『化学史研究』第29巻(2002): 201-204
© 2002 by the Japanese Society for the History of Chemistry.
All rights reserved.

[紹介]

相馬伸一
『教育思想とデカルト哲学:ハートリッブ・サークル 知の連関』ミネルヴァ書房、2001年10月31日、本体4500円、319+32頁、ISBN 4-623-03557-3

 ハートリッブ・サークル。この名は、王立協会の設立以前に、王立協会につながる知的ネットワークを形成し、科学・技術の進歩を目指して活発に活動したグループとして、科学史では周知のグループと言ってよかろう。特に、チャールズ・ウェブスターの大著『大革新』(1975)1)が、このグループの活動に焦点をあわせて、ピューリタン革命期の医学・科学・技術の社会史を詳細に描き出したことは、貴重な貢献であった。しかし、ウェブスターの後、ハートリッブ研究に関して画期的な進展があったことは、あまり知られているようには見えない。従って、ここではまず、ハートリッブ研究史を簡単にまとめた上で、本書『教育思想とデカルト哲学』の持つ意味について触れたい。
 サミュエル・ハートリッブは、その名が示すとおり、ドイツ人である。16世紀から17世紀の変わり目あたりにエルビングに生まれ、1620年代にケンブリッジで学ぶため渡英し、1662年その地で亡くなるまで英国で、社会の普遍的改革を目指して非常に活発に活動した。その普遍的改革のために彼が築いた国際的な情報交換網は特に重要で、その手紙によるネットワークは、フランスのメルセンヌ・サークルや王立協会秘書オルデンブルグの築いた通信網に並ぶものと評価することができよう。
 20世紀において、ハートリッブ研究の先鞭をつけたのは、ジョージ・ターンブルというリバプール大学の若き教育学者であった。彼は古典教育をしっかり受けた語学に堪能な人物で、1920年に『サミュエル・ハートリッブ:生涯並びにコメニウスとの関係のスケッチ』2)という本をオックスフォードから出版した。ターンブルは、その後、1933年になってふとしたきっかけからハートリッブ文書に出会った。(ハートリッブ文書は、ハートリッブの手元に残った多くの書簡と彼の日記(Ephemerides)からなっている。それは、一部ハートリッブ生存中に火事で消失し、一部は大英図書館のハンス・スローン・コレクションに移され、また別の一部は1957年イェール大学のオズボーン・コレクションに買収された。)1922年シェフィールド大学教育学教授となっていたターンブルは、発見した草稿群をシェフィールド大学に移した。それから草稿の目録作成にとりかかり、草稿の一部の転記・活字化の作業に専念した。その成果が1947年『ハートリッブ、デュアリ、コメニウス』3)という書物に結実した。
 次いで、有名な歴史家トレヴァー-ローパーが「3人の外国人と英国革命の哲学」4) という論文を1960年に発表し、英国革命におけるハートリッブ、デュアリ、コメニウスの重要性を広く世に示した。
 その次に来るのが、前述のウェブスターの『大革新』(1975)である。著名な科学史家ウェブスターは、ターンブルを継いでシュフィールド大学教育学教授となったアルミテージを研究協力者として、ハートリッブ・サークルだけではなく空位期のいろんな科学・技術・医学に関する活動をほぼ網羅的に扱う浩瀚な研究書『大革新』を著したのであった。
 その後、シュフィールド大学ではハートリッブ文書を全て利用可能にするプロジェクトが開始され、2万ページを越える草稿が1995年に2枚組のCD-ROM5)として出版された。また、1992年には、「平和、統一、繁栄:17世紀における学問の進歩」と称するシンポジウムがハートリッブ・プロジェクトのメンバーを中心に開かれ、その論集が『サミュエル・ハートリッブと普遍的改革:知的コミュニケーションの研究』6)として1994年に出版された。また、プロジェクトの中心人物のひとり、グリ−ングラスがハートリッブの日記の出版作業に取り組んでいる。7)
 この画期的なCD-ROMを活用した研究が徐々に出版されつつあるが、その一つが教育思想史研究者による本書『教育思想とデカルト哲学』である。
 ハートリッブ・サークルの中心人物の一人で、ボイルの親戚であったジョン・デュアリは、分裂した改革派教会の統合のためにヨーロッパ各地を巡り歩いたことで知られているが、実は、1634年から35年にかけての冬、オランダで、デカルトに会見している。その様子がハートリッブの日記に記されている。「デュアリは、デカルトと論じあい、3つの仮説だけでも同意するように望んだ。それらは、哲学における事物の確実性の諸原理が開示される、1運動、2物体、3距離。神学における、1神があること、2良心があること。そして事物の真理を探究する他の方法があること。他の言説上の真理は、他の伝承者から証言によって与えられる。聖書にはデュアリ博士が部分的にすでに明らかにした無謬のことがらが存在する。」(p.108) この引用で、まず注目すべきは、確実性の根拠として、神の存在の他に、人間の良心があげられていることである。我々は、神の存在と誠実さに依拠したデカルトのコギト・エルゴ・スム(我思う、故に我あり)にすっかり慣らされているが、17世紀において、人間の内なる道徳的次元たる良心(人間の中における神的要素と呼べる)に人間認識の確実性を求める思想があったことの意味は見過ごされてはならないだろう。逆に言えば、デカルトの認識論に神は出てくるが、道徳的次元は排除されており、デカルト以降に成立した近代の認識論の特質が浮き彫りになるのである。
 また、教育思想家として非常に有名なコメニウスは、ハートリッブに呼ばれて英国に9ヶ月滞在したあと、内戦の勃発した英国を避けスウェーデンに向かう途上、オランダのレイデン郊外にあるエンデヘースト城に隠棲していたデカルトと邂逅している(1642年7月)。後にコメニウスはその会談について次のように記した。「私たちはおよそ四時間会談した。彼が彼の哲学の秘密を私たちに詳述すれば、私は単なる感覚と理性によって得られる人間認識はすべて不完全で分裂し欠陥があると述べた。私たちは友好的に別れた。私たちは彼の哲学の原理の出版を請い(それはこの翌年に出版された)、彼も同様に私の研究を完成するように励ましてくれたが、その際、次の言葉を付け加えた。『私は哲学を越えていかない。ですから、私に残るのはあなたがあつかわれる全体の部分に過ぎません。』」 (p.200) この引用で、コメニウスは明示していないが、経験論と合理論の根拠たる「感覚と理性」という対に欠けているものとして『聖書』を別の箇所であげており、コメニウスの汎知学という大構想にとっても、デュアリの場合と同じく宗教的次元が基礎的だったことが伺えるのである。
 以上紹介したように、ハートリッブ・サークルの中心人物デュアリとコメニウスが、デカルトと現実に会って議論している。著者は、この事実を踏み台にして、三者の教育思想の関連と対比を描き出した。教育学や教育史には疎い評者には、彼の仕事を正確に位置づけることはできないが、これまで教育思想家として(たぶん)ほとんど体系的に研究されことのないデュアリとデカルトの教育思想は、評者にも十分面白いものであった。特に、デュアリに、コメニウスのもの8)とは区別される独自の体系的な教育思想があり、それを記した第3章は、現在一般的に教育に関心を持つものにも十分啓発的な内容を有するように思われた。1点だけ例を挙げよう。「対面座席」(学習者の椅子が固定され、すべて教壇の方を向いている。つまり、教師と学習者たる子どもが対面座席に位置する教室空間)は、通説では19世紀に始まる教室方式であったが、デュアリに20人という学級規模とともに明白に構想されていたのであった。しかも、フーコーやアリエスの影響を受けた教育史家は、「対面座席」に規律化の方向しか見出していないが、著者はデュアリのテキストの丁寧な読み解きにより、規律化への抵抗(「監視を回避」(p.302)する方向)を見出している。
 さて、化学史という視点からすると、ハートリッブ・サークルは別の相貌を見せる。よく知られている人物だけをあげても、ロバート・ボイル、エイレナエウス・フィラレテスの変名でボイルにもニュートンにも大きな影響を与えたジョージ・スターキー( George Starkey, 1628?-1665)は、ハートリッブ・サークルの内側に位置する化学者=錬金術師であったし、サークルにすぐ接しては、炉で有名なヨハン・ルドルフ・グラウバーとヘルモント息(フランシスクス・メルクリウス・ファン・ヘルモント)がいた。マイナーな人物まで広げれば、ボイルの初期の化学研究に大きな刺激を与えたベンジャミン・ウォースリー ( Benjamin Worthley, 1618-1677) とロバート・チャイルド、さらにハートリッブの娘と結婚したドイツ人フリードリッヒ・クロディウスは、ハートリッブ・サークルの内側にいたし、オランダで暮らし、コメニウスに由来するパンソフィー(汎知学)と創造の鍵としての錬金術にコミットした商人ヨハン・モリアンという人物は、オランダにおけるハートリッブ・サークルのエイジェントのような役目を果した。
 なお、モリアンについては、ヤングという若手の科学史家がハートリッブ・プロジェクトの中心人物グリーングラスの指導下、ハートリッブ文書のCD-ROMを十分に活用して、『信仰、医学的錬金術、自然哲学:改革派の通信員ヨハン・モリアンとハートリッブ・サークル』(1998) 9) という著作を出版した。ヤングの書物は、グラウバーをはじめとして、1647年から1650年までオランダに渡って大陸の発明家に関する情報を広く集めたウォースリー等、17世紀半ばから後半のオランダで活躍した化学者=錬金術師の活動を正確に知るには欠かせない情報を与えてくれるものとなっている。
 もちろん、こうした化学史的側面は、本書『教育思想とデカルト哲学』からは知ることができないが、教育思想史研究者に化学史プロパーの知見を求めることは筋違いであるし、またそれはむしろ化学史家に残された仕事であると言うべきであろう。
 科学革命期の思想というふうに枠を広げてみれば、この著作は、この時代の知の連関の、これまで見過ごされていたひとつのリンクを浮き彫りにすることに成功しており、別種の啓発が得られる極めて興味深い書物だと言うことができよう。最後に、章立てを紹介しておこう。 
 第1章 教育思想・デカルト哲学・歴史―本書の課題と方法
 第2章 教育思想の形成基盤としての啓発の共同体―ハートリブ・サークルとその周辺
 第3章 デュアリの教育思想における哲学的基盤―デュアリとデカルトとの邂逅をとおして
 第4章 コメニウスの教育思想における哲学的基盤―コメニウス-デカルト関係再考
 第5章 デカルト思想と17世紀教育思想

                       
1) Charles Webster, The Great Instauration: Science , Medicine and Reform 1626-60, London, 1975.
2) George Turnbull, Samuel Hartlib. A Sketch of his life and relations to J.A. Comenius, Oxford, 1920.
3) George Turnbull, Hartlib, Dury and Comenius ,London,1947.
4) H.R. Trevor-Roper ( Lord Dacre), ' Three foreigners and the philosophy of the English Revolution', Encounter, 14 (1960), 3-20.
5) The Hartlib Papers on CD-ROM, UMI, Ann Arbor, 1995。販売価格は約500ドル。
6) Mark Greengrass, Michael Leslie and Timothy Raylor (eds.), Samuel Hartlib & Universal Reformation: Studies in Intellectual Communication, Cambridge: Cambridge University Press,1994.
 この論集には、ウェブスター自身がウォースリーの発明家としての側面に焦点をあわせた論考を発表しているし、また現在プリンシーぺと並びボイル化学について最も新鮮な研究を行っているクレリクチオがウォースリーとボイルの関係について論考を寄せている。また、スターキーをいわば掘り起こす仕事を行なったと評すことのできる、William Newman, Gehemical Fire: The Lives of George Starkey, an American Alchemist in the Scientific Revolution, Cambridge,Mass.: Harvard University Press,1994 という本のいわば要約版のような論考も掲載されている。他にも、有名な哲学史家リチャード・ポプキンによる「ハートリッブ、デュアリとユダヤ人」という論考も収集されている。
 なお、評者自身、ハートリッブ・サークルをボイルとスピノザの間に位置づけ、ハートリッブ・サークルと千年王国論や親ユダヤ人主義の関連を探究した論文を発表している。吉本秀之「スピノザとボイル」『スピノザーナ』第3号(2001/02)pp.23-45.
7) 評者のこのまとめは、上の本の序(Mark Greengrass, Michael Leslie, Timothy Raylor3者の共同執筆)による。
8) コメニウスについては、教育学者を中心に「日本コメニウス研究会」という名の研究会が形成されており、『日本のコメニウス』という定期刊行物が発行されている。日本におけるコメニウス研究の厚みについては、井ノ口 淳三『コメニウス教育学の研究』ミネルヴァ書房、1998の序章「日本におけるコメニウス研究の成果と課題」を参照のこと。
9) John T.Young, Faith, Medical Alchemy and the Natural Philosophy: Johann Moriaen, reformed inteligencer and the Hartlib Circle, Ashgate,1998.
                                 (吉本秀之)

                        

最初のページ= HomePageに戻る。