Last updated 31 March 2003



    科学史における誤謬誌

 科学史関係の日本語の書物や読み物を読んでいると、どこからそういう情報が出てくるのかと疑うような基本的な間違いに出会うことが少なくありません。研究者ではない方が、1次文献ではなく、2次文献、3次文献を使われるのは特に問題だとは思いませんが、研究者が、安直に、2次文献、3次文献からの孫引きで大勢の目に触れる文章を書くのは相当問題だと思います。こうして出会う間違いの大半は、信頼できない2次文献、3次文献をそのまま引用したことに起因しますが、そうでない種類のものもあります。

 人間は間違う存在です。どんなに注意しても間違う可能性をなくすことは出来ません。

 あるテーマに関して、意見が対立する場合、ある種の古代人は、意見の集成(ドクソグラフィー)を作りました。いまでも、この方法(異なる意見を集め、比較対照すること)は自分の意見を形成するための基本的方法です。
(このプロセスを経ていない意見は、ただの偏見や思いこみにすぎません。)
 正しいものよりも、間違いから学べることが多い、ということもあります。

 ここに私が気付いた範囲で、そうした間違いをリストアップしていこうと思います。ごく些細なことでも、気付いたことは取り上げます。この試みが一定量に達すれば、ある種のデータベースとして貴重になると思います。
 (安全学のためには、失敗学が役立つということも念頭にあります。)

はじめのうちは、私の詳しいボイル関係からあげていきます。