ひとりで5時45分、室温28.1度。MMA 「医療思想史」4回目。最終日。
無事、終わりました。バスケットボールのW杯、日本対ベネズエラ戦。
最後の最後、数分で逆転して、日本が劇的勝利。
ひとりで5時50分、室温28.3度。10時半、ワイズマートに買い物に。りんご、イチジク、LG21ドリンク、ほかを買って帰りました。好天で暑い。
MMA 「医療思想史」3回目。
1限と2限の間に、郵便受けを見てみると、次の本が届いていました。
吉村昭『日本医家伝』中公文庫、2023。
底本は、『新装版日本医家伝』講談社文庫、2002 です。それに、〈巻末エッセイ〉『日本医家伝』と岩本さん、を付加したとあります。
取り上げている医家は次です。
山脇東洋 日本で初めて腑分を実見した医家
前野良沢 「解体新書」の翻訳を進めた中津藩の藩医
伊東玄朴 江戸屈指のオランダ医家
土生玄碩 新しい手術を積極的に推し進めた眼科医
楠本いね シーボルトの娘で日本初の女性産科医
中川五郎治 日本における種痘法の祖
笠原良策 種痘の普及につとめた福井の医家
松本良順 初代陸軍軍医総監
相良知安 日本にドイツ医学を定着させた医家
荻野ぎん 日本最初の女医
高木兼寛 脚気病の治療法を実証的に開発した功績者
秦佐八郎 梅毒の特効薬を開発した細菌学者
初日に、日本のことを最終レポートのテーマに選んでよいのかという質問があったので、もちろん大丈夫です、と回答したのですが、ちょうどよい例かと思い、2限のはじめに届いたばかりのこの本を短かく紹介しました。
ひとりで6時10分、室温28.2度。MMA 「医療思想史」2回目。
ひとりで6時20分、室温27.9度。MMA 「医療思想史」初回。午後6時から9時10分まで。
ひとりで7時10分、室温28.4度。昨夜遅かったので、久しぶりに遅い朝。家族は全員もっと遅いと思われます。ゆっくりとした日曜日の朝。明日から、MMA の集中講義。夜、2コマずつ、4日間。
朝一でコンビニに。お金をおろし、ナナコにチャージし、新聞代を支払い、母への荷物を発送しました。母への荷物は、台北土産です。
そのあと、ワイズマートに行って、訳あり豊水梨一袋、いか唐揚げ、芋、りんごジュースを買って帰りました。
わずかに、気温が下がってきたような気がします。午後4時過ぎ、再び近所のコンビニに。冷凍食品の果物(アップルマンゴー、ルビーグレープフルーツ)、同じく冷凍食品のクッキーティラミスとレアチーズ、それに牛ホルモン焼きを買って帰りました。
気温の下がり方はめざましくはないが、秋の気配は空気に感じられるといったところでしょうか。コンビニから帰ってくると次の本が届いていました。
大山顕監修・編『モールの想像力:ショッピングモールはユートピアか』本の雑誌社、2023、本体2200円。
巻頭によい写真が掲載されています。半分は読みました。
ひとりで4時30分、室温28.3度。週間天気によれば、この1週間に雨マークはありません。まだまだ夏の気温が続きます。ちいさいちびはプールに行くそうです。
おおきいちびは、午後、お祭に行くといって出かけて行きました。
ひとりで5時50分、室温28.4度。今日はずっと晴れ。最高気温予報が34度。かろうじて、猛暑日を避けられるということです。おおきいちびは仕事。ただし、午前中で終了だそうです。1時半過ぎに帰ってきて、お昼ご飯を食べるそうです。
ちいさいちびは集中講義の2日目。昨日とほぼ同じ時刻にでかけました。
高校生は、昨日で夏期講習が終わり、今日から8月末まで自宅学習。
今日、久しぶりに大学に行ってこようと思っていましたが、あまりの快晴にびびってまたにすることとしました。
大学にでるのをやめた代わりに、来週の月、火、水、木、と4日連続であるMMAの講義の準備に着手しました。妻の両親の死去。
Facebook に次の記事を載せました。
ご報告
2023年2月6日、妻の母が自室のベッドの上で亡くなりました。
2023年8月6日、妻の父がやはり自室のベッドの上で亡くなりました。
母の葬儀には、コロナ禍の状況により、妻がひとりで参列しました。父の葬儀は、8月19日(土曜日)となりました。妻と相談して、二人で参列することとなりました。
妻の母も父も、晩年にキリスト教に入信していたので、キリスト教方式の葬儀になりました。妻の妹の所属する教会の牧師さんが取り仕切ってくれたそうです。
妻は女3人男1人の4人兄弟です。妻の両親の借りていたマンションの片付け/引払いをこどもたち4人(+手伝い)で行いました。私も手伝ったと言えるほどのことはしてませんが、一部同席していました。
説明するのが難しい諸事情があり、妻の両親の死後の対応はまだ終了していません。
欠礼の挨拶は別途送付しますが、まずは以上報告いたします。
これで、妻は台北に帰っても、帰る家はなくなりました。
妻の両親ですが、母の方が父より半年年上だそうです。つまり、ぴったり同じ年齢で亡くなったことになります。
82歳。
私が台北を訪れるのは、2007年以来です。実に、16年ぶりということになります。松山空港を使ったのも初めて、MRT を使ったのも初めて、というふうに初めてのことも多くありましたが、ぱっとみたところ、台北市内の様子はそれほど16年前と変わったようには感じませんでした。
街中を歩いていて、感じた変化は、セブンイレブンが多くなった(コンビニのなかだとセブンイレブンが圧倒的に多かったと思います)という点と、円が安くなった点です。物価では、まだ台湾の方がすこしやすいようですが、ほぼ同じ水準に近づいてきたように感じました。
経済交流が活発だと、時間が経つにつれて、同一水準に近づくのは、経済の一般法則だと思います。他のアジア圏の体験はありませんが、東アジアということでは、そういうふうになっているのではないでしょうか。
欧米との差ということでは、日本経済の(欧米経済と比べた場合の)没落ということだと思います。
大げさな表現をすれば、大谷以外にぱっと目につく希望は日本には見つかりません。
ひとりで5時35分、室温28.3度。今日は晴れて、最高気温34度の予想。子どもたちは、全員出動。
おおきいちびは仕事、高校生は夏期講習。ちいさいちびは集中講義があります。3日間。おお、大谷は2回1/3で交代。
右肘靭帯損傷ということです。ああ! なんと、野球にはほとんど関心を示していないおおきいちびが仕事&映画から帰ってきて、ちいさいちび相手にエンジェルスの首脳陣の責任を問うています。野球関心ないのにと母からつっこまれると、野球は関心ないけど、大谷にはいくらか関心があるのだそうです。前の職場でおっちゃんたちの数少ない楽しみが大谷で、その楽しみがなくなるのはかわいそうだ、ということです。野球にはまったく関心のないちいさいちびも同意していました。
普段野球には関心のないちびどもがこの意見ですから、野球に関心のない一般日本国民も同様かもしれまいと推測できます。
私を含め、野球に関心のある人は、大谷には休憩/欠場が必要だと言っていたはずです。見ているとエンジェルスのレビン監督は優しい人ですが、大谷本人が大丈夫、出たいと言っても休ませるのが監督の役目だと思います。去年やめさせられた前の監督もそのように言っていました。東隣の境界工事ですが、今日、完了しました。買い物に外に出た時、工事のおっちゃんが挨拶してくれました。低いブロックベイの上にやはりあまり背の高くないフェンスが取り付けられました。
個人的にはあまり前と差があるようには思われませんが、借家の住人の希望だそうです。
ひとりで4時、室温27.7度。おおきいちびと高校生は、昨日と同じ。ちいさいちびは何も予定なし。たぶん遅くまで休んでいるでしょう。
我が家と東隣の境界工事ですが、午前中に業者の方が来ました。今日はブロック塀を積んで終了としていました。
妻の帰国。
妻は本日午後の便で帰国します。
JL0098便。台北松山空港 14:20 発。羽田空港 1835 着。
妻によれば、ホテルのチェックアウトは午前11時なので、11時前にホテルを出て、飛行場に向かうそうです。飛行場まではすぐなので、飛行場でゆっくりするそうです。
飛行機の発着状況はネットで見ることができます。予定よりすこし早めに動いているようです。18時27分羽田着とありました。
妻は、8時40分ごろ無事に帰宅しました。
ひとりで5時5分、室温28.3度。疲れは残っていますが、だいたい普段通りです。おおきいちびは6時40分に起きて、仕事。
ちいさいちびは7時15分に起きて、ゼミ。夏休み中に一度ゼミがあります。
高校生は7時に起きて、学校の夏期講習。
私は、片付けをやっています。今日は雨模様。大谷の試合が雨で中止になったというニュースがあったら、東京でも弱い雨が降り始めました。洗濯物の乾きが悪くなりますが、致し方ありません。
雨が降ったり、止んだりの1日でした。外にでようと思っていたのですが、天候不順により外出せず。今日は、東隣の家の境界工事。予定では1日で済ませるようです。
お昼前に雨が降ってきたので、今あるセメントを壊すだけで工事業者の方々は帰られました。この雨のなかでは仕方ないのでしょう。
私は帰国。
二人で5時前。5時半に目覚ましをかけていましたが、それより前に起きてしまいました。予定より少し早く動くことにします。予定は6時半ホテル出発。
実際は6時ごろホテルを出ました。タクシーはすぐに捕まるとホテルの方が教えてくれました。本当にすぐに捕まりました。
ホテルから松山エアポートまで15分とあります。時間は測りませんでしたが、ほんとうにすぐに着きました。
2階に上がり、ソファーのところで一休み。妻に、イージーカード、折りたたみ傘、それにスマートウォッチを渡しました。妻も発熱を心配しています。スマートウォッチがあれば体温はすぐにわかります。
チェックインは、7時10分から。スターバックスが6時半にオープンします。スターバックスが開くのを待って、朝食。コーヒーとサンドウィッチ。ゆっくり食べました。コーヒーは量が多く、サンドウィッチは大きい。私は完食しましたが、妻はどちらも残しました。7時15分ごろ、トイレに行ってから、1階に降りて、チェックインカウンターへ。帰りのチケットはビジネスクラス。これしか残っていませんでした。ビジネスクラスなので全てがスムーズです。別の窓口に案内してくれます。機内預入荷物は、18.5キロでした。ビジネスクラスでは30キロまでOKだそうです。
そのまま出国管理の窓口に行って、中に入りました。妻は片付けのためもう少し残ります。
Air Line Vip Lounge のカードをもらいましたが、搭乗口の近くの方が安心です。そこはスルーして、搭乗口に方に向かいました。やはり遠い。搭乗口ナンバー5。その前で約1時間待機。モバイルWifi がないので、手帳に今回の日記を記していました。時間を費やすのにちょうど良い。
8時45分ぐらいからビジネスクラスの列に並びました。みごとにスムーズに動きます。JL0096便。台北松山空港 0910 出発。 羽田 1320着。 座席 7C。
飛行機そのものの運行もスムーズでした。10時ごろ洋食のランチを持ってきてくれました。食事の時以外は、できるだけ寝ているようにしました。フライトの半分ぐらいは寝ることができたでしょうか。
羽田には、1時ちょうどに到着。ビジネスクラスは、その後も極めて順調です。
税関の書類は、窓口の直前で記入しました。申告するものは何もありませんが、そのことを紙に書きます。デスクのところで、ペンがないなと思っていると、隣の欧米系の方がカバンから青ボールペンを出して貸してくれました。私の方が先に描きおわり、thankyou と言って通関窓口へ。すぐに通してくれました。午後1時、羽田到着。ビジネスクラスだったので、全てがスムーズでした。午後2時前に西荻駅に着きました。にわか雨があったようです。地面が濡れていて、まだ少し雨が残っています。どうしようかと思ったのですが、にわか雨はあがったと判断してよいようです。いつもの道を帰りました。20キロ近いスーツケースの通りやすいルート。
午後2時過ぎに帰り着きました。息子が開けてくれました。ほかは?と聞くと、わからないの返答。昼食は食ったそうです。ちいさいちびは寝ていたことが判明しました。私のディンドンで目が覚めたそうです。
5時半起床。
あまり早く起きてもすることがないので、目が覚めてもまた寝るようにしました。
今日は、ポポとイエイの部屋の片付けの手伝い。
ホテルの朝食は午前7時からです。昨日はその時刻に出かけました。今日は、ホテルの朝食を食べることとしました。このホテルは精進料理だそうです。
午前7時になるのを待って1階の食堂へ。結構人が集まってきています。
おかゆがまだ出てきていません。妻が適当におかずを選んでくれるというので、席で待っていました。コーヒーとおかずが揃った頃、おかゆも出てきました。妻によれば、果物がないのが残念ということです。なるほど、フルーツもジュースもありません。
おかゆの朝食は久しぶりです。朝食にお粥はちょうど良い。
どういうお客さんが来ているのか関心があり、客層を見ていました。いろんな国のかたがきています。欧米系の人もいますし、たぶんインド系の人も来ていました。
おかゆの後、9階にあるジムと空中庭園を見てみました。ジムには3台マシーンが置いていました。各自勝手に使えば良いようです。空中庭園はテラスです。あまり手入れのされていない鉢植えが10個弱並んでいました。南向きです。台北市内の様子が見て取れました。
部屋に戻り、しばらく休憩。新台へ。
午前9時ごろ、ホテルを出て、MRT の駅へ。悠遊カード(EASY CARD)を初めて使います。ほぼスイカと同じなので、苦労はありません。
初めての台湾の地下鉄ですが、あらかじめ勉強しておければ、難しいことはありません。始発で終点まで。座先がプラスチックで少し硬いと感じました。
10時ごろ、新店に着きました。妻は、碧潭周辺を散策してみることにしたようです。川辺に降りました。日差しが暑い。この夏日差しの中をあまり歩いていません。暑く感じます。
ボートがありました。足漕ぎではなく、電動式です。その分、少し高い。
吊り橋を渡ることとしました。2月に来たときは、野良犬が怖くて、妻はすぐ引き返したそうです。昔の日本の田舎のように少し野良犬がいますが、危険そうな雰囲気の犬はいませんでした。知らんぷりをしていれば大丈夫と妻には伝えました。
吊り橋を渡り切ったところで一服。スイカジュースを頼みました。お店の中でスイカジュース。スイカのまる絞りなので、丸々スイカです。体を冷ますにはちょうどよい。
それから少しだけ川辺にでて、川辺の散歩道を歩いてみました。日陰に入るとわずかに涼しく感じますが、日がさす場所は暑い。すぐに吊り橋を戻りました。新店駅前のスーパーで買い物をするそうです。町の中規模のスーパーです。主にお土産を買います。何周かぐるぐるして、必要なものを見つけたようです。妻と妹の待ち合わせは、バス停で11時20分ということです。
妹は昼食を食べないそうです。丸亀製麺のうどん屋さんがあったので、私はクイックランチ。妻は野菜だけ注文していました。冷やしにしたので、少し時間がかかりました。
うどんを食べるのに時間はかかりません。
食べ終わった後、私がトイレに行ってから、集合場所へ。ちょうど11時20分に約束のバス停に着きました。悠遊カード(EASY CARD)が使えます。
しばらくするとバスが来ました。新店の山の上にある、ポポとイエイの住んでいたマンションに向かいます。
山を登り始めたところで、昔の記憶がはっきりと蘇ってきました。マンションのところで下車をして、妹の案内で、マンションの1室へ。9階。
妹さんを中心にかなり片付けが進んでいます。
私は手伝おうにも様子がわからないので、ソファーに座っていました。
妻は、写真の整理を頼まれました。アルバムから写真を出して、捨てるもの、兄弟に残すものを分別します。途中から、アルバムから写真を抜く作業を下請けしました。
妻の父母の一生分の写真です。数が多い。我が家に持って帰るものは結構な量になりました。我が家分の整理は任されたので、どういうふうにまとめると嵩にならないかと考えたのですが、小さいゴミ袋に適当な量で入れて、テープで止めることとしました。それが4つほどできました。私の知らない学校時代の妻の写真も結構ありました。妻が以前お母さんに尋ねると失くしたという返事だったそうですが、妻のお父さんがしまってくれていたようです。我が家が送った写真も相当数出てきました。分別を真面目にやると時間がかかります。えいやとだいたいは持って帰ることとしました。
妻の高校のアルバムはあまりに大きく重いので、諦めました。
写真の整理に没頭していると、外は強いにわか雨。いわゆるスコールです。霧も出てきました。
午後2時ごろ、妹さんが下のコンビニでアイスコーヒーを買ってきてくれるそうです。
待っていると、ドアチャイム。お姉さんと弟が一緒に現れました。兄弟4人で片付けるようです。
すぐに妹さんが戻りました。コーヒーの他に妻にはおにぎり、私にはカレーを持ってきてくれました。私は、端っこでテーブルを探し出して、ゆっくりカレーを食べることとしました。
妻の4人兄弟がこういうふうに共通の作業をするのは、これが最後になるのではないでしょうか。私は、何を話しているのかもちろんわかりませんが、捨てる・残すの協議のほかに、昔話もしていたようです。
父母の遺品は、大きな透明ボックスに入れて、妹さんが借りた倉庫に納めるそうです。当初妹さんは、3箱遺品ボックスを作る予定だったのですが、兄弟で協議して、結局1箱にまで減らすことに成功したそうです。一箱なら、新たに倉庫を借りることなく、妹さんが借りた場所に納めることができるのだそうです。
強い口調で大声で協議をします。東京の人は、関西の人は喧嘩するような会話をすると感じるそうですが、それ掛ける数倍の強度です。中国人社会ということもありますし、妻の兄弟の性格もあります。
妹さんがすごく頑張っています。ただし、一人で作業をしていると怖く・寂しくなるそうです。誰かと一緒に昨日まで頑張って片付けたのだそうです。
妻は写真の整理が終わった後は、手紙類の整理に着手していました。困っていましたが、迷うところは、姉、妹、弟に問い合わせしつつ、進めていました。お父さんが兵役時代お母さんに出したラブレターがいっぱい残っているそうです。
家具類は流石に業者さん任せだそうです。
弟さんが最後、妻に全ての引き出しを点検してほしいと依頼。台所用品、掃除道具、洗濯用品が見つかりました。全部捨てます。
廃棄は、マンションの地下に持っていけばいいということで、最初は妹さん、お姉さんがきてからは、妹さんとお姉さんで一定量が集まるたびに下に移動していました。
私がみても、電話機や稼働している扇風機を残し、ほぼ片付けるものは片付いたように思われます。それが午後5時ごろ。今日は、これで終了とするようです。全員でマンションの地下の駐車場へ。弟さんのお嫁さんが車で迎えにきてくれていました。運転手は弟さんに代わり、市内の方へ。お姉さんは仕事があるということで、仕事場の前で下車しました。
それから、昔、日本人がよく集まっていた場所にある有名な鳥料理屋さんに向かいました。近くに来ると、ちょうど路上駐車のスペースが1台分空いていました。弟さんはぴったりに車を収めていました。そこから少し歩いて、鳥料理屋さんへ。
2階の奥の席。繁盛しています。どの料理も美味しかったのですが、私には椎茸の鶏鍋がとくに美味しかった。たぶん良い鶏と良い椎茸を使っています。
たぶん2時間ぐらいの会食。
弟さんは、ホテルまで送ってくれました。妹さんは、今回はよく泣いていましたが、お別れのときにまた泣いていました。駐車禁止の場所なので、短く挨拶して、別れました。
私と妻はホテルの部屋に戻りました。
私は、すぐに風呂に入り、休みましたが、妻は明日の私の荷物を作っています。詰め込めるだけ詰め込んで私が先に帰国します。こういうとき、妻は休まず最後まで頑張るタイプです。私はまず休んでそれから作業に入ります。
妻は荷物が仕上がった後、疲れ果てたようです。作業量と気配り量が違います。風呂は入れず、シャワーだけ浴びていました。
明日も朝が早いので、早めに就寝。
今回はスマートウォッチをしてきています。体温計として使いやすいというのが一番の理由です。横になってしばらくすると、体温表示が37度。熱が上がると困ります。体感的には疲れただけで、風邪やましてやコロナではありませんが、こういう微妙な熱は困ります。心配しても仕方がないので、 1時間は待ってみることとしました。なんとエアコンの効きが悪くなって、室温が上がっています。27度ぐらい。ずっと25度ぐらいに保っていました。リモコンのところに行って、設定温度を下げますが、あまり冷えてきません。うーんと思って、スマートウォッチを見ると、36.5度まで下がっています。やれやれ。
0時を過ぎた頃から、隣室の方がうるさかったのですが、これで安心して明日の飛行機に乗ることができます。妻の体調は心配ですが、やはり蓄積疲労だと考えられます。私は妻が泣くので泣きそうになりますが、情動に大きな動きはありません。妻は、これで台北に帰ってきても、帰る家はありません。身体的にも気持ち的にも負担が大きい。日本に帰って、時間をかけて回復を待つしかありません。
明日の朝までには私はそれなりに回復しているでしょう。妻も少しでも回復してくれることを祈るのみです。
妻の父の葬儀の日。
妻の弟が午前7時にホテル前に迎えに来てくれる手筈となっています。
早めに起きて、準備。
やはり妻の弟の車に乗って、台湾大学の近くの葬儀場へ。山の中。台湾市内の葬儀・火葬はここで一手に引き受けてやっているそうです。
小室で妻の父が棺に収まって待っていました。親族は死体に挨拶。身内は全員、法衣のような黒い服を着ます。ガウンのような上に羽織る服です。
葬儀は、キリスト教式。妻の妹さんの教会の牧師さん夫妻が取り仕切ってくれます。集まったのは、20名強でしょうか。キリスト教的お別れの儀式。言葉はほぼ分かりませんが、キリスト教式の葬儀には何度か出たことがあります。おおよその進行具合は、わかります。小1時間の儀式が終わると、棺を筆頭にみんなで火葬場へ。台湾市内の火葬を一手に引き受けているだけのことはあります。おそらく20近い棺を入れて焼く場所があります。妻の父は10番に入れられました。
上の方に、共通の待合場所があります。多分100以上入る大きな部屋。ここでやはり1時間ほど骨になるのを待つそうです。親族はその間、故人を偲んでの会話。
焼き上がり順序は、パネルに表示されます。
予定通り、10時に下に案内されました。遺骨を受け取る部屋が用意されています。そこで親族が少しずつ遺骨を骨壺に移します。私も参加しました。妻はクリスチャンではないので、納骨堂に納める遺骨とは別にほんの小さな瓶に小さな遺骨を収めました。
その後は、遺骨の入った骨壷と遺影を持って、妻の母の遺骨が収められている南の方の山の教会(納骨堂)に向かいます。九人近くが乗車できる大きなバンが用意されていました。牧師夫妻や弟夫妻、それに姪っ子夫妻は、自分の車で現地に向かいます。
新台からまだずっと南の山の中です。和歌山の田舎の山の中よりも急なカーブと急な坂を登って降りた場所に、立派な教会(納骨堂)がありました。簡単に行ける場所ではありません。
関係者一同が集まってから、5階の納骨堂へ。妻の母の壺の隣に、妻の父の壺が納められました。ここでも短く儀式が執り行われました。
妻の兄弟が儀式の旅に遺体・遺骨に話しかけていました。とくに妹さんは、その度に大泣きしていました。妻も泣いていました。
ボックスが閉じられて、本日の儀式は完了。
同じように車に分乗して、市内の会食場に向かうということです。台北市内の地理感覚はないので、どことはわかりませんが、大きなビルの高級中華料理屋さんです。
妻の4人兄弟を中心に、たぶん9人で丸いテーブルを囲みました。料理はもちろんどれも美味しい。
途中、妻の弟が魚の骨が喉に刺さって大変でした。いろいろ試して、骨は取れたようだが、違和感が残っているそうです。
会食の終了時刻はよくは憶えていませんが、4時ぐらいだったでしょうか。
やはり車でホテルまで送ってくれました。
部屋に戻り、服を着替えました。ベッドの上でしばらく休憩。
午後7時過ぎに、軽い夕食を取るため、外出。昨日と同じく、松山駅ビルまで地下通路を 通っていきました。
やはりぐるっと一周してみて、タイ料理屋さんを選びました。焼きそばに近い麺料理を2点と空芯菜を1点頼みました。二人でちょっと残しましたが、ちょうど良いお皿でした。
帰り道、虫除けを買って帰りました。明日のためです。
疲れたのでやはり早めに就寝しました。
妻の目覚ましによって4時30分、室温28.4度。妻の父の葬儀のために台北へ。
子供達が全員寝ている中、5時半にスーツケース2個を外に持ち出して、駅へ。5時49分の中央線に乗車。神田駅で乗り換えて、山手線。浜松町でモノレール。飛行機に乗るのがそもそも久しぶりなので、モノレールも久しぶりです。混んでいました。
第3ターミナルで降りました。
電子チケットでチェエクインという手続きを妻が済ませてくれています。ボーディングカードやチケットの印刷はたくさん並んでいる機械で行うようです。
妻の分からスタート。チェックインを済ませていれば、パスポートのスキャンで全部できる仕組みになっていました。電子チケットは印刷しなくて良いかなと思いましたが、念のため印刷しておきました。預け入れ荷物の紙も同じ機械で操作します。出てきた紙を自分で預けいれ荷物に巻き付けます。
預け入れ荷物のコーナーはかなり並んでいます。これも各自が自分で機械を操作する方式に変わっています。見ていると、苦労している人が多い。タッチパネル方式は、初見では難しいことも多い。時間がかかるのは仕方がないのかなと思います。
それから、出国審査と機内持ち込み荷物のチェック。
登場ゲートは、147番。端っこです。結構歩きました。
早めに来たので時間に余裕があります。Gate 147 の前の待合所でゆっくり待っていました。座席は、49E と 49F 。便名は、JL097. 0855 羽田発, 1130 台北松山空港着。
途中少し気流が荒れた場所がありましたが、フライトは順調。その後の入国審査も順調。 手荷物受け取り所では私のスーツケースはすぐに出てきました。妻のは、かなり後の方になりました。
私は松山空港は初めてです。妻によれば、小さいとのこと。
飛行場入り口・出口での妻の第1の仕事は、換金。昔と比べると円が弱くなっています。昔の感覚からすると何万円か損をした気分だそうです。第2の仕事は、モバイルwifi のレンタル。お店の人は、SIMの方が簡単だと勧めてきたそうですが、私のスマホもパソコンにも使います。変な表示が出ても問題なく使える、と言われたそうです。その場で、私のスマホもwifi に繋いてみました。言葉とおり、すぐでした。
正午に妻の弟が車で迎えにきてくれる約束です。しばらく待っていると着いたよと妻のスマホに連絡があったそうです。
急いでスーツケースをコロコロして、外に出ました。快晴で暑い! 緑のBMWのEV車で来てくれました。弟は車が好きでよく買い替えるそうです。弟のお嫁さんも一緒に来てくれていました。ちゃんとお会いするのは初めてです。
松山駅の近くにホテルをとっています。弟は、ぐるっと市内案内をしてくれました。妻は、ホテルのあたりはあまり知らないそうです。1時間ぐらい市内観光をした後、ホテルに到着。ホテルの前は駐車禁止ということです。降りて、すぐにバイバイしました。
本日の仕事はこれにて終了。部屋に入って、荷解きをしました。
朝が早かったのでしばらくベッドの上で休憩。
午前10時過ぎに機内食が出ています。JAL なのに、なんでカツカレーなんだと妻は言っていました。
午後3時を過ぎてから、ホテルの外に出ることにしました。
念のため、もう少し現地通貨を用意することとしました。ホテルの側の銀行に入り、visaカードのキャッシング枠で、5千元をおろしました。PINをしっかり憶えているか少し心配だったのですが、問題ありませんでした。結婚の挨拶で妻と初めて台湾に来たときも、同様にクレジットカードのキャッシング枠でお金をおろしたことを憶えています。新郎側からのお礼のようなお金を妻を通して、妻の母に渡しました。
台湾の地下鉄、MRT も日本のスイカとほぼ同じカードを発行しています。スイカと同じなら便利です。発売場所は駅のオフィスとコンビニとあります。Wifi が使えるので、持っていったMacBookで調べました。地下鉄の通路に入って、オフィスを探しました。改札口のところに係員の方がいました。妻がその方に問いかけて、2枚スイカのようなカードを購入しました。チャージは割とどこでも簡単にできるようです。
それから地下鉄通路を通って、台湾鉄道の松山駅へ。駅ビルの中で食事のできるお店を探しました。食事ができるところを1週してから、中華の軽食のような食事のできる店に入りました。私はうどんに近い麺料理にお肉。妻はワンタン。それに野菜料理を何皿か。
ちょうど良い食事でした。
来た道を戻り、ホテルに。再度、ホテルの部屋で休憩。
午後7時過ぎ、ちゃんとした夕ご飯はもう必要ありませんが、少し簡単な食べ物を食うか、持ち帰るかしようということで再度外に出ました。有名な夜市が近くにあるそうです。
しばらく歩くと、派手な廟があり、夜市の入り口がありました。蒸し暑さの中、夜市を一周しました。出口の近くで、台湾式ハンバーガーとでも呼べるようなものを買いました。妻は何もいらないそうです。それを食べながら、やはり来た道をホテルに戻りました。
明日も朝が早い。早めに就寝しました。
ひとりで5時20分、室温28.0度。お昼前に編集委員会。
ひとりで5時10分、室温28.4度。外はまだ暗い。今日は終日曇りの予想です。晴れ間は、金曜日にならないと出てきません。そして、金曜日から、週末にかけてまた猛暑日が続きます。
ひとりで5時35分、室温27.7度。お盆最終日。
台風7号は、5時前に潮岬付近に上陸したということです。和歌山直撃でした。そのまま北上し、日本海に抜けて、日本海のまんなかあたりを通り、宗谷岬を通る予想図となっています。今日は、降ったり止んだりですが、明日には晴れます。
台風7号の現実の進路は、潮岬付近に上陸したあと、古座川町、田辺市、旧龍神村、日高川町、有田川町、海南市、和歌山市、とほぼ和歌山県の真ん中あたりを縦断し、大阪湾にでたあと、兵庫県に入り、兵庫県をほぼ北上しました。その後、日本海をゆっくりと北上しています。動きが遅いので、影響が長引きます。雨は、鳥取県で強く降りました。おおきいちびは普通に仕事。たぶん暇と言っていました。暇は暇で嫌だそうです。前の職場のように忙しすぎるのも嫌だそうですが、暇すぎるのも嫌だそうです。
朝方、事務的用件を1件すませました。JL0097の搭乗案内のメールがきました。妻が私の分も含めて、手続きを行いました。チェックインと入国書類が出来上がりました。これで当日の手続きはとても簡単なものになります。
エンジェルスは、レンジャーズ相手に壊滅的な負け方をしました。数字的には1〜2%ポストシーズンの可能性が残っているようですが、現実的にはほぼ消滅したと言ってよいでしょう。ショートストップの暴投で始まった試合ですが、エンジェルス側はエラーとフォアボールで自滅したような流れとなりました。レンジャーズのピッチャー、シャーザーが現役ナンバーワンと言える実績のあるピッチャーだったということもありますが、ほぼパーフェクトに近い形で抑えられました。
なお、あとからネットでシャーザーをネットで調べると、見事なオッドアイでした。右目は水色、左目が茶色でした。思わず、パソコンで作業中のちいさいちびに見せにいきました。ちいさいちびの午後の予定がなくなりました。遊びに行く予定の友達が病気になったそうです。急遽、妻といっしょにパスポートを受け取りに行くことになりました。夕方でかけて、ご飯を食べて帰って来るそうです。
ということで、夕ご飯は私と息子の二人。ワイズマートに買い物に行って、トンカツとアジフライと刻みキャベツ、梨、チーズ類を買って帰りました。
ご飯だけ炊けばよいというもっとも手間のかからない夕食を選びました。
ひとりで5時40分、室温27.7度。
台風7号は、またすこし西にずれて、15日(火曜日)午前6時に潮岬あたりに上陸する予報となっています。紀伊半島直撃です。影響は、三重県から愛知県にかけておおきくなると考えられます。大谷、やっと41号。最近負けがこんでいるエンジェルスもやっと一矢を報いました。
おおきいちびは普通に仕事、ちいさいちびは何かのトライアルに行ったあと勉強をしてくると言っています。妻と高校生は、いっしょに外出。
ということで私が留守番です。
ひとりで5時25分、室温28.3度。暗い。
週間天気によれば、今日の午後から雨が降り始め、火曜日までずっと雨。しばらく雨が止んでいる時間帯がありますが、ずっと雨となっています。台風7号の連れてきた雨雲による雨。
台風7号の上陸地点の予報は、津あたりでしょうか。紀伊半島の右(東)側となっています。
しらない間に台風8号が発生しています。これは日本列島のかなり東の海上で発生し、そこから北上する予報です。日本列島に対する直接的影響はごく小さいかと思われます。お盆初日。
おおきいちびは半日仕事。1時に上がるそうです。今日は直帰と言っていました。
ちいさいちびは夕方に友達と神田明神のお祭りに行くそうです。遠くの台風から、ちぎれた雲がばらばらとやってきています。天気の予想が難しい。雨の予報も1時間で様変わりします。
ずっとウェザーニュースの雨雲レーダーを自宅付近と御茶ノ水付近で見ていました。
夕方が近づいてくると、神田明神のライブカメラを発見し、見ていました。1分ごとに更新という仕組みです。ちいさいちびの出発直前に我が家付近も神田明神も雨が上がりました。神田明神では、雨の間は、傘をさした人がパラパラといただけですが、雨が上がった途端、傘はなくなり、人が増え始めました。
こんなに細かく雨の様子をウォッチしたのは、はじめてかもしれません。
ひとりで6時20分、室温27.7度。終日曇りで、夕方から晴れ。という予報ですが、朝、玄関には太陽のまぶしい光が差し込んでいます。曇りのまま猛暑日とあります。台風7号の進路は、どんどん西よりに変わっています。昨日は名古屋あたりに上陸の予想でしたが、今日は紀伊半島直撃となっています。
予報では終日曇りでしたが、午後もけっこう晴れていました。
午後2時過ぎ、ワイズマートに買い物に。夕ご飯は魚ということで、メカジキ、ブリ、タイの切り身、マグロ中落ち、ほかに出来合いのお惣菜を数種買って帰りました。
買い物袋の処理を妻に任せたあと、近所の工事を見てまわまりました。
ここどうするんだろうと思っていた場所がそろいもそろって工事となっています。
ひとりで6時40分、室温28.3度。午後は晴れる時間もありますが、曇りがちの1日となりそうです。12日(土曜日)から16日(水曜日)まで雨マークがついています。13日(日曜日)、14日(月曜日)、15日(火曜日)には、しっかりとした雨が降る予想となっています。
台風7号は、14日(月曜日)に名古屋あたりに上陸する予報となっています。
目覚ましによって5時、ちいさいちびを5時10分に起こします。室温27.9度。昨日の雨によりすこし気温が下がりました。今日は晴れ。ちいさいちびは遊びに行きます。
4時前に、ゲラを投函するために、郵便局へ。ゲラの封筒には、表2以外の表も同封しました。
それから西友へ。西友の自転車置き場に自転車を置いてから、駅前の本屋さんで、2冊の総合雑誌を購入しました。『中央公論』と『文藝春秋』の9月号です。合わせて、2190円。高くなりました。
『中央公論』は「戦争が変える世界秩序:ウクライナ戦禍から考える」という特集を組んでいます。帰宅して、けっこう読みました。
『文藝春秋』の方も、面白そうな記事をけっこう読みました。ちいさいちびは帰途、AirTagの誤動作に巻き込まれ、トラブルがありました。深夜、家族全員で対応しました。
ひとりで5時35分、室温28.4度。今日は雨の予報。午前8時から午後8時ぐらいまで雨の予報となっています。雨なので、最高気温は31度です。
午前7時前に雨の音。別のトラブル発生。
ひとりで4時50分、室温28.4度。目覚めた頃、雨の音が聞こえました。朝一番で、昨日届いた通知に対して、作業を行い、出発点となるところまでは手続きを進めました。
すこし忙しい日々が続きます。
朝一番(午前9時)で郵便局に行き、定額小為替を2枚購入し、速達で田舎の役場に送りました。
その後、妻は目黒にでかけました。しばらくしてから電話がありました。午前中の受付が午前10時半で終了していたので、午後まで待って書類の処理をしてくるそうです。帰りは、3時4時になりそうです。
ちいさいちびは9時50分起床。お昼ご飯はそばでよいというので、ワイズマートに行って、そば、チキンカツ、メンチカツ、ネギを買って帰りました。
けっこう仕事のメールがきます。すぐに対応できたものと、明日対応するものに分かれます。
ひとりで6時5分、室温28.4度。おおきいちびと高校生は再始動。
猛暑日でない日は、私も再始動することにしました。
9時18分武蔵境発の西武多摩川線。
大学前のコンビニで昼食を買ってから、研究室へ。
8月1日(火曜日)に始めた作業の継続。スキャン&廃棄作業。適当にバラバラと買ってきた昼食を食べました。
学生時代(学部生・院生時代)の資料を中心対象として作業。忘れていたものがほとんどです。
めどとなるところまでは進めようと思い、ちょっと頑張りました。
71 pdf files ができました。
先週申請したものの通知が午後2時すぎに届きました。ちょうど良いので、今日の作業はこのあたりまでとします。
15時4分多磨駅発の電車で帰途。武蔵境で下車して、スイカにチャージし、アンデルセンでパンを4個買って帰りました。帰宅すると緊急事態:息子が玄関を開けてくれました。妻が泣いています。お父さんが亡くたったということです。昨日のよるから今朝にかけて自宅で亡くなったそうです。 詳しくは、ことがすんでから報告します。
おおきいちびは新しい職場の初日。ずっと立ちっぱなしで疲れたと言っていましたが、前の職場のようなことはないそうです。すこし安心しました。
ひとりで5時10分、室温29.1度。天気予報では、にわか雨。雨雲は確かに近づいていました。でも、近くを通過したようですが、この場所では結局雨はほとんど降りませんでした。
ひとりで5時25分、室温29.9度。朝の室温がほぼ30度。おお!
週間天気によれば、猛暑日は今日まで。最高気温36度予報。明日は、34度。それからは、31度、32度、30度、32度、32度、33度、32度、と続きます。月曜日からの週に晴れマークはなく、月曜日から火曜日にかけてはしっかり雨が降るようです。ちびどもは花火大会。浴衣を着て、それぞれの目的地へ。午後4時前に揃ってでかけました。
ちびどもが出かけたあと、今日は息子の自転車で買い物へ。自転車屋さんの隣のドラッグストアで、メジコンを買いました。おおきいちびがたぶん後遺症でしょう、咳が止まらないので、おおきいちびの指定でメジコン。
それからワイズマートに行って、明日の昼食のソーメンと生姜、玉ねぎ、乾燥しいたけ、フリルレタス、キュウリ、そうめんツユ、サツマイモを買って帰りました。
ひとりで6時35分、室温28.8度。なかなか室温が下がりません。今日と明日は、まだ猛暑日。午後3時過ぎに買い物。ちいさいちびの自転車で、ワイズマートに行きました。妻には、LG21ドリンクを頼まれました。私は、明日の朝食に、ピザとクラッカー、果物にバナナ、ドラゴンフルーツ、ネクタリン、ほかにアイスクリーム2箱、コロッケとメンチカツを買って帰りました。
近所でまた解体/新築工事が始めるようです。
1時40分ごろ一度目覚めて、エンジェルス対ブレーブス戦を途中までみました。ブレーブスは、MLB一番の強力打線です。ホームランを20本以上打っている打者がずらりと並びます。投手の球がすこし甘くなるとつかまります。エンジェルスは4回までで9点取られました。今日の試合はこれでたぶん決まり。また就寝することとしました。(2度目の起床)ひとりで6時45分、室温28.9度。猛暑日。週間天気では、土曜日まで猛暑日が続き、その後、すこしですが和らぎます。週明け、月曜日、水曜日、木曜日、金曜日には雨マークがついています。気温はそこまで下がらず、猛暑日を脱することがやっとできました、というぐらいです。
午前10時20分ごろ、近所のコンビニでお金をおろしてから、ワイズマートに。ちいさいちびの自転車を使いました。息子にステーキをという妻の指示に従い、3点のステーキ(牛ももステーキ2点、牛かいのみステーキ1点)、ほかに手作りチキンカツ、合鴨スモークグリル、フリルレタス、小葱、トマトを買って帰りました。
夕食は、おおきいちびがちょっと早い退職祝いと引越し作業へのお礼を兼ねておごってくれました。午後6時ごろお店に着くことになっています。
貸切状態でした。とてもおいしい和食です。どれもとても美味しかったのですが、タコとイカがとくに美味しいと感じました。
満腹&満足して、2時間ぐらいで帰ってきました。
ひとりで4時20分、室温27.4度。昨日からは2度近く下がっています。かなり楽です。
今日はまた晴れて、猛暑日の予報。[『ゲンロンβ82』]
久しぶりに、『ゲンロンβ』をKindleにダンロードして読みました。β82 です。β83 で終刊とありました。けっこうよい雑誌だったので、残念ですが、仕方ありません。
1. 高橋ユキ 前略、塀の上より 第2回 殺人未遂で逮捕されていたはずでは……通称『罪名落ち』がもたらす不利益
2. さやわか 愛について──符合の現代文化論 第15回 古くて新しい、疑似家族という論点について(2)
3. 石田英敬 飛び魚と毒薬 第2回 詩とアルコールと革命と
4. 小松理虔 当事者から共事者へ 第21回 共事者の困難と、新しいスタートライン──沖縄取材記(後篇)
5. 河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン 第9回 ベルリンで思い出す、大江健三郎が残したもの
6. まつい 島暮らしのザラシ 第2回 島暮らしの移動事情編
今回は珍しく、頭からずっと読み通しました。さやわかさんと小松理虔さんは、ほぼ同じ種類の問題を扱っています。言語/概念による固定化の罠/あるいは罠を脱する方法、とでもまとめることができると思います。
「固定観念」という用語があります。「家族」のような基本的用語も、様々なレベルで固定観念に縛られている、そこから脱するにはどうすればよいのか、というふうな問題です。
ひとりで2時40分、室温29.2度。まだまだ猛暑日かと思ったら、ぎりぎり猛暑日を免れるようです。
目覚めたころ、雨の音と雷鳴。久しぶりの雨です。ざっと降ってくれるとよいのですが、予報によれば、午前8時から9時には止むようです。最高気温予報が34度。猛暑日はひと段落だそうです。
週間天気によれば、8月2日(水)、4日(金)、5日(土)、は猛暑日ですが、あとは猛暑日ではないようです。8月の第2週は、曇り時々雨の予報が続いています。正午ごろ、空が真っ暗になり、雷鳴とにわか雨。けっこう強く降りました。
院生のFくん宛に本が届いたという連絡がありました。雨で涼しくなりましたし、大切なものかもしれないので、大学に出ることとしました。
中央線は13時56分に武蔵境につきました。ちょうど西武線が出たところです。
駅の外のアンデルセンで、パンを3個買いました。
14時6分武蔵境発の西武線。
研究講義棟3階の事務室に入って、本を受け取りました。
そこまで重要な本ではなかったのですが、本人が大学に来た時、持ち帰るということで、ドアに貼り付けておきました。ほんのわずかにスキャン作業の続行。私の学部時代から大学着任時ぐらいまでの資料について整理のめどがつきました。
地元の奨学会の通信(むらぎもという名前です)に書いた文章がでてきました。まったく覚えていないことが多く書かれています。読んでも少しも記憶がよみがえらない件もあります。忘却の力の大きさ!
5 pdf files で帰途。15時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅するとちいさいちびがひとりでした。本来和歌山に行っているはずだったのですが、中止になったので、ちょっと暇そうです。7月上旬に学会があったとき、地方から見えた方が東京のホテルが高いと言っていました。ちびどもが秋に地方都市に遊びに行くことになりました。
ちょっと調べてみました。
西日本のわりと大きな都市で調べてみると、以前と大きな差は感じられません。上がったと言えるような状況ではないかと思います。
東京は、東京タワー周辺で調べてみました。おお、高い。平均値が高くなっている気がします。ものすごい大雑把な感覚では、地方都市の倍といったところでしょうか。[もう一つのトトロの樹]
基本、それほどスマホは見ないのですが、電車のなかで最近たまにネットニュースを見ます。「東京・西荻窪「もう一つのトトロの樹」が伐採へ」という記事が目に止まり、「もう一つのトトロの樹」なんて聞いたことがないと思いつつ、記事を読んでみました。
おお、なんと、我が家のもとの地主さんの敷地に生えている大きなケヤキのことでした。
三峯神社の敷地に生えている8階建てのマンションより高い大木のことでした。
(記事によれば、木が先、神社=祠は、地主さんがあとから作ったものだそうです。)
記事のなかに「2019年に先代がなくなると住む人がいなくなり、空き家となった」という文章があります。どうされていたのだろうと気になっていたのですが、2019年にお亡くなりになっていたとは知りませんでした。
土地は、スーパーゼネコン清水建設グループのデベロッパーが買い取ったそうです。
今、囲いをつくって、解体工事をしています。
ちょうど、神社と木をどうするのかな、と思っていたところでした。
「もう一つの」ではない、もとの「トトロの樹」は、坂の上けやき公園にあります。荻窪中学のすぐ近くです。ちいさいちびが小学生のときに、この樹の絵で賞をもらったことがあります。我が家にはゆかりの樹と言えます。
「もう一つのトトロの樹」はほんとうに大きくて立派な木です。残した方がよいと思いますが、私有地にあります。ご近所の方を中心に伐採反対運動が起きているそうです。私有地なので難しいでしょうが、残してほしいと思います。
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