ちいさいちびが目覚めて、6時。少し咳はしていましたが、起きてもどすことはなかったので、まずまず。今日は長い旅。ちびどもと妻が先陣として先に台北に。11月頭に妻の妹の結婚式があります。妻には里帰り。ちいさいちびははじめての台北。
10時42分、新宿発の成田エクスプレスを予約していたのですが、ちびどもが早く行こうというので、9時半に家をでました。新宿駅のプラットフォームは、3つ路線が共有するもので、混雑していました。風が寒いプラットフォームでしばらくまってから、成田エクスプレスに乗り込みました。前に乗ったのは94年です。朝から咳がなかなか止まないちいさいちびの対応に追われていましたが、ふと外を見ると見知らぬ風景。新宿からは品川まわりで東京を経由し、成田に向かうルートでした。そのルートが途中から地下に入る、山の手線の利用では使わない路線でした。車内が暑くなったので、ちびどもを着替えさせてやりました。成田第2空港駅につくと、今度は、寒い。成田第2ターミナルははじめてです。搭乗券をもらい、荷物を預け、とあっちの端からこっちの端へと歩きました。
成田第2空港駅についてから、出発まで2時間半。手続きが完了したあとは、簡単な昼ご飯を食べ、ちびどものほしいというおもちゃを買ってやりなどしていると、1時過ぎになっていました。子連れということを考えて念のために早めにチェックインさせました。ちびどもはちびどもなので、ゲートの外で待っている私のところへ、なかからやってきますが、ともかくお母さんのところへ行くようにと声をかけました。私は、こちらで、月、水、木の仕事をこなしてから行きます。成田空港から自宅に帰り着いたのが4時半。出発から7時間たっていました。けっこう疲れていました。
7時前に電話があり、飛行機のなかは頑張っていたけど、車のなかではよれよれになっていて、おうちにかえってねたい、ということでした。出発してから10時間ですから、ちびどもにはきついでしょう。- 2004.10.29
3時40分。早すぎます。昨日科研費の書類を2点仕上げ、頭と目が疲れていた、つまり興奮が残っていたせいでしょう。妻の妹の結婚式でしばらく台北に行って来ます。
なお、昨夜妻から電話があった時点では準備ゼロ。まあ、とくに持っていくものもないので、30分以内に準備はできると踏んでいます。[台北まで]
ちびどもと妻がでかけたのと同じ便です。新宿駅発10時42分の成田エクスプレス。成田第2空港駅にはほぼ12時ちょうどに着。おなかがすいていたので、着いてすぐに昼食にざるそばを食べ、おみやげ(妻の母から、明太子と烏賊の塩辛という指定がありました)を買って、とっとと手続きを進めました。ちょうどすいている時間帯だったので、手荷物のチェックも出国管理もまったく並ばずに、進みました。昨日頑張りすぎたせいか、ずっと頭痛がしていたので、搭乗口の前の座席で、なかば寝たり、オマーン戦の特集をした雑誌を読んだりしていました。
フライトは、2時15分成田発、台北4時45分着の便でしたが、約30分ほど遅れました。飛行機のなかではやはり雑誌を読んだり、寝たり。起きてからずっと痛かった頭と目の奥が、なんと着くころに直っていました。
預けた荷物がなかったので、入国管理も税関もさっさと通過し、最速でゲートに。ちびども、妻、妻の母が待っていました。ちびどもは遅い、と文句を言っていました。
日本のリムジンにあたるバスで、台北市内へ。週末は道が混むのでしょうか、予定よりもかなり時間がかかって市内につきました。バスの終点の近くにあったアジアン・ワールドの地下で軽く夕食(といってチンギスカン鍋)をとってホテルに。台北の場合、大きなデパートやショッピングセンターの地下は、ほとんど食堂街になっています。子連れの親子の姿が目立ちました。共働きの場合、夕食はそうした場所でとることがふつうなのだそうです。
ホテルの受付には、もうすでにいっぱいの荷物がありました。帰りのおみやげ(ちびどもの服、おもちゃ、食べ物類)です。これで買い物は終了とのこと。[教訓1]
海外旅行の前に根をつめて仕事を行うと、飛行機のなかで、あるいは旅先で病気になったり体調をこわしたりすることがあることがよくわかりました。私の場合、目の奥の痛みと頭痛は、現地につくと直っていましたが、頑張りすぎて病気になるパターンというのは少なくないように思われます。- 2004.10.30
朝近所の市場にでかけましたが、市場は嫌だとおおきいちびが泣くので、大きなショッピングモールへ。東京では見たことがない、子供用の広場がありました。子ども用品とゲームセンターと遊び場が円形に配置されていました。何度も来たと言うことで、ちびどもはいろんな遊具で遊んでいました。
どうも結婚式が正式なもののようなので、ワイシャツとネクタイを急遽買うこととしました。私は台北に着いたばかりで、物価の感覚がまったくわからず、値段を見ずに選びましたが、支払い担当の妻は、店員さんと値段の交渉をしっかりしていました。台北の場合、店員さんにかなり値引きの権限があり、交渉によってずいぶん勉強してもらえるのだそうです。要するに、日本のような定価商売ではなく、直接交渉価格ということのようです。(2重価格というふうに見ることもできます。)[台北2日目]
夕ご飯は会食。場所は、新鮮な海産物を売りにしているバフェ形式のお店。(バフェというのは、現地の英語方式の発音で、日本ではビュフェと呼んでいます。要するに、日本のバイキング=自分で好きなものを取ってくる食べ放題方式のお店です。台北ではこの形式が大人気とのこと。)大人は一人当たり2500円程度、子どもはひとり300円。焼き物も充実しており、海産物は新鮮でよいネタでしたから、日本で同じものを出すとたぶん5千円にはなると思われます。私は蟹を主に食べていました。
週末ということもあったと思いますが、お店は大にぎわいでした。子連れの家族もいっぱいいました。- 2004.10.31
家族のみで、台北のシンボルタワーのようになった101という建物へ。世界貿易センターや市庁舎、台北三越、等々の集まっている場所です。日本で言えば、副都心、あるいはお台場のような場所と言えばよいでしょうか。
101も、円形を基本に作られており、場所を探すのはむずかしいビルでした。近くのビルに子どもの遊び場があるということで、そちらに移動。屋上に大きな滑り台を発見し、ちびどもはそこで喜んで遊んでいました。室内はクーラーが効いていることが多く、ちいさいちびには大敵。屋外で遊ぶ場所があると助かります。留守中のメールですが、前の前の学長、原卓也氏が74歳で亡くなったという訃報が入っていました。10月26日没。ロシア文学者の方ですが、ご一緒する機会が多く、いろいろ面倒を見てもらっていました。心よりご冥福をお祈りします。合掌。
なお、お別れの会は、11月14日(日曜日)夕刻、学士会館で開催されるとのことです。- 2004.11.1
午前中は、ホテルから比較的近いアジアン・ワールドヘ。[結婚式当日]
結婚式は6時過ぎと聞かされていたのですが、花嫁は4時には式場に行っており、おねえさんが付き添って準備をしているということでしたので、こちらも4時ぐらいに式場となっているホテルにでかけました。まずは、ホテルの地下1階にある式場そのものへ行ってみましたが、準備をしている業者のおねえさん、おにいさん以外には誰も見えず。妻が花嫁本人と携帯で連絡をとって、ホテルの10階の1室にいることがわかり、その部屋へ。両家の関係者が揃っていました。ベッドルームに花嫁がいました。ウェディングドレスを着て、携帯電話を手にして座っています。花嫁はうちのちびどもに赤い封筒に入ったお小遣いをくれました。そういう習慣のようです。私が5年前わけもわからず、式にでたときも、おねえさんの子どもたちにあらかじめ用意されたお小遣いを渡しました。まだ十分時間があるので、写真撮影。小学2年生になるおねえさんの子ども(ちびどものいとこ)が先に来ており、その子を筆頭にちびどもはかくれんぼをしたり、走り回ったりしていました。そうこうしているうちに花嫁の父が現れました。美容院に行って来たそうで、凛々しい姿になっています。またそうこうしているうちに花嫁の母が現れました。美容院で本格的にシェイプアップしてもらっています。ホテルの部屋であらかじめ用意してあった本格的なパーティドレスに着替えていました。ちびどもはいつものポポと違うので目を丸くしていました。花嫁の両親(つまり、私の義理の父母)は、とても気合いの入った服装となったわけです。こういう場合は、ともかく、写真撮影。
当然ちびどもは飽きてきて、走り回ります。そういう約束だったので、早めに妻のおねえさんの上の子ども(中学生になっており、学校が5時過ぎまであります)を迎えに行くこととしました。結婚式の食事までとてもちびどもはもちそうになく、妻のお姉さん宅の近所で早めの軽い夕食をとりました。それから、お姉さん宅に行って(ちびと妻は私が行くまではそこでお世話になっていたので、ちびどもはもう慣れています)いとこのおねえちゃんにあいました。その子はかなり体調が悪そうでした(基本は睡眠不足です。ふだんの就寝が夜の12時を過ぎています)が、なんとかなるということでしたので、お手洗いだけ借りて、すぐにタクシーをつかまえて式場へ。6時過ぎには式場に着きました。6時半にははじまると聞かされていたので、その後は我々は式場にいましたが、人々はなかなか現れず。おおきいちびは、まだ?まだ?と聞いてきます。結局7時40分頃に会場が暗くなり、花嫁とその父、花婿、それぞれの付添人等々がバージンロードから入場してきました。司会は、弟。(妻の兄弟は、おねえさん、妻、花嫁、弟の4人兄弟。)すぐに、新郎新婦とそれぞれの付添人が下、新郎新婦の両親ならびにその付添人(正式にどういう呼称になるのかわかりません)が壇上に並び、向かい合います。おそらく、新郎側から二人、新婦側から二人、計4名が挨拶の演説をして、スピーチは終わり。それから食事が配られはじめました。夜の8時をまわっていました。ちびどもはでてくる、おまんじゅうやおもちは喜んで食べていましたが、もうそのころには式に飽きていました。人々は席を立って、思い思いに挨拶にまわるのにあわせて、ちびどもも自由にしてやりました。いとこのおねえさんといっしょに、バージンロードに散っている紙吹雪を集め、お互いに投げかけあって遊んでいました。式場のおねえさんはちょっと困った顔をしていましたが、大人はお互いの話しに忙しく、こどもたちが少々騒いでいても気にかけません。うちのちびを含め、6人ほどのちびがバージンロードのうえで、ぴょんぴょんしながら、遊んでいました。この調子だと式は10時ぐらいまで続き、ちびどもは到底もたないので、式が開始して1時間あまり、つまり9時前には必要な人に挨拶をして、我々は先に帰ることとしました。ちびどもが結婚式場でいちばんほしかったのは、実は、入口に飾っていた風船。その時間は受付に誰もいませんでしたが、風船はくれるということだったので、勝手に一個ずつ紫色の風船をもらい、タクシーに乗り込みました。思っていたよりもずっと大規模な結婚式。参列者はおそらく200人以上。しかも、出席者が予定よりもずっと増えたようで、途中でテーブルを2つ増設していました。
詳しいことはわかりませんが、式の形態は、中国式と日本式の混合様式のようでした。結婚式ビジネスはたいへん儲かる商売なので、ビジネスの方式として日本式が入り込んでいる模様でした。(資本主義の拡張。)ビジネスの話をしておくと、この規模の結婚式で100万程度ということでした。ご祝儀は、30台湾ドルぐらいが基準とのこと。日本の場合の3分の1といったところでしょうか。
式の運営ですが、新郎新婦の入場からスピーチが終わるまでは管理していますが、あとは、誰かが取り仕切っている様子はありませんでした。最後は、新郎新婦が受付で列席者全員に挨拶(飴と煙草を渡すということでした)して、解散ということです。
ということで、子連れには中国式の方がずっとありがたい。(というか、日本のきちんとした式だとちびどもは会場の外に連れ出さないととても無理。)スピーチも、日本の場合よりも少なく、そっちもありがたい。総じて、久しぶりに会った親戚縁者、古い友人同士が話すことにウェイトを置いているようでした。
式場ビジネスにより、組織化され、最初から最後まで取り仕切られている日本の結婚式より、人間的でよい式のように思われました。
(とはいえ、資本主義の拡散力はたいへんなものがあるので、日本でやっているようなショーが取り入れられるのも、もしかしたら時間の問題なのかもしれません。その辺のことはさすがによくはわかりません。)
次の日のお昼にあった花嫁・花婿には、それほど疲れている様子はなかったので、いつもと同じぐらいの時間には休めたのではないでしょうか。
そもそも、台北の夜は日本よりも遅い。朝もそれに応じて遅く、大きなデパートやショッピングモールの開店時間は11時です。実は我々のように、日常的に朝が早い人種には、午前中は行き場に困ります。- 2004.11.2
[結婚式翌日]
お昼ご飯は会食。北京ダックのお店に。
お店の第1号でついて、なかよく前菜を食べていたちびどもでしたが、全員集まり、料理の主役の北京ダックがでてきたあたりで、もう飽きていました。何かが気に入らなかったのでしょう、ちいさいちびがいきなりおねえちゃんをたたきました。おねえちゃんは大泣き。我が家ではいつものことなのですが、妻の家族ははじめてちいさいちびの凶暴さを目にして、ああだ、こうだの大合唱。妻はみんなにしっかりしつけをしないとダメだと文句を言われたと言っていました。仕方がないので、ふたりを外に連れだし、近所を散歩させました。幼稚園、保育所、託児所が集まっていました。台北では幼児から英語教育が流行っているようで、英語教育を掲げるものが目立ちました。少し歩いたあと目に入ったコンビニで小さなおもちゃをふたりに買ってやってお店に戻りました。料理はあとかたもなく片づけられていました。妻はもうすこし食べたかったようです。
ちいさいちびは、人見知りをほとんどせず、遊んでくれる人には誰でもなつくのですが、ネコ科の猛獣のような凶暴さを秘めています。気に入らないといきなり手を出します。それでも、去年と比べるとずっとましになっていますが、おこりっぽく、てがはやいのは相変わらずです。イエイイエイが子どもの遊び場に連れていってくれると言うので、イエイイエイ、ポポ、我々の家族が一つの車、妻の弟とおばさんが別の車で、児童遊戯館へ。着いてみると、閉鎖されていました。まだちびは遊びに行きたいというので、郊外タイプの大規模なショッピングセンターへ。日本では見たことがない、広大な子どもの遊び場が附置されていました。クーラーの効きすぎが気になったのですが、ちびどもは大喜びで巨大な滑り台に興じていました。
いっしょにいってくれたおばさんがちびどもに服と、おもちゃを買ってくれました。CDのおもちゃとブロックのおもちゃ。気に入ってよく遊んでいました。ふだん車の運転をしていないイエイイエイが道を間違えて、かなり大回りで台北市内へ。一度ホテルに落ち着いてから、近所の食べ物屋さんに向かい、夕食。- 2004.11.3
なんとか無事に、帰ってきました。午後10時。いろんな返事等は遅れますが、ご勘弁下さい。今週中には処理したいと思います。
メールはスパムや迷惑メールを含めて総数212通。→そのなかで、返事が必要な5通には簡単に返事をしました。ほかに返事が必要なものが2通ありましたが、それは、すこし作業が必要です。やはり明日か明後日になりそうです。[子連れの旅]/
台北のホテルを出たのが、11時前。飛行機に搭乗したのが午後2時15分。(現地時間)。まだまだ先は長いのでちびどもが飛行機のなかでどうなるかと心配だったのですが、ふたりともフライトをはじめてすぐに寝てしまいました。これが一番たすかります。席は4席続きをもらっていましたから、ちいさいちびは2つの席でちょうど横になって寝ることができました。おおきいちびはもともと一度寝るとよく寝るので、座ったまま寝させました。1時間あまり寝てくれました。目覚めると、食事は?というので、乗務員の方に頼んで、子供用の食事をもってきてもらいました。気に入ったものだけを食べていました。着陸態勢にはいるとおおきいちびは耳が痛い、耳が痛いと泣いていましたが、もうすぐ、もうすぐとなだめて、なんとか着陸まで。ちいさいちびはわずかですが、紙袋にもどしました。フライト時間は2時間半の予定で、ほぼ定刻通りに到着。日本時間の6時過ぎ。着いた場所から、入国管理まではかなりの距離。ちょうど入国管理が見えたあたりでちびがおしっこ、と言います。急いでもたぶん仕方がないので、階段を下りて、お手洗いに。みんなひといきいれてから、再度階段を上り、入国管理まで。はしっこが窓口がまったく無人だったので、そちらにまわり、すぐに通り抜けることができました。預けた荷物がそんなにすぐにでてくるとは思えなかったので、ゆっくりめに来ましたが、やはり荷物の受け取り口にはまだ何も出てきていませんでした。と、ちょうど、ベルトコンベヤーの上にスーツケースが現れ始めました。預けた2つの大きなスーツはすぐに出現しました。搭乗の直前に預けたベビーカーもわりとすぐに出現しました。ということで、次は税関。前の人にあわせて、重いスーツケースを検査台の上にあげようとすると、係の方が、OK、OK 前に進めという合図。ノーチェックで出ました。小さい子どもが2人いるので、配慮してくれたのでしょう。荷物も子連れということで先にだしてくれたようです。
重いスーツケースを宅急便に預け、そこからは少し急いで、成田エクスプレスの切符売り場へ。その時点で7時前。7時16分の電車に間に合う模様でしたが、事故のせいで、電車が遅れるとのこと。遅れてもその電車に乗るしかないんで、向かいあわせの席4つをとってもらいました。(7と8が向かい合わせの席の数字です。1つの車両にその2組しかありません。)おむすびとお菓子と飲み物を買って、プラットフォームで待っていました。結局電車は30分程度遅れて、7時50分前にきました。ふだんはとうに寝ている時間ですが、先ほど1時間昼寝したのがきいたのでしょうか、比較的ちびどもは元気です。9時20分頃に新宿駅につき、総武線に乗り換えて、西荻窪へ。成田で計算したとおり、家に帰り着くと10時でした。
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