ひとりで4時35分、室温22.4度。晴れ。梅雨入り前の貴重な晴れだと天気予報は言っています。お昼休みに、大学院進学説明会(内部学生向け)。
ひとりで4時50分、室温22.6度。どんよりとしていますが、とりあえず雨は上がっているようです。午前中に事務的用件。午後に、授業。
全員を送り出したあと、9時42分武蔵境発の西武線。大学では、まず、研究講義棟の3階で土曜日の鍵を借りました。それから、メールボックスに降りて、同僚に仕事を渡しました。
研究室では、昨日発生した仕事(点検・評価の1項目)に取りかかりました。1月の資料をスキャンし、まとめました。11時ぐらいに完了。
書類を研究講義棟3階事務室に持参し、そこから生協に行って、少し買い物。帰ってきてお弁当。日曜日の発表に関して、今一度、調べ直しています。意味のあるものが見つかりました。
途中、ふとしたおり、次の原稿が目に止まりました。
奥村大介「まだ見ぬ図書館へ―金森修先生蔵書整理の記録―『東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室紀要』第43号(2017)
そのままパソコン上で読みました。とても興味深い内容です。とくに奥村氏の友人、西澤満理子さんが考案し、奨めたISBN 読みとり方式は、専門的なポスシステムがない場所で使える最高の方法です。これは意義があります。
1.ブクログ http://booklog.jp/ というサイトに登録し、自分のページを作っておく
2.書籍についているバーコードをタブレット端末やスマホのカメラで撮影する。するとISBN データが採取できる
3.ISBN データをブクログサイトにアップロードする4限5限と授業。4限の発表者は、二人揃って、1台のサーフィスプロを持参しました。サーフィスプロから教室に設置されているテレビにプロジェクトするつもりだったようです。サーフィスプロを見ましたが、HDMI も古いプロジェクター接続端子も見つかりません。USB はあったので、一人の学生に、USB メモリーを借り、別の学生にHDMI 端子をもつウィンドーズノートパソコンを借りて、パワポをテレビに映し出しました。
その場にいる人間が協力すれば、何とかなることもある、そういう事例でした。
今日の発表のお二人は、ラクロス部。30分ほど時間が余ったので、部活のことを聞いていました。全学年で50人近くの部員。人気です。なお、ラクロス部は3年生で引退だそうです。4年生で引退する他大学と対戦すると、どうしても不利ということがあるんだそうです。個人的には、やりたい人は4年までやればよいのに、と思いますが、慣習でそうなっているんだということでした。4限の発表は3人。3番目の方は、これまでの内容を一新して、「ボボス Bobos 」について発表してくれました。誰も聞いたことがない言葉でした。個人的にはその心情はわかると思いました。
6時52分多磨駅発の西武線。
夜半に目覚めて、すこし仕事。今月は、30日になってやっと100枚突破。
ひとりで4時25分、室温24.8度。
1限のあるおおきいちびが一番。ちょっとお腹を壊しているそうです。中学生はいつも通りの時刻、8時ちょうどにでていきました。定期試験3日目のちいさいちびは8時40分。
大学はボート大会。全学休講です。ただし、働いている方は普通に働いています。
1時過ぎから雨が降り始めました。とうとう、梅雨入りでしょうか。雨量としてはたいしたことはありません。→急いで、週間予報を見ました。明日も明後日も曇りのち雨。土曜日は曇りのち晴れ。息子の運動会が土曜日。この予報によれば、運動会を開くことができます。もちろん、木曜日、金曜日の雨量にもよります。
ひとりで3時35分、室温23.8度。家族が起きてくるまでに、昨日の論集の仕事を終わらせることができました。木曜日に相棒に渡して、私の仕事は完了となります。
おおきいちび(1限があります)、中学生、妻、そしてしばらくしてちいさいちび(定期試験の2日目、開始が授業のときより遅い)を送り出しました。
午前中に出張校正、いつもの場所へ。
→9時前に家をでました。要町には、9時40分頃着きました。ちょっと早すぎるかなと思ったのですが、出口の番号を忘れました。ともあれ、改札を出て、一番近い「1」ででたら、もっとも遠い出口でした。ちょうどよいので、急がず歩くことにしました。要町を抜けて、住所が高松に変わりました。学校のすぐ近くに新しい事務所があります。なかに入る暗証番号も忘れていたのですが、本郷サテライトと同じ仕組みで番号を押すと、応答があり、入り口の鍵が解錠されました。10分前に現地に到着しました。
2校が終わっているので、予想通り、30分で終わりました。これで2号は責了です。
そのまま取って返しました。11時過ぎに西荻窪の駅に到着。ガード下のコンビニで、昼食とアイスを買って帰宅。すぐに昼食(レーメン)をとり、一休み。ちょっと休んだと思ったら、デインドン。新聞屋さんがお金をとりにきました。
それからしばらくして、妻が帰ってきました。妻は、日用品で足りないものがあると言って、しばらくしてから再度買い物にでました。
学会のシンポジウムが終わったあと、東工大のTさん(光学史を専門とする方)から、イタリアの研究について有益なコメントがありました。“Camera Ottica”という用語に関してです。調べてみました。
“Camera Ottica”でもっとも有名なのは、ヴェネチアの景観図でよく知られているカナレットです。Canaletto, 本名 Giovanni Antonio Canal. 1697-1768) がカメラ・オブスクラを用いて、まるで写真のような都市景観図を数多く描いたことは知られています。“Camera Ottica”は日本語に直すと「光学箱」なので、フランス語のboite d'optiqueと同じく、覗き箱を指していると思っていた(重要な先行研究がそのように解釈している)のですが、イタリア語では、"camera obscura" のことだとありました。うーん、なるほど、これはやられました。ウェブの情報によれば、カナレットの使ったカメラ・オブスクラは、ヴェネチア・コレール美術館にあるそうです。
Tさん、有益なコメント、ありがとうございました。
このテーマであれば、Olaf Breidbach, Kerrin Klinger and Matthias Müller (eds.), Camera Obscura, 2013 を参照すべきかと思い、本を後ろの山から探し出しました。おお、この情報を網羅する著作、カメラ・オブスクラの網羅的カタログとでも評すことのできる書物には、索引がありません。索引の欠如は、本の趣旨からして痛い。
もちろん、カナレットのカメラ・オブスクラ利用は有名ですから、探せば言及がありました。p.98 です。約3分の2頁。
また、p.17 の用語の年表でも、1764年、Grandenigo が“Camera Ottica”そのものを使っています。さらに、1784年、Krünitz の使った語の2番目として、"camera optica" をあげています。もちろんこれは“Camera Ottica”のラテン語版です。
なお、"Camera Catoprica" の用法もあります。反射光学箱です。鏡を利用すると、反射光学的装置ということもできると思いますが、鏡はあってもなくても、カメラ・オブスクラにはなる。ミスリーディングな用法を言えます。
Tさんのコメントでは、イタリア人の研究者が「覗き眼鏡」に15の用語を見いだしているそうです。一個一個批判的に用法を確定する、辞書作成の作業がまだ必要だと言えるかもしれません。
→この分野の研究を進めるには、混同されやすい、実際混同されている装置のことも同時に見ておく必要があると気付きました。光学的原理としては同一、あるいは同一原理の両端の利用、文化的背景としてもあるシームレスな連続的現象としてつかまえておかないといけないな、と痛感。→ 高橋憲一訳、ケプラー『光学』(『原典ルネサンス自然学』下、名古屋大学出版会)
p.929 命題60「眼の水晶体は双曲面形をした凸レンズで、水晶体の背後にある精気で満たされた網膜は紙の場所であり、そこに可視対象の像が実際に描かれる。水晶体がきわめて透明な凸レンズであるということは、解剖学の経験が明らかにしている。さらに、その背面は双曲面形をしている。網膜は水晶体から一定の距離をおいて、水晶体のまわり全体に広がった円あるいは窪んだ球形をしており、紙のように赤みがかかった白色をしていることも明らかにされている。
これらのことから問題四三により、可視対象の像は網膜上に生じることになる。」
p.933 「『ウィテロへの補足、あるいは天文学の光学的部分』の第一七七葉に挿入されている著名なフェリックス・プラッターの解剖図四九で、・・・」
命題六十、六一、六二、六三、六四に役立つ眼の残りの部分の説明は、プラッターと私の『天文学の光学的部分』から得られる。
p. 969 訳注(32) 「フェリックス・プラッターの『人体の構造と効用について』(一五八三年)における図版を指している。ケプラーの眼球の解剖学的知識の大半はプラッターに依拠している。ケプラーの『天文学の光学的部分』に採録されている解剖図四九は上の図1である。」高橋憲一さんはこう記して、図1を掲載しています。
高橋憲一さんは解説でデカルトの次の言葉を引用しています。(デカルトはケプラーを評して)「光学において私の第一の師でしたし、・・・それまでにこの分野で最も多くのことを知る者すべての師であったと思います」(1638年)と語っている。p.895→ 18.5.30 ネットで調べていると「光学/光と幻灯」について整理しているサイトに出くわしました。高橋憲一さんと田中一郎さんの記述によっています。あまり見たことがないなと思ったら、『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店、1998)を使っています。高橋憲一さんが「光」の項目を、田中一郎さんが「光学」の項目を執筆されています。日本の第1人者による記述ですから、短いものとしては、これによるというのはよい選択です。
高橋憲一「光」『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店、1998)pp.1313-4
【科学思想】「人間の外界認識においては視覚が優位を占めている。視覚生起の必須条件の一つが光であったので、光学は視覚理論と密接に関連して成立した。光の直進・反射・屈折の現象は古来より知られ、ユークリッド(エウクレイデス)、プトレマイオスらにより幾何光学に結実した。ただし、屈折の正弦法則はスネル[1621]、デカルト(『屈折光学』1637)を待たねばならなかった。ギリシアにおいては視覚の本性が問題となり、視覚対象から観察者の眼へ何かが流入するのか(intromission)、その逆か(extramission)の対立があった。原子論者などの自然哲学者は前者を、数学者は後者の立場をとった。流入説の立場で対立を止揚したのがイブン=ハイサム(アルハゼン)であり、視覚対象の各点から放射される光線を数学的に分析した。その大著『光学』(Kitab al-manazir)は中世西欧のロジャー・ベーコン、ウィテロ、ペッカムに影響を与えた。またグロステストは、『創世記』の哲学ともいえる独特の光の形而上学で宇宙創成論を展開し、<光>(lux)を「第一の物体的形相」と規定して、光学を自然学の根幹に据えた。さらにケプラーは、『ウィテロへの補足』(1604)において、水晶体での正立像に代えて網膜上の倒立像を提示した。」
高橋さんはこのあとは、望遠鏡と顕微鏡の発明に触れてから、粒子説と波動説に焦点をおいて記述されています。
なお、高橋さんは、リンドバーグやサブラより先に文献として熊田陽一郎『美と光』(国文社、1986)をあげています。この著作はまったく私の視野にはいっていないものでした。タイトルだけからは、内容がすぐには想像できません。→アマゾンで調べてみました。実質的にディオニュシオス・アレオパギテスの研究書だということです。ロバート・グロステストの光の形而上学の概要が含まれるということです。高橋さんは、ロバート・グロステストの光の形而上学のために、この書を最初に挙げられたのでしょう。田中一郎「光学」『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店、1998)p.484
「ギリシア語で「視覚の」を意味する optikos を語源とする。光を光線の集合と考えて、その進み方や結像の仕方を研究する幾何光学と、光を波動と考えて、光に関する諸現象を研究する物理光学に大別される。今日では、光学は物理学の一分野にすぎないとはいえ、近代以前の光学は幾何光学、色彩研究のみならず、視覚理論も含む幅広い問題を取り扱っていた。たとえば、古代においてエウクレイデスは光の直進性と反射を研究し、アリストテレスは色彩の問題を論じた。天文学者として知られるプトレマイオスも屈折を論じている。
これらの研究成果は中世ヨーロッパに受け継がれるが、この時代にはキリスト教の影響のもとで光学研究が展開されることになった。『創世記』の中で、光は最初の創造物としての地位を与えられていたからである。この結果、「光の形而上学」と呼ばれる独自の光学研究が成立し、哲学者のみならず、神学者までもが光についての研究を行うことになったのである。もっともこのような研究は、後世への影響という点では見るべきものは少なかった。
このような状況を変え、近代的な光学研究のきっかけとなったのは、ルネサンス以来のさまざまな光学機械の発明である。眼鏡、望遠鏡、そして顕微鏡が結像理論の成立を強力に促していたからである。この時代に光の本性をめぐる議論のほうも開始された。」
田中さんはこのあと、デカルト、ホイヘンス、ニュートン、ヤングとフレネルの理論を順番に記述しています。そのホームページの製作者の方は、その後(幻灯、マジック・ランタン、ファンタスマゴリア)は、荒俣宏氏、大久保遼氏、伊藤明己氏の記述を使われています。
荒俣宏「幻灯」『コミュニケーション事典』(鶴見俊輔・粉川哲夫編、平凡社、1988)
大久保遼「映画の歴史を巻き戻す――現代のスクリーンから映像の幼年時代へ」『メディア技術史――デジタル社会の系譜と行方』(飯田豊編著、北樹出版、2013)
伊藤明己『メディアとコミュニケーションの文化史』世界思想社、2014
ひとりで2時45分、室温23.9度。ちいさいちびは、今日から、定期試験。
午後に授業。
今週は金曜日のお昼休みに大学院進学説明会、土曜日午後に学会の編集委員会&理事会。
10時42分武蔵境発の西武線。
11時過ぎにお弁当。正午に学生が来て、書類に判子。友達といっしょにやっと落ち着けるとのこと。よかった。
3限4限と大学院の授業。事務棟3階で荷物を受け取ってから、帰途。
4時16分多磨駅発の電車から4時26分武蔵境発の中央線という黄金ライン。ほぼリズムが固まってきました。
夜になって、論集委員会の仕事。少しですが、進めることができました。
ひとりで2時55分、室温22.6度。本日のシンポの準備ですが、家族が起きてくるまでに、図版の準備をすませます。図版ができて、完了です。
ちいさいちびは公式戦。3年生の引退試合です。トーナメント戦で、負けたらその場で引退ということになります。強豪校と当たっているそうですが、ちいさいちびは、勝ちたい、勝ちたいとずっと言っています。妻は、応援に行くということです。
おおきいちびは後輩達の公式戦の応援に行くと言っています。午後なので、お昼ご飯を食べてから行くかもしれません。
中学生は、昨日も参加した、西荻窪のスタンプラリーに参加するかどうか迷っています。
以上、場合によっては、おおきいちびと中学生のお昼を用意してやる必要があります。科学史学会シンポジウムには、そこだけの参加になりそうです。東京理科大学葛飾キャンパスで、3時50分からです。東京なのに、かなり遠い。
→図版の準備をしていると、紙がなくなっていることに気付きました。朝の5時過ぎにセイユーに行って、サラダの材料とA4 コピー用紙を買ってきました。A3 で1枚に収めます。
→早朝とは別の近所のスーパーに買い物に行って、おおきいちびにはサラダにマッシュドポテト、中学生にはカップ麺の豚骨ラーメン、自分のためには札幌一番味噌ラーメン。
→中学生を留守番に残し、1時前に家をでました。まず、ガード下のコンビニで30枚コピーをとりました。乗換は、グーグルが指定してくれた御茶の水駅から新お茶の水駅に歩くルートをとりました。新お茶の水駅は千代田線の駅で、常磐線に乗り入れています。2時半頃、金町に着きました。駅に着いて、外にでた途端、3.11後の福島第一原発の事故のとき、規制値ぎりぎりの放射能が検出されていたことを思い出しました。
私の人生で、金町で下車したのは、初めてです。駅から数分歩くと、団地があるので、地方都市のような風景となっています。
やはり途中にあったコンビニで、残り20枚のコピーをとり、おやつを買って、東京理科大学葛飾キャンパスに。
5階の受付で、年会費を支払い、レジメ集を受け取ってから、待合い室へ。内田さんと佐野さんが話をされています。挨拶をしてから、話しに入ると、2つ前の席に、会長の斎藤憲さんがいました。齋藤憲さんの引っ越しについて、話を聞きました。まだ完了していないそうです。
前のシンポジウムは3時40分に終了。我々のシンポジウムは3時50分開始です。3時40分を過ぎてから、会場に入りました。田中さんは、カンギレムシンポジウムから我々のシンポジウム「科学史における図像の製作と利用に関して」へとレンチャンです。橋本さんが、司会と趣旨説明と2番目の発表を兼任されました。
私の発表は、4人目で、最後。25分と言われて、5時55分スタート、6時20分終了。全体討論に当初は30分を割く予定が、全体討論の時間はほぼありませんでした。途中での質疑応答に時間をかけたせいです。シンポジウムが終わったあと、話しかけてくれた方が光学史に非常に詳しい方で、とても有意義なコメントをくれました。
会場校の慎さんにお礼を言ってから残っているメンバーで、金町まで歩きました。半分以上の方は日暮里か西日暮里で乗換え。私は、来た道と同じルートを辿りました。新御茶ノ水駅から御茶の水駅へ。飯島さん、橋本さんといっしょに総武線。飯島さんは千駄ヶ谷、橋本さんは新宿を降りられました。8時半頃、家に帰り着きました。ちいさいちびたちは、頑張ったけれども、残り10秒で得点されて、終了、敗戦、という非常に悔しい負け方をしたそうです。3年生といっしょに泣いていたそうです。
こういうとき、ちいさいちびはとても時間をかけて、風呂に入ります。10時前に風呂から出てきたので、私はちいさいちびの次に急いで入浴。すぐに就寝。年会会場で矢島さんから直接『地質学史懇話会会報』第50号(2018年5月30日)を直接手渡されました。送料の節約のためということです。もちろん、まったく、問題ありません。
→ 18.5.29 山田俊弘さんの2原稿をまず読みました。
山田俊弘「感謝とともに地質学史会報50号を祝します」
山田俊弘「武上真理子博士の急逝を惜しむ:その地学史研究の可能性」
え、目次にない、と思ったら、表紙ではなく、表紙の裏側にありました。このあたり、もうすこし見栄えのよい編集を望みます。なお、今の私にそこまで手を伸ばす余裕はありませんが、故武上真理子博士の問題関心は私にあります。今やっていることを地理学史に接続したいという気持ちを持っています。実現可能性は、不明です。
ひとりで2時5分、室温24.4度。中学生とちいさいちびは午前練。ちいさいちびは、練習が終わったあと、家に戻らず、学校ですこし勉強をしてくると言っています。おおきいちびはたぶん部活(フットサル)ですが、動き方は不明。
ともあれ、日曜日のシンポの準備が終わるまで頑張ります。→図版が残ってしまいました。
ひとりで2時25分、室温23.2度。ちいさいちび、中学生、妻は、いつも通りにでかけました。
おおきいちびは午前中は課題をやって、11時半にでかけると言います。昼食は前に買ってきていた冷やし中華でよいそうです。→冷蔵庫を見ると、野菜がすこし足りません。10時15分過ぎに、レタス、キュウリ、トマト、鶏胸肉を買い出しにでました。
帰ってきて、胸肉を茹でつつ、冷やし中華用のお湯を沸かし、サラダの調理。11時にどちらも出来上がりました。私は冷やし中華だけ食べました。課題が終わったのかどうか、途中からピアノに向かっていたおおきいちびは、サラダは完食、冷やし中華は3分の1程度食べて、11時半過ぎにでかけていきました。市川まで行きますが、午後に体育が一こまあるだけだそうです。今日は、日曜日のシンポジウムの準備をします。まだ発表原稿が完成していません。→体力が低下しています。半分程度しか進みませんでした。
4時前後、息子の夏服を受け取りに、駅前に。駅前のセブンイレブンの隣にある、細長い建物の4階にお店はあります。お金はぴったりに用意しています。息子のズボンはすぐに出してくれました。
ひとりで4時35分、室温21.2度。雨は上がっています。予報最高気温が29度、明日は30度です。うおー。
2号の最後の仕事を早朝のうちにすませました。印刷所にメールを送って完了。あとは、来週はじめの出張校正です。1限のあるおおきいちびは7時頃、中学生は8時前後、ちいさいちびは8時過ぎ、妻は8時20分過ぎにでかけました。
私は、朝方もうすこし仕事をしてから出かけます。
朝方に財務的用件をこなすため駅前に。もう一点、息子の夏服を受け取りに行きましたが、お店には誰もいませんでした。→あとからわかったことですが、8時半からと書いていたのは、全く別の件だったということです。実際は11時からオープンだそうです。9時半に行ってあいているわけがありませんでした。10時42分武蔵境発の西武線。
5限終了後、ひとつ簡単な仕事をこなしてから帰途。6時4分多磨駅発の電車。
ひとりで4時5分、室温22.6度。予報によれば、曇りのち雨で、最高気温21度。昨日の予報のままです。すこし涼しく感じます。1限のおおきいちびははやく出かけました。中学生とちいさいちびはいつもと同じ8時前後。私はすこし仕事をしてからでかけます。
お昼休みから会議。
朝仕事をして郵便物をひとつ作りました。郵便局に赴き速達で出してから大学へ。9時54分武蔵境発の西武線。2限に出席する学生の群にまぎれました。
11時過ぎにお弁当。
12時10分から会議。短くすみました。次の会議まで30分程度あります。研究室に戻ってもなにもできないので、中会議室でそのまま待機して休憩していました。
その次の会議は13時10分から。こちらも短くすみました。今度は研究室に戻り、カバンをもって次の会議に。2時20分大会議室。10分ぐらい前に入りましたが、すでに数名の方がいました。
ほぼ予定通りに進行。
4時からは私も前に座ります。5分以内で司会の仕事があります。恙なく進行。5時過ぎに終了。打ち合わせが15分程度ありました。5時28分多磨駅発の電車に間に合いました。水野先生と水野先生の2名の学生といっしょになりました。おひとりは、Y先生の姪っ子だそうです。そう言われれば、なんとなく面影があります。外出した者のなかでは最初に帰り着きました。すぐにおおきいちび、ちいさいちび、中学生の順で帰ってきました。
会議中、同僚の久野先生から新著を頂きました。久野先生も<島>派でした。久野先生、おめでとうございます、&ありがとうございます。
久野量一『島の「重さ」をめぐって:キューバの文学を読む』松籟社、2018
表紙の絵に見覚えがあります。松浦先生? なかの文章を読んでみると、この春むさびにうつられた松浦寿夫先生の絵でした。最近私のまわりの文学者の方々は、表紙絵を松浦先生に依頼することが多いようです。去年、吉祥寺駅で見かけた松浦先生は、そのファッションを含め、絵描きさんの雰囲気でした。
ひとりで5時10分、室温21.8度。週間天気によれば、今日は晴れて28度まで気温が上がるそうです。明日には雨が降り、最高気温21度。木曜日は再び晴れて、28度、金曜日は30度、土曜日は31度の予報です。5月なのに、夏の気温となります。8時前後で、中学生、ちいさいちび、妻とばたばた出かけていきました。おおきいちびは9時に出かけるそうです。私はその後。
10時6分武蔵境発の西武線。
11時から学長室。前の会議が長引いて、11時20分から。案件そのものは簡単に片づきました。国立大学をめぐる非常に厳しい状況について、話がありました。11時40分過ぎまで。
急いで研究室に戻り、お弁当。
午後の会議(打ち合わせ)は、12時40分から。1時55分まで。次の打ち合わせは2時から。こちらはすぐに終わりました。
本日最後の会議は、3時から。20分かからず終了。3時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで3時45分、室温19.6度。小学生は振替休日。ちいさいちびはいつも通り、7時15分。おおきいちびは2限からなので、ゆっくりめ。妻は5時半に起こして欲しいということです。はやすぎないかと聞くと、始めての場所に行くので余裕が欲しいという返事でした。私は、小学生の昼食を用意してからでかけます。午後の授業。
小学生が昼食はマグロよりステーキがよいというので、近所のコンビニでお金を降ろしてから、ワイズマートへ。ステーキ、インスタントラーメン、キャベツを買って帰りました。
10時45分、ステーキを焼きつつ、私は札幌味噌ラーメン。たまにインスタントラーメンが食べたくなります。お米はあらかじめ1合を炊いています。
ステーキを半分にする案もあったのですが、息子が全部食いそうだったので、息子は1合のご飯にステーキ、私はラーメンという分配になりました。ご飯は1合には達しませんでしたが、ステーキは大きいものをひとりで完食しました。息子も大きくなりました。
食べ終わって11時過ぎ。私は、すぐに家をでました。1分差で11時30分の電車に間に合わず、11時42分武蔵境発の西武線。
3限4限と大学院のゼミ。4限は議論が盛り上がってきたのですが、半分の院生は5限があります。5分延長で強制終了。
4時16分多磨駅発の西武線、4時26分発武蔵境発の中央線で帰ってきました。今日もゴールデンラインです。(4時は24分、26分と中央線が連続します。24分の電車はかなり混みます。26分の電車は8人掛けのシートに平均一人か二人というレベルで空いています。必ず座れる。疲れているときには空いていて座れるのがうれしい、という意味でゴールデンラインです。)帰宅すると、中学生の身長が前より、1.5センチ伸びたと妻から報告がありました。新潟から帰ってきてすこし大きくなったような気がしました。ちゅうぼうですから、伸びる男の子は伸びます。
ひとりで3時10分、室温20.8度。気温がかなり下がりました。5月としてはこのぐらいが普通かと思います。おおきいちびは後輩の応援。ちいさいちびはお昼前に起き出してきて、午後3時からの男子の応援。女子の試合は来週です。3年生は負けたらその場で引退という3年生最後の公式戦です。
私はさすがに来週の日曜日(橋本科研:科学史学会シンポジウム)の発表の準備。
[改正著作権法、成立]
ネットで、5月18日、参院本会議において、改正著作権法が可決したという情報に出会いました。まったく知りませんでした。施行は、来年の1月1日からということです。
官公庁のサイトに解説がありました。
著作権法の一部を改正する法律案の概要
改正の趣旨
デジタル・ネットワーク技術の進展により、新たに生まれる様々な著作物の利用ニーズに的確に対応 するため、著作権者の許諾を受ける必要がある行為の範囲を見直し、情報関連産業、教育、障害者、 美術館等におけるアーカイブの利活用に係る著作物の利用をより円滑に行えるようにする。
ポイントは4点にまとめられています。
(1) デジタル化・ネットワーク化の進展に対応した柔軟な権利制限規定の整備
(2) 教育の情報化に対応した権利制限規定等の整備(第35条等関係)
(3) 障害者の情報アクセス機会の充実に係る権利制限規定の整備(第37条関係)
(4) アーカイブの利活用促進に関する権利制限規定の整備等
大学等、教育機関にとって重要なのは、(2)のポイントです。説明は次の通りです。
・ICTの活用により教育の質の向上等を図るため、学校等の授業や予習・復習用に、教師が他人 の著作物を用いて作成した教材をネットワークを通じて生徒の端末に送信する行為等について、 許諾なく行えるようにする。
【現 在】利用の都度、個々の権利者の許諾とライセンス料の支払が必要 【改正後】ワンストップの補償金支払のみ(権利者の許諾不要)
デジタル化そのものは著作権者の許可なく行えること、教育機関では紙だけではなくスキャンしたpdf の配布も許されるようになったこと、こうした趣旨です。
ひとりで5時20分、室温25.3度。夜中に降り始めた雨は止んでいるようです。→窓をあけていたら、7時半現在23.3度。真夏の格好をしていると、すこし寒く感じます。雨で気温がいくらか下がったようです。
ちいさいちびはいつも通り、午前練。雨が止んでいるので、大丈夫でしょう。今年度の模様替えの最後は、ソファーベッドです。午前中、新宿のニトリに妻といっしょに見てくることにしました。土曜日おおきいちびは朝はのんびりしていて11時に家をでます。おおきいちびにあとのことは任せ、9時45分ぐらいに家をでました。新宿のバスタ(南口)にでるのは、初めてです。ニトリは、昔、紀伊国屋書店があった建物に入っています。この場所に来るのは、10年ぶりぐらいだと言うと、妻に大げさだと言われましたが、ちびどもがまだ小さかった頃はちびどもを連れて来た記憶がありますが、その後は、来ていません。10年ぶりはおおげさにせよ、おおきいちびが小学生のとき以来だと思われます。
ソファーベッドは5階にありました。ソファーベッドはそれなりの数そろっていましが、設置する部屋の形状と我々のコンセプトにあうのは一つでした。
50センチ空いていれば、中に部品を運び入れて、そこで組み立ててくれるということです。午前中私がいる日ということで、けっこう先に搬入してもらうことになりました。
完了して11時過ぎ。高島屋の地下で、おいしいパンを買って帰ることにしました。昼食もと見てみましたが、これというのはすぐには見つかりません。西荻に帰って、妻がお弁当を買って帰ることになりました。
西荻の駅で、念のため、私は先に家に帰り、妻がお昼の弁当を買って帰るというパターンでした。家に帰り着くと、荷物がいろいろ届きました。妻のアマゾンの荷物、2号の再校、そして『サイゾー』2018年6月号です。『サイゾー』2018年6月号は、「禁断の「写真」学」という特集を組んでいます。「アラーキー」問題等が「大人の写真学」という特集で扱われています。今年、3限の授業で扱っているテーマに重なります。
日が暮れる頃までに、私が読みたいところはだいたい読み通しました。[化学史研究 pdf ]
『化学史研究』はある時期から pdf を印刷所からもらっています。今印刷してもらっている中央印刷で、鳥居さんが担当だったときにもらうようにしたことは覚えているのですが、正確にいつからというのは不明です。調べてみました。
もらうようになったきっかけは、大野誠(編)「日本における化学史文献:世界篇」第33巻(2006): 193-253、ならびに吉本秀之(編)「日本における化学史文献:日本篇」第34巻(2007): 205-330 という文献表にあるようです。これは、一般公開してよいだろうということでpdf をお願いしてもらったようです。
その後は、2010年の第3号から継続的にもらうようにしたようです。この頃は、宅ファイル便でもらっていた記憶があります。
鳥居さんが退職されたあと、中央印刷の担当者は、お二人かわりました。担当者の方によって対応と形式が少しずつ違いましたが、継続しています。
なお、梶さんがご存命のころ、化学史学会の歴史(40周年史)を計画したことがあります。途中で、学会の精力を『化学史事典』の製作に振り向けることにしました。つまり、化学史学会40周年史は、完成しなかった事業となります。始まったときに、創刊号から第14号までは私がスキャンしました。1号15分程度でできるようになりましたが、ゴールが消えるとやる気も失せて、それで終わっています。
学会でオープンアクセスの議論は、冬から春にかけてしましたが、予想しなかったハードルがあることが判明し、中途半端に終わっています。私は個人的にオープンアクセスでよいと思うのですが、委員のなかにはいろんな意見があり、その論拠は理解できます。つまり、合意には至っていません。
ひとりで4時25分、室温25.3度。晴れ。すごい晴れ。数日前の天気予報では、曇り時々雨でしたが、この地域は本日の東北関東の荒れた天気を免れたようです。晴れて最高気温が30度近くまで上がるそうです。ちいさいちびの運動会。5時50分に起こします。妻もいっしょに起こします。
ちいさいちびは6時40分頃でかけました。
妻は、7時半頃でかけました。7時40分のバスだそうです。おおきいちびは午前中には行くと言っています。→10時20分ぐらいにでかけました。ということで我が家の女性陣は全員高校の運動会です。今日は蒸し暑いのでたいへんだと思います。11時頃ニトリの方が2人できました。ちいさいちびの棚と玄関に置く棚を持ってきてくれました。ちいさいちびの部屋の棚は、2階にもってあがってくれました。そしてそこで残っていた組立をしてくれました。小さい棚はただ玄関においただけです。具体的な設置場所は妻とちいさいちびが帰ってこないとわかりません。
大きな買い物はあと1点で今年の我が家の模様替えは完了します。妻の4時頃を筆頭に、おおきいちび、ちいさいちびと順番に運動会から帰ってきました。ちいさいちびは打上があるそうです。吉祥寺のピザ屋に70名程度が集うそうです。おおきいちびは金曜日は外で食べるようになったそうです。
ちいさいちびは打上から10時頃帰ってきました。おおきいちびは不明。先に就寝しました。
ひとりで4時5分、室温24.4度。息子は6時に起きて、新潟に行きます。土曜日に帰ってきます。フレンドシップスクールと言います。ちいさいちびは夕刻に歯医者さん。おおきいちびと同じ治療を受けるため、同じ歯医者さんにママといっしょに行きます。
私は、11時生協、11時50分ヒアリング、4限5限授業です。
朝一番で近所のコンビニに行き、我が家の財務的用件をこなしました。
9時42分武蔵境発の西武線。まず、図書館。昨日到着したという連絡のあった、『デカルト 数学・自然学論』法政大学出版局、2018を受け取りました。
フレデリック・ド・ビュゾン序、山田弘明・池田真治・武田裕紀・三浦伸夫・但馬亨訳・解説、訳出されたのは、ベークマンの日記、思索私記、立体の諸要素のための練習帳、二項数の立方根の考案、デカルト氏の『幾何学』のための計算論集、数学摘要、屈折について、カルテシウス、キルヒャー神父の『磁石論』摘要、デカルト氏が書いたと思われる『哲学原理』注記、ストックホルム・アカデミーの企画、です。はじめには、山田弘明、あとがきは、武田裕紀。
研究室で、「序」「はじめに」「あとがき」いくつかの解説を読みました。意義深い仕事です。生協の方は、ぴったり11時に来てくれました。お弁当を食べて、昨日生じた宿題をこなし、11時50分からのヒアリングに向かいました。どうも長の方には、12時と通知されたようです。12時5分ぐらいからの開始となりました。
12時半ぐらいまで。それから1時前まで昨日の続きの打ち合わせ。ある程度の共通了解はできたと思います。3限4限と学部の授業。
6時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ちいさいちびの歯医者さんの診断はすぐにすんだそうです。顔つきも歯並びもおねえちゃんといっしょだという診断(?)。荻窪でご飯を食べ、百円ショップでいろんなものを買って帰ってきました。→百円ショップではなく、ドンキホーテということでした。荻窪のドンキホーテには入ったことがなく、昔よく行ったダイソーかと思ってしまいました。
夜半に目覚めてすこし仕事。暑い。まだ5月なのに、夜の気温があまり下がっていません。ひとりで5時25分、室温23.4度。
本日もやはり昼休みから会議。
9時54分武蔵境発の西武線。2限にでる学生たちの大群。昨日図書館から借りだした高橋憲一さんの『完訳 天球回転論』と『エウクレイデス全集第4巻 デドメナ/オプティカ/カトプリカ』を繙きました。どちらも素晴らしい仕事です。
私には、高橋さんの次の解説が非常に有用でした。
高橋 憲一「『オプティカ』『カトプトリカ』解説」『エウクレイデス全集〈第4巻〉デドメナ/オプティカ/カトプトリカ』(東京大学出版会、2010), pp.193-305同じ流れでネットを調べていて、次の論文に遭遇しました。
奈尾信英「南ドイツにおける透視図法の展開(1) ――16世紀のクラフツマンによるテキストブックの考察――」『図学研究』45 巻 (2011) 2 号 p. 19-28
奈尾信英「南ドイツにおける透視図法の展開(2) ――16世紀のクラフツマンによるパターンブックの図像的表現の考察――」『図学研究』46 巻 (2012) 1 号 p. 19-28
意味のある仕事です。3時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
息子はもう帰っていました。帰宅するとすぐに妻がヘリコプターと言っています。よく聞くと、駅の向こう側にある「西武信用金庫・西荻窪支店」に強盗が押し入ったそうです。それで、警察が集まり、たぶん報道機関が集まって、ヘリコプターとなったのでしょう。ニュースによれば、「16日朝、信用金庫に男が押し入り、バールのようなもので支店長の男性を殴り、現金およそ1100万円を奪って逃走した。」ということです。まだつかまっていないということです。強盗に押し入った「男は年齢30代から40代ぐらい、身長175センチから180センチほどで白色の作業用ヘルメットをかぶっていて」作業服だったと言うことです。神明通りの方に逃走したそうです。
ひとりで4時50分、室温21.1度。
8時前後、中学生、ちいさいちび、妻がでかけました。おおきいちびは、今日は御茶の水なので、9時半でよいそうです。おおきいちびを見送って戸締まりをしてからでかけようと思います。9時54分武蔵境発の西武線。
まず、図書館に行って、高橋憲一さんの『完訳 天球回転論』と『エウクレイデス全集第4巻 デドメナ/オプティカ/カトプリカ』の2冊を借り出しました。それから生協に行って簡単な買い物。
お昼休みから会議。11時50分からヒアリング。非常に順調に進み、その場でほぼ合意がとれたと思われます。
その次の会議は2時20分から。15分の休憩を挟んで、その次は3時から。4時半までの予定でしたが、すこし延びました。忘れ物があったので、一度研究室に戻り、帰り支度。5時16分多磨駅発の電車で帰途。同僚の先生といっしょになりました。T先生も相当お疲れの模様でした。T先生との雑談のなかで、台湾の出生率の低さを教えられました。早速ネットで検索をかけてみると、2010年に0.89という恐ろしい数字を記録し、2016年でも1.17という数字です。これは低い。同じ2016年の日本の出生率は、1.45です。日本と比べてもずっと低い。
東アジアでは、韓国も、香港も、シンガポールも低い。東アジアに共通する社会的問題があると考えなければなりません。(2015年の数字では、日本1.43,韓国1.29,香港1.26,シンガポール1.24,台湾1.12です。世界全体では、2.45あるそうです。世界全体では人口が増加しつつ、先進国の大多数で深刻な人口減少が進行しつつあることになります。)帰宅すると小松美彦氏から転職場の報せがありました。5月1日から東京大学大学院人文社会系研究科 死生学・応用倫理センターに着任したとあります。小松美彦氏も職場をよく動かれています。東大に死生学・応用倫理センターがあるのははじめて知りましたが、日本における(当事者の医者以外での)脳死・臓器移植問題の研究者として、小松美彦氏は適役だと思います。
ひとりで4時30分、室温20.0度。雨は上がっています。午後に授業。
9時42分武蔵境発の西武線。まず、事務棟4階まで階段を登り、古いキャンパスカードを戻してもらいました。新しいカードでは使えない場所が2箇所あるんだそうです。機器を取り替えるまでは、古いカードを使って下さいということで、戻してもらいました。
11時過ぎにお弁当。
トイレにいくときすれ違った李先生は、もう疲れた、もう無理と言っていました。私も今疲れがたまってきています。
12時40分から大学院の授業。
3限4限連続です。4限終了後、イタリア人と結婚して子どもを3人もうけた院生の方が家族全員で挨拶に来てくれました。小1を先頭に一歳児までの3人。我が家にもこういう時期がありました。イタリア人のだんなさんは抱っこ紐で一歳児を抱っこしていました。下の歯が2本生えたばかりでした。
そういえば、先週発表してくれた3限の院生は、今日は2歳の娘が高熱のため休みますと連絡をくれていました。4時16分多磨駅発の電車で帰途。4時26分武蔵境発の中央線に乗り継ぎました。ゴールデンラインです。
帰宅すると私が一番でした。入浴中に息子が帰ってきました。夕食中におおきいちびが帰ってきました。ちいさいちびは部活に運動会の練習があるので、一番遅く、8時前後になる予想。
ひとりで5時25分、室温20.8度。中学生もちいさいちびも練習試合。他校が来てくれるということです。
10時頃、テレビ台に使うスペースボックスというのが来ました。30センチ×60センチ。これはネジを締めるだけです。ひとりですぐに組み立てました。今日はまだ使いません。ちいさいちびの部屋の本棚が届いたときに、一斉に模様替えをします。
11時過ぎ、ちいさいちびの部屋用のハンガーとミラーが届きました。ハンガーの組立は簡単です。すぐにできました。
ミラーの方は、一番重要な鏡を台に取り付ける部分が難しい。一人ではまずできません。妻に手伝ってもらって、ネジを締めることができました。仕組みは理解できていますが、説明する言葉を持ちません。
完成したら、ちいさいちびの部屋に持ち上がりました。私はただ置いただけですが、午後、妻が、ハンガーに服を掛け、ミラーの位置を仮決めしていました。さて、ちいさいちびはどうするのでしょうか。→部屋に入ったら、真正面にミラーがありました。思わず笑ってしまいました。なかなか不思議な感じです。
ひとりで4時、室温18.5度。中学生は土曜日学校。一度帰ってきて、放課後の時間帯に部活。ちいさいちびは午前練。自転車を学校においてきているので、いつもより少しだけ早く起きます。7時40分という指定。
妻は午前中に中学の保護者会。→妻から違うと指摘がありました。ただしくは、午前中は学校開放(昔の授業参観)、午後部活の保護者会ということでした。
おおきいちびは、お昼から部活。お昼を食べないで行くと言っていましたが、サラダなら食べるというので、冷蔵庫にある材料でサラダを用意してやりました。11時頃出かけました。
11時過ぎに妻が帰宅。1時前に中学生が帰宅。2時頃ちいさいちびが帰宅。おおきいちびは3時過ぎに帰宅。5時からアルバイトに行くそうです。
明日は、家具が届きます。末っ子が中学生になったことに伴う我が家の模様替えの最終局面に入ります。ただし、明日完了するわけではありません。
ひとりで4時55分、室温15.9度。やっと晴れ。今日は、朝から昼にかけて14度ぐらい気温が上がるそうです。金曜日は、中学生、ちいさいちび、妻の順にでかけます。おおきいちびは4限だけということで、昼食後でかけます。
9時過ぎにおおきいちびと私の昼食の買い出しにでました。最寄りのセブンイレブン。おおきいちびはサラダがよいそうです。私は、冷やし中華とウドンを買っておきました。そのときの気分で選びます。
11時頃昼食。気温がまだ低いので私は肉ウドン。おおきいちびのサラダは、レタス、トマト、キュウリ、鶏肉。2時前後、妻は買い物をすませて帰ってきました。吉祥寺でちいさいちびと中学生用の靴下を始め、私のパジャマなど、足りなくなったいろんな日用品を買ってきました。
[ちいさいちびの<過呼吸>]
6時半を過ぎてから、ちいさいちびの部活の顧問の先生から電話がありました。過呼吸を起こして、横になっているそうです。できれば迎えに来て欲しいということです。分かりましたと返事をしました。着替えようと思ったら、自転車で薬の買い出しにでていたおおきいちびが帰ってきて、私が行ってあげると言います。グラウンドだと寒いので、教室で休ませていますという先生の電話でしたが、私は、高校の配置をわかっていません。おおきいちびの方がずっとよくわかっているので、任せることにしました。
高校に着いたおおきいちびからは、ちいさいちびは立ち上がることができない状態だということです。2人いっしょにタクシーで帰ってきなさいということになりました。顧問の先生がタクシーを呼んでくれたようです。
お金をもっていないというので、お金をポケットに入れ、外で待ちました。7時頃、中学生が部活から帰ってきました。大量の荷物をもって、ふらふらしながら帰ってきました。疲れたそうです。
それから10分ほどして、タクシーが来ました。助手席の窓から支払いをすませました。ちいさいちびはまだ自力で動くのがつらいということです。背負ってやりました。ちいさいちびを背負って1キロ歩くことはできないと思いますが、たかだか20メートルほどです。玄関で降ろしてやると、その場で地面に倒れ込みました。
とくに練習がきつかったわけではなく、ちいさいちびの体調不良、具体的には貧血の症状だったようです。運動会前で忙しくて、昼食もちゃんと食べる時間がなかったようです。しばらくソファーで横になっていましたが、ゆっくりご飯を食べました。1時間ほどするとなんとか動けるということなので、お風呂に入らせました。お風呂はいつもゆっくり入ります。お風呂に1時間近く入ったあとは、ほぼ体調が戻ったそうです。明日の午前練もふつうに行くと言っています。
ちいさいちびといっしょにタクシーで帰ってきたおおきいちびは、そのまま友達とご飯と言ってまた外にでていきました。帰りは11時を過ぎるということです。
→なんと、彼氏といっしょに自転車を取り戻しに行ったそうです。確かに翌朝自転車がいつもの場所にありました。
ひとりで5時20分、室温16.9度。雨は上がっていますが、晴れてはいません。予報によれば、今日は一日春先の気温のままだそうです。→朝のうちは、雨。最初、微小な雨でしたが、すぐに傘が必要な雨に変わりました。お昼には止むとのことです。午後に授業。
11時6分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで焼きそばパンと牛乳を購入してから研究室へ。
正午に日生のおばさん。毎年恒例の確認作業。4限5限と学部の授業。
5時52分多磨駅発の電車で帰りました。
息子が宿題をしているあいだにメールをチェックすると、AL (アクティブラーニング)の問い合わせが7件も来ていました。TA の方がしっかりしているので、TA に聞いてもらうと解決する事柄ですが、いまどきはこういうふうに教員に直接聞いてくる学生が一定割合でいます。ものすごく簡単に「来週、TA の方に提出してください」と回答しています。
ネットに、高山宏さんのtwitter があがっていました。終活宣言をされていました。
「學魔も終活。連休中に二度ばかり失神。結構な奇病のようです。視力ほぼゼロ。かねて決意のごとく、蔵書三万を当分放出し続けるので、珍書ハンター、人文ファン、學魔眷族ひとしく、古書ほうろうを中心に古書市場の動向を注視せよ。諸君、さらば(と、一度きちんと言っておく)。 ──日々、貴重なり!」とあります。
ひとりで4時20分、室温17.3度。雨。しっかりと降っています。予報では、午前中は雨。午後は止むということですが、最高気温が15度。たぶん春先の気温です。寒く感じます。なんと来週の火曜日は、最高気温30度の予報。
おおきいちび、ちいさいちび、中学生の順にでかけました。生まれた順です。あるいは身体の大きさの順。9時半、武蔵境発の西武線。
研究室で昨日の宿題をこなしました。
12時40分から会議。2時10分まで。
2時28分多磨駅発の電車で帰っていました。帰りは、雨が上がっていました。
ひとりで4時、室温19.6度。雨は止んでいるようです。午前中から会議。
9時前に家をでて、本(献本)を1冊書評者の住所に送り届けてから、電車に。これが日曜日の宿題の最後です。
長女は9時半に家をでるということで、最後は長女に任せました。
9時30分武蔵境発の西武線。
10時10分から学長室。11時半まで。
研究室でお弁当を食べて、しばらく休んでいると、次の会議。12時40分から2時10分過ぎまで。
4限の時間帯に、判子が必要な学生が飛び込みで来ました。しばらく話を聞いていました。4時半から会議、6時まで。
6時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。雨。まだまだ降るようです。
ひとりで5時10分、室温22.6度。夜半に降り始めた雨は、一端止んでいます。しかし、今日はまた降るそうです。
朝のうちは、昨日の編集委員会で発生した宿題をこなしていました。半分までは進めることができました。封筒を一つ作りました。学校に出かける途中、郵便局に窓口で出します。午後に授業。
9時42分武蔵境発の西武線。2限にでる学生たちが電車のなかには大勢。
まず、事務棟3階まで階段で上がり、昨日の鍵を返却。11時過ぎにお弁当。
教室にかわった512室には、4月中にテレビが入りました。今日は画像を見てもらうために、パソコンに接続してみることにしました。日常あまりそういうことはしていないので、すこし手間取りましたが、ノートパソコンからテレビにミラーリングすることができました。3限4限と大学院の授業。
授業後、帰り支度をして、事務棟4階人事労務課へ。キャンパスカードを交換するという連絡があったので、新しいものに交換しました。ICチップと磁気カードを両立させたカードだということです。5年限定だそうです。5年後は、ICチップだけのカードにするのでしょうか。
4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。雨のなか傘をさして帰りました。
ひとりで4時30分、室温20.9度。ちいさいちびは午前練。
夕刻に編集委員会。4時から5時まで東京外国語大学本郷サテライト。
3時45分に現地に着きました。おお、古川さん、田中さん、内田さんの3人のもう入り口でお待ちです。
1時間強で終了。
ほぼ6時に電車は西荻窪に着きました。
ひとりで5時15分、室温19.1度。ちいさいちびは午前練。あとは、とくに予定なし。
お昼過ぎ、息子のスポーツ眼鏡が出来たと電話がありました。吉祥寺のお店です。息子はあまり気乗りしなかったのですが、眼鏡は必要です。とりにいくことにしました。息子は自転車であれば行ってもよいと言います。置き場所をどうするかちょっと困りましたが、東急において歩いてもよいかと思い、ともかく、出発。
途中のセブン・イレブンでお金を降ろしました。お店はサンロードの出口にありました。自転車の置き場所とか、とくに必要はありません。お店の前に私が待機し、息子に引換券をもたせて、自分でとりに行かせました。お店のおじさんに息子は丁寧に説明をしてもらっています。受け取って、直帰。必要な文房具も買う予定だったのですが、それはまたということにしました。30分以内で帰って来ることができました。最短記録に近い。息子が必要だと言ったのは、修正ペンと修正テープ。100円ショップにあるのではと気付き、夕刻、ダイソーへ。ありました。ついでに、ワイズマートで、お餅、マグロ、バナナ、アイスクリームを買って帰りました。
息子はバナナが気に入ったようです。美味しいといって、2本続けて食べました。夜、テレビで、世界卓球女子の決勝戦を見ました。日本対中国。勝つチャンスはあったと思いますが、トータルには中国選手の方がまだ強いと感じました。3対1で中国の勝ち。
ひとりで3時40分、室温21.9度。おおきいちびはまた午前中にでかけました。横浜に行くそうです。帰りは遅くなると言っていました。
片づけを続行中。
昼食後、息子の自転車のサドルをあげるために、13ミリのスパナを探して、ダイソーへ。家には12ミリと14ミリはありました。息子の自転車のネジがその中間でした。ダイソーには、13ミリのスパナはおいていませんでしたが、モンキーレンチがありました。100円ショップですが、これだけ200円。もちろん、200円でモンキーレンチが買えるのはお得です。モンキーレンチを買って、ついでに向かい側のワイズマートでちいさいちびに頼まれたコンソメ味のポテトチップスを購入しました。
帰宅すると、ちょうど息子がリビングに降りてきていました。見積もりでサドルをあげ、高さがあうかどうか確かめさせました。まずは、足がべったり着く高さにしておきました。家のまわりの草むしりですが、居間の南向きが残っています。夕方に着手。ゴミ袋にいっぱいになったところで終わりとしました。8割から9割できたと思います。
ひとりで4時35分、室温23.2度。天気予報で言っていたとおり、強い雨が降っています。→9時頃には、雨が上がり、青空も見えました。最高気温が27度の予報ですから、もう初夏の気候です。息子は生まれてはじめて休日ですが、午前練。ちいさいちびも午前練ですが、雨なのでたぶん休み。
おおきいちびは、10時に吉祥寺で人にあって、それからずっと外にいるそうです。夜はバイトなので、帰りはまた遅くなるそうです。昼食後、ちいさいちびはママといっしょに買い物にでることになりました。自分の部屋用のミラー、ハンガー、棚を探します。立川のイケアに行くということです。夕食を食べてから帰ってくるということで、息子と私の夕ご飯は任されました。
2時過ぎに、ワイズマートに買い出し。息子のためには、マグロ。切り落としとビンチョウマグロのサク。他にアイスとお餅。
6時過ぎに夕食。息子のためには、マグロの刺身盛り合わせ。自分用には、刺身にしなかったビンチョウマグロを照り焼きにしました。それと冷蔵庫に買い置きしていた豆モヤシ。豆モヤシは、私も息子も気に入っている食べ物です。妻とちいさいちびは7時過ぎに疲れたと言って帰ってきました。ちいさいちび用のものはあったそうです。イケアにはちょうどよいものがなく、ニトリにしたそうです。
私は少しずつですが、片づけを続行。
バイト帰りのおおきいちびの顔を見ることなく、息子と就寝。
ひとりで2時50分、室温22.5度。ちいさいちびは鎌倉。高校の遠足です。現地集合です。おおきいちびは普通に1限から授業があるようです。
リングファイルをリビングに持ち出して、片づけようと思っていましたが、ずっと放置していました。やっとそのうち、半分ぐらいを片づけることができました。片づけるとおなかも空くし、疲れます。11時前に郵便物を出してから、いつものお弁当屋で二人分のお弁当を買って帰りました。生姜焼き弁当。ほぼ定番です。
1時6分武蔵境発の西武線。まず、施設企画係に行って、6日の日のため、サテライトの鍵を借りました。
2時から会議。数分前に研究所に行きました。総合文化コース会議、総合文化研究所所員会議と続き、その後、新しいメンバーお二人の研究発表会。一人当たりおよそ1時間を取っていました。
同僚の久野先生といっしょに5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。研究講義棟をでた時点で傘をさしました。
帰宅して、子どもたちはまだ誰も帰ってきていません。私が先に入浴と夕食。はじめてのちゃんとして部活があった息子が大量の荷物をもって7時前に帰ってきました。練習がきつくて、疲れたそうです。しばらくして、ちいさいちびが遠足(鎌倉に集合して、横浜に行って来たそうです。解散場所も鎌倉)から帰ってきました。現地は班行動ですが、行きと帰りは、友達といっしょです。
おおきいちびがいつ帰ってきたのかは不明。
ひとりで4時20分、室温22.5度。おお、もう、5月。全員出動です。
8時前後、ちいさいちび、中学生、妻の順にでかけました。おおきいちびは、普段は1限からですが、今日は2限からということで、9時半過ぎでよいとのこと。授業の課題でウィンドーズのワードが必要だと言っています。前に、マックをウィンドーズにしてやりましたが、Office はインストールしていません。大学ではずっとウィンドーズのワードとパワポだそうです。とりあえず、1年契約のOffice をアマゾンからダウンロードしてやりました。アカウントのところで、新規作成が出来ず、困ったのですが、昔マイクロソフトアカウントを作ったことがあったようです。Gmail を使っていました。
パスワードなんかもちろんまったく記憶にありません。パスワードをセットし直して、やっとダウンロードが完成しました。
おおきいちびがやっていたのは、英語の宿題。毎週、英作文があるのだそうです。
ともかく、ワードが動くことを確認してやって私の仕事は完了。あとは電車のなかでもできると言って、送り出しました。とても珍しく会議のない火曜日ですが、処理すべき案件があるので、しばらくしてから出かけました。駅前のコンビニにお金を降ろし、銀行で財務的案件を処理し、電車に。10時30分武蔵境発の西武線。最高気温28度の予報だったので、半袖で家をでましたが、正解でした。
研究室でメールの応対をし、11時過ぎに書類を1点事務に渡し、TLL で借りていた本を1冊図書館に返却してから、生協で昼食。はじめて生協の蕎麦をたのんでみました。汁が黒い。つまり、関東風です。そのまま西武線に乗って、別の財務的案件の処理に向かいました。次の駅、すなわち、白糸台で降りて、10分弱歩き、京王線武蔵野台駅へ。そこから2駅か3駅で府中。下車して、駅前の銀行で通帳を更新してもらいました。磁気がおかしくなっていたようです。メインバンクなので、財務的情報を押さえるために、通帳がいちばんです。
京王線で帰ってくることも考えたのですが、どうみても、もと来た道を戻るのがはやい。西武線をつかって、帰宅しました。直前に妻が帰ってきていました。久しぶりに東京の田園風景を堪能しました。
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