『化学史研究』第28巻(2001):
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[紹介]

H.コリンズ・T.ピンチ
『迷路のなかのテクノロジー』村上陽一郎・平川秀幸訳、化学同人、本体2200円、263Pp, 2001, ISBN 4-7598-0872-8

 科学技術と社会の問題に関心を持つものにとっては、2001年度上半期の1番の収穫だと言ってよい著作が、翻訳・出版された。とくに、科学論、科学社会学、STS、サイエンス・スタディーズの専門家ではないが、一般市民として、あるいは隣接領域の専門家として、科学技術と社会の問題に関心を抱くものにとって、この『迷路のなかのテクノロジー』は、その題名がもたらすイメージとは異なり、現在の科学論の知見を具体的なケーススタディで示してくれる最良の参考書と呼んでよいように思われる。
 はじめに、7つのケーススタディからなる章立てを示そう。
 1章:鮮やかな撃墜? 湾岸戦争におけるパトリオット・ミサイルの役割
 2章:裸にされた打ち上げ チャレンジャー号爆発の責任を帰すこと
 3章:衝突! 核燃料容器と霧散防止ジェット燃料の実験
 4章:ゴールドの世界 石油の起源をめぐる論争
 5章:快適さと歓びの知らせ 七賢人と経済学
 6章:子羊の科学 チェルノブイリとカンブリア地方の牧羊農夫たち
 7章:アクト・アップ エイズ治療に貢献する素人の知識
 次に評者にとくに重要だと思われる4つの章の内容をごく簡単にまとめておこう。

 [1章] フセインのスカッド・ミサイルを空中で打ち落とすパトリオット・ミサイルは、湾岸戦争のシンボルとしてアメリカ軍により宣伝された。しかし、議会の証言において米軍の関係者は、時間が経つにつれ、撃墜率を低く語るようになった。迎撃時のスカッドとパトリオットの相対速度は、時速約1万3千キロメートルであり、パトリオットが想定通りスカッドのすぐ近傍を通過しえた場合でも、パトリオットの爆発タイミングがほんの1000分の1秒ずれただけでも撃墜は失敗してしまう。中継カメラが3次元の網目状に配置された状況でもない限り、混乱が常態の戦時において撃墜したかどうかを科学的に正確に決定することはできない。つまり、制御された実験室において生じる現象とは違って、戦場におけるミサイルの振る舞いは、濃い霧のなかにあるのである。

 [2章] 1986年1月に起こったスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故は、アメリカで形成されつつある「技術倫理」においてモデル・ケースとされる事件である。有名な物理学者ファイマンが事故調査委員のひとりとして、固体ロケット・ブースターの継ぎ目シールのOリングの断片を、記者会見の席上で氷水に入れて、それが低温下では弾性を失うことを示し、NASAがOリングの問題を知らなかったように印象づけた後、問題の重要性を知る技術者側の忠告を無視して、経営者側が発射に踏み切ったことが事故の原因であるかのようなイメージが流布していた。しかし、その後社会学者ダイアン・ヴォーンの詳細な研究 ( Diane Vaughan, The Challenger Launch Decision: Risky Technology ,Culture, and Deviance at NASA, Chicago: The University of Chicago Press,1996. )等が出て、流布したイメージが単純にすぎることが判明した。NASAは、経営陣も技術者もジョイントの危険性は承知していたが、そのリスク評価に関してずっと意見が分かれていた。しかし、打ち上げに最終的なゴーサインを出したテレビ会議の時点では、そのリスクは許容可能な範囲にあると合意されていたのである。  教訓は、次のようなものとなろう。未知の技術の進展に、絶対的確実性を求めることは間違いであり、そこには常にリスクと不確実性が存在する。そして、そのリスクの大きさをあらかじめ確実に知ることはできない。また、リスクの許容範囲も、専門家集団に応じて経験的かつ主観的なものなのである。
 (Cf. 柿原泰「技術倫理の生成」『現代思想』2001年8月号(特集:サイエンス・スタディーズ,pp.186-194 ;西村名穂美 「 [紹介] C. ウィットベック『技術倫理I』 」第28巻(2001): 187-189.)

 [6章] チャレンジャー号の事故が起きた1986年の4月、旧ソ連のチェルノブイリで史上最悪の原子力発電所事故が生じた。原子炉の爆発で舞い上がった何トンもの放射性物質が、その地方の多くの人の命を奪っただけではなく、上空の風に運ばれヨーロッパを襲った。事故の6日後、そのチェルノブイリ雲は、イギリスのカンブリア地方(湖水地方の高地渓谷地帯)に大雨を降らせた。イギリス政府の広報官と科学の専門家達は、すぐに、重大なリスクはないと宣言した。しかし、農業水産食品省の実施した羊肉の調査は放射能レベルが危険な値にあることを示した。それでも専門家達は、放射能はすぐに安全なレベルに下がるので心配はないと保証した。事実は、羊肉の放射能レベルは上がり続け、指定地域のすべての羊の移動と屠殺が禁じられた。結局、北ウェールズ、スコットランド、北アイルランドを含め、イギリス国内の羊の約5分の1に当たる400万頭の出荷ないしは屠殺が禁止され、農家の生活に深刻な打撃を与えた。
 何がまずかったのだろうか。死の灰がもたらす影響については、早くも5月初旬に科学的アセスメントが実施されている。しかし、そのとき科学者達は、第1に起伏のある丘陵地帯における雨水の動きを見誤った。丘陵地帯では1メートル違っただけでも放射能量が大きく異なったのである。第2に、科学者達は、丘陵地帯の土壌を見誤った。低地の粘土質の土壌とは違って、酸性の泥炭質の土壌では、セシウムは化学的に活性であり続け、植物の根から吸収されやすい。それが羊の体内に濃縮される。
 農夫たちは、地勢に関するローカルな知識や、どこに水がたまり、従ってどこに放射能のホットスポットができやすいか、科学者達に伝えたが、科学者達はその農夫の知識(その地方の自然に対する専門的知識)を無視ないし軽視した。農夫たちは、その科学者達の傲慢とも言える確信ぶりや、自分たちの誤りを認めない態度、さらに農夫たちの知識を一切信用しない態度に、深く失望した。
 この不幸なエピソードは、専門家(科学者)と一般公衆のあるべき関係について、貴重な示唆を与えてくれる。専門家(科学者)の側においては、知識の不確実性とそれが適用される状況の複雑さに、いつも敏感でなければならない、ということは少なくとも言えよう。

 [7章] 1984年4月、アメリカの保健省長官は、記者会見で「エイズの原因が判明した」と誇らしげに発表した。後にHIVと名付けられることとなる特殊なレトロウイルスこそ、その犯人であると分かったのである。
 翌1985年2月、それまで抗ガン剤として開発されていたAZT (アジドティミジン) が逆転写酵素抑制作用を持つこと、つまり、強い抗ウイルス作用をもつことがわかった。フェーズ1の試験が直ちに行われた。19人の患者中15人で効果があった。「偽薬効果」が疑われたため、長期にわたる2重盲検法に基づく対照試験の必要性が訴えられた。  1986年9月、フェーズ2の試験結果が発表された。AZT の効果は歴然としていた。翌1987年、食品・医薬品管理機構 (FDA) は、フェーズ3の試験抜きで、AZT の使用を許可した。その間、試験に協力し、自分が偽薬のグループにいることを知ったあるエイズ患者は、「とんでもない話だ。俺は自分の体を科学研究に捧げるつもりなんかない」と言っており、エイズ活動家は、偽薬試験をなしですませられないか、医師と交渉をはじめた。「患者団体と地域の医師は、簡単と言えば簡単、革命的と言えば革命的な解決に到達した。」(p.222) 偽薬を使うことなく、共同体ベースの組織が、新薬の治験を開始した。1989年、共同体ベースのグループによって得られたデータを慎重に分析した結果、FDA は、PCP(悪性肺炎)に対する治療薬としてペンタミド噴霧剤の使用を許可した。「非専門家のグループとして彼らは、エイズの科学について十分な知識を得るまで専門的な勉強をしただけではなかった。彼らは医師たちの助けを借りながら、ことに介入し、自分たち自身の研究を実行することができるまでに成長した。」(p.224)
 エイズ活動家達はどうして成功したのか。それは、エイズとともに生きる人々が何を求めているのか、どういう理由から治験に協力するのか、またどうすれば実験的手続きに折り合いをつけられるのかを、彼らが熟知していたからである。つまり、エイズとともに生きることについて「真正の専門性」(p.236)をエイズ活動家達は持っていたのである。

 コリンズとピンチは、結論として、次のように述べる。「科学も技術もともに熟練を要する営みであり、そこでの熟練は、常に誤らないほど正確なものと保証はできない。」(p.6) こういうふうに表現されると全く当たり前のことに響くが、7つのケーススタディはどれも、問題のおかれた文脈や事柄の生じた状況をしっかり腑分けしたうえで、バランスのとれた的確な判断を示してており、遺伝子組替食品の問題や原子力発電の問題を考える際にも有効な指針となってくれよう。                (吉本秀之)

                        

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