ボイル略伝

1627 1月25日、アイルランドのリズモアに誕生、父リチャード・ボイル、第7息、母は父の2番目の妻キャサリン

1635 10月2日、兄フランシス(後のViscount Shanon )とともにイートン校に入学

1638 11月23日 イートン校を去る

1639 イサーク・マルコンベの付添・監督下、兄フランシスとともにフランスとスイスに渡る。ジュネーブで数ヶ月を過ごす。

1641 イタリアに旅行

1642 マルセーユで立ち往生する 。ジュネーブに帰還

1644 英国に帰る

1645 ドーセット州のストールブリッジに落ち着く。次の10年間はほとんどここで過ごす。この年、恐らくごく短いフランス旅行に出ている。

1648 2月から4月にかけてオランダ訪問

1649 ストールブリッジで化学の炉を建造
     7月 +*瘧(おこり)

1652 アイルランドに旅行

1653 6月から9月にかけて、英国に帰国

1654 全身水腫と副次的不調 アイルランドを出る

1655 『ハートリッブ殿下への建白書』で「自由な伝達のすすめ」を出版

1655末または1656年頭にオックスフォードに移住

1659 『神的愛』出版
     一時的にチェルシーに住む

1660 『空気のバネとその効果に関する自然学-機械学的な新実験』 出版
    11月28日 王立協会の創立集会に参加
    12月1日 海外プランテーション理事に選ばれる

1661 『いくつかの自然学のエッセイ』『懐疑的化学者』『聖書のスタイルに関する考察』出版

1662 2月7日 ニューイングランド福音普及協会の会長に指名される
『フランシスクス・リヌスとトマス・ホッブズの反論に対する、実験に関する著者自身の説明法の弁論』

1663 『実験的自然哲学の有用性に関する考察 第1部 並びに第2部第1章』出版

1664 『色に関する実験と考察』出版

1665 『さまざまなテーマに関する折々の省察』『冷に関する新実験と観察、即ち冷の実験誌の開始』出版
    9月8日 オックスフォードで医学博士号を授与される

1666 『流体静力学上のパラドクス』『形相と質の起源』出版

1668 ロンドンに定住。この後の人生は、ペルメルの姉ラニラ夫人宅で過ごす

1670 深刻な発作に襲われる。『事物の宇宙的質についての諸論考。個別的質の歴史への序章を含む』他の論文集が出版される

1671 『実験的自然哲学の有用性に関する考察』第2巻が出版される

1672 『宝石の起源と効能に関するエッセイ』その他が出版される

1673 『発散気の性質に関するエッセイ』『論文集(海の塩について、静力学的な検湿器について、空気の湿気の力について、等々を含む)』出版

1674 『自然哲学と比べた場合の神学の優越性』出版

1675 『理性と宗教の調和可能性についての考察』『さまざまな個別的質の機械論的起源または産出についての実験とノートなど』出版

1678 「金の劣化に関する(自然史的)説明」出版

1680 『空気状の夜光体』出版
     12月18日、王立協会会長に選出されるも辞退

1681 『超理性的事物に関する論考』出版

1682 『氷状の夜光体でなされた新しい実験と観察。付録:化学的パラドクス』出版

1684 『人間の血液、特にその精気に関する自然誌のためのメモワール』『物体の多孔性についての実験と考察』出版

1685 『人間知性が神に対して、特に神の知恵と力に対して払うべき高き崇拝』『ゆるやかで注目されることのない運動がもつ大きな効果について』『特効薬が粒子論哲学と調和すべきこと』『鉱水の自然誌実験誌のためのメモワール』出版

1686 『自然の通常の観念の自由な探究』出版

1687 『テオドーラの殉教』出版

1688 『自然的事物の目的因に関する論考』出版;身近な人々に向けて処方箋集成を印刷

1689 8月22日 ニューイングランド福音普及協会会長辞職

1690 『医学的流体静力学:医薬品に適用された流体静力学』 『キリスト教徒のヴァーチュオーソ』出版

1691 『自然学上の実験と観察』出版
    7月18日 遺言に署名のうえ、封印
    12月23日 姉ラニラ夫人没
    12月31日 ボイル死す。

1692 1月7日 サン・マルタン・イン・ザ・フィールドに埋葬される。バーネットの追悼演説。『医学上の実験』『ロバート・ボイル郷士により計画され開始された空気の一般誌』 出版

1695 『慣習的宣誓を批判する自由な論考』出版


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