所得向上論 2001.11.10
 2001年12月号の『中央公論』で、R.ドーアさんが次の論考を発表しています。「私の「所得政策復活論」―デフレ・スパイラル脱出の処方箋」。ポイントは、「財界が音頭をとって賃金“引き上げ”を断行せよ、です。
 私も、金融とか投資とか、そういう言葉が嫌いな旧世代の人間なので、いまいち経済政策の話には納得できていませんし、詳しい知識もありません。(少しは勉強しましたが、最終的には納得できていません。)
 ですが、今の日本は、構造改革を含めて、貧しくなる方に進んでいるように思われます。日本のことに非常に詳しいドーアさんが、賃金アップという業界の申し合わせによって、この苦境の脱出の糸口をつけよう、というのは、パラドクスに見えますが、私には筋の良い提案に思われます。
 逆に言えば、このまま行けば、構造改革の如何によらず、じり貧という気がしてなりません。

筋肉弛緩剤殺人事件(?)2001.7.15
 何気なく夕方TBSをつけていたら、「報道特集」と言う番組で、点滴に筋肉弛緩剤を混入して患者さんを何人か死亡あるいは死亡させようとした事件に関する特集を組んでいました。雑誌では少し取材記事が出ていますが、きちんと読む限り、弁護側の主張の方が正しいように思われます。「報道特集」では、殺人罪に問われた89歳のおばあちゃんの件について、直接診断・治療にあたった病院長が証言していますが、筋肉弛緩剤の混入ではありえず(筋肉弛緩剤を注入したときには起こり得ないいくつかの現象が見られた)、心筋梗塞だと医者の良心にかけて証言していました。また、患者の尿から発見されたという筋肉弛緩剤の割合は、容疑者が一度注入したと言った量並びに体内の化学物質の分解過程を考えればありえない・出るはずのない量で、調書の捏造が疑われるとこれも筋肉弛緩剤の専門家が証言していました。実は、先週の金曜日の飲み会のときに、新聞社につとめている友人に聞いたところでは、新聞社のなかでは今回の「報道特集」よりの見解にうつってきているのだそうです。(友人は、「やばい!」と言っていました。新聞社が当初現容疑者を犯人とするキャンペーンを行ったことです。)

エジソン2001.4.2
 エジソンについて日本人による日本語の研究を調べてみました。子供向けの伝記を含め、伝記はかなり本として出版されていますが、本格的な科学・技術史の論文は、非常に少ないことがわかりました。現在東大先端研におられる私の先輩橋本さんの論文だけがひとまず引っかかりました。
 橋本毅彦「T.A.エジソン:発明と経営の間で」岡田節人他編『岩波講座:科学/技術と人間 別巻:新しい科学/技術を拓いたひとびと』岩波書店、1999所収
 (これは、エジソンの仕事が非常に的確に整理・分析されており有用です。)
 私は授業で学生諸君に「知っている科学者の名前を(ぱっと思いつくままに)あげて下さい」という質問をよくしていますが、たぶん、エジソンという回答が一番多かった印象があります。もちろん、エジソンは、厳密には科学者ではなく技術者ですが、そのエジソンについて研究している日本人科学技術史家がほぼゼロに近いというのは、結構驚きです。しかし、こういうことは、ままあり得ます。最も有名な科学者にニュートンがいますが、日本人でニュートン研究者という方を私は知りません。私も1点だけニュートンについての論文は書いていますが、ニュートン研究者ではありません。私が「○○研究者」と呼ぶのは、その人物についての研究論文・研究書を全部とは言わないまでも一定期間一定割合フォローし続けている方です。
 ということは、修士論文または博士論文でエジソンに本格的に取り組み、今かなり整ってきた1次資料と2次資料を読みこなし、まとまった像 (picture )を描くことができれば日本ではすぐに第1人者になれるということです。

狂牛病2001.3.21
クロード・レヴィ=ストロース「狂牛病の教訓―人類が抱える肉食という病理」『中央公論』2001年4月号,pp.96-103.
 「牛たちに共食い(カニバリズム)を強いたために起こったこの災厄は、肉食自体が自然の秩序に背いた行為であることを暗に示している。」
 数年前イギリスに起こった狂牛病(私の英国留学中に起こっています。牛肉をあまり食べなかったので、そのときは重大なことだという認識がありませんでした)は、その後、沈静化に向かうどころか、大陸にも波及して大問題と化している。この病気が広まった原因は、食肉用に処理した後の牛の骨と臓器の一部を粉末にしたものを、家畜の飼料にまぜたことにあると言われている。
 レヴィ=ストロースのこの記事における論点は、肉食が広義のカニバリズムにあたるとしてその再考を求めるものである。

日本から人がいなくなる2001.3.20
 ロバート・ウォード「「3つのD」が日本を滅ぼす」『中央公論』2001年4月号、pp.50-61.
 人口を維持するための合計特殊出産率は、2.1だが、現在日本のそれは、1.38(1998)である。現在の人口の減少傾向がこのまま変わらないとすると、2100年には日本の人口は4900万人、2500年には3000万人、3500年には1人になってしまう。
 もちろん、合計特殊出産率の低下は日本だけの問題ではなく、ヨーロッパ諸国も苦しんでいる(たとえば、イタリアの合計特殊出産率は日本よりも低いぐらい。)ただし、日本が特別なのは、あまりにも高齢化が速く進んでいる点。先進欧米諸国ではおよそ100年かかって生じた人口の高齢化が29年間で(1970年から1998年にかけて、65歳以上人口比が約7%から16%超へと2倍以上に跳ね上がった)生じている。
 以上、関連箇所だけを抜き出しましたが、本当に驚くべき数字です。2100年なら今年生まれた子ども、今年産まれる子供のなかには2100年を体験するものもいるでしょう。その人が、4900万人という人口を見ることになるのは、本当にすごいことだと思います。

モリエール=コルネイユ2001.3.29
 沓掛良彦「モリエールは実はコルネイユか? ―ピエール・ルイスと「モリエール=コルネイユ」論争」『総合文化研究』第4号(2000),pp.109-118.
 最初は、現在外国語学部長をつとめている偉大な古典文学者沓掛良彦氏の論文から。
 沓掛氏はこの最新の論考で、ピエール・ルイスという人物が唱えた「モリエールの名で発表された戯曲のほとんどの実の作者は、コルネイユであった」というパラドクスを取り上げています。フランスではこの説が唱えられた当時も、現在もほとんど嘲笑のなかに抹殺された異端説ですが、沓掛氏の論考によってルイスの説をよく聞いてみると、相当の説得力があります。詩人の耳で、もっともよくコルネイユを読んだルイスの説には、大いに聞くべきところがあると思われます。
 もちろん、私にはどの程度の蓋然性があるのか、判定することはできませんが、コルネイユの息使いを聞き取っているルイスの説には、ひかれるものがあります。

寄生虫2001.2.5
 寄生虫博士として有名な藤田紘一郎の「親の抗菌志向が子どもをだめにする―アトピーやぜんそくの元凶はキレイ好きだ」『正論』2001年3月号、pp.298-307が面白く有用な観点を提供してくれています。人間の身体には、何兆(数字は適当です)というバイ菌が住み着いています。そうしたウイルスやバイ菌のレベルから見ると人間の身体は一つの生態系=環境と言えます。個人個人の同一性を守ってくれている免疫系もいわばバイ菌やウイルスがあってこそ活性化されます。最近の日本社会に現れた過度の清潔好き(むしろ私には、イメージとして汚いものに対する過度のタブー反応に見えます。そしてそのイメージとしての「反・汚い」がテレビコマーシャルにあふれています。)が、その生態系のバランスを壊し(一種の環境破壊)、免疫力を低下させている、これが藤田さんの基本的な診断です。かなり前、バリ島でコレラにかかった日本人が出現して、騒ぎがあったことを記憶していますが、実はそのときコレラにかかったのは日本人だけだったそうです。(1ヶ月に200人がかかったとあります。)その原因を藤田さんは、日本人の免疫力低下に求めています。
 この日本人のイメージとしての汚いもの・異物排除の風潮は、いわば国全体としての「ひきこもり現象」と言ってよく、明らかに日本の活性を低下させていると思います。こうした方面では、イメージではなく、バランスの取れた科学的知識こそが大切です。


「科学史におけるパラドクス文献のこだま」
 ロザリーL.コリー女史の研究を紹介しましょう。
 諧謔-真面目相半ばするパラドクスは、境界を越える。そして、パラドクスは境界を愛する。境界とは始まりの場所である。世界の始まり、即ち創造においてや無が転じて何か(むしろ全て)になり、永遠が転じて人間的尺度の時間となる。境界とは終わるところである。世界の終末では、何かが再び無となり、時間は消滅して永遠のなかに吸収される。パラドクスは、論証的な知の限界点で独特の力強さをもって作用する。謎かけパルメニデスの問題は、何よりもとりわけ、知の限界点の問題、限界を克服しようとすることから生じる言語学的・修辞的の問題を示している。パラドクスは、相対性の中で働く。相対性とは、たとえば。「多は一、一は多」--ふたつの異なる価値体系を含むふたつの異なる言明。「神は一において三、三において一(三位一体)」--たったひとつの価値体系を含む二つの言明。「私はうそつきです」--無限後退の古典的パラドクス。真理に関する複数の概念を含み、複数の言語哲学を含む。この問題の解決は、メタ言語の発展をまってなされた。無限の問題が現れるときには必ずパラドクスが生まれるということもよく言われたが、数の諸概念があるところにはどこにでもパラドクスもまたある、と前の言い方を拡張して言うこともできよう。ゼノンは、無限と同じ豊穣さでパラドクスを産み続ける。
 最も単純な形のパラドクス、即ち通説に反する見解の用語でさえもみかけほど単純ではない。それは、真理間の戦いを前提とし、現世の真理に関する複数主義を受入ながら、それと同時に、真理はただひとつであって、競い合っている「諸真理」はせいぜい仮象にすぎないと確信しているのである。・・ゼノンの時以来、「パラドクス」という語は、挑戦、警告、刺激、皮肉を含むものとなったのである。

 以上のコリー女史の指摘を受けて、17世紀科学革命期の文献で、パラドクスを捜してみると、次のように多くのものが見つかる。

1. Pierre Gassendi, Exercitationem Paradoxicarum adversus Aristoteleos Libri...( Grenoble,1624)
2.Etienne de Clave, Paradoxes, ou Traittez philosophiques des pierres et pierrerries contre l'opinion vulgaire (Paris, 1635)
3.Mario Bettini, Apiaria Universae Philosophiae Mathematicae; In quibus Paradoxa et nova pleraque Machinamneta ad usus eximios traducta (Bologna, 1642), 2 vols.
4. Guilio Troili, Paradossi per Pratticare la Prospecttiva senza saperla ( Bologna, 1683)
5.Robert Boyle, The Sceptical Chymist; Or Chymico-Physical Doubts and Paradoxes touching teh Spagyrist's Principles commonly call'd Hypostatical, as they are wont to be proposed and defended by the Generality of Alchymists (1661)
6. Robert Boyle , Hydrostatical Paradoxes, Made out by New Experiments (1666)
7. J.B.van Helmont, A Ternary of Paradoxes, trans. & ed. by Walter Charleton, (London ,1650)
8. J.B.van Helmont, The Paradoxical Discourses concerning the Macrocosm and the Microcosm (London, 1685)
9. T.Brown, Peudodoxia Epidemica; Or, Enquiries into very many received tenents, and commonly presumed truths, 2nd.ed. (London, 1650)
-- このトーマス・ブラウンの「謬見の百科事典」は古代懐疑論者セクストスの『諸学者駁論』の一変容であり、よく考えてみると私のこのページでの試み「科学史における誤謬誌」も、ブラウンやセクストスの営みによって触発されたものだったようです。--

 再度コリー女史の見解。
 科学思想史においては、ひとつの仮説のライフ・ヒストリーはしばしパラドクスの様々な意味の系列を示す。仮説ははじめ通説に反するパラドクスとして出現する。認められると「真理」となり、他の探究的なパラドクスを誘発する。置き換えられるとやはりパラドクスだったと判明する。つまり、擁護し得ないと結局は「立証」されるテーゼの擁護であったとわかるのである。これは、科学のパラドクスが他のパラドクスと同じく知の端点で、人間と物理的宇宙の関係の境界点で働くからである。
 もしかしたら、以上のコリー女史の言葉だけでは若干分かりづらいかも知れないので、私のよく知っている事例でパラフレイズしてみよう。
 私の研究対象であるボイルの最も有名な書物は、『懐疑的化学者』であるが、実はこのタイトルそのものが17世紀の懐疑主義の流行を示している。そして、それは、副題―スパギリストの原理に関する化学-自然学的疑念とパラドクス―にも現れている。ここではあまり知られていない方(上の6番目の書物『新しい実験によって打ち出されたる、流体静力学上のパラドクス』)を取り上げてみよう。『流体静力学のパラドクス』の序文でボイルはどうしてこのタイトルを用いたかを説明している。「この術[流体静力学]の理論と問題は、大部分注意深く考察されたテーマに関し、正しく行使された理性の純粋で見事な産物であって、そのなかには、単に愉快なだけではなく、驚異的な発見が含まれる。いったいどんな推論によってそんなわかりづらい真理を知るに至ったのか、不思議に思うようなそういう発見が含まれているのである。・・以下の論考で私は、一般の謬見に反するパラドクスを確立することにより、その謬見を反駁しようと試みている。」つまり、パラドクスという語は、基本的に、(1)通説への異論・反論、(2)驚異の感覚とそれによる娯楽、という2つの意味で使われていることがわかるのである。一語でまとめると、「re-creation 」の感覚をそなえるものとなろう。18世紀になると科学におけるパラドクスは大部分遊びの感覚と神秘の感覚を欠いた単に珍奇な説へと堕落し、再創造=発見の活力を失ったのである。
 科学哲学的に言えば、パラドクスには発見法的機能が備わっているとも言えるのである。
 常識的な考え方をただ保存して行くだけなら、学問は要らないのであるから、現在でもパラドクスのなかにこそ進歩・発見のきっかけがある、あるいは人間の知識の活力があると言ってもよいであろう。その意味で、見捨てられているパラドクスを収集することにも誤謬誌とは別の発見法的意義があるであろう。(ということで、機会を見て、パラドクスの収集=異端説の収集と再考の作業をはじめてみようと思います。)

 再度コリー女史の見解に戻ろう。
 頂点に達したパラドクスは道徳的責任からの逃避となる。即ち、『痴愚神礼賛』( Moriae Encomium, エラスムス,1509) や『ユートピア』(トマス・モア、1518)。この二つの頂点が出現したついでに、ルネサンス・パラドクス文献のおさらいをしておこう。
 モンテーニュ『エセー』(1580)特に「レーモン・スボン卿の擁護」;ラブレー『ガルガンチュワとパンタグリュエル』(1532-64)特に「第三之書」; ハインリッヒ・コルネリウス・アグリッパ『知の虚妄』(1530);クサーヌス『知ある無知』(1440);ブルーノの諸著作;ジョン・ダン『自殺礼賛』(1607/8);バートン『憂鬱の解剖』(1621)等々。ついでに18世紀以降では、スウィフト、スターン、ディドロ、マンデヴィル、ルイス・キャロル、チェスタトン、ジョイス、ボルヘス、サルトル、ノーモン・クノー、エーリッヒ・ケラー、ニコラス・フリーリング等々。

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