[薔薇十字の覚醒]
12月9日、エヴァンズを取り出したとき、実は、イエイツの『薔薇十字の覚醒』も探しました。見つからない。研究室でも探しましたが、ありません。
それがふとしたきっかけで昨日、この部屋の本棚に並んでいるのが目にとまりました。そう、あっても見えないときは見えない。
ルーカス・イェニスが出版したマイヤーの書物について、解説があります。
「マイヤーに流れるディーとブルーノの伝統」pp.126-131.
『真面目な戯れ Lusus serius 』オッペンハイム、1616
『黄金の象徴』フランクフルト(イェニス)、1617
『騒ぎの後の沈黙』フランクフルト(イェニス)、1617
『黄金のテミス』フランクフルト(イェニス)、1618
『真の発明』フランクフルト(イェニス)、1619:ヘッセン方伯に献呈
『哲学の七』フランクフルト(イェニス)、1620
ついで、「薔薇十字国家ファルツ」pp.131-135 で、マイヤーの弟子達が扱われます。
その最初がボヘミア人ダニエル・ストルク(あるいはストルキウス、昨日名前をあげたStolcius von Stolcenberg, Daniel, fl. 1818-1624 に他なりません)。彼は、プラハ大学医学部を卒業し、1612年マールブルクに着き、さらにフランクフルトを訪ねて、イェニスと出会っている。
彼は、イェニスの勧めで、マイヤーの図版を中心にミリウスのものも採録する『化学の楽園』(フランクフルト、1624)を編集出版する。(ストルキウスは1623年オクスフォードまで亡命していた。)せっかくですから、種村さんの翻訳になる『化学の結婚』も引っぱり出してきました。これも昔読んだことがあるのですが、今回は、種村さんの解説だけ読み直してみました。17世紀初頭のチュービンゲンの知識人社会に関して、見通しが得られました。
『化学の結婚』そのものは、まだ学生だった(18歳)のヨハン・アンドレアーエの、まさに若書きの書物です。勢いと混乱。さらにせっかくですから、ここに薔薇十字運動の3書の書誌を整理しておきます。
1.『ファーマ 薔薇十字の名声』カッセル、1614
2.『コンフェッシオ 薔薇十字の信条告白』フランクフルト・アム・マイン、1615
3.ヨハン・アンドレアーエ『化学の結婚 クリスチャン・ローゼンクロイツ一四五九年』シュトラースブルク、1616
『化学の結婚』は、アンドレアーエが出版を望んだものではなく、出まわっていた草稿をヨハーン・フリードリッヒ・ユングなる人物が勝手に有名な出版者ラザルス・ツェツナーに渡して、世に出たものです。
また、1614年のヴィルヘルム・ヴェッセル版初版『ファーマ』は、次の4つからなる。1.「誠実なる読者へ」という序文、2.「全世界の普遍的かつ総体的改革」、3.付「薔薇十字の名声」、4.付「ハーゼルマイヤーの応答」。
2番目の「全世界の普遍的かつ総体的改革」は、もとヴェネツィアの作家トラヤーノ・ボッカリーリの小説『パルナソスの詳報 Trajano Boccalini, Ragguagli di Parnasso』をクリストフ・ベゾルトが翻訳し、それを抜粋したもの。おお、今月は、ここで100枚に達しました。なかなかのものです。
おお、『エンブレマータ・サクラ』は、オルムスでリプリントされています。イェニスが出版した1624年の2部構成の本です。
また、HAB には、別の『エンブレマータ・サクラ』すなわち、
Hoburg, Christian *1607-1675*
Emblemata Sacra. Das ist Göttliche Andachten Voller Flammender Begierden
Franckfurth und Leipzig, 1692
もあり、画像が入手できます。とても興味深いエンブレムが見られます。
[17世紀前半のチュービンゲン・サークル]
下に、種村さんの解説から紹介したとおり、薔薇十字運動の社会的母胎のひとつは、17世紀の最初の20年間のチュービンゲン・サークルにありました。
そのメンバーを個別に追っかけてみたいと思います。
→種村「十七世紀薔薇十字架思想家の分布」(p.346)では、次の四名を挙げています。
クリストフ・ベゾルト
トービアス・ヘス
J. ヴァレンティン・アンドレーエ
ダニエル・メークリング
ちょうどその時期にチュービンゲンに滞在していたパラケルスス主義の錬金術師に、ベネディクト・フィグルス Benedictus Figulusがいます。(種村、p.316. アンドレーエは「放浪の錬金術師」と呼んだ。「フィグルスのヘルメス思想の基盤をなすのは、「そこにあらゆる知が収納されている三冊の書物であった。一つは自然、すなわちマクロコスモスという書。第二番目にこれより小さい、人間というミクロコスモスの書。第三の書は「精霊の年代記」たる聖書であった。・・・フィグルスの周辺にはチュービンゲンの学生たちが集まった。クリストフ・ヴェリング、ダニエル・メークリング、ボナヴェントゥラ・ライイング、それにアンドレーエ。」)ベネディクト・フィグルス Benedictus Figulus
まず、ウェイトによる英訳があります。
A golden and blessed casket of nature's marvels
Translated into English by Arthur Edward Waite from the German original (Pandora magnalium naturalium aurea et benedicta) published at Strasburg in the year 1608
1893: Reprint, London : Vincent Stuart, [1963]
名前ですが、書誌情報には、Benedikt Töpfer. (ベネディクト・テプフェル) と記されています。
ファーガソンは、5点を挙げています。最初は、ウィイトにより英訳された上の『パンドラ』。
Pandora magnalium naturalium aurea et benedicta, de benedicto lapidis philosoph. Mysterio.
Strassburg : L. Zetzner, 1608
ヘルメス・トリスメギストス、パラケルスス、フォン・ズフテン等の論考10点を含みます。次は『ロザリウム』
Rosarium novum Olympicum et benedictum. Das ist: ein newer gebenedeyter philosophischer Rosengart, darinnen vom aller weisesten König Salomone, H. Salomone Trismosino, H. Trithemio, D. Theophrasto, etc. gewiesen wirdt, wie der gebenedeyte guldene Zweig, unnd Tincturschatz, vom unverwelcklichen orientalischen Baum der Hesperidum, vormittels göttlicher Gnaden, abzubrechen und zu erlangen sey: allen und jeden filiis doctrinae Hermeticae, und D. Theophrasticae Liebhabern zu Gutem trewlich eröffnet in zwen Theilen. Durch Benedictum Figulum
Basel, 1608
第1部は、ソロモン、トリテミウス、パラケルスス、フォン・ズフテン等からの抜粋からなります。第2部は、Ventura, De Lapide philosophorum の翻訳。3つめは、『テサウリネラ・オリンピカ・アウレア・トリパルティア』です。
Thesaurinella Olympica aurea tripartita
Franckfort am Mayn, 1608
15点の論考を含みます。
こういうふうに、フィグルスは、第1には錬金術論考の編纂者であるようです。そうした編纂物に前薔薇十字的理念を読みとるのはそれほど難しくないでしょう。
次は、クリストフ・ベゾルト (Christoph Besold, 1577-1638 )
まずは、トラヤーノ・ボッカリーニ (Traiano Boccalini, 1556-1613) の訳から。
Relation ausz Parnasso : oder, Politische vnd moralische Discurs, wie dieselbe von allerley Welthändeln darinnen ergehen erstlich Italianisch beschrieben von Trajano Boccalini
[Tübingen? Germany : s.n.], 1617
種村さんは、ベゾルトの蔵書3870冊はそのまま残されていると記しています。また「前バロック期・後期人文主義時代第1級の文人」だと賞しています。著作は多くあり、多くの版を重ねたようです。
(→この魅力的な人物について、日本語での研究というものはないものでしょうか?)
[ダニエル・クラメル]
12月9日、エヴァンズを取り出したとき、アダム・マクリーンが出版した次の本も探したのですが、見つかりませんでした。今日本に挟まれていたのを掘り起こしました。(もう1冊、探していて見つからないものがあります。そう、モランの名著です。いつ見つかるのでしょうか。)
Daniel Cramer,
The Rosicrucian Emblems of Daniel Cramer: The True Society of Jesus and the Rosy Cross
Grand Rapids, MI.: Phanes Press, 1991
12月14日に紹介した「茨のなかの百合」と同一の図版が採録されています。英訳者は、Fiona Tait.もとの本のタイトルは次の通り。
Societas Iesu et Rosae Crusis Vera. Hoc est, Decades Quatuor Emblematum sacrarorum ex Sacra Scriptura
Authore Daniele Cramero D. Theologo Stetinensi.
Francofurti, Impensis Lucae Iennis.
1617
比較すれば明らかなように、12月14日に紹介した『エンブレマータ・サクラ』(1624)は、これの増補版となっています。最初この本を手にしたとき、図版の異様な迫力に驚きました。
→マクリーンの説明によれば、この書は、はじめ1980年に手作りで250部作成したのだそうです。ほとんど知られていない作品で非常な稀書とあります。(ハブにはありませんでした。イギリスの大学図書館では、グラスゴーに2点、ケンブリッジとバーミンガムに各1点所蔵されています。)薔薇十字運動のピーク、すなわち、アンドレアーエの『化学の結婚』の翌年にルーカス・イェニスの手で出版されています。
タイトルのはじまりが、「真のイエズスと薔薇十字の会」ですから、多くのおそらく互いに対立する読解を誘います。
クラメルは、ルター派の神学者で、反イエズス会論考を著しています。ここのSocietas Iesu というとてもパラドキシカルな用語は、薔薇十字運動のひとつの核心に迫るものです。種村さんの解説にあるとおり、薔薇十字運動は、改革派の神学のなかから出現しますが、旧教におけるイエズス会:新教における薔薇十字運動というふうな比例・対照・対比関係においてみることができます。
マクリーンは、この書の40のエンブレムは、東の仏教の瞑想図であって、ロヨラとザビエルの霊操(spiritual exercise)に真の(別の)対象を与えるものであったと言っています。そうかもしれません。クラメルが「真のイエズスと薔薇十字の会」と記した意図を知るには繊細で精緻な考察が必要ですが、イエズス会を強く意識していたことだけは確かでしょう。
[エムブレム21]
下に紹介したクラメルのエンブレムの1つ前です。言葉は、新約聖書「コロサイ人への手紙」2:14から。
「神は、わたくしたちを責めて不利におとしいれる証文を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけられてしまわれた。」書誌がわかりづらいかもしれません。まとめておきます。
Daniel Cramer,
Societas Iesu et Rosae Crusis Vera. Hoc est, Decades Quatuor Emblematum sacrarorum ex Sacra Scriptura
Francofurti, Impensis Lucae Iennis. 1617
この書が最初に出版されます。40のエンブレムからなる薄い冊子です。言葉は、たとえば次の通り。Nil Sum.(私は無である)
「ローマ人への手紙」7:14「わたくしたちは、律法は霊的なものだと知っている。しかしわたくしは肉的である。」
「私は無である。しかし、福音により照らされ、勝利する。かくて恩寵が律法にまさり、私は星々を求める。」
以上が「エンブレム18」に付されている言葉です。ごく短い。これ版をもとに、コンラート・バッハマン(Conrad Bachmann) が『エブレマータ・サクラ』(イェニス、1624)を出版します。
Conrad Bachmann,
Emblemata Sacra.
Francofvrti : Jennisius, 1624
第1部のエンブレムは、クラメルのものです。言葉を増やしています。ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語の詩文が付加されています。
第2部は、新しいエンブレムと新しい詩文。形式はまったく1部と同一です。
3日前の続きです。
Hotson, Alsted, pp.95ff. にイエイツ以降の薔薇十字運動の研究史が簡単に触れられています。焦点となる人物は、トビアス・ヘス Tobias Hess だとあります。そして、次の文献が挙げられています。
1.Paul Arnold, Histoire des rose-croix ex les origines de la franc-maçonnerie (1995; 2nd edn., Paris, 1990).
2.Richard van Dülmen, Die Utopie einer christlichen Gesellschaft. Johann Valentin Andreae (1586-1654) (Stuttgart-Bad Canstat, 1978).
3.R. Edighoffer, Rose-Croix et soiété idéale selon Johann Valentin Andreae, 2 vols.,(Paris, 1981/7),
4.Martin Brecht (ed.), Theologen und Theologie ann der Universiät Tübingen, (Tübingen, 1977)
5.Carlos Gilly, Adam Haslmayr, Der erste Verkünder der Manifeste der Rosenkreuzer (Amsterdam, 1994)
最後のGilly 氏の仕事については、平井さんのサイトに詳しい紹介があります。Fama fraternitatisの初版には、アダム・ハスルマイヤによる応答 (Antwort an die lobwürdige Brüderschaft der Theosophen von RosenCreutz) が付されていました。それを掘り起こしたのが、Gilly 氏の研究です。
→おお、なんと、ウェブキャットには Carlos Gilly 氏のドイツ語の本が1冊も出てきません(イタリア語-英語の本は3冊出てくる)。これはちとまずいのではないでしょうか。
(ドイツのアマゾンでは7冊が出てきます。)[トビアス・ヘス Tobias Hess i ]
トビアス・ヘス Tobias Hessに関する邦語ウェブでのまとまった説明は、どうも、「バラ十字会日本本部AMORC公式サイト」にだけあるようです。上の3番目の本 (R. Edighoffer, Rose-Croix et soiété idéale selon Johann Valentin Andreae) から次の紹介をしています。
1616年、アンドレアーエは、次の本を出版します。
Johann Valentin Andreae
Theca gladii spiritus: sententias quasdam breves, veréque philosophicas continens
Argentorati : Lazarus Zetzner , 1616
序文によれば、これはトビアス・ヘスが書いたもので、本文の48の節は、コンフェッシオから取られたものだそうです。
copak で調べてみると、この書物は、トビアス・ヘスを著者とするものと、frommann-holzboogによるGesammelte Schriften (アンドレアーエ全集)のようにアンドレアーエによるとするものの両方があります。HAB では、ヘスが著者で、おそらくアンドレアーエによって出版されたとあります。
バラ十字会の歴史その5 『バラ十字友愛団の信条告白』(後半)は、さらに、Edighofferの本から、ヨハン・アルント(Johann Arndt)についても紹介しています。
コンフェッシオが自然の書について述べた部分は、アルントの著作からほぼ一語一句取られたものだそうです。
アルントの著作というのは次のものです。
Vier Bücher von wahrem Christenthumb
Magdeburg : Francke, 1610-1615
copakで調べると、アルントは人気のあった著作家のようで、17世紀に英訳もなされていますし、20世紀にはいっても多くの版が出版されています。ヨハネス・タウラーやヴァイゲルの徒であったようです。
→どうも邦訳があるようです。ヴァレンティン・ヴァイゲル『キリスト教についての対話』(山内貞男訳、創文社、1997)のpp.207〜248 には、アルントの「真のキリスト教について」が収録されているようです。(実物未見)。
→もしやと思い、本棚にある『ドイツ神学』(創文社、1993)を引っぱり出してきました。この邦訳は、ヨハン・アルントの版(1597)から訳されています。(アルントの版は、1520年のルター版によっている。)解説は以前読んでいます。今回、まずは、アルントの序pp.7-21 だけ読んでみました。まさに敬虔派の面目躍如です。
(『ドイツ神学』を購入したのは、2002年2月9日。解説を読んだのは、その翌日。16世紀17世紀、多くのキリスト者のこころにしみこんだ著者不明のちいさな本です。一例だけをあげれば、大学に入って、人生の意義に関して根本的な懐疑に襲われていたヘンリー・モアのメランコリーを癒したのは『ドイツ神学』でした。)再度もとに帰って、種村季弘氏の「『化学の結婚』解題」を見直しています。上の5冊の文献のうち、デュルメン(Dülmen)氏の研究は使っています。また、Gilly氏の研究については、著作は解題執筆時には間に合っていませんが、次の論集に収録された論文は使っています。
Das Erbe des Christian Rosenkreuz, Vorträge gehalten anl&aum;ssich des Amsterdamer Symposium 18. -20. Nov. 1986 In de Pelikaan: Amsterdam, 1988.
種村さんの表記では、カーロス・ジリー「第1次薔薇十字思想。初期薔薇十字主義者たちの知られざる典拠をもとめて」。
また、3番目のエディゴフェルのものには邦訳があるようです。
ロラン・エディゴフェル『薔薇十字団』田中義廣訳、白水社、1991。
→翻訳は、Rose-Croix et soiété idéale selon Johann Valentin Andreaeではなく、文庫クセジュのものです。この文庫は、部屋を探すと、私の体の30センチのところにありました。それでも探し出すまでに10分はかかりました。灯台もと暗し。
[トビアス・ヘス Tobias Hess ii]
クセジュ文庫のエディゴフェル『薔薇十字団』を読みました。
1616年、『化学の結婚』の出版の年、同じ出版者(ツェツナー)から、『精神の剣の鞘』(Theca gladii spiritus) という匿名の集成が出版された。序文には、アンドレアーエの友人で2年前(1614年)に亡くなったトビアス・ヘスの書類からこれらの格言は発見されたと記されている。
その26年後、アンドレアーエは、アウグストに宛てた手紙のなかで自分が作者だと認めている。
エディゴフェルは、アンドレアーエの出版物間のテキストの照合をしっかり行っています。ですから、彼の言葉はまず信頼しておいてよいでしょう。
エディゴフェル『薔薇十字団』からそのテキストの事実を紹介しておきましょう。
1.『精神の剣の鞘』は、アンドレアーエが1612年から1618年の間に出版した著作(少なくとも)5冊からの抜粋を収録している。
(例。『クリスチャン・コスモクセヌスのホロスコープについての視点』(1612)からアンドレアーエは、30節以上を再録した。)
2.その著作は、ファーマとコンフェッシオ以前に存在した。
3.『精神の剣の鞘』の格言のうち、28は、コンフェッシオからとられている。
内容的には、『精神の剣の鞘』は、穏やかなものです。コンフェッシオにあった、薔薇十字団への言及、奇蹟や驚異のカテゴリーに属する事柄は、削除された。そして、神が自然に記した文字の探究をその哲学の中心的課題にすえた。
一言で言えば、薔薇十字のインパクトもない、同時に騒乱や反発もない、プロテスタントの自然探究思想ということになるかと思います。
[アンドレアーエ]
薔薇十字という標識をはずしてみても、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレアーエ (Johann Valentin Andreae, 1586-1654) の著作・思想は、この時代の象徴的な意味をもつものではないかと思うようになりました。エディゴフェル『薔薇十字団』によって、薔薇十字に直接関わらない著作を拾ってみましょう。
『精神の剣の鞘』Theca gladii spiritus,1616
『キリスト友愛団への招待』Invitatio fraternitatis Christi ad sacri amoris candidatos,1617-18
『キリスト教市民』Civic Christianus,1619
『クリスチャノポリス共和国の記述』Reipublicae Christianopolitanae Descriptio,1619
『キリスト教的愛の差し出された右手』Christiani amoris dextra porrecta,1620
『キリスト教社会の像』Christianae societatis imago,1620
アンドレアーエ全集ですが、全20巻構成で、現時点で4巻が既刊のようです。
出版者:frommann-holzboog
Andreae, Johann Valentin: Gesammelte Schriften
In Zusammenarbeit mit Fachgelehrten herausgegeben von Wilhelm Schmidt-Biggemann. 1994 ff. 20 B&aum;nde.
既刊は第2巻、第5巻、第7巻、第16巻。
Band 2 :Nachrufe, Autobiographische Schriften, Cosmoxenus.
Bearbeitet, übersetzt und kommentiert von Frank Böhling, Roland Edighoffer, Wilhelm Küllmann und Werner Straube. 1996Band 5: Theca Gladii Spiritus (1616)
Bearbeitet, übersetzt und kommentiert von Frank Böhling, 2003Band 7 :Veri Christianismi solidaeque philosophiae libertas (1618)
Bearbeitet, übersetzt und kommentiert von Frank Böhling, 1994Band 16 :Theophilus.
Bearbeitet von Jana Matlová und Jirí Benes. 2002.アンドレアーエの主要な著作に関しては次のページによい紹介があります。
アンドレアーエの主要な著作 (in English)
これによれば、『化学の結婚』を除き、もっとも読まれた(広く翻訳された)のは、通称『クリスチャノポリス』(正式には上にあるとおり、『クリスチャノポリス共和国の記述』)であるようです。英訳、ドイツ語訳、イタリア語訳があります。[薔薇十字と英国]
なお、イギリスで活躍したドイツ人ハートリッブが、翻訳してもらうために『キリスト教社会の像』『キリスト教的愛の差し出された右手』の2冊をケンブリッジのジョン・ホールに送ります。ジョン・ホールは、英訳をすませ、A modell of a Christian society(& The right hand of Christian love offere)として1647年ケンブリッジで出版されます。(出版の前に、ラテン語原典ともどもハートリッブ・サークルの間で流通していた。)
歴史家トレヴァー=ローパーが「イギリス革命における3人の外国人」と名付けたサミュエル・ハートリッブ( Samuel Hartlib, c.1600-1662)、ジョン・デュアリ (John Dury, 1596-1680)、コメニウス(Johann Amos Comenius, 1592-1670)は、ともにアンドレアーエの思想に共鳴している。
[薔薇十字]
薔薇十字に関連して、昨夜から今朝にかけ、ガリカから次の4点をダウンロードしました。
Andreae, Johann Valentin (1586-1654)
Les noces chymiques de Christian Rosencreutz,
Paris : impr. Jouve et CieAndreae, Johann Valentin (1586-1654)
Reipublicae christianopolitanae descriptio,
Argentorati : sumptibus haeredum L. Zetzneri, 1619Alary, François.
Prophétie du comte Bombast, chevalier de la Rose-Croix...,
Rouen : A. Maurry, 1701
Naudé Gabriel (1600-1653) Instruction àla France sur la vérité de l'histoire des Frères de la Roze-Croix,
Paris : F. Julliot, 1623
[薔薇十字]
ここしばらく、薔薇十字運動を取り上げてきました。私の問題関心を明示しておきましょう。
ゲーテは、『秘義』のなかで、「十字架に薔薇をからませたのはいったい誰か?」と述べています。つまり、17世紀初頭の薔薇十字思想の起源と展開です。
もう1点は、薔薇十字という形象そのもののもつ魅力です。薔薇十字の形象をこころに思い浮かべると、不思議な魅惑を感知します。それがいったいなにか?
どちらも簡単には解けない謎なので、ぼちぼち外堀を埋めていこうと思っています。そろそろ本格的な研究を読むべきだろうと判断して、Carlos Gilly 氏の論文を探し出しました。この部屋で本そのものを見つけるまで、半時間近くかかりました。片づけの最中に作った小さな山の底に背表紙が見えないようにおいていました。
Carlos Gilly,
"'Theophrastia Sancta' - Paracelsianism as a Religion, in Conflict with the Established Churches",
in Ole Peter Grell (ed.), Paracelsus: The Man and His Reputation, His Ideas and Their Transformation, (Leiden: Brill, 1998), pp.151-185.
抜群に面白い研究です。とくに、彼が掘り起こしたと言えるハスルマイヤーの思想と活動を追いかける部分は、スリリングです。私がこれまでばらばらに扱ってきた星々がひとつの星座にまとまりました。取り上げてきた人物が一本の線で繋がりました。
この論文そのものは、アムステルダムの Bibliotheca Philosophica Hermetica のCis van Heertum さんがドイツ語から訳した、もっと長いドイツ語バージョンは、 Analecta Paracelsica. Studien zum Nachleben Theophrast von Hohenheims in dentschen Kulturgebiet der früen Neuzeit ,eds. W.-D. Müller-Jancke und J. Telle, Stuttgart, 1994, 425-88. を見よ、とあります。
この論文は、外堀ではなく、薔薇十字運動・思想の起源に関する、核心をヒットするものです。ウェブで調べてみました。
Bibliography of Carlos Gillyというのがありました。41点の著書・論文が挙げられています。
Carlos Gilly 氏は、アムステルダムのビジネスマンリトマンさん(Joost R. Ritman) が個人的に開いた図書館リトマン・ライブラリー=The Bibliotheca Philosophica Hermetica の図書館員兼リトマン研究所の所長ということのようです。スタッフとしては他に、キュレーター二人、研究員二人、研究助手兼アーキビスト一人という構成のようです。個人図書館ですが、万人(公衆)に開かれているとあります。
充実した資料があるようです。
[アダム・ハスルマイヤー Adam Haslmayr, 1560 - 1612]
昨日言及した、Carlos Gilly, "'Theophrastia Sancta' - Paracelsianism as a Religion, in Conflict with the Established Churches", より、基本的な事実を整理しておきましょう。
アダム・ハスルマイヤー(または、ハーゼルマイヤー Haselmeyer)は、チロル出身の学校教師、音楽家、錬金術師。パラケルススの神学的著作に没頭して、それを自分のものとしてしまった。その結果、彼の語る言葉は、すべて「聖テオフラストス(聖パラケルスス)」のものとなった。つまり、第1義的にはパラケルススの神学を内面化した人物だと位置づけることができるわけです。
その彼が、まだ出版されていなかった薔薇十字の宣言に応答した最初の人物でした。そして、「全世界の普遍的かつ総体的改革」の表紙にあるとおり、「氏はこの応答ゆえにイエズス会士どもの手に捕らわれて、ガレー船につながれた。」(種村訳、p.237)
『ファーマ』の初版(1614)に付された1612年のこの応答はずっと見失われていました。それを探し出したのが、Gilly 氏です。
Antwort An die lobwürdige Brüderschafft der Theosophen von RosenCreutz N.N. vom Adam Haselmayer Archiducalem Alumnum, Notarium seu Iudicem ordinarium Caesareum, der zeyten zum heiligen Creutz Dörflem bey Hall in Tyroll wohnende. Ad Famam Fraternitatis Einfeltigist geantwortet. Anno 1612.
この1612年の応答が、出版物において「ローゼンクロイツ」という用語をはじめて用いたものだということです。そして、ハスルマイヤーによれば、ローゼンクロイツとパラケルススは同じ目的を目指して、見えない兄弟団に呼びかけ、「福音の自由」という新しい宗教をこの世にもたらすのでした。
この新しい宗教、すなわち、'Theophrastia Sancta' の布教者として、彼は1605年から1630年のあいだに、200もの作品を著した。
Gilly 氏は、そのなかから17点のタイトルを例として挙げています。17は多いので、ここでは、3つだけ引用しましょう。
1. Theophrastia vom Geist und Leben ad Augustum von Anhalt.
2. Thëophrastia in iter Iesu, das ist Teütsche Theologiam gründtlich zue versteen, das ist der warhaftige Weg Iesu Christi den Alle geen müessen welche seligkeit begehren, per Theophrastum.
3. Sacro-Sancta Thëophrastia, oder Thëologia Paracelsica Intacta. Von der Narren oder falschen kirchen zuer offentlichen Apologia wider die 99 gantz Nerrische Puncten D. Matthiae Hoÿe ...zue Dresden wider die Reformiertten oder calvinisten erdacht.
そして、そのいくつかは、実際にパラケルススの名のもとに印刷されます。
Astronomia Olymi Novi, das ist: Die gestirnkunst dess newen Himmels/ welche allein auss dem Glauben entspringet / darauss der Mensch alle Magnalia Gottes und der Narur/ die den glaubien seyd zuwissen / sehe und erlernen mag. Authore Paracelso ab Hohenheim
Theologia Cabalistica von dem volkommenen Menschen
このふたつはともに、パラケルスス-ヴァイゲルの集成本Philosophia Mystica (Lucas Jenes, 1618) に再録されます。
ハスルマイヤーの理解では、'Theophrastia Sancta' は、使徒の時代から密かに行われていた一種の永遠の宗教で、ドイツのトリスメギストス、パラケルススがその意味を開示してみせたのである。
ハスルマイヤーは、『コンフェッシオ』の第10章を引用して、「聖書からすべての学問と能力を引き出す」ことができると考えた。しかし、それだけでなく、次のように言う。
「キリスト者の書物は、生きた被造物である。預言者により紙に記された書物は、記憶や証言にすぎず、我々は我々人間のなかにあるものを思い起こすがよい。なぜなら、意味は、本のなかにはなく、霊のなかにあるのである。霊は、人間の中に住まい、我等のうちにおいて自由に働き、そして神が我等のうちに語る言葉に耳を傾けるのだということを認めなければならない。」
こうした「石の教会」の否定は、(もちろん、制度としての教会に従う人々には今でもそうでしょうが)17世紀においては、大問題発言です。大騒ぎを引き起こすことまちがいなしです。
しかし、「石の教会」の宗派の争い(30年戦争の悲惨さを思い起こそう)に嫌悪感を抱く一部の人々のこころには、ふかくしみこんでいくでしょう。
こうした思想は、隠れざるを得ない。しかし、ヴァイゲルとパラケルススにおいて、あるいはローゼンクロイツとパラケルススにおいて、開示された、ハスルマイヤーはそのように考え、身の危険を知りつつ、「隠れた兄弟」に伝えようとしたのでしょう。[リトマン・ライブラリー]
先日紹介したリトマン・ライブラリーのサイトを一通り見てみました。興味深い。稀書の収集の出発点が、ベーメの『アウロラ』であったというだけあって、広い意味でのヘルメス的伝統に関するすぐれた図書館・研究施設・出版機関となっています。最新の出版物は、下の Gilly 氏の英訳者Cis van Heertum編になる、ヨハン・ロイヒリン (Johann Reuchlin ,1455-1522) の生涯と著作に関する展覧会カタログです。Cis van Heertum (ed.)
Philosophia symbolica. Johann Reuchlin and the Kabbalah.
Amsterdam, 2005.
きれいな本のようです。
まずはたったひとつでよいので、日本でもこの種の民間の図書館ができないものでしょうか。
Abebooks から次の本がとどきました。
Carlos Gilly,
Adam Haslmayr. Der erste Verkünder der Manifeste der Rosenkreuzer.
(Pimander: Texts and Studies published by the Bibliotheca Philosophica Hermetica, 5. )
Amsterdam: In de Pelikaan, 1994.
古書店の記述には、Hugh Trevor-Roperの蔵書からとあります。おそらく、トレヴァー-ローパー自身による、HTR pencil marks が多くあります。ほんとうにHugh Trevor-Roperの書き込み(ペンシル・マーク)なら、むしろ貴重です。文字が記されているのは、数カ所だけで、あとはいくつかの種類の線が記されています。種類としては、私が本につける印とほぼ同じです。(縦線、横線、かっこ、二重線、三重線等々)。
線で判断する限り、非常に多くの箇所に線を引きつつ、最後まで一気に読んだようです。私は、古書の特別な収集家ではありません。洋書ならば、日本ではこの部屋にしかない本というのもすこしはあるかもしれませんが、それは研究者として、日本に所蔵している機関が見つからないから、何とか入手したものです。
日本語の本に関しては、それほどたいした蔵書ではありません。しかし、たまに変わったものもあります。そのひとつが、故大森荘蔵氏の書き込みのある雑誌です。どういう経緯か不明ですが、下北沢の古書店に、大森荘蔵氏の書き込みのある『理想』のバックナンバーが数冊並んでいました。はっきりよめるボールペンの文字で、普通の読書人がするのと同じ書き込みがしてありました。(記憶によれば、廣松渉氏の論文に対して、私の見解に等しいという趣旨の書き込みがありました。)もちろん、すぐに買いました。研究室のどこかにまだ置いているはずです。
もちろん、そうした書き込みのある本を集めてみたい気もします。
アマゾン.com のマーケットプレイスで発注した次の本が届きました。
Donald R. Dickson
The Tessera of Antilia: Utopian Brotherhoods & Secret Societies in the Early Seventeenth Century
(Brill's Studies in Intellectual History)
Leiden: Brill, 1998
年末から調べていた薔薇十字繋がりです。