[フランシス・ベーコン(ベイコン) Francis Bacon,1561-1626 ]
フランシス・ベイコン(日本語では通常「ベーコン」と表記されることが多い)の思想がいわゆる17世紀英国のベイコン主義(当時この言葉はありません)の成立に現実的に具体的にどういうふうに関わったのか、実は、きちんと究明されていません。(デカルトとカルテジアンについては、対照的にわりとしっかりとした研究の蓄積があります。)
ニュートン以前、17世紀英国のベイコン主義の代表格は、おそらくボイルでしょう。自然誌や実験誌という経験主義的方法をベイコン主義と名付けて、ボイルとベイコン、あるいはベイコン主義の関係を一般的に論じた研究はもちろん数多くあります。(ボイルの経験主義的研究方法についてよい研究というのもある。)しかし、ボイルが具体的に、いつ、ベイコンのどういう著作を読み、どう影響されたかについては、研究史は空白とはまで言わないまでもとても薄い。
私はこれまで、ボイルが科学研究を開始した直前とその前後に出版された、デカルト、ガッサンディ、ファン・ヘルモントとボイルの関係については具体的に調べてきました。しかし、ベイコンとの関係については、着手しないできました。
最近、その点がどうも気になります。ということで、調べはじめました。
調べはじめたばかりですが、今後の作業を進めるための作業仮説として、ボイルがベイコンを本格的に読み、ベイコンに強く影響されたのは、ボイルの知的経歴の比較的あと、具体的には中期以降ではないかという見通しを持つようになりました。
(ボイルが科学研究を開始した1649年夏から、『空気のバネとその効果に関する自然学-機械学的な新実験』 (1660)、 『いくつかの自然学のエッセイ』 (初版,1661; 第2版, 1669) 、『懐疑的化学者』(1661) を出版して科学者としての名声を確立するまでを、 Early Boyle, or young Boyle 初期ボイル、若きボイル、と呼んでいます。)
そのひとつのしるしは、本の表題頁に付される引用句です。
その最初の例は、『聖書のスタイルに関する考察』(1661) に付されています。「あなたの言葉は、私の舌になんと甘いことか。それは蜜より甘い。」という意味の『詩篇』からのヘブライ語(!)での引用です。その下に、「神の霊感を受けた書物(聖書記)はすべて正しきものの訓育、再証明、訂正、教示に役立つ」という意味の『テモテ書』からのギリシャ語の引用です。
2番目の例は、『色に関する実験と考察』(1664) に付されています。それは次の通りです。
Non fingendum, aut excogitandum, sed inveniendum,
quid Natura faciat, aut ferat. Bacon.
「自然のなす業は、捏造されたり、想像されたりすべきものではなく、見出されるべきものだ。」
編者は、この引用句の出典を、Novum organum (1620), ii, 10 としています。
3番目の例は、『冷に関する新実験と観察、即ち冷の実験誌の開始』(1665) にあります。付されている言葉は、上の2番目のものとまったく同一です。
4番目の例は、『さまざまなテーマに関する折々の省察』(1665) 。
Omnibus Rebus, omnibusque Sermonibus,
aliquid Salutare miscendum est. Cum imus per
occulta Naturae, cum divina tractamus, vindicandus
est à malis suis animus, ac subinde firmandus.
Sen. Natural. Quaest. Lib. 2. cap. 59.5番目の例は、『形相と質の起源』 (1666, 1667) 。
Audendum est, & Veritas investiganda; quam etiamsi
non assequamur, omnino tamen propiùs, quàm nunc sumus,
ad eam perveniemus. Galen.
編者は、出典を Galen, De utilitate respirationis I, in C.G. Kühn (ed.), Claudii Galeni opera omnia (20 vols. in 22, Leipzig, 1821-33), iv, 472, 3-9 としています。
6番目は、『発散気の性質に関するエッセイ』(1673) 。
-- Consilium est, universum opus Instaurationis 「我々の目的は、哲学の大革新の全作業をおおくの事物において前進させることにあり、少数の事物において完成させることにはない。」
(Philosophiae) potius promovere in multis, quam
perficere in paucis. Verulamius.
編者は、出典をベイコンの『自然誌・実験誌』(1622)に見出しています。Francis Bacon, Historia naturalis et experimentalis ad condendam philosophiam; sive phenomena universi (1622)
7番目は、『自然哲学と比べた場合の神学の優越性』 (1674) 。
Felicitatem Philosophi quaerunt; Theologi inveniunt; 「哲学者は幸福を追求し、神学者は幸福を見出すが、真の宗教者のみがそれを保持する。」
soli Religiosi possiunt.
出典は、不明とのこと。
8番目は、『理性と宗教の調和可能性についての考察』 (1675) 。
Homines absque rerum discrimine incredulos esse, 編者達は、Bacon, Novum Organum のなかにこの言葉を見出すことはできなかった、と記しています。
summae est imperitiae. Verulam. in Novo Organo.
9番目は、『人間の血液、特にその精気に関する自然誌のためのメモワール』 (1684) 。
Etsi enim haud pauca, eáque ex praecipuis, 6番目のものとほぼ同一。(同一箇所を別様に引用したものです。)
supersint absolvenda, tamen consilium est
universum opus potiùs promovere in multis,
quàm perficere in paucis. Verulam. in
Praefat. ad Histor. Natural. & Experiment.
10番目は、『自然の通常の観念の自由な探究』 (1686) 。
Audendum est, & veritas investiganda; quam etiamsi 5番目のものと同じ、ガレノスの『呼吸の効用について』から。
non assequamur, omnino tamen propius, quam
nunc sumus, ad eam perveniemus. Galenus
以上で全てです。
整理してみましょう。11点中、ベイコン:5点(2と3、6と9は同一なので、内容的には3箇所からの引用)、ガレノス:2点(同一箇所の引用なので、内容的には1点)、セネカ:1点です。
つまり、ベイコンが圧倒的に多い。本の表題ですから、たしかにボイルの科学方法論のイデオロギー的役目をベイコンが担ったということは言えそうです。
ベイコンの作品のうち、使われているのは、『ノヴム・オルガヌム』と『自然誌・実験誌』の2作品です。さて、我々は『ノヴム・オルガヌム』という著作名に慣れていますが、正確に言えば、ベイコン自身にこのタイトルの著作はありません。1620年に出版された著作名は、 Instauratio magna(大革新)です。その最初の部分に、大革新の計画が記されています。
Distributio operis. Eius constituuntur Partes sex.
Prima; Partitiones Scientiarum.
Secunda; Nouum Organum siue Indicia de Interpretatione Naturae.
Tertia; Phaenomena Vniuersi, siue Historia Naturalis & Experimentalis ad condendam Philosophiam.
Quarta; Scala Intellectus.
Quinta; Prodromi, siue Anticipationes Philosophiae Secundae.
Sexta; Philosophia secunda, siue Scientia Actiua
この1620年に出版された『大革新』では、この6部のうち、第2部「ノヴム・オルガヌム」と第3部への準備(Parasceue, ad Historiam Naturalem, et Experimentalem) だけが収められています。つまり、『大革新』(1620) の主たる内容は、「ノヴム・オルガヌム」です。1645年オランダで出版された版では、「ノヴム・オルガヌム」をタイトルに選んでいます。内容的にはそれでよいわけですが、事情を知らない者にはかなり紛らわしい。
さて、大革新の第3部『自然誌・実験誌』ですが、1622年に出版された著作のタイトルは次の通りです。
Historia naturalis et experimentalis ad condendam philosophiam, siue, Phaenomena vniuersi : quae est Instaurationis magnae, pars tertia
訳せば、次のような感じでしょうか。「哲学の基礎づくりのための、自然誌と実験誌、あるいは宇宙の現象。大革新の第3部をなす。」
さて、この書の目次にあたる部分は、次のようになっています。
TITULI
Historiam & Inquis-
tionum in primos sex men-
ses destinatarum.
Histria Ventorum.
Historia Densi &
Rari, nec-non Coitionis,
& Expansionis Mate-
riae per spatia.
Historia Grauis & Leuis.
Historia Sympathiae, &
Antipathiae Rerum.
Historia Surphuris, Mercu-
rij, & Salis.
Historia Vitae & Mortis.
つまり、「風の自然誌」「濃と稀の自然誌、ならびに空間における物質の同一と膨張の自然誌」「重さと軽さの自然誌」「事物の共感と反感の自然誌」「イオウ、スイギン、エンに関する自然誌」「生と死の誌」という6種類が計画されていたことになります。しかし、実際、この書に収められたのは、「風の自然誌」のみです。(残りは断片のみの収録。)ですから、後の版では、 Historia naturalis et experimentalis de ventis (風の自然誌・実験誌)というタイトルが付けられています。こちらの方がもちろんわかりやすい。
→せっかく一昨日、この書をダウンロードしてきたので、現実のページ数を示しておきましょう。
Preface, pp.1-17.
Norma Historiae praesentis, pp.19-28
Historia Ventorum, pp.29-246
Historia Densi &Rari, pp.247-256
Historia Grauis & Leuis, pp.256-9
Historia Sympathiae, &Antipathiae Rerum, pp.260-4
Historia Surphuris, Mercurij, & Salis, pp.265-271
Historia Vitae & Mortis, pp.272-285
(やはり、せっかくダウンロードして手元にあるので、ボイルが本のタイトルページで2度引用する、ベイコンの『自然誌・実験誌』の言葉の引用箇所を同定し、その部分をまるまる引用しておきましょう。
引用箇所は、pp.11-2 です。(序文のなか)(" " のなかが引用箇所)
"Etsi enim haud
pauca, eáque ex praecipuis,
supersint in Organo nostro
absolvenda, tamen consilium
est, universum opus Instau-/(p.12)
rationis, potius promouere
in multis,quàm perficere in
paucis," hoc perpetuò, maxi-
mo cum ardore, ( qualem
Deus Mentibus, vt planè
confidimus, addere solet )
appetentes, vt quod adhuc
nunquam tentatum sit, idne
iam frustrà tentetur.
つまり、ボイルは、"in Organo nostro" と "Instaurationis" という著作名を省略して引用しています。
)さて、『自然誌・実験誌』(1622) の6番目にあげられている「生と死の誌」は、翌1623年に出版されています。
Historia vitae & mortis. Siue, titulus secundus in historia naturali & experimentali ad condendam philosophiam: quae est instaurationis magnae pars tertia
このサイトでベイコンの『生と死の誌』について触れたことがあります。テーマの中心は、長寿法です。
では、のこり4つのタイトルはどうなったか。「濃と稀の自然誌」は、物質の比重をあつかったものです。ファン・ヘルモントやボイルにとってとても重要なテーマです。これは、1658年にローリーによって遺稿集として出版されています。
Opuscula varia posthuma, philosophica, civilia, et theologica Francisici Baconi, Baronis de Verulamio . ; nunc primum edita, cura & fide Guilielmi Rawley . ; vna cum nobilissimi auctoris vita
この書は次のものを含みます。
Nobilissimi auctoris vita.
Historia densi & rari.
Historia, sive inquisitio, de sono, & audibilibus.
Articuli inquisitionis de metallis, & mineralibus.
Inquisitio de magnete.
Inquisitio de bersionibus, transmutationibus, multiplicationibus, & effectionibus corporum.
Topica inquisitionis de luce, & lumine.
Epistola ad Fulgentium.
In felicem memoriam Elizabethae Angliae reginae.
Imago civilis Iulii Caesaris.
Imago civilis Augusti Caesaris.
Confessio fidei
「音の自然誌」「金属と鉱物に関する探究項目」「磁石に関する探究」「物体の変成・増殖に関する探究」「光に関する探究項目」とともに、「濃と稀の自然誌」がやっと1658年に日の目を見たわけです。
1658年というのは、ボイルが科学者として名声を確立する直前です。とくに、比重測定は、ボイルの科学にとって中心的事項でしたから、この書の出版がボイルに与えた影響は、重く見ておく必要があります。
なお、ベイコンの自然誌に関しては、もう1点重要な著作があります。それが、ベイコンの死の翌年、ベイコン付牧師ローリーによって出版された『森の森』(Sylva Sylvarum, 1627) です。英語で記されています。
全体は、10のセンチュリーに分けられています。センチュリーというのは、百です。もとはローマの「百人隊」を指した言葉だそうです。内容的には、項目を百ごとにまとめる、整理するというぐらいの意味です。ボイルも実験日誌は、センチュリー(百項目)方式で記しています。百項目方式は、別にベイコンの専売特許というわけではありませんが、ボイルは、ノートをとる基本的手法をベイコンの『森の森』に倣った可能性もかなり高いと言ってよいでしょう。- 2005.8.26
[フランシス・ベーコン(ベイコン)ii ]
一昨日の夜、ベイコンの著作リストがないかと日本語のページを探しましたが、私の検索範囲では見つかりませんでした。もちろん、英語のページを検索するとすぐに(トップページの近くで)見つかります。
ということで、ここに作成しておきます。(科学史に関係する著作だけの簡略版です。)
1597 『随想録』Essays.
1605 『学問の進歩』The Advancement of Learning
1609 『古人の智恵』De Sapientia Veterum
1612 『随想録』第2版
1620 『大革新』(ノヴム・オルガヌム)
1622 『自然誌・実験誌』(風の自然誌)
1623 『生と死の誌』 『学問の進歩と尊厳』De dignitate & argumentis scientiarum
1625 『随想録』第3版
1626.4.9. 死去。
1627 『森の森』『ニュー・アトランティス』(『森の森』の附録として)
1653 『自然と宇宙の哲学』
1657 『復活:これまで眠っていたいくつかの作品の公刊』
1658 『遺稿集』(「濃と稀の誌」を含む)
下で触れていない、1653年の著作について記しましょう。
Francisci Baconi de Verulamio Scripta in naturali et vniuersali philosophia
Amstelodami : Apud Ludovicum Elzevirium, 1653
編者は、イサーク・グリューターで、オランダの有名な出版者エルゼヴィルにより出版されています。
I. Cogitata & visa de interpretatione natururae ...
II. Descriptio globi intellectualis
III. Thema coeli
IV. De fluxu & refluxu maris
V. De principiis atque originibus secundum fabulas Cupidinis & Coeli ...
VI. Impetus philosophici
邦訳は、『随想録』『学問の進歩』『ノヴム・オルガヌム』『ニュー・アトランティス』があります。それぞれ何種類か出版されています。
しかし、ベイコンの基本的な自然観ということでは、『古人の智恵』に代表される神話(寓話)解釈が重要です。『古人の智恵』のなかには、パン=自然、クピド=原子、プロセルピナ=精気、というタイトルがあります。これを読むと、ベイコンの基本的な観点や基礎的な概念がわかるというだけではなく、ベイコンがいかにすごい思想家(独自の価値をもつ一級の思想家)だということがよくわかります。
日本語で読めるものとしては、ロッシの『魔術から科学へ』(原著1957、邦訳:サイマル出版、1970)に紹介・説明がありますが、英訳があるので自分で読まれるといいのではないでしょうか。私が昔ベイコンを読んで、ああ、ベイコンはすごいなと思ったのは、この神話解釈の形で展開される自然・宇宙観でした。1657年刊の『復活』は、演説と手紙が主ですが、一応、ちゃんとした書誌事項をあげておきます。
Resuscitatio, or, bringing into publick light several pieces of the works, civil, historical, philosophical & theological, hitherto sleeping
London : Printed by Sarah Griffin, for William Lee, and are to be sold at his shop in Fleetstreet, at the sign of the Turks-head, neer the Mitre Tavern, 1657
出版したのは、同じくローリー。最初に彼の手になる伝記が付されています。目次は次の通りです。
The life of the honourable author by William Rawley(1588?-1667)
Speeches in Parliament
Certain treatises written, or referring to Queen Elizabeth's times
Severall discourses written, in the dayes of King Iames
Several letters written ... to Queen Elizabeth, King Iames, divers lords, and others
Other letters ... written in the dayes of Queen Elizabeth
A confession of the faith
- 2005.8.27
[フランシス・ベーコン(ベイコン)iii ]
作業の合間に、ガリカからダウンロードし損ねていたベイコン全集(全14巻、19世紀後半にスペディング、エリス、ヒースにより編纂された。1986年、ドイツのFrommnann-Helzboogがリプリントしたもの)をそろえました。もともとは8巻ゲットしていました。今回は、残りの6巻をゲットしました。ベイコンの著作リストですが、もとの言葉のものがあった方がよいので、それも用意しました。Essays の他に英語で出版されたのは、『学問の進歩』と『森の森』です。『学問の進歩』(1605)は、1623年に増補された形でラテン語版(『学問の尊厳と進歩』)が出版されています。『森の森』(1627)は、1648年にオランダでラテン語訳が出版されています。(もとのものと同じく、『ニュー・アトランティス』が附録されています。)
Works of Francis Bacon, 1561-1626
1597 Essays.
1605 The Advancement of Learning.
1609 De Sapientia Veterum.
1612 Essays, the 2nd edition.
1620 Instauratio Magna. (Nouum Organum & Parasceue, ad Historiam Naturalem, et Experimentalem.)
1622 Historia naturalis et experimentalis ad condendam philosophiam, siue, Phaenomena vniuersi. (Historia ventorum)
1623 Historia vitae & mortis. De dignitate & argumentis scientiarum.
1625 Essays, the 3rd edition
1626.4.9. died.
1627 Sylua syluarum: or A naturall historie : In ten centuries. New Atlantis.
1648 Sylva sylvarum (nunc Latio transscripta a Jacobo Grutero), sive Hist. Naturalis et Novus atlas (cum praefatione W. Rawley), Lug. Batauor. : Apud Franciscum Hackium., 1648. Historia naturalis & experimentalis de ventis, &c , Lugd. Batavorum : Apud Franciscum Hackium, 1648
1653 Scripta in naturali et vniuersali philosophia, Amsterdam, 1653
1657 Resuscitatio, or, bringing into publick light several pieces of the works, civil, historical, philosophical & theological, hitherto sleeping.
1658 Opuscula varia posthuma, philosophica, civilia, et theologica.
以下は、このリストで初出のものの目次です。最後の「海の満ち引きの原因の探求方式」がこの版で付加されたものです。
Fr. Baconi de Verulamio Historia naturalis & experimentalis de ventis, &c
Historia naturalis et experimentalis de ventis
Historia naturalis et experimentalis de forma calidi
De motus sive virtutis activae variis speciebus
Ratio inveniendi causas fluxus et refluxus maris
- 2005.8.28
[フランシス・ベーコン(ベイコン)iv ]
19世紀後半に出版された(14v. : ill ; 23 cm , London : Longmans & Co., 1868-1890 ) 全集の目次もあった方が便利だと思われるので、それも用意します。
第1巻〜第3巻:哲学的著作
第4巻〜第5巻:哲学的著作の翻訳(英訳)
第6巻〜第7巻:文学的&政治的著作
第8巻〜第14巻:手紙と伝記
v. 8.(1560-1595)
v. 9.(1595-1601)
v. 10. (1601-1607)
v. 11.(1607-1613)
v. 12. (1613-1616)
v. 13.(1616-1618)
v. 14.(1619-1626)
- 2005.9.2
[フランシス・ベーコン(ベイコン)v ]
ベイコン全集の第1巻から5巻に関して、もう少し詳しい目次があった方がよいだろうと考えて、それも準備します。
第1巻
Contents of Vol. 1 page LIFE OF THE RIGHT HONOURABLE FRANCIS BACON, BARON OF VERULAM, BY WILLIAM RAWLEY, D.D. 1 GENERAL PREFACE to the PHILOSOPHICAL WORKS, by ROBERT LESLIE ELLIS 21 PREFACE TO THE NOVUM ORGANUM, by ROBERT LESLIE ELLIS 71 INSTAURATIO MAGNA 119 Praefatio 125 Distributio Operis 134 PARS SECUNDA OPERIS, QUAE DICITUR NOVUM ORGANUM 149 Praefatio 151 Aphorismi de Interpretatione Naturセ et Regno Hominis 157 Liber Secundus Aphorismorum de Interpretatione Naturセ sive de Regno Hominis 227 PARASCEVE AD HISTORIAM NATURALEM ET EXPERIMENTALEM, PREFACE 369 DESCRIPTIO HISTORIAW NATURALIS ET EXPERIMENTALIS QUALIS SUFFICIAT ET SIT IN ORDINE AD BASIN ET FUNDAMENTA PHILOSOPHIAE VERAE 393 APHORISMI DE CONFICIENDA HISTORIA PRIMA 395 CATALOGUS HISTORIARUM PARTICULARIUM, SECUNDUM CAPITA 485 DE AUGMENTIS SCIENTIARUM. PREFACE 415 PARTITIONES SCIENTIARUM, ET ARGUMENTA SINGULORUM CAPITUM 425 DE DIGNITATE ET AUGMENTIS SCIENTIARUM .Liber primus 431 Liber secundus 485 Liber tertius 539 Liber quartus 579 Liber quintus 614 Liber sextus 651 Liber septimus 713 Liber octavus 745 Liber nonus 829 NOVUS ORBIS SCIENTIARUM, SIVE DESIDERATA 838 APPENDIX ON THE ART OF WRITING IN CIPHER 841 第2巻
Contents of Vol. 2 page PREFACE to the HISTORIA VENTORUM, by ROBERT LESLIE ELLIS. 3 DE HISTORIA NATURALI ET EXPERIMENTALI MONITUM. 13 NORMA HISTORIAE PRAESENTIS. 17 HISTORIA VENTORUM. 19 ADITUS AD TITULOS IN PROXIMOS QUINQUE MENSES DESTINATOS. 79 FRAGMENTUM LIBRI VERULAMIANI, cui Titulus ABECEDARIUM NATURAE 85 PREFACE to the HISTORIA VITAE ET MORTIS, by ROBERT LESLIE ELLIS. 91 HISTORIA VITAE ET MORTIS. 101 PREFACE to the HISTORIA DENSI ET RARI, by ROBERT LESLIE ELLIS. 229 HISTORIA DENSI ET RARI. 241 INQUISITIO DE MAGNETE. 307 TOPICA INQUISITIONIS DE LUCE ET LUMINE 313 PREFACE to the SYLVA SYLVARUM, by ROBERT LESLIE ELLIS 325 SYLVA SYLVARUM. 339 TABLE OF THE EXPERIMENTS. 673 SCALA INTELLECTUS sive FILUM LABYRINTHI. 687 PRODROMI sive ANTICIPATIONES PHILOSOPHIAE SECUNDAE 690 第3巻
Contents of Vol. 3 page PREFACE to PART II: WORKS ON SUBJECTS CONNECTED WITH THE INSTAURATIO, BUT NOT MEANT TO BE INCLUDED IN IT 3 COGITATIONES DE NATURA RERUM 11 PREFACE to DE FLUXU ET REFLUXU MARIS, by ROBERT LESLIE ELLIS 39 DE FLUXU ET REFLUXU MARIS 47 PREFACE to DE PRINCIPUS ATQUE ORIGINIBUS SECUNDUM FABULAS CUPIDINIS ET COELI, by ROBERT LESLIE ELLIS 65 DE PRINCIPUS ATQUE ORIGINIBUS, ETC. 79 NEW ATLANTIS 119 MAGNALIA NATURE 167 PREFACE to PART III: WORKS ORIGINALLY DESIGNED FOR PARTS OF THE INSTAURATIO MAGNA, BUT SUPERSEDED OR ABANDONED 171 COGITATIONES DE SCIENTIA HUMANA 177 PREFACE to VALERIUS TERMINUS, by ROBERT LESLIE ELLIS 199 VALERIUS TERMINUS 215 ADVANCEMENT OF LEARNING, BOOK I. 253 ADVANCEMENT OF LEARNING, BOOK II. 321 FILUM LABYRINTHI 493 DE INTERPRETATIONE NATURE PROOEMIUM 505 TEMPORIS PARTUS MASCULUS 521 PARTIS INSTAURATIONIS SECUNDAE DELINEATIO ET ARGUMENTUM 541 REDARGUTIO PHILOSOPHIARUM 557 COGITATA ET VISA DE INTERPRETATIONE NATURE 587 INQUISITIO LEGITIMA DE MOTU 621 CALOR ET FRIGUS 641 HISTORIA SONI ET AUDITUS 653 PHENOMENA UNIVERSI 681 PREFACE to DESCRIPTIO GLOBI INTELLECTUALIS, by ROBERT LESLIE ELLIS 715 DESCRIPTIO GLOBI INTELLECTUALIS 727 THEMA COELI 769 DE INTERPRETATIONE NATURE SENTENTIAE XII. 780 APHORISMI ET CONSILIA 789 PHYSIOLOGICAL AND MEDICAL REMAINS 795 第4巻
Contents of Vol. 4: Translations of the Philosophical Works page THE GREAT INSTAURATION 5 THE NEW ORGANON 39 PREPARATIVE TOWARD A NATURAL AND EXPERIMENTAL HISTORY 249 OF THE DIGNITY AND ADVANCEMENT OF LEARNING. BOOKS II.-VI. 275 第5巻
Contents of Vol. 5: Translations of the Philosophical Works page OF THE DIGNITY AND ADVANCEMENT OF LEARNING. BOOKS VII.-IX. 3 NATURAL AND EXPERIMENTAL HISTORY 137 History of the Wind 137 Preface to History of Heavy and Light 202 Preface to History of Sympathy and Antipathy 203 Preface to History of Sulphur, Mercury, and Salt 205 Fragment of Abeordarium Naturae 208 History of Life and Death 213 History of Dense and Rare 337 Inquiry Respecting the Magnet 401 Topics of Inquiry Respcting Light and Luminous Matter 407 THOUGHTS ON THE NATURE OR THINGS 417 ON THE EBB AND FLOW OF THE SEA 441 ON PRINCIPLES AND ORIGINS, ACCORDING TO THE FABLES OF CUPID AND COELUM 459 DESCRIPTION OF THE INTELLECTUAL GLOBE 501 THEORY OF THE HEAVEN 545 - 2005.9.10
帰ってくると、8月29日にアマゾンのマーケットプレイスで注文した次の本がアメリカから届いていていました。本体7ドル、送料9.8ドル、計16.8ドルです。
Markku Peltonen (ed.),
The Cambridge Companion to Bacon,
Cambridge University Press, 1996
→はじめに私の関心の所在を明示しておきましょう。それは、ボイルが自身の研究をどのようにオーガナイズしたか、ということです。"How Boyle organized his research?"
さて、ベイコン主義は、経験主義のほとんど互換語と言っていいほど、経験的研究を言い表す常套句となっています。しかし、一度でもベイコン自身の著作、とくにそのマスターピース『ノヴム・オルガヌム』を読んでみたことがある者は、一般的にベイコン主義的という言葉で理解されているものとずいぶん違うことに気付いている(はずです)。つまり、ベイコン主義はベイコンのテキストの内容・思想とかなり違う。
別の観点から表現すれば、ベイコン主義の成立・展開の過程とベイコン思想の関係はそれ自体かなり入り組んだテーマです。
『ベイコン必携』(意訳ですが、Companion to Bacon をこう訳しておきます)に私が期待したのは、ベイコン自身の完全な文献表と、ベイコン主義の見通しです。ベイコンの文献表に関しては、冒頭に年表があります。しかし、それはベイコンの死去の年(1626)までです。つまり、1626年に死後出版された『森の森、ニューアトランティスを付す』は掲載されていますが、それ以降の出版物はこの年表にはありません。(ですから、8月9月にこのサイトで私が作成した年表にもある価値があることになります。)
ベイコン主義の見通しに関しては、大きな期待はしていませんでした。『ベイコン必携』はコンセプト上、ベイコン思想のいろんな側面をそれぞれの分野に詳しい方に分担執筆してもらうものであるからです。しかし、最後の章は、かゆいところに手が届くものではありませんが、この長さできれいに整理してくれており、有用です。
Antonio Pérez-Ramos, "12 Bacon's legacy", pp.311-334.
1.フランスにおけるベイコン受容
デカルト自身は、「ヴェルラムの方法」を最新の注意深い事実収集過程として評価している。(つまり、「ヴェルラムの方法」を自然実験誌と同等視している。)
マラン・メルセンヌは、デカルトよりはベイコン哲学のテクニカルな側面に注目している。そして、自然実験誌、すなわち専門的項目毎の秩序だったデータ集積に称賛の声を惜しまない。
しかし、デカルトもメルセンヌも、そもそもベイコンの方法の鍵概念「帰納」については一言も触れない。沈黙を守っている。そして、ベイコンの帰納法を取り上げ検討したガッサンディでさえも、ベイコンの部分的読解(偏った読み)をただしたわけではない。「帰納によっては、真知=Scientia には辿りつけない。」
2.イギリス経験論におけるベイコン
そして、いわゆるイギリス経験論の系譜、ロック、バークリー、ヒュームも、デカルト、メルセンヌ、ガッサンディ、マールブランシュの系譜に連なるのであって、ベイコンの方法を発展させたり、精緻化するものではなかった。
では、では、ベイコン主義はいったいどこに?- 2009.2.4
[フランシス・ベイコン 2.4]
2009年4月から7月までの駒場の授業は、「フランシス・ベイコンの思想とベイコン主義の位相」というタイトルで行います。日本人の研究も押さえておきたいと思っています。文献調査を開始しています。まずは、このコンピューターのHDと私の部屋のなかから探し始めます。
記録していないものがすこし残っているかもしれませんが、持っているのは、次のものです。
ベイコン、フランシス Francis Bacon の邦訳原典
『世界の大思想6 学問の進歩 ノヴム・オルガヌム ニューアトランチス』 河出書房新社、1966
『ノヴム・オルガヌム(1620)』桂寿一訳、岩波文庫、1978
『中公世界の名著 随筆集 学問の発達 ニュー・アトタンティス』成田成寿訳、中公、1979
『学問の進歩』服部英次郎・多田英次訳、岩波文庫、1974邦語研究書
ファリントン『フランシス・ベイコン―産業科学の哲学者』岩波書店、1968
ロッシ『魔術から科学へ』サイマル出版、1970
石井栄一 『(人と思想)ベーコン』清水書院、1977
坂本賢三『ベイコン (人類の知的遺産30)』講談社、1981
花田圭介 『ベイコン』勁草書房、1982
菊池理夫『ユートピアの政治学―レトリック・トピカ・魔術』新潮社、1987
パオロ・ロッシ『哲学者と機械』伊藤和行訳、学術書房、1989
花田圭介編『フランシス・ベイコン研究』(イギリス思想研究叢書)、御茶の水書房 、1993最後の論集(花田圭介編 『フランシス・ベイコン研究』)は、日本の研究状況を知るのに便利です。目次を掲げます。
福鎌忠恕「ベイコン解釈の基本問題―ルネサンスよりバロックへ」
高橋真司「ベイコン『エッセイズ』の読み方」
江野沢一嘉「イギリス散文作家としてのベイコン」
茂手木元蔵「フランシス・ベイコンとセネカ」
塚田富治「ベイコンにおける政治と宗教―同時代人とホッブズとの比較をとおして」
芳賀守「ベイコンの経済思想」
若林明「ベイコンの倫理思想」
前田達郎「ベイコンの科学思想―「知は力なり」という思想の意義」
菊池理夫「『ニュー・アトランティス』とルネサンス・ユートピア」
谷川多佳子「ベイコンとデカルトの間」
植木哲也「帰納法のベイコンとベイコンの帰納法―現代科学哲学におけるベイコン像」
長谷部宗吉「国内文献目録」
花田圭介「欧語文献目録」
最後の「国内文献目録」「欧語文献目録」は有用です。
以上、最も新しい『フランシス・ベイコン研究』でさえも出版年が1993年。最近のものがありません。ネットで調べて次の2点をアマゾンに発注しました。
木村俊道『顧問官の政治学―フランシス・ベイコンとルネサンス期イングランド』木鐸社、2003
塚田富治『ベイコン (イギリス思想叢書)』研究社、1996
さて、ロッシの『魔術から科学へ』(サイマル出版、1970)の訳者として知られる前田達郎さんの論文は、以前集めて、すべて読んでいます。
前田達郎氏のベイコン研究
前田達郎「フランシス・ベーコン哲学研究序説」『新潟大学教養部研究紀要』1(1968), 1-14
前田達郎「F.ベーコンの「汚職」―その事実と評価―」『新潟大学教養部研究紀要』7(1977), 13-33
前田達郎「近代科学・魔術・宗教―科学革命の思想史的要因」『新潟大学教養部研究紀要』8(1978), 7-20
前田達郎「F.ベーコンの帰納論理と近代科学の論理」『新潟大学教養部研究紀要』9(1979), 1-13
前田達郎「F.ベーコンの倫理思想―科学時代の倫理の形成」『新潟大学教養部研究紀要』10(1980), 1-17
前田達郎「ルネサンスの科学と非科学―科学思想形成の一局面」『新潟大学教養部研究紀要』13(1982), 179-188
前田達郎「レトリック・哲学・科学―その思想史的連関」『新潟大学教養部研究紀要』16(1985.12), 1-8
花田圭介氏のベイコン研究
花田圭介「フランシス・ベイコン研究 (一) : 生涯について」『北海道大學文學部紀要』11(1963), 65-79,
花田圭介「フランシス・ベイコン研究 (二) : 根本思想について」『北海道大學文學部紀要』13(1)(1964), 1-26,
花田圭介「フランシス・ベイコン研究 (三) : natura と tempus」『北海道大學文學部紀要』15(1)(1966), 97-159,
西岡啓治氏のベイコン研究
西岡啓治「Francis Bacon の文法」『岡山理科大学紀要. B, 人文・社会科学』31(1995), 25-37,
西岡啓治「Francis Bacon's Life and the Formation of His Realism」『岡山理科大学紀要. B, 人文・社会科学』34(1998), 29-39,
西岡啓治「Francis Bacon's Essays and Aphorism」『岡山理科大学紀要. B, 人文・社会科学』35(1999), 29-36,
西岡啓治「Francis Bacon's Intellectual Imagery」『岡山理科大学紀要. B, 人文・社会科学』36(2000), 17-26,
西岡啓治「Francis Bacon: Essays の表現形式」『岡山理科大学紀要. B, 人文・社会科学』39(2003), 1-16,
西岡啓治「Francis Bacon: Essaysの名詞的文体について」『文体論研究』49(2003), 48-62,
西岡啓治「Nominal Style in Francis Bacon's Essays」『岡山理科大学紀要. B, 人文・社会科学』41(2005), 27-36,
その他、CINIIより、ベイコン研究
竹内,公基「三つの生き方--シェクスピア・ローレー・ベイコン」『新潟大学教養部研究紀要』通号2(1971), 1-16
若林明「ベイコン思想の特質」『倫理學年報』21(1972), 23-38,
吉田利明「イギリス文学理論の方向(その3) : Francis Bacon」『神戸学院大学紀要』7(1977), 98-111,
太田光一「F.ベーコンの「実験」概念の意義」『東京大学教育学部紀要』17(1978), 155-163
福鎌,忠恕「ベイコンとロック--様式史論的一考察」『東洋大学社会学部紀要』通号15(1978), 25-66
KAWAJIRI,Nobuo「Francis Bacon's View of Mathematics : Bacon's Concept of Mixed Mathematics」『Proceedings of the Faculty of Science of Tokai University』15(1980), 7-21,
坂本賢三「フランシス・ベーコンの帆船記事 (1)」『海事資料館年報』9(1981), 15-16
坂本賢三「フランシス・ベーコンの帆船記事 (2)」『海事資料館年報』10(1982), 16-17
光木保臣「ベイコン「ノヴム・オルガヌス」に関する一考察」『立正大学哲学・心理学会紀要』通号9(1983), 27-43
光木保臣「F.ベイコンの「第二哲学」」『立正大学哲学・心理学会紀要』通号10(1984), 81-93
松浪茂「フランシス・ベイコンの言語観--伝達論的・認識論的視点の交錯」『英米文学研究』通号22(1986), 203-229
松浪茂「フランシス・ベイコンの私的談話のレトリック--"Of Discourse"の成立過程とその古典的背景」『英米文学研究』通号24(1988), 269-926
志子田光雄「Fulke GrevilleとFrancis Bacon--認識論ならびに教育論」『東北学院大学論集, 英語・英文学』通号77(1986), 55-76
ダイクス,デイビット「ベーコンの「新機関」に於る「発見」」『愛知工業大学研究報告. A, 教養関係論文集』22(1987), 13-21
菊池理夫「メティスの知 : 顧問官としてのF ・ ベーコンの思想」『松阪大学松阪政経研究』 (高梨正夫教授退職記念号)7(1)(1989), 77-90
渡辺正雄「F.ベイコンにおけるフィランスロピ---フィランスロピ-の東西比較研究-1-」『英学史研究』通号23(1990), 147-157
山田耕士「「ベイコン」における時間」『言語文化論集』(名古屋大学言語文化部 編/名古屋大学言語文化部/名古屋大学)11(2)(1990), 15-31
山田耕士「フランシス・ベイコンのレトリック観」『言語文化論集』 (名古屋大学言語文化部 編/名古屋大学言語文化部/名古屋大学)13(2)(1992), 261-273,
山口正春「進歩の思想とフランシス・ベイコン--啓蒙思想との関連において」『法学紀要』通号35(1993), 539-566
小川眞里子「生物学史から見た死」『生命倫理』3(1)(1993), 66-70
鈴木秀勇「フランシス・ベイコンとピィエトロォ・ヴェッルリィ : 「自然」と「生産技術」;「自然」と「労働」による「生産」」『経済と経営』25(4)(1995), 843-883,
有馬忠広「ホッブズの周辺(2) : ベイコンとホッブズ」『成安造形短期大学紀要』34(1996), 147-154,
川田美穂「フランシス・ベーコンに関する一考察」『人文論究』(関西学院大学人文学会 〔編〕/関西学院大学人文学会/関西学院大学)45(4)(1996), 116-128
木村俊道「フランシス・ベイコンと<活動的生活(vita activa)>論」『東京都立大学法学会雑誌』37(1)(1996), 171-246
松平圭一「18世紀英国における経験主義 ・ 個人主義成立の背景 Henry Wotton, Francis Bacon, and Inigo Jones」『活水論文集. 英米文学・英語学編』 (活水女子大学)40(1997), 55-77
木村俊道「フランシス・ベイコンの「ブリテン」論」『東京都立大学法学会雑誌』38(1)(1997), 485-536
伊藤誠一郎「政治算術の継承に関する一考察 : ベイコン,ペティ,ダヴナント」『三田學會雑誌』90(1)(1997), 89-109
木村俊道「「宮廷」の政治学(1)「顧問官」ベイコンとルネサンス期の「宮廷」」『東京都立大学法学会雑誌』40(1)(1999), 295-329
木村俊道「「宮廷」の政治学(2)「顧問官」ベイコンとルネサンス期の「宮廷」」『東京都立大学法学会雑誌』40(2)(2000), 227-253
石橋敬太郎「『マクベス』における悪魔観 : ジェイムズ時代イングランドの近代科学思想の進展を中心に」『言語と文化』 (岩手県立大学言語文化教育研究センター/岩手県立大学) 3(2001), 1-8
吉田克己「フランシス・ベイコンの財政経済思想(1)『随筆集』を中心に」『国際関係研究』(日本大学国際関係学部国際関係研究所)23(2)(2002), 65-84
吉田克己「フランシス・ベイコンの租税観--『随筆集』を中心として」『比較文化・比較文』(日本大学比較文化・比較文学会 〔編〕/日本大学比較文化・比較文学会) 5(2003), 80-91
吉田克己「フランシス・ベイコンの財政経済思想(2)『随筆集』を中心に」『国際関係研究』(日本大学国際関係学部国際関係研究所)23(4)(2003), 81-103
宮田千草「イギリス自然風庭園と日本庭園に見る庭園観についての一考察--ミルトンの『失楽園』、ベイコンの『庭について』と『作庭記』の作庭を支える自然観」『比較文明』通号22(2006), 231-248,
伊野連「F・ベイコンの「オルガノン」研究 : 新全集『オックスフォード・フランシス・ベイコン』を用いて」『横浜商大論集』40(1/2)(2007), 29-59
科研費による、ベイコン研究
(関係すると思われるものだけ、抽出します。)伊藤宏之(イトウヒロユキ)(福島大学・人間発達文化学類・教授)「日本語版トマス・ホッブズ著作集の作成」2005-2006
「ベーコンの思想的影響が少ないこと、キャベンディッシュ家の当代における政治的変遷との関連が大きいこと」が指摘されている。宗像惠(ムナカタ サトシ)(神戸大学・国際文化学部・教授)「ビュフォンの自然誌研究を視座とする、十八世紀啓蒙思想の哲学史的意義の再検討」
「啓蒙期のフランスにおける、デカルト派とニュ-トン派との対立といわれる事態の内実の再検討や、ベ-コン主義の復活といわれる事態の再検討」がなされた、とあります。
フランシス・ベイコンではありませんが、次の堀池信夫氏の「13世紀〜17世紀間の西欧哲学者における東洋思想・宗教の受容と解釈」は私に非常に興味深いものなので、脱線として抽出しておきます。
堀池信夫(ホリイケノブオ) (筑波大学・哲学・思想学系・助教授)
「13世紀〜17世紀間の西欧哲学者における東洋思想・宗教の受容と解釈」
中国哲学 1994-
(ロジャー)「ベ-コンが、実は当時としては最新の東洋情報を知りうる立場にあり、そうして得た知見を彼の経験の哲学の論拠として大きく活用し、さらには東洋の思想の客観的合理性を称揚していることを明らかにできた。」とあります。
私には、これは、非常に興味深い。ロジャー・ベイコンは、東洋に関して、一体どういう文献を読んだのでしょうか? そして、そうした文献からどういう知識を得たのでしょうか? 知りたい。
木村俊道 (キムラトシミチ) (九州大学・法学研究院・助教授)
「初期近代ブリテンにおける「帝国」論の研究」
哲学 2002-2004
平田俊博(ヒラタトシヒロ) (山形大学・教育学部・教授)
「カント『純粋理性批判』におけるポリツァイ・モデルの意義」
2002-2004
次の指摘があります。
「1780年から1783年にかけて相次いでドイツ語訳が出版されたフランシス・ベーコン」
ベーコンの学問観がカントの批判哲学体系の樹立に大きな影響があったと論じられたようです。
ドイツにおけるベイコン受容・ベイコン理解という論点について、重要な指摘だと考えます。
木村俊道(キムラトシミチ) (九州大学・法学研究院・助教授)
「ルネサンス期イングランドの宮廷および枢密院に関する政治思想史的研究」
2000-2001
「作法書(courtesy book)」が統治エリート(ジェントルマン)の行為規範を形成したと主張されています。
鷲見洋一(スミヨウイチ) (慶應義塾大学・文学部・教授)
「フランス『百科全書』研究―本文と図版への多角的接近」
1999-2002
とりわけ、「英国のチェンバーズ『サイクロピーディア』が提出している知識の分類体系とベーコンの体系、フランス『百科全書』の知識の系統樹との比較作業」を行ったとあります。
川田潤(カワタジュン) (福島大学・教育学部・助教授)
「ユートピア思想の観点からの初期王立協会における文学と科学の相互依存性に関する研究」
2003-2005
「ロンドン王立協会以前の「自然哲学」に関するテクストを渉猟、分析した。具体的には、フランシス・ベイコンの『森の森』と『ニューアトランティス』という両書物を検討することによって、「自然哲学」と「国家」がどのように結びつくべきであるかという問題意識の誕生の経緯を検討した。また、主に内乱期におけるコメニウス主義と王立協会との結びつきについて、『マカリア王国』を著したハートリブ・サークルと王立協会のメンバーとの人的交流の整理、検討を行うことで、大陸とイングランドを結ぶネットワークの存在を確認した。」とあります。まさに、私の関心領域と重なりますが、この方を私は全く知りませんでした。
発表文献として、次のものがあげられています。
川田潤「ユートピアと社会主義-<いま・ここに>から<いまだ意識されざるもの>へ-」『岩波講座文学10 政治への挑戦』(岩波書店,2003), pp.23-42
私のものも、検索すると出てきました。
吉本秀之「十七世紀英国における物質理論:ベイコン,チャールトン,ボイルを中心として」
奨励研究(A) 1991
外語大に着任して、すぐのものです。忘れかけていました。このときには原子論・分子論の系譜に関心がありました。- 2009.2.5
[フランシス・ベイコン 2.5]
2007年に出版された中公の『哲学の歴史』にベイコンがあったことを思い出しました。次です。伊藤博明「フランシス・ベイコン」『哲学の歴史4 ルネサンス』(中央公論新社、2007),pp.629-674, 682-4
参考文献は、pp.682-4 にあります。研究文献としては、邦語で9点、欧語で26点、あがっていますが、とくに目新しいものはありません。
邦語文献の最新は、2003年に出版された木村俊道氏の『顧問官の政治学』です。欧語文献で最新は、1998年のZagorin, Francis Baconです。大学の研究室で、ロッシ『哲学者と機械』(学術書房、1989)を探し出しました。試験のあいまに、関連する部分を読み直していましたが、これはよい本です。基本書として読む価値があります。
ということで、目次を掲げておきます。
第1章 16世紀における機械的技術と哲学
第1章の1 技術の新しい評価―パリッシ、ノーマン、ビーベス、ラブレー、ギルバート卿
第1章の2 技術的論考、古典の翻訳、注釈
第1章の3 1400年代の芸術家と実験家
第1章の4 レオナルド・ダ・ヴィンチ
第1章の5 ルネサンスの職人、建築家、科学者
第1章の6 1500年代の「機械に関する著作」―ビリングッチョ、アグリコラ、グイドバルド、ラメッリ、ロリーニ第2章 科学的進歩の理念
第2章の1 科学革命
第2章の2 1500年代の技師たちにおける知識の「進歩」の理念
第2章の3 科学の進歩と近代人の優越性―ボダン、ル・ロワ、ブルーノ、ベイコン
第2章の4 古代派と近代派の論争〔新旧論争〕
第2章の5 協力による進歩―アカデミー
第2章の6 認識主体としての人間―パスカル第3章 1600年代における哲学・技術・技術誌
第3章の1 トマゾ・カンパネッラ
第3章の2 デカルト
第3章の3 メルセンヌとガッサンディ
第3章の4 ガリレオ
第3章の5 技術誌の計画
第3章の6 イギリスのベイコン主義者たちとロバート・ボイル
第3章の7 アルシュテートとライプニッツ
第3章の8 啓蒙主義という遺産―ダランベールとディドロ
付録1 自然―技術の関係と世界という機械
付録2 フランシス・ベイコンにおける科学の真理と有用性
付録3 新科学とプロメテウスの象徴
- 2009.2.6
一昨日アマゾンに注文した次の書物がお昼前に届きました。
木村俊道
『顧問官の政治学―フランシス・ベイコンとルネサンス期イングランド』
木鐸社、2003 , 274pp+xxxii
一昨日アマゾンに注文した次の書物が午後2時に届きました。
塚田富治
『ベイコン (イギリス思想叢書)』
研究社、1996
[フランシス・ベイコン論点 2.6]
論点の抽出も行います。1.「デカルトとベイコン」
ベイコンが、1561-1626。デカルトが、1596-1650。生年で言えば、ベイコンの方が35年早い。当然、デカルトはベイコンを読んでいたと予想されます。
実は、谷川多佳子「ベイコンとデカルトの間」『フランシス・ベイコン研究』pp.255-278 がこの問題を扱っています。
谷川さんの論文の冒頭は、次のように始まります。
「ベイコンは一七世紀初めのフランスで広く読まれていた。その著作はパリ市民の蔵書の多くを飾っていたし、『ノヴム・オルガヌム』は知識人の間に浸透し哲学や科学にたずさわる主だった人々に知られていた。」
「単純本性」と「形相」の問題は、一度私も扱おうと考えたことがあります。ノートはとりましたが、論文としてまとめるまでには至らず、そのままになっていますが、私の問題関心にとっては重要なので、今回、見直そうと思っています。2.「イギリスのベイコン主義者とベイコン」
この問題を扱うためには、いくつか位相を分ける必要があります。
i) ベイコン生存中。-1626
ベイコン主義と呼ばれるような運動・思想は生じていないように思われます。(きちんとは調べていません。)
ii) ベイコンの没年からイギリス革命まで 1626-1642
なにかあったのでしょうか。
iii) イギリス革命期 1642-1660
社会と国家と知識の大革新(革命?)のビジョンのもと、ベイコン主義の新しい動きが生じる。ドイツ系亡命知識人が大きな役割を果たす。
iii) 王立協会初期 1660-1680 ?
王立協会の公式のイデオロギーとして、ベイコン主義が採用される。ボイル、フック、ニュートン、スプラット、グランビル等々。
この問題に関しては、個別に対応する必要があります。ホッブズはどの程度ベイコンに依拠するのか? ボイルはどの程度・どういう意味でベイコン主義者なのか? フックは? ニュートンは?3.「ドイツにおけるベイコンの受容」
これは、少なくとも一七世紀と啓蒙期に分けて考える必要があるでしょう。
ライプニッツやカントにおけるベイコンという問題は、焦点をして立てることができるでしょう。4.「フランス百科全書派におけるベイコン」
よく知られたテーマですが、いったい、百科全書派はベイコンの何を読んだのか?は一度きっちりと追求されるべきでしょう。5.「「知は力なり」のモチーフ」
実は、昨日読んだ次の論文がこの問題を扱っています。
前田達郎「ベイコンの科学思想―「知は力なり」という思想の意義」『フランシス・ベイコン研究』pp.197-226.
前田さんも指摘しているように、verum et factum convertuntur 真理=製作、真なるものと作られたものは相互に置換される、というヴィーコの有名な格言に関連づけて考察されています。この「真理=製作」の観念の系譜ももちろん重要です。- 2009.2.7
[フランシス・ベイコン 2.7]
フランシス・ベイコンに関しては、オクスフォードが新しいクリティカル・エディションを発行中です。全15巻で、現在はたぶん6巻が出版されています。
(Oxford ; Tokyo : Clarendon : Oxford University Press)Vol.4, The Advancement of Learning , 2000
Vol.6, Philosophical Studies c .1611-c .1619 , 1996
Vol.11, The Instauratio Magna Part II: Novum Organum and Associated Texts, 2004
Vol.12, Historia naturalis et experimentalis : Historia ventorum and Historia vitae & mortis, 2007
Vol.13, The Instauratio Magna : Last Writings, 2000
Vol.15, The Essayes or Counsels, Civill and Morall , 1985, 2000
日本の図書館がどの程度所蔵しているのか調べてみました。ウェブキャットの調査では、
第4巻は23館、第6巻は25館、第11巻は24館、第12巻は14館、第13巻は26館、第15巻は22館、
となります。少なすぎます。個人的は、哲学科のある大学は、すべてそろえるべきだと思いますし、哲学のポストがある大学は、所蔵を真剣に検討すべきです。なお、私が滞英中に購入した次の本なんか、慶応の1館にしか所蔵されていません。いったい、どうしたことでしょうか。
Graham Rees assisted by Christopher Upton
Francis Bacon's natural philosophy : a new source : a transcription of manuscript Hardwick 72A with translation and commentary,
(BSHS monographs ; 5)
Chalfont St Giles, 1984
(部屋のどこかにあるはずですが、まだ見つけていません。本格的な捜索を後回しにしているせいです。)これまでの調査では、新しい研究が欠けています。とくに、21世紀に入ってからのものがほとんど視野に入ってきていません。ISIS Current Bibliography の2007年と2006年を手始めに見てみました。
次の論集が、どうも最新の研究論文集のようです。Julie Robin Solomon and Catherine Gimelli Martin (eds.),
Francis Bacon And the Refiguring of Early Modern Thought: Essays to Commemorate the Advancement of Learning (1605-2005)
Aldershot: Ashgate Pub, 2005
amazon.com に発注しておきました。1ヶ月ぐらいでは着くでしょう。目次(Table of Contents) は次の通りです。
Julie Robin Solomon, "Introduction", pp.1-16
Reid Barbour, "Bacon, Atomism, and Imposture: The True and the Useful in History, Myth, and Theory", pp.17-44
Michael McCanles, "The New Science and the Via Negativa: A Mystical Source for Baconian Empiricism", pp.45-68
Catherine Gimelli Martin, "The Feminine Birth of the Mind: Regendering the Empirical Subject in Bacon and His Followers", pp.69-88
John C. Briggs, "'The Very Idea!': Francis Bacon, E. O. Wilson on the Rehabiliation of Eidos", pp.89-108
Jerry Weinberger, "Francis Bacon and the Unity of Knowledge: Reason and Revelation", pp.109-128
Guido Giglioni, "The Hidden Life of Matter: Techniques for Prolonging of Life in the Writings of Francis Bacon", pp.129-144
Daniel R. Coquillette, "'The Purer Foundations': Bacon and Legal Education", pp.145-172
William T. Lynch, "A Society of Baconians?: The Collective Development of Bacon's Method in the Royal Society of London", pp.173-202
Fritz Levy, "Francis Bacon, The Advancement of Learning, and Historical Thought", pp.203-222
Timothy J. Reiss, "'Seated Between the Old World and the New': Geopolitics, Natural Philosophy, and Proficient Method.", pp.223-246
- 2009.2.8
[フランシス・ベイコン 2.8]
Sir Francis Bacon's New Advancement of Learning
Bibliography別の捜し物をしていたら、ウェブで次の論文に出会いました。
Bernard Joly, "Francis Bacon réformateur de l'alchmie: tradition alchimique et invention scientifique au début de XVIIe siècle", Revue philosophique de la France et de l'étranger, 2003/1, Tome 128, no.1, pp.23-40.
ジョリーさんの論文を見て、次のものをまだ読んでいないことに気付きました。
Silvia A. Manzo, "Francis Bacon and Atomism: A Reapraisal", in Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories, (Leiden: Brill, 2001), pp.209-243.
この2点の論文により、リーズの研究がベイコン物質理論研究の転換点であったことが再確認されました。まだ院生だった時代に、次の7点の論文を読み、非常に感心した記憶があります。かなり丁寧なカードをとりました。
Graham Rees, "Francis Bacon's Semi-Paracelsian Cosmology", Ambix, 22(1975), 81-101
Graham Rees, "Francis Bacon's Semi-Paracelsian Cosmology and the Great Instauration", Ambix, 22(1975), 161-173.
Graham Rees, "The Fate of Bacon's Cosmology in the Seventeenth Century", Ambix, 24(1977), 27-38.
Graham Rees, "Matter Theory: A unifying factor in Bacon's Natural Philosophy?", Ambix, 24(1977), 110-125.
Graham Rees, "Francis Bacon on Verticity and Bowells of Earth", Ambix, 26(1979), 202-211.
Graham Rees, "Atomism and 'Subtlety' in Francis Bacon's Philosophy", Ann.Sci., 37(1980), 549-571.
Graham Rees, "Mathematics and Francis Bacon's Natural Philosophy", Rev.Int.Phil., 40(1986), 399-426.
イギリス滞在中に次の論文・レビューのコピーを取っています。
Graham Rees, "Quantitative reasning in Francis Bacon's Natural Philosophy", Nouvelles de la republique des lettres, ?(198?, 27-48.
Graham Rees, "Instauratio instauratioris: toward a new edition of the works of Francis Bacon", Nouvelles de la republique des lettres ,?(1987),37-48.
Graham Rees, "Review: Copenhaver and Schmitt, Renaissance Philosophy,etc.", Bulletin of the Society for Renaissance Studies, x(1993), 17-22.
フランス語の雑誌『新文芸共和国』に関しては、以上のように、書誌がいくらか混乱しています。この点は、あとで調べて、直します。
- 2009.2.10
帰宅すると、次の本が届いていました。Francis Bacon
Francis Bacon: The Major Works including New Atlantis and the Essays
(Oxford World's Classics)
Oxford: Oxford University Press, 1996, 2008
814頁の長い本です。タイトルにあるとおり、New Atlantisと Essaysが中心です。[フランシス・ベイコン 2.10]
フランシス・ベイコンの書誌ですが、たとえばThe Cambridge Companion to Bacon の冒頭の年表のように、ベイコンの没年(1626年)で終わっているものは、思想史研究では使えません。死後出版のものもきちんとリストアップすべきです。とくにベイコン主義の成立を考えたとき、その時代の人がどういうテキストを読み得たかを確定しておくことはとても重要です。その時代の人が読み得ないものを根拠に、ベイコン主義、ベイコンの影響を語っても無意味です。もう1点、何語で出版されたのかも重要です。英語で出版されていたとしても、たとえば、同時代の大陸の人は、(一部の例外を除き)読むことが出来ません。大陸への影響ということを考えれば、ラテン語版が出版されているかどうかが決定的です。そして、そのラテン語版ですが、流通のしやすさを考えれば(大陸における普及の観点では)、大陸で出版されたかどうかはかなり大きい。ロンドンで出版されたものが、まったく流通しないわけではないが、壁があると見なすべきでしょう。
ということで、文献リスト(書誌の表)は、何語の出版物かはっきりとわかるよう記されているべきでしょう。さて、日本語のもので言えば、花田圭介編 『フランシス・ベイコン研究』の巻末の書誌は、割とよいものです。とくに邦語の文献リストはよく出来ていると思います。
欧文のもの(Bibliography Composed by Keisuke HANADA) も実際使ってみると、割とよく出来ています。しかし、表記にもう一工夫あるべきでした。ゴチックやボールドを活用すべきでした。あるいは、表題部分には、活字の大きさかフォントを明白に変えるべきでした。
たとえば、『ノヴム・オルガヌム』の次の表記。
Novum Organum ――― New Organon (English Version)
この表記は、ぱっと見て、え、何語?と思わせます。
具体的な作品の記述をよく読むとわかるのですが、表は、見やすさ・わかりやすさが命です。ということで、実際に調べてみて、思った以上にずっと苦労したのですが、17世紀に限定して、ベイコンのラテン語出版物をリストアップしてみます。
Francis Bacon in Latin
De sapientia veterum liber, London, 1609
Instauratio magna, London, 1620
This book consists of Novum organum,
and Parasceue, ad historiam naturalem, et experimentalemHistoria naturalis et experimentalis ad condendam philosophiam : siue, phaenomena vniuersi: quae est Instaurationis magnae pars tertia, London, 1622
Running Title is Historia ventorumHistoria vitae & mortis : Siue, titulus secundus in Historia naturali & experimentali ad condendam philosophiam; quae est Instaurationis magnae pars tertia , London, 1623
Running Title is Historia vitae et mortisOpera Francisci Baronis de Verulamio : vice-comitis Sancti Albani, tomus primus: qui continet De dignitate & augmentis scientiarum libros IX. Ad regem suum, London, 1623
Operum moralium et civilium tomus : Qui continet historiam regni Henrici Septimi, Regis Angliae. Sermones fideles, sive interiora rerum. Tractatum de sapientia veterum. Dialogum de bello sacro. Et Novam Atlantidem. Ab ipso honoratissimo auctore, praeterquam in paucis, Latinitate donatus. Cura & fide Guilielmi Rawley, Sacrae Theologiae Doctoris, olim dominationi suae, nunc Serenissimae Majestati Regiae, a sacris. In hoc volumine, iterum excusi, includuntur Tractatus de augmentis scientiarum. Historia ventorum. Historia vitae & mortis. Adjecti sunt, in calce operis, libri duo Instaurationis magnae., London, 1638
Scripta in naturali et vniuersali philosophia, Amsterdam, 1653
I. Cogitata & visa de interpretatione natururae
II. Descriptio globi intellectualis
III. Thema coeli
IV. De fluxu & refluxu maris
V. De principiis atque originibus secundum fabulas Cupidinis & Coeli
VI. Impetus philosophici
Opuscula varia posthuma, philosophica, civilia, et theologica, London, 1658
Opuscula sex philosophica simul collecta
Opus illustre in felicem memoriam Elizabethae Angliae Reginae
Confessio fidei, Anglicano sermone conscripta
Opera omnia, quae extant, Francofurti ad Moenum, 1665
Sermones fideles, ethici, politici, oeconomici: sive interiora rerum.
Sylva sylvarum, sive historia naturalis.
Scripta in naturali et universali philosophia.
Historia vitae et mortis.
Phoenomena universi, sive historia naturalis & experimentalis de ventis.
Novum organum scientarum sive iudicia vera de interpretatione naturae.
De dignitate & augmentis scientarum, lib IX sive instaurationis magnae pars prima.
- 2009.2.11
[フランシス・ベイコン 2.11]
昨日届いた Bacon: The Major Works の冒頭の解説(Brian Vickers)を読んでみました。的確な整理です。ベイコンがどういう書物をどういうふうに読んだのか、もっとも信頼できる解説が書かれています。そして、結びが次。ベイコン『学問の進歩』中公, p.314
「人間の才能と知識の像は本の中にとどまり、時間の与える危害を免れ、絶えることのない更新が可能である。それらを像と呼ぶのも適当ではない。なぜなら、それらのものは絶えず生み出し、他人の心の中に種を蒔き、あとに続く時代に無限の行動や意見を呼び起こし、生じさせる原因となるからである。」Bacon: The Major Works, p.168,
"But the images of men's wits and knowledge remain in books, exempted from the wrong of time and capable of perpetual renovation. Neither are they fitly called images, because they generate still, and cast their seeds in the minds of others, provoking and causing infinite actions and opinions in succeeding ages."日本語と英語では、与える印象が違います。主としては、 " images" と「像」という語の差でしょう。" images" に適切な日本語を当てるのはなかなかに難しい。そもそも、ベイコン自身が" images"という語は適切ではないと言っているのですからなおさらです。日本語の「像」よりももっと実質的なものですが、意訳してしまえば、「思想」ぐらいになるでしょうか。(人間の思想は、本に保存され、他者の精神に種を蒔く、ぐらいでしょうか。)
- 2009.2.12
[フランシス・ベイコン 2.12]
ベイコンは、ラテン語と英語で著していますが、大学に席をおく学者であったわけではありません。職業としては、法律家:政治家:役人だったわけです。学歴を確かめておきます。
1573年6月ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。1575年12月ケンブリッジを(何の学位を取得することなく)去る。(大学は伝染病で封鎖された時期があり)実質的に勉強していたのは2年間。
1576年6月「グレイズ・イン(グレイ法曹院)」に入る。
1576年9月駐仏大使に随行して、フランスへ渡る。
1579年2月22日の父の死により、3月帰国する。グレイ法曹院に戻る。
つまり、2年半、フランスに滞在したこととなる。1581年には、下院議員に選出され、その後法律家(政治家)として階段を上っていく。
その後はよく知られているように、大法官(1618年)になるも、1621年収賄罪で有罪宣告を受け、その後は隠遁生活に入っている。
つまり、大学で学位を取ることもなく、大学で教鞭をとったこともない人物であったということです。
ヴィッカーズによれば、ラテン語・フランス語には十分習熟していたが、ギリシャ語はそれほどでもなかった、そして、古代ギリシャの著作は、基本的にラテン語訳で読んでいる、ということです。(ヴィッカーズは、ベイコンの用いた単語・用語から、ベイコンの使ったラテン語やフランス語の版をいくつか特定しています。)(to be continued...)
2009.2.13 (ある程度続きが見えた方もおられると思いますが・・)
この時代のイギリスで、思想史(哲学史・科学史)において、必ず取り上げるべき大思想家としては、ベイコン、ホッブズ、ボイル、ロック、ニュートンの5名をピックアップしてもそれほど間違いではないでしょう。
この5人の中、ニュートンを例外として、職業としては大学人ではなかった点が目立つ共通点だと思われます。上にあるとおり、ベイコンは、大学を卒業していません。ホッブズは、オックスフォードを卒業していますが、職業としては家庭教師(キャヴェンデッシュ家)の期間が長い。しかも、青年貴族の大陸旅行に付添い、かなり長く大陸に滞在している。大学のポストには無縁の生活を送っています。
ボイルは、私が諸処に記した通り、そもそも大学なるところに通ったことがありませんし、大学のポストを得たこともありません。(オクスフォードから名誉学位はもらっていますが)。そして、教育は基本的には、フランス語圏(ジュネーヴ)において、フランス語で受けている。
ロックは、オックスフォード大学を卒業後(1656学士、1658修士&クライストチャーチ特別研究員、1674医学士)、ギリシア語講師のポスト(1661)、修辞学講師(1663)を与えられているが、アシュリー卿(後の初代シャフツベリー伯)の知遇を得てからは、特別研究員の地位を保ったまま、アシュリー卿に仕えることとなった。
フランスには何度か出かけており、1683年から1689年(名誉革命)の間はオランダに亡命していた。帰国後は、閑職(訴願局長)に着く。
つまり、ロックは、大学で教えたことはあるが、教授にはならず、職業としては役人の時期が長い。孤立していたニュートンは、ケンブリッジに入学し、ケンブリッジで教授となるが、後半生(ロンドン移住後)は役人として暮らした。
[フランシス・ベイコン 3.14]
2月7日に捜してなかった次のリーズによるベイコンですが、いつもはあまり見ない本棚を、ここも片づけないといけないなと見ているときに、横にしているのが見つかりました。ペーパーバックで高い本ではありませんが、ウェブキャットで所蔵するのは1館だけです。今年の年頭、いきなり消滅してしまった文部省「在外研究」というシステムで、イギリスにいたときに買ったものです。
いつか部屋のなかで見つかると思っていましたが、一番考えていなかったコーナーに置いていました。片づけを途中で中断して、忘れてしまったものと思われます。Graham Rees assisted by Christopher Upton
Francis Bacon's natural philosophy : a new source : a transcription of manuscript Hardwick 72A with translation and commentary,
(BSHS monographs ; 5)
Chalfont St Giles, 1984お昼に、ISISの最新号(第99巻第4号、2008年12月号)とISIS Current Bibliography 2008の2冊が届きました。早速、ISIS Current Bibliography 2008を繰っていました。
ベイコンに関しては、ベイコンで14件、ベイコン主義で5件、主題索引に取り上げられています。2007年ぐらいから再び研究が活発化してきたのかもしれません。調子が戻ってからきちんと数え直しますが、博士論文(アメリカのPh.D)が3点もありました。論集では、次のものが重要だと思われます。
John L. Heilbron ed.,
Advancements of learning : essays in honour of Paolo Rossi
Firenze : L.S. Olschki, 2007
早速イタリアの本屋さんに注文しました。しかし、いつ届くことやら。ウェブキャットで調べた範囲では、日本では、京大の科学史・科学哲学教室1館だけが所蔵しています。京大の伊藤和行氏が入れられたのでしょう。
(その他は、追ってまた)ISISの最新号(第99巻第4号、2008年12月号)の方にも、関連する論考があります。
Carolyn Merchant: "The Violence of Impediments": Francis Bacon and the Origins of Experimentation, pp.731-760
FOCUS: LAboratory History
Robert E. Kohler: Lab History: Reflections, 761
Ursula Klein: The Laboratory Challenge: Some Revision of the Standard View of Early Modearn Experimentation, 769
Graeme Goody: Placing or Replacing the Laboratory in the History of Science?, 783
Thomas F. Gieryn: Laboratory Design for Post-Fordist Science, 796
まず、ウルズラ・クラインの論文だけ読んでみました。関心が重なることもあり、よくわかる論文でした。
「19世紀以前における「実験室」の語の使用を調べてみると、2点顕著なことがわかる。ひとつには、「実験室」という語は、ほとんどの場合、蒸留、苛焼、溶解といった化学操作がなされる部屋または建物だけを指す言葉だったということである。ふたつめには、「実験室」は、ひとえに科学的設備というものではなく、職人の作業場でもあったということである。歴史の登場人物が具体的にどのように「実験室」を利用しているかに焦点をあわせて、このエッセイは、第1に、18世紀における技術者の実験室と科学者の実験室の対応の証拠(当然一部は分散している)を提示する。特に教示的な事例は、プロシア科学アカデミーの実験室がどのように装置を備え付けるに至ったかということである。この場合、器具、容器、材料は、薬剤師の実験室からアカデミーの実験室に直接移された。このエッセイは次に初期近代においては2つの異なる実験的伝統を区別しなければならないと主張する。すなわち、実験哲学ならびに自然の探求と技術革新を結びあわせた実験室の伝統である。」「フォーカス:実験室の歴史」の序文にあたるコーラーのサマリーも訳しておきましょう。
「1980年代に豊かなスタートを切った実験室の歴史は、今驚くほど無視されている。焦点は、実験室科学としてではなく、社会制度としての実験室である。関心を再興させるため、特定の時代(初期近代、近代、ポストモダン)の実験室を見てみること、ならびに各時代の支配的な社会制度と実践を個別に見てみることを提唱したい。・・・・(以下略)」- 2009.3.15
[フランシス・ベイコン 3.15]
『自然の死』で有名なマーチャントの次の論文ですが、なかなかすごいことになっています。Carolyn Merchant, ""The Violence of Impediments": Francis Bacon and the Origins of Experimentation", ISIS, 2008, 99: 731-760
出発点は、彼女の書物、Carolyn Merchant, The Death of Nature: Women, Ecology, and the Scientific Revolution (San Francisco, 1980)です。いろんな議論がありましたが、次の転換点は、アイシス2006年の特集(フォーカス)「『自然の死』に帰る:キャロライン・マーチャント再読」です。
その特集におけるマーチャントの論文は、次。Carolyn Merchant, "The Scientific Revolution and The Death of Nature", Isis, 2006, 97: 513-533.
マーチャントが今回の論文で特に論争相手として取り上げているのは、Pesic の2点の論文です。
Peter Pesic, "Nature on the Rack, Leibniz's Attitude towards Judicial Torture and the 'Torture' of Nature", Studia Leibnitiana, 1997, 29: 189-197.
Peter Pesic, "Wrestling with Proteus, Francis Bacon and the 'Torture' of Nature", Isis, 1999, 90: 81-94.この問題に関して、有名なベイコン学者ブライアン・ヴィカーズが長めの論考を思想史雑誌に寄せています。
Brian Vickers, "Francis Bacon, Feminist Historiography, and the Dominion of Nature", Journal of the History of Ideas , 69.1 (2007): 117-141なお、今回の論文の要旨は次の通りです。
「生まれつつあった実験の概念を特徴付けるためにベイコンが用いた比喩は、彼の時代の歴史的文脈において解釈されなければならない。彼の実験に対するアプローチは、自然が阻害物の暴力により強制され、技術と人間の手により新しくされる、というものである。彼の自然に関する言葉使いは、統制・支配された実験の概念という歴史的文脈において理解されなければならない。その概念は、法廷、解剖学劇場、実験室のような空間における裁判実践、拘束された自然の観念、自然の秘密の伝統に由来する。」
この主張そのものは、基本的には妥当でしょう。ただし、不必要に言葉が強い気がします。まさに、論争的文脈において理解されるべき主張でしょう。つまり歴史学としては当たり前(正しいこと)を自分に有利なように弁護的に・攻撃的に主張している、そうした文章だと理解されるべきでしょう。- 2009.4.2
John L. Heilbron ed.,
Advancements of learning : essays in honour of Paolo Rossi
Firenze : L.S. Olschki, 2007目次は次の通りです。
William R.Shea, The Scientific Revolution revisited, pp.1-14
Brian Vickers, Francis Bacon, mirror of each age, pp.15-58
Lisa Jardine, Revisiting Rossi on Francis Bacon: hands-on science, pp.59-76
John L. Heilbron, Jean-André Deluc and the fight fo Bacon around 1800, pp.77-99
Rhoda Rappaport, Dangerous words: diluvialism, neptunism, catastrophism, pp.101-131
Tore Frängsmyr, Between the Deluge and the Ice Age, pp.131-152
Charles C. Gillispie, Science in the eye of the observer, 1789-1820, pp.153-171
Jean-Louis Fischer, Les fonctions de monstre et de la monstruosité face à l'histoire, pp.173-190
George Rousseau, The decay of scientific theories: a discursive approach, pp.191-218
Ian Hacking, Trees of logic, trees of Porphyry, pp.219-261.
Biblioteca Di Nuncius: Studi e Testi LXII にあたります。上記の通り、大御所を集めています。
今年の授業で使いたいと思います。
2009.4.7
[フランシス・ベイコン書誌追加]
まずは、手元にある(というのか私のライブラリーにある)ものをリストアップします。実は持っていても忘れているものもあります。Farrington, Benjamin The Philosophy of Francis Bacon, Livepool U.Pr.,1964
Fatttori, Marta et Massimo Bianchi, Spiritus: Colloquio Internazionale del Lessico Intellettuale Europeo, Rome, 1984
Fattori, Marta, ed., Francis Bacon: Terminologia e Fortuna nel 17 secolo, Roma,1984
Fattori, Marta, Lessico del Novum Organum di Francesco Bacone, 2 vols., Roma,1980.
Jardine, Lisa, Francis Bacon: Discovery and the Art of Discourse, Cambridge U.Pr.,1974.
Malherbe, Michel et Jean-Marie Pousseur, Francis Bacon: Science et Methode, Vrin: Paris,1985.
Pérez-Ramos, Antonio, Francis Bacon's Idea of Science and the Maker's Knowledge Tradition, Oxford,1988.
Vickers, Brian, ed., English Science, Bacon to Newton, Cambridge,1987
Weinberger, Jerry, Science,Faith and Politics:Francis Bacon and the Utopian Roots of the Modern Age, Ithaca: Cornell U.Pr., 1985
Whitney, Charles, Francis Bacon and Modernity, New Haven: Yale U.Pr., 1986
私の手元にある2番目にあたらしい論集は、次のものです。
Julie Robin Solomon and Catherine Gimelli Martin (eds.), Francis Bacon And the Refiguring of Early Modern Thought: Essays to Commemorate the Advancement of Learning (1605-2005), Aldershot: Ashgate Pub, 2005
この後ろに "Select Bigliography" というのが付いています。ここからまだ言及していないまずは著作だけを抽出します。Bronwen Price (ed.), Francis Bacon's New Atlantis: New Interdisciplinary Essays, Manchester: Manchester University Press, 2002
Briggs, John Channing, Francis Bacon and the Rethoric of Nature, Cambridge: Harvard University Press, 1989
Coquillette, Daniel R., Francis Bacon, Stanford: Stanford University Press, 1992
Faulkner, Robert K. Francis Bacon and the Project of Progress, London: Rowman & Littlefield, 1993
Gaukroger, Stephen, Francis Bacon and the Transformation of Early-Modern Philosophy, Cambridge: Cambridge University Press, 2001
Lynch, William T., Solomon's Child: Method in the Early Royal Society of London, Stanford: Stanford University Press, 2001
Martin, Julian, Francis Bacon, the State, and the Reform of Natural Philosophy, Cambridge: Cambridge University Press, 1992
Sessions, William A., ed., Francis Bacon's Legacy of Texts: 'The Art of Discovery Grows with Discovery', New York: AMS, 1990
Zagorin, Perez, Francis Bacon, Princeton: Princeton University Press, 1998
- 2009.4.14
[フランシス・ベイコン書誌追加]
次のフランス語の論集の目次を取るのを忘れていました。Malherbe, Michel et Jean-Marie Pousseur, Francis Bacon: Science et Methode, Vrin: Paris,1985.
Jean-Claude Margolin, "L'idée de nouveauté et ses points d'application dans le Novum organum de Bacon", 11-
Michèle Le Doeuff, "L'espépance dans la science", 37-
Didier Deleule, "L'éthique baconienne et l'esprit de la science moderne ", 53-
Marta Fattori, "Le Novum organum de Francis Bacon: problèmes de terminologie", 79-
Jean-Marie Pousseur, "Méthode et dialectique", 93-
Michel Malherbe, " L'expérience et l'induction chez Bacon ", 113-
Lisa Jardine, "Experientia literata ou Novum organum? Le dilemme de la méthode scientifique de Bacon", 135-
Lutz Geldsetzer, "L'induction de Bacon et la logique intensionnelle", 159-
Angèle Kremer-Marietti, " Philosophia prima et scala intellectus, concepts en devenir chez Bacon et chez Comte", 179-
- 2009.4.17
[フランシス・ベイコン書誌追加]
たぶん、これが最新の論集だと思います。Claus Zittel, Gisela Engel, Romano Nanni, and Nicole C. Karafyllis (eds.),
Philosophies of Technology: Francis Bacon and his Contemporaries
, Leiden: Brill, 2008Table of Content:
Luisa Dolza, "Industrious Observations, Grounded Conclusions, and Profitable Inventions and Discoveries; the Best State of That Province: Technology and Culture during Francis Bacon's Stay in France"
Jürgen Klein, "Francis Bacon's Scientia Operativa, The Tradition of the Workshops, and The Secrets of Nature"
Romano Nanni, "Technical Knowledge and the Advancement of Learning: Some Questions about Perfectibility and Invention"
Arianna Borrelli, "The Weather-Glass and its Observers in the Early Seventeenth Century"
Sophie Weeks, "The Role of Mechanics in Francis Bacon's Great Instauration"
Dana Jalobeanu, "Bacon's Brotherhood and its Classical Sources: Producing and Communicating Knowledge in the Project of Great Instauration"
Todd Andrew Borlik, "The Whale under the Microscope: Technology and Objectivity in Two Renaissance Utopias"
Jarmo Pulkkinen, "The Role of Metaphors in William Harvey's Thought"
Andrés Vaccari, "Legitimating the Machine: The Epistemological Foundation of Technological Metaphor in the Natural Philosophy of Ren Descartes,"
Claus Zittel, "Descartes as Bricoleur"
Berthold Heinecke, "The Poet and the Philosopher: Francis Bacon and Georg Philipp Harsdörffer"
Benjamin Wardhaugh, "Formal Causes and Mechanical Causes: The Analogy of the Musical Instrument in Late Seventeenth-Century Natural Philosophy"
Daniel Damler, "The Modern Wonder and its Enemies: Courtly Innovations in the Spanish Renaissance"
Moritz Epple, "The Gap between Theory and Practice: Hydrodynamical and Hydraulical Utopias in the 18th Century"
Thomas Brandstetter, "Sentimental Hydraulics: Utopia and Technology in 18th-Century France"
Staffan Müller-Wille, "History Redoubled: The Synthesis of Facts in Linnaean Natural History"
Pablo Schneider, "Rescue Attempts: Scientific Images and the Mysteries of Power in the Era of Louis XIV"
- 2009.4.18
[フランシス・ベイコンと新科学]
昨日の金曜日の授業では、ベイコンの伝記と著作を発表してもらいました。いろいろ注目しておくべきポイントはあるのですが、新科学との兼ね合いで言えば、ベイコンはいわゆる「新科学」の業績をあまり読んでいません。ベイコンは1626年に亡くなっています。主著を『ノーヴム・オルガヌム』(もちろん正確には『大革新』ですが、その2部である「ノーヴム・オルガヌム」をこの著作の名前とする習慣は、同時代に生じています)とすれば、1620年の出版です。
ガリレオの『天文対話』は1632年、同じく、ガリレオの『新科学論議』は1638年ですから、そもそもベイコンの生存中には出版されていません。
ケプラーの『宇宙誌の神秘』が1596年、ギルバートの『磁石論』が1600年ですから、この辺は間にあっていますが、この2作品から新科学の方向性を導きだすのは、至難の業ですし、実際そういうことはあまりなかったと言えるでしょう。
ハーヴィーの血液循環論の発表(『動物の心臓および血液の運動に関する解剖学的研究』)が1628年、デカルトの『方法序説』が1637年なので、ベイコンが没した後です。
したがって、ベイコンの目の前にあったのは、(コペルニクスもケプラーもギルバートもあったとはいえ)ルネサンスの自然哲学です。学説史においては、テレジオとパラケルスス主義が指摘されています。しかし、ベイコン(ベーコン)が具体的にルネサンスの自然哲学のどの書物をどう読んだかについては、たぶんまだ学説史はほぼ空白だと思われます。
つまり、ベイコンの方法は、新科学の成果がまだほとんど出現していない時点で、構想され発表されているということです。(たぶん、望遠鏡も顕微鏡もそれほどベイコンにとっては大きな存在にはなっていないと思います。→あとで、きちんと調べてみます。)
- 2009.4.24
ヴィカーズは、Silvia A. Manzoさんのベイコン研究を高くかっています。以前このサイトでは、次の論文を紹介しています。Silvia A. Manzo, "Francis Bacon and Atomism: A Reapraisal", in Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories, (Leiden: Brill, 2001), pp.209-243.
他に次の論文があります。
Silvia Alejandra Manzo, "Holy writ, mythology, and the foundations of Francis Bacon"s principle of the constancy of matter," Early Science and Medicine 4 (1999): 114-26.
Silvia Manzo, "The arguments on void in the seventeenth century: the case of Francis Bacon", British Journal for the History of Scinece, 2003, 36: 43-61
Silvia Manzo, "Francis Bacon: Freedom, Authority and Science," British Journal for the History of Philosophy 14 (2)(2006): 245 - 273.
なんと、シルヴィアは、アルゼンチンの人のようです。次のもの(スペイン語の論文)もあります。
Silvia Alejandra Manzo, "Francis Bacon y la concepción aristotélica del movimiento en los siglos XVI y XVII," Revista de filosofia, 29(2004): 77-97
Silvia Alejandra Manzo, "Algo nuevo bajo el sol: El método inductivo y la historia del conocimiento en la Gran Restauración de Francis Bacon," Revista latinoamericana de filosofia, 27(2001): 227-254
- 2009.4.26
このベイコン探求のページの出発点となったボイルが引くベイコンの句ですが、ふとしたきっかけで、場所がはっきりしました。
ふとしたきっかけというのは、ウェブで見つけた次の論文です。Sophie Weeks, "Francis Bacon and the Art-Nature Distinction," AMBIX, 54(2007): 101-129
このp.116, 注106 にボイルが2度も著作の冒頭においた句が引用されています。
Nec enim fingendum, aut excogitandum, sed inveniendum,
quid Natura faciat, aut ferat.ウィークスは、新しいボイル著作集の編者はベイコンからの引用箇所を見出すのに失敗していると記していますが、ちゃんと『ノーヴム・オルガヌム』巻2の10節だと記しています。
場所は、19世紀のベイコン全集の第1巻236頁。
ウィークスの引くオックスフォード・フランシス・ベイコンだと、第11巻の214頁です。
邦訳では、303頁です。「というのは、自然がなしたりなされたりするものは、つくり上げたり考え出したりすべきではなく、見出さなければならぬからである。」
この箇所ですが、私が大昔に読んだときには、線もひっぱっていません。翻訳のせいもあるのでしょうが、『ノーヴム・オルガヌム』からここを引用してくる理由を考える必要があります。
→ボイルは、観察・実験事実の集積体としての自然誌・実験誌の代表的著作『色の実験誌・自然誌』『冷の自然誌・実験誌』の冒頭にこのベイコンのエピグラムを置いています。この事実ひとつで、この句をボイルが使った理由は探求の価値があると言えます。
そのためには『ノーヴム・オルガヌム』巻2の10節をきちんと読む必要があります。
ここでベイコンは作業の見通しを語っています。
自然の解明には、第一部門として「経験から一般的命題をひき出しつくり上げる」ことがあり、第二部門として「一般的命題から新しい経験を導き出しひき出すこと」があると述べた上で、第1部門は、感官に対する補助、記憶に対する補助、精神ないし理性に対する補助という三部に分かたれる、と下位区分を示す。
そして、第1部門の第一回区分として、自然誌・実験誌を挙げる。
「すなわち、第1に十分で適当な自然誌と実験誌を整えねばならぬのであって、こうすることは成否のきまる基礎である。」そして、ボイルの引用する句が続く。「というのは、自然がなしたりなされたりするものは、つくり上げたり考え出したりすべきではなく、見出さなければならぬからである。」さらに続けて、「しかしながら、自然誌と実験誌は多様と乱雑をきわめているので、適当な順序に整理され展示されなければ、知性を当惑させ混乱におとしいれる。したがって、知性が事例をとり扱うことができるような、整頓した仕方で、事例の表をつくって、対照させなければならない。」
- 2009.5.15
[今週のベイコン]
駒場の授業。リーズを読んでもらいましたが、その汎精気論とでも呼ぶべきコスモロジーは、ずいぶん不思議な世界だと感じられたようでした。
私がはじめてリーズを読んだときには、ともかく、これはすごい思想だとびっくりしたことを覚えています。リーズは「思弁哲学」と名付けていますが、ベイコンが読んだ中世・ルネサンスの自然哲学書・宇宙論書から、ベイコンが思弁によって構想したコスモロジー体系に他なりません。かなり独特のもので、他にほとんど類例を思い出すことができません。
汎精気論ということで言えば、ストア派も汎精気論ですが、ストア派のものともかなり違います。内容的に言えば、私は、ベイコンはまさにルネサンスの思想家と位置づけるべきだと考えています。読んでもらったのは、次。
Graham Rees assisted by Christopher Upton, Francis Bacon's natural philosophy : a new source : a transcription of manuscript Hardwick 72A with translation and commentary, (BSHS monographs ; 5), Chalfont St Giles, 1984なお、Knくんから、次の論文のコピーをもらいました。
Valeria Giachetti Assenza, "Bernard Telesio: Il migliore dei moderni, I riferimenti a Telesio negli scritti de Francesco Bacone"
→ベイコンがテレジオを使う箇所をたぶんほぼすべて特定しています。これで、ベイコンが何を使ったか、おおよそ見当がつきます。
[先週のベイコン]
先週のベイコンは、次のリサの論文を発表してもらいました。Lisa Jardine, "Revisiting Rossi on Francis Bacon: hands-on science," in John L. Heilbron (ed.), Advancements of learning : essays in honour of Paolo Rossi (Firenze : L.S. Olschki, 2007), pp.59-76
私の関心に重なるということもあり、大変面白い論文でした。この論文がよいのは、彼女が発見した鉱脈を掘り尽くしていない、むしろ、ここに鉱脈があるという指示にとどまる点です。さらにこれから自分でよい鉱石を掘り当てる可能性が残されています。(本人も自覚しています。)
私がとくに注目した点のひとつは、リサ(p.62)の引用する次の『ノーヴム・アルガヌム』(第2部39)の章句です。服部英次郎・多田英次訳を示しましょう。(p.361)
特権的事例のひとつに、「戸口の事例」または「門の事例」と呼べるものがある。感覚のなかで中心を占める視覚では、1)見えないものを見えるようにするもの、2)遠距離から知覚できるようにするもの、3)いっそう精密に見えるようにするもの、という3種類が考えられる。
「第1類のものには(正常でない視力の欠陥を矯正し軽減するのに役立つだけで、したがってそれ以上には何も告知しない眼鏡などといったものを別にすると)最近発明された顕微鏡がある。これは物体のひそんでみえない細部と隠れた構造と運動とを(映像の大きさを異常に増大させることによって)示してみせるものであった、その力を用いると、ノミ、ハエ、シラミの身体の正確な輪郭や特徴が、そしてまた以前にはみえなかった色や運動が識別されて、大いにおどろくのである。・・・・・・この顕微鏡はただ微で細であるものに対して役だつだけであって、このような顕微鏡を、もしもデモクリトスがみたなら、おそらく彼はとびあがって喜び、アトム(これをかれはまったくみえないものだと断定した)をみる方法が発見されたと考えたであろう。」「第2類のものには、ガリレオが記憶すべき努力によって発明した望遠鏡がある。これの助けを借りると、ボートや小舟によってのように、天体との交通はいっそう近い道を拓かれて、実行されることができるであろう。すなわち、これによると、銀河はまったく別々で独立した小さな星からなる大群または集団であるということ―このことについて古人のあいだではただ推測がなされただけである―が確実に知られる。・・・」
私の記憶では、望遠鏡は1608年に発明されて、すぐ翌年にガリレオが自作し1609年の夏天文観測に明け暮れて、翌年春『星界の報告』を出し、ヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こしたのに対して、顕微鏡の方は、ずっと早くに発明されていた(1591年に眼鏡職人のハンス・ヤンゼンとツアリス・ヤンゼンが発明されたと言われている)のに「ほんの少数の例外は別にして―50年以上にわたって科学のために使われることがなかったのである。」(ヴァイグル、p.98)顕微鏡に関しては、これが通説です。そして、望遠鏡における『星界の報告』にあたるものは、顕微鏡ではフックの『ミクログラフィア』(1665)ですが、なんと1665年の出版です。
すると1620年出版の『ノーヴム・アルガヌム』でもしほんとうにベイコンが顕微鏡を科学研究に用いており、新しい「近代科学」の研究のひとつのモデルと位置づけていたとすれば、学説史を根本的に書き換える必要があります。
リサは、そうはっきりと書いているわけではないのですが、ベイコンの顕微鏡研究の重要性を称揚したいようです。
順番に行きましょう。
まず、用語から。英訳では "microscope" 、邦訳では「顕微鏡」となっていますが、ベイコンが "microscope" という語を使ったとは思われません。当該箇所のラテン語原文を確かめました。もとのことばは、 "perspicilla" です。ちなみにすこし後で出てくる望遠鏡の言語も、 "perspicilla" です。ベイコンは、"altera perspicilla" と呼んでいます。
(翻訳で、 "microscope"、「顕微鏡 」を使うことそのものに問題はありませんが、 "microscope"、「顕微鏡」 が器具としても用語としても確定した用法となっていたと思われると端的に誤解です。)OED を引いてみましょう。英語での "microscope" の初出は、1656年ホッブズの『哲学原理』の英訳です。次いで、1662年、1678年のほとんど知られていない著作を挙げています。フックの『ミクログラフィア』(1665)の副題は、「拡大鏡(magnifying glass)でなされた観察と探求による微小物体の自然学的記述」です。つまり、 "microscope" は使っていません。
フック以前の例外的研究を挙げておきましょう。ヴァイグルが指摘するのは(p.102)、次のものです。
1.フランチェスコ・ステルッティ『蜜蜂の絵』(1625)
2.パレルモのオディエルナ(1644)
3.ピエール・ボレル『顕微鏡による観察』(1656)ポイントは、ベイコンの『ノーヴム・アルガヌム』が1620年出版なので、上記の例外的研究よりもはやいということです。考えられるのは、手紙により、イタリアやフランスからの情報を仕入れていたということですが、この点はきちんと調べてみないとなんとも言えません。つまり、残された課題ということになります。
(ちなみに、ベイコン全集の編集者のスペディングは、この箇所への注記で、「アフォリズム13の28節と比べよ。このテキストの章句からは、ベイコンは、新しく発明された顕微鏡をひとつも見ていないように思われる。」と記しています。)次に望遠鏡ですが、ベイコンは前に引用した箇所に続けて、次のように記します。
(ガリレオの『星界の報告』におけるいろんな発見を列挙したあと)
「これらすべての発見は、この種の証明が信用してまちがいのないものであるかぎり、たしかに貴重なものである。しかし、その証明は、わたくしには、はなはだ疑わしいと思われる・・・。」
「はなはだ疑わしい (quae nobis ob hoc maxime suspectae sunt)」とは、まるでガリレオの望遠鏡の生みだした像をイルージョンとしたアリストテレス主義者のようです。ベイコンの挙げる理由は「それというのは、この実験はこれら少数の発見をしただけであって、それらと同じく探究に値する、他の多数のことがらはまだこの方法によっては発見されてはいないからである。」つまり、アリストテレス主義者の挙げる理由とは異なります。しかし、この強い留保は、非常に印象的です。望遠鏡の用語の歴史に関しては、OEDにラテン語を含めたよい記述があります。
"telescopio" の初出は、ガリレオ(1611年)。"telescopium" の初出は、ポルタとケプラー(1613年)。それ以前は、基本的には、"perspicillum" です。(ケプラーは、いろんな用語を使っています。)
英語では、1619年に、"telescopium or Trunke-spectacle"の用法があります。 (やはりスペディングは、望遠鏡は当初ハリオットの例に見られるように"trunks"と呼ばれたと注記しています。これは、日本語における「筒眼鏡」の用法に匹敵するでしょう。)1648年にはボイルが『神的愛』において、「私がフィレンツェで見たことを覚えているガリレオの光学鏡、そのひとつが望遠鏡ですが・・・」という記述をOEDは引いています。つまり、比較的早くに用法が確立したと言えるでしょう。09.5.19
もう1点リサの論文で私が重要だと思ったのは、私の昔からの関心、一次質-二次質の区別に関わる章句です。
『ノーヴム・オルガヌム』第1巻65(邦訳、p.249)に次のことばがあります。
「通俗的な概念をもとに、少数の実験をもとにあるいは迷信をもとにうちたてられた哲学のまちがった権威についてはうえに述べた。つぎに、とくに自然哲学にみられる、研究のまちがった対象について述べなければならない。ところで、人間の知性は機械的技術においてなされているものをまのあたり見ることによって惑わされて――それらの技術においては、物体の変化は主として合成または分離によっておこる (in quibus corpora per compositiones aut separationes ut plurimum alterantur) ところから――それと似たようなことが事物の本性一般におもおこると考えるようになる (ut cogitet simile quiddam etiam in naruta rerum universali fieri.)。そしてそのようなことからして、自然的物体の構成のために、あの元素や元素の集合というようなつくりごとがおこったのである( Unde fluxit commentum illud Elementorum, atque illorum concursu, ad constituenda corpora naturalis)。
・・・・・
そしてこの第1の考え方からいわゆる第1次的な基本的性質[温、冷、乾、湿の四性質]が考えられ、第二の考え方からいわゆるかくれた性質と特殊な性能が考えられるようになった ( Atque prima cogitatio qualitates primas elementares, secunda proprietates occultas et virtutes specificas) のであるが、両者はいずれも自然研究の空虚な簡約に属するものであって、人間の精神はそれらに満足してしまって、いっそう堅実な研究をなそうとしなくなる。しかし、医師たちが事物の第二次的な性質と誘引、反撥、稀薄化、濃厚化、膨張、収縮、分散、成熟などの作用との研究に努力するのはいっそう適切であって、かれらはさきの二つの簡約によってそのほかのものをそこなう――そのほかのものを第一次的性質や第一次的性質が微妙で測り知れない仕方で混合した性質にひきもどしたり、あるいはその正しく観察したものをなおいっそう注意深く観察しつづけて、第3次性質や第4次性質にまで進まずに、研究を途中でうち切ってしまったりして――ことがなかったら、ずっと大きな進歩をなしたであろう。なおまた、そのような特殊な性能(それとまったく同一のものでなくてもそれと類似のもの)はただ人間の身体の医薬のうちだけではなく、その他の物体の変化のうちにも探究されなければならない。
・・・・
しかしながら、それよりもずっと大きな悪弊をともなうことは、事物が「何から」できているかという、静的原理が考察され探究されて、事物が「何によって」おこるかという、動的原理が無視されていることである。というのは、前者はただ議論にかかわるだけであるが、後者は成果をあげることにかかわるからである。
・・・・
なおまた、それにおとらず大きな悪弊は、効用と成果をあげる力はすべて中間の一般的命題にあるにもかかわらず、これまでの哲学とその研究においては、事物の第一原理と自然の終局的根拠との探究と説明に努力が傾注されていることである。そしてそのために、人びとは可能的で形相のない質料に到達するまで自然を抽象化することをやめないのであり、またアトムに到達するまで自然を分解することをやめないのであるが、しかしそのようなものは、たとい真実のものであっても、人間の幸福を増し進めることにはほとんど役だたないのである。」中間的命題に関しては、103でも取り上げられています。
「人間の仕事と運命がそれにかかわる中間の一般的命題は真実で、実質のある、生きたものであって、それらの一般的命題のうえに、最後に、かのもっとも一般的命題、すなわち、抽象的でなくて、これらの中間的な命題によって正しく限定された一般的命題があるからである。」→ベイコンの一次質、二次質への言及ですが、私の関心は、三次質、四次質という表現と、どうしてここで医師たち(medici)なのかということです。実は、ボイルにも類似の表現があります。昔、一次質-二次質の区別を調べたときには、そこまで調査が及びませんでした。今回は、できるだけそうしたところまで解明したいと思っています。
なお、この翻訳では伝わらないと思われますが、「特殊な性能」というのは、特効薬といった場合の「特別な力」のことです。ともあれ、上記のベイコンの引用には、重要な観点が示されています。
- 2009.5.29
駒場の授業。5月祭なので、休みかと思ったら、結構学生がいます。ただし、いつもよる少ないことは少ない。あとで、ちゃんと話を聞くと、午前中は授業があって、午後から学部のみ全学休講ということです。大学院は?という私の質問に、教務課の指示は、好きにして下さい! わおー。なんでしょう、これは。ベイコンについて、かなり様子が分かってきました。
Knくんから、クリストフの博士論文の一部をもらいました。顕微鏡をどうしてベイコンが評価しなかったのか、という点に関します。一応話の筋はわかります。
(Matter and Microscopes in the 17th Century, A Thesis presented by Christoph Herbert Lüthy to The Department of the History of Science, 1995, pp.231-240.)
しかし、そういう話の筋もありえるというだけで、説得的ではありませんでした。ほんとうのところ、そうした読みを取る根拠が提示されていません。簡単にまとめれば、どれだけ拡大しても、精気は見ることが出来ない。(クリストフの主張では、ベイコンは最初から見えない不可視の存在として精気を規定している。)自然のプロセス、隠れた働きを支配しているのは、精気である。それゆえ、顕微鏡によって、自然の隠れた構造を見出すことはできない。ベイコンはこう考えた、ということです。
最初の時点でそう考えたとしても、ここはまさに微妙 subtle ではないかと思います。第1点。「隠れた構造と過程(latent schematism and process)」という用語はまさに粒子的な配置の方に親和性があると思われること。
第2点。シルヴィア・マンソの丁寧で精密な研究が明らかにしたように、ベイコンは、決して機械論的な原子論(純粋な原子論)の立場に立ったことはないとは言え、原子論的発想にはなじんでいたという点。
かなり直感的表現ですが、8割まではベイコンは原子論者であったことがあったと言えると思われます。「精気→←原子」の相互転換のなかで、ベイコンがどこまで正確に思考できていたかが疑われます。したがって、この問題はベイコンの表現からだけでは決定しがたい問題だと位置づけるべきように思われます。やはり、ポイントとなる箇所を引用しておきましょう。『世界の大思想』から。
(第1巻50)「触知される物体のうちに閉じこめられた精気の作用はまったくかくれていて、人間によってとらえられない。なおまた、粗大な物体の諸部分におけるいっそう微細な構造の変化(それはふつう変化とよばれているが、じっさいは微粒子間におこる移動である)もまったく知られない。しかしそれにもかかわらず、わたくしがうえにあげた二つのものが探究され、正体をあきらかにされないかぎり、自然界において何も大きな成果をあげることはできない。」(p.241)
Itaque omnis operatio spirituum in corporibus tangibilibus inclusorum latet, et homines fugit. Omnis etiam subtilior meta schematismus in partibus rerum crassiorum (quem vulgo alterationem vocant, cum sit revera latio per minima) latet similiter: et tamen nisi duo ista, quae diximus, explorata fuerint et in lucem producta, nihil magni fieri potest in natura quoad opera.
(第1巻51)「人間の知性は、その固有の本性からして、ひき離されたもののほうにひっぱられて、変化するものを恒常不変であると考えがちである。しかし、自然をそのようにひき離すよりも、自然を分解するほうがよいのであって、このことは、他の学派よりも自然をふかくきわめたデモクリトスの学派がなしたところである。われわれが考察せねばならぬのは、むしろ質料、すなわち質料の構造とその変化であり、純粋活動とその活動ないし運動の法則である。というのは、形相は人間の精神がこしらえたものであるからである。もっとも、かの活動の法則を形相と呼ぼうとするのなら話は別である。」(ibid.)
Intellectus humanus fertur ad abstracta propter naturam propriam; atque ea, quae fluxa sunt, fingit esse constantia. Melius autem est naturam secare, quam abstrahere; id quod Democriti schola fecit, quae magis penetravit in naturam, quam reliquae. Materia potius considerari debet, et ejus schematismi, et meta-schematismi, atque actus purus, et lex actus sive motus; formae enim commenta animi humani sunt, nisi libeat leges illas actus formas appellare.
- 2009.5.31
[ベイコンを読むボイル ]
6月のスケジュールを見ました。いつもの授業の他に、2回、授業が付け加わります。それだけでも割と負担なのに、金曜日の3限の駒場の授業で「ベイコンを読むボイル」を話します。6月19日。出来れば、すぐに投稿できるレベルまで完成させて話をしたかったのですが、スケジュールをつらつらよく見ると、それは時間的にも体力的にも無理なようです。しかし、できるだけ、完成に近づけておきたい。私のまとめたフランシス・ベイコンと全集を見ていました。ボイルの側から言えば、新しい展開は、全集の第4巻から始まります。『色の実験誌』(1664)と『冷の実験誌』(1665)がはっきりとベイコン的な自然誌・実験誌の著作として刊行されます。両著のタイトルページにベイコンから次のラテン語のフレイズの引用があります。
Non fingendum, aut excogitandum, sed inveniendum,
quid Natura faciat, aut ferat. Bacon.紙の全集を見ていると、ともに、ボイルがベイコンのどこから引用したかは特定されていない(has not been located)と編者は記しています。しかし、私のサイトでは、「編者は、この引用句の出典を、Novum organum (1620), ii, 10 としています。」と記して言います。え?
私は紙の全集版とCD-ROMの全集版を同時に使っています。これは、つまり、紙の全集版の出版の後、編者が引用箇所を突き止め、その情報をCD-ROM全集版に採録したという事態を意味します。わー、これは、ちょっと面倒です。今でも学術作品における引用は通常紙の全集版から行いますが、CD-ROM全集版(とくに編者注)を使った場合には、紙の全集版と照合しておく必要があるということになります。
編者諸子は、改善・改良のために、紙の全集の刊行後わかったことをCD-ROM版に付け加えたのでしょう。それ自体は、よいことです。しかし、私の作業には、もう一手順付け加わることとなります。もちろん、諦めて、もう一手順を遂行するしかありません。
(→これで4月26日のウイークスの指摘も氷解したことになります。ウイークスは紙の全集版だけを見て、CD-ROM版を見ていなかったことになります。)今回の作業では、できるだけ多くの引用箇所を突き止めておきたいと思います。
まったく別の話題になりますが、 Bacon: The Major Works including New Atlantis and the Essays (Oxford, 1996) の巻末の注釈(Brian Vickers)は有用です。とくに、ベイコンの英語は、近代英語(modern english)なので、読めてしまうのですが、同じ単語でもかなり現在の用法からは相当意味がずれているものがあります。正確に読むためには、こうした学術的ツールが必須になります。
また純粋に紹介的な記事も関連事項をよくまとめてくれていて、役に立ちます。- 2009.6.10
[Bacon Today]
Several Editions of Francis Bacon's Historia naturalis et experimentalis ad condendam philosophiam (1622) before 1670
Bacon, Francis
Historia naturalis et experimentalis ad condendam philosophiam: siue, phaenomena uniuersi
Londini : In Officina Io. Haviland, 1622.Bacon, Francis
Operum moralium et civilium tomus
Londini : Excusum typis Edwardi Griffini [, John Haviland, Bernard Norton, and John Bill]; prostant ad Insignia Regia in Coemeterio D. Pauli, apud Richardum Whitakerum [and John Norton], 1638.Bacon, Francis
Historia naturalis & experimentalis de ventis.
Lugd. Bat. 1648Bacon, Francis
Historia naturalis & experimentalis de ventis.
Amst. 1662
Several Editions of Francis Bacon's Novum Organum (1620) before 1670
Bacon, Francis
Instauratio magna
Londini : Apud [Bonham Norton and] Ioannem Billium typographum regium, Anno 1620.Bacon, Francis
Historia naturalis et experimentalis de ventis, etc.
(Historia naturalis et experimentalis de forma calidi.-De motus, sive virtutis activae variis speciebus. [Both extracted from book 2 of the “Novum Organum.”]
Lugd. Batav. : Apud Franciscos Hegerum et Hackium, 1638, 1648Bacon, Francis
Novum organum scientiarum
Lugd. Bat= Leiden. : Apud Adrianum Wijngaerde et Franciscum Moiardum, 1645.Bacon, Francis
Novum organum scientiarum
Leiden, 1650.Bacon, Francis
Novum organum scientiarum
2nd edition, Amsterdam, 1660
Several Editions of Francis Bacon's Advancement of learning (1605) before 1670
Bacon, Francis
Advancement of learning
London, 1605Bacon, Francis
De dignitate & augmentis sceintiarum
London, 1623Bacon, Francis
The two bookes of Sr. Francis Bacon. Of the proficience and aduancement of learning, diuine and humane
London, 1629Bacon, Francis
The two bookes of Sr Francis Bacon, of the proficience and advancement of learning, divine and humane
Oxford, 1633Bacon, Francis
Instaur[ationis] mag[nae] p[ars] I. Of the advancement and proficience of learning of the partitions of sciences, IX bookes. Written in Latin ,Interpreted by Gilbert Wats.
Oxford : printed by Leon: Lichfield, for Rob: Young & Ed: Forrest, 1640.Bacon, Francis
De augmentis scientiarum lib. IX.
Amstelaedami : Sumptibus Joannis Ravelsteinij, 1662.
Several Editions of Francis Bacon's Sylva Sylvarum (1627) before 1670
Bacon, Francis
Sylua syluarum: or A naturall historie
1st edition, London, 1627Bacon, Francis
Sylua syluarum: or A naturall historie
2nd edition, 1628 [i.e. 1629]Bacon, Francis
New Atlantis : A VVorke unfinished.
3rd edition, London, 1631Bacon, Francis
Sylua syluarum: or, A naturall historie
4th edition, London, 1635Bacon, Francis
Sylua syluarum: or, A naturall historie
5th edition, 1639Bacon, Francis
Sylva sylvarum (New Atlantis) ... : Whereunto is newly added the History Naturall and Experimentall of Life and Death ..
6th edition, 1651Bacon, Francis
Sylva sylvarum (New Atlantis) ... Whereunto is newly added the History Naturall and Experimentall of Life and Death ...
7th edition, 1658Bacon, Francis
Sylva sylvarum (New Atlantis) ... Whereunto is newly added the History Naturall and Experimentall of Life and Death ...
8th edition, 1664Bacon, Francis
Sylva sylvarum (New Atlantis) ... Whereunto is newly added the History Naturall and Experimentall of Life and Death ...
9th and the last edition, 1670Bacon, Francis
Sylva Sylvarum, nive : Historia Naturalis in decem Centurias distributa, Anglice olim conscripta. In which is added: An Epitomy of another peice of his Lordship's Works entitled Novum Organum : (being translated for the clearer understanding of this his Natural History) never before published in English
10th edition, 1676- 2009.6.16
MANZO, SILVIA
ENTRE EL ATOMISMO Y LA ALQUIMIA. LA TEORIA DE LA MATERIA DE FRANCIS BACON
Buenos Aires, 2006
(『原子論と錬金術の間:フランシス・ベイコンの物質理論』2006)
なんと言っても出版地がブエノスアイレスの本なんて、入手するのははじめてです。しかもスペイン語。- 2009.6.17
[Bacon Today: Bushell]
金曜日の授業の用意をしています。落ちている箇所はいっぱいありますが、一応幹の部分は出来たと思います。後は、時間が許す範囲で、詰められる箇所は詰めておくことです。作業の途中で、不思議な人物に遭遇しました。トーマス・ブッシェル(Thomas Bushell, 1594-1674) という人物です。ベイコンの弟子で、ベイコン失墜後、しばらくしてからウエールズの王立鉱山のマスター(監督?)に任命され、貨幣鋳造所の設立を認められています。
ハートリッブ・サークルで、有名なブッシェルが話題になっていました。ハートリッブは直接会ってもいます。
話題になっていた書物、An Extract of his late Abridgement of the Lord Chancellor Bacon's Philosophical Theory on Mineral Prosecutions(London, 1660)をイーボよりダウンロードして、見てみました。
ブッシェルのいろんな書き物を集めた本でした。 表題の書き物の他に、Testimony of the Miners of Mendyp; Charles I. ; Letter of Invitation ; Certificate from Miners, late of the Mine Royal; Cardigan Judged; the Miner's Contemplative Prayer in his Solitary Delves; An Abridgement of my Lord Bacon's Atalantis ; the Hermit's Speech, in verse; Hermit's Contemplations upon the Rock, in verse, Mr. Bushell Presenting the Rock by an Echo to the Queen; Sonnet sung to the King and Queen, etc. を含みます。ベイコンの『ニューアトランティス』の抄録というは、たった8頁にまとめられています。その次のページには、ブッシェル氏の金メダルの刻印の図が載っています。表にはベイコンの肖像。Bushell, Thomas
An Extract of his late Abridgement of the Lord Chancellor Bacon's Philosophical Theory on Mineral Prosecutions
London, 1660Bushell, Thomas
Mr. Bushell's Minerall Overtures
London, 1659Bushell, Thomas
A Table setting forth the The Maner of that great Philosopher the Lord Chancelor Bacons Searching for Mettals by making Addits through the lowest Level of Hills or Mountains, and conveyning Aire into the innermost parts of their Center by Pipe and Bellows, etc.
London, 16562番目のものは、7頁のパンフレットです。3番目は、1枚の紙です。
- 2009.6.20
[Bacon Today:訂正]
昨日の発表に関して、今朝気付いた訂正を記しておきます。レジメの最初のページに、ベイコンは管見の範囲では「仮説」という言葉を使っていないようだと記しましたが、使っていました。ただし、限定された使用だとは言えると思います。
最も使用が目立つのは、「天の理論 Thema Coeli」です。基本的に天文学者の理論を「仮説」と呼んでいます。
Works, Vol.4, pp.776, 778, 779
Works, Vol.5, pp. 557 et al. (in English Translation)"Descrptio Globi Intelectualis" でも使っています。
Works, Vol. 4, p.748ラテン語版『学問の進歩』(『学問の尊厳と進歩』第3巻第4章)でも「天文学の仮説」というフレイズで使っています。
Works, Vol.1, p.348
Works, Vol.4, p.552
- 2009.6.21
[Bacon Today:『学問の進歩』ラテン語版]
ベイコンの『学問の進歩』(1605)ですが、もとは英語で出版されています。しかし、1623年に大幅な拡張を施した上でラテン語で出版されます。タイトルも微妙に変化して、『学問の尊厳と進歩』(1623)とされます。邦訳は、中央公論世界の名著25は、英語版を訳しています。河出書房の世界の大思想6も、英語版を訳しています。ラテン語版からの邦訳は、どうも存在しないようです。
つらつら、もとの英語版(1605)とラテン語版(1623)を対照させつつ見ていると、ラテン語版の方をきちんとフォローする必要があることがわかってきました。
そもそも量が倍に膨れあがっているということは、量的に言えば元の英語版に新しい本が一冊付加されたに等しい。しかも、構成が明確になっています。坂本賢三氏の表現を借りれば、もとの英語版は「書き流しで章別がない」のに対して、ラテン語版は「章立ても整えられ内容も豊富になっていて、独立の書物と見た方がよい。」ラテン語版の方は、9巻、構成です。具体的には、第2巻:13章、第3巻:6章、第4巻:3章、第5巻:5章、第6巻:4章、第7巻:3章、第8巻:第3章、第9巻:1章、という形です。けっこう不揃いです。結論的に言えば、研究者であれば、ラテン語版の方をきちんとフォローしなければならない、ということになります。(全集のなかに英訳が収められています。)
実は個人的にも、金曜日の発表のあと、受けた質問を考えているうちに、やはりラテン語版の方をきちんとフォローする必要がある、ということが見えてきました。
ベイコンのソース。
ベイコンのソース(ベイコンが読んで、自分の思想形成の下敷きにした書物)についても、予見を形成しておきましょう。
『自然誌・実験誌』の序文に名前が列挙されています。古代では、ピュタゴラス、ピロラオス、クセノパネス、ヘラクレイトス、エンペドクレス、パルメニデス、アナクサゴラス、レオキッポス、デモクロトス、プラトン、アリストテレス、テオフラストス、ゼノン の名前を挙げています。(pp.2-3)。近代、すなわち、ルネッサンスでは、パトリッチ、テレジオ、ブルーノ、セヴェリヌス、ギルバート、カンパネッラの名前を挙げています。(p.4) この6者に関しては、しっかりと調べてみる価値があります。- 2009.6.23
[Bacon Today: Three kinds of Natural History]
やはり、先週の発表の後の質問で、ベイコンの有名な自然誌の3区分について、微妙な変化があることがわかりました。次のマーチャントの論文にすごい表がついています。Carolyn Merchant, ""The Violence of Impediments": Francis Bacon and the Origins of Experimentation", ISIS, 2008, 99: 731-760
Table 1. Fransic Bacon's Three States of Nature, 1605-1623, p.742
Table 2. Fransic Bacon's Three States of Nature, Parasceve, 1620, p.743
Table 3. Fransic Bacon's History of Nature, "Plan of the Work," 1620, p.744
以上のように3頁にわたり、3つの表が掲載されています。たぶん、 ISISでは相当異例の処置だと思われます。
『学問の尊厳と進歩』をはじめ、多くは、次の用語を使っています。
1.生成物誌 history of generation
2.超生成物誌 history of pretergeneration
3.技術誌 history of arts坂本賢三氏は、生成物の歴史[被造物誌]、超生成物の歴史[超自然的物誌]、技術の歴史[技術誌]としています。(p.217)
大革新の区分における説明は、次の通りです。(やはり坂本賢三氏の本,p.212より)
「われわれは単に自由で解放された自然の自然誌、たとえば天体誌、気象誌、地誌、海洋誌、鉱物誌、植物誌、動物誌のみならず、束縛され苦しめられた自然、すなわち、自然が人間の技術と援助によってその本来の状態から追いやられ圧迫され馴化されるときの自然誌も作り上げようとする。したがって機械的技術のすべての実験、自由学科の作業的部分のすべての実験、まだ本来の技術にはなっていない多くの実用的技術の一切の実験を詳しく述べる。いやそれどころか、人びとの自尊心や格好良さにかまうことなく、はるかに多くの援助と保護を後者に置く。なぜなら事物の本性は、それ本来の自由な状態におけるよりも、技術の圧迫によって正体を現わすからである。」
この箇所の特徴は、超生成物誌の説明が省略されていることです。1620年の『大革新』の最後に付された「自然誌と実験誌の準備 Parasceve」のアフォリズムには、3つの説明があります。
「自然は三つの状態で存在し、いわば三つの統治に属している。すなわち、自然は自由であって自らの通常の道に従って展開しているか、物質の歪曲と反抗および障害の暴力によって本来の状態から押しのけられているか、人間の技術と奉仕によって束縛され形成されているかのどれかである。第一の状態は事物の「種」に属し、第二は「奇形」に属し、第三は「人工物」に属している。人工物において自然は人間の軛を受け入れ人間の命令のもとにある。これらは人間なしには作られなかったであろう。しかし人間の制作と奉仕によって物体の新しい顔といわば別の宇宙つまり別の劇場が前方に認められるのである。かくして自然誌は三重になってなっている。したがって自然誌は、自然の「自由」と自然の「逸脱」と自然の「拘束」を取り扱うのであるから、われわれはそれを「生成誌」、「超生成誌」「技術誌」に属せしめると言ってよい。その最後のものを私は「機械誌」および「実験誌」と呼ぶことにしよう。しかし、私はこの三つを別々に扱うことを先にきめないでおきたい。なぜなら特定の種の奇形誌をその種自身の自然誌に結びつけていけないことがあろうか。また人工物をも、別にした方がよい場合でも適切にその種に結びつけることができる。」(同前、p.284)こうした説明を読み、よく考えると、基本は「自然誌と実験誌」の2つでよいように思われます。つまり、奇形誌(驚異的なものの自然誌)は、自然誌に入れればよく、自然誌と実験誌に並べて項を立てる必要はない、と思われます。ベイコン自身の分類の揺らぎはこの点に気付いていたことによるでしょう。
少し先には次のことばがあります。(p.286)
「上に述べた自然誌の諸部門のうち技術誌が最も有用である。というのはそれは運動している物体を明らかにし、より直接に実践に導くからである。さらにそれは通常は種々の形が外姿のもとに隠されて不明確な自然物の仮面の覆いを取り除く。・・・・・したがってこの機械的なより自由でない技術誌には最大の努力が傾注されなければならないと思われる。」→翌日。
マーチャントが表を作った目的は別ですが、こういう表はできてしまうと有用です。表1は、自然の3つの状態ということで、ベイコンの著作のなかで「自然の3つの状態」に言及のある6点が上げられています。
1.Advancement of Learning(1605),
2.Description of Intellectual Globe(1612), translated in Montagu, 1857
3.Description of Intellectual Globe(1612), translated in Rees, 1996
4.De Dignitate et Augmentis Scientiarum (1623)
5.De Dignitate et Augmentis Scientiarum (1623), translated in Shaw, 1733
6.De Dignitate et Augmentis Scientiarum (1623), translated in Spedding et al, 18751605年の表現は、もっとも簡単です。nature in course に対応して、history of Creatures, nature in erring or varying に対応して、history of Marvels, そして、nature altered or wrought に対応して、history of Artsです。
表2は、「自然の3つの状態:2」です。Parasceveにおける表現が、Spedding, 1875 in Latin; Montagu, 1857; Spedding, 1875 in English Translation; Jardin and Silverthorne, 2000; Rees and Wakely, 2004 で対照されています。
表3は、「著作の計画」(1620)における表現が、Spedding, 1875 in Latin; Show, 1733; Montagu, 1857; Spedding, 1875 in English Translation; Malherbe and Pousseau, 1986; Jardine and Silverthorne, 2000; Rees and Wakely, 2004 で対照されています。
ということです。自然誌の第2の区分、「驚異の誌」(自然の逸脱、過誤、変異)を(自然誌の第1の区分、すなわち通常の意味での「自然誌」と区別して)項として立てるかどうかは方針の問題ですが、第3の区分を「技術誌」としてしまうと、誤解が生じるように思われます。このことばを使うと人は『百科全書』におけるような「技術誌」を想像するでしょう。しかし、「技術誌」を導入する前後の文章を読んでもらえばはっきりするように、むしろ、これは一言でまとめるのであれば「実験誌」でなければなりません。人間の手(技術)によって変容させられた自然の姿を扱うものですから、まさに「実験誌」です。人間がそのときどきにもっている様々な技術そのものを記述することを目指してはいません。(付随的に、それを含むことはありえます。)
ベイコン自身の表現に由来するこの誤解は、17世紀のベイコン主義者においてすら生じているように思われます。
- 2010.2.15(月)
[作者の消滅?]
一昨日、ハートリッブを調べていたら次の論文がヒットしました。早速読んでみました。Blaise Cronin, "Hyperauthorship: A Postmodern Pervation or Evidence of a Structual Shift in Scholarly Communication Practices? " Journal of the American Society for Information Science and Technology, 52(7)(2001): 558-569.
普段手に取ることのない雑誌ですが、これが意外に勉強になりました。最近のビッグサイエンスでは、100人を越える共著者が並ぶことも珍しくないとあります。こうなると共著者という枠では収まらなくなり、貢献者のリストに変化しつつあるそうです。
過去を調べてみると、科学雑誌が出現した17世紀後半(まさに私のフィールドです)では、論文の著者名に特権性が与えられていない、むしろ一般的には項目表示に著者名が記されていない(オルデンブルグが創始した『哲学紀要』の場合)。(Katzen, M.F. (1980) The changing appearance of research journals in science and technology: an analysis and a case study. In A.J. Meadows(Ed.), Developmento of scientific publication in Europe (pp. 177-214). Amsterdam: Elsevier.)
別の人が調べた結果によれば、科学における共著論文は、18世紀以来、フランスで一番進んでおり、これは制度化・職業化の進展の度合いを示すと考えられる。
そして、20世紀に出現したビッグサイエンスでは、著者の古典モデル(一つの論文・モノグラフを一人の著者が著す。責任と報償はすべてその一人に属する。孤独な作者の想定)は成り立たない。ビッグサイエンスだけではなく、この論文が主たる調査対象とする生医学(biomedical)の分野では、むしろ新しい形態が通常化している。
シェイピンの研究を引用しています。17世紀に始まった実験室研究は、基本的に共同作業の産物である。(たとえば、ボイルに見られるように、著者は一人であったとしても。)(クラインが説得的に示したように、18世紀までそもそもラボラトリーとは、錬金術=化学の作業場・作業室に他なりませんでした。それが助手や技師を使うリサーチ・ラボラトリーに変貌するのは、たとえばボイルのような人物の営みを通してです。そして、ボイルのラボラトリー・リサーチの結果である論文では、特段の事情がない限り、助手・技師・写字生の名前が言及されることはない。)
・・・・・[ベイコン主義の起源?]
別の流れで、ベイコン主義の形成について、疑問が生じました。王立協会以降の話は常套句です。しかし、ベイコンの死後から、市民革命期にかけて、だれがどのようにベイコン主義を形成したのでしょうか?
頭のなかには、昨日話題に取り上げた3人の外国人がすぐに浮かびます。「ハートリッブ、デュアリー、コメニウス。」ベイコンのなかには強くなかった社会変革と知の大革新(Great Instauration)を結びつけ、人間と社会のトータルな変革のヴィジョンを彼らが提示したことはわかります。しかし、いわゆる科学におけるベイコン主義と、彼らのヴィジョンはスコープが違います。1660年前でベイコン主義の主唱者として大きかったのは誰でしょうか?どういう著作でしょうか? うん?
ということで、先行研究として真っ先に頭に浮かんだウェブスターの古典的名著『大革新』を捜しました。ちょっと時間がかかりましたが、いつもは使わない本棚に発見しました。次です。
Charles Webster, The Great Instauration: Science, Medicine and Reform 1626-1660, 1975, 2nd edition, Frankfurt a. M. : Peter Lang, 2002
1626年はベイコンの死去した年です。私が問題とする年代にぴったりはまっています。目次には、ベイコンの名前もベイコン主義の言葉もでてきません。索引では、ベイコンとベイコン主義あわせて、ほぼ1頁を占めます。→前にも読んだ、ケンブリッジの『ベイコン必携』におけるAntonio Pérez-Ramoz, "Bocon's Legacy" を見てみました。名前としては、コメニウス、ハートリッブ、ジョン・ウェブスター、ウィリアム・ペティ、ジョン・ウイルキンズがこの順に上がっています。次に王立協会とトマス・スプラットの『王立協会の歴史』が取り上げられています。
デカルト主義とは明らかに異なる展開です。デカルト本人は、1596-1650。デカルト主義者(カルテジアン)とは、Jacques Rohault(1620-1675), Pierre-Sylvain Régis (1631-1707), Luis de la Forge (1632-1666), Nicolas Malebranche (1638-1715), Geraud de Cordemoy (1626-1684), Nicolas Poisson '1639-1710), Jean-Robert Chouet (1642-1731).思いついて、手元にある『科学革命のエンサイクロペディア』を繙いてみました。デカルト主義は、有用で穏健な記述となっています。グレイアム・リースによるベイコン主義の記述がなかなかすごい。「ベイコン主義。そんなものはなかった。」という文から書き始めています。私がなんとなく疑問に思い、感じていたことを表現力豊かに(あるいはいくらかレトリック過多に)記述してくれています。単数のベイコン主義は存在しなかったが、ベイコンの名を利用する人の数だけの複数の(多数の)ベイコン主義があったと言うことはできよう。
1640年代以降、ベイコンの評判はむしろ、大陸の方で高かった。フランスでは1620年代からベイコンは読まれ、賞賛され、批判されていた(ガッサンディ Gassendi, 1592-1656やメルセンヌ Marin Mersenne, 1588-1648)。オランダでは、コンスタンティン・ホイヘンス(有名なホイヘンスの父、Constanijn Huygens, 1596-1687)やイサーク・ベークマン(Isaac Beeckman, 1588-1637) がベイコンをしっかりと読んだ。
英国国内で、ベイコンの名声を称揚した人物は、中央ヨーロッパからやってきた。コメニウス、デュアリ、ハートリッブ。(3人の外国人)。
イギリス人のベイコン主義者と言えるのは、次のような人々。
Ralph Austen (d.1676), John Evelyn (1620-1706), William Petty (1623-1687), John Graunt (1620-1674), Robert Hooke (1635-1702), Robert Plot (1640-1696).出版に関して私の頭にインプットされていない事実も記されています。Philippe Fortin de la Hoguette (1585-ca. 1668) がベイコンから盗んだ草稿を守ったのが、ピエールとジャックのデュピィ兄弟( Pierre Dupuy, 1582-1651; Jacques Dupuy, 1586-1656)。 Hoguetteによるベイコン『学の進歩 De augmentis scientiarum』1623コピーは印刷されたばかりのものを、ペレスク(N-C. Fabri de Peiresc, 1580-1637) が中断させ、1624パリ版に繋げた。
(1624パリ版とは次。Francisci Baronis de Verulamio, Vice-Comitis Sancti Albani, De dignitate et augmentis scientiarum libri IX.Parisiis, : Typis Petri Mettayer, Typographi regii, M.DC.XXIV
同じ年にフランス語訳も出版されている。 Le progrez et avancement aux sciences diuines & humaines.Paris, 1624 )もともと英語で記された『森の森』(1626)は、グルテル Jacob Gruter, 1614-1652 の手でラテン語訳され、1648年出版された。その兄のイサーク Isaac Gruter ,1610-1680 は、英国の外交官ウィリアム・ボズウェル卿 Sir William Boswell, ca. 1580-ca. 1650 から譲り受けた重要な草稿を後に出版している。
(1648年オランダ版とは、次。
F. Baconis ... sylva sylvarum : sive Hist. naturalis, et novus Atlas., Leiden, 1648
Fr. Baconis de Verulamio. Sylva sylvarum (nunc Latio transscripta a Jacobo Grutero), sive Hist. Naturalis et Novus atlas (cum praefatione W. Rawley), Amsterdam: Elzevirium, 1648
1648年には他に『風の自然誌&「熱の形相について」他』も出版されています。
Francisci de Verulamio Historia naturalis et experimentalis de ventis, etc., Lugd. Batavorum : Apud Franciscum Hackium, 1648.
This contains Historia naturalis et experimentalis de forma calidi .& De motus, sive virtutis activae variis speciebus., both extracted from book 2 of the Novum Organum. )ベイコン主義の一般的イメージを形成する上で大きな役割を果たしたのが、トマス・スプラットの『王立協会の歴史』です。この書物は、しばしば間違って王立協会の公式の見解だと理解され、王立協会のベイコン主義を極めて単純化して(ひとつのものとして)見る大元となった。
まったくリースの言うとおりです。わかりやすい表現をとれば、スプラットに騙されている科学史・思想史・哲学史があまりに多い。リースの指摘の通り、スプラットは、仮説主義の役割を軽視し、自然誌データの収集を誇張している。リースの表現をもうすこし紹介しましょう。「17世紀のベイコン主義の範囲の広さが一般化を困難にする。ベイコンの影響を語るよりも、ベイコンに対する反応を語る方が望ましいと言えよう。ただし、次のような特徴は指摘できる。閑暇 otium よりも仕事 netotium;自然科学に対する実験的、自然誌的、広く帰納的アプローチ;科学の制度化、知識の集め、保管し、伝達する手段の制度化;合理的な効用と社会的問題に対する技術的解決。そして次のような事柄への反対。無用な博識;性急な体系構築;形而上的思弁;迷信;神学的論争;補助のない理性に対する不当な信頼;アリストテレス主義;そして何であれスコラ哲学のにおいのするもの。」
→以前、次の論文によって、イギリス経験論の神話をこのサイトで紹介しました。
David Norton, "The Myth of 'British Empiricism'", Hist.Eur.Ideas, 1(1981), 331-344
ノートンの主張は、次のようにまとめることができます。ベイコン、ホッブズからロック、バークリー、ヒュームへと繋がる「イギリス経験論」という一つの伝統はない、そして、ロックの経験論は、フランス起源(ガッサンディに多くを負う)である。
この言い方を借りれば、ひとつのベイコン主義といったものはない、そして、イギリスのベイコン主義の大きな柱は、大陸起源(亡命ドイツ人)である。こういうふうに言い表すことができるでしょう。
すくなくとも、ベイコン主義を英国の範囲内だけで見るのは間違いであるし、またスプラットのベイコン主義を真に受けるのも間違いである、と言ってよいでしょう。もっと正確に言いましょう。スプラットの『王立協会の歴史』は、客観的な歴史書ではもちろんなく、王立協会の存在と活動を社会に向けて正当化するための書物です。イデオロギー的と言ってもよいですし、弁明的と言ってもよいでしょう。いずれにせよ、王立協会の設立5年後に書かれた『王立協会の歴史』は、今の言葉でいう客観的な歴史であることはできない相談になります。- 2010.2.19(金)
[Philosophical Transactions]
Iordan Avramov, Michael Hunter and Hideyuki YOSHIMOTO, Boyle's Books: The Evidence of his Citations, Robert Boyle Project, Occasional Papers No.4, 2010
リストの28番目で、Chappuzeau, Histoire des joyaux(Geneva, 1665) というかなり珍しい書物を挙げています。ボイルは引用の際に名前を「匿名の、探求心旺盛な著者」としか述べていませんが、『王立協会哲学紀要』第2号(1666-7): 429-32 で名前が明示されていると、注記しています。私自身は、この作業をやっているときに、 『王立協会哲学紀要』を見ることを忘れていました。当然のことですが、ボイルの通信窓口役を務めたオルデンバーグが『王立協会哲学紀要』の編集者兼出版人です。ボイルへの情報伝達と『王立協会哲学紀要』は一部重なっていると見ておく必要があります。
『王立協会哲学紀要』の目的は、科学者(自然哲学者)の間の汎ヨーロッパ的な情報交換なので、紹介部分で深い記述はありませんが、どういうテーマが王立協会の周辺の関心だったかという輪郭がわかります。
トマス・スプラットの『王立協会の歴史』とは違って、科学の方法論に関する議論は編集方針にはありません。ベイコンの名前さえ、目次にはまったく出現しません。(デカルトもほとんど出現しません。)当時の第一線の研究者は、ベイコンのことはほとんど念頭になかったと言ってよいと思います。組織化の理由・目的を述べる際、そして、第一線から離れて新哲学の達成や営みをメタのレベルで論究するときに、ベイコンは持ち出されたと見てよいでしょう。
もちろん、これは、ベイコン主義の影響が皆無という意味ではありません。リースのまとめにあるようなベイコン主義の要素は存在します。しかし、それは、いわゆるベイコン主義とはちょっと違う場所にあったと言ってよいでしょう。
(ボイルの名前が出てくる所では、それは、探究項目の列挙と配置にあったと言えます。自然誌・実験誌において、何をどういう観点で探究・調査するのか、その項目表の提示にあったとまとめることができるでしょう。典型的には、次の2点。
Mr. Boyle, "General Heads for a Natural History of a Countrey, Great or Small, Imparted Likewise by Mr. Boyle" , Phil. Trans. Vol.1(1665) :186-189
"Some Directions and Inquiries with Their Answers, Concerning the Mines, Minerals, Baths, &c. of Hungary, Transylvania, Austria, and Other Countries Neighbouring to Those", Phil. Trans. Vol.5(1670):1189-1196. Answered by Edward Brown(e).- 2010.2.21(日)
[Joseph Glanvill]
グーグルブックに次の2点。Glanvill, Joseph
Sadducismus triumphatus
1701Glanvill, Joseph
Philosophia pia
1671archive.org に次の2点。
Glanvill, Joseph
Essays on several important subjects in philosophy and religion
1676Glanvill, Joseph
Scepsis scientifica : or, Confest ignorance, the way to science ; in an essay of the vanity of dogmatizing and confident opinion
1885私の手元にポプキンの序文付きの『哲学と宗教における様々な重要な主題に関するエッセイ』(1676)のリプリントがあります。「グランヴィルは、おそらくヒューム以前の英国の哲学的伝統におけるもっとも興味深い懐疑論者である。」というポプキンは序文を書き起こしています。
日本語の先行研究ですが、0とまでは言えませんが、ほとんどありません。サイニーでは次のものだけがヒットします。
青木滋之「実験哲学の認識論:フック、グランヴィル、ロック」 (名古屋大学情報科学研究科情報創造論講座)『Nagoya journal of philosophy』7(2008): 55-83
Rees Simon, "Joseph Glanvill and Some Restoration Climates of Opinions," Review of English literature,54 (1987/10): 26-44 . (京都大学教養部英語教室)
グーグル・スカラーで調べたところ、英語圏ではそれなりの研究の蓄積があります。ウィキペディアの記述もちゃんとしています。(1次文献、2次文献をきちんと提示している。そして、pdf で入手できるものに関してはちゃんとリンクを張っている。)
そのなかで、私の手元にあるものとしては、次があります。
Krook, D., "Two Baconians: Robert Boyle and Joseph Glanvill," The Huntington Library Quarterly, 18(1955): 261-278.
これはカードにとっています。それによれば、1985年2月6日にコピーを入手し、同年9月23日に読んでいます。
pp.275-6 グランヴィル対T.ホワイトの因果性に関する論争
グランヴィルは、2現象の同時生起を条件とする。
ホワイトは、定義の問題だとする。
「事実」の意味の変化。「事実」は、経験的に検証可能なものでなければならない。
pp.273-4 ビールのボイル批判:あまりに仮説構築に慎重。短いものですし、せっかくなので、読み直しました。25年ぶりです。今の思想史であれば、こういう議論の立て方はしないでしょう。それでも、何点か有用なところはありました。
p.267 王立協会のベイコン主義は、ベイコンの単純化だとしています。ベイコンの合理主義的側面を最小化し、経験的側面を最大化する単純化を王立協会の30年間は行ったとあります。(やはり、スプラットの『王立協会の歴史』を見ています。)
しかしながら、その傾向には名誉ある例外が存在する、そうしたなかでボイルがもっとも顕著な例外だとしています。「ボイルはベイコンが科学の方法で意味したすべてを理解し、師の輝きはないにせよ、真のベイコン的な教説を真の熱意でもって伝えることができた。」とあります。そして、この点でボイルは、グランヴィルやヘンリー・パワーのような王立協会の極端な経験論者とは分かれるとしています。1955年の論文です。この時代にはこういう見方が典型的だったと言ってよいでしょう。王立協会の科学をスプラットの『王立協会の歴史』だけで見るのは、間違いです。少なくとも、オルデンブルグの『王立協会哲学紀要』の内容も見てみるべきでしょう。ごりごりの経験主義とは別種の、数学的、あるいは理論的な論考も含まれます。
この論文で役に立つのは、ビールがボイルに宛てた論文でしょう。Old RBW, 5, 483ff.
→クルックは、ボイル全集の初版(1744)から引用しています。この引用は確認してみたいのですが、1744 版を使われるとその作業が難しくなります。せめて手紙の日付があれば、楽なのですが、それもありません。しかたがないので、ちょっと頑張って、新しいボイル書簡集を繰ってみました。
この手紙は、1666年8月10日付ビールからボイルに宛てられたものです。Correspondence, V.3, pp.197-210.
バーチ版全集のどこに収録されているかもきちんと記載されています。
Previously printed in Birch (ed.), Works (1744), v, 483-8 and Birch (ed.), Works (1772), vi, 410-18.
ビールはストレートにボイルの著作のメリットとデメリットを語っています。一言では、貴方の著作には体系が欠ける、「秩序は、すべての仕事に便宜と光輝を与える。」若き学生には、順序正しく配置された命題あるいは何らかの体系が必要です。それがなくしては、我々の大学で人気を得ることはできません。こういうふうに非常にストレートに語っています。
ボイルの返答ですが、(直接この手紙に対して返事したわけではなく、仕事と他の著作のなかでという意味ですが)そうした教育的配慮に基づくものは若者の教育に役立つことは認めるが、自分ではやらないというものです。確信犯という言い方はおかしいのですが、確信犯的に体系書の執筆を避けています。この辺りをベイコン主義と呼ぶのであれば、ボイルはまがいなきベイコン主義者です。 .
リースはどうして「ベイコン主義」の項目に、次の本を挙げているのか気になって、部屋の中から探し出しました。
Kroll, R., R. Ashcraft, and Perez Zagorin, eds. Philosophy, Science, and Religion in England, 1640-1700. Cambridge: Cambridge University Press,1992.
第1部がケンブリッジプラトニストを扱い(Alison P. Coudert, Sarah Hutton, Joseph M. Levine, Alan Gabbey, Perez Zagorinが書いています)、第2部が王政復古期の状況(中心的には広教主義)を扱います(リチャード・アシュクラフト、マーガレット・オスラー、マイケル・ハンター、G.A.J. ロジャーズ、ジョン・マーシャルが書いています)。第2部に、ハンターの次の論文があります。
Michael Hunter, "Latitudinarianism and the "ideology" of the early Royal Society: Thomas Sprat's History of the Royal Society (1667) reconsidered," op. cit, pp. 199-229.
私が必要としていた論文です。ハンターは、ウッドのものにもっとも多くを負うと明言しています。Wood, P.B. "Methodology and Apologetics: Thomas Sprat's History of the Royal Society," BJHS,13(1980):1-26.
- 2010.3.16(火)
今日は、ベイコン主義に関する論点を整理しておこうと思い、前に紹介したパオロ・ロッシの「ベイコン主義」を丁寧にもう一度読み直しました。ベイコン主義の近代性は、その学説の内容ではなく、学問の位置付けにある。「ベイコンが学問にこれまでとは異なった役割を割り当てたためである。彼は知識を所与の現実の観照や認識としてではなく、狩猟 (venatio) 、見知らぬ土地の発見として理解している。ベイコンは告知者 (buccinator) 、即ち新世界の使者であろうと欲した。」(p.253)
ベイコンの哲学を5つの観点に分けて、ロッシは考察している。
1.伝統の評価
2.科学の観念
3.技術の再評価
4.方法の探究
「『哲学史』におけるヘーゲル以来、多くの注釈家はベイコンの全業績を表と事例の理論を含む『ノウム・オルガヌム』第2巻と考えてきた。」5.自然誌の概念
p.256 1666年7月、ジョン・ビールが手紙でロバート・ボイルに語ったあの「ヴェルラム計画」(『ボイル著作集』VI, 404、ロンドン[1774])は、ヨーロッパ中にさらに 数多くの支持者を集めた。」
今日は、この「ヴェルラム計画」を調べていました。書簡集によって、該当の手紙は、1666年7月13日付のものであることはわかりました。新しい書簡集では、第3巻186-193. それはよいのですが、ロンドン[1774]は、ロンドン[1772]のミスプリです。些細なミスですが、辞書でこういうミスはしてほしくない。さて、問題は、この手紙に「ヴェルラム計画」のフレイズが見あたらないことです。そもそも、ベイコンの名も、ヴェルラムの名もありません。
おそらくこうであろうという見当はつくのですが、「ヴェルラム計画」は決定的にこうだというものが見つかりません。→ロッシの著作を引き出してみました。『魔術から科学へ』の19頁に、「ヴェルラム計画」の言葉があります。前後の文脈から、同じことをさしているのは間違いありません。しかし、こちらには典拠を示す注がありません。
- 2010.3.17(水)
昨日の続き。
結局、パオロ・ロッシ『魔術から科学へ』(前田達郎訳、サイマル出版会、1957)を読み直しています。感動的です。解釈がすべて正しいとは言えないでしょうが、それにしても感動的です。
翻訳はよい翻訳だと思いますが、疑問が生じるとどうしても原語のテキストが欲しくなります。Paolo Rossi, Francesco Bacone, Dalla magia alla scienza, Bari, 1957
英訳は高すぎます。
さて、「ヴェルラム計画」ですが、たぶん次の文章に関わります。
(11頁)「ベーコンは生涯の最晩年を、自然と技術(あるいは人間の変化させた自然)の大百科全書を編集することに費やしている。」
「ベーコンは、自然誌と実験誌の余すところのない編集は、人間の運命を急速に変えるだろうと信じ、論理学をすてて、時間のすべてをこの幻想的な計画実現にあてたのであった。」たぶん、この自然誌・実験誌の大百科全書的編纂の計画をロッシは「ヴェルラム計画」と呼んだのだと思われます。
ロッシは、書物の最後で、再び全体的包括的な(しかし失敗した)自然誌の計画について触れています。
(262頁)「死の直前に急いでまとめた『森の森』は、実は科学的研究の「準備」であった。かれは、自分の生が終わらんとしていることを知ってはいたが、科学的研究の進歩のためには膨大な量のデータが不可欠だと信じたから、ますます増大する数の伝統的典拠を、無批判、無差別に利用することを余儀なくされたのである。
こうして、その自然誌は、ますます「文学的」になっていった。『風の自然誌』や『生と死の自然誌』においても、すでにかれは、広範にプリニウス、アコスタ、フィチーノから借りていたのであるが、『森の森』では、デラ・ポルタやカルダーノなど、かつてかれが激しく批判した人びとが、厳密に、科学的に証明されるはずのベーコンの「確実な事例」の資料を提供することになったのである。(262-3頁)「人間の自然支配のための科学改造のプログラムは、こうして一七世紀最初の四半世紀につくられたもっとも文学的で、非科学的書物の一つをもって、少なくとも年代的には終わったのである。
『森の森』は、デラ・ポルタ、カルダーノ、一七世紀英国の錬金術家や魔術師のジョン・ディーやロバート・フラッドの、魔術的なテキストと異なるところのないものである。これが、ベーコンの論理学がかくも多くの研究者から誤謬と見られた理由であろう。」仮説と予断については、次のように記しています。
「こうしてかれ[ベーコン]は、科学的目的に対する仮設の役割を無視し、これを、事実は自然の恣意的で不正な予断であるとみなした。仮設の反論は、演繹に対する反対とともに、かれの方法の最大の弱点の一つとみられたが、それは正しかった。」
重要な指摘です。ただし、やはり原文を見たい。さて、11頁でロッシは、『森の森』のソースについて、もっとも詳しく記しています。「アリストテレスの『気象学の諸問題』、アリストテレス偽書『音響学の奇跡』、プリニウスの『自然誌』、デラ・ポルタの『自然魔術』、サンディスの『旅行の話』、カルダーノの『精細さについて』、スカリジェロの『カルダーノへの反論』などからの借用を含んでいる。たしかにベーコンに対する魔術や錬金術的伝統の影響は、ここでより明白である。」
アリストテレスをすこしでも勉強していれば、『音響学の奇跡』は、え? です。これはロッシの原文を確かめるまでもなく、De Mirandis Auditionibus、あるいはもっと正確には、De mirabilibus auscultationibusでなければなりません。英訳は、On Marvellous Things Heardです。InternetArchive で簡単にテキストが入手できます。伝聞による驚異話のコレクションです。
→ 10.3.19 版が気になるので調べてみました。1552年Dominicus MONTESAURUSの訳で、アリストテレス全集の第8巻として、Aristotelis de admirandis auditionibus commentariolus. D. Montesauro ... interprete. というのがでています。
また、Aristotelis ... Metaphysicorum libri XIIII. Theophrasti Metaphysicorum liber, etc. (Lyon, 1560) は、De re mechanica, De mundo, De admirandis auditionibus 等のアリストテレスの論考を含みます。もちろん、『気象学の諸問題』というのも聞いたことがないので、おそらく『気象学』と『諸問題』でしょう。
サンディスの『旅行の話』は、次です。
George Sandys (1578-1644), Sandys Travels, Containing an History of the Original and Present State of the Turkish Empire. The Mahometan Religion and Ceremonies: A Description of Constantinople. Also, of Greece. of Egypt. of the Holy-Land. lastly, Italy. 1615
サンディースは、1610年ヴェニスから出発して、コンスタンティノープルに向かい、ギリシャ、エジプト、パレスチナ、キプロス、マルタ、シシリー、ロドス島を回って帰ってくる。アメリカ入植にも関わっており、また1621年オヴィデウスの変身物語を訳しています。詩人としての名声は、この翻訳による、とあります。(259頁)「5 トピカと自然誌」
現状の自然誌の不十分さについて。
われわれが歴史[自然誌と実験誌]に関してどんなに貧困であるかは、何人もたやすく気づくのであって、うえの諸表において、わたくしは証明された歴史と確かな事例のかわりに、ときどき伝承や報告を挿入した(ただしそのつど、それらの信用度と権威に対する疑いの標示をつけて)」(Novum Organum, II, 14)(邦訳、p.319)(261頁)「発見と探究の論題と指標」
「こうした指標は一度ですっかり示すとということは不可能である。なぜならこの分野では、はじめから完全な方法はないからである。発見の技術は発見とともに成長する(Novum Organum, vol.1, 130) のであって、それが特殊的トピカが必要とされる理由である。「資料のたくわえ」あるいは「準備」のなかの資料を調査し、整序するための、あらゆる科学に妥当な唯一の道などはない。」- 2010.3.18(木)
昨日のDe mirabilibus auscultationibusですが、坂本賢三氏の『ベーコン』を読み直しています。307頁に、『森の森』のソースとしてやはり「アリストテレスの『問題集』や『気象学』や偽書である『聴覚の驚異について』・・・」とあります。(ロッシと同じものを挙げています。たぶん、ここはロッシに依拠したと思われます。)『聴覚の驚異について』は『音響学の奇跡』よりはましです。しかし、アリストテレスのこの著作は、聴覚についての論述ではない。前田氏も坂本氏もアリストテレスのこの著作をちょっと見てみるということをしていないので、こういう訳語がでてくるのだと思われます。目次と序や解説を見るだけで、聞いた話の収集であることはすぐにわかると思います。まじめにアリストテレスをやっている人には、逆にむしろイメージしづらい種類の著作であることは間違いありません。しかし、歴史として重要なのは、これもアリストテレスの名のもとに流通していたという事実です。坂本賢三氏の『ベーコン』には、前にこのサイトで紹介した「イオウ・スイギン・エンについての自然誌」の序文の全訳があります。ただし、解説は一切付けていません。
私にとって坂本賢三『ベーコン』の III-5 の「自然誌」は意味のあるものでした。
(286頁)自然誌に付加すれば有用なこととしてベイコンは5つを挙げている。
1.問題
それ以上の探究を喚起し刺激するために、問題を付加しておくべきである。2.実験の方法
いかなる新しい精密な実験であっても、その実験の仕方を付加すべきである。3.疑問点についての注意
ある言明について疑問があるとき、記録にあたっては明確に注意を記しておくべきである。4.観察をまきちらかすのはよくない
プリニウスがしたように著作の諸所に観察をまきちらかすことはすべきではない。5.諸見解の概観
知性を刺激するように現在受け入れられている諸見解の概観などを付加すべきである。 ///- 2010.3.19(金)
[ベイコンの自然誌のアイロニー]
ベイコンの自然誌について、基本を整理しておく必要を感じています。
1.『大革新』の第3部が自然誌と実験誌:宇宙の現象を扱う。
2.大革新第2部ノヴム・オルガヌム、第1巻118節〜130節に基本的な観点が記されている。
3.『大革新』第3部は、現実には、パラスケーヴェ Parasceve ad Historiam Naturalem et Experimentalem (自然誌と実験誌の準備)だけが出版された。これは『大革新』初版(1620) の最後に付けられた。
「真の哲学の基礎として役立ちうるものとしての、自然誌と実験誌の叙述」と称する序文と、「第1誌の作成についてのアフォリズム」と称する10節、さらに、「タイトルによる個別自然誌の目録」が130項目からなる。
4.現実の自然誌・実験誌は、『風の自然誌』(1622)、『生と死の自然誌』(1623)、『森の森』(死後出版、1627)の3点が出版された。
5.『森の森』(1627)のソース。
全集編纂者のひとりエリスが、第2巻のpp.325-329に書いた序文で、重要なソースを明らかにしている。「『森の森』は、千のパラグラフ、10のセンチュリーからなる。このパラグラフのひとつひとつは、ひとつまたは複数の事実の記述、そして一般的に観察された現象の原因を説明しようとするリマークからなっている。事実そのもののソースは多様である。ベイコン自身の観察によるものがある。おそらく他者の口頭の報告によるものがある。残りは、本による。多くの場所で、本からのノートは、本の進行に沿ってとられているように見える。・・・。中心的ソースは、アリストテレスでは『諸問題』、偽作の『耳で聞いた驚異の話』、『気象学』。プリニウスの『自然誌』、ポルタの『自然魔術』、サンディースの『旅行記』。それに、カルダーノの『精妙なるものについて』、スカリゲルの『カルダーノ駁論』、その他2点ほどである。ポルタの『自然魔術』がもっとも多く、次いでアリストテレスの『諸問題』であろう。」
そして、ベイコンがどの箇所で、どの本を利用しているのか、順番にエリスは記述しています。たとえば、アリストテレスの『気象学』第4書の内容は、パラグラフ837からパラグラフ846までで使われている、というふうにです。もちろん、ロッシもこれを引用しているわけです。→この作業を続けるのであれば、次の論文が必要になるだろうと思い、駒場のKnに頼んだところ、一瞬でおくってくれました。ありがとうございます。たいへん、たすかりました。
Graham Rees, "An unpublished manuscript by Francis Bacon: Sylva Sylvarum drafts and other working notes," Annals of Science, 38(1981): 377-412
まさに必要な論文でした。ベイコンの晩年の数年間に書かれた『森の森』のための作業ノート (British Library, Additional Manuscripts 38, 693, folios 29r-52v. )の史上初の活字化と考察からなります。最晩年のベイコンがもっとも力を入れた著作であるにも関わらず『森の森』ほど無視されてきた著作は他にない。「現代の研究は、実質的には19世紀の判断を修正する何も行っていない。とくに『森の森』については、実質的にゼロだといってよい。・・・『森の森』に関する伝統的判断が無価値だと知っていたロッシでさえもそれを避けていて・・・」(p.388)
ソースに関してはエリスがよい仕事をしたが、残したものも大きい。古代人では、アリストテレス、(偽アリストテレス)、プリニウスの他に、ヒッポクラテス、ガレノス、プルタルコス、(キケロ、ディオゲネス・ラエルティオス、Hirtius, ヴァッロ、ヴェルギリウス)、同時代人では、スカリジェとコミネスの他に、フィチーノ、パラケルスス、テレジオ、クロル、ガリレオの名前を挙げている。借用数で言えば、デラ・ポルタが一番多く62箇所で、次いでサンディースの28箇所、カルダーノの14箇所が続く。
(p.393) 草稿の知識は、『森の森』が剽窃したスクラップの不注意なラプソディに過ぎないなんてことはないことを鮮明に示している。材料の多くは、ベイコン自身のものであり、注意深い数多くの実験と一貫した理論的考察に貫かれている。ただし、時間に追われて仕事をしていることも確かである。 ←3.準備 パラスケーヴェ
(第3アフォリズム)余計なものは切り捨てなければならない。
第1に、古代の著者たちの引用や意見、議論や異論、矛盾した見解を捨てなければならない。
第2に、文飾や絵は不要である。
第3に、すべての迷信的な話や儀式魔術の実験は捨てるべきである、「哲学という子どもに、おばあさんのお伽噺に慣れた保母の自然誌は不要である。」
(第7アフォリズム)可能な限り正確な観測値を記すべきである。
「自然における物体と力の両方に関係するすべてのものは(できるだけ)数を示し、重さや長さをきめて示すべきだということである。」
(第8アフォリズム)情報の信頼性を評価すべきである。
「自然誌に採用したものに関しては、確実に真であるか、真偽が疑わしいか、確実に真でないかが必要である。」第2のものについては、「と報告されている」「と関係する」「と信用できる人から聞いた」という条件をつけておかなければならない。(坂本、287頁)- 2010.3.21(日)
[Editions of Sylva Sylvarum]
Rees(1981), p.387 note 54 は、『森の森』は17世紀の間に11版を数えた、『ノーヴム・オルガヌム』よりずっと多くの版を数えた、と指摘しています。具体的に調べてみました。初版 1627
第2版 1628
第3版 1631
第4版 1635
第5版 1639
第6版 1651
第7版 1658
第8版 1664
第9版 1670
第10版 1677
第11版 1685つまり、『森の森』は17世紀においては人気を博した、よく読まれたことがわかります。
同じく、Rees(1981), p.387 によれば、ベーコンをもっとも貶めたのは、リービッヒです。リービッヒによって、ベーコンは、ディレッタントであり、剽窃家であり、うそつきである、という評価を受けました。Liebig, Über Bacons von Verulam wissenschaftliche Prinzipen Berlin, 1860. O. Sonntag, "Liebig on Francis Bacon and the utility of science, " Annals of Science, 31 (1974): 373-386.
- 2010.3.24(水)
基本に還っての読書を続けています。(記述は遅れています。)Silvia Manzo, "Holy Writ, Mythology, and the Foundations of Francis Bacon's Principle of the Constancy of Matter," Early Science and Medicine, Vol. 4, No. 2 (1999), pp. 114-126.
印刷せずに、画面上で読みました。NewDSB のベイコンを読みました。Cesare Pastorino による記事。こういうまとめはこういうまとめで役に立ちます。Benedino Gemelli のベイコンと古代原子論研究は取り上げられていますが、 Silvia Manzo の研究はまだ視野に入っていません。
ベイコンは、天文学理論としては、アルペトラギウス Alpetragius = al Bitruji のものを採用しています。(マイケル・スコットの1217年のラテン訳によって。)
ベイコンの化学理論のソースとしては、セヴェリヌス、クロル、ケルケタヌス(デュシェーヌ)を挙げている。
ベイコンの独創性、あるいは特異性は、アルペトラギウスの天文理論と(半パラケススス主義的な)化学理論を混ぜ合わせたことにある。- 2010.3.25(木)
ISISの最新号(Vol.100, No.4, Dec. 2009) とISIS Current Bibliography 2009が届いていました。いつもの作業。ベイコンから。すでにこのサイトで触れているものは除外します。
1167. Cummins, Juliet, and David Burchell. (Eds.) Science, Literature, and Rhetoric in Early Modern England. Burlington, VT: Ashgate, 2007
1211. Yale, Elizabeth. "Manuscript Technologies: Correspondence, Collaboration, and the Construction of Natural Knowledge in Early Modern Britain." Diss. Abstr. Int. A 69/04 (2008). Dissertation at Harvard University, 2008.
1391. Porter, Dahlia. "'Knowledge Broken': Empiricist Method and the Forms of Romanticism." Diss. Abstr. Int. A 68/07 (2008).
博士論文と論集を除き、ベイコンに関してもボイルに関しても、知らない論文というのはほとんどありませんでした。
- 2010.3.30(火)
駒場のKN氏から、ゾンタックの次のリービッヒ論文を送ってもらい、読みました。KN くん、いつもありがとうございます。O. Sonntag, "Liebig on Francis Bacon and the utility of science, " Annals of Science, 31 (1974): 373-386.
最後まで読んでしまうと、納得できますが、今となってはちょっと意外な展開です。リービッヒがベイコンをイギリスのデッレンタンティズム、狭い功利主義の代表格として批判、むしろ非難しています。ベイコンをよく読めば、不当な批判ですが、リービッヒの時代のドイツの状況(ドイツ大学がおかれたかなり特殊な状況とナショナリズム)に鑑みれば、(不当であることにかわりはありませんが)理解はできます。
→リービッヒが擁護しようとした「純粋科学」の理念はベイコンにはありませんが、ロッシが説得的に論じたように、ベイコンの「知と力は一致する」という考えは、むしろリービッヒの考えに近いものです。決して、応用第1主義、役に立てばよいという功利主義ではなかった。
リービッヒのベイコン批判ですが、1863年春、ミュンヘン科学アカデミーの会長講演において遂行された。英語読みすればソンタッグ(上はドイツ語読みしています)は、この講演は、Reden und Abhandlungen, ed. M. Carriere, Leipzig and Heidelberg, 1874 に採録された。独立したわずかに異なる版が、Liebig, Über Bacons von Verulam und die Method der Naturforschung, Munich, 1863. として出版されたと注記しています。