[カルターリ『神々の姿』続編]
午後、次の本が届きました。ご高配いただいた大橋喜之さん、いつもほんとうにありがとうございます。
ヴィンチェンツォ・カルターリ『西欧古代神話図像大鑑 続篇 東洋・新世界篇』ロレンツォ・ピニョリア増補、大橋喜之訳、八坂書房、2014。429ページ、ISBN:978-4896941760
帯には次のようにあります。「ルネサンス以降、変容を重ねつつ読み継がれた神話概説書の代表的古典の、後代の増補部分をまとめた[続編]。ギリシャ・ローマ神話を扱う正篇への補註のほか、日本の神仏、さらには安土城の一部を奇蹟的に描きとどめたとされる東洋・新世界篇など、バロック期の増補を完全収録。新図版100点余。」
この帯の文章は、こういうものとしてはすこし珍しいことですが、正確な紹介となっています。目次は次です。
カルターリ『神々の姿』第二部 東西インドの神々..... 15
カルターリ『神々の姿』本文補注 .....55
カルターリ『神々の姿』追補 ......160
解題 ロレンツォ・ピニョリア版―変身する書物 .....191
付録1 アンリ・ド・ルバック『仏教』抄 .....277
付録 II 図版一覧 .....307前の『西欧古代神話図像大鑑―全訳『古人たちの神々の姿について』』は、2012年9月出版です。2年後に続編が出版されたことになります。
とても貴重な学的貢献です。→「 図版一覧」については、凡例に次の説明があります。
「付録のうち「 図版一覧」は、主として本書「本文補註」の参考に供すべく、邦訳正篇[I]〜[XV] の本文中図版と、本書「本文補註」掲載の全図版を再編、一覧にしたものである。補註のある図版の検索や、本著作の全体像の鳥瞰なども可能になるように編集を心がけ、各種参照に利便を図った。」
訳者あとがきとこの「 図版一覧」だけまず読みました。「 図版一覧」だけでもこの分野の研究者は手元におく価値がある書物だと言えるのではないでしょうか。→ウェブで次の論考をダウンロードし読みました。
木村三郎「ナターレ・コンティ『神話の手引き(寓話解釈の10巻の書)』について・・・フランス17世紀絵画史研究の視点から」『日本大学デジタルミュージアム』(2013)
神話図像研究としては、16世紀にイタリア語で出版された次の3点が重要だということです。
ジラルディ『異教の神々の歴史』バーゼル:オポリヌス、1548
カルターリ『西欧古代神話図像大鑑』ヴェネツィア:ナルコリーニ、1556
コンティ『神話の手引き(寓話解釈の10巻の書)』ヴェネツィア:アルドゥス、1567
セズネックやイエイツの研究によれば、フランスのアカデミーの画家達は、こうした書物やリーパの『イコノロギア』(ローマ、1593;仏訳1637)を「揃えて、アトリエに設置していたのであろう。」(p.4)
最新の研究としては、望月典子『ニコラ・プッサン・・・絵画的比喩を読む』慶應義塾大学出版会、2010→やはりウェブに次の原稿があります。ダウンロードして読みました。
徳永聡子・松田隆美・高宮利行・小川真理・菅野磨美「「D. S. Brewer 旧蔵神話学コレクション展」解題目録」
Derek Brewer Mythography Collectionとは、Derek Brewer(1923-2008)所蔵の全190点からなる神話学関係の蔵書。2007年に売りに出されたとき、慶大教授高宮利行が購入し、慶應図書館に寄贈したものとあります。
日本中世英語英文学第25回大会を慶應大学日吉キャンパスで開催するにあたり、この蔵書から10点を選んで展示した(2009年11月24日〜28日)。そのときの解題目録がこの原稿です。
1.ボッカチオ『異教の神々の系譜』(パリ、1511)から初めて、7.ヘリット・フォス『異教の神学とキリスト教自然科学』/マイモニデス『偶像崇拝の書』(アムステルダム、1668)、10.フランチェスコ・バルディ『歴史的、政治的、道徳的オウィディウス』(ヴェネチア、1696)までの解説があります。有用性はあります。→さらに検索をかけてみると、つぎの科研費の共同研究が見つかりました。
植月恵一郎・木村三郎・出羽尚・光田美作子・伊藤博明・山本真司「近代英国を中心とするエンブレムにおける宗教と科学に関する学際的研究」(基盤研究C、2012年より)→ただの思いつきで書きますが、錬金術の図像の形成について、美術史の成果を踏まえた研究があってもよいように思われます。もしかしたら、もうあるのかもしれませんが、錬金術図像の形成と系譜、という研究テーマがありえます。
[ カミッロ『劇場のイデア』]
午前中に次の本が届きました。
ジュリオ・ カミッロ『劇場のイデア』足達薫訳、ありな書房、2009
9圧4日ローマの大橋さんに、カルターリ『神々の姿』第二部を頂いてから気になって調べていたことに関して、足達薫さんのカミッロ『劇場のイデア』訳業に出会い、アマゾンで購入したものです。
もとのテキストは、Givlio Camillo, L'Idea Del Theatro Dell'Eccellie, Firenze, 1550 です。
この訳書は、前半は『ジュリオ・ カミッロ氏の劇場のイデア』の邦訳(pp.7-190)、後半が訳者足達薫氏による「ジュリオ・ カミッロと記憶の劇場―その歴史的位置と構造」(pp.191-355)です。
足達さんは弘前大学人文学部紀要『人文社会論叢(人文科学篇)』第7号(2002)〜第11号(2004)に「『劇場のイデア』のテクストの前半部分」を「雛形として掲載」されています。その半分はすぐにウェブで入手できます。
16世紀のイタリア語の著作『ジュリオ・ カミッロ氏の劇場のイデア』が日本語で読めるのは、すばらしいことです。[Barbara Obrist, "Visualization in Medieval Alchemy," 2003]
ちなみに、私の問題関心は、錬金術の図像表現の形成と系譜です。英語では、"Visualization in Chemistry" とか"Visualization in Alchemy" と表現されています。HYLE - International Journal for Philosophy of Chemistry, Vol. 9(2003) に「化学の美学と視覚化」という特集があります。そこに次の論文がありました。
Barbara Obrist, "Visualization in Medieval Alchemy," HYLE - International Journal for Philosophy of Chemistry, Vol. 9(2003), No.2, 131-170
私の予想通り、先行研究はあったわけです。
→このBarbara Obristの論文はまさに私の求めるものでした。非常に明晰な文章で、中世錬金術における視覚化(図像利用)の歴史が描かれています。
挙げられている文献リストから判断すると、Barbara Obrist こそこの分野の第1人者だと言えるのではないでしょうか。
ともかく、最良の出発点に出会えたわけです。
→よく書けているので、ほぼ直訳に近い形で主要なポイントを紹介したいと思います。
中世錬金術における視覚化は、比較的遅くに生じた現象である。1140年前後のラテンヨーロッパへの錬金術の導入から13世紀半ばにかけての文書には、図像要素はほぼ存在しない。次の1世紀半、提示の主たる方式は、言語的であった。図像方式は、決してすぐに発展したわけでもなく、連続的に展開したわけでもなかった。状況が変化したのは、15世紀冒頭であり、図像表示はもはや錬金術テキストのなかに散発的に出現するものではなく、ひとつの表現体系として、錬金術の中心的原理を統一的に図像表示するものとなった。
・・・・
この論文の目的は、錬金術の図像表示の中心ラインをスケッチし、これまで知られている最初の出現事例によって例証を与えることである。このあとは、要点のみ。
バルバラさんが実践的錬金術の図像と呼ぶもの:器具の図像。炉、容器、装置類。それに物質の特徴と変成の段階を示すもの。
錬金術文書における言語的図像的直喩は、2つのグループに分けることができる。1つは、アナロジー(類比)。もうひとつは、アレゴリー、メタフォア、エニグマ等の比喩表現。
アレキサンドリアでの出現以来、錬金術は、体系的に直喩をもちいた只一つの科学分野であった。背景となる理論を画像表示するときには、もっと複雑で、背景思想による変化があります。バルバラさんはそれを、第2節「自然科学としての錬金術と技術としての錬金術:類比的議論と視覚化」、第3節「偶然的性質の観察:視覚化と比喩」、第4節「心霊主義的フランシスコ派、錬金術、視覚化」、第5節「認識的道具としての幾何学図形:ルルス派の錬金術文書」の4つにわけて記述しています。
第3節「偶然的性質の観察:視覚化と比喩」
この節で重視されるのは、グラテウスの『錬金術入門』(14世紀後半)。グラテウスは明らかに職人層に属し、ラテン語を解さない人々に向けて書いている。
この時点で、錬金術の哲学的背景は、主流のスコラ学からは離れて、ソクラテス以前の自然学やグノーシス思想とのアマルガムとなった。(p.149)
王と女王が登場するようになる。女性原理と男性原理という対立するものの統一。(p.150)
グラテウスのテキストは、動物発生と金属の生成の類比的関係がメタフォアへと変成する過程のおそらく最初のそして中心的な文書であろう。
こうして徐々に、錬金術のテキストと付随する図版は、前もって存在していたテキストのモザイクとなった。
(グラテウスとは、H. Birkha, Die alchemistishce Lehrdichtung des Gratheus filius philosophi in cod. vind. 2372. Ein Beitrag zur okkulten Wissenschaft im Spätmittelalter, 2 vols, Österreichesche Akademie der Wissenschaften, Wien で紹介された、それまでほとんど知られていなかった著者。)第4節「心霊主義的フランシスコ派、錬金術、視覚化」
『立ち上る夜明け Aurora Consurgens』(15世紀前半)の第1部は旧約聖書を錬金術過程だと解釈した。
フランシスコ派心霊主義者たちは、スコラの主流とは異なる道を辿った。主流のスコラ派では、自然哲学は超自然的なもの、啓示に関わる事柄を扱わなかった(神学の領分を犯さなかった)。それに対して、ヴィラノヴァのアルノーやルッペシッサのヨハネスは、超自然的現象を自然の領域に関係するものとして扱った。その意味で、錬金術によってなされる変成は、自然的なものであった。聖餐式の変化と錬金術変成をパラレルに捉えた。アルノーによれば、キリストは至高の医師であり、人間の医師は神の道具であった。
キリストの像と錬金術のイメージの混成は、主として彼らによる。キリストは苦悶する人間=スイギンであると同時に、復活せる神=金でもあった。第5節「認識的道具としての幾何学図形:ルルス派の錬金術文書」
ルルスは、普遍術(ars generalis)をすべての学問(science) に適用可能なものとしたが、彼自身は、占星術と医学に適用しただけだった。それを錬金術に広げたのは、擬ルルス文献。
擬ルルス文献において、宇宙論的理論、自然学的理論、操作理論のすべては、表、円形図、四角形、三角形のような幾何学図形や文字象徴の形にととのえられた。バルバラ・オブリストが自分で述べる通り、これで錬金術図像を尽くしたわけではないでしょうが、非常に見通しのよい、これは錬金術図像の分類・整理です。ある程度分けて理解しないと分かりませんから、必要な分類図式と言えるでしょう。
→彼女の重要な著作のひとつは、Barbara Obrist, Les débuts de l'imagirie alchimique (XIVe - XVe siècles), Paris, 1982 でしょう。328頁で102の白黒図版を掲載してます。
ニューマンは書評で「バルバラ・オブリストの『錬金術図像の出現』は、錬金術の懐胎・出産期である後期中世における錬金術図像学(イコノグラフィ)を体系的に研究しようとする最初の真摯な試みである。」と評しています。
(しかし、さすがニューマン。その後は、かなり辛口の批評をしています。)
[ 擬トマス・アクイナス『立昇る曙』]
バルバラ・オブリストのあげる『立昇る曙』Aurora Consurgens ですが、大橋さんに貴重な訳業があったことを忘れていました。2008年末から2009年にかけて大橋さんのブログに掲載されています。ほんとうに貴重な訳業です。
大橋さんは、Aurora consurgens, in Artis Auriferae, Basileae 1593 を使われています。Artis Auriferaeは以前ダウンロードしてストックしていますが、グーグルブックを検索してもう一度ダウンロードしました。この版に有名な図版はありません。
グーグルの画像で検索すれば、すぐに図版そのものは見つかります。きちんと調べたわけではありませんが、全部スキャンされてウェブにアップされているようです。
本としては、ユングの高弟マリー・ルイーズ・フォン・フランツが編纂し、フルとローヴァーが翻訳した『立昇る曙:トマス・アクイナスに帰される錬金術の対立者に関する著作:ユングの『結合の神秘』を補う著作』が出まわっています。アマゾンのレビューでは、このフォン・フランツ編の著作は、高い評価を勝ち得ています。日本の図書館に入っているのもこの版です。(ドイツ語と英語の両方で)
ということで、ユング『結合の神秘』(池田紘一訳、人文書院、1995)を棚から取り出して見てみました。原注の8(p.325)に次の言葉があります。
『結合の神秘』初版は最初の2巻が『結合の神秘』と題して出版され、第3巻として『立ち昇る曙光:錬金術における対立の問題に関するトマス・アクイナスに帰せられる一文書』=『立ち昇る曙光 I』(Lit. B-40)が出版された。本訳書はユングがいうところの第一部、すなわち『結合の神秘』第1、2巻の翻訳で、『立ち昇る曙光』は含まれていない。ドイツ語全集版にも当初は含まれていなかったが、のちに『結合の神秘』(全集第14巻 I、II)の「補巻」として追加された。
『結合の神秘 I 』の最後には、文献として錬金術テキスト集成が挙げられています。私がこのサイトで錬金術テキスト集成のリストを作成したとき、ユングのことはすっかり忘れていました。つまり、邦訳『結合の神秘』は見ていませんでした。
『結合の神秘 I 』文献で挙げられているのは、『錬金術論集 De alchemia』『化学の術Ars Chemica』『錬金の術叢書Artis Auriferae』『霊妙化学叢書Bibliotheca chemica curiosa』『ヘルメス博物館Musaeum Hermeticum』『化学の劇場Theatrum Chemicum』『英国の化学の劇場Theatrum Chemicum Britannicum』『ドイツの化学の劇場Deutsches Theatrum Chemicum』です。このあたりが基本です。
ひさしぶりに図書館の作業に出ることにしました。10時過ぎに駒場に着くようにでかけました。駒場も秋休みのようです。10時の時点では生協も閉まっていました。
地下2階に直行して次の論文のコピーをとりました。
Barbara Obrist, "Views on History of Medieval Achemical Writings," Ambix, 56(2009): 226-238
Christoph Lüthy and Alexis Smets, "Words, Lines, Diagrams, Images: Toward a History of Scientific Imagery," Early Science and Medicine, 14(2009): 398-439
D. E. Eichholz, "Aristotole's Theory of the Formation of Metals and Minerals," Classical Quarterly, 43(1949): 141-46
そして次の小著の一部。
Avicennae de Congelatione et Conglutinatione Lapidum, Paris, 1927
古典の世界は、時にとても文字が小さい。3つ目の論文もぱっと見て読むのが辛い大きさでした。面積で2倍に拡大してコピーしました。短いものなので、帰りの電車のなかで読みました。
最後の本はパリで出版されていますが、英語の本です。アラビア語、ラテン語、英訳が含まれます。100頁に達しない小著です。
もちろん他の作業もできたのですが、1時間から2時間と決めていました。生協で文具をいくらか購入し、駅前のマルカでそばを食べて帰宅しました。夕刻、次の本が届きました。
ジョナサン・クレーリー
『観察者の系譜:視覚空間の変容とモダニティ』 遠藤知巳訳、以文叢書、2005(初版、十月社、1997)
初版を持っています。木曜日3限の講義で使っているので、確実にこの部屋か研究室のどこかにあります。しかし、探し出すことができていません。丸一日使う覚悟があれば探し出すことはできると思いますが、今の体調を考え、新版の方も買っておくことにしたものです。
すこしですが、この方面の研究論文も読み始めています。本日は電車のなかで次のものを読みました。
犬伏雅一「視覚と触覚:クレーリーのカメラ・オブスクーラモデル再考」『(大阪芸術大学紀要)藝術』27号(2004): 19-30→他に次のもの。
中崎昌雄「カメラの原型「カメラ・オブスキュラ」(暗箱写生器)発達小史」『中京大学教養論叢』32(2)(1992): 293-343
柳橋大輔「カメラにおける魔術:ヴァルター・ベンヤミンと媒質としての写真」『詩・言語(東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会)』59号(2003): 17-35
中崎昌雄「カメラの原型「カメラ・オブスキュラ」(暗箱写生器)発達小史」『中京大学教養論叢』32(2)(1992): 293-343
典型的な紀要論文ですが、情報を網羅しようとしてくれているので、有用さはあります。科学史で有名な人物が頻出します。アリストテレスからはじまって、アルハーゼン、ロジャー・ベイコン、ウィッテロ、ケプラー、キルヒャー、ボイル、フック、ニュートン、プリーストリー、ファラデー等々。
ボイルから。ボイルは『宇宙的性質』(1669)で「portable dark room」に触れているとあります。
飛び道具を使ってもよいのですが、まずは実直に全集の索引から。
camera obscura 6:294-5; 12:442 in Leiden 2:13
つまり3箇所。
最初の箇所が当該箇所です。全集(著作集では)第6巻のp.295の上から3行目に"this portalbe darkned Roome" があります。表現は、「portable dark room」からわずかにずれています。「はじめてこれを使ったとき、その(像の)動きだけではなく、形も色もとてもいきいきとしていて、非常に楽しかった」とボイルは記しています。
→ 14.10.13 形状の記述:"if a pretty large Box be so contrived, that there may be toward the one end of it a fine sheet of Paper strech'd like the Leather of a Drum-head at a convenient distance from the remoter end; where there is to be left an hole covered with a Lenticular Glasse fitted for the purpose, you may at a little hole, left at the upper part of the Box, see upon the Paper such a lively representation; not only of the Motions, but shapes and Colours of outward Objects, as did not a little delight me, when I first caused this portble darkned Roome, if I may so call it, to be made. Which Instrument I shall not here more particularly describe, partly because I shewed it you several years agoe, since when, diverse Ingenious men have tryed to imitate mine (which you know was to be drawn out or shortned like a Telescope, as occasion required) or Improve the Practice; 町中や野外での利用について触れている。紙の上に新しいランドスケープ(景色)が写される。大気中には、そこかしこに visible Species が満ちていて、常に飛び回っている。
「私がはじめて言うならば「携帯型暗室」をつくらせとき、外の世界にある対象物の動きだけではなく、形と色がとても楽しいものでした。その装置についてここではこれ以上説明しません。それはひとつには、私がそれを貴方にはじめて見せてから数年の間に、おおくの腕のよい人々が私のもの(それは、望遠鏡のように必要に応じて伸ばしたり縮めたりできるようにしていました)をまねようとした、あるいは、使用を向上させたからです。」
第12巻のp.442 は、『キリスト教徒のヴァーチュオーソ2』アフォリズム2の最後に、「光学 に通じた者が窓をすべて閉じて部屋を暗くし、適当な大きさで凸レンズをはめた穴から光を入れるだけで」外の風景を映し出すことができる、ということが指摘されています。つまり、ボイルは "camera obscura" という術語を使っていません。レンズの使用は明確に記述されています。
第2巻のp.13は、『いくつかの自然学のエッセイ』です。"I remember, that being once at Leyden, I was brought to the Top of the Tower, where in a darken'd room (such as used in many places to bring in the Species of external Objects) a Convex glass, apply'd to the only hole by which light was permitted to enter, did project upon the large white sheet of Paper, held at a just distance from it, a lively representation of divers of the chief Buildings in the Town, "
ボイルの場合、レンズ付きの暗くされた部屋です。ボイルが体験したのはライデンの塔の最上階だったわけですが、各地に多くそうした部屋があるとボイルは言っています。
ボイルがライデンを訪れたのは、1648年です。17世紀半ばにはヨーロッパ中で流行を見ていたひとつの証左になると思われます。
→(darkened room をラテン語訳すれば、camera obscurentur になるかと思います。ボイルのラテン語訳でどうなっているのかも調べる必要があります。)
→ウェブには、ボイルとフックが「携帯型カメラ・オブスクラ a portable camera obscura 」を発明したという記述もあります。(写真史の本やWiki等、この記述はかなり普及しているようです。)
→事典の記述も見てみます。Robert Bud and Deborah Jean Warner (eds.), Instuments of Science: An Historical Encylopedia には次のようにあります。Kircher, Ars Magna(1646) は肩に担いで運ぶことのできるa portable camera obsucura について記述している。キルヒャーの弟子のひとり、ショットは、Magia Universalis (1657)でちいさな携帯型カメラ・オブスクラ a portable box camera obscula について触れている。ボイルは、1669年彼自身が組み立てた類似の装置について記述している。最初の a portable reflex camera obscura に対する言及は、Johann Christoph Sturm, 1676である。1685年、ヨハン・ツァーンは、数種類のsmall reflex box camera についてイラストを載せている。
→うーん、どこかでボイルとフックが携帯型カメラ・オブスクラを発明した/制作したという誤解が生じ、広まったようです。
次はフック。
フックが「カメラ・ルシーダ」 "camera lucida" という術語を造ったというのは誤伝だとあります。
フックは、1668年8月17日、王立協会で読んだ報告では、一種の幻燈に触れている。
1680年1-2月に光に関する講演で発表したものは、「携帯用暗箱」であった。フックはそれを視覚の原理説明の器具として提示した。
17世紀の集大成は、Johann Zahn (1641-1707), Oculus artificialis, 1685
『人工の眼』。フルタイトルは、 Oculus artificialis Teledioptricus Sive Telescopium, ex Abditis rerum Naturalium & Artificialium principiis protractum nova methodo, eaque solida exlpicatum ac comprimis e triplici Hundamento Physico seu Naturali, Mathematico Dioptrico et Mechanica, seu Practico stabilitium (p.325) ツァーン『人工の眼』のイラストを見るだけで「この1685年以後カメラは写真術への準備を確実に整えていた」(Gernsheim)という主張に賛成したくなるだろう。
→ということで、グーグルブックでこの書物をダウンロードしました。確かに、図版がしっかりしていて、これは使えます。この分野は、2次文献が豊富です。
マックスプランク科学史研究所(Max-Planck-Institut für Wissenschaftsgeschichte)の研究文献に、Wolfgang Lefèvre (ed.), Inside the Camera Obsucura: Optics and Art under the Spell of the Projected Image, 2007 というpdf があります。これは助かります。実力者を揃えた論集なので、安心して使うことができます。
編者のルフェーブルは、次の3点が基本だと言います。
P. Steadman, Vermeer's Camera, Oxford University Press, 2001
J. Waterhouse, "Notes on the Early History of the Camera Obscura," The Photographic Journal, XXV/9(1901): 270-290
J. H. Hammond, The Camer Obsucura: A Chronicle, Adam Hilger, 1981→2014.9.14 『写真雑誌』(1901)はすぐには入手の方法が見つからなかったのですが、1つ目と3つ目のものは邦訳があります。
ハモンドの方は、書評を書いています。ステッドマンの方は、2010年に新曜社から出版されています。すぐにアマゾンに発注しました。原著ですが、ペーパーバックが品切れ中です。キンドル版があったのでそちらをダウンロードしておきました。
Barbara Obrist, "Views on History of Medieval Achemical Writings," Ambix, 56(2009): 226-238
金曜日に駒場に行った目的の中心、バルバラ・オブリストの論文をやっと読みました。中世錬金術を理解するための見通しを与えてくれるよい論文だと思います。とくに、ロージャー・ベーコン、ヴィラノヴァのアルノー、ルッペシッサのヨハネス、という3人のフランシスコ会聖霊派(アルノーは修道士ではなかったが、強い結びつきがあった)が錬金術にもたらした新しい要素は、それとしてしっかり視野に入れておく必要があります。午後、次の本が届きました。
フィリップ・ステッドマン
『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』
鈴木光太郎訳、新曜社、2010
ルフェーブルが推薦する第1章「カメラ・オブスクラ」だけまず読みました。とても安心できる記述です。この長さの記述としては日本語で読める最良のまとめではないでしょうか。
ポイントを整理しておきます。
暗い部屋での太陽の観測。図に示された最初が、フリシウスの『天文学と地理学の基本』(1558)。1544年の日蝕の観測が図で示されている。
レンズ付きのカメラ・オブスクラを最初に記したのは、おそらくジローラモ・カルダーノ。『精妙なるものについて』(1550)で、"ガラスの円盤"(orbis e vitra)という言葉を使っている、これはおそらくレンズを指す。しかし確実ではない。
レンズ付きのカメラ・オブスクラに関する初期の明確な記述は、2つ。1.ダニエル・バルバーロ、1568年に出版した遠近法の解説書。2.ベネデッティの1585年の著作。45度に鏡を置くことで、上面に像を写すカメラ・オブスクラについて記述している。
一時カメラ・オブスクラの発明者とされたデラ・ポルタについて。この誤解は『自然魔術』がよく読まれたせい。初版では、ピンホールカメラについて触れている。1589年の版では、記述を大幅に増補し、レンズの使用と像の転倒を正すことについて記述している。
ケプラーは、1600年頃、1つはデラ・ポルタの本より、もう一つはティコ・ブラーヘからこの装置について知った。『ウィテロ補足』(1604)と『屈折光学』(1611)でこの装置について触れている。ケプラーは、転倒像の矯正に鏡ではなく、二つの凸レンズ(すなわちケプラー式望遠鏡)を用いた。
17世紀半ばには、カメラオブスクラは、天文学者によく知られていただけではなく、自然魔術に関する一般的著作や遠近法の解説書のなかでも比較的ポピュラーであった。
持ち運びできる(portable)箱形のカメラオブスクラに関する明確な記述が最初に現れるのは、1657年であり、図示されるのは1670年代にはいってから。
ホイヘンス父は、イギリスで発明家ドレベルと知り合い、ドレベルの発明品の一つ、携帯用カメラ・オブスクラを購入してオランダに持ち帰った。そして、知り合いの画家達に見せた。フェルメールの25年前に、カメラ・オブスクラに慣れていた画家が存在し、すくなくても1点はほぼ間違いなくカメラ・オブスクラを使った絵(トレンティウス『静物』1614)が存在していた。
(ドレベルが制作し、ホイヘンス父がオランダに持ち帰った箱形カメラ・オブスクラについて図が存在すれば一番よいのですが、ないようです。ただし、ホイヘンス父は、手紙で何度もこの装置のことを書いていて、17世紀前半の貴重な資料となっています。)
用語について。暗くした部屋(今の用語では部屋型カメラ・オブスクラ)について、"Camera Obscura"という用語を(おそらく)はじめてもちいたのは、ケプラーである。Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604, Index &Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
ただし、"Camera Obscura"という用語が広く使われるようになったわけではなかった。科学における表象・図表示の問題は、まえからきちんと勉強しようとおもっていたテーマです。少なくともこの先2〜3年をかけてじっくりと勉強します。金曜日に駒場でコピーをとってきた次の論文によって、コレクトすべき文献をリストアップしていきます。
Christoph Lüthy and Alexis Smets, "Words, Lines, Diagrams, Images: Toward a History of Scientific Imagery," Early Science and Medicine, 14(2009): 398-439
Brian S. Baigrie (ed.), Picturing Knowledge: Historical and Philosophical Problems Concerning the Use of Arts in Science, Toronto, 1996
Ursula Klein (ed.), Experiments, Models, Paper Tools: Cultures of Organic Chemistry in the Nineteenth Century, Stanford, 2003
Wolfgang Lefèvre, Jürgen Renn and Urs Schoepflin (eds.), The Power of Images in Early Modern Science, Basel, 2003
Christoph Lüthy, De draad van Ariadne: een pledooi voor de wetenschapsgeschiedenis, Nijmegen, 2007
Renato G. Mazzolini, Non-verbal Communications in Science Prior to 1900, Florence, 1993
Isabelle Patin, "Simulachrum, species, forma, imago: What was Transported by Light into the Camera Obscura? Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeenth Century, " Early Science and Medicine, 13(2008): 245-69
Christoph Lüthy, "Atomism, Lynceus, and the Fate of Seventeehth-Century Micoroscopy," Early Science and Medicine, 1(1997): 1-27
Sachiko Kusukawa and Ian Maclean, Transmitting Knowlege: Words, Images, and Instruments in Early Modern Europe, Oxford, 2006
Alan E. Shapiro (ed.), Kepler, Optical Imagery, and the Camera Obscura, 2008= Early Science and Medicine, 13.3(2008)
[事典における Camera Obscura]
百科全書における「カメラ・オブスクラ」の記述は有名です。チェンバーズの『百科事典』にもこの項目があるということです。私が調べるのであれば、ジョン・ハリスの『百科事典』を見る必要があるでしょう。
第1巻の方に項目があります。
DARKENED Room: See Obscura Camera
Dark Tent, is the Term which some Writers give to a Box made almost like a Desk with Optick Glasses, to take the Prospect of any Building, Fortification, Landskip, & c. This is a Portable Camera Obscura, or Darkened Room : See the Description under Obscura Camera.
ということで、ハリスは、"Obscura Camera" で項目を立てています。(ノンブルがないので)pdf では、543−5。1.5頁を使っています。この長さは重視の証です。
「光学におけるオブスクラ・カメラは、暗い部屋であり、一箇所だけ小さな穴が開けられていて、その穴にはレンズが付けられる。その穴を通して、対象の光線が一枚の紙または布の上に投射される。しかし、これによって視覚の本性を説明するのに役立つ、光学におけるとても有用な実験がなされる。そのなかでは、つぎのものが特別に記述するのにふさわしい。」
最後にフックの『王立協会哲学紀要』第3巻(1668)の論文が取り上げられています。Mr. Hook, "A Contrivance to Make the Picture of Any Thing Appear on a Wall, Cub-Board, or within a Picture-Frame, &c. in the Midst of a Light Room in the Day-Time; Or in the Night-Time in Any Room That is Enlightned with a Considerable Number of Candles; Devised and Communicated by the Ingenious Mr. Hook, " Phil. Trans., Vol. 3(1668), 741-743
タイトルには、"Obscura Camera"あるいは"Camera Obscura"も"Camera Lucida"もありません。
→これでわかること。ハリスはこの記事の典拠を挙げていませんが、ボイルと同じ表現「暗くされた部屋 darkened room」をとっています。"Obscura Camera"の項目はあってそこで "Camera Obscura" の説明はしていますから、"Camera Obscura" という術語は普及していたことは伺えますが、その用法が確定していたわけではないと言えるでしょう。また「暗いテント」を項目として挙げていることも注目に値します。チェンバースも見てみました。E. Chambers, Cyclopaedia (1728), p.143
CAMERA OBSCURA, Dark Chamber, in Opticks, a Machine or Apparatus, representing an Articificial Eye ; whereon the Images of External Objects are exhibited distinctly, and in their native Colours; either invertedlye of erect. See Artifical Eye.
カメラオブスクラの最初の発明は、バプティスタ・ポルタに帰されている。
その後、カメラオブスクラの用途、理論、制作、携帯型カメラオブスクラの制作、別種の携帯型カメラオブスクラ、という項目が説明されています。ハリスよりもずっと整理された記述となっています。
もう1点目立つのは、「人工の眼」という観点。これが器具をみる中心的観点となっています。ツァーンの書物の力でしょう。
「人工の眼」をみよという指示があるので、見ました。何と「目」を見よ、とあります。仕方がないので、「目」を見ました。力の入った記述になっています。最後に、人工の眼があります。
Atificial Eye, is an Optical Machine, wherein Objects are represented after the same manner as in the natural Eye ; of considerable in illustrating the manner of Vision.
この文章があってから、あと3パラグラフ、説明が続きます。
図書館では ILL で届いていた次の本を受け取りました。楠川さんを中心とするグループは、必要な研究をちゃんと進めてくれています。
Sachiko Kusukawa , Ian MacLean (eds.), Transmitting Knowledge: Words, Images, And Instruments in Early Modern Europe, (Oxford-Warburg Studies) , 2006
目次は次です。
Richard Scholar: Introduction
1: Sven Dupré: Visualization in Renaissance Optics: The Function of Geometrical Diagrams and Pictures in the Transmission of Practical Knowledge
2: Catherine Eagleton: Medieval Sundials and Manuscript Sources: The Transmission of Information about the Navicula and the organum ptolomei in Fifteenth-Century Europe
3: Sachiko Kusukawa: The Uses of Pictures in the Formation of Learned Knowledge: The Cases of Leonhard Fuchs and Andreas Vesalius
4: Christopher Lüthy: Where Logical Necessity Becomes Visual Persuasion: Descartes's Clear and Distinct Illustrations
5: Ian Maclean: Diagrams in the Defence of Galen: Medical Uses of Tables, Squares, Dichotomies, Wheels, and Latitudes, 1480-1574
6: Alexander Marr: The Production and Distribution of Mutio Oddi's Dello squadro (1625)
7: Adam Mosley: Objects of Knowledge: Mathematics and Models in Sixteenth-Century Cosmology and Astronomy
8: Isabelle Pantin: Kepler's Epitome: New Images for an Innovative Book
9: Volker R. Remmert: 'Docet parva pictura, quod multae scripturae non dicunt.' Frontispieces, their Functions, and their Audiences in Seventeenth-Century Mathematical Sciences
Index
片づけをしていて、数日前にダウンロードしてプリントした次の論文が見つかりました。
Robert Hooke, "A Contrivande to Make the Picture of Any Thing Appear on a Wall, Cup-Board, or within a Picture-Frame, & c. in the Midst of a Light Room in the Day-Time; Or in the Night-Time in Any Room that is Enlightened with a Considerable Number of Candles; Devised and Communicated by the Ingenious Mr. Hook," Phil. Trans. Vol. 3(1668): 741-743
フックはここで "camera obscura" という用語も、"dark room" or "darkened room" という用語もまったく使っていません。
ネットでの文献調査、ダウンロードを行いました。気になった論文はその場で読みました。読んだのは次の2点。
Tenney L. Davis, "Pictorial Representations of Alchemical Theory," Isis, 28(1938): 73-86
Michela Pereira, "Alchemy and the Use of Vernacular Language in the Late Middle Ages," Speculum, 74(1999): 336-356
デイヴィスのものは、この時代であればこうでしょう、という論文です。錬金術の2元説(イオウとスイギン、男性原理と女性原理、太陽と月、等々)と中国の陰陽説の類似を説いています。
ペレイラの論文は勉強になりました。きちんと1次資料を数多く読み込んでいる方の研究はいずれにせよ意味のあるものです。
ほかに、画面上で、ユング説への批判(ウィリアム・ニューマンを中心とする)と再反論を読んでいました。ユングの錬金術解釈に対して、歴史家からする本格的な批判はどうもオブリストを嚆矢とするようです。オブリストは、ユングの錬金術解釈は非歴史的であると批判します。それはそのとおりです。ユングは歴史家ではありませんし、ユングの理論的立場からすれば狭義の歴史的研究というのは彼には意味をなさないものだと思います。ユングは最初から超歴史的な場所に立ちます。歴史家が超歴史的な立場にたってしまうと歴史家である存在根拠を失うことになりますから、学問の前提において折り合いがつかないとまずは理解しておく必要があるでしょう。
しかし、そうは言っても、ユングの影響は絶大ですから、歴史家としておさえるべき点はきちんとおさえる作業は必要かと思います。論争史の分析・整理は行う価値があります。
[橋本毅彦『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』]
科学技術における表象・図表示の問題ですが、橋本さんの著作を探さなくてはとずっと思っていたのですが、今朝、LED 懐中電灯を手に私の部屋を捜索しました。15分ほどで見つけることができました。
橋本毅彦『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』東京大学出版会、2008
日本語ではこれがこの領域の唯一の成書ではないでしょうか。
後ろから読みました。すなわち、文献解題、おわりに―科学技術の活動における図像の機能、の2部分。この「おわりに」がおそらく日本語でのもっとも有用なレビューだと思われます。
橋本さんが挙げる文献は次です。
ファーガソン『技術屋の心眼』平凡社、1995
Wolfgang Lefèvre ed., Picturing Machines, 1400-1700, MIT Press, 2004
橋本毅彦「絵・数・言葉・身ぶり―技術はいかに表現され、伝達されるか」『思想』No.925(2001), 175-189
Lorraine Daston and Peter Galison, "The Image of Objectivity," Representations, 40(1992), 81-123; Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity,, Zone Book, 2007
帰宅すると次の本が届いていました。
Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity, Cambridge, Mass.; Zone Book, 2007
501頁、カラー図版も45点収録してます。売れているのでしょう。すぐに届きました。
午後、次の本が届きました。
Catelijne Coopmas, James Vertesi, Michael Lynch, and Steve Woolgar eds., Representation in Scientific Practice Revisited, Cambridge, Mass.; MIT Press, 2014.
夜の間に次の本が届いていました。
E. S. ファーガソン『技術屋の心眼』藤原良樹・砂田久吉訳、平凡社、2009(初版、1995)
この本の出版は知っていました。しかし、「心眼」ならいらないかなと思って買っていませんでした。橋本さんが指摘される通り、原著の Mind's Eye の訳語として「心眼」という選択肢もありえますが、日本語の「心眼」は「知性の目」という原語の意味を伝えません。誤訳に近い選択です。私と同じように理解して、手に取るのを躊躇した人が少なくないのではないでしょうか。
ファーガソンが "Mind's Eye" で伝えようとしてるのは、人間の知性の働きのうち、非言語的なもの、一般にはイメージと呼ばれるものの重要性です。最近の表現では、「頭のなかの視覚的表象」といわれるのではないかと思われます。言語をもたない動物も、視覚的表象による理解・思考をしていると考えることができます。橋本毅彦さんの書物『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』を読みながら、『技術屋の心眼』をパラパラとめくりつつ、調査を続行中。
百科全書におけるカメラ・オブスクラ。フランス語では、“Chambre obscure, ou Chamber close” と表記されています。第3巻62頁〜63頁です。
「人工の眼」に対するクロスレフェレンスがあったり、発明をポルタに帰したりとイギリスの事典を踏襲しています。
理論としては、ヴォルフの光学によるとあります。これはすこし苦労しましたが、ハレ大学数学&哲学教授クリスチャン・ヴォルフ (Christian Wolff) の数学教程をフランス語に訳したものでした。
M. Chretien Wolf, Cours de mathematique, qui contient, toutes les parties de cette science, mises a la portee des commencans., Vol. 2, 1747
第2巻(1747)の最初が、光学基礎 Elemens D'Optique として26頁+1図版を収めています。
百科全書の記述は、これを利用しています。
もちろん、ドイツ語ではすこしスペルが違います。原著は次です。
Christian Wolff, Anfangsgründe aller mathematischen Wissenschaften, 1710
ラテン語訳は、Elementa Matheseos universae, 1713-1715
ヴォルフの著作は、現物を見ればすぐにわかりますが、教科書的なものであり、もともと百科事典的な色合いがとても強い。数学・自然哲学全般に関しても、明晰な記述で、総合的な教科書を書けるのは、オリジナリティは別にして、すばらしい能力です。
百科全書の項目が、ヴォルフの光学を利用していたのは、正直びっくりしました。ヴォルフの位置を考え直してみれば、理解できる話ではあるのですが。
[オザナムとアートフルサイエンス]
ハリスはその『技術事典』で数学の典拠としてオザナムの数学事典を挙げています。オザナムのことは気になっていたのですが、「ハリス『技術事典』の起源」では焦点を化学にあわせたので、深くは調べませんでした。
カメラ・オブスクーラを調べていると再びオザナムに出会いました。邦語文献ではバーバラの『アートフル・サイエンス』がオザナムのことをもっともよく取り上げていることがわかり、『アートフル・サイエンス』を本棚から取り出しました。読んだ記憶はなかったのですが、付箋を付しています。たぶん部分的に利用したのでしょう。
スタフォード『アートフル・サイエンス』が注目するオザナムは『数学リクリエーション』(1692)の著者としてです。
17世紀18世紀の文脈では、カメラ・オブスクーラは「数学リクリエーション」のひとつとしても存在していました。「数学リクリエーション」はオザナムの専売特許というわけではありませんが、17世紀末から18世紀半ばにかけて、フランスとイギリスで非常に人気が出ています。
版を確認しておくと、次のようになります。(DSBに依拠しています。)
Jacques Ozanam, Récréations mathématiques et physique..., 4 vols., Paris, 1694, 1696, 1698, 1720, 1725, 1735, 1778, 1790; Amsterdam, 1698
Recreations in Mathematics and Natural philosophy..., First Compose by M. Ozanam.... Lately Recomposed by M. Montucla, and Now Translated into English ... by Charles Hutton, London, 1803, 1814; This English translation was revised by Edward Riddle, London, 1840, 1844; and Recreations for Gentlemen and Ladies, or Ingenious Amusement, Dublin, 1756
相当人気があったことがわかります。
オザナムの数学啓蒙書は、3点です。『数学事典』(Amsterdam-Paris, 1691)(縮約英語訳、London, 1702)、『数学教程』5巻本(Paris, 1693;Amsterdam, 1697)(英訳5巻本、London, 1712)橋本さんは『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』の「はじめに」、この書物が『UP』の連載(2001年から2年間)を基本にすること、連載終了後、「それまで見ていなかった多くの図像や研究文献を目にすることができた。調査を進めていくにつれ、当初思っていた以上に、多くの科学史や技術史の研究者が歴史に現れる図像に関心をもち、研究論文、研究書を出版していることに気づいた。」と述べています。これは正直に書かれていると思います。
科学史・技術史では、橋本さんの仕事の次が必要だと思います。橋本さんが焦点を当てていない歴史記述の問題に焦点をあわせる研究が是非必要だと思います。[科学実践における表象]
1983年パリで「視覚化と認知」と題するワークショップが開かれた。美術史家、科学史家、技術史家、認知科学者、等が出席したこの会議が科学・技術の分野における地図、版画、写真、顕微鏡図、その他の画像表現の生産・使用・普及に関する関心を高めるターニングポイントになった。会議の開催される以前、Martin Rudwick, Samuel Edgerton, Martin Kemp, Svetlana Alpers が画像表現を単にテキストの補助物というだけではない存在として研究していた。彼らの研究は、視覚表現が発見にとって本質的であり、自然現象を確立するのに欠かせない役目を果たしていると示した。実験室の実践のエスノグラファー、ブルーノ・ラトゥールは、このパリ会議を組織し、基調講演を行った。ラトゥールによれば、科学的想像力とは「目と手で考える」問題であった。ラトゥールをはじめとしてワークショップの参加者は、「知覚」や「観察」よりも「視覚化」という用語を用いた。
数年後、Human Studiesの特集号としてワークショップの成果を出版しないかと誘われた。相談の上、「科学的における表象」をタイトルに選び、出版することにした。それが1988に出た。(Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in scientific practice. Special Issue of Human Studies 11(2/3). )
それが単行本として1990年に出された。 Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in Scientific Practice. Cambridge, MA.: MIT Press.
以上、Representation in Scientific Practice Revisited の序文をほぼ直訳調でまとめてみました。
この序文が他にとくに挙げている参考文献は、次です。
Bruno Latour and Jocelyn de Noblet, eds., Les "vues" de l'esprit. Special Issue of Culture Technique, no. 14(June).
これは、ワークショップの発表と類似の論考をフランス語で出版したものだとあります。→Martin Rudwick, Samuel Edgerton, Martin Kemp, Svetlana Alpersの仕事も押さえておいた方がよいでしょう。有名な地質学史家ラドウィックと美術史家アルパースは知っています。ケンプは聞いたことがあるような気がします。ということで、ともかく邦訳だけを調べてみました。
→マーティン・J・S・ラドウィック『化石の意味― 古生物学史挿話』菅谷 暁 , 風間 敏 訳、みすず書房、2013
→マーティン・J・S・ラドウィック『太古の光景―先史世界の初期絵画表現』菅谷 暁訳、新評論、2009
→マーティン・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ―芸術と科学を越境する旅人』藤原 えりみ訳、大月書店、2006
→マーティン・ケンプ& パスカル・コット『美しき姫君 発見されたダ・ヴィンチの真作』楡井浩一訳、 草思社、2010
→ スヴェトラーナ・アルパース『描写の芸術―一七世紀のオランダ絵画』 幸福 輝訳、ありな書房、1993
Samuel Edgertonだけ邦訳が見つかりませんでしたが、『線遠近法のルネサンスにおける再発見』は邦訳の価値はあるのではないかと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチを中心的テーマとする有名な美術史家ケンプは、諸事本リストにはないのですが、学生時代読んだような記憶があります。ちゃんと記録を取るようになる以前のことだと思います。高階先生の美術史の授業をとっていて、読んだことがあるような。
ともあれ、一度、きちんと授業で取り上げないと!
[初心者のための記号論]
この間の調査で次のサイトに出会いました。
Semiotics for Beginners-初心者のための記号論-Daniel Chandler
ウェールズ大学の記号論学者チャンドラーのテキストを田沼正也さんという方が訳されたものです。田沼さん自身が注記されているように、100%スムーズな訳出というわけではありませんが、とてもわかりやすい体系的記述です。この記号論はおもしろい。2006年Routledgeが4巻本のCritical concepts in media and cultural studies . Visual cultureを出しています。編者は、Marquard Smith と Joanne Morra。
Vol.1 : What is visual culture studies?
Vol.2: Histories, archaeologies and genealogies of visual culture
Vol.3: Spaces of visual culture
Vol.4: Experiences in visual culture
アマゾンでは現在品切れ中でものすごい値段がついています。ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第10章
the understanding is not much unlike a Closet wholly shut from light, with only some little opening left, to let in external Visible Resembrances, or ideas of things without; would the Pictures coming into such a dark Room but stay there, and lie so orderly as to be found upon occasion, it would very much resemble the Understanting of a Man, in reference to all Objects of sight, and of the ideas of them.大学の研究室で、アルパース『描写の芸術―一七世紀のオランダ絵画』(1993) を探し出し、持って帰りました。書き込みがあるので、読んでいます。ただし、ほとんど覚えていません。
→第1章を読み直し、第2章を読みました。アルパースの『描写の芸術』の存在は、留学帰りの橋本さんに教えてもらいました。アメリカの大学院ではとても人気だったということです。今回読み直してみて、科学史の研究もずいぶん取り入れていることに気づきました。科学史を専攻している院生諸子にはこれは面白かったでしょう。
第1章は、ホイヘンスについて。
第2章は、ケプラーについて。
帰宅すると次の本が届いていました。
Samuel Y. Edgerton, Jr., The Renaissance Rediscovery of Linear Perspective, New York, 1975夕食後、小学生、近所の子どもたちといっしょに皆既月食の観察をしました。ときどき雲がかかりましたが、でも、皆既月食がしっかりと見られました。デジカメで写真を撮りましたが、私のもっているものではあまりうまく撮れません。息子は iPad で撮影。こちらは画面の大きさが功を奏したのでしょう、けっこうよく撮れました。
アメリカの議会図書館の「稀書・特別コレクション読書室」サイトに、Science and Magic Materialsというのがあります。ここには、けっこうよいものが pdf 化されています。
ついでに大橋さんの紹介するサイト。Virtual Library: Digitized Books『科学革命の百科事典』にも「カメラ・オブスクーラ」の項目があります。p.119左。
執筆者は、Stephen Straker。参考文献としては、ハモンドとマーティン・ケンプ(『芸術の科学:ブルネルスキからスーラまでの西洋芸術における光学のテーマ』)、そして彼自身の論文、Stephen Straker, "Kepler, Tycho, and 'The Optical Part of Astronomy': The Genesis of Kepler's Theory of Pinhole Images," Archive for History of Exact Sciences, 24(1981): 267-293.ニュートン『光学』。第1篇第1章公理7
初版(1704), p.10
「任意の対象のすべての点から来る射線が反射または屈折によって収束するようにされたのちに再び同数の点で出会うところではどこにおいても、射線はそれが落ちる任意の白い物体上に対象の画像を作るであろう。」(p.14上)
"And this is the Reason of that vulgar Experiment of casting the Species of Objects from abroad upon a Wall or Sheet of white Paper in a dark Room."
邦訳(朝日出版), p.14下
「これが戸外から物体の形象を暗室中の壁面あるいは白紙上に投ずる通俗実験の根拠である。」
→ニュートンもデカルトと同じく、"camera obscura" という用語・フレイズは使っていません。英語圏の伝統に従って、ただ「暗い部屋 dark room」と言っています。対象からやってくる物体の像に関しては、ボイルと同じく、中世のペースペクティヴィスト(視覚論者/光学論者)の用語 スペキエスを使っています。これは、専門用語として残存しているだけで、中世の光学/視覚理論を踏襲していると理解するわけにはいかないでしょう。
→公理7に画像とあるのは、"picture" です。ここは訳者の解説とは異なり、デカルトと同じく、ケプラーの用語が採用されていると解釈する必要があります。
→(p.15)「なぜなら解剖学者たちは、外側の最も厚い硬膜 dura mater と呼ばれる被膜を眼底から取り去ったとき、薄い被膜を通してその上に生き生きと描かれた対象の画像を見ることができるからである。」
ここも、デカルトとまったく同じです。人間または動物の眼球を使っています。デカルトの『屈折光学』の設定が広がりを持っていた印です。その設定のオリジンを探す必要があります。(最初の仮説としては、シャイナーを挙げることができるでしょう。)
朝日出版の『光学』の後ろには、ニュートン『光学講義』草稿 Add. 4002 の写真版が採録されています。ニュートンの文字で、Jan. 1669 Lect 1. とはっきりと記されています。その図2(p.408)がはっきりと太陽を暗い部屋に投射する絵が描かれています。[クレーリー『観察者の系譜』図版の原典捜索]
カバンのなかに、Crary, Techniques of the Observer (1990)とクレーリー『観察者の系譜』(1997, 2005) を入れてでかけました。
うまく時間を見つけて、2章「カメラ・オブスキュラとその主体」"The Camera Obscura and Its Subject " を読み直しました。昔読んだときの感動はありません。当たり前かもしれません。今からすれば、いわゆるポストモダン系の引用が多すぎるかなという気がします。しかし、もちろん、基本的な見方の枠組みを提示したのはクレーリーなので価値ある著作であることには変わりませんが、今では別の見方が可能だと思われます。
図版の出典を示していないのも、今となっては不満です。
→私の研究に出典は必要ですから、なんとか探し出そうと思います。何度も繰り返しますが、今なら探せると思います。Crary, Techniques of the Observer (1990; October Books, 1992)を用います。
1. p.28 Portable camera obscura Mid-eighteenth century。 文字は読みづらいのですが、”chambre obscure. Pl. 1 ”とありますからフランス語の著作からです。
2.p.31 Camera obscuras. Mid-Eighteen century。 画像のなかに文字はありません。野外テント型と野外箱形。
3.p.39 Camera obscura. 1646. これはキルヒャーのものです。図版のなかに、Fig. 3 Fol. 812 がかろうじて読めます。
4.p.49 Comparison of eye and camera obscura. Early eighteenth century. 図版の上に、Tom. VI. Lec. XVII (?).5. p.290
クレーリーが掲載するカメラ・オブスクーラの図版はこの4点です。
一番図版が豊なのは、ハモンド『カメラ・オブスクラ年代記』(2000)です。本棚から抜き出して、まず、これと比較してみます。
3.のキルヒャーのものは、p.43 上に掲載されています。『光と影の大いなる術』(1646)という出典が挙げられています。
1.と同じ(ただし、fig の数字が違う)ものがp.129にありました。p.128の説明文では「汎用椅子駕籠型カメラ・オブスクラの図。グライブサンドの『透視図法論』(1711)にあらわれたもの。1803年ハットン博士はこの機器の製造と使用について解説した。」
→ 14.10.10 これは見つけました。次です。William James 's Gravesande, An Essay on Perspective, Written by French by William James 's Gravesande, Doctor of Laws and Philosophy ; Professor of Mathmaticks and Astronomy at Leyden,and Fellow of the Royal Society at London, And Now Translated into English, London, 1724, p.120
グライブサンドという表記に違和感があり、でも知っている名前だと思っていたら、 's Gravesandeでした。ライデン大学数学教授がフランス語で書いた本の英訳です。もとのフランス語を見つけると、解決します。→すぐに見つかりました。G.J. Gravesande, Essai de Perspective, A La Haye, 1711 でした。本としては、Essai de Perspectiveに別の冊子、Usage de la Chambre Obscure pour Le Desseinが同綴されている形になります。図版は、p.30 と p.31 の間です。オランダ人の発音は難しいのですが、グラーフェサンデあたりでしょうか。's から発音すれば、スフラーフェサンデと表記されています。有賀さんは、ス・グラフェサンデと表記されています。オランダのニュートン主義者として知られます。
→ 14.10.10 キルヒャーのものは、Athanasius Kircher, Ars magna lucis et umbrae : in decem libros digesta ; quibus admirandae lucis et umbrae in mundo ... , panduntur, 1646, p.806 & p.807 の間にあります。マックス・プランク所蔵の初版の図版がウェブに挙げられて、そこで見ることができます。グーグルの画像検索で調べてみると、2.はおそらくディドロ&ダランベールの『百科全書』からであろうという注記が見つかりました。→ 14.10.10 『百科全書』ということで間違いないようです。
→ 14.10.10 ということで、現時点で不明なのは、4.だけです。これは苦労します。典拠を記した画像を見つけることができていません。デカルト派のような気がしますが、・・・。→14.10.12 これだけまだ典拠を見つけることができません。ウェブにある画像は、クレーリーから孫引きしています。クレーリーの使った資料を丁寧に見ていくしかないようです。(授業で毎年使っている図版です)私は見慣れているのですぐに見つかると思っていましたが、強敵でした。→ 14.10.28 4.はほんとうに強敵です。まだ見つけることができていません。
[ESM 特集:ケプラー、光学像、カメラ・オブスクラ]
そのまま中に入って、地下2階に行きました。図書館ですべき作業はけっこうあるのですが、本日は1つに止めました。すなわち、次のコピーを取ることです。
Early Science and Medicine, 13(2008), No.3, Special Issue for "Kepler, Optical Imagery, and the Camera Obscura"
この特集は、シャピロの序に加えて、次の3本の論文からなります。
Sven Dupré, "Inside the Camera Obscura: Kepler's Experiment and Theory of Optical Imagery," Early Science and Medicine, 13(2008): 219-244
Isabelle Pantin, "Simulachrum, species, forma, imago: What Was Transported by Light into the Camera Obscura?: Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeeth Century," Early Science and Medicine, 13(2008): 245-269
Alan Shapiro, "Images: Real and Virtual, Projected and Perceived, from Kepler to Descartes," Early Science and Medicine, 13(2008): 270-312
2001年、ホックニーは『隠れた知識』を出版して、15世紀以来画家はカメラ・オブスクーラを絵を描くときに使っていたことを主張し、ステッドマンは『フェルメールのカメラ』を出版してフェルメールが絵を描くときカメラ・オブスクーラを使っていた強い証拠を提示した。2005年7月、ルフェーブル、デュプレ、Carsten Wirth は「カメラ・オブスクーラの内部:投射されたイメージのもとでの光学と芸術(1600-1675)」と称するワークショップをマックスプランク科学史研究所で開催した。そのなかからケプラーに焦点をあわせる3点の論文を選んで、この号の特集号とした。
投射されたイメージという概念は、perspectivist(中世以来のperspective の伝統に所属する者の意味だと思いますが、確定できないので、このままにします) の光学にはなじみのないものだった。16世紀、とくにデラ・ポルタの『自然魔術』(1589)において、カメラ・オブスクーラは、様々な用途でイメージを投射する手段として自然魔術の伝統のなかに組み込まれた。カメラ・オブスクーラとそこに投射されるイメージは、ケプラーの新しい視覚理論のモデルとして用いられた。そのモデルでは、目とは網膜にイメージが投射されるカメラ・オブスクーラのようなものだと捉えられた。ケプラーは同時に、彼自身は「画像 pictura」と名づけた投射イメージは、伝統的な perspectivist光学におけるimago とは異なる存在だと理解し、新しい視覚イメージの理論をたてた。
こういうふうに序でシャピロは案内しています。インサイド・カメラ・オブスクーラは、9月13日に紹介した、Wolfgang Lefèvre (ed.), Inside the Camera Obsucura: Optics and Art under the Spell of the Projected Image, 2007 というpdf にまとめられています。Early Science and Medicineの特集論文とは基本同じものですが、表現等すこし違いがあり、異なるバージョンを用意したということのようです。その後、8号館113教室を確認してから科哲事務室へ。途中で廣野さんとすれ違いました。ちょうど4限の授業に行かれるところだったと思います。すっかり白髪の好紳士となられていました。
科哲事務室では橋本さんとSくんが話をされていました。挨拶をしてソファの上で一休み。その後橋本さんと四方山話。UPの連載で本にならなかった部分はくれることになりました。助かります。橋本さんが委員会ということで出かけられたあと、冨田さんとすこし四方山話。話している途中、元気そうな岡本さんが現れて片手で重い荷物をひょいと持ち上げて行かれました。さすが、岡本君。5限の授業は4時半開始です。ほぼぴったりで教室に入りました。20名の出席者がいました。勝手な予想では、3〜4名から7〜8名まで、多くて10名だと思っていましたから、おおはずれです。配布文書も12枚しか持ってきていません。斎藤君にコピーカードを渡して、生協に走ってもらいました。
午前中に次の書物が届きました。これは発注から到着まですこし時間がかかりました。
Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Transformations: Studies in the History of Science and Technology) , Cambridge, Mass.; MIT Press, 2004
目次は次です。
Introduction by Wolfgang Lefèvre p. 1
Part I Why Pictures of Machines?
Introduction to Part I p. 13
1 Why Draw Pictures of Machines? The Social Contexts of Early Modern Machine Drawings by Marcus Popplow p. 17
Part II Pictorial Languages and Social Characters
Introduction to Part II p. 51
2 The Origins of Early Modern Machine Design by David McGee p. 53
3 Social Character, Pictorial Style, and the Grammar of Technical Illustrations in Craftsmen's Manuscripts in the Late Middle Ages by Rainer Leng p. 85
Part III Seeing and Knowing
Introduction to Part III p. 115
4 Picturing the Machine: Francesco di Giorgio and Leonardo da Vinci in the 1490s by Pamela O. Long p. 117
5 Measures of Success: Military Engineering and the Architectonic Understanding of Design by Mary Henninger-Voss p. 143
Part IV Producing Shapes
Introduction to Part IV p. 173
6 Renaissance Descriptive Geometry: The Codification of Drawing Methods by Filippo Camerota p. 175
7 The Emergence of Combined Orthographic Projections by Wolfgang Lefevre p. 209
8 Projections Embodied in Technical Drawings: Dürer and His Followers by Jeanne Peiffer p. 245
Part V Practice Meets Theory
Introduction to Part V p. 279
9 Drawing Mechanics by Michael S. Mahoney p. 281
[光学史の基本書の出版を]
このテーマだと光学史の基本も読み直しておいた方がよいだろうと思い、本を探してみました。アルハーゼンからきちんと書いたものが見当たりません。(近代以降のものはそれなりにあります。)短くても読んでおいた方がよいので、『科学の名著6 ニュートン』(朝日出版、1981)における田中一郎さんの解説論文「ニュートン光学の成立」を読みました。田中さんは私の先輩の科学史家です。光学前史、ルネサンスの光学、近代光学の展開、という形で、アルハーゼンに由来するラテンヨーロッパの光学の流れを記述してくれています。カメラ・オブスクーラは、「ピンホール・カメラ」として言及されています。個人的にはもうすこし長いものを期待しますが、これはこれでしっかりとしたものだと思います。それから『科学の名著3 ロジャー・ベイコン』における高橋憲一さんの解説も読みました。しっかりとした解説です。
光学史の基本的書物が出版されていてもよいように思います。(リンドバーグを翻訳するとかよいと思うのですが・・・)。[フックのPictue-Boxからケプラーの小さい黒テントへ]
フックの携帯型カメラ・オブスクーラ、あるいは「ピクチャ・ボックス」。
Robert Hooke, "An Instrument of Use to take the Draught, or Picture of any Thing. Communicated by Dr. Hook to the Royal Society Dec. 19., 1694," in William Derham, Philosophical Experiments and Observations of the late eminent Dr. Hooke (London, 1726), pp.292-296. Hooke's Picture-Box の図は、p.295 に掲載されている。
フックは、今の言葉では旅行案内のような用途を考えています。知らない土地の正確な描写のためには、言葉では足りず、プロポーションの正しい(正確な比率の)絵図が必要だ、そのための道具を考案したというのがフックの基本的主張です。(フックは手元にあるいくつかの旅行書の図が不正確だと悪口を言っています。)
別のバージョンは、次で出版されています。Robert Hooke, "A Continuation of the former Subject of Light. Being the Lectures read in June, 1681." The Posthumous Works of Robert Hooke, published by Richard Waller (London, 1705), pp.119-128. この6節で言及されています。"6. An artificial Eye very useful for the thorough Understanding of Visions. The Descriptions and use of a Perspective Box, instead of a dark Room, which will explicate all the Phenomena of Visions as they are represented in the bottom of the Eye. An Explication of Shadows or the defect of Light." 「人工の眼」が扱われるのは、pp.127-8 です。
図版は、p.126 に挿入せよ、とあります。ここでは、フックの表現(用語法)が重要です。フックは、「人工の眼」と呼んでいます。また、「暗い部屋 dark Room」ではなく、「透視画法的ボックス Perspective Box」という用語を使っています。本文では、"a darkned Room, or Perspective Box" と言い表しています。"dark Room" or "darkned Room" のラテン語が "camera obscura" ですが、ここでのフックの術語使用のあり方は、フックにおいては、"camera obscura"がテクニカル・タームとして認知されていないことを示します。その点はフックを雇ったボイルでも同じです。ケプラーのテント型カメラ・オブスクーラ。これは、1620年リンツにいるケプラーを訪れ、ケプラー本人から直接話を聞いたヘンリ・ウォットンの証言です。(ケプラーがそういう表現をしているわけではない。)ウォットンはフランシス・ベイコン宛の手紙でケプラーの用いた「小さな黒テント」に触れています。用途からいってこれはフックのものの同類です。
Henry Wotton, Reliquiae Wottonianae (London, 1651), pp.413ff.ケプラーについては、ステッドマン『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』(2010)から引用して、9月15日に記しています。ステッドマン、p.278、注2を引用しました。
1. Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604, Index & 2. Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
これを自分の目で確かめました。
1. Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604
Index には、"Camera obscura res foris representans 51, 5" 数字はp.51 の l.5 という意味です。p.51 を見ると、次のようにあります。
PROPOSITIO VII. Problema.
In camera clausa, & in propositio pariete representare quicquid extra cameram e regione vel est, vel geritur, quod quidem in oculos incurrit
本文ではすぐにI. Bapsista Porta の自然魔術が言及されています。それに続く本文に"camera obscura" という用法はありません。最初に挙げた「閉じた部屋 camera clausa」を索引で「暗い部屋camera obscura」と言い換えたものです。ケプラーが"camera obscura"をはじめて使ったという言い方はできますが、これだけではケプラーが"camera obscura"というテクニカル・タームを造語したとは言えません。
2. Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
p.16 の下側に次の言葉があります。
XLIII. PROBLEMA.
Super albo pariete pingere visibilia convexa.
In camera obscura lens convexa obsideat unitam fenestellam. Papyrus ad punctum concursus applicatur. Nam punctum rei visibilis super papyro, omnibus radijs, quibus in lentem raiat, rursum in unicum fere punctum colligitur. Constant vero visibilia punctus infinitis. Infinita igitur talia puncta pingentur super papyro, ide est tota rei visibilis superficies.
ここでケプラーははっきりと"camera obscura"という表現を使っています。ただし、前後を一生懸命追いましたが、この一箇所だけでした。テクニカルタームということで言えば、きっかけ・端緒・芽はあるが、発芽しただけで成長はしていないと判断する必要があります。
ウォットンによるケプラーの「小さい黒テント」に関する証言は、ステッドマン『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』(2010), pp.20-1 に十分な紹介があります。ウォットンの記述だけでは、ケプラーの「小さい黒テント」の正確な形態は決めがたいのですが、上に記述したフック型または上部に鏡をおいた潜望鏡型(ステッドマンはこれを想像しています)のどちらかだと思われます。ケプラーは、凹レンズをはずした望遠鏡を使っていますが、それは筒にはいった凸レンズを使ったということですから、望遠鏡という言葉に拘る必要はありません。普通の開口部に凸レンズを填めたカメラ・オブスクーラと記述して何ら問題ありません。意外なものにもカメラ・オブスクーラに関するきちんとした記述がありました。Adrian Johns, The Nature of the Book, Chicago, 1998 です。第6章が「読むことの生理学」です。この章のなかに、p.388 に 二つの図版が印刷されています。Fig.6.1 としてカメラ・オブスクーラとしての目。ひとつは、Beverwyke, Werken (BL, 773.k.6)。もうひとつがシャイナーのRosa Ursina.
p.390 に3点の図版。デカルトの『屈折光学』全集第6巻より。デカルト『人間論』全集11巻より。
p.391 にニュートンの目の図。CうLMS。あっD。3975,p.15 より。[科学大博物館]
『科学大博物館』にも「カメラ」や「カメラ・オブスクラ」の項目がありました。Ward が執筆しています。参考文献には、Rees 編の『シクロペディア』(London, 1819)、Gernsheims の『写真史』(London, 1969) とハモンドが挙げられています。「カメラ・ルシダ」の項もウォードが書いています。1807年、ウォーラストンがこの語を用いたとあります。「カメラ・ルシダ」の記述としてはこれでよいのではないかと思います。
[持田辰郎氏の2論文]
持田辰郎「アルハゼンとケプラーにおける視覚像―ケプラーの残した問題とデカルト・1」『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』第45巻第2号(2009): 9-22
持田辰郎「アルハゼンとウィテロにおける視覚像の神経伝達―ケプラーの残した問題とデカルト・2」『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』第46巻号第1号(2009): 1-26
ダウンロードしプリントアウトし読みました。視覚理論の歴史のなかで「ケプラーによる網膜像の発見は一時代を画す大きな出来事であった。」(論考1、p.9)我々は、網膜像の知識を前提としてしまいがちですが、これは、持田さんの言うとおりです。
アルハゼンは、水晶体前面(後面ではなく)に垂直に入射する光線がつくる正立像を目が対象から受け取る像だとしていた。
ケプラーは、そうではなく、水晶体の背面、即ち網膜にあらゆる角度から入っている光線がつくる像、左右も上下も逆転して映る像、あるいはpictura を人間が受け取る視覚像として正しく認識した。しかし、その倒立が「長い間、私を苦しめた。」(p.11)
ケプラーは、正立像を得ようと長期にわたり必死で努力したが、結局、問題解決を諦めた。
これは、忘れていた問題です。我々は倒立像をあたりまえだとしてその後のことは脳の働きに起因させますが、アルハゼンの光学(視覚論 perspectiva)の基本的考えをとれば、これは解決不能の大問題となります。次いで、次の論文を読みました。
Sven Dupré, "Inside the Camera Obscura: Kepler's Experiment and Theory of Optical Imagery," Early Science and Medicine, 13(2008): 219-244
これは、ああ、そういうことだったのかとちょっと意外でした。カメラ・オブスクーラの生み出す像といっても、(壁や紙にうつる)投射された像ではなく、鏡やレンズを用いてつくられる「空中のイメージ」もあります。デラ・ポルタは、『自然魔術』においてこの2つを混同しているということです。当時の言葉では、こちらは、マジックランタン(幻灯機)の系譜です。当時は、きちんと区別されることなく、投射された像と鏡やレンズのつくる虚像が自然魔術や知覚遊戯として愛好されていました。
デュプレの主張のポイントは、ケプラーが『パラリポメナ』(1604)で報告する、ドレスデンのクンストカマーにおけるカメラ・オブスクラ体験は、ルネサンスに流行したludus や lusus として位置づけなければならないという点にありますが、鏡による虚像というのは、ああ、そうだったか、と納得しました。
カメラ・オブスクーラを巡る先行研究でも、(カメラ・ルシダとの混同はほとんど回避されていますが、)この混同はまだかなり残っています。
[ケプラー光学]
ちびどもが起きる前に、次の論文を読みました。
Isabelle Pantin, "Simulachrum, species, forma, imago: What Was Transported by Light into the Camera Obscura?: Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeeth Century," Early Science and Medicine, 13(2008): 245-269
論点がわかりやすく、正確に提示されている好論文です。サマリーをほぼ直訳してみます。
「ルネサンスの終わり、カメラ・オブクスクーラの実験を十全に理解するためには、光とイメージの関係の問題を扱うことが必要となった。ケプラーによれば、この実験は、光の幾何学と物理学は同一であって、形象(スペキエス)を運ぶ光線といったものは必要ないことを明らかにした。イエズス会士、フランシスクス・アギノリウスとクリストフ・シャイナーは、ケプラーのカメラ・オブスクーラの分析の優越性を認めつつ、古い形象の理論を保持した。シャイナーの態度はとくに重要である。彼はケプラーの証明法をほぼ完全に吸収したのに、伝統的な現実概念を保持し続けた。形象の媒介が、見られたものが実在の対象であることを保証するために欠くことができないと彼は信じ続けた。」
分析されている著作は、ケプラーでは、Kepler, Ad Vitellionem paralipomea, quibus Astronominae pars optica traduir , 1604. (Marginal Notes on Witelo, in which the Optical Part of Astronomy Is Treated)、アギノリウスでは、Franciscus Aguinolius, Opticae Libri VI (Antwerp, 1613)、シャイナーでは、Christoph Scheiner, Oculus, hoc est fundamentum opticum (Innsbruck, 1619)です。ちびどもがでかけてから、次の論文を読みました。
Alan Shapiro, "Images: Real and Virtual, Projected and Perceived, from Kepler to Descartes," Early Science and Medicine, 13(2008): 270-312
これはさすがシャピロ、という論文でした。ケプラーからはじまる光学革命について、基本的な見通しを与えてくれます。流れを把握するには最適の論文です。
やはりサマリーをほぼ直訳してみます。「『ウィテロ注解』(1604)で新しい視覚理論を提示するにあたり、ケプラーは、新しい光学概念、pictura すなわち、カメラ・オブスクーラのスクリーンに投射された像を導入した。ケプラーは、pictura を中世光学が想像力のなかにだけ存在するとした imagoとは別物だとした。1670年代までに、新しい光学像の理論が発展し、ケプラーのpictura と imago は、統一された像の2つの側面、実在像と仮想像、となった。新しい像の概念は、pictura の幾何学的位置は屈折した光線束の極限あるいは焦点にあるとし、imago の知覚された位置は単眼視の場合の3角形の頂点にあるとしたケプラーの考えから展開した。実在像と仮想像の区別は、おもに、ロベルヴァル、 Eschinardi、Dechalesによって進められた。」
論文の後半でシャピロは、ケプラー後の光学理論の統合について語っています。およそ1650年から1670年にかけて生じたとしています。ケプラーの後、光学を研究した流れ(学派)をおおよそ2つに分類しています。一つは、イエズス会で自然哲学に関心がありました。Christoph Scheiner, Francesco Eschinardi, Claude Francois Milliet Dechales, Francois d'Aguilon, Nicola Zucchi, Caspar Schott, Honoré Fabri, Andre Tacquetです。もう一つは、世俗の数学者たちで、カヴァリエリ、ロベルヴァル、ホイヘンス、ジェームズ・グレゴリー、イザック・バロー、ニュートン等からなります。
Kepler, Ad Vitellionem paralipomea , 1604
Scheiner, Rosa ursina (Bracciano, 1626-30)
Bonaventura Cavalieri, Exercitationes geometricae sec (Bologna, 1647)
Marin Mersenne, L'optique, et la cataptrique (Paris, 1651)
James Gregory, Optica promota (London, 1663)
Francesco Eschinardi, Centuria problematum opticum, 2vols. (Rome, 1666-68)
Fabri, Synopsis optica, 1667
Isaac Barrow, Optical Lectures, 1669
Dechales, Cursus seu mundus mathematicus, 3 vols. (1674)
William Molyneux, Dioptirica Nova, 1692
Christian Huygens, Dioptrica, 1703( started 1653)
Newton, Opticks, 1704 (ケプラーからちょうど100年です)ケプラーの光学について、日本語の先行研究がないかどうか探してみました。ちょっと苦労しましたが、田中一郎さんにそのものがありました。
田中一郎「ケプラー光学の展開と近代視覚理論の成立」『講座 科学史1』(伊東俊太郎・村上陽一郎編、培風館、1989):212-233
田中一郎「ガリレオの望遠鏡と近代光学をめぐって」『自立する科学史学』(高橋憲一他編著、北樹出版、1990), pp.46-63
ともに、研究室においています。明日大学に出たときに、見ます。
いまのグーグルでこうした論文集における共著論文を探すのは、まったく不可能というわけではありませんが、ちょっと苦労します。[科学の実践における表象]
夕刻、次の本が届きました。
Michael Lynch and Steve Woolgar (eds.), Representation in Scientific Practice, Cambridge, Mass.: MIT Press, 1990
目次は次です。
M. Lynch and S. Woolgar , "Introduction : sociological orientations to representational practice in science"
B. Latour,"Drawing things together"
P. Tibbetts,"Representation and the realist-constructivist controversy"
K. Amann and K. Knorr Cetina,"The fixation of (visual) evidence"
S. Woolgar,"Time and documents in researcher interaction : some ways of making out what is happening in experimental science"
M. Lynch,"The externalized retina : selection and mathematization in the visual documentation of objects in the life sciences"
F. Bastide,"The iconography of scientific texts : principles of analysis"
G. Myers,"Every picture tells a story : illustrations in E.O. Wilson's Sociobiology"
J. Law and M. Lynch,"Lists, field guides, and the descriptive organization of seeing : birdwatching as an exemplary observational activity"
L.A. Suchman,"Representing practice in cognitive science"
R. Amerine and J. Bilmes,"Following instructions"
S. Yearley.,"The dictates of method and policy : interpretational structures in the representation of scientific work"
リンチとウルガーの序にあるとおり、社会学的な方向性をもっています。STSの立場に近いと表現すればよいでしょうか。
事務棟3階で物品を受け取り、研究講義棟3階で2点郵便を受け取ってから研究室へ。まず捜し物。『講座 科学史1』はすぐに見つかりました。『自立する科学史学』は見つかりません。どこかに移動したのかもしれません。大きな本なのでそのうちの出てくるでしょう。
『講座 科学史1』所収の田中一郎「ケプラー光学の展開と近代視覚理論の成立」を読みました。ケプラー以前の光学の基本とケプラー光学の出発点はきちんと押さえられていると思いますが、「近代視覚理論の成立」は触れられていません。有用な論文ですが、ひとつ大きな疑問が生じました。田中さんは、レンズなしのカメラ・オブスクーラ、ピンホール・カメラでも像の逆転が生じることをご存じないかのような書き方をされています。像の逆転は、レンズ(凸レンズ)によって生じるかのように書かれています。
→ 14.10.16 http://optica.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post.html このサイトで「ピンホール現象とカメラオブスクラ写真の仕組み」が解説されています。カメラも写真も目も、ピンホール現象から説明しないと誤解を招くと思います。そこで明快に説かれている通り、ピンホールの場合、穴を小さくすると像ははっきりとするが暗くなります。逆に穴を大きくすると像は明るくなるがぼやけます。凸レンズはこの問題を解決します。穴をある程度大きくしてもはっきりとした像が得られます。像の逆転は、ピンホールによるものです。次いで図書館に行って、小林典子『ヤン・ファン・エイク:光と空気の絵画』大阪大学出版会、2003を借りました。図書館のなかでしばらく読みました。ある論文に、この書の3章が、リンドバークによって、中世の光学史を簡潔で明快に整理・解説しているとありました。ちょっと意外ですが、その通りでした。アリストテレス、アルハーゼン、ロジャー・ベーコン、ウィテロ、ペッカム等がしっかりとまとめられています。とくにスコラ哲学の扱いは貴重だと思われます。
時間になったので生協に行って昼食。それから研究室に戻ってまた捜し物。学部学生時代にコピーして紙のファイル(名前を忘れました)に綴じていた論文が見つかりました。Lindberg, "The 《Perspectiva Communis》of John Pecham: Its Influence, sources, and content," Arch. Intern. Hist. Sci. 1965, pp. 39-53; David Lindberg and Nicholas Steneck, "The Sense of Vision and the Origins of Modern Science," in Science, Medicine and Society in the Renaissance, edited by Allen G. Debus, 1972, pp.29-45 : Vasco Ronchi, "Complexities, Advances, and Misconceptions in the Development of the Science of Vision : What is being Discovered ? " Scientific Change, edited by A.C. Crombie, London, 1963, pp.542-561
Ronchi の論文を読み直しました。学生時代に読んだことは、書き込みでわかりますが、もちろん内容はまったく覚えていません。古い歴史記述ですが、こういう書き方の方がわかりやすいというメリットがあります。また、次の論文をネットで見つけることができました。
Koen Vermier, "The magic of the magic lantern (1660-1700): on analogical demonstration and the visualization of the invisible," BJHS, 38(2005): 127-159
やはり、マジックランタン(幻灯機)に関しても相当な混乱があるようです。
→ 14.10.16 p. 128 note 1 and p.129 note 7. マジックランタンの発明は、1659年、ホイヘンスである。今日の観点からは、ハイブリッド、カメラオブスクラ、ランタン、マジックランタン、太陽顕微鏡、投射顕微鏡、投射鏡、投射時計の組合せがつくられた、そして、そしてそれらを区別するのは簡単ではない。W. A. Wagenaar, "The true inventor of the magic lantern: Kircher, Walgenstein, or Huygens ?," Janus, 66(1979), 193-207 ; Laurent Mannoni, The Great Art of Light and Shadow: Archeology of the Cinema , ed. and trans. by R. Grangle, Exeter, 2000. 当時の人間は、カメラ・オブスクラ・ショーとランタン・ショーを混同して記述することが多い。1630年代のパリにはすでに恒常的な「カメラ・オブスクラ・ショー」があった。
この時代の光学装置を見るときに、必要な注意です。会議はスムーズに進んで、3時40分多磨駅発の電車に乗ることが出来ました。帰宅すると、息子が先に帰っていました。
次の本が届いていました。
Johannes Kepler,
Optics: Paralipomena to Witelo & Optical Part of Astronomy
translated by William H. Donahue, Santa Fe: Green Lyon, 2000
もとのラテン語版の形を活かしたほぼ直訳に近い英訳です。私にはこの形が助かります。(ラテン語のものと同じ索引が使えます。)(もうすこし注釈があってもよいように思いますが、それは要求が高すぎるでしょう。)
ともあれ、この英訳は、ケプラー研究だけではなく、光学史、天文学史に対する大きな貢献です。
ちなみに、William H. Donahue氏は、ケプラーの新天文学 Astronomia Nova(1609)も訳されています。Johannes Kepler, New Astronomy, 1993.
さらにちなみに、ケプラーの新天文学 は、1年前、邦訳が出版されています。ケプラー 『新天文学』(岸本良彦訳、工作舎、2013年11月)。『宇宙の調和』も訳されています。ケプラー『宇宙の調和』(岸本良彦訳、工作舎、2009年)。貴重な仕事です。
[ホックニー『秘密の知識』]
図書館で、ホックニーの『秘密の知識:巨匠も用いた知られざる技術の解明』( 青幻舎、2001、見開きで A3よりすこし大きい大型本)を借り出しました。持ち帰ってすこしだけ読みました。おお、これは、おもしろい書物です。お昼休み、図書館に行って本を1冊返し、1冊借りました。次。
ジャン・ピエロ・ブルネッタ『ヨーロッパ視覚文化史』川本英明訳、東洋書林、20103限4限5限の怒濤。
怒濤が終わって、6時4分多磨駅発の電車で帰ることができました。
[「レンズ」のキホン]
夜の間に、次の本が届いていました。
桑嶋幹『「レンズ」のキホン (イチバンやさしい理工系) 』 SB Creative、2010
初等的でありつつ、詳しいレンズと眼球の説明がほしいと思い、買ったものです。[橋本毅彦氏 UP 連載「学問と図像の形」]
橋本さんと中澤聡さんから 橋本さんのUP の連載、「学問と図像の形」シリーズを頂きました。橋本さん、中澤さん、ありがとうございます。
1.柱を越えて
2.東洋人の見た「機械の劇場」
3.デカルトの松果体
4.雷を見せる
5.ダーウィンのフィンチ
7.時計仕掛けの「小動物」
8.雲の形態学
9.ロージーのX線写真
10.レーダーの笛
12.長い今
13.愛宕の亀円
14.天の城
15.ブランのゲージ
16.古市の一日
17.養蚕の秘訣
18.ロッジの工場
19.シャボンの屋根
20.棒の海図
22.科学の寓意
23.和洋の合戦
24.冬の華
[ホイヘンス一家]
ウェブに、Bram Stoffele, "Christian Huygens - A family affair: Fashining a family in early-modern court-culture," Utrecht University, Master's Thesis, August, 2006
ホイヘンスファミリーを扱っています。器具製造の部分だけ読みました。これはとてもよい修士論文だと思います。このまま邦訳してもとてもおもしろいと思います。
終わってから、朝買ったパンを食べました。それからホックニーの『秘密の知識』からノートを取っていました。
いろいろ興味深いのですが、18世紀ロンドンの有名な器具メーカー、ジョージ・アダムスの商品カタログ(1765年頃)が欲しいと思いました。サイオプリトリック球、箱形カメラ・オブスーラ、アダムス式改良型カメラ・オブスーラ、プリズム、ゾクロスコープまたは立体版画を覗く装置、凸レンズ、凹レンズ、等々が掲載されているということです。調べてみると、ジョージ・アダムスは、一般聴衆相手の一種の入門書も数多く著しています。科学の普及とか、一般的な視覚文化といった場合、そういう書物が重要になります。
[数学的レクリエーションの系譜]
今回の調査ですが、数学的レクリエーションの系譜を確認する作業が残っています。日本語ではあの高山宏氏の世界です。高山さんが訳されたスタフォードの『アートフル・サイエンス』を今一度繙いてみました。
祖型的著作は、ヘンリー・ファン・エッテンだとあります。(p.41)ファン・エッテンの『数学レクリエーション』(ロンドン、1633)は、1624年ロレーヌで出版された本の翻訳だとあります。1628年のルーアン本は、版画を大胆に省略したものだそうです。
ファン・エッテン『数学レクリエーション』(ロンドン、1633)は、次。
Henry van Etten, Mathematicall Recreations, London, 1633
Recreation mathematicqve, composee de plusieurs problemes plaisants et facetievx, En faict d'Arithmeticque, Geometrie, Mechanicque, Opticque, et autres parties de ces belles sciences, Pont-à-Mousson: Jean Appier Hanzelet, 1624
研究によれば、この初版のあと、1629年から1680年までに、25のフランス語版が続いた。1694年、ジャック・オザナムの新版が現われ、さらにJean-Étienne Montuclaによる新しい版が現れて、 1790年までに20版を重ねた。1769年、Guyot が4巻本の百科事典的著作、『自然学と数学の新しい楽しみ』に変貌させた。
研究というのは、Albrecht Heeffer, Récréations Mathématiques (1624) A Study on its Authorship, Soureces and Influence, revised 7 Oct 2004 です。
アルブレヒトは、初版の著者は、エッテンでも、エッテンを偽名として使ったとされるLeurechonでもなく、初版に出版業者として名前を出すJean Appier Hanzeletその人だとしています。私は、十分納得できる論証がなされていると思います。ただし、BLのカタログ等、ほとんどの書誌がLeurechonを著者として挙げているという現状に鑑み、[Leurechon], Recreation Mathematique ( Pont-à-Mousson: Jean Appier Hanzelet, 1624) という表記を採用すると言います。過去の書誌との連続性を確保するためには、ありえる工夫です。
→ともあれ、このアルブレヒトの論文によって、かなり手間がかかると予想された数学リクリエーションの系譜を調べる作業に見通しがつきました。彼の研究は、起源(ソース)と影響(後代の受容)を扱っていますから、まさに系譜です。
アブストラクトでアルブレヒトは、『数学的リクリエーション』は科学と数学の歴史のひとつの転換点をしるすと言っています。それは16世紀に存在した二つの伝統、商業算術と自然魔術の伝統をひとつにし、そのあとに、ふたつの新しいジャンル、リクリエーション数学と大衆科学を生みだしたと主張しています。
ただし、「魔術」という語が指し示すものが当時と今では大きく変わっているので、その点の注意が必要である。たとえば、ウィルキンズの『数学魔術』は、天秤、テコ、くさび、滑車、車輪、カタパルト(投石機)、自動機械(オートマータ)、永久運動機関を扱っている。ウィルキンズは、機械がなす驚くべき仕事・動作を「数学魔術」と呼ぶ理由を次のように表現している。「この論述の全体を私が数学魔術と呼ぶのは、つぎの理由です。すなわち、ここに引用するような機械的工夫は、かつてそのように呼ばれていたこと、ならびに一般の見解ではこうした不思議な働きは魔術の力によるとされているという2つの理由によります。」
自然魔術のレシピ本として、 Hanzelet がもっともよく使ったのが、数年前に出版された Salomon de Caus, Les raisons des forces mouvantes, avec divers machines tant utiles que puissantes, auxquelles sont adjoints plusieurs de grotes & fontaines, Francfort, 1615) だということです。この書のタイトルが多くを語っています。この書の英訳が、de Caus, New and rare inventions of water-works shewing the easiest waies to raise water higher then the spring by which invention the perpetual motion is proposed, trans. by John Leak (London, 1659)
さて、 Salomon de Causは、庭師として有名なサロモン・ドゥ・コー(1576-1626)です。弟も同じ庭師のイサーク・ドゥ・コー(1590-1648)です。フランス人ですが、イタリアにもイギリスにもでかけて庭をつくっています。
→ドゥ・コーの本をダウンロードして見ていたら、見覚えがあります。このサイトでは、2013年3月22日(金)にベイトの『自然と技術のミステリー』(1634)からとった図とともに、ドゥ・コーの本からとったルネサンスの消防ポンプの絵も掲げています。図版はごくたまにしか載せないので、覚えていました。→ 14.10.22 自然魔術の伝統の代表格は、デラ・ポルタの『自然魔術』。空気装置、水力装置については、アレキサンドリアのヘロンのPneumaticaとMechanica。これについても、2010年5月8日と14日、そして、2013年2月2日に取りあげています。 「よく読まれたラテン語訳は、コマンディーノ訳のSpiritalium Liber,1575; Paris, 1583 です。Pneumatica と言う語は、ポルタが使っています。(出版は1601年。)」フランシス・ベーコンもヘロンのPneumaticaを使っています。デカルトも目にした噴水等の水力装置は、もうすこし注目すべきもののように思われます。
→ 14.10.22 アルブレヒトは、デューラーの『幾何学』にも触れています。デューラーは、職人層に属しますが、本を出版しています。ドイツ語で出版したものがラテン語訳されていますから、当時の知識人社会に認知されていたことになります。
まずは日本語からと思い、調べてみると、デューラーの本が邦訳されています。邦語訳の世界もなかなかすごい。
アルブレヒト・デューラー『「人体均衡論四書」注解』 中央公論美術出版、1995、¥31,320
アルブレヒト・デューラー『「測定法教則」注解』中央公論美術出版、2008、¥28,080
2次文献はたくさんあります。こんなものよく訳したな、すごいな。
[ストレーカー「ケプラー、ティコと天文学の光学部分」]
図書館から ILL で発注した次の論文がウェブで入手できるという連絡が来ました。
9時54分武蔵境発の電車で大学に到着してからすぐにダウンロードし、読みました。
Stephen Straker, "Kepler, Tycho, and 'The Optical Part of Astronomy': The Genesis of Kepler's Theory of Pinhole Images," Archive for History of Exact Sciences, 24(1981): 267-293
これはエクセラントな論文です。多くの人が引用しているのもよくわかります。お昼休みに総合文化研究所でコース会議。半時間程度で終わりました。
3限の時間帯に大学院の専攻会議。1時間程度で終わりました。
図書館から3時にILLで頼んだ次の論文が届いたというメールが来たので、すぐに取りに行きました。Wes Wallace "The vibrating nerve impulse in Newton, Willis and Gassendi: First steps in a mechanical theory of communication", Brain and cognition, 51(1)(2003): 66-94 ウェブにありますが、引用するときのことを考えて、正式バージョンを依頼しました。
次の論文をダウンロードしました。Ofer Gal and Raz Chen-Morris, "Baroque Optics and the Disappearance of the Observer: From Kepler's Optics to Descartes' Doubt," J.H.I., 71(2010): 191-217.
図書館にホルスト・ブレーデカンプの邦訳が揃っていることに気づきました。4時半からの会議の前、図書館に行って、まず次のものだけ借りました。ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰 : コレクションの宇宙』藤代幸一, 津山拓也訳、法政大学出版局、1996。残りは、実物を見てから、考えます。
会議が長引いて、やっと7時4分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。暗い雨のなか壊れかけの傘をさして帰ってきました。
(昨日からの続き)アルブレヒトの論文は、手品の書(conjuring Books)の伝統も取りあげています。pp.30ff .
驚き、驚異、不思議のパフォーマンスです。
英語で出版された最初の手品書のひとつは、トーマス・ヒルのNaturall and Artificiall Conclusions (London, 1581)です。この書物は、17世紀に入っても何度もリプリントされますが、『数学レクリエーション』と重なる内容を持ちます。ともに起源はイタリアにあります。例:「光または蝋燭を消えることなく燃え続けさせること」。「水中で蝋燭を灯すこと」等。自然魔術のレシピ本は、18世紀になるまで出版去れ続けるが、新しい展開には、数学レクリエーションのジャンルの方がフィットした。
次には「大衆科学 popular science」の伝統と取りあげます。pp.31ff. 自然の力に関する大衆の知識の普及は、自然魔術のレシピから手品の書(conjuring and parlour tricks)へと展開し、次の世紀も進展を続けた。そして、17世紀前半において、数学レクリエーションのジャンルが新しい大衆科学の書物のプロトタイプとなった。
3限4限5限の怒濤。9時42分武蔵境発の電車で大学に向かいました。スキャンをして、昼食をとり、図書館でホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓 : ライプニッツの「自然と人工の劇場」』(原研二訳、産業図書、2010)を見て借り出し、それからしばらく研究室で休憩してから3限の講義へ。合間に、Sven Dupré, "Kepler's optics without hypotheses," Synthese, 185(2012): 501-525 をダウンロードしました。読む時間はありませんでした。[ホルスト・ブレーデカンプの邦訳]
ホルスト・ブレーデカンプはドイツの美術史家ですが、相当科学史に関係する研究をしています。大学図書館には次の5点の翻訳がありました。今回の私の調査に大きく重なっています。
ホルスト・ブレーデカンプ『芸術家ガリレオ・ガリレイ : 月・太陽・手』原研二訳、産業図書、2012
ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰 : コレクションの宇宙』藤代幸一, 津山拓也訳、法政大学出版局、1996
ホルスト・ブレーデカンプ『ダーウィンの珊瑚 : 進化論のダイアグラムと博物学』濱中春訳、法政大学出版局、2010
ホルスト・ブレーデカンプ『フィレンツェのサッカー : カルチョの図像学』原研二訳、法政大学出版局、2003
ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓 : ライプニッツの「自然と人工の劇場」』原研二訳、産業図書、2010
(図書館にはまだ入っていませんが、次の本も今年出版されています。)ホルスト・ブレーデカンプ『ライプニッツと造園革命:ヘレンハウゼン、ヴェルサイユと葉っぱの哲学』原研二訳、産業図書、2014
[デューラー『「人体均衡論四書」注解』&『「測定法教則」注解』]
3時前後に駒場に到着。1号館の2階に寄ったあと、図書館へ。デューラーの『「人体均衡論四書」注解』と『「測定法教則」注解』を探しました。置いている場所を探し出すのに苦労しましたが、『「人体均衡論四書」注解』の方は地下1階の周密書架で見つけ、取り出して、一通り見ました。読んだのはわずかですが、全ページを見ました。これはこれでよいでしょう。次に、3階に上がって、『「測定法教則」注解』を探しました。なかなか見つかりません。カウフマンやプラーツ等、もしかしたら、関係するかもしれない本を書架から取りだして、立ち読みしました。カウフマンには関係する章がありました。(トマス・D・ カウフマン『綺想の帝国―ルドルフ二世をめぐる美術と科学』斉藤 栄一訳、工作舎、1995。第1章 自然の聖別―一五、一六世紀ネーデルラント写本装飾におけるだまし絵の起源;第2章 影の遠近法―投影理論の歴史;第3章 自然の模倣―デューラーからホフナーゲルへ;第4章 自然の変容―アルチンボルドの宮廷的寓意;第5章 ルドルフ二世の凱旋門―一五七七年のルドルフ二世ウィーン訪問時の天文学、技術、人文主義、美術―ファブリティウスの役割;第6章 プラハにおける「古代と近代」―アルチンボルドの素描と絹織物業;第7章 世界の掌握から自然の掌握へ―芸術室・政治・科学)
『「測定法教則」注解』の方はやっと探し出して、机でざっと見ました。読んでおく価値があります。三浦さんの解説にさっと目を通してから、借りることにしました。(この本の構成は、第1部『測定法教則』全訳、第2部解説(下村 耕史)、第2編数学史におけるデューラー(三浦伸夫)です。)
それから図書館へ行って、ILL で届いている本 ( John R. Millburn, The Adams of Fleet Street : instrument makers to King George III with the kind support of the Scientific Instrument Society London. Ashgate, 2000) を受け取り、研究所へ。金曜日5限の資料をスキャンをしました。
図書館へ。まず、次の本を受け取りました。
David Hockney, Secret Knowledge: Rediscovering the Lost Techniques of the Old Masters, New and Expanded Edition, 2006,
次に ILL で届いている次の論文を受け取りました。
W. A. Wagenaar, "The true inventor of the magic lantern: Kircher, Walgenstein, or Huygens ?," Janus : archives internationales pour l'histoire de la medecine et pour la geographie medicale, 66(1979): 193-207
Sven Dupré "Introduction. The Hockney-Falco Thesis: Constraints and Opportunities, " Early science and medicine, 10(2)(2005): 125-136
Christoph Lüthy "Hockney's Secret Knowledge, Vanvitelli's Camera Obscura," Early science and medicine, 10(2)(2005): 315-339
Philip Steadman,"Allegory, Realism, and Vermeer's Use of the Camera Obscura, " Early science and medicine, 10(2)(2005): 287-313
Antoni Malet, "Early Conceptualizations of the Telescope as an Optical Instrument," Early science and medicine, 10(2)(2005): 237-262
研究室にもどって、Wagenaar(1979) と Sven Dupré(2005)を読みました。なるほど。
午前中に新しい ISIS が届きました。Vol. 105, No.3 (Sep. 2014)です。ざっと見ました。書評に今の作業にぴったりのものがありました。Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura: Die Dunkelkammer in ihren historischen Entwicklung, Stuttgart: Franz Steiner Verlag, 2013, reviewed by Klaus Hentschel. クラウスによれば、器具の技術的記述と背景となる光学理論の記述にいくらか弱さが見られるが、カメラ・オブスクラを指す39もの用語を網羅している等、価値があるということです。理論的には、ルフェーブルが編集した『カメラ・オブスクラの内部に』の方を勧めるとあります。さもありなん。
[バルトルシャイテス邦訳]
ふと思い立って、研究室の本棚にあるバルトルシャイテスの本を取り出しました。内容的に関連する部分がありました。次の3冊です。
J.バルトルシャイテス『鏡』谷川あつし訳、国書刊行会、1994
J.バルトルシャイテス『アナモルフォーズ』高山宏訳、国書刊行会、1992
J.バルトルシャイテス『アベラシオン』種村季弘・巖谷國士訳、国書刊行会、1991
Laurent Mannoni, The Great Art of Light and Shodow: Archeology of the Cinema, translated and edited by Richard Crangle, Exeter, 2000
Lawrence Gowing, Vermeer, University of California Press, 1997Album of Scienceの翻訳を見たいので、再度、図書館に。邦語タイトルは、「マクミラン」世界科学史百科図鑑。いいのでしょうか。もとの英語のニュアンスを伝えるものではありません。ともあれ、最初の2冊を借りて、先ほど印刷を忘れていた5限の印刷をしてから、研究室へ。
午後、次の本が届きました。
Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura: Die Dunkelkammer in ihren historischen Entwicklung, Stuttgart: Franz Steiner Verlag, 2013
この書物によって、やっと、10月8日の疑問が解けました。Crary, Techniques of the Observer (1990; October Books, 1992) の図4です。出典は1ヶ月以上探し出せないままでした。
「4.p.49 Comparison of eye and camera obscura. Early eighteenth century. 図版の上に、Tom. VI. Lec. XVII (?).5. p.290」
これは、ノレ神父のものでした。この書物のp.196 に同じ図版が引用されています。
Jean Antoine Nollet, Leçons de physique expérimentale, Tome 5. Paris, 1771, Pl. 5.
フランス語ですから、ノレ神父のものかもという可能性は考えましたが、本を探し出してページを繰ることはしていませんでした。
些細なことですが、疑問が解消するとうれしい。
→最近はグーグルブックがあることですし、実物をダウンロードして確認することにしました。グーグルブックでは、第3版第5巻(Paris, 1765)が簡単に入手できます。この図版は、第3版第5巻(Paris, 1765)ではp.480 の対にあります。このグーグルブックの絵は、残念ながら折れています。この折れている絵のキャプションは、「[Tome]V. XVII. LEÇON. P.5.」です。
グーグルブックには第6版(1783)もあります。こちらもダウンロードしてみました。これは図版が折れていません。キャプションはまちがいなく「TOM. V. XVII. LEÇON. P.5.」です。
著者がわかるとネットで画像を探し出すのも格段に容易になります。
科学史博物館ノレ神父光学の項
せっかくですので日本語の先行研究を探してみました。とても寂しい状況です。ノレ神父を主題とするものは見つかりませんでした。18世紀においてはとてもおおきな存在です。すくなくとも基本をまとめる論文ひとつでもあった方がよいと思います。→14.11.16 Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura ですが、2部に分かれていると見てよいでしょう。前半はp.113までで、Vorwort, Historie und Apparat, Bildwelten der Camera obscura, Nachbauten, Reflexionen zur visuellen Wahrnehmung からなります。後半は、ミュラーによるカタログ部分、すなわち、編年体でカメラ・オブスクラに触れている著作を短く紹介しています。最後は、文献リストと文献省略記号表。
→もとにもどって、このドイツ語のカメラ・オブスクラ研究書ですが、情報を網羅しようとしてくれている点が助かります。カメラ・オブスクラの異なる名称をリストアップしてくれています。pp.16-7
1292 Of Saint-Cloud: Domo clausa
1553 Cardano: Loco obscuro.
1604 Kepler: Camera clausa, Camera obscura.
1615 Risner: Locum lucis expertem.
1646 Kircher: Loco obscuro.
1651 Harsdörffer: Finstere Kammer, Camara[sic] obscura, finster Kasten.
1658 Schott: Loco obscurum, obscuro cubiculo, cubi parastatici, obscuro loco.
1660 Greiff: Dunckele Kammer, Camera obscura.
1662 Leurechon: Chambre close.
1663 Kohlhans: Cista visoris, finsterer Kasten, finstern Kammer.
1665 Grimaldi: Loco obscure, Cubiculus bene obscurati.
1666 Niceron: Camera occlusa.
1666 Mersenne: Frange noire.
1670 Heiden: Camera obscura, Oculus artificialis, Cistula optica
1677 Kohlhans: Finsteres Kästlein, Optico Libello, Panscopium Rostarum.
1687 Zahn: Locus obscurus, Cistula parastatica, Cistulae catoprico-parastaticae.
1704 Newton: Darkened Chamber
1705 Hooke: Perspective Box
1708 Sturm: Darken'd camera
1711 Gravesande: Chambre obscure
1722 Leupold: Camera catoptrica
1742 Molyneux: Dark Chamber
1762 Ledermüller: Dioptrische Machine
1764 Grandenigo: Camera ottica
1771 Nollet (dt. Übersetzung): Finstere Kammer
1784 Krünitz: Camera obscura, Camera optica, Finsterzimmer, verfinstertes Zimmer, Chambre obscure, Chamber noire
1791 Gehler: Verfinstertes Zimmer, dunkle Kammer, chambre obscure, chambre noire
1797 Gale: Dark Chamber
1855 Ersch und Gruber: Dunkel Kammer
1869 Guilemin: Chambre obscure, Chambre noire
1889 Meyers Konversations-Lexikon: Optische Kammer
1925 Meyers Konversations-Lexikon: Camera clara閉じた家、暗い場所、暗い箱、暗い部屋、夜の部屋、暗くされた部屋、光学の箱、光学的部屋、人工の眼、遠近法的箱、等々。
以上、18世紀の間も用語が固定せず、19世紀になっても固定していないことがわかります。20世紀のものは1点だけなので、正確には語れませんが、状況が変化したようには見えません。また、網羅的に見えて、ホイヘンスもボイルも取りあげていません。要するにこれはもっともっと膨らませることができるということです。
→ 14.11.17 せっかくですから、ガリカで検索をかけて、きれいな画像を探しました。上と同じ版に収録されている、きれいな画像はすぐに見つかりました。グーグルブックスはテキストにはよい(少々ゆがんでいてもテキストは読める)のですが、画像にはむきません。折れているのは使えません。
Aaron Scharf, Art and Photography, Penguin Books,
図書館の方から連絡があり、ILL で頼んだ次の論文は、ウェブに pdf がありますよ、と教えてもらいました。早速ダウンロードし、プリントアウトしました。
S. Dupre, "The historiography of perspective and reflexy-const in netherlandish art," Nederlands Kunsthistorisch Jaarboek, 61(2011): 35-60
私の関心に直接関与する内容ではありませんでしたが、必要な論点を提示していると思います。
考えるところがあって、ケラーの次の論文を読むことにしました。
Vera Keller, "Re-entangling the Thermometer: Cornelius Drebbel's Description of his Self-regurationg Oven, the Regiment of Fire, and the Early History of Temperature, " Nuncius, 28(2013): 243-275
好論文です。ケラーは、科学装置、科学器具の歴史研究として、Instruments of Science: An Historical Encyclopedia(London, 1998)(邦訳:橋本毅彦・梶雅範・廣野喜幸監訳『科学大博物館-装置・器具の歴史事典』 朝倉書店, 東京, 2005年3月, 829頁, ISBN4-254-10186-4, 26000円+税)、オサイリスの新シリーズの第9号(1994)、アイシスのフォーカス(2011)、『オクスフォード初期近代の哲学ハンドブック』(2011)におけるジャン−フランソワ・ゴーヴァンの記事「知識の器具」をあげています。
そのなかから、次の論文をダウンロードして読みました。
Liba Taub, "Introduction: Reengaging with Instruments," ISIS (Focus: The History of Scientific Instruments) , 102(2011): 689-696
ここ20年間ぐらいの科学装置、科学器具の研究史をまとめてくれています。書きだしは、「1994年オサリスの第9巻は、器具に焦点をあて、ファン・ヘルデンとハンキンズの編集で科学史学会により出版された。」です。特集は11のエッセイを含みます。ファン・ヘルデンが望遠鏡と権威について、ゴリンスキーがラヴォワジェの化学の証明の順序について、ブルース・ハントが電気の標準の発展について、デボラ・ワーナーが地磁気について、等々のエッセイを含みます。
駒場の図書館に用事ができたので朝一番で行ってくることにしました。井の頭線が混むといやなので、すこし遅めにでかけました。9時40分過ぎに駒場に着きました。正門ではなく薔薇を植えている所を通って図書館へ。次の3点をコピーしました。
Deborah Jean Warner, "What Is a Scientific Instrument, When Did It Become One, and Why?," British Journal for the History of Science, 23(1990): 83-93
Albert van Helden and Thomas L. Hawkins, "Introduction: Instruments in the History of Science," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 1-6
Thomas L. Hawkins, "The Ocular Harpsicord of Louis-Bertrand Castel; or, the Instrument That wasn't," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 141-156
OSIRIS, 2nd series は、雑誌のコーナーではなく、図書のところにあったので探すのにすこし手間取りました。
デボラの論文は、すぐに片隅のテーブルで読みました。エッセイ・レビューですが、私には意味のあるものでした。名前(命名法)は知覚におおきな影響を及ぼす。「自然哲学的装置・器具」は17世紀の間に「音楽装置、医療機器、数学器具」とは別個のものとして徐々に形成されていった。(私の気づいた範囲で)「(自然)哲学的装置」の最初の使用は、1649年ハートリッブがボイルに送った手紙中の "models and philosophical apparatus"である。新しい用語の意味は、グルーが1681年に出版した王立協会の所蔵品のカタログで明確に示されている。グルーは、伝統的な「数学に関係するものとしての」実用的道具 practical instruments と区別されるべきともとして「自然哲学に関する装置・器具」を挙げている。
18世紀、こうした「(自然)哲学的装置」は人気を博した。それは、科学研究にも使われたが、それよりもずっと教育的目的で使われた。もうひとつは、一種のショー(spectacular display)や娯楽(recreation)のために使われた。1747年、ジョセフ・ヒックマンは、「(自然)哲学的機器製造者 Philosophical Instrument Maker」という用語をはじめて用い、数学的機器製造業者 mathematical instrument maker や光学機器製造業者 opitical instrument makerと対置してみせた。18世紀中葉、この3つをすべてカバーする用語は存在しなかったのである。(光学装置とは、レンズ、鏡、プリズムを主たる要素とする装置と理解されていた。)
「科学者」とは違い、「科学的器具」の起源ははっきりしない。しかし、1851年の第1回万博がおおきなインパクトをもったことは間違いない。1世紀後、アメリカ人がスプートニックショックで NASA をつくったごとく、イギリスは、第1回万博における他国の進歩に驚き、すぐに技術教育を向上させるため「科学技術庁 A Department of Science and Art 」を設置した。プレイフェアは、その目的を「初等教育にふさわしい科学的ダイアグラムと装置の備え付けを監督すること」とした。私が見出した限りでは、英語の「科学的器具」の初出はアメリカで1847年であった。そこでも初等教育のための器具が意味されていた。
この新しい用語は、18世紀後半、フランスで誕生したようである。1787年フランス政府は、光学機器、数学機器、物理機器、そしてその他の科学的用途の装置を専門とする工兵隊=技師団を設置した。1830年代までにこの語は、研究と高等教育に適用されるようになっていた。1850年代には「現代科学器具」という表現が出現した。
ドイツ語の「科学的器具」という用語は、おそらく1830年代に使用されるようになった。
フランス語とドイツ語に共通する「科学的器具」の広い意味は、19世紀後半に英語圏に導入された。本日は以上で終了。すぐに取って返しました。予定通り、11時半前には帰り着くことができました。
帰宅してしばらくしてから、オサイリスの器具特集の序文を読みました。アイシスの1943年の号にコイレによる2頁の論考が掲載された。コイレはそこで「原著のものとまったく異なる概念と思考の習慣を我々の概念、我々の思考の習慣と取り違えてしまう危険がある」ことを正しく指摘した。そして、ガリレオの新科学対話の英訳でもとの comperioを英訳者は「実験によって発見した」と訳した事例を挙げた。確かに、ガリレオを我々と同じ実験科学者と位置づけるのは、時代錯誤である。しかし、コイレ自身同じ年にThe Philosophical Reviewで出版した論文や1953年出版の論文で、完全に観念論的プラトニスト的ガリレオ(科学においては理論が事実に先立つ。実験は専攻する理論を例証するものとしてのみ意味を有する)を描いた。すなわち、コイレの科学観をガリレオに読み込むという逆の錯誤をおかしたのである。
こういうふうにスタートし展開していきます。間違っているとは思いませんが、今、器具や装置を問題にするのであれば、もう一歩先に進んでおく必要があります。もうすこし具体的な科学器具・装置の形成を丁寧な文脈探査に基づき遂行すべきです。もちろん、個別の論考はその課題に一定程度答えています。
4時50分に駒場に着きました。1号館で判子を押してから、図書館へ。地下2階に降りて、次の論文のコピーを取りました。
Deborah Warner, "Terrestrial Magnetism: For the Glory of God and the Benefit of Mankind," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 65-841月3日の続き。グルーの本を確認しました。
Nehemiah Grew, Museum Regalis Societatis. Or A Catalogue & Description of the Natural and Artificial Rarities Belonging to the Royal Society And Preserved at Gresham College. Whereunto Subjoying the Comparative Anatomy of Stomachs and Guts , London, 1681
グルーは、王立協会の所蔵品を4部に分けて記述しています。第1部動物、第2部植物、第3部鉱物、第4部人工物(Artificial Matters)。第4部はまた4節に分けられています。第1節化学に関する人工物ならびに自然哲学の他の部分に関わる人工物、第2節数学に関わる人工物;さらにある種の機械学に関する人工物、第3節機械道具、第4章硬貨と古代に関係する事物。
ちなみにカメラ・オブスクラは項目として取りあげられていません。
昨日駒場でコピーをとったデボラの論文を読みました。
Deborah Warner, "Terrestrial Magnetism: For the Glory of God and the Benefit of Mankind," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 65-84
水曜日にはタイトルから私の関心にはあまり関係しないと思ったのですが、半分は「科学的装置とは何か?」論文と重なる内容でした。そして半分がタイトルにある「地磁気の研究史」です。全面的にデボラの議論に賛成できるわけではないのですが、必要な方向の議論をある地点まで展開してくれています。今はっきりと明示的に指摘できるわけではないのですが、分類だけに止まらない科学史的内容・内実が必要なように思われます。
私の関心にとっては、光学の位置付けが重要です。
光学は、クーンのいう古典的物理諸科学(あるいは端的に古典的諸科学)、天文学、幾何光学、静力学、和声学、数学(クーンの順序では、天文学、和声学、数学、光学、静力学)のひとつです。クーンはこの5つを数学ともくくれるとしています。
18世紀の器具製造業者は、数学器具、光学器具、自然哲学(現在の科学器具)の3種類に分けるのが普通です。
アリストテレスの分類では、純粋の数学(算術と幾何学)と物質世界へ適用された数学=混合数学{天文学、音楽、光学、静力学}
大学の7科で教えられていたのは、幾何学、算術、天文学、音楽。
装置・器具が学問分類と別立てになるのに不思議はないのですが、どういう関係になるのかはしっかりと考察してみる必要があります。
[混合数学/実践数学]
"Aristotelian Mixed Mathmatics" で検索をかけたら、隠岐さんの論文が4番目に出てきました。次です。Sayaka Oki, "The Establishment of 'Mixed Mathematics' and Its Decline 1600-1800," Historia Scientiarum, 23(2013): 82-91. ちょうど10頁の論文です。最初は画面上で読んでいたのですが、鉛筆をもってよむ読書の習慣に従い、プリントアウトして読みました。隠岐さんが2013年にこの論文というのはちょっと意外だったのですが、簡潔・明瞭にポイントがまとめられていて、よくわかる論文です。ただし、私の関心からはすこしずれていて、数学と言った場合、(器具製造業者は実用の世界、実践の世界、商業の世界に住んでいるので)実践数学、実用数学の伝統との関連を私は知りたいと思っています。自分で調べろ、ということでしょうか。
ちなみに検索で3番目に出てくるのは、隠岐さんの注3)に挙げられているロレーヌの次の論文です。Lorraine J. Daston, "Fitting Numbers to the World: The Case of Probability Theory," History and Philosophy of Modern Mathematics, William Aspray and Philip Kitcher ed. (Mineapolis: University of Minnesota Press, 1988), 222-228. ページ数は、混合数学を扱っている箇所です。論文そのものは、pp. 221-237 です。
同じ検索でトップに来るのは次です。
John A. Schuster, "What was Early Seventeenth Century 'Physico-Mathematics'? Or, Did the 'usual suspects' aim to replace natural philosophy with mathematics, or to reform natural philosophy from within?"
2008年オクスフォードで開催された会議(Quadrennial Conference of the US, UK and Canadian History of Science Societies)のダブルセッション「分野を結合する:初期近代における数学と自然学、そして理性」で発表した原稿のようです。
非常に面白い議論を展開しています。私は、このシュースターの議論でよいと思います。
伝統的な混合数学という用語は、アリストテレス主義に属するもので、自然哲学と数学の間に存在し、それらに従属する専門分野であった。アリストテレスにとって、自然哲学の説明とは、質料と原因による説明であった。数学はそうではなかった。光学、機械学、天文学、音楽理論のような混合数学的諸科学は、原因の説明のために数学を用いるわけではなかった。物理的事物と過程を表象するために道具的に数学を利用した。たとえば、幾何光学は、光を光線として表象するため幾何学を用いた。
Physico-mathematicsは、自然哲学の数学化ではなかった。逆に、Physico-mathematicsは、既に存在していた混合数学的諸科学の自然哲学化(physicalization)であった。
Physico-mathematical Initiative は、16世紀に出現し始めた。たとえば、機械学を、とくに単純機械に対する動力学的なアプローチを自然哲学化する試みがあった。
自然哲学化する、すなわち、質料と原因の探究を付加することとなった。たとえばケプラーは、数理天文学を自然哲学化し、天体力学(天体運動の原因を研究する)を創始した。
ギルバートに触れる余裕はないが、一言だけ指摘すれば、ギルバートは混合数学ではなく、実践数学の材料を取り扱い、実践数学に存在したものを自然哲学化したのである。
実践数学のマスター、ステヴィンは、自然哲学の外から混合数学の分野に関与し、それを自然哲学の資産とするのを目指したのではなく、実践数学の領域を拡張し、体系化しようとしたのである。
全体として、通常、自然哲学の数学化と呼ばれる事態は、現実には、混合数学的諸科学の自然哲学化であったと言ってよいであろう。
文献としては4点を挙げていますが、最後のものが私の関心(実践数学の位置付けの変更の問題/実践数学の変貌)に沿うものです。
J. A. Schuster, 'Consuming and Appropriating Practical Mathematics and the Mixed Mathematical Fields, or Being 'Influenced' by Them: The Case of the Young Descartes', in Lesley Cormack (ed.), Mathematical Practitioners and the Trasformation of Natural Knowledge in Early Modern Europe [Chicago University Press, forthcoming ?!]
いつ出版されるのか不明ということでしょうが、この論文を入手して読むことができれば、私の関心に対する回答が部分的には見つかるように思われます。→すぐに読むことはできませんが、もう一度この問題を扱ってみたいと思ったので、シュースターの挙げる他の3点も挙げておきます。
S. Gaukroger and J. A. Schuster , “The Hydrostatic Paradox and the Origins of Cartesian Dynamics,”Studies in the History and Philosophy of Science 33/3 (2001), pp.535-572
J. A. Schuster , 'Descartes Opticien: The Construction of the Law of Refraction and the Manufacture of its Physical and Methodological Rationales 1618-1629' in S. Gaukroger and J.A.Schuster and J. Sutton (eds.), Descartes' Natural Philosophy: Optics, Mechanics and Cosmology ( London: Routledge:, 2000), pp.258-312.
J. A .Schuster, ‘Waterworld: Descartes Vortical Celestial Mechanics and Cosmological Optics―A Gambit in the Natural Philosophical Agon of the Early 17th Century’, in J.A.Schuster and P. Anstey (eds.), The Science of Nature in the 17th Century: Patterns of Change in Early Modern Natural Philosophy (Dordrecht: Kluwer/Springer, 2005), pp. 35-79
[混合数学/実践数学]
別のものを探していたら、次のものが pdf で見つかりました。
J. A. Schuster, 'Consuming and Appropriating Practical Mathematics and the Mixed Mathematical Fields, or Being 'Influenced' by Them: The Case of the Young Descartes',
2005年北京の国際科学史学会のシンポジウムで発表し、前に記した本に掲載される予定であったが、本の出版計画は2012年に頓挫した。シュースターは積極的にこうしたドラフトをネットに挙げています。研究室でのデスクワークの合間にシュースターの研究を探していました。全部かどうかはわかりませんが、多くの論文をネットに挙げていました。10点ほどダウンロードしました。読むことはできていないので、詳しくは、後ほど。
→大学にいる間に次の2点は、プリントアウトしました。
John A. Schuster and Craeme Watchirs, "Natural Philosophy, Experimental Discourse: Beyond the Kuhn/Bachelard Problematic," in H. E. LeGrand (ed), Experimental Inquiries (Dordrecht, 1990), 1-48
これは実際に出版されたバージョンの直前のバージョンだということです。英語で penultimate pre-publication version 。引用するためには、出版バージョンが必要ですが、論点を知るにはこれで間に合います。
Stephen Gaugroger and John Schuster, "The Hydrostatic paradox and the origins of Cartesian dynamics," Stud. Hist. Phil. Sci., 33(2002): 535-572
[数学と自然学]
ディーバスが次の論文で扱っています。A. G. Debus, "Mathematics and Nature in the Chemical Texts of the Renaissacne," AMBIX, 15(1968): 1-28
ディーバスはアリストテレスの立場として『形而上学』第2巻第3章の末尾の言葉を引用します。
ここは岩波文庫訳で引用しましょう。「ところで、数学的推理におけるがごとき厳密さは、あらやる対象について要求されるべきでなくて、ただ質料を具有しないものの場合にのみ要求されるべきである。まさにそれゆえに、この数学の方法は自然学の方法ではない。そのわけは、おそらく、およそ自然は、すべて質料を具有しているからであろう。それゆえに我々は、まず第一に自然のなにであるかを考究せねばならない。そうすればまた、自然学がなにものを対象とするかも明らかになるであろうから、また果たして原理や原因を研究するのは或る一つの学のすることか多くの学のかも・・・。」(p.78)
最後の・・・は原文のものです。
数学の方法は自然学の方法ではない、自然学は質料を有するものを対象とするので数学的な厳密さを要求できない、数学的厳密さを要求できるのは質料を有しない対象だけである、アリストテレスははっきりと述べています。結局、昨日大学でプリントアウトした論文を読んでいます。Stephen Gaugroger と John Schusterの共著論文「流体静力学のパラドクスとデカルト動力学の起源」はよく書けた論文だと思います。デカルトの宇宙論(機械論的宇宙論の形成)に体系的で一貫した解釈を与えることに成功していると思います。
アブストラクトをざっと訳してみましょう。17世紀の最初の何十年か、実践数学、とくに静力学と流体静力学にもとづき、動力学的用語法をつくろうとする様々な動きがあった。この論文は、偽アリストテレスの機械学の伝統とアルキメデス的アプローチを対比させた上で、アルキメデス的アプローチのなかで静力学と流体静力学の概念を比較し、そうした概念のステヴィン、ベークマン、デカルトにおける展開の試みを探る。この論文の核心部分は、デカルトの流体静力学へのアプローチとなるが、同時代のものとまったく異なることが示される。とりわけ、デカルトは、流体静力学に自然哲学的根拠を与えようとした点が特筆される。同時にデカルトは、流体静力学を用いて一連の概念、アプローチ、思考法を発展させ、問題を解こうとした。こうした一連の概念等が光学と宇宙論の成熟した思考を形作った。
実践数学としては、著者たちは、幾何光学、位置天文学、和声学、気体静力学、流体静力学をあげ、アレキサンドリアで開発されたとします。
著者たちは、アリストテレスの『分析論後書』の重要な箇所も引用してくれています。Post. Anal., 75b14-16 "the theorem of one science cannot be demonstrated by means of another science, except where these theorems are related as subordinate to superior: for example, as optical theorem to geometry, or harmonic theorems to arithmetic,"
John A. Schuster と Craeme Watchirsの共著論文は、必要な作業をしていると思いますが、独特の用語に引っかかるかもしれません。私自身、クーンとバシュラールの問題構成には見直しが必要だと感じているので、こちらはじっくりと取り組みたいと考えています。
坂本邦暢氏の推薦で、次の書評をダウンロードしプリントアウトし読みました。
有賀暢迪・中尾央「<書評>認識論的徳としての客観性:イメージから見える科学の姿(エッセイ・レビュー:L. Daston & P. Galison, Objectivity)」『科学哲学科学史』4(2010): 127-136
400頁を越える大著をエッセイレビューの対象とされた点、まず賞賛したいと思います。
帰宅すると次の本が届いていました。 マーティン J.S. ラドウィック『化石の意味―― 古生物学史挿話』 菅谷暁・風間敏訳、みすず書房、2013 さっそく訳者の後書きだけ読みました。次の日の朝、序文を読みました。この書は、科学者=歴史家の最良の歴史記述のひとつだと思います。
夕刻、次の本が届きました。
田中純『イメージの自然史:天使から貝殻まで』羽島書店、2010
昼食後、図書館に本を返して、すこし前の『ユリイカ』に掲載された小谷真理さんの傑作論文「ルイス・キャロルの写真論」を読んでいました。なるほど傑作です。
→小谷真理「キャロル狩り」『ユリイカ 臨時増刊号 総特集:150年目の『不思議の国のアリス』』(青土社,2015)
編者高山宏氏によれば、「現在望み得る最強の執筆陣を誇る同誌上で、しかし一番ぼくを驚かせたのは降臨女神、小谷真理のキャロル写真論であった。」
まさに!
時計を見ずに図書館に着いたら、まだあいていませんでした。2分ほど待って中に入り、ILL で届いていた次の3点を受け取りました。
Filippo Camerota, "Looking for an Artificial Eye: On the Borderline between Painting and Topography," Early science and medicine, 10(2005): 263-286
Sven Dupré, "Optics, Pictures and Evidence: Leonardo's Drawings of Mirrors and Machinery," Early science and medicine, 10(2005): 211-236
A. Mark Smith, "Reflections on the Hockney-Falco Thesis: Optical Theory and Artistic Practice in the Fifteenth and Sixteenth Centuries, "Early science and medicine, 10(2005): 163-186
本日の会議は2時半から4時半までの予定でしたが、4時前に終わりました。研究室に戻ると、図書館から次の本が入荷していると連絡があったので、早速受け取りに行きました。
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編(土屋紳一・大久保遼・遠藤みゆき)『幻燈スライドの博物誌:プロジェクション・メディアの考古学』青弓社、2015
あまり期待せずに発注したのですが、電車を待ちながら読んでいると、これはちょうどよい書物でした。教科書的記述がしっかりとしています。また青弓社は視覚文化叢書というのを出しているのを知りました。
→ 15.4.29 視覚文化叢書は次です。
視覚文化叢書 1 :ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修 , 佐藤守弘 , 岩城覚久訳、青弓社、2010
視覚文化叢書 2 :長谷正人『映画というテクノロジー経験』青弓社、2010
視覚文化叢書 3 :佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』青弓社、2011
視覚文化叢書 4:大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
これは、今の私には価値あるシリーズです。たぶん、入手することになると思います。
- 2015.5.1(金)
午後、次の本が届きました。
David Robinson,
Lantern Image: Iconography of the Magic Lantern, 1420-1880,
The Magic Lantern Society, 1993
→ 15.5.2 ふと気づいたことがあります。スライドプロジェクターが消えつつあるということです。ネットで調べてみると、スライドプロジェクターを製造販売していた「キャビン工業は2007年1月より、スライド映写機などの営業活動、マーケティング業務を浅沼商会に移管し、営業活動を停止しました」 とありました。アマゾンでは、キャビン工業の入門機のみまだ販売しています。古いスライドプロジェクター を調整の上、販売している業者はまだ存在していますが、いつまで営業を続けるかはわかりません。学校の倉庫等には数多くの スライドプロジェクターが眠っているのでないかと想像されます。- 2015.5.6(水)
4月28日に入手した、 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編(土屋紳一・大久保遼・遠藤みゆき)『幻燈スライドの博物誌:プロジェクション・メディアの考古学』青弓社、2015、をきっかけに、新しい分野が開けました。
鷲谷花さんのつぶやき
enpaku 早稲田大学演劇博物館
神戸映画資料館鷲谷花「コマの中の人間 1924〜1951」『文学研究論集』15(1998), 109-128 鷲谷花「初期児童漫画の成立」『文学研究論集』16(1999 ), 31-44
鷲谷花「怪人、帝都を席巻す : 『怪人二十面相』と『少年倶楽部』の地政学」『文学研究論集』17(2000), 71-81
鷲谷花「切断と連続:児童文化における<戦前>,<戦中>,<戦後>をめぐる覚書 」『文学研究論集』19(2001), 25-32
鷲谷花「戦後労働運動のメディアとしての幻灯 : 日鋼室蘭争議における運用を中心に 」『演劇研究 』 36( 2012), 81-91
以上、すぐにダウンロードできる鷲谷花さんの論文をリストアップしています。鷲谷花さんは、とても興味深い研究をなされています。- 2015.5.8(金)
デスクワークをしていると、図書館に本が届いたという報せがありました。またすぐに図書館へ。次の4冊を受け取りました。
視覚文化叢書 1 :ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修 , 佐藤守弘 , 岩城覚久訳、青弓社、2010
視覚文化叢書 2 :長谷正人『映画というテクノロジー経験』青弓社、2010
視覚文化叢書 3 :佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』青弓社、2011
視覚文化叢書 4:大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
どれもあとがきだけ読みました。3と4は博士論文です。バッチェンの書物は、写真論についての基本書です。そういう位置付けで翻訳されています。- 2015.5.11(月)
帰ると次の本が届いていました。
清水勲『漫画の歴史』岩波新書、1991
表紙裏に「漫画は、大量印刷が可能になって初めて民衆のものとなった。一八三〇年代にパリで創刊された風刺新聞『カリカチュール』と、同時期に江戸で大評判になった『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどう本書は、風刺画・戯画から劇画・コミックまで、豊富な図版で傑作を紹介し、巻末に詳しい人物略歴・年表を付す」とあります。
清水勲(しみず・いさお)さんは、1939年生まれ(現在76歳)の漫画研究家です。編集者として働いたあと、1984年より研究・著作に専念しているそうです。2万点の漫画を収集しているとのこと。いま漫画という言葉でイメージされるストーリー漫画ではなく、それ以前の漫画(一枚絵漫画、風刺画)が専門です。ジョルジュ・ビゴーやワーグマン等幕末から明治の日本で活躍した風刺画家について第一人者のようです。- 2015.5.12(火)
2限の会議が終了後、図書館に赴いて、ILL で届いている次の2点を受け取りました。
Sara J. Schechner, "Between Knowing and Doing: Mirrors and Their Imperfections in the Renaissance", Early science and medicine, 10(2)(2005): 137-162
Yvonne Yiu, "The Mirror and Painting in Early Renaissance Texts ", Early science and medicine, 10(2)(2005): 187-210
研究室に戻りお弁当。お弁当を食べ終わると、やはり図書館からILL で次の3点が届いたという連絡があったので、すぐにとりに行きました。
鷲谷 花 「廃墟からの建設--戦時期日本映画における《アメリカニズム》の屈折 」『映像学』79(2007): 5-22
鷲谷 花 「昭和期日本における幻灯の復興 : 戦後社会運動のメディアとしての発展を中心に 」『映像学』87(2011): 5-23
鷲谷 花 「「生活芸術」としての幻灯 : 東大川崎セツルメントによる幻灯創作活動を中心に」『映像学』90(2013): 5-26
すぐに3限の会議。こちらは研究科執行部の打ち合わせです。終わってから、本日唯一会議のない時間帯。鷲谷 花さんの3点の論文を読みました。どれも好論文です。個人的にはとくに「廃墟からの建設--戦時期日本映画における《アメリカニズム》の屈折 」は傑作論文だと思います。映像学の分野にどういう賞があるのかまったく知りませんが、評論賞のような賞に値する論文と思います。- 2015.5.13(水)
会議に関わらない時間で機関リポジトリ等ウェブで入手できる次の論文をダウンロードして読んでいました。どれも好論文です。しかもとてもおもしろい。
大久保遼「キノドラマとキネオラマ:旅順海戦と近代的知覚」『映像学』 80(2008): 5-24
大久保遼「明治期の幻燈会における知覚統御の技法:教育幻燈会と日清戦争幻燈会の空間と観客」『映像学』 83(2009): 5-22
大久保遼「眼の規律と感覚の統御:19世紀末の教授理論における「感覚」の位置」『社会学評論』 62(2011): 85-102- 2015.5.18(月)
そのまま図書館にでかけ、届いている本6冊を受け取りました。
2点は、京都大学出版会が出したテオフラストスの『植物誌』1&2.4点は、青弓社が出版した『写真空間』(1)〜(4)です。
『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』だけをカバンに入れ、帰途。全員帰っていました。
『写真空間』の書誌は次。
『写真空間〈1〉特集 「写真家」とは誰か』青弓社、2008
『写真空間〈2〉特集 写真の最前線』青弓社、2008
『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』青弓社、2009
『写真空間〈4〉特集:世界八大写真家論』青弓社、2010
- 2015.5.19(火)
研究室で読んだのは、甲斐義明「ジェフリー・バッチェンと「写真への欲望」――写真史はいかにして可能か」『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』所収、ならびにテオプラストス『植物誌1』の訳者小川洋子氏の解説です。テオプラストスの人と仕事の解説は勉強になりました。とくに『植物誌2』の解説には、現地を尋ねて、ギリシャ(地中海世界)の植生を目の当たりにする体験が書かれています。感動が伝わる文章になっています。昨日持ち帰った『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』ですが、写真論のよい教科書に仕上がっていると思います。目次は次です。
第1章:城丸美香「ヴァルター・ベンヤミン――写真のアクチュアリティを追求した知覚の学としての写真論」
第2章:三浦なつみ「ロラン・バルト――個と普遍の接合可能性」
第3章:内野博子「アンドレ・バザンからケンドール・ウォルトンへ――写真的リアリズムの系譜」
第4章:末廣 円「ヴィレム・フルッサー――「テクノコード」としての写真」
第5章:中川裕美「ジョン・シャーカフスキー――制作者としての写真理論とキュレーション」
第6章:生井英考「スーザン・ソンタグの修辞学――『写真論』の前と後」
第7章:平芳幸浩「ロザリンド・クラウス――指標としての写真」
第8章:前川 修「アラン・セクーラの写真論――写真を逆撫ですること」
第9章:甲斐義明「ジェフリー・バッチェンと「写真への欲望」――写真史はいかにして可能か」
他に連載として次の記事。
堀 潤之「映画にとって写真とは何か3」
長谷正人「ジオラマ化する世界3」
金子隆一「写真展評3」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌3」
清水 穣「逸脱写真論3」
犬伏雅一「視覚文化論の可能性を問う3」
→日本におけるジェフリー・バッチェンの第1人者は、8章を書いている前川修さんのようです。前川修さんの論文を7点ダウンロードしました。ベンヤミン、タルボット、ヴァナキュラー写真論を扱っています。→せっかくですので、その他の号の目次もとっておきます。
『写真空間〈1〉特集 「写真家」とは誰か』青弓社、2008の目次。
はじめに 青弓社編集部
序章 写真家はどこへ
多木浩二「写真家とは誰か」
第1章 歴史のなかの写真家
前川 修「アマチュア写真論のためのガイド」
佐藤守弘「観光する写真家」
第2章 越境する写真家
林 道郎「現代美術のなかの写真(家)」
菊地 暁「ニッポンの民俗写真、あるいは〈民俗学者〉としての写真家 」
第3章 写真家の現在
土屋誠一「デジタルイメージは写真か――写真の消滅とイメージへの責任」
楠本亜紀「ドキュメンタリー写真の地平、の一歩手前 」
第4章 消失する写真家
杉田 敦×竹内万里子「対談 「写真/写真家」から遠く離れて」
連載
金子隆一「写真展評1」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌1」
清水 穣「逸脱写真論1」
犬伏雅一「視覚文化論の可能性を問う1」
堀 潤之「映画にとって写真とは何か1」
長谷正人「ジオラマ化する世界1」
『写真空間〈2〉特集 写真の最前線』青弓社、2008の目次。
はじめに 青弓社編集部
第1章 写真とその背景の現在
光田由里「写真と展示の現在――二つのメディアの時間と場所」
増田 玲「美術館と写真の現在」
中村史子「アーカイブと写真の現在――二つのアーカイブから浮かび上がること」
第2章 写真とその表現の現在
小林美香「ニューヨークで見る、日本の写真の現在――Heavy Light:Recent Photography and Video from Japan」
戸田昌子「写真集の現在――写真集の物語を読む」
杉田 敦「このすばらしい視えない世界」
倉石信乃「彼女のワンピース――被爆資料と写真の現在」
第3章 写真とその技術の現在
普喜多千草「及するデジタル写真技術がもたらすものについて」
小池隆太「ケータイ写真の現在――遍在する「私的フレーム」」
前川 修「デジタルが指し示すもの――デジタル写真試論」
連載
長谷正人「ジオラマ化する世界2」
金子隆一「写真展評2」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌2」
清水 穣「逸脱写真論2」
犬伏雅一「視覚文化論の可能性を問う2」
堀 潤之「映画にとって写真とは何か2」
『写真空間〈4〉特集:世界八大写真家論』青弓社、2010の目次
はじめに 青弓社編集部
第1章:日高 優「写真の森に踏み迷う――ウィリアム・エグルストンの世界」
第2章:調 文明「ジェフ・ウォール――閾を駆るピクトグラファー」
第3章:清水 穣「コラージュとプレゼントネス――スティーヴン・ショアとマイケル・フリード」
第4章:鈴木恒平「グローバル化した「ドイツ写真」のデュアリズム――アンドレアス・グルスキー」
第5章:荻野厚志「森山大道にまつわるいくつかのクリシェ、あるいは回帰するポエジー」
第6章:林田 新「写真を見ることの涯に――中平卓馬論」
第7章:前川 修「写真という囮、写真史という囮――杉本博司の「写真」 」
第8章:鈴木理策 松田貴子 「「見ること」の問題――」
連載
堀 潤之「映画にとって写真とは何か4」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌4」- 2015.5.20(水)
写真史・写真論に関しては、前川修さんのサイトがとてもよくできています。
また、関係しそうだということで、A. Mark Smith, From Sight to Light: The Passage from Ancient to Modern Optics, Univ of Chicago Press, 2014 を発注しました。1ヶ月ぐらいでは届くようです。- 2015.5.21(木)
『写真空間』の論考を読む作業を続けています。犬伏雅一さんのものは全部読みました。視覚文化論というジャンルの形成史がおおよそ見えてきました。外語図書館に雑誌があることが判明したので、昼食後、図書館に行って、次の論文のコピーを取りました。
犬伏雅一「視覚文化研究の可能性:ロザリンド・クラウスと「アンフォルム」」『藝術:大阪芸術大学紀要』34(2011): 12-26
この雑誌を手にとるのははじめてです。カラー印刷のずいぶん立派な=お金のかけた紀要雑誌です。他に犬伏雅一の論考を2点 ILL で発注しました。来週中に届くでしょう。- 2015.5.22(金)
3時過ぎに図書館より昨日頼んだコピーが届いたという連絡がありました。月曜日の朝受け取ります。
犬伏雅一「写真装置のアルケオロジー」『映像学』53(1994): 37-53
犬伏雅一「写真による報道--事実性神話の成立と崩壊」『映像学』51(1993): 5-20
- 2015.5.23(土)
朝のうちに、木曜日にコピーをとった次の論文を読みました。
犬伏雅一「視覚文化研究の可能性:ロザリンド・クラウスと「アンフォルム」」『藝術:大阪芸術大学紀要』34(2011): 12-26
予想していたものとはかなり違っていました。ふと、犬伏雅一さんはおいくつなんだろうと思い、ネットで検索をかけてみました。1950年生まれとありますから、今年65歳です。文章から私よりもひとつ上の世代の方かな、と思ったら、その通りでした。私の8歳年上。私の大学だと、現学長と社会学者の中野先生が同じ学年です。
さて内容ですが、視覚文化研究の定義を提示されています。「視覚文化論とは、文化と関わる視覚的なすべてのものを、既存の学問領域設定を横断するかたちで、およそポスト構造主義的な理論装置を使って、批判的に解明する活動」(p.13)。1980年代末に本格的に登場してきた。クラウスはその主役の一人。雑誌『オクトーバー』の創刊(1976)がひとつの転機となっている。
視覚文化論(Visual Cultural Studies)の形成を見るには、「ニュー・アート・ヒストリー」の形成展開と「カルチュラル・スタディー」の形成展開を踏まえておく必要がある。お昼下がり、次の本が届きました。
A. Mark Smith, From Sight to Light: The Passage from Ancient to Modern Optics, Chicago: University of Chicago Press, 2014
全部で9章です。第1章が序、第2章が「科学としての光学の出現:ギリシャとグレコーローマ」、第3章が「プトレマイオスとギリシャ光学の興隆」、第4章が「グレコーローマと初期アラビアの展開」、第5章が「アルハーゼンと大統合」、第7章が「中世ラテンヨーロッパの展開」、第7章が「中世後期とルネサンスにおけるパースペクティヴィスト光学の同化」、第8章が「ケプラーによる転換と技術的背景」、第9章が「17世紀の反応」です。これだけもポイントの置き方はかなりわかります。一言でまとめてしまうと、ケプラーにおいて視覚(視線の幾何学)の理論から、光の理論(光学)へ変貌したという主張です。目新しくはありませんが、きちんとポイントをフォローしているということのようです。- 2015.5.25(月)
図書館へ行って次の論文を受け取りました。
犬伏雅一「写真装置のアルケオロジー」『映像学』53(1994): 37-53
犬伏雅一「写真による報道--事実性神話の成立と崩壊」『映像学』51(1993): 5-20
研究室に戻り、早速読みました。私にはちょっと不思議な論文でした。- 2015.5.29(金)
今年月曜日3限のゼミで扱っているのは、視覚文化論に関係します。昔使った、クレーリーの『観察者の系譜』はまだ見つけだすことができていませんが、研究室の諸所に視覚文化論関係の図書がありました。棚から引き出して、机の上に並べています。せっかく片づけているのに、デスクトップは元の木阿弥ですが、こればかりは必要な作業です。
そういえば、昔ゼミでジョン・バージャーとか基本文献を読んだよなと思い出して、そのときの記録がないかどうか調べてみました。2000年のゼミで扱っていました。
2000年度科学思想史演習文献表
外語が西ヶ原から朝日町に移転した年です。ですから、この文献表を配ったのは西ヶ原キャンパスです。このゼミで勉強して、ほんとうによい卒業論文を書いてくれた学生がいました。
そのとき使ったクレーリーは見つからないままですが、ふと私の背中側の本棚に視覚論をまとめてあることを思い出しました。一番下は、隠れています。前の荷物を退かし、懐中電灯を持ち出して、棚にある本をすべて確認しました。とりあえず今必要なものとしては次のようなものがあります。
ジョン・バージャー『イメージ:視覚とメディア』伊藤俊治訳、PARKO出版、1986、2060円
ジョン・バージャー『見るということ』笠原美智子訳、白水社、1993、2500円
ハル・フォスター編『視覚論』槫沼範久(くれぬま・のりひさ)訳、平凡社、2000
エルヴィン(アーウィン)・パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』木田元監訳、哲学書房、1993
このときは、ジャンルとしての「視覚文化論」に焦点があっていたわけではないので、ロザリント・クラウスの『オリジナリティと反復』(小西信之訳、リブロポート、1994)やクラウスほかの『アンフォルム―無形なものの事典』(月曜社、2011)(出版が2011年なので2000年の文献表にないのは当たり前!)は入っていません。
また、昨日から石岡良治『視覚文化「超」講義』(2014)を読み始めています。キッチュとか、ああ、そういうのも読んでいたなと思い出しました。→全部を精読したわけではありませんが、ある程度まで読みました。理論的整理を期待したのですが、そういう種類の書物ではありませんでした。関心が違うのは、致し方有りません。- 2015.6.3(水)
「視覚文化論」
「視覚文化論」に関してきちんとした見通しをもっておく必要があると気づいて、関連する論考を探し、読んでいます。夕食後読んだのは次の2点。
生井英考「視覚文化論の可能性」Rikkyo American Studies 28(March 2006): 7-24
門林岳史「ブックナビゲーション:視覚文化論の向こう側」(2006)
門林さんのものは、文献がきちんと挙げられていて、私には助かります。その半分ぐらいはすでに読んでいて、半分ぐらいは、そういうのもあるんだ、そういう繋がりもあるんだというものでした。
ですから、私も関心としては、片足をすでに「視覚文化論」においていたという表現が許されると思います。もう片足の置き方は、もちろん、ここで取りあげられている方々とは別の地点になります。
門林さんは、文化論的転回には、「それを根元的に支える説明原理を欠いている」と書かれています。その通りだと思います。
たぶん同じことを生井さんは、「視覚文化論はあくまで相乗りバスであり、それもこの10年は一種のバンドワゴンだった」と評されています。→Rikkyo American Studies 28(March 2006)は、視覚文化論を特集しています。(序が生井英考氏の「視覚文化論の射程と可能性―「文化」概念変容との関わり―、2回目が小林憲二氏の「アメリカの文化表現― Stowe 夫人とThomas Dixon―」、第3回目が榑沼範久氏の「<フラットベッド画面>論の再検討―文化生態学的な絵画システム論、そして画面および<人間>の歴史的・批判的存在論に向けて―」、第4回目が日高優氏の「Stephen Shore 『The Nature of Photographs』を手掛かりに、視覚文化論の可能性を考える」)ネットで他のものを探しました。まず、次の論文が見つかりました。
榑沼範久「美術史と「他の批評基準」」Rikkyo American Studies 28(March 2006)
榑沼範久さんは、見たことがあるなと思ったら、ハル・フォスターの翻訳者(『視覚論』平凡社、2000)でした。むしろそれよりも、私の大学の後輩でした。科学史・科学哲学の後輩でした。私とはたぶん入れ違いです。「美術史と「他の批評基準」」は、半分は東大本郷の美術史と美学のゆがんだ制度史(の思い出)です。半分は、スタインバーグの"Other Criteria" に関するものでした。これはとてもよくわかる問題関心でした。なるほど。私もスタインバーグを読んでみようと思います。
ということで、棚のなかからハル・フォスター編『視覚論』(榑沼範久訳、平凡社、2000)を救出しました。目次は次です。
ハル・フォスター「序文」
マー ティン・ジェイ「近代性における複数の「視の制度」」
ジョナサン・クレーリー「近代化する視覚」
ロザリンド・クラウス「見る衝動/見させるパルス」
ノーマン ・ブライソン「拡張された場における〈眼差し〉」
ジャクリン・ローズ「セクシュアリテ ィと視覚―いくつかの疑問」
クラウスとブライソンの間に全体討議1、最後に全体討議2 が付されています。
これは、ディア芸術財団が1987年にハル・フォスターをオルガナイザーにはじめたシンポジウムを書籍化したものです。具体的には、1988年「現代文化をめぐる議論」の第2巻として出版されています。Hal Foster (ed.), Vision and Visuality, Dia Art Foundation, 1988
→続きは明日にします。- 2015.6.4(木)
日が暮れてから、次の本が届きました。
石岡良治『「超」批評 視覚文化×マンガ』青土社、2015「視覚文化論」 昨日からの続き。
Rikkyo American Studies 28(March 2006)の4回目の講演者日高優氏の論文を探しました。
日高優「歴史を多様性に拓く : スティーヴン・ショア『写真の性質』を手掛かりに」『立教アメリカン・スタディーズ』 28(2006): 43-61
日高優「ストリートというトポス : ゲイリー・ウィノグランドの写真について」『アメリカ太平洋研究』 2(2002): 147-162
日高優「ロードの感覚, イメージの出来事:スティーヴン・ショアの写真について」『アメリカ研究』No. 37 (2003) : 117-136- 2015.6.5(金)
夕刻、次の本が届きました。
日向あき子『視覚文化―メディア論のために』紀伊国屋書店、カプセル叢書 、1978年
この時代にはまだ今の「視覚文化論」はありません。しかし、このタイトルなので、一体どういう内容だろうという関心から購入したものです。日向あき子さんは、美術評論家です。『ポップ文化論』という書物も出されていますから、今の「視覚文化論」に繋がる関心はあったと言えます。惑星ソラリス、竹村恵子、横尾忠則、三宅一生等を取りあげています。- 2015.6.7(日)
帰宅すると、次の本が届いていました。
高山 宏『表象の芸術工学 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ)』工作舎、2002
日本における視覚文化史の奇才は、高山宏氏です。翻訳の量ひとつとっても、常人にはおよびもつかないレベルに達しています。第1部が視覚表現の奇妙・絶妙です。まさに高山節です。- 2015.6.8(月)
図書館に行って、次のコピーをとりました。
平塚弘明「視覚文化論の展望」『(北海道大学)国際広報メディアジャーナル』2(2004): 147-164
雑誌を探すのにすこし苦労しました。
次にバーバラ・スタフォードの本を3冊借りました。研究室に戻り、とったばかりの論文を読みました。いかにも若い方の文章でした。
11時に生協の方が見えました。USB関係の納品。
昼食を食べ、一休みしてから授業。
3限の授業では、カメラ・オブスクーラをまず、院生といっしょに組み立てました。意外に明るい像が得られます。それから、マジックランタンを院生に組み立ててもらいました。
4限はふつうに発表。
4限終了後、再度図書館に行って、次の本を受け取りました。
ジョン・A.ウォーカー&サラ・チャップリン『ヴィジュアル・カルチャー入門』岸文和・井面信行・前川修・青山勝・佐藤守弘訳、晃洋書房、2001
ざっと見ただけですが、「視覚文化論」のよい教科書となっていると思われます。- 2015.6.9(火)
朝一番で次の本が届きました。代金を郵便屋さんに手渡す方式(代引き)です。つまり、版元から直接送ってもらいました。
『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3=ヴァナキュラー・イメージの人類学、メディア・デザイン研究所、2010
その本をカバンにつめて出かけました。それから図書館へ。ILL で届いたいた次の論文を受け取りました。
レオ・スタインバーグ「 他の価値基準(1)」『美術手帖』735(1997): 184-201
レオ・スタインバーグ「 他の価値基準(2)」『美術手帖』737(1997): 182-193
これは1月号から3月号の3号に分けて掲載されたレオの傑作批評です。(3)がないのは、(3)だけどうしても掲載ページを見つけることができなかったせいです。いずれ入手します。研究室に行って、すこし片づけものをしてから、レオ・スタインバーグの文章を読みました。すばらしい批評文です。批評論文を書くのであれば、こういうのを書いて欲しいという、そういう文章です。ひさしぶりにわくわくしながら読んでいました。
カバンにつめていった『ヴァナキュラー・イメージの人類学』から冒頭の対談(岡田温司×前川+聞き手:門林岳史「ヴァナキュラーという複数性の回路」だけ読みました。なるほど。「イメージ人類学」と「ヴァナキュラー文化論」の交錯のあり方を取りあげています。
- 2015.6.10(水)
図書館から、次の本が届いたという連絡があったので、すぐに受け取りに行きました。ついでに1冊返却。
Victor Burgin (ed.), Thinking Photography, Palgrave Macmillan, 1982
最初がベンヤミン、次がウンベルト・エーコ、そして、ヴィクター・バーギン自身が3本、その他という書物です。(ヴィクター・バーギンの序文並びに第3章「写真実践と芸術理論」に関しては、ウェブに前川修さんによる翻訳があります。)大学では、ヒロシ・タカヤマの神訳バーバラ・スタフォードを少しずつ読み進めています。「この10年公私ともによいことがなにもなかった」けれども、スタフォードの訳を完成できたことだけはよかった、というようなことを高山さんは書いています。スタフォードは授業で使ってみようと思っています。
- 2015.6.11(木)
我が家の椅子の後ろの棚から、大林信治(おおばやしんじ)・山中浩司編『視覚と近代:観察空間の形成と変容』(名古屋大学出版会、1999)を救出し、カバンに入れていました。まず、山中浩司「視覚技術の受容と拒絶:一七世紀〜一九世紀における顕微鏡と科学―」を読みました。よく書けた論文です。とくに医学との関わりに関しては、意味のある論点を提示し得ていると思います。(先行研究もしっかりとフォローしています。私の見るところ、もっともしっかりと関連文献を当たっています。)帰宅すると次の本が届いていました。
塚原東吾編著『科学機器の歴史 : 望遠鏡と顕微鏡』日本評論社、2015
目次は次です。
塚原東吾「序 章 科学機器の歴史――検討の方法について」(科学機器を取り上げる理由:概念を支えたモノ;人間の感覚の拡張と可視化、ガリレオの科学革命;科学史的な観点:二つの「I(アイ)」;科学の物質的な基盤;科学哲学者の分析;科学の移動・越境による新展開:各論文のポイント)
三浦伸夫「第1章 数学器具としての比例尺の成立と伝搬」
中島秀人「第2章 フックの科学的業績と実験機器の技術的起源」
塚原東吾「第3章 17~18世紀オランダ科学における望遠鏡・顕微鏡・科学機器 ――エージェントとしてのオランダ科学」
隠岐さや香「第4章 望遠鏡つき四分儀と子午線測量の歴史――地図作成からメートル法まで」
平岡隆二「第5章 望遠鏡伝来と長崎」
表題頁の裏に「三浦伸夫先生の神戸大学ご退職を記念して」とあります。
塚原氏の序章に、本書は神戸大学の旧科学史教室を中心に続けてきた科学史・科学技術社会論の研究会に由来し、科研費(「望遠鏡と顕微鏡:イタリア、オランダ、イギリスとアカデミー」)によるとあります。なるほど。
→実は私はこの著作に顕微鏡研究を期待していましたが、顕微鏡は、第2章の一部、第3章の一部だけで扱われているにすぎません。タイトルと内容にいくらかの齟齬があるわけです。まあ、この程度の齟齬は仕方がありません。
→科研費(「望遠鏡と顕微鏡:イタリア、オランダ、イギリスとアカデミー」)は、ネットで調べてみると、2012年から2015年の4年間のプロジェクトでした。つまり、まだ継続中で、今年終了ということです。本が出たので、てっきり、終了したのかと思っていました。- 2015.6.12(金)
[スタフォード on シェイピン&シェーファー]
昨日研究室の机の上に放置されていた『アートフル・サイエンス』をふと手に取り、著者解題に目を通しました。
スタフォードは次のように書きます。「視覚を抑圧しようとする手段が実験科学だったり、さまざまな図表化行為だったりしたのは皮肉である。ちょうど・・・、光学がかえって視とその対象にとっての邪魔者となった。ロバート・フックの『ミクログラフィア(微視図譜)』(や、その後塵を拝した十八世紀の一群の顕微鏡家たち)を見るとすぐわかることだが、人工のレンズを見ることに不可避的にそなわる主観性、病とも言うべき自閉性、誤りをおかしやすいことなどをはっきりさせてしまう一方、簡単にだまされてしまう裸眼を通して美しいと見えるにすぎない人工的制作物の本質的欠陥を暴いてしまったのである。
従って私としては、「その目で見た」ことをもって真理の証しと考えるたぐいの話を書く科学史家たちには首をかしげたくなる。もっと曖昧で、私見によればもっと微妙なニュアンスに富んだ知覚のエピステモロジーが必要だという証拠を出してくる(美術史研究、美学の研究を含む)イメージ化の諸様態の全体像に目を向けていれば、かのサイモン・シェイファー、ステーヴン・シェイピン共著の力作『リヴァイアサンと空気ポンプ』(1985)も一層説得力豊かな本になったはずなのだ。」(pp.368-9)
これは、スタフォードだからなしえる的を射た指摘です。たしかに科学史家はこういうふうに見ることが少ない。我々科学史家の多くが共有する盲点と言ってもよいかも知れません。[事典における顕微鏡史]
1.弘文堂の『科学史技術史事典』(1983)
顕微鏡の項目は、上野正さんが執筆されています。使われているレフェレンスは、田中新一『顕微鏡の歴史』九州文庫出版社、1979;黒柳準『光学発達史』誠文堂、1949;R. S. Clay and T. H. Court, History of Microscope, London, 1932;Royal Microscopical Society, Origin and Development of the Microscope, 1928;S. Bradbury, Evolution of the Microscope, 1967;G. L' E. Turner, Essays on the History of Microscope, 1980
ちょっとふるいですかね。2.『科学大博物館:装置・器具の歴史事典』(原著1998,邦訳 2005)
執筆者は、Gerald L' E. Turner(訳者は庄司高太氏)。レフェレンスは、ターナー本人のもの3点、Collecting Microscopes, London, 1981; Essays on the History of Microscope, Oxford, 1980 ; The Great Age of the Microscope: The Collection of the Royal Microscopical Society through 150 Years, Bristol, 1989
ちょうど弘文堂の事典のあとという感じです。3.『現代科学史大百科事典』(原著2003, 邦訳2014)
Jutta Schickore が執筆しています。レフェレンスは次(電子顕微鏡は除く)。Savile Bradbury, The Evolution of the Microscope, 1967 ; Gerald L' E. Turner, The Great Age of the Microscope, 1989 ; Marian Fournier, The Fabric of Life: Microscopy in the Seventeeth Century, 1996以上では挙げられていない顕微鏡の歴史。
ブライアン J.フォード『シングル・レンズ』伊藤智夫訳、法政大学出版局、1986
小林義雄『世界の顕微鏡の歴史』[小林義雄],1980
林春雄『写真で見る顕微鏡発達の史的展望』[林春雄], 1988
秋山実『マイクロスコープ : 浜野コレクションに見る顕微鏡の歩み』オーム社, 2012
田中祐理子『科学と表象:「病原菌」の歴史』名古屋大学出版会、2013
エンゲルハルト・ヴァイグル『近代の小道具たち』三島憲一訳、青土社、1990
サリー・モーガン『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ (人がつなげる科学の歴史) 』 徳永優子訳、文渓堂、2010
井上勤監修『顕微鏡のすべて』地人書館、1977次の書物は、部屋のなかにあります。
Catherine Wilson, The Invisible World: Early Modern Philosophy and The Invention of The Microscope, Princeton: Princeton University Press, 1995
Edward G. Ruestow, The Microscope in the Dutch republic: The Shaping of Discovery, Cambridge: Cambridge University Press, 1996
Marian Fournier, The Fabric of Life: Microscopy in the Seventeenth Century, Baltimore and London: Johns Hopkins University Press, 1996
この3冊は出版時期が重なっています。どれも、1995-96 です。私が目を通し得た範囲では、エンゲルハルト・ヴァイグル『近代の小道具たち』(三島憲一訳、青土社、1990)の第4章「顕微鏡による自然の秘密の発見」が初期の顕微鏡史に関して日本語で読める最もよい記述だと思っています。ヴァイグルがこの章を書くために使った2次文献ですが、注を見るだけでは、はっきりしません。Hans Blumenberg とドーマを挙げています。基本がブルメンベルクとドーマなのかどうかは調べてみる必要があるでしょう。Hans Blumenberg, Der Prozess der theoritischen Neugier, Frankfurt am Main, 1980. Maurice Daumas, Scientific Instruments of the Seventeeth and Eighteenth Centuries and their Makers, London, 1972
夕刻、次の本が届きました。
山中浩司
『医療技術と器具の社会史‐聴診器と顕微鏡をめぐる文化』
(阪大リーブル016)大阪大学出版会、2009
「 顕微鏡をめぐる文化 」は、 昨日記した、山中浩司「視覚技術の受容と拒絶:一七世紀〜一九世紀における顕微鏡と科学―」『視覚と近代:観察空間の形成と変容』(名古屋大学出版会、1999)pp. 101-145 の拡張版でした。すなわち、第6章「怪物のスープ―顕微鏡の社会的イメージ」と第7章「顕微鏡のように見なさい―実験室の医学」にふくらませています。コッホの前後はかなり加筆しています。
3章4章5章は聴診器に関する部分です。第3章「聴診器が使えない?―現代医療の落とし穴」、第4章「マホガニーの神託―聴診器と19世紀医学」、第5章「伝記松葉杖なんかいらない―聴診器と医療のシンボル」。
ちなみに、1章2章とエピローグは、器具の社会史に関する理論的見通しです。第1章「プロローグ―器具から見る社会」、第2章「「不可解な過去」―技術と社会の奇妙な関係」、第8章「エピローグ―器具のパラダイス・器具のパラダイム」。- 2015.6.14(日)
木曜日に届いた、塚原東吾編著『科学機器の歴史 : 望遠鏡と顕微鏡』(日本評論社、2015)から、装置の歴史全般に関わる部分と、顕微鏡の歴史に関する部分を読みました。- 2015.6.16(火)
[全般的な装置の歴史]
個別の装置・器具の歴史ではなく、全般的な装置・器具の歴史書を見る必要を感じています。雑誌の特集としては、このサイトで2014.12.2に、 ISIS (Focus: The History of Scientific Instruments) 102(2011)、OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993)を挙げています。そして、Instruments of Science: An Historical Encyclopedia(London, 1998)には恐らくそうした文献表があがっているに違いないと考え、その邦訳『科学大博物館-装置・器具の歴史事典』(2005)を部屋の中で探しました。はじめの部分でリストアップされています。
Bennett, The Divided Circle: A History of Instruments for Astronomy, Navigation and Surveying, Oxford, 1987
Maurice Daumas, Scientific Instruments of the Seventeenth and Eighteenth Centuries, trans. by Mary Holbrook, New York, 1972
Anthony Turner, Early Scientific Instruments, Europe 1400-1800, London, 1987
Gerald L'E. Turner, Nineteenth-Century Scientific Instruments, Berkeley, 1983
Albert Van Helden and Thomas L. Hankins eds., "Instruments." OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1994): 1-250ネットで調べものをして、次の文献に出会いました。
Julian Holland, "Historic Scientific Instruments and the Teaching of Science: A guide to resources," in Michael R. Matthew (ed.), History, Philosophy & New South Wales Science Teaching Second Annual Conference (Sydney: 1999): 121-29
8割方は文献案内です。こういう長さのものがちょうどよい。また、デュプレの博士論文もありました。
Sven Düpre, Galileo, The Telescope, and the Science of Optics in the Sixteenth Century, Universiteit Gent, 2002
最初の一文が「望遠鏡は発明されなかった。」わおー。すばらしい書きだしです。- 2015.6.18(木)
昼食後、ILL でお願いした本が届いたという連絡がありました。早速図書館に取りに行きました。
小林義雄『世界の顕微鏡の歴史』 [小林義雄], 1980
図書館に着くと、もう1冊も届いています。手続きを進めているので5分お待ち下さいということでした。雑誌コーナーをブラウジングして5分過ごしました。それからカウンターに向かい、次の本を受け取りました。
林春雄『写真で見る顕微鏡発達の史的展望』[林春雄], 1988
小林義雄さんの本は、前半が日本への顕微鏡の導入史、後半が西洋における顕微鏡発達史でした。林春雄さんの本は、顕微鏡の歴史的写真集でした。- 2015.6.20(土)
小林義雄『世界の顕微鏡の歴史』( [小林義雄], 1980)をパラパラ読んでいると、何点か新しくわかりました。
1.V. 顕微鏡雑記、p.189 . Edward Scarlett (1677-1743) 1720年頃の引札(trade card)に暗箱が掲載されています。つまり商品として売られていたということです。→今ならネットで見つかると思い、検索をかけるとすぐでした。 The Edward Scarlett Trade Card としてアンティークの眼鏡のサイトに出ています。なんと、これがおそらく、つる(テンプル、腕)のついた最初の眼鏡ということのようです。そうだとすれば、つる付きの眼鏡は18世紀初頭にできたということになります。
そこから出発して、The Magic Mirror of Life のサイトに辿り着きました。これもよくできたサイトです。
2.この書物は、1980 の出版年をもちます。ということは、1970年代に準備されています。p. 223 の文献リストを見ると、デカルト(1637)やフック(1665)の他に、ショットの光と陰の普遍魔術(1677)やマーティン(1742)が引用されています。1970年代の日本ではそうそう簡単に見ることのできる書物ではありません。もし入手されていたらえらいなと思っていたら、オクスフォードの王立顕微鏡協会を尋ねたときに、見せてもらっています。(p.207) 「要点や主な図版を撮影する。」すなわち、写真に撮っています。そして、「古顕微鏡の研究者で博物館の学芸官である G. L'E. Turner 」さんに会っています。
3.著者の小林義雄さんは、1907年生まれです。東大理学部植物学科を卒業後、1941年に満州国国立博物館薦任官に任官しています。1945年に満州国国立博物館が自然消滅すると、1947年に帰国し、東京科学博物館研究官に任官し、1971年に免官(たぶん定年退職)となっています。その後、小林菌類研究所を設立し、自身で所長を務めています。
→満州国国立博物館は、興味深い存在です。今どきであれば、研究があるだろうと調べてみると、21世紀に入ってから活発化しています。時間があるときに研究動向をまとめてみようと思います。- 2015.6.29(月)
帰宅すると次の本が届いていました。
Barbara Maria Stafford and Frances Terpak,
Devices of Wonder: From the World in a Box to Images on a Screen,
Getty Publications, 2001
本を見ると、どうも見覚えがあります。2003年9月25日に購入していました。本棚の場所もすぐに見つけました。まあ、こういうこともあります。- 2015.7.10(金)
Fokko Jan Diiksterhuis, Lenses and Waves: Christiaan Huygens and the Mathematical Science of Opticks in the Seventeenth Century, (ARCHIMEDES: New Studies in the History and Philosophy of Science and Technology), Dordrecht: Kluwer, 2004- 2015.7.14(火)
大学に着いてすぐに図書館に向かい、届いている本を受け取りました。今回は数が多くちいさな段ボール箱に入れて渡してくれました。結構な重さです。受け取ったのは次。
Anthony Turner, Early Scientific Instruments: Europe, 1400-1800, London, 1987
Albert Van Helden and Thomas L. Hankins (eds.), OSIRIS, Volume 9 (1994), Instruments,
バーバラ・スタフォード『実体への旅 : 1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』高山宏訳、 産業図書、2008
バーバラ・スタフォード『ボディ・クリティシズム : 啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』高山宏訳、 国書刊行会、2006- 2015.7.24(金)
次の論文のコピーを取りました。
レオ・スタインバーグ「他の批評基準(3)」(林卓行訳)『美術手帖』1997年3月号、pp.174-191- 2015.7.25(土)
朝一番で昨日とってきた次の文章を読みました。
レオ・スタインバーグ「他の批評基準(3)」(林卓行訳)『美術手帖』1997年3月号、pp.174-191
とてもしばらしい批評の営みです。- 2015.7.28(火)
ILL と TLL で本が届いていることを思い出し、カバンをもって図書館へ。次の2冊です。
ヘルムート・ゲルンシャイム, アリソン・ゲルンシャイム共著『世界の写真史』伊藤逸平訳、美術出版社, 1967
Hermut Gernsheim, The origins of photography, London: Thames and Hudson, 1982
最初のものは、背が壊れかけていました。丁寧に扱って下さいの指示が入っていました。2冊目は、巨大でした。見開きで A3 を越えています。つまり、普通のコピー機ではコピーもできない大きさです。- 2015.8.1(土)
再び、コッホに戻って。コッホの顕微鏡。有名なエピソード。
田舎医師としてドイツ各地を転々としていたコッホは、1872年、郡医官の試験を受け合格し、ヴォルシュタインに新設された郡医官職に就いた。開業医として名医の評判を得たコッホは、やっとすこし余裕のある生活ができるようになった。伝説では、その暇そうなコッホに、妻が、新しいツァイス製の顕微鏡をおくる。これがコッホの細菌研究に繋がったと言われる。
伝説の真偽のほどはともかく、コッホも(少年時代から絵画の才能を示していたパスツールと同じく)動植物の観察が好きで、見事な観察スケッチを残している。また、叔父エドゥアルトから写真術の手ほどきも受けていた。
コッホの顕微鏡写真、1877年の論文で公表される。(山中浩司『医療技術と器具の社会史』p.225) そのとき使った顕微鏡は、ザイベルト社のものであった。コッホは繰り返し繰り返しザイベルト社に手紙を書いて、最適なものを入手しようとしている。また、ツァイス社の物理学者アッベ(Ernst Abbe, 1840-1905)を尋ねて、まだ販売されていなかった油浸レンズを入手している。
そもそも19世紀初頭に顕微鏡技術のイノベーションがあった。最初の中心人物は、手術に消毒法を導入したリスターの父、J.J.リスター(Joseph Jackson Lister, 1786-1869)の研究にあった。18世紀末に色収差は取り除かれた。球面収差を取り除く研究は数多くあったが、リスターが、その理論的見通しを1830年出版の論文(On Some Properties in Achromatic Object-Glasses Applicable to the Improvement of the Microscope)で示した。これは光学顕微鏡の新しい時代が到来したことを告げていた。進歩は徐々にしかし着実に生じた。(ターナーの作成した進歩のグラフ。山中、p.230)
前に言ったようにコッホが炭疽菌の研究に着手した頃には、アッベの油浸レンズがちょうど使われはじめるところだった。
19世紀末、プロよりも顕微鏡と顕微鏡による研究の発展に貢献した自然誌愛好家たち=素人たちの時代は、終わり、プロフェッショナルな道具を用いるラボラトリーの専門研究家たちの時代へと変化した。(ターナーの評価、山中,p.232)山中さんの著作の第7章「顕微鏡のように見なさい―実験室の医学」は、表象文化史にとっても重要なポイントを指摘しています。
p.224 ダストンとガリソンの指摘:19世紀末から科学の世界で頻繁に使用されはじめた写真術は、「機械的な客観性」(写真は嘘をつかない)を産出し、在来の知識や技能への深刻な脅威となった。とくにX線写真は、臨床医がベッドサイドで慎重な診察で得る知識に対して、イデオロギー的な影響を及ぼした。
p.220 1881年コッホの報告書から
「一つの同じ対象についての理解が異なるのは、こうした対象が最初の観察者と二人目の観察者が見るのとでは異なって見えるということに由来するということについては誰も疑わないだろう。顕微鏡による観察では、二人の観察者が同時に同じ対象を見て理解し合うことはできず、問題の対象を順番に見るしかないということ、マイクロメーターをほんの少し動かすだけでも、バクテリアのような小さな対象は視界から完全に消えてしまったり、まったくことなった形や影をもったりするということを想起すべきである。それでも、見られた対象について理解し合うことは、その観察が同じ器具で、つまり同じ照明、同じレンズシステム、同じ倍率で行われた場合にはまだ可能ではある。しかし、顕微鏡のイメージが作り出される無数の条件が異なれば、たとえば、一方は狭い絞りで他方は広い絞りで、あるいは一方は弱い接眼レンズで他方は強い接眼レンズで、あるいは対象の異なった標本作製の仕方や染色の仕方で、また対象がさまざまに異なった屈折率の液体中に固定されて観察などすれば、ある顕微鏡観察者には、その対象が全く異なっているように見えるとか、もっと太いとか細いとか光っているといかそうでないとか、あるいはまた、まったく見いだせないとか、その存在に疑問を呈するというようなことが起きるのも全く不思議ではない。」
「こうした観察エラーに際して、示唆した多くの可能性のどれを示すべきだろうか。観察者が同じ対象から異なった結論に導かれたのは、プレパラート作成かあるいは顕微鏡の扱いによるものだろうか。こうしたことを決するためには何らかの別の補助手段がなければ決してうまくいかないだろう。互いに論争する研究者は自分の考えにとどまり、医学はどちらを信じてよいかわからない。科学にとって有害で、際限もなく生じているこうした顕微鏡研究の弊害に対しては、ただ一つの救済手段があるだけである。それは写真術である。顕微鏡による観察対象の写真映像は、場合によっては、対象そのものより重要なものである。」
「描画の場合は、決して、見られたものに忠実であることはない、見られたものよりも常にそれはきれいで、明確な輪郭をもっており、強い陰影を与えられる。顕微鏡研究の描画を公表したものは、自分が見たものの証明力についての批判などほとんど考慮することはない。というのは、描画は、意図せずして、著者の主観的観察の中で描かれているからである。」(p.223)
さすが、コッホ。核心を射抜いています。15.8.5 さて、顕微鏡写真そのものの歴史が気になります。調査を開始します。
山中さんは、Thomas Schlich のドイツ語の論文に依拠しています。
ネットで検索をかけると、このドイツ語論文はなかったのですが、別の著者の次の論文が見つかりました。
Olaf Breidbach, "Representation of the Microcosm - The Claim for Objectivity in the 19th Century Scientific Photography," Journal of the History of Biology, 35(2002): 221-250
これによれば、最初に出版された生物組織の顕微鏡写真は1845年ということです。しかし、それが直ちに広がったわけではなかった。1880年以前は、顕微鏡写真の利用は例外に止まる。状況を変えたのは、コッホであり、彼の顕微鏡写真の利用法が新しい道を開いた。ちなみに、小川眞里子さんによれば、ロンドン国際医学大会(1881)に、コッホは、自分が普段使っている器具一式と弟子を連れて参加し、ごく限定されたメンバー相手に、キングスカレッジで供覧実験を行っています。
その供覧実験でコッホは、微生物の顕微鏡写真をマジックランタンを使って公開すると同時に、固体培地をつかった細菌培養の方法を示した。
見学したのは、パスツール、リスター、バードン=サンダーソン、フランス人獣医シャボーなど。
顕微鏡写真とマジックランタンの組合せ! やられたな。- 2015.8.3(月)
[観察者の系譜、出現]
今行っている作業には、川喜田さんの『近代医学の史的基盤』が手元に欲しい。上はすぐにみつかりました。実は欲しいのは下です。積み重なっているのを掘り起こすのが面倒で、現時点では諦めました(研究室においている可能性もありますし)。しかし、私の背中で2列においてある本棚の後列からクレーリーの『観察者の系譜』を見つけだしました。春先には探し出すのを諦めて、新しいものを購入しています。こちらはもちろん初版で、出版社は金沢の十月社です。
→と書いたあと、ふと気になって、もともと置いてあった場所に手を入れてみました。ありました。前のものを動かさないと見えないようになっていましたが、最初置いてあった場所にそのままありました。手元にほしい日本語の医学史レフェレンスとしてはこれが一番です。- 2015.8.7(金)
昼下がり、次の本が届きました。
トーマス・D・ブロック『ローベルト・コッホ―医学の原野を切り拓いた忍耐と信念の人 』長木大三・添川正夫訳、シュプリンガー・フェアラーク東京、1991
原著は次です。Thomas D. Brock, Robert Koch, a life in medicine and bacteriology, New York and London, 1988
ブロックさんは、フィッシャー賞を受けた微生物学者です。生物学者-歴史家と言えます。大学にILLで頼んでいた『細菌学の歴史』が届いたという連絡がありましたが、これを受け取ることができるのは、お盆明けになります。
- 2015.8.17(月)
図書館によって、ILL で届いている次の2点を受け取りました。
William Bulloch『細菌学の歴史』天児和暢訳、医学書院、2005
(原著は、William Bulloch, The History of Bacteriology, Oxford, 1938、です。もとは、ロンドン大学ヒース・クラーク講演会での講義:1937年1月2月、ロンドン熱帯医学校、です。著者名ですが、訳者の方は、ウイリアム・ブッロクと表記されています。全体で292頁の訳書ですが、本文は144頁までで、あとは、文献表、初期細菌学者人名録、と索引です。)
Thomas Schlich, "Linking Cause and Disease in the Laboratory: Robert Koch's Method of Superimposing Visual and 'Functional' Representations of Bacteria, " History and philosophy of the life sciences, 22(1979), 43-58- 2015.8.24(月)
[科学と技術における視覚文化]
図書館で受け取ったのは次の本。
Klaus Hentschel. Visual Cultures in Science and Technology: A Comparative History, Oxford: Oxford University Press, 2014
この分野の百科事典的著作として今後必読文献になるだろうという書評をバックカバーに載せています。百科事典的著作であることは間違いなく、文献もよく押さえているようです。電車のなかで少しだけ読みました。意味のある情報がありました。
→15.8.25 巻末に3頁の短い文献推薦があります。2014年にWorldCat で"visual culture"を検索すると、12万5千点以上の文献がヒットする。私の著作『科学と技術における視覚文化』の巻末文献表では、実際に私が使った約2千点の文献をリストアップしている。それは86頁(pp.395-480)をカバーしている。特に初学者のためには、案内があった方がよいと考え、この推薦書リスト( Recommended pathway into the secondary Literature)を用意した、とあります。
これは、確かに有用です。
ヘントシェルが挙げる文献は、できるだけ揃えておきたいと思います。(半年から1年以内にできるといいなと思っています。)
Venessa Schwartz and Jeannene Przyblyski, eds., The Nineteenth Century Visual Culture Reader, London, 2004. 特に、1, 3, 13, 15, 18章。
Luc Pauwels, Visual Cultures of Science: Rethinking the Representational Practices in Knowledge Building and Science Communication, 2005
Horst Bredekamp, Birgit Schneider and Vera Dünkel, Das Technische Bild. Kompendium zu einer Stilgeschichte wissenschaftlicher Bilder, 2008
Eric Margolis and Luc Pauwels, eds, The Sage Handbook of Visual Research Method, 2011
Brian Ford, Images of Science, 1992
Harry Robins, The Scientific Image, 1992
The Album of Science
Martin Kemp, Visualizations. The Nature Book of Art and Science, Oxford: Oxford University Press, 2000
Ann Shelby Blum, Picturing Nature: American Nineteenth-Century Zoological Illustration, 1993特定の分野のとても有用なエッセイ・レビューとしては、次。
Sybilla Nikolow and Lars Bluma, "Science images between scientific fields and the public sphere. A historigraphic survey," in Bernd Hüppaut and Peter Weingart eds.,Science Images and Popular Images of Science, London: Routledge, 33-51
Cornelius Bork, "Bild der Wissenschaft. Neuere Sammelbände zum Thema Visualisierung und Öffentlichkeit," NTM, 17, no.3(2009): 317-27
Klaus Hentschel, "Bildpraxis in historischer Perspective," NTM,19, no.4(2010): 413-24自然誌の分野では、上の Blum, Picturing Nature(1993)、Lapage(1961)、Knight(1977)、Kusukawa(2012)、Blunt(1950)、Lack(2001)、Claus Nissen(1950, 1951/66, 1969/78)、Magee(2009)、Kärin Nickelsen(2000-2006)
医学。Kelves(1997)
分光学。Hentschel (2002a)
光学的顕微鏡検査法。Wilson(1997)、Schickore(2007)。
20世紀の顕微鏡。Rasmussen(1997)、Baird & Shew(2004)、Hennig(2005)、Graneck & Hon (2008)、Mody(2006)、Mody and Lynch(2010)。
ホログラフィー。Johnston(2005-2006)。
写真(とくに科学分野)。Darius(1984)、Gaede(ed. 1999)、Thomas (1997)、Keller, Faber and Gröning (2009)。写真史全般の基本としてSchaaf (1992)。基本書としては、次のような書物たち。
Martin J. S. Rudwick, "The emergence of a visual language for geology, 1760-1840," History of Science, 14(1976): 149-195
Svetlana Alpers, The Art of Describing: Dutch Art in the Seventeenth Century, Chicago: University of Chicago Press, 1983
Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in Scientific Practice. Cambridge, MA.: MIT Press, 1990
Sachiko Kusukawa , Ian MacLean (eds.), Transmitting Knowledge: Words, Images, And Instruments in Early Modern Europe, (Oxford-Warburg Studies) , 2006
Sachiko Kusukawa, Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany. Chicago: University of Chicago Press, 2012. xvii+331 pp. $45.00. ISBN 978-0-226-46529-6
Catelijne Coopmas, James Vertesi, Michael Lynch, and Steve Woolgar eds., Representation in Scientific Practice Revisited, Cambridge, Mass.; MIT Press, 2014.- 2015.8.25(火)
[Picturing Science, Producing Art]
夕食後、次の本が届きました。
Caroline A. Jones and Peter Galison (eds.), Picturing Science, Producing Art, New York, 1998
目次は次です。カルロ・ギンズブルクによる「包摂としてのスタイル、排除としてのスタイル」からはじまり、シービンガー、ハラウェイ、ダストン、パーク、ギャリソン、アルパース、ラトゥール、シェーファーと続き、ジョナサン・クレーリーによる「19世紀における注意と近代性」におわる、スター学者を集めた論集となっています。
Style as inclusion, style as exculsion by Carlo Ginzburg
The affective properties of styles : an inquiry into analytical process and the inscription of meaning in art history by Irene J. Winter
Styleby typeby standard : the production of technological resemblance by Amy Slaton
Miracles of bodily transformation, or, how St. Francis received the stigmata by Arnold Davidson
Lost knowledge, bodies of ignorance, and the poverty of taxonomy as illustrated by the curious fate of Flos pavonis, an abortifacient by Londa Schiebinger
The sex of the machine : mechanomorphic art, new women, and Francis Picabia's neurasthenic cure by Caroline A. Jones
Deanimations : maps and portraits of life itself by Donna Haraway
Vision and cognition by Krzysztof Pomian
Nature by design by Lorraine Daston
Impressed images : reproducing wonders by Katharine Park
Iconography between the history of art and the history of science : art, science, and the case of the urban bee by David Freedberg
Hieronymus Bosch's world picture by Joseph Leo Koerner
Judgement against objectivity by Peter Galison
Eclectic subjectivity and the impossibility of female beauty by Jan Goldstein Visualization and visibility by Joel Snyder
The studio, the laboratory, and the vexations of art by Svetlana Alpers
How to be iconophilic in art, science, and religion? by Bruno Latour
On astronomical drawing by Simon Schaffer
Attention and modernity in the nineteenth century by Jonathan Crary.
2015年秋駒場の授業
8月15日付の住田朋久氏のTwilog.org/sumidatomohisa/3 で私の授業と橋本さんの授業が引用されていました。橋本さんは授業で、ヘントシェルの『科学と技術における視覚文化』(2014)を順番に読むようです。テーマが私と重なりましたが、このテーマは、日本の科学史の世界が遅れている分野です。ちょうどよいので、両方をとってもらうように学生諸君には推薦します。私の方がすこし、古い時代、光学寄り、視覚文化論寄り、になるかと予想しています。さて、ヘントシェルですが、名前から言って明らかにドイツ人です。視覚文化論に関しては、スタフォード、ブレデカンプや、マックス・プランク研究所の研究者等、ドイツ語圏の人々が強いようです。
ヘントシェルは高エネルギー物理学の研究からはじめて、アインシュタインの編纂に関わったり、物理学史の仕事をし、その後、こういう方面の研究に着手したようです。最近は英語で出版していますが、トータルではドイツ語の出版が多い。
ヘントシェル『科学と技術における視覚文化』(2014)のpp.481-2 には、本のテーマに関係するウェブページの紹介も2頁にわたりリストアップされています。このテーマの本としては必要な配慮だと思います。- 2015.8.26(水)
お昼過ぎ、次の3冊が届きました。
Lorraine J.Daston (ed.),
Things that Talk: Object Lessons from Art and Science
New York: Zone Books, 2004
目次は次です。
Speechless by Lorraine Daston
Bosch's equipment by Joseph Leo Koerner
Freestanding column in eighteenth-century religious architecture by Antoine Picon
Staging an empire by M. Norton Wise and Elaine M. Wise
Science whose business is bursting by Simon Schaffer
Res Ipsa Loquitur by Joel Snyder
Glass flowers by Lorraine Daston
Image of self by Peter Galison
News, papers, scissors by Anke te Heesen
Talking pictures by Caroline A. Jones.Luc Pauwel (ed.),
Visual Cultures of Science: Rethinking Representational Practices in Knowledge Building And Science Communication (Interfaces: Studies in Visual Culture)
Hanover and London, 2006
目次は次。
Introduction: The Role of Visual Representation in the Production of Scientific Reality by Luc Pauwels
A Theoretical Framework for Assessing Visual Representational Practices in Knowledge Building and Science Communications by Luc Pauwels
The Production of Scientific Images: Vision and Re-Vision in the History, Philosophy, and Sociology of Science by Michael Lynch
Representing or Mediating: a History and Philosophy of X-ray Images in Medicine by ernike Pasveer
The Accursed Part of Scientific Iconography by Francesco Panese
Images of Science in the Classroom: Natural History Wall Charts between the Two Centuries by Massimiano Bucci
Representing Moving Cultures: Aesthetics, Multivocality and Reflexivity in Anthropological and Sociological Filmmaking by Luc Pauwels
Arguing with Images: Pauling's Theory of Antibody Formation by Albert Cambrosio, Daniel Jacobi, and Peter Keating
Discipline and Material Form of Images: An Analysis of Scientific Visibility by Michael Lynch
Edward Tufte and the Promise of a Visual Social Science by John Grady
Making Science Visible: Visual Literacy in Science Communication by Jean TrumboHorst Bredekamp, Birgit Schneider and Vera Dünkel (eds.),
Das Technische Bild. Kompendium zu einer Stilgeschichte wissenschaftlicher Bilder,
Akademie Verlag, 2008
目次。
Editorial: Das Technische Bild by Horst Bredekamp, Birgit Schneider and Vera Dünkel
Bildbefragungen. Technische Bilder und kunsthistorische Begriffe by Angela Fischel
Bilddiskurse. Kritische Überlegungen zur Frage, ob es eine allgemeine Bildtheorie des naturwissenschaftlichen Bildes geben kannby Gabriele Werner
Bildbeschreibungen. Eine Stilgeschichte technischer Bilder? Ein Interview mit Horst Bredekamp
Zellbilder. Eine Kunstgeschichte der Wissenschaft by Matthias Bruhn
Interaktion mit Bildern. Digitale Bildgeschichte am Beispiel grafischer Benutzeroberflächen by Margarete Pratschke
Bildtradition und Differenz. Visuelle Erkenntnisgewinnung in der Wissenschaft am Beispiel der Rastertunnelmikroskopie by Jochen Hennig
Bilderreihen der Technik. Das Projekt Technik im Bild um 1930 am Deutschen Museum by Heike Weber
Interpretation und Illusion. Probleme mit teleskopischen Bildern am Beispiel der Marskanäle by Reinhard Wendler
Röntgenblick und Schattenbild. Zur Spezifik der frühen Röntgenbilder und ihren Deutungen um 1900 by Vera Dünkel
Mikrofotografische Beweisführungen. Max Lautners Neubau der holländischen Kunstgeschichte auf dem Fundament der Fotografie by Franziska Brons
Zeichnen mit der Camera Lucida. Von instrumenteller Wahrhaftigkeit und riesenhaften Bleistiften by Stefan Ditzen
Programmierte Bilder. Notationssysteme der Weberei aus dem 17. und 18. Jahrhundert by Birgit Schneider
Frühneuzeitliche Bilder von Musikautomaten. Zu Athanasius Kirchers Trompe-l'oreille-Kontemplationen in den Quirinalsgärten von Rom by Angela Mayer-Deutsch
Zeichnung und Naturbeobachtung. Naturgeschichte um 1600 am Beispiel von Aldrovandis Bildern by Angela Fischel個人的にタイトルとしては、ドイツ語のものが一番ピンときます。「テクニカルターム」に対して「テクニカル図像」。我々科学史家の仕事として、 Technische Bildの読解があると思われます。
「事物が語る」は、一般に歴史家として、必要な仕事です。同時代のコンテキストでは、学問の多くの分野で「ものが語る」というアプローチはありえます。ヘントシェルの論文
ヘントシェルぐらい数多くの出版物があれば、ネットでゲットできるものもあるだろうと思い、検索してみました。次の4点をまずダウンロードしました。
Klaus Hentschel, "Bildpraxis in historischer Perspective: Neue Bücher zur wissenschaftlichen Bilderzeugung, -bearbeitug und -verwending," NTM: International Journal of History & Ethics of Natural Science, Technology and Medicine,19, (2011): 413-24
冒頭に2007から2011までに出版された7点の著作がリストアップされています。
Klaus Hentschel, "Photographic Mapping of the Solar Spectrum 1864-1900, Part 1," Journal for the History Astronomy , 30(1999): 93-119
Klaus Hentschel, "Photographic Mapping of the Solar Spectrum 1864-1900, Part 2," Journal for the History Astronomy , 30(1999): 201-224
Klaus Hentschel, "The Culture of Visual Representaions in Spectroscopic Education and Laboratory Instruction," Physics in Perspective, 1(1999): 282-327- 2015.8.27(木)
[Visual Culture Reader 視覚文化読本]
入手はまだですが、ヘントシェルがわざわざ章番号をあげて入門によいと推薦しているものは、どういうものか確認しようと思い、調べてみました。つまり、次の書物の目次を調べました。
Venessa Schwartz and Jeannene Przyblyski, eds., The Nineteenth Century Visual Culture Reader, London, 2004
これの目次は次です。
Visual culture's history: twenty-first-century interdisciplinarity and its nineteenth-century objects by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Complex culture by Margaret Cohen and Anne Higonnet.
Visual culture: a useful category of historical analysis? by Michael L. Wilson
Genealogies Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The painter of modern life (1863) by Charles Baudelaire.
Commodities and money (1867) by Karl Marx.
The dream-work (1900) by Sigmund Freud.
The metropolis and mental life (1903) by Georg Simmel.
The modern cult of monuments: its character and its origin (1928) by Alois Riegl.
Photography (1927) by Siegfried Kracauer.
The work of art in the age of mechanical reproduction (1936) by Walter Benjamin.
Technology and vision by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Panopticism by Michel Foucault.
Precursors of the photographic portrait by Gisèle Freund.
Techniques of the observer by Jonathan Crary.
Panoramic travel by Wolfgang Schivelbusch.
'Animated pictures': tales of the cinema's forgotten future, after 100 years of film by Tom Gunning.
Practices of display and the circulation of images by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The exhibitionary complex by Tony Bennett.
The Bourgeoisie, cultural appropriation, and the art museum in nineteenth -century France by Daniel J. Sherman.
On visual instruction by James R. Ryan.
A new era of shopping by Erika Rappaport.
Cities and the built environment by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The Ringstrasse, its critics, and the birth of urban modernism by Carl E. Schorske.
The view from Notre-Dame by T.J. Clark.
Word on the streets: ephemeral signage in antebellum New York by David Henkin.
Urban spectatorship by Judith Walkowitz.
Electricity and signs by David Nye.
Picture taking in paradise: Los Angeles and the creation of regional identity, 1880-1920 by Jennifer Watts.
Visualizing the past by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Between memory and history: Les lieux de mémoire by Pierre Nora.
The illustrated history book: history between word and image by Maurice Samuels.
Revolutionary sons, white fathers and Creole difference: Guillaume Guillon-Lethière's Oath of the ancestors (1822) by Darcy Grimaldo Grigsby.
Molding emancipation: John Quincy Adams Ward's The freedman and the meaning of the Civil War by Kirk Savage.
Staking a claim to history by Joy S. Kasson.
Imaging differences by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The imaginary Orient by Linda Nochlin.
Painting the traffic in women by S. Hollis Clayson.
From the exotic to the everyday: the ethnographic exhibition in Germany by Eric Ames.
Bohemia in doubt by Marcus Verhagen.
Inside and out: seeing the personal and the political by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Banners and banner-making by Lisa Tickner.
The portière and the personification of urban observation by Sharon Marcus.
"Baby's picture is always treasured": eugenics and the reproduction of whiteness in the family photograph by Shawn Michelle Smith.
Psychologie nouvelle by Debora L. Silverman.確かにこれはとても便利な読本です。このなかでヘントシェルが推薦しているのは次です。
Visual culture's history: twenty-first-century interdisciplinarity and its nineteenth-century objects by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Visual culture: a useful category of historical analysis? by Michael L. Wilson
Techniques of the observer by Jonathan Crary.
'Animated pictures': tales of the cinema's forgotten future, after 100 years of film by Tom Gunning.
On visual instruction by James R. Ryan.ちなみに、「19世紀の」がつかない視覚文化読本は、ウェブにあります。
Nicholas Mirzoeff (ed.), The Visual Culture Reader, London and New York: Routledge, 1998
第1部、視覚文化の系譜は、デカルトの『光学』(抜粋)からはじまります。第6部はポルノグラフィーです。その2番目が「縛られたペンギン:日本漫画の絵物語」です。一度でよいからこういうタイトルの文章を書いてみたい。この調査をしている最中、ヴァネッサ・シュヴァルツさんの視覚研究入門という2010年秋の授業シラバスに出会いました。私がやろうとしているのは科学技術における視覚研究入門ということになるでしょうか。日本で同じことをやるのはお互いにかなり根性が要りますが、根性があれば不可能ということはないでしょう。
1点、今回、私がやってみてもよいなと思ったアイディアをシュヴァルツさんはすでに実行されていました。こういう分野に取り組むと、まあ、そのうちに思いつくことではあります。具体的には、参加者各自1枚の図像・イメージを教室に持参し、どうしてこのイメージなのかを説明することです。一人5分から10分ぐらいがちょうどよいでしょう。(どのぐらいの持ち時間が適当かは、もちろん参加する人数によります。10人×10分でとかはちょうどよいでしょう。)これは、やろうかと思います。
そして、最終回は、各自10分の画像のプレゼン(ショートフィルムを作成する、パワポをつくる、他の種類のスライドショーをつくる、等々)とシュヴァルツさん宅での夕食会です。自宅での夕食会は無理ですが、これはこれでとてもわくわくする最終回でしょう。
成績評価の仕方も参考になります。評価基準を次のように書いています。
クラスへの参加の度合い(出席)と毎週のレスポンス:30%
7ページから10ページのペーパー(レポート):30%
最後の画像(動画)のプレゼン:40%
- 2015.8.29(土)
[コッホの時代の顕微鏡写真]
コッホの時代の写真術は、湿式コロジオンと呼ばれる方式を使っています。コッホが雑誌に掲載できる水準の顕微鏡写真を撮ろうととくに奮闘したのは、1876年から77年にかけてです。ゼラチン乾板は出現していましたが、コッホが使ったのは、その時代の写真術のスタンダード、湿式コロジオン法です。
(1827年、ダゲール、ダゲレオタイプ、
1839年、タルボット、カロタイプ、
1851年、スコット・アーチャー、湿式コロジオン法、
1871年、リチャード・マドックス、ゼラチン乾版(ガラス板に乳剤)
1888年、イーストマンコダック、紙製ロールフィルム
1889年、イーストマンコダック、セルロイドベースのロールフィルム)
湿式コロジオン法では、ガラス板にその場で感光剤を塗り、湿っている間に撮影し、乾く前に現像する必要があった。湿式コロジオン法とは、感光版を自分で用意する方式である。
ブロック『コッホ』pp.50-1 ゲルラッハの著作より、当時の顕微鏡写真の取り方。
「始める前に天候を調べる。高い気圧計の読みと快晴の日光の日だけが写真を撮るのに適している。日中早々にスタートし、新鮮な平板を作り万端の用意を整える。四ないし六枚のよい写真を撮るのに三時間以上かかることが多い。
戸外ではずっと多くの撮影時間がとれるから、窓を通した光で撮影するよいも顕微鏡の装置全体を戸外へ持ち出すのが一番よい。
暗版を出し入れするときに機械が動かないようにするために、しっかり固定してあるかどうか確かめる。高さ五五センチの四脚のテーブルを特別にあつらえた。全部のレンズをきれいにして完全に装着し、照明のミラーを顕微鏡の太陽光側に置いた。頭に黒い布を被り、焦点ガラスを覗いて光を調整し、標本にピントを合わせる。像にピントがあったら室内へ入って写真版を用意する。暗室内でピンセットを使って清浄なガラス版をとり、その表面に沃化コロジオン液を流し、フィルムを均一に全面に広げる。コロジオンフィルムの用意ができたら暗室のドアを閉じ、プレートを用心深く銀溶液の中へ漬ける。それがすんだらプレートの液をきり、カセットの中へ収める。カセットを閉じて戸外の顕微鏡写真機のところへ戻る。黒布を取り除き適切な像によくピントが合っていることを確認する。次にカセットを注意深く器械の上に載せ、徐々にダークスライドをカセットから動かすが、他のものは動かないように気を付ける。露出のあとスライドをカセット内に戻し入れてから、カセットを顕微鏡よりはずし、もう一度顕微鏡を黒布で覆う。この全操作は速やかに行わなければならない。閉じたカセットを持って暗室へ急いで行き、暗室のドアをきっちり閉め、ガラス版をカセットから取り出して現像し、ネガを定着する。もしも写真像が十二分にシャープでないとき、あるいはエマルジョンが不完全であったときは、全過程をやり直すことが必要になる。というわけは、不満足なネガからプリントを作ることほど、写真技術においてつまらないことはないからである。」
照明法、感光版の準備がポイントであることがわかります。顕微鏡写真機については、Normand Overney and Gregor Overney, The History of Photomicrography, 3rd edition, March 2011 というウェブですぐに得られるpdf がよくできています。グスタフ・フリッチュの製造した水平式顕微鏡写真機(photomicrographic horizontal camera)と同じ形式のものをコッホは使っていた。1920年代まではこうした水平式のセットが高倍率の撮影には好まれていた。
つまり、顕微鏡写真を撮るための装置は販売されていたが、撮影にあたっては、感光板を自分で用意しなければならなかったということです。感光剤の用意、露光、定着というポイントの作業を自分で行わないといけない時代でした。もちろん、標本の準備はもっとも重要なポイントでした。(ブロック『コッホ』,p.46) ローベルト・コッホの主な業績のひとつは、特に病的組織の中にある細菌の検査に光学顕微鏡を上手に適用したことである。油浸レンズとアッベの集光器とを活用した最初の人がコッホであり、細菌の顕微鏡写真を出版したのも彼が最初である。鏡検のための細菌染色に関する彼の研究は、この重要な課題の基礎となっている。こうした素晴らしい成果は、コッホが自腹を切って購入した機器装置によって達成されたのである。
(ブロック『コッホ』,p.53) 1877年の論文にコッホは、細菌の標本を作り、染色し、観察して写真に撮る詳細な方法を細かく記述した。他のものが容易に再現できるように考えてのことである。
「驚いたことに、細菌は、滴虫類、単毛類、藻などと異なり、乾燥しても崩壊したり変形したりすることがなく、その形態を保持し、その長さや幅にも変化をきたらさずに菌体の外周粘膜層によってガラス面にしっかりと固定することができるのである。」(コッホ「細菌の検査、保存、写真撮影の操作」植物生物学補遺、2(1877):399-434)
(ブロック『コッホ』,p.52) コッホは顕微鏡写真術を仕上げるために1876年の後半と1877年の初頭を費やした。
(ブロック『コッホ』,p.55) 満足できる細菌写真が撮れたとしても、まだ印刷が追いついていなかったので、「一枚一枚焼付をして雑誌へ手で貼りつけなければならなかった。」現在の水準からいってもまったく遜色がない出来映えであった。細菌に種があるかどうか?(ブロック『コッホ』,p.62)
コーンとコッホは、細菌にははっきりと種があると考えた。
スイスの植物学者のカール・フォン・ネゲリ(1817-1891)はその考えに強く反対した。「最近、コーンは多数の種と属とに分けた細菌の命名系統を作りあげた。コーンの系統のなかで下等のかび類の各機能は、個別の種を区別するのに引用される。医学研究者の間においてすら広く支持される構想を彼は主張している。しかし、形態学的な、あるいはその他の特徴が種を区別するのに利用されるとする実際の基盤は、私には謎である。10年以上にわたり私は数千の分裂菌を調べたけれども、サルチナを除いてただ二つの種すらも区別することができなかったのである。」炭疽菌 Bacillus anthracis
結核 tuberculosis
Robert Koch, "Verfahren zur Untersuchung, zum Conservieren und Photographieren der Bacterien," Cohns Beiträge zur Biologie der Pflanzen, Bd. II, Heft 3. (1877) pp. 399ff. < I>Gesammelte Werke von Robert Koch (Band 1), pp.27-50
コッホの全集は、 Robert Koch, Gesammelte Werkeからダウンロードすることができます。- 2015.8.30(日)
[「湿板」写真]
朝郵便受けから新聞を取り出すと、昨日の夕刊もありました。つまり昨日夕刊を取り出すのを忘れていたわけです。こういうことはたまにあります。
今の私の関心にぴったりの記事が1面にあります。「写真、あえてフィルム」という記事で、インスタントカメラ「チェキ」が大きく取りあげられていますが、最後に今の今「湿板」写真に取り組んでいる和田高弘さん(東京・谷中「湿板写真館」店主)の記事が2段あります。
ウェブで今の今、湿式コロジオン法(湿板写真)に取り組んでいる人がいないかどうか調べてみました。vimeo.com の映像に、John Coffer- "The tintype Recaptured" というのがありました。ここまでやるか、という昔の生活をしながら、昔の方式の写真を撮っています。最後、化学溶液を板にかけると像が浮かび上がるところは、今見ても感動します。日本でも、湿式コロジオン法(湿板写真)やその前のダゲレオタイプに取り組んでいるアーティストがいるようです。気持ちはよくわかります。あまりに手軽なデジカメ、スマホ映像の氾濫のなかで、もっと手応えのある、物質に刻印された質感をもとめる気持ちはよくわかります。(簡単にできるのであれば、私もやりたいと思います。)
和光大学の新井卓さんは「写真表現研究」という授業で湿式コロジオン法を学生に教えています。さすが、和光です。新井さんのシラバスによれば、「近年、欧米を中心に再び取り組む写真家が少しずつ」出現しているそうです。なるほど。
「湿板写真館」についての情報もありました。やはり写真家の澤村徹さんという方が、和田高弘さんの「湿板写真館」を取材した記事がありました。谷中の「湿板写真館」は今年の2月にオープンしたばかりでした。6秒の露光時間で湿式コロジオンのガラス写真を撮ってくれるということです。キャビネサイズ1枚1万5千円、八つ切りサイズ1枚2万5千円ということです。個人的には人気がでるのではないかと予想します。
ガラス版に映るのはネガなので、黒い布の上においてポジ像を見るということです。アンブロタイプというポジ反転写真ということになります。
この形だと、ダゲレオタイプと同じ質感をもつ写真、1点限りの写真ができあがります。- 2015.8.31(月)
ILL で届いていた次の2点の論文を受け取りました。
E.F.J.Ring, "The historical development of temperature measurement in medicine," Infrared Physics & Technology, 49(2007): 297-301
E.F.J.Ring, "The historical development of thermometry and thermal imaging in medicine," Journal of Medical Engineering & Technology, 30(2006): 192-198
帰り道、研究所によって、スキャン。再度自分の研究室で片づけ。気になっていた用語 「ハーフトーン」を調べました。日本語では網点に当たります。 Halftone が 網点だとはちょっと意外でした。ちなみにハーフトーンという言葉そのものは、1881年、F. E. アイブスがはじめて使ったものということです。実際、印刷で「ハーフトーン」を使って写真を入れるようになったのもやっとこの頃からです。
私の授業資料によれば、この技術を用いて、写真を初めて印刷に使ったのがニューヨークの『デイリー・グラフィック』誌(1880年3月4日)。新聞に掲載された最初は、1897年の『ザ・ニューヨーク・トリビューン』。フォト・ジャーナリズムが花開くのは、1930年代のドイツ。電車のなかで半分、研究室で半分、次の論文をプリントアウトして読み通しました。
坂本信太郎「技術と市場: George Eastmanとアマチュア写真市場 Reese V. Jenkinsの論文から」『(早稲田大学産業経営研究所)産業経営』1(1975): 57-81
副題にある論文は次です。早速、ILL で発注しました。
Reese V. Jenkins,"Technology and the Market: George Eastman and the Origins Mass Amateur Photography," Technology and culture, 16(1975): 1-19
George Eastman, 1854-1932
Thomas Alva Edison, 1847-1931
イーストマンは、エジソンより7歳年下です。エジソンと同類のヤンキー・インベンターと分類してよいでしょう。- 2015.9.1(火)
駒場の授業のサイトを作りました。
駒場2015
- 2015.9.2(水)
ILL で届いている次の本を受け取りました。
Eric Margolis and Luc Pauwels (eds.), The SAGE handbook of visual research methods, SAGE, 2011
一体、どういう内容の本だろうと思っていましたが、社会学と文化人類学を中心に、人文社会系の学問における図像使用の方法について、多様な学問分野の人が多様な方法について考察したものでした。今回の私の関心からすれば、外堀ですが、これはこれで必要な仕事です。
図書館から次の論文が届いたという連絡があったので、すぐに受け取りに行きました。
Reese V. Jenkins,"Technology and the Market: George Eastman and the Origins Mass Amateur Photography," Technology and culture, 16(1975): 1-19
古典的な論文となっているようです。- 2015.9.3(木)
8月27日に紹介した、ヴァネッサ・シュヴァルツさんの授業ですが、表象文化論の授業でも応用できることに気づきました。(参加者各自1枚の図像・イメージを教室に持参し、どうしてこのイメージなのかを説明すること)。アクティブラーニングにも利用できます。10月から早速利用しようと思います。- 2015.9.9(水)
帰り着くと、次の本が届いていました。
Ralf Adelmann, Andreas Fahr, Ines Katenhusen, Nic Leonhardt, Dimitri Liebsch and Stefanie Schneider (eds.),
Visual Culture Revisited: German and American Perspectives on Visual Culture(s)
Cologne: Herbert von Halem Verlag, 2007- 2015.9.12(土)
帰宅すると次の本が届いていました。
Martin Kemp, Visualizations: The nature Book of Art and Science, Oxford, 2000
- 2015.12.12(土)
ふと、思うところがあって、かなりの数の論文をダウンロードし、次の2点をプリントアウトして読みました。近森高明「<書評論文>モダニティと大衆化:世紀転換期のメディア・装置・施設」『京都社会学年報』5(1997): 231-237
Leo Charney and Vanessa R. Schwartz (eds.), Cinema and the Invention of Modern Life, University of California Press, 1995 の書評論考です。1章(トム・ガニングによる司法写真をめぐる論考)、5章(エリカ・ラパポートによるロンドンウェストサイドのデパートの研究)、11章(ヴァネッサ・シュワーツによる娯楽的な視覚装置の研究)に焦点をあわせて、まとまったストーリーを展開しています。よくわかる、好論考です。→ちなみに、ヴァネッサ・シュワーツさん(ドイツ語読みすれば、シュヴァルツさん)の行った授業について、8月27日に触れています。駒場の授業で一部採用しました。駒場の授業は今年から105分になっています。ずっと90分だったのを、4学期制採用にあわせて、15分延長したものです。13回、実際に105分授業を行ってみての感想ですが、私はとくに問題は感じませんでした。15分分をヴァネッサ・シュワーツさんから借用した学生各自の画像提示に当てたのが功を奏したと思います。視覚文化論の授業では、ヴァネッサさんの工夫は模倣の価値があると思います。佐近田展康「メディア技術の亡霊たち」『名古屋学芸大学メディア造形学部研究紀要』第2巻(2009): 33-42
これは、とてもよくできた論文です。今年私は視覚論関係の論文を多数読みましたが、邦語のなかではこれが最優秀賞に値します。ちょっとびっくりしました。著者の方はまったく知らない方ですが、力量のある方です。
→「現代社会において亡霊は現に機能している。」(p.33)
「我々の時代がテクノロジーに取り憑かれているという問題意識」(p.33)
「ある時期から、写真の登場以降に切り開かれたいわゆる「近代メディア技術」とともに、霊的なものの居所が変わったことに気づく。伝統的に宗教の分野に属していた霊、悪魔、幽霊、亡霊、怨霊などが、科学的合理主義の席巻のなかで、宗教的なものの衰退とともに住処を失い、近代メディア技術へと移住して来たかに見える。」(ibid.)
「写真や録音などのメディア技術について小史をたどり、現象学や精神分析の視点を含めた現代思想家のディスクールを、この技術と亡霊の観点から再検討するならば、「手に負えない《機械》の亡霊化作用」という問題が浮上してくる。」(p.34)
medium:霊媒
specter: 亡霊
spectrum: 幻像
spectacle: 見世物
phantom: 幽霊
「近代メディア技術登場の前夜に人びとの目を魅了していたのは、マジック・ランタン、ファンタスマゴリ、パノラマ館、ジオラマ館といった見世物(スペクタクル)だったし、そこでの格好の題材は他ならぬ「亡霊」だった。またソーマトロープ、フェナキスティコープ、ゾートロープといった視覚トリックを競う玩具は「ないはずのものが見える」「止まったものが動いて見える」といったある意味で亡霊的な目の快楽を与えながら、映画前史を形成していく。」(p.34)
佐近田展康氏の論文の核心となる論点のひとつは、「カクテル・パーティ効果」です。大人数のがやがやしたカクテル・パーティにおいても、人間の耳は、かなり離れた場所にいる人の会話を聞き取ることができる。しかし、それを録音して聞いても同じ効果は得られない。つまり、人間の耳は、無意識に「注意が向かう志向対象以外の音を」「ノイズとしてカット」しているということになります。
それに対して、写真では、アマチュアのスナップ写真であっても、フレームの「切り取り」がなされている。「カメラという機械のなかには、主体の選択的注意のベクトル、意識のフィルター機能、すなわち「意識の志向作用」の一部」(p.39)がはじめから組み込まれている。
しかし、そこには、必ず「偶然写り込んでしまう」ものがある。バルトは、これを、プンクトゥム punctum と呼び、写真を見るものを「突き刺す」と言った。
ベンヤミンはこれを「焦げ穴」と呼び、「人間によって意識を織り込まれた空間の代わりに、無意識が織り込まれた空間」がその穴から現出すると言った。
バルトのプンクトゥム、ベンヤミンの焦げ穴とは、「ラカン流に言えば、この《現実界》のかけらと遭遇する象徴秩序の小さな針穴であり、一枚の写真が突如として崇高な輝きを発したり、おぞましく不気味な霊気を発するトリガーなのである。」(p.36)
そして、もうひとつのポイントは、声の現前性と声の禁忌です。パロールのメディアである声は、「主体に対する絶対的な近さ、無媒介性、意識との一体性でもって、いまーここにある《現前 presence》を構成する。人間は「自分が語るのを聞く」存在であり、内言の声は意識と同義である。」(p.39)
「声の禁止は、他者の声、死者の声はもとより、「自己の声」において最も強く働くことがわかる。」(p.39) 「これは「手に負えない《機械》の亡霊化作用」が《現前》に及ぶことへの最高度の警戒であり、禁止なのだ。」(p.40)
→もう明白でしょう。亡霊とは、意識の志向作用からはみだした/除外されたものが点や焦げ穴から襲ってくるものです。無意識を認める以上、亡霊も認めなければならない。→佐近田展康さんはどういう方だろうと思い、ネットで調べてみました。神戸大学で社会学を学んだあと、コンピュータ音楽の実作者として活動されています。赤松正行とのユニット「ノイマンピアノ」や三輪眞弘とのユニット「フォルマント兄弟」でも活動している。研究論文としては他に「メディア論的視覚とメディア・アートの射程」がある。MAX(プログラミング音楽制作環境)の教科書も書かれています。
- 2015.12.13(日)
お昼前に次の雑誌が届きました。
『西洋美術研究』No. 18(2014) 特集:スペクタル
目次は次です。
秋山聰+木下直之+芳賀京子+古谷嘉章+京谷啓徳[座談会]「スペクタクルをめぐって」
フィリーネ・ヘラス+ゲアハルト・ヴォルフ(秋山聰監訳、太田泉フロランス訳) 「1462年ローマにおける聖母被昇天の祝祭行列:2つのイコンが出会う夜」
奈良澤由美「エウカリスティアの祭儀の典礼空間における聖性の強調と信徒の参加:フランスの事例を中心に」
京谷啓徳「新教皇のスペクタクル:ポッセッソの行列をめぐって」
森田優子「ヴェネツィアの祝祭と都市イメージ」
尾関幸「パノラマ:19世紀的多幸症の装置」
尾崎彰宏「レンブラントのスペクタクル:「受難」連作にみる「情念」の絵画化の射程」
小野尚子「《同胞のスラヴ》 総合芸術家としてのアルフォンス・ムハ」
石井祐子「シュルレアリスムとスペクタクル:シュルレアリスム国際展(ロンドン)の「幽霊」をめぐるノート」
石井祐子編「文献リストと解題」
- 2015.12.14(月)
[『アンチ・スペクタル』]
次の本を借り出しました。
長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタル:沸騰する映像文化のアルケオロジー』東京大学出版会、2003
目次は次です。
長谷正人「序論 「想起」としての映像文化史」
ダイ・ヴォーン「第1章 光(リュミエール)あれ――リュミエール映画と自主性」
メアリー・アン・ドーン「第2章 フロイト,マレー,そして映画――時間性,保存,読解可能性」
トム・ガニング「第3章 個人の身体を追跡する――写真,探偵,そして初期映画」
ジョナサン・クレイリー「第4章 解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」
トム・ガニング「第5章 幽霊のイメージと近代的顕現現象――心霊写真,マジック劇場,トリック映画,そして写真における不気味なもの」
ヴァネッサ・シュワルツ「第6章 世紀末パリにおける大衆のリアリティ嗜好――モルグ,蝋人形館,パノラマ」
ベン・シンガー「第7章 モダニティ,ハイパー刺激,そして大衆的センセーショナリズムの誕生」
トム・ガニング「第8章 アトラクションの映画」
英語の本の翻訳かと思ったら、編者が選んだ論文を訳出していました。つまり、元の論文は英語ですが、この構成は日本語のオリジナルです。一番多いのは土曜日に紹介した、Leo Charney and Vanessa R. Schwartz (eds.), Cinema and the Invention of Modern Life, University of California Press, 1995 です。第3章、第4章、第6章、第7章がこの本から選ばれています。他はばらばらです。
最初、この本を手にとったとき、上の『映画と近代生活の発明』の翻訳かと思いました。翻訳にしては、タイトルがあまりに違う。序を読み通すと、第1章の始まる直前に、元論文のリストがありました。近森高明さんが<書評論文>で取りあげている論文がすべて採録されていますから、こういうふうに思っても当然です。視覚文化論/視覚文化史に関する基本論文を訳出したよい出版物だと思います。ただし、タイトルは、力みすぎだと思われます。視覚文化論/視覚文化史に関心があるものであれば、必ず読むべき本に仕上がっていますが、そのことがこのタイトルでは伝わりません。3限4限の授業。3限の院生は、数日前、A型インフルエンザから回復したということでした。受験生の妹からうつったと言っていました。逆だったらたいへんだった、とぽつりと。そのとおりです。
4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。帰りの電車で空腹を感じました。
- 2015.12.16(水)
歯医者さんの前、今持ち歩いている『アンチ・スペクタクル』から、第4章、ジョナサン・クレイリー「解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」を読みました。さすが、クレイリー、素晴らしい論文です。マネの『温室にて』(1879)の解釈も素晴らしいですし、なによりも、「注意」概念の出現を切り出してみせる手つきがよい。視野を切り開いてくれる論文です。いろんなことを考えました。学問の世界における転(起承転結の転)の論文です。
帰宅すると次の本が届いてました。
Jason E. Hill and Vanessa A. Schwartz (eds.),
Getting the Picture: The Visual Culture of the News
Bloomsbury, 2015
多くの執筆者による1点数ページの記事が最初は年代順、その後はテーマ毎に編まれています。ちょっと想像したのとは違う体裁でした。→しかし、この書物は多くの分野の人にとってとても重要な書物になっていると思われます。第1部は「ビッグ・ピクチャー」と称し、年代順に並べられた26節からなります。第2部は、「報道写真史を再考する」と題され、イ)報道写真と出版ジャンル、ロ)報道写真メディア、ハ)報道写真時代、ニ)報道写真について語ること、ホ)報道写真の鑑識眼に分けられ、各パートに数点の記事が集められています。- 2015.12.21(月)
図書館によって、次の論文を受け取りました。
大原 まゆみ「パノラマ,ディオラマ,動くパノラマ : 十九世紀の視覚情報娯楽産業群」『実践女子大学美學美術史學』11(1996): 43-67
これは、基本をしっかりとまとめた好論考です。
→パノラマは、18世紀末の新造語。「専用の円筒型建物(ロトンダ)の内壁に連続して巡らされた巨大な絵画により、水平方向360度の全方位から観客を包み込む」(p.44)。もっともよく描かれたのは、「有名都市や名高い景勝地の景観」(p.49)。実際に使われた新技術として、パノラマグラフやカメラ・ルシダのような、下絵をキャンバスに正確に拡大して写し取るための光学装置があった。
「ディオラマは、パノラマに三十五年遅れて登場した視覚メディウムを指し新造語で、・・・、透過による眺めを語源としている。・・・背後の光源が絵を透過してもたらす効果を巧みに用いて、同じ場所の眺めが時間や天候によって変化するさまを見せる絵画」(p.55)であった。この語も、本来の流行が衰えてからは意味するところが変わり、「科学、歴史、民俗博物館などで展示用に用いられる照明付き模型(ジオラマ)」を指すようになっている。(注15. 伊藤俊治氏の『ジオラマ論』は、本来のディオラマにはまったく関心を示していない。)
森さんは、ドイツ語の文献をつかっています。中心としては、Sehsucht: Das Panorama als Massenunterhaltung des 19.Jahrhunderts, Frankfurt am Main/ Basel, 1993.
「動くパノラマ」は、パノラマという語を使っているが、原理的にかなり異なる。「巻物形式の長い絵を二つのシリンダーの間に渡し、順次巻き取ることにより、静止している観客に空間と時間両方の変化、つまり運動(移動)のイリュージョンを与えるものであった。」(p.59)
「注10.ホットニュースを見世物にするには、小型のパノラマないし覗き絵が便利だった。19世紀末から20世紀初頭には「カタストロフ画家」がこの方面で活躍し、難破、火災、暴動、事故、災害、処刑など、に対応して数日後に展示できる態勢を整えていた。」(p.65)- 2015.12.22(火)
図書館に向かい、次の本を借り出しました。
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、みすず書房、2013
増田展大さんの論文の注で知った著作です。- 2015.12.23(水)
次の論文をダウンロードして読みました。
中路武士「映画の痕跡学―初期映画、表象技術、記憶保存―」『(早稲田大学)演劇研究センター紀要』VIII(2007): 251-269
飯田隆「分析哲学としての哲学/哲学としての分析哲学」『現代思想』32巻8号(2004): 48-57
前川修「メディア(論)の憑依―ポスト・メディウム状況における写真―」『(神戸大学)美学芸術学論集』第7号(2011): 3-14
飯田隆さんの論考は、『映画理論と哲学』を材料にしています。- 2015.12.24(木)
昨日の3点の論文に続き、月曜日に大学図書館で借りだした、レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』(堀潤之訳、みすず書房、2013)から第6章「映画とは何か?」を読みました。これは素晴らしい記述です。今後映画とアニメを語るための基本的観点と用語と枠組みを提示してくれています。このタイトルの書物から、こういう内容を想像することはほぼ不可能です。
p.437 スティーヴン・ニールは、初期映画が、自然の動きを再現することによって、どのようにみずからの真正性を証明したかを記述している。「(写真に)欠けていたのは、風、すなわちまさに現実の自然な運動のインデックスだった。それゆえに、単に運動やスケールに対してだけではなく、波や海面のしぶき、煙や水煙に対する同時代的な異常なまでの魅惑が生じたのである。」
→写真の前身とされるカメラ・オブスクラの比較をここで試みると、カメラ・オブスクラの視覚においては、写真に欠けていたものが強調されていたと言える。しかし、「波や海面のしぶき、煙や水煙」に対する執着は、おそらく初期映画に特徴的なものだと言えるでしょう。
p.414 にある本文ゴチック(太字の部分)をまるまる引用しておきます。「デジタル映画とは、多くの要素のひとつとしてライヴ・アクションのフッテージを用いる、アニメーションの特殊なケースである。」「アニメーションから生まれた映画は、アニメーションを周辺に追いやったが、最終的にはアニメーションのある特殊なケースになったのである。」
p. 408 「映画は、テクノロジーとして安定するやいなや、その巧みな術策という起源にまったく触れなくなった。20世紀以前の動く絵を特徴づけていたすべての事柄―手作業による画像の構築、ループに基づくアクション、空間と時間の離散的性質―が、映画の偽りの親類、映画の補完物にして影、すなわちアニメーションへと委ねられた。20世紀のアニメーションは、映画が置き去りにした19世紀の動画像の技法が保管される場となったのである。」
p.409 「映画はみずからの制作過程の痕跡を何としてでも消し去ろうとする。」
p.406 「映画以前の技法には、いくつかの共通の特徴がある。まず、それらの技法はすべて、手で塗られたり、手で描かれた画像に頼っていた。幻燈のスライドは少なくとも1850年代までは描かれたものだったし、フェナキスティスコープ、ソーマトロープ、ゾートロープ、プラクシノスコープ、コリュートスコープ、そして19世紀の他の多くの前映画的装置で使われた画像に関しても同様だった。」
「画像は手作業で作られていただけではなく、手作業で動かされてもいた。」
「画像の自動的な生成と自動的な投影は、19世紀の最後の10年間になってようやく、最終的に結びついた。」- 2016.1.5(火)
図書館に2度行って、ILL で届いている本を一冊借り受け、コピーを1点受け取りました。
Marie-Louise von Plessen, Ulrich Giersch eds., Sehsucht : das Panorama als Massenunterhaltung des 19. Jahrhunderts, Katalogredaktion, Stroemfeld/Roter Stern, 1993
三輪健太朗「トム・ガニング「インデックスから離れて : 映画と現実感」」『映画学 / 早稲田大学大学院文学研究科映画研究室』26(2012): 74-81
この論考は、短いものなので、すぐに読みました。<論文紹介>とあります。ガニングの論文を紹介し、批評したものです。ガニングの問題関心は、レフと共有しています。たたし、レフとは違い「インデックスから運動へ」というふうに問題をとらえているということです。「映画の始まりに今一度目を向け直す。そして、19世紀末に現れた映画とは、電話や蓄音機、X線などの新しい発明がごった返していた状況下に登場したものであり、はじめからメディウムとしての特異性を示していたわけではなく、むしろメディウムの混交状態をこそ提示していたのだと指摘する。」(p.77 上段)