夜半に目覚めてすこし仕事。息子といっしょに7時。室温11.3度。4月だというのにまだ寒い。夜半から雨が降っています。
おお、もう、4月。新学期です。
おおきいちびは高校3年生。受験生です。ちいさいちびは高校1年生。入学式はまだですが、身分上はたぶんもう高校生。小学生は、小学6年生。
昔と違い、最近の学校はすぐにはじまります。私も、3日の月曜日からすぐに仕事がはじまり、4日、5日、6日と続きます。6日には授業が開始します。7日はちいさいちびの入学式、8日土曜日は、大学の入学式です。
ひとりで5時45分、室温14.1度。[3月末締切]
ずっとさぼっていた本日締切の原稿の朝から着手しました。終わるまでは、息を抜かないようにします。その分、ほかはおろそかになりますが、4月の週に対応しますので、しばらく猶予ください。執筆作業に専念しているときは、MacBookAir の方は閉じて、1996年製デスクトップに向かっています。一息ついて、MacBookAir をあけると、膨大な数のメールが行き来していました。私がちょっとした工夫をしたせいで、混乱が生じていました。それに関しては、すぐに、簡単な説明を行い、私にまかせてくれるようメールを書きました。
執筆の際には、この日記もしっかりつけていた方がやりやすいことがわかりました。ものをかくリズムと慣れの問題だと思います。自分がかみのような文章を書くことはできない。自分でかけることをさっさとかくのが一番ですが、そのためには、こういう文章でもかきなれることが必要です。日々、毎日のなれだと思います。
私が仕事をしているせいというわけではないでしょうが、ちいさいちびが宿題に取り組んでいます。入学前にかなりの量の宿題がだされました。おおきいちびのときもかなり騒いでいたことを覚えています。
そういえば、ちいさいちびは形式上は、明日から高校生です。まずは、医療費が有料になります。中学卒業までは、区が本人負担分をだしてくれていました。明日からいよいよ有料です。
そして、明日から、我が家は高校生二人、小学生一人となります。おおきいちびはあと10ヶ月ほどは受験生です。お昼に次の本が届きました。
増田展大『科学者の網膜: 身体をめぐる映像技術論:1880-1910 』
(視覚文化叢書) 青弓社、2017
ひとりで5時55分、室温12.9度。ゴミ袋を5つだして、おおきいちびのためにご飯を1合しかけました。今日も午前中から練習だそうです。
[晴れた日の野川公園]
息子に外に行くかと聞くと、アスレチックに行きたいと言います。ネットで検索して最初にでてくる新宿中央公園にしようかと思いましたが、公園、どう行こうと思って地図を調べていると、どうも、子供用アスレチックは撤去された模様。もう一度検索し直して、野川公園にしました。
というわけで、昼食後、息子といっしょに野川公園。西武多摩川線新小金井駅から歩くことにしました。一度息子と通っているので道を覚えています。野川公園のアスレチックはわんぱく広場というところにあります。野川公園についてからも、わんぱく広場まではけっこう歩きますが、運動に来ているので、とくに問題はなし。わんぱく広場につくと、もうすぐ6年生の息子は、ひとりでいろいろ遊んでいます。大勢来ていた子どもたちは、ほとんどが息子よりも年下です。さすがにおにいさんらしい行動をしています。私は、肩の運動だけを心がけました。天気も良く暖かいので、運動に飽きたら、休憩。
息子も飽きたらのびのびしていました。4時半に帰るといっていましたが、実際には、4時15分頃帰途に着きました。もときた道を戻るがはやいと考えて、同じ道を戻りました。多磨駅4時40分発の電車がちょうどです。新小金井だと4時43分ぐらいでしょうか。5時頃帰ってきました。
公園から坂を登ってすぐの場所に学校がありました。ICU 高校かと思って調べてみたら、地元の公立中学でした。グーグルマップ検索で調べてみると、新小金井駅からICU 高校まで歩くルートはでませんでした。どのぐらいの割合のICU 高校生が新小金井駅から歩いているのかはわかりませんが、確実に一定数はいます。地図を見て、駅から高校まで15分はかかるのかなと思いました。明日締切の仕事がありますが、先延ばし。
ひとりで5時25分、室温12.4度。[はじめての東京外国語大学本郷サテライト]
午後、東京外国語大学の本郷サテライトで、編集委員会&理事会。編集委員会の資料は私が担当です。息子が起きて下に降りてくる7時までの間に、配付資料そのものは用意することができました。なお、名古屋との2会場同時開催です。スカイプで繋ぐ予定ですが、そもそもはじめての試みです。どの程度うまくいくかは、やってみないとわからないというのが本当のところです。
→はじめての場所ですし、スカイプ接続もあるので、はやめにでかけました。御茶ノ水の駅についたのは、1時10分ぐらい、10分ぐらい歩いて、東京外国語大学本郷サテライトの建物につきました。
最初、入り口だと思った場所には鍵がかかっていましたが、隣に出入り口らしきものがあり、そこから入ることができました。係の方には、会議室の鍵を開けておきます、と連絡を受けています。まず、係の方に挨拶をしてからと思いましたが、1階の受付に係の方がみえません。おおきな声で呼びかけましたが、反応がありません。お昼ご飯にでられたのでしょうか。仕方がないので、ちいさなエレベーターで8階に上がり、会議室のドアに手をかけました。話とおりにあいています。
照明のスイッチをみつけるのにすこし手間取りました。そうこうしているうちに田中さんが見えました。スカイプ接続は、完全に、田中さんまかせとなっています。プロジェクタ、スクリーン、LAN はあります。あとは、田中さんが持参した、MacBook、カメラ、マイクロフォン&スピーカーをセットアップしてくれました。私は、やはり、挨拶はしておこうと思い、何度か、1階におりましたが、なかなか係の方は見えません。私と同じく受付の係の方を待っている方が2名いました。編集委員会開始時刻の2時5分前か10分前かになってやっと挨拶をすることができました。名刺を渡して、Wifi のコードをもらいました。
田中さんがスカイプ接続をすませてくれていました。名古屋地区には3名。ほぼ予定とおり、2時には開始することができました。
マイクを意識していつもより大きな声で話す必要がありましたが、ほぼ問題なく、2会場を繋いだスカイプ会議をすすめることができました。2時55分に編集委員会は終わり、3時開始の理事会を待ちました。
東京外国語大学本郷サテライトは、細長い建物です。1つの階に、1つの教室または会議室があります。トイレは、それぞれの階に男性用か女性用のひとつだけ。8階は女性用だったので、男性はエレベーターで7階まで下りる必要がありました。外階段もありましたが、ドアを開けると警報が鳴るという警告文があったので、敢えて、外階段にでるかたはいませんでした。
1時から6時までで借りていました。5時45分、係の方が会議室に見えて、会議室の鍵をしめて、建物を封印するカードをくれました。
ちょうど、そろそろ終わりにしませんか、と私が発言していたところでした。持ち込んだ機器を片づけ、部屋の現状復帰がきちんとできているか確認して、最後の5名で会議室を出て鍵をかけ、1階で、封印のスキャン。ちょっと手間取りました。
1名は、本郷3丁目の方へ、残りは御茶ノ水駅へ。
東京外国語大学本郷サテライトは、御茶ノ水駅から徒歩10分。使い勝手のよい立地です。部屋のキャパは、20名〜30名ですが、ちいさな会合には便利ではないかと思いました。
ひとりで6時5分、室温10.8度。室温は昨日より下がりましたが、雰囲気は春です。日が昇るにつれ、気温も上がるでしょう。おおきいちびは練習試合。7時に起きて、8時過ぎにでかけていきました。妻も7時に起こしました。歩いてもいける距離ですが、いつも通り、自転車ででかけました。
おおきいちび、ちいさいちびと二人の高校受験を経て、近辺の高校の事情は、かなりわかるようになりました。徒歩30分圏内にけっこうたくさんの高校があります。有名私立大学の付属高校もわりとあります。午後3時に科長室で引継の打ち合わせ。
1時42分武蔵境発の西武線。引継に時間がかかり、7時40分多磨駅発の西武線でやっと帰途につくことができました。
帰宅すると、次の本が届いていました。
アイザック・アシモフ『化学の歴史』竹内 敬一,玉虫 文一訳、 ちくま学芸文庫、2010(河出書房、1967)事務の方も部署が変更になる方が大勢います。先週の水曜日の退職教員を送る会のあと、担当の方におおよそのことは伺いました。他大学、他機関に異動になる方も一定数います。執行部ですが、大学執行部は、学長、理事の二人が継続なので、ほぼ継続です。人事委員会(総合国際学研究院と両学部)は、学部長が一人、副院長がひとり(私です)残るので、一定の継続性は保たれます。2年後は、学長がかわるので、大幅な変更になると思われます。今期の最大の課題は、新学部の設置です。国際日本学部が誕生します。学内的にはまだ反対意見も根強いのですが、大学当局が外に約束してしまっています。ここで引き返すことはほとんど不可能です。
ひとりで3時55分、室温12.1度。前日からの雨がまだ降り続いています。→天気予報を見てみました。午前中は雨で、午後上がるようです。最高気温は10度。明日は晴れて、14度まで上がるようです。ちびどものためにお金が必要になり、10時頃、お金を降ろしに行きました。ついでにセイユウで必需品の買い物。セイユーは、模様替えの真っ最中でした。
2時過ぎ、ずっと降っていた雨が上がり、日が射してきました。食卓のある部屋は、西側に窓があり、明るくなりました。ちいさいちびはそこに引きだしごと、作業道具をもってきて、メッセージ書きに励んでいました。
雨が上がり、春が来ました。
おおきいちびは午前中に塾、そこから高田馬場にでて、友達と昼食、その後一度家に帰ってきて、整骨院。食べ過ぎたとお腹をなでつつ、風呂に入ってから、美容室に行くと言っています。我が家でもっとも出入りの頻繁な子です。
ちいさいちびは、夕刻に、部活の焼き肉会。下級生全員にメッセージを書く必要があるということで、めんどうだ、めんどうだとごちつつ、ぎりぎりまで書いていました。待ち合わせの時刻に遅刻しそうになって、ダッシュしてでけかて行きました。
夕刻、次の本が届きました。
飯島裕一『温泉の秘密』海鳴社、2017ふと、アマゾンのタイムセールを見ていると、ユリイカの創刊号がありました。不思議に思って、リンクをクリックすると、オンデマンドで2016年11月1日に出版されたようです。澁澤龍彦、種村季弘、吉田健一、大岡信、西江雅之編とあります。創刊号は、1969年7月です。VOL.1 - 1 の表記です。Eureka /詩と批評の文字も、表紙絵もなかなかに格好良い。私が11歳のときの創刊です。大学生のときは買っていませんでしたが、院生になって、たまに買った号もあります。研究室の手の届きにくい一角に退蔵しています。
ひとりで5時20分、室温13.1度。外は冬の雨が降っていますが、室温は昨日の暖かさをとどめています。→天気予報を見ました。本日から明日の午前中まで雨で、本日中の気温は5度で変化なし。明日は、すこし気温が上がってくるようです。おおきいちびと妻を7時に起こします。おおきいちびは近所の高校に練習試合に行くと言っています。おおきいちびはケガだらけで、満身創痍です。本人は左半身がダメなので、キャプテンだけど逃亡しようかなと言っていました。
[『化学史事典』]
朝日新聞朝刊の一面に、『化学史事典』の宣伝がありました。出版社の化学同人が3冊の本をあげています。
文言は,次の通りです。
現代を知るための化学の歴史
『化学史事典』
化学史学会編/本体22000円
世界初の化学史専門事典。化学者、
理論、物質、装置、著作、企業・
団体等、全2079項目を収録。
冒頭の図版がA-H頁、
はじめに,執筆者一覧、凡例でi-vi 頁
本文、1-779頁
図版の出典・提供、p.781
年表に、782-825頁
参考文献、826-857頁
和文事項索引、860-935
欧文事項索引、936-949
和文人名索引、950-971
欧文人名索引、972-985
総頁1000頁となります。
このホームページの[『化学史事典』]に関する文章は、My Facebookに折々にアップしているものを編集してあげています。
ひとりで4時55分、室温11.1度。→天気予報を見直しました。本日は、4度〜13度。明日は雨で4度〜7度。月曜日は、5度〜11度。つまり、明日の日曜日はまるっきり冬の気温だということになります。4月の最後の週で、花見の季節に、冬の雨が降ります。夜、テレビの前に座っていたちいさいちびが、ちいさいときの動画を見たいと言います。なくなったおじいちゃんがビデオに撮ってくれたものをDVDに焼いたものがあるはずです。どこいらへんにおいてあるのかのぼんやりとした記憶はありますが、正確にどこというのはありません。ありそうな場所を探して、まず、1枚を見つけました。小学生5年生があかちゃんのときのものがありました。ちいさいちびは4歳、おおきいちびは6歳の年です。次に、ちいさいちびが1歳(正確には10ヶ月ぐらい)のときのものが見つかりました。おおきいちびは3歳で、もう幼稚園に通って、4ヶ月は経過しています。ふたりで歌を歌いながら踊っているシーンをおじいちゃんはビデオに収めてくれています。
ビデオ鑑賞には、おおきいちびも加わりました。じぶんたちのあかちゃんのときの姿に二人とも大笑い。
10時前に妻がお風呂からでてきて、私と小学生は、寝室に行き、ビデオ鑑賞者が一部交代となりました。妻と長女と次女でもうしばらく見ていた模様です。[『化学史事典』]
正午前後に、『化学史事典』の実物が届きました。
来週開かれる編集委員会(&理事会)のメンバーに見せるために刷り上がったばかりのものを化学同人の加藤さんに先に送ってもらったものです。店頭に並ぶのは、来週または4月に入ってからのもようです。→化学同人のサイトでは、3月31日発行となっています。
編集委員長は大野誠さん、編集委員は私を含め、総勢14名です。編集委員のうち、金城徳幸さんと梶雅範さんは、故人です。事典の編集には時間がかかり、こういうことが生じます。
執筆は、182名の方にお願いしています。全部で2079項目、1000頁の事典となりました。
以上、出版の第1報です。この『化学史事典』は、化学史学会の40周年記念事業として行われたものです。化学史学会は、1973年12月1日(土曜日)、上野の国立科学博物館で設 立大会を開いています。2013年が設立40年にあたり、2010年から40周年記念事業を理事会のなかに立ち上げています。当初は、(1)学会40周年 史の発行、(2)国際的なワークショップの開催、(3)国際ワークショップと関連して欧文での発行物の刊行、という3本柱を立てていました。(1)の学会 40周年史の発行は,一部、ヒアリング等の作業は行われましたが、途中で立ち消えになりました。そのかわりに、2011年から出版社からの提案を受けて、 『化学史事典』の編纂作業が加わりました。結局、国際ワークショップの開催と『化学史事典』の編纂という2本柱に事業がしぼられました。
国際ワークショップは、中心的には故梶雅範氏の推進力によって、2015年の3月に東工大で開催されました。
『化学史事典』の方は、ほんとうに多くの方の献身的なご尽力で、2017年春に出来上がったことになります。執筆いただいた方々、ご協力いただいた方、みなさんに感謝の意を表します。
ひとりで6時、室温13.6度。小学生は卒業式。送る側の5年生です。ちいさいちびも高校に行きます。入学後のもろもろの説明です。おおきいちびも学校があるそうです。そして、私の大学も卒業式。
昼食後、大学へ。1時42分武蔵境発の西武線。卒業式は2部制です。2部が2時スタート。ちょうど2部に入場する学生が大勢いました。私は、事務棟4階へ行って、書類を1枚提出しました。書類1枚ですが、これも、私の仕事のひとつです。
その後、研究室で調べもの。4時すぎに卒業生が挨拶に見えました。
6時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。外にでると、また冬の風が吹いていました。今夜からまた冬の寒さが戻ってくるようです。
帰り着くと、小学生はお風呂、ちいさいちびはディズニー以来の睡眠不足がたたって、ダウン。風邪気味だったので、風邪かもしれませんが、ただの睡眠不足/疲労蓄積かもしれません。
ひとりで4時5分、室温13.6度。小学生は終了式。ただし、5年生として明日の卒業式にもでます。歌ったり楽器を演奏したりというのが5年生の役目です。
高校生は、3年生のいなくなって久しい学校にまだ行くようです。→高校ではなく、新宿に行ってなにかを見ると言っていました。10時前にでかけていきました。
ちいさいちびは、午後、友達といっしょになんちゃって制服(高校は制服がない、入学式、卒業式等に着ていく、制服のような服、礼服とまではいきませんが、公的行事に着ていくことができるちゃんとした服)を買いに行くそうです。ひとりだと心配なのですが、しっかりした友人二人がいっしょなので、おおきな間違いはしないでしょう。→11時過ぎに起きてきて、朝ご飯と言います。もう11時を過ぎているから、ブランチか、普通の昼食だと話すと普通に昼食でよいと言います。チャーハンを食べたいと言っていたので、午前中にセブンイレブンで冷凍品を買ってきています。けっこう量がありますが、スープにクラムチャウダーを注文して、食べきりました。12時50分に待ち合わせということでしたが、50分をすこし過ぎてから自転車に乗ってでかけました。自転車で行くそうです。
小学生は12時半ぐらいに帰ってきました。こちらは、冷凍のたこ焼きを1箱食べて満足しました。家に帰り着くと、なんだか疲れたそうです。夕刻に慰労会。当初は大学で集合する予定でしたが、現地集合に変わりました。もともと、予定していたお店に、一昨日、昨日と何度か電話をかけてみましたが、まったく応答がありませんでした。ネットで調べると、去年までのくちこみはありますが、去年の途中で切れています。(理由はいろいろ考えられるでしょうが)営業を休んでいるのではないかと想像し、予約なしで、主賓の方に食べたい料理の種類を選んでもらうことにしました。
送る側の二人で、予約を試みましたが、駅に近い有名店は、満席ですの答えでした。よく考えてみれば、送別会の季節です。我々と同じような人種が大勢いることに思り至ります。でも、すこし駅から離れた場所では、空席があったので、3人分予約しました。ちいさいちびはちょうどよい服があったようです。新宿に行っているおねえちゃんとラインで連絡を取り合って、いっしょに夜(7時20分からの回)映画を見ることにしたようです。自転車ででかけているので、一度帰ってきます。帰り着くのを確認することなく(自分一人であまり動いたことがない子なので、すこし心配しつつ)出かけました。待ち合わせ場所には5分前に到着。もうおひとりの副の先生も1分前にはお見えになり、3人で、お店へ。東進のすぐそば。3月頭に開店したばかりの、木のにおいの新しいお店でした。和食(割烹)。10時前まで。
帰り着くと、ちいさいちびがソファにいて、姉が風呂に入っていると言います。映画組も帰り着いたばかりだそうです。おおきいちびの次に風呂に入り、しばらくついているTV(籠池氏の証人喚問をやっています)を眺めてから、就寝することにしました。
ひとりで6時、室温12.7度。午後、会議が連続します。
9時18分武蔵境発の西武線。
やっと研究室の机の上の片づけをしました。デスクトップが見えるようになりました。完全にできたわけではありませんが、9割方まではいったと思います。
昨日受け取った『総合文化研究』vol. 20(2016)の付録(所員の2016年度活動報告集)を読んでいました。みなさん、いろんなエッセイを書かれていて、読み応えがあります。ちょっと驚いたのは、北村紗衣さんの名前が2箇所ででてきたことです。藤井守男先生が北村紗衣さん編の著作に原稿を寄せられていました。藤井先生が、北村さんと繋がりがあるとはまったく意外でした。(1点は、北村紗衣、日下九八、さかおり、のりまき、吉本秀之、藤本大士「ラウンドテーブル: ウィキペディアと科学史--知識とコミュニケーションを考える」『科学史研究』No. 279(2016): 221-225。もう1点は、藤井守男「ペルシア文学に見る共感覚」『共感覚から見えるもの:アートと科学を彩る五感の世界』北村紗衣編、勉誠出版、2016)
正午に学生が見えて、署名と押印。
12時40分から会議。1時40分までの予定です。予定より少し前に終了しました。
2時から、言語文化学部の教授会。10分。つぎに2時10分から外国語学部の教授会。10分。
2時20分から研究院教授会。最後嵐を覚悟していましたが、無風で終わりました。4時40分ぐらい。(6時まで覚悟していました。)最初に定年退職される方の挨拶がありました。定年退職される方の多くは、挨拶されたらそのまま教授会をあとにされました。無風だったのは、こうした事情もきいていると思います。
5時から、退職教員を送る会。私は(とくに何もしていませんが)送る側です。研究院教授会が主催者。研究院長の岩崎務先生も、6年の激務からやっと解放されます。研究院教授会の執行部の議事進行書には、終了後、岩崎先生から挨拶という文言が入っていたのですが、もういいでしょう、ということでスキップされました。
京大の先輩である和田先生が、自分の定年退職の挨拶の最後に、大学の後輩である岩崎務先生に挨拶をするように促しました。副の私と土佐先生もごくみじかく挨拶をしました。
送る会は7時まで。2次会も研究院事務室の方によって用意されています。去年は最後まで付き合いましたが、今年は、途中からあまり声もでなくなり、研究院事務室の事務の方に挨拶・雑談をして、7時半ぐらいに長と副の許可を得て、帰ることにしました。7時40分多磨駅発の電車。帰宅すると全員揃っていました。ちいさいちびはあまり寝ていないそうです。そういう顔をしていました。自分ではやめに部屋にいき、ふとんにもぐったようです。
ひとりで4時25分、室温15.1度。雨が降っています。予報によれば、本日の気温は最低が8度、最高が9度。冬に戻ります。しかも雨。
冬の雨のなか、ちいさいちびは友達とディズニーに行きます。5時に起こしてほしいと言われています。6時に集合だそうです。小学生とおおきいちびは普通に学校があります。私は、午後に会議が続きます。
普通にいけば8時半の電車にまにあうところ、電車が遅れて、8時42分武蔵境発の西武線。大学のメールボックスにいろんなものが入っていました。雑誌2冊に郵便が3点、そしてもろもろの書類。
研究室で整理しました。
雑誌は次の2冊。
1.『Perception in the Avant-Garde アヴァンギャルドの知覚』 ed. Hiroyuki YAMAGUCHI, 東京外国語大学、2016
2.『総合文化研究』vol. 20(2016)上の方は2016年の夏に行ったシンポジウムのプロシーディングです。私も原稿を寄せています。
吉本秀之「日本におけるカメラ・オブスクラ=写真鏡」 『Perception in the Avant-Garde アヴァンギャルドの知覚』 (ed. Hiroyuki YAMAGUCHI, 東京外国語大学、2016), pp.125-135
書誌事項には、よく分からない点があります。奥付はなく、ISBN978-4-907877-16-2 が振られています。コピーライトは、2016東京外国語大学 (c March 2016 by Tokyo University of Foreign Studies )の表示です。出来上がったのは、2017年3月です。(3月と明示されていますから、2017の誤植の可能性も排除できないと思っています。)下は、研究所の紀要。同僚の鈴木聡氏が書評を書いてくれています。
(書評) 鈴木聡「スティーヴン・シェイピン&サイモン・シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ:ホッブズ、ボイル、実験生活』柴田和宏・坂本邦暢共訳、吉本秀之監訳、名古屋大学出版会、2016」 『総合文化研究』vol. 20(2016), pp.137-141正午前から学生と面談。大学院に向けての勉強相談です。
12時40分から会議。1時15分終了。微妙な時間ですが、一度研究室に戻りました。
次の会議は、1時半から2時半まで。2時半から長の方々は別の会議があります。
研究室にもどり、帰り支度をしてから、3時開始の会議へ。最後に今日でこの会議に出席しなくなる方々の挨拶。終わって4時30分過ぎ。
再びメールボックスに寄りました。予想通り、郵便がまた3通入っていました。4時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで5時30分、室温13.9度。おおきいちびの部活のサンソウカイ(3年生を送る会)。妻とおおきいちびは一日仕事となります。おおきいちびは6時半に起こして欲しいと言っていました。
妻は一度帰ってきました。ゴミをいっぱい持っていました。1時間ほど家にいました。
おおきいちびは5時過ぎに帰ってきました。疲れたそうです。
妻は7時半まえに帰ってきました。
本日は家にいるものの昼食も夕食も私が用意しました。
昼食、ちいさいちびはカップ麺、小学生はたこ焼き。夕食には餃子を焼きました。私とおおきいちびはカレーうどん。
ひとりで6時20分、室温12.9度。ふと思いついて、グーグルで「吉本秀之のサイト」と入力しました。検索結果の5番目にこのサイト http://hyoshimoto.html.xdomain.jp/ が表示されています。やっとグーグルがつかまえてくれました。
おおきいちびは10時前に起きてきました。朝のうちに塾に行くと言っています。ちいさいちびと妻はまだ姿が見えません。
小学生がラーメンを食いに行きたいと言います。お昼に私とふたりで行くことになりました。ちいさいちびと妻には、帰り道、マックで昼食を買って帰ることになりました。おおきいちびは夕方には帰ってきます。女性陣は3人で夕食を外で食べるそうです。→結局いつもと同じように、全員、家で食べました。おおきいちびは塾から帰ってきて、足をすごく痛がっていました。
現状、このサイトとフェイスブック( My Facebook)だけの運行となっています。フェイスブックの方は、一ヶ月に一度よりは多く、一週間に一度よりはすくない更新頻度です。このサイトの再構築作業が終わったら、どうするのか、まだきちんと考えていません。
ひとりで5時15分、室温12.1度。[駒場図書館にて返却手続き]
昼食後、駒場に本を返却に行きました。利用カードも返却しました。駒場図書館から届いたメールには平日の9時から5時の間に返せ、とありましたが、土曜日でも受け取ってくれました。本とカードを本を返してそとにでると、どうも生協が開いているいるようです。新入生のためにあけているのでしょうか。ちょうどよいので、必要な文具をすこしだけ購入しました。
そのまま井の頭線で戻り、吉祥寺で降りて、地階のパン屋さんでパンを買ってから、西荻窪へ。エキナカの売店で、ちいさいちびにたのまれたマカロンとチョコメロンパンを買いました。まっすぐ北上して、以前の99ショップで、これもたのまれていた韓国海苔と牛乳を買って帰りました。コートを着ていると暑く感じました。ちいさいちびも小学生も今日は一日中ずっとパジャマのままで家のなかにいるようです。おおきいちびは練習試合があるといって、11時前に出かけていきました。
帰宅すると、さすがにあきてきたちいさいちびがビデオを借りたいというので、ゲオまで自転車で走りました。片方は全部借り出されていました。もう片方はお店の人にみつけてもらいました。
今日から春の気温になったと言ってよいようです。明日の最高気温が18度、明後日が16度。火曜日がすこし下がって12度、その後は14度が続いています。
ひとりで4時45分、室温12.1度。[ちいさいちびの中学の卒業式]
ちいさいちびの中学の卒業式。朝、挨拶の練習があるので、はやめに行くと言っています。妻が前に席をとるため、はやめにでかけると言っています。9時前に着替えて待っていると、小学校から電話。小学5年生がせっかく昨日頑張ってやった作文の宿題をランドセルに入れるのを忘れて、泣きべそをかいている、時間があったらもってきてください、ということなので、作文3枚をもって小学校へ。職員室に入ろうかとしていたら、パパ、の声。息子と担任の先生がいました。息子に作文を渡してすぐに取って返しました。
卒業式は9時半開場、10時スタート。9時過ぎに家をでました。登校する中学生といっしょになりました。遠回りをしてすこしゆっくりめで動きました。正門から学校に入ると、受付の中学生がいて、もうあいています、はいっているひともいますというので、そのまま体育館に入りました。10分ぐらい開場前でしたが、数名先客がいました。
左の方に席を取り、待機。私はあまり知っている父兄の顔はないのですが、妻はいろんな人と挨拶をしています。9時55分卒業式が始まりました。
てきぱきと進行しました。3年生の挨拶は、6名ぐらいで分担しましたが、ちいさいちびが最後。壇に向かうときから泣き顔で、実際泣きながら、でも、声はしっかりと出して、3年生の挨拶のおおとりをつとめていました。卒業生にも、在校生にも、父兄にも、そしてゲストにももらい泣きしている人がいます。この子は泣かないと思っていたのですが、挨拶に泣いたときの話を入れたので、そのときの辛かった気持ちを思いだしたようです。泣きやむことができなかったときに、友達が最後までついていてくれた、私はそういうふうに友達にしてあげられたかどうかわからないが、後輩諸君はそういうふうに友達に接してあげられるといいな、と話をまとめていました。
あとから聞くと、ここで触れたのは、帰り道に泣いた話しではなく、推薦入試の練習のときの話しなんだそうです。これは親が知らないことでした。
11時40分ぐらいに終了。私は先に学校を出て、駅にいき、駅前のコンビニでちいさいちびの昼食のサンドイッチを買い、それからガード下のお弁当屋さんで妻と私のお弁当を買って帰りました。
もうすこし遅くなるのかと思っていたのですが、妻とちいさいちびは1時頃帰ってきました。ちいさいちびはもうけろっとしています。4時ぐらいからみんなでカラオケ、それからピザ屋さんに行くそうです。
中学から帰宅すると、新しい『化学史研究』が届きました。2017年の第1号です。
『化学史研究』第44巻1号(2017)目次 [巻頭言]大野誠「会長に就任して」第44巻(2017): 1
[論文]川島慶子「『湯浅文書』に見る、科学者湯浅年子の「戦後」」第44巻(2017): 2-20
[日本の化学者]大山秀子「田丸節郎: アンモニア合成と学術振興」第44巻(2017): 21-38
[紹介]古俣めぐみ・坂本邦暢・住田朋久・藤本大士・中尾暁「 ISIS 特集「概念をつなぐ―科学史・技術史・経済史の結合とグローバル化」」第44巻(2017): 39-41
[紹介] 藤本大士・住田朋久・平井正人・伊東真知子・古俣めぐみ・升元健太郎「ISIS 特集「アーカイブズの歴史と科学史」」第44巻(2017): 41-43
[紹介]大野誠「Peter Morris, The Matter Factory: A History of Chemistry Laboratory, Reaktion Books Ltd.,2015 」第44巻(2017): 43-45
[紹介]中澤聡「シェイピン&シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ』柴田和宏・坂本邦暢共訳、吉本秀之監訳、 名古屋大学出版会、2016」第44巻(2017): 45-47
[紹介]山田俊弘「ギリスピー『創世記と地質学 』島尾永康訳、晃洋書房、2016 」第44巻(2017): 47-50
[紹介]大野誠「小川眞里子『病原菌と国家』名古屋大学出版会、2016」第44巻(2017): 50-51
[紹介]新井和孝「西條敏美『知っていますか?西洋科学者ゆかりの地 IN JAPAN』恒星社厚生閣、Part 1, 2013, Part 2, 2014 」第44巻(2017): 52-54
[会報] 川島慶子「ホフマン『これはあなたのもの』公演案内 」第44巻(2017): 55
[会報]「第14回化学史研修講演会案内」第44巻(2017): 56
この目次ですが、升元健太郎氏の名前を打ち間違えていました。升元がただしく、もとも升本はあやまりです。訂正してお詫びします。なお、雑誌のほうに、この間違いはありません。
私の方から発送する会誌を4袋作成し、郵便局に行ってだしたついでに、セイユーで我々の夕ご飯のおかずを買ってきました。私、小学生、おおきいちびの分を買いましたが、もしかしたらおおきいちびも打ち上げかもしれません。高校のクラマ(クラスマッチ)の最終日です。おおきいちびは、膝のケガ、手の平のケガを抱えているので、去年のようには活躍できていません。かなり悔しい思いをしているようです。
ひとりで6時10分、室温11.7度。ちいさいちびは1時40分ぐらいに帰ってきて、しばらくテレビを見てから、昨日用意したタンプレを渡しに行きました。遠くの子は諦めたので、近所の2軒だけです。自転車ででかけ、5分ぐらいで帰ってきました。その後、しばらくして、明日の卒業式の練習だと言って再登校。めんどくさいー、とごちながらでていきました。
このサイト、http://hyoshimoto.html.xdomain.jp/ ですが、グーグルがまだ拾ってくれていません。3月末ぐらいまでには拾ってくれるのではないかと予想しています。
サイトの再構築作業で、過去の日記を読み直しています。10年前、2007年の夏休みがもう2度とない夏休みとなっていました。7月30日に家族5人揃って飛行機で帰省し、8月14日に飛行機で帰ってきています。帰省する日に、立川にパスポートをとりにいくというけっこうむちゃをしています。しばらく東京にいて、8月20日にやはり家族5人揃って台北に行っています。帰国は9月3日。息子が2歳(幼稚園入園前)、ちいさいちびが6歳(幼稚園)、おおきいちびが8歳(小学生)のときです。
台北に2週間近く滞在したのは、非常に印象深くよく覚えています。しかし、その前に飛行機で実家に帰省したことはあまり覚えていませんでした。日記を読むと、甦る記憶もありますが、甦らないこともあります。3月末までに残る仕事は原稿です。1本は0から仕上げる必要があります。もうひとつは、すでにある材料をもとに組み直そうと思っています。
ひとりで4時45分、室温12.5度。予報では、最高気温が10度を超さないようです。まだまだ寒い。[ホームページの再構築作業、進行中]
再構築作業は2〜3割には達したでしょうか。ファイル数が多いのでなかなかに大変です。ちなみに、いい機会なので、私のホームぺージの歴史を確認しておこうと思いました。最初はリムネットで作っています。たぶん、1996年です。授業関係のファイルがハードディスクの奥からすこし見つかりました。大学での試験とかレポートのことも割と挙げていました。個人情報保護が叫ばれはじめてから、(具体的に自分の名前をだして欲しくないという要望がありました)学生個人の名前を出すものは控えるようになり、優秀な答案やレポートを紹介するのを止めました。
サイトの場所は、ある時点で、リムネットから J-COM に変わりました。 J-COM と契約して、インターネット接続プラバイダーは、リムネットから J-COM へかえました。ただし、メールアドレス(メールサーバーのサービス)だけリムネットに残しました。すべてを J-COM とすることもありでしたが、万が一の場合の連絡手段としてリムネットのアドレスは残しました。月に200円です。切替時期は、たぶん、21世紀に入ってからだと思われますが、記録を見つけることができず、正確な日時は不明です。
J-COM さんにサイトを引っ越してから、ニュースと名乗っていたページは、ほぼ日記に変わりました。日々の記録と研究日誌です。購入した本の書誌、入手し読んだ論文の書誌だけは、必ず、その日のうちに記録しておくようにしています。卒業論文を書いた経験から、書誌だけはその場で記しておかないとあとから大変なことになるとわかったせいです。読書ノートもできるだけその場で記すようにしましたが、これは、できている場合とできていない場合があります。最近は、あまりできていません。
忙しくなったのと、論文がダウンロードできるようになり、ダウンロードしたまま読み散らかしているせいです。ダウンロードしたものは、書誌を記すことさえ、できていない場合があります。仕方がありません、必要となったら、そのときにやり直しています。
その1例:昨日、次の論文をダウンロードし、その場でプリントアウトし読み通しています。小林麻衣子「Sir Michael Balfour of Burleigh の手稿 Album Amicorum(1596)に関する一考察」(St. Margaret's Junior College紀要)『立教女学院短期大学紀要』40(2008) : 89-98 . ペンをもって読みましたが、作業はそれだけで終わってしまいました。今回はこのように翌日に記すことができていますが、こういうふうに読み散らかして放置したままのものはかなりの数に上ると思います。ちいさいちびは、卒業まであと3日。本日は卒業式予行、明日は卒業式準備、そして明後日が卒業式本番です。ちいさいちびは、本日帰ってきてからタンプレ(誕生日プレゼントの略です)を買いに行って、卒業式の日までに渡すと言っています。ちいさいちびは買ったままへいきで2〜3ヶ月家においたままにしています。
むすこといっしょに6時55分、室温13.5度。小雨が降っています。ちいさいちびはママといっしょに午後高校に教科書をとりに行きます。私は、午後に会議。
中学の方針がすこし変わったようです。おおきいちびのときは、すぐに返してくれましたが、ちいさいちびはなかなか帰ってきません。1時45分ごろやっと帰ってきました。2時のバスに乗ると言って、ママとふたりすぐに出かけていきました。教科書が大量にあるので、キャリーバッグをもってでかけました。私はしばらく休んでから登校することにしました。2時30分武蔵境発の西武線。
[学長室での部局長懇談会]
会議は3時半から。3時25分に現場につくと、前の会議がおしていて、いつはじまるのかわからないということでした。読むものは持参していたので、指定された待合い室で読んでいました。なんと、1時間以上遅れました。おかげでもっていったもの、すなわち、Yael Kedar and Giora Hon, "'Natures' and 'Laws': The making of the concept of law of nature - Robert Grosseteste (c. 1168-1253) and Roger Bacon (1214/220-1292)," Studies in History and Philosophy of Science, 61(2017): 21-31 を読み切ることができました。本人たちが書いているように、歴史というよりも、グロステストとロジャー・ベーコンのテキストを材料とする哲学の論文です。メイク・センスはしています。あってよい議論ですが、十分かと言われると、そういうふうには感じませんでした。4時40分ぐらいから会議が始まりました。5時40分過ぎまで。6時4分多磨駅発の電車に乗ることができました。
私は、今週の会議はこれで終わりです。来週は、水曜日と火曜日。そして、木曜日の夕刻慰労会。金曜日は卒業式です。
ひとりで6時30分、室温13.1度。今日も一日仕事。
朝少し休んでからでかけました。9時4分武蔵境発の西武線。
仕事会場には、10時55分に入りました。正午前にその会場でお弁当を食べました。一度用件をすませるために研究室に戻り、残りはずっと会場にいました。私たちのチームの作業は、4時半ぐらいには終わりました。5時半終わっていたチームは解散。残ったチームも1時間以内に終了したのではないでしょうか。
私は5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。昨日の今日なので、疲れました。妻によれば、台北の姪っ子が出産したそうです。これで、妻のお姉さんは、50代にしておばあちゃんです。この姪っ子は、我が家にひとりに遊びに来たことがあります。
ひとりで5時45分、室温11.3度。もうすこしはやく目覚めていたのですが、今日は一日仕事となるので、できるだけ長くふとんのなかにいようと思って、起きるのを遅くしました。午前中は季節的業務、午後は会議、学部も大学院も終了判定があります。長い一日となるでしょう。
小学生に見送ってもらって家をでました。8時6分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニでお昼ご飯とおやつを買ってから大学へ。
午前の仕事は9時過ぎから正午過ぎまで。
研究室でお昼ご飯を食べてから、会議。12時半スタート。6つが切れ目なく続きます。カバンもコートももって会議に臨みました。
学部教授会も案件が多く、長引きました。その後、大学院教授会。途中私が、FD研修として「研究基礎と異分野交流ゼミ」について話をしました。パワポは土佐先生に用意してもらいました。
最後の会議のスタートは8時30分と指定されました。すぐに始めました。すこしだけですが、私が司会する時間があります。定足数が心配だったのですが、この会議だけはスムーズに進行して短く終わりました。8時52分多磨駅発の西武線に乗ることができました。同僚の先生5人ほどといっしょになりました。
会議が長引いたせいで、今日が日曜日であることを忘れていました。三鷹か吉祥寺で乗り換えるべきところ、荻窪まで行ってしまいました。荻窪から総武線でとってかえしました。テレビは日本対オランダ戦をやっています。しびれる展開となっています。夕ご飯を食べ、お風呂に入ったあとも終わるまで見ていました。どちらにころんでもおかしくない展開でしたが、何とか日本が勝利をおさめました。
ひとりで4時55分、室温11.9度。やっと休み。でも、明日も明後日も仕事があります。大学教師の季節的業務です。
小学生は、土曜学校。
ちいさいちびは、宿題をすると言っています。昨夜は6時半に起こしてほしいと言われました。→どうして6時半に起きて宿題をすると言ったのか、あとでわかりました。ちいさいちびも土曜日学校があり、まだ宿題をやりおえていなかったようです。妻は、ちいさいちびの高校入学のための書類の処理にかかりました。お昼までに終わったようです。私はすこし遅れて、確定申告の書類作成にかかりました。去年ネットで入力し、プリントアウトして郵送しています。わかってしまえば、それほど難しくはないのですが、1年に1度の作業にはあまり慣れるということがありません。言葉の解釈に悩みながら、なんとか2時ぐらいにはできたように思われます。封筒に入れて、切手を貼り、買い物にでる妻に投函を託しました。
サイトの復興作業を進めています。現時点では70ファイルぐらい。1割ぐらいの復興度でしょうか。
J-COM にアップしたファイルをもう一度全部アップすることはありません。もういいというのもけっこうあります。我が家のためには、我が家の行動記録は有用です。私自身はもう10年も台湾に行っていないなと思いながら、家族全員で行ったときの日記を読み返していました。シーンが甦ってくるものもあり、完全に忘れてしまっていたこともあります。記憶とはそういうものでしょう。お昼に次の本が届きました。
Susanna Berger,
The Art of Philosophy: Visual Thinking in Europe from the Late Renaissance to the Early Enlightenment, Princeton and Oxford: Princeton University Press, 2017
これは、昔の表現で言えば、フォリオサイズのおおきな本です。図版も数多く掲載されており、立派な仕上がりとなっています。
絵だけは全部見ました。私が個人的に気に入ったのは、Album Amicorum(ドイツ語では、Stummbücher、英語ではA Book of Friends、直訳すれば友情の冊子、中身をとれば、旅日記・署名帖?)からの絵です。味のある絵です。もちろん、Album Amicorumは、所有者毎に異なるのですが、類似の味わいがあるようです。
ひとりで4時25分、室温12.3度。本日も午後に会議。
10時18分武蔵境発の西武線。一昨日と同じく、駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから電車に乗りました。
12時半から会議。1時20分ぐらいまで。
2時からまた会議。案件が多く、4時を過ぎていました。その後、打ち合わせ。5時16分多磨駅発の電車に乗ることができました。
ひとりで5時、室温10.0度。10時6分武蔵境発の西武線。
11時半に生協で昼食。
12時から学生と面談。
3時30分から会議かと思っていたら、10分はやく3時20分から会議でした。電話で呼び出しを受けました。
案件が多く、5時半過ぎまで。6時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。明日も会議。
ひとりで5時5分、室温10.3度。昨日より3度下がりました。朝少し仕事の原稿をつくりました。それから大学へ。10時18分武蔵境発の西武線。久しぶりに駅の外のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、電車に乗りました。
11時過ぎに買ってきたパンを食べて、休んでいるうちに会議の時間。12時40分開始、これはすぐに終わりました。次の会議は、2時20分から。こちらも2時55分には終わりました。次の会議は、3時から。4時前に終わりました。4時16分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。
明日も明後日も会議です。
ひとりで5時10分、室温13.3度。午後に会議。
昼食後、駅前のお弁当屋に行って、おおきいちびのお弁当を買ってやりました。足りないかも知れないと思い、パンもパン屋さんで買って帰りました。
おおきいちびが帰ってきて、昼食を食べ終わり、しばらくしてから家をでました。
13時18分武蔵境発の西武線。大学につくと、前期日程の合格発表を張り出していました。さすがに、この時間になると見ている受験生はいませんでした。
14時から会議。
17時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで6時10分、室温14.1度。[都立高校、入学時に必要なお金]
朝一番で銀行に行って、ちいさいちびの高校の授業料振込用紙に判子をおしてもらってきました。4枚綴りの書類で、1枚は銀行が保持、1枚は私のところで保存、残り2枚を学校に提出します。
都立高校に必要な金額です。
入学料は、5,650円。
授業料は、118,800円。
他に、学校毎に、修学旅行費積立金、生徒会費、PTA 会費、学校徴収金があります。
教科書代 34,340円
体育着 19,160円
白衣 1,300円
小計 52,660円
(芸術系の教科書は、選択で分かれますが、ちいさいちびの場合美術で¥1045です。) 教科書代はおおきいちびの時より¥2,120上がっています。白衣は¥150上がっています。全体としては、おおきいちびの時よりわずかに値上がりしているという状況です。
なお、お金の支払いは、現金で払ったり(教科書)、郵便振替用紙で払ったり(体育着)、授業料(私は銀行口座からの払い込みを選択)等、手間がかかります。いつかいまはやりのワンストップ方式に変わるのでしょうか。お昼前に歯医者。
11時5分前に歯医者さんにつきました。終了後、郵便局で切手を買って、家に帰り着いたときには、12時45分になっていました。ちょうどおおきいちびが帰ったところだったようです。おおきいちびはテレビの前に陣取って、自分で買ってきたお弁当を食べようとしていたところでした。1時頃になって雨が降ってきました。小雨ですが、しばらく降るような雰囲気です。雨とともに気温も下がりました。また冬が戻るようです。
むすこが起きて7時、室温12.1度。快晴。ちいさいちびは爆睡の予定。
封筒が切れたので朝のうちにセイユーに買い物。文房具ほかの棚が整理されていました。封筒はないかと思ったのですが、かろうじて残っていたものがあり、それを購入しました。ほかに、とびのこ、刺身、等。とびのこは最後でした。
夕ご飯は、小学生と妻が焼き肉を食べにでました。ちびどもと私は、家で食べました。ちいさいちびは焼き鳥、私とおおきいちびは焼き魚に昨日のカレー。焼き魚はにしん。おおきいちびは骨に手こずって、すぐに食べるのを放棄しました。残りを私が食べました。今どきの子どもは、にしんなど骨の多い魚は食べなくなっているように思われます。
ひとりで5時、室温11.6度。ちいさいちびはさんそうかい。バスケ部の3年生を送る会です。中学生や高校生はこういうふうに略すことが多く、何を言っているのか理解するのに困ることがよくあります。8時半集合で、4時前に帰ってくると言っていました。お昼ご飯はでるそうです。妻は、応援(バスケをします)に行きました。
小学生、おおきいちび、それに私の昼食は任されました。小学生がとびこといっているので、セイユーに買い物に行って、とびのこ、マグロ、それにイカの塩辛を買ってきました。小学生と私の昼食です。おおきいちびは自分で買ってくるといって、12時半ぐらいにお金をもってでかけました。カツ丼を買ってきました。予想外。妻は、1時前に帰ってきて、昼食をとり、休憩。
おおきいちびは、金曜日、月曜日、火曜日、水曜日と期末テスト。午後、塾にでかけました。自習室で勉強していたのかもしれません。
ひとりで4時10分、室温12.7度。午前中に出張校正。池袋の要町。
午後に大学院の面接指導。
家族で最後、9時前に家をでました。郵便局で高校の積立金(1万円)を払ってから、電車に乗りました。要町には、15分前につきました。セブンイレブンで用事をすませてから、印刷所へ。先に作業をしていると、吉田さんと内田さんも見えました。ほぼ1時間。私は午後の仕事があるので、終了後、そのまま電車に乗りました。吉田さんと内田さんは打ち合わせ。
11時54分武蔵境発の西武線。大学について、すぐに生協に向かいました。3月1日解禁です。就活の話です。大学では合同企業説明会が開かれています。慣れないリクルートスーツに身を包んだ学生が大勢生協にはいました。
食後研究室で、メールのチェック。それから面接の準備。
面接は、507室、1時50分から30分。その後しばらく先生方と歓談し、すぐに帰途。2時52分多磨駅発の電車に乗りました。
雨上がりで気温が上がりました。朝なんか雲一つない快晴。花粉が大量に飛び出したようです。歩いていると目の痒みに襲われることがぐんと増えました。目薬をポケットに入れた、おりにふれてさすようになっています。
雛祭り。妻は、駅でキャンペーンをしていた八つ橋をいっぱい買ってきていました。
私は、ちいさいちびの入学までに必要な経費を書き出しました。¥55,955 となりました。授業料は年間で約12万円ですが、支払いは入学後となります。
ひとりで5時35分、室温12.8度。昨日の夕刻に降り始めた雨は上がっています。おおきいちびと小学生はいつもの時刻にでかけました。
[ちいさいちび、高校合格]
ちいさいちびの合格発表の日。おおきいちびのときと同じく、私がついていきます。8時半に家をでました。ちいさいちびはバスで行くと言っていたのですが、身体を温めるためもあって歩くかと聞くと、歩くというので、高校まで歩きました。高校までのひとつの道順は覚えているようです。
掲示されるのは9時から。8時50分に掲示される場所につきました。仲のよいお友達も来ていたので、お友達と挨拶をしていました。
9時ちょうどに張り出されました。近づいて確認するのに何十秒かはかかりました。合格していました。ほっとしました。
ちいさいちびは人混みのなかに入っていき、脱出してくるのにすこし時間がかかっていました。友達の合格も確認したので、友達を捜し始めましたがすぐには見つかりません。もう受付にいるんじゃないのということで受付に並びました。予想通りです。3人ぐらい前に仲良しの子が並んでいるのをみつけ、お互いに喜び合っていました。
まず、書類の袋をひとつもらいました。手続きの書類です。そこから1枚取り出し、本人と親の名前等を署名・押印し、提出することになります。その書類を提出すると、入学後の手続き書類の袋をもらえます。袋を二袋もらって本日の学校での仕事は完了。
たぶんとても心配しているだろうママに電話するように言いました。スマホで電話。その後、もう一度掲示の場所に行って、張り出された紙をスマホで写真に撮っていました。私もデジカメで撮影。人物の撮影はいらないそうです。
歩いていると、もうひとり、仲のよい友達がお母さんと来ました。遠くから見守り、様子から合格だとわかると近づいていって、お互いにおめでとうを言い合っていました。
ほかにも友達はいるのですが、本人はこれで満足したようです。そのまま歩いて帰ってきました。道半ばでおねえちゃんから電話があったので、話をしていました。
帰り着いて10時前。久しぶりに歩いて疲れたようです。しばらく休んでから、中学にでかけていきました。
11時頃、入学金というのでしょうか、郵便局で支払ってから、セイユーでちょっとした買い物をし、妻と二人分のお弁当をわしやで買って帰りました。
ちいさいちびは、1時40分頃、雨のなか、帰宅。お昼過ぎにまた雨が降り始めました。ほぼ予想通りの結果だったようです。全員合格というわけにはいかなかったようです。仲のよい、しっかりと勉強していたお友達は、ほぼ受かったようです。しばらくしてから友達のうちに遊びに行きました。
[研究所の送別会の日]
ひとりで3時25分、室温12.3度。昨日体力のもどっていない息子が早く寝るといって、8時半ぐらいに就寝したせいです。3月になりました。はやい。ちょうどよいので、朝のうちに仕事を進めておきます。
午後に会議。
11時54分、武蔵境発の西武線。12時40分から会議。2時20分まで。
2時20分から次の会議。こちらはすぐに終わりました。その後、2件の打ち合わせ。1件は、大会議室に居残って、話しました。2件目は、科長室へ。
その後、研究室に戻ってから、事務棟1階に書類の確認に行きました。5時から研究所の送別会。7時までいました。7時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。雨が降っていました。
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