ひとりで5時15分、室温26.0度。昨日の雨が涼しさを連れてきたようです。窓を開けると、気持ちのよい風が入ってきます。
ひとりで5時、室温28.2度。大学のアドレスに数多くの用件メールとスパムメールが届いていました。そういう日もあります。
午後1番に会議。
8時54分武蔵境発の西武線。そのまま図書館に行って、次の本を受け取りました。
Kirsti Andersen, The Geometry of an Art. The history of the mathematical theory of perspective from Alberti to Monge, Springer, 2007
次いで2004年の『思想』から何点かコピー。カバンは重くなりましたが、図書館から駅前のコンビニに行って、昼食を買い、研究室へ。途中で一度研究所により、やはりいくらかコピー。
11時に学生に書類を手渡しました。
作業をしているうちに会議の時間。1時から2時過ぎまで。夏休み前最後の会議となります。研究室に戻り、何件か事務的用件のメールをだして、図書館に返す本を3冊手にとりました。一度印刷センターでカッターを使わせてもらってから、図書館で返却。雨がすぐにでも降ってきそうな空模様。
3時4分多磨駅発の電車で帰途へ。すこし降ってきましたが、気にせず、帰宅しました。
ひとりで4時45分、室温27.2度。ちいさいちびは合宿。ほぼ1週間。正確には月曜日から金曜日まで。
8時42分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで昼食を仕入れ、図書館に行ってすこし待ち、次の論文を受け取りました。
池上 英洋「アンドレア・ポッツォの遠近作図法--その特質と意義」『美術史』44(1995): 200-219
研究室に行って、作業の継続。学生との面談。
池上さんの論文は、遠近作図法の歴史と展開を追うためには、重要なポイントを指摘しています。1時40分多磨駅発の電車で帰宅。快晴となり、真夏の暑さが戻ってきました。
[はじめての VOD ]
おおきいちびが夕方塾から帰ってきました。いつもテレビの前に陣取るちいさいちびがいないので、夕ご飯を食べながら、「君の名は?」を見たいと言います。J-COM のVOD (ヴィデオオンディマンド)で見ることができます。48時間の視聴権を540円で購入しました。J-COM のVODを使うのははじめてです。
合宿でいないちいさいちび以外の家族4人で視聴。途中、思わぬハプニングがありましたが、10時過ぎに見終わりました。小学生は興味がないと言っていましたが、適度に挟まるギャクが面白かったようです。
ひとりで4時15分、室温27.3度。曇り。昨日降っていた雨は上がっています。おおきいちびは模試。ちいさいちびはオープンキャンパス。最近の高校では一種の宿題となっています。必ずどこかには参加する必要があります。7時45分駅で待ち合わせをして、友達といっしょに行くと言っています。
ちいさいちびがでかける頃に雨が降ってきました。それほど長くは降らないと思いますが、小一時間は降るような雨です。大学時代の友人と新浦安で4時に待ち合わせ。ルートはいろいろあるのですが、東京駅乗換京葉線にしました。最後京葉線での電車の選び方をすこしミスして、4時10分着になりました。全員揃っていました。全部で8人。タクシーに分乗して、友人のお墓参り。市の運営する無宗教の墓地です。私はこの種の墓地ははじめてです。アメリカのアーリントンのような場所だと感じました。ほぼ同じ大きさの(形は何種類かありました)、膝の高さより低い墓石が芝生の上に並んでいました。全員で墓参して、5時直前にまたタクシーを呼んで、駅前に戻りました。
幹事が飲み屋さんのお姉さんと交渉して、四十八漁場というお店に入りました。
9時過ぎまで。帰りも東京駅乗換にしました。いかちゃんといっしょ。いかちゃんは奥さんといっしょに品川に宿をとっているそうです。私は10時半すぎに帰り着きました。おおきいちびがひとりでテレビを見ていました。
→8人中、九州出身者1人、四国出身者2人、兵庫出身者1人、大阪出身者1人、和歌山出身者1人、で6人が関西出身です。残り2人は、川崎と草加です。昭和の時代の寮の仲間ですから、こういう感じになります。
ひとりで4時10分、室温28.0度。早朝の間に、教師の仕事。途中、昨日頂いた村上先生の本を一部読みました。わけあって、この本は読み通します。
お昼過ぎに、Dover の Jan Vredeman de Vries, Perspective, 1604 and 1605, reprinted by Dover, 1968
なかなか見事な透視図です。夕方から雨が降り始めました。ちいさいちびは友達と隅田川の花火大会に行くと言っています。雨のなかの花火大会になってしまいました。
夜半に目覚めてすこし仕事。お腹がいくらか空いています。ひとりで6時、室温26.6度。最近恒例の週間天気。晴れマークがついているのは、今日だけです。しかも8分の1。ずっと曇りマークです。→ちびどもが出かける頃には晴れ間が生まれ、玄関には日射しがありました。
ちいさいちびは午前練。
午前中に昨日届いたゲラを送り返しました。8月号に掲載です。現時点でわかる書誌は次の通りです。
[ヘッドライン]「ベッヒャーとシュタール:原質説とフロギストン」
『化学と教育』Vol.65 ,No.8, 2017, pp.372-375 , forthcoming soon.
ちなみに、『化学と教育』にはこれまで次のような記事を書いています。ですから、今回のものは、『化学と教育』誌に書く3本目ということになります。
[ヘッドライン]「ロバート・ボイルの化学研究の現場」
『化学と教育』Vol.55(2007), No.6, pp.266-269.
[ヘッドライン]「錬金術から化学へ:器具と実験室の図像表示」
『化学と教育』Vol.57, No.11, 2009, pp.498-501
息子が寿司、寿司と言っているので、お昼に寿司に連れていってやることにしました。吉祥寺のヨドバシの上。駅からヨドバシに直行し、まず、Nintendo Switch の状況を確認しました。相変わらず、店頭在庫がないだけではなく、予約もしていません。ないものは、ない。8階に行きました。あれ、寿司屋さんがない。明示的に閉店の報せは見つかりませんでしたが、これもないものはない。知らない間に閉店になっていたのでしょう。仕方がないので、地下でプリンターのトナーを買ってから、来る途中に見えた、築地玉寿司というのに入ってみることにしました。ヨドバシの上よりはいくらか高めですが、寿司屋としては、こんなものでしょう。
息子は普通の寿司屋の雰囲気にすこしびびったようですが、いつものようによく食べました。2人で5千円。昨日のちびどもの夕食と同レベルです。
せっかくなので、駅ビルに入ってから地下を通り、三鷹側まで歩きました。パン屋さんでパンを買って、帰途。
息子は、ガード下の散髪屋さんで散髪。私は待機。
10分で終わります。隣の肉屋で妻に頼まれた生姜焼き用の肉を1キロ買い、さらに隣の八百屋でキャベツを買って、ガード下から普通の道へ。私は、いつもの散髪屋で散髪をします。荷物は息子に任せて、そこで分かれました。
私が散髪をすませて帰宅して、2時過ぎ。村上先生から新著が届いていました。村上先生、ご高配、ありがとうございます。
村上陽一郎『移りゆく社会に抗して:三・二の世紀に』青土社、2017
ひとりで6時、室温26.7度。曇り。週間天気によれば、今日も昨日と同じような気温に天候。最高気温が27度なので過ごしやすい一日になります。ちいさいちびは就業体験の2日目。昨日と同じスケジュールだそうです。
4時頃帰ってきました。ママに付き合ってもらって、新宿にハンドボールの室内用シューズを買い出しに行きました。夕食には、おおきいちびも加わるそうです。
9時ぐらいに3人揃って帰ってきました。9時6分武蔵境発の西武線。研究室に直行し、図書館からのメールをプリントアウトしてから、図書館へ。届いていた辞典と次の本を受け取りました。
John Templer, The Staircase: History and Theories, Cambridge, Mass., 1992研究室に戻り、早速本の中身を確認しました。螺旋階段に1章をさいています。spiral よりも helix の方を使っています。double spiral, double helix staircase も多く扱われていて、私の関心には有用です。
菅野陽「画家ヘラルト・ドゥ・ライレッセと解剖学者ビドローとカウパー」『日本洋学史の研究』8(1987): 67-130
これを読み通しました。一種の伝記研究(の紹介)です。カウパーがビドローの本を剽窃した経緯、ならびにライレッセの生涯が2つの柱となっています。なるほど。
大学前のコンビニで仕入れた昼食を食べ、一休みして、1時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。予報通りの気温で、とても過ごしやすい。夕刻、ゲラが届きました。今月いっぱいが返却期限です。編集部とは何度もやり取りしているので、修正なし、または些細な修正ですみます。
大学で検索をしていて、手元にある本のある箇所がヒットしました。次です。
榊原悟『日本絵画の見方』角川学芸出版, 2004
156頁。「『画の用たるや似たるを貴ぶ 天文地理人物花鳥 逼神絶妙 これ似たるを貴ぶ』(佐竹曙山『画法綱領』) と。さらに曙山は、写実的であるための具体的画法にも言及する。
『樹之近緑色更濃、樹之遠緑色淡(中略)人目之視レ物矣、近者大、遠者小也、故其遠至数里、則眼力尽而不能視、此所尽則地平線也 』
と遠近法の実際を述べている。虚心に読んでもらいたい。近大遠小、さらには「空気遠近法」にも触れ、近濃遠淡という。景観の尽きるところに地平線がある。
p. 154 秋田蘭学の特徴。近景の極端な拡大、それと遠景の対比。そして中景の省略。これを縦長の画面に描く。「近像型構図」と呼ぶ。
→「則眼力尽而不能視、此所尽則地平線也」という曙山の言葉がずっと腑に落ちていませんでした。ここの「眼力」は英語の sight (視力でしょうか)と理解すれば、遠くになれば、見えなくなっていく、見えなくなってしまった所を「地平線」と呼ぶ、と理解できるとわかりました。だとすれば、数学的な線遠近法の理解としては、不十分です。これでは、透視画法における「消失点」と「地平線」を正確に理解しているとは言えません。人間がものを見るとき、遠くは小さく見える、遠くなればなるほど小さくなっていき、そして何も見えなくなるところがある、そこを地平線と呼ぶ、という 透視画法とは独立した、一般的な事実の指摘に止まると見なければなりません。
ひとりで4時50分、室温28.6度。雨。小雨が降っています。と思ったら、強く降り始めました。そして30分ほどで雨の音はしなくなりました。今日はずっとこういう天気という予報です。最低気温27度、最高気温28度。つまり、一日中気温にほぼ変化がないことになります。お昼休みの時間帯から会議。午後はずっと会議。会議が終わったあとは、打ち合わせがあり、その後、還暦の会に合流します。嗚呼!なんと還暦の会。
ちいさいちびは今日、明日と就業体験。中学で司書の手伝いをするようです。ちいさいちびには7月末からほぼ1週間の合宿が待っています。束の間の夏休み。
8時42分武蔵境発の西武線。
『『中国の洋風画』展 : 明末から清時代の絵画・版画・挿絵本』(1995)から、次のものを読みました。
飯野正仁「東西の遠近表現」pp.258-262
池上英洋「ポッツォの『画家と建築家のための遠近法』について」pp.447-471
漢籍、正確には西洋の書物の中国語訳も調べる必要があることがわかりました。とくに年希尭『視學精蘊』(1729)、年希堯『視學』(1735)、と同様の出版物がないかどうか調べておく必要を感じました。
池上英洋氏は、今の私の関心にヒットする研究をされています。まず、ご本人が引用するポッツォ研究「アンドレア・ポッツォの遠近作図法―その特質と意義―」『美術史』44(1995) : 200-219 をILL でオーダーしました。それからウェブにある論文をダウンロードして読みました。
池上英洋「レオナルドとヴィニョーラ―遠近法のふたつの血脈―」『恵泉女学園大学紀要』18(2006): 163-183
池上英洋「工業デザインと遠近法:ディセーニョの技法と概念の成立におけるレオナルド・ダ・ヴィンチの寄与」『恵泉女学園大学紀要』21(2009):127-148本日返却期限の TLL の書物を1冊図書館に返却しました。
11時50分から会議。30分で終わりました。
12時40分から会議。やはり30分で終わりました。
2時10分から会議。10分で終わりました。次の会議は2時半から。もう研究室には戻らず、次の会議の部屋、大会議室で待機。大学院関係の会議が続きます。5時からは私が前に座る必要があります。もめる案件はなく、途中時間が押していたにも関わらず、当初の予定通り、5時半ぴったりに終了。それから301で打ち合わせ。40分程度。
研究室に戻り、部屋を片づけてから、「還暦の会」のお店へ。今日はお店を借り切ったそうです。14〜5人が集まっていました。今年還暦の方は、大学で最大勢力です。我々はその予備軍。途中、沼野先生から名称にクレームが出て、審議。結局、何に決まったのかは、不明。(案は覚えています。)→きちんと調べてみました。今年還暦の方は12名います。そのうち10名が見えていました。素晴らしい出席率です。我々予備軍は7名います。そのうち5名来ていました。これもなかなかの出席率です。
最近は飲んでいるとたまにそうなりますが、途中で声があまり出なくなりました。帰りの西武線は不明。八木先生、水野先生と3人。10時過ぎ。武蔵境駅で千葉先生と合流。私は、10時半に帰り着きました。
ひとりで2時55分、室温28.8度。会議の日。11時からスタート。
8時半武蔵境発の西武線。駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから西部是政線に乗車。
大学について、すぐに、成績の記入。記入が一通り終わったところで、図書館に行って、ILL と TLL で届いていた資料を受け取りました。
『日本洋学史の研究』8(1987)
町田市立国際版画美術館編集『『中国の洋風画』展 : 明末から清時代の絵画・版画・挿絵本』町田市立国際版画美術館, 1995
最初のものには、次が収められています。菅野陽「画家ヘラルト・ドゥ・ライレッセと解剖学者ビドローとカウパー」『日本洋学史の研究』8(1987): 67-130研究室に戻って、数字の照合・チェック。それから片づけ。春学期の成績はこれで終わりです。ほっとしました。
11時からの学長室での会議は、12時直前まで。急いで研究室に戻り、学生との面談。
12時40分、急いで会議室へ。2時5分まで。5分遅れました。次の会議は、スムーズに進んで、2時20分前後。
研究所の遊びに行くと、和田先生が見えていました。お久しぶりです。和田先生の新著、『遠まわりをして聴く』(書肆山田)を頂きました。いつもご高配、ありがとうございます。書肆山田は詩を出版する会社です。とてもきれいな装幀に仕上がっていました。最後の会議は、3時半から。すぐにすんで、3時52分多磨駅発の電車に間に合いました。帰宅すると、ちいさいちびが林間学校から無事に帰り着いていました。行きと同じく、お友達のママに、車でおくってもらったそうです。雨のなかの登山は大変だったということですが、比較的元気です。夜もちゃんと寝たそうです。話すことがない、と言っていました。ちいさいちびらしいコメントです。
ひとりで3時40分、室温28.3度。大学に行って、採点作業を行います。水曜日までには完成させます。
朝、新聞といっしょに次の本が郵便受けに入っていました。
成瀬不二雄『日本の美術 江戸の洋風画 』小学館、1977年8時6分武蔵境発の西武線。
大学前のコンビニで昼食を買ってから研究室へ。採点に集中しました。1時間に5分程度の休憩を挟むよう、気をつけました。頃合いを見計らって、本郷サテライトの鍵を返却し、図書館に行って ILL で届いている2冊の本と1点のコピーを受け取りました。
西村貞「佐竹曙山の西洋畫論」『大和文華』6(1952): 38-47
Hendrick Hondius: The new Hollstein Dutch and Flemish etchings, engravings, and woodcuts, 1450-1700, compiled by Nadine Orenstein ; edited by Ger Luijten. -- Koninklijke van Poll, 1994.
Jan Vredeman de Vries, Perspective, with a new introduction by Adolf K. Placzek, New York: Dover,
メールに返信するために15分程度の休憩を挟んだのが最長でしょうか。ともかく気持ちを切らさず、採点を続けました。
2時半ぐらいに何とか最後まで行きました。こういう作業は根を詰めると身体に悪い。残りの作業は明日に回すことにしました。6時間強かかったことになります。3時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
空いた時間に、 池上俊一編『原典 ルネサンス自然学』(上下、名古屋大学出版会、2017)の解説部分を読んでいます。とても勉強になります。
ひとりで4時30分、室温28.6度。→ずっと曇っていて、お昼前に雨が降ってきました。ちょっと地面が濡れる程度の雨です。今日は曇りのようです。窓から入ってくる風がすこしですが、涼しい。早朝のうちに、週末に届いていた2校の校正をすませ、月末締切の短い原稿(1頁分の巻頭言)を仕上げました。
夕刻に編集委員会。御茶ノ水の本郷サテライト。5時から6時まで。
久しぶりに実際の本屋さんをブラウジングしようと思い、4時過ぎに御茶ノ水駅に着きました。駅前の丸善でいろいろ新刊を見ていました。購入したのは、雑誌2点。ワイアードとサイゾー。
4時半に本郷サテライトに着き、部屋のなかの準備。入った瞬間はむっとする暑さでしたが、エアコンを入れると、10分程度で涼しくなりました。15分前に田中さんと新井さんがお見えになりました。今回は、名古屋地区のお二人はそれぞれの自宅で、スカイプで3元中継して、会議を行います。とくに問題なく繋がり、定刻の3分前に会議を始めました。定刻に10分ぐらい前に終了し、片づけ。部屋の準備と片づけにはすこし時間がかかります。
河野さん、内田さんといっしょに総武線で帰ってきました。
ひとりで4時50分、室温28.4度。ちいさいちびは林間学校。5時15分に起こして欲しいという書き置きがありました。5時50分には家をでるそうです。→5時15分に起こしにいくとすぐに起きました。こういう日はすぐに目が覚めるそうです。自分で準備をして、5時55分ぐらいにコロコロを押しながら出かけていきました。お友達のお母さんが車で学校まで送ってくれるそうです。6時半学校集合だそうです。遠くから通う子のなかには、そもそも電車がまだ動いていない子もいるそうです。そういう場合、車が必要となります。
朝の10時過ぎに、池上俊一編『原典 ルネサンス自然学』上下、名古屋大学出版会、2017 が届きました。上下あわせて1300頁を越える大著です。池上先生と名古屋大学出版会編集部の素晴らしい編集力の偉業です。
私自身は、最後の3つを訳出し、解説を付しました。どれも日本語でははじめてです。
ボイル「実験の失敗について」下巻, pp.1217-1238
ニュートン「酸の本性について」下巻, pp.1239-44
チャールトン「エピクロス-ガッサンディ-チャールトンの自然学」詳細目次, 下巻, pp.1245-1280
まずはいろんな方の解説を読んでいます。2頁から4頁程度の解説ですが、勉強になります。
ひとりで3時50分、室温28.3度。朝の室温がまた28度を超えました。高校も今日から夏休みですが、ちいさいちびは午前練。おおきいちびは、講習や塾があって、普段と大きくは違いません。ちいさいちびは帰ってきてから、林間学校と合宿の準備。
2016年7月、すなわち去年の日記より、次の2点が今の探求に関係することがわかりました。
稲賀繁美「西洋舶来の書籍情報と徳川日本の視覚文化の変貌」『日本研究:国際日本文化センター紀要』31(2015): 13-46
読み直しました。Pozzo, Perspectiva Pictorum et Architechtorum, 2vols., Rome, 1693 この漢訳『視学』
pp.20-1 曙山の遠近法図。「螺旋階段の図(図26)と「看斜平円之法」、「看斜八方之法」は、ジョセフ・モクソンの『実用透視法』(1670)に収められた図と同縮尺の複写/であることが指摘されている(原 一九八四:二一〇)。ここから、少なくとも複数の種本を複合して、曙山が著述をなしたさまが推定できる。
その理論書で曙山は、自分の体得した西洋の技法によれば、球や半円、「臨望ノ実体」、高低、「遠近ノ度数」に至るまで、「曙山学ブトコロ皆コレヲ分ツ」と豪語している。」Julian Jinn Lee, The Origin and Development of Japanese Landscape Prints: A Study in the Synthesis of Eastern and Western Art, Ph.D. dissertation, University of Washington, 1977
Lee の博論は、入手が難しく、諦めていましたが、頑張って入手すべきかもしれません。図書館から連絡があったので、今日も大学に行くことにしました。
9時6分武蔵境発の西武線。さきに図書館、ILL で届いている次の本を借りました。
磯崎康彦『ライレッセの大絵画本と近世日本洋風画家』雄山閣出版, 1983
研究室へ戻り、時間限定で作業。6月14日に読んだ次の論文をまた見直しました。
原正敏「画学」中山茂編『幕末の蘭学』(ミネルヴァ書房、1984): 205-223
p.206 「当時舶載された画学書で、著者と書名が判明しているのは次の4冊だけである。」
1.ライレッセ『大画法書』1728
2.ライレッセ『絵画の基礎』1746
3.ボウヒール Handboek voor jonge beoefenaars en liefhebbers der schilderkunst, 1800
4.Johan Bara Algemeene manier van de Hr. Girard Desargues, tot de practyk der perspectiven, gelyk tot die der meet-kunde, met de kleine voet-mat , 1664
原さんは、1.と2.をオランダ語で記していますが、ここでは日本語に簡略化しておきました。4.は、6月14日の日に調べています。フランス人ボッセの『幾何学と同様な透視図の描き方についてのデザルグ氏の一般的方法』(1648)をヨハン・バラが1664年にオランダ語に訳して出版したものです。
原さん自身は、2.をまだ見ることができていないと書かれています。(p.208) そして、古賀十二郎氏の所説「この書は、幾何学の助けによりて、画学を大成するために、捷径たり、且つ、確実なる方法たるべき要綱を説いたもの」(注7:)で「長崎に舶斉された」と思われる、を紹介しています。
3.は、渡辺*山の雑記帖に見える蘭書名で、フランス人ボウヒールの書をオランダ語訳したものだと注記しているそうです。
すこし苦労しましたが、これは次です。
Pierre Louis Bouvier (1765-1836) , Manuel des jeunes artistes et amateurs en peintre, 1827
この書は、英語にもオランダ語にも訳されます。オランダ語訳は次。
M. .P L. Bouvier, Handboek voor jonge beoefenaars en liefhebbers der schilderkunst, Breda, 1831
「ボウヒール」は、今の人が書いたのであれば悶絶しますが、Bouvier を当時の蘭学の知識でオランダ語読みしたものです。ブーヴィエでしょうか。
原さんがこの論文を記したとき(1984年)を考えれば、仕方がないのですが、この4冊を直接確認されていません。実物をみれば、この4冊が曙山の描いた遠近法図とは関係ないことがすぐにわかります。
p. 211 小林氏のお話によれば、ピンニングした穴が認められるという。「この時期に英書が舶載されていたとはまず考えられないので、この本の蘭訳書ないしはモクソンの第三五図と同じ図を載せた蘭書が介在しているとみるのが妥当であろう。写真製版のなかった時代のことだから、蘭訳書などの場合、原寸のまま原図が他に転載されることのほうが多かったとみてよかろう。」 「曙山が透視図法についてそれほど深い理解をもっていたとは考えられない。恐らく写生帳の図と全く同じ図例を載せた蘭書があって、それを模写したものと思われる。その蘭書としては、ライレッセのもう一つの著作(前出(2))の可能性が大きい。」11時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。大学の滞在時間2時間です。
[池上俊一編『原典 ルネサンス自然学』]
池上俊一編『原典 ルネサンス自然学』上下、名古屋大学出版会、2017
驚異のルネサンス自然学選集、『原典 ルネサンス自然学』が出来上がったそうです。上巻目次は次。
自然誌 1 フランシス・ベイコン 森の森 (柴田和宏訳)
動物誌 2 コンラート・ゲスナー 動物誌 (石原あえか訳)
植物誌 3 プロスペロ・アルピーニ ルバーブ論 (桑木野幸司訳)
農 学 4 オリヴィエ・ド・セール 農業の劇場 (池上俊一 訳)
料理術 5 プラーティナ 適正な快楽と健康について (池上俊一 訳)
温泉論 6 ウゴリーノ・ダ・モンテカティーニ 温泉論 (池上俊一 訳)
医 学 7 ジャン・フェルネル 事物の隠れた原因 (月澤美代子訳)
8 ジローラモ・フラカストロ 伝染・伝染病およびその治療について (田中祐理子訳)
解剖学 9 アンドレアス・ヴェサリウス 人体の構造について (澤井 直 訳)
10 マルチェッロ・マルピーギ 肺についての解剖学的観察 (澤井 直 訳)
発生学 11 ウィリアム・ハーヴィ 動物の発生 (澤井 直 訳)
驚異論 12 アンブロワーズ・パレ 怪物と驚異について (黒川正剛訳)
自然魔術 13 ヘンリクス・コルネリウス・アグリッパ オカルト哲学について (伊藤博明訳)
14 パラケルスス 像についての書 (村瀬天出夫 訳)
15 トンマーゾ・カンパネッラ 事物の感覚と魔術について(池上俊一・村松真理子訳)下巻目次は次。
学問論 16 ジョン・ディー 「数学への序説」 (坂口勝彦訳)
ユートピア論 17 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ 「クリスティアノポリス」 (加藤守通訳)
地理学 18 ゼバスティアン・ミュンスター 「宇宙誌」 (小林繁子訳)
占星術 19 マルシリオ・フィチーノ 「太陽論」 (根占献一・田中佳佑訳)
天文学 20 ニコラウス・コペルニクス 「ヴェルナー論駁書簡」 (高橋憲一訳)
21 ティコ・ブラーエ 「新星について」 (高橋憲一訳)
光 学 22 ヨハネス・ケプラー 「屈折光学」 (田中一郎訳)
数 学 23 ウィリアム・オートリッド 「数学の鍵」 (坂口勝彦訳)
力 学 24 シモン・ステヴィン 「計量法原論」 (中澤 聡訳)
工 学 25 マリアーノ・ディ・ヤコポ (タッコラ) 「尋常ならざる装置と建築についての第三の書」 (白幡俊輔訳)
鉱山学・冶金術 26 ヴァンノッチョ・ビリングッチョ 「火工術」 (池上英洋訳)
錬金術 27 伝トマス・ノートン 「錬金術式目」 (大橋喜之訳)
化 学 28 ロバート・ボイル 「実験の失敗について」 (吉本秀之訳)
29 アイザック・ニュートン 「酸の本性について」 (吉本秀之訳)
原子論 30 ウォルター・チャールトン 「エピクロス-ガッサンディ-チャールトンの自然学」 (吉本秀之訳)
ひとりで4時20分、室温27.9度。6時前に燃えるゴミを出しました。部屋に戻り、台所に行くと、外になんだか動く気配。裏の廃屋に、タヌキらしき姿が見えます。ただし、タヌキとはすこし違う気がします。デジカメを探しているうちに、消えました。定期的に出現しているタヌキより一回り身体が小さかった。
高校ももうすこしで夏休み。1年生のちいさいちびは、夏休みに入ると行事が満載です。土曜日から林間学校に行きます。数日。帰ってきて、しばらくしてから、今度は部活の合宿があります。おおきいちびも通った道ですが、部活に入っている高校生は忙しい。
そろそろ採点にかかろうと思います。準備が出来次第大学に行って、一種の苦行です。
9時6分武蔵境発の西武線。中央線が武蔵境に着いたのが5時55分だったので、外にでて、パン屋さんで昼食のパンを買ってから西武線に乗りました。
採点前にまず紙の整理。A4 の紙をさきに名寄せしました。終わって、お昼ご飯。それから、たぶんA5 の小さい紙の名寄せ。130人から140人のものを整理します。もとのものに微妙にしかし一定割合でエラーがあります。エラー修正をしつつの作業で、手間どります。2時半ぐらいまでかかりました。すこしだけコピーをとり、図書館にILL で借りた本を返してから、帰宅。3時16分多磨駅発の電車。この暑さですから、この程度の作業でちょうどよいでしょう。残りは、またやります。
ひとりで4時20分、室温27.3度。昨日の雨で、すこしですが、室温が下がっています。週間天気では、来週の火曜日に雨マークがありますが、それまでは晴れ/曇り。最高気温32度ぐらいで推移します。ちびどもはもうしばらく高校があります。午後に会議。3つ続きます。
9時6分武蔵境発の西武線。昨日からの作業の継続。11時前に本を4冊抱えて図書館に行き、返却。その足で生協に行き、トム・ヤム・ラーメン。生協ですこし買い物をして研究室に戻ると、ILL で本が届いたという報せがありました。
早速、受け取りに行きました。
武塙林太郎、太田桃介、成瀬不二雄『図録秋田蘭画』三一書房 、1974
図録と別冊からなります。成瀬不二雄「佐竹曙山の西洋画論」『図録秋田蘭画 別冊』pp.20-25
p.21「曙山は西洋画法研究のため当時としてはかなり洋書を参考にしている。」
写生帖の裸婦図は、レーレッスの『大画法書』の挿絵を写した。
螺旋階段図は、モクソン(1670)の挿図を写したものである。
注(5) 小林文次「バロックと江戸建築ー会津さざえ堂の原流」朝日新聞昭和47年11月20日
彼が主に見ることができたのは、「自然科学書の挿絵版画や一枚刷りの風景・風俗版画であった。」
図録の図解説80 「螺旋階段図 佐竹曙山筆 佐竹曙山写生帖所収」 「最近小林文次氏により、英国人ジョゼフ・モクソン(1627-1700) 著『実用透視画法』(一六七〇年ロンドン出版)の第三十五図(21ページ挿図 コロンビア大学エーブリ図書館蔵本による)を写したものであることが明らかにされた。曙山は原図を極めて忠実に模写しているが、説明の数字は漢数字に変えている。陰影法と遠近法に対する彼の関心がなみなみならぬものであったことを痛感させる図である。(成瀬)」12時40分から会議。私が司会をします。1時10分過ぎには終わりました。
次の会議は2時10分から。こちらも大半を私が担当します。あるかもしれないなと思っていた意見が提出されました。2時40分前に終了。2時40分から学部教授会。両学部合同会議のあと、二つに分かれました。
4時過ぎに終了。4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。夜になって、舶来蘭書の方から迫ることも必要だと考え、ボイスも見ておくことにしました。
Egbert Buys, Nieuw en volkomen woordenboek van konsten en weetenschappen. 10 vols., 1769-78
グーグルブックでダウンロードを試みました。前から思っていたことですが、グーグルブックの巻号数表示は、間違っていることがあります。理由は不明ですが、第2巻、第4巻、第6巻、第8巻、第10巻がすぐにダウンロードできました。もとがオランダ語のせいもあるのでしょうが、半分近くが巻数を間違って表示しているように感じました。(オランダ語辞典を手元において、確認しつつ進めています。)
もうすこしオランダ語、オランダ語しているかと思ったのですが、そうでもありませんでした。科学技術用語(科学技術の専門用語、術語)に関しては、英語やフランス語と共通するものが多い。ボイスがどこまでハリスを意識したのかはわかりませんが、ハリスの『レキシコン・テクニクム』を研究した者としては、ありえる展開・進展だと感じました。
第8巻に関しては、全体を通覧しました。機械の絵が充実しているように感じました。
vol. 8, p. 614 "Perspecitve" 書物としては、デザルグ、ボッス、ニセロン、イエズス会の遠近法、ポッゾ、ジェレミア・ヴォルフ、パウル・デッカー、最後にフィリップス。最後のフィリップス・ヤコブズは、次です。
Philips, C. J. Uitvoerig onderwys in de perspectiva of doorzichtkunde, Amsterdam, 1765
名前は、Caspar Philips Jacobsz とあります。ヤコブズ(?)を取るべきでしょうか?最後から2番目のものは苦労しました。Paul Deckers Vorstelyke Bouwmeeste と書かれています。Paul Decker, Fürstlicher Baumeister, Augusburg, 1711, 1713, 1716 のオランダ語訳であろうと判断しました。
ひとりで4時55分、室温28.3度。予報では、26度〜33度。今週は、このぐらいで推移するようです。小学生は夏休み。ちびどもはふつうに高校。私は正午に書類(判子)、午後に会議。
9時42分武蔵境発の西武線。まず、図書館へ。次の2冊を受け取りました。
Mario Carp and Freédeérique Lemerle eds., Perspective, Projections and Design: Technologies of Architectural Representation, New York: Routledge, 2008
論集です。私にとくに関係するのは、 第5章の、Jeanne Pfeiffer, "Constructing perspective in sixteenth-century Nuremberg," pp.65-75 です。Pfeiferr は、デューラー派の遠近法作図法を取りあげています。とくに彼女がテンプレート法と呼ぶ作図法を説明しています。
Stepah Michelspacher and Paul Pfinzing, Optica, das ist Gründtliche doch kurze Anzeigung wie nothwendig die löbliche Kunst der Geometriae seye inn der Perspectiv, Augsburg, 1616
Augustin Hirschenvogel, Geometria, Nurenberg, 1543
Georg Hass, ,Matthew Hunter, Wicked Intelligence: Visual Art and the Science of Experiment in Restoration London, Chicago: University of Chicago Press, 2013
それから次の本を借り出しました。
松田清『洋学の書誌的研究』臨川書店、1998
ライレッセに関しては、pp.38-45のみ 曙山がライレッセの『大画法書』を使っていたことは指摘しているが、ごく短い指摘にとどまる。研究室で本を眺めてから、研究所へ。すこしコピー。
本を返しに図書館に行ってから、生協へ。レーメン。
正午過ぎに学生。留学のための書類に署名・押印。
もう一度図書館へ行って本を4冊返却し、1冊借りました。
『論集日本の洋学1』清文堂、1993
ここから次の論文を読みました。成瀬不二雄「南蛮絵と紅毛画のはざま」『論集日本の洋学1』清文堂、1993, pp.81-142
p.101 佐竹曙山の筆録『画図理解』(安永7年<1778>)
西洋画の陰影法についてある程度の理解を示している。
p.120 『画図理解』に附図として、「臨之法、望之法」「臨之図、望之図」・・を添え、透視遠近法について理論的に研究している。→細かいことなので、よいのですが、「透視遠近法について理論的に研究している」とは言えないと思います。言えるのは、透視遠近法の基本に関心を示している、ぐらいです。2時20分から会議。30分もかからず終わりました。
帰り支度をして、次の会議。3時10分から。5時半頃まで。5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。お昼過ぎひどく降っていた雨はすっかり上がっていました。→なんと池袋の立教大学では、並木に落雷があったそうです。不謹慎ながら、見てみたかった気もします。
ひとりで4時50分、室温28.6度。海の日。ちいさいちびは朝から埼玉で練習試合。朝霞に行くそうです。遠いので、6時15分に起こしてという書き置きがありました。→6時半にやっと起きました。駅での待ち合わせは7時15分ということです。俄雨が降ってきました。昨日は体育館、今日は外コートということです。外でやるのであれば、曇っていてすこしぐらいは雨でも降ってくれた方が楽です。7時過ぎに出かけました。バスで行くと言っています。バスだと大泉学園で乗換になりますが、まっすぐ北に向かえばよい。電車だと池袋乗換の相当の大回りになります。
小学生は今日から夏休み。Ryff, Walther Hermann, Der furnembsten, notwendigsten, der gantzen Architectur angehörigen Mathematischen vnd Mechanischen künst, eygentlicher bericht, vnd vast klare, verstendliche vnterrichtung, zu rechtem verstandt der lehr Vitruuij, in drey furneme Bücher abgetheilet ..., Nürnberg, 1547
Ryff, Walther Hermann, Vitruvius Teutsch. Nemlichen des aller namhafftigisten vn hocherfahrnesten römischen Architecti vnd kunstreichen Werck zehn Bücher von der Architectur und künstlichem Bawen …, Nürnberg, 1548
Stöer, Lorenz, Geometria et Perspectiva, Augusburg, 1567
スフラーフェサンデ(ス・グラフェサンデ) 2014年10月と11月、Camera Obscura を調べていたとき、取りあげています。
G.J. s'Gravesande, Essai de Perspective, A La Haye, 1711
ひとりで4時30分、室温28.3度。週間天気を見ました。今日も明日も、猛暑日。ぎらぎら太陽のマークがあります。小学生は朝からふたりの友達と映画。妻が連れていきます。
→マックでお昼ご飯を食べて帰ってきました。4時半頃、小学校に夏祭りに出かけていきました。疲れたと言って、終了30分前に帰ってきました。ちいさいちびは午後横浜で合同練習。明日は埼玉だそうです。
おおきいちびは不明ですが、塾にでも行くのでしょう。→オープンキャンパスに行くと言って、6時40分頃には起きてきました。→お昼過ぎに帰ってきました。疲れたと言って昼寝をして、起きてから塾+コンパ。よくコンパを行う高校です。
ひとりで6時30分、室温28.3度。快晴。すこしぐらいは雨が降った方がよいように思われますが、好天が続きます。我が家の面々は、梅雨はもうあけているという説を唱えています。
小学生は、1学期の最終日。給食を食べて帰ってきます。土日は、夏祭り。妻は、やっと小学校の夏祭りから解放されると喜んでいます。10時半から2時間程度、夕刻に何時間かお手伝いがあります。10時半頃、夏祭りに必要な氷を保冷バッグに入れ、遅刻、遅刻、と言って小学校に向かいました。
午後、妻は夏祭りの手伝いのため4時頃でかけました。小学生は4時40分に出かけました。踊りの当番があるので、他の子よりはやんだそうです。
小学生は7時過ぎ、妻は7時半頃帰ってきました。ちいさいちびは午前練。あつい、やだ、あつい、やだといいながら行きました。おおきいちびは講演からなにから1日中いろいろあるそうです。終わったらそのまま塾に行くと言っています。
調べものをしていて、次の論文の存在がわかりました。
Yona Siderer, "Udagawa Youan's (1798−1846) translation of light and heat reactions in his book Kouso Seimika," Foundations of Chemistry, 2017, pp.1-18
ヨナさんはイスラエルから化学史研究発表会(年会)に参加してくれています。もう70歳を越えられていますが、ここのところ元気に化学史研究発表会(年会)に参加してくれています。昨年亡くなった梶さんがほんとうに親切に世話をされていました。あそこまで親切にすることは私にはできないな、といつも思っていました。
梶さんは、自分もあのような老後を送りたいと話されていましたが、膵臓癌がその望みを奪いました。
ひとりで4時30分、室温27.9度。→週間天気を見ました。土曜日が猛暑日、火曜日に雨マーク。しかし、ここのところ、週間天気に雨マークがあっても、実際に雨は降っていません。梅雨はもうあけているのかもしれません。今日は学校の仕事はありません。7月いっぱんは、火曜日と水曜日に会議があります。あとは、成績評価をきちんとすれば OK .
ライレッセ Lairesse Gerard or Gérard (de) Lairesse ( 1641 -1711)
Grondlegginge der teekenkonst, 1701
"Foundations of Drawing"『絵画の基礎』
Het groot schilderboeck , 1710
"Great Book of Painting"『大絵画術書』
ライレッセの蘭書Het groot schilderboeck (1710) は、江戸時代の日本に舶来し、佐竹曙山を中心とする秋田蘭学・洋風画に大きな影響を与えた。Hoogstraten, Samuel van, Inleyding tot de Hooge Schoole de Schilderkonst, Rotterdam, 1678
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン(1627 - 1678) "Introduction to the Noble School of Painting" 『絵画芸術の高等画派入門』Goeree, W. Inleydingh tot de Practijk Der Algemeene Schilder-konst, Tot Middelburgh, 1670
オランダ語の発音はよく分からない点もあるのですが、慣例に従ってカタカナ表記しておきます。成瀬不二雄『佐竹曙山 : 画ノ用タルヤ似タルヲ貴フ』ミネルヴァ書房, 2004
pp.124-128 に佐竹曙山の『画面理解』の附図。
ひとりで5時5分、室温28.8度!朝の室温が28.8度というとんでもない高さです。→午前9時に、室温が30度を超えました。どこかでエアコンを入れますが、もうしばらくはしんぼうして家の換気を行っています。今日は学校の仕事はありません。採点は残っているのですが、天気等の様子によって動きを考えます。
午前中に次の本が届きました。
Serlio, Tutte L'Opere D'Archittetura, Et Prospetiva, Di Sebastian Serlio, Bolognese (Classic Reprint) , London, 2015
セルリオのものは、pdf で多くをダウンロードしていますが、今の目的のために、本の形態の方がずっと便利です。図版を見ていますが、探し当てるまでにかかる時間が違います。
ひとりで4時20分、室温27.8度。午後に会議。
8時半武蔵境発の西武線。今日は、大学前のコンビニで昼食を買ってから研究室へ。作業の継続。
午前中に2冊、TLL で借りていた本を返しました。
12時40分から2時10分まで会議。
会議が終わって、さらに別の本を図書館に返却しました。2時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。立っているだけで汗があふれでる猛暑日です。
ジャン・ペルラン・ヴィアトール(渡辺一夫編)『ヴィアトールの透視図法1505』 (アール・ヴィヴァン叢書 空間の発見 1)横山正解説・翻訳・製図、リブロポート、1981 この書物の後半部分、すなわち横山正さんの翻訳&解説文を読み通しました。遠近法は原理は簡単ですが、作図は実は相当にやっかいです。ルネサンスの時代の遠近法の出現と進展に関して、日本語ではもっともまとまった紹介になっていると思います。
(私が追いかけている16世紀の途中からの新しい進展の部分は対象外とされています。ほとんどの書物はそうなっているので、その点は仕方ありません。)
デューラーは、その書物において、Perspectiva というラテン語を「透して見る」という意味の語だと説明しています。この説明は、今でも多く見られますが、端的に不十分です。横山正さんは「よく見る」あるいは「正しく見る」という意味だったと表現されています。ユークリッドの『光学』がアラビア経由でラテン世界に入ってきたとき、その分野は、Perspectiva と称されました。訳としては、光学または視覚論とするしかないと思います。ルネサンスに遠近法が出現したとき、「正しく見る」の延長線上で、この新しい技法もPerspectiva と呼ばれるようになりました。
このPerspectiva という言葉をめぐる状況を考えれば、当然ですが、ある時期までは、中世的な光学/視覚論の意味での使用と遠近法での意味での使用が両立します。Perspectiva という語が使われているからと言って、透視画法=遠近法を指しているとは限らないことになります。
私が中心的に研究している17世紀には、どの言語でもほぼPerspectiva / Perspective は、透視図法=遠近法の意味がドミナントになっていると思われますが、15世紀、16世紀は単純にはいかないと思います。当該文献をよく読む、よく見ることが必要となります。
→17.7.16 p.80 一般にブルネルスキの方法とされてきたもの、すなわち二つの投影面で解析する方法を 正統作図法 construzione legittima 、アルベルティの上述の方法を簡略作図法 construzione abbreviata と呼んでいる。しかし、ブルネルスキが本当に 正統作図法 を完成していたかには問題があり、また、簡略作図法 は対象を画面に平行に置く平行透視にしか応用できない。
ピエロ・デラ・フランチェスカのテキスト。Prospectiva Pingendi(1472-75 頃) 出版は19世紀になってはじめて。ルネサンスの芸術家達が実際に透視画を描くプロセスがはじめて記述される。16世紀になるとそうしたプロセスを記述する本は数多く出版される。
p. 81 画面と斜かいになった配置のものも、主要な点の透視図を求めることでそれなりの透視図を描くことができる。
正方形の45度方向の対角線が明確に意識されている。45度の対角線を用いて奥行き方向の距離を一度横幅に変換し、それを透視図でもう一度奥行き方向に変換している。これは距離点法の原理に他ならない。
16世紀に入って、たとえばジャン・クーザン (1490頃-1560ころ)の透視図法の教本(1560)の挿図では、裏返しの平面図を利用しての作図を示すが、そこでは対角線はそのまま水平線まで引き通されて距離点にあたるものに tieres poinct 三分点という名称が与えられている。
p. 82 初期の透視図法のテキストに描かれた距離点的な点の意味についてはまことに判定が難しい。
ジャン・ペルラン・ヴィアトール(Jian Pelerin Viator) はじめて印刷された透視図法のテキストを出版(1505)
p. 84 当時の透視図法のテキストはいくたびも版を重ね、また外国でもいくつもの翻訳が刊行されるのが普通。第4版が1625年に出版されるが、本文28頁、図版が67枚、新たに描き直され、フランス語訳も新しく用意された。
p.85 目の高さにいわゆる水平線(水平な平行直線群の消点は必ずこの水平線上にある)を引いて、はっきり明確にこれに言及したのは、ヴィアトール(1505)がはじめてである。
ヴィアトールはこの点を3分点と呼び、(1560年のジャン・クーザンのテキストに引き継がれる)、ヴィニョーラのテキストでは距離点という言葉が示されている。ヴィニョーラのテキスト『透視図法のふたつの解法』(初版1583年)
p.86 距離点的な考え方は、ヴィアトール以前に存在していて、それは、イタリアにもアルプスの北方にもあったであろう。アルベルティの記述するように、それはおそらくは正方形の舗石の角を斜めに繋いでいった先に得られるものであった。
ヴィアトールの書の刊行に刺激されるように、16世紀にはいると、次々と透視画法のテキストが出版されるようになった。
ヴィアトール(1505)
デューラー(1525)
ヴィニョーラ(1583)
ヒエロヌムス・ロドラー(1531)
ヘルマン・リフ(1547)
ローレンツ・シュトアー(1556)
ジャン・クーザン(1560)
ハインリッヒ・ラウテンサック(1564)
ヴェンツェル・ヤムニッツェル(1568)
ダニエーレ・バルバロ(1568)
ヨハネス・レンカー(1567)
マルティーノ・バッシ(1572)
ジャック・アンドルー・デュ・セルソー(1576)
ロレンツォ・シリガッティ(1596)
ギドバルド・ブールボン・デル・モンテ(1600)
ひとりで5時20分、室温27.6度。午後に会議。しばらくは、そう言う日が続きます。
8時42分武蔵境発の西武線。久しぶりに駅の外にでて、昼食のパンを買ってから乗車。先ず、コピー。それから情報の整理。Troili, Giulio, Paradossi per pratticare la prospettiva senza saperla, fiori, per facilitare l' intelligenza, frutti, per non operare alla cieca, Bologna, 1672
磯崎康彦「秋田蘭画における透視画法」『洋学史研究』11(1994): 17-41のp.31で磯崎氏は次のように言う。モクソンは、ヴィニョーラの『実用遠近法の2規則』(1583)の2重螺旋図を参照していた。「一重、二重の螺旋階段図法は、ヨーロッパの遠近画法書において珍しいものではなかった。ヴィニョーラのみならず、フランス人の建築家ジャック・アンドルーエ・デュ・セルソー(Jaques Androuet Du Cerceau)の建築書、ネーデルラントの画家で建築家のヤン・フレードマン・ドゥ・フリース(Jan Vredeman de Vries, 1527-1604) 」の『遠近画法』(Perspective)にも見られる。」
つまり、磯崎氏はモクソン以外に、3点の螺旋階段図を挙げている。
1)ヴィニョーラ
2)デュ・セルソー
3)ドゥ・フリース
Jaques Androuet Du Cerceau(Paris, vers 1515 - Annecy 1585)
Jaques Androuet Du Cerceau, Livre d'architecture … contenant les plans & dessaings de cinquante bastimens tous differens… , Paris, s. n., 1559
Jaques Androuet Du Cerceau, Second livre d’architecture … contenant plusieurs et diverses ordonnances de chemine´es, lucarnes, portes, fontaines…, Paris, 1561
Jaques Androuet Du Cerceau, Lecons de perspective positive , Paris, Mamert Patisson, 1576.
Jaques Androuet Du Cerceau, Livre d'architecture... auquel sont contenues diverses ordonnances de plants et élévations de bastiments..., Paris, 158212時40分から会議。2時10分まで。
4時から5時40分過ぎまで会議。6時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで5時20分、室温27.8度。→週間天気を見ました。本日は、24度〜35度。明日もほぼ同じ、でも、水木は、雨マークがついて、最高気温は31度と30度。金土日は、曇りマークだけ。梅雨明けはまだです。ちびどもは期末テストの最終日。
私は、午前中に会議があります。外語の春学期は先週で終わっています。採点と成績をつける仕事が残っています。9時6分武蔵境発の西武線。すぐに図書館によって、ILL で届いていたコピーと、TAC で届いていた2点の図書を受け取りました。
磯崎康彦「秋田蘭画における透視画法」『洋学史研究』11(1994): 17-41
ジャン・ペルラン・ヴィアトール(渡辺一夫編)『ヴィアトールの透視図法1505』 (アール・ヴィヴァン叢書 空間の発見 1)横山正解説・翻訳・製図、リブロポート、1981
K. Andersen, The geometry of an art : the history of the mathematical theory of perspective from Alberti to Monge, Springer, 200710時半から会議。11時20分ぐらいまで。一度研究室に戻り、荷物を置いてから、生協で昼食。レーメン。
猛暑日です。土日の学会の疲れもあるので、今日は、無理をしないこととしました。そのまま、帰宅。12時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
MacBookAir を冷房のはいっている居間に持ち込み、仕事。
ひとりで5時35分、室温27.6度。年会の2日目。
午後の後半を私が司会します。8時20分に家をでて、9時25分前に開場に入りました。ヨナさんが梶さんの思い出について、講演をしていました。そのままヨナさんの研究発表から年会はスタート。
午後2時から私が司会。実際は、前がすこし遅れ全体が+5分で進行しました。年をとると、話が延びがちです。打ち切るのが苦手になります。でも、+5分に押さえて、16時30分に終了。終わりの挨拶を司会席にいる私が担当して、16時35分、すべて完了。片づけを手伝ってから退散。最後の部分は事務局に任せました。
今年の年会は、近年にない盛会でした。年会準備委員の方々は、上野公園内の科学博物館という年会会場がよかった、つまり場所がよかったと思うと話されていました。そうだと思います。
私は亀山さんといっしょに駅まで向かい、ホームで亀山さんと別れました。6時前に帰り着くことができました。
ひとりで4時45分、室温27.4度。誰も起こす必要がありません。
2017年化学史研究発表会(年会)詳細プログラム
7月8日(土)
9:15 受付開始
9:55 開会の辞:会長挨拶
10:00〜12:00 一般講演 座長:田中浩朗(東京電機大学)
武山高之(京大アイソマーズ)「ドイツ化学史の旅」(8)番外編英国の旅で思うロンドン大学化学教授A・W・ウィリアムソン‐主に、その社会思想的背景と日本への影響‐」
川合智(川合化学技術研究事務所)「物性化学の開発における現場観察と物理化学的直感の役割」
堤憲太郎(科学史技術史研究所)「フグ毒研究と分離分析技術の進歩」
*北原文雄(東京理科大学名誉教授)「スヴェドベリのノーベル賞受賞の不思議」
13:30〜14:40 特別講演@ 座長:内田正夫(立教大学)
大山秀子(立教大学)「田丸節郎とF. Harber」
14:55〜16:40 シンポジウム「元素発見の歴史」
企画説明・座長:新井和孝(国立科学博物館、量研機構 放医研)
内田正夫(立教大学)「希土類元素発見の歴史」
古川安(日本大学)「『未知なる元素を求めて』―化学史教材としてのDVD―」
佐藤道洋(愛知県立新城高等学校)「デイヴィは何個の元素を「発見」したのか?元素発見の概念上の整理」
16:50〜17:50 総会
18:15〜19:45 懇親会
7月9日(日)
9:00 受付開始
9:30 〜12:00 一般講演 座長:菊池好行(名古屋経済大学)
Yona Siderer (Hebrew University of Jerusalem), "Historical, Cultural and Linguistic Study on Translation of Science"
山口達明「明治初頭の有機化学教科書」
黒田光太郎(九州産業大学)「「黒田チカ資料」の現状」
吉原柚紀(克誠堂出版)「「環境問題」はいつできたのか:隅田川の事例に見る意識の変化」
市川浩(広島大学)・金山浩司(東海大学)・齋藤宏文(東京工業大学)「梶雅範(1956-2016)の化学史研究―V. I. ヴェルナツキー・梶雅範訳『惑星現象としての科学的思考』刊行にあたって」
13:00〜14:00 特別講演A 座長:古川 安(日本大学)
若林文高(国立科学博物館)「日本の博物館創世期−科博を中心として−」
14:00〜14:15 特別報告 座長:吉本秀之(東京外国語大学)
加藤貴広(化学同人)・大野誠(愛知県立大学)「『化学史事典』の刊行」
14:25〜16:25 一般講演 座長:吉本秀之(東京外国語大学)
河野俊哉(東京大学大学院、法政大学他)「図像化学史試論:プリーストリの『透視画法の理論と実践入門』からファラデーの『化学操作法』まで」
*中辻慎一(兵庫県立大学名誉教授)「Moses Gomberg の足跡と有機ラジカル化学の変遷」
廣田襄(京都大学名誉教授)「G. N. Lewisとアメリカ化学の発展 (III)」
原宏(東京農工大学名誉教授)「大気化学の歴史(3): Cauer 論文」
16:25 閉会の辞:副会長挨拶
(17時までに退館)
8時50分に家をでて、会場には9時55分に着きました。ちょうど始まるところでした。会場にはすでにかなりの数の人が来ていました。
90歳をゆうに越える北原先生の発表に驚きました。声がとてもしっかりしていて、ほんとうによくわかる興味ぶかい発表でした。耳は悪くなったということで、質問を聞き取るのには苦労されていましたが、形式的にも内容的にも立派な発表でした。5分遅れぐらいで、昼食時間帯に。お弁当を受け取り、自分の席で食べました。時間に余裕があったので、科学博物館のなかを見て回りました。家族連れやカップル、その他グループで来ている方が大勢いました。フーコーの振り子を確認しました。
できたばかりという、梶さんの遺作、V. I. ヴェルナツキー・梶雅範訳『ノースフェーラ:惑星現象としての科学的思考』(水声社、2017)を市川浩さんから受け取りました。ノースフェーラですが、梶さんは、叡知圏と訳されています。ヌースのスフェアです。
市川さんが次の研究ノートを配布されていました。
市川浩「梶雅範のメンデレーエフ研究―「社会的背景」ち伝記的方法」『Il Saggiatore』No.44(2017): 29-33
これは電車のなかで読みました。よく書けていると思います。もう一歩突っ込んでもらえると後世に残る文章になったと思います。午後は、立教大学の化学者大山秀子先生が祖父田丸節郎についてお話される特別講演です。97歳(?)になられるというお父さんの田丸謙二さんもお見えになっていました。非常によく準備された誰が聞いてもよくわかる素晴らしい講演でした。大山秀子先生は、モーニングを着て登壇されましたが、祖父のモーニングだということでした。最後に、田丸謙二さんも挨拶されました。ユーモアのある絶妙の挨拶でした。
懇親会は、西郷さんの銅像の近くのお店。8時過ぎまでいました。8時15分ぐらいにお暇して、電車に。内田さん、菊池さんといっしょでした。9時15分頃家に着きました。
近年にない盛況でした。
ひとりで6時10分、室温26.5度。本日から、学会、今日は夕刻に上野の科学博物館で評議会と理事会。明日明後日は、同じ場所で研究発表会。
お昼過ぎに次の本が届きました。
Vitruvius Pollio, The Theory and Practice of Architecture; Or Vitruvius and Vignola Abridg'd. the First, by the Famous Mr. Perrault, ... Carfully Done Into English. and the other by Joseph Moxon; and now accurately publish'd the fifth time, 1835まわりを見てみてもよいかなと思い、科学博物館には早めにでかけました。5時半から評議会が始まります。5時10分前に科学博物館の通用門に着きました。電車のなかで、すこし前に届いていた『生物学史研究』を読んでいました。合評会の特集です。
評議会開始の40分前なので早すぎると思ったのですが、暑くてまわりをうろうろする気にもならないので、中に入りました。知っている顔が6名〜7名います。エクスカーションから直接来たそうです。エクスカーションのことは完全に忘れていました。
会議室に案内してもらい、化学史学会のおさらいをしていました。しばらくすると隣の席に河野さんが見えたので、2人で四方山話。20分過ぎに食事をしてくださいの声がかかったので用意されていたお弁当を食べました。
評議員会が7時まで。評議員の方は、科学博物館の若林さんの案内で、館内見学ツアー。理事の面々は、居残って、緊急の案件に関して、理事会。7時半ぐらいには終わったでしょうか。私は内田さんといっしょに帰ってきました。残りのメンバーは、館内ツアーに合流しました。
科学博物館で会議室から下りのエレベーターを待っているとき、外に望遠鏡とそれを覗く人々が見えました。入り口のところに係の人が案内しています。月に2回、ウェブからの申込を受けつけて、科学博物館の天体望遠鏡を見る催しをやっているそうです。立派な望遠鏡がありました。私たちが降りるエレベーターに天体観測に参加する家族連れの方々が上ってきていました。学校のプールに入って疲れていた息子がはやく寝るというので、いっしょに9時半に就寝。これで体調を整えることができると思います。
ひとりで5時30分、室温27.0度。ちびどもは定期試験2日目。私は、4限5限と学部のゼミ。その後、3年生4年生合同の打ち上げコンパ。卒論ゼミに3年生が混じる形になります。
西荻前のコンビニで紙コップ等をすこしだけ仕入れ、電車に乗って9時半武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで、梅酒とビール類を無理のない重さで購入し、大学へ。作業の継続と机の上の片づけ。机の上を3分の1程度は開けました。
11時に生協に行って、昼食。春学期最後の週。11時なのに学生たちが大勢並んでいます。試験でもあったのでしょう。
再び、駅前のコンビニに行って、飲み物類の購入。私の飲んだことのないいろんなものを買ってみました。
12時15分頃、山田さんが見えました。ご挨拶。
4限5限と学部のゼミ。最終回。5限は、もうすこし時間がかかるかと思っていましたが、5時半過ぎに終わりました。部屋を模様替えして、打ち上げコンパ仕様へ。
3年生との連絡係の4年生が大学前のピザ屋さんより、8枚のピザをもってくる仕事を3年生に頼みました。6時ぐらいに来たでしょうか。
幹事の女子学生が眠そうにしたところでお開き。部屋を片づけ、現状復帰をしてから、お暇。幹事の女子学生は、心配だったので、別の女子学生2人にアパートまで送ってもらうことにしました。電車に乗ったのは、幹事の男子学生と2人。9時28分多磨駅。彼も新小金井で降りたので、その後はひとり。珍しいことです。近所に住んでいる学生が多いしるしです。[モクソン]
今回の調査の出発点は、モクソンです。テキストはすぐに入手できましたが、画像を含む pdf をずっと見つけることができないでいました。EEBO にアクセスできればすぐなのですが、EEBO のアクセス権が今はありません。(東大に行けば、アクセスできます。)
グーグルにはかかっていなくても、検索サイトで地道に検索をかけ続ければ、今どきなのでなんとかなるだろうという見込みのもと、やってみました。今回世話になっているスイス圏のデジタルライブラリーe-raraにはなし。次は、おおきなところからと思い、ガリカでやってみました。検索ワードでちょっと苦労しましたが、ヒットの最後の方で、モクソンの実物が見つかりました。
Joseph Moxon, Practical Perspective: or, perspective make easie, London, 1670
やはり全部見てみる必要がありました。私が今回試みているのは、図版の系譜学とでも呼べる探求です。ある目処がついたと思います。Kirsti Andersen によって、次のものをダウンロードし、図版を全部確認しました。
Abraham de Graaf, De geheele mathesis of wiskonst, 1676
Samuel van Hoogstraten, Inleyding tot de hooge schoole der schilderkonst: anders de zichtbaere werelt, 1678
Nicolaas Hartsoeker, Proeve der deursicht-kunde, 1699
Dirk Bosboom, Perspectiva of doorzicht-kunde, 1703
Hendrik van Houten, Verhandelinge Van de Grontregelen der Doorzigtkunde, Of Tekenkonst (Perspectief), Amsterdam, 1705
Gerard de Lairesse, Het groot schildeboek, 1707Nicolaas Hartsoekerの本には、有名なホモンクルスの絵が掲載されていました。
その他。
Joseph Moxon, Mathematics made easie: Or a compleat Mathematical Dictionary , Explaining All the Parts of the Mathemitics, with the all the Terms of Art, adn difficult phrases rendred plain and easie to every Capacity, London, 1771
オザナムの数学辞典や Vitalis 等に基づく数学辞典です。Vriese, Paulus Vredman de, Verscheyden schrynwerk ald portalen, kleeskassen, buffetten, ledikanten, tafels, kisten, stoelen, banken, schabellen, handdoex-rollen, glasborden en veel andre sooten van wercken, Amsterdam, 1630 (ETH-Bibliothek Zürich)
Hondius, Hendrik, Onderwysinge in de Perspective, S'Graven-Haghe, 1620 (ETH-Bibliothek Zürich)
Sturt, John , John James and Andrea Pozzo, Rules and examples of Perspective proper for painters and architects etc., London, 1707 (ETH-Bibliothek Zürich)
Vignola, Michalangelo, Augustin-Charles Avilier, Leonhard Christoph Sturm, Jeremias Wolf, Ausführliche Anleitung zu der ganzen Civil-Bau-Kunst, Augspurg, 1725 (ETH-Bibliothek Zürich)
Spampani, Giovanni Battista, Il Vignola illustrato, Rome, 1770 (ETH-Bibliothek Zürich)
Bosse, Abraham, lgemeene manier van de Hr. Girard Desargues, tot de practyk der perspectiven, gelyk tot die der meet-kunde, met de kleine voet-mat : mitsgaders der plaatsen, en proportien van de sterke en flaauwe rakingen, of kleuren , traslated into Dutch by Jan Bara, Amsterdam, 1686 (ETH-Bibliothek Zürich)
Roland, Fréart, A Parallel of the Antient Architecture with the Modern, In a Collection of Ten Principal Authors who have Written upon the Five Orders, by John Evelyn, added by Henry Wotton, London, 1723 Google Book
Vignola, Vignola: Or the Compleat Architect, translated by Joseph Moxon, London,1665
Blum, Hans, Vande vijf colomnen van architecture te weten, Tuscana, Dorica, Jonica, Corinthia endee Composita ?
Wotton, Henry, The Elements of Architecture, London, 1624?
to be continued.
ひとりで4時30分、室温27.4度。台風一過。台風3号は、九州に上陸したあと、西から東へと進み、おばあちゃんちの近く(田辺)を通過し、夜には関東の東の海上に抜けたようです。予報を見ました。12時台に晴れマーク、18時台に雨マークがついています。残りは曇り。22度〜32度。ちびどもは本日から定期試験。月曜日まで。私はほんとうに珍しく会議のない水曜日。
ひとりで4時55分、室温28.2度。
小学生は学校の授業の一環で新宿へ行って、観劇するそうです。たぶん四季のライオンキング。→妻の勘違いでした。普通の劇を見たそうです。午前と午後に会議。
8時54分武蔵境発の西武線。やはりまっすぐ図書館へ。ILL で届いた次の2点を借り出しました。
L. Vagnetti, De naturali et artificiali perspectiva : bibliografia ragionata delle fonti teoriche e delle ricerche di storia della prospettiva : contributo alla formazione della conoscenza di un'idea razionale, nei suoi sviluppi da Euclide a Gaspard Monge -- Edizione della Cattedra di composizione architettonica IA di Firenze e della L.E.F., 1979. -- (Studi e documenti di architettura)
George L. Hersey, Architecture and geometry in the age of the Baroque , University of Chicago Press, 2000
研究室で図版だけは全部目を通しました。10時10分から学長室。会議。11時前まで。
お弁当を食べて、調べものを継続。1時から会議。2時半まで。
4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで4時半、室温27.8度。わおー。昨日晴れてから気温がどんどん上がりました。朝の室温で27.8度はちょっとひどい。→予報を見ました。本日は晴れて、25度〜34度です。猛暑日。午後に授業。
基本サイト。今回はこのサイトの世話になっています。
A list of perspective treatises in chronological order (mainly pre-1900 publications only)8時54分武蔵境発の西武線。図書館によって、博士論文を1冊返却し、TLL で届いていた次の2冊を受け取りました。
Kim H. Veltman, Linear perspective and the visual dimensions of science and art: Studies on Leonald Da Vinci I , München: Deutscher Verlag, 1986
Sebastiano Serlio, The five books of architecture : an unabridged reprint of the English edition of 1611, New York: Dover, 1982重い2冊をかかえて研究室にもどり、まず、図版だけ全部見ました。なるほど。Studies on Leonald Da Vinci第一部(第1巻)を称するKim H. Veltman の書物は素晴らしい書物でした。レオナルドのスケッチは、いつ見ても素晴らしい。2番目のものは、セルリオの建築書の英訳のリプリントです。
10時前に、まず3階会議室によって、書類を1点提出しました。それから図書館に行って、 Janice Neri, The Insect and the Image: Visualizing Nature in Early Modern Europe, 1500-1700, University of Minnesota Press, 2011 を受け取りました。それから生協にいっておやつを購入。
11時過ぎにお弁当。
Piero della Francesca, De Prospectiva Pingendi, 1470
Albrecht Dürer, Unterweisung in der Messung mit Zirkel und Richtscheit, N¨rnberg, 1525
Albrecht Dürer, Vier Bücher von menschlicher Proportion, N¨renberg, 15283限4限と大学院のゼミ。今日で最終回。
4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。ああ、あつかった。
蚊が一匹襲来して3時25分、息子も起きていました。室温24.9度。雨。予報を見ると、今日はずっと曇りで、22度〜31度。晴れることもないのに、気温が上がるという予想になっています。→さすがにもう一度寝ました。8時前に目が覚めました。同じく蚊の襲撃で目覚めてしばらく眠れなかった息子も起きてきました。2回目起きたときには雨は上がっていました。[遠近法史の見直し ii]
amazon で調べてみました。私の視野に入っていなかった遠近法史の書物として次が出版されていることがわかりました。
ジャン・ペルラン・ヴィアトール(渡辺一夫編)『ヴィアトールの透視図法1505』 (アール・ヴィヴァン叢書 空間の発見 1)横山正解説・翻訳・製図、リブロポート、1981ふと、このテーマであれば、山本義隆氏の『一六世紀文化革命 1&2』(みすず書房、2007)が扱っていなければならないと気付き、足元から1冊、少し離れた本棚から1冊抜き出しました。
デューラーは重視して大きく取りあげています。第1章「芸術家にはじまる」の第6節アルブレヒト・デューラー、第7節デューラーと版画と印刷書籍、第8節デューラーの『測定術教則』、第9節『人体均衡論』、第10節計測の精神と図像表現。つまり第1章の半分は、デューラーに当てられていると言えます。
p.104 遠近法については次の言葉。「遠近法(透視図法)の説明にしても、図をもちいることなく抽象的な理論のみを語ったアルベルティと異なり、デューラーは『測定術教則』で写実的な図版を使って説明している。重版では図はさらに増やされている。・・・ヴィアトールのような先駆者がいるにせよ、デューラーは新しい科学にとって図版のもつ意義、とりわけ木版画印刷本によって精密で性格な図版を何枚も複製しうることの重要性に気付いた最初の 人間の一人であった。」 pp.104-5 パノフスキーは「のちに<自然科学>として隔離されることになるもののほとんどが[ルネサンス期の]/p.106/芸術家の仕事場において誕生した。そしておそらくもっと重要なことは観察的ないし記述的と呼んでよいような自然科学の特殊な諸部門―動物学、植物学、古生物学、物理学のいくつかの分野、そしてなりよりもまず解剖学―の誕生が具象描写技術の出現にもとづいている」と記している。」
山本義隆氏は、デューラー以前の遠近法、すなわち、ブルネレスキ、アルベルティ『絵画論』、ヴィアトール『人為的透視画法』は扱いますが、デューラー以降の遠近法はほぼ取りあげていません。もちろん、16世紀文化革命ですから、17世紀に生じたことがら(デザルグの仕事やボッスの仕事)は取りあげなくてもよいのですが、それにしても本来は16世紀文化革命の中心テーマ(技師=芸術家の工房からの科学の出現)からいって、遠近法史は主題として取りあげてもよかったとは言えます。
山本義隆氏が扱っていないのは、デューラー以降のニュールンベルク派の遠近法(立体を描くための幾何学的遠近法)、16世紀イタリアにおけるセルリオ、バルバロ、ダンティ+ヴィニョーラの建築と絵画のための遠近法の流派であった。
Sebastian Serlio, I sette libri dell'architettura, Paris, 1545
Daniele Barbaro, La pratica della perspettiva, Venice, 1569
Jacopo Barrozzi da Vignola, Due regole della prospettiva, Rome, 1583
そして16世紀の最後の年にデル・モンテの書が出版されます。
Guidobaldo del Monte, Perspectivae libri sex, Pesaro, 1600
数学への展開は、Federigo Commandino, Ptolomaei planisphearium,Venice, 1558. Federigo Commandino, Claudii Ptolemaei liber de analemmate, Rome, 1563. 等から。
Jacopo Vignola, Le due regole della prospettiua prattica di M. Iacomo Barozzi da Vignola, con i commentari del reuerendo padre maestro Egnatio Danti dell’ordine de’ predicatori mattematico dello Studio di Bologna, Rome, 1583, 1611, 1635, 1644, 1682
Andrea Pozzo,Perspectiva pictorum et architectorum, (Plates engraved by Vincenzo Mariotti), Paris, 1693
Bernard Lamy, Traité de Perspective, ou sont Contenus les Fondamens de al Peinture, Paris, 1701
Pietro Accolti, Lo Inganno de Gl'ochi, Prospettiva Practica, Florence, 1625
Sébastien Leclerc, Practique de la Géométrie sur le Papier et sur le Terrain, Paris, 1669
Brook Taylor, Linear Perspective: or, a New Method of Representing justly All Manner of Objects as They Appear to the Eye in all Situations, London, 1715
→ 17.7.4 もとに戻り、当該箇所でモクソンは次のように説明しています。
"OPERATION. XXXV.The Description of a pair of Double Stairs, where|on two persons the one ascending the other descend|ing shall not come at one another.
THese double Stairs are insersed as a peece of Rarity, and de|scribed only in Orthographie, and not by the strickt Rules of Perspective, lest with many lines the work should be obscu|red. Yet such as list to be curious therein may in the last (and several other) Operations find Rules whereby they may effect their purpose."
Who was the first Inventer of these Stairs is not well known. But at Sciamburg in France in the Kings Pallace is a pair of them, made by Piedro del Bergo, and Ichan Cosin. They are also set forth by Vignola, in his Book of Perspective, from whence this is taken."
つまり、Vignola の遠近法の本からこの図をとったと自分ではっきりと言っています。
ひとりで6時10分、室温25.4度。雨。おお、もう、7月。
[遠近法史の見直し]
6月に入ってから、遠近法史の見直し作業をしています。私のサイトにおける遠近法をまとめました。日本語の研究文献には私の関心に沿ったものを見つけることができないでいます。もちろん、英語文献ほか欧語文献は、やまのようにあります。
検索をかけていると、Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Transformations: Studies in the History of Science and Technology) , Cambridge, Mass.; MIT Press, 2004 が繰り返しヒットします。ルフェーブルとパイファー(Peiffer 発音はこれでよいかどうかはわかりません)の論文が関係するようです。6月16日に部屋の中から救出して、6月29日(月曜日)、まずパイファーの論文を読み通しました。
Jeanne Peiffer, "Projections Embodied in Technical Writings", Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Cambridge,Mass., 2004): 245-275
遠近法の数学は、射影幾何学、ならびに画法幾何学へと展開します。一方では古代の数学(ユークリッドの光学、プトレマイオスの球体表面の平面化、中世の光学=Perspectiva=視覚の学)と深く関係します。他方では、建築術、とくに建築物の図面作成(設計図だけではなく、すでにある建築物の正面図と平面図)という実用技術に深く関係します。(ちなみに、plan には、設計図、平面図、案内図、透視画法、透視面の意味があります。) きちんと合流と分岐を腑分けしていく必要があります。
編者のルフェーブルの論文 (Wolfgang Lefèvre (ed.), "The Emergence of Combined Orthographic Projections", Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Cambridge,Mass., 2004): 209-243 )とあわせて、しっかりノートを取る必要があります。
なお、Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 はネットに pdf があります。これは、たすかります。昨日、地層の下から、ケンプの書物を引っぱり出しました。Martin Kemp, The Science of Art, New Haven and London, 1990 . でかくて重い書物ですが、基本書です。今の私の関心にとくに関与するのは、第3章「ルーベンスからターナーまでの遠近法」です。時代的には16世紀末から17世紀の遠近法の新展開の部分です。
ケンプを読んでいて、ステヴィンも見ておく必要があることを思い出しました。ステヴィンに関しては、中澤氏が訳したよい概説書があります。ヨーゼフ・T. デヴレーゼ&ヒート・ヴァンデン・ベルヘ『科学革命の先駆者シモン・ステヴィン』山本義隆監訳、中澤聡訳、朝倉書店、2009。この書の第9章「透視画法理論―「視覚論について」」が当該箇所です。こういう纏まった記述を日本語で読めるのは助かります。とくにこの時代の用語をきちんと訳出・注釈してくれているのはありがたい。昨日の夜、手の届く所に置いていたのを引っぱり出して、第9章だけ読み通しました。
p.277 コマンディーノが1558年、アルベルティが記述した透視画作成法が幾何学的に正しいことを証明した。ベネディッティが1585年、2番目の証明を与えた。透視画法の規則を数学的により一般的に定式化することを始めたのは、イタリアのグイドバルド・ダル・モンテとステヴィンである。
Guidobaldo dal Monte, Perspectivae libri sex, 1600
Simon Stevin, Vande Deursichtighe, 1605
(私のなかでは、Guidobaldo dal Monteではなく、Guidobaldo del Monte とインプットされています。調べてみました。彼の時代には、del ではなく、dal と表記するのが一般的だったようです。こういうのは仕方がないです。研究文献においても、両方の表記があります。当時の表記を尊重するのであれば、この本のようにダル・モンテとなるでしょう。)ウェブで検索をして、 Simon Stevin, Wisconstighe gedachtenissen. Deel 3: van de deursichtighe, 1605 をダウンロードしました。
関連する2次文献として、次をダウンロードしました。S. Dupré, "The historiography of perspective and reflexy-const in netherlandish art," Nederlands Kunsthistorisch Jaarboek 61(2011): 35-60.
Agnes Verwij, "Perspective in a box," Nexus Network Journal, 12(2010): 47-62Axel Rüger and Rachel Billinge, "The Design Practices of the Dutch Architectural Painter Bartholomeus van Bassen", NATIONAL GALLERY TECHNICAL BULLETIN VOLUME, 26 (2005): 23-42
Hans Vredeman de Vries, Perspecitive, Pars 2, 1632 これをグーグルブックスからダウンロードしました。 Hans Vredeman de Vries, Perspecitive, c'est à dire les trés-renomm&aecute; art du poinct oculaire d'une veue dedans ou travers regardante..., Leiden, 1604-05
解説によれば、Hans Vredeman de Vriesの遠近法は、1604-05年、フランス語、ラテン語、オランダ語、ドイツ語で出版されたとあります。
Kirsti Andersen ,“Stevin's Theory of Perspective. The Origin of a Dutch Academic Approach to Perspective”, Tractrix, vol. 2(1990): 25−62
このあたりに関しては、デンマークの女性研究者、Kirsti Andersen, The Geometry of an Art. The history of the mathematical theory of perspective from Alberti to Monge, Springer, 2007 が新しい古典の地位を占めているようです。デンマークの人ですから、読みはアンデルセンとなるのでしょう。
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