 ルネサンス自然学』(名古屋大学出版会、2017)に対して、日本翻訳家協会より、本年度の日本翻訳出版文化賞を授与するという連絡があったそうです。
すばらしいことです。授賞式は10月19日(金)に神田の学士会館。名古屋大学出版会の橘さんと監修者の池上俊一先生が出席されるそうです。出版にときにも掲げましたが、受賞を記念して、ここにも目次を再掲します。
1から15は上巻、16から30は下巻です。
自然誌 1 フランシス・ベイコン 「森の森」 (柴田和宏訳)
動物誌 2 コンラート・ゲスナー 「動物誌」 (石原あえか訳)
植物誌 3 プロスペロ・アルピーニ 「ルバーブ論」 (桑木野幸司訳)
農 学 4 オリヴィエ・ド・セール 「農業の劇場」 (池上俊一 訳)
料理術 5 プラーティナ 「適正な快楽と健康について」 (池上俊一 訳)
温泉論 6 ウゴリーノ・ダ・モンテカティーニ 「温泉論」 (池上俊一 訳)
医 学 7 ジャン・フェルネル 「事物の隠れた原因」 (月澤美代子訳)
医 学 8 ジローラモ・フラカストロ 「伝染・伝染病およびその治療について」 (田中祐理子訳)
解剖学 9 アンドレアス・ヴェサリウス 「人体の構造について」 (澤井 直 訳)
解剖学 10 マルチェッロ・マルピーギ 「肺についての解剖学的観察」 (澤井 直 訳)
発生学 11 ウィリアム・ハーヴィ 「動物の発生」 (澤井 直 訳)
驚異論 12 アンブロワーズ・パレ 「怪物と驚異について」 (黒川正剛訳)
自然魔術 13 ヘンリクス・コルネリウス・アグリッパ 「オカルト哲学について」 (伊藤博明訳)
自然魔術 14 パラケルスス 「像についての書」 (村瀬天出夫 訳)
自然魔術 15 トンマーゾ・カンパネッラ 「事物の感覚と魔術について」(池上俊一・村松真理子訳)
学問論 16 ジョン・ディー 「数学への序説」 (坂口勝彦訳)
ユートピア論 17 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ 「クリスティアノポリス」 (加藤守通訳)
地理学 18 ゼバスティアン・ミュンスター 「宇宙誌」 (小林繁子訳)
占星術 19 マルシリオ・フィチーノ 「太陽論」 (根占献一・田中佳佑訳)
天文学 20 ニコラウス・コペルニクス 「ヴェルナー論駁書簡」 (高橋憲一訳)
天文学 21 ティコ・ブラーエ 「新星について」 (高橋憲一訳)
光 学 22 ヨハネス・ケプラー 「屈折光学」 (田中一郎訳)
数 学 23 ウィリアム・オートリッド 「数学の鍵」 (坂口勝彦訳)
力 学 24 シモン・ステヴィン 「計量法原論」 (中澤 聡訳)
工 学 25 マリアーノ・ディ・ヤコポ (タッコラ) 「尋常ならざる装置と建築についての第三の書」 (白幡俊輔訳)
鉱山学・冶金術 26 ヴァンノッチョ・ビリングッチョ 「火工術」 (池上英洋訳)
錬金術 27 伝トマス・ノートン 「錬金術式目」 (大橋喜之訳)
化 学 28 ロバート・ボイル 「実験の失敗について」 (吉本秀之訳)
化 学 29 アイザック・ニュートン 「酸の本性について」 (吉本秀之訳)
原子論 30 ウォルター・チャールトン 「エピクロス-ガッサンディ-チャールトンの自然学」 (吉本秀之訳)
図版を調べています。上記のなかで、図版を本文に含むのは、次です。
動物誌 2 コンラート・ゲスナー 「動物誌」 (石原あえか訳)
解剖学 9 アンドレアス・ヴェサリウス 「人体の構造について」 (澤井 直 訳)
解剖学10 マルチェッロ・マルピーギ 「肺についての解剖学的観察」 (澤井 直 訳)
驚異論 12 アンブロワーズ・パレ 「怪物と驚異について」 (黒川正剛訳)
学問論 16 ジョン・ディー 「数学への序説」 (坂口勝彦訳)
ユートピア論17 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ 「クリスティアノポリス」 (加藤守通訳)
地理学18 ゼバスティアン・ミュンスター 「宇宙誌」 (小林繁子訳)
天文学21 ティコ・ブラーエ 「新星について」 (高橋憲一訳)
光学22 ヨハネス・ケプラー 「屈折光学」 (田中一郎訳)
数学23 ウィリアム・オートリッド 「数学の鍵」 (坂口勝彦訳)
力学 24 シモン・ステヴィン 「計量法原論」 (中澤 聡訳)
工学 25 マリアーノ・ディ・ヤコポ (タッコラ) 「尋常ならざる装置と建築についての第三の書」 (白幡俊輔訳)
鉱山学・冶金術 26 ヴァンノッチョ・ビリングッチョ 「火工術」 (池上英洋訳)
錬金術27 伝トマス・ノートン 「錬金術式目」 (大橋喜之訳)
原子論 30 ウォルター・チャールトン 「エピクロス-ガッサンディ-チャールトンの自然学」 (吉本秀之訳)
ひとりで5時20分、室温24.8度。昨日は秋分の日でした。今日はその振替休日。曇り。予報によれば、今日は一日中曇りで、明日は雨が降るようです。
ちいさいちびは午前練。他校が来てくれて、練習試合だそうです。おおきいちびは朝から午後までバイト。中学生は午前中にカラオケ。妻がアテンドします。→喉の調子が悪いといって取りやめ。明日から集中講義。火、水、木、金。とくに最終日の金曜日が6限まであるという変則的な時間割。登録者数は、196名。出席者はもうすこし少なくなるでしょうが、多いという感覚になる数字です。
ちいさいちびは1時過ぎに帰ってきて、昼食を食べ、ソファーの上でスマホを見ていたと思ったら睡眠していました。疲れたのでしょう。
2時20分から散歩。最初曲がるところを逆に曲がってみました。セイユーで頼まれた買い物をして、3時頃帰宅。気温はそれほどでもありませんが、湿度が高く、帰り着くと、汗をかなりかいていました。すぐにシャワー。おおきいちびはバイトを終え、3時40分ごろに帰ってきました。
夜中、たぶん3時過ぎに右足がつって、一度目覚めました。ひとりで6時5分、室温24.0度。足がつった痛みが残っています。雲が多い晴れ。
ちいさいちびは久しぶりの朝練。7時50分に起きて、たぶん9時練習開始。
11時半ごろ、Y’sマートに買い物。
3時40分頃、散歩に出ました。下に、ジェラート屋さんは八百屋さんから15〜20メートルと書きましたが、実際は、50メートル程度でした。記憶は、こんなものです。
地名としては吉祥寺まで行って、駅向こうから帰ってきました。ちびどもは、私がでかける10分ぐらい前に、阿佐ヶ谷のドーナッツ屋さんに偵察に行ったあと、吉祥寺で服を探しにでかけました。7時頃、私が教えたジェラート屋さんによって帰ってきました。ジェラートは普通に美味しかったそうです。服もしっかり買ってきていました。
ひとりで5時15分、室温22.8度。曇り。どんよりとした曇り空。こどもたちは、10時前に全員わらわらと降りてきました。おおきいちびは久しぶりの部活。中学生は、テスト期間中に塾を振り替えたので、午後はずっと塾です。
午後になると晴れてきました。3時半過ぎに散歩を兼ねて、買い物に。おおまわりをして、薬屋さんで昨日歯科医で言われたものを購入。それからいつもは通らない小径を選んで動きました。八百屋さんから15〜20メートルのところにジェラート屋さんがありました。西荻窪にジェラートの専門店ができているとは予想しませんでした。
ひとりで5時20分、室温21.8度。雨。寒く感じます。予報では夕刻まで雨。中学生は定期考査二日目。ちいさいちびは午前練ですが、雨なので、たぶん、中止。
おおきいちびはお昼前、発表があると言って、大学に向かいました。行ったと思ったらすぐにディンドン。寒いと言って、上着をとりに戻りました。
私は午後に歯医者。→2時半の予定だったのですが、2度延長の電話があり、3時15分からとなりました。3時10分前に歯医者さんに到着。30時20分ぐらいから約50分、丁寧にメンテナンスをしてくれました。最後フッ素を塗ってもらって終わり。4時20分過ぎに帰宅。→メンテナンスなので、痛みはまったくありませんでした。しかし、痛くなったらどうしようと気持ちの奥ではつねに身構えて臨む歯医者さんそのものが、ストレスの要因です。帰宅してしばらくして昼寝。メンタルをもとに戻すための休憩時間でした。
中学生は5時半頃帰ってきました。久しぶりの部活で足が痛いと言っています。太股が痛いそうです。もともとひょろひょろで筋肉はあまりついていません。こうやって鍛えていくしかありません。
おおきいちびは10時過ぎ。発表のあと、友達と夕ご飯を食べて帰ってきたそうです。
ひとりで3時25分、室温23.8度。予報によれば、今日は午後から雨。明日まで降り続くようです。中学生は、今日、明日と定期考査。宿題が終わらないと泣きながら最後まで宿題に取り組んでいました。身長は伸びてきましたが、メンタルがまだまだです。
おおきいちびは9時半前に起きてきて、10時にでかけていきました。夜はバイトと言っています。帰宅は午後10時と11時の間になります。
おおきいちびが家にいる間に、駅前のコンビニと郵便局に行って、我が家の財務的用件を2件、すませてきました。ついで、中学生、ちいさいちび、私のお昼ご飯の候補となるものも買ってきました。妻の帰宅は、午後1時をかなり過ぎます。私が外出する頃から小雨が降り始め、おおきいちびがでかけたあとぐらいに雨音が聞こえるようになりました。ちいさいちびは爆睡中。→1時50分頃、起きてきました。顔はすっきりしています。ちゃんと眠ることができたのでしょう。その数分後、妻が帰ってきました。→ちいさいちびは録画したテレビ番組を見ながら、ゆっくりお昼ご飯を食べ、あきたころ、ソファーベッドの上にごろり。また就寝。24時間就寝とはいきませんが、寝ている時間と起きている時間が逆転しそうないきおいです。
お昼頃、次の本が届きました。
山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』日本史リブレット 、山川出版、2009
出版者による帯の文は次です。
「日宋貿易において日本の重要な輸出品の一つであった「硫黄」。アジア各地に残されたさまざまな史料にみえる硫黄の動きを追いながら,アジア諸地域との歴史のつながりを描き出す。」
ちょうどよいので、読み通しました。小一時間で読めます。なるほど、そういうことはあったと見てよいように思われます。
リブレットに多くを期待しすぎるのはまちがいですが、こういうふうに書かれると、日本における硫黄生産の歴史的概要も、同時に日本における硫黄消費(用途)の歴史的概要も知りたくなります。そして、無茶を言えば、世界における硫黄生産、流通、消費の歴史的概要を知りたくなります。
次女から電話がかかってきて、ひとりで5時40分、室温23.0度。6時に家にもどってきて、荷物を整え、友達といっしょにディズニーに行くそうです。実際6時20分頃、でかけました。15,16,17日で文化祭をやっていた都内の高校は多い。そういう高校生が本日のディズニーは大勢いそうです。
夏の格好で寝ていると、朝は寒い。窓辺に温度計をうつすと、すぐに21度まで下がりました。よく晴れているので、すぐに気温は上がってくると思いますが、朝の空気は冷たくなりました。午前に会議、午後遅くに会議。
8時半武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで朝食と昼食を買ってから、研究室へ。10月1日に開始する授業の準備に着手。まずは、去年の書類を調べ、記憶を取り戻すことから。10時から会議。30分以内で終了。大学院執行部で引き受けている授業です。会議終了後、もうおひとりの方と打ち合わせ。打ち合わせ後、研究科長にも話をとおして、一段落。
研究室に戻り、打ち合わせで生じた連絡をしました。軽く昼食。
1時前に、来週始まる授業の資料の印刷、ならびに事務の仕事をこなすため、研究室の外へ。最初に印刷センター。1200枚を印刷しました。次に事務棟4階。書類をひとつ提出しました。それから、1階。封筒に入った書類を1点提出しました。
研究室に戻り、ベークマンの日記をざっと全部見ました。イラストを見たかった。水力学装置の絵が一番目立ちました。
OED をネットで使用。
今の関心にぴったりあうファイルを1点見つけました。シーモア・H.マウスコフの「均整から構造への種:結晶学と原子-分子の配列の探求」です。パワポの集成のような形式で、75頁あります。
前史:種子、粒子、塩。
16世紀はパラケルススの鉱物生成の種子モデル。
プリンチーペの銀樹の再現実験。
17世紀後半、鉱物生成の唯物論的説明:ステノ、プロドロムス(1669)には、鉱物学的現象を、種子、発酵、あるいは精気的存在によって説明しようとするところは全くない。結晶物質の付加(付着)が結晶形成を説明するもととなった。
フックの『ミクログラフィア』:鉱物構造の粒子論的説明
ホイヘンス:複屈折と分子モデル「こうした生成物における規則性は一般的にそれを構成する不可視の同一の小粒子の配列に由来するように思われる。」
もうひとつの概念伝統:塩
結晶構造の機械論的モデルは、ここまでは化学とは何の関係もないが、結晶形態を形態を付与するエン原質に帰する伝統があった。
一八世紀までに塩は、酸と塩基の結合による様々な種類に分類されるようになった。
異なる塩と結晶形態の相関関係は、リンネとその一派によって、磨き上げられた。
4つのタイプ:硝石、塩化物(塩化カリウム)、ソーダ(ナトリウム塩)、明礬。
もうひとつの分子的アプローチ:多面体の分子。化学組成と結晶形態の関係を考えると、結晶を構成する粒子そのものが多面体をしているという発想がありえる。ルエルは、顕微鏡観察により、海塩粒子が海塩の結晶と同じく立方体をしているにちがいないと主張。この見解は、マッケの化学辞典で広められた。1)あらゆる異なる物質の原始的構成分子は、つねに同一の特異な形態をしている、2)そうした原始的分子が自由に十分な時間をもって側面で結びつくとすると、いつも同一の形の塊をなすであろう。
リンネ、ルエル、マッケのアイディアをまとめあげたのは、ロメ・ド・リール:物体の原始的構成分子は、それぞれ、その本性に従い、恒常的で決まった形をしていなければならない。
ロメ・ド・リールは、ライバルのアユイのように、結晶形態の分子モデルをたてたわけではないが、その『結晶学 Crystallographie』(1783)で、1)同じ化学的性質の結晶は共通の「原始的形態」に由来する、2)接触測角器を用いることで、面角一定の法則を導きだした。
測定装置。1)(A. Carangeot, 1783)接触測角器、2)(ウォラストン、1809)反射光を測る測角器。
最初の包括的な結晶構造の分子モデルをつくりあげたのは、アユイ。種ごとに特定の決まった形をした構成分子(molécule constituante, or molécule intégrant)の考え。
固定的な鉱物種は、その鉱物の構成分子に体現されていて、特定の形態と恒常的な化学組成という特徴をもつ:化学における定比例の法則に匹敵する鉱物学の考え方。
→「アウイの法則」(ネット辞書からの引用です。アユイの法則、ハウイの法則とも呼ばれる。):結晶はそれぞれに固有の形をもっているが、これは同じ固有の形をもった最小単位の積み重ねでできており、結晶の外形に現れる面の中で、最小単位の面と平行でないものは、結晶外面における最小単位の階段状配列によって生じたとする法則。のちにミラーによって、有利指数の法則 law of rational intercepts, law of rational indices へと整理された。
化学と光学の交流・交差:パスツール。
もちろん、構成分子に関心を寄せたのは、ドルトン。しかし、ドルトンは、重量に関心があり、幾何学的空間的要素にではなかった。そして、アユイはドルトンの原子論に関心をもたず。
しかし、アユイの分子結晶構造モデルは、化学的原子論(1830年代)に結びつき、空間における原子配列としての化学分子という見方を生み出すこととなった。
そうした動きの最初は、アンペールによる化学結合の一般モデル:化学結合とは、分子多面体の相互侵入により、合成多面体分子(particules)を形成。(元素的なものも化合物のも)すべての分子は、立体の頂点に位置するドルトン的点原子から構成される。元素的ガスのもっとも単純な分子多面体は、アユイの結晶の原初形態の5形態をしている。
これがフランスの結晶学-化学分子伝統を生み出す。Gabriel Delafosse (1796-1878) & Auguste Laurent (1807-1853).
→ 18.9.22 このあたりの勉強はあまりしたことがありません。ローランについては、『化学史事典』p.773 で菊池好行さんが執筆しています。それによれば、「1839年ボルドー大学化学教授。・・・鉱山学校在学時に習熟した結晶学のアナロジーから、基本的な炭化水素を「核」として想定して、さまざまな有機化合物をその置換誘導体としてクラス分けする一元的な分類法を着想。・・「核の理論」・・1850年代のウィリアムソン、ゲルアルトによる型の理論に大きな影響を与えた。遺著『化学の方法』は1854年、オドリングによる英訳は1855年に出版され、有機化学構造論におけるローランの重要性が広く認識された。」
『科学史技術史事典』の方は、故柏木肇氏が書いています。故柏木肇氏は、19世紀の有機化学構造論史の権威です。(柏木肇「『有機化学構造論』の解説」日本化学会編『化学の原典10 有機化学構造論』学会出版センター、1976)
ガブリエル・ドゥラフォスの方は、日本語の文献はほぼありません。アユイの弟子の鉱物学者、結晶学者です。
→ このあたりは難しいので、化学史の基本書をまず読んでみることにしました。ブロックの『化学の歴史 I』 です。第6章が「化学の方法」です。その1節が「根による分類」、2節が「型による分類」です。ローランは、ゲラールとともに多く取りあげられています。「1818年ミッチェルリッヒによって無機物の結晶において発見された同形律から、有機物においても類似関係が存在することを理解した。同形の結晶がもつ規則性は、ある特定の同じ構造あるいは原子のまとまりが存在することを示唆していたのである。」(p.185) (アユイの「構成単位粒子」を想起させる)
→ 『化学史事典』p.228 では、Charles Frederic Gerhardt は、ジェラールでもゲラールでもなく、ゲルアルトです。故梶さんが丁寧に説明してくれた内容は忘れましたが、現地で発音を確かめたと言われたのは記憶しています。
ブロック『化学の歴史 I』p.179 「これらの変更によって、原子量、当量、分子量をえぐる当時の化学者たちの混乱は頂点に達した。当のゲラールの態度もこれらに関しては不明確であり、彼自身困惑さえしていた。ゲラールはリービッヒから四容積式を使うよう教えられていた。その一方でデュマに代表されるフランスの伝統では、蒸気密度決定法における二容積関係の重要性が強調されていた。他の国の化学者、とりわけドイツでは、水の化学式をHOとする「当量」に基づく体系が依然として使われていた。・・・彼は1843年に乱暴かつ無分別にも「原子、容積、当量は同じことを別の言葉でいいかえているにすぎない」と結論づけた。」
p.180 カールスルーエ国際会議で「二容積論」を化学教育の基礎とすることカニッツァーロにより主張された。原子量に関する「静かな革命」が起きていた。(「静かな革命」というのは、アラン・ロック Alan Rockeの議論です。>ロックの「静かな革命」に関して、日本語での紹介やまとめや批評が見つかりませんでした。菊池くんかだれか、日本語での紹介や整理をやってくれませんかね。)
第6章「化学の方法」はそうとうにややこしく、難しい。基本的概念に当時大きな混乱があったことがよくわかります。ブロックは、化学史家として、結晶学の展開は外部においています。仕方はないのですが、わかりやすい図がないと難しいのは難しい。
→ 18.9.23 パスツールの発見に由来する非対称的な4面体炭素結合モデルは、ステレオケミストリーの基礎となった。しかし、パスツールの仕事は、結晶学と化学の最後の真の結合であった。結晶学は、まったく違った方向に進化しはじめており、それは、世紀の終わりまで続く。
ブラベ格子:Auguste Bravais (1811-1863) 物理学教授。結晶格子の概念に基づき、結晶の対称性に関する数学理論をつくりあげる。結晶格子に14を数える。
19世紀の残りの期間、近代結晶構造論の発展は、ブラベ格子の概念に基づくものだった。その発展は、基本、数学的で原子や分子の現実の配列にはほとんど関与しなかった。唯一の例外が、William Barlow (1845-1934) であった。
バーローは、科学の世界の最後の偉大なアマチュア。父の遺産により余裕ができた30歳代になってはじめて結晶学の研究をはじめた。彼のオリジナリティは、対称性に関する数学的体系と1910年以降に実現することになる原子構造の新しい決定法の予期と言えることを結合したことにある。バーローの結晶の性質の理論は、原子の最密充填に基づいている。
William Barlow, Nature,1883年12月号「結晶の内部的対称性の推定される性質」4時から会議。数分前に大会議室に到着。もめる案件はなく、20分程度で終了。4時40分多磨駅発の電車で帰途につきました。
中学生だけ帰ってきていました。おおきいちびは温泉にでかけたそうです。我が家で一番温泉が好きです。9時40分過ぎに帰ってきました。ちいさいちびは10時と11時のあいだでしょう。→日付が変わるころに駅につくという連絡がありました。妻が迎えに行きました。明日は爆睡だと思われます。
澁澤龍彦は、アユイについて次のように記す。
「十八世紀の後半、フランスのロメ・ド・リールは、測角器を用いて結晶の面角を測定し、同種の結晶の面角はつねに一定であることを確認した。結晶学の父といわれる、フランスの神父アユイは、いわゆる劈開面を研究して、あらゆる結晶の面は微細な小片(原始形)から構成されていることを証明した。」
『胡蝶の中の世界』(河出文庫、昭和59年)に収録された「プラトン立体」にある言葉です。(p. 49)
→本棚からけっこう苦労して『胡蝶の中の世界』(河出文庫、昭和59年)を探し出しました。「石の夢」「プラトン立体」「螺旋について」と続けて読みました。奇想科学史とでも形容できる内容です。橋本毅彦「アユイ」『化学史事典』p.21 によって、アユイの出版物を確認します。
『結晶構造に関する理論の試論』1784
『鉱物学論考』全5巻、1801、第5巻は図版集。
『鉱物学論考』1822
molécule constituante, or molécule intégrante から結晶は構成されている。
(科学史技術史事典では、アユイは立項されていません。ああ! びっくり。もちろん何カ所かで言及はあります。)フックの『ミクログラフィア』には、顕微鏡観察図以外もわりと数多く掲載されている。最初、図版1は、複式顕微鏡を含む装置の絵です。最後、図版38は、望遠鏡でみた星を描いている。
他に、図版4はトリチェリ的真空装置を含みます。そして、図版7は、結晶の観察図のほか粒子配列のモデル図を含みます。図版37は、大気圧に関するトリチェリ的装置を描いています。
したがって、『ミクログラフィア』は中心的には、そして圧倒的多数は、顕微鏡観察図ですが、想定された微小粒子という極小から宇宙という極大までをふくむと言えます。
ひとりで5時15分、室温24.6度。お昼に判子、午後に会議2つ。
こどもたちを送りだしてから、我が家の財務的仕事。9時になるのを待って、仕事にでました。郵便局で郵便を2点だしてから、中央線に。
9時半武蔵境発の西武線。まず、事務棟4階へ行って、書類を提出しました。それから図書館、次の本を受け取りました。
Peepshows : a visual history
研究室ですこし仕事をしているともう一つ別の仕事がやってきました。前の科長がわざわざ持参してくれました。早速渡された書類のチェック。
それから、事務棟1階へ行って、別の書類を受け取りました。
研究室に戻って、昼食の弁当。もらった書類をざっと見ました。おや、まあ。
1時から会議。30分もかからず終了。
次の会議は2時から、4時過ぎまで。すぎに研究室に戻り、必要なメールを打ちました。
4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ちいさいちびは6時前に帰ってきて、簡単に夕食を食べ、6時半頃、お泊まり会へ。空は真っ黒ですが、我が家の周辺では降らないようです。気象庁の雨雲レーダーを見ていると、埼玉の境でまず降って、ついで都心部で降っています。相当に強い雨です。→ここでは降らないかと思っていたのですが、8時頃、突然、強い雨音が聞こえました。
ひとりで6時5分、室温24.9度。晴れ。午後は荒れ気味にようですが、朝は晴れ。→最高気温が30度に達し、午後6時頃にわか雨の予報。ちいさいちびの下校時にあたります。3連休の最終日。ちいさいちびは記念祭の2日目(最終日)。おおきいちびは昨日からはじめたバイト。終日。
午前中に100円ショップとワイズマート。
午後3時40分散歩に。東京女子大通りから、セイユーを経て、戻ってきました。セイユーではお使い。バナナ、卵、ヨーグルト。今にも雨が降りそうな空模様。予報通りです。→5時40分頃、空が暗くなって、雨が降り始めました。さて、ちいさいちびの下校時間です。ちいさいちびはどうするでしょうか。→おおきいちびが雨のなか、5時50分に帰ってきました。びしょぬれ。ちょうど駅の外にでた頃、雨に降られたのではないかと想像できます。→ちいさいちびが、6時10分過ぎ、やはり雨のなか自転車で帰ってきました。記念祭は、ほんとうに意外な展開で、仕事が残ってしまいました。毒を吐きながら、仕事はこなしていました。ネットの辞書だけで、Crystallography という語の起源を調べてみました。
Crystallographie 1772
Crystallography 1784
18世紀末ということでは間違いないようです。19世紀にはいると一般的に使われるようになります。
→ 18.9.20 OED によれば、フランス語のCrystallographieは、1759 かそれ以前、ラテン語のcrystallographia は、1723年に用例があるそうです。M. A. Cappeller, Prodromus crystallographiae (Lucerne 1723).
1784年の用例は、Monthly Rev.Apr. 319 です。ついでにOED によって、globule も。
ラテン語のglobulus: round lump, little ball, pill に由来する。フランス語の globule : pherical body of small size (a1662), blood corpuscle (1742), very small pill (1833)も参照せよ。
意義の1。 A round drop (of water or other liquid); a small round particle of a substance.
用例はフックの1661を最初に挙げています。
生物学分野の廃語として、 A red blood cell. とあります。これはままレーフェンフックです。
他の意義の用法は、もうすこし時代が下ってからのものです。
ひとりで5時30分、室温23.8度。曇り。→10時になる前に晴れてきました。ちいさいちびの学校の記念祭がはじまります。今日と明日。おおきいちびと妻は見に行くと言っています。→早く学校に行っていた子から外装が倒れたと電話があり、ガムテープをもって急いででかけました。疲れでぼーとする時間があるそうです。
腰が痛くなってきています。単純に机に向かって長く座っているのがよくないようです。
もうそろそろ還暦です。これまでよりもきちんと運動の時間をとるようにしようと思います。ともかく、歩く。昨日より15分遅く、4時頃から30分強、まちのなかを歩いてきました。知らなかった新しいお店がかなり出現しています。マカロンの専門店(正確にはマカロンとショコラ)までありました。ちいさなパン屋さんもけっこう出来ていました。医療の用語を使えば、5年生存率はどのぐらいあるのでしょうか?
30分というのはずっと以前から言われています。今日の天候だと、ちょうどよいぐらいに汗をかきました。ちいさいちびは記念祭終了後、近所の神社のお祭りに行って来ると妻に連絡がありました。小学校・中学校の同窓会のようなものになります。夕ご飯もお祭りで食べてくるそうです。
おおきいちびははじめての場所でのバイト。いつもと同じぐらいの時刻に帰ってきました。
ひとりで6時10分、室温23.9度。雨。予報によれば、今日はお昼前雨。その後、曇り。
ちいさいちびは学園祭(記念祭と呼ぶようです)の準備。普通に登校するそうです。昨夜は、1時40分までもくもくと準備をしていました。最後、なにかをプリントアウトして自分の部屋にむかいました。
ちいさいちびは、いつもと同じ時刻に起きて、いつもと同じ時刻にでかけました。昨日と同じく、雨のなか、レインコートを着て、自転車通学。天気予報より遅めでしたが、午後、雨が上がりました。3時45分から4時15分まで、近所をただ散歩しました。自転車屋さんの向こうにあったダイエー系のスーパーがなくなっています。隣にあった昔のスーパーらしきものもいっしょになくなっており、更地化していました。閉店になった所もあり、いろいろ新しいお店も出現していました。駅前には戦争で焼け残った狭い商店街があります。たぶん現在では建築基準法に違反する建物で、もう建てられない種類の建造物です。その一角にあるはつねというラーメン店では行列ができていました。4時前後で行列。一種の観光地化だと思われます。
[『化学史研究』第45巻第3号(2018)]
本日、『化学史研究』第45巻第3号(2018)が発行されました。目次は次の通りです。
第45巻3号(2018)目次 [論文] 山口 真「Fritz Duschinskyの足跡と光化学」第45巻(2018): 117-138
[紹介] 大野誠「日本薬学史学会編『薬学史事典』」第45巻(2018): 139
[紹介] 新井和孝「『紙の世界史』『紙と人との歴史』 」第45巻(2018): 140-142
[紹介] 安西なつめ「山田俊弘『ジオコスモスの変容』 」第45巻(2018): 142-144
[紹介] 川村範子「藤原隆男『明治前期日本の技術伝習と移転』」第45巻(2018): 144-147
[紹介] 寺山のり子「Maier, Chemiker im "Dritten Reich"」第45巻(2018): 147-148
[会報]「2018年度総会報告」 第45巻(2018): 149-164
『化学史研究』の編集委員会と理事会で、オープンアクセス化の議論をしています。趣旨に反対する方はいないのですが、実際の手続きがなかなかやっかいです。
『化学史研究』に特徴的な問題としては、ある時期まで、『化学史研究』本誌に会員名簿を掲載していたことがあります。新入会員名簿もこまめに掲載していました。住所と電話番号があります。
今の時代、これをそのままオープンアクセス化するのは、個人情報保護の観点からまずいだろうという話しになりました。(1970年代のものは、もう時効だから、いいのではないかという説もありました。)
とりあえず、オープンアクセス化のためには、pdf でその部分を削除する必要がある、ともかく、何人かでどのぐらい手間がかかるのかやってみることになりました。
Acrobat でそのぐらいの編集作業は簡単にできると思っていたのですが、私のもっているAcrobat では、ページの削除挿入は簡単ですが、ページの画面の部分的編集は Photoshop 等の画像処理ソフトと連携しないと難しいとわかりました。Acrtobat Pro ** にはその編集ができるものがあるということです。
もう1点、ずっと気にはなっていたけど、意識の前から消えていたことを、一緒に作業している方から指摘されました。現在、『化学史研究』の論文には、欄外に所属と連絡先を記すようにしています。そこに、住所があります。
古い号には、しかし、そういう欄外の脚注はありません。
ちょうどよいので、どこで欄外脚注に連絡先を記すようになったのか、調べてみました。『化学史研究』のバックナンバーに関しては、以前、いろんな作業をしています。5分もかからずに、1985年第1号(通巻30号)の編集後記に次の記述を見つけました。山口達明氏の文章です。
「本号を手にした会員の方には、表紙などの体裁が変り、頁数も厚くなっていることにお気づきでしょう。これは本会創立10周年を機に本誌をより充実させ、国際的にも発展させるために手を加えたからです。この最終ページには、従来表紙3にああった奥付を英文混じりにして移動し、会員の便宜のため各種問合わせ先を一覧できるようにし、さらに、賛助企業に謝意をこめてその名簿を載せることにいたしました。本文の方では、引用ミスをなくすために、各号毎のノンブルを止め、年間通しページのみに改良しました。また、読者が筆者に連絡をとりやすいように連絡先を欄外に記してあります。それから、本文活字を従前より1ポイント上げて9ポにいたしました。かなり読みやすくなっていると思いますが、いかがでしょうか。」
30号以降をオープンアクセス化するためには、この連絡先を削除する(塗りつぶす)作業が必要になります。→18.9.16 科学史関係の他の日本語雑誌を見てみました。『科学史研究』は、所属とe-mail adress のみ。『生物学史研究』は、『化学史研究』にほぼ同じ、ただし、やはりe-mail adress を掲載しています。
いまどきなら、『科学史研究』のやり方でしょうか。
ひとりで5時50分、室温24.4度。雨。昨日降り始めた雨がまだ降っています。明日の朝まで降り続くという予報です。雨のなか、中学生、ちいさいちびの順にでかけていきました。ちいさいちびは下校時にはもうバスがありません。予報を見ると、ずっと降り続くが、1時間雨量は1ミリ程度です。自転車で行かせることにしました。
おおきいちびはお昼前にでかけるようですが、いつ起きるのはわかりません。昼食後、駅前の本屋さんへ。『中央公論』の最新号を買いました。それからセイユーへよって、ほんのすこしの買い物。この時点では雨は上がっていました。
お昼過ぎ、化学同人の編集者の加藤さんから連絡がありました。『化学史事典』の2刷りができあがったという報せです。初版のミスを気づいた範囲で修正することができました。
同時に、CiNii で所蔵図書館数を調べました。196館です。これで間違いなく、200は突破するでしょう。非常に遠い目標ですが、弘文堂の『科学史・技術史事典』に追いつきたいと思っています。
早速、Facebook で報告すると、1分以内に反応があって、びっくりしました。ちょうどコンピュータの前に座っていた(あるいは、iPad や iPhoneを見ていた?)方が反応してくれたものだと思われます。
私は、電子機器には机の上でしか触れないようにしています。若い人のような対応はとても無理という判断からです。ちょうどよい機会なので、Facebook にここのところやってきた図像調査の一部をアップしました。J-COM さんがホームページサービスを閉じたあと、このサイト Xdomain を使っています。無料なので、贅沢は言えないのですが、画像のアップは時間がかかりすぎて、諦めています。
しかし、ネットに基本的な情報(テキストと図像)が上がっていることの利便性は、とても大きい。Facebook にあげることは以前から考えていたのですが、ちょうどよい機会だと捉え、ケプラー、デカルト、フック1、フック2、ブライアン・フォードのフック剽窃説、バルトリン、と6つを連続して、アップしました。→しばらくおいてから、ホイヘンスを3つアップしました。今回小球配列の曼陀羅とでも呼ぶことのできるホイヘンスの画像が私のなかでは最高点でした。→ 18.9.16 ホイヘンスのあとは、ゲスネル、ダヴィソン、グルー、ヘンリー・ベイカー、ウォラストンとアップしました。→Wollaston, William Hyde (1766-1828)は、日本の事典では、ウラストンと表記されていました。→ せっかくなので、Wallaston, Hyde William, "The Bakerian Lecture. On the elementary Particles of certain Crystals," In Philosophical Transactions of the Royal Society, 1813, Vol. 03, pp.51-63 を読み通してみました。これだけで十分かどうかはわかりませんが、議論は成り立っているように思われます。立方体の結晶形の導き方は、洞察力に富むと言ってよいでしょう。フックの『ミクログラフィア』のp.85 からほぼ1頁の長さで引用しています。ホイヘンスは、Opera Rel. Tom. 1, "Tract. de Lumine," p.70 を引用しています。→ ウォラストンが引用するフックは次です。[ ] で囲んだ部分は、ウォラストンは省略しています。 見づらくなりますが、ご勘弁を。
"And from this I shall proceed to a second considerable Ph?Enomenon which these Diamants exhibit, and that is the regularity of their Figure, [which is a propriety not less general than the former, It comprising within its extent, all kinds of Metals, all kinds of Minerals, most Precious stones, all kinds of Salts, multitudes of Earths, and almost all kinds of fluid bodies. And this is another propiety, which, though a little superficially taken notice of by some, has not, that I know, been so much as attempted to be explicated by any.
This propriety of bodies, as I think it the most worthy, and next in order to be consider'd after the contemplation of the Globular Figure, so have I long had a desire as wel as a determination to have prosecuted it if I had had an opportunity, having long since propos'd to my self the method of my enquiry therein, it containing all the allurements that I think any enquiry is capable of: For, first] {--This} I take it to proceed from the most simple principle that any kind of form can come from, next the Globular, [which was therefore the first I set upon, and what I have therein perform'd, I leave the Judicious Reader to determine. For as that form proceeded from a propiety of fluid bodies, which I have call'd Congruity, or Incongruity; so I think, had I time and opportunity], I could make probable, that all these regular Figures [that are so conspicuously various and curious, and do so adorn and beautifie such multitudes of bodies, as I have above hinted], arise onely from three or four several positions or postures of Globular particles, and those the most plain, obvious, and necessary conjunctions of such figur'd particles that are possible, [so that supposing such and such plain and obvious causes concurring the coagulating particles must necessarily compose a body of such a determinate regular Figure, and no other, and this with as much necessity and obviousness as a fluid body encompast with a Heterogeneous fluid must be protruded into a Spherule or Globe. ]--And this I have ad oculum demonstrated with a company of bullets, and some few other very simple bodies; so that there was not any regular Figure, which I have hitherto met withall, of any of those bodies that I have above named, that I could not with the composition of bullets or globules, [and one or two other bodies,]imitate, [even] almost by shaking them together. And thus for instance may we find that the Globular bullets will of themselves, if put on an inclining plain, so that they may run together, naturally run into a triangular order, composing all the variety of figures that can be imagin'd to be made out of Equilateral triangles; and such will you find, upon trial, all the Surfaces of Alum to be compos'd of: [ For three bullets lying on a plain, as close to one another as they can compose an Schem. 7.
Fig. A. &c. AEquilatero-triangular form, as in A in the 7. Scheme. If a fourth be joyn'd to them on either side as closely as it can, they four compose the most regular Rhombus consisting of two AEquilateral triangles, as B. If a fifth be joyn'd to them on either side in as close a position as it can, which is the propriety of the Texture, it makes a Trapezium, or four-sided Figure, two of whole angles are 120. and two 60. degrees, as C. If a sixth be added, as before, either it makes an AEquilateral triangle, as D, or a Rhomboeid, as E, or an Hex-angular Figure, as F, which is compos'd of two primary Rhombes. If a seventh be added, it makes either an ?Equilatero-hexagonal Figure, as G, or some kind of six-sided Figure, as H, or I. And though there be never so many placed together, they may be rang'd into some of these lately mentioned Figures, all the angles of which will be either 60. degrees, or 120. as the figure K. which is an ?Equiangular hexagonal Figure is compounded of 12. Globules, or may be of 25, or 27, or 36, or 42, &c. and by these kinds of texture, or position of globular bodies, may you find out all the variety of regular shapes, into which the smooth surfaces of Alum are form'd, as upon examination any one may easily find;] nor does it hold only in superficies, but in solidity also, for it's obvious that a fourth Globule laid upon the third in this texture, composes a regular Tetrahedron, which is a very usual Figure of the Crystals of Alum. And[ (to hasten)] there is no one Figure into which Alum is observ'd to be crystallized, but may by this texture of Globules be imitated, and by no other. "
フックは、こうした規則的な形態が、小球粒子の3つか4つの位置関係からだけ生起することを主張しています。
「次には、水晶が示す二番目に顕著な現象、すなわち、その形態の規則性に進みましょう。
----こうした規則的形態のすべては、小球状の粒子の3つか4つの位置関係のみから、そして、そうした形をした粒子の必然的結合のみから、生起することを示すことができるでしょう。
----- そして、このことを私は同じ大きさの小球をつかい、目に見えるように示すことができます。同じ大きさの小球を揺さぶるだけで、小球の構成でつくることができない、上記のような物体であった規則的な形態はないことです。[規則的形態なら、小球の集まりでつくることができる]
たとえば、丸い小球を傾いた平面において自然に集まるようにすれば、正三角形から想像できる全ての形態を構成できる三角形状になることを見いだすでしょう。そしてそうしたものを明礬に表面に見いだすことができるでしょう。-----
いえ、表面だけではなく、固体全体にも言えます。というのは、この構造の3番目の上に四番目の小球を載せると、正四面体=これが明礬の非常によく見られる形態です=になるのは明らかだからです。そして、明礬が結晶化するその他の形態は観察されていません。」
拙いところがありますが、ウォラストンの引用する通りに訳出してみました。
→マシュー・ハンターは、フックの同じ箇所を引用して、これはどういう実験か? そして描かれている絵は、どういう絵か、と問うています。
Matthew Hunter, "Experiment, Theory, Representation: Robert Hooke's Material Model," in R. Frigg, M. Hunter (eds.), Beyond Mimesis and Convention, Boston Studies in the Philosophy of Science, 262, Springer, 2010,
小球の絵は、もちろん顕微鏡で観察した図ではありえません。モデル図、概念図です。小球をいくつか平面上において、揺動するのも、厳密な意味での実験とは異なります。→ホイヘンスの「光についての論考」には邦訳があります。昔、朝日出版からでていた科学の名著第II期、第10巻(1989)に収められています。当該箇所は、氷州石の内部構造についての推測の節です。pp.287-290
p. 288 「植物、鉱物、濃縮して結晶化した塩の中には、一定した角と規則的な形を有するものが幾つかある。例えば、花の中には、花弁が三、四、五あるいは六つの辺をもつ多角形状に整然と並んでいるものが多くあるが、六を越えるものはない。このことは大いに注目に値する。形は[なぜ]多角形[なのか]、また、その辺の数はなぜ六を越えないのか。」
p. 288 「恐らく、これらの自然の産物に見られる規則性は、一般に、それらを構成する目に見えない均等な微粒子の配列に由来してよう。」
氷州石の場合、ホイヘンスは、「それを構成する微粒子は、丸いが球ではなく、図[図37]のような楕円GH 、すなわち、短径と長径の比がおよそ1対平方根8である楕円を、その短径EF のまわりに回転させてできるような扁平な回転楕円体と仮定する。」
p. 290 「かくして、問題の氷州石の立体角も、その割れ方も、今述べたような回転楕円体かあら構成されるものに認められることにぴったり一致するのであるから、氷州石の粒子もまた同様の形状および配列をしていると考える理由は大いにある。」
p. 292 「大きさと形がすべて等しい微粒子がどのようにしてかくも多く生み出されるかについても、また、それらが如何にしてかくも美しく配列されるかについても、私は何も語る積もりはない。それらは最初に形造られたその後で結びつけられるのか、あるいは、それらは生み出されるにつれて生まれると同時にこのように並ぶのか、私には後者の方が真実らしく思われるのだが、[この点についても、私は何も語る積もりはない。]」原亨吉編、原亨吉・横谷雅彦・安藤正人・鼓澄治・穐山恒男・中山章元・西敬尚訳『科学の名著第II期、第10巻 ホイヘンス 光についての論考 他』(朝日出版、1989)
「光についての論考」は、安藤正人・鼓澄治・穐山恒男・中山章元訳です。
目次は次。
原亨吉「ホイヘンスを讃えて―編集者解説―」
原亨吉・横谷雅彦・安藤正人・鼓澄治・穐山恒男・中山章元・西敬尚「解題」
翻訳第1部
衝突による物体の運動について 西敬尚訳
土星の月についての新観測 安藤正人訳
賭における計算について 安藤正人訳
遠心力論 横山雅彦訳
土星の体系 安藤正人訳
振子時計 原亨吉訳
翻訳第2部
光についての論考 安藤正人ほか訳
ホイヘンスは、粒子を基本に考えています。空気の粒子、水の粒子、エーテルの粒子。
「光についての論考」を解説している穐山恒男氏によれば、「(4)、(5)は、ホイヘンスが粒子説によって現象の仕組を説明することに如何に熱心であったかを示している。しかし、(4)からもうかがえるように、粒子説による説明内容は動揺している。」(p. lxxvi.)
ホイヘンスは「あらゆる自然現象の原因を機械論的に (par des raisons de mechanique)把握しようとする真の哲学」の立場にたっている。
ホイヘンスは一方で粒子の大きさや速さに関して無限に多くのものがあるように語るが、実際には5種類の粒子を登場させているとも言える。 (1)太陽や星、金属や木など通常の物体を構成する粒子、 (2)光の伝播に関するエーテル粒子 (3)非常に速い運動をしている微細物質 (4)物体粒子を構成している粒子 (5)エーテル粒子を構成している粒子
ただし、注意を要するのは、ホイヘンスはここで光の現象を説明するのに必要な限りで粒子モデルを提出しているのであって、物質構造を述べることを目的としていないという点である。
ひとりで5時50分、室温22.7度。曇り。妻を6時に起こします。妻は息子を6時半に起こします。ちいさいちびは7時半。おおきいちびは不明。
中学生、ちいさいちび、妻の順にでかけていきました。
おおきいちびは夜バイトだそうです。→ゆっくり起きてきて、手帖と1時間以上格闘したあと、宿題のレポートに着手しました。今週の仕事は、昨日の会談でおわり。来週はまた火・水です。
ひとりで5時45分、室温22.3度。午前中に会談。
8時42分武蔵境発の西武是政線。
昨日、故金森修さんの編著『科学思想史』(勁草書房、2010)から第6章(本間栄男「デカルト派生理学と図像表象」)を読み直しました。あらためてよい研究論文だと感心しました。今回の関心は、クラーネン。本間さんは、「デカルト主義に基づいた医学を論じて影響力をもったほぼ唯一のライデン大学医学部教授」だと評されています。
Theodorus Craanen, Tractatus physico-medicus de homine, Lugduni Batavoru, 1689
昨日、クラーネンの主著『人間についての自然学-医学的論考』をダウンロードしています。今日は、あいている時間で図版を確認し、抽出しました。これはデカルト派医学の図像表示のピークかもしれません。論点は本間さんがしっかりと分析された通りです。今回は図像を私の目でしっかりと確認したかった。
→ 18.9.15 形而上学者としてのデカルトの著作には、「文字ばかりが並ぶが、後者の科学者としての著作には豊富な図が含まれている。この違いは、今日でも哲学系の学術論文には図がほとんどなく、科学系の学術論文には図が不可欠であるという違いに対応している。」(p.325)
形而上学的著作:「方法序説」(1637)、『精神指導の規則』(ca.1628)、『省察』(1642)、『哲学の諸原理』(1644)第1部。
科学的著作:「方法序説」(1637)に附論する「屈折光学」「気象学」「幾何学」の『三試論』、『世界論』(ca. 1632)、『人間論』(ca. 1632)、『哲学の諸原理』(1644)第3部第4部、『人体の記述』(1648)、『情念論』(1649)。
若きデカルトの言葉「大多数の書物はその幾行かを読み、その図像を観れば、全部わかってしまうのでる」(Descartes, 1986, p. 214;所、2008, p. 33)
幾何学、音楽、天文学、運動学、流体静力学、などの数学的諸学には図が含まれていた。また、ルネサンスの百科全書的著作、カルダーノの『精妙性について』(1550)や、デッラ・ポルタの『自然魔術』(1558)、には多くの図があった。もちろん、解剖図による解剖学書、植物誌や動物誌などの自然誌的著作にも図が必須であった。そして、機械の図。(本間さんは、後者については、デカルトは見たかどうかわからないと言っている。)
2種類の図。1)記述的図像:可視のものを簡略化、縮小して例示するもの、望遠鏡の仕組み、虹の見える角度の図示等。2)モデル的図像:実際には目に見えない仕組みを他のものに喩えたモデルを用いたり、仕組みの概念を図像にして可視化するもの。
デカルトはあまり用いていないが、実際のものを観察して描いた観察図という種類も考えられる。もちろん、1)記述的図像に含めてもよい。
カルダーノの『精妙性について』(1550):非常に多くの図版を含む、とくに自然学的原理を述べる第一書にその傾向が強い。「機械装置こそがカルダーノの原理的運動の例示なのであり、同時に、その運動の存在が機械装置によって確かめられるという議論の構造になっている。」(p. 336)
「カルダーノはここで、ある原理が実は原理ではなく、他の原理によって説明されるということを、機械装置とその図像を活用して論じているのである。」(p. 339)
「機械による例示は、単なる日常体験に基づくスコラ哲学と、十分にコントロールされた実験に基づく近代科学の間をつなぐ、過渡的な段階だったと考えることもできる。」(p. 339)
「眼球運動の四図像は解剖図ではなく、デカルトが『三試論』で用いたモデル的図像である。これこそが、機械論的生理学に特徴的な図像表現である。」(p. 342) (四図像とは、レギウスが『自然学の諸基礎』(1646)に収めている図像。)
二種類のデカルトの『人間論』。クレルスリエのフランス語版『人間論』1664。
フロレンティウス・スハイルのラテン語訳『人間論』1662。
スハイル版にはモデル図像とともに解剖学的図像を多く含む。
クレルスリエ版にはモデル図像が大半である。(p. 345)
日曜日の研究会には間に合わなかったものを補っています。あとは、部屋の片づけの続行。机の上を片づけて、4人なら座れるようにしました。6人までは座れる机なので、あと2人分は積み残しです。
10時半頃、3人でお見えになりました。人事の方と海外事業部のマネージャーの方と翌春から就職する院生です。話は盛り上がりました。1時間で終了。3人でお戻りになられました。私は、生協にいって、昼食にうどんを食べ、研究の簡単に片づけをしてから帰途。12時16分多磨駅発の電車で帰宅。
昨日の夕方、アイスキャンデーを食べていると、口の中に違和感。上の前歯(2番目)のプラスチックの詰め物がとれていました。私の歯ではよくあることです。昨日は歯医者さんの営業時間が終了していたので、今日、大学から帰ってから、電話をしました。4時半があいているということです。駅前の銀行でお金を降ろしてから、4時20分に歯医者さんに着きました。待たされることを覚悟して、英語の論文を1点もっていっていたのですが、すぐに呼ばれました。
塗り麻酔、注射の麻酔をしてから処置してくれました。10分程度でしょうか。前歯なので特有の怖さはあるのですが、痛み等は一切なく、終わりました。もう1点、日曜日の研究会に間に合わなかったのが、ファブリの『自然学』
Fabri, Physica, Lyon, 1670
グーグルブックでダウンロードすると、必要な箇所、すなわち画像がありません。グーグルブックは、画像に関しては、本質的な欠点を有します。画像をきちんとスキャンしてくれている別のサイトを探す必要があります。
→ 検索をかけると、e-rara にありました。すごい厚い本です。最初に非常に詳しい目次があり、次に、2枚の大きな図版がありました。たぶん、折込です。ほとんど幾何学図形。ここまで一貫しているものははじめて見ました。2次文献では、Debus, "Solution Analyses prior to Robert Boyle," Chymia, 8(1962): 41-61 を探し出すことをしていませんでした。探すのが面倒だったせいです。懐中電灯をもって、可能性のある2箇所を探しました。最初の場所にはなし。もう一箇所にありました。数分はかかりました。歯医者さんにもっていったのは、これです。
溶液分析(鉱水分析)は、ボイル以前にもあった、そのことの具体例をきちんと例示する論文です。
→古いカードを引っ張りだしました。1984年5月9日と1991年3月7日の日付があります。1991年の方は読んでノートをとった日付です。
「ボイル以前の2世紀間の溶液分析の伝統と跡づけること
オーク・ゴール(虫瘤)を使って、明礬の純度をチェックすること等の初期形態はプリニウスにある。
ルネサンスの鉱水に対する関心。イタリア学派あるいはパドヴァ学派。
1)Dondi, 2) M. Savonarola (ca 1390-1462)、硫黄、明礬、石膏、鉄を同定する方法、
3) G. Fallopio (1523-63)、この学派のうちで後にたいしてもっとも影響力をもった人物。
ドイツ人 L. Thurneisser z. Th. (1530-1595) こうした溶液分析に定量的アプローチを導入。以上のテストのほかに、溶解度テスト、炎色反応、結晶形態を同定に用いる。
p. 49リバヴィウス、p.50 ヘルモント、p.51 de Heer オークゴールを硫黄検出のため、ブラジル木を明礬検出のため使用。
p.54 E. Jorden (1569-1632) 英国人。鉱水分析、」
→ 18.9.13 もとの論文によってもうすこし補います。p.54 ジョーダンは、鉱水の成分を次の7つに分類した。{1)ただの土、2)石、3)れきしょう(ビチュメン、アスファルト)、4)塩、5)鉱物精(鉱酸)、6)卑金属、7)精的物質}。このなかで我々にもっとも興味深いのは、塩の試験。彼によれば、塩には4種類ある。硝石、食塩、明礬、礬類。ただし、この各々には数多くの種がある。(Jorden, p.29) 塩を同定する彼の方法は、主として、蒸留と残留物の再結晶化であった。この点で、同定の主たるポイントは、結晶形態であった。
Jorden, Bathes, p.76 から引用。木の枝を溶液にいれて、蒸発に任せると、「2〜3日のうちに、凝結汁は、木の上に析出する。もしそれが硝石であったら、針状に、もしそれが食塩であったら、四角形に、そしてもしそれが明礬や緑礬であったら、Clods や Lumps に析出するであろう。・・」
結晶形態は彼以前にもたしかに同定につかわれていただろう。しかし、私の知る限り、ここにおけるほど重要視されたことはなかったnote84。
note 84 は、もっと雑だが、ガブリエル・プラットの著作にも同様な手法が見られることを示している。Gabriel Plattes, A Subterraneal Treasure, London, 1639, pp. 9-10.
そして、もし、時間に余裕がない場合には、第二の方法をジョーダンは示している。それは沈殿法。
「対立する物質を付加することによって、それらの鉱物物質は凝結汁から、固まりとなって底に沈む。」(Jorden, Bathes, p.73, 1631 ed., p.76
まだ、そういう言葉では表現されていないが、本質的にこれは、酸-塩基反応である。本質的には、ここで言われる「塩」はすべて塩基であり、「酸っぱい液体」は酸である。今から見れば、酸-アルカリの呈色指示薬の先駆形態と言える。
ディーバスはさらにボイルの助手をつとめたこともあるウィリスに言及する。ウィリスは、こうした反応を粒子論的に解釈する強い傾向があった。
Thomas Willis, Practice of Physick, trans. S. Pordage, London, 1684, pp.40-41. この英訳版では、「発酵について」は、pp.1-44 に採録されている。
ディーバスは、pp.57-58 で、ウィリスのこの部分をほぼ1頁にわたり引用しています。ボイルの著作出版以前の呈色指示薬の使用のとても便利なまとめとなっているというのがその引用の理由です。
→ 18.9.14 ウィリスの図像利用のあり方を手元にあるウィリスで見てみました。
Willis, Thomas, 1621-1675. A medical-philosophical discourse of fermentation, or, Of the intestine motion of particles in every body . ,translated into English by S.P., London : Printed for T. Dring, C. Harper, J. Leigh, and S. Martin, 1681.
このウィリスの『発酵論:発酵に関する医学-哲学論考、あるいは、すべての物体における粒子の強い運動について』(1681)ですが、発酵を扱っている部分に図像はありません。後半の医学論文には脳の解剖図が付されています。デカルトのように粒子を絵に描いているわけではないようです。
次は、以下を確認しました。
Willis, Thomas, The remaining medical works of that famous and renowned physician Dr Thomas Willis ,Englished by S.P. Esq., London : Printed for T. Dring, C. Harper, J. Leigh, and S. Martyn ..., 1681
こちらは、『醗酵論』を筆頭に8つの論考を収めています。翻訳者の名前(S.P. Esq;) の前の行に、18枚の銅版画を付す、と明記されています。
銅版画は脳・神経系の解剖図です。興味深い解剖図ですが、デカルト派医学の一部のもののように粒子を描くことはしていません。
全部の著作を確認したわけではありませんが、基本的傾向は、こうだと思います。
Debus, Chemical Philosophy, 1977 邦訳『近代錬金術の歴史』(平凡社、1999)には、この研究( Debus, 1962 )が取り込まれています。その部分を抽出しておきましょう。
邦訳p.106 「1571年までにレオンハルト・トゥルンアイサーが、鉱泉水の有効物質決定を試みるなかで、量的方法、溶解度試験、結晶学的検証や、いくつかの炎色試験を使用していた。n111」
注111 は、邦訳p.584 Leonhart Thurneisser zum Thurn, Pison, Frankfurt an der Oder, 1572, pp.31-38, 43-46 「これらの試験以外にも、トゥルンアイサーは、新しい分析手段として、再結晶によって得られる塩状の物質の結晶形にも頼った。硫酸塩の粒子は、普通「四角形」あるいは「三角形」であるが、硝酸は長い針のように見えると彼は述べている(p.46)。この方法は、いくつかの塩状の物質が溶液中に混じっている場合、ほかの物質から1種類の物質を見分けることのできる識別の確実な手段であるとトゥルンアイサーは考えていた。」
ディーバスは、その後、ヘール(1614)、ファン・ヘルモント(1624) 、ジョーダン(1633)、ボイル(1672, 1684-85)を挙げている。
Henricus van Heer, Spadacrene, hoc est fons Spadanus, Leodii, 1614. 1616 年フランス語訳( Les fontaines de Spa),1630, 1646, 1654
van Helmont, Padadoxa de aquis Spadanis, Leodii, 1624, Supplementum de Spadanis fontibus, Leodii, 1624 Jorden, Discourse of Naturall Bathes, 1633
!!ヘールの(1630)以後の諸版には、鉱物成分決定の手段として結晶の形を並べた折り畳み式の表が収められていた、とディーバスは述べる。!!→かなり時間をかけて探してみたが、この表を私はまだ見つけることが出来ていない。!! この表を見つけられる方、教えていただけるととても幸いです。!!
結晶形態は、ファン・ヘールやファン・ヘルモントによっても鉱物の同定のために用いられた。しかし、ジョーデンほどこの検査法を必須なものと考えた者はいなかった。
ジョーデンの分析は、主として蒸留を行い、その後に残留物の再結晶化を行うのが基本だった。この手順を完成させたことで、結晶の形を同定することが可能になった。
「凝結する種々の結晶を生成させるのは観察に値する。すべての種に固有の多様な結晶の仕方があり、これによっておのおのの種が完成していくのが見られるだろう。n177」
方法は単純である。木の枝を液体中に置き、立てたままにしておくと、 「・・・数日内に、凝結する種々の汁は木の上に結晶を生成する。硝石であれば針状に、塩であれば四角に、明礬あるいは礬類であれば土の塊や瘤のように in Clods and Lumps。・・・」
ただし、ヘール(1614)、ファン・ヘルモント(1624) 、ジョーダン(1633)、ボイル(1672, 1684-85)に図は見つからず。今回の研究に関係するので、もう1点、ディーバス論文のカードを写しておきます。
Debus, Allen G., "Edward Jorden and the Fermentation of the Metals: An Iatrochemical Study of Terrestrial Phenomena," in C. J. Scheer (ed.), Toward a History of Geology (Cambridge, Mass.; MIT Press, 1969), pp.100-121
p.105 ケント州 High Hadden に生まれ、オクスフォード、ケンブリッジで学び、パドヴァに渡って M.D. を得る(1591)。王立医師会の会員になる。
p.106 リバヴィウスにもっとも多くを負う。神秘主義と超自然的要因を拝した医化学者。主著『自然の鉱泉と鉱水についての議論』(1631, 1632)
p. 108 共感-反感による説明を否定。「共感-反感は無知の隠れ蓑にすぎない」
p.110 塩を4つに分類。{ニトロ(硝酸塩)、食塩(塩酸塩)、明礬類、ヴィトリオル(硫酸塩)}、この4つは結晶の成長形で区別できるとした。
p.112 鉱物は植物と同じように、創造のはじめ、完成体としてではなく、種として創造され、その後それが完成へと向かう。地中内の火の働きの否定。その代わりに発酵素として働く種子的精 (Seminary spirit) を鉱物生成の理論の中心にすえる。
ひとりで5時25分、室温25.2度。曇り。雨は上がりました。晴れ間はありません。昨日の雨が秋の空気を連れてきました。すっかり涼しくなりました。正午に面談、午後に会議。
10時16分武蔵境発の西武線。研究室で片づけ。12時から面談、1時間程度でしょうか。
4時半の予定が3時半に繰り上がった会議は、5時まで。5時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。うそのように涼しくなりました。夏学期(外語は4学期制です。第2学期を夏学期と呼んでいます。季節としてはもう木です)の集中講義、医科歯科の先生方に来てもらう「くらしと健康」ですが、次の日程となります。
9月25日(火曜日)、2限〜5限
9月26日(水曜日)、2限〜4限
9月27日(木曜日)、2限〜4限
9月28日(金曜日)、2限〜6限
いつものことですが、いくらか変則的となります。秋学期の授業の確認もしました。木曜日5限の「表象文化に触れる」、私の担当日は、 11月15日、29日、12月6日の3回です。もうしばらく時間があります。
ひとりで4時50分、室温27.4度。曇り。予報では、6時頃と正午頃に雨マーク。そして、9時以降はずっと雨。→予報通り、5時半頃に雨。しかし、東の空は朝焼け。たぶんすぐに止む雨だと思われます。→午後4時過ぎに雨が降ってきました。この雨はしばらく降り続ける感じがします。ちいさいちびは重いと言って朝傘をおいていきました。借りるなり、買うなり、うまく対応してもらうしかありません。今週は、火曜日と水曜日の仕事となります。
朝一番で4号の原稿を準備し、ファイルをメールに添付して送るとともに、プリントアウトしたものを郵便局にもっていって投函しました。
はやめの昼食後、もう一点8月中に届いていたゲラを戻しました。やはり同時に、新しく作文した部分と画像ファイルを送りだしました。
ひとりで6時、室温27.8度。ちいさいちびは自校で練習試合。
私は10時から研究会。
駒場には9時45分頃着きました。コンビニでコピーをし、アイスコーヒーを買ってから、教室へ。田中さんと橋本さんはお見えでした。
田中さんの異動について話を伺いました。また、編集委員会からの書類を手渡して、すこし説明をしました。
午前中は、田中さん、私の順に発表。終わって1時頃。キャンパス内のレストランで昼食。午後は、2時過ぎに開始。橋本さん、河野さんの順。6時前に終了。
ひとりで5時、室温27.4度。東の空が朝焼け。きれいな朝焼けです。ちいさいちびは練習試合。強豪校がいっぱい集まるそうです。
→7時過ぎにでかけていきました。夕方になるのかと思ったら、3時過ぎに帰ってきました。明日も練習(試合?)があるので、制限がかかったそうです。友達のお母さんが車で送ってくれたということでした。中学生は、土曜日学校。普通にでかけて、2時過ぎに帰ってきました。引き渡し訓練ということで、ママといっしょに帰ってきました。
おおきいちびは友達とお昼ご飯をしてから、バイトだそうです。10時半ごろでかけて、10時半すぎに帰ってきます。
私は、明日の橋本科研の発表準備。考えていたことの半分ぐらいには達しました。60か70で出発することになりそうです。
ひとりで5時25分、室温27.1度。金、土、で、日曜日の発表の準備にあたります。→すこしずつですが、進めています。
10時半ごろに雨が降り始めました。たぶん、すぐ止む雨だと思われます。
休憩をはさみつつ、日曜日の発表の準備をすすめています。
ひとりで5時45分、窓辺の室温27.0度。曇り。医科歯科の集中講義の最終日。今日は会議はなし。
昨日よりすこし(2〜3分)遅く御茶の水駅に着きました。キャンパス内のセブンイレブンでセブンカフェを購入して、MD タワーの前の広場に設置されているベンチに座り、アイスコーヒーを飲んでいました。5時50分ぐらいに教室に向かいました。月、火、水の3日間より人がすくない気がします。仕事で来られない方が一定数いるのでしょう。気にせず、いつもと同じように開始しました。7時15分に話を終えて、あとは、コメントシートの執筆時間に当てました。
でかける直前、大村智さんの本を探しましたが、見つかりません。かわりに、ソニア・シャー『人類五〇万年の闘い:マラリア全史』(太田出版、2015)が目に付きました。引っぱり出してみると、冒頭に「マラリアの生活史」に関するしっかりとしていて見やすい図版があります。カバンに入れ、ガード下のコンビニでコピーをとって、ヨーヨーさん&青蒿(日本語では、クソニンジン!)とあわせて、A3 一枚の収め、人数分コピーをとりました。
プラスモジウムについては、授業中に詳しい説明はしませんでした。
MMA の院生諸君がコメントシートや最終レポートを執筆しているあいだ、この本を読んでいました。何分の1かは目を通すことができたと思います。感染症と人類の文明史という面白い分野の話が中心です。個人的には、ローマ帝国の話し、そして、耐性菌出現の部分が非常に面白いものでした。
定刻の9時10分に終了。西荻の駅で降りたあと、駅前のコンビニで冷やしウドンを買って帰宅。ご飯を食べる気分ではなかったので、食べやすい冷たいウドンにしたものです。
帰宅して、新聞を見ると、北海道の地震が全面に印刷されています。今朝は、家族のなかでトラブルがあり(トラブルの原因は学校行事です)、対応にあたっていました。新聞もテレビもネットもほとんど見ていません。
え!、震度7、と私が思わず、声に出すと、私以外はみんなすでに知っていたようです。
ひとりで5時30分、窓辺の室温26.8度。台風がまた熱を連れてきたようです。午前中に会議、午後も会議が連続します。最後まで出席することなく、MMA 集中講義3日目に向かいます。最後の会議は途中でおいとますることは、昨日学部長に伝えています。
9時18分武蔵境発の西武線。ずっと同じパターンです。まず、印刷センターに行って、一部30枚コピー。
10時半から会議。大学院の入試委員会。11時10分過ぎには終わりました。生協購買部に行って飲み物2点とおやつ。
11時半から大学院(研究科)協議会。12時には終わりました。
1時40分から、大学院専攻会議、研究科教授会、学部教授会、言語文化学部教授会と続きます。博士論文の審査報告が7件ありました。だいたい予定より1時間遅れたとなりました。外国語学部教授会の終了まではいましたが、そろそろ出かけないと授業に間に合いません。4時55分、人の動きにあわせて、部屋をでました。
5時4分多磨駅発の電車に乗り込みました。御茶の水に向かいます。電車が空いてから、なかでサンドウィッチを食べました。5時42分に御茶の水の駅に着きました。キャンパスのなかのセブンイレブンで缶コーヒーを買ってから、教室へ。
3日目は、ハーヴィとその前後の話をしました。
時間通りに進行し、時間通りに帰宅。西荻の駅には、9時45分に着きました。
ひとりで5時30分、窓辺の室温24.3度。曇り。台風接近中。午前中から会議。
中央線の電車は9時6分に武蔵境に着きました。ちょうどよいので、外にでて、パンをたくさん買いました。昼食とおやつ。それから9時18分武蔵境発の西武線。10時10分から学長室。11時過ぎまで。
生協に行って、牛乳だけ買いました。研究室で昼食。1時から会議。2時ぐらいまで。2時半から会議。4時半まで。そのまま西武線に向かい、4時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。
武蔵境駅に着くと、台風の強風のせいで、上り電車は国分寺で止まっているということです。10分以上止まっていたと思います。こういうのは、待つしかありません。ちょうどよいのでカバンにあったサンドウィッチの残り半分を食べることにしました。夜の仕事の前の軽い夕食です。上り中央線は、動き始めるとほぼ普通に動きました。御茶の水の駅には、5時35分頃着きました。東京医科歯科大学構内のセブンイレブンの下の休憩所で、授業につかう紙類を確認してから教室へ。ほぼ昨日と同じ感じです。台風のことはみんな気になっているようです。雨は止んでいましたが、風が強い。建物のなかにいても、風の音が聞こえます。
ばたばたしても仕方がないので、いつも通りに授業を進めました。医科歯科のMMA集中講義2日目です。1限終了後、TA のお兄さんが教務課からの伝言として、台風への対応を、それぞれの先生の判断で、してもらってけっこうです、ということです。早めに切り上げてもらってだいじょうぶの趣旨です。私は、外語にいるあいだ、ネットで気象庁高解像度降水ナウキャストと台風情報はずっと見ていました。首都圏は、たしかに、強風圏の円に入ってくるようです。雨は、台風が日本海側に抜ければ大丈夫という目処。強風はわかりませんが、一定時間待てば、大丈夫、という予想を持ちました。
ばたばたしなくてよい、普通に動けばよい、という判断です。強風が吹いているなかを動くよりも、危険だと思ったら、しばらく(1時間から2時間)待てばよい、というふうに判断していました。
まあ、でも、住んでいる場所や家族の状況によってははやく帰りたい方もいるでしょう。30分ははやく終わることにしました。2コマ目は、すこし駆け足になったかもしれません。
ということで、いつもより30分程度はやく家に帰り着くことができました。妻は、人生ではじめて塾に通うことになった息子の出迎えに行っています。私は、駅前のコンビニで買ってきた冷やしウドンを食べて、おおきいちびが風呂から出てくるのを待って、風呂へ。風呂からでてくると、台所に全員が揃っていました。息子はお腹が空いたといって晩ご飯を食べています。はじめてなので、お腹も空いたし、疲れもしたようです。
ひとりで5時50分、窓辺の室温22.9度。曇り。おおきいちびを除き、全員始動。
9時4分武蔵境発の西武線。
まず事務棟3階で鍵を返却。ついで1階で書類に署名・押印。9時半から印刷センターでコピー。MMA の配付資料。
10時から会議。11時過ぎまで。
12時40分から会議。1時半ぐらいまで。
1時52分多磨駅発の電車で一端帰宅。
5時前再出発。5時半頃御茶の水駅に着きました。医科歯科のなかのスターバックでアイスコーヒーを飲みながら、授業の準備を最後まで通しました。
MD タワーでエレベーターに乗ると、偶然、河原先生。挨拶だけしました。教室には10分ぐらい前に入りました。今年はこれまでのなかで一番集まりがよい感じです。
終了までに。お土産のお菓子を3人からもらいました。全員に配っていたようです。帰宅して10時。
ひとりで5時20分、室温25.8度。涼しくなりました。外はもっと低いと思われます。どんよりとした曇り空。→窓辺に温度計を移すと、23.1度まで下がりました。外は、もうすこし低いかもしれません。→6時45分現在で22.6度。このぐらいでしょうか。
8時半現在、雨。しっかりと降っています。まだ誰も起きてきません。午後に、本郷サテライトで、編集委員会と理事会。今日から木曜日まで5日連続で御茶の水に通うことになります。
すこしはやめにでて、1時10分過ぎに御茶の水駅に着きました。大きな交差点のセブン-イレブンで、おやつを一個買ってから、本郷サテライトの建物へ。
部屋に入って、換気をしました。
1時45分頃に田中さん、それから内田さん、新井さん、古川さん、と委員のみなさまが見えました。
編集委員会は50分ほど。理事会は、2時間をすこし超えて、5時15分ごろ終了。部屋の片づけをして、帰途。6時15分頃帰り着くことができました。
さあ、明日からはほんとうの怒濤です。
ひとりで6時、室温27.8度。予報によれば、最高気温29度、お昼下がりから雨です。帰りは雨の確率が高い。明日は雨のち曇り。中学生とちいさいちびを6時半に起こします。中学生はふつうに午前練、ちいさいちびは遠征。保谷に行くそうです。
ちいさいちびは7時15分過ぎ、中学生は7時半過ぎにでかけました。9月1日(土曜日)朝日新聞、be on Saturday の1面「フロントランナー」は、「看護師の卵」たちに、外国人患者に対応する時のノウハウを伝える。「看護の統合と実践実習」の一コマ=東京文京区の東京医科歯科大。
東京医科歯科大学附属病院が今春、国際医療部を新設した、とあります。
主人公として取りあげられているのは、東京医科歯科大学附属病院国際医療部で医療コーディネーターを勤める二見茜さんです。二見さんは、ANA でつとめたあと、26歳で聖母大学看護学部(今は、上智大学総合人間科学部)に入り、看護師を目指し、2013年国立国際医療研究センターに就職。東京外語が社会人向けに開いている医療通訳講座に通っていた。この春から、、東京医科歯科大学附属病に転勤。
直接MMA のことではありませんが、MMA のたぶんお隣の仕事だと言ってよいでしょう。→もしかしてと思い、検索をかけると、MMA 終了とあります。私のMMA の授業をとっておられた可能性がけっこう高い。→記録は残しています。私の授業「医療思想史」をとっておられました。そのお仕事は、MMA とは直接的ではないにせよ、関係しているということです。私の仕事は午後。9月冒頭の怒濤の開始です。
昼食を食べてから家をでました。三鷹で乗り換え、11時42分武蔵境発の西武線。309教室に行って、書類を受け取りました。
午後は1時10分から2時半すぎまで、連続4件です。
書類を処理してから、帰途。2時50分多磨駅発の電車。蒸し暑い。気温はそこまで上がっていませんが、湿度100%といった空気です。小雨。雨量としては記録されないぐらいの僅かの雨粒。昼寝をしていると、どーんという音。時計をみると5時22分。何事かと思ったら、雷鳴でした。外では大粒の雨がばたばたといっています。
日が暮れて雨が降る中、次の本が届きました。
小松理虎『新復興論』ゲンロン叢書、2018
せっかくですので、少しずつ、読んでいます。とても読みやすい文章です。読みやすさに感心しています。
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