ひとりで5時55分、室温8.8度。とうとう、大晦日。
息子と妻は、昨日新調したコンタクトの度数が合わない(ゆるすぎる)ということで、もう一度昨日のコンタクトに出かけました。昨日より30分ぐらい遅くでかけました。やはりお昼ご飯を食べて帰って来るそうです。
ということで、ちびどもと3人でお昼。妻が丸鶏を焼いてくれています。もう一度焼き直して、正午に昼食。
私は片付けを続行。バックナンバーの処理、半分ぐらいは進みました。片付けをしていると、私の部屋の本の山が崩落することがあります。仕方ありません。その対応もしながら、少しずつ進めています。
[2021年回顧]
定年退職まで後2年と3ヶ月。研究室の片付けもしたいのですが、研究講義棟は、年末年始は封鎖されます。(1月29日から1月3日まで)研究室の片付けの方は、年明けとなります。12月10日、最後のボーナス。
2022年4月、長女が働き始めます。同じ4月に最後のローン。住宅ローンは、2022年4月で完済となります。年収は下がりますが、なんとかやっていける計算です。
ひとりで3時40分、室温7.6度。週間天気によれば、今日は14度まで気温が上がります。そして、夜から寒くなり、また寒波が舞い戻るようです。
もっとも寒いのは、31日、1日、2日のようです。最高気温予想が、5度、7度、6度。高校生がコンタクトと言っています。妻が荻窪の眼科医に連れて行って、それからコンタクト屋さん。昼食をとって、買い物をして帰って来るそうです。
私は、10時過ぎに買い物に。いつもと違うルートで大回り。買い物は、パン屋さんでパンを3袋、お漬物、それにスープ類とおやつ。
ひとりで5時、室温7.3度。今日も片付けを続行します。どこまで頑張るかはわかりません。
田舎の母から、年末の荷物が届きました。いちごがトマトとかまぼこ。
息子が年賀状を出すというので、2時前に郵便局に行って、年賀状を50枚購入。ちびどもはほぼ年賀状を止めています。私は、来たものには返事を出す必要があるので、その分をお正月に作成します。
ひとりで6時10分、室温6.7度。相変わらず、寒い。仕事収めの日。午前中に、バックナンバーの処理に着手。袋を外し、紐でくくりました。2くくりできました。
その後、授業のファイルの処理。ゼミの記録です。貴重ですが、残しておく余地はありません。午後2時前、駅前の銀行(店の外にまでATMを待つ方の列がありました。年末の風景です)、コンビニ、それから西友と回ってきました。西友では最近のパターン通り、一番奥のパン屋さんでパンを買ってから、うどん、おやつ類を買って帰りました。家のなかは寒いのですが、外を歩いているとそこまででもありません。
ひとりで3時55分、室温6.8度。大寒波の襲来。東京は晴れていますが、気温は低くなっています。外の気温は、スマホによれば、0度。月、火は、片付けをしようと思っています。
学会の郵便物を郵便局で出してから、中央線。三鷹で降りて、財務的用件の処理。なるほど。
9時54分、武蔵境発の西武線。研究講義棟に入るまえに、生協に寄ってみました。冬休み、生協も休んでいます。
研究室でメールへの対応。片付けは、ゴミから。捨てるダンボールがけっこうあります。そのあと、ちょっとだけ研究所へ。
今日は着手しただけです。
11時28分多磨駅発の西武線。武蔵境で降りて、昼食に蕎麦。それからパンを5個買って帰りました。
帰宅すると、ソニー損保から保険証券が届いていました。5年契約で、火災保険+地震保険。自分のために、年明けの締め切りを記録しておきます。
MMAの採点、1月14日締め切り。
本務校シラバス入力締め切り、1月31日(12月24日から入力できる状態になっています。)
秋学期授業、成績登録締め切り、1月31日(月曜日)。年明けの授業は、あと2回。
月曜日は、10日と17日。10日は祝日ですが、授業があります。
木曜日は、6日と13日。
駒場は不規則です。7日と18日(火曜日)。健康と医療2/くらしと健康B(世界教養科目、冬学期集中講義)
1月31日(月曜日) 2限(オンデマンド)
2月1日(火曜日) 3限4限5限6限
2月2日(水曜日) 2限3限4限
2月3日(木曜日) 2限3限4限
2月4日(金曜日) 3限4限5限6限
ひとりで6時25分、室温8.9度。日本列島に寒波が到来しています。午後に、編集委員会&理事会。
編集委員会は、2時から3時。理事会は、3時から4時で終わりました。
ひとりで5時20分、室温10.8度。雨、夜半から降っていた雨。午前中にやむようです。
クリスマス の朝。高校生は、午前中に部活。
予報通り、ちびどもが寝ている間に、雨はあがり、太陽が顔を出しました。南の低い空からの日光が届いています。
11時前に妻が出かけました。観劇。
[マカロン成功]
ちいさいちびは午後マカロンを作ると言っています。ちいさいちびが小さかった頃、挑戦して失敗した記憶があります。本人的にはなんとかなるという感覚があるそうです。
おおきいちびが助手。私がアテンド。
ポイントは、卵白からメレンゲをつくるところです。最初に見つけたハンドミキサーでどうやってもうまくメレンゲになりません。ちいさいちびが実際につくっている場面の動画を見せてくれました。ハンドミキサーが違います。どう表現すればよいのかわかりませんが、棚のなかにもう一台別種のハンドミキサーがあり、動画と同じ種類の回転部があったことを思い出しました。棚の奥の箱のなかにしまっていました。
メレンゲの部分だけ一からやり直し。新しいハンドミキサーだと、嘘のように、うまくいきます。
クリスマスマカロンということで、緑と赤のものを作るそうです。緑は抹茶、赤は食紅。家にある袋でうまく絞り出し、円形をほぼそれぞれ20個程度つくりました。1時間程度乾燥させる必要があるとのこと。
夕食は、おおきいちびがつくることになっています。サラダとクラムチャウダーの用意はしていました。おおきいちびは草食系なので、それでも大丈夫ですが、他のメンバーには、お肉が必要です。おおきいちびにどうすると聞くと、忘れていたと言います。ワイズマートに私が買い出しに行くことにしました。一番簡単に、ローストビーフを4箱、それに豚肉2パック、チャーシュー1パック、レタス、パン、を買って帰りました。ちいさいちびがオーブンでマカロンを焼き始めた時、妻が帰ってきました。予想通り5時。マカロンは成功です。初めてに成功。ちいさいちびがマカロンを焼いている間、おおきなちびが夕食の準備。
途中から妻も参加。
食卓に、妻が朝の間に焼いていた無塩食パン、マカロンのツリー、クリスマスケーキ、サラダ、お肉が並びました。高校生を呼んできて、全員で食卓に。
珍しく洋風のダイニング。
ひとりで5時30分、室温9.5度。ちいさいちびは通院の日。大きな病院でいつも混んでいて、午前まるまるかかります。9割以上はただ待っているそうです。
高校生は、年内最後の登校日。午前中で終わって、お昼は、陸部のメンバーと焼き肉だそうです。
午前11時前、セイユーへ買い物に。パン屋さんでパンを買ってから、ちいさいちびのマカロン用の材料を購入。明日の朝作るそうです。アーモンドプードル、粉糖、グラニュー糖、食紅、抹茶パウダー、生クリーム、板チョコ。それにお漬物、缶詰を買って帰りました。
夕刻に駒場の授業。これで年内最後のお仕事。
5時5分スタート、6時35分終了、ですが、5分ぐらいのびました。終わって台所に行くと、全員揃ってクリスマス・ディナーの真っ最中。いつも妻が丸鶏をオーブンで焼きます。家族全員テーブルに揃うのは久しぶりです。ちびどもは何か音楽番組を見ていました。
ひとりで4時5分、室温10.2度。木曜日の授業の11回目。年内最後。1限3限4限5限6限。
1限を終わって、9時54分武蔵境発の西武線。
キャンパスではまず3階に上がり、届いていた物品(紙の箱2箱)を台車を借りて研究室に運びました。研究講義棟の2階は外からは入れません。ちょっとした裏技を使いました。
研究室に2箱をおろしてから、台車を返すためまた事務棟3階へ。内側からは出ることができます。いつものルートで大丈夫でした。
戻ってきて、メールへの対応。
お弁当を食べて、12時40分から3限の講義。その後は、3限4限5限6限の怒涛。先週に続き、6限は南先生。南先生は元気です。
6時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで4時30分、室温10.1度。朝の室温がやっと10度を上回りました。ですが、週末にクリスマス寒波がやってきて、月末はひどく寒いようです。朝ごはんのパンがきれていたので、午前6時20分に近所のコンビニに。それほど寒くはありません。でたときはまだ暗かったのですが、帰り道はもうかなり明るくなっていました。この場所から日の出を見ることはできませんが、6時半ぐらいに夜明けです。今日が冬至。
運動を兼ねて、午前10時過ぎに今度は西友へ。まず、パン屋さん。それから、妻に指示されたロブスター、卵、ゆずを買って帰りました。それほど気温が下がっていませんが、風が吹くと寒い。
午後に会議。2つ。最初の会議はたぶん短くすみます。2番目の会議の時間を予想するのは難しい。研究院長報告の部分にどれだけ時間をかけるかによります。
最初の会議は、1時に始まり、1時10分に終わりました。予想通りです。
次の会議は、2時20分に始まり、3時3分に終わりました。短く終わりました。報告事項を短くしてくれたおかげです。
ひとりで3時50分、室温9.4度。朝の室温は少しずつ戻ってきていますが、まだ10度を下回っています。ちいさいちびが生まれて2ヶ月後のクリスマス前にこの家を購入しています。ローンを組む時にいっしょに火災保険に入りました。そこまで考える余裕もなかったので、銀行の勧めるものをそのまま受け入れました。20年の契約。もうすぐ切れます。
家の火災保険なしですますことはないだろう。ということで、ずっと以前から火災保険のことは調べてみました。ソニー損保でいいだろうというところまでは行っていたですが、プランの選択が悩ましい。
モデルプランで行こうと思って、ネットで契約作業に着手。地震保険なしもこわいな、とか実際オプションを決めるとき、やはりまだいろいろ考えます。モデルプランをすこし修正して地震保険をつけたプランにしました。
購入時の登記簿謄本を探しだし、スキャナーでコピーをして、画像を提出して、一応終了です。審査に2日かかるそうです。クリスマスには間に合う計算です。
我が家の築年数ですが、ちいさいちびの年齢+7、というふうに覚えています。ちいさいちびが0歳のときに、築7年の中古住宅を購入しています。ということで新築のときのことは、わからないのですが、登記簿謄本に平成7年8月5日新築とあります。登記は8月22日です。
家が建った日付を意識したのは、はじめてです。→12月22日、午後8時ごろ、審査に通ったという連絡がありました。
ひとりで5時30分、室温8.2度。年内最後の月曜日の授業。
9時を過ぎてから家をでました。駅前のコンビニでお金をおろしてから、郵便局。固定資産税の第3期分を支払いました。それから駅へ。西友ですこし買い物をして中央線に乗り込みました。9時半、武蔵境発の西武線。
メールへの対応。すこしぼんやりしてしまい、やろうと思っていた片付けは行うことができず。
12時40分から大学院の授業。3限と4限の2コマ連続。
4時28分多磨駅発の電車。三鷹で降りて、財務的用件。
おおきいちびは3回目の接種をすませたそうです。
ひとりで5時25分、室温7.4度。昨日が寒かったので、ずいぶん下がっています。この冬一番の寒さとなっています。スマホによれば、マイナス1度、と出ています。東京でマイナスになるのもこの冬はじめてかもしれません。最高気温は10度の予報。昨日よりはましです。週間天気によれば、クリスマスの日がまた寒いようです。
ひとりで4時45分、室温10.2度。外はかなり寒くなっていると思われます。ちいさいちびは前撮りの日。午前中にママといっしょにでかけます。
9時20分頃にでかけ、5時前に帰ってきました。ちいさいちびは、疲れた、と言っていました。
ひとりで4時15分、室温12.3度。
夜明け前に雨が降り始めました。一度止みましたが、高校生や妻がでかけるころにはまた降っていました。午前中にやむ雨の模様。9時半過ぎに外出。傘は持ちましたが、使いませんでした。駅前のコンビニと銀行で財務的用件をすませてから、西友。いろいろ買い物。雨は上がったようです。
夕刻に駒場の授業。
A. Clericuzio, ""Sooty Empiricks" and Natural Philosophy: The Status of Chemistry in the Seventeenth Century," Science in Context, 23(2010): 329-350 を読んでもらいました。17世紀における化学の位置付けの変化について、非常によくわかる整理をしてくれています。私は、クレリクチオと同じ見解です。
イギリス留学までに(1994年末まで)私は次に列挙するクレリクチオの論文を読んでいます。1990年, Annals of Scienceで出版された「ボイルの化学と粒子論の再定義」は、重要な論文です。ボイルの化学、粒子論哲学、機会論哲学について必須の論文となっています。
* Clericuzio, Antonio 'Le Transmutazione in bacon e Boyle', in M.Fattori(ed.), Francis Bacon.Terminologia e Fortuna nel XVII Secolo, (Rome:Edizioni dell'Ateneo,1985), 29-42.
* Clericuzio, Antonio "Filosofia corpuscolare e teoria chimiche in Robert Boyle: uno studio preliminare", in Franco Calascibetta and Eugenio Torracca (eds.), Atti del II Convegno Nazionale di Storia e Fondamenti della Chimica(Roma,1987), 303-313.
* Clericuzio, Antonio, 'Spiritus vitalis: studio sulle teoria fisiologicha da Fernel a Boyle', Nouvelles de la Republique des Lettres, 1988-2: 33-84.
* Clericuzio, Antonio 'Robert Boyle and the English Helmontians', in Z.R.W.M.von Martels(ed.), Alchemy Revisted (Leiden:Brill,1990),192-9.
* Clericuzio, Antonio 'A redefinition of Boyle's chemistry and corpuscular philosophy', Ann.Sci., 47(1990), 561-89.
* Clericuzio, Antonio, 'Note sulle Boyle Papers Conservate negli Archivi della Royal Society di Londra', Nouvelles de la Republique des Lettres, 1990-I: 83-95.
* A.Clericuzio, 'Review: Nancy G.Siraisi, Medieval and Early Renaissance Medicine, Chicago Univ.Press,1990' Bulletin of the Society for Renaissance Studies, x(1992), 21-23.
* Clericuzio,Antonio, 'From Van Helmont to Boyle: a study of the transmission of Helmontian chemical and medical theories in seventeenth- century England',
BJHS, 26(1993), 303-34. * Antonio Clericuzio, 'New Trends in the History of Philosophy and Science: Paracelsianism', Bulletin of the Society for Renaissance Studies,x(1993), 13-6.
* Antonio Clericuzio, 'Carneades and the chemists: a study of The Sceptical Chymist and its impact on seventeenth-century chemistry', in Michael Hunter(ed.), Robert Boyle Reconsidered (Cambridge: Cambridge University Press,1994), pp.79-90.
* Clericuzio, Antonio, 'The Internal Laboratory.The Chemical Reinterpretaion of Medical Spirits in England (1650-1680)', in Rattansi, Piyo and Antonio Clericuzio(eds), Alchemy and Chemistry in the 16th and 17th Centuries, (Dordrecht:Kluwer,1994), 51-83. # purchase 28/9/94
* Clericuzio, Antonio, 'New Light on Benjamin Worsley's Natural Philosophy', in Mark Greengrass, Michael Leslie and Timothy Raylor (eds.), Samuel Hartlib and Universal Reformation: Studies in Intellectual Communication (Cambridge University Press, 1994), 236-46
ひとりで4時55分、室温10.1度。昨日よりちょうど1度高い。日の出は、6時44分。もうすぐ冬至。木曜日の授業の10回目。1限3限4限5限6限。
1限の授業をすませてから、すぐに外へ。10時半武蔵境発の西武線。電車で同僚の先生といっしょになって、昨日の会議の愚痴を言い合っていました。
メールボックスで荷物を受け取ってから、なかの事務へ。書類を1点渡しました。また追って説明があるそうです。
メールへの対応が終わって、お弁当。ずっと放置していたセッティングを行いました。すぐでした。
12時40分から3限。始まってしまうと怒涛。
6限のzoom をスタートさせ、南先生に挨拶してから、退室。TA の方によろしくと言って下校。
午後6時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。1限から6限終わりまで緊張感を保って仕事をする気力は、先週で尽きたようです。
疲れました。
ひとりで4時55分、室温9.1度。昨日が寒かったので、10度を下回っています。午前6時20分ごろ、プラや瓶・缶ゴミを出すために外にでました。地面は湿っていますが、雨は上がっています。終日晴れの予報。基本は戻ります。
午前10時前、買い物にでました。西友。朝食のパン、お漬物、お菓子、その他を買って帰りました。
おおきいちびは11時前に出かけて行きました。一度帰ってきて、また夕方に出るそうです。ほんとう、よく、うごきます。
午後に会議。最初の会議は、12時40分から。2時前に終了しました。
次の会議は2時20分から。長引くことは予想していたのですが、予定を1時間こえて、午後5時前に終了。ちいさいちびは4時前に出て行きました。7時ごろ帰宅。
ひとりで4時25分、室温10.4度。かろうじて10度を保っています。高校生が登校したあと、小雨が降り始めました。みぞれ。すぐに止みましたが、また降ってくるでしょう。
郵便物を2点出すために、午前10時ごろ、外出。かすかに雨。傘は持たずにでました。お昼にかけて雨。冬の冷たい雨がしっかりと降っていました。午後2時過ぎに、部屋のなかに日差しが差し込み、晴れたようです。
おおきいちびは、1時半すぎにでかけました。妻は3時ごろに帰ってきました。ちいさいちびは4時ぐらいにでかけるようです。キンドル雑誌、『ゲンロンβ』67号をやっとダウンロードして、読むことができました。67号では、樋口恭介さんの 「異常論文、そして異常空間のこと」がエキサイティングでした。"異常論文"というワードそのものはネットで見かけていたのですが、何が起きていたのかあまりよくわかっていませんでした。生じたのは、なるほど、異常空間でした。
⇒翌日、早川文庫の『異常論文』 (ハヤカワ文庫JA) Kindle版 、を購入し、すこしだけ読みました。こういうのであれば、もしかしたら、私も参加できるかもしれないという新鮮さがありました。
ひとりで3時35分、室温12.8度。久しぶりに週間天気をみました。明日は雨で、最高気温が7度の予想です。明日だけ、真冬がやってくる感じです。早朝のうちに、2件、事務的案件を片付けました。ともに郵便局に出すものです。
午前7時前に燃えるゴミを出すために外にでました。寒くなっています。
午後に授業。3限4限。
郵便局が開くのをまって、外出。ポストの1個、中で一個、郵便を出しました。9時半、武蔵境発の西武線。
メールへの対応。10時過ぎに生協。雑誌を1冊と文具を2点、それからすこしの食料品。
買った雑誌は、『中央公論』2022年1月号。特集は「謀略と昭和史:戦前日本で蠢いたもの」12時40分から3限。2時20分から4限。
4時4分多磨駅発の電車。武蔵境で外にでて、パンを4個購入。
帰宅すると、全員でかけていました。ママとちいさいちびがいっしょにでかけ、東京駅でおおきいちびと落ち合うそうです。
荷物がいっぱい届いていました。そのひとつが『化学史研究』2021年第4号。目次は次。
『化学史研究』第48巻4号(2021)目次 [シリーズ:図像科学史] 田中祐理子「原子の可視化・再考―<原子の図像科学史>のために―」第48巻(2021): 183-194
[技術史シリーズ]佐藤隆雄「純国産初の金属マグネシウム―閃光のごとき光芒の軌跡―」第48巻(2021): 195-201
[紹介]山根伸洋「アーロン・S・モーア『「大東亜」を建設する―帝国日本の技術とイデオロギー―』2019 」第48巻(2021): 206-208
[紹介]大野誠「 石田純郎『世界の美しい病院ーその歴史』2021 」第48巻(2021): 208
[紹介]田島慶三「 岡本文一『日本近世・近代のガラス論考』2020 」第48巻(2021): 208-211
[紹介]新井和孝「児玉俊一 『日本フッ素化学の源流をたずねて(1830〜1970)』2018 」第48巻(2021): 212-214
[紹介]新井和孝「藤嶋昭監修『すごい科学者のアカン話』2020 」第48巻(2021): 214-215
[会報]「2021年度通常総会(書面議決)報告」第48巻(2021): 216-219
[]新井和孝「Errata」第48巻(2021): 220-222
[会報]「投稿規程」第48巻(2021): 223-224
年金の知らせが2通届いていました。生まれた年によって、63歳から年金をもらえます。もらう権利はあるのですが、現職で働いていると、それが0になります。入ってくるお金はありませんが、権利はあるということで、証書が入っていました。
ひとりで5時15分、室温12.3度。午前9時前、財務的用件の処理のために、近所のコンビニに。3枚のカードにチャージをしてきました。それからすこし買い物。本日も好天です。
ちいさいちびの散髪屋さん
昼食後、ちいさいちびがママの散髪屋となりました。2回目。1時間ほどかけて、けっこう上手に切りました。
ちいさいちびは、掃除をしたいと言います。居間の照明(いちおうシャンデリアようの照明)に埃が溜まっています。それを除去すると言います。
ダイニングテーブルの位置を動かして、作業空間を作りました。照明そのものは落として、懐中電灯で作業する場所を照らしてやりました。作業中に、死にかけていたLED電球が一個お陀仏となりました。LDK なので、油がついて、すこしべたべたするようです。べたべたを全部除去するのは大変ですが、埃は、きれいになりました。
ひとりで4時、室温11.1度。2度目の起床は、6時35分、室温10.8度。
息子はお弁当をもって試験。外部試験と言っています。
息子がでかけたあと、財務的用件の処理のために駅前の銀行とコンビニに。小学校も土曜日学校があるようです。わらわらと歩いていました。中学生か高校生も普通に登校中でした。今日は土曜日学校の日なのでしょうか。好天。今日はこのまま気温も上がるようです。
ひとりで4時45分、室温12.1度。午前10時過ぎに財務的用件の処理のために外出。近所のコンビニ。ついでに買い物をすこししてきました。
妻は午前中アルバイト、午後3時に歯医者。帰ってくるのは、4時を過ぎるでしょう。 私とおおきいちびの昼食はうどん。ちいさいちびは冷凍の減塩弁当。
夕刻に駒場の授業。私が話をします。
「元素説再考:4元素説、2原質説、3原質説と金属のスイギン」
吉本秀之「ロバート・ボイルの化学――元素・原質と化学的粒子」金森修編著 『科学思想史』(勁草書房、2010)第5章, pp.255-323 に基づき、4元素説、2原質説、3原質説の基本ならびにボイル『懐疑的化学者』(1661)の元素概念批判のアウトラインを話しました。金属のスイギンについては、時間切れで触れることしかできませんでした。
今回、「金属のスイギン」を中心に話をしようと思って、資料を見直してみて、新たな見通しを得ました。『懐疑的化学者』の出版史
初期草稿 1655年以前に執筆 1954年ボアズ・ホールが出版
Boas, Marie (1954) "An Early Version of Boyle's Sceptical Chymist," ISIS, 45: 153-168.
"Reflexions on the Experiments vulgarly alledged to evince the 4 Peripatetique Elements, or ye 3 Cymicall Principles of Mixt Bodies" 「ふつう混合物体が四つのペリパトス派の元素または三つの化学派の原質からなることを立証すると言われる実験に関する考察」
1661年初版第1版 The Sceptical Chymist: Or Chymico-Physical Doubts & Paradoxes, Touching the Spagyrist's Principles Commonly Call'd Hypostatical, As they are wont to be Propos'd and Defended by the Generality of Alchymist. Whereunto is praemis'd Part of another Discourse relationg to the the same Subject, London, 1661
"Hypostatical" が 今では珍しい用語。hypostasis が三位一体の位格;基礎、根本;本質、実体の意味。パラケルスス派(スパギリスト)がその tria prima (3原質)を三位一体に擬えて"Hypostatical"という用語を使った。
『懐疑的化学者:あるいは、錬金術師の多くが提起し弁護している、普通三原質と呼ばれるスパギリストの原質に関する疑問とパラドックス。同一主題の別の論考の一部が冒頭部に付加される。』
1680年第2版 The Sceptical Chymist: Or Chymico-Physical Doubts & Paradoxes, Touching the Experiments whereby Vulgar Spagyrist's are wont to Endeavour to Evince their Salt, Sulpur and Mercury To be the True Principles of Things. To which in this Edition are subjoyn'd divers Experiments and Notes about the Procucibleness of Chymical Principles. Oxford, 1680.
1680年の時点では、"Hypostatical"という用語の使用は避けられ、エン、イオウ、スイギン、と3原質名が明示されている。タイトルのつけ方が、草稿の方に戻る形になっている。「化学的原質の可産性について」(1680)の構成について
NewRBW, Vol. 9, pp.19-120
The Contents of the Scepticall Chymist, and of a Tract annexed to it, Of the Producibleness of Chymical Principles.
Physiological Considerations touching the Experiments wont to be employed to Evince either the IV Peripatetick Elements, or the III Chymical Principles of mixt Bodies
The I. Part.
The II. Part.
The III. Part.
The IV. Part.
The V. Part.
The VI. Part, Or a Paradoxical Appendix to the foregoing Treatise Conclusion
The Introduction to the following notes.
Of Producibleness of Chymical Principles.
The I part
Of the Producibleness of Salt
The I. Section
Of the Production of Acid Salts
The II. Section
Of the Production of Volatile Salts
The III. Section
Of the Production of Alcari’s or lixiviate Salts
The IV. Section
The II. Part
Of the Producibleness of Spirits
The I. Section
Of the Production of Vinous Spirits.
The II. Section
Of the Production of Urinous Spirits.
The III. Section
Of the Production of Acid Spirits.
The IV. Section
New Observations about the Adiaphorous Spirits of Woods and divers other bodies.
The III. Part
Of the Producibleness of Sulphurs
The I. Section
Of the Production of Oyls.
The II. Section
Of the Production of inflammable Spirits.
The III. Section
Of the Production of Consistent Sulphurs.
The IV. Part
Of the Production of Mercury
Whether Mercury may be obtained from Metals and Minerals: Or (to speake Chymically) An dentur Merucurii Corporum?
Doubts about the Preexistence of Running Mercury in Metals.
Ratio Extrahendi ex Omnibus Metallis Merucurium Paracelsica.
Extractio Mercurii a Corpore Perfecto.
Of the Dissimilitude of Running Mercury’s
The V. Part.
The VI. Part.
つまり、タイトルはペリパトス派の4元素説と化学派の3原質説と言っているが、実際には、その当時一般的であった5元素(原質)説を一個一個検討する形になっている。
第1部は、エン。酸性塩、揮発塩、アルカリ塩。第2部は、精気。ワインの精(アルコール)、尿の精(アンモニア)、酸性精気(硫酸や塩酸)、その他悪臭のする精。第3部は、イオウ。油、可燃性の精気、固形の硫黄。第4部はスイギン。金属と鉱物のスイギンを扱う。ラテン語が多い。錬金術的世界。第5部は、粘液または水。第6部は、土。
今の観点から言えば、元素というよりも、物質分類。ラテン語部分は次。
pp.96-97 Ratio extrahendi ex omnibus Metallis Mercurium Paracelsica.
すべての金属から水銀を抽出するパラケルススの方法
ラテン語の最後の言葉「このようにして、物体の真のスイギンを得ることができるのだ。」
Paracelsus, Manuale de lapide philosophico medicinaleo,
&ヘルモント 9行 van Helmont, Potestas medicaminum, Ortus Medicinae, p.479
pp.97-98 Extractio Mercurii a Corpore Perfecto.
完全な物体からの水銀の抽出 ルルスの鍵、第2章より
Finis /
ひとりで2時35分、室温12.9度。雨は上がっている模様。2度目の起床は6時15分、室温12.8度。
木曜日の授業の9回目。1限3限4限5限6限。そろそろ終わりが見えてきました。
1限の基礎演習。終えてお弁当を鞄につめ、すぐに外に。
10時30分武蔵境発の西武線。
研究講義棟では3階に上がり、届いていた献本を受け取りました。
岡本拓司『近代日本の科学論:明治維新から敗戦まで』名古屋大学出版会、2021
化学史学会への献本です。すぐに書評者にお送りします。ご手配いただいた名古屋大学出版会の神館さん、ありがとうございます。研究室。メールへの対応と授業の準備。
お弁当のあと、3限4限5限6限。
本日の6限は、私の担当の3回目。これで終わり。今日の6限は比較的元気でしたが、1日5コマは疲れます。これでひといきつけます。7時16分多磨駅発の電車で帰途。
ひとりで1時55分、室温14.1度。雨、昨日夕刻に降り始めた雨がしっかりと降っています。日の出、6時38分。水曜日は会議の日ですが、今日は珍しく会議がありません。
午前10時ごろ、雨のなか、セイユーへ。雨ですが、すこしだけ大回りしました。セブンによってから、ガード下を通って、まずセイユーのパン屋さん。それから、卵とお菓子類を買って、やはりガード下を通って帰りました。
金曜日の発表のために、ドッブズの『ニュートンの錬金術』を読み直しています。こういうのは、一度読んだだけではなかなか頭に入りません。
ひとりで5時15分、室温12.8度。妻がでかけてしばらくしてから、コンビニに。うどん、冷凍食品、等、買い物。すぐに帰りました。
午前中は、ちびどもと私の3人。
ちいさいちびには冷凍の減塩弁当。私とおおきいちびは妻が昨夜用意したとんこつスープでうどん。ちいさいちびは午後、授業。おおきいちびは、3時からバイト。
妻は4時前ぐらいに帰ってきました。妻から借りたものを財務的処理のために銀行へ。預け入れをしてすぐに帰ってきました。
午後4時ぐらいからすぐにも雨が降ってきそうな空模様。実際に降ってきたのは、5時を過ぎていたでしょうか。
息子は、昨日で定期考査が終わったので、久しぶりの部活。陸上部。7時前に帰宅。レインコートなしで帰ってきたので、頭がびしょびしょでした。足首の痛みが残っているそうです。そのまま風呂場に直行。
私は、ずっと金曜日の授業の準備。
ひとりで5時、室温11.8度。午後に授業。
郵便局によって、河野さんの原稿を投函してから、大学へ。9時30分すぎに武蔵境に到着。駅の外にでて、パンを3個買ってから、9時42分武蔵境発の西武線。まずは、事務棟3階へ。届いている物品を受け取り、研究室へ。
メールへの対応と片付け。11時10分頃にお弁当。
12時40分から大学院のゼミ。二人とも非常に面白い発表をしてくれました。
2時20分から次の大学院のゼミ。18枚のレジメ。
4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで5時40分、室温10.8度。金曜日の授業の準備。ある程度は進みました。核心部分は、まだ。
ひとりで2時20分、室温12.1度。2度目の起床は6時35分、室温10.9度。明日から寒くなります。今日だけ、天気がよく、気温も17度まであがるそうです。
木曜日6限の授業「表象文化の世界に触れる」ですが、私の担当は、あと1回、12月9日を残すだけとなりました。昨日から今朝のうちに3通りの案を考えて、結局、3番目に考えついたものを実際に話すことにしました。
さて、その約1日後、金曜日駒場の授業でも話します。そちらの準備もこの週末の間に進めておく必要があります。
というわけで、来週の金曜日が終われば、授業関係の負担はすこし楽になります。妻とちいさいちびは出かけるそうです。
午前10時過ぎに、献本を評者に送付するため、土曜日もあいている荻窪郵便局へ。厚い本だったので、710円。それからスーパーへ。私と息子の夕食ようのうどん2袋とお肉、それにおやつを買って帰りました。天気がよく、気温もけっこう上がっています。
昼食後、我が家の女性陣が全員、そろってでかけました。ショッピングモールに行くそうです。夕食を食べて帰って来るそうです。
ひとりで5時40分、室温11.2度。息子は定期考査の3日目。最終日は、週明けの月曜日。このパターンはちょっと嫌なパターンかもしれません。
妻はアルバイト。8時40分ごろでかけました。
おおきいちびはでかけるようです。午前中は、私とちいさいちびでお留守番。息子は、1時ごろには帰ってきて、昼食。
昨日持ち帰ったハッキングの『偶然を飼いならす』をめくってみました。これは、非常に面白そうな本です。
目次を見ると、次のようになっています。
第1章 本書の概要
決定論は19世紀中に衰退し、偶然chanceという自律的な法則のために空間が開かれた。また、人間本性human natureという概念はばらつきdispersionの法則に従う正常人normal peopleというモデルに取って代わられた。これら二つの変化は平行して起こり、相互に影響を与えあっていた。偶然は世界から気まぐれを減らし、言わば混沌から秩序を生み出したために、その正当性を認められたのである。世界と人々について我々が行う概念化において、非決定論の要素が強くなるにつれて、逆説的であるが、期待できる統制の水準が高まったのである。
これらの出来事はナポレオン時代の終わりの<印刷された数字の洪水>から始まった。さまざまな人間行動、特に犯罪や自殺などの悪い行いが計測されるようになると、それらは毎年驚くべき規則正しさで起こることが分かった。社会の統計法則が、逸脱についての公的な統計表から出現してきたのである。平均やばらつきのデータが正常人という概念を生み、さらに新しい社会工学、つまり好ましくない階級を改良するための新しい方法を生み出した。
19世紀初めには、統計法則は根底にある決定論的な出来事に還元されると考えられていた。しかしやがて、統計法則の方が優越することが明らかとなり、紆余曲折を経ながらも、ゆっくりと決定論を浸食していった。やがて、統計法則は決定論に依存せず独立した法則と見なされるようになり、その影響は自然現象にまで拡張された。こうして、新たな種類の「客観的知識」が存在するようになった。それは、自然や社会過程についての情報を獲得するための新しいテクノロジーの産物であった。このようにして正当化されるようになった統計法則は、出来事の過程を記述するためだけでなく、説明し理解するためにも使用されるようになった。こうして自然と社会の基盤を形作る素材になったという意味で、偶然は飼いならされたのである。
第2章 必然性の教義
1800年には、「偶然」というのは実体を持たない単なる言葉と考えられていた。あるいはそれは無知な大衆の観念であり、運命や無法則性を指すものであった。つまり、啓蒙的な人々の思考からは除外されるべきものだった。少なくとも物質世界においては、先行する条件によってすべての出来事が決定されると考えられていた。有機体については普遍的な法則を否定していた生医学の研究者たちでさえ、必然性を持った因果性が個々の事象ごとに連鎖連鎖しているという考えを支持しており、根本的な偶然という考えを認めてはいなかった。
第3章 アマチュアは公表し、官僚は隠匿する
18世紀の官吏は徴税、徴兵、国力評価に役立つ統計データを集めた。それらの情報は政府が独占していた。これに対して、アマチュアや学者たちは数字で表せる事柄を盛んに流通させた。それらは広く公刊されたが、組織的に集められることはなかった。プロイセンの例。
第4章 統計局
ナポレオン後の平和が訪れた時期に、ヨーロッパ諸国は、社会生活と行政のすべてについての統計を集めて公刊するための役所を作った。これらの国々は、情報を一ヶ所に集めて配布するための新しい制度を作ったのである。こうして1820年から1840年にかけての、<印刷された数字の洪水>が始まった。プロイセンの例を続ける。
第5章 理性の甘美な専制
しかし数字だけでは充分ではなかった。プロイセンは統計法則という概念を発展させることができなかった。それは西ヨーロッパで、とりわけフランスとイングランドで起こった。革命前のフランスには合理的な道徳科学の伝統があった。その後、<数字の洪水>はそれを経験的な道徳科学に変えた。しかし社会の管理regulationと法則lawについての啓蒙的な見方は保たれたままだった。コンドルセ(理性にかなった選択についての理論家) の例と、彼に取って代わり、統計的思考を生み出した官僚たちの例。
第6章 病気の数量
1815年以前には、人間に関する統計的一般化は主として出生・死亡・婚姻に限定されていた。英国の国会議員による調査は、ある新しい「生物学的」法則、すなわち病気に関する統計法則が、いかにして、いつ、存在するようになったかを正確に示してくれる。それは1825年の特別委員会の時である。
第7章 科学の穀倉
世界は徐々に数字化してきた。この事実はバベッジによる自然と人為の定数を集めようという1832年の提案にはっきりと現れている。これは新たに浸透していく数字、つまり世界を知り管理するのに用いられる定数についての言明だった。
第8章 自殺は一種の狂気である
<印刷された数字の洪水>は、特にフランスでは、逸脱者に関する数字を集めた表という形で現れた。パリとロンドンの住人ではどちらが自殺しやすいかという1815年の論争は、決着するまで10年を要した。ちょうどその頃、多くの新しい制度がデータを集め公刊するために作り出されたからである。自殺は統計学には繰り返し登場するテーマである。医学帝国主義が一時代を築いていた当時、暗黙の三段論法が存在した――狂気は医者によって取り扱われねばならない。自殺は一種の狂気である。だから自殺統計はほかの医学統計と同様に扱われねばならないという推論である。結果として、医学的因果理論が自殺に適用された。さらに、この理論が逸脱に関する統計すべてに応用された。
第9章 立法の哲学の経験的基礎
1820年代になると、公的な統計表において、特定地域の自殺のタイプや数を数え上げることができるようになった。これらのデータや、犯罪や「みじめな人々」についての同様の情報は、コンドルセの合理的道徳科学の後継者を準備することになった。新たに登場した道徳に関する経験科学は、人間の悪い行い〔犯罪や自殺〕が有する統計法則を取り扱うことになる。
第10章 信憑性がなく、詳細も分からず、統制を欠いた、価値のない事実
医学統計を治療の成果を判断するために採用する最初の試みがなされた。ブルセの新しい生理学的医学に関する論争と、結石治療のためのある新しい方法についての詳細な分析を対比させる。
第11章 何対何を多数決とすべきか
コンドルセとラプラスは、最も効率的な陪審システムを設計するという問題にアプリオリな〔=経験的データに依存しない〕解を与えようとした。彼らは経験的なデータを持っていなかったのである。このデータはフランス司法省が犯罪統計を提供しはじめてから入手できるようになった。ポアソンがこの新情報を陪審についての統計分析に取り入れた。
第12章 大数の法則
1835年にポアソンは統計による裁判研究の過程で、「大数の法則」という用語を造りだし、重要な極限定理を証明した。この定理は、確率数学を社会事象に応用するにあたって、さらなる合理性を提供した。またこの定理は、社会の出来事の中に統計的安定性がいかなる形で存在しうるかを説明していると思われた。
第13章 兵士の胸囲
1844年にケトレはコイン投げの結果の相対頻度の極限的事例(これが二項法則だが、天体の測定における誤差法則でもある) が、人間の特性や行動の経験的分布に合致する曲線(いわゆるベル型カーブ、あるいは正規曲線) を与えるという見解を示した。これは人間に関する新たな統計法則の正確な形を表しているように思われた。因果性概念は(医学的モデルにおいても) 、統計法則を決定論と整合性のあるものにするために、作り替えられはじめた。
第14章 社会が犯罪を準備する
統計的運命論の問題が起きた。仮に、毎年ある一定の地域で非常に多くの人が自殺をするというのが法則であるとすると、明らかに人々の中から自殺をなくすことはできない。これは一見ばかげた議論だが、社会統制の可能性と、それが持つ道徳的責任の意味に対して、多くの人が注意を向けはじめたことを反映している。
第15章 社会の天文学的概念化
統計的運命論は、特に自殺の例に関して、バックルの著名な『イングランド文明史』がらみでドイツで取り上げられた。熱狂的な論争は、新しい種類の法則、つまり統計法則についての原子論的概念と全体論的概念の間の根本的な違いを際立たせた。これらの違いは、西側の自由意思論者と東側の集団主義者における社会像が対照的であったことを反映している。
第16章 社会の鉱物学的概念化
平均概念とはまったく異なる定量化の方法もありえた。ユートピア的伝統主義者ル・プレは一家族の家計支出をある階級の生活様式の代表値として用いて、全く異なった種類の社会科学を提案した。これは、プロイセンの統計局長官が家計支出を用いたやり方と対照的である。ここでの対立点は、まさに何を客観的知識と見なすかという点に関わっていた。
第17章 最も古い崇高さ
統計学への激しい反動は、風刺劇、コント、ドストエフスキー、ニーチェにおいて現れた。だが、気まぐれなものの居場所を見つけようと望む人や、あるいは純粋な偶然という古い概念を回復しようと望んでいた人でさえも、偶然、偶然の法則、偶然の利用に関しては両義的な態度を取った。
第18章 カッシーラのテーゼ
カッシーラは20世紀の決定論の概念はごくごく最近のもので、1870年頃に出現したに過ぎない、と述べている。すると、量子力学は因果性の古い概念を論駁しているのではなく、因果性の新しい概念とのみ対立していることになる。カッシーラのこの提起の中で正しいのは、必然性という概念に内在する根本的な首尾一貫性の欠如は、1850年から1880年の間に表面化したということである。また本章では、「決定論」という言葉について、その起源は1780年頃で、その新しい用法は1860年頃のものとして説明した。
第19章 正常状態 「ノーマル」という用語は記述と評価の二重の意味でずっと使われてきた、しかし、それが「通常の」とか「典型的な」という意味で使われだしたのは、やっと19世紀に入ってからである。この用法は、最初生理学の中に登場した。この用法の代表的人物はブルセで、それからコントによって政治問題へと移し入れられた。正常性は、きわめて重要な位置を占めていた人間本性human natureという啓蒙的概念を追い払い、二つの役割を担うことで発展した。一つはケトレ-デュルケムの、正しく良いものとしてのノーマル。もう一つはゴルトン主義者の、凡庸で改良の必要のあるノーマル。どちらの役割においても、ノーマルという概念それ自身は客観性・公平性のしるしとして、「である」と「であるべし」の価値中立的な橋渡しの役割を担っている。
第20章 宇宙的な諸力と同じくらいリアルな
デュルケムの数量社会学は医学、統計学、自殺概念の交錯点において形成された。正常と病理という概念は生理学から社会科学に取り入れられた。犯罪人類学の議論の中でデュルケムは、犯罪と自殺は正常現象であると結論づけた。さらに、正常なものからの偏差deviationsが、社会の病理状態の指標であるとした。偏差は、個人からは独立したリアリティを持つ社会法則と社会的諸力によって支配されているのである。デュルケムはケトレが創造した新たなリアリティを引き継いだと言える。
第21章 統計法則の自律性
ケトレのベル型カーブは英国では正規法則と名づけられた。かなり幅広い現象において、その法則はぴったり当てはまるか、ほとんどぴったり当てはまり、一見無秩序に見えるものの中に、いかに秩序が生起するかを示していると見なされた。ゴルトンは、統計的安定性がどこから来るかについて、ケトレの考えに反論した。統計的推論の技術が進歩した結果、確率法則が、<根底において作用する決定論>という構造からいかに自律的になったかが明らかになってきた。必然性の教義は放棄されたわけではないが、それは、現象を予測するにも説明するにも、統計学にとっては問題にならなくなっていった。
第22章 プロイセン統計からの一挿話
統計学は、たとえば正常性など、人間管理の基礎として役立つような統制の役割を担う概念をもたらしたが、この学問にはもっと具体的な応用例もあったことを忘れてはいけない。統計学は権力行使において直接的で可視的な要素だった。1880年代ベルリンの反ユダヤ主義運動におけるユダヤ人統計をめぐる議論はこれを例証している。
第23章 偶然の宇宙
偶然という論理はこうした変化の過程で同じままではありえなかった。C. S. パースは必然性の教義を徹底的に否定した。彼は統計的安定性の基礎の上に、帰納的推論の論理を据えた。実験構想の中に人工的な無作為化の原理を持ち込んだ。すべての統計学推論に関しての二つの競合する原理の内の一つを与えた。彼のリアリティに関するプラグマティックな概念は、真理を、長期的にわれわれが見出すものとした。彼は絶対的なチャンス偶然を信じ、自然の法則がせいぜい近似的でしかない、無作為〔=ランダム〕な過程から生じるような宇宙を信じていた。偶然はもはや無法則なものの代名詞ではなく、すべての自然の法則とすべての合理的な帰納的推論の核となった。彼の根源的な非決定論は、世界の確率化とそれについての人々の知識の必然的な帰結であったと考えれば、さほど驚くべきものではない。彼は、我々が偶然の宇宙に住んでいるのは論証から明らかになるのではなく、確率と統計がすでに人生のすべての側面に浸透しはじめているからだと結論づけた。
夕刻に駒場の授業。5時5分から6時25分まで。かなり変則的な時間帯です。今日は、ニューマンの『錬金術師ニュートン』を4章まで読んでもらいました。
ニューマンの『錬金術師ニュートン』は、これまで光の当たっていなかったニュートン錬金術思想の起源に関して、新しい光を当てることに成功しています。
ひとりで2時35分、室温13.9度。寒気が戻ってくるそうです。
2度目の起床は6時。室温12.5度。
6時15分、燃えるゴミを出すために外にでました。そこまで寒くはなっていません。寒気は接近中といったところでしょうか。1限3限4限5限6限。もっとも長い日。
10時半武蔵境発の西武線。吉田先生、久野先生と偶然いっしょになりました。
キャンパスではまず事務棟3階へ。物品を2点受け取りました。
それから研究講義等3階へ。出版社から届いていた次の献本を受け取りました。
上山明博 『北里柴三郎: 感染症と闘いつづけた男』 青土社、2021
368頁+索引vi 頁の浩瀚なノンフィクションです。
出版社の担当編集者の方(森さん)、ありがとうございます。すでに決まっている書評者にすぐに送ります。
研究室に入り、午後の授業の準備。しばらくしてお弁当。12時40分から3限。研究室からオンライン授業。
4限5限は、306教室でゼミ。4限は3年生ゼミ、5限は4年生(卒業論文)ゼミ。
4限と5限の間に図書館に行って、次の本を受け取りました。
イアン・ハッキング『偶然を飼いならすー統計学と第二次科学革命ー』石原秀樹・重田園江訳、木鐸社、1999。
5限を終えてすぐに研究室に戻りました。6限の準備。本日の6限は、叶桜さんによる「中国琵琶の世界」。プログラムは次です。
1 担当教員による演者紹介 (5分)
▶曲①:生演奏 約3分
2 楽器の紹介
⑴ 歴史
⑵ 日本の琵琶との比較
→大きな違い3点を軸に中国琵琶の紹介
▶曲②:《夢幻》-筑前琵琶、二胡 10分から12分5秒まで
▶曲③《渭水情》 生演奏 約3分
⑶ 様々な技法の紹介
⑷ ▶曲④:《十面埋伏》フル 7分半
▶曲⑤:春雨 4分5秒から最後まで
⑸ 本場中国における民族楽器事情
→人口や人気度、習い事としてどの位置づけなのかなど
3 音楽体験(今までの演奏経験)
⑴ 演奏人生のなかの分岐点
→始めたきっかけ、コンクール、留学、コロナ禍の話など
⑵ 印象的だった舞台やコラボ
▶曲⑥:《リベルタンゴ》‐ピアノ、パーカッション フル3分
▶曲⑦:《Let it go》-二胡、笙 フル4分
▶曲⑧:《春の海》-琴 冒頭から4分40秒まで
▶曲⑨:《花木蘭》-オーケストラ、カンフー 16分から17分40秒まで
⑶ 「弾いてみた」系動画について
▶曲⑩:ジブリ・J-popを中心としたダイジェスト フル約4分
⑷ 最後に
▶曲⑪:生演奏 約4分
4 質疑応答
6限は、6時40分開始、7時10分終了です。質疑応答に入ったのは、7時を回ってからです。けっこう技術的な質問がでました。質問者は、なにかの楽器の奏者だと思われます。7時12分ぐらいに終了。
私がはじめて聞く話もあり、中国琵琶に関する、もっともよい案内になったと思います。日本語での案内としては、最良のものと言えるでしょう。
叶さん、ご苦労様&ありがとう。
私に連絡いただければ、zoom の録画サイトをお知らせすることができます。6限を終えて、19時28分多磨駅発の西武線で帰途。ホームで電車を待っている間、にわか雨。すぐに止んだようです。
ひとりで4時15分、室温14.7度。雨、昨夜降り始めた雨が強く降っています。外は8度。週間天気によれば、今日は、午後には晴れるようです。最高気温19度。雨が南の空気を連れてくるようです。
午前6時のNHK ニュースによれば、気温16.9度、1時間雨量13.5ミリだそうです。1時間雨量が10ミリを超えています。強い雨です。台風のときのような強い雨です。
そして、季節が戻ったような気温です。7時15分雨は上がっていました。プラスチック、缶、ビン、3点の資源ごみを出しました。高校生もおおきいちびも夜雨の音で目が覚めたといっていました。高校生は、普通に自転車で登校することができました。
ちなみに、高校生は、今日から定期考査です。おお、もう、12月。
朝一番で郵便局へ。第1号の原稿の入稿です。それから西友に行って、卵ほかおやつをすこし買って帰りました。暖かい。
午後に会議。2つ連続。
最初の会議は2時20分から。30分かからず終了。次の会議は、3時から。5時過ぎに終了しました。
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