[William Harvey, EX Ovo Omnia]
朝一番で昨日受け取った次の論文を読みました。
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの発生論『すべては卵から』」『ルネサンス研究』6(1999): 59-74
好論文です。しっかりとよくわかるように記述されています。一言でまとめれば、ハーヴィが「卵」と呼んでいるものは、我々が「卵」で理解しているものとは異なる。ハーヴィもよれば、爬虫類、両生類、魚類、昆虫の受精卵、鳥類の未受精卵、哺乳類の胚胎、昆虫の幼虫や蛹、植物の種子も「卵」であった。この「卵」に関してハーヴィは後成説を唱えた。昆虫の場合、「卵」は幼虫や蛹なので、昆虫の自然発生と『すべては卵から』という原理は矛盾とは捉えられなかった。p.63 ハーヴィは、アリストテレスの分類による有血動物(哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類等)に関しては、後成説(epigenesis)を唱えたが、昆虫に関しては、変態説(metamorphosis)を唱えた。
pp.65-6 Ex ovo omnia. 第62章表題 = ovum esse primodium commune omnibus animalibus 卵はすべての動物に共通の原基である。
Harvey, Ex. 63, p.216(334)
「動物の発生においては次のことが常に見られる。つまり、卵の性質に似ていて、植物の種子と類似した生長の原基が先在し、そこから胚が生まれるということである。」
澤井氏のこの点に関するまとめは次。
1)動物の発生の始まりは、原基(あるいは成長の原基)である。
2)すべての動物は卵生動物か胎生動物に分けられる。卵生動物は、卵=原基から生まれる。
3)胎生動物も卵あるいは卵形の原基から生まれる。
p.68 ハーヴィは、可能態として他の個体を生むという共通点から、卵生動物と虫生動物を一つにまとめて<卵生動物>とし、可能態として生きている原基のことを<卵>と呼ぶ。→我々がこの問題を考える際の注意点は、ハーヴィのときにはまだ精子も卵子も知られていないということです。精子の顕微鏡による発見は、有名です。ハーヴィのあと、オランダ人レーウェンフックが発見したことになっています。
(最初に顕微鏡で精子を見た人物は別(ルードヴィヒ・ハム)ですが、普通科学史では、1677年(ハムが最初に見て)レーウェンフックが精子を発見したことになっています。)
卵子の発見は遅れます。哺乳類の卵子を最初に見つけたのは、ドイツのベーアです。1824年/1828年です。(ウェブでは両方の数字があります。両方挙げておきます。)
人間に卵子が確認されるのは、20世紀に入ってからです。
言葉の意味の確認も重要です。日本語で「卵」は、鶏の卵に代表される目に見える動物の卵を指す日常語です。卵子(ovum, egg cell)は生物学の専門用語と言ってよいでしょう。→12.10.15 アリストテレスの説。p.62 ニワトリの胚は卵白から身体を与えられ、卵黄からは栄養を与えられる。
「ハーヴィによれば、胚は発生の過程で卵の中の液質・卵黄・卵白を身体に取り込み、これらすべての液体を用いることで、分化し、成長する」。つまり、アリストテレスの区別は無意味であり、分化と成長は同時に生起する。
注の13)colliquamentum: 胚盤に現れる結晶性の液体をハーヴィはこう呼ぶ。
ハーヴィの考えを図示すると、液質→跳躍点→心臓→諸器官の順に形成される。さて、澤井さんは、『動物発生論』の版としては、英国で出版された初版(ロンドン、1651)と英訳としてホイトリッジのものを使われています。
William Harvey, Exercitationes de Generatione Animalium, London, 1651
Gweneth Whitteridge (trans.), Disputations touching the Generation of Animals, Oxford, 198118世紀の事典で“発生”を調べてみると、関連情報にあたることができます。
John M. Forrester は注75で、「コリカメントゥムとは、胚発生の初期段階の胚盤中の液体である。ハーヴィがこの意味でこの語を用いた最初である。彼にとってそれは、ひよこを養育し形成する「根元的、原初的湿である。」彼はその過程を『発生論』の17章で記述した。そこではアリストテレスの観察が議論されている。マルピーギは、De formatione pulli in ovo(1673)で同一の意味でこの語を使っている。Adelmann, note1 vol.2, p.953 を見よ。
John M. Forrester, "Texts and Documents: Malpighi's De Popypo Cordis: An Annotated Translation," Medical History 39(1995): 477-492 12.10.16
アデルマンの仕事は、Howard B. Adelmann, Marcello Marpighi and the evolution of embryology, 5 vols, Ithaca, NY, Cornell University Press, and London, Oxford University Press, 1966, vol. 1, The life and works of Mrcello Marpighi→12.10.16 George Garden, "A Discourse concerning the Modern Theory of Generation," Philosophical Transactions, 16(1686-92), pp.474-483
この記事を読みました。ガーデンは、ハーヴィ、マルピーギ、デグラーフ、レーウェンフック、スワンメルダムの研究に基づき、自分が正しいと思う発生理論を提示しています。一言では、精原説を唱えています。これで、ハーヴィ以降の発生説の展開がかなりよくわかりました。上に先行研究より人間の卵子の発見は遅れたと書きましたが、キルクリンクの有名な絵が王立協会哲学紀要に掲載されているのを思い出しました。"ovum", "ova" の言葉ですでに卵子の存在は想定されています。(顕微鏡できちんと見たかどうかは不明です。)このあたりも、もうすこし正確に調べてみる必要があります。
ガーデンは、すでに、ハーヴィの格言を拡張して「すべての動物は卵から発生する」と言っています。しかし、彼によれば、animacle が潜んでいるのは精子であって、卵子はそのための適合する畑、ふさわしい栄養を与えると考えています。その証拠としては、交接のない卵からはひよこは孵化せず、交接後のHEN から生まれた卵(つまり有精卵)だけから孵化が生じる事実を指摘しています。精子と卵子の受精ももちろん観察したわけではありませんが、あるメカニズムを想像しています。→面白い発見がありました。上に「18世紀の事典」と記したのは、手元にあるハリスの技術用語事典Lexicon Technicumです。その第2巻に"Generation" (no pagination) がありますが、これがまったくガーデンの記事と同じでした。100%のぱくりです。こういうのをきちんと調べるのも非常に興味深いことです。
午前中に次の2冊の本が届きました。
[動物の霊魂]
金森修『ゴーレムの生命論』平凡社新書、2010イブン・シーナー『魂について:治癒の書 自然学第六篇』木下雄介訳、知泉書館、2012。
短いものですが、冒頭に山内志朗さんの解説「イブン・シーナー『魂について』をめぐる思想史的地図」が置かれています。pp.vii-xvvii
「『デ・アニマ』は、霊魂論または心理学に属する本であるように思われる。アニマを霊魂・心と捉えれば、心理学に相当するものを期待するし、アニマを生命原理と考えれば、生命論が生物学を期待するであろう。しかし、『デ・アニマ』の内容は、認識論という整理が無難であろう。感覚認識と知性認識が扱われているからである。さらに限定すれば、認識能力論である、後代の言い方では能力心理学と言ってもよい。」(p.xii)
であるとすれば、いくらか短絡的に言えば、現在の哲学の正統な系譜は、17世紀までは『デ・アニマ』に遡ると言えます。昨日寝る前から今朝にかけて次の金森さんの論文を読みました。
金森修「<動物霊魂論>の境位―或る言説空間の衰退と消滅」『合理性の考古学』(金森修編、東京大学出版会、2012), pp.93-176
結論から引用します。「以上、主に一八世紀に<動物霊魂論>の緩慢な衰退の様相を具体的に辿ってきた。動物の文化的表象の歴史や、動物観の歴史的変遷、<動物機械論>の受容史などについては、・・・などの古典が既に存在する。本章で行ったのは、これらの古典に本当の意味で新たな知見を加えるというよりは、それらをベースにして、高名な<動物機械論>の陰でそれと表裏一体のような形で存在していた<動物霊魂論>に焦点をあててみるというささやかな作業にすぎなかった。」(p.155)牛乳とポカリを買いに出たついでに、次の本を買ってきました。
金森修『動物に魂はあるのか:生命を見つめる哲学』中公新書、2012
読み始めました。金森さんは、アリストテレスの『霊魂論』について、それは「生物学・生理学・心理学を混ぜ合わせたような関心領域を、抽象的に統合し、概観した一種の基礎論である」(p.20)と規定されます。そして、アリストテレスでは『霊魂論』をまず読んでみて欲しいと書かれています。→先に私の関心を明示しておきます。アリストテレスの魂の3階層説、植物魂、動物魂、理性魂のうち、生物の霊魂(植物魂、動物魂)の働き・機能を生物において追求した研究にはどういうものがあり、どういう内容であったか、というものです。生物学、生理学、医学の歴史が関係します。
この問題関心からすれば、金森さんの論文と著作は、中心を射抜くものではありますが、生物の霊魂の働き・機能の(いわば)科学的研究には触れていません。
もちろん、19世紀に「生物学」が成立したあとは、上の問題設定から単純に「霊魂」は主流においてはなくなったと考えてよいでしょう。(具体的にどうなったかは調べていないのでわかりません。)医学的領域が関わると、もちろん、アリストテレスの系譜だけではなく、ガレノスとその系譜も見る必要があります。
本棚に眠っていた二宮陸雄『ガレノス 霊魂の解剖学』(平川出版社、1993)を取り出してみました。私にこの著作を正確に評価する力はありませんが、とても貴重な仕事だと思われます。関連する箇所を抜き書きしてみましょう。
472頁。植物的魂。「感覚と随意運動は動物に特有なもので、一方成長と栄養(代謝の意)は植物にも共通している。したがって、前者を霊魂(プシケ)の表われ、後者を自然力(ピシス)の表われとみることができる。われわれが言おうとしているのは、動物が霊魂と自然力の両者の支配を受けており、植物は自然力だけの支配を受け、したがって成長と栄養は自然力の表われであって霊魂のそれではないということである。」
472-3頁。「人によっては植物にも霊魂を認める者もあり、これを植物性の魂と呼んで感覚性の魂と対比させているが、言っていることは同じで、用語がふつうと少し変わっているだけである」
明白な評価です。アリストテレスが植物魂の働きとしたものは、ガレノスにおいては自然の働きと位置づけられた、ということです。253頁。植物的魂から動物的魂へ。アリストテレス『動物発生論』第2巻第4章終わり。「成体の動物や植物では、栄養的霊魂は熱と冷とを道具にして、栄養を用いて成長を行なう。それと同じように、最初の産物(胚子)を形成する。成長のための質料と、最初に生物が形成される時に用いる質料は同じである。したがって、栄養的霊魂は生殖的霊魂でもある。霊魂のこの部分は、個体の本性であり、動物にも植物にもすべて内在する。」「しかし、霊魂のその他の部分(すなわち感覚的霊魂と思考的霊魂)はあるものには存在するが、あるものには存在しない。」
→簡単にわかるように、ガレノスの栄養的霊魂がアリストテレスの植物的霊魂です。どうように、感覚的霊魂が動物的霊魂、思考的霊魂が人間的霊魂となります。
→434頁。プラトンの霊魂3分説にも言及されます。「アリストテレスの運動概念とプラトンの霊魂3分説に基づき、運動を3つに分け、動物の随意運動(と知覚)、動物の不随意運動、そして動物と植物に共通の栄養運動を区別しているのです。そしてこれを統御する霊魂部分として、随意運動には理性的部分を、不随部分には欲望的部分を、栄養運動には「自然力」を当てたのです。」
→551頁。精気システムについて。「ガレノスは、ヒポクラテス学派と違って、数段進んだ解剖学の知識と生理学概念を持っていたので、その知識を総合して体系化するために、空気自体よりも、知性を賦与された霊気とか精気を考えたのです。そしてそれが肺から入って脳に行く途中の段階で、空気が精気に変わる転換過程を考え出します。その際、ヒポクラテスも抱いていた血液の熱い性質が空気で冷却されるという考えから一段と発展して、心臓左心室にある内在熱と肺静脈から来る空気の力で、心室中隔の細孔からしみ出してくる血液の中の自然精気が生命精気に変質され、これが脳に行って霊的精気になって全身に送られる、という一大精気システムを構築したのです。」
そして、二宮さんは、精気(プネウマ、霊気)概念がいつ誰によって導入されたのか、ギリシャ古代哲学を振り返っても、よくわからないと書かれます。430頁。精気は、霊魂の第1の道具である。「霊魂の実体が何であれ、霊魂は脳の実体の中に棲んでおり、動物の全感覚と随意運動のための霊魂の主要な道具(第一手段)はこのプネウマであると想定した方がよい。」
431頁。「動脈内のプネウマは生命精気(プネウマ・ゾーチコン)と呼ばれ、脳内のプネウマは精神精気(プネウマ・プシコン)と呼ばれる。それは実体であるという意味ではなく、その実体が何であろうと、脳内に棲む霊魂の主要な道具(第一手段)であるという意味からである。生命精気は、吸気と体液の気化からその生成材料を得て、動脈と心臓の中で生じ、その生命精気の一層の精錬により精神精気は変成されるのである」→13.1.8 以上に関連して、私の脳裏にあるのは、ジョン・ヘンリーの研究です。今はほとんど使われない用語ですが、17世紀の"Pneumatology"(「霊魂論」と訳しておけばよいかと思います)で同様の問題が扱われています。
具体的には次の研究です。
Henry, J. (1987) ‘Medicine and Pneumatology: Henry More, Richard Baxter, and Francis Glisson's Treatise on the Energetic Nature of Substance’. Medical History 31: 15-40.
一番関連する部分をまず引用しましょう。p.21 グリッソンの立場は、動物における実体としての霊魂の存在を否定することに繋がった。ただし、そのことは同時代においてまったくの例外というわけではない。デカルト主義が「動物の霊魂」の存在を否定したことは有名であるし、ウォルター・チャールトンやトーマス・ウィリスのようなガッサンディ主義者は「動物の霊魂」を微細な物質的原理と見なした。次にもっとも関連するであろうジョン・ヘンリーの論文は次です。
Henry, J. (1989) ‘The Matter of Souls: Medical Theory and Theology in Seventeenth-Century England’, in R.K. French and A. Wear (eds), The Medical Revolution of the Seventeenth Century. Cambridge: Cambridge University Press, 87-113.いくらか関連する内容を含むであろうジョン・ヘンリーの論文は次です。
Henry, J. (1982) ‘Atomism and Eschatology: Catholicism and Natural Philosophy in the Interregnum’. British Journal for the History of Science 15: 211-239.
Henry, J. (1986) ‘Occult Qualities and the Experimental Philosophy: Active Principles in pre- Newtonian Matter Theory’. History of Science 24: 335-381.
Henry, J. (1986) ‘A Cambridge Platonist's Materialism: Henry More and the Concept of Soul’. Journal of the Warburg and Courtauld Institutes 49: 172-195.
Henry, J. (2009) ‘Sir Kenelm Digby, Recusant Philosopher’, in G.A.J. Rogers et al (eds), Insiders and Outsiders in 17th-Century Philosophy. London: Routledge, 43-75.
夕刻、次の本が届きました。
根占献一+伊藤博明+伊藤和行+加藤守通『イタリアルネサンスの霊魂論』三元社、1995
フィチーノ、ピコ、ポンポナッツィ、ブルーノの原点テキスト部分訳[本邦初訳]付き、とあります。[被刺激性=刺激感応性]
10日からの作業の続きで次の論文を読みました。
金森修「刺激感応性― ある生理学的概念の運命― 」『科学的思考の考古学』人文書院、2004 年、209-229 頁。
グリッソン(Francis Glisson, 1596-1677) の被刺激性=刺激感応性 irritabilityの概念について、その誕生から、成長、衰退の生命史をサーベイしています。結論の一部だけを引用します。「刺激感応性概念は、実は唯物論的生理学の推進にとり格好の口実となるという、逆説的運命を辿ることになる。生誕の時点では物活論的だったはずの、或るひとつの概念。それは歴史のなかで紆余曲折を経て、いまや感受性をも一種の分子的反応に還元する唯物論へと、その姿を変えるのである。」
実は、ジョン・ヘンリーも、唯心論が物活論へ、物活論が唯物論への相互転換する思想の局面を扱っています。霊魂や精気の概念史をたどると、こうした局面にいくつかの場所で出会うことになります。→13.1.10 もうすこし具体的な部分を引用しましょう。
211頁。グリッソンは『力動的実体の性質に関する論考』(1672)で、すべての物体に生命つまり運動を付与した。<自然的生命>と呼びうるすべての実体、すなわち自存するすべての実体は、ある種の生命特性をもつ。具体的には、知覚的、食欲的、運動的という3つの第一能力を有する。
[グリッソン]
M. Guido Giglioni, "Francis Glisson's notion of confoederatio naturae in the context of hylozoistic corpuscularianisim", Revue d'histoire des sciences, 2002, Tome 55, no.2, pp.239-262
これを読んでいたら、物活論 " hylozoisim" という言葉そのものは、カドワースが造ったとあります。初出は、『宇宙の真の叡智的体系』(1678)ということです。手元の辞書をみても、初出は1678と記されています。
カドワースによれば、「物活論的物体論者は、すべての物体がそれ自体でそのものの内に生命をもつと前提するので、お互いに調和し独立した無限の生命(すべての原子がそれ自身の生命をもつことになるので)を想定しなければならなくなり、結果、数多くの独立した第一原理があって、世界を統治するひとつの生命/知性が必要ではなくなる。」(London, 1845), I, p.147)(p.242)
ギドによれば、グリッソンの考えは、すべての物質が無意識の知覚をもつ物活論的粒子論と位置づけられます。(p.241)
また17世紀の物活論は、ルネサンスの汎感覚論(? "pansensism" 辞書にはない用語です)の後継者であり、医学的伝統から導き出された要素によっている。具体的には、カンパネッラとファン・ヘルモントの自然哲学におおきく依拠している。ギドは、この論文では、「被刺激性」の概念を扱っていませんが、次の論文でテーマとして取り上げています。サマリーを読む限り(本体はまだ入手していません)、金森さんの線に沿った論考だと思われます。
Guido Giglioni, "What Ever Happened to Francis Glisson? Albrecht Haller and the Fate of Eighteenth-Century Irritability," Science in Context 21 (2008): 465-493
→入手しました。ProQuest でダウンロードできました。大学にいる間に、フランシス・グリッソン関係のものをいくつかダウンロードしました。サイニーで検索をかけても邦語でグリッソンをテーマとするものは(簡単な伝記を除き)まだないようです。
他にもダウンロードしました。次です。
Charles Coulston Gillispie, "Physick and Philosophy: A Study of the influence of the College of Physicians of London upon the Foundation of The Royal Society," Transactions of the American Philosophical Society 96(2006): 3-26
Dominique Boury, "Irritability and Sensibility: Key Concepts in Assessing the Medeical Doctrines of Haller and Bordeu," Science in Context 21(2008): 521-535
Brian Garrett, "Vitalism and teleology in the natural philosophy of Nehemiah Grew (1641-1712)," BJHS, 36(2003): 63-81
Don Bates, (review), "English Manuscripts of Francis Glisson (1): From Anatomia hepatis (The Anatomy of the Liver), 1654 by Andrew Cunnigham," ISIS, 87(1996): 357-358
Guido Giglioni, (review), "Giuseppe Ongaro, Maurizio Rippa Bonati, and Gaetano Thiene, eds. Harvey e Padova: Atti del convegno celebratiovo del quarto centenario della laurea de William Harvey (Paduva, 21-22 novembre 2002). Padova, 2006," Bull. Hist. Med. 83(2009): 397-8.
ギドは、このイタリアのパドヴァで開かれた記念論集のキーノートとなっている古い史観、古い伝説への回帰に対して、辛辣な批判を行っています。俗語ではけちょんけちょんです。都合がよいので、ここ数日の間にダウンロードしたファイルをリストアップしておきます。
John Sutton, "Soul and Body in Seventeenth-Century British Philosophy," in Peter Anstey, ed., The Oxford Handbook of British Philosophy in the Seventeenth Century
Mi Gyung Kim, "The Analytic Ideal of Chemical Elements: Robert Boyle and the French Didactic Tradition of Chemistry," Science in Context 14(2001): 361-395
[グリッソン]
基本的な書物を繙くことにしました。医学史では、川喜田愛郎さんの『近代医学の史的基盤(上)』。313頁にグリッソンが取り上げられています。
「生体の重要な要素としての線維が、刺激に応じて―かならずしも神経作用を介しないでも―収縮する能力をもっていることを説き、それに「被刺激性」(irritability) の名を与えた。その被刺激性は彼によれば血液その他液性部分にも存して、生命現象の基本となるものと解された。」そのすぐ後に、ウィリスの『動物の魂について』(De anima brutorum, 1672) がほぼ2頁にわたり取り上げられています。316-7頁。
まず、ウィリスは、不死の理性的魂 (rational soul) を認める。ついで彼は、理性的魂に従属する「身体の魂または動物の魂」 (corporeal soul or soul of brutes, anima brutorum) を立てる。そして、これは人にも動物にも共通するとする。
身体の魂/動物魂は、3つに分かれる。1つめは血液の座をもつ「生命的魂」、2つめは感覚的魂、3つめは親から子に伝わり、新しい個体の形成にあずかる「生成 genital の魂」である。
(アリストテレスのアニマ論や、精気との関係等、疑問が生じる点は多いが)、実はこの書が「臨床的精神病学ともみるべき内容をもっていることは示唆にとんでいる。」
また彼は、こころのはたらきにも一種の階層が存在し、少なくともある局面においては心理学と生理学が重なりあう領域に関係すること、さらに「その種のこころのはたらきは、デカルトの考えに反して、動物にも明らかに認められることを承認せざるをえなかった。」(317頁)さらに、生理学史に関して邦語基本文献は、たぶんホールの『生命と物質』でしょう。上巻の372頁にハラーの前史としてグリッソンの被刺激性の概念が触れられています。翻訳の問題でしょうか、この部分はすぐには理解できません。
→ Walter Pagel, "Harvey, Foetal Irritability -- and Albertus Magnus," Medical History 1966, pp.409-411
ごく短いものですが、面白いポイントをついています。神経系に依存しない組織の被刺激性は、グリッソン以前にハーヴィが『動物の発生について』(1651) で明確に指摘していた。胚の原基(原始細胞)は、脳の場所には脂質の液体しかなく、血液のもののようなものしか見えない初期段階でも、針の先で突っつくと、まるで芋虫のように、曖昧な運動、収縮、ねじれを示す。
アルベルトゥス・マグヌスに先行事例があるということです。40日目の流産した胚を針の先で突くと拡張と収斂の運動を示すことを『動物について』で記述しているということです。→胚が脳や神経系の形成なく、被刺激性を示すことは、(どういう広がりがあったのかは不明ですが)すでに中世から知られていたことになります。
そうすると、明らかに脳や神経系の見えない下等動物についてどういう知見が共有されたいのかが気になります。
そもそも、どの程度の下等動物まで知られていたのか?
顕微鏡研究がはじまっていたグリッソンの時代、顕微鏡下に発見された新しい動物(レーウェンフックのいう animacula )がこうした知見にどう貢献したのか?
こういう疑問が生じます。
→ 13.1.11 とりあえずネットで調べてみました。神経系をもたない動物は、海綿動物、平板動物で、それ以外は何らかの神経系を持つそうです。
あとは雑学です。ニューロン説が証明されたのは、1955年だそうです。わおー。また、神経の電気信号の実体が細胞膜内外のナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度勾配の変化であることがわかったのが1952年ということです。ダブルヘリックス(1953年発見)と同じ頃です。夕刻次の本が届きました。
坂井建雄『人体観の歴史』岩波書店、2008
手元に基本書をおくべきだと考え、購入しました。
あとがきから一番基本となる点を抜き書きします。「古代のガレノスの解剖学は、医学史の中でしばしば語られるような未熟なものではなく、サルの解剖を自ら行い、精確に観察して書かれたものであった。一三〇〇年以上の時を越えて印刷術の時代まで伝存したのは、優れた内容を有していたからである。近代医学の祖とされるヴェサリウスの解剖学は、傑出した解剖図が注目されるのとは裏腹に、記述されている内容はガレノス解剖学の集大成というべきものであった。」(405頁。)
私は解剖学史には詳しくありませんが、これはその通りではないかと思われます。→ 13.1.11 ジャック・ロジェの『18世紀のフランス思想における生命科学』を見てみました。グリッソンも被刺激性も多くは扱われていません。
リン・ソーンダイクも見てみました。こちらもグリッソンと被刺激性はごくわずかにしか扱われていません。
ダンネマンは、どうもグリッソンを取り上げていないようです。(少なくとも索引にはなし。ハラーの「被刺激性」を扱う箇所でも、グリッソンの名前は出てこない。)
関連する箇所としては、マルピーギはきちんと押さえておかないといけないようです。
そろそろ2013年度のシラバスを用意しなければなりません。
わかる方にはわかると思いますが、2013年の大学院の授業は、初期近代における生理学・医学・生物学史を取り上げます。
人名で言えば、フランシス・ベイコン、ウィリアム・ハーヴィー、トマス・ウィリス、フランシス・グリッソン、ルネ・デカルトとデカルト派、バルトリン、ステンセン、等々といった感じになるでしょうか。場合によっては、もうすこし広くとります。
テーマとしては、ひとつはハーヴィーの発生論、リンパ菅、腺、被刺激性、醗酵論、代謝、消化、等々でしょうか。
ともあれ、古典的研究から最先端の研究までをサーベイする意欲的な目標を立てます。現実的には発表する院生諸子との兼ね合いになります。→個人的には、ハラーとビシャがとても面白いと思いました。(当然と言われれば、当然なのですが。)
[生物学史先行研究]
一番基礎的な作業からはじめるのがよいでしょう。先行研究のリストアップを試みます。[マルピーギ]
フランソワ・デゥシュノー(Francois Duchesneau)「マルピーギ、デカルトと医機械論における認識論上の問題」(横山輝雄訳)『科学革命における理性と神秘主義』(M.L.R. ボネリ、W.R. シエイ編、村上陽一郎他訳、新曜社、1985): 68-93
永澤 六郎「マルピーギ傳追補 : 第二十八巻口繪第十二附」『動物学雑誌』28(338)(1916), 前39-前40
市川博保「Marcello Marpighi の歯に関する記述について」『松本歯学』10(1984): 56-65
伊藤 和行「マルチェッロ・マルピーギの医学論」『日本医史学雑誌』41(2)(1995): 306-307
F. Cryns, "Translation of Western Embryological Thought in the Edo Period: Tsuboi Shindo and Malpighi's Observations of Fertilized Eggs," Nichibunken Japan Review 17(2005): 55-89
サイニーとグーグルスカラーによれば、日本ではこの程度です。古典的研究は次です。
Howard Adelmann, Marcello Malpighi and the Origins of Embryology, 5 vols., Ithaca: Cornell University Press, 1966
Howard Adelmann, The Correspondence of Marcello Malpighi, 5 vols., Ithaca: Cornell University Press, 1975
Luigi Belloni, Opere scelte di Marcello Malpighi, Turin: UTET, 1967.比較的新しい論集は、次。
Domenico Bertoloni Meli, Marcello Marpighi, Anatomist and Physician, Florence, 1977
Domenico Bertoloni Meli, Mechanism, Experiment, Disease: Marcello Malpighi and Seventeenth-Century Anatomy, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2011
→最近、もっともよくマルピーギについて発表している方は、メリさんのようです。(メリさんは、ケンブリッジで学位(1988)を取っています。最初の出版物は、ライプニッツ。物理学史(力の概念)もカバーしています。現在は、インディアナの科学史科学哲学教授です。)→ Domenico Bertoloni Meli, "Early Modern Experimentation on Live Animals," Journal of the History of Biology, June 2012
Domenico Bertoloni Meli,“The Representation of Insects in the Seventeenth Century: A Comparative Approach,” Annals of Science, 67 (2010): 405-29.
Domenico Bertoloni Meli,“A Lofty Mountain, Putrefying Flesh, Styptic Water, and Germinating Seeds. Reflections on Experimental Procedures from Peérier to Redi and Beyond”, in M. Beretta, A. Clericuzio, and L.M. Principe, eds, The Accademia del Cimento and its European Context (Science History Publications, 2009), 121-34.
Domenico Bertoloni Meli,“The Collaboration between Anatomists and Mathematicians in the mid-17th Century. With a Study of Images as Experiments and Galileo’s Role in Steno’s Myology,”Early Science and Medicine, 13 (2008), 665-709.
Domenico Bertoloni Meli, “Mechanistic Pathology and Therapy in the Medical Assayer of Marcelle Malpighi,” Medical History, 51(2007): 165-180.
Domenico Bertoloni Meli,“Blood, Monsters, and Necessity in Malpighi's De polypo cordis,”Medical History, 45 (2001), 511-22.
Domenico Bertoloni Meli, “Authorship and Teamwork Around the Cimento Academy,” Early Science and Medicine, 6 (2001), 65-95.
Domenico Bertoloni Meli, “Francesco Redi e Marcello Malpighi: ricerca anatomica e pratica medica,” in W. Bernardi and L. Guerrini, eds, Francesco Redi (Firenze, Olschki, 1999), 73-86.
Domenico Bertoloni Meli, “The Archive and Consulti of Marcello Malpighi,”,Archives of the Scientific Revolution, ed. by M. Hunter (Woodbridge: The Boydell Press, 1998), 109-20.
Domenico Bertoloni Meli, “Shadows and Deceptions: from Borelli's Theoricae to the Saggi of the Cimento,”The British Journal for the History of Science, 31 (1998), 383-402.
以上、論集にはすでにもっているものもあります。→ Matthew Cob, "Malpighi, Swammerdam and the Colourful Silkworm: Replication and Visual Representation in Early Modern Science," Annals of Science 59(2002): 111-147
→Pomata, Gianna, "Malpighi and the holy body: medical experts and miraculous evidence in seventeenth-century Italy," Renaissance Studies, , 21(2007): 568-586
朝のうちに次の本が届きました。
二宮陸雄『ガレノス 自然力』平川出版社、1998
[生物学史先行研究: Francesco Redi, 1626-1697]
Francesco Rediに関する邦語文献は、サイニーとグーグルスカラーによればどうも次のものだけのようです。
小林 満「フランチェスコ・レーデイの科学的散文の特徴 : 「バロック」との関係から」『イタリア学会誌』39(1989): 80-98, 249-250
これだけでは寂しいので、『科学革命の百科全書』を引いてみます。フィンドレンが執筆しています。これによれば基本は次です。
Ugo Viviani, Vita ed opere inedite de Francesco Redi, Arezzo, 1924
Bruno Basile, L'invenzione del vero: La letteratura scienfifica da Galileo ad Algarotti, Rome; Salerno, 1987
Paula Findlen はあとは論文を並べています。
Martha Baldwin, "The Snakestone Experiments: An Early Modern Medical Debate," ISIS 86(1995): 394-418
Paula Findlen, "Controlling the experiment: rhetoric, court patronage and the experimental method of Francesco Redi(1626-97)," History of Science, 31(1993) : 35-64
Jay Tribby, "Cooking (with) Clio and Cleo: Eloquence and Experiment in Seventeeth-Century Florence," Journal of the History of Ideas, 52(1991): 417-439[生物学史先行研究: William Harvey, 1578-1657]
ハーヴィーに関しては、古くは、中村禎里さん、月澤さんの研究があることは知っています。そして比較的若い人では、澤井直氏。中村禎里「William Harveyとその生理学説--血液循環論の成立」『科学史研究』68(1963): 145-149
中村禎里「William Harveyとその生理学説-2-」『科学史研究』69(1964): 18-25
月澤美代子「ハーヴィとデカルト―17世紀オランダにおける血液循環論の受容とカルテジアニズム」村上陽一郎編『知の革命史4 生命思想の系譜』(朝倉書店,1980): 65-96
月沢美代子「心臓優位説から血液優位説への「転換説」の再検討 -W. ハーヴィの観察, 論理とexercitatioの構成-」『科学史研究』34(194)(1995): 118-128
月沢美代子「W・ハーヴィのアナトミアと方法」『日本医史学雑誌』47(1)(2001): 33-81
月沢美代子「W. ハーヴィの精気と「問題」(I) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-I. フェルネルの超越的精気に対して」『科学史研究』36(204)(1997): 229-238
月沢美代子「ハーヴィの精気と「問題」(II) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-II. ガレノスの空気由来精気に対して」『科学史研究』37(205)(1998): 39-48
月沢美代子「ウィリアム・ハーヴィ「普遍解剖学講義」における心臓の運動の提示」『日本医史学雑誌』45(2)(1999): 180-181
月澤美代子「「17世紀生物学史」の課題と「科学革命論」」『科学史-その課題と方法-』青木書店(1987): 98-112
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの発生論『すべては卵から』」『ルネサンス研究』6(1999): 59-74
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの方法論 類推の正当化をめぐって」『日本医史学雑誌』46(3)(2000): 348-349
澤井直「ルネサンスの新しい身体観とアナトミア:西欧初期近代解剖学史の研究動向」『ミクロコスモス』 1 (2010): 348-365邦語の書物は、おそらく次です。
ハーヴェイ『動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究』暉峻 義等翻訳、岩波文庫、1961
中村禎里『血液循環の発見 : ウィリアム・ハーヴィの生涯』岩波書店、岩波新書、1977
ジョール・シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ : 血液はからだを循環する』梨本治男訳、大月書店 、2008
森優『血液循環の発見』森優、1971欧文で検索をかけると多すぎます。『科学革命の百科全書』で William Harvey をひいてみます。執筆は、ジェローム・ビルビル。文献は、ビルビルの2著、ロバート・フランクの『ハーヴィとオックスフォードの生理学者』、フレンチの『ハーヴィの自然哲学』、ケインズの『ハーヴィ伝』、パーゲルの『ハーヴィの生物学思想』、ホィトリッジの『ハーヴィと血液循環』を挙げています。
Jerome Bylebyl, William Harvey and his Age: The Professional and Social Context of the Discovery of Circulation. Baltimore: Johns Hopkins, 1979.
Robert G. Frank, Harvey and the Oxford Physiologists. Berkeley: University of California Press, 1980.
Roger French, William Harvey's Natural Philosophy, Cambridge, 1994
Geoffrey Keynes, The Life of William Harvey , Oxford, 1966
Walter Pagel, New Light on William Harvey. Basel, New York: Karger, 1975.
G. Whitteridge, William Harvey and the circulation of the blood. London: Macdonald, 1971
→ 13.1.17 ほかに。
Jerome Bylebyl, "The growth of Harvey's De motu cordis," Bulletin of the History of Medicine 47(1973): 427-470
Jerome Bylebyl, "Nutrition, Quantification and Circulation," Bulletin of the History of Medicine 51(1977): 369-85.
Jerome Bylebyl, "The School of Padua: Humanistic Medicine in the Sixteenth Century," in Health, Wealth and Mortality in the Sixteenth Century. Cambridge: Cambridge University Press, 1979.
P.W. Graham, "Harvey's De Motu Cordis: the rhetoric of science and the science of rhetoric," Journal of the History of Medicine 33 (1978): 469-76.
Charles B. Schmitt, "William Harvey and Renaissance Aristotelianism: A Consideration of the Praefatio to De Generatione Animalium (1651)," in Humanismus und Medizin, eds. Rudolf Schmitz, Gundolf Keil. Weinheim: Acta Humaniora, 1984, pp.117-138
L.Wilson, "William Harvey's Prelectiones: the performace of the body in the Renaissance theatre of anatomy," Representations 17 (1987): 62-95
[生物学史先行研究: Thomas Willis, 1621-1675]
門田永治「Thomas Willis の Cerebri Anatome について : 脳神経系を中心に」『日本医史学雑誌』49(1)(2003): 116-117
門田永治「Thomas Willis の Cerebri Anatome に見る中枢神経・機能発現の機序」『日本医史学雑誌』50(1)(2004): 42-43
大愛崇晴「トマス・ウィリスの「音楽的な耳」と音楽の快の知覚 : 科学革命期の英国における神経生理学と聴覚的感性」『美學』 63(1)(2012): 133-144これだけでは寂しいので、やはり『科学革命の百科事典』の参考文献を見てみます。著者は、José M. López-Pinero です。イズラーの『トマス・ウィリス 1621-1675 医師にして科学者』(1968)、著者本人のHistorical Origins of the Concept of Neurosis, Cambridge University Press, 1983、A Meyre and R. Hierons, "On Thomas Willis' Concepts of Neurophysiology," Medical History 9(1965): 1-15, 142-155. こうした文献を挙げています。
これでも寂しいですね。
George S. Rousseau, Nervous Acts: Essays on Literature, Culture and Sensibility. Palgrave, 2004
ウィキのルソー(George S. Rousseau)に関する記述は、Neil Vickers, "Literary History and the History of Neurology," History of Psychiatry 22 (2011): 498 の言葉を引用しています。「ジョージ・ルソーによる、神経学的観念の18世紀の文学的文化への移植の研究は、医学的思想の文化的同化の全体像を描くすべての試みの基準点となっている。1970年代にルソーは、新しいテーゼを提示した。18世紀の小説の出現にとって決定的に重要であった感受性のカルトは、17世紀後半オクスフォードの医師トーマス・ウィリスが行った一連の神経学の実験に予見されていた。」(これは「神経、精気、繊維――感受性の起源を求めて」(1975)を指すようです。)
ルソーはすこしだけ読んだことがあります。今回はきちんと視野に入れておく必要があるでしょう。ともあれ、ウィリスに関してはぼちぼち作業を進めます。→イズリーの『ウィリス』は、昔先輩から借りて、コピーをとったものがあります。誰かの書き込みがあります。(中村ていりさんとかそういう年輩の方だったように記憶しています。)『知の革命史4 生命思想の系譜』は、この巻だけ行方不明でした。(購入した記録はあるので、使ってどこかに置いたままにしているのでしょう。)Kenneth Dewhurst, Thomas Willis as a Physician, William Clark Memorial Library Lecture, (Los Angeles, 1964) も持っています。これはたぶん研究室においています。
→書棚のカードコーナーを見てみました。ウィリスでカードバインダーをひとつ作っています。昔勉強した記憶はあるのですが、1次資料、2次資料まで整理していたことはすっかり忘れていました。あとでまとめますが、ここでは、カードバインダーから情報をピックアップしていきます。
中村禎里「Willis とLower の生理学説:とくに心臓運動論について」『科学史研究』第2期第14巻(1975): 55-66
1985年5月23日に読んで簡単なノートを取っています。
Teiri NAKAMURA, "T. Willis' and Lower's Physiology with special reference to Theory of Heart Movement," Jap.Stud.Hist.Sci.,, 16(1977): 23-41
William F. Bynum, "The Anatomical Method, Natural Theology, and the Functions of the Brain, " ISIS, 64(1973): 445-468
1985年6月15日に読んで簡単なノートを取っています。「ウィリス中心の論文。比較解剖学と自然神学の前提=機能-構造連関説=を17世紀生理学において突き崩したのは、1)脳、2)サルの発声器官の発見(無機能の器官の存在)→この矛盾はずっと後(19世紀)まで持ち越された。」
Richard U. Meier, ""Sympathy" in the Neurophysiology of Thomas Willis," Clio Medica, 17(1982): 95-111
Donald G. Bates, "Thomas Willis and the Epidemic Fever of 1661: A Commentary," Bull. Hist. Med., 39(1965): 393-414
Ellen B. Wells, "Willis' Cerebri Anatomia: An Original Drawing," J. Hist. Med., 22(1967): 182-4場所の整理はあとからします。カードからの採録を続けます。
Walter Pagel, "Harvey and Glisson on Irritability with a note on Van Helmont," Bull. Hist. Med., 41(1967): 497-514
パーゲルの「被刺激性」に関する論文です。上記の通り、ハーヴィ、グリッソン、ファン・ヘルモントを扱っています。「生物学的一元論:物質は、死んだ不活性なものではない。内に生命を含む。生物体の組織はそれ自体生きている。刺激反応性を持つ。知性を持ち、判断する。そしてその判断(有毒か無毒か)に従って反応する。自然的知覚を持っている。」1981年9月22日に読んでカードをつけています。コメントとして「ここに書かれていることはまったく意外だった。物理学的伝統を見ていただけではおもいもよらない思想に満ち満ちている。」このカードからすれば、生気論や物活論の思想に触れたのは、パーゲルを通してだったかもしれません。ともあれ、この論文の印象は強かったようです。→カードでは一次資料の整理もしています。あった方が便利かと考え、ここにもまとめておきます。
1659 Diatribae Duae Medico-Philosophicae,London, 1659
1664 Cerebri Anatome cue Accessit Nervorum Descriptio et Usus, London, 1664
1667 Pathologiae Cerebri et Nervosi Generis Specimen, Oxford, 1667
1670 Affectionum Quae Dicuntur Hystericae et Hypochondriacae, London, 1670
1672 De Anima Brutorum Quae Hominis Vitalis ac Sensitiva Est, Oxford, 1672
1674-5 Phamaceuticae Rationalis , Oxford, 1674,75
1676 Opera Omnia, Geneva, 1676
1684 Practice of Physick, trans. by Samuel Pordage, Lodon, 1684
[パーゲルの書評]
昨日からの作業の続きで、パーゲルの書評を読みました。問題点が非常に明晰に提示され、ポイントが見事にまとめられています。これが力量でしょう。具体的には次。
Walter Pagel,(review), "Robert G. Frank jr., Harvey and the Oxford physiologists. A study of scientific ideas, Los Angeles and London: University of California Press, 1980," Med. Hist., 25(4)(1981): 426−431
ハーヴィ(1578-1657)の弟子筋には、ハイモア (Nathaniel Highmore, 1613-1685) 、チャールトン (Walter Charleton, 1620-1707)、ウィルス (Thomas Willis, 1621-1675) 、バサースト (Ralph Bathurst, 1620-1704)、スカーバラ(Charles Scarburgh, 1616-1694)、グリーヴス (John Greaves, 1602-1652)、メレット (Christopher Merrett, 1615-1695);フック (Robert Hooke, 1635-1703)、ロワー (Richard Lower, 1631-1691)、メイヨー (John Mayow, 1641-1679) 、レン (Christopher Wren, 1632-1723)。ロバート・ボイル(Robert Boyle, 1627-91)、ニーダム (Walter Needham, c.1631-1691) etc.
ハーヴィを一生悩ませた問題、すなわち、血液循環の目的は何? それは今からすれば呼吸をめぐる問題群であった。
ハーヴィはたしかに血液循環を主張し、ハーヴィの共同研究者・弟子筋・仲間達は血液循環説を受け入れたが、時代の生理学の全体像に照らしてみると、多くの問題が未解決のまま残された。あるいは、アリストテレス流やガレノス派の生理学説と齟齬を来す新しい数多くの探究課題を生みだした。肺の役目は? 血液は何をしている? 動脈血と静脈血の差は何?
呼吸をめぐる生理学がここから立ち上がってくるが、それはハーヴィ以降の多くの論争の結果である。
図式的に言えば、ハーヴィはアリストテレス主義的&生気論的&後成説であった。後継者達は、多く機械論的原子論&前成説に向かった。「実際、ハーヴィによって未解決のまま残された呼吸の問題を解明するうえで決定的役目を果たしたのは、粒子―「硝空気」とくくることができる粒子―であった。」(p.427)
フックの影響を受け、バサーストが心臓で生命精気が作られるのではなく、空気交換としての呼吸という概念を導く「硝空気」(空気中に含まれ、血液に<栄養>を与える)の概念を提唱した。さらにバサーストは、これを揮発性の塩とみなした。そして偶然のきっかけで、空気が冷やす機能を持っているという観念を不要とした。
フックは、この硝空気の粒子は空気中に漂っている(現在的表現をすれば蒸気とおなじ仕方で含まれる)とし、硝石のうちに固定されると考えた。
そして、こうした見方はすべてボイルの硝石の研究に依拠していた。
硝石(ナイター、ニトルム)=硝酸塩(硝酸カリと硝酸カルシウム)は酸素に富み、強力な酸化剤である。そして、火薬と肥料の欠かせない成分である。ベイコンによれば、「硝石は植物の生命である。」
この問題は、呼吸の機械論説によって曖昧にされた。
ウォルター・ニーダムは、1667年、呼吸に空気は関係ないと主張した。
フックとローワーは巧妙な実験(肺への通気法)によって、動物の命をたもつのは継続的な空気の供給であるとした。残る問題は、新鮮な空気は、血液に何かを付け加えるのか、取り去るのか? フックとキングは、前者に傾いた。消費された空気には、力がない(もう命を支えることをしない。)
ローワーの『心臓について』(1669)がひとつのピーク。ローワーは、ハーヴィが軽視した動脈血と静脈血の差を重視した。
→ここで、中村禎里さんの『生物学を創った人びと』(日本放送出版協会、1974)より、ローワーの行った実験だけ抜き書きします。(100頁)
1.体外に取り出した心臓がしばらく心拍を続けること(ハーヴィの行ったこと)
2.動物の身体から血液を抜き、その代わりにビールや葡萄酒を注入しても、動物は生存を続け、拍動も続くこと。(>輸血の実験に繋がる)
3.動物の気管を結紮したのち頸動脈を切ると、流れ出る血液は暗い。
4.絞め殺した動物の肺臓に空気を吹き込み、肺動脈に血液を流し入れると、肺静脈から出てくる血液は、鮮紅色である。
5.肺静脈を容器にとると、その表面は空気にふれて鮮やかな色になる。容器にいれた静脈血を攪拌すると、それは全体として鮮紅色となる。
→もとにもどります。パーゲルの記述です。肺の役目。
動物の体熱を生むのは、心臓ではなく、肺で吸収された空気の動脈血化である。
こうしてローワーの仕事は、ハーヴィ的精神でのガレノス体系分解の最終章となった。ローワーは、筋肉によるポンプとしての心臓観を強化した。ローワーは、ハーヴィとともに、デカルト的沸騰説を否定した。そして再びハーヴィとともに血液を熱の生まれる場所とした。血液の動脈化に関しては、ハーヴィに反し、血液に吸収される空気によるとした。
さて、ここで、空気中にふくまれるその実体はなにか? ここにメーヨーの仕事が復活する。空気中に豊富に含まれる微細な硝石粒子が血液のイオウと結合して、「醗酵」を生じるのであった。ウィリスの見解では、この同じ結合が動物の炎のような魂の燃料元となっている。メーヨーにとって炎は、運動させられた硝空気精に他ならず、これが同時に光の圧力の伝搬のような気象学的現象の動因でもあった。メーヨーが実際に成し遂げたのは、硝石空気粒子を物理-化学的存在から生理学への導きいれたことである。
ボイルは空気の弾性(のみ)に関心があり、呼吸を燃焼と同一視するには至らなかった。(フックも)
ボイルはそうでなかったがフックは、メーヨーの硝石空気粒子―火、運動、醗酵、温泉、石灰の消和、血液中の揮発性塩を説明する―に影響された。
ローワーとメーヨーの差は次である。ローワーは、ただ動脈血の色変化は、肺で生じ、空気を必要とすることを示した。メーヨーは、血液を真空中におくと、動脈血だけが膨張し、上昇し、目に見える蒸発物を出すことまで示した。そしてメーヨーの粒子は、ハーヴィの未解決の問題、おなかのなかの胎児がどのように呼吸をするのか、に回答を与えた。
かくて、これは、1640年代からオクスフォードの科学者共同体の仕事において紡がれ追求された数多くの思考の糸の、メーヨー自身による総合であった。(フランク、p.272) そこでは、呼吸と燃焼は、共通のタイトル<醗酵>のもとに括られた。
1680年代に入ると硝石空気への関心は薄れた。(主唱者が死んだ。)
しかし、ハーヴィ以後の着実な進歩があった。ガレノスの内在熱は、空気の呼吸と結びついて生み出される燃焼エネルギーとなった。空気は、冷やすのではなく、血液の色を変え、動脈血化するのであった。
およそ40年間にわたるチームワークの仕事であった。
パーゲルは、フランクの仕事を高くかいます。そして、ファン・ヘルモントの思想との比較がもっとあればたぶんもっとよかったと評しています。[年明け最初の授業]
年明け最初の授業は、基礎演習。はじめてなので、いつも午前中に今日話す内容を考えます。これから3回は学生達に発表してもらいますが、15分程度は前説があった方がよいかと考え、ワン・ポイントの話を用意しました。
持ち時間一人10分で用意した来た7人がちょうど発表できました。予定調和。大学に着いてすぐに卒論を受け取りました。16人。3人は提出を見送ったようです。
次いで図書館に行って ILL で届いていた次の論文を受け取りました。
Temkin, O., "On Galen's pneumatology," Gesnerus, 8(1951): 180-189
[ILL]
ILL で届いた次の論文を受け取りました。
Harry Bloch, "Francis Glisson, MD (1597-1677): The Glissonian Irritability Phenomenon and Its Roots, Links, and Confirmation, " Southern Medical Journal, 81(1988): 1433-1436
James J. Bono, “Medical Spirits and the Medieval Language of Life," Traditio, 40(1984): 91-130[生物学史先行研究: John Mayow, 1641-1679]
サイニーとグーグルスカラーで調べることができた範囲では、邦語の論文はないようです。
パーゲルが書くとおり、時代の文脈において、メーヨー(メイヨー)は重要な仕事をしたと思われます。(硝空気の概念によって、火の現象、呼吸、空気の弾性、空気の良性、血液の醗酵と身体の熱の現象を体系づけた。)しかし、フックとオルデンバーグには軽視されました。そのせいでしょうか、『科学革命の百科全書』(アンドルー・ウィアが執筆しています)のメーヨーの項も、フランクの本、パーティントンの古典的な化学史、そして、パーティントンの論文(J. R. Partington, "The Life and Work of John Mayow (1641-1679)," ISIS, 47(1956): 217-230, 405-417 の3点のみを挙げています。これは相当に寂しい状況です。[生物学史先行研究: Richard Lower, 1631-1691]
ローワーについても調べてみました。予想していたことですが、サイニーとグーグルスカラーの範囲では、邦語論文はありません。
→ 13.1.21 サイニーとグーグルスカラーではヒットしませんが、下記の通り、中村禎里さんの論文がありました。自分で記していながら、忘れていました。
中村禎里「Willis とLower の生理学説:とくに心臓運動論について」『科学史研究』第2期第14巻(1975): 55-66
Teiri NAKAMURA, "T. Willis' and Lower's Physiology with special reference to Theory of Heart Movement," Jap.Stud.Hist.Sci.,, 16(1977): 23-41『科学革命の百科全書』でエルザ・ゴンザレスが挙げるのは、1次資料1点(Richard Lower, Tractatus de Corde, in Early Science in Oxford vol.9. Oxford, 1932)の他に2次資料3点です。フランクの本と次の論文。
Ebbe. C. Hoff and Phebe M. Hoff, "The Life and Times of Richard Lower, Physiologist and Physician," Bull. Hist. Med. 4(1936): 517-535
Leonard G. Wilson, "The Transformation of Ancient Concepts of Respiration in the Seventeeht Century," ISIS, 51(1960): 161-172
[中村禎里『血液循環の発見』1977]
帰宅すると次の本が届いていました。
中村禎里『血液循環の発見 : ウィリアム・ハーヴィの生涯』岩波新書、1977
封をあけてみると記憶があります。買った記録がないので、古書で購入しましたが、本棚を探し回ればどこかにあるのでしょう。
仮に買って持っていたとしても、中身は読んでいませんでした。もっとも私の関心に近い部分だけ読んでみましたが、まったく記憶がありません。読んでいればなんらかの記憶が甦るものです。それがありませんでした。
[中村禎里『血液循環の発見』1977]
夜起きている間に、ともかく新書の置いてある場所を探してみました。積み上げているものが一箇所で崩壊しましたが、3つめの場所で、中村禎里『血液循環の発見』(1977)を発見することができました。本はきれいです。すなわち、読んだ形跡はありません。
→ということで読みはじめました。William Harvey, 1578-1657
ケンブリッジ大学入学、パドヴァ大学留学1599-1602、医学博士号1602
出版物。ウェストフォール(ガリレオプロジェクト)によれば、実質次の3点ということです。
Exercitatio anatomica de motu cordis et sanguinis, Frankfurt, 1628
Exercitatio anatomica de circulatione sanguinis, Cambridge, 1649.
This work is Harvey's responce to Riolan's Encheiridion anatomicum et pathologicum, Paris, 1648
De generatione animalium, 1651
他の出版物の計画はあったようですが、草稿に関する不幸が重なり、多くは残っていないということです。
『心臓と血液の運動についての解剖学的論考』ならびに『動物の発生について』はよくしられています。まんなかの『血液循環について(の解剖学的論考)』は、リオランの批判に対する応答です。フランクは、De motu cordis、De circulatione、De generationeという省略タイトルを用いています。『心臓運動』『循環』『発生』です。省略するのであれば、それでよいでしょう。昼食後、次の本が届きました。
Jerome Bylebyl eds., William Harvey and his Age: The Professional and Social Context of the Discovery of Circulation. Baltimore: Johns Hopkins, 1979.
Introduction by Saul Jarcho
"William Harvey and the Crisis of Medicine in Jacobean England," by Charles Webster
"The Medical Side of Harvey's Discovery: The Normal and the Abnormal," by Jerome J. Bylebyl
"The Image of Harvey in Commonwealth and Restoration England," by Robert G. Frank, Jr.
[生物学史先行研究: Nathaniel Highmore, 1613-1685]
ハイモアに関して、日本語の論文はないようです。『科学革命の百科事典』にも立項されていません。
フランク(p.97) は、1651年出版の2著によって、ハイモアの思想を説明しています。
Nathaniel Highmore, Corporis Humani disquisitio anatomica, Hagae-Comitis, 1651
Nathaniel Highmore, The History of Generation, London, 1651もう2点、出版物があります。
Nathaniel Highmore, Exercitationes duae, quarum prior de passione hysterica: altera de affectione hypochondriaca, Oxford, 1660
Nathaniel Highmore, Nathanaelis Highmori de hysterica & hypochondriaca passione, London, 1670最初のもののフルタイトルは次です。
Corporis humani disquisitio anatomica : in qua sanguinis circulationem in quavis corporis particula plurimis typis novis, ac aenygmatum medicorum succincta^ dilucidatione ornatam prosequutus est
血液循環説にあうように再解釈しようとする試みです。2番目のもののフルタイトルは次です。
The history of generation: Examining the several opinions of divers authors, especially that of Sir Kenelm Digby, in his discourse of bodies ... To which is joyned A discourse of the cure of wounds by sympathy
とくにディグビーの発生説を中心に何人かの発生説を検討しています。これはこれで学説史として有用かもしれません。2次文献は現時点ではよくわかりません。Joseph Needham, A history of embryology, 2. ed. rev, Cambridge : Cambridge University Press, 1959 でもあげておきましょう。
[生物学史先行研究: バサースト Ralph Bathurst, 1620-1704]
バサーストに関しても邦語文献はないようです。『科学革命の百科事典』にも立項されていません。
古い伝記に次があります。
T. Wartoh, THe Life and Literary Remains of Ralph Bathurst, 1761
比較的新しい論文としては次でしょうか。
Jean M Guy, "Leading a double life in 17th-century Oxford: Ralph Bathurst (1620−1704), physician−physiologist and cleric," J Med Biogr February 2006 14:17―22
バサーストに関する詳しい調査はあとまわしにします。[生物学史先行研究: スカーバラ Charles Scarburgh, 1616-1694]
スカーバラに関しても、同じです。邦語文献はなく、『科学革命の百科事典』に項目はありません。
ネットに基本となる論文があります。
C. Newman, "Sir Charles Scarbourgh," British Medical Journal 16(1975): 429-430
J.J. Keevil, " Sir Charles Scarbourgh," Annals of Science 8(1952): 113-122
C. Webster, "Harvey's De Generatione: Its Origins and Relevance to the Theory of Circulation," The British Journal for the History of Science 3(1967): 262-274[生物学史先行研究:グリーヴス John Greaves, 1602-1652]
グリーブズは、ないと思っていましたが、ありません。伝記を読むと、数学者です。ピラミッド研究が一番の仕事だとありました。我々の関心にとっては大きな関与はないようです。[生物学史先行研究:メレット Christopher Merrett, 1615-1695]
たぶん邦語論文は次の1点です。
池田まゆみ「ドルバック仏訳本『ネリ・メレット・クンケルのガラス製造術』について」『日本ガラス工芸学会誌』52(2008): 13-21A. J. Koinm, "Christopher Merret's Use of Experiment," Notes Rec. R. Soc. Lond. 54 (1): 23−32
The Art of Glass, wherein are shown the wayes to make and colour Glass, Pastes, Enamels, Lakes, and other Curiosities. Written in Italian by Antonio Neri, and translated into English, with some observations on the author. London, 1662.
Pinax Rerum Naturalium Britannicarum, continens Vegetabilia, Animalia, et Fossilia, London, 1666[生物学史先行研究:ニーダム Walter Needham, c.1631-1691]
やはり日本語の研究はないようです。発生の歴史では、必ず名前が出てきます。
Disquisitio anatomica de formato Foetu, London, 1667
献辞はボイル宛て。アムステルダムで1668年リプリントされ、ClericusとMangetusによる『解剖学文庫』(Bibliotheca Anatomica)(Geneva, 1699) に採録される。[生物学史先行研究:エント George Ent 1604-1689]
エントの仕事として重要なのは、ハーヴィ説の最初期の擁護でしょう。(邦語文献はないようです。)
Apologia pro circulatione sanguinis, London, 1641(血液循環の擁護)
直接的には、ハーヴィ説に対するEmilius Parisianusの批判に答えるもの。
Animadversiones in Malachias Thrustoni, London, 1672
Malachi Thrustonの呼吸説の批判的検討。
Opera Omnia Medico-Physica, Leiden, 1687
Lectures on Anatomy 1665 年に行われる
ハーヴィの『動物の発生について』を出版したのは、エントです。1670-75の期間、Royal College of Physicians の会長を務めています
距離感を確認しておきましょう。
Francis Bacon, 1561-1626
William Harvey, 1578-1657
René Descartes, 1596-1650
ハーヴィはベイコンの17歳年下、デカルトはハーヴィの16歳年下です。William Harvey, 1578-1657
John Greaves, 1602-1652
George Ent, 1604-1689
グリーヴスとエントは、ハーヴィの最初の弟子です。フランクは偶然出会ったと記述しています。グリーヴスとさえも、24歳差あります。
Nathaniel Highmore, 1613-1685
Christopher Merrett, 1615-1695
Charles Scarburgh, 1616-1694
Walter Charleton, 1620-1707
Ralph Bathurst, 1620-1704
Thomas Willis, 1621-1675
Robert Boyle, 1627-91
Richard Lower, 1631-1691
Walter Needham, c.1631-1691
Christopher Wren, 1632-1723
Robert Hooke, 1635-1703
John Mayow, 1641-1679
ボイルはハーヴィの49歳年下です。21歳のとき70歳のおじいさん。功なり名を遂げた高名な老人にあったという感覚になる差です。
→1620年前後生まれのチャールトン、バサースト、ウィリスにとってはハーヴィは40歳年上。大師匠の位置です。
→ハーヴィがオクスフォードにいたのは、1642年から1646年までです。ロンドンに帰ってきたとき、ハーヴィは68歳。普通の人であれば引退している年齢です。オクスフォードにいたのは、64歳から68歳まで。つまり、オクスフォードの弟子達は、子どもの世代、孫の世代にあたります。
大学に着いてすぐに次の論文を受け取りました。ILL で届いたものです。
Jeffrey Boss, "Helmont, Glisson, and the Doctrine of the Common Reservoir in the Seventeenth-Century Revolution in Physiology," The British Journal for the History of Science 16(1983): 261-272[Harvey's Echo]
E. Weil, "The Echo of Harvey's De Motu Cordis(1628) 1628 to 1657," Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 12(1957): 167-174
これは、フラッドの『普遍医学』(1629) から Inscription on Harvey's tombstone on the West wall of the North transept of the church at Hemstead, Essex(1657) までリストアップされています。これはこういうものとして有用です。Christopher Hill, "William Harvey and the Idea of Monarchy," Past and Present 27(1964): 54-72
K. D. Keele, "Wiliam Harvey: The Man and the College of Physicians," Med. Hist. 1957: 265-278
Walter Pagel and Pyarali Rattansi, "Harvey Meets 'Hippocrates of Prague' (Johannes Marcus Marci of Kronland)," Med. Hist. 8(1964): 78-84
[Ongoing Studies on Harvey]
ハーヴィに関する最新、あるいは若手も研究もみておきましょう。
ピッツバーグ大学のPeter M. Distelzweig氏が2013年夏授与予定の博士論文のドラフトをネットで公開されています。
Peter M. Distelzweig, Descartes' Teleo-mechanics in Medical Context: Approaches to Integrating Mechanics and Teleology in Hieronymus Fabricius ab Aquapendente, William Harvey, and René Descartes, 2013(forthcoming)
要約を読んでみました。ボイルから始まります。伝統的デカルト解釈における機械論と目的論の関係に異議を唱えています。論文は、今年中に何点か出版されるようです。要約を読む限り成り立つ議論です。もちろん、当否は本文をきちんと読んでみないとわかりません。
第1部では、ファブリキウスとハーヴィは、動物の機械論化にあたりまさにアリストテレス主義・ガレノス主義の思想を展開することで、創造的、目的論的、非還元論的アプローチをとったこと、第2部では、第1部の結果に基づき、デカルトにおける機械論と目的論の関係について新しい解釈を示した、とあります。同じくピッツバーグ大学のゴールドバーグさん (Benjamin Isaac Goldberg)がハーヴィに関する博士論文を公開されています。
Benjamin Isaac Goldberg, William Harvey, Soul Searcher: Telelogy and Philosophical Anatomy, University of Pittsburgh, 2012ブラッドリー・ホールのランディさん(Randy Ryan Kidd)も Yale で博士号をとったそうです。内容は、ハーヴィとオクスフォードグループに焦点をあわせるものとあります。そうであれば、まさにフランクの研究を継ぐものです。ハーヴィとチャールトンの心臓と血液に関する信念を対象とする著作を用意しているそうです。
Randy Ryan Kidd, "New wine in old wineskins: traditional beliefs about the heart and blood among the Oxford Group, 1650-1680," Ph.D., Yale University, 2001次の書評があります。
Randy Ryan Kidd, "Thomas Fuchs, Mechanization of the Heart: Harvey and Descartes, trans. by Marjorie Grene, Rochester, New York, University of Rochester Press, 2001 (review)," Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 57(2002): 496-7.
フックスの著作は、長く無視されてきたハーヴィの『動物の位置運動について』De Motu Locali Animalium(1628) を分析しているということです。そこでハーヴィは、筋肉の自立性・重要性を訴えているそうです。まさに「被刺激性」に繋がる議論です。「心臓もまた筋肉である。心臓は拍動力を失い、その運動は他の多くの筋肉と同じく刺激に対する反応である」(p.74)とフックスは結論づけているそうです。
出発点(p.2)において「ハーヴィの発見は、ハーヴィ自身と同じように、大部分彼自身ではなく、主としてデカルトによって決定された視角 perspective から見られたし、今も見られている。」とフックスは主張しているということです。どこまで真実かはただちにはわかりませんが、デカルトのレスポンスがハーヴィ説のその後の運命を大きく左右したこと自体は事実だと思われます。ハーヴィ説の形成を追うだけではなく、ハーヴィ説のその後を知るには、デカルトのハーヴィ説への対応とデカルト自身の考え(心臓の役目について、血液循環の機能について、肺の役目について等々)も視野に入れなければならないということだと思われます。
フックスはルドヴィヒ・フレックの科学哲学の用語を採用しているそうです。それは微妙です。しかし、いずれにせよ、De Motu Locali Animalium(1628) の分析は価値があります。
→De Motu Locali Animaliumそのものに関する書誌が必要です。草稿から活字化したのは、Gweneth Whitteridge です。編集し、出版し、注をつけ、翻訳もしています。Cambridge, 1959.
→フックスのもとのドイツ語版は、1992年出版です。
Thomas Fuchs,Die Mechanisierung des Herzens: Harvey und Descartes, der vitale und der mechanische Aspect des Kreislaufs, Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1992.
→ 13.1.24 ベーコン、ハーヴィ、デカルトの関係を考えてみます。
ハーヴィの研究・発見にベーコンの影響を指摘した研究はないように思います。実際、ハーヴィの解剖学的研究は、医学/解剖学の内部で進展したことで、ベーコン主義の影響は考える必要がないように思われます。
それとは逆に、デカルトのハーヴィ説への対応は、その後の医学/解剖学を越えた自然哲学(哲学や形而上学まで関与する)の展開にとって決定的であったと言えるかもしれません。以上、作業仮説としておいておきます。
→ フランクのいうオクスフォードの生理学者たちの間でも、ベーコン主義はほとんど話題になっていなかったと思われます。フランクの本自体もベーコンの名前は5箇所で言及していますが、ベーコン主義は索引になく、全体としてオクスフォードの生理学者たちの研究も、ベーコン主義の標語では遂行されていなかったとみてよいように思われます。
ベーコン主義の標語としての採用には、王立協会の創設が大きかったと思われます。王立協会のプログラムのイデオローグとして大法官(ベーコン)を引っ張りだしてきた、ベーコンのビジョンがまったく影響しなかったというわけではないが、分野によっては、ベーコン主義がなくても/ないまま進展したように思われます。
→ このあたりは、思弁です。実証的研究からは一応離れて(他人の仕事に基づいて得られた知見をメタレベルで)考察し直そうとするものです。
デカルトの仕事が決定的であったのは、医学/解剖学という(一応自律した)分野を大きく越えていく運動を生みだしたからだと言えそうです。それは宇宙観、生命観、物質観にまで及んだ。グリッソンが筋肉組織の自律的運動をみつめて、物質はすべて生きていると考えたとすれば、「物質はすべて」という表現においてすでに医学/生理学の範囲を越えています。
グリッソンの仕事から道は基本ふたつに分かれると考えることができます。(そう考えた方が歴史の進展の見通しがつけやすいというだけで、本当はもっと錯綜しているかもしれませんが、まずは図式を提示することの意味もあると思います。)
ひとつはあくまで医学/生理学/生物学のなかで物事を考えようとする見方です。この見方によれば、被刺激性やそれに類似の現象は、生体の組織、生体物質、生体分子の現象として研究され、展開していくでしょう。
もうひとつは、まさにグリッソンが考えたように、物質そのものの基本的性質だと見なす見方です。自然哲学、形而上学、神学に関係してきます。ジョン・ヘンリーの研究は、その部分を問題にしたと言えます。バクスター、ヘンリー・モア、カドワースの対応はこちら側です。時代の文脈において、魂の不死性や、霊魂の存在証明に結びつけて論じられることになります。
ふたつの文脈を架橋するものとして、ライプニッツ的思考があったと言ってみたい誘惑にかられますが、さて、どうでしょう。ライプニッツは後者であったように思われます。
以上、あくまで思弁です。[生物学史先行研究: Robert Hooke, 1635-1703]
難しいかもしれませんが、ロバート・フックの医学、生物学、生理学に関する先行研究を捜してみます。
W.S. Middleton, "The Medical Aspect of Robert Hooke," Annals of Medical History, 9 (1927), 227-43.
Kimberly Fekany Lee, Cell Scientists: from Leeuwenhoek to Fuchs. Compass Point Books, Minneapolis, Minensota, 2009
帰宅すると次の本が届いていました。
Domenico Bertoloni Meli,
Mechanism, Experiment, Disease: Marcello Malpighi and Seventeenth-Century Anatomy,
Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2011
今回の調査で、The Royal College of Physiciansのサイトが基本情報をきちんとまとめてくれていて有用であることがわかりました。ハーヴィに関しては次。
Willam Harvey on the Site of The Royal College of Physicians
[文献整理]
以下は、整理です。この間、ダウンロードした論文を順不同にリストアップしていきます。
Frederick G. Kilgour, "William Harvey and His Contributions," Circulation 23(1961): 286-296
I.K.L. Donaldson, "William Harvey's other books: Exercitationes de generatione animalium In memoriam Gweneth Whitteridge, great scholar of William Harvey," J. R. Coll. Physicians Edinb. 39(2009): 187-8
Charles Webster, "The Helmontian George Thomson and William Harvey: The Rivival and Application of Splenectomy to Physiological Research," Medical History 15(1971) :154-167
Koen Vermeir and Michael Funk Deckard, Philosophical Enquiries into the Science of Sensibility: An Introductory Essay, (2011) :19-61
John P. Wright, "The Embodied Soul in Seventeenth-Century French Thought," CBMH/BCHM 8(1991): 21-42
Emerson Thomas McMullen, "Anatomy of a physiological discovery: William Harvey and the circulation of the blood," J. R. Soc. Med. 88(1995): 491-498
John F. Fulton, "A Note on the Origin of the Term 'Physiology'," Yale Journal of Biology and Medicine, : 59-62
Allen G. Debus, "Chemists, Physicians, and Changing Perspectives on the Scientific Revolution," ISIS 89(1998): 66-81
Richard A. Hunter and Ida Macalpine, "William Harvey and Robert Boyle," Notes and Records of the Royal Society of London 13(1958): 115-127河野豊「日本におけるサー・トマス・ブラウン書誌」Memoirs of Beppu University 39(1978): 11-31
林真理「細胞概念の展開―科学史研究における比較の事例として―」出口顕・三尾稔編『人類学的比較再考』国立民族学博物館調査報告 90(2010): 57-75
宮田眞治「「自然の内部に、被造物の精神は踏み込まない」―A.v. ハラーのおける境界/限界の諸相」『死生学研究』14号(): 1-41
フナイン・イブン・イスハーク(矢口直英訳・注)「『医学の質問集』」『イスラーム世界研究』第3巻(2010): 416-477
これはガレノス教説の簡潔なまとめの翻訳です。非常に有用です。これはほんとうに貴重な貢献です。
金子善彦「アリストテレスにおける起動因としての魂―『動物運動論』にみる形相原因論の展開―」『西洋古典学研究』 (日本古典学会)55(2007): 88-110
中村公博「アリストテレス生物学における動物と植物の連続性について」『慶應義塾大学日吉紀要 人文科学』20(2005) : 1-16
注24(p.15)竹田純郎・横山輝雄・森秀樹編『生命論への視座』大明堂、1998 という本が出版されていることを知りました。 (「生命論への視座―ディオニュソス神話を手引きにして」「「生の形」としての魂―「『霊魂論』崩壊」以前の思考風景」「 生きるものの原理は「気」であるか―古代中国における「生命」への視線」「 プネウマの魂」「 生命にとって死は不可避か」「生命と優生思想」「進化論と近代日本仏教―明治期と現代」等)
またロイドの邦訳があることも知りました。G.E.R. ロイド「アリストテレースと動物分類学」(安西真訳)『思想』687(1981): 20-30.もあることを知りました。
和泉田健治「魂の諸相」『人間学紀要』(上智大学)39(2009): 71-89帰宅すると次の本が届いていました。
Richard Baxter, Of the Immortality of Man's Soul, And the Nature of it and Other Spirits Two Discourses, , London, 1682
ぱっとひらいたページ(A3)にグリッソンが出てきました。"Nor do I consent to Campanella de sensu rerum, and Dr. Glisson that would make all things alive by essentiating form in the very Elements,"
[ボイルとハーヴィ]
書類の山は4つできていました。そのひとつの一番下に次がありました。昔読んだような、読んでいないような曖昧な記憶です。曖昧なので読みました。
Richard A. Hunter and Ida Macalpine, "William Harvey and Robert Boyle," Notes and Records of the Royal Society of London 13(1958): 115-127
今ならばこれで論文にはならないと思いますが、とても懐かしい感じがしました。詳しくはあとでまた。
→ボイルは1688年出版の『目的因』で次のように書きます。「私が有名なハーヴィと会話した唯一の機会(彼の亡くなる直前でした)に、血液循環を考えさせたものは何ですか、と尋ねたところ・・・。」
このボイル自身の証言をもとに、ボイルとハーヴィはたった一度だけ会ったことがあるという伝説が信じられてきた。しかし、ボイル著作集を繙くと、ボイルとハーヴィーの接触はもっと密である。
リチャードとイダは、ふたりして、ボイルがハーヴィを挙げる箇所を調べた。まず、古い全集版の「完全な索引」の「完全な」は、全巻をカバーしているという意味であって、検索項目を完全にピックアップしているということではない。「完全な索引」の取り上げる「ハーヴィ」はたった3箇所である。
しかし、1744年の最初の全集版(全5巻)を1頁1頁しらみつぶしに調べたところ、ハーヴィの名前は「25回、22のパッセージ」で言及されていることがわかった。この論文は、それをすべてリストアップし、簡単な解説を付しています。
私が今なら論文にならないと記したのはこの点です。私も似た作業をしたことがあるのでよくわかるのですが、ハンターの新しい全集が出る前は、こうした作業に意義がありました。しかし、ハンターの新しい全集には、CD-ROM 版があり、ボイルがハーヴィを言及している箇所の調査は一瞬ですみます。
しかも、著作集だけではなく、書簡集の検索もでき、さらに王立協会ボイル草稿についても全部はカバーしていないにせよ検索ができます。
こういう状況下で論文とするには、きちんとした分析が必要です。(その論文はまだないのではないかと思います。)
内容としては、ハーヴィが死者の手によって、腫瘍をなおしたというような不思議な治療事例が出てきます。また肺に穴があり、外から心臓の見える男性の話とか。当時の医学的症例には、こうした事例は普通です。
またボイルは弱視に関して、ハーヴィに相談しています。ハーヴィの助言は、心配性のボイルを安心させたとあります。
[日本におけるアリストテレス文献]
昨日大学でマックに向かっていたら、次のサイトhttp://polylogos.org/chronique/homatsu3-12.htmlに「日本におけるアリストテレス文献」が「1960年から今年(2002年)まで」「1995年のアリストテレス論」・・・「2000年に発表されたアリストテレス論」「今年と昨年のアリストテレス論」という形でリストアップされていました。
日本にこれだけの数のアリストテレス研究者がいるんだと感慨深いものがあります。[ボイルとハーヴィ]
せっかくですから、もうすこしボイルとハーヴィについて調べておきましょう。ビルビルに次の論文があります。
J.J. Bylebyl, "Boyle and Harvey on the Valves in the Veins," Bulletin of the History of Medicine, 56 (1982): 351-67.ハンター編の新ボイル著作集で検索をかけると、"Harvey"で94ヒット、"Harvey's "で11ヒット、"Harvy"で1ヒット、"Harvei"で1ヒットです。
(このなかでかなりの割合は、編者注におけるフランクとフレンチの本への言及です。)
索引は次のようになっています。
Harvey, William 1.46, 85, 290; 3.226, 334, 336, 416, 434; 8.88; 10.37, 74, 391, 399; 11.xxi; 12.452; 14.270
De generatione animalium 2.70; 3.xix, 236; 5.382; 6.511; 7.240; 8.32; 10.122; 12.40, 447, 518; 14.85
De motu cordis 1.280, 289; 3.14, 222, 236, 302, 428; 7.240; 11.129; 13.285
Operationes chirurgicae 3.419
編者注での言及を除くと、37回となります。リチャードとイダの「25回、22のパッセージ」よりおおよそ5割増しです。書簡集では、"Harvey"で38ヒット、"Harvey's "で1ヒットです。(ここも大部分は、編者注におけるフランクとフレンチの本への言及です。)
索引は次のようになっています。
Harvey, William 1.220; 2.346n.; 3.103
名前を明示的に挙げているのは、2箇所ということになります。[解剖学者デカルト]
前に記した通り、デカルトの関与(ハーヴィ説への対応とデカルト説の提示、またそれへの対応)も重要です。手元の資料をさっと見てみましたが、明晰&簡潔な説明は見つけられませんでした。
まず簡単にわかる基本だけ押さえます。
デカルトは『方法叙説』(1637)でハーヴィの血液循環説に賛同しています。(心臓や血液の生理学においてハーヴィと同じというわけではありませんが、ともかく血液循環説には賛同しています。)
デカルトの人間論は、宇宙論と一続きで構想され、1633年の7月頃にはほぼ完成していた。よく知られている事情により、『人間論』と『宇宙論』は出版は遅れた。『人間論』は、1662年ラテン語訳がまず出版された。「ついで1664年にクレルスリエが彼の所有していたデカルト自筆の原本に基づく仏語版が『胎児形成論』とともに、パリで出版され、それにはルイ・ド・ラ・フォルジェの注解がついていた。さらに1677年にクレルスリエはこの『人間論』、『胎児形成論』およびルイ・ド・ラ・フォルジェの注解を再刊し、これに『宇宙論』をつけ加えた。」(伊東俊太郎「解説『人間論』」『デカルト著作集4』(白水社、1973)p.463)伊東俊太郎・塩川徹也氏の共訳によってもっとも深く関連する部分を引用します。
「心臓の肉はたいへんあつく熱しているので、血液はこの二つの心室のどちらかにはいると、急速にふくらんで膨張する。・・・そして、私がいま叙述している機械の心臓にある火は、空静脈[大静脈]の管を通って心臓の右側の心室に一滴ずつ絶え間なく落ちてくる血液を膨張させ、熱し、微細にすることだけに役立つ。なお心臓にはいった血液は、そこから蒸発して肺臓にはいり、それから解剖学者が《静脈性動脈》と名づけた肺の静脈[肺静脈]を通って心臓のもう一つの心室[左心室]にはいり、そこからからだ全体に配分される。」
「肺の肉は非常にめずらしく柔らかいもので、その上、常に吸気によって大いに冷やされるので、心臓の右心室を出て、解剖学者が《動脈性静脈》と名づけた動脈[肺動脈]を通って肺の中にはいる血液の蒸気は、そこで凝縮し、もう一度血液に変化する。そして血液は、そこから一滴ずつ心臓の左心室へ落下するのだが、もしこのように再び凝縮することなしに心臓にはいるのならば、そこにある火を養うのに十分役立たないだろう。」
「こうして、おわかりのように、この機械では、呼吸は単にこれらの血液の蒸気を凝縮させる働きをするだけであるが、それはこの火の維持に必要なのであり、われわれ人間の呼吸がわれわれの生命の維持に対して必要なのと同様である。」(p.227)
そしてデカルトは『人間論』の最後で次のように述べます。
「したがって、これらの機能のために、機械の中に、その心臓で絶え間なく燃えている火―これは無生物体の中にある火と異なる性質のものではない―の熱によって運動させられている血液と精気以外には、植物精神も感覚精神も、またその他の運動と生命のいかなる原理も、想定してはならない。」(p.286)デカルト先生、なんともすごいです。
さて、こうなったらやはり『方法叙説』の方もみましょう。白水社版『デカルト著作集』では第1巻(1973)に収録されています。訳者は、三宅徳嘉・小池健男です。該当個所は、pp.52-56.
すこし表現は違いますが、『人間論』と同じ内容です。ネットで検索をして、次の論文をダウンロードし、読みました。
山田弘明「デカルトと医学」『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』50(2004): 1-39
科学史・思想史研究者の私とは関心がいくらか違いますが、「デカルト医学の概観」として有用です。
伊東俊太郎先生の解説で、1664年に『胎児形成論』が出版されたとあります。これを入手して読む必要があるかなと思っていたら、この山田さんの論文のなかに部分訳がありました。全訳をしてくれると科学史・医学史だけではなく、哲学史においてももっとも有用だったと思われます。山田さんの解説をまとめておきます。
『人体の記述』La description du corps humain (1648) は、医学研究の集大成と位置づけることができる。1664年クレルスリエが『人間論』の第2部として出版し、その際「胎児の形成について」De la formation du Foetusという題をつけたが、胎生学だけのないようでない。
第1部 序文
第2部 心臓と血液の運動
第3部 栄養
第4部 精液のなかで形成される部分
第5部 固体的部分の形成
デカルトがどう意図したかはわかりませんが、ハーヴィの仕事に完全に重なります。全体をきちんと分析する価値があります。
ともあれ、まずはファイルです。ネットに AT と略記されることの多い Adam & Tannery の全集があります。紙の全集版はもっていますが、ともあれダウンロードしておきました。
英訳は部分訳ですが、The Philosophical Writings of Descartes Vol.1, (Cambridge: Cambridge University Press, 1987) に採録されています。本棚から捜し出してみると、書き込みがあります。つまり、読んでいます。しかし、記憶がありません。→ちなみに山田弘明さんは、ちくま学芸文庫でデカルトを多く訳されています。(『方法序説』『省察』『哲学原理』。講談社学術文庫で『デカルト=エリザベト往復書簡』。ほか。) 私の手元にあるのは、上の白水社版の著作集(全4巻)と岩波文庫です。最近デカルトから離れていたので、山田弘明さんの名前の入った本は本棚にありません。
→この部分の表題「解剖学者デカルト」は、山田さんの論文の「解剖学と形而上学」の節からとりました。山田さんは24頁で1643年の有名なエピソードを紹介されています。
「エフモントにデカルトを訪ねた紳士が、「あなたが最も評価しかつ愛読している自然学の書はなんですか」と質問した。デカルトは「お見せしますのでこちらへどうぞ」といって家の裏庭へ案内して子ウシを見せ、「これをあす解剖することになっています」と言った。」
(『様々な珍しい主題についてのソルビエール氏の書簡と談話』)
こうしたエピソードから山田さんは「解剖や医学の研究は、形而上学以上に時間と労力をかけて、ほとんど恒常的に行われていたのでないか」と見ておられます。日常的に解剖にいそしみ、自宅ではわずかの本を読んで、むしろ形而上学的思弁にふける(つまり、自分の頭で考えるということです)デカルト。つまり、人間論(医学、生理学、生物学)の構想においては、つねに経験とともにあったと言ってよいように思われます。
経験主義を唱えたベイコン(ほんとうはそういうふうにはなかなか言えないと思いますが)が物質理論においては、独自の思弁的体系を構想したのと好対になっています。山田さんの研究結果をまとめておきます。
解剖学の開始。1629年アムステルダムに引っ越してから、形而上学の研究を一度中断し、自然学の研究に向かった。冬、解剖学への興味が明確に表明される。(p.6)
「私が一冬アムステルダムにいたとき、ほとんど毎日のように肉屋に行って動物を処理するのを見、もっと時間をかけて解剖したいと思う臓腑の一部を私の宿にもってこさせたものです。私がいたあらゆる場所で、同じことを何回となく行いましたが、。。。」(メルセンヌ宛 1639.11.13)
医師プレンピウスの証言。「だれにも知られることなく、デカルトは子ウシという名の通り(Kalverstraat)に面した毛織物商の館に隠れ住んでいました。私はその館でたいへん頻繁に彼に会いました。彼のいつもの印象は、書物を読みも所蔵もせず、独りで瞑想にふけってそれを紙に書きつけ、ときどき動物の解剖をする、といった人でした。」
1628年、ハーヴィの『心臓の運動』がフランクフルトで出版されるが、デカルトがそれを読むのはメルセンヌに教えられたあと、1632年頃であった。
解剖学書としては、ヴェサリウス、ボーアン、ファブリキウスを読んだ。(p.9)
「私はいま化学と解剖学とを同時に勉強しています。そして毎日、書物のなかでは学べないような何かを学んでいます。」(メルセンヌ宛 1630.4.15)(p.17) 1637年、「すでに医学を本気で勉強しはじめ」(1637.8.30)、レイデンの人体解剖実験で松果腺を見ようとしたが、すぐに腐敗するのでみることができなかった。(メルセンヌ宛 1640.4.1)
(p.17) 生命は古くから魂の働きと考えられてきた。しかし、デカルトは、生命の原理は、心臓における火(あるいは心臓に宿る熱)であるとした。生命にかかわる精神的なもの(霊魂)の働きをデカルトは全否定した。
(p.13) 「私は以前にあなたが話しておられた『心臓の運動について』という書を読みました。それは私がこの主題[食物の消化、脈の鼓動、栄養の配分などのような生命機能と五感]について書き終えた後のことにほかなりませんでしたが、私はその意見とは少し異なることが分かりました。」(メルセンヌ宛 1632.11)
異なるとは具体的には、血液循環そのものは認めるが、その原因に関して意見を異にしたということです。「ハーヴィはその原因を心筋の膨張・収縮に求めたが、「心臓がハーヴェーの描いたような仕方で動いているとするなら、その運動を引き起こすある能力を想定する必要があるが、その能力の本質を理解することは・・きわめて困難である。」(『人体の記述』243)
その原因とは、「心臓内部に宿る熱」「光なき火」であって、この熱(火)の力で心臓に入ってきた血液が稀薄化・膨張し、この膨張によって心臓がふくらみ、全身に血液を送り出すのである。(pp.13-4)私自身のいくらかのコメント:ハーヴィとデカルトに関しては、英語圏の論文でもよく、論争 (controversy, debate)といった言葉が用いられるが、比喩であることは明示すべきだと思います。デカルトはハーヴィの本を読み、ハーヴィに味方するプレンピウスと論争したが、ハーヴィと直接手紙によっても会話によっても接していない。またハーヴィの側も、デカルトの反応は知っていて、「デカルトが自分の名前を引用してくれたことを謝すると同時に、その心臓論に関して解剖学的に納得できない旨の反論を、ジャン・リオランに宛てた書簡のなかで行っている。」(p.14)
「むろん医学的にはハーヴェーの心臓ポンプ節が正しく、デカルトのボイラー説は誤りであり、心臓に熱があるとする古い説に立っている。」私自身のいくらかのコメント:これも後知恵で言えば、被刺激性の現象、生体組織(グリッソンのように物質全般の性質と見る見方も存在した)の自律的運動をデカルトがしっかりと見ていれば、デカルトの解釈がすこし変わった可能性があるように思われます。(歴史の禁則ですが。)デカルトの側にたって考えてみると、グリッソンの考えは認めず、潜在熱で解釈するように思われます。(多量の微細な精気が潜み、それが生体から切り離されたあともしばらく活動をする、より多く精気を含む器官がより自動的に動くと見るのではないでしょうか。)
もちろん、ここが物質理論の別れ道でしょう。
手元にあった次の論文を読みました。
Marius Van Lieburg, "The Early Reception of Harvey's Theory of Bloodcirculation in the Netherlands," : 102-5
意味のある情報があります。ベークマンのハーヴィ受容が簡潔にまとめられています。 ベークマンは実際にはじめてそれが行われる前 (1634年5月6月)のノートで静脈への点滴のアイディアを述べているそうです。(p.104)
ドルドレヒトのサークル(ベークマン、Van Beverwijck 等)にはゼンネルトに対する深い関心があった。ハーヴィは、Van Beverwijck宛の手紙で、「あなたのゼンネルト」という表現をとっている。
ジョージ・エント (George Ent, 1604-1689)の役目の重要性。エントは、1620年から24年にかけてベークマンが教えるロッテルダムのラテン学校に通っており、1627年末にオランダを訪問したときにはベークマンを訪ねている。エントのApologiaとベークマンの『日誌』を比較すると、エントがオランダと英国の重要なチャンネルであったことが伺われる。リーブルク(発音はこれでよいのでしょうか)のハーヴィ研究には他に次があります。
Marius Van Lieburg, "Zacharias Sylvius (1608-1664) author of the Praefatio to the first Rotterdam edition (1648) of Harvey's De Motu Cordis, "Janus 65(1978): 241-257
Marius Van Lieburg, "De Dichter-Medicus Daniël Jonctys (1611-1654), Zijn Strijd Tegen Het Bijgeloof en Zijn Relatie tot Johan Van Beverwijck, William Harvey en Daniël Sennert," Tsch. Gesch. Gnk. Natuurw. Wisk. Techn. 2(1974): 137-167
Marius Van Lieburg, "Isaac Beeckman and his Diary-Notes on William Harvey's Theory on Blood Circulation (1633-1634)," "Janus69(1982): 161-183
本もあるようです。内容的に非常に近い論文に次があります。
G.A. Lindeboom, "The Reception in Holland of William Harvey's Theory of the Circulation of the Blood," Janus 46(1957): 183-200
昨日検索をかけていて次の翻訳に出会いました。
逸見龍生訳「ジャック・ロジェ「17世紀前半における医学と科学の精神(一)」『新潟大学言語文化研究』 6(2000): right 13-25
早速ダウンロードして読みました。ジャック・ロジェの名著『18世紀フランス思想における生命科学』の第1章の邦訳です。本文中には明示されていませんが、実物と照合して確認しました。せっかくだから全部訳してくれると助かります。大家の文章です。ヴォルフガング・ミヒェル「16〜18世紀のヨーロッパに伝わった日本の鍼灸」『全日本鍼灸学会雑誌』61(2011): 150-163
これはよい論文です。とても勉強になります。多くの方に読んでもらいたいと思います。Penelope J. Corfield, "From Poison Peddlers to Civic Worthies: The Reputation of the Apothecaries in Geogian England," Social History of Medicine 22(2009): 1-21
この論文は医学史家鈴木晃仁氏のサイトで知りました。良いタイミングで良い論文を教えてもらいました。鈴木氏は、「実力者の書く論文のお手本」だと評価されています。
Penelope J. Corfield氏の歴史論文サイトで9つの論文が pdf でダウンロードできるようになっています。野々村淑子「17世紀イングランドにおける女教師/治療者の世界:アン・ボーデンハムの魔女裁判関係資料(1653)から」『九州大学 大学院教育学研究紀要』10(2008): 79-96.
私が紹介された資料を読む限り、主人公の女教師/治療者アンは、はめられただけという気がします。ちなみに、Bodenham の名前は、ボウデナムと発音します。(固有名詞発音辞典によります。)普通の日本語表記では、ボーデナム、またはボデナムでしょうか。
Robert G. Frank, Harvey and the Oxford Physiologists. Berkeley: University of California Press, 1980.
Table of Contents:
Chapter 1. The Challenge: Harvey's Circulation and Its Unsolved Problem
Chapter 2. Harvey's Later Work and English Diciples
Chapter 3. The Scientific Community in Commonwealth and Restoration Oxford
Chapter 4. Oxonians and New Approaches to Physiology
Chapter 5. Robert Boyle on Niter and Physical Property of the Air
Chapter 6. New Experiments on Respiration, 1659-1665
Chapter 7. Oxonians on Animal Heat and the Nature of the Blood, 1656-1666
Chapter 8. A Discussion among Friends: Respiration Work at London, 1667-1669, and Richerd Lower's Tractatus de Corde
Chapter 9. Niter, Niter everywhere
Chapter 10. Fire and Life: John Mayow's Tractatud Quinque(1674) and A General Physiology of Active Particles
Chapter 11. The Decline of the Oxford Tradition
以上、ネットで捜しましたが、目次が見つからなかったので作成しました。研究室のどこかにある『科学史研究』を捜すのが面倒で放置していましたが、ちょうどよい時期なので、通路をつくりつつ、捜しました。
苦労しましたが、月沢さんの『科学史研究』に掲載された2点は発見しました。
月沢美代子「W. ハーヴィの精気と「問題」(I) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-I. フェルネルの超越的精気に対して」『科学史研究』36(204)(1997): 229-238
月沢美代子「ハーヴィの精気と「問題」(II) -"Sanguis et spiritus una res"を截り口として-II. ガレノスの空気由来精気に対して」『科学史研究』37(205)(1998): 39-48
とくに、(II) は非常によく書けていると思います。日本のハーヴィ研究は、これを出発点にすべきでしょう。(紙幅の制限のある論文ということで仕方のない点も理解できますが、個人的には、もう少し読者に親切に書いてもらうともっとずっとよかったと思います。もうすこしひらいた説明があったらよかったように思います。)
よく書けているということを前提にさらに言えば、(I)は論敵(先行研究の批判)に対してすこし厳しすぎるように思われます。自分の先入主によるイデオロギー的裁断を批判されていますが、月沢さん自身に同じ批判が当てはまるように感じられます。
哲学者のよく使う言い回しを借りれば、パーゲルやフランクの仕事とはもうすこし粘り強く格闘してもらえればもっとよかったように思います。ばっさり切りすぎているように感じます。
そうすれば月沢さんの研究のメリットをよりよく一般的科学史家に提示できたように思います。→余裕があれば、私自身がその試みを行いたいと思います。月沢さんの研究成果を科学史の一般的記述に開く試みに着手したいと考えます。
(II)の序で月沢さんは次のように導入されます。「W. ハーヴィによる血液の体循環論の提唱とは、ただ単に「血液が心臓から出て身体の隅々にゆきわたった後、再びそこに戻る」という生理学上の一つの事実の発見ではなく、「体内生理を、栄養系、熱分配および通気系、神経系という3つの系に分かち、臓器、脈菅をそれぞれの系に整序させる」ガレノス体系を否定し、「栄養系としての静脈、熱分配および通気系としての動脈という区分を撤廃し、血液循環系としてひとまとめにくくりだした」新しい体系の提出として位置づけることができる。」(p.39)
「ガレノス体系においては、栄養系、熱分配および通気系、神経系のそれぞれの[ハタラキ]をつかさどる精気が想定され、体系全体の中で重要な位置付けを与えられていた。」
「ハーヴィは、血液の体循環という「問い」を提出する以前から、ガレノスの精気説に疑問を呈していたばかりではく、呼吸を介して体内にとりこまれる空気が動脈血生成に必須であることにも否定的という、きわめてユニークな立場をとっていた。すなわち、動脈血と静脈血の本質的な区別の否定という、ハーヴィの体循環論の本質をなす主張は、体循環論に先行していたのである。」以下、ゴチック(ほんとうはボールド)は私吉本によります。
つまりハーヴィの場合血液循環論よりも先に動脈血と静脈血の本質的区別の否定があった。肝臓:「血液が内臓の作り手であり、内臓が作り手ではない。」なぜなら、胎発生の順序においては血液が肝臓より先にあるからである。また「霊魂は血液にある。」(p.40)
心臓:ガレノス説の否定。心臓での精気の生成説の否定。同時に、アリストテレス説も否定。血液の源泉は心臓ではない。血液が内臓に先行する。
肺:ハーヴィの結論。「肺が肉質で血液に満ちている動物では、血液を調理する。精気と血液でひとつのもの (Sanguis et spiritus una res)だから」肝臓と同じ論拠によって。むしろ、「冷却することによって、肺は脂肪と油性の蒸発を妨げる。」(p.42)
肺の機能に関してはアリストテレス派であった。肺の運動は、内臓の運動を助ける。吸気は冷却による熱の維持、呼気は煤火の換気に役立つ。空気から精気をつくる場所ではない。(そういうことはない。)内在熱と精気の起源:何のために血液や循環するのか? ハーヴィの回答は、「身体末端で熱と精気を失った血液が生命の源泉である心臓に戻ることによって、熱と精気を回復させるため」(p.43)である。
では、心臓が生命の源泉であるとはどういうことか? 心臓が熱や精気を生み出すというのではなく、熱のレザバー(大貯蔵庫)である。ハーヴィはこのことを熱の盥、「熱の本部所在地、守護神、炉、泉、基礎」だと表現した。以上、ハーヴィの説は全体としてみると、時代の文脈においてかなり独特のものであり、「血液循環の発見者」という言葉で現代人がイメージするものとはかけ離れた思想に満ちている。解剖学的研究を行う医師として、アリストテレス哲学から原理を引き出しつつ、ガレノス生理学に反旗を翻した、こうまとめてよいように思われます。(私のまとめです。月沢さん、これは、まとめすぎでしょうか?)
(I)では、『動物の発生について』第71論における概念批判が重要です。「精気」概念、「内在熱」概念、「根源湿」概念をとりあげ批判しています。(pp.232-3)
おおきくまとめると、ハーヴィはこうしたものを不要だとしています。(一般的意味での言葉の使用を止めてはいませんが、そこにこめられた特別な機能は否定しています。)せっかくですので、アムステルダム版で71論の前後をみておきましょう。
第71論は、De calido innato. 内在熱について pp.463-482
"Quoniam saepe Calidi innati mentio indit, libet hic (epidorpidis loco) de eodem, & humido primigenio, paucis agere : idque eo libertinus, quod multos videam nominibus istis plurimum deliciari ; cum rem ipsam tamen (meo quidem judicio) minus intelligant. Non est opus profecto sipritum aliquem a sanguine distinctum quaerere, aut calorem aliunde introducere, Deosve in scenam advocare, philosophiamque fictis opinionibus onerare: domisci. nascitur, quod vulgo ab astris petimus. Solus nempe sanguis est calidum innatum, seu primo natus calor animalis. : uti ex observationibus nostris circa generationem animalium ( praesertim pulli in ovo) luculenter constat: ut entia multiplicare, sit supervacaneum. Nihil sane in corpore animalium, sanguine prius aut praestantius reperitur; neque spiritus spsemet, sine spiritu aut calore, no sanguis, sed cruor appellandus est." 次いでアリストテレスからの引用が11行続きます。
個人的には、ここにcruorが出てきたのにびっくりしました。ボイルの引用間違いをリストアップしていたときに、ファン・ヘルモントのやはりCruor から始まる章句をボイルは使っていました。やっとCruorの使われる本来の文脈がわかりました。なるほど。
ざっと見たところ、引用しているのは、アリストテレスの『動物発生論』とフェルネルの『生理学』です。
第72論は、De Humido primigenio. 根源湿について pp.483-490.
"Sanguinem jam calidi innati titulo ornavimus : aequumque pariter censemus, ut colliquamentum crystallinum a nobis dictum (ex quo foetus, ejusque partes primae immediate oriuntur )humidi radicalis & primigenii nomine insigniatur. Neque enim res alia aliqua in animalium generatione occurrit, cui poiore jure id nimonis conveniat."ばかみたいな感想ですが、ハーヴィは意外なほどおもしろい。興味深い思想に富んでいます。
[アリストテレス『動物発生論』]
研究室のなかの本棚を見回しています。アリストテレスの『動物発生論』が見つかりました。『アリストテレス全集9 動物運動論 動物進行論 動物発生論』(島崎三郎訳、岩波書店、1969)です。
また、今井正浩氏による「<翻訳・注解>アリストテレス『動物の発生について』第1巻:日本語訳と注解」『弘前大学 人文社会論叢.人文科学篇』22(2009):91-154もあることがネットで調べていてわかりました。貴重な仕事です。
この間ダウンロードしたものをやはり順不同にピックアップします。
William Harvey, Prelectiones Anatomiae Universalis, edited with an Autotype Reproduction of the Original by a Committe of The Royal College of Physicians of London. London, 1886
John Redman Coxe, Inquiry: Claims of Doctor William Harvey, Discovery of the Circulation of Blood; A More Equtable Retrospect of that Event, To Which is added An Intductory Lecture, Delivered on the Third of November, 1829. Philadelphia, 1834
The Correspondence between Descartes and Henricus REgius, by Jan Jacobus Frederick Maria Bos, 2002
Robert Willis, William Harvey: The Discovery of the Circulation of the Blood, London, 1978
William Poole, "Early Science in New College I: Robert Plot on New College (1677)"
Domenico Bertoloni Meli, "The Color of Blood: Between Sensory Experience and Epistemic Significance,"
Erin Moran, "Richard Lower and the "Life Force" of the Body,"
John B. West, "Robert Boyle's Landmark Book of 1660 with the First Experiments on Rarified Air," J. Apll. Physiol. 98(2005): 31-39
細見博志(翻訳)「マックス・ノイブルガー著 自然治癒力学説史 1926、序章, 第1章」『金沢大学つるま保健学会誌』25(2001): 7-22
細見博志「ヒポクラテスの「自然治癒力」をめぐって」『金沢医保紀要』22(1998): 45-54
久保田静香「動物は言葉をもたない―デカルト「動物=機械論」概説―」『』 :25-41
神野耕太郎『生理学序説―『生理』をどう捉えるか― [1]』『日生誌』68(2006): 429-442
Dwayne Raymond, "On Descartes's Conjecture That Yeast May Lay the Folds of the Heart: The Role of Ancient Intuitions in Descartes's Rejoinder," Language and the Scientific Imagination (The 11th International COnference of ISSEI, Language Centre, University of Helsinki(Finland), 28 July-2 August 2008)
山本通「アングリカン広教主義における科学と社会―ジェイコブ・テーゼをめぐって―」『神奈川大学 商経論叢』45(2012): 161-184
and so on. ////[ハーヴィ英訳]
原典を直接読んだ方がはやい、英訳を調べました。ハーヴィに関してはホイットリッジの英訳が出版されています。次の書評をダウンロードして読みました。
Andrew Cunningham, "William Harvey, Disputations touching the generation of animals, translated, with introduction and notes, by Gweneth Whitteridge, Oxford, Blackwell Scientific Publications, 1981," Medical History, 27(1983): 88-89
Gweneth Whitteridgeは、1653年に出版されていた英訳をアップデートして1981年に出したということです。スムーズに読める英語にはなっているが、17世紀の英語と20世紀の英語の奇妙な混雑物だそうです。そもそも、ExercitationesはDisputationsではなく、タイトルからしてミスリーディングだし、ハーヴィは医学論考として専門用語を数多く使っているがそれをきちんとテクニカルタームとして訳していないということです。そうであれば、古い訳を使った方が間違いありません。グーグルブックに19世紀に出版されたハーヴィ全集というものがあったので、これを読んでみることにしました。
The Works of William Harvey, MD, Physician to the King, Professor of Anatomy and Surgery to the College of Physicians, Translated from the Latin with A Life of the Author by Robert Willis, MD. London, 1847
Exercise the Seventy-First. Of the innate heat and Exercise the Seventy-Second. Of the primigenial moisture, pp.501-518
これをざっと読みました。月沢さんの論文の分析で受けていた印象とずいぶん違います。ハーヴィの主張は明晰、明確です。(表現はちょっともたもたしていますが、主張は明確です。)血液こそが、生命の中心だ、ということです。心臓優位説から血液優位説どころではありません。血液中心説です。血液が命の液体である。
ハーヴィにとって、発生の順序が観察事実として目の前にあります。すなわち、心臓が形成される前に、血液があり、そこからすべての臓器が形成される。
血液の他に、直接観察できない「内在熱」「精気」「根源湿(根元的湿気)」を想定する必要はない。そうした存在に帰される働き、機能はすべて血液の含まれていて、血液の働き、機能とみればよい、という主張です。
アリストテレス主義者としては異例かもしれませんが、この点は間違いようがありません。解剖学者、発生学者としてのハーヴィの新しい主張です。論の後半、ハーヴィは勢いで「元素」概念さえも否定します。元素は、血液をつくるもとではない、元素は、血液が分解されてできるものだ、と主張します。当時流通していた元素の定義の前半を否定し、後半だけ受け入れています。
慎重な性格だったかもしれませんが、新しい独自の主張を提示してます。しかもそれは、当時の解剖学、発生学にインパクトがあった。(実際、ハーヴィの「弟子達」が多くの研究を行った。)
→忘れていたのは、生理学史の先頭に追加した部分です。すなわち、次の論文を読んだことを忘れていました。
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの発生論『すべては卵から』」『ルネサンス研究』6(1999): 59-74
澤井さんは、Exerc. 62 を使っています。これも英訳でざっと読みました。やはり澤井さんの論文で予想したことと印象が違います。ひとつはハーヴィの文体の問題だと思います。デカルトなら絶対こういう書き方はしないでしょう。ただし、前と同じですが、ハーヴィの主張そのものは明快です。アリストテレスはこういうが、私はこう考えるとはっきりと書いてます。→ハーヴィの動物発生論の構成をきちんと見ておく必要があります。
医学博士、ロンドン医師会解剖学外科学教授ウィリアム・ハーヴィによる
『動物の発生に関する解剖学的演習:分娩、子宮の膜と液体、受胎に関するエッセイを付す』(ロンドン、1651)
エント医師による序
序文
知識獲得の方途と順序について
・・・・・
[中村禎里『近代生物学史論集』]
息子と帰宅すると次の本が届いていました。
中村禎里『近代生物学史論集』みすず書房、2004
これは私には必要な書物でした。「あとがき」と「ウィリスとロウアーの生理学説―とくに心臓運動論について」だけまず読みました。あとがきには、これまでの調査に欠けていた事項がありました。「ウィリスとロウアーの生理学説」はよい論文です。
「あとがき」で中村さんは次のように言います。「生物学の近代化は、数学的方法の採用によってなりたったのではない。特定の基本理論(たとえば物理学でいえばニュートンの法則など0の定立とともに、時代を画したのでもない。また特定の自然観のみと結びついていたわけではない。生理学・生物学における分析的思考法は解剖学に起源し、実験的方法は動物の生体解剖に由来する。」(p.371)今回の私の調査に関係するのは、II ウィリアム・ハーヴィ研究 と III ハーヴィをめぐる人たち、 です。
II ウィリアム・ハーヴィ研究
ウィリアム・ハーヴィ
ハーヴィとその生理学説
ハーヴィ その生物学史上の地位
ハーヴィ研究の現状
III ハーヴィをめぐる人たち
フランシス・ベーコンにおける生物学思想
デカルトのハーヴィ評価
ロウアーの生理学
ウィリスとロウァーの生理学説――とくに心臓運動論について
機械論的生命観の系譜と現状章立てよりも初出の方が今は意味があります。
「ウィリアム・ハーヴィ」『医学選粋』19(1979): 11-15
「ハーヴィとその生理学説」『科学史研究』68(1963): 145-149, 69(1964): 18-25
「ハーヴィ その生物学史上の地位」『生物学史研究ノート』10(1964): 1-13
「ハーヴィ研究の現状」『生物学史研究ノート』16(1969): 1-14
「フランシス・ベーコンにおける生物学思想」『生物学史研究』14(1968): 1-5
「デカルトのハーヴィ評価」『科学史研究』103(1972): 114-117
「ロウアーの生理学」『生物学史研究』21(1972): 1-6
「ウィリスとロウァーの生理学説――とくに心臓運動論について」『科学史研究』114(1975): 55-66
「機械論的生命観の系譜と現状」『看護展望』1(1976): 75-80次は、「ハーヴィ研究の現状」(1969)を読みました。1957年がハーヴィ没後300年にあたり、ハーヴィに関する1次資料の出版が引き続いたとあります。次です。
K.J. Franklin (trans.), De Motu Cordis, Blackwell, 1957
K.J. Franklin (trans.), De Circulatione Sanguinis , Blackwell, 1958
C. D. O'Malley et al (trans.), Prelectiones Anatomiae Universalis, University of California Press, 1961
G. Whitteridge (trans.), Prelectiones Anatomiae Universalis, Livingstone, 1964
G. Whitteridge (trans.), De Motu Locali Animalium, Cambridge University Press, 1959
R. Willis (trans.), The Works of William Harvey, Johnson Reprint, 1965私が血液中心説と述べた点も明確に主張されています。「まずハーヴィは、発生過程における血液の始源性を認めた。この知見が血液中心説に誘う。一方彼は、精気の概念の重要性に疑問をもつ。ちょうどその頃、デカルトの「熱機関説」が出現した。ハーヴィの晩年の心臓運動論は、「熱機関説」と血液中心説の交配によって誕生したと思われる。」(p.196)
ハーヴィ没後300年の12年後の時点で気になった先行研究は、ウェブスターのものがあります。
Charles Webster, "William Harvey's Conception of the Heart as a Pump," Bull. Hist. Med. 39(1965): 508-517
一般的にハーヴィは心臓をポンプに喩えたとして知られています。原語は、サイフォンということです。これはポンプではなく、「水フイゴ」を指している。従って、正確には、心臓水フイゴ類比と表現すべきである。(p.177)
では、水フイゴとは何か?
まず、ポンプとしてもっとも普通なのは、押し上げポンプであった。(今でもたまにみかける井戸水を押し上げるポンプです。公園や学校では万が一のために飲料水には適しませんという表示で残っていることが少なくありません。日本語では、汲み上げポンプでしょうか。)「固定した円筒のなかを弁つきのピストンが上下することによって」水を地下から汲み上げる仕組みとなっている。「一方水フイゴは、柔軟な弁と伸縮性の本体をもった装置であり、古代から冶金のためにつかわれていた風フイゴの改変物」(p.178)である。心臓は、ポンプよりも水フイゴに似ている。
ウェブスターは、17世紀初頭の「サイフォン」の語義を探る。当時、「サイフォン」はひとつはほんとうのサイフォン、もうひとつは消防用のポンプ装置に使われていた。これは、「革のフイゴによって連結された二つのベル状の真鍮の容器を本体とし、金属性の導管を上のベルの頂点から斜上方に突出させている。この装置は半分だけ水に浸され、底の弁をとおって水を内部に入れる。上のベルの内部にも弁が配置され、水が導管にむかうことを可能にしている。テコによって下のベルが上下し、フイゴが圧縮されるごとに、水が導管から斜上方に投射される。」(p.180) ウェブスターは、ハーヴィの「サイフォン」はこの装置を指すと推定し、この種の消防ポンプがロンドンに出現したのが1626年以降であるから、ハーヴィが心臓と水ポンプ=消防ポンプとの類似性に気づいたのは、1626年より後であると主張した。
私が引っかかったのは、ここです。後でウェブスターの論文そのものを読んで検討しますが、この種の技術史的事項(消防ポンプが1626年以降にロンドンに現れた)が正確に決定できるものでしょうか?
まず第一に「消防ポンプ」そのものは、クテシビオスの名前で知られるように、古代ギリシャからあります。ヨーロッパでどのように使われたのかは知りませんが、どういう種類の道具であれ、1626年にロンドンに初めて出現したというのはなかなか言えることではありません。(その可能性がゼロとは言いませんが、相当に難しいように思われます。)
この点の疑問は残りますが、ウェブスターは必要は作業をしたということは言えます。→「消防ポンプ」そのものの歴史が気になりました。部屋中を探し回って、ヨハン・ベックマンの『西洋事物起源 III』の記述が一番詳しいかなと思うようになりました。もし、よい文献を知っている方がいらしたら是非お教え下さい。
個人的には、ハーヴィの使った「サイフォン」は「消防ポンプ」でよいのではと考えるようになっています。ともあれ、この点はもうすこし調べてみます。→ 13.2.3 調べる前に考察します。
仮にウェブスターの言っていることが本当だとします。そうではあっても、ハーヴィが自著に「サイフォン」という言葉を使うためには、ロンドンにそうした装置が実際に設置されている必要はないでしょう。
ハーヴィはよく知られているように、パドヴァに留学し医学博士号を取得しています。イギリスに帰ってきて、医師会の会員となった後も、オランダに行っています。海外で実物を見た可能性を考える必要があります。
それよりも何よりも、クテシビオスの「消防ポンプ」は紀元前2世紀に発明されています。それ(サイフォンと呼ばれた)がどう使われたかは、ベックマンでもほとんど謎とされていますが、17世紀前半、ゲーリケ、ショット(その後ボイルやホイヘンス)が真空ポンプ(空気排出ポンプ)を作ったとき、空気排出の原型となったのは、「消防ポンプ」以外にありえません。書物でそうした装置を見て知っていた可能性を排除するのは原理的に非常に難しい。不可能に近いと言えるでしょう。
それにハーヴィは、新規な装置・物珍しい装置としてではなく、当たり前の装置として「サイフォン」(その言葉で彼が何を念頭に置いているにせよ)を挙げているように思われます。フランシス・ベーコンも、ヘロンのPneumatica は使っています。最初のラテン語訳は、Spiritali の語のもと、1589年に出版されています。別の訳が1592年、1595年に出版されています。ロバート・バートンが1621年出版の『憂鬱の解剖』で "de spiritalibus" に言及しています。
ハーヴィがこの書物そのもの、あるいはこの書物から派生する何らかの情報を知っていたとしても、まったく不思議ではないと思われます。→ 自分のサイトを検索しました。2010年5月8日と14日にヘロンの『プネウマティカ』を項目として取り上げています。よく読まれたラテン語訳は、コマンディーノ訳のSpiritalium Liber,1575; Paris, 1583 です。Pneumatica と言う語は、ポルタが使っています。(出版は1601年。)
[中村禎里『近代生物学史論集』]
この本のハーヴィに関する部分は読みました。1950年代、1960年代、1970年代の価値ある仕事です。今となってはもうそこは敵としなくてよいと思われるところもあります。それは半世紀も前のものですから、仕方ないでしょう。
目の前にあった実験(観察)事実は何か、そこから考えたことは何か、年代あるいは思想家毎のこういう整理・分析が必要です。中村さんはクーンが嫌いなようですが、ハーヴィ以降を分析するためには、科学者共同体(関心を共有する研究者共同体)の視点は必須です。金森さんが言われる社会史的分析が必要です。そして、中村さんの研究成果をそうした社会史的分析に接続することは可能ですし、求められていることでもあります。
1630年代、ハーヴィにとってもデカルトにとっても、心臓には神経がないと見えていた。
1664年のウイリス、心臓に迷走神経、交感神経、回帰神経が分布していることが確認された。(p.244)この時代までの古代から繋がる前提:神経には、動物精気が流れている。そして動物精気が運動を引き起こす。(p.230)
ハーヴィにとってずっと。『動物の発生』(1651)で例示。ニワトリ等の胚発生において血液が最初に出現すること、死につつある動物で心臓が止まっても血液がかすかに運動していること、冬眠中の動物では心臓が止まっているのに生きていて血液を含むこと。→血液中心説。(p.192)
ところがハーヴィには心臓中心説も残存していた。血液中心説と心臓中心説の併存。『心臓と血液の運動』(1628)(p.193)
第4章「他の部分が現われる前に、*動する血液の滴点が出現する。滴点が大きくなると・・・・、そこから心房が形成される」
第17章「我われは、心臓の優位性についても、アリストテレスの意見に賛成しなければならない。・・・最初につくられた心臓によって、自然は、動物全体が形成され、養育され、完成されるよう・・・意図する。」
顕微鏡観察。ハーヴィは顕微鏡を使っていない。ロウアーは、顕微鏡によって、発生の順序において、心臓より先に血液ができるのではないことを見て取った。(p.230)
1665年のロウアーは、ハーヴィの発生順序を支持した。しかし、『心臓論』(1669)では、胚発生初期における血液の運動は、血液を取り巻いている膜による、そして心室が死んだあとの血液の揺動は、血管の局所的収縮による。ヘンリー・パワーは、『実験哲学』(1664) においてニワトリ胚では血液の運動が始まるまえに二心室二心房の心臓が完全に出来上がっていることを指摘している。 (p.255)
p.256 にロウアーが行った実験が列挙されている。その結果、ロウアーは、1)静脈血が心臓において熱せられて動脈血に変わるというデカルト説(1659年のウイリス説)を拒否し、2)動脈血と静脈血の差違を認めない1649年のハーヴィ説を否定した。(p.257)
帰宅すると、次の2冊が届いていました。
Francis Gotch, Two Oxford Physiologists: Richard Lower 16312-1691, and John Mayow 1643 to 1679, Oxford, 1908
Thomas Wright, William Harvey: A Life in Circulation, Oxford University Press, 2013
→ 最初のゴッチのものは、40頁の小冊子です。Oxford University Extension Summer Meeting, 1907 と表紙にあるので、夏の学校のような形で開催されたときの配布物ではないかと想像します。p.40 の注を見ると、ウッドに多く依拠しています。ウッドの目から見たローワーとメーヨーとして価値があるのではないでしょうか。[中村禎里『近代生物学史論集』 論点整理]
思いつくまま、論点整理を試みます。1.ハーヴィが心臓をポンプ/フイゴに喩えたとして、ハーヴィの考え方は全体として機械論とは言えない。
これはまさにその通りです。このこと自体は最初に確認されるべき事柄ですが、考慮すべき点が残ります。通史における古い見方の残存です。このモメントは非常に強く、中村さんの時代も今もハーヴィの心臓運動論を機械論としてデカルトと同時に紹介する文章は圧倒的多数です。
もう1点は、ハーヴィのデカルト説への対応です。中村さんの記述によれば、ハーヴィはデカルトの批判を受けて、よい出発点にたった自説をのちに変更します。後知恵で言えば、半分古い説に逆戻りしてしまいます。デカルトの提示した全体的な機械論の強力さを考えることができるかもしれません。2.ハーヴィ自身の思考・思想における揺らぎや変化
揺らぎや変化は誰にでもあることです。しかし、ハーヴィの場合、根本において揺らぎや変化が見られます。
ハーヴィ「限られた知識しかもちあわせていない人たちは、あることの原因をどうしても説明できないばあいに、ちゅうちょなく、それが精気によってなされていると考える。こうしてかれらは、精気をあらゆる場面にもちだしてきて、それにすべての原因の役割をおしつけるのである。」 (p.131)
中村さんはこの非常に印象的なことば(そして我々がつい同意してしまう見方)をハーヴィの『血液循環について』(1649)から引用します。W. Harvey, Excercitationes duae Anatomicae de Circulatione Sanguinis (1649), tr. by K. J. Franklin, Blackwell Scientific Publ. (1958), p. 37. (注の表記法は中村さんのものをそのまま写しました。)
しかし、ハーヴィは『動物の発生』において「[心房の]拡張は、精気をふくむためにふくれあがった血液によってひきおこされる(第51論)」(p.137)と言っている。半分は古い説に逆戻りしている。
ひとりの個人における思想の揺らぎや変化という視点だけではなく、根本的でありつつ、不安定な「精気概念」という観点も必要でしょう。
デカルトへの対応としては中村さんは次のようにまとめています。「この時期[『血液の循環』(1649)のころ]のハーヴィの説は、精気が姿をけし、それが熱でおきかえられた点で『動物の発生』時代の見解と異なり、熱の本源が心臓にではなく血液じたいに存在するとしている点でデカルト説と異なっている。しかし、拡張が周期的収縮のあいだの休止状態であると考えた旧説の比べれば、心臓運動論に関するかぎりこの三つの立場は全く同じ型に属する。ハーヴィは自説と通説との折衷をこころみ、さらに精気を追放することによってデカルトに答えたのであり、こうしてここでも、デカルトをつうじて、当時うつぼつと興りつつあった機械論自然観の影響を受け入れる結果となったと考えることができる。」 (pp.140-1)
さらにハーヴィは、「内在する熱こそが・・・摶動の第一の動因である」と言っています。(Harvey, Excercitationes duae (1649), p.63)
ここでは、「内在熱」がふたたびところを得ているように見えます。
[月沢さんのハーヴィ研究]
生物学史家の林さんに、次の論文が月沢さんのハーヴィ研究の到達点を示していると教えてもらいました。
月沢美代子「W・ハーヴィのアナトミアと方法」『日本医史学雑誌』47(1)(2001): 33-81
まだ入手していません。ウェブで調べてみると、月澤美代子さんはこの論文(のもととなった論文?)で医学博士号を取得されています。知りませんでした。
月沢さんの博士論文を読みたいと思います。どなたか貸していただける方、いないでしょうか?
医学史家の鈴木氏に質問したところ、Andrew Wear の編集本・著作と、The Western Medical Tradition, 2 vols をおしえてもらいました。
手元で捜すと、次の2冊が見つかりました。Roger French and Andrew Wear (eds.),
The medical revolution of the sevneteenth century
Cambridge: Cambridge University Press, 1989
Table of Contents :
"Medicine, religion and the puritan revolution" by Peter Elmer
"Harvey in Holland: circulation and the Calvinists" by Roger Fench
"The matter of souls: medical theory and theology in sevneteenth-century England" by John Henry
"Mental illness, magical medicine and the Devil in northern England, 1650-1700" by David Harley
"Passions and ghost in the machine: or what not to ask about science in seventeenth- and eighteenth- century Germany" by Johanna Geyer-Kordesch
"Thomas Sydenham: epidemics, experiment and the 'Good Old Cause'" by Andrew Cunningham
"The medico-religious universe of an early eighteenth-century Parisian doctor: the case of Philippe Hecquet" by L. W. B. Brockliss
"Isaac Newton, George Cheyne and the Principia Medicinae" by Anita Guerini
"Physicians and the new philosophy: Henry Stubbe and the virtuosi-physicians" by Harold J. Cook
"The early Royal Society and the spread of medical knowledge" by Roy Porter
"Medical practice in late seventeenth- and early eighteenth century Enland: continuity and union" by Andrew WearOle Peter Grell and Andrew Cunningham (eds.),
Religio Medici: Medicine and Religion in Seventeenth-Century England
Aldershot: Scolar Press, 1996The Western Medical Traditionについては、遠からず入手しようと思います。
さて、今日は、平井浩氏の駒場科学史講演会。ちょうどよいので図書館で作業をすることにしました。
おっと、その前に澤井さんが次の論文を送ってくれました。これは大感謝です。
澤井さん、たすかります、ありがとうございます。
月沢美代子「W・ハーヴィのアナトミアと方法」『日本医史学雑誌』47(1)(2001): 33-81駒場には2時半に着きました。寒い。気温が低い上に風が吹いて寒い。駒場図書館は久しぶりです。やるべきことが多くあります。欲張っても仕方ありません。できることをやります。文献調査とコピーとり。
お腹が空いてきたので5時で切り上げ、生協へ。文房具を少し買い、同時にカレーパンに似たパン(正確に何であったかは忘れました)も買って、生協食堂の外のテーブルで食べました。この程度の寒さはまあなんとかなります。
それから講演会場へ。前もそうでしたが、場所が分かりづらい。
平井さんの講演、その後の質疑応答が終わったあと、ちょうど前に座られた澤井さんに感謝のことばを述べてから、疑問におもっていたことを何点か質問しました。
ひとつは月沢さんの博士論文です。上の『日本医史学雑誌』に掲載された論文(附論はあったかも知れないそうです)で順天堂大学から医学博士号を取得されたということです。ですからこれの他に博士論文本体といったものはないそうです。ちなみに、澤井さん自身もそのようにして医学博士号を取得されたということです。
医学博士号がすこし独特なのは知っていました。これで納得です。医学博士という肩書きに魅力を感じるので、外部の人間も申請できるのか聞いてみました。それは受けつけていないということです。
今日は来ると言ったいた鈴木晃仁氏にも挨拶し、ベーコン研究者の方とすこし雑談してから、帰途へ。誕生日ケーキはおいしかったそうです。それはよかった。落ち着いてから、月沢さんの論文を読みました。なるほど、これは月沢さんのハーヴィ研究の到達点です。
そして澤井さんによれば、月沢さんはこの論文のあと、西洋医学史から離れたということです。今は日本や東洋のことを研究されているということです。
[月沢「解剖学者ハーヴィの方法」]
月澤美代子「W・ハーヴィのアナトミアと方法」『日本医史学雑誌』47(1)(2001): 33-81
3つのテキストにしぼって分析しています。
1.「心臓の運動について」:ロンドン医師会(月澤さんは「ロンドン医師協会」と表記されていますが、一般的な表記を採用します)にむけて書かれた解剖学的論究
2.「講義準備」(これは私の訳です。月澤さんはただPrelectionesとだけ表記されています):ラムリ講義の準備ノート
3.ボーアンの『解剖学劇場』:ハーヴィPrelectionesの底本。初学者用の解剖学講義テキスト
ハーヴィの生存当時に出版されたテキストでは、『動物発生論』の序文(これは、ハーヴィが、自身の方法論・学的認識論をきちんとまとまった形で論じた唯一のテキストだということです。)
論考の目的の部分は、そのまま引用します。「ハーヴィ自身の言明を分析することにより、医師協会主催の解剖示説講義という、一定の相互了解の成り立つ空間において、テキストの注釈からの離脱としての、「Scinetia(学知)の獲得に至る、新しい、より確かな道」を模索しつつ、新しい「方法」を形成していくハーヴィ像を統一的に描き出そうとするものである。」(p.41)
「結語」の部分も、そのまま引用します。「ハーヴィが示したのは、古代ギリシャの知に由来するテキストの注釈に基づく既存の概念枠・説の擁護、あるいは、既存の概念枠・説どうしの調停から離脱し、「自己の説」を他者に対して「教える」新しい「方法」であった。これは、「見ること」に認識論上、特権的な身分を与える「方法」であり、アリストテレス的形式論理に基づく論証に代わって、観察主体の前に具体的な事物を提示することに大きな位置付けを与える「方法」であった。
この「方法」は、解剖講義教科書という形式内部で書かれたボーアンの"Theatrum Anatomicum"の記述、すなわち、一般的な通説に対する批判が、医師協会主催の解剖学示説講義という、当該時代としては、きわめて特殊な了解のかわされる空間を通過して、医師協会員に向けて書かれた exercitationesという新たな形式の内部に整序させられる過程で形を整えていった。」(p.66)もう何点か確認しないと月澤さんの論点が正確には理解できません。
exercitationesとは?:「Exercitationesとは、論述の形で、自ら主張したい一定の説を、既存、または想定される対論から擁護しつつ、その正当性を主張していく形式である。」(p.39)
注には、French(1994)と月澤(1995)を挙げています。
ラムリ講義とは?: 1582年、ラムリ卿がロンドン医師会に寄付した講義であり、1)外科医に対し、医師会所属の医師が6年間で1コースとなる解剖講義、ならびに2)毎年行われている解剖示説、のふたつからなる。解剖示説には、ラムリ講義のものとは別にロンドン医師会は、1565年以降、会員(だから医師)にむけての解剖示説を隔年毎に行った。(p.42)
ハーヴィは、1618年以降、この2種類の解剖示説講義を引き受けた。その準備ノートがPrelectionesである。この草稿を解読・研究・英訳したウィットリッジによれば、Prelectionesは長年にわたって書き加えられ、欄外余白には実際の講義の体験が赤インクで記入されている。(p.42)
ということであれば、Prelectionesは、解剖示説講義ノートと訳してよいと思われます。そう訳した方がすっきりと理解できると思います。
そして、ボーアンの著作(『解剖劇場』)はその底本。すなわち、講義ノート作成時に一番大きく依拠した教科書ということになります。授業のタネ本と言ってよいでしょう。
[ホイットリッジの仕事]
昨日検索をかけているとホイットリッジの仕事がいくつか見つかりました。ケインズが「ハーヴィの解剖学講義」について書評を書いています。結論部分で次のように言います。
「他のラティニストが、ホイットリッジのテキスト解釈にみんな同意するわけではないであろうが、この本は全体として医学史への大きな貢献であることは間違いがなく、その一般的正確さには疑いがない。」
まずこの評価があった上で、細部の批判がなされるべきでしょう。
Geoffrey Keynes, "Book Reviews: Harvey's Anatomy Lectures" p.1304
Gweneth Whitteridge, "Growth of Harvey's Ideas on the Circulation of the Blood," British Medical Journal, 1966, 2 , 7-12
Herbert Schendl, "William Harvey's Prelectiones Anatomie Universalis(1616): Code-Switching in Early English Lecture Note," Brno Studies in English, 35(2009): 185-198
Code-Switchingは、辞書によれば、一言語体系から他の言語体系へ切り替えることとあります。シェンドルさんが扱っているのは、ハーヴィの講義ノートにおけるラテン語体系から英語体系への切り替えです。医学史・科学史の観点から研究しているとこういう観点はつい見逃してしまいますが、興味深い切り込みだと思われます。Walter Pagel, "Review: William Harvey, De Motu Locali Animalium(1627). Edited, translated and introduced by Gweneth Whitteridge, Cambridge University Press, 1959." Medical History 4(1960): 361-362.
Walter Pagel, "Review: William Harvey, Lectures on the Whole of Anatomy, an Annotated Traslation of Praelectiones Anatomiae Unversalis. by C.D. O'MAlley, F.N. Poynter, K.F. Russell, University of California Press, 1961." Medical History 7(1963): 89-90
Walter Pagel, "Review: The Anatomical Lectures of William Harvey, Praelectiones Anatomie Unversalis. De musculis, edited with an introduction, translation and notes by Gweneth Whitteridge, Edinburgh and London: Livingstone 1964." Medical History 9(1965): 187-190
ともかくまずはパーゲルと思い、この3点の書評を読んでみました。労をねぎらうものとなっています。17世紀初頭の講義ノートですから当然と言えば当然ですが、ハーヴィの解剖講義ノートは、相当の難物のようです。簡単には読み解けない文字を読み解き活字化してくれた仕事は真の偉業です。→次は、ホイットリッジの文章を読みました。
Gweneth Whitteridge, "Growth of Harvey's Ideas on the Circulation of the Blood," British Medical Journal, 1966, 2 , 7-12
もしかしたら間違いはあるのかもしれませんが、これはすばらしい整理です。事実を正確に確定しようという意図と努力がすばらしい。すこしずつノートをとります。p.7 『心臓の運動』(1628)出版以前に書かれ、今に伝わる3つの草稿はすべて出版された。1)解剖講義(1619)、筋肉に関する講義(1619)、3)動物の運動に関する論考(1627)
p.7 解剖講義は、最初、1616年4月16日、17日、18日の3日にわたって行われた。
p.8 200年以上続く公開解剖講義の伝統。3日連続。初日、腹部下部。中日、腹部中部上部、心臓と肺を含む。最終日、頭部と脳。
1620年から1627年にかけてハーヴィは毎年一般公開解剖講義を行った。(1621年と1625年が例外)。こうした講義でハーヴィは同じ講義ノートを使った。パドヴァの影響はおおきいとみなければならない。
パドヴァでは(検屍)解剖にかなり立ち会っていると考えることができる。またロンドンに帰ってきてからも(検屍)解剖に立ち会っていると考えられる。
ハーヴィがパドヴァ留学中、クレモニーニがアリストテレスの『自然学』、おそらく『霊魂について』『生成と消滅について』講義をしていた。
ハーヴィのベイコン評:「ベーコンは大法官のように哲学を書く」は、パドヴァの伝統と比較すると理解することができる。
p.11 講演に欠けるのは、動物実験。(人間の死体解剖では、心臓の動きも血液の動きも見ることはできない。)
p.12 解剖講義ノートは、本文への書き込みにも関わらず、ハーヴィの公的顔のみを表す。それは彼の私的な実験ノートを示さず、医師会のメンバーに証明した内容を明らかにはしない。
→ 13.2.11 講義ノートへのもっとも問題となる書き込みは次です。"WH It is certain from the structure of the heart that the blood in perpetually carried across through the lungs into aoruta, as by two clacks of a water bellows to raise water"
WH はWillam Harvey 自身の書き込みを意味するハーヴィの略語です。「WH 心臓の構造から、血液が水フイゴの2つの舌が水を押し上げるのと同じように、肺から大動脈へと常に運ばれているのは確かだ。」
ホイットリッジの結論は、要するに、解剖講義ノートは、定説・古い説を学生に示すためのものであって、研究発表のためのものではない、とまとめることができるでしょう。講義が基本そういう性格のものであることは間違いありません。
しかし、自分の目でみて確かめることをもっとも重視するハーヴィが解剖講義を繰り返したとき、定説と異なること、自分の目で見て違うと思ったことを書き込むことはありえます。たとえ講義ではそのことを言わないにせよ、ありえます。
さらに、この先は純粋な推測になりますが、ずっと気になっていること(ここでも心臓の運動の実際)をつい脱線して話すことはありえるように思います。
つまり、ホイットリッジの講義ノートという位置付けに間違いはないが、繰り返された講義の場合、そのなかに自分の考え、疑問、発見、新しい現象を説明するアイディアを書きつけたとしてとくに不思議ではないように思われます。17世紀初頭であってもそうだと思われます。ハーヴィの講義ノートと格闘し、活字化したホイットリッジの判断は尊重されなければならないが、その過程で思いこみが生じることもありえ、やはり我々はそうした判断にも批判的に対応しなければならないということだと考えます。なお、上記の書き込みの日付に関しては、ホイットリッジの考察が正しいでしょう。最初の講義(1616)のときではなく、ずっと後からの書き込み。
[two clacks of a water bellows]
さて、 "two clacks of a water bellows" とは具体的に何かの問題に帰ります。辞書には、Clack は、カチッと言う音、俗語で舌、機械でclack valve 逆止め弁、とあります。ここを逆止め弁と訳すと、ある見方の読み込みになってしまいます。(場合によっては、それも仕方ないこともあるでしょう。)
ハーヴィがこのフレイズを使うとき、具体的な装置としては何をイメージしていたのでしょうか?
水を押し出す仕組みとしては、水フイゴも消防ポンプも同じだと思われます。内部に弁のついた装置によって、圧縮された空気の力で水をより強く押し出すものです。ウィキは、「気密な空気の体積を変化させることによって空気の流れを生み出す器具」としています。ウィキに”鞴”として示されている絵では、二つの取っ手は Clack と呼べると思います。
そして、もちろん、ハーヴィが鞴やポンプの逆止め弁の仕組みを知っていれば、あるいは直接知っていなくてもその言い回しを知っていれば、吸気と呼気の両方で働く逆止め弁そのものを指している可能性を第一に考える必要があります。
うーん、どっちでしょうか。
次の論文をダウンロードし、一部読みました。Allen G. Debus, "Chemists, Physicians, and Changing Perspectives on the Scientific Revolution," ISIS 89(1998): 66-81
さすがにディーバスです。今でも読むと啓発されます。むしろ、私のようなテーマで研究している者は、定期的に目を通す必要があると言えるかもしれません。Gweneth Whitteridge, "Of the Local Movement of Animals: The Wilkins Lecture, 1979," Notes and Records of the Royal Society of London 34(1980): 139-153.
Vivian Nutton, "Obituary: Gweneth Whitteridge(1910-1993)," Medical History 38(1994): 103
「彼女は中世フランス語研究とパレオグラフィーの教育を受けたが、1935年ロンドンの聖バートロミュー病院のアーキヴィストの地位を得、エジンバラとオクスフォードの生理学教授になる人物と結婚したことが、ハーヴィ研究者としての彼女の道をつけた。バーツにかんする短い歴史(1961)を除き、彼女の精力は、ハーヴィの著作を編纂し、翻訳することに注がれた。『動物の運動について』(1959)、『解剖講義』(1964)、『血液の循環について』(1976)、『発生について』(1981)。『循環と乳び菅についての手紙』の新しい翻訳が印刷中である。彼女は、ハーヴィの著作に関する価値ある文献表(1989、クリスティーン・イングリッシュと共同で)を出版し、『ウィリアム・ハーヴィと血液循環について』(1971)で彼女自身のハーヴィ解釈のまとめを出版した。彼女は、ウォルター・パーゲルならびにジョローム・ビルビルとの険しい論争において、自身の見解を擁護した。彼女には、パーゲルやビルビルの文脈主義はハーヴィの生理学者としての意義を減ずるもののように思われたのである。彼女の後期の翻訳がたとえ喝采を受けたものとはならなかったにしても、彼女の初期の『運動について』ならびに『解剖学的講義』の翻訳は、草稿としてのみあるいは稀書としてのみ存在していたテキストを公に利用可能とした点でかけがえのない貢献であった。」(一部略、ただしほぼ直訳)
次の本が届いていました。
James J. Bono, The Word of God and the Languages of Man: Interpreting Nature in Early Modern Science and Medicine, Madison: The University of Wisconsin Press, 1995
副題のあとに、Volume 1, Ficino to Descartes とあります。Volume 2 があるのでしょうか。第4章が「テキスト優先:本優位文化と神的真理の解釈的探究(フェルネル対ハーヴィ)」です。フェルネルの観察に対する態度、フェルネルと改革の理念、医学的精気の概念:フェルネル、医学的精気の概念:ハーヴィ、ハーヴィの生物学的物質の理論からなります。
今回の作業に関して言えば、ここから読み始めるのはちょうどよいように思われます。研究室で本間栄男さんの博士論文(『17世紀ネーデルラントにおける機械論的生理学の展開』東京大学、2002)を捜し出して、空いた時間にすこし読んでいました。ルネサンス生理学に慣れるためには最初に読んでもらってよい博士論文だと思われます。たとえば、「白乳菅(venae albae et laceae)」(p.99) 、「胸菅(ductus thoratica)」(p.100)、「粗製液汁(succus crudior)」(p.101)のように、原語が表記されています。
第3章は「ルネサンス生理学の理論」にあてられており、精気(spiritus)や生得温熱(calidum innatum)のような用語・概念になじむために最適だと思われます。→例示 フェルネルの定義「生得温熱とは内在精気と熱で至る所浸されている原始的湿である。」わおー。「生得温熱(calidum innatum)」、「内在精気(spiritus insitus)」、「原始的湿 (humidum primigenium)」がほとんど同じとされているに等しい。本間氏は、この節のタイトルを「内在精気即ち生得温熱」とされています。
整理の部分を引用します。p.78 「精気は微細な物体である。微細であることは細かく動き回り他の物体の隙間に入り込むという含みが当時はある。微細であるだけで可動性があったのである。これは我々の身体内にある原始的湿と混合して調和し熱によって活性化すると生得温熱になる。この熱も精気も何らかの形で失われるので、それらを回復するのが流入精気の役目である。流入精気は身体外部から、主に食物から精製される。それが何段階かあるが、自然的・生命的・霊魂的という3種類の分類は霊魂の分類に倣ったものであるために、無理があると考えられる場合もあった。その場合、自然精気が不要なものと考えられた。3つも認める人の場合でも、重要なのは生命精気と霊魂精気の2種類だけだった。」
ガレノスの能力について。 p.85 医学史家レスター・キングの説をまとめて。「ガレノスの考えの根幹には目的論がある。即ち、自然は無駄をしないということから、何らかの構造は何らかの機能を必ず持ち、それは直接観察可能な構造から実験・類推を用いて推論できる、という信念をガレノスは持っている。この時、多くの事実全体の中からひとかたまりの何らかの内的統一性のある事実を取り出して「能力」という名称でひとまとめにする、つまり生命現象の機能単位を作り出すことを行った。それは現象の説明のために用いられるのではなく、記述のための単位であると考えられる。」
p.92 注目すべきは、「ガレノスが能力を元々は仮設的な原因として導入し、それが何かを述べなかったことである。能力は霊魂の道具であり、同時に身体的機能あるいは活動の原因として理解される。」
[本間栄男氏の仕事]
本間栄男さんの博士論文、『17世紀ネーデルラントにおける機械論的生理学の展開』東京大学、2002、の第3章「ルネサンス生理学の理論」を読み直しました。本間さんは、ルネサンス生理学史の専門家として貴重な仕事をなされています。
この分野に関わる業績をリストアップします。
[年会特集]本間栄男「Cornelis van Hogelande (1590-1662) と医化学」『化学史研究』第28巻(2001): 127
本間栄男「医学独学者としてのIsaac Beeckman(1588-1637):付BeeckmanのCatalogusの医学書一覧」『哲学・科学史論叢』4(2002): 1-43
[論文]本間栄男「デカルトと胃での消化」『化学史研究』第29巻(2002): 222-236
本間栄男「16-17世紀のルネサンス生理学と機械論的生理学の構成」『哲学・科学史論叢』5(2003): 1-36
[論文]本間栄男「『エピクロスへの注釈』(1649年)におけるガサンディの生理学」『化学史研究』第31巻(2004): 163-178
本間栄男「17世紀Leiden大学の医学教授たち:付録登場人物略伝」『哲学・科学史論叢』6(2004): 1-28
本間栄男「デカルト派生理学と図像表象」『科学思想史』(金森修編著、勁草書房、2010): 325-369
本間栄男「Jacob de Back(1594-1658)の生理学」『哲学・科学史論叢』7(2005): 1-38
本間栄男「消化という物語を<わかる>--17世紀西欧生理学の理解と認知」『UTCP研究論集』5(2006): 27-44
本間栄男「17世紀ネーデルラントにおけるルネサンス生理学」『哲学・科学史論叢』8(2006): 1-63
本間栄男「科学史とビブリオグラフィ」『桃山学院大学人間科学』39(2010): 1-27
多くは、本間さん自身から別刷りを頂いています。最後のものは初見だったので、ダウンロードして読みました。サートンや桑木さんの科学史の文献収集・作成・科学史学についての話でした。ハーヴィの話が触れられています。実は、10日以上前から部屋のなかで次の本を探していました。去年の夏(8月2日)に入手しています。
Roger French, William Harvey's Natural Philosophy, Cambridge, 1994
今日は諦めて、部屋のなかに堆積した10以上の山をひとつひとつ確認することにしました。最後から3つ目の山で見つかりました。同時に、本間さんに頂いた別刷り4点(いずれも『哲学・科学史論叢』(東京大学教養学部 哲学・科学史部会)に掲載されたものです)も見つかりました。
→せっかくですので、「16-17世紀のルネサンス生理学」(2003)から、ルネサンス生理学の定義の部分を引用しましょう。
"phyisologia" という語をはじめて「生理学」の意で用いたのは、フェルネルです。De naturali parte medicinae(1542) 。これは、後のMedicina(1554)、Universa Medicina(1567)の生理学部門に引き継がれます。
Universa Medicinaにおける生理学の定義は「すべての内の第一のものは生理学で、それは完全に健康な人間の本性、そのすべての力と機能を探究する。」であった。
その構成はつぎの7つであった。
1.人体の諸部分
2.諸元素
3.調和状態
4.精気と生得温熱
5.霊魂の諸能力
6.諸機能と諸体液
7.人間の生成と種子1.は解剖学、7.は人間の発生学、2.から6.が本来の生理学にあたります。したがってリオランでは次の構成となります。
元素
調和状態
精気と生得温熱
体液
部分
霊魂の能力
霊魂の機能機械論的生理学は、デカルトの影響下で形成された。デカルトの『人間論』の出版は遅れ1664年となるが、デカルト派生理学は、それ以前レギウスの著作によってすでに広まっていた。
Henricus Regius, Fundamenta physices, 1646
Henricus Regius, Fundamenta medica, 1647
Henricus Regius, Philosophia naturalis, 1654チャールトンによる展開。「アニマル・エコノミー」というフレイズによる。
Walter Charleton, De Oeconomia Animali, Amsterdam, 1659
この伝統の完成が18世紀のブールハーヴェ。Institutiones Medicae(1708) では、生理学と「アニマル・エコノミー」が同一視されている。そしてルネサンス生理学の基本的変貌を著者の本間氏は次のようにまとめています。「ルネサンス生理学の7つの部分のうち諸元素・調和状態の部分が落ち、諸部分は別個の解剖学へと任され、諸体液と精気が取捨選択されて諸能力・諸機能に含まれる。そして、諸能力が脱落し、諸機能論が残る。」(p.23)
つまり後知恵で言えば、ルネサンス生理学の核心は、人体各部の機能論であったということになるでしょう。「17世紀ネーデルラントにおけるルネサンス生理学」からも基本的ポイントを抽出しておきましょう。
p.24 そもそも能力とは何か。ガレノスの定義は次である。「能動的な変化あるいは運動を私は作用(エネルゲイア)と呼び、その原因となるものを力(ヂナミス)と呼んでいる。」
力(ヂナミス)は ギリシャ語で dynamis(ラティナイズド)、そのラテン語訳が facultas である。
p.31 「ガレノスが能力を元々は仮説的な原因として導入し、それが何かを述べなかったことである。能力は霊魂の道具であり、同時に具体的機能あるいは活動の原因として理解される。それがいつしか造血能力や呼吸能力などに細分化されていけば、ほとんど機能と違いがなくなる。一方で能力が名目に過ぎないことが批判の対象になっていくことで、能力という概念装置が生理学書から落ちていくのである。」フェルネル生理学の基本を本間さんの整理に従ってまとめてみます。
機能は、3つの系で考えられています。栄養系、身体運動と感覚の系(たぶん今の神経系にあたる)、脈動と呼吸の系。(言葉遣いは本間さんのものからすこし変えています。)
栄養系は、食べ物を摂取して、それを消化し、栄養となして、体内に運び、老廃物を糞尿として排出するまでを含みます。ガレノスにおいても、フェルネルにおいても、生理学の中心はここです。
消化は3段階あります。第1段階は胃での消化です。第2段階は、肝臓での消化、そして第3段階は個々の諸部分で行われる消化です。 胃での消化では、乳糜(chylus)がつくられます。牽引によって、この乳糜(chylus)が肝臓に運ばれ、そこで第2の消化をうける。乳糜(chylus)が血液となる。(血液化と同時に黒胆汁、黄胆汁が生じる。)
肝臓でつくられた血液は、空静脈=大静脈を通って、左心室に運ばれる。「肝臓から出る残りの血液は静脈を通じて全身に分配され身体諸部分の栄養に使われる。」(p.35)
身体運動と感覚の系:「大脳は要塞内にいる司令官のごとく、従者や仲介者を使って身体末端部分を動かしている。」(p.37) 仲介者とは精気であり、脳室、脊髄、神経をとおって霊魂精気(動物精気)が運ばれる。心臓から送られてきた精気が脳内で霊魂精気(動物精気)に転換される。
脈動と呼吸の系:外気は肺で鍛錬されて精気的空気となり、左心室に入る。これが右心室から来る血液の熱い蒸気と心臓の生得精気=生得温熱によって生命精気に変えられる。この生命精気が動脈を通して全身に分配される。このとき生じる灼熱の蒸気=ススは、心臓と動脈の脈動や肺の排気によって外に捨てられる。(p.39)血液循環説を受け入れると、この構図は大幅な書換が要求されることとなる。
プリントアウトはしたのですが、捜すのが面倒なので、画面上で次の論文を読みました。
比留間亮平「ルネサンスにおけるスピリトゥス概念と生命論」『死生学研究』第7号(2006): 139−164
一種の展望、サーベイ論文です。とくにオリジナルな部分はありませんが、まとめとしてはこれでよいのではないでしょうか。
柴田マスターが前に指摘されているように、依拠した2次文献がきちんと挙げられていないのがちょっと残念です。
講演会の前に駒場図書館。次の3点のコピーをとり、その場で読みました。
Charles Webster, "William Harvey's Conception of the Heart as a Pump," Bull. Hist. Med. 39(1965): 508-517
C. Webster, "Harvey's De Generatione: Its Origins and Relevance to the Theory of Circulation," The British Journal for the History of Science 3(1967): 262-274
George Basalla, "William Harveyand the Heart as a Pump," Bull. Hist. Med. 36(1962): 467-470
ウェブスターの主張はよくわかります。
ウェブスターが同時代の水フイゴの資料として挙げるのは、ベイトの『自然と技術のミステリー』です。第3版のpp.16-7 に掲載されている図です。(初版ではp.12)
John Bate, The Mysteryes of Nature, and Art, London, 1634; 2nd. ed., 1635; 3rd. ed., 1654
グーグルブックにはなかったのですが、これがネット上にないわけがないと思い、検索をかけるとやはり存在しました。1634年の初版です。ヘロンの図版をへたうま化したような絵も含まれます。
ウェブスターの仕事はしっかりとしていますが、この種の著作についてもうすこし情報があってもよいと感じました。
ルネサンスの水フイゴ。Bate, p.12 より。
ルネサンスの消防ポンプ。Les Rasons, p.64 より。
[『日本医史学雑誌』一般口演要旨]
かなり前ですが、駒場図書館でとったコピーを整理します。やっとです。
澤井直「ウィリアム・ハーヴィの方法論:類推の正当化をめぐって」『日本医史学雑誌』46(3)(2000): 348-349
月沢美代子「カスパール・ボーアン "Theatrum Anatomicum"について(1)―初版(1605)と第2版(1621)の序文の比較検討」『日本医史学雑誌』46(3)(2000): 378-379
清水陽人・蒲原宏・ガストン・ティニュシェ・オーギュスト・アルマンゴー「来日フランス人医師ヴィダールの生涯:フランス側からの報告」『日本医史学雑誌』46(3)(2000): 376-377
栗本宗治「英国医史における学と職と:法制的考察(その二)」『日本医史学雑誌』46(3)(2000): 374-375
小林晶「膝関節に名前を残す二人のフランス人―GerbyとSegond」『日本医史学雑誌』46(3)(2000): 380-381
月沢美代子「ウィリアム・ハーヴィ「普遍解剖学講義」における心臓の運動の提示」『日本医史学雑誌』45(2)(1999): 180-181
坂井建雄「系統解剖学の起源としてのヴェサリウス解剖」『日本医史学雑誌』45(2)(1999): 178-179
濱中淑彦「アヴィセンナ(イブン・シーナ)の「医学典範」(ラテン語訳)における精神医学(第2回)」『日本医史学雑誌』45(2)(1999): 176-177
『日本医史学雑誌』においてこういうふうに2頁のものは、学会の講演要旨です。正式には、日本医史学総会の「一般口演」と称するようです。
片づけをしていると、『科学史研究』2012年夏号が山の下から出現しました。この号の冒頭の論文は次です。
俵章浩「イブン・スィ−ナー著『心臓の薬』におけるプネウマ理論」『科学史研究』第51巻(2012): 65-73
明晰な整理だと思います。ギリシャ語でプネウマ、アラビア語でルーフ、ラテン語でスピリトゥス、邦語では精気と訳される概念について定点となる分析だと言えるでしょう。
夕刻、次の本がとどきました。
シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ:血液はからだを循環する』梨本治男訳、大月書店、2008
Lawrence I. Conrad, Michael Neve, Vivian Nutton, Roy Porter, Andrew Wear,
The Western Medical Tradition, 800 BC to AD 1800
Cambridge: Cambridge University Press, 1995
シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ』は、「オックスフォード 科学の肖像 Oxford Portraits in Science」シリーズの一冊です。もとは短い新書程度の大きさです。中高生から読める伝記入門書です。
『西洋の医学伝統:紀元前800年から1800年まで』は英国の代表的な医学史家のつくった教科書でしょう。古代と中世はヴィヴィアン・ナットンさん、アラブ・イスラームはコンラードさん、ルネサンスから初期近代はウェアさん、18世紀をロイ・ポーターさんが書いています。
[精気の思想史]
読むべきものは読んでいるので片づけはなかなか進行しません。また別の山から『科学史研究』2012年秋号が出てきました。これには次の論文が掲載されています。
矢口直英「イブン・シーナーの自然精気」『科学史研究』51(2012): 129-137
明確な提示の好論文です。結びの直前を引用します。「以上、動物的能力と心臓・動脈系、精神的能力と脳・神経系をイブン・シーナーがどう扱っているか確認した。これらの記述にはそれぞれ、対応する精気が登場していた。先に見たように、自然精気そのものの言及も、自然的能力および肝臓・静脈系の関する記述で精気が登場するのも極めて稀であり、その実態が不明瞭であったのとは対照的である。イブン・シーナーの医学書を見る限り、自然精気という精気があると明言されても、その実態や、自然的能力や肝臓・静脈系との関係が詳細に語られることはない。心臓で血液から生成されるという動物精気やそれを素材に脳で生成される精神精気とは異なり、自然精気はその由来すら不明である。」(p.134)
注の3)に精気の概念・用語を混乱させているひとつのおおもとが明確に指摘されています。次の趣旨です。アラビア語の動物精気は、ギリシャ語の生命精気の(誤解的)翻訳である。従って、ラテン語の spiritus animalis とは別物である。
これは注意していないとほんとうに混同しやすい。
[『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』]
ちょうどよいので、残っている仕事を順番に片づけるために、9時半頃家をでました。まず、入試課。次いで、会計課。届いていた物品を台車に載せて研究室に運びました。一休みしてから、会計課に台車を返し、図書館へ。『技術の歴史』と小林春夫、阿久津正幸、仁子寿晴、野本晋編著『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』(早稲田大学イスラーム地域研究機構, 2011)を借り出しました。
図書館で、次の2点を読みました。
俵章浩「イブン・スィ−ナー『植物論』における生命・霊魂・意思―植物は生きているか」小林春夫、阿久津正幸、仁子寿晴、野元晋編著『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』(早稲田大学イスラーム地域研究機構, 2011):45-58
矢口直英「イブン・スィ−ナーの薬物学における気質理論」小林春夫、阿久津正幸、仁子寿晴、野本晋編著『イスラームにおける知の構造と変容 : 思想史、科学史、社会史の視点から』(早稲田大学イスラーム地域研究機構, 2011):59-74そもそも、この論集は、早稲田大学イスラーム地域研究機構が2008年の秋からはじめた公募研究「イスラームにおける知の構造と変容―思想史的視点からの解明」(代表:小林春夫、分担者:大川玲子、菊池達也、野本晋、吉田京子)によるということです。科学史の重要性に鑑み、2009年冬に「科学的知の伝承―ギリシャ/アラブ/ラテン」と題するワークショップを開いたそうです。参加者は、ロンドン大学のチャールズ・バーネット、東大駒場の高橋英海氏、京都産業大学の山本啓二氏、神戸大学の三浦伸夫氏です。英語では、Transmission of Sciences: Greek, Syriac, Arabic and Latin, ed. H. Kobayashi & M. Kato, Joint Usage/ Research Center for Islamic Area Studies, Organization for Islamic Area Studies, Waseda University (WIAS), 2010として出版されているそうです。
俵章浩氏と矢口直英氏の論文は、それに関連する論考として、あとから追加されたということです。それが I.
II が「イブン・スィ−ナー『治癒の書』をめぐる比較思想の試み」と題して、小林春男、仁子寿晴、高橋英海、小林剛の4氏が論文を寄せています。
小林春夫「イブン・スィ−ナー『治癒の書』をめぐって」
仁子寿晴「イブン・スィ−ナー『治癒の書』形而上学の構造―最高概念の把握と学問構造」
高橋英海「シリア語における『治癒の書』の受容―バルヘブラエウス『叡智の精華』形而上学の概要」
小林剛「『治癒の書』からアルベルトゥス・マグヌスへ―触覚をめぐって」
[イブン・スィ−ナー著『治癒』研究会]
昨日の論集の母体について、すこし調べてみました。
小林春夫「イブン・スィーナー著『治癒』文献解題」『イスラーム地域研究ジャーナル』 2(2010): 57-63
この論考の最後(p.63)に「イブン・スィーナー著『治癒』研究会について」があります。それによれば、イブン・スィーナー著『治癒』研究会は、2006年5月13日(土)に第1回会合をもち、それから多いときで隔週、少なくとも月1度のペースで集まったそうです。当初のメンバーは、小林春夫、堀江聡(慶応大学)、高橋英海(東京大学)、仁子寿晴(京都大学)の4名に、東京大学イスラム学科の院生数名だったそうです。2008年の冬、研究会の拠点を早稲田大学イスラーム地域研究機構に移して以降、あらたに、野元晋(慶応大学)、徳原靖浩(東京外大)、橋爪烈(学振)の3氏が加わったということです。他の大学の院生も何人か加入したそうです。
そして、この研究会の成果は、『イスラーム地域研究ジャーナル』 に発表していくことにした、とあります。このグループの方々の仕事をざっと調べてみました。pdf でダウンロードできたものだけ挙げておきます。
小林春夫「イブン・スィーナーにおける「自覚」論」『オリエント』 32(1)(1989): 20-32
小林春夫「ANAIYAH:スフラワルディーにおける「自我」の概念」『オリエント』 33(1)(1990): 15-29
小林春夫「原典研究 イブン・スィーナー著『治癒』形而上学訳註(第一巻第一章および第二章)」『イスラーム地域研究ジャーナル』 3(2011): 73-117
[ハーヴィ科学方法論]
先行研究によれば、ハーヴィがもっともきちんと科学方法論を論じたのは、『動物発生論』の序文です。ウィリスの英訳で151-167とごく短いものです。全体的で詳細な分析が可能です。
といって今の今は時間がないので、ハーヴィの引用箇所だけ、リストアップします。
『自然学』第1巻第2章第3章;『分析論後書』第2巻;セネカ、書簡、58;『分析論後書』第1巻第1章;『分析論後書』第2巻最終章(=19章);『形而上学』第1巻第1章;プラトン『ゴルギアス』;『動物発生論』第3章第10章;
序文の最後ハーヴィは次のように言います。「古代人では私は誰よりもアリストテレスに従い、現代人の間ではアクアペンデンテのファブリキウスに従う。アリストテレスは私の師であり、ファブリキウスは道を教えるものである。」
ともあれ、まずは、ウイリスの英訳で読んでみました。かなり一般的な知識論です。アリストテレスから当然導き出される科学方法論です。ハーヴィの場合、解剖学においてそれを実践したという新しさはありますが、考え方そのものに新しさはとくにないように思われます。位置付けは異なるでしょうが、アリストテレスの注釈家が必ず触れる論点だと言い切ってよいように思われます。→ 13.3.10 『自然学』第1巻第2章第3章、としたのは、実は『自然学』第1巻第1章でした。2つの可能性が考えられます。ひとつは、ハーヴィのミスということです。この種のミスは誰にでもありえます。もうひとつは、欄外の文字がちょっと違うということです。欄外は、"L.1.c.2.3."と読みました。ウィリスもそう読んでいます。ただし、もとのものでは、この"c" がなかなか難しい形をしています。一般的な引用の形式からすれば、"c" ですが、別のものかもしれません。
ハーヴィの引用する箇所は、岩波の全集(第3巻,pp.3-4)では次です。
「ところで、そのための道は、われわれにとってより多く可知的でありより多く明晰であるものごとから出発して、自然においてより多く明晰でありより多く可知的であるものごとへと進むのが自然的である。けだし、同じものごとがわ れわれにとっても端的にもひとしく可知的であるというわけではないからであ る。だからそれゆえ、われわれは、この仕方に従って、自然においてはより多 く不明晰であるがわれわれにとってはより多く明晰なものごとから出発して、 自然においてより多く明晰でありより多く可知的なものごとへと進まねばなら ない。ところで、われわれにとって最初に明白であり明晰であるのは、実はむしろ混然たる集団である。そしてこの混然たる集団からそれの構成要素やそれの原理が可知的なものになるのは、この集団が分析されてから後のことである。 それゆえにわれわれは,この普遍的なものどもから特殊的なものどもへと進む べきである、というのは、全体の方がわれわれの感覚に対してはより多く可知的であり、しかも普遍的なものは或る全体的なものだからである。けだし, 遍的なものは多くのものを、いわばその諸部分として、包摂しているもの〔ゆえに全体的なもの〕であるからである。」
仕方がないのですが、ここの言葉遣いはわかりやすいとは言えません。→セネカの書簡は、ルキアヌス宛のものです。58書簡。
"Idea est eorum, quae natura fiunt, exemplar aeternum. Adiciam definitioni interpretationem, quo tibi res apertior fiat : volo imaginem tuam facere. Exemplar picturae te habeo, ex quo capit aliquem habitum mens nostra, quem operi suo inponat. Ita illa, quae me docet et instruit facies, a qua petitur imitatio, idea est."
Paucisque interpositis ait:
"Paulo ante pictoris imagine utebar. Ille cum reddere Vergilium coloribus vellet, ipsum intuebatur. Idea erat Vergilii facies, futuri operis exemplar. Ex hac quod artifex trahit ! et operi suo inposuit, idos est. Quid intersit, quaeris ? Alterum exemplar est, alterum forma ab exemplari sumpta et operi inposita. Alteram artifex imitatur, alteram facit. Habet aliquam faciem statua ; haec est idos. habet aliquam faciem exemplar ipsum, quod intuens opifex statuam figuravit ; haec idea est. Etiamnum aliam desideras distinctionem ? Idos in opere est, idea extra opus : nec tantum extra opus est, sed ante opus. "→『形而上学』から引用するのは、『形而上学』の冒頭です。岩波文庫の出隆訳から引用しておきましょう。
「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげら れる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえにさえ愛好されるものだからである、しかし、ことにそのうちでも最も愛好されるのは、眼によるそれ〔すなわち視覚〕である。けだし我々は、ただたんに行為しようとしてだけでなく全くなにごとを行為しようともしていない場 合にも、見ることを、言わば他のすべての感覚にまさって選び好むものである。その理由は、この見ることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認 知させ、その種々の差別相を明らかにしてくれるからである。
ところで、動物は、(1)自然的に感覚を有するものとして生まれついている。(2)この感覚から記憶力が、或る種の動物には生じないが、或る他の種の動 物には生じてくる。そしてこのゆえに、これらの動物の方が、あの記憶する能のない動物よりもいっそう多く利口でありいっそう多く教わり学ぶに適している。 ただし、これらのうちでも、音を聴く能のない動物は、利口ではあるが教わり学ぶことはできない、―たとえば蜂のごときが、またはその他なにかそのような類の動物があればそれが、そうである、―しかし、記憶力のほかにさらにこの聴の感覚をもあわせ有する動物は、教わり学ぶこともできる。
さて、このように、他の諸動物は、表象(ファンタシア)や記憶で生きているが、経験(エンペイリア)を具有するものはきわめてまれである。しかるに、人 間という類の動物は、さらに技術や推理力で生きている。ところで、(3)経験が人間に生じるのは記憶からである。というのは、同じ事柄についての多くの記 憶がやがて1つの経験たるの力をもたらすからである。ところで、経験は、学問(エピステーメー)や技術(テクネー)とほとんど同様のものであるかのようにも思われているが、しかし実は、(4)学問や技術は経験を介して人間にもたらされるのである。けだし、「経験は技術を作ったが、無経験は偶運を」とポロスの言っている通りである。さて、技術の生じるのは、経験の与える多くの心象から幾つかの同様の事柄について1つの普遍的な判断が作られたときにである。」
(「というのは、カリアスがこれこれの病気にかかった場合にはしかじかの処方がきいたし、ソクラテスの場合にもその他の多くの個々の場合にもそれぞれその通りで あった、というような判断をすることは、経験のすることである、しかるに、同じ1つの型の体質を有する人々がこれこれの病気にかかった場合には−たとえば 粘液質のまたは胆汁質の人々が熱病にかかった場合には−そうした体質の患者のすべてに対して常にしかじかの処方がきく、というような普遍的な判断をするこ とは、技術のすることである。」)『動物発生論』の第3巻第10章というのは、岩波の全集版では、第9巻の233頁です。「理論的に考えると、ミツバチの発生に関する点は以上の通りと思われるが、ミツバチ[の行動]について事実と思われることから見ても、そういえるでのある。しかし、事実は十分に理解されてはいないので、いつか理解されるとすれば、その時は理論よりも感覚[による観察]を信ずべきであり、理論を信ずるのは、それが実際の現象に一致することを確証した場合でなければならない。」760 b30
『分析論後書』の科学方法論に関して、ウェブに次の博士論文がありました。
國越道貴(クニコシ・ミチタカ)『自然の探究におけるアリストテレスの学問方法論に関する研究』(九州大学博士論文、1999)
よくまとめられているよい博士論文だと思います。
[ベイコンの読書]
本日、ケンブリッジの柴田氏が「フランシス・ベイコンの読書と執筆」という非常に興味深いブログ記事を発表されています。オクスフォードベイコン全集の第1巻(2012)に採録されたベイコンの読書ノートの分析を紹介されています。
個人的に言えば、さもありなん、です。ベイコンはアリストテレスでは『修辞学』を手元において使っていたとあります。分析者は、版の特定を試みたようですが、複数の版を使ったようだという結論を得たようです。
個人的には、どの版をどのように使ったのか、明らかにしてもらえるとすばらしいと思います。(難しいかもしれませんが、可能かもしれません。)
実は、下のハーヴィでは、ハーヴィの使ったアリストテレスの版を知りたいと思っています。最初の演習がファブリキウスの名前を挙げることから始めています。順序としては、ファイブリキウスのテキストとの比較、ボーアンのテキストとの比較、そして留学先で使われていたであろう版との比較ということになろうかと思います。ちなみに、マイケル、ヨルダンといっしょにボイルが手元においたソースを特定する作業を行ったとき、アリストテレスについては不明でした。(当初は、数点のアリストテレス自然学の注釈書ですませていたが、途中から原典に当たるようになっています。その原典を突き止めたかったが、材料となる情報が少なすぎました。)
ガレノスに関しては、たぶんヨルダンが、1)De simplicium medicamentorum facultatibus(Lyon, 1574) or the identically paginated edition of 1561、と2)Casp. Hofmannni Commentarii in Galeni de usu partium corporis humani libri. XVII(Frankfurt, 1625) であることを突き止めています。ボイルはこの書からヒポクラテスを孫引きしています。
ハーヴィは気になるので、時間ができてから(たぶん新学期になってから)自分でも作業をしてみたいと思っています。→ウェブで調べていると次の論文がありました。
Gianna Pomata, "Framing the History of Observation, Part II: Observation Rising: Birth of an Epistemic Genre, ca. 1500-1650"
これは、Lorraine Daston and Elizabeth Lumbeck (eds.), Histories of the Scientific Observation (Chicago: University of Chicago Press, 2011) で出版したものの more fully referenced version だとあります。要するにつけたい注を全部つけたということだと思います。
実は、この論文の内容は、前からずっと関心があり、知りたいと思っていたことです。知りたかったことの大筋が見つかったと言えます。なお、もとの論文の丁寧な紹介が、坂本博士のブログ(2012年3月27日)にあります。
さて、月澤さんは、「autopsia によって提示され感覚によって「観察された事実」は、 ratio によって論証された知に較べ、「高貴さ」では劣るが、「いっそう確か」であるとする態度は、Wear によると、デュ・ローラン (A. du Laurent) のような16世紀アナトミストによって、すでに主張されていた。」と記述されます。(月澤(2001),p.63)
続けて、「Wear は、ハーヴィの主張とは、観察主体により「観察された事実」自体を scientia (学知=エピステーメ)の領域に属すものと見なすべきということであったとしている。すなわち、ハーヴィは、ここで scientia (学知)に至る新しい方法を示したのではなく、「何を、scientia (学知)としてみなすか」について新しい態度を支える認識論を展開したというわけである。」
さらに続けて、「論者が問題としたいのは、次の点である。アリストテレスにおいて、「エピステーメ」とは、「ひとに教えることのできるもの」であり、「教えることは、帰納(エパゴーゲー)、または推論(シュロギスモス)をもってする」とされていた。」
そして、「ハーヴィは、これ[身体の部位のハタラキ]を他者に教える新しい方法を示した。すなわち、学ぶ者が直接に追体験できるような形に「問い」を設定し、動物の生体解剖を用いて「くりかえし」「明白に」提示してみせる。」(p.64)
結論として、「ハーヴィは、アリストテレスの言明を巧みにつなぎ合わせて、scientia(学知)に対する解釈を「ずらせ」、アリストテレス的な帰納にも推論にも拠らず、目に見える形で直接提示することにより「教えることのできる」scientia(学知)の領域の存在を示していった。」(p.67)うーん。どうでしょうか。
ここで月澤さんは、難解な主張をされています。一個一個丁寧に切り分けて(解剖して)検証していくしかありません。1.autopsia に対してつけられた注(106)では、「切開と、自ら観察するという両方の意味が重ね合わされている」とされています。Gianna Pomataの論文によれば、これは単純に、実地観察、実見、でよいように思われます。語源的には、ギリシャ語の自分の目で見る、です。1651年にラテン語の用法から英語ができます。英和辞典には、1.死体解剖、検死、2.事後における分析、解剖(critical analysis)、3.実地観察、実見、と出ています。
Gianna Pomataは、注120において、ハーヴィの用例を3つ挙げています。
1. De motu cordis(Frankfurt, 1628), p.6 : "per autopsiam confirmassem"
2. Preface to Excercitationes de generatione animalium(London, 1651), p.16: "per autopsiam ..., eaque ratione consentanea, ipsemet (Lector!) propriis oculis certior factus"
3. Preface to Excercitationes de generatione animalium(London, 1651), p.25: "relictis argutiis, et verisimilibus conjecturis, ipsamque autopsiam ampletendo"月澤さん(会話)によれば、ハーヴィの原典に関して言えば、ロンドン版は誤植が多くてひどい、アムステルダム版の方がずっとよいということです。1651年アムステルダム版は、グーグルでゲットできます。こちらで検索をかけると、さらに3つ用例が見つかりました。
4. Preface to Excercitationes de generatione animalium(Amsterdam, 1651), p.32: "rationibus potinus nititur probabilibus, quam autopsia"
ウィリスの英訳(p.164)によって前後をまとめてみましょう。
ファブリキウスは、ニワトリの発生を自分で観察して頭、目、脊椎を自分の目で見た。しかし、骨が筋肉や心臓や肝臓より先に形成されると主張するとき、実地観察よりも先行観念による蓋然性に従っている。そして解剖に依拠する感覚の証言を捨てて、機械的原理に基づく推論に避難しているのである。
ウィリスは、autopsiaをinspection と訳しています。ハーヴィの主張は明確です。ハーヴィの師ファブリキウスは、自分の目で観察したとき正しく、自分の目で観察することなく、先行理論(概念)に従ったとき、間違えたということです。
5. Excercitationes de generatione animalium(Amsterdam, 1651), p.113: "Veriora multo, & autopsiae magis consona Volcherus Coiter"
やはりウィリスの英訳(p.227)によって訳しておきます。フォルケウス・コイテルは、はるかに正しく、実地観察ととてもよく一致する。
6. Excercitationes de generatione animalium(Amsterdam, 1651), p.203: "eos quidem falsi autopsia redarguit"
ウィリスはここでは観察observation と訳しています。(p.298)
→"autopsia" に関して、Gianna Pomataの論文は、月澤さんの論点を補強するものとなります。問題になるのは、主張の核心部分です。
「アリストテレスにおいて、学知とは、「ひとに教えることのできるもの」であり、「教えることは、帰納、または推論をもってする」とされていた。」
月澤さんがアリストテレスの方法をどう考えたのか、この文章からははっきりとしませんが、この論点(探究の方法は実は教授の方法であった)は科学史ではよく出会うものです。私のなかでもっとも印象深いのは、橋本さんの師匠のハナウェイの「化学の教育的起源」です。最近の科学史/化学史ではハナウェイは人気がありませんし、ほとんど言及されることもないのですが、私は非常に面白い見通しだと思いました。(ただし、今、そのまま使う気にならないのも事実です。)他にコーシーの厳密革命に関して、数学史家が同じようなことを言っていたように記憶しています。
アリストテレスに関しては、アリストテレス研究者の声を聞いてみましょう。
ハーヴィが引用する『分析論後書』最終章だけをとりあげた論文が見つかりました。
松尾大「アリストテレース『分析論後書』最終章にある敗走の比喩は何を意味するのか」(31)-(47)
最終章、第2巻第19章の有名な箇所です。『分析論後書』の邦訳は大学に置いたままのなので、加藤さんの翻訳はあとで引用します。今は趣旨をとっておきます。
感覚から記憶が生じ、記憶が繰り返されると経験が生じる。アリストテレス自身からすこし離れますが、ウィリスの英訳によって当該箇所を訳せば、「経験から、あるいは、こころに静かに蓄えられる全体&普遍から技術と科学の原理が生じる。生産に関わっていれば技術の原理が、存在の知識が関わっていれば科学の原理が生じる。」
ハーヴィは、技術や科学の獲得する順序または方法をアリストテレスはここで述べているとします。「感覚によって知覚された事物が止まる。知覚された事物の永続から記憶が生じる。多数化された記憶から経験が生じる。経験から、普遍的理、定義、格率あるいは共通公理、すなわちもっとも確かな知識の原理が生じる。」
松尾大さんは、次のテーゼに立脚して論を進めるとあります。
「アリストテレースの『分析論後書』は、全体に於いて、探求ではなく伝達のための方法を扱っている。即ち、そこでは、知的探求者が単独で行なう内的過程としての未知の探求ではなく、既知の事柄を、教師が生徒に伝える際に、顕在的に遂行される外的過程が問題になっている。」
そして、松尾さんは、ヴィーラント、エバンズ、フリッツという学説史を短くまとめた上で、「一層詳しくバーンズは、かつては内的探求の論理とみえたアリストテレースの論証が、実は広い意味での説得の手だてであることを証明している。」と述べます。
そして、松尾さんのテーゼとしては、『分析論後書』の大部分があてられている論証だけではなく、原理を把握する過程も同じ枠組みで理解されるべきだということです。形だけを言えば、月澤さんの主張は、バーンズの主張をハーヴィの解剖学的実践にあてはめたものになります。
論としてはありえる論ではあります。でも、すぐに同意できるかといわれると微妙です。アリストテレスに関しては、やはりアリストテレス学者の意見を聞いてみたい。
アリストテレスは、生徒に教える教師ですから、教授の場面の用語が探究の場面の説明に入っているくることは理解できます。しかし、『分析論後書』が全体として説得のための手だてにあたられているとすると、アリストテレスの科学方法論はどこに求めればよいのでしょうか?すこし話を戻します。月澤さんは、次のように述べます。「ハーヴィは、この “ De Generatione”の「序文」において、アリストテレスの『分析論後書』における「感覚」された「個物」から「普遍」の形成を論ずる文を、恣意的にまとめた要約の形で巧みに引用しつつ、「感覚されたもの自体が、普遍」、あるいは、「我々が感覚で発見するものは、我々にとって、心で発見されるものよりも、いっそう明確であり、いっそう判明」という、アリストテレスとはむしろ対立する認識論を展開している。」(ボールドは私による)
ここに注105をつけています。それは学会発表です。月澤美代子「学知(science)の獲得に至る、新しい、より確かな道―W. ハーヴィの『動物の発生』序文における proprius oculus と ratio―」『日本科学史学会第40回年会研究発表講演要旨集』(1993),p.38.
うーん、これもどうでしょうか。
[シュミットのハーヴィ研究]
私の関心にぴったりの研究があることがわかりました。ルネサンスアリストテレス主義の碩学チャールズ・シュミットの『ルネサンス思想再考』です。
部屋の中を探し回って、本を見つけました。
Charles B. Schmitt, Reappraisals in Renaissance Thought, Edited by Charles Webster, Variorum Reprint: London, 1989
これは、次の論文を収録しています。
Charles B. Schmitt,"William Harvey and Renaissance Aristotelianism: A Consideration of the Praefatio to De generatione animalium (1651)," Humanismus und Medizin (Weinheim, 1984): 117-138ハーヴィが使った翻訳を特定してくれています。版まではシュミットをしても無理だったようです。
『分析論後書』と『自然学』はユリウス・パキウス (Julius Pacius)、『形而上学』はベサリオン(Cardinal Basilios Bessarion)、『動物発生論』はガザ(Theodor Gaza)の翻訳を使っている。
Aristotelis, Organon, ed. J. Pacius, Geneva, 1605
Aristotelis, Naturalis auscultationis libri VIII, ed. and tr. by J. Pacius, Hanau, 1608
Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619
Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619
以上、版は、シュミットの使ったものです。たとえば、 Duval編の全集は、1619年に出版されたあと、1629年、1639年、1654年にリプリントされています。前後の証拠から、ハーヴィは Duval編のアリストテレス全集を使ったと見ておいてよいだろうとシュミットは判断しています。
ということで、Duval編アリストテレス全集が重要です。フルタイトルを引用します。
Aristotelis Opera omnia quae extant Graecè & Latinè / Veterum ac recentiorum interpretum, vt Adriani Turnebi, Isaaci Casauboni, Julij Pacil studio emendatissima. Cum Kyriaci Strozae Patritii Florentini libris duobus Graecolatinis de Republicâ in supplementum politicorum Aristotelis. Sed nouissimae huic editioni omnium quae hactenus prodierunt, ornatissimae accessit breuis ac perpetuus in omnes Aristotelis libros commentarius, siue Synopsis Analytica Doctrinae Peripateticae, non antehac visa; in quâ vt in expeditiore tabellâ , Aristotelis philosophia omnis, provt ea suo ordine descripta est, perspicu&egave; breuitérque indicatur, & pro rerum dignitate exponitur. ; Authore Guillelmo Du-Val Pontesiano, Philosophiae Graecae & Latinae in Parisiensi Academiâ Regio Professore, & Doctore Medico: qui & praeter operosam illam Synopsin, adiecit Anthologiam Anatomicam ex scitis Hippocratis & Galeni; ad libros Aristotelis de histori?A, generatione & partibus animalium; & praeterea libros quatuordecim diuinioris Philosophiae seu Metaphysicorum, notis & argumentis auxit ac illustrauit, quatu´rque eorum postremos hactenus malè collocatos, in legitimum ordinum restituit. Indices tres operum molem claudunt ac veluti obsignant. Primus, quasi catalogus, nomina recenset authorum etiam iuniorum, qui philosophiam Aristotelis suis scriptis illustrâ runt. Secundus, curas & commentarios singulorum distinguit. Tertius est thesurus rerum uberrimus.
Lutetiae Parisiorum [Paris] : Typis Regiis, 1619.シュミットの結果を正確に表記しましょう。
『分析論後書』の最後(第2巻最終章 99b15-100a13)からの引用は、 Aristotelis, Organon, ed. J. Pacius, Geneva, 1605, 544-45から。
『自然学』の冒頭(第1巻第1章 184a16-25)からの引用は、Aristotelis, Naturalis auscultationis libri VIII, ed. and tr. by . J. Pacius, Hanau, 1608, 1-2 から。
『形而上学』の冒頭(第1巻第1章 980a1-981a5)からの引用は、Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619, II, 838-39 から。
『動物発生論』第3巻第10章 (760b25-33)からの引用は、Aristotelis, Opera, ed. G. Duval, Paris, 1619, II, 1110から。3月7日のエントリーで私がもっとも苦労した "Post. 2." とハーヴィが表記する部分ですが、シュミットは次のように結論しています。「[引用文中で表明されている]説は、アリストテレスの『分析論後書』の立場に忠実なものであるが、[引用文そのものは]ハーヴィ自身の解釈が混じる多くのテキストからの合成であるように見える。」
半分は、『分析論後書』第2巻第23章 (68b35-37)、残りの半分は、『分析論後書』第2巻第13章 (97b27-29) から引き出したものだと思われる、とシュミットは注記しています。ハーヴィの引用するラテン語は、シュミットの知るどのラテン語訳にも当てはまらない、したがって、ハーヴィがギリシャ語から自分で訳した可能性、あるいは既存の訳をパラフレイズした可能性、未知の翻訳を使った可能性が考えられるとしています。→この問題を解決するためには、ハーヴィの引用方式の研究が必要です。
→ハーヴィの出版物は3点ですから、ボイルなんかと比べるとこの作業はそれほど骨の折れるものではないでしょう。時間があれば、私自身で試みてみようかなと思っています。
→ハーヴィの引用方式、引用の仕方の特徴については、シュミット自身がいくらか注記しています。
『分析論後書』第2巻最終章 (99b15-100a13) パキウス自身が "extra quam cum sentiunt " at 99b39 としているのをハーヴィは"extra το sentire" としている。
『形而上学』第1巻第1章 (980a1-981a5) ハーヴィはパキウスの訳をわずかに省略し、変更している。
『動物発生論』第3巻第10章 (760b25-33) ハーヴィはやはりパキウスの訳をわずかに変えている。
→材料は少ないのですが、シュミット自身の確認したことから、次の推測をすることができます。ハーヴィは、ギリシャ語ラテン語対訳版から引用する際には、ラテン語に修正を加えることがある、他者のラテン語訳を素直に引用するのではなく修正やパラフレーズすることがある、したがってシュミットの知らない翻訳を使った可能性を端から消去してかかることはできませんが、ほぼ一致する翻訳が見つかった場合、小さな差違はハーヴィの手によることがあると見ておいてよい、こういう見通しをもつことができるでしょう。
せっかくなので、次の論文も読みました。
Charles B. Schmitt in collaboration with Charles Webster ,"Harvey and M .A. Severino, A neglected Medical Relationship," Bulletin fo the History of Medicine, 45(1971): 49-75.
重要性に比してほとんど研究されていない Marco Aurelio Severino (1580-1656) とWilliam Harvey (1578-1657) の比較解剖学ならびに生理学の思想を比べています。セヴィリノは、ハーヴィの2歳下で、1年先に死んでいます。ほぼ同じ時間を生きています。セヴィリノはナポリの医学界の中心人物になります。ハーヴィとは良好な関係を築いています。
セヴィリノは、結局ハーヴィの血液循環論を受容し、生理学では水中にすむ魚の呼吸を問題にしたということです。これは古くから問題とされていた事柄です。
[シュミットのハーヴィ研究 ii ]
自分でシュミットの続きを行うためには、ハーヴィが利用したかもしれないアリストテレスが必要です。版は別のものですが、何とかJulius Pacius (Giulio Pace, 1550-1635) の対訳本は見つけました。
Aristotelis, Organon, ed. J. Pacius, Frankfurt, 1592
Aristotelis, Naturalis auscultationis libri VIII, ed. and tr. by . J. Pacius, Frankfurt, 1596
しかし、 Duval (Guillaume Du Val) 編纂のアリストテレス全集は、なかなかダウンロードできる pdf が見つかりません。意外なことに、早稲田がシュミットのあげるパリ1619年版を所蔵していることがわかりました。本格的に研究するのであれば、現時点では早稲田に通うのが早いことになります。
もし、どなたか、どこかにダウンロードできる pdf があるのをご存じの方がいれば、是非お教え下さい。よろしくお願いします。→ 考え方を変えて、Duval編全集版に採録されたものではなく、ベサリオン訳『形而上学』、ガザ訳『動物発生論』を捜すことにしました。
苦労しています。
ガザ訳『動物発生論』は、BIUM でやっと見つけました。次です。
Aristote, Habentur hoc volumine haec Theodoro Gaza intreprete: Arisitotelis de natura animalium liv. IX, Lyon, 1505
章立てが1つずれますが、この書のp.613 にハーヴィの引用するアリストテレスの文章がありました。これはママの引用でした。
ベサリオン訳の方はまだ見つけることができません。
それにしても、シュミットは、さすがです。関連するテーマに関して次の論文を読みました。プリントアウトせずに、画面上で読みました。
田中祐理子「目と言葉―「レーフェンフック」を考えるために―」『(京都大学)人文學報』93(2006): 85-105
見ること、見たことを言葉で伝えることの意味に関する、非常に興味深い論文です。「レーフェンフック」が自分でつくった単式顕微鏡(シングルレンズの顕微鏡)で見たものは、パリの学者たちには見えず、ロンドンの学者たちには一部しか見えなかった。視覚と言語、観察の言語に関して、おおくを考えさせてくれる好論文です。
注9)には、ビシャが顕微鏡解剖を否定したとあります。なんとおもしろい態度!
[ハーヴィ翻訳]
さて、ハーヴィの邦訳ですが、これまで見てきませんでした。ちょうどよいので、本棚から探し出しました。表紙裏に「呈 黒川君 義等 昭和二四年陽春」と手書きの文字があります。訳者が黒川さんに謹呈したものでした。なんと昭和二四年のもの。すこし触ると表紙が取れました。
なお邦訳の書誌は次の通りです。
ハァヴェイ『血液循環の原理』暉峻義等訳、岩波文庫、昭和11年;昭和23年(第7刷)
部屋を捜せば、もうすこしあとの版もあると思います。母が生まれた年に初版が発行されています。すごいな。
[ファブリキウス]
ハーヴィ自身が一番にはアリストテレス、二番にファブリキウスと言っています。ハーヴィが使っているファブリキウスもダウンロードしました。次です。
Hyeronimus Fabricius ab Aquapendente,
De Formatione ovi, et puli
Patavia[Padoa], 1621
ファブリキウスのものはほんとうに図版が豊富です。それに対してハーヴィは図版をほとんど使いません。
ハーヴィは『動物の発生について』で、アリストテレス(主として『動物誌』『動物発生論』)、ファブリキウス(この『卵と雛の形成について』)、ならびにアルドロヴァンディ(『鳥類学』とでも訳すのでしょうか)を使っています。アルドロヴァンディについてもう一度調べなおしておこうと思い、『科学史技術史事典』をくってみました。立項されていません。嗚呼!
つぎに『科学革命の百科事典』を引いてみました。フィンドレンが記事を書いています。フィンドレンの評価によれば、アルドロヴァンディの第一の意義は、自然誌を正統な研究分野として制度化しようとした点、ならびに自然を理解する前提として注意深い経験的観察を行おうとした点にあるとしています。
数多くの論考をあらわしたが、生存中(1522-1605)にはほとんど出版されず、自然誌のものとしては、Ornithologia (1599-1603)の3巻と、無血動物、四足獣、魚、金属、怪物、木に関する10巻本(1606-1668)だけを出版した。
フィンドレンは文献は3点、第1は自著(『自然の占有』)、第2はリンドの翻訳(アルドロバンディの雛論)、第3はオルミのアルドロヴァンディ(イタリア語、1976)を挙げています。つまり、日本語としてはフィンドレンの邦訳『自然の占有』(ありな書房、2005)が一番手頃ということになります。ISIS Current Bibliography 2012 で "Havrey" は2点です。
Wolfe, Charles and Alan Salter, "Empiricism contra Experiment: Harvey, Locke and the Rivisionalist View of Experimental Philosophy," Bull. SHESVE 16(2009): 113-140.
この聞き慣れない雑誌は、Bulletin d'histoire et d'èpistémologie des sciences de la vieですが、ISIS の略語表には ? がついています。
Crignon, Claire, "La découverte de la circulation sanguine: r&eaucte;volution ou refonte ?"Gesnerus 68(2011): 5-25.ちなみに、ボイルは9点、ベイコンは20点、ベイコン主義は2点です。ベイコンに関してはEarly Science and Medicineの特集が効いています。ファブリキウスは0点、アルドロヴァンディは1点です。アリストレテス主義17点、目的論10点、血液循環2点、引用分析2点、百科全書(歴史)7点、百科全書と事典9点、経験主義16点、ニュートン28点、ニュートン主義3点、ビシャ1点、ハラー1点、王立協会9点、デカルト13点、ガッサンディ0点、フック6点、・・・。
[ハーヴィのアルドロヴァンディ]
ハーヴィの使ったアルドロヴァンディ『鳥類学』は、第3巻であることがわかりました。
Ulysse Aldrovandi, Ornithologiae tomus tertius ac postremus, Bologna, 1603
(もちろん、版は、これと同一のページ付をもつものであればよいので、どの版と特定できるわけではありません。)
アルドロヴァンディの『鳥類学』は見ているだけでも楽しい種類の本です。息抜きにテレビを見ていたら、極楽鳥を取り上げていました。おそらく途中「パラダイスの鳥」というラテン語のテキストが挟まれましたが、アルドロヴァンディではなかったでしょうか。
[A. W. Meyer, Essays on the History of Embryology]
ウェブでマイヤー(もしくはメイヤー)の発生学の歴史のエッセイがダウンロードできます。展望を得るため、ダウンロードして少しずつ読み進めています。
1. A. W. Meyer, "ESSAYS ON THE HISTORY OF EMBRYOLOGY: OLD IDEAS REGARDING SEX, FERTILIZATION, AND PROCREATION." Cal West Med. 1931 Dec;35(6):447-51.
2. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part II." Cal West Med.1932 Jan;36(1):40-4
3. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: The Foundations of Morphologic Embryology: Part III." Cal West Med.1932 Feb;36(2):105-9.
4. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part IV." Cal West Med.1932 Mar;36(3):176-80.
5. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part V." Cal West Med.1932 Apr;36(4):241-4.
6. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part VI." Cal West Med.1932 May;36(5):341-3.
7. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part VII." Cal West Med.1932 Jun;36(6):394-7.
8. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: The Rise of Experimental Embryology: Part VIII." Cal West Med.1932 Jul;37(1):41-4.
9. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part IX." Cal West Med.1932 Aug;37(2):111-5.
10. A. W. Meyer, "Essays on the History of Embryology: Part X." Cal West Med.1932 Sep;37(3):184-7.夕刻、次の本が届きました。
Justin E. H. Smith ed.,
The Problem of Animal Generation in Early Modern Philosophy
Cambridge: Cambridge University Press, 2006
Table of Contents :
Introduction by Justin E. H. Smith
1. The comparative study of animal development: from Aristotle to William Harvey by J. G. Lennox
2. Monsters, nature, and generation from the Renaissance to the Early Modern period: the emergence of medical thought by Annie Bitbol-Hespériès
3. Descartes' experiments and the generation of animals by Vincent Aucante
4. Imagination and the problem of heredity in Cartesian embryology by Justin E. H. Smith
5. The soul as vehicle for genetic information: Pierre Gassendi's account of inheritance by Saul Fisher
6. Atoms and minds in Walter Charleton's theory of animal generation by Andreas Blank
7. Animal generation and substance in Sennert and Leibniz by Richard T. W. Arthur
8. Malebranche on animal generation: pre-existence and the microscope by Andrew J. Pyle
9. Spontaneous and sexual generation in Ann Conway's Principles by Deborah Boyle
10 'Animal' as category: Pierre Bayle's 'Rorarius'by Dennis Des Chene
11. Method and cause: the Cartesian context of the Haller-Wolff debate by Karen Detlefsen
12. Soul power: G. E. Stahl and the debate on animal generation by Francesco Paolo di Ceglia
13. Charles Bonnet's neo-Leibnizian theory of organic bodies by Francois Duchesneau
14. Kant's early views on epigenesis: the role of Maupertuis by John Zammito
15. Blumenbach and Kant on the formative drive: mechanism and teleology in nature by Brandon Look
16. Kant and the speculative sciences of origins by Catherine Wilson
17. Kant and evolution by Michael Ruse
[アデルマン Howard B. Adelman 1898-1988]
アデルマン(英語の固有名詞として正しい発音は、アディルマンですが、日本語ではたぶんアデルマンと表記されるでしょう)は、コーネルが生んだもっとも偉大な学者の一人。彼はコーネルに72年間いたが、そのうち67年は教師としてであった。1944年から1959年にかけては動物学教室の学科長をつとめた。実験発生学者としては、サンショウウオや鳥類の単眼症等の研究を行った。研究のごく初期から、発生の歴史に関する稀書の収集を始め、5千冊を越えることとなったが、そのコレクションは今コーネル大学に所蔵されている。1924年から1960年まで彼は獣医学部の学生に発生学を教えた。
発生学の歴史としては、コイテル(Volcher Coiter, 1933)から始め、1942年にファブリキウスの発生学論考(The embryological treatises of Hieronymus Fabricius of Aquapendente : the formation of the egg and of the chick (De formatione ovi et pulli), the formed fetus (De formato foetu), Cornell University Press, 1942)を出版し、1966年科学史の世界を驚嘆せしめた『マルチェロ・マルピーギと発生学の展開』(Marcello Malpighi and the evolution of embryology, Cornell University Press, 1966. 全5巻、総ページ数2475頁)を出した。さらに、その9年後(1975)、『マルチェロ・マルピーギ書簡集』(The correspondence of Marcello Malpighi, Cornell University Press, 1975. やはり全5巻、総ページ数2227頁)の大冊を編集出版した。
(以上、Howard E. Evans, "Anatomical History at Cornell," delivered in 1994 およびいくつかの書評より。)[マルピーギ Marcello Malpighi, 1628-1694]
(ボイル Robert Boyle, 1627-1691 ですから、ボイルとマルピーギは、ほぼ同じ時代を生きています。マルピーギはボイルより1歳下で、ボイルの3年後に没しています。)
マルピーギにも着手しようと思い、まず、1月12日に届いたメリさんの本を繙きました。
Domenico Bertoloni Meli, Mechanism, Experiment, Disease: Marcello Malpighi and Seventeenth-Century Anatomy, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2011
今の問題に直接関係する第8章「発生と鶏卵の中の雛の形成」だけ目を通しました。ハーヴィ以後の発生研究がよくまとめられていると思います。アウトラインが描かれています。
・p.388 note 6. ハーヴィの所蔵し使っていた(書き込みがある)ファブリキウスは、インディアナ大学のリリー図書館に保管されているということです。ふむ。
・p.225 ハーヴィの『動物発生論』(1651)のあと、ドルドレヒトの Wilhelm Lagly がウサギの発生と雛の孵化について研究した。その研究は彼の死後、1674年に、Justus Schrader がObservationes de generatione animalium として出版した。この『動物発生についての観察』の序文でSchraderは発生研究の展開について有用な展望を与えている。
・p.210 図版の使用と言葉の選択に対するハーヴィの態度の特異性.
『動物発生論』でハーヴィは図版をまったく使っていない。『心臓の運動』では静脈弁に関する有名な4連のもののみ。p.212 図版は直接の観察の代用にはならない。「絵や図版でのみ外国の村と町や人体の内部を見るものは、・・・真実を間違って表象してしまう。」(Willis, p.158 ただしウィリスの訳はこれとはすこし違う)言葉についても同様のことが言える。(Charles T. Wolfe, Ofer Gal, eds.,The Body as Object and Instrument of Knowledge: Embodied Empiricism in Early Modern Science (Springer, 2010), p.73 も同じフレイズを引用している。)メリさんが使っている『解剖学文庫』をグーグルブックでダウンロードしました。
Daniel Le Clerk and Jean-Jacques Manget, eds., Bibliotheca Anatomica, 2 vols., Geneva, 1685
私の分野では、『化学文庫』を編んだJean-Jacques Manget は、『解剖学文庫』の他にも、『実践医学文庫』( Bibliotheca medico-practica, 4 vols., Geneva, 1695-97)や『解剖学劇場』( Theatrum anatomicum, 3 vols., Geneva, 1717)も編纂しています。後世には貴重な編纂の仕事です。Marcelo Malpighi's major works are:
De pulmonibus observationes anatomicae, Bologna, 1661
De pulmonibus epistola altera, Bologna, 1661
Epistolae anatomicae de cerebro, ac lingua … Quibus Anonymi accessit exercitatio de omento, pinguedine, et adiposis ductibus, Bologna, 1665
De externo tactus organo anatomica observatio, Naples, 1665
De viscerum structura exercitatio anatomica … Accedit dissertatio eiusdem de polypo cordis, Bologna, 1666
Dissertatio epistolica de bombyce, London, 1669
Dissertatio epistolica de formatione pulli in ovo, London, 1673
Anatomes plantarum pars prima. Cui subjungitur appendix iteratas et auctas de ovo incubato observationes continens,London, 1675, (prefaced by Anatomes plantarum idea, dated November 1671)
Anatomes plantarum pars altera, London, 1679
“Dissertatio epistolica varii argumenti” [addressed to Jacob Spon], in Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 14 (1684), 601−608, 630−646
Opera omnia, London, 1686; repr. Leiden, 1687
De structura glandularum conglobatarum consimiliumque partium epistola, London, 1689
Opera posthuma, London, 1697; repr Amsterdam, 1698
Consultationum medicinalium centuria prima, Padua, 1713
Malpighi with J. M. Lancisi.Consultationm medicarum nonnullarumque dissertationum collectio, Venice, 1747
["Intimate Converse with Nature"]
昨日とりあげた、次の論集のなかのハーヴィですが、ウェブに内容の重なるドラフトがありました。
Charles T. Wolfe, Ofer Gal, eds.,The Body as Object and Instrument of Knowledge: Embodied Empiricism in Early Modern Science (2010)
ドラフトは、次です。
Alan Salter, "Intimate Converse with Nature: Touch and Experience in William Harvey's System of Inquiry", Paper presented to an HPS workshop on Empiricism and the life sciences, at Sydney University, August 3rd 2007, published in Self Estranged in English Texts, 1550−1660, Ashgate, Farnham, August 2010.
これはほんとうのドラフトです。注のページ数は半分もきちんと入っていません。なかなか面白い議論です。ただし、納得はできません。
そもそも、ハーヴィの認識論がどうもかなり特異です。極端な経験主義、直接経験主義です。ハーヴィが引用するアリストテレスにおいてもそうでしたが、個物と普遍の関係をどう捉えているのかすぐには理解できません。「全体的事物」という概念が鍵のようですが、それでもすぐには理解できません。
探究の道を照らすのは、"Intimate Converse with Nature " である、というハーヴィの言葉からこのタイトルを取っています。
ソルターは、次の論文を使っています。Hunter, R.A., and Macalpine, Ida, 'William Harvey. Two medical anecdotes, the one related by Sir Kenelm Digby, the other by the Honourable Robert Boyle', St Bartholomew's Hospital Journal 60 (1956): 200-6.
The Body as Object and Instrument of Knowledgeの方の目次は次です。
1. Charles T. Wolfe and Ofer Gal, "Embodied Empiricism"
2. Hal Cook, "Victories for Empiricism, Failures for Theory: Medicine and Science in the Seventeenth Century"
3. Cynthia Klestinec, "Practical Experience In Anatomy"
4. Alan Salter, "Early Modern Empiricism and the Discourse of the Senses"
5. Victor Boantza, "Alkahest and Fire: Debating Matter, Chymistry, and Natural History at the Early Parisian Academy of Sciences"
6. Peter Anstey," John Locke and Helmontian Medicine"
7. Ofer Gal & Raz Chen-Morris, "Empiricism Without The Senses: How the Instrument Replaced the Eye"
8. Guido Giglioni, "Mastering the Appetites of Matter. Francis Bacon's Sylva Sylvarum"
9. Justin E.H. Smith, "‘A Corporall Philosophy’: Language And ‘Body-Making’ In The Work Of John Bulwer (1606-1656)"
10. Richard Yeo, "Memory and Empirical Information: Samuel Hartlib, John Beale and Robert Boyle"
11. Snait Gissis, "Lamarck on Feelings: From Worms to Humans"
[アリストテレス『分析論後書』第2巻第19章]
探し出したもののうち、ひとつは、『分析論後書』の最終章、すなわちハーヴィが引用する箇所です。ウェブにテキストがあがっていないので、打ちました。
「すでに述べたように、 感覚からは記憶が生じ、同じものについて繰り返して得られた記憶から経験が生じる。すなわち、数において多くの記憶が一つの経験であるからである。経験から、あるいは、別の言い方をすれば、[経験に含まれる]すべての事例から、[これらの]全体についてあること[普遍]が魂の中で静止するに至る時、すなわち、それらすべての事例のうちに同じ一つのものが含まれている時、それが魂の内において多から離れ、一として静止するときに、[人間における]技術と知識の端緒がある。すなわち、生成するものについては技術の端緒が、存在するものに関しては知識の端緒がある。したがって、これらの[技術や知識の]能力が一定の限定されたものとして、われわれの内にもともと具わっているのでもなければ、また、その他の[既に具わった]能力であって、[これらの能力よりも]知る力の優れている他の能力からそれらがわれわれに生じてくるのでもない。それらは感覚からわれわれに生じてくるのである。それは、あたかも、戦のさなかにおいて、戦列に総退却が起こった折、一人が踏み止まると、もう一人が踏み止まり、つづいて、もう一人が踏み止まるというようにして、この踏み止まりが遂に最初に退却し始めたものにまで及ぶというようなものである。魂は本来このような変化を蒙りうる素質を具えたものである。――いま述べられたこと、しかし、はっきりとは述べられなかったことを、あらためて述べて見よう。[互いに形相における]差別をもたないもの[個別]の内の一つが止まる時、魂の内に最初の「全体的なもの」が生じる(何となれば、ひとが感覚するもの[感覚対象]は個々のものであるが、感覚[内容]は全体的なものについてだからである。すなわち、感覚[内容]は人間についてであって、人間である[個々の]カルリアスについてではないからである。)これらの[最初の全体的な]ものの内に[いっそう全体的なものの]停止が起こり、遂に、無部分なもの、すなわち、[最も]全体的なものが止まるに至る。たとえば、これこれの種類の動物が[一つの全体的なものとして]止まって、動物の停止に至り、また、これについても同じことが起こるというように。このようにして、第一のもの[原理]を知るために、われわれが帰納によらざるをえないことは明白である。実際、感覚が「全体的なもの」を魂の内に作り出す際にも、それはこのような仕方によるからである。」 (加藤信朗訳、岩波書店、1971), p.770)(ボールドは私。)
この文章は、アリストテレス主義者やスコラ学者でなくても、多様な解釈を誘います。優れた文学的表現だと思いますが、個別から普遍へ至る帰納の過程として、この記述で満足する哲学者・認識論者はいないように思われます。
感覚から帰納によって魂のうちに全体的なもの[普遍]が生じる、と言っていることはわかりますが、それがほんとうのところどのようにしてか、この記述だけで理解できる者はいないと言い切ってもよいでしょう。
正反対の解釈を誘ったとしてもまったく不思議ではありません。そういう文章だと思います。
ハーヴィに戻れば、これを、感覚からわれらの知識が始まる、感覚こそが重要であると彼が解釈したとして、それはパドヴァ流経験主義的アリストテレス学派のなかのひとつの解釈の仕方と位置づけてよいでしょう。
ハーヴィは、アリストテレスのなかから経験主義的な主張を抜き出してきている、基本はそういうことだと言ってよいでしょう。すこし部屋のなかを嗅ぎ回って捜し出したのは、『日本科学史学会第40回年会研究発表講演要旨集』です。このなかに次が収められています。
月澤美代子「W. ハーヴィの『動物の発生』「序文」における proprius oculus と ratio―」『日本科学史学会第40回年会研究発表講演要旨集』(1993), p.38.
1頁の講演要旨なので、論証はありません。主張だけがまとめられています。
「本報告は、この「序文」を、アリストテレスの方法論の単なる再説としてではなく、ハーヴィ自身の「新しい、より確かな科学方法論」の表明として、ハーヴィ自身の用語のなかから Proprius Oculus と Ratio の2つの語に注目しつつ、その内容を正確に捕捉しようという試みである。」
「ハーヴィは、原因を言い当てる Ratio を重視したアリストテレスとは異なる自分自身の認識論を、アリストテレスからの引用を巧妙につなぎあわせながら「序文」のなかで表明した。」
ちなみに、1993年の日本科学史学会年会は、東海大学湘南校舎で開催されています。私は行った記憶があります。ユークリッドのシンポジウムのレジメは要旨集に挟み込んでいます。私自身は発表していません。講演内容の記憶はだれのものでもまったくありません。[HISTORIA]
検索をかけていて、次の論文が今の探究テーマに関係することがわかりました。
Gianna Pomata, "Praxis Historia: The Uses of Historia in Early Modern Medicine," in Gianna Pomata and Nancy G. Siraisi, eds., Historia: Empiricism and Erudition in Early Modern Europe (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005): 105-146
HISTORIAは手元にある筈です。部屋のなかを捜しました。約半時間。なんとか探し出しました。手元ではなく足許にありました。嗚呼!。
これは、以前取り上げた、Gianna Pomata, "Framing the History of Observation, Part II: Observation Rising: Birth of an Epistemic Genre, ca. 1500-1650" の前半と言ってよい論文です。私には重要で必要なポイントを示してくれています。ボイルの引用論文や自然誌論文を書くときに参照できていればよかったな、という種類の論文です。
雨上がりの寒い東京に帰り着くと、次の本が届いていました。
Howard B. Adelmann,
The "De Ovorum Gallinacaceorum Generationis Primo Exodio Progressuque, Et Pulli Gallinacei Creationis Ordine" of Volcher Coiter
New York, 1933.
注文したときに予想していた通り、これは、いわば別刷りをバインドした冊子です。表紙には次のようにあります。
Printed from New Series, Vol. 5, No. 4, pages 327-341, and Vol. 5, No. 5, pages 444-457
Annals of Medical Hisotory
帰宅すると次の本が届いていました。
Lorraine Daston & Elizabeth Lunbeck, eds.,
Histories of Scientific Observation
Chicago and London: University of Chicago Press, 2011
Table of Contens:
"Observation in the margins, 500-1500" by Katharine Park
"Observation rising : birth of an epistemic genre, 1500-1650" by Gianna Pomata
"The empire of observation, 1600-1800" by Lorraine Daston
"The color of blood : between sensory experience and epistemic significance" by Domenico Bertoloni Meli
"Seeing is believing : Professor Vagner's wonderful world " by Michael D. Gordin
"A visual history of Jean Perrin's Brownian motion curves " by Charlotte Bigg
"Frogs on the mantelpiece : the practice of observation in daily life" by Mary Terrall
"Sorting things out : The economist as an armchair observer" by Harro Maas
""A number of scenes in a badly cut film" : observation in the age of strobe" by Jimena Canales
"Empathy as a psychoanalytic mode of observation : between sentiment and science " by Elizabeth Lunbeck
"Reforming vision : the engineer Le Play learns to observe society sagely" by Theodore M. Porter
"Seeking parts, looking for wholes" by Mary S. Morgan
"Seeing the blush : feeling emotions " byOtniel E. Dror
"Visualizing radiation : the photographs of Henri Becquerel" byKelley Wilder
"The geography of observation : distance and visibility in eighteenth-century botanical travel" by Daniela Bleichmar
"The world on a page : making a general observation in the eighteenth century" by J. Andrew Mendelsohn
"Coming to attention : a commonwealth of observers during the Napoleonic Wars" by Anne Secord.
夕刻、次の本が届きました。
Catherine Wilson, The Invisible World: Early Modern Philosophy and The Invention of The Microscope, Princeton: Princeton University Press, 1995
意外なことに、図版(顕微鏡でみた世界の図版)が表紙写真以外にありません。期待していたものとはすこし違うようです。まあ、でも、古典的研究なので、手元にあってよい本です。
お昼に次の本が届きました。
Andrew Wear ed.,
Medicine in Society: Historical Essays
Cambridge: Cambridge University Press, 1992
Ulisse Aldrovandi, Aldrovandi on Chickens: The Ornithology of Ulisse Aldrovandi (1600) Volume II, Book XIV, Translated and edited by L.R. Lind, Norman: University of Oklahoma Press, 1963
Table of Contents:
Foreword by Alessandro Ghigi
Introduction: The Life and Works of Ulisse Aldrovandi by L. R. Lind
I. Concerning Domestic Fowl Who Bathe in the Dust--The Chicken, Male and Female
II. Descrptions of Different Hens and Roosters, and First Concerning the White-crested Chicken and Another Which Was Turned Almost to Stone
III. The Bantam Hen
IV. Paduan Hens
V. Chickens with Feathered Feet
VI. The Turkish Rooster and Two Turkish Hens
VII. The Persian Rooster and Hen
VIII. Concerning Freak Chickens
IX. Certain Foreign Chickens: First, Three-toed Indian Rooster with Ears
X. Another Indian Rooster
XI. The Indian Hen
XII.Two Other Indian Hens
XIII. Guinea Hens
XIV. The Wool-bearing Hen
XV. The Scotch Woodhen and the English Moorhen
XVI. The Swamp Rooster
XVII. The Capon.
Fowl は鶏、Rooster は雄鶏、Hen は雌鶏ですから、鶏学とでも呼べる書物になっています。pp.3-349 が I. です。II. 以下はいろんな種類の鶏を図版とともに示すものとなっています。
[ボローニャのアリストテレス、アルドロヴァンディ]
昨日、アルドロヴァンディの鶏学の英訳を手に取り、せっかくだからと目次をタイプしました。わかりやすさを優先して、4月8日のところに入れています。ついでに、本文はあとにして、後ろと前だけ読んでみました。
アルドロヴァンディ(1522-1605)の伝記が非常に面白い。アルドロヴァンディの最初の著作は、1599年、彼が77歳のときに出版されたとあります。これはすごい。つまり、アルドロヴァンディの多くの著作は、老後ー死後出版だということです。
子ども時代、彼は、親に告げることなく、ふと旅行に出ています。そうした旅行の部分の記述がたまらなくおもしろい。アルドロヴァンディは特別なタイプの人間です。→せっかくなので、たぶんアルドロヴァンディに関して日本語でもっとも豊かな記述を有するであろうフィンドレンの『自然の占有』をしっかりと読んでみることにしました。
まずは第4章「科学の巡礼」を読みました。おもしろい。次に、第5章「経験/実験の遂行」。もっとはやく読んでおくべきものでした。重要な論点が提示されています。
個人的には、1620年代のイタリアの顕微鏡による生物研究をずっときちんとフォローしないといけないなと思いつつ、放置していましたが、たぶん日本語ではここにもっともまとまった記述があるように思います。書肆のまえがきに、「アリストテレスの動物誌を権威/規範とし、プリニウスの博物誌を精読/校訂し、ガレノス/ディオスコリデスの薬学理論を実験/検証する、ルネサンス の蒐集家アルドロヴァンディからバロックの発明/創出家キルヒャーに至る、イタリアを中心舞台として勃興しつつあった初期近代の西欧科学文化の壮大なるパ ラダイムを、蒐集と博物学とミュージアムの形成を通して追う!」とありますが、私の観点からはアルドロヴァンディがアリストテレス主義者であったことが重要です。アルドロヴァンディは、アリストテレス主義者として事実情報を収集し、観察を記した。
[時代のプリニウス、アルドロヴァンディ]
そしてまた、昨日は中断してしまったアルドロヴァンディの英訳のイントロ(リンドによる)を読み通しました。リンドは序文の最後、アルドロヴァンディの引用の特定にどれだけ苦労したかを語っています。これはよくわかります。今はネットがありますが、1963年に出版されている本ですから、作業は、私が生まれた頃なされています。欧米にいても、相当の苦労だったと思われます。たとえばアリストテレスでは、ベッカー版での対応箇所を示してくれています。これはほんとうに大変だったと思われます。せっかくなので、ラテン語の原文もすこしだけ見ておきます。英訳されているのは、『鳥類学』の第2巻、第14書です。ラテン語では、Tomus Alter (1600) ,pp. 183ff.
1例だけ。第14書で最初にアリストテレスが欄外注で言及されるのが、p.188(英訳p.17) "l Aristoteles" という本文に対して、欄外では、l lib.6.Hist. とだけ表示しています。この時代だと普通の欄外注です。リンドはこの注を "37 Aristotle History of Animals 6.1, 558b 27. (Hereafter referred to as Aristotle H.A.)"と展開しています。アルドロヴァンディがこの書で使うアリストテレスは、『動物誌』と『動物発生論』がほとんどですから、それほど大変ではありませんが、マイナーな作家になると著作の入手(あるいは閲覧)そのものが相当大変な作業です。
リンドの取り上げる著者では、Conrad of Heresbach: この人の著作は極めて稀書だとあります。Kiranides :1685年の英訳のみが判明した、具体的にアルドロヴァンディが何を使ったのかまったく不明、とあります。→ネットを使えば、かなりのことはわかるのでないかと考え、少しだけ調べてみました。すぐに、Liber Physico-Medicus Kiranidum Kirani, i.e. Regis Persanum (Aera, 1638) という本がゲットできました。そして、ソーンダイク(2:229)に基本的な情報があることがわかりました。「キラヌス、ペルシャ王のキラニディス」は、ギリシャ語からの翻訳とされているが、アラビア語から中世にラテン語訳されたもので、Book of Natural Virtue, Complaints and Cures として言及され、Experience of the Kiranides of Kiranus, King of Persia, and the Book fo Harpocration of Alexandria to his Daughterに基づき編纂されたもので、内容は大部分護符と呪文に関するものだとあります。
アルドロヴァンディは、「キラニディスは言う」という形で多くの箇所で使っていますが、欄外注に挙げられることはありません。
"Cyranides"の語形でウィキの記述もあります。ウィキの記述は、文献もしっかりしていますし、ほぼこれでよいのではないかと思われます。4世紀に成立したキラニディスは、3書からなるが編纂者が4部を付け加えた。第1書は、2部からなる。1部はアルカイケ。第2書から4書は、動物寓話集である。その内容の一部は、古フランス語の「自然の秘密の書」に取り込まれた。中心的には、宝石や動植物の魔術的医学的効能であり、全体として魔よけの百科事典の観を呈している。→ 13.4.15
エディンバラの書誌は次です。
Author Kiranus, King of Persia.
Published [Leipzig : Aera C., 1638].
Physical description [18], 159 p., [11] l ; (8vo)
Notes Place of imprint supplied from C. W. Kestner, Medicinisches Gelehrten-Lexicon, 1740.
Special title page (p. [17]) reads: Liber physico-medicus Kiranidum Kirani, i. e. Regis Persarum ... post D. fere annos nunc primum e membranis Latine editus cum notis. Qui multis adhuc seculis ante Syriace Arabice & Graece scriptus & versus extitit. Cum autem reliquae translationes interciderint, haec semibarbara non omnino sepelienda, nec ita totum opusculum obliterandum fuit. De quo quid sentiendum sit, requiratur in C. Barthii Advers. & Lexico Harpocrationis.
Other names Rivinus, Andreas, ca. 1601-1656.
タイトルは次です。
Moderante Auxilio Redemptoris Supremi, Kirani Kiranides, et ad eas Rhyakini [pseud., i.e. Andreas Rivini] Koronides. Quorum ille in quaternario tam librorum, quam elementari, e totidem linguis, primo de gemmis XXIV, herbis XXIV, avibus XXIV, ac piscibus XXIV ... ad tetrapharmacum constituendum agit; inde libro II de animalibus XL, lib. III de avibus XLIV sigillatim, et lib. IV de LXXIV piscibus iterum, eorumque viribus medicamentosis: hic vero ... MS. post semi-millenarium annorum ex inemendatissimo primum edidit, 2. notis ... illustravit, 3. praefatione Isagogica ornavit ...[second title] Liber physico-medicus Kiranidum Kirani, i.e., Regis Persarum ... post D. fere annos nunc primum e membranis latine editus cum notis. Qui multis adhuc seculis ante syriace, arabice et graece scriptus et versus extitit [etc.] / [Kiranus].
ペルシャ王キラヌスの本として出版されたのは、1638年、リヴィヌス(Andreas Rivinus, ca. 1601-1656)によって、ということのようです。こうなったら、Conrad of Heresbachも調べてみます。ウィキに"Konrad Heresbach, 1496-1576" としてあります。ケルンでロッテルダムのエラスムスと知り合ったとあります。その後、フライブルクで法学博士号を取得、パドヴァ大学でヘブライ研究を行い、故郷に帰還したそうです。
リンドは、索引にこの名前を挙げていません。諦めて、自分で見てみました。p.28, note 69 と p.112, note 177 にあります。本文中に名前が出てくるのは、p.112です。p.28 の方では、referred to later として、リンドはConrad of Heresbachについて述べています。彼の名前は、標準的な百科事典や参考文献には名前がないと愚痴を言っています。
サットンさんのサイトに、アルドロヴァンディが使ったヘレスバッハのタイトルDe re rusticaがリストアップされています。1571 ケルンの版です。1594版もあります。こちらの版は、プリニウスからの抜粋を付録しているようです。
[心臓の動き]
月曜日3限の授業にでてくれている学生のひとりが心臓の動きを知らないことがわかりました。外語の学生だとありえる話です。模式的な動画で見てもらうのがはやいと気付き、検索をしてみました。とりあえず、次の2つのサイトの動画はわかりやすいと思います。
心臓のつくり・血液循環の仕組みと動き_2D・3D
ノートPCで心臓の拍動をリアルタイムシミュレーションする手法
実際の心臓の動きは複雑です。模式的にはポンプでよいわけですが、どこの筋肉がどういう順序でどういうふうに収縮するのかを知るのは、そう簡単なことではありません。
[シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ』]
3月2日に入手した次の本を読みました。
シャケルフォード『ウィリアム・ハーヴィ:血液はからだを循環する』梨本治男訳、大月書店、2008
とてもよく書けています。研究者用ではなく、初心者用です。17世紀の理論、考えを理解するために何が必要かをよく考えて、背景事項をしっかりと書いてくれています。ハーヴィについて、あるいは血液循環説について、入門書を読みたいという方にぴったりの書物です。もちろん、基本事項が短く明晰にまとめられていますから、研究者の方が読んでも得られるものはあると思います。
The Anatomical Lectures of William Harvey: Prelectiones Anatomie Universalis De Musclis, Edited with an introduction, translation and motes by Gweneth Whitteridge, Edinburgh and London: The Royal College of Physicians, London, 1964
最近よく見る図書館の除籍本です。もともとは、ジョンス・ホプキンズの William H. Welch Medical Library, Johns Hopkins University School of Medicine の所蔵です。橋本さんが留学中にハーヴィに関心をもっていたら、手にしたかもしらない本です。
文献表には、ハーヴィが使ったという記述があります。次のものです。
Realdus Columbus, De re anatomica libri XV, Venice, 1559
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Gabriel Fallopius, Opera quae adhuc extant omnia, Frankfurt, 1584
ハーヴィの所持していた全集は、王立医師会の図書館にあるそうです。ただし、ハーヴィ自身のページレフェレンスはこの版ではないということです。
Laelius a Fonte, Consultationes medicae, Frankfurt, 1609
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Andreas Laurentius, Historia anatomica humani corporis et singularum eius partium, Frankfurt, 1600
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Archangelo Piccolomini, Anatomicae praelectiones, Rome, 1586
ハーヴィが使ったと言っているのは、この版だが私は見ることができていないとあります。
Jean Riolan (the younger), Anthropographia et Osteologia, Paris, 1626
ハーヴィが使ったのは、この版だとあります。
Andreas Vesalius, De corporis humani fabrica, Basle, 1543
ハーヴィが使ったのは、この版だと思われるとあります。
もちろん、ハーヴィが解剖学講義の種本とした教科書は、ボーアンの『解剖学劇場』です。初版を使っています。
Caspar Bauhin, Theatrum Anatomicum, Frankfurt, 1605
後の書き加えでは、2版も使っています。
Caspar Bauhin, Theatrum Anatomicum, 2nd edition, Frankfurt, 1621
ハーヴィが使ったかどうかの記述はありませんが、ホイットリッジは、アリストテレスに関しては次を使っています。
Aristotle, Libri omnes ad animalium cognitationem attinentes cum Averrois Cordubensis variis in eosdem commentariis, Venice, 1550, 1552, 8 vols.,
→これは一体何かと思い調べてみました。Volume 6 of Aristotelis opera cum Averrois commentariis: Venetiis, Apud Junctas, 1562-1574, reprinted by Minerva, Frankfurt, 1962, 12 vols.
ホイットリッジのこの表記法はわかりづらいと思います。
ホイットリッジのものは今学期中に集めておこうと思っています。→13.5.8 まずは、ホイットリッジの序文だけ読んでみました。lxiv まで。これは読んでおく価値がある文章だと思います。
当時ラテン語にはきちんとした正書法があったが英語にはなかったので、英語で書かれている部分の方が読解に困ることが多いとありました。英語は大きく声に出してみてはじめてわかるとあります。これは英国人でもそうなんだと思いました。
この時代の英語のスペルは各自が勝手に聞いた音を文字化しています。声に出すことが理解には必須です。
ハーヴィの講義は、ラテン語で行われたのか、英語で行われたのかはっきりしないとありました。受講生に外科医が多いときには英語、受講生に内科医が多いときにはラテン語だったと推定することもできようとあります。
昨日と同じように、寝たり起きたりしている最中に次の本が届きました。
William Harvey,
The Anatomical Exercises: De Motu Cordis and De Circulatione Sanguinis in English Translation,
Edited by Geoffrey Keynes, New York: Dover Publications, 1995,
First published as The Anatomical Exercises of Dr. William Harvey, De Motu Cordis1628: De Circulatione Sanguinis 1649: The first English texts of 1653 now newly edited byGeoffrey Keynes , London: The Nonesuch Book, 1953
こういうリプリントは貴重です。
帰宅すると次の2冊が届いていました。
Gerald J. Gruman, A History of Ideas About the Prolongation of Life , New York: Springer, 2003
Arthur William Meyer, An Analysis of The De Generatione Animalium of Willam Harvey ,California: Stanford University Press, 1936.
最初のグラマン博士の書物は、もとアメリカ最古の学術雑誌 Transactions of the American Philosophical Societyの1966年12月号に掲載されたものです。それを出版社のスプリンガーが国際長命センターの協力を得て、本としたものです。これはシリーズで計画されています。シリーズ名は、"Classics in Longevity and Aging Series"
2003のグラマンを皮切りに、メチニコフさんの「寿命を延ばすこと:楽観的研究」、Ignatz Leo Nascher博士の「老年学」、Luigi Cornaro 氏の「長命術」、Jean-Martin Charcot 氏の「老年学の教訓」が計画されています。
[International Longevity Center]
International Longevity Centerのサイトを尋ねました。利益を出すのが目的ではないということで、多くの出版物は無料でダウンロードできるようになっています。
スプリンガーが出している次の2点も(スプリンガーのサイトから)ダウンロードできます。
Ilya Ilyich Metchnikoff, The Prolongation of Life: Optimistic Studies, New York: Springer, 2004, Originally published New York: Putman, 1908
Louis Cornaro, The Art of Living Long, 1903 English Translation by William F. Butler, New York: Springer, 2005
老齢学を含め、今の日本で一番必要とされる分野の研究です。
昼食後、大学にでかけました。体力が回復してから、研究所でスキャンをし、それから『死生学研究』第9号(2008)を借り出しました。
会議が始まるまでで、次の論文を読み切りました。
藤崎衛「ラテン中世の「寿命の延長」(prolongatio vitae)について―ロジャー・ベイコン、錬金術、教皇宮廷―」『死生学研究』第9号(2008): 246(101)-224(123)
13世紀に焦点をあわせて、「教皇たちの身近で実際に試みられた、老化を遅らせるための理論と実践について」探究しています。教皇たちが飲用金を服用していたことが語られます。
中心となるテキストは、ロジャー・ベイコンです。
『老年の症状の遅延について』(De retardatione accidentium senectutis, to Innocentius IV):著者はベイコンとそうではないとする両説があるそうです。藤崎さんはベイコンではないという立場です。
『大著作』第6部から寿命の延長をもたらす薬の事例を検討しています。
『六科学の書』(Liber sex scientiarum, written 1280's-1290's)
研究室にもどって、次の論文を収録している『科学史研究』1998年冬号を捜しました。捜すのは面倒だったので、ILL で頼もうかと思ったぐらいですが、片づけも必要だと考え直し、捜しました。案外すぐにみつかりました。
土屋睦廣「ガレノスのクラーシス論 Galen's Theory of krasis」『科学史研究』第II期 37(208) (1998) : 223-228
月曜日の大学院の授業で本間博士の博士論文を読んだとき、「調和状態」がすこし問題になりました。"temperamentum" の訳語として本間博士が選んだものです。p.70, note14) で中世では、"complexio"と訳され、ルネサンス以降は "temperamentum"と訳されたが、もとはギリシャ語の"krasis"だと注記されています。
議論をしている最中にガレノスのクラーシス論文があったことを思い出しました。以前はきちんと読もうと思っただけで、実際に手に取るのを忘れています。
生協食堂に持ち出して、食事の合間に読みました。基本がきちんとまとめられていると思います。
「体内における諸要素の混合の比率・バランス」という概念を、術語としても用いられるギリシャ語krasis[もちろんギリシャ文字で表示されていますが、ここはラティナイズしておきます]と呼び、これによって身体の状態が決定されるという観念を「クラーシス説」と呼ぶ。
アリストテレスおよび初期ペリパトス派の著作では、「4性質の混合のバランス」もしくはそれによって形成される「体質」を意味する術語として使われている。
ガレノス『クラーシスについて』の冒頭。「温と冷と乾と湿から生物の身体は混合されていること、そしてすべてのものがクラーシスにおいて等しい配分を持っているわけではないことは、昔の人たちによって、しかも哲学者と医師たちにうちで最も優れた人たちによって論証されてきた。」
「ガレノスのクラーシス論は一貫して4性質に基づいている。」
土屋睦廣氏の研究ノートはこれはこれでよいのではないかと思います。個人的には、中世の"complexio"説のレビュー、ルネサンスの"temperamentum" 説のレビューがほしい。
てもとに高橋憲一訳のロジャー・ベイコン大著作があります(朝日出版社、1989)。p.404 に次の語があります。「さて「もし何であれ或る混合物において、諸元素の一方が他方によって悪影響を受けず、純粋な単一性へと変えられるようにそれらが調合され純化されるならば、そのときには最良の薬をもつことになろう」と最も知恵ある人々は考えた。」
原文は次です。
"Si vero elementa praeparentur & purificatur in aliquo mixto quocunque, ita quod nulla infectio effet unius per aliud, sed reducerentur ad puram simplicitatem, tunc aestimaverunt sapientissimi quod summam medicinam haberent. Nam sic effent elementa aequalia." pp.470-1.
バークの英訳では次です。
"If the elements should be prepared and purified in some mixture, so that there would be no action of one element on another, but so that they would be reduced to pure simplicity, the wisest have judged that they would have the most perfect medicine. For this way the elements would be equal." p.624.[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
クラウス・プリースナーがコップを引用しています。コップを取り出してみました。 「化学と医学の関係」のところで、「この時代には薬品は化学的に作用する物質とはみなされなかった。」「薬品の効果は、ガレノスの原理によるとそれに内在する元素の性質に帰される。」とあります。
基本中の基本ですが、忘れがちのポイントです。
[loci of "Panacea or Universal Medicine"]
昨日図書館のサイトでILLを使い次の論文を頼んだところ、図書館の方がウェブで pdf を見つけてくれました。
Robert Steele, "A Medieval Panacea, " Proceedings of the Royal Society of Medicine, 10(1917), 93-106
「中世ヨーロッパのパナセア」について基本が押さえられています。
"Panacea" という語はギリシャ語に由来するが、ギリシャ医学、ローマ医学、アラビア医学、ビザンチン医学のなかにこの考え方はない。
パナケア(万能薬)の考え方は、錬金術から医学に入った。
8世紀から9世紀のどこかで、エジプト起源のギリシャ錬金術が生命のエリクシルをもとめる中国錬金術の思想とであった。
金属は、ひとつの完全体が様々に病んだ仲間であるという思想、それに、すべての人間が特別な医薬品により完全な健康体とされうるという思想、こういう思想からパナケア(万能薬)の考え方が11世紀前後に誕生した。
ロジャー・ベイコンによれば、パナケア(万能薬)とは、あらゆる不完全性を除去し、悪いクラシスを良好にし、あらゆる病気をなおすことで、生命を最大限に延長するものであった。
もっとも重要なテキストは、(アリストテレスに帰されることの多かった)『秘中の秘』である。
『秘中の秘』は、民衆医学の世界では、サレルノ養生訓と並ぶ重要なテキストであった。それは、パナケア(万能薬)の記述のせいではなく、食事法(食療法)と健康保持に関する短い論考のせいであった。これは12世紀にJohn of Seville によってラテン語に訳され、ついで当時のヨーロッパのあらやる俗語に訳され、18世紀に至るまでチャップブックで人気を博した。
pp.98-101に第1から第9の医薬に関するラテン語のテキストを採録しています。 pp.102-104にアラビア語のテキストの英訳が採録されています。最後にラテン語とアラビア語の処方箋の対照表が掲載されています。
なお、ロジャー・ベイコンによる『秘中の秘』の解説(注解)については、大橋さんのサイトに丁寧な紹介があります。第1から第9の医薬に関する部分は、そこで大橋さんが訳出してくれています。→大橋さんは、Robert Steele(1860-1944)が編纂したロジャー・ベイコンを使っておられます。我々に関係するのは、第5分冊です。
Opera hactenus inedita Rogeri Baconi, edited by Robert Steele, Oxford, 1904-1941.
16分冊からなります。次の通りです。
fasc. 1. Metaphysica
fasc. 2-4. Communium naturalium
fasc. 5. Secretum secretorum. Versio Anglicana ex Arabico. Versio vetusta Anglo-normanica
fasc. 6. Compotus. Compotus Roberti Grossecapitis. Massa compoti Alexandri de Villa Dei
fasc. 7. Questiones supra undecimum prime philosophie Aristotelis (Metaphysica XII)
fasc. 8. Questiones supra libros quatuor physicorum Aristotelis
fasc. 9. De retardatione accidentium senectutis, cum aliis opusculis de rebus medicinalibus
fasc. 10. Questiones supra libros prime philosophie Aristotelis (Metaphysica I, II, V-X)
fasc. 11. Questiones altere supra libros prime philosophie Aristotelis (Metaphysica I-IV). Questiones supra de plantis. Metaphysica vetus Aristotelis
fasc. 12. Questiones supra librum de causus. Liber de causis
fasc. 13. Questiones supra libros octo physicorum Aristotelis
fasc. 14. Liber de sensu et sensato. Summa de sophismatibus et distinctionibus
fasc. 15. Summagramatica. Sumule dialectices
fasc. 16 Communia mathematica
『秘中の秘』をふくむ第5分冊は、archive.org でダウンロードできます。<医師アリストテレス>というようなタイトルのシンポジウムを開催できれば非常に面白いのではないかと思われます。
アリストテレスの父は、医師。アリストテレス自身に直接医学に関わる著作はない。しかし、擬アリストテレスの『秘中の秘』や私が18世紀のアリストテレスで記した側面に注目すると、ロジャー・ベイコンから18世紀ぐらいまでをカバーする面白い会合を開くことができると思います。
研究室にもどり、ほんのすこしだけ紙の資料を片づけました。それからもう一度ロジャー・ベイコンを調べてみることにしました。ウェブで次の本が見つかりました。
A. G. Little (ed.)
Roger Bacon Essays Contributed by Various Writers on the Occasion of the Commemoration of the Seventh Centenary of His Birth,
Oxford at the Clarendon Press, 1914
Essay XIII が次です。
E. Withington, "Roger Bacon and Medicine," pp.337-358
今となっては古いところがあるのかもしれませんが、私に有用なまとめでした。
ロジャー・ベイコンは、ギリシャ語の原典(ヒッポクラテスやガレノス)をあまり使っていない。アラビア語の資料はよく使っている。
サレルノ学派はラテン語をきちんと読んでいないとして軽蔑していた。(民間療法の集成であって、学術的な文献を使っていない。)
ベイコンの医学文献は、本人はオリジナリティを主張しているが、ベイコンの慣れ親しんでいた文献(とくに『秘中の秘』)の集大成であった。そのことは、ベイコンの引用からわかる。ベイコンは通常とても正直に引用している。
ベイコンが明らかにしたという「秘密」の薬品は、金、真珠、龍涎香、毒蛇の身、牡鹿の心臓の骨(?)、ローズマリー、蘆薈(ろかい)汁(aloes)であって、それまでに十分知られているものであった。
唯一の例外は、minera nobilis animalis or fumus juventutis であり、これは(できればカールした黄色い髪をもつ)健康な大人を病人に接触させることによる健康の伝達である。
個人的にもう1点興味深かったのは、『分析論後書』からの引用です。ハーヴィが引用しているのと同じ箇所を引用しています(in Principio Metaphysice。感覚→記憶→経験、とする箇所です。アリストテレスにおける経験学の根拠はここにあると言ってよいでしょう。
→13.5.30 さらにフランシス・ベイコンも取り上げられています。pp.354ff.
フランシスが『生と死の自然誌・実験誌』において「ロジャーの『書簡』(オクスフォードで1590に印刷される)を見ていたことはきわめて確からしい」とウィシントンは書きます。
さて、この『書簡』がわからない。Oxford, 1590と内容から言ってほんとうは次でしょう。
Libellus Rogerii Baconi Angli, doctissimi mathematici & medici, De retardandis senectutis accidentibus, & de sensibus conseruandis., Oxford, 1590
これは、Roger BaconのDe retardatione accidentium senectutisだけではなく、ほかにサレルノのDe primarum qualitatum arcanis et effectibus、ジョン・ウィアムのTractatus philosophicusを含みます。この時代にはよくある体裁です。他にも次のエッセイをダウンロードしました。
Essay Xi, M. M. Pattison Muir, "Roger Bacon: His Relations to Alchemy and Chemistry," pp. 285-320.『秘中の秘』そのものは、成り立ちから言えば、帝王学の書です。
山中由里子「「アリストテレスのアレクサンドロスへの書簡」―アラブ世界への移入―」『オリエント』41-2(1998): 229-244 on p.239によれば、「アリストテレスがアレクサンドロスに宛てたとされる王権についての忠告の書状が、ウマイヤ朝カリフのための「君主の鑑」としてアラビア語に訳された」が、「後の著作家たちはこの書簡集の一部をアリストテレスの金言として格言集や賢人伝などに引用した。また、書簡集第8篇は、増補された末、有名な百科全書的訓戒の書」『秘中の秘』となり、後世に大きな影響を与えた。せっかくなので、ロジャー・ベイコン『大著作』高橋憲一訳、朝日出版社、科学の名著3、1980における高橋憲一さんと伊東俊太郎さんの解説を読み直しました。日本ではじめてのロジャー・ベイコンのきちんとした翻訳です。1980年にこれが出版されたのは大いに意義があったと思います。
しかし、個人的には、もう33年も経ちます。すくなくとももう1冊、きちんとした研究書または翻訳があってもよいように思われます。
[Roger Bacon]
ロジャー・ベイコンに関して基本を押さえておく必要を感じました。Complete DSB (A. C. Crombie and J. D. North)の記事をまずみました。
文献の最初で次のように記されます。「ベイコン問題の多くは、完全な批判的全集が出版されるまでは未解決のままである。」
ついで出版史です。
最初は、これ。
Epistola de secretis operibus artis et naturae (De mirabili protestate artis et naturae) , Paris, 1542; Basel, 1593
これは、ジョン・ディー編の著作集(Hamburg, 1618)、フランス語版(Lyons, 1557; Paris, 1612, 1629)、英語版 (London, 1597,1659)、ドイツ語版(Eisleben, 1608)でも出版される。
2番目は、これ。
De retardandis senectutis accidentibus et de sensibuis conservandis Oxford, 1590; in English London, 1683
3番目として、J. Combach編。
Specula mathematica and in qua De specierum multiplicatione earumdemque in inferioribus virtute agitur and Perspectiva, Frankfurt, 1614
『錬金術の鑑』は "doubtful"だが、次。
Speculum alchemiae , Nuremburg 1541; in French 1557; English 1597 German 1608
そして錬金術集成として、次。
De arte chymiae scripta, Frankfurt, 1603, 1620
重要なポイントは、『大著作』『小著作』『第3著作』も出版は18世紀、19世紀のことだということです。
17世紀初頭に立ってみると、ロジャー・ベイコンは第1義的には錬金術師です。copac で1600以前を見てみます。
Speculum alchemiae=Alchemiae Gebri Arabis philosophi solertissimi, libri, cum reliquis, ut uersa pagella indicabit, Bernae, 1545
De arte chymiae scripta=D. Rogeri Baconis ... De arte chymiae scripta cui accesserunt opuscula alia eiusdem authoris., Frankfurt, 1603
De mirabili protestate artis et naturae in De his qu[a]e mundo mirabiliter eueniunt : vbi de sensuum erroribus, & potentijs anim[a]e, ac de influentijs caelorum, F. Claudij Caelestini opusculum. De mirabili potestate artis et naturae, vbi de philosphorum lapide, F. Rogerij Bachonis Anglici libellus, Paris, 1542
=
Epistola, de secretis operibus artis et naturae, et de nullitate magiae. Opera Iohannis Dee Londinensis e pluribus exemplaribus castigata olim, et ad sensum integrum restituta ..., Hamburg, 1618
In hoc volumine de alchemia, continentur haec / Gebri ... De investigatione perfectionis metallorum, liber I. Summae perfectionis metallorum, sive perfecti magisterii, libri II. De inventionis veritatis, seu perfectionis metallorum, liber I. De fornacibus construendis, liber I. Item: Speculum alchemiae ... Rogerii Bachonis. Correctorium alchemiae ... Richardi Anglici. Liber secretorum alchemiae Calidis filii Iazichi Judaei. Tabula smaragdina de alchemia. Hermetis Trismegisti. Hortulani ... super Tabulam smaragdinam, Norimbergae, 1541
Libellus de retardandis senectutis accidentibus, & de sensibus conservandis : item, Libellus Ursonis medici, De primarum qualitatum arcanis & effectibus ... / in lucem prodiit, opera Johannis Williams Oxoniensis. cujus sequitur tractatus philosophicus, De humorum numero ... in humano corpore, Oxford, 1590
Medulla alchimiae [ed.] I. Tanckium. Eissleben, Leip, 1608.
Perspectiva / nunc primum in lucem edita opera & studio Iohannis Combachii. , Frankfurt, 1614
Specula mathematica, Frankfurt, 1614大学の研究室にいる間に、昨日の A. G. Little (ed.), Roger Bacon Essays , (Oxford at the Clarendon Press, 1914), pp.376-425 をプリントアウトしました。 "Roger Bacon's Works With References to the MSS. and Printed Editions" です。そこで編者のリトルは、ベイコンの書誌を編むことの困難についてまず語っています。その原因は、ベイコンの側では、彼が原稿を完成させるまでに何度も何度も(4回も5回も)書き直し、同じ材料を何度も何度も別の文脈で利用する習慣にあった。従って、同じ内容が異なる題名のもとに出現し、異なる内容が同じ題名のもとに現れるということになっている。とりわけ、ベイコンに帰される錬金術書のカオスには誰かが秩序をもたらしてくれることを期待しているとあります。
[Roger Bacon英訳]
このサイトでは、2005年1月にロジャー・ベイコン、長寿法、フランシス・ベイコンの話をしています。そのときはローマの大橋さんに多くを教えてもらっています。さて、1590年オクスフォードで出版されたロジャー・ベイコンの長寿法の書物は、1683年に英訳が出版されます。The Cure of Olde Age and Preservation of Youth. By Roger Bacon, A Franciscan Frier. Translated out of Latin; with Annotions, and an Account of his Life and Writings. By Richard Browne, M.L.Coll. Med. Lond.
Also Physical Account of The Tree of Life by Edw. Madeira Arrais. Translated likewise out of Latin by the same Hand.
London, 1683
『老齢の治癒と若さの保持』がタイトルに選ばれています。次のページに別の英語があります。
The Cure of Old Age and Preservation of Youth. Shewing How to cure and keep off the Accidents of Old Age; and how to preserve the Youth, Strength and Beauty of Body, and the Senses and all the Faculties of both Body and Mind. By that great Mathmatitisan and Physician ROGER BACON, A Franciscan Frier.
こちらはラテン語のタイトルをほぼ直訳しています。
さっかくなので、リチャード・ブラウンによる前書き(読者へ)だけまず読んでみました。伝記と出版リストを付しています。伝記は、時代によって理解されなかった悲劇の人、ロジャー・ベイコンを描き出しています。
著作リストは、Johannes Balaeus, De Scriptoribus Angliaeによって80点の著作を数えています。現実に出版されることはなくても、ジョン・ベイルの時代までに多くの草稿の存在は知られていたことがここからわかります。普通に表記すると、ベイルの書誌は次です。
John Bale, Illustrium majoris Britanniae scriptorum, hoc est, Angliae, Cambriae, ac Scotiae Summarium..., Ipswich and Wesel, 1548 and 1549
この書誌は、一部は次のものに基づくということです。
John Leland, De uiris illustribus, written ca. 1535-6 and 1543-6
これは完成せず、1709にアンソニー・ホールの手でCommentarii de scriptoribus Britannicisとして出版されています。
ブラウンは、リーランドから、「ロジャー・ベイコンは多くの本を著した。しかし、彼の著作の題名だけでも集めるのは、シビュレーの予言書を捜すよりも難しい」という言葉を引用しています。ブラウンは、リーランドのMSを見ることができたのでしょう。Complete DSB に従い、英訳を確認しておきます。
最初の書簡の英訳は、『錬金術の鑑』といっしょに出版されています。
The mirror of alchimy
composed by the thrice-famous and learned fryer, Roger Bachon, sometimes fellow of Martin Colledge: and afterwards of Brasen-nose Colledge in Oxenforde. Also a most excellent and learned discourse of the admirable force and efficacie of art and nature, written by the same author. With certaine other treatises of the like argument..
London, 1597
自分のサイトを見てみると、これはダウンロードしています。相当苦労しましたが、EEBO から降ろしたファイルをやっとのことで見つけることができました。
pp.1-16 "The Myrrour of Alchimy" by Roger Bacon
pp. 16-17 "The Smaragdine Table of Hermes, Trismegistus of Alchimy"
pp. 17-27 "A Brief Commentarie upon the Smaragdine Table of Hermes of Alchimy" by Hortulanus
pp. 28-53 "The Booke of the Secrets of Alchimie" by Galid
pp. 54-84 "An excellent discourse of the admirable force and efficacie of Art and Nature" by Roger Bacon
私はすこし誤解していました。『錬金術の鑑』は以上のように短い論考です。錬金術の要点、要約と言ってよい種類の書物です。『業と自然のはたらきの秘密についての書簡』(英訳は、『業と自然の驚異すべき力と効力』とでも訳すべきでしょうか)はそれよりは長いが、それにしても論考 Treatise と呼ぶべきものです。なお、『業と自然のはたらきの秘密についての書簡』はラテン語原文から大橋さんがウェブで邦訳を公開されています。ほんとうに貴重で大切な仕事です。
→プリントアウトして、読み直しました。第7章は「老化の付帯因の遅延と人の寿命の延長について」です。たしかに同じ話をすこし違った表現でロジャー・ベイコンは繰り返しています。全体としての主張は、我々にも納得できる内容です。魔法に帰されることがらは、ほとんどは、日本語でいうマジック(手品)か、純粋に自然と技術のハタラキである、ということです。ベーコンの集めた古今東西の古典を使い、迫力のある論文となっています。
[Roger Bacon in Theatrum Chemicum]
Theatrum Chemicumに採録されたロジャー・ベイコンを確かめました。次の2点のみ。
Rogerius Bachon. "De Alchemia Libellus cui titulum fecit speculum Alchemiae", Vol. II, pp. 433-442
"Epistola Fr. Rogerii Baconis, de secretis operibus artis & naturae, & nullitate magiae, cum notis", pp. 834-868
つまり、『錬金術の鑑』と『業と自然のはたらきの秘密についての書簡』だけです。
すくなくとも擬トマス・アクィナスが4点あるのと比べても少ないと言えます。MSSが見つからなかったのでしょう。
[Roger Bacon in Alchemical Collections]
これもせっかくなので、おおきな錬金術集成に採録されたロジャー・ベイコンを確認していくこととします。ARTIS AURIFERAE, 1610 には次の1点です。
8. Rogerius Bacho Anglus de mirabili Potestate artis et naturae, Vol. II, pp. 327ff.Verae Alchemiae, 1611 にも次の1点です。
8. Rogerii Bachonis "De Alchemia libellus cui titulum fecit. Speculum Alchemiae", pp. 201ff.Alchemiae Gebri Arabis, 1541, 1545 には次の1点。
5. "Speculum alchemi", Rogerij Bachonis. pp. 208-220
ちなみに1541年の版は、ヘルメスのエメラルド板とホルトゥラヌスの注釈の両方をともに含む版としては最初のものです。1597に出版された『錬金術の鑑』の構成は、この『アラビアのゲーベルの錬金術』から半分程度を訳したものとなっています。Deutsches theatrum chemicum(1728-30)は18世紀の集成ですが、第3巻に数多くのロジャー・ベイコンを含みます。
31. Rogerii Baconis, Chymisch- und Philosophische Schrifften... Nebst einer Vorrede, darinnen von dem Leben und Schrifften Rogerii Baconis Nachricht gegeben wird.
32. Rogerii Baconis, Radix Mundi, oder Wurtzel der Welt, verdeutscht nach dem Englischen von William Salmon.
33. Rogerii Baconis, Medulla Alchimiae, darinnen vom Stein der Weisen, und von der vornehmsten Tincturen des Goldes, Vitriols und Antimonii, gehandelt wird. Item eine Alchymische Epistel, so Alexandro zugeschrieben worden. Vormals durch Joachim Tanckium... Nun aber, durch Friederich Roth-Scholtzen... publiciret...
34. Rogerii Baconis, Spiegel der Alchemie.
35. Rogerii Baconis, Tractat vom Golde, oder gründlicher Bericht von der Bereitung des Philosophischen Steins, so aus dem Golde gemacht wird.
36. Rogerii Baconis, Tractat von der Tinctur und Oel des Vitriols.
37. Rogerii Baconis, Tractat von der Tinctur und Oel des Antimonii, von der wahren und rechten Bereitung des Spiessglases, menschliche Schwach-heiten und Kranckheiten dadurch zu heilen, und die imperfecten Metallen in Verbesseerung zu setzen.
38. Epistel oder Send-Brief des Kayser Alexandri, welcher zu erst in Griechenland und Macedonian regieret hat, auch ein Kayser der Persianer gewesen: Darinnen der Stein der Weisen durch ein Gleichnüss und Parabel sehr lustig und wohl beschrieben erkläret wird.
39. Rogerii Baconis, Angli, Send-Schreiben von geheimen Würckungen der Kunst und der Natur, und von der Nichtigkeit der falschen Magiae.
40. Rogerii Baconis, Epistola de secretis operibus Artis & Naturae, & de nullitate Magiae. Opera Johannis Dee... e pluribus exemplaribus castigata olim, & ad sensum integrum restituta (in Latin).
擬ベイコンを含みます。この作業も必要ですが、そもそもロジャー・ベイコンに電撃を与えた『秘中の秘』そのものの出版史も押さえておかなければならないでしょう。
ボレリのBiblioteca Chimicaには、"Aristoteles, de secretis secretorum, ad Alexandrum Magnum" が立項されています。
ファーガソンのBiblioteca Chimicaに取り上げられているアリストテレスは、1.Tractatalus sw Practica lapides philosophici , De Perfection Magisterio, Tractatus ad Alexandrum Magnum, de Lapide philosophico olim conscriptus. 今では Pseudo-Aristotle に分類される種類の文書です。
ILLで届いていた次の論文を受け取りました。
森 良和 「アリストテレスの偽書「秘中の秘」:中世の最も有名な書」『教育研究 : Tamagawa / 玉川学園教育研究所』3(1998): 174-187
それから研究所によって、スキャンしたあと、研究室で事務的な仕事を進めました。[医師アリストテレス "Aristotle as a Physician" or "Arisototeles medicus"]
ロジャー・ベイコンの調査は終わっていませんが、“医師アリストテレス”に関心をもつようになり、いくつか論文を読んでみようと思います。まずシュミットの次のものを読みました。
Charles Schmitt, "Aristotle among the physicians," in: A. Wear, RK French and IM Lonie (eds.), The medical renaissance of the sixteenth century (Cambridge, 1985) , 1-15, 271-279 reprinted in Reappraisals in Renaissance Thought (London, Varorum, 1989)
p. 2 で次のように言っています。「アリストテレスは、医学的著作がほんの断片しか残っていないとはいえ、医学的著作家でもあった。」テキスト上ならびに図像学的証拠から、解剖学と関連分野について広く仕事をしたことは明らかである。De Sanitate et Morboのわずかの行だけが残存し、それはParva Naruraliaに収められている。
シュミットの目的は、16世紀のイタリアの大学における自然哲学と医学の関連(についてのアリストテレス派の解釈)を探ることです。シュミットは網羅することはできなかったと書きますが、さすがシュミットです、有用な論考となり得ています。De sensu et sensibilibus 436a 17-22 については金山弥平さんの訳を引用します。「健康と病気についてその諸原理を見極めることも、自然学者の仕事である。なぜなら、生命を失ったものには、健康も病気も生じえないからである。それゆえ、自然研究に携わる人たちの大部分と、医者の中でより哲学的に医術を追究して行く人々の間で、自然学者たちは、医術に関する事柄を論ずるにいたるわけだし、医者たちは医術を論じるにあたって、自然に関する原理から出発することにもなるのである。」(金山弥平「理論と経験―古代医学における経験派の方法論―」p.1)
シュミットは、Parva naturaliaをあげます。この翻訳は手元にあります。『アリストテレス全集 第6巻』(岩波書店)です。これは、霊魂論、自然学小論集、気息について、の3点を含みます。
そして、この『自然学小論集』は、「感覚と感覚されるものについて」、「記憶と想起について」、「睡眠と覚醒について」、「夢について」、「夢占いについて」、「長命と短命について」、「青年と老年について、生と死について」、「呼吸について」からなります。
シュミットも金山さんも引用する箇所をこの翻訳(副島民雄訳)で引用してみましょう。p.182 「ところで、健康と病気についてその第1原理を調べることも、自然学者の仕事である。というのは健康も病気も生命を欠くものに生じることはできないからである。この故に自然について研究する者のほとんど大部分の人たちや、医者のうちその術を一層学問的に研究する人たちは、前者はその研究の終わりにおいて医術に関する事柄に到着するし、後者は自然に関する研究を基礎として[医術に関する研究を]始めるのである。」
今回の探究にもっとも関係するのは、「長命と短命について」、「青年と老年について、生と死について」、「呼吸について」の3論考です。
「長命と短命について」の第5章のはじめで、アリストテレスは自分の基本的な考えを述べています。p.280 「われわれは動物が本来湿っていて暖かくあるということ、生ということはこのようなものであるということ、しかるに老年は乾いていて冷たくあるということ、そこで屍体はそうであるということを許さねばならぬ。」
[Physicaの意味:自然学と医学]
ウェブで次の論文をダウンロードし昨日から読み始めました。
Jerome J. Bylebyle, "The Medical Meaning of Physica", Osiris, 2nd Series, 6(1990): 16-41
オサイリスのこの巻は、「ルネサンスの医学:伝統の発展」という特集になっています。
クリステラーから始めなければならないとあります。Paul Oskar Kristeller, "The School of Salerno: Its Development and Contribution to the History of Learning," Bulletin of the History of Medicine, 17(1945): 138-194
そして、最近ではローンの研究とあります。Brian Lawn, The Salenitan Questions: An Introduction to the History of Medieval and Renassance Problem Literature, Oxford: Clarendon Press, 1963
Brian Lawn(ed.), The Prose Salenitan Questions, London, 1979
図書館の方に教えてもらった次のサイトを試してみました。医学史の文献もかなりヒットし、ダウンロードできます。便利です。
PubMed(医学系分野の文献検索サービス)
検索ページこれを書いていると、大学のリモートアクセスで OED が使えるようになったという連絡がありました。助かります。
→13.6.7 見直してみました。実際には、PubMed の論文はすでに相当数ダウンロードしていました。
PMC: US National Library of Medicine, National Institute of Health
ダウンロードできるのは、
J R Soc Medの Vols. 71 to 106; 1978 to 2013
Proc R Soc Med:のVols. 1 to 70; 1908 to 1977
Med Chir Transの Vols. 1 to 90; 1809 to 1907
です。
[医師アリストテレス "Aristotle as a Physician"]
アリストテレスの自然学小論集を読み進めています。これはとても興味深い。「青年と老年について、生と死について」第3章 岩波書店、pp.290ff
「有血動物においてもまた心臓が最初に生じた。してこの事は、なおその生成を観察することができるものにおいて、われわれが見るところのものからして明らかである。したがって無血動物においてもまた必然に心臓に類比するものが最初に生じねばならぬ。して『動物部分論』においてすでに心臓が血管の始めであるということ、および有血動物にとっては血液が最後の影響で、これから[身体の]部分が生じるということが述べられた。」
「だが最上の支配を有するものであり、かつ完全なる働きをするものは心臓である。したがって必然的に有血動物においては霊魂の感覚能力の根源も栄養能力の根源も心臓の内にあらねばならぬ。というのは栄養に関する他の部分の仕事は心臓のために存在するからである。」
「しかし確かに少なくともすべての有血動物においては感覚[能力]の支配的な部分は心臓の内にある。なぜなら必然にこの内にすべての感覚に共通な感官があらねばならないからである。して味覚と触覚の二つは明らかに心臓にまで伸びているのをわれわれは見る。したがって他のものも必然にそうでなければならぬ。」
「青年と老年について、生と死について」第4章 岩波書店、pp.292ff
「さてもし動物が感覚的な霊魂を持っていることによって[それが動物であると]定義されるとすれば、有血動物においては必然に霊魂の根源を心臓の内に持っていなければならず、無血動物においてはそれを心臓に類比する部分の内に持っていなければならぬ。 ところが動物のすべての部分および身体の全体は生来のある本性的な暖[熱]を持っている。それが生きているときは、温かいものとして経験されるのはこの故である。が死んでその生を失ったときはその反対となる。事実、この暖の根源は有血動物においては必然に心臓の内にあらねばならぬ。が無血動物においては、それに類比する部分の内にあらねばならぬ。なぜならすべての部分が本性的な暖[熱]によって働きをなし、かつ食物を消化するのであるが、その最も支配的な部分がもっとも多くこれをするからである。他の部分が冷たくなっても、生が残るのはこの故である。だが心臓の部分が冷たくなる場合には[生は]全く滅亡する。」
「それゆえに必然に生とこの熱の保持とは一致し、死と呼ばれるものは熱のなくなることであらねばならぬ。」
「青年と老年について、生と死について」第5章 岩波書店、pp. 293-4
「さてわれわれは火には二種の消滅の仕方、すなわち燃尽と消火があることをみる。してわれわれはそれ自身からの消滅を燃尽と呼び、対立物による消滅を消火と呼ぶ。[前者は老年により、後者は強制によって起こる。]がいずれの仕方による消滅も同じ原因によって生ずるのである。なぜなら栄養[食物]が欠乏し暖[熱]が栄養ととることができない場合には、火の消滅が生じるからである。というのは対立物が消化を止どめて、火が栄養を受けることを妨げるからである。他の場合呼吸することも、冷却することもないために熱が過度に蓄積する場合には、燃尽が起こる。なぜならこのように大量蓄積した熱は速やかにその栄養を消耗し、かつ[栄養が]蒸発する以前に[それを]消耗して消滅させるからである。」
「そこでもし熱が保持されなければならないとすれば(してこの事は[動物が]生きていこうとする以上必須である)、根源の内にある熱が或る種の冷却を受けねばならないということが明らかである。」「呼吸について」第1章 pp. 296-7
呼吸について述べた古い自然学者たちは「すべての動物が呼吸すると主張している。がこのことは間違いである。」
「呼吸について」第2章 pp. 297-8
アナクサゴラスは「鰓を通して水を排出するときには、いつでも口中に空気が生じ、その空気を引き入れることによって魚は呼吸するのであると」主張しているが、「不可能である。」
「呼吸について」第6章 pp. 304-5
「ところでわれわれはあたかも内部の火が息によって養われ、かつ呼吸はいわば火に燃料が投げ与えられるようなもので、火が栄養を受けると、気息が吐き出されるかのごとく思って、呼吸は[火の]栄養のために起こるのだというふうに考えてはならぬ。」
「呼吸について」第16章 pp. 321-2
「さて動物の本性が一般的に言って冷却を必要とするのは、心臓の内で霊魂が熱せられるためである。して動物のうち心臓のみならず肺をも持っているかぎりのものは、呼吸によって冷却をなす。」魚は「鰓を通して水によって冷却をなす。」
「呼吸について」第17章 pp. 322-4
て出生と死とはすべての動物に共通である。がその仕方は[動物の]種類によって異なって いる。すなわちその死滅[の仕方]は相違しないわけではないけれども、何か共通なものを持っている。して[死には]暴力的な死と自然的な死とがある。」
「そしてこ の自然死の根源は動物の[部分の]始めからの構成に含まれているのであって、何か新たに外から得られた異常[様態]ではない。」
「さて死滅はすべての場合、熱の或る種の欠乏によって起こる。が成熟したものにおける死滅は、その実体の根源がその内に在る部分に熱が欠乏することに原因する」在る部分とは、上の下の中間部分であり、有血動物では心臓である。」
「生命の根源は、それと共在するところの熱が冷却されない場合には、それを有するものから去ってしまう。というのはしばしば述べられてように、それはそれ自身によって消耗[燃尽]されてしまうからである。」
老年になると「あたかも微かな小さな炎が自らの内にあって、それが小さな作用によって消えてしまうようなものである。」
「呼吸について」第18章 pp. 324-5
「さて出生とは栄養をつかさどる霊魂がはじめて暖かい部分に宿ることであり、生存とはこの宿ることを続けることである。して青年は冷却をつかさどる主要部が成長する時期であり、老年はこれが破滅する時期である。」
「老年における死は、この部分の燃尽であって、老年の故に冷却が不可能になることによって起こる。」
「呼吸について」第21章 pp. 327-9
最後の文章は次です。
「さてこのようにして生命と死とおよびこれに関連する事がらに関する問題はほとんどその全部について述べられた。だが健康と病気に関する問題は単に医者の[関心]事であるのみならず、その原因を語るかぎりにおいて自然学者の[関心]事でもある。してこの二者が如何[なる程度]に異なっているのか、ならびに如何[なる程度]に異なるところの問題を観極めようとするのであるかということを、われわれは見逃してはならぬ。というのは、事実の証するところでは、両者の仕事は少なくとも或る程度までは範囲を同じくするからである。なぜなら医者のうち練達にして探求心深い者は自然について何かを語り、かつそこから彼らの原理[たる根源]を取り出すことを要求し、自然について研究する者のうち、もっともすぐれた者はほとんど医術の原理において[その研究を]おわるからである。」
ちょうどシュミットの問題関心の焦点となっている文章で終わっています。3次文献の記述も紹介しましょう。秋間実氏は、日本大百科全書(WEB)において次のように記述されます。
アリストテレスの『動物誌』や『動物部分論』で「とくに興味深いのは、彼が心臓の役割をきわめて重くみたということである。心臓は、血液の源泉であり、有血動物が生存するのに 欠かせない体熱の起源であり、また、運動と感覚のはじめ、感情・思考の場、つまり心の座であるという。こうした認識に見合って、肺臓および脳の役目も規定 されることになる。すなわち、彼は、肺臓を呼吸によって生体の過熱を防ぐ空冷装置と解したし、脳には心臓の熱を調節するという副次的役割をふりあてて、脳 と感覚その他の精神現象とのかかわりは否定ないし無視したのである」。[プリニウス]
プリニウスの邦訳『プリニウスの博物誌』は、中野定雄・中野里美・中野美代訳、雄山閣出版、1986年として出ています。新版が1995年に出て、さらに五分冊の縮刷版が雄山閣出版から2012年に出ています。
構成は次のようになっています。
第1巻 序文
第2巻 天文
第3 - 6巻 地理
第7巻 人間
第8 - 10巻 動物
第11巻 昆虫
第12 - 19巻 植物
第20 - 27巻 薬草
第28 - 32巻 動物性薬品
第33巻 鉱物
第34巻 彫刻
第35巻 絵画
第36巻 建築
第37巻 宝石
おおきな特徴として、彫刻、絵画、建築に1巻があてられていることが挙げられます。技術の分野は、この3つ。あとは、宇宙、人間、動物界、植物界、鉱物界、ですが、昆虫に1巻があてられていること、地理に4巻があてられていること、鉱物の他に宝石が別巻としてたてられていることが目立ちます。動物界、植物界では、薬の材料としての側面がおおいに注目されています。薬草に8巻、動物性薬品に5巻あてられています。
私の研究分野だと手元にあった方がよい種類の本です。うーん、どうしましょうか。
まず図書館で次の資料を受け取りました。ILLで届いていたものです。
Diego Gracia, "The Structure of Medical Knowledge in Aristotle's Philosophy," Sudhoffs Archiv, 62(1)(1978): 1-36
ふと思い出して、次の論文をダウンロードし、その場で読みました。
ANA MARIA ALFONSO-GOLDFARB and MARCIA H. M.FERRAZ, "Gur, Ghur, Guhr or Bur? The quest for a metalliferous prime matter in early modern times," British Journal for the History of Science, 46.1 (Mar 2013): 23-37.
前に一度私もやろうと思ったことのあるテーマです。悪くもありませんが、よくもありません。分析の焦点は、18世紀の化学史をリードしたブールハーヴェとゲオルグ・シュタールです。ブールハーヴェとJohann Baptist Bassand との書簡におけるグルの分析は意味があります。(ブールハーヴェは出版されたものでは一度もグルに触れていないが、グルにあつい関心があったことは、この手紙のやりとりでわかる。)
→ 13.8.22 もうすこし詳細に紹介しましょう。
シュタールのテキストは、『イオウ論』です。その3分の1は、鉱物生成論を扱っています。アナとマルシアは、ドルバックによるフランス語訳(Traité du soufre, Paris, 1766, esp. on pp.209-213)を使っています。
ブールハーヴェの書簡集は次です。
Gerrit A. Lindeboom (ed.), Boerhaave's Correspondence, 3 vols., Leiden: Brill, 1962-1979
(このブールハーヴェ書簡集は、日本では駒場、東北大学、広島大学の3館が所蔵しています。
Lindeboom の編纂したAnalecta BoerhaavianaのIII が書簡集のPart 1(1962)、 V が書簡集のPart 2 (1964)、です。アナとマルシアが使うのは Part 2です。
HATHI TRUST のデジタルライブラリー www.hathitrust.org で書簡集の検索がかけられます。それによれば、GUR は4箇所、pp.304, 305, 312, 313 で出現します。 )
ブールハーヴェは、ソースとしてウェブスターと同様、マテジウス、パラケルスス、ファン・ヘルモントの名前を挙げている。しかし、ウェブスターと違いグラスホッフの名前は挙げず、かわりにゲオルグ・アグリコラの名前を挙げている。
アナとマルシアによれば、パラケルススはグルに触れていない。ゲオルグ・アグリコラもグルには触れていない。それのみか、錬金術のスイギン-イオウ説に反対していたアグリコラは、金属の起源に油状の湿気 fatty humourを立てる必要性を認めていない。→ 13.8.23 冒頭でアナとマルシアは次のようにいいます。
鉱物生成論は地質学または化学の歴史にのみ意味があるとこれまで信じられてきた。しかしながら、より詳しくこのテーマを調べてみると、すくなくともアリストテレスのときから18世紀まで、鉱物の発生は、自然の3界の境界ならびに連結にかかわってその全局面を覆う議論の中心であった。この点に関し、関心のひとつの焦点は、種と支配的原理がどれかひとつの界に限定されるのか、あるいは3界をめぐるものなのかということであった。
この理由により、金属の起源と生成の問題は、物質の本性そのものに関して直接的な関連を有し、そして医学や薬学から哲学や自然誌までの伝統的知識分野だけではなく、初期近代に出現しつつあった新しい分野の理論と実践のあり方を教えるものと言えるのである。
>直感的には私もこのように思います。しかし、自然の3界にわたる物質種の発生の問題をアナとマルシアは正面から取り上げているわけではありません。ほぼ、マテジウスからクラープロートまでの「グル」の概念・用法史を扱っただけと言えます。
>>上に訳出した最初の2段落の問題領域の上に、論究を展開すると、本質的は論文たり得たのではないかと愚考します。
すくなくとも議論の土俵を元素・原質からの物質種の生成としておけば、もうすこしインパクトのある深い議論となったように思われます。実は、アナとマルシアは注2で、平井さんと私の共著論文(Hiro HIRAI and Hideyuki YOSHIMOTO, “Anatomie du Chymiste Sceptique: Robert Boyle et le Secret de ses premières Sources sur la Croissance des Métaux”, in Charles Ramond et Myriam Dennehy (eds.), La philosophie naturelle de Robert Boyle (Paris: Vrin, 2009), pp.91-116)を Charles Ramond et Myriam Dennehy, La philosophie naturelle de Robert Boyle Paris: J. Vrin, 2009, pp.111-112 と引用しています。これだと現物をしらない方/確認しない方は、シャルルとミリアンの仕事だと誤解します。
2学期に向けて机の上の片づけを続行中です。昨日着手して今朝やっとデスクトップが見えました。すると次の論文が放置されているのに気付き、2学期への助走として読んでみました。
生田省悟「氾濫するObservation:王立協会とサー・トマス・ブラウンにおける自然研究」『金沢法学』46(2)(2004): 43-68
着眼点としてはおもしろい所をついていると思いますが、あまりにもはやく一般的結論に辿りついています。
ストレートに表現すると結論は無理だと思われますが、おもしろい材料を提示してくれています。
なお、トマス・ブラウン卿にとりくむ日本人の(英文学者の)研究者として、この生田省悟さん、岡田典之さん、宮本正秀さんがいるようです。
生田さんと宮本さんは、共同で Religio Medici の翻訳を紀要に発表されています。
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:医師の信仰(その一)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』32(2)(1995): 194-163
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:医師の信仰(その二)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』33(1)(1995): 220-192
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:医師の信仰(その三)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』33(2)(1996): 314-290
たぶん、この翻訳に基づき邦訳が出版されています。
サー・トマス・ブラウン『医師の信仰・壺葬論』生田省悟・宮本正秀訳、松柏社、1998
この訳書は買っています。部屋中を探せばどこかから見つかる筈です。
生田さんと宮本さんは共同でブラウンの次のものも翻訳されています。
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:ハイドリオタフィア(その二)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』32(1)(1994): 272-256岡田典之さんには次の研究があります。
岡田典之「薔薇とザリガニ―パリンゲネシスと復活をめぐる十七世紀の論争―」『龍谷紀要』第34巻(2012): 1-14
邦語では、これが最初の「パリンゲネシス」をテーマとする論文かもしれません。少なくともグーグルスカラーでヒットするのはこの1点です。
せっかくなので、すぐに読みました。公表されているサマリーをそのまま引用します。
「パリンゲネシスとは、植物や動物を苛焼し、そこで得られた灰に何らかの化学的(錬金術的)操作を加えると、その灰から元の植物や動物の姿が現れるという現象である。 … 本稿では、主に十七世紀英国でこのパリンゲネシスに言及している三人の著作家を取り上げ、それぞれがパリンゲネシスと復活をどのように関連させているのかを考察する。 …」 三人の著作家とは、トーマス・ブラウン、ケネルム・ディグビー卿、アレグザンダー・ロスです。冒頭には、ボルヘスの小説に現れるパラケルススの姿が引用されています。
ガファレルの名前は言及されます。しかし、ディグビーがパリンゲネシスを紹介するときにまず名前を挙げているケルケタヌスの伝える話(ポーランド人の医師が尋ねてきて・・・)がスルーされているのはちょっと残念です。→実は、このサイトで一度 Palingenesis を扱っています(2010年1月2日)。ネットで検索してもヒットしないと思ったら、私は「パリンゲネシス」(ラテン語読み?)ではなく、英語読みでパリンジェネシスと表記していました。まあ、正確には英語読みではパーリンジェナシスでしょうが、英語をカタカナ表記するときの習慣に従えばパリンジェネシスでしょう。そこでは同時代の証言を翻訳しています。せっかくですから、再掲します。
「もっと顕著な例は、自然の奇跡、すなわちガラス容器中で原子から植物の全体を再生したヘルメスの木によって与えられる。ヘルメスの木は、ポーランドの医師がガファレルの臨席する機会に示したものであり、ガファレル自身が(『前代未聞の驚異』において)記録し、ケルケタヌスが(Ad veritatem hermeticae medicinae ex Hippocratis...adversus cujusdam anonymi phantasmata responsio)で主張し、さらにブランデンブルクで長く哲学と医学の教授であったHierem.コルナリウスが偉大なるリバヴィウスに宛てた手紙中で記述した伝記でも紹介されている。この手紙は、リバヴィウスの著作(Sintagm. Arcan. Chymic第1書第22章)に添えられた(「植物の灰からの形相の再生について」)。」チャールトン、pp.109-110.
そしてこの証言のもとがゼンネルトであることも記しています。関係する一次資料は次です。
ケルケタヌスのパリンジェネシスの説明は、Ad veritatem hermeticae medicinae ex Hippocratis veterumque decretis ac Therapeusi, nec non viuae rerum anatomiae exegesi, ipsumque naturae luce staliliendam, adversus cujusdam anonymi phantasmata responsio (Frankfurt, 1604; 1605), pp.228-238, esp. on pp.233-5.
キルヒャーでは、『地下世界』(2 vols, Amsterdam, 1665), Vol.2, p.414.
ガファレルの英訳(London, 1650) では、pp.135-8.
ファン・ヘルモントの批判については、Ortus Medicinae, pp.459-60.
マイネルが挙げる2次資料は、次の4点です(p.81, note 39)。
Jacques Marx, "Alchimie et Palingenesie," Isis, 62(1971): 274-289
Allen G. Debus, "A Further Note on Palingenesis," Isis, 64(1973): 226-230
Joachim Telle, "Chymische Pflanzen in der deutschen Literatur," Medizinhistorisches Journal, 8(1973): 1-37
Francois Secret, "Palingenesis, Alchemy and Metempsychosis in Renaissance Medicine," Ambix, 26(1979) : 81-92.
実際に授業で扱うかどうかは別にして、"Palingenesis"に関する資料をまとめておこうと思い、ネットで捜し物をしていました。ディグビーの議論は、『植物の成長に関する論考』(1661)にあります。
Sir Kenelm Digby, A Discourse Concerning the Vegetation of Plants, London, 1661
1660年1月23日、グレシャムカレッジの(王立協会に繋がる)会合でディグビーが行った講演によります。
Bruce Janacek, "Catholic Natural Philosophy: Alchemy and the Revivification of Sir Kenelm Digby," in Margaret J. Osler (ed.), Rethinking the Scientific Revolution, (Cambridge: Cambridge University Press, 2000), pp.89-118
がこの問題を扱っています。とくにpp.108-9. これによれば、『植物の成長に関する論考』pp.72-88 前後でディグビーはパリンジェネシス(パリンゲネシス)の扱っているということです。(すぐには、ディグビーの原典を入手することはできませんでした。)探しているうちに、次の論文に出会いました。
Carlos Soís, "La Ciensia de la Resurrección," Asclepio, 64(2012): 311-352
スペイン語の論文ですが、"Palingenesis"の基本的な図版5点が採録されていて、その図版を見るだけで、17世紀の人が"Palingenesis"と呼んだ現象がどういうものかわかります。さて、こういう話の集成の第一人者は、Abbe de Vallemont のようです。
Abbe de Vallemont, Curiosities of Nature and Art in Husbandry and Gardening , 1707
Abbe de Vallemont (Pierre de Lorrain), Curiositez de la nature de de l'art sur la vegetation, ou l'agriculture, et le jardinage dans leur perfection, Paris, 1705
英訳は、ネット上では見つからなかった(ないと言い切れるほど頑張って探していません)のですが、フランス語の版はすぐに見つかりました。
"Palingenesis"の代表的な図版がこれに収められています。
[Palingenesis]
Pierre de Lorrain (Abbe de Vallemont) のテキストの性格と成り立ちが気になります。ウェブで調べてみましたが、これで決定、よくわかるという文章にはまだ出会っていません。気になっているのはガファレルのテキストとの関係です。
全部の問題に光を与えてくれるわけではないのですが、ウェブで見つかった次の論文は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したイエイツを主題とするものですが、テキスト上の情報(書誌情報)を割としっかりと挙げていて、有用です。
Neil Mann, "W. B. Yeats and the Vegetable Phoenix," originally published in Yeats Annual 17, ed. W. Gould (Palgrave Macmillan, 2007), pp.3-35.クラカウの医者がケルケタヌス(デュ・シェーヌ)に示したガラス瓶のなかで生じたパリンジェネシス(パリンゲネシス)の現象ですが、ケルケタヌス自身の証言とガファレルの引用によって広まった話と言ってよいようです。
Quercetanus, Ad veritatem hermeticae medicinae ex Hippocratis... (Frankfurt, 1604; 1605), pp.228-238, esp. on pp.233-5.
Jaxques Gaffarel, Curiositex inouyes sur la sculpure talismanique des persans (Paris: du Mesnil, 1629)
translated into English as Unheard of Curiosities by Edmund Chilmead (London: Moseley, 1650), pp.136-7
さて、本日は、駒場の授業の初回。10月11日に初回というのもなかなかです。
基本情報を再掲します。
授業科目名:相関基礎科学特殊講義IV
時限:金曜日5時限
教室:8号館324教室
内容:初期近代生理学史(医学史、生物学史):一応ハーヴィーを中心にしますが、広く研究史を押さえたいと思っています。
関心のある方であれば、どなたでも参加を歓迎します。初回なので、早めに家をでました。2時前。駒場に着いて、まず非常勤講師室へ。判子を押して書類を手渡しました。それから、一度教室を確認しました。
そして、図書館へ。非常勤講師の身分で図書館利用証を発行してもらいました。生協のなかを見て回ってから、科哲事務室へ。
5限は外語では4時からです。思わず4時前に動きそうになって、橋本さんに4時半からだよと指摘され、駒場は4時半からだったことに気づきました。
教室の前には2分前に着きました。前のクラスがまだ続いています。1〜2分、5限にずれ込みました。4限の担当教員は5限の授業があるという意識がなかったようです。
結局、新しいメンバーは一人でした。柴田君には、駒場でこういう分野を勉強している院生はいないとは言われていましたが、ほんとうにいないようです。いつもよりずっと遅くに帰宅すると次の本が届いていました。
Elaine Leong and Alisha Rankin (eds.),
Secrets and Knowledge in Medicine and Science, 1500-1800
Farnham: Ashgate, 2011
目次は次の通りです。
Part 1 Defining Secrets
How to read a book of secrets, William Eamon
What is a secret? Secrets and craft knowledge in early modern Europe, Pamela H. Smith.
Part 2 Secrecy and Openness
The secrets of Sir Hugh Plat, Ayesha Mukherjee
Robert Boyle and secrecy, Michael Hunter
Openness vs. secrecy in the Hartlib circle: revisiting 'democratic Baconism' in Interregnum England, Michelle DiMeo.
Part 3 Illicit Secrets
Anna Zieglerin's alchemical revelations, Tara Nummedal
Face waters, oils, love magic and poison: making and selling secrets in early modern Rome, Tessa Storey.
Part 4 Secrets and Health
Keeping beauty secrets in early modern Iberia, Montserrat Cabre
Secrets to healthy living: the revival of the preventive paradigm in late Renaissance Italy, Sandro Cavallo
Secrets of place: the medical casebooks of Vivant-Augustin Ganiare, Lisa Wynne Smith
マイケルをはじめ、知っている名前が多い。
私は午後の一番遅くに駒場で授業です。
1号館2階で判子を押し、図書館へ。まず4階へ行って、『知の革命史4 生命思想の系譜』(朝倉書店、1980)を借りました。
それから地下に降りて、日本語の雑誌を探し、次のコピーを取りました。
G.E.R. ロイド「アリストテレースと動物分類学」(安西真訳)『思想』687(1981): 20-30
同時に次のコピーもとりました。
月沢美代子「ハーヴィとデカルト」『知の革命史4 生命思想の系譜』(朝倉書店、1980), pp.65-96生協に寄ってから、教室へ。14号館308号室。
図書館で次の2冊を受け取りました。
エヴァンズ『バロックの王国:ハプスブルク朝の文化社会史 1550-1700年』
慶應義塾大学出版会、2013
田中祐理子『科学と表象:「病原菌」の歴史』名古屋大学出版会、2013
ざっと見ただけですが、どちらも立派な本です。
5限に駒場の授業。いつも通り、まず判子。それから図書館。本を一冊返し、パリの王立科学アカデミーのメモワールを確認し(確認した意味がありました、私は一箇所数字を間違っていました)、Annals of Scienceの2010年の第3号(「初期近代における動物の表象」を特集しています)から、次の2点をコピーしました。
S. Kusukawa, "The sources of Gesner's pictures for the Historia animalium," Annals of Science, 67(2010): 303-328
Karin J. Ekholm, "Fabricius's and Harvey's representation of animal generation," Annals of Science, 67(2010): 329-352
楠川さんの論文については、少し前に、坂本博士による丁寧な紹介が彼のブログにあります。英語でのよい論文の見本のような論文と言えるでしょう。
→13.11.2 他の特集論文は次です。
Sarah R. Cohen, "Searching the animal psyche with Charles L Brun," Annals of Science, 67(2010): 353-382
Anita Guerrini, "The king's animals and the king's books: the ilusrations for the Paris Academy's Hisoire des animaux," Annals of Science, 67(2010): 383-404
Demenico Bertoloni Meli, "The representation of insects in the seventeeth century: a comparative approach," Annals of Science, 67(2010): 405-
図書館で次の2冊を受け取ってから帰宅しました。
ポール・アストラップ, ジョン・セバリングハウス
『生理学の夜明け : 血液ガスと酸塩基平衡の歴史』
吉矢生人, 森隆比古訳、 真興交易医書出版部, 1989
中山茂『一科学史家の自伝』作品社、2013
最初のものは、ILL で届いていたものです。中山さんの自伝は、ブログをまとめたものです。536頁の大著のうち、498頁以降を電車のなかで読みました。「発がん元年」「ボン・ボヤージュ」「あとがき」吉岡斉「解説」の部分です。C型肝炎から癌になったと書かれています。父と同じです。寿命が尽きる前に好きなことをすると宣言されています。
[医師デカルト]
駒場の授業では、「医師アリストテレス」という回を設けます。同じように、「医師デカルト」というのもありかな、と思っていたら、シェイピンがその名の論文を書いていました。
Steven Shapin, "Descartes the Doctor: Rationalism and Its Therapies," British Journal for the History of Science 33(2000): 131-154
このあたりの目の付け所がさすがシェイピンです。よりよい自然哲学の知識がよりよい医学実践に繋がるという信念は、古代以来多くのものに共有されたが、初期近代においてもそう唱えた思想家は少なくなかった。デカルトもその一人であり、デカルトは繰り返し自然哲学的営為の主要目的のひとつは、医学実践の改良であると唱えている。シェイピンはとくにデカルトが書簡の交換において、いろんな人に行った医学的アドバイスに注目し、デカルトの近代主義的理性の力に基づく健康を維持し長命に繋がる養生法(食事法、医師との付き合い方、医薬品の用い方)を分析した、短くまとめればこうなるでしょうか。
合理主義とセラピー(療法)というところに焦点を当てたのは、シェイピンの持ち分でしょう。しかし、「医師デカルト」という観点を立てたとき、もっと別の分析ももちろんありえます。そして、「医師デカルト」という特集を組むこともできます。
そういうものがあれば、是非、『人体の記述』の深い分析も欲しいところです。
[デカルト生理学の基本]
基本を押さえておこうと思います。デカルト生理学についての基本的先行研究はおそらくホールのものです。
Thomas S. Hall, "Descartes' Phyisological Method: Position, Principles, Examples," Journal of the History of Biology, 3(1970): 53-79
ちょっと手間取りましたが、ウェブで探して、ダウンロードし、すぐに読みました。とても明晰な分析です。今であればもうすこし詳細で正確な分析がなされていると思いますが、デカルト生理学の基本(方法論、立場、原理、説明事例)に関して、明確な記述がなされています。今でもデカルト生理学については、ここから出発するのがよいように思われます。これまであまり取り上げてきていませんが、ホールには翻訳があります。
T. S. ホール『生命と物質』長野敬訳、平凡社、1990
デカルトは、上巻の第2部第18章(pp.238-251)で扱われています。当然ながら記述内容は、上記の論文と重なるところが大きい。ホールがデカルトからまとまって引用する箇所を列挙します。
AT, 11: 126-7
AT, 11: 253
AT, 11: 253-4
AT, 11: 148-149
ちなみに、L'Hommeは、AT, 11: 119-202 ; La Description du corps humainは、AT, 11: 223-290です。デカルトの『人間論』には(前述の通り)邦訳があります。
デカルト(伊東俊太郎・塩川徹也共訳)『人間論』『デカルト著作集4』(白水社、1973): 223-296.
邦訳との対照を見つけようと思います。
AT, 11: 126-7 = 邦訳、p.229 = Hall(1970), p.66
AT, 11: 148-149 = 邦訳、p.245 = Hall(1970), p.772013.1.15 にも引用していますが、デカルト『人間論』の最後の段落(p.286)をここでも引用しておきます。
「次には、私がこの機械に付与した全機能を考えてみていただきたい。それは、たとえば、食物の消化、心臓や動脈の鼓動、肢体の栄養摂取と成長、呼吸、覚醒と睡眠、そして、光、音、匂い、味、熱その他の性質を外部感覚器官へ受容する機能、それらの観念を共通感覚と想像力の器官へと刻印する機能、同じ観念を記憶で保持する、すなわち痕跡を残す機能、欲望や情念の内部運動、最後に肢体すべての外部運動などである。この最後の運動は、感覚に現前する対象の作用によっても、情念や、記憶の中に見いだされる刻印によっても、非常に適切にひき起こされるので、それらは真の人間の運動に、可能なかぎりきわめて完全に類似している。そして、これらの機能がすべて、この機械においては、器官の配置だけから自然に結果するということを考えてみていただきたいのである。これは、時計やその他の自動機械の運動が、おもりや歯車の配置の結果であるのと全く同様である。したがって、これらの機能のために、機械の中に、その心臓で絶え間なく燃えている火―これは無生物体の中にある火と異なる性質のものではない―の熱によって運動させられている血液と精気以外には、植物精神も感覚精神も、またその他の運動と生命のいかなる原理も、想定してはならない。」(p.286)
訳語ですが、ここの「精神」は、アリストテレス『霊魂論』の「霊魂」です。訳語はそれにあわせた方がよかったように思います。
ホールが指摘するとおり、デカルトの生理学の説明は、新しい事実の説明ではなく、すでに流布していた生理学的説明の、1)生命=霊魂(プシケー)によらない、2)粒子論的再解釈です。
そしてデカルトの提示する仮説(デカルト自身仮説という用語を使っています)は、真理の記述(stating the truth)ではなく、モデル(メタフォア)の展開(developing a model)であった、こうホールは結論づけています。(p.79)せっかくですから、 T. S. ホール『生命と物質』(長野敬訳、平凡社、1990)上巻第2部第18章(pp.238-251) を読み直してみました。悪くはありません。しかし、これだとHall(1970)論文のインパクトはまったくなくなっているように感じます。個人的には翻訳の工夫で対処できるように思いますが、翻訳にそこまで求めるのは過剰要求かもしれません。
→ 13.11.5 山田弘明さんが名古屋大学文学部の紀要で、デカルトの「人体の記述」の序文を邦訳してくれています。貴重な貢献です。デカルトが基本を述べている部分を山田さんの訳で引用しましょう。
「私が記述しようとする全機械の一般的概念をまず得るために、ここで私は次のことを言っておく。心臓のなかにある熱こそが、あたかも大きなゼンマイ、すなわち機械のうちにある全運動の原理のごとくであること。静脈は身体の全部分の血液を心臓へと導く管であり、心臓において血液はそこにある熱を養っていること。また胃と腸はもっと太い管であり、そこにはたくさんの小さな孔がちりばめられていて、それらの孔から食物の汁が静脈のなかを流れて心臓へと一直線に運ばれること。動脈はまた別の管であり、心臓で熱せられ希薄になった血液は、そこを通って身体の他のすべての部分へと流れ、その部分を養う熱と物質とをそこへ運ぶこと。そして最後に、この血液の最もよく動き活発な部分は、心臓からくる動脈によって他にまさって一直線に脳に運ばれ、いわば空気つまり「動物精気」と呼ばれるきわめて微細な風を構成する。動物精気は脳を膨張させ、脳が外的対象および精神の印象を受け取るのに相応しいようにする、言い換えれば、 脳を「共通感覚」、「想像力」および「記憶」の器官つまり座とする。次いで、この同じ空気つまり精気は、神経を介して脳からすべての筋肉へと流れる。それによって精気はこれらの神経を外的感覚の器官に役立つようにし、筋肉をさまざまにふくらませて、すべての肢体に運動を与えるのである。」
( 山田弘明「デカルトと医学」『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』50(2004): 1-39 on p.32-3)
夕方にまた雨が降り始めました。その前に次の本が届きました。
児玉善仁『<病気>の誕生―近代医療の起源―』平凡社、1998[反射概念の形成]
今調べていることに、カンギレムの『反射概念の形成』が関係することに気づきました。すっかり忘れていました。
ジョルジュ・カンギレム
『反射概念の形成―デカルト的生理学の淵源』
金森 修訳、 叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局、1988
目次
第1章 デカルト以前の筋肉運動を巡る問題状況
第2章 不随意運動を巡るデカルトの理論
第3章 トマス・ウィリスによる反射運動概念の形成
第4章 炎と燃える魂
第5章 無頭の動物と有機体の交感
第6章 ウンツェルとプロハスカ
第7章 19・20世紀における反射概念の沿革の歴史
補違 ウィリスのテクスト抜粋
ウィリスは、これを使うという手も思いつきました。読まないことには何も言えないので、1955年原著(金森さんは1977年の版から訳されたと記されています)のこの著作の第1章と第2章をまず読みました。
ここはカンギレムといえども先行研究の整理です。とても明晰にまとめることができていると思います。哲学系の方には、これが最良のスタート地点かもしれません。カンギレムが第2章で力を入れて論証している点を紹介しておきましょう。
(p.50) 「不随意運動をめぐるデカルトの説明の中には、反射概念の等価物も、反射の一般理論も見いだすことはできない。」
(p.50-51) 「[反射の]概念は、有機体の末梢部から出発した振動がどんな性質のものであれ、体の中心で反射して再び末梢部に戻ってくる」という点を含んでいなければならない。したがって、デカルトの示した不随意運動は、厳密には反射運動ではない。
カンギレムは、こうした間違いの典型例をミンコフスキーに見いだします。「或る物体を素早く目に近づけると不随意的で止めようがない瞬きが起こる、という事実の観念に基づいて、デカルトは反射概念を確立した」というミンコフスキーの判断は、批判的に分離すべきものを不当に混同している、カンギレムはそう判断します。
実際、ウェブで調べてみると、ミンコフスキーの誤謬は普及しています。
[反射概念の形成 ii ]
せっかくなので、カンギレム『反射概念の形成―デカルト的生理学の淵源』を読み通すことにしました。
おお、これはすばらしい著作です。ウィリスの章で、びっくりしました。カンギレムはウィリスを発見したわけではないと書きますが、通常の歴史の用法では、これはカンギレムによるウィリスの発見です。ほんとうに見事な分析です。
帰宅すると次の本が届いていました。
Stephen Gaukroger, John Shuster and John Sutton (eds.),
Descartes' Natural Philosophy,
London and New York: Routledge, 2000.
767頁の大著です。とりあえず、今回関係するのは生理学の部分です。第3部となっていて、4人の方が書いています。
Annie Bitbol-Hesperies, "Cartesian physiology"
Stephen Gaukroger, "The resources of a mechanist physiology and the problem of goal-directed processes"
Katherine Morris, "Betes-machines"
Peter Anstey, "Descartes' cardiology and its reception in English physiology "
せっかくですから、目次を全部とりましょう。
Introduction
PART1 Mechanics and Cosmology
1. "Descartes and the natural philosophy of the Coimbra commentaries," Dennis Des Chene
2. "Descartes' debt to Beeckman: inspiration, cooperation, conflict," Klaas Van Berkel
3." The foundational role of hydrostatics and statics in Descartes' natural philosophy," Stephen Gaukroger
4. "Force, determination and impact," Peter MaLaughlin
5. "A different Descartes: Descartes' programme for a mathematical physics in his correspondence," Daniel Garber
6. "Casual powers and occasionalism from Descartes to Malebranche," Desmond Clarje
7. "Modelling nature: Descartes versus Reigus," Theo Verbeek
8. "The influence of Cartesian cosmology in England," Peter Harrison
PART II Method, Optics, and the Role of Experiment
9. "NeoAristotle and method: between Zabarella and Descartes," Timothy Reiss
10. "Figuring things out: figurate problem-solving in the early Descartes," Dennis Sepper
11. "The theory of the rainbow ,"Jean-Robert Armogathe
12. "Descartes' opticien: the construction of the law of refraction and the manufacture of its physical rationales, 1618-1629," John A. Schuster
13. "A 'science for honneteshommes': La Recherche de la Verite and the deconstruction of experimental knowledge," Alberto Guillermo Ranea
14. "Descartes, experiments, and a first generation Cartesian, Jacques Rohault," Trevor McLaughlin
PART III Physiology
15. "Cartesian physiology," Annie Bitbol-Hesperies
16. "The resources of a mechanist physiology and the problem of goal-directed processes," Stephen Gaukroger
17. "Betes-machines," Katherine Morris
18." Descartes' cardiology and its reception in English physiology," Peter Anstey
PART IV Imagination and Representation
19. "Descartes' theory of imagination and perspectival art," Betsy Newell Decyk
20. "From sparks of truth to the glow of possibility," Peter Schouls
21. "Descartes' theory of visual spatial perception," Celia Wolf-Devine
22. "Symposium on Descartes on perceptual cognition. Introduction," John Sutton
22a. "Descartes and Formal Signs," David Behan
22b. "Descartes' startling doctrine of the reverse-sign relation ," Peter Slezak
22c. "The role of inner objects in perception," Celia Wolf-Devine
22d. "Descartes, Locke, and 'direct realism'," Yasuhiko Tomida
22e. "Replies to my fellow sumposiasts," John Yolton
PART V Mind and Body, thought and sensation
23. "Descartes' intellectual and corporeal memories," Véronique M. Fóti
24. "The sense as witnesses," Gordon Baker
25. "Descartes' naturalism about the mental," Gary Hatfield
26. "Descartes and corporeal mind: some implications of Regius affair," Catherin Wilson
27. "Perrault's criticism of the Cartesian theory of the soul," John P. Wright
28. "The body and the brain," John Sutton
29. "Life and health in Cartesian natural philosophy," Dennis Des Chene
30. "The texture of thought: why Descartes' Meditationes is meditational, and why it matters," Dennis L. Sepper
Bibliography
Index
以上の通り、30編の論考からなります。最後の文献表も有用です。「一般」という大きな区分のなかで「デカルトの著作」「書誌とコンコーダンス」「生涯と著作」「デカルト主義と自然哲学」、「物理理論」という大枠のもとで「機械学と宇宙論」「方法と実験の役割」「光学」、「生-医学的&心理学的理論」という枠のもとで「生理学と医学」「動物機械論」「心理学と魂-生理学」「心身問題、思考と感覚」という分類を行った上で、それぞれについて基本文献を挙げてくれています。
たとえば、「生理学と医学」のところで挙げられる最新のものは、Geoffrey Gorham, "Mind-body dualism and the Harvey-Descartes controversy," Journal of the History of Ideas, 55(1994): 211-34 です。
ちょっと変わったものとしては、Milena Di Marco, "Spiriti animali e meccanismo fisiologico in Descartes," Physis, 13(1971): 21-70. わざわざイタリア語のものをこの基本文献表にあげているのですから、優れた論文の可能性があります。[反射概念の形成 ii ]
すこし時間がかかりましたが、カンギレム『反射概念の形成―デカルト的生理学の淵源』を読み終えました。これは感動的です。
科学史の実践として、最高峰に位置する著作です。迂闊にもこれまで見逃していました。私はカンギレムをきちんと読むべきかと思い、まず、記録を見てみました。 邦訳は3冊持っています。
『正常と病理』滝沢武久訳、法制大学出版局、1988。
『反射概念の形成』金森修訳、法制大学出版局、1988。
『科学史・科学哲学研究』金森修監訳、法制大学出版局、1991。
次のものとしての邦訳を探しました。これにはいつも苦労します。懐中電灯を手にして部屋中を見て回りました。『科学史・科学哲学研究』は場所に記憶があるのですぐに見つかりました。『正常と病理』は苦労しました。15分ぐらいかかったでしょうか。私の手元にはないものに次があります。
『生命の認識』杉山吉弘訳、法制大学出版局、2002
『生命科学の歴史』杉山吉弘訳、法制大学出版局、2006→ (p.44) 「精気は脳から神経を通ってすべての筋肉へと至る。そのことによって精気は、神経が下界の刺激を受容する器官として役立つように待機状態にしておくのである。そして精気は、[それと同時に]筋肉をさまざまなやり方で膨らませながら、体のあらゆる部分を動かすこともするのである。」(『人体の描写』AT, 11, p.227)
待機状態とは?「動物精気は筋肉の方へ流れていくために神経の管を膨らませ、そのことでまず神経繊維が鞘の中で圧迫されるのを防ぎ、同時に繊維をぴんと張りつめた状態のままにしておく」(n56)
「動物精気は自らの運動指令伝達という機能以外に、それ自体は本来何の関係ももたない感覚刺激の伝播がより簡単に行われるような状態を作りだすという機能も担う」
「彼が神経繊維に帰属させた感受性の機能(つまり牽引によって脳に知らせるという機構)は論理的に言って当然にその繊維が真直ぐぴんと張った状態になければならないのに、神経を解剖してみるとそうなっていない、という可能な反論にあらかじめ答えておこうとしたのである。実際この反論はボレッリによって一六八〇〜八一年に書かれた『動物運動論』(De motu animalium)の中で展開されている。」
(pp.42-3) 「神経とは管の内にある線維の束である。それは脳髄がそのまま延長した細糸のような髄であり、動脈のような形状をした管の鞘にやんわりと包まれている。(n50)
「紐の束であるという点で神経は感覚器官であり(n51)、管だという点でそれは運動器官である(n52)」[金森さんの補足:つまり求心的には牽引、遠心的には精気の伝送を担う。]
感覚刺激は「神経という繊維が直接全体的に牽引されることで表わされる。動物が見、感じ、触り、聴き、味わうとき、その体表面は神経繊維によって脳に振動を与えるのだ。遠心的な運動反応は」・・・「一つの伝播、輸送である。精気は、感覚刺激によって神経繊維が牽引されたために脳に空いた穴に落ち込んで、繊維とそれを包む管との間隙を縫うように進んでいく。圧迫されれば圧迫し返し、押されれば押し返すのだ。こうして筋肉の膨張、つまり筋収縮が起こる。(n54)」
ドレフィス・ル・フォワイエの注釈。「神経は刺激に答えるとき、それに何か新しいものを付け加えるということはしない。神経は糸のように引っぱられるか、道路のように駆け抜けられていくかのどちらかだ。筋肉はどうかというと、それは自分を動かす器官[神経]が収縮しないのと同様、収縮することはない。神経と同じく筋肉もまた、受動的に伸びるだけである。(n55)」
(p.49) 現象と概念、描写と理論を区別しよう。
(p. 50) 「不随意運動を巡るデカルトの説明の中には、反射概念の等価物も、反射の一般理論も見出すことはできない。」
(p.52) 『情念論』の第36節には、<反射された精気>[esprits r%eacute;fl%eacute;chis] という言葉がある。(p. 72) テタニー性硬直、ヒステリー性拘縮、舞踏病による興奮状態、癇癪性痙攣
(p.73) 強直、痙縮、痙攣、間代急攣などの病的な筋収縮は、・・・正常とはまるで違った、非連続的、爆発的でなめらかさを欠いた様相を呈する
(p.81)ウィリス『筋肉運動論』(De motu musculari,1670)
「あらゆる運動の中で、次の三つの様相を考察する必要がある。第一番目は行為の起源、つまり成すべき運動の最初の指示である。それは常に大脳か小脳で起こる。第二番目は、興奮、つまり始まった運動を可動部にまで伝播することだ。それは神経に流れ込む精気の移動によって神経内で遂行される。そして第三番目は運動力自体、つまり可動部に蓄えられた精気が収縮力や拡張力として発現するということである。言うまでもなくこの三つの源のそれぞれの場合でその後の行程の具体的様態は異なっており、そこから様々な種類の異質な運動が生じてくる。運動の起源、あるいはその出発点について言えば、欲望やイニシアチブの意識を伴って大脳から出てくる運動は随意運動と言われる。一方、通常は小脳(そこには自然の法則が支配している)から興奮を受ける運動、それはいろいろあるのだが例えば脈拍や呼吸などを含む運動は、純粋に自然的な運動、あるいは不随意運動と言われる。・・・・
一方、先の二種の運動はともに反射され得る。つまり、原因か明白な契機として捉えられた先行の感覚に直接的に依存しながら、運動は自らの出発点へと瞬時に送り返されるのだ。例えば皮膚が軽いかゆみを覚えたときに思わず掻くような場合、あるいは、心*部の炎症のため脈拍や呼吸がより速くなるような場合である。」
[AT, Vol. 11]
軽い風邪なのでずっと寝込んでいることもできません。目が覚めます。デカルトの生理学関係の著作を整理しておきます。
普通、AT と略記されるアダン&タンヌリ版のデカルト全集では、第11巻に集められています。その目次は、次です。
最初は『宇宙論』。次に『人体の記述』;『情念論』;『動物の発生』;『解剖学』;『いろいろ Varia』;『雑多な計画』;『付加』という構成です。
『宇宙論』は2部からなります。第1部は『光のついての論考』(いわゆる『宇宙論』です)第2部が『人間論』です。それがpp.119-202を占めます。
『人体の記述』が説明とクレルセリエの表を含めて、pp.219-292。『情念論』がpp.293-500。『動物の発生』がpp.501-544.です。
その次は、ちょっと驚きましたが、ライプニッツ草稿で「デカルトからの抜き書き」。ここにライプニッツの名前をみるとは予想していなかったので驚きました。"Excerpta Ex Cartesio. MS De Leibniz (Édit. Foucher de Careii.)"
ともあれ、デカルトの生理学の1次資料は、AT 第11巻に集められています。
図書館では本を1冊返し、2冊借りました。Sir Michael Foster『生理学の黎明―16・17・18世紀―』西丸和義監訳、小野紀美子訳、医歯薬出版、1978
この本の原著は、Lectues on the History of Physiology during the sixtennth, seventeenth and eighteen centuries, Cambridge, 1901 です。20世紀の最初の年に出版されています。
どこにもないようなので目次をとっておきます。人名表記はちょっとすごいが、わかると思います。
第1講 ベザリウス―その先覚者と後継者
第2講 ハーベイと血液循環―乳び管とリンパ菅
第3講 ボレリと新しい物理学の影響
第4講 マルピーギと腺および組織の生理学
第5講 バン・ヘルモントと化学的生理学の勃興
第6講 シルビウスとその弟子たち―17世紀における消化の生理
第7講 17世紀のイギリス学派―呼吸の生理
第8講 18世紀における消化の生理
第9講 呼吸に関する近代学説の勃興―ブラック、プリーストリーおよびラボワジェ
第10講 神経系統についての古い教理René Descartes, Treatise of Man
French Text with Translation and COmmentary by Thomas Steele Hall,
Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1972
大きく分けると、序文、英訳、初版フランス語版のファクシミリからなります。私には、序文(解説)が役に立ちます。
邦訳は後回しにして、ホールのデカルト『人間論』英訳と注釈の方を読みました。i-xlviii をすっと読みました。明晰な記述で安心します。内容的に現時点でこれで十分かどうかは別にして、必要な事項を正確に簡潔に記述してくれています/記述しようとしています。
xxxii にデカルトが明示的に引用している生理学関係の著作名が列挙されています。
リオラン息子、ボーアン、ハーヴィ、ファブリキウス、アセリ、バルトリン。
デカルトは名前を明示していないが明らかに読んで使ったものとして(Georges-Berthierの研究によって)、ファン・ヘルモント、シルヴィウス、ファロッピオ、コロンブス、フェルネルを挙げています。
( A. Georges-Berthier, "Le mécanisme cartésien et la physiologie au 17ème siècle," Isis, 2(1914), 37-89 and 3(1920), 21-58. ホールは、1914, 44 にデカルトの使った生理学関係の著作がリストアップされていると記しています。)
Caspar Bauhin, Theatrum anatomicum novis figuris aeneis illustratum..., Frankfurt, 1605 (first publ. Basel, 1590, as De corporis humani fabrica)
Hieronymus Fabricius ab Aquapendente, De visione, voce, auditu, Venice, 1600
Caspar Bartholin, Enchiridion physicum ex priscis & recentioribus philosophis..., Strasbourg, 1625 (first publ. Frankfurt, 1610)
Caspar Bartholin, Anatomicae institutiones corporis humani...., Strasbourg, 1626 (first publ. Wittenberg, 1611)
G. Aselli, De lactibus, sive lactus venis, 1627; Lugd. Bat., 1640 (デカルトは、『人体の構成』AT, 11, p.267 でアセリについて言及し、乳びの発見がごく最近のことだと書いているとGeorges-Berthierは注記しています。)Jean Riolan (the younger), Les oeuvres anatomiques de M. Jean Riolan... mis en francois par M. Pierre Constant, Paris, 1629
Jean Riolan (the younger), "De l'antholopographie" in Oeuvres, above
Realdo Colombo, De re anatomica libri XVI, Venice, 1559
Gabriello Falloppio, Opera omnia in unum congesta..., Frankfurt, 1600 (earlier edition, Venice and Frankfurt, 1584)
Jean Fernel, Les VII. livres de la physiologie...traduit en francois par Charles de Saint German, Paris, 1655 ( a translation of the physiological section of Fernel's Medicina, Paris, 1554, this section being a revision and simplification of De naturali parte medicinae libri septem, Paris, 1542)
Andreas Laurentius, Toutes les oeuvres de..., Rouen, 1621 (first publ. Paris, 1600)
Andreas Laurentius, Historia anatomica humani corporis... , Frankfurt, 1600
大学に出たときに、次の論文をダウンロードしました。自宅からでもリモートアクセスを使えばダウンロードできるのですが、作業の流れで研究室から行いました。
A. Georges-Berthier, "Le mécanisme cartésien et la physiologie au 17ème siècle," Isis, 2(1914), 37-89 and 3(1920), 21-58.
1914年の論文が53頁、1920年の論文が38頁と長い論文です。
他に次のものもダウンロードしました。
Peter Galison, "Descartes's Comparison: From the Invisible to the Visible," Isis, 75(1984), 311-326
こちらは、16頁。いまどきの論文はこの程度の長さでしょう。
部屋は寒いのですが、昨日ダウンロードした次の論文を読みました。
Peter Galison, "Descartes's Comparison: From the Invisible to the Visible," Isis, 75(1984), 311-326
よい論文です。私は、ピーターの議論に説得されました。これでよいのではないかと思います。駒場の授業に出席している院生諸子には言ったことですが、私が駒場の授業のために用意した「初期近代生理学史」には、何かが足りないとずっと感じていました。それが、カンギレム『反射概念の形成』を読むことではっきりしました。
欠けていたのは「筋肉運動論」の系譜です。
ハーヴィの医学・生物研究を分類すると、血液循環論、動物発生論のほかに、大きな柱として筋肉運動論があります。ホイッタリッジが草稿から訳出してくれています。
グリッソンの被刺激性の概念もウィリスの反射概念も、内臓の運動も、そして何と言っても心臓の自動運動(生体から切り離されても、たとえばウナギの心臓は相当長い時間、心臓だけが独自の生命をもつかのように動き続けます)、つまり伝統的には不随意運動(involuntary motion)と分類される運動がそうした系譜に連なります。
これについてよい論文がないかと思って探していると、次の論文にヒットしました。
Hisao Ishizuka, "The Elasticity of the Animal Fibre: Movement and Life in Enlightenment Medicine," Hist. Sci., xliv (2006): 1-34
Hist. Sci.に掲載されているということがある水準を保証してくれますが、これは好論文です。18世紀の医物理学派における生体線維の弾性概念の勃興と没落(すぐ後に続く生気論者の感受性概念にとって変わられる)を主題としているので、グリッソンの被刺激性の概念もウィリスの反射概念も多くは扱ってくれていませんが、大きな展望のもとで生じた事態をうまく把握することに成功していると思われます。
これは収穫でした。ちなみに、Hisao Ishizukaさんは、石塚久郎さんです。名前に聞き覚えがあると思い、調べてみると、鈴木晃仁氏にお世話になった慶応の「身体医文化論」でもしかしたら一度ごいっしょしたことがあるかもしれません。
石塚久郎・鈴木晃仁編『身体医文化論:感覚と欲望』慶應義塾大学出版会、2002
この本のなかに石塚さんの次の論文が収録されています。
石塚久郎「アプルガースの神経神学―霊的感覚と来世の身体」『身体医文化論:感覚と欲望』(石塚久郎・鈴木晃仁編、慶應義塾大学出版会、2002): 117-143
この著者紹介によれば、石塚氏は、上智大学を卒業後、イギリスのエセックス大学で博士号を取得されています。
Hisao Ishizuka, "William Blake and Eighteenth-Century Medicine," PhD dissertation, University of Essex, 1999
[石塚久郎氏の神経人間論]
せっかくなので、石塚久郎氏の邦語論文も読んでみました。1.石塚久郎「アプルガースの神経神学―霊的感覚と来世の身体」『身体医文化論:感覚と欲望』(石塚久郎・鈴木晃仁編、慶應義塾大学出版会、2002): 117-143
2.石塚久郎「膜と襞の解剖 : ファイバー・ボディとバロキスム 」『人文科学年報(専修大学人文科学研究所)』42(2012): 1-34
これはあまりにもドゥルーズ的なタイトルですが、医学史の論文としても読むことが出来ますし、18世紀前半の神経人間=線維人間=膜人間の記述としても非常に興味深く、優れたものだと思います。
p.28 に採録されているピエール・リオネの芋虫の解剖図を見て下さい。
大げさに言えば、これでドゥルーズのバロックが理解できます。
石塚さんによれば、リオネは、この芋虫に総数4041本(頭部228、胴体2066、腸管2066)を見いだしたそうです。9月末に医科歯科のドクターから聞いた「腸は第2の脳である」という見方を例示するときにもこの虫は使えそうです。石塚さんの英語論文には他に次があります。
Hisao Ishizuka, "'Fibre Body': The Concept of Fibre in Eighteenth-century Medicine, c. 1700-40," Med. Hist., 56(2012): 562-584.
Hisao Ishizuka, "Enlightening the Fibre-Woven Body: William Blake and Eighteen-Century Fibre Medicine," Literature and Medicine, 25(2006): 72-92
Hisao Ishizuka, "Visualizing the fibre-woven body: Nehemiah Grew's plant anatomy and the emergence of the fibre body," in Matthew Landers and Brian Munos (eds), Anatomy and the Organization of Knowledge, 1500-1850 (London: Pickering and Chatto, 2012), chp.8.
書庫で一冊本を借りてから、ILL で届いている次の本を借り出しました。
Matthew Landers and Brian Munos (eds), Anatomy and the Organization of Knowledge, 1500-1850 , London: Pickering and Chatto, 2012
石塚さんの次の論文が目的です。
Hisao Ishizuka, "Visualizing the fibre-woven body: Nehemiah Grew's plant anatomy and the emergence of the fibre body," in Matthew Landers and Brian Munos (eds), Anatomy and the Organization of Knowledge, 1500-1850 (London: Pickering and Chatto, 2012), pp.113-128
石塚さんはよい研究をされています。これはポイントをほんとうにわかりやすく書いてくれています。線維人間だけではなく、周辺のテーマをうまく取り入れると、ほんとうにおもしろくて貴重な成書ができあがると思います。ちなみに、『解剖学と知識の編成, 1500-1850』という本そのものは、日本では慶応の鈴木晃仁氏たちがやっている「身体医文化論」に非常に近い感じです。石塚さんもそうですが、文学系(英文学)の人も一定割合で混じっています。
さらにちなみに、石塚さんの論文の推薦で、次の2点をダウンロードしました。
James Drake, The Appendix to Dr. Drake's Anthropogogia Nova; Or, New System of Anatomy. With Fifty-One Copper Plates, London, 1728
51点の解剖図(銅版画)が優れていると評価されていました。Daniel Clericus & J. Jacob Mangetus (eds.),
Bibliotheca Anatomica, Sive Recens in Anatomia Inventorum Thesaurus Locupletissimus
2nd Edition, Tomus Primus, Geneve, 1699
Daniel Clericus & J. Jacob Mangetus (eds.),
Bibliotheca Anatomica, Sive Recens in Anatomia Inventorum Thesaurus Locupletissimus
2nd Edition, Tomus Secundus, Geneve, 1699
以上の通り、グーグルブックスにあったものは、第2版(1699)でした。ちなみに、初版は、1685年です。17世紀のもっとも包括的は解剖学文献の収集です。
トーマス・バルトリン、デ・グラーフ、ハーヴィ、リチャード・ローワー、マルチェロ・マルピーギ、ヤン・スワンメルダム、Raymond Vieussens、トーマス・ウィリス等の解剖研究を含んでいます。
解剖学史の知識が足りないと感じたので、本棚から坂井氏の本を引っぱり出して読むことにしました。
坂井建雄『人体観の歴史』岩波書店、2008
読み通したわけではありませんが、今必要は部分には目を通すことができました。坂井氏はかなりの数の医学原典をご自身で所有されています。
巻末の参考文献と人名・著作リストは、研究者には有用なものです。
帰宅すると、次の本が届いていました。
Marian Fournier, The Fabric of Life: Microscopy in the Seventeenth Century, Baltimore and London: Johns Hopkins University Press, 1996
お昼に次の本が届きました。
Edward G. Ruestow,
The Microscope in the Dutch republic: The Shaping of Discovery
Cambridge: Cambridge University Press, 1996
個人的な印象で書きます。顕微鏡による生理学研究(医学研究、生物研究)については、時代の文脈に即した大きな書物が必要なように思われます。よい研究はありますが、顕微鏡観察そのものに関する認識論史が時代の議論に即して必要なのではないかと思うようになっています。
これは印象論なので、数ヶ月後にもういちど考え直してみます。→基本となる作業を行います。ベイコンのとき(2009年5月)に少し調べていますが、今回は、こちらをフォーカスします。
フック以前の顕微鏡研究の1次資料をあつめます。
ボレリの顕微鏡観察は、望遠鏡の発明史の付録として出版されていました。Borel, Pierre (1620?-1671),
De vero telescopi inventore, cum brevi omnium conspiciliorum historia. Ubi de Eorum Confectione, ac Usu, seu de efectibus agitur, novaque quedam circa ea proponuntur. Accessit etiam Centuria Observationum Microcospicarum,
Hagae-Comitum, 1655
GoogleBook
本の中を見てみると、顕微鏡の方は、別のノンブルになっていて、出版年も別です。タイトルのAccessitは別に刷られて合本されたという意味です。Borel, Pierre (1620?-1671),
Centuria Observationum Microcospicarum,
Hagae-Comitum, 1656
本文45頁、索引3頁の小作品です。とてもかわいい昆虫の図だけが少数挿入されています。Cesi, Federico (1585-1630)
Apiarium
1625
OU History of Science Collections hos.ou.edu/galleries/17thCentury/このOpen University History of Science Collections がなかなか充実しています。ハーヴィの1653年の翻訳があります。『心臓と血液の運動』の英訳にロッテルダムのザカリヤ・ウッドが序文を付け、さらにロッテルダムのデ・バックの心臓論を付した版です。
William Harvey
The Anatomical Ecercises of Dr. William Harvey, Concerning the motion of the Hearts and Blood. With The Predace of Zachariar Wood. To Which is added Dr. James De Back his discourse of the Heart
London, 1653
Hodierna, Giovanni Batista (1597-1660)
L'Occhio della Mosca Discorso Fisico
Palermo, 1644
これはまだ見つけることができていません。
17世紀の顕微鏡史についての文章を読んでいたら、バクテリアの語がありました。違和感を感じ、調べてみました。「バクテリア bacteria」の語は、19世紀半ばに造語されたとありました。ちなみに「微生物 microbe」も19世紀後半フランス人外科医によって造語されたとあります。
レーフェンフックは、animacula と呼んでいました。19世紀の造語以前、一定した用語が存在したのでしょうか?
あるいはもうすこし言い換えて、17世紀に微生物や細菌を総称する広く認められた用語/概念はあったのでしょうか?→顕微鏡観察の歴史について、つらつら考えてみるに、その初期の不在について納得できる理由は提示されていないように思われます。
事実事項であれば、ダンネマンかと思い、繙いてみましたが、1660年以前のことには触れられていません。『科学革命の百科事典』の「マイクロスコピー」でキャサリン・ウイルソンは、次のように記述します。
ガリレオ・ガリレイは1610年にハエの観察を行った。フランチェスコ・ステルッティ(Francesco Stelluti)は、顕微鏡を用いたミツバチの解剖研究を1625年に行った。1644年パレルモのジョバンニ・オディエルナ(Giovanni Hodierna)はハエの複眼を描いた。その他初期の顕微鏡を用いた昆虫研究としては、ピエール・ボレルの『顕微鏡観察100選』(1655-56)がある。
そして、フックの『ミクログラフィア』が取り上げられます。
初期の顕微鏡観察史については、次のサイトが参考になります。最初のものはイタリアのサイトで、ガリレオ博物館と称しています。2つめはドイツのサイト。
The Microscopic Anatomy
Das Mikroskop
まず図書館により、ILL で届いていた次の著作を受け取りました。
末永恵子講演(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会編)『書誌事項:戦時医学の実態 : 旧満洲医科大学の研究』樹花舎, 2005
京城帝国大学理工学部開部四十五周年記念誌編集委員会編『遙かなり佛岩山 : 京城帝国大学理工学部開部四十五周年記念誌』京城帝国大学理工学部開部四十五周年記念事業実行委員会, 1988
田川孝三『京城帝国大学法文学部と朝鮮文化』[京城帝国大学同窓会], [1974]
塚原東吾編著『東アジアにおける科学・技術と社会 : 2002年神戸東アジアSTS(科学・技術・社会論)ネットワーク国際シンポジウム : 報告書』神戸STS研究会, 2003
玉蟲文一『科学と教育の間に立つて』玉蟲文一先生還暦記念会, 1959
玉虫文一訳編『現代市民の育成と大学 : 一般教育はいかにあるべきか』丸善, 1954電車の行き帰りで次の論文を読みました。
百崎清美「18世紀フランス『百科全書』における「繊維」の項をめぐって:生命の学の近代化を促した一要因」『メタフュシカ』(大阪大学)36(2005): 15-28
ブールハーフェ=ハラーの「繊維」概念(ハラーによるブールハーフェInstituones medicaeへの注釈)、ドモンの「繊維」概念(『百科全書』第6巻(1756)所収の「繊維」の項、動物における有機的構成および医学における「繊維」について)、バルテズの「繊維」概念(同じく『百科全書』第6巻(1756)所収、解剖学的用語としての「繊維」について)の3者が比較されています。
共通点として「身体-器官-繊維-分子」という生命体の階層構造を切り出した上で、差違を探っています。次のものも読みました。
宮田眞治「「自然の内部に、被造物の精神は踏み込まない」―A.v. ハラーにおける境界/限界の諸相」『死生学研究』第14号:1-41 (160-120)
帰宅すると次の本が届いていました。
クリフォード・ドーベル
『レーベンフックの手紙』
天児和暢訳、九州大学出版会、2004
訳者の方は、あまこ・かずのぶと読みます。細菌学を専門とするドクターです。マルピーギ。文献だけでも整理しておきます。2年前の時点では、次の全集(ロンドンで出版されています!)だけをピックアップしていました。
Malpighi, Marcello ,
Opera omnia,
London,1686
GALLICA[21173]情報の整理は出来ていませんでしたが、次のものもグーグルブックよりダウンロードしています。
Malpighi, Marcello ,
Dissertatio epistolica de bombyce
London, 1669Malpighi, Marcello ,
Opera posthuma
Amsterdam, 1700Malpighi, Marcello ,
Appendix repetitas auctasque de ovo incubato observationes continens
London, 1686Malpighi, Marcello ,
De externo tactus organo anatomica observatio
Napoli, 1665Malpighi, Marcello ,
De viscerum Structura...Exercitatio
Amsterdam, 1669Malpighi, Marcello ,
Anatome Plantarum
London, 1679Malpighi, Marcello ,
De Structura Glanduarum
Lugduni Batavorum, 1690Malpighi, Marcello ,
Consultationum medicarum
Patavii,1713グーグルブックスにはまだまだ多くのマルピーギがあります。
2次文献については、2013年1月12日、3月17日にメリさんのものを中心にまとめたものがあります。
ステノ(ステンセン)についても整理が必要だとわかりました。
まず、次の論文をダウンロードして読みました。
Raymond Hierons and Alfred Meyer, "Willis's Place in the History of Muscle Physiology," Proceedings of the Royal Society of Medicine, 57(1964): 687-692
筋肉運動論のポイントがよくまとめられています。
→ 13.11.28 フランクJr はルソー編纂の論文集(『魂の言語』)のp.130, note96 でこの論文は、文献表が完備しており、ウィリスの神経解剖学と神経生理学に関する古い研究文献への最良の入り口となると評価しています。
ちなみに、この著作は、University of California Pressの UC Press E-Books Collection, 1982-2004 に採録されています。publishing.cdlib.org/ucpressbooks/
Stensen, Nicolas
Observationes anatomicae
Lugduni Batavorum, 1662
BIUMStensen, Nicolas
De Musculis et glandulis observationum specimen
Hafniae, 1664
BIUMStensen, Nicolas
Elementorum Myologiae Specimen
Florentiae, 1667
BIUMStensen, Nicolas
Discours de M. Stenon sur l'anatomie du cerveau...
Paris, 1669
GalicaStensen, Nicolas
Solido intra solidum naturaliter contento dissertationis prodromus,
Florentiae, 1669
GoogleBookStensen, Nicolas
Prodromus of Nicolaus Steno's Dissertation concerning a solid body enclosed by process of nature within a solid,
New York, 1916
InternetArchiveStensen, Nicolas
Opera philosophica,Vol. 1.
Copenhagen, 1910
GalicaStensen, Nicolas
Opera philosophica,Vol. 2.
Copenhagen, 1910
Galica
ルソー編纂の論文集(『魂の言語』)がe-Book として全文ウェブに掲載されているのにはっとして、e-Book の現状を調べてみました。
前と同じ OU History of Science Collections が充実した e-book の特集ページを設けています。 ouhos.org/2010/11/11/e-books/
そして、そこで推薦されている次の論文に目を通しました。
Jana Bradley, Bruce Fulton, Marlene Helm, and Katherin A. Pittner, "Non-traditional book publishing," First Monday, Volume 16, Number 8, 1 August 2011
やはり午前中に大学にでて、作業の継続を行うことにしました。
次の論文をダウンロードしました。
Walter Pagel, "Review of Steno and Brain Research in the Seventeenth Century, ed. by Gustav Scherz (Analecta Medico-Historica, No. 3), Oxford, Pergamon Press, 1968", Medical History, 14(1970): 213-216. すぐに読みました。ステノは無尽であるという印象を免れないとパーゲルはコメントしています。
Sebastian Pranghofer, ""It could be Seen more Clearly in Unreasonable Animals than in Humans": The Representation of the Rete Mirabile in Early Modern Anatomy," Medical History, 53(2009): 561-586
Ian Herbert Porter, "Thomas Bartholin (1616-80) and Niels Steensen (1638-86): Master and Pupil, " Medical History, 7(1963) : 99-125.木曜日の怒濤。
3限4限5限と授業を行って帰宅すると次の本が届いていました。
ヘンリー・ハリス『細胞の誕生―生命の「基」発見と展開―』荒木文枝訳、ニュートンプレス、2000
帰宅すると次の本が届いていました。
アラン・カトラー『なぜ貝の化石が山頂に? 地球に歴史を与えた男ニコラウス・ステノ』鈴木豊雄訳、清流出版、2005駒場では、次の3点のコピーを取りました。
寺田元一「『生理学要綱』の間テキスト的読解―ハラー『生理学初歩』との典拠関係を中心に―」『思想』2013年12月号, pp.187-212
Isla Fay and Nicholas Jardine, "Introduction: New Light on Visual Forms in the Early-Modern Arts and Science," Early Science and Medicine, 18(2013): 1-8
Karin Ekholm, "Anatomy, Bloddletting and Emblems: Interpreting the Title-Page of Nathaniel Highmore's Disquisitio(1651)," Early Science and Medicine, 18(2013): 87-123.Early Science and Medicine, 18(2013)の1-2号 は、「初期近代の芸術と科学における視覚形態再考」特集となっています。これはもともとは、2011年6月23〜24日にケンブリッジの大学図書館で開かれたワークショップ「1450-1650における天文学の図表・図解と変容」に基づくとあります。このプロジェクトは継続しており、2009年に開かれたワークショップの成果は、"Forms and Functions of Early Modern Celestial Imagery, Part 1 and 2," ed. Renée Raphael and Nicholas Jardine, Journal for the History of Astronomy, 41(2010) and 42(2011) として出版され、2010年のワークショップの成果は、"The Production of Books and Images in Early-Modern Astronomy," ed. Isla Fay and Nicholas Jardine,Journal for the History of Astronomy, 43(2012)に発表された、とあります。
朝一番で昨日駒場で入手した次の論文を読みました。
寺田元一「『生理学要綱』の間テキスト的読解―ハラー『生理学初歩』との典拠関係を中心に―」『思想』2013年12月号, pp.187-212
ディドロ特集の1本です。ディドロの『生理学要綱』(1770年代後半から1780年代一に執筆)は、ディドロの晩年の生命観・人間観がもっとも十全に展開されている作品であるが、十分な研究がなされているとは言えない。
『生理学要綱』の草稿には、基本的に2種類が知られている。フランス国立図書館所蔵のV写本と、ロシア国立図書館センクトペテルブルグ分館所蔵のSP写本である。一般的には、SP写本が先に成立し、V写本が後から成立したとみなされている。
19世紀にディドロ全集(全20巻、1857-77)が編纂されたとき、SP写本から『生理学要綱』が第9巻に採録された。
V写本に関しては、1964年以降、3種類の校訂版が出版されている。
1. ジャン・メイェル(1964). Denis Diderot, Éléments de physiologie, éd. par Jean Mayer, Paris, 1964
2.ジャン・メイェル(1987). Denis Diderot, Éléments de physiologie, éd. par Jean Mayer, DPV, XVII, 1987, pp.261-574
3.クィンティリ(2004). Denis Diderot, Éléments de physiologie, texte basé sur la copie Vandeul, éd. par Paolo Quintili, Paris, 2004
メイェルは几帳面に典拠を探し、クィンティリはいくらか雑な方法で典拠を示したが、両者ともにその典拠探究は十分なものではない。
この判断に基づき、寺田さんは、ハラーの『生理学初歩』に焦点を絞って、より正確な典拠研究を提示しようとされています。
(ちなみに、ディドロがつかったことがはっきりしているハラーの生理学教科書には、1.『生理学初歩』(1769). Albrecht von Haller,Éléments de physiologie, Traduction nouvelle des Primae lineae physiologiae, 2 vols., du latin en francois par M. Bordenave, Paris, 1769;2.『人体生理学原論』(1757-66). Albrecht von Haller,Elementa physiologiae corporis humani, 2 vols., Lausanne, 1757-1766. があります。ハラーは大読書人であり、「ヨーロッパ中に張り巡らしたネットワークを通じて新知見をたえず吸収しており、新刊本についてはドイツ語やラテン語のみならず、英語、フランス語、スウェーデン語などで刊行されたものを、ほぼ毎日1冊に近いペースで長い書評に認め、その成果を著作に反映」させている。(p.189) 『人体生理学原論』には、『生理学初歩』出版以降、そうやって得た情報をハラーは詰め込んでいる。)→ Vのまえがき(20世紀のディドロ全集版, XVII, p.293)には、ディドロの死後、ハラーの著作の読書ノートが未刊で残され、その断片集を第三者が編纂したのがこの作品であると記されている。正確には何が起こったのかは不詳だが、ヴァンドゥルによると思われる再構成の痕をVは多数残している。「ディドロがどこまで完成させた原稿を残したのか、再構成はディドロの指示によるのかヴァンドゥルの恣意によるのかも曖昧なまま、V写本を元にこの半世紀に亘って校訂版が三つ作られてきた。」(p.188)
寺田さんの精密で労多き作業を再検証したわけではまったくありませんが、寺田さんが提示されている分析は、ほぼ正確なのではと思われます。
[ハラー Haller, Albrecht von, 1708-1777]
しばらく前からハラーについて調べています。文献調査からと思い、検索していますが、ハラーの生理学を扱った論文は、とても少ないことがわかりました。
まず、基本に返ってと考え、DSB 正確には、ウェブにあるComplete Dictionary of Scientific Biography の記事を読んでみました。Copyrihgt は、2008です。執筆者はErich Hintzsche。
2次文献を見ると、ほとんどがドイツ語文献です。英語文献であげられているのは、第1にフォスターの古い『生理学史』(1924)(邦訳があります)、第2にニーダムの『発生学の歴史』(1959)の2点のみです。
(フランス語文献はもうすこしあるでしょうか。)
いまどきこれほどドイツ語だらけの2次文献表は珍しい。とりあえず、DSB執筆者のエーリッヒの論文は次。
Erich Hintzsche, “Albrecht Hallers anatomische Arbeit in Basel und Bern 1728−1736,” Zeitschrift fü Anatomie und Entwicklungsgeschichte, 111 (1941), 452−460
Erich Hintzsche, “Einige kritische Bemerkungen zur Bio- und Ergographie Albrecht von Hallers,” Gesnerus, 16 (1959), 1−15
Erich Hintzsche, “Neue Funde zum Thema: ‘L'homme machine’ und Albrecht Haller,” Gesnerus, 25 (1968), 135−166
Erich Hintzsche, “Boerhaaviana aus der Burgerbibliothek in Bern,” in G, A. Lindeboom. ed., Boerhaave and His Time (Leiden, 1970), pp. 144−164
Enrich Hintzsehe and Jörn Henning Wolf, “Albrecht von Hallers Abhandlung über die Wirkung des Opiums auf den menschlichen Körper,” Berner Beiträge zur Geschichte der Medizin und der Naturwissenschaften, no. 19 (1962)エーリッヒの挙げる最新文献は、1970年です。1970年までの状況は、こういうことだったのでしょう。
本文では、最後に記されている書誌的関心から取り上げましょう。
「ハラーはその科学的キャリアの全体を通して、関心のあるテーマに関して出版されたすべてを完全に研究した。それゆえ、彼の体系化本能を文献学に向けたとして不思議な点は何もない。」
その最初が、ブールハーヴェの『医学綱要』(Institutiones medicae, 1739) への注釈であった。これは一種の生理学教科書としても用いられたが、すぐに内容が古くなったので、自分で『生理学初歩』(Primae lineae physiologiae, 1747)を著した。ブールハーヴェのMethodos studii medici(1751)の編纂本は、純粋に文献学的増補、100頁にわたる物理学文献のリスト、15頁の化学文献、95頁の植物学・薬学文献、そして300頁を超える解剖学・生理学文献を含んでいる。
そしてベルンに帰ってから、8巻にのぼる生理学教科書『人体生理学原理』Elementa physiologiae corporis humani (1757) を著した。気になるので、グーグルブックでMethodos studii medici(1751)をダウンロードして様子を見てみました。予想していた本とは相当違っていました。部構成だけでも書き写してみましょう。
第1部:自然学一般
第2部:幾何学
第3部:(運動と機械学)
第4部:特別自然学
第5部:化学
第6部:植物学
第7部:解剖学
第8部:部分の用途、あるいは理論医学
第9部:病理学
第10部:症状学
第11部:治療法
第12部:養生法
第13部:外科学
第14部:実践
第15部:医学史
文献リストがほんとうに充実しています。完備した文献リストをもつドクソグラフィカルな著作と位置づけることができるでしょう。そしてそういうものとして今でも有用性をもっていると言えるでしょう。ソーンダイクのような、科学史家の基本装備とすべき種類の本かもしれません。私のよくわかる 第5部:化学 についてもうすこし詳細に見てみましょう。
Caput I. De Chemia in genere. 133
Caput II. Experimentorum chemicorum auctores. 137
Caput III. Specialium inquisitonum scriptores. 140
Caput IV. Pharmaceutica. Consilia Pharmaceutica. 147
Addenda ad hanc Partem. 1030
つまり、第5部:化学は、本文 pp.133-155 に対して、補遺が pp.1030-1034 です。とくに第3章の個別事項が現在の観点からは有用かと思われます。
同じく、ILL で届いていた次のコピーも受け取りました。
Pighetti, C., “G.B. Odierna e il suo discorso su “L'Occhio della Mosca"", Physis : rivista di storia della scienza, 3(1961): 309-335
[ブールハーヴェ Boerhaave, Hermann, 1668-1738とハラー Haller, Albrecht von, 1708-1777]
このサイトに十分反映することができていませんが、ブールハーヴェとハラーに関して本当の基本から見直す作業に取り組んでいます。
弘文堂の事典では、ブールハーヴェに関して阿知波五郎さんが記事を書かれています。阿知波さんには面識はありませんが、『ヘルマン・ブールハーヴェ:その生涯、思想そして蘭医学への影響』(緒方書店、1969)という本を出版されていることは知っています。阿知波さんは事典の記事の文献では、自著の他に、Burton, An account of the life and writings of Boerhaave, London, 1743 だけをあげています。つまり、ブールハーヴェの死後すぐにイギリスで出版された英語の著作を重要な参考文献とされています。ハラーに関しては、河本英夫さんが項目を執筆されています。文献を含めて26行。文献は、川喜田愛郎氏の『近代医学の史的基盤』(岩波書店、1977)とShirlay A. Roe, Matter, Life and Generation, Cambridge, 1981 の2点を挙げています。
仕方がないと言えば仕方がないのですが、もの足りないのはもの足りません。
次には、ホールの『生命と物質』を繙きました。邦訳では、上巻に収められている第4部第26章が「ミクロ機械論モデル[ブールハーウェ]」第4部第27章が「ミクロ機械論モデル、続き[ハラー]」です。ちなみに、第4部の最初の章(第25章)は「生命と生命医学的霊魂[シュタール]」です。
Web で入手できる Complete DSB のブールハーヴェは ブールハーヴェの専門家Lindeboom によります。事典での記述のお手本となるような文章です。基本的事項が正確によくわかりように整理されています。
文献の記述も望ましいものです。
ということで、ブールハーヴェに関して今でももっとも基本的な2次文献は、G. A. Lindeboom, Herman Boerhaave. The Man and His Work, London, 1968 だと思われます。
リンデボーム(オランダ語の発音はこれでよいのでしょうか?)は、植物学と化学似関しては、ギブズの論文をあげています。
F. W. Gibbs, "Boerhaave and the Botanists," Annals of Science, 13(1957): 47-61; F. W. Gibbs, "Boerhaave's Chemical Writings," Ambix, 6(1958): 47-61
生化学に関しては、ジェボンズの論文をあげています。
F. R. Jevons, "Boerhaave's Biochemistry," Medical History, 6(1962): 343-362
医学史全般に関しては、レスター・キングを挙げています。
Lester S. King, The Medical World of the Eighteenth Century, (Chicago, 1958), chapters 3 and 4. ; Lester S. King, The Growth of Medical Thought, (Chicago, 1963), pp.177-185.
[佐藤恵子氏のヘッケル研究]
生物学史ですが、もうすこし広く見ておこうという気持ちになりました。金森修さんの『科学思想史』にルーについて良論文を書かれている佐藤恵子氏がヘッケルも研究されていることを思い出し、次の論文をダウンロードして読みました。
佐藤恵子「エコロジーの誕生: 背景としての E・ヘッケルの学融合的な思想」『東海大学文明研究所紀要』21(2001): 57-71
佐藤恵子「ヘッケルの優生思想」『東海大学紀要. 開発工学部』10(2000): 1-12
佐藤恵子「「ビオトープ」 はヘッケルの造語ではない!: ヘッケルとダールの原典に基づく 「ビオトープ」 という言葉の由来についての検討」『東海大学総合教育センター紀要』28(2008): 33-43
他に(つまりすぐにはダウンロードできないものに)次があります。
佐藤恵子「ヘッケルとフィルヒョウの進化論論争: 科学の自由をめぐる対立」『津田塾大学紀要』1995
佐藤恵子「ヘッケルとピテカントロプス: 自然人類学の揺籃期」『東海大学総合教育センター紀要』2005
佐藤恵子「ヘッケルの根本形態学と形態の美」『モルフォロギア』2000そして次のものもダウンロードして読みました。
佐藤恵子「ユクスキュルの環世界説と進化論」『東海大学総合教育センター紀要』27(2007): 1-15
ヘッケルにしても、ユクスキュルにしても、まとまった本が欲しいと思います。図書館で次の本を受け取ってから生協食堂へ。
坂井建雄編『日本医学教育史』東北大学出版会、2012
目次は次です。
第1章 江戸時代の医学教育
第2章 明治期におけるドイツ医学の受容と普及―東京大学医学部外史・補遺
第3章 明治初期の公立医学校
第4章 明治期における私立医学校の教育
第5章 大学令と大正昭和期の医師養成
第6章 戦時下における外地の医学校
第7章 戦後における医学教育制度改革
第8章 衛生思想と医学教育
第9章 明治期における医学書の動向
第10章 医学教育における医学用語―用語の浸透と統一を中心に
第11章 戦前期における「医学博士」の社会学的分析
私が読みたかったのは、泉 孝英氏により第6章ですが、医学史に関心をもつものが通読しておいてよい本に仕上がっているように思われます。
朝方、図書館より、ILL で発注した次の論文が立命館大学のリポジトリページで全文公開されているという事実を教えてもらいました。すぐにダウンロードして読みました。
秋澤 雅男「ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの環境世界論再考」『立命館經濟學 』43(5)(1994): :82-99
私は最近こういう文章を書くことはもちろん読むことも少なくなっていましたが、今「自然哲学」といったとき理解される内容での「自然哲学」の可能性を感じさせる、非常に面白い論文でした。
これが生物学史の論文かと聞かれると、微妙ですが、生物学史・生物哲学というジャンルがあるとすれば、生物学史・生物哲学の論文ではあります。
結論部分で秋澤さんが引用する次のベルタランフィの言葉なんか、ほんとうにかっこうよい。「第1に、私たちの経験と思考の諸カテゴリーは文化的要因とともに生物的要因によっても決定されているように思われる。第2に、この人間的束縛は、私たちの世界像が漸進的に脱擬人化されるにつれてとり払われてゆく。第3に、たとえ脱擬人化されたとしても一定の側面あるいは相を映し出すものにすぎない。けれども第4に、再びクサ[ニコラウス・クサーヌス]の表現を用いれば、「全体はすべての部分により輝く」、つまり、それぞれの側面は、相対的なものにすぎないけれども、真なるものをもっている。」(p.96)
ミクロコスモスたる環境世界は、閉鎖的ではなく、言わば「無窓であるどころかモナドそのものが全面的に窓である」状態にあり、表現し表出する本質的な連関において調和している。(p.96)[生物学史]
すこし前から、私が数年前に行った作業、吉本秀之(編)「日本における化学史文献:日本篇」『化学史研究』第34巻(2007): 205-330 の生物学史編が必要なのではないかと思うようになっています。
まずは、これまでどれだけのことが行われてきたのか確認することにしました。
CiNii (論文検索)で「生物学史」と入力すると601件がヒットします。そのなかで先行リストは次です。
「生物学史・農学史・医学史文献目録 1964」『生物学史研究ノート』11 (1965): 79-95
「生物学史・農学史・医学史文献目録 1965年-1」『生物学史研究ノート』12 (1967): 40-46
中村 禎里 [他]「生物学史・農学史・医学史文献目録 1966年-1-」『生物学史研究ノート』 14(1968): 51-57
「生物学史・農学史・医学史雑誌文献目録 1966年-2-」『生物学史研究ノート』17(1969): 50-51
江上生子 , 月沢美代子「生物学史研究総目録(14号〜26号,1968〜1974)」『生物学史研究』27(1975): 38-40
「「生物学史研究ノ-ト」No.1〜No.13の目録」『生物学史研究』 31(1977): 37-40
「生物学史研究 総目次 附例会活動記録No.1〜No.49(1955.4〜1987.9) (生物学史の過去・現在・未来--〔生物学史研究〕50号発刊にあたって<特集>)」『生物学史研究』 50(1988): 48-70
(他にあったらごめんなさい。)これを見る限り、生物学史分野の文献目録を作る作業は、1964年から1966年までは存在したが、その後はなくなったようです。
もちろん考え方として、『科学史研究』が(石山洋さんの個人的努力によって)1965年度から出版している「年次文献目録」に含まれるので、それに任せるという方針もあります。
欧米の例を挙げれば、ISIS Critical Bibliography, ISIS Current Bibliographyがあれば、科学史の個別分野は要らないという発想だと言えます。
もちろんものすごく単純にそれだけの労力がなかった、あるいは労力を惜しんだというだけのことかもしれません。
そのあたりの事情がどうであれ、これまでのものを網羅する(網羅しようとする)文献目録は作成の価値があると思われます。
朝一番で次の本が届きました。
アンナ・ブラムウェル『エコロジー―起源とその展開』金子務監訳、森脇靖子・大槻有紀子訳、河出書房新社、1992
目次は次です。
第1部 エコロジーの政治理論
序論
マニ教的なエコロジスト
第2部 エコロジーの歴史
生物学と全体論
エネルギー経済学
コミューンとコミュナード
北ヨーロッパへの回帰
エコロジズムの文学
総称的ファシズム・エコロジズムは存在したのか?
第3部 エコロジーはドイツ病か?
森の冷気
シュタイナーとの関わり
第4部 ニュー・エイジ
緑と赤と反核教徒
エコロジズムの政治経済学
来年度の授業にむけて、教科書的な書物を探しています。その1環として入手しました。個人的には生物学の動向との関係に一番関心をもっています。朝のうちに次の論文を読みました。ものはためし、MacBookAir 上で読み通しました。個人的には腺をひっぱったり、書き込みができた方が安心しますが、読み通すこと自体はコンピュータの画面上でも十分できます。
Guido Giglioni, "What Ever Happened to Francis Glisson?: Albert Haller and the Fate of the Eighteenth Century Irritability," Science in Context, 21(4)(2008): 465-493
なお、この論文は、発表者の希望により来週の駒場の授業のテキストとなります。非常によく書けていると思います。
少なくとも、18世紀になってすぐにグリッソンの名前が忘れられた理由(1.ブールハーヴェが18世紀生理学徒に大きな影響を与えた生理学教科書においてグリッソンをほぼ無視したこと;2.カドワースがスピノザを批判した文章がグリッソン批判だと誤解され、一般的にグリッソン哲学がスピノザ哲学と同じだと理解されたこと)に関しては、説得的な説明を与えることに成功していると思います。
土曜日にとどいた、アンナ・ブラムウェル『エコロジー―起源とその展開』(金子務監訳、森脇靖子・大槻有紀子訳、河出書房新社、1992)の巻末の解説、すなわち金子務「監訳者あとがき:エコロジズム歴史批判」pp.388-400 を読みました。
見通しをつけるためには有用ですが、個別の論点に関しては、もうすこし調べてみようと思います。
このあとがきで、1991年から3年間にわたり、「地球環境の変動と文明の盛衰―新たな文明のパラダイムを求めて」という文部省重点領域研究が行われたことを知りました。なんと、研究総括者は、伊東俊太郎先生です。200人以上の研究者が参加したとあります。
研究成果としては、雑誌を発行していたようです。『文明と環境』0-12(1991-1994)。
科研費ですから、科研費のサイトに、まとめの文章があります。6つのポイントのうち、1つだけを引用します。
「1、[文明の画期]地球環境の変動と文明の盛衰にはいくつかの画期がみられる。12000年前、7500年前、5000年前、3000年前、紀元後3世紀、14世紀、17世紀にみられる文明盛衰の画期は地球環境の変動をともなっていたことが明らかとなった。」
おおきな文明盛衰の画期をみることができるとき、どの程度の割合で地球規模の環境変動がともなっていのかを知りたくなります。
直感的には、環境変動に起因する文明の盛衰もあるでしょうが、環境変動にはあまり関係のない文明の盛衰もあるでしょう。その辺のことも(いくらメリットを書く文章ではあっても)記しておいてくれてもよかったように思います。本としては、朝倉書店が『講座 文明と環境』の15巻本を出版しています(1995-1996;2008年)。その15のタイトルとみると、歴史学や理系の研究成果を一般読者向けに整理しまとめたものは有用ではないかと予想されます。
ともあれ、図書館に全巻そろっているので時間のあるときに見てみようと思います。次の論文を読みました。
小林 睦「ハイデガーと生物学--機械論・生気論・進化論」『アルテスリベラレス(岩手大学人文社会科学部)』82 (2008): 1-16,
グーグルスカラーでもサイニーでも邦語文献で「ドリーシュ」と「ユクスキュル」の両語を入力してヒットするのは、この論文だけです。ハイデガーだから関係ないかなと思ったのですが、意外にハイデガーの主張はよくわかります。
ハイデガーの機械論批判も生気論批判も進化論批判もたぶん正しい。
では、生物学はどうすればよい。
たぶん、生物学には機械論も生気論も進化論も不要だということになるような気がします。
私は生物学者ではないので、気楽に言いますが、もしかしたらそうなのかもしれません。おやつの時刻に次の2冊が別々に届きました。
Troels Kardel, M.D. Steno on Muscles: Introduction, Texts, Translations, published in Transactions of the American Philosophical Society, 84(1994)
長いタイトルをとると次のようです。 Steno on Muscles containing Stensen's Myology in Historical Perspective by Troels Kardel, M.D. Niels Stensen's New Structure of the Muscle and Heart[1663] and Specimen of Elements of Myology[1667] Translated by Sister M. Emmanuel Collins, Paul Maquet and Troels Kardel with Facsimile of First Editions annotated by Harriet Hansen and Aug. Ziggelaar
つまり、このアメリカ哲学会の雑誌の特集は、ステノの筋肉論の基本的な一次資料(ラテン語と英訳)ならびに注記と解説論文からなる、ステノ筋肉論の基本文献ということになります。Harry Whitaker, C.U.M. Smith and Stanley Finger (eds.), Brain, Mind and Medicine: Essays in Eighteenth Century Neuroscience, Springer, 2007
かなりおおきな本です。目次は次の通りです。
Section A: Introduction
Introduction by Harry Whitaker, C.U.M. Smith and Stanley Finger.
hronology by C.U.M. Smith.
Section B: Background:
Introduction by The Editors.
Brain and Mind in the ‘Long’ 18th Century by C.U.M. Smith .
Enlightening Neuroscience: Microscopes and Microscopy n the Eighteen Century by Brian J. Ford.
Corpus Curricula: Medical Education and the Voluntary Hospital Movement by Jonathan Reinarz.
Some Thoughts on the Medical Milieu in the Last Quarter of the Eighteenth Century as Reflected in the Life and Activities of James Parkinson (1755-1824) by Christopher Gardner-Thorpe.
Section C: The Nervous System
Introduction by The Editors.
John Hunter’s Contributions to Neuroscience by James L. Stone, James T. Goodrich, and George R. Cybulski.
Cullen and Whytt on the Nervous System by Julius Rocca.
1710: The Introduction of Experimental Nervous System Physiology and Anatomy by Francois Pourfour du Petit by Lawrence Kruger and Larry W. Swanson.
Irritable Glue: The Haller-Whytt Controversy on the Mechanism of Muscle Contraction by Eugenio Frixione.
The Taming of the Electric Ray: From a Wonderful and Dreadful ‘Art’ to ‘Animal Electricity’ and Electric Battery by Marco Piccolino.
Luigi Galvani, Physician, Surgeon, Physicist: From Animal Electricity to Electrophysiology by Miriam Focaccia and Raffaella SImili.
Section D: Brain and Behavior
Introduction by The Editors.
The Vision of William Porterfield by Nicholas J. Wada
David Hartley’s Neural Vibrations and Psychological Associations by Robert B. Glassman and Hugh W. Buckingham.
Charles Bonnet’s Neurophilosophy by Harry A. Whitaker and Yves Turgeon.
Swedenborg and Localization Theory by Ulf Norsell.
Section E: Medical Theories and Applications
Introduction by The Editors.
Neuroscience in the Work of Boerhaave and Haller by Peter J. Koehler.
Apoplexy-Changing Concepts in the Eighteenth Century Catherine E. Storey.
Benjamin Franklin and the Electrical Cure for Disorders of the Nervous System by Stanley Finger.
Gentleman’s Magazine, the Advent of Medical Electricity, and Disorders of the Nervous System by Hannah Sypher Locke and Stanley Finger.
Therapeutic Attractions: Early Applications of Electricity to the Art of Healing by Paolo Bertucci.
John Wesley on the Estimation and Cure of Nervous Disorders by James G. Donat.
Franz Anton Mesmer and the Rise and Fall of Animal Magnetism: Dramatic Cures, Controversy, and Ultimately a Triumph for the Scientific Method by Douglas J. Lanska and Joseph T. Lanska.
Hysteria in the Eighteenth Century by Diana Faber.
Section E: Cultural Consequences:
Introduction by The Editors.
Technological Metaphors and the Anatomy of Representations in Eighteenth Century French Materialism and Dualist Mechanism by Timo Kaitaro.
Explorations of the Brain, Mind and Medicine in the Writings of Jonathan Swift by Majorie Perlman Lorch.
Temperament and the Long Shadow of Nerves in the Eigthteenth Century by George Rousseau.
Index
朝2番ぐらいで大学に出ました。ちょうど2限が始まるあたりです。図書館によって、ILL で届いている文献複写1点と書物を2冊受け取りました。
寺田元一「18世紀生気論の成立と生命の科学化」『精神医学史研究』8(2004): 25-32
これは、第7回精神医学史学会のシンポジウム「生命の科学史、精神の医学史:精神医学の科学性をめぐって」の発表原稿です。
寺田さんが取り上げる生気論は「18世紀半ばにラ・カーズやボルドゥによって創始され、19世紀初めのビシャやマジャンディあたりまで続くとされる、いわゆるモンペリエ学派の生気論」です。とくに『百科全書』に生理学関係の項目を多数執筆したボルドゥとメニュレ・ド・シャンボーを中心とする、とあります。
寺田さんが重視されるのは、生動的秩序(animal economy)と有機構成(organization)です。寺田さんの主張を一言でまとめれば、生物学には全体論的生命(生物)像が必要であり、生気論はそれを生動的秩序と有機構成の概念によって与えた、と言い表すことができるでしょう。阿知波五郎『近代医史学論考(阿知波五郎論文集)』思文閣出版, 1986
阿知波五郎『医史学点描(阿知波五郎論文集)』思文閣出版, 1986研究室にもどり、いつも通りの作業を継続しました。その間に寺田さんの論文と届いた本の一部を読みました。
会議は1時40分から。2つありましたが、明るいうちに終わりました。
帰宅すると次の2冊が届いていました。
泉孝英『外地の医学校』メディカルレビュー、2009
重要な著作だと思われます。まず序から引用します。
「第2次世界大戦終了前まで、我が国では「内地」の対義語として「外地」という語が頻用されていた。・・・いわゆる植民地を指す用語であるが、広義には日本の支配地という意味でも用いられた。・・・こららの外地においては内地よりはるかに劣悪な健・衛生・医療環境の向上を目指し,医療設備の整備が行われるとともに現地医師の養成のため,数多くの医学校を設立された。
第2次世界大戦後、我が国の植民地支配への反省の思いと保存資料の少なさから、旧外地の医学校の詳細はほとんど知られていない。資料の少なさの理由としては、・・・[多く]文部省の所管ではなかったこと、第2次世界大戦直後、少なくない記録が焼却されたことを含め、多くの記録が整理・保管されることなく散逸してしまっていることなどが挙げられる。
本書は、・・・現在、我が国内で入手し得た資料についての集約的記載を試みたものである。・・」
目次は次の通りです。
序
外地の医学校(表)、外地の医学校の所在地(図)
第1章 台湾の医学校
沒本の台湾支配
台湾の衛生医療事情
。台湾の医学校
第2章 朝鮮の医学校
沒本の朝鮮支配
朝鮮の衛生医療事情
。朝鮮の医学校
第3章 樺太の医学校
沒本の樺太支配
樺太の衛生医療事情
。樺太の医学校
第4章 満州・関東州の医学校
沒本の満州・関東州支配
満州・関東州の衛生医療事情
。満州・関東州の医学校
第5章 中国占領地域の医学校
沒本の中国支配
中国における同仁会活動
。中国の医学校
第6章 南方領域地域の医学校
沒本の南方支配
南方地域の医学校
第7章 戦後処理
汪O地の医師免許所持者への対応
外地の医学校在学者の内地の医学校への転入学
資料1 外地の医学校で医学教育に携わった人々
資料2 外地の医学校の卒業生
参考文献
資料1は、「外地の医学校で、教授、助教授、講師として医学教育に関与した人々について、調査することができた人々の記録を収載した」(p.173)とあります。pp.174-284頁にわたる労作です。なお、表2の方は、pp.286-301をしめます。
私はこの分野に詳しくはありません。お一人の方のみ、抄録してみましょう。
小坂隆雄(こさか・たかお、1900-1979)大正16年6月南満医学堂卒。関東庁衛生課長。その時代に「満洲開拓の基礎」と題した800頁に近い大冊を編集している。新潟大教授(初代公衆衛生学)時代には、アイソトープ利用の重要性を予測し、全国医学部に先駆けてアイソトープ研究室を設置、新潟水銀中毒症の疫学的研究に従事した。
表2だけ全部目を通しました。ひとまず戦後日本の公衆衛生に関して重要な仕事に携わった方が目立ちます。ステーヴン・ジェイ・グールド『マラケシュの贋化石:進化論の回廊をさまよう科学者たち(上)』渡辺正隆訳、早川書房、2005
話の名手グールドによるラヴォワジェもキルヒャーもあります。
夜次の本が届きました。教科書があった方がよいかと思い、朝発注しました。上級高校生から大学初年級を読者対象としてます。
日本生態学会編『生態学入門(第2版)』 東京 化学同人、2012(初版、2004)
今生態学がどういう範囲のテーマをどの程度扱っているのかを見たいと思い、購入しました。
教科書なので最初に定義を掲げています。「生態学とは、生物の生活の法則をその環境との関係で解き明かす科学である」(p.1)
起源としては、18世紀から19世紀にかけての博物学や生物地理学に求めています。フンボルトとダーウィンの名前があります。
言葉の起源としては、ヘッケルだけを挙げています。
そして、現代の生態学としては、エルトン(C.S. Elton)、オダム(E. P. Odum) の2人の名前を挙げています。歴史を圧縮すると、こうなるのでしょうか。→まず、エルトンから調べてみることにしました。
エルトンその人を研究対象として取り上げた研究は、CiNii とグーグルスカラーによれば、とても少なく、ヒットするのは次の1点です。
江上生子「ダーウィンからエルトンへ」『一橋論叢』87(2)(1982): 200-207
この論文は、生態学の歴史に関して次の先行研究を挙げています。
川那部浩哉「生態学の歴史と展望」『現代の生物学9 生態と進化』(岩波書店、1966)
川那部浩哉「エルトンとダーウィニズムの復活」『侵略の生態学』(思索社)あとがき
渋谷寿夫「生態学の歴史」『動物生態学』(宮地他編、朝倉書店、1981)
沼田真「生態学の発展とその展望」『生態学方法論』(古今書院、1979)
沼田真「植物生態学のあゆみ」『新しい生物学史』(地人書館、1973)
大竹昭郎「動物生態学の一系譜」『動物生態学』(共立出版、1970)
木村*「生態系概念の発生と発展」『現代生物学の構図』(佐藤七郎編、大月書店、1976)
江上さんは、エルトンの主要な業績を、1)生態学を科学的自然誌(博物学)と定義したこと、2)生態学的ニッチェの概念を定義しなおしたこと、3)群衆の解析の第一の原理に食物連鎖・食物環をおき、数のピラミッドなど量の問題への注目を促したこと、4)生態学と進化論を結びつけて論じたことを挙げています。(pp.200-1)論文とは言えませんが、CiNiiでヒットする紹介原稿には次があります。
もり・いずみ「人物科学史:食物連鎖の概念を提唱し、動物生態学の基礎を築いたチャールズ・エルトン」『ニュートン』21(2)(2001): 126-131オダム(E. P. Odum) を研究対象とした論文は見つかりませんでした。
せっかくですから、弘文堂の事典を見てみました。沼田真さんが生態学の項目を執筆されています。ヘッケルのあとは、ヴァーミング(J. E. B. Warming, 1841-1924)の『植物の生態』オリジナルはデンマーク語で1895;英語では1909)、次いでエルトンの『動物生態学』(1927)をあげています。「その後生態学は、動物や植物をそれぞれ対象にするだけでなく、生物(人間をふくむ)とその生活にかかわる環境を包括した主体的な系としての生態系(ecosystem) がタンスリ(A. G. Tansley, 1871-1955)によって提案され、主に物質やエネルギーの流れから生態系生態学を構築しようとしている。」(p.547)
参考文献としては、ご自身の『生態学方法論』(古今書院、1979)とヘッケルの仕事を復刻したヘーベラー(G. Heberer)の解説を挙げています。タンスリ(A. G. Tansley)については、次の1点のみがヒットしました。
寺崎渡「「タンズレー及チップ兩氏編纂の植生研究の狙ひ處と方法」を紹介す, Aims and Methods in the Study of Vegetation. Edited by A. G. Tansley, M. A., F. R. S. and T. F. Chipp, M. C., Ph. D. British Empire Vegetation Commitee and Crown Agents for the Colonies : London, 1926., 紙數三百八十三頁, 圖版六二, 價格一二シル六」『林學會雑誌』 9(2)(1927): 23-29
せっかくなので読みました。結論:「要するに本書は、植物生態学特に植生研究調査には、外国語で書かれた本で、自分が読んだどの本よりも要領よく書かれたもので、初学者にも、一通り知識のある人にも便利なものであり、且つ所謂西洋以外の国での研究の仕方や、研究の要領があって、それで文章が平易であるから、実に良書という可きであると、自分で確信したから、茲に紹介の労をとり序に所感を述べた」(p.29)のである、とあります。私が調べ得た範囲では、ヴァーミング(J. E. B. Warming)を研究対象とする論文はヒットしませんでした。
「生態学史」で検索して、次の2論文をダウンロードし、読みました。
1. 渋谷寿夫「生態学史研究についての諸問題」『日本生態学会誌』7(4)(1957): 171-175
渋谷さんは、吉井義次さんの論文を引用されています。吉井義次さんの論文では次の2点がダウンロードできます。早速ダウンロードして読みました。ともに私の目的には有用な論考でした。
吉井 義次「生態学という術語」『植物生態学会報』1(2)(1951): 109-110
吉井 義次「植物群落学における生活形概念の変化と批判」『日本生態学会誌』4(1)(1954): 30-342. 岩井優多「<研究動向>日本における環境史の方法:研究史の整理と今後の展望」『紀尾井論叢』1(2013): 19-25
前に紹介した国際日本文化研究センター主催の「地球環境の変動と文明の盛衰」が取り上げられています。「その環境決定論的論理に対して、その後歴史学や考古学の側から批判がなされていった」ということだそうです。さもありなん。
日本の環境史を通史的に扱ったシリーズとしては、2点あるそうです。1)『シリーズ 日本列島の三万五千年―人と自然の環境史』全6巻、文一総合出版、2)『環境の日本史』全5巻、吉川弘文館、2012-13。
増尾伸一郎・工藤健一・北條勝貴編『環境と心性の文化史』上下巻、勉誠出版、2003
数多く紹介されている文献のなかで個人的に関心をもったのは、保立道久「地震・原発と歴史環境学」歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』青木書店、2012
[生態学史]
日本語では、生態学史は、まだ書かれるべき課題として残っているようです。
吉井 義次「生態学という術語」『植物生態学会報』1(2)(1951): 109-110
吉井 義次「植物群落学における生活形概念の変化と批判」『日本生態学会誌』4(1)(1954): 30-34
吉井 義次氏のこの2点をネットで見つけて読みました。生態学の出現に関して、重要なポイントを示されています。
まず、術語から。「生態学」の語は、三好学博士が明治の中頃ドイツのPflanzenbiologie に深い関心をもって帰国され、明治28年の文章に、Biologie の訳語として設けられたとあります。
つまり、日本語としては、明治の「生態学」は、現在の「生態学」と大きな差があると言えます。
Öcologie という語そのものは、Häckelが1866年造語した。
生物学そのものは、個体を対象とする個体生物学(Idiobiologie)と集団を対象とする生物社会学(群落生物学, Biosoziologie)の2種類に分けられる。従って生物と環境の関係を探究する生態学も個体生態学と群落生態学に分けられる。欧州の学者は、個体生態学を植物生態学(Pflanzenökologie)、群落生態学を植物群落学(Phytosoziologie、Vegetationkunde)と呼び、両者を含める場合には地植物学(Geobotanik)または植物地理学(Pflanzengeography)を呼んでいる。
ただし、英米の学者は、ecology の語に、環境学だけではなく狭義の群落学も含めて理解している。我が国でも「生態学」はこの意味に理解されている。
さて、では、どうしてこういうことが生じたのか? 理由は非常に簡単に説明されている。生態学者の古典的名著 Warming のPflanzengeograpie が英訳されたとき、ecology とされたせいであると言われる。(De Rietz, Rübel, Tansley)
具体的に、Warming の書は、1895年まずオランダでPlantesamfune: Gründträk af den ökologiske paltegeografi(植物群落)として出版され、(原題の副題を活かす形で)翌1896年ドイツ語訳がLehrb. der ökologischen Pflanzengeographie(生態植物地理学)として出版された。
英訳は、1909年ケンブリッジからEcology of Plants: An Introduction to the Study of Plants Communitiesとして出版された。
学的背景としては、19世紀初めにフンボルトによって起こった植群(Vegetation)を対象とする植物地理学があり、19世紀末にはDe Candolle やGrisebach によって群落の生態学的考察が課題とされた。
Warming の書は、まさに群落の生態学的考察を論究した。つまり、Ecology=生態学の成立の柱の一つは、植物群落の生態学的考察であった、とまとめてよいでしょう。
吉井さんの2番目の論文は、生活形(Life Form)の概念の変化に植物生態学の基本的観点の変化を探っています。
"History of Ecology" ではWiki の記述がよくまとまっているように思われます。(何か別のソースからの編纂ではあるようですが、手始めには使えます。)
古代のアリストテレスと弟子テオフラストスには、生態学的関心があったと言える。
アレキサンダー・フォン・フンボルトと植物地理学
アルフレッド・ラッセル・ウォレスとカール・メビウス:群集の概念
ヴァルミング (Johann Eugenius Bülow Warming, 1841-1924、デンマーク)と学問としてのエコロジー=生態学の創出
進化論と形態学の関係
生物圏:エドワード・ジュース(Edward Suess, 1831-1914、オーストリア)、コールズ(Henry Chandler Cowles, 1869-1939、アメリカ)、ベルナドスキー(Vladimir Vernadsky、ロシア→フランス)
ラヴォワジェとソシュールによる新化学と窒素サイクルの発見(??);1875年ジュースが「生物圏」という術語を創出;ベルナドスキーが『生物圏』(1926)を発表。
タンスリー(Arthur George Tansley, 1871-1955、英国、1914生態学会設立)と生態系の概念
1935年、タンスリーが生態系という語をつくった。
コールズと生態学的遷移の概念
人類生態学、1920年代に始まる
ジェームズ・ラブロックとガイア仮説
1971年、ユネスコが「人間と生物圏」というプログラムを開始する
1972年、国連がストックホルムで環境に関するカンフェランスを開催
1992年、リオで「アース・サミット」
1997年、「京都議定書」
ILL で届いていた次の本を受け取りました。
フルートン『生化学史 : 分子と生命』水上茂樹訳、共立出版, 1978
ジョゼフ・ニーダム編『生化学の歴史』木原弘二訳、みすず書房, 1978
東京帝國大學醫學部藥學科生藥學教室編纂『朝比奈泰彦及協力者報文集』東京帝國大學醫學部藥學科生藥學教室, 1934-1956
朝比奈泰彦『私のたどった道』南江堂, 1949[生態学史]
キンドルで次の本を発注し、ダウンロードしました。
W. Coleman, Nature's Economy: A History of Ecological Ideas, Cambridge: Cambridge University Press, 1994
書誌は、紙のものです。生態学の歴史そのものではなく、生態学的(エコロジーの)思想の歴史です。
[日本の生態学の組織]
ウェブで調べがつく範囲で、簡単に日本の生態学の組織を調べてみました。
学部
単独で「生態学部」と称する学部は存在しないようです。
「環境科学部」は、あります。(滋賀県立大学)
学科
やはり、単独の「生態学科」は存在しないようです。ただし、「環境生態学科」「環境・生態学科」は複数あります。(滋賀県立大学、明星大学、沖縄のサイテクカレッジという名の専門学校、ほか?)
「環境生態学コース」もあります。(東邦大学理学部)
「生態」と「環境」の順序を逆にした「生態環境科学科」もあります。(島根大学生物資源科学部)名称はなかなかやっかいですが、「生態」という言葉よりも「環境」の方が人気があるようです。
この調査ですが、生態学会の会員名簿があれば、そこの所属欄を集積し、分析するのが一番手頃で確実であることに気づきました。ほんとうのところ、図書館に集めておいて欲しいのがこの種の資料です。
名簿は、個人情報保護の観点から、ウェブにあることは基本ないと思います。しかし、所属だけがわかればよいので、学会発表者の所属(肩書き)を集めることでかなり代用できるように思われます。
現実にこの作業をするかどうかはわかりません。学会としては1954年創立の日本生態学会の他に、微生物生態学会、熱帯生態学会、個体群生態学会、景観生態学会、応用生態学会等があります。
[マッキントッシュ『生態学 概念と理論の歴史』]
夕刻に次の本が届きました。
ロバート・P.マッキントッシュ『生態学 概念と理論の歴史』大串隆之、井上弘、曽田貞滋訳、思索社、1989
目次は次です。
1 生態学の履歴
2 生態学の結晶化
3 動的生態学
4 定量的群集生態学
5 個体群生態学
6 生態系生態学、システム生態学、大規模生物学
7 生態学への理論的アプローチ
8 生態学と環境
今月の18日に紹介した、Robert P. McIntosh, The Background fo Ecology: Concept and Theory (Cambridge: Cambridge University Press, 1985)の邦訳です。こういう基本書から読むのがよいでしょう。
p.74 にある邦訳されている参考文献のリストも有用です。
C. エルトン『動物の生態学』渋谷寿夫訳、科学新興社、1955
C. エルトン『侵略の生態学』思索社、1971
C. エルトン『動物の生態』思索社、1978
C. エルトン『動物群集の様式』思索社、1990
E. P. オダム『生態学の基礎』京都大学生態学研究グループ訳、朝倉書店、1956
E. P. オダム『生態学』水野寿彦訳、築地書店、1967
E. P. オダム『生態系の構造と機能』築地書店、1973
E. P. オダム『生態学の基礎』上下巻、三島次郎訳、培風館、1974-75
E. P. オダム『基礎生態学』三島次郎訳、培風館、1991
G. C. クラーク『生態学原論』市村俊英ほか訳、岩崎書店、1965
K. E. F. ワット『生態学と資源管理』上下巻、伊藤嘉昭監訳、築地書館、1972
K. E. F. ワット『環境科学:理論と実際』沼田真監訳、東海大学出版会、1975
他にクーンの『科学革命の構造』、ベルタランフィーの『一般システム理論』、ホワイトの『セルボーンの博物誌』、ダーウィンの『種の起源』、カーソンの『沈黙の春』、ガウゼの『生存競争』、ジェファーズの『生態学のためのシステム分析入門』、マッカーサー『地理生態学』、マーガレフ『将来の生態学説』、ムーリー『マッキンレー山のオオカミ』(2分冊、思索社)、ピール『数理生態学』(産業図書)、リチャーズ『熱帯多雨林―生態学的考察』(共立出版)、ウヴァロフ『昆虫と気候』(養賢堂)等々です。
昔、金森修さんは、20世紀に「科学思想史」を書くのは難しいと書かれました。一般的にはその通りですが、たぶん生態学はその例外になるように思われます。生態学と環境思想の思想史は可能でもあり、また求められているように思います。
[生態学 思想史]
21日に生態学の思想史が今でも必要ではないかと書いたので、もうすこし幅を広げて調べてみました。
ウェブ(http://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/Ecology.html)に前広島大学教授の成定さんがD・オースター『ネイチャーズ・エコノミー−−エコロジー思想史』(リブロポート、1989)の翻訳出版に際して執筆された訳者あとがきがありました。
そこに書かれている日本における、環境問題への関心の盛衰が重要です。1970年代に公害問題に端を発して盛んになった公害・環境問題への関心(広島大学では「環境科学 コース」があったそうです)が1980年代には下火になり(広島大学では「環境科学 コース」が発展的に解消されたそうです)先行きが危ぶまれていたところ、1980年代後半に「突然、「環境」への関心が復活した。」1988年から「地球温暖化、酸性雨、フロンガスによるオゾン層の破壊、熱帯雨林の破壊、砂漠化といった環境問題が日夜報道され」るようになっていた。
成定さんによれば、オースター『ネイチャーズ・エコノミー』は、マッキントッシュ『生態学の歴史』と相補的な関係にあるそうです。
そもそも東大駒場では、廣野氏が「進化生態学」の専門家です。
朝一番で次の本が届きました。
D・オースター『ネイチャーズ・エコノミー−−エコロジー思想史』中山茂・吉田忠・成定薫訳、リブロポート、1989
この本の中山さんと成定さんの後書きを読んで、私の分野(科学史・科学哲学)の人間であれば、かなりの確率で一度は、生態学=エコロジーに関心を持つのでは、と思うようになりました。もちろん他の分野の方でも関心を持たれる方は少なくないでしょうが、私の分野は確率的に高いように思われます。先人の仕事も探してみようと思います。→ 中山茂「環境史の可能性」『歴史と社会』第1号(リブロポート、1982);『市民のための科学論』(社会評論社、1984)所収
→ アメリカ環境史学会 The American Society for Environmental History は、1977年に創設されています。雑誌は、Environmental Historyです。オクスフォード大学出版会より季刊で出されています。
ウェブに、 Frank N. Egerton氏による"A History of the Ecological Sciences"という連載を見つけました。古代ギリシャからはじめて、現在「動物生態学」の49部まであります。
日本の環境問題への対応に、歴史的には無視できない問題があると気付き、ウェブで検索をかけていたら、次の論文がヒットしました。
内山弘美「環境冠学科の設置メカニズム―国立大学工学系学部を事例として―」『高等教育ジャーナル―高等教育と生涯学習―』8(2000): 1-15
冒頭から次のようにあります。「日本において、環境科学というディシプリンの提唱は、公害に端を発している。この概念は、環境科学のディシプリンの体系化に先立って、1970年代に公害・環境関連の研究あるいは教育を目的とした国立の諸組織の創設をめぐって制度的につくられたものであった。」
日本における環境科学のステージを内山さんは4つに分けています。
環境科学前史 ** 1957〜1967 衛生工学科
第1次環境ブーム ** 1968〜1978 環境冠学科
第1次停滞期 ** 1979〜1986
第2次環境ブーム ** 1987〜 環境科学会
第2次停滞期 **1967年 公害対策基本法制定
1971年 環境庁設置
1972年 国連人間環境会議
by 1974 4大公害裁判において原告勝利
1987年 環境科学会の創設
1992年 リオサミット
内山さんの論文に関しては、スコープが明示されているので、ないものねだりかもしれませんが、「エコロジー」や「生態学」の語が一度も言及されていないのは、どうかなと感じます。
図書館。ILLで届いている次の3冊を受け取りました。
後藤五郎編『日本放射線医学史考(明治大正編)』日本医学放射線学会, 1969
後藤五郎編『日本放射線医学史考』第12回国際放射線医学会議, 1970
舘野之男『放射線医学史』岩波書店, 1973雨のなか帰宅すると次の本が届いていました。
Robert P. McIntosh, The Background fo Ecology: Concept and Theory, Cambridge: Cambridge University Press, 1985
目次は次です。目次だけですが、よくできた本のようです。
1. Antecedents of ecology
A transformed natural history
What is ecology
Sources of ecology seen by biologists
Sources of ecology seen by historians
Who found ecology
Self-conscious ecology
2. The crystallization of ecology
3. Dynamic ecology
4. Quantitative community ecology
5. Population ecology
6. Ecosystem ecology, systems ecology, and big biology
7. Theoretical approaches to ecology
8. Ecology and environment
References; Name index; Subject index.
12時を回るのを待って、図書館へ。3冊を受け取りました。
1.Robert E. Kohler, From medical chemistry to biochemistry: The making of a biomedical discipline, Cambridge: Cambridge University Press, 1982
この分野の基本文献だと思われます。
2.ウィリアム・バイナム , ヘレン・バイナム編『医学を変えた70の発見』鈴木 晃仁 , 鈴木 実佳訳、医学書院、2012
医学上の発見を7章、70点にまとめてオールカラーの豪華本に仕立て上げています。
3.ジュリー・アンダーソン , エマ・シャクルトン , エム・バーンズ『アートで見る 医学の歴史』矢野 真千子訳、 河出書房新社 、2012
2,も大型本ですが、これはもっと大型の本です。図版がすばらしい。開いている時間に、次の論文を読みました。好論文です。
中尾麻伊香「近代化を抱擁する温泉ー大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割」『科学史研究』Vo. 52(No. 268)(2013): 187-199
私がちょうど作業をしていた本が引用されています。
[ファブリキウスの時代を超えるカラー図版]
さて、今日は駒場の授業。3時15分頃家をでました。駒場の駅には4時頃到着しました。判子を押して、教室に直行。
本日のテキストは次。
Karin J. Ekholm, "Fabricius's and Harvey's representations of animal generation," Annals of Science, 67(2010): 329-352.
朝まだ暗い内、家族が起きてくる前に読んでいました。まとめは藤本氏のブログにあります。ファブリキウスがここまですごいカラーの図版を用意していたとは、びっくりしました。実物を一度見てみたい。
→ ちなみに、ファブリキウスが画家に描かせたカラーの図版は、Biblioteca Nazionale Marciana に所蔵されています。 Marciana 図書館は、2004年末から2005年にかけて、"Il teatro dei Corpi. Le pitture colorate d'anatomia di Girolamo Fabrici d'Acquapendente" という展覧会を開き、図録を出版しています。
Maurizio Rippa Bonati & José Pardo-Tomás (eds.),
Il teatro dei Corpi. Le pitture colorate d'anatomia di Girolamo Fabrici d'Acquapendente
Milano: Mediamed, 2004
ファブリキウスの驚異の解剖図を見るには、これを手に入れるのが一番でしょう。日本の図書館に入っていればと思ったのですが、日本の図書館で所蔵するところはないようです。あとは、海外の図書館から取り寄せるか、在庫のある本屋さんで購入するかでしょう。
帰宅すると次の本が届いていました。
Karl E. Rothschuh, History of Physiology, translated by Guenter B. Risse, Huntington: Krieger, 1973
最近になく発注から到着までに時間がかかりました。一度迷子になったのでしょうか、それとも船便にまわされたのでしょうか。
授業の前に図書館に寄って作業。新刊雑誌を網羅的に見ていました。手元に必要なものはコピーをとりました。
そのひとつは、生物学史雑誌の生体解剖特集です。下の「Annals of Science 特集:初期近代における動物の表象」と同じ Anita Guerrini and Domenico Bertolomi Meli さんのコンビがゲストエディターとして特集を組んでいます。
Journal of the History of Biology, Summer 2013: Volume 46, Number 2
Special Issue on Vivisection
Guest Editors: Anita Guerrini and Domenico Bertolomi Meli
Anita Guerrini and Domenico Bertolomi Meli, "Introduction: Experimenting with Animals in the Early Modern Era," pp.167-170
R. Allen Shotwell, "The Revival of Vivisection in the Sixteenth Century," pp.171-197
Domenico Bertolomi Meli, " Early Modern Experimenting on Live Animals," pp.199-226
Anita Guerrini, "Experiments, Causation, and the Uses of Vivisection in the First Harf of the Seventeenth Century," pp.227-254
Charles T. Wolfe, "Vitalism and the Resistance to Experimentaion on Life in the Eighteenth Century," pp.255-282
Tobias Cheung, "Limits of Life and Death: Legallois's Decapitation Experiments," pp.283-313
もうひとつは、次。
Christine Lehman, "Alchemy Revistied by the Mid-Eighteenth Century Chemists in France: Unpublished Manuscript by Pierre-Joseph Macquer," Nuncius, 28(2013): 165-216
レーマンさんは、百科全書の化学についてとてもよい仕事をされた方です。フランス語でヴネルについて博士論文を書いたあと、英語の論文もどんどん発表されている・今後も発表するようです。5限に駒場の授業。
その後、柴田氏と藤本氏主催の「 Annals of Science 特集:初期近代における動物の表象読書会」があります。
詳しくは、ブログ、ツイッター、等をご覧ください。
藤本大士氏のブログ
同氏のつぶやき
google+ による遠隔地からの参加も可能です。それも、上記サイトの案内をご覧下さい。
図書館に籠もって作業。新着雑誌コーナーにある科学史関係、歴史学関係の雑誌を1年分棚から取り出して、ざっと読んでいました。きちんとフォローすべき論文がけっこう数多く見つかりました。いくらかコピーもとりました。
坂井建雄・澤井直「ゼンネルト(1572-1637) の生涯と業績」『日本医史学雑誌』第59巻第4号(2013): 487-502
坂井建雄・澤井直「ゼンネルト(1572-1637) の書誌」『日本医史学雑誌』第59巻第4号(2013): 587-610
これはコピーを取っただけではなく、きちんと目を通しました。隣に座っていた学生は、見事にこっくりこっくり居眠りをしていました。頭がリズム正しく後ろにおれます。水曜日の日に pdf をつくります。必要な方は遠慮なく声をかけてください。
次の本が届きました。荷物はそろそろ正常化に向かっているようです。川越修,鈴木晃仁 編著
『分別される生命: 二〇世紀社会の医療戦略』
法政大学出版局、2008
目次は次です。
川越修「二〇世紀社会の生命と医療」
美馬達哉「リスク・パニックの二一世紀―新型インフルエンザを読み解く」 猪飼周平「近代日本における病床概念の意味転換―医療制度改革への歴史的アプローチ」
山下麻衣「 明治期日本における看護婦の誕生―内務省令「看護婦規則」前史」
鈴木晃仁「 治療の社会史的考察―滝野川健康調査(一九三八年)を中心に」
服部伸「世紀転換期ドイツにおける病気治療の多元性―ホメオパシー健康雑誌の記事を中心に」
大谷誠「世紀転換期イギリスにおける「精神薄弱者問題」―上流・中流階級と「公」的管理」
原葉子「「危険な年齢」―ドイツにおける「更年期」をめぐるポリティクス」
柿本昭人「 誰が「生きている」のか―痴呆・認知症・心神喪失」
見市雅俊, 脇村孝平,斎藤修, 飯島渉 編
『疾病・開発・帝国医療:アジアにおける病気と医療の歴史学』
東京大学出版会、2001
目次は次です。
第I部 領域と視角
見市雅俊 「病気と医療の世界史――開発原病と帝国医療をめぐって」
斎藤修 「開発と疾病」
飯島渉・脇村孝平 「近代アジアにおける帝国主義と医療・公衆衛生」
第II部 事例と比較
阿部安成「衛生」という秩序」
鬼頭宏 「前近代日本の死亡の季節変動」
川越修 「乳児死亡問題の比較社会史」
脇村孝平 「アノフェレス・ファクターとヒューマン・ファクター――植民地統治下のマラリア防遏:インドと台湾」
飯島渉 「近代日本の熱帯医学と開拓医学」
劉士永 「台湾における植民地医学の形成とその特質」
上田信 「細菌兵器と村落社会――中国浙江省義烏市崇山村の事例」
次の本を全部ではありませんが、ほぼ読みました。
なるほど、これは重要な書物です。
見市雅俊, 脇村孝平,斎藤修, 飯島渉 編『疾病・開発・帝国医療:アジアにおける病気と医療の歴史学』( 東京大学出版会、2001 )
2014年度の外語の授業(大学院:歴史文化論)のテキストとして使います。医学史が重要かなと感じている方は、是非、読んでおいて下さい。丁寧な文献案内もあるので、ここから広げていきます。
夕刻、次の本が届きました。
ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史 上』佐々木昭夫訳、 中公文庫、2007(新潮社、1985)
アマゾンは、上だけ先に送ってきました。下は明日来るのでしょうか。早く届けてくれるのはうれしいのですが、そこまでしなくても、という気がします。
おやつの時刻に次の本が届きました。
ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史 下』佐々木昭夫訳、 中公文庫、2007(新潮社、1985)
帰宅すると次の本が届いていました。
見市雅俊
『ロンドン=炎が生んだ世界都市―大火・ペスト・反カソリック』
講談社選書メチエ、1999
茨木保『ナイチンゲール伝 図説看護覚え書とともに』 医学書院、2014 ¥ 1,944
これも医学史家、鈴木晃仁氏のブログで紹介されているのを見て、注文したものです。茨木さんは、婦人科の医師(病院長)にして漫画家という方です。これは、マンガです。
昨日届いた、茨木保『ナイチンゲール伝 図説看護覚え書とともに』を読み始めました。とてもよくできています。ほんとうに多くのことを教えてくれます。子どものとき、ナイチンゲールの話を読んだ/聞いたことがある大人の方は、どなたが読んでも、得られるものがあるでしょう。
[ステノ筋運動論]
駒場の F 君より、出版されたばかりの次の論文を送ってもらいました。F君、手配、ありがとうございます。
安西なつめ、澤井直、坂井建雄「ニコラウス・ステノによる筋の幾何学的記述―17世紀における筋運動の探究―」『日本医史学雑誌』第60巻第1号(2014): 21-35
これはすばらしい論文です。これまであまり注目されることのなかったステノの『筋学の要素の例証あるいは筋の幾何学的記述』(フィレンツェ、1667)における「筋の幾何学的記述」に焦点を当て、ステノのモデル化の持つ意味、ステノのモデル化の起源、ステノのモデル化の影響を、十分なレベルで解明しています。
ステノのモデル化は17世紀においても特異な例に止まりますが、なかなかにインパクトのあるアイディアです。はじめて安西さんの発表を聞いたときは、驚きました。
大学院のゼミで医学史を取り上げています。医学史ははじめてという院生諸子には「精気の概念」が難しく感じられるようです。
拠点となる点を確保するためにまず次の2点の論文を院生諸子に送りました。
矢口直英「イブン・シーナーの自然精気」『科学史研究』第51巻(No. 263)(2012): 129−137
矢口直英「<原典翻訳> フナイン・イブン・イスハーク著『医学の質問集』(1)」『イスラーム世界研究 : Kyoto Bulletin of Islamic Area Studies』3 ( 2 )(2010): 416 - 477他にネットで検索をかけていて次の論文にヒットしたのでダウンロードして読みました。
岡田典之「霊、精神、精気、物質 : spiritをめぐる十七世紀英国の一論争」『龍谷紀要』第35巻第2号(2014): 1-20さらに平井さんの次の論文がヒットしたので、遅ればせながらダウンロードして長引き会議の最中に読みました。すばらしい。一般的によく見る邦語論文とは水準が違います。
ヒロ・ヒライ「ルネサンスの星辰医学:占星術の変容から普遍医薬の探究へ」『学習院女子大学紀要』第16巻(2014): 25-41
若い研究者の諸君は、こういう論文をモデルに執筆してもらうとよいでしょう。
サリー・モーガン『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ (人がつなげる科学の歴史) 』 徳永優子訳、文渓堂、2010
裏表紙には「図書館用堅牢製本図書」とあります。本文にはルビがふっています。即ち、子ども用の図書です。基本を理解するため、通読するのにちょうどよい本です。
「 人がつなげる科学の歴史」シリーズは、全5巻です。
第1巻『ワクチンと薬の発見―牛痘から抗生物質へ』
第2巻『宇宙の発見―天動説からダークマターへ』
第3巻『光の発見―ニュートンの虹からレーザーへ』
第4巻『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ 』
第5巻『新エネルギー源の発見』
文系の学生諸君も、一般読者の方も、最初に通読する本としてこのシリーズはよいように思われます。
→ 14.5.2 夜に読み始め、9時前に読み終わりました。教育の場面で、この種の本はとても有用です。学校の図書館や理科室(理科室に本を置くのがダメなら理科室の隣にこういう本を置いている資料室があると便利だと思います)に常置されるべき本だと思います。
この『再生医療への道 』は、本文60頁弱です。大人ならば1時間以内、子どもでも2時間はかからず読み通すことができると思います。副読本として、数多く作成され、すべての小中高学校の図書館に常備されるべきだと考えます。
もちろん、作るときには丁寧に作る必要があります。→14.5.3 気になるので、もとの英語版を調べてみました。シリーズは "The Chain Reactions Series"です。「21世紀の主要な科学的進歩の歴史と展開を説明するものであり、それぞれの巻は、あるひとつの発見や発明がどのように我々の生活を変える一連のブレイクスルーをもたらしたかを示す。」とあります。
From Microscopes to Stem Cell Research
From DNA to GM Wheat
From Laughing Gas to Face Transplants
From Cowpox to Antibiotics
From Greek Atoms to Quarks
From Newton's Rainbow to Frozen Light
From Steam Engines to Nuclear Fusion
From Gunpowder to Laser Chemistry
From Ptolemy's Spheres to Dark Energy
From Windmills to Hydrogen Fuel Cells
上にあるとおり、この10点中、日本語に訳されているのは5点です。→邦訳があるものは、原著と邦訳を並べてみましょう。
From Microscopes to Stem Cell Research 『再生医療への道―顕微鏡づくりから幹細胞の発見へ 』
From Ptolemy's Spheres to Dark Energy 『宇宙の発見―天動説からダークマターへ』
From Cowpox to Antibiotics 『ワクチンと薬の発見―牛痘から抗生物質へ』
From Windmills to Hydrogen Fuel Cells 『新エネルギー源の発見―風車から水素燃料電池へ』
From Newton's Rainbow to Frozen Light 『光の発見―ニュートンの虹からレーザーへ』こう並べてみると、未訳のものの邦訳もほしいと思います。
朝一番で次の本が届きました。
アン・B.パーソン『幹細胞の謎を解く』渡会圭子訳、谷口英樹監修、みすず書房、2005
原著は2004年です。その時点までの幹細胞の歴史です。幹細胞研究史として日本語ではこれが一番基本かもしれません。夕刻、次の2冊が届きました。
『nature (ネイチャー) ダイジェスト』 2014年 03月号
『nature (ネイチャー) ダイジェスト』 2014年 04月号
3月号は「初期化の新しい原理発見!」として STAP細胞 を冒頭にもってきています。同時に、「イタリア警察を動かしたゲル画像不正検出技術」という記事もあります。これは、イタリア北部でメタ分析サービスを提供するバイオ・デジタル・バレー社の社長が生物医学のデータベースを構築する際に、汚染された文献を排除しようとして、不自然な電気泳動ゲル画像をチェックしたところ、全体の4分の1に不正が見つかったこと、さらに8本の不正が見つかった人物がイタリアの著名なガン研究者であったことを報告しています。
STAP細胞の報告のすぐ後ろにこの記事です。画像の編集に関しては、それぞれの学会できちんと検討して、ガイドラインを作る必要があると思います。
個人的には、見やすくするための編集作業が捏造とか偽造にあたるとは思いませんが、編集の内容について検証の仕組みが必要だと思います。
4月号は「ゲノム編集が未来を開く」を冒頭に掲げています。次に「結晶構造学の100年の歩み」という記事があります。[月曜日2限「STS」4回目準備]
試作段階です。コメント歓迎します。(作成中)
1903 ハーバート・ウェーバー、"Clone" という語をつくる
1952 アメリカのロバート・ブリッグスとトーマス・キング、胚細胞の核移植によりカエルのクローン作成に成功
1954 ステイーブンス、マウスのテラトーマに多能性細胞を見出す
1962 カエルのクローン作成に成功
1963 アーネスト・マコラックとジェイムズ・ティル、マウスの骨髄に幹細胞が存在する実験結果を発表(『再生医療への道』ではマッカローの表記ですが、固有名詞発音辞典によれば、その発音はテキサスのもののようです)
1978 イギリスで「試験管ベービー」ルイーズさん誕生
1981 マウスの胚性幹細胞発見( By Martin John Evans and M. Kauffman;By Gail Martin)
1984 マーティン・エヴァンス、マウスの初期胚から胚性幹細胞を樹立
1987 オリバー・スミシーズとマリオ・カペッキ、ノックアウトマウスの作成技術確立
1992 ベルギーで卵細胞室内精子注入法が開発される
1997 ロスリン研究所で、クローン羊ドリー誕生(2003、安楽死)
1998 日米でクローン牛誕生;ヒト胚性幹細胞樹立( by J. Thomson);若山照彦らがマウスの体細胞クローンの作成に成功
2001 テキサスM&A でクローン猫誕生
2002 キャサリン・ヴァーフェイルたち、マウスの骨髄から多能性幹細胞樹立報告
2003 日本で初めてヒトES細胞樹立(京大中辻憲夫)
2004 韓国で、犬のクローン誕生(by ファン・ウソク)
2006 山中伸弥たち、マウスでのiPS細胞の樹立報告
2007 山中伸弥たち&トムソンたち、ヒトiPS細胞の樹立報告
2014 小保方ら、STAP 細胞(?)報告幹細胞だけに注目すれば、幹細胞が存在しなければならないという証明(1963)から、これが幹細胞ですと示す(1981)まで20年近く(18年)かかっています。20世紀後半のこの分野で18年は長い。幹細胞だけを他の細胞から区別して取り出し培養するのが相当困難だったということを意味しています。
この分野は、最近の発展です。National Geographics のニュースには「幹細胞注射でマウスの“若返り”に成功」とか「若い血液との交換で若返りが可能?」といったものがあります。
午後、次の本が届きました。
田中幹人[編著]『iPS細胞:ヒトはどこまで再生できるか?』日本実業出版社、2008
巻末の「再生医療に向けた幹細胞研究の動き」(pp.248-9)図は有用です。もともとは、東京電力が出していた科学広報誌『イリューム』38号(2007), p.66 に掲載されていた図です。それを改編したとあります。[月曜日2限「科学技術と社会」4回目]
朝のうちに、明日の授業の準備をほぼすませることができました。
ビデオ Stem Cell Revolutionを見て、幹細胞の歴史をサーベイします。ES細胞、iPS細胞にも触れます。「STAP細胞」には触れるだけに止めます。幹細胞の国際学会は、2002年に創立されています。International Society for Stem Cell Research (ISSCR)。イリノイ州に本拠をおくとあります。Official Journal は、Cell Stem Cell です。2007年創刊で、日本国内では11館が所蔵しています。
タイトルに Stem Cell をもつ雑誌で一番古いのは、Kargerから出ていた Stem Cells です。Vol.1, No.1(1981) - Vol. 2, No.62(1982) の62号で終わったようです。
AlphaMed Press発行の Stem cells は、1993年創刊で、今も続いています。
Journal of hematotherapy & stem cell research は、1992年創刊ですが、International Society for Hematotherapy and Graft Engineering が発行で、発刊時の名称がJournal of hematotherapy です。幹細胞の語はあとから入っています。
1999年発刊のCloningは、第3巻(2001)からCloning and stem cells に名称変更しています。
Stem cell reviewsは、2005年発刊でたぶん現在も続いています。
Journal of stem cells は、2006年発刊です。
Current stem cell research & therapy も、2006年発刊です。
Stem cell research journal は、2007年発刊。
Current protocol in stem cell biology も、2007年発刊。
Stem cells translational medicineは。2012年発刊です。
日本語では、タイトルに『幹細胞』をうたう雑誌はまだないようです。また、幹細胞をタイトルにもつ学会もまだ存在しないようです。日本で目立つのは、日本再生医療学会と日本造血細胞移植学会の活動です。
帰宅すると次の雑誌が届いていました。
『nature (ネイチャー) ダイジェスト』 2013年 11月号
まず、「医学生物学系論文の多くは再現できない!」を読みました。本文のヘッドタイトルは「医学生物学論文の70%以上が、再現できない!」とあります。もとの記事は次です。
Meredith Wadman, "NIH mulls rules for validating key results," Nature, Vol. 500(August 2013), pp.14-16
他に次のような記事があります。
「繊維芽細胞から卵を作り出した科学者たち」
「2011 年に出版された論文の半数が無料で読める」
午後、次の本が届きました。
佐藤彰一『禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源』中公新書、2014
諸所で話題の書物です。第1章は「古代ギリシャとローマの養生法」、第2章は「女性と子供の身体をめぐる支配連関」です。われわれにも関係するテーマです。ここから話が始まるとは予想していませんでした。
→ 14.5.17 あとがきを読んでみると、この書物の核となる内容は、1991年と1992年の2年間にわたり名古屋大学文学部の「特殊講義」で話したことだとあります。また、依拠した文献としては、アリーヌ・ルーセル『ポルネイア―身体の統御から感覚の剥奪へ、2世紀―4世紀』(1983)とその続編『信じることと治癒すること―古代後期ガリアにおける信仰』(1990)の2冊を最大のものとして挙げています。
さらに、ピーター・ブラウン『初期キリスト教時代における肉体と社会―男と女と性の放棄』(1988)を論述のシナリオとして参考にした、とあります。
→ ともかく、2章までを読んでみました。びっくり。私がこの時代のことに無知なだけかもしれませんが、あまりにあまりな世界が描かれています。
仮にこの時代に生まれてくる子どもが自分がどういう世界に生まれるのか知っているということがあったとすれば、ほとんどは拒否しただろうと思われる世界です。
また、「15年戦争と日本の医学医療研究会」という研究会が2000年6月17日に設立されていました。研究誌は、最新号以外は、ウェブで入手できるようです。(全部に関してはまだ確認していません。)貴重な仕事だと思われます。
15年戦争と日本の医学医療研究会サイト
『15年戦争と日本の医学医療』全巻目次
→ 14.5.29 ダウンロードできるものは、どうも半分ぐらいです。どうしてそうなっているのかはわかりません。たとえば、731部隊や日本陸軍の毒ガス兵器に関しては、とても重要な研究成果が発表されていると言えそうです。
お昼過ぎに次の雑誌が届きました。
『日本の科学者 』第48巻8月号(2013) 特集:戦争と医の倫理―ドイツと日本の検証史の比較 (日本科学者会議編/本の泉社、2013)
郵便受けに次の4冊が入っていました。
J. B. de C.M. Saunders and Charles D. O'Malley,trans. with annotations, The Illustrations from the Works of Andreas Vesalius of Brussels (Dover Fine Art, History of Art) , New York: Dover, 1950阪上孝編著『統治技法の近代』同文館、1997
武田英子『地図から消された島―大久野島毒ガス工場』ドメス出版、1987
『毒ガスの島―大久野島悪夢の傷跡 』 中国新聞社、1996
最後の2冊は、年会で大久野島に行くので、基本的な知識を仕入れておこうと考えて購入したものです。
大学にでて、ILLで届いていた次の論文を受け取りました。
Paolo Rossi, "THE ARISTOTELIANS AND THE "MODERNS": HYPOTHESIS AND NATURE", Annali dell'Istituto e museo di storia della scienza di Firenze,7(1982): 3-28
ロッシの論文ですが、英語です。 「この論文は、ランドールがザバレラとガリレオの仕事に関して提示した連続説を論じる。また科学史において方法論問題に与えられる特権的地位についても論じ、反駁する。分析が自然と世界、自然法則と自然秩序、人工的対象と人工的(あるいは構築された)実験などの概念に及ぶとき、ザバレラの『自然の事物について』と近代派との間には、大きな差異が現れる。こうした根拠によって、ベイコンとガリレオは(デカルトとメルセンヌも)新しい科学像を形成したのであり、そうした像によれば、アリストテレス主義の超包括的な科学像は、敵として最後まで論破されたのである。」夕刻次の本が届きました。
茨木 保『まんが医学の歴史』医学書院、2008
朝一番で次の雑誌が届きました。
『日経サイエンス2014年08月号』
古田彩・詫摩雅子「STAP細胞の正体」『日経サイエンス2014年08月号』pp.55-61
ほぼこれで間違いないと思われます。ES 細胞と他の幹細胞が混じったものということでよいようです。午後に会議。
月曜日4限の授業は、やっとビシャまできました。M.-F.-Xavier Bichat, 1771-1802
ビシャの重要性は、すこしでも医学史をかじったことがあるものならみんな知っていることです。しかし、読める2次資料はほんとうに少ない。
以前も調べたことがありますが、もうすこし突っ込んで先行研究を調べてみました。日本語の研究が少ないだけではなく、英語の研究も少ない。
DSB から始めると、Complete Dictionary of Scientific Biography(2008) の記述は、カンギレムです。カンギレムは英語論文としては、次のものだけを挙げています。
Entralgo P. Lain, "Sensualism and Vitalism in Bichat's Anatomie générale," Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 3(1948), 47-64
ちなみにカンギレムですから、挙げている最新の文献は、1963年のものです。
英語の成書に次があります。
Elizabeth Haigh, Xavier Bichat and the Medical Theory of the Eighteenth Century, 1984
ビシャはすぐにでもモノグラフならびに代表的著作の邦訳を出版する価値があると思います。医学史・生物学史を専攻している方、やってくれませんかね。→日本の大学図書館にビシャがどのくらいあるのか調べてみました。所蔵館1館というものが多かったのですが、とりあえず、必要なものはだいたいはある感じです。(きちんとした調査ではありません。)
→ほとんど店頭にはなかった感じがしますが、邦訳も1点ありました。グーグルブックスを活用すれば、基本的著作は入手できる感じです。
まず、図書館に行って次の本を受け取りました。 Health, Disease And Society In Europe, 1800-1930: A Source Book
図書館で次の3冊を受け取りました。
Deborah Brunton (ed.), Medicine Transformed: Health, Disease And Society In Europe, 1800-1930, Manchester: Manchester University Press, 2004
Peter Elmer and Ole Peter Grell (eds.), Health, Disease And Society In Europe, 1500-1800: A Sourcebook, revised edition, Manchester: Manchester University Press, 2004
Peter Elmer (ed.), The Healing Arts: Health, Disease and Society in Europe 1500-1800, Manchester: Manchester University Press, 2004
英国Open University の医学史基本テキストです。4冊セットですが、1冊が先に届き、この3冊はあとから届きました。→英国放送大学医学史基本教科書のうち、私にもっとも関わる1500-1800の目次は次です。
1. Medicine in western Europe in 1500 by Sachiko Kusukawa
2. The sick and their healers, 1500-1700 by Silvia De Renzi
3. The medical renaissance of the sixteenth century: Vesalius, medical humanism and bloodletting - Sachiko Kusukawa
4. Medicine and religion in sixteenth-century Europe by Ole Peter Grell
5. Chemical medicine and the challenge to Galenism: the legacy of Paracelsus, 1560-1700 by Peter Elmer
6. Policies of health: diseases, poverty and hospitals, 1500-1800 by Silvia De Renzi 7. New models of the body, 1600-1800 by Silvia De Renzi
8. Women and medicine, 1500-1800 by Silvia De Renzi
9. 'The mad, the bad, and the sad': the experience and treatment of mental illness in early modern Europe by Peter Elmer
10. War and medicine in early modern Europe: the effects of the military revolution by Ole Peter Grell
11. Healing places: environment, health and population, 1500-1800 by Mark Jenner
12. Medicine and health in the age of European colonialism by Andrew Wear
13. Organization, training and the medical marketplace in eighteenth-century Europe by Laurence Brockliss
資料集の目次は次です。もちろん教科書にあわせています。
1. Medical practice and theory: The classical and medieval heritage
2. The sick body and its healers, 1500-1700
3. The medical renaissance of the sixteenth century: Vesalius, medical humanism and bloodletting
4. Medicine and religion in sixteenth-century Europe
5. Chemical medicine and the challenge to Galenism: The legacy of Paracelsus
6. Charity, the state and public health in early modern Europe
7. New models of the body, 1600-1800
8. Women and medicine in early modern Europe
9. The care and cure of the insane in early modern Europe
10. War and medicine in early modern Europe
11. Environment, health and population, 1500-1800
12. European medicine in the age of colonialism
13. Medical organisation, training and the medical marketplace in eighteenth-century Europe
[『科学史研究』新装版第2号、ii]
次に伊東俊太郎さんの「科学史研究で巡り歩いた研究所」。学生のレポートに現れるような校正ミスが残っています。こういう点は編集委員会の責任ですよ!その次は、小特集「レビューシンポジウム:ヒロ・ヒライ『医学人文主義と自然哲学』をめぐって」
金森修さんの違和感の表明が「学問間の闘争」の本質に迫りそうで、すり抜けている点が目を引きました。金森さんは、哲学史系の学問観をお持ちです。そうするとどうしても、ヒライさんの思想史には、きちんとされているけど「形成を形成によって説明する」論理構成の思想史を再構成してどういう意味があるの、という疑問をもたれてしまいます。金森さんは、我々のもつ進歩主義的歴史観への自省を転換点として、ヒライさんの国際的活躍を言祝ぐ方向で話を締めくくられています。
すり抜けた先に、学問の価値をめぐる、深淵が潜んでいます。
簡単な回答はないと思います。価値自由とか気楽に言わないで、正面から思索する人が求められているように思われます。
価値相対主義にも逃げない、自分の所属する専門分野の価値観を絶対視しない思索は、本質的に困難な思索になるでしょう。
(駒場の山本さんに真っ正面からコメントしてもらうのはよいのではないかと思います。)
最後の評者、柴田和宏氏は、注23) で私の論文「初期近代における読書と思想」を「同種の問題意識をもつ論考」として取り上げてくれています。柴田和宏氏のレビューは、ヒライさんの方法(テキストを関連づける人文主義的方法)を的確に整理しまとめてくれていると思います。
私の観点でまとめなおすと、医学人文主義者たちにとって、古代の文献は遠く、同時代の文献は近かったと言えると思います。すなわち、解釈する格子は同時代の文献にあり、古代の文献は解釈される側にあった、と言ってよいと思います。
そして今の私の問題関心は、その距離を確定できないかなというところにあります。以前「ルネサンスにさようなら」という表現をしたことがありますが、どこかの時点で古代の文献が読むべきリストから脱落します。(ベイコンは、人文主義者のように、古代の文献を読んでいたでしょうか? デカルトは? ガリレオは? ニュートンは?)
思想史に解釈史、注釈史が欠かせない由縁です。
今回はここまで。
帰宅すると、次の本がやっと届いていました。
Haigh, Elizabeth
Xavier Bichat and the Medical Theory of the Eighteenth Century
Medical History, Supplement No. 4, 1984
ビシャに関する数少ないモノグラフです。146頁の小著です。
藤本氏から次の論文の pdf を送ってもらい、読みました。
藤本大士「近世医療史研究の現在――民衆・公権力と医療」『洋学』21、2014、91−125頁。
36頁の力作です。特集「洋学史研究の現在」の1本のようです。私は日本のことはあまり知りません。とても勉強になる研究史のレビューです。
わけあって、次の2論文を読みました。
Alfred Meyer and Raymond Hierons, "On Thomas Willis's Concepts of Neurophyiology [Part I]," Medical History, 9(1965): 1-15
Alfred Meyer and Raymond Hierons, "On Thomas Willis's Concepts of Neurophyiology [Part II]," Medical History, 9(1965): 142-155
第2部の方はウィリス評価を扱っています。第1部はプリントアウトして、第2部は画面上で読みました。
ウェブで次の論文(ウェブバージョン)を見つけ、読みました。
Wes Wallace,"The Vibrating Nerve Impulse in Newton, Wiilis and Gassendi," Brain and Cognition, 51 (2003): 66-94.
これで100%すっきりするかというとそういうわけにはまいりませんが、よいポイントをついていると思います。ニュートン、ウイリス、ガッサンディと年代を遡る順に書かれています。
これにもっとも関連する部分として、ガッサンディの『哲学のシンタグマ』の感覚魂に関する部分を見ていました。神経生理学に関わるのは、考えれば当然ですが、この部分です。
わけあって、山田俊弘「地球論におけるデカルト対ガッサンディ:特にステノとの関係を考慮して」 『哲学・科学史論叢』第6号 (2004年) : 131-167 をダウンロードし直し、読み直しました。地球論において、ステノは、デカルトよりもガッサンディに多くを負っているという主張です。そうだと思います。調べものをしていると、次の本に当たりました。『脳と心と医学』。何だか見覚えがあります。部屋のなかを見回すとありました。
Harry Whitaker, C. U. M. Smith and Stanley Finger (eds.), Brain, Mind and Medecine: Essays in Eighteenth Century Neurosciece, Springer, 2007
手始めにスミスの論文を読みました。C. U. M. Smith, "Brain and Mind in the 'Long' Eighteenth Century," pp. 15-28. 18世紀について見通しをつけてくれます。
すでにヴェサリウスが神経は中空の管ではないことをはっきりと言っているのに、神経が動物精気という液体/気体が作用(?)を運ぶ中空の管と言う見方は、長く生き残った。ひとつには動物精気に置き代わる説得的な新しい理論(的構築物)が提示されなかったせいである。動物電気が発見されたときも、動物精気に似た電気流体が考えられている。
それから本屋さんと生協をブラウジングしてから、教室へ。たぶん授業開始10分前ぐらいに教室に入りました。今日の発表はデカルト研究者によるデカルト。安心して聞いていることができました。
ちなみに、デカルトの人体機械モデルについて質問がありました。そのときはコメントできませんでしたが、橋本さんの『描かれた技術 科学の形』の第3章「機械仕掛けの自然」のなかの「精気の噴水」pp.102-109は、デカルトの人体機械モデルについての簡潔で的を射た紹介です。デカルトの人間は、管と紐からなる水力と空気力装置です。力の伝達は圧力によります。7時15分頃、帰宅することができました。ちいさいちびは突き指をしてすこし痛いようです。次の本が届いていました。
『十五年戦争極秘資料集第1集〜第10集 解説』不二出版、1988.
解説だけです。本体は、どこかの図書館で必要な箇所を借りるのがふさわしい種類の資料集です。
[2014駒場医学史]
すこし役に立つこともあるかと思い、今回の「2014駒場医学史」の授業の進行を全体として掲げておきます。初回:10月10日 打ち合わせ 20人の自己紹介
2回目:10月17日 S君「ハーヴィ研究の現状と展望」
一般参考文献 月澤美代子「ハーヴィとデカルト―17世紀オランダにおける血液 循環論の受容とカルテジアニズム」村上陽一郎編『知の革命史4 生命思想の系譜』 (朝倉書店,1980): 65-963回目:10月24日 Aさん「デカルト解剖学」
一般参考文献 山田弘明「デカルトと医学」『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』50(2004): 1-394回目:10月31日 H君「18世紀におけるデカルト派生理学の展開」
ホール『生命と物質』第4部(とくにミクロ機械論)5回目:11月7日 S君「自然発生論」
ジャック・ロジェの著作の最初 逸見龍生訳「ジャック・ロジェ「17世紀前半における医学と科学の精神(一)」『新潟大学言語文化研究』 6(2000): right 13-256回目:11月14日 K君「カンギレム『反射概念の形成』」
7回目:11月28日 H君「フーコー『臨床医学の誕生』」
8回目:12月5日 Kさん「生体の基礎ユニットとしての線維」
◎Hisao Ishizuka, "The Elasticity of the Animal Fibre: Movement and Life in Enlightenment Medicine," History of Science, xliv (2006): 1-349回目:12月12日 Sさん「細胞学説」
◎ホール『生命と物質(下)』第40章「シュヴァンにおける細胞」&第41章「シュヴァン以降の細胞(1840-1860)」
参考文献:林真理「細胞概念の展開―科学史研究における比較の事例として―」出口顕・三尾稔編『人類学的比較再考』国立民族学博物館調査報告 90(2010): 57-7510回目:12月19日 Iさん「パスツール」
◎田中祐理子『科学と表象:「病原菌」の歴史』(名古屋大学出版会、2013)第3章「パストゥールと胚種」11回目:1月9日 S氏「コッホ」
◎田中祐理子『科学と表象:「病原菌」の歴史』(名古屋大学出版会、2013)第4章「コッホと細菌学的方法」12回目:1月23日 S君「ペストの衝撃」
◎飯島渉『感染症の中国史』(中公新書、2009)第1章13回目:1月27日(振替で火曜日となっています) M君「コレラ・マラリア・日本住血吸虫病」
◎飯島渉『感染症の中国史』(中公新書、2009)第3章
+S君『感染症の中国史』第2章おまけの回:1月30日(金曜日)同じ時間帯(4時半〜)、同じ教室(14号館308室)にて。
齊藤響氏修士論文「ウィリアム・ハーヴィにおける知覚、感覚、運動の生理学」
公開討論会。関心のある方はどなたでも自由に参加して下さい。第3章の最後、飯島さんの主張のポイントとなるところをそのまま引用しておきます。「戦後の日本は、近代日本の植民地医学をほぼ継承しました。しかし、戦後の感染症や寄生虫の研究の基礎に植民地医学があったことは、封印されています。そして、中国も日本住血吸虫病対策に日本の植民地医学が関係したことはこれを封印したのでした。」(p.187)
→1月27日の授業のときに、対策が原因が寄生虫、原虫、細菌、ウィルスによって異なるだろうという話がでました。日本住血吸虫病は寄生虫、マラリアは原虫、コレラはコレラ菌によります。いくらか確認しておきたいことが生じたので、ネットで検索して、いろいろ読んでいました。
その際に次の論文にヒットしました。
瀬戸口明久「医学・寄生虫学・昆虫学:日本における熱帯病医学の展開」『(京都大学)科学哲学科学史研究』1(2006):125-138
さすが瀬戸口氏。好論文です。
熱帯病医学の制度化の最初は、英国で、19世紀末であった。1899年、ロンドン熱帯医学院とリバプール熱帯医学院が設立された。ついで、ドイツ、オランダ、アメリカ等、熱帯に植民地をもつ国々で研究体制が整っていった。ロンドン熱帯医学院とリバプール熱帯医学院では、既存の医学研究機関とは完全に独立した形で設立され、既存の医学分野との差異化をはかるため、「当時の医学界の主流だった細菌学をほとんど無視して、寄生中学や昆虫学などの動物学を重視している。つまり英国における「熱帯医学」は、実験室医学とはまったく異なるフィールドの医学として構想されたのである。」(p.137)→15.1.29 柴田氏がちょうど次の論文を引用していました。(柴田和宏氏ブログ)
瀬戸口明久「『自然の再生』を問う:環境倫理と歴史認識」鬼頭秀一、福永真弓編『環境倫理学』(東京大学出版会、2009年)、160−170ページ。
こちらも好論文ということです。
メールボックスに次の本が入っていました。
ルネ・デカルト『デカルト医学論集』山田弘明/安西なつめ/澤井直/坂井建雄/香川知晶/竹田扇訳・解説、法政大学出版、2017
デカルトのテキストの翻訳:解剖学適要/治療法と薬の効能/動物の発生についての最初の思索/味覚について/人体の記述/
解説(『解剖学摘要』『治療 法と薬の効能』解題(安西なつめ)/『動物の発生についての最初の思索』『味覚について』解題(香川知晶)/『人体の記述』解題(山田弘明)/解剖用語の歴史から見たデカルト―襲用と独自性(澤井直)/現 代医学から見たデカルトの解剖学とその周辺(竹田扇)/西洋医学におけるデカルトと解剖学(坂井建雄)
(→17.4.12 解説のみ、先に読みました。およそこんな感じでよいのではないでしょうか。こうした研究を出発点に、この先が思想史的には面白いところだと思います。)
会議の間には、図書館に行って、『デカルト全書簡集』全8巻、知泉書館, 2012.1-2016.2 を見ていました。第1巻と第8巻を借りてきました。
『デカルト全書簡集』全8巻
訳者の方は、次です。安西なつめ、安藤正人 、稲垣惠一、岩佐宣明、小沢明也、久保田進一、倉田隆、香川知晶、小泉義之、曽我千亜紀、武田裕紀、野々村梓、長谷川暁人、東慎一郎、古田知章、政井啓、三浦伸夫、武藤整司、持田辰郎、山上浩嗣、山田弘明、吉田健太郎。(少なくとも4名の方は、科学史家です。)
山田弘明氏を中心とする研究グループです。これはほんとうによくやったと思います。価値ある、すばらしい仕事です。