Last updated 19 June 2001

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    ローゼンタール文庫(Bibliotheca Rosenthaliana, in Amsterdam University)

 リーサー・ローゼンタール(Reeser Rosenthal)は、1794年4月13日ワルシャワのラビの一家に生まれる。人生の大部分は、ハノーバーで隠遁ラビとして暮らし、ユダヤ関係の書物を熱心に収集した。彼の集めた本は最終的には5200冊を越えた。1880年その文庫はまるごと、アムステルダム市図書館に寄贈される。(現在はアムステルダム大学の一部に組み入れられている)
 その後、あらゆる分野のユダヤ文化研究の書物を集め、現在は10万冊以上にのぼっている。1967年には、1年に2冊のペースで研究誌『ローゼンタール研究 Studia Rosenthaliana』が創刊され、オランダのユダヤ文化研究の重要な拠点となっている。
ローゼンタリアーナのサイト
rosenthalianaのMenasseh Collection
Studia Rosenthaliana 最近の目次
 日本で所蔵している図書館は、民博だけで、しかも13号(1979)で終了しています。国立情報学研究所全国大学図書館検索サービスに登録されていないものがある可能性はありますが。

    ワールブルグ図書館
 これは、古くは山口昌男氏の『本の神話学』(中公文庫、1977)が取り上げ有名になったもので、ここで取り上げる必要はあまりないようなものなのですが、ロンドン留学中に結構お世話になっていたので、取り上げます。
 もともとアビ・ヴァールブルクの個人文庫だったものが、第2次世界大戦中のいろんな経緯により、現在はロンドン大学に附属する「ワールブルク研究所」になっています。ロンドンに留学したとき私を受け入れてくれたマイケル・ハンター氏は、ロンドン大学バークベック・カレッジの教授で、バークベック・カレッジはロンドン大学の本部(と図書室)のすぐ北にあります。(ロンドン大学本部そのものは、大英図書館のすぐ北にあります。)少し慣れてきたころ、有名なワールブルグに一度行ってみようと思って住所を調べるとバークベック・カレッジのすぐそば。すぐに見つかると思って探しに行きましたが、かなり手間取りました。私が勝手にもっと大きな看板や建物を期待していたせいでもありますが、入り口の場所がバークベック側からすると裏側のわかりずらい場所にあったせいです。判ってしまうと、バークベックとは庭を挟んで隣り合わせで、ワールブルグはその庭に背中を向けている形の場所でした。
 なかに入ると確かに充実しています。錬金術関係もそろっている。どうもそれより占星術とかそっちの方がそろっているような気がしましたが、これはしっかりと確認したわけではありません。ロンドン大学の本部図書館はもちろん日本の大学図書館と比べるとずっと充実していて日本ではどこでも見つからなかった史料がかなり見つかりました。しかしずっと使っていると、フランス、イタリア、ドイツ等大陸の史料が相当弱いことがわかりました。ワールブルグで調べてみると、ワールブルグは、英語以外の学術雑誌がロンドン大学本部図書館と比べて比較にならないぐらいそろっていました。日本では見たこともない雑誌もあったので、そういう雑誌から関連する論文をコピーするため、一時かなり通っていました。(あまり混んでいなくて使いやすいという理由もありました。いかにも美術史を専攻しているという雰囲気の女性研究者が多かった記憶があります。)
以下にまとまった記事のあるウェブサイトを並べておきます。
武邑光裕「伝統の創造的継承:デジタル・アーカイブは何を欲求するか」
山口昌男氏の1997年の朝日新聞の記事の紹介
The Warburg Institute
 神戸大学の三浦さんは、ここに留学されたので、ずっと詳しいと思われます。
    ヘルツォーク・アウグスト図書館
 北ドイツの小都市ヴォルフェンビュッテルにある「ヘルツォーク・アウグスト図書館(Herzog August Bibliothek)」は、上のワールブルグ図書館と並ぶ(分野によってはワールブルグを凌駕する)、初期近代を研究するものには最良の図書館の一つです。日本でもゲルマニストの方々には割と知られているようですが、科学史ではあまり有名ではありません。しかし、たとえば錬金術の草稿ひとつとっても、大量のコレクションを誇るビブリオテークです。(錬金術についてのもっとも網羅的なサイトwww.levity.comは、120の図書館の4000のMSをリストアップしています。ヴォルフェンビュッテルは、その中で135を占めます。かなり多いと言えると思います。15世紀、16世紀、17世紀のものがざっとおおまかに3分の1ずつといった感じです。)
 名前は、17世紀初頭のヘルツォーク・アウグスト(Herzog August, 1597-1666)に由来します。アウグスト公は、先代からの収集物に加え、自らも積極的に当時の文献(初期活字印刷本、中世の聖書の手稿、その他貴重な草稿を含む)を収集し、12万冊にのぼる図書館を築きました。これを基礎に後世の人間が戦争による損失を被ることなく維持・拡張し、現代では中世から近代初期をテーマとするものにとってはほぼ理想的な研究センターの役目を果たすようになっています。若手学者のためのフェローシップやサマースクール、研究会も活発に開いており、論文集等の出版活動も行っています。
 サマースクールの具体的な様子は、 平井浩さんのサマースクール参加記をご覧下さい。
 本年度やっているかどうか分かりませんが、ドイツの銀行がお金を出して、ワールブルグで2ヶ月、ヴォルフェンビュッテルで2ヶ月、計4ヶ月若手(博士課程からポスト・ドクターぐらいまで)が研修できる仕組みもあるようです。それぞれの場所で2ヶ月は短いですが、悪くない制度だと思います。
 詳しくは、 Herzog August Bibliothek のページそのものをご覧下さい。
 私がこの図書館の存在をはっきりと意識するようになったのは、ポプキンの仕事を通してでした。(ポプキンは、プロテスタント神学におけるユダヤ教の影響、たとえばモーゼス・マイモニデスの影響を探るためにこの図書館を利用しています。)
 日本人でもここの世話になったという方は、結構いるのではないかと思います。

    ハートリッブ・ペーパーズ

 市民革命期のイギリス(1640年代、50年代)で、大陸におけるメルセンヌや王政復古期のオルデンブルグの仕事、即ち手紙による情報通信網の重要な結節点の役目を果たしたドイツ人に、サミュエル・ハートリッブという人物がいます。革命期に噴出した改革運動の多くに積極的に関わって、いろんな改革プランを提起しています。
 そのハートリッブの手紙と日記のかなりの量が、今、シェフィールド大学に保管されています。市民革命期のイギリスやプロテスタント諸国の状況を知るには、非常に貴重な資料です。草稿の総ページ数は、2万ページを超え、印刷物は7千ページを越えます。これが、1990年代半ば、すべて、CD-ROMの形で出版されています。
 その成果は、次の本にまとめられています。
    Greengrass,Mark,Michael Leslie and Timothy Raylor (eds.),
    Samuel Hartlib & Universal Reformation:     Studies in Intellectual Communication, 
    Cambridge: Cambridge University Press,1994
 また、次の本は、この草稿を十分に利用した非常によい研究です。
    John T.Young,
    Faith, Medical Alchemy and the Natural Philosophy:
    Johann Moriaen, reformed inteligencer and the Hartlib Circle,

    Ashgate,1998
Johann Moriaen ( c.1591-c.1668)は、オランダに暮らした人物で、商売をしていましたが、コメニウスに由来するパンソフィー(汎知主義)と創造の鍵としての錬金術にコミットしています。ハートリッブほど積極的に改革運動のために走り回ったわけではありませんが、やはり一種の「知識と情報」の商人(運び屋)の役目を果たしています。たとえば、一時期オランダで暮らしたグラウバーと言うこの時代の非常に重要な錬金術師に関して空白だった部分の多くの点が、この研究で明らかにされています。

 詳しくは、次のシェフィールド大学のハートリッブ・ペーパーズ・プロジェクトのページをご覧下さい。 Hartlib Papers Project
google の日本語で検索したときヒットしたのは次のページだけでした。
「国文学とコンピュータ(国文学研究資料館における事例研究)」原正一郎(国文学研究資料館研究情報部助教授) 
 それほどの値段でなければ買おうかなとおもって値段を調べると、CD-ROM2枚組で約5千ドル。(今のレートだと60万円弱。)買ってみるということが出来る値段ではありません。図書館に入れてもらう種類のものでしょう。(販売元は、UMI)
 

    Dibner Institute(ディブナー研究所)

 Bern Dibner (1897-1988) は、ウクライナに生まれ、1904年家族とともにアメリカに移民。1921年ニューヨークのポリテクニーク・インスティチュート(現在のポリテクニーク大学)の電気工学を卒業後、キューバの電気化の仕事に携わり、1924年バーンディ工業会社 ( Burndy Engineering Company)を設立。取得した24の特許をもとに会社を大きくする。1936年「サバティカル」をとって、チューリッヒ大学で主としてルネサンスの技術史を勉強する。会社の指導役を務めつつ、生涯の間に100冊以上の本を著す。電気史財団のチェアマン、技術史学会の会長を務め、1976年サートンメダルを授与される。
 スミソニアン研究所に、収集した科学史・技術史の貴重書を贈呈。これを核にしてディブナー図書館が作られる(現在アメリカ史国立博物館の一部)。ニューヨーク・ポリテクニーク大学にもディブナー図書館のための基金を贈呈。
 1992年、MITの一部として、「ディブナー科学技術史研究所」が設置される。ディブナー棟の一階部分にバーンディ図書館があり、このなかに研究所が位置する。
 特筆すべきは、ここが出している奨学金や研究奨励基金。科学技術史の Advanced Research に対して支援される。毎学期、およそ15名のフェローがMIT近辺に住んで研究に専念する資金を受けている。その約半分は、北米以外の出身者。博士課程の学生の奨学金も出している。
 積極的に、コロキウム、セミナー、シンポジウム、ワークショップを開き、その成果は「科学技術史ディブナー・インステイチュート・スタディーズ」として MIT 出版会から出されている。
 若手の研究者の方々へ。こういうのにどんどん応募して、向こうの研究者なかまと議論しましょう。研究の一番よい刺激は、研究者なかまとのフランクな会話から得られます。(私自身は、35歳になってはじめて海外渡航した旧人類ですが、今取り組んでいる近代初頭の化学史については、イタリア人研究者アントニオ・クレリクチオ氏と話したときに、Norma E. Emerton, The Scientific Reinterpretation of Form, Ithaca:Cornell University Press,1984 を教えてもらったことがもっとも大きな再出発点になっています。ルネサンスから近代初頭の物質理論に関心のある方には、一番重要な研究書だと言っていいと思いますが、タイトルが内容を教えてくれないので、化学史の分野でもそれほど読まれてはいません。この書物については、平井浩さんのサイト(BH)もご覧下さい。重要にすぎて、さすがの平井さんもごくわずかしかコメントの言葉を付けておられません。
 そういう書物が存在すること。そのことには、心の奥に響くものがあると思われます。)
 →2001.5.12 平井さんがこのエマートンの書物について紹介記事を書かれました。場所は下の通りです。平井さんによるエマートン紹介
 Dibner Institute

    UCLAのWillam Andrews Clark Memorial Library

 名前の通り、Willam Andrews Clarkさんの寄贈したコレクションに基づいている。クラークさんのお父さん(名前はやはり、Willam Andrews Clark)は、モンタナ州の鉱山で一山あてた人物。息子、Jr.は有名な書籍コレクターで、1924年から26年にかけて現在クラーク記念図書館のある場所に、図書館を建てる。遺言により、これをそのままUCLAに寄贈(1934年)。
 1641年から1800年にかけてのイギリス文学とイギリス史関係の資料、並びにオスカー・ワイルド、美本に特に強い。オスカー・ワイルドに関しては、世界中でもっとも包括的なコレクション。王政復古期のドラマに関しては実質的にすべての初版本を収集している。ドライデンのコレクションは、大英図書館に匹敵する。ニュートン、ボイル、ハレー、イブリン、ディグビーの著作のコレクションは、アメリカ西部で最大規模。トーマス・カートライト(1671-1748)の神学関係の蔵書、ならびにプロテスタント神学のハームワース・コレクションを所有。ホッブズ、ロック、ヒューム等のものも充実している。
 その後も、アーマンソン財団の寄付があったりして、蔵書をさらに充実している。
 17世紀、18世紀の研究者にとっては、カリフォルニアだし、絶好の研究場所。講演をパンフにしたシリーズは、非常に安く入手でき、有用なものが多い。ここも、奨学金、研究奨励金、フェローシップが非常に充実している。
Willam Andrews Clark Memorial Library
出版物のリスト
 ざっと見たところ、有名な科学史家でここの世話になっている方には、次のような名前がみつかりました。Jan Golinski,G.S. Rousseau,Roy Porter, Michael Hunter, Richard H. Popkin and so on.

    ベックマンセンター

 1982年、アメリカ化学会化学史部会は、ペンシルベニア大学(E.F.スミス記念化学史コレクションを所有する)の協力を得て、CHOC(チョック:Center for History of Chemistry) をペンシルベニア大学構内に設立する。初代センター長は、有名な化学史家アーノルド・サクリー。顧問には、シーボーグ等3名のノーベル化学賞受賞者他17名が加わった。CHOCは、CHOC Newsletter を出す。
 この事業に、pHメーターで世界に名をはせたアーノルド・ベックマンが賛同し、1986年200万ドルを寄贈した。これを契機に、CHOCは、アメリカ化学史財団( National Foundation for the History of Chemistry) に再編され、その事業実施部門がベックマンセンター (Beckman Center fort the History of Chemistry ) と呼ばれるようになった。
 1988年、今度は、ドナルド・オスマーとミルドレッド・オスマーのオスマー夫妻が化学史図書館 ( Othmer Library of Chemical History) 設立のために、600万ドルを財団に寄付した。
 同年、フィラデルフィアのウオルナット街に新しい建物を建て、ペンシルベニア大学の間借り生活から独立した。
 1992年、財団は、Chemical Heritage Foundation と称することとなった。
Chemical Heritage Foundation
Beckman Center
The Donald F.and Mildred Topp Othmer Library of Chemical History
 参考文献
    [紹介]古川安「CHOCの高分子化学史資料 」『化学史研究』第42号(1988年): 47-49
     [紹介]古川安 「アメリカの化学史研究 ―伝統と動向―」『化学史研究』第21号(1982年) : 174-175
    [広場]藤井清久「化学史センター(CHOC)」訪問記 」第33号(1985年): 205-207
    [広場]芝哲夫「ベックマン化学史研究センターの組織と活動」『化学史研究』第19巻(1992): 50-51
    [広場]渡辺慶昭「アメリカの Chemical Heritage Foundation (化学遺産財団)について」『化学史研究』第28巻(2001) forthcoming

    九大 桑木文庫

 たまには、日本の文庫もよいでしょう。少し手抜きして、九大図書館の説明をそのまま引用します。(もし、問題があるようであれば、なおします。)
 桑木文庫は、日本科学史学会(The History of Science society of Japan)の初代会長であった、故九州大学工学部助教授桑木あや雄(Kuwaki, Ayao, 1878-1945)博士が、当時の講座研究費の大部分を注いで蒐集された西洋・東洋・日本の科学史関係の文献が主をなしている。数学・物理学・天文学・哲学の古典、江戸期和算書等約2,800点に及ぶものであり、文献は散逸することなく理学部図書室において貴重図書として管理されている。
 科学史研究は古くはヨーロッパの各大学で19世紀から始められていたが、日本における近代的研究の種は桑木博士によって初めてまかれたといってよい。文献の中には W.Gilbert の“ De Magnete ”(1600), Delambre の“ Histoire de L'astronomie an dix-huitieme Siecle ”(1827)あるいは H.Hertz の全集(3巻)(1894)などの貴重な本も少なくはない。
 桑木博士は九大に転任すると、江戸時代の科学史に関心を持つ機会を得た。長崎で本木、志筑等蘭陀通詞の訳稿等を見、また大分で梅園及萬里の著述・草稿等を見てから、日本中国の科学の古文献を、続いて西洋の科学史文献を蒐集し、20年余りの間に相当の量に達した。また、狩野亮吉の日本の古歴史天文書、物理学史の Edmund Hoppe の遺蔵である科学史文献500−600冊を譲り受けたものも含まれている。
 たぶん、もう12年以上前になりますが、科研費で桑木文庫の調査をしたことがあります。実際、結構いろんな貴重書がおさめられていました。所蔵本のリストは持っていました。数時間捜せば、この部屋か、研究室で見つかると思います。
九大理学部図書館(桑木文庫)

 もう一人、日本の科学史の開拓者は、1902年生まれの故下村寅太郎氏です。私は、直接お目にかかることはできていませんが、下村先生もライプニッツから始まり、相当な蔵書をお持ちだったようです。
『下村寅太郎全集』1-13;付月報 みすず書房(1988-1999)

 故坂本賢三氏も、貴重書は別にして、かなりの蔵書をお持ちでした。最近は大学図書館がほとんど故人の蔵書を引き取ることをしなくなっているので、最後おつとめの千葉大ではなく、いろいろ当たった後、結局天理大が引き取ってくれたようです。私は千葉大の後任者斎藤憲氏(現在大阪府立大)(このサイトの「非公式なか雑文」は刺激にとみ非常に面白いものです)からリストを頂いています。
 日本の図書館でいえば、奈良にある天理大学図書館がすごい。しかも、まだ、インターネット上にない。そういう図書館があるのも悪くないでしょう。図書館に関しては千葉大の若 桑 みどり氏の図書館論がけっこう面白い。若桑さんの本文を読んでいただければ良いのですが、簡単にポイントだけ紹介しておきましょう。「日本では教授は図書館で勉強しない。従って、若手研究者は同じ図書館で真摯に資料に向かう教授の後ろ姿を見て学ぶという体験をほとんどしない。」―これは、私の経験からいってもそうです。イギリスに留学していたときには、偉い先生(即ち大きな研究成果を出した人)は、BLやワールブルグや、あるいは王立協会のアーカイブで仕事をしていました。最近のボイル化学の研究をひっぱっているのは、プリンシーぺさんというジョンズ・ホプキンズの研究者とアントニオ・クレリクチオというイタリア人研究者ですが、私がプリンシーぺさんと話したのは王立協会の書庫においてでしたし、クレリクチオさんと話したのはBLにおいてでした。私自身も日本では図書館で仕事をしませんし、図書館で調べものをしているときに教授に会って研究の話をしたという記憶がありません。一生懸命勉強をしている教授や同僚の姿を普段に見ているかいないかは、結局けっこう大きな差になると思います。
こういう方面は機会と場所を改めて。

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