[鉱山町]
最後に7時15分。昨夜はけっこう遅くまで起きていました。結局作業ではなく、グーグルで検索をかけて、どの程度の情報が日本語でストックされているのかを見ていました。→調べたのは、ルネサンスから初期近代にかけての鉱山の様子。
まず、ポトシ銀山。大昔ですが、次の論文があることがわかりました。
近藤仁之「水銀アマルガム法、水銀供給源、及び「価格革命」「ポトシ銀山とウアンカベリカ水銀鉱山」『社会経済史学』25−2・3 [1959]
次に、ヨアヒムスタール(現在はチェコで、ヤーヒモフ)。16世紀はじめに、ザクセンとボヘミアの境界の森に銀鉱山が発見されます。その結果、そこに、ザンクト・ヨアヒムスタール(Sankt. JOACHIMSTHAL)(聖ヨハヒムの盆地)と呼ばれる鉱山町が誕生します。プラハの人口が5万人の時代に、2万の人口をかかえるおおきな鉱山町に発展します。アグリコラがイタリアで医学博士号をとったあと、この町で医者として開業し、同時に鉱山の実際に関して、実見・聞き取り調査を行い、それがあの不滅の古典『デ・レ・メタリカ』(1556) に結実したことは有名です。さて、この地の銀を使って鋳造された銀貨はヨアヒムスターラーと呼ばれ、ヨーロッパだけではなく、海外植民地にまで流通します。途中の経緯を省略して言えば、これが、ターラーと呼ばれ、ターラーがなまってダラー(ドル)となったということです。
さて、繁栄は長くは続かず、17世紀の半ばには寂れていたそうですが、1789年にドイツ人化学者クラプロート(Martin Klaproth)がピッチブレンドから奇妙な半金属を発見します。それがウランでした。その後150年間は、ウランは、オレンジや黄色等の色を出すための釉薬としてのみ使われていました。
1895年レントゲンは、X線を発見します。これも途中を省略して言うと、キュリー夫妻がヨアヒムスタールのウラン廃鉱をトン単位で取り寄せ、そこからラジウムを抽出します。(最初は0.1グラム。次は8トンから1グラム)。
そもそも、ザクセン地方とチェコのボヘミア地方の境は、ほとんど無人だった場所ですが、12世紀にフライベルクで銀鉱石が発見されます。これがきっかけとなって、この地が非常に豊かな鉱山であることがわかり、エルツ(鉱石)山脈と呼ばれるようになります。フライベルクの他に、ザイフェン、オーバービーゼンタール、アンナベルク、シュネーベルク、ケムニッツなどの鉱山町が誕生しています。
[鉱山町の名前]
16世紀から17世紀にかけて有名だった鉱山町の情報をできるだけ集めておこうと思い調べています。まず名前で苦労します。
アグリコラは、古くから知られている鉱山として、シェムニッツとクレムニッツの名前をあげています。地名辞典は手元にあります。シェムニッツはすぐにわかりました。
Schemnitz: Banska Stiavnica, or Selmecbanya (Hugary) , Schemnitz (German)
バンスカ・シュティアフニツァ:スロバキア南西部の鉱業町。
クレムニッツは、苦労しました。新しいボイル著作集には、クレムニッツ、すなわちケムニッツという編者注がついています。1年前なら文句なく信じたのですが、これはちょっと怪しいと思い、調べてみました。ケムニッツはすぐにわかります。アグリコラがヨアヒムスタールのあと住んだ町です。市長もしています。位置ですが、ドイツのドレスデンの南西にあるフライベルグのすぐ西にあります。エルツ山脈の北側ということになります。
さて、アグリコラがシェムニッツと並べて名前を出しているクレムニッツは、古くから有名な金鉱のある町です。インターネットで検索をかけてみると、次の情報に出会いました。
-cremnitz, gremnitz, kremnitz, kremnitzer, chremnitz, chremnitzer, kremenetz, krementzky
これで、そうだ、"kremnitz" でも調べてみないとと思い、地名辞典を引くとありました。
Cremnitz: Kreminica, Kärmöcbanya (Hungary), Kremnitz (Germany)
クレムニツア:中部スロバキア中西部の町。別名、ケルメツバーニャ(ハンガリー)、クレムニッツ(ドイツ)。造幣局があった。1920年までハンガリー。
中部ヨーロッパのこの地帯は、ややこしいけれども仕方ありません。少なくとも3つ、すなわちドイツ語での呼称、オーストリア=ハンガリー帝国下での名称、現在の国家のもとでの呼称を意識しなければなりません。
以上で名前の問題はクリアーされたわけですが、地図で確認したい。
ケムニッツは割と大きな町のようで、フライブルクがでてくる地図には名前があります。ヤーヒモフ(ヨハヒムスタール)は、エルツ山脈をはさんでそのすぐ南側。チェコの北の端にあります。
バンスカ・シュティアフニツァ(シェムニッツ)は、スロバキアの中心部にある割と大きな都市バンスカ・ビルトリツァ (Banska Bystrica) の南西約30キロ。クレムニツァは、バンスカ・ビルトリツァの西10キロといったところでしょうか。
なお、フライブルク、ケムニッツ、ザイフェン、オーバービーゼンタール、アンナベルク、シュネーベルクは、どれも、ドレスデンの南西部、エルツ山脈の北側にあります。すべて現在のドイツ国内。ザイフェン、オーバービーゼンタール、アンナベルク、シュネーベルクは、フライブルク、ケムニッツの南側、すなわち、より山の中に入った場所です。
以上、ドイツの中の鉱山町は、インターネットのシティ・インフォーメーション、ドレスデン周辺図で見ることができます。
スロバキアのものは、インターネットではなかなか詳細なものを捜すのが難しく、近くの図書館にでかけて、地球の歩き方を見ました。
春からの作業で、コピーだけとって適当にボックスに入れてあったものを片づけはじめました。まず、パーティントンの大著『化学の歴史』から、技術的文献の章。これは、ビリングッチョからはじまり、レムニスまでをカバーしている章です。今作業していることにちょうど重なります。こちらの関心とパーティントンの記述とは重ならないことが多いのですが、基本的な書誌がしっかり記されているだけでも助かります。そして、アグリコラの節のなかに挿入された「鉱山」は次のような内容となっています。
965年、ゴスラーでの銀の発見は、ハルツ山地での鉱山業の開始に繋がった。ヨハヒムスタールでは13世紀に銀鉱が発見された。シレジアでもほぼ同じ頃、金が発見された。シェーネベルグでは1460年に銀が発見された。ヨハヒムスタールの銀鉱は16世紀はじめに開かれ、銀貨は1519年にはじめて刻印された。
なお、パーティントンは、ウェブスターの短い小節で、「ウェブスターはボイルの『懐疑的化学者』に言及していないようだ」と述べていますが、明らかに間違いです。ウェブスターの本を実際に10分でも見ていれば、けっこうボイルを高く評価していることはわかりますから、パーティントンはウェブスターの本を実際に手に取っていないことがわかります。ウェブスターの小節は、2次資料と書誌資料だけから記述しているように思われます。