[カルターリ『神々の姿』続編]
午後、次の本が届きました。ご高配いただいた大橋喜之さん、いつもほんとうにありがとうございます。
ヴィンチェンツォ・カルターリ『西欧古代神話図像大鑑 続篇 東洋・新世界篇』ロレンツォ・ピニョリア増補、大橋喜之訳、八坂書房、2014。429ページ、ISBN:978-4896941760
帯には次のようにあります。「ルネサンス以降、変容を重ねつつ読み継がれた神話概説書の代表的古典の、後代の増補部分をまとめた[続編]。ギリシャ・ローマ神話を扱う正篇への補註のほか、日本の神仏、さらには安土城の一部を奇蹟的に描きとどめたとされる東洋・新世界篇など、バロック期の増補を完全収録。新図版100点余。」
この帯の文章は、こういうものとしてはすこし珍しいことですが、正確な紹介となっています。目次は次です。
カルターリ『神々の姿』第二部 東西インドの神々..... 15
カルターリ『神々の姿』本文補注 .....55
カルターリ『神々の姿』追補 ......160
解題 ロレンツォ・ピニョリア版―変身する書物 .....191
付録1 アンリ・ド・ルバック『仏教』抄 .....277
付録 II 図版一覧 .....307前の『西欧古代神話図像大鑑―全訳『古人たちの神々の姿について』』は、2012年9月出版です。2年後に続編が出版されたことになります。
とても貴重な学的貢献です。→「 図版一覧」については、凡例に次の説明があります。
「付録のうち「 図版一覧」は、主として本書「本文補註」の参考に供すべく、邦訳正篇[I]〜[XV] の本文中図版と、本書「本文補註」掲載の全図版を再編、一覧にしたものである。補註のある図版の検索や、本著作の全体像の鳥瞰なども可能になるように編集を心がけ、各種参照に利便を図った。」
訳者あとがきとこの「 図版一覧」だけまず読みました。「 図版一覧」だけでもこの分野の研究者は手元におく価値がある書物だと言えるのではないでしょうか。→ウェブで次の論考をダウンロードし読みました。
木村三郎「ナターレ・コンティ『神話の手引き(寓話解釈の10巻の書)』について・・・フランス17世紀絵画史研究の視点から」『日本大学デジタルミュージアム』(2013)
神話図像研究としては、16世紀にイタリア語で出版された次の3点が重要だということです。
ジラルディ『異教の神々の歴史』バーゼル:オポリヌス、1548
カルターリ『西欧古代神話図像大鑑』ヴェネツィア:ナルコリーニ、1556
コンティ『神話の手引き(寓話解釈の10巻の書)』ヴェネツィア:アルドゥス、1567
セズネックやイエイツの研究によれば、フランスのアカデミーの画家達は、こうした書物やリーパの『イコノロギア』(ローマ、1593;仏訳1637)を「揃えて、アトリエに設置していたのであろう。」(p.4)
最新の研究としては、望月典子『ニコラ・プッサン・・・絵画的比喩を読む』慶應義塾大学出版会、2010→やはりウェブに次の原稿があります。ダウンロードして読みました。
徳永聡子・松田隆美・高宮利行・小川真理・菅野磨美「「D. S. Brewer 旧蔵神話学コレクション展」解題目録」
Derek Brewer Mythography Collectionとは、Derek Brewer(1923-2008)所蔵の全190点からなる神話学関係の蔵書。2007年に売りに出されたとき、慶大教授高宮利行が購入し、慶應図書館に寄贈したものとあります。
日本中世英語英文学第25回大会を慶應大学日吉キャンパスで開催するにあたり、この蔵書から10点を選んで展示した(2009年11月24日〜28日)。そのときの解題目録がこの原稿です。
1.ボッカチオ『異教の神々の系譜』(パリ、1511)から初めて、7.ヘリット・フォス『異教の神学とキリスト教自然科学』/マイモニデス『偶像崇拝の書』(アムステルダム、1668)、10.フランチェスコ・バルディ『歴史的、政治的、道徳的オウィディウス』(ヴェネチア、1696)までの解説があります。有用性はあります。→さらに検索をかけてみると、つぎの科研費の共同研究が見つかりました。
植月恵一郎・木村三郎・出羽尚・光田美作子・伊藤博明・山本真司「近代英国を中心とするエンブレムにおける宗教と科学に関する学際的研究」(基盤研究C、2012年より)→ただの思いつきで書きますが、錬金術の図像の形成について、美術史の成果を踏まえた研究があってもよいように思われます。もしかしたら、もうあるのかもしれませんが、錬金術図像の形成と系譜、という研究テーマがありえます。
[ カミッロ『劇場のイデア』]
午前中に次の本が届きました。
ジュリオ・ カミッロ『劇場のイデア』足達薫訳、ありな書房、2009
9圧4日ローマの大橋さんに、カルターリ『神々の姿』第二部を頂いてから気になって調べていたことに関して、足達薫さんのカミッロ『劇場のイデア』訳業に出会い、アマゾンで購入したものです。
もとのテキストは、Givlio Camillo, L'Idea Del Theatro Dell'Eccellie, Firenze, 1550 です。
この訳書は、前半は『ジュリオ・ カミッロ氏の劇場のイデア』の邦訳(pp.7-190)、後半が訳者足達薫氏による「ジュリオ・ カミッロと記憶の劇場―その歴史的位置と構造」(pp.191-355)です。
足達さんは弘前大学人文学部紀要『人文社会論叢(人文科学篇)』第7号(2002)〜第11号(2004)に「『劇場のイデア』のテクストの前半部分」を「雛形として掲載」されています。その半分はすぐにウェブで入手できます。
16世紀のイタリア語の著作『ジュリオ・ カミッロ氏の劇場のイデア』が日本語で読めるのは、すばらしいことです。[Barbara Obrist, "Visualization in Medieval Alchemy," 2003]
ちなみに、私の問題関心は、錬金術の図像表現の形成と系譜です。英語では、"Visualization in Chemistry" とか"Visualization in Alchemy" と表現されています。HYLE - International Journal for Philosophy of Chemistry, Vol. 9(2003) に「化学の美学と視覚化」という特集があります。そこに次の論文がありました。
Barbara Obrist, "Visualization in Medieval Alchemy," HYLE - International Journal for Philosophy of Chemistry, Vol. 9(2003), No.2, 131-170
私の予想通り、先行研究はあったわけです。
→このBarbara Obristの論文はまさに私の求めるものでした。非常に明晰な文章で、中世錬金術における視覚化(図像利用)の歴史が描かれています。
挙げられている文献リストから判断すると、Barbara Obrist こそこの分野の第1人者だと言えるのではないでしょうか。
ともかく、最良の出発点に出会えたわけです。
→よく書けているので、ほぼ直訳に近い形で主要なポイントを紹介したいと思います。
中世錬金術における視覚化は、比較的遅くに生じた現象である。1140年前後のラテンヨーロッパへの錬金術の導入から13世紀半ばにかけての文書には、図像要素はほぼ存在しない。次の1世紀半、提示の主たる方式は、言語的であった。図像方式は、決してすぐに発展したわけでもなく、連続的に展開したわけでもなかった。状況が変化したのは、15世紀冒頭であり、図像表示はもはや錬金術テキストのなかに散発的に出現するものではなく、ひとつの表現体系として、錬金術の中心的原理を統一的に図像表示するものとなった。
・・・・
この論文の目的は、錬金術の図像表示の中心ラインをスケッチし、これまで知られている最初の出現事例によって例証を与えることである。このあとは、要点のみ。
バルバラさんが実践的錬金術の図像と呼ぶもの:器具の図像。炉、容器、装置類。それに物質の特徴と変成の段階を示すもの。
錬金術文書における言語的図像的直喩は、2つのグループに分けることができる。1つは、アナロジー(類比)。もうひとつは、アレゴリー、メタフォア、エニグマ等の比喩表現。
アレキサンドリアでの出現以来、錬金術は、体系的に直喩をもちいた只一つの科学分野であった。背景となる理論を画像表示するときには、もっと複雑で、背景思想による変化があります。バルバラさんはそれを、第2節「自然科学としての錬金術と技術としての錬金術:類比的議論と視覚化」、第3節「偶然的性質の観察:視覚化と比喩」、第4節「心霊主義的フランシスコ派、錬金術、視覚化」、第5節「認識的道具としての幾何学図形:ルルス派の錬金術文書」の4つにわけて記述しています。
第3節「偶然的性質の観察:視覚化と比喩」
この節で重視されるのは、グラテウスの『錬金術入門』(14世紀後半)。グラテウスは明らかに職人層に属し、ラテン語を解さない人々に向けて書いている。
この時点で、錬金術の哲学的背景は、主流のスコラ学からは離れて、ソクラテス以前の自然学やグノーシス思想とのアマルガムとなった。(p.149)
王と女王が登場するようになる。女性原理と男性原理という対立するものの統一。(p.150)
グラテウスのテキストは、動物発生と金属の生成の類比的関係がメタフォアへと変成する過程のおそらく最初のそして中心的な文書であろう。
こうして徐々に、錬金術のテキストと付随する図版は、前もって存在していたテキストのモザイクとなった。
(グラテウスとは、H. Birkha, Die alchemistishce Lehrdichtung des Gratheus filius philosophi in cod. vind. 2372. Ein Beitrag zur okkulten Wissenschaft im Spätmittelalter, 2 vols, Österreichesche Akademie der Wissenschaften, Wien で紹介された、それまでほとんど知られていなかった著者。)第4節「心霊主義的フランシスコ派、錬金術、視覚化」
『立ち上る夜明け Aurora Consurgens』(15世紀前半)の第1部は旧約聖書を錬金術過程だと解釈した。
フランシスコ派心霊主義者たちは、スコラの主流とは異なる道を辿った。主流のスコラ派では、自然哲学は超自然的なもの、啓示に関わる事柄を扱わなかった(神学の領分を犯さなかった)。それに対して、ヴィラノヴァのアルノーやルッペシッサのヨハネスは、超自然的現象を自然の領域に関係するものとして扱った。その意味で、錬金術によってなされる変成は、自然的なものであった。聖餐式の変化と錬金術変成をパラレルに捉えた。アルノーによれば、キリストは至高の医師であり、人間の医師は神の道具であった。
キリストの像と錬金術のイメージの混成は、主として彼らによる。キリストは苦悶する人間=スイギンであると同時に、復活せる神=金でもあった。第5節「認識的道具としての幾何学図形:ルルス派の錬金術文書」
ルルスは、普遍術(ars generalis)をすべての学問(science) に適用可能なものとしたが、彼自身は、占星術と医学に適用しただけだった。それを錬金術に広げたのは、擬ルルス文献。
擬ルルス文献において、宇宙論的理論、自然学的理論、操作理論のすべては、表、円形図、四角形、三角形のような幾何学図形や文字象徴の形にととのえられた。バルバラ・オブリストが自分で述べる通り、これで錬金術図像を尽くしたわけではないでしょうが、非常に見通しのよい、これは錬金術図像の分類・整理です。ある程度分けて理解しないと分かりませんから、必要な分類図式と言えるでしょう。
→彼女の重要な著作のひとつは、Barbara Obrist, Les débuts de l'imagirie alchimique (XIVe - XVe siècles), Paris, 1982 でしょう。328頁で102の白黒図版を掲載してます。
ニューマンは書評で「バルバラ・オブリストの『錬金術図像の出現』は、錬金術の懐胎・出産期である後期中世における錬金術図像学(イコノグラフィ)を体系的に研究しようとする最初の真摯な試みである。」と評しています。
(しかし、さすがニューマン。その後は、かなり辛口の批評をしています。)
[ 擬トマス・アクイナス『立昇る曙』]
バルバラ・オブリストのあげる『立昇る曙』Aurora Consurgens ですが、大橋さんに貴重な訳業があったことを忘れていました。2008年末から2009年にかけて大橋さんのブログに掲載されています。ほんとうに貴重な訳業です。
大橋さんは、Aurora consurgens, in Artis Auriferae, Basileae 1593 を使われています。Artis Auriferaeは以前ダウンロードしてストックしていますが、グーグルブックを検索してもう一度ダウンロードしました。この版に有名な図版はありません。
グーグルの画像で検索すれば、すぐに図版そのものは見つかります。きちんと調べたわけではありませんが、全部スキャンされてウェブにアップされているようです。
本としては、ユングの高弟マリー・ルイーズ・フォン・フランツが編纂し、フルとローヴァーが翻訳した『立昇る曙:トマス・アクイナスに帰される錬金術の対立者に関する著作:ユングの『結合の神秘』を補う著作』が出まわっています。アマゾンのレビューでは、このフォン・フランツ編の著作は、高い評価を勝ち得ています。日本の図書館に入っているのもこの版です。(ドイツ語と英語の両方で)
ということで、ユング『結合の神秘』(池田紘一訳、人文書院、1995)を棚から取り出して見てみました。原注の8(p.325)に次の言葉があります。
『結合の神秘』初版は最初の2巻が『結合の神秘』と題して出版され、第3巻として『立ち昇る曙光:錬金術における対立の問題に関するトマス・アクイナスに帰せられる一文書』=『立ち昇る曙光 I』(Lit. B-40)が出版された。本訳書はユングがいうところの第一部、すなわち『結合の神秘』第1、2巻の翻訳で、『立ち昇る曙光』は含まれていない。ドイツ語全集版にも当初は含まれていなかったが、のちに『結合の神秘』(全集第14巻 I、II)の「補巻」として追加された。
『結合の神秘 I 』の最後には、文献として錬金術テキスト集成が挙げられています。私がこのサイトで錬金術テキスト集成のリストを作成したとき、ユングのことはすっかり忘れていました。つまり、邦訳『結合の神秘』は見ていませんでした。
『結合の神秘 I 』文献で挙げられているのは、『錬金術論集 De alchemia』『化学の術Ars Chemica』『錬金の術叢書Artis Auriferae』『霊妙化学叢書Bibliotheca chemica curiosa』『ヘルメス博物館Musaeum Hermeticum』『化学の劇場Theatrum Chemicum』『英国の化学の劇場Theatrum Chemicum Britannicum』『ドイツの化学の劇場Deutsches Theatrum Chemicum』です。このあたりが基本です。
ひさしぶりに図書館の作業に出ることにしました。10時過ぎに駒場に着くようにでかけました。駒場も秋休みのようです。10時の時点では生協も閉まっていました。
地下2階に直行して次の論文のコピーをとりました。
Barbara Obrist, "Views on History of Medieval Achemical Writings," Ambix, 56(2009): 226-238
Christoph Lüthy and Alexis Smets, "Words, Lines, Diagrams, Images: Toward a History of Scientific Imagery," Early Science and Medicine, 14(2009): 398-439
D. E. Eichholz, "Aristotole's Theory of the Formation of Metals and Minerals," Classical Quarterly, 43(1949): 141-46
そして次の小著の一部。
Avicennae de Congelatione et Conglutinatione Lapidum, Paris, 1927
古典の世界は、時にとても文字が小さい。3つ目の論文もぱっと見て読むのが辛い大きさでした。面積で2倍に拡大してコピーしました。短いものなので、帰りの電車のなかで読みました。
最後の本はパリで出版されていますが、英語の本です。アラビア語、ラテン語、英訳が含まれます。100頁に達しない小著です。
もちろん他の作業もできたのですが、1時間から2時間と決めていました。生協で文具をいくらか購入し、駅前のマルカでそばを食べて帰宅しました。夕刻、次の本が届きました。
ジョナサン・クレーリー
『観察者の系譜:視覚空間の変容とモダニティ』 遠藤知巳訳、以文叢書、2005(初版、十月社、1997)
初版を持っています。木曜日3限の講義で使っているので、確実にこの部屋か研究室のどこかにあります。しかし、探し出すことができていません。丸一日使う覚悟があれば探し出すことはできると思いますが、今の体調を考え、新版の方も買っておくことにしたものです。
すこしですが、この方面の研究論文も読み始めています。本日は電車のなかで次のものを読みました。
犬伏雅一「視覚と触覚:クレーリーのカメラ・オブスクーラモデル再考」『(大阪芸術大学紀要)藝術』27号(2004): 19-30→他に次のもの。
中崎昌雄「カメラの原型「カメラ・オブスキュラ」(暗箱写生器)発達小史」『中京大学教養論叢』32(2)(1992): 293-343
柳橋大輔「カメラにおける魔術:ヴァルター・ベンヤミンと媒質としての写真」『詩・言語(東京大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究会)』59号(2003): 17-35
中崎昌雄「カメラの原型「カメラ・オブスキュラ」(暗箱写生器)発達小史」『中京大学教養論叢』32(2)(1992): 293-343
典型的な紀要論文ですが、情報を網羅しようとしてくれているので、有用さはあります。科学史で有名な人物が頻出します。アリストテレスからはじまって、アルハーゼン、ロジャー・ベイコン、ウィッテロ、ケプラー、キルヒャー、ボイル、フック、ニュートン、プリーストリー、ファラデー等々。
ボイルから。ボイルは『宇宙的性質』(1669)で「portable dark room」に触れているとあります。
飛び道具を使ってもよいのですが、まずは実直に全集の索引から。
camera obscura 6:294-5; 12:442 in Leiden 2:13
つまり3箇所。
最初の箇所が当該箇所です。全集(著作集では)第6巻のp.295の上から3行目に"this portalbe darkned Roome" があります。表現は、「portable dark room」からわずかにずれています。「はじめてこれを使ったとき、その(像の)動きだけではなく、形も色もとてもいきいきとしていて、非常に楽しかった」とボイルは記しています。
→ 14.10.13 形状の記述:"if a pretty large Box be so contrived, that there may be toward the one end of it a fine sheet of Paper strech'd like the Leather of a Drum-head at a convenient distance from the remoter end; where there is to be left an hole covered with a Lenticular Glasse fitted for the purpose, you may at a little hole, left at the upper part of the Box, see upon the Paper such a lively representation; not only of the Motions, but shapes and Colours of outward Objects, as did not a little delight me, when I first caused this portble darkned Roome, if I may so call it, to be made. Which Instrument I shall not here more particularly describe, partly because I shewed it you several years agoe, since when, diverse Ingenious men have tryed to imitate mine (which you know was to be drawn out or shortned like a Telescope, as occasion required) or Improve the Practice; 町中や野外での利用について触れている。紙の上に新しいランドスケープ(景色)が写される。大気中には、そこかしこに visible Species が満ちていて、常に飛び回っている。
「私がはじめて言うならば「携帯型暗室」をつくらせとき、外の世界にある対象物の動きだけではなく、形と色がとても楽しいものでした。その装置についてここではこれ以上説明しません。それはひとつには、私がそれを貴方にはじめて見せてから数年の間に、おおくの腕のよい人々が私のもの(それは、望遠鏡のように必要に応じて伸ばしたり縮めたりできるようにしていました)をまねようとした、あるいは、使用を向上させたからです。」
第12巻のp.442 は、『キリスト教徒のヴァーチュオーソ2』アフォリズム2の最後に、「光学 に通じた者が窓をすべて閉じて部屋を暗くし、適当な大きさで凸レンズをはめた穴から光を入れるだけで」外の風景を映し出すことができる、ということが指摘されています。つまり、ボイルは "camera obscura" という術語を使っていません。レンズの使用は明確に記述されています。
第2巻のp.13は、『いくつかの自然学のエッセイ』です。"I remember, that being once at Leyden, I was brought to the Top of the Tower, where in a darken'd room (such as used in many places to bring in the Species of external Objects) a Convex glass, apply'd to the only hole by which light was permitted to enter, did project upon the large white sheet of Paper, held at a just distance from it, a lively representation of divers of the chief Buildings in the Town, "
ボイルの場合、レンズ付きの暗くされた部屋です。ボイルが体験したのはライデンの塔の最上階だったわけですが、各地に多くそうした部屋があるとボイルは言っています。
ボイルがライデンを訪れたのは、1648年です。17世紀半ばにはヨーロッパ中で流行を見ていたひとつの証左になると思われます。
→(darkened room をラテン語訳すれば、camera obscurentur になるかと思います。ボイルのラテン語訳でどうなっているのかも調べる必要があります。)
→ウェブには、ボイルとフックが「携帯型カメラ・オブスクラ a portable camera obscura 」を発明したという記述もあります。(写真史の本やWiki等、この記述はかなり普及しているようです。)
→事典の記述も見てみます。Robert Bud and Deborah Jean Warner (eds.), Instuments of Science: An Historical Encylopedia には次のようにあります。Kircher, Ars Magna(1646) は肩に担いで運ぶことのできるa portable camera obsucura について記述している。キルヒャーの弟子のひとり、ショットは、Magia Universalis (1657)でちいさな携帯型カメラ・オブスクラ a portable box camera obscula について触れている。ボイルは、1669年彼自身が組み立てた類似の装置について記述している。最初の a portable reflex camera obscura に対する言及は、Johann Christoph Sturm, 1676である。1685年、ヨハン・ツァーンは、数種類のsmall reflex box camera についてイラストを載せている。
→うーん、どこかでボイルとフックが携帯型カメラ・オブスクラを発明した/制作したという誤解が生じ、広まったようです。
次はフック。
フックが「カメラ・ルシーダ」 "camera lucida" という術語を造ったというのは誤伝だとあります。
フックは、1668年8月17日、王立協会で読んだ報告では、一種の幻燈に触れている。
1680年1-2月に光に関する講演で発表したものは、「携帯用暗箱」であった。フックはそれを視覚の原理説明の器具として提示した。
17世紀の集大成は、Johann Zahn (1641-1707), Oculus artificialis, 1685
『人工の眼』。フルタイトルは、 Oculus artificialis Teledioptricus Sive Telescopium, ex Abditis rerum Naturalium & Artificialium principiis protractum nova methodo, eaque solida exlpicatum ac comprimis e triplici Hundamento Physico seu Naturali, Mathematico Dioptrico et Mechanica, seu Practico stabilitium (p.325) ツァーン『人工の眼』のイラストを見るだけで「この1685年以後カメラは写真術への準備を確実に整えていた」(Gernsheim)という主張に賛成したくなるだろう。
→ということで、グーグルブックでこの書物をダウンロードしました。確かに、図版がしっかりしていて、これは使えます。この分野は、2次文献が豊富です。
マックスプランク科学史研究所(Max-Planck-Institut für Wissenschaftsgeschichte)の研究文献に、Wolfgang Lefèvre (ed.), Inside the Camera Obsucura: Optics and Art under the Spell of the Projected Image, 2007 というpdf があります。これは助かります。実力者を揃えた論集なので、安心して使うことができます。
編者のルフェーブルは、次の3点が基本だと言います。
P. Steadman, Vermeer's Camera, Oxford University Press, 2001
J. Waterhouse, "Notes on the Early History of the Camera Obscura," The Photographic Journal, XXV/9(1901): 270-290
J. H. Hammond, The Camer Obsucura: A Chronicle, Adam Hilger, 1981→2014.9.14 『写真雑誌』(1901)はすぐには入手の方法が見つからなかったのですが、1つ目と3つ目のものは邦訳があります。
ハモンドの方は、書評を書いています。ステッドマンの方は、2010年に新曜社から出版されています。すぐにアマゾンに発注しました。原著ですが、ペーパーバックが品切れ中です。キンドル版があったのでそちらをダウンロードしておきました。
Barbara Obrist, "Views on History of Medieval Achemical Writings," Ambix, 56(2009): 226-238
金曜日に駒場に行った目的の中心、バルバラ・オブリストの論文をやっと読みました。中世錬金術を理解するための見通しを与えてくれるよい論文だと思います。とくに、ロージャー・ベーコン、ヴィラノヴァのアルノー、ルッペシッサのヨハネス、という3人のフランシスコ会聖霊派(アルノーは修道士ではなかったが、強い結びつきがあった)が錬金術にもたらした新しい要素は、それとしてしっかり視野に入れておく必要があります。午後、次の本が届きました。
フィリップ・ステッドマン
『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』
鈴木光太郎訳、新曜社、2010
ルフェーブルが推薦する第1章「カメラ・オブスクラ」だけまず読みました。とても安心できる記述です。この長さの記述としては日本語で読める最良のまとめではないでしょうか。
ポイントを整理しておきます。
暗い部屋での太陽の観測。図に示された最初が、フリシウスの『天文学と地理学の基本』(1558)。1544年の日蝕の観測が図で示されている。
レンズ付きのカメラ・オブスクラを最初に記したのは、おそらくジローラモ・カルダーノ。『精妙なるものについて』(1550)で、"ガラスの円盤"(orbis e vitra)という言葉を使っている、これはおそらくレンズを指す。しかし確実ではない。
レンズ付きのカメラ・オブスクラに関する初期の明確な記述は、2つ。1.ダニエル・バルバーロ、1568年に出版した遠近法の解説書。2.ベネデッティの1585年の著作。45度に鏡を置くことで、上面に像を写すカメラ・オブスクラについて記述している。
一時カメラ・オブスクラの発明者とされたデラ・ポルタについて。この誤解は『自然魔術』がよく読まれたせい。初版では、ピンホールカメラについて触れている。1589年の版では、記述を大幅に増補し、レンズの使用と像の転倒を正すことについて記述している。
ケプラーは、1600年頃、1つはデラ・ポルタの本より、もう一つはティコ・ブラーヘからこの装置について知った。『ウィテロ補足』(1604)と『屈折光学』(1611)でこの装置について触れている。ケプラーは、転倒像の矯正に鏡ではなく、二つの凸レンズ(すなわちケプラー式望遠鏡)を用いた。
17世紀半ばには、カメラオブスクラは、天文学者によく知られていただけではなく、自然魔術に関する一般的著作や遠近法の解説書のなかでも比較的ポピュラーであった。
持ち運びできる(portable)箱形のカメラオブスクラに関する明確な記述が最初に現れるのは、1657年であり、図示されるのは1670年代にはいってから。
ホイヘンス父は、イギリスで発明家ドレベルと知り合い、ドレベルの発明品の一つ、携帯用カメラ・オブスクラを購入してオランダに持ち帰った。そして、知り合いの画家達に見せた。フェルメールの25年前に、カメラ・オブスクラに慣れていた画家が存在し、すくなくても1点はほぼ間違いなくカメラ・オブスクラを使った絵(トレンティウス『静物』1614)が存在していた。
(ドレベルが制作し、ホイヘンス父がオランダに持ち帰った箱形カメラ・オブスクラについて図が存在すれば一番よいのですが、ないようです。ただし、ホイヘンス父は、手紙で何度もこの装置のことを書いていて、17世紀前半の貴重な資料となっています。)
用語について。暗くした部屋(今の用語では部屋型カメラ・オブスクラ)について、"Camera Obscura"という用語を(おそらく)はじめてもちいたのは、ケプラーである。Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604, Index &Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
ただし、"Camera Obscura"という用語が広く使われるようになったわけではなかった。科学における表象・図表示の問題は、まえからきちんと勉強しようとおもっていたテーマです。少なくともこの先2〜3年をかけてじっくりと勉強します。金曜日に駒場でコピーをとってきた次の論文によって、コレクトすべき文献をリストアップしていきます。
Christoph Lüthy and Alexis Smets, "Words, Lines, Diagrams, Images: Toward a History of Scientific Imagery," Early Science and Medicine, 14(2009): 398-439
Brian S. Baigrie (ed.), Picturing Knowledge: Historical and Philosophical Problems Concerning the Use of Arts in Science, Toronto, 1996
Ursula Klein (ed.), Experiments, Models, Paper Tools: Cultures of Organic Chemistry in the Nineteenth Century, Stanford, 2003
Wolfgang Lefèvre, Jürgen Renn and Urs Schoepflin (eds.), The Power of Images in Early Modern Science, Basel, 2003
Christoph Lüthy, De draad van Ariadne: een pledooi voor de wetenschapsgeschiedenis, Nijmegen, 2007
Renato G. Mazzolini, Non-verbal Communications in Science Prior to 1900, Florence, 1993
Isabelle Patin, "Simulachrum, species, forma, imago: What was Transported by Light into the Camera Obscura? Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeenth Century, " Early Science and Medicine, 13(2008): 245-69
Christoph Lüthy, "Atomism, Lynceus, and the Fate of Seventeehth-Century Micoroscopy," Early Science and Medicine, 1(1997): 1-27
Sachiko Kusukawa and Ian Maclean, Transmitting Knowlege: Words, Images, and Instruments in Early Modern Europe, Oxford, 2006
Alan E. Shapiro (ed.), Kepler, Optical Imagery, and the Camera Obscura, 2008= Early Science and Medicine, 13.3(2008)
[事典における Camera Obscura]
百科全書における「カメラ・オブスクラ」の記述は有名です。チェンバーズの『百科事典』にもこの項目があるということです。私が調べるのであれば、ジョン・ハリスの『百科事典』を見る必要があるでしょう。
第1巻の方に項目があります。
DARKENED Room: See Obscura Camera
Dark Tent, is the Term which some Writers give to a Box made almost like a Desk with Optick Glasses, to take the Prospect of any Building, Fortification, Landskip, & c. This is a Portable Camera Obscura, or Darkened Room : See the Description under Obscura Camera.
ということで、ハリスは、"Obscura Camera" で項目を立てています。(ノンブルがないので)pdf では、543−5。1.5頁を使っています。この長さは重視の証です。
「光学におけるオブスクラ・カメラは、暗い部屋であり、一箇所だけ小さな穴が開けられていて、その穴にはレンズが付けられる。その穴を通して、対象の光線が一枚の紙または布の上に投射される。しかし、これによって視覚の本性を説明するのに役立つ、光学におけるとても有用な実験がなされる。そのなかでは、つぎのものが特別に記述するのにふさわしい。」
最後にフックの『王立協会哲学紀要』第3巻(1668)の論文が取り上げられています。Mr. Hook, "A Contrivance to Make the Picture of Any Thing Appear on a Wall, Cub-Board, or within a Picture-Frame, &c. in the Midst of a Light Room in the Day-Time; Or in the Night-Time in Any Room That is Enlightned with a Considerable Number of Candles; Devised and Communicated by the Ingenious Mr. Hook, " Phil. Trans., Vol. 3(1668), 741-743
タイトルには、"Obscura Camera"あるいは"Camera Obscura"も"Camera Lucida"もありません。
→これでわかること。ハリスはこの記事の典拠を挙げていませんが、ボイルと同じ表現「暗くされた部屋 darkened room」をとっています。"Obscura Camera"の項目はあってそこで "Camera Obscura" の説明はしていますから、"Camera Obscura" という術語は普及していたことは伺えますが、その用法が確定していたわけではないと言えるでしょう。また「暗いテント」を項目として挙げていることも注目に値します。チェンバースも見てみました。E. Chambers, Cyclopaedia (1728), p.143
CAMERA OBSCURA, Dark Chamber, in Opticks, a Machine or Apparatus, representing an Articificial Eye ; whereon the Images of External Objects are exhibited distinctly, and in their native Colours; either invertedlye of erect. See Artifical Eye.
カメラオブスクラの最初の発明は、バプティスタ・ポルタに帰されている。
その後、カメラオブスクラの用途、理論、制作、携帯型カメラオブスクラの制作、別種の携帯型カメラオブスクラ、という項目が説明されています。ハリスよりもずっと整理された記述となっています。
もう1点目立つのは、「人工の眼」という観点。これが器具をみる中心的観点となっています。ツァーンの書物の力でしょう。
「人工の眼」をみよという指示があるので、見ました。何と「目」を見よ、とあります。仕方がないので、「目」を見ました。力の入った記述になっています。最後に、人工の眼があります。
Atificial Eye, is an Optical Machine, wherein Objects are represented after the same manner as in the natural Eye ; of considerable in illustrating the manner of Vision.
この文章があってから、あと3パラグラフ、説明が続きます。
図書館では ILL で届いていた次の本を受け取りました。楠川さんを中心とするグループは、必要な研究をちゃんと進めてくれています。
Sachiko Kusukawa , Ian MacLean (eds.), Transmitting Knowledge: Words, Images, And Instruments in Early Modern Europe, (Oxford-Warburg Studies) , 2006
目次は次です。
Richard Scholar: Introduction
1: Sven Dupré: Visualization in Renaissance Optics: The Function of Geometrical Diagrams and Pictures in the Transmission of Practical Knowledge
2: Catherine Eagleton: Medieval Sundials and Manuscript Sources: The Transmission of Information about the Navicula and the organum ptolomei in Fifteenth-Century Europe
3: Sachiko Kusukawa: The Uses of Pictures in the Formation of Learned Knowledge: The Cases of Leonhard Fuchs and Andreas Vesalius
4: Christopher Lüthy: Where Logical Necessity Becomes Visual Persuasion: Descartes's Clear and Distinct Illustrations
5: Ian Maclean: Diagrams in the Defence of Galen: Medical Uses of Tables, Squares, Dichotomies, Wheels, and Latitudes, 1480-1574
6: Alexander Marr: The Production and Distribution of Mutio Oddi's Dello squadro (1625)
7: Adam Mosley: Objects of Knowledge: Mathematics and Models in Sixteenth-Century Cosmology and Astronomy
8: Isabelle Pantin: Kepler's Epitome: New Images for an Innovative Book
9: Volker R. Remmert: 'Docet parva pictura, quod multae scripturae non dicunt.' Frontispieces, their Functions, and their Audiences in Seventeenth-Century Mathematical Sciences
Index
片づけをしていて、数日前にダウンロードしてプリントした次の論文が見つかりました。
Robert Hooke, "A Contrivande to Make the Picture of Any Thing Appear on a Wall, Cup-Board, or within a Picture-Frame, & c. in the Midst of a Light Room in the Day-Time; Or in the Night-Time in Any Room that is Enlightened with a Considerable Number of Candles; Devised and Communicated by the Ingenious Mr. Hook," Phil. Trans. Vol. 3(1668): 741-743
フックはここで "camera obscura" という用語も、"dark room" or "darkened room" という用語もまったく使っていません。
ネットでの文献調査、ダウンロードを行いました。気になった論文はその場で読みました。読んだのは次の2点。
Tenney L. Davis, "Pictorial Representations of Alchemical Theory," Isis, 28(1938): 73-86
Michela Pereira, "Alchemy and the Use of Vernacular Language in the Late Middle Ages," Speculum, 74(1999): 336-356
デイヴィスのものは、この時代であればこうでしょう、という論文です。錬金術の2元説(イオウとスイギン、男性原理と女性原理、太陽と月、等々)と中国の陰陽説の類似を説いています。
ペレイラの論文は勉強になりました。きちんと1次資料を数多く読み込んでいる方の研究はいずれにせよ意味のあるものです。
ほかに、画面上で、ユング説への批判(ウィリアム・ニューマンを中心とする)と再反論を読んでいました。ユングの錬金術解釈に対して、歴史家からする本格的な批判はどうもオブリストを嚆矢とするようです。オブリストは、ユングの錬金術解釈は非歴史的であると批判します。それはそのとおりです。ユングは歴史家ではありませんし、ユングの理論的立場からすれば狭義の歴史的研究というのは彼には意味をなさないものだと思います。ユングは最初から超歴史的な場所に立ちます。歴史家が超歴史的な立場にたってしまうと歴史家である存在根拠を失うことになりますから、学問の前提において折り合いがつかないとまずは理解しておく必要があるでしょう。
しかし、そうは言っても、ユングの影響は絶大ですから、歴史家としておさえるべき点はきちんとおさえる作業は必要かと思います。論争史の分析・整理は行う価値があります。
[橋本毅彦『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』]
科学技術における表象・図表示の問題ですが、橋本さんの著作を探さなくてはとずっと思っていたのですが、今朝、LED 懐中電灯を手に私の部屋を捜索しました。15分ほどで見つけることができました。
橋本毅彦『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』東京大学出版会、2008
日本語ではこれがこの領域の唯一の成書ではないでしょうか。
後ろから読みました。すなわち、文献解題、おわりに―科学技術の活動における図像の機能、の2部分。この「おわりに」がおそらく日本語でのもっとも有用なレビューだと思われます。
橋本さんが挙げる文献は次です。
ファーガソン『技術屋の心眼』平凡社、1995
Wolfgang Lefèvre ed., Picturing Machines, 1400-1700, MIT Press, 2004
橋本毅彦「絵・数・言葉・身ぶり―技術はいかに表現され、伝達されるか」『思想』No.925(2001), 175-189
Lorraine Daston and Peter Galison, "The Image of Objectivity," Representations, 40(1992), 81-123; Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity,, Zone Book, 2007
帰宅すると次の本が届いていました。
Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity, Cambridge, Mass.; Zone Book, 2007
501頁、カラー図版も45点収録してます。売れているのでしょう。すぐに届きました。
午後、次の本が届きました。
Catelijne Coopmas, James Vertesi, Michael Lynch, and Steve Woolgar eds., Representation in Scientific Practice Revisited, Cambridge, Mass.; MIT Press, 2014.
夜の間に次の本が届いていました。
E. S. ファーガソン『技術屋の心眼』藤原良樹・砂田久吉訳、平凡社、2009(初版、1995)
この本の出版は知っていました。しかし、「心眼」ならいらないかなと思って買っていませんでした。橋本さんが指摘される通り、原著の Mind's Eye の訳語として「心眼」という選択肢もありえますが、日本語の「心眼」は「知性の目」という原語の意味を伝えません。誤訳に近い選択です。私と同じように理解して、手に取るのを躊躇した人が少なくないのではないでしょうか。
ファーガソンが "Mind's Eye" で伝えようとしてるのは、人間の知性の働きのうち、非言語的なもの、一般にはイメージと呼ばれるものの重要性です。最近の表現では、「頭のなかの視覚的表象」といわれるのではないかと思われます。言語をもたない動物も、視覚的表象による理解・思考をしていると考えることができます。橋本毅彦さんの書物『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』を読みながら、『技術屋の心眼』をパラパラとめくりつつ、調査を続行中。
百科全書におけるカメラ・オブスクラ。フランス語では、“Chambre obscure, ou Chamber close” と表記されています。第3巻62頁〜63頁です。
「人工の眼」に対するクロスレフェレンスがあったり、発明をポルタに帰したりとイギリスの事典を踏襲しています。
理論としては、ヴォルフの光学によるとあります。これはすこし苦労しましたが、ハレ大学数学&哲学教授クリスチャン・ヴォルフ (Christian Wolff) の数学教程をフランス語に訳したものでした。
M. Chretien Wolf, Cours de mathematique, qui contient, toutes les parties de cette science, mises a la portee des commencans., Vol. 2, 1747
第2巻(1747)の最初が、光学基礎 Elemens D'Optique として26頁+1図版を収めています。
百科全書の記述は、これを利用しています。
もちろん、ドイツ語ではすこしスペルが違います。原著は次です。
Christian Wolff, Anfangsgründe aller mathematischen Wissenschaften, 1710
ラテン語訳は、Elementa Matheseos universae, 1713-1715
ヴォルフの著作は、現物を見ればすぐにわかりますが、教科書的なものであり、もともと百科事典的な色合いがとても強い。数学・自然哲学全般に関しても、明晰な記述で、総合的な教科書を書けるのは、オリジナリティは別にして、すばらしい能力です。
百科全書の項目が、ヴォルフの光学を利用していたのは、正直びっくりしました。ヴォルフの位置を考え直してみれば、理解できる話ではあるのですが。
[オザナムとアートフルサイエンス]
ハリスはその『技術事典』で数学の典拠としてオザナムの数学事典を挙げています。オザナムのことは気になっていたのですが、「ハリス『技術事典』の起源」では焦点を化学にあわせたので、深くは調べませんでした。
カメラ・オブスクーラを調べていると再びオザナムに出会いました。邦語文献ではバーバラの『アートフル・サイエンス』がオザナムのことをもっともよく取り上げていることがわかり、『アートフル・サイエンス』を本棚から取り出しました。読んだ記憶はなかったのですが、付箋を付しています。たぶん部分的に利用したのでしょう。
スタフォード『アートフル・サイエンス』が注目するオザナムは『数学リクリエーション』(1692)の著者としてです。
17世紀18世紀の文脈では、カメラ・オブスクーラは「数学リクリエーション」のひとつとしても存在していました。「数学リクリエーション」はオザナムの専売特許というわけではありませんが、17世紀末から18世紀半ばにかけて、フランスとイギリスで非常に人気が出ています。
版を確認しておくと、次のようになります。(DSBに依拠しています。)
Jacques Ozanam, Récréations mathématiques et physique..., 4 vols., Paris, 1694, 1696, 1698, 1720, 1725, 1735, 1778, 1790; Amsterdam, 1698
Recreations in Mathematics and Natural philosophy..., First Compose by M. Ozanam.... Lately Recomposed by M. Montucla, and Now Translated into English ... by Charles Hutton, London, 1803, 1814; This English translation was revised by Edward Riddle, London, 1840, 1844; and Recreations for Gentlemen and Ladies, or Ingenious Amusement, Dublin, 1756
相当人気があったことがわかります。
オザナムの数学啓蒙書は、3点です。『数学事典』(Amsterdam-Paris, 1691)(縮約英語訳、London, 1702)、『数学教程』5巻本(Paris, 1693;Amsterdam, 1697)(英訳5巻本、London, 1712)橋本さんは『描かれた技術 科学のかたち:サイエンス・イコノロジーの世界』の「はじめに」、この書物が『UP』の連載(2001年から2年間)を基本にすること、連載終了後、「それまで見ていなかった多くの図像や研究文献を目にすることができた。調査を進めていくにつれ、当初思っていた以上に、多くの科学史や技術史の研究者が歴史に現れる図像に関心をもち、研究論文、研究書を出版していることに気づいた。」と述べています。これは正直に書かれていると思います。
科学史・技術史では、橋本さんの仕事の次が必要だと思います。橋本さんが焦点を当てていない歴史記述の問題に焦点をあわせる研究が是非必要だと思います。[科学実践における表象]
1983年パリで「視覚化と認知」と題するワークショップが開かれた。美術史家、科学史家、技術史家、認知科学者、等が出席したこの会議が科学・技術の分野における地図、版画、写真、顕微鏡図、その他の画像表現の生産・使用・普及に関する関心を高めるターニングポイントになった。会議の開催される以前、Martin Rudwick, Samuel Edgerton, Martin Kemp, Svetlana Alpers が画像表現を単にテキストの補助物というだけではない存在として研究していた。彼らの研究は、視覚表現が発見にとって本質的であり、自然現象を確立するのに欠かせない役目を果たしていると示した。実験室の実践のエスノグラファー、ブルーノ・ラトゥールは、このパリ会議を組織し、基調講演を行った。ラトゥールによれば、科学的想像力とは「目と手で考える」問題であった。ラトゥールをはじめとしてワークショップの参加者は、「知覚」や「観察」よりも「視覚化」という用語を用いた。
数年後、Human Studiesの特集号としてワークショップの成果を出版しないかと誘われた。相談の上、「科学的における表象」をタイトルに選び、出版することにした。それが1988に出た。(Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in scientific practice. Special Issue of Human Studies 11(2/3). )
それが単行本として1990年に出された。 Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in Scientific Practice. Cambridge, MA.: MIT Press.
以上、Representation in Scientific Practice Revisited の序文をほぼ直訳調でまとめてみました。
この序文が他にとくに挙げている参考文献は、次です。
Bruno Latour and Jocelyn de Noblet, eds., Les "vues" de l'esprit. Special Issue of Culture Technique, no. 14(June).
これは、ワークショップの発表と類似の論考をフランス語で出版したものだとあります。→Martin Rudwick, Samuel Edgerton, Martin Kemp, Svetlana Alpersの仕事も押さえておいた方がよいでしょう。有名な地質学史家ラドウィックと美術史家アルパースは知っています。ケンプは聞いたことがあるような気がします。ということで、ともかく邦訳だけを調べてみました。
→マーティン・J・S・ラドウィック『化石の意味― 古生物学史挿話』菅谷 暁 , 風間 敏 訳、みすず書房、2013
→マーティン・J・S・ラドウィック『太古の光景―先史世界の初期絵画表現』菅谷 暁訳、新評論、2009
→マーティン・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ―芸術と科学を越境する旅人』藤原 えりみ訳、大月書店、2006
→マーティン・ケンプ& パスカル・コット『美しき姫君 発見されたダ・ヴィンチの真作』楡井浩一訳、 草思社、2010
→ スヴェトラーナ・アルパース『描写の芸術―一七世紀のオランダ絵画』 幸福 輝訳、ありな書房、1993
Samuel Edgertonだけ邦訳が見つかりませんでしたが、『線遠近法のルネサンスにおける再発見』は邦訳の価値はあるのではないかと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチを中心的テーマとする有名な美術史家ケンプは、諸事本リストにはないのですが、学生時代読んだような記憶があります。ちゃんと記録を取るようになる以前のことだと思います。高階先生の美術史の授業をとっていて、読んだことがあるような。
ともあれ、一度、きちんと授業で取り上げないと!
[初心者のための記号論]
この間の調査で次のサイトに出会いました。
Semiotics for Beginners-初心者のための記号論-Daniel Chandler
ウェールズ大学の記号論学者チャンドラーのテキストを田沼正也さんという方が訳されたものです。田沼さん自身が注記されているように、100%スムーズな訳出というわけではありませんが、とてもわかりやすい体系的記述です。この記号論はおもしろい。2006年Routledgeが4巻本のCritical concepts in media and cultural studies . Visual cultureを出しています。編者は、Marquard Smith と Joanne Morra。
Vol.1 : What is visual culture studies?
Vol.2: Histories, archaeologies and genealogies of visual culture
Vol.3: Spaces of visual culture
Vol.4: Experiences in visual culture
アマゾンでは現在品切れ中でものすごい値段がついています。ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第10章
the understanding is not much unlike a Closet wholly shut from light, with only some little opening left, to let in external Visible Resembrances, or ideas of things without; would the Pictures coming into such a dark Room but stay there, and lie so orderly as to be found upon occasion, it would very much resemble the Understanting of a Man, in reference to all Objects of sight, and of the ideas of them.大学の研究室で、アルパース『描写の芸術―一七世紀のオランダ絵画』(1993) を探し出し、持って帰りました。書き込みがあるので、読んでいます。ただし、ほとんど覚えていません。
→第1章を読み直し、第2章を読みました。アルパースの『描写の芸術』の存在は、留学帰りの橋本さんに教えてもらいました。アメリカの大学院ではとても人気だったということです。今回読み直してみて、科学史の研究もずいぶん取り入れていることに気づきました。科学史を専攻している院生諸子にはこれは面白かったでしょう。
第1章は、ホイヘンスについて。
第2章は、ケプラーについて。
帰宅すると次の本が届いていました。
Samuel Y. Edgerton, Jr., The Renaissance Rediscovery of Linear Perspective, New York, 1975夕食後、小学生、近所の子どもたちといっしょに皆既月食の観察をしました。ときどき雲がかかりましたが、でも、皆既月食がしっかりと見られました。デジカメで写真を撮りましたが、私のもっているものではあまりうまく撮れません。息子は iPad で撮影。こちらは画面の大きさが功を奏したのでしょう、けっこうよく撮れました。
アメリカの議会図書館の「稀書・特別コレクション読書室」サイトに、Science and Magic Materialsというのがあります。ここには、けっこうよいものが pdf 化されています。
ついでに大橋さんの紹介するサイト。Virtual Library: Digitized Books『科学革命の百科事典』にも「カメラ・オブスクーラ」の項目があります。p.119左。
執筆者は、Stephen Straker。参考文献としては、ハモンドとマーティン・ケンプ(『芸術の科学:ブルネルスキからスーラまでの西洋芸術における光学のテーマ』)、そして彼自身の論文、Stephen Straker, "Kepler, Tycho, and 'The Optical Part of Astronomy': The Genesis of Kepler's Theory of Pinhole Images," Archive for History of Exact Sciences, 24(1981): 267-293.ニュートン『光学』。第1篇第1章公理7
初版(1704), p.10
「任意の対象のすべての点から来る射線が反射または屈折によって収束するようにされたのちに再び同数の点で出会うところではどこにおいても、射線はそれが落ちる任意の白い物体上に対象の画像を作るであろう。」(p.14上)
"And this is the Reason of that vulgar Experiment of casting the Species of Objects from abroad upon a Wall or Sheet of white Paper in a dark Room."
邦訳(朝日出版), p.14下
「これが戸外から物体の形象を暗室中の壁面あるいは白紙上に投ずる通俗実験の根拠である。」
→ニュートンもデカルトと同じく、"camera obscura" という用語・フレイズは使っていません。英語圏の伝統に従って、ただ「暗い部屋 dark room」と言っています。対象からやってくる物体の像に関しては、ボイルと同じく、中世のペースペクティヴィスト(視覚論者/光学論者)の用語 スペキエスを使っています。これは、専門用語として残存しているだけで、中世の光学/視覚理論を踏襲していると理解するわけにはいかないでしょう。
→公理7に画像とあるのは、"picture" です。ここは訳者の解説とは異なり、デカルトと同じく、ケプラーの用語が採用されていると解釈する必要があります。
→(p.15)「なぜなら解剖学者たちは、外側の最も厚い硬膜 dura mater と呼ばれる被膜を眼底から取り去ったとき、薄い被膜を通してその上に生き生きと描かれた対象の画像を見ることができるからである。」
ここも、デカルトとまったく同じです。人間または動物の眼球を使っています。デカルトの『屈折光学』の設定が広がりを持っていた印です。その設定のオリジンを探す必要があります。(最初の仮説としては、シャイナーを挙げることができるでしょう。)
朝日出版の『光学』の後ろには、ニュートン『光学講義』草稿 Add. 4002 の写真版が採録されています。ニュートンの文字で、Jan. 1669 Lect 1. とはっきりと記されています。その図2(p.408)がはっきりと太陽を暗い部屋に投射する絵が描かれています。[クレーリー『観察者の系譜』図版の原典捜索]
カバンのなかに、Crary, Techniques of the Observer (1990)とクレーリー『観察者の系譜』(1997, 2005) を入れてでかけました。
うまく時間を見つけて、2章「カメラ・オブスキュラとその主体」"The Camera Obscura and Its Subject " を読み直しました。昔読んだときの感動はありません。当たり前かもしれません。今からすれば、いわゆるポストモダン系の引用が多すぎるかなという気がします。しかし、もちろん、基本的な見方の枠組みを提示したのはクレーリーなので価値ある著作であることには変わりませんが、今では別の見方が可能だと思われます。
図版の出典を示していないのも、今となっては不満です。
→私の研究に出典は必要ですから、なんとか探し出そうと思います。何度も繰り返しますが、今なら探せると思います。Crary, Techniques of the Observer (1990; October Books, 1992)を用います。
1. p.28 Portable camera obscura Mid-eighteenth century。 文字は読みづらいのですが、”chambre obscure. Pl. 1 ”とありますからフランス語の著作からです。
2.p.31 Camera obscuras. Mid-Eighteen century。 画像のなかに文字はありません。野外テント型と野外箱形。
3.p.39 Camera obscura. 1646. これはキルヒャーのものです。図版のなかに、Fig. 3 Fol. 812 がかろうじて読めます。
4.p.49 Comparison of eye and camera obscura. Early eighteenth century. 図版の上に、Tom. VI. Lec. XVII (?).5. p.290
クレーリーが掲載するカメラ・オブスクーラの図版はこの4点です。
一番図版が豊なのは、ハモンド『カメラ・オブスクラ年代記』(2000)です。本棚から抜き出して、まず、これと比較してみます。
3.のキルヒャーのものは、p.43 上に掲載されています。『光と影の大いなる術』(1646)という出典が挙げられています。
1.と同じ(ただし、fig の数字が違う)ものがp.129にありました。p.128の説明文では「汎用椅子駕籠型カメラ・オブスクラの図。グライブサンドの『透視図法論』(1711)にあらわれたもの。1803年ハットン博士はこの機器の製造と使用について解説した。」
→ 14.10.10 これは見つけました。次です。William James 's Gravesande, An Essay on Perspective, Written by French by William James 's Gravesande, Doctor of Laws and Philosophy ; Professor of Mathmaticks and Astronomy at Leyden,and Fellow of the Royal Society at London, And Now Translated into English, London, 1724, p.120
グライブサンドという表記に違和感があり、でも知っている名前だと思っていたら、 's Gravesandeでした。ライデン大学数学教授がフランス語で書いた本の英訳です。もとのフランス語を見つけると、解決します。→すぐに見つかりました。G.J. Gravesande, Essai de Perspective, A La Haye, 1711 でした。本としては、Essai de Perspectiveに別の冊子、Usage de la Chambre Obscure pour Le Desseinが同綴されている形になります。図版は、p.30 と p.31 の間です。オランダ人の発音は難しいのですが、グラーフェサンデあたりでしょうか。's から発音すれば、スフラーフェサンデと表記されています。有賀さんは、ス・グラフェサンデと表記されています。オランダのニュートン主義者として知られます。
→ 14.10.10 キルヒャーのものは、Athanasius Kircher, Ars magna lucis et umbrae : in decem libros digesta ; quibus admirandae lucis et umbrae in mundo ... , panduntur, 1646, p.806 & p.807 の間にあります。マックス・プランク所蔵の初版の図版がウェブに挙げられて、そこで見ることができます。グーグルの画像検索で調べてみると、2.はおそらくディドロ&ダランベールの『百科全書』からであろうという注記が見つかりました。→ 14.10.10 『百科全書』ということで間違いないようです。
→ 14.10.10 ということで、現時点で不明なのは、4.だけです。これは苦労します。典拠を記した画像を見つけることができていません。デカルト派のような気がしますが、・・・。→14.10.12 これだけまだ典拠を見つけることができません。ウェブにある画像は、クレーリーから孫引きしています。クレーリーの使った資料を丁寧に見ていくしかないようです。(授業で毎年使っている図版です)私は見慣れているのですぐに見つかると思っていましたが、強敵でした。→ 14.10.28 4.はほんとうに強敵です。まだ見つけることができていません。
[ESM 特集:ケプラー、光学像、カメラ・オブスクラ]
そのまま中に入って、地下2階に行きました。図書館ですべき作業はけっこうあるのですが、本日は1つに止めました。すなわち、次のコピーを取ることです。
Early Science and Medicine, 13(2008), No.3, Special Issue for "Kepler, Optical Imagery, and the Camera Obscura"
この特集は、シャピロの序に加えて、次の3本の論文からなります。
Sven Dupré, "Inside the Camera Obscura: Kepler's Experiment and Theory of Optical Imagery," Early Science and Medicine, 13(2008): 219-244
Isabelle Pantin, "Simulachrum, species, forma, imago: What Was Transported by Light into the Camera Obscura?: Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeeth Century," Early Science and Medicine, 13(2008): 245-269
Alan Shapiro, "Images: Real and Virtual, Projected and Perceived, from Kepler to Descartes," Early Science and Medicine, 13(2008): 270-312
2001年、ホックニーは『隠れた知識』を出版して、15世紀以来画家はカメラ・オブスクーラを絵を描くときに使っていたことを主張し、ステッドマンは『フェルメールのカメラ』を出版してフェルメールが絵を描くときカメラ・オブスクーラを使っていた強い証拠を提示した。2005年7月、ルフェーブル、デュプレ、Carsten Wirth は「カメラ・オブスクーラの内部:投射されたイメージのもとでの光学と芸術(1600-1675)」と称するワークショップをマックスプランク科学史研究所で開催した。そのなかからケプラーに焦点をあわせる3点の論文を選んで、この号の特集号とした。
投射されたイメージという概念は、perspectivist(中世以来のperspective の伝統に所属する者の意味だと思いますが、確定できないので、このままにします) の光学にはなじみのないものだった。16世紀、とくにデラ・ポルタの『自然魔術』(1589)において、カメラ・オブスクーラは、様々な用途でイメージを投射する手段として自然魔術の伝統のなかに組み込まれた。カメラ・オブスクーラとそこに投射されるイメージは、ケプラーの新しい視覚理論のモデルとして用いられた。そのモデルでは、目とは網膜にイメージが投射されるカメラ・オブスクーラのようなものだと捉えられた。ケプラーは同時に、彼自身は「画像 pictura」と名づけた投射イメージは、伝統的な perspectivist光学におけるimago とは異なる存在だと理解し、新しい視覚イメージの理論をたてた。
こういうふうに序でシャピロは案内しています。インサイド・カメラ・オブスクーラは、9月13日に紹介した、Wolfgang Lefèvre (ed.), Inside the Camera Obsucura: Optics and Art under the Spell of the Projected Image, 2007 というpdf にまとめられています。Early Science and Medicineの特集論文とは基本同じものですが、表現等すこし違いがあり、異なるバージョンを用意したということのようです。その後、8号館113教室を確認してから科哲事務室へ。途中で廣野さんとすれ違いました。ちょうど4限の授業に行かれるところだったと思います。すっかり白髪の好紳士となられていました。
科哲事務室では橋本さんとSくんが話をされていました。挨拶をしてソファの上で一休み。その後橋本さんと四方山話。UPの連載で本にならなかった部分はくれることになりました。助かります。橋本さんが委員会ということで出かけられたあと、冨田さんとすこし四方山話。話している途中、元気そうな岡本さんが現れて片手で重い荷物をひょいと持ち上げて行かれました。さすが、岡本君。5限の授業は4時半開始です。ほぼぴったりで教室に入りました。20名の出席者がいました。勝手な予想では、3〜4名から7〜8名まで、多くて10名だと思っていましたから、おおはずれです。配布文書も12枚しか持ってきていません。斎藤君にコピーカードを渡して、生協に走ってもらいました。
午前中に次の書物が届きました。これは発注から到着まですこし時間がかかりました。
Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Transformations: Studies in the History of Science and Technology) , Cambridge, Mass.; MIT Press, 2004
目次は次です。
Introduction by Wolfgang Lefèvre p. 1
Part I Why Pictures of Machines?
Introduction to Part I p. 13
1 Why Draw Pictures of Machines? The Social Contexts of Early Modern Machine Drawings by Marcus Popplow p. 17
Part II Pictorial Languages and Social Characters
Introduction to Part II p. 51
2 The Origins of Early Modern Machine Design by David McGee p. 53
3 Social Character, Pictorial Style, and the Grammar of Technical Illustrations in Craftsmen's Manuscripts in the Late Middle Ages by Rainer Leng p. 85
Part III Seeing and Knowing
Introduction to Part III p. 115
4 Picturing the Machine: Francesco di Giorgio and Leonardo da Vinci in the 1490s by Pamela O. Long p. 117
5 Measures of Success: Military Engineering and the Architectonic Understanding of Design by Mary Henninger-Voss p. 143
Part IV Producing Shapes
Introduction to Part IV p. 173
6 Renaissance Descriptive Geometry: The Codification of Drawing Methods by Filippo Camerota p. 175
7 The Emergence of Combined Orthographic Projections by Wolfgang Lefevre p. 209
8 Projections Embodied in Technical Drawings: Dürer and His Followers by Jeanne Peiffer p. 245
Part V Practice Meets Theory
Introduction to Part V p. 279
9 Drawing Mechanics by Michael S. Mahoney p. 281
[光学史の基本書の出版を]
このテーマだと光学史の基本も読み直しておいた方がよいだろうと思い、本を探してみました。アルハーゼンからきちんと書いたものが見当たりません。(近代以降のものはそれなりにあります。)短くても読んでおいた方がよいので、『科学の名著6 ニュートン』(朝日出版、1981)における田中一郎さんの解説論文「ニュートン光学の成立」を読みました。田中さんは私の先輩の科学史家です。光学前史、ルネサンスの光学、近代光学の展開、という形で、アルハーゼンに由来するラテンヨーロッパの光学の流れを記述してくれています。カメラ・オブスクーラは、「ピンホール・カメラ」として言及されています。個人的にはもうすこし長いものを期待しますが、これはこれでしっかりとしたものだと思います。それから『科学の名著3 ロジャー・ベイコン』における高橋憲一さんの解説も読みました。しっかりとした解説です。
光学史の基本的書物が出版されていてもよいように思います。(リンドバーグを翻訳するとかよいと思うのですが・・・)。[フックのPictue-Boxからケプラーの小さい黒テントへ]
フックの携帯型カメラ・オブスクーラ、あるいは「ピクチャ・ボックス」。
Robert Hooke, "An Instrument of Use to take the Draught, or Picture of any Thing. Communicated by Dr. Hook to the Royal Society Dec. 19., 1694," in William Derham, Philosophical Experiments and Observations of the late eminent Dr. Hooke (London, 1726), pp.292-296. Hooke's Picture-Box の図は、p.295 に掲載されている。
フックは、今の言葉では旅行案内のような用途を考えています。知らない土地の正確な描写のためには、言葉では足りず、プロポーションの正しい(正確な比率の)絵図が必要だ、そのための道具を考案したというのがフックの基本的主張です。(フックは手元にあるいくつかの旅行書の図が不正確だと悪口を言っています。)
別のバージョンは、次で出版されています。Robert Hooke, "A Continuation of the former Subject of Light. Being the Lectures read in June, 1681." The Posthumous Works of Robert Hooke, published by Richard Waller (London, 1705), pp.119-128. この6節で言及されています。"6. An artificial Eye very useful for the thorough Understanding of Visions. The Descriptions and use of a Perspective Box, instead of a dark Room, which will explicate all the Phenomena of Visions as they are represented in the bottom of the Eye. An Explication of Shadows or the defect of Light." 「人工の眼」が扱われるのは、pp.127-8 です。
図版は、p.126 に挿入せよ、とあります。ここでは、フックの表現(用語法)が重要です。フックは、「人工の眼」と呼んでいます。また、「暗い部屋 dark Room」ではなく、「透視画法的ボックス Perspective Box」という用語を使っています。本文では、"a darkned Room, or Perspective Box" と言い表しています。"dark Room" or "darkned Room" のラテン語が "camera obscura" ですが、ここでのフックの術語使用のあり方は、フックにおいては、"camera obscura"がテクニカル・タームとして認知されていないことを示します。その点はフックを雇ったボイルでも同じです。ケプラーのテント型カメラ・オブスクーラ。これは、1620年リンツにいるケプラーを訪れ、ケプラー本人から直接話を聞いたヘンリ・ウォットンの証言です。(ケプラーがそういう表現をしているわけではない。)ウォットンはフランシス・ベイコン宛の手紙でケプラーの用いた「小さな黒テント」に触れています。用途からいってこれはフックのものの同類です。
Henry Wotton, Reliquiae Wottonianae (London, 1651), pp.413ff.ケプラーについては、ステッドマン『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』(2010)から引用して、9月15日に記しています。ステッドマン、p.278、注2を引用しました。
1. Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604, Index & 2. Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
これを自分の目で確かめました。
1. Johannes Kepler, Ad vitellionem Paralipomena, Frankfurt, 1604
Index には、"Camera obscura res foris representans 51, 5" 数字はp.51 の l.5 という意味です。p.51 を見ると、次のようにあります。
PROPOSITIO VII. Problema.
In camera clausa, & in propositio pariete representare quicquid extra cameram e regione vel est, vel geritur, quod quidem in oculos incurrit
本文ではすぐにI. Bapsista Porta の自然魔術が言及されています。それに続く本文に"camera obscura" という用法はありません。最初に挙げた「閉じた部屋 camera clausa」を索引で「暗い部屋camera obscura」と言い換えたものです。ケプラーが"camera obscura"をはじめて使ったという言い方はできますが、これだけではケプラーが"camera obscura"というテクニカル・タームを造語したとは言えません。
2. Johannes Kepler, Dioptrice, Augusburg, 1611, p.16
p.16 の下側に次の言葉があります。
XLIII. PROBLEMA.
Super albo pariete pingere visibilia convexa.
In camera obscura lens convexa obsideat unitam fenestellam. Papyrus ad punctum concursus applicatur. Nam punctum rei visibilis super papyro, omnibus radijs, quibus in lentem raiat, rursum in unicum fere punctum colligitur. Constant vero visibilia punctus infinitis. Infinita igitur talia puncta pingentur super papyro, ide est tota rei visibilis superficies.
ここでケプラーははっきりと"camera obscura"という表現を使っています。ただし、前後を一生懸命追いましたが、この一箇所だけでした。テクニカルタームということで言えば、きっかけ・端緒・芽はあるが、発芽しただけで成長はしていないと判断する必要があります。
ウォットンによるケプラーの「小さい黒テント」に関する証言は、ステッドマン『フェルメールのカメラ:光と空間の謎を解く』(2010), pp.20-1 に十分な紹介があります。ウォットンの記述だけでは、ケプラーの「小さい黒テント」の正確な形態は決めがたいのですが、上に記述したフック型または上部に鏡をおいた潜望鏡型(ステッドマンはこれを想像しています)のどちらかだと思われます。ケプラーは、凹レンズをはずした望遠鏡を使っていますが、それは筒にはいった凸レンズを使ったということですから、望遠鏡という言葉に拘る必要はありません。普通の開口部に凸レンズを填めたカメラ・オブスクーラと記述して何ら問題ありません。意外なものにもカメラ・オブスクーラに関するきちんとした記述がありました。Adrian Johns, The Nature of the Book, Chicago, 1998 です。第6章が「読むことの生理学」です。この章のなかに、p.388 に 二つの図版が印刷されています。Fig.6.1 としてカメラ・オブスクーラとしての目。ひとつは、Beverwyke, Werken (BL, 773.k.6)。もうひとつがシャイナーのRosa Ursina.
p.390 に3点の図版。デカルトの『屈折光学』全集第6巻より。デカルト『人間論』全集11巻より。
p.391 にニュートンの目の図。CうLMS。あっD。3975,p.15 より。[科学大博物館]
『科学大博物館』にも「カメラ」や「カメラ・オブスクラ」の項目がありました。Ward が執筆しています。参考文献には、Rees 編の『シクロペディア』(London, 1819)、Gernsheims の『写真史』(London, 1969) とハモンドが挙げられています。「カメラ・ルシダ」の項もウォードが書いています。1807年、ウォーラストンがこの語を用いたとあります。「カメラ・ルシダ」の記述としてはこれでよいのではないかと思います。
[持田辰郎氏の2論文]
持田辰郎「アルハゼンとケプラーにおける視覚像―ケプラーの残した問題とデカルト・1」『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』第45巻第2号(2009): 9-22
持田辰郎「アルハゼンとウィテロにおける視覚像の神経伝達―ケプラーの残した問題とデカルト・2」『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』第46巻号第1号(2009): 1-26
ダウンロードしプリントアウトし読みました。視覚理論の歴史のなかで「ケプラーによる網膜像の発見は一時代を画す大きな出来事であった。」(論考1、p.9)我々は、網膜像の知識を前提としてしまいがちですが、これは、持田さんの言うとおりです。
アルハゼンは、水晶体前面(後面ではなく)に垂直に入射する光線がつくる正立像を目が対象から受け取る像だとしていた。
ケプラーは、そうではなく、水晶体の背面、即ち網膜にあらゆる角度から入っている光線がつくる像、左右も上下も逆転して映る像、あるいはpictura を人間が受け取る視覚像として正しく認識した。しかし、その倒立が「長い間、私を苦しめた。」(p.11)
ケプラーは、正立像を得ようと長期にわたり必死で努力したが、結局、問題解決を諦めた。
これは、忘れていた問題です。我々は倒立像をあたりまえだとしてその後のことは脳の働きに起因させますが、アルハゼンの光学(視覚論 perspectiva)の基本的考えをとれば、これは解決不能の大問題となります。次いで、次の論文を読みました。
Sven Dupré, "Inside the Camera Obscura: Kepler's Experiment and Theory of Optical Imagery," Early Science and Medicine, 13(2008): 219-244
これは、ああ、そういうことだったのかとちょっと意外でした。カメラ・オブスクーラの生み出す像といっても、(壁や紙にうつる)投射された像ではなく、鏡やレンズを用いてつくられる「空中のイメージ」もあります。デラ・ポルタは、『自然魔術』においてこの2つを混同しているということです。当時の言葉では、こちらは、マジックランタン(幻灯機)の系譜です。当時は、きちんと区別されることなく、投射された像と鏡やレンズのつくる虚像が自然魔術や知覚遊戯として愛好されていました。
デュプレの主張のポイントは、ケプラーが『パラリポメナ』(1604)で報告する、ドレスデンのクンストカマーにおけるカメラ・オブスクラ体験は、ルネサンスに流行したludus や lusus として位置づけなければならないという点にありますが、鏡による虚像というのは、ああ、そうだったか、と納得しました。
カメラ・オブスクーラを巡る先行研究でも、(カメラ・ルシダとの混同はほとんど回避されていますが、)この混同はまだかなり残っています。
[ケプラー光学]
ちびどもが起きる前に、次の論文を読みました。
Isabelle Pantin, "Simulachrum, species, forma, imago: What Was Transported by Light into the Camera Obscura?: Divergent Conceptions of Realism Revealed by Lexical Ambiguities at the Beginning of the Seventeeth Century," Early Science and Medicine, 13(2008): 245-269
論点がわかりやすく、正確に提示されている好論文です。サマリーをほぼ直訳してみます。
「ルネサンスの終わり、カメラ・オブクスクーラの実験を十全に理解するためには、光とイメージの関係の問題を扱うことが必要となった。ケプラーによれば、この実験は、光の幾何学と物理学は同一であって、形象(スペキエス)を運ぶ光線といったものは必要ないことを明らかにした。イエズス会士、フランシスクス・アギノリウスとクリストフ・シャイナーは、ケプラーのカメラ・オブスクーラの分析の優越性を認めつつ、古い形象の理論を保持した。シャイナーの態度はとくに重要である。彼はケプラーの証明法をほぼ完全に吸収したのに、伝統的な現実概念を保持し続けた。形象の媒介が、見られたものが実在の対象であることを保証するために欠くことができないと彼は信じ続けた。」
分析されている著作は、ケプラーでは、Kepler, Ad Vitellionem paralipomea, quibus Astronominae pars optica traduir , 1604. (Marginal Notes on Witelo, in which the Optical Part of Astronomy Is Treated)、アギノリウスでは、Franciscus Aguinolius, Opticae Libri VI (Antwerp, 1613)、シャイナーでは、Christoph Scheiner, Oculus, hoc est fundamentum opticum (Innsbruck, 1619)です。ちびどもがでかけてから、次の論文を読みました。
Alan Shapiro, "Images: Real and Virtual, Projected and Perceived, from Kepler to Descartes," Early Science and Medicine, 13(2008): 270-312
これはさすがシャピロ、という論文でした。ケプラーからはじまる光学革命について、基本的な見通しを与えてくれます。流れを把握するには最適の論文です。
やはりサマリーをほぼ直訳してみます。「『ウィテロ注解』(1604)で新しい視覚理論を提示するにあたり、ケプラーは、新しい光学概念、pictura すなわち、カメラ・オブスクーラのスクリーンに投射された像を導入した。ケプラーは、pictura を中世光学が想像力のなかにだけ存在するとした imagoとは別物だとした。1670年代までに、新しい光学像の理論が発展し、ケプラーのpictura と imago は、統一された像の2つの側面、実在像と仮想像、となった。新しい像の概念は、pictura の幾何学的位置は屈折した光線束の極限あるいは焦点にあるとし、imago の知覚された位置は単眼視の場合の3角形の頂点にあるとしたケプラーの考えから展開した。実在像と仮想像の区別は、おもに、ロベルヴァル、 Eschinardi、Dechalesによって進められた。」
論文の後半でシャピロは、ケプラー後の光学理論の統合について語っています。およそ1650年から1670年にかけて生じたとしています。ケプラーの後、光学を研究した流れ(学派)をおおよそ2つに分類しています。一つは、イエズス会で自然哲学に関心がありました。Christoph Scheiner, Francesco Eschinardi, Claude Francois Milliet Dechales, Francois d'Aguilon, Nicola Zucchi, Caspar Schott, Honoré Fabri, Andre Tacquetです。もう一つは、世俗の数学者たちで、カヴァリエリ、ロベルヴァル、ホイヘンス、ジェームズ・グレゴリー、イザック・バロー、ニュートン等からなります。
Kepler, Ad Vitellionem paralipomea , 1604
Scheiner, Rosa ursina (Bracciano, 1626-30)
Bonaventura Cavalieri, Exercitationes geometricae sec (Bologna, 1647)
Marin Mersenne, L'optique, et la cataptrique (Paris, 1651)
James Gregory, Optica promota (London, 1663)
Francesco Eschinardi, Centuria problematum opticum, 2vols. (Rome, 1666-68)
Fabri, Synopsis optica, 1667
Isaac Barrow, Optical Lectures, 1669
Dechales, Cursus seu mundus mathematicus, 3 vols. (1674)
William Molyneux, Dioptirica Nova, 1692
Christian Huygens, Dioptrica, 1703( started 1653)
Newton, Opticks, 1704 (ケプラーからちょうど100年です)ケプラーの光学について、日本語の先行研究がないかどうか探してみました。ちょっと苦労しましたが、田中一郎さんにそのものがありました。
田中一郎「ケプラー光学の展開と近代視覚理論の成立」『講座 科学史1』(伊東俊太郎・村上陽一郎編、培風館、1989):212-233
田中一郎「ガリレオの望遠鏡と近代光学をめぐって」『自立する科学史学』(高橋憲一他編著、北樹出版、1990), pp.46-63
ともに、研究室においています。明日大学に出たときに、見ます。
いまのグーグルでこうした論文集における共著論文を探すのは、まったく不可能というわけではありませんが、ちょっと苦労します。[科学の実践における表象]
夕刻、次の本が届きました。
Michael Lynch and Steve Woolgar (eds.), Representation in Scientific Practice, Cambridge, Mass.: MIT Press, 1990
目次は次です。
M. Lynch and S. Woolgar , "Introduction : sociological orientations to representational practice in science"
B. Latour,"Drawing things together"
P. Tibbetts,"Representation and the realist-constructivist controversy"
K. Amann and K. Knorr Cetina,"The fixation of (visual) evidence"
S. Woolgar,"Time and documents in researcher interaction : some ways of making out what is happening in experimental science"
M. Lynch,"The externalized retina : selection and mathematization in the visual documentation of objects in the life sciences"
F. Bastide,"The iconography of scientific texts : principles of analysis"
G. Myers,"Every picture tells a story : illustrations in E.O. Wilson's Sociobiology"
J. Law and M. Lynch,"Lists, field guides, and the descriptive organization of seeing : birdwatching as an exemplary observational activity"
L.A. Suchman,"Representing practice in cognitive science"
R. Amerine and J. Bilmes,"Following instructions"
S. Yearley.,"The dictates of method and policy : interpretational structures in the representation of scientific work"
リンチとウルガーの序にあるとおり、社会学的な方向性をもっています。STSの立場に近いと表現すればよいでしょうか。
事務棟3階で物品を受け取り、研究講義棟3階で2点郵便を受け取ってから研究室へ。まず捜し物。『講座 科学史1』はすぐに見つかりました。『自立する科学史学』は見つかりません。どこかに移動したのかもしれません。大きな本なのでそのうちの出てくるでしょう。
『講座 科学史1』所収の田中一郎「ケプラー光学の展開と近代視覚理論の成立」を読みました。ケプラー以前の光学の基本とケプラー光学の出発点はきちんと押さえられていると思いますが、「近代視覚理論の成立」は触れられていません。有用な論文ですが、ひとつ大きな疑問が生じました。田中さんは、レンズなしのカメラ・オブスクーラ、ピンホール・カメラでも像の逆転が生じることをご存じないかのような書き方をされています。像の逆転は、レンズ(凸レンズ)によって生じるかのように書かれています。
→ 14.10.16 http://optica.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post.html このサイトで「ピンホール現象とカメラオブスクラ写真の仕組み」が解説されています。カメラも写真も目も、ピンホール現象から説明しないと誤解を招くと思います。そこで明快に説かれている通り、ピンホールの場合、穴を小さくすると像ははっきりとするが暗くなります。逆に穴を大きくすると像は明るくなるがぼやけます。凸レンズはこの問題を解決します。穴をある程度大きくしてもはっきりとした像が得られます。像の逆転は、ピンホールによるものです。次いで図書館に行って、小林典子『ヤン・ファン・エイク:光と空気の絵画』大阪大学出版会、2003を借りました。図書館のなかでしばらく読みました。ある論文に、この書の3章が、リンドバークによって、中世の光学史を簡潔で明快に整理・解説しているとありました。ちょっと意外ですが、その通りでした。アリストテレス、アルハーゼン、ロジャー・ベーコン、ウィテロ、ペッカム等がしっかりとまとめられています。とくにスコラ哲学の扱いは貴重だと思われます。
時間になったので生協に行って昼食。それから研究室に戻ってまた捜し物。学部学生時代にコピーして紙のファイル(名前を忘れました)に綴じていた論文が見つかりました。Lindberg, "The 《Perspectiva Communis》of John Pecham: Its Influence, sources, and content," Arch. Intern. Hist. Sci. 1965, pp. 39-53; David Lindberg and Nicholas Steneck, "The Sense of Vision and the Origins of Modern Science," in Science, Medicine and Society in the Renaissance, edited by Allen G. Debus, 1972, pp.29-45 : Vasco Ronchi, "Complexities, Advances, and Misconceptions in the Development of the Science of Vision : What is being Discovered ? " Scientific Change, edited by A.C. Crombie, London, 1963, pp.542-561
Ronchi の論文を読み直しました。学生時代に読んだことは、書き込みでわかりますが、もちろん内容はまったく覚えていません。古い歴史記述ですが、こういう書き方の方がわかりやすいというメリットがあります。また、次の論文をネットで見つけることができました。
Koen Vermier, "The magic of the magic lantern (1660-1700): on analogical demonstration and the visualization of the invisible," BJHS, 38(2005): 127-159
やはり、マジックランタン(幻灯機)に関しても相当な混乱があるようです。
→ 14.10.16 p. 128 note 1 and p.129 note 7. マジックランタンの発明は、1659年、ホイヘンスである。今日の観点からは、ハイブリッド、カメラオブスクラ、ランタン、マジックランタン、太陽顕微鏡、投射顕微鏡、投射鏡、投射時計の組合せがつくられた、そして、そしてそれらを区別するのは簡単ではない。W. A. Wagenaar, "The true inventor of the magic lantern: Kircher, Walgenstein, or Huygens ?," Janus, 66(1979), 193-207 ; Laurent Mannoni, The Great Art of Light and Shadow: Archeology of the Cinema , ed. and trans. by R. Grangle, Exeter, 2000. 当時の人間は、カメラ・オブスクラ・ショーとランタン・ショーを混同して記述することが多い。1630年代のパリにはすでに恒常的な「カメラ・オブスクラ・ショー」があった。
この時代の光学装置を見るときに、必要な注意です。会議はスムーズに進んで、3時40分多磨駅発の電車に乗ることが出来ました。帰宅すると、息子が先に帰っていました。
次の本が届いていました。
Johannes Kepler,
Optics: Paralipomena to Witelo & Optical Part of Astronomy
translated by William H. Donahue, Santa Fe: Green Lyon, 2000
もとのラテン語版の形を活かしたほぼ直訳に近い英訳です。私にはこの形が助かります。(ラテン語のものと同じ索引が使えます。)(もうすこし注釈があってもよいように思いますが、それは要求が高すぎるでしょう。)
ともあれ、この英訳は、ケプラー研究だけではなく、光学史、天文学史に対する大きな貢献です。
ちなみに、William H. Donahue氏は、ケプラーの新天文学 Astronomia Nova(1609)も訳されています。Johannes Kepler, New Astronomy, 1993.
さらにちなみに、ケプラーの新天文学 は、1年前、邦訳が出版されています。ケプラー 『新天文学』(岸本良彦訳、工作舎、2013年11月)。『宇宙の調和』も訳されています。ケプラー『宇宙の調和』(岸本良彦訳、工作舎、2009年)。貴重な仕事です。
[ホックニー『秘密の知識』]
図書館で、ホックニーの『秘密の知識:巨匠も用いた知られざる技術の解明』( 青幻舎、2001、見開きで A3よりすこし大きい大型本)を借り出しました。持ち帰ってすこしだけ読みました。おお、これは、おもしろい書物です。お昼休み、図書館に行って本を1冊返し、1冊借りました。次。
ジャン・ピエロ・ブルネッタ『ヨーロッパ視覚文化史』川本英明訳、東洋書林、20103限4限5限の怒濤。
怒濤が終わって、6時4分多磨駅発の電車で帰ることができました。
[「レンズ」のキホン]
夜の間に、次の本が届いていました。
桑嶋幹『「レンズ」のキホン (イチバンやさしい理工系) 』 SB Creative、2010
初等的でありつつ、詳しいレンズと眼球の説明がほしいと思い、買ったものです。[橋本毅彦氏 UP 連載「学問と図像の形」]
橋本さんと中澤聡さんから 橋本さんのUP の連載、「学問と図像の形」シリーズを頂きました。橋本さん、中澤さん、ありがとうございます。
1.柱を越えて
2.東洋人の見た「機械の劇場」
3.デカルトの松果体
4.雷を見せる
5.ダーウィンのフィンチ
7.時計仕掛けの「小動物」
8.雲の形態学
9.ロージーのX線写真
10.レーダーの笛
12.長い今
13.愛宕の亀円
14.天の城
15.ブランのゲージ
16.古市の一日
17.養蚕の秘訣
18.ロッジの工場
19.シャボンの屋根
20.棒の海図
22.科学の寓意
23.和洋の合戦
24.冬の華
[ホイヘンス一家]
ウェブに、Bram Stoffele, "Christian Huygens - A family affair: Fashining a family in early-modern court-culture," Utrecht University, Master's Thesis, August, 2006
ホイヘンスファミリーを扱っています。器具製造の部分だけ読みました。これはとてもよい修士論文だと思います。このまま邦訳してもとてもおもしろいと思います。
終わってから、朝買ったパンを食べました。それからホックニーの『秘密の知識』からノートを取っていました。
いろいろ興味深いのですが、18世紀ロンドンの有名な器具メーカー、ジョージ・アダムスの商品カタログ(1765年頃)が欲しいと思いました。サイオプリトリック球、箱形カメラ・オブスーラ、アダムス式改良型カメラ・オブスーラ、プリズム、ゾクロスコープまたは立体版画を覗く装置、凸レンズ、凹レンズ、等々が掲載されているということです。調べてみると、ジョージ・アダムスは、一般聴衆相手の一種の入門書も数多く著しています。科学の普及とか、一般的な視覚文化といった場合、そういう書物が重要になります。
[数学的レクリエーションの系譜]
今回の調査ですが、数学的レクリエーションの系譜を確認する作業が残っています。日本語ではあの高山宏氏の世界です。高山さんが訳されたスタフォードの『アートフル・サイエンス』を今一度繙いてみました。
祖型的著作は、ヘンリー・ファン・エッテンだとあります。(p.41)ファン・エッテンの『数学レクリエーション』(ロンドン、1633)は、1624年ロレーヌで出版された本の翻訳だとあります。1628年のルーアン本は、版画を大胆に省略したものだそうです。
ファン・エッテン『数学レクリエーション』(ロンドン、1633)は、次。
Henry van Etten, Mathematicall Recreations, London, 1633
Recreation mathematicqve, composee de plusieurs problemes plaisants et facetievx, En faict d'Arithmeticque, Geometrie, Mechanicque, Opticque, et autres parties de ces belles sciences, Pont-à-Mousson: Jean Appier Hanzelet, 1624
研究によれば、この初版のあと、1629年から1680年までに、25のフランス語版が続いた。1694年、ジャック・オザナムの新版が現われ、さらにJean-Étienne Montuclaによる新しい版が現れて、 1790年までに20版を重ねた。1769年、Guyot が4巻本の百科事典的著作、『自然学と数学の新しい楽しみ』に変貌させた。
研究というのは、Albrecht Heeffer, Récréations Mathématiques (1624) A Study on its Authorship, Soureces and Influence, revised 7 Oct 2004 です。
アルブレヒトは、初版の著者は、エッテンでも、エッテンを偽名として使ったとされるLeurechonでもなく、初版に出版業者として名前を出すJean Appier Hanzeletその人だとしています。私は、十分納得できる論証がなされていると思います。ただし、BLのカタログ等、ほとんどの書誌がLeurechonを著者として挙げているという現状に鑑み、[Leurechon], Recreation Mathematique ( Pont-à-Mousson: Jean Appier Hanzelet, 1624) という表記を採用すると言います。過去の書誌との連続性を確保するためには、ありえる工夫です。
→ともあれ、このアルブレヒトの論文によって、かなり手間がかかると予想された数学リクリエーションの系譜を調べる作業に見通しがつきました。彼の研究は、起源(ソース)と影響(後代の受容)を扱っていますから、まさに系譜です。
アブストラクトでアルブレヒトは、『数学的リクリエーション』は科学と数学の歴史のひとつの転換点をしるすと言っています。それは16世紀に存在した二つの伝統、商業算術と自然魔術の伝統をひとつにし、そのあとに、ふたつの新しいジャンル、リクリエーション数学と大衆科学を生みだしたと主張しています。
ただし、「魔術」という語が指し示すものが当時と今では大きく変わっているので、その点の注意が必要である。たとえば、ウィルキンズの『数学魔術』は、天秤、テコ、くさび、滑車、車輪、カタパルト(投石機)、自動機械(オートマータ)、永久運動機関を扱っている。ウィルキンズは、機械がなす驚くべき仕事・動作を「数学魔術」と呼ぶ理由を次のように表現している。「この論述の全体を私が数学魔術と呼ぶのは、つぎの理由です。すなわち、ここに引用するような機械的工夫は、かつてそのように呼ばれていたこと、ならびに一般の見解ではこうした不思議な働きは魔術の力によるとされているという2つの理由によります。」
自然魔術のレシピ本として、 Hanzelet がもっともよく使ったのが、数年前に出版された Salomon de Caus, Les raisons des forces mouvantes, avec divers machines tant utiles que puissantes, auxquelles sont adjoints plusieurs de grotes & fontaines, Francfort, 1615) だということです。この書のタイトルが多くを語っています。この書の英訳が、de Caus, New and rare inventions of water-works shewing the easiest waies to raise water higher then the spring by which invention the perpetual motion is proposed, trans. by John Leak (London, 1659)
さて、 Salomon de Causは、庭師として有名なサロモン・ドゥ・コー(1576-1626)です。弟も同じ庭師のイサーク・ドゥ・コー(1590-1648)です。フランス人ですが、イタリアにもイギリスにもでかけて庭をつくっています。
→ドゥ・コーの本をダウンロードして見ていたら、見覚えがあります。このサイトでは、2013年3月22日(金)にベイトの『自然と技術のミステリー』(1634)からとった図とともに、ドゥ・コーの本からとったルネサンスの消防ポンプの絵も掲げています。図版はごくたまにしか載せないので、覚えていました。→ 14.10.22 自然魔術の伝統の代表格は、デラ・ポルタの『自然魔術』。空気装置、水力装置については、アレキサンドリアのヘロンのPneumaticaとMechanica。これについても、2010年5月8日と14日、そして、2013年2月2日に取りあげています。 「よく読まれたラテン語訳は、コマンディーノ訳のSpiritalium Liber,1575; Paris, 1583 です。Pneumatica と言う語は、ポルタが使っています。(出版は1601年。)」フランシス・ベーコンもヘロンのPneumaticaを使っています。デカルトも目にした噴水等の水力装置は、もうすこし注目すべきもののように思われます。
→ 14.10.22 アルブレヒトは、デューラーの『幾何学』にも触れています。デューラーは、職人層に属しますが、本を出版しています。ドイツ語で出版したものがラテン語訳されていますから、当時の知識人社会に認知されていたことになります。
まずは日本語からと思い、調べてみると、デューラーの本が邦訳されています。邦語訳の世界もなかなかすごい。
アルブレヒト・デューラー『「人体均衡論四書」注解』 中央公論美術出版、1995、¥31,320
アルブレヒト・デューラー『「測定法教則」注解』中央公論美術出版、2008、¥28,080
2次文献はたくさんあります。こんなものよく訳したな、すごいな。
[ストレーカー「ケプラー、ティコと天文学の光学部分」]
図書館から ILL で発注した次の論文がウェブで入手できるという連絡が来ました。
9時54分武蔵境発の電車で大学に到着してからすぐにダウンロードし、読みました。
Stephen Straker, "Kepler, Tycho, and 'The Optical Part of Astronomy': The Genesis of Kepler's Theory of Pinhole Images," Archive for History of Exact Sciences, 24(1981): 267-293
これはエクセラントな論文です。多くの人が引用しているのもよくわかります。お昼休みに総合文化研究所でコース会議。半時間程度で終わりました。
3限の時間帯に大学院の専攻会議。1時間程度で終わりました。
図書館から3時にILLで頼んだ次の論文が届いたというメールが来たので、すぐに取りに行きました。Wes Wallace "The vibrating nerve impulse in Newton, Willis and Gassendi: First steps in a mechanical theory of communication", Brain and cognition, 51(1)(2003): 66-94 ウェブにありますが、引用するときのことを考えて、正式バージョンを依頼しました。
次の論文をダウンロードしました。Ofer Gal and Raz Chen-Morris, "Baroque Optics and the Disappearance of the Observer: From Kepler's Optics to Descartes' Doubt," J.H.I., 71(2010): 191-217.
図書館にホルスト・ブレーデカンプの邦訳が揃っていることに気づきました。4時半からの会議の前、図書館に行って、まず次のものだけ借りました。ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰 : コレクションの宇宙』藤代幸一, 津山拓也訳、法政大学出版局、1996。残りは、実物を見てから、考えます。
会議が長引いて、やっと7時4分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。暗い雨のなか壊れかけの傘をさして帰ってきました。
(昨日からの続き)アルブレヒトの論文は、手品の書(conjuring Books)の伝統も取りあげています。pp.30ff .
驚き、驚異、不思議のパフォーマンスです。
英語で出版された最初の手品書のひとつは、トーマス・ヒルのNaturall and Artificiall Conclusions (London, 1581)です。この書物は、17世紀に入っても何度もリプリントされますが、『数学レクリエーション』と重なる内容を持ちます。ともに起源はイタリアにあります。例:「光または蝋燭を消えることなく燃え続けさせること」。「水中で蝋燭を灯すこと」等。自然魔術のレシピ本は、18世紀になるまで出版去れ続けるが、新しい展開には、数学レクリエーションのジャンルの方がフィットした。
次には「大衆科学 popular science」の伝統と取りあげます。pp.31ff. 自然の力に関する大衆の知識の普及は、自然魔術のレシピから手品の書(conjuring and parlour tricks)へと展開し、次の世紀も進展を続けた。そして、17世紀前半において、数学レクリエーションのジャンルが新しい大衆科学の書物のプロトタイプとなった。
3限4限5限の怒濤。9時42分武蔵境発の電車で大学に向かいました。スキャンをして、昼食をとり、図書館でホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓 : ライプニッツの「自然と人工の劇場」』(原研二訳、産業図書、2010)を見て借り出し、それからしばらく研究室で休憩してから3限の講義へ。合間に、Sven Dupré, "Kepler's optics without hypotheses," Synthese, 185(2012): 501-525 をダウンロードしました。読む時間はありませんでした。[ホルスト・ブレーデカンプの邦訳]
ホルスト・ブレーデカンプはドイツの美術史家ですが、相当科学史に関係する研究をしています。大学図書館には次の5点の翻訳がありました。今回の私の調査に大きく重なっています。
ホルスト・ブレーデカンプ『芸術家ガリレオ・ガリレイ : 月・太陽・手』原研二訳、産業図書、2012
ホルスト・ブレーデカンプ『古代憧憬と機械信仰 : コレクションの宇宙』藤代幸一, 津山拓也訳、法政大学出版局、1996
ホルスト・ブレーデカンプ『ダーウィンの珊瑚 : 進化論のダイアグラムと博物学』濱中春訳、法政大学出版局、2010
ホルスト・ブレーデカンプ『フィレンツェのサッカー : カルチョの図像学』原研二訳、法政大学出版局、2003
ホルスト・ブレーデカンプ『モナドの窓 : ライプニッツの「自然と人工の劇場」』原研二訳、産業図書、2010
(図書館にはまだ入っていませんが、次の本も今年出版されています。)ホルスト・ブレーデカンプ『ライプニッツと造園革命:ヘレンハウゼン、ヴェルサイユと葉っぱの哲学』原研二訳、産業図書、2014
[デューラー『「人体均衡論四書」注解』&『「測定法教則」注解』]
3時前後に駒場に到着。1号館の2階に寄ったあと、図書館へ。デューラーの『「人体均衡論四書」注解』と『「測定法教則」注解』を探しました。置いている場所を探し出すのに苦労しましたが、『「人体均衡論四書」注解』の方は地下1階の周密書架で見つけ、取り出して、一通り見ました。読んだのはわずかですが、全ページを見ました。これはこれでよいでしょう。次に、3階に上がって、『「測定法教則」注解』を探しました。なかなか見つかりません。カウフマンやプラーツ等、もしかしたら、関係するかもしれない本を書架から取りだして、立ち読みしました。カウフマンには関係する章がありました。(トマス・D・ カウフマン『綺想の帝国―ルドルフ二世をめぐる美術と科学』斉藤 栄一訳、工作舎、1995。第1章 自然の聖別―一五、一六世紀ネーデルラント写本装飾におけるだまし絵の起源;第2章 影の遠近法―投影理論の歴史;第3章 自然の模倣―デューラーからホフナーゲルへ;第4章 自然の変容―アルチンボルドの宮廷的寓意;第5章 ルドルフ二世の凱旋門―一五七七年のルドルフ二世ウィーン訪問時の天文学、技術、人文主義、美術―ファブリティウスの役割;第6章 プラハにおける「古代と近代」―アルチンボルドの素描と絹織物業;第7章 世界の掌握から自然の掌握へ―芸術室・政治・科学)
『「測定法教則」注解』の方はやっと探し出して、机でざっと見ました。読んでおく価値があります。三浦さんの解説にさっと目を通してから、借りることにしました。(この本の構成は、第1部『測定法教則』全訳、第2部解説(下村 耕史)、第2編数学史におけるデューラー(三浦伸夫)です。)
それから図書館へ行って、ILL で届いている本 ( John R. Millburn, The Adams of Fleet Street : instrument makers to King George III with the kind support of the Scientific Instrument Society London. Ashgate, 2000) を受け取り、研究所へ。金曜日5限の資料をスキャンをしました。
図書館へ。まず、次の本を受け取りました。
David Hockney, Secret Knowledge: Rediscovering the Lost Techniques of the Old Masters, New and Expanded Edition, 2006,
次に ILL で届いている次の論文を受け取りました。
W. A. Wagenaar, "The true inventor of the magic lantern: Kircher, Walgenstein, or Huygens ?," Janus : archives internationales pour l'histoire de la medecine et pour la geographie medicale, 66(1979): 193-207
Sven Dupré "Introduction. The Hockney-Falco Thesis: Constraints and Opportunities, " Early science and medicine, 10(2)(2005): 125-136
Christoph Lüthy "Hockney's Secret Knowledge, Vanvitelli's Camera Obscura," Early science and medicine, 10(2)(2005): 315-339
Philip Steadman,"Allegory, Realism, and Vermeer's Use of the Camera Obscura, " Early science and medicine, 10(2)(2005): 287-313
Antoni Malet, "Early Conceptualizations of the Telescope as an Optical Instrument," Early science and medicine, 10(2)(2005): 237-262
研究室にもどって、Wagenaar(1979) と Sven Dupré(2005)を読みました。なるほど。
午前中に新しい ISIS が届きました。Vol. 105, No.3 (Sep. 2014)です。ざっと見ました。書評に今の作業にぴったりのものがありました。Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura: Die Dunkelkammer in ihren historischen Entwicklung, Stuttgart: Franz Steiner Verlag, 2013, reviewed by Klaus Hentschel. クラウスによれば、器具の技術的記述と背景となる光学理論の記述にいくらか弱さが見られるが、カメラ・オブスクラを指す39もの用語を網羅している等、価値があるということです。理論的には、ルフェーブルが編集した『カメラ・オブスクラの内部に』の方を勧めるとあります。さもありなん。
[バルトルシャイテス邦訳]
ふと思い立って、研究室の本棚にあるバルトルシャイテスの本を取り出しました。内容的に関連する部分がありました。次の3冊です。
J.バルトルシャイテス『鏡』谷川あつし訳、国書刊行会、1994
J.バルトルシャイテス『アナモルフォーズ』高山宏訳、国書刊行会、1992
J.バルトルシャイテス『アベラシオン』種村季弘・巖谷國士訳、国書刊行会、1991
Laurent Mannoni, The Great Art of Light and Shodow: Archeology of the Cinema, translated and edited by Richard Crangle, Exeter, 2000
Lawrence Gowing, Vermeer, University of California Press, 1997Album of Scienceの翻訳を見たいので、再度、図書館に。邦語タイトルは、「マクミラン」世界科学史百科図鑑。いいのでしょうか。もとの英語のニュアンスを伝えるものではありません。ともあれ、最初の2冊を借りて、先ほど印刷を忘れていた5限の印刷をしてから、研究室へ。
午後、次の本が届きました。
Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura: Die Dunkelkammer in ihren historischen Entwicklung, Stuttgart: Franz Steiner Verlag, 2013
この書物によって、やっと、10月8日の疑問が解けました。Crary, Techniques of the Observer (1990; October Books, 1992) の図4です。出典は1ヶ月以上探し出せないままでした。
「4.p.49 Comparison of eye and camera obscura. Early eighteenth century. 図版の上に、Tom. VI. Lec. XVII (?).5. p.290」
これは、ノレ神父のものでした。この書物のp.196 に同じ図版が引用されています。
Jean Antoine Nollet, Leçons de physique expérimentale, Tome 5. Paris, 1771, Pl. 5.
フランス語ですから、ノレ神父のものかもという可能性は考えましたが、本を探し出してページを繰ることはしていませんでした。
些細なことですが、疑問が解消するとうれしい。
→最近はグーグルブックがあることですし、実物をダウンロードして確認することにしました。グーグルブックでは、第3版第5巻(Paris, 1765)が簡単に入手できます。この図版は、第3版第5巻(Paris, 1765)ではp.480 の対にあります。このグーグルブックの絵は、残念ながら折れています。この折れている絵のキャプションは、「[Tome]V. XVII. LEÇON. P.5.」です。
グーグルブックには第6版(1783)もあります。こちらもダウンロードしてみました。これは図版が折れていません。キャプションはまちがいなく「TOM. V. XVII. LEÇON. P.5.」です。
著者がわかるとネットで画像を探し出すのも格段に容易になります。
科学史博物館ノレ神父光学の項
せっかくですので日本語の先行研究を探してみました。とても寂しい状況です。ノレ神父を主題とするものは見つかりませんでした。18世紀においてはとてもおおきな存在です。すくなくとも基本をまとめる論文ひとつでもあった方がよいと思います。→14.11.16 Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Mtthias Müller, Camera Obscura ですが、2部に分かれていると見てよいでしょう。前半はp.113までで、Vorwort, Historie und Apparat, Bildwelten der Camera obscura, Nachbauten, Reflexionen zur visuellen Wahrnehmung からなります。後半は、ミュラーによるカタログ部分、すなわち、編年体でカメラ・オブスクラに触れている著作を短く紹介しています。最後は、文献リストと文献省略記号表。
→もとにもどって、このドイツ語のカメラ・オブスクラ研究書ですが、情報を網羅しようとしてくれている点が助かります。カメラ・オブスクラの異なる名称をリストアップしてくれています。pp.16-7
1292 Of Saint-Cloud: Domo clausa
1553 Cardano: Loco obscuro.
1604 Kepler: Camera clausa, Camera obscura.
1615 Risner: Locum lucis expertem.
1646 Kircher: Loco obscuro.
1651 Harsdörffer: Finstere Kammer, Camara[sic] obscura, finster Kasten.
1658 Schott: Loco obscurum, obscuro cubiculo, cubi parastatici, obscuro loco.
1660 Greiff: Dunckele Kammer, Camera obscura.
1662 Leurechon: Chambre close.
1663 Kohlhans: Cista visoris, finsterer Kasten, finstern Kammer.
1665 Grimaldi: Loco obscure, Cubiculus bene obscurati.
1666 Niceron: Camera occlusa.
1666 Mersenne: Frange noire.
1670 Heiden: Camera obscura, Oculus artificialis, Cistula optica
1677 Kohlhans: Finsteres Kästlein, Optico Libello, Panscopium Rostarum.
1687 Zahn: Locus obscurus, Cistula parastatica, Cistulae catoprico-parastaticae.
1704 Newton: Darkened Chamber
1705 Hooke: Perspective Box
1708 Sturm: Darken'd camera
1711 Gravesande: Chambre obscure
1722 Leupold: Camera catoptrica
1742 Molyneux: Dark Chamber
1762 Ledermüller: Dioptrische Machine
1764 Grandenigo: Camera ottica
1771 Nollet (dt. Übersetzung): Finstere Kammer
1784 Krünitz: Camera obscura, Camera optica, Finsterzimmer, verfinstertes Zimmer, Chambre obscure, Chamber noire
1791 Gehler: Verfinstertes Zimmer, dunkle Kammer, chambre obscure, chambre noire
1797 Gale: Dark Chamber
1855 Ersch und Gruber: Dunkel Kammer
1869 Guilemin: Chambre obscure, Chambre noire
1889 Meyers Konversations-Lexikon: Optische Kammer
1925 Meyers Konversations-Lexikon: Camera clara閉じた家、暗い場所、暗い箱、暗い部屋、夜の部屋、暗くされた部屋、光学の箱、光学的部屋、人工の眼、遠近法的箱、等々。
以上、18世紀の間も用語が固定せず、19世紀になっても固定していないことがわかります。20世紀のものは1点だけなので、正確には語れませんが、状況が変化したようには見えません。また、網羅的に見えて、ホイヘンスもボイルも取りあげていません。要するにこれはもっともっと膨らませることができるということです。
→ 14.11.17 せっかくですから、ガリカで検索をかけて、きれいな画像を探しました。上と同じ版に収録されている、きれいな画像はすぐに見つかりました。グーグルブックスはテキストにはよい(少々ゆがんでいてもテキストは読める)のですが、画像にはむきません。折れているのは使えません。
Aaron Scharf, Art and Photography, Penguin Books,
図書館の方から連絡があり、ILL で頼んだ次の論文は、ウェブに pdf がありますよ、と教えてもらいました。早速ダウンロードし、プリントアウトしました。
S. Dupre, "The historiography of perspective and reflexy-const in netherlandish art," Nederlands Kunsthistorisch Jaarboek, 61(2011): 35-60
私の関心に直接関与する内容ではありませんでしたが、必要な論点を提示していると思います。
考えるところがあって、ケラーの次の論文を読むことにしました。
Vera Keller, "Re-entangling the Thermometer: Cornelius Drebbel's Description of his Self-regurationg Oven, the Regiment of Fire, and the Early History of Temperature, " Nuncius, 28(2013): 243-275
好論文です。ケラーは、科学装置、科学器具の歴史研究として、Instruments of Science: An Historical Encyclopedia(London, 1998)(邦訳:橋本毅彦・梶雅範・廣野喜幸監訳『科学大博物館-装置・器具の歴史事典』 朝倉書店, 東京, 2005年3月, 829頁, ISBN4-254-10186-4, 26000円+税)、オサイリスの新シリーズの第9号(1994)、アイシスのフォーカス(2011)、『オクスフォード初期近代の哲学ハンドブック』(2011)におけるジャン−フランソワ・ゴーヴァンの記事「知識の器具」をあげています。
そのなかから、次の論文をダウンロードして読みました。
Liba Taub, "Introduction: Reengaging with Instruments," ISIS (Focus: The History of Scientific Instruments) , 102(2011): 689-696
ここ20年間ぐらいの科学装置、科学器具の研究史をまとめてくれています。書きだしは、「1994年オサリスの第9巻は、器具に焦点をあて、ファン・ヘルデンとハンキンズの編集で科学史学会により出版された。」です。特集は11のエッセイを含みます。ファン・ヘルデンが望遠鏡と権威について、ゴリンスキーがラヴォワジェの化学の証明の順序について、ブルース・ハントが電気の標準の発展について、デボラ・ワーナーが地磁気について、等々のエッセイを含みます。
駒場の図書館に用事ができたので朝一番で行ってくることにしました。井の頭線が混むといやなので、すこし遅めにでかけました。9時40分過ぎに駒場に着きました。正門ではなく薔薇を植えている所を通って図書館へ。次の3点をコピーしました。
Deborah Jean Warner, "What Is a Scientific Instrument, When Did It Become One, and Why?," British Journal for the History of Science, 23(1990): 83-93
Albert van Helden and Thomas L. Hawkins, "Introduction: Instruments in the History of Science," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 1-6
Thomas L. Hawkins, "The Ocular Harpsicord of Louis-Bertrand Castel; or, the Instrument That wasn't," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 141-156
OSIRIS, 2nd series は、雑誌のコーナーではなく、図書のところにあったので探すのにすこし手間取りました。
デボラの論文は、すぐに片隅のテーブルで読みました。エッセイ・レビューですが、私には意味のあるものでした。名前(命名法)は知覚におおきな影響を及ぼす。「自然哲学的装置・器具」は17世紀の間に「音楽装置、医療機器、数学器具」とは別個のものとして徐々に形成されていった。(私の気づいた範囲で)「(自然)哲学的装置」の最初の使用は、1649年ハートリッブがボイルに送った手紙中の "models and philosophical apparatus"である。新しい用語の意味は、グルーが1681年に出版した王立協会の所蔵品のカタログで明確に示されている。グルーは、伝統的な「数学に関係するものとしての」実用的道具 practical instruments と区別されるべきともとして「自然哲学に関する装置・器具」を挙げている。
18世紀、こうした「(自然)哲学的装置」は人気を博した。それは、科学研究にも使われたが、それよりもずっと教育的目的で使われた。もうひとつは、一種のショー(spectacular display)や娯楽(recreation)のために使われた。1747年、ジョセフ・ヒックマンは、「(自然)哲学的機器製造者 Philosophical Instrument Maker」という用語をはじめて用い、数学的機器製造業者 mathematical instrument maker や光学機器製造業者 opitical instrument makerと対置してみせた。18世紀中葉、この3つをすべてカバーする用語は存在しなかったのである。(光学装置とは、レンズ、鏡、プリズムを主たる要素とする装置と理解されていた。)
「科学者」とは違い、「科学的器具」の起源ははっきりしない。しかし、1851年の第1回万博がおおきなインパクトをもったことは間違いない。1世紀後、アメリカ人がスプートニックショックで NASA をつくったごとく、イギリスは、第1回万博における他国の進歩に驚き、すぐに技術教育を向上させるため「科学技術庁 A Department of Science and Art 」を設置した。プレイフェアは、その目的を「初等教育にふさわしい科学的ダイアグラムと装置の備え付けを監督すること」とした。私が見出した限りでは、英語の「科学的器具」の初出はアメリカで1847年であった。そこでも初等教育のための器具が意味されていた。
この新しい用語は、18世紀後半、フランスで誕生したようである。1787年フランス政府は、光学機器、数学機器、物理機器、そしてその他の科学的用途の装置を専門とする工兵隊=技師団を設置した。1830年代までにこの語は、研究と高等教育に適用されるようになっていた。1850年代には「現代科学器具」という表現が出現した。
ドイツ語の「科学的器具」という用語は、おそらく1830年代に使用されるようになった。
フランス語とドイツ語に共通する「科学的器具」の広い意味は、19世紀後半に英語圏に導入された。本日は以上で終了。すぐに取って返しました。予定通り、11時半前には帰り着くことができました。
帰宅してしばらくしてから、オサイリスの器具特集の序文を読みました。アイシスの1943年の号にコイレによる2頁の論考が掲載された。コイレはそこで「原著のものとまったく異なる概念と思考の習慣を我々の概念、我々の思考の習慣と取り違えてしまう危険がある」ことを正しく指摘した。そして、ガリレオの新科学対話の英訳でもとの comperioを英訳者は「実験によって発見した」と訳した事例を挙げた。確かに、ガリレオを我々と同じ実験科学者と位置づけるのは、時代錯誤である。しかし、コイレ自身同じ年にThe Philosophical Reviewで出版した論文や1953年出版の論文で、完全に観念論的プラトニスト的ガリレオ(科学においては理論が事実に先立つ。実験は専攻する理論を例証するものとしてのみ意味を有する)を描いた。すなわち、コイレの科学観をガリレオに読み込むという逆の錯誤をおかしたのである。
こういうふうにスタートし展開していきます。間違っているとは思いませんが、今、器具や装置を問題にするのであれば、もう一歩先に進んでおく必要があります。もうすこし具体的な科学器具・装置の形成を丁寧な文脈探査に基づき遂行すべきです。もちろん、個別の論考はその課題に一定程度答えています。
4時50分に駒場に着きました。1号館で判子を押してから、図書館へ。地下2階に降りて、次の論文のコピーを取りました。
Deborah Warner, "Terrestrial Magnetism: For the Glory of God and the Benefit of Mankind," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 65-841月3日の続き。グルーの本を確認しました。
Nehemiah Grew, Museum Regalis Societatis. Or A Catalogue & Description of the Natural and Artificial Rarities Belonging to the Royal Society And Preserved at Gresham College. Whereunto Subjoying the Comparative Anatomy of Stomachs and Guts , London, 1681
グルーは、王立協会の所蔵品を4部に分けて記述しています。第1部動物、第2部植物、第3部鉱物、第4部人工物(Artificial Matters)。第4部はまた4節に分けられています。第1節化学に関する人工物ならびに自然哲学の他の部分に関わる人工物、第2節数学に関わる人工物;さらにある種の機械学に関する人工物、第3節機械道具、第4章硬貨と古代に関係する事物。
ちなみにカメラ・オブスクラは項目として取りあげられていません。
昨日駒場でコピーをとったデボラの論文を読みました。
Deborah Warner, "Terrestrial Magnetism: For the Glory of God and the Benefit of Mankind," OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993): 65-84
水曜日にはタイトルから私の関心にはあまり関係しないと思ったのですが、半分は「科学的装置とは何か?」論文と重なる内容でした。そして半分がタイトルにある「地磁気の研究史」です。全面的にデボラの議論に賛成できるわけではないのですが、必要な方向の議論をある地点まで展開してくれています。今はっきりと明示的に指摘できるわけではないのですが、分類だけに止まらない科学史的内容・内実が必要なように思われます。
私の関心にとっては、光学の位置付けが重要です。
光学は、クーンのいう古典的物理諸科学(あるいは端的に古典的諸科学)、天文学、幾何光学、静力学、和声学、数学(クーンの順序では、天文学、和声学、数学、光学、静力学)のひとつです。クーンはこの5つを数学ともくくれるとしています。
18世紀の器具製造業者は、数学器具、光学器具、自然哲学(現在の科学器具)の3種類に分けるのが普通です。
アリストテレスの分類では、純粋の数学(算術と幾何学)と物質世界へ適用された数学=混合数学{天文学、音楽、光学、静力学}
大学の7科で教えられていたのは、幾何学、算術、天文学、音楽。
装置・器具が学問分類と別立てになるのに不思議はないのですが、どういう関係になるのかはしっかりと考察してみる必要があります。
[混合数学/実践数学]
"Aristotelian Mixed Mathmatics" で検索をかけたら、隠岐さんの論文が4番目に出てきました。次です。Sayaka Oki, "The Establishment of 'Mixed Mathematics' and Its Decline 1600-1800," Historia Scientiarum, 23(2013): 82-91. ちょうど10頁の論文です。最初は画面上で読んでいたのですが、鉛筆をもってよむ読書の習慣に従い、プリントアウトして読みました。隠岐さんが2013年にこの論文というのはちょっと意外だったのですが、簡潔・明瞭にポイントがまとめられていて、よくわかる論文です。ただし、私の関心からはすこしずれていて、数学と言った場合、(器具製造業者は実用の世界、実践の世界、商業の世界に住んでいるので)実践数学、実用数学の伝統との関連を私は知りたいと思っています。自分で調べろ、ということでしょうか。
ちなみに検索で3番目に出てくるのは、隠岐さんの注3)に挙げられているロレーヌの次の論文です。Lorraine J. Daston, "Fitting Numbers to the World: The Case of Probability Theory," History and Philosophy of Modern Mathematics, William Aspray and Philip Kitcher ed. (Mineapolis: University of Minnesota Press, 1988), 222-228. ページ数は、混合数学を扱っている箇所です。論文そのものは、pp. 221-237 です。
同じ検索でトップに来るのは次です。
John A. Schuster, "What was Early Seventeenth Century 'Physico-Mathematics'? Or, Did the 'usual suspects' aim to replace natural philosophy with mathematics, or to reform natural philosophy from within?"
2008年オクスフォードで開催された会議(Quadrennial Conference of the US, UK and Canadian History of Science Societies)のダブルセッション「分野を結合する:初期近代における数学と自然学、そして理性」で発表した原稿のようです。
非常に面白い議論を展開しています。私は、このシュースターの議論でよいと思います。
伝統的な混合数学という用語は、アリストテレス主義に属するもので、自然哲学と数学の間に存在し、それらに従属する専門分野であった。アリストテレスにとって、自然哲学の説明とは、質料と原因による説明であった。数学はそうではなかった。光学、機械学、天文学、音楽理論のような混合数学的諸科学は、原因の説明のために数学を用いるわけではなかった。物理的事物と過程を表象するために道具的に数学を利用した。たとえば、幾何光学は、光を光線として表象するため幾何学を用いた。
Physico-mathematicsは、自然哲学の数学化ではなかった。逆に、Physico-mathematicsは、既に存在していた混合数学的諸科学の自然哲学化(physicalization)であった。
Physico-mathematical Initiative は、16世紀に出現し始めた。たとえば、機械学を、とくに単純機械に対する動力学的なアプローチを自然哲学化する試みがあった。
自然哲学化する、すなわち、質料と原因の探究を付加することとなった。たとえばケプラーは、数理天文学を自然哲学化し、天体力学(天体運動の原因を研究する)を創始した。
ギルバートに触れる余裕はないが、一言だけ指摘すれば、ギルバートは混合数学ではなく、実践数学の材料を取り扱い、実践数学に存在したものを自然哲学化したのである。
実践数学のマスター、ステヴィンは、自然哲学の外から混合数学の分野に関与し、それを自然哲学の資産とするのを目指したのではなく、実践数学の領域を拡張し、体系化しようとしたのである。
全体として、通常、自然哲学の数学化と呼ばれる事態は、現実には、混合数学的諸科学の自然哲学化であったと言ってよいであろう。
文献としては4点を挙げていますが、最後のものが私の関心(実践数学の位置付けの変更の問題/実践数学の変貌)に沿うものです。
J. A. Schuster, 'Consuming and Appropriating Practical Mathematics and the Mixed Mathematical Fields, or Being 'Influenced' by Them: The Case of the Young Descartes', in Lesley Cormack (ed.), Mathematical Practitioners and the Trasformation of Natural Knowledge in Early Modern Europe [Chicago University Press, forthcoming ?!]
いつ出版されるのか不明ということでしょうが、この論文を入手して読むことができれば、私の関心に対する回答が部分的には見つかるように思われます。→すぐに読むことはできませんが、もう一度この問題を扱ってみたいと思ったので、シュースターの挙げる他の3点も挙げておきます。
S. Gaukroger and J. A. Schuster , “The Hydrostatic Paradox and the Origins of Cartesian Dynamics,”Studies in the History and Philosophy of Science 33/3 (2001), pp.535-572
J. A. Schuster , 'Descartes Opticien: The Construction of the Law of Refraction and the Manufacture of its Physical and Methodological Rationales 1618-1629' in S. Gaukroger and J.A.Schuster and J. Sutton (eds.), Descartes' Natural Philosophy: Optics, Mechanics and Cosmology ( London: Routledge:, 2000), pp.258-312.
J. A .Schuster, ‘Waterworld: Descartes Vortical Celestial Mechanics and Cosmological Optics―A Gambit in the Natural Philosophical Agon of the Early 17th Century’, in J.A.Schuster and P. Anstey (eds.), The Science of Nature in the 17th Century: Patterns of Change in Early Modern Natural Philosophy (Dordrecht: Kluwer/Springer, 2005), pp. 35-79
[混合数学/実践数学]
別のものを探していたら、次のものが pdf で見つかりました。
J. A. Schuster, 'Consuming and Appropriating Practical Mathematics and the Mixed Mathematical Fields, or Being 'Influenced' by Them: The Case of the Young Descartes',
2005年北京の国際科学史学会のシンポジウムで発表し、前に記した本に掲載される予定であったが、本の出版計画は2012年に頓挫した。シュースターは積極的にこうしたドラフトをネットに挙げています。研究室でのデスクワークの合間にシュースターの研究を探していました。全部かどうかはわかりませんが、多くの論文をネットに挙げていました。10点ほどダウンロードしました。読むことはできていないので、詳しくは、後ほど。
→大学にいる間に次の2点は、プリントアウトしました。
John A. Schuster and Craeme Watchirs, "Natural Philosophy, Experimental Discourse: Beyond the Kuhn/Bachelard Problematic," in H. E. LeGrand (ed), Experimental Inquiries (Dordrecht, 1990), 1-48
これは実際に出版されたバージョンの直前のバージョンだということです。英語で penultimate pre-publication version 。引用するためには、出版バージョンが必要ですが、論点を知るにはこれで間に合います。
Stephen Gaugroger and John Schuster, "The Hydrostatic paradox and the origins of Cartesian dynamics," Stud. Hist. Phil. Sci., 33(2002): 535-572
[数学と自然学]
ディーバスが次の論文で扱っています。A. G. Debus, "Mathematics and Nature in the Chemical Texts of the Renaissacne," AMBIX, 15(1968): 1-28
ディーバスはアリストテレスの立場として『形而上学』第2巻第3章の末尾の言葉を引用します。
ここは岩波文庫訳で引用しましょう。「ところで、数学的推理におけるがごとき厳密さは、あらやる対象について要求されるべきでなくて、ただ質料を具有しないものの場合にのみ要求されるべきである。まさにそれゆえに、この数学の方法は自然学の方法ではない。そのわけは、おそらく、およそ自然は、すべて質料を具有しているからであろう。それゆえに我々は、まず第一に自然のなにであるかを考究せねばならない。そうすればまた、自然学がなにものを対象とするかも明らかになるであろうから、また果たして原理や原因を研究するのは或る一つの学のすることか多くの学のかも・・・。」(p.78)
最後の・・・は原文のものです。
数学の方法は自然学の方法ではない、自然学は質料を有するものを対象とするので数学的な厳密さを要求できない、数学的厳密さを要求できるのは質料を有しない対象だけである、アリストテレスははっきりと述べています。結局、昨日大学でプリントアウトした論文を読んでいます。Stephen Gaugroger と John Schusterの共著論文「流体静力学のパラドクスとデカルト動力学の起源」はよく書けた論文だと思います。デカルトの宇宙論(機械論的宇宙論の形成)に体系的で一貫した解釈を与えることに成功していると思います。
アブストラクトをざっと訳してみましょう。17世紀の最初の何十年か、実践数学、とくに静力学と流体静力学にもとづき、動力学的用語法をつくろうとする様々な動きがあった。この論文は、偽アリストテレスの機械学の伝統とアルキメデス的アプローチを対比させた上で、アルキメデス的アプローチのなかで静力学と流体静力学の概念を比較し、そうした概念のステヴィン、ベークマン、デカルトにおける展開の試みを探る。この論文の核心部分は、デカルトの流体静力学へのアプローチとなるが、同時代のものとまったく異なることが示される。とりわけ、デカルトは、流体静力学に自然哲学的根拠を与えようとした点が特筆される。同時にデカルトは、流体静力学を用いて一連の概念、アプローチ、思考法を発展させ、問題を解こうとした。こうした一連の概念等が光学と宇宙論の成熟した思考を形作った。
実践数学としては、著者たちは、幾何光学、位置天文学、和声学、気体静力学、流体静力学をあげ、アレキサンドリアで開発されたとします。
著者たちは、アリストテレスの『分析論後書』の重要な箇所も引用してくれています。Post. Anal., 75b14-16 "the theorem of one science cannot be demonstrated by means of another science, except where these theorems are related as subordinate to superior: for example, as optical theorem to geometry, or harmonic theorems to arithmetic,"
John A. Schuster と Craeme Watchirsの共著論文は、必要な作業をしていると思いますが、独特の用語に引っかかるかもしれません。私自身、クーンとバシュラールの問題構成には見直しが必要だと感じているので、こちらはじっくりと取り組みたいと考えています。
坂本邦暢氏の推薦で、次の書評をダウンロードしプリントアウトし読みました。
有賀暢迪・中尾央「<書評>認識論的徳としての客観性:イメージから見える科学の姿(エッセイ・レビュー:L. Daston & P. Galison, Objectivity)」『科学哲学科学史』4(2010): 127-136
400頁を越える大著をエッセイレビューの対象とされた点、まず賞賛したいと思います。
帰宅すると次の本が届いていました。 マーティン J.S. ラドウィック『化石の意味―― 古生物学史挿話』 菅谷暁・風間敏訳、みすず書房、2013 さっそく訳者の後書きだけ読みました。次の日の朝、序文を読みました。この書は、科学者=歴史家の最良の歴史記述のひとつだと思います。
夕刻、次の本が届きました。
田中純『イメージの自然史:天使から貝殻まで』羽島書店、2010
昼食後、図書館に本を返して、すこし前の『ユリイカ』に掲載された小谷真理さんの傑作論文「ルイス・キャロルの写真論」を読んでいました。なるほど傑作です。
→小谷真理「キャロル狩り」『ユリイカ 臨時増刊号 総特集:150年目の『不思議の国のアリス』』(青土社,2015)
編者高山宏氏によれば、「現在望み得る最強の執筆陣を誇る同誌上で、しかし一番ぼくを驚かせたのは降臨女神、小谷真理のキャロル写真論であった。」
まさに!
時計を見ずに図書館に着いたら、まだあいていませんでした。2分ほど待って中に入り、ILL で届いていた次の3点を受け取りました。
Filippo Camerota, "Looking for an Artificial Eye: On the Borderline between Painting and Topography," Early science and medicine, 10(2005): 263-286
Sven Dupré, "Optics, Pictures and Evidence: Leonardo's Drawings of Mirrors and Machinery," Early science and medicine, 10(2005): 211-236
A. Mark Smith, "Reflections on the Hockney-Falco Thesis: Optical Theory and Artistic Practice in the Fifteenth and Sixteenth Centuries, "Early science and medicine, 10(2005): 163-186
本日の会議は2時半から4時半までの予定でしたが、4時前に終わりました。研究室に戻ると、図書館から次の本が入荷していると連絡があったので、早速受け取りに行きました。
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編(土屋紳一・大久保遼・遠藤みゆき)『幻燈スライドの博物誌:プロジェクション・メディアの考古学』青弓社、2015
あまり期待せずに発注したのですが、電車を待ちながら読んでいると、これはちょうどよい書物でした。教科書的記述がしっかりとしています。また青弓社は視覚文化叢書というのを出しているのを知りました。
→ 15.4.29 視覚文化叢書は次です。
視覚文化叢書 1 :ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修 , 佐藤守弘 , 岩城覚久訳、青弓社、2010
視覚文化叢書 2 :長谷正人『映画というテクノロジー経験』青弓社、2010
視覚文化叢書 3 :佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』青弓社、2011
視覚文化叢書 4:大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
これは、今の私には価値あるシリーズです。たぶん、入手することになると思います。
- 2015.5.1(金)
午後、次の本が届きました。
David Robinson,
Lantern Image: Iconography of the Magic Lantern, 1420-1880,
The Magic Lantern Society, 1993
→ 15.5.2 ふと気づいたことがあります。スライドプロジェクターが消えつつあるということです。ネットで調べてみると、スライドプロジェクターを製造販売していた「キャビン工業は2007年1月より、スライド映写機などの営業活動、マーケティング業務を浅沼商会に移管し、営業活動を停止しました」 とありました。アマゾンでは、キャビン工業の入門機のみまだ販売しています。古いスライドプロジェクター を調整の上、販売している業者はまだ存在していますが、いつまで営業を続けるかはわかりません。学校の倉庫等には数多くの スライドプロジェクターが眠っているのでないかと想像されます。- 2015.5.6(水)
4月28日に入手した、 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編(土屋紳一・大久保遼・遠藤みゆき)『幻燈スライドの博物誌:プロジェクション・メディアの考古学』青弓社、2015、をきっかけに、新しい分野が開けました。
鷲谷花さんのつぶやき
enpaku 早稲田大学演劇博物館
神戸映画資料館鷲谷花「コマの中の人間 1924〜1951」『文学研究論集』15(1998), 109-128 鷲谷花「初期児童漫画の成立」『文学研究論集』16(1999 ), 31-44
鷲谷花「怪人、帝都を席巻す : 『怪人二十面相』と『少年倶楽部』の地政学」『文学研究論集』17(2000), 71-81
鷲谷花「切断と連続:児童文化における<戦前>,<戦中>,<戦後>をめぐる覚書 」『文学研究論集』19(2001), 25-32
鷲谷花「戦後労働運動のメディアとしての幻灯 : 日鋼室蘭争議における運用を中心に 」『演劇研究 』 36( 2012), 81-91
以上、すぐにダウンロードできる鷲谷花さんの論文をリストアップしています。鷲谷花さんは、とても興味深い研究をなされています。- 2015.5.8(金)
デスクワークをしていると、図書館に本が届いたという報せがありました。またすぐに図書館へ。次の4冊を受け取りました。
視覚文化叢書 1 :ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修 , 佐藤守弘 , 岩城覚久訳、青弓社、2010
視覚文化叢書 2 :長谷正人『映画というテクノロジー経験』青弓社、2010
視覚文化叢書 3 :佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』青弓社、2011
視覚文化叢書 4:大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
どれもあとがきだけ読みました。3と4は博士論文です。バッチェンの書物は、写真論についての基本書です。そういう位置付けで翻訳されています。- 2015.5.11(月)
帰ると次の本が届いていました。
清水勲『漫画の歴史』岩波新書、1991
表紙裏に「漫画は、大量印刷が可能になって初めて民衆のものとなった。一八三〇年代にパリで創刊された風刺新聞『カリカチュール』と、同時期に江戸で大評判になった『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどう本書は、風刺画・戯画から劇画・コミックまで、豊富な図版で傑作を紹介し、巻末に詳しい人物略歴・年表を付す」とあります。
清水勲(しみず・いさお)さんは、1939年生まれ(現在76歳)の漫画研究家です。編集者として働いたあと、1984年より研究・著作に専念しているそうです。2万点の漫画を収集しているとのこと。いま漫画という言葉でイメージされるストーリー漫画ではなく、それ以前の漫画(一枚絵漫画、風刺画)が専門です。ジョルジュ・ビゴーやワーグマン等幕末から明治の日本で活躍した風刺画家について第一人者のようです。- 2015.5.12(火)
2限の会議が終了後、図書館に赴いて、ILL で届いている次の2点を受け取りました。
Sara J. Schechner, "Between Knowing and Doing: Mirrors and Their Imperfections in the Renaissance", Early science and medicine, 10(2)(2005): 137-162
Yvonne Yiu, "The Mirror and Painting in Early Renaissance Texts ", Early science and medicine, 10(2)(2005): 187-210
研究室に戻りお弁当。お弁当を食べ終わると、やはり図書館からILL で次の3点が届いたという連絡があったので、すぐにとりに行きました。
鷲谷 花 「廃墟からの建設--戦時期日本映画における《アメリカニズム》の屈折 」『映像学』79(2007): 5-22
鷲谷 花 「昭和期日本における幻灯の復興 : 戦後社会運動のメディアとしての発展を中心に 」『映像学』87(2011): 5-23
鷲谷 花 「「生活芸術」としての幻灯 : 東大川崎セツルメントによる幻灯創作活動を中心に」『映像学』90(2013): 5-26
すぐに3限の会議。こちらは研究科執行部の打ち合わせです。終わってから、本日唯一会議のない時間帯。鷲谷 花さんの3点の論文を読みました。どれも好論文です。個人的にはとくに「廃墟からの建設--戦時期日本映画における《アメリカニズム》の屈折 」は傑作論文だと思います。映像学の分野にどういう賞があるのかまったく知りませんが、評論賞のような賞に値する論文と思います。- 2015.5.13(水)
会議に関わらない時間で機関リポジトリ等ウェブで入手できる次の論文をダウンロードして読んでいました。どれも好論文です。しかもとてもおもしろい。
大久保遼「キノドラマとキネオラマ:旅順海戦と近代的知覚」『映像学』 80(2008): 5-24
大久保遼「明治期の幻燈会における知覚統御の技法:教育幻燈会と日清戦争幻燈会の空間と観客」『映像学』 83(2009): 5-22
大久保遼「眼の規律と感覚の統御:19世紀末の教授理論における「感覚」の位置」『社会学評論』 62(2011): 85-102- 2015.5.18(月)
そのまま図書館にでかけ、届いている本6冊を受け取りました。
2点は、京都大学出版会が出したテオフラストスの『植物誌』1&2.4点は、青弓社が出版した『写真空間』(1)〜(4)です。
『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』だけをカバンに入れ、帰途。全員帰っていました。
『写真空間』の書誌は次。
『写真空間〈1〉特集 「写真家」とは誰か』青弓社、2008
『写真空間〈2〉特集 写真の最前線』青弓社、2008
『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』青弓社、2009
『写真空間〈4〉特集:世界八大写真家論』青弓社、2010
- 2015.5.19(火)
研究室で読んだのは、甲斐義明「ジェフリー・バッチェンと「写真への欲望」――写真史はいかにして可能か」『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』所収、ならびにテオプラストス『植物誌1』の訳者小川洋子氏の解説です。テオプラストスの人と仕事の解説は勉強になりました。とくに『植物誌2』の解説には、現地を尋ねて、ギリシャ(地中海世界)の植生を目の当たりにする体験が書かれています。感動が伝わる文章になっています。昨日持ち帰った『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』ですが、写真論のよい教科書に仕上がっていると思います。目次は次です。
第1章:城丸美香「ヴァルター・ベンヤミン――写真のアクチュアリティを追求した知覚の学としての写真論」
第2章:三浦なつみ「ロラン・バルト――個と普遍の接合可能性」
第3章:内野博子「アンドレ・バザンからケンドール・ウォルトンへ――写真的リアリズムの系譜」
第4章:末廣 円「ヴィレム・フルッサー――「テクノコード」としての写真」
第5章:中川裕美「ジョン・シャーカフスキー――制作者としての写真理論とキュレーション」
第6章:生井英考「スーザン・ソンタグの修辞学――『写真論』の前と後」
第7章:平芳幸浩「ロザリンド・クラウス――指標としての写真」
第8章:前川 修「アラン・セクーラの写真論――写真を逆撫ですること」
第9章:甲斐義明「ジェフリー・バッチェンと「写真への欲望」――写真史はいかにして可能か」
他に連載として次の記事。
堀 潤之「映画にとって写真とは何か3」
長谷正人「ジオラマ化する世界3」
金子隆一「写真展評3」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌3」
清水 穣「逸脱写真論3」
犬伏雅一「視覚文化論の可能性を問う3」
→日本におけるジェフリー・バッチェンの第1人者は、8章を書いている前川修さんのようです。前川修さんの論文を7点ダウンロードしました。ベンヤミン、タルボット、ヴァナキュラー写真論を扱っています。→せっかくですので、その他の号の目次もとっておきます。
『写真空間〈1〉特集 「写真家」とは誰か』青弓社、2008の目次。
はじめに 青弓社編集部
序章 写真家はどこへ
多木浩二「写真家とは誰か」
第1章 歴史のなかの写真家
前川 修「アマチュア写真論のためのガイド」
佐藤守弘「観光する写真家」
第2章 越境する写真家
林 道郎「現代美術のなかの写真(家)」
菊地 暁「ニッポンの民俗写真、あるいは〈民俗学者〉としての写真家 」
第3章 写真家の現在
土屋誠一「デジタルイメージは写真か――写真の消滅とイメージへの責任」
楠本亜紀「ドキュメンタリー写真の地平、の一歩手前 」
第4章 消失する写真家
杉田 敦×竹内万里子「対談 「写真/写真家」から遠く離れて」
連載
金子隆一「写真展評1」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌1」
清水 穣「逸脱写真論1」
犬伏雅一「視覚文化論の可能性を問う1」
堀 潤之「映画にとって写真とは何か1」
長谷正人「ジオラマ化する世界1」
『写真空間〈2〉特集 写真の最前線』青弓社、2008の目次。
はじめに 青弓社編集部
第1章 写真とその背景の現在
光田由里「写真と展示の現在――二つのメディアの時間と場所」
増田 玲「美術館と写真の現在」
中村史子「アーカイブと写真の現在――二つのアーカイブから浮かび上がること」
第2章 写真とその表現の現在
小林美香「ニューヨークで見る、日本の写真の現在――Heavy Light:Recent Photography and Video from Japan」
戸田昌子「写真集の現在――写真集の物語を読む」
杉田 敦「このすばらしい視えない世界」
倉石信乃「彼女のワンピース――被爆資料と写真の現在」
第3章 写真とその技術の現在
普喜多千草「及するデジタル写真技術がもたらすものについて」
小池隆太「ケータイ写真の現在――遍在する「私的フレーム」」
前川 修「デジタルが指し示すもの――デジタル写真試論」
連載
長谷正人「ジオラマ化する世界2」
金子隆一「写真展評2」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌2」
清水 穣「逸脱写真論2」
犬伏雅一「視覚文化論の可能性を問う2」
堀 潤之「映画にとって写真とは何か2」
『写真空間〈4〉特集:世界八大写真家論』青弓社、2010の目次
はじめに 青弓社編集部
第1章:日高 優「写真の森に踏み迷う――ウィリアム・エグルストンの世界」
第2章:調 文明「ジェフ・ウォール――閾を駆るピクトグラファー」
第3章:清水 穣「コラージュとプレゼントネス――スティーヴン・ショアとマイケル・フリード」
第4章:鈴木恒平「グローバル化した「ドイツ写真」のデュアリズム――アンドレアス・グルスキー」
第5章:荻野厚志「森山大道にまつわるいくつかのクリシェ、あるいは回帰するポエジー」
第6章:林田 新「写真を見ることの涯に――中平卓馬論」
第7章:前川 修「写真という囮、写真史という囮――杉本博司の「写真」 」
第8章:鈴木理策 松田貴子 「「見ること」の問題――」
連載
堀 潤之「映画にとって写真とは何か4」
伊勢功治「一九二〇―三〇年代の日本の写真雑誌4」- 2015.5.20(水)
写真史・写真論に関しては、前川修さんのサイトがとてもよくできています。
また、関係しそうだということで、A. Mark Smith, From Sight to Light: The Passage from Ancient to Modern Optics, Univ of Chicago Press, 2014 を発注しました。1ヶ月ぐらいでは届くようです。- 2015.5.21(木)
『写真空間』の論考を読む作業を続けています。犬伏雅一さんのものは全部読みました。視覚文化論というジャンルの形成史がおおよそ見えてきました。外語図書館に雑誌があることが判明したので、昼食後、図書館に行って、次の論文のコピーを取りました。
犬伏雅一「視覚文化研究の可能性:ロザリンド・クラウスと「アンフォルム」」『藝術:大阪芸術大学紀要』34(2011): 12-26
この雑誌を手にとるのははじめてです。カラー印刷のずいぶん立派な=お金のかけた紀要雑誌です。他に犬伏雅一の論考を2点 ILL で発注しました。来週中に届くでしょう。- 2015.5.22(金)
3時過ぎに図書館より昨日頼んだコピーが届いたという連絡がありました。月曜日の朝受け取ります。
犬伏雅一「写真装置のアルケオロジー」『映像学』53(1994): 37-53
犬伏雅一「写真による報道--事実性神話の成立と崩壊」『映像学』51(1993): 5-20
- 2015.5.23(土)
朝のうちに、木曜日にコピーをとった次の論文を読みました。
犬伏雅一「視覚文化研究の可能性:ロザリンド・クラウスと「アンフォルム」」『藝術:大阪芸術大学紀要』34(2011): 12-26
予想していたものとはかなり違っていました。ふと、犬伏雅一さんはおいくつなんだろうと思い、ネットで検索をかけてみました。1950年生まれとありますから、今年65歳です。文章から私よりもひとつ上の世代の方かな、と思ったら、その通りでした。私の8歳年上。私の大学だと、現学長と社会学者の中野先生が同じ学年です。
さて内容ですが、視覚文化研究の定義を提示されています。「視覚文化論とは、文化と関わる視覚的なすべてのものを、既存の学問領域設定を横断するかたちで、およそポスト構造主義的な理論装置を使って、批判的に解明する活動」(p.13)。1980年代末に本格的に登場してきた。クラウスはその主役の一人。雑誌『オクトーバー』の創刊(1976)がひとつの転機となっている。
視覚文化論(Visual Cultural Studies)の形成を見るには、「ニュー・アート・ヒストリー」の形成展開と「カルチュラル・スタディー」の形成展開を踏まえておく必要がある。お昼下がり、次の本が届きました。
A. Mark Smith, From Sight to Light: The Passage from Ancient to Modern Optics, Chicago: University of Chicago Press, 2014
全部で9章です。第1章が序、第2章が「科学としての光学の出現:ギリシャとグレコーローマ」、第3章が「プトレマイオスとギリシャ光学の興隆」、第4章が「グレコーローマと初期アラビアの展開」、第5章が「アルハーゼンと大統合」、第7章が「中世ラテンヨーロッパの展開」、第7章が「中世後期とルネサンスにおけるパースペクティヴィスト光学の同化」、第8章が「ケプラーによる転換と技術的背景」、第9章が「17世紀の反応」です。これだけもポイントの置き方はかなりわかります。一言でまとめてしまうと、ケプラーにおいて視覚(視線の幾何学)の理論から、光の理論(光学)へ変貌したという主張です。目新しくはありませんが、きちんとポイントをフォローしているということのようです。- 2015.5.25(月)
図書館へ行って次の論文を受け取りました。
犬伏雅一「写真装置のアルケオロジー」『映像学』53(1994): 37-53
犬伏雅一「写真による報道--事実性神話の成立と崩壊」『映像学』51(1993): 5-20
研究室に戻り、早速読みました。私にはちょっと不思議な論文でした。- 2015.5.29(金)
今年月曜日3限のゼミで扱っているのは、視覚文化論に関係します。昔使った、クレーリーの『観察者の系譜』はまだ見つけだすことができていませんが、研究室の諸所に視覚文化論関係の図書がありました。棚から引き出して、机の上に並べています。せっかく片づけているのに、デスクトップは元の木阿弥ですが、こればかりは必要な作業です。
そういえば、昔ゼミでジョン・バージャーとか基本文献を読んだよなと思い出して、そのときの記録がないかどうか調べてみました。2000年のゼミで扱っていました。
2000年度科学思想史演習文献表
外語が西ヶ原から朝日町に移転した年です。ですから、この文献表を配ったのは西ヶ原キャンパスです。このゼミで勉強して、ほんとうによい卒業論文を書いてくれた学生がいました。
そのとき使ったクレーリーは見つからないままですが、ふと私の背中側の本棚に視覚論をまとめてあることを思い出しました。一番下は、隠れています。前の荷物を退かし、懐中電灯を持ち出して、棚にある本をすべて確認しました。とりあえず今必要なものとしては次のようなものがあります。
ジョン・バージャー『イメージ:視覚とメディア』伊藤俊治訳、PARKO出版、1986、2060円
ジョン・バージャー『見るということ』笠原美智子訳、白水社、1993、2500円
ハル・フォスター編『視覚論』槫沼範久(くれぬま・のりひさ)訳、平凡社、2000
エルヴィン(アーウィン)・パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』木田元監訳、哲学書房、1993
このときは、ジャンルとしての「視覚文化論」に焦点があっていたわけではないので、ロザリント・クラウスの『オリジナリティと反復』(小西信之訳、リブロポート、1994)やクラウスほかの『アンフォルム―無形なものの事典』(月曜社、2011)(出版が2011年なので2000年の文献表にないのは当たり前!)は入っていません。
また、昨日から石岡良治『視覚文化「超」講義』(2014)を読み始めています。キッチュとか、ああ、そういうのも読んでいたなと思い出しました。→全部を精読したわけではありませんが、ある程度まで読みました。理論的整理を期待したのですが、そういう種類の書物ではありませんでした。関心が違うのは、致し方有りません。- 2015.6.3(水)
「視覚文化論」
「視覚文化論」に関してきちんとした見通しをもっておく必要があると気づいて、関連する論考を探し、読んでいます。夕食後読んだのは次の2点。
生井英考「視覚文化論の可能性」Rikkyo American Studies 28(March 2006): 7-24
門林岳史「ブックナビゲーション:視覚文化論の向こう側」(2006)
門林さんのものは、文献がきちんと挙げられていて、私には助かります。その半分ぐらいはすでに読んでいて、半分ぐらいは、そういうのもあるんだ、そういう繋がりもあるんだというものでした。
ですから、私も関心としては、片足をすでに「視覚文化論」においていたという表現が許されると思います。もう片足の置き方は、もちろん、ここで取りあげられている方々とは別の地点になります。
門林さんは、文化論的転回には、「それを根元的に支える説明原理を欠いている」と書かれています。その通りだと思います。
たぶん同じことを生井さんは、「視覚文化論はあくまで相乗りバスであり、それもこの10年は一種のバンドワゴンだった」と評されています。→Rikkyo American Studies 28(March 2006)は、視覚文化論を特集しています。(序が生井英考氏の「視覚文化論の射程と可能性―「文化」概念変容との関わり―、2回目が小林憲二氏の「アメリカの文化表現― Stowe 夫人とThomas Dixon―」、第3回目が榑沼範久氏の「<フラットベッド画面>論の再検討―文化生態学的な絵画システム論、そして画面および<人間>の歴史的・批判的存在論に向けて―」、第4回目が日高優氏の「Stephen Shore 『The Nature of Photographs』を手掛かりに、視覚文化論の可能性を考える」)ネットで他のものを探しました。まず、次の論文が見つかりました。
榑沼範久「美術史と「他の批評基準」」Rikkyo American Studies 28(March 2006)
榑沼範久さんは、見たことがあるなと思ったら、ハル・フォスターの翻訳者(『視覚論』平凡社、2000)でした。むしろそれよりも、私の大学の後輩でした。科学史・科学哲学の後輩でした。私とはたぶん入れ違いです。「美術史と「他の批評基準」」は、半分は東大本郷の美術史と美学のゆがんだ制度史(の思い出)です。半分は、スタインバーグの"Other Criteria" に関するものでした。これはとてもよくわかる問題関心でした。なるほど。私もスタインバーグを読んでみようと思います。
ということで、棚のなかからハル・フォスター編『視覚論』(榑沼範久訳、平凡社、2000)を救出しました。目次は次です。
ハル・フォスター「序文」
マー ティン・ジェイ「近代性における複数の「視の制度」」
ジョナサン・クレーリー「近代化する視覚」
ロザリンド・クラウス「見る衝動/見させるパルス」
ノーマン ・ブライソン「拡張された場における〈眼差し〉」
ジャクリン・ローズ「セクシュアリテ ィと視覚―いくつかの疑問」
クラウスとブライソンの間に全体討議1、最後に全体討議2 が付されています。
これは、ディア芸術財団が1987年にハル・フォスターをオルガナイザーにはじめたシンポジウムを書籍化したものです。具体的には、1988年「現代文化をめぐる議論」の第2巻として出版されています。Hal Foster (ed.), Vision and Visuality, Dia Art Foundation, 1988
→続きは明日にします。- 2015.6.4(木)
日が暮れてから、次の本が届きました。
石岡良治『「超」批評 視覚文化×マンガ』青土社、2015「視覚文化論」 昨日からの続き。
Rikkyo American Studies 28(March 2006)の4回目の講演者日高優氏の論文を探しました。
日高優「歴史を多様性に拓く : スティーヴン・ショア『写真の性質』を手掛かりに」『立教アメリカン・スタディーズ』 28(2006): 43-61
日高優「ストリートというトポス : ゲイリー・ウィノグランドの写真について」『アメリカ太平洋研究』 2(2002): 147-162
日高優「ロードの感覚, イメージの出来事:スティーヴン・ショアの写真について」『アメリカ研究』No. 37 (2003) : 117-136- 2015.6.5(金)
夕刻、次の本が届きました。
日向あき子『視覚文化―メディア論のために』紀伊国屋書店、カプセル叢書 、1978年
この時代にはまだ今の「視覚文化論」はありません。しかし、このタイトルなので、一体どういう内容だろうという関心から購入したものです。日向あき子さんは、美術評論家です。『ポップ文化論』という書物も出されていますから、今の「視覚文化論」に繋がる関心はあったと言えます。惑星ソラリス、竹村恵子、横尾忠則、三宅一生等を取りあげています。- 2015.6.7(日)
帰宅すると、次の本が届いていました。
高山 宏『表象の芸術工学 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ)』工作舎、2002
日本における視覚文化史の奇才は、高山宏氏です。翻訳の量ひとつとっても、常人にはおよびもつかないレベルに達しています。第1部が視覚表現の奇妙・絶妙です。まさに高山節です。- 2015.6.8(月)
図書館に行って、次のコピーをとりました。
平塚弘明「視覚文化論の展望」『(北海道大学)国際広報メディアジャーナル』2(2004): 147-164
雑誌を探すのにすこし苦労しました。
次にバーバラ・スタフォードの本を3冊借りました。研究室に戻り、とったばかりの論文を読みました。いかにも若い方の文章でした。
11時に生協の方が見えました。USB関係の納品。
昼食を食べ、一休みしてから授業。
3限の授業では、カメラ・オブスクーラをまず、院生といっしょに組み立てました。意外に明るい像が得られます。それから、マジックランタンを院生に組み立ててもらいました。
4限はふつうに発表。
4限終了後、再度図書館に行って、次の本を受け取りました。
ジョン・A.ウォーカー&サラ・チャップリン『ヴィジュアル・カルチャー入門』岸文和・井面信行・前川修・青山勝・佐藤守弘訳、晃洋書房、2001
ざっと見ただけですが、「視覚文化論」のよい教科書となっていると思われます。- 2015.6.9(火)
朝一番で次の本が届きました。代金を郵便屋さんに手渡す方式(代引き)です。つまり、版元から直接送ってもらいました。
『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3=ヴァナキュラー・イメージの人類学、メディア・デザイン研究所、2010
その本をカバンにつめて出かけました。それから図書館へ。ILL で届いたいた次の論文を受け取りました。
レオ・スタインバーグ「 他の価値基準(1)」『美術手帖』735(1997): 184-201
レオ・スタインバーグ「 他の価値基準(2)」『美術手帖』737(1997): 182-193
これは1月号から3月号の3号に分けて掲載されたレオの傑作批評です。(3)がないのは、(3)だけどうしても掲載ページを見つけることができなかったせいです。いずれ入手します。研究室に行って、すこし片づけものをしてから、レオ・スタインバーグの文章を読みました。すばらしい批評文です。批評論文を書くのであれば、こういうのを書いて欲しいという、そういう文章です。ひさしぶりにわくわくしながら読んでいました。
カバンにつめていった『ヴァナキュラー・イメージの人類学』から冒頭の対談(岡田温司×前川+聞き手:門林岳史「ヴァナキュラーという複数性の回路」だけ読みました。なるほど。「イメージ人類学」と「ヴァナキュラー文化論」の交錯のあり方を取りあげています。
- 2015.6.10(水)
図書館から、次の本が届いたという連絡があったので、すぐに受け取りに行きました。ついでに1冊返却。
Victor Burgin (ed.), Thinking Photography, Palgrave Macmillan, 1982
最初がベンヤミン、次がウンベルト・エーコ、そして、ヴィクター・バーギン自身が3本、その他という書物です。(ヴィクター・バーギンの序文並びに第3章「写真実践と芸術理論」に関しては、ウェブに前川修さんによる翻訳があります。)大学では、ヒロシ・タカヤマの神訳バーバラ・スタフォードを少しずつ読み進めています。「この10年公私ともによいことがなにもなかった」けれども、スタフォードの訳を完成できたことだけはよかった、というようなことを高山さんは書いています。スタフォードは授業で使ってみようと思っています。
- 2015.6.11(木)
我が家の椅子の後ろの棚から、大林信治(おおばやしんじ)・山中浩司編『視覚と近代:観察空間の形成と変容』(名古屋大学出版会、1999)を救出し、カバンに入れていました。まず、山中浩司「視覚技術の受容と拒絶:一七世紀〜一九世紀における顕微鏡と科学―」を読みました。よく書けた論文です。とくに医学との関わりに関しては、意味のある論点を提示し得ていると思います。(先行研究もしっかりとフォローしています。私の見るところ、もっともしっかりと関連文献を当たっています。)帰宅すると次の本が届いていました。
塚原東吾編著『科学機器の歴史 : 望遠鏡と顕微鏡』日本評論社、2015
目次は次です。
塚原東吾「序 章 科学機器の歴史――検討の方法について」(科学機器を取り上げる理由:概念を支えたモノ;人間の感覚の拡張と可視化、ガリレオの科学革命;科学史的な観点:二つの「I(アイ)」;科学の物質的な基盤;科学哲学者の分析;科学の移動・越境による新展開:各論文のポイント)
三浦伸夫「第1章 数学器具としての比例尺の成立と伝搬」
中島秀人「第2章 フックの科学的業績と実験機器の技術的起源」
塚原東吾「第3章 17~18世紀オランダ科学における望遠鏡・顕微鏡・科学機器 ――エージェントとしてのオランダ科学」
隠岐さや香「第4章 望遠鏡つき四分儀と子午線測量の歴史――地図作成からメートル法まで」
平岡隆二「第5章 望遠鏡伝来と長崎」
表題頁の裏に「三浦伸夫先生の神戸大学ご退職を記念して」とあります。
塚原氏の序章に、本書は神戸大学の旧科学史教室を中心に続けてきた科学史・科学技術社会論の研究会に由来し、科研費(「望遠鏡と顕微鏡:イタリア、オランダ、イギリスとアカデミー」)によるとあります。なるほど。
→実は私はこの著作に顕微鏡研究を期待していましたが、顕微鏡は、第2章の一部、第3章の一部だけで扱われているにすぎません。タイトルと内容にいくらかの齟齬があるわけです。まあ、この程度の齟齬は仕方がありません。
→科研費(「望遠鏡と顕微鏡:イタリア、オランダ、イギリスとアカデミー」)は、ネットで調べてみると、2012年から2015年の4年間のプロジェクトでした。つまり、まだ継続中で、今年終了ということです。本が出たので、てっきり、終了したのかと思っていました。- 2015.6.12(金)
[スタフォード on シェイピン&シェーファー]
昨日研究室の机の上に放置されていた『アートフル・サイエンス』をふと手に取り、著者解題に目を通しました。
スタフォードは次のように書きます。「視覚を抑圧しようとする手段が実験科学だったり、さまざまな図表化行為だったりしたのは皮肉である。ちょうど・・・、光学がかえって視とその対象にとっての邪魔者となった。ロバート・フックの『ミクログラフィア(微視図譜)』(や、その後塵を拝した十八世紀の一群の顕微鏡家たち)を見るとすぐわかることだが、人工のレンズを見ることに不可避的にそなわる主観性、病とも言うべき自閉性、誤りをおかしやすいことなどをはっきりさせてしまう一方、簡単にだまされてしまう裸眼を通して美しいと見えるにすぎない人工的制作物の本質的欠陥を暴いてしまったのである。
従って私としては、「その目で見た」ことをもって真理の証しと考えるたぐいの話を書く科学史家たちには首をかしげたくなる。もっと曖昧で、私見によればもっと微妙なニュアンスに富んだ知覚のエピステモロジーが必要だという証拠を出してくる(美術史研究、美学の研究を含む)イメージ化の諸様態の全体像に目を向けていれば、かのサイモン・シェイファー、ステーヴン・シェイピン共著の力作『リヴァイアサンと空気ポンプ』(1985)も一層説得力豊かな本になったはずなのだ。」(pp.368-9)
これは、スタフォードだからなしえる的を射た指摘です。たしかに科学史家はこういうふうに見ることが少ない。我々科学史家の多くが共有する盲点と言ってもよいかも知れません。[事典における顕微鏡史]
1.弘文堂の『科学史技術史事典』(1983)
顕微鏡の項目は、上野正さんが執筆されています。使われているレフェレンスは、田中新一『顕微鏡の歴史』九州文庫出版社、1979;黒柳準『光学発達史』誠文堂、1949;R. S. Clay and T. H. Court, History of Microscope, London, 1932;Royal Microscopical Society, Origin and Development of the Microscope, 1928;S. Bradbury, Evolution of the Microscope, 1967;G. L' E. Turner, Essays on the History of Microscope, 1980
ちょっとふるいですかね。2.『科学大博物館:装置・器具の歴史事典』(原著1998,邦訳 2005)
執筆者は、Gerald L' E. Turner(訳者は庄司高太氏)。レフェレンスは、ターナー本人のもの3点、Collecting Microscopes, London, 1981; Essays on the History of Microscope, Oxford, 1980 ; The Great Age of the Microscope: The Collection of the Royal Microscopical Society through 150 Years, Bristol, 1989
ちょうど弘文堂の事典のあとという感じです。3.『現代科学史大百科事典』(原著2003, 邦訳2014)
Jutta Schickore が執筆しています。レフェレンスは次(電子顕微鏡は除く)。Savile Bradbury, The Evolution of the Microscope, 1967 ; Gerald L' E. Turner, The Great Age of the Microscope, 1989 ; Marian Fournier, The Fabric of Life: Microscopy in the Seventeeth Century, 1996以上では挙げられていない顕微鏡の歴史。
ブライアン J.フォード『シングル・レンズ』伊藤智夫訳、法政大学出版局、1986
小林義雄『世界の顕微鏡の歴史』[小林義雄],1980
林春雄『写真で見る顕微鏡発達の史的展望』[林春雄], 1988
秋山実『マイクロスコープ : 浜野コレクションに見る顕微鏡の歩み』オーム社, 2012
田中祐理子『科学と表象:「病原菌」の歴史』名古屋大学出版会、2013
エンゲルハルト・ヴァイグル『近代の小道具たち』三島憲一訳、青土社、1990
サリー・モーガン『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ (人がつなげる科学の歴史) 』 徳永優子訳、文渓堂、2010
井上勤監修『顕微鏡のすべて』地人書館、1977次の書物は、部屋のなかにあります。
Catherine Wilson, The Invisible World: Early Modern Philosophy and The Invention of The Microscope, Princeton: Princeton University Press, 1995
Edward G. Ruestow, The Microscope in the Dutch republic: The Shaping of Discovery, Cambridge: Cambridge University Press, 1996
Marian Fournier, The Fabric of Life: Microscopy in the Seventeenth Century, Baltimore and London: Johns Hopkins University Press, 1996
この3冊は出版時期が重なっています。どれも、1995-96 です。私が目を通し得た範囲では、エンゲルハルト・ヴァイグル『近代の小道具たち』(三島憲一訳、青土社、1990)の第4章「顕微鏡による自然の秘密の発見」が初期の顕微鏡史に関して日本語で読める最もよい記述だと思っています。ヴァイグルがこの章を書くために使った2次文献ですが、注を見るだけでは、はっきりしません。Hans Blumenberg とドーマを挙げています。基本がブルメンベルクとドーマなのかどうかは調べてみる必要があるでしょう。Hans Blumenberg, Der Prozess der theoritischen Neugier, Frankfurt am Main, 1980. Maurice Daumas, Scientific Instruments of the Seventeeth and Eighteenth Centuries and their Makers, London, 1972
夕刻、次の本が届きました。
山中浩司
『医療技術と器具の社会史‐聴診器と顕微鏡をめぐる文化』
(阪大リーブル016)大阪大学出版会、2009
「 顕微鏡をめぐる文化 」は、 昨日記した、山中浩司「視覚技術の受容と拒絶:一七世紀〜一九世紀における顕微鏡と科学―」『視覚と近代:観察空間の形成と変容』(名古屋大学出版会、1999)pp. 101-145 の拡張版でした。すなわち、第6章「怪物のスープ―顕微鏡の社会的イメージ」と第7章「顕微鏡のように見なさい―実験室の医学」にふくらませています。コッホの前後はかなり加筆しています。
3章4章5章は聴診器に関する部分です。第3章「聴診器が使えない?―現代医療の落とし穴」、第4章「マホガニーの神託―聴診器と19世紀医学」、第5章「伝記松葉杖なんかいらない―聴診器と医療のシンボル」。
ちなみに、1章2章とエピローグは、器具の社会史に関する理論的見通しです。第1章「プロローグ―器具から見る社会」、第2章「「不可解な過去」―技術と社会の奇妙な関係」、第8章「エピローグ―器具のパラダイス・器具のパラダイム」。- 2015.6.14(日)
木曜日に届いた、塚原東吾編著『科学機器の歴史 : 望遠鏡と顕微鏡』(日本評論社、2015)から、装置の歴史全般に関わる部分と、顕微鏡の歴史に関する部分を読みました。- 2015.6.16(火)
[全般的な装置の歴史]
個別の装置・器具の歴史ではなく、全般的な装置・器具の歴史書を見る必要を感じています。雑誌の特集としては、このサイトで2014.12.2に、 ISIS (Focus: The History of Scientific Instruments) 102(2011)、OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1993)を挙げています。そして、Instruments of Science: An Historical Encyclopedia(London, 1998)には恐らくそうした文献表があがっているに違いないと考え、その邦訳『科学大博物館-装置・器具の歴史事典』(2005)を部屋の中で探しました。はじめの部分でリストアップされています。
Bennett, The Divided Circle: A History of Instruments for Astronomy, Navigation and Surveying, Oxford, 1987
Maurice Daumas, Scientific Instruments of the Seventeenth and Eighteenth Centuries, trans. by Mary Holbrook, New York, 1972
Anthony Turner, Early Scientific Instruments, Europe 1400-1800, London, 1987
Gerald L'E. Turner, Nineteenth-Century Scientific Instruments, Berkeley, 1983
Albert Van Helden and Thomas L. Hankins eds., "Instruments." OSIRIS, 2nd series, vol. 9(1994): 1-250ネットで調べものをして、次の文献に出会いました。
Julian Holland, "Historic Scientific Instruments and the Teaching of Science: A guide to resources," in Michael R. Matthew (ed.), History, Philosophy & New South Wales Science Teaching Second Annual Conference (Sydney: 1999): 121-29
8割方は文献案内です。こういう長さのものがちょうどよい。また、デュプレの博士論文もありました。
Sven Düpre, Galileo, The Telescope, and the Science of Optics in the Sixteenth Century, Universiteit Gent, 2002
最初の一文が「望遠鏡は発明されなかった。」わおー。すばらしい書きだしです。- 2015.6.18(木)
昼食後、ILL でお願いした本が届いたという連絡がありました。早速図書館に取りに行きました。
小林義雄『世界の顕微鏡の歴史』 [小林義雄], 1980
図書館に着くと、もう1冊も届いています。手続きを進めているので5分お待ち下さいということでした。雑誌コーナーをブラウジングして5分過ごしました。それからカウンターに向かい、次の本を受け取りました。
林春雄『写真で見る顕微鏡発達の史的展望』[林春雄], 1988
小林義雄さんの本は、前半が日本への顕微鏡の導入史、後半が西洋における顕微鏡発達史でした。林春雄さんの本は、顕微鏡の歴史的写真集でした。- 2015.6.20(土)
小林義雄『世界の顕微鏡の歴史』( [小林義雄], 1980)をパラパラ読んでいると、何点か新しくわかりました。
1.V. 顕微鏡雑記、p.189 . Edward Scarlett (1677-1743) 1720年頃の引札(trade card)に暗箱が掲載されています。つまり商品として売られていたということです。→今ならネットで見つかると思い、検索をかけるとすぐでした。 The Edward Scarlett Trade Card としてアンティークの眼鏡のサイトに出ています。なんと、これがおそらく、つる(テンプル、腕)のついた最初の眼鏡ということのようです。そうだとすれば、つる付きの眼鏡は18世紀初頭にできたということになります。
そこから出発して、The Magic Mirror of Life のサイトに辿り着きました。これもよくできたサイトです。
2.この書物は、1980 の出版年をもちます。ということは、1970年代に準備されています。p. 223 の文献リストを見ると、デカルト(1637)やフック(1665)の他に、ショットの光と陰の普遍魔術(1677)やマーティン(1742)が引用されています。1970年代の日本ではそうそう簡単に見ることのできる書物ではありません。もし入手されていたらえらいなと思っていたら、オクスフォードの王立顕微鏡協会を尋ねたときに、見せてもらっています。(p.207) 「要点や主な図版を撮影する。」すなわち、写真に撮っています。そして、「古顕微鏡の研究者で博物館の学芸官である G. L'E. Turner 」さんに会っています。
3.著者の小林義雄さんは、1907年生まれです。東大理学部植物学科を卒業後、1941年に満州国国立博物館薦任官に任官しています。1945年に満州国国立博物館が自然消滅すると、1947年に帰国し、東京科学博物館研究官に任官し、1971年に免官(たぶん定年退職)となっています。その後、小林菌類研究所を設立し、自身で所長を務めています。
→満州国国立博物館は、興味深い存在です。今どきであれば、研究があるだろうと調べてみると、21世紀に入ってから活発化しています。時間があるときに研究動向をまとめてみようと思います。- 2015.6.29(月)
帰宅すると次の本が届いていました。
Barbara Maria Stafford and Frances Terpak,
Devices of Wonder: From the World in a Box to Images on a Screen,
Getty Publications, 2001
本を見ると、どうも見覚えがあります。2003年9月25日に購入していました。本棚の場所もすぐに見つけました。まあ、こういうこともあります。- 2015.7.10(金)
Fokko Jan Diiksterhuis, Lenses and Waves: Christiaan Huygens and the Mathematical Science of Opticks in the Seventeenth Century, (ARCHIMEDES: New Studies in the History and Philosophy of Science and Technology), Dordrecht: Kluwer, 2004- 2015.7.14(火)
大学に着いてすぐに図書館に向かい、届いている本を受け取りました。今回は数が多くちいさな段ボール箱に入れて渡してくれました。結構な重さです。受け取ったのは次。
Anthony Turner, Early Scientific Instruments: Europe, 1400-1800, London, 1987
Albert Van Helden and Thomas L. Hankins (eds.), OSIRIS, Volume 9 (1994), Instruments,
バーバラ・スタフォード『実体への旅 : 1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』高山宏訳、 産業図書、2008
バーバラ・スタフォード『ボディ・クリティシズム : 啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』高山宏訳、 国書刊行会、2006- 2015.7.24(金)
次の論文のコピーを取りました。
レオ・スタインバーグ「他の批評基準(3)」(林卓行訳)『美術手帖』1997年3月号、pp.174-191- 2015.7.25(土)
朝一番で昨日とってきた次の文章を読みました。
レオ・スタインバーグ「他の批評基準(3)」(林卓行訳)『美術手帖』1997年3月号、pp.174-191
とてもしばらしい批評の営みです。- 2015.7.28(火)
ILL と TLL で本が届いていることを思い出し、カバンをもって図書館へ。次の2冊です。
ヘルムート・ゲルンシャイム, アリソン・ゲルンシャイム共著『世界の写真史』伊藤逸平訳、美術出版社, 1967
Hermut Gernsheim, The origins of photography, London: Thames and Hudson, 1982
最初のものは、背が壊れかけていました。丁寧に扱って下さいの指示が入っていました。2冊目は、巨大でした。見開きで A3 を越えています。つまり、普通のコピー機ではコピーもできない大きさです。- 2015.8.1(土)
再び、コッホに戻って。コッホの顕微鏡。有名なエピソード。
田舎医師としてドイツ各地を転々としていたコッホは、1872年、郡医官の試験を受け合格し、ヴォルシュタインに新設された郡医官職に就いた。開業医として名医の評判を得たコッホは、やっとすこし余裕のある生活ができるようになった。伝説では、その暇そうなコッホに、妻が、新しいツァイス製の顕微鏡をおくる。これがコッホの細菌研究に繋がったと言われる。
伝説の真偽のほどはともかく、コッホも(少年時代から絵画の才能を示していたパスツールと同じく)動植物の観察が好きで、見事な観察スケッチを残している。また、叔父エドゥアルトから写真術の手ほどきも受けていた。
コッホの顕微鏡写真、1877年の論文で公表される。(山中浩司『医療技術と器具の社会史』p.225) そのとき使った顕微鏡は、ザイベルト社のものであった。コッホは繰り返し繰り返しザイベルト社に手紙を書いて、最適なものを入手しようとしている。また、ツァイス社の物理学者アッベ(Ernst Abbe, 1840-1905)を尋ねて、まだ販売されていなかった油浸レンズを入手している。
そもそも19世紀初頭に顕微鏡技術のイノベーションがあった。最初の中心人物は、手術に消毒法を導入したリスターの父、J.J.リスター(Joseph Jackson Lister, 1786-1869)の研究にあった。18世紀末に色収差は取り除かれた。球面収差を取り除く研究は数多くあったが、リスターが、その理論的見通しを1830年出版の論文(On Some Properties in Achromatic Object-Glasses Applicable to the Improvement of the Microscope)で示した。これは光学顕微鏡の新しい時代が到来したことを告げていた。進歩は徐々にしかし着実に生じた。(ターナーの作成した進歩のグラフ。山中、p.230)
前に言ったようにコッホが炭疽菌の研究に着手した頃には、アッベの油浸レンズがちょうど使われはじめるところだった。
19世紀末、プロよりも顕微鏡と顕微鏡による研究の発展に貢献した自然誌愛好家たち=素人たちの時代は、終わり、プロフェッショナルな道具を用いるラボラトリーの専門研究家たちの時代へと変化した。(ターナーの評価、山中,p.232)山中さんの著作の第7章「顕微鏡のように見なさい―実験室の医学」は、表象文化史にとっても重要なポイントを指摘しています。
p.224 ダストンとガリソンの指摘:19世紀末から科学の世界で頻繁に使用されはじめた写真術は、「機械的な客観性」(写真は嘘をつかない)を産出し、在来の知識や技能への深刻な脅威となった。とくにX線写真は、臨床医がベッドサイドで慎重な診察で得る知識に対して、イデオロギー的な影響を及ぼした。
p.220 1881年コッホの報告書から
「一つの同じ対象についての理解が異なるのは、こうした対象が最初の観察者と二人目の観察者が見るのとでは異なって見えるということに由来するということについては誰も疑わないだろう。顕微鏡による観察では、二人の観察者が同時に同じ対象を見て理解し合うことはできず、問題の対象を順番に見るしかないということ、マイクロメーターをほんの少し動かすだけでも、バクテリアのような小さな対象は視界から完全に消えてしまったり、まったくことなった形や影をもったりするということを想起すべきである。それでも、見られた対象について理解し合うことは、その観察が同じ器具で、つまり同じ照明、同じレンズシステム、同じ倍率で行われた場合にはまだ可能ではある。しかし、顕微鏡のイメージが作り出される無数の条件が異なれば、たとえば、一方は狭い絞りで他方は広い絞りで、あるいは一方は弱い接眼レンズで他方は強い接眼レンズで、あるいは対象の異なった標本作製の仕方や染色の仕方で、また対象がさまざまに異なった屈折率の液体中に固定されて観察などすれば、ある顕微鏡観察者には、その対象が全く異なっているように見えるとか、もっと太いとか細いとか光っているといかそうでないとか、あるいはまた、まったく見いだせないとか、その存在に疑問を呈するというようなことが起きるのも全く不思議ではない。」
「こうした観察エラーに際して、示唆した多くの可能性のどれを示すべきだろうか。観察者が同じ対象から異なった結論に導かれたのは、プレパラート作成かあるいは顕微鏡の扱いによるものだろうか。こうしたことを決するためには何らかの別の補助手段がなければ決してうまくいかないだろう。互いに論争する研究者は自分の考えにとどまり、医学はどちらを信じてよいかわからない。科学にとって有害で、際限もなく生じているこうした顕微鏡研究の弊害に対しては、ただ一つの救済手段があるだけである。それは写真術である。顕微鏡による観察対象の写真映像は、場合によっては、対象そのものより重要なものである。」
「描画の場合は、決して、見られたものに忠実であることはない、見られたものよりも常にそれはきれいで、明確な輪郭をもっており、強い陰影を与えられる。顕微鏡研究の描画を公表したものは、自分が見たものの証明力についての批判などほとんど考慮することはない。というのは、描画は、意図せずして、著者の主観的観察の中で描かれているからである。」(p.223)
さすが、コッホ。核心を射抜いています。15.8.5 さて、顕微鏡写真そのものの歴史が気になります。調査を開始します。
山中さんは、Thomas Schlich のドイツ語の論文に依拠しています。
ネットで検索をかけると、このドイツ語論文はなかったのですが、別の著者の次の論文が見つかりました。
Olaf Breidbach, "Representation of the Microcosm - The Claim for Objectivity in the 19th Century Scientific Photography," Journal of the History of Biology, 35(2002): 221-250
これによれば、最初に出版された生物組織の顕微鏡写真は1845年ということです。しかし、それが直ちに広がったわけではなかった。1880年以前は、顕微鏡写真の利用は例外に止まる。状況を変えたのは、コッホであり、彼の顕微鏡写真の利用法が新しい道を開いた。ちなみに、小川眞里子さんによれば、ロンドン国際医学大会(1881)に、コッホは、自分が普段使っている器具一式と弟子を連れて参加し、ごく限定されたメンバー相手に、キングスカレッジで供覧実験を行っています。
その供覧実験でコッホは、微生物の顕微鏡写真をマジックランタンを使って公開すると同時に、固体培地をつかった細菌培養の方法を示した。
見学したのは、パスツール、リスター、バードン=サンダーソン、フランス人獣医シャボーなど。
顕微鏡写真とマジックランタンの組合せ! やられたな。- 2015.8.3(月)
[観察者の系譜、出現]
今行っている作業には、川喜田さんの『近代医学の史的基盤』が手元に欲しい。上はすぐにみつかりました。実は欲しいのは下です。積み重なっているのを掘り起こすのが面倒で、現時点では諦めました(研究室においている可能性もありますし)。しかし、私の背中で2列においてある本棚の後列からクレーリーの『観察者の系譜』を見つけだしました。春先には探し出すのを諦めて、新しいものを購入しています。こちらはもちろん初版で、出版社は金沢の十月社です。
→と書いたあと、ふと気になって、もともと置いてあった場所に手を入れてみました。ありました。前のものを動かさないと見えないようになっていましたが、最初置いてあった場所にそのままありました。手元にほしい日本語の医学史レフェレンスとしてはこれが一番です。- 2015.8.7(金)
昼下がり、次の本が届きました。
トーマス・D・ブロック『ローベルト・コッホ―医学の原野を切り拓いた忍耐と信念の人 』長木大三・添川正夫訳、シュプリンガー・フェアラーク東京、1991
原著は次です。Thomas D. Brock, Robert Koch, a life in medicine and bacteriology, New York and London, 1988
ブロックさんは、フィッシャー賞を受けた微生物学者です。生物学者-歴史家と言えます。大学にILLで頼んでいた『細菌学の歴史』が届いたという連絡がありましたが、これを受け取ることができるのは、お盆明けになります。
- 2015.8.17(月)
図書館によって、ILL で届いている次の2点を受け取りました。
William Bulloch『細菌学の歴史』天児和暢訳、医学書院、2005
(原著は、William Bulloch, The History of Bacteriology, Oxford, 1938、です。もとは、ロンドン大学ヒース・クラーク講演会での講義:1937年1月2月、ロンドン熱帯医学校、です。著者名ですが、訳者の方は、ウイリアム・ブッロクと表記されています。全体で292頁の訳書ですが、本文は144頁までで、あとは、文献表、初期細菌学者人名録、と索引です。)
Thomas Schlich, "Linking Cause and Disease in the Laboratory: Robert Koch's Method of Superimposing Visual and 'Functional' Representations of Bacteria, " History and philosophy of the life sciences, 22(1979), 43-58- 2015.8.24(月)
[科学と技術における視覚文化]
図書館で受け取ったのは次の本。
Klaus Hentschel. Visual Cultures in Science and Technology: A Comparative History, Oxford: Oxford University Press, 2014
この分野の百科事典的著作として今後必読文献になるだろうという書評をバックカバーに載せています。百科事典的著作であることは間違いなく、文献もよく押さえているようです。電車のなかで少しだけ読みました。意味のある情報がありました。
→15.8.25 巻末に3頁の短い文献推薦があります。2014年にWorldCat で"visual culture"を検索すると、12万5千点以上の文献がヒットする。私の著作『科学と技術における視覚文化』の巻末文献表では、実際に私が使った約2千点の文献をリストアップしている。それは86頁(pp.395-480)をカバーしている。特に初学者のためには、案内があった方がよいと考え、この推薦書リスト( Recommended pathway into the secondary Literature)を用意した、とあります。
これは、確かに有用です。
ヘントシェルが挙げる文献は、できるだけ揃えておきたいと思います。(半年から1年以内にできるといいなと思っています。)
Venessa Schwartz and Jeannene Przyblyski, eds., The Nineteenth Century Visual Culture Reader, London, 2004. 特に、1, 3, 13, 15, 18章。
Luc Pauwels, Visual Cultures of Science: Rethinking the Representational Practices in Knowledge Building and Science Communication, 2005
Horst Bredekamp, Birgit Schneider and Vera Dünkel, Das Technische Bild. Kompendium zu einer Stilgeschichte wissenschaftlicher Bilder, 2008
Eric Margolis and Luc Pauwels, eds, The Sage Handbook of Visual Research Method, 2011
Brian Ford, Images of Science, 1992
Harry Robins, The Scientific Image, 1992
The Album of Science
Martin Kemp, Visualizations. The Nature Book of Art and Science, Oxford: Oxford University Press, 2000
Ann Shelby Blum, Picturing Nature: American Nineteenth-Century Zoological Illustration, 1993特定の分野のとても有用なエッセイ・レビューとしては、次。
Sybilla Nikolow and Lars Bluma, "Science images between scientific fields and the public sphere. A historigraphic survey," in Bernd Hüppaut and Peter Weingart eds.,Science Images and Popular Images of Science, London: Routledge, 33-51
Cornelius Bork, "Bild der Wissenschaft. Neuere Sammelbände zum Thema Visualisierung und Öffentlichkeit," NTM, 17, no.3(2009): 317-27
Klaus Hentschel, "Bildpraxis in historischer Perspective," NTM,19, no.4(2010): 413-24自然誌の分野では、上の Blum, Picturing Nature(1993)、Lapage(1961)、Knight(1977)、Kusukawa(2012)、Blunt(1950)、Lack(2001)、Claus Nissen(1950, 1951/66, 1969/78)、Magee(2009)、Kärin Nickelsen(2000-2006)
医学。Kelves(1997)
分光学。Hentschel (2002a)
光学的顕微鏡検査法。Wilson(1997)、Schickore(2007)。
20世紀の顕微鏡。Rasmussen(1997)、Baird & Shew(2004)、Hennig(2005)、Graneck & Hon (2008)、Mody(2006)、Mody and Lynch(2010)。
ホログラフィー。Johnston(2005-2006)。
写真(とくに科学分野)。Darius(1984)、Gaede(ed. 1999)、Thomas (1997)、Keller, Faber and Gröning (2009)。写真史全般の基本としてSchaaf (1992)。基本書としては、次のような書物たち。
Martin J. S. Rudwick, "The emergence of a visual language for geology, 1760-1840," History of Science, 14(1976): 149-195
Svetlana Alpers, The Art of Describing: Dutch Art in the Seventeenth Century, Chicago: University of Chicago Press, 1983
Michael Lynch and Steve Woolgar,eds., Representation in Scientific Practice. Cambridge, MA.: MIT Press, 1990
Sachiko Kusukawa , Ian MacLean (eds.), Transmitting Knowledge: Words, Images, And Instruments in Early Modern Europe, (Oxford-Warburg Studies) , 2006
Sachiko Kusukawa, Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany. Chicago: University of Chicago Press, 2012. xvii+331 pp. $45.00. ISBN 978-0-226-46529-6
Catelijne Coopmas, James Vertesi, Michael Lynch, and Steve Woolgar eds., Representation in Scientific Practice Revisited, Cambridge, Mass.; MIT Press, 2014.- 2015.8.25(火)
[Picturing Science, Producing Art]
夕食後、次の本が届きました。
Caroline A. Jones and Peter Galison (eds.), Picturing Science, Producing Art, New York, 1998
目次は次です。カルロ・ギンズブルクによる「包摂としてのスタイル、排除としてのスタイル」からはじまり、シービンガー、ハラウェイ、ダストン、パーク、ギャリソン、アルパース、ラトゥール、シェーファーと続き、ジョナサン・クレーリーによる「19世紀における注意と近代性」におわる、スター学者を集めた論集となっています。
Style as inclusion, style as exculsion by Carlo Ginzburg
The affective properties of styles : an inquiry into analytical process and the inscription of meaning in art history by Irene J. Winter
Styleby typeby standard : the production of technological resemblance by Amy Slaton
Miracles of bodily transformation, or, how St. Francis received the stigmata by Arnold Davidson
Lost knowledge, bodies of ignorance, and the poverty of taxonomy as illustrated by the curious fate of Flos pavonis, an abortifacient by Londa Schiebinger
The sex of the machine : mechanomorphic art, new women, and Francis Picabia's neurasthenic cure by Caroline A. Jones
Deanimations : maps and portraits of life itself by Donna Haraway
Vision and cognition by Krzysztof Pomian
Nature by design by Lorraine Daston
Impressed images : reproducing wonders by Katharine Park
Iconography between the history of art and the history of science : art, science, and the case of the urban bee by David Freedberg
Hieronymus Bosch's world picture by Joseph Leo Koerner
Judgement against objectivity by Peter Galison
Eclectic subjectivity and the impossibility of female beauty by Jan Goldstein Visualization and visibility by Joel Snyder
The studio, the laboratory, and the vexations of art by Svetlana Alpers
How to be iconophilic in art, science, and religion? by Bruno Latour
On astronomical drawing by Simon Schaffer
Attention and modernity in the nineteenth century by Jonathan Crary.
2015年秋駒場の授業
8月15日付の住田朋久氏のTwilog.org/sumidatomohisa/3 で私の授業と橋本さんの授業が引用されていました。橋本さんは授業で、ヘントシェルの『科学と技術における視覚文化』(2014)を順番に読むようです。テーマが私と重なりましたが、このテーマは、日本の科学史の世界が遅れている分野です。ちょうどよいので、両方をとってもらうように学生諸君には推薦します。私の方がすこし、古い時代、光学寄り、視覚文化論寄り、になるかと予想しています。さて、ヘントシェルですが、名前から言って明らかにドイツ人です。視覚文化論に関しては、スタフォード、ブレデカンプや、マックス・プランク研究所の研究者等、ドイツ語圏の人々が強いようです。
ヘントシェルは高エネルギー物理学の研究からはじめて、アインシュタインの編纂に関わったり、物理学史の仕事をし、その後、こういう方面の研究に着手したようです。最近は英語で出版していますが、トータルではドイツ語の出版が多い。
ヘントシェル『科学と技術における視覚文化』(2014)のpp.481-2 には、本のテーマに関係するウェブページの紹介も2頁にわたりリストアップされています。このテーマの本としては必要な配慮だと思います。- 2015.8.26(水)
お昼過ぎ、次の3冊が届きました。
Lorraine J.Daston (ed.),
Things that Talk: Object Lessons from Art and Science
New York: Zone Books, 2004
目次は次です。
Speechless by Lorraine Daston
Bosch's equipment by Joseph Leo Koerner
Freestanding column in eighteenth-century religious architecture by Antoine Picon
Staging an empire by M. Norton Wise and Elaine M. Wise
Science whose business is bursting by Simon Schaffer
Res Ipsa Loquitur by Joel Snyder
Glass flowers by Lorraine Daston
Image of self by Peter Galison
News, papers, scissors by Anke te Heesen
Talking pictures by Caroline A. Jones.Luc Pauwel (ed.),
Visual Cultures of Science: Rethinking Representational Practices in Knowledge Building And Science Communication (Interfaces: Studies in Visual Culture)
Hanover and London, 2006
目次は次。
Introduction: The Role of Visual Representation in the Production of Scientific Reality by Luc Pauwels
A Theoretical Framework for Assessing Visual Representational Practices in Knowledge Building and Science Communications by Luc Pauwels
The Production of Scientific Images: Vision and Re-Vision in the History, Philosophy, and Sociology of Science by Michael Lynch
Representing or Mediating: a History and Philosophy of X-ray Images in Medicine by ernike Pasveer
The Accursed Part of Scientific Iconography by Francesco Panese
Images of Science in the Classroom: Natural History Wall Charts between the Two Centuries by Massimiano Bucci
Representing Moving Cultures: Aesthetics, Multivocality and Reflexivity in Anthropological and Sociological Filmmaking by Luc Pauwels
Arguing with Images: Pauling's Theory of Antibody Formation by Albert Cambrosio, Daniel Jacobi, and Peter Keating
Discipline and Material Form of Images: An Analysis of Scientific Visibility by Michael Lynch
Edward Tufte and the Promise of a Visual Social Science by John Grady
Making Science Visible: Visual Literacy in Science Communication by Jean TrumboHorst Bredekamp, Birgit Schneider and Vera Dünkel (eds.),
Das Technische Bild. Kompendium zu einer Stilgeschichte wissenschaftlicher Bilder,
Akademie Verlag, 2008
目次。
Editorial: Das Technische Bild by Horst Bredekamp, Birgit Schneider and Vera Dünkel
Bildbefragungen. Technische Bilder und kunsthistorische Begriffe by Angela Fischel
Bilddiskurse. Kritische Überlegungen zur Frage, ob es eine allgemeine Bildtheorie des naturwissenschaftlichen Bildes geben kannby Gabriele Werner
Bildbeschreibungen. Eine Stilgeschichte technischer Bilder? Ein Interview mit Horst Bredekamp
Zellbilder. Eine Kunstgeschichte der Wissenschaft by Matthias Bruhn
Interaktion mit Bildern. Digitale Bildgeschichte am Beispiel grafischer Benutzeroberflächen by Margarete Pratschke
Bildtradition und Differenz. Visuelle Erkenntnisgewinnung in der Wissenschaft am Beispiel der Rastertunnelmikroskopie by Jochen Hennig
Bilderreihen der Technik. Das Projekt Technik im Bild um 1930 am Deutschen Museum by Heike Weber
Interpretation und Illusion. Probleme mit teleskopischen Bildern am Beispiel der Marskanäle by Reinhard Wendler
Röntgenblick und Schattenbild. Zur Spezifik der frühen Röntgenbilder und ihren Deutungen um 1900 by Vera Dünkel
Mikrofotografische Beweisführungen. Max Lautners Neubau der holländischen Kunstgeschichte auf dem Fundament der Fotografie by Franziska Brons
Zeichnen mit der Camera Lucida. Von instrumenteller Wahrhaftigkeit und riesenhaften Bleistiften by Stefan Ditzen
Programmierte Bilder. Notationssysteme der Weberei aus dem 17. und 18. Jahrhundert by Birgit Schneider
Frühneuzeitliche Bilder von Musikautomaten. Zu Athanasius Kirchers Trompe-l'oreille-Kontemplationen in den Quirinalsgärten von Rom by Angela Mayer-Deutsch
Zeichnung und Naturbeobachtung. Naturgeschichte um 1600 am Beispiel von Aldrovandis Bildern by Angela Fischel個人的にタイトルとしては、ドイツ語のものが一番ピンときます。「テクニカルターム」に対して「テクニカル図像」。我々科学史家の仕事として、 Technische Bildの読解があると思われます。
「事物が語る」は、一般に歴史家として、必要な仕事です。同時代のコンテキストでは、学問の多くの分野で「ものが語る」というアプローチはありえます。ヘントシェルの論文
ヘントシェルぐらい数多くの出版物があれば、ネットでゲットできるものもあるだろうと思い、検索してみました。次の4点をまずダウンロードしました。
Klaus Hentschel, "Bildpraxis in historischer Perspective: Neue Bücher zur wissenschaftlichen Bilderzeugung, -bearbeitug und -verwending," NTM: International Journal of History & Ethics of Natural Science, Technology and Medicine,19, (2011): 413-24
冒頭に2007から2011までに出版された7点の著作がリストアップされています。
Klaus Hentschel, "Photographic Mapping of the Solar Spectrum 1864-1900, Part 1," Journal for the History Astronomy , 30(1999): 93-119
Klaus Hentschel, "Photographic Mapping of the Solar Spectrum 1864-1900, Part 2," Journal for the History Astronomy , 30(1999): 201-224
Klaus Hentschel, "The Culture of Visual Representaions in Spectroscopic Education and Laboratory Instruction," Physics in Perspective, 1(1999): 282-327- 2015.8.27(木)
[Visual Culture Reader 視覚文化読本]
入手はまだですが、ヘントシェルがわざわざ章番号をあげて入門によいと推薦しているものは、どういうものか確認しようと思い、調べてみました。つまり、次の書物の目次を調べました。
Venessa Schwartz and Jeannene Przyblyski, eds., The Nineteenth Century Visual Culture Reader, London, 2004
これの目次は次です。
Visual culture's history: twenty-first-century interdisciplinarity and its nineteenth-century objects by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Complex culture by Margaret Cohen and Anne Higonnet.
Visual culture: a useful category of historical analysis? by Michael L. Wilson
Genealogies Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The painter of modern life (1863) by Charles Baudelaire.
Commodities and money (1867) by Karl Marx.
The dream-work (1900) by Sigmund Freud.
The metropolis and mental life (1903) by Georg Simmel.
The modern cult of monuments: its character and its origin (1928) by Alois Riegl.
Photography (1927) by Siegfried Kracauer.
The work of art in the age of mechanical reproduction (1936) by Walter Benjamin.
Technology and vision by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Panopticism by Michel Foucault.
Precursors of the photographic portrait by Gisèle Freund.
Techniques of the observer by Jonathan Crary.
Panoramic travel by Wolfgang Schivelbusch.
'Animated pictures': tales of the cinema's forgotten future, after 100 years of film by Tom Gunning.
Practices of display and the circulation of images by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The exhibitionary complex by Tony Bennett.
The Bourgeoisie, cultural appropriation, and the art museum in nineteenth -century France by Daniel J. Sherman.
On visual instruction by James R. Ryan.
A new era of shopping by Erika Rappaport.
Cities and the built environment by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The Ringstrasse, its critics, and the birth of urban modernism by Carl E. Schorske.
The view from Notre-Dame by T.J. Clark.
Word on the streets: ephemeral signage in antebellum New York by David Henkin.
Urban spectatorship by Judith Walkowitz.
Electricity and signs by David Nye.
Picture taking in paradise: Los Angeles and the creation of regional identity, 1880-1920 by Jennifer Watts.
Visualizing the past by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Between memory and history: Les lieux de mémoire by Pierre Nora.
The illustrated history book: history between word and image by Maurice Samuels.
Revolutionary sons, white fathers and Creole difference: Guillaume Guillon-Lethière's Oath of the ancestors (1822) by Darcy Grimaldo Grigsby.
Molding emancipation: John Quincy Adams Ward's The freedman and the meaning of the Civil War by Kirk Savage.
Staking a claim to history by Joy S. Kasson.
Imaging differences by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
The imaginary Orient by Linda Nochlin.
Painting the traffic in women by S. Hollis Clayson.
From the exotic to the everyday: the ethnographic exhibition in Germany by Eric Ames.
Bohemia in doubt by Marcus Verhagen.
Inside and out: seeing the personal and the political by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Banners and banner-making by Lisa Tickner.
The portière and the personification of urban observation by Sharon Marcus.
"Baby's picture is always treasured": eugenics and the reproduction of whiteness in the family photograph by Shawn Michelle Smith.
Psychologie nouvelle by Debora L. Silverman.確かにこれはとても便利な読本です。このなかでヘントシェルが推薦しているのは次です。
Visual culture's history: twenty-first-century interdisciplinarity and its nineteenth-century objects by Vanessa R. Schwartz and Jeannene M. Przyblyski.
Visual culture: a useful category of historical analysis? by Michael L. Wilson
Techniques of the observer by Jonathan Crary.
'Animated pictures': tales of the cinema's forgotten future, after 100 years of film by Tom Gunning.
On visual instruction by James R. Ryan.ちなみに、「19世紀の」がつかない視覚文化読本は、ウェブにあります。
Nicholas Mirzoeff (ed.), The Visual Culture Reader, London and New York: Routledge, 1998
第1部、視覚文化の系譜は、デカルトの『光学』(抜粋)からはじまります。第6部はポルノグラフィーです。その2番目が「縛られたペンギン:日本漫画の絵物語」です。一度でよいからこういうタイトルの文章を書いてみたい。この調査をしている最中、ヴァネッサ・シュヴァルツさんの視覚研究入門という2010年秋の授業シラバスに出会いました。私がやろうとしているのは科学技術における視覚研究入門ということになるでしょうか。日本で同じことをやるのはお互いにかなり根性が要りますが、根性があれば不可能ということはないでしょう。
1点、今回、私がやってみてもよいなと思ったアイディアをシュヴァルツさんはすでに実行されていました。こういう分野に取り組むと、まあ、そのうちに思いつくことではあります。具体的には、参加者各自1枚の図像・イメージを教室に持参し、どうしてこのイメージなのかを説明することです。一人5分から10分ぐらいがちょうどよいでしょう。(どのぐらいの持ち時間が適当かは、もちろん参加する人数によります。10人×10分でとかはちょうどよいでしょう。)これは、やろうかと思います。
そして、最終回は、各自10分の画像のプレゼン(ショートフィルムを作成する、パワポをつくる、他の種類のスライドショーをつくる、等々)とシュヴァルツさん宅での夕食会です。自宅での夕食会は無理ですが、これはこれでとてもわくわくする最終回でしょう。
成績評価の仕方も参考になります。評価基準を次のように書いています。
クラスへの参加の度合い(出席)と毎週のレスポンス:30%
7ページから10ページのペーパー(レポート):30%
最後の画像(動画)のプレゼン:40%
- 2015.8.29(土)
[コッホの時代の顕微鏡写真]
コッホの時代の写真術は、湿式コロジオンと呼ばれる方式を使っています。コッホが雑誌に掲載できる水準の顕微鏡写真を撮ろうととくに奮闘したのは、1876年から77年にかけてです。ゼラチン乾板は出現していましたが、コッホが使ったのは、その時代の写真術のスタンダード、湿式コロジオン法です。
(1827年、ダゲール、ダゲレオタイプ、
1839年、タルボット、カロタイプ、
1851年、スコット・アーチャー、湿式コロジオン法、
1871年、リチャード・マドックス、ゼラチン乾版(ガラス板に乳剤)
1888年、イーストマンコダック、紙製ロールフィルム
1889年、イーストマンコダック、セルロイドベースのロールフィルム)
湿式コロジオン法では、ガラス板にその場で感光剤を塗り、湿っている間に撮影し、乾く前に現像する必要があった。湿式コロジオン法とは、感光版を自分で用意する方式である。
ブロック『コッホ』pp.50-1 ゲルラッハの著作より、当時の顕微鏡写真の取り方。
「始める前に天候を調べる。高い気圧計の読みと快晴の日光の日だけが写真を撮るのに適している。日中早々にスタートし、新鮮な平板を作り万端の用意を整える。四ないし六枚のよい写真を撮るのに三時間以上かかることが多い。
戸外ではずっと多くの撮影時間がとれるから、窓を通した光で撮影するよいも顕微鏡の装置全体を戸外へ持ち出すのが一番よい。
暗版を出し入れするときに機械が動かないようにするために、しっかり固定してあるかどうか確かめる。高さ五五センチの四脚のテーブルを特別にあつらえた。全部のレンズをきれいにして完全に装着し、照明のミラーを顕微鏡の太陽光側に置いた。頭に黒い布を被り、焦点ガラスを覗いて光を調整し、標本にピントを合わせる。像にピントがあったら室内へ入って写真版を用意する。暗室内でピンセットを使って清浄なガラス版をとり、その表面に沃化コロジオン液を流し、フィルムを均一に全面に広げる。コロジオンフィルムの用意ができたら暗室のドアを閉じ、プレートを用心深く銀溶液の中へ漬ける。それがすんだらプレートの液をきり、カセットの中へ収める。カセットを閉じて戸外の顕微鏡写真機のところへ戻る。黒布を取り除き適切な像によくピントが合っていることを確認する。次にカセットを注意深く器械の上に載せ、徐々にダークスライドをカセットから動かすが、他のものは動かないように気を付ける。露出のあとスライドをカセット内に戻し入れてから、カセットを顕微鏡よりはずし、もう一度顕微鏡を黒布で覆う。この全操作は速やかに行わなければならない。閉じたカセットを持って暗室へ急いで行き、暗室のドアをきっちり閉め、ガラス版をカセットから取り出して現像し、ネガを定着する。もしも写真像が十二分にシャープでないとき、あるいはエマルジョンが不完全であったときは、全過程をやり直すことが必要になる。というわけは、不満足なネガからプリントを作ることほど、写真技術においてつまらないことはないからである。」
照明法、感光版の準備がポイントであることがわかります。顕微鏡写真機については、Normand Overney and Gregor Overney, The History of Photomicrography, 3rd edition, March 2011 というウェブですぐに得られるpdf がよくできています。グスタフ・フリッチュの製造した水平式顕微鏡写真機(photomicrographic horizontal camera)と同じ形式のものをコッホは使っていた。1920年代まではこうした水平式のセットが高倍率の撮影には好まれていた。
つまり、顕微鏡写真を撮るための装置は販売されていたが、撮影にあたっては、感光板を自分で用意しなければならなかったということです。感光剤の用意、露光、定着というポイントの作業を自分で行わないといけない時代でした。もちろん、標本の準備はもっとも重要なポイントでした。(ブロック『コッホ』,p.46) ローベルト・コッホの主な業績のひとつは、特に病的組織の中にある細菌の検査に光学顕微鏡を上手に適用したことである。油浸レンズとアッベの集光器とを活用した最初の人がコッホであり、細菌の顕微鏡写真を出版したのも彼が最初である。鏡検のための細菌染色に関する彼の研究は、この重要な課題の基礎となっている。こうした素晴らしい成果は、コッホが自腹を切って購入した機器装置によって達成されたのである。
(ブロック『コッホ』,p.53) 1877年の論文にコッホは、細菌の標本を作り、染色し、観察して写真に撮る詳細な方法を細かく記述した。他のものが容易に再現できるように考えてのことである。
「驚いたことに、細菌は、滴虫類、単毛類、藻などと異なり、乾燥しても崩壊したり変形したりすることがなく、その形態を保持し、その長さや幅にも変化をきたらさずに菌体の外周粘膜層によってガラス面にしっかりと固定することができるのである。」(コッホ「細菌の検査、保存、写真撮影の操作」植物生物学補遺、2(1877):399-434)
(ブロック『コッホ』,p.52) コッホは顕微鏡写真術を仕上げるために1876年の後半と1877年の初頭を費やした。
(ブロック『コッホ』,p.55) 満足できる細菌写真が撮れたとしても、まだ印刷が追いついていなかったので、「一枚一枚焼付をして雑誌へ手で貼りつけなければならなかった。」現在の水準からいってもまったく遜色がない出来映えであった。細菌に種があるかどうか?(ブロック『コッホ』,p.62)
コーンとコッホは、細菌にははっきりと種があると考えた。
スイスの植物学者のカール・フォン・ネゲリ(1817-1891)はその考えに強く反対した。「最近、コーンは多数の種と属とに分けた細菌の命名系統を作りあげた。コーンの系統のなかで下等のかび類の各機能は、個別の種を区別するのに引用される。医学研究者の間においてすら広く支持される構想を彼は主張している。しかし、形態学的な、あるいはその他の特徴が種を区別するのに利用されるとする実際の基盤は、私には謎である。10年以上にわたり私は数千の分裂菌を調べたけれども、サルチナを除いてただ二つの種すらも区別することができなかったのである。」炭疽菌 Bacillus anthracis
結核 tuberculosis
Robert Koch, "Verfahren zur Untersuchung, zum Conservieren und Photographieren der Bacterien," Cohns Beiträge zur Biologie der Pflanzen, Bd. II, Heft 3. (1877) pp. 399ff. < I>Gesammelte Werke von Robert Koch (Band 1), pp.27-50
コッホの全集は、 Robert Koch, Gesammelte Werkeからダウンロードすることができます。- 2015.8.30(日)
[「湿板」写真]
朝郵便受けから新聞を取り出すと、昨日の夕刊もありました。つまり昨日夕刊を取り出すのを忘れていたわけです。こういうことはたまにあります。
今の私の関心にぴったりの記事が1面にあります。「写真、あえてフィルム」という記事で、インスタントカメラ「チェキ」が大きく取りあげられていますが、最後に今の今「湿板」写真に取り組んでいる和田高弘さん(東京・谷中「湿板写真館」店主)の記事が2段あります。
ウェブで今の今、湿式コロジオン法(湿板写真)に取り組んでいる人がいないかどうか調べてみました。vimeo.com の映像に、John Coffer- "The tintype Recaptured" というのがありました。ここまでやるか、という昔の生活をしながら、昔の方式の写真を撮っています。最後、化学溶液を板にかけると像が浮かび上がるところは、今見ても感動します。日本でも、湿式コロジオン法(湿板写真)やその前のダゲレオタイプに取り組んでいるアーティストがいるようです。気持ちはよくわかります。あまりに手軽なデジカメ、スマホ映像の氾濫のなかで、もっと手応えのある、物質に刻印された質感をもとめる気持ちはよくわかります。(簡単にできるのであれば、私もやりたいと思います。)
和光大学の新井卓さんは「写真表現研究」という授業で湿式コロジオン法を学生に教えています。さすが、和光です。新井さんのシラバスによれば、「近年、欧米を中心に再び取り組む写真家が少しずつ」出現しているそうです。なるほど。
「湿板写真館」についての情報もありました。やはり写真家の澤村徹さんという方が、和田高弘さんの「湿板写真館」を取材した記事がありました。谷中の「湿板写真館」は今年の2月にオープンしたばかりでした。6秒の露光時間で湿式コロジオンのガラス写真を撮ってくれるということです。キャビネサイズ1枚1万5千円、八つ切りサイズ1枚2万5千円ということです。個人的には人気がでるのではないかと予想します。
ガラス版に映るのはネガなので、黒い布の上においてポジ像を見るということです。アンブロタイプというポジ反転写真ということになります。
この形だと、ダゲレオタイプと同じ質感をもつ写真、1点限りの写真ができあがります。- 2015.8.31(月)
ILL で届いていた次の2点の論文を受け取りました。
E.F.J.Ring, "The historical development of temperature measurement in medicine," Infrared Physics & Technology, 49(2007): 297-301
E.F.J.Ring, "The historical development of thermometry and thermal imaging in medicine," Journal of Medical Engineering & Technology, 30(2006): 192-198
帰り道、研究所によって、スキャン。再度自分の研究室で片づけ。気になっていた用語 「ハーフトーン」を調べました。日本語では網点に当たります。 Halftone が 網点だとはちょっと意外でした。ちなみにハーフトーンという言葉そのものは、1881年、F. E. アイブスがはじめて使ったものということです。実際、印刷で「ハーフトーン」を使って写真を入れるようになったのもやっとこの頃からです。
私の授業資料によれば、この技術を用いて、写真を初めて印刷に使ったのがニューヨークの『デイリー・グラフィック』誌(1880年3月4日)。新聞に掲載された最初は、1897年の『ザ・ニューヨーク・トリビューン』。フォト・ジャーナリズムが花開くのは、1930年代のドイツ。電車のなかで半分、研究室で半分、次の論文をプリントアウトして読み通しました。
坂本信太郎「技術と市場: George Eastmanとアマチュア写真市場 Reese V. Jenkinsの論文から」『(早稲田大学産業経営研究所)産業経営』1(1975): 57-81
副題にある論文は次です。早速、ILL で発注しました。
Reese V. Jenkins,"Technology and the Market: George Eastman and the Origins Mass Amateur Photography," Technology and culture, 16(1975): 1-19
George Eastman, 1854-1932
Thomas Alva Edison, 1847-1931
イーストマンは、エジソンより7歳年下です。エジソンと同類のヤンキー・インベンターと分類してよいでしょう。- 2015.9.1(火)
駒場の授業のサイトを作りました。
駒場2015
- 2015.9.2(水)
ILL で届いている次の本を受け取りました。
Eric Margolis and Luc Pauwels (eds.), The SAGE handbook of visual research methods, SAGE, 2011
一体、どういう内容の本だろうと思っていましたが、社会学と文化人類学を中心に、人文社会系の学問における図像使用の方法について、多様な学問分野の人が多様な方法について考察したものでした。今回の私の関心からすれば、外堀ですが、これはこれで必要な仕事です。
図書館から次の論文が届いたという連絡があったので、すぐに受け取りに行きました。
Reese V. Jenkins,"Technology and the Market: George Eastman and the Origins Mass Amateur Photography," Technology and culture, 16(1975): 1-19
古典的な論文となっているようです。- 2015.9.3(木)
8月27日に紹介した、ヴァネッサ・シュヴァルツさんの授業ですが、表象文化論の授業でも応用できることに気づきました。(参加者各自1枚の図像・イメージを教室に持参し、どうしてこのイメージなのかを説明すること)。アクティブラーニングにも利用できます。10月から早速利用しようと思います。- 2015.9.9(水)
帰り着くと、次の本が届いていました。
Ralf Adelmann, Andreas Fahr, Ines Katenhusen, Nic Leonhardt, Dimitri Liebsch and Stefanie Schneider (eds.),
Visual Culture Revisited: German and American Perspectives on Visual Culture(s)
Cologne: Herbert von Halem Verlag, 2007- 2015.9.12(土)
帰宅すると次の本が届いていました。
Martin Kemp, Visualizations: The nature Book of Art and Science, Oxford, 2000
- 2015.12.12(土)
ふと、思うところがあって、かなりの数の論文をダウンロードし、次の2点をプリントアウトして読みました。n
佐近田展康「メディア技術の亡霊たち」『名古屋学芸大学メディア造形学部研究紀要』第2巻(2009): 33-42
これは、とてもよくできた論文です。今年私は視覚論関係の論文を多数読みましたが、邦語のなかではこれが最優秀賞に値します。ちょっとびっくりしました。著者の方はまったく知らない方ですが、力量のある方です。
→「現代社会において亡霊は現に機能している。」(p.33)
「我々の時代がテクノロジーに取り憑かれているという問題意識」(p.33)
「ある時期から、写真の登場以降に切り開かれたいわゆる「近代メディア技術」とともに、霊的なものの居所が変わったことに気づく。伝統的に宗教の分野に属していた霊、悪魔、幽霊、亡霊、怨霊などが、科学的合理主義の席巻のなかで、宗教的なものの衰退とともに住処を失い、近代メディア技術へと移住して来たかに見える。」(ibid.)
「写真や録音などのメディア技術について小史をたどり、現象学や精神分析の視点を含めた現代思想家のディスクールを、この技術と亡霊の観点から再検討するならば、「手に負えない《機械》の亡霊化作用」という問題が浮上してくる。」(p.34)
medium:霊媒
specter: 亡霊
spectrum: 幻像
spectacle: 見世物
phantom: 幽霊
「近代メディア技術登場の前夜に人びとの目を魅了していたのは、マジック・ランタン、ファンタスマゴリ、パノラマ館、ジオラマ館といった見世物(スペクタクル)だったし、そこでの格好の題材は他ならぬ「亡霊」だった。またソーマトロープ、フェナキスティコープ、ゾートロープといった視覚トリックを競う玩具は「ないはずのものが見える」「止まったものが動いて見える」といったある意味で亡霊的な目の快楽を与えながら、映画前史を形成していく。」(p.34)
佐近田展康氏の論文の核心となる論点のひとつは、「カクテル・パーティ効果」です。大人数のがやがやしたカクテル・パーティにおいても、人間の耳は、かなり離れた場所にいる人の会話を聞き取ることができる。しかし、それを録音して聞いても同じ効果は得られない。つまり、人間の耳は、無意識に「注意が向かう志向対象以外の音を」「ノイズとしてカット」しているということになります。
それに対して、写真では、アマチュアのスナップ写真であっても、フレームの「切り取り」がなされている。「カメラという機械のなかには、主体の選択的注意のベクトル、意識のフィルター機能、すなわち「意識の志向作用」の一部」(p.39)がはじめから組み込まれている。
しかし、そこには、必ず「偶然写り込んでしまう」ものがある。バルトは、これを、プンクトゥム punctum と呼び、写真を見るものを「突き刺す」と言った。
ベンヤミンはこれを「焦げ穴」と呼び、「人間によって意識を織り込まれた空間の代わりに、無意識が織り込まれた空間」がその穴から現出すると言った。
バルトのプンクトゥム、ベンヤミンの焦げ穴とは、「ラカン流に言えば、この《現実界》のかけらと遭遇する象徴秩序の小さな針穴であり、一枚の写真が突如として崇高な輝きを発したり、おぞましく不気味な霊気を発するトリガーなのである。」(p.36)
そして、もうひとつのポイントは、声の現前性と声の禁忌です。パロールのメディアである声は、「主体に対する絶対的な近さ、無媒介性、意識との一体性でもって、いまーここにある《現前 presence》を構成する。人間は「自分が語るのを聞く」存在であり、内言の声は意識と同義である。」(p.39)
「声の禁止は、他者の声、死者の声はもとより、「自己の声」において最も強く働くことがわかる。」(p.39) 「これは「手に負えない《機械》の亡霊化作用」が《現前》に及ぶことへの最高度の警戒であり、禁止なのだ。」(p.40)
→もう明白でしょう。亡霊とは、意識の志向作用からはみだした/除外されたものが点や焦げ穴から襲ってくるものです。無意識を認める以上、亡霊も認めなければならない。→佐近田展康さんはどういう方だろうと思い、ネットで調べてみました。神戸大学で社会学を学んだあと、コンピュータ音楽の実作者として活動されています。赤松正行とのユニット「ノイマンピアノ」や三輪眞弘とのユニット「フォルマント兄弟」でも活動している。研究論文としては他に「メディア論的視覚とメディア・アートの射程」がある。MAX(プログラミング音楽制作環境)の教科書も書かれています。
- 2015.12.13(日)
お昼前に次の雑誌が届きました。
『西洋美術研究』No. 18(2014) 特集:スペクタル
目次は次です。
秋山聰+木下直之+芳賀京子+古谷嘉章+京谷啓徳[座談会]「スペクタクルをめぐって」
フィリーネ・ヘラス+ゲアハルト・ヴォルフ(秋山聰監訳、太田泉フロランス訳) 「1462年ローマにおける聖母被昇天の祝祭行列:2つのイコンが出会う夜」
奈良澤由美「エウカリスティアの祭儀の典礼空間における聖性の強調と信徒の参加:フランスの事例を中心に」
京谷啓徳「新教皇のスペクタクル:ポッセッソの行列をめぐって」
森田優子「ヴェネツィアの祝祭と都市イメージ」
尾関幸「パノラマ:19世紀的多幸症の装置」
尾崎彰宏「レンブラントのスペクタクル:「受難」連作にみる「情念」の絵画化の射程」
小野尚子「《同胞のスラヴ》 総合芸術家としてのアルフォンス・ムハ」
石井祐子「シュルレアリスムとスペクタクル:シュルレアリスム国際展(ロンドン)の「幽霊」をめぐるノート」
石井祐子編「文献リストと解題」
- 2015.12.14(月)
[『アンチ・スペクタル』]
次の本を借り出しました。
長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタル:沸騰する映像文化のアルケオロジー』東京大学出版会、2003
目次は次です。
長谷正人「序論 「想起」としての映像文化史」
ダイ・ヴォーン「第1章 光(リュミエール)あれ――リュミエール映画と自生性」
メアリー・アン・ドーン「第2章 フロイト,マレー,そして映画――時間性,保存,読解可能性」
トム・ガニング「第3章 個人の身体を追跡する――写真,探偵,そして初期映画」
ジョナサン・クレイリー「第4章 解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」
トム・ガニング「第5章 幽霊のイメージと近代的顕現現象――心霊写真,マジック劇場,トリック映画,そして写真における不気味なもの」
ヴァネッサ・シュワルツ「第6章 世紀末パリにおける大衆のリアリティ嗜好――モルグ,蝋人形館,パノラマ」
ベン・シンガー「第7章 モダニティ,ハイパー刺激,そして大衆的センセーショナリズムの誕生」
トム・ガニング「第8章 アトラクションの映画」
英語の本の翻訳かと思ったら、編者が選んだ論文を訳出していました。つまり、元の論文は英語ですが、この構成は日本語のオリジナルです。一番多いのは土曜日に紹介した、Leo Charney and Vanessa R. Schwartz (eds.), Cinema and the Invention of Modern Life, University of California Press, 1995 です。第3章、第4章、第6章、第7章がこの本から選ばれています。他はばらばらです。
最初、この本を手にとったとき、上の『映画と近代生活の発明』の翻訳かと思いました。翻訳にしては、タイトルがあまりに違う。序を読み通すと、第1章の始まる直前に、元論文のリストがありました。近森高明さんが<書評論文>で取りあげている論文がすべて採録されていますから、こういうふうに思っても当然です。視覚文化論/視覚文化史に関する基本論文を訳出したよい出版物だと思います。ただし、タイトルは、力みすぎだと思われます。視覚文化論/視覚文化史に関心があるものであれば、必ず読むべき本に仕上がっていますが、そのことがこのタイトルでは伝わりません。3限4限の授業。3限の院生は、数日前、A型インフルエンザから回復したということでした。受験生の妹からうつったと言っていました。逆だったらたいへんだった、とぽつりと。そのとおりです。
4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。帰りの電車で空腹を感じました。
- 2015.12.16(水)
歯医者さんの前、今持ち歩いている『アンチ・スペクタクル』から、第4章、ジョナサン・クレイリー「解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」を読みました。さすが、クレイリー、素晴らしい論文です。マネの『温室にて』(1879)の解釈も素晴らしいですし、なによりも、「注意」概念の出現を切り出してみせる手つきがよい。視野を切り開いてくれる論文です。いろんなことを考えました。学問の世界における転(起承転結の転)の論文です。
帰宅すると次の本が届いてました。
Jason E. Hill and Vanessa A. Schwartz (eds.),
Getting the Picture: The Visual Culture of the News
Bloomsbury, 2015
多くの執筆者による1点数ページの記事が最初は年代順、その後はテーマ毎に編まれています。ちょっと想像したのとは違う体裁でした。→しかし、この書物は多くの分野の人にとってとても重要な書物になっていると思われます。第1部は「ビッグ・ピクチャー」と称し、年代順に並べられた26節からなります。第2部は、「報道写真史を再考する」と題され、イ)報道写真と出版ジャンル、ロ)報道写真メディア、ハ)報道写真時代、ニ)報道写真について語ること、ホ)報道写真の鑑識眼に分けられ、各パートに数点の記事が集められています。- 2015.12.21(月)
図書館によって、次の論文を受け取りました。
大原 まゆみ「パノラマ,ディオラマ,動くパノラマ : 十九世紀の視覚情報娯楽産業群」『実践女子大学美學美術史學』11(1996): 43-67
これは、基本をしっかりとまとめた好論考です。
→パノラマは、18世紀末の新造語。「専用の円筒型建物(ロトンダ)の内壁に連続して巡らされた巨大な絵画により、水平方向360度の全方位から観客を包み込む」(p.44)。もっともよく描かれたのは、「有名都市や名高い景勝地の景観」(p.49)。実際に使われた新技術として、パノラマグラフやカメラ・ルシダのような、下絵をキャンバスに正確に拡大して写し取るための光学装置があった。
「ディオラマは、パノラマに三十五年遅れて登場した視覚メディウムを指し新造語で、・・・、透過による眺めを語源としている。・・・背後の光源が絵を透過してもたらす効果を巧みに用いて、同じ場所の眺めが時間や天候によって変化するさまを見せる絵画」(p.55)であった。この語も、本来の流行が衰えてからは意味するところが変わり、「科学、歴史、民俗博物館などで展示用に用いられる照明付き模型(ジオラマ)」を指すようになっている。(注15. 伊藤俊治氏の『ジオラマ論』は、本来のディオラマにはまったく関心を示していない。)
森さんは、ドイツ語の文献をつかっています。中心としては、Sehsucht: Das Panorama als Massenunterhaltung des 19.Jahrhunderts, Frankfurt am Main/ Basel, 1993.
「動くパノラマ」は、パノラマという語を使っているが、原理的にかなり異なる。「巻物形式の長い絵を二つのシリンダーの間に渡し、順次巻き取ることにより、静止している観客に空間と時間両方の変化、つまり運動(移動)のイリュージョンを与えるものであった。」(p.59)
「注10.ホットニュースを見世物にするには、小型のパノラマないし覗き絵が便利だった。19世紀末から20世紀初頭には「カタストロフ画家」がこの方面で活躍し、難破、火災、暴動、事故、災害、処刑など、に対応して数日後に展示できる態勢を整えていた。」(p.65)- 2015.12.22(火)
図書館に向かい、次の本を借り出しました。
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、みすず書房、2013
増田展大さんの論文の注で知った著作です。- 2015.12.23(水)
次の論文をダウンロードして読みました。
中路武士「映画の痕跡学―初期映画、表象技術、記憶保存―」『(早稲田大学)演劇研究センター紀要』VIII(2007): 251-269
飯田隆「分析哲学としての哲学/哲学としての分析哲学」『現代思想』32巻8号(2004): 48-57
前川修「メディア(論)の憑依―ポスト・メディウム状況における写真―」『(神戸大学)美学芸術学論集』第7号(2011): 3-14
飯田隆さんの論考は、『映画理論と哲学』を材料にしています。- 2015.12.24(木)
昨日の3点の論文に続き、月曜日に大学図書館で借りだした、レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』(堀潤之訳、みすず書房、2013)から第6章「映画とは何か?」を読みました。これは素晴らしい記述です。今後映画とアニメを語るための基本的観点と用語と枠組みを提示してくれています。このタイトルの書物から、こういう内容を想像することはほぼ不可能です。
p.437 スティーヴン・ニールは、初期映画が、自然の動きを再現することによって、どのようにみずからの真正性を証明したかを記述している。「(写真に)欠けていたのは、風、すなわちまさに現実の自然な運動のインデックスだった。それゆえに、単に運動やスケールに対してだけではなく、波や海面のしぶき、煙や水煙に対する同時代的な異常なまでの魅惑が生じたのである。」
→写真の前身とされるカメラ・オブスクラの比較をここで試みると、カメラ・オブスクラの視覚においては、写真に欠けていたものが強調されていたと言える。しかし、「波や海面のしぶき、煙や水煙」に対する執着は、おそらく初期映画に特徴的なものだと言えるでしょう。
p.414 にある本文ゴチック(太字の部分)をまるまる引用しておきます。「デジタル映画とは、多くの要素のひとつとしてライヴ・アクションのフッテージを用いる、アニメーションの特殊なケースである。」「アニメーションから生まれた映画は、アニメーションを周辺に追いやったが、最終的にはアニメーションのある特殊なケースになったのである。」
p. 408 「映画は、テクノロジーとして安定するやいなや、その巧みな術策という起源にまったく触れなくなった。20世紀以前の動く絵を特徴づけていたすべての事柄―手作業による画像の構築、ループに基づくアクション、空間と時間の離散的性質―が、映画の偽りの親類、映画の補完物にして影、すなわちアニメーションへと委ねられた。20世紀のアニメーションは、映画が置き去りにした19世紀の動画像の技法が保管される場となったのである。」
p.409 「映画はみずからの制作過程の痕跡を何としてでも消し去ろうとする。」
p.406 「映画以前の技法には、いくつかの共通の特徴がある。まず、それらの技法はすべて、手で塗られたり、手で描かれた画像に頼っていた。幻燈のスライドは少なくとも1850年代までは描かれたものだったし、フェナキスティスコープ、ソーマトロープ、ゾートロープ、プラクシノスコープ、コリュートスコープ、そして19世紀の他の多くの前映画的装置で使われた画像に関しても同様だった。」
「画像は手作業で作られていただけではなく、手作業で動かされてもいた。」
「画像の自動的な生成と自動的な投影は、19世紀の最後の10年間になってようやく、最終的に結びついた。」- 2016.1.5(火)
図書館に2度行って、ILL で届いている本を一冊借り受け、コピーを1点受け取りました。
Marie-Louise von Plessen, Ulrich Giersch eds., Sehsucht : das Panorama als Massenunterhaltung des 19. Jahrhunderts, Katalogredaktion, Stroemfeld/Roter Stern, 1993
三輪健太朗「トム・ガニング「インデックスから離れて : 映画と現実感」」『映画学 / 早稲田大学大学院文学研究科映画研究室』26(2012): 74-81
この論考は、短いものなので、すぐに読みました。<論文紹介>とあります。ガニングの論文を紹介し、批評したものです。ガニングの問題関心は、レフと共有しています。たたし、レフとは違い「インデックスから運動へ」というふうに問題をとらえているということです。「映画の始まりに今一度目を向け直す。そして、19世紀末に現れた映画とは、電話や蓄音機、X線などの新しい発明がごった返していた状況下に登場したものであり、はじめからメディウムとしての特異性を示していたわけではなく、むしろメディウムの混交状態をこそ提示していたのだと指摘する。」(p.77 上段)
→17.10.8追加 トム・ガニング(濱口幸一訳)「驚きの美学」『「新」映画理論集成@』フィルムアート社 、1998, pp.102-118.- 2016.2.19(金)
準備をしてから図書館へ。3点、コピーを取りました。2点は仕事関係ですぐに公開するわけにはいきません。公開できるのは、次です。[ヴァスコ・ロンキ「光学と視覚」]
ヴァスコ・ロンキ「光学と視覚」(高橋憲一訳)『西洋思想大事典』(平凡社、1990)、pp.109-121
研究室に帰って早速読みました。さすが、ロンキ、とても素晴らしい項目執筆です。これまで光学史/視覚理論史をいろいろ勉強してきて、はっきりと焦点を結ばなかったポイントを非常に明確に描ききっています。リンドバーグの仕事ももちろん重要ですが、ロンキもとても素晴らしい。蒙をひらかれたと感じます。
私の調べ得た範囲では、これがロンキの唯一の邦訳かもしれません。
「紀元前5,4世紀において、視覚の問題が哲学的思索の中心に位置していた。」「この種の思考が当時の「光学」を構成していた。「光学」(optics)という語は明らかにギリシャ語起源であり、本来は「視覚の学」を意味していた。」(p.109)
(→ということであれば、哲学=認識の学にとっても、「光学」(optics)=「視覚の学」は基本の位置を占めると評価してよいように思われます。哲学史のどまんなかに「光学=視覚学史」を位置づける試みがあってもよい。)
そこでは、2つの概念が軸となった。「視線」と「写し」。「視線の理論は数学者によって支持され、1000以上も哲学的討論を支配した。」(p.109)→ユークリッドの『光学』『反射光学』ならびにプトレマイオスの『光学』も視線の理論を使った。
「写し」(simulacra)
「プラトン哲学の影響は計り知れないほど遠大であった。プラトンの権威が認められると、彼の考えは科学の世界において実験的活動を実際上麻痺させてしまった。特に視覚は危険な感覚として非難された。恐るべき判決がその上に宣されたのである。――「学問(科学)は視覚のみによっては達成されえない」(Non potest fieri scientia per visum solum)」(p.110)
「西欧において、ギリシャ語起源の「オプティクス」はラテン語起源の「パースペクティヴ」に取って代わられたが、内容上の変化は何もない。」13世紀にペルスペクティファ(perspectiva)の学を主に養い育てたのは、グロステスト、ジョン・ペッカム、ロジャー・ベイコン、ボナヴェントゥラ、トマス・アクイナスであった。(p.112)
「遠大な帰結をもたらすことになる一つの新しい発展が、1280年と1285年の間のある時期に起こった。」(p.112)老眼鏡が発明され、その形状(平豆)からレンズと名づけられた。
「ガラスのレンズは科学の分野では認められず、真面目に取り上げる学者はひとりもいなかった。」(p.113)
「眼鏡製作者たちはほとんど無学であり、それについて何ひとつ書き残さなかった。」(p.113)「今日なら数々の国際的な賞で報われていたはずの近視矯正のような発見は、栄誉を受けることも称えられることもないままなのである。」(p.113)
「科学からのレンズの追放はまる3世紀続いた。レンズの歴史、そして特にその状況の逆転の歴史は、科学史における最も重要で最も興味深い1章をなしている。」転換点に立つのはデラ・ポルタ、ケプラー、ガリレオであった。(p.113)
「事実、中世光学は、今日でも妥当する新しい光学にただちに取って代わられた。この新光学の誕生は1604年に起こったと言ってよい。ヨハネス・ケプラーの著作『ウィテリオへの補遺』の出版をみた年である。」(p.113)
(→事典の記述にすべてを期待することはできないので、書かれていなくても仕方がないのですが、いつからペルスペクティファ(perspectiva)にかえてもとの「オプティクス」が復活したのかは、調べてみる必要があります。私のフィールドである17世紀ではすでに「オプティクス」が普通で、ペルスペクティファ(perspectiva)は遠近法という意味に代わっているように思われます。)
p.115 ガリレオの望遠鏡の倍率は30倍程度。それ以前のものは、3倍程度であった。
ロンキ自身のイタリア語の著作の英訳としては、V. Ronchi, Nature of Light , London and Cambridge, Mass, 1970; V. Ronchi, Optics, the Science of Vision, New York, 1957; V. Ronchi, New Optics, Florence, 1971. 『光学:視覚の学』の訳者ローゼンの論文、E. Rosen, "The Invention of Eyeglasses," Journal of History of Medicine and Allied Sciences, 11(1956): 13-46, 183-218
訳者の高橋憲一さんが関連する邦訳も拾ってくれています。ケプラーの『パラリポメナ』には『視覚論』と題された邦訳(抄訳)があります。『エピステーメー』1978年9+10月号。(pp.71-87) これは持っていたように思います。今度研究室に行ったとき、確かめます。訳者は田中一郎さん。また成書として、遠藤真二『光の歴史』東京図書、1977も挙げておられます。別の話ですが、『西洋思想大事典』には私も翻訳をしています。「光学と視覚」のすぐ前の項目、ファン・メルセン「原子論:古代から17世紀まで」pp.70-75、ロバート・カーゴン「原子論:17世紀」pp.76-85。それに、ハロルド・ジョンソン「物質概念の変遷」 『西洋思想大事典』(平凡社、1990)第4巻、pp.88-98.
2段組の大きな事典で、この量ですから、けっこう翻訳したという記憶が残っています。
こうなると、丸善出版社の『スクリブナー思想史大事典』のいろんな項目も見てみる必要があります。『西洋思想大事典』には「遠近法」はないので、そうした項目を捜してみる必要があります。
→『スクリブナー思想史大事典』の実物は手近(私は所有せず、外大の図書館にも)にないのですが、いまどきですから、丸善のサイトに項目一覧はありました。今回、「光学と視覚」の項目はありません。代わりにというわけではないのでしょうが、「遠近法」はありました。「視覚文化」もありました。つまり、少なくとも「視覚論/光学」の分野では両方を使う必要があるということになります。
「原子論」もありません。
- 2016.2.21(日)
金曜日に着手した光学/視覚論史の見直しですが、日本語の文献はきちんとまとめておく必要があると思うようになりました。
ネットを散策していると、田中一郎さんに次の論文があることに気づきました。
田中一郎「光と視覚および望遠鏡−ケプラー光学の展開」『ケプラーと世界の調和』(渡辺正雄編、共立出版、1991), pp.181-198.
数分時間をかけて部屋のなかから探し出し、すぐに読みました。一般読者向けに書かれていますが、ケプラーの光学の位置付けがよくわかるように記述されています。
他の3点は、次です。
田中一郎「ケプラー光学の展開と近代視覚理論の成立」『講座 科学史1』(伊東俊太郎・村上陽一郎編、培風館、1989), pp.212-233
田中一郎「ガリレオの望遠鏡と近代光学をめぐって」『自立する科学史学』(高橋憲一他編著、北樹出版、1990), pp.46-63
田中一郎「ニュートン光学の成立」『科学の名著6 ニュートン』(朝日出版、1981), xiii-xxxix
ということで、合計4点。まとまった形で存在すると、違った意味を持つことができると思います。岸文和「制度としての遠近法―『浄瑠璃姫物語』の画像を手がかりにして―」『日本文学』第44巻第10号(1995): 1-12
をダウンロードして読みました。非常にわかりやすいよいまとめだと思います。日本における遠近法の導入に関心のある方は、是非一度読んでみて下さい。出発点として安心できる記述が得られます。- 2016.2.22(月)
研究室で『エピステーメー』を捜しました。きちんと数えたわけではありませんが、6〜7冊は持っていました。しかし、当該の号は見当たりません。ここで捜すより、図書館に行った方が早い。途中、研究所に寄ってスキャンしてから、図書館へ。9時開館で、9時1分ぐらいに着きました。すぐに地下2層に行って、『エピステーメー』の置いてある場所を探しました。
『エピステーメー』は一世を風靡した雑誌です。棚に並んでいるのを見て感じたのは、少ないということです。印象は強かったのですが、長く継続はしていません。ああ、こんなにすぐに終わりを迎えたんだというのが今回創刊号から最終号まで並んでいるのを見た正直な感想です。
必要なのは、『エピステーメー』1978年9+10月号。
アルハーゼンの「目の構造」とケプラーの「視覚論」のセットでした。
アルハーゼン「目の構造」(矢島祐利訳)『エピステーメー』1978年9+10月号, pp.54-70
ケプラー「視覚論」(田中一郎訳)『エピステーメー』1978年9+10月号, pp.71-87
図書館で、他に、サビーヌ・メルシオール=ボネ『鏡の文化史』(竹中のぞみ訳、法政大学出版局、2003)を借り出しました。最初に鏡の技術史があります。私にその部分が入り用です。
本日の用件は以上です。すぐに帰途。9時52分多磨駅発の電車に乗り、コピーをとったケプラーを電車のなかと乗換の待ち時間で読みました。田中一郎さんの「光と視覚および望遠鏡−ケプラー光学の展開」『ケプラーと世界の調和』(渡辺正雄編、共立出版、1991)はこれとセットだとわかりました。
p.79 「実際、第二章で暗箱(clausa camera)について証明したのと同じことが起こっているのである。」
私にはこの箇所が重要です。田中さんは、カメラ・オブスクラを「暗箱」と訳されています。なお、訳出されているのは、ケプラー『ウィテリオへの補足―光学の天文学的部分』第五章「視覚論」の一部です。
目の構造(解剖図)としてケプラーは、フェリックス・プラターの『人体の構造と眼について』(1583年、1603年)の図を明示的に利用しています。また、species は「像」、pictura は「図像」と訳されています。
田中さんは、「光と視覚および望遠鏡−ケプラー光学の展開」の結論部分で次のように述べます。
「ケプラーの光学研究は同時代の人びとのほとんどに理解されなかったし、すぐに忘れられてしまった。『ウィテリオへの補足』での視覚理論は当時の人びとには難解すぎたからである。理解できた人びとにとっても解決しなければならない多くの問題が残されていた。『屈折光学』で発表されたケプラー式望遠鏡のほうも、それが見せる倒立像のためになかなか普及しなかった。」(p.197)
「半世紀ほどのちになって彼の考えが次第に広まり、科学の世界を支配することになった。しかし、そのときにあすでにいわば常識とも言える知識になっていたため、その考えを誰が思いついたかに触れられることは稀であった。そのため今日でも近代光学の基礎を築いたのがケプラーであると言われることは少ない。」(pp.197-8)
私は個人的に、その半世紀の間に何が起きたのか、ケプラー理論の受容史を知りたいと思います。→自分でその50年間を埋める作業をしてみます。
谷川多佳子さんは、「視覚・自然の幾何学化・精神:ケプラー、デカルト、ライプニッツと近代の表象」の注(5)で次のように記します。
「『屈折光学』(1637)刊行の翌年デカルトはケプラーについて手紙でこう述べている。「 (かれは)光学において私の第一の師でしたし. . それまでにこの分野で最も多くのことを知る者すべての師であったと思います」(A. T. II,86)」(p.54)
谷川多佳子「視覚・自然の幾何学化・精神:ケプラー、デカルト、ライプニッツと近代の表象」『筑波哲学』9(1999): 48-54
ちなみに谷川さんは、iichiko 24(1992) に掲載された田中一郎さんの「近代光学のなかの「光」」を使われています。いいちこは、一部持っていますが、きちんと棚には並べていないので、私の部屋で捜すのは至難の業です。→季刊iichiko は比較的多くの図書館に入っています。ケプラーの『ウィテリオへの補足―光学の天文学的部分』は1604年、ケプラーの『屈折光学』は1610年です。デカルトの『屈折光学』は1637年ですから、二人の屈折光学の間の期間は、27年です。デカルトの『屈折光学』がケプラーの『屈折光学』を下敷きにしているのはあきらかですから、田中さんの記述はケプラーの理論の忘却を大げさに書きすぎていると言えます。→私が2014年10月14日前後で紹介した新しい論文、デュプレ、シャピロ、パンタンの論文は、相当程度、上記の空白を埋めてくれています。
お昼過ぎに次の本が届きました。
遠藤真二『光の歴史―物理学の闇と天才たち』東京図書、1977
古い本です。光学史の通史を期待しましたが、光に関する物理学理論の歴史でした。近代は、ガリレオとデカルトから叙述しています。つまり、ケプラーは、ほぼ触れられていません。ペルスペクティファ(perspectiva)の系譜には全く触れていません。いわゆる古い物理学史です。そういう記述の一例として意味を持ちます。- 2016.2.23(火)
『季刊 iichiko』を捜しだし、田中さんの文書をコピーしました。
田中一郎「近代光学の中の「光」」『季刊 iichiko』No. 24(1992), pp.92-99.
谷川多佳子さんは、「視覚・自然の幾何学化・精神:ケプラー、デカルト、ライプニッツと近代の表象」で、ケプラーの光学から次の言葉を引用しただけということがわかりました。
「視覚そのものは可視物の図像が網膜の白い窪んだ面上に形成されることによって生じる。そして外界において右にあるものは網膜の左に、左にあるものは右に、上にあるものは下に、下にあるものは上に描かれる。」Kepler, Ad Vitellionem Paralipmena, 1604, V.2 (Gesammelte Welke, vo.2, p..153).- 2016.3.7(月)
お昼過ぎに次の本が届きました。
Olivier Darrigol,
A History of Optics from Greek Antiquity to the Nineteenth Century
Oxford: Oxford University Press, 2012
- 2016.3.15(火)
朝のうちに次の2冊が届きました。
中川成美
『モダニティの想像力―文学と視覚性』新曜社、2009
神里達博
『食品リスク―BSEとモダニティ』弘文堂、2005- 2016.3.27(日)
[片づけ]
暖かくなったら着手しようと思っていた、私の部屋の片づけに手をつけました。学会の仕事で必要なものを探し出した時点で一度ストップ。片づけの途中で出現した、ヘッドリック『情報時代の到来:「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー』(塚原東吾・ 隠岐さや香訳、法政大学出版局、2011)を読んでおくことにしました。
ヘッドリックのまとめによると、本書は「情報を組織すること、変換すること、表示すること、保存すること、伝達することを各章のテーマとして、これらの機能を果たしているいくつかの事例研究」を示しています。情報の組織化(第2章)では「科学の言葉」としてリンネの分類法やラヴォワジェの化学革命(新しい化学言語)が扱われています。情報の変換(第3章)では「統計の起源」が扱われています。情報の表示(第4章)では「地図とグラフ」が扱われています。情報の保存(第5章)では「辞書と百科事典」が扱われています。そして、情報の伝達(第6章)では「郵便と電信のシステム」が扱われています。本のメーンタイトル『情報時代の到来』もサブタイトル「「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー」も内容をよく伝えるものにはなっていません。しかし、章毎にこういうふうにまとめると、重要な書物だということが見えてくると思います。この本がもし十分な注目を浴びていないのであるとすれば、タイトルの問題が大きいように思われます。
→p.10 知や思想についての歴史家たちは啓蒙運動を知識人たち[ヴォルテール、カント、ディドロ、モーツァルト、ルソー、ラヴォアジェなどの有名人]とその思想の歴史として書いてきたのである。{注10:カッシーラーやゲイなど、啓蒙の思想史の代表的著作を取りあげる}
しかし、そのほかの知的な変化にはほとんど注意が払われなかった。なぜならそういった変化は印象が薄く、論争の価値があまりなかったので、当然とみなされてしまったからだ。これはつまり、情報の需要と供給、そしてその組織化についてである。
p.10 新しい情報システムは1700〜1850年の間に現われた。
p.13 情報量が増加してゆくとこんどは、それを扱う方法、つまり情報システムにおける革新が起こった。{注の12}それゆえに、科学的分類法、地図製作法、辞書編纂法、統計学、そして郵便といったものが発達し、「理性と革命の時代」を特徴づけた。
p.14 ほかにも情報革命への貢献を認識されるに値する、長く忘れられた思想家たい、たとえばヴィンセンツォ・マルコ・コロネッリ(百科辞典編集者)、トビアス・マイヤー(数学者)、そしてグラフの記載法を発明したウィリアム・プレイフェアなどがいる。- 2016.3.31(木)
夕食前に次の雑誌に買いにでました。セイユウの隣の本屋さん。買ったのは、『サイゾー』2016年4月号です。読みたかったのは、小原真史「写真時評:過去から見る現在、写真による時事批評〜モンタージュ過去×現在〜」です。トルボットの『自然の鉛筆』を取りあげています。1844年から46年にかけて分冊形式で出版された最初の写真集『自然の鉛筆』には、トルボット(昔は、タルボット)が発明した「カロタイプが直接のりで貼り付けられていた。」(p.103)
すなわち、ポジがそのままページに貼られていたということです。こういう事実が歴史的想像力を刺激します。- 2016.4.1(金)
[トルボット『自然の鉛筆』]
朝のうちに次の本が届きました。
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット『自然の鉛筆』赤々舎、2016
出版社の謳い文句は、「世界最初の写真集、トルボット『自然の鉛筆』。待望の完全日本語版」です。
トルボット『自然の鉛筆』邦訳のほかに、次の論考が収められています。
畠山直哉「 自然と鉛筆----レイコックの日々」
マイケル・グレイ 「光の言葉----「自然の鉛筆」をめぐって」
青山勝 「トルボットの生涯と『自然の鉛筆』」
ヘンリー・F・トルボット 「『リテラリー・ガゼット』誌編集長宛の手紙3通」
金井直 「写真と彫刻 あるいは互恵性」
ジュゼッペ・ペノーネ「 <写真>をめぐる3つの断章」
畠山直哉「 団栗と写真」
→ともかく、中身を見てみました。左側からのページ(トルボット『自然の鉛筆』翻訳)と右側からのページがほぼ半々で混在しています。実物を見ないとわからないことがあります。p.40 は、図版11で「石版画のコピー」が収録されています。よく知られている「パリの風刺画を複写した」とあります。パンタグラフにより、図版の拡大縮小は可能だが、とてもまだるっこしものであり、しかも道具が正確な状態を保っていなければならない。しかし、写真術を使えば、いとも簡単に、「実物に対してずっと大きな複写でもずっと小さな複写でも、望みどおりに作ることができる」とトルボットは自慢げです。実は、カメラ・オブスクラにもこの機能があります。もっと正確に表現すれば、そういうふうに使うこともできます。
類似のものとしては、図版9「古い刊本の頁の写し」(p.37)
トルボット本人の説明によれば、「密着焼付の方法で、実物大で複写された。」
ちょっと意外なものとしては、図版20「レース」のネガ。
→解説文も順番に読んでいます。
インディペンデントスカラーとしてずっとトルボット研究を続けているグレイは、さすがです。p.23 「写真の起源についての私たちの評価と理解はいまなおどこか混乱しており、不明瞭なままにとどまっている。ニエプスもトルボットも、その当初の意図は、写真そのものを発明したり、発見したりすることではなかった。二人が必死に目指していた共通のゴールは、光の作用と媒介を通じて画像を―実景であれ、ドローイングであれ―複製する方法を考案することであった。」
ニエプスはアンボワーズ枢機卿の版画を原版として選び、一八二六年にこの「オリジナル」から最初の図版を作成した。青山さんの論考。トルボットの写真術は技術的には、3つほどのステージを分けて考える必要があるようです。(私のまとめ)。一番大きいのは、1840年の潜像の発見です。写真について我々は、潜像、現像、定着のプロセスを最初に習います。しかし、潜像はまさに見えない像であり、写真術発見以前には、何かの偶然により、何も見えないところにまさに像が潜んでいることが発見されなければなりません。
p. 43 トルボット『鉛筆考』60頁「一枚をカメラ・オブスクラから取り出し、ロウソクの光でじっくり調べてみました。その紙にはほとんど何も写っておらず、私は暗室のテーブルの上にそれを放り出したままにして暗室から出ていきました。しばらくしてまた暗室に戻り、その紙を手にとったとき、そこにくっきりとした画像が写っているのを見て私はとても驚きました。」トルボットは、像が自然発生的に出現した、と言っています。- 2016.4.3(日)
[中崎昌雄氏の写真史研究]
トルボット『自然の鉛筆』を読んでいて、ずっと避けていた写真史(起源における)をきちんと追いかけてみることにしました。研究史と思い、調べてみると、中崎昌雄氏が数多くの論文を発表されています。
中崎昌雄「Edgar Allan ポオ肖像写真の「左右問題」」『中京大学教養論叢』27(1)(1986): 1-26
中崎昌雄「現存する世界最古の写真 I Nièpceヘリオグラフとその左右問題:Niépceヘリオグラフとその「左右問題」」『日本写真学会誌』51(2)(1988): 135-146
中崎昌雄「現存する世界最古の写真 II Nièpceヘリオグラフとその左右問題:Niépceヘリオグラフとその「左右問題」」『日本写真学会誌』51(3)(1988): 231-242
中崎昌雄「世界最初の「写真」画集 Talbot「The Pencil of Nature」」『中京大学教養論叢』28(3)(1988): 673-715
中崎昌雄「世界最初の「写真家」Thomas Wedgwoodの生涯と業績」『中京大学教養論叢』28(4)(1988): 829-875
中崎昌雄「「Lichtschreibekunst (Photography) 」の発明 Johann Heinrich Schulze とその光化学的研究」『中京大学教養論叢』29(1)(1988): 1-48
中崎昌雄「写真発達史における1839年という年W. H. F. Talbot の場合」『中京大学教養論叢』29(2)(1988): 275-324
中崎昌雄「Talbot「カロタイプ」写真術発明をめぐって写真「潜像」とその「現像」の発見」『中京大学教養論叢』 29(3)(1988): 587-627
中崎昌雄「Talbot「写真特許」とその問題点 : 1841, 1843, 1849, 1851年特許」『中京大学教養論叢』29(4)(1989): 949-983
中崎昌雄「「直接陽画」ガラス, 紙写真発達小史」『中京大学教養論叢』29(4)(1989): 985-1018
中崎昌雄「 F. S. Archer 「コロジオン法」発表 (1851年) をめぐって : 新しいガラス写真時代の始まり」『中京大学教養論叢』30(1)(1989): 1-53
中崎昌雄「現存する「世界最古」の肖像写真 : J. W. Draper とその光化学的研究」『中京大学教養論叢』30(1)(1989): 55-92
中崎昌雄「だれが初めて没食子酸による「潜像」の「現像」を発見したのか? : J. B. Reade とその写真研究」『中京大学教養論叢』30(2)(1989): 327-417
中崎昌雄「だれが初めてハイポ (チオ硫酸ナトリウム) による写真「定着」を発見したのか? : J. B. Reade 対 John Herschel」『中京大学教養論叢』30(3)(1990): 663-725
中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263
中崎昌雄「1839-1842年における John Herschel 写真研究 : 青写真と「Herschel 効果」の発見」『中京大学教養論叢』31(1)(1990): 13-84
中崎昌雄「Talbot 写真裁判と化学者たち : A. W. Hofmann ロンドン時代」『中京大学教養論叢』31(2)(1990): 485-577
中崎昌雄「 Talbot「写真印刷」発明と晩年の研究 : 動力, アッシリア学, 植物学, 数学, 天文学」『中京大学教養論叢』31(4)(1991): 1527-1622
中崎昌雄「不当にもダゲレオタイプと名付けられた発明の歴史 : ダゲール剽窃弾劾パンフレット」『中京大学教養論叢』32(1)(1991): 1-80
中崎昌雄「「ダゲレオタイプとジオラマ」手法の歴史とその実際 : 「ダゲレオタイプ教本」解説と翻訳 (上)」『中京大学教養論叢』32(2)(1991): 439-546
中崎昌雄「「ダゲレオタイプとジオラマ」手法の歴史とその実際 : 「ダゲレオタイプ教本」解説と翻訳 (下)」『中京大学教養論叢』32(3)(1992): 783-867
中崎昌雄「写真発明に関する Nicephore Niepce の手紙 (1816-1826年)」『中京大学教養論叢』32(4)(1992): 1115-1204
中崎昌雄「コロジオン湿板からゼラチン乾板へ : 写真感光材の進化」『中京大学教養論叢』33(1)(1992): 39-98
中崎昌雄「カメラの原型「カメラ・オブスキュラ」 (暗箱写生器) 発達小史」『中京大学教養論叢』33(2)(1992): 293-343
中崎昌雄「Hermann W. Vogel と増感色素の発見 : パンクロ乾板への道」『中京大学教養論叢』33(3)(1993): 569-628
中崎昌雄「銀塩とその感光性研究史 : 歴史的展望と写真術への応用」『中京大学教養論叢』33(4)(1993): 863-923
中崎昌雄「咸臨丸の福沢諭吉と「写真屋の娘」」『化学と工業』46(6)(1993): 934-935
中崎昌雄「George Eastman とロールフイルム写真術 : イーストマン・コダック社創設」『中京大学教養論叢』34(1)(1993): 145-219
中崎昌雄「立体鏡の発明と写真術 : Wheatstone 対 Brewster 論争」『中京大学教養論叢』34(2)(1993): 463-530
中崎昌雄「活動写真への道 Muybridge, Marey, Edison」『中京大学教養論叢』34(3)(1994): 765-830
中崎昌雄「18世紀の「写真」ファンタジー : Giphantie 国物語 (1760年)」『中京大学教養論叢』34(4)(1994): 999-1026
中崎昌雄「初期スペクトル分析法を開拓した人びと」『中京大学教養論叢』35(1)(1994): 117-186
中崎昌雄「初期写真レンズの開拓者たち」『中京大学教養論叢』35(2)(1994): 479-537
中崎昌雄「有機化学者 Alexander William Williamson と幕末薩長イギリス留学生」『中京大学教養論叢』35(3)(1995): 655-726
中崎昌雄「初期カラー写真手法を開拓した人びと (上)」『中京大学教養論叢』35(4)(1995): 1041-1096
中崎昌雄「油脂化学者M.E.シュヴルールその新印象派画家たちとカラー写真発想におよぼした影響」『日本写真学会誌』58(2)(1995): 138-149
中崎昌雄「初期カラー写真手法を開拓した人びと (下)」『中京大学教養論叢』36(1)(1995): 85-158
中崎昌雄「重クロム酸ゼラチン法による写真印画と写真印刷」『中京大学教養論叢』36(2)(1995): 329-399
中崎昌雄「コロジオン湿板時代の2人の肖像写真家ルイス・キャロルとキャメロン夫人」『中京大学教養論叢』36(3)(1996): 697-768
中崎昌雄「フランスにおけるカロタイプ紙写真の進歩 : 写真家 Nadar と Emile Zola」『中京大学教養論叢』36(4)(1996): 1067-1136
中崎昌雄「放射能発見における写真の役割 (上) : レントゲン線とベクレル線」『中京大学教養論叢』37(1)(1996): 87-127
中崎昌雄「放射能発見における写真の役割 (下) : レントゲン線とベクレル線」『中京大学教養論叢』37(2)(1996): 205-290
中崎昌雄「ハーシェル「左右水晶の旋光能」研究とパストゥール「有機物における分子左右鏡像性」」『中京大学教養論叢』37(3)(1997): 453-517
中崎昌雄「「近代化学の父」John Dalton 覚書 (上) : Dalton と John Herschel の色盲研究 John Herschel は色盲だったのか?」『中京大学教養論叢』37(4)(1997): 717-794
中崎昌雄「「近代化学の父」John Dalton 覚書 (下) : 「化学的原子論」発想について」『中京大学教養論叢』38(1)(1997): 1-59
中崎昌雄「写真における「セレンディピティー」2事例 : ダゲール水銀現像とフォーゲル増感色素」『中京大学教養論叢』38(2)(1997): 217-252
中崎昌雄「写真の歴史 銀塩の感光性から現像写真術の発明まで」『日本写真学会誌』 66(6)(2003): 541-549中崎昌雄さんは、1920年生まれです。存命ならもうすぐ100歳。大阪大学の理学部化学科出身の有機立体化学者です。1993年に日本写真学会「東陽賞」、日本写真協会「功労賞」を受賞されています。この数の論文はすごい。ダウンロードするだけでも相当の手間暇がかかります。(とりあえず、20点はダウンロードしました。読んだのは4点。)→ダウンロードできるものは、4月4日までにすべてダウンロードすることができたと思います。中崎さんのものは、繰り返しが多いので、『中京大学教養論叢』ではなく、『日本写真学会誌』のものから読むのが見通しがつけやすいと思います。
私の足元に次の本はあります。
L.J.M.ダゲール、 『ダゲレオタイプ教本』中崎昌雄解説・訳、朝日ソノラマ、1998- 2016.4.4(月)
帰宅すると次の本が届いていました。
ギュンター・ブットマン
『星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』
中崎 昌雄,角田 玉青訳、日本ハーシェル協会、産業図書、2009
p.127 に次のようにあります。「いかにしてハーシェルは、友人からの知らせだけで他人の力を借りずに、わずか1週間で他人が数年も研究した発見をやってのけることができたのか? この質問に対する答は簡単である。彼は初期写真術開拓者の中で、唯一腕のよい化学者だったからである。そのためハーシェルは、純粋に理論的な知識に加えて実際的な知識も併せ持っており、この分野で問題になる化学薬品を正確に知っていたのである。」
これまで偉大な天文学者ウィリアム・ハーシェルの息子ジョン・ハーシェルのことは知らなかったのですが、ジョンは多才で重要な人物です。中心的な仕事は天文学の分野ですが、天文学を離れても、とくに初期写真史では、意味のある仕事をしています。- 2016.4.6(水)
帰宅すると、次の本が届いていました。
中崎昌雄『福沢諭吉と写真屋の娘』大阪大学出版会、1996
次の3点の論文をふくらませて、単行本としたものです。
中崎昌雄「威臨丸の福沢諭吉と「写真屋の娘」―ダゲレオタイプとアンゲロタイプ」『適塾』第18巻(1985)
中崎昌雄「万延元年遣米使節の見た「南十字星」―使節一行の天文学的体験」『中京大学教養論叢』28(3)(1985)
中崎昌雄「威臨丸に乗っていたもう一人の適塾生―牧山修卿」『適塾』第19巻(1986)
あとがきには、有機化学者である中崎昌雄氏がどうして写真史に深入りすることになったのか、その由来が書かれています。化学の分野では、対掌体、一般には鏡像体と呼ばれる有機化合物に関心があり、ふとしたことで、初期写真史における左右の記述がおかしいと気づいたとあります。サムライなのに、脇差しを右にした写真は、明らかに鏡像(左右逆転した像)です。間違った説明が横行していることに気付いたのが、深入りされるきっかけだったということのようです。- 2016.4.8(金)
週の前半、大学に出勤している間に、新しい思想史事典(スクリブナー思想大事典)の項目をいくつか読みました。エジャートンの「遠近法」は、自身の古代の線遠近法の再発見という論点には拘らず、一貫した、よい説明を与えています。さすがです。
それに対して「視覚文化論」の項目は、それ自体、視覚文化論のひとつの論考であるかのように、ちょっと難しいものでした。背景になる事柄を知っているので、ある程度までは理解できましたが、100%の理解は無理でした。何を言っているのか一読では不明な個所が残りました。ただし、文献紹介はとてもよく出来ていると思います。
Lisa Cartwright, Screening the Body: Tracing Medicine's Visual Culture, University of Minnesota Press, 1995.→ 16.4.9 中崎さんが使っている資料をまとめておきます。
エアロン・シャーフ『写真の歴史』小沢秀匡訳、パルコ出版、1979
Larry Schaaf, History of Photography, IV/1, 181(1980)
Helmut and Alison Gersheim, L. J. M. Daguerre, Dover, New York, 1969
Helmut Gersheim, The Origins of Photography , Thames & Hudson, London, 1982
G. Potonniée, The History of the Discovery of Photography, Arno Press, New York, 1973
Victor Fouque, The Truth Concerning the Invention of Photography, Arno Press, New York, 1973
T. P. Kravtes ed., Documents on the History of the Invention of Photography, Ayer, New York, 1979
Beaumont Newhall, Latent Image, University of New Mexico Press, Albuquerque, 1983 『写真の夜明け』小泉定弘・小斯波泰共訳、朝日ソノラマ、昭和56
Joseph Maria Eder, History of Photography, Dover, New York, 1978 Translated from Geschichte der Photographie, 4th ed., 1932→1980年代半ばまでの写真史の基本書は使われています。ただし、視覚文化論・視覚文化史の仕事と言えるものは、まったく視野の外に置かれています。DNBは使われていますが、DSBは使われていません。
時代的なものは仕方ありませんが、次の2点も使っていません。
ナオミ・ローゼンブラム『写真の歴史』飯沢耕太郎・日本語版監修、美術出版社、1988
『カラー版 世界写真史』飯沢耕太郎監修、美術出版社、2004
クエンティン バジャック『写真の歴史』創元社(「知の再発見」双書)、2003- 2016.4.10(日)
お昼過ぎに次の本が届きました。
ボーモント・ニューホール『写真の夜明け』小泉定弘,小斯波泰共訳、朝日ソノラマ、1996
原著は、Beaumont Newhall, Latent Image, 1967
p. 26 「潜像の現像のこの発見と共に、近代写真術が生まれた。」
すぐに読み始めました。これは、短いながら、初期写真術に関する(技術をきちんと説明した)古典的書物です。(ただし、翻訳はいただけない。)
"Early Photography is not photography today." 初期写真術、あるいは生成期における写真術は、今の写真とはそうとうに異なるものであったし、また、予想外の豊かさ・多様性を孕んでいたということは、まず言えそうです。具体的には、それがどういうことかを押さえることから、初期写真術、あるいは起源における写真術の探究を開始しようと思います。
ものすごく当たり前ですが、写真術がほぼ確定してくる19世紀半ばから末までは、写真術という専門領域はなく、写真家という専門家もいなかった。テクニカルタームは、類似(とみなされたもの)から生成するしかなく、出来上がった現在からすれば、まったくすっきりしない、複雑で錯綜した筋道を辿ったと言えるでしょう。
→ 16.4.11 そうだ、写真史の新しい本は、バッチェンだと思い、本を棚から取り出しました。すぐ開いたページには、「私たちはここでもまた、写真史の奇妙なねじれを目にしている。いたるところで最初の写真として、写真史の礎石として、そのメディアの起源として伝えられているイメージは、実際のところ、素描に従って描かれた絵画だったのである! 盛んに喧伝されてきたこの最初の写真は表象の表象であり、写真史自らの規定に従えば、写真でさえないことが明らかなのである。」(P.195)
そう、バッチェンの本のタイトルは、『写真のアルケオロジー』。私の関心にぴったりです。写真史の基本文献
手元にある事典類で、写真史の基本文献として、何が挙げられているか確認することにしました。『科学大博物館』は、カメラに主眼があり、写真術は落ちています。『現代科学史大百科事典』の方は、「写真術」の項目があります。こちらはきちんと(カメラではなく)写真術の歴史を扱っています。執筆者は、Mike Ware
文献としては次があがっています。
Joseph M. Eder, History of Photography,trans. Edward Epstein, 1945
Helmut and Alison Gersheim, The History of Photography, 1969
T. H. James, ed., The Theory of Photographic Process, 1977
William Crawford, The Keepers of Light: A History and Working Guide to Early Photographic Process, 1979
Eugene Ostroff, ed., Pionees of Photography: Their Achievements in Science and Technology , 1987
Larry J. Schaaf, Out of the Shadows: Herschel, Talbot, & the Invention of Photography, 1992
Anne Thomas, ed., Beauty of Another Order: Photography in Science, 1997
Sidney F. Ray, Scientific Photography and Applied Imaging, 1999
私の関心から言って、ここにあるものは最低限集めておく必要があります。- 2016.4.13(水)
帰宅すると、次の雑誌が届いていました。
『photographers'gallery press 』no.7 (2008)
中身は日本語で、英語のタイトルの雑誌は、表記に困ります。photographers'gallery press としたいところですが、そうすると英語の雑誌だと思われます。日本で発行される日本語の雑誌(一部英語)ということをはっきりさせるため、ここでは『』を使っておきます。
雑誌の謳い文句をそのまま引用してみましょう。「写真の「起源」を問い、写真史の複数化を図る、いまもっともラディカルな写真史家ジェフリー・バッチェンの初邦訳論考2本に、ロング・インタビューを加えて掲載!」
具体的には「特集:写真史を書き換える──写真史家 ジェフリー・バッチェン」として、2本の論考の翻訳とインタビューが掲載されています。
「哲学的な窓」甲斐義明訳, pp.70-87
「スナップ写真──美術史と民族誌的転回」甲斐義明訳, pp. 88-104
「ジェフリー・バッチェンに聞く」甲斐義明(聞き手), pp. 105-127
そして、前川修さんの次の論文が内容的に深く関係しています。
前川修「写真の系譜学──バッチェンの写真論」pp. 130-140
この前川さんの論文は、バッチェンの『写真のアルケオロジー』の訳者後書きに利用されています。訳者あとがきはこの本を手にとってすぐに読んだので、ほぼ同じものを2度読んだことになります。現時点で前川さんのものが日本語で読める一番よい解説論文だと思われます。
→こうした分野ではバッチェンが基本で、歴史的研究ということではラリー・シャーフのものが基本だといえそうです。- 2016.4.14(木)
帰宅すると、次の本が届いていました。
三井圭司/東京都写真美術館監修『とんぼの本 写真の歴史入門 第1部「誕生」新たな視覚のはじまり 』新潮社、2005- 2016.4.15(金)
ピーター・バークの本から。
アイヴォン・ギャスケル「イメージの歴史」『ニュー・ヒストリーの現在:歴史叙述の新しい展望』(ピーター・バーク編、1996,人文書院)第8章、pp.199-228 を読み通しました。
歴史家、歴史学がイメージをどう扱うのかをまとめています。
p. 202 「同じく「芸術」とそれ「以外」のあいだにあって、建築の場合とはまったく異なったかたちではあるが、なぜか未解決の位置に置かれているのが写真である。この技術が生み出しうるイメージの幅がひじょうに大きいとは、あるいはいえないかもしれないが、情報を伝達する無色透明な手段として扱われる一方で、その対極では不透明な芸術的媒体としても扱われ、その文化的な意味のスペクトル的な重なりには無視しえないものがある。この百五十年間にわたって写真が、それそのものとしても、もしくはそこから発生した動く視覚イメージとしても、文化にあたえてきたインパクトははかりしれず、地球人口のかなりの割合にたいして、視覚的環境や情報交換の手段を根底から変えた。写真は、微妙に、根本的に、そして直接に、美術史の研究方法と、そしてさきほど定義した三角形に属するすべてのメンバーの行動とに変更をせまった。彼らの関心対象が制作されたのが、写真の発明以前であったか以後であったかは関係がない。ほとんど全員がイラストレーションとしてか、記憶の補助としてか、あるいは写真という方法で描かれた対象の代替物として、毎日のようにそれを利用している。それなのに、この職業についている人のほとんどが、自分たちの仕事に対して写真があたえる影響についてはっきりと考察をすることを避けてきた。」
p.223 「即座の情緒的な反応によって過去の出来事にもっとも容易に近づきやすいと考えられている視覚メディアが写真である。それは写真が、その主題と物理的で因果的な関係を有しているからだ。われわれの反応の一部は、できごとの本当の痕跡としての写真に対するものである。・・・『重大かつ複雑なできごとについてのわれわれの印象が、一枚の報道写真で永久に形づくられることもありうる。』・・・ p. 224 しかし、・・・それはつかまえられた瞬間は、時のなかで生じるできごとについて必ずしもすべてを語ってくれるわけではないし、何ひとつ語らないかもしれないということである。写真はさまざまな操作の対象となっている。(人物を切り取ったり、見る者の解釈に影響をあたえるべき刈り込み、トリミングし、トーンを変えることで。)そして簡単に読み取りうる意味というのは、しばしばキャプションといっしょになって発生したものである。同じ写真に違ったキャプションがつくと、まったく異なった、ときには矛盾する意味さえ生じることが少なくない。」ピーター・バーク編『ニュー・ヒストリーの現在:歴史叙述の新しい展望』谷川稔、谷口健治、川島昭夫、太田和子他訳、人文書院、1996、原著:New Perspectives on Historical Writing, 1991
英語のタイトルと邦訳タイトルは、ニュアンスが違います。英語タイトルと直訳すると「歴史叙述の新しい展望」です。すなわち、副題が英語タイトルの素直な訳です。
まったく普通のかたちで目次を示しておきましょう。
序章 ニュー・ヒストリー その過去と未来 …………………… ピーター・バーク
第2章 下からの歴史 …………………… ジム・シャープ
第3章 女性の歴史 …………………… ジョーン・スコット
第4章 海外の歴史 …………………… ヘング・ウ゛ェッセリング
第5章 ミクロストーリア …………………… ジョヴァンニ・レーヴィ
第6章 オーラル・ヒストリー …………………… グイン・プリンス
第7章 読むことの歴史 …………………… ロバート・ダーントン
第8章 イメージの歴史 …………………… アイヴァン・ギャスケル
第9章 政治思想史 …………………… リチャード・タック
第10章 身体の歴史 …………………… ロイ・ポーター
第11章 事件史と物語的歴史の復活 …………………… ピーター・バーク
日本で言えば、昭和の時代までの新しい歴史の展望です。これだけの執筆者を集めているのはさすがです。ちなみに、ピーター・バークには、このテーマを掲げる単行本があります。
ピーター・バーク『時代の目撃者―資料としての視覚イメージを利用した歴史研究』諸川春樹訳、中央公論美術出版、2007
歴史研究におけるイメージの利用を全般的に一般的に扱っています。歴史学における画像史料論とまとめてもよいでしょう。バークは、奇抜なこと、挑発的な主張は言いません。安心して読めると思います。ちなみに目次は、次です。
序章 視覚イメージの語るもの
第1章 写真と肖像画
第2章 図像学と図像解釈学
第3章 聖なるものと超自然的なるもの
第4章 権力と抗議
第5章 視覚イメージを通して見る物質文化
第6章 社会の姿
第7章 他者のステレオタイプ
第8章 眼で見る物語
第9章 目撃者から歴史家へ
第10章 図像学を超えて?
第11章 視覚イメージの文化史
- 2016.4.17(日)
[ジョン・ハーシェル 光化学者]
昨日、 ギュンター・ブットマン『星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』(中崎昌雄,角田玉青訳、日本ハーシェル協会、産業図書、2009)から第6章「写真術と光化学研究(1839年ー1844年)を読みました。ジョン・ハーシェルは光化学史において重要な仕事をしています。技術・産業という観点からではなく、科学史という観点から言えば、原写真術家のなかで、もっとも重要な仕事をしたと言ってよいようです。しかし、ジェントルマン科学者(あるいは自然哲学者)として特許取得に関心をもたなかったせいで、写真史において不当に評価されています。
日本語では、これと中崎さんの諸論考がジョン・ハーシェルのこの分野(初期写真術と光化学)に焦点を当てています。
中崎昌雄「だれが初めてハイポ (チオ硫酸ナトリウム) による写真「定着」を発見したのか? : J. B. Reade 対 John Herschel」『中京大学教養論叢』30(3)(1990): 663-725
中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263
中崎昌雄「1839-1842年における John Herschel 写真研究 : 青写真と「Herschel 効果」の発見」『中京大学教養論叢』31(1)(1990): 13-84
ポイントになるのは、John F.W. Herschel, "Note on the Art of Photograpy, or the Application of the Chemical Rays of Light tohe Purpose of Pictoral Representation," Abstracts of the Papers Printed in the Philosophical Transactions of the Royal Society of London, Vol. 4(1837-1843), pp.131-3
" A paper was als read, entitled, "Note on the Art of Photograpy, or the Application of the Chemical Rays of Light tohe Purpose of Pictoral Representation." By Sir John F.W. Herschel, Bart., K.H., V.P.R.S., &c.
これは、中崎さんが、中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263 のpp.90(1246) -99(1255) で邦訳を発表されています。ただし、これは、アブストラクトそのものではなく、おそらくラリー・シャーフが発見した「発表草稿の全体」だと思われます。まだラリー・シャーフは入手していないので、遠からず入手して確認します。Complete DSB の記述(2008)も読んでみました。書いているのは、Marvin Bolt。John Herschel (1792-1871) 時代における位置付けはよくわかるように書かれていますが、初期写真術と光化学の分野に関しては触れられてもいません。オリジナルのDSB で触れられているのかどうかは確かめる必要があります。
(授業のなかでも論文のなかでも)以前、「カメラ・オブスクラ→写真」という単線の発展史観に対して、批判を行いましたが、今回、写真史に関して、いろいろ読んでいて、批判は足りていないと感じています。写真を美術と位置づけたとき、「カメラ・オブスクラ→写真」という単線発展史観は非常に強く、歴史家が、評論家がどれだけ批判しても、何度でも復活してくる生命力を感じました。
以前は、箱:光学(カメラ・オブスクラ)を扱いましたが、紙:光化学(印画紙、印画材料)の方でも批判の作業が必要です。専門的な論文も必要だろうと思い、ネットで次をダウンロードして読みました。
P. Derek Wood, "Fourteenth March 1839, Herschel's key to photography, the way the moment is preserved for the future," Published in Jubilee- 30 Years ESHPh Congress of Photography in Vienna, Anna Auer and Uwe Schögl (eds.), Salzburg, 2008, pp. 18-31.
初期写真史にこれまでつきまとっていた混乱のひとつを見事に解決しています。
→まず、王立協会の雑誌。オルデンバーグがつくった『(王立協会)哲学紀要』の他に、王立協会は、1832年、1800年以降『(王立協会)哲学紀要』で発表された論考のアブストラクトを集めて発行することにした。まず、1800年から1814年を集めたものと、1815年から1830年のものが準備された。加えて、会合の記録とそこで読まれた論考を載せるProceedings of the Royal Societyが出版されるようになった。そして、その創刊号は、2つのAbstractsの続編ということで、第3巻と称された。ここには、『(王立協会)哲学紀要』にはまったく発表されなかった数多くのアブストラクトが掲載されるようになった。そして、さらに、第7巻(1854-5)から、アブストラクトではなく、論考本体がそのまま掲載されるようになった。
Abstracts, Vol. 1(1832), Vol. 2(1833) , Proceedings of the Royal Society, Vol. 3. その後もProceedings of the Royal Societyは、しばらく、Abstractsの表題のまま印刷された。
ハーシェルの王立協会の会合(1839年3月14日)で読んだ原稿は、Proceedings of the Royal Society, 1839, No. 37 に掲載された。
王立協会で読まれた原稿は、一定の場合、Proceedings of the Royal Societyにだけ出版された。そして、通常は、Proceedings of the Royal Societyの出版業者テイラーが独立に出しているPhilosophical Magazineにも掲載された。こちらは、月刊誌であり、より広く読まれていた。王立協会で読まれた原稿が価値が高いと判断された場合には、由緒あるPhilosophical Transactionsにフル・ペーパーが掲載された。
実際、ハーシェルの原稿の場合、アブストラクトがPhilosophical Magazine, Vo.14(1839), pp. 365-367 に再掲されたし、 フル・ペーパーの方は Philosophical Transactionsの1840年の巻で出版された。さらに、ウッドが見いだしたように、同じアブストラクトがTHE ATHENAEUM, 23 March 1839, p.223 にも掲載されている。
John F. W. Herschel, "On the Chemical Action of the Rays of Solar Spectrum on Preparations of Silver and Other Substances, Both Metallic and Non-Metallic, and on Some Photographic Processes," Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 130 (1840): 1-59
59頁の大論文として出版されています。
「1839年3月14日王立協会の会合で読み、その後、Proceedingsで発表したアブストラクトにおいて、私は、どういう状況下でこのテーマに関心をもつようになったのか、そしてその研究の科学的側面においてと同時に写真術への応用の点でもどのような進展をみることができたか述べました。その論文は(私側からの要求により)すぐに王立協会の出版物に出すことは見合わせ、また上に述べたアブストラクトはこの論考を読んで下さっている読者には入手しがたいものかも知れないので、アブストラクトの内容を短くかいつまんで要約することは、研究の繋がりを示す上で必要だと思われます。」(ほぼ直訳)
「アブストラクトの中心ポイントは、次です。」として、ハーシェルは3つのポイントを上げる。第1に写真に写ったものを定着させるためのハイポの使用、第2は銀塩の感光性を上げるための観察、第3は絵画や版画の複製と光学像の定着に写真術を応用すること。
初期写真史の混乱のひとつは、原文で "As that paper was (at my own request) withdrawn from the further immediate notice of the Society" という言葉の解釈にあります。写真史の重鎮達は、このことばをアブストラクトは出したが、フルペーパーの出版は見合わせたと解釈しました。そして、トルボットとの関係でその原因をいろいろ推測しています。
ウッドの論文は、その解釈にノーを言っています。
第1にそもそもずっと見合わせたわけではない。(実際、9月後、1840年1月に発行された『(王立協会)哲学紀要』にはフル・ペーパーを発表しています。)
第2にトルボットとの関係における解釈は、具体的な資料の裏付けをもたないゲスワークである。(私の言葉でまとめました。ウッドはこういう言い方をしていません。)
第3に(これは私の付加です)、ハーシャルは明らかに、光化学反応の科学的原理に強い関心をもつようになっている。それが『(王立協会)哲学紀要』のフル・ペーパーのタイトルに表現されている。「太陽のスペクトルの光線が金属と非金属とを問わず、銀塩やその他の物質の溶液に働きかける化学作用について、ならびにそれが写真術の技法についてもつ効果について」。言葉を変えれば、スペクトル上の多様な光線(異なる波長の光、異なる色の光)が、いろいろな化学物質に対して、異なる化学作用を引き起こすことを、つまりは光化学反応の体系的研究を目指しています。
これは、とても豊かな研究分野の出発点となっています。
ひとつは、ハーシェルは、写真術への応用だけに関心をもつ、技術者・企業家(起業家)ではなく、科学者でもあって、光化学反応の体系的研究に強く惹かれています。特許取得には関心をもたない、ジェントルマン科学者であったことが左右したと見ておいてよいと思われます。→ 16.4.18 写真史に関するとても有用なサイトです。
PHOTOGRAPHIC BIBLIOGRAPHY 1835 − 1869
Midley History of early Photography: R. Derek Wood’s articles on the History of early Photography, the Daguerreotype and Diorama→ 16.4.19 ハーシェル1839年3月14日発表原稿の正確な書誌をまとめておきます。
John F. W. Herschel, "Note on the Art of Photography, or the application of the Chemical Rays of Light to the purposes of Pictorial Representation, " Proceedings of the Royal Society Vol. 4: No. 37 (14 February 1839−21 March 1839), 131−3 ; The Athenaeum No.595 (23 March 1839), 223 ; Philosophical Magazine 3rd series, 14: 90 (May 1839), 365−7 ; Neue Notizen aus dem Gebiete der Natur- und Heilkunde 2nd series, 10: 17 (Nr. 215) (Juni 1839), 260−1- 2016.4.19(火)
帰宅すると次の本が届いていました。
Lisa Cartwright, Screening the Body: Tracing Medicine's Visual Culture, Minneapolis: University of Minnesota Press, 1995- 2016.4.21(木)
帰宅すると次の本が届いていました。
Roger Taylor and Larry Schaaf ,Impressed by Light: British Photographs from Paper Negatives, 1840-1860 (Metropolitan Museum of Art) , 2007
Richard Farber, Historic Photographic Processes: A Guide to Creating Handmade Photographic Image , London, 1998- 2016.4.24(日)
事典項目の校正作業はひとやすみして、もとの作業に復帰。バッチェンを読みつつ、関連事項を調べました。途中、ちょうどよいかと思い、足元にあった、L.J.M.ダゲール『ダゲレオタイプ教本』(中崎昌雄解説・訳、朝日ソノラマ、1998)を取り出し、第1部中崎さんによる解説「「ダゲレオタイプ教本」解説」を読みました。何と、一度読んでいます。まったく記憶がありませんでした。今回は必要なので、全部、しっかりと読み通しました。中崎さんの写真史研究を読むのであれば、最初はこの解説がよいように思われます。中崎さんの研究が凝縮されています。重要なポイントで省略されている点がありますが、選択の問題なので、仕方ないかと思います。
ダゲール (Louis Jaxques Mandé Daguerre, 1787-1751)
ウェッジウッド (Thomas Wedgwood, 1771-1805)
デーヴィ (Humphry Davy, 1778-1829)
ニエプス (Nicéphore Niépce, 1765-1833)
デュマ (J.B. Dumas, 1800-84)
トールボット (W. H. F. Talbot, 1800-71)
ジョン・ハーシェル (John Herschel, 1792-1871)
バッチェンのあげる原写真家のリスト。(pp.77-8)
ヘンリー・ブルーム、エリザベス・フラム、トーマス・ウェッジウッド、アンソニー・カーライル、ハンフリー・デーヴィー、ニセフォール・ニエプスとクロード・ニエプス、サミュエル・モース、ルイ・ダゲール、ウジューヌ・ユベール、ジェームズ・ワトルズ、エルキュール・フローランス、リチャード・ハバーシャム、ヘンリー・トルボット、フィリップ・ホフマイスター、フリードリッヒ・ゲルベル、ジョン・ドレーパー、ヴァーノン・ヒース、イパリット・バヤール、ホセ・ラモス・ザペッティ
Robert Boyle (1627-1691)
Johann Heinrich Schulze (1687-1744)
Henry Brougham (1778-1868)
Elizabeth Fulhame (fl. 1794)
Anthony Carlisle (1768-1840)
Eugène Hubert ()
Samuel Finley Breese Morse (1791-1872)
Hippolyte Bayard (1801-1887)
Antoine Hercule Romuald Florence (1804 - 1879)
Friedrich Gerber ()
John William Draper (1811-1882)
Vernon Heath (1819-1895)
Phillipp Hoffmeister (1804-1874), 1834 José Ramos Zappetti, 1837写真史に関する、科学史では、ウッドかなと思うようになっています。ダウンロードはしています。これも少しずつ読み進めます。
R. Derek Wood, "The Daguerreotype and Development of the Latent Image: “Une Analogie Remarquable": Latent Developments from Gallic Acid, 1839, " Journal of Photographic Science, 28: 1 ( 1980), pp. 36−41
M. Nierenstein , "The Early History of the First Chemical Reagent," Isis 16(1931): 439-446.
Gallic Acid は、没食子(もっしょくし)酸です。Nierenstein(1931) は、プリニウスに報告されている、その没食子酸による鉄の検出法を最初の化学試薬と位置付け、その系譜を追いかけたものです。今、こういう論文の書き方をすると、掲載拒否されてしまうと思いますが、なにぶん、1931年のものです。タケニウスが没食子酸の反応を扱った部分(Tachenius, Hippocrates Chymicus (Brunsvigae, 1666), pp124-5 )をほぼ2頁にわたり引用しています。またボイルがやはり没食子酸の反応を扱った文章 (Robert Boyle, Short Memoirs for the Natural Experimental History of Mineral Waters, London, 1685)をほぼ3頁にわたり引用しています。そして、最後はトムソンの『化学史』(London, 1830)から半頁の引用を行っています。今の基準では論文となりませんが、こういうものとして実は有用です。
基本を記しておきましょう。
Gallnut 没食子:ブナ科植物の若枝にモッショクバチが寄生して生じた虫瘤で、主成分のタンニンを加水分解すると没食子酸がえられる。タンニンは、分子量 600〜2000の複雑な構造を有するポリオキシフェニルが基本構造となっていて、鉄(III)、鉛、マンガン、クロム、アルミニウム、ガリウム、チタン、ジルコニウム等々の重金属塩と沈殿を生じ、特に鉄塩とは暗緑、暗青ないし暗黒色となり沈殿を生ずる。プリニウスは1世紀後半に、硫酸銅の試料が硫酸鉄あるいはそれ以外のもので汚染されているかどうかを確認するための湿式反応として利用した。具体的には、カシ(Quercus infectoria)から得た没食子の水溶性の抽出物中にパピルス草の一片を浸し、そのパピルス草の一片を硫酸銅または緑青の水溶液に浸したとき、もしその溶液中に不純物として鉄イオンが含まれているならば、そのパピルスが黒色に発色する、というものであった。
こういう反応は、化学者にはよく知られていました。写真史でポイントになるのは、現像の際に没食子酸を利用したことです。見えないものを見えるようにするという点では、ボイルがあげる「見えないインク」が先例を与えています。- 2016.4.28(木)
本日、間の時間で、プリントアウトして読んだのは、次。
Martin Kemp, "Imitation, Optics and Photography: Some Gross Hypotheses," in Inside Camera Obscura, Max Plank, 2007, pp.243-264
冒頭、ケンプは、これは論文ではない、ホックニーの仕事に対する個人的な思考だと言っていますが、私には実に意味のある論考でした。いろんな点が明確になりました。
2つの柱となる仮説をたてています。
p.244 1.「1300年から1880年頃までの進歩的西欧芸術の中心的ゴールは、自然の模倣であった」
2.「1839年以降の西欧芸術の中心的ゴールは、写真、フィルム、テレビジョン、CG 、ある種の大衆/公衆芸術により、横取りされる度合いが強まった。」
p. 249 写真の発明の背景。タルボットは、科学と人文学の幅広い背景をもつが、有能な職人的技能はもたなかった。ハーシェルのその時代の一流の科学者であった。タルボットは、カメラ・ルシーダを使って上手に風景画を描くことはできなかったが、ハーシェルにはできた。タルボットの発明は、芸術分野における光学装置の技術史に属する。彼の画像作成(drawing)と写真分野の営為は、ピクチャレスクな風景画制作の伝統に深くはまっている。とくにその素人的絵画技法において、英国的な美学の色合いがとても強い。そして、カロタイプの画像(絵)としての特徴は、単なる機械的記録とかけ離れた「芸術的」質を示している。
ダゲールは、ほとんど対極的な方向から写真発明に参入した。有能な風景画家であり、どうじにディオラマの成功した事業家であった。彼は、ニエプスによって、模倣の科学的技術に導かれた。発明家にして、素人科学者であった。ディオラマは、劇場的な風景画(一八世紀フランスでは、Joseph Vernet が有名)の自然な後継者といえる。社会学的には、ディオラマは、パノラマとならび、模倣芸術が公衆のスペクタル(public spectacle)というよりひろい領域にはいったことを意味する。そして、勃興する中産階級のリソースを活用し、中産階級の需要に応じた。ダゲールの発明は、科学アカデミーにより発表され、ダゲールのよく理解していパブリックシーンの主役となった。ダゲレオタイプの肖像写真は、貴族的な肖像画のジャンルをより広い公衆に開くものだった。半面影像の肖像画の流行により前触れされていた。
→原写真家のプロソポグラフィ的研究を行うことも考えられます。- 2016.4.29(金)
去年、カメラ・オブスクラ論文を書いたときから、ケプラーやフックが地形図や風景図を描いたことが気になっていました。何用があって描いたのか、どういう用途があったのか、どういう需要があったのか、気になったのですが、なかなか調べがつきませんでした。いろんな文献を捜しましたが、関心にかなうものは見つかりませんでした。
今朝、ダウンロードし、プリントアウトし、読んだ次の論文に有用な情報が含まれていました。論文の主題からはずれたところにありました。
瓜田澄夫「ピクチャレスク美学における山岳表象について」『神戸大学国際コミュニケーションセンター論集』3(2006): 93-105
まず、用語から。私は、風景図に対する英語として、prospect で調べていました。17世紀の用法です。しかし、現代の人は、この語を使いません。うーん。
p. 100 landscape 17世紀にオランダ語から英語に入った。もとの意味は、「風景画」であった。18世紀にはいって、「風景」の意味でも使われるようになった。
seascape もともと海洋図の意味であった。
scene, scenery もとの意味は、部隊の書き割り、舞台背景(図)であった。
旅行者に風景の見方を教えたのは、風景図であった。
「18世紀に多くの富裕なイギリス人たちが、イタリアを訪れ、ロランやローラやプーサンの絵を見るだけではなく購入し、イギリスに持ち帰った彼らの絵を通して自然を眺める眼差しの枠組みを獲得したにちがいない」
p.93 landscape や scenery が風景を表す語として定着するまで、使われたのは、prospect ラテン語では prospectus であった。
日本人は「風景」を幕末から明治にかけて日本にやってきた欧米人に教えてもらった。それまでは、自然の光景を風景としてみる習慣がなかった。
ヨーロッパで「風景画」が生まれたのは、比較的遅い。ルネサンスの時期のどこかで誕生した。→ほぼ、17世紀ということです。18世紀には、topographic print の流行があった、最初それは主に建物を描いた、そしてそれは部屋のなかで枠を付けられて壁に飾られることが多かった。
p. 97 フランシス・ベーコン「旅行について」『随筆集』(Essays, 1597, 1625 旅において見るべきもの、すなわち旅行書に描かれるべきもののリスト「大陸の王宮、裁判所、大聖堂、修道院、古代の記念物、都市の城壁、港湾、古代の遺跡や廃墟、図書館、大学、船舶、海軍、著名な旅館、証券取引所、倉庫、造兵廠、兵器庫、騎馬演習、フェンシング、軍事訓練等々」。お昼前に、新しいISISが届きました。ISIS, vol. 107, No. 1(2016)です。Focus は「アーカイブの歴史と科学史」。エッセイ・レビューは、視覚文化の研究法。
José Ramón Marcaida, "Picture and Conversation: How to Study the Visual Cultures of Science," ISIS, 107(2016): 134-139
Klaus Hentschel の著作のレビューですが、科学史技術史における視覚文化論の研究史のアウトラインをサーベイしてくれていて、有用です。あるいは、今、ちょうど欲しかった種類のレビューです。ISISは、97巻(2006)で「科学と視覚文化」の特集を行っています。
M. Norton Wise, "Making Visible," ISIS, 97(2006): 75-82
Pamela H. Smith, "Art, Science, and Visual Culture in Early Modern Europ" ISIS, 97(2006): 83-100
Iwan Rhys Morus, "Seeing and Believing Science," ISIS, 97(2006): 101-110
Jennifer Tucker, "The Historian, the Picture, and the Archive," ISIS, 97(2006): 111-120
Hannah Landecker, "Microcinematography and the History of Science and Film" ISIS, 97(2006): 121-132夕刻次の本が届きました。
中川理
『風景学 -風景と景観をめぐる歴史と現在-』 (造形ライブラリー 06)共立出版、2008
歴史的な感覚は弱いのですが、その分野における概観はわかりました。Wiki の"Landscape painting" の記述がなかなかよいことがわかりました。
17世紀において、代表となるのは、Claude Lorrain と Nicolas Poussin という二人のフランス人画家です。
実際の場所を描く、とくに建物を含む、絵は、"topographical view" と呼ばれた。
→ 16.4.30 なんと、私のもともとの関心にもっともよく答えてくれる記述は、あしもとにありました。すなわち、アルパースの第4章「オランダ絵画における地図制作の影響」にありました。→ 16.5.1 4章を読み通しました。これは、すばらしい研究です。- 2016.5.1(日)
昨日からの続きで次の論文をダウンロードし、読みました。
山野正彦「景観概念の生成と風景画および相貌学の発達―フンボルトの景観論前史―」『人文研究 大阪市立大学文学部紀要』47(1995): 39-61
冒頭、フンボルトの『コスモス』第2巻、A部第2章から引用しています。ほぼ、アルパースの第4章に近いことが述べられています。アルパースの第4章は、フンボルトの着想を大きく展開したものだ、と見ることができます。- 2016.5.3(火)
原写真史
フラム『新しい染色法と画法から見た燃焼の研究―フロジストン説および反フロジストン説がともに誤りとする見解』
Elizabeth Fulhame (fl. 1794), An Essay in Combustion, with a view to a New Art of Dying and Painting, wherein the Phlogistic and Antiphlogistic Hypotheses are Proved Erroneous, 1798, 1810
バッチェン、p.85 注(12)、Larry Schaaf, "The First Fifty Years of British Photography: 1794-1844," in Michael Pritchard ed., Technology and Art: The Birth and Early Years of Photograpphy, Royal Photographic Society Historical Group, 1990, pp.11-12
Thomas Wedgwood and Humphry Davy, "An Account of a Method of Copying Paintings upon Glass, and of Making Profiles, by the Agency of Light upon Nitrate of Silver. Invented by T. Wedgwood, Esq.”Journal of Royal Institution,1(1802) (バッチェン, p.48 「硝酸銀への光の作用によって、ガラスに描かれた絵を複写し、プロフィールを作成する方法についての報告。発明者ウェッジウッド氏。報告者デーヴィー。」)
reprinted in full or summay , Nicolson's Journal of Nature Philosophy, Chemistry and the Art, London, November 1802, pp.167-170; Annale de chimica e storia naturale, 1802; Annalen der Physik, 1803; Magazin for naturvideskaberne, 1824; Annalen de chimie, ou recuil de mémoires concernant la chimie et les arts qui en dépendent., 1802; Journal für die Chemie, Physik und Mineralogie, 1807; Annals of Philosophy 3(1802); Bibliotheque Britanique, 22 January, 1803 ; William Henry, Epitome of Experimental Chemistry, 1810; Ackerman,Repository, 2, October, 1816; John Webster,Manual of Chemistry, 2nd ed., 1828; Bulletin des sciences c.1820;R. B. Litchfield, Tom Wedgwood The First Photographer: An Account of His Life, His Discovery and His Friendship with Samuel Taylor Coleridge Including the Letters of Coleridge to the Wedgwoods, and an Examination of Accounts fo Alleged Earlier Photographic Discoveries, London, 1903
Appendices
A. An Alleged Discovery of Photography in 1727--Schulze's Word-Patterns・・・217
B. The Story of Professor Charles's Silhouettes・・・228
C. A Mystical Account of T. Wedgwood's Photographic Work ・・・241
D. Some Notice of T. Wedgwood in Histories of Photography・・・246
E. As to Solid Bodies Having the Same Temperature at the Point of Incandescence・・・251
F. Priestley in America・・・253
G. The Coleridge Annuity--Its After-History・・・254
H. T. Wedgwood's Will・・・260
I. A Note on the Value of Photography to the World・・・262
"An Account of a Method of Copying Paintings upon Glass, and of Making Profiles, by the Agency of Light upon Nitrate of Silver. Invented by T. Wedgwood, Esq. With Observations by H. Davy". は pp. 188-194 に採録されています。バッチェン, p.56 ダゲールの『ダゲレオタイプとディオラマの手法の歴史と解説』によれば、ニエプス兄弟の最初期の実験は、版画を自動的に複写することに焦点があった。1802年フランスで石版画が導入され、1813年パリでの石版印刷店の初成功に刺激を受けたものだった。1824年の決定的変化を示す手紙(兄クロードから弟ニセフォール宛て)「君は絵画を複写することよりも、主に風景の眺めに専念しようと決めたんだね。」ニセフォールはそれ以降、ヘリオグラフの制作に力を注ぐ。現存する最初の実例は、1827年6月頃に制作されたスタジオの窓からの風景である。
Herschel (1839):
John F. W. Herschel, "Note on the Art of Photography, or the application of the Chemical Rays of Light to the purposes of Pictorial Representation, " Proceedings of the Royal Society Vol. 4: No. 37 (14 February 1839−21 March 1839), 131−3写真史家Pierre G. Harmant (1921-1995)の仕事
フランス人写真技術者で写真史家アルマンの仕事に関するサイトです。英語訳が用意されています。写真史では、こういうタイプの方が活躍しています。- 2016.5.4(水)
Tanya Sheehan and Andrés Mario Zervigón (eds.), Photography and Its Origins, London, 2015
最後の論文を一番先に読みました。ハーシェルの光研究という文脈に写真の発明の言説を位置付け直そうとしています。( Kelley Wilder, " A Note on the Science of Photography: Reconsidering the Invention Story") 次に、バッチェンの論文( Geoffrey Batchen ,"Origins without End" 「終わりなき起源」)を読みました。Michael Frizote ed., A New History of Photography,( Cologne, 1998) の批判に当てられています。
目次は次。
Jessica S. McDonald , " A Sensational Story: Helmut Gernsheim and The World's First Photograph"
Hans Rooseboom, "What's Wrong with Daguerre? "
Stephen C. Pinson, "Omphaloskeptical? On Daguerre, Smoke Drawing, Finger Painting, and Photography "
Dan Estabrook, "The Past through the Looking Glass"
Geoffrey Batchen ,"Origins without End"
Douglas R. Nickel , "Notes towards New Accounts of Photography's Invention"
Stephen Bann , "Against Photographic Exceptionalism"
Heather Shannon , "Sacred Stories: Photography's Indigenous Origins"
Marcy J. Dinius, "Seeing Ourselves as Others See Us: Frederick Douglass's Reflections on Daguerreotypy and Racial Difference "
Francois Brunet, "An American Sun Shines Brighter, or, Photography Was (Not) Invented in the United States"
Beth Saunders , "The Bertoloni Album: Rethinking Photography's National Identity"
Yi Gu, "Photography and Its Chinese Origins"
Jurg Schneider , " Looking into the Past and Present: The Origins of Photography in Africa"
Jordan Bear , "Self-Reflections: The Nature of Sir Humphry Davy's Photographic Failures "
Laura Saltz , " Natural/Mechanical: Keywords in the Conception of Early Photography"
Kelley Wilder, "A Note on the Science of Photography: Reconsidering the Invention Story"- 2016.5.5(木)
中崎昌雄「写真発達史における1839年という年W. H. F. Talbot の場合」『中京大学教養論叢』29(2)(1988): 275-324
1839年1月6日「ダゲレオタイプ」発表
1839年1月31日トルボット「Photogenic Drawing」(光写生)発表、王立協会
1839年2月21日トルボット「Photogenic Drawing」手法公開、王立協会宛て書簡
1839年4月20日ニューヨークObserver,モース「ダゲレオタイプ実見記事」
1839年3月21日トルボット「新しい感光紙について」
1839年8月19日ダゲレオタイプ公表
付録1.pp.22-24 パリ Gazette de France, 1839.1.6 :ダゲールの発見についての記事
付録2.pp.24-38 William Henry Fox Talbot, "Some Account of the Art of Photogenic Drawing, or, The Process by Which Natural Objects May be Made to Delineate Themselves without the Aid of the Artist's Pencil," 1839.1.31
2. 画像の効果とその外観 Effect and Appearance of these Images 3. この手法の最初の応用 First Application of this Process 4. 影を固定化する方法 On the Art of Fixing a Shadow 5. 定着法 Preserving process 6. 肖像 Portraits 7. ガラス絵 Paintings on Glass 8. 顕微鏡への応用 Application to the Microscope 9. 建物、風景、外界の自然 Architecture, Landscape, and External Nature 10. 彫像の描写 Delineation of Sculpture 11.版画の複写 Coping of Engravings
付録3.pp.38-40 A Letter from H. Talbot to Samuel H. Christie, 1839.2.1
付録4.pp.41-43 ニューヨークObserver1839.4.20号: モース「ダゲレオタイプ実見記事」
付録5.pp.43 William Henry Fox Talbot, "Note respecting a new kind of Sensitive Paper," 1839.3.21 Royal Society
付録6.pp.43-44 London, Literary Gazette 1839.7.13 : 7月7日ダゲールが下院で見せたダゲレオタイプについて
付録7.pp.44-47 ロンドン、London Globe 1839.8.23号:フランス科学アカデミーでのアラゴーによるダゲレオタイプの公開説明
以上すべて中崎さんは、邦訳した上で付録としてつけています。中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263
付録1. pp.90-99 John F. W. Herschel, "Note on the Art of Photography, or the application of the Chemical Rays of Light to the purposes of Pictorial Representation, Communicated March 14, 1839, Read 14 March 1839" Proceedings of the Royal Society Vol. 4: No. 37 (1839), 131-3
中崎さんの訳では「写真術―言い換えると、化学線を画像描写の目的に応用することに関する覚え書き」
ハーシェルは、3つの先行研究を挙げています。すなわち、ハーシェル自身の光の化学作用に関する研究(1832)、ランフォード伯の光の化学的性質に関する研究(1789)、そしてエリザベス・フラムの染色と画法に関する研究(1794)。
Herschel, "XVI. On the Action of Light in determining the Precipitation of Muriate of Platinum by Lime-water, being an Extract from a Letter of Sir John F. W. Herschel, K. H., F.R.S. & c. to Dr Daubeny," Phil. Mag., Vol. 1, No. 1, July, 58(1832)
Benjamin Count of Rumford, "XX. An Inquiry Concerning the Chemical Properties that have been attributed to Light, read 14th June 1798," Phil. Trans., Vol. 88, pt. II, 449(1789)
Elizabeth Fulhame , "An Essay in Combustion, with a view to a New Art of Dying and Painting, wherein the Phlogistic and Antiphlogistic Hypotheses are Proved Erroneous, " Printed for the Author by J. Cooper, London, 1794. Chapter VII, "Reduction of Metals by Light".中崎昌雄「Talbot「カロタイプ」写真術発明をめぐって:写真「潜像」とその「現像」の発見」『中京大学教養論叢』 29(3)(1988): 587-627
3.写真「潜像」とその「現像」の発見(1840年9月23日)
付録1.pp. 27- 32「カロタイプ」光写生についての2つの手紙(1841年2月5日、19日) Two Letters on Carotype Photogenic Drawing, From H. F. Talbot, Esq., F.R.S. to the Editor of the Literary Gazette 2つ目の手紙で潜像と現像の発見について述べている。
付録2.pp. 33-37 「カロタイプ」光写生の手法(1841年6月10日王立協会発表)An Account of Some Recent Improvements in Photography By H. F. Talbot, Esq., F.R.S.中崎昌雄「 Talbot「写真印刷」発明と晩年の研究 : 動力, アッシリア学, 植物学, 数学, 天文学」『中京大学教養論叢』31(4)(1991): 1527-1622
付録1.pp. 71-76 1829年11月、12月 ニエプス「ヘリオグラフ法」ノート Niépce, Notice sur L'Héliographie
付録2.pp. 76-79 トルボット「写真版画」(Photogenic Engraving)Athenaeum, 1853.4.9中崎昌雄「世界最初の「写真家」Thomas Wedgwoodの生涯と業績」『中京大学教養論叢』28(4)(1988): 829-875
付録 pp. 40- 翻訳「硝酸銀に対する光の作用によって、ガラス絵の複写およびプロフィールを作る一方法についての報告」 (Thomas Wedgwood and Humphry Davy), "An Account of a Method of Copying Paintings upon Glass, and of Making Profiles, by the Agency of Light upon Nitrate of Silver. Invented by T. Wedgwood, Esq. With Obsevations by H. Davy.”Journal of Royal Institution,1(1802)
Davy による注記「Scheele はスペクトル分散光の中で赤色光が及ぼす作用はとても弱く、ほとんど目に付かないほどだと発見した。Senebier は、黒くなるのに、赤色光で20分、橙色光で12分、黄色光で5分30秒、緑色光で37秒、青色光で29秒、紫光で15秒だと見いだした。"Sinebier sur la lumière," voi.iii, p.199
ハーシェル博士は太陽光線の中に目に見えない熱線が存在することを見いだした。その後、ドイツでは Ritter, Böckmann、イギリスではウォラストンにより新しい実験が行われた。 "Annalen der Physik, siebenter Band", 527」中崎昌雄「「Lichtschreibekunst (Photography) 」の発明 Johann Heinrich Schulze とその光化学的研究」『中京大学教養論叢』29(1)(1988): 1-48
付録 A. Schulze 「発光体のかわりに発見された暗黒体:または太陽光の奇妙な効果についての実験」1727(翻訳) Observatio CCXXXIII Dn, D. Toh. Henri Schulze, Scotophorus pro phosphoro inventus: seu experimentum curiosum de effectu radiorum solarium
付録 B. プリーストリ「視覚、光、色彩に関する発見の歴史と現状」(1772)の中のSchulze 報告抄録(翻訳)
p. 29 Schulze →Lewis→ Chisholm → Wedgwood という線が浮かび上がる。プリーストリもなかに入るp. 36 父ハーシェル(William Herschel)の赤外線の発見。太陽光スペクトルの各部分を小さい孔で外に出し、そこに黒く塗った温度計をおいて、温度上昇を比較したところ、赤よりも外の目に見えない領域で最も温度上昇が大きかった。infra-red ray が発見された。(1800)。翌年には、ドイツ人 J. W. Ritter(1776-1810)による紫外線の発見が報告された。検出にはシェーレと同じく、塩化銀が使われた。
camera lucida ならびに periscopic lense の発明者W. H. Wollaston (1766-1828)も1802年に同じことを発表した。これは、ウェッジウッド&デーヴィの発表と同年同月である。彼は紫外線を chemical ray と呼んだ。」中崎昌雄「1839-1842年における John Herschel 写真研究 : 青写真と「Herschel 効果」の発見」『中京大学教養論叢』31(1)(1990): 13-84
ハーシェル写真研究第2報(1840.2.20)
ハーシェル写真研究第3報(1842.6.16) 植物色素に対する太陽スペクトルの作用、ならびに青写真
ハーシェル写真研究第4報(1842.11.17)中崎昌雄「不当にもダゲレオタイプと名付けられた発明の歴史 : ダゲール剽窃弾劾パンフレット」『中京大学教養論叢』32(1)(1991): 1-80
付録1. Isidore Niépce 「ダゲール剽窃弾劾パンフレット」(翻訳)
付録2. Nicéphore Niépce 「ヘリオグラフ法についてのノート」(翻訳)中崎昌雄「銀塩とその感光性研究史 : 歴史的展望と写真術への応用」『中京大学教養論叢』33(4)(1993): 863-923 p. 69 Jeam Senebier(1742-1809) はじめ牧師、ついでジュネーブ市図書館主事。フロギストン信奉者。Mémoires physico-chimiques sur l'influence de la lumière solaire pour modifier les etre des trois régne de la nature 自然の3界に存在するものに変化を与える太陽光の作用に関する物理-化学的研究
ニエプスが使った、グアヤック樹脂や Dippel 油、も調べられている。塩化銀の色変化については、Schulze, Beccaria, Scheele の仕事を引用している。
pp.71-72 Elizabeth Fulhame , "An Essay in Combustion, with a view to a New Art of Dying and Painting, wherein the Phlogistic and Antiphlogistic Hypotheses are Proved Erroneous, " Printed for the Author by J. Cooper, London, 1794.
Fulhame 夫人の最初のもくろみは、絹布に金属で地図を描くことであった。川は銀に、市街は金に塗られる。第8章に硝酸銀溶液に浸して光を当てると黒くなり、金塩溶液に浸した場合にははじめ紫色になるが、1時間ほどで金粒子が析出した。光が金属塩を還元するのは、光がフロギストンを放出するからではないかと考えた。没食子酸による還元にも触れている。
pp. 72-3 Rumford卿 (Benjamin Thompson) (1753-1814) Fulhame 夫人の実験に刺激され、1798年王立協会に次の報告を提出した。
Benjamin Count of Rumford, "XX. An Inquiry Concerning the Chemical Properties that have been attributed to Light, read 14th June 1798," Phil. Trans., Vol. 88(1789) 「光に帰されていた化学的性質に関する研究」Rumfordの見解では、光ではなく、光によって生じる熱の働きであった。
p. 84 タルボット(1839.1.7) 「ハンフリー・デーヴィ卿ほどの実験家が『すべての実験は失敗に終わったと見放したので、これ以上追究するのを断念して当然だ。』
→ 16.5.6 写真史ではとても多い事態ですが、この言葉は真に受けてはいけません。中崎さんも指摘するとおり、このとき(1802年報告のとき)デーヴィは、「田舎の研究所から出て来たばかりの駆け出しの化学者で23歳になった」ばかりであった。つまり、1802年のデーヴィは有名でも何でもなく、それをタルボットがこう書くのは意図的か(自分が研究を続けなかったことの言い訳か)、あるいは、後付け(デーヴィがいろんな大きな仕事を成し遂げ、有名になったあとのことを若きデーヴィに読み込んでいる、つまり時代錯誤か)いずれかである。ダゲールの成功の報告に起因していること、後に特許を申請し、特許訴訟に巻き込まれていることを考え合わせれば、ここは、意図的な口実の臭いが強いと言っておいてよいだろう。
→ 16.5.6 事業家ダゲールの「ダゲレオタイプ教本」も類似の文書とみなす必要があります。自分に有利なように意図的に歪められた部分を含みます。のちに、ニエプス息子から弾劾文書を投げつけられる要因を自分で作り出しています。
→ 16.5.6 また、ブリュースター(Brewster)が1847年 North British Reviewに書いた写真史の総説は、便利なものではあったが、ハーシェルの業績(とくに定着材としてのハイポの使用)をReade に帰す間違いをおかしている。ブリュースターの知名度故に、その説がかなり影響力をもってしまった。(Readeが没食子酸の使用とハイポの使用を発見したという謬説を生みだしてしまった。)
→ 16.5.6 バッチェン p.81 アラゴーの表現(1839年のより遅い時期に)「この器具が生み出すイメージの輪郭の精密さ、色と形の正確さ、階調の正確さ(la dégradation exacte de teintes)を見たひとは誰でも、そうしたイメージが<おのずと>保存されないのを本当に残念に思い、焦点面上でそれを定着させるなんらかの手段を発見することを心から願わないひとはいませんでした。」(アラゴー、1839年7月6日、下院議会への報告。Daguerre, Account, p.14; Daguerre, Historique et description des procédés du daguerréotype et du diorama, p.11 ;『完訳ダゲレオタイプ教本』p.77 >ここで、アラゴーは、ダゲレオタイプに写った像を見て、こう発言している。カメラオブスクラのもたらす画像は、線を抽象し、輪郭を描くことは可能にしてくれるが、正確な階調とは無縁のものであった。むしろより正確には、アラゴーは、カメラオブスクラのもたらす画像の特徴と、ダゲレオタイプにみられる画像の特徴を混合して、その画像があらかじめカメラオブスクラのもたらす画像にあったかのように表現している。発明のあと、わかる事柄を、あらかじめ、発明前の器具(がもたらす画像)に備わっていたかのように語る、一種の時代錯誤を犯している。発明後の特徴を発明前の特徴におそらく無意識的に投射して語っている。写真がもたらす錯乱・転倒は、すくなくないが、これもそのひとつの事例である。中崎昌雄「だれが初めてハイポ (チオ硫酸ナトリウム) による写真「定着」を発見したのか? : J. B. Reade 対 John Herschel」『中京大学教養論叢』30(3)(1990): 663-725
David Brewster, "Photography, " North British Review, 1847 Review of Development of Photography from 1839 to 1847
p.25 ハーシェルのハイポ研究。
John Herschel, "On the hyposulphurous acid and its compound," Edinburgh Philosophical Jounal, 1(1819), 8-29
John Herschel, "Additional facts relative to the hyposulphurous acid, " Edinburgh Philosophical Jounal, 1(1819), 396-400
p. 27 「次亜硫酸塩 (hyposulphites) のもっとも変わった性質の一つは、この溶液が塩化銀 (muriate of silver)のかなりの量を完全に溶かすという性質である。」
p. 32 "Exp. 561. Jan. 1, 1819 (1) Cold Sulpho Sulphite of Soda (somewhat concentrated) dissolved newly precipitated Muriate of Silver as easily as water dissolves sugar,"
p. 36 「鉱物学と物理学のもっとも輝かしい合流点のひとつである。」(William Thomson, Lord Kelvin 1871 on Herschel, 1822)
1824年、ミュンヘンでフラウンホーファー(1787-1826)にあって、自作のフリントとクラウンガラスプリズムをもらった。
1829年暮れ、ニエプスはロンドンにやってきて、ウォラストンとヤングと会っている。(ハーシェルやトルボットとは接触がなかった。)
p. 40 John Herschel, "On the Action of Light determing the Precipitation of Muriate of Platinum by Lime-water," Phil. Mag., 1832 July,
p. 43 このようにトルボットは、1831年6月26日の段階で、すでにハーシェルから塩化銀がハイポに溶けることを教えてもらっている。・・・ところが、トルボットは1839年2月1日にハーシェル家を訪問したとき教えてもらうまでは、ハイポを写真定着に利用することに思いつかなかったらしい。
トルボットは、1833年新婚旅行でイタリアのコモ湖にいった。ウォラストンのプリズム(カメラ・ルシーダ)で写生を試みるがうまく描けず。替わりにカメラ・オブスクラを使ってみた。「これらの自然の映像を消えないように捺しつけて、紙の上に残せたら何と素晴らしいことだろう。」
p. 45 ハーシェルはダゲールの写真研究を友人の Beaufort 大佐から1839年1月23日に知らされた。前日夫人にだした手紙を見て欲しいとあった。その手紙には、フランスの科学アカデミー紀要Comp. rend.1月7日号に面白い記事があると報せていた。そこには、アラゴーが1月7日ダゲールの仕事を紹介していた。(詳しい内容はなし。)
p. 46 ハーシェルはすぐに仕事をはじめた。" a variety of processes at once presented themselves," ・・ハーシェルの写真実験研究ノートは、1月29日「実験1012」から始まっている。
p. 48 「実験1012―1839年1月29日。ダゲールの秘密を聞き、またトルボットも同じように何かを掴んでいると知らされてから、ここ数日間にした実験。」
「実験1013―ダゲールの手法。これを真似るための試み。必要なもの―1.感度のよい感光紙。2.完全なカメラ。3.余分な反応を阻止するための方法、塩化銀や他の銀塩を全部洗い去って、光の作用を阻止するのに次亜硫酸ナトリウムを使ってみた。完全に成功。」
「1839年1月30日。無収差レンズで望遠鏡の像を撮る。炭酸銀紙を焦点におく。画像はセピア色に地に白く写る。これを次亜硫酸ナトリウムで洗っても消えず、光に当てても変化しない。かくしてダゲールの謎は、ここまで解けた。」
「実験1014―1839年1月30日。 版画や銅版文書の transfer を試みる。」
p.50 1839年2月20ー21日付 Bio 宛ての手紙「数日前、私の親友のハーシェル卿が、私に写真画像の保存に関して発見した大変に素晴らしい方法を知らせてきました。しかしながら彼の許可を得ないうちには何もお教えすることができません。その実験を追試したところ、大成功だったとだけお伝えしておきましょう。」・・・ハーシェルははじめからトルボットの好きなようにせよと寛大であった。
3月4日フランス科学アカデミーで読まれた手紙「第4番目の方法はこれだけで他の全てに匹敵するほどのものです。次亜硫酸ナトリウムで画像を洗うのです。このアイディアはまったくハーシェル氏のアイディアから自然に出たものです。・・・画像の白いところにある銀塩は、定着されたり、不活性化されたりするのではなく、完全に除かれるからです。」見えないものを見る。
ケプラーは、網膜に写る pictura が上下左右逆転していることに悩んだが、もうすこし先までいえることがある。それは、われわれの日常知覚においては、空間を3次元として知覚しているが、 pictura は2次元(よくて球面)である。3次元知覚も 平面(あるいは球面)の pictura を越えている。
われわれが見ているもの、知覚しているものは、実は、 pictura としては見えない。 pictura には写らない。
逆に、とくにダゲレオタイプがキャッチした階調の精密さ・正確さは、ダゲレオタイプの銀塩表面がキャッチしたものであって、人間が日常的に知覚しているものではなかった。つまり、写真は、人間が知覚している以上のものをキャッチすることができる。その典型が、写真術の発見のプロセスとほぼ同じ頃に発見された、スペクトルの不可視の部分(可視光以外の部分)であり、赤外線や紫外線だけではなく、そもそも人間の眼が捉える・知覚することができない光線を写真(銀塩の塗布された表面)はキャッチすることができる。→16.5.15 見えないものに満ちた世界。
望遠鏡が、見える世界だけが世界ではない、私たちに見えている宇宙は、宇宙の偶然の一部に過ぎないことを明らかにしたあと、(ヴァイゲルの論点)
レーウェンフックは、この世界は、見えない微生物 animacula で満ちていることを発見した。
さらに、18世紀末から19世紀初頭、ハーシェル、リッター、ウォラストンは、人間の眼には見えない光が宇宙を飛び交っている・遍在していることを明らかにした。
その見えない光を感光剤はキャッチすることができる。そして、写真術はそれを画像に収めることができる。→写真術が見えないものと結びつく。亡霊写真!
人間に新しい世界が開けると同時に、リアリティに関する新しい概念・感覚をもたらす。
- 2016.5.6(金)
次のサイトに、ダゲレオタイプの出現を報じた新聞や雑誌のアーカイブがありました。
THE DAGUERREOTYPE: AN ARCHIVE OF SOURCE TEXTS, GRAPHICS, AND EPHEMERA
The research archive of Gary W. Ewer regarding the history of the daguerreotype中崎昌雄「初期スペクトル分析法を開拓した人びと」『中京大学教養論叢』35(1)(1994): 117-186
1.ウォラストン(1802)、フラウンホーファー(1814)による太陽スペクトル暗線の発見
2.ブリュースター、ハーシェル、トルボットによる着色炎スペクトルの研究(1822-26)
3.トルボット「スペクトル観測による化学分析」(1834)とホイトストーン「電気火花スペクトル研究」(1835)
4.フーコー D暗線研究(1849)と光速度「決定的実験」(1850)
5.キルヒホッフ「フラウンホーファー線について」(1859)
6.キルヒホッフ&ブンゼン「スペクトル観測による化学分析」(1860)
7.キルヒホッフ&ブンゼン「スペクトル観測による化学分析」第2報(1861)
新アルカリ金属元素セシウム、ルビジウムの発見
付録 Kirchhoff und Bunsen, "Chemische Analyse durch Spectralbeobachtungen," ,Poggendorff's Ann., 110(1860): 166-189 の邦訳
長い論文ですが、必要だろうと思い、画面上で全部読み通しました。とても面白い。これは、テーマがおもしろい。中崎さんは今の基準ではありえないほど論旨に関係しない伝記的事項をもらさず記述する傾向があります。現在の論文に慣れている者には、正直、わずらわしく感じられます。しかし、とても面白いテーマです。科学技術史に関心がある方であれば、誰が読んでおもしろいと思われるのではないかと考えます。中崎昌雄「世界最初の「写真」画集 Talbot「The Pencil of Nature」」『中京大学教養論叢』28(3)(1988): 673-715
pp. 205-206 * Talbot「The Pencil of Nature」邦訳
p.215 (ウェッジウッドとデーヴィの1802年の研究にふれて)「彼らのこの方面の失敗があまりにも惨めであったので、この研究はすぐに彼等自身を含めて他の人びとに顧みられなくなってしまい、われわれの知る限りでは続行されることがなかった。
こうして30年もの間、この件は忘れられたままだったのである。
さてダゲレオタイプはダゲール氏やフランス学士院が思うほどに、そう全く新奇な考案でなく、また私自身の仕事にしてもさらに直接にウェッジウッドの跡を追うものであったが、この両方の改良はすべての点で非常に大きなものがある。これが1839年をもって写真の真の誕生の時期、それが世界にはじめて公表された時期とするのが妥当ではないかという私の考えの理由である。」
→ このトルボットの証言も、当事者の発言の歪みをもつものです。「失敗があまりにも惨め」とは、ウェッジウッドとデーヴィは感じなかったはずです。自分が成功したことを印象づけるために、失敗の大きさを強調するレトリックです。ということで、優先権や第1発見者が関わるとトルボットが感じた部分に関しては、トルボットの証言には極めて批判的に対応する必要があります。
→ 関心のあり方がちがったせいですが、ハーシェルにはこうした部分はまず見られません。今の観点からすると、ハーシェルは、ほぼ科学者といってよく、事業家・起業家の側面はありません。写真研究に関して言えば、カメラ・オブスクラにほとんど触れていません。- 2016.5.7(土)
そう言えば、写真の化学は光化学ですが、私の目を通してた範囲には、"photochemistry" という用語が出現していません。ネットで調べると、Merriam-Webster には、1867年に初出 (First Known Use of Photochemistry)とあります。直感的に19世紀後半かなと思っていました。別の辞書(Dictionary.com では、1865-1870 がOrigin of photochemistry とあります。
日本語で一番よく出会うのは、"光化学スモッグ”でしょうか。最近はあまり聞かなくなりました。
ふと思いついて、光化学の歴史が書かれていないかどうかグーグルスカラーやCiNiiで調べてみました。本格的なものはないようです。分光学の歴史であれば、あるに違いないと調べましたが、これも見当たりません。うーん。中崎昌雄さんの研究は、そうした領域の一部をカバーしていますが、本格的なものが書かれる必要があると思います。
英語で調べてみると、すこしだけあります。しかし、いまのところ、中崎昌雄さんの研究対象を含むような、包括的なものは見つけることができていません。Wiki の History of spectroscopy は悪くないです。
History of Photochemistry- 2016.5.9(月)
帰宅すると次の本が届いていました。
Patrick Maynard, The Engine of Visualization: Thinking Through Photography, Cornell University Press, 1997
序に、写真術が人々に公表され、使用されるようになって150年、写真術/写真に関する思考と議論には、両義性、混乱、曖昧さ、謎、パラドクス、そして暑い論争がつきまとってきた、とあります。- 2016.5.10(火)
[マシュー・ハンター「フックの画像箱」]
8時42分武蔵境発の西武線。まず、図書館へ。開くのは9時、10分ほどロビーで雑誌を見ていました。開いてすぐに、ILL で届いていた次の論文を受け取りました。
Matthew C. Hunter, “Mr. Hooke's Reflecting Box": Modeling the Projected Image in the Early Royal Society," Huntington Library quarterly, 78(2015): 301-328
会議の間のあいた時間で読みました。フックのカメラオブスクラの利用(焦点は、目のモデルとしてのカメラオブスクラ)について、よく調べています。(私が見た範囲では、フックの原典についてもっともよく調査した論文だと思われます)フックは、カメラオブスクラを暗い箱 dark box、あるいはその用途によって、picture box あるいは、reflecting box と呼んでいます。とくに面白いと思ったのは、印刷における左右逆転をなおす装置としてフックが見ている箇所でした。 p. 317 Hooke, Classified Papers, XX: 89, fol. 207. See David Landau and Peter Parshall, The Renaissance Print, 1470-1550 (New Haven, Conn., and London, 1996).- 2016.5.15(日)
[写真史、もっとも大きな見通し]
写真術=カメラ・オブスクラ+画像の光化学的キャッチ
カメラ・オブスクラ、ここではレフレックスミラー付きポータブルカメラ・オブスクラは、17世紀から存在した。最初が誰かを確定するのは難しい。(ツァーンにはあった。)
シュルツが18世紀初頭(1719)に銀塩の黒化が光化学反応だと見抜いた。平面ではないが、瓶の中に(広義のネガ・ポジ法により)黒い文字を浮かび上がられることに成功している。
1802年、ウェッジウッドは若い化学者デーヴィの助けを借りて、2平面の密着撮影/照射により日光写真を撮ることに成功しているが、カメラ・オブスクラの像の撮影には成功せず。また撮影後感光紙の感光性を除去することができず、像の固定化=定着には成功せず。ただし、1802年の論文の結論で、その課題を明示した。
1819年、ハーシェル(息子)は、そうした流れとは関係なく、ハイポ(次亜硫酸ナトリウム、現在の正しい名称はチオ硫酸ナトリウム)が塩化銀を溶かし去ることを発見している。
その後、しばらく、ウェッジウッド&デーヴィ(1802)論文とハーシェル(1819)論文を結びつける者はいなかった。トルボット自身もそうであった。1831年6月26日トルボットはハーシェルにハイポが塩化銀を溶かすことを教えてもらっていたが、1833年イタリアのコモ旅行の際にカメラ・オブスクラの像を定着しようという欲望を抱いてから、写真術の開発に取り組んでいたときにも、ハーシェルから教えてもらった知識が思い起こされることはなかった。
トルボットが写真術への欲望を抱く前、フランスでニエプスがようやくフランスに普及しはじめていたリトグラフの手法の延長線上で、いろんな感光剤を使って、版画を複写する試みに着手した。1824年「絵画を複写することよりも、主に風景の眺めに専念しようと決めた」ニエプスは、その年の9月に一応カメラ・オブスクラの像を撮ることに成功したようである。1826年1月、ニエプスはダゲールから共同研究を提案する手紙を受け取ったが、はっきりとした返事はしなかった。(その1826年にアンボワーズ枢機卿の版画を感光剤を使って複製することに成功している。)1827年、10年前にロンドンに行った兄(クロード)を見舞うために、ニエプスは、8月パリにやってきた。そのときダゲールはニエプスと直接会見することができた。ロンドンに行ってみると、兄は発狂していた。1828年2月、植物学者バウアーにヘリオグラフ法で撮った風景写真を託して(贈って)帰国した。帰途、パリで再び、ニエプスはダゲールと会った。共同研究の契約は、1829年12月14日締結に至った。1829年暮れ、ニエプスはロンドンでウォラストンとヤングと会った。1833年7月5日ニエプスは死去した。契約は、息子のイシドールが引き継いだ。
1835年春、ダゲールは、独自に水銀現像法を発見した。定着法の発見には、もうすこし時間がかかった。1837年、不完全だが濃い塩水で洗浄すると、ある程度定着することができた。
そして、1839年1月のダゲレオタイプの公表からはじまる写真術怒濤の1年となる。8月18日の公開講演のときまでには、定着液としてハイポの使用も組み込まれていた。
ダゲレオタイプは、銅板に銀メッキをしたものに、ヨウ素蒸気をあて、感光性をもたせ、それをカメラ・オブスクラの中に収めて露光する。版を取り出し、水蒸気をあてて現像し、食塩水やハイポで定着する。水銀蒸気によって、光が当たった部分には銀の粒子が固着するので、一見ポジ像に見えるが、実際は、左右逆転したネガ像(鏡像)である。版はもろく、複製は不可能であった。原写真家たちの誰も想像しなかった質感のものができたと言ってよく、まったく独特の写真画像であった。写真術は写真術であったが、古写真術とでも呼ぶべき、独特の風合いと質感をもっていた。
金属板ではなく、感光紙をもちいた場合の写真術の原理については、1839年3月14日ハーシェルが王立協会のプロシーデングに明快な論文を発表した。
翌1840年9月23日、感光紙でネガ・ポジ法を開発していたトルボットは、「潜像」とその現像法を発見した。写真史家ニューホールによれば、このトルボットによる潜像とその現像法の発見によって近代写真術が誕生した。
つまり、写真術 photography という用語の確立、ネガ・ポジ法、潜像状態の現像法、ハイポによる定着法ができた。
ただし、ネガに紙をもちいるのには、弱点があった。紙を構成する繊維が画像と同時にポジに影響し、鮮明さと輝きの点で、ダゲレオタイプに勝てなかった。1844年、トルボットは、『自然の鉛筆』を出版しはじめた。1846年までの間に、全6分冊、全24枚の写真が貼りつけられていた。
1847年、ニセフォール・ニエプスの甥、クロード・アベル・ニエプスは、ガラスを支持体とする方式、卵白と沃化カリウムでガラス板を塗布し、乾いたあと、硝酸銀溶液に浸して、感光性をもたせることに成功した。
1851年、トルボットが同じ方法を見いだした。
1851年3月、卵白に変えて、コロジオンを用いる方法を、フレデリック・アーチャーが見いだした。湿式コロジオン法と名づけられた。
1854年までに、湿式コロジオン法は、ダゲレオタイプとカロタイプの両方に置き換わった。ニューホールは、『潜像:写真術の発明』をこの時点で締めています。以上でもまだスキップしたところがあります。また、時間のあるときに埋めます。
- 2016.5.16(月)
ILL で届いていると連絡があった次の文献を受け取るために、まず図書館。
Larry Schaaf, "Sir John Herschel's 1839 Royal Society Paper on Photography," History of Photography, 3(1979), 47-60
Larry Schaaf, "Herschel, Talbot and Photography: Spring 1831 and Spring 1839," History of Photography, 4(1980), 181-204
Larry Schaaf, "The Talbot collection," History of Photography, 24(2000), 7-15
Larry Schaaf,"Henry fox talbot's The pencil of nature," History of Photography, 17(1993), 388-396
H. Mark Gosser & Larry Schaaf, "Further notes on Herschel and Talbot: the term ‘Photography’,"History of Photography, 5(1981), 269-270
最後のものは、1839年2月2日付ホイートストーンからハーシェル宛の手紙のなかに、"photographic experiments"(写真術的実験)という言葉が使われているとマーク・ゴッサーが指摘するものです。ホイートストーンがもし最初だとすると、photography, stereoscopy, telegraphy という3語がホイートストーンによることになると結論しています。
それに対して、ラリーは、印刷された文献における「最初の写真術の使用」は、1839年2月25日Vössische Zeitung上のヨハン・メドラー(Johann Mädler) というドイツ人天文学者によると回答しています。メドラーは、この日付のずっと前からハーシェルと書簡を交換しています。またこの日付のあともその通信は続いています。
しかし、photography という用語を公に知らしめたという点では、はやり、何と言ってもハーシェルの 1839.3.14論文が果たした役目が大きいと結論づけています。本が届いたという連絡もあったのですが、受け取りに行くのを忘れました。明日、もらってきます。(Science in print : essays on the history of science and the culture of print, と The Technical Image: A History of Styles in Scientific Imageryの2冊)
- 2016.5.17(火)
図書館によって、昨日受け取るのを忘れた次の2冊を受け取りました。
Rima D. Apple, Gregory J. Downey and Stephen L. Vaughn (eds.), Science in print : essays on the history of science and the culture of print, Madison, 2012
Horst Bredlamp, Vera Dünkel and Birgit Schneider (eds.), The Technical Image: A History of Styles in Scientific Imagery, Chicago, 2015坂井建雄さんの発表が面白いポイントを指摘しています。
坂井建雄「解剖学書における解剖図の類型と歴史的変遷」第110回日本医史学総会 一般講演 p.171『日本医史学雑誌』5第55巻第2号
第1期 16世紀初頭まで 無解剖図型がほとんど
第2期 16世紀中葉から18世紀初頭 別頁解剖図型が中心
第3期 18世紀初頭から19世紀初頭まで 多くが無解剖図型
第4期 19世紀中葉以降 挿入解剖図型
「第3期の18世紀初頭〜19世紀初頭では、大多数の解剖学書は図を用いない。」→これは意外な事実の指摘でした。医学書全般に言えることなのか、生物学の世界まで視野を拡げてみて、同様のことが生じたのか、とても興味深い。
「第4期の19世紀中葉に入って解剖図が復活したのは、本文と解剖図を同じ紙面に印刷する木口木版画が登場したことと関係する。」
ちなみに、木口木版(こぐち‐もくはん)は、18世紀末にイギリスのビウイックが発明し、平圧プレス機で活字と同時に印刷できることを活用して、書籍の挿絵として重宝されるようになります。18世紀末から19世紀初頭にかけて、版画技術にイノベーションが続いたことになります。中村優子「ヴィジュアル・コミュニケーションと社会ー19世紀末ヨーロッパの経験ー」 『異文化コミュニケーション論集』14 (2016), 45-54, 立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科
p. 47 「近代ポスターは1860年代後半のパリで生まれた。」
1830年代中盤、ドイツ人のゴエフロイ・エンゲルマンによってカラー・リトグラフが考案された。
カラー・リトグラフでは、油彩のような細かな表現が描きにくい。→ダゲレオタイプが実現してしまったこととは逆の方向性です。階調なしの、べたの表現。
線遠近法の解体につながった千葉順「ロートレックのポスター芸術」『早稲田商学』284号(1980): 55-69
p. 58 大型ポスターがフランスの街頭に現れるのは、1840年代になってから。 リトグラフは、ドイツで生まれ、フランスで芸術になったと言われる。
ジェリコ、ドラクロワ、ドーミエが石版画で芸術作品を制作した
- 2016.5.18(水)
田中麻野「シャルル・ブラン著『全画派の画家たちの歴史』の複製版画をめぐって」『日本大学デジタルミュージアム』2015.3
「19世紀なかば、数千点にのぼる複製版画を伴う比類なき美術史叢書が出版された。シャルル・ブラン(1813-1882)が編纂した『全画派の画家たちの歴史』である。この著作に掲載されたすべての複製版画は、19世紀特有の技法である木口木版によって制作された。」(太字は、吉本)創刊は、1848年。
「本書が美術史とりわけ版画史に名を残すことになったのは、むしろ掲載された複製版画の比類のない豊かさによってである。」
「木口木版が発注されると、素描家がオリジナルの絵画(あるいはその複製)をもとに下絵を制作し、次に版画家がその下絵に基づいて版刻するという手続きがとられる。」
「木口木版による複製版画の時代は、ここで幕を閉じる。19世紀前半から挿絵入り出版物に多様された迅速なこの技法でさえも、世紀末が求めたイメージの大量生産には対応しきれなかったからである。手作業による版画に替わって、写真技術を応用した複製技法が主流になるのが、ちょうど1880年代である。画家や素描家による挿絵が、版画家の手をわずらわせることなく紙面に転写されるようになる。」- 2016.5.20(金)
夕刻、次の本が届きました。
坂井 建雄
『図説 人体イメージの変遷――西洋と日本 古代ギリシャから現代まで』 (岩波現代全書)、岩波書店、2014坂井 建雄さんの指摘 「第3期の18世紀初頭〜19世紀初頭では、大多数の解剖学書は図を用いない。」に対して、協同研究者の方々からコメントがありました。ほんとうだろうか?というものです。(→ 16.5.21 個人的には、18世紀初頭〜19世紀初頭、図を用いない解剖学教科書が数多く出版された、という意味だと解釈すればよいかと思うようになっています。)簡単には結論が出せる事柄ではないと思いますが、ともあれ、いろいろ読んでみようと思い、図版に関しては、荒俣だと思い出し、ファンタスティック12(ダズン)の11を本棚から引っ張り出して、読みました。
荒俣宏編著『解剖の美学 Art of Anatomy』リブロポート、1991
買ったときは解剖図はよいかなと思い、読んでいませんでした。図版とキャプションをきちんと読んでみました。不思議な世界が展開されています。
取りあげられている解剖図書を出版年代順にならべてみます。
ロイス 『人骨の盆景』 1701 Frederic Ruysh,Thesaurus Anatomicus
カウパー 『新筋肉裁断術』 1724 William Cowper, Mrotomia Reformata
ル・ブロン 『腸の解剖図』 1742 J. C. Le Blon,
アルビヌス『人体筋骨構造図譜』 1749 Bernardi Siegfried Albini, Tabulae Scelti et Musculorum Corporis Humani
マイヤー 『陸海川動物細密骨格図譜』 1751 Johann Daniel Meyer, Vorstellung allehand Tiere mit ihren Gerippen Zweyter Theil alle auf das richtigste in Kupfer gebracht der Natur gemasse mit ihren Farben abgebildet und heraus gegen
フォン・ハラー 『解剖図集』 1756 A. de Haller, Iconis Anatomicae
ホガース 『解剖学教室』 1759 Willima Hogarth, An Anatomy Lesson
ゴーティエ・ダコティ 『人体構造解剖図集』 1759 Jacques-Fabien Gautier Dagoty, Expositum anatomique de la structure du corps humain
スカルパ 『ヘルニヤ治療法』 1823 A. Scarpa, Traité Pratique des Hernies
グランヴィル 『流産と婦人病』 1834 A. C. Granville, Graphic Illustrations of Abortion and the Deseases of Menstruation
クルヴェイラー 『病理解剖学』 1835−1842 J. Cruveilhier, Anatomie Pathologiq du Corps Haumain
ボードリモン 『胎児および鳥類・両生類の胚発育に関する生理解剖学』 1846 A. Baudrimont et G. J. Martin Saint-Ange, Recherches Anatomique et Physiologuque sur le Dévelopment du FOetus
以上の通り、18世紀のものが中心です。解剖学教科書系はあまり取りあげられていません。→ 坂井 建雄さんの『人体観の歴史』によって、代表的解剖書(解剖図付き)をリストアップします。
ヴェサリウス『ファブリカ』1543 解剖図:木版画 Andreas Vesalius, Fabrica
エウスタキウス(1500-1574)『解剖学図譜』1744 by Albinus 銅版画 Bartolomeus Eustachius,
カッセリウス『解剖学図譜』1627 (死後出版) 銅版画 Giulius Casserius, Tabulae Anatomicae
ベレッティーニ『解剖学図譜』1741 by ペトリオリ 銅版画 Pietro Berretini, Tabulae anatomicae
ビドロー『人体解剖学105図』1685 銅版画 G. Bidloo, Anatomia humani corporis, centrum & quinque tablis
アルビヌス『人体骨格筋肉図』1747 銅版画 Albinus, Tabulae sceleti et musculorum corporis humani
ゴーティエ=ダコティ『人体の内蔵および神経学、血管学、骨学の一般解剖学』1752 Jaques Fabian Gautier d'Agoty, Anatomie generale des viscères, et de la neurologie, angiologie et osteologie de du corpus humain
マスカーニ『普遍解剖学』1823-30 Paolo Mascagni, Anatomia universa
クロケー『人体解剖学』全5巻 1821-31 リトグラフ Jules Germain Cloque, Anatomie de l'homme
ブルジェリ『人体解剖学全提要』全16巻 1832-54 リトグラフ Marc Jean Bourgery, Traité complet de l'anatomie de l'homme
ボナミ『人体記述解剖学図譜』全4巻 1844-66 リトグラフ Eugène Charles Bonamy, Atlas d'anatomie descriptive du Corps Humain
ジョーンズ・クエイン『記述実用解剖学要論』1828 Jones Quain, Elements of descriptive and practical anatomy『解剖学図譜集』1842 A series of anatomical platesリトグラフ
→私の研究には、チェゼルデンが重要だとわかりました。
坂井さんの『図説 人体イメージの変遷――西洋と日本 古代ギリシャから現代まで』の92頁に次のようにあります。「18世紀の解剖図の代表はと問われれば、前述のチェセルデンによる『骨格図譜』と、アルビヌスの『人体骨格筋肉図』と答えるだろう。」
「チェセルデンは、骨格の図を描くにあたっては、1763年版の扉の絵に描かれているが、暗箱(カメラ・オブスクラ)を実物を縮小投影し、実物を正確に模写して描いた。」
94頁には「アルビヌスも、チェセルデンと同様に骨格標本を縮小投影して、実物を正確に模写して解剖図を描いた。」
チェゼルデンの『骨学』(1733)の表紙に描かれたカメラ・オブスクラによる解剖図描写法。
アルビヌスの解剖学書のための絵師、Jan Wandelaar による、グリッドシステムをもちいた解剖図描写法。→16.5.26 風邪気味でしたが、研究室で次の2点を読みました。
Tim Huisman, "Squares and Diopters: The Drawing System of A Famous Anatomical Atlas," Tractrix, 4(1992): 1-11
アルビヌス『人体骨格筋肉図』(1747)の図版は、絵師、Jan Wandelaar によるが、解剖学図のハイライトであるだけでなく、18世紀オランダのグラフィックアートのもっとも印象深い作品だと評価されている。絵師、Jan Wandelaarが具体的にどう描いたかに関しては、ヘンドリク・プントの博士論文『バーナード・ジークフリート・アルビヌス(1697-1770)による人間本性について:18世紀ライデンにおける解剖学的生理学的思想 』(英語、1983)が基本的な仕事をしたが、描写法の再構成に不十分な点がある。その点を補い、修正した。
まとめるとこのような感じになります。とても良い論文です。
このやり方は、今のことばでは、手と目によるスキャンと言ってよいと思われます。
Monique Kornell, "Accuracy and Elegance in Cheselden's Osteographia (1733),"
非常にわかりやすい記述です。
- 2016.5.21(土)
→ 昨日届いたばかりの、坂井建雄『図説 人体イメージの変遷:西洋と日本 古代ギリシャから現代まで』 (岩波現代全書、2014) を読んでいると、出来立てほやほやの『リヴァイアサンと空気ポンプ:ホッブズ、ボイル、実験生活』が届きました。- 2016.5.23(月)
3限と4限の間に、図書館に行って、次の本を受け取りました。
Larry Schaaf, The Photographic Art of William Henry Fox Talbot, Princeton, 2000
トルボットの撮った写真の説明つきカタログです。こういう本を一度きちんと見ておくこと、読んでおくことは重要です。バッチェンの用語を借りれば、トルボットの写真的欲望のアウトラインをつかんでおくことができます。大判のけっこう重い本です。
荒俣宏『アラマタ図像館2 解剖』小学館文庫、1999
これは予想通り、リブロポートのファンタスティック12の第11巻『解剖の美学』を下にした本でした。説明では、そのほんをもとに、「大幅に図像を差し替え、新たに「イメージ解読のための図像学入門」を書き下ろして構成した」とあります。William Crawford, The Keepers of Light: A History & Working Guide to Early Photographic Processes, New York, 1979
アメリカの図書館 Western Nebr. Comm. College Library の除籍本です。そこでは借りた学生はいなかったようです。貸し出し票がまっしろです。- 2016.5.25(水)
6時前に次の本が届きました。
ドメニコ・ポルツィオ責任編集
『リトグラフ―200年の歴史と技法』
勝国興ほか訳、小学館、1985
もちろん、古書です。もとの値段は2万4千円。私の知りたかったのは、技法と目的(販路)ですが、図版集としてもかなりの出来です。久しぶりに大型の美術書を購入し、きちんと鑑賞しました。
→ 16.5.28 p. 25 ゼーネフェルダーは、木製印刷機を簡便化し、石版印刷のスピードアップをはかるため、一連の工夫を凝らした。事実、商業的な最大の関心は印刷の速度にあった。 ゼーネフェルダーが宣伝活動の眼目にしたのは、「きわめて重要な公文書や書類の写しが、時を移さず、また秘書や使用人の忠誠心をあてにせずとも得られる」ことであった。
ゼーネフェルダーの『石版術』を英訳して出版したアッカーマンは、1819年の序文で次のように言う。「この技術のおかげで、画家、彫刻家、建築家は、自分たちの原画の正確な複製を思いの数だけ後世に伝えることができるようになった。当代の芸術家たちにとって、また未来の世代にとって、何と広大かつ有益な分野が開かれたことか! 肖像画家は、そっくり同じ複製を注文主の望みどおり何枚でも与えて彼を喜ばすことができる。責任ある地位にある人は、きわめて重要な公文書や書類の写しを一瞬のうちに必要な数だけ手にすることができる。要するに石版印刷は、芸術や商業のほとんどの分野において、このうえもなく有用なものとなるであろう。」
p.30 ゼーネフェルダーが1809年『石版印刷に関する極めて重要な伝言』を刊行、配布したとき、彼は24の用途をあげた。「われわれが取り扱っている技術は、銅版画や木版がにも、また活版印刷にも比肩しうるものであり、刷り上がりの美しさ、優雅さにおいて多くの場合それらを凌ぎ、しかも迅速かつ廉価という利点を有しているのである。」繰り返しのきく模写法、これが謳い文句であった。ゼーネフェルダー自身は、布地の印刷に大きな可能性を見ていた。・・石版印刷方式は、すぐに演奏会やプログラムの印刷、最新ニュースの記録、地図、植物学や考古学の図版に利用されるようになった。
p.31 石版印刷は、美術館が所蔵する貴重な美術品の複製、流布のために用いられた。・・・初期の印刷業者たちは、石版術を主に商業、教育、情報に役立つ印刷方式と考えていた。石版術がそれ自体で芸術表現の一形式になりえたのは、ようやく次の時代に入ってからである。
p.32 写真リトグラフ 画像の数限りない複製という共通の目的をもつこれら二つの発見は、接点を見いださないはずがなかった。そしてこの可能性は、映像を石版に転写しようと真っ先に試みたのが石版印刷者のジョゼフ=ニセフォール・ニエプスであったと考えるとき、一層大きくなる。写真リトグラフという言葉自体に、石版石の存在が含まれる。その目的は、光が感光版に描いた形態を石版石に定着させ、その複製を無数に作れるようにすることであった。 実用化は、1856年のパワトヴァンを待つ必要があった。コロタイプとして知られるが、彼自身は、油性インクを使って重クロム酸塩ゼラチンの上で印刷する方法を「写真リトグラフ」と呼んでいた。・・コロタイプは、写真製版法のなかで、もっとも魅力的な方法のひとつだった。網目の存在に気づかせない=ルーペで見ないとわからないほど粒子が細かい。中間調を美しく忠実に再現する。
写真と石版印刷との間には、多くの技術的関連があるが、根本的相違として、石版印刷では芸術家の熟練した手(筆致と個性)が不可欠なのに対して、写真リトグラフでは、そうした手が不要ということである。
p. 39 ヨーロッパの大勢の石版画家が名をあげることになった「都市景観図」というジャンルは、通俗挿絵を一般に広く普及させ、きわめて有利な市場を開拓した。原画を石版に転写するかわりに、直接石に描画する方法が現れたとき、石版画は芸術の大通りを歩き始めた。
p. 40 発明から20年余りのうちに、ヨーロッパの大都市に石版印刷工房や印刷所ができた。1818年にはアメリカにもできた。急速な普及は、ゼーネフェルダーの精力的な活動に負うところがおおきい。彼の野心は、芸術的というよりも商業的であった。まず、楽譜。
p. 43 ドイツで石版画の発展に貢献したのは、ショウトリクスナーが石版複製し、ゼーネフェルダーが1808年に印刷刊行した、デューラーの40点ほどの素描集であった。ゲーテは、この作品を喜び、自分でも石版印刷の研究所か工房をつくろうとしたほどであった。こうして絵画の傑作の複製に利用できるとわかった石版印刷術は、ある時期のドイツではその仕事に振り向けられた。
p. 246 ゼーネフェルダーによれば、彼の新しい印刷術は、そのまでの機械的印刷術とは異なり、化学的であった。「1799年以来私が他に先駆けて行ってきた現今の化学的印刷術は、純化学的と呼べるものである。」
p. 247 ゼーネフェルダーの著書に引用された石版印刷の例。石版印刷を売り込むために、新旧を問わず、あらゆる種類の文書、楽譜(当時とても需要があった)、あらゆる様式の図案、装飾写本の複製まで、印刷方式の商業的有用性を強調した。
p. 249 石版印刷の最初の、最も有効な利用法の一つは、地図の製作であった。
p. 262 逆試刷り:刷りたての試し刷りに一枚の紙を重ね押しして得られる刷り。まだ乾いていないインクが白い紙に画像を写し出す。
逆向き版画:石版画や銅版画は、版面の原画に対して左右逆になる。鏡や逆試刷りを使わないと、刷り上がった絵は、もとの原画に対して左右逆となる。過去にはこうした版画が二流の作家達によってしばしば作られた。彼らは大家の絵や版画を模写し、それをそのまま左右逆にせずに版面に刻んだ。朝のうちに、公開された次の原稿をダウンロードし、プリントアウトして読みました。
ディディエ・カーン(小澤実訳)「(公開講演会)中世・初期近代錬金術における変成と宗教」『史苑』第76巻第2号, pp.155-164
ディーバスの「錬金術」と並び、第一級の研究者による、もっともすぐれた錬金術入門/導入です。まさに、カーンの錬金術研究のエッセンスとなっています。橋本さんから、橋本さんの同僚のもっているレーウェンフックの顕微鏡のレプリカを写真で見せてもらいました。わおー。オランダの博物館でレプリカを売っていたことは知っていましたが、日本ではどこにあるのだろうと思っていたら、橋本さんの近所にありました。駒場のスタッフはそれだけ豊かということだと思います。図書館や博物館で是非展示されるとよいと思います。
レーウェンフックの顕微鏡のインパクトはとても大きい。- 2016.5.26(木)
1限の授業が終わってすぐにその足で図書館に。次の本を受け取りました。
Landscape painting : a history
これはこれで有用ですが、私の目的には、Landscape prints : a history が必要だとわかりました。ぼちぼちさがします。 帰宅すると次の本が届いていました。
吉原英雄『リトグラフ―描画・製版・刷り・併用版・転写と写真製版』 (新技法シリーズ 12) 美術出版、1972
こちらももちろん古書です。- 2016.5.30(月)
次の本を受領しました。
Geoffrey Batchen, Burning with Desire: The Conception of Photography, MIT Press, 1999
邦訳は、『写真のアルケオロジー』。原題もそうですが、邦訳もこの書が写真史の基本だと伝わるものにはなっていません。現代思想にはまった若者の書いた、博士論文に基づきます。- 2016.5.31(火)
昼食後次の本が届きました。
荒俣宏『アラマタ図像館(1)怪物』小学館文庫、1999→妻もおおきいちびも比較的早く帰ってきました。バトンタッチをして、1時6分武蔵境発の西武線。先に図書館によって、次の本を受け取りました。
Michael Hunter (ed.), Printed Images in Early Modern Britain: Essays in Iterpretation., Farnham: Ashgate, 20107月25日(月曜日)26日(火曜日)山口科研国際シンポジウム。
私は2日目(火曜日)の最後から2番目あたりで発表します。全体は英語ですが、英語のきちんとしたものを準備する余裕はないと思われます。前田先生と二人、英語のレジメを用意するという条件で、日本語での発表を認めてもらいました。
日本におけるカメラ・オブスクラの導入とカメラ・オブスクラの使用の東西比較をします。視覚の体制にも触れますが、装置を中心に据えて考察します。
こちらの発表は、今年度中に原稿化し、総合文化研究所の『総合文化研究』に出します。「初期のカメラ・オブスクラの批判的歴史:暗室、玩具、人口眼、写生装置?」『総合文化研究』第19号(2016)の続編です。9月9日〜10日、橋本科研による、京大人文研での発表。
こちらは、複製技術論の見直しのなかに、写真術の出現を位置づけたいと思っています。光化学史、技術史が中心となると思います。技術の社会史(技術はそもそも社会的存在ですが)といった感じになると思います。
どこまで扱えるかはまだわかりませんが、将来的には景観図・都市図・地図までを扱いたいと思っています。- 2016.6.1(水)
昨日受け取った、マイケル・ハンター編の『初期近代英国における印刷されたイメージ;解釈の試論』ですが、目次を取りました。
Michael Hunter (ed.), Printed Images in Early Modern Britain: Essays in Iterpretation., Farnham: Ashgate, 2010
Introduction by Michael Hunter
Symbols of conversion: proprieties of the page in Reformation England by Margaret Aston
Censorship and self-censorship in late 16th-century English book illustration by Richard L. Williams
Guides to Godliness from print to plaster by Tara Hamling
'Like fragments of a shipwreck': printed images and religious antiquarianism in early modern England by Alexandra Walsham.
Page techne: interpreting diagrams in early modern English 'how-to' books by Lori Anne Ferrell
Gesner, Topsell and the purposes of pictures in early modern natural histories by Katherine Acheson
Hollar's prospects and maps of London by Simon Turner
The theory of the impression according to Robert Hookeby Matthew Hunter.
The Common Weales Canker Wormes or the Locusts of Both Church and State: emblematic identities in a late Jacobean print by Malcolm Jones
Buckingham engraved: politics, print images and the royal favourite in the 1620s by Alastair Bellany
The Devil's Bloodhound: Roger L'Estrange caricatured by Helen Pierce
Decoding the Leviathan: doing the history of ideas through images 1651-1714 by Justin Champion.
Noble or commercial? The early history of mezzotint in Britain by Ben Thomas
Faithorne, Loggan, Vandrebank and White: the engraved portrait in late 17th-century Britain by David Alexander
'Paper tapestry' and 'wooden pictures': printed decoration in the domestic interior before 1700 by Gill Saunders
Top knots and lower sorts: print and promiscuous consumption in the 1690s by Angela McShane and Clare Backhouse
私がまずページを繰ったのは、マイケルではなく、マシュー・ハンターの論文です。フックの図像もしっかり押さえておく必要があります。
→ とはいえ、まず、マイケル・ハンターの序文を読みました。さすが、マイケル。非常にうまく研究史をまとめてくれています。私の知りたいことは、第2部「科学と地図学における印刷されたイメージ」にあります。フェレルが「テクネーのページ:初期英国のハウツー本におけるダイアグラムの意味」、キャサリンが「ゲスネル、トプセル、初期近代の自然誌における絵図の目的」、サイモン・ターナーが「ホラーの景観図とロンドン大地図」、マシュー・ハンターが「フックによる印象の理論」を書いています。
マイケル自身自覚はありますが、ヨーロッパの状況への言及が弱い。マイケルは最高レベルの歴史家ですが、外国語はあまり得意ではありません。使っている資料を見ると、それは明らかです。(マイケルは、読めるふりはしていません。)マイケルの挙げる重要な先行研究。
William M. Ivins,Jr., Prints and Visual Communication, 1953
Adam Bartsch,Le Peintre Graveur, 21 vols., 1803-1821
Arthur M. Hind, Short History of Engraving and Ething, 3rd edn, 1923
Robert W. Scribner,For the Sake of Simple Folk: Popular Propaganda for the German Reformation, 1981
Sheila O'Connell,The Popular Print in England, 1999
John N. King, Foxe's Book of Martyrs and Early Modern Print Culture, 2006
Elizabeth Ingram and Ruth Luborsky,English Illustrated Books, 1536-1603, 1993
Edward Hodnett, English Woodcuts, 1480-1535, 1935
Margary Corbett and Ronald Lightbown, The Comedy Frontispiece, 1979
Alexander Globe, Peter Sent, London Printseller, c. 1642-1665: Being A Catalogue Raisonné of His Engraved Prints and Books with an Historical and Biographical Introduction, 1985
Antony Griffith, The Print in Stuart Britain, 1998
Joseph Monteyne,The Printed Image in Early Modern London: Urban Space, Visual Representation and Social Exchange, 2007
Helen Pierce, Unseenly Pictures: Graphic Satire and Politics in Early Modern England, 2010
Stuart Clark, Vanities of the Eye: Vision in Early Modern European Culture, Oxford, 2007
→最初のものには、邦訳があります。
ウィリアム・アイヴィンス『ヴィジュアル・コミュニケーションの歴史』白石和也訳、 晶文社、1984
- 2016.6.3(金)
昨日あいだの時間で、次のものをプリントアウトし、読んでいました。
菊池哲彦「ドキュメンタリー写真が写す社会とはいなかる「社会」か?」田74回日本社会学会大会 一般研究報告(文化・社会意識5)2001年11月25日、一橋大学
この発表論考が大島洋編『写真家の時代2 記録される都市と時代』(洋泉社、1994)を引用しています。
大学図書館には入っていません。ども、何か、記憶がある。今日になって、後ろの本棚を見てみました。『写真家の時代』は、1も2も購入していました。
大島洋編『写真家の時代1 写真家の誕生と19世紀写真』洋泉社、1993
大島洋編『写真家の時代2 記録される都市と時代』洋泉社、1994
1の序論は、多木浩二さんが書いています。「写真家の誕生:発明家から写真家へ」
2の序論は、生井英考さんが書いています。「写真家の変貌」。まずは、この二つの論文を読みました。とても参考になります。
写真家の時代は、もともとはもうすこし長いシリーズを予定していたようですが、2で終わったようです。
なお、記憶はまったくないのですが、諸所に線が引いてあります。昔、一部、読んだようです。もちろん、今の方がずっとよくわかります。→ 16.6.5 生井英考「写真家の変貌」『写真家の時代2 記録される都市と時代』(大島洋編、洋泉社、1994), pp.5-32
p.12 上段 1860年代までの写真の需要市場の急速な拡大は、もっぱらダゲレオタイプの普及によるものだった。カロタイプは、ポジ・ネガ法という意味ではなるほど現代的写真技術の基盤であったが、ある時期まで普及の中心とはならかなった。 (ある時期=ガラスを使う湿式コロジオンが発明され、普及するまでは)
p.14 上段 1850年代から1860年代にかけて写真市場が急拡大し、アマチュア写真家が急増した。この時期、イギリスのアマチュア写真家がダゲレオタイプを手がけることは滅多になく、イギリスで「ダゲレオタイピスト」という言葉は、商業的な肖像写真師のことを指していた。
p.14 下段 ダゲレオタイプとカロタイプの質的差:イギリスでは特許の関係で、ダゲレオタイプはアマチュアには手を出しづらいものだった。それだけではなく、紙ネガを使うカロタイプは、再現精細度がダゲレオタイプに比べてはるかに低く、焼き付けられた画面がきわめて軟調の仕上がりを示した。この甘く霞んだような画面には、タッチ(触感)があると見なされた。
p.15 上段 最初期の「写真家(フォトグラファー)」はもっぱら写真術の科学技術的な側面に関心を抱く人々の総称であった。「写真(フォトグラフィー)」という名称の命名者であったジョン・ハーシェルと同じように、科学的実験装置としての写真の使用に興味を覚える上層中産階級の人々だった。
p.15 下段 1850年代から急増してくる職業的=厳密には商業的=な写真師たちは、科学実験的側面ではなく、写真の商業的な可能性に興味をもつ人々であった。具体的には、彼らは多く、出版業者やグラフィックアートの絵図師としての前歴をもつ「中層中産階級」だったとサイバーリングは指摘している。1850年代の10年間に、アマチュア写真と商業写真の分化が明瞭に見られると彼女はまた指摘している。
p.15 下段→p.16 上段 1852年から53年にかけてイギリスの芸術協会(the Society of Arts)が開いた写真展では、版画類の制作販売業者からの出展は、数えるほどしかなかった。・・・フランスからの出品は、版画業者や写真機器のディーラーが持ち込んだものだった。
p.17 下段 ローレンス・レヴィンの『ハイブロー/ローブロー』からの紹介。
p.19 下段 ここでレヴィンが描写しているのは、色版リトグラフから写真にまで共通する「複製技術時代の芸術」に対する19世紀後半の知識人の典型的な反応であり、かつ「写真は芸術か否か」という写真史全体を貫く論争の背景をなしたものだ。
p.19 上段 1840年代から1900年まで色刷石版画―原画から色刷りのリトグラフィを起こし、あらゆる国民層に数百万単位で頒布するプロセス―は合衆国でもっとも親しまれた芸術形式のひとつであった。それは、社会の全階級の手の届くところに芸術を送り届ける手段として評価され、アメリカの共和化され自然化されたアートとして称えられた。しかし、この同じポイントが、上流階級の価値観からすると、文化を低劣化、下級化とみなされた。 →ハイブロー/ローブローの分裂・分化。
p.28 下段 スナップショットは、19世紀末にあらわれた。 速写の視覚は、同時に窃視の視線につながり、また他方では見えていながら意識化されない(つまり心理的には見えていない)事物の不意の混入というべき事態を招き寄せる。
p.29 下段 こうした人々にとっての写真の美学―そうしたものがあるとして―は、予め訓育された美的な教養によって裏打ちされたものではなく、撮影された画面それ自体のなかに殆ど不意打ちのように現われる新しい知覚と認識の様態としてのみ、その姿を見せるものにほかならない。生井さんの論考は、その時点における写真評論の水準を示す優れた論考です。ただし、注も参考文献もありません。なかで取りあげられている、ローレンス・レヴィンの『ハイブロー/ローブロー』ですが、そのぐらいのものであれば、翻訳があるに違いないと思い調べました。次でした。
ローレンス・W・レヴィーン『ハイブラウ/ロウブラウ:アメリカにおける文化ヒエラルキーの出現』常山菜穂子訳、慶應義塾大学出版会、2005、4-7664-1159-5 C3036、3,360円 四六判上製/384頁
原著は次。Lawrence Levine, Highbrow/Lowbrow: The Emergence of Cultural Hierarchy in America , The William E. Massey Sr. Lectures in the History of American Civilization, Harvard University Press, 1990- 2016.6.6(月)
3限と4限の間は、まず、図書館に行って次の本を受け取りました。
Larry J. Schaaf , Tracings of Light: Sir John Herschel and the Camera Lucida, University of New Mexico Press, 1991- 2016.6.7(火)
しばらくしてから届きましたと連絡のあった次の本を受け取りに行きました。
Mirjam Brusius, Katrina Dean, and Chitra Ramalingam, (eds.), William Henry Fox Talbot: Beyond Photography, New Haven and London: Yale University Press, 2013
ざっと見ましたがよい本です。- 2016.6.8(水)
総合文化研究の教務補佐の方から、次の原稿のpdf ファイルをもらったので、My academia.edu にアップロードしました。
吉本秀之「初期のカメラ・オブスクラの批判的歴史:暗室、玩具、人口眼、写生装置?」『総合文化研究』第19号(2016.2):189-209- 2016.6.9(木)
昨日ダウンロードしプリントアウトしておいた次の論文を読みました。
前川修「カルト・ド・ヴィジット論:ヴァナキュラー写真の可能性1」『(神戸大学)美学芸術学論集』9(2013):4-21
カルト・ド・ヴィジットは、一番わかりやすくは、19世紀のプリクラと言えばよいでしょうか。名刺判(よりすこしおおきい)の厚紙に、定型的な肖像写真を貼り付けたものです。アドルフ・ウジェーヌ・ディスデリ(1819-89)が1854年特許を取得しており、彼のものが一番有名ですが、類似の考案は同時代に数多くあり、1850年代に大いに流行っています。1860年代末には流行は衰退します。
前川さんは、これを、ヴァナキュラー写真として論じています。流行写真の社会学と言った方がわかりやすいかもしれません。社会学者ならばそういう論じ方をすると思われますが、前川さんは、掲載雑誌からもわかるように、芸術論・芸術史・視覚論・視覚文化研究の流れのなかで、写真論・写真史として取りあげられています。
当時の市民・ブルジョワジーにとって、写真とは何であったのかを知る上で、これはとても面白いテーマです。数多くの興味深い論点を提示することに成功しています。4限の直前に、届いたと連絡のあった次の2冊を受け取ってきました。
レイモンド・ウィリアムズ『共通文化に向けて:文化研究1』川端康雄編訳、みすず書房、2013
レイモンド・ウィリアムズ『想像力の時制:文化研究2』川端康雄編訳、みすず書房、2016
レイモンド・ウィリアムズ(1921-1988)の2著は、英語の著作があってそれを訳したものではありません。日本人研究者が、彼の原稿から、選び出して訳出したものです。 『共通文化に向けて:文化研究1』は、I 共通文化とコミュニティ;II 自然・社会・文化唯物論;III ウェールズの文化と社会;IV メディアとリテラシーの4部に分類されています。『想像力の時制:文化研究2』は、I 歴史・想像力・コミットメント;II アヴァンギャルドとモダニズム;III 文学研究と教育;IV 文学と社会 の4部から構成されています。- 2016.6.11(土)
昼食のあたりで、古書で発注していた次の本が届きました。
ジョルジュ・サドール『世界映画全史 1 映画の発明 諸器械の発明1832-1895:プラトーからリュミエールへ』村山匡一郎, 出口丈人訳、国書刊行会、1992
19世紀の視覚装置(サドールのいう「諸器械」)についてはこの書物が一番詳しい。短い論考であれば、読むことができるので、そうすることにしました。
生井英考「ポピュラーカルチャー研究小史」『立教アメリカン・スタディーズ(Rikyo American Studies)』34(2012): 1-22
アメリカのポピュラーカルチャー研究史です。勉強になります。でも、もうすこし長いものを読みたいと思いました。鈴木廣之「変貌する明治の図録」(神奈川大学21世紀COE プログラム第1回国際シンポジウム プレシンポジウム)『版画と写真 −19世紀後半 出来事とイメージの創出−』(2006): 33-45
この1〜2ヶ月の間に読んだ論考ですが、記録をとっていませんでした。図録が手書きなのか、印刷(どういう種類の印刷)なのか、写真なのかを個別に調べています。- 2016.6.12(日)
昨日届いた、サドール『世界映画全史 1 映画の発明 諸器械の発明1832-1895』を読みつつ、関連する論文をダウンロードして読んでいます。西垣泰子「(研究ノート)映像メディア表現 (No.1)」『明星大学研究紀要-教育学部』第1号(2011):161-177
ピンホール現象が途中から「ピンフォール現象」と表記されたり、ケプラーの言葉として「脳は必然的に普通の光学器械のように動く」(Johannes Kepler on the eye and vision)というフレイズを引用してみたり、不思議なところがある論考ですが、情報を網羅的に整理しようとしているところは有用です。橋本英治「Phenakistoscope とそのテクノロジー」『(神戸芸術工科大学紀要)芸術光学2015』
ページ数はまだ見つけることができていません。これは、いったいどういう論文なのかと思いましたが、ステッピング・モータについて、私のまったく知らなかった歴史を教えてくれる有用な技術論文でした。映画が動画として知覚される理由は、厳密には、残像ではなく、「目についての時間軸上での間歇運動の識別能力」の問題だということがわかりました。専門用語としては、Φ現象と呼ぶそうです。そしてΦ現象の出現条件は「コルテの法則」としてまとめられているそうです。
正確に考えたことはなかったのですが、これは、そうでしょう。
LSI を使って(普通の言葉ではコンピュータチップとアプリ)スリットなしに、Phenakistoscope を再現する技術を提示しています。1980年代、岩井俊雄さんというアーティストがこの原理をもちいた非常に興味深い作品(『時間層 1』(1985)、『時間層 II』(1985)、『時間層 III』(1989): テレビモニタを使い円盤上に配置した紙の人形がΦ現象として立ち現れる)を発表したそうです。なるほど。
もう1点、これまで視野に入っていなかった装置を説明してくれています。Stroboscope (ストロボスコープ、ギリシャ語のストロボスは、回転するという意味だそうです)です。1832年、オーストリアのジーモン・リッター・フォン・シュタンプファー(Simon Ritter von Stampfer)が発明したものです。プラトー(Joseph Antoine Ferdinand Plateau)の Phenakistoscope (1831)とはまったく独立に発明されたということです。現在、ストロボは、もとの意味からかけ離れた意味で使われている。フラッシュ発光を回転するディスクに連続で照射することができれば、スリットなしに間欠運動を再現することができる。- 2016.6.13(月)
図書館によって次の本を受け取りました。
Stuart Clarke, Vanities of the Eye: Vision in Early Modern European Culture, Oxford, 2007捜していた本を何冊か発掘しました。
『百科事典と博物図譜の饗宴:百学連環』印刷博物館、2007
阿部良雄(監修)『オリエンタリズムの絵画と写真』編集:ツァイト・フォト、 発行:中日新聞社、富士カントリー株式会社、c1989
井上勤監修『顕微鏡のすべて』地人書館、1977『オリエンタリズムの絵画と写真』は、展覧会の図録(271×226mm、248ページ、カラー作品図版194点)です。解説記事には次の4点が収められています。
阿部良雄「オリエンタリズムとアカデミー絵画」
酒井忠康「遅れてきたロマン主義者−ギュスターヴ・ドレ」
伊藤俊治「中心の神秘−写真のオリエンタリズム」
石原悦郎「日本の写真家によるオリエンタリズム検証」
今回読み直しました。研究室にいる間に次の論文をダウンロードし、プリントアウトし、読みました。
槙野佳奈子「パノラマ・ディオラマ・ダゲレオタイプ : 誕生の背景と写真史における位置づけ」『(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻)年報 地域文化研究』第19号( 2015年): 118-136
ダゲールの手がけた、パノラマとディオラマについて、正確な説明があります。また、パノラマとディオラマで描かれた風景、とくにオリエンタリズム(ここでは、エジプトを指します)の風景についてもまとまった記述があります。若い研究者が重要なテーマに出会っているのがわかります。ただし、ダゲレオタイプ開発との繋がりの考察は弱い。そこはもうすこし粘り強く取り組んでもらいたいと思います。- 2016.6.17(金)
帰り着くと、次の本が届いていました。
岡 泰正『めがね絵新考―浮世絵師たちがのぞいた西洋』筑摩書房、1992
この著作を、OKa Yasumasa, A New Evaluation of Perspective Pictures for Camera Obscura: The West as Seen by Ukiyoe Atrists, Tokyo: Keiso Shobo, 1992 と英訳しているものがありました。出版社名も間違いですが、めがね絵を Perspective Pictures for Camera Obscura とするのも間違いです。
ただしくは、Perspective Views for Optical Diagonal Machine でしょう。
巻末に訳されている、C. J. カルデンバッハ「ヨーロッパにおける眼鏡絵(パースペクティブ・ヴューズ)についてpp.226-268 をまず読みました。これは裏付けのしっかりとした明快な論考です。安心して使える研究文献です。Print Quarterly, Vol. 2. No. 2 (1985) からとあります。
→C.J. Kaldenbach, "Perspective Views," Print Quarterly, Vol. 2. No. 2 (1985) : 87-105
これにはウェブ版がありました。原文があるのはちがいます。
→ 16.6.25 カルデンバッハの論文の注2は次です。
2. This term is that most commonly used in English; the machine was also often known as 'zograscope'. The term used in Dutch is optica, which is derived from the French optique. In Germany the machine is a Guckkasten and in ltaly it is the Camera Ottica. See also p. 90.
眼鏡絵を見る装置は、英語では一般的に"Optical Diagonal Machine"であったが、'zograscope'という名称が使われることもあった。オランダ語では、optica、フランス語では、optiqueと呼ばれた。ドイツ語では、Guckkasten(覗き箱)、イタリア語では、Camera Ottica(光学箱)と呼ばれた。
つまり、実物を知らないとわからないかなり紛らわしい名前と言えます。
注3は次です。
3. De Keyser (op. cit., pp. 143-44) claimed that no perspective Views were published before 1725, dismissing as copies (after existing prints) those views which A. Dubois had argued ('Les Vues d'Optique', Bulletin de la Societ?H 'Le vieux papier' XXII 1958/60) could be dated to the same year as the events they depicted (variously 1677, 1678 and 1687). Keyser also claimed (idem, p. 146) that Perspective views only began to decline in popularity as late as 1820.
簡単には、眼鏡絵は、西洋では1725年以降に出現し、1820年以降に衰退していったということです。約1世紀の命だったと言えます。
カルデンバッハの論文, p.238 おそらく、のぞき眼鏡的な装置のことを記述した最も早い例は、17世紀後半、一六七七年のJ.C.コールハンス(J.C. Kohlhans)によるものと思われる。彼は、のぞき眼鏡として使われたカメラ・オブスクラについて記述し、加えて、奥行きの錯視効果を得るためには、両眼で見ることの必要性を強調している。
コールハンスの説明のなかに、「カメラ・オブスクラにも利用できる発明である」という表現があります。
コールハンスの原文は、J.C. Kohlhans, Neu-erfundene Mathematische und Optische Curiositäten, Leipzig, 1677, cited by Elsner von Gronow, "Guckkasten und Guckkastenbilder," Orpho, 23(1932): 1-58
一七五三年に英国人S. パラット(S. Parrat)は、レンズはついているが鏡のない箱形のぞき眼鏡のことを述べている。(注10。図7,二六五頁)、眼鏡絵は、この器具の中にますぐ立つように、まず、固いガードで糊付けされなければならなかった。アムステルダム国立美術館にはこのための版画(眼鏡絵)が数多く所蔵されている。
p. 262 注10。S. Parrat, "Optic machine improved," The Gentleman's Magazine and Historical Chronicle, 23(1753): 171; S. Parrat, "How to view perspectives," The Gentleman's Magazine and Historical Chronicle, 1749, pp. 534-35→『解体新書』の絵師、小野田直武(1749-80)
平賀源内(1728-79)
司馬江漢(1747-1818)
円山応挙(1733-95)、遠近法の受容
歌川豊春(1735-1814)、遠近法を組み込んだ浮世絵版画。
ドンクル・カーメルは、pp.83-5- 2016.6.19(日)
後ろの本棚から写真史関係の本を発掘しています。写真史ではありませんが、Topographia Germania21巻で知られる17世紀の版画家・出版業者マテウス・メリアン(Matthäus Merian, 1593-1650)の仕事は私の今の関心にとってこころひかれるものがあります。日本だとどの分野の人が彼の仕事を中心的に研究しているのでしょうか?
なお、マテウス・メリアンの娘が、マリア・ジビーラ・メリアン(1647-1717)です。南米スリナムで活躍した、自然誌画家です。彼女の描く、植物や昆虫には独特のものがあります。- 2016.6.20(月)
3限が終わってすぐに図書館へ。次の4冊を受け取りました。
Patrick Mayard, Drawing Distinctions: The Varieties of Graphic Expression, Ithaca and London: Cornell University Press, 2005
ピーター・バーク『時代の目撃者 : 資料としての視覚イメージを利用した歴史研究』諸川春樹訳、中央公論美術出版、2007
ピーター・バーク『近世ヨーロッパの言語と社会 : 印刷の発明からフランス革命まで』原聖訳、岩波書店、2009
白石和也『視覚デザインの歴史: グラフィックスと複製の歩み』大学教育出版、2000
- 2016.6.22(水)
会議の合間に次の論文をダウンロードし、読みました。
堀切実「近世における「風景」の発見 : 柄谷行人説を糺す」『日本文学』51(10)(2002): 1-10
柄谷行人が『日本近代文学の起源』(1980)で、日本における風景の発見は、明治20年代以降のことであったと主張したことに対する、文学作品からの反論です。これは、そうでしょう。合間の時間に、研究室に置いている同僚の書物が今回のテーマに関係することを思い出し、棚の間から探し出しました。
李孝徳『表象空間の近代:明治「日本」のメディア編成』新曜社、1996
書き込みがあり、読んだことは記憶がありますが、日付はありません。出版されて比較的にすぐに読んだように思われます。
第1部「風景」の変容―「空間の近代化」の第3章風景への視線―「風景画」の誕生で関係する問題を扱っています。第3章の1.近代的風景画の萌芽―「浮絵」の出現、2.風景の革新―「眼鏡絵」の出現、3.遠近法と洋風画、4.風景の世俗化。[遠近法の書物]
私の今の探究は、遠近法に関係します。(直接遠近法を扱っているわけではありません。)
私の手元ですぐに見つかる遠近法の書物を、出版年代順にまとめてみました。(まだまだありますが、とりあえず、手元で確認できるものです。)
黒田正巳『透視画―歴史と科学と芸術』美術出版社、1965 佐藤忠良・中村雄二郎・小山清男・若桑みどり・中原佑介・神吉敬三『遠近法の精神史―人間の眼は空間をどうとらえてきたか―』平凡社、1992
エルヴィン・パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』木田元監訳、哲学書房、1993
岸文和『江戸の遠近法:浮絵の視覚』勁草書房、1994
横地清『遠近法で見る浮世絵:政信・応挙から江漢・広重まで』三省堂、1995
辻茂『遠近法の誕生:ルネサンスの芸術家と科学』朝日新聞社、1995
辻茂『遠近法の発見』現代企画室、1996
佐藤康邦『絵画空間の哲学:思想史の中の遠近法』三元社、1997
小山清男『遠近法:絵画の奥行きを読む』朝日新聞社選書、1998
- 2016.6.23(木)
Takesi Ozawa, "The history of early photography in Japan," History of Photography,5(1981): 285-303
Michael Aaron Dennis, "Graphic Understanding: Instruments and Interpretation in Robert Hooke's Micrographia," Science in Context, 3(1989): 309-364
最初の小澤健志さんの英文論考ですが、前にサマリーと思われる部分を引用しています。今回、実物が届いて、確認したところ、前に掲げたのはサマリーではなく、論文の最初の部分だと判明しました。個人的には、サマリーだとして、その詳細が知りたいと思ったのですが、その部分はそれ以上は論じられていませんでした。まさに初期写真史の英文論文でした。もちろん、英語でのまとめとして役に立つのは間違いありません。- 2016.6.24(金)
Arthur M. Hind, A Short History of Engraving and Etching, 3rd edn, 1923
Prints and Printmaking: An Introduction to the History and Techniques
Barbar Gascoigne, How to Identify Prints, second edition, London: Thames and Hudson, 1986
The Printed Image in Early Modern London
Mapping Spaces: Networks of Knowledge in 17th Century Landscape Painting 昨日研究室で次のものをダウンロードし、プリントアウトしました。
山崎正史「近世風景画に表れた都市景観の見方に関する考察」『日本建築学会大会学術講演梗概集』(昭和61年)7079
樋口忠彦「近代の都市設計と「景観の発見」」『日本建築学会大会学術講演梗概集』(1995): 13-16
中村良夫「ランドスケープ:その軌跡と展望」(総説)(1995): 1-5
福田珠己「ディオラマと地理的想像力」『大阪府立大学紀要(人文・社会科学)』53(2005): 37-52
金田晋「透視画法について(一)」11-24
金田晋「透視画法について(二)」
最初の三点は本日読みました。- 2016.6.26(日)
バルザーの『ピープショー:一つの視覚の歴史』(1998, p.18)から、覗きからくりがルネサンス期の自然魔術の伝統にあること、カメラ・オブスクラがその応用品であること、カメラ・オブスクラと覗きからくりの原理が表裏一体であることを引き出しています。バルザーは「画家にとっての道具であるカメラ・オブスクラは、覗きからくりの本質的な部分、箱、レンズを利用した」と言っているようですが、俄には信じることができません。普通は、逆だと思います。
私がカメラ・オブスクラを調べたとき、そうしたことを伺わせる資料にはまったく出会っていません。まあ、しかし、そうした事例がまったくありえないとも言えません。バルザーの提示する証拠・資料を確認してみる必要があります。- 2016.7.4(月)
次の見直しは、 岡泰正『めがね絵新考―浮世絵師たちがのぞいた西洋』(筑摩書房、1992)から、巻末の C. J. カルデンバッハ「ヨーロッパにおける眼鏡絵(パースペクティブ・ヴューズ)について」です。 原著は、C.J. Kaldenbach, "Perspective Views," Print Quarterly, Vol. 2. No. 2 (1985) : 87-105.
疑問点は、直視型覗き眼鏡は、英語でどう表現するのか、具体的にはどういうものが挙げられているのかでした。
ほぼ予想したことですが、直視型覗き眼鏡は、ほとんど取りあげられていませんでした。箱形にカルデンバッハが直接触れるのは、以前にも引用した一六七七年のJ.C.コールハンスによる「のぞき眼鏡として使われたカメラ・オブスクラ」の部分だけです。
ただし、ドイツの語名称Guckkasten(覗き箱)が以前から気になったので、此を調べてみました。ものすごく簡単に言えば、覗き箱は覗き箱でした。 "Optical Diagonal Machine " はなくはありませんでしたが、ほとんど箱でした。つまり、直視型覗き眼鏡でした。カルデンバッハは、英語では"Optical Diagonal Machine "、ドイツ語では"Guckkasten" と表現していますが、実は分けた方がよいかもしれません。すくなくとも分けることはできます。- 2016.7.6(水)
C. J. カルデンバッハ「ヨーロッパにおける眼鏡絵(パースペクティブ・ヴューズ)について」 詳細検討の続き。イタリア語では、camera otticheと言うとあります。直訳すれば、光学チェンバー(光学箱)。覗き眼鏡を指すこともあるかもしれませんが、やはり、もうすこし広く使われた用語だと見ておく必要があると思います。カメラ・オブスクラと類似の構造をもつ、光学原理による箱には広く、この語を使うことができるようです。フランス語。絵は、vue d'optique, vue perspective、装置は、optique, boite d'optique。こちらは、テクニカルタームとしてきちんと成立しているようです。眼鏡絵のサンプル、実際の装置を使った見え方に関する資料が数多く見つかります。
- 2016.7.7(木)
図書館によって次のものを受け取りました。
The Dawn of Photography: French Daguerreotypes, 1839-1855 (Exhibition Catalogue on CD-ROM, Metropolitan Museum of Art, Yale University Press,- 2016.7.10(日)
展覧会の図譜です。神戸市立博物館『眼鏡絵と東海道五拾三次展』神戸市立博物館、1984
pp.84-89 に岡泰正「眼鏡絵から広重の風景版画まで」
pp.90-94 にEd.ド・ケーゼル(坂本満訳)「眼鏡絵―民衆版画の知られざる領域(抄)」
が収められています。
ゲラは雑誌の第3号。コクヨのカメラ・オブスクラ組立セット2箱も来ていました。
- 2016.7.11(月)
Larry Schaaf, Out of the Shadows: Herschel, Talbot, and the Invention of Photography, New Haven and London: Yale University Press, 1992
- 2016.7.14(木)
やっと次のものを読むことができました。
岡泰正「眼鏡絵から広重の風景版画まで」神戸市立博物館『眼鏡絵と東海道五拾三次展』(神戸市立博物館、1984), pp.84-89
Ed.ド・ケーゼル(坂本満訳)「眼鏡絵―民衆版画の知られざる領域(抄)」神戸市立博物館『眼鏡絵と東海道五拾三次展』(神戸市立博物館、1984), pp.90-94
記述の通りかどうかはわかりませんが、この分野の基本文献であることには違いありません。
Ed.ド・ケーゼルの論文には、原語での表示がありません。訳者の方は次のように記しています。「ここに翻訳したEd.ド・ケーゼル氏の論文("La Vieux Papier" 1962 所収) は、彼自身冒頭で述べる通り、眼鏡絵という比較的知られた版画の領域が、意外なほど研究されていない、その欠を補うもので、他に求め難い貴重な研究の一つといえる。これまで数回、私はパリの国立国会図書館で眼鏡絵の研究書を探したが、片々たる素人愛好家のメモ程度のものしか見いだせなかったところに、この文献の存在を教えられた。」
古い時代、原語表示を見いだすのは相当大変でしたが、今はネットで少し工夫を凝らした検索をかければ、何とかなります。著者は、Édouard De Keyser でした。本はワールドキャットの表記によれば次となります。
Edouard de Keyser, Les vues d'optique; un domaine méconnu de l'imagerie: Paris, Augsbourg, Bassano, Londres, Paris, "Le Vieux Papier", 1962.
日本の図書館にはこの資料を所蔵するところはないようです。『眼鏡絵と東海道五拾三次展』巻末に文献表があります。それにより、次の論文があることがわかりました。
J.A. Chaldecott, "The zograscope or optical diagonal machine," Annals of Science, 9(1953): 315-322別途ネットで検索をかけていて次の論文がヒットしました。
Jan Koenderink, Maaten Wijntjes, Andrea van Doorn, "Zograscopic viewing ," i-Perception, 4(2013): 192-206
視覚理論の論文です。巻末の文献には、次のものもありました。
R. F. Johnson, "A Machine for Viewing Prints," Country Life, CXXV(1959): 252ネットに次の論文が見つかりました。
Erin C. Blake. “Zograscopes, Virtual Reality, and the Mapping of Polite Society in Eighteenth-Century England.” New Media, 1740−1915. Edited by Lisa Gitelman and Geoffrey Pingree. Cambridge: MIT Press, 2003, pp. 1−29.- 2016.7.15(金)
昨日、ふと文献の検索調査の流れが止まったとき、足元にある次の本を手にとり、全体を眺めることはできました。図版を全部確認しました。活字を読んだのは、わずかです。
Larry Schaaf, Out of the Shadows: Herschel, Talbot, and the Invention of Photography, New Haven and London: Yale University Press, 1992
成瀬不二男『司馬江漢 生涯と画業―本文篇』八坂書房、1995
成瀬不二男『司馬江漢 生涯と画業―作品篇』八坂書房、1995- 2016.7.16(土)
本日は次の4点をダウンロードし、プリントアウトし、ペンをもって読みました。逆順(下のものが先)です。稲賀繁美「西洋舶来の書籍情報と徳川日本の視覚文化の変貌」『日本研究:国際日本文化センター紀要』31(2015): 13-46
講演の原稿化です。研究史のレビューとなっていて、便利です。欧米の研究もよくフォローしてくれています。
Julian Jinn Lee, The Origin and Development of Japanese Landscape Prints: A Study in the Synthesis of Eastern and Western Art, Ph.D. dissertation, University of Washington, 1977
W. F. Vande Valle(ed.), Dodoneus in Japan, Leuven University Press, 2001
勝盛典子さんの研究『神戸市立博物館 研究紀要』→勝盛典子さんは基礎的な仕事をされ、それをまとめて京都大学から博士号を取得されています。そして、かなり大きな本を出版されています。勝盛典子『近世異国趣味美術の史的研究』臨川書店、2011。北山研二「写真または他者の映像」『(成城大学文芸学部)ヨーロッパ文化研究』28(2009): 31-76
p. 35 トルボット「写真技術の発見のひとつの利点とは、膨大な量の詳細な細部を写真で見せてくれることだ。それは再現=代理 representation の真実とリアリティーを付け加えるが、いかなる芸術家もありのままのコピーはやってこなかった。」
pp.66-7 注7 "One advantage of the discovery of the Photographic Art will be, that it will be enable us to introduce to our picture a multitude of minute details which add the truth and reality of the representation, but which no artist would take trouble to copy faithfully from nature.
Contenting himself with a general effect, he would probably deem it beneath his genius to copy every accident of light and shade; nor could he do so indeed, without a disproportionate expenditure of time and trouble, which might be otherwise much better employed.
Nevertheless, it is well to have the means at our disposal of introducing these minutiae without any additional trouble, for they will sometimes be found to give an air of variety beyond expectation to the scene represented."
Talbot, The Pencil of Nature,London, 1844, Plate X
ここの picture は、写真ではなく、絵画(絵)です。従って、訳は次のようになるでしょう。「写真術の発見の利点のひとつは、我々の絵に、非常に多くの詳細な細部を付け加えてくれることだ。それは、表象の真実性と現実性をもたらすが、これまでどの芸術家も自然から複写しようとはしなかったものなのだ。」
邦訳『自然の鉛筆』(青山勝訳),p.38「写真術の発見が今後もたらすであろう利点のひとつに、それによって画像に多くの微小なディテールを盛り込むことが可能になる、ということがある。そうしたディテールは、描写の真実性と現実性を強めてくれるが、どんな芸術家もそこまでの忠実さで自然を複写しようと骨を折ることはないであろう。 芸術家は、全体の効果を見て満足するもので、光と影が偶発的に生み出すものすべてを複写するなどといったことは、自らの天稟にふさわしからぬものと見下しているのかもしれないし、また実際そんなことをするのはよほど時間と労苦を費やさなければ不可能である。それはまったく割に合わない仕事で、そんなことにかまけるくらいなら同じ時間と労苦を他のことに注いだほうがよいのであろう。 しかしながら、これらの細部を、なんら労苦を増やすことなく盛り込む手だてが手に入るのは喜ばしいことである。というのも、それらの細部はときに、描写された光景に、予想を超えた豊かな多様性の感覚をもたらすことがあるからである。」
図版Xは「積み藁」です。
ウジェーヌ・ドラクロワ(1793-1863)「写生画ではほとんど場合無視されてしまういくつかの細部も、ダゲレオタイプでは非常に重視されることが特徴で、それを見た芸術家は、構成に関する完全な知識を得る」 バジャック『写真の歴史』(遠藤ゆかり訳、2003、創元社)p.156 より。
p. 43 「カメラ・オブスクラの視覚と写真の機械的な視覚とは同じだろうか。原理的には同じように見えるが、カメラ・オブスクラの視覚は精度が劣り目の延長だが、写真の(機械的な)視覚は印画紙に機械的な精度の高い映像を残しうる機械なのだ。前者では多くの場合暗箱の壁または半透明なガラスに映された外界の映像を目が選択的に見るからであり、後者では機械的な現像の現前から目を背けられないからである。・・・人間の視覚は映画のなかに形象化される意識的なものである。・・・写真は無意識的なものなのである。」
p. 50 「写真映像は断片的であるだけではなく、すでにタルボットが言及していたように予想外の細部も映しだす。それゆえ、写真が人間の目によって確認された映像と、人間の目では確認されずそれ以上に詳しく偶発的な映像とからなっていることになる。」小椋純一「応挙図の考察からみた江戸中期における京都近郊山地の植生景観」『造園雑誌』54(5)(1991):42-47
応挙が必ずしも写生したかどうかは確実ではありませんが、写生したものもあります。写生したとして、当時の京都近郊山地の植生景観を復元・考察したものです。今と比べると、当時はかなり禿げ山で、生えていたとして、低木だったことが導かれています。山の木の利用形態の問題でしょう。昔は、ずっと山の木を使った。結果、禿げ山が生まれたということのようです。岡泰正「覗き眼鏡と眼鏡絵について」『美學』35(3)(1984): 58
覗き眼鏡と眼鏡絵について、もっともまとまった安心して使える記述です。事典項目にぴったりと言えます。- 2016.7.19(火)
途中図書館に寄り、次のものを受け取りました。
J.A. Chaldecott, "The zograscope or optical diagonal machine," Annals of Science, 9(1953): 315-322
Carl Goldstein, Print Culture in Early Modern France: Abraham Bosse and the Purpose of Print, Cambridge, 2012
次の本は借りました。
WillyVande Walle and Kazuhiko Kasaya (eds.), Dodonaeus in Japan: Translation and the Scientific Mind in the Tokugawa Period, Kyoto, 2001- 2016.7.20(水)
昨日受け取った次の論文を読みました。
J.A. Chaldecott, "The zograscope or optical diagonal machine," Annals of Science, 9(1953): 315-322
"zograscope" という単語はあまり使われなかったようです。
次いで、昨日借りた次の本から、稲賀繁美さんの論文を読みました。
WillyVande Walle and Kazuhiko Kasaya (eds.), Dodonaeus in Japan: Translation and the Scientific Mind in the Tokugawa Period, Kyoto, 2001
Shigemi INAGA, "Reinterpretation of the Western Linear Perspective in Eighteenth- and Nithteenth-Century Japan: a Case of Cultural Translation," Dodonaeus in Japan (Kyoto, 2001), pp.123-148
装置の話はまったくでてきません。- 2016.7.25(月)
図書館に寄りました。コピーを1点、本を1冊受け取りました。
Claudia Swan , Suzanne Karr Schmidt , Katharine Park(eds.), Prints and the Pursuit of Knowledge in Early Modern Europe, Harvard Art Museums, 2011
Erin C. Blake. “Topographical Prints through the Zograscope,":Imago mundi : Jahrbuch der alten Kartographie, 54(2002): 120-124- 2016.7.26(火)
朝新聞を取るために郵便受けを開けると、次の本が届いていました。夜の間に届いたのでしょう。
James King,
Beyond the Great Wave: The Japanese Landscape Print, 1727-1960 (Natur, Wissenschaft Und Die Kunste/ Nature, Science Et Les Arts/ Nature, Science and the arts),Bern: Peter Lang, 2010朝一番で私の発表。午前10時から東京外国語大学研究講義棟101教室です。日本におけるカメラ・オブスクラの使用の実態を解明したいと思います。30分なので、中心的論点だけを提示することになります。参加は自由ですから、お時間のある方は、ひやかしに来て下さい。
徳川ジャパンにおける、写真鏡、覗き眼鏡、眼鏡絵、そして日本の遠近法的景観図に関して、概要がつかめると思います。- 2016.8.18(木)
1時過ぎに図書館に向かい、次の2冊を受け取りました。
Wendy Bellion, Citizen Spectator: Art, Illusion, and Visual Perception in Early National America,The University of North Carolina Press, 2011
Maki Fukuoka, The Premise of Fidelity: Science, Visuality, and Representing the Real in Nineteenth-Century Japan, Stanford U Pr, 2012
(この福岡まきさんの著作は2冊目の購入となりました。→福岡真紀(リーズ大学美術・美術史・カルチュラル・スタディーズ学部准教授)とありました。)- 2016.9.5(月)
昨日からの作業の続きで、起きてすぐに次の本をダウンロードしました。
Benjamin MARTIN (Optician), Typographia naturalis: or, The art of printing, or taking impressions from natural subjects, as leaves, shells, fossils, &c. as also from medals, intaglios, &c. by means of isinglass, etc, London, 1772
実物に墨やインクを塗って、紙に直接写し取る方式をTypographia naturalis と呼んでいます。英語では、一般的には Nature Print と呼ぶようです。この方法の一番の対象は、葉っぱです。子どものときにやったことがある方も少なくないのではないでしょうか?
日本語では、印葉図という言葉があります。印葉図という言葉は、葉っぱだけを想像させますが、平面化することができて、墨やインクを表面に乗せられれば、どういう自然物でも原則としてはこの印刷法の対象とすることができます。
有名な器具製造業者、マーティンについては、次の研究書がすぐに見つかりました。
J.R. Millburn, Benjamin Martin: Author, Instrument-Maker, and ‘Country Showman’Springer Science & Business Media, 2012- 2016.9.8(木)
図書館により、ILL で届いていた次の文献を受け取りました。
Maki Fukuoka, "Toward a Synthesized History of Photography: A Conceptual Genealogy ofShashin," Positions : East Asia cultures critique, 18(2010): 571-597
(これは多磨駅で電車を待ちながら読み始め、電車のなかでも読み続け、昼食前に読み通しました。)- 2016.9.9(金)
福岡真紀「嘗百社と写真 : 統合された写真史に向けて」『近代画説 : 明治美術学会誌』 21(2012): 31-47
Naomi Hume, "The Nature Print and Photography in the 1850s," History of photography : an international quarterly, 35(2011): 44-58- 2016.9.12(月)
図書館に行って、先週末 ILL で届いていた次の文献をゲットしました。
福岡真紀「嘗百社と写真 : 統合された写真史に向けて」『近代画説 : 明治美術学会誌』 21(2012): 31-47
(タイトルからそうではないかと予想していたことですが、この日本語論文は、次の翻訳でした。
Maki Fukuoka, "Toward a Synthesized History of Photography: A Conceptual Genealogy ofShashin," Positions : East Asia cultures critique, 18(2010): 571-597
ご本人の後書きでは、「筆者が加筆し、和訳したものである」とあります。さらに詳しい資料分析は、Premis of Fidelityの方を見て欲しいとあります。)
Naomi Hume, "The Nature Print and Photography in the 1850s," History of photography : an international quarterly, 35(2011): 44-58
福岡真紀さんの論文は、研究室にもどりすぐに読み通しました。- 2016.10.6(木)
正午前、次の本を図書館で受け取りました。
Andrea DiNoto & David Winter, ; photography by John Berens
The Pressed Plant: The Art of Botanical Specimens, Nature Prints, and Sun Pictures, Stewart, Tabori & Chang, 1999
Donald E. Wendel , Gavin D. R. Bridson
Printmaking in the Service of Botany: Catalogue of an Exhibition, 21 April to 31 July, 1986 0th Edition, Hunt Inst for Botanical, 1986- 2016.10.8(土)
夕刻次の本が届きました。
多木 浩二 『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』 岩波現代文庫、2000
授業で使うことを考えて、2冊目を購入しました。- 2016.10.9(日)
[長谷正人編『映像文化の社会学』]
夕刻、次の本が届きました。
長谷正人編『映像文化の社会学』有斐閣、2016
奥付を見ると、2016年10月10日出版となっています。アマゾンに予約していたものが届きました。できたてほやほやということになります。
教科書を目指したとあります。教科書も必要です。目次は次です。
序 論 映像文化というパースペクティブ(長谷正人)
第1部 テクノロジーとしての映像文化
第1章 写真というテクノロジー (菊池哲彦)
第2章 映画というテクノロジー (長谷正人)
第3章 テレビというテクノロジー(加藤裕治)
第4章 パソコンというテクノロジー(鈴木洋仁)
第2部 コミュニケーションとしての映像文化
第5章 個人をつくる映像文化(菊池哲彦)
第6章 コミュニケーションをつくる映像文化(角田隆一)
第7章 社会をつくる映像文化1(長谷正人)
第8章 社会をつくる映像文化2(大久保遼)
第3部 科学としての映像文化
第9章 医療における映像文化(増田展大)
第10章 警察と軍事における映像文化(松谷容作)
第11章 人類学における映像文化(大久保遼)
第4部 呪術としての映像文化
第12章 スターという映像文化(加藤裕治)
第13章 心霊現象という映像文化(前川修)
第14章 アニメーションという映像文化(増田展大)
[グリッド=デッサンスケール]
駒場金曜日5限の授業で、遠近法の基本をきちんと押さえておいてもらう必要があり、グリッドを探していました。画学生が勉強をしはじめた頃、よくお世話になるものとして簡便なものが売られているという記述がウェブにありました。
さて、このグリッドは商品としてはどういう名前なのか?
こういう問いは、実は、かなり回答を探すのが難しい。グリッドが比較的よく使われる言葉で、しかも、よく使われるのは(意味の関連はあるが)別物です。
苦労しましたが、デッサンスケールと呼ばれていることがわかりました。→せっかくなので、アマゾンで1点実物を買ってみました。B-Scale とあります。このB は、B サイズ用ということです。単純にはスケールと呼ばれていることになります。さて、基本からいきましょう。
I. B. Cohen, Album of Science,1980, p. 6 に1531年ドイツの著作からの図版があります。遠近術の描写法はこれが基本です。![]()
キャプションは次。「線遠近法の技法は、フィレンツェの彫刻家=建築家であったフィリッポ・ブルネレスキによって発見(再発見)された。1420年代のどこかの時点で、ブルネレスキは、前の世紀に生じていた様々なアイディアを統合した。次いで、1430年代半ば、同じくフィレンツェの人文学者レオン・バティスタ・アルベルティが『絵画論』においてはじめて遠近法的描写法を文章に記した。遠近法のシステムは、ブルネレスキによると、アルベルティは明記しており、グリッドのシステムに基づくものだった。 アルベルティはまず四角のグリッドになるよう紐のヴェールをつくるよう画家に助言している。アルベルティの説明では、このようにすると、丸いものもでこぼこしたものもヴェールの平面上に配置されて見ることができるようになるのであった。画家は、グリッドを通して対象をみつめ、四角のなかのイメージを四角毎に対応する紙の四角上に写し取っていくのである。1531年のドイツの著作からとったこのイラストでは、画家は、同じ原則をもっと単純なしかたで実行している。すなわち窓に設けられたグリッドを通して外の風景を描いている。」
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デューラー『測定法教則』(1525)の有名な絵。
デューラーのこの絵にあるように、透視画法で描くためには、視点を固定する必要があります。目の位置を固定し、単眼で見ます。窓グリッドから手元の紙グリッドに転写する際、イメージの位置がずれないようにするには、この単眼視で固定することが重要となります。レオナルド・ダ・ヴィンチによる類似の画像。Martin Kemp, The Science of Art, New Haven and London: Yale University Press, 1990, p.171 より
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- 2016.10.11(火)
- 2016.10.12(水)
帰宅すると次の本が届いていました。
クエンティン バジャック『写真の歴史』 (「知の再発見」双書) 伊藤俊治,遠藤ゆかり訳、2003- 2016.10.14(金)
午前中に次の本が届きました。
飯沢耕太郎『デジグラフィ』中央公論新社、2004- 2016.10.20(木)
図書館に届いたばかりの次の本を取りに行きました。
Nancy Anderson and Michael R. Dietrich (eds.),
The educated eye : visual culture and pedagogy in the life sciences
Dartmouth College Press, 2012
目次は次。
Nancy Anderson and Michael R. Dietrichm, "Introduction: Visual Lessons and the Life Sciences"
Mara Mills, "Trained Judgment, Intervention, and the Biological Gaze: How Charles Sedgwick Minot Saw Senescence"
Nancy Anderson, "Facing Animals in the Laboratory: Lessons of Nineteenth-Century Medical School Microscopy Manuals"
Scott Curtis, "Photography and Medical Observation"
Henning Schmidgen, "Cinematography without Film: Architectures and Technologies of Visual Instruction in Biology around 1900"
Kirsten Ostherr, "Cinema as Universal Language of Health Education: Translating Science in Unhooking the Hookworm (1920)"
T. Hugh Crawford, "Screening Science: Pedagogy and Practice in William Dieterle’s Film Biographies of Scientists"
Michael J. Golec, "Optical Constancy, Discontinuity, and Nondiscontinuity in the Eameses’ Rough Sketch "
Richard L. Kremer, "Educating the High-Speed Eye: Harold E. Edgerton’s Early Visual Conventions"
Sabine Brauckmann, "On Fate and Specification: Images and Models of Developmental Biology"
Laura Perini, "Form and Function: A Semiotic Analysis of Figures in Biology Textbooks"
Adina L. Roskies, "Neuroimages, Pedagogy, and Society"
Rachel Prentice, "The Anatomy of a Surgical Simulation: The Mutual Articulation of Bodies in and through the Machine"
この大学出版会からは、" Interfaces : studies in visual culture" というシリーズがあるうようです。必要なものは集めておこうと思います。- 2016.10.22(土)
グーグルニュースを見ていると、次のものに出会いました。
NHK: 葛飾北斎の新たな絵画か オランダの博物館が所蔵
最初読んだのはハフィンポストのものですが、NHK の方が詳しいので、こちらをリンクしておきます。オランダのライデン国立民族学博物館が所蔵する6点の風景画(水彩)がシーボルトの目録の「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述より、北斎が描いたものだと研究者が位置づけたということです。「この研究成果は、22日、長崎市で開かれるシーボルト研究者が集まる国際会議で発表されます」とあります。
これは調べてみました。次の発表であることがわかりました。
マティ・フォラー(ライデン国立民族学博物館)「シーボルトと北斎:ブランデンシュタイン城文書から特定する新出北斎6点」第10回国際シーボルトコレクション会議(2016年10月20日〜22日 於:長崎歴史文化博物館、長崎ブリックホール)
ネットでは発表ドラフトまではさすがに見つかりませんでしたが、主張のおおよそは理解できました。
遠近法的風景画ということで、ちょうど今駒場で行っている授業の内容に関係します。(北斎や浮絵を主題とするものではありませんが、関係します。)
両国橋とか品川の絵は、見覚えがあります。同じとまでは言えませんが、明らかに同一の構図の風景画が何種類か出まわっています。
マティ・フォラー(Matthi Forrer) さんは、けっこう以前から、この種の研究を行っており、日本でも活動されています。シーボルトと北斎に関して、展覧会の企画に加わったり、論考を寄せたりしています。
European Association of Japanese Resource Specialist: 日本資料専門家欧州協会 のサイトに、有用な情報があります。
→ 16.10.24 ウェブに、國學院大學博物館 国際シンポジウム・ワークショップ2015 「博物館の国際的ネットワーク形成と日本文化研究」報告書(H28年2月)があります。このなかに、マティ・フォラーさんの論考がありました。
マティ・フォラー「オランダ・ライデン国立民族学博物館における日本関係コレクション」pp.19-23
p.22 に「フィッセルは覗き眼鏡を購入した。東海道沿いにある24の名所や、その他いくつかの有名な日本の風景を見ることができるものである。」という記述があります。つまり、フィッセルは、覗き眼鏡と眼鏡絵のセットを購入した、その眼鏡絵のセットは、東海道を中心とする名所絵だったという意味です。
日本語で検索をかけても、これ以上の情報は得られませんでしたが、覗き眼鏡と眼鏡絵のセットはそもそもオランダから日本に導入されたものです。その日本的展開をオランダ人が購入して、本国に持ち帰ったことになります。いずれにせよ、貴重な資料です。
フォラーさんの仕事はもうすこし追いかけます。[" Interfaces : studies in visual culture"(境界:視覚文化研究)]
" Interfaces : studies in visual culture"というシリーズですが、Dartmouth CollegeのMark J. Williams and Adrian W.B. Randolph のふたりがシリーズ編集者として、20冊近くが発行されています。
Ory Bartal, Postmodern advertising in Japan : seduction, visual culture, and the Tokyo Art Directors Club, Dartmouth College Press, 2015
Luc Pauwels (ed.), Visual cultures of science : rethinking representational practices in knowledge building and science communication, Dartmouth College Press , University Press of New England, 2006
Ann B. Shteir and Bernard Lightman (eds.), Figuring it out : science, gender, and visual culture, Dartmouth College Press , University Press of New England, 2006
Anna Munster, Materializing new media : embodiment in information aesthetics, Dartmouth College Press : University Press of New England, 2006
Lisa Saltzman and Eric Rosenberg (eds.), Trauma and visuality in modernity, Dartmouth College Press : University Press of New England, 2006
Jonathan Beller, The cinematic mode of production : attention economy and the society of the spectacle, Dartmouth College Press, 2006
Rob Kroes, Photographic memories : private pictures, public images, and American history, Dartmouth College Press : Published by University Press of New England, 2007
Michael J. Golec, The Brillo box archive : aesthetics, design, and art, Dartmouth College Press , University Press of New England, 2008
Jeffrey Middents, Writing national cinema : film journals and film culture in Peru, Dartmouth College Press : University Press of New England, 2009
Barbara Larson and Fae Brauer (eds.) , The art of evolution : Darwin, Darwinisms, and visual culture, Dartmouth College Press : University Press of New England, 2009
Dorothe&aecute;e Brill, Shock and the senseless in Dada and Fluxus, Dartmouth College Press : University Press of New England, 2010
Janine Mileaf, Please touch : Dada and surrealist objects after the readymade, Dartmouth College Press : University Press of New England, 2010
Erina Duganne, The self in black and white : race and subjectivity in postwar American photography, Darthmouth College Press : University Press of New England, 2010
Steve F. Anderson, Technologies of history : visual media and the eccentricity of the past, Dartmouth College Press, 2011
Alison Trope, Stardust monuments : the saving and selling of Hollywood, Dartmouth College Press, 2011
Bernd Herzogenrath (ed.), Travels in intermedia[lity] : reblurring the boundaries, Dartmouth College Press, 2012
Monica E. McTighe, Framed spaces : photography and memory in contemporary installation art, Dartmouth College Press, 2012
Frazer Ward, No innocent bystanders : performance art and audience, Dartmouth College Press, 2012
Timothy Scott Barker, Time and the digital : connecting technology, aesthetics, and a process philosophy of time, Dartmouth College Press ,2012
Alessandra Raengo, On the sleeve of the visual : race as face value, Dartmouth College Press, 2013
Heather Warren-Crow, Girlhood and the plastic image, Dartmouth College Press, 2014
Reneée C. Hoogland, A violent embrace : art and aesthetics after representation, Dartmouth College Press, 2014
Heidi Rae Cooley, Finding Augusta : habits of mobility and governance in the digital era, Dartmouth College Press, 2014
Ruth E. Iskin, The poster : art, advertising, design, and collecting, 1860s-1900s, Dartmouth College Press, 2014
Tanya Sheehan (ed.), Photography, history, difference, Dartmouth College Press, 2015
Robin Veder, The living line : modern art and the economy of energy, Dartmouth College Press, 2015
以上のように、2016年に一気に5冊出しています。すばらしい編集力です。- 2016.10.27(木)
図書館に行って次の本を受け取りました。
Chaomei Chen,
Mapping Scientific Frontiers: The Quest for Knowledge Visualization
, Second Edition, Philadelphia: Springer, 2003, 2013
ざっと中身を見ました。これはよい本のように思われます。- 2016.10.29(土)
朝のうちに、昨日入手した『江戸から明治へ のぞきからくりの世界』(日本カメラ博物館、2012)を読み通しました。短い(48頁)ものですし、文章は pp.24-48 と半分を占めるに過ぎません。残りは、図版です。
文章を誰が書いたのか、全部見ましたが、わかりませんでした。館長の森山真弓さん(あるいは森山真弓さんの助手の方)でしょうか。
なかなかによい記述もあります。たとえば、カメラ・オブスクラを「フルカラーの動画を表示することができる光学装置」(p.29) と位置づけていることや、映画と写真の関係を「映画は「動画」と「写真」が結びついて生まれた」(p.43) としている点です。一般的にはよく誤解されがちな点に関する正しい指摘です。
ただし、外国語の読みに関しては、専門家に相談すべきだったと思います。動画の最初に、Peter Mark Roget を取りあげています。これを「ピーター・マーク・ロゼット」としています。普通は、「ロジェ」と表記されています。固有名詞発音辞典を見ると、イギリスではロジェィ、アメリカではロウジェィとあります。最後のィを表記するかどうかは慣習の問題です。
ラテン語は、かなり不思議なことになっています。- 2016.11.4(金)
判子を押してから、図書館へ。2階へ上がり、スクリブナー思想史大事典を探しました。参考図書のコーナーにありました。そこから「美術における風景」をコピーしました。pp. 2784-2803. 図書館に席を取り、とったばかりのコピーを読みました。
生協書籍部で本を見てから、科哲事務室へ。橋本さんがいました。出版されたばかりの次の本を頂きました。
橋本毅彦『図説 科学史入門』ちくま新書、2016
364頁の大著となっています。「古代から現代まですべてを見渡す決定版」という帯の謳い文句にはちょっと恥ずかしいものがあるそうです。本屋さんには、週明け(11月10日)に並ぶそうです。橋本さん、いつも、ありがとうございます。午前中の作業で、Cohen (ed.), Album of Science: From Leonard to Lavoisier, 1450-1800を全部見直しました。そして、最後にある文献表のうち、"3. Scientific Illustrations and the Relations of Science and Art" をチェックしてみました。
ゴンブリッチの本が挙げられています。昔、邦訳をそれなりに読みました。
Ernst Gombrich, Mirror and Map: Theories of Pictorial Representation, London: Royal Society, 1975, and in Philosophical Transactions of the Royal Society, vol. 270B(1975), pp.119-149
私のテーマにもっとも深く関係しそうなこの書は、訳されていません。入手しようと思って、そのままになっていたことを思い出しました。今、この書誌なら、入手できるに違いないと思い、検索をかけると案の定、pdf でゲットできました。次いで、次のものもゲットできました。
William M. Ivins, Jr., On the Rationalization of Sight, with an Examination of Three Renaissance Texts on Perspective, New York: Da Capro, 1938- 2016.11.5(土)
郵便は届いていなかったのですが、研究室に行き、メールをチェックし、本を2冊カバンに入れました。1冊は、ベンヤミンの複製技術論。もう1冊は、黒田正巳『透視画:歴史と科学と芸術』美術出版社、1979. この本は学生時代に入手し、読んでいます。数学的に正確な遠近法=透視図の解説があります。- 2016.11.8(火)
届いていた本を3冊受け取りました。
Bettyann Holtzmann Kevles, Naked to the bone : medical imaging in the twentieth century, (The Sloan technology series), Basic Books, 1998
Leo Charney, Vanessa R. Schwartz (eds.), Cinema and the invention of modern life, University of California Press, 1995
José van Dijck,The transparent body : a cultural analysis of medical imaging, (In vivo : the cultural mediations of biomedical science), University of Washington Press, 2005 夜、次の本が届きました。アマゾンで予約していたものです。2冊目ですが、授業で使おうかなと思っています。
橋本毅彦『図説 科学史入門』ちくま新書、2016
- 2016.11.11(金)
次の2点の事典項目を基本として使いました。事典・辞典・辞書は、3次資料だが、よい記述は、最良の2次資料として扱うことができる、出発点としては最適だ、ということを言っておきました。
エジャートン「遠近法」『スクリブナー思想史大事典』(丸善、2016):361-372
ヴァスコ・ロンキ「光学と視覚」『西洋思想大事典』(平凡社、1990)第2巻, pp.109-121- 2016.11.13(日)
昨日から、12月1日、8日、15日と行う授業の準備に専念しています。話すテーマは決まったので、ひたすらスクリプトを作っています。時間をみて、学生に見せる画像を準備する必要があります。画像に重きをおく授業となるので、画像の方もしっかりと準備するつもりです。画像の準備は、スクリプトの目処がついてからと思っています。
写真を真っ正面から取りあげようと思っています。
今のところ、(1)写真史の概略、(2)写真装置の歴史、(3)印刷術史における写真術史、という3回で考えています。今回準備のためにトルボット『自然の鉛筆』を読み直しています。どうして本(図版8「図書館の中の光景」)をトルボットは『自然の鉛筆』に取りあげたのだろうと、説明文を読んでみました。驚いたことに、トルボットは紫外線を利用した暗視カメラを想像しています。
「「カメラの眼」は、人間の眼が暗闇以外の何も見ないところを明瞭に見るからである。
・・・しかし想像してみてほしい、暗い寝室(チェインバー)の秘密が印画紙の証言によって開示されるのだ。」(p.34)
トルボットは思弁だと言っています。しかし、スペクトルと可視光の外の光によって当然こうした思弁・想像は可能になります。
具体的にいつ暗視カメラが実用化されたのかは調べていませんが、トルボットがハーシェルの研究の流れに通じていた印と言ってよいでしょう。- 2016.11.14(月)
図書館に行って、次の本を受け取りました。
Marc J. Ratcliff, The Quest for the Invisible: Microscopy in the Enlightenment, Farnham: Ashgate, 2009- 2016.11.17(木)
研究室に行く前に、図書館に寄って次の本を受け取りました。
Leslie Pearce Williams, Album of Science: the Nineteenth Century, Scribner's, 1978- 2016.11.23(水)
先週の木曜日に入手した『科学のアルバム』の19世紀ですが、研究室の机の上においたきり、あけることをしていませんでした。昨日大学に行ったときから、ともかく図版だけでも全部見ておこうとおもってページを繰っていました。
Leslie Pearce Williams, Album of Science: the Nineteenth Century, New York: Scribner's, 1978
今朝のうちに、全部、見終わりました。今授業スクリプトを書いている写真術/写真に関する事柄があるかと思ったら、トッピクス/テーマとしては取りあげられていませんでした。もちろん、何々の写真みたいなのは、すこしはあります。しかし、それも、予想よりずっと少ない。写真に係わることは、別途巻を設ける必要がありそうです。
おもしろいと思ったのは、チャレンジャー号の冒険のところです。ヘッケルの絵の仲間が数多く採録されています。
Report on the Scientific Results of the Voyage of H. M. S. Challenger during the years 1873-76 がウェブにあったので、見ています。これはすごいレポート(調査報告書)です。私のお気に入りは、放散虫です。ともあれ、すごい画像集です。
そもそも、チャレンジャー号の探検が何だったのか、気になったので、本を探しました。西村三郎(にしむら・さぶろう)『チャレンジャー号探検:近代海洋学の幕開け』(中公新書、1992、720円)をアマゾンで買おうとしたのですが、何となく記憶があります。調べてみると、購入していました。部屋の中を探してみました。5分ぐらいで見つかりました。せっかくなので、一部読んでみました。Report on the Scientific Results of the Voyage of H. M. S. Challenger during the years 1873-76 は、全50巻だそうです。おそろしいヴォリュームです。226頁からヘッケルの言葉を引用しておきましょう。「18年間に及ぶ労苦のすえ、『チャレンジャー・レポート』全50巻、本文3万ページ、図版3000枚以上の刊行が完了したいま、イギリス国民はこの<永遠なる不滅の記念碑>を誇ることができる。」→東京海洋大学は、全50巻をまとめて購入したようです。その報告があります。ほかに10館近くに所蔵されているようです。ジョンソンリプリントが1965年にリプリントを出版しています。→東大に大気海洋研究所というのがあり、そこが全巻所蔵しています。はじめて聞く研究所です。現在は千葉県の柏キャンパスにあります。→図版は全部で568点収録されています。数が多いのはよいことですが、図版のキャプションにソース(典拠)が示されていません。ソースはすべて、巻末に "Picture Sources" としてまとめられています。そして、略号を使っています。この形は、理解はできますが、使いづらい。
"Bibliography" の説明を読んでみました。19世紀の科学に関して信頼できる文献は多くない。たとえば、19世紀の人類学の歴史に関して、1次資料に基づくちゃんとした一貫した歴史は書かれていない。科学教育に関してもまずまずと言える歴史は書かれていない。器具・装置の歴史ははじまったばかりである。・・・地質学の歴史は、幼児期にある。生物学史もやっと専門的な歴史としてはじまったばかりである。・・・
こういうふうに判断されています。1978年の時点ではそれで正しかったと思います。それから40年近くが経って、信頼できる科学史書はどのぐらい増えたでしょうか?- 2016.11.24(木)
途中、届いたという連絡のあったステレオスコープを受け取りに行きました。帰宅すると次の2冊が届いていました。
荒俣宏『図像学入門―目玉の思想と美学』 集英社文庫、1998
荒俣宏『図像観光:西洋近代版画を読む』朝日新聞社、1986
アラマタさんの本はかなり持っています。読んでもいます。図像をやるなら、荒俣さんの本を読み直した方がよいと気付き、持っていなかったものを頼んだものです。
お風呂からでてきて、『図像学入門―目玉の思想と美学』の第3部光学原論(第12章 空気カメラの夢―中川政昭の巻、第13章 ゲーテ的な写真、第14章 <ファン・カメラ>のゆらぎ―ティム・マクミランの巻、第15章 <光版画>の錬金術師―佐藤時啓の大型プリント)をまず読みました。カメラのことを扱っています。おもしろい。アラマタさんの主張がその通りとは思わないのですが、よい点をついていると思います。『図像観光:西洋近代版画を読む』ですが、エピローグに西洋近代版画の基本をまとめてくれています。荒俣さんは、書物のなかの版画にフォーカスされています。その場合、画題と本の分類が一致することになります。
1.文学・物語
2.技術・建築
3.博物学(動植物)
4.地図
5.景観(紀行)
6.風俗
その他としては、肖像画、寓意扉絵、名画複製、コスチューム、劇場画、といったものもあると指摘されています。
今回の我々の研究は、2.3.4.5.が関与します。→16.11.25 『図像学入門』をほぼ読み通しました。天体図、世界図のところが、とくに啓発的でした。フンボルトの『コスモス』を荒俣さんは読破しようとされています。すばらしい。
- 2016.11.25(金)
夕方、次の本が届きました。
Haeckel's Art Forms from the Ocean: CD-ROM & Book, New York: Dover, 2011
Dover ELectronic Clip Art というシリーズです。本としては、48頁です。ブックレットと呼ぶべきでしょう。- 2016.11.26(土)
- 2016.12.4(日)
3時過ぎに次の本が届いていました。
日高優編『映像と文化』藝術学舎、2016
藝術学舎とは、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎です。発行は幻冬舎。3人の共著です。編者の日高優さん(1,2,3,6,10章)、荒川徹さん(11〜15章)、築地正明さん(4,5,7,8,9章)。
第1章 映像文化とは何か 日高優
第2章 写真の誕生―映像時代の幕開け 日高優
第3章 映像の知覚経験の拡大、映像の冒険 日高優
第4章 映画の誕生 築地正明
第5章 映像と社会 築地正明
第6章 映像と記憶―“広がり”と“深さ”からの考察 日高優
第7章 映像技術の産業化 築地正明
第8章 政治と文化の統合、あるいは映像の政治 築地正明
第9章 自然へのまなざし 築地正明
第10章 多様化する映像と映像経験―多数化するフレームの観点から 日高優
第11章 映像のテクノロジーと人間の知覚 荒川徹
第12章 20世紀のアートと映像 荒川徹
第13章 テレビというシステム 荒川徹
第14章 音+映像の同期と感覚する脳 荒川徹
第15章 インターネットと圧縮されたデータとしての映像 荒川徹
授業で使うのにちょうどよいかなと感じていました。きちんと15回で構成されています。- 2016.12.8(木)
2回目のリレー講義を終わり、来年度に向けて、「見えないものを見る」というようなテーマで授業が構成できないか考えています。
望遠鏡:月より上の世界が地上世界と似ていること、木星に月があること、見えていなかった恒星があること、等々、天上界について、新しい観察結果をもたらした。
顕微鏡:レーフェンフックに至って、マイクローブ(微生物)の世界を切り開いた。
写真術前史:見えなかった(キャッチできなかった)紫外線、赤外線等の(光の)化学線をキャッチできるようになった。可視光線以外の光線による観察に道を開く。
写真術:絵はみたもの・意識したものを描く。写真術は、撮影のとき見ていなかったもの、見えていなかったもの、意識していなかったものを写し取る。&非可視光線による写真術の可能性。
新世界:旧世界では知られていなかった新しい動植物そのたのものが新世界からもたらされる。見たことがなかったもの。
探検旅行記もそうした新世界便りと位置づけることができる。
X線:人体内部の透過。
コッホ等による病原菌の可視化。顕微鏡による○○菌の観測・同定と○○菌が○○病の原因であることの同定作業の平行作業。
20世紀に入り、いろんな分野でいろんな可視化の営みが進行する。データのグラフ化も見えなかった事実を見えるように示すものと考えることができる。- 2016.12.18(日)
12月4日に届いた、 日高優編『映像と文化』藝術学舎、2016、 をやっと読み始めました。ちゃんと15回に分けられています。大学の授業用です。1回1回に、十分な論の展開をするだけの紙幅があるわけではないのですが、むしろ授業用にはこういうものの方が使いやすいかもしれません。
まず、章のはじめに概要がつけられています。そして、最後に数点ですが、参考文献が挙げられています。
概要の1例を第8章からとります。
「映画は、一種の「見世物」として出発しました。第4章で見たように、入場料を払った一般大衆に向けて上演されたこごた、映画の始まりだとされています。これは、写真が発明された時の状況とは非常に異なっています。写真は発明後間もなく、国家によって承認され、アカデミーの画家たちの下絵や、公式の記録や資料の保存などに用いられたりしたからです。この両者の出自の著しい相違は、極めて示唆に富んでいます。つまり映画は、人が金銭を払って見に行くことではじめて成立します。この点で映画は、「大衆的な」娯楽として発展してゆくよう、なかば運命づけられていたと言えるのです。ではこの「大衆」のための娯楽は、一体なぜ、またどのようにして「政治」の問題、「プロパガンダ」と結びついていくことを、もうひとつの必然とすることになったのでしょうか。」(p. 107)
参考文献は、4点挙げられています。
ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ―ドイツ映画 1918〜1933における集団心理の構造分析』みすず書房、1995
ポール・ヴィリリオ『戦争と映画―知覚の兵站術』平凡社、1999
アンドレ・バザン『映画とは何か』上下、岩波文庫、2015
アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』キネマ旬報社、1988第10章概要
「映像の多様化は、表現においても、技術においても、そして受容の仕方においても進行しています。また、写真/彫刻、写真/映画、芸術/ビジネスなどといったジャンルの境界と考えられてきたものを越える表現も噴出させて、複雑な様相を呈してきています。本章では、現代の映像を巡る多様性のありようを確認したのち、映像の多様化が一気に進行し始めた1960年代から70年代アメリカの映像表現を事例に、そのありようを考察してきます。映像の重要な要素であるフレームの多数化、映像の反復という問題系に沿って、具体的に映像を分析しながら考えていきましょう。」(p. 135)
参考文献は2点。
日高優「映像大量消費の時代における脱社会的社会批判: アンディ・ウォーホルのポップアートを巡って」『立教アメリカン・スタディーズ』 34(2012), 45-66
日高優「無限退却のリズムパターン―レイ・K・メッカーの写真=世界 」『Ecce : 映像と批評』1(2009): 120-136第11章概要
「現在の映像文化を支えているカメラやプロジェクターといった機器は、近代になって全く新たに出現したものではなく、古くから知られていた光学現象を用いた道具が段階的に発展していった結果です。映像機器に囲まれ、一本指で撮影できる現代に生きる私たちは、映像が撮影・上映される仕組みを知らなくても、映像をまるで「魔法」のように扱うことができてしまいます。そのような「魔法」を、映像を見る人間の視覚の仕組みも含めて解き明かしていくことで、映像が表現している内容も、より明確に把握することができるはずです。」
参考文献は4点。
岩本憲児『幻灯の世紀:映画前夜の視覚文化史』森話社、2002
大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
V.S.ラマチャンドラン, D.ロジャース=ラマチャンドラン『知覚は幻 : ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学』日経サイエンス , 日本経済新聞出版社 (発売), 2010- 2016.12.24(土)
帰宅すると、ゲラと次の本(雑誌)が届いていました。
『知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学』 (別冊日経サイエンス 174、2010)- 2016.12.31(土)
手元にある『ゲンロン 4』から次の論考を読みました。
黒瀬陽平「他の平面論 第3回 怨霊たちの風景」『ゲンロン 4』(2016): 250-263
「他の平面論」というタイトルがすでに何かを語っています。問題意識は重要なポイントをついており、12世紀〜14世紀の「垂迹曼陀羅」という宗教絵画の分析も秀逸です。ただし、出発点としての柄谷行人の風景論の受け止め方は、違っていると思います。『日本近代文学の起源』における柄谷行人の風景論は、問題提起としては意味はあると思いますが、今となってはもう使えないテーゼになっていると思います。
風景画は風景画として、花鳥図とも肖像画とも異なるものとして、自我とは一度切り離して分析すべきものだと思われます。
そうでないと、風景画があるところに、風景画を発見した場所に、(近代的)自我を、内面を発見してしまうことになると思います。- 2017.1.13(金)
実は、昨日の駒場の授業では、ルネサンスの時代に印刷されたプトレマイオスの地図について議論をしていました。Cohen, Album of Science, p.19 図版25の地図についてです。解決のつかない疑問が多数だされました。
届いたばかりのISIS の最初の論文が、プトレマイオスの地図の経度ミスについてです。最初にプトレマイオスの地図と現在の地図を重ねた地図が掲載されています。よく考えると謎は多くあります。
フランシス・ベーコンの磁気哲学とか、HAMANAKA HARU さんのドイツ語の本の書評とか、興味深いものは数多くあります。上記のHAMANAKA HARU さんですが、気になるので、表記を確認しました。
濱中春さんです。現在法政大学社会学部教授です。
アイシスがで取りあげるは本は次です。
Haru HAMANAKA, Erkenntnis und Bild. Wissenschaftsgeschichte der Lichtenbergischen Figuren um 1800. Wallstein Verlag, 2015
邦訳すれば、濱中春『知と図像:1800年前後のリヒテンベルク図の思想史』。タイトルだけで私の関心のど真ん中だとわかります。
濱中さんは、全般としては、18世紀における文字と図像の(認識論的)関係を研究されています。
→ 17.1.14 リヒテンベルクさんてどなた、と思い、すこし調べてみました。Georg Christoph Lichtenberg, 1742-1799 . 実験物理学者ということですが、視覚文化史の観点からはたしかにとても面白い人物です。放電によって生じるリヒテンベルク図形は、1777年に発見されたそうです。上のドイツ語の著作は、リヒテンベルク図形の初期の受容史を、自然誌、物理学、天文学、気象学、化学、色彩論、言語論、版画術、写真術といった広いジャンルではじめて位置づけたものだそうです。なるほど。- 2017.2.19(日)
次の本を借りました。
William McGucken, Nineteenth-Century Spectroscopy: Development of Understanding of Spectra, 1802-1897, Baltimore and London: The Johns Hopkins Press, 1969- 2017.2.20(月)
昨日の橋本科研で紹介されたファラデーの『化学の操作』が面白かったので、いろいろ調べてみました。
ファラデーの『化学の操作』(初版1827,2版1830,第3版1842)の1830年版をダウンロードしてから、2次資料の捜索に入りました。次の2点が見つかりました。
Stephen DeMeo, "Teaching Chemical Technique: A Review of the Literature", Journal of Chemical Education, Vol. 78, no. 3, 2001, pp.373-379
William B. Jensen, "Michael Faraday and the Art and Science of Chemical Manipulation," Bull. Hist. CHem. 11(1991): 65-76
とくにJensen の論文は、我々の関心にぴったりでした。これを広げることを試みようと思います。Michael Faraday,
Chemical manipulation : being instructions to students in chemistry, on the methods of performing experiments of demonstration or of research, with accuracy and success / by Michael Faraday, corresponding member of the Royal Academy of Sciences of France, and of the Medico-Chemical Society of Paris; director of the laboratory of the Royal Institution of Great Britain; member of the Astronomical Society of London; honorary member of the Cambridge Philosophical Society, of the Philosophical Society of Bristol, of the Cambrian Society for the Encouragement of Geology, Mineralogy, and Natural History, and of the Westminster Medical Society, &c.
London : Printed and published by W. Phillips, George-Yard, Lombard-Street; sold also by W. Tait, Edinburgh; and Hodges and McArthur, Dublin 1827
vii, [1], [ix], [1], 11-656 p.Michael Faraday,
Chemical manipulation : being instructions to students in chemistry, on the methods of performing experiments of demonstration or of research, with accuracy and succes,
London : John Murray MDCCCXXX [1830]
xi, 646, [2] p.Michael Faraday,
Chemical manipulation ,
London : John Murray, Albermarle-Street MDCCCXLII [1842]
xiii, [1], 664 p.- 2017.2.23(木)
次の論文が見つかりました。
David Knight, "'Exalting Understanding without Depressing Imagination' Depicting Chemical Process, Hyle, 2003, No.2, 171-189
操作のイラストに手先や口を描かれているかどうかという点に着眼したのは素晴らしい。しかし、版の調査は不徹底です。図版は、版によって異なるということは割とよくあることです。Michael Faraday, Chemical Manipulation, 1827 から始まったリサーチですが、橋本科研のテーマにぴったりの内容にヒットしました。我々がやるべき仕事だと思います。
- 2017.3.11(土)
お昼に次の本が届きました。
Susanna Berger,
The Art of Philosophy: Visual Thinking in Europe from the Late Renaissance to the Early Enlightenment, Princeton and Oxford: Princeton University Press, 2017
これは、昔の表現で言えば、フォリオサイズのおおきな本です。図版も数多く掲載されており、立派な仕上がりとなっています。
絵だけは全部見ました。私が個人的に気に入ったのは、Album Amicorum(ドイツ語では、Stummbücher、英語ではA Book of Friends、直訳すれば友情の冊子、中身をとれば、旅日記・署名帖?)からの絵です。味のある絵です。もちろん、Album Amicorumは、所有者毎に異なるのですが、類似の味わいがあるようです。- 2017.3.31(金)
お昼に次の本が届きました。
増田展大『科学者の網膜: 身体をめぐる映像技術論:1880-1910 』
(視覚文化叢書) 青弓社、2017- 2017.4.16(日)
- 2017.5.16(火)
ネットで次の論文が見つかったので、プリントアウトして読みました。さすが、リュティ、よく書けていると思います。自然哲学/自然学の図像利用に関しても、デカルトは画期的です。矛盾を孕みつつ、とても力強いデカルトの図像利用の中心的ポイントを正確にまとめていると思います。
C. Lüthy, "Where logical necessity becomes visual persuasion: Descartes’ clear and distinct illustration"’, in: S. Kusukawa and I. Maclean (eds.), Transmitting Knowledge: Words, Images, and Instruments in Early Modern Europe (Oxford, 2006): 97-133
Transmitting Knowledge: Words, Images, and Instruments in Early Modern Europe (Oxford, 2006)は、2014年9月17日にILL で取り寄せています。スキャンもしていました。
次のものもダウンロードしました。
Geert Vanpaemel, "The Louvain printers and the establishment of the Cartesian curriculum" studium, 4(2011): 241-254
関連して、山田俊弘『ジオコスモスの変容 : デカルトからライプニッツまでの地球論』 (勁草書房 BH 叢書、2017年)から第2章「デカルトと機械論的な地球像」を読みました。デカルトとガッサンディの地球像を比較し、そして、ステノがデカルトとガッサンディの地球像からどういう影響を受けたのかを描かれています。
山田さんは、デカルトの図解に関しては、Desmond Clarke, Descartes’ Philosophy of Science, Manchester, 1982, ch. 5. ならびに Brian S. Baigrie, "Descartess Scientific Illustrations and 'la grande mecanique de la nature'," in Picturing Knowledge: Historical and Philosophical Problems Concerning the Use of Art in Science(Toronto Studies in Philosophy) (Toronto: University of Toronto Press, 1996), 86-134 を使われています。
私の今回の作業にとくに関係するのは山田俊弘『ジオコスモスの変容』pp.60-1 です。- 2017.5.17(水)
次の本が届いていました。
Bernard Joly,Descartes et La Chimie, Paris: Vrin, 2011大学では次の論文をダウンロードしました。
Rebecca M. Wilkin, "Figuring the Dead Descartes: Claude Clerselier's Homme de René Descartes (1664), " Representations, 83(2003): 38-66
本間さんは「デカルト派生理学と図像表象」でこの論文だけを欧文の2次文献として挙げています。- 2017.5.18(木)
まず図書館によって、昨日届いたという連絡のあった次の本を借り出しました。
Sven Dupré、 Christoph Lüthy eds., Silent Messengers: The Circulation of Material Objects of Knowledge in the Early Modern Low Countries , Berlin: Lit, 2011
この本に含まれる、次の論文が必要でした。
Claus Zittel, "Conflicting Pictures: Illustrationg Descartes' Traité de l'homme, in Sven Dupré Christoph Lüthy eds.,Silent Messengers: The Circulation of Material Objects of Knowledge in the Early Modern Low Countries , (Berlin, 2011), pp.217-260
研究室で本をめくると図書館の発注資料がでてきました。那須敬さんが発注され、ICU 図書館に収められた本でした。日本の大学図書館では2館しか所蔵していません。もちろ- 2017.5.21(日)
デイヴィッド・ホックニー,マーティン・ゲイフォード『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』木下 哲夫訳、青幻舎、2017
両方とも、今朝の新聞の書評欄を見て、発注したものです。ホックニーとゲイフォードの『絵画の歴史』は、予想以上に、重くてでかい。
ちなみに、『絵画の歴史』はほんとうは画像の歴史です。原題は、A History of Pictures. 本のカバーには、日本語のタイトルよりも大きな面積をとって、A History of Pictures と手書き文字で記されています。
まえがきでは「さまざまな種類の画像、例えば絵画、写真、映画の歴史ならいくらでもある。ところが画像全体の歴史となると、そうはいかない。」画像自体を独立したものとして、その歴史をサーベイしてみよう、とあります。
おそらくですが、画像の歴史よりも、絵画の歴史の方が売れるという判断がどこかであったのでしょうが、誤解を招く絵画の歴史よりも画像の歴史のよかったように思います。- 2017.5.22(月)
StevenNadler, "The Art of Cartesianism: The Illustrations of Clerselier's Edition of Descartes's Traité de l'homme (1664)," in Descartes' Treatise on man and its reception, Delphine Antoine-Mahut, Stephen Gaukroger, eds. (Springer, 2016): 193-223- 2017.6.8(木)
次の本が届いていました。
Christopher Rivers, Face Value: Physiognomical Thought and the Legible Body in Marivaux, Lavater, Balzac, Gautier, and Zola, Madison: The University of Wisconsin Press, 1994
このテーマなのに、イラストが4点しかありません。- 2017.6.12(月)
研究室に荷物をおいて、メールのチェックをしてから、図書館へ。1冊返し、2冊借りました。稲賀繁美『絵画の東方 : オリエンタリズムからジャポニスムへ』(名古屋大学出版会、1999)と稲賀繁美『絵画の臨界 : 近代東アジア美術史の桎梏と命運』(名古屋大学出版会、2014)。稲賀さんの本から、日本の遠近法に関する章をまず読みました。わかりやすいまとめとなっています。- 2017.6.13(火)
Timon Screech, "The Meaning of Western Perspective in Edo Popular Culture," Archives of Asian Art, 47(1994), pp. 58-69.
たぶん、若書きの論文です。そのよさがでています。ヨーロッパの遠近法絵画と比べたときの、日本の浮絵の基本的特徴をきちんとつかまえようとしています。日本の絵は、基本、プリント、すなわち版画であること、浮絵が中心的には覗き絵であること、消失点を2重化したことの効果(富士山が現実よりもずっと高く見える、川と海が変な確度で交わること)等、重要な論点が指摘されています。- 2017.6.16(金)
行方不明中。2014年10月11日に届いた次の本を探しています。部屋のなかでまだ探し出せていません。
Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Transformations: Studies in the History of Science and Technology) , Cambridge, Mass.; MIT Press, 2004- 2017.6.17(土)
Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (2004)を私の部屋のなかで探しました。30分ほど落ち着いて探すと手の届くところに置いていました。本の地層をつくる置き方に問題があることは承知しているのですが、つい、地層を作ってしまいます。本棚に立てるスペースがないという事情もあります。
見たかったのは、ボスBosse の部分。ライレッセとボスの本が江戸時代の日本にやってきた画法の本の主たるものだそうです。初期近代のヨーロッパを知る者には、不思議な選択です。もちろん偶然出島に来たということでしょうが、蘭学を研究される方は、もとの本がヨーロッパにおいてどういう位置付けであったのかを調べられることがほとんどありません。初期近代の歴史を研究していると、その辺の感覚がとても不思議に感じられます。
まず、デザルグ(Girard Desargues, 1591-1661)の射影幾何学(の祖)があります。その仕事に基づき、Abraham Bosse(1602-1676) が Manière universelle de M. Desargues pur practiquer la Perspective par petit pired par le Géometral, (Paris, 1647) を著します。この本のオランダ語訳が日本にやってきたということです。Picturing Machines 1400-1700 でボスが出てくるのは、pp. 245, 273-4 です。遠近法の実践的な技法書は、デューラー以降、いろいろ出ています。遠近法の実用書にも、異なる系統を考える必要があるようです。- 2017.8.30(水)
[ジョン・ハーシェル]
今回の私の主役、ジョン・ハーシェル (John Herschel, 1792-1871) は、科学の職業化という観点からとても興味深い人物だとわかりました。
有名な天文学者の父ウィリアム・ハーシェルの子として、ジョン・ハーシェルは、父から働かなくてもすむ遺産を相続しています。お金をもらう職業に就いたことがないと言いたいところですが、実は、晩年58歳になって、ニュートンと同じ官職、造幣局長官の職に就いています。ですから、例外的時期はあるが、職業としてはジェントルマンのインディペンデントスカラーです。
『ジョン・ハーシェル、1792-1992:200周年記念シンポジウム』(南アフリカ王立協会、1994)に寄せた論考で、ハーシェル研究者クローは、「ジョン・ハーシェル・最初のイギリスの近代的物理科学者」という論考を寄せています。職業としては科学者ではありませんが、研究内容を見ると、そう言いたくもなります。
そもそも、「科学者」Scientist という言葉を作ったのは、ウィリアム・ヒューエルです。1833年。その言葉を造語するとき、ヒューエルの念頭にあったモデルのひとりがBSSA であっていたジョン・ハーシェルだったということです。(DSB の記述による。)
ハーシェルの著作『自然哲学研究序論』Preliminary Discourse on the Study of Natural Philosophy (1830)という科学方法論の著作は、ダーウィン、ミル、ヒューエルに影響を与えています。父ウィリアムは、ニュートンの有名な言葉「私は仮説を作らない」に反して、「私は仮説をつくる」と口癖のように言っていたようです。仮説を作ったり壊したりすることが、理論的思弁の要点だとジョンは友人のヒューエルに告げています。
分野としては、数学、天文学、物理学、光学、化学に関わっています。もうすこし細かくは、父の天文学の仕事を引き継いだ仕事(喜望峰に赴いての体系的観測が何より大きい)、地磁気の研究、結晶学や写真術に関わる光化学の研究、蛍光研究等、非常に幅広く関心を示し、自分で実験研究を行っている。ただし、19世紀前半は、科学のいろんな分野における専門分化が後戻りできない仕方で進行した時期であり、ジョン・ハーシェルはその流れについていくことはできなかった。(ダーウィンの進化論の拒否、エネルギー保存則の拒否、ボスコビッチの点原子論への固執。)しかし、科学者共同体 Scientific Communication Network の重要な結節点であり続けた。
私のサイトから、ハーシェルの1次文献、2次文献を集めてみました。
John Herschel, "On the hyposulphurous acid and its compound," Edinburgh Philosophical Jounal, 1(1819), 8-29
John Herschel, "Additional facts relative to the hyposulphurous acid, " Edinburgh Philosophical Jounal, 1(1819), 396-400
Herschel, "XVI. On the Action of Light in determining the Precipitation of Muriate of Platinum by Lime-water, being an Extract from a Letter of Sir John F. W. Herschel, K. H., F.R.S. & c. to Dr Daubeny," Phil. Mag., Vol. 1, No. 1, July, 58(1832)
John F. W. Herschel, "Note on the Art of Photography, or the application of the Chemical Rays of Light to the purposes of Pictorial Representation, Communicated March 14, 1839, Read 14 March 1839" Proceedings of the Royal Society Vol. 4: No. 37 (1839), 131-3 ; The Athenaeum No.595 (23 March 1839), 223 ; Philosophical Magazine 3rd series, 14: 90 (May 1839), 365−7 ; Neue Notizen aus dem Gebiete der Natur- und Heilkunde 2nd series, 10: 17 (Nr. 215) (Juni 1839), 260−1
John F. W. Herschel, "On the chemical action of the ray of the solar spectrum of preparation of silver and other substances, both metallic and nonmetallic, and some photographic processes," Phil. Trans. Roy. Soc., 130(1840), 1-60
John F. W. Herschel, "On the action of the rays of the solar spectrum on vegetable colours, and on some new photographic processes," Phil. Trans. Roy. Soc., 181-214(1842)
中崎昌雄「だれが初めてハイポ (チオ硫酸ナトリウム) による写真「定着」を発見したのか? : J. B. Reade 対 John Herschel」『中京大学教養論叢』30(3)(1990): 663-725
中崎昌雄「1839-1842年における John Herschel 写真研究 : 青写真と「Herschel 効果」の発見」『中京大学教養論叢』31(1)(1990): 13-84
中崎昌雄「1839年3月14日 Herschel「写真研究」発表 : Talbot との交渉をめぐって」『中京大学教養論叢』30(4)(1990): 1179-1263
中崎昌雄「ハーシェル「左右水晶の旋光能」研究とパストゥール「有機物における分子左右鏡像性」」『中京大学教養論叢』37(3)(1997): 453-517
中崎昌雄「「近代化学の父」John Dalton 覚書 (上) : Dalton と John Herschel の色盲研究 John Herschel は色盲だったのか?」『中京大学教養論叢』37(4)(1997): 717-794
R. Derek Wood, "The Daguerreotype and Development of the Latent Image: “Une Analogie Remarquable": Latent Developments from Gallic Acid, 1839, " Journal of Photographic Science, 28: 1 ( 1980), pp. 36−41
P. Derek Wood, "Fourteenth March 1839, Herschel's key to photography, the way the moment is preserved for the future," Published in Jubilee- 30 Years ESHPh Congress of Photography in Vienna, Anna Auer and Uwe Schögl (eds.), Salzburg, 2008, pp. 18-31.
M. Nierenstein , "The Early History of the First Chemical Reagent," Isis 16(1931): 439-446.
Larry Schaaf, "Sir John Herschel's 1839 Royal Society Paper on Photography," History of Photography, 3(1979), 47-60
Larry Schaaf, "Herschel, Talbot and Photography: Spring 1831 and Spring 1839," History of Photography, 4(1980), 181-204
Larry Schaaf,"Henry fox Talbot's The pencil of nature," History of Photography, 17(1993), 388-396
H. Mark Gosser & Larry Schaaf, "Further notes on Herschel and Talbot: the term ‘Photography’,"History of Photography, 5(1981), 269-270
Larry J. Schaaf , Tracings of Light: Sir John Herschel and the Camera Lucida, University of New Mexico Press, 1991
Larry J. Schaaf, Out of the Shadows: Herschel, Talbot, & the Invention of Photography, 1992- 2017.9.3(日)
午後、研究発表会。お茶の水の本郷サテライトで行います。
化学史学会公式サイトの図像科学史研究会シンポジウム(2017)案内
12時過ぎに御茶ノ水駅に着きました。駅前の中華屋さんで湯麺を食べてから、会場へ。12時半前。
5階で待機。
申し込んでくれた方のうち、2名がお見えになりませんでした。1名は病気で休むという連絡をくれました。もう1名の方は不明。
田中さん、橋本さんの順でお見えになりました。3人で相談して教室の配置を決めました。ラウンド方式にしました。
橋本さんの挨拶で始め、田中さん、橋本さん、休憩15分、河野さん、私の順の発表となりました。コーヒーブレイクの時点で予定より25分遅れとなりました。ありがちなことです。そのまま5時55分終了。現状復帰を手伝ってもらい、帰途。田中さんは、京都に戻られます。残り3人は、中央線特別快速。橋本さんは、新宿で乗換られました。河野さんと私は、中野で乗り換えて、総武線。- 2017.9.10(日)
9月4日に届いた、 マドレーヌ・ピノー『百科全書』小嶋 竜寿訳、 文庫クセジュ、2017 をカバンに入れて持ち歩き、折りをみて、読み進めています。図像科学史のためには、最適の著者です。私の個人的関心にもまっすぐに対応してくれています。- 2017.9.12(火)
カバンのなかにつめ、 折りをみて読み進めていた、 マドレーヌ・ピノー『百科全書』小嶋 竜寿訳、 文庫クセジュ、2017 を読み終わりました。百科全書の歴史、ということでは、基本事項を(研究史の蓄積を正確に整理して)記述してくれています。『百科全書』を研究する人は、読まないわけにはいかない書物に仕上がっています。
目次は次。
第一章 『百科全書』の起源と歴史
氈@『百科全書』の起源
『百科全書』の歴史
第二章 『百科全書』本文と執筆者
氈@ドニ・ディドロ
ジャン・ル・ロン・ダランベール
。 ルイ・ド・ジョクール
「 ポール=アンリ・ティリ・ドルバック
」 そのほかの百科全書派たち
、 作品構成
・ 『百科全書』本文一覧
ヲ 項目執筆者一覧
第三章 『百科全書』図版
氈@ディドロの果たした役割
素描家について
。 版画家について
「 『百科全書』図版一覧
」 素描家と版画家一覧
第四章 『百科全書』の『補遺』および『目録』について
氈@『補遺』について
『分析的・体系的目録』について
第五章 ヨーロッパで刊行された『百科全書』の諸版について
氈@ルッカ版(フォリオ判)
リヴォルノ版(フォリオ判)
。 ジュネーヴ版(フォリオ判)
「 ジュネーヴおよびヌーシャテル版(四つ折り判)
」 ベルンおよびローザンヌ版(八つ折り判)
、 イヴェルドン版
・ 『テーマ別百科全書』
ヲ 縮約版および翻訳版
訳者あとがき
本書に登場する書誌一覧
参考文献
出版社(白水社)が裏表紙につけた紹介文は次。
「本文・図版あわせ全28巻におよんだ『百科全書』。七万を超える項目の多くが先行する文献からの引用、改編、要約であり、その事業はまさしく知識再創造の 一大実験場といえよう。本書は、ディドロをはじめとする主要人物のみならず、図版に関する情報を充実させ、後世に名を残さなかった市井の職人たちにも目を 向ける。運動に身を投じた人々、編纂史、数々の告発事件、後続版本の内容をまとめた入門書。」
要約としては、ありです。私の論文、吉本秀之「ハリス『技術事典』の起源」『化学史研究』第41巻(2014): 20-36 と研究の方向性において重なります。『百科全書』は成功し、ヨーロッパに大きな思想的・社会的・文化的インパクトを与えますが、英国は例外です。とくに商業的に英国は別の動きをします。ハリス、チェンバースが先にあったこと、ブリタニカが出現したことが効いたと言ってよいようです。
なお、私の論文では図版のことまでは追いかけることができていません。今回の研究でハリス『技術事典』の図版も対象にしようかと思いましたが、中断しています。ハリスやチェンバースが採用した図版の起源を問うのは必要な作業ですが、その苦労をとる覚悟がつかないまま放置しています。[グラフの歴史]
先日とある論文を読んでいたら、ランベルトがはじめてグラフを利用したという文章に出会いました。(前田良三「キルヒャーと可視性のメディア―メディア文化史的注記」『19世紀学研究(新潟大学)』pp.73-92)
もちろん、どういう分野でどういうグラフかを言わないと意味のある発言にならないのですが、気になったので調べてみました。
橋本さんの本に言及がありました。
橋本毅彦『図説科学史入門』ちくま新書、2016
第2章「気象」で、ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト(1728-1777)の気象観測を扱っています。とくに湿度計。
p. 101 に次の言葉があります。「ランベルトは、湿度計だけではなく温度計などの観測計器で毎日の大気の様子を観測すると、それらもグラフの形に表現した。彼はそのように観測によって得られた大量の数値データをグラフ的に表現した最初の人物といえよう。」
これなら、わかります。大量の気象データのグラフ化です。
→ 17.9.13 橋本さんは、ランベルトに関しては、次の論文を引用されています。
Maarten Bullynck, "Johann Lambert's Scientific Tool Kit," Science in Context, 23(2010): 65-89
これならネットに pdf があるのではないかと思い、検索をかけると、すぐに見つかりました。HAL にありました。
物理現象の数学化、可視化という言葉を Bullynck は使っています。
図版1は、蒸発実験の可視化と題されています。
図2は、ランベルトの湿度研究におけるグラフの変容、と題されて、3つのグラフが示されています。
巻末の文献表もしっかりしていて、ランベルトのグラフや可視化については、ここから研究を始めることができます。→ 17.9.15 Laura Tilling, "Early Experimental Graphs," BJHS, 8(1975): 193-213
Eriola Kruja, Joe Marks, Ann Blair, Richard Waters, "A Short Note on the History of Graph Drawing," Proc. Graph Drawing (2001), pp. 272-286Michael Lynch, "Discipline and the Material Form of Images: An Analysis of Scientific Visibility," Social Studies of Science, 15(1985): 37-66
Howard Wainer, "Understanding Graphs and Tables," Educational Researcher, 21(1992): 14-23
→ 17.9.17
HOFF, H. E. , and L. A. GEDDES (1962) “The beginnings of graphic recording.” Isis 53: 287-324.
FUNKHOUSER, H. G. (1937) “Historical development of the graphical representation of statistical data.” Osiris 3: 269-404.
KOSSLYN, S. M. (1989) “Understanding charts and graphs.” Applied Cognitive Psychology 3: 185-225.
MACDONALD-ROSS, M. (1977) “How numbers are shown: a review of research on the presentation of quantitative data in texts.” Audio-Visual Communication Rev. 25: 359-407.
ROYSTON, E. (1956) “Studies in the history of probability and statistics: III. A note on the history of the graphical presentation of data.” Biometrika 43: 241-247.
SHIELDS, M. C. (1937) “The early history of graphs in physical literature.” Amer. Physics Teacher 5: 68-71.
- 2017.9.16(土)
グラフ表示の起源を調べていると、日本語のサイトに、棒グラフ、線グラフ、円グラフはウイリアム・プレイフェア (William Playfair, 1759-1823)が発明したとするサイトに出会いました。
可視化の問題は、定量化や数量化とも深く関係します。
『数量化革命』という本があったことを思い出し、後ろの本棚から探し出して、中身を見てみました。第1部が「数量化という革命」で、第2部が「視覚化」です。第2部は、7章「視覚化するということ」、8章「音楽」、9章「絵画」、10章「簿記」からなります。
山本義隆さんの『16世紀革命』に共通する問題関心です。
今は「視覚化」はもっとひろい意味で使われていると思います。今、同様のテーマで本を出すなら、もっと違う扱いが必要かと思われます。日本語ではこの問題を扱った先行研究を多くは見いだすことが出来ていませんが、英語では数多くあります。すぐには見通しをつけることができないぐらいに、多様な領域にわたり、多くの研究があります。よい展望論文を探しつつ、テーマを絞って、調査を続けるのがよいように思われます。
- 2017.9.17(日)
Michael Friendly, Matthes Sigal and Derek Harnanansingh, "The Milesotne Project: A Database for the History of Data Visualization," (2013)
これをダウンロードし、プリントアウトし、鉛筆を手に読み通しました。統計学の分野が中心ですが、データの可視化に関しては、トータルな歴史記述を目指しています。とても役に立つレヴューです。
私の知識にあるところでは、プレイフェア、プリーストリー、ゴールトンがでてきます。Galton, F. (1886), Regression toward mediocrity in hereditary stature. Journal of the Anthropological Institure, 15(1886): 246-263
Playfair, W. (1786). Commercial and Political Atlas: Representing, by the Copper-Plate Charts, the Progress of the Commerce, Revenues, Expenditure and Debts of England, during the Whole of the Eighteenth Century, London, 1786
Playfair, W. (1801). Statistical Breviary; Shewing, on a Principle Entirely New, the Resources of Every State and Kingdom in Europe, London, 1801
Playfair, W. (1821). Letters on our agricultural distresses, their causes and remedies; accompanied with tables and copperplate charts shewing and comparing the prices of wheat, bread and labour, from 1565 to 1821/ BL: 8275.c.64.
Priestley, J. (1765). A Chart of Biography, London: (n. p. ).
なお、このレビュー論文の目的は、データの可視化の歴史のための、データベース構築のプロジェクト、マイルストーンプロジェクトの紹介です。日本からの参加者がいるのかどうか気になるところです。アブストラクトをざっと訳すと次のようになります。
データ可視化の方法は、歴史の流れのなかで大きく展開してきた。その流れのランドマークは、1600年代における最初の主題地図、1800年代初頭における棒グラフと折れ線グラフの発明、そして今日の動的かつ対話式のグラフィクスである。こうした発展はこれまで、いろいろなミクロヒストリーにおいて詳細に記述されてきた。しかし、研究、調査、探求、あるいはデータ分析、この歴史に基づくグラフ化のための、ひとつの場所での、統一的全体的なマクロヒストリーは試みられていない。
この章の目的は、3つある。1)我々の解、マイルストーンプロジェクトというオンラインリソースを紹介すること。2)顕著な例を示すこと。3)「統計学的歴史記述 statistical historiography」のためのデータとして役立つことを示すこと。→ 17.9.18 ジョン・ハーシェルについて、1832年の2つの論文で、散布図 (scatterplot)のアイディアを示したとあります。詳細な記述はありません。調べてみると、次の論文が見つかりました。
Michael Friendly and Daniel Denis, "The Early Origins and Development of the Scatterplot," Journal of the History of the Behavioral Sciences, 41(2005): 103-130
→ John Herschel の部分だけ読みました。1832年の2つの論文が具体的に何かをまず知りたいと思いました。読み上げられたのは、1832年ですが、出版は2つとも1833年です。ちなみに、原稿を読み上げたときにはあった図そのものは、出版に際しては省略されたそうです。その最初の図そのものは、まだ見つかっていないそうです。
John Herschel, "III. Micrometrical measures of 364 double stars with aa 7-feet equatorical acromatic telescope, taken at Slough, in the years 1828, 1829, and 1830," Memoirs of the Royal Astronomical Society, 5(1833): 13-91
John Herschel, "On the investigation of the orbits fo revolving double stars,"Memoirs of the Royal Astronomical Society, 5(1833): 171-222
彼らの議論は説得的だと思われます。ジョン・ハーシェルを撒布図、撒布グラフの最初に位置づけてよいかと思われます。- 2017.9.26(火)
途中、図書館に寄って、届いたという連絡があったばかりの、 Thomas L. Hankins & Robert J. Silverman, Instruments and the imagination, Princeton, 1995 を受け取り、101教室に向かい、終了処理の準備をして、また研究室に戻りました。- 2017.10.7(土)
[アンチ・スペクタクル]
2015年12月14日に記した 長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタル:沸騰する映像文化のアルケオロジー』東京大学出版会、2003 を授業のために再読しています。
駒場のシラバスにも書きましたが、この本は、初期映画史の基本書です。映画だけではなく、19世紀末から20世紀にかけての映像文化史の基本書でもあります。必要な観点が提示されています。ですが、タイトルの選択を間違ったと思います。[アンチ・スペクタクル]なんて、ごく少数の特定の関心をもつ人にしかアピールしない題名をつけたせいで、読まれるべき人に届いていないと思います。
amazon のマーケットプレイスでは、1万円近くします。タイトルをつけなおし、たとえば講談社学術文庫のような形でもう一度世に出すべきだと思います。
目次を再掲します。
長谷正人「序論 「想起」としての映像文化史」
ダイ・ヴォーン「第1章 光(リュミエール)あれ――リュミエール映画と自生性」
メアリー・アン・ドーン「第2章 フロイト,マレー,そして映画――時間性,保存,読解可能性」
トム・ガニング「第3章 個人の身体を追跡する――写真,探偵,そして初期映画」
ジョナサン・クレイリー「第4章 解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」
トム・ガニング「第5章 幽霊のイメージと近代的顕現現象――心霊写真,マジック劇場,トリック映画,そして写真における不気味なもの」
ヴァネッサ・シュワルツ「第6章 世紀末パリにおける大衆のリアリティ嗜好――モルグ,蝋人形館,パノラマ」
ベン・シンガー「第7章 モダニティ,ハイパー刺激,そして大衆的センセーショナリズムの誕生」
トム・ガニング「第8章 アトラクションの映画」
トム・ガニングの論文が3本(「個人の身体を追跡する――写真,探偵,そして初期映画」、「幽霊のイメージと近代的顕現現象――心霊写真,マジック劇場,トリック映画,そして写真における不気味なもの」、「アトラクションの映画」、クレイリーが1つ(「解き放たれる視覚――マネと「注意」概念の出現をめぐって」)、ダイ・ヴォーン、メアリー・アン・ドーン、ヴァネッサ・シュワルツ、ベン・シンガーの論文を1本ずつ採録しています。
私の駒場の授業は、ヴァネッサ・シュワルツさんがなされている授業を大いに参考にしました。駒場の授業が90分から15分増えて105分になったとき、増分の15分はヴァネッサ・シュワルツさんのアイディアを借用して、画像提示にあてることにしました。学生がもってきてくれる画像は、私の知らないものが多く、とても勉強になります。画像そのものに注目する、授業の目的のひとつをこう掲げていますが、テキスト(文章)で訓練を受けてきた我々は、つい、画像提示なしに、テキスト(文章)だけを追いかけることになりがちです。90分がテキスト追究になったとしても、少なくとも15分は画像に注意を集中することができる、そういう効果もあります。ガニングの邦訳には、上記の3点の他に、『「新」映画理論集成@』に収められたものがあります。
トム・ガニング(濱口幸一訳)「驚きの美学」『「新」映画理論集成@』フィルムアート社 、1998, pp.102-118.- 2017.10.10(火)
図書館で次の本を受け取りました。
E.R. Tufte, The Visual Display of Quantitative Information 2nd ed., Graphics Pr.,- 2017.10.11(水)
1時過ぎに図書館に行って、次の本を受け取りました。
Charles Kostelnick, Visible Numbers: Essays on the History of Statistical Graphics, Routledge, 2017
次の本が届いていました。
Corey Keller (ed.), Essays by Tucker, Jennifer,Gunning, Tom,Groening, Maren,Corcy, Marie-Sophie,Troufle´au-Sandrin, Carole,O'Toole, Erin, Brought to Light: Photography and the Invisible, 1840-1900, San Francisco Museum of Modern Art in association with Yale University Press, 2008
展覧会のカタログのようです。写真はおもしろい。7日の土曜日は休むことが出来ましたが、その他は、仕事が続いています。今週も土日があるので、10日間連続になります。私にはあまりないことです。
グラフの起源
ネットで調べものをしていたら、ウィキの「インフォグラフィック」の項目に、1878年数学者のジェームズ・ジョセフ・シルベスターが「グラフ graph」という用語をつくったとありました。
早速 OED で確認しました。次のようにあります。
「グラフ」は最初「グラフィック・フォーミュラ」の名前のもと、複合体をつくる元素の関係を示すために化学の分野で使われた。その数学への適用は、(明らかに「グラフ」という省略体の形で)シルベスターによる。
用例では、シルベスターの1878年のものが3つ連続して挙げられています。
1. nytric anhydride のグラフ
2. 化学的グラフは、・・・の幾何学的形態への翻訳にすぎないとみなすべきだ。
3. グラフで表示されたある形態の量的構成は、・・・
もちろん、グラフそのものは、もっと前から使われています。それを「グラフ」と名づけたのが1878年ということです。- 2017.10.14(土)
駒場の学生が送ってくれた研究計画で、john urry, the tourist gaze 3.0, 2011 に邦訳があることがわかりました。外大の図書館に入っています。図書館は1時から開館。1時になったら図書館に行って借り出すことにしました。ジョン・アーリ/ヨーナス・ラースン『観光のまなざし 増補改訂版』加太宏邦訳、法政大学出版局、2014.原著の初版は、1990年出版。初版の邦訳は1995年。同じく法政大学出版局から。第7章の「見ることと写真」は今駒場で行っている授業にぴったりの章です。泥縄ですが、一部、読みました。→この7章はほんとうにすばらしい。写真に関する批判的言説の集大成を行ってくれています。- 2017.10.16(月)
朝のあいだに、MacBook Air の画面上で次の論文を読みました。
前川修「写真イメージの人類学―ベルティンクの写真論―」『立命館言語文化研究』27巻4号(2016): 37-48[前川修氏の映画論]
せっかくなので、前川修さんの研究をまとめます。CiNii では次。
前川修「W.ベンヤミンの弁証法的イメージについて 」『美学』45(1994): 20-30
前川修「W・ベンヤミンの触角概念と近代の視覚現象について 」『美學』189(1997): 1-12
前川修「複製の知覚―スライド鑑賞の諸問題 」『哲学研究』570(2000): 79-99
前川修「写真の格子―写真集『自然の鉛筆』を読む (特集 ヴィジュアル・カルチャー・スタディーズ--作品からイメージへ) 」『美術フォーラム』21(12)(2005): 58-66
前川修「写真集を読む : トルボット『自然の鉛筆』論 」『美学芸術学論集』1(2005): 1-20
前川修「「ドイツ写真の現在―かわりゆく「現実」と向かいあうために」展 」『映像学』76(2006): 113-117
前川修「ヴァナキュラー写真論の可能性」『美学芸術学論集』3(2007): 1-17
前川修「物としての写真/写真としての物 (特集 物質性/マテリアリティの可能性) 」『美術フォーラム』21(2008): 116-121
前川修「歪んだ鏡としての写真、フリップブックとしての写真史 : ベンヤミン『写真小史』再考 」『美学芸術学論集』5(2009): 3-23
前川修「メディア論の憑依 : ポスト・メディウム的状況における写真 」『美学芸術学論集』7(2011): 3-14
前川修「指紋にとり憑かれること : 橋本一径『指紋論 : 心霊主義から生体認証まで』書評」『表象』6(2012): 276-281他に次。
前川修「写真の系譜学──バッチェンの写真論」『photographers'gallery press 』no.7 (2008): 130-140
前川 修「アラン・セクーラの写真論――写真を逆撫ですること」『写真空間〈3〉特集 レクチャー写真論』
前川 修「アマチュア写真論のためのガイド」『写真空間〈1〉特集 「写真家」とは誰か』青弓社、2008
前川 修「デジタルが指し示すもの――デジタル写真試論」『写真空間〈2〉特集 写真の最前線』青弓社、2008
前川 修「写真という囮、写真史という囮――杉本博司の「写真」 」『写真空間〈4〉特集:世界八大写真家論』青弓社、2010- 2017.10.19(木)
雨のなか、帰宅すると次の本が届いていました。
松浦寿輝『表象と倒錯:エティエンヌ=ジュール・マレー』筑摩書房、2001
副題にあるとおり、生理学者エティエンヌ=ジュール・マレーに関する松浦寿輝氏の博士論文の出版です。- 2017.10.20(金)
お昼過ぎに次の本が届きました。
長谷正人・中村秀之編著『映画の政治学』青弓社、2003
『社会学年誌』第43号(早稲田社会学会、2002)の特集「映像の社会学」に由来するそうです。夕刻に駒場。
1時間以上前に駒場に到着。非常勤講師室で判子を押してから、隣のコピー室で今日の配付資料をコピー。
それから図書館へ。次のコピーをとりました。
松浦 寿輝「表象と倒錯 エティエンヌ=ジュール・マレー 連載1」『ルプレザンタシオン』1号(1991): 163-175
松浦 寿輝「言語と言語ならざるもの エティエンヌ=ジュール・マレー 連載2」『ルプレザンタシオン』2号(1991秋): 174-183
松浦 寿輝「空気・浮遊・性差 エティエンヌ=ジュール・マレー 連載3」『ルプレザンタシオン』3号(1992春): 135-143
松浦 寿輝「映画装置の勝利と敗北 エティエンヌ=ジュール・マレー 連載4」『ルプレザンタシオン』4号(1992秋): 126-135
博士論文のもととなった雑誌連載です。なお、CiNii には、ちくまの連載しか出てきませんが、この表象の雑誌の前に、『都市』という雑誌にも2点論文を寄稿しています。さらに『is』(1990年9月)にも原稿を寄せています。
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー―運動と視覚の主題による<近代>論のための素描」『都市』1号(1989年7月)
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー―運動と視覚の主題による<近代>論のための素描」『都市』2号(1989年11月)
松浦寿輝「<無人>と<蝟集>と―『イメージ』の展開」 『is』(1990年9月)
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー(1)誰が映画を発明したのか」『ちくま』322(1998): 54-57
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー(2)クロノス対アニマ」『ちくま』323(1998): 42-45
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー(3)二種類の同語反復」『ちくま』324(1998): 42-45
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー」(4)飛ぶ鳥は飛ばず 『ちくま』325(1998): 42-45
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー(5)大森荘蔵に逆らって」『ちくま』326(1998): 40-43
松浦寿輝「エティエンヌ=ジュール・マレー(6完)単独性の狂気」『ちくま』327(1998): 42-45
つまり『ちくま』の1998年、1月から6月にかけて連載しています。
ほかにも、「ゼノンからアルベルティーヌへ」『イメージ―不可視なるものの強度』(シリーズ『表象のディスクール』第4巻)東京大学出版会、2000年4月
2〜3分前に教室に。履修者は7名で確定の模様。
7時5分発の急行に永福町で乗り換えました。- 2017.10.24(火)
大学ではまず図書館。TLL で届いている次の本を受け取りました。エティエンヌ=ジュール・マレ『運動』横山正訳・解説、リブロポート 1982
横山正さんの解説だけ、先に目を通しました。松浦さんとはまったく違う論調です。なお、本文に掲載されている図にはすべて目を通しました。19世紀の視覚装置、グラフ装置が数多く掲載されています。そういうものとして位置付け、そういうものとして研究することもできると思います。
石原あえか『近代測量史への旅』法政大学出版局、2015
石原さんは、立派な科学史家だと思います。どなたか、本格的な書評をお願いできないでしょうか?紙面をあけて待っています。- 2017.10.26(木)
まず、図書館によって、次の本を受け取りました。チャールズ・マッサー『エジソンと映画の時代』岩本憲児監訳・編、伊井田千絵・藤田純一訳、森話社、2015- 2017.11.2(木)
次に図書館に向かい、次の本を受け取りました。Marta Braun, Picturing Time: The Work of Etienne-Jules Marey (1830-1904), Chicago and London: University of Chicago Press, 1992- 2017.11.5(日)
午前中に次の2点が届きました。
美馬 達哉『「病」のスペクタクル―生権力の政治学』人文書院、2007
DVD 『極北の怪異(極北のナヌーク)』ロバート・J・フラハティ、1922年アメリカ。- 2017.11.6(月)
ぐるっと歩いて、医科歯科にすぐ接している喫茶店で一休み。昨日届いた、美馬 達哉『「病」のスペクタクル―生権力の政治学』(人文書院、2007)から、第6章「病者の光学―視覚化される脳」だけ読みました。よくまとまっていると思います。1冊の本となってもよいなと思いました。- 2017.11.7(火)
図書館に行って、次の本を受け取りました。
Thomas Elsaesser and Adam Barker (eds.), Early Cinema: Space, Frame, Narrative, British Film Inst, 1990図書館に行って、次の本を受け取りました。
Janet Bergstrom (ed.), Endless night : cinema and psychoanalysis, parallel histories, Berkeley: University of California Press, 1999
Karen Beckman and Jean Ma (eds.), Still Moving: Between Cinema and Photography, Durham :Duke University Press, 2008- 2017.11.9(木)
帰宅すると次の2点が届いていました。
アントワーヌ・メイエ『ヨーロッパの言語』西山 教行訳、 岩波文庫、2017
Hermut Gernsheim, The Rise of Photography 1850-1880: The Age of Collodion, Thames and Hudson, 1988
やっと届きました。これは、Gernsheimの写真史の第2部です。
Helmut と Alison のGernsheim夫妻の写真史は、最初、オクスフォード大学出版会から1955年に出版され、1969年拡大新版としてテムズ&ハドソンから再出版された。『写真術の勃興1850-1880 :コロジオンの時代』は、その写真史の改訂第3版の第2部である、ということです。
なお、名前ですが、ドイツ語では、ふつうにゲルンスハイムでしょう。主に英語圏で活躍したので、英語読みが問題になります。ガーンズハイム、ゲルンシャイムというカタカナ表記が見つかります。
目次は次です。
The introduction of photography on glass
Photography become fashionable
Portrait photography - a new industry
Art photography
Stereoscopic photography
Instantaneous photography
News photography
The carte-de-visite period
Some famous portrait photographers
Mammoth and miniature photographs
The evelution of dry plates
Permanent photographs- 2017.11.16(木)
5限に配布した資料のひとつです。A4 用紙1枚に収めています。「表象文化に触れる」という授業題目で、私は、去年から「視覚文化論/視覚文化史、画像文化論/映像文化論」の授業を行っています。
初回は、写真術の出現。視覚文化論/視覚文化史、画像文化論/映像文化論 基本文献表 2017
長谷正人編著『映像文化の社会学』有斐閣、2016
日高優編著『映像と文化』藝術学舎、2016
橋本毅彦『図説 科学史入門』ちくま新書、2016
橋本毅彦『描かれた技術科学のかたち : サイエンス・イコノロジーの世界』東京大学出版会、2008
ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』(どの版でも)
ベンヤミン『図説 写真小史』ちくま学芸文庫、1998
多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波現代文庫、2000
荒俣宏『図像学入門―目玉の思想と美学』 集英社文庫、1998
荒俣宏『図像観光:西洋近代版画を読む』朝日新聞社、1986
荒俣宏氏の画像関係の著作すべて
L.J.M.ダゲール『ダゲレオタイプ教本』中崎昌雄解説・訳、朝日ソノラマ、1998
ニューホール『写真の夜明け』朝日ソノラマ、1996
田中祐理子『科学と表象』名古屋大学出版会、2013
ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜 : 視覚空間の変容とモダニティ』以文社、2005
長谷正人・中村秀之編著『アンチスペクタクル:沸騰する映像文化の考古学』東京大学出版会、2003 バッチェン『写真のアルケオロジー』青弓社、2010
レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語:デジタル時代のアート、デザイン、映画』堀潤之訳、みすず書房、2013
トーマス・ラマール『アニメ・マシーン : グローバル・メディアとしての日本アニメーション』名古屋大学出版会、2013
デイヴィッド・ホックニー 『秘密の知識 : 巨匠も用いた知られざる技術の解明』青幻舎、2010
フィリップ・ステッドマン『フェルメールのカメラ : 光と空間の謎を解く』新曜社、2010
ジェンキンズ『フィルムとカメラの世界史:技術革新と企業』平凡社、 1998
北田暁大『広告都市・東京:その誕生と死』筑摩書房、2011
四方田犬彦『「かわいい」論』筑摩書房、2006
マクルーハン『メディア論』みすず書房、1987
東浩紀『動物化するポストモダン:オタクから見た日本社会』講談社、2001
スクリーチ『大江戸視覚革命』作品社、1998
パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』哲学書房、1993
次の紙も配布しました。
2017 表象文化の世界に触れる 101教室アクティブ・ラーニング:選択肢の追加
どういうものでもよい、画像を1点取り上げ、それについて解説することでもよい。A4 用紙1枚に次の4点を収めること。
1.画像そのもの
2.キャプション(何の画像かを記す)
3.ソース(典拠:その画像がどの本の何頁からとったものか、ウェブであれば、url ならびにどういうサイトからとったものか)を明示
4.コメント(選んだ理由、惹かれた理由、等)
期末レポート
上のアクティブ・ラーニングの選択肢の追加にあわせて、期末レポートに関しても選択肢を追加する。すなわち、画像文化史/画像文化論・映像文化論/映像文化史のテーマを選んでもよい。上のアクティブ・ラーニングを発展させた形でもよい。
アクティブラーニングの選択肢は、学生たちには新しい種類の課題です。例示を1点渡しました。「最初の統計グラフ」です。キャプションは次。
統計グラフの最初:スコットランド生まれの技師兼統計学者プレイフェア(William Playfair, 1759-1823) が日本語では「棒グラフ、折れ線グラフ、円グラフ等」(英語では、line graph, bar chart, circle graph, pie chart etc.) と呼ばれる統計グラフを発明したと言われる。
上のグラフは,The Commercial and Political Atlas (1786), plate 5 より。 横軸に1700年から1800年までの時間軸を取り、縦軸に英国と北アメリカ植民地とのあいだの輸出額と輸入額を取り、今の言葉を使えば1770年代後半における貿易収支の劇的な逆転を見事に示している。
ちなみに、プレイフェアは、この「グラフ」を「チャート」と呼んでいて、「グラフ」とは呼んでいない。
こうしたプレイフェアのグラフ(チャート)は、数値的関係の図表示(graphical display)の革命であったが、同時代にはその重要性が認知されず、彼は1823年貧困のなか亡くなった。19世紀後半になって、グラフの重要性は、統計学だけではなく、自然科学的分野の全般にわたり認識され、数値的認識、科学的認識の必要不可欠の道具として広く使われるようになった。なお、「グラフ」(graph)という用語を最初に使ったのは、数学者のジェームズ・ジョセフ・シルベスター(James Joseph Sylvester, 1814-1897) であり、1878年のことであった。シルベスターは、最初、複合体をつくる化学元素の関係を示すため「グラフィック・フォーミュラ」を用い、ついでその形式を数学に応用した。その際に「グラフ」という言葉を使ったのである。
- 2017.11.19(日)
19世紀後半の写真史を追いかけています。
Friedrich Lenger「近代のメトロポリスを定義する:19世紀中葉〜20世紀中葉の万国博覧会を手がかりに」(一橋大学)CCES Discussion Paper Series, No. 63(2016), 1-24
万国博覧会を通して、19世紀後半におけるメトロポリスを概観しています。非常によくわかるサーヴェイとなっています。印刷せずに読み通しました。菊池哲彦「写真アーカイブの歴史社会学―近代フランスの歴史保存のおける写真のメディア文化史―」(社会意識(2)新聞と市場)
1837年創立の歴史的記念物委員会と1851年に結成された写真記録使節団を取りあげています。1頁のレジメです。1851年の写真記録使節団は仕事は出版されませんでした。(フランス各地の歴史的建造物を5人の写真家を派遣して撮影させたが、公開しなかった。)詳細は、1960年代になってやっと知られるようになった。伊藤俊治「中心の神秘へ―写真のオリエンタリズム―」『オリエンタリズムの絵画と写真』pp.103-5
ルグレイ(Le Grey)に写真術を学んだマクシム・デュ・カン(Maxime Du Camp, 1822-1894)を中心に取りあげています。とくに『写真スケッチ』(1852)。エジプト、ヌビア、パレスチナ、シリア。John Hannavy (ed.), Encyclopedia of Nineteeth-Century Photography, Oxford: Routledge, 2008
理由は不明ですが、ウェブにpdf があります。- 2017.11.21(火)
まず図書館によって、ILL で届いていた次の本を受け取りました。
マクシム・デュ・カン [撮影] ; 浅倉祐一朗編集『マクシム・デュ・カン--150年目の旅--展 』マクシム・デュ・カン展実行委員会, 2001
冒頭に置かれた解説文、小倉孝誠「オリエントの誘惑―マクシム・デュ・カンの東方紀行」『マクシム・デュ・カン--150年目の旅--展 』pp.7-13 をまず読み通しました。マクシム・デュ・カンは蓮実の本で知られるフランス文学者ですが、なかなか面白い人です。この撮影旅行によって『エジプト・ヌビア・パレスチナ・シリア』(1852-54)という写真集を出版し、名誉を得ますが、「デュ・カンがオリエントで最後に撮った写真は、1850年9月15日にシリアのバールベックで撮られたものである。その後ベイルートで、なんと機材一式を売りはらってしまう。数多くの記録写真を撮影してみずからの任務が終わったと思ったのか、あるいは、重くてかさばる機材の運搬と管理がわずらわしくなったのか。」つまり、デュ・カンが記録写真家であったのは、たったの10ヶ月間にすぎなかった。- 2017.11.22(水)
まず、図書館に向かい、次の本を受け取りました。
Michael Marian and John Bender, The Culture of the Diagram, Stanford University Press, 2010研究室で片付け。&ちょっとした調査。
12時から打ち合わせ。12時25分まで。
図書館から本が届いたという連絡があったので、受け取りに行きました。
Francois Dagognet, Etienne-Jules Marey: A Passion for the Trace, Zone Books, 19922時20分から会議。2時10分に会議室に入りました。1番かと思ったら、5番目でした。はやいかたははやい。研究室を出る直前、図書館から次の本が届いたという知らせを受けています。
Patrice Petro (ed.), Fugitive Images: From Photography to Video, Bloomington: Indiana University Press, 1995
論集です。目次は次。
Introduction by Patrice Petro
Anatomies of the Visible Corporealized Observers: Visual Pornographies and the Carnal Density of Vision by Linda Williams
Phantom Images and Modern Manifestations: Spirit Photography, Magic Theater, Trick Films, and Photography's Uncanny by Tom Gunning
Death and the Photographic Body by Lynne Kirby
Hitories of Looking
Inventing Monument Valley: Nineteenth-Century Landscape Photography and the Western Film by Edward Buscombe
Derelict Histories: A Politics of Scale Revised by Aine O'Brien
Still and Moving Images
How to See (Photographically) by Regis Durand
Photography Mise-en-Film: Autobiographical (Hi)stories and Psychic Apparatuses by Philippe Dubois, translated by Lynne Kirby
An Empirical Anant-Garde: Laleen Jayamanne and Tracey Moffatt by Patricia Mellencamp
Just in Time: Let Us Now Praise Famous Men and the Recovery of the Historical Subject by Charles Wolfe
Negativity and History
Words of Light: These on the Photography of History by Eduardo Cadava
Flat-Out Vision by Herbert Blau
After Shock/Between Boredom and History by Patrice Petro
The Pencil of History by John Tagg
帰宅すると,次の本が届いていました。
石井洋二郎『時代を「写した」男ナダール (1820−1910)』藤原書店、2017
ナダールは、面白いので、こういうふうに評伝が出るのは、うなずけます。
→ナダールについては、けっこう本もでています。
小倉孝誠『写真家ナダール : 空から地下まで十九世紀パリを活写した鬼才』中央公論新社、 2016
F・ナダール『ナダール : 私は写真家である』 大野多加志, 橋本克己編訳、筑摩書房 、1990
Félix et Paul Nadar『パリの肖像 : ナダール写真集』立風書房、 1985
Paul Nadar『ベル・エポック : ナダール写真集』立風書房、 1985
『世紀末パリ : ナダール写真館展』セゾン美術館、 1992
論文も一定数でています。- 2017.11.24(金)
お昼過ぎに次の本が届きました。
ジョン・アーリ/ヨーナス・ラースン『観光のまなざし [増補改訂版]』加太宏邦訳、法政大学出版局、2014
この書物は基本です。学生たちに渡した「視覚文化論・画像文化論」の文献リストに第一に追加すべきは、この書物です。第7章は授業でテキストとして使います。第6章も使いたいな。- 2017.11.28(火)
すぐに図書館。ILL で届いていた次の本を受け取りました。
江口久美『パリの歴史的建造物保全』中央公論美術出版, 2015, 18,360円
概要は次。1897年設立のパリ市の諮問機関「古きパリ委員会(CVP)」が、いかに歴史的記念物保全に都市史的視点を導入して、その後のフランスの豊かな都市景観の大きく貢献している歴史的環境保全制度の展開への基点となりえたかを明示する。東大都市工学専攻の博士論文(工学)です。写真のことはあまり触れられていませんが、有用な情報があります。目次は次。
第1章 本書の枠組み
第2章 19世紀の歴史的建造物の出現と都市風景へのまなざし
第3章 19世紀のパリにおける歴史的建造物保全と風景観
第4章 古きパリ委員会(CVP)の設立と都市的視点の萌芽
第5章 考古学的・芸術的目録(CAA)の作成と歴史的環境保全への展開
第6章 1920年代以降の国の保全制度への反映と展開
結論
資料編
- 2017.11.29(水)
帰り着くと次の本が届いていました。
Minor White (intro.), André Jmmes and Robert Sobieszek (comenntaries), French Primitive Photography, an Aperture Book, New York, 1970
展覧会の図録です。この写真はとても面白い。- 2017.12.1(金)
4時40分教室に入りました。まだ誰も来ていません。授業は4時50分開始。この授業ではじめた学生による「画像提示」はなかなか面白いものを持ってきてくれます。ノーベル賞受賞スペイン人研究者のニューロンのスケッチを提示してくれました。見事なスケッチでした。10分の休みのあいだに、ちょっと気になったので、Album of Science の19世紀の部分を手元において見ていました。ちょうどゴルジの網膜細胞のスケッチとカハールの神経細胞のスケッチ(別の絵)がありました。ゴルジが見いだした染色薬がポイントでした。
本番の発表は、エジソンの映画事業を取りあげてもらいました。- 2017.12.8(金)
教室に向かっていると雨。予報では雨でしたが、実際に降ってきました。冷たい冬の雨です。理系の学生だと勝手に思っていた2人の学生が文系だと判明しました。理系の学生が3人、文系が4人という割合でした。
画像提示は、理系の院生にやってもらいましたが、いろんな疑問質問がでる、非常に面白い題材を提示してくれました。
テキストの発表の方は、橋本さんの本の第7章「分子、原子、素粒子―心の眼で見た旧教の粒子」を理系の学生に発表してもらいました。「心の眼」にはひっかかる方もおられるかもしれません。理論的モデル、概念的構築物と理解してもらえばよいのではないでしょうか。画像提示をしてくれた院生は、素粒子の部分はモデルではなく、実験を描写している、理論モデルを記述する選択肢もあったのではないかと指摘してくれました。その通りです。
私のコメントですが、橋本さんは、基本物理学史の方だな、というものです。化学史の材料を物理学史的観点で整理した記述と言えると思います。- 2017.12.12(火)
まず、図書館。次の本を受け取りました。
Micheline Nilsen (ed.), Nineteenth-century photographs and architecture : documenting history, charting progress, and exploring the world, Ashgate, 2013
ざっと見てみました。なかなかよい本だという感じがします。目次は次。
Introduction, Micheline Nilsen
Part 1 Photography and the Discipline of Architecture History: Expanding Vision: The isolating still focus: photography and aesthetic perception in Jacob Burckhardt's writings, Anne Hultzsch
'Worthy of being thus preserved': American daguerreotype views and the preservation of the past, 1840-1860, Whitney A. Martinko
History in albumen, carbon and photogravure: Thomas Annan's Old Glasgow, Robert Evans
Intersecting routes of architectural travel, photography and survey books in the 19th century, Sibel Acar
Aerial views and panoramas: photographing the 19th-century universal expositions, John W. Stamper
The Studio Collard and the barricades of 1871: a challenge not only to the architecture of Paris, Michaela Giebelhausen
Blurred observations: the late 19th-century grand tour of Captain J. Douglass Kennedy, Eamonn Canniffe
Construction photography in the service of international public relations: the French connections, Claude Baillargeon
The elusive challenge of photographing urban spaces: 19th-century Berlin as exemplar, Douglas Klahr.
Part 2 Exploring the World: Francis Bedford - architecture as nation, Stephanie Spencer
The antiquarian gaze: colonialism, architecture and the imaginative geographies of ruins in 19th-century Irish photography, Justin Carville
Spanish architecture seen by foreign photographers of the 19th century, Helena Perez Gallardo
Romanian architecture and cityscape: the legacy of 19th-century photographers, Adrian-Silvan Ionescu
Romanticizing the uncanny: Ernst Ohlmer's 1873 photographs of the European-style palaces in the Yuanmingyuan, Maureen Warren
Select bibliography
Index.
- 2017.12.14(木)
帰宅すると次の本が届いていました。
Eric A. Newman, Alfonso Araque, and Janet M. Dubinsky (ed.), Essays by Larry Swanson, Lyndel King, and Eric Himmel, The Beautiful Brain: The Drawings of Santiago Ramón y Cajal, New York: 2017
目次は次。
The Beautiful Brain by Eric A. Newman, Alfonso Araque, and Janet M. Dubinsky
Santiago Ramón y Cajal by Larry Swanson
Drawing the Beatiful Brain by Lyndel King and Eric Himmel
Seeing he Beatiful Brain Today by Janet M. Dubinsky
The Drawings- 2018.1.5(金)
お昼過ぎに、『ゲンロン7 ロシア現代思想II』ゲンロン、2017 が届きました。早速、山下研「イメージの不可視な境界―日本新風景論序説」を読みました。傑作です。最優秀賞もまったく頷けます。いろいろ勉強になりました。- 2018.1.9(火)
マーティン・ジェイ『うつむく眼: 二〇世紀フランス思想における視覚の失墜』亀井 大輔,神田 大輔, 青柳 雅文, 佐藤 勇一, 小林 琢, 田邉 正俊共訳、法政大学出版会、2017
マーティン・ジェイ『うつむく眼』の方は、タイトルだけでは中身が分かりづらいと思います。本屋さんの解説を引用しておきます。「二 〇世紀フランス思想は近代における視覚の覇権体制に反旗を翻した。絵画、写真、映画等々の視覚芸術から哲学、宗教、心理学、ジェンダーにいたる諸論点をめ ぐり、ベルクソン、サルトル、メルロ=ポンティ、レヴィナス、ラカン、フーコー、デリダらの思考が「反視覚」の一点において重なり合う圧倒的思想史にし て、フランクフルト学派の研究で知られる著者の新展開を鮮烈に印象づけた記念碑的大著。」キンドルで『ゲンロンβ』を試し読みしました。何冊か購入して、読み続けようと思います。まずは、編者東浩紀氏の論考、ならびに大山顕氏の連載(「スマホの写真論」)を読んでいます。面白い。
- 2018.1.10(水)
吉見俊哉『視覚都市の地政学――まなざしとしての近代』岩波書店、2016
目次は次です。
眼・群集・都市―まなざしとしての近代
1 拡大するモダニティ(帝都東京とモダニティの文化政治 近代空間としての百貨店 映画館という戦後)
2 飽和するモダニティ(テレビが家にやって来た メイド・イン・ジャパン テレビ・コマーシャルからの証言―アーカイブが開く地平 シミュラークルの楽園)
3 認識するモダニティ(都市の死 文化の場所 都市とは何か―都市社会学から文化の地政学へ) 戦後東京を可視化する―まなざしの爆発とその臨界
- 2018.1.17(水)
ゲンロン
ここのところ、東浩紀氏の『ゲンロン』をずっと読んでいます。駒場の授業「画像文化史」では、20世紀、21世紀のことはあまり取りあげず、17世紀から19世紀に焦点をあわせていました。ゲンロンに集う方々には、「画像文化史」という意識はないようですが、たとえば、スマホ、自撮り、スクリーン、という事象に関して、深い哲学的(表象論的、メディア論的)関心が見られます。なるほどと思える論を展開しています。
キンドルはしばらく眠っていましたが、眠っているキンドルを召還し、キンドル上で、『ゲンロンβ』を読み続けています。
現時点で入手した『ゲンロンβ』は、1,2,11,14,15,16,17,18,19,20です。ほぼ半分です。その半分ぐらいには目を通しました。
読んでいるのは、東浩紀氏、大山顕氏(スマホの写真論)、黒瀬陽平氏の連載です。他の方のものも、興味がひかれたら読んでいます。- 2018.1.20(土)
夕食後、『ゲンロンβ21』をダウンロードして読みました。面白い。タッチスクリーンによる知覚の革命と、スキャン的視覚の話をしています。実は、遠近法の時代にもスキャン的視覚があるということを私は言っていました。現在の用法に定位すれば、マルチスクリーンの問題領域もあると思います。
読んだのは次。
東浩紀「観光客の哲学の余白に 第9回 触視的平面の誕生」
大山顕「スマホの写真論 第10回 航空写真と風景」
吉田雅史「アンビバレントヒップホップ 第12回 RAP, LIP and CLIP――ヒップホップMVの物語論(中)」
次のも、すこし読みました。
渡邉大輔「ポスト・シネマ・クリティーク 第23回 原形質的な幽霊たちの家――清原惟監督『わたしたちの家』」
- 2018.1.30(火)
午後、次の本が届きました。
Micheline Nilsen, Architecture in Nineteenth-Century Photographs: Essays on Reading a Collection
London and New York: Routlege, 2011- 2018.2.5(月)
夕刻に、『ゲンロン5 幽霊的身体』(ゲンロン、2017)が届きました。これで、手元にある『ゲンロン』は、次のようになりました。
『ゲンロン』0,1,4,5,6,7
つまり、2,3,4がまだありません。
『ゲンロンβ』1,2,8, 9, 10, 11,12, 13, 14,15,16,17,18,19,20、21
つまり、3, 4, 5, 6, 7 がまだありません。『ゲンロンβ』の方はキンドルで読んでいます。新学期が始まるまでに全巻揃えて、必要な部分は読み通します。- 2018.2.7(水)
『ゲンロンβ』をコンプリートしました。黒瀬陽平さんの平面論を読むためです。黒瀬陽平「「ポスト」モダニズムのハードコア―「貧しい平面」のゆくえ」これはほんとうに面白い。
黒瀬 陽平「他の平面論(第1回)「無意識」と釣り人 ?」『ゲンロン』1(2015): 136-151
黒瀬 陽平「他の平面論(第2回)歴史画と「違和感」 」『ゲンロン』2(2016): 217-228
黒瀬 陽平「他の平面論(第3回)怨霊たちの風景」『ゲンロン』4(2015): 250-263
黒瀬 陽平「他の平面論(第4回)ふたつの「日本文化論」批判 」『ゲンロン』5(2017): 223-239
黒瀬 陽平「他の平面論(第5回)「受け入れ」と「持ち出し」の美術史 」『ゲンロン』6(2017): 208-224
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア : 「貧しい平面」のゆくえ(第1回) 」『ゲンロンβ』(2016): 8-14
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ #14」『ゲンロンβ』8(2016):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ #15」『ゲンロンβ』9(2016):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ 第20回」『ゲンロンβ』17(2017):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ 第21回 何とどのように「コミュニケーション」するのか?」『ゲンロンβ』18(2017):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ 第22回」『ゲンロンβ』20(2017):
→『思想地図』(NHK出版)は第1巻(2008)だけ購入しています。どこにあるのかは不明です。- 2018.2.23(金)
やっと『ゲンロンβ22』(2018.2.16)がダウンロードできました。おおきいちびと妻がミュージックステーションと女子カーリング準決勝を視聴するなか、私の読むべきものは読みました。たぶん紙の雑誌で言えば、乱丁があります。ページ順には読むことができなかったのですが、工夫により、全体を通して読むことはできました。
東浩紀「観光客の哲学の余白に 第10回 触視的平面の誕生(2)」
大山顕「スマホの写真論 第11回 写真と影と妖精」
渡邉大輔「ポスト・シネマ・クリティーク 第24回 ポストシネマにおける触覚性の問い」
黒瀬陽平 「「ポスト」モダニズムのハード・コア――「貧しい平面」のゆくえ 第23回 カメラからスキャナーへ」
黒瀬陽平氏の論考の要約には、「オンラインゲームPUBGが導入したある画期的な技術から、私たちが獲得した新しい「視覚」の内実に踏み込む」とあります。翻って考えると、描かれた平面は、写真的というよりもむしろスキャンされた画像と言えるものが多くあることに気付きます。遠近法的絵画でさえも、よく考えれば、スキャンされた画像と捉えた方が適切なものが見つかります。瀬陽平氏は、カメラという視点固定型=遠近法画面作成型装置に対して、スキャナー的装置のもつ意味と広がりを探求されています。
この4つの論考が同じ問いに向き合っています。東氏の名づけた「触視的空間」の問題は、『ゲンロンβ21』(2018.1.19)で本格的に取りあげられています。
東浩紀「観光客の哲学の余白に 第9回 触視的平面の誕生」
大山顕「スマホの写真論 第10回 航空写真と風景」
渡邉大輔「ポスト・シネマ・クリティーク 第23回 原形質的な幽霊たちの家――清原惟監督『わたしたちの家』」
『ゲンロンβ20』(2017.12.18)
大山顕「スマホの写真論 第10回 自撮りを遺影に」
黒瀬陽平 「「ポスト」モダニズムのハード・コア――「貧しい平面」のゆくえ 第22回」:要旨「初期ビデオアーティストたちは、ハッカーたちと同じパラダイムに生きていたーー。それぞれが「新しい窓」とその「向こう側」をどのように作ったのか」
- 2018.3.1(木)
帰宅すると次の本が届いていました。
甲斐 義明編訳『写真の理論』月曜社、2017
ジャン・シャーカフスキー、アラン・セークラ、ロザリンド・クラウス、ジェフ・ウォール、ジェフリー・バッチェンの論文を訳出したものです。編訳者による、解説(pp.185-282)、あとがき(pp.283-296)、さらにブックガイド(pp.297-306)がついています。
この本は、半分以上は、 編訳者の 甲斐 義明氏の本です。論文を選び、訳出し、それぞれの著者に関して、解説を施し、ブックガイドまで用意されています。ほぼ100頁にのぼる解説の長さをご覧ください。なお、目次は次。
1 ジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski, 1925-1997) 「『写真家の眼』序文」1966年
2 アラン・セクーラ(Allan Sekula, 1951-2013) 「モダニズムを解体し、ドキュメンタリーを再創案する(表象の政治学についての覚書)」1978年
3 ロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss, 1941-) 「写真とシミュラークルについての覚書」1984年
4 ジェフ・ウォール(Jeff Wall, 1946-) 「「取るに足らないものの印」――コンセプチュアル・アートにおける/としての写真の諸相」1995年
5 ジェフリー・バッチェン(Geoffrey Batchen, 1956-) 「スナップ写真――美術史と民族誌的転回」2008年
解説(甲斐義明)
ジョン・シャーカフスキー
アラン・セクーラ
ロザリンド・クラウス
ジェフ・ウォール
ジェフリー・バッチェン
あとがき(甲斐義明)
ブックガイド(甲斐義明)
- 2018.3.10(土)
私の発表そのものですが、結局、「東大駒場画像文化論・画像文化史の授業(2015-17)のレビュー」を行いました。東大駒場の橋本さんの依頼で、2010年以降、駒場で科学史特論の授業を比較的長く、継続的に行いました。
2011年度 ロンドン王立協会・パリ科学アカデミー再訪:科学革命の見直しに向けて
2013年度 初期近代の生理学史・医学史・生物学史:ハーヴィーを中心に
2014年度 2013年度の継続 (田中祐理子さんの『科学と表象』を使う)
2015年度からテーマを画像文化史に変更、2017年度までの3年間継続。
そう、2015年度から今年度まで3年間連続して、画像文化史/画像科学技術史をテーマに取りあげました。
授業のレビュー(一種のFDに当たると思われます)として、私は3点を指摘しました。
1. この年からの授業の工夫:参加者全員による15分以内の画像提示(授業時間が90分+15分となったことへの対応を兼ねる。開始15分をこれにあてた。)
アメリカの画像文化史家ヴァネッサ・シュヴァルツさんの授業シラバス(2010年度視覚研究入門)を参考にして、導入した。具体的には次の通り。参加者全員が順番に1枚の図像・イメージを授業に持参し、その画像の基本(1.何なのか。2.どうしてその画像を選んだのか。3.出典)を説明する。
この種の授業ではとても有意義な試みであった。こういう分野の授業を行う際には、取り入れてもらうとよいと思う。
なお、どうしたものを探せばよいのかわからないという学生には、I.B. Cohen(ed.), The Album of Science (New York, 1978-89) 邦訳『「マクミラン」世界科学史百科図鑑』(原書房、1992-4)を繙くことを奨めた。
2.*教訓1
具体的な画像・イメージに注目して分析するのが目的の一つであったが、画像0での発表も少なくなかった。歴史学だけではなく、人文学はテキストの学として成り立っている。画像・イメージが視野からはずれてしまうことがあることに注意しておくべき。
論文中に、必要な画像を必要な仕方できちんと取りあげなければならない。
注の形式が人文社会系の学問でだいたい決まっているように、画像についても、それがただの装飾・挿絵でない場合には、利用の仕方について一定の共通了解があるべきだと思われる。
たとえば、クレーリーが『観察者の系譜』で行ったように、掲載する図像の典拠(ソース)を示さないのはまずい。すくなくとも画像が意味をもつテキストにおいては、ソースをしっかりと示す習慣が形成されるべきだと言える。
また小さすぎる図版もあまり意味がないと思われる。図版に重要な意味がある場合、一定の大きさを確保すべきだと思われる。
まとめると、適切な大きさ(解像度)と正確な典拠の明示は最低限必要だと言える。
3.*教訓2
レビューの必要性。
橋本毅彦(2008)と田中祐理子(2013)を複数回使っていることからわかるように、この分野における欧米の新しい研究や研究動向を日本語で紹介するものが教育目的だけではなく、研究を先に進めるためにも必要。
とくに、橋本さんによる、Klaus Hentschel, Visual Cultures in Science and Technology: A Comparative History, Oxford: Oxford University Press, 2014 のレビューは必須であろう。
日本語の研究動向をまとめたものもあった方がよいだろう。文献としては次のことを指摘できる。
画像文化論・画像文化史の分野の基本的な参考文献
どの分野から参入するにせよ、基本文献として指定できるものはほぼ共通する。
ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜:視覚空間の変容とモダニティ』 遠藤知巳訳、十月社、1997以文叢書、2005
長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタル:沸騰する映像文化のアルケオロジー』東京大学出版会、2003
ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修・佐藤守弘・ 岩城覚久共訳、青弓社、2010
青弓社が出した視覚文化叢書の5冊は、視覚文化研究書として貴重。
視覚文化叢書 1 :ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修 , 佐藤守弘 , 岩城覚久訳、青弓社、2010
視覚文化叢書 2 :長谷正人『映画というテクノロジー経験』青弓社、2010
視覚文化叢書 3 :佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』青弓社、2011
視覚文化叢書 4:大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
視覚文化叢書 5:増田展大『科学者の網膜: 身体をめぐる映像技術論:1880-1910 』 青弓社、2017
- 2018.4.2(月)
[橋本科研:科学史学会シンポジウム]
橋本科研では、3月末になって、急遽、5月26日(土)、27日(日)に東京理科大学葛飾キャンパスで開かれる日本科学史学会年会に参加することになりました。3月末に準備していたのは、そのレジメです。橋本さんがまとめて提出してくれました。
東京理科大学には行ったことがあります。神楽坂にあるキャンパスでは、本当に若い頃、非常勤に行ったことがあります。しかし、葛飾キャンパスは、まったく知りません。グーグルマップで検索をかけてみました。我が家から1時半かかります。都内なのに、市川より遠い。朝一番のシンポジウムというのはないでしょうから、いつもよりはやく起きないといけないといった心配はいらないと思いますが、たとえば6時に終了して、帰り着くのが7時半ですから、そういう遠さ・不便さはあります。
東京理科大学葛飾キャンパスの最寄り駅は、JR常磐線(東京メトロ千代田線)「金町駅」または京成金町線「京成金町駅」です。私のところからは千代田線を使うことになりそうです。私の人生のなかで、金町駅はつかったことがありません。[シンポジウム 科学史における図像の製作と利用に関して]
吉本秀之(東京外国語大学)、田中祐理子(京都大学)、河野俊哉(暁星高校)、橋本毅彦(東京大学:オーガナイザー)
片づけの最中、クレーリの『観察者の系譜』が堆積した山のなかにあるのが見えました。今回の発表に関係します。ステレオスコープに関すると箇所を読み直しました。クレーリの『観察者の系譜』はかなり読み込んでいたのですが、ステレオスコープの部分はうまくつかめないでいました。今回読み直して、クレーリー自身もうまくつかめていないのではないかと思うようになりました。
p.174 でクレーリは次のように言います。「写真を除けば、一九世紀における視覚映像のもっとも重要な形式はステレオスコープだった。ステレオスコープ体験がどれほど広く社会に浸透したかということ、そしてまた、写真によって生み出された映像を経験する様態を、何十年ものあいだステレオスコープが定めていたことは安易に忘れ去られている。ステレオスコープの歴史も、他の現象のそれと混同されてきたのであり、この場合写真がその相手だった。」
「北アメリカとヨーロッパの全土にステレオスコープが広く商品として流通したのは、一八五〇年代以降のことにすぎない。」
最初の文に対する注(31)でクレーリーは次のように記しています。「ステレオスコープをまともにとり扱った文化的、歴史的研究はほとんどない。」(第四章、注31, p.263 ) ついで、その数少ない研究として三点を挙げています。
1.Edward W. Earle, (ed.), Points of View: The Stereograph in America: A Cultural History, Rochester, 1979
2.A. T. Gill, "Early Stereoscope," The Photographic Journal, 109(1969): 545-599, 606-614, 641-651
3.Rosalind Krauss, "Photography's Discursive Spaces: Landscape/ View," Art Journal, 42(Winter, 1982): 311-319 (邦訳クラウス『オリジナリティと反復』「写真の言説的空間」)次の注32) では「一八五四年に設立されたロンドン・ステレオコープ会社一社だけで、一八五六年までの二年間のあいだに五十万台のステレオスコープを販売した。Helmut and Alison Gernsheim, The History of Photography, London, 1969, p.191
クレーリの視野に、覗き眼鏡は入っていないようです。p.192 に「覗きからくり(ピープショー)、クロード・グラス、版画覗き箱(プリント・ヴューイング・ボックス)といった一七、一八世紀の光学機器類」という表現があり、訳注(p.280)がついています。これはすべて、覗きからくり、覗き箱を指しているようです。カメラ・オブスクラと混同されることのある覗き眼鏡は視野に入っていません。
そもそも光学装置として、認知が低いようです。科学装置の百科事典をうたう『科学大博物館―装置・器具の歴史事典』には、立項されていませんでした。ステレオスコープは、立体鏡はあります。pp.755-757. 2頁あまりがあてられています。
「ブルースターの器具の一つの改良版は1851年のロンドンの大博覧会で陳列され、特にヴィクトリア女王の賞賛を受けた。女王の関心は、立体写真術の大流行を刺激した。立体写真に対する大衆市場がすぐに確立され、そして立体鏡は凝った飾りが施され、19世紀の家庭に広く普及した。双眼立体鏡は当時の最も人気のある科学的玩具の1つとなった。」
「その人気は第1次世界大戦後には下火になった」。クレーリーに戻って。 p.266 note 50) 17、18世紀のあいだ、望遠鏡や顕微鏡の器具としての性能は驚くほど発達しなかったと、J.D. バナールは記している。19世紀になるまで、顕微鏡は「科学的、実際的な価値を有するものであるというよりも、哲学的な意味において、楽しみと有益さとを与えてくれるものだった。」J.D. Bernal, Science in History vol.2: The Scientific and Industrial Revolutions, Cambridge, Mass., 1971, pp.494-469 (邦訳、『歴史における科学(決定版)』鎮目恭夫・長野敬訳、みすず書房、1966年、p.277.
- 2018.4.3(火)
[文献調査]
Rosalind Krauss, "Photography's Discursive Spaces: Landscape/ View," Art Journal, 42(Winter, 1982): 311-319 予想通り、これはウェブにpdf でありました。すぐにダウンロードし、プリントアウトしました。
ただし、邦訳は、外大図書館にはなく、他大学にILLで依頼しました。今週中には届くのではないでしょうか。
Edward W. Earle, (ed.), Points of View: The Stereograph in America: A Cultural History, Rochester, 1979 調べが行き届いていないだけかもしれませんが、これは、日本の大学図書館には入っていないようです。
上に書いた文献調査とは、こういう調査です。→18.4.4 zograscope を OED で引いてみました。
OED によれば、初出は、1753年 G.Adams Descr. & Use Universal Trigonometrical Octant 3(advt.) ”遠近法版画を見るためのzograscopes” という記述がある
残り3点は、20世紀の研究文献です。2点目と3点目は、1953年Annals of Science第9巻に掲載されたChaldecott の論文です。タイトルと「ジョージ・アダムズによって製作された装置・器具の商品カタログ以外には、18世紀・19世紀のどの文献にも "zograscope" への言及は見つけられていない」という文を引用しています。そうであれば、この光学装置(箱)を指すのに、 "zograscope" は使わない方がよいということになると思います。
最後のものは、1969 E.H. Pinto Treen 284 「通常、ジョージ王朝時代の shaving mirror として記述され販売されているが、それは違う。 "zograscope"はおそらく1750年前後に発明され、版画を拡大して見る装置として長い命を保った光学器械であった。」→ 18.4.4 このテーマだとバーバラ・スタフォードだと気付き、研究室で2冊、家に帰ってきて1冊、バーバラの本を確認しました。一応バーバラの視野には当然入っていますが、フォーカスがあっているかというとあっていないと思います。
『アートフル・サイエンス』(1997)の索引では、「光学キャビネ optical cabinets」5,267, 355;「光学箱 optical boxes」54, 71, 101, 339 として立項されています。「のぞき眼鏡 optical boxes」101, 339 もあります。
関連項目として、「カメラ・オブスクーラ camera obscura」39, 54, 55, 126, 178, 180, 267, 339、「幻灯 magic lantern」54, 56, 69, 72, 264, 267, 268, 338 があります。
339 「近代初頭の目人間たちはオプティカル・ボックスや[図50, 66]カメラ・オブスクーラを覗きこみ[図112]、スモークに幽霊を投射し[図48, 55]、振り子を操り[図99]、蒸気エンジンを動かした[図132]。手彩の折りこみ図版、切抜き絵、透かし絵、穴あき印刷などを見ると、こういう国籍を知らず、シリーズであることの多い出版物が本であると同時に玩具であることが知れるわけだ。」→ 18.4.5 足元に Barbara Maria Stafford and Frances Terpak, Devices of Wonder: From the World in the Box to Images on the Screen, Los Angeles, 2001 がありました。これは、今回の研究にぴったりの本です。関連箇所を読んでみました。
これはまさに共著です。前半をバルバラが書いています。「技術をみせる:魔術的領域」。後半は、テルパック(という発音でよいでしょうか)が書いています。「対象と文脈」。最後から4つめが "Vues d'optique" .pp.344-53→→→ 18.4.5 スタフォード『ボディクリティシズム: 啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』高山宏訳、 国書刊行会、2006
p.481
英仏の光学箱(optical box)、ドイツの「書割絵 Kulissenbilder」、イタリアの「新世界 mondo nuovo」ーこれはピエトロ・ロンギ(1702-1785)、アレッサンドロ・マニャスコ(1667-1749)、有名なティえーポロの息子のジョヴァンニ・メーニコ・ティエーポロ(1727-1804)の絵に登場して有名ーは、カメラ・オブスクーラの延長線上にあった。これら全視(pantoscopic)の機械は架空の光景を3次元に、迫真なものに見せた。シミュレーション、「新世界」からの「新情報」が、縁日や市場のまばゆい喧騒の渦中ではなく、家庭という薄暗がりの私空間で広まっていった。覗機関(ピープショー)、ヴュ・ドプティーク (vues d’optiques)、切り抜き遠近法図などは操作者の俊敏さと経験に掛かっていた。・・・
チェンバースの『百科』の扉絵左前景に集められているようなオプティカル・ボックス類の黄金時代は[図105]、18世紀第2の4半期に始まり、世紀末にかけて続いた。水平に、直に見る方式か、柱の形になっていて、レンズを通し、柱頭部に取り付けられた角度調整ずみの鏡に反射させて見る方式のどちらかであった。[図84の31図] 外は紙製で彫りものを施してあるものが普通だが、多くはアウグスブルク製だった。本の挿絵を扱う中心地のひとつということもあって、アウグスブルクはヨーロッパ中に p.482 視覚娯楽を提供する発信基地となった。これら装置の組立法が主たるどの辞書、事典の光学関係記事中に触れられてもいた。
ヨーロッパ大都市の町並み、高明な宮殿や教会の見取り図、有名な戦場風景などをただ克明に伝えるというのに飽き足らず、こうしたイリュージョンにはあたかも次元が入り込む。理想化された眺望図、田舎のスポーツ、「雅びな宴」、狩、乗馬、楽興、ピクチャレスクな農家生活、紫煙くゆり立つ賭場風景、
大災害
「お化けの一種」
こうした遠近法奇器の行き着いたところが戦争覗き (polemoscope)であって、この覗機関は自らは見られずにある場所をずっと観察することができる仕掛けだった。
バーバラ・スタフォード『実体への旅 : 1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』高山宏訳、 産業図書、2008
索引 カメラ・オブスクーラ 22, 48, 369, 371-373- 2018.4.6(金)
図書館から ロザリンド・クラウス『オリジナリティと反復: ロザリンド・クラウス美術評論集』リブロポート, 1994 が TLL で届いたという連絡が午後3時過ぎにありました。月曜日に受け取ります。- 2018.4.7(土)
2015年10月29日にダウンロードした(そのとき読んだかどうかは覚えていません) 板垣俊一「江戸時代の覗き眼鏡 : 江戸時代における西洋製光学器具の受容」『新潟の生活文化』17(2011), 9-24 を再読しました。プリントアウトせずに、MacBookAir の画面上で読みました。
調べたかったのは、「泰山鏡」という言葉。『のぞいてびっくり江戸絵画』の190頁に「元々は西洋からの舶来品が主流であったが、人気が高まってくると、「泰山鏡(眼鏡絵器具)」(作品番号58)のような日本製の覗き眼鏡も作られるようになる。」という文章があります。「泰山鏡」という言葉の普及の具合を調べたかった。
板垣俊一(2011), p.16 に写真5として、町田市立国際版画美術館蔵、西洋眼鏡絵10枚二組付き寛政十二年(1800) 65×67×39.3センチメーター (図録『HANGA 東西交流の波』、東京新聞、2014より)の日本製ゾグラスコープが掲げられていて、その蓋の銘文に「泰山鏡」という言葉があるということです。
p.23, 注21) でその銘文(もと漢文)を次のように訳されています。「この絵を鏡とレンズ越しに覗くとあたかも泰山に登って天下を指先で描いた如くである。これによって、レンズを「泰山鏡」と名付ける。また蓋鏡を縮地と名付けるのは万里隔てた土地を縮めてあたかも眼下にあるが如く見せるからである。」一つの箱の表面には泰山鏡、もう一つの箱の表面には縮地鏡と墨で書かれているとあります。
→ ネットの検索からわかる限りでは、「泰山鏡」という用語が普及した気配はありません。→日本の覗き眼鏡や覗きからくりについて、もっともよく調べられているのは、板垣俊一さんと坂井美香さんです。
板垣さんの本と論文は次。
板垣俊一『江戸期視覚文化の創造と歴史的展開:覗き眼鏡とのぞきからくり』三弥井書店、2012
板垣俊一「中国の<のぞきからくり> : 拉洋片(ラーヤンビェン)」『県立新潟女子短期大学研究紀要』45(2008), 389-407
板垣俊一「江戸時代の覗き眼鏡 : 江戸時代における西洋製光学器具の受容」『新潟の生活文化』17(2011), 9-24
板垣俊一「遠近法絵画と覗き見の装置 : 現実の風景はどのようにして絵になったのか」『国際地域研究論集』 2(2011), 157-175坂井さんの論文は次。
坂井美香「覗きからくりとpeepshowの接点―西欧覗きからくり― (2008年度 奨励研究成果論文)」『年報非文字資料研究』6(2010): 221-248
坂井美香「近世覗きからくりは何を見せたか、その1 ―カラクリを覗く―」『年報非文字資料研究』8 (2012): 107-136
坂井美香「明治初期,「西洋眼鏡(せいようめがね)」の盛衰 : 人はなぜ覗き,なぜ観るのか」『年報非文字資料研究』9 (2013): 93-118
坂井美香「 覗きからくり、「からくり」考」 『年報非文字資料研究』10 (2014): 409-438
- 2018.4.11(水)
日が暮れてから次の本が届きました。
渡邉 大輔『イメージの進行形: ソーシャル時代の映画と映像文化』 人文書院、2012研究室にいるあいだに、懸案の邦訳クラウス『オリジナリティと反復』から「写真の言説的空間」を読みました。さすがです。すばらしい批評です。
イントロは、ティモシー・オサリヴァンの写真<トゥファ岩のドーム、ピラミッド湖、ネバダ州>(1866年撮影)とこの写真の石版印刷による複製(クラレス・キング『地質学体系』1878 に収録された)の比較から始めています。そして、複製が地質学的言説空間に所属するものであること、もとの写真が美術館の陳列壁面用のもの(ベンヤミンの用語では展示的価値に当たると思います。)美術鑑賞用言説空間にあることが指摘されます。しかし、もっと重要なポイントは、「ティモシー・オサリヴァンの写真は19世紀には出版されておらず、一般に流通したのは唯一立体写真(ステレオグラフィー)という媒体によってだった。オサリヴァンの著名な写真はたいがい立体写真として存在したのである、ウィリアム・ヘンリー・ジャクソンの場合と同じく、より多くの人が見ることができたのは立体写真としてだったのである。」
このつかみと展開が抜群です。
p. 114 「最後に眺めは、この特異性、この焦点を、世界の一つの複合的表象、つまり一種の完璧な地勢図の中に、ある一つの瞬間として登録する。というのも「眺め」が保管された物理的空間は常に、一つのキャビネットの中だったのでり、その引き出しには地理的体系の全体が一定の順序に配列され保管されていたのである。ファイル・キャビネットというのは、壁やイーゼルとは別物である。」 地理学的空間
「眺めと土地測量は相互規定的であり相互連関したものだ。」
p.119 「アッジェが自らの画像に適用したコード化の体系は、自分が仕事をした図書館と地誌学コレクションのカード・ファイルに由来しているのである。」
p.116 「アウグスト・ザルツマンの場合がそれであり、彼の写真家としての経歴は 1853年に始まり、一年も経たないうちに終わった。」「この歴史に登場する他の主だった人物たちもまた、この職業に就いてから十年足らずでやめていった。ロジャー・フェントン、ギュスターヴ・ルグレイ、アンリ・ルセックがそうである。」
p. 113 「立体写真が実質的にマス・メディアとして普及できたのは、機械化された印刷技術のおかげであった。1850年代に始まって、1880年代までほとんど衰えることろを知らなかった立体写真の売上高は、目も眩むばかりである。1857年にはすでにロンドン・ステレオスコピック社は50万台のステレオスコープを売り、1859年には、十万種以上の立体眺望図 (stereo view)を載せた目録を誇っていたのである。
ところで立体鏡の実践がその対象を固定したこの言葉―眺め view ―にこそ、私たちはこの経験の特殊性の所在を突き止めることができるのである。まず何よりも眺めという言葉には、既述のような、遠近法的に組織化された奥行きを劇的に強調する響きがある。」→ 18.4.12 クラウスの写真論が他にないかと探していたら、次の文章がヒットしました。
平芳幸浩「ロザリンド・クラウス―指標としての写真」『写真空間3 特集 レクチャー写真論!』(青弓社、2009): 89-100
自宅にあるはずです。家族がではらってから捜索。階段下のスペースの一番下に積み上げていました。『写真空間』は4まででています。3冊がそこにまとまっていました。3冊を抜き出し、上記の解説論文を読みました。副題にあるとおり、指標(インデクス)の考え―もちろん、もとはパースの記号論です―の適用を中心に解説してくれていました。- 2018.4.12(木)
生協に行ったとき、『世界思想』45号(2018春)を見つけ、持って帰りました。特集は「メディア・リテラシー」。著名人が執筆者に名を連ねます。私の今のテーマに関係する、三中信宏「データ可視化の落とし穴―見えること vs. 読めること」『世界思想』45号(2018春): 76-80 をまず読みました。三中信宏さんの『思考の体系学:分類と系統から見るダイアグラム論』(春秋社)がグラフやダイヤグラムを主題にしていることが書かれています。入手するしかありません。ifs (海外事情研)にお願いして、『クァドランテ[四分儀]:地域・文化・位置のための総合雑誌』No. 20 (2018) を一部頂きました。帰宅するとき、メールボックスで受け取りました。 紙で配られる『クァドランテ[四分儀]:地域・文化・位置のための総合雑誌』の最終号です。李孝徳さんが中心となって企画した2件の書評コロキアムならびに李孝徳さん本人の論文が掲載されています。これを読みたくて、紙媒体で頂けるよう、ifs さんに依頼しました。
特集1「書評コロキアム」:高野麻子著『指紋と近代』
特集2「書評コロキアム」:金哲著、渡辺直紀訳『植民地の腹話術師』
李孝徳「人種主義を日本において再考すること―差異、他者性、排除の現在」
→18.4.14 李さんの論文を読みました。力作・労作です。最後の日本の部分、もうすこし丁寧に論じてもらうともっと素晴らしいものになったと思います。- 2018.4.21(土)
『ゲンロンβ24』が発行されたと知り、早速ダウンロードして読みました。完全に100%読んだわけではありませんが、ほぼ読み切りました。スリリングで面白い世界に突入しています。勉強になったのは、仮想通貨と人工知能に関する鼎談です。仮想通貨がどうなるか現時点では明確なことは言えないと思いますが、国家の為替制度に影響されない自由な決済手段という当初のもくろみは、実現しなかったと言って良いようです。そういうふうになると私にもとてもありがたいものですが、現状違ったものになっているようです。
東浩紀「ゲンロンの未来――創業八周年に寄せて」
大山顕「スマホの写真論 第13回」
井上智洋×楠正憲×塚越健司「【特別鼎談】仮想通貨と人工知能──技術は経済を変えるのか?」
黒瀬陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア――「貧しい平面」のゆくえ 第24回」
吉田雅史「アンビバレントヒップホップ 第13回 RAP, LIP and CLIP――ヒップホップMVの物語論(後)」
- 2018.5.16(水)
昨日図書館から借りだした高橋憲一さんの『完訳 天球回転論』と『エウクレイデス全集第4巻 デドメナ/オプティカ/カトプリカ』を繙きました。どちらも素晴らしい仕事です。
私には、高橋さんの次の解説が非常に有用でした。
高橋 憲一「『オプティカ』『カトプトリカ』解説」『エウクレイデス全集〈第4巻〉デドメナ/オプティカ/カトプトリカ』(東京大学出版会、2010), pp.193-305同じ流れでネットを調べていて、次の論文に遭遇しました。
奈尾信英「南ドイツにおける透視図法の展開(1) ――16世紀のクラフツマンによるテキストブックの考察――」『図学研究』45 巻 (2011) 2 号 p. 19-28
奈尾信英「南ドイツにおける透視図法の展開(2) ――16世紀のクラフツマンによるパターンブックの図像的表現の考察――」『図学研究』46 巻 (2012) 1 号 p. 19-28- 2018.5.29(火)
学会のシンポジウムが終わったあと、東工大のTさん(光学史を専門とする方)から、イタリアの研究について有益なコメントがありました。“Camera Ottica”という用語に関してです。調べてみました。
“Camera Ottica”でもっとも有名なのは、ヴェネチアの景観図でよく知られているカナレットです。Canaletto, 本名 Giovanni Antonio Canal. 1697-1768) がカメラ・オブスクラを用いて、まるで写真のような都市景観図を数多く描いたことは知られています。“Camera Ottica”は日本語に直すと「光学箱」なので、フランス語のboite d'optiqueと同じく、覗き箱を指していると思っていた(重要な先行研究がそのように解釈している)のですが、イタリア語では、"camera obscura" のことだとありました。うーん、なるほど、これはやられました。ウェブの情報によれば、カナレットの使ったカメラ・オブスクラは、ヴェネチア・コレール美術館にあるそうです。
Tさん、有益なコメント、ありがとうございました。
このテーマであれば、Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Matthias Müller (eds.), Camera Obscura, 2013 を参照すべきかと思い、本を後ろの山から探し出しました。おお、この情報を網羅する著作、カメラ・オブスクラの網羅的カタログとでも評すことのできる書物には、索引がありません。索引の欠如は、本の趣旨からして痛い。
もちろん、カナレットのカメラ・オブスクラ利用は有名ですから、探せば言及がありました。p.98 です。約3分の2頁。
また、p.17 の用語の年表でも、1764年、Grandenigo が“Camera Ottica”そのものを使っています。さらに、1784年、Krünitz の使った語の2番目として、"camera optica" をあげています。もちろんこれは“Camera Ottica”のラテン語版です。
なお、"Camera Catoprica" の用法もあります。反射光学箱です。鏡を利用すると、反射光学的装置ということもできると思いますが、鏡はあってもなくても、カメラ・オブスクラにはなる。ミスリーディングな用法を言えます。
Tさんのコメントでは、イタリア人の研究者が「覗き眼鏡」に15の用語を見いだしているそうです。一個一個批判的に用法を確定する、辞書作成の作業がまだ必要だと言えるかもしれません。
→この分野の研究を進めるには、混同されやすい、実際混同されている装置のことも同時に見ておく必要があると気付きました。光学的原理としては同一、あるいは同一原理の両端の利用、文化的背景としてもあるシームレスな連続的現象としてつかまえておかないといけないな、と痛感。→ 高橋憲一訳、ケプラー『光学』(『原典ルネサンス自然学』下、名古屋大学出版会)
p.929 命題60「眼の水晶体は双曲面形をした凸レンズで、水晶体の背後にある精気で満たされた網膜は紙の場所であり、そこに可視対象の像が実際に描かれる。水晶体がきわめて透明な凸レンズであるということは、解剖学の経験が明らかにしている。さらに、その背面は双曲面形をしている。網膜は水晶体から一定の距離をおいて、水晶体のまわり全体に広がった円あるいは窪んだ球形をしており、紙のように赤みがかかった白色をしていることも明らかにされている。
これらのことから問題四三により、可視対象の像は網膜上に生じることになる。」
p.933 「『ウィテロへの補足、あるいは天文学の光学的部分』の第一七七葉に挿入されている著名なフェリックス・プラッターの解剖図四九で、・・・」
命題六十、六一、六二、六三、六四に役立つ眼の残りの部分の説明は、プラッターと私の『天文学の光学的部分』から得られる。
p. 969 訳注(32) 「フェリックス・プラッターの『人体の構造と効用について』(一五八三年)における図版を指している。ケプラーの眼球の解剖学的知識の大半はプラッターに依拠している。ケプラーの『天文学の光学的部分』に採録されている解剖図四九は上の図1である。」高橋憲一さんはこう記して、図1を掲載しています。
高橋憲一さんは解説でデカルトの次の言葉を引用しています。(デカルトはケプラーを評して)「光学において私の第一の師でしたし、・・・それまでにこの分野で最も多くのことを知る者すべての師であったと思います」(1638年)と語っている。p.895→ 18.5.30 ネットで調べていると「光学/光と幻灯」について整理しているサイトに出くわしました。高橋憲一さんと田中一郎さんの記述によっています。あまり見たことがないなと思ったら、『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店、1998)を使っています。高橋憲一さんが「光」の項目を、田中一郎さんが「光学」の項目を執筆されています。日本の第1人者による記述ですから、短いものとしては、これによるというのはよい選択です。
高橋憲一「光」『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店、1998)pp.1313-4
【科学思想】「人間の外界認識においては視覚が優位を占めている。視覚生起の必須条件の一つが光であったので、光学は視覚理論と密接に関連して成立した。光の直進・反射・屈折の現象は古来より知られ、ユークリッド(エウクレイデス)、プトレマイオスらにより幾何光学に結実した。ただし、屈折の正弦法則はスネル[1621]、デカルト(『屈折光学』1637)を待たねばならなかった。ギリシアにおいては視覚の本性が問題となり、視覚対象から観察者の眼へ何かが流入するのか(intromission)、その逆か(extramission)の対立があった。原子論者などの自然哲学者は前者を、数学者は後者の立場をとった。流入説の立場で対立を止揚したのがイブン=ハイサム(アルハゼン)であり、視覚対象の各点から放射される光線を数学的に分析した。その大著『光学』(Kitab al-manazir)は中世西欧のロジャー・ベーコン、ウィテロ、ペッカムに影響を与えた。またグロステストは、『創世記』の哲学ともいえる独特の光の形而上学で宇宙創成論を展開し、<光>(lux)を「第一の物体的形相」と規定して、光学を自然学の根幹に据えた。さらにケプラーは、『ウィテロへの補足』(1604)において、水晶体での正立像に代えて網膜上の倒立像を提示した。」
高橋さんはこのあとは、望遠鏡と顕微鏡の発明に触れてから、粒子説と波動説に焦点をおいて記述されています。
なお、高橋さんは、リンドバーグやサブラより先に文献として熊田陽一郎『美と光』(国文社、1986)をあげています。この著作はまったく私の視野にはいっていないものでした。タイトルだけからは、内容がすぐには想像できません。→アマゾンで調べてみました。実質的にディオニュシオス・アレオパギテスの研究書だということです。ロバート・グロステストの光の形而上学の概要が含まれるということです。高橋さんは、ロバート・グロステストの光の形而上学のために、この書を最初に挙げられたのでしょう。田中一郎「光学」『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店、1998)p.484
「ギリシア語で「視覚の」を意味する optikos を語源とする。光を光線の集合と考えて、その進み方や結像の仕方を研究する幾何光学と、光を波動と考えて、光に関する諸現象を研究する物理光学に大別される。今日では、光学は物理学の一分野にすぎないとはいえ、近代以前の光学は幾何光学、色彩研究のみならず、視覚理論も含む幅広い問題を取り扱っていた。たとえば、古代においてエウクレイデスは光の直進性と反射を研究し、アリストテレスは色彩の問題を論じた。天文学者として知られるプトレマイオスも屈折を論じている。
これらの研究成果は中世ヨーロッパに受け継がれるが、この時代にはキリスト教の影響のもとで光学研究が展開されることになった。『創世記』の中で、光は最初の創造物としての地位を与えられていたからである。この結果、「光の形而上学」と呼ばれる独自の光学研究が成立し、哲学者のみならず、神学者までもが光についての研究を行うことになったのである。もっともこのような研究は、後世への影響という点では見るべきものは少なかった。
このような状況を変え、近代的な光学研究のきっかけとなったのは、ルネサンス以来のさまざまな光学機械の発明である。眼鏡、望遠鏡、そして顕微鏡が結像理論の成立を強力に促していたからである。この時代に光の本性をめぐる議論のほうも開始された。」
田中さんはこのあと、デカルト、ホイヘンス、ニュートン、ヤングとフレネルの理論を順番に記述しています。そのホームページの製作者の方は、その後(幻灯、マジック・ランタン、ファンタスマゴリア)は、荒俣宏氏、大久保遼氏、伊藤明己氏の記述を使われています。
荒俣宏「幻灯」『コミュニケーション事典』(鶴見俊輔・粉川哲夫編、平凡社、1988)
大久保遼「映画の歴史を巻き戻す――現代のスクリーンから映像の幼年時代へ」『メディア技術史――デジタル社会の系譜と行方』(飯田豊編著、北樹出版、2013)
伊藤明己『メディアとコミュニケーションの文化史』世界思想社、2014- 2018.6.8(金)
3時頃、アマゾンに予約注文していた『ゲンロン 8 特集:ゲームの時代』ゲンロン、2018が届きました。
黒瀬陽平「現代美術の起源――二重化された視覚の系譜」
ホイ・ユク「中国における技術への問い――宇宙技芸試論 序論(2) 」
以上の2点をまず読みました。今回の黒瀬さんの論考は、今の私にぴったりの問題関心に沿って、私の知らないゲームの世界をみせてくれています。すばらしい論考だと思います。
ポイントになるのは、次です。クレーリーは『観察者の系譜』において「一九世紀に流行した大衆的な視覚装置(ゾートロープやステレオスコープ)を覗き込む観客が、それら視覚装置が生み出すイルージョンに没入しながらも、同時にその装置自体を見る、という分裂した立場に置かれていたことを明らかにした。」(p.107)
「光学装置そのものを隠し、イリュージョンに没入させることを目指した映画に対して、そもそも原理的に視覚を二重化してしまう一九世紀の光学装置を、原-映画装置として位置づけることは、はたしてどのくらい妥当な判断だろうか。」(p.108)
クレーリーは、こういう一本線の進歩史観にはっきりと異論を唱えていた。
「一九世紀の光学装置は、明らかに映画とは異なる固有性を持っていたにもかかわらず、写真と映画によって打ち負かされ、映画史の一部として回収されてしまった。」(p.109)
「コンピュータ・ゲームにおけるプレーヤーの視覚は、ゲームの世界に内在する視点(キャラクター視点)と、それを外側からプレイする視点(プレーヤー視点)によって二重化されている」(p.109)
ゾートロープやステレオスコープを引き継ぐのは、こういうわけで、ゲームであると黒瀬氏は主張している。「観客の視覚を二重化する一九世紀の光学装置は、写真や映画ではなく、コンピュータ・ゲームへを進化を遂げた。コンピュータ・ゲームによって、二重化された視覚に宿る想像力(ゲーム的リアリズム)は飛躍的に拡大し、写真史や映画史とは異なる、独自の表現の歴史を持つに至っている。」(p.110)しばらくおいてから、さらに次の2点を読みました。
東浩紀「二一世紀の《侍女たち》を探して」
井上明人+黒瀬陽平+さやわか+東浩紀「[共同討議]メディアミックスからパチンコへ――日本ゲーム盛衰史1991-2018」
東さんの序論は、表彰文化論のアポロジェティクスです。共同討議のタイトルは、日本のゲームの背景にあるものを焦点化したものです。→18.6.10 黒瀬陽平+さやわか+東浩紀「[補遺]視点、計算機、物語――斜めから見るゲームの時代 」も読みました。この組み方は新鮮です。
- 2018.6.11(月)
3限の大学院ゼミですが、大山顕「スマホの写真論 第8回 証明/写真」『ゲンロンβ』19&「スマホの写真論 第9回 自撮りを遺影に」『ゲンロンβ』20 を発表してもらいました。発表者には、この論考は、わかりやすく、面白いと好評でした。
せっかくですので、この連載をリストアップしておきます。
大山顕「スマホの写真論」『ゲンロンβ』連載
「スマホの写真論 第1回 記憶は場所にある」『ゲンロンβ』13
「スマホの写真論 第2回 片目とスクショとパノラマ写真」『ゲンロンβ』14
「スマホの写真論 第3回 自撮りのスマホは人工衛星」『ゲンロンβ』15
「スマホの写真論 第4回 自撮りと心霊写真」『ゲンロンβ』16
「スマホの写真論 第6回 スマホがもたらす写真の「小ささ」」『ゲンロンβ』17
「スマホの写真論 第7回 ラスベガスにて」 『ゲンロンβ』18
「スマホの写真論 第8回 証明/写真」『ゲンロンβ』19
「スマホの写真論 第9回 自撮りを遺影に」『ゲンロンβ』20
「スマホの写真論 第10回 航空写真と風景」『ゲンロンβ』21
「スマホの写真論 第11回 写真と影と妖精」『ゲンロンβ』22
「スマホの写真論 第12回 写真は自撮り」『ゲンロンβ』23
「スマホの写真論 第13回 4人称論」『ゲンロンβ』24
「スマホの写真論 第14回 写真に姿を現すスマホのカメラ」『ゲンロンβ』25
どこを発表するのかは発表者にまかせました。今週は、第8回と第9回。来週は、第13回と第14回。この連載はほんとうに面白いので、はやく単行本として出版してほしいと思います。- 2018.6.12(火)
図書館。先週末に届いたと連絡のあった本を受け取りました。
Carlo Alberto Zotti Minici (ed.), Il mondo nuovo. Le meraviglie della visione dal Settecento alla nascita del cinema, Mazzotta, 1988
イタリア語で「新世界」と呼ばれた光学装置を扱っています。副題は「18世紀から映画の誕生までの視覚の驚異」。日本語では覗き眼鏡、覗きからくりと表現される世界です。「新世界」は、この絵画と光学装置に関して、多くを物語ってくれる用語です。ただし、イタリア語だけのものです。
1). Gian Piero Brunetta, "Per una carta del navigar visionario. " p.13
2). Carlo Alberto Zotti Minici, " Vedute ottiche e Mondi Nuovi: dimensioni spettacolari di un girovagare estesod'immagini." p.30
3). Franco Fido, " Fra veduta e teatro: Goldoni e il Mondo Nuovo." p.44
4). Maria Adriana Prolo, "Uno 'spettacolo' che continua - Note sulla nascita del Museo Nazionale del Cinema." p.51
5). Paola Marini, "Una visione non 'spettacolare' delle vedute ottiche."
6). Alberto Milano, "Le 'vues d'optique'. " p.55
7). Wolfgang Seitz, "Augsburg, capitale della grafica in Germania, come centro di produzione delle vedute ottiche". p.69
8). Il Mondo Nuovo. p.77
Catalogo, p.181
Glossario, p.201
Bibliografia, p.204
9). Carlo Alberto Zotti Minici, "Per una ricostruzione visiva del catalogo delle vedute ottiche Remondini." p.205
pp.77-179 はずっと図版です。pp.181-203 はpp.77-179に掲載した図版のカタログ(キャプション=出典表記)です。
文献表は、"vue d'optique" と "Guckkästen" のものが中心です。"vue d'optique"はイタリア語では、"vedute ottiche"。
E. Seitz, "The Engraving Trade in the Seventeenth and Eighteenth-Century Augsburg: A Checklist," Print Quarterly, III (1986), n.2, pp.116-128
E. Seitz, "Guckkästen und Guckkästenblätter," Sammler Journal, 10 Ottobre 1977, pp.588-591
P. Levie, "Optical Views," The Optical Magic Lantern Journal, 3(1985), n.3, pp.12-17
→ 18.6.14 ネットで検索すると、上のどれかひとつぐらいは、pdf で入手できるのではないかと思い、検索してみました。Levie のものが見つかりました。印刷すると文字がつぶれて読みづらいので、コンピュータの画面上で読みました。
p.14 日本語の覗き絵ですが、ドイツ語では"Guckastenbild"(覗き箱絵)、フラマン語では"Rarekied"ーkied は、kijken 英語のpeep、とフランス語の Rare (英語でも同じ。珍しいもの)からー
定義をすれば、銅版画で描かれた絵であり、手彩色されていることがあり、有名な事件や記念物を見せるためのものであった。光学箱または光学器械で見るためのものであった。左右は逆転しているものも、そうでないものもあった。それは、光学箱が鏡付きか鏡なしかに対応している。
どちらが標準形か? このテーマに関して、博士論文を書いた Veronique Lery によれば、こうした事態は、版画の模写による。
Le Vieux Papierという雑誌によれば、そうした版画の出版は、1750年から1845年のあいだであった。具体的な出版地と出版者(社)の名前。・・・- 2018.6.14(木)
「覗き絵」と「覗き眼鏡」に関して、充実したサイトに、Kees Kaldenbach, Optica printsがあります。Optica Prints を数多く掲載しています。ともかく先行研究を集めておこうと調べていて、次の本をダウンロードすることができました。
Olive Cook, Movement in Two Dimensions: A study of the animated and projected pictures which preceded the cinematography, London; Hutchinson, 1963
Table of Contents
Mirrors and Magic 11
Peepshow and Panoramas 23
Far Eastern Shadows 47
Karagöz 59
The Chinese Shades 67
Dissolving Views 81
Living Models 101
The Persistence of Vision 121
Bibliography 137
Index 139
150頁に満たない小著です。影絵を扱っています。- 2018.6.19(火)
図書館に直行して、次の3冊を受け取りました。
山梨俊夫『風景画考 : 世界への交感と侵犯』全3巻、ブリュッケ、2016
大部分は日本の絵画を扱っていますが、第2巻の5章は「西欧の風景画誕生と進展」と題して、ヨーロッパを扱っています。5章を読みます。- 2018.6.27(水)
ずっと前に読み始めていた 山梨俊夫『風景画考 : 世界への交感と侵犯』全3巻、ブリュッケ、2016、第2巻の5章「西欧の風景画誕生と進展」を読み終わりました。記述法は、私の求めるものとは異質ですが、有用な部分はあります。全3巻のこの書物は、この章を除き、日本を扱っています。