『化学史研究』第30巻(2003),pp.256-259. 紹介
   吉本秀之「Newman & Principe, Alchemy Tried in The Fire」『化学史研究』第30巻(2003),pp.256-259.

William R. Newman, Lawrence M. Principe, Alchemy Tried in the Fire: Starkey, Boyle, and the Fate of Helmontian Chymistry,Chicago: University of Chicago Press, 2002, 344Pp.,$40.0, ISBN: 0-226-57711-2

 「我々は、この論考[ファン・ヘルモントのOrtus Medicinae]を読み、ずっと近代的だと思っていた無数の事実を見出し驚愕した。実に、ファン・ヘルモントはその時代において、我々が今この主題[気体]について知っているほとんど全てのことを述べていると、認めざるを得ない。...これまでボイル氏に帰されてきたこの種の発見のほとんど全ては、真実にはファン・ヘルモントに属すこと、さらにファン・ヘルモントはボイルよりも理論においてずっと先まで行っていること、こうしたことはすぐに見て取れるのである。」
 ニューマンとプリンシーペの共著の扉の部分には、このすぐれて化学史的な認識を示す言葉が掲げられている。言葉の主は、現代の化学史家ではなく、かのラヴォワジェであり、『物理化学エッセイ』からとられたものである。
 17世紀後半のキミア(キミストリー)1)を主導したのがファン・ヘルモントであり、若きボイルやニュートンのキミストリーにもっとも大きな影響を与えたのがファン・ヘルモントのキミアであったことは、古くはパーゲル、近年ではディーバスやドッブズの研究に親しむものには常識的な事実であった。しかし、若きボイルがどのようにして当時最先端のヘルモント派キミストリーに習熟していったのか、あるいはニュートンの錬金術のキャリアにおいてファン・ヘルモントのキミアがどの程度の意義を持つのか、こうしたことがらは大部分未開拓に留まっているといってよいだろう。
 『達人志願:ロバート・ボイルと錬金術的探求』(1998)2)でボイルの錬金術研究の隠されていた次元を明らかにしたローレンス・プリンシーペと、『地獄の火:科学革命における一人のアメリカ人錬金術師、ジョージ・スターキーの生涯』(1994)3)でそれまでほとんど知られていなかったバミューダ島出身の達人スターキーの活動を掘り起こしたウィリアム・ニューマンという、ボイル化学の最強の研究者3人のうちの2人4)が、お互いの持ち分を十分に発揮しつつ共同研究した成果が、この『火で試される錬金術:スターキー、ボイルとヘルモント派化学の運命』であり、この書物は上記の未開拓の部分に白日の光を投げかけたと言ってよいほど、驚異の事実を明らかにしている。
 ニューマンは、中世錬金術の最大の著作の一つ、ゲーベルの『完成大全』の真の著者を発見し、17世紀後半の謎の錬金術師エイレナエウス・フィラレーテスがスターキーの別名に他ならないことを発見した人物であり、プリンシーペは、ボイルの著作のなかに錬金術の暗号を発見し、ボイルの錬金術研究の実際を掘り起こした研究者であり、そして時に冷酷に思われるほど冷静に緻密に論を進めるのが常である二人であるが、この書物においては、共同研究が見出した事実に知らず知らずに驚きの声を二人して漏らしているのである。
 その驚嘆の焦点は、ジョージ・スターキーの実験ノートである。
 17世紀において、キミストリーの実験ノートがしっかり付けられており、しかもそれが残されている、という事実がまず驚異であるが、スターキーは、ハーバード大学で受けたスコラ哲学の論理に従い、非常に明白な目的意識のもと、体系的で秩序だった研究プログラムを立て、ひとつひとつ必要な操作を行い、着実に研究を遂行している様子を明確にノートに記している。大げさだと思われる読者の方もおられるかもしれないが、『火で試される錬金術』を読んでいる最中、評者は、まるで、パストゥールやラヴォワジェの実験ノートを読んでいるかのような印象を持った。
 スターキーの実験に我々が驚くのは、その方法性、体系性、組織性に対してであるが、それだけではなく、化学反応に関わる物質の重量に対するスターキーの執着が我々を驚かせる。
 化学史の通説では、後に「質量保存則」として定式化されることになる、化学反応の前後での関連物質の重量の出入りへの注目は、先駆的にはファン・ヘルモント(たとえば、ヤナギの木の実験)に現れ、組織的体系的にはラヴォワジェによって化学研究の柱とされたということになっている。しかし、明らかにスターキーは、反応の前後での重量の出入りに非常に気を配っており、いつも天秤を用いて、反応前後の物質の重量をはかっている。もちろん、気体(ガス=ファン・ヘルモントの造語)を正確に測定しうる装置をスターキーは持たなかったが、それにしても、重量を基本に化学反応を考えている。
 このスターキーのキミストリーが、ファン・ヘルモントとボイルやニュートンをつなぐミッシング・リンクであり、関連を読み解く「鍵」である。
 象徴的だと思われる事例だけを紹介しよう。マイケル・ハンターの研究5)が明らかにしたように、青年貴族ボイルは、22歳の夏(1649年)まではモラリストであって、特に科学研究を行なってはいなかった。22歳の夏、宗教的な回心体験に近い形でボイルは科学研究を開始するが、独学ではじめて化学の実験にすぐに習熟できるはずもなく、最初のころは必要な炉を作ることもできないでいた。いわば化学の手法に飢えていたボイルの目の前に、1650年冬アメリカからスターキーがやってきた。ハートリッブ・サークルを通して、スターキーを紹介されたボイルは、必要なものを入手した。
 スターキーは、化学の入門者ボイルに対して、大学で教師が学生に教えるように、手取り足取り化学の理論と実際を教えた。スターキーは、生粋のヘルモント主義者であって、ファン・ヘルモントのキミアの内容を、彼自身の解釈を通して、ボイルに教授した。
 すなわち、ボイルの化学は、一般的にヘルモント派の化学というだけではなく、スターキーによって解釈され実践されたヘルモント派の化学であったのである。スターキーは、いわば雇用主のボイルに、自分の開発した実験手法や新物質を惜しみなく伝えた。ボイルは、著作の諸所で、それを着服している。ニューマンとプリンシーペは、この事実を、用語法と化学レシピの比較において、十分に論証している。
 ニュートンについては、ドッブズやウェストフォールによって、ニュートン錬金術のピークだと位置づけられた「鍵 Clavis」という論考だけを紹介しよう。ニュートン自身の実験結果を記したものとされていた「鍵 Clavis」が、実は、スターキーの著作であることを発見したのも、著者の一人、ニューマンであった6)。ニューマンは、1651年にスターキーがボイルに宛てて出した手紙の中に、「鍵」の全内容が含まれていることを見出した。ニュートンの錬金術について非常にすぐれた研究論文を書いたウェストフォールは、そのニュートン伝において、「鍵 Clavis」は「実質的にすべての他の錬金術文書とは異なって、実験室での手続きを今日でも再現できる仕方で詳細に記して7)」おり、「錬金術はかつてこのようなものを知らなかった。それは実に、錬金術として存在しうる以上のものである。8)」と述べた。このウェストフォールの言葉は、ウェストフォールほどのすぐれた科学史家においてさえも、錬金術に対する偏見がどれだけ強いかを示すものであるが、ニューマンとプリンシーペは、「今日でも追試可能な」「詳細な手順」を常とするスターキーの実験ノートを提示したのであった。
 「鍵」の内容は、「哲学者の石」の前段階である「哲学者のスイギン」の生成方法である。スターキーは、簡単には混じり合わないアンチモンとスイギンを銀を媒介として使うことで混じり合わせ、「哲学者のスイギン」を調合した。「金によって熱くなるスイギン」というタイトルで王立協会『フィロソフィカル・トランザクション』に発表した非常に不思議な論考でボイルが言及した「スイギン」とは、実は、このスターキーが発明・調合した「哲学者のスイギン」に他ならなかった。
 1691年にパリ科学アカデミーの主席化学者となったドイツ人化学者ヴィルヘルム・ホンベルグも、典拠を示さずに、まさにこのスターキーの方法を記している。ホンベルグは、ジョフロワの先生であり、ブールハーヴェに多大な影響を与えた人物であって、スターキーのキミストリーがラヴォワジェに繋がる可能性を、彼らは示唆している。
 ラヴォワジェやパストゥールが科学史の必読文献であるのであれば、恐らくほぼそれと同じ意味でこのニューマンとプリンシーペの共著も科学史の必読文献の仲間入りをしたと評したくなる、そういう研究書である。

   注
1) 17世紀に、「錬金術 alchemy」と「化学 chemistry」の区別は用語法の実例の点でも指示対象の点でも生じていない。ラテン語では、その一体のものをChimia と呼び、英語では Chymistry と呼ぶ習慣があり、この著作中でもニューマンとプリンシーペは敢えて Chymistry の語を使っている。当書評中でも、その一体性を強く意識するときにはキミア(キミストリー)の語を使用した。
2) Lawrence M. Principe, The Aspiring Adept: Robert Boyle and his Alchemical Quest, Princeton: Princeton University Press, 1998.
3) William R. Newman, Gehennical Fire: The Lives of George Starkey, an American Alchemist in the Scientific Revolution, Cambridge,Mass.: Harvard University Press,1994.
4) 3人のうち、もう一人は、アントニオ・クレリクチオである。その代表的な論文は次のものである。Antonio Clericuzio,"A redefinition of Boyle's chemistry and corpuscular philosophy", Annals of Science,47(1990),561-89.
 ニューマンのボイル化学研究は、スターキー=フィラレテス関係のものを除くと、次のものである。William R. Newman, "The Alchemical Sources of Robert Boyle's Corpuscular Philosophy", Ann.Sci.,53(1996),567-85 ; W.R. Newman,"Boyle's Debt to Corpuscular Alchemy," in Michael Hunter (ed. ), Robert Boyle Reconsidered(Cambridge: Cambridge University Press,1994), 107-118.
5) Michael Hunter, "How Boyle Became a Scientist", History of Science, 33(1995), 59-103.
6) William R. Newman,"Newton's Clavis as Starkey's Key", ISIS,78(1987), 564-574.
7) Richard S. Westfall,Never at Rest: A Biography of Isaac Newton, ( Cambridge: Cambridge University Press,1980), p.370.
8) ウェストフォール「ニュートンの生涯における錬金術の役割」『科学革命における理性と神秘主義』(M.L.R.ボネリ,W.R.シエイ編、新曜社、1985),p.213.
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