ひとりで6時10分、室温25.4度。雨。おお、もう、7月。
ひとりで5時、室温25.8度。曇り。→5時半、雨が降り始めました。しばらく降る感じです。→歯医者さんから帰ってくる頃にはほぼ上がっていました。午前中に歯医者。
全員が出かけてしばらくしてから、財務的用件を処理するために、駅前のコンビニと銀行を回ってきました。最後に郵便局に寄って、固定資産税の支払い。本日が第1期の支払い期限でした。
歯医者は10時半から。10時15分に家をでました。今日はすぐに呼んでくれました。歯科技師さんが歯磨きの指導をしてくれます。歯磨きはたいていの人がそうだと思いますが自分流です。前回はへたくそだとわかりましたが、今回は、歯ブラシの持ち方と動かし方にもっと適切なやり方があることがわかりました。最後の仕上げをしてくれているときに、前歯の一部が欠けました。最初、今の歯医者さんに行ったときに、直してもらった箇所です。一度待合室に戻り、30分ほどしてから、今度は歯医者さんがえいやと欠けている部分に詰め物をしてくれました。10分程度。終わって待合いに戻り、支払いをすませて外に出ると、12時半でした。駅前のコンビニで食料品を買ってから、帰りました。妻もすぐに帰ってきました。
ひとりで4時5分、室温24.8度。雨は降っていません。予報を確認すると、一日中曇りで、21度〜27度。予報は週間天気を見ています。7月4日(火)にすごいマークがついています。最高気温35度の猛暑日!午後に授業。4限5限。その後いつもの慰労会。
本日は、まず、図書館によって、次の本を受け取ります。
根占献一『イタリアルネサンスとアジア日本:ヒューマニズム・アリストテレス主義・プラトン主義』知泉書館、2017
次に、ILL で届いたと報せのあった次の論文を受け取ります。
小林 文次「曙山の二重螺旋階段図について」『美術史 』22(4)(1973), pp.105-111研究室から ILL で何点かのオーダー。
溶解文書の片づけ。一箱つくっています。
8時54分武蔵境発の西武線。ほぼ9時に着きました。上記の予定通り、動きました。1点、図書館に行ったときに、追加で、次の本を借り出しました。
成瀬不二雄『佐竹曙山 : 画ノ用タルヤ似タルヲ貴フ』ミネルヴァ書房、200411時半にお弁当。お昼休みの時間の最後ぐらいに生協に行って、ちょっとした買い物。
4限5限と学部のゼミ。
4限と5限の間に、図書館に行って、ILL で届いたという報せのあった次の本を受け取りました。
Jane Andrews Aiken, Renaissance perspective : its mathematical source and sanction, Harvard University Ph.D. Dissertation: University Microfilms International, 1986
→ハーバード大学の博士論文です。第1章が古代科学文献におけるイラストの数学的基礎、第2章がギリシャの科学イラストにおける観察の定量化と数学的投影法への影響、第3章がレオン・バティスタ・アルベルティ:切断面と数学的天文学、第4章が聖三位一体のフレスコ画における観念的&現象的遠近法:初期ルネサンス遠近法創出における伝統と革新、第5章が天文学図、中世の技術イラスト、マサシオ(Masaccio)の遠近法実験との関係。私の興味からは、ちょっと遠い論文でした。5時40分ぐらいに101教室に。小谷先生、久野先生、TA の II さんがいました。沼野先生が見えるのを待って、大学前のピザ屋さんへ。小谷先生は、我々の知らないポップカルチャーの通です。非常に面白い話をいっぱい伺いました。10時前に終了。
10時過ぎの電車で帰ってきました。帰宅すると次の雑誌が届いていました。
『日本の美術 no.327 小田野直武と秋田蘭画』(至文堂、1993)根占献一氏の『イタリアルネサンスとアジア日本:ヒューマニズム・アリストテレス主義・プラトン主義』(知泉書館、2017)の目次は次。
第一章 ルネサンス史のなかの日本――近代初期の西欧とアジアの交流
一 ヨーロッパと日本のルネサンス――世界史の誕生
二 マルコ・ポーロ,トスカネッリ,コロンボと想像の日本
三 時代の思潮と理想の日本――元イエズス会士ポステルのシンクレティズム
四 イタリア半島の日本人
五 フィレンツェ人と天正遣欧使節
六 東西の相違と接近――現実の日本と近代カトリシズム
第二章 ニッコロ・デ・コンティの旅路と地図制作およびアジア再認
一 ラムージォに始まる航海・探検叢書
二 ニッコロ・デ・コンティの旅行記
三 コンティとトスカネッリ
四 コンティとポッジョの『運命転変論』
五 コンティの旅と「日本」記述
第三章 イタリア人の訪問者・熟知者と日本――鹿児島ノート
はじめに
一 種子島
二 坊津
三 鹿児島人昨今
四 ジョヴァンニ・ニコラオ・ダ・ノーラ
五 大航海時代のイタリア人
六 訪日しなかった日本通のイエズス会士
おわりに
第四章 ザビエルと時代の課題――ルネサンスの霊魂不滅論
はじめに
一 滞仏・滞伊一五年
二 ジャック・ルフェーヴル・デタープル
三 新思想の展開と日本
四 霊魂不滅論
五 ロレンソと日乗の宗論
おわりに
第五章 パドヴァ大学の伝統と霊魂不滅の問題―― 一六世紀世界における宗教と哲学思想
はじめに
一 ピエトロ・バロッツィとマルシリオ・フィチーノ
二 第五ラテラノ公会議
三 ピエトロ・ポンポナッツィとイタリアの大学
四 異端者パレアリオとイエズス会士ゴメスにおける霊魂不滅論
おわりに
第六章 ローマ・ルネサンスと世界――ヨーロッパ域を超えるヒューマニストと航海者たち
一 ルネサンス以後のローマの理解と解釈
二 ルネサンス文化と絵画資料
三 ポルトガルの海外躍進とエジディオ・ダ・ヴィテルボ
四 ジョヴァンニ・ダ・エンポリの琉球
五 ルネサンス・プラトニズムと日本
六 ルネサンス・ヒューマニズムと日本
結びにかえて――ゴイスのことなど
第七章 カトリック復興期のヒューマニスト フランチェスコ・セルドナーティ
一 人となり
二 翻訳家
三 問題のセネカと史料批判
四 著作の数々
五 時代の潮流
結語
補遺 フランチェスコ・セルドナーティ
第八章 フマニタス研究の古典精神と教育――イエズス会系学校の誕生頃まで
はじめに
一 時代的特徴
二 新たな表現方法と教育の新展開
三 ローマ精神とマッフェオ・ヴェージョ
四 イエズス会教育
五 時代の多様な教育の夢
結びにかえて――パドヴァとベーニ
結語
補論氈@ヨーロッパ史から見たキリシタン史――ルネサンスとの関連のもとに
一 キリシタン史誕生の背景
二 真のルネサンスの生まれる風土
三 日本のルネサンスを終わらせた鎖国体制
四 ルネサンス時代とキリシタンの世紀
補論 イタリア・ルネサンスにおけるプラトン哲学とキリスト教神学
一 フィチーノ研究略史
二 フィチーノとフランチェスコ・ダ・ディアッチェートの愛の伝統
三 公会議と霊魂不滅論
四 プレトンからフィチーノを経てステウコへ――「古代神学」から「永遠の哲学」へ
ひとりで5時20分、室温25.3度。雨。この雨は予報によれば、午前中に上がるようです。→子どもたちは、傘をささずにでかけました。ちびどもはレインコートを着て自転車。小学生はちょうど雨が止んだ瞬間にでかけました。11時半現在、まだ降っていますが、予報ではやはり午後には止むようです。→昼下がりには止んでいました。雨が上がると、気温も上がり、蒸し暑い。学校がはやくおわった息子のところに、友達が4人来ました。基本、いっしょにゲームをしています。とても珍しく、会議のない水曜日。家にいて、今やっている作業を進めます。
ひとりで4時35分、室温25.9度。雨。→我が家の面々が出かける頃には、雨はほぼ上がっていました。ただし、空は曇ったまま。午前中と午後に会議。
8時54分武蔵境発の西武線。
10時10分から学長室で会議。10分前に研究室を出て、まず、3階事務室で書留を受け取り、それから、事務棟1階で押印した書類を渡し、学長室へ。11時まで。今回はスムーズに進むという感触とおりでした。
研究室に戻り、お弁当。それから、最近継続している作業に戻りました。
ちいさな発見がありました。3時から会議。ほぼ30分で終わりました。会議室からそのまま駅に向かい、3時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。傘をさすほどではありませんが、雨模様。また夜に降るのかもしれません。
帰り着くと、ちいさいちび以外は全員いました。ちいさいちびは部活。
ひとりで5時15分、室温25.0度。午後に授業。夕刻に医科歯科の運営委員会。
出かけるときには雨が降っていました。8時半武蔵境発の西武線。
発注の作業。9時になってから図書館に行って三輪健太郎『マンガと映画』(NTT出版、2014)を受け取りました。それから3階研究院事務室へ行って、台車を借り、溶解書類を出すことにしました。部屋に戻り、台車の上に2箱の溶解文書を載せて、また事務室へ。今週いっぱい受けつけてくれます。もう一箱出す予定です。3限4限と大学院の授業。
4時40分多磨駅発の電車。御茶ノ水には、5時20分頃着きました。会議までは時間があります。駅前のビルの地下を一通り見てきました。キャンパスにははやめに入って、セブンイレブンですこし買い物をし、セブンイレブンの休憩所でコーヒーを飲んでいました。5時50分に席を立ち、会議室へ。外語の同僚はもう見えていました。みんな、はやい。
6時ちょうどに始まり、6時半には終了しました。7時過ぎに帰宅することができました。3号のゲラが届いていました。
ひとりで5時25分、室温26.3度。雨。→空はどんよりとしたままですが、お昼頃、一応雨は上がりました。息子は普段通り、6時半に起きてきました。ちびどもと妻はたぶん遅くなるでしょう。おおきいちびは8時半頃、ちいさいちびと妻は10時前ぐらいに起きてきました。
夕方に次の本が届きました。
白幡 洋三郎・劉建輝編著『異邦から/へのまなざし』思文閣出版、2017
ひとりで4時45分、室温25.4度。曇り。ちいさいちびは午前練。
妻は午前も午後も保護者会。10時前にでかけて、5時から6時頃に帰宅する予定。したがって、昼食は私に任されました。
午前中に一度、午後に一度買い物にでかけました。午前中はセブンイレブン。昼食を買ってきました。午後はセイユー。おやつ(アイス)を買ってきました。
ひとりで5時20分、室温24.8度。晴れ。最高気温30度の予報。
ちいさいちびを6時40分に起こします。朝練が毎日あるそうです。おおきいちびは学校に間に合うぎりぎりで、妻は9時前に家をでました。ひとりでお留守番をしながら、ルネサンス遠近法書調査を進めています。
午後1時に、東京ガスの方が見えます。コンロの下のガス管の工事です。今の仕方だと収納している食器にガス管があたって、ガス漏れが発生する可能性がある、実際に多くはないがそういう事故が起きている、ついては、ガス管の通し方を変更するということでした。無料でやってくれるそうです。妻が朝方、食器を片づけていました。隙間の時間で、残り、私が作業スペースを作りました。このぐらいでよいのかどうかはわかりません。
→1時に来て、30分で仕事を終わり、1時半に帰られました。問題部分のガス管を交換してくれたようです。息子は5時前に帰ってきました。バスはつらかった(乗り物酔いします)ようですが、楽しかったと言っています。
ひとりで6時10分、室温24.1度。薄曇りの晴れ。午後に授業。
10時42分武蔵境発の西武線。
YouTube でブラタモリを見ました。会津若松編。最後に放映された「さざえ堂」が目的です。テレビではたまに見ます。非常に面白い番組です。
4限5限と学部の授業。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
[曙山の二重螺旋階段図の典拠 2 ]
モクソンは序文で次のように言っています。( Joseph Moxon, Practical Perspective: or, perspective make easie, London, 1670, no pag.)
" it is both necessary and delightfull, I have for the accomodation of English Artists taken the pains to write this following discourse of Practical Perspective: And I was the rather induced hereunto, because as yet nothing of this nature hath been published in English except Sebastian Serlio, who though he where a man of skill and fame, yet his book being originally written in Italian, was first translated into Dutch, and afterwards from Dutch into English: One of which translators (if not both) doubtless understood the language better than the Art; for therein (as the generallity of Ingenuous Artists do with me confess) the words are translated, but not the Science.
In this work to save my self the trouble of making all new designes I have collected from several Authors such Figures as I found most usefull for the Instructions of a learner, as from Albert Durer, Neceron, Jean Cosin, Desargues, but the generallity from Hondius, who had them as himself saies (and you may see) from Marolois."
私の調査の順序としては、Sebastian Serlio, Marolois, Hondius, Albert Durer, Neceron, Jean Cosin, Desargues の図版を見てみる必要があります。その誰かが、Vignola, Due regole della prospettivaを借用していれば、解明に繋がる大きな鍵となります。Sebastian Serlioは次。
Sebastian Serlio, I sette libri dell'architettura or Tutte l'opere d'architettura et prospetiva
オランダ語訳は次。
Sebastian Serlio, De vijf boeken van architecturen Sebastiani Serlii (Amsterdam, 1606)
英語訳は次。
Sebastian Serlio, The Five Books of Architecture (London, 1611)Maroloisは次。
Samuel Marolois, Perspective contenant la théorie et pratique d'icelle , Amsterdam, 1619
Hondiusは次。
Hendrik Hondius I, a book on Perspective, Leiden, 1604-1605Jean Cosinは次。
Jehan Cousin, Livre de Perspective, Paris, 1560→ 17.6.25 この調査は難航しています。思っていたより、ずっと複雑だとわかりました。
きちんとしたわかりやすい遠近法史(遠近法の理論と実践の書物の歴史)を先に探し出して読んだ方がよいだろうと思い直しました。
後ろの足元にある、パノフスキーの有名な『<象徴形式>としての遠近法』を取り出しました。わおー、学生時代に読んでいますが、これは難しすぎます。邦訳では、本文がpp.8-74、注がpp.75-198, 図版がpp.199-224 を占めます。本文に対して、注が倍に近い量。ウェーバーのプロテスタンティズムに近い構成です。私は学生時代、ウェーバーのプロテスタンティズムにとても惹かれていましたし、パノフスキーの象徴形式にも惹かれていました。この異様な注に惹かれていたのかもしれません。
今、必要なのはパノフスキーではなく、情報の整理です。ネットで探して、 のルネサンスを扱った書物(John Jeffries Martin (ed.), The Renaissance World, New York: Routledge, 2007)の第2章 Lyle Massey, "Framing and Mirroring the World" をダウンロードし、プリントアウトし、鉛筆をもって読みました。
これは正解でした。必要な情報と概念の整理をしてくれています。
まず文献表ですが、注の10) にもっとも完璧な文献表は、Luigi Vanetti, De naturali et artificiali perspective - bibliografia ragionata delle fonti teoriche e della recherche de storia della prospettva; contributo all formazione della consoscenza de un'idea rationale, nei suoi sviluppi da Euclide a Gaspard Monge, Florence, 1979 だそうです。
こういうのはきちんとした本を読むことではじめてわかる情報です。→ただし、このイタリア語の本は、どこにもありません。日本の大学にも所蔵されていませんし、アマゾン.it でも見つかりません。極めてレアな書物のようです。→もとの情報を見直してみました。イタリックのあと、ローマンで Studi e documenti de architettura 9-10 の文字があります。つまり、本ではなく、雑誌 Studi e documenti de architettura 9-10 (1979) と解釈すべきだと思いつきました。→やはり、雑誌でした。雑誌の9号10号を合本として、Luigi Vanettiさんの文献表に当てたものと理解すればよいでしょう。→しかも、著者のスペルがすこしだけ違います。Luigi Vagnetti さんが正しいスペルでした。道理で見つからないわけです。タイトルもすこし違って、正しくは、Prospettiva: De naturali et artificiali perspectiva です。正確に記すと、次です。
Luigi Vagnetti, De naturali et artificiali perspectiva - bibliografia ragionata delle fonti teoriche e della recherche de storia della prospettva; contributo all formazione della consoscenza de un'idea rationale, nei suoi sviluppi da Euclide a Gaspard Monge, Studi e documenti de architettura n.9-10, Florence, 1979 . 520pp. 157figs.
Luigi Vagnetti さんは、ウィキの記載もある建築家・建築学者でした。p.57 遠近法を主題とする最初の印刷書は、Viator (Jean Pélerin), De artificicialis perspective, 1505
Viator のあと、絵画や比例、建築、幾何学、シーンデザインのような関連分野の書物の出版が続いた。1500年と1700の間に、およそ90点のこの種の書物(多くの版で)がヨーロッパ中で出版された。この種の書物は、どこかで遠近法を扱っていた。
p.58 デューラーの比例書のあと、ニューレンベルクでは、複雑な立体を描くための、幾何学+遠近法が発達した。
16世紀イタリアでは、遠近法はすこし違った方向に発展した。イタリア人は最初から、絵画、建築、数学を結びつけて扱っていた。その最初の著作が、セルリオのIl primo libro dell'architettura, Paris, 1545 であった。建築とシーンデザインの著作であった。(その後、Sebastian Serlio, I sette libri dell'architettura or Tutte l'opere d'architettura et prospetiva)独自の言語とパラダイムをもつ独自の言説として確立したのは、その後に出された2著であった。
Daniele Barbaro, La pratica della perspettiva, Venice, 1569
Jacopo Barrozzi da Vignola, Due regole della prospettiva, Rome, 1583 この書は、 Vignolaの死後、数学者Egnazio Danti(1536-86)の手で 注釈をつけて出版された。
バルバロの貢献のひとつは、プトレマイオスの天文学的投射と透視画法との関係を示したことであった。
p. 59 バルバロは、視覚をカメラ・オブスクラに喩えた。(→MY そうだとすれば、これはケプラーより先となる。)視覚と比例を等値することで、自然の形態の背後にある幾何学的構造をミラー(鏡映)するという思想を唱えたことになる(Martin Kemp)。
それに対して、ヴィニョーラの『遠近法二規則』は、それまでの考察を包括し、画家、建築家、数学者に向けて書かれた。遠近法の投射(射影)理論を発展させて、ヴィニョーラは、視覚空間(viewer's space)、画像平面(the picture plane)、消失点の関係を、説明図付きでいきいきと解説した。ひとことでは、ヴィニョーラとダンティは、ただ数学でも、ただ建築でも、ただ絵画でもない探求分野、すなわち遠近法というこの三分野のハイブリッドを生みだしたと言える。
しかし、世紀が進むと、遠近法は、徐々に、専門と素人の数学者の支配する分野となっていった。コマンディーノ Federigo Commandino(1509-75)、デル・モンテ Guidobaldo del Monte(1545-1607)。
Federigo Commandino, Ptolomaei planisphearium,Venice, 1558. Federigo Commandino, Claudii Ptolemaei liber de analemmate, Rome, 1563. Guidobaldo del Monte, Perspectivae libri sex, Pesaro, 1600
つまり、遠近法は、16世紀末までに、片方では射影幾何学という数学の1分野、もう片方では画家や建築家のための技法へと分かれていったことになる。私の追いかけているのは、建築と強く結びついた方ということになります。
ひとりで4時40分、室温25.8度。雨。息子と妻を5時25分に起こします。息子は6時45分校庭に集合して、移動教室。伊豆に行きます。3日間。我が家の子どもの通った/ている小学校では、修学旅行はなく、かわりに、5年生と6年生で2泊3日の移動教室があります。
11時50分から4つの会議が続きます。夕方まで。
9時42分武蔵境発の西武線。
11時50分から入試委員会。次の委員会まで30分ほど余裕がありました。一度研究室に戻りました。
次の会議は、12時40分から。次の会議まで1時間近く余裕がありました。やはり一度研究室に戻りました。
その次は、2時20分から。終わったらすぐに帰宅できるよう、傘とカバンをもって大会議室に向かいました。前半はしばらく寝ていました。
3時45分開始の会議では、1分だけ出番があります。こちらもスムーズに終わり、4時28分多磨駅発の電車で帰ってくることが出来ました。昼間強く降っていた雨ですが、ほぼ止んできていました。帰りは傘をさしませんでした。
[曙山の二重螺旋階段図の典拠?]
小林 文次「曙山の二重螺旋階段図について」『美術史 』22(4)(1973), pp.105-111
小林文次氏は、この論文で、秋田藩主で画家でもあった佐竹曙山(しょざん)が残したスケッチブック(写生帖)にある二重螺旋階段の図が1670年にロンドンで刊行されたジョゼフ・モクソン(1627-1700)の著書『実用透視画法』の中の第35図の写しであるという仮説を提唱した。ウェブの情報を見る限り、この仮説は、広く受け入れられている。
しかし、『江戸時代の蘭画と蘭書 -近世日蘭比較美術史-』(上巻&下巻、ゆまに書房、2004-2005)で磯崎康彦氏は、この仮説を検討している。
まず、モクソンは、英語の著作である。「この時期、英書の将来はまず考えにくい。しかしこのことより、曙山が、モクソンの『実用透視画法』を見ていなかったことは、他の透視画法の図解から証明できる。前述したように「螺旋階段図」は「透視画法図解」の最後の第9番目であった。この最後の「螺旋階段図」を他の8枚の説明図と関係なく、曙山が興味ある一枚ものの図としてとり出し模写した、とみてはならないだろう。・・・「透視画法図解」の九枚は相互に関連しており、ほとんどの図解が同一蘭書から模写された、と考えられる。・・・曙山はモクソン書を見ていなかったと判明する。曙山は、モクソンの二重螺旋図と極似した図を掲載する蘭書から模写した、と考えるのが妥当である。「螺旋階段図」の原図を載せた蘭書は、曙山が螺旋階段の平面にふった七から一九までの番号―モクソンの図では、1から13となっている―と同じ数字のつけ方であった、と想像される。その蘭書は、残念ながら書名を確定できないが、モクソン流の簡単で実用的な透視画法図であった、と思われる。」(pp.262-3)
この通り、磯崎康彦氏は、将来がほぼなかった英書ではなく、まだ未発見の蘭書から嵐山は二重螺旋階段図を写したと主張した。磯崎康彦氏の主張とは独立して、スクリーチは、(磯崎康彦氏よりも先に)『大江戸視覚革命』(1996), pp.454-6 で次のように言っている。
「二重の階段が広く知られるようになるのは、一五八三年に初版が出るや忽ちのうちにルネサンス建築の規則書の古典のひとつとされるようにいたったジャーコモ・ダ・ヴィニョーラの『実践遠近法規則Due regole della prospettiva』にとりあげられてからである。義敦の絵も、まちがいなく十八世紀の蘭訳本(in an eighteenth-century dutich edition)として日本に入ってきたヴィニョーラからとられたものである。」
Jacopo Vignola, Due regole della prospettiva
full title is Le due regole della prospettiua prattica di M. Iacomo Barozzi da Vignola, con i commentari del reuerendo padre maestro Egnatio Danti dell’ordine de’ predicatori mattematico dello Studio di Bologna, Rome, 1583, 1611, 1635, 1644, 1682
p.543 注37 Moxonは「フランスのシャンブルグ[シャンポール]のことにふれ、その二重螺旋階段はピエトロ・デル・ベルゴの作としている。」
スクリーチは、しかし、この注37 で18世紀のオランダ版を具体的にはあげていない。磯崎康彦氏と同じく、蘭書の実物をあげていない以上、推測、仮説に止まる。ともあれ、現時点では、ヴィニョーラの『実践遠近法規則Due regole della prospettiva』にオランダ訳があるのか、あるいは、別のルートから曙山に入ったのか、調べてみるのが先決である。
→17.6.23 かなり調べてみたが、ヴィニョーラの『実践遠近法規則Due regole della prospettiva』のオランダ語訳は見つからない。別のルートを探す必要がある。スクリーチも磯崎康彦氏も、オランダ語の実践遠近法書だろうという推測では一致する。ヨーロッパで出版された実践遠近法書のオランダ語訳だとすれば、まず、18世紀までの実践遠近法書の系譜をリストアップする必要が生じる。Harris, Lexicon Tenhnicum,(London, 1704) は、"Perspective" の項に次の文献をあげている。
Alberti Dureti Perspectiva cum Fig.
Hansen Leucours Perspectiva, in High-Dutch, Ulm, 1617
Henrick Loutensack Perspectiva, ditto. Franck, 1618
La Perspective curiuse de Niceron À Paris, 1663
La Perspective avec la Raison des Umbres, &c. par Salamon de Causa.
Roger Bacon's Perspective. Lat.
Joan. Cantuariensis Archiepiscopi Perspectiva Communis.
Loinganno de Glocci, Perspectiva practica,
Leada Regele delle Perspettiva.
Verdmanni Frisii Perspectiva.
The Jusuits Perspective; or, La Perspective practique per un Religieux, &c.
Moxon's Practical Perspective.
G. Vbaldi Perspectivae, Lib. 6.
Pa Perspective Speculative & Practique pre Mignon.
Lamii Perspective.
Andreae Alberti de Perspectiva & Umbra, Lil.
以上、 Harris, Lexicon Tenhnicum があげる遠近法書のリストである。ハリスの書誌は、今の基準では簡略版でしかないので、版を同定する作業が必要となる。
Daniel Barbaro, La pratica della perspettiva, Venice, 1658
Joseph Moxon, Practical Perspective: or, perspective make easie, London, 1670
Salomon de Caus, La Perspective avec la rasion des ombres et miroirs, London, 1611
Samuel Marolois, Perspective contenant la théorie et pratique d'icelle , The Hague, 1612
Nicéron, Perspective curieuse, 1638
The Jusuits Perspective : Jean Dubreuil, La perspective practique (trans. 1642)
→ 17.6.26 途中になっていましたが、午前中にネットで次の本を見つけました。
Catalogo Ragionato dei Libri d'arte e d' antichità posseduite dal Conte Cicognara, tomo primo, Pisa, 1821
pp. 149-163 が Prospettiva で、No.802 から No. 874 まで73点の遠近法書を採録しています。著者名のアルファベット順です。およそ90点あったそうですから、8割程度をカバーしています。ほぼどうにかなるのではないかと思っています。Roger Bacon's Perspective. Lat.は、もちろん、ロジャー・ベイコンの光学書ですが、このリストによれば次です。
808 Baconis Rogerii. Prospectiva nunc primum edita opera, et studio Joann. Combachii: addita Specula Mathematica. Francofurti, 1614Andreae Alberti de Perspectiva & Umbra, Lil. は次です。
803 Alberti Andreae. Duo libri, prior de Perspectiva, posterior de umbra, et ejus proprietatibus. Norinbergae, 1661.Lamii Perspective. は次。
843. Lami Bernardi. Traité des Perspectives, ou sont contenus les fondemens de la Peinture. Paris, 1701Verdmanni Frisii Perspectiva. はたぶん次。
867 Uredman Frison, Jéan. Perspective deux parties. Amsterdam, 1620Joan. Cantuariensis Archiepiscopi Perspectiva Communis.は次。
824 Cantuariensis Archiepiscopi Joannis. Perspectiva communis per L. Gauricum Neapoletanum emendata. Venetiis, 1504
825 __ Perspectiva communis libri tres, jam postremo correcti ac figuris illustrati. Coloniae, 1592.G. Vbaldi Perspectivae, Lib. 6. はたぶん次。
837 Guidi Ubaldi e Marchionibus Montis. Perspectivae libri sex. Pisauri, 1600.残りはなかなかやっかいです。ですが、いくつかは別の仕方でなんとか突き止めました。
Hansen Leucours Perspectiva, in High-Dutch, Ulm, 1617 は次です。
Hansen Lenckers, Perspectiva : in welcher ein leichter Weg, allerley ding, es seyen Corpora Gebew, und was m?[glich in Grund zulegen ist, verruckt oder unverruckt, durch gar geringe Instrument in die Perspectiv zubringen, gezeiget wirdt, Ulm. 1617Henrick Loutensack Perspectiva, ditto. Franck, 1618 は次です。
Heinrich Lautensack, Dess Circkelss vnd Richtscheyts, auch der Perspectiva, vnd Proportion der Menschen vnd Rosse, kurtze, doch gruündtliche vnderweisung, dess rechten gebrauchs, 1618Loinganno de Glocci, Perspectiva practica,は次。
Pietro Accolti, Lo Inganno de gl'Occhi, Prospettiva Practica, Firenze, 1625
もとの表記では、Loinganno de Glocci がまるで著者名のように見えますが、書名です。錯視、錯覚の意味のイタリア語です。著者は、Pietro Accolti。ハリスは単純にイタリア語まではできなかったということだと思われます。
ひとりで4時10分、室温24.4度。午前中から会議。午前に1つ、午後に3つ。
8時半武蔵境発の西武線。すぐに会議。9時から10時まで。
11時過ぎにお弁当を食べてから、生協へ。ちょっとしたおやつを買ってきました。
12時40分から会議。2つ連続で、2時過ぎに終わりました。しばらく休憩してから再度会議。3時スタート。5時過ぎに終了しました。
5時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで4時30分、室温22.4度。雨は上がっています。予報を見ると、今日は、晴れて、暑くなるようです。午後に授業。
出かける直前、失踪中の本が1冊見つかりました。
ヒューズ『電力の歴史』市場泰男訳、平凡社、1996
もう一冊、ずっと失踪中の本もあります。大きな本なのでどこかで出てくるでしょう。今年の「表象文化に触れる 2017年秋」ですが、私の担当は、11月16日、30日、12月7日の3回です。テプフェールからはじめて、ヨーロッパにおけるマンガ表現を取りあげてもよいかなと考えています。秋までにはまだ時間があるので、ゆっくり考えます。
8時42分武蔵境発の西武線。図書館で10分待機してから、次の文献を受け取りました。
Minear, R. "Orientalism and the Study of Japan, " The Journal of Asian studies : review of Eastern and Southern Asia and the adjacent Pacific Island, 39(3)(1980): 507-517
研究室に戻り、早速読み通しました。ロジカルに構成されていますが、新しい内容はありません。でも、意味はあると思います。
具体的には、サイードのオリエンタリズムが日本研究にあてはまるかどうか見当しています。日本研究としては、Basil Hall Chamberlain, George B. Sansom, Edwin O. Reischauer の3者が取りあげられています。ごく簡単にまとめれば、日本が植民地化されなかった点を除けば、ほぼ当てはまるという結論です。
お弁当のあと、一度生協に買い物に。3限4限と大学院のゼミ。
4時16分多磨駅発の電車。
ひとりで5時15分、室温23.9度。曇り。→3時前から本格的な雨降り。ちいさいちびは久しぶりのオフ。小学生はいつもの時間に起きてきましたが、妻とちびどもは8時半になっても起きてきません。まあ、でも、そろそろ誰か起きるでしょう。
自分のまとめた「オリエンタリズム」を読み直していて、内村鑑三がダーウィンの『人種進化論』The Descent of Manから引用する「チンカ(Zinke)博士」の著作のことが気になりました。ネットで検索をしなおして、'Last Winter in the United States, 1868, p. 29.' というダーウィンの表記は、今であれば、Foster Barham Zincke, Last Winter in the United States, being Table Talk collected during a Tour through the late Southern Confederation, London, 1868, p.29 と表記される著作であることがわかりました。すなわち、チンカ『アメリカ合衆国昨年の冬』(ロンドン、1868)という著作をダーウィンは使っていました。(Zinckeの発音ですが、英語では、ジンク/ジンカになるでしょうか。)
せっかくなので、地層の最上部にあった中公バックス『日本の名著 内村鑑三』を手にとり、『地人論』を見てみました。『地人論』はもちろん地理学です。人類の歴史との関連における比較自然地理学を<地人論>という言葉で表現しているようです。自然地理学そのものは、<地文学>と表現しています。
ひとりで4時45分、室温23.3度。晴れ。朝の間に、もう一度、 Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (2004)を私の部屋のなかで探しました。30分ほど落ち着いて探すと手の届くところに置いていました。本の地層をつくる置き方に問題があることは承知しているのですが、つい、地層を作ってしまいます。本棚に立てるスペースがないという事情もあります。
見たかったのは、ボスBosse の部分。ライレッセとボスの本が江戸時代の日本にやってきた画法の本の主たるものだそうです。初期近代のヨーロッパを知る者には、不思議な選択です。もちろん偶然出島に来たということでしょうが、蘭学を研究される方は、もとの本がヨーロッパにおいてどういう位置付けであったのかを調べられることがほとんどありません。初期近代の歴史を研究していると、その辺の感覚がとても不思議に感じられます。
まず、デザルグ(Girard Desargues, 1591-1661)の射影幾何学(の祖)があります。その仕事に基づき、Abraham Bosse(1602-1676) が Manière universelle de M. Desargues pur practiquer la Perspective par petit pired par le Géometral, (Paris, 1647) を著します。この本のオランダ語訳が日本にやってきたということです。Picturing Machines 1400-1700 でボスが出てくるのは、pp. 245, 273-4 です。遠近法の実践的な技法書は、デューラー以降、いろいろ出ています。遠近法の実用書にも、異なる系統を考える必要があるようです。[オリエンタリズム]
朝の間に、私のサイトの オリエンタリズムをまとめました。忘れていたことがいっぱいです。
出発点は、2007年度の大学院の授業で「オリエンタリズム」を取りあげたことです。2年間続けました。そのときに教科書としたのは、彌永信美氏の『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』(青土社、1987;ちくま学芸文庫、2分冊、2005)。参考書としては、ヘーゲルの『歴史哲学講義(上)(下)』(長谷川宏訳、岩波文庫、1994)と内村鑑三の『地人論』でした。
授業を開くに至ったきっかけですが、ボイルや王立協会周辺の東方学・東方研究(オリエント研究という意味でのオリエンタリズム)を追いかけたことにあります。
私の論文「ボイルとスピノザ」『スピノザーナ』第3号(2001/2002): 23-45 on p. 38 で次のように記しました。
実験研究に没頭するようになった1649年からオクスフォードに移住する1656年までの間の20代のボイルの知的発展にとって特に重要だったのは、「アーマー主教、ジェイムズ・アッシャーの勧めで、当時のフィロロギーを本格的に勉強するようになり、「批判的学問」に目覚めたことである。新約聖書を原典で読むためにギリシャ語の本格的勉強をはじめ、さらに旧約聖書もその時代の言語と文脈で読むことができるようにと、ヘブライ語をしっかり学びはじめただけではなく、カルデア語、シリア語、アラビア語の勉強も開始した。聖書を正しく理解するためには、聖書の時代の様々な言語やその時代の多くの民族の歴史、地理、風習を知る必要があるが、われわれはまだそうした知識を十分にはもっていないことに気がついたのである。20) したがって、ボイルがヘブライ語とユダヤ人に深い関心をもったのは、神の言葉を正しく理解したいという敬虔な意思からであって、ハートリッブ・サークルやセラリウスのサークルのように、間近に迫る千年王国がこの世に到来するためには、その前提条件としてユダヤ人の改宗が必要だとする千年王国論的改宗プログラムが中心的モチーフとしてあったわけではない。ただし、ボイルは、そうしたサークルの親ユダヤ・プロジェクトを支援している。」
注の20) は、ハンターの著作(Robert Boyle: Scrupulosity and Sciece, 2000, p.33)を示しています。
科学者になったボイルのオリエンタリズム、すなわちその時代の東方学、東方研究への真摯な関心に気づいたところから、私のオリエンタリズムへの本格的興味は始まっています。もちろん、ボイルのオリエンタリズムは、サイードのいう「オリエンタリズム」とは一応別物ですが、繋がりを考えることはできます。その後、那須敬さんの次の論文に出会っています。
那須敬「一七世紀イングランドの異端学と宗教の複数性―A.ロスの英語訳『コーラン』と『世界宗教大全』」『西洋史学』第二一九号(2005),pp.173-188.
那須敬さんの仕事に敬意を払い、関連箇所を引用しましょう。
「英語訳の『コーラン』が初めて出版されたのは、国王チャールズ一世が処刑されて間もない一六四九年春のロンドンにおいてであった。歴史家サミュエル・ガードナーに「たったひとりのイングランド人の宗教観も変えなかった」と評されるこの出来事は、事実イギリス革命史研究においてほとんど顧みられないエピソードである。しかし、本稿では、この『コーラン』の翻訳と出版を手がけたとされるアレキサンダー・ロス(1591-1654) の活動に光を当て、一七世紀イングランドにおける宗教観の変化、特に宗教の複数性(プルーラリズム)の問題を考察してみたい。」(p.173)
「一六四九年の英語訳『コーラン』出版への反応は複雑なものであった。レヴァント貿易の成長によりオスマン・トルコへの関心が高まる中、一七世紀イングランドでは一部の知識人や聖職者たちへの間でアラブ学の必要性が認められ始めたが、その基盤は貧弱なものだった。大陸の諸大学に遅れてようやくケンブリッジ・オクスフォード両大学にアラブ学教授職が設置されたのは一六三〇年代のことである。その後もアラビア語学と文献学の研究は遅々とし、内戦の勃発がこれをますます困難にした。オクスフォードのアラブ関連蔵書の充実に尽力した大主教ロードは失脚し、同大学アラブ学教授エドワード・ポーコックは国王派の嫌疑をかけられる。『コーラン』に関しては翻訳もアラビア語出版も進行しなかった。一六四七年にはケンブリッジのアブラハム・ウィーロックがラテン語・ギリシャ語翻訳出版を試み、サミュエル・ハートリッブらロンドンの有力者に資金援助を求めるが失敗している。」
1543 The first Latin translation of the Koran by Robert of Ketton about 1143 was published by Theodor Bibliander ('Buchmann') (1500-64) at Basel in 1543.
1647 Le Sieur Du Ryer (tr.), L'Alcoran de Mahomet, Paris, 1647
1649 Alcoran of Mahomet, London, 1649
1653 A.Ross, Pansebeia: or, A view of all religions. London, 1653
つまり、俗語訳のコーランは、17世紀中葉に出版されたわけです。イギリスの場合、英訳の出版は英国革命の真っ最中でした。ボイルの主著のひとつと目される『自然の通常の観念の自由な探究』 (1686) には、東方の宇宙観、自然観への深い関心と批判が含まれます。
ひとりで5時20分、室温23.0度。左肩がかなり痛い。今日は自宅でゆっくりします。私以外は全員出動します。
アマゾンで頼んだ水が届いてから、財務関係の仕事。駅前のコンビニから銀行をまわってきました。
行方不明中。2014年10月11日に届いた次の本を探しています。部屋のなかでまだ探し出せていません。
Wolfgang Lefèvre (ed.), Picturing Machines 1400-1700 (Transformations: Studies in the History of Science and Technology) , Cambridge, Mass.; MIT Press, 2004
ひとりで5時、室温21.1度。曇り。予報では晴れて、27度まで上がるそうです。午後に授業。
次の論文をプリントアウトし、カバンに入れて、大学で読みました。
長谷川光明「ユマニストたちのオスマントルコ遍歴」『(東京都立大学人文学部)人文学報』第355号、2004-03, pp.111-134
ここでユマニストと呼ばれているのは、ギョーム・ポステル、アンドレ・テヴェ、ピエール・ブロン、ピエール・ジル、ニコラ・デ・ニコレーです。この文脈でブロンに出会うとは思っていませんでした。9時6分武蔵境発の西武線。
図書館に行って、次の浩瀚な書物を借り出しました。
『江戸時代の蘭画と蘭書 -近世日蘭比較美術史-』 上巻&下巻、ゆまに書房、2004
去年も一度借りたことがあります。2冊で4万円近い書物です。今回は、第4章「将来されたライレッセ著『大絵画本』の波紋」(ヘラルド・ドゥ・ライレッセの生涯/ライレッセの『大絵画本』/将来された『大絵画本』と平賀源内/ 小田野直武、佐竹曙山と『大絵画本』/ 司馬江漢のコンスト・シキルド・ブーク/森島中良著『紅毛雑話』と『大絵画本』/その後の『大絵画本』)を読んでいました。4限5限と学部のゼミ。
6時4分多磨駅発の電車。
帰宅すると次の本が届いていました。
朝岡 大輔『企業成長と制度進化―戦前電力産業の形成』NTT出版、2012
ひとりで5時20分、室温20.9度。昨日の低温が残っています。大学の同僚から、還暦の会、という案内がまわってきていました。以前、ここに、もうすぐ60歳という小文を書きましたが、同じようなことを思っている同僚がいました。
午後に会議。12時40分に始まります。2つ。昨日より早く終わると思います。
小学生が出て、すぐに出ました。8時30分武蔵境発の西武線。
少し前から、オリエンタリズム関係の書物を探しています。苦労して部屋のなかから次のものを見つけだしました。
阿部良雄(監修)『オリエンタリズムの絵画と写真』(編集:ツァイト・フォト、 発行:中日新聞社、富士カントリー株式会社、c1989)
このカタログの最後に、きちんとした文献リストがあります。すっかり忘れていましたが、GS3号がオリエンタリズムの特集をしています。
研究室にあるはずです。他の作業をしながら、探すことにしました。
本棚を探しているときに『幕末の蘭学』が目に止まりました。取り出して、次の論文を読みました。
原正敏「画学」中山茂編『幕末の蘭学』(ミネルヴァ書房、1984): 205-223
読み終わった頃、授業でオリエンタリズムを取りあげたとき、関係する資料をまとめていたことを思い出しました。およそどのあたりに置いたのかも思い出しました。
積み重なっている地層を掘り起こすのにすこし手間取りましたが、見つかりました。
GS3号(1985)、特集「千のアジア」
全部は読んでいませんが、線を引いて読んだものもありました。すっかり忘れていました。一度一箇所に集めたものがばらけています。『現代思想』の特集もあったはずですが、見当たりません。
本棚の上の方に、彌永信美『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』(青土社、1987)があるのは、前から知っていました。取り出すのが難しいので手をつけていなかったのですが、まわりの荷物をどかして、地層が崩壊しないよう気をつけつつ、取り出しました。
文庫版『幻想の東洋』の下巻を繰っていると、私が探している本のタイトルがありました。(本のタイトルを思い出すことができなかったので、辿り着くまでに、相当の迂路を経ました。)
岸野久『西欧人の日本発見―ザビエル来日前日本情報の研究』吉川弘文館、1989
ここまで来れば、初期の調査としては十分です。
根占さんの次の論文もヒットしました。
根占献一「ニッコロ・デ・コンティの旅とトスカネッリの地図およびポッジョの『再認されたインディア』」『地中海研究所紀要』3(2005): 91-109本の探索の副産物として、新しい『アリストテレス全集12 小論考集』から「観相学」の部分だけ読みました。ふたつの原稿を合体させてなったものだろうとあります。(「元は別個にあった明らかに性格の異なる二つの論考(二系統の写本群)を観相学というテーマの下に機械的に結合した」p.383)表情から心理を読み解くことと人間の分類(判別類型)の2方向がアリストテレスの時点からあったことがわかりました。これは、そうなると思います。
12時40分から会議。こちらは私が司会を務めます。案件が簡単なものだけだったので、1時5分には終わりました。
次の会議は、2時20分から。4時20分過ぎに終わりました。珍しく、国際社会学部の方が数十秒先に終わっていました。4時40分多磨駅発の電車に乗ることができました。同僚のW先生といっしょになりました。
帰宅してから、根占献一さんの論文を読みました。地中海研究所というのは、早稲田にあるようです。
岸野久さんには次の本があります。
岸野久『ザビエルと日本 : キリシタン開教期の研究』吉川弘文館, 1998
岸野久『ザビエルの同伴者アンジロー : 戦国時代の国際人』吉川弘文館, 2001
岸野久『西欧人の日本発見 : ザビエル来日前日本情報の研究』吉川弘文館, 1989
編著には次。
岸野久, 村井早苗編『キリシタン史の新発見』雄山閣出版, 1996
他に関係するものとして。
ザビエル生誕500年記念シンポジウム委員会, 鹿児島純心女子大学編『ザビエルの拓いた道 : 日本発見、司祭育成、そして魂の救い 』 南方新社, 2008
高瀬弘一郎訳・注『イエズス会と日本』岩波書店, 1981(大航海時代叢書 / 生田滋 [ほか] 編 ; 第2期 6-7)
ひとりで5時、室温22.6度。雨。本格的な雨降り。
7時台で雨は上がりました。ちびどもはバスではなく自転車で学校に向かうことができました。→一度晴れ間がありましたが、すぐに晴れ間は消え、雲が空を覆ったと思ったら、また雨が降り始めました。最高気温20度で、雨が降り続きます。長袖を引っ張りだしました。午後に会議。4時半開始で2つ続きます。今日は午前中は家で過ごしてから、午後大学に向かうことにします。
NBA ファイナル、第5戦が終わってから出発。 1時半、武蔵境発の西武線。
図書館に本を1冊発注し、ILL で論文を1本オーダーしました。
次の論文は、ネットで入手できるのではないかと探しました。けっこう苦労しましたが、1ページ、1ページの画像を入手することができました。その場でプリントアウトし、読み通しました。
Timon Screech, "The Meaning of Western Perspective in Edo Popular Culture," Archives of Asian Art, 47(1994), pp. 58-69.
たぶん、若書きの論文です。そのよさがでています。ヨーロッパの遠近法絵画と比べたときの、日本の浮絵の基本的特徴をきちんとつかまえようとしています。日本の絵は、基本、プリント、すなわち版画であること、浮絵が中心的には覗き絵であること、消失点を2重化したことの効果(富士山が現実よりもずっと高く見える、川と海が変な確度で交わること)等、重要な論点が指摘されています。4時半から会議。終わって6時半過ぎ。6時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。岩崎務先生といっしょになりました。四方山話。
ひとりで4時30分、室温23.2度。夜半降っていた雨は、止んでいるのでしょうか。→6時前にゴミを出すため、外にでました。雨は上がっています。夏の格好ではすこし寒い。6時までに、金曜日に届いたゲラを送り返しました。妻は6時20分、ちいさいちびは6時25分に起こすよう、書き置きがあります。
午後に授業。
8時42分武蔵境発の西武線。研究室に荷物をおいて、メールのチェックをしてから、図書館へ。1冊返し、2冊借りました。稲賀繁美『絵画の東方 : オリエンタリズムからジャポニスムへ』(名古屋大学出版会、1999)と稲賀繁美『絵画の臨界 : 近代東アジア美術史の桎梏と命運』(名古屋大学出版会、2014)。稲賀さんの本から、日本の遠近法に関する章をまず読みました。わかりやすいまとめとなっています。
TLL で届いた本ももうすぐ返却期日であることに気付き、もう一度図書館ヘ行って返却しました。
11時過ぎにお弁当。3限4限と大学院のゼミ。終了後、3階事務室で2点の書留郵便を受け取りました。
4時16分多磨駅発の電車で帰宅。
ひとりで4時55分、室温24.1度。晴れ。ただし、涼しい。昨日の暑さが嘘のようです。おおきいちびは男バスの応援。八王子に行きました。ちいさいちびは先輩達の応援。比較的近所です。相手が強豪校なので勝つのは難しいそうです。
[佐々木 果『まんが史の基礎問題 』]
朝のうちに、佐々木 果『まんが史の基礎問題 ―ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』を読み通しました。よい研究書です。マンガやアニメに関心のある方は、手にとって読まれても、損はしないでしょう。日本ではあまり研究の光が当たっていないヨーロッパや米国の歴史が概説されています。私には、正しい研究方向を指し示していると思われます。
なお、目次は次です。
序.ストーリーまんがの源流
紙の量について/手塚治虫と赤本/ストーリーとコマ/コマ割りまんがの父・テプフェール/コマ割りまんがはどこから来たか
第1章 ストーリー・ページ・コマ
1.コマ割り表現の歴史
絵はいかに区切られたか/『ライモンドゥス・ルルス小約言』挿画/「時間性コマ配置」と「関係性コマ配置」
2.ホガースとその時代
「絵を見ること」の大衆化/ホガース『ことの前後』
3.テプフェールと線
蛇行する線/「と」としての線/テプフェールの時代と視覚の変容/まんがとアニメにとっての1820年代/テプフェールの線はどこから来たか
第2章 絵・キャラクター・線
1.キャラクターとカリカチュア
ホガースの絵柄/キャラクター文学/図像と虚構/印刷によって制限される絵柄/ホガースのキャラクター表現
2.カリカチュア革命
カリカチュアの流行とアマチュア/カリカチュアをめぐる問題/モダン・カリカチュアの展開
3.テプフェール「観相学試論」
線とキャラクター/ペンで紙に自由に描くこと
4.シンボルとイメージ
絵と文/写真と映画
第3章 触覚的・通過・運動
1.視覚的と触覚的
映画における触覚的な受容/建築としてのストーリーまんが/パサージュから都市へ
2.テプフェール以後の展開
パリでの反響/雑誌・新聞の時代と単行本/児童向けの絵本/ブッシュと動きの表現
3.雑誌から単行本へ
定期刊行物とまんが/キャラクターとマーケッティング/19世紀アメリカ/連載から単行本へ/戦前の日本における単行本
4.近代メディアとまんが
アニメーションの出現とウィンザー・マッケイ/動きとキャラクター/トーキー時代のまんが/日本のアニメーションとストーリーまんが/ふたたび『新寶島』
ひとりで5時、室温24.8度。晴れ。暑くなりそうな空をしています。小学生は土曜学校。一昨日から文句を言っています。ちいさいちびは午前練。午後は、男子ハンドボール部の応援に行くそうです。
午後、アルミ板が届きました。幅40ミリ×肉厚10ミリ× 長さ10センチで、590円。息子に見せたら、鉄? と言っていました。アルミは軽いと思っていたら、この嵩になると思ったよりも重かったせいです。
3時過ぎに、1度だけ外出。セイユーにお使い。牛乳4本、スイカ、ヨーグルトを買って帰りました。牛乳4本はけっこうな重さになります。
昨日、残した仕事を片づけました。
[観相学]
擬アリストテレス 「観相学」『小品集』『アリストテレス全集10』(岩波書店、1969);「観相学」『アリストテレス全集12 小論考集』(岩波書店、2015)
テオフラストス 『ひとさまざま』(岩波書店、1982)
スコット Micael Scot (1175-1235) Liber Physiognomiae
デラ・ポルタ 『人間観相学』 Gian Battista Della Porta(1535-1625), De Humana Physiognomonia, 1586
デカルト、『情念論』(1649) René Descartes, Les passions de l'ame (1649)
ルブラン, Charles Le Brun (1619-1690) Conférence sur l'expression générale et particulière,1668; Traité des passions,1698 ; Caractères des passions, 1790
ラファテール 『観相学について』 Johann Kaspar Lavater (1741-1801), Von der Physiognomik, 1772
ダーウィン 『人間及び動物の表情について』(1872) Charles Darwin, The expressions of the emotions in man and animals, 1872
ひとりで5時、室温24.2度。曇り。昨日は夕刻に曇りから晴れに変わり、気温が上がりました。今日はどうでしょうか。薄曇りのまま、すこし晴れ間が出てきそうです。昨日の夕刻から数多くの仕事メールが来ました。今日はその対応に時間を割きます。→100%ととは言えませんが、おおよそ処理することができました。
お昼前に母から電話。NHK昼の番組に、近所の人が出るということです。録画しておきました。2時10分からの50分番組でした。→梅特集です。近所の人というのは、割とよく知っている人です。永井恒雄さん。母はつねやんと呼んでいたと思います。梅仙人という称号で出ていました。故父は、永井恒雄さんに、ちいさいころ我が家の庭にあった小屋をあげています。その小屋は、山の上の梅畑に移動し、金比羅山荘となっています。そういうことを喜んでやる、人なつこいおっちゃんです。
お昼に、『杏雨』第20号(2017)が届きました。『杏雨』は、カラーの図版をふんだんに使っています。
おやつの時刻に、ビスマスが届きました。100グラム1000円です。
ひとりで2時30分、室温23.2度。さすがに起床の時刻ではありません。昨日の研究所の懇親会でアルコールを摂取したせいです。ビール2杯、ワイン2杯を頂きました。一度寝て、2度目の覚醒は5時半。大学に出るまでに、昨日届いた『化学史研究』2017年第2号関係の仕事を処理してしまいたいと思います。
午後に授業。
郵便局で、2点を投函し、1点を窓口に出してから、10時6分武蔵境発の西武線。
まず研究室に行き、論集委員会の仕事をもって3階研究院事務室へ。事務の方へ仕事を渡して、ロッカーで3冊の本を受け取りました。
本をもって帰ると、物品が届いたという報せがありました。早速今度は事務棟3階まで取りに行きました。
学会の編集委員会に次の3冊が献本されていました。税別で、合計25800円。ちょっと申し訳なくなる金額です。丁寧に対応いただいた、岩田書院のみなさまに、感謝申し上げます。
「幕末佐賀藩の科学技術」編集委員会編『幕末佐賀藩の科学技術』 全2冊、岩田書院、2016、上巻:8500円(税別)、下巻:9900円(税別)
「近代日本製鉄・電信の源流」編集委員会編 『近代日本 製鉄・電信の源流−幕末明治初期の科学技術− 』 岩田書院、2017、ISBN978-4-86602-988-7、7400円 (税別)4限5限と学部のゼミ。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
次の本が届いていました。
Christopher Rivers, Face Value: Physiognomical Thought and the Legible Body in Marivaux, Lavater, Balzac, Gautier, and Zola, Madison: The University of Wisconsin Press, 1994
このテーマなのに、イラストが4点しかありません。
ひとりで4時50分、室温22.5度。午後に会議。その後、研究所の会合。若い先生方に研究内容を発表してもらいます。
9時54分武蔵境発の西武線。
11時にお弁当。
12時40分から会議。2時過ぎまで。
研究所に行って、発表会。4人に新任の先生に、自己紹介を兼ねて、各自の研究を発表してもらいました。4人ともなかなかしっかりとした面白い研究をされています。
4時過ぎからコンパ。私は6時過ぎでお暇をしました。
6時16分多磨駅発の電車。
帰宅すると、新しい『化学史研究』と銀1オンス(3299円)が届いていました。
昨日届いた、佐々木 果『まんが史の基礎問題 ―ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』をカバンに入れ、折りをみて、読んでいます。基本的な問題が扱われています。テプフェールは、なるほど、コマ割といい、絵柄といい、ユーモアといい、マンガの起源と位置づけることができます。
気象庁が関東も梅雨入りしたと発表したようです。
[『化学史研究』2017年第2号]
[論文]古谷紳太郎「アインシュタインによる古典論の限界の発見:光量子仮説から固体比熱理論へ 」第44巻(2017): 57-70
[総説]梶雅範「ウラジーミル・ヴェルナツキーの外国での影響」第44巻(2017): 71-81
[紹介]田中浩朗「 杉山滋郎『「軍事研究」の戦後史』 」第44巻(2017): 82
[年会特集] 「詳細プログラム」第44巻(2017): 83
[年会特集] 大山秀子「田丸節郎:アンモニア合成と学術振興」第44巻(2017): 84-87
[年会特集] 若林文高「日本の博物館創世期−科博を中心として−」第44巻(2017): 88-60
[年会特集]内田正夫「希土類元素発見の歴史」 第44巻(2017): 91-92
[年会特集] 古川安「『未知なる元素を求めて』―化学史教材としてのDVD―」第44巻(2017): 93
[年会特集] 佐藤道洋(愛知県立新城高等学校)「デイヴィは何個の元素を「発見」したのか?元素発見の概念上の整理」第44巻(2017): 94-96
[年会特集] 武山高之「「ドイツ化学史の旅」(8)番外編英国の旅で思うロンドン大学化学教授A・W・ウィリアムソン‐主に、その社会思想的背景と日本への影響‐」第44巻(2017): 97
[年会特集] 川合智「物性化学の開発における現場観察と物理化学的直感の役割」第44巻(2017): 98
[年会特集] 堤憲太郎「フグ毒研究と分離分析技術の進歩」第44巻(2017): 99
[年会特集]原文雄「スヴェドベリのノーベル賞受賞の不思議」 第44巻(2017): 100
[年会特集] Yona Siderer「Historical, Cultural and Linguistic Study on Translation of Science」第44巻(2017): 101
[年会特集] 山口達明「明治初頭の有機化学教科書:丹波敬三、下山順一郎、柴田承敬桂纂*『有機化學』(前編 明治12年8月 後編 同年10月」第44巻(2017): 102
[年会特集] 黒田光太郎「「黒田チカ資料」の現状」第44巻(2017): 103
[年会特集] 吉原柚紀「「環境問題」はいつできたのか:隅田川・多摩川の事例に見る意識の変遷」第44巻(2017): 104
[年会特集] 金山浩司・齋藤宏文・ 市川浩「梶雅範(1956-2016)の化学史研究―V. I. ヴェルナツキー/梶雅範訳『ノースフェーラー惑星現象としての科学的思考―』刊行にあたって―」第44巻(2017): 105
[年会特集] 河野俊哉「図像化学史試論:プリーストリの『透視画法の理論と実践入門』からファラデーの『化学操作法』まで」第44巻(2017): 106
[年会特集]中辻慎一「Moses Gomberg の足跡と有機ラジカル化学の変遷」 第44巻(2017): 107
[年会特集] 廣田襄「G. N. Lewisとアメリカ化学の発展 (III)」第44巻(2017): 108
[年会特集] 原宏「大気化学の歴史(3): Cauer 論文」第44巻(2017): 109
[年会特集] 加藤貴広・大野誠「『化学史事典』の刊行」第44巻(2017): 110
[会員の出版物]第44巻(2017): 111
[会告]「2017〜2018年役員体制」第44巻(2017): 112
ひとりで4時30分、室温22.1度。曇り。ちいさいちびは今日も朝練。先輩が負けて引退するまで続けるのでしょうか。会議の日。午前中からあります。4つ続きます。お昼ご飯を食べる時間がきちんと確保できるかいくらか心配です。
8時半武蔵境発の西武線。
研究室で事務的用件。一応、こなすべきものはこなしたと思います。お弁当を食べる時間がないことを考慮して、まるで高校生のときのように、10時前にお弁当。
10時10分から学長室。11時過ぎまで。一度研究室に戻り、11時半から中会議室でセキュリティ講習会。12時20分まで。12時40分から会議。2時過ぎまで。
2時半から人事委員会。4時10分ぐらいに終わりました。4時28分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。
帰宅すると次の本が届いていました。
佐々木 果『まんが史の基礎問題 ―ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』オフィスフェリア、2012
なかなか面白そうな著作です。→部分的に読み始めました。クレーリーによっている部分から。
ひとりで4時25分、室温23.0度。晴れ。まだ晴れています。
ちいさいちびは先輩達が勝っているせいでしょうか、朝練があるそうです。6時40分に起こすよう書き置きがありました。午後に大学院の授業。3限4限5限。
9時6分武蔵境発の西武線。
21世紀に入って新展開のあったマンガ表現論の関係の著作の所在調査をしていました。ティエリ・グルンステンの翻訳は図書館にほぼ入っていました。三輪健太郎氏のものと泉信行氏のものが入っていません。泉信行氏のものは、かなり特殊な出版形態です。アマゾンでも販売しておらず、入手がかなり難しい。コミケに行けば、入手できる可能性が高いようです。5限は、沼野先生に頼まれました。院生諸君のディスカッションの回なので、私は教室にいって、仕切るだけです。一組、集まりが非常に悪いグループがあって心配したのですが、30分ぐらいでなんとか集合していました。去年とはすこし違って、グループで発表した院生に、最後短く、発表内容とコメントを報告させる形式にしていました。今年は、見事に言語系の院生が多い。
5限がスムーズに終わったので、5時40分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。北の空が異様に暗い。いつ俄雨が降ってきてもおかしくありません。私が家に着くまでには、わずかに降られましたが、傘をさすことはありませんでした。私が帰宅して、ちいさいちびもすぐに帰ってきました。こちらもすこし濡れただけですみました。その後、強い雷光に非常に大きな雷鳴。外にいると恐怖を感じる大きさです。
それほど長くは続きませんでしたが、黒雲の真下になった場所は、ひどい雷だったのではと思われます。そして、寒くなりました。たぶん数度気温が下がったのでしょう。私は長袖を着ました。
ひとりで4時40分、室温22.8度。ちびどもは試合見学。ちいさいちびは部活の試合。先輩達がまだ買っているので、応援に行きます。おおきいちびは先週敗退引退しましたが、中学の同級生の行っている高校がおおきいちびたちの高校を負かした私立高校と当たります。中学時代の別の友人といっしょに勝ち残っている子の応援に行くそうです。
と思ったら、スイカが見当たらないと騒いでいます。夜塾に行って帰ってきています。駅を出るまではあった。仕方がないので、妻と2人で家中を探し回りましたが、見当たりません。これほど探してないのであれば、外で落としたのであろうという結論に至りました。妻が別のスイカを渡しました。
でかける途中、駅前の交番に相談に行ったら、帰ってくるときに荻窪署に届いていると教えてくれたそうです。
家に帰り着いたときの発言が「ジャパンにたすけられた」。ジャパンすごいわ、とも言っていました。子どもは大人には思いつかない言葉を使います。この文脈で、ジャパンとは大人には思いつかない言葉です。昨日届いた次の本を読み通しました。
伊藤 剛 『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』 星海社新書、2014(初版、NTT出版、2005)
スリリングでエキサイティングな批評です。マンガ表現論の画期的な書物です。
3点、新しい概念を提起しています。「キャラ/キャラクター」「フレームの不確定性」「マンガのおばけ/ウサギのおばけ」
『テヅカ・イズ・デッド』(2005)の後にでた研究文献も挙げてくれています。(新書版の後書きで)
泉信行『漫画をめくる冒険』ピアノ・ファイア・パブリッシング、2007
佐々木果『まんが史の基礎問題―ホガース、テプフェールから手塚治虫へ』オフィスへリア、2012
岩下朋世『少女マンガの表現機構 ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」』NTT出版、2013
三輪健太郎『マンガと映画』NTT出版、2014
ティエリ・グルンステン『マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか』野田謙介訳、青土社、2009
鈴木雅雄編『マンガを「見る」という体験―フレーム、アート、モダン・アート』水声社、2014
ひとりで4時40分、室温22.4度。ちいさいちびは午前中に部活。
昨日の夕方あたりから気温が下がりました。夜寝るときには長袖のパジャマにしました。
午後、次の本が届きました。
伊藤 剛 『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』 星海社新書、2014(初版、NTT出版、2005)
→早速読み始めました。これはよい本です。先行研究をきちんと踏まえ、方法論的な意識で表現の問題を展望しようとしています。夕刻小学生を吉祥寺のトキワに連れていって、水泳用のゴーグルを買ってきました。ゲーム機と iPad の画面で相当目が悪くなっています。学校の水泳のときも、すこしは見えないと心配だというので、度付きのゴーグルを買ってやることにしたものです。
自転車で行きました。私はもっとも大きなママチャリ。小学生は自分の自転車。昼間吉祥寺に行った妻によれば、比較的大きなデモがあり、機動隊車両が相当数来ていたそうです。ちょうど、その機動隊車両が列をなして帰るところに遭遇しました。度付きといっても眼鏡屋さんではないので、ごく簡単に視力をみて、それより1つ落とした度のものを選び、組み合わせるというだけのことでした。数分ですみました。
そのまま同じ道を引き返しました。[金属]
お昼前に、錫と鉛が届きました。錫は292グラム、鉛は980グラムの延べ棒の形をしています。
昨日は銅が届きました。なんと中国からです。これは1円玉ぐらいの大きさの四角のものを頼みました。息子は早速一個持ち歩いています。
理科の教材としての、1モルの鉄、銅、アルミニウム、炭はずっと以前に購入しています。
息子は喜んでいますが、おねえちゃんたちは、ふーんです。まあ、そういうものでしょう。[もうすぐ60歳]
最近、そういえば、もうすぐ60歳になるんだなと考えることがあります。子どもたちの学校の先生は、60歳で定年退職なので、おれは今年限りだみたいな話をすることがあるそうです。私の友人たちでも、民間企業に勤めた方は、そろそろ定年退職です。大学のときの友人には、1歳上、2歳上の方はすくなくないので、今年定年退職、来年定年退職という人もいるでしょう。
直接聞いたわけではないので、誰がそうなっているのかは不明です。
大学は(一部の私立を除き)だいたい65歳です。今の自分の状況からして、60歳で定年退職というのがどうも信じられない、というのが基本にあります。
60歳で定年退職した人たちは、いったい何をするのでしょうか? 何をしているのでしょうか? 生の声を聞いてみたいというふうに思います。
もちろん、経済的問題もあります。きちんと計算しておかないと、急変に対応できません。我が家の場合、住宅ローンが63歳になる年の4月まであります。子どもたちの成長(高校生か大学生か、大学を卒業しているのか)も大きい。
たまにこういうことを集中して計算してみます。
ひとりで5時20分、室温24.7度。お昼休みに仕事があります。大学院進学説明会。
9時54分武蔵境発の西武線。生協に直行し、ノートを購入しました。研究室で事務的用件の処理。11時ちょうどの再度生協に。昨日と同じく、辛味噌ラーメン。
11時40分に115教室へ。11時50分から大学院進学説明会。4年生だけではなく、3年生も2年生も一定割合で来ていました。研究科長の説明は12時20分まで。
今日はほかに用件がありません。そのまま帰宅。12時40分多磨駅発の電車。固定資産税納税通知書が届きました。そういう時期です。
ひとりで5時20分。室温24.5度。雨。予報では、午前中に上がります。雨が上がったあと、明日になって、最低気温19度から最高気温31度。わおー。→6時25分ゴミを出すために玄関を開けると雨は上がっていました。すっきり上がるのは、もうすこし後になるかもしれませんが、学校に行くときには傘は不要でしょう。
ちびどもは定期考査最終日。なんと、おおきいちびは明日実力試験があるそうです。午後に授業。
朝しばらく作業をしてから、出かけました。9時42分武蔵境発の西武線。事務棟3階に上がって、届いている紙を受け取りました。台車を借りて、研究室へ。
授業の準備。11時前に台車を返しに行きました。その足で生協に行って昼食。辛みそラーメン。購買部でちょっとしたおやつを買って、研究室に戻りました。4限5限の授業。
5時52分多磨駅発の電車。5限まであるときはだいたいこの時刻の電車になります。
帰宅すると、次の雑誌が届いていました。
『ユリイカ』2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線
特集部分の目次は、次のようになっています。
【マンガ表現論の革新】
キャラの近代、マンガの起源 『テヅカ・イズ・デッド』 をめぐって / 夏目房之介+宮本大人+伊藤剛
「キャラ/キャラクター」 概念の可能性 / 夏目房之介+東浩紀+伊藤剛
【広がり/深まりゆくマンガ学】
「日本マンガ学会」 ができるまで 情報の共有へ向けて / 藤本由香里
まんが表現行為について まんが教育の立場から / ササキバラ・ゴウ
【クリエイターのスペキュレーション】
浦沢直樹、マンガを語る / 浦沢直樹 [聞き手=宮本大人]
キャラクターがそこにいるというマンガを / あずまきよひこ [聞き手=伊藤剛]
【戦後マンガ史の再構築】
TOO LATE THE HERO 古沢日出夫 「冒険ゴット」(一九五二〜一九五三)について / 鷲谷花
アニメが先かマンガが先か アニメ=マンガ言説に関する一考察 / 津堅信之
「萌え」 と 「乙女ちっく」 のあいだにあるもの、あとからくるもの / ヤマダトモコ 『NANA』 は7と8のドラマである / 宮本大人
ヤオイ・イズ・アライヴ わかりたいあなたのための、やおいマンガ・マップ / 金田淳子
【新しいマンガの読み方・描き方・語り方】
デジタルマンガの現在 / 竹熊健太郎
マンガの 「語り」 を楽しみたくて / 青井どり
視線力学の基礎読者の〈目〉が漫画に与える力 / イズミノウユキ
【マンガの現場は今どうなっておるのか?】
〜マンガ編集者覆面座談会 マンガ雑誌はどこへ行くのか〜
A=週刊少年マンガ誌編集者 B=月刊少年マンガ誌編集者 C=月刊少女マンガ誌編集者 司会=伊藤剛
【資料】
必読!マンガ論ブックガイド / 斎藤宣彦+横井周子寝床にもっていって、「キャラ/キャラクター」をめぐる夏目房之介+宮本大人+伊藤剛氏の鼎談、ならびに夏目房之介+東浩紀+伊藤剛の鼎談の2つを読みました。「キャラ/キャラクター」概念に関しては、私には東氏の議論がすっきりしていてわかりやすいと思われました。
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