ひとりで4時15分、室温22.5度。59回目の誕生日。大学で還暦の会には参加しましたが、還暦は来年です。
午前中に近所の方の葬儀に出席します。ちびどもは世話になったので、ちびどもはいっしょに行きます。息子は葬式いやだと言っているので、息子一人でお留守番です。
ひとりで5時10分、室温22.1度。9月ももう終わりです。
ちいさいちびは昨日の夜から災害時の訓練のため、学校にお泊まりしています。非常食と水だけで夜をすごし、毛布2枚で避難訓練をするそうです。おおきいちびによれば、9時ぐらいには帰ってくるそうです。おおきいちびは帰宅してから爆睡したそうです。
妻はすぐに息子の運動会に行きます。私はちいさいちびが帰ってくるのを待ってから、動き方を決めます。お弁当を届ける役目は、私のものです。
ちいさいちびは、予定通り、9時頃帰ってきました。仲のよい友達が風邪で帰ってしまったので、わりとすぐに寝たそうです。と言いつつ、かなり眠そうです。またわりとよく食べたと言いつつ、お腹も空いてそうです。録画したテレビを見ながら、昼食に用意していたものを全部食べました。そのあとは、ごろごろ。中学のときの友達の文化祭に行くと言っていましたが、それも取りやめ。夕刻、神社のお祭りには行くことにしたと言っています。
おおきいちびは、オープンキャンパスに出かけると言っています。神奈川にある大学まで行くそうです。10時半頃行くと言っています。
→妻は、午前中に一度帰ってきて、お弁当をつめてまた出かけました。私の仕事はお留守番だけになりました。
→おおきいちびは、ゆっくりめでオープンキャンパスにでかけました。
→妻はお昼ご飯で一度帰ってきて、いい場所をとるため、すぐに小学校まで戻っていきました。
→ちいさいちびは、1時をかなりまわってから、着替えて降りてきたので、もう行くのかなと思ったら、すぐに2階のもどりました。しばらく音がなかったので、様子を見に行くと、布団の上で寝ていました。眠さが襲ってきたのでしょう。
→妻は3時頃帰ってきました。早速ビデオをテレビにつないで、息子の小学校最後の運動会の様子を見ました。応援団に入って、旗をふっていました。
ちいさいちびはママが帰ってきてしばらくすると目覚め、自転車で井荻八幡のお祭りにでかけました。昔の友達(小学校や中学校のときの友達)といっしょに行くようです。
ひとりで4時35分、室温22.1度。雨は上がっています。集中講義5日目、最終日。&会議は午後にあります。学生との面談が2件。そして、夕刻に駒場の初日。今日が一番ばたばたします。
9時6分武蔵境発の西武線。多磨駅を降りてから、いつもとちょっとだけ違う方向に向かし、パン屋さんで昼食のパンを購入。キャンパスに入ると、101教室に行き、あかりをつけました。そして、配布物を所定の位置におきました。
作業すべきことはけっこうあります。すこしこなしてから、9時45分に101教室に行き、お見えになった医科歯科の先生に挨拶し、学生たちに最終レポートの説明を簡単にして戻ってきました。
11時過ぎにやはり昼食。しばらくしてから、印刷センターに行って、月曜日5限の配布物の印刷をしました。
正午に学生と面談。難しい話しではありませんでした。1時から会議。2時までの予定でしたが、15分ぐらい早く終わりました。研究室に戻り、それから101教室へ。3限の先生の授業の終わり10分を聞き、ありがとうございましたの挨拶をしました。学生たちの多くがレポートを提出する様子を確認し、執筆に入る学生には十分な時間があるので、腰を落ち着けて臨むようコメントしました。しばらく教壇に座ってぼーとしていると、面談の約束をしていたのを思い出しました。あわてて、研究室に戻りました。学生は待っていてくれました。書類に一箇所判子を押すだけの用件です。すっかり忘れていました。学生には、深く謝ってから、必要箇所に署名・押印。
3時前に駒場に向かうことにしました。事務棟1階で書類を出してから、3階に上がり物品を受け取りました。カバンが重くなりますが、一度研究室に戻るよりはましです。
駒場には5限開始1時間前につきました。非常勤講師室によって、書類を提出し、判子を押してから、図書館へ。入館証をつくってもらいました。それから、科哲事務室へ。いつもの場所は「心の哲学」のPD に占領されていました。「心の哲学」のセクションで若手の教員を一人採用して、PD が押し出されたそうです。
すこし事務室で話をしてから、橋本さんのところに挨拶に伺いました。科研費の打ち合わせ。会合のおおよその日程を決めました。
4時50分になったので、教室に向かいました。1107。ちょっとだけ時間がかかりました。建物を間違って記憶していたせいです。着くと、場所には記憶がありました。6名。もう一人、今日は出席できないが、とりますという連絡を受けています。ですから、総勢7名。ちょうどよい数です。
6時半ぐらいまで。井の頭線は遅れていましたが、いつものように、6時50分頃、永福町で急行に乗り換え、7時15分に家に帰り着きました。明日は息子の運動会。明後日は、近所の方の葬儀に出席します。
ひとりで4時50分、室温24.7度。昨日夜遅くなってから降り始めた雨が降り続いています。神奈川など南の方では相当につよい雨になっている模様。集中講義4日目。&会議はありませんが、講習会があります。
ちびどもは雨が小降り、あるいは小康状態になったので、自転車で出かけていきました。小学生も傘をささずにでました。9時6分武蔵境発の西武線。教室によって照明をつけ、配布物を所定の位置においてから、研究室で書類。9時45分頃教室に行きました。4日目となると少し集まりが悪くなってきました。医科歯科の先生は基本はやい。10時前にお見えになりました。コネクター持参でマック。問題なく繋がりました。雑談をして、10時10分によろしくと教室を出ました。
研究室にもどり、ほんのひといき入れてから、情報セキュリティのための講習会会場へ。226教室。1時間。11時35分頃終わったので、そのまま101教室へ。授業は、最後の質疑応答のところでした。11時50分頃にはほぼ終了。
研究室にもどり、メールの返信。疲れがたまっています。12時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅して、ひとやすみ。妻は2時頃帰ってきました。なんとか動けるそうです。
もういちどひとやすみしてから、明日から始まる駒場の準備。全部までは無理ですが、ある程度は目処がついたかと思います。ちびどもが世話になった近所の方の訃報。土曜日か日曜日に参列することにしました。ご冥福をお祈りします。
ひとりで4時10分、室温25.3度。集中講義3日目。& 午後に会議。2つ連続してあります。
疲れがたまってきました。9時30分武蔵境発の西武線。印刷センターに行って配布物を箱ごともって教室に入ると、教室は側廊を除きまっくろ。照明をともし、配布物を所定の場所に置いて、人が集まるのを待ちました。しばらくすると学生たちが集まり始め、TA の院生も見えました。セットアップがすんだ頃、東京医科歯科の先生がお見えになりました。珍しく、マックです。ご自身で、コネクターを用意されていました。
無事、投影されるのを確認しました。授業開始3分前にやはり事務的用件を学生たちに伝え、あとは、医科歯科の先生にお任せしました。昨日発生した用件の続き。それなりに時間がかかります。11時過ぎにお弁当を食べ、休んでいると、ノックの音。TA の院生です。授業中に学生がひとり失神して、救急搬送されたそうです。話を聞くと、無事だった模様です。
食事の後かたづけをして、教室に向かいました。残り15分でした。ちょうど、そういう事態の場合に必要な対応について話をされていました。心臓の専門家です(循環器内科)。先生は、ドクターでもあります。大丈夫そうということです。
失神した学生は友達といっしょに授業を受けていました。友達から話を聞き、連絡があったら、安否確認をきちんとしておいてくださいと伝言しました。
先生=ドクターは、学生の質問に答えたあと、保健センターによってから帰られるということでした。アテンドは、TA に頼みました。午後は、会議。12時40分からの会議は、1時間で終わりました。
2時20分の会議のための資料をもって、大会議室へ。今日はもめないと予想していました。予想通りスムーズに進行しました。3時半ぐらいに終了。
研究室に戻り、もうすこしだけ書類の処理を進めて、疲れたので帰宅することにしました。5限の始まるときに101教室を確認し、無事授業が行われているのを見て、帰途。4時16分多磨駅発の電車。
帰宅すると、妻がエビの頭に当たったと言っています。ずっと嘔吐と下痢が続いたようです。夕ご飯の準備をし、洗濯物をたたんでから、また休みました。
こどもたちは、ほぼいつも通り、夕食を食べ、お風呂に入りました。選択して乾燥させた体育着を明日までにほしいそうです。スピード選択を選びました。
ちいさいちびのクラスにNHK の取材が入ったそうです。生物学の話し。センター試験で物理や化学と比べて得点を取るのが難しく、敬遠されている、生物という教科=自然科学分野の教育研究上の危機だ、ということです。担任が生物の先生です。高校の授業の一こまがニュースで紹介されていました。→翌日の反応。クラスでも学校でも、あの内容だったら、うちでなくてもよかったんじゃない、という感想が多かったようです。
ひとりで5時15分、室温24.9度。集中講義2日目。&午後に会議が2つ。→間違いました。3つありました。
8時54分武蔵境発の西武線。まず、教室。今日は誰もいませんでした。あかりもついておらず、真っ暗でした。あかりだけつけて、研究室へ。
処理すべき事務用件がけっこうあります。処理作業をしているうちに、9時半を過ぎていたので、印刷センターで配付資料をもらってから、101教室へ。医科歯科の先生は、はやい。10分前には準備完了となりました。3分だけ時間をもらって、最後のレポートの説明。研究室に戻り、書類を片づけていました。11時過ぎにお弁当。
12時40分から会議。1時45分ぐらいまで。
2時10分から会議。30分以内で終了。
3時から会議。15分で終了。研究室に戻り、事務作業の継続。途中、図書館に寄って、届いたという連絡があったばかりの、 Thomas L. Hankins & Robert J. Silverman, Instruments and the imagination, Princeton, 1995 を受け取り、101教室に向かい、終了処理の準備をして、また研究室に戻りました。
こなそうと思っていた書類業務はほぼこなすことができました。今日の会議で発生した書類は、明日に持ち越しです。
5時15分、101教室に向かい、最後まで話を聞いて、本日のコメントシートを回収しました。学籍番号順に並べ替えて、研究室に持参。それから、帰途。5時52分多磨駅発の電車となりました。
昨日と同様、まだまだ動いていると暑い。朝はスーツを着ていきますが、ほとんど脱いだままでした。
ひとりで5時10分、室温23.9度。ちびどもも私も本日から再始動。
久しぶりに駅の外のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、8時42分武蔵境発の西武線。まず、教室を確かめました。もうひとり学生が来ていました。照明をつけてから、研究室へ。
印刷センターが開くのが9時半。ちょうど9時半に印刷センターに行き、プリントをもらって、101教室へ。数人学生が来ていました。しばらくすると、TA の院生が見えたので、2階からノートパソコンを借り出してきてもらいました。最初の先生のレジメもありました。10時5分ぐらいから、授業の方法と評価に関して、説明。その後、卒業式をやっているさくらホールに向かいました。間合いをみて、事務の方にそっと入れてもらいました。博士の学位記の授与が終わったら、席に移動してもよいと言われましたが、私のゼミの学生がきちんと座っているのを確かめたので、また教室に戻ることにしました。
今日はTA の院生の試験日。11時過ぎに教室を出ていきました。
授業終了後、今日卒業した学生と研究室で歓談。12時半になる前に、教室に戻り、午後の先生の到着を待ちました。パソコンから無事投影されるのを確認しました。
1時になったところで、一瞬抜けて、朝買ったパンを研究室で食べました。
それからまた教室に戻り、3限の先生の話を聞いていました。久しぶりに聞きましたが、生命を動的平衡として捉えるよくわかる話しでした。
4限の先生は、はじめての先生。私より5歳ぐらい年下です。泌尿器科の先生でした。泌尿器は内科も外科もいっしょなんだそうです。最新の機器を使った手術の様子を見せてくれました。
早めに授業は終わられました。学生たちがコメントシートを書いて、提出するのを待ちました。その間に、2階にノートパソコンを返却。
チャイムが鳴って、1分後ぐらいに全員の提出が完了。
学籍番号順に並べ替えて、箱に入れ、研究室へ。メールに対して、返信。そして、帰途。4時28分多磨駅発の電車。
思ったよりも今日は暑くなりました。武蔵境駅でミックスジュースを買って電車に乗り込みました。けっこうばたばたした一日でした。
ひとりで4時40分、室温23.4度。ちいさいちびは柏まで遠征。5時半に起こします。お弁当をつくる妻もそのとき同時に起こします。
ちいさいちびはちゃんと起きて、ちゃんと出かけていきました。日が昇ると秋晴れの快晴。私と妻は、2度寝。小学生もおおきいちびもいつもよりずっと遅くまで寝ていました。
ちびどもは明日から2学期の通常授業。私は、医科歯科の先生方によるリレー講義「暮らしと健康」があり、毎日学校に行きます。その間、いろんな行事があります。そして、集中講義の最終日には、会議もあり、そしてなにより、駒場の授業の初回があります。
ひとりで5時40分、室温23.7度。雨。昨日降り始めた雨がまだ降り続いています。小学生はピアノの発表会。ちいさいちびは午前練(雨なので休みかもしれません)。おおきいちびは模試。→ちいさいちびの午前練は雨があがったのでなくなることはありませんでした。
小学生の発表会ですが、午前中にリハーサル。午後本番。10時からのリハーサルには私が自転車で連れていきます。9時40分過ぎに家をでて、9時50分過ぎに杉並公会堂に着きました。会場に入るのを確認してから、私は家に戻りました。朝のリハーサルは45分ということです。10時35分頃また家をでて、迎えに行きました。一番最初に上に上がってきました。そのまま自転車で帰途。復路は、別のルートにしました。一周するような感じです。
帰宅すると妻が待っていて、お昼ご飯の買い出し。帰ってきてすぐに昼食。小学生は着替えて、今度は電車で会場に向かいました。正午に家をでました。私はお留守番。ちいさいちびが帰ってきます。ちいさいちびは2時頃帰ってきました。明日は遠くへ練習試合。千葉の柏に行きます。5時台に起きる必要があるそうです。
妻と小学生は、4時半前に帰ってきました。小学生は歌のとき、緊張して高い声があまりでなかったそうです。もともとあまり緊張するタイプではなかったので、緊張するのも成長です。
ちょうどそのとき見ていた番組が終了次第、妻が撮ったビデオをテレビに接続して、発表会の様子を見ました。ピアノは練習不足。本人がよくわかっていると思います。歌は、緊張のせいで高いところがうまく出せていませんでした。もうしばらくすると、そもそもあそこまで高い声は出なくなります。
みんなといっしょに演奏するのは、マリオ。息子は、のこのこの格好で出演。フルートの先生が全員に帽子や衣装を作ってくれたそうです。夕刻、次の本が届きました。
『ゲンロン6』(2017)特集として、乗松亨平氏監修による「ロシア現代思想 I」があります。I とあるので、II もあるのでしょう。
→ 東浩紀氏の序文「受信と誤配の言論のために」、乗松亨平氏の「敗者の(ポスト)モダン」、そして貝澤哉+乗松亨平+畠山宗明+東浩紀4氏の共同討議「ロシア思想を再導入する」を読んでみました。面白い。私はロシアのことはほとんど知りませんが、とても面白い。
→私がいちばんびっくりしたのは、「いまのロシア語にはほとんど方言がない」という貝澤さんの指摘です。(p.030)
ひとりで5時35分、室温24.8度。ちいさいちびは、今日も遊びに行く予定でしたが、午後雨の予報に人が集まらず、中止になったそうです。
正午に歯医者。欠けている部分を埋めてくれるそうです。
お金を降ろす必要があります。お昼ご飯を食べてから、11時40分過ぎに家をでました。駅前でお金を調達して、11時55分歯医者さんに着きました。前の方の外科手術が長引いていて、20分お待ちくださいということでした。20分ではとくになにもできません。ただ待っていました。
塗り麻酔をしてから、処置してくれました。欠損部をつめる作業なので、大きな痛みはありません。15分ぐらいで完了しました。その後、セイユーにお使い。ミルクと大根と芋を買って帰りました。たいていの場合、ミルクは3本買います。それ以上だと持ち運びが負担です。
帰ってきて休憩。ちびどもは、休みの学校に出かけていきました。すぐに雨が降ってきました。そういうときもあります。
麻酔が抜けたと感じたのは、息子が雨のなか傘をささずに帰ってきたあとでした。4時過ぎでしょうか。
ひとりで4時30分、室温24.3度。小学生は、普通に学校。
ちいさいちびは、10時によみうりランドに行きました。4人で行くそうです。
おおきいちびは、午後、塾に行きました。新宿御苑によってくるそうです。
我が家の財務的用件の処理のため、3回、外出しました。それ以外は家にいて、休養的一日。
来週の金曜日から始める駒場の授業。
相関基礎科学特殊講義 I (大学院)、金曜日5限、1107教室。
(教室は変えてもらうかもしれません。)105分授業。13回。2回火曜日がありますが、1回は、本務校の重要会議のため、出講できません。
週末までにおおよその進行を計画しておきます。(実際には出席者を見て、調整します。)夜にお尻が小爆発をして、相当に痛い。日が変わるぐらいまで痛みがありました。
ひとりで5時25分、室温25.8度。ちびどもは3連休。ちいさいちびは部活があります。おおきいちびは受験勉強。
来週から集中講義「くらしと健康A」が始まります。月曜日から金曜日まで。登録者数を確認しました。新学部が142名、旧学部が2名で、計144名です。150部用意しておけば問題ないと思われます。
久しぶりに駅の外にでて、昼食のパンを買ってから、10時16分武蔵境発の西武線。大学に着いて、すぐに印刷センターに向かい、来週の集中講義の資料を印刷しました。千枚を越えました。印刷したものは、センターで預かってもらい、研究室へ。
11時に学生。やはり、書類に判子を押しました。その後昼食。
2時20分から会議。30分程度で終わりました。
4時から教授会。予定よりすこし遅くなりましたが、5時16分多磨駅発の電車に乗ることができました。同僚の先生お二人といっしょになりました。おひとりの先生は、そのまま羽田に走り、海外に行かれます。武蔵境に着くと、走られました。
ひとりで5時40分、室温26.1度。
息子は6時45分に起きてきました。今日から運動会の応援団のための朝練が始まります。9時42分武蔵境発の西武線。まず事務棟3階に上がり、物品を受け取りました。それから研究講義棟3階で書留を受け取り、研究室へ。
書類の確認。11時から学長室です。10分強前に研究室を出て、事務棟4階へ。4枚の書類を提出しました。もらったときにはよくわからなかったのですが、落ち着いて考え、ネットでもすこし調べて、まあ、こういうところか、という感じになりました。日本のお役所文書は、意地悪をしているのかと思うほど、難しいことがあります。
そのまま1階上がって、入り口で待機。長が見えてからいっしょに学長室に入りました。約1時間の懇談会。
研究室に戻り、お弁当。12時半に学生が来て、書類に判子。1時から会議、20分ほどで終わりました。
2時から会議、こちらは、ちょっと時間がかかって、3時半過ぎまで。やはり研究室ですこし作業をしてから、帰途。4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
日陰は涼しい風が吹きます。でも、かなり気温が上がっていました。明日もまた会議です。
息子が起きて6時20分、室温23.8度。台風18号は、午前6時現在、秋田沖だそうです。夜の間は、すこし風が吹いていました。遠くを台風が通り過ぎる風でした。
そして、通り過ぎた台風が熱を運んできます。最高気温予想が34度。9月の後半になって、34度は相当に暑い。→外はほんとうに34度に達したようですが、室温は28度で収まっています。28度であればなんとか耐えられます。ちいさいちびは、お泊まりした友達の家から記念祭へ。おおきいちびは、今日は会計担当だそうです。計算間違えたらどうしようと昨日の夜から心配していました。
小学生は、午後、リハーサル。杉並公会堂で。帰ってきてすぐに友達の家に遊びに行く約束になっています。→12時40分に家をでました。10分で着きました。息子と一緒に杉並公会堂の中にはいっても、それらしき姿が見えません。息子本人に受付の方に問い合わせをさせました。やはりそれらしい会合はありません。家に残っている妻と何度か電話で話をして、どうも先生が間違えて杉並公会堂とメールをしたが、ほんとうは、先週と同じ勤労福祉会館だということです。
息子と2人、杉並公会堂から勤労福祉会館に向かいました。15分から20分程度はまだ練習ができるぐらいの時刻につきました。残り時間があまりないので、私は、飲み物を飲みながらロビーで待つことにしました。
1時45分過ぎに息子は出てきました。そのまま普通に帰宅。
息子は友達との待ち合わせ時刻を2時25分に変更しました。妻は、2時過ぎに記念祭を見に行きました。暑いけど、今日は混んでいるという情報は、お母さんネットワークで入手しています。
ということで、しばらく私一人がお留守番。妻は4時過ぎに帰ってきました。ちびどもが帰ってくるのは、6時を過ぎるでしょう。
ひとりで5時35分、室温22.7度。雨。日が暮れてからは雨が続いています。台風18号はまだ東シナ海にあって、九州上陸は昼前だそうです。6時45分頃、記念祭は開催するという情報がホームページにアップされていました。
ちびどもは、小雨のなか、カッパを来て、登校しました。
おおきいちびは、5時前に帰ってきました。明日は一日仕事なので、今日はこれでよいそうです。
ちいさいちびは友達の家にお泊まりに行くと行っています。手ぶらで行かせるわけにいかないので、3時頃、近所のケーキ屋さんに簡単なお土産を買いに出ました。パウンドケーキの詰め合わせにしました。Michael Friendly, Matthes Sigal and Derek Harnanansingh, "The Milesotne Project: A Database for the History of Data Visualization," (2013)
これをダウンロードし、プリントアウトし、鉛筆を手に読み通しました。統計学の分野が中心ですが、データの可視化に関しては、トータルな歴史記述を目指しています。とても役に立つレヴューです。
私の知識にあるところでは、プレイフェア、プリーストリー、ゴールトンがでてきます。Galton, F. (1886), Regression toward mediocrity in hereditary stature. Journal of the Anthropological Institure, 15(1886): 246-263
Playfair, W. (1786). Commercial and Political Atlas: Representing, by the Copper-Plate Charts, the Progress of the Commerce, Revenues, Expenditure and Debts of England, during the Whole of the Eighteenth Century, London, 1786
Playfair, W. (1801). Statistical Breviary; Shewing, on a Principle Entirely New, the Resources of Every State and Kingdom in Europe, London, 1801
Playfair, W. (1821). Letters on our agricultural distresses, their causes and remedies; accompanied with tables and copperplate charts shewing and comparing the prices of wheat, bread and labour, from 1565 to 1821/ BL: 8275.c.64.
Priestley, J. (1765). A Chart of Biography, London: (n. p. ).
なお、このレビュー論文の目的は、データの可視化の歴史のための、データベース構築のプロジェクト、マイルストーンプロジェクトの紹介です。日本からの参加者がいるのかどうか気になるところです。アブストラクトをざっと訳すと次のようになります。
データ可視化の方法は、歴史の流れのなかで大きく展開してきた。その流れのランドマークは、1600年代における最初の主題地図、1800年代初頭における棒グラフと折れ線グラフの発明、そして今日の動的かつ対話式のグラフィクスである。こうした発展はこれまで、いろいろなミクロヒストリーにおいて詳細に記述されてきた。しかし、研究、調査、探求、あるいはデータ分析、この歴史に基づくグラフ化のための、ひとつの場所での、統一的全体的なマクロヒストリーは試みられていない。
この章の目的は、3つある。1)我々の解、マイルストーンプロジェクトというオンラインリソースを紹介すること。2)顕著な例を示すこと。3)「統計学的歴史記述 statistical historiography」のためのデータとして役立つことを示すこと。→ 17.9.18 ジョン・ハーシェルについて、1832年の2つの論文で、散布図 (scatterplot)のアイディアを示したとあります。詳細な記述はありません。調べてみると、次の論文が見つかりました。
Michael Friendly and Daniel Denis, "The Early Origins and Development of the Scatterplot," Journal of the History of the Behavioral Sciences, 41(2005): 103-130
→ John Herschel の部分だけ読みました。1832年の2つの論文が具体的に何かをまず知りたいと思いました。読み上げられたのは、1832年ですが、出版は2つとも1833年です。ちなみに、原稿を読み上げたときにはあった図そのものは、出版に際しては省略されたそうです。その最初の図そのものは、まだ見つかっていないそうです。
John Herschel, "III. Micrometrical measures of 364 double stars with aa 7-feet equatorical acromatic telescope, taken at Slough, in the years 1828, 1829, and 1830," Memoirs of the Royal Astronomical Society, 5(1833): 13-91
John Herschel, "On the investigation of the orbits fo revolving double stars,"Memoirs of the Royal Astronomical Society, 5(1833): 171-222
彼らの議論は説得的だと思われます。ジョン・ハーシェルを撒布図、撒布グラフの最初に位置づけてよいかと思われます。
ひとりで5時10分、室温24.8度。台風18号はまだ東シナ海にあります。明日九州に上陸する予報となっています。東京に最接近は、日曜日から月曜日の夜中の模様。ちびどもの学校の文化祭(記念祭と言っています)は、明日の警報の有無によって、開催するかどうか、いつから始めるかを決めるそうです。こどもたちは楽しみにしているので、対応策としては、よい方法ですが、なかなかに面倒です。
グラフ表示の起源を調べていると、日本語のサイトに、棒グラフ、線グラフ、円グラフはウイリアム・プレイフェア (William Playfair, 1759-1823)が発明したとするサイトに出会いました。
可視化の問題は、定量化や数量化とも深く関係します。
『数量化革命』という本があったことを思い出し、後ろの本棚から探し出して、中身を見てみました。第1部が「数量化という革命」で、第2部が「視覚化」です。第2部は、7章「視覚化するということ」、8章「音楽」、9章「絵画」、10章「簿記」からなります。
山本義隆さんの『16世紀革命』に共通する問題関心です。
今は「視覚化」はもっとひろい意味で使われていると思います。今、同様のテーマで本を出すなら、もっと違う扱いが必要かと思われます。日本語ではこの問題を扱った先行研究を多くは見いだすことが出来ていませんが、英語では数多くあります。すぐには見通しをつけることができないぐらいに、多様な領域にわたり、多くの研究があります。よい展望論文を探しつつ、テーマを絞って、調査を続けるのがよいように思われます。
雨が降るのか降らないのか微妙の天候でしたが、3時頃、長女の塾の支払いのために駅前のコンビニに行き、手続きをしてきました。それからセイユーで簡単な買い物。どうも酸っぱいものが欲しくなります。妻に依頼された牛乳以外に、蜜柑とグレープフルーツを買ってきました。
ひとりで5時40分、室温25.6度。曇り。台風18号接近中。沖縄の近くにありますが、連休の日本を縦断しそうです。ちびどもの文化祭が直撃をくらいます。→午前8時の室温は、24.7度。風が入ってくると、涼しい。午前中に歯医者。久しぶりです。
手持ちのお金がなくなっていたので、駅前のコンビニによってから歯医者さん。一応9時半ということになっているので、9時25分に着きました。でも、9時45分以前に始まったことはあまりありません。案の定、10時前に呼び出されました。
前歯の内側に磨き残しがあることがわかりました。自分としては、必要箇所を全部きちんとやっているつもりなのですが、口の中が見えるミラーをもってやっているわけではないので、磨き忘れた場所があっても気付きません。
いつも通り、全体を丁寧にケアしてくれて、ほぼ1時間。歯医者を出るときには、11時になっていました。前歯の下側に欠損が目立つ歯があるそうです。来週歯医者さんに詰めてもらうことになりました。帰宅して、昼食後、家庭の財務的仕事。駅まで行って、戻ってきました。
ひとりで5時45分、室温27.1度。曇り。→日がのぼるにつれ、昨日と同様の快晴となりました。ちいさいちびは昨夜、朝の4時までポスターを書いていました。今日はどこかで寝てしまうと思われます。
午前中に、4号入稿原稿を用意し、郵便局に行って出してきました。その後、セイユーですこしだけお買い物をして帰宅。日陰はそれほど暑く感じませんが、日射しが強くて暑い。
[若手研究発表会・科学史授業セミナー(2017)]
実際の開始までにはまだいくらか時間がありますが、若手研究発表会・科学史授業セミナー(2017)開催のお知らせをここにも貼りつけておきます。(田中さん作成の案内です。)10/8(日)東京・本郷にて, 日本科学史学会と化学史学会の共催企画,若手研究発表会・科学史授業セミナーを開催します。事前申し込みが必要ですので,科学史学会サイトのフォームからお申込み下さい。
日 時 2017年10月8日(日)10時〜16時45分
場 所 東京外国語大学本郷サテライト(文京区本郷2-14-10)アクセス (東京メトロ「本郷三丁目」駅下車,2番出口から徒歩3分,JR「お茶の水」駅下車,お茶の水橋口から徒歩7分)
共 催 日本科学史学会,化学史学会
資料代 日本科学史学会,化学史学会の会員は無料。非会員は午前・午後それぞれ資料代500円
事前申し込み 必要(建物が施錠されております。科学史学会サイトのフォームからお申し込みいただくと,解錠方法を記したメールが届きます。)
<概要> 午前は博士論文準備中の若手研究者が研究テーマとその周辺について通常の学会発表よりも長い時間をとって発表します。午後のセミナーでは実際に大学でおこ なっている科学技術史の授業を,通常の倍速で解説し,1時間半で2回分の授業(斎藤)または1回分の授業とシラバスの解説(田中)をおこないます。
ひとりで4時10分、室温25.7度。→窓を開けました。涼しい。昨日は会議のときから暑く感じていました。湿度がものすごく高かったのではないでしょうか。→予報では、今日の最高気温が30度、明日の最高気温が28度、そして金曜日が25度。金曜日からちゃんと秋になるようです。→すばらしい快晴となりました。夏の熱を含む秋晴れです。私が朝目覚めたとき、ちょうどちいさいちびが蚊がいるといってばたばたしていました。妻が起きて対応しました。
[『化学史研究』第44巻3号 ]
9時過ぎに、『化学史研究』第44巻(2017)3号が届きました。目次は次です。[論文]東徹「Henry の化学書と宇田川榕庵の化学認識: 『舎密開宗』の未完稿本の確定と他の化学書をベースとして稿本の検討を通して」第44巻(2017): 113-127
[紹介] 栢木清吾「 カピル・ラジ『近代科学のリロケーション』 」第44巻(2017): 128-131
[紹介] 新井和孝「岩瀬 昇『日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか』 」第44巻(2017): 131-132
[シンポジウム:ノーベル賞と産業] 川島慶子「序文」第44巻(2017): 133
[シンポジウム:ノーベル賞と産業] 川島慶子「ノーベルの夢の体現か?―マリー・キュリーのノーベル賞受賞―」第44巻(2017): 134-139
[シンポジウム:ノーベル賞と産業] 古川安「燃料化学から量子化学へ―福井謙一と創造性― 」第44巻(2017): 140-143
[シンポジウム:ノーベル賞と産業] 中村修一「理論科学から化学産業へ:医薬品類の発展 」第44巻(2017): 144-149
[シンポジウム:ノーベル賞と産業] ホフマン「現代化学における緊張関係:理論と応用、大学と産業界」第44巻(2017): 150-157
[シンポジウム:ノーベル賞と産業] 池内了「総括コメント―ノーベル賞と科学・技術のあり様―」第44巻(2017): 158-160
川島さんの紹介で、表紙には、ノーベル賞化学者ロアルド・ホフマンさんの顔写真を掲載しました。とてもよい写真だと思います。9月の最終週にはじまるリレー講義「くらしと健康」について、こちらで用意する書類を作成しました。5日間のコメントシートと最終レポートの用紙です。年度、日にちにより、細かく変動します。その変動に正確に対応する必要があります。
ひとりで4時40分、室温27.3度。午後に会議。午前中から出かけます。
9時42分武蔵境発の西武線。事務棟3階に行って、日曜日の鍵を返却しました。
その後、研究室で片づけ。11時過ぎに生協に行って、コピーカードを受け取り、文具とお菓子をすこし買って戻りました。お弁当。片づけを続行。1時から会議。カバンをもって参加し、2時半に終わったらすぐに駅に向かいました。2時40分多磨駅発の電車。
今日は微妙に雨が降っています。が、傘はささずに歩きました。3時頃帰宅。カバンのなかにつめ、 折りをみて読み進めていた、 マドレーヌ・ピノー『百科全書』小嶋 竜寿訳、 文庫クセジュ、2017 を読み終わりました。百科全書の歴史、ということでは、基本事項を(研究史の蓄積を正確に整理して)記述してくれています。『百科全書』を研究する人は、読まないわけにはいかない書物に仕上がっています。
目次は次。
第一章 『百科全書』の起源と歴史
氈@『百科全書』の起源
『百科全書』の歴史
第二章 『百科全書』本文と執筆者
氈@ドニ・ディドロ
ジャン・ル・ロン・ダランベール
。 ルイ・ド・ジョクール
「 ポール=アンリ・ティリ・ドルバック
」 そのほかの百科全書派たち
、 作品構成
・ 『百科全書』本文一覧
ヲ 項目執筆者一覧
第三章 『百科全書』図版
氈@ディドロの果たした役割
素描家について
。 版画家について
「 『百科全書』図版一覧
」 素描家と版画家一覧
第四章 『百科全書』の『補遺』および『目録』について
氈@『補遺』について
『分析的・体系的目録』について
第五章 ヨーロッパで刊行された『百科全書』の諸版について
氈@ルッカ版(フォリオ判)
リヴォルノ版(フォリオ判)
。 ジュネーヴ版(フォリオ判)
「 ジュネーヴおよびヌーシャテル版(四つ折り判)
」 ベルンおよびローザンヌ版(八つ折り判)
、 イヴェルドン版
・ 『テーマ別百科全書』
ヲ 縮約版および翻訳版
訳者あとがき
本書に登場する書誌一覧
参考文献
出版社(白水社)が裏表紙につけた紹介文は次。
「本文・図版あわせ全28巻におよんだ『百科全書』。七万を超える項目の多くが先行する文献からの引用、改編、要約であり、その事業はまさしく知識再創造の 一大実験場といえよう。本書は、ディドロをはじめとする主要人物のみならず、図版に関する情報を充実させ、後世に名を残さなかった市井の職人たちにも目を 向ける。運動に身を投じた人々、編纂史、数々の告発事件、後続版本の内容をまとめた入門書。」
要約としては、ありです。私の論文、吉本秀之「ハリス『技術事典』の起源」『化学史研究』第41巻(2014): 20-36 と研究の方向性において重なります。『百科全書』は成功し、ヨーロッパに大きな思想的・社会的・文化的インパクトを与えますが、英国は例外です。とくに商業的に英国は別の動きをします。ハリス、チェンバースが先にあったこと、ブリタニカが出現したことが効いたと言ってよいようです。
なお、私の論文では図版のことまでは追いかけることができていません。今回の研究でハリス『技術事典』の図版も対象にしようかと思いましたが、中断しています。ハリスやチェンバースが採用した図版の起源を問うのは必要な作業ですが、その苦労をとる覚悟がつかないまま放置しています。[グラフの歴史]
先日とある論文を読んでいたら、ランベルトがはじめてグラフを利用したという文章に出会いました。(前田良三「キルヒャーと可視性のメディア―メディア文化史的注記」『19世紀学研究(新潟大学)』pp.73-92)
もちろん、どういう分野でどういうグラフかを言わないと意味のある発言にならないのですが、気になったので調べてみました。
橋本さんの本に言及がありました。
橋本毅彦『図説科学史入門』ちくま新書、2016
第2章「気象」で、ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト(1728-1777)の気象観測を扱っています。とくに湿度計。
p. 101 に次の言葉があります。「ランベルトは、湿度計だけではなく温度計などの観測計器で毎日の大気の様子を観測すると、それらもグラフの形に表現した。彼はそのように観測によって得られた大量の数値データをグラフ的に表現した最初の人物といえよう。」
これなら、わかります。大量の気象データのグラフ化です。
→ 17.9.13 橋本さんは、ランベルトに関しては、次の論文を引用されています。
Maarten Bullynck, "Johann Lambert's Scientific Tool Kit," Science in Context, 23(2010): 65-89
これならネットに pdf があるのではないかと思い、検索をかけると、すぐに見つかりました。HAL にありました。
物理現象の数学化、可視化という言葉を Bullynck は使っています。
図版1は、蒸発実験の可視化と題されています。
図2は、ランベルトの湿度研究におけるグラフの変容、と題されて、3つのグラフが示されています。
巻末の文献表もしっかりしていて、ランベルトのグラフや可視化については、ここから研究を始めることができます。→ 17.9.15 Laura Tilling, "Early Experimental Graphs," BJHS, 8(1975): 193-213
Eriola Kruja, Joe Marks, Ann Blair, Richard Waters, "A Short Note on the History of Graph Drawing," Proc. Graph Drawing (2001), pp. 272-286Michael Lynch, "Discipline and the Material Form of Images: An Analysis of Scientific Visibility," Social Studies of Science, 15(1985): 37-66
Howard Wainer, "Understanding Graphs and Tables," Educational Researcher, 21(1992): 14-23
→ 17.9.17
HOFF, H. E. , and L. A. GEDDES (1962) “The beginnings of graphic recording.” Isis 53: 287-324.
FUNKHOUSER, H. G. (1937) “Historical development of the graphical representation of statistical data.” Osiris 3: 269-404.
KOSSLYN, S. M. (1989) “Understanding charts and graphs.” Applied Cognitive Psychology 3: 185-225.
MACDONALD-ROSS, M. (1977) “How numbers are shown: a review of research on the presentation of quantitative data in texts.” Audio-Visual Communication Rev. 25: 359-407.
ROYSTON, E. (1956) “Studies in the history of probability and statistics: III. A note on the history of the graphical presentation of data.” Biometrika 43: 241-247.
SHIELDS, M. C. (1937) “The early history of graphs in physical literature.” Amer. Physics Teacher 5: 68-71.
ひとりで5時35分、室温26.1度。午前中におおきいちびのセンター試験の支払いを済ませました。妻によれば、他の子はとっくにすませているそうです。水曜日かなんかに支払い証明書を学校がチェックするそうです。
お昼過ぎまでで、昨日の会議の宿題をこなしました。文章に注意を要する件が1件ありました。
脳死・臓器移植法が施行されたのは、1997年10月です。つまり、来月で満20周年ということになります。小さな記事はすこしずつ出ていますが、盛り上がりに欠ける状況です。家族承認だけで移植に道を開く法改正があって、日本国内における脳死臓器移植の件数は、明らかに増えましたが、欧米と比較すると低いままに止まっています。
死生観といって普段明確に意識されていないと思いますが、家族が脳死状態、あるいは脳死状態に近いと医者から言われたときに、現れてくるものがあります。
日本人は全般的には、脳死を受け入れることができていないのが、この数字に表れていると言えます。小松美彦のインタービューを載せる記事もまだ見当たりません。9.11です。3.11から6年半という記事はそれなりに見かけますが、9.11に触れた記事はとてもすくない。
ひとりで4時10分、室温25.8度。
ちいさいちびが千葉県まで遠征して練習試合。遠いので、5時半に起こします。私は、午後、編集委員会に理事会。
12時15分頃でかけました。日曜日なので、荻窪で中央線快速に乗り換えました。1時過ぎに御茶ノ水に着きました。時間に余裕があるので、いつもと違う道を通って行きました。亀の専門店がありました。
大きな交差点の角にあるセブンイレブン(もうここは本郷3丁目でした)で、アイスコーヒーとおやつを買ってから、会場へ。30分ちょい前に着きました。
今日は暑い。教室のエアコンをつけ、ひとりでできる会場設営をして、他の人が来るのを待ちました。予想通り、1時半すぎに田中さんが見えました。田中さんと2人でほぼ設営はすみました。
スカイプの接続は、ちょっと音声がうまくいかなかったのですが、田中さん、菊池さん、和田さんのあいだで調整をしてくれました。2時5分から会議をスタート。3時直前まで。
3時5分から理事会をスタート、5時半近くまで。会場の現状復帰にもすこし時間がかかります。6時20分ぐらいに家に帰り着きました。
遠征したちいさいちびはまだ帰っていません。→7時前に疲れ果てた様子で玄関から入ってきました。
次、東京外国語大学本郷サテライトに来るのは、10月8日です。日本科学史学会との共催のイベントがあります。今のところ、9月のワークショップと同じぐらいの申込み人数だそうです。
9月4日に届いた、 マドレーヌ・ピノー『百科全書』小嶋 竜寿訳、 文庫クセジュ、2017 をカバンに入れて持ち歩き、折りをみて、読み進めています。図像科学史のためには、最適の著者です。私の個人的関心にもまっすぐに対応してくれています。
こんなにも数多くのトラブルに巻き込まれたにも関わらず、途中で頓挫せず、完成したのはすごいことです。
ひとりで6時、室温25.0度。視覚文化史2014-15を視覚文化史2014-17にアップデートしました。
ひとりで5時、室温24.8度。昨日降っていた雨は上がっています。ただし、空はまだ全面雲に覆われたままです。→6時過ぎに新聞をとるため、玄関を開けると、晴れてきていました。9時6分武蔵境発の西武線。研究室で整理。たまっていた書類は、ほぼ片づけることができたと思います。
10時過ぎに事務棟3階にでかけて、日曜日の本郷サテライトの鍵を借り出しました。さすがにもう、慣れてきました。月曜日か火曜日に返却することになります。
1月までの授業スケジュールは確認・作成できました。9月末の週に、医科歯科の先生方にきてもらう「暮らしと健康」というリレー講義があり、最終日(9月29日金曜日)には、駒場の授業の初回があります。3限終了後に、外語から駒場に向かうことになると思われます。今日はこのぐらいでよいだろうと考え、11時20分ごろ部屋を片づけてカバンをもって生協へ。雑誌をすこし見てから、昼食。トムヤムラーメン。
昼食後、おやつの菓子類をすこし買って、帰途。11時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。朝は涼しかったのですが、気温がかなり上がってきています。和歌山に住む弟から、母が11月に白内障の手術を受けるという連絡をもらいました。糖尿病の治療をしています。年をとると、糖尿病がなくても、白内障は起きますが、糖尿病があると、白内障はよく生じます。
電話してみました。腕の立つお医者さんだそうです。患者さんがいっぱいいたと言っていました。
そう言えば、先日の新聞に来年の干支の戌(いぬ)の置物製作が始まったという記事がありました。私は戌年です。つまり、来年は還暦で年男。大学で還暦の会に参加していますから、知識としてはもちろんあったのですが、戌の置物の写真で実感がわきました。まだ、59歳の誕生日を迎えていませんが、1年と23日後ぐらいには60歳となります。
たぶん、多くの人がそうであるように、いろんなことを考えます。
白内障も還暦ぐらいになると、ある程度はあるのかもしれません。日が暮れてから、次の本が届きました。
Baruch Fischhoff and John Kadvany『リスク 不確実性の中での意思決定 』中谷内一也訳、丸善出版(サイエンス・パレット) 、2015
教科書として、ちょうどよさそうな感じです。
ひとりで4時30分、室温24.6度。
朝は、私以外全員出動します。→こどもたちは、いつも通り、8時前後ででかけました。妻は、9時前に出かけて、2時前に帰ってきました。小学生は3時過ぎ、ちびどもはは偶然いっしょに4時前後で帰ってきました。小学生は、荻窪駅前の神社の秋祭りにクラスの友達といっしょに行くと言っています。6時半集合だそうです。3時半に宿題を始めていました。[9月の怒濤の最終日]
怒濤の4日目。最終日。本日は、会議がないので、それほどの怒濤ではありません。ちょうどよいので、医科歯科にいくまで家にいて、いろんな準備に当たりたいと思います。
10月に入ると、「表象文化に触れる」という授業がスタートします。リレー講義です。今年の私の担当は、11月16日、30日、12月7日の3回です。あいだに外語祭を挟みます。
調べてみると、2015年は「命の表象」という授業をしています。2016年は「画像・映像文化史」の授業をしています。写真術の出現、写真的映像装置、印刷術の展開のなかでの写真術、という3回でした。今年も、映像文化史の方の話をします。遠近法を取りあげようかなと思っています。5時5分過ぎに家をでました。5時40分過ぎに御茶ノ水駅に着きました。ゆっくり動いて教室へ。5分前に入りました。2人。昼間働いている方々が夜に見えます。はじまりはちょっと遅れる方が多い。
今日は TA が見えないそうです。事務の方と四方山話をして、6時5分に講義をスタートしました。7時25分まで。その後は、2限終了までに期末レポートを提出してくださいと告げて、私は前の席にただ座っていました。9時40分帰宅。すぐにお風呂にはいり、10時過ぎには就寝しました。
ともあれ、集中講義は、こうして無事終了しました。本日は、熱帯医学。イントロで次の話をしました。
2015年のノーベル生理学・医学賞は、10月5日に発表。3人いて、ひとりが日本人、もう一人が中国人でした。もう一人は、アイルランド出身でアメリカのドリュー大学のウイリアム・キャンベル博士。感染症の治療薬の開発に関して。
大村智(おおむら・さとし)は、受賞時80歳、北里大学特別栄誉教授。ウイリアム・キャンベル博士との共同受賞で、河川盲目症と象皮病というとくにアフリカで猛威をふるっている病気を治療薬、イベルメクチンを開発した。
河川盲目症ですが、ブユ(ぶよ)を媒介して、約1800万人が感染し、そのうち約27万人が失明し、50万人に視覚障害が残るという病気、失明原因としては、世界第2位の病気。
大村さんがもとになる細菌(放線菌)を静岡県伊東市のゴルフ場の土中から発見、それを大村さんからもらって、有効成分エバメクチンを抽出したのが寄生生物学者のウイリアム・キャンベル博士。これにわずかの化学的装飾をくわえたのが、イベルメクチンという薬。この薬は、ミクロフィラリアという多くの回虫を退治することができる、しかも副作用がない。1年に1〜2回、経口投与で飲めばよいという手軽さ。
大村智さんは、山梨大学を卒業後、東京で夜間高校の先生をしていたが、一念発起して 研究者の道に進もうと考え、昼間は大学、夜は高校で仕事、土日は徹夜で実験という生活を送り、山梨大学で助手に採用される。
微生物から薬効成分を探す研究に没頭。山梨大学から北里研究所に移り、さらにそこからアメリカに研究留学した。独立独歩の研究者として、数多くの薬効成分をもつ微生物を発見。その特許で、苦境に陥っていた北里研究所を救い、病院を建てた。
さらに美術館を建てて、地元の韮崎市に、寄贈。
さて、今回の私の講義内容に関係するのは、屠??(トゥ・ヨウヨウ)氏の方。 84歳の中国の女性。
今日お話しする、キニーネやクロロキンに耐性をもつマラリア原虫が増えるなか、新しい抗マラリア薬を1960年代の中国政府は自国の科学者に命ずる。中国の伝統薬を調べていくなかで、キク科ヨ モギ属の青蒿(セイコウ:Artemisia annua)(日本語では、カワラニンジンやクソニンジンという名前だそうです)に出会った。すぐにはうまく行かなかったが、煮出すのではなく、低温抽出すればよいと気付き、1972年、アーテミシニンという有効成分の抽出に成功。キニーネやクロロキンに耐性をもつマラリアに効き、しかも副作用がすくない。
中国では1980年代から用いられはじめるが、政治的背景から、世界に知られるのは遅れ、WHO の認可が2000年、本格的に使用されはじめたのが2006年という薬剤。(中国政府の対応は、大村さんとは大違いだが、ともかく、西側は、アーテミシニンの発見者のトウおばさんを探し出して、ノーベル賞を与えた。)
ひとりで5時30分、室温25.1度。怒濤の3日目。10時から会議が連続します。今日は、午後の会議の途中でお暇することになります。
9時18分多磨駅発の西武線。まっすぐに図書館に行き、届いていると連絡のあった次の本を受け取りました。
Lyle Massey, Picturing Space, Displacing Bodies: Anamorphosis in Early Modern Theories of Perspective, Pennsylvania: Pennsylvania State University Press, 201610時からの会議は、30分で終わりました。議題からして、そうなると予想できました。先を考えて、次の会議のまえにお弁当を食べました。
11時からの会議は、部屋が変更になりました。案件の数から言って、長くかかっても不思議ではなかったのですが、ほとんどがテクニカルな案件だったため、スムーズに進行して、こちらも30分で終わりました。午後の会議は13時40分スタートです。研究費に関する手続きをいくらか進めることができました。隠岐さんのサイト(twitter, or Facebook)に『原典 ルネサンス自然学』の書評が毎日新聞にでたという話から、名古屋大学出版会の記事へと繋がっていました。『原典 ルネサンス自然学』に関して売れ行きは聞いていませんが、こんな本は2度とないかもしれません。多くの人に届くといいなと思っています。パンフレットをカバンに入れて、MMA の授業の最初ですこしだけ触れることにしました。
13時40分スタートだったのですが、司会者の一人が遅れて、45分過ぎから。内容が簡単だったので、こちらはすぐに終わりました。
まわりで寒いという声が複数聞こえました。雨も降り始めています。けっこう気温が下がったようです。隣の部屋に移って、2時から教授会が連続します。研究科、外国語学部、両学部共同、そして外国語学部教授会。
案件の数から言って、ましな進行をしたと思いますが、それにしても、ある程度の重さのあるものが重なっていました。両学部教授会の最中に、私は時間切れ。4時52分多磨駅発の電車で、御茶ノ水に向かいました。電車の接続がうまく行って、5時半に御茶ノ水駅に着きました。
夕ご飯を食べる時間がないことを覚悟していたのですが、30分あればどうにかなります。駅前の中華屋さんで、湯麺を食べてから、医科歯科の教室へ。数分まえに入ることができました。本日は、ハーヴィ前後の医学史。
2限のあとの、コメントシートの提出がみんなはやくて、9時40分に帰り着くことができました。風呂に入り、身体をさましてから、就寝。
ひとりで5時50分、室温23.4度。怒濤の2日目。今日は午前中から会議があります。
9時18分武蔵境発の西武線。
10時10分から学長室。11時半頃終了。
研究室に戻り、お弁当。12時過ぎに学生が来ました。書類に判子を押しました。しばらく雑談。
12時40分から会議。2つ連続。1時半過ぎまで。
2時からまた会議。3時半までの予定でしたが、4時前までかかりました。そのままカバンをもって帰宅。4時4分多磨駅発の電車。接続がうまくいって、4時20分には西荻の駅に着きました。家には4時半。すぐに夕食をとり、しばらく休憩して、5時15分に家をでました。10分まえに教室に入りました。ちょうどよい感じです。
10時5分まえに帰り着きました。
ひとりで5時5分、室温24.9度。朝一番で次の本が届きました。
マドレーヌ・ピノー『百科全書』小嶋 竜寿訳、 文庫クセジュ、2017
第3章が図版にあてられています。今の研究テーマに重なります。ちょうど日曜日に話題になったこともあります。第3章から読み始めました。有益な記述でした。いろいろ知りたいことが書かれていました。本日から始まる怒濤。昼間は会議、夕刻は集中講義という日が4日続きます。
9時54分武蔵境発の西武線。大学に着いて、まず事務棟3階施設管理係に昨日の鍵を返却しました。
それから、研究講義棟2階印刷センターでMMA の配付資料のコピー。それをもって研究室へ。
すこし片づけものをしてから、11時過ぎにお弁当。
正午に学生が見えて、卒論の相談。12時40分から会議。比較的はやめに終わりました。1時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。すこし休憩をして、時間になったら、御茶ノ水にでかけます。
4時半ごろはやい夕食をとって、5時前に家をでました。5時35分頃御茶ノ水に着きました。医科歯科構内のセブンイレブンの休憩所でコーヒーを飲んでから、教室へ。10分前に入りました。来ている学生は、一人です。事務の方とTA の院生がちょうどいっしょに見えました。
集まりは悪いのですが、今年はこんか感じだそうです。6時5分にはスタートしました。
TA の方は、歯学部の5年生だそうです。終了後しばらく雑談をしていました。最後まで残っていた方もいっしょに駅まで。帰宅して10時。妻はもう息子といっしょに就寝していました。お風呂に入り、クールダウンしてから、私も就寝。
ひとりで5時10分、室温23.4度。ちいさいちびは練習試合。6時40分に起こして欲しいと書き置きがありました。
私は、午後、研究発表会。お茶の水の本郷サテライトで行います。
化学史学会公式サイトの図像科学史研究会シンポジウム(2017)案内
12時過ぎに御茶ノ水駅に着きました。駅前の中華屋さんで湯麺を食べてから、会場へ。12時半前。
5階で待機。
申し込んでくれた方のうち、2名がお見えになりませんでした。1名は病気で休むという連絡をくれました。もう1名の方は不明。
田中さん、橋本さんの順でお見えになりました。3人で相談して教室の配置を決めました。ラウンド方式にしました。
橋本さんの挨拶で始め、田中さん、橋本さん、休憩15分、河野さん、私の順の発表となりました。コーヒーブレイクの時点で予定より25分遅れとなりました。ありがちなことです。そのまま5時55分終了。現状復帰を手伝ってもらい、帰途。田中さんは、京都に戻られます。残り3人は、中央線特別快速。橋本さんは、新宿で乗換られました。河野さんと私は、中野で乗り換えて、総武線。
帰宅して7時前でした。
[雨上がりの素晴らしい快晴]
ひとりで3時35分、室温23.1度。夏の格好のままです。ちょっと寒く感じます。昨日の夜からの雨がまだ降っています。→11時前に雨は上がったようです。そのときの室温が20.8度。さすがに、長ズボンをはき、上にももう一枚半袖シャツを着ました。土曜日ですが、全員出動です。小学生は土曜日授業、ちいさいちびは部活、おおきいちびはともかくどこかに行くと言っています。→友達の双子の片方が主演する学園祭を見に行くそうです。青山。
小学生は、午後は、ピアノの発表会の予行練習。近所の会館に行きます。
1時から1時45分。私が自転車でいっしょに行ってやりました。迎えも行きました。私は明日の準備。→一応、明日配布する資料は午前中につくることができました。
雨が上がったあとは、素晴らしい快晴となりました。気温が上がらないまま、雲一つない青空。運動会をやるなら、こういう日が最高という快晴です。
NHK で、杉並区が首都直下型地震の被害予測地図を公表したとニュースで言っていたので、杉並区のサイトにアクセスし、地図をダウンロードして、チェックしました。杉並区だと、高円寺駅の南北が弱い(よく揺れる)ようです。
妻は、部屋の模様替え。ちいさいちびの机を真ん中の部屋に移動します。これだけは、私が動かしました。昨日、机の大きさ(高さ、幅、奥行き)を正確に測定し、入り口の幅と高さも正確に測定し、立てて、机の幅の方を前にすればドアを抜けられることが判明しました。わりとよい机を買っています。けっこうな重さがあります。立てて、すこしだけ力を入れて、動かしました。丈夫だったので、とくに問題なく動かすことができました。
机の大きさ:奥行き50センチ、幅134センチ、高さ73センチ。
ドアの開口の広さ:ドアノブを勘案して、58センチ、高さ182センチ。
残りの作業は妻に任せています。
ちなみに、この机は、2007年冬に大塚家具で購入しています。家族揃って新宿の大塚家具にでかけ、使うのであれば、ずっと使えるちょっとだけよいものを買っています。
我が家に届いたのが12月4日。その瞬間、見に行ったときは平気だったちいさいちびが大泣きしたので、同じものを急遽電話注文しています。年齢の近いきょうだいだとこういうことがあります。大塚家具のおにいさんが来て、部屋で組み立ててくれました。妻もこのシーンは、よく覚えているそうです。
ひとりで5時10分、室温23.9度。予報によれば、本日は、最低気温21度、最高気温22度です。わー。たぶん10月の気候です。勝った、よかった。昨夜のワールドカップ予選、オーストラリア戦のことです。
本日から全員始動。ちびどもも学校に行きます。いきなり普通の授業が始まるそうです。小学生は、2学期が始まって3日目。私の本務校の秋学期の授業は10月に入ってからですが、事務的用件は、今日から普通にあります。今日は午後会議。週があけると、月、火、水、と会議の連続です。
午後に会議。午前中の会議はなくなりましたが、ちょうどよい、いろんな片づけをしようと思い、朝のうちにでかけました。9時30分武蔵境発の西武線。
研究室でメールの対応。図書館から借りていた本を集めました。10時前に、書類と4冊の本をもって、事務めぐり。3階研究院事務室で書類を1点手渡してから、図書館へ。4冊返却しました。もう一冊残っているそうです。それから、事務棟3階へ行って、日曜日の研究発表会の会場の鍵を借りました。それから、1階まで降りて、教務課へ。ある書類の下見というのをしました。ひとまず、安心しました。
研究室に戻り、午後の会議で話し合ってもらう案件の準備。机の上の書類の整理。11時過ぎにお弁当を食べ、食べ終わったから見つかったもう1冊をもって再度図書館へ。最後の1冊を返却しました。全部返却したことになります。それから生協へ行って、ファイルファインダを3点購入。
研究室に戻り、時間となったので、302会議室へ。だいたい、案件は目処がつきました。 2時半頃終了。
研究室に戻り、私の担当となった点を処理し、帰途へ。2時52分多磨駅発の電車で帰宅しました。
西荻についてから、財務的処理を行い、アイスを購入。我が家には、グレートイーターがいるので、切らさないようにしています。日が暮れてから、雨が降り始めました。梅雨時の雨のように、降ったり止んだり。
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台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
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