[picatrix を探せ]
5月2日、OED にも"picatrix" がないことを報告しました。調べてみると、魔術関係の書物の索引にもあまり見つけることができません。
普通の辞書に"picatrix"の語を見つけた方は教えてもらえるとうれしい。
→17.5.2 埼玉に住む妹からの情報によれば、ジャパンナレッジに収められている辞書・事典類のなかでは、世界大百科事典だけに"picatrix"の項目があるということです。日本語の出版界ではそういうことかもしれません。
英語圏、フランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏、スペイン語圏でおおきな辞典を調べる必要があります。→普通の辞典には"picatrix"のエントリーはないように思われます。宗教関係の事典、神秘学関係の事典、そして大きな百科事典だけがこの項目を拾っているように見えます。もしかしたら、普通の辞典類では、どの辞典が最初にこの項目を採用するのかを問題にすべきかもしれません。)
ひとりで4時45分。室温25.4度。ちびどもは定期考査の3日目。4日間です。家族が起きてくるまでに、日曜日に持ち帰った宿題をなんとかこなすことができました。
私は10時半に歯医者さん。妻は、昨日の続きで、古いスマホを吉祥寺のお店に持っていきます。
準備した郵便6点を出すため、はやめに歯医者さんに向かいました。1点は投函、残りは窓口に出しました。それから歯医者さんの待合室で待機。40分過ぎに名前を呼ばれました。実は、2〜3日前に前歯の一部が欠けています。ちょうどよいので、その治療もお願いしました。
自分としては一生懸命歯磨きしているつもりですが、磨き落としがけっこうあるようです。全部終了して、11時50分。銀行によってから帰りました。
しばらく休んでから昼食。今日はちいさいちびの方が先に帰ってきました。ついでおおきいちび。
おおきいちびが昼食をとっているのを見て、妻は、昨日の続きのための吉祥寺の携帯ショップへ。自分の分のスマホの更新作業です。昨日は、ちびどものだけにしたようです。
1時40分頃小学生が帰宅。
2時過ぎにおおきいちびは塾にでかけました。いつもそうですが、診療台でとくに強い痛みを体験しなくても、歯医者さんの治療はメンタルショックが残ります。1時間も座っていれば、それなりのストレス量になります。
今日はのんびりいくことにしました。
昨日は健康診断、今日は歯医者。明日から通常に戻します。
ひとりで4時45分。室温23.4度。健康診断の日。終わるまで飲み食いができません。
7時42分武蔵境発の西武線。今日の健診ですが、8時半からです。いつも1桁台ですが、今日は一桁前半を目指そうと8時ぐらいに保健センターにつきました。6番。5番は理事です。1番は事務の方。2番は外国人教師の方。
一桁前半とはいかなかったのですが、はやい番号です。9時前には全部完了しました。9時頃に事務に書類を提出してから、帰途。9時16分多磨駅発の電車。
三鷹駅で特急待ちになったので、降りることにしました。トイレに行ったあと、その近くにあった蕎麦屋さんで、わかめ蕎麦を食べました。朝食です。それから、エキナカの紀伊国屋さんで、昼食のサンドイッチを買いました。
10時頃に帰宅。コーヒーを飲み、サンドイッチを食べて、一休み。日曜日の編集委員会で持ち帰った宿題は、明日の歯医者さんまでの終わらせるつもりです。作業に取りかかりました。妻とちびどものスマホの特約期間が終了に近づいています。妻は、ちいさいちびの中学校の卒業アルバムを荻窪に取りに行ったついでに、吉祥寺のお店に行き、昔のような特約がなくなった現在、ちびどもの要望(16Gではすぐにおわってしまう、もっと大きな容量のものがほしい)に沿いつつ、もうこの先、2年ごとに変更しなくてすむ契約方式を見つけて来ました。iPhone 7 の本体価格が2年間に割り振られるので月々はけっこう高くなるのですが、そういう条件下では、もっとも安いのではなかろうかというものです。
お昼過ぎに一度帰宅しました。試験期間中でお昼過ぎには帰ってきているちびどもと相談して、了承を取り付け、それぞれにバックアップをとり(片方は iCloud で、もう片方はiTune で)新しいiPhone 7 が来たときに、できるだけもとの環境に近い状態で使える準備をしています。これに時間がかかった。夕刻になんとかバックアップが完了し、3台のスマホをもってでかけました。
苦労しているようです。一度電話があって、うまく古いスマホの初期化ができない、もうしばらく頑張るということでした。9時を大きくまわってから帰ってきました。
帰宅してすぐにバックアップを新しいスマホに戻す作業に着手しました。前回(2年前の6月28日)には、午前2時までかかってやったことが私のこのサイトの記述からわかっています。ここは妻の性格です。ちいさいちびのはなんとなりました。おおきいちびのスマホの作業に取りかかった時点で、私と小学生は先に就寝。
就寝したので、正確にはわかりませんが、本日中には終わったのではないでしょうか。→17.5.31 おおきいちびのは、10時ぐらいには終わったそうです。妻はそのあと自分のものと格闘していたそうです。朝、おおきいちびから聞いた情報です。
ひとりで5時35分。室温22.9度。ちびどもは定期試験。ちいさいちびは高校に入ってはじめての定期試験となります。3日間。
午後に授業。
9時6分武蔵境発の西武線。まず事務棟3階。昨日の鍵を返しました。
それから図書館。ユリイカの昔の号を見ました。何点かダウンロードした論文を読みました。
11時過ぎに昼食。
3限4限は、大学院のゼミ。3限の院生は、先週亡くしたスマホがちゃんと見つかったそうです。よかった。
帰宅すると次の本が届いていました。
小田切 博『キャラクターとは何か』 ちくま新書、2010
ひとりで4時45分。室温22.4度。私は終日学会の仕事。
おおきいちびはバスケの試合、ちいさいちびはハンドの試合、妻はおおきいちびの応援、小学生は友達とハロー西荻(スタンプラリー)にでかけました。全員を送り出したあと、9時半過ぎに私は家をでました。御茶ノ水駅から、東京外国語大学本郷サテライトへ。10時20分に現地に着きました。休日は人がまったくいません。入館方法がちょっとややこしい。でも、なんとかクリアーして、午前の会合に来る方を待ちました。4人、無事に揃いました。私は会合の参加者ではないので、ノートパソコンを持参し、ネットに繋いで、いつもの作業。11時過ぎに、外に出て、昼食。交差点の向こう側で、開いている中華料理屋にしました。厨房もウェイターも中国人のやっている中華料理屋。本格中華を期待したのですが、日本人の舌にあわせたものでした。
となりにあるコンビニで、おやつとコーヒーを買って戻りました。
4人のメンバーは、12時前に会合を終了。1人は1時前に、2人は2時前に、そしてもうおひとりは用事があり、帰られます。
私はひとりでお留守番。12時45分に1人が戻られました。1時前にもう1人別の方が見え、1時から作業を開始。会計の点検です。2時から編集委員会。今日はネットの調子があまりよくありません。スカイプの回線が混んでいるのでしょうか。音声だけで進めることにしました。名古屋地区には3人。
2時57分に終了。3時から理事会。
5時半過ぎに最後の報告を河野さんが担当している最中に接続が切れました。田中さんのノートパソコンの電源が切れました。諦めて、そこで終了。こちらはもうしばらく話をしてから、部屋の原状回復をお願いし、帰途へ。
半分の方が本郷3丁目の方へ、残り半分が御茶ノ水駅の方へ。御茶ノ水駅方面には5名。古川さん、内田さんといっしょに電車に乗りました。古川さんは新宿まで、内田さんは高円寺まで。帰宅すると、おおきいちび以外はいました。おおきいちびは負けて引退だそうです。相手が私立の強豪校。奮戦したが及ばなかったそうです。
ひとりで6時20分。室温22.1度。曇り。→晴れてきました。おおきいちびはいつもと同じ時刻に練習に出かけました。すこし早退して、レントゲンを撮ってもらうため、病院に行くと言っています。朝のうちに、明日の編集委員会の準備。現時点で私のできることはすませました。あとは、書類の到着を待ちます。
明日は全員でかけます。うまく時間調整をしておく必要があります。
お昼前に次の2冊が届きました。
もと なおこ『アンと教授の歴史時計(1)』プリンセス・コミックス、秋田書店、2016
ロドルフ・テプフェール『復刻版 観相学試論』 森田 直子訳、オフィスへリア、2013午後、郵便で次の2点が届きました。
『地質学史談話会会報』第48号(2017年5月)
『現代思想』2007年10月臨時増刊号 総特集=ドキュメンタリー 、青土社、2007
ひとりで4時30分。室温23.1度。しばらくすると雨の音。昨日より強く降っています。もう、梅雨?→天気予報を見てみました。雨は、夕方には上がり、明日はまた夏のような気温(最高気温29度)になります。週間天気に雨マークがあるのは、今日だけです。まだ梅雨入りには遠いようです。→本日の気温は、最低気温19度、最高気温19度です。寒く感じます。→小学生が帰宅する頃には、予報通り、雨は止んでいました。しかし、日が暮れてからまたしばらく降っていました。おおきいちびが整形外科から帰ってきて、昨日痛めた右手の小指は、骨折の可能性が高いと言われたと報告しました。明日、レントゲンを撮って、確かめるそうです。プレーはなんとかできるので、日曜日の試合には出場すると言っています。膝はいくらかよくはなっているようですが、まだ完治していません。出場できたとして、数分ですが、本人はやる気まんまんです。ちなみに、チームメートは、ケガだらけで、3人同様の骨折をかかえているそうです。
今週は疲れました。今日はのんびりいきます。
我が家のDVDレコードーは、SONY ブルーレイディスクライター VBD-MA1 です。記録しておかないと、調べるのが困難になります。
夕刻、次の本が届きました。
橋本毅彦編『安全基準はどのようにできてきたか 』東京大学出版会、2017
発注してから届くまでに時間がかかりました。古い本で在庫がなくなっていたのだと勝手に推測していましたが、やっと出版されたというのが真相のようです。奥付の出版日は、2017年5月24日です。
目次は次です。
序章 身の回りの安全基準(橋本毅彦)
I 交通
第1章 航空機と運航システム――安全基準の多角性と統一性(橋本毅彦)
第2章 船舶と航海の安全性――保険業界・船級協会による評価(神谷久覚)
II 災害
第3章 戦前の消防体制と戦後の消防力――都市構造と組織拡充
I 戦前の東京における火災対応(鈴木 淳)
II 戦後日本の消防力整備(関澤 愛)
第4章 日本とオランダの治水計画――確率論と基本高水
I 日本の確率論導入と基本高水(中村晋一郎)
II デルタ・プラン以降のオランダ――社会費用便益分析と許容リスク(中澤 聡)
第5章 原子力分野における確率論的安全評価の導入――日本の事例(岡本拓司)
III 健康
第6章 食品の安全性と水銀中毒――生活習慣と行政基準(廣野喜幸)
第7章 災害予防と心理学的類型――労働と適性検査(鈴木晃仁)
「 国際規格
第8章 医療機器の国際規格づくり――臨床試験と適正実施基準(上野紘機)
第9章 欧州の試み:CEマーク制度――安全確保への新機軸(田中正躬)
終 章 技術システムを支える安全基準(橋本毅彦)
科研費「事故・災害と安全基準構築に関する比較科学技術史研究」(2012年〜2015年)に基づくものだということです。故梶雅範さんも参加者の1人だったとあります。橋本さんの文章の最後の方に、梶さんの訃報が記されています。
ひとりで4時45分。室温24.4度。曇り。どんよりとした曇り空です。雨が降ってもおかしくない空模様。→新聞をとるため、玄関のドアをあけると小雨が降っていました。子どもたちは、傘をさしてでかけました。ちびどもはバスです。朝の間に、懸案事項については、メールを送り出すことができました。回答をもらう必要がある案件があります。大学でも対応可能な件なので、大学の事務によったときに直接聞く必要があるかもしれません。
午後に授業。
10時6分武蔵境発の西武線。
研究室ですぐに事務的用件の処理。11時ぐらいまでには目処がつきました。
11時前後でお弁当。
すこしですが、部屋の片づけ。
1時過ぎに、事務棟3階に行って、日曜日の鍵を借りてきました。本郷サテライト5階の鍵です。4限5限と授業。
5限の片づけをして、5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。雨はとっくに上がっています。
ひとりで3時15分。夜目覚めたのか、朝起きたのか、どっちなのか不明です。
ともあれ、夜の終わり/朝の始めに目が覚めてしまったので、ロアルド・ホフマン『これはあなたのもの 1943ーウクライナ』の本体部分、すなわち戯曲を読みました。ほんとうにすばらしい本です。できるだけ多くの人に届けられますように。午後に会議。4つ連続しますが、2つ目と3つ目の間で、休憩時間がとれると思われます。
9時42分武蔵境発の西武線。昨日と同じ電車になりました。
11時40分から会議。予想通り、間を置かず、次の会議。12時40分から。1時過ぎには終わりました。次の会議まで1時間以上の休憩時間がとれました。たすかります。生協でちょっとした買い物をしました。
2時20分からの会議ですが、研究院事務室で書留を受け取ってから、大会議室に2時10分に入りました。1番かと思ったら、もうすでに10人近くの方がすわってました。はやい。
最後の会議、4時からの会議は20分で終わり、4時28分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。
会議が短くすむと、余力があります。帰ってきてすぐに何件か、事務的用件を処理しました。疲れているときにはどうしてもあとまわしにしてしまいます。
ひとりで4時50分、室温24.0度。午後に会議。3つ続きます。
9時42分武蔵境発の西武線。中央線の乗り換えで走れば30分の電車に間に合ったのですが、ロアルド・ホフマン『これはあなたのもの 1943ーウクライナ』をカバンに入れ、読んでいたので、待ちながら読むのもよいかと考え、乗換を急ぎませんでした。
これは、とても、よい本です。
事務的用件を2件片づけてからも、読み続けました。戯曲以外は読み通しました。大学の歴史の授業で使って欲しい書物です。学生たちにその気があれば、実際に学生たちに上演させてもとてもよい授業になると思います。
川島さん、よい仕事をされました。12時40分から会議。2つ連続ですが、2時過ぎには終わりました。
次の会議は3時から。こちらは18分で終わりました。研究室に戻り、片づけをしてから、3時40分の電車で帰宅。
残していた本日の事務的用件をこなしています。今日は、いろんな連絡が来ます。私の方で対応する必要がある案件です。
5時、ドアフォンがピンポン。なおの音楽の先生が迎えに来てくれました。いつもは金曜日なのですが、この春になって火曜日に変わっています。前も忘れたことがあります。先生の直感が働いて、忘れているのではないかという推測のもと、迎えに来てくれたわけです。すばらしい直感です。全員忘れていました。昨日まで覚えていたのに、妻の言葉です。私もそうです。
帰宅すると鉱物が届いていました。水晶のかけら、ペリドットのかけら、ガーネットのかけらです。かけらに関しては、アマゾンが安い。西ヶ原キャンパス時代、都内にある鉱物のお店にはよく行っていました。鉱物フェアにもよく行きました。かけらが好きで、いろいろ買いましたが、アマゾンは私の知る限り、もっとも安く入手できます。
息子が関心を示したので、我が家のいろんな場所に散らばっている鉱物を探しに行き、棚に眠っている鉱物標本(60種)を引っぱり出して、息子に説明してやりました。品書きは英語です。説明できるものとできないものがあります。
何と息子は、黒曜石の英語を知っていました。マインクラフトにあったんだそうです。私はゲームはまったくしないので、ゲームの世界はほとんど知りません。現実世界との繋がりをつけてやると、広がりのある世界だと思います。
調べただけで買うのをしばらく諦めた金属標本(インゴット等)ですが、少しずつ買い集めることにしました。もちろん、金も欲しいのですが、金は高い。今、100グラム、45万円ぐらいです。価格の推移表を見ましたが、ここ1年間ぐらいでは、100グラム40万強から45万強の間で上下しています。
銀は100グラム7千円ぐらいです。銅は100グラム70円ぐらいです。
ひとりで4時5分、室温24.5度。5月末で朝の室温が24.5度は信じがたい高さです。眠れないほどではありませんが、すこし寝苦しさを感じました。朝早く目覚めたので、もと なおこ『アンと教授の歴史時計(2)』を読み終わりました。歴史の勉強になるかと思い、購入したものでしたが、まさに勉強になりました。
午後に授業、3限4限5限。
9時54分武蔵境発の西武線。まず、図書館に行って、次の文献を受け取りました。
StevenNadler, "The Art of Cartesianism: The Illustrations of Clerselier's Edition of Descartes's Traité de l'homme (1664)," in Descartes' Treatise on man and its reception, Delphine Antoine-Mahut, Stephen Gaukroger, eds. (Springer, 2016): 193-223
それから印刷センターに行って、5限に配布する資料の印刷。メールボックスに次の本が入っていました。
ロアルド・ホフマン『これはあなたのもの 1943ーウクライナ』川島慶子訳、アートデイズ、2017年6月1日発行、本体1300円。
川島さん、ありがとうございます。
目次は次のようになっています。ホフマンの戯曲の翻訳に解説をつけた形です。まず、川島さんの解説を読みました。とても価値のある仕事をされています。
ホフマン「ズヴォーチェフから東京へー「許し」への道」(左近充ひとみ訳)
矢野久「ナチスのユダヤ人政策ー作品の歴史的背景」
黒木雅子「女性の越境とサバイバルー語れない物語をどう聞くか」
鵜山仁「『これはあなたのもの』舞台化のための、いくつかのイメージ」
ロアルド・ホフマン「戯曲 これはあなたのもの」(川島慶子訳)
川島慶子「「訳者あとがき」にかえてーノーベル賞科学者が紡ぐ戦争と平和の詩」
「『これはあなたのもの』世界と日本で公演」
11時半頃お弁当を食べ、それから3限4限5限。
4限が終わってすぐに、研究室に戻り、必要な資料をもってすぐに226教室へ。板書+配布文書3点というオールドスタイルの講義をしました。
久しぶりの90分の講義だったので、すこし疲れました。5時52分多磨駅発の電車に乗って帰ってきました。
ひとりで4時50分、室温23.8度。おおきいちびは公式戦。負けたら即引退の試合が始まります。板橋に行きます。妻も応援に行きます。ちいさいちびは午後に練習。
おおきいちびは8時前(7時45分ぐらいか)、妻は9時前に出かけていきました。おおきいちびは1階に降りてきて、あつい、あつい、と連呼していました。夕刻、次の本が届きました。
もと なおこ『アンと教授の歴史時計(2)』プリンセス・コミックス、秋田書店、2017
デイヴィッド・ホックニー,マーティン・ゲイフォード『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』木下 哲夫訳、青幻舎、2017
両方とも、今朝の新聞の書評欄を見て、発注したものです。ホックニーとゲイフォードの『絵画の歴史』は、予想以上に、重くてでかい。
ちなみに、『絵画の歴史』はほんとうは画像の歴史です。原題は、A History of Pictures. 本のカバーには、日本語のタイトルよりも大きな面積をとって、A History of Pictures と手書き文字で記されています。
まえがきでは「さまざまな種類の画像、例えば絵画、写真、映画の歴史ならいくらでもある。ところが画像全体の歴史となると、そうはいかない。」画像自体を独立したものとして、その歴史をサーベイしてみよう、とあります。
おそらくですが、画像の歴史よりも、絵画の歴史の方が売れるという判断がどこかであったのでしょうが、誤解を招く絵画の歴史よりも画像の歴史のよかったように思います。[見えない存在:論文集]
デジタルでいろんな論文が入手できる時代になりました。しかし、簡単に入手できないだけではなく、存在すらあまり知られない出版形態に論文集というのがあります。
私自身の事例で言えば、『講座科学史 第1巻 西欧科学史の位相』(伊東俊太郎・村上陽一郎編、培風舘、1989年)に載せてもらった「デカルトの自然学−−数学的? それとも原子論的?−−」は、ほとんど認知されていないようです。
内容的には、下に引用した Lüthy(2006) のデカルト図像論文に重なる主張をしています。
雑誌掲載論文は、大学やいろんな学術機関のレポジトリーにあがるようになっていますが、一般的に、こうした論文集掲載の論文は、かなりの割合で見えない存在と化しているように思われます。
とりあえず、一昨日、「デカルトの自然学」のみ Acdemia.edu にアップロードしました。見える化するためには、現状では、個人でこういう努力をするしかないように思われます。(特定の出版社が出版した本のなかのものは、公的機関はなかなか手が出せません。著作権者である著者自身が対応するしかないように思われます。)
時間をみつけて、こうした論文を Acdemia.edu にアップロードしていこうと思っています。ちなみに、私の出版物でこの範疇に入るものをリストアップしてみました。
「ニュートンの物質理論」『ニュートン自然哲学の系譜』(吉田忠編、平凡社、1987) 223−251頁
「ロバ−ト・ボイル、人と仕事」『科学の名著 第II期 8 ボイル』 (伊東俊太郎・村上陽一郎編、朝日出版社、1989年)、ci-clxxvii頁
「デカルトの自然学−−数学的? それとも原子論的?−−」『講座科学史 第1巻 西欧科学史の位相』(伊東俊太郎・村上陽一郎編、培風舘、1989年)、296−317頁
「ニュートンとライプニッツ」『岩波講座 宗教と科学 第2巻 歴史のなかの宗教と科学』 (1993年) 213−239頁
「アイザック・ニュートン」 『西洋哲学史[近代編] 科学の形成と近代思想の展開』 (ミネルヴァ書房、1995年)20―27頁
「ヘルモント主義と若きボイルの化学=錬金術」『科学と国家と宗教』(平凡社、1995年)10-36、312-315頁
「17世紀後半の水銀学派の腐敗/発酵理論」『腐敗と再生―身体医文化論3』(慶應義塾大学出版会、2004), pp.115-134
「ロバート・ボイルの化学―元素・原質と化学的粒子―」『科学思想史』(金森修編、勁草書房、2010)255-323頁
ひとりで5時5分、室温22.1度。予報によれば、土日は、7月上旬、7月中旬の気温になるそうです。うむ、あつくなるのがはやすぎます。月曜日の5限に、大学院の講義があります。去年は私と土佐先生でまわしたいた授業で、先生方に話してもらう会を設けました。その会の初回を今年の担当の沼野先生より頼まれたものです。断るわけにもいきません。準備はまえからかかっていたのですが、今日は全体を通して、配付資料の準備と、編集作業をしていました。90分であまり多くを話すことはできませんが、もうすこし手を加えます。
ちびどもはふたりとも午前中に部活。小学生は土曜学校がありました。帰ってきてママといっしょにラーメンを食べに行きました。ラーメンのあとは、カラオケ。
ちびどもに昼食を食べさせるのは私の仕事となりました。ちいさいちびはまた運動会の打ち上げ。クラスで集まるそうです。夕方に出かけていきました。古川さんからの情報です。次の本が出ました。
ロアルド・ホフマン『これはあなたのもの 1943ーウクライナ』川島慶子訳、アートデイズ、2017年6月1日発行、本体1300円。
ひとりで4時50分、室温20.3度。ちびどもは運動会。妻は5時、おおきいちびは5時20分、ちいさいちびは6時。→起こすことになっていましたが、全員、自分で起きてきました。
妻も8時前に応援(?)に出かけたので、小学生を8時5分に見送ってからは、1人。9時すぎに家をでて、要町に出張校正。40分ほどで完了。印刷所は、要町のなかで引越をするそうです。
昼食を買ってから12時前に帰宅。絶好の運動会日和になっています。グラウンド上はちょっと暑いのではないでしょうか。ちいさいちびは比較的はやく帰ってきました。2時間ぐらいのインターバルを挟んで、夜の打ち上げ会に出ていきました。吉祥寺で赤組が集まるそうです。
ひとりで6時、室温19.8度。久しぶりに朝はよく晴れています。→昨日はあった今日の夜の雨マークは消えています。明日はちびどもの運動会。問題なく開催できるようです。午後に授業。
10時半武蔵境発の西武線。
まず図書館によって、昨日届いたという連絡のあった次の本を借り出しました。
Sven Dupré、 Christoph Lüthy eds., Silent Messengers: The Circulation of Material Objects of Knowledge in the Early Modern Low Countries , Berlin: Lit, 2011
この本に含まれる、次の論文が必要でした。
Claus Zittel, "Conflicting Pictures: Illustrationg Descartes' Traité de l'homme, in Sven Dupré Christoph Lüthy eds.,Silent Messengers: The Circulation of Material Objects of Knowledge in the Early Modern Low Countries , (Berlin, 2011), pp.217-260
研究室で本をめくると図書館の発注資料がでてきました。那須敬さんが発注され、ICU 図書館に収められた本でした。日本の大学図書館では2館しか所蔵していません。もちろん、もっと多くの大学図書館に収められる価値があります。11時半いお弁当、その後も作業の継続。
4限5限と学部のゼミ。4限は3年生、5限は4年生。5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅すると次の本が届いていました。
R. マンセッリ『西欧中世の民衆信仰―神秘の感受と異端』大橋喜之訳、八坂書房、2002
ひとりで4時半、室温21.9度。新聞を取るため玄関のドアを開けると、曇っていて空気が冷たい。ほんとう、もう、梅雨入り前の雰囲気です。ちびどもは金曜日にある運動会の練習で、夜の8時まで学校にいます。午後に会議。午後1番の会議は私が司会の役ですが、あとはただ座っているだけの日となります。
朝、家ですこし仕事(財務上の仕事)を片づけてから大学へ。9時54分武蔵境発の西武線。2限は10時10分開始です。2限に出席する学生が大勢同じ電車に乗っています。先生はさすがにあまりみかけません。
作業の継続。11時過ぎにお弁当を食べて、12時40分から会議。30分程度で終わりました。
次の言語文化学部教授会は、予定よりもはやく3時すぎに終わりました。3時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅すると、3人の小学生の自転車がありました。
次の本が届いていました。
Bernard Joly,Descartes et La Chimie, Paris: Vrin, 2011大学では次の論文をダウンロードしました。
Rebecca M. Wilkin, "Figuring the Dead Descartes: Claude Clerselier's Homme de René Descartes (1664), " Representations, 83(2003): 38-66
本間さんは「デカルト派生理学と図像表象」でこの論文だけを欧文の2次文献として挙げています。
ひとりで4時、室温21.6度。午後に会議。3つあります。
14時20分〜15時10分:総合国際学研究院協議会事前打合せ
15時10分〜16時40分:人事委員会、大学院・学部連絡会議
17時40分〜 :論集委員会ちなみに明日は、
12時40分〜14時10分:総合国際学研究院協議会
14時20分〜15時50分:言語文化学部教授会9時54分武蔵境発の西武線。
7時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。最後の会議で宿題を5点持ち帰りました。原稿です。
電車の接続がよく、7時半には帰り着きました。接続がよい場合には、通勤時間はほぼ30分です。ネットで次の論文が見つかったので、プリントアウトして読みました。さすが、リュティ、よく書けていると思います。自然哲学/自然学の図像利用に関しても、デカルトは画期的です。矛盾を孕みつつ、とても力強いデカルトの図像利用の中心的ポイントを正確にまとめていると思います。
C. Lüthy, "Where logical necessity becomes visual persuasion: Descartes’ clear and distinct illustration"’, in: S. Kusukawa and I. Maclean (eds.), Transmitting Knowledge: Words, Images, and Instruments in Early Modern Europe (Oxford, 2006): 97-133
Transmitting Knowledge: Words, Images, and Instruments in Early Modern Europe (Oxford, 2006)は、2014年9月17日にILL で取り寄せています。スキャンもしていました。
次のものもダウンロードしました。
Geert Vanpaemel, "The Louvain printers and the establishment of the Cartesian curriculum" studium, 4(2011): 241-254
関連して、山田俊弘『ジオコスモスの変容 : デカルトからライプニッツまでの地球論』 (勁草書房 BH 叢書、2017年)から第2章「デカルトと機械論的な地球像」を読みました。デカルトとガッサンディの地球像を比較し、そして、ステノがデカルトとガッサンディの地球像からどういう影響を受けたのかを描かれています。
山田さんは、デカルトの図解に関しては、Desmond Clarke, Descartes’ Philosophy of Science, Manchester, 1982, ch. 5. ならびに Brian S. Baigrie, "Descartess Scientific Illustrations and 'la grande mecanique de la nature'," in Picturing Knowledge: Historical and Philosophical Problems Concerning the Use of Art in Science(Toronto Studies in Philosophy) (Toronto: University of Toronto Press, 1996), 86-134 を使われています。
私の今回の作業にとくに関係するのは山田俊弘『ジオコスモスの変容』pp.60-1 です。
ひとりで4時50分、室温20.8度。午後に大学院の授業。
9時6分武蔵境発の西武線。まず事務棟4階に上がり、書類を提出しました。それから研究室で、作業の継続。11時20分ぐらいに昼食。
3限4限と大学院のゼミ。同じ教室で5限6限と別の先生の授業があります。その学生たちがやってくるので、月曜日はちょうど4時にぐらいに終わります。
4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
前に、金も銀も銅もアマゾンで売っていることを報告しました。ふと思い立って、水銀を調べてみました。さすがに売っていないようです。適切な管理のもと、理科室には置いてあってもよいと思いますが、このあたりどうなっているのでしょうか。
→アマゾンにはないようですが、グーグルで調べてみると、薬局で買うことができるようです。500グラムで7500円の値段がついています。(品質によって値段に差があります。)ただし、一般人がすぐに購入できるわけではないようです。水銀は、毒物ですから、当然の措置でしょう。試験研究用にだけ販売するとありました。
ひとりで4時15分、室温21.8度。昨日の雨は上がっています。目覚めて下に降りると、上で大きな物音。ちいさいちびがトイレで戻しています。昨日食事のあとから喉の調子が悪く、床についてからずっと吐き気がしたそうです。戻したのははじめてということです。本人の弁では、お昼に食べた牛肉が生っぽく、それがよくなかったのかな、ということでした。友達は別のものを頼んだので、原因がそれかどうかはすぐにはわかりません。
そして、微熱。原因ははっきりしませんが、風邪の症状となっています。午前中に部活の試合(1年生は応援に行くだけです)があったのですが、休ませました。→10時半、よく寝ています。→2時40分まだ寝ています。今日は一度も下に降りてきていません。おおきいちびは午後練習。C練と言っています。男子は引退試合に突入したそうです。応援に行きたいけど、自分たちの練習が優先と言っています。
雨は上がっていますが、梅雨入り前を思わせる曇り空。沖縄はもう梅雨入りしたそうです。数日前にNTTのタウンページが届いています。保存版杉並区防災タウンページという小冊子がおまけでついていました。地図をよく見ています。
ちびどもが部活の練習試合で、都内のいろんな学校に行きます。もちろんまったく知らない学校も多いのですが、娘が部活をやっていなければ一生知ることのなかったいろんな学校を知ったのも事実です。我が家は、そういうふうに出かけるのに、比較的便のよい場所にあるのかな、と最近思うようになりました。
ちびどもは、高校には自転車通学していますが、歩いていっても通える距離です。
区内の高校について、我が家からの距離を(散歩を兼ねて)確認して見ようと思い立ちました。
まず、ちゅうすぎ。こどもたちはこうはつおんしています。漢字では中央大学杉並高等学校。荻窪病院のすぐ先です。ほぼ15分で着きます。願泉寺というお寺の手前です。願泉寺には入ったことがありませんが、鬱蒼とした森のなかにある、敷地の広いお寺でした。
駅からバスで行ったらほぼ同じ距離に都立農芸高等学校があります。ここは上井草スポーツセンターへの途中にあるので、よく前を通ります。馬を飼っていて、すぐにわかります。我が家からはおそらく20分。農芸高校から西に500メートルぐらいの場所に、杉並工業高校というのがあります。この高校はあまり知りません。
上井草駅を越えると練馬区です。上井草駅からやはり500メートルぐらいの場所に井草高等学校があります。
なお、東京女子大学は、杉並区の端っこにあります。道路の向こう側は武蔵野市(吉祥寺東町2丁目)。中央線から見えるきちじょ(吉祥女子校・中学校)は、アクセスは西荻窪からになりますが、ぎりぎり吉祥寺東町四丁目です。そこから中央線を横切り南(正確には南南西ぐらいでしょうか)まっすぐ行くと、立教女学院短大・高・中・小学校があります。これも杉並区です。立教女学院は、西側は武蔵野市に接し、南側は三鷹市に接しています。
環八のなかに入ると、下井草駅の北は、中野区になります。新青梅街道で行けば、中野区に入った途端、稔ヶ丘高等学校というのがあります。ここはまったく知りません。
保存版杉並区防災タウンページは、杉並区を6つの区画に分けています。区画1に見つかる高校は以上です。そう言えば、タウンページを見れば、すぐに杉並区にある高校の一覧がわかると思い出しました。タウンページなんで最近はほとんど見ないので忘れていました。
杉並区にある都立高校高は7つです。荻窪高等学校、杉並高等学校、豊多摩高等学校、西高等学校、農芸高等学校、杉並工業高等学校、杉並総合高等学校です。
私立は、10校。光塩女子学院、こう成学園、國學院久我山、女子美、杉並学院、専修大学附属、中杉、東京立正、日大第二、文化学園大学杉並、おや、立教女学院がまったく見当たりません。タウンページには出さない主義なんでしょうか。
ひとりで4時50分、室温23.8度。どんよりとした曇り空。まだ雨は降っていませんが、いずれ降ってくるでしょう。7時になる前に雨が降り始めました。ほぼ予報の通りです。→雨のため、ちいさいちびの部活は休み(屋外競技です)。おおきいちびはバスケなので雨の影響はなく午後部活。
おおきいちびは本格的な雨降りになってから、自転車ででかけました。まず、病院、それから部活、そして、再び整骨院と行ったようです。夕方、寒いと言って帰ってきました。予報では本日の気温は最低も最高も19度。雨のなかレインコートで走って身体が冷えたのでしょう。
ちいさいちびは友達と吉祥寺でお昼ご飯、その後夕方に西荻に帰ってきて、美容院。7時過ぎに帰宅しました。
私は、午後一度、パンを買うため吉祥寺にでかけました。私の本日の外出はそれのみ。
ひとりで3時45分、室温23.3度。→今日もよく晴れています。天気予報を見ると、今日の最高気温が30度、え、もう、です。そして明日の最高気温が19度。体調管理の難しい時期です。疲れた、5月病だと自称している同僚の先生がいました。季節柄、ありえる話しです。[世界生命の塵]
肩凝りがひどくなっているので、今日は外出せず、休みながら、これまでの作業の継続をしていました。
デカルトから某への手紙、1645年6月(エフモント・ビンネン)
「人は一般に哲学の中に、相反する無数の意見を受け入れているのですから、一体どうして私の意見もまたそこに受け入れることができないのでしょうか?」(p.271)
モアからデカルトへ、1648年12月11日(ケンブリッジ)
「あなたのどんな意見に対しても、それがどんなに柔和なものであれ、甘い言葉であれ、『方法序説』においてあなたが語ったあの悲惨で凶悪な見解、すなわち、すべての動物から生命と感覚を抜き去る―あるいはむしろあらかじめ取り去ると言った方がいいでしょうか?―という見解、に対してと同じぐらい、私の魂が違和感を持つものはありません。実際、あなたは、動物が生きていたとは、決してお認めにならないのですから。」(第8巻, p.100)
同上
ミミズやブヨやイモムシ等・・について
「このような魂は、フィチーノがそう呼んだように、世界生命の砂ないし塵のようなものとして、おそらく想像するしかありません。」(同、p.153)
世界生命の砂ないし塵! すごい表現です。
ひとりで4時35分、室温20.8度。昼休みに院生と面談。午後に授業。
9時54分、武蔵境発の西武線。これまで行ってきた作業の継続。正午から院生と面談。4限5限と学部のゼミ。5限がいつもより早く終わりました。
5時28分多磨駅発の電車で帰宅。
帰宅すると、『化学史研究』第2号の最後の原稿の最後のゲラが届いていました。すぐに返送します。
[『衛生と近代:ペスト流行にみる東アジアの統治・医療・社会』]
次の本も届いていました。
永島 剛 、市川智生、飯島渉編『衛生と近代:ペスト流行にみる東アジアの統治・医療・社会』法政大学出版局、2017
帯には「アジアでペストが流行した。その混乱と葛藤のなかから<近代>が現れる。列強の拠点となった中国の海港都市<香港、上海、天津>、外国人居留地が撤廃された神戸、日本の植民地になってまもない台湾と朝鮮、オランダ統治下のジャワ。国境を越えて広がる脅威が引き起こした近代の実像に迫る」とあります。これはなかなかうまい文句です。
目次は次です。
はじめに 永島 剛
第1章 ペスト・パンデミックの歴史学 飯島 渉
第2章 香 港 一八九四年 ―〈イギリス流〉衛生行政と植民地社会― 永島 剛
第3章 台 湾 一八九六年 ―日本の〈帝国医療〉の揺籃― 芹澤良子
第4章 神 戸 一八九九年 ―開港場の防疫と外国人社会― 市川智生
第5章 上 海 一九一〇年 ―暴れる民衆、逃げる女性― 福士由紀
第6章 天 津 一九一一年 ―鼠疫をめぐる中医の社会史― 戸部 健
第7章 朝 鮮 一九一一年―総督府と満洲ペスト流行の脅威― 金穎穂
第8章 ジャワ 一九一一年 ―ペスト政策を通じたオランダ領東インド専門保健行政の定着― 村上 咲
あとがき 永島 剛・市川智生
あとがきによれば、The Society for the Social History of Medicine の設立が1970年。日本でも2000年以降飯島研に集まった若い研究者を中心に、The Asian Society for the Social History of Medicine を立ち上げ、研究活動を続けてきた。その一つの成果ということになるそうです。若手の研究者の何人かは博士論文を執筆し、博士論文に基づく単著も出版されている。福士由紀『近代上海と公衆衛生―防疫の都市社会史』(御茶の水書房、2010)、戸部 健『近代天津の「社会教育」―教育と宣伝のあいだ』(汲古書院、 2015)。
飯島さんの仕事は、次。
飯島渉『ペストと近代中国―衛生の「制度化」と社会変容』研文出版、2000
飯島渉『感染症の中国史』(中公新書、2009)
見市雅俊, 脇村孝平,斎藤修, 飯島渉編『疾病・開発・帝国医療:アジアにおける病気と医療の歴史学』( 東京大学出版会、2001 )
ひとりで2時45分、室温22.4度。雨。いつから降り始めたのかわかりませんが、雨が降っています。2時45分は、さすがに起床の時刻ではありません。1時間ばかり作業をしてからまた寝ました。次に起きたのは、6時半。これならちょうどよい。今日の午前中は雨のようです。
午後に会議。
ちびどもは学校の創立記念日で休みですが、部活や運動会の練習があります。
ちびどもはいつもよりゆっくりめで出かけました。ちびどもが出た後、私も出勤。9時半、武蔵境発の西武線。
大学に着いて、研究室でずっとやっている作業の継続。11時10分過ぎにお弁当。
12時40分から会議。1時40分頃まで。
2時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。帰宅すると、小学生はもう帰っていました。すでにお友達が1人来ていました。総勢4人来るのだそうです。妻も買い物から帰ってきたばかりの様子でした。買い物袋がいっぱいありました。
ちびどももそうこうしているうちに帰ってきました。おおきいちび、ちいさいちびの順。おおきいちびは5時から塾。塾に行く前の予習をしていました。ちいさいちびは、身の回りにお菓子をいっぱい置いて、ソファーの上。次に見に行くと、寝ていました。私も幾分そうですが、埃が花粉症に追い打ちをかけます。高校で入ったハンドボール部は外で活動します。風が強く、埃が舞う日はそうとうきついようです。昨日も、鼻のむずがゆさが収まらず、ずっとはくしょん、はくしょん、していました。嫌がっていた鼻洗浄もしていましたが、すこし睡眠不足になっていたのでしょう。
ひとりで4時10分、室温23.4度。今日は昨日ほどは暑くならないようです。午前中に1つ、午後2つ会議。会議の日です。
8時54分武蔵境発の西武線。まず、図書館に行き、フランセス・イエイツ『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』(工作舎、2010)を借り出しました。ブルーノの最後の著作の部分だけ読みました。なるほど。
10時10分から学長室で会議。11時20分頃まで。
お弁当を食べ、その後部屋で作業。
12時40分から会議。1時間かからず終了。
4時半スタートの予定の会議が4時にスタートし、4時半過ぎに終わりました。
4時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで4時、室温22.4度。6時までに、第2号作成に向けて編集委員会の最後の仕事をこなすことができました。最後の原稿の入稿作業と、表関係のゲラの赤入れです。仕事に向かうとき、投函して、完了となります。
大型連休が終わり、今日からまた普通に授業があります。
9時30分武蔵境発の西武線。
研究室内の様子がわかってきたので、[picatrix を探せ]を続けました。前に、棚から出していた、ヨアンP.クリアーノ『ルネサンスのエロスと魔術』(桂芳樹訳、工作舎、1991)に picatrix を見つけました。この邦訳には索引がなく、あたりをつけ、実際に読んで探す必要がありました。
pp. 193 ff. 「4 放射の理論」で、偽マジリーティの『ピカトリクス』ならびにアル・キンディの『光について』が扱われています。
『ピカトリクス』はアンダルーシアの数学者アル・マジリーティ(1004-07頃没)に擬される偽書『魔術における賢者の目的』のラテン語訳の題名で、1256年にカスティリア王アルフォンソ賢王の宮廷で翻訳が完成されたものである。ルネサンス魔術に対する『ピカトリクス』の影響を否定することは困難であろう。しかしながら、この影響が一義的に実践面に限られていたこと、フィチーノやジョルダーノ・ブルーノが魔術の純粋理論的側面に与えた重要性が、これによって認められたものではないことを指摘しておかなければならない。
p.194 フィチーノの占星術的魔術の多くは、『ピカトリクス』の処方に由来している。
この箇所に対する注。p.434, note34. アラビア語版 Ritter, 1933。ドイツ語訳Ritter& Plessner, 1962. ラテン語訳からのフランス語訳の最初は1739年でこれがSylvian Matton, La magie arabe traditionelle, Paris, 1976, p.245f. 「ピカトリクス」という神秘的な名称は、本文中にクリトン編集の護符についての論文の翻訳者として挙げられているブクラティス [Buqratis]の変形であろう。これはおそらくヒッポクラテス派のギリシャの医師で、その権威がこの種の著作の声望を保証するものと考えられていたのである。3限4限と大学院の授業。
終わって、4時16分多磨駅発の電車で帰途。
ひとりで4時45分、室温23.8度。昨日の夏のような熱気がまだ残っています。ゴールデンウィークも残すところ1日。
今日は曇りがちで昨日ほどは気温が上がりませんでした。しかし、明日はまた29度の予報が出ています。夏になるのがはやすぎる。夕刻、新しい現代思想が届きました。
『現代思想』 2017年6月臨時増刊号 総特集◎iPS細胞の未来 ―山中伸弥の仕事―
山中伸弥,池田清彦,林克彦,堀田秋津,美馬達哉,小泉義之,塚原東吾,粥川準二,八代嘉美
ひとりで4時50分、室温22.3度。昨日気温が上がったのが朝の室温にも残っています。ちびどもは午前中に部活。
ちいさいちびは部活から帰ってきて、卒代に出ていた妻と合流し、買い物にでかけました。1時半に駅に集合して、立川のララポートに行きました。服を買います。
最高気温が28度まで上がりました。ほぼ夏です。
ひとりで5時、室温20.1度。曇り。後、快晴。子どもの日。
[奥多摩で鱒釣り]
ちびどもは朝から部活。ちょうどよいので、今日、息子を釣りに連れていきます。亡くなった父は釣りが好きで、川も海もよく行っていました。私もついていくことはそれなりにありましたが、釣りはあまりしていません。私のした釣りは、川で子どもの頃したはい(おいかわの方言)釣りぐらいです。食べるためではなく、ただ釣るのが面白いという釣りです。その意味では、蛙釣りやザリガニ釣りと大きくは違いません。
車があれば、けっこう本格的な海釣りもあります。我が家は車がないので、駅から歩いていける場所であること、初心者対応を優先して、奥多摩フィッシュングセンターに行くことにしました。
青梅線御岳(嶽の文字を使っている場合もあります)駅から徒歩15分。我が家から1時間半ぐらいです。
ちびどもがでかけるのとほぼ同じ頃、すなわち、8時頃にでかけました。三鷹で乗り換えます。ちょうど青梅特快が来てくれました。青梅線に入ってからは、各駅停車だというので、そのまま着くかと思ったら、青梅で乗り換えて、奥多摩行きを待ちます。青梅線に入ったところから、ドアは自分で開ける方式に変わりました。東京でこういう路線があるとは知りませんでした。
青梅で待っているとホリデー快速奥多摩行きというのが来ました。ここまでのどこよりずっと混んでいます。天気もとてもよい日です。山登りの方が大勢いました。靴と装備でおおよそはわかります。我々は、御岳駅から地図を見て、川沿いの道を上流に進みました。2車線、歩道は50センチ前後の道でした。端っこを歩きながら、山の中の道を進むと、奥多摩フィッシュングセンターの看板がありました。最初、この道を降りるの表示を読み間違えて、行き止まりのところに入ってしまいました。戻って、もうすこし広い、車の通る道を指していることがわかり、歩いて、川のところまで。10時前に着きました。もうかなりの人が来ています。多くは車で来ています。木橋を渡って、管理棟というところに行くと、窓口でも人が並んでいます。息子1人が、竿を1本借りて、餌釣りをすることにしました。餌は、ぶどう虫といくらの2種類。はじめて聞く言葉でしたが、ぶどう虫を選びました。
川の流れを利用して、石で区画を作り、自分の好きな場所で釣りをする方式です。1から10の区画の好きなところでどうぞということです。
6か7か8あたりで空いている場所があります。窓口の方は、水の深さにあわせて、浮きを上下してください、深いところだとすこし浮きを上げた方がよいと言ってくれました。すこし浮きを上げ、ぶどう虫をつけてやりました。たぶん、お腹を空かせた鱒を放流してくれているのでしょう。1ッ匹目はすぐに釣れました。つり上げた時点で針もはずれて、借りた網に20〜30センチの鱒を入れ、網を水のなかに。
よく釣れます。ただし、息子は鱒が餌を食うに任せているので、次からは針が喉の奥に入って、手ではとてもはずせません。ちょうど係の方が通りかかり、細長いペンチみたいなもので外してくれました。
よく釣れます。しかし、手でははずせないというのが続きます。息子は、鱒のついた竿をもって係の人を捜し、はずしてもらってから帰ってくるというのを繰り返しました。
7匹目あたりから、少しあたりがわかるようになったようで、係の人を捜しに行かなくてもすむようになりました。
お腹も空いてきました。10匹釣ったあたりで、お昼ご飯にしました。大きな岩の上に場所を変えて、朝作ってもらったおにぎりと卵焼きを食べました。
獲物10匹と竿をもって管理棟に行きました。竿はただ返しました。魚はどうするのかわからなかったのですが、奥に言って下さいというので、奥に行くと、その場で、内蔵の処理をしてくれました。クーラーボックスを持ってきていればクーラーボックスで持って帰る、そうでなければ、その場で網焼きセットを借りて(5百円だそうです)河原で焼いて食べる、あるいは、手提げタイプの簡易クーラーボックスを5百円で買って氷を詰めて持って帰るの3通りがあることがわかりました。簡易クーラーボックスに氷を詰めてもらって持って帰ることにしました。
釣り堀で釣った場合は、1匹300円で買い取りになるが、川で釣ったものはそのまま持って帰ってよいそうです。簡易クーラーボックスをリュックに詰めて帰途に。
12時51分御岳駅発の電車に乗ることができました。青梅で立川行きに乗換え。息子は疲れたようです。
立川からは、特別快速。三鷹で乗り換えて、総武線各停。2時半前に帰り着きました。河原はそうでもなかったのですが、西荻窪に帰ってくると、雲一つない晴天で初夏の陽気です。暑い。夕食は、鱒の塩焼き。鱒はあまり食べたことがありません。鱒と鮭は、同じ魚です。生活域が違い、餌が違う。実際食べてみると、白身の淡白な川魚でした。知らない人には、鮎と言ってだしても通用するでしょう。新鮮なので、薫りがよい。
[新しい『科学史研究』]
帰宅すると、新しい『科学史研究』が届いていました。斎藤憲が会長に選出されたのは、ネットで見ていたのですが、票数が知りたい。
通信No.427 に出ていました。(すべて敬称略)
斎藤憲:106票
木本忠昭:93票
矢島道子:46票
票数の予想はまったくつきませんでした。斎藤憲は、2位の木本忠昭に13票(約1割)の差をつけたことになります。
委員の方が隠岐さんが一位で121票(斎藤憲より多い)、次に橋本さんで118票です。30人が当選していました。
ホームページに掲載されている速報を転載します。
会長 斎藤憲
監査 吉田晃
委員 隠岐さや香、橋本毅彦、兵藤友博、岡田大士、河村豊、小林学、佐野正博、矢島道子、中島秀人、杉本舞、高橋智子、松原洋子、渋谷一夫、溝口 元、小島智恵子、住田朋久、坂本邦暢、夏目賢一、綾部広則、三村太郎、山田俊弘、飯島亜衣、岡本拓司、金凡性、田口直樹、野澤聡、鈴木晃仁、水沢光、和田 正法、愼蒼健
(委員の名前の掲載順は、得票順です。)本体、『科学史研究』No. 271(2017 April)には、武田裕紀氏による、スティーヴン・シェイピン&サイモン・シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ:ホッブズ、ボイル、実験的生活』(吉本秀之監訳、柴田和宏・坂本邦暢訳、名古屋大学出版会、2016)の書評もありました。pp.66-69. これで私の把握している範囲では、4点目の書評です。
ひとりで5時半、室温19.5度。晴れ、ただし、すこし雲が多いようです。息子が釣り、釣り、と言っています。今日、鱒釣りに行く予定になっていましたが、起きてきたのは7時50分。いつもより1時間遅い。よくわかりませんが、疲れがあるようです。明日にするかというと明日にするというので、一日延期。
おおきいちびは午前から午後、部活。妻は、その部活の保護者会。けっこうお母さんたちが集まるようです。
午前中に次の本が届きました。
マーク・ペンダーグラスト『 鏡の歴史』樋口幸子訳、 河出書房新社、2007
夜半に目覚めてすこし仕事。6時25分、室温18.8度。快晴。
図書館に用事があり、朝、大学へ。9時42分武蔵境発の西武線。図書館へ直行し、まず、参考書のコーナー。それから3階へ行き、本を3冊借りました。
研究室でちょっとした作業。
11時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
電車の行き帰りで、草野巧著『図解 魔術の歴史』福地 貴子(本文イラスト)をざっと読み通しました。索引もついています。今回、[picatrix を探せ]で手元にある書物をかなり引っ張りだしてきて見ましたが、索引がついていないものが目立ちました。『図解 魔術の歴史』は索引がついているだけずっとましだということになります。
「ソロモン王の小さな鍵」の項目では、オランダ人医師ヨーハン・ヴァイヤー(1515-1588) の『悪魔の偽王国』(1577)を取りあげています。ヴァイヤーは、ルネサンス思想史としても重要な人物だと思いますが、邦語の世界ではほとんど研究文献がありません。研究室では、ジャン・セズネック『神々は死なず:ルネサンス芸術における異教神』(高田勇訳、美術出版、1977)を棚から引っ張りだしました。第1部第2章「自然的伝統」でセズネックは占星術を取りあげています。そのなかで『ピカトリクス』を取りあげています。(pp.56-60)彼は、picatrix は、Hippocrates のなまりであろうと記しています。
p. 5 説話の理論、3つのタイプ。
(1)説話は歴史的事実を多少ともゆがめた報告であり、そこに登場する人物は単なる人間たちであって、後に神々の列にひきあげられたものである。
(2)説話は宇宙を構成する自然力の和合もしくは葛藤を表し、したがって神々は宇宙の象徴になっている。
(3)説話は単に道徳的、哲学的観念に寓話の衣をまとわせたものにすぎない―この場合、神々は寓意(アレゴリー)である。帰宅すると、妻がプリンターで困っています。トナーを交換したが、プリンターが認識できないと言っています。このプリンターでは、最近ずっと起きている現象です。明日の長女の部活の保護者会で必要なものがあるそうです。USB でデータを移し、私の足元のレーザープリンターからとりあえず必要なものはプリントアウトしました。
ずっと「トナーを認識できないので、そっと入れ替えよ」と言ってくるプリンターの方も使えるようになっていないと不便です。一休みしてから、吉祥寺のヨドバシに行って、ブラックを買ってきました。ヨドバシで買ってきたトナーを認識しなかったことはなく、今回もすぐに認識してくれました。認識した途端に、印刷データがプリンターに残っていた分をプリンターが吐き出しはじめました。パソコン側から、作業の中止を試みました。半分ぐらいのところで成功したでしょうか。
ひとりで5時。室温18.6度。晴れ。ちいさいちびは高尾山(登山道のゴミ拾い)、おおきいちびは立川の公園(昭和記念公園でバーベキュー)。
火曜日は普通会議の日ですが、大学の上の方々がゴールデンウィークを優先してくれた、あるいは優先したのでしょう、今日は会議がありません。たぶん会議のない火曜日は学期中は今日が唯一だと思われます。腰を落ち着けて、自分の仕事を進めることができます。我々は研究者でもあるので、こういう日はなかなかに貴重です。
[picatrix を探せ]
辞書にも日本語の本にもなかなか"picatrix" を探し出すことができていません。
そういうなか、ウィキの日本語バージョンが、もう大橋さんの本を挙げています。はやー。内容は、英語のウィキの記述の抄訳といったところです。ただし、日本語の重要な書物2点は取りあげています。
すぐに必要だというわけではありませんが、ワールブルク研究所(ウォーバーグ研究所)が出版したドイツ語訳がウェブにあったのでダウンロードしておきました。
"Picatrix" Das Ziel des Weisen von Pseudo-Magriti, translated into German from the Arabic by Helmut Ritter and Martin Pressner, London, The Warburg Institute, University of London, 1962
アラビア語の『賢者の目的』のドイツ語訳を、英語圏の読者のために、Bing の序文と目次、プレスナーの要約の英訳を付して、出版したものです。
→ 私の研究している時代では、"Picatrix Hispanus" (スペイン人ピカトリクス)という形で"picatrix"を取りあげているものがいくつかありました。検索をしていると面白い日本語文献を見つけました。
熊倉庸介「イベリア半島を中心とする翻訳活動に関する歴史年表―13世紀まで―」『国際短期大学紀要』第26号(2011): 21-44
この1256年のところに次の記述があります。(p.39)
「11世紀にイスラム・スペインにおいてマドリッドのアブー・マスラマ・アル・マジリーティーが著した(?)、星占いに基づく魔術書『賢者の目標』Ghayat al-kakim がアラビア語からラテン語に翻訳される。
この著作は、さらにラテン語に翻訳されて『ピカトリクス』Picatrix Hispanusという表題で流布する。」
最初の「ラテン語」は文脈から言って、スペイン語の間違いではないかと思われます。間違いの原因は、不注意によるものと想像します。(熊倉さんは、12世紀、13世紀のスペインにおける翻訳活動そのものを研究テーマとされています。自分の論文を6点挙げています。)
ひとりで4時25分。室温20.1度。おお、もう5月。午後荒れ模様という予報ですが、朝のうちは好天です。ちょっとなまあたたかいかな、と感じます。午後に授業。
水曜日(5月3日)は休日ですが、大学は授業をやっています。最近はどこの大学も休日でも授業という日があります。私は役職上、通常は火曜日と水曜日は会議の日ですが、今のところ会議の通知がありません。上の方が休むことにしたようです。
9時6分武蔵境発の西武線。
重い本を持っていたので、まず、研究室に行って、本を置きました。それから、図書館へ。久しぶりに図書館の机でワーク。
フランセス・イエイツ『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』前野佳彦訳、工作舎、2010
この本のピカトリクスの節(第3章の2,pp.85-94)を読みました。よくまとまった記述だと思います。大橋さんの本が出版されるまで、日本語で読めるもっとも安心できる記述だったと言えると思います。訳者はワールブルグがピカトリクス再発見の中心にあったと書かれています(p. 753「この俗流魔術マニュアルのヨーロッパ精神史にとっての大きな意味に最初に注目したのはワールブルクであり、書誌学的同定も彼が中心となって行ったものである。」)。ワールブルグは、昔よく読んでいたので、探し出して、見てみましょう。
本を2冊借り出して、研究室に戻り、該当個所をコピーしました。3限4限と連続して大学院の授業。
4限は2名に発表。後半の発表者は、所沢から自転車で来る途中、雷雨にあい、自転車を置いて、電車で来たのだそうです。今日の午後は荒れ模様という予報でした。東京はちょっと雨が降っただけでしたが、埼玉の一部では、雷雨が通りすぎたようです。4時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅すると、ゲラと次の本が届いていました。
草野 巧,福地 貴子『図解 魔術の歴史』 (F-Files No.048)新紀元社、2015
一種の事典です。各項目を見開き2頁、1頁は文章、もう1頁に図解に当てています。まあ、こういう本もありです。39冊の日本語の本、5冊の英語の本から、情報を整理した、たぶんそういうことだと思われます。
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