- 2005.8.31
[オルデンブルグの蔵書目録 ]
ウェブで検索をかけていると、次の論文に出会いました。
Noel Malcolm, "The Library of Henry Oldenburg", eBLJ 2005, Article 7
現存する3種類の「ヘンリー・オルデンブルグの蔵書目録」から、オルデンブルグ自身の知的関心の地図を描こうという試みです。私には有用な情報が満載でした。
(冊数は全部で331冊。フックの蔵書の3380冊と比べると約10分の1です。ただし、この時代の知識人は、そしてとくにオルデンブルグは、本屋さんで本を購入もしていますが、かなりの割合物々交換で本を入手しています。つまり、ある本を入手するために手元の本を対価として送っています。ですから、一度は入手した本はもっと数多くあります。彼が手元に残さず、別の本を入手するために使い切ったものとしては、彼自身が行った多くの翻訳書、ジョン・ウォリス、ウィリアム・ペティ、ネヘミア・グルーの著作があります。)
一般的にも関心を引くであろう例を挙げてみましょう。
オルデンブルグの購入した最も高価な著作は、あのキルヒャーの『地下世界』です。2ポンド10シリングの値段がついています。(王立協会事務局長として彼は年40ポンドをもらっています。フックのついた王立協会実験主事は、年80ポンド。年100ポンドあれば何とか生活はできたようです。)ちなみに、キルヒャーの『磁石論』は8シリング、ギルバートの『磁石論』は4シリング、デカルトの『哲学原理』は6シリング、デカルトの『人間論』が3シリングです。なお、オルデンブルグの死後、オークションでオルデンブルグが2ポンド10シリングで買ったキルヒャーを入手したのは、アンソニー・ケアリー(fifth Viscount Falkland) です。ケアリーは、同時に、『デカルト書簡集』、フォリヌス『代数学』、ノストラダムス『予言』、ウィルキンズ『実在文字と哲学言語にむけてのエッセイ』を購入しています。
私が最近フォローしているベイコンについては、『森の森』(1631年の版、または1635年の版)と『遺稿集』(1658)の2冊を所蔵しています。オルデンブルグの知的情熱は、ベイコンではなく、デカルトの方に向かっています。(デカルト主義の著作をよく集めている。)
- 2005.9.1
[ルネサンスにさようなら ]
昨日の「ヘンリー・オルデンブルグの蔵書目録」ですが、私の研究している内容と重なる(要するにボイルと共通する点が多い)ので、もうすこし紹介します。
Noel Malcolmは、オルデンブルグの蔵書目録にない(欠如の表)ものを列挙しています。
1.同時代の文学
2.法律関係
3.古典
4.ルネサンスの人文主義
5.教父
6.聖書研究
7.教会史と聖書年代記
今回注目したいのは、3.と4.です。3.古典に関しては、ユエ(Huet) に送ってもらった2点のみです。4.ルネサンスの人文主義者の著作に関しては、ベックマヌス、ユニウス、ノーデ、オッコ、デ・ヴァロワ&ヴァゲンザイル、ヴォシウスだけを持っています。当時学者/知識人(learned men)と呼ばれる人であれば、もちろん相当数の著作をもっていました。
パトロンでもある、友人でもあるボイルの場合よりずっとはっきりしています。ボイルは、途中から、アリストテレス、ガレノス等のギリシャ古典に遡って直接自分で読むようになっています。(どこまで広く読んだのかはわかりませんが、それほど得意ではないギリシャ語のテキストも見ていることは間違いありません。)中世の大思想家とルネサンスの人文主義者については、読んだ振りをしていますが、実際に読んだものはごくわずかです。
近代科学の推進機関のひとつは、専門雑誌です。歴史上はじめての科学雑誌のひとつ、『哲学紀要』(Philosophical Transactions) の編集兼発行人であったオルデンブルグは、まるで現在の科学者のように、古いものには目もくれず、新しい科学の流れに没頭/埋没/集中しています。新しい理論、新しい仮説、新しい事実情報、新刊科学書情報、こうしたものの収集・編集にオルデンブルグは、精力を費やしています。
所蔵していた本のなかで、興味深いものについても一部紹介しましょう。
現在は神秘思想という形で括られることの多い、ある種の宗教思想書があります。ベーメ(スパローによる英訳)、タウラー、フィオレのヨアキム、セラリウス。
錬金術-化学については、具体的なリストをあげましょう。
S. Wehe, Tripus chimicus sendivogianus, dreyfaches chimisches Kleinod ,Strasbourg, 1628.
A. von Mynsicht, Thesaurus et armamentarium medico-chymicum,Lübeck, 1646.
J. N. Furichius, Chryseidos libri IIII, sive poema de lapide philosophorum , Strasbourg,1631.
Basil Valentinus, Of Natural & Supernatural Things. Also, of the First Tincture, Root, and Spirit of Metals and Minerals,London, 1670.
J. S. Elsholtz , Clysmatica nova: sive ratio qua in venam sectam medicamenta immitti possint, Cölln an der Spree, 1667.
J. B. du Hamel, De meteoris et fossilibus libri duo ,Paris, 1660.
H. de Heer, Spadacrene, hoc est fons spadanus, accuratissime descriptus, Leiden, 1645.
N. Lefèvre, A Compleat Body of Chymistry, London, 1670
G. E. von Loehneyss, Bericht vom Bergwerk. (c. 1660).
これは、なかなかお目にかかることのないリストです。
- 2005.10.5
ニュートンが入学したトリニティ・カレッジの図書館には当時3千冊の本があったということです。
ニュートン自身が亡くなったとき、残された本は2千冊近くということです。8月31日に記したように、フックの蔵書は3380冊。オルデンブルグの蔵書冊数は331冊。この時代の人は、千のオーダーに達するとたいへんな蔵書家ということになるようです。
- 2005.2.21
時間もあるので、駒場の図書館に調べものに。オルデンブルグ書簡集をざっと見て、必要な箇所のコピーをとり、たった1頁前回コピーを取り忘れた論文もコピーをとりました。
F. Sherwood Taylor and C.H. Josten, "Johannes Banfi Hunyades. A Supplementary Note",
Ambix, 5 (1956), p.115.
以前は、『オルデンブルグ書簡集』のような基礎的な著作を疑ってかかることはほとんどなかったのですが、今回平井さんと共同研究をしてみて、ドイツ語圏のある種のものについて弱いことがよくわかりました。注記が不正確です。その不正確さが他にも波及しています。(要するに、『オルデンブルグ書簡集』から孫引きしているものには、もとの間違い・不正確さをそのまま再生産しているのが見られる。新しい『ボイル著作集』『ボイル書簡集』にもそうした孫引きが見られます。率としてどの程度不正確なのかは調べていないのでなんとも言えません。)
→気になったので、去年買ってすぐ手元にある、Encyclopedia of the Scientific Revolution で、"Oldenburg, Henry (ca.1619-1677) "の項目を引いてみました。『オルデンブルグ書簡集』の編者のひとり、マリ・ボアズ・ホールが執筆しています。そこに次の記述があります。
「手紙作者として彼はユニークであった。彼は少しずつ、国内にも国外にも通信者を増やしていき、ついにその数は数百に達した。手紙は、英語、フランス語、ラテン語、オランダ語、イタリア語(ドイツ語はまだ科学言語とは言えなかった: German was as yet hardly a scientific language.)で記された。」
つまり、ドイツ語はまだ科学言語とは見なしえないから軽視した、ということが編者本人の手で明言されています。マリ・ボアズ・ホールさん、そういうことではないような。。。 このマリ・ボアズ・ホールの立場(偏見)からは、ドイツ語圏を中心として展開した知の形態は無視・軽視されることとなるわけです。
うちの大学の学部長もつとめた、日本でも有数の古典学者の方と話したときに、ドイツ語だけは苦手だ(あんな野蛮な言語)と本音をもらされていました。早稲田の露文出身、駒場の比較文学で西洋古典文学(とくにギリシャの詩人)を専攻され、ギリシャ、ラテン、英・仏・伊・露を縦横に駆使される方です。音が耳から入ってすぐに記憶できるというお話でしたから、日本でもたまに出現する語学の天才です。そのK先生にして、このドイツ語敵視。
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