2007年度大学院シラバス「ヨーロッパ歴史文化論 I 」(月・3):  オリエンタリズム再訪

授業の目標・内容・計画
 我々の歴史認識に根強く食い込んでいるオリエンタリズムの問題を取り上げます。
 おそらく、今この言葉を聞くと多くの方は、サイードのオリエンタリズム批判を想起されるでしょう。もちろん、サイードの議論は視野の片側に入れます。しかし、この授業では、サイードとはまったく別の流れで著述・出版された彌永信美氏の『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』(青土社、1987)を出発点として、まさに、西洋の東洋認識を追いかけようと思います。
 その西洋の東洋認識を引き継いだ、この日本におけるオリエンタリズムの問題も扱います。(日本のアジア認識の問題。)

 1年を通してこの課題に取り組みますが、前期のみの参加、後期のみの参加も問題ありません。

教材・参考書等
 教科書として、次の彌永信美氏の著作を指定します。できるだけ入手して読んでおいて下さい。
 彌永信美『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』青土社、1987;1996(新装版);ちくま学芸文庫、2分冊、2005

 オリエンタリズムを主テーマとする文献だけでも非常に数多くあります。文献リストは、授業のときにお渡ししますが、ここでは次の2点のみあげておきます。
 ヘーゲル『歴史哲学講義』(上)(下)長谷川宏訳、岩波文庫、1994
   内村鑑三『地人論』

  2008年度大学院シラバス「ヨーロッパ歴史文化論 I 」(月・3):オリエンタリズム再訪 授業の目標・内容・計画
 2007年度から引き続き、我々の歴史認識に根強く食い込んでいるオリエンタリズムの問題を取り上げます。

  2003.7.14  

 子安宣邦『「アジア」はどう語られてきたか:近代日本のオリエンタリズム』藤原書店、2003

2006.9.23  

  [オリエンタリズム]
 彌永信美氏の著作の書誌をあげておきます。
 彌永信美『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』青土社、1987;1996(新装版);ちくま学芸文庫、2分冊、2005
  目次は、次の通りです。
上巻
序 旅への誘い
1 最古の民・最果ての怪異
2 遍歴する賢者たち
3 秘教の解釈学
4 隠喩としての歴史
5 世の終りと帝国の興り
6 東の黎明・西の夕映え
7 終末のエルサレム
8 楽園の地理・インドの地理
9 秘境のキリスト教インド帝国
10 ―そして大海へ…
下巻
11 新世界の楽園
12 反キリストの星
13 追放の夜・法悦の夜
14 東洋の使徒と「理性的日本」の発見
15 天使教皇の夢
16 アレゴリーとしての「ジアパン島」
エピローグ 二つの「理性」と一つの真理
付論 “近代”世界と「東洋/西洋」世界観

2006.9.22  

  [オリエンタリズム]
 [『アラブ・イスラム研究誌』]のシリーズを3回まで記しましたが、もちろん、オリエンタリズムのことはずっと気になっていました。
 もともとは、私の扱ってきたテーマがオリエンタリズムOrientalism ということばの意味でした。すなわち、東方研究、あるいは東方学。私の扱っている時代においては、東方とはユダヤとイスラーム、ヘブライ語とアラビア語、が中心です。
 そう、でも、今の日本で「オリエンタリズム」といえば、この本来の意味ではなく、サイードが使った言葉の方が圧倒的でしょう。むしろ一部の学者を除き、「オリエンタリズム」はサイードの「オリエンタリズム」であって、もとの意味を想起される方はほとんどいないと思われます。それほどに、サイードの『オリエンタリズム』の影響は大きかった。
 政治的な正しさ、という意味では、サイードの主張はまったく正しい。
 でも、なにか、収まりの悪いものを私はずっと感じてきました。

 ということで、ウェブで色々検索をかけていると、彌永信美氏の「<近代>世界とオリエンタリズム」という文章に出会いました。
 これは、傑作! 抜群に面白い。

「<近代>世界とオリエンタリズム」のサイトに全文がアップされています。

 ということで、彌永信美氏の『幻想の東洋』も読んでみようとアマゾンにアクセスすると、3種類出版されたこの本、最近ではちくま学芸文庫で2005年に出たこの本が、品切れです。(上巻だけ、マーケットプレイスにあったが3500円という馬鹿高さ。)
 2005年出版だから、本屋さんをまわればまだまだおいてあるところはあるに違いないと踏んで、手始めにと東工大に行く前にいつもの駅前の本屋さんに寄ったら、あった、というのが上の日記です。
 「<近代>世界とオリエンタリズム」は、この文庫版に「付論」という形で全文再録されています。個人的には、この部分が一番面白いのですが、本文そのものもああ懐かしいなというものでした。

 →『アラブ・イスラム研究誌』を読んで、ポステルについてもっと知りたくなりました。たぶん、日本語でポステルをテーマに取り上げているものは多くはないだろう、かなり少ない、という予想がありました。なんと、『幻想の東洋』の第15章「天使教皇の夢」はまるまるポステルを主題とするものでした。彌永さんの書物において、ポステルの占める位置は非常に大きい。αとω、はじまりとおわり、と言えるほど大きい。

2006.9.24  

  [ポステル再訪]
 9月16日にごく簡単に紹介したギョーム・ポステル (Guillaume Postel, 1510-1581)ですが、彌永信美氏のずっと前に有名なフランス・ルネサンスの研究家、渡辺一夫氏が一章を設けていることがわかりました。
 初出は、1950年の岩波新書のようです。
渡辺一夫『フランスルネサンス断章』岩波新書、1950
 実物を見ていないので正確にはわかりませんが、岩波文庫でもほぼ同じ内容のものが出版されているようです。
 渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』岩波文庫、1992
 「ある東洋学者の話―ギヨーム・ポステルの場合」という章があります。
 (私の作成した所持本リストにはありませんが、もっていた記憶があります。この部屋と研究室を隈無く探せば出てくるはずです。)

 ウェブでは、このサイトのおなじみの平井浩氏のサイトと、大橋さんのサイト(2006年5月28日他)にポステルに関する言及があります。
 (ポステルの奇想は、小説家の想像力を刺激するのでしょう。ファンタジーノーベル大賞を受賞した方に、この奇想を利用した小説があるようです。)

 なお、基本的な研究は、平井さんがあげているセクレ氏(F. Secret)のポステル研究のようです。彌永信美氏の著作も、注と文献リストを見る限り原則セクレ氏の研究に依拠しているように見受けられます。
 『ポステル再訪』というのは、このセクレ氏が1998年に出版された本のタイトルです。たぶん、本格的にポステルに取り組むには、このセクレ氏の著作からはじめるのがよいのでしょう。
 なお、ガリカでは、重複を含み、20点の著作が検索にかかります。ちょっと見たかったDes merveilles du mondeはダウンロードできませんでしたが、残りはほぼ大丈夫なようです。

 私がとくに関心を引かれたのは、ポステルの次のような認識です。彌永さんの著作から引用します。
 「主イエスの所有の地はユダヤにあり、それゆえ地上の楽園はこの東方の地、すなわちユダヤと東方シリアの地にある。」(文庫、下、128頁)
 ヨーロッパの言語を基本的に読んでいる者はつい忘れがちですが、イエスは、ヨーロッパ人(西方人)ではなく、オリエント(東方)の者です。オリエントを仮にアジアということにすれば、アジア人です。
 光は東方より。
 そもそも、オクシデント-オリエント、西と東、という対(概念)がきわめてヨーロッパ中心主義的観点ですが、そのヨーロッパ中心主義的観点に従っても、トルコより東(簡単にはイスタンブール・コンスタンティノープルから東)は東方・オリエントです。
 すなわち、ユダヤ教のキリスト教もイスラームもともに、東方・オリエントに生まれている。キリスト教だけがラテン・ヨーロッパに広がり、そこを版図とするようになったという違いはありますが、起源・出自の点では、すべて東方・オリエント起源です。
 ですから、日本についての最初のまとまった報告をイエズス会を通して入手したポステルが、日本で崇拝されている「シアカ」(釈迦)を「イエス・キリスト」である、と断じたとしても、ヨーロッパ人のオリエントに関する夢の地理学(ユダヤの地も、インドの地も、中国も日本もオリエントということで現実の距離を知る-考えることなく、ひとつながりの、すぐに手の届く、すぐに足の運べる場所とイメージされる)を考慮すれば、あまりにも奇怪な説と見なくてすむようになります。
 オクシデント-オリエントというゆがんだ光学のなかで、ひとつのありえる説だと見ることができるようになります。
 彌永さんの著作からポステルの別の言葉を引用します。
 「・・・神は必然的に、東方から西方への向かう天の男性的・形相的・第1の運動に従って、唯一の家から全世界に、東方からはじめて主として西方へと、人類の発生を弘め給うたに相違ないのである。」(同、131頁)
 もちろん、この思想がポステルという特異的変異の思想家・宗教家にだけ見られるものであれば、そういうものとして片づけることができる。
 しかし、彌永さんが主張するとおり、近代の世界認識のなかに組み込まれている。
 彌永さんが引用するヘーゲルの『歴史哲学』を孫引きしよう。
「ヨーロッパが一般に旧世界の中心であり、また終局であって、そのかぎり絶対的に西方であるという点から見ると、アジアは絶対的に東方である。
 精神の光と、したがってまた世界史とはアジアにはじまった。」
 ヘーゲルは、ここから、精神の自由の進化を導出している。すなわち、唯一人が自由であった、いまでもある東洋→若干名が自由であったギリシャとローマ→すべてのものが自由であるゲルマンの世界。
 この社会進化は、絶対的に定位された東から西への「精神の光」と文明の移行とパラレルに生じるものと前提(!)されている。

 →そして、日本の思想家にも。彌永さんは、内村鑑三の見事なヘーゲル精神を引用しています。私がとくに関心を引かれたのは、内村鑑三の『地人論』(もと『地理学考』、すなわち人文地理の書物)の次の言葉です。
 チンカ(Zinke)博士の言葉をダーウィンが『人種進化論』で引用している部分を内村鑑三は引用して、「ヒマラヤ山の西麓、イラン高原の東端に始まりし文明は、西漸するに従いて発達し、西亜の理想はギリシアに熟し、ギリシアの理想は欧州において実行せられ、欧の粋と理想とは米において結果せり。」と言っています。
 人類の文明のイラン高原起源説がとられています。ダーウィンにこういう文章があるのを私は知りませんでした。またチンカ博士とは何ものかも知りません。しかし、非常に興味深い考え(Idea)です。
 この考え(Idea)には、ある種の文学者・詩人・思想家の想像力を大いに刺激する力があると思われます。
 (なお、内村鑑三は、ヘーゲルの歴史哲学を読んでいます。『地人論』参考書目に、ちゃんと、「ヘーゲル氏、歴史哲学」をあげており、文中にもヘーゲルの名前が明示されています。)
 →さて、この「チンカ(Zinke)博士」がどういう人物かわかる方、お教えいただければ幸いです。
 また、ダーウィンの『人種進化論』とは何なのかわかる方、お教えいただければありがたい。
 →本屋さんで、内村鑑三の『地人論』(中公バックス「日本の名著」所収)を見て、解決しました。"Zinke" は 正確には"Zincke" でした。そして、「ヒマラヤ山の西麓、イラン高原の東端に始まりし文明は、西漸するに従いて発達し、西亜の理想はギリシアに熟し、ギリシアの理想は欧州において実行せられ、欧の粋と理想とは米において結果せり。」は、内村鑑三自身の言葉でした。→この続きは、次。「人類は亜に合同を計って失敗し、欧に分離して、再び米において合せり。地理学の指摘するところ、心理学の予期するところ、歴史の経過せしところ、ことごとく相符合せざるはなし。」
 チンカ博士の引用は、その直前でした。
 これがわかれば、あとはだいたいわかります。ダーウィンの『人種進化論』は、予想通り、The Descent of Manでした。その第5章"On the development of the intellectual and moral faculties" に次の形で引用があります。
Looking to the distant future, I do not think that the Rev. Mr. Zincke takes an exaggerated view when he says:313(2) “All other series of events―as that which resulted in the culture of mind in Greece, and that which resulted in the empire of Rome―only appear to have purpose and value when viewed in connection with, or rather as subsidiary to... the great stream of Anglo-Saxon emigration to the west.”
313(2) は注の表記です。そして、その注には、
Last Winter in the United States, 1868, p. 29.
 とあります。「アメリカ合衆国昨年の冬」というのは、直前に引用されている NATURE または その前のMacmillan’s Magazineを指しているのでしょう。!→17.6.18 この部分、きになったので調べ直しました。これは著作名でした。Foster Barham Zincke, Last Winter in the United States, being Table Talk collected during a Tour through the late Southern Confederation, London, 1868 です。ダーウィンは、この形で引用をしています。チンカ博士は、ジャマイカに生まれ、オクスフォードを卒業し、Wherstead の副牧師に任命されています。旅行が好きで、世界各地を広く旅しています。1867年と68年はアメリカを旅してまわっています。そのときの記録が引用されている文献です。→今どきですから、グーグルブックスで実物をダウンロードして、p.29 を確認しました。その通りにありました。!

 内村鑑三の引用部分の訳は次の通り。
「ギリシア国における知能の発育、ローマ帝国の世界占領等、その他すべての歴史上の事実は、サクソン民族の西大陸移住と相関するものとして考うるにあらざれば、一の目的と価値をその中に見るあたわず。」(内村鑑三『地人論』中公バックス「日本の名著」1971, p.387)
 今訳すとすれば、次のような感じでしょうか。
 「古代ギリシャにおける知の発展、ローマの世界帝国等としてあらわれたその他すべての出来事の流れは、アングロ・サクソンの西方への大移住と関連して見るときにのみ、目的と価値を有すると言えよう。」
 

 ウェブで検索をかけてみると、関連するテーマの本は相当数あります。
工藤庸子『ヨーロッパ文明批判序説―植民地・共和国・オリエンタリズム』東京大学出版会、2003
デヴィッド キャナダイン(平田雅博、細川道久訳)『虚飾の帝国―オリエンタリズムからオーナメンタリズムへ』日本経済評論社、2004
ジョン・M. マッケンジー(平田 雅博訳)『大英帝国のオリエンタリズム―歴史・理論・諸芸術』ミネルヴァ書房、2001
ポール・A. コーエン(佐藤慎一訳)『知の帝国主義―オリエンタリズムと中国像』平凡社 、1988
フレッド ダルマイヤー(片岡幸彦訳)『オリエンタリズムを超えて―東洋と西洋の知的対決と融合への道』新評論、2001
青木保『逆光のオリエンタリズム』岩波書店、1998
ブライアン・S・ターナ( 樋口辰雄訳)『イスラム社会学とマルキシズム―オリエンタリズムの終焉―』第三書館、1983
姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』岩波書店、2002 
子安宣邦『「アジア」はどう語られてきたか :近代日本のオリエンタリズム 』藤原書店、2003

 子安さんの本はすぐにわかる場所に置いてあったので、すこし読んでみました。→子安さんは、日本思想史のなかではよい仕事をされていると思います。(授業で取り上げたこともあります。)しかし、このテーマでどうしてサイードに関する言及がないのか不思議です。(彌永さんにも言及がありません。)注を見る限り、そもそも欧米語の著作が1〜2点を除きあげられていません。誤解を招く表現かもしれませんが、「世界」を欠いている、と感じられます。

2006.9.27  
 今朝郵便受けに次の本が届いていました。昨夜、アマゾンのマーケットプレイスから届いたものでしょう。
 青木保『逆光のオリエンタリズム』岩波書店、1998
 帯に「アジアに急速に広がる「現代化」とは」とあります。変貌するアジアの都市、イスタンブール、コロンボ、香港、シンガポール、バンコク、ヌワヤ・エリヤ、クワラルンプールが取り上げられています。
 「イスタンブールの幻想」「オリエンタリズムとオクシデンタリズム」「ダージリンからクアラルンプールへ」という3章だけ読みました。オリエンタリズムの乱反射とでも表現できる事態を扱っています。

2006.9.29  


 ヘーゲル『歴史哲学講義』(上)(下)長谷川宏訳、岩波文庫、1994
 なるほど、これは噂通り、読みやすい訳です。まるでヘーゲルでないようです。

 問題の箇所をそのまま引用してみます。
 「世界史は東から西へとむかいます。ヨーロッパは文句なく世界史のおわりであり、アジアははじまりなのですから。東そのものはまったく相対的なものですが、世界史には絶対的な東が存在する。というのも、地球は球形だが、歴史はそのまわりを円をえがいて回るわけではなく、むしろ、特定の東を出発点とするからで、それがアジアです。外界の物体である太陽はアジアに昇り、西に沈みます。とともに、自己意識という内面の太陽もアジアに昇り、高度なかがやきを広く行きわたらせます。世界史は野放図な自然のままの意思を訓練して、普遍的で主体的な自由へといたらしめる過程です。東洋は過去から現在にいたるまで、ひとりが自由であることを認識するにすぎず、ギリシャとローマの世界は特定の人びとが自由だと認識し、ゲルマン世界は万人が自由であることを認識します。したがって、世界史に見られる第一の政治形態は専制政治であり、第二が民主制および貴族制、第三が君主制です。」(176頁。)
 むろん、文句なく、オリエンタリズムです。しかし、何という自信たっぷりで明朗・快活な講義ぶりでしょうか。理性のあゆみ、自由の発展としての世界史というヘーゲルの見方に思わず説得されそうになります。

2006.10.17  

 帰り着くと、アマゾンのマーケットプレイスより次の本が届いていました。
 樺山 紘一『異境の発見』東京大学出版会、1995
 さっそく読み始めました。私にはこういう本が必要でした。まず、先行研究が序の部分できちんと明示されています。
 サイードの『オリエンタリズム』(平凡社、1986)と彌永信美氏の『幻想の東洋』(青土社、1987)と阿部謹也氏の『中世賤民の宇宙』(筑摩書房、1987)の3点です。
 テーマをひとつにしぼっています。ひとつの文明が別の文明をどのように「発見」(認識)するのか、いかなる像をもつのか? ということです。いわゆる「他者認識」という点に問題をしぼっています。  

 帰宅前に駅前で、おもしろ地理学会『世界で一番おもしろい地図帳』(青春出版社、2005)を買って帰りました。世界史の哲学の再検討のためには、地理の知識のサーベイが必要になったからです。

  [東か西か? ii]
 この書物に、「トルコはアジア? それともヨーロッパ?」という節があります。私の言葉に直せば、「トルコは、東か西か? 」もちろん、トルコは地理的にはアジアに参入されます。ただし、国土の3%はヨーロッパ側にあります。
 そして、ワールドカップのときに話題になりましたが、予選は、アジア地区ではなく、ヨーロッパ予選に参加しています。すなわち、FIFA の区分では、ヨーロッパということになります。
 そして、イスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)は、東ローマ帝国の首府でした。

 そうです。ヨーロッパのオリエント認識を問題にするとき、まず、ひっかかるのは、東ローマ帝国の存在です。日本では、「ビザンティン帝国」「ビザンツ帝国」とも呼ばれる「東ローマ帝国」です。
 ヨーロッパの東方認識において、「東ローマ帝国」が奇妙に影の薄い存在とされています。もっと強い言葉で表現すれば、奇妙に軽視されています。
 ここから、ヨーロッパのオリエント認識の問題が始まる、と言ってよいでしょう。
 →ヨーロッパにとっての、内なる東、内なるアジア、内なる異邦、という観点も考慮する必要があります。

2006.10.21  

 夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
 エドワード・W.サイード『オリエンタリズム』上下、板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳、平凡社ライブラリー、1993。
 上下2冊の文庫版です。もとの単行本(平凡社、1986)も持っていますが、来年度の授業で使おうと思い、文庫版も入手しておきました。

2006.10.22  

 昨日届いた文庫版のサイード『オリエンタリズム』ですが、次の3点のあとがきを読みました。
 杉田英明「『オリエンタリズム』と私たち」『オリエンタリズム』下、pp.343-377
 杉田英明「平凡社ライブラリー版補論―『オリエンタリズム』の波紋」下、pp.378-387
 今沢紀子「訳者あとがき」『オリエンタリズム』下、pp.388-395
 杉田氏の解説論考はとてもよくわかります。文献もしっかり紹介されているので、この先を勉強するのにうってつけです。
 →06.10.23 研究室で単行本を確かめました。同じ箇所に線を引いています。まあ、おそらく、そうなるでしょう。

2007.5.7  

Alexander Lyon Macfie (ed.),
Orientalism: A Reader
New York University Press, 2000

 2番目のものは、英語圏でよく出されているオリエンタリズムに関する大学生向きの読本です。目次は、紀伊國屋書店のサイトに掲載されています。
 第1部は、ジェイムズ・ミル、ヘーゲル、マルクス、第3部は、ニーチェ、グラムシ、フーコー、そして第6部は全部サイード、第13部は「オリエンタリズム再考」としてまたサイード、という感じです。基本からはじまり、学説史をフォローし、というよくできた読本となっています。

2007.11.2  

 ネットの古書店に注文した次の本が届きました。

阿部良雄(監修)
『オリエンタリズムの絵画と写真』
 編集:ツァイト・フォト、 発行:中日新聞社、富士カントリー株式会社、c1989
 その主旨説明の文章がたいへんよくできています。そのまま引用してみます。
 「オリエンタリズム(東方趣味)とは、西欧人が中近東のイスラム世界に対してロマン派的な憧れを抱くという精神の傾向と、その結果生まれた芸術作品とを総称して呼ぶ言葉である。とりわけ19世紀になると、ナポレオンのエジプト遠征をきっかけにして熱狂的な中近東ブームが広まり、美術の世界でもアカデミーの作家たちを中心にオリエンタリズムの絵画が数多く描かれるようになる。それは同時代のジャポニスムとともに西欧人の世界認識を拡大する役目を果たしたが、その拡大はあくまで西欧的思考の枠組みの内部での出来事であり、中近東を植民地化せんとする西洋列強諸国の思惑と不可分のものであった。」
 ところで、フランスから見て、イスラム世界はどこにあったか? アフリカの北(マグレブ)から中近東にかけての地中海世界の南側です。
 つまり、海の南のオリエント。
 オリエントは、必ずしも地理的なオリエント(東)に対応していません。
 オリエンタリズムの探究には、この点をおさえておくことがとても重要なこととなります。

2008.2.10  

 帰宅すると次の本が届いていました。
浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集
 『GS・たのしい知識 3号 特集=千のアジア』
冬樹社 、1986

 特集に関わる目次は次の通りです。

松枝到「外のアジアへ、複数のアジアへ」
柄谷行人×浅田彰「〈オリエンタリズム〉をめぐって」
エドワード・サイード「オリエンタリズム 序説」(板垣雄三訳)
丹生谷貴志「歴史の〈外部〉」
笠井潔「〈オリエンタリズム〉とライダー・ハガード」
ドナルド・F・ラック「キャセイ:ヨーロッパの鏡,解釈の織り布」(高山宏訳)
高山宏「〈アジア〉フェイクロア」
山口幸夫「上海:二つの通りから」
エレーヌ・ラロッシュ「なぜ〈マカオ或いは差異に賭ける〉なのか?」(鈴木圭介訳)
イェルジー・ヴォイトヴィッチ「我々の街の過去と現在の記憶」(鈴木圭介訳)
村松伸「天安門にゴジラが出没する日」
島尾伸三+潮田登久子「繪圖増注朱子政治家格言」
「上海之騙術世界」(郭中端編注)
久保キリコ「シンガポール絵日記」
エリック・アリエーズ+ミシェル・フェエール「ソフィスティケーテッド・シティ」(浅田彰・市田良彦訳)
朝吹亮二「詩的東洋:I.Y.への手紙」
松浦寿夫「東紅」
藤井省三「魯迅における「白心」の思想:エーデンの童話と蕗谷虹児の抒情画」
西澤治彦「飲茶の話」
杉山太郎「中国映画『舞台姉妹』のシネマツルギ」 
国吉和子「功夫映画:「見せる武術」の装置」 
市田良彦「毛沢東の戦争論」 
生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」 
荒俣宏「環太平洋ユートピア構想ノート─あるいは大東亜共栄圏の不可能性」 
伊藤俊治「バリBALI 神々と遊ぶ、神々と死ぬ(南島論1)」
管洋志「バリ」 
小沢秋広「アルトー・バリ島演劇・メキシコ‐アジアを通って」 
岩瀬彰「「洗礼」の変容」 
浅田彰+四方田犬彦「ナムジュン・パイクへの質問」 
金両基+四方田犬彦「ハングルの世界」 
植垣外憲一「ハングル論」
李康列「マダン劇小考:仮面劇の現代的伝承のために」 
催仁浩「訪日エッセイ」 
関川夏央「ソウルの復習問題」 
四方田犬彦「タルチェムからマダン劇へ」 

2008.2.16  

  [オリエンタリズム再訪(継続)]
 外語の大学院では、2008年度も「オリエンタリズム再訪」を継続します。日本語の文献は、できる限り網羅的に収集しておきたいと思います。

 雑誌の特集
 まず、雑誌の特集を気付いた範囲で挙げます。

 『GS 3号 千のアジア』(冬樹社 、1986 )

『現代思想 1989年12月、特集:イスラーム―オリエンタリズムと現代』(青土社、1989年)

 『現代思想 1995年3月、特集:サイード―オリエンタリズム以後』(青土社、1995年)

 『早稲田文学 (第8次)』通号132号、特集:オリエンタリズム/おりえんたりずむ、(1987年5月)

 『季刊へるめす 第11号』(岩波書店、1987年6月)

 『大航海 1996年11月号 特集:オリエンタリズム再考』(新書館、1996)

 サイードの『オリエンタリズム』(平凡社、1986)に関する書評は数多くあるようです。これを集めきれるかどうかはわかりません。

 →こうしてみると、GSの特集は、サイード『オリエンタリズム』邦訳出版の年ですから、はやいと言えます。『早稲田文学』と『ヘルメス』がそれに次ぐ(翌年)ということでしょうか。

 わかる範囲で、『現代思想 1995年3月、特集:サイード―オリエンタリズム以後』の目次を採ってみます。

Edward W.Said; Jennifer Wicke; Michael Sprinker「インタヴュー」pp.72-109

Edward W. Said(黒田美代子訳)「他のアラブ・ムスリムたち」pp.110-132

大橋洋一「マッピング・サイ-ド--その方法と批評」pp.133-144

臼杵陽「方法としての<パレスチナ>--エドワ-ド・サイ-ドにとってのエルサレム・カイロ」pp.145-158

富山太佳夫「錯覚」pp.159-161

姜尚中「東洋(オリエント)の発見とオリエンタリズム」pp.162-172

崎山政毅「<自由な祖国>と<死>の間隙から:「向う側」の反乱についてのある歴史」pp.284-302

Homi K. Bhabha(谷真澄訳)「ポスト・コロニアルとポスト・モダン」pp.258-283

Bhikhu Parekh; Homi K. Bhabha(盛田良治訳)「アイデンティティのオン・パレ-ド」pp.304-311

鈴木規夫「眠れぬ<エウロペ>:フィロロジ-・<記憶殺し>・イスラ-ム」pp.323-337

2008.2.18  

片づけをしつつ、捜し物。オリエンタリズムを特集する雑誌を探します。
 もしかしたらほんとうは持っているのかもしれませんが、見つかったのは、『大航海』の1996年11月号のみ。『現代思想』の特集は見つかりませんでした。  昼食後図書館に赴いて、次の2点の論考をコピーしました。

今沢紀子
「オリエンタリズムをめぐる批判」
『東方学』通号73(1987): 199-210

臼杵陽
「オリエンタリズムと地域研究:サイードの逝去に寄せて」
『地域研究』6(1)(2004): 153-164

 家に帰って、いっぷくしたあと、両方読みました。なんと『東方学』は、旧字です。雑誌名も正確には、『東方學』です。びっくり。
 今澤さんのレビューは、有用です。サイード以前では、3点(A.L. Tibawi, "English-Speaking Orientalists: A Critique of Their Approach to Islam and Arab Nationalism, Part I", Islamic Quarterly 8, nos.1,2(1964): 24-44; "part II", 8, nos.3,4(1964): 73-88. ; Anwar Abdel Malek, "Orientalism in Crisis", Diogeness 44(1963): 107-108. ; Bryan S. Turner,Marx and the Orientalism , London, 1978: 邦訳、ブライアン・ターナー『イスラム社会とマルキシズム―オリエンタリズムの終焉』第3書館、1983)、サイード以降では、バーナード・ルイスとベンジャミン・シュウォルツを取り上げています。

 臼杵陽さんのレビューは、矢野暢氏の論考をたたき台にしています。
 矢野暢「地域研究とは何か」『講座 現代の地域研究 (1)地域研究の手法』(弘文堂、1993),pp.1-21
 矢野暢「世界単位とは何か」『講座 現代の地域研究 (2)世界単位論』(弘文堂、1994),pp.3-23
 矢野暢「新しい世界観の条件―「発明主義」の超克を求めて」『講座 現代の地域研究 (2)世界単位論』(弘文堂、1994),pp.283-310

2008.2.19  

 おやつの時間までに、昨日カバンに入れて、読み始めていた羽田正(はねだまさし)氏の『東インド会社とアジアの海』(講談社、2007)を読了しました。前にも記しましたが、これはよい本です。

 読み終わる直前に、古書店から、次の2冊が届きました。

 『季刊へるめす 第11号』(岩波書店、1987年6月)

 『現代思想 1995年3月、特集:サイード―オリエンタリズム以後』(青土社、1995年)

2008.2.22  

  [『交錯するアジア』]
 一昨日に偶然研究室で見つけて読み始めた、『交錯するアジア』(東京大学出版会、1993)がとてもおもしろい。
 どれも勉強になるのですが、私の観点にとっては、次のものが重要です。

 鳥井裕美子「近世日本のアジア認識」pp.219-252

 日本のアジア認識が、西洋のアジア認識を吸収したものであることが、具体的に論じられています。オリエンタリズムという用語を使えば、すでに近世の地理書において、日本はヨーロッパ起源のオリエンタリズム的視線によって亜細亜を見ていた、と言えます。
 また、アメリカの地域研究が植民地経営のための政策科学に由来するとすれば、地域研究の前身たるヨーロッパの地理学が植民地主義的視線を内在させており、それを導入した日本近世も現実に植民地化に乗り出すずっと前から植民地主義的視線でアジアを見ていたということができます。
 厳しい言い方になりますが、福澤諭吉流の「脱亜論」も岡倉天心流の「アジア主義(アジアはひとつ)」にせよ、ともにオリエンタリズムのアジアでしかなかったと評さざるを得ません。問題点は幾重にも折り重なっています。
 そして、この問題は、けっして過去のものになってはいません。

 鳥井さんの論点紹介に戻ろう。
 東南アジアに関しては、「豊富な資源と愚民」という認識であった。「日本人にとって東南アジア諸国は植民地化された哀れな存在でしかなく、興味の対象は天然資源にあったのである。日本と東南アジアの距離は、ヨーロッパと東南アジアの距離に等しかった。幕末に佐藤深淵・帆足万里・吉田松陰らがルソン、ミンダナオ、ジャワ等の攻略を論じ、南方進出を図った土台は、十分に用意されていた」(249頁)。

 中国、朝鮮という東アジアに関しては、もうすこし複雑ですが、西洋近代科学(とくに、医学、天文学、地理学、暦学)の摂取(蘭学)によって、中国のそれが「西洋ホド精密ナルハ」ないという劣位に置かれ、西洋の進んだ学術を摂取した日本が中国に優位に立つものと認識された。「自然科学上の西洋優位認識に地理認識が加わって「中華」は支那に変貌した」(244頁)。「中国・朝鮮に対する優越意識、とくに中国へのそれは一八世紀後半以降、自然科学分野で、また地理書の記述にも明確化されてくる」(246頁)。

 その地理書ですが、江戸初期から幕末までに、二百数十冊刊行されたということです。
 とくによく利用されたヨーロッパの地理書(地理学的知識を含む、地理学書、地図、地誌、地名辞典、奇談、漂流記等々)としては、次のものがあったということです。

 利瑪賓(マテオ・リッチ)『坤輿万国全図』(1602)

 艾儒略(字は思及)『職方外紀』(1623) ジュリオ・アレニ Giulio Aleni

 ヒュブネル(Johan Hübner)『ゼオガラヒー』Algemeene Geographie of beschrijving des geheelen Aardrijks, 1769

 ヒュブネル『コウラントトルコ』Hubner, Johan (1668-1731), De nieuwe, vermeerderde en verbeterde kouranten-tolk, of Zakelyk, historische- en staatkundig woordenboek,1748

 プリンセン『地理学教科書』P.J. Prinsen, Geographische oefeningen; of leerboek der aardrijkskunde, met XX genommerde kaarten, naar de nieuwste ontdekkingen en volgens de tegenwoordige verdeling der landen, opgemaakt uit de eerste schriften en nieuwste landkaarten.,1817

 魏源『海国図志』(1847)

 日本のものは、次のような書物。

 『万国新話』

 『安南紀略藁』

 『亜細亜諸島誌』

 『阿媽港紀略藁』

 『印度志』

 『百児西亜志』

 『南海紀聞』

 西川如見『増補 華夷通商考』(1708)

 新井白石『采覧異言』(1713序)

 山村昌永『訂正増補 采覧異言』(1803年成立)

 箕作省吾『坤輿図識』『坤輿図識補』

 杉田玄端訳『地学正宗』

 体系的に調査したわけではありませんが、このあたりの和書(&日本に関する書物)について、もっとも充実したサイトは、 京都外国語大学の世界の美本ギャラリーのようです。 http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/galfra6.htm
世界の古聖書と宗教関係書
世界の文学と民話
世界の古刊地図と探検
ニッポナリア
貴重書デジタルアーカイブ
世界の古辞書・古事典
我が国の対外交渉史料
世界を変えた理論

2008.2.23  

 昨日の続きで、ウェブで検索をかけていると、2007年東大の日本史入試問題が出てきました。へー3つ。おもしろいのでそのまま引用します。

【3】次の(1)〜(4)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 平賀源内は、各地の薬草や鉱物を一堂に展示する物産会を催し、展示品360種の解説を集めた『物類品隲』を1763年に刊行した。
(2) 杉田玄白・前野良沢らは、西洋解剖書の原書を直接理解する必要性を感じ、医学・語学の知識を動員して、蘭書『ターヘル・アナトミア』の翻訳をすすめた。そして1774年にその成果を『解体新書』として刊行した。
(3) ドイツ人ヒュプネル(ヒュブネル)の世界地理書をオランダ語訳した『ゼオガラヒー』は、18世紀に日本にもたらされ、朽木昌綱の『泰西輿地図説』(1789年刊)など、世界地理に関する著作の主要材料として利用された。
(4) 本居宣長は、日本古来の姿を明らかにしたいと考え、『古事記』の読解に取り組んだ。古語の用例を集めて文章の意味を推定する作業をくり返しつつ、30年以上の年月をかけて注釈書『古事記伝』を1789年に完成させた。

設問
18世紀後半に学問はどのような発展をとげたか。研究の方法に共通する特徴にふれながら、5行(150字)以内で述べなさい。


 これは、良い問題です。たぶん、誰にとっても一読では回答が思い浮かばないでしょう。設問を繰り返し読み、自分の知識と照らしあわせ、考える作業が必要になります。これを大学院の入試で採用したいと思う大学教師はすくなくないでしょう。

 ちなみに、ウェブには、駿台予備校の模範解答があります。やはり引用してみましょう。

「江戸初期以来の朱子学の実証的・合理的研究の蓄積は、18世紀後半の諸学問発展の前提となった。薬草研究などを本草学として発展させ、また、医学・地理学など西洋知識を受容して洋学を興隆させる素地となった。一方、契沖らの実証的古典研究を前提に、本居宣長は儒仏など外来思想を排して民族精神を究明する国学を大成した。」

 私は、大学受験の日本史を勉強したことがありません。ですから、受験の日本史の世界はわかりません。受験の日本史だとこの回答例でよいのかもしれませんが、やはり不満です。出題者の方には、ここで私が記しているのと似た問題関心があったと思われます。(「オリエンタリズム」的関心の所在を回答者の受験生には期待していないと思いますが、出題者の意識にはあったはずです。ヨーロッパにおける科学・学問の展開も清朝における展開も出題者の念頭にはあったはずです。
 150字で書き尽くすことはできませんが、それ以前の学問との差異についても、せめて模範答案では触れて欲しいところです。)

 そして、我等の山田博士の16世紀研究会における報告「北東航路というモチーフ−地理学史(3)」(2002.7.11)もあります。山田博士は、私の研究(1990)も引用してくれています。関係するところを1行だけ引用しておきましょう。

「クラシェニンニコフ『カムチャッカ誌』(1755) [露語]→英訳本(1764)→ヒュブネル『ゼオガラヒ』(3版, 1761-66) [独語]→蘭訳本(1769)→前野良沢「束察加(カムサッカ)志」 (1791, 寛政3 記)」

2010.8.28(土)  

 夕刻、次の本がアマゾンより届きました。

ウィリアム・J. ブースマ
『ギヨーム・ポステル:異貌のルネサンス人の生涯と思想』
長谷川光明訳、 法政大学出版局、(叢書・ウニベルシタス)、2010
 ポステルについてのモノグラフを日本語で読めるとは思ってもいませんでした。

 →10.8.29 訳者あとがきの冒頭を引用してみましょう。「本書は異貌のルネサンス人ギヨーム・ポステルの生涯と思想の全貌を包括的体系的に論じた唯一の研究書である。」続けて、「著者のウィリアム・J・ブースマは、1924年ミシガン州アナーバーに生まれ、1950年ハーバード大学で博士号を取得、1957年から1991年まで、カリフォルニア大学バークレー校史学部教授として14世紀から17世紀のヨーロッパ文化史を担当しつつ、アメリカ歴史協会会長、イタリア歴史学会会長、アメリカ芸術科学アカデミー特別会員、アメリカ哲学協会特別会員を歴任した。2004年3月死去。」

 この本は「モノグラフの模範」と呼べるぐらいよくできた書物だということです。しかし、ブースマはこの本のあと、関心を移し、ポステル研究そのものは、とくにフランソワ・スクレに受け継がれたとあります。(他に、マリオン・クンツ。)

 日本人のポステル研究にも触れています。おそらく最初は、渡辺一夫「ある東洋学者の話 ギヨーム・ポステルの場合」。そして、このサイトでも絶賛した彌永信美『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』(青土社、1987;1996(新装版);ちくま学芸文庫、2分冊、2005)、そして岸野久『西欧人の日本発見―ザビエル来日前日本情報の研究』(吉川弘文館、1989)。3番目の岸野久氏のものは知りませんでした。早速オーダーしました。(彌永信美氏も岸野久氏も残念ながら、ブースマ氏のこの本を読まれていないようだとあります。うーん。)

 他に、故岡部雄三氏の『ヤコブ・ベーメと神智学』が岩波書店から今年の春出版されていることを知りました。これも買わざるを得ないでしょう。早速発注しました。

 訳者の長谷川光明(はせがわみつあき)氏もポステルを専門としているとあります。2002年都立大学で博士論文『ギヨーム・ポステル「世界の驚異」(1553)研究―東西インドの発見と万物復元』を書き上げられています。貴重な仕事だと思われます。

 ウェブで検索したところ、長谷川光明氏の論文としては、次の2点のみがヒットしました。

 長谷川光明「十七世紀後期フランスにおけるヒンズー教の表象-フランソワ・ベルニエを中心に」『(首都大学東京)人文学報』第285巻,1997-03-03, pp.61-86

 長谷川光明「ユマニストたちのオスマントルコ遍歴」『(東京都立大学人文学部)人文学報』第355号、2004-03, pp.111-134

 ウェブには、博士論文の審査概要があります。的確に整理されていて、非常にわかりやすい文章です。「仏文専攻専任教員一同は、全員一致にて」博士号授与に賛同した、とあります。思想史の仕事ですが、ちょっと雰囲気が違うなと感じたわけがわかりました。仏文の出身だったからです。訳者あとがきの最後のパラグラフの冒頭「なお、訳者はポステルを研究テーマのひとつに選んだ者ではあるが、英語やラテン語の専門家ではない」という不思議なコメントは、〈自分は仏文学出身だ〉というふうに読み解けば、理解はできます。また、この博士論文がスクレにもっとも多くを負うことも概要を読むとわかります。  

 ともあれ、訳者の長谷川光明氏は、日本でただひとりのポステル研究者です。(もちろんこう言い切ってしまうには若干の危険がありますが、博士論文まで書かれた方としてはただひとりだと見ておいてよいでしょう。)出版物を期待します。

2014.5.19(月)  

 帰宅すると次の本が届いていました。
 竹沢尚一郎『人類学的思考の歴史』世界思想社、2007
 目次は次です。
 第1章 進化論人類学―近代人類学の出発点
 第2章 機能主義人類学の成立―フィールドワークと理論化
 第3章 機能主義人類学の展開―妖術信仰の理論と実践
 第4章 構造主義人類学の先駆―フランス社会学派の貢献
 第5章 構造主義とその超克―レヴィ=ストロースとブルデュー
 第6章 象徴人類学の成果―社会と宗教を貫く論理
 第7章 文化人類学の誕生―「文化」概念と文化人類学の成型
 第8章 文化相対主義と解釈人類学―ギアツから実験民族誌へ
 第9章 文化批判と人類学―オリエンタリズム批判以降の人類学
 第10章 世界システム論と人類学―ふたたび民族誌へ

 p.4 に次の表があります。
 1871 モーガン『人類の血縁と婚族の諸体系』:タイラー『原始文化』
 1922 マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』;ラドクリフ=ブラウン『アンダマン諸島民』
 1958 レヴィ=ストロース『構造人類学』
 1973 ギアツ『文化の解釈』
 1986 クリフォードとマーカス(編)『文化を書く』
 ともあれ、文化人類学は19世紀後半の成立だと言えます。竹沢さんは、人類学150年の歴史という表現をされています。

 2016.6.13(月)  

 研究室で片づけを開始しました。机の下においていた本のつまった段ボール箱を動かしました。ついで、部屋の奥のスペース(窓際)においてある書類を処理。もう保管しておく必要はありません。外のゴミ捨て場に捨てました。
 おかげで、捜していた本を何冊か発掘しました。
 『百科事典と博物図譜の饗宴:百学連環』印刷博物館、2007
 阿部良雄(監修)『オリエンタリズムの絵画と写真』編集:ツァイト・フォト、 発行:中日新聞社、富士カントリー株式会社、c1989

『オリエンタリズムの絵画と写真』は、展覧会の図録(271×226mm、248ページ、カラー作品図版194点)です。解説記事には次の4点が収められています。
 阿部良雄「オリエンタリズムとアカデミー絵画」
 酒井忠康「遅れてきたロマン主義者−ギュスターヴ・ドレ」 
 伊藤俊治「中心の神秘−写真のオリエンタリズム」 
 石原悦郎「日本の写真家によるオリエンタリズム検証」
 今回読み直しました。  研究室にいる間に次の論文をダウンロードし、プリントアウトし、読みました。
 槙野佳奈子「パノラマ・ディオラマ・ダゲレオタイプ : 誕生の背景と写真史における位置づけ」『(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻)年報 地域文化研究』第19号( 2015年): 118-136
 ダゲールの手がけた、パノラマとディオラマについて、正確な説明があります。また、パノラマとディオラマで描かれた風景、とくにオリエンタリズム(ここでは、エジプトを指します)の風景についてもまとまった記述があります。若い研究者が重要なテーマに出会っているのがわかります。ただし、ダゲレオタイプ開発との繋がりの考察は弱い。そこはもうすこし粘り強く取り組んでもらいたいと思います。

2017.6.12(月)  

 研究室に荷物をおいて、メールのチェックをしてから、図書館へ。1冊返し、2冊借りました。稲賀繁美『絵画の東方 : オリエンタリズムからジャポニスムへ』(名古屋大学出版会、1999)と稲賀繁美『絵画の臨界 : 近代東アジア美術史の桎梏と命運』(名古屋大学出版会、2014)。稲賀さんの本から、日本の遠近法に関する章をまず読みました。わかりやすいまとめとなっています。

2017.6.14(水)  

 少し前から、オリエンタリズム関係の書物を探しています。苦労して部屋のなかから次のものを見つけだしました。
 阿部良雄(監修)『オリエンタリズムの絵画と写真』(編集:ツァイト・フォト、 発行:中日新聞社、富士カントリー株式会社、c1989)
 このカタログの最後に、きちんとした文献リストがあります。すっかり忘れていましたが、GS3号がオリエンタリズムの特集をしています。
 研究室にあるはずです。他の作業をしながら、探すことにしました。
 本棚を探しているときに『幕末の蘭学』が目に止まりました。取り出して、次の論文を読みました。
 原正敏「画学」中山茂編『幕末の蘭学』(ミネルヴァ書房、1984): 205-223
 読み終わった頃、授業でオリエンタリズムを取りあげたとき、関係する資料をまとめていたことを思い出しました。およそどのあたりに置いたのかも思い出しました。
 積み重なっている地層を掘り起こすのにすこし手間取りましたが、見つかりました。
 GS3号(1985)、特集「千のアジア」
 全部は読んでいませんが、線を引いて読んだものもありました。すっかり忘れていました。一度一箇所に集めたものがばらけています。『現代思想』の特集もあったはずですが、見当たりません。
 本棚の上の方に、彌永信美『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』(青土社、1987)があるのは、前から知っていました。取り出すのが難しいので手をつけていなかったのですが、まわりの荷物をどかして、地層が崩壊しないよう気をつけつつ、取り出しました。
 文庫版『幻想の東洋』の下巻を繰っていると、私が探している本のタイトルがありました。(本のタイトルを思い出すことができなかったので、辿り着くまでに、相当の迂路を経ました。)
 岸野久『西欧人の日本発見―ザビエル来日前日本情報の研究』吉川弘文館、1989
 ここまで来れば、初期の調査としては十分です。
 根占さんの次の論文もヒットしました。
 根占献一「ニッコロ・デ・コンティの旅とトスカネッリの地図およびポッジョの『再認されたインディア』」『地中海研究所紀要』3(2005): 91-109

 帰宅してから、根占献一さんの論文を読みました。地中海研究所というのは、早稲田にあるようです。

 岸野久さんには次の本があります。
 岸野久『ザビエルと日本 : キリシタン開教期の研究』吉川弘文館, 1998
 岸野久『ザビエルの同伴者アンジロー : 戦国時代の国際人』吉川弘文館, 2001
 岸野久『西欧人の日本発見 : ザビエル来日前日本情報の研究』吉川弘文館, 1989
 編著には次。
 岸野久, 村井早苗編『キリシタン史の新発見』雄山閣出版, 1996
 他に関係するものとして。
 ザビエル生誕500年記念シンポジウム委員会, 鹿児島純心女子大学編『ザビエルの拓いた道 :  日本発見、司祭育成、そして魂の救い 』 南方新社, 2008
 高瀬弘一郎訳・注『イエズス会と日本』岩波書店, 1981(大航海時代叢書 / 生田滋 [ほか] 編 ; 第2期 6-7)