科学史関係の日本語の書物や読み物を読んでいると、どこからそういう情報が出てくるのかと疑うような基本的な間違いに出会うことが少なくありません。研究者ではない方が、1次文献ではなく、2次文献、3次文献を使われるのは特に問題だとは思いませんが、研究者が、安直に、2次文献、3次文献からの孫引きで大勢の目に触れる文章を書くのは相当問題だと思います。こうして出会う間違いの大半は、信頼できない2次文献、3次文献をそのまま引用したことに起因しますが、そうでない種類のものもあります。人間は間違う存在です。どんなに注意しても間違う可能性をなくすことは出来ません。
あるテーマに関して、意見が対立する場合、ある種の古代人は、意見の集成(ドクソグラフィー)を作りました。いまでも、この方法(異なる意見を集め、比較対照すること)は自分の意見を形成するための基本的方法です。
(このプロセスを経ていない意見は、ただの偏見や思いこみにすぎません。)
正しいものよりも、間違いから学べることが多い、ということもあります。ここに私が気付いた範囲で、そうした間違いをリストアップしていこうと思います。ごく些細なことでも、気付いたことは取り上げます。この試みが一定量に達すれば、ある種のデータベースとして貴重になると思います。
(安全学のためには、失敗学が役立つということも念頭にあります。)
はじめのうちは、私の詳しいボイル関係からあげていきます。
故イエイツ女史の説。イエイツ『薔薇十字の覚醒』表紙うらで、Collegium Fraternitatisの図版を、ボイルのインビジブル・カレッジに結びつけた。 | Collegium Fraternitatisは、文字通り、(薔薇十字運動の)「友愛のカレッジ」であって、ボイルの言及するインビジブル・カレッジとは別物である。 |
ボイル全集の編集者18世紀のバーチが広めた誤解。ボイルのインビジブル・カレッジ=1645年のロンドングループ(『無限算術』で有名な数学者ジョン・ウォリスが自伝で伝えているグループ。ウィルキンズ、ゴダード、グリッソン等の人物からなる。後の王立協会設立に直接つながる) | 1646年〜47年(ボイル19歳〜20歳)1644年に大陸留学から帰国した後の最初期のボイルが所属した知識人サークル。姉のキャサリン(後のラニラ伯爵夫人)とそのまわりの人物たち。第一の可能性:ベンジャミン・ウォースリ、ボート兄弟を含むアングロ-アイリッシュの知識人サークル。第二の可能性:ハートリッブサークル |
解説:詳しくは、次の書物における私の解説記事をお読み下さい。
「ロバ−ト・ボイル、人と仕事」『科学の名著 第II期 8 ボイル』
(伊東俊太郎・村上陽一郎編、朝日出版社、1989年)、ci-clxxvii頁
この誤謬がすっかり広まってしまったのは仕方がないかも知れません。最初のボイル全集の編者が示唆したことなのですから。でも、資料をよく読めば、ウォリスの自伝には、1645年時点でボイルやボイル姉の名前は全く見られず、そこで名前を挙げられている当時のイギリスの最先端の科学者達と18歳のボイルが知り合っている形跡が全く見あたりません。インビジブルカレッジの第二の可能性(第一の可能性と比べるとずいぶん低い)としてあげたハートリッブと知り合ったのさえ、1647年のことです。
イエイツ女史の過ちは、何でも薔薇十字運動に結びつけるイエイツ女史のただの不注意だと言っていいと思います。
いろいろ概説書を読んでいると、イエイツ女史の本『薔薇十字の覚醒』は、かなり広範囲に影響している様子です。場合によっては、いちいち取り上げて、王立協会の設立に薔薇十字運動はほとんど関係がないことをしっかり書かないといけないのかも知れません。
(簡単に言っておけば、王立協会設立につながる人物達の書いたものに、薔薇十字運動の臭いがするものは見つかっていません。私も見たことがありません。もちろん、個人的に薔薇十字運動にシンパシーをもっていた会員が存在した可能性はありますが、設立に関わった中心人物には見あたりません。)ボイルに関しての典型的な説明の事例をあげておきます。
金沢工業大学「工学の曙文庫」ボイル『懐疑的化学者』への注釈
ボイル研究の現状から言えば、この注釈はほとんどフィクションです。あるいは2世代前の見方と言ってよいでしょう。金沢工業大学「工学の曙文庫」は本当にすぐれた1次資料の収集です。それだけに、少し内容の判っている方に解説文を書いてもらえばよかったのに、と悔やまれます。)
ここが適切な場所かどうかはわかりませんが、ボイルの著作リストを掲げておきます。私の邦訳には不適切な箇所が存在する可能性がありますが、内容的には新しく出たばかりのハンター編の全集に依拠していますから、もっともしっかりした情報に基づいています。
ボイルの著作リスト(邦語)
ボイルの著作リスト(英語・邦語対照)
ボイルの論文のリスト
02.7.9 追記。ボイルの略伝もあげておきます。これもハンター版のボイル書簡集に基づきますから、現在最も信頼できる情報です。 ボイル略伝
ボイルが王立協会会長になったとする記事 | ボイルは、宣誓が必要な公職に一度もついたことがありません。 |
解説。百科事典のボイルの項目でときたま、この誤解に出会います。貴族の子弟のボイルは、受けた教育としてもイートン校の2年間を除き、公的機関で教育を受けたことはありませんし(小さな子どものときからフランス人の家庭教師に習っています。いまの学校制度でいえば高校教育から大学にあたる教育は、ジュネーブの私的なアカデミーで学んでいます。)また、貴族としてのマナーの経営の他に、働いたことは一度もありません。大学に職を持ったこともありませんし、もちろん、聖職位についたことも一度もありません。
この誤りが、どこに起因するのか本当に謎です。誤りの原因を強く知りたいと思います。
→事実としては、1680年に王立協会の会長に選出されますが、王立協会会長が職務上の宣誓を必要としたため、ボイルは、会長職を拒否しています。もしこの誤りが日本語だけの世界のものであれば、単純に誰かが英語を不正確に理解し、それを百科事典の項目執筆者が孫引きしたと言うことでしょう。もし、何か英語の書物にこの記事があるとすれば、誰か軽率な著作家が、ともかく一度選出されたということから会長職についたものだと誤解したのだと思われます。
02.7.9 補記。ボイルがついていた唯一の公職に近いものは「ニューイングランド福音普及協会」の会長です。これは、1662年から1689年までつとめています。もちろん、宣誓が必要のない地位でした。
03.3.19 補記。慶応大学図書館貴重書、ボイル『空気の弾性に関する自然学的新実験』(1662)の解説部分に、ボイルが王立協会会長についたという謬説、王立協会の設立が1645年だという珍説、さらに王立協会の中核となった組織がInvisible College だという説があります。誤謬と不注意の総出演です。
解説:科学革命期の運動論の革命について触れた邦語文献で時たま見かける過ちです。原語は、 motus localis 。英語訳で local motion 。
これは、この時代の背景になる考え方を知る必要があります。ガリレオ、デカルト、ニュートンたちが変えたのは、アリストテレスの運動(変化)論です。 motus localis というのは、アリストテレス哲学(スコラ哲学)の用語で、変化motus の種類を分けているものです。変化には、量の変化、質の変化、場所(位置)の変化等があって、motus localis は、この場所の変化を指す用語でした。
現代英語であれば、local は「局所的」で問題ないのですが、これは、スコラ哲学のテクニカルタームなので、場所運動、または位置運動と訳す必要があります。
一般的に、17世紀科学革命時の文献を読むのに、一定程度のスコラ哲学の知識は必須です。18世紀になっても(たとえば、ライプニッツを読むにも)やはり一定程度は必要です。入門書としては、出隆『アリストテレス哲学入門 』 東京 : 岩波書店, 1972 が使いやすいと思います。(入手は少し難しいかも知れません。)
あるいは、イスラームの哲学者ガザーリの『哲学者の意図』(黒田壽郎訳・解説、岩波書店、1985)が明晰なアリストテレス主義の説明をしてくれているように思います。
間違いとしてわざわざ指摘するまでもないような気もしますが、邦語の隠れた名論文で取り上げた、K.パーク&L.J.ダストン「反-自然の概念」『思想』1982年11月号、pp.90-118、にこの間違いが見られますので、記述しておきます。
アリストテレス哲学やスコラ哲学を少しでもかじっていれば、初歩中の初歩ですが、アリストテレスは、原因を基本的に4つに分類しています。形相因、質料因、作用因、目的因です。この目的因は、英語では、final cause となります。(ラテン語からの直訳)「究極的原因」で何となく意味が通るような気がしますが、ここの final は目的です。うえの局所的運動に類似の誤謬です。
解説:古い(ルネッサンスから近代初頭)医学関係の著作で、simple は英語でもラテン語でも薬草から作られた薬を意味します。(もちろん、simple が普通に「単純な」という意味か、「薬草(薬剤)」という意味かは文脈で判断する必要がありますが、ほとんど判断に困ることはないと思われます。)
ちなみに、OEDによれば、この語義は、 c.1580 to 1750にかけて普通に使われていたということです。そして、次のようにその語義を明確に定義しています。
A medicine or medicament composed or concocted of
only one constituent, of one herb or plant (obs)
; hence, a plant or herb employed for medical purpose.
(試訳)「Simple とは、単一の成分からなる、あるいはひとつの薬草や植物から調製された医薬品。転じて、医薬品に用いられる植物や薬草を指すこともある。」
17世紀を含み17世紀以前(わかりやすくは、ニュートン、ライプニッツ以前)に関わることですが、physic(k) , physiology( Lat. physiologia) は、ギリシャ語の自然(phusis) に由来する言葉で、physic(k) は基本的に「医療術、医学」を指す言葉でした。(稀に薬。)これの専門家がphysician =内科医です。(古い時代には、外科医は理髪師とおなじ身分で、内科医より低い職人層に属していました。ヨーロッパの大学は12世紀に成立したときすでに医学部を持っていましたが、その医学は、内科学のことで外科は含まれていませんでした。)physiology は現在は生理学を指す言葉ですが、私が問題とする時代においては、physiology は語源通り、まさに「自然学」と訳すべき場面と、人間身体の学と言う意味での「生理学」と訳してよい場面と両方あります。この区別は文脈で注意深く判断するしかありません。ややこしいですが、仕方がないでしょう。
具体的な例を少し挙げておきましょう。ボイルに Certain Physiological Essays (1661) という著作があります。このラテン語訳(英語版の2ヶ月後に出されています)をオルデンブルグがスピノザに贈ったことから、有名なボイルとスピノザの論争が起きています。昨日、ある本をめくっていたら、この本のタイトルを『生理学・・』と訳してあるのに出会いました。これは、一度でもフルタイトルを見れば犯すことのない過ちです。私は『いくつかの自然学のエッセイ』と訳しておきましたが、中身は5つのエッセイからなるものです。「前提的エッセイ」「実験の失敗に関する2つのエッセイ」「硝石の再生に関するエッセイ」(これが、スピノザとの論争の的となったものです)「流動性と固定性に関するエッセイ」の5つです。
また、この時代の原子論文献として欠かせないものに W.Charleton の Physiologia Epicuro-Gassendo-Charltoniana という著作があります(タイトルはラテン語ですが、中身は英語です)。これも生理学とは全く関係なく、主としてガッサンディに基づく原子論の自然学です。
100%確認していませんが、多くの本は、physiologyを生理学の意味で使った最初の人物は、フェルネルだと記述しています。ということで、フェルネルの影響を受けた著作では、physiologyを生理学の意味で使っている可能性が高い、ということは言えるでしょう。
集合論で、この語が使われる場合には、力、仕事率、羃乗(累乗)といった意味ではなく、濃度という意味(訳語)で使われる場合があります。有限個の元からなる集合が2つある時、その両方から1つずつ元を取り去っていって、ちょうど同時にとり尽くせるなら、この2つの集合の濃度(または計数)は等しいといいます。集合論ではこれを無限個の元からなる集合にまで拡張して使っています。(「自然数の濃度」「連続体の濃度」等。)
驚いたことに、手元の英和辞典(『リーダーズ英和辞典』)や仏和辞典(白水社のもの)を引いてみても、power = puissance の訳語としてこの語は出ていません。数学や科学が苦手だと思っている文化系の人は、注意する必要があるでしょう。(翻訳の時に間違えやすい。)
『リーダーズ英和辞典』に出ていないので、誤訳の例は、具体的には挙げません。
機械学、機械学的 |
この例は、誤謬と言うよりも不適切な訳語ということで、しかも、文脈に大いに依存します。科学革命前の文献に(わかりやすく言えば、ニュートン以前の文献に)この語が出てきた場合、「機械学」という訳が適当という場面が圧倒的に多いと思われます。古典力学が成立した後は、Mechanics = 「力学」でよいのですが、それ以前は、古代ギリシャで成立したメーカニカ(μηχανικα=アクセント記号無視=機械学)のラテン語音写として使われています。プルタルコスによれば、アリキュタスとエウドクソスがメーカニカを成立させたと言われています。
逆に「力学」という訳語がふさわしいのは、欧米語の著者が明らかにこの機械学の伝統を意識してではなく、古典力学成立後の「力学」の意味を古い時代に遡及的に読み込んでいる場合です。この場合は、「力学」と訳すしかありません。
もちろん、古代ギリシャに機械学というひとつのいわば応用数学的学問分野が成立したことを知らない著者は論外です。
なお、mechanical には、mechanical arts vs liberal arts という図式において、自由市民にふさわしくない職人の(あるいは奴隷的な)技という意味もあり、17世紀ぐらいまで侮蔑的なニュアンスで使われることがありました。
以上の点に関しては、ニュートンの『プリンキピア』の第1版序文(読者への著者の序文)が的確な情報を与えてくれます。一番入手しやすい『世界の名著 26 ニュートン』(河辺六男訳、中央公論社、1971)では、55-58頁です。「隠れた質」を「超自然性」と訳したり、せっかく初出の場面では、「機械の学問(力学)」としていたのをその後は「力学」で統一したりと、翻訳に残念な部分はありますが、意は十分にわかります。(この場面で「力学」という訳語を使ってしまうと、自然物を人工物=機械の動作方式で理解するというポイントが見えなくなってしまいます。これは、デカルトの機械論哲学の主要論点のひとつでもありますから、やはり、ここでは「機械学」という訳語でなくてはなりません。たとえば、「直線や円を描くということは、それは幾何学にもとづいているのですが、力学に属することだからです」(56頁)という文章は、「力学」では何のことかわかりません。ここは、直線や円を描くことそのものは、定規やコンパス等の機械の使用による、ということを述べているので、「機械学」または「機械の使用術」ぐらいでしょう。)
はっきりと誤謬だとは言えなくても、不十分な記述というものもこの枠のなかで指摘していきたいと思います。
1)発酵の語義
たぶん、日本語に関するもっとも体系的で大きな辞書である小学館『日本国語大辞典』を取り上げましょう。この辞典は、「発酵」に関して2つの語義をあげています。
ひとつめは、現代の生化学による発酵現象の定義です。まとめると「酵母などの微生物が、有機物を分解して、有機酸類、アルコール、炭酸などを生成すること」(言葉は少し変えました。)これは、要するに、生化学の知見をどうまとめるかということですから、問題はありません。
二つ目の語義は、「(2)(比喩)頭の中などで、考えや想像が生じて、それがだんだん熟してくること。」(そのままの引用)です。
手元の辞書では『大辞林』(三省堂)も言葉はすこしだけ違いますが、全く同じこの2つの語義をあげています。
これが、私にはとても不思議です。とくに比喩の語義として、頭の中で思想や考えが熟することだけを取り上げるのは、何とも不思議です。日本語としての使用例は、西欧語と比べると多くはないかもしれません。しかし、発酵のもとの言葉、"fermentation"は、ラテン語時代から存在する言葉で、現代生化学が発酵現象を解明する(十分な解明は、20世紀半ばと言ってよいでしょう)以前に、広く普通に使われていた言葉です。ずっと長く使われてきた語義が、すぽんと抜けています。「西欧中世錬金術で広く使われた言葉で、ファン・ヘルモントがその化学哲学の基本概念としたあと、自然の生命的過程のかなりの割合を覆う言葉としてよく使われた」ということまでは期待しませんが、せめて、「何にせよ、何かが、熟成する、熟する、成熟する、質的変化を生じる、向上する、完成する過程には、比喩的にこの語を使うことができる。」さらに「(自然発生に類似して)何かが新たに創造される過程に対しても、比喩的にこの語を使うことができる。」という説明はほしかったと思います。
一番短くは、「何かが熟成する、質的向上を遂げる、また新しい何かが創造される過程を比喩する」ぐらいのことばは載せるべきだと考えます。
それほど頻繁ではなくても、こういう比喩の用法はすぐに思いつくのではないでしょうか。
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